モバマス・戦国公演 ~豪商茶人伝~ (143)

・このSSは、戦国時代を舞台にした作品です。

・史実とは異なる点があります。ご注意ください。

・配役は「戦国公演」をベースにしていますが、作者の勝手な配役も含まれます。

SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1439122638


~堺 今井屋~


「おっす! やってる?」

槙原志保「いらっしゃいませ!」

「今日もすごいお客さんだな。志保ちゃん、この店いつ来ても繁盛してるね!」

志保「いえいえ、そんなことないですよ。それで、今日は何にします?」

「いつものを頼むよ」

志保「はい! いつものお茶とお団子二本ですね。かしこまりました!」

「お~い! お茶のおかわりちょうだい!」

志保「は~い! いま、いま持ってきますね!」

「こっちはみたらし団子ね!」

志保「はいは~い!」

「三色団子おねがーい!」

志保「いまお持ちしますよ~」

女中「きゃあ!」ガシャン

志保「どうしました!?」

女中「申し訳ありません志保様。お皿を割ってしまって」

志保「怪我はないですか?」

女中「大丈夫です」

「お~い! お団子の注文通ってる~?」

志保「申し訳ございません、少しお待ちくださ~い!」

志保「じゃあ、お皿は気を付けて片づけてくださいね」

女中「はい……」


~その夜~


志保「ふう……今日も疲れちゃったなぁ。
   お店が繁盛するのは良いことだけど、ちょっとお客さんの数が多すぎるよ」

志保「いっそのこと、もっと人を雇おうかな? でも、それだともっと売上を伸ばさなきゃならないし……」

志保(こういう時、お義父さんならどうするんだろう……)


~数年前~


武野紹鷗「ごほっ、ごほっ」

志保「お義父さん、大丈夫ですか?」

紹鷗「そろそろ私も、土の中に入ることになりそうだな」

志保「そんなこと言わないでください。お義父さんの病気は、きっと良くなります!」

紹鷗「いいや、志保よ。私は自分の寿命がよくわかる。もう、そんなに長くはないはずだ」

志保「……」

紹鷗「いままで好き勝手に生きてきたし、特に後悔はないが」

志保「そんな……お義父さんには、もっと教えてほしいことがたくさんあって……」

紹鷗「お前には、私の全てを伝えたはずだ。今更教えることなんてない。
   そうだ、蔵の中にあるものはすべてお前に譲ろう。あれらは、すべて私が道楽で集めたものだ。
   きっと役に立つ時がくるだろう」

志保「蔵に収められているものって、貴重なものばかりですよね。私なんかにもったいないです」

紹鷗「いいや、お前ならばあれらを上手く使いこなせるはずだ。
   特に、一番奥の棚に朱で印が施された桐の箱が二つある。あれはここぞという時に使いなさい」

志保「朱の桐の箱ですね。わかりました」

紹鷗「ああ……言いたいことはすべて言えたし、これでもう安心だ」

志保「お義父さん……」

紹鷗「そんな寂しそうな顔をするな。お前は将来必ず大成する。
   お前の活躍を、極楽から見守っているよ」

志保「そんなこと……言わないでください……」

紹鷗「……」

志保「お義父さん……お義父さん!」


~回想終了~


~翌朝~


志保(うん、現状を打破するためには、世間のいろんなものを見て回らなきゃだめだよね
   ……よし! 今日はじっくり町を見て回ろう!)

テクテク

志保「それにしても、物騒な世の中なのに堺には人が多いなぁ~」

志保「……あれ? あんなところに茶店なんてあったっけ?」



『津田屋』


志保「むぅ~! いつの間にか商売敵ができてる! よ~し、敵情視察と行きますか!」

志保「……ん? この張り紙は何だろう?」


『紅茶はじめました』


志保「“べに茶”って何かな? ちょっと覗いてみようっと……」


ガラガラ

志保「すみませ~ん!」

相原雪乃「いらっしゃいませ」

志保「あの、表の張り紙に書いてあった、べに茶っていうのをください」

雪乃「ごめんなさい。あれは、“こうちゃ”と読むのですわ」

志保「あっ、そうだったんですか……」

志保(うう……恥ずかしぃ……)

雪乃「まあ、あまりこの国では出回っていないものですから、よろしければお試しください」

志保「では改めまして、紅茶を一杯お願いします」

雪乃「何にされますか? アッサム、ダージリン、などもございますが」

志保「えっと……よくわからないので、おすすめで」

雪乃「かしこまりました。すぐにご用意しますわ」

志保(さて、紅茶ってどんなお茶なのかなぁ。名前から察するに、紅色のお茶なんだよね。楽しみ♪)

志保(それにしても……)


ガラーン


志保(この店、あまり流行ってないみたいだなぁ。お客さん、私以外にいないし)

雪乃「お待たせしました。こちら、アッサムになります」

志保「わぁ! 本当に紅色のお茶だ!」

雪乃「まずは香りをお楽しみください」

志保「くんくん……なんだか、普段飲んでいるお茶よりも香りが強いですね。
   いままで嗅いだことのない香りというか……」

志保「それじゃあ、いただきま~す♪」

雪乃「あ、待って……」

志保「……」ズズズ

志保「あれ? あんまり味しない。白湯と変わらないような……」

雪乃「紅茶に何も入れずに飲むのは、初心者の方にはおすすめできません。砂糖をどうぞ」

志保「さ、砂糖って、超高級品じゃないですか!」

雪乃「ええ。紅茶の茶葉も砂糖も、全て絹の道(シルクロード)を通ってこの国に輸入したものですわ」

志保(まさか、お客さんが全然入ってないのは、この高級品のせいかな?)

雪乃「好みによりますが、砂糖は匙一掬いほど入れてみてはいかがでしょうか?」

志保「あ、はい……」

志保(頼んでしまったものはしょうがないや。ええい!)

志保「……」ズズズ

雪乃「いかがですか?」

志保「……とっても美味しいです!」

雪乃「それは良かった♪」

志保「それにしても、西域の人たちってこんなお茶を飲んでいるんですね。
   私たちが普段飲んでいるお茶とは、茶葉が違うようですけど」

雪乃「いいえ。この国のお茶も、紅茶も、元になる茶葉はすべて同じものですわ。
   製造過程が違うだけのことです。干したり、発酵させたり……」

志保「そうなんですか。お茶一つとっても、奥が深いな……」

雪乃「お客様は……いえ、槙原志保さんは、かの武野紹鷗様の一番弟子なのでしょう?
   茶道にかんしては、私より深い造詣をお持ちのはず」

志保「え、どうして私の名前を……それに、義父のことをご存じなんですか?」

雪乃「私はこれでも、商人の端くれですもの。それくらいのことを知らなくてどうしますか」

志保「かなわないなぁ……」

雪乃「まあ商人といっても、ご覧の通り、店は閑古鳥が鳴いていますが」

志保「紅茶にしろ砂糖にしろ、南蛮からはるばるこの国に輸入されてきたものですから、察するにお値段の方もなかなか……
   領収書を見せてもらってもいいですか?」

雪乃「どうぞ」ペラッ

志保(やっぱり、桁が違う……)

志保「あの、ごめんなさい。持ち合わせがなくて……」

雪乃「そうですよね。いくら貴重とはいえ、これだけ高価なものなんて誰も飲んでくれませんよね……」

志保「あの、本当にごめんさない……店に帰って、お金を取ってきますから」

志保(まずいな……経費で落とせる額じゃない。どうしよう)

雪乃「そうですわ! お困りなら、取引をいたしませんか?」

志保「取引?」

雪乃「私たちは商人です。ならば、普通のお金のやり取りなんて、味気ないではありませんか」

志保「はぁ……では、どういう取引をお望みですか。えっと……」

雪乃「申し遅れました。雪乃とお呼びください」

志保「雪乃さん、私とどういう取引をしようと?」

雪乃「紅茶の代金はいただきません。私から、一つ儲け話をお教えします」

志保「お伺いします」

雪乃「こんな話をご存じでしょうか。最近、尾張では下剋上があったようですわ。
   主君である斯波家を倒し、織田家が尾張を牛耳っているとか」

志保「織田、ですか。聞いたことないですね」

雪乃「先代の織田信秀は、大層な傑物だったそうですが、跡を継いだ織田信長は、
   近年稀に見るうつけ者だともっぱらの噂です」

志保「うつけ者の織田信長とやらが、商売の種になるんですか?」

雪乃「私が調べた限り、どうも信長は、うつけ者のふりをしているようにしか見えません。
   その証拠に、“鬼五郎左”と呼ばれる丹羽長秀。
   それに、“鬼柴田”の異名を持つ柴田勝家が、配下に加わっていますわ」

雪乃「丹羽にせよ柴田にせよ、昔は織田家に敵対していた者たちです。
   彼らを家来として召し抱える器量を見ると、決して凡庸ではないと思います。
   むしろ、端倪すべからざる人物と言えるでしょう」

志保「もしかしたら、いまは小さな信長が、将来飛躍するかもしれないってことですか?」

雪乃「おっしゃる通りです。乱世では、何が起こるかわかりませんから」

志保「でも尾張の近くには、今川が治める駿河がありますよ。国力差は少なく見積もっても七倍。
   とても、信長が太刀打ちできるとは思えません」

雪乃「普通ならそう考えるでしょう。ですが、尋常では無い者は、尋常な規矩では測れないものですわ。
   それに、いまのうちに信長を支援しておけば、良い取引先になると思うのですが」

志保「たしかに、他の者では考え付かないような、大きな商機です。
   でも、どうして雪乃さんがその商機を掴もうとされないのですか?」

雪乃「私がこう言っては何ですが、いくら乱世とはいえ、弱小の織田家が成り上がれるとは思いません。
   いくら信長でもそこまでは……というのが、正直な感想ですわね」

志「あれ? でも私がその賭けに成功したとしても、雪乃さんには何も利益が無いんじゃ……」

雪乃「そのときは、志保さんの方から信長へ、海外貿易の必要性を説いていただけませんか。
   欲を言うならば、南蛮貿易のご用命は津田屋におまかせあれ……という展開になれば万々歳なのですが」

志保「なるほど。成功すれば、雪乃さんも儲かる。私が失敗しても、雪乃さんは紅茶一杯の売上を失うだけ。
   ということですか?」

雪乃「よくぞ読まれました。でも、こんな途方もない話、乗っていただけるなんて思っていませんが」

志保(そうか! これが商機なんだ! この波に乗らない手は無いよね!)

