佐久間まゆ「ご結婚おめでとうございます、プロデューサーさん」 (20)

モバマス
地の文有り

主要登場キャラ

※佐久間まゆ
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※岡崎泰葉
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●01

まゆさん――佐久間まゆ――が、かつての担当Pの結婚を祝いたいと言い出すと、
アイドルたちを中心に賛同者が集まって、事務所有志によるお祝いの会が企画されました。
まゆさんの元担当Pは、結婚を期に今の事務所を退職されるとのことで、送別会も兼ねています。

会場は、事務所近くの洒落たレストランです。
ちょっとしたコンサートも開けるほどの顔ぶれが集まったので、貸切にしています。
その多くが、まゆさんと同様に担当としてお世話になったアイドルたちでした。

一方で、仕事上で直接の関係がない顔ぶれもちらほらと見えます。
私はまゆさんと違って、後者の区分に該当する出席者です。



「プロデューサーさんや武内さんならともかく、まゆたちでは……このお店の敷居をまたぐのに、
 ちょっと背伸びしないといけない気がしますね」

私が会場で手持ち無沙汰にしていると、まゆさんが話しかけてきました。
まゆさんがチラリと視線を向ける方には、スーツがよく似合う大柄の男性が立っています。
男女比が女性多めに傾いている会場では、外見だけでかなり浮いて見えます。

「会場の敷居は、送別会の主役に合わせたからいいとして。武内P、私たちと同じぐらいソワソワしてませんか」
「武内さんは、事前準備ではサクサク段取りをまとめてくれて、本当に頼りになったのですが、
 あとは主役を待つばかりという今の段階ではやることが無いんでしょう。
 あの様子も、所在がないからでしょうか」

武内Pは、送別会の主役からまゆさんたちのプロデュースを引き継いだ後任のプロデューサーです。
この会場にアイドルを集めるため、彼のスケジュール調整能力が活躍したと聞いています。

「あっ。今、武内さんに話しかけたの、泰葉さんのモバPさんでは」
「私が出席するって言ったら、同僚の餞(はなむけ)だし、顔出したいって付いてきたんです」

私のプロデューサーさんも、武内Pと似たような状況だったようで、
いつの間にか手にペンと手帳を持って、二人で話し込んでいます。



会場は、アイドルたちの小声でざわついています。

「まゆさんは落ち着いていますね。私が思っていたより、ずっと」
「他人が浮き足立っているのを見ると、自分はかえって落ち着くっていうじゃないですか」

私が視線を落とすと、まゆさんの指はトレードマークの赤いリボンをいじり回していました。

「まゆは、正直まだちょっと自信がないんですよ。お祝いの言葉、ちゃんと言えるのかなって」

赤いリボンはぎゅっと強張って、まゆさんの白い手を締め付けていました。

「でも、泰葉さんがここで見守ってくれるんだから、まゆも頑張らなくっちゃいけませんよね」



まゆさんが今日までに、どんな思いを噛み締めてきたか。

それを一番知っているのは、
まゆさんをこの事務所に引き込んだ今日の主役――でもなければ、
まゆさんの担当を引き継いだ武内P――でもなく、私だと思います。


●02


――
――――
――――――


まゆさんが同じ事務所に移籍してきたとき、私は『同世代一番のライバルになるかも』と思いました。
その理由はいくつもありますが、最も大きく感じられたのが、まゆさんのアイドルに対する姿勢です。
まゆさんは、私が今まで見てきた他の誰よりも熱心に、レッスン・仕事へ取り組んでいました。

ですから私は、まゆさんに注目していました。
話しかけてみると、とても感じのいい子で、いよいよ私はまゆさんの成功を確信しました。
同業にも好印象を与えられるなら、もうまゆさんに死角はないと考えていたからです。

しかし、まゆさんの芸能活動は、私が予想していたほど順調ではありませんでした。

私はまゆさんのことが心にかかって、それぞれ別プロデューサーの担当アイドルなのに、
事務所の中で顔を見かければ、積極的に声をかけていました。
私のプロデューサーさんから『お節介な先輩だな』とか言われたりしました。



まゆさんが、アイドルとして今ひとつ開花し切れない理由。
それを私がなんとなく勘付いたのは、ハロウィンの頃でしょうか。

まゆさんのドリームLIVEフェスティバルは、思わしい結果ではなかったと聞きました。
私は、自分でもお節介だなと思いながらも、まゆさんをお茶に誘いました。
温かいものでも飲んで一息つくのがいい、と――それぐらいしか対処が思いつかない有様でした。

