モバマス・戦国公演 ~風来剣客伝~ (129)
・このSSは戦国時代を舞台にした作品です。
・配役は「戦国公演」に準じていますが、作者の勝手な配役も含まれます。ご注意ください。
SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1445860782
~上州 山中~
脇山珠美「はあはあ……ここはどこでしょうか……歩き続けてもう三日、食料も底をついてしまいました……」
グルルルル
珠美「おなかが減りました……もう限界です……」
兵(おや、あんなところに小さな女の子が……)
兵「おいお嬢ちゃん、どうしたんだい?」
珠美「それが山中で道に迷ってしまい、どうにもこうにも……もしよろしければ、何か食べ物を頂きたいのですが」
兵「この辺では見ない顔だね。小さいのに旅をしてるなんて偉いねぇ」
珠美「ち、ちっちゃくありません!」
グルルルル
兵「ははは! 腹の虫が鳴いてるじゃないか、無理しなさんな。だが、あいにく今は持ち合わせがなくてね。
よし、俺が詰めている城に案内してやろう。山の中で小さい女の子を置き去りにしちゃあ、寝覚めが悪い」
珠美「ぐぬぬ……小さいからって馬鹿にして……しかし、背に腹は代えられません。
城まで連れて行っていただけませんか?」
兵「おう! まかしとけ!」
~しばらく後~
兵「ほら、あそこに城が見えるだろ? あれが箕輪(みのわ)城さ」
珠美「お~! なんとも広壮な城ですね」
兵「箕輪城は上州一の名城だ。俺はあそこで働いているんだ」
珠美「あの城の城主殿は、どなたですか?」
兵「しらねぇのかい? “上州の黄斑(おうはん)”とよばれる、
長野業正(ながの なりまさ)様さ!」
珠美「長野業正殿ですか。その名は聞き及んでおります」
兵「おっ、そうかそうか! なにしろ業正様は、戦は強いし知略にも長けていらっしゃる」
珠美「ほう……」
兵「戦だけじゃないんだぜ。領国経営にも敏腕を発揮されておるのだ。
新田を開発したり、養蚕を奨励したり、流民を受け入れて労働力を確保したり……
よそと比べて下々の暮らし向きは良いから、他国の侵略を受けても領民一丸となってこれを迎え撃つって寸法よ」
珠美「長野殿は、噂に違わぬ傑物のようですね」
兵「そのとおりさ! ところで、名前を聞いてなかったな。お嬢ちゃん、名前は?」
珠美「それが、珠美はいろいろと名前を持っていまして……
大胡秀綱(おおご ひでつな)と呼ばれたり、上泉信綱(かみいずみ のぶつな)と名乗ったりしています」
兵「……へ? 上泉信綱って、あの上泉伊勢守(いせのかみ)のことか?」
珠美「伊勢守? ああ、そういえばそんな肩書も持っていましたね」
兵(ど、どうなってんだ? こんなにちっこい嬢ちゃんが、あの“剣聖”だと?)
珠美「どうかされました?」
兵(全く信じられないが、本当にあの伊勢守だったら俺が怒られるな。
それによく考えてみれば、こんな山道を一人で旅しているのだから、腕は立つのだろう)
珠美「いきなり押し黙って、いかがしました?」
兵「お嬢ちゃん……いえ、伊勢守様、城に着きました後に、我が城主の元へご案内させていただきます」
珠美「そ、それはどうも……」
珠美(この態度の変わり様。いったいどういうことでしょうか……?)
~箕輪城~
兵「だから……」
侍従「ふむふむ、なるほど……」
珠美「あの二人は、いったい何をヒソヒソと話しをしているのでしょうか。もう空腹が限界なのですが」
侍従「伊勢守様、話は全てお伺いしました。後は私がご案内いたします。早急に宴の準備をしますので、どうぞ奥へ」
珠美「そんな、珠美はただの旅人です。宴なんて大層なことを……握り飯の一つでもいただければ」
侍従「ただいま確認しましたところ、我が主長野業正が伊勢守様を歓待したいとのことでしたので」
珠美「そこまで言われたら断れませんね。ご相伴にあずかりましょう」
侍従「ではこちらへ……」
侍従「業正様、伊勢守様をお連れしました」
?「おう!」
珠美「失礼します……」
?「へえ、あんたが音に聞く伊勢守か。さっさと入ってや!」
珠美「は、はあ……」
長野業正(難波笑美)「おっと、自己紹介が遅れたな。ウチは長野業正。この箕輪城の城主や」
珠美「珠美は上泉信綱。剣の修行のため、各地を放浪しております。どうぞ珠美と呼んでくだされ」
笑美「それやったら、ウチのことも笑美って呼んでくれてええで」
珠美「本日はお招きに預かり、まことに……」
グルルルル
珠美「……えっと、これは……」
笑美「ハハハ! ゴメンゴメン、そういや山ん中で腹減らしとって倒れとったんやって?
ちゃんとメシ用意しとるから、じゃんじゃん食べてや!」
珠美「うぐぐ……い、いただきます」
グツグツ
珠美「えっと……笑美殿、この鍋はいったい何ですか?」
笑美「そっか、よそもんは知らんねんな。これは上州名物“おっきりこみ”や!」
珠美「おっきりこみ? 煮込みうどんのように見えますが」
笑美「上州は土地が痩せとるから、米がなかなかできへんねん。せやから農作物の主流は麦になってしまうんや」
笑美「でも、これはこれでなかなか美味いもんやから、まあ食ってみて!」
珠美「では、いただきます」ズルズル
珠美「……ん! とっても美味しいです!
醤(ひしお)の味が主体ですが、具材根野菜の旨みと溶け合って、素朴な味わいですね!」
笑美「今回用意したのは醤で味付けしとるけど、醤の代わりに味噌を入れることもあるんやで」
珠美「味噌味ですか。それも美味しそうですね」ハフハフ
笑美「まあ、それも今度用意したるわ。それから、こっちも食ってみ?」
珠美「おや、その饅頭のようなものはいったい?」
笑美「これは上州名物その二、“焼き饅頭”や!」
珠美「うん? 饅頭を焼いただけなのでは?」
笑美「そう言わんと食べてみ?」
珠美「いただきます」パクッ モグモグ
珠美「これもまた美味しいですね! 饅頭と言うからには、中に餡子が入ってるかと思えば……」
笑美「中には何も入ってないやろ。表面に刷毛で、味噌だれを塗って焼いてるだけやねん。
単純やけど美味いやろ?」
珠美「ええ! 単純な味付けであるがゆえに、いくらでも食べられそうです!」モグモグ
笑美「まあ、たくさん用意しとるから、落ち着いて食いや。食べ物は逃げへんから」
珠美「ふう、一心地つきました……ところで笑美殿、どうして珠美をここまでもてなしてくれるのですか?」
笑美「何でって、そりゃあ伝説の剣聖が領内に来てるって聞いたら、もてなさんわけにはいかんやろ」
珠美「……」
笑美「伝聞に曰く、上泉伊勢守は愛洲移香斎(あいす いこうさい)に剣術を師事し、
塚原卜伝より“一(ひとつ)の太刀”を授けられたという。
そして自らは、それらの“奇妙”を抽出して“新陰流”という独自の剣術を生み出したとか」
珠美(各地で剣術試合をやってきたせいか、珠美はそこまで有名になっていたのですね……)
笑美「そして伊勢守の剣は巌を断ち、雷を裂き、海を割ったり割らなかったり……」
珠美「みなさん珠美を何だと思っているのですか! 誇張されすぎでしょう!」
笑美「まあええやん。でもそんだけ各地を旅しながら、ひたすら剣技を磨いてるってのは、見上げたもんやん。
剣術の究竟を一心に目指すその大志、気に入った!」
珠美「それはどうも……」
笑美「できたら剣聖様に、その剣術の奥義の一端でもご教授願えまへんかいな、というところや」
珠美「珠美は、いまだ剣の秘奥まで極めたとは思っていません。
しかし珠美の持つ技の限りは、笑美殿に伝授してさしあげましょう」
珠美「……とは言うものの、後ろの刀掛けには稀代の名刀が二振りもあります。
上州の黄斑殿に、この珠美の剣術が参考になるかどうか……」
笑美「ああ、あの刀か。さすがは伊勢守、この距離から目利きができるんか」
笑美「上の刀は“来国行(らいくにゆき)”。関東管領の上杉憲政様から下賜されたもんや。
それから下の刀は“志津兼氏(しづかねうじ)”。こっちは長野家に代々伝わる刀や」
珠美「もしかして、戦場ではあの二振りの太刀を腰に佩くのですか?」
笑美「せやで」
珠美「でも普通は、大小を佩くものではありませんか?」
笑美「よそではそうやってるみたいやな。けど上州侍は見栄っ張りで派手好きやから、太刀を二本も佩くんや。
それに戦場では、敵味方の区別がつきやすいしな」
珠美「なるほど、そういうものですか」
笑美「せやけど、珠美はんの前で刀の自慢をするのはこっぱずかしいな」
珠美「どうしてです?」
笑美「だって、珠美はんは“無刀取り”の達人なんやろ? どんな名刀でも『一剣能く百人を斃す』というわけにはいかんやろうし。
やっぱり戦場では、奪刀術が役に立つんか?」
珠美「なあに、刀はよく斬れるにこしたことはありませんよ」
笑美「やっぱりそうやんな? ははは!」
~翌朝~
笑美「う~ん、昨日ははしゃぎすぎたみたいやな。久しぶりに寝坊したわ」
エイ ヤー エイ ヤー
笑美「……なんや? こんな朝っぱらから掛け声がするな?
