阿良々木暦「ゆきほエンジェル」 (52)

・化物語×アイドルマスターのクロスです
・化物語の設定は終物語(下)まで
・ネタバレ含まれます。気になる方はご注意を
・終物語(下)より約五年後、という設定です
・アイドルマスターは箱マス基準


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001


シャッターを切る音が耳朶を心地良く打つ。

被写体となるのは我が765プロが誇る癒し系アイドル、萩原雪歩だ。
彼女は今現在、僕の眼の前でワンピースの水着姿で撮影をしている最中だった。やはり萩原には白が似合うと思う。

人間には、その人に似合う色が必ずある。
ここは僕の独断と偏見で申し訳ないが、敢えて765プロのアイドルに喩えるとしよう。

天海は桃色、如月は青、菊地は水色、水瀬は赤、高槻は橙、あずささんは群青、双海姉妹は黄、星井は金、我那覇は黄緑、四条は紫。
そして先述した通り、白の萩原。

僕は黒だ。
どす黒く、澱んで濁っている。
だからだろうか。純白、純潔、清純――そんな言葉が最も似合いそうな萩原は、僕にとってとても眩しく憧れる存在なのだ。
他の誰が何と言おうと、僕は歪んでいる。
忍野にも、 ひたぎにも、羽川にも言われたことだ。
僕は、相手が誰であろうとも困っている人がいたら助けてしまう、極度の『お人好し』だ。
死にかけの誇り高き吸血鬼を見て自分の命を差し出してしまう程の大馬鹿野郎だ。
そのこと自体は否定もしないし、今後やめるつもりもない。
やらない口先だけの善よりも行う偽善の方がまだましだ。
その歪みっぷりから扇ちゃんという影まで産み出してしまった位だが、僕が僕である以上は変わるつもりはない。
だが、僕という人間を外から観察したら、やはりきっと気持ち悪く歪んでいるのだろう。
それはもう見る人によっては、吐き気を催す程に。

自虐は行き過ぎると唯の嫌味だし、裏方の僕のことを知りたい人などそうはいまい。
話を戻そう。


繰り返すように、だからという訳ではないが萩原はとても眩しく映る。

萩原雪歩のアイドルとしてのイメージは、『守ってあげたくなる女の子』だ。
その比喩に恥じないよう、萩原は見ているだけで男は庇護欲を駆り立てられる。
小さくて、弱々しくて、僕が守ってやらなければいけない、と思わせるのだ。
萩原の名誉の為に言っておくと、萩原本人は決してそれを意識して演じている訳ではない。素でそうなのだ。
先程も少し触れたが、行き過ぎたネガティブアピールは人に不愉快感を与えるだけだ。
時代の流れかここ十年ほどでネガティブを売りにした作品も増えて来たが、あれは漫画や小説だから許されるのであって、現実の人間が『私、人間として弱いんです』とか『死にたいんですよ』とか言っても可哀想な人扱いされるのが関の山だろう。
萩原のアピールポイントもその属性にあたるだろうが、嫌味なく受け入れられているのは彼女がただそれだけの人間ではないからだ。

彼女は、ああ見えて強い。
性格こそ時折卑屈すぎるんじゃないかと思うこともあるが、そもそも自分に対しての自信が微塵もない人間が大手を振ってアイドルなんてやれる甘い時代な訳がないのだ。
高槻とはまた違う方向性のひたむきさと、それに見合うスペックを所持した、外見にそぐわぬ熱い心を持った少女。
それが、僕が現時点で萩原に向ける認識だ。

今、目の前で雑誌のグラビア写真の撮影をしている萩原を見ていると、彼女の強さを再認識させられる。
極度の恥ずかしがり屋で自分に自信を持てない傾向にある彼女が、必死に羞恥心と自分との葛藤と戦った末に惜し気もなくその均整の取れた身体をレンズの前に晒している。
しかもこの写真は全国区にお届けされるのだ。
その決意たるや、賞賛せずに何を賞賛しろと言うのか。

決して恥ずかしがっている萩原が可愛すぎる、とかじゃなくてね?

今の僕の想いを一言で表すのならば、そう。


「萩原の水着姿最高!」

思わず叫んでしまった。
カメラマンや照明さん、その他スタッフさんたちの視線が一挙にこちらに集まる。

その視線の意図はまあ、語るまでもないだろう。

「ぷ、プロデューサー……?」

「ああいえ、何でもありません。お気になさらず、続けてください」

紳士的に返すことで事なきを得た。
阿良々木暦は動じない。クールに流すことこそが人生において波風を立てないこつだ。
更に顔を赤くする萩原と、無言で仕事に戻るスタッフの皆様を前に、後で萩原に怒られるんだろうな、と思う。

ちくしょう、あんなに真っ赤になっちゃって、やっぱり可愛いぜ萩原。
この後滅多に他人に対して怒らない萩原に怒られるんだなあ、と思うとちょっと得した気分になる僕は、やっぱり八九寺や水瀬が言う通り変態なのかも知れなかった。

「ではこれで終了です。お疲れ様でした!」

「お、お疲れ様です!」

その後、さすがはプロなだけあってスタッフの皆さんは卒なく仕事を完璧にこなしてくれた。
萩原が頭を下げて逃げ出すように小走りで僕の元へやって来る。

「お疲れ、萩原。苦手な仕事なのによくやったな」

「ど、どうも……あ、それよりプロデューサー、さっきの……」

「あ、ああ……すまん、萩原を見ていたら、つい……」

「私、恥ずかしくて死んじゃうかと思ったんですからぁ……!」

「ごめんごめん。でもとっても可愛かったよ、萩原」


お世辞でも何でもない褒め言葉だ。
普段ならばこんな歯が浮くような台詞は言わないのだが、先程も言ったように萩原の弱点として、自分に自信がない箇所が挙げられる。
だからこうして言葉の端々で彼女に自信をつけさせてあげるのもプロデューサーの仕事だと僕は思う。
昨今では可愛いと言っただけでセクハラになるらしいが、それ以上のことをしている僕にとってこれしきのことはセクハラの内に入らないに決まっている。