志保「その話、乗ります!」

雪乃「……え?」

志保「私、前から思ってたんです。いまの茶店を維持するだけでも、それなりの生活はできる。
   でも、私の人生はその程度でいいのかって」

雪乃「志保さん……」

志保「室町幕府が認めた茶人、武野紹鷗の後継者たる私が、小成に甘んじてちゃダメなんです。
   今日雪乃さんと出会ったことが、私にとっての商機なんですよ」

雪乃「志保さんの熱意に、感服いたしましたわ。
   この相原雪乃も、志保さんが志を遂げられることをお祈りしております」

志保「よし、そうと決まれば算段をつけなきゃ♪ 紅茶、ごちそうさまでした!」

雪乃「うふふ。またお越しください」

志保「次は、ちゃんと紅茶の代金を支払えるようにしておきます!」


~今井屋~


志保「運転資金はこれまでの貯金があるし、不足分は不要品や不動産を売却すれば良いかな……」

志保「あ、すっかり忘れてた! 信長さんに会おうにも、つてが無いや。どうしよう……」



紹鷗『いいや、お前ならばあれらを上手く使いこなせるはずだ。
   特に、一番奥の棚に朱で印が施された桐の箱が二つある。あれはここぞという時に使いなさい』



志保「そうだ! お義父さんが言ってたあれって、今こそ使うべきものなんじゃないかな?」

志保「えっと、たしか朱の印がついた桐の箱だったよね……え~っと、どこかな……」ガサゴソ


ドサドサッ


志保「けほっ、けほっ……うう、蔵の中もちゃんと掃除しなきゃだめだよね。お義父さんに怒られちゃうよ……
   ん? もしかして……」

志保「あ、あった! これだね、たぶん。開けてみよっと」


パカッ


志保「こ、これは……!」

志保「よいしょっと……」

番頭「あ、志保様。どこかへお出かけですか?」

志保「私、ちょっと旅に出ることにしました」

番頭「へっ? 旅、ですか?」

志保「すぐに帰ってきますから、留守をよろしくお願いします」

番頭「ずいぶん急な話ですね」

志保「ごめんなさい。でも、これは千載一遇の商機なんです。うまくいけば、この店をもっと大きくできるかもしれません」

番頭「そんなに旨い話があるんですか?」

志保「実は……」


カクカク シカジカ

志保「……というわけなんです」

番頭「なるほど。そこまでのお覚悟をお持ちなら、私から何も言うことはありません。
   何せ志保様は、紹鷗様をして商才は呂不韋に匹敵するとまで言わしめたほどのお方ですから」

志保「あ、あれは大げさですよ」

番頭「何にせよ、留守はおまかせください。お気をつけて」

志保「はい、行ってきます♪」



※呂不韋(りょふい)

 ・中国戦国時代の秦の政治家。
  衛の商人だったが荘襄王の即位に尽力し、秦の宰相として権勢を振るった。
  「奇貨居くべし」、「一字千金」の故事が有名。
  「呂氏春秋」の編纂者でもある。


~尾張 織田軍本営~


織田信長(矢口美羽)「うぅ……緊張するなぁ……」

丹羽長秀(藤原肇)「お館様。不安はわかりますが、兵の前では堂々としてください」

柴田勝家(桃井あずき)「大丈夫だって、美羽ちゃん。作戦通りにやれば」

兵「お館様!」

美羽「どうしました?」

兵「堺の槙原志保なる商人が、お館様にお目通りしたいとのことです。いかがしましょう?」

美羽「槙原志保? お二人はご存知ですか?」

あずき「さあ? 聞いたことないよ」

肇「私も存じません。しかし、堺の商人というのが気になりますね」

美羽「わざわざ堺からここまで来てくれたんですから、お話だけでも聞いてみようかな」

肇「それがよろしいでしょう」

美羽「じゃ、その人を呼んでください」

兵「かしこまりました」

志保「お初にお目にかかります。私は、堺にて今井屋という茶店を商っている、槙原志保と申します。
   どうかお見知りおきを」

美羽「それで、堺から茶店の主人さんが私に何の用事ですか?」

志保「信長様は、武器や軍糧の調達はどのようにされておりますか?」

肇「それは軍事機密です。部外者にお話しすることではありません」

あずき「まあまあ、最後まで聞いてみようよ」

肇「は、はい……」

美羽「えっと、志保さんはそんなことを聞いてどうするんですか?」

志保「もし信長様がよろしければ、軍需物資の調達を全て私に任せていただけませんか?」

美羽「どうして、私と取引を? 私よりお金を持っている人なんて、天下にたくさんいるじゃないですか」

志保「失礼ながら、尾張の織田信長という人物は、大層なうつけ者だという噂を耳にしました。
   しかし、信長様は世間で言われているうつけ者だとは思いません」

志保「その証拠に、武名名高き柴田様、丹羽様のお二人は敵対していたはずの信長様へ仕えておられます。
   人を統べる器。天下人の器と言わずして何と言いましょう」

美羽「私をそんなに評価してくれるのは、嬉しいんですけど……でも……」

志保「おっと、忘れていました。信長様への手土産を持参しております。どうか、ご笑納ください」

ゴトッ

美羽「あ、ありがとうございます。なんだろう?」


パカッ


美羽「あっ、これは!」

あずき「えぇ~! もしかして………」

肇「ど、どうしてこれを?」

志保「こちらの茶壺は、“松島肩衝(まつしまかたつき)”。
   そしてこちらの茶入れは、“紹鷗茄子(じょうおうなす)”でございます」

肇「堺には、武野紹鷗殿の秘宝の全てを相続した者がいるとの噂を聞いたことがありますが、まさか志保さんがそうなのですか?」

志保「これはとんだお耳汚しでした。私は、亡き義父には遠く及ばない未熟者ですが」

あずき「ねえ肇ちゃん、鑑定してみたら? 志保さんには悪いけど、本物だと信じられないなぁ」

肇「では不肖ながら、この丹羽長秀が真贋を見極めさせていただきます」

肇「……」ジーッ

あずき「ワクワク」

美羽「ドキドキ」

志保(織田家には茶器の目利きがいたんだ。本物には違いないし、かえって好都合だね)

肇「この肩衝、釉薬の具合や佇まいがなんとも言えません。
  人の手で造られたものでありながら自然の不確かさが表現されており、その危うい均衡の上にこの形に仕上がっています。
  まさに匠の業。おそらく本物ですね」

肇「そしてこちらの茶入れ。器の底に“みをつくし(澪標)”と刻まれていますね。
  その横に武野紹鷗殿の花押もあります。こちらも本物に間違いありません」

肇「また、二品とも桐の箱がそろっていますし、箱にもやはり紹鷗殿の花押があります。
  やはり天下の名品は、他の器と比べて存在感や風格が違います。
  良い仕事してますねぇ~」

あずき「肇ちゃんの『いい仕事してますねぇ~』いただきました!」

美羽「うわぁ、本物だったんだ……でも、欲しいのはやまやまなんですけど、織田家にはそんなお金ありません……」

志保「差し上げます、とさっき言いましたよ」

美羽「ほ、本当に良いのですか……?」

志保「お近づきの印です。それにこの品々は、堺の一商人たる私には勿体無いものです。
   天下の名器は、天下人の掌(たなごころ)に収まるべきだと思うのですが、いかに?」

あずき「どうするの、美羽ちゃん。志保さん本気みたいだよ?」

肇「ここまで言われたら、断れませんよ……」

志保「……」ジーッ

美羽(ただでくれるなら欲しい! でも……)

志保「……」ジーッ

美羽(もしここで、『わぁ~い! ありがと~♪』って馬鹿正直に貰っちゃったら、
   その程度の器量の人間だと思われてしまう……ならば!)

美羽「う、うむ! ま、槙原志保とやら、おぬしの気持ちはよくわかった。
   し、しかし、これらの名品をただでもらうわけにはいかぬ。こ、この信長が、か、買い取ろうではないか!」

あずき(うわぁ~、美羽ちゃん見栄張っちゃって)

肇(買えませんって)

志保「しかし、これらはお近づきの印ですから」

美羽(やっぱりこの人、手ごわい! いや、ここで負けてはダメ!)

美羽「で、では、こうしようではないか。おぬしの気持ちとして、松島肩衝はありがたく貰い受けよう。
   そのかわり、紹鷗茄子は一千貫で買い取ろう!」

あずき&肇(い、一千貫!?)

