モバマス史記 ~高祖本紀~ (271)

・このSSは、中国秦時代及び「史記」をベースにした作品です。

・作者の勝手な脚色、意訳が含まれます。ご注意下さい。

SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1428236484


『高祖ハ、沛ノ豊邑ノ中陽里ノ人ナリ。
 姓ハ劉氏。名ハ邦。字ハ季。
 父ハ太公ト曰ヒ、母ハ劉媼ト曰フ』


(高祖は、沛の豊邑の中陽里の人である。
 姓は劉氏。名は親分。字は末っ子。
 父は劉の小父さんと言い、母は劉の小母さんと言う)


~中陽里・酒屋~


ワイワイ ガヤガヤ


山賊「……それでよ、その時、李の奴がこう言ったんだよ」

盗賊「何て?」

山賊「“それじゃあ、俺んとこの親分と同じじゃねえか”ってな!」

盗賊「そいつぁ、傑作だ!」

二人「「がはははは!!」」

山賊「それにしても、近頃景気が悪くてしょうがねえな」

盗賊「そうだな。俺もつい先日、趙の旦那の屋敷に忍び込んだんだけどよ」

山賊「また盗みか」

盗賊「何言ってんだ、おめえの追い剥ぎとどっこいどっこいだろうが」

盗賊「……それで、忍び込むことには成功したんだけど」

山賊「けど?」

盗賊「なぁ~んにもありゃしなかったのさ」

山賊「シけてやがるな」

盗賊「まったくだ」

山賊「そういえば、北の大沢郷で大きな反乱があったらしいぞ」

盗賊「反乱か。それは俺も聞いたぞ。え~っと、陳勝に呉広だったか?」

山賊「そうそう、それそれ。やっと戦国の世が終わって平和になったと思ったら、
   西の秦がメチャクチャな政治をしやがるからな。
   俺の弟も、役夫として連れていかれちまったよ」

盗賊「それでよ、ここからが面白れえ話なんだが、陳勝は民衆を扇動するときに、
   とんでもねえ台詞を吐きやがったらしい」

山賊「へぇ、どんな?」


『公等雨ニ遇イ、皆已ニ期ヲ失ス。期ヲ失スレバ斬ニ当タル。
 藉イ弟ダ斬ラルルコト令ムトモ、戌シテ死スル者ハ固ヨリ十ニ六七ナリ。
 且ツ壮士死セズンバ即チ已ムモ、死スレバ即チ大名ヲ挙ゲン。
 王侯将相、寧ゾ種有ランヤ』


(我らは雨により、期日内に刑地に行くことは出来ない。遅れれば処刑される。
 たとえ斬首を免れても、徴兵されて死ぬ者は十人中六、七人ほどいる。
 死なずに済めばそれで良いが、同じ死ぬのなら名声を得るために死のう。
 どんな栄達も、思いのままではないか)

盗賊「……だとさ」

山賊「言うじゃねえか!」

?「こんばんは」

王婆(またあの女か……)

武婆(もう勘弁しておくれ……)

盗賊「おっと、この声は……!」

山賊「まさか……!」

劉邦(高垣楓)「ふふっ。やってるやってる……」

山賊「あ、劉姐さんじゃありませんか!」

盗賊「姐さん。どうぞこちらへ!」

楓「どうも、ありがとうございます……どっこいしょーいち、っと」

王婆「ねえ、あの劉邦っていう女、そろそろどうにかできないもんかねぇ?
   あの女、いっつも酒代を踏み倒してるじゃないか!」

武婆「そうは言っても……ほら、まただよ」

王婆「あ……」

「あ、劉姐さんだ!」

「おっす劉姐さん! お久しぶりです!」

「さっき街で、劉姐さんをお見かけしたんだが……いたいた!」

「劉姐さん。ご無沙汰しています!」


ドヤドヤ ドカドカ


武婆「どうして劉邦が店に入ってくると、客の数が増えるのかねぇ?」

王婆「さあ? 劉邦は、上座で黙って飲んでるだけなのにねぇ」

武婆「酒代を踏み倒すのは腹が立つけど、これだけ客が入ってくれたら勘定は合うか」

王婆「そうだね。触らぬ神に祟り無しって言うし……」

蕭何(冴島清美)「こらー! こんなに遅くまで騒いでいるのは誰ですか!」

山賊「やべっ! “鬼の風紀”の蕭何さんだ!」

盗賊「逃げろ! 逃げろ! こってり絞られるぞ!」

楓「あら、清美ちゃん。いつもご苦労様」

清美「また楓さんですか。ご近所から、毎晩宴会騒ぎが五月蝿いとの苦情が来ています。
   それに見たところ、今日もお酒を過ごしすぎているようですね」

楓「えー。居酒屋って、本来そういう場所じゃないかしら?」

清美「節度を守ってください!」

楓「はいはい、わかりました。
  蕭何ちゃんに言われちゃ、しょうかないなぁ……ふふっ」

清美(うわー。全然面白くない……)


\ドッ/

山賊「わはははは!」ジタバタ

盗賊「腹が……腹が痛てぇ……」ジタバタ

ごろつき「ひい……ひい……顎が……外れそう……」ジタバタ

チンピラ「姐さん、今日もキレッキレですね!」

清美(えっと、どこが面白いんでしょう?)

山賊「劉姐さん! もう一発お願いします!」

楓「そうね……あ、そうだ!」

楓「今日はお開きにしましょう。清美ちゃんに、かえっでくれって言われてしまいましたから」

清美(寒っ……)


\ドッ/

盗賊「もう……もうやめて!」ジタバタ

ごろつき「げほっ、げほっ……笑い……過ぎて……息ができねぇ」ジタバタ

チンピラ「あぁ! 一年分くらい笑ったぜ」ジタバタ

山賊「ダメだ……ホントに……笑い死にしそう……」ジタバタ

清美(そこまで大笑いするようなネタでしょうか……?)

王婆「はははは! 笑いすぎて腰が抜けそうだよ!」ヒイヒイ

武婆「ひいひい……わたしゃ、歯が抜けそうだよ!」ヒイヒイ

清美(この人達まで……)


『家人ノ生産作業ヲ事トセズ。
 廷中ノ吏ヲ、狎侮セザル所無シ。
 酒及ビ色ヲ好ミ、常ニ王媼武負ニ従ヒテ酒ヲ貰ス』


(高祖は、家の農作業を手伝いもしなかった。
 そして役所の役人を、軽んじて馬鹿にしていた。
 酒や女を好み、いつも王婆さんと武婆さんの酒屋でツケで飲んでいた)


~数日後・役所~


役人「蕭何殿、いかがされました? 顔色が優れぬようですが」

清美「大丈夫です。なんでもありません……」

清美(昨日の酒場での会話。確かに、この国の箍は外れてしまったようです)

清美(もう、この国の命運は尽きたようなものです。とすれば、誰が人々を守るのかを考えなければなりません。
   せめて、この中陽里だけでも)

清美(となれば、ここは楓さんが頼りになるのでは?
   あの人はいつもふらふらしていますが、何故か一部の人々からとても人気がありますから)

役人「蕭何殿、県令殿がお呼びですよ」

清美「は、はい。すぐ行きます」


~県令の部屋~


清美「ただいま参りました」

県令「おお、蕭何。ご苦労」

清美「ご用件は?」

県令「オッホン。今日は他でもない、君に重要な話があるのだ」

清美「何でしょう?」

県令「君のことだから既に聞いていると思うが、大沢郷の反乱のことだ」

清美「陳勝と呉広ですね」

県令「そうだ……ここだけの話、最近の世相をどう思う?」

清美「ざっくばらんに申し上げますと、今は乱世と言っても良いのではありませんか」

県令「む、むう……やはり、君もそう思うか」

清美「『六ノ暴強ヲ滅ボシ、天下ヲ一家トシ、兵マタ起コラズ』と言われていますが、
   実際のところはどうでしょうか。
   田舎の、下っ端役人に過ぎない私が偉そうに言いますが、秦は天下を統一しましたが、
   それを治めきれていない様に思えます」

清美「私に言わせれば、『法度ヲ端シ、平ラカニシ、万物ノ紀、足ラシム』なんて、
   何の冗談かと思ってしまいます」

県令「き、君ぃ! 声が大きいぞ!」

清美「内密のお話なら、手早くお願いします」

県令「そうだったな……私は県令だ。県令とは、この地方を治めることが使命だ」

清美「おっしゃるとおりです」

県令「だからこそ、世が乱世であろうと、人民を守らねばならない」

清美「はい」

県令「そこで私は決意した。いっそのこと、この沛で旗揚げしてはどうかと」

清美「……それは、この地方で独立するということですか?」

県令「そうだ。私は県令だ。
   だからこそこの沛に住む者共も、私に従ってくれるのではないか?」

清美(これは……)

県令「どうした、蕭何よ」

清美「す、素晴らしいお考えだと思います!
   私も、県令様に微力ながらお助けしたいと思います!」

県令「そうかそうか! 蕭何が助力してくれるなら心強い!」

清美「つきましては、私の知り合いをここに連れて来てもよろしいですか?」

県令「知り合い? 誰じゃ?」

清美「その人は、常日頃から県令様のことを尊敬してやまない人物なのです。
   この話を聞かせれば、きっと県令様の助けになるかと思いまして」

県令「そうか。早く行ってこい」

清美「分かりました」

~酒屋~


清美「あ、やっぱりここにいましたね!」

楓「あら清美ちゃん。こんな昼間から酒屋なんて、どうしたの?」

清美「その言葉、楓さんにそっくり返しますよ……
   って、そうじゃなくて」

楓「?」

清美「実は……」

清美「カクカク シカジカ ナントカ カントカ……」

清美「……というわけなんです」

楓「ふ~ん」

清美「お願いです! 力を貸してもらえませんか」

楓「構わないけれど、私何もできないわ」

清美「沛を守れるのは、楓さん以外にいません!
   今の県令では、到底この乱世を生き延びることなんてできませんよ!」

楓「県令にはできなくて、私にはできるの?」

清美「はい。確かに、楓さんは普段から碌に働きもせず、毎日昼間からお酒飲んでばかりで、
   人間としての品性を疑ってしまうこともありますが」

楓「そ、そこまで言わなくても……」シュン

楓「でも、指導者ってなんだか難しそう……私なんかに勤まるかしら?」

清美「ご安心下さい。上に立つものが、万能である必要は無いんです」

楓「どういうこと?」

清美「戦は、戦が上手い者にやらせれば良い。
   政は、有能な役人にやらせれば良いということです」

楓「それだと、やっぱり私のいる意味が……」

清美「簡単です。集まってきた人をヨイショして、ご機嫌取りしているだけで結構ですよ」

楓「何だ、それだけのことなんだ……」

清美「はい! ……ということで、早速役所に乗り込みましょう!」

楓「おー!」

劉邦は楓さんか、納得の配役(史記をきっちり読んだことはないけど勉強させていただきます)

楓「……あの、清美ちゃん?」

清美「何でしょう?」

楓「役所に乗り込むのは良いんだけど、具体的にどうすれば?」

清美「県令を……後は、察してください」

楓「私、武術はあまり得意ではないのだけれど」

清美「大丈夫です。ここに来る途中、助っ人を用意しておきましたから」

楓「それなら安心ね」

清美「ええ、安心して下さい。さあ、気を取り直して行きましょう!」


~県令の部屋~


清美「……県令様、こちらが私の知人です」

楓「初めまして。私は、周りから劉邦と呼ばれている者です」

県令「劉邦?……あ、あのならず者か!
   王、武の二人から、無銭飲食を繰り返しておるとの被害届が提出されておるではないか!」

清美「まあ、それは後の話として……」

県令「それで、そのならず者の劉邦が、どういう用件でやって来たのだ」

楓「貴方に沛を任せてはおけません。お命頂戴いたします」

県令「なんだと! 蕭何、貴様だましたな!」

清美「ちょっと、楓さん! 自分からばらしてどうするんですか!」

県令「誰かある! この二人を殺せ!」


ゾロゾロ ワラワラ


清美「もう! 楓さんの所為で、包囲されちゃったじゃないですか!」

兵「死ね! 劉邦!」

清美「きゃあ!」


ズバッ

兵「ば、馬鹿な……」ドサッ

清美「……あ、あれ?」

楓「驚かせてごめんね、清美ちゃん」

清美「その兵……楓さんが斬ったんですか? たしか、武術は得意じゃないって言ってたような」

楓「ふふっ。実は人知れず、剣の鍛錬だけは積んでいたの。だから、人よりは得意かしら?」

清美(得意なんてものじゃないでしょう。今の抜刀術、抜き手が全く見えませんでしたよ……)

県令「あわわ……」

清美「あの、残念ですが……」

県令「ひいっ! こ、こっちにくるな!」

兵「嘘だろ、劉邦が剣の達人だなんて聞いたことねえぞ」

兵「劉邦や蕭何殿に従ったほうが良いんじゃないか」


ザワザワ


清美(よし! 周囲の兵達の心は捕らえました。後は県令を始末すればよいだけ!)

グラグラ ガタガタ


県令「こ、今度はなんじゃ! 地震か!?」

?「全力! 熱血!」ドッカーン

清美「あ、忘れてました」

樊噲(日野茜)「お二人とも! この樊噲が、助太刀に来ましたよ!」

楓「あら、茜ちゃん。こんにちは」

茜「こんにちは、楓さん! 今日も良い天気ですね!!!」

清美「声が大きいです……」ビリビリ

楓「清美ちゃん。どうして茜ちゃんが?」

清美「県令を始末するためには、やはり武勇に秀でた人が必要だと思いまして」

楓「助っ人って、茜ちゃんのことだったの?」

清美「その通りです。楓さんが、剣術の達人であるとは知りませんでしたから」

楓「今の私は、“赤龍”の子だから。ちなみに、私の来世は“越後の龍”だけど」

清美「赤龍? それに、“えちご”って何ですか?」

楓「秘密。ふふっ」

茜「楓さんはまな板の上の鯉みたいなものですよ!あの夕日に向かって走って逃げてください!」的な展開が…?

茜「お二人とも、世間話は後にしましょう! この県令をどう始末しますか?」

清美「そうでした」

県令「どうか、どうか命だけは!」

清美「残念ですが、私達にとって貴方を生かしておく利点はありません。
   貴方を生かしておけば、私達のことを終生恨むでしょうから」

楓「ごめんなさい」

茜「覚悟は良いですね!?」ガシッ

県令「離してくれ! お願いだ!」

茜「うおりゃーっ!!」ブンッ

県令「あーれー!」


ヒュウウウウ……


楓「茜ちゃんすごいわ! 片手で、城壁の向こうまで投げ飛ばすなんて!」

清美「小さな体のどこからそんな膂力が……」

清美「……それで、貴方達はどうするつもりですか?」

兵「わ、我々は、劉邦様を主として、粉骨砕身働くつもりであります!」

兵「お、俺もです!」

清美「これで決まりですね。では皆さん、沛じゅうに知らせてください!
   沛は今日から、劉邦様を沛公として仰ぎ、この乱世を生き延びていくと!」

「「かしこまりました!」」

楓「それじゃあ、これからよろしくね。清美ちゃんも、茜ちゃんも」

清美「全ては私が発端です。ここまでやらかした挙句、放り投げることなんてしませんよ」

茜「皆が、ほかほかご飯を食べられる。そんな国を作りたいですね!」

清美「ご飯って……」

清美(いえ、茜さんの言うことは一理あります。人は痛みや苦しみには耐えられる。
   しかし、飢えには耐えられないものですから)

清美「事は急を要します……茜さん」

茜「何ですか!」

清美「早速、沛の町じゅうから兵を集めて下さい。
   我こそはと思う者は沛公劉邦の下に集えと。能ある者には、いくらでも褒美を取らすと」

茜「わかりました! 能ある者にはいくらでも飯を食わす、ですね? 行って来ます!」

ドドドド

清美「少し違いますが……まあ、大丈夫でしょう」

楓「そうだ、清美ちゃん」

清美「何か?」

楓「どうして、私を選んだの? 明確な理由が知りたいわ。
  さっきは、上手く言いくるめられたみたいで」

清美(今さら気付いたんですか)

清美「そういうことですか。
   私が楓さんを選んだ理由、それは楓さんが“英雄”足りえる存在だからです」

楓「英雄? 私が? まさか……」

清美「いいですか? 英雄とは古来より、“天・地・人”の三つを兼ね備えた人物のことを言います」

楓「天と、地と、人?」

清美「天の秋(とき)、地の利、人の和(輪)、の三つです」

清美「まず“天の秋”。これは、所謂“機”のことです。
   どんなに優れた人物でも、天から与えられた機を逃しては、大事を為すことはできません。
   運も実力の内、とでも言いましょうか」

楓「私って運が良い方かしら?」

清美「楓さんは、充分に幸運の持ち主でしょう! 真面目に仕事しないで、昼間から飲んだくれていても、
   なんだかんだと上手くやっているじゃないですか!」

楓「そこまで言わなくても。しかも、ちょっと意味が違うような……」

清美「次に、“地の利”。言うまでも無く、楓さんは地の利を得ています」

楓「地の利……う~ん、土地勘があるってことかしら?」

清美「何故、沛を治めていた県令は殺され、楓さんは沛の頭(かしら)になれたのでしょう?
   県令は、この地の者ではないため、この地域の人心を得られなかったからです。
   逆に楓さんは、この地の人々から敬愛されています」

楓「そういうことか」

清美「最後に“人の和”。私や茜さんが、貴方を担ぎ上げようとしたことが、それです。」

>>31
豚肉モッシャモシャ食いながら「楓さんは悪くないんです!私には分かります!あ、それとご飯下さい!!」と項羽の前で言いそう

楓「よくわからないけど……でも私は、今まで一度も英雄になろうと思ったことはないわよ?」

清美「本人にその志がなくとも、天が貴方を英雄にしようとしているのです!
   これを天命と言わずして、何と言いますか!」

楓「な、なんだってー!」

清美(楓さん、ノリノリじゃないですか)

清美「それと、聞くのが遅くなりましたが、私からも良いですか?」

楓「何?」

清美「どうして、決起しようと思ったんですか?
   私は勝手に楓さんを巻き込んで、全責任を押し付けようとしているんですよ?」

楓「なんだ、そんなこと」

清美「そんなこと、で済まされるようなことじゃありません」

楓「それはね……」

楓「清美ちゃんが、私の大切な親友だからよ」

清美「えっ?」

楓「親友だから、助けてあげたいと思った。理由はそれだけ……だめ?」

清美「私は常日頃から、楓さんに小言を言い続けてきました。
   それなのに、私を親友だと? 目の仇にするのが普通なのに」

楓「だとしても、よ。清美ちゃんだけじゃない。
  もし茜ちゃんが困っていれば、手を差し伸べてあげたいと思うし」

>>39
想像したらわらってもうた
項羽は誰かなー

清美「貴方と言う人は……」

楓「そう考えるのが、普通じゃないかしら?」

清美(この私を、友だなんて……やっぱり楓さんを信じてよかったです!)

