モバマス海東青鶻 (158)
・このSSは、中国北宋時代を舞台にした作品です。
・史実とは異なる点があります。ご注意下さい。
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~燕京~
耶律休哥(渋谷凛)「……」ボ~
耶律斜軫(前川みく)「……」ポケ~
凛「ねえ、みく」
みく「にゃあ?」
凛「将軍になるのって、大変なんだね……」
みく「うん……武挙に受かったから、すぐに採用されると思ったのに……」
凛「私たち、頑張ったよね?」
※武挙(ぶきょ)…武官を登用するための国家試験。
みく「まさか、同期の大半がふるい落とされるなんて、思ってもみなかったにゃ」
凛「昼間の軍事調練は勿論、夜間進軍や三日間水も食料も
自分で調達する訓練とか……」
みく「それに軍学書の丸暗記に、軍編成の遣り方、
軍需物資の調達方法……」
凛「軍人になったのに、教養まで求められるとは……」
使者「耶律休哥殿、耶律斜軫殿」
凛「あ、はい」
みく「まだ研修は続くのかにゃぁ……もう勘弁してほしいにゃ」
使者「太后様は、お二人が優秀な成績を修めていることについて、
大変お喜びのご様子。これが、最後の課題です」
みく「やったにゃ! これで地獄の特訓からはおさらばにゃ!」
凛「喜ぶのはまだ早いよ、みく……それで、最終課題は?」
使者「最終課題は、実地試験となります。
お二人には、それぞれ別の課題に挑戦していただきます」
みく「内容は?」
使者「籤を作っておきました。引いてください」
凛「わかった。それじゃあみく、同時に引くよ?」
みく「わかったにゃ」
二人「「せーのっ!!」」
ペラッ
凛「……」
みく「……」
凛「ねえ、みくはどんな課題だった?」
みく「みくの籤は、『賊徒討伐』って書いてあるにゃ」
使者「現在、宋との国境付近に、怪しげな武装集団がおります。
雑軍だと思われますが、おそらく宋に扇動された部隊と考えられます。
そのため実際に軍を率いていただき、賊を討伐していただきます」
みく「いずれ経験するとはいえ、もう実戦に放り出されるのかにゃあ」
みく「それで、凛チャンの方はどんな課題だったにゃ?」
凛「私の方は……『反乱鎮圧』って書いてあるんだけど……」
使者「つい先日、回跋部(ふいばぶ)において女真族が反乱を起こしました。
それを鎮圧していただきます。耶律斜軫殿と同様、軍権も与えられますのでご安心を」
使者「また、実際に軍権を与えられるということは、お二人は将軍として扱われます。
もし敗北を喫したり、軍法に反することがあれば、厳罰に処されますのでご注意下さい」
凛「さすが最終試験……難易度も高いし、責任までついてくるのか」
みく「下手すれば打ち首ってことになるのかにゃ」
使者「また期限は、それぞれの任地に就かれてから一月以内とします。
使える物資は任地の鎮台に保管されている物のみとし、
所望品があっても申請は認められません。
しかし、略奪以外の方法で自ら物資を得ることは、特に禁じられておりません」
使者「それから、本国より軍監が送られて来ます。それだけ留意して下さい」
使者「太后様は、有能な将を求めておられます。
この課題は、太后様ご自身でお考えになったものですから、
これぐらいこなして欲しいというわけでしょう」
凛「分かった。やってみる」
みく「困難だけど、これを乗り越えれば正式に将として採用されるにゃ!
やる気出てきたにゃ!」
使者「説明は以上です。何か質問は?」
凛「特に無し」
みく「同じにゃ」
使者「それでは、私はこれで失礼します……」
みく「それじゃあ早速、みくは行ってくるにゃ」
凛「みく。ここまで来たんだから、しくじらないでよ?」
みく「みくは有能だから大丈夫にゃ! 凛チャンの方こそ」
凛「ふふっ。お互い、頑張ろう!」
みく「うん!」
~回跋部・野営地~
凛(この地域に入ってから、もう五日が経つ……)
凛(斥候を放って調べさせてみたけど、反乱部隊はどれも軍備が貧弱。
それに兵糧も少ないみたい。私が何もしなくても、自滅していくだろう……)
凛(でも普通に考えれば、こんな状態で挙兵しようなんて思わないはず……
反乱するなら、成功するっていう計算あればこそだけど、
今回の場合はやむにやまれず、という感じがする)
凛(もしかしたら、相当追い詰められているのかも。だとしたら、かなり問題だね。
今回は武力で押さえつけても、今後再発する可能性が高い)
斥候「耶律休哥将軍! 帰還しました」
凛「お疲れ様。で、どうだった?」
斥候「やはり、反乱の指導者は郝里太保(かくりたいほう)城にいる模様。
各地の反乱部隊にたいして、かの城から頻繁に伝令らしき騎影が出入りしております」
凛「ありがとう」
凛(反乱というものは、頭を叩けば後は散り散りになる。
太守の膝元である、郝里太保城から反乱の指揮を執るなんて、なかなかやるな)
凛(そういえば、郝里太保城には、女真族を統括する役所があるんだっけ?)
凛「全軍に通達。明朝、騎兵隊は私とともに郝里太保城に向けて出撃する。
歩兵はこの地において野戦陣地を構築し、
物資の防衛、退路の確保、帰還する騎兵の収容準備を」
斥候「かしこまりました」
軍監「耶律休哥殿、郝里太保城の周囲に敵はいないとはいえ、
それまでの道中は、騎兵のみで敵中を突破することになりますぞ」
凛「私はこの数日間の偵察により、反乱軍の装備・錬度は劣悪だと判明した。
だから遼の正規軍の敵じゃないし、何かあればこの陣地まで逃げ帰ることもできる」
軍監「まあ、采配は貴方に一任されておりますが」
凛「それに、一つ確かめなきゃならないことが……」
軍監「今何か?」
凛「ううん。なんでもない」
~郝里太保城・広場~
太守「おお、貴方が耶律休哥将軍ですか。わざわざこんな北地まで、ご足労をおかけしました。
宴会の席を設けております。今夜はお休みください」
凛「まだ反乱は治まってないよ。そして私は、この城が怪しいと思うんだ」
太守「私が治めている城ですぞ。怪しいところなど、何もありませんが……」
凛(この城の雰囲気はおかしい。民は皆、死んだ目をしている。
女真族は遼に従属しているけど、決められた税を払い、徴兵の義務を守れば良いだけのはず。
税も、生活に支障が出るほどの額ではないはずだし……)
若者「お待ち下さい!」
凛「誰?」
若者「これが遼のやり方ですか!? 遼は、我らに死ねとおっしゃるのですか!?」
凛「どういうこと?」
若者「俺達は、そこの太守に税以外のものを払わされているんです!
こんなんじゃ、生きていけません!」
太守「誰か、こやつを捕らえろ!……申し訳ございません、将軍。
この者は少し気が狂れておるようでして……ささ、政庁にお入りください」
凛「すこし待って。宴会の前に、調べなきゃならないことがあるよ」
太守「な、なにか?」
凛「あんた、太守の屋敷がどこにあるか知ってる?」
若者「は、はい……」
凛「兵を何人か派遣するから、案内できる?」
若者「わかりました!」
太守「将軍! 勝手なことをされては困ります。
な、何か欲しいものはございませんか?
