阿良々木暦「たかねデイフライ」 (53)


・化物語×アイドルマスターのクロスです
・化物語の設定は終物語(下)まで
・ネタバレ含まれます。気になる方はご注意を
・終物語(下)より約五年後、という設定です
・アイドルマスターは箱マス基準


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ID変わりますが30分以内には書き始めます



001


駅の改札を抜けて、空を見上げる。

時刻は午前九時、天気は快晴。
体調もすこぶるいい。
今なら空も飛べそうな気がする――なんてのはさすがに冗談だけれど。

気温も丁度良く、そろそろ冬が来るこの季節にこの暖かさを満喫しておこう。
そう思い、思いっきり深呼吸をした。
都会の空気はおいしくないが、こんなのは気分の問題だ。
その場で雰囲気さえ作ることが出来ればいいのだ。

駅を出て徒歩十分。
幾度か改築された小さなビル。
一階は居酒屋さん。二階が私の職場であり、私の夢。
窓には安っぽいチープな字体で765プロダクションと綴られている。
あれは私がここに所属する前からずっと変わらないけれど、いつ直すんだろうか?
それとも、直す気はないんだろうか。
初心を忘れないために敢えて残しておく、みたいな。
実際は恐らく、ペンキで塗るのも面倒だし経費もかかるから今のままでいいや、って感じだとは思う。
うちの社長は大物だとは思うけど、その辺りは適当だ。
私もいきなり街中で直にスカウトされたし。

千早ちゃん風に言えば、まあ、どちらでもいいんだけどね。


いつもの階段を登る。
事務所の入り口、ドアの前でアイドルとしての嗜み、最終チェック。

最近――と言うか、今年の春休みのこと。
私には、気になる人が出来た。
勿論、異性として気になる人、だ。

私はアイドルだ。
恋なんかしちゃいけない。
それはアイドルとして生きる上で、初めに覚悟することだ。
でもいくらアイドルとは言え、私はこれ以上ないほど普通の女の子だ。
普通に恋をして、いつか普通に結婚するだろう。
アイドルとしての活動をいつか終える時が来る日まで、天海春香は恋をしない。

でも、心の中で微かに思うくらいは許されるはずだから。
……うん。

彼は半年前、プロデューサーとして765プロに入社した。
彼、プロデューサーさんの入社には私も一枚噛んでいる、と言うか私が契機でプロデューサーさんは入社したようなものだ。
明確に言えば、私は絶体絶命のところを彼に助けてもらったのだ。
それは、感謝なんて言葉じゃ表せないくらい大きなもの。
プロデューサーさんがいなかったら、私は今頃アイドルを続けていられなかっただろうから。


そのお礼も兼ねて、当時就職活動中だったプロデューサーさんを社長がスカウトした形になる。

ちょっと変で、子供みたいで、ぼーっとしてて、よくよーくよ――――く見るとかっこいい人。
私が最近、ちょっと気になっている人。
でも彼には恋人が既にいる。
だから絶対に叶わない恋ではあるのだけれど。

それでも――。

「……よしっ」

小さな声で気合を入れる。
ファッションチェックも家で十全に済ませたし、昨日作ったスコーンも鞄に入っている。
あとは笑顔。
春香さんスマイルはコストゼロ円で印象ばっちりのまさに優良アイテムなのだ。

「さーて、今日もお仕事お仕事っ!」

ドアを開け玄関に入る。
靴箱を見ると、来ているのはプロデューサーさんと貴音さんだろう。
プロデューサーさんや小鳥さんは事務仕事もあるから早いのは当たり前なんだろうけど、貴音さんがいるのは珍しい。
私は家が遠いという理由もあって毎日早めに来ているため、アイドルの中では早い方だ。
そして毎日私より先に来ているのは、大抵が社員の二人に律子さんなのだけれど――。


なんで貴音さんが?
とりあえず中に、と思い扉に手をかけた瞬間、事務所の中から微かに声が聞こえた。

『……だよ、四条』

『しかし……まだ……』

「…………?」

何やら話をしているようだった。
盗み聞きをするつもりではなかったが、思わず扉を開けるはずの手が止まる。

『もういいだろう、四条』

『ですがあなた様……まだ、準備が……』

『何言ってるんだ、もうこんなにトロトロじゃないか』

『と、とろとろなどと……卑猥です、あなた様』

「………… !?」

なにが……なにが起こってるの!?