志保「まあ、その方がこちらとしてはありがたいのですが……本当に大丈夫ですか?」

美羽「だ、大丈夫大丈夫……あはは……」ダラダラ

あずき(あ~あ、決めちゃった)

肇(織田家の台所が……)

志保(やっぱり、この人を選んでよかった! この器の大きさはどうだろう? まさに天下人の器だね♪)

志保「では、今後とも今井屋をご贔屓に」

美羽「え、ええ。こちらこそよろしくお願いします」

志保「……ところで、この戦陣はいったい何ですか? これからどこかへ出陣されるおつもりですか?」

肇「私たちはこれから、駿河の今川に決戦を挑むのですよ」

あずき「この一戦に、織田家の未来がかかってるからね」

志保「彼我の戦力差は、いかに?」

美羽「織田軍が三千。今川軍が二万ってところですかね」

志保「そんなに兵力差があるのに、戦を仕掛けられるのですか?」

肇「喧嘩を売ってきたのは向うですから、仕方ありません」

あずき「大丈夫だよ。あずきが考えた、ズバリ“奇襲大作戦”があるから!」

志保(作戦名でチョンバレしてる……)

志保「ま、まあ、何にせよ、ご武運をお祈りしております」

美羽「が、頑張ります……」

志保「では、私は堺に戻ります」

美羽「今日は、本当にありがとうございました! また今度……」

志保「失礼します」

志保(雪乃さんが話してた通り、今川と本当に対決するんだ……もう決めてしまったこととはいえ、胃が痛い……)

肇「それにしても責任重大ですね。私たちの命だけではなく、堺の商人の人生まで肩に乗ってるんですから」

あずき「肇ちゃん、そんなに重圧かけちゃだめだよ!」

肇「え?」

美羽「あわわ……いま考えたら、とんでもない決断をしちゃったんでしょうか……」ガクガク

肇「ご安心ください、お館様。どんなときでも、私たちは最期までお供します」

あずき「も~! あずきの大作戦なら、絶対大丈夫だって言ってるのに~」

美羽「そ、そうですよね! 三人で力を合わせれば、なんとかなりますよね!」

あずき「あ! そうこうしてる間に、出撃準備は整ったみたいだよ」

肇「さあ、お館様。お下知を」

美羽「え、えっと……肇さんに作ってもらったカンペはどこに置いたっけ……」

あずき「ここに置いてあるよ。ほら、しっかり!」

肇「兵の前では堂々と、ですよ」

美羽「すみません……コホン」

美羽「皆の者、よく聞け! わが軍三千に対し、敵軍は二万。それも、敵軍の総大将は、“海道一の弓取り”と呼ばれる名将今川義元だ。
   まるで子供が大人に挑むようなもの。しかし……」

美羽「我が軍には、柴田勝家、丹羽長秀、前田利家、森可成など、万夫不当の猛者達が綺羅星の如く揃っている!
   驕兵を戒めることを知らぬ今川軍など、敵ではない!」

美羽「たとえ敗北したとしても、失うのはたかが我らの命ぐらいだ!
   戦場で散るは武人の本懐である! 命を惜しむな! 名を惜しめ!」

諸将「そうだそうだ! お館様のおっしゃる通りだ!」

諸将「今川の奴らに、目にもの見せてやろうぜ!」

美羽「全軍、その気焔を桶狭間へ向けて放つべし! 出陣!!」


~桶狭間~


今川兵A「ああ、だるいな~。斥候なんてよ」

今川兵B「そうぼやくなよ。サボったら怒られるぞ」

今川兵A「でもよ、織田軍はたったの三千っていうじゃねえか。適当に戦っても勝てるさ」

今川兵B「勝てるなら、功名を立てる好機じゃねえか。兜首の一つでもあげて、出世したいもんだぜ」

農民「あの~」

今川兵A「おい、なんだ貴様!」

農民「すごい大軍ですね。これからどこに向かわれるんですか?」

今川兵B「いまから、織田信長っていうやつを討伐しに行くのさ」

農民「ひえっ! まさか、このあたりが戦場になるって言うんですか!?」

今川兵A「そういうことだ。巻き込まれたくなかったら、行った行った」

農民「はい、そうさせていただきます……」


ズシャッ


今川兵A「ごほっ」

今川兵B「こ、これは……鎧通し! 貴様、何をする!」


ザクッ


今川兵B「ぐはっ」

肇「さあ、これで敵の斥候は排除しました。ここから敵の本陣まで、遮るものは何もありません。
  荷車に隠していた具足に着替えましょう」

あずき「やった! あずきの作戦大成功~♪」

美羽「あえて正面から攻撃し、敵の意表を衝く……敵の裏を掻く見事な作戦ですね!
   敵が陣を固める前に、戦を決めてしまいましょう!」


~今川軍 本陣~


今川義元(的場梨沙)「ん? なんだか騒がしいわね」

部将「そうでしょうか? 雨が降ってますし、風も出てきてるようですから」

梨沙「そっか……それなら良いんだけど」

兵「義元様! 大変です、敵の奇襲です!」

梨沙「何ですって!? 敵はどこから?」

兵「真正面から突撃してきました!」

梨沙「そんな! ちゃんと斥候も出していたのに」

兵「敵軍の旗印は、“五つ木瓜”。織田信長ですぞ!」


「うわぁ~! “二つ雁金”と“直違”の旗だ! 鬼柴田と鬼五郎左が来るぞ!」


梨沙「もう! 前衛は何をしてるのよ! 槍隊は前に出て槍衾を! 弓隊はその直後を占位!
   騎馬武者は歩兵の両脇に展開し、味方の援護を!」

梨沙「それから、正面からの攻撃はおそらく陽動よ! 側面から奇襲を仕掛けてくるはず。
   正面はアタシの旗本だけで受けるから、その他の兵力は側面に展開しなさい!
   輜重隊は後軍と合流すること。それが不可能なら、輜重を横倒しにしてその場で全周防御!」

部将「義元様! 敵が!」


ドスッ


部将「無念……」

服部一忠「雑魚の首などいらぬ! 我こそは、織田家の家臣服部一忠である! 今川義元殿とお見受けした! 御首頂戴いたす!」

梨沙「前衛を突破してきたのね……
   いいわ! この宗三左文字(そうざさもんじ)の錆にしてあげる!」

一忠「うおおお!」


ガキン!

梨沙「ふん、なかなかやるじゃない……これならどう?」


ザクッ


一忠「ぐおっ」

一忠(しまった。膝を斬られてしまった!)

梨沙「服部とやら、この今川義元に挑むなんて百年早かったわね! これで終わりよ!」

毛利良勝「させんぞ!」


ガキン!


梨沙「もう! なんなのよ! 雑魚が次からつぎへと!」

良勝「一忠殿、ご無事ですか?」

一忠「忝い、良勝殿。しかし、立つことができぬ」

梨沙「ええい! 撫で斬りにしてやるわ!」


ザクッ


良勝「ちぃ!」

梨沙(よし! やつの親指を斬りおとしてやったわ!)

良勝「なんのこれしき! やあっ!」

梨沙「きゃあ!」


ドスッ


梨沙「そ……そんな……このアタシが……こんなところで……」ドサッ

良勝「はあはあ……今川義元、この毛利良勝が討ち取った!」


ガキン ズバッ ドシャッ


美羽「はあはあ……斬っても斬っても、敵の数が減らない……」

肇「お館様、ここが正念場です。先ほど、わが軍の何名かが敵の前衛を突破していきました。
  彼らに賭けましょう!」

あずき「見て、二人とも! 敵が崩れていくよ!」

美羽「もしかして……」

良勝「お、お館様……」

肇「毛利殿、それに服部殿。その怪我は?」

一忠「ははは! 義元めに一番槍をつけたのは私ですが、この通り膝を斬られてしまい立つこともできませぬ。
   まあ、良勝殿に助けられ、ここまで支えてもらいましたが」

良勝「私は親指を失いましたが、指の一本や二本どうということはありません……
   それより、これをご覧ください」

あずき「あ! その刀は!」

良勝「はい。今川義元秘蔵の刀、宗三左文字でござる。義元の首級もこちらに」

美羽「ということは、私たち勝ったんですね! お二人とも、おつかれさまでした!」

肇「やりましたね!」

あずき「よかった~♪ やっぱりあずきの作戦は完璧だったね!」

一忠「さあさあお館様、勝鬨を」

美羽「はい!……よ~し」

美羽「えい! えい!」

織田軍「「「おー!!!」」」

美羽「えい! えい!」

織田軍「「「おー!!!」」」

織田軍「「「ワアアアア!!!」」」


~堺 今井屋~


志保「……えっと、これで全部かな?」

番頭「はい。三度確認しましたが、帳簿通りです」

番頭「それにしても、旅から帰ってくるなり武器や食料や薬を買い占めてしまうなんて、何事かと思いましたよ」

志保「信長様から一千貫もいただきましたからね。これを、少なくとも倍にしなくてはなりません」

番頭「でも今川軍との戦いがどうなったか、まだわからないんですよね。
   こんなに性急に買い占めなくてもよかったんじゃ……」

志保「いいえ、ぐずぐずしてたら他の人たちに先を越されてしまいます。先ずれば制すと言うじゃないですか」

番頭「それもそうですが……」

丁稚「志保様! 志保様!」

志保「おや、そんなに慌ててどうしたんですか?」

丁稚「いま町で聞いたのですが、織田信長が桶狭間で今川軍に大勝したそうですよ!」

番頭「ってことは……」

志保「今、織田軍は軍需物資が不足しているということです。
   さあ、船頭や馬借をできるだけかき集めてください! これらの品々を、尾張へ運びます!」

番頭「はい! すぐに手配いたします!」

志保(お義父さん、見ていますか? 志保は第一歩を踏み出しました。
   いつか堺一の、いや日ノ本一の商人になってみせます!)


~尾張 清州城~


従者「お館様、槙原様がお越しですが」

美羽「志保さんが来てくれたの? 早く通してください!」

従者「かしこまりました」

志保「お久しぶりです。信長様」

美羽「この前はありがとうございました♪ 桶狭間の戦のあと、物資の貯蓄が底をついてしまったんで、
   志保さんが軍需品を送ってくれなかったら、ここまで領地を広げることはできなかったと思います」

志保「それは何よりです」

美羽「それで、今日は何の用事ですか?」

志保「今日は、信長様にお願いがございまして」

美羽「お願い?」

志保「そろそろ、堺の会合衆に入ろうと思うんです。信長様に軍需品をお買い上げ頂いたので、店も大きくなりましたし」

美羽「つまり、志保さんは堺でも有数の商人になったってことですか?」

志保「お恥ずかしながら。ですから、いつまでも槙原志保という俗名で通すのはいかがなものかと思いまして、
   ぜひ信長様に号名をお考えいただけないかと。厚かましいお願いだと思いますが、なにとぞ」

美羽「う~ん、号名か……私、皆さんにいつもセンスがないって言われてるんで、そういうのはちょっと……」

志保「そうですか……」

?「話は聞かせてもらったわ!」

志保「誰ですか?」

美羽「あ! 利休さん!」

千利休(高橋礼子)「初めまして。貴方が槙原志保さんかしら?」

志保「あの、利休さんっていえば、あの茶人の千利休さんですか?」

礼子「いかにも。私があなたにピッタリな名前を考えてあげる」

美羽「礼子さんは大人だから、きっと良い名を考えてくれるはずです!」

礼子(大人だからって、関係無いと思うけど……)

志保「高名な千利休様に号を名付けてもらえるなんて、光栄です!」

礼子「ふふふ。さあ、どうしようかしら……そうね、貴方のお店の屋号は何て言うの?」

志保「今井屋です」

礼子「今井か……ふむふむ……」

志保「わくわく……どきどき……」

礼子「閃いたわ! 姓は今井。名は、宗易(そうえき)から一字を取って“宗久”……どうかしら?」

美羽「今井宗久(いまい そうきゅう)か……格好良い名前じゃないですか!」

志保「宗易って、利休様の号名ですよね? それから一字を頂くなんて、感激です!」

美羽「千宗易に、今井宗久か。織田家の茶道二枚看板って感じですよね♪」

志保(あれ? いつの間にか織田家に引き入れられてる……? まあいっか!)