早朝から訓練とか、ご苦労様なこって……」
珠美「良いですか? 槍と言う武器は突くものだと思いがちですが、実戦では叩くことを念頭に置くべきです」
珠美「上から振り下すことによって、相手の頭部および篭手を狙い、敵の戦闘力を喪失させることが肝要です。
突くという行為は、敵に余程の隙が無ければできません。
また、突くことになっても、ただ突くだけではなく、同時に捻ることによって致命傷を負わせることも忘れてはいけません。
わかりましたか?」
兵達「「はい!!」」
笑美「なんや、早朝からえらい熱心やんか」
珠美「おはようございます、笑美殿。
いや、起床して井戸で顔を洗おうとしたのですが、その時には庭先に兵達が待っておりまして」
笑美「お前ら、伊勢守殿に武術を指南してもらおうと思ったんか?」
兵「はい! 恐れながら、剣聖と呼ばれる伊勢守様にご指導いただければ、次の戦では功名間違いなしと思いまして……」
笑美「ごめんな、珠美はん。こんな朝っぱらから」
珠美「いえいえ、この程度造作もありませんよ」
笑美「でも、槍術についても造詣が深いんやな。てっきり剣術だけかと思っとったわ」
珠美「武術百般に通暁してこそ、真の武術というものです。珠美の武術は剣術だけではありませんよ」
笑美「へえ、なかなか難しいもんなぁ」
伝令「た、大変です! 業正様!」
笑美「なんや?」
伝令「武田軍が、上野(こうずけ)に侵攻を開始しました! その数およそ一万!」
笑美「晴信の奴、そろそろ攻めてくると思っとったけど、もう来たんかいな」
珠美「甲斐の武田晴信は、信濃の次はこの上州を狙っていたのですか」
笑美「そうや。以前から正体不明の間者がようさん跳梁しとったからな。これはいつ攻め込んできてもおかしくないなと思っとったんや」
珠美「ならば、この珠美も微力ながら助太刀いたします」
笑美「いやいや、客人を戦に巻き込むことはできへん。安全な場所に避難してもらうで」
珠美「何の! 飢えている時の食物は千金に勝ります。この御恩、戦働きで報います」
笑美「そっか。剣聖の助太刀なら、一万の兵よりも心強いわ。一つよろしゅう」
珠美「お任せください!」
侍従「あの、業正様……」
笑美「次は何や?」
侍従「それが、真田幸隆様より使者が」
笑美「幸隆? あいつは今、武田家に身を寄せているはずやろ? 何で開戦前に使者を寄越すんや?」
侍従「わかりません。いかが致しましょう?」
笑美「幸隆の使者を門前払いにはできんやろ。奥の間に通せ」
侍従「かしこまりました」
~奥の間~
真田信繁(横山千佳)「お久しぶりです! チカはねぇ、おじいちゃんのみょーだいとして来ました!」
笑美「千佳ちゃんか、しばらく見んうちに大きくなったな!」
千佳「えへへ。そうでしょ?」
珠美「おや、笑美殿のお知り合いでしたか。それで、何故真田幸隆殿は敵対しているはずのこちらへ使者を?」
笑美「真田家はな、もともと信濃の滋野家や海野家と同族なんや。
それが、甲斐の先代武田信虎との海野平での決戦に敗れて信濃を失い、一時期この箕輪城で匿ってやったこともあるんや」
珠美「つまり、幸隆殿はかつての味方であったと?」
笑美「そうとも言えるな。あいつとは馬も合ったし」
千佳「おじいちゃんは、笑美ちゃんとケンカなんてしたくないって言ってた。
もし武田軍に降るなら、ほんりょーあんど……だっけ? できるように全力で晴信さんを説得するって!」
笑美「なるほどなぁ……確かに武田軍は強大や。領民のことを思えば、武田軍に降伏するのが賢い方法かもしれん。
せやけどな……」
千佳「だけど?」
笑美「断る!」
千佳「ありゃりゃ」
笑美「いくら敵が強大でも、いくら勝ち目の無い戦でも、誇りをかけて戦わなあかん時があるやろ。
幸隆が周囲から“表裏比興の者”って言われながらも、真田家の再興のために戦っているのは知ってる。
泥の中を這いずり回ってでも、一族を守る。それが幸隆のやり方やろ?」
千佳「……」
笑美「でも幸隆には幸隆のやり方があるように、ウチにもウチのやり方があるんや! 上州人は誰の軍門にも降らん!
ウチは上州の自由と誇りを守るために、真っ向から武田に勝負を挑むで!
上州の虎の牙をもって、晴信の喉笛を食いちぎったる! 武田なんぞに、上州の一撮土(いっさつど)も渡すか!」
珠美「笑美殿、よくぞ申されましたな!」
笑美「だから千佳ちゃん、幸隆に伝えてほしい言葉がある」
千佳「何?」
笑美「『手柄が欲しければ、ウチの首を奪りに来い』、ってな」
千佳「えへっ☆ おじいちゃんも、笑美ちゃんならそう言うだろうって言ってたよ」
笑美「なんや、分かってるなら最初から使者なんて寄越すなや」
千佳「でもね、これがいま真田家にできる精一杯の恩返しだって言ってた。むかし箕輪城でお世話になってことは忘れてないって」
笑美「じゃあ交渉決裂やな……戦場で会ったら、容赦なく幸隆の首をもらうで!」
千佳「あたしも負けないよ!」
笑美「……というわけで、難しい話はこれで終いや。まだ時間に余裕あるやろ?
ごはん用意しとるから、食べて帰ったら?」
千佳「わあい、ありがとー! 実はあたし、おっきりこみと焼き饅頭を食べられるかなって期待してたんだ!」
笑美「そうかそうか、好きなだけ食べてや」
珠美「……」
笑美「どうしたんや? さっきからえらい静かやんか」
珠美(ふむ……この真田信繁という子、無邪気に見えますが身のこなしに隙がありませんね。
相当な手練れと見ました……)
~その夜~
千佳「……」
珠美「千佳ちゃん、何を見ているのですか?」
千佳「えっとねぇ、真田の星を見てたんだ☆」
珠美「ほう、真田の星というものがあるのですか。どれです?」
千佳「ほら、あそこに他の星よりも輝いている六つの星があるでしょ? あれが真田の星なんだよ」
珠美「あの星は、昴(すばる)ではありませんか」
千佳「昔はね、真田家は滋野家っていう星を観察する一族だったんだって。だから滋野家は、夜空で一番目立つ昴を家紋にしたんだって。
それでね、真田家の家紋も六連星なんだよ」
珠美「真田家の家紋は星辰だったのですか。珠美はてっきり、三途の川の冥銭(渡し賃)だと思っていたのですが」
千佳「そういう意味もあるけど、本当は昴のことなんだ。カッコイイでしょ☆」
珠美「なるほど……そうすると、珠美の星はどれでしょうか? 修行不足なのか、いまだに珠美は己の宿星が見えません」
千佳「一生懸命探していけば、きっと見つかるよ。珠美ちゃんなら大丈夫!」
珠美「ええ、もっともっと精進していかなくてはなりませんね!」
キラッ
珠美(あ、いま星が瞬いた……あの星は、確か……)
千佳「どうしたの?」
珠美「い、いえ、何でもありません。さあさあ早く中に入りましょう。
夜風に当たっていると、風邪をひいてしまいますよ」
千佳「うん」
珠美(あの星は何と言いましたっけ……そうそう、破軍星ですね。あの星が導くのは武田軍か、それとも上州軍か……)
※破軍星(はぐんせい)
・「おおぐま座η」を差す中国名。北斗七星の柄先にあたる星。
破軍星の方角に軍を進めれば勝ち、逆らえば負けると信じられた。
~数日後~
珠美「笑美殿、あれをご覧ください! 武田の大軍の姿が見えました!」
笑美「あれ、おっかしいな。進撃してくる武田軍の数が、ちょっと少ない気がするねんけど」
珠美「伝令の報告によると、碓氷峠を越えた武田軍は、道筋にある安中城の抑えとして二千ほどの軍を後方に残しているそうです」
笑美「安中城を守るのは、安中忠成や。あれほどの剛の者なら、やすやすと武田軍を通すはずがない。
ええ感じに敵の足を引っ張ってくれてるみたいやな」
笑美「せやけど、敵はまだ八千の大軍。一方、この城の箕輪衆は二千。ここは籠城すべきやと思うねんけど、どうやろ?」
珠美「珠美としては、籠城より野戦を選ぶべきだと思います」
笑美「なんで?」
珠美「一つ、野戦は敵の実力を正しく測ることができます。
二つは、この戦いは武田軍の来寇を挫き、上州の独立不羈を喧伝するための戦です。
籠城などという消極的な戦術を採れば、上州の国人や地侍達にしめしがつかないのでは?」
笑美「せやけど、四倍の敵を相手にして野戦で互角に戦えるんかな?」
珠美「そこは、戦運びの巧拙が問われるでしょうね。何のために、城外に多数の仕掛けを設けているのですか?」
笑美「おっと、珠美はんの目はごまかされへんか。
その通り、この城の周囲の平地は、ただの平地に見えてその実、沼地や深田に囲まれとる。
どこからでも城に近づけるように見えて、実は城に至る道は限られとる」
珠美「その道に重点的に部隊を配置し、沼地の隠し水路や葦の繁みに伏兵を置けば良いのでは?」
笑美「決まりやな。じゃ、そういう方針で」
珠美「珠美はどうしましょう?」
笑美「珠美はんは予備兵力として待機してもらおか。
ウチらの本体が敵の初撃を乱した後、機を見て敵に斬り込んで欲しい。
珠美はんには腕の立つ兵を百人ほどつけておくから……そうそう、珠美はんの旗印も用意しといたで」
珠美「これは、“片喰”ではありませんか。何と用意の良い……
かしこまりました! 珠美にとって久しぶりの戦です。よき強者に巡り合えると良いのですが……」
笑美「ははは! そればっかりやな。まあ、めんどい敵がおったら全部珠美はんに擦り付けたるわ!