萩原は僕の言葉を受けその白い頬を桃色に染める。可愛いなあもう。

「そ、そんな……こんなひんそーでちんちくりんな私が、 か、かわいいなん……て……」

「如月と菊地に謝れ!」

「ふええっ!?」

思わず声を荒げてしまった。
スタッフの皆さんが怪訝そうな表情でこちらを見ているし、萩原はいきなりの出来事に目を丸くしているが、僕は構わず続けた。
傍から見たら僕が萩原を叱っているように見えたことだろう。

しかしリアルでふええなんて言葉が許されるのは萩原か高槻くらいのものだろうな。
忍や神原が言った日には腹パンしているところだ。

「何が貧相だ! 何がちんちくりんだ! いいか!
 ちんちくりんなんて言葉はな! 75の壁を越えてから言え! あの二人に失礼だとは思わないのか!」


「あ、あの」

「なんだ!」

「後ろ……」

萩原の指差す先、僕は背後を振り返るとそこには、

「…………」

「…………」

「……あ、あはは……」

同じくして仕事に来たのであろう天海、如月、菊地の姿があった。
うち、セブンティーンならぬセブンティの二人が見下すような視線でこちらを見ている。
天海は苦笑しながら手を合わせていた。
それが二人を止められなくてごめんなさい、という意味なのか僕に対して冥福を祈っているのかは、僕にはわからない。

「ふっ……」

僕はなるべくニヒルな笑みを浮かべる。
なに、この程度のことで怯む僕ではない。

「プロデューサー、少し、お話が」

「ボクからも、ね?」

「……ああ、望むところだ」

僕は上着を天海に預け、首元のボタンを緩めながらネクタイをカッコ良く放り投げる。
何を隠そうこの一連の流れを家で練習したくらいだ。
戦うサラリーマンってフレーズいいよね。
無駄にならなくて良かったぜ。

「かかって来いやぁ!」

十五分後、僕等は楽屋の隅に一体の亡骸が転がるミステリーに出くわすことになる。

勿論言うまでもなく、死体役は僕だった。



002


「いつつ……まったく、手加減ってものを知らないのか菊地は……」

「あれはさすがにプロデューサーが悪いと思いますけど……」

結局あの後、菊地の真天地覇煌拳を喰らって数分気絶していたらしい。
一撃必殺を躊躇なく僕に叩き込むようになってきたのは嬉しいやら悲しいやらで複雑な気分だった。

そして一人残った萩原が献身的にも手当をしてくれた。
地獄に仏だ……。

「ああそうだ、萩原にオファーが入ってたんだけど聞くの忘れてた」

「オファーですか?」

「ああ、漫画原作の実写映画の主人公役なんだけど……社長にも話したが、やるかどうかは萩原が決めていいってさ」

正直言ってアイドルと言うよりは女優の仕事だ。売名としての側面もあり確実にプラスではあるのだが、女優ともなると萩原も初めての仕事だろうし、意志を尊重しよう、ということになったのだ。

「なんてマンガですか?」

「ああそうだ、全巻もらってたんだ……っと、これだ。あっちから是非とも萩原を、って熱意的に頼まれてな」

鞄から一冊だけ持ってきた漫画を取り出す。
僕は漫画はほとんど読まないし、表紙から少女漫画だ、というくらいしかわからない。

「っ…………!」

萩原がそれを受け取るなり伏しがちの目を大きくして震えていた。


「どうした、萩は……」

「やりますっ!!」

「うお!?」

「やります! やらせてください!」

「お、落ち着け萩原!」

「やらせてください! やらせてください!」

「やめろ! そのフレーズを連呼するな!」

まるで僕が萩原に強制させている変質者みたいじゃないか!!
何をとはさすがに言わないけれど!

漫画を胸に抱いて目をキラキラさせ、鼻息も荒く迫ってくる萩原。
普段の消極的な態度からは考えられない程のアグレッシブさだ。

「私、この漫画の大ファンなんです! ですから是非!」

「そ、そうか……ん?」

ふと萩原の持つ本の背表紙が視界に入る。
タイトルの下、作者の名前が記される箇所に書かれた名前は、

「せ、千石……?」

僕の見間違いでなければ、『千石撫子』と、そう印字されていたのである。

「ご存知なんですか!?」

「い、いやご存知も何も」

同姓同名でなければ『あの』千石なのだろうか。
しかし千石なんて苗字はまだしも、撫子なんて名前は往々にして珍しいのではないだろうか。

「…………」

僕は無言で携帯を取り出すと、履歴から発信する。
相手は今日の朝、電話してきた我が愚妹だ。
数コールの後、果たして月火ちゃんは出た。


『月火だよー』

「月火ちゃん……聞きたいことがあるんだ」

『何々? 恋愛相談から闇討ち依頼まで何でも聞いちゃうよ』

冗談に聞こえないのが怖えよ。

「千石のことなんだけど……」

『せんちゃん? 凄いよね、最近。漫画の方が大ヒットでさー』

同姓同名やペンネームという訳ではなかったようだ。

そうか、あの千石が……。
僕は何処か安堵に似た感情と共に口元を綻ばせた。
その出所が何から来るものなのかは僕にすら確かではなかったが、敢えて言うのならば娘を嫁にやる父親の気持ちとは、こんな感じなのではないだろうか。