志保「私は、茶道の方は少し……」

礼子「あら、そうなの?」

志保「ほんの手遊びみたいなものです」

礼子「そう。なら、私が手ほどきしてあげましょうか?」

志保「良いんですか!?」

美羽「ちょうど茶室も空いてますし、お二人で楽しんできてください」

志保「あれ? 信長様は?」

美羽「私は、正座とか苦手なので……あ、それから私のことは美羽と呼んでください。
   いつまでも敬語じゃ堅苦しいじゃないですか」

礼子「そうね。私のことも、礼子と呼びなさい」

志保「わかりました! これから、よろしくお願いします!」


~茶室~


志保「ぐぐぐ……うぇ、入りにくい……」

志保「あの、どうしてこの茶室って、入口がこんなに狭いんですか?」

礼子「躙口(にじりぐち)って言うの。刀を佩いたまま茶室に入らせないためよ」

志保「なるほど……入る前からこの工夫。さすがだなぁ」

志保「やっとはいれた。はぁ……これが、礼子さんが考案したとされる茶室ですか」

礼子「まあ、原型を考えたのは紹鷗師だけど」

志保「あれ? 礼子さんって、義父と知り合いなんですか?」

礼子「言わなかったかしら? ああ、忘れてたわ」

志保「じゃあ、礼子さんは兄弟子ってことになりますね」

礼子「そうなるわね」

志保「こんなところで義父の知人と出会えるなんて、奇遇です」

礼子「これも運命、なんてね」

志保「はあ……」

礼子「いま茶を点てるから、すこし待っててね」

志保(それにしても……)キョロキョロ

志保(たった二畳分の広さしかないのか。この狭さであれば、かならず主人と客が膝を詰来合せて座らなければならない。
   刀も持ち込めないし、茶室の周囲も開けていて容易には近づけない。密談にはぴったりかも……)

礼子「さあ、どうぞ」

志保「いただきます」

志保(え~っと、お茶碗は二回まわすんだっけ? まあいいか)

志保「ズズズ」

志保(はぁ……なんて奥深いあじわいなんだろう! 喉の奥までつるりと入ってきて、濃厚な風味がある。
   それなのに、後味爽やか……)

礼子「どうかしら?」

志保「結構なお点前です。それにしても、これは宇治の銘茶ですね。
   なんとも奥深い味わいで、私のような田舎者には勿体無いです」

礼子「それがわかるということは、貴方は田舎者ではないわ」

志保「でも、どうしてこの茶室はこんなに狭いんですか?」

礼子「主人と客が、腹蔵なく話ができるようにするためよ」

志保「通りで、礼子さんの茶道が流行るわけですよ」

礼子「どういうことかしら?」

志保「武器を持ち込むことができない。顔を突き合わせて話ができる。周囲に他人を寄せ付けない……
   密談にお誂えじゃないですか」

礼子(この子……)

志保「槍働きで天下を云々できる時代はもう終わりました。
   これからは、槍ではなく知恵を働かせる時代になっていくのだと思います。
   この茶室こそは、乱世でのし上がるための大きな武器になるのではありませんか?」

礼子「ふふふ……あーっはっはっは! さすがは紹鷗師の後継者というだけあるわね。
   この短時間でそこまで見抜いてしまうとは」

志保「えっと、それって褒められているんでしょうか……」

礼子「ねえ志保ちゃん。かつて武力で天下を統一した者や、知恵で天下を治めた者はたくさんいる。
   でもね、茶で乱世に名乗りを上げた者はいるかしら?」

志保「前代未聞ですね」

礼子「私はそういう者になりたいのよ。私の名が、茶道の利休として後世に残ることが、私の望みよ」

志保「茶道で天下を……面白い話です。ですが、私も負けませんよ礼子さん」

礼子「あら?」

志保「私は、金で天下を動かしてみたいと思います。この世に、金で買えないものはほとんどありません。
   やりようによっては、天下も買えるのではありませんか?」

礼子「ふふふ、紹鷗師も面白い娘を後継者に選んだものね。金で天下を買うか……」

礼子「貴方がこの先どう生きるのか、この利休が見届けてあげましょう」

志保「商売相手として美羽ちゃんを選んだのは、間違ってないと思います。
   いつか相見えましょう、礼子さん」


~数年後 堺~


長老「え~、本日皆に集まってもらったのは他でもない。尾張の信長のことじゃ」

一同「……」

長老「信長はすでに朝倉、浅井を滅ぼし西へ西へとその勢力を拡大しておる。信長の狙いは京であろうな」

長老「そして、抜け目のない奴のことじゃ。かならず堺を掌中に収めようとしてくるだろう」

商人「本当に、信長がこの堺に?」

長老「いかにも。堺は畿内有数の経済都市じゃ。
   信長のいままでの戦略と内政を見るに、この堺も掌中に収めようとするだろう」

商人「この堺は、いままでわれら会合衆の自治のもとやってきたではありませんか。
   信長も、無理強いをするようなことは……」

長老「甘いのぅ。信長は極度の現実主義者であり、合理主義者じゃ。
   膝下(しっか)に下る者は受け入れるが、一度でも逆らった者には容赦しない。
   そういうことを踏まえて、本題に入ろうか」

長老「堺は、信長に与するか否か。ぬしらの所見をききたい」

商人「われら堺には、三好家という強力な後ろ盾がございます。
   信長が堺に攻めてくるというなら、彼らに援軍を頼みましょう。
   何せ、三好家は先代の元長殿、現当主の長慶殿と二代続けて英主であらせられる」

商人「長慶殿は領国経営については卓越した手腕をもっておられるし、外交謀略にかんしても松永久秀殿がおられる。
   それに軍事においても、長慶殿の弟君であり“鬼十河”と呼ばれる十河一存(そごう かずまさ)殿がいらっしゃいますから、
   たとえ信長が相手でも遅れをとることはございますまい」

商人「更に付け加えるならば、尾張兵は音に聞こえた弱兵。豼貅(ひきゅう)に例えられる、三好家旗本の阿波兵には手も足もでないでしょう」

長老「なるほどのぅ……軍事面だけではなく、総合力という点でも信長とは互角に戦えるか」

志保「おまちください」

長老「おう、槙原……いや、今井宗久殿、何か?」

志保「私は、信長様に全面降伏すべきだと思います」

商人「宗久殿がそうおっしゃるのは、信長に贔屓にされておるからであろう!
   我らが商いの道を絶たれても、宗久殿は信長の覚えがめでたいから自分だけは生き残れると。
   そういうことであろう!」

志保「私が降伏をおすすめするのは、何も自分のことだけを考えているからではありません。
   みなさんのことを想ってのことです」

長老「聞かせてもらおう」

商人「長老! こやつの言い分は聞いてはなりませんぞ!」

長老「黙れ! 一方聞いて沙汰するな、という言葉をしらんのか!」 

商人「ぐぬぬ……」

志保「よろしいでしょうか? まずは一つ目。三好家を取り巻く情勢は、あまりよくないということです」

志保「先代の三好元長殿は、文武双全の名将でした。
   細川高国に敗れた、将軍家の足利義維様と管領の細川晴元様を阿波にて匿い、
   お二人がご成人されるやいなや海を渡って周辺の豪族を次々と撃破されたのはご存知でしょう?
   その末に、この堺に新な政治機構“堺公方府(さかいくぼうふ)”を樹立し、
   これまでの歴史上にはなかった新しい国造りを目指しておられました」

志保「ですが、新しい国造りはどうなりましたか?
   細川晴元様と仲違いした挙句、主君の裏切りによって自害に追い込まれたではありませんか。
   現在、三好家と管領細川と将軍家の関係は良好のように見えます。
   しかし、現当主の長慶殿は晴元様を立ててはいるものの、晴元様を管領の地位に就けようとはしていません。
   これはあきらかに、主家が力を持つことを危惧していることの証左ではありませんか」

商人「つまり宗久殿は、三好家の背後は万全ではないとおっしゃるか」

志保「その通りです。次に二つ目は、三好家家中についてです」

志保「長慶殿は、たしかに内政の達人でしょう。
   しかし、それ以外の手腕については、及第点とは言いがたいのではないでしょうか」

志保「外交と謀略を担当している松永弾正の手綱を握ることができず、畠山や六角たちをいつまでたっても駆逐することができません。
   軍事の主柱である十河殿も、最近病を得たとかで、あまり前線に立つことはないようですね」

長老「つまり、三好家の家臣団は信長の家臣たちに較べれば能力も劣るし、一枚岩ではないと言いたいのじゃな?」

志保「私は、信長様からご懇意にされていますから、その家中の内実をよく存じています。
   尾張兵は弱兵ですが、だからこそその弱さを知恵で補おうとしています。
   絶えず戦に創意工夫を凝らしている織田軍は、長い目でみれば天下無双の軍に成長するでしょう。
   なまじ、精強な軍ほど自らの武勇に恃むところ篤く、知恵によって滅ぼされることは必定です。
   驕兵必敗というではありませんか」

商人「そこまで言われたら……」

志保「信長様は、天下に野心を持っておられます。天下を統べるには戦が必要で、戦はなにかと要り用です。
   ここは織田軍と交誼を結び、商売の種にしようではありませんか」