ウチは楽で美味しいところだけを……」
珠美「何ですと!?」
笑美「冗談や。上州だけに」
珠美「……」
笑美「生暖かい目で見るな! ウチがすべっとるみたいやんか!」
珠美「すべってますよ」
笑美「言うな!」
~武田軍 本陣~
武田晴信(持田亜里沙)「……それで、敵の備えはどうなっているのかしら?」
原虎胤「はっ、斥候によりますと、敵は城には籠らず城外に布陣しているそうです。その数およそ二千」
亜里沙「あら、てっきり籠城するものだと思っていたのに。
これなら、我ら甲州騎馬隊を繰り出して一揉みにできるわね」
高坂昌信「しかし、敵は戦巧者として名高い長野業正ですぞ。四倍の敵を相手に野戦を選ぶとは、何か勝算があるに違いません」
トラコ(大軍に兵法無しと言うトラ~)
亜里沙「ウサコ……じゃない、トラコちゃんもこう言ってるわけだし、多少の小細工なんて兵力で捻り潰せると思うのだけど……
どうかしら?」
虎胤「さすがお館様! 新羅三郎義光公の流れをくむ武田氏の頭領として、やはりそうでなくては!」
昌信「お館様がそうおっしゃるなら、私に異存はありません。さあ、お下知を」
亜里沙「では鶴翼の陣を布き、敵を包囲殲滅してしちゃいましょう!」
トラコ(箕輪城とか言う田舎の城、ひと捻りトラ~)
~箕輪衆 本陣~
珠美「笑美殿! 武田軍が動き始めました!」
笑美「翼包囲か、まあ妥当やな。中央に武田の“割菱”があるから、あれが本陣かな?
……ん? なんや割菱だけやない、他にも仰山旗を持っとるやないか」
珠美「どれどれ……ああ、あれは“諏訪法性”と“風林火山”の旗ですね」
笑美「なんやそれ?」
珠美「諏訪法性とは『南無諏訪南宮法性上下大明神』と書いてある旗のことです。
一方、風林火山とは『疾如風徐如林 侵掠如火不動如山』と二行に分けて書いてある旗のことです」
笑美「ふうん、兵法書と言えば“六韜”とか“三略”が有名やけど、
わしらは“孫子”も知ってるでってことを言いふらしたいわけやな。自慢しいめ……
笑美「……うわっ、何やあれ、キモっ」
珠美「どうしました?」
笑美「本陣の前に、百足(ムカデ)の旗を掲げてる部隊がおるやろ? あれは何やねん」
珠美「ああ、あれはおそらく百足隊ですね。斥候や伝令が主な任務だと聞いたことがあります」
笑美「せやけど百足っていうのがなぁ……ちょっと、ないわ……」
珠美「武田晴信は、摩利支天を信仰していると聞いたことがあります。
百足は摩利支天の眷属ですし、絶対に後退しませんから、ゲン担ぎとして軍旗にしたのでしょう」
笑美「後ろに下がらん生き物やったら、蜻蛉(トンボ)とか他におるやろ。趣味悪いわ……」
笑美「まあええわ、晴信が百足を繰り出してくるなら、害虫退治といきますか!
武田軍が本格的に攻撃を開始したみたいやし」
珠美「では珠美は、手筈通りの場所で埋伏しておきます」
笑美「頼んだで。珠美はんの攻撃が、勝敗を決めるかもしれんのやから」
珠美「ふっふっふ。剣聖と呼ばれる所以、見せてさしあげますよ」
ドドドド
武田兵「うおおお! 突っ込めぇ~!」
ズブズブ
武田兵「な、なんだ? この沼地、思ったより深いぞ!」
「くそっ、身動きがとれねえ!」
「あ、足が抜けねえぞ!」
笑美「よっしゃ! 武田の騎馬隊の機動力は封殺した! 弓隊、放てぇ!」
ドスッ ドスッ
武田兵「ぐあああ」
笑美「騎兵は、動けんかったら図体がでかい分ええ的やな。よし、前衛はそのまま矢を射ち込め!
中軍および後軍は両翼から突撃! 身の程知らずの甲州兵を、田んぼの肥やしにしてまえ!」
亜里沙「こ、これが甲州騎馬隊の戦場なの? 騎兵がなす術もなく討ち取られていく……」
虎胤「お館様! ここは私にお任せください。後方の部隊を率いて先鋒の援護に回ります」
亜里沙「わかったわ。態勢を整えた後、一度全軍を沼地から下げて」
虎胤「では、行って参ります」
昌信「お館様、大変です!」
亜里沙「何か?」
昌信「葦の繁みなどから、敵の伏兵が続々と……」
亜里沙「むう……敵は巧妙に先手を取っていくわね」
昌信「しかし、不審な点がありまして」
亜里沙「不審な点とは?」
昌信「それが、伏兵部隊の掲げる旗が“片喰(かたばみ)”なのです。上州にそのような旗を使う国人がいたかどうか」
亜里沙「う~ん、あの激烈な突撃。先頭で刀を振るっているのは小兵だけど……ま、まさか……!」
昌信「なにか心当たりが?」
亜里沙「あの剣技、そして片喰の家紋。そうとくれば心当たりは一人しかないわね」
昌信「……おお、そうか! では、かの剣聖が箕輪衆に助太刀していると、お館様はお考えなのですね?」
トラコ(これは絶体絶命トラ~ 早く全軍を収拾するトラ~)
亜里沙「前線は虎胤さんにまかせておこうかしら。昌信さんには……」
昌信「至急、退路を確保します!」
トラコ(さすがは“逃げ弾正”の高坂さんトラ~。行動が早いトラ~)
亜里沙「こんな劣勢に立たされたのは久しぶりね。戸石城以来かもしれないわ……」
珠美「珠美が血路を開きます! 皆さんは、珠美が討ち漏らした敵をお願いします!」
武田兵「小娘が、図に乗るなーっ!」
珠美「無益な殺生は、珠美の好むところではありませんが……しかたありません!」
珠美「連影撃!」ズバッ
武田兵A「ぐわっ!」
珠美「悪鬼彷斬!」グシャッ
武田兵B「ぐへっ!」
珠美「白刃炎斬!」ドシャッ
武田兵C「ひでぶっ!」
箕輪兵「すげえ、さすが剣聖だ!」
箕輪兵「おお! お嬢ちゃんについていけば、怖いもん無しだぜ!」
珠美(おや、本陣の“檜扇”の旗が動きましたね。笑美殿は一気に戦を決めるつもりでしょうか?)
部将「ご覧ください。伊勢守様の伏兵隊は、面白いように武田軍を薙ぎ払っておりますぞ!」
笑美「いや、珠美はんが大暴れしてくれるのは良いねんけど、完全に別ゲーになっとるやんか……
空の上にでも行ったことがあるんか?」
笑美「ま、まあ気を取り直してやな……全軍真向から突っ込むで! 目指すは武田晴信の首や!」
部将「かしこまりました!」
珠美「……おや、笑美殿ではありませんか。もうここまで攻め上がってこられましたか」
笑美「武田軍の前衛は崩れまくっとる。このまま一気に押し切ってまうで!」
珠美「はい!」
虎胤「待てい!」
珠美「何者です!?」
虎胤「我こそは、原美濃守虎胤! 本陣へは通さんぞ!」
笑美「くそっ、あと一歩というところで“鬼美濃”が出てきよったか」
珠美「ここは珠美におまかせを」
笑美「悪い、先に行かせてもらうで!」
虎胤「させるか!」
珠美「貴方の敵は、珠美ですよ!」
ガキン!
虎胤「ぬう、貴殿は何者か? 名乗れ!」
珠美「我が名は、上泉伊勢守信綱! 珠美の剣の錆にしてさしあげましょう!」
虎胤「おお! 名高き剣聖と打ち合えるとは、光栄の至り……いざ尋常に参る!」
珠美「美濃守殿、その直情径行な武、嫌いではありません。しかし……」
珠美「貴方を討ち取ったあかつきには、首供養をして差し上げますのでご安心を」ゴゴゴゴ
虎胤(何だ、この威圧感は……!)
※首供養
・討ち取った敵の首を供養すること。
三十三人分の首をまとめて供養するので、首供養を行うことは武士としてステータスになっていた。
山上道及が三回、山中鹿之助は二回、首供養を行ったとされる。
珠美「我が剣技、受けよ! 白刃一掃!!」ドゴォォン!