将軍には、耳墜などお似合いかと……」
凛「皆、この広場を固めて。一人も出入りさせるな!」
太守「何をなさるおつもりですか!」
凛「いいから。少しだけ、待ってもらおうか」
※耳墜(じつい)…イヤリングのような装飾品。
兵「耶律休哥将軍」
凛「あ、戻ってきたんだ。意外に早かったね」
兵「太守の屋敷を調べましたが、敷地内には倉が幾つも建てられ、
中には金銀財宝や食物などが大量に保管されており、とても運び出せません」
太守「な……!」ブルブル
凛「今回の反乱の原因が、ようやくわかったね」
太守「小娘が、ワシを甘く見るなよ! ワシは都の太后様から覚えもあり……」
凛「残念でした。私は今回、その太后様からの命令で
『反乱鎮圧』を任されているんだ」
太守「者共、何をしておるか! 早くこいつを捕らえろ!」
凛「この期に及んで、度し難い」
ズバッ ボトッ
「うわぁ、あの人やっちまった!」
「どうしよう……俺達全員、処刑されてしまうんじゃ……」
ガヤガヤ
凛「皆聞いて!」
凛「さっきも言ったけど、私は太后様からの命令で、反乱の鎮圧に来た。
だからこの責任は全て私が負うべきものだし、皆のことは私が必ず守ってみせる!」
凛「そして、この太守が不当に徴発したものは全て、皆に分配する。それで良いね?」
ザワザワ ヒソヒソ
凛「でも、反乱を扇動した人がこの中にいるはず。前に出てきて」
男「はい…俺です」
凛「どんな理由であれ、反乱を起こしたことは事実。責任を取ってもらうよ?」
男「覚悟は出来ています」
凛「本当に戦う気があるなら、正々堂々と名乗りを上げて前に出るべきだった。
民衆の中に隠れて反乱を扇動するなんて、卑怯だよ」
凛「でも、ちゃんと名乗り出てきたことは評価する。
あんた一人の首で、事は収まる」
男「本当に、俺の首一つで皆を許してくれるのですね」
凛「約束する。命に代えても、今回の件は全て太后様に報告する」
男「わかった。首を刎ねてくれ」
凛「……」
凛(可哀相だけど、許すわけにはいかないからね……)
~長老の家~
長老「将軍、助かりました。何とお礼を申し上げれば良いのか……」
凛「頭を上げて……そもそも、今回の件は私たち遼に責任があるよ。
あんな腐った役人は、まだどこかにいるはずだけど」
凛「私は公平な税、公平な裁きを心掛けただけ。
だから不正を為した役人も、反乱の首謀者も処刑した」
凛「確かに、女真族は遼の支配下になっている。
でも、だからと言って生活を奪っても良いわけじゃない。
私は、この国をもっと良くしたい。契丹族も女真族も、関係ない国に変えていかなきゃ」
長老「いやいや、そういう考えをお持ちの将軍がいらっしゃるというだけで、
私たちは感謝しております」
凛「それは……どう致しまして」
キィ キィ
凛「……あれ? この鳴き声は?」
長老「おお、外でやっとるみたいですな。
せっかくですから将軍、見物されますか?」
凛「何……?」
バサッ バサッ
若者「こらっ! 暴れるな!」
鷹「キィ キィ キッキ キッキ」ジタバタ
凛「鷹を調教しているの?」
長老「はい、これは“海東青鶻(かいとうせいこつ)”、
または“海東青”と呼ばれる鷹です。
我ら女真族は、古くからこの鷹を使役しておるのです」
凛「へえ、そうなんだ。確かに、前に鷹狩りを見物したとき、
王室の人がこの鷹を使役していたような……」
長老「遼の王室や貴族の方々の間では、鷹狩り用に好まれており、この羽も珍重されております。
我らは毎年、海東青鶻を税として遼に納めております」
凛「そうなんだ……でも、鷹を捕獲して調教するなんて、大変なんじゃないの?」
長老「その通りです。それに、海東青鶻は断崖絶壁に巣を作るので、
雛を採るために崖から墜落して死ぬ者も多い」
長老「ですが、しかたありません。これも、我ら女真族が生き残るための犠牲なのです」
凛「……」
凛(この鷹は、何者にも屈する鳥じゃない。
誰にも従わず、もっと力強く、この大空を羽ばたくべきだ……)
長老「いかがされました?」
凛「いや、その、少し珍しかったから……」
長老「まあ我々以外は、あまり間近で目にすることはありませんな」
~燕京・宮殿~
凛「耶律休哥、帰還しました」
衛兵「耶律休哥殿ですね。中にお入り下さい。太后様がお待ちです」
蕭太后(高橋礼子)「お帰り、凛ちゃん。先に提出された報告書、読ませてもらったわ」
凛「どう……かな?」
礼子「文句無しね。貴方はこの場で、正式に将軍として認められるわ。
それにしても、私の見えないところでこんなに腐った役人がいたなんて。
反省しないと……
凛「ありがとうございます」
礼子「ふふふ……正直、将軍の見習いでここまで優秀な成績を修めた者はいないの。
だから凛ちゃんの今後の活躍には、期待させてもらうから」
凛「ふふっ。まかせて」
凛「あ、それで、みくの方はどうだったの?」
礼子「ああ、みくちゃんも合格よ。
貴方より帰還が早かったけど、任地が凛ちゃんより近かったこともあるわね」
凛(良かった。みくも合格できたんだ)
礼子「それと、今後のことだけど」
凛「はい」
礼子「凛ちゃんには早速、兵が与えられるわ。これは所謂旗本ってことになるわね。
そして有事の際には情況に応じて、国から別の軍の指揮権が与えられるの」
凛「わかった」
凛「わかった」
礼子「それで、凛ちゃんは正式に将軍という扱いになるわけだけど、
旗はどうする?」
凛「旗?」
礼子「そう。将の目印になる、牙門旗というものね。
普通は、その人から一字を取ることが多いかしら。
例えばみくちゃんなら、耶律斜軫の『斜』の旗に決まったけど」
凛(旗か……)
毎回お疲れ様です。スレタイの漢字が読めないので読み方を教えてもらえますか?
凛「あの、それって、文字じゃなきゃダメなの?」
礼子「別に、何かの絵でも良いけど」
凛「そっか……少し、考えさせてほしいな」
礼子「時間はあるから、ゆっくり考えてね」
凛(旗か……どんな旗にしようかな……)
>>30
海東青鶻(かいとうせいこつ)です。
~数日後・凛の家~
凛「旗か……あんまり奇抜なものは笑われそうだし、
『休』の旗で良いかな? でもなぁ……」
凛「蒼旗とかどうだろう? う~ん悩む……」
従者「耶律休哥様、お客様がお見えですが」
凛「誰?」
従者「郝里太保の老人だと言えば、将軍には分かると」
凛「長老が? 分かった。客間に通して」
長老「おめでとうございます」
凛「いきなり、何?」
長老「此の度、正式に将軍に昇格されたとか」
凛「耳が早いね。どうしてそんなこと知ってるの?」
長老「これでも、私は回跋部のまとめ役をしておりますので。
いろいろと、方々に耳目を持っておるのですよ」
凛「さ、流石だね……」
長老「おお、こんな話をしに来たのではございません。
昇進のお祝い品を届けに参りました」
凛「別に良いのに」
長老「いえいえ、これは私どもが勝手にすることです。
もし将軍がお気に召しましたなら、是非使っていただければ」
バサッ
凛「蒼旗か。これは……この旗に描かれているものって……」
長老「はい。海東青鶻の旗でございます。
将軍になったからには、ご自身の旗が必要でございましょう?」
凛「どうしてこれを?」
北宋時代でも趙匡胤とかじゃなく遼の話か
長老「郝里太保で、耶律休哥様は熱心に、海東青鶻を見つめておられました」
凛「ばれてたんだ。恥ずかしいな……」
長老「もしかしたら、将軍が海東青鶻をお気に召したのではないか、と思いまして」
凛「でも、海東青鶻は女真族の象徴でしょ?
私がその旗を使うのは、皆に悪いよ」
長老「いやいや、そんなことはございません。
私はこの年まで生きながらえてきましたが、
将軍ほど民のことを考えていらっしゃる軍人はおりませんでした」
長老「言うなれば、将軍は我ら蒼茫の希望なのです」
凛「そんな大げさな」
凛(でも、私はこの鷹を気に入ったんだと思う。
海東青鶻のように、自由に、力強く蒼穹を羽ばたくことができたなら……)
長老「まあ、それは建前で」
凛「えっ」ガクッ
長老「本音を言えば、私は耶律休哥将軍が、
将来有望な軍人だと思えばこそ、ここまでしているのです。
ここで将軍と親しくなっておけば、いずれ女真族の利益にも繋がるかもしれぬ、
というところですかな」
凛「それって、年の功っていうものなのかな? まあ、別に良いけど」
長老「おお、それでは……?」
凛「私、海東青鶻の旗を使うよ。
この鷹のように、どこまでも遠く、どこまでも高く飛べるようになってみせる!」
長老「ありがとうございます。ご入用とあらば、後で何枚でもお届けしましょう」
凛「ありがとう。こんなに目立つ旗を使ってたら、戦場で下手なことできないしね」
長老「気に入っていただいて良かった。それでは私はこれで」
凛「あ、もっとゆっくりしていけば良いのに」
長老「長居はご迷惑になりますから」
凛「そんな遠慮しなくても……」
パカラッ パカラッ
凛「この蹄音は!」
長老「はい。数は単騎。しかも跑足(だくあし)ではなく、駆け足。
火急の用件のようですな」
凛「さっきから聞こえてたの?」
長老「はい。老いぼれたとは言え、私の耳は地獄耳だと、里では煙たがられています」
長老「それに、その用件が召集命令であるということも、良くわかっておりますとも」
使者「耶律休哥将軍はご在宅でしょうか!?」
凛「ここにいるよ!」
使者「太后様より、召集命令が下されました! 至急、宮殿までお越し下さい」
凛「わかった。すぐ行く」
凛「……で、どうして召集命令ってわかったの?」
長老「軍人に対しての火急の用件なんて、軍事命令しかありえないでしょう?」
凛「あ、そっか」
凛(まったく、老獪な人だな……)
~宮殿~
みく「しぶにゃん! 無事に合格できたのかにゃ!」
凛「あ、みく……どうでもいいけど、しぶにゃんってなに?」
みく「つれない返事だにゃあ! 一緒に昇進できた喜びを、分かちあうべきにゃ!