長老「ふむ……この都市を守るため、我らのさらなる繁栄のため、信長を迎え入れるのは上策か」

商人「信長を得意先にしてしまえば良いということか……」

長老「ふむ……わしは、宗久殿の意見に賛成だが、みなはどうだ?」

一同「……」

長老「決まったな。宗久殿」

志保「はい」

長老「さっそく、尾張へ使者を派遣してくれぬか。信長と親しい貴殿にこそ頼みたい」

志保「万事、お任せください」


~津田屋~


志保「はぁ、つかれた……」

雪乃「うふふ。それにしても、短期間でよくぞ今井屋をあそこまで大きくされましたね」

志保「これもすべて、雪乃さんのおかげですよ。以前の約束は、絶対果たしますから」

雪乃「ありがとうございます。これで、この店の経営も上向きになればよいのですけど」

志保「大丈夫だと思いますよ。
   美羽ちゃんは新しいもの好きですから、南蛮渡来の珍しいものとかもたくさん買ってくれると思います」

雪乃「紅茶も気に入ってくれるかしら?」

志保「この前手紙で紅茶のことを書いたら、ぜひ飲んでみたいって返事がきましたから」

雪乃「そう……でしたら、とびっきりの品を用意しなくてはいけませんね」

志保「よ~し! 私も、他の商人さんたちに遅れをとらないように頑張らなきゃ!」

雪乃「志保さんはとびぬけた商才の持ち主ですから、大丈夫ですよ。
   この堺の行く末は、一重に志保さんの肩に乗っていますから」

志保「うう……そう考えると緊張するなぁ。美羽ちゃんを迎え入れるには、それ相応の準備をしなきゃだめですよね。
   下手すると、今井宗久なんてこの程度の者なのかと、堺織田双方の人たちに笑われてしまいます」

雪乃「私も微力ながらお手伝い致しますわ」

志保「ありがとうございます! 雪乃さんに手伝ってもらえるなら、百人力ですよ!」


~数か月後 今井屋~


肇「お久しぶりですね、志保さん」

あずき「えへへ。きちゃった♪」

志保「二人とも久しぶり! それで、美羽ちゃんは?」

肇「お館様なら、もうすぐ……」

美羽「ここが宗久の店か。なかなか良い店構えではないか」

志保(あ、あれ……?)

志保「み、美羽ちゃん……ひ、ひさしぶり……」

美羽「宗久よ、よくぞ会合衆を説き伏せたな。
   この経済都市を手に入れれば、我が覇業も大きく躍進することになるであろう」

志保「あの……美羽ちゃん雰囲気変わった?」

美羽「我は、かつておぬしが尾張で相見えた織田信長ではないぞ。
   われこそは“第六天魔王”信長である」

志保「第六天魔王?」

あずき「これには、事情があって……」

肇「あの、志保さんちょとこっちに来てください」

志保「う、うん……」

志保「で、美羽ちゃんどうしちゃったの?」

肇「つい先日、我ら織田家は竹中半兵衛さんから稲葉山という城を譲り受けたことをご存じですか?」

志保「うん。たしか、今は岐阜城って名前だったよね」

あずき「そのあと武田晴信が出家して、武田信玄と名乗るようになったんだけど、
    それに対抗するために美羽ちゃんが第六天魔王を自称するようになっちゃったんだ」

肇「天魔……つまり仏敵というわけです」

志保「で、天魔を名乗ったらあんな風になっちゃった、というわけだね」

肇「はい。以前のようにおっちょこちょいな性格はなくなり、
  今は峻厳かつ勤勉な人になってしまいまして」

あずき「有能になったのは良いんだけど、今の美羽ちゃんは少しやりづらいというか」

志保「なるほど……」

美羽「三人とも何をしておる!」

あずき「ひゃい!」

肇「今行きます!」

美羽「宗久よ、おぬしに対する褒美を考えていたのだが」

志保「いや、これからも変わらず商売をさせてもらえればそれで良いよ」

美羽「クックック、愛い奴じゃ。おぬしには知行二千二百石と、この堺における徴税権をくれてやろう。
   毎年税の六割を織田家に収めよ。あとは好きにしてもよいぞ」

志保「あ、ありがたき幸せ!」

志保(徴税権か……旨みはあるけど、責任重大だなぁ……)

志保「ところで、この後はどうするつもりなの?」

美羽「おお、そうであった。実はな、最近本願寺がうるさくてかなわぬ」

志保「今度の敵は、大名ではなく一向宗なんだ」

美羽「やつら、数だけは多い。それに蠅のようにうるさく飛び回りおる。
   今度の戦は長期戦になる可能性が高いから、兵站を強固にしておかなくてはならぬ。
   宗久、おぬしにはまだまだ働いてもらうぞ」

志保「なんでも言ってね。欲しいものは何でも揃えてみせるから」

美羽「期待しておるぞ。それから、相原某という者はどうしておる」

志保「奥の部屋で待たせているけど」

美羽「すぐに呼べ」

志保「う、うん」

雪乃「お初にお目にかかります。私は、この堺で津田屋という店を構えている、相原雪乃と申しますわ。
   どうぞ、ご贔屓に」

美羽「我が信長だ。おぬしは、南蛮の珍品を取り扱っておると宗久から聞いたが」

雪乃「きっと、信長様に気に入っていただけると思います」

美羽「紅茶、だったか? あいにく、織田家の台所事情は苦しくてな。
   嗜好品の類はもっと余裕ができてから楽しむことにする」

雪乃「ほかにも、戦に使えそうな品物もございます。一度ご覧になりますか?」

美羽「おう。ぜひ見てみたい!」

雪乃「では、案内いたします」


~津田屋 郊外の狩場~


志保「えっと、この広場はいったい?」

雪乃「ここは私が所有している狩場ですわ。勢子を雇う余裕はないので、今は狩りなどはしていませんが」

雪乃「さあ信長さま。まずはこれをご覧ください」

美羽「うん? その鎧は何だ?」

雪乃「これは南蛮胴でございます。南蛮の戦では、このような形状の鎧を使用しているとか。
   今回は信長様のために特注いたしました」

美羽「これを我にくれるというのか?」

雪乃「ええ。信長様は珍しいものがお好きだと聞きましたので、お近づきの印としてどうかお収めください」

美羽「ではありがたく頂戴する。それで、この鎧は何故丸い形状をしておるのだ」

雪乃「曲面を多くすることによって、敵の刃を滑らせるのです。
   形を工夫することによって鉄の量を少なくし、軽量化されていますわ」

美羽「なるほど。南蛮人もいろいろと考えるな」

雪乃「次は、こちらを」

美羽「その筒のようなものは何だ?」

雪乃「これは望遠鏡と申します。こちらから、中を覗いてみてください」

美羽「どれどれ……おっ! あの山の木立がはっきり見えるぞ! これは、斥候に使えそうではないか」

雪乃「それが、私の所有している量は決して多くありません。
   それに、内部にはレンズというギヤマンをはめ込んでいるので、あまり乱暴に使用すると割れてしまう恐れもありますわ。
   戦で、候や偵察目的で配備するのは難しいかと」

美羽「そうか。しかし、指揮官がこれを持てば、後方に居ながらにして前線の戦況がよく見えるな」

雪乃「最後に……これが、本命なのですが」

美羽「ふむ……まさか、その長い筒は」

雪乃「すでにご存じでしたか」

美羽「噂に聞いたことがあるだけだ。
   『この一物の一発たるや、銀山摧(くだ)くべし、鉄壁穿つべし、
    姦宄(かんき)の人の国に仇をなす者、之に触るればたちどころにその魄を喪ふべし』……とな」

雪乃「これが、種子島でございます」

美羽「鎧さえ貫くほどの威力を持つというが、いかがなものか。まあよい、やってみよ」

雪乃「では、あそこに用意してあります、鎧に向けて試し撃ちしてみますわ」

志保(さすが雪乃さん。手回しが良いな)

雪乃「ものすごく大きな音がしますので、お覚悟を。では……」


ダアアアン!


志保「きゃあ!」

美羽「うおっ!」

雪乃「……いかがでしょうか?」

志保(えっと、ここは雪乃さんとの打ち合わせ通り……)

志保「確かにすごい威力だけど、実戦で使用するにはどうかな。
   装填に時間がかかりすぎるし、なにより馬がびっくりしちゃうよ」

美羽「……」

雪乃「志保さんのおっしゃる通り、この種子島には多くの欠点があります。
   しかし、それをどう克服するかは使用者の力量次第ではございませんか?」

美羽「使い手の力量次第か、面白い! 相原雪乃よ、さっそくこの種子島を量産せよ!」

雪乃「気に入っていただいて何よりですわ」

美羽「この武器は、宗久の言う通り使い勝手の悪い武器だ。しかし、この轟音はその欠点を補って有り余る。
   味方の馬が驚くということは、敵の馬も驚くということであろう。
   それに、これはまだ世には出回っておらぬ兵器だ。これを使えば敵は驚愕するに違いない!」

志保「さすが美羽ちゃん! そんなことを思いつくなんて!」

志保(おだてておだてて……)

雪乃(ありがとうございます、志保さん)

志保(いえ、この程度、どうということもありませんよ)

美羽「しかし、この種子島を量産するには、かなりの資金が必要であろう?」

雪乃「ええ。この堺ですら、鉄砲の職人はそう数多くいるわけではありませんから」

美羽「では、相原雪乃よ。おぬしがすべてを差配せよ。この堺に種子島の量産体制を布くのだ。
   資金繰りは、その宗久にまかせておけばよい」

雪乃「は、はい……そのためにはまず、会合衆に入らないといけませんが、私はそこまでの商人ではありませんし……」

美羽「この信長が許可するのだ、誰に文句を言わせるものか。宗久よ、おぬしがこやつを導いてやれ」

志保「任せて、美羽ちゃん!」

美羽「そうだ、会合衆に入るからには、いつまでも俗名のままでいるわけにはいくまい。
   おぬしの新しい名を我が名付けてやろう」

雪乃「そんな。光栄の至りでございます」

美羽「そうだな……千宗易、今井宗久ときているから……うむ……」

志保(美羽ちゃん大丈夫かな……)