清美「……」ジーン

楓「ふふっ。もしかして清美ちゃん、感極まっているのかしら?」

清美「そ、そんなことありません!」

清美「とりあえず、今後のことを考えましょう!」

楓「清美ちゃんのことだから、もう何か考えているんでしょう?」

清美「ええ。今後は、大沢郷の反乱が燎原の大火のように、大陸各地に飛び火するでしょう。
   そして、この国は多くの群雄が割拠することになるはず。
   そのとき、周囲に併呑されないようにしなければなりません」

楓「清美ちゃんが、何とかしてくれるのね?」

清美「まかせてください! 私が何とかしますとも。まずは食、次に人です。
   “劉邦党”の勢力を広げるため、今は戢羽しましょう。
   そして、秋至らば虹桟を渡り、龍となって天下へ飛翔するのです!」

楓「わかったわ。改めて、これからよろしくね」

清美「はい。よろしくお願いします!」




楓「……つまり、果報は寝て待てってことかしら?」

清美「いや、仕事はちゃんとしてくださいよ……」


~数ヵ月後~


清美「はい、次の人」

「はい」

清美「貴方の特技を教えてください」

「私は、馬の扱いに自信があります」

清美(なるほど、馬か……騎兵隊の指揮でもさせましょうか)

清美「お名前は?」

「夏侯嬰(かこうえい)と申します」

清美「はい採用」

「えっ、良いんですか?」

清美「はい。後が閊えているので、早く兵舎に行って手続きをしてください」

「あ、ありがとうございます!」

清美「では、次の人」

「はい」

清美「貴方の特技は何ですか?」

「機織です。実家がそうなんです」

清美(機織か……)

清美「四六時中、機織をしていたのですか?」

「はい、そうですが」

清美「なるほど。お名前は?」

「周勃(しゅうぼつ)と申します」

清美「はい採用」

「えっ、良いんですか?」

清美「後が閊えているので、早く兵舎に行って手続きをしてください」

「あ、ありがとうございます!」

楓「……お疲れ様、清美ちゃん」

清美「あ、楓さん。お疲れ様です」

楓「それで、人材登用の調子はどう?」

清美「ひっきりなしに人が来るので、なかなか大変ですよ」

楓「すごいわね。でも、どうしてこんな田舎に、人がやってくるのかしら?」

清美「それは、私の流した噂が効いているのでしょう」

楓「噂って?」

清美「例えば、こんな感じです……」


『其ノ先、劉媼嘗テ大澤ノ陂ニ息ヒ、夢ニ神ト遇フ。
 是ノ時雷電シテ晦冥タリ。
 太公往キテ視レバ、則チ蛟龍ヲ其ノ上ニ見ル。
 既ニシテ身メル有リ』


(昔、劉邦の母が川辺で寝ていると、夢の中で神と出会った。
 そのとき落雷で周囲が暗くなった。
 劉邦の父が様子を見に来たとき、劉媼の上に竜がいるのを目撃した。
 その時既に、劉媼は劉邦を身篭っていたのだ)

楓「龍って……」

清美「言うのはただですからね。それに、楓さんは自分のことを赤龍の子だっておっしゃっていたではありませんか。
   他にも、えちご、でしたっけ? の龍だとか」

楓「それもそうね」

清美(龍の子、ってところは否定しないんですか……)

清美「他にもありますよ。劉邦は、白龍を剣で斬ったとか」

楓「白龍? そんな……いくら何でも、作り話ってわかるでしょう?」

清美「良いんですよ。秦は殷にならって、白を崇拝しています。
   ですから、白龍を赤龍の子である劉邦が斬ったと言えば、秦を倒すのは楓さんってことになりませんか?」

楓「そんな噂、信じてくれるかしら?」

清美「百人中ひとりでも信じてくれたら、儲けものじゃありませんか」

?「すみません。面接会場は、ここで合ってる?」

楓「あ、また来たわね」

清美「でしょう?」

清美「お待たせしました……早速、貴方の特技を教えて下さい」

?「情報収集と、あとは軍学書の暗誦とか……権謀術数とか?」

清美&楓「「え?」」

?「あ、やっぱり不採用かな……ここも駄目か」

清美「ち、ちょっと待ってください! もう少し話を聞かせて下さい。
   まず、貴方のお名前は?」

張良(北条加蓮)「姓は張。名は良。字は子房」

清美「張良さんですか。私は蕭何と申します。清美と呼んでください」

加蓮「じゃあ私も、加蓮って呼んでくれるかな?」

清美「それで、加蓮さんはどうして、沛公に仕官しようと思ったんですか?」

加蓮「私の家は、代々韓の宰相を勤める家系だったんだけど、
   知っての通り韓は秦に滅ぼされた」

加蓮「だから私は、その復讐として皇帝を暗殺しようとして……」


『始皇東游ス。
 陽武ノ博浪沙中ニ至ッテ、盗ノ驚カス所ト為ル』


(始皇帝が東に行幸したときのこと。
 陽武の博浪沙というところで、刺客に襲われた)

清美「暗殺ですか……」

楓「でも、上手く行かなかったのね? 始皇帝は行幸中に、沙丘で客死したって聞いたわ」

加蓮「うん。暗殺は失敗しちゃったんだ……」

楓「なるほど……
  張良ちゃんは、皇帝暗殺の為に跳梁していたということね。ふふっ」

加蓮「……」

清美「だから楓さん、くだらない駄洒落はやめてください。
   ほら、加蓮さんも引いて……」

加蓮「はははは! 張良が……跳梁……
   くっ……ふふふ……ははは!」ジタバタ

清美(抱腹絶倒してますけど、そんなに大笑いするネタですか?)

加蓮「ふふふ……ははは! もうダメ……吐血しそう」プルプル

清美(うわぁ……何この人……)

清美「ま、まあ、そこまで計画し、実行できたのは瞠目すべきことです。
   あなたほどの才能の持ち主がわが軍の帷幄に加われば、これほど心強いことはありません。
   そうですよね、楓さん?」

楓「じゃあ、今日から加蓮ちゃんは私の軍師ということで」

加蓮「あ、あの! そんな簡単に決めちゃって良いの?」

楓「良いの良いの」

清美「うちの楓さんは、即断即決が売りですから」

加蓮「私、これでも各地を旅して、仕官先を探してたんだよ。
   でも、私の話に取り合ってくれる人なんていなかった」

楓「もし加蓮ちゃんが、大言壮語を吐いているだけだとしても、
  それはその能力を見抜けなかった私の責任だから」

加蓮「でも、そんな理屈で私をいきなり軍師に抜擢するなんて……」

加蓮(いや、周りをよく見ると……)

「お前、何で劉姐さんのとこに来たんだ?」

「そりゃあ、おめえ、劉姐さんが決起するって言ってんだ。助太刀しなきゃ、侠に悖るぜ!」

「だよな! あの人は、周りに誰かいないと、何も出来ない人だからな」

「「ははは!!」」



加蓮(そうか。これが劉邦軍の空気か)

加蓮(有能な指導者が、皆を引っ張っていくんじゃない。
   楓さんの場合は、有能な人物を集めて使いこなす。自身が万能である必要はないってことなんだ)

加蓮(各地で挙兵した群雄達は、ほとんど前者だけど、指導者が倒れたらその組織は簡単に崩壊してしまう。
   でも、劉邦軍はそれとは逆の特性を持つ組織だから、かえって結束が固くなるのかも……)

加蓮「楓さん」

楓「何?」

加蓮「これから、よろしくお願いします!」

楓「よろしくね。加蓮ちゃん」ニコッ

加蓮(やっぱり、綺麗な人だな……それによく見たら、左右の瞳の色が違うんだ。
   貴人の相だったりして……)


~数日後~


清美「楓さん、我ら劉邦軍の陣容も、だいぶ様になってきたと思いませんか?」

楓「うん。最初に較べたら、見違えるようになったわね」

清美「ここは一つ、打って出てみるのも良いかと思いますが」

楓「そういうことなら、加蓮ちゃんの意見を聞きましょう」

清美(楓さんって、呆けていることが多いですが、
   誰にどんな意見を聞けば良いのか、ちゃんとわかっているんですね……不思議です)

楓「加蓮ちゃんは、どう思う?」

加蓮「確かに、将兵ともに充実してきたから、このあたりで一度実戦を経験したほうが良いかもね」

清美「相手はどうします?」

加蓮「さしあたって、秦軍が当面の敵になるだろうから、
   できれば秦の正規軍と戦って、手の内を少しでも探れたら、と思うんだけど」

清美「それは名案です」

楓「じゃあ、加蓮ちゃんの意見を採用ということで」

加蓮「あの、楓さん」

楓「どうしたの?」

加蓮「人の意見を聞くのは良いことだけど、それが正しいのか、
   そして現状に即しているのかどうか、ちゃんと下調べをした方が良いんじゃないかな?」

楓「良いの良いの」

加蓮「いや、でも……」

楓「清美ちゃんも賛成してくれてるから、大きく誤った意見というわけじゃないでしょう。
  そして、それが本当に正しい意見なのかどうかなんて、わかりっこないわ」

加蓮「わかりっこないって?」

楓「結果論ということよ。戦の勝敗なんて、やってみなきゃわからないものでしょう?」

楓「大体、私達は今でも田舎の愚連隊みたいなものよ。
  戦に負けて死んだところで、そこまでの命だったってことじゃないかしら」

加蓮「それは、そうだけど……」

加蓮(この人、戦の何たるかを知ってるんだ。それに、この覚悟と度量は尋常じゃない……)

加蓮「だったら、近くの定陶を攻めてみたらどうかな?」

清美「確かにあそこは秦の正規軍が詰めていますが、何故定陶を?」

加蓮「定陶の守将は、そんなに名の通った武将でもないから、丁度良い相手なんじゃないかな?
   それに定陶は、穀倉がある城だから、これを攻略すれば軍需物資を手に入れることができる」

楓「うんうん。おなかがすいてたら、何もできないわね」

清美「わかりました。それで、遠征軍の陣容はいかがしますか?」

加蓮「まず、清美は留守で」

清美「そうですね。私は、戦では役にたたないでしょう」

加蓮「全軍の総大将は、勿論楓さんで、その側に私が控える。
   歩兵の指揮は周勃。騎兵の指揮は夏侯嬰。主力部隊は、茜が指揮するって感じでどうかな?」

楓「はい採用」

加蓮「それ、清美のまね?」

楓「ふふっ」

清美「楓さん? ふざけないでくださいよ」

楓「ふざけてなんていないわ。じゃ、行って来るから、留守お願いね」

清美「くれぐれも、お酒を飲みすぎないようにしてくださいよ。
   あ、拾い食いなんてもってのほかですからね!」

楓「信用無いわね……」

加蓮「ふふっ、大丈夫だよ。私がちゃんと見張っているから」

清美「それなら安心ですね!」

楓「むう……」ショボーン

加蓮「そんなにしょんぼりしなくても……」


~定陶~


楓「定陶にやってきたのは良いのだけど……」

加蓮「秦軍は、絶賛篭城中……かな」

楓「どうしよう、加蓮ちゃん。城攻めなんて、今の私達の軍備じゃできないわね」

加蓮「かくなるう上は、唯一つね」

楓「どうするの?」

加蓮「敵を城から引きずり出す」

楓「そんな簡単に出来るかしら?」

加蓮「簡単簡単。私の特技、忘れた?」

楓「情報収集と権謀術数、だったかしら?」

加蓮「その通り。ま、見ててよ」

楓「自信満々ね。では、軍師張良のお手並み拝見といきますか」

劉邦兵「やーい、やーい!」

秦将「なんだ、あれは?」

劉邦兵「お前は二十歳のとき、生まれ故郷の○○で□□をしでかして、
    △△だっただろ!」

秦将「ブフーッ! どうして貴様がそんなことを知ってるんだ!」

劉邦兵「お前のはずかし~い××は、この竹簡に全部記してあるぞ!」

秦将「あ、あれは! 皆の者、打って出るぞ!
   なんとしてもあれだけは取り返さなければならん!」

加蓮「……ほら、のこのこ出撃してきたでしょ?」

楓「すごいすごい!……で、どうしよう?」

加蓮「後は私が指揮を執るよ」

加蓮「周勃は、歩兵を率いて正面から敵にぶつかって。
   夏侯嬰は、騎兵を率いて城への退路を遮断し、右翼及び後背から秦軍を突き崩せ!」


ワーワー ドドドド

楓「私達の軍って、こんなに強かったんだ。優勢に進んでいるわね」

加蓮「これで止めだよ……茜」

茜「はい、ここにいます!」

加蓮「予備兵力を率いて秦軍左翼を攻撃。秦軍が総崩れになっても、容赦しなくて良い。
   自軍の損害が増えない程度に追撃すること」

茜「全力で行きます!」



ウワー ナンダコノチッコイノ ヒエ~

楓「茜ちゃんって、やっぱり強いのね。敵陣が土塊のように砕け散っていく……」

加蓮「……戦闘終了かな。退却の鉦を」


カーン カーン カーン


楓「初陣で、ここまで大勝できるなんて思ってもみなかったわ。
  加蓮ちゃんがいれば、百戦百勝ね」

加蓮「いや、それは……」ゴホッ ゴホッ

楓「大丈夫?」

加蓮「私、体弱いから。やっぱり、軍の指揮なんて向いてないな……」

楓「ごめんね。少し、無理させすぎちゃったわね」

加蓮「ううん。今まで知らなかったけど、戦っていうものは、思いのほか神経をすり減らすものなんだね。
   終わったと思ったら、疲れがどっときたよ」

楓「これからは、あまり加蓮ちゃんを前線に出したりしないから、安心して。
  戦が出来る人を、探していけば良いだけなんだから」

加蓮「そう……かな……?」

加蓮(まったくこの人は。類い稀なる大器なのか、
   それともただ能天気なだけなのか、わからないな……)


『高祖曰ク、
 夫レ籌策ヲ帷幄ノ中ニ運ラシ、勝ヲ千里ノ外ニ決スルハ、
 吾ハ子房ニ如カズ』


(高祖は言った、
 「謀略を陣営の内で立案し、勝利を千里の彼方で決することにおいては、
  私は張良に及ばない」)


~沛~


清美「お帰りなさい、楓さん」

楓「ただいま。留守中は、特に変わったことはなかった?」

清美「特になにも。戦は……勝てたようですね」

楓「うん。加蓮ちゃんや、皆のおかげでね」

清美(うんうん、良い感じですね。
   私のお陰で勝てたのだ、と驕らないところが楓さんの美徳ですよ)

楓「私なんて、馬上で見物していただけなのよ」

清美「それはそれでどうなんですか」

加蓮「でも、いくつか我が軍の問題点が浮き彫りになってきたみたいだね」

清美「問題、ですか?」

加蓮「一息入れたら、二人には説明するから」

清美「は、はい……」


~広間~


清美「それで、加蓮さん。我が軍の問題とは何ですか?」

加蓮「劉邦軍は、このままじゃ生き残れない」

楓「そうかしら? 中規模とはいえ、秦の正規軍相手に大勝できたじゃない」

加蓮「それは相手が無能だっただけだよ。これからはそうも行かない」

加蓮「現在、始皇帝の後を継いだ胡亥(こがい)は、宦官の趙高の傀儡になっている。
   私の間者の報告によると、趙高は各地の反乱の実情を皇帝に知らせず、ひた隠しにしているみたいだね。
   でもつい先日、趙高は章邯(しょうかん)という人物を反乱鎮圧に起用した」

清美「章邯とは、どのような人物なんですか?」

加蓮「元は文官なんだけど、温和な性格で人望篤く、古今の兵学にも明るいんだって」

清美「趙高が秦の国政を牛耳っていることは、私も聞きました。
   しかし、秦軍の柱石だった白起、王翦、蒙恬といった名将達は、既に鬼籍に入っています。
   いまさら、章邯などという元文官を将軍に起用したところで、恐るるに足らないのでは?」

加蓮「最初は私もそう思ったよ。
   でもね、章邯は思い切った方法で、反乱討伐軍を短期間で編成してしまったんだ」

清美「どんな方法ですか?」

加蓮「関中には、労役を課せられている罪人が二十万人ほどいた。
   それで、章邯はその罪人達に布告を出したの。この遠征で生き残った者には恩赦を与え、放免するって」

清美「滅茶苦茶じゃないですか!」

加蓮「この方法なら、秦の正規軍を消耗しなくて済む。
   趙高からしてみれば、罪人たちを統率するのに苦労するのは章邯だし、
   章邯が部下の謀反に遭って死んでも痛痒を感じない。
   反乱鎮圧できたら御の字、ってとこかな」