『泰葉さんは、お仕事で失敗してしまったらと考えて、怖くなったりしませんか……?』

まゆさんは、初めて私に弱音を吐きました。

『私は……一度それを考えてしまうと、怖くて仕方なくなるんです』



私たちはアイドルですが、完璧とは程遠い人間です。20年も生きていない女の子です。
失敗します。夜に眠れなくなったり、朝に起き上がれなくなるほど凹むこともあります。

『負けたら……褒めてもらえない……負けたら……』

まゆさんが失敗を恐れる気持ちは、深過ぎるようです。

『プロデューサーさんに褒めてもらえなかったら、まゆは』

何か失敗する度にこの調子では、アイドルとしてもつのでしょうか。



『アイドル、辛いですか?』

私は、まゆさんに聞きました。聞いてしまいました。大きなお世話です。
仕事が辛いと思う時期は私にもありました、だからまゆさんを放っておけない――本当に大きなお世話です。


●03

『辛いのかもしれません……でも、辞めるのだけは絶対に嫌です』

まゆさんは泣き出しそうになりながら、しかし『辞めるのは嫌』ときっぱり言い切りました。

『まゆは、あのプロデューサーさんにプロデュースしてもらうために、ここに来たんです』

本当に、何がまゆさんを衝き動かしているのでしょうか。

『まゆを選んでくれたプロデューサーさんのために、もっともっと素敵なアイドルになって、
 プロデューサーさんを喜ばせるのが、まゆの幸せなんです。それに運命を感じるんです』



幸せって、なんでしょうね――と、私はまゆさんの熱っぽい瞳を見ながら自問自答しました。
まゆさんは、彼女の担当プロデューサーのことを、大切な人だと思っているようです。

大切な人と一緒にいられるのは幸せ――ならば、まゆさんはアイドルを続けるのが幸せなのでしょう。
でも今のまゆさんは、自然と笑えていません。

まゆさんの姿が、アイドルに転向する前の、プロデューサーさんと出会う前の私と重なって見えてしまいます。
それが私には耐え難いほどでした。無性に歯痒くて、私の内心まで掻き毟られる気分がして。

私は、黙っていることができませんでした。



『私は、まゆさんが素敵なアイドルになれると確信しています。
 あなたが私に追いつく日、そう遠くないはずです』

まゆさんは、私の唐突な言葉に驚きを隠せていませんでした。
一度沈黙を破ってしまうと、もうあとは勝手に喉と舌が走り回ります。

『まゆさんは、あなたのプロデューサーを喜ばせることができるはずです。
 たとえ一度、二度、三度躓(つまづ)いたとしても』

プロデューサーが笑ってくれたら、頑張れる気がする――その気持ち、私も分かります。
プロデューサーのことを信じているから毎日夢が見られる、その夢があるうちはアイドルでいられます。

『私が信じるのと同じくらい、まゆさんも自分を信じられたら、
 今がどれだけ辛くても、あなたはもっと素敵になれます』



こう言い切ったあたりで、私は喉の渇きを感じてお茶を口に含み、ふっと我に返りました。
私の熱弁は途切れ、まゆさんは黙ったままでした。

正直、私は気恥ずかしくなりました。
今思い出してみても、なかなかとんでもないことを口走っています。
私は、まゆさんの思いに引っ張られてしまったのでしょう。
きっとそうでしょう。

『本当に、なれますかね。アイドルになる前のまゆは、ただ見られるだけの子だったのに』



それから、私はまゆさんと話すことがさらに増えました。
私は、まゆさんのプロデューサーとは年齢と立場が違うので、
私にしか話せないことがいくつかありました。

例えば、弱音とか。

プロデューサーとの関係を運命とまで言い切るまゆさんは、
アイドルとしてプロデューサーへ弱音を吐くことができません。
そんなことをすれば、自分が見る夢に自分で水を差してしまいますから。



それから、私とまゆさんは二人で、アイドルとしては言いにくい話を喋る仲になりました――が、
その関係は、お節介な先輩と弱音を吐けない後輩ぐらいのものだったので、
まゆさんの活動が軌道に乗ってくると、お互い忙しくもなり、喋る時間が減りました。

ちょうどその頃、まゆさんがCDデビューしました。
私はその曲を聞いて、アイドルという夢から醒める暇がなくなったのか、と思いました。
最早まゆさんは立派なライバルなんだと気付かされました。
対抗心のなかに一抹の満足感と寂寥感が浮かんで、間もなく溶けていきました。


