モバP「花物語」 (34)


※オムニバス
※花物語といっても、西尾維新よりは吉屋信子に近いと思います

※とりあえず登場キャラ
緒方智絵里、(クラリス)、梅木音葉、(白坂小梅)

SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1441562676






返らぬ少女(おとめ)の日の
ゆめに咲きし花の
かずかずを
いとしき君達へ
おくる


(吉屋信子『花物語』巻一 序文)




●【クローバー】


※緒方智絵里
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http://i.imgur.com/Dd50Ib2.jpg




幸運の象徴である四つ葉のクローバーが嫌いという方は、まず居ないと思います。
うちの事務所ですと、朋ちゃんとか、ほたるちゃんが、よく四つ葉のクローバーを持ってます。

ですが、わたしのように、四つ葉のクローバーを探すのが趣味とまでいくと……
変わってるね、なんて言われることもあります。

ただ、四つ葉のクローバーには色々と素敵な意味があって……
わたしにとっても、特別な思い出のあるものなんです。

今日は、その内の一つをお話させていただければ、と……。






わたしが、アイドルとしてデビューする前の……養成所でレッスンを受けていた頃の話です。

アイドルになろうと思った理由……ですか。
それが実は、けっこう中途半端で……

わたしは、自分がおどおどとしてたり、子供っぽいところとか、そんなところが嫌で……
そこをスカウトさんに丸め込まれて……アイドルになれれば、自分を変えられるんじゃないか、
と思って、候補生として養成所に通っていました。

けれども、そんな状態ですから、うまくいくはずがなくて……
わたし、声が小さくて、歌や演技が全然伝わらなかったり、体力もなかったり、
ほかの候補生の人と自分を比べて、もともと乏しかった自信を、すっかり失くしてしまったんです。

あまりに自分が情けなくて、でも自分が言い出したことだから、
誰かに泣き言も漏らせず……一人で泣いてしまうこともありました。
それが、無性に寂しくて、辛くて……

そんな調子ですから、レッスンへ向かう足取りも日に日に重くなり……それでも、
自分を変えたい、という気持ちで……なんとか養成所へ通うことを続けていたんですが……

ある日、その気力がふっつりと……前触れもなく尽きて、足が動かなくなってしまったんです。



それは本当に突然でした……わたしの足が止まったのは、
養成所とその最寄り駅の途中にある公園でした。

なんとか、行かなきゃと思ってても……
電車を降りるまでは動いてたはずの足が、動かなくて……
わたしは……公園のベンチに座り込むのが、やっとの状態でした。



どれほど時間が経ったのでしょうか……ベンチで打ちひしがれていたわたしに、
誰かが呼びかけてくる声が聞こえてきました。

「――智絵里さん、緒方智絵里さんですね?」

「……えっ、あ……は、はい……っ」

いきなり自分の名前を呼ばれて、わたしがびっくりして顔を上げると……
編みこんだブロンドをウィンプルで覆った若いシスターさんが、しゃがみこんでわたしを見ていて、
至近距離で視線が合ったものだから、声らしい声が出ませんでした……。





「く……クラリス、さん、ですか……?」

わたしは、そのシスターさんの顔を見知っていたので……
あっけにとられた頭で、なんとか名前を喉から絞り出しました。

「あら、覚えていてくださったのですか。光栄ですね」

クラリスさんはそう言いましたが、わたしにとっては……
クラリスさんがわたしの顔と名前を覚えていることが意外でした。

クラリスさんは、養成所でとても目立つ方でした……。
まず……服装とかがすぐそれとわかるシスターさんで……
ブロンドに白い肌と、ヨーロッパ生まれみたいな名前と外見なのに、神戸育ちで日本語が流暢……
あと厳しいレッスンでも、穏やかな表情と声音を崩さなかったり……とにかく色々と印象的な方です……。



それに比べてわたしは、人の目に留まるようなものが、何もなくて……
あ、ダメな所が悪目立ちしてたのかもしれませんが……

同じ養成所で頑張ってる方に、サボってるところを見られたなんて……っ

わたしは消え入りたくなりましたが、体は相変わらず手も足も動かないままで、
気まずいまま顔を伏せることしかできませんでした。



「隣、よろしいでしょうか?」

何も言えないわたしの隣に、クラリスさんが座りました。

「あと、貴女と何かお話できれば、と思うのですが……」

それから、クラリスさんは、何事かわたしに話しかけてくれました。

わたしは最初、ろくすっぽ返事もできなかったのですが、クラリスさんが隣にいてくれると、
喉とか、胸のあたりが少しずつ解れていく気分がして、いつしかわたしは自分のことを話していました。

……わたしは、アイドルになることができるんでしょうか、と。

一度口に出すと、あとは勝手に言葉が流れ出て止まりませんでした。
自分はダメなんじゃないかという不安があって、それを認めるのも怖くて……

ほかにも色々混ざったもの、辛いこと、苦しいこと、
それでも誰にも言えなかったことが、口をついて溢れて……
わたしのそれが尽きるまで、クラリスさんは黙って聞いてくれました。




わたしがしゃべるだけしゃべり終わると、クラリスさんは、

「智絵里さん……少しだけ、待っていてくださいますか?」

と言って立ち上がると、わたしたちが座っていたベンチの裏手に歩いて回りました。

何だろう……と思って、わたしが振り返ると、
クラリスさんは背が低い草が生えているあたりで、しゃがみ込んで地面を眺めていました。

「……何を、されているんですか」

「四つ葉のクローバーを探しているんですよ。手伝ってくださいますか?」

わたしは、クラリスさんの周りで、白く小さな花びらが丸く重なったクローバーの花が、
数えきれないほど揺れているようすを見ました。

ああ、今って、春なんだ……とわたしは呟いていました。
クローバーが咲いてるってことは、もう春も終わりだったのに、いまさら気づいたなんて。



わたしはクラリスさんと並んで、無心で四つ葉のクローバーを探しました。
何故それを探しているか、意味は分かりませんでしたが、それはとても落ち着く時間でした。

「智絵里さん。クローバーは普通、三つ葉ですよね?」

しばらくたって、クラリスさんがまた話しかけてくれました。

「私どもの古い言い伝えでは、三つ葉がそれぞれ、父なる神・キリスト・聖霊を表していて、
 それらが一つである三位一体を示す、などという例もありますが……では、四つ葉は?」