『卑猥ってお前な……四条だってそんな涎まで垂らしてるじゃないか。ははっ、見かけによらず卑しいんだな』

『はっ……は、恥ずかしゅうございます……』

『ほら、もう入れるぞ、僕のバナナ』


バナナ!?
バナナって何!?
プロデューサーさん、彼女いるのに何やってるの!?

『だっ、駄目です! まだ早いです!』

『もう充分だろ。ほら、もうこんなになってる』

『ああっ、そんな、あなた様ぁ……っ! お慈悲、お慈悲を……っ』

『駄目だ、いくぞ』

『いやぁっ……いやぁ……っ!』

『ん……っ、ほら、入った』

『あぁっ……んん、大丈夫のよう、ですね……』

『だから言っただろ 、少しは僕を信用してくれよ』

「ヴぁ――――――――――――――――――――――――いっ!!」

思いっきり扉を開けた。

「…………」

そこには、

「…………」

対面に座って小鍋を挟んでいる、プロデューサーさんと貴音さんがいた。

突然、奇声と共に入って来た私を丸い目で見ている。


「……おはよう、天海」

「おはようございます……なにしてるんです?」

いや、聞かなくてもそれが何かくらいはわかる。
立ち込める甘い匂いと、プロデューサーさんが鍋に突っ込んでいるものを見れば一目瞭然だ。

「何って……なぁ」

「ちょこれえとふぉんでゅー、というものらしいですよ、春香」

「何せ初めてだからな、どのタイミングで入れていいかわからなかったんだ」

「営業先で大量にいただいてきたそうですよ」

「しばらくおやつはフォンデュだな」

チョコレートフォンデュ。
その名の通り、チョコレートを鍋で溶かし、パンや果物をコーティングして食べる料理だ。
自分でチョコをつける楽しみと、瑞々しいチョコレートの風味が素晴らしい。
私もやってみたいのだけれど、手間は掛かるし一人でやるものでもないので手が出しにくい料理でもある。

「紛らわしいんですよ!」

「何が?」

「あっ……いえ、そのっ…………なんでもありません」

……本当に自覚がないのだろうか。
そう言えばプロデューサーさんは人一倍こういう事に鈍いのだ。
本人の言質を取ったところによると、妹のファーストキスを奪ったりおっぱいを触った事があるらしい 。

……それって流せないことなんじゃ……。


「それよりもあなた様、早くいただきましょう」

「そうだな、チョコが固くなったらフォンデュが台無しだ」

竹串に刺さる黒くコーティングされた、一口サイズのバナナを口に含む。

「おっ、美味いな」

「あっ、ひどいプロデューサー! ボクを差し置いて先に始めるなんて!」

真が果物やパンが覗くコンビニ袋をぶら下げて事務所に入ってくる。
材料を買いに行ってきたのだろう。

「悪いな菊地、四条がどうしても我慢出来ないって言うからな」

「申し訳ありません真、この甘い魅力には抗い難く」


……私もあとで参加させてもらおう。



002


「ほら四条、あーん」

「あ、あぁん……」

チョコに包まれたイチゴを四条の口に突っ込む。

「あっ、あふ、あらははやま… …あっ、あふうごじゃいまふ……」

「我慢しろよ、これくらい」

「ん、んぁ……あひゅ……」

「んー、美味しい♪」

「…………」

天海が僕をゴミを見るような目で見ている。
女子高生に軽蔑の眼で見られる、ということ自体は非常に悲しいのだが、そこにアイドルという要素が上乗せされるだけで個人的にはとても興奮する。
僕だけだろうか。
いや別にアイドルじゃなくても興奮するんだけどね。
羽川には何度こういう眼で見られたことか数え切れない。
もっと見てくれないかな。
ついでに罵ってくれたりしないかな。