●04

『まゆにとって貴方は大切なパートナーですよ。
 貴方にとってのまゆも大切な存在ですよね? ……ねぇ?』

私は、まゆさんと以前ほどは絡まなくなったとはいえ、
彼女が担当プロデューサーに見ている夢は、時折漏れ聞こえてきました。

『これからもずっとまゆの活躍を見ていてくださいね。
 まゆの一番近くで、見守っていてください……♪』

そんなことまで言っていいのか、という台詞も聞こえてきました。
この夢には、私でも置き去りにされそうです。

それでも仕事はうまくいっていました。
私の目から見ても、まゆさんはもっとずっと素敵なアイドルになりつつありました。
まゆさんはこういうやり方があっているんだろうな、と私は疑問を持ちませんでした。



だから、私は自分のプロデューサーさんから、

『そういえば……泰葉は佐久間ちゃんと仲良かったから知ってるかもしれないけど、
 あの人――佐久間ちゃんとかいろいろ担当してるプロデューサー、もう少しで事務所辞めるんだとさ。
 主だった面子は武内くんが担当を引き継ぐ手筈だが、バタバタしてたら、俺もサポ入るかも――』

などと言い出した時、私はプロデューサーさんを狼狽させる勢いで詰め寄ってしまいました。

『――何で辞めるのかって? 結婚するから、だとよ。
 プロデューサー稼業の最前線は、給料いいけど死ぬほど忙しい。所帯持ちで続けるのは無理がある。
 かと言って最前線を退いて管理職へ回るには、あの人は年齢とキャリアが若い。
 蓄えはあるんだろうし、もう少しゆとりのあるところへ転職するんだろう』



私は携帯電話をとって、すぐにまゆさんへ連絡を入れました。


●05

『こうしてまゆさんとお茶するの、久しぶりですね。もうすっかり忙しくなってしまって』
『確かにご無沙汰です。前に、このお店連れてきてもらってから結構経ってますよね』

とにかくまゆさんに会おう、とだけ考えて携帯電話に指を滑らせた私は、
連絡がついてやっと『さぁ、どんな名目で会おう』という問題に考えが至り、

『それで最近、少しさびしくなりましてね。ご迷惑でなければ、いいのですが』

とっさに私は、こんな唐突で無理のある理由をつけて、まゆさんと会う約束を取り付けました。



『泰葉さん、寂しがり屋さんですか? あらら、可愛いって思っちゃいましたぁ♪』

前にここでお茶を飲んだとき、まゆさんは『ただ見られるだけの子』の色が残っていましたが、
今のまゆさんはアイドルとしての顔に慣れてきたようです。
この場に限れば、むしろ私のほうが挙動不審かもしれません。

『それもあるんですけど、あとは……ホラ、まゆさんのところ、プロデューサー交代するでしょう。
 後任の武内さんでしたっけ? あの方は私のプロデューサーの後輩らしいんです。
 それで、それとなく様子を見てこいとか言われてしまいまして』

プロデューサーの交代に話を向けても、
まゆさんの顔はしっかりとアイドルを演じていました。



それどころか、まゆさんは、

『うふふ、泰葉さんは寂しがり屋さんなだけでなく、照れ屋さんでもあるんですねぇ』

私の取り繕った口上を、あっさりと引き剥がします。

『まゆの勘違いであったら、笑って流して欲しいのですが……泰葉さんは、
 まゆがプロデューサーさんと離れ離れになって落ち込んでないか、心配してくださったんですよね?』

自分の筒抜けっぷりがおかしくて、私は頬を緩ませてしまいます。
他人の口から言われると、私の振る舞いは本当にお節介だと実感します。

『そちらも気になってはいますが、そちらに関して私ができることなんて、
 まゆさんが何か話したいと思った時にお茶飲みながらそれを聞くことだけです。
 この間みたいに先輩風を吹かせた説教垂らしたら、それこそ迷惑でしょう』

でも、今回はあの時の歯痒さがありません。
今、私がまゆさんにできることなど大したことではありません――私にはその自覚がありました。
同じ夢を見たプロデューサーと離れ離れになる経験など、私にはないのです。