クラリスさんがわたしへ問いかけた瞬間、わたしの目はクローバー群の中で、
四つ葉のそれが一つ、春風に揺れている様を捉えました。

わたしはキリスト教のことはさっぱり分かりませんでしたが、
その様は、いつだったかクラリスさんが下げていたロザリオの形を連想させました。



「四つ葉は……十字架、でしょうか?」

「よく言われるのは、そちらの意味合いですね。もしや、ご存知でしたか?」

「……いいえ、ただ思い浮かんだだけで……」

たまたま言い当てただけなのに、クラリスさんが嬉しそうに声を高くするものだから、
わたしは気恥ずかしくなって、会話を打ち切って四つ葉のクローバーへ右手を伸ばしました。

「見つけた……四つ葉、です」

「あら……やはり幸運は、求め訴える者のもとへ降りてくるのでしょうか?」

わたしの手のなかの四つ葉を見ながら、クラリスさんは冗談めかして微笑みました。



「四つ葉は、三位一体に見つけた人自身を加えたもの、という見方があります。
 父なる神・キリスト・聖霊が、いつも自分とともにある幸せを示す……これが幸運の象徴の由来、だとか」

「……そうなんですか?」

聞きなれない説法に首を傾げたわたしを見て、
クラリスさんはわたしの手に――四つ葉を乗せた右手に――彼女の手を重ねました。

「もっと、ざっくばらんに言ってしまえば」

その手の暖かさが、とても優しくて……

「辛い時も、苦しい時も……いつだって貴女は一人じゃない、ということですねっ」



クラリスさんの言葉が届いた瞬間、わたしは、つい涙をこぼしてしまいました。
けれども、恥ずかしさや決まり悪さは感じませんでした。

一人のときと違って……そう、一人じゃないなら、泣くのも辛くはありません。むしろ……





……ちなみに、クラリスさんもレッスンに向かう途中だったため、
わたしたちは揃って遅刻し、養成所の方に叱られてしまいました。



……お後がよろしいようで。





●【からたち】

※梅木音葉
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「……からたちの花って……聞いたことあるけど……どんな花……?
 教えてくれると……嬉しい……」

レッスンから帰ってきて、事務所の談話室で紅茶を飲んでいると、
薄紫色の淡い声音とともに、小梅さんがこちらへ歩み寄ってきました。



「……からたちの花、ね」

プロフィール上で、私より30cm背の低い小梅さんは、
私の隣に腰掛けるて、こちらを見上げてきました。

彼女の目は、右側だけ前髪を長く垂らしているため、右目は私から隠れていますが、
たぶん髪の向こうでは左目と同じように、興味津々といった光がちらついているのでしょう。

「ごめんなさい。私も……からたちの花については、ほとんど知らないの。
 凛さんとか、お家を手伝ってるらしいから……知っているかも」

「聞いてみた……けど、ダメだったの。お花屋さんには、置かれない花みたい……」

「……でしょうね」



実を言うと、私はずっと前に、からたちを見たことがありました。

「昔……私が、今の小梅さんよりも年下の頃だから、もう十年ぐらい前……
 ほんの少しだけ、私はからたちの花を見たことがあるわ……」

「からたちの花……やっぱり、白いの……?」

「……そうね。歌、ご存知かしら……『からたちの花』を」

小梅さんがいつになく熱っぽい視線と声音で先を促してきたので、
私はかつて自分が見た……からたちの花の思い出を話すことにしました。




私が小学校高学年だった、春の連休。
私は両親とともに、神戸に住む祖父母の邸宅を訪れていました。

兵庫出身の小梅さんには、わざわざ言わなくても通じましたが、
神戸という土地は、港や住宅街の風景が有名な一方、実は山――六甲山が近い土地です。
祖父母の邸宅は、その山に近い旧家の屋敷で、その周りをからたちの垣根が囲んでいました。

北海道育ちの私は、からたちを見たことがありませんでした。
(漢字で枸橘と書くように、からたちはミカン科の温帯植物です)
それで私は不用意に手を伸ばして、青い青い棘に指先を刺されて痛い思いをしました。

その時、母が苦笑しながら『からたちの花』を歌って聞かせてくれました。
北原白秋と山田耕筰の、あの歌です。



――からたちの花が咲いたよ
――白い白い花が咲いたよ

――からたちの棘は痛いよ
――青い青い針のとげだよ

その旋律は、私が見た光景――五つ星のように開く花弁や、まきびしのような棘とは違う、
黄昏のような色の響きでした。あとでからたちの実を見た時、ああこれだ、と思う色味でした。



祖父母は鳩レースをやっていたらしく、洋館のすぐ隣に鳩舎を設けていて、
私のそのなかの真っ白い一羽と仲良くなりました。名前は『ニンバス』といいました。
ミッションスクールに通っていた祖母がつけた名前のようです。

私は、当時から森の中を歩くのが大好きな子供でした。
私は朝起きると鳩舎を訪れて、ニンバスの機嫌が良ければ、
そのまま六甲の森を一人と一羽で遊び場として、日が落ちるまで過ごすこともありました。