「……なんでプロデューサーさんが貴音さんに、あーんなんて恋人イベントを発生させているんですか?
 どこかでフラグ立ってたんですか?」

「ああいや、これには訳があってな」

「訳? あーんするのに訳があるんですか?
 プロデューサーさんはバカなんですか? 死ぬんですか?」

どうしよう、天海が怖い。

「んくっ、ふう……あ、あなた様、春香にはわたくしから」

「いいよ、僕が話す」

「でも……」

「天海も菊地と同じで知っている」

「……! そう、でしたか……」

「……?」

僕は一旦フォンデュを作る手を止め、天海に向き直る。

天海には説明が必要だろう。

「天海、聞いてくれ。四条は怪異に行き遭ってしまった」

「怪異……ですか」


「かばみ蜉蝣、そう呼ばれる怪異だ。
 漢字で書くと過食蜉蝣、と書くらしい。
 地域によっては尸と書いてかばね蜉蝣なんて呼んだりするそうだ」

「蜉蝣って……あの、一日で死んじゃうって言われているあれですか?」

節足動物門・昆虫綱・カゲロウ目の昆虫。
一般的に最も短命な昆虫として有名なウスバカゲロウは、一日の成虫期間で死亡する、と言われている。
実際はもう少し長生きらしいが、それでも数日で死ぬことには変わりがない。

「かばみ蜉蝣は一日で宿主の命を奪うなんてことはない。ただ、短命な彼らには共通点がある」

彼らには、摂食機能というものが無い。

それは、言ってしまえば生物として破綻している。
何せ成虫という大人へ進化する過程で、生きるための機能を削ぎ落としているのだ。
蜉蝣が何故、幼虫期間にあった摂食機能を一切失くすのかは、未だに解明されていない。
鳥類などが長期飛行に至って身体を軽くするために食べない、という選択肢があるのはわかるが、摂食機能そのものを失くす理由が不合理すぎて理解が及ばないのだ。

「かばみ蜉蝣は資料が少なくてあまりわからなくてな……とりあえず、憑かれた者は三日間はものが自分で食べられなくなって、三日経てば自然消滅する、ということしかわからなかった」

「自分で、ですか」

「はい、食べようとしても食べられないのです」

「それは……辛いだろうね、特に貴音さんは」


四条はそのミステリアスで高貴、といったイメージとは裏腹に、かなりの大食嬢だ。
僕も入社したての頃、交流を深める為に四条と一緒に好物であるというラーメンを食べに行ったのだが――。
結果は、ただでさえ薄い僕の財布が限界まで薄くなった。
まさかラーメンを食べる過程において諭吉さんレベルで紙幣が飛んで行くとは考 えもしていなかったのである。
そんな彼女は高カロリーのラーメンをそれ程の量を食べておきながら一切スタイルを崩さない、凄まじい体質の持ち主だ。
体内にゲッター炉でも搭載しているんじゃないかと疑いたくなるが、恐らくは摂取した栄養素の類はお胸様とお尻様に向かうのだろう。
如月を代表とする全国貧乳連盟に加入する女の子からしたら歯軋りをして羨むほどのことだ。

「という訳で第一発見者になった僕がこうやって面倒を見ているんだ。理解したか?」

「でも……やっぱりプロデューサーが担当アイドルにあーんなんて……」

「じゃあ、お前がやってくれよ天海」

「……へ?」

「僕がやっちゃ不味いんだろ。だったらやってくれよ」

天海はわかっていない。
わかってねえよ。
この行為がどんなに辛いものなのかを。
僕は鋼鉄の精神と伝説のチキン魂を持つ男だから耐えられているのであって、そうでなかったらとっくに発狂している。
先程、菊地にやらせてみたが一回でギブアップした程なのだ。


「チャレンジャーだね春香……」

「え!? そんな大事なの!?」

天海に一口サイズのフランスパンが刺さった竹串を渡す。
天海はまさか振られるとは思っていなかったのか、少々戸惑った後によし、と小さく気合を入れる。
液状のチョコレートの中にパンを投入。
くるくると満遍なくチョコレートをコーティングし、チョコが垂れないように整える。

「で、では……」

ごくり、と天海が生唾を飲み込む音が聞こえる。
今の天海には、僕と菊池の様子から緊張と不安が渦巻いているのだろう。

呼吸も荒く、竹串の先端を四条に向け、遠慮がちに呟く。

「貴音さん、あ、あーん……」

動悸の速度が速まる。
毛穴から汗が滲むのを実感する。
こうやって外から見ているだけでもうこんな調子なのだ。
当の本人である天海の心中は果たして如何ほどのものなのかは想像に難くない。