『そっちに住んでるみたいだし、会いに行ってあげなよ。電話番号教えるからさ』

昔お兄ちゃんと何かあったのは知ってるけどさ、もう時効っしょと月火ちゃん。
妹は妹なりに友人を慮っているらしい。

「そうだな、ありがとう」

月火ちゃんに礼を言って通話を切る。
と、萩原が興奮から顔を真っ赤に染めふんふんと息を荒くしていた。
こんな萩原は初めて見る。
どうしよう、ちょっと怖い。


「プロデューサー……作者の先生と知り合いなんですか……!?」

「え、あ、ああ……後輩なんだ」

「会わせて下さい!!」

有無を言わせぬ勢いで迫る萩原らしからぬ積極性に、思わず一歩後ずさる。

どうやらそういう流れらしかった。

「わかったわかった、何とかするよ。でも萩原がそこまで食いつくなんて珍しいな」

「本当ですか!?」

萩原の表情がぱあっと明るくなる。
この笑顔だけでも報酬としては充分すぎるくらいだ。

「ははは、萩原の新しい一面が見られたみたいで嬉しいよ」

「放っておいて下さいよ」

「え?」

今、何か萩原とは思えない台詞が聞こえたような……?

「あ、あれ……? 私今何か言いました?」

「い、いや別に……」

気のせい……だよな?



003


その後、出版社を通して主演の件を了承すると僕は直接、月火ちゃんに貰った千石の電話番号に掛けた。
プライベート用の電話なのだろう、見知らぬ番号にも関わらず千石は電話に出てくれたのだった。

『もしもし、千石です……どちら様ですか……?』

その声には、確かに面影があった。

五年前、蛇に心を奪われて暴走した、あまりに純粋すぎた少女。

「……千石か」

『暦……さん……?』

「ああ、僕だ……阿良々木だよ」

『…………』

「突然で申し訳ない。実はな、千石の描いた漫画の主演をうちのアイドルがやることになってな……僕は今、アイドルのプロデューサーをやっているんだ」

簡潔に事実だけを述べる。
ここで昔の事を掘り返しても仕方あるまい。
そもそも、僕はもうあの時のことに関して微塵も千石を責めるつもりはない。

「出来たら、挨拶も兼ねて会いに行きたいんだけれど」

『……わかりました……』

千石は何を聞くでもなく、待ち合わせ場所だけを僕に告げて失礼します、と通話を絶った。
何処か覇気がなかったのは気のせいではないだろう。
当たり前だ、かつての辛い過去の原因となった男が、五年越しに会いにくると言うのだから。

さて、千石と会うことが心苦しい――なんてことはないが、何も思わないと言えば嘘になる。
元々、五年以上も引きずったんだ。
いい加減過去にけりを着けるくらいのことはしなくてはなるまい。
折角こうして機会も出来たんだ。

「行こうか、萩原」

「はいっ!」


そこは、世のしがらみや僕の些細な悩みなどどうでもよくなるような場所だった。

正直に言おう。
僕はこれほどの怨嗟と憎悪、その他マイナスの感情に渦巻いた場所を見たことがない。
ここにいるだけで精神が崩壊してもおかしくはない、と言っても決して過言ではない。
その証拠に、萩原もここに入るなり小さく悲鳴をあげた程だ。
先程、電話先で千石が何処となく元気がなかったのは僕から電話がかかってきたから、ではないのだろう。
そう、千石の仕事場は何というか、正に修羅場、と形容すべき気迫に満ちていたのである。

アシスタントを務めるスタッフさんたちは皆女性だったが、全員が全員、女性としての嗜みを一切合切捨てた様子で仕事に取り組んでいる。
具体的に記述するのは彼女たちの名誉のためにやめておくとしよう。

来訪した僕と萩原を血走った目で一瞥しただけで仕事に戻る彼女たちの気迫は、それこそいち軍隊のそれに匹敵するだろう、と僕は確信した。

週刊連載で人気漫画家ともなると〆切は命よりも大切なのだろう。
その辺りは僕も芸能界の掟として経験したことがあるから理解できる。
一度〆切を守れなかった者に次はないのだ。
あったとしても、足元を見られるのは明白。
人気だからこそ、足を止めるわけには行かない苦しさはアイドルも同じだ。

「いらっしゃいませ……暦さん、雪歩ちゃん」

千石も例外ではなく、何処かやつれ、メジャーリーガーかと突っ込みを入れたくなるほど真っ黒になった隈と虚ろな瞳で、ふらふらと身体を揺らしながら僕たちを迎えてくれた。
髪型こそ菊地のようなさっぱりとしたショートカットに変わっていたものの、小さな身体つきは五年前から変わっていなかったので今にも倒れそうだ。

やはり巨匠……と言うか漫画家はベレー帽を被らなけらばならない、という鉄の掟でもあるのだろうか。
千石もベレー帽を被っていた。


「ごめんなさい……明日の夜までに入稿しなくちゃいけなくて……」

……今日来たのは失敗だったな。

「いや、僕等こそ出直そうか? 何か物凄く申し訳ないんだが……」

「ううん、せっかく暦さんと雪歩ちゃんがプライベートで来てくれたんだから」

お茶淹れるからそちらの部屋で待っててください、と応接室らしき部屋に通された。

「す、すごいですね……」

「ああ……僕は今日、漫画家への認識を改めたよ」

それがプラスになるのかはともかく、だ。
凄いな漫画家……あの気迫なら戦場でも通用するんじゃないのか?