そんなある日のこと、ニンバスはどこか遠くへ飛んでいきました。
そして、空がからたちの実の色に染まる夕方となっても、白い鳩の姿は鳩舎へ戻りませんでした。

もしかして、ほかの動物に捕らえられてしまったのではないか……
幼かった私は、たいへん胸を痛めていました。

月が昇る頃になっても、私は夕食も上の空で、
神戸の街明かりが微かに反射した夜空を窓越しに見上げて、ニンバスの無事を祈りました。



不安でよく寝付けなかった私が翌朝目覚めると、もう太陽がかなり昇っていました。
私が、ひょっとしたら……という希望を持って鳩舎に向かうと、

「音葉や、ニンバスは帰ってきたよ」

と、既に鳩舎へ向かっていた祖母が、私に嬉しい知らせを聞かせてくれました。
ニンバスは傷どころか疲れさえ見せず、心配していた私をからかうように甘えてきました。

私が咎める様子を見せると、ニンバスは朝日に向かってふわりと舞い上がりました。
つられて視線を上げた私は、後光のような日光に目を射られて、目を細め……

そこで私は、ニンバスの足に何かひらひらとしたものが靡いていることに気づきました。
調べてみると、それは濃い青紫色の花弁がひとひら、細い細い紐で結ばれたものでした。



ニンバス――白い鳩を捕らえて、細い足に、まるで伝書鳩にするように紐を括りつけて、
そこに託したものは、菖蒲か杜若を思わせる青紫……。

顔も知らぬ人から送られた可憐なメッセージは、幼い私をいたく感動させました。

ぜひとも、その送り主を知りたい――そんな使命感に燃えた私は、
ニンバスが六甲の空へ飛んでゆくのを見ると、
祖父母に近在の地図をもらって、白い鳩の行方を探して回りました。



たかだか小学校高学年の女の子が、森のなかを一人で一日中歩くなんて……
今思えば、祖父母や両親がよく心配しなかったものだ、と思います。

もしかすると、祖父母はメッセージの送り主に見当がついていたのかも知れません。
というのも、私は思ったよりもあっさりと、ニンバスが送り主の元へ降り立つ姿を見ることができたのです。




祖父母の邸宅から、さほど遠くない距離。
子供の足で、少し疲れを覚える程度のところに、
壁を漆喰で白く塗られた小さな洋館が立っていました。

その洋館の二階にある窓の一つ、そのそばにニンバスの白い姿が認められました。

窓の向こうでは――おそらく、窓が細く開けられていたのでしょう――クリーム色のカーテンが、
微かにそよいでプリーツを揺らしていて、その様子を私が見上げていると、
その窓がニンバスを迎えるようにすっと開いて、カーテンが風にふわりと浮かされ……

私の目には、部屋の中からニンバスを迎える姿が、ほんの数テンポだけ映りました。
その面影は、当時の私よりも少しだけ年上の――ちょうど、今の小梅さんと同じぐらいの――
そんな年頃の、細く麗しい少女でした……。



私は彼女の姿に気後れを覚えて、洋館から逃げるように立ち去りました。
帰り道の森のなか、私はフラフラと頼りない足取りで、何度か転んでしまって、
それを痛いとも感じないほど心が浮かされていました。



そうして夢現の気持ちで祖父母の屋敷へ戻ってみると、
私はニンバスの脚に花弁を結びつけたあの少女と、なんとかして近づきたい、と思いました。
自分より少し年上の、心憎いメッセージを送ってくれたあの少女に、私は熱っぽい憧れを抱いたのです。

彼女と話すには、どうしたらいいか――そう考えた私は、まぁ……安直といいますか、
屋敷の垣根へ向かうと、からたちの星形に広げられた五枚の白い花弁から、一枚を失敬しました。
そして夕方に帰ってきたニンバスの脚へ、その花弁を結びつけ――返事のつもりで、私は彼女を真似たのです。





明くる日、私の白いメッセージをたなびかせてニンバスが飛び立つと、
私は勇躍して彼女の洋館へ向かいました。
行き先がわかっていて、しかもそこがとても素敵なところと知っていれば、
私の足取りはスタッカートのごとく弾み、あっという間に洋館は目の前。

ニンバスの白い羽毛と、それと同じくらい白いからたちの花弁。
洋館の壁も漆喰で白く塗られていて、私が固唾を呑んで眺める中、
果たして洋館の二階の窓は今日も開かれて、また彼女はニンバスを迎え入れました。

私は、彼女の姿に息を呑みました。二度見ても、彼女の美しさには慣れません。
彼女が伸ばした細い手は、私が今までに見たどんな雪よりも白く透き通っていました。



彼女が、私の返事――からたちの花弁を見たら、どう思うでしょうか。
それを思うと、私は洋館の表で、自分の心臓が赤く高鳴る音を感じました。

不躾だとは思われていないでしょうか。何せ、彼女は雪よりも澄んだ色合いの人。
からたちの純白でさえ、この時の私には、いささか心細く思われました。

ああ、私がメッセージを伝えるのなら、もっと冴えたやり方が――



私は六甲の森の空気を肺腑いっぱいに満たして、彼女へ声を届けようと歌いました。



――からたちの花が咲いたよ
――白い白い花が咲いたよ

――からたちの棘は痛いよ
――青い青い針のとげだよ



私が、白、白、白と念じていたせいか、私の歌う『からたちの花』は、
母が聞かせてくれた黄昏色とは似ても似つかない、白い音となって、宙へ溶けていきました。





「――そこにおわすのは、どなた?」

洋館の方から、私を呼ぶ声が聞こえました。それは、私の母とどこか似ている薄橙色でした。
私が洋館の方を見ると、これまた私の母と同じぐらいの外見の夫人が、
洋館の扉を開けて、こちらを向いていました。私が見た白い少女の母親でしょうか。