ほ~ら、猫耳つけて!」
凛「まったく、そんなことしてる場合じゃないでしょ」
礼子「そう。そんな場合じゃないわね」
みく「うう……怒られたにゃあ」
礼子「凛ちゃん。燕京に帰ってきたばかりで悪いけど、宋が北伐を開始したの。
貴方にも従軍してもらうわよ」
礼子「でも、凛ちゃんの旗がまだ用意できていないの。
しょうがないから、『耶律』の旗でも使ってもらえる?」
凛「その必要はないよ。旗なら用意してある」
礼子「どんな旗を?」
凛「海東青鶻」
礼子「海東青鶻って……凛ちゃん、回跋部に行ったときに何かあったの?」
凛「何でもないよ。お礼に貰っただけ」
礼子「ま、遼軍に一人くらい、そんな将軍がいても良いわね」
みく「むむむ……」
凛「どうしたの、みく?」
みく「みくは最初、猫の旗を申請したのにゃ」
凛「え、猫?」
みく「みくの先祖は猫なのにゃ。
でも、契丹族の先祖は天界から降り立った天女と、神仙の間に出来た八人の子供だから、
それはおかしいって却下されたのにゃ」
凛「そ、そうだね」
みく「でも、みくの先祖は猫って言ったら猫なのにゃ!
みくは自分を曲げないよ!」
礼子「そこ、私語は慎みなさい」
凛「……」ジー
みく「凛チャンひどいにゃ!」
耶律奚低(高峯のあ)「話が進まない……私の方から、状況説明させてもらう……」
凛「な、耶律奚低将軍! いつの間に」
みく「にゃあ! 遼軍の総指揮官にゃ! 全然気配を感じなかったにゃ!」
のあ「かしこまらなくても良い……私のことは、のあと呼びなさい。
名前に、意味など無いのだから……慮るべきは、物の本質……」
礼子「あのね、話が余計にそれているわよ? もういい……
私が、現在の戦況について説明するわ」
礼子「現在宋軍は、宋主を総大将としている。つまり、親征ということね。
目的は言うまでも無く、“燕雲十六州”の回復よ」
凛「と言うことは、北漢は既に?」
礼子「そう。河東路の北漢は宋の軍門に降ったわ。
事実上、中華において宋の天下統一が成し遂げられたということ」
みく「でも、北漢には“楊家軍”がいたはずにゃ。
先年の宋の北征でも、楊家軍がいたから宋は攻めきれなかったのにゃ」
のあ「国境の鎮台の報告によれば、宋軍の中に『令』の旗があったらしい……」
凛「楊令公……あの忠勇の人が、宋に降るなんて思わなかったよ」
礼子「どうやら宋主は、北漢の帝と楊令公との確執の間隙を突いて、
何とか楊令公を説き伏せたらしいわ。
今回の戦いで最も警戒すべきは、楊家軍でしょうね」
みく「正規軍相手の初めての実戦か……緊張するにゃ。
で、宋軍は今どこに向かっているのかにゃ?」
のあ「会戦予定地点は、高梁河……我ら遼軍も、燕京の軍勢を率いて南下する……
そして、河を挟んでの対陣になるはず」
みく「河か……長期戦を覚悟しなきゃだめにゃ」
凛「そういうことなら、私に考えがあるんだけど、いいかな?」
礼子「いいわよ。何でも言ってみて」
凛「高梁河の上流には一箇所だけ、騎兵がぎりぎり渡渉できる地点がある」
みく「そんなの初耳だにゃ!」
のあ「……続けて」
凛「だから、のあさんとみくは本隊を率いて宋軍を釘付けにする。
その間に、私が別働隊を率いて上流の渡河点を渡渉し、宋軍の側面を突く」
のあ「その作戦ならば……しかし……」
みく「そんなの危険にゃ! 下手すれば、渡渉中に溺死する兵も出てくるし、
渡渉した後は敵側に孤立してしまうにゃ!」
凛「そんなこと、わかってるよ。
でも、国力と兵力でまさる宋相手に、尋常な手段で勝てると思う?」
凛「私は、礼子さんの考えを聞きたいな」
礼子「私も正直、凛ちゃんにそんな危険な役目を負わせたくない。
でも、凛ちゃんのこの国を思う気持ちを、無碍にできないわ」
のあ「太后が承認した……」
みく「むぅ……オイシイところを持っていかれたような気がするにゃ」
凛「そう言わずに、私にまかせてよ」
凛(そうだ。これが第一歩なんだ……)
凛(私は、こんなところで死んだりしない。
その程度じゃ、海東青鶻の旗が泣く。
この試練も、きっと乗り越えてみせる……)
~高梁河・上流渡河点~
ゴォォォォ
「おいおい、物凄い急流じゃねえか……」
「こんなところを渡河しようなんて、命知らずにも程があるぜ」
凛「皆、こんなところを渡渉できないって思ってるでしょ?」
「……」
凛「私が最初に渉るから、皆は後について来て」
凛「よし、行くよ!」
ザバッ
凛(馬の足が取られる……でも……)
ジャバ ジャバ
凛「皆見たでしょ? 思ったより簡単に渉れるよ!」
「おいおい……指揮官に先行されたら、行くしかねえじゃんか」
「だよなぁ……」
ジャバ ジャバ
「何だ、流れは早いけど、見た目より深くないぞ!」
「慎重に手綱を捌けば、渉れないことはないな!」
凛「よく聞いて! 今から戦う宋軍も、この河の流れと同じようなものなんだ!」
凛「確かに、宋軍の方が私たちより兵力が大きい。でも、それは見た目だけのこと!
北の大地で生まれ、戦ってきた私達の敵じゃない!
この程度の相手に、燕雲十六州の肥沃な大地を奪われてなるものか!」
凛「私達の国を守ろう! 共に戦い、そして、共に死のう!」
凛「全軍突撃隊形! 攻撃目標は宋軍側面、そして宋主の首だ!」
凛「全軍……突撃!!」
~高梁河・遼軍本陣~
みく「のあにゃん! 対岸の宋軍の側面が混乱しているにゃ!」
のあ「好機……戦鼓を叩け…………」
凛「どけ! 私の邪魔をするなっ!」
ズバッ ザクッ
凛「はぁはぁ……宋軍が壊乱している。次の攻撃で、宋軍を攻めつぶす!」
総員、一時後退! 態勢を整えた後に、本隊の総攻撃にあわせて再度突撃する!」
凛「……いや、後方から敵の新手が来たね。旗は……『令』……楊家軍か」
楊業(木場真奈美)「この迂回作戦は、お前の発案か? 小娘」
真奈美「まさかと思っていたが、
本当にあの急流を渡渉してくるとはな。こちらに来て正解だった」
凛「あんたが、楊家軍の総大将、楊令公?」
真奈美「世間ではそう呼ばれているね」
凛「なら、あんたを斃せば大手柄ってわけだね!」
真奈美「愚かな……身の程を知るがいい」
スパッ
凛(槍が折られた……いや、斬られた!)
凛(この剣の切味は……まさか、あの剣は……)
真奈美「おや、私の剣を防ぐとはな。だがこれで終わりだ!」
ブンッ
凛(斬撃が躱せない……ならば……!)