美羽「……よし、これでよかろう! 千宗易、今井宗久の二名から宗の字をとり、津田屋の屋号を組み合わせて
   津田宗及(つだ そうきゅう)というのはどうだ?」

志保「津田宗及か……良い名だよ、雪乃さん!」

雪乃「私には、本当にもったいない名でございますわ」

美羽「宗及よ、これからも我に忠勤を尽くすがよい」

雪乃「おおせのままに」

美羽「宗久よ、おぬしも会合衆の先達として宗及を導いてやれ」

志保「はいっ!」

美羽「堺を掌中におさめ、天下をうごかす豪商二人を手に入れた。
   これで我が覇道を掣肘する者はおらぬわ! ハーッハッハッハ!」


~今井屋~


志保「いやあ、うまくいってなによりですよ」

雪乃「ふふふ。一杯の紅茶が、これほどの商機になるとは思ってもみませんでしたわ」

志保「でも、これからが本番ですよね。
   織田家は破竹の勢いで勢力を拡大していますが、まだまだ周囲に敵は多いですから」

雪乃「石山本願寺、上杉、武田、三好家の残党、その他諸々……
   四面楚歌とはこのことですわ」

志保「でも、周囲にそれだけ敵がいるってことは、それだけ戦が起こるってことですよね」

雪乃「私たち商人には、またとない商売の種ですわね」

志保「よ~し、いまから軍需品の買い占めをしておきましょう!」

雪乃「おっしゃる通りです。堺の商人たちは、機を見るに敏な者が多いですから、
   油断しているとあっという間に追い抜かれてしまいます」

志保「お互いがんばりましょう、雪乃さん!」

雪乃「はい!」


~数か月後~


肇「すみません。志保さんはいらっしゃいますか?」

志保「あ、肇ちゃんいらっしゃい!」

肇「突然で申し訳ないのですが、少しお話しがありまして」

志保「いいよ。奥の座敷へどうぞ」

肇「失礼します……」

志保「それで、話って何?」

肇「それが、先日の本願寺との戦のことなのですが」

志保「ああ、あの戦のことね」

肇「一向宗単独が相手なら、戦の素人の集団ですから問題はないのですが、
  紀州雑賀党が本願寺についてしまい、コテンパンにやられてしまったのです」

志保「それなら聞いているよ。雑賀党って、鉄砲集団だったんだね」

肇「雑賀は、たった紀州七万石の地侍なのですが、鉄砲の保有数は三千挺を超え、
  雑賀兵一人ひとりが鉄砲の達人ときていますから、対抗できません」

志保「織田軍には、雪乃さんがすでに数千挺の鉄砲を売っているはずだけど、まだ数が足りない?」

肇「兵の質の問題ですね。今の織田軍では雑賀の鉄砲衆に対抗できません。
  それに、本願寺攻めに呼応するかのように伊勢長島で一揆がおこりましたし、攻めあぐねているのが現状です」

志保「じゃあ、本願寺を包囲して兵糧切れを誘うのはどうかな? 時間はかかるとおもうけど」

肇「包囲作戦は継続中ですが、本願寺は毛利を味方につけています。
  海からの兵糧入れで、無限に補給が続くと考えても差し支えないでしょう。
  毛利水軍は四海最強、それに村上水軍とも盟約を結んでいるのですから、織田水軍では話になりません。
  木津川口の戦いでも、惨敗を喫しましたし……」

志保「織田家には、“海賊大名”と言われる九鬼嘉隆さんがいたんじゃなかったっけ?」

肇「九鬼殿は織田水軍の要ですが、いかんせん毛利水軍には抗しがたく」

志保「そっか……嘉隆さんは、今どうしているの?」

肇「今日は、それも関係する話です」

肇「まず一つは、お館様の不興をかった九鬼殿をどうするかということ。二つ目は本願寺にどう対抗すればよいのかということ。
  この二つを相談しに参りました」

志保「嘉隆さんのことはともかく、私は商人だから戦のことはわからないなぁ……」

肇「恥を曝すようですが、正直なところ家中でも本願寺主導の包囲網への対抗策がみつからず、前途は昏いとしか言いようがありません。
  ここは商人である志保さんにご意見を賜れば、何か意外な策が出るのでは、ということなのです」

志保「う~ん。とりあえず、嘉隆さんは私がしばらく預かるよ。美羽ちゃんの怒りがさめるまではね」

肇「ありがとうございます。何せ、三百隻から成る水軍がほぼ全滅してしまいましたので……
  九鬼殿も瞋恚に燃えているようです」

志保「まあ、落ち着いたら嘉隆さんからも話を聞いてみるよ」

肇「どうか、よろしくお願いします」

志保(美羽ちゃんの不興を買った人か。どうしようかな……?)

志保「さあ九鬼嘉隆さん、どうぞおあがりください」

嘉隆「かたじけない。敗軍の将にここまでもてなしていただいて」

志保「勝敗は兵家の常。勝負は時の運と言うじゃありませんか。そう気落ちなさらず」

嘉隆「お館様のご期待に背き、あまつさえ水軍を全滅させてしまうなど、もうどうすればよいのか……」

志保(これは重症だなぁ)

志保「で、でも、敗北してすぐ処断ってことにならないのは、次に期待しているってことじゃないですか」

嘉隆「そうであれば良いのだが。お館様からは、毛利村上の両水軍を撃破する策を思いつくまで帰ってくるなと言われておるのだ」

志保「今は休養が必要です。何日でも、我が屋敷に逗留してください」

嘉隆「休養か……そうしたいのはやまやまだが、目を閉じるたびにある光景が瞼の裏に鮮明によみがえる。
   あの光景は、なかなか忘れられそうにない」

志保「それは、木津川口の?」

嘉隆「いかにも。部下が次々に死んでいくのを、ただ眺めていることしかできない。
   はっきりと見える距離なのに、自分には何もできない。身を斬られるようにつらい」

志保「そうですか……ですが、その部下のみなさんのためにも、次の戦で勝たなくてはなりませんよ!」

嘉隆「それはそうなのだが、毛利と村上の水軍に勝つ方策なぞ、私には思いつかない……」

志保「私は、船戦のことはよくわからないのですが、水軍とは主にどのような戦い方をするものなんですか?」

嘉隆「そうだな……まず、接舷して斬り込むことはよくあるな。
   敵の船に乗っている兵を叩き伏せ、その船を拿捕してしまうのだ。
   あとは矢を大量に打ち込んだり、火矢で船を燃やしたり……」

志保「なるほど。他には?」

嘉隆「あとは、舳先に衝角をつけて敵の船に体当たりすることもある。
   安宅船(あたかぶね)ならば大筒(大砲)を積載できるから、それで敵を砲撃することもあるな」

志保「水上戦は、陸戦とは違った戦い方をするんですね」

嘉隆「毛利水軍はともかく、村上水軍は独特な戦術を用いる。特に今回の戦は、あの戦術に敗北したようなものだ」

志保「村上水軍は、どのような戦術を用いるのですか?」

嘉隆「宗久殿は、炮烙玉(ほうろくだま)というものをご存じか?」

志保「いえ。しかし、炮烙って素焼きの土鍋のことですよね」

嘉隆「そうだ。村上水軍は、炮烙玉という玉を投げつけてくる。
   それはものに当たった衝撃で中の火薬が飛び散り、一瞬で火が付く」

志保「火矢でさえ簡単に火がつかないのに、そんな強力な兵器を使ってくるんですか」

嘉隆「考えればわかると思うが、海上は逃げ場がない。船が炎上すれば、あとは海に飛び込むしかなくなる。
   海には潮流があるからいつまでも泳いでいることはできないし、岸まで泳ごうにも離岸流という潮流もある。
   敵から見れば恰好の矢の的だ」

志保「なるほど。じゃあ、こちらもその炮烙玉とやらを作れば良いじゃありませんか」

嘉隆「それができれば苦労はしない。私も硝石や玉薬などで試してみたが、なかなかうまくいかなくてな」

志保「それじゃあ、一方的にやられるだけですね」

嘉隆「それに炮烙玉を抜きにしても、奴らは船戦の手練れだ。
   海に生まれ、海に育ち、海と共に戦い、死ねば海に還る……
   そんな奴らに、にわか水軍の我らが勝てるものか」

志保「う~ん。これは難題ですね……」

志保(何か、良い策はないかなぁ……)

志保「あ、そうだ!」

嘉隆「なんだ?」

志保「敵の火に手こずるなら、燃えない船を造れば良いじゃないですか!」

嘉隆「……はぁ!?」

志保「たとえば、船全体を鉄甲で覆ってしまうとか!」

嘉隆「それは素人の考えだな。鉄は木に比べてはるかに重い。鉄で覆った船など、進水した途端に沈んでしまうぞ」

志保「でも、安宅船があるじゃないですか。
   あれは百人以上乗ることもできますし、大筒を載せることもあるんですよね?」

嘉隆「それもそうだが……しかし、本当に鉄の重量に耐えられるのか?」

志保「逆転の発想です。鉄の重さに耐えられる程の、大きな船を建造すれば良いんですよ」

嘉隆「あのな、そんなに大きな造船所がどこにある。だいたい、そんな量の鉄をどこから……あ」

志保「気づきましたか? ここは海の都、堺ですよ。
   それに大量の鉄が必要とあらば、この今井宗久がいくらでもご用意します」

嘉隆「それだ! 宗久殿、さっそく紙と筆を用意してくれ。お館様へ書簡を届ける!」

志保「うまくいくと良いですね」

嘉隆「負けたままでは終わらせんぞ! 村上水軍め、目にもの見せてくれる!」

志保(持ち直したようで良かった……)