虎胤「ぐふっ! ……だが、なんのこれしき!」
珠美「ほう……珠美の剣を食らって、まだ立ち上がれますか」
虎胤「ふふふ……遅かったな、伊勢守」
珠美「何っ!?」
虎胤「お館様は既に、戦場を離脱されておられるのだ! あれを見ろ!」
珠美(しまった、割菱の旗が後退していく……なんと見切りの早い……)
虎胤「さらばだ!」
珠美「に、逃がしませんよ!」
武田兵「敵を食い止めろ!」
武田兵「美濃守様をお守りしろ!」
ワラワラ
珠美「むむむ……さすがに敵の数が多すぎますね。追いきれませんか……」
笑美「くそっ、本陣がもぬけの殻やないか! 逃げ足の速い奴め!」
部将「業正様、あれをご覧ください! “九曜”の旗が遠ざかっていきます!」
笑美「逃げ弾正の春日虎綱か、いや、今は高坂昌信やったかな? どっちでもええわ。
全軍に通達、無理な追撃は行わず全軍集結せよってな」
部将「追わなくてもよろしいのですか?」
笑美「敵は、後方の安中城に二千の後詰を残してあるんやで? 安中城を攻囲中とはいえ、無視できへん数やろ」
部将「では、安中城の忠成様と挟撃するというのはどうでしょうか?」
笑美「城は蟻一匹通る隙間も無いほど包囲されとる。
連絡の取りようがないし、いくら勝利したとはいえ、全軍の損耗が激しい。これ以上の継戦は無理や」
笑美「せやけどこんだけ大勝したんやから、上州の国人達も加勢してくるやろ。ウチらでも武田に勝てるってな。
めぼしい奴らに文を送って、出兵させるんや」
部将「承知しました」
笑美(緒戦はものにしたけど、こっからが本番やで。武田軍はいまだに大軍やし、これ以上は野戦を続けられんやろうしな……)
~一月後~
亜里沙「……攻囲してからもう一月が経ったわ。皆さん、どのような策でも結構よ。あの城を落とす策はないかしら?」
諸将「……」シーン
亜里沙「やっぱり、思いつかないかぁ……」
トラコ(兵糧攻めにしようにも、敵は城内に大量に備蓄しているみたいトラ~)
虎胤「考えたのですが、水源を探り当てて断つというのはどうでしょうか?」
亜里沙「甲斐から金山衆を連れてきているのだけど、どうやら箕輪城の水源は後背に聳える椿山から湧き出ているみたいなの。
あの城って地下水が多いらしいし……」
虎胤「そうですか……」
昌信「それに近頃は、我が軍のほうが兵糧に窮する有様です。
業正が指嗾しているのか、正体不明の山伏や虚無僧が跋扈し、我が軍の輜重隊が襲撃されることが多く……
また、周囲の地侍たちも蠢動している様子で」
亜里沙「それもそうねぇ~……あら幸隆さん。さっきから静かだけど、何か良い策は無い?」
真田幸隆「……私に、上策と下策がございます」
亜里沙「下策は?」
幸隆「兵の損耗を顧みず、力攻することです。我が軍の機動力を阻害しているのは、周囲の沼地です。
ならば兵を動員して周囲の木々を倒し、板を敷いて足場を作りましょう。
または山から土砂を運搬し、埋め立てるという方法もございます。
もっとも、沼地を埋めたところで、あの城壁を越えねばなりませんが」
トラコ(敵地のど真ん中で兵を失うわけにはいかないトラ~)
幸隆「でしょうな」
亜里沙「では、上策は?」
幸隆「撤退です」
諸将「馬鹿な! “攻め弾正”の誉れ高い貴殿が、そのようなことを言うのか! 消極的すぎるぞ!」
「所詮は外様か……」
「いやいや、敵と内通しているかもしれんぞ」
ガヤガヤ
幸隆「……」
亜里沙「みんな静かにしましょうねぇ~……幸隆さん、これ以上戦を続けても、戦果は挙がらないと言うの?」
幸隆「我らは緒戦で五百もの兵を失いました。一方、敵の損害は五十名足らずです。
敵地に一月も滞陣し、兵は倦み始めております」
昌信「では、貴殿の得意とする調略はいかがか?
本領安堵するとか上手い約束でもして、上州の国人達を切り崩すことはできぬか?」
幸隆「緒戦で大敗を喫した我らに、誰が味方するとお思いか。ましてや上州侍は独立不羈の傾向が強い。
お館様、ここは撤退し、仕切り直すのが上策かと」
虎胤「しかし、武門の名家である武田が、何の戦果もなく引き上げるなど……」
亜里沙「では、いまだに頑強に抵抗する安中城でも攻め落としちゃおうかしら」
伝令「軍議の途中、失礼します!」
虎胤「なんだ!?」
伝令「お館様に、火急の知らせが!」
亜里沙「何かしら?」
伝令「実は……」
~箕輪城~
笑美「あ~、何か飽きてきたわ」
珠美「笑美殿、緒戦は勝利したとはいえ、油断は禁物ですよ」
笑美「それはそうやねんけどな、敵は沼地に入ってこうへんし、城外で活動しとるんは日頃手なずけてきた山伏たちやし」
珠美「しかし、このままでは負けませんが勝ちもしませんよ」
笑美「いや、今山伏たちに上州じゅうの国人の元に文を届けてるんや。
戦機が熟したら兵を集結させ、武田と決戦するってな」
珠美「なるほど、既に手回ししていたのですか。さすが笑美殿です」
笑美「でも、まだ攻囲が始まって一月や。まだ敵が隙を見せるにはまだ早いやろ……ん?」
珠美「いかがしました?」
笑美「なあ、あれって、やっぱりあれやんな?」
珠美「あれ、とは?」
笑美「いや、ウチの目がおかしくなったんかと思ってな。あれって、武田軍が撤退していきよんねんな?」
珠美「あ……本当ですね……」
兵「よっしゃあ! 武田が尻尾を巻いて逃げていくぞ!」
「武田のボンボンが、業正様に敵うもんか! ざまあ見やがれ!」
「業正様、ばんざーい!」
珠美「聞こえますか? 兵達の歓呼が」
笑美「よっしゃ! 全軍、勝鬨を上げるで!」
珠美「えい! えい! ……あれ?」
六甲颪に~ 颯爽と~♪
蒼天翔ける~ 日輪の~♪
青春の覇気~ 麗しく~♪
輝く我らぞ……
珠美「待てい!」
笑美「何やねん、ええところやのに!」
珠美「そのまま歌い続けたらまずいですよ!」
笑美「そうかな? ウチら、戦に勝った後はいっつもこの歌を合唱すんねんけど」
珠美「よくいままで、偉い人に怒られませんでしたね」
笑美「ちなみに、この歌の曲名は“六甲颪”ってみんな誤解しとるけど、正式名称は“大阪(阪神)タ○ガースの歌”やねんで。
どうでもええ豆知識やけど」
珠美(本当にどうでもいい……)
珠美「そんなことより、どうして突然武田軍は撤退し始めたのでしょうか?」
笑美「なんでやろな? 戦はこれからってところやのに」
虚無僧「……業正様」
珠美「おや、この虚無僧は?」
笑美「こいつはウチが使ってる間者や。それで、何かわかったんか?」
虚無僧「はい。越後の長尾景虎が、川中島に兵を進めたとのことです」
笑美「だからか」
珠美「川中島は、兵家必争の地……今後もかの地にて、両者の争いは続くでしょうな」
笑美「おっ、ええこと思いついたで!」
珠美「何か策が?」
笑美「武田にとって最大の敵は、長尾やろ? 逆に言えば、長尾の宿敵も武田っちゅうこっちゃ」
珠美「はい」
笑美「なら、ここは越後と同盟を結ぶことにしようや。敵の敵は友って言うやん?」
珠美「それは良い考えです。聞けば、越後の長尾景虎は毘沙門天を信仰し、
天才的な用兵手腕から“越後の龍”とか、“軍神”と呼ばれているそうですね」
笑美「頼りになりそうやろ?」
珠美「しかし、次はどうやって長尾家と渡りをつけるかということですが……」
笑美「それが問題やなぁ。そうや、すまんけど珠美はんが越後に行ってくれへんか?