ドサッ
真奈美「ほう……自ら落馬して躱すとは。
だが、窮地には変わりない」
伝令「楊業将軍!」
真奈美「どうした? 今良いところなのだが?」
伝令「本隊の楊延昭将軍から、お味方の後退準備が完了したとのことです!」
真奈美「そうか……これから面白くなりそうだったのだが。仕方ない」
真奈美「海東青鶻の旗を掲げた小娘よ。名を聞いておこう」
凛「……遼軍の将、耶律休哥」
真奈美「耶律休哥か、覚えておく。次に相見える時を楽しみにしているぞ」
パカラッ パカラッ
凛「くそっ! あいつさえいなければ、完勝だったのに!」
凛「……それで、戦はどうなったの?」
伝令「本隊は渡渉の後、宋軍に痛撃を与えました。
しかし楊家軍が殿軍となり、我が軍の追撃は悉く撥ね返されております」
凛「そう……」
伝令「それから、耶律奚低将軍から、戦が終わった以上
早急に本隊に合流するようにとのことです」
凛「わかったよ。すぐに合流する」
~遼軍・本営~
みく「凛チャン、無事だったかにゃ!」
凛「私は大丈夫」
のあ「今回の戦功は、凛が第一…………」
凛「でも、あの楊令公に簡単にあしらわれたよ」
みく「あぁ、楊業はそっちに行ってたのかにゃ。
楊家軍は最初から、上流から別働隊が迂回してくることを見抜いていたようにゃ」
凛「そっちも、楊家軍に阻まれたって聞いたけど」
のあ「楊業の子、楊延昭が殿軍の指揮を執っていた……」
凛「でも、楊令公が迂回を読んでいたのなら、
どうして私の側面攻撃を防げなかったのかな?」
みく「楊家軍は外様にゃ。
それでなくても、高梁河の急流を騎馬だけで渡渉しようなんて、誰も思いつかないにゃ」
凛「それって、私を褒めてるの? 馬鹿にしてるの?」
のあ「何にせよ、楊家軍の強さは本物……」
のあ「『父子皆名将為リ、其ノ智勇モテ無敵ト号称ス。
今ニ至リテ、天下ノ士、里巷ノ野竪ニ至ルマデ能ク之ヲ道ウ』……」
(楊家の全員が名将であり、その智勇をもって無敵と呼ばれる。
天下の誰もが、彼らの活躍を賞賛する)
凛「楊家軍、か……」
~燕京~
凛(う~ん。楊家軍をどうすべきか……全然良い案が浮かばない)
「りんおねえちゃん?」
凛「え、誰?」
聖宗(遊佐こずえ)「なにか、なやみごと?」
凛「そうだけど……」
こずえ「ねえねえ……“えんうんじゅうろくしゅう”ってなあに?
どうして“そう”はせめてくるの?」
凛「こずえには、まだ難しいよ」
こずえ「……」ジー
凛「わかったわかった。説明してあげるから」
凛「そもそも燕雲十六州というのは、五代十国の頃、
晋の石敬塘(せきけいとう)から遼に献上された土地なんだ。
そしてこの国にとっては、生命線とも言える土地なんだよ」
凛「何故かって言うと、この土地より北に……
つまり遼の本来の国土では、麦作ができない。
それに燕雲十六州は豊富な鉄の鉱脈を持っている。
いま私たちがいるこの燕京も、燕雲十六州の中にあるけど、遼の首都でしょ?
どれだけ大切な土地か、わかるよね?」
凛「でも、燕雲十六州は万里の長城の南側にある。
漢民族からすれば、万里の長城より南は全て中華の天下って感覚だから、
宋主はこれを奪還しようって思ってるわけ」
凛「先代の宋主は、“封椿庫”っていう特別予算を編成して、
金で燕雲十六州を買い戻そうとしていたらしいよ。
今の宋主は、封椿庫を対遼戦の軍事費に回してるけど……」
こずえ「えんうんじゅうろくしゅうは、ぜったいにわたしちゃだめなの?」
凛「そういうこと」
こずえ「じゃあ……みんながはなしてる“ようかぐん”ってなあに?」
凛「楊家軍っていうのは、代々河東路の北漢に仕えていた楊一族の軍閥のことだよ。
のあさんも言ってたけど“父子皆名将為リ、其ノ智勇モテ無敵ト号称ス”
と言われてるぐらい精強な軍団なんだ。
特に、現在の当主・楊業は、“楊令公”と呼ばれ、恐れられているね」
凛「楊業は忠誠心の篤い人だけど、戦功を立てすぎたために北漢の帝に疑われ、
処刑されそうになったんだ。
そして、ほぼ同時期に宋主から投降の呼びかけがあったから、
宋に寝返ることになったっていう経緯があるんだよ」
凛「だから、燕雲十六州を巡る戦いはこれからも続くだろうし、
その戦いで一番気をつけないといけない相手が、楊家軍だってこと」
こずえ「よくわかんない。むずかしいはなしは、ぜんぶおかあさんがやってくれるし……」
凛(やっぱりこずえには、まだ早いか……)
凛「礼子さんは……お仕事で大変だと思う。
だから私はもっと実力をつけて、礼子さんのために戦いたい。
ううん、礼子さんの為だけじゃない。
こずえのためにも、民のためにも、この国のためにも……」
こずえ「……おねえちゃん、ちょっとかがんでみて?」
凛「何?……よいしょっと」
ナデナデ
凛「え?」
こずえ「よしよし……」
凛「……ふふっ。ありがと」
凛「いい? こずえは将来、この国の帝になるべき存在なんだからね?
今は無理でも、将来礼子さんを楽にしてあげれるように、
これからもいっぱい勉強しなきゃだめだよ?」
こずえ「うん……わかった」
~数日後~
礼子「ねえ凛ちゃん。今、ちょっといいかしら?」
凛「何?」
礼子「前の戦いで、楊令公と一騎打ちをしたって聞いたけど」
凛「う……ごめん。将として、軽率だったと思うよ」
礼子「まあ、それは置いといて。やっぱり楊業は、“吹毛ノ剣”を持っていたの?」
凛「うん。噂通りの……いや、それ以上の切れ味だったよ」
※吹毛ノ剣(すいもうのけん)
・「水滸伝」に登場する剣。青面獣の楊志が所有しており、楊家伝来とされる。
銭を重ねて斬っても刃毀れしない。人を斬っても血脂が刃に残らない。
吹きつけるだけで、髪の毛が真っ二つになる程の切れ味。等の特徴がある。
凛「この世に、あんな剣が存在するなんて……」
礼子「ふふふ」
凛「どうしたの?」
礼子「もし、あの剣に対抗できる剣があるとすれば、どうする?」
凛「まさか……」
礼子「そのまさかよ。この剣を抜いてみて」スッ
凛「う、うん」
シャキン
凛(この剣は……!)
凛(長さと重さが、絶妙なつくりになっている。それに、馬上で扱いやすいように、反りがある。
柄は、長年愛用してきたかのように馴染むし、刃も湖面みたいに綺麗だ……)
凛「これは?」
礼子「その剣は、私が遼王室に嫁いできた時に、既に倉の中に眠っていたわ。
王室のものだから、おいそれと誰かに渡すことも出来ないし。
良い剣みたいだから、恐れ多くて誰も持ち出そうとしないし」
礼子「それで、楊業の吹毛ノ剣の話を聞いたときに、ふと思い出したのよ。
もしかしたら、あの剣ならば吹毛ノ剣に対抗できるかもしれないって」
凛「見ただけで、稀代の剣だということはわかったよ。
この剣の由来とか、わからないの?」
礼子「それがわからないの。王室の蔵書を調べさせたけど、何の記述も無い。
一番経歴の長い侍従に聞いたけど、その人が仕え始めたときには、
すでに倉の中にあったそうよ」
凛「この剣の銘すら分からないの?」
礼子「いいえ。刃をよく見て」
凛「えっと……“劈”……“風”……」
礼子「そう。“劈風刀”というところかしら」
※劈風刀(へきふうとう)
・「水滸伝」に登場する剣。方臘配下の武将、石宝が愛用する。
作中では、石宝はこの剣と流星槌を用いて、梁山泊の好漢十三人を討ち取った。
名前の由来は、風を薙ぐように具足を両断できることから。
凛「試し斬りは?」
礼子「ふふふ……してみたい?」
凛「うん」
礼子「だれか、鎧を持ってきてくれる?」
従者「どうぞ」ゴトッ
凛(ちょっと……いくらなんでも用意が良すぎるよ……)
凛(って、そんなことはどうでもいいや)
凛「いざ!」
ザンッ
凛「……」
ピシッ カッシャーン
凛(凄い切れ味……鎧が遅れて真っ二つになった!)