「私は……ニンバスの……その鳩の飼い主、です」

こう私が告げると、夫人は申し訳無さそうな顔で私に詫びてきました。
ニンバスを洋館へ入れたことを、私が咎めに来たと思ったのでしょうか。

「いえ、私は……ただ、上の方と、話がしたくて……」

私が名乗ってからそう告げると、夫人は私を洋館へ招き入れてくれました。



私が、洋館の二階――白い少女とニンバスがいる部屋へ入ると、
彼女はあの気後れするほどの美しくか細い姿のまま、私へ微笑みかけました。

彼女の体は、ふわふわと膨らんだ白いベッドの中に、その半ばをつつましく埋もれさせて、
その横ではニンバスが首を傾げていました。



私が彼女のベッド際に、花弁が不自然に欠けた青紫の花を見つけて、

「ニンバスの脚へ結ばれた花弁は、もしかして――」

と私が問うと、彼女は私に皆まで言わせず微笑んで頷きました。





それから、私は洋館の少女とお友達になりました。
夫人――少女の母親――によると、彼女は病気を得てこの洋館で療養している最中とのことでした。



それで無為をかこっていたところ、窓から客人――ニンバスが、
たまたま開いていた窓から彼女の枕元へやってきて、横たわる彼女の上をふわりと一回りしたそうです。

外を出歩くことも叶わない彼女にとって、ニンバスの悪戯はいたく粋に映ったようで、
彼女はそれに報いるべく、枕辺の菖蒲をニンバスの脚に褒美として与えたそうです。

私が返信として贈ったからたちの花弁も、
彼女はいたくお気に召されていて、私達はその時から友達になりました。

惜しむべきことに、彼女は体が弱っていて、
私は彼女とともに六甲の森を楽しむことhsできませんでした。
その代わり、私は彼女の前でせがまれるがままに歌声を聞かせました。

歌に囲まれて育った私にとって、彼女とつながるために歌うのは、
ニンバスが洋館と私の邸宅を往復するのと同じくらい自然なことでした。



私は、朝に垣根よりからたちの花を一枚拝借すると、彼女の家を訪れて、
空が暮れなずむ夕方になる頃に洋館を辞すのが常でした。

彼女は私のからたちに対する返礼のように、
私が帰ろうとすると、枕辺の菖蒲から花弁をひとひら渡してくれました。



私はそれを見ていて、

「これを毎日続けていたら、今にその菖蒲から花弁が無くなってしまう」

と彼女を押し留めたのですが、彼女はただ――
この菖蒲たちの花弁がすべて無くなるまででいいから、どうかあなたの歌が聞きたい――
と言って、私の手のひらに花弁を握らせるのでした。



私は彼女の願いを聞いて、上手く返事することができませんでした。

私が神戸から北海道へ帰る日が、もう近くまで来ていたのです。



北海道へ帰る前日、私は白いからたちの花を持てるだけ持って、彼女の洋館へ行きました。
彼女の枕辺の菖蒲には、花弁が二枚だけ残っていました。

私は、明日の朝早く北海道へ帰る旨を告げました。
約束を果たせるのは、早くても来年の春――10歳か11歳の子にとっては、果てしなく遠い未来です。

私は友達の望みに応えられない不甲斐なさで涙ぐみました。
彼女はベッドに横たわったまま私の手を握って、
『からたちの花』を聞かせて欲しい、とせがみました。

私は彼女の枕辺に、からたちの花を並べると、涙混じりのひどい声で『からたちの花』を歌いました。
そして私は、たった二枚の菖蒲の花弁のうち、一枚を自分の手のひらに握って、



――私は……また、来年、あなたへ会いに行くから。
――からたちの花を持って来るから、あなたも、たくさんの菖蒲を用意していて。

そう彼女に言いました……言ったつもりでした。
しゃくり上げながらだったので、彼女にきちんと伝わったか……自信がありません。

ただ彼女は、私の手を菖蒲の花弁ごと握り返して、
ベッドに体を埋もれさせたまま、私に笑いかけてくれました。



祖父母から彼女の訃報を聞いたのは、
その年の秋――からたちの実が黄昏色に染まる頃でした。





「からたちは、星みたいな形の白く小さい花を咲かせるのですが……
 棘が固く鋭い上、実が食用向きでないので、最近は育てる家もめっきり見なくなったそうです。
 私も祖父母の家のほかに、からたちの垣根を見たことがありません」

私がそう告げると、小梅さんは私の隣りに座ったまま、何かを考え込んでいました。



やがて小梅さんは、すっと立ち上がって私に向き合うと、

「音葉さん……もし、よければなんだけど……『からたちの花』……
 今、ここで聞かせて欲しい……」

と言いました。



目の前で見る小梅さんの白い腕は、彼女と同じくらい細く透き通っている気がしました。

「……そうですね。ここまで、私の思い出話を聞いてくれましたし……」



私は、あの神戸の別れ以来はじめて、
『からたちの花』を歌いました。

――からたちの花が咲いたよ
――白い白い花が咲いたよ



目を閉じて、私の歌声は白く白く、在りし日のニンバスにも、からたちの花弁にも、
そして彼女の透き通るほどの白さにも負けない、純白の音で意識を満たすように……



――からたちの棘は痛いよ
――青い青い針のとげだよ







歌い終わったあと、私が眼を開くと、白く塗り潰したはずの目蓋の裏より、
もっと明るい事務所のLEDが、私の網膜をちりちりと苛んで、私は涙腺が緩むのを感じました。

「音葉さん、ありがとう……『からたちの花』……
 私も、とっても素敵な歌だと思う……」



年下の子の前で、自分の歌に感極まって涙を流す――ということに、
歌い終わった余韻が覚めつつあった私は、今更ながらの気恥ずかしさを覚えて、
つい目を両手で覆ってしまいました。