珠美「お引き受けしましょう。笑美殿は上州を固めるのに手一杯でしょうから」
笑美「すまん。恩に着るわ」
珠美「お任せください!」
~越後 春日山城~
珠美「すみませーん!」
番兵「どなたですか?」
珠美「先に使者を出していたのですが、わたくし、上州の長野業正の名代として参りました、上泉信綱と申します。
宇佐美定満殿にお目通り致したく、参上仕りました」
番兵「失礼しました。お話しはうかがっております。では、こちらへ……」
珠美「忝い」
テクテク
珠美「あの、一つよろしいですか?」
番兵「なんなりと」
珠美「これから宇佐美定満殿にお会いするわけですが、定満殿とはどのようなお方なのですか?」
番兵「宇佐美様は、長尾家に四代にわたってお仕えしている宿将でございます」
珠美(とすると、相当お歳を召された方のようですね)
番兵「宇佐美殿は、戦では手足の如く軍を進退させられます。
また、その知略は広遠にして、百策を巡らし、それらは外れることがございません。まず、当代きっての智将と言えましょう」
珠美「なるほど、それはとんだ英傑でいらっしゃる」
番兵「着きました……定満様!」
?「はい」
番兵「上州の上泉信綱様をお連れしました」
?「どうぞ」
番兵「では、私はこれで」
珠美「案内、ありがとうございました……それでは、失礼します」
珠美「お初にお目にかかります。わたくしは上泉信綱。長野業正の名代として参りました」
宇佐美定満(安倍菜々)「ようこそ越後へ! 遠路はるばるご苦労様です」
菜々「長尾家の家臣、ウサミンこと、ナナでーす! キャハッ☆」
珠美「……え?」
珠美(話を聞く限り、かなりご年配の方を想像していたのですが……)
菜々(しまった! 初対面の人相手にはしゃぎすぎてしまいました……)
珠美「えっと、その……珠美はこんな時、どんな顔をすれば良いかわからないのですが……」
菜々「笑えば……いえ、嗤えば良いと思います……よ?」
珠美「あ、はい……」
菜々「……」
珠美「……」
菜々(ドン引きしてる! ま、負けてはダメよ、ナナ! ここは気持ちを切り替えて……)
菜々「あ、あの! 書簡で拝見しましたが……」
珠美「え、えっと、あ、あの書簡のことですか、つまりですね、率直に申しますと武田に対抗するために、
同盟を結んでいただきたいということなのですが」
菜々「うかがっています。たしかに私どもとしても、周囲に一人でも味方がいてくれる方が助かるのは事実です」
珠美「では,盟約を結んでいただけるのですね?」
菜々「一応ナナの方からも、事前に実城(みじょう)様の方へ話しておいたのですが」
珠美「あの、実城様とは?」
菜々「ああ、この春日山城が長尾家の本拠地ですから、景虎様のことを実城様と呼ぶ人もいまして」
珠美「なるほど。それで、長尾景虎様とは面会できますか? できれば直接お話ししたいのですが」
菜々「景虎様は話せばよくわかる人ですが、少し浮世離れしていらっしゃる方なので、俗世の争いに興味を示されるかどうか……」
珠美(なるほど、旅の途次に見た限り、この越後は豊穣の地。
ここまで豊かな国ならば、足りないものがなくて逆に無欲になるのかもしれませんね)
珠美「であればなおさら、珠美自身の言葉で景虎様とお話ししたいのです!」
菜々「わかりました、いまから毘沙門堂へ案内しましょう。ですが、あまり期待はしないでくださいね?」
珠美「ありがとうございます!」
~毘沙門堂~
珠美(ここが毘沙門堂ですか。なんとも言えぬ、森厳な空気に満ちていますね……)
菜々「景虎様、信綱様をお連れしました」
?「どうぞ」
菜々「さあ、入りましょう」
珠美「はい! 失礼します!」
長尾景虎(高垣楓)「いらっしゃい。私は長尾景虎。越後の守護代を務めさせていただいています」
珠美「珠美は、上泉伊勢守信綱。本日は、上州との同盟を締結していただく、参上しました」
楓「話は聞いています。そこで、私から一つ質問なのだけど」
珠美「何でしょう?」
楓「聞くところによると、貴方は旅の剣客だったわね? 先の戦でも見事な働きをしたとか。
どうして縁もゆかりも無い上州のために、そこまで尽くすのかしら?」
珠美「お恥ずかしながら、珠美は上州の山中で道に迷い、あやうく行き倒れになるところでした。
そこを業正殿に救っていただいたのです」
楓「それだけ?」
珠美「それだけ、と申しますが、空腹時の食料は千金にも代えられません。
命を救われたからこそ、一命をもって報恩するのが義というものではありませんか?」
楓「義、か……義といえば、私の信条とするところ。私も常に、義を貫こうと日頃から心がけています」
珠美「それはご立派です。ですが悲しいかな、この世は仁や義を貫こうとしてもままならぬことが多々あります。
世は乱世。綺麗ごとでは何もできません」
楓「だけど皆がみんな、悪いことばかりしていると、いつまでたってもこの世は良くならないわ」
珠美「おっしゃる通りです。この世に真の義を敷くため、どうか上州の国人地侍をお救いください!
己が野心のために他国に侵略を繰り返す武田に、何卒、膺懲の鉄槌をお下しください!」
楓「貴方の心意気、この胸に響いたわ。良いでしょう。私も毘沙門天の名の元に、武田を駆逐すると誓いましょう」
珠美「ありがとうございます!」
楓「でも、一つ問題があるのだけど……」
珠美「何でしょうか?」
楓「私が武田を討つために甲斐へ侵攻すると、やっていることは武田と同じになってしまうの」
珠美「それはそうですが……」
菜々「ふっふっふ……楓さん、ウサミンに秘策あり、ですよ!」
楓「まあ!」
菜々「今私たちは、春日山城下に関東管領の上杉憲政様を匿っていますよね」
珠美「ちょっと待ってください! 管領殿はこの越後にいらっしゃるのですか?」
菜々「あれ、知らなかったんですか? 数年前の河越夜戦において、憲政様は北条氏康に敗れて上州から逃れてきているんですよ」
珠美「それで今、笑美殿がお一人で苦労されているのですか」
菜々「あんまり人のことを悪くは言えないですが……」
楓「それで、憲政様がどうかしたの?」
菜々「まずは楓さんご自身で上洛して、足利義輝将軍にお目通りするんですよ。そこで将軍様の許可を頂いて、憲政様から関東管領職を譲っていただきましょう!」
珠美「なるほど。関東管領と言えば、本来関八州を統べるべき役職ですからね。
関東に蟠踞している大名たちを討伐する、大義を得るということですか」
菜々「そういうことです」
楓「さすがは宇佐美ン。神算鬼謀ね」
珠美「宇佐美ン?」
楓「宇佐美で、ウサミンだけに。ふふっ」
珠美「……」
珠美(この主にして、この家来ということでしょうか。本当にこの人が、軍神と言われる名将なのでしょうか?
少し不安になってきました……)
珠美「ま、まあ、同盟の件は了承していただいたということで、これにて珠美は失礼いたします」
楓「あれ、もう帰ってしまうの?」
珠美「いま、上州では笑美殿お一人だけで武田の侵攻に備えています。
笑美殿おひとりにいつまでも負担をかけているわけにはいきませぬゆえ」
楓「それは残念ね。越後と言えば米どころだから、美味しいお米やお酒を楽しんでいってほしかったのに」
珠美「珠美は、お酒はちょっと……」
楓「私としては、越乃○梅とかおすすめなのだけど……上善○水とかも」
珠美「具体的な商品名を列挙されなくても結構です」
楓「冗談よ。でもかの剣聖には、私の秘蔵の刀でも目利きしてほしかったわ」
珠美(刀? 刀と言えば、あれは……)
珠美「後ろの刀掛けの太刀、あれが音に聞く“小豆長光(あずきながみつ)”ですか?」
楓「この距離からよくわかったわね。流石だわ」
楓(この子、こんなに小さいのに……この清冽な気配といい、審美眼といい、やはり本物の剣聖のようね)
楓「『唵 吠尸羅 摩拏耶 娑婆詞(オン ベイシラ マナヤ ソワカ)』……」
珠美「……え? もしかして、毘沙門天の真言……?」
楓「貴方に、毘沙門天の御加護がありますように……また会える日を、楽しみにしているわ」
珠美「景虎殿こそ、どうか……」
~甲斐 躑躅ヶ崎館~
亜里沙「本日、皆に集まってもらったのは他でもない、上州攻めのことよ」
虎胤「先の雪辱を晴らそうというわけですな」
昌信「過日の敗戦を踏まえ、糧道の確保や国境における部隊の展開など、万事整って
おります」
亜里沙「前は敵に兵站を寸断され、戦線が維持できなかったものね」
幸隆「お館様、上州攻めについてはお考え直しください」
虎胤「どういうことだ、幸隆殿。上州攻めの準備は整っておる。後はお館様のお下知を待つのみではないか。
何故、出陣の前に水を差すようなことを言うのか」
亜里沙「まあまあ、虎胤さん落ち着いて……貴方に何か考えがあるのね?」
幸隆「はい、先ほど禰津(ねづ)の歩き巫女から報告が入りました。越後の長尾景虎が、わずかな供回りを率いて上洛したと」
昌信「な、なんと……」
亜里沙「この時期の上洛? どういう意味があるのかしら?」
幸隆「聞説(きくならく)、長尾景虎は義に篤く、体面には非常にこだわる人物とか。
いままで越後から出兵して他国に手を出そうとしないのも、侵略者としての汚名を忌避しているのでしょう」
亜里沙「それが、今回の上洛と何の関係が?」
幸隆「先の河越夜戦において、関東管領上杉憲政は北条に敗れ、現在は越後にて匿われています。
つまり、景虎が足利の将軍家に謁見し、上杉の家督を継ぐとともに、正式な越後の守護となり、
関東管領の職も拝領しようという魂胆でしょう」
虎胤「関東管領といえば、関八州に覇を唱える存在。
かつての栄華は廃れたりとは言え、大義名分には変わりないか……」
昌信「お待ちください、幸隆殿。
上洛したからといって、景虎が関東管領職を下賜されると決まったわけではありますまい」
幸隆「貴殿らは、越後の経済力を侮っている。佐渡は豊富に金を生み、越後の特産である青苧(あおそ)は、越後上布の原料ではないか。
困窮している将軍家に対し、投げ与える餌にはこと欠かぬ」