清美「危険を承知で、そんなことまでしてしまうのですか。
   章邯とは、随分剛胆な人物なのですね」

加蓮「いま、秦が最も目障りだと思っているのは、大沢郷の陳勝、呉広の二人が建国した張楚だよ。
   現に澠地(べんち)において、章邯は張楚の将、周章率いる張楚軍を撃破している」

加蓮「さて、ここで問題です。章邯が次に標的にするのはどこの誰でしょう?」

清美「大沢郷に近く、秦にとって脅威となる存在と言えば……」

楓「正規軍を撃破した私達、かしら?」

加蓮「そういうこと。さらに悪いことに、章邯は機動戦を得意としてるみたい」

楓「機動戦って?」

加蓮「ある局面に、有効的に素早く兵力を投入し、主導権を握る戦い方だよ」

清美「『兵ハ拙速ナルヲ聞クモ、未ダ巧久ナルヲ賭ザル成リ』
   ……ということでしょうか?」

加蓮「それはね、拙い作戦の短期決戦は成功することはあるけど、
   緻密な作戦を練って戦を長引かせても、上手くいった例は無いって意味だから、少し違うかな?
   大雑把には、戦術と戦略の概念の相違で……」

加蓮「……って、そんな兵法の講釈は置いといて、要はここが攻められることになったら、
   二十万近い兵が殺到してくるだろうってこと」

清美「そんな大軍、相手にできませんよ」

楓「じゃあ、逃げるしかないわね」

清美「ちょっと、そんな無責任な! 沛はどうするんですか!」

加蓮「ううん。楓さんの言うことは正しいよ。私達独力で、秦軍相手に勝てるわけが無い」

清美「理屈はわかりますが、何か方法は……」

加蓮「長いものには巻かれろって言うでしょ?」

清美「私達よりも、大きな勢力に庇護を求める、ということですか。
   何か目星はついているんですね?」

加蓮「いま、江南の会稽に勢力を扶植している、項軍のところだよ」

加蓮「江南は、長江が防壁の役割を果たしているのか、あまり戦火が及んでいない。
   そういう土地を本拠地とし、馴致しているのは、よほど先見の明があると言えるね」

加蓮「項軍の総大将は項羽という人で、驍勇の誉れ高い。
   それに加え、范増(はんぞう)という人物が軍師として項羽を補佐している。
   配下には、英布という猛将もいるみたいだし」

楓「じゃあ、決まりね」

清美「あの……ご自分の故郷を捨てるおつもりですか?」

楓「章邯は秦の将軍でしょう? 反乱軍がいなくなった城市を、わざわざ破壊するとは考えにくいわ」

清美「しかし、万が一ということもあります」

加蓮「そんなに心配なら、志願者だけを連れて行けば良いんじゃないかな?
   楓さんと一緒に、異郷の地へ赴くことを肯んずる人だけを抽出できるわけだから、
   人材を一新することにもなると思うけど」

清美「むむむ……酷薄すぎるような気がしますが、致し方ありませんね」

楓「じゃあ、項軍の元に行くことは決定として、何かあてはあるのかしら?」

加蓮「大丈夫だよ。仮にも私達には、秦の正規軍を撃破したっていう実績がある。
   それだけの実力を持つ者を、迎え入れないわけないでしょ?」

清美「そう言われてみれば、そうですか……」

楓「じゃあ、そういう方針で決まりね。清美ちゃん、早速出発準備をお願い」

清美「わかりました……え~と、まずは機密書類を処分して……」


『項籍ナル者ハ、下相ノ人ナリ。字ハ羽。
 ソノ季父ハ項梁、梁ノ父ハ即チ楚将項燕ニシテ、
 秦将王翦ノ戮スル所ト為ル者ナリ。
 項氏世世楚ノ将ト為リテ、項ニ封ゼラレ、
 故ニ項氏ヲ姓トス』


(項籍は、下相の人である。字は羽という。
 項羽の末の叔父は項梁と言い、項梁の父は楚の武将項燕で、
 項燕は秦の武将王翦に討たれた。
 彼らは代々楚に仕える一族であり、項という地に封じられたので、
 項氏を姓とした)


~会稽(かいけい)~


英布(仙崎恵磨)「へへっ! 時子見てよ、この刺青。いかしてるだろ!?」

項羽(財前時子)「すこし声量を下げてくれない? 頭に響くのよ」

時子「それに……」ガシッ

恵磨「な、何!?」


ゴシゴシ


恵磨「あ~! 何で消すんだよッ!」

時子「何が刺青よ。塗ってあるだけじゃない」

恵磨「だ、だってさ~、刺青とか痛そうじゃん!」

時子「くだらない見栄を張るのはやめなさい、無様だから。
   ……あ、もしかして、もっと無様にして欲しいのかしら?」

恵磨「や、やめとく……」

范増(安部菜々)「そうですよ。刺青が格好良いなんて思うのは、若い頃だけですからね」

恵磨「若い頃って?」

菜々「な、ナナは十七歳ですからね! えっと……知り合いの人が言ってました。
   刺青なんてするもんじゃないって」

時子「そうね。菜々みたいに、自分の年齢を偽っているほうがよっぽど無様かしら」

菜々「何言ってるんですか、時子さん! ナナは本当に十七歳なんですってば!」

時子「そうかしら? 貴方が私の元へ来た時……」


~回想~


菜々「貴方が、項羽様ですか?」

時子「貴方こそ誰? 私、貴方みたいな隠者を相手にしているほど、暇じゃないのよ」

菜々「まあまあ。ナナは、項羽様こそが天下に覇を唱える方だと思いました。
   できれば、項羽様の覇業に、少しでもお力になれたらと思いまして」

時子「フン。で、何が出来るのかしら?」

兵士「おお、貴方は范増様ではありませんか!」

時子「この女を知ってるの?」

兵士「はい。私の母の命の恩人です!」

菜々「えっと、何の話でしょうか?」

兵士「俺がまだ子供だった頃、母が急病で倒れたんです。
   そのとき偶然通りかかった范増様に、薬をいただきました」

菜々「そんなことありましたっけ?」

兵士「そうですねぇ。もう二十年ほど前のことになりますから……」

時子「はぁ? 貴方幾つなの?」

菜々「な、ナナは、歌って踊れる十七歳ですよ。
   そ、そんな二十年前の話なんて、誰かと間違えているんじゃないですか?」

老婆「ああ! 貴方は范増様ではありませんか!」

時子「貴方も、この范増とやらを知ってるの?」

老婆「あれは、五十年前のことでしたか。
   爺さんと、私の仲を取り持ってくださったのが、この范増様なんです」

老婆「范増様。五十年経った今でも、爺様と私は、二人で仲良く暮らしています。
   優しい子供や孫達にも恵まれ、本当に幸せに暮らしております。
   それに今は、項羽様の身の回りのお世話をさせていただいております。
   いやはや、またお会いできるとは」

時子「五十年前?」

老婆「それにしても、范増様は五十年前と変わらぬお姿をしておられますな。
   美容の秘訣などがあれば、是非教えていただきたいのですが」

菜々「わわわ! 菜々は十七歳ですよ。五十年前のことなんて知りませんよ!」

時子「……いまから約七十年前、燕の国の王がこの世を去りました。誰でしょう?」

菜々「そんなの決まってるじゃないですか。恵王さんですよ。楽毅将軍のことはお気の毒でした……
   あの頃の燕は小国ながら、とっても活気があってですね……」

菜々「あ……」

時子「……そんなに若作りして、恥ずかしくないの?」

菜々「あわわ……」

時子「いいわ。そんなに醜態を晒したいというなら、公開処刑でも何でもしてあげるわ!
   もしかして、それが本当の目的だったのかしら? 醜い豚……いえ、兎ねぇ?」

菜々「あ、いえ、そんなわけじゃ……」

菜々(こんなところでくじけてはダメ!
   ナナの可愛いところを、存分に見せ付けなくちゃ!)

菜々「とにかく、歌って踊れるウサミンことナナが、
   項羽様の覇業をお手伝いしちゃいますよ☆」

菜々「キャハッ☆」キュピーン

時子「……イラッ★」



~回想終了~


『居巣ノ人范増、年七十、素家ニ居リテ奇計ヲ好ミ、
 往キテ項羽ニ説ク』


(居巣の范増は、年齢は七十歳、家に居ながらにして計略を好み、
 項羽の下に参じて献策した)

菜々「ま、まあ、そんなことは置いといてですね……」

恵磨「そんなことがあったんだ。菜々さんすげえ!」

菜々「うう……年上にさんを付けて呼ばれるとは」シクシク

兵「項羽様。またどこぞの侠客が、軍勢を率いてやってまいりましたが……」

時子「また? ふふふ……この国には、私に折檻して欲しい豚共が沢山いるみたいね。
   良いわ、通しなさい」

菜々「それにしても、時子さんの評判はすごいですね。
   参軍したいという人が、毎日来るじゃないですか」

時子「当然よ」

時子「で、貴方、どこの誰?」

楓「あっしは、沛の劉邦というケチなモンでございやす」

清美「楓さん。普通にしゃべってください」

楓「いや、雰囲気出るかと思って。ね?」

清美「ね? じゃありませんよ」

時子「……貴方達ふざけてるの?」

清美「い、いえ、そういうわけじゃないんです」

時子「我が軍には、穀潰しを養う余裕なんてないのよ?」

菜々「時子さん、待ってください。
   沛の劉邦といえば、つい先日、秦の正規軍を独力で撃破した人物ですよ」

時子「ふうん。なら尚更、遠路はるばるこんなとこまで来る必要なんてないじゃない?」

菜々「沛は張楚に近い。だから、張楚の次は沛が標的になるかもしれない。
   そうなれば、劉邦軍単独では、秦軍に対抗できないとお考えになったのですね?」

加蓮「そういうこと」

加蓮(世評どおり、この范増っていうお婆さ…)

菜々「ニッコリ★」

加蓮(いや、この若くて可愛い娘は、なかなかの切れ者だね……
   何か、心を読まれている気がするし……)

楓「へへ~、項羽様~。粉骨砕身頑張りますから、
  どうか貴軍の末席にでもお加えくだせぇ~」ガバッ

清美「楓さん。どうして拝礼してるんですか!」

楓「これぐらいやったほうが、憐れっぽくみえるでしょ?」ボソッ

時子「聞こえてるわよ」

楓「あらあら。うふふ……」

時子「まあいいわ。精々励みなさい」

楓「ありがとうございます」

時子「でも、貴方達が加わるのは項羽軍ではなく、楚軍よ」

清美「楚軍とは、どういうことですか?」

菜々「私達はつい先日、楚の懐王を探し出して推戴したんです」

時子「要は、態の良い神輿よ」

菜々「あわわ。時子さん、ぶっちゃけちゃダメですよ!」

時子「良いじゃない。事実なんだから。この天下に、私が誰に憚る必要があるというの?」

菜々「は、はぁ……それは、そうですが……」

清美「とにかく、受け入れていただき、ありがとうございます!」

楓「私達は、これで失礼しますね」

時子「菜々。劉邦軍に適当な宿営地を」

菜々「はい。かしこまりました!」

時子「あ、それから、次の軍議には貴方達にも出席してもらうわよ。
   精々、無い知恵を絞り出すことね」

楓「頑張ります!」

加蓮(ふうん。項羽って、こういう人なのか……)


~会稽・政庁~


懐王「さて、本日諸君に集まってもらったのは他でもない」

懐王「我が軍は、以前に較べて大きく成長した。
   今こそ出師し、秦の息の根を止めるべし」

諸将「おお! 陛下のおっしゃるとおりだ!」

懐王「そこで、我らの最大の障碍となるのは、おそらく章邯であろう」

時子「能書きは良いわ。章邯の現在の動きはどうなっているのかしら?」

懐王(項羽め、出しゃばりおって……)

懐王「章邯は張楚を攻め滅ぼし、現在は華北の趙に侵攻しておるそうじゃ」

楓「えっ、張楚が滅亡した……?」ヒソヒソ

加蓮「こっちに来たのは正解だったね」ヒソヒソ

懐王「そこで我らは、二面作戦を展開しようと思う。
   一軍は項羽が指揮し、華北へ行け。章邯を斃すのだ」

菜々「時子さん。これは、私達を遏絶しようとする、懐王さんの策略ですよ」ヒソヒソ

時子「懐王ごときが、猪口才な」ボソッ

時子「……それで陛下、もう一軍は誰が指揮し、どこを攻めるのかしら?」

懐王「もう一軍は劉邦にまかせよう。西へ向かい、関中を攻略するのじゃ」

楓「私が、ですか?」

時子「待ちなさい。どうみても、私の方が貧乏籤を押し付けられているじゃない」

懐王「何を言う。最強の敵に我が軍最強の勇者を当てるのは、兵法から言って当然ではないか。
   それとも、驍勇の誉れ高い項羽将軍が、文官くずれの章邯ごときを恐れておるのか?」

時子「いいわ。そこまで挑発されたら、私も退けない!」

加蓮「楓さん。どうやら運が巡ってきたみたいだね」ヒソヒソ

楓「そうね」ヒソヒソ

加蓮「時子さんが秦軍相手にてこずっている間に、肥沃な関中を手に入れてしまおう!」

楓「うん」

懐王「劉邦よ、異存はないな。そなたの方も、重要な任務であるぞ。
   関中を攻略した暁には、かの地を呉れてやろう」

楓「おまかせください」

懐王(ふふふ……章邯と項羽を戦わせれば、敗北はしなくても、項羽の力を削ぐことができる。
   そして、劉邦に関中をくれてやれば、項羽に対抗できる勢力となろう。
   私はその間隙を衝いて、己が力を蓄えるのだ)

時子(懐王め、今のうちに良い気になっていなさい……)


~数十日後 黄河・南岸~


斥候「項羽将軍、報告します!」

斥候「章邯率いる秦軍は、現在趙の鉅鹿(きょろく)を包囲しております!
   兵数は、およそ二十万」

菜々「に、二十万!? 我が軍は七万ほどです。どうしましょうか……」

時子「何か良い策があるかしら? 無ければ、脳髄を抉り出してでも建策させるわよ」

菜々「ひいっ! それだけはご勘弁を……え~っと、敵は二十万もの大軍なのですから、
   兵糧が切れるのを待ちましょうか。おまけに遠征軍でもあります。
   『逸ヲ以ッテ労ヲ討ツ』と、兵法でも言うじゃありませんか」

時子「そんなまどろっこしい作戦じゃ、劉邦に先を越されるわよ。
   どうしてあんな呆けた奴に、関中なんてくれてやらなきゃならないの?」

菜々「とは言ってもですね、真正面からぶつかりあうのは、無謀かと思いますが……」

時子「これだから軍師という生き物は……
   だいたい、こっちも長江を越えて北上し、さらに今黄河を渡渉しようとしている。
   遠征軍としての疲労は、こちらも似たようなものでしょう」

菜々(……う~ん、時子さんの言うとおりかもしれません。
   しかし、大軍相手に短期決戦を挑むとは……)

時子「恵磨、全軍を整列させなさい」

恵磨「何するんだ?」

時子「いいから、早く!」

楚兵「項羽様が演説だってよ」

楚兵「何だろうな?」


ゾロゾロ


時子「全軍、よく聞きなさい! 我らはこれから、章邯率いる秦軍と雌雄を決する!
   秦軍は二十万。我らの三倍よ」

楚兵「に、二十万だと……!」

楚兵「そんなの、勝てるわけないだろ……」


ザワザワ


菜々「ち、ちょっと、時子さん! どうしてこっちが劣勢ってことをばらしちゃうんですか!」

時子「私の演説を邪魔する気? 良い度胸ね」ギロッ

菜々「すみません……」

時子「貴方達の目には、恐れが見える。それは私とて同じよ」

恵磨(私とて同じ? 絶対嘘だろ……)

時子「しかし、敵は章邯が苦し紛れにかき集めた、罪人の軍勢。
   それに、長年関中という温ま湯に浸かってきた弱卒。
   幾多の苦難を乗り越え、剽悍を謳われる我ら楚軍の敵ではない!」

楚兵「そうだそうだ! 項羽将軍の言うとおりだ!」

時子「我らはこれから死に行くのだ! 皆の者、この場で釜を捨てよ!
   食料も、一両日分を残して全て燃やせ!」

時子「私が手本を見せましょう……うおおおおっ!」


バッシャーン

楚兵「そ、そうだ! 俺達は楚軍なんだ。
   それに、項羽将軍や英布将軍もついている! 負けるわけがねえ!」

楚兵「退いたら、絶対に項羽将軍に嬲り殺される。進んだら、生き残る可能性はある。
   どっちが良いかなんて、考えるまでもねえぜ!」


ガシャン ドサドサ メラメラ


時子「フ……豚共が、少しは良い眼をするようになったわね。行くわよ、我が下僕たち!」

時子「大楚(タアチュウ)!!」

全軍「「「大楚!!!」」」




恵磨「なんだかんだ言って、時子ってすごいよな……」

菜々「はい。時子さんには、兵法や軍学なんて通用しないみたいですね……」


~鉅鹿城前~


時子「さて、どこから攻めるか……」

菜々「時子さん、秦軍は総数二十万なれど、
   城を囲繞している包囲陣を見るに、各部署数万といったところでしょう」

時子「なるほど。各個撃破を狙うのね」

菜々「そうです。まずは我らに一番近い、蘇角の軍勢から攻めましょう!」

時子「その言や良し! 我が愛馬、騅(すい)よ、飄風と為りて、私を導け!」

時子「全軍、我に続け!」


ワーワー ウオオオオ!