凛「礼子さん、この剣なら吹毛ノ剣にも対抗できるよ!」
礼子「気に入ってもらってよかったわ」
凛「え、どういうこと?」
礼子「その剣は、凛ちゃんに貸してあげる。
楊業に対抗できるのは、凛ちゃんだけだと思うから」
凛「私なんて、のあさんに較べればまだまだだよ。将軍になってからも、日が浅いし」
礼子「そんなことないわ。
高梁河で負けないにせよ、誰もあそこまで宋軍に大勝できるとは思っていなかったわ。
それを実現させたのは、凛ちゃんの実力よ」
礼子「だから、貴方に期待させてもらうわ」
凛「あ、ありがとう……」
礼子「でも、贔屓してるわけじゃないの。
楊家軍を何とかしないと、この国の滅びに繋がっちゃうんだから♪ 責任重大ね?」
凛(うわぁ。軽々しく試し切りなんてするんじゃなかった……)
~代州~
楊延昭(関裕美)「真奈美さん。今、急使が着いたんだけど……」
真奈美「おや、どういった用件かな?」
裕美「今度陛下が、五台山に行幸されるらしいの。
だから、代州の楊家軍にも護衛を頼むって」
真奈美「五台山か……」
裕美「遼とは戦争状態なのに、行幸とかしてる場合じゃないと思うんだけどなぁ」
真奈美「陛下はそこまで愚かではない。何か考えがあってのことだろう。しかし……ん?」
裕美「どうかしたの?」
真奈美「五台山から北に進めば、
大石塞(だいせきさい)を通って燕雲十六州に入ることができる」
裕美「まさか、行幸に見せかけた親征ってこと?」
真奈美「多分そういうことだろう。
行幸であれば、陛下のお近くを固めるのは禁軍ではなく、飾り立てた儀仗兵だ。
遼も油断すると思ったのだろう」
※禁軍(きんぐん)……近衛軍のこと。
裕美「それに地方への行幸には、禁軍や地方軍が動員されてもおかしく見えない。
遼が、今回の大軍の動員目的は、
五台山への行幸だと思い込んでいる隙を突いて、ということ?」
真奈美「しかし、遼も馬鹿ではない。そんなに上手くいくだろうか?」
裕美「でも使者が持ってきたのは、勅命だったよ? 勅命は絶対だし」
真奈美「決定されたことは仕方ない。外様の我らが、口を挟めることではないしな。
精々、陛下をお守りすることだけを考えよう」
裕美「真奈美さんと楊家軍が有る限り、遼とは互角以上に戦えるよ。
高梁河の戦いでは、全体としては負けちゃったけど」
真奈美「だといいが……」
裕美「やっぱり、あの人のことが気になるの?」
真奈美「ああ。耶律休哥……
あの小娘は、今にとんでもない武将に成長しそうな気がする」
裕美「遼の将軍なのに、海東青鶻の旗を掲げてたっていう人?
私は、直接は知らないけど」
真奈美「前回の戦の後、気になって経歴を調べてみた。
与えられた任務は全て完遂しているし、
調練の模擬戦では、他の遼将を寄せ付けない用兵をするらしい」
真奈美「それに最近では、太后の許しを得て、
遼軍の中から特に実力のある者を選抜し、
“蒼騎兵”という精強な騎馬隊を編成しつつあるという」
裕美「青い騎兵?」
真奈美「違う。他人に“青騎兵”と間違えられたとき、
剣を抜いて“蒼騎兵”だと言い切ったらしい」
裕美「何か……ごめんなさい……」
真奈美「そんなことはどうでもいい。これは噂に過ぎないが、蒼騎兵は、
かの名将・陳慶之が率いていた“白袍隊”に匹敵するほどの強さと聞く」
※陳慶之(ちんけいし)
・南北朝時代の梁の名将。わずか七千の白袍隊(はくほうたい)
という白備えの精鋭部隊を率いて、魏への北伐を成功させた。
しかし本人は、武術も馬術も不得意だったという。
裕美「白袍隊に匹敵するなんて……
噂とは言え、少し話を盛りすぎじゃないかな?」
真奈美「ただの噂であれば良いのだが……」
真奈美「よし。いつまでも世間話をしているわけにはいかん。
裕美、全軍に出撃準備を」
裕美「うん!」
~燕京~
みく「う~ん」
のあ「……」
凛「どうしたの? 二人して、地図と睨めっこして」
のあ「宋主が、五台山へ行幸するらしい……」
凛「行幸?」
みく「そうにゃ。なんだか、きな臭いにゃ」
凛「ふーん。それで、宋軍はどんな風に動いてるの?」
のあ「五台山へは、儀仗兵一万と禁軍五万のみ……」
みく「楊家軍は、宋主が五台山に近づいた時、
儀仗兵や禁軍と合流するみたいにゃ」
凛「ただの行幸なのかな?」
のあ「わからない……
輜重部隊の動きが、大軍の遠征にしては少ない……」
礼子「凛ちゃんはどう思う?」
凛「礼子さん、いたんだ!?」
みく「びっくりしたにゃ!」
礼子「皆が真剣に悩んでいるから、声をかけずらかったのよ」
のあ「気配を感じられないとは……まだまだ……」
凛「むぅ……」
凛「まあいいや……
情況を考える限り、ただの行幸としか考えられないけど……」
こずえ「みんなで……なにをみてるの?」
凛「こずえまで……宋軍が、国境付近でなにやら怪しい動きをしてるから、
皆で考えてるんだよ」
凛「ほら、どうぞ」
こずえ「……」
凛(地図を見たって、何がわかるわけじゃ……
各地の兵や物資の数まで書き込んでいるんだから……)
こずえ「“ごだいさん”は、“たいせきさい”にちかいんだねー」
凛「うん。そうだね」
こずえ「でも、うしろにある“がんもんかん”や
ひがしにある“ゆうしゅう”には、たくさんたべものがあるみたい」
凛「……え?」
こずえ「“りょうぐん”のへいたいさんのはいちは、
ひがしとにしにかたまってるねー」
みく「こずえチャンは、さっきから何を言ってるのにゃ?」
こずえ「“えんうんじゅうろくしゅう”のまんなかの、
“うつしゅう”は、だれもいない……からっぽでさびしい……」
のあ「まさか……」
こずえ「ことしはおてんきぽかぽかだったから、“そう”はたべものいっぱい……
みんなおなかいっぱいで、だから、たべものあまってる……」
凛「そういうことか!」
礼子「私だけかしら? まったく分からないんだけど?」
凛「燕雲十六州の、西の要である応州や、東の要である易州には、
それなりの規模の遼軍が配置されている。
それぞれに呼応する宋軍の拠点は、西の大石塞や東の雄州(ゆうしゅう)だけど、
これらにもやっぱり宋軍が多く配置されている」
みく「だったらどうなるのにゃ?」
凛「燕雲十六州の中心にある蔚州(うつしゅう)は、がら空きになっている。
もし西と東の、それぞれの拠点から同時に宋軍が北上してきて、
五台山の宋主が直率する軍が、蔚州に雪崩れこんできたら……」
のあ「蔚州は容易に陥落……燕雲十六州の遼軍は、東西に分断される……」
みく「つまり今回の行幸は、親征を隠すためのものだったのかにゃ!?」
礼子「でもおかしいわ。のあはさっき、輜重の数が少ないって言ってたじゃない」
のあ「宋は、今年は豊作……
国境の各地に、古くなった備荒用の兵糧が、大量に余っているはず……」
礼子「それを流用すれば、本国から国境まで輸送する手間が省けるし、
遠征であることを隠すこともできるというわけね」
礼子「それで、どうして我が軍の蔚州の防備が薄いのかしら?」
みく「あそこは、だだっ広い平原にぽつんと取り残された古城にゃ。
今までの戦略上、何の価値も無い城だったのにゃ」
礼子「そういうこと……
それにしても貴方、地図を見ただけで宋軍の戦略が分かったの?」
こずえ「ううん……こずえはねー、むずかしいことはわかんないの……」
みく「でもすごいにゃ、こずえチャン!」
凛「宋軍が、この作戦を取ってくる可能性は高い。
だから、これを逆手に取ろう」
礼子「何か良い案が浮かんだのね?」
のあ「傾聴しよう……」
凛「いい? 宋軍の本隊が、蔚州を狙ってるということは……」
~五台山・霊廟~
真奈美「陛下、ただいま参上しました……」
真奈美「これは?」
趙光義「見ての通り、燕雲十六州の地図じゃ」
真奈美「やはり、今回は行幸に見せかけた親征なのですね?」
趙光義「さすがは楊令公。見抜いておったか」
真奈美「手始めに、どこを攻めるおつもりですか?」
趙光義「蔚州じゃ」
真奈美「何故蔚州を?」
趙光義「蔚州は燕雲十六州のほぼ中心にある。
西と東から同時に別働軍を北上させ、遼軍が東西に兵力を傾注している隙に
蔚州を攻め取れば、燕雲十六州の遼軍は東西に分断される」
真奈美「しかし、逆に考えることもできます」
趙光義「逆とは何じゃ?」
真奈美「陛下が直率する本隊を蔚州まで引き込み、突出させれば、
逆に我らを東西の両翼の軍から切り離すことができるでしょう。
そうなれば我らは、敵地で孤立することになります」
趙光義「その心配は無い。我らの兵力は、遼軍の二倍ほどもある。
もし東西に軍を割けば、中央の我らに向ける兵力が足らず、
中央に兵力を割けば、燕雲十六州の東西を攻略され、中央軍が孤立することになろう。
それに東の易州を攻略すれば、すぐ北の燕京に刃を突きつける形になる」
真奈美「戦の勝敗は、兵力で決まるものではありません。
高梁河での敗戦をお忘れですか?」
趙光義「もうよい、楊業。お主をここに呼んだのは、楊家軍の配置を伝えるためじゃ」
真奈美「我らは、どのように?」
趙光義「楊家軍は、朕が率いる蔚州攻略軍の先鋒とする。
お主の戦働きに、期待しておるぞ?」
真奈美「御意……」
~楊家軍・本営~
裕美「あ、真奈美さんお帰りなさい。で、どうだったの?」
真奈美「やはり今回の行幸は、親征を隠すためのものだ」
裕美「真奈美さんの言う通りだったね……それで、私たちの配置は?」
真奈美「楊家軍は、蔚州攻略の先鋒を仰せつかったよ」
裕美「やっぱり蔚州か。上手くいくかな?」
真奈美「大軍を擁する身としては、ごく真っ当な戦略だろう。
しかしいくら大軍とはいえ、軍を三つに分けるのは、
兵力分散の愚を犯していることになる」
真奈美「用兵の基本は、兵力の集中だ。
例えば、全軍を遂城あたりに集結させ、
そのまま一気に北上してしまえばいいと思うのだが。
何なら、燕雲十六州を西側から席巻するのもありだな」
裕美「それは、陛下に奏上したの?」
真奈美「いや、聞き入れてもらえなかった。
何としても、ご自身でお考えになった戦略で、燕雲十六州を奪還したいのだろう。
先代からの悲願だからな」
裕美「何だか、嫌な予感がする」
真奈美「こら、出陣の前だぞ。戦の前に、不吉なことを言うものではないよ」
裕美「うん……ごめんなさい」
~蔚州~
伝令「陛下、城内を全て確認したところ、残敵はおりません」
趙光義「うむ。大儀であった」
趙光義「どうじゃ、楊令公よ。
朕の言うとおり、遼は蔚州に攻めてくるとは思いもしなかったようじゃな。
その証拠に、この大軍を見た途端守兵どもは逃散したではないか」
真奈美「はい……しかし、幾つか気になる点があります」
趙光義「まだ何か引っかかっておるのか?