「あと、あの子も……音葉さんは、あの時よりも、もっと素敵になったって……」



私が両手を顔から離すと、手のひらのあたりから、
何か薄く小さいものがひらひらと舞って、私の膝の上に落ちて止まりました。

それは、濃い青紫色をした菖蒲の花弁でした。


今回はここまで

あと二編ぐらいの予定……

もしよろしければ、以降もお付き合いいただけますと幸いです


>>1の作品は雰囲気が凄く好きだから楽しみ。
過去作のリンクとか良ければ貼って欲しい

取り急ぎ訂正

>>7
× 私の隣に腰掛けるて、こちらを見上げてきました。
○ 私の隣に腰掛けて、こちらを見上げてきました。

>>8
× 祖父母は鳩レースをやっていたらしく、洋館のすぐ隣に鳩舎を設けていて、
○ 祖父母は鳩レースをやっていたらしく、邸宅のすぐ隣に鳩舎を設けていて、

>>12
× 私は彼女とともに六甲の森を楽しむことhsできませんでした。
○ 私は彼女とともに六甲の森を楽しむことはできませんでした。


リストは次回の投下までに作っておきます
クラリスは真面目


一編だけ書けたので投げます

※とりあえず登場キャラ
鷺沢文香、(佐藤心)


●【桜】

※鷺沢文香
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私が所属する事務所は、最寄り駅からの道のりの途中に、小さな公園があります。
その公園は、春になると桜が咲いて……といっても、お花見スポットと呼べるほどの本数はなく、
近所の幼稚園児が春にたむろする程度の、ささやかな桜です。

あるうららかな春の日、出先から事務所へ帰る途中だった私は、
少し時間に余裕があったのに乗じて、公園へ寄り道しました。



公園の桜は、既に盛りを過ぎていました。
見物人もおらず、花弁が地面の上で白い斑点のようにばらばらと散らばっていました。
花を愛でるには、訪れるのがいささか遅かったようです。

土で薄汚れてしまった花弁たちが、無性に惜しく感じられて、
私は腰をかがめてそれらを拾い集めていました。



「東京の桜は、信州に比べると気が早い……そうは思わんかね、文香ちゃーん☆」

「あ……し――は、はぁとさん……」

「そう、はぁとだぞ☆ こーるみーはぁと! じゅまぺーるはぁと! だからね☆」

「英語はともかく、フランス語だと『はぁと』の『H』を発音しませんが……」



私が顔をあげると、同じ事務所のアイドルである佐藤心さんが立っていました。
心さんは私と同じ長野出身ですが、私より七歳年上。
進学を気に去年上京した私よりも東京暮らしが長く、信州の春を懐かしむ気持ちが強いのでしょうか。

それはそれとして、地に落ちた桜の花弁を拾っている、
というなかなかの奇行を見られた私は、決まり悪く苦笑いしました。



「信州は春が遅いですからね……今の時期がそろそろ見頃でしょうか」

「そうそう、気が早いっての☆ ……ところで、文香ちゃんはなんで桜を拾ってたの?」

そう言いつつ、心さんは私よりも一回りほど高い背を屈めて、
私と同じように花弁を一枚拾いました。

「……枝から散ってしまった花でも、もう一度くらい宙に舞い上がったらいい……と思ったのです。
 ただ一度ひらひらと落ちていくだけでは……寂しくて、惜しいのです」

「ふーん。ブンガク少女と桜の取り合わせなだけあって、流石にポエミーな響き……
 これ、はぁとが同じコト言ったら意味が変わっちゃうよオイ☆」

「散った桜については……少し、思うところがありましてね……昔の話ですが……」









……私が、小学校に入って間もないころ、
家族に連れられて春の戸隠を訪れたことがあります。

高天原から落ちてきた天岩戸とされる戸隠連峰。
信州のはぁとさんであれば、名前はご存知ですよね。

戸隠の参道。今の私であれば、色々と想像をめぐらせつつ歩けるところです。
レッスンのおかげで、だいぶ体力もついてきましたし。

しかし当時の私にとっては、車窓から見る参道が鬱蒼とした木々に覆われて薄暗く、
枝の間や幹の陰から何かが出てくるんじゃないかと、どこかそわそわとして気の落ち着かない場所でした。

……これが、秋に紅葉で真っ赤に染まっていた季節のことだったなら、
また違った思い出になったかもしれません。



両親は、神職さんと何やら話し込んでいました。
私は、上から押し包んでくるような木々の圧力から逃れようと、
近くにあった入母屋造の古めかしい社殿まで歩きました。

社殿の梁から下げられた白い垂れ幕の合間から、社殿のなかを見ることができました。
そこは、上から吊り下げられた白い灯籠がいくつも規則的に並んでいて、
太陽光や蛍光灯の光とは違う柔らかさが漂っていました。



歴史を重ねた神社というものは、当時の私にとって、目に入ってくるものがどれも珍しく思われました。

未知の世界に心惹かれて私の足が引き寄せられ、いつの間にか数段の階(きざはし)を登り、
気づけば高床の上に組まれた社殿のなかへ足を踏み入れてしまいました。





社殿の壁には、誰か崇敬者が奉納したのでしょうか、
畳一畳よりも大きそうな真新しい絵額に、羽衣を巻きつけた半裸の女性が描かれていました。

おそらく、天岩戸のときのアメノウズメを描いた絵ではないかと思います。

振り乱された羽衣の綺羅びやかさは、ぼんやりとした灯籠の明かりの下でも輝かんばかりに、
それが纏わりついた赤みが差す肌は、匂い立つほどリアルに私へ迫ってきました。

私は美しく妖しい姿に魅せられた興奮と、
破廉恥な物を視界に入れてしまった羞恥がないまぜになって、
頬が熱くなったのを感じていました。



少し時間がたち、気分が収まってきた私は、
エロティックな女性の絵姿を凝視しているのがいよいよ気まずくなり、上へ目をそらしました。

すると、社殿の高く造られた天井の全面に、
荒々しい雨雲を取り巻かせて、こちらをギョロリと睨みつける墨絵の龍が描かれていました。

私は、その龍の眼に射竦められました。

吊り灯籠の淡い光が届かない高みから、黒い穴のような目が私に迫ってきて、
それをまともに見てしまった私は、先のまったく見通せない深さの瞳に、体が吸い込まれていって、
『あっ』と思う頃には足が床から引き剥がされ、雨雲の中へ連れ去られていく心地がしました。