亜里沙「朝貢を餌にして、名を取るということね?」
幸隆「その通りです」
亜里沙「どうしたものかしら……」
幸隆「お館様、僭越ながら献策申し上げます」
亜里沙「何か良い考えが?」
幸隆「は……景虎が不在ということは、越後軍の強さは半減したと考えても良いでしょう。
今のうちに、北信濃を攻略してしまうのはいかがでしょうか?」
亜里沙「上州より、北信濃のほうが与しやすいというわけね」
幸隆「我ら武田軍は、上州の地理に精通しているわけではありませんし、上州の長野業正も当代の名将と言えましょう。
苦戦は避けられません。一方、北信濃といえば、特にこれといった難敵がいるわけではなく、もともとは真田家の本貫の地でもあり、私を先鋒にお命じ下されば必ずや武勲を立ててごらんにいれます」
虎胤(幸隆め、尤もらしいことを言いながらその実、自分が先鋒として戦功を独り占めしようという魂胆ではあるまいか……)
亜里沙「わかったわ。では幸隆さんの言を採用し、北信濃の攻略に着手しましょう。
遠征の布陣および随員は、おって沙汰します。これにて解散」
~真田屋敷~
千佳「ねーねー、おじいちゃん!」
幸隆「おお、信繁か。どうしたのだ?」
千佳「さっきから呼んでるのに、ちっとも返事してくればいんだもん! 何か考え事?」
幸隆「ああ、すこしな……」
千佳「ねえ、今度の遠征って北信濃になるんでしょ? 上州には行かないの?」
幸隆「不満か?」
千佳「上州にはねえ、笑美ちゃんや珠美ちゃんとか、いっぱい強い人がいるんだよ? 北信濃なんてつまんないよ!」
幸隆「そうだな。今回の遠征は国人どもの小城攻めが中心になるだろう」
千佳「城攻めって退屈だな~」
幸隆「安心しろ、信繁。景虎は何の対策もせずに、上洛するような者ではない。
北信濃の攻略も、油断していると必ず痛い目を見る」
千佳「じゃあ、今回の遠征は失敗するってこと?」
幸隆「普通の大将ならそうなる。しかしお館様も、その程度のことは十分に知悉しておられる」
千佳「う~ん……よくわかんない!」
幸隆「お館様のことだ。手薄になった北信濃に侵攻すると見せかけて、油断している上州を攻めることもありうる」
千佳「ということは……」
幸隆「どうなるかはわからん。恐らく、直前になってお館様はご決断なさるはずだ。
我らは、どのようにも動けるように備えておけば良い」
千佳「うん! あたしも頑張るね!」
幸隆「虎と龍が相打つのか、虎と虎が牙を咬み合うのか……どちらに転んでも、見ものだな……」
~箕輪城~
珠美「笑美殿! ただいま帰りました!」
笑美「おう、久しぶりやんか! で、どうなった……と聞くのは野暮か?」
珠美「噂に違わず、長尾景虎という人物はすばらしいお方です。同盟の件も、快諾してくださいました!」
笑美「そうか。けどな、その景虎はんが上洛したって噂を聞いてんけど、どういうことなん?」
珠美「ああ、それはですね……」
笑美「……なるほどな、将軍家に働きかけて上杉の家督を継ぐんか。
で、関東管領に就任して外敵を叩こうってことやな。
けど、たかが隣国に出兵するためだけに、そんな回りくどいことをするんか」
珠美「でも、効果はあったでしょう?」
笑美「そうやな。最近国境に兵が集められとったけど、なにやら急に信濃方面に移動しはじめたし」
珠美「晴信は、手薄になった北信濃を攻略しようと考えたのでしょう。上州より容易いと思ったのでは」
笑美「信濃の連中には悪いけど、その間にウチらは防備を固められるってことやからな」
珠美「あの、話は変わりますが、少し笑美殿にお尋ねしたいことがあります」
笑美「なんや? 急に改まって」
珠美「笑美殿はなぜ、武田に対して矢面に立っているのですか? 笑美殿は正式な上州の守護ではないはずです」
笑美「それは千佳ちゃんに対して言ってたはずやん。上州の自由を守るってな」
珠美「本当にそれだけですか?」
笑美「……」
笑美「あのな、関東管領の上杉憲政は元々上州に勢力をはっとったんや。昔はウチら上州侍は、皆上杉家に従っとった。
けど、数年前の河越夜戦で敗れ、憲政の野郎が越後に逃げたあと、上州を纏める奴がおらんかった。
愚鈍といっても、主君は主君や。腐っても、関東管領は関東管領や」
笑美「でも、皆バラバラになっとったら、いずれ隣国に上州は荒らされる。
それやったらどうしても上州の盟主たる存在が必要になるし、周囲もウチを推してくれた」
珠美「それで、笑美殿は盟主を引き受けたというわけですね?」
笑美「けど、一番の理由はやっぱり吉業(よしなり)やろうな」
珠美「吉業殿とは?」
笑美「吉業っちゅうのは、ウチの一族のモンや。腕もそんなに強くない、武士らしくない奴やった。そして、あいつはいつも嘆いとった。
『戦さえなければ、誰も死ぬことはない。戦に使う労力があれば、農耕や殖産に使うべき。そうすれば、皆笑って暮らせる。どうして戦がなくならないのか』
ってな……」
珠美「……」
笑美「そんな奴が、河越でウチを庇って死におった。ウチは今でも、あいつが槍で串刺しにされる光景を思い出す。
吉業に救われた命は、吉業の志のために使わなあかん。
そやからウチは、なるべく他国よりも低い税率にして農民の流出を防ぎ、逆に流民を受け入れて労働力にして、この上州を豊かにしようとしてるんや」
笑美「それに自分で言うのも何やけど、ウチは戦だけは得意やから、何回も外敵を撥ね返しとったら、上州に手を出したら痛い目を見るって他国に知れ渡るやろ?
そうすれば上州は誰にも侵されない、自由の国になるはずなんや」
珠美「笑美殿が上州の盟主として戦い続けてこられたのは、そんな鴻鵠の志があったからですか」
笑美「そんな大層なもんちゃうけどな」
珠美「でも、上州を放り出した上杉殿に、何の恨みのないのですか?」
笑美「ないって言えば嘘になるな。けど、あのバカ殿が少しでも役に立つなら、別に良いんとちゃう?」
珠美「笑美殿!」
笑美「な、なんや急に」
珠美「改めて申し上げます。上州の平和のため、この上泉信綱の剣、いかようにもお使いください!」
笑美「まあ、珠美はんの実力は前の戦で見たし、頼りにはしてるけど……」
珠美「何かご不満が?」
笑美「いや、客人にそんな重荷を背負わせても良いんかなって」
珠美「珠美は今まで、ひたすら剣の腕を磨き続けてきました。
しかしこの上州に来て、剣とは何のために振るうべきものなのか、それを知ることができるように思います。
どうか、いま暫くの間、この珠美を使ってください」
笑美「そこまで改まって言われると、恥ずかしいな……
ああ、珠美はん、せめて武田の来寇を完全に追い払うまでは、この上州にいてくれるとうれしいねんけど……」
珠美「ええ! 笑美殿と珠美は、親友ではありませんか!」
笑美「親友か……久しぶりに聞く響きやな……よっしゃ! 頼りにしてるで、伊勢守殿!」
~夜半~
珠美「むにゃむにゃ……もう食べられません……」スヤスヤ
「……はん……美はん……」
珠美「ん? 何でしょう?」
笑美「珠美はん、起こして悪いな」
珠美「どうしたのですか、こんな夜遅くに……」
笑美「まずいことが起こった」
珠美「一体何が?」
笑美「武田軍が急に矛先を変えて、上州に侵攻してきた」
珠美「ば、馬鹿なっ!」
笑美「さっき各地の城に早馬を出したから、国人達はなんとか城を固められるやろうな」
珠美「それはよかった。しかし、武田は信濃へ向かったはずでは……」
笑美「たぶん、こっちが油断することを見越しての軍の転回やろうな。武田晴信に、見事に裏を掻かれたってことや」
珠美「それで、武田軍はいまどこに布陣しているのですか?」
笑美「坂本や。おそらく、松井田城を攻略する算段なんやろ」
珠美「松井田城の防備は?」
笑美「あの城には安中忠成の父、忠政が詰めとる。いかに武田とはいえ、あの猛者が守る城は簡単には落とせんやろ」
珠美「勿論救援に赴かねばなりませんが、松井田へは幾つもの山を越えていかなくてはなりません。
武田が放っている間者や斥候に気づかれず、敵に近づくことができますか?」
笑美「なあに、武田は碓氷峠を越えてきてるんや。碓氷峠には、近道があるんや……ほれ、この地図をみてみい」
珠美「碓氷峠に行くには……えっと……」
笑美「羽根尾からまっすぐ南下すれば、浅間山の東麓のどん突きや」
珠美「なるほど、浅間越えをするわけですか。そうすれば、信濃側から碓氷峠を越えることができますね!」
笑美「ああ。まさか武田も、自分の領地側から奇襲を受けるとは夢にも思わんはずや。
晴信の慌てふためく顔が目に浮かぶで!」
珠美「ですが、今は冬です。山越えなんて大丈夫でしょうか」
笑美「多少の落伍者が出るのはしゃあない。
けど、兵全員には防寒具を持たせるし、凍傷の予防に唐辛子も用意させる。
それに碓氷峠まで到着できれば、それ以後の山道は武田軍にしっかり踏み固められとるからな」
珠美「後は……運次第ということですね」
笑美「まあな。けど、ウチらみたいな弱小勢力が、武田みたいな大勢力の勝つには、博打を打たなあかんやろ」
珠美「ふふっ。笑美殿ならきっと大丈夫です。
笑美殿は上州のためにここまで働いているのですから、天もお導きくださるはず」
笑美「そうやったらええねんけどな……」
~浅間山~
ヒュウウウウ
珠美「うう……ざぶい゛……」
笑美「そうやな……こんなに吹雪いてるとは思わんかった……」
バサバサバサ
珠美「梢が折れそうなくらい、風が強いですね……」
笑美「虎落笛(もがりぶえ)がひどい……上州名物のからっ風やな」
兵「おいおい、凍死なんてゴメンだぜ……」
兵「俺、指先の感覚がなくなってきたんだけど」
兵「早く温かいものが食いてえなぁ」
笑美(兵達の体力も限界やな……)
斥候「業正様! 業正様はどちらに!?」
笑美「おーいっ! ここや!」
斥候「申し上げます! 先遣部隊は、長倉郷まで無事に到達しました。
この先にて、鍋や焚火の準備をしておくとのことです!」
笑美「よっしゃーっ!」
珠美「天がお味方してくれましたね!」
笑美「皆、よく聞け! 死にたくなかったら足を動かせ!