~岐阜城~


美羽「……」

あずき「ねえねえ、美羽ちゃんさっきから何を読んでるの?」

肇「九鬼嘉隆殿からの書簡です」

あずき「ふ~ん」

美羽「嘉隆め、毛利水軍と海賊どもを屠る策を考えろと言ったが、こんなことを献策してくるとは……」

肇「その書簡には何が書いてあるのですか?」

美羽「この設計図を見ろ!」

あずき「どれどれ……これって、安宅船じゃないの?」

肇「いや、安宅船にしては見たことのない艤装ですね」

美羽「村上水軍の火計を防ぐために、鉄で鎧った船を造れば良いと進言してきおったのだ、嘉隆は!」

あずき「でも、そんな大きな船をどうやって建造するの?」

美羽「この書簡によれば、造船所は堺にあるし、資材はすべて宗久が手配するという。
   そして、こっちが宗久から送られてきた見積書だ」

あずき「どれどれ……」

肇「うわぁ……」

美羽「桁が一つ二つおかしいのではないか?」

あずき「でも逆に言えば、お金さえだせば敵水軍を撃破できるってことじゃない」

肇「私も、あずきちゃんの意見に賛成です。お館様、どうかご決断を」

美羽「むぅ……致し方なし。堺に文を送れ! 宗久と嘉隆に委細任せるとな!」

肇「御意!」


~堺 津田屋~


雪乃「それで、鉄甲船の建造は順調に進んでいるのですか?」

志保「ええ。嘉隆さんも、張り切って働いていますよ。もうほぼ完成しています」

雪乃「そうですか。今度こそは、毛利軍に勝ちたいものですわ」

志保「ここで敵の水軍を叩いておかないと、どんどん長引いてしまいますからね」

雪乃「そういえば、話は変わりますが、最近珍しいものを手に入れましたの」

志保「なんですか?」

雪乃「これをご覧ください」

志保「えっと……豆ですか? でも、大豆とかに比べて色は黒いし、すごく香ばしいかおりがしますね」

雪乃「これは、“珈琲”というものですわ。ちなみに、これは豆ではなく木の実です」

志保「こーひー?」

雪乃「南蛮では紅茶のほかにも、この実で黒いお茶を煮出して飲むそうです」

志保「へえ。紅色のお茶の次は黒いお茶ですか」

雪乃「同じ嗜好品というだけで、ものは全く違いますが……試してみますか?」

志保「え、いいんですか!?」

雪乃「実は私も、南蛮の商人から飲み方を教えていただいただけで、飲んだことはございませんの。
   機会があれば志保さんと一緒に、と思いまして」

志保「お言葉に甘えて、ご相伴にあずかります♪」

雪乃「よいしょ、よいしょ」ゴリゴリ

志保「実を石臼で挽くんですね」

雪乃「ええ……ふう、これで良し。あとは濾紙で包んで、上からお湯をかけて……」ジョボジョボ

志保「はぁ~、香ばしくて良いかおりだなぁ~」

雪乃「さあ完成です!」

志保「うわぁ、本当に真っ黒ですね。黒茶って言いたくなるぐらいです」

雪乃「最初はそのままで飲んでみましょうか」

志保「はい♪」

志保&雪乃「「いただきます」」

志保「うぇっ! 苦っ!!」

雪乃「これは……なんと言うか……」

志保「このままじゃ、とてもじゃないけど飲めませんよ」

雪乃「試しに砂糖でも入れてみましょうか」

志保「はい」

二人「「……」」ズズズ

志保「……あ、これならいけますね」

雪乃「茶や紅茶と違って、この苦味がいままでにない味わいになっていますわ」

志保「珈琲って面白いですね。私も店で扱ってみようかな」

雪乃「それでは今度、その南蛮の商人を紹介しましょう」

志保「ありがとうございます」

番頭「大変です! 雪乃さ……いえ、宗及様!」

雪乃「どうしました?」

番頭「湾内に、毛利と村上の水軍が現れたそうです! それに呼応するかのように、九鬼水軍も出撃していきました!
   こりゃあ、また戦になりますよ!」

雪乃「そうですか。知らせていただいてありがとうございます……
   それで、志保さんはどうするのですか?」

志保「う~ん……危ないので、海に近づくのはやめておきます。
   でも、嘉隆さんなら何とかなりますよ」


~木津川口 付近~


海賊「あっ! 敵の船が見えました!」

頭領「数はいくらだ」

海賊「ひい、ふう、みい……あれ? 大筒を積んだ、馬鹿でかい船が六隻ほどです」

頭領「はあ!? 九鬼嘉隆め、ボロ負けしてから頭がおかしくなったのか?
   まあいい。今日こそは、嘉隆の首をねじ切ってやるぞ!」

海賊「お頭、やっぱり敵の様子が変です! 間近で見るとすげえ大きさです!」

頭領「びびってんじゃねえ! 全船に、炮烙玉を用意しろと伝えろ!」

海賊「はい!」

嘉隆「海賊どもめ! 海の藻屑にしてくれる!」

船頭「総大将! 敵はやっぱり炮烙玉を構えています!」

嘉隆「無視しろ! そのまま正面からぶつかれ!」

船頭「へい! よぉ~し、お前ら! 総艪の押し走りだ! 突っ込め!」


ドゴン! ベキベキベキ


海賊「うわぁ~! 船が! うげっ」ザッパーン

頭領「あの大きさ相手じゃ、こっちの関船は敵わねえ。敵の大きさに飲まれるな! 炮烙玉を投げろ!」

パリン パリン


頭領「くそっ! 鉄甲で跳ね返されるな……ええい! 火矢を打ち込んでみろ!」


カキン カキン


頭領「やっぱりダメか……もうなんでもいい! 鉤を投げてひっかけろ! 接舷して斬り込むぞ!」

海賊「ダメです! 鉤も引っかかりません! それに、斬り込むって言ったってどこに飛び移れば良いんですか!?
   鉄甲でおおわれていて、どこが艦橋かもわかりません!」

頭領「あいつら、金にものを言わせてあんな船を造っちまうなんて……
   退却の鉦を打て! ここは一度構えなおさなきゃならねえ!」

海賊「それが、敵の船が陣形に入り込んでしまって、全船攪乱されてます! 指示が通りません!」

頭領「なら、せめて貨物船だけは下げろ! あれを沈められたら、本願寺への兵糧入れができなくなっちまうぞ!」

嘉隆「……見つかったか?」

船頭「ええ、敵陣の後方にある、あの一団がそうですね。他の船よりも喫水が下がっています。
   あれにどっさり積み込んでいるんでしょう」

嘉隆「よし! 全船、他の敵船にかまうな! 真一文字に突撃し、あの船団を殲滅する!」



海賊「お頭! 敵が貨物船団にむかってきます!」

頭領「くそっ! 阻止できねぇ」

海賊「あぁっ! 奴ら、貨物船の近くで“その場回頭”を始めましたぜ!」

頭領「これまでか……」

船頭「貨物船団を捕捉しました!」

嘉隆「よ~し、この戦を決めるぞ! 全船、右舷艪前進、左舷艪後進」

船頭「右舷前進、左舷後進!」

嘉隆「全船、右舷砲門開け」

船頭「右舷砲門開け!」

嘉隆「撃ち方用意」

船頭「撃ち方よーい!」

嘉隆「撃て!」

船頭「撃てぇ!!」


ドォオオオン! ドォオオオン!

海賊「ああ……もうおしまいだ……貨物船が……」

頭領「畜生! この戦は負けだ! とっとと逃げるぞ!」

海賊「良いんですか、お頭。俺たち村上水軍が、船戦で何もできずに撤退して。これじゃあ笑いものになっちまう!」

頭領「馬鹿野郎! 命あっての物種じゃねえか! いいか? これは織田軍と本願寺連合軍の戦いだ。
   旨いところだけもらっておけば良いんだよ。それに、これで毛利への義理は果たした。
   骨折り損のくたびれ儲けなんて、まっぴらごめんだぜ!」

海賊「は、はい……」

頭領「しゃきっとしろ! 腑抜けてないでさっさと狼煙を上げるんだ! 早くしねえと本当に全滅するぞ!」

海賊「合点承知!」

船頭「総大将! 敵が退いていきます!」

嘉隆「逃がすものか! 追撃する!」

船頭「ですが、こんなに重い船じゃ奴らに追いつけませんよ。船速がちがいすぎます」

嘉隆「いや、そうでもないぞ。風向きはどうだ?」

船頭「卯に吹いてます」

嘉隆「潮流はどうなっている?」

船頭「坤に……あっ、そうか!」

嘉隆「奴らは帆船だ。逆風をもろに受ける」

船頭「潮流は、こちらの味方ですね」

嘉隆「そういうことだ。追うぞ! 最後の一船まで沈めてやる! 全船、錨の綱を切れ!」

船頭「えっ!? 錨を切り捨てるんですか? そうすると停泊できなくなりますが……」

嘉隆「いまは少しでも船体を軽くしなければならん。
   兵糧も必要最低限のものだけ残し、あとは捨てろ」

船頭「かしこまりました! 全船、捨て錨!」


~堺 今井屋~


礼子「志保ちゃん、いるかしら?」

志保「礼子さん、いらっしゃいませ!」

礼子「いきなり私を呼びつけるなんて、何の用事?」

志保「わざわざ堺までご足労をおかけして、ごめんなさい。今日は礼子さんに合わせたい人がいまして」

礼子「津田宗及のことかしら?」

志保「見抜かれてたか……」

礼子「貴方の考えそうなことくらいわかるわよ」

雪乃「初めまして。私が津田宗及でございます。以後、お見知りおきを。
   それから、私のことは雪乃とお呼びください」

礼子「ふむ、じゃあ私のことも礼子と呼びなさい。そうそう、聞けば、雪乃ちゃんは紅茶とかいう珍しい茶を取り扱っているそうね」

雪乃「本日は、紅茶を多数用意しております。茶道の北斗である礼子さんに、ぜひ一度試飲していただければと思いまして」

礼子「じゃあ、遠慮なくいただこうかしら……って、志保」

志保「な、何でしょう?」

礼子「わざわざ私に紅茶を飲ませるために、堺まで呼んだわけじゃないでしょう?」

志保「いやあ、あはは……」

礼子「貴方の真の目的は何?」

志保「実は、礼子さんにどうしても頼みたいことがありまして」

礼子「私を呼んだ以上、当然この千利休にしかできないことなのね?」

志保「はい。茶道を通じて各地の大名、宮中の貴族に幅広い人脈を持つ礼子さんにしかできないことです」

礼子「話を聞かせてもらおうじゃない」

志保「実は……」


~京 千家 茶室~


半井驢庵(なからい ろあん:柳清良)「……」

礼子「どうかしら?」

清良「結構なお点前です、さすがは礼子さん。
   私も多少は茶道の心得があるつもりでしたが、まだまだのようですね」

礼子「天皇家の侍医たる半井驢庵に褒められるとは、私の茶道も捨てたものではないわね」

清良「それで、今日は私にどのようなご用件ですか?」

礼子「本願寺と織田軍の戦いのことよ」

清良「私は戦のことはわかりませんが、一進一退の攻防が続いているようですね」

礼子「でも、それはもう終わりそうよ。このままいけば、遠からず本願寺は滅亡することになるでしょう」

清良「……先の木津川口の戦が、決定打になったということですか?」

礼子「そういうこと」

清良「ですがあの敗戦は、毛利からすれば、本願寺への兵糧入れに失敗したというだけのことではありませんか?」

礼子「四海最強の毛利水軍と、瀬戸内の覇者たる村上水軍が九鬼水軍に大敗した。
   連合軍の損失は六百隻にもおよび、彼らの制海権は既に喪失しているわ。
   これからは織田軍の調略が、織田包囲網を切り裂いていくでしょう」