自分がここから引き剥がされる感覚が恐ろしく、幼い私は助けを呼ぼうとして……
しかし叫ぶどころか息すらままならず、あわや天井へ引き摺り込まれるか……というところ、
すっと誰かから言葉が投げかけられました。

「どうしたの?」

張りのあるくっきりとした声音の、若い女性。
背が高く、上から私を覆って守ってくれるようなその声が、とても頼もしく感じられます。

「あ、あの……龍が、龍が……」

「龍が、怖いの?」

「わ、私を……天井へ、引っ張っていって……」



私が振り返って見た女性は、私の言葉を聞いて、呆れ半分、感心半分といった様子。
お姉さんらしいしっとりとした目鼻の美しさに、茶目っ気を帯びた表情でした。

「ふぅん。そうか、そいつはいけない、悪い龍だねぇ……」

彼女はシンプルなセーラー服を着込んでいて、
なぜかその腕の中に零れ落ちそうなほど桜の花弁を抱えていました。
綺麗なのに悪戯っぽい顔つきと合わせて、私は彼女が春の妖精かと思いました。



「キミみたいな小さくて可愛い子を怖がらせるなんて……
 そんな奴は、お姉さんが……こうしちゃうんだからっ☆」



そう言って、お姉さんは腕いっぱいの桜の花を、天井の龍に向けて放り上げました。
数えきれないほどの桜は、生きた蝶々のように、私と龍の間にはらはらと舞い上がって、
恐ろしい龍と雨雲を覆い隠し、私はその桜吹雪に見惚れていました。

これ以上は……私の見たあの光景は、
未だに詞(ことば)にして言い尽くすことができそうもありません……。






「ふぅん……そんな、ふぁんたじっく☆ な体験して育ってきたなら、
 そら文香ちゃんみたいなロマンチストにもなるわなぁ」



心さんの反応を見て、私は思い出話をここで区切って良かった、と思いました。

というのも……結局あの後、私とお姉さんは神職さんに見つからないよう、
こっそりと社殿を抜け出したのです。神社の人から見れば、ただの悪戯ですから……。



「……私、ロマンチストでしょうか?」

「だって、そんな10年ちょっとも前のことを思い出して、感傷的になって、
 今ここで桜の花弁を拾ってたんでしょう? なかなかのレベルだと思うわぁ」

そう言いつつ、心さんは私と同じように、地面に散った桜の花弁を拾い始めました。



「桜の花弁って、少しハートマークに似てるし……ニューはぁとアタックは、こーゆーのもいいか♪
 踏まれてちょっと形が歪になっちゃってるのも、はぁとらしいかもって? うるせぇ☆」

一人芝居を続ける内に、心さんの両手が散った花弁でいっぱいになりました。
心さんは満足気に息をつき、雲もまばらな水色の空を見上げて――

「天井からガンつけてくる龍も、メロメロにしちゃうぞ――はぁとアタック、花吹雪っ☆」



心さんの手から溢れだした花吹雪は、晩春の風に吹かれてひらひらと宙に広がりました。
私はその光景に、じわりと染みいる既視感を覚えました。



「……心さん、もしかして」

「ちがーうっ☆ 文香ちゃん、こーるみーはぁと!」

「……は、はぁとさん。貴女は……」



「はぁともね、文香ちゃんに負けないロマンチスト……かも、ね☆」

今回はここまで

>>15

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※今回で終わりです。


登場キャラ
一ノ瀬志希、相葉夕美


※一ノ瀬志希
http://i.imgur.com/ouXO6xV.jpg
http://i.imgur.com/bd3CutX.jpg

※相葉夕美
http://i.imgur.com/dROCxjB.jpg
http://i.imgur.com/hlye2ej.jpg


●【パンジー】



「ふっふー! こ・こ・が♪ あたしと夕美ちゃんの愛の巣かー♪」

「あはは、愛の巣って! まぁ、迷惑かけるかもしれないけど、よろしくね。志希ちゃん」



私と志希ちゃんは、アイドルとして駆け出しの頃から、一年ぐらい寮で相部屋だったんだ。
寮に入った事情は真逆だったけどね。

私は、通学とかいろいろと寮が便利だったから申し込んで入れてもらったんだけど、
志希ちゃんは、……失踪癖を危ぶまれて、プロデューサーさんに強制入寮させられてた。



失踪癖……うん、そうだよ。
志希ちゃん、よく仕事からエスケープしてさ。

あの子は天才肌で、私やほかの子が手こずる振付や歌を、一目見ただけでしっかりキメちゃう。

だけど――あるいは、そのせいか――とにかく集中力が全然続かなくて、
目を離すと居眠りしちゃったり、ひどい時には、どこかに消えちゃってるんだよね。







そんな志希ちゃんが、晩夏の頃にプランターと土を買ってきて、
ベランダで私が育ててたコスモスの隣に並べていた。

「不束者ですが、よろしく! なんてね」

何を植えるつもりなのか聞くと、志希ちゃんはパンジーの種を見せてくれた。
それを見た私は、ちょっと……いや、かなり不安になった。



私、趣味でガーデニングやってるから、お花について多少の覚えはあるんだ。

パンジー。お花の中では、虫や病気に強い子。
秋から春まで花を長く楽しめて、初心者にも比較的育てやすい。
まぁ、初心者なら種じゃなく苗で植えるのを勧める所なんだけど。