「お待たせしました……」

千石がインスタントコーヒーを三つ持ってやって来る。

「んんー……!」

椅子に座り、伸びをする千石。

「なあ千石、本当に良かったのか? あの様子だと僕らがこのまま生贄になってもおかしくない気がしてきたんだが……」

全員が尋常ではない目付きをしていた。
あれは一種のトランス状態だろう。
今から部族の祭のように捕えられて火炙りにされても納得出来てしまう程に。

「ふふっ、相変わらず暦さんは面白いね。大丈夫だよ、いつものことだから」

あれがいつものことなのか……。
すげえな漫画家。
漫画で一山当てて印税生活、なんて考えていた中学生時代の僕を殴らなければなるまい。
漫画家の人に失礼だ。

まあ、千石が大丈夫と言うならお言葉に甘えさせて頂こう。
お茶まで出してもらって帰る、というのも失礼にあたる。


「萩原、彼女が僕の後輩で千石撫子。千石、彼女は僕の担当しているアイドルの萩原雪歩」

「よ、よろしくお願いします!」

「よろしくね、雪歩ちゃん」

「でも、僕の知らない間にこんな大人気作家になってたんだな。結果として遅れちゃったけれど、おめでとう千石」

「そんな、私なんてまだまだだよ……暦さんもアイドルのプロデューサーになったって月火ちゃんに聞いてたよ……ふあぁ……」

最後のはあくびだ。
何日か徹夜していると予想される。

と、隣で沈黙を保っていた萩原が声をあげる。

「あ、あのっ!!」

「あ、ごめんね、お構い出来なくて……」

「いえっ、私ごときの事はどうでもいいんです! そ、そそそそれより!」

「落ち着けよ萩原……ほら深呼吸」

僕に肩を押され、すうはあすうはあ、と何回か深呼吸をする萩原。
こんなに取り乱す萩原も珍しい……せめてこの千石の仕事場に穴を掘りませんように。

「さ、サインくださいっ!」

「うん、喜んで」

「私っ、先生の漫画の大ファンなんですっ! それで、主人公の役をやら せてもらえるって聞いて、嬉しくてどうにかなっちゃいそうですぅ!」

そんなに面白いのか……漫画は滅多に読まないんだけど、僕も今度読んでみようかな。

「おい萩原、それくらいにしておけよ……」

「うるさい」

刹那、ぼそりと呟いた萩原の言葉が氷のように冷たく背筋を伝った。
確かに憧れの先生との邂逅の邪魔をしたのは僕だが、萩原らしくもない。

いや、言葉云々が、ではない。

雰囲気が萩原らしくない。

萩原に黙れなんて言われるのは僕にとってはむしろご褒美レベルなのだが、今の殺気とも形容できる冷たさはなんだ?


「…………?」

単に興奮して僕が眼中にないだけか?

それだけならばまだいいのだけれど。

「実は主人公のキャストは私が編集部の人に頼んだんだ」

「そうなのか?」

「うん、私の描く主人公像と雪歩ちゃんがぴったりだったから」

「そ、そんな……身に余る光栄……あぅ」

ぷしゅう、と蒸気でも吐き出すかのように萩原は気を失った。
人間って嬉しすぎで気絶出来るんだな……新しい発見だ。
まあ、犬にじゃれつかれただけで気絶してしまう萩原のことだから、彼女限定なのかも知れないけれど。

「あー……すまないな、千石。彼女、興奮すると止まらないタイプで」

「ううん、いいよ。それより……」

千石は一度言葉を切ると、眠そうな顔を引き締めて僕を視線で射抜く。

「暦さん……その」

が、結局は何か言いたげ視線を伏せる。

恐らくは、過去の過ちのことだろう。
その千石の複雑な表情からは、鈍感な僕でもそれくらいは察することが出来た。


「千石」

「…………」

「お前が何を言おうと、お前が何を思おうと、僕はお前を許している。だから、これ以上は何も言うな」

「うん……ありがとう」

これでいい。これでもう精算だ。

単なる僕の自己満足かも知れないが、一応、区切りはついたと思おう。

「ねえ、暦さん」

「ん?」

「私の描いている漫画……恋愛ものなんだけど、主人公を中学生の時の自分と投影していてね」

「へえ」

そういうものなのだろうか。確かに、千石の中学生時代なんて人生で一番波乱のあった頃だから、面白おかしく脚色すればひとつの話になるのは明白だ。
僕としては複雑な想いだけれど。

「だから、テレビで見た雪歩ちゃんがぴったりだと思ったんだ。彼女、すごく昔の 私に似てる……」

「そう……なのかな」

千石と萩原。
僕の視点から見たら、類似点なんて引っ込み思案なところくらいしか見出せないけれど。
本人たち、それも年齢の分だけ長じた千石には、別の形で見えるのかも知れない。

「気を付けてね、暦さん」

「気を付けてって……何を?」

「雪歩ちゃんが、第二の私みたいにならないように」

自虐的とも取れる千石のその言葉を、僕は笑い飛ばすことが出来なかった。



004


翌日、僕は決していいとは言えない気分で事務所の扉を開けた。まだ誰も出勤していないようだ。

自席で全身の力を抜いて中空を見上げる。
こんな時、煙草でも吸えれば気分も晴れるのだろうか、と不毛な想像をする。

昨日、千石の言葉を否定出来なかったのには、大きく二つの理由があった。
ひとつは、先日から萩原に感じている違和感だ。
これに関しては僕の気のせいで終わる可能性も高い。
ただでさえデリケートなアイドル、その上触るだけで壊れてしまいそうなイメージの萩原だ。
少し疲れているだけ、という説の方がよっぽど現実的だ。