「あ、あぁん……」

四条が目を閉じて口を開ける。

「――――っ!?」

同時に、天海の動揺が僕らにも伝わった。

そう、そこに在るのは、顔を赤らめてあたかも接吻か、それとももっと卑猥な何かを欲しているのかと錯覚させるような、無防備な端麗の美女の姿だった。

瑞々しい唇、小さく、それでいて綺麗に生え揃った並びの良い歯、熟れた果物を連想させる堕落の象徴とも形容できる舌。
こんなものを見せられて正気で居られる程に人類の理性は進化していない筈なのだ。
そう、例えそれが同性相手であったとしても、人間は真に美しいものの前では言葉を失う。


「あ、あ、あわ――」

「春香……はやく、はやくくださいまし……」

「ひっ……!」

とろんとした眼で四条が哀願する。
四条は先述した通り深窓の令嬢なんて言葉が似合いそうな外見だが、その実は結構なお茶目な性格をしている。
わざとやっているのかどうか判断がつき難いが、食事に執着している様は間違いなく素だ。

天海は動揺のあまり言語中枢に異常を来たしたのか、まともに返答することも出来ず、顔をこれ以上ない程に赤くして震える手で四条の口内にパンを入れる。
そう、かつて火憐ちゃんの歯を磨いてあげた時と似ている。
無防備に口を開ける女性というのはひどく扇情的なのだ。
そんな事を考えている時点でプロデューサー失格なのかも知れないが、そこは僕も若い男なのだから許して欲しい。
むしろ神原のエロ精神に則って、何も思わない方が失礼というものだ。
四条は歩けば誰もが振り向くほどの美人な訳だし。

「ん――」

ゆっくりと咀嚼し、こくりと嚥下をこなす四条の一連の動作には芸術性すら感じた。
天海の作ってくれたフォンデュに満足したのか、四条はたおやかな笑顔を浮かべる。

「たいへん美味しゅうございました、春香」

「はぁ……っ、は ……っ」

息も絶え絶えに膝をつく天海。
僕の心身的負担を理解してもらえたようだ。

天海はお粗末さまでした、とすごすごと引き下がると、僕の元まで来て頭を下げる。

「ごめんなさいプロデューサーさん、私が愚かでした」

「ああ、気にするな。あの四条には誰にも勝てん」

「しかし、こう甘いものばかりですとらぁめんが欲しくなってきますね」

「無茶言うな」

汁物系を食べさせるのってかなりの難易度な気がする。
調べた資料が確かならば、今日明日と四条の食事周りをしなければならないという、嬉しい悲鳴――と表現したいところだが実際は本物の悲鳴に近い苦行を任されながらも、事の起こりを思考の隅で回顧するのであった。



003


ここで時計の針をちょうど二十時間前に戻したいと思う。

営業を一通り終え、思ったより時間の余った僕は突然、無性に甘いものが食べたくなったのである。
天海と忍のおかげで日々糖分に不足しないせいか積極的に甘味を好む僕ではないのだが、時々こんな衝動に刈られることは、僕にも人並みにあったのだ。
たまにはサラリーマンらしく喫茶店でケーキでも食べてサボろう、と秋月に小さな反旗を翻し(でも経費は使わない。いや使えない。怖いから)飲食店の立ち並ぶ街へと繰り出した。

久し振りに外で食べるスイーツだ。
過去に外で本格的なスイーツを食べたのは、ひたぎとビュッフェでのケーキバイキングが最後ではないだろうか。
だがあれはひたぎのお父様からいただいた無料券があった上にひたぎがバイキングにも関わらず僕の分まで食べてしまったため、満足したとは言い難い。

「ふっ……」

僕はニヒルに笑って一枚の紙を懐から取り出す。
事務所のプリンターから出力されたその紙には(ちなみにこの紙も自費だ)現在ナウでヤングな大流行のケーキ店の割引券が印刷されていた。

ここは学生の頃とは違い無駄金を使えると言う社会人の特権を最大限利用してやろうではないか!
忍が顔をしかめるくらい血液が甘くなるまでケーキを喰らってくれよう!
実際そこまで甘くなったら糖尿病どころの騒ぎではないが、まぁそれくらいの心意気で僕は来たのであった。

来たのだった……が。

「……」


僕が甘かった。ケーキだけに。

巷で大流行するようなケーキ屋が、二十四時間営業の牛丼屋のように男が入りやすい外装をしている訳がないのだ。
要約すると、僕の目の前には女の子女の子した外装の、ファンシーでキュートな店が立ちはだかっていたのである。
見るからに全力で男の入店を拒んでいる。
バカな。大の男がスイーツを貪り食うことは日本では許されていないのか。
そんな国滅んでしまえばいいのに。