蘇角「貴様が項羽か。秦の威光に逆らう楚賊め、覚悟しろ!」

時子「……感謝しなさい」

蘇角「何だと?」

時子「私自ら、貴様のような下郎の首を、斬り飛ばしてあげると言ってるのよ」


ガキン!


蘇角「むうっ!」

時子「私の剣を防ぐとはね……嬲り甲斐があるじゃない」

蘇角(何だこの膂力は!? まるで、巌のようではないか!)


ギリギリギリ


時子「ほら、どうしたの? 剣を押し返さなきゃ、死んじゃうわよ?」

蘇角「ぐ、ぐぐ……」

時子「はい、残念。時間切れ」


グシャッ


秦兵「うわぁ! 蘇角将軍が討たれた!」

恵磨「やるな時子。まず、緒戦は勝ったか……」

菜々「お二人とも、敵の新手です! おそらく渉間かと!」

時子「恵磨、残敵の掃討を! 新手には私が当たる!」

恵磨「新手はアタシにまかせろって!
   総大将が一番危険な場所にいてどうするんだッ!」

時子「こんな劣勢で、総大将も何も無いでしょう!
   私自ら死地に赴かずして、誰がついてくるというの!」

恵磨(男前すぎる……)

時子「我こそはと思う勇者は、私に続け!
   渉間の首を取った者には、好きなだけ褒美を取らせるわ!」

楚兵「皆! 項羽将軍を討たせるな!」


ドドドドド

渉間「蘇角将軍が討たれるとは予想外だったが、楚軍は疲労しているぞ」

時子「渉間! その首を寄越しなさい!」

渉間「皆の者! 無理に力攻めする必要は無いぞ!
   敵が疲労しきったところで、項羽の首のみを狙え!」

時子「甘いわね、渉間。私がそんな悠長な戦をするとでも?」

時子「邪魔だ! どけ!」


ズバッ


時子「私は、渉間の首に用がある! 死にたくなければ前に立つな!」


グシャッ


秦兵「うわぁ! こいつ、化け物だ!」

秦兵「一人で三十人は斬り倒しているぞ!」

楚兵「見たか! 項羽将軍は鬼神だ! この方がいる限り、百戦しようとも負けることはねえ!」

渉間「楚軍にはまだ余力があるのか……
   しかし、悪あがきよ。このまま耐えていれば……」

秦兵「将軍! 側面に敵の一隊が!」

渉間「何だと! 楚軍にはまだ予備兵力が残っていたのか?」

恵磨「アンタ、運が悪かったよ」

渉間「お、お前は!」

恵磨「アタシがいつまでも、雑魚の掃討をしてるとでも思ってたのか?
   悪いけど、アタシの功名の種になってもらうぜ」


ザクッ


渉間「ぐ、ぐふ……」ドサッ

時子「良いとこ取りなんて、度胸あるわね。恵磨」

恵磨「そう言う時子も蘇角を討ち取ったじゃんか。
   時子だけに、手柄を立てさせるわけにはいかないよ」

恵磨「そんなことより、褒美、忘れるなよ?」

時子「フン。この戦いで、恵磨が生き残ってたら考えておくわ」

恵磨「……いや、戦いはまだ終わってないみたいだ。あれを見ろよ」

時子「また新手か……ここまでくると、いい加減うんざりするのだけど」

恵磨「どうするんだ? 疲れ果てて、座り込んでしまっている兵も多い。
   このままじゃ為す術無く負けちまうぞ」

時子「最後まで戦う。我ら楚の意地を、秦に思い知らせてやるのよ」

恵磨「しょうがないな……ま、時子と枕を並べて討ち死にってのも、悪くは……」

王離「観念しろ、項羽! 蘇角と渉間の仇、この私がとってくれる!」

?「サバオリくんスプラーッシュ!」ブッシャー

王離「あばばばば……」ジャバジャバ

恵磨「……なあ、時子」

時子「……何よ」

恵磨「あれ、何なんだ?」

時子「私に聞かないでくれる?」

?「秦軍の将、王離! 獲ったろ~!」

楚兵「おい、見たか! あのお嬢ちゃんすげえな!」

楚兵「それより、あの大量の水、どこから湧いてきたんだ?」

時子「……そこの貴方。一体何者?」

彭越(浅利七海)「彭越って言うのれす~。七海って呼んでくらさい」

時子「なかなか見所があるわね。我が軍の帷幕に加わりなさい」

恵磨(どんな見所があったんだろう? 水を噴きだしていたところかな?)

七海「王離さんを捕まえたので、何かご褒美が欲しいのれす」

時子「考えておくわ。まずはこの戦を終わらせましょう」

時子「恵磨。ここで一度戦列を整えなさい。鋒矢陣で、章邯の本隊の中央を突破。
   然る後に背面展開よ! 背面に回る部隊は、貴方が指揮しなさい」

恵磨「わかった。で、時子は?」

時子「決まってるでしょう? 主攻正面よ!」

恵磨「やっぱりな!」

時子「菜々。貴方は負傷兵と投降兵をまとめ、後陣の指揮を執りなさい。
   それから、秦軍が残していった軍需物資を、可能な限り鹵獲すること」

菜々「わかりました!」

時子「……さて、章邯。貴方はどう料理してあげようかしら?
   凌遅刑なんて、お好み?」ニヤァ


『章邯等、其ノ卒ヲ将イテ鉅鹿ヲ囲ム。
 楚ノ上将軍項羽、楚ノ卒ヲ将イ、往キテ鉅鹿ヲ救フ。
 夏、章邯等、戦ヒテ数却ク。
 項羽、急ニ秦軍ヲ撃チ、王離ヲ虜ニス。
 邯等、遂ニ兵ヲ以テ諸侯ニ降ル』


(章邯は、秦軍を率いて鉅鹿を包囲した。
 楚の上将軍である項羽は、楚の将兵を率いて、鉅鹿を救援した。
 季節は夏、章邯は楚軍と戦って、しばしば後退した。
 項羽は、秦軍を急追し、王離を捕縛した。
 章邯は、矛を収めて投降した)


~函谷関~


楓「ふう……ようやく函谷関まで来れたわね」

清美「ここまでは順調でしたが、この先はそうも行かないでしょう。
   何しろ、敵の本拠地に乗り込むのですから」

楓「そうね。気を引き締めていきましょう」

加蓮「ゴメン。その心配は要らないみたい……」

清美「どういうことですか?」

加蓮「ついさっき、咸陽から内通の返事が来たんだ」

楓「内通って、もしかして……」

加蓮「そう、事前に手回ししておいたんだ。
   胡亥の弟の子嬰(しえい)は、兄を殺し、宦官の趙高も弑殺したみたい。
   だから、函谷関を開くかわりに秦王の位は安堵してくれって」

楓「すごいわ。加蓮ちゃん」

清美「なんだか拍子抜けですね」

加蓮「これで、無駄に兵を失わなくて済むよ」

楓「では、早速咸陽に入城しましょう」

加蓮「ん~、それはやめていたほうが良いかも」

清美「どうしてですか?」

加蓮「ついさっき、項羽軍が章邯を降したって知らせが入ったから」

清美「えっ! 章邯を撃破したんですか!?」

加蓮「うん。そのまま、こっちに向かっているみたい」

楓「でも、私達が先に関中に入るわけだから、項羽さんに遠慮する必要はないんじゃないかしら?」

加蓮「あのね、楓さん。もしあの項羽がごねたら、
   私達の兵力で太刀打ちできると思う?」

楓「無理……」

加蓮「あの人の性格から言って、どんな因縁つけてくるか分からないから、
   咸陽なんか譲ってあげれば良いんだよ」

清美「理屈では分かっていますが、なんだかもったいないような……」

加蓮「私も、ただで関中を呉れてやるなんて思ってないよ」

清美「何か妙案でも?」

加蓮「項羽は、一部の人を除いてあまり人望が無い。
   だから、楓さんは時子さんとは逆のことをすれば良い」

楓「何をすれば良いのかしら?」

加蓮「“法三章”を布告する」

清美「法三章?」

加蓮「人を殺したら、死刑。人のものを盗む、または人を傷つけた者は、処罰。
   これを関中じゅうに布告するの」

清美「それは、法としてあまりにも単純すぎるのではありませんか?」

加蓮「良い? 二人とも。今まで関中の人民達は、秦の苛烈な法家主義で縛られてきた。
   だからこそ、単純明快な法を布告すれば、人心は楓さんのもとに収束するはず」

加蓮「ひいては、項羽と差をつけられる、またとない好機だよ」

清美「どうせあの人が関中に入ってきたら、軍政じみたことをしでかしそうですからね……」

楓「わかったわ。加蓮ちゃんの意見を採用ね……
  それじゃあ、私達は咸陽には入らないとして、どこに拠点を置こうかしら?」

加蓮「覇上のあたりなんて、よさそうじゃないかな?」

楓「なら決まり。全軍に、略奪その他の行為は一切禁じると布令を出して」

清美「了解しました」

加蓮(まさか項羽も、これには難癖つけてこないよね……?)


~しばらく後・函谷関~


時子「やっと着いたわね」

菜々「東の中原に較べて、関中は道が険阻ですからね……腰にきます」

時子「なら、居巣に帰ればいいじゃない。もう歳なんでしょう? ふふふ……」

菜々「や、やですねぇ。ナナは十七歳ですから、こんな山道もへっちゃらですよ!」


タッタッタ


恵磨「菜々さん、そんなに走ったら転んじゃうよ」

菜々「平気です……アデッ」ステーン

菜々「いたた……」

時子「その泥まみれの姿、居巣で畑仕事をしていた菜々にはお似合いね」

菜々「そこまで言わなくてもいいじゃないですか!」

時子「そんなことはどうでも良いとして……劉邦は今どこにいるのかしら?」

菜々「えっと、間者の報告によれば、劉邦さんたちは咸陽に入らずに、
   覇上を拠点としているようです」

時子「あら? 秦の首都に入城しないなんてね……」

菜々「恐らく、時子さんの武威を慮ったのでしょう」

時子「今まで劉邦を愚鈍な女と思っていたけど、その認識を少し改める必要があるみたいね。
   如才ないところもあるじゃない」

菜々「でもその代わり、法三章の布告を出しているみたいですよ」

時子「何それ?」

菜々「殺人、傷害、窃盗。これらは処罰する。それだけだよ……って感じの布告です」

時子「好き勝手にしてくれている……」

菜々(でも、先に関中に入ったのは劉邦さんなのですから、
   時子さんがとやかく言う筋合いは……)

時子「何か言った?」ギロッ

菜々「何でもありませんよ!?」

時子「それなら良いわ……菜々、咸陽に入城後、諸侯を集めなさい。論功行賞を行うわ」

菜々「論功行賞って、懐王さんの許可を頂かなくても良いんですか?」

時子「秦は滅ぼしたも同然。そして、この世で最強の武力を持つのはこの私。
   誰にはばかる必要があると言うの?」

菜々「それもそうですが……劉邦さんはどうするんですか?」

時子「殺す」

菜々「こ、殺すって……何か名分がないと、世間から非難されちゃいますよ」

時子「私のみならず、懐王の許可無く勝手に法三章の布告を出した。
   許しがたい反逆行為よ」

菜々「ですが……」

時子「そうね……菜々、劉邦に使いを出して」

菜々「何と?」

時子「鴻門に来るようにと。それと、刺客の手配も」

菜々「は、はい……」


~覇上・劉邦軍本営~


清美「楓さん、その竹簡は何ですか?」

楓「項羽さんから、宴会のお誘いが来たの」

清美「宴会? 大丈夫でしょうか?」

楓「ただの宴会への招待って言うから、問題無いんじゃないかしら?」

清美「あの人が、他人を宴会に招くような人に見えますか?
   絶対罠ですよ!」

楓「大丈夫大丈夫。ほら、早く行かないと料理が冷めてしまうかもしれないわ」テクテク

清美(楓さん、飲み食いしたいだけなのでは……?)

加蓮「私も、これは罠だと思うけどな」

清美「加蓮さんもそう思いますか?」

加蓮「でも、行かなかったら行かなかったで、後で難詰されそうだしね。
   ここは上手く切り抜けるしかないよ」

清美「何か良い策はありませんかね?」

加蓮「仕方ない……茜」

茜「何でしょう?」

加蓮「茜は、楓さんの護衛として、宴会が行われる部屋の外で控えてくれる?」

茜「項羽さんが楓さんを害そうとしているのに、外で待機というのは危険ではありませんか?
  私も、部屋の中に入ったほうが」

加蓮「武装した茜が部屋の中にいると、怪しまれるよ。
   私も丸腰で同席するから、合図したら駆けつけてね」

茜「了解しました!」

清美「あの、私はどうすれば?」

加蓮「清美は留守番で」

清美「また留守ですか」

加蓮「大人数で押しかけたら、不審がるよ。
   それに、清美がいたところで、乱戦にでもなったらどうするの?」

清美「そうですね。私は荒事はからっきしですから……
   分かりました、加蓮さんと茜さんにお任せします。どうか、楓さんを守ってください」

茜「お任せあれ!」

加蓮「うん、約束するよ。じゃ、行って来るから」


~鴻門~


楓「失礼します。宴会は、ここであってますか?」

時子「よく来てくれたわ。さあ、こちらへ」

楓「ありがとうございます……」

菜々「あ、張良さん。こちらへどうぞ」

加蓮「はい……」

時子「遠慮せずに食べなさい。酒もたくさん用意してあるわ」

楓「うわぁ! 見事な豚の丸焼きですね」

時子「それ、私が作ったのよ」

楓「おいしそう……」

時子「……あら貴方、なかなか飲(い)ける口なのね?」

楓「はい。自慢ではありませんが、故郷の沛では一日中飲んでいましたから」

時子「そう。随分気楽な身分だこと」

楓「そんなに褒められると、恥ずかしいです」

時子(この女……全く肌に合わないわ。迷わず殺しておくべきね)

楓(この人……世間では鬼神だとか言われてるけど、とっても優しい人ね。
  お酌までしてくれるなんて……)

加蓮(この二人、話が合っているようで、全くかみ合ってない……)

菜々(良い調子ですよ、時子さん。
   このまま劉邦さんを酔い潰してしまえば、あとはサクっとヤるだけですからね)

時子「ところで劉邦。貴方、関中に入ってから随分好き勝手してくれたみたいね?」

楓「はあ……何のことでしょうか?」

時子「そうやってしらばっくれるところ、虫酸が走るわ。
   法三章のこと、忘れたの?」

楓「ああ、あれですか。
  秦って細かいところまで法律で決まっていて、何だか息苦しくなっちゃったんですよ」

時子「仮にも貴方は懐王の臣下よ?
   占領地の統治なんて、そんな勝手が許されると思っているの?」

楓「勝手って言うなら、項羽さんもそうじゃないですか。
  勝手に咸陽に入城して、略奪しまくってるって話、聞いてますよ」

時子「……」イラッ

楓「う~ん、久しぶりに酔ったわ。少し……」フラッ

菜々(時子さん、今ですよ!)

時子(……殺す!)

加蓮(もう限界かな?)


チリーン


菜々(あれ? この鈴の音は?)


ドーン!


菜々「キャッ!」

茜「項羽様! 少しお待ちください!」

時子「何者だ!」

茜「私は沛公の家臣、樊噲と申します! 項羽様、話を聞いてください!」

菜々(しまった! 刺客への合図が……それにしても、この人は一体?)


『樊噲曰ク、
 懐王諸将ト約シク曰ク、先ニ秦ヲ破リテ咸陽ニ入ル者ハ之ヲ王トセン。
 今沛公先ニ秦ヲ破リテ咸陽ニ入リ、毫毛モ敢ヘテ近ヅクル所有ラズ。
 宮室ヲ封閉シ、還リテ覇上ニ軍シ、以テ大王ノ来タルヲ待テリ。
 労苦シテ功高キコト此ノ如シ。未ダ封侯ノ賞有ラズ』


(樊噲は言った、
 「懐王は諸将に、最初に咸陽に入った者を関中の王とすると約束しました。
  しかし劉邦は一番乗りしたにも関わらず、まったく咸陽に近づこうとしません。
  宝物庫を封鎖し、覇上に布陣して、項羽さまがいらっしゃるのを待っていたのです。
  このように劉邦は項羽様の為に働きましたが、いまだに恩賞の沙汰がありません」)
  

加蓮(良いよ茜。その調子で!)

時子「しかし……」

菜々(時子さん、言い負けてはいけません! もっと言い返して!)

茜「おっと、楓さんはかなり泥酔している様子。
  これ以上、ご迷惑をおかけするわけにはいきませんから、今日はこのあたりで失礼します!」


ガシッ


楓「あれ?」

茜「それでは!」ピューッ

加蓮「わ、私も、このあたりで……」スタコラサッサ

時子「ちょっと、刺客たちは何をしているのかしら!?」

菜々「あの……時子さん……あれを見てください」

時子「何?」

刺客達「……」ピヨピヨ

菜々「全員、“のされて”しまっているみたいです……」

時子「これ、全部あの樊噲とかいうあの女がやったのかしら」

菜々「取り逃がしてしまいましたね……って、あーっ!」

時子「どうしたの、素っ頓狂な声を上げて」

菜々「酒瓶と、豚の丸焼きがいつの間にか消えてますよ!」

時子「あの酒、一番上等な酒だったわね。
   それに、あの情況で豚の丸焼きをもって行くって、どういう神経してるのかしら?」イラッ

菜々(ああ、時子さんの顔が……)ガタガタ ブルブル

時子「まあ良いわ。劉邦なんて、いつでも殺せる」

菜々(ホッ。時子さんはまだ冷静ですね)

菜々「そういえば、論功行賞の件なんですが」

時子「何か良い考えでも?」

菜々「はい。劉邦さんを殺し損ねたのなら……ゴニョゴニョ」

時子「……ククク。アーハッハッハ! それは妙案ね!
   良い様だわ、劉邦!」


~覇上・劉邦軍本営~


清美「あ、お帰りなさい。大丈夫でしたか?」

楓「とっても楽しい宴会だったわ。途中で、茜ちゃんが部屋に突撃してきて、すごく盛り上がったのよ。
  上物のお酒のお土産まであったし」

加蓮「」ゲッソリ

清美(加蓮さんの様子からすると、修羅場をくぐってきたようにしか見えないんですが……
   どうしてお二人の様子がこうも違うのでしょう?)