そしてもう一つ。

「怪異……か」

もう、口にするのも嫌気が差す程繰り返してきたその言葉を噛み締める前に、

「プロデューサー……」

「うおぁっ!?」

「きゃあ!?」

萩原に急に背後から声を掛けられ、椅子ごとひっくり返った。
辛うじて受け身を取ったものの、頭部への損傷を免れただけで背中を強かに打つ。

「いててて……び、びっくりした……」

「ちゃ、ちゃんとおはようございます、って言いましたよ!?」

それは悪かった。考え事をするあまり気付かなかったようだ。


「で、どうした萩原。こんな朝早く」

「ちょっと、見てもらいたいものがあるんですけど……」

「なんだ?」

「こっち、来てもらえますか?」

述懐した通り、萩原は男性が苦手だ。
その程度たるや、恐怖症の一歩手前と言ってもいいくらいだ。
今でも知らない男性相手には僕の背に隠れたりで、会話をすることすら覚束ない。
僕だって萩原とまともに面と向かって話が出来るようになるまで数カ月を要した。
初対面でいきなり穴を掘って逃げられたあの頃が懐かしいなあ。
何を隠そう僕が765プロにきて最初に命じられた仕事は萩原が事務所に掘った穴を埋めることだったのだ。

そんな萩原が僕と二人きりで話したいと言う。
確かに多数のコミュニケーションの末、多少は心を開いてくれたと思われる萩原だが、さすがに二人きりになったことはほとんどない。
仕事の送り迎えで使用する車内くらいではなかろうか。

僕は怪訝に思いながらも萩原の後を着いていく。
辿り着いた先は倉庫。
とはいえ倉庫とは名ばかりでアイドル達(というか主に音無さん)の私物置きと化している。
一見しただけで衣装やらゲーム機やら段ボールの束やらフィギュアやら薄い本やらと節操もなくあらゆるものが並んでいた。

「すいません、お仕事中なのに」

「いいよ、まだ就業前だし気にするな。それで、話ってなんだ?」

「はい……プロデューサー……」

なんと萩原はその場で上着を脱いだのだった。
萩原の薄紅色の肌が僕の視線を奪う。

「は、萩原!?」

「……」

萩原は顔を紅潮させながらも次々と服を脱いで行く。
肌色に染まってゆく僕の視界。

ちょっと待て、なんだこの展開は!?

もしかして僕は今ここで死ぬのか!?

「やめろ萩原! 僕はまだ死にたくない!!」

するり、と最後の一枚を剥ぎ取る萩原。
情けなくも目が離せない。
貞操を重んじるのであれば僕が見なければいいだけの話なのだが、男としてこの光景を目の前にして無視なんて出来るか!

ええい、許されるとは微塵も思わないけど先に謝っておきます!

ごめんなさいひたぎさん!

でも不可抗力なんです!


そしてとうとう上半身を下着だけにまで脱いだ萩原は、こちらに背を向け、砦であるブラのホックを外さんと手を掛ける。

関係ないけどやっぱりブラはフロントホックよりも後ろにある方がいいよね。
なんというか、あの外す仕草ってとってもいいじゃない。
フロントホックでは味わえない醍醐味だよ。

ああ、もうダメだ。
これ以上正気を保てる自信がない。
助けて誰か。もしくは誰も助けに来ないで。

『いいじゃねーか、女の子が何も言わずに脱ぎ出したんだ、ヤっちまえよ』

僕の頭の横に悪魔の力を手に入れた、緑色の肌のデビルこよみんが出現する。
きっとアホ毛からデビルアローが出るのだ。

ふざけるなよ、僕はこれでもアイドルのプロデューサーだぞ。
プロデューサーがアイドル襲ってどうするんだ。

『何言ってんだ、どう考えても誘ってんじゃねーかあれ』

確かに……有無を言わせず脱ぎ出すなんて僕を誘っているに違いないよな……。

くっ、いかんいかん!
悪魔の囁きが優勢だ!
出てこい天使こよみん!

『駄目ですよ暦、いきなり襲うなんて紳士的ではありませんよ』

天使の衣装を着た天使こよみんが出た!
さあ、神にも匹敵する語彙力と説得力で僕とデビルを諌めてくれ!

『襲うのならば合意の下、襲うべきです』

「てめえこの野郎!」

「プロデューサー?」

萩原の僕を呼ぶ声で正気に戻る。
いかんな、あまりのショックに白昼夢を見てしまっていたようだ。
当の原因である萩原は、前側で脱いだ服を押さえ、こちらに露わになった背中を向けていた。

僕はその白く美しい背中に見惚れ――。

「これ……見てください……」

「は、萩原……それ……!?」

僕は半裸の萩原を前に、そんな状況にも関わらず言葉を失う。

萩原の背中には、見紛うことなく、『天使の羽根』が生えていたのだから。



005


『それ、たぶん……棘朱雀、って怪異だと思う』

「おどろすざく……?」

『うん、私も呪い関係はあの時たくさん調べたし、漫画を描くときの資料として買ったから、おまじないとか呪いみたいなのはちょっと知ってるんだ』

とりあえず萩原に服を着せた僕はまず、千石に連絡を取ることにした。

主な理由としては、その怪異の形状である。
天使の羽根、なんていかにも近代的な外見をした怪異ならば、情報化社会により発達した噂、おまじない等を起源とした近代の怪異ではないか、という予測があったからだ。

その類のものにも疎い僕にも、萩原の羽根を見て最初に浮かんだのはエンジェル様、というこっくりさんの変種だ。
あれは単なる自己催眠によるお遊びだが、昔忍野に聞いた話では、時折本物が降りてしまうこともあるらしい。