清良「信長の畿内制覇は決まったようなものですか」

礼子「織田が畿内を統一すれば、日ノ本に織田家に対抗できる勢力はなくなる。
   事実上、織田信長による天下統一ということになるわね」

清良「えっと、話が見えません。それと私と、何の関係があるのですか?」

礼子「遠からず、本願寺の敗北は目に見えている。だからこそ、天皇の勅命によって織田と本願寺の和睦をお願いしたいの」

清良「天皇家に仕える私が言うのも何ですが、今の天皇家は飾りでしかないということは天下の誰もが知っているはずです。
   両者が勅令に従うとは限りませんし、強制する実力も持ち合わせていません」

礼子「大丈夫よ。両者はすでに抜き差しならないところまで戦を広げてしまった。
   どこか落としどころを見つけて、戦を終わらせてしまいたいのよ」

清良「なるほど。では、戦を止める双方の利点をお聞きします。そして、停戦の勅令を発する天皇家の利点も加えて」

礼子「まず織田家からすれば、ここで戦を終わらせて、さっさと覇業を完遂したいということ。
   織田軍は本願寺との戦において、多くの将兵を失ったわ。これ以上の損害を出せば、残る群雄との戦いに支障が出る」

礼子「本願寺からすれば、少なくとも信仰を守ることだけはできるわ。本来、彼らは名もなき民草よ。
   大名や武士といった人種とは異なり、領土を広げてその土地と人を支配する必要な無いの。
   そもそも本願寺が武装したのは、信仰を守るためなのだから」

礼子「そして最後に、天皇家の利点ね。本願寺と織田の戦の趨勢は、今もっとも天下に膾炙されているわ。
   天皇の勅令によって両者の和睦が成立したならば、天下の誰もが朝廷のかつての勢威を思い出し、
   天皇陛下の御稜威は後代まで及ぶでしょう」

礼子「……これでどうかしら?」

清良「尤もらしい理由ですが、それを織田家に仕える礼子さんがおっしゃる限り、これもやはり織田家の策略の一環なのでしょうね」

礼子「悪いかしら? 私は、織田家から俸禄をもらっている身分だもの。
   茶を点てるだけではなく、これくらいの仕事もこなさなくちゃね。でも……」

清良「でも?」

礼子「私は織田家の茶人である前に、国の行く末を憂う一人の人間よ。
   早く戦乱が終息し、天下の蒼氓が鼓腹撃壌する太平の世を見てみたいわ。
   私の見るところ、織田信長こそが天下の階(きざはし)を上りつめる者だと思うの」

清良「お見事です。礼子さんの憂国の志、しかと受け止めました。
   さっそく陛下に上奏し、ご聖勅を仰ぎます」

礼子「よろしくね」

清良「ただ……」

礼子「何?」

清良「失礼ですが、礼子さんはいつになく急いているように見えます」

礼子「そうかもしれないわね。何せ、若い子達が活躍しているんだもの。負けてられないわ」

清良「礼子さんに、そう思わせるほどの人物がいるのですか。一度会ってみたいものです」

礼子「すぐに会わせてあげる。きっと清良も気に入るはずよ」

清良「その方の名は?」

礼子「堺の豪商、今井宗久」


~京~


あずき「茶会かぁ。なんだかわくわくするね♪」

肇「何せ、礼子さん主催の茶会ですから。そして茶頭を務めるのは、千利休、今井宗久、津田宗及という当代きっての茶人達。
  史上例のない盛大な茶会になるでしょうね」

礼子「よく来てくれたわね。さあ皆、こっちよ」

美羽「おう利休自ら案内か。大儀である……して、その者は?」

清良「お初にお目にかかります。半井驢庵と申します。拝謁の栄に浴し、恐懼に堪えません」

美羽「そなたが半井驢庵か。陛下に、停戦の詔(みことのり)を下されるように上奏したという話は聞いておる。
   よき働きであった。そなた、我に仕えぬか?」

清良「もったいないお言葉でございます。ですが、私は陛下にお仕えする医家でございますれば」

美羽「忠臣は二君に仕えず、というわけか。それもよかろう」

美羽「……それにしても、今日は三人が茶頭を務めるときいておるが、利休は宗及と面識はあったのか?」

礼子「雪乃ちゃんと顔を合わせたのは、つい最近よ。
   私の見るところ、彼女も私や志保ちゃんとは違う、茶道の究竟に達しているわね」

美羽「二人は、利休から見てそれほどの域に達しているのか」

礼子「というより、この天下を無窮に駆ける力を得たと言うべきかしら。
   彼女たちの翼は、はるか西域にでも羽ばたいていきそうね」

美羽「天下か……我も天下統一を目前にして、考えることがある。武力で天下を支配して、それは本当に天下を統べたと言えるのか。
   それに、この日ノ本だけが天下と言えるのか」

礼子「やめやめ。今日はそんな難しいことが考えないで、ゆっくり茶を楽しみましょう」

美羽「そうだな。無粋であった、許せ」

志保「美羽ちゃん久しぶり! ようこそ私たちの茶会へ!」

雪乃「お待ちしておりましたわ。信長様」

美羽「出迎えご苦労……ん? 茶の用意が三つもしてあるのは、どういうことだ?」

礼子「右が今井宗久、中央が千利休、左が津田宗及、と茶室を三つにわけておいたわ」

美羽「それぞれの茶を楽しむということか。面白い」

清良「一度に三種の茶道ですか。こんな趣向は私も初めてです」

あずき「お菓子あるかな?」

肇「あずきちゃん、茶道は茶菓子が主役ではありませんよ……」

志保「さあさあ、皆こちらへどうぞ♪」


~その夜~


志保「どうだった? 今日の茶会は」

美羽「存分に楽しんだ。特に、そなたの黒い茶……珈琲とか言ったな、あれは普段飲む茶と違って新鮮であったぞ。
   まあ、あの苦さには辟易したが」

志保「でも、砂糖を入れたら飲めたでしょ?」

美羽「うむ。それに、あの香ばしさや苦さも、慣れてしまえばどうということはない。
   朝の目覚しに丁度良いのではないかな」

志保「美羽ちゃんもそう思う? 今度私の店で、珈琲を売り出してみようと考えてるんだ♪」

美羽「千利休の茶、津田宗及の紅茶、そして今井宗久の珈琲か……三者三様、悪くない」

志保「気に入ってもらえて良かった。よ~し、じゃあ……」サラサラ

美羽「何を書いておる?」

志保「店に張り紙しようと思って」


『珈琲はじめました』


志保「どうかな?」

美羽「やれやれ……その紙と筆、貸してみよ」

志保「あ、うん……」

美羽「ただ単に、『珈琲はじめました』では芸が無いではないか。いっそのこと、こうすれば良い」サラサラ

美羽「……これでどうだ?」

志保「どれどれ……ふふっ♪ そっちの方が良いかも」

美羽「これでまた、宗久の店(たな)が大きくなるというわけだ。どこまで儲けるつもりだ、そなたは」

志保&美羽「「あはははは!!」」



『珈琲はじめました 第六天魔王織田前右府信長 御用達』



おわり


・今井宗久は、戦国時代に千宗易(利休)、津田宗及と並んで「天下三宗匠」と呼ばれた茶人であり、豪商です。
 武野紹鷗の下で茶道を学び、その後に彼の女婿となり、紹鷗の死後にその遺産を相続しました。

・宗久は早くから織田信長の才能を見抜いていたようで、信長に面会した際に紹鷗の遺産である茶の名器を多数献上しました。
 信長の西進の際も、徹底抗戦を主張する堺の会合衆を説き伏せて信長の堺入りに貢献し、その褒美として知行や堺における特権を多数与えられました。
 これにより、宗久は他の商人たちよりも頭一つ抜き出た存在となったのです。

・また、信長が本能寺で自害する以前から羽柴秀吉に取り入っていたようで、「中国大返し」において秀吉軍に兵糧を供出したり、
 「山崎の戦い」においても鉄砲などの武器を提供したそうです。

・それでも、宗久の絶頂期は長くは続きませんでした。
 信長の死後、秀吉に仕えた宗久ですが、秀吉は既に小西隆佐などのお気に入りの商人を育成しており、
 宗久の勢威は信長政権時に較べると大分墜ちてしまったようです。

・なお、作中で紅茶やコーヒーが登場していますが、これらが我が国に正式に輸入されたのは明治時代なので、この時代の日本には存在していません
 (コーヒーは江戸時代末期の長崎で、一部の人々が飲んでいたようですが)。
 すべて作者の創作ですので悪しからず。

以下は作者の過去作です。
日本の歴史・古典ものですが、興味のある方はどうぞ。


モバマス太平記
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モバマス・おくのほそ道
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(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1400847500/)

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