“楊無敵”とか、“楊不敗”とか言われておるのに、存外心配性じゃな」
真奈美「一つは、東西の別働軍と連絡が取れないことです」
趙光義「東西軍とは距離があるからの。連絡が取りにくいのは仕方あるまい」
真奈美「もう一つは、この城がかなり傷んでいることです。
城壁にも、崩落しかけている箇所がありますし」
趙光義「それだけ、遼はこの城に戦略的価値を見ていなかったということじゃろう。
裏を返せば、遼の意表を衝くことに成功したということじゃ」
真奈美「やはり、これは遼軍の罠だとしか……」
趙光義「そのあたりにしておけ、楊令公。
燕雲十六州を奪還する戦は、まだ始まったばかり……」
斥候「陛下! 大変です!」
趙光義「何じゃ、騒々しい」
斥候「城外に遼の大軍が! その数、およそ十万!」
趙光義「何!?」
真奈美「これは……まずいな……
陛下。既に我らは、包囲されております」
趙光義「な、何じゃと……! 別働軍に伝令を出せ! すぐに救援に来るようにと!」
真奈美「陛下、まだお気づきでないのですか?
現在我らは、東西の別働軍と連絡が取れないのです。
おそらく、途中で伝令が捕らえられているのでしょう」
趙光義「朕は帝ぞ! 朕を助けにくる者は、この国におらぬのか!?」
真奈美「仕方ありません。彼らも勅命で動いているのです。
その軍事行動を変更させるためには、陛下の勅命を届けるしかありません。
そしていま、彼らに勅命を届ける術がありません」
趙光義「そんな……何か、良い策は無いものか?」
真奈美「一つだけ。しかし、危険な賭けです。
陛下のお命を、絶対に保障できるものではありません」
趙光義「その策しか無いのだな?」
真奈美「はい。少なくとも、私にはこれしか考えられません」
趙光義「早く教えてくれ! その策とは何じゃ!?」
真奈美「それは……」
~蔚州城前・遼軍本陣~
みく「凛ちゃんの予想した通りの展開になったにゃ!
これで宋主の首を取れるにゃ!」
凛「油断は禁物だよ。城内には、楊家軍がいるんだから……
それで、のあさん。応州や易州の防備は大丈夫なの?」
のあ「二つの城は、それぞれ耶律沙と耶律学古に任せている……
二人とも遼の宿将……城を死守するように言い含めてある……
無論、城内の物資や防備も万全……」
みく「そっか。それなら安心にゃ……よーし!
じっくり蔚州を料理してやるにゃ!」
凛「待って。城門が開いた! 敵が打って出てきたよ!」
のあ「野戦を挑むか……」
みく「遼軍相手に野戦なんて、自棄になったのかにゃ?」
凛「……いや、反対側の城門も開いたね。
中から騎馬隊が飛び出してきた!」
のあ「宋主を脱出させるための、別働部隊か……」
凛「のあさん、私にあの騎馬隊を追わせて!」
のあ「蒼騎兵は、遼軍最速……
良いわ。宋主の首を獲れ、耶律休哥……」
凛「必ず!」
みく「ちぇっ。オイシイところは、いつも凛チャンに取られてる気がするにゃ」
のあ「こちらには、楊業がいるはず……この首級は大きい……」
みく「そうだったにゃ! やってやるにゃ!」
凛「待て! 宋主!」
凛「我こそは遼軍の将、耶律休哥! その首を……」
真奈美「貰い受けると言いたいのだろう?」
凛「な……楊令公!」
真奈美「やはりな。隠れて逃げようとすれば、目敏い君のことだ。
すぐに追いかけてくると思ったよ」
凛「まさか……宋主は、出撃してきた本隊の方にいるの!?」
真奈美「ああ。そのまさかだ……それに、本隊を見たまえ」
凛「宋軍が、総崩れになっている……いくら何でも、これは早すぎる」
真奈美「固まっているより、散らばったほうが逃げやすいからね。
さて、あの分散した宋軍のどこに、本物の陛下がいらっしゃるかな?」
凛「自分の主君を、そんな危険な賭けに乗せるなんて!」
真奈美「陛下も了承済みさ。なかなか、果断な性格をしておられるからな」
真奈美「それに、捕らえられる心配はあまりない。
なぜなら、遼軍で最強最速の騎馬隊は、私の目の前にいるのだから」
凛「遼軍で最強最速か……
音に聞こえた楊令公に、そこまで褒められるなんてね」
真奈美「ふふふ……だが、我が旗本の敵ではない」
凛「あまり私を舐めてると、気づかないうちにあんたの首が、
地面に転がっているかもね?」
真奈美「笑止な。耶律休哥よ、我が吹毛ノ剣の錆にしてくれる!」
真奈美「総員……」
凛「蒼騎兵……」
真奈美&凛「「突撃!!」」
真奈美「はぁぁぁっ!!!」
ガキン!
真奈美「おや、吹毛ノ剣の斬撃を防ぐとはな。
その剣、稀代の一品と見た」
凛「吹毛ノ剣みたいな名剣が、
この世に一本しかないなんて思ったら大間違いだよ!」
真奈美「楽しませてくれるじゃないか」
ガキン! ガキン! ガキン!
真奈美「どうした? その程度の腕では、その剣が泣くぞ?」
凛(劈風刀は、吹毛ノ剣とは互角に打ち合えている……
でも、それ抜きに考えても、楊令公の膂力は尋常じゃない!)
真奈美「これで終わりだ!」
凛(ここまでか……)
みく「させにゃい!」
シュバッ
真奈美「新手か……神聖な一騎打ちに、文字通り横槍を入れてくるとはな。
それも、名乗りもせずに」
みく「みくは、遼軍随一の名将、耶律斜軫にゃ!
たとえお前がどんなに強くとも、凛チャンとみくの二人の敵じゃないにゃ!」
凛(みくはいつから、遼軍随一になったんだろう……)
凛「みく……宋主の方はどうなったの?」
みく「逃げられたにゃ。
だから、せめて楊令公の首だけでも取らせてもらうのにゃ」
凛「そっか……助けに来てくれたんだ。ありがとう」
みく「礼なら戦が終わった後にゃ。まずはこの化け物を何とかしないと……」
真奈美「化け物呼ばわりとはな……
しかし貴様ら小娘二人に、この私が倒せると思っているのか?」
ガキン! ブンッ! シュバッ!
真奈美「さっきの大言はどうした?