●06

『そう言われちゃいますとね。泰葉さんなら、
 ちょっとだけ頼ってもいいかなって、まゆは思ってしまいますよ?』

アイドルとしての微笑みを貼り付けたまま、まゆさんの口から紡がれたのは、
まゆさんより私のほうが似合うであろう、おそるおそるな台詞。

『……まゆも恥ずかしいので、独り言だと思って聞き流してくださいね』

裏を返せば、それはせめて知るだけでも知っていて欲しい、という願い。



『一度も、面と向かって“好き”と言えなかったことが、心残りでしょうか。
 だって、まゆがプロデューサーさんにそれを言ってはいけませんもの』

まゆさんの表情は、アイドルとして完璧なままでした。
けれど、むしろそれで私はまゆさんに危うさを感じました。
いくら平気な顔をしていても、あのまゆさんが、思いを伝えられないままなのです。

『まゆとプロデューサーさんは、アイドルとプロデューサーですからね。
 仕事に障りが出て、ご迷惑になります。それは、本意ではありません』

向こうが透けて見えるほど薄い言葉です。
理屈の膜を引っ剥がしたくなる衝動を、私は奥歯を噛み締めて抑えます。



まゆさんは、もう辞めてしまうあのプロデューサーに担当してもらいたくて、
読者モデル辞めて、事務所を移ってきて、アイドルデビューしたんです。

そんな人が今更『アイドルとプロデューサーですからね』なんて理屈で、
自分の気持ちを押し隠すでしょうか。おかしな話です。



『大丈夫ですよ……物思いなら、まゆ、得意です♪』

愛想をふりまく表情をぶらさげたまま、上辺を飾った文句を並べ立てて、
そんなの――人間が人形の真似をするなんて、私が一番キライなことです。
そんな様子を、あのまゆさんが私に見せてしまっているのです。

しっかり者で物腰の柔らかいまゆさんが、
私を誤魔化すこともできず、私の神経を逆撫でしていることにも気が回っていません。
アイドルの仮面を守ることだけで必死になっています。

そんなギリギリまで追い詰められているのに、まゆさんは目を潤ませもしないのです。
まゆさんは、私が考えていたよりも重症でした。

●08

『――プロデューサーの引き継ぎとかで、まゆさんも神経を使うでしょうが、
 時々は私に付き合ってくれると嬉しいです。ほら、私は寂しがり屋さんですからね』

まゆさんの聞くに堪えない独り言を流した後、
私は情けない捨て台詞とともにテーブルの伝票を握って、席を立ちました。



『お、泰葉。武内くんのこと気にしてたようだけど』
『……久しぶりに、まゆさんとお茶飲んできたんですよ』

私が事務所に戻ってくると、私のプロデューサーさんが声をかけてきました。

『へぇ、どうだった? 顔色を見るに、何もしないよりはマシだった、って具合か。うーん。
 初めて先方に営業かけたのならまだしも、馴染みの相手でその有様じゃイマイチだな』

勝手なことをベラベラ喋って……と私が眉をひそめると、
プロデューサーさんは黙って私の前に手のひらを突き出してきました。

『何ですか、その手は』
『領収書、出して』
『領収書ですか?』
『何だ、切ってないのか』

プロデューサーさんは、拍子抜けした顔で手を引っ込めました。

『どうせ、俺や武内くんをダシに使って佐久間ちゃんに会いに行ったんだろう?
 それなら、社外打ち合わせ扱いで領収書を切ってもらえば格好もついたのに。
 俺もあっちの様子は気になるし、お茶代ぐらい会議費で落としてやるつもりだったんだが』



ああ、そうでした。
私の思惑は、あの状態のまゆさんに筒抜けだったのだから、
プロデューサーさんに見抜かれていても、おかしくありません。

私も、他人のことを言えない有様だったようです。

●09

まゆさんと久しぶりにお茶を飲んでから、少しだけ日を置いた頃。
私は寮の部屋にまゆさんを招きました。
同室の人には、頼み込んでしばらく部屋を空けてもらっています。

私とまゆさんは部屋で二人きりです。
そこで、まゆさんにどうしても聞いておきたいことがありました。



『ドールハウス、作ってみませんか?』

そこで私がまゆさんに提案したとき、まゆさんは目が点になっていました。

『まゆさんのプロデューサーさんが結婚退職するから、有志で送別会を計画してると聞きまして。
 となると、手作りのプレゼントがあったら雰囲気が出るじゃないですか』

私が口上を並べると、まゆさんの目が泳ぎました。

『……耳が早いですね、泰葉さん。送別会の件、まだそうしようかって話が出ただけですよ』
『あの方は社内人脈広いですから、耳に入ってくるんです』

送別会の話はハッタリでした。
私とまゆさんは担当プロデューサーが別ですから、私の耳にその話は届いていません。

ですが、ハッタリにはそれなりの可能性を見込んでいました。
もし結婚式や披露宴を土日に催すなら、私たちアイドルは仕事と重なってしまいます。
そこで無理にスケジュールを調整しても慌ただしいばかりです。