それは置いておいて、今は萩原の問題だ。

『私の蛇切縄みたいな、他人からの呪いだった気がする……雪歩ちゃんが人の怨みを買うような子だとは思わないけど……』

「ああ……構わない、続けてくれ」

人の怨みつらみ、嫉みに妬みをその身に受けずに大成するアイドルなんている訳がない。
誰かが成功する、ということはその分誰かが蹴落とされた結果でもある。
『成功』の椅子は限られている。
加えて、萩原はあの奥ゆかしく消極的な性格だ。
蹴落とされたライバルからしたら、その態度が琴線に触れてしまうのも、容易に想像できる。

しかし、呪い……か。

『症状としては、背中から少しずつ羽根が生えてきて、完全に成長した時に「咲いて」しまう』
「『咲く』……?」
『棘朱雀に取り憑かれた人は、次第に理性を溶かされて行く。普通は嫌なことや辛いことがあっても、その場では何も言わずに後から発散するのが日本社会の悪癖でしょ?』
それは言い得て妙であった。特に、日本人はそうだろう。表面を取り繕って本音を隠し続ける事こそ処世術、と認知されているのは、悪癖を超えて悪腫にも思える。

『けれど、棘朱雀に取り憑かれるとそれが出来なくなる。些細なことで暴言を吐いて暴れるキレやすい若者、じゃないけれど、とにかく悪意に対して異常なほど敏感になる』

それこそ、肩がぶつかっただけで大喧嘩に発展したり、冗談で言った軽口に過敏に反応して激怒する。
言ってしまえば過剰なヒステリーのようなものだろうが、そんな人間が社会で、ましてやアイドルなんて繊細な生き方が出来る筈もない。

それか、最近の萩原に感じていた違和感は。
あれは萩原の意思でありながら萩原が隠していた、本音だったのだ。
本人は気付いていなくても身体が危機を感じ、無意識的に少しずつ不平を吐き出していた、ということだ。

本音が言えないのは苦しいが、本音しか言えないのはもっと辛い。
自分という人間を全面的に晒して生きるようなものだ。
自分に完璧な自信を持つ存在ならば問題もないだろうが、自身に微塵の疑問も持たずに生きていられるほど人は強かない。
萩原のように自分に自身のない女の子ならば尚更だろう。

『そして、羽根が完全に成長しきると、「天使に連れて行かれる」……っていうのが通説なんだけど……』

「連れて行かれるって……」

『棘朱雀が人の悪意を根源とする怪異で、宿主に過度のストレスを負荷するのが目的だとしたら……普通に考えて、魂を抜かれる……と、思う』

「…………っ!」


人の感情の爆発を咲く、とか弾ける、と揶揄するのを聞いたことがある。
つまり、どの程度が『成長』の終わりなのかはわからないが、これ以上放っておいたら萩原がアイドルどころか人生まで台無しにしてしまう。

『私、雪歩ちゃんの気持ちが凄く良くわかる……私も、そうだったから』

「……千石」

『言いたいことも言えない。可愛いからって、それだけの理由でお人形みたいに何もさせてもらえない。雪歩ちゃんがアイドルやろうとしたのって、その辺からなんじゃないかな?』

本当に何もしなかった私に比べたら雪歩ちゃんは偉いよ、と千石は言った。

聞けば萩原も、嫌な言い方をすれば家ではちやほやされて育てられた、と聞く。
親父さんは確か建設関係の上役だと聞いたような覚えがあるから、加えて可愛い可愛い一人娘ならばそれはもう猫可愛がりで育てられたことは容易に想像できる。

『雪歩ちゃんを、助けてあげて。暦……さん』

「当たり前だ。僕を誰だと思ってるんだ」

『うん……そうだね』

「いつだって頼りになる暦お兄ちゃんだ」

大見得を切って通話を切った。

さて、棘朱雀、だったか。
この怪異に関しての対策はもう練り込み済みだ。
正体が何であれ、怪異であれば根元から心渡で断ち切ってしまえばいい。

だがそれだけでは、また再発する可能性がある。
あの羽根は言ってしまえば、萩原の意思そのものなのだから。

ならば――。


「待たせたな、萩原」

「私……どうなっちゃうんですか?」

「安心しろ萩原、必ず助けるから」

萩原に歩み寄る。
あれが萩原の心の膿とも言うべきものを餌として稼働する爆弾のようなものならば、起爆する前にそれらを全て吐き出してしまえばいい。
今後もストレスは溜まる。
だが、今ここで前例を作っておけば、例えまた発症し僕がその場にいなくても、萩原ならば一人で何とか出来るだろう。
お前は、そこまで弱くないよな。

「萩原……その羽根は萩原のストレスの権化だ。お前がストレスを溜める度に羽根は進化して行き、最終的には――心が死に至る」

「…………っ!」

誰かが萩原に対して行った呪いだとかおまじないだとかは、話さない方がいいだろう。
素人の行ったものにそう大きな効力があるとも思えないし、何よりも萩原の負担になる。

「そんな、私どうしたら……!」

「落ち着けよ、治すこと自体は難しいくない」

「何をすればいいんですか……?」

「言いたいことを言うんだ」

「……はい?」

場にそぐわぬ雰囲気で可愛く首を傾げる萩原。
いちいち仕草の可愛い奴め……萌えるだろうが。

「何でもいい。社会や友人、両親に仕事……不平不満を何から何まで吐き出すんだ。なに、ここには僕しかいない。萩原が何を言っても他言しないと765神に誓おう」

「え……で、でも」

「躊躇っている場合じゃないぞ萩原。こうしてる間に誰か出勤してきたら更に言いづらくなるんだぞ」

「う……うぅ……」

辛そうにスカートの裾を握る萩原。萩原も年頃の女の子だ、気持ちもわかる。
仕方が無いな、僕が譲歩しよう。

「……わかった、じゃあ僕も一緒に参加する。それでおあいこってことにしてくれ」

「……わ、わかりました」

僕の評価が下がるかも知れないが、萩原の身の安全には変えられまい。
萩原も覚悟を決めたのだろう。
可愛らしいガッツポーズを作って気合を入れて見せた。


さあ来い萩原! まずはジャブとして僕への不満を吐き出して見せろ!」

「ぷっ、プロデューサーの視線は時々いやらしいですぅ! やめてください!」

「約束は出来ないが善処しよう! 次!」

「さりげなく肩や背中を触るのもやめてください! ぞわってするんですぅ!」

「萩原が可愛すぎるのがいけないんじゃないかあ!!」

いかん、涙が出て来た。所属アイドルにキモいと言われることがこんなに悲しいなんて……!