長倉郷までたどり着いたら、好きなだけ熱いもん食えるで! あとちょっとの辛抱や!」
兵「よかった~。なんだかやる気出てきた!」
兵「もうちょっと頑張ろう!」
兵「そうだな、こんなところでモタモタしてらんないよな!」
笑美「そうや、その意気や! 碓氷峠を越えて、憎き武田軍をいてこましたるで!」
全軍「オオオオオ!!」
~長倉郷~
珠美「ふう、ようやく一心地着きましたね」
笑美「あぁ~、火って偉大やな~。生き返るわ」
珠美「それにしても、松井田城は無事でしょうか?」
笑美「そろそろ斥候が戻ってくるはずや」
パカラッ パカラッ
珠美「蹄音ですね、それも単騎の」
笑美「どうやら斥候が帰ってきたみたいや」
斥候「業正様、ただいま帰還いたしました!」
笑美「お疲れ。どうや、松井田城は?」
斥候「ははっ! 安中忠政様は固く城門を閉ざし、城内には武田兵の侵入を全く許していません!」
珠美「なんとか間に合ったようですね」
笑美「悪いけど、もうひと働きしてくれんか?」
斥候「何なりと」
笑美「全軍に通達。二刻後に出陣。目標は、松井田城の西に布陣する、武田軍の本陣。
攻撃開始は翌明朝。松明の使用は厳禁。以上や」
斥候「かしこまりました!」
珠美「いよいよですね!」
笑美「珠美はんには先鋒を命じる。武田軍に縦列陣で突入し、擾乱してほしい」
珠美「武田晴信の首は、取ってしまっても構わないので?」
笑美「できるもんならな。ウチがいることを忘れとんちゃうん?」
珠美「ふっふっふ。珠美の剣についてこれますか?」
笑美「そこまででかい口を叩くなら、期待しようやないか。剣聖殿?」
~武田軍 本陣~
……オオオオ
亜里沙「ううん……何、こんな夜中に……」
虎胤「お館様、一大事でございます!」
亜里沙「虎胤さん、何があったの?」
虎胤「長野業正率いる箕輪衆が、奇襲を仕掛けてきました!
敵の数は少数ですが、松井田城の安中忠政も呼応して出撃しつつあります!」
トラコ(箕輪衆がここに来るなんて、空でも飛ばない限り不可能トラ~)
亜里沙「そうよね。ここまで来るのに、幾つもの山を越えなければならないはず……
いったいどうやって?」
虎胤「敵は、我らの背後から奇襲を仕掛けてきました。
おそらく、浅間山東麓を越えて長倉郷に出、碓氷峠を信濃側から越えてきたものと思われます」
亜里沙「あっ、なるほど。そんな道もあったわね」
トラコ(感心してる場合じゃないトラ~)
虎胤「今、お味方が敵を防いでおりますが、長くはもたないでしょう。ここは撤退のご決断を!」
亜里沙「わかったわ。退却の指示を出して。味方の被害が増える前に」
虎胤「ははっ!」
珠美「どけっ! 邪魔だっ!」ズバッ
武田兵「ぐはっ」
珠美「斬っても斬ってもきりがありません。武田晴信め、出てきなさい! どこにいる!」
亜里沙「おや、あの小兵は……上泉信綱ね」
トラコ(気づかれないうちに……)
珠美「見つけました! その諏訪法性の旗! そこにいるなっ!」
亜里沙「しまった!」
トラコ(見つかったトラ~)
珠美「覚悟!」
千佳「させないよ!」
ガキン!
亜里沙「千佳ちゃん!」
幸隆「敵は我らが食い止めます。殿軍はおまかせあれ」
亜里沙「幸隆さん、なぜ?」
幸隆「剣聖がここにいるということは、長野業正も近くにいるということ。ここで一つ、過去を清算しておこうと思いましてな」
笑美「珠美はん! どこに晴信がおったんや!?」
幸隆「噂をすれば何とやら……お逃げください」
亜里沙「死んではダメよ?」
幸隆「私は、乱戦の中で死ぬ趣味はありません。ご安心を」
珠美「……千佳ちゃん、こんな形で再会するとは……」
千佳「これもしゅくめーってものじゃないかな?」
笑美「千佳ちゃん! ……と、いうことは……」
幸隆「お久しぶりですな、業正殿」
笑美「幸隆か。元気にしとるみたいやな」
幸隆「お蔭さまで」
笑美「せやけど、どの面下げてウチの前に現れたんや?」
幸隆「我ら真田家が生き残るためには、武田に与するより他に無かったのです」
笑美「まあええわ。昨日の友が明日の敵になるのも、乱世の習いやからな」
千佳「ねーねー、二人ともお話し長いよ」
笑美「え?」
千佳「あたしはね、珠美ちゃんや笑美ちゃんと戦える日を、ずっと待ってたんだよ?」
珠美「千佳ちゃん……」
幸隆「業正殿、それに伊勢守殿。孫はこのような性分です。私でもとめられません」
珠美「良いでしょう。千佳ちゃんのお望みとあらば!」
笑美「けどな、珠美はん……」
珠美「笑美殿はお下がりください。珠美も一人の武人(もののふ)として、猛者との死闘を望みます」
笑美「そうやな。ウチが手を出したところで、珠美はんの足手まといになるだけやろうし……
幸隆も、それでええか?」
幸隆「私と貴殿とで、剣で決着をつけるというのはいかがか?」
笑美「ホンマにそんなんしたいんか?」
幸隆「いいえ」
笑美「ウチも、かつての旧友を斬りたくはないからな。二人の戦いを、黙って見てるだけや」
幸隆「私も、そうさせていただきます」
珠美「よろしいですか、千佳ちゃん」
千佳「いつでもいーよ♪」
珠美「では……上泉伊勢守信綱、参る!」
千佳「真田信繁、推参!」
珠美「たあっ!」ガキッ
千佳「それっ!」バキッ
珠美「隙あり!」ブンッ
千佳「甘いよ!」ヒョイッ
笑美「二人とも、人間辞めてへんか……?」
幸隆「日ノ本一の兵と剣聖……まさに人外同士の戦いですな」
珠美「はあはあ……」
千佳「ぜえぜえ……た、珠美ちゃんも……な、なかなかやるね……」
珠美「こうなれば、珠美の全力を千佳ちゃんにお見せしましょう!」
千佳「あたしも、全力でいくよ!」
ゴゴゴゴゴ
笑美「な、なんや!? 二人の周りの空気が変わった……?」
幸隆(あれを開放するのか、信繁……)
珠美「この一刀に、珠美の剣術の全てをかけます!」
千佳「アルベスの槍よ、その力を示せ!」
珠美「“一の太刀”」
千佳「“プロミネンス・ダイブ”」
ドッゴオオオン!!
幸隆「ぐっ、なんという衝撃だ!」
笑美「ど、どうなったんや!?」
珠美「……」
千佳「……」
笑美「珠美はん!」
幸隆「信繁!」
二人「……」ドサッ
笑美「え……相打ち……?」
幸隆「う~む。二人とも、気絶しているようです」
笑美「引き分けってことか」
幸隆「業正殿、いかが致しますか?」
笑美「まあしゃあないやろ。ウチは珠美はんを連れて帰るわ」
幸隆「追撃されないので?」
笑美「まあな。知らんうちに晴信に逃げられとるし、箕輪衆は山越えからの戦闘で疲労困憊や。これ以上の戦は無理やしな」
幸隆「私も、信繁を連れて帰ります」
笑美「そうか……なあ幸隆」
幸隆「何か?」
笑美「真田家と戦場で出会うのは、もうこりごりや」
幸隆「奇遇ですね。私も同じことを考えていました。箕輪衆とは、もう二度と戦いたくないと……」
幸隆「よいしょっと……」
笑美「おぶって帰るんかいな。すっかり好々爺やな」
幸隆「私はこれでも、人並みに情はもっているつもりです」
笑美「ウチが後ろから斬りかかるとは思わんのか?」
幸隆「上州の黄斑、上野の虎と呼ばれている貴方が、そんな真似はしないと信じております」
笑美「幸隆も案外、お人よしやな」
幸隆「お戯れを……それでは、失礼致す」
千佳「う、う~ん……」
幸隆「気が付いたか?」
千佳「あれ、珠美ちゃんと笑美ちゃんは? 戦はどうなったの……?」
幸隆「戦はひとまず、武田の負けだ。伊勢守との勝負は、まあ引き分けというところだな。相打ちとも言うが」
千佳「そっか……絶対勝てると思ったのにな……」
幸隆「今回の勝負で理解したか? この世には、いそうもない者が数多くいることを。
お前もまだまだ、井の中の蛙ということだ」
千佳「あたしも、もっと修行しないとダメだね!」
幸隆「精々励むがよい。戦はまだまだ続くであろう」
千佳「そうだね、おやかたさまは上州を諦めることはないよね」
幸隆「そういうことではない。甲斐と越後のことだ」
千佳「え?」
幸隆「長尾景虎もお館様も、二人揃って不世出の名将だ。二人の戦は、百年たっても決着がつかぬ。
そうやって戦い続けているうちに、越後も甲斐も疲弊し、いずれ第三の勢力に飲み込まれる」
千佳「他にも強い人がいるってこと?」
幸隆「この乱世は、戦の巧拙が全てではない。聞くところによると、尾張では織田家という武家が主君を弑逆して勢力の伸ばしつつあるらしい。
織田家は今は蛟(みずち)でも、雲を得れば龍となりかねない」
千佳「ふ~ん……難しいね、ランセって」
幸隆「要するに、新しい者たちの時代が来ているということだ。
私のような老人は、孔子が説くところの『天命ヲ知ル』必要があるかもしれぬ」
千佳「おじいちゃんはまだまだ元気だよ? 千佳とも一緒に遊んでくれるし」
幸隆「ははは、私もまだまだ働けるか……何にせよ、我ら真田家は弱小勢力だ。
大恩があるわけで無し、いつまでも武田家に仕えておくこともない。
弱き者は弱いなりに、強き者たちの間を泳ぎ切らねばならん」
キラッ
千佳「あ! おじいちゃん、あれ見て! 昴がいま、ピカッてなったよ!」
幸隆「おお……そういえば、ここしばらくは下ばかり向いて、夜空を見上げることなどなかったな。
昴の六連星よ、どうか真田家をお導きください……」
~数か月後 春日山城~
菜々「楓さん」
楓「どうしたの?」
菜々「箕輪城城主、長野業正様と、上泉伊勢守信綱さんがいらっしゃいました」
楓「ありがとう、宇佐美ン。すぐにお通しして」
菜々「はい……って、だから宇佐美ンじゃなくてウサミンですって!」
楓「いつもの冗談よ」
楓(長野業正か……いったいどんな方なのかしら?)