それなら、事務所関係者だけで別に祝いの席を……
というのは、ありうる考えでしょう。



『まゆは……お菓子を作っていこうと思っています』
『まゆさん、お料理が得意でしたね』
『会場次第では、まゆが料理手伝うのもいいかな、なんて』

一人では手が足りないでしょうが、きっと手は集まるでしょう――と、まゆさんは微笑みました。

『編み物はプレゼントしないんですか? まゆさん、そちらも得意でしたよね。
 編み物のほうがプレゼントらしい気がしますけど』
『らしいって……それは否定しませんけど、結婚祝いですよ』

確かに、彼氏さんへのプレゼントじゃあるまいし、
結婚祝いにマフラーだの手袋だのは、場違いと言われてもしょうがないです。



『そこでドールハウスですよ。明るく可愛らしい家庭を作ってください、
 なんてメッセージを添えて差し上げるには、ぴったりじゃありませんか?
 私としては、これでドールハウス仲間が増えたらいいな、なんて下心がありますけど……
 実はこの私の寮室にも、少しですけど持ち込んでいまして。良ければ』
『えー、その……うう』
『その……?』

まゆさんは露骨にうろたえていました。
聞き役に回ることの多い私が、今日に限って押し出しが強いから、戸惑っているのでしょうか。
ドールハウスを勧めたのだって今日が初めてです。

●10

『私は、別にお菓子を否定しているわけではありません。
 ただ、お菓子は食べたらそのものが無くなりますよね』

本当に、まゆさんが差し上げる側の気持ちとしてお菓子がいいと思うなら、
私も強いてドールハウスを勧めるつもりはありません。
所詮、私の趣味ですから。他のものだっていいんです。

でもお菓子は、食べたら後腐れなく消え去ってしまいます。



『バレンタインデーみたいに、プレゼントをあげて気持ちを伝えることに意義がある、
 そういうイベントなら、私もお菓子がいいんじゃないかと思いますが――』
『――泰葉さんっ』

まゆさんが珍しく声を張って私の言葉を遮りました。
さすがアイドル。耳にひりひりと響きます。
普通の女の子では、こうは行きません。



『まゆさん……私、突いてはいけないところを突いてしまいましたか?』

半ば予想していましたが、まゆさんの反応で私は確信しました。
まゆさんは、プロデューサーさんへの思いを一人抱えたままにするつもりのようです。

『まゆが、まゆのプロデューサーさんに何を贈ろうが、まゆの勝手じゃありませんか……』
『そうですね。気に障ったのなら、申し訳ありません。まゆさんの言うとおりです。
 プレゼントを何にするかなんて細かいこと、あとで決めたって構わないのです』

お菓子にするか、ドールハウスにするか、編み物にするか。
それよりも遥かに大事な問題があります。

『まゆさんは、自分の気持ちを伝えないまま、プロデューサーさんを見送るつもりですか?』

●11

私はこの言葉を口に出した時、平手打ちまでは覚悟していました。
アイドル失格の考えですね。

けれど私のお節介が心中でやかましく叫んで回るんです。
たとえアイドルが顔に傷をもらおうとも、これはハッキリさせないと後悔する、と。

まゆさんは顔をうつむかせていました。
私も下を見ると、まゆさんは正座した膝頭を覆うスカートに、両手の指を食い込ませていました。



二人ともそのままで、正座したままの足から感覚が薄れた頃、まゆさんの声が聞こえました。

『泰葉さん……今日まゆは、正直、こういう話になるかなって考えてたんですよ』
『……私、そんなに分かりやすいですか?』

まゆさんは顔をうつむかせたままでしたが、指から力が抜けたように見えました。

『泰葉さん、いつもお喋りはお茶屋さんなのに、今日に限って人目につかない寮室です。
 しかもドールハウスなんて同室の子が居てもできる話なのに、わざわざ人払いしてて』

こんな話は万一にも他人に聞かれてはいけない、と思って私は配慮したつもりでした。
それでここまであっさり意図を読まれると、自分が間抜け過ぎて不安になってきます。

『泰葉さんには、本当に感謝しているんです。
 まゆが、アイドルの顔をしていられたのは、あの時に泰葉さんが声をかけてくれたからです。
 だから、プロデューサーさんにも話せないようなことを、泰葉さんには話してしまうんです』