茜「ムシャムシャ……」

清美「あの、茜さん。その豚の丸焼きはどうしたんですか?」

茜「あ、これお土産です!
  ちょうど、豚の丸焼きが卓の真ん中に置いてあったので、もって帰ってきましたよ!」

清美「そ、それは良かったですね……」

楓「留守中に、何かあった?」

清美「あ、そういえば、論功行賞が発表されました」

加蓮「え、そんな! 楓さんには何の沙汰も無かったのに!」

茜「楓さんは、当然関中を貰えるんですよね!?」

清美「それが、楓さんには……巴蜀の地を与え、漢中王に封じるとのことです」

加蓮「巴蜀って、そんなひどい!」

楓「巴蜀……?」

茜「ご飯いっぱいありますか!?」

清美「巴蜀とは、この関中や秦領山脈の南方の地。二千里四方を、岩山に囲まれた僻地です。
   罪人たちも、流刑先が巴蜀と聞いただけで震え上がるとか」

楓「……」

加蓮「大丈夫だよ、楓さん。私達がついているから」

茜「漢中も、人が住んでいないわけじゃないでしょうから、何とかなりますって」

清美「いまは、楓さんの運気が弱くなっているだけです。
   運気が巡ってくるときまで、雌伏しましょう」

楓「ありがとう、みんな……」ショボーン

加蓮「あんなに落ち込んでいる楓さん、見たことないよ」ヒソヒソ

清美「ええ。大変な仕打ちを受けましたからね」ヒソヒソ

茜「こんな時こそ、私達がしっかり支えてあげなくては!」

楓(関中のお酒、美味しかったわね……もう飲めないのかしら……)


~数ヵ月後 漢中~


清美「……残念ですが、今回は採用を見送らせていただきます……」

「そうですか……残念です……」

清美(はぁ……こうやって人材募集をしていると、沛にいたときのことを思い出しますね)

清美(それにしても、これといった人材がなかなかいません。
   無理もありませんね。そもそも人口じたいが少ないのですから)

清美「はい、次の人……」

?「ようやく順番が回ってきたか。全く、この私を待たせるとはな」

清美「申し訳ありません。まず、貴方の特技を教えてください」

?「戦だ。勿論、武術のことを言ってるのではないぞ。軍の指揮のことを言っている」

清美「ということは、軍を指揮しての実戦の経験がおありなのですね?」

?「ああ。項羽のところにいたんだ」

清美「そうなんですか。でも、どうして項羽軍を抜け出して、わざわざこんな僻地まで?」

?「項羽は、確かに戦は強い。しかし、それゆえに部将に委任するということを知らん。
  どんな戦でも、自分が指揮せねば気が済まぬという性質だな。
  だから、項羽軍に私の働きどころは無いと考えたのだ」

清美「なるほど。では、最初は小隊の隊長から……」

?「冗談はよしてくれ。私がその程度の器だと思うのか?」

清美(何ですかこの人は……)

清美「じゃあ、どういう役職をご希望ですか?
   参謀ですか? それとも前線指揮ですか?」

?「劉邦軍の大将軍にしてくれ。そうすれば、項羽など打ち砕いてくれる」

清美「な……! あ、あの、貴方のお名前は?」

韓信(池袋晶葉)「韓信だ。晶葉と呼んでくれても良いぞ」

清美「韓信さんですか」

晶葉「項羽は、世間では鬼神とか言われているそうだな。
   しかし項羽が鬼神というなら、私は軍神だ。私に数万の軍をくれ。
   項羽の首級を、漢中王の御前に献じてみせよう」

清美(ここまで大言壮語が過ぎると、本物なのか馬鹿なのか、
   見分けがつきません)

清美「あの項羽に、勝算があるということですか。なら、その根拠を教えて下さい」

晶葉「良いか、これは劉邦と項羽の二人の人物の対比なのだが……」

清美「ふむふむ……はあ、なるほど……」


~楓の居室~


清美「楓さん! 楓さん!」

楓「どうしたの、清美ちゃん。そんなに慌てて」

清美「ついに天運が巡ってきましたよ! それも、人の形をして!」

楓「あら。とんでもない人材が来たとか?」

清美「この人です。韓信さんです」

晶葉「よろしく」

楓「よろしくね……それで、この子に何ができるというの?」

清美「戦ですよ!」

楓「戦? でも戦上手の武将なら、我が軍に何人か……」

清美「楓さん! この人は、戦上手なんて表現で収まりませんよ!」


『何曰ク、
 諸将ハ得易キノミ、信ノ如キ者ニ至リテハ、国士無双ナリ。
 王必ズ長ク漢中ニ王タラント欲セバ、信ヲ事イル所無シ。
 必ズ天下ヲ争ワント欲セバ、信ニ非ザレバ、与ニ事ヲ計ル所ノ者無ナシ。
 王ノ策ヲ顧ミルニ、安レノ所ニカ決セム』


(蕭何は言った、
 「他の部将達はどこにでもいる人材ですが、韓信はこの国で二人といない逸材です。
  陛下が漢中王の地位に甘んじるなら、韓信は不要でしょう。
  しかし天下を狙うならば、韓信の他に、共に戦略を謀る者はおりません。
  陛下は今後の戦略をお考えになるとき、どちらを選ばれますか」)

楓「国士……無双?」

清美「そうです! さあ晶葉さん、さっき話したことを楓さんにもう一度お願いします!」

晶葉「そう急かすな……楓さん、だったか?
   この人も、情況が飲み込めていないじゃないか」

清美「す、すみません」

楓「さっきの話って、何のこと?」

清美「どうすれば項羽に勝てるか、ということですよ」

楓「え……勝てるの? 私が?」

晶葉「ああ。私の言う通りにすればな」

清美「そうだ、皆さんを広間に集めましょう」

楓「そうね、せっかくだから皆で話を聞きましょう」


~広間~


晶葉「まず初めに、一介の流浪人でしかない私を登用していただき、ありがとうございます。
   また、私の為にこのような席を設けていただき、恐懼せんばかりにございます……」

晶葉「……挨拶はこのあたりにして、始めようか。
   まず、楓さんに聞きたいのは、劉邦と項羽という二人の人物を較べたらどうか、ということだ」

楓「私と項羽さんを較べると、私はあらゆる面において、項羽さんには及ばないでしょう」

晶葉「私もそう思う」

加蓮「……ねえ清美、あの人誰?」

清美「私達の天運ですよ」

加蓮「天運って何?」

清美「まあまあ、最後まで話を聞いてみましょうよ」

加蓮「分かった……」

晶葉「私は、項羽の下にいたことがあるからよく分かる。
   項羽の武勇は世に冠絶し、その用兵手腕は神懸かりと言っても過言ではない。
   到底、まともに戦って勝てる相手じゃない」

楓「うん」

晶葉「しかし、項羽はあまりにも戦が上手すぎるために、どんなに小規模な戦闘でも、
   配下の部将たちに任せるということを知らない。
   つまり項羽の武勇は、“匹夫の勇”と言える」

楓「匹夫の勇か……なんだか、項羽さんが小さく見えるような気がするわ」

晶葉「次に、項羽の仁について。
   項羽は、意外に思うかもしれないが、実は配下の将兵たちに対してはとても優しい」

楓「そうなの? 噂を聞く限り、誰にでも厳しく当たる人だと思っていたのだけど」

晶葉「項羽は、兵が飢えていれば自らの食を与え、将が寒がっていれば、自らの袍を着せてやる。
   厳格に見えるが、それは愛情の裏返しなんだ」

楓「私は、私について来てくれた人達に、そこまで気配りをしてきたのかしら?」

晶葉「しかし、この点も心配することは無い。項羽の仁は、“婦人の仁”だ」

楓「婦人の仁……どういうこと?」

晶葉「項羽は、確かに身内に対しては優しい。
   しかし、先の論功行賞で、彼の配下の部将たちの誰一人として、王に封じられていない。
   まあ、あえて例外を言うなら英布ぐらいのものだろう」

楓「そんなのおかしいわ。項羽さんの周りには、確かに親族がたくさんいたけど、
  誰もそんなに大功を立てていないはずよ」

晶葉「そう。項羽は配下に恩賞を与えるとき、まるで物惜しみする婦人のように、これを出し渋っている。
   これを婦人の仁と言わずして何と言う」

晶葉「そこで、もう一度最初の問いに戻ろう。劉邦と項羽という二人の人物を較べたとき、
   果たしてどちらがより優れた器の持ち主であるのか」

晶葉「噂によれば、劉邦は一人では何も出来ない人物だと聞いている。
   しかし、自分ができないならその分野が得意な者に任せてしまう、という器量がある」

晶葉「恩賞や地位も、惜しみなく配下の部将たちに分け与えている。
   例えば、そこにいる蕭何や張良を起用したときのように。
   そうすれば、誰もが貴方の下で働きたいと思うようになる。
   つまり、楓さんは項羽と逆のことをしていれば、奴を凌ぐことができるというわけだ」

楓「素晴らしい意見ね。本当に、晶葉ちゃんが言った通りのことをすれば、項羽さんに勝てる気がするわ」

晶葉「まだこれで終わりじゃない。前述に加えて、項羽には四つの失策がある」

晶葉「一つ。項羽は要害の地にして、肥沃な関中を捨てたこと。
   今、項羽が本拠としているのは、彭城という平地にある城だ。出撃には便利だが、攻めやすく守りにくい。
   孫子が説くところの、“衢地(くち)”というものだろうな」

晶葉「二つ。最初に担ぎ上げた懐王の許可無く、勝手に論功行賞を行ったこと。
   公平ならばまだ救いようがあるが、全ての基準を自分の好悪の感情一つで決めており、不公平甚だしい」

晶葉「三つ。各地で虐殺の限りを尽したこと。投降してきた子嬰を勝手に殺してしまったのは周知のことだ。
   それに鉅鹿の戦いで、項羽は秦の章邯を降したが、そのとき秦軍は二十万はいたはず。
   その大量の捕虜がどうなったか、知っているか?」

楓「そういえば、項羽さんが関中に入ってきたとき、そんな大量の捕虜は連れていなかったわね」

晶葉「殺したんだ。全て」

楓「えっ」

晶葉「正確に言えば、生き埋めにしたんだ。
   二十万の捕虜を崖の近くに固めて野営させ、夜更けに三方向から奇襲を仕掛た。
   後はどうなったか、わかるな? 二十万人が、崖から突き落とされてしまったんだ」

楓「そんな……ひどい……」

晶葉「項羽が、どれだけ天下の蒼氓から嫌われているか、言うまでもない」

晶葉「そして四つ目。論功行賞を終えて、彭城に帰還した項羽が最初にやったこと。
   それは懐王を弑逆したことだ」

楓「子嬰さんのみならず、懐王さん、殺されちゃったんだ……」

晶葉「おいおい、知らなかったのか?
   項羽は、天下の大半を手に入れて、何もかも自分の思い通りになると信じきっている。
   項羽の暴虐に怯える蒼氓を救えるのは、貴方しかいない」

晶葉「それに楓さんがこんな僻地に追いやられて、配下の将兵たちの中には、
   東方の故郷に帰りたいと願う者も多いはず。
   今貴方が項羽打倒の兵を挙げれば、配下の将兵は喜び勇み、項羽を快く思っていない諸侯達は、
   こぞって貴方の旗の下に馳せ参ずるだろう」

楓「清美ちゃん、加蓮ちゃん。今の話を聞いてどう思う?」

清美「私は、晶葉さんのおっしゃるとおりかと」

加蓮「私から、一つ質問しても良い?」

晶葉「何なりと」

加蓮「今の晶葉の話は、劉邦と項羽という二人の人物の本質に迫る話だった。
   言いたいことはよく分かったけど、実際にはどういう戦略で項羽を倒すの?」

晶葉「それは、これから説明しようと思っていたんだ」

晶葉「まず、全軍を率いて関中を攻める。そして、彼の地を項羽打倒の策源地とする」

加蓮「今、関中には章邯が王として封じられているよ。章邯を相手にして、勝てると思う?」

晶葉「問題ない。章邯は、二十万の秦兵をむざむざ項羽に殺され、厚かましく関中の王としてのこのこ帰ってきた。
   関中の人々からすれば、何様のつもりだと思うだろう。
   つまり、関中の人心は、とうの昔に章邯から離れている」

加蓮「なるほど。じゃあ、その次は?」

晶葉「関中を手中に収めたら、そこで一度態勢を整え、軍備を拡張する。
   そして全軍を二つに分ける。楓さんを総大将とする本隊と、私が率いる別働軍だ」

楓「あら? 晶葉ちゃんが項羽さんと戦うんじゃなかったの?」

晶葉「そうしたいのはやまやまだが、関中を攻略しても兵が足りない。
   だからこそ、周囲の諸侯を攻略し、隷下の兵力を吸収する必要がある。
   それに、私が大軍をもっていたとしても、無名で実績の無い私が出て行ったところで、
   兵達は私の指揮には従おうとしないだろうし、項羽自ら出撃してくるとは考えにくい。
   だからこそ、楓さんに項羽の囮になってもらう必要がある」

清美「囮って……そんな危険な真似、できるわけないでしょう!」

晶葉「危険な橋を渡らずして、たやすく天下が手に入ると思うな。
   ただでさえ、項羽は天下の九割がたを掌中に収めているんだ。
   項羽に逆転できる戦略があるだけまし、と思ってもらおうか」

清美「それはそうですが……」

楓「それで、私が囮になっている間に、晶葉ちゃんはどうするの?」

晶葉「さっきも言ったが、私は周辺の諸侯を攻め、これらを併呑していく。
   最初は肥沃な華北あたりが狙い目だな。
   そして、大軍を編成したところで南下し、項羽の本拠地である徐州を包囲する。
   包囲してしまえば、いかな項羽であろうとひとたまりもないだろう」

加蓮「諸侯を併呑するってことは、彼らに勝てるという自信があるわけ?」

晶葉「こればかっりは、私を信じてもらうしかないな。
   なぜ勝てるのかなんて、言葉で説明できるものではないし……」

晶葉「さあ、これで私の話は終わりだ。
   後は楓さんが、この戦略に乗るのか、それとも一生漢中の王として生涯を終えるのか。
   好きな方を選んでくれ」

楓「……」

清美「どうするんですか、楓さん」

加蓮「私は、楓さんがどんな道を選んでも、最後までついていくよ」

楓「……韓信ちゃんの話には、感心しちゃうわね。ふふっ」

晶葉「……」

清美「だー! かー! らー! くだらない駄洒落はやめて下さいって、言ってるじゃないですか!
   ほら、晶葉さんもドン引きして……」

加蓮「はははは! 楓さん、もう止めてよ! これ以上吐血したら死んじゃうよ!
   ……くくく……はははは!!」ジタバタ

清美(この流れ、前もどこかで見たような……)

晶葉「ふ、ふふふ……ははは! 韓信の話に……感心……ははは!
   こいつは傑作だ!」ジタバタ

清美(うわぁ、この人まで……)

楓「……韓信よ」

晶葉「……はい」

楓「そなたを、この“漢軍”の総大将に任ずる。そなたの思うように、存分に軍略を描くがよい」

晶葉「かしこまりました。臣韓信、謹んでお受けいたします」

加蓮(楓さん……雰囲気が変わった……?)