私は、志希ちゃんにまともにお花の世話ができるかな……なんて、思ってた。
失礼ながら……志希ちゃんには一番向いてなさそうなことだし。

でも、志希ちゃんは私のお花の横にプランター置いたから、勝手にどうぞ、とは言えない。
虫とかの駆除がおろそかにされると、あたしの世話してる子たちにも影響があるからね。



「ここでミョーな科学実験したら、夕美ちゃんや、あの子たちに迷惑がかかるしー。
 代わりと言っちゃなんだけど、この子に付き合ってもらうことにしたんだ♪」

正直不安だったけど……私は、冬になるまで様子を見ることにした。





私の危惧に反して、志希ちゃんは甲斐甲斐しくパンジーの世話をしていた。
仕事と比べたら、まるで別人の取り組みっぷり……アイドルとして、それはどうなんだろうか。

用土の湿りを毎日チェック――関東平野の冬は空っ風が吹くから、油断すると乾くとかぼやいてた。
夜にゴソゴソやってて何かと思ったら、鼻歌交じりで虫たちを割り箸でつまんで、
水を張ったバケツに突っ込んでた――その手つきは、私から見ても堂に入っていた。

志希ちゃんのお世話の賜物で、パンジーはスクスクと育っていく。
芽が出る。葉は虫食いの影も見えないし、茎も間延びせずちょうどいい。
ベランダにも、二人でホームセンターへ行って買ってきたネットを広げた。これで鳥避けもバッチリ。



パンジーは寒さに強く暑さに弱い。
秋に発芽し葉を茂らせて、冬から春にかけて咲くお花だ。

その切り花が私たちの部屋を飾るころには、私も志希ちゃんに対する認識を改めていた。



切り花――といえば、志希ちゃんのお世話で、特に剪定が印象に残ってる。

剪定というと、お花を育てない人にとっては、
木や盆栽の枝ぶりを切って整える……みたいなイメージがあるかな。

お花――特にパンジーみたいに、比較的長いシーズン咲き続けるお花は、
上の方にある花が盛りになったら枝ごと剪定してしまうんだよ。

何でそんなことをするのかって? それは、植物ホルモンのオーキシンが……まぁとにかく。
盛りを過ぎた花は摘まないと、花が実をつけるために栄養を吸ってしまって、下の花が咲けないの。

そうして切ってしまったお花は、切り花やドライフラワーにする。
志希ちゃんのパンジーも、私のウインターコスモスとかと合わせて、事務所に披露したこともあったね。
みんな、冬に鮮やかなお花が咲くイメージが無かったらしくて、なかなか好評だったよ。



剪定は、育てる人の性格が出るところだね。

私なんかは、せっかく咲いたお花なんだし……と思って、理屈じゃ切ったほうが長持ちする、
って分かっていても、株につけたまま一週間も眺めて、ついぎりぎりまで惜しんじゃう。

逆に志希ちゃんは、花が開き切ったらすぐにパチンパチンとやってしまう。



「……まぁね。夕美ちゃんの言うコトも分かるよ。花盛りだもんね」

それが気になった私は、剪定について志希ちゃんと話してみた。

「でも、あたしの場合は……ちょっと、ね。パンジーは特別なんだ。
 どうしても5月の終わりに、咲いてて欲しいの」

志希ちゃんは、いつもとはだいぶ違う、しんみりしたトーンで私に応えた。






繰り返しになっちゃうけど、パンジーは寒さに強く、暑さに弱い。
さらに、湿気にも弱い。つまり基本的に、パンジーは春までのお花。
だいたいゴールデンウィークでシーズンが終わる。

それを志希ちゃんは5月末……梅雨の季節に咲かせると言った。



年が明ける。春が近づく。
私たちも、アイドルの仕事が増えていって、多忙の暇をぬってお花たちの面倒をみる。

志希ちゃんのパンジーは、プランターの位置をじりじりと移していく。
日当たりは良過ぎると徒長してしまうし、かといって日陰ではジメジメが株を弱らせてしまう。
もちろん風通しも大事。ちょうどいい塩梅のところを見極めなければならない。

「……ごめんね。夕美ちゃんも自分の子、大事に育ててあげてるのに」

私はパンジーのために場所を空けてあげた。
もともと、私のほうがたくさん鉢植えやプランター並べて、場所を広く占有してたし。



志希ちゃんは、相変わらず思い切り良くパンジーを剪定する。
剪定した花を部屋の花瓶に挿したり、前に伐ってドライフラワーにした花を、
部屋に並べてじっと見つめている。

「5月の末……というか、30日はね。実は、志希ちゃんの誕生日なのだー!
 だからキミも、その日に志希ちゃんのため、綺麗な花を咲かせておくれよ♪」

まだ緑色のままの新芽もパチンパチンと摘芯。志希ちゃんは徹底してる。



4月も半ばを過ぎて、ついにプランターの株から花がすべて摘まれた。
あとは、あのパンジーの株に残っている力と、お天道様のご機嫌次第。







「夕美ちゃんは、初めて自分でお世話して咲かせた花って、ナニかな?
 あたしは……パンジーだよ。小学生のとき、お母さんに、手伝ってもらいながら、お世話してた」

二人ベランダで肩を並べて、春のアブラムシ避け薬剤を仕込んでいる時とか……
私は志希ちゃんから過去の話を聞くことができた。



「志希ちゃんは、小さい頃からなんでもカンタンにこなしちゃう子でねぇ。
 それだけなら良かったんだけど、今に輪をかけて堪え性がなくて、何をやってもすぐ投げ出す。
 カンタンにできちゃうコトなんて、つまんないもん♪」