くそう、僕も負けないぞ!

「僕は密かに全員のパンツの色と形予想図を立てている!」

「ひいいっ!?」

「お前の本音はそんなものか萩原! ちなみに萩原の予想は白だ!」

「ま、真ちゃんはやっぱりカッコいい格好の方が似合うんです! お姫様なんて似合いません!」

「秋月の僕への扱いが酷い! 断固改善を要求する!」

駄目だ、これじゃただの悪口暴露大会だ。
誰か出勤してきた瞬間に僕の身が危ないだけじゃないか。

それに僕の豆腐メンタルもそろそろ限界だ。


「……萩原、なぜお前はアイドルを目指したんだ」

「それ、は……」

萩原の背後で、羽根が蠢くのが視界に入った。
それはじわじわとその長さを伸ばしている。

まずい、『成長』している――!

「萩原!!」

「お人形なんて嫌だ! 可愛いだけなんて嫌だ! 私は……私は自分の力で成し遂げたかったんです!」

父親を慕う者が集う家庭に産まれ、余すことなく持て囃されて育てられた少女は、年齢を重ねるに連れ往々にして無言の悪意に晒されて来たことだろう。

有力者の娘だから。
可愛いだけだから。
そんなの、ずるいじゃないか。
お前の力で築き上げたものなんて何一つないじゃないか、と。

「みんながみんな、私を私として見てくれなかった!
 アイドルだからって、親方の娘だからって、可愛いだけだって、誰一人として私を見てくれなかった!」

そして彼女は『可愛いだけ』では思い通りにならない道を選んだ。
アイドルは飛び抜けた容姿をもってしても、それこそ世界一の美女美少女であろうと成功する保証のない世界だ。
こんなことをプロデューサーの僕が言うのもおかしな話だが、ギャンブルに近い。
知識や人脈である程度の融通は効いても、最終的には大小はあれど運が絡んでしまう。
アイドルとは言え水物である以上、それは避けられない。

けれど、万人の夢だ。
いくら現実が汚い、穢れていると嘆いたところでそれは変わらない。
そんな、重いものなど何も持つ必要もない環境で育った身でありながら。

「ふざけないでくださいよ! 私を何だと思ってるんですか!」

それでもアイドルの道を選んだお前だからこそ――誰よりも輝けるんだ。

「私は――――萩原雪歩です!!」

「よく言った……萩原」

「え……あ……!?」

我に返ったのか、萩原が目をぱちくりとさせて辺りを見回す。
その後、自分のやらかした行動を思い出したのか、今までで見たことないほどに顔を紅潮させる。
それはまるで蛸か何かのようだった。


「ぷ、プロデューサー、わ、わ、わわわわたし!」

「お前は一人の人間、萩原雪歩だ。でも同時にアイドル萩原雪歩でもあり、普通の女の子・萩原雪歩でもあり、萩原家に産まれた一人娘・雪歩でもある」

それと同時に、萩原の背中からはらり、と羽根が抜けて行くのが見えた。
言いたいことは、言えたのだろう。
よくも僕なんかの前で言ってくれた。

「でもな、それをわかってくれる人も確かにいるんだ。765プロの皆がそうだし、家柄にも容姿にも捉われず自分の力で登り詰めようとしているから、ファンも応援してくれるんだぜ」

ただ可愛いだけのアイドルなんて、すぐに潰れる。
ファンが長くつかないからだ。
アイドルとして成功するのを望むのならば、プラスで何かが必要となる。

そして萩原、お前は間違いなくそれを持っているんだ。

「あ……」

棘朱雀の羽根が全て抜け落ちるのを確認する。
それらは地面に着くなり、溶けるように消えて行った。
とりあえずは、解決だ。
千石にも世話になったし、後ほど報告しておこう。

「あ、あの……」

「ん?」

「ありがとうございました……」

「いいよ、気にするな。さっきの萩原、なかなか熱かったぜ」

「――――っ!!」

「いてっ!」

再び顔を赤くし、僕の背中を叩く萩原。

勘違いに違いないが、その萩原の行為に僕は文字通り、背中を押された気がしたのだった。



006


後日談というか、今回のオチ。

翌日、萩原の不満不平不遜、全てをぶちまけられ少々傷付きながらも僕はいつもと変わらず出社した。

外面だけは、だ。
僕は今日、ひとつの決意の下、ここに来ていたのである。

「プロデューサー、昨日は、その……」

昼前頃、菊地と共に出勤してきた萩原は顔を真っ赤にして縮こまる。
まあ、元より大人しい萩原だ。
あれだけはっちゃけた後ならば無理もないだろう。

「気にするなよ。普段からあれくらい言ってくれて構わないんだぜ」

「ううぅ……プロデューサーのいじわる……」

「んん? 雪歩と何かあったんですかプロデューサー?」

「ああ。実はな、昨日――――」

「だめだめだめだめぇ!!」

等という微笑ましいやり取りの後、昼食。

コンビニで購入した惣菜パンを齧りながら、頭の中で今までの出来事を指折り数える。
天海を起点として、僕はこの事務所のほぼ全員を、怪異という名の知らぬままでいられた厄災に巻き込んでしまった。