清美(龍の子っていう噂を流したのは私ですが、あながち嘘ではないのかもしれませんね)

晶葉(私の目に狂いは無かったな。この人は、まさしく天下人の器だ)

楓「蕭何、張良、韓信。そなたら三人は漢軍の柱石。
  来たる“漢”の建国において、そなたらの奮闘努力に期待すること大である」

楓「全軍に発令せよ! 今日この時、劉邦は項羽打倒の兵を挙げる! 目指すは徐州だ!」

三人「「「御意!!!」」」


~その夜~


清美「さっきの楓さん、とても迫力がありましたね」

楓「そんなことはないわよ」

清美「それで、一つ質問があるのですが」

楓「なに?」

清美「“漢”って、何ですか?」

楓「私が、天下統一を成し遂げた後に、建国する国の名前にしようと思っているの」

清美「何故、“漢”という国名にしたんですか?」

楓「清美ちゃんは、“漢”という字の意味を知ってる?」

清美「いえ、存じませんが」

楓「“漢”という字にはね、“天の川”という意味があるの」

清美「そうなんですか。初めて聞きました」

楓「もし私が国を作るとしたら、天の川のように沢山の人が集まって、
  皆で力を合わせるような、そんな国にしたいって思うの」

清美「そこまでお考えとは……感服いたしました」

楓「だから、これからもよろしくね、清美ちゃん」

清美「ええ。後方支援は、この蕭何におまかせあれ!」




茜「zzz……わたし、わすれさられているような……」グウグウ ムニャムニャ


~一ヵ月後・廃丘~


章邯「ぐっ……貴様ら! 私を誰だか知った上での狼藉か!」

晶葉「無様だな……これが、常勝を謳われた名将の末路とは」

章邯「黙れ! まともに戦えば、私は貴様なんぞに負けることはない!
   そもそも、宣戦布告も無しに、いきなり攻めてくるなんて卑怯だと思わないのか!」

晶葉「まともに戦っていれば勝てた? 何馬鹿なことを言っているんだ。
   『正々ノ旗ヲ邀得ルコト無ク、堂々ノ陣ヲ撃ツコト無シ』……
   よもや孫子を知らぬ章邯ではあるまい」

章邯「……」


晶葉「それに私は、奇襲を仕掛けようとは思ってはいなかった。
   進軍するたびに、関中の人々が秦軍の位置を知らせてくれたし、
   逆に私達の進軍情況を隠匿してくれたのだからな」

章邯「そんなこと、あるはずがない……」

晶葉「現実を見ろ、章邯。お前は既に、関中の王ではない」

章邯「たとえ民が叛意を抱こうが、私は秦への忠誠を忘れたことは一度も無い!
   私以上に、この国に忠誠を尽した者がいるか!」

晶葉「憐れだな……」

兵「韓信将軍。章邯をいかが致します?」

晶葉「獄卒に斬らせろ。本人もそれを望んでいるようだし」

兵「よろしいのですか?
  章邯ほどの者であれば、将軍自ら首を打たれると思っていたのですが」

晶葉「私は、この愚物の血で剣を汚したくない」

兵「……かしこまりました」

楓「お疲れ様、晶葉ちゃん」

晶葉「いや、想像以上に関中の攻略はたやすかったよ。
   まさか関中の人々がここまで協力的だとは思わなかった。
   これも、楓さんの人徳の賜物だな。法三章も効いているようだ」

楓「それほどでも……」

清美「作戦の第一段階は上手くいったとはいえ、これからが本番ですね」

晶葉「そうだな。では、関中の統治は清美に任せるとして、
   徴兵および調練が完了した後、軍を二手に編成しよう」

加蓮「当初の計画通りってわけ?
   でも間諜の報告によれば、項羽は自ら軍を率いて、徐州を出発したみたいだよ」

晶葉「さすがに行動が早いな……しかし、案じることはない。
   私には一、二万ほどの兵があれば良いし、楓さんはそのほかの兵を全て率いてくれても構わないぞ」

楓「晶葉ちゃん、これから隣国を攻略していくというのに、そんな寡兵で良いの?」

晶葉「寡兵、そして韓信という無名の指揮官が率いるからこそ、相手を油断させることができる。
   まあ、まかせてくれ……」

晶葉「しかし、心配なのは楓さんのほうだ」

楓「確か私の方は、関中から東に進軍して、滎陽(けいよう)周辺の諸城に篭城すれば良かったのかしら?」

晶葉「そうだ。滎陽は劉邦軍にも項羽軍にも味方していない、いわゆる中立の立場だからな……
   そのあたり、加蓮と相談して上手く味方に引き入れてほしい」

加蓮「大体、どうして滎陽にこだわるの?
   篭城するなら、函谷関とか武関とか、要害はたくさんあると思うけど」

晶葉「函谷関と武関は、それぞれ関中の玄関口と裏口といえる。
   たしかに要害だが、抜かれると項羽軍が関中になだれ込んでくるぞ。
   一方滎陽は、秦が築いた穀倉がある。
   あの城は、城全体が食料庫みたいなものだから、篭城にはうってつけなんだ」

楓「わかったわ。それじゃあ、清美ちゃんは関中をお願い。
  加蓮ちゃんは、私の側にいて。晶葉ちゃんは……」

晶葉「気をつけて、って言うんだろう? 心配無用さ」

楓「ふふっ。頼りにしているわ」


~滎陽~


住民「出て行け! 劉邦!」

住民「そうだそうだ! お前ら二人の戦争に、私達を巻き込むな!」

加蓮「……ですよねー」

楓「申し訳ないけど、この城で項羽軍を迎え撃ちます、何て言って、
  はい喜んでって言う人なんていないわよね……」

加蓮「どうする? この城攻めちゃう?」

楓「それはちょっと……あまりにも住人さんが可哀そうよ」

?「おやおや、お困りかな?」

楓「あれ、貴方は?」

陳平(一ノ瀬志希)「陳平って言うの。よろしく~」

志希「それでさ、キミたちこの城が欲しいんだよね?」

楓「う、うん」

志希「なら、あたしに任せてみない?」

加蓮「まさか、あの住人を説得するって言うの?」

志希「その通り! 単身で行けば、話を聞いてくれるでしょ」

楓「じゃあお願い。私達、この城が欲しいの。できれば無傷で」

志希「天下の項羽を相手に、勝負を挑むって言うんだからね。なかなか面白そう!」

加蓮「ちょっと、どうしてそれを……」

楓「まあまあ、加蓮ちゃん。ここは陳平さんに任せてみましょう」

加蓮「ま、ダメで元々だけど……」

志希「じゃあ行ってくるね~♪ あ、褒賞はちゃんと用意しておいてよ!」

楓「何者かしら、あの子」

加蓮「また濃い人がやってきたな……」


~滎陽城内~


長老「……何回も言わせるな。我らは劉邦にも、項羽にもつかんと言っておるだろうが」

志希「なるほどねぇ~。でもさ、項羽って“疑わしきは罰する”って言う方針の人だって知ってた?」

長老「どういうこうとじゃ?」

志希「あのね、私がこの城に入ったってことは、早晩項羽にも知られると思うんだ。
   だから後で項羽がこの城にやって来たときに、キミたちがいくら弁明しても、
   劉邦との仲を疑われるんじゃないかな?」

長老「いくらなんでも、そんなことがあるものか」

志希「あれ? どうしてそんなことが言い切れるのかな?
   章邯が降伏した後、二十万の秦軍がどうなったか、知らないの?」

長老「そ、それは……」

志希「それに、キミはさっき中立を守るって言ってたけど、
   項羽がそんなこと許すと思う?」

長老「い、一体、項羽は何をすると言うんじゃ……?」

志希(よしよし。あともう一押しだね)

志希「……もしかしたら、皆殺しになるかもしれないよ?」ニタァ

長老「ひっ! み、皆殺し……!」

志希「さあ、私達に協力して生き残る希望に賭けるのか、
   それとも、最初から項羽に生き埋めにされるのか、どっちが良い?」

長老「……わかりました。劉邦様に、お味方致します……」

志希「はい、けって~い♪ さっそく、劉邦軍を迎え入れる準備をおねがいね☆」

長老(この女……まるで悪魔だ!
   無関係の旅人だって名乗ったから、入城を許可したのに!)


~劉邦軍・本営~


志希「ただいま~♪」

加蓮「もう帰ってきたの!?」

志希「ほら、あの城門を見て」

加蓮「開いてるし……よく承知してくれたね」

楓「まさかとは思うけど、脅したりしていないわよね?」

志希「そんなことするわけないじゃん! 相手が、聞き分けの良い人でよかったよ」

加蓮(つまり脅したんじゃん……
   どうせ、項羽についたら殺されるとか言ったに違いない……)

志希「じゃ、あたしはこれで」

楓「あれ? 私に仕官しに来たものだとばかり思っていたわ」

志希「そうだよ。だから、これから劉邦軍のために、暗躍しようと思ってね」

加蓮「そもそも、なんでうちに来たの? どう考えても、項羽の方が優勢なのに」

志希「項羽の下には范増っていう軍師がいるから、あたしの出る幕がないわけよ。
   それに……」

加蓮「それに?」

志希「楓さんからは、天下人の匂いがするんだ♪」

楓「クンクン……加蓮ちゃん、私そんな匂いするの?」

加蓮「わかんない」

志希「ま、これからは志希ちゃんにまかせなさい♪」

楓「何にせよ、少し休んだらどうかしら」

志希「もうすぐ、項羽との大戦が始まるって言うのに、悠長なことしてらんないよ」

志希「総大将である劉邦を、囮にして項羽を釣り出し、その隙に韓信率いる別働隊が包囲網を形成する……
   なかなか良い戦略じゃないかな?」

加蓮(この女、そこまで見抜いているのか……ここで殺しておくべきかな?)

志希「ニャハハ! 天下の諸人を騙せても、この志希ちゃんの目は誤魔化せないよ……
   それじゃあ、行ってくるね♪」スタスタ

加蓮「……行っちゃった。良くわかんない人だね。それに、どこに行ったんだろう?」

楓「さあ? でも、悪い人じゃなさそうよ。
  加蓮ちゃん、入城するとしましょうか」

加蓮「う、うん……」


~広武・項羽軍本営~


菜々「時子さん、ここから西へ少し進めば、もう滎陽城に着きますよ」

時子「あの女、やはり生かしておくべきではなかったわね」

菜々「過ぎたことを悔やんでも、仕方ありませんよ……
   それにしても、劉邦軍がここまで伸張してくるなんて思いませんでした」

時子「そうね……でも、今の劉邦軍の動きは理にかなっていて無駄が無い。
   劉邦の下に、優秀な戦略家が加わったのかしら。
   蕭何も張良も、謀略と内治の才はありそうだけど、軍才はそれほどでもないはずよ」

菜々「間者の報告によると、韓信さんが劉邦軍の指揮を執っているみたいですね」

時子「韓信? ああ、あの小賢しい小娘のことかしら?
   十万の兵を与えてくれれば、天下を切り従えてみせる、とか豪語していたわね」

菜々「私も、ただの狂人としか思っていませんでした。
   しかし、わずか一月で関中を攻略してしまった手腕を見るに、
   相当な軍才の持ち主だったということでしょうか」

時子「あの章邯を討ったことは評価できるわね。
   でも、この天下に私に勝てる武将なんているかしら?」

菜々「時子さんのおっしゃるとおりです!
   滎陽を攻めて劉邦の首級を挙げれば、孤立した韓信軍なんて、恐るるに足りません」

兵「こら! しっかり歩け!」

?「しゅ、しゅまみしぇ~ん!」

時子「騒がしいわね。一体何?」

兵「申し訳ありません。陣の外を、怪しい女がうろついていたものでして」

時子「そんな者、追い返してしまえば良いでしょう?」

兵「そうしようとしたのですが、すぐに泣くわへたり込むわで、手に負えません。
  万が一、敵の間者であるかもしれず、本陣まで連れて来ました」

時子「暇つぶしにはなるわね。接見してあげても良いわよ」

兵「かしこまりました……さあ、来い!」

虞氏(大沼くるみ)「ふぇ……くるみ、どうなっちゃうんでしゅかぁ~?」

時子「見るからに愚鈍な女ね。貴方、どうして陣の外をうろついていたの?」

くるみ「おなか空いて……」

菜々「おなか空いてるなら、ご自分の家に帰ればよかったのでは?
   もしかして、迷子になっちゃったんですか?」

くるみ「家族みんな、戦で死んじゃってぇ……
    くるみ、一人ぼっちになって……もう、どうしていいか……」ヒック ヒック

菜々「時子さん。何だか可哀相になってきましたね。
   私達でこの子の面倒を見るのはどうで……」

時子「嫌よ。どうして私が、こんな愚図の面倒を看なくてはいけないの?
   私は特にね、胸に栄養がいってるような薄ら馬鹿が嫌いなのよ。
   こんな奴、しまつ……」

くるみ「ふぇええ~。くるみ……殺されちゃうの……?」グスッ グスッ

菜々「ああ、涙を拭いてください! ほら、鼻水もかんで!」

くるみ「チーン!」

時子「自分の都合が悪くなったら泣くなんて、面倒にも程がある!
   ああもう! 菜々、どうしてもと言うなら貴方この小娘の面倒を看なさい。
   ついでに礼儀作法も指導しておきなさい。見苦しくてしょうがないわ」

菜々「ありがとうございます!
   さあ、時子さんの許可が出ましたよ。もう安心してくださいね」

くるみ「ありがとう、菜々しゃん……時子しゃんも」

時子「フン。貴方に礼を言われる筋合いは無いわ」

菜々(時子さん、その台詞どう考えてもツンデ……)

時子「アァン?」ギロッ

菜々「な、何でもありませんよ。あはは……」


~井陘(せいけい)~


陳余「……それで、いま漢軍の動きはどうなっておる」

部将「はい。漢軍は、韓信を総大将とし、井陘口からこちらへ向かっているようです」

陳余「兵数は?」

部将「正確な数はわかりませんが、斥候の報告によりますと、約二万と」

陳余「二万とな。我ら趙軍は十万を越えていることは、韓信とてわかっているはず。
   何故、兵を進めてくるのだ?」

部将「何か勝算があるのか、それとも大馬鹿者なのか、どちらかでしょう」

伝令「申し上げます! 漢軍に動きがありました!」

陳余「何があった?」

伝令「漢軍は泜水(ていすい)を渡渉し、そのまま河を背にして布陣しました」

陳余「……はっはっは! 韓信は、どうやら大馬鹿者だったようだな。
   背水の布陣とは、兵法が最も忌むものだ。よほど戦を知らぬと見える」

部将「我が軍はいかが致しますか?」

陳余「全軍を城から出撃させ、河へ追い詰めろ。奴は、自ら死地に踏み込んだのだ」


~泜水・韓信軍本陣~


側近「将軍、よろしいのですか。我が軍の布陣は背水ですぞ」

晶葉「ああ、これが私の戦術だ。それで、埋伏はどうなっている?」

側近「お下知どおり、山中に」

晶葉「大いに結構。では、始めよう。重歩兵を前に出せ、その背後には弓兵を。
   できるだけ、敵の攻撃を食い止めろ」

側近「将軍、あれを御覧ください! 趙軍が出撃してきましたぞ!」

晶葉「よし、すぐにとりかかれ」


ワーワー  ヤーヤー ドドドド 


漢兵「くそっ! 敵の数が多すぎる! こんなんじゃ勝てねえよ!」

晶葉「お前ら、何をしている! 私達に残されている道は、二つだけだ!
   河に落ちて溺死するか、敵を斬攪して生き延びるか。好きなほうを選べ!」

漢兵「なんて将軍だ……だが、溺死なんて真っ平ゴメンだ!
   やってやろうじゃないか!」

晶葉「うんうん、良いぞ。兵達は実によく耐えている」

側近「しかし、このままでは……」

晶葉「頃合いだな。狼煙をあげろ! 埋伏部隊を動かせ!」

側近「はっ!」

陳余「河を背にして、漢軍は死に物狂いで戦っておるな。
   しかし、体力がいつまでもつか……」

部将「……おや? ……しまった!」

陳余「どうした。何かあったのか?」

部将「城を御覧ください! 城壁のあちこちに、漢軍の赤旗が!」

陳余「何故じゃ! どういうことじゃ!」

趙兵「おい、あれを見ろよ! 俺達の城が、いつの間にか敵に奪われているぞ!」

趙兵「そんな! 敵は、別働軍を擁するほどの大軍だったということなのか!?」

趙兵「勝ち目は無え! 逃げようぜ!」

陳余「こら、貴様ら! もう少しで勝てるのだぞ! なぜ逃げるのだ!」

部将「将軍……」

陳余「ぼさっとしとらんで、貴様も兵を集めろ!」

部将「もう、我々の敗北のようです」

陳余「何!?」

晶葉「ご機嫌いかがかな? 陳余将軍。初めまして、私が韓信だ」

部将「陳余様、我々は包囲されております。これ以上は……」

陳余「ぐぬぅ……韓信、貴様は兵法を知らん! 背水は、下策中の下策だぞ!」

晶葉「戦が、兵法を知っている者が必ず勝てるというものなら、誰も苦労はしない。
   戦とは、そのときの情況によって戦術を変えるものだ。
   『兵ニ常勢無ク、水ニ常形無シ。能ク敵ニヨリ変化シテ勝ヲ取ル者、之ヲ神ト云フ』
   ……違うか?」

陳余「韓信……いや、韓信様、どうか命だけはお助け下さい!」ガバッ

晶葉「おや、兵法を知らぬ私に、拝礼までしてくれるのか。
   安心してくれ、命までは取らない」

陳余「あ、ありがとうございます」

晶葉「誰かある」

兵「はい」

晶葉「陳余を捕らえよ。井陘に入城後、刑場に引き出し、こいつを斬首しろ」

陳余「約束が違うではないか!? 命だけは助けると……」

晶葉「ああ、言った。しかし、私が助けると言ったのは趙兵の命だけで、
   お前を助けるなんて一言も言ってないぞ」

陳余「そ、そんな……」

晶葉「私が欲しいのは兵力だけだ。
   敵の数倍の兵力を持ちながら、惨敗した無能な指揮官なんて、お前だって欲しくないだろう?」

陳余「あ……あぁ……」

晶葉「見苦しい。早く連れて行け」

兵「かしこまりました」


『大将ノ旗鼓ヲ建テ、鼓行キテ井陘口ヨリ出ズ。
 趙壁ヲ開キ之ヲ撃ツ。戦ウコト久シ。信耳佯リテ鼓旗ヲ棄テ、水ノ上ノ軍ニ走ル。
 趙果タシテ壁ヲ空シク之ヲ逐ウ。水ノ上ノ軍皆殊死シテ戦ウ。
 奇兵二千騎、則チ馳セテ趙ノ壁ニ入リ、皆趙ノ旗ヲ抜キテ、漢ノ赤幟二千ヲ立ツ。
 趙ノ軍已ニ信等ラヲ失ヒテ壁ニ帰リ、赤幟ヲ見テ大イニ驚キ、遂ニ乱レテ遁走ス。
 漢ノ軍夾撃シテ、大イニ之ヲ破リ、陳余ヲ斬リ、趙歇ヲ禽ニス』


(漢軍は牙門旗を立て、鼓を打ち鳴らしながら井陘口を出撃した。
 趙軍は城門を開いて迎撃した。長い戦いの末、韓信は旗や鼓を捨てて逃げた。
 趙軍は城を空にして追撃した。しかし川辺に布陣した漢軍は死に物狂いで戦った。
 その間に、漢軍二千騎が趙の城に入り、趙の旗を抜いて、二千本の漢の赤旗を立てた。
 趙軍は韓信を捕らえることができず、城壁の赤旗を見て驚愕し、混乱の末潰走した。
 漢軍は挟撃し、趙軍を大いに破り、陳余を斬首して、趙歇を捕らえた)