まさか二人がかりでも、この私を倒せないのかな?」
凛(強い……)
みく(強すぎるにゃ……人間を辞めてるにゃ……)
スパッ
凛「みく!」
みく「しまったにゃ! 槍が真っ二つに!」
真奈美「死ね! 耶律斜軫!」
ヒュゥゥゥゥ…
真奈美「む……?」
ドスッ
真奈美「ぐっ……」
のあ「そこまでよ、楊令公……」
凛「のあさん!」
みく「良かったにゃ~! みく、こんなところで死ぬのは正直嫌だったにゃ~!」ウワーン
真奈美(肘を矢で射られたか……これでは剣が使えない)
凛「勝負ありだね。さあ、降伏して」
真奈美「……」
凛「さもないと、まだ生き残っている部下達が死ぬことになるよ?」
真奈美(蒼騎兵だけではない。耶律斜軫や耶律奚低の軍まで集結しつつある……
まだ戦っている者達がいるが、もうこれまでだな……)
真奈美「わかった。これ以上、部下が死ぬところを見たくない」
凛「賢明な判断だね」
のあ「全軍に、戦闘停止を……」
みく「わかったにゃ!
あ、軍の収拾はみく達でやっておくから、凛チャンは楊令公を頼むにゃ」
凛「うん」
真奈美「……私は、遼の軍門に降ることはできない」
凛「どういうこと? 降伏するっていうのは、嘘なの?」
真奈美「知っていると思うが、まだ北漢に仕えていた頃、私は主君を裏切り宋に降伏した。
我が主は暗君だったが、その降伏が楊一族を救い、
中華の戦乱を終わらせたことになったとしても、裏切りは裏切りだ」
真奈美「ここで陛下を裏切れば、私は変節者としての謗りを受けるだろう。
私はいくらでも屈辱には耐えるが、
残された一族まで、後ろ指をさされることには耐えられない」
真奈美「どうか、首を刎ねてほしい。
そして私の命に代えて、生き残った部下達を逃がしてくれないか?」
凛「本当にそれで良いの?
そもそも宋と遼の戦いは、宋主が燕雲十六州を望んだから起こったものだよ?」
凛「宋は戦争さえしなければ、充分すぎるくらいに豊かな国だよ。
私たちに、こんなちっぽけな土地ぐらいくれても良いじゃない!」
凛「こんな愚かな野望の為に、あんたが死ぬ必要はない! いや、あんただけじゃない!
この長い戦の影で、両国の民は疲弊し、常に戦火に怯えている!
どうして……どうして戦なんて……」
真奈美「君は優しいのだな」
凛「え?」
真奈美「私ははじめ、耶律休哥という武将は、戦だけが能だと思っていた。
しかし、回跋部の反乱鎮圧のやり方を見ても、
君が常に民のことを考えていることがわかる」
凛「そんなことまで知ってるの?」
真奈美「雄敵について調べるのは当然だ。しかし、それは君の甘さと言えるだろう。
『愛民ハ煩ワサルベキナリ』と孫子も説いている」
真奈美「私たちは軍人なのだ。軍人が政を壟断し、命令に疑問を持つことは許されない」
凛「甘さか……確かに、私は軍人として甘いと思うよ。
契丹族のくせに、女真族に絆されて海東青鶻の旗を掲げていることが何よりの証拠」
凛「でも、私には部族なんて関係ない! 私は遼の蒼茫の為に戦っているんだ!
それが甘さだと言うなら、好きに呼べば良い!」
真奈美「ふふふ……その覚悟は、軍人としての甘さか、大器ゆえか、
或いはどちらでもないのか。
私には確かめる術も、時間も残されていない」
真奈美「さあ、首を刎ねてくれ! 君とその剣に刎ねられるなら、本望だ」
凛「……」
真奈美「……どうした? 早くしてくれ」
チャキ
凛「さようなら、楊令公……」
真奈美「さらばだ、耶律休哥……」
凛「……」
凛(最大の強敵、楊令公は斃した。でも、この寂寞とした思いは何だろう……?)
のあ「凛……全軍の態勢は立て直した」
みく「楊令公はどうなったにゃ?」
凛「本人の望み通り、斬ったよ」
のあ「そう……」
みく「結局、降伏は潔しとしなかったのかにゃ……
でも、生き残った楊家軍の兵達は皆逃がしてあげたにゃ」
凛「良かった」
のあ「斥候の報告によれば、宋軍の本隊は澶淵(せんえん)で態勢を整えている……」
みく「東西の宋軍は、本隊が敗走したことを知って慌てて陣払いしたところ、
遼軍の追撃を受けて壊滅してるみたいにゃ」
凛「千載一遇の好機だね」
のあ「これが……最後の戦いになる」
みく「よーし、澶淵に向けて出発にゃー!」
~澶淵・宋軍本陣~
伝令「陛下! 遼軍が、そこまで迫ってきておりますぞ!」
趙光義「もはや、これまでか……」
裕美「お待ち下さい、陛下! まだ望みはあります!」
趙光義「楊延昭か。楊令公亡き今、遼軍に立ち向かえる将は宋軍にはおらぬ」
裕美「まだ、和議を結ぶという手が残されています」
廷臣「蛮族相手に和議だと! 控えよ、楊延昭将軍」
裕美「ですが、本隊は甚大な被害を受けており、東西の両軍も敗走しました。
和議以外に、どのような方法があるというのですか!?」
廷臣「それは……」
趙光義「では楊延昭よ、どのような条件で和平を締結するか、申してみよ」
裕美「まず第一に、今後宋と遼はお互いの領地に侵入しないこと。
領地の境は、現在の国境とすること、でしょうか」
趙光義「お主は朕に、燕雲十六州を諦めろと言うのか?」
裕美「はい。燕雲十六州の奪還は、先帝からの御悲願です。
しかし、宋から見れば燕雲十六州など小さな土地に過ぎません。
遼に呉れてやっても良いと思います」
裕美「それから、宋は遼に対して、毎年決まった額の歳幣を払うという条件もつけましょう。
そのかわり、遼は宋に対して兄弟の礼を取ること……いかがでしょうか?」
趙光義「そこまで我らが譲歩しなければならぬのか……」
裕美「金で平和を買うとお考えになれば、よろしいかと存じます」
裕美「陛下。度重なる出兵により軍事費が嵩み、民は重税に喘いでいます。
どうか、燕雲十六州だけではなく、天下の民のことをお考えください」
裕美「ここで陛下が戦をお選びになれば、民は陛下を恨みましょう。
しかし屈辱に耐え、平和をお選びになれば、万民は陛下を賞賛し、今より深く敬慕するでしょう」
廷臣「不敬極まるぞ! 楊延昭将軍!」
趙光義「良い……分かった。お主の言葉で目が覚めた。
朕はどうやら、燕雲十六州に固執しすぎておったようじゃ。
その条件で、遼と和睦しよう」
裕美「その使者は、私にお任せを」
趙光義「お主自ら出向くと申すか」
裕美「奏上したのは私ですから。それに、我ら楊家軍は外様。
殺されたところで宋にとって、痛くも痒くもないでしょう?」
廷臣(嫌味な奴め……
楊令公が死んだのは、まるで我らの所為だと言わんばかりではないか)
趙光義「よし。行って参れ、楊延昭」
裕美「御意!」
裕美(真奈美さん……これで、良いんだよね……?)
~澶淵・遼軍本陣~
兵「申し上げます! 宋軍より、使者が参りました!」
のあ「通して……」
みく「今さら何の用にゃ」
凛(もしかして……)
裕美「お初にお目にかかります……
というわけではありませんでしたね。改めて、楊延昭です」
のあ「高梁河の……」
みく「殿軍を指揮していた人にゃ!」
凛「私は初対面だったね。私は遼軍の将、耶律休哥」
裕美「初めまして」
裕美(この人が、真奈美さんを……)
のあ「用件は?」
裕美「え、えっと……
我が主、趙光義は和睦したいとのお考えです」
凛「和睦? どんな条件で?」
裕美「一つ。国境は現在のままとし、以後互いの国境を侵犯しない。
二つ。宋は遼に対して、歳幣を支払う。
三つ。宋と遼は兄弟の契りを結び、遼は宋に対して兄としての礼を取ること……
おおまかには、以上です」
みく「でも、宋は先代から燕雲十六州を狙ってきたにゃ!