天海春香。魔王。

如月千早。雛。

菊地真。海牛。

三浦あずさ。海月。

双海真美。櫛。

双海亜美。蜘蛛。

星井美希。樹懶。

高槻やよい。羊。

四条貴音。蟻地獄。

水瀬伊織。獅子。

秋月律子。蜻蛉。

我那覇響。人魚。

萩原雪歩。天使。

いつか扇ちゃんに言われた言葉が槌のように僕を打つ。

『故意でなければ人を殺しても許されると?』

『さすがは阿良々木先輩。言うことがひと味もふた味も違いますねえ』

無知は、罪だ。

何も知らない無垢な少女が誤ってミサイル発射のボタンを押してしまったからと言って、その少女を許せるのは実際に被害を被らなかった者だけだ。


「何似合わない顔してるんですか」

「ん……?」

「パンをくわえながら真面目な表情をしても、締まりませんよ」

どうやらぼうっとしていたらしい。
対面の秋月が弁当を抱えながら怪訝な表情を浮かべていた。
隣であずささんと双海姉妹も各々昼食を摂っている。

「秋月の水着は何が似合うか考えていたんだ」

「…………」

「律っちゃんはワンピースっしょ→」

「いやいや、ここはオトナの風格、ビキニっすよ→」

「律子さんはパレオが似合いそうですよねぇ」

「いや、まさかの大穴でスクール水着……? それだ!!」

「はぁ……もういいです。疲れました……」

特大の溜息と共に食事を再開する秋月。

僕もそれに合わせ、惣菜パンの残りを飲み込んだ。


「あなた様、何処かお元気がないようですが……」

「大丈夫かー?」

昼も過ぎ午睡の時間、ボールペンをくわえながらスケジュール表とにらめっこしていた僕に、四条と我那覇が声を掛けてきた。
背後には高槻と水瀬の姿も見える。

「ああ、何でもないよ。ちょっと仕事が詰まっててな」

「ちょっと、アンタは私たちのプロデューサーなんだからしゃきっとしなさいよ。アンタが失敗して困るのは私たちなのよ?」

「悪い悪い、ちょっとコーヒーでも淹れて気合入れてくるよ」

「そんな事言って、伊織ちゃんさっきすごくプロデューサーのこと心配してたんですよ!」

「ちょ、ちょっとやよい!」

「あははー、伊織は素直じゃないなー」

「あなた様、わたくしの分もよろしくお願いします」

「自分はさんぴん茶な!」

「わかってるよ」

苦笑いしながらも給湯室に行くと、音無さんがお茶を淹れているところだった。

「あ、僕が淹れますよ」

「いいですよ、春香ちゃんがお菓子作ってきてくれたみたいなので、皆の分も淹れますから」

音無さん、普段は目立たないけど結構な美人なんだよな……なんでこれで恋人がいないのか不思議だ。


「プロデューサーさん!」

茶坊主の役目も御免となり戻ると、いつの間にか天海と如月のコンビがいた。

紙袋を持っている所を見ると、あれが先程音無さんが言っていたお手製のお菓子なのだろう。

描写する機会がなかったので忘れそうになっていたが、天海の手作り菓子はかなりのものだ。
アイドルな上女子高生の手作り、という付加価値が加味されているところを差し引いてもいい腕をしていると思う。

「今日のおやつはドーナツですよドーナツ!」

「まじでか! 褒めて遣わすぞ、ドーナツ娘よ」

呼んでもいないのに忍が出てくる。
昔ひたぎがドーナツを作ってくれたが、あれは結局忍と取り合いになって味はあんまり覚えていないしな……。

「沢山あるから大丈夫よ、忍ちゃん」

僕の分までドーナツを貪り喰らう忍を後目に、ふと天海との邂逅を思い出した。

そう言えば、あんな素っ頓狂な出来事からここに就職することになるなんて、人の縁とは恐ろしいものだ。

何が起こるかわからない。

だからこそ、人生は面白いのかも知れない。

けれど。

これ以上は。

「……天海」

「はい?」

天真爛漫な笑顔を浮かべる天海。

僕はお前のその笑顔に、今まで何度元気付けられてきたかわからない。
転んだりドジだったりするけれど、お前は、その点でアイドルの中のアイドルだよ。

「もう転ぶなよ」

「わ、わたしそこまで転んでませんっ!」


定時も過ぎた頃、僕は社長室の扉を叩いた。
少しの間の後、中から低い声が響く。

「入りたまえ」

「失礼します」

高木社長。
いつもは目立たないが、何気に僕が大人物と慕っている人だ。
この人の決断の速さと器の大きさは絶対に一生見習えないと思う。
何故か顔を思い出そうとすると毎回思い出せないのが不思議だが。

「……社長、お話が」

「ふむ……? こんな時間に、ということは大事な話かね」

「はい……これを」

僕は一通の封筒を社長に差し出す。

夢のような半年だった。

僕には勿体ないくらいだ。

化物と今を輝くアイドルは相容れない。

最初にそう言ったのは、僕だったじゃないか。

「阿良々木君……これは」

「突然で本当に申し訳ありません……けれど、考えに考え抜いた結果です」

高木社長に手渡した封筒に筆ペンで記入した文字は、『退職届』の三文字。

ああ。

これで終わりにしよう。



ゆきほエンジェル END


拙文失礼いたしました。
何だかんだで全員分書けたのも読んでくれた皆様のお蔭です。
あとは春香と、ギャグ的な番外編で小鳥さんにて終了です。

ありがとうございました。

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