~六(りく)~


「おい、最近英布様のお姿をお見かけしないが、どうしたんだ?」

「さあ? いろいろと、悩むことがあるんじゃねえの?」

「そうかなぁ。英布様は項王から九江王に封じられたんだぜ、これ以上望むべくもない出世じゃないか」

「それはそうだけど……ま、俺達下っ端にはわからねぇ悩みがあるんだろ」

「贅沢だな」


~英布の居室~


従者「英布様、よろしいでしょうか?」

恵磨「どうしたんだ?」

従者「漢王の使者を名乗るものが、面会を要求しておりますが」

恵磨「劉邦からだと? いま、時子からの使者も来ているだろ?」

従者「追い返しますか?」

恵磨「いや、ちょっと待て……話だけでも聞いてみたい」

従者「かしこまりました。では、客間にお通しします」

恵磨「……で、アンタが劉邦の使者だって?」

志希「志希ちゃんだよ。よろしく♪」

恵磨「用件は何だ?」

志希「最近、九江王は館に篭りきりという噂を聞いたものだから」

恵磨「それがどうした」

志希「深くお悩みのご様子。
   よろしければ、この志希ちゃんが悩みを晴らしてみせましょう」

恵磨「言っておくが、アタシは時子の味方だからな。
   間違っても劉邦に味方するつもりは無い」

志希「あらら、見抜かれてたか……
   でも、これ以上栄達を望めないのに、いつまでも項羽の下にいても良いのかな?」

恵磨「何だと?」

志希「それに、本当に項羽の味方だったら、どうして援軍を率いて滎陽攻めに加勢しないのかな?
   あたしからは、傍観に徹しているように見えるけど?」

恵磨「それは……」

志希「項羽は気侭な性格だから、いつ王の位を没収されてもおかしくない。
   それに、いまの九江王という身分も、たった一、二万の軍勢を動員できる程度に過ぎない。
   自分はこのままで良いのだろうか。もっと大きな封土を貰ってもおかしくないのでは……?」

志希「……な~んてことを考えているんじゃないのかな?」

恵磨「あんた……何者だ」

志希「さっき取り次ぎで聞かなかった? 劉邦の使者だよ」

恵磨「そういうことを聞いてるんじゃない!」

志希「まあまあ、そんなイラつかずに……それに、あたしが何者かなんて、今は関係ないでしょ?
   要は、キミの覚悟一つで決まるものなんだよ」

恵磨(確かに、この女の言う通りだ。最近の時子のやり方にはついていけない。
   でも、せっかく貰った王の位を捨てるのは惜しい。
   アタシは、どうすれば……)

楚の使者「英布様、その女の妖言に惑わされてはいけません!」

恵磨「お前、どっから……」

使者「失礼ながら、先ほどのお話は全て聞かせていただきました。
   英布様、項羽様は轡を並べて幾多の戦場を越えてきた貴方を、王に封じられたではありませんか。
   その大恩を蔑ろにして、劉邦の味方をしたら、天下の笑いものになりますぞ!」

使者「即刻、兵を率いて滎陽の攻囲軍にお加わり下さい。
   そこで戦功を立てれば、さらに恩賞をいただけるでしょう!」

恵磨「それも、そうだよな……」

志希「ねえキミ、ちょっとこっちに来てくれない?」

使者「近寄らないでください!
   さあ英布様、この女を切り捨て、首級を項羽様に献上しましょう」

志希「まあまあ、そう言わずに……サクっと♪」ブスッ

使者「え……」


ポタ ポタ ポタ


使者「これは……あ……」ドサッ

恵磨「うわあ! お前、何しやがる!」

志希「何って、見たらわかるでしょ? 邪魔だから始末したんだよ」

恵磨「てめえ、時子の使者を殺すなんて……!」

志希「おや、ここであたしを殺すの?
   別に良いけど、項羽の使者を殺しちゃったっていう事実は消えないから、
   後で項羽さんに怒られちゃうかもね?」

志希「とんでもないことをしてしまったなー。
   もう、劉邦に味方するしか道は残されていないような気がするなー
   ……どうかな?」

恵磨「くそっ! こうなったら、もう自棄だ!」

恵磨(どうして……どうしてこうなっちまったんだ!
   アタシは、どこで間違えたんだ……?)

志希「大丈夫だよ。楓さんは器の広い人だから、九江王よりも良い位をくれるって♪」

志希「……ま、逆らわない限りはね」ニタァ

恵磨(この女、まるで猛毒だ……
   こんな女を使いこなしてる劉邦って、もしかしてとんでもない大人物なのか……?)


~開封~


七海「……聞いてくらさいよ~。
   それから、七海は時子さんのために戦ったんれすけど、まったく恩賞がなかったのれす!」

志希「それは大変だったねー。項羽っていう人は、本当に吝嗇だよね」

七海「そうなのれす!」

志希「でもね、うちの劉邦様は違うよ。功績のある者には、恩賞や領地は大盤振る舞い!
   キミの活躍次第で、好きな領地を貰えるんじゃないかな?」

七海「本当れすか!?」

志希「本当だよ。確か、七海ちゃんは元漁師だったよね?」

七海「そうれす。だから、時子さんに海沿いの領地が欲しいって言ったのに……」

志希「わかった。そういうことなら、あたしが劉邦様に進言しておくよ。
   彭越には、梁の地を与えるようにって」

七海「うわあ! 梁って、たくさん海岸がある土地れすね!
   どうすれば、七海の実力を認めてもらえるのれすか?」

志希「そうだね……楚軍の後方を脅かして、兵站線を寸断しまくるっていうのはどうかな?」

七海「そういうことなら、まかせてくらさい! よ~っし、頑張るぞ~♪」

志希「うんうん。頑張ってね♪」

志希(ちょろい……ちょろすぎる……)ニタァ


~咸陽~


清美「……ふう。楓さんたち、大丈夫でしょうか?
   各地の報告を聞く限り、戦況はあまり動いていないようですが……」

?「さあさあ、寄ってらっしゃい見てらっしゃい。
  美味しい野菜、甘い果物、綺麗なお花まで、何でもそろってるよ!」

清美「あれは……面白そうな屋台ですね。すこし覗いてみましょうか」

?「お客さん、何が欲しい?」

清美「えっと……喉が渇いたので、水気のある果物とか」

?「じゃあ、この瓜をどうぞ。いま切り分けてあげるからね」

サク サク サク

?「はい、どうぞ」

清美「いただきます」シャク

清美「う~ん、美味しいです! 実が大きく、でも大味でもなく、水気と甘さが絶妙で……
   もしかしてこの瓜、かの有名な“東陵瓜”ではありませんか?」

?「よく知ってるね、お客さん」

清美「まさか、あなたは……」

召平(相葉夕美)「私のこと知ってるの? 夕美って呼んでね」

清美「おっと、名乗るのが遅くなりました。私は蕭何。清美とお呼びください」

夕美「えっ! あの蕭何!? すごい! 有名人だ!」

清美「夕美さんに較べれば、私の名なんて……
   それよりも、“東陵侯”と呼ばれる夕美さんが、どうして屋台を?」

夕美「ま、私にはこれが性にあってるから」

清美「以前に、東陵侯召平はゆうに一国の宰相が務まる才腕の持ち主だ、という評判を聞きしました。
   もしよろしければ、漢の廟堂に加わっていただきたいのですが」

夕美「せっかくのお誘いだけど、遠慮しておくよ。
   『鷦鷯深林ニ巣クウモ一枝ニ過ギズ』って言うからね。
   私には、今のままが良いんだよ」

清美「荘子ですか。これは一本取られてしまいました。
   もしかして夕美さんは、老荘の士なのですか?」

夕美「そんな大げさなものじゃないけどね」

清美「まあ、無理強いをしてはいけませんね。
   夕美さんさえよければ、私の友達になっていただきたいものです」

夕美「うん! 私は、いつもこのあたりをブラブラしてるから、
   気軽に声を掛けてくれたらうれしいな」

清美「ありがとうございます。おっと、もうこんな時間ですね……」

夕美「忙しそうだから、また今度ね」

清美「この、瓜とっても美味しかったです!」

夕美「ふふっ。次に会うときも、用意しておくよ」

清美「期待しておきます。では、また!」


~滎陽・楚軍本営~


くるみ「パクパク モグモグ」

時子「ほら、またこぼしてるわよ」

くるみ「ご、ごめんなしゃい」

時子「何度言ったらわかるの。
   ものを食べてるときは、しゃべらない! 汚いでしょうが!」フキフキ

時子「まったく……どんな躾をされて育ったのか、親の顔が見てみたいものね」

菜々(時子さん、なんだかくるみちゃんの世話が気に入ったみたいですね)

時子「何か言った?」

菜々「いえ、何でもないです……それよりも、滎陽城の攻略はどうするんですか?」

時子「城攻めなんて、できることは限られているでしょう?
   焦ったところで仕方ないわよ。それに、城壁の上に何とかっていう小娘がいる。
   ほら、鴻門のときに邪魔をしてきた」

菜々「小柄なのに、次々と兵を投げ飛ばしているあの人ですか?
   たしか、樊噲さんでしたね」

時子「まあ、いつか城は陥ちるわ。
   せっかく劉邦が篭っているんだから、ここはじっくりと腰を据えて攻めるべきね」

菜々「時子さん、時間があるうちに、なるべく劉邦軍の手の内を探りたいんですが」

時子「何をするの?」

菜々「降伏を勧告する使者を送るんですよ。
   軍使ですから、殺される心配もありませんし、安全に城内を探れると思うんですが」

時子「良いわよ。好きにしなさい」

菜々「ありがとうございます」

くるみ「ああっ! 杯をこぼしちゃったぁ……」

時子「まったく、どこまでドジなら気が済むわけ!?
   もっと他人に迷惑をかけないように振舞えないのかしら?」フキフキ

くるみ「ご、ごめんなしゃい……」

菜々(口ではああ言っておきながら、最近の時子さんはくるみちゃんの世話に夢中ですね……
   まあ、時子さんにいじめられることが少なくなったので、良しとしますか)


~滎陽・漢軍本営~


使者「誰か、誰かおりませんか! 先に、矢文が届いているかと思いますが」

楓「お待ちしておりました。項羽軍からの、使者の方ですね?」

使者「そうです。我が軍は、貴軍と和睦したいと考えておりますれば」

楓「さあ、こちらへどうぞ。
  戦中ゆえに、対しておもてなしもできませんが、おゆるしください」

使者「失礼します……」

使者「……おお、これは太牢(たいろう)ではありませんか」

楓「“范増殿”の使者ですから、このくらいは当然です」

使者「“范増殿”の使者……? 私は、項王の使者として参ったのですが」

楓「あら? そうでしたか……みなさん、料理を下げてください」


※太牢(たいろう)

 ・羊、豚、牛などを用いたコース料理。
  当時は最高の料理とされた。本来は社稷に供えるもの。

使者「あの、劉邦様。これは一体どういうことですか?」

楓「“項羽”の使者と、話すことは何もありません。お引取りください」

使者「し、しかし……」

楓「衛兵! この使者を外に放り出しなさい!」

衛兵「はい! さあ、こっちにくるんだ!」

使者「ち、ちょっと待ってください! 話はまだ……」

楓「次は、范増殿の使者をお連れくださいね」ニコッ

加蓮「……上手くいったみたいだね」

楓「あの使者、顔が真っ青になっていたわね」

加蓮「これで、項羽と范増の仲を裂くことができたはず。
   あの知恵袋がいなくなれば、楚軍の力は半減するよ」

楓「そうなってくれれば良いのだけれど」

加蓮「何か心配事があるの?」

楓「心配なことは沢山あるわよ。清美ちゃんは、咸陽での政務で倒れたりしてないかとか。
  晶葉ちゃんは、戦略どおりに戦運びができているのだろうかとか。
  志希ちゃんは、どこに行っちゃったんだろうとか」

加蓮「大丈夫だよ。あの三人を信じてあげることが、一番大切なんじゃないかな?」

楓「加蓮ちゃんの言う通りね」

加蓮「それに今一番危機的状況なのは、この滎陽だよ。
   何せ項羽とその主力を一手に引き受けているんだから」

楓「加蓮ちゃんがいるんだし、何とかなるわよ」

加蓮(この人、重圧とか責任とか、まったく感じないのかな……
   大器なのか、単なる馬鹿なのか……)


~その夜・楚軍本営~


菜々「……あの、どんなご用件でしょうか」

時子「あら、しらばっくれるのね」

菜々「いや、本当に何のことか知りません!」

時子「使者の報告によれば、まるで貴方が劉邦と内通しているみたいに感じたそうよ」

菜々「どうしてナナが、時子さんを裏切らなきゃならないんですか!?
   挙兵したときからの仲じゃありませんか!」

時子「もういいわ。後陣に控えていなさい。しばらくの間、頭を冷やすのよ」

菜々「そんな……どうして……」

時子「早く行きなさい。それとも、つまみ出されたいのかしら?」

菜々「……失礼します」

菜々(もう、時子さんにはついていけません……
   間者から、恵磨さんと七海ちゃんが、漢軍に寝返ったという報告も受けていますし。
   これで、時子さんの命運は尽きましたね……)


~翌朝~


時子「それで、菜々はどうしているの?」

側近「今朝から姿をお見かけしていません。おそらく、陣を離れたと思われます」

時子「当然ね。敵に内通していたのだから、処刑されても文句は言えないはず。
   それを、いままでの功績に免じて不問にしてあげているのだから、私に感謝すべきじゃないかしら?」

時子「……さあ、そろそろ敵も疲労がたまっているはず。攻囲も少しずつ締め上げていくわよ」

側近「では、前線の部隊に総攻撃を下知を?」

時子「ええ。劉邦の首を取るわ」


『項王ノ使者来タルニ、太牢ノ具ヲ為シ、挙ゲテ之ヲ進メント欲ス。
 使者ヲ見、詳リテ驚愕シテ曰ク、
 吾以テ亜父ノ使者ト為セシニ、乃チ反ッテ項王ノ使者ナルカト。
 更ニ持チ去リ、悪食ヲ以テ項王ノ使者ニ食ワシム。使者帰リテ項王ニ報ズ。
 項王乃チ范増漢ト私有ランカ疑イ、稍クコレガ権ヲ奪ウ。
 范増大イニ怒リテ曰ク、
 天下ノ事ハ大イニ定マレリ。君王コレヲ為セ。
 願ワクハ骸骨ヲ賜ヒテ卒伍ニ帰セント。
 項王コレヲ許ス。行キテ未ダ彭城ニ至ラザルニ、疽背ニ発シテ死ス』


(項羽からの使者が来たとき、劉邦は太牢をもって、歓待しようとした。
 そして使者を見て、驚くふりをしてこう言った。
 「范増の使者だと思っていたのに、項羽の使者だったのか」
 そして料理を持ち去り、使者に粗末な食事を与えた。使者は帰還して項羽に報告した。
 項羽は范増が漢と内通していると疑い、少しずつ彼の権力を剥奪していった。
 范増は激怒し、
 「天下の大勢は決まりました。私が不要なら、今後は貴方一人で為せばよい。
  どうぞ私を罷免して一兵卒に落としてください」と言った。
 項羽はそのように取り計らった。范増は彭城に帰還する途中、背中の腫瘍が悪化して死んだ)


~滎陽城・城壁~


楚兵「はあはあ、やっとここまで登ってこれたな……」

茜「おはようございます!」

楚兵「お、お前は……樊噲か!」

茜「この程度の城壁を登っただけで息が切れるなんて、まだまだ鍛錬が足りませんよ!
  それ、もう一度!」ガシッ

楚兵「や、やめて……」

茜「そいやっ!」ポイッ

楚兵「あ~れ~……」

時子「劉邦ごときが、いつまで粘るつもりかしら。
   これ以上篭城を続けても勝ち目は無いんだから、ささっと降伏すれば良いのに……
   ま、降伏してきたところで、許すつもりは無いけど」

くるみ「時子しゃん……」

時子「くるみ、ここは戦場よ? 貴方は後方に下がっていなさい」

くるみ「でも、兵のみなしゃんは、最近元気ないし……これ以上戦い続けるのは……」

時子「私の戦に口出しするつもり?」

くるみ「このままじゃ、皆かわいそう……」

時子(確かに、くるみの意見には一理ある。
   それに、七海が裏切って兵站は脅かされるし、何故か恵磨は援軍に来ないし……
   ここは、一度退くべきかしら……?)