笑美「お初にお目にかかります。箕輪城の城主を務めさせていただいております、長野業正です」
楓「ご丁寧にどうも。貴方のことは、珠美ちゃんからうかがっています。
私は関東管領兼越後守護の上杉輝虎(うえすぎ てるとら)よ。楓と呼んでね」
笑美「しかし、関東管領といえば立場としては私の主君に当たりますので、何分恐れ多く……」
楓「別に良いのよ、肩書だけの話なんだから。貴方のいつも通りのしゃべり方で結構です」
笑美「では、遠慮なく……」
笑美「それにしても、楓さんが早く戻ってきてくれてよかったわ~。
もう少しで箕輪城が陥落しそうになったからな」
楓「あら、そうかしら? 聞いたわよ、緒戦で武田軍に夜襲をしかけ、大勝利だったとか」
笑美「せやけど、さすがは武田晴信というか、上手く兵を纏めて損害を最小限に抑え、
数日後には上州攻略を仕切り直してきよったからな」
珠美「籠城数か月。刀折れ、矢尽き、食料も無く、後は玉砕あるのみかと思っていた矢先に
楓さんが越後に戻ってきてくれたのですからね」
楓「お役に立てたようでうれしいわ」
笑美「というわけで、ご協力いただいたお礼としての金子(きんす)と、関東管領就任祝いとして太刀をどうぞ」
楓「まあ、ありがとう。ありがたくいただいておくわ」
珠美「それにしても楓さん、名前変わっちゃったんですね」
楓「まず、関東管領に就くために山内(やまのうち)上杉家の家督を継いだから、姓も長尾から上杉になったの。
そして幕府に忠誠を誓った褒美として、足利義輝様から一字名前を頂いて、景虎から輝虎に改名したのよ」
珠美「そういうことだったんですか」
笑美「それで、話はかわるねんけど、今後どうやって武田の侵略から上州を守るのか、それを相談したいんや」
楓「確かに、秋から冬にかけて出兵されてしまうと、越後は雪に閉ざされて動けないわね。
その点も追々考えていかないと……」
笑美「やっぱりそんな旨い話はないか」
楓「でも、効果はあるかどうかわからないけど、こんなものがあるわ。宇佐美ン、例の書簡を」
菜々「ですから、ウサミンですって! もういいです……あの書簡ですね、えっと……どうぞ」
楓「ありがとう」
楓「ほら、これよ」
珠美「ふむふむ、これは連判状のように見えますが」
楓「近々、関東管領として相模の北条を討つべく、出兵を考えているの」
笑美「ついに、関八州に覇を唱えるってことやな!」
楓「ええ、今の私は関東管領。関八州に出兵する限り、大義は常に私のもとにある」
珠美「北条も武田も、逆臣ということになるのですね」
楓「それで、周辺の諸侯に檄を飛ばしたのだけど、思いのほか返事があって。
少なく見積もっても、十万の軍が動員できるわ」
笑美「じ、十万! どえらい大軍やな!」
珠美「ですが、それだけの大軍を維持するための兵站はどうするのですか?
北条の本拠地である小田原城といえば、音に聞こえた天下の名城。
十万の大軍をもってしても、攻略に数か月はかかると思うのですが」
楓「別に攻略するつもりはないわ。関東管領として、それだけの大軍を動員したという事実が欲しいのよ。
そうすれば、武田も北条もこちらへの矛先も鈍ろうというもの」
笑美「そうか……長い間名前だけやった関東管領が、ついに関八州に威を轟かせることになるんやな!」
笑美「楓さん!」ガシッ!
楓「な、なに?」
笑美「ほんまに、ほんまにおおきに! これで上州の民が救われる!
ウチも河越夜戦以来、戦い続けたかいがあったってもんや! 神様仏様楓様やで!」
楓「さすがに大げさな気がするけど……」
笑美「小田原攻めには上州からも兵を出す。これからも、上州をよろしゅうお願いします!」
楓「上州の統治には、業正……」
笑美「どうぞ笑美って呼んでください!」
楓「じ、上州の統治には、笑美ちゃんの力が必要よ。
武田はこれで懲りるはずもないのだから、上州の危機が無くなったわけではないわ」
笑美「心得てます!」
珠美「良かったですね、笑美殿」
笑美「いや、珠美はんにも礼を言うわ。珠美はんのおかげで、上州は救われたようなもんやからな」
珠美「そんなことありません。珠美は自身の修行のために剣を振るっただけですから……」
菜々「楓さん、宴の準備ができましたが」
楓「ありがとう……上州からここまで来るのに疲れたでしょう。暫くはここでゆっくりしてね。
いま、宴席に案内するから」
菜々「ではではみなさん、こちらへどうぞ♪」
笑美「越後は米どころやし、魚も美味いんやろな~。上州は山ばっかりで米はなかなか食えんから、楽しみやわ」
珠美「そうですね……」
笑美「どないしたんや、珠美はん。元気ないやんか」
珠美「いえ、別に……」
珠美(もう、潮時でしょうか……居心地が良すぎて、思った以上に長居してしまいましたね)
楓(珠美ちゃん、もしかして……)
~未明~
珠美「え~っと……」ゴソゴソ
珠美「……忘れ物は無し、と。さて、出発しますか!」
珠美(……あれ、次はどこにいけば……)
珠美「しまった、何も考えていませんでした……」
笑美「なんやねん、珠美はん。黙って行くなんて水臭いやんか」
珠美「笑美殿……」
楓「そうですよ。旅立つにしても、一声かけるのが礼儀ではないかしら?」
珠美「楓さんまで」
笑美「確かに珠美はんは流浪の剣士やったけど、この地での修行は終わりってことか?」
珠美「珠美は、自分の剣術はそれなりの境地に達していると驕っていました。
しかし、松井田での千佳ちゃんとの一騎打ちで気づいたのです。珠美は井の中の蛙であったと。
この世には、自分よりも強い者がまだまだいると」
楓「なぜ珠美ちゃんは、そこまで剣を極めようとしているの?」
珠美「わかりません。これは夢想かもしれませんが、剣を極めた先に何かある。そう考えているのです。
剣術の究竟に何があるのか、この目で確かめたい。珠美は、これ以外の生き方を知りませんから」
笑美「そこまで決意が固いなら、無理に止めることもあらへんな」
楓「そうね。私たちも、このまま見送りましょう」
珠美「忝い……笑美殿、楓殿、短い間でしたがお世話になりました」
楓「では、珠美ちゃんの修行がよき旅となるように、祈りをささげましょう」
珠美(おっ、毘沙門天の真言かな?)
笑美(祈りって何やろ?)
楓「次の冒険も、良い風が吹きますように……旅の神、ク○ンの追い風を!」
珠美&笑美「それは違うでしょう(やろ)!」
楓「ふふっ、冗談よ……『唵 吠尸羅 摩拏耶 娑婆詞』……
上泉伊勢守信綱殿に、毘沙門天の御加護がありますように……」
笑美「じゃあ、気ぃつけてな!」
珠美「二人とも、またお会いした時にはよろしくお願いします……では、行ってきます!」
笑美&楓「「行ってらっしゃい!!」」
珠美(さて、次はどこに行きましょうか……)
キラッ
珠美(おや、いま星が瞬いた……)
珠美「何の星かはわかりませんが、それもまた一興です。次の旅は、あの星の方角へ行ってみましょうか!」
おわり
・長野業正(業政)は、戦国時代の上州箕輪城の城主。
武田軍の上州侵攻の際には、上州の国人や地侍達の盟主となり、武田軍を五度(或いは六度)退けたとされています。
その名将ぶりから後世に「上州の黄斑」と呼ばれました(黄斑=虎)。
・業正は死去の間際、息子の業盛に以下のような激烈な遺言を残しています。
『墓は簡素に、法要は無用、敵の首を墓前に捧げろ、敵に降伏するな、武運が尽きたら討ち死にしろ、それが供養である』
・業正の死から五年後、業盛は遺言に従い箕輪城の陥落と共に自害しました。
その際、業盛は次のような辞世の句を残しています。
『春風に 梅も桜も 散り果てて 名のみぞ残る 箕輪の山里』
・上泉信綱は長野業正、業盛の二代に仕えた武将。
長野氏滅亡後は武田信玄の誘いを断り、弟子たちと共に各地で剣術指南を行ったとされています。
・江戸時代に入ってから剣道が普及し始めると、最も普及していた新陰流がもてはやされ、新陰流の開祖である信綱は神聖視されるようになりました。
そのため今日、上泉信綱は「剣聖」と呼ばれています。
・しかし「上泉信綱」と名乗ったり、別の資料には「大胡秀綱」と記述されていたり、また「伊勢守」であったり「武蔵守」だったり……
挙句の果てには、誰に剣術を習ったのかも諸説あり(愛洲親子とか塚原卜伝も?)、今一つ正体のつかめない人物ではあります。
時期によって名前がかわり、それだけ多くの人に師事したということでしょうか。
以下は作者の過去作です。
日本の歴史・古典ものですが、興味のある方はどうぞ。
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