『まゆは……まゆを選んでくれたプロデューサーさんのために、もっともっと素敵なアイドルになって、
 プロデューサーさんを喜ばせるのが、まゆの幸せなんです……これ、泰葉さんへ言った覚えがありますね」
『私も、覚えてますよ』

まゆさんは顔を上げました。
濡れた瞳は雲のない夜空のように澄んでいて、ずっと見つめていたら、吸い込まれてしまいそうです。

『まゆはプロデューサーさんのアイドルとして、毎日ずっとキラキラした夢を見られるものだと思っていました。
 そういう運命だと思い込んでいました。そう思わずにはいられませんでした。
 歌詞みたいに、大好きだよって叫べたら、どれだけよかったか』

まゆさんが毎日見ていた夢は、もう終わってしまっています。

『泰葉さん……伝えられるわけがありません。伝えたら、プロデューサーさんを困らせてしまいます』



『だって、まゆのプロデューサーさんは女性ですから……』





●12

まゆさんは、私と同い年とは思えないほど立派な人です。
自分の願望より想い人の幸福を取ることができる人です。
私なんかが内心にズケズケと入り込んでるのに、八つ当たりもしない人です。

けれど、それゆえに一人でこんなにボロボロになってしまうのは、悲しいことです。
私に、何かできるでしょうか。



『……やっぱり、ドールハウス作ってみませんか』
『そんなにいいものなんですか、ドールハウスって……』

私の知る限り、芸能界は腹立たしいほど勝手なところです。
夢と違って、私たちの気持ちなんかまったく汲んでくれません。

でも、どこかで折り合いをつける必要があります。
恋のような憧れのようなそれを燻らせていたら、苦しむのはまゆさんです。

『思いを伝えないままプロデューサーを見送るのも、決めたことなら止めません。
 けれど、せめてその思いを何か形にして残したらどうだろうか、と私は思うんです』

お菓子にどれだけ気持ちを込めても、一時だけ舌を楽しませたら、それは消え去ってしまいます。
特別な人へ贈る餞(はなむけ)の品として、寂しくはありませんか。

『それに……ドールハウスなら、私とまゆさんで一緒に作れるじゃないですか』

私は、まゆさんの思いを理解してあげられません。
今の私が理解できるのは、それを燻らせたままでは苦しいということ、
それを目に見える形にしたら苦しさが少しマシになるんじゃないか、ということだけです。

あと、一緒にドールハウスを作れば、手先から溢れるまゆさんの気持ちが、
私にも少しは分かるんじゃないかな、なんて期待もしてます。

『だから、一緒にドールハウス作ってみませんか?』

●13

――――――
――――
――


貸切にしていたレストランでは、誰もが待ちかねた主役の登場を合図に、
浮かれ混じりの祝福が漂うパーティが始まりました。

開幕の盛り上がりが一段落ついた頃、プレゼントを渡す段となりました。
いくつものプレゼントが用意された中、それを手渡すトップバッターは、まゆさんが務めます。

「ご結婚おめでとうございます、プロデューサーさん……って、これちょっとおかしいですね。
 うふふ、お世話になってた頃のくせが抜けなくて、つい……」

まゆさんが送別会の主役に向かって開けてみせた、一抱えほどの箱のなかには、
私とまゆさんが試行錯誤しながら作ったドールハウスの小世界があります。

「このドールハウスは、まゆと泰葉さんが、あなた方の家庭に幸あれとの願いを込めて作りました……
 って泰葉さん、なんでそんな後ろにいるんですか。まゆの隣に来てください」
「……分かりましたよ」

私は会場の拍手に圧されて、まゆさんのそばまで歩いて行きます。



「どうか受け取ってください。それと……もう一度、ご結婚おめでとうございます」

ままならない思いを、まゆさんはドールハウスに託して手渡しました。
送別会の主役は、感極まって目を潤ませながらも、にっこり笑ってそれを受け取りました。
その姿は、アイドルたちに負けないぐらい輝いていました。

まゆさんがドールハウスを手渡す表情を、
私は見てもいいものか迷いましたが、結局見ないままにしました。

私は、まゆさんが新任の武内Pのもとでかつて以上にアイドルとして輝ければいいな、
そして、まゆさんと一緒にまたドールハウスを作れればいいな、と願いつつ自分の席へ戻りました。


(おしまい)

読んでくれた人どうも

このSSまとめへのコメント

1 :  SS好きの774さん   2015年03月02日 (月) 11:55:58   ID: kks_qEx_

きもい

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