くるみ「時子しゃん……」

時子「わかっているわよ。誰かある」

伝令「はい」

時子「戦線を一度下げるわよ。それから、矢文を用意して。
   誰か弓の上手な者を手配して、打ち込ませるのよ」

伝令「かしこまりました」

楓「さすがね、茜ちゃん。楚軍をまったく寄せ付けないなんて」

茜「この程度、朝飯前ですよ!」

楓「茜ちゃんがいる限り、この城は不落ね……」

茜「あっ! 楓さん、危ない!」

楓「?」


ヒュウウウ カラン


楓「これは……?」

茜「矢文のようですね。読んでみますか」

楓「……いや、読む必要もなさそうよ」

時子「劉邦。お前に本当の勇気があるのなら、いますぐ城壁に姿を現しなさい!」

楓「久しぶりね、項羽さん」

時子「私としては、二度と見たくない面だわ」

楓「それで、わざわざ呼びつけて、何の用かしら?」

時子「今、天下に戦乱が絶えないのは、私達二人の闘いが長引いているからよ。
   だから一騎打ちで勝負をつければ、これ以上無駄な血が流されずに済むわ!」

加蓮「楓さん、乗っちゃだめだよ」

楓「わかっているわ」

楚兵「やーい、やーい! 劉邦は腰抜けか!」

時子「こんな惰弱な女に率いられて戦っているなんて、漢兵には同情するわ」

楚軍「「「ははははは!!!」」」

加蓮(まずい……このままじゃ、士気にかかわる)

楓「良いでしょう」

加蓮「楓さん、ダメだって!」

楓「でも、私は武勇では貴方に及びません。
  ですから、弁舌をもって、どちらが優れた人物かを較べましょう!」

時子「弁舌で? ……良いでしょう。さあ、降りてきなさい」

加蓮「大丈夫? 楓さん」

楓「私にまかせておいて」

楓「……項羽よ、貴方には数え切れないほどの罪があります!
  貴方のような大罪人に、天下を治められるはずがありません!」

時子「……フン。どんな詭弁を吐くのかしら?」

楓「一つ。私が関中王になるはずだったのに、自分勝手な感情で私を漢中に追いやったこと。
  二つ。懐王の許可なく、関中に入ったこと。
  三つ。関中に入り、略奪の限りを尽したこと……」

時子(あの女、言わせておけば……いや、まだ待つのよ……)

楓「……そして、最後にこれだけは言っておきます!」


『大逆無道ノ甚シキ事、天豈公ヲ誡刑セザランヤ。
 何ゾ、項羽ト独身ニシテ戦フ事ヲ致サン。
 公ガ力山ヲ抜クトイヘ共、我義ノ天ニ合ツニハ如ジ。
 而ラバ刑余ノ罪人ヲシテ甲兵金革ヲ棄テ、挺楚ヲ制シテ、項羽ヲ撃殺セシメン』


(暴虐の限りを尽くしたその所業、天の裁きが下るに違いない。
 どうして私が、お前とまともに戦う必要があるのか。
 お前が山を抜くほどの力を持っていようとも、私はお前と共に天を戴くことは無い。
 お前を殺すには、罪人で充分だ!)

漢兵「いいぞ! 劉の姐さん!」

漢兵「良く言った!」

時子「……」イライラ

楚兵「うわぁ、ここまで項羽様をコケにするか……」

楚兵「おい見ろよ! 項羽様の顔が、放送できないレベルに……」

時子(今よ! 劉邦を殺しなさい!)

刺客(承知!)


バシュッ


加蓮「あ! 楓さん!」

茜「まさか、刺客ですか!?」


カキン!


刺客(そんな! 必殺の矢が、防がれた……)

時子(今のは抜刀術? まさか、劉邦がここまで手練れだったなんて)

楓「ふふふ。この程度の矢、防げないはずありません」

加蓮「凄いよ! 楓さん!」

楓「あらあら。夷(えびす)風情が、私の小指にでも当てるつもりだったのかしら?」

楓「わざわざ刺客を用いないと私を討てないなんて、
  項羽の武勇もその程度だったということですね」

時子「殺してやる! 体の端から、少しずつ切り落としてやる!」

くるみ「時子しゃん。もうやめよ?」

時子「……」

くるみ「兵隊しゃんたちを見て。皆、おなかをすかして苦しんでるよ?」

時子「……ここまでか」

時子「劉邦、良く聞きなさい!」

楓「まだ言いたいことがあるんですか?」

時子「天下を二分し、お互いに分けようじゃないの。
   天下の西半分を、貴方に呉れてやるわ。私は東半分を領地とする」

楓「……って言ってるけど、どうしようかしら?」

加蓮「まあ、停戦できるわけだから、良いんじゃないかな?」

楓「そう?」

楓「……分かりました、項羽さん。これ以上の戦は無益だと、私も思っていたところです。
  互いに使者を交換し、国境を決めましょう」


~数日後・劉邦軍本営~


志希「久しぶり~。で、どうなった?」

加蓮「お帰り。とりあえず、項羽と和睦することになったよ。天下を二分してね」

志希「おお、良いカンジになったね!」

楓「お帰りなさい、志希ちゃん。
  で、和睦したからには、この後どうしようかなと思って」

志希「そりゃあ、決まってるでしょ」

加蓮「楓さん、いまさら何言ってるの? 楚軍を追撃するに決まってるでしょ?」

楓「そんな騙し討ちみたいなことは……」

志希「良いの良いの。勝てば官軍ってことだよ。それに、勝機は今をおいて他に無いよ」

加蓮「私達、漢軍の主力が西から追撃すれば、南方の英布、東方の彭越、北方の晶葉と協力して、
   楚軍を包囲できる」

楓「英布に彭越って……まさか、楚軍の兵站情況が悪かったのって、この二人によるものなの?
  二人とも、項羽さんの配下だったのに」

志希「あたしが調略で切り崩しておきました♪ ね、すごいでしょ?」

加蓮「楓さん、まさか気づいていなかったの?」

楓「うう……全然」

楓「それにしても、晶葉ちゃんはよく華北を制圧できたわね」

志希「ま、外から見てても物凄い軍才だったし。
   それに漢軍は、関中からの兵站がしっかりしてるから、物資に困ることはないよ」

加蓮「全て清美のお陰かな?」

楓「少し可哀相な気がするけど、このまま楚軍を追撃しちゃいましょうか」

志希「ようやく決着か。あたしも頑張った甲斐があったね」

加蓮「これが最後の戦いだよ。残虐な項羽には、引導を渡してあげよう!」


~徐州・垓下~


晶葉「やあ、楓さん。無事そうで何より」

楓「晶葉ちゃんも、無事でよかったわ。
  それにしても、漢中に押し込められてた私が、こんな大軍を率いることになるなんてね」

晶葉「まあこれも、楓さんの人徳によるものだろう。
   一方項羽は、自らの力量を恃みとしすぎたために、こんな場所に追い込まれることになった」

楓「それで、このまま包囲を続けるの?」

晶葉「追い詰められた敵ほど、怖いものはない。
   楚軍の兵站は崩壊寸前だから、このままじっくり締め上げてやろう」

楓「私は、口出ししないほうが良いみたいね」

晶葉「ああ、ここは私に任せてくれ」


~楚軍・本営~


時子「まさかこの私が、こんなところに追い詰められるなんてね。ヤキがまわったか……」

側近「陛下、まだ勝ち目はあります。
   我ら楚軍が一丸となって、敵の本陣を攻めれば、劉邦の首を取れるはずです」

時子「その機会があれば良いのだけど……」


ゴオオオオオ


時子「風が強い……」

側近「はい。昨日から、風が次第に強くなっているみたいですね」


ザワザワ


時子「豚共が騒がしい。何があったのかしら?」

楚兵「歌だ! 楚の歌が聞こえるぞ!」

楚兵「本当だ! まさか俺達の祖国まで、劉邦に寝返ってしまったのか……」

側近「この風の音を、兵共が楚歌と勘違いしているようです」

時子「……我が命運、尽きたか……」

側近「何をおっしゃいますか! これも、ただの偶然です!」

時子「本当に偶然なのかしら?」

側近「と、おっしゃいますと?」

時子「私は、劉邦という女にあらゆる面で勝っていたと思う。
   でも、何故か追い詰められているのは私の方。劉邦が私を殺すんじゃない。
   これは、天が劉邦を英雄にしようとしているんじゃないかしら?」

側近「そんな弱音は、項羽様には似合いません。
   騎兵を編成すれば、解囲を図ることもできるはずです!」

時子「国へ帰るか。そうしたいのは、やまやまだけど……」

くるみ「時子しゃん」

時子「どうしたの、くるみ」

くるみ「くるみは、馬鹿だけど、これだけは分かるよ……
    くるみがいるから、時子しゃんはおうちに帰れないんだよね?」

時子「っ! そんなことは……」

くるみ「くるみがいなくなれば、時子しゃんは帰れるよね?」

時子「それ……は……」


『項王ノ軍垓下ニ壁スルモ、兵少ナク食尽ク。
 漢軍及ビ諸侯ノ兵、コレヲ囲ムコト数重ナリ。
 夜漢軍ノ四面皆楚歌スルヲ聞キ、項王乃チ大イニ驚ク。
 項王則チ夜起キ、帳中ニ飲ス。美人アリ。名ハ虞、常ニ幸セラレテ従ウ。
 駿馬ノ名ハ騅、常ニコレニ騎ル。
 ココニ於テ項王乃チ悲歌慷慨シ、自ラ詩ヲ為ス』


(項羽の軍は垓下に布陣するも、兵は少なく兵糧も尽きていた。
 漢と諸侯の連合軍は、これを重囲した。
 夜に包囲陣から楚歌が聞こえてきたので、項羽は驚愕した。
 項羽は起きて酒を飲んだ。傍らには、虞美人という愛妾がいた。
 そして、騅と言う名の愛馬もいた。
 項羽は多いに悲しみ、詩を詠んだ)

時子「くるみ、こっちに来なさい」

くるみ「ふぇ?」

時子「……」ギュッ

くるみ「そんなに抱きしめられたら、く、苦しいよ……」

時子「それは、貴方の胸が無意味に大きいからでしょ。
   少し、じっとしていなさい……」

くるみ「はい……」


『力ハ山ヲ抜キ、気ハ世ヲ蓋フ、
 時ニ利アラズシテ、騅逝カズ、
 騅逝カザルヲ奈何スベキ、
 虞ヤ虞ヤ若ヲ奈何セン』


(我が力は山を抜き、気概は世を覆うほどなのに
 時勢の利を得ることが出来ず、騅は駆けてくれない
 騅が駆けなくて、どうやって戦えばよい
 虞や、ああ虞や、そなたをどうすればよいのだ)


ザクッ


くるみ「時子……しゃん……」

時子「許せ、くるみ……」


ドサッ


側近「項羽様……」

時子「くるみを……いや、虞美人を丁重に埋葬しなさい。
   さあ、漢軍の包囲を突破し、祖国へ帰るわよ!」

側近「御意!」


~夜半 漢軍・本陣~


ワーワー


楓「ふわぁ……なにやら騒がしいわね」

晶葉「すまない、楓さん」

楓「何があったの?」

晶葉「項羽に包囲を突破された」

楓「えっ! 逃げられちゃったの?」

晶葉「いや、逃がしはしない。今、夏侯嬰と漢嬰の騎馬隊に追撃させている」

楓「まさか、この包囲陣を突破するなんて」

晶葉「項羽を追い詰めて、すこし油断していたようだ。
   だが安心してくれ。必ず項羽を捕らえてみせる」


~数日後 烏江~


時子「はあはあ……」

側近「陛下、ようやくここまで来ましたな。この河を渡れば、楚ですぞ」

時子「そうね。もう一息で……」

漢兵「いたぞ! 項羽だ! あいつを捕まえれば、褒美は思いのままだぜ!」

烏江の亭長「もう追っ手が来たのか……
      陛下、お早く船へ。私の命にかけて、漢軍を渡河させません!」

時子「……」

亭長「いかがされました、陛下?」

時子「……本当に、私はこれ以上生きる意味があるのかしら」

側近「何をおっしゃいますか! 楚の国へ帰れば、いくらでも巻き返すことができます!」

亭長「そうです。項羽様は、われら楚の民の希望なのですぞ!」

時子「希望? この私が?
   ふふふ……数十万人を生き埋めにしてきた、この私が? 笑わせるわね」

側近「項羽様……」


『項王笑ヒテ曰ク、
 天ノ我ヲ亡ボスニ、我何ゾ渡ルコトヲ為サン。
 且ツ籍江東ノ子弟八千人ト江ヲ渡リテ西シ、今一人ノ還ル者ナシ。
 縦イ江東ノ父兄憐レミテ我ヲ王トスルトモ、我何ノ面目アリテ見エン。
 縦イ彼言ワズトモ、籍独リ心ニ愧ジラザンヤ』


(項羽は笑ってこう言った。
 「天が私を滅ぼそうとしているのに、なぜ河を渡れるものか。
  かつて江東の兵八千を率いて河を渡ったが、一人も帰らない。
  たとえ江東の人々が私を憐れんで王と認めてくれても、何の面目があるか。
  誰も何も言わずとも、私は恥を知っている」)
 


『乃チ亭長ニ謂イテ曰ク、
 吾公ノ長者ナルヲ知ル。吾コノ馬ニ騎ルコト五歳、当タル所敵ナク、
 嘗テ一日ニ千里ヲ行ク。コレヲ殺スニ忍ビズ』

 
(そして亭長にこう言った。
 「お前は良い奴だ。私は五年間この馬に乗って戦い、向かうところ敵は無く、
  一日に千里を駆けたこともある。この馬をお前にやろう」)


漢兵「もう逃げられんぞ! 観念しろ!」

時子「貴方達、早く行きなさい!」

側近「しかし……」

時子「私の命令が聞けないの?」

側近「項羽様、いけません! ここを凌げば、いくらでも再起は……」

時子「もう、どうでも良いわ……」

時子(もう、なにも聞こえないわね……)

漢兵「項羽は強いぞ、包囲するんだ!」

時子(くるみ……貴方は、苦しみながら死んでいったのかしら?
   貴方は私の下にいて、幸せだったのかしら?)

漢兵「何としてでも討ち取るんだ!」

時子(貴方はあの世でも、私がいないと何もできないんでしょう?
   いま、そっちに行くから……)


~数年後・長安~


夕美「さあ、寄ってらっしゃい見てらっしゃい!
   美味しい果物に、綺麗なお花。どれを買っても損はさせないよ!」

清美「その瓜、一つくださいな」

夕美「あれ、清美ちゃん久しぶりだね」

清美「お久しぶりです」

夕美「お久しぶり。いま、切り分けるからね」

清美「お願いします」


サク サク サク


夕美「はい、どうぞ」

清美「では、いただきます」パクッ

清美「……うん! やはりこの瓜は絶品ですね!」

夕美「えへへ。ありがと」

夕美「……それで、今日は何の用事かな?」

清美「それが、夕美さんに相談がありまして」

夕美「漢帝国の宰相たる蕭何様から、どんな難題をふっかけられるのかな?」

清美「ご謙遜を。私よりも、治世の才能をお持ちなのに……
   今日は、各地の諸侯についての相談なんです」

夕美「劉邦さんは……いや、陛下は、諸侯に気前良く領地を与えたよね。
   それでも反乱とか、謀反とか起こっちゃうの?」

清美「はい。なかなか、平和な世の中になりません。原因がわからなくて」

夕美「残念だけど、国家の大計の何たるかなんて、私にはわからない。
   だから、清美ちゃんにはこんな助言しかできないよ」

清美「何でしょう?」

夕美「『功遂ゲ身退クハ天ノ道ナリ』……こんなところかな」

清美「いつぞやは荘子でしたが、今度は老子ですか……
   こんど機会があれば、老荘について講義していただきたいところです」

清美「しかし、私はまだ功績を立てたという思いはありません!
   こんなときに引退したら、楓さん達にご迷惑をおかけすることになりますので」

夕美「でも、いまは治世だよ? 乱世ならいざ知らず、活躍しすぎるのも考え物だよ」

清美「そんなことはありませんよ。私はこれからも、民のため、国のために邁進していく所存です。
   お忙しいところ、申し訳ありませんでした。
   失礼します!」

夕美「……本当に、これから平和な世になると思う?」

清美「夕美さん、何かおっしゃいましたか?」

夕美「ううん。何でもないよ……」



夕美「何でも……ね」



おわり


・秦は、戦国の六国を滅ぼして天下を統一しましたが、圧政と法家主義により、中国は再び乱世に突入していきます。
 この乱世で最後まで生き残ったのが、劉邦と項羽です。かたや田舎出身の土人。かたや亡国の貴族。
 この二人は実に対照的な人物でした。

・劉邦は、項羽相手に敗北を重ねましたが、多くの功臣達に支えられて項羽を下し、天下を統一します。
 そして、「漢」を建国しました。

・漢建国後、平和な時代が訪れたかと言うと、そうではありません。
 各地に封じられた諸侯を目障りに感じた劉邦は、韓信、英布、彭越等の功臣達を次々に粛清していきます。
 そして劉邦の死後、彼の妻である呂氏の専横により、内乱が勃発しました。

・漢が、強力な中央集権国家に生まれ変わったのは、武帝(劉徹)の登極以降のことになります。


以下は作者の過去作です。
日本の歴史・古典ものですが、興味のある方はどうぞ。


モバマス太平記
モバマス太平記 - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1396429501/)

モバマス太平記 ~九州編~
モバマス太平記 ~九州編~ - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1399632138/)

モバマス・おくのほそ道
モバマス・おくのほそ道 - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1400847500/)

モバマス徒然草
モバマス徒然草 - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1402232524/)

モバマス方丈記
モバマス方丈記 - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1403442507/)

モバマス枕草子
モバマス枕草子 - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1404649529/)

モバマス海賊記
モバマス海賊記 - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1405427187/)

モバマス土佐日記
モバマス土佐日記 - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1407070016/)

モバマス雨月物語
モバマス雨月物語 - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1408107058/)

モバマス竹取物語
モバマス竹取物語 - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1410021421/)

モバマス源氏物語
モバマス源氏物語 - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1411908026/)

モバマス五輪書
モバマス五輪書 - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1413117041/)

モバマス・戦国公演 ~石山合戦~
モバマス・戦国公演 ~石山合戦~ - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1425212942/)


以下は中国の歴史・古典作品です。


モバマス史記
モバマス史記 - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1414934626/)

モバマス蘭陵王
モバマス蘭陵王 - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1417351292/)

モバマス海東青鶻
モバマス海東青鶻 - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1419684911/)

モバマス・トークバトルショー ~塩鉄論~
モバマス・トークバトルショー ~塩鉄論~ - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1422188849/)

このSSまとめへのコメント

このSSまとめにはまだコメントがありません

名前:
コメント:


未完結のSSにコメントをする時は、まだSSの更新がある可能性を考慮してコメントしてください

ScrollBottom