いまさら和睦なんて信用できないにゃ!」
裕美「その点は、信用していただくしかありません。
しかし陛下は、心から和睦を望んでおられます」
のあ「こちらとしても好都合な条件ね……
しかし、我らだけでは判断できない。都に急使を派遣する。
しばし待ちなさい……」
裕美「ありがとうございます。私はこれで失礼します。
良いお返事を、お待ちしております」
凛「ちょっと待って! 陣の外まで、私が送っていくよ。
話したいこともあるし」
裕美「は、はい……」
凛「もう知っているかもしれないけど、楊令公の首を刎ねたのは私なんだ」
裕美「はい……しかし、武門に生まれた者は誰でも、戦場で死ぬ覚悟はしています」
凛「そうだ、もっと砕けた話し方で良いよ。凛って呼んでくれて良いから」
裕美「あ、うん……私のことも、裕美って呼んで」
裕美「あの……一つ聞いても良い?」
凛「何?」
裕美「真奈美さんは、どんな最期だったの?」
凛「楊令公は、わずかな旗本を率いて、遼軍を足止めした。
私は自ら楊令公を討とうとしたけど、逆に討ち取られそうになって……
結局、私とみく、それとのあさんの三人掛かりでようやく捕縛できたんだ」
凛「降伏を勧めたんだけど、生き残った部下を逃がすかわりに、
自分の首を刎ねてくれって……
遺骸は、丁重に埋葬させてもらったよ」
裕美(そうか……真奈美さんはそんな情況になっても、最後まで負けなかったんだ……)
凛「それから、これを」
裕美「これは……吹毛ノ剣?」
凛「楊令公の愛剣だったからね。
やっぱり、楊家軍の人に返すのが筋だと思って」
裕美「ありがとう……」
凛「……」
裕美「……」
凛「……多分、都の礼子さん……じゃなかった。
太后様は、この和睦をお認めになると思うよ」
凛「遼軍も、こんなところまで宋軍を追撃するなんて考えていなかったからね。
正直なところ、兵は疲れてるし、物資も不足気味だし……」
裕美「それは、こっちも同じだよ」
凛「そっか……」
裕美「うん……」
凛「ねえ、裕美。平和になったら、もう裕美と会うことも無いよね?」
裕美「そうだね」
凛「じゃあ、これでお別れか」
裕美「私も、もし宋の軍人じゃなかったら、
凛ちゃんとは友達になれたと思うけど……」
凛「同感。万が一、どこかで会うことがあれば、よろしく。
例え、戦場でも……」
裕美「こちらこそ、よろしくね。
戦場で会うことになったとしても、負けないよ?」
凛「ふふっ……じゃあ、これで」
裕美「さようなら……」
~燕京・宮殿~
凛「……」
みく「……」ソワソワ
凛「みく、少しは落ち着きなって」
みく「でも、どんな恩賞が貰えるかって考えたら、ワクワクしてくるにゃ!」
凛「礼子さんのことだから、それ相応の恩賞をくれると思うよ」
みく「凛チャン、宋との戦いが終わった後から、
妙に落ち込んでいるように見えるにゃ」
凛「それは、みくが能天気なだけだよ」
みく「ひどい言い草にゃ。凛チャンは敵に感傷しすぎにゃ」
凛「みくの方こそ、もっと敵に敬意を払うってことを覚えた方が良いよ」
みく「にゃにを!」
凛「やる気?」
衛兵「お二人とも、そこまでにしてください。太后様がお呼びです」
凛「はい」
みく「やっとにゃ!」
礼子「此度の戦、二人の活躍は瞠目すべきものだったと思う。
よって、耶律斜軫を“魏王”に、
耶律休哥を“宋国王”に封じ、それぞれに“剣履上殿”を許す」
みく「お、王かにゃ!?」
凛「王!?」
※ 剣履上殿(けんりじょうでん)
・昇殿する際に靴を脱がずとも良く、佩剣したまま天子に謁見できる特権。
みく「あれ? でも何で“魏王”に“宋国王”なのにゃ?
魏も宋も遼の国土外にあるにゃ」
礼子「理由は二つあるわ。まず王の位だけど、二人の活躍を見る限り、
これぐらい奮発しても良いと思ったからよ。
それから、魏と宋については、宋を威圧するためなの」
みく「威圧?」
凛「ああ、そういうことか」
礼子「魏も宋も、宋のことを指している。
だから、貴方達二人が魏王や宋国王に封じられることによって、
いつ遼が攻めてくるかわからないという、不安を与えることになるわ」
礼子「ふふっ。もし貴方達が望むなら、本当に攻め取っても良いのよ?」
みく「せっかく平和になったんだから、もう戦はお腹一杯にゃ」
凛「同じく……って、あれ?」
礼子「どうかした?」
凛「のあさんは、どうなったの?」
礼子「辞退したわ。自分は王の器に非ず、だって」
みく「のあにゃんも、もったいないことをするにゃ」
凛「王って言っても位だけなんだから、そういう考えもありかも」
礼子「ごめんね。いくら“澶淵の盟”で歳幣が支払われるといっても、
まずは戦で傷ついたこの国を、立て直さないといけないの」
凛「わかってるよ。私達のことは、お構いなく」
礼子「これからも、よろしくね」
みく「まかせるにゃ!」
~燕京・城壁上~
凛「ふう……風が心地良いな……」
キィ キィ
凛「あれ? この鳴き声は……?」
長老「お久ぶりです、将軍……いや、殿下」
凛「長老、久しぶり……って、殿下って?」
長老「聞きましたぞ、此度の戦功により、宋国王に封じられたとか」
凛「耳が早いね……」
長老「私の耳は地獄耳だと、里では煙たがられおりますので。
はっはっは!」
凛「ふふっ……それで、どうして燕京に?」
長老「王室の方々に、海東青鶻をお届けに参りました」
凛「そうなんだ」
長老「それと、太后様にお礼を申し上げねばならぬと思いまして」
長老「澶淵の盟の締結により、国庫が潤い、
我らも減税されることになったのです」
凛「海東青鶻も?」
長老「はい。献納する数を、減らしていただきました」
凛「良かったね」
長老「これも、殿下のお口添えあればこそです」
凛「な、何のことかな?」
長老「隠す必要はありませんぞ。
殿下が太后様に働きかけてくださったこと、私はわかっておりますとも!」
凛「さ、さすがだね……」
長老「どうです? 私もどうしてなかなか、目利きだと思いませんか?」
凛「かなわないなぁ、長老には。おみそれしました」
長老「今や回跋部にも、殿下の令名は轟いておりますぞ!」
凛「ねえ、長老」
長老「いかがなさいました?」
凛「私は、海東青鶻のように、羽ばたくことができたのかな?」
長老「勿論です! さながら、海東青鶻が蒼穹を舞うが如く、
高く、速く、遠く、強く、この天下を飛翔されましたなぁ」
凛「そう……かな……」
みく「おーい! 凛チャン!」
凛「ここにいるよ! どうしたの?」
みく「そろそろ戦勝祝いの宴会が始まるにゃ!
礼子さん達が待ってるにゃ!」
凛「うん! わかった!」
長老「では、私はこれで」
凛「もう行っちゃうの?」
長老「殿下もお早く、宴会に向かわれませ。
いつかまた、お会いできるでしょう」
凛「うん。またね」
みく「何してるにゃ! 早く来ないと、
宴会でみくと一緒に猫耳つけて、しぶにゃん芸を披露してもらうにゃ!」
凛「わ、わかったって! 今行くから!」
おわり
・読んで下さった方、ありがとうございました。
・耶律休哥は、北宋時代の遼の武将で、燕雲十六州を巡る対宋戦で活躍しました。
「于越(耶律休哥の官命)が来た」と聞けば、子供が皆泣き止むと言われる程に宋人に恐れられ、
太宗の北征を幾度も挫き、その戦功によって宋国王に封じられました。
・一方、燕京の統治を任された際、よくこれを治めて人民から敬慕されたそうです。
また、誤って遼の国境に入り込んでしまった民がいれば、丁重に送り返したりするなど、
愛民の為政者としての側面も持ち合わせていました。
・耶律休哥、耶律斜軫の死後、聖宗(耶律隆緒)は蕭太后の後見を受けつつ宋との戦を有利に進め、
最終的に“澶淵の盟”という和平条約を締結します。
この盟により、遼は莫大な歳幣を宋から受け取り、聖宗は遼の最盛期を築きます。
【海東青鶻について】
・海東青鶻は、女真族が古くから使役しており、遼の王族や貴族に人気があったので
税として献納させられていました。
しかし、海東青鶻は断崖に生息するため、捕獲するときに墜落死する人も多かったようです。
また、農作業に手が回らなくなる程に調教が難しく、
それ故に女真族は多大な犠牲を強いられていました。
・これが後に、完顔阿骨打(ワンヤンアクダ)の挙兵、及び金建国の遠因となります。
そして弱体化した遼を狙って、金宋間に“海上の盟”が締結され、遼は金の攻撃により滅亡してしまいます。
以下は作者の過去作です。
歴史・古典ものですが、興味のある方はどうぞ。
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グラブル衣装の凛で脳内再生されたw
関ちゃんはまさかの登場だったけど、遺志を継いで見せるところ、関ちゃんらしい活躍だった。
乙!
以下は中国の歴史・古典作品です。
モバマス史記
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耶律イズミンが後にでてくるんですね
おつー
唐突な蒼の強調で顔が緩みっぱなしだった
乙、歴史物はやっぱり面白い
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