よく言われることだけど、園芸で人間がやることといったら、とにかく地味なんだ。
虫や病気や動物との戦いだったり、気まぐれな天気に振り回されたり、
葉や茎の状態を見て水や肥料を調整したり……そういう地味な努力がほとんどを占めている。



「……初めて植えた子は、葉っぱをヒヨドリにやられちゃって……あたし、わんわん泣いたなぁ。
 上手くいかないってこーゆーコトなんだ、って……食われた後を見て、ハッキリ教えられた」

鮮やかな花を楽しめるのは、ほんの一時。
それまでに地味な努力が一つでも欠けてしまえば、花は綺麗に咲かない。
人に見せるのは、その綺麗な一時だけ。

それは、どこかアイドルに似ている。



「それから、あたしは植物を育てるようになったんだ。次の秋もパンジーを植えたの。
 経験を積んだ志希ちゃんは、見事♪ お花を咲かせました――のは、良かったんだけど」

志希ちゃんがパンジーのプランターに向ける眼差しは、祈りと慈しみが混じっている。

「5月30日、あたしの誕生日の寸前に……最後の花がしおれちゃった。
 岩手は春が遅いけど、それでも……もたなかったんだ。それが、悲しくてまた泣いちゃった」



カレンダーが進む。新芽が増えていく。
雨が降ると、その新芽たちもパチンパチンと剪定してしまう。湿気で弱った体力を無駄にできない。
ナメクジを捕らえるトラップを仕掛けつつ、太陽のお出ましを祈る。

「その次の年は、植えた子がなよなよして、ほとんど咲かせられなかった……
 あたし、F2を植えちゃったんだよ。メンデルの法則でやるよね?
 F2(雑種第2代)は、親のF1と違って、ひ弱になっちゃうの。また、泣いちゃった」



自ら天賦の才能を持つギフテッドと称して憚らず、
なんでも飄々とした態度のままこなしてしまう志希ちゃんが、
パンジーを綺麗に咲かせられなくて、3年も泣いた……。

「ねぇ、夕美ちゃんはパンジーの名前の由来、知ってる?」

「……由来、かぁ。私は知らないなぁ……志希ちゃんは、知ってるの?」



「由来はね……この花の咲いている様子が、考えこんでる人の顔みたいに見える、
 ってことから、フランス語でpensée(考えること)って呼ばれてて、
 それを英語読みしてパンジーだって、さ。ふっふー♪」

パンジーはその名の通り、志希ちゃんの……ともすればあまりに早く走ってしまう頭脳に、
時間をかけて一つのことを追求することを、身を持って教えてあげたみたい。






4月が過ぎて、5月になる。
志希ちゃんの誕生日が近づいてくる。

爽やかな五月晴れの日々は、惜しくも足早に過ぎ去り、空気が湿気ってくる。
アブラムシとの攻防戦が激しくなる季節。



「あたし……今でこそ、暇な時はアヤシイ科学実験やることのほうが多くなったけどね。
 薬品とか、お花に負けないぐらいデリケートな奴らで……よく失敗したなぁ」

志希ちゃんは、暇さえあればベランダを眺めていた。いつも空模様を気にしていた。
朝起きて窓を開けたら曇り空――それだけで、露骨にテンションが下がって、みんなに心配されるほど。

晴れ女・フレちゃんにすがりだしたときは、さすがにちょっと笑っちゃったけど。



「これまで色んな物をダメにしちゃったよ。けれど、成功したら、とってもワンダフル!
 そこは、科学実験もお花のお世話も同じ。今のあたしの原点は、間違いなくココにある♪」

残された新芽が、下の方からだんだん黄色くなっていく。
時期からして、この株で見られる最後の花になるだろう。






「考えてみるとさ……お花を育てるのと、アイドルをプロデュースするのって、
 結構、似てるかも知れないね」

ある日の志希ちゃんが、
膨らみ始めたパンジーのつぼみをツンツンしながらつぶやいた。

「へぇ、志希ちゃんもそう思った? 私、プロデューサーさんと同じ話、したことあるよ」

それを聞いた私は、自分がプロデューサーさんと初めて二人で話した日を思い出した。
私がボランティアで公園の花壇を世話している時に、声をかけてもらったんだっけ。
先に私がお花の話をたくさんして、そのお返しに私がプロデューサーさんの話を聞いてくれて……



「ふっふー。あたしのプロデュースしてくれてるプロデューサーも、
 今のあたしみたいな気分で、あたしのことを見てくれてるのかなー♪」

これまでは、お花を見るときに考えることなんて、お花そのもののことばかりだった。

けれど、志希ちゃんにパンジーの由来を聞いてから、
花を眺めながらいろんなことが思い浮かべるようになった。

いつしか私は、自分の世話している子たちと同じくらい、
志希ちゃんのパンジーを気にかけるようになっていた。



私や志希ちゃんがお花を手塩にかけて育てるように、
プロデューサーさんが私たちのために、仕事や曲を取ってきたり、
トレーナーさんやスタジオのスタッフさんをまとめたり、
いろいろ骨を折ってくれているなら……。

「あたしが思うに……志希ちゃんは、ねぇ……。
 この子とは比べ物にならないくらい、プロデューサーさんをヤキモキさせてるよ」

「ええーっ! それはタイヘンだー!」



プロデューサーさんが、私たちの花盛りを待ち望む気持ちも、同じなのかな。




5月30日。

仕事終わりの事務所で、有志からハッピーバースデーの祝福を受ける志希ちゃん。

そのバースデーケーキが乗るテーブルには、
その日の朝に剪定したパンジーの花が、花瓶の中から咲き誇っていた。


(おしまい)


ハイカラロマンのネタを考えるときに
資料として吉屋信子の『花物語』を読みましたが

百合百合しいオムニバスで似たようなバッドエンドが延々続くので
けっこう人を選ぶ本だと思いました

それでは

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