……単に僕が小心者なだけかも知れないが、こんな魔法少女の実家みたいな場所に堂々と入れる男もそれはそれで問題だと思う。

「ん?」

僕が魔法少女と国家転覆について本気で考慮し始めた頃、見覚えのある姿が視界にちらついた。

「……」

流れるような銀髪、僕よりも高い身長、漂う高貴なオーラ。

「まろんしょーと……抹茶ろーる……いちごたると……面妖な……」

「……」

それは、種々様々なケーキが陳列されてい るショーウィンドウに張り付いてよだれを垂らしている、四条貴音だった。


「この度はまこと、ありがとうございまふ、あなたひゃま」

テーブルに回転寿司かと突っ込みを入れたくなる程の量の皿を積み上げ、ケーキを頬張りながら四条は器用にも礼を言った。

「いや、いいよ……いいから食いながら喋るな」

四条のお陰で僕も忌憚なく入店出来たわけだし。
対する僕はと言えば、紅茶をちびちびとすすりながら、その豪快かつ華麗とも言える食いっぷりを鑑賞させてもらっている。
四条の大食いは以前から知る限りであったが、対象はラーメンだけかと思っていた。
両手にフォークを構え食べ続けなければ餓死してしまう、糖分など知ったことではないわと言わんばかりの食いっぷりは見ていて気持ちいいくらいで、こっちのお腹も膨れてきそうだった。
四条は女性にしては大きい方だけど、どこにあの量が収納されていくのだろう……。

「では、おかわりを」

「待て」

「はて?」

店員呼び出しボタンを押そうとする四条を間一髪で止める。
はて、じゃねえよ。可愛いけど。

「765プロにおいては年上組であるところの四条貴音の聡明にて冷徹な頭脳を以て僕のお財布事情を考慮に入れてくれないか」

「ふむ」

顎に手を当て考える仕草をする四条。
一見、何でも出来る優雅なお嬢様、というのが四条の第一印象だったのだが、儚くもそのイメージは一カ月もしないうちに崩れた。
大食いとかのキャラ付けはきっと事務所にやらされているんだろうな、とか勝手に思っていたあの頃が懐かしい。
実際、四条はどちらかと言えば天然キャラだ。
心配りも出来るし礼儀正しいいい子なのだが、何を考えているのかわからないことが多々ある。


「ではあとけぇきせっとを三つ、というところで妥協いたしましょう」

「妥協って言葉の意味はなんだっけ!?」

「そんなご無体な! あなた様は鬼か悪魔です!」

「僕の方が悪者にされた!?」

「冗談です。後ほど自分の分は全てお支払いいたしますので、ご心配なく」

「あ、そう……でも僕の持ち合わせも危ないから、今日はあと一つにしておけよ」

「あいわかりました」

ならば注文は厳選せねばなりませんね、と眼を光らせてメニューに見入る四条。
厳選も何も既にほとんど全種類頼んでいるのだが……。

担当アイドルにケーキを奢ってあげる、くらいのことは年上の社会人として吝かではないのだが、それが四条相手となると事情が変わる。
四条に奢る、というからには回らない寿司屋で時価のネタをいくらでも頼んでいいぜ、くらいの懐の深さと覚悟と財力がないと挑戦してはいけない。
いや、仮定ではなく本気で。

「では、苺のしょーとけぇきで」

いつの間にか店員を呼んで注文を頼んでいた。
しんぷるいずべすとです、と付け足し四条は僕に向き直った。

「あなた様」

「ん?」

「また機会があれば、このような場に他の皆と共に誘って下さいまし」

佇まいを直して四条はそんなことを言う。
僕は一瞬、何を意図しての言葉だったのか理解できず、反応することが出来なかった。

「わたくしは食べることが大好きなのです」

「 そりゃそうだろうな」

ここまで食べておいて嫌いなのです、と言われたらどうしようもないよ。

「ですから、あなた様はもちろん、皆とこの楽しいひとときを過ごしたく思うのです」

一緒にご飯を食べる、か。
よく考えてみると僕はそういう機会があまりなかった気がする。
高校生時代も年齢の割にはそんなに食べる奴が周囲にはいなかったし、僕自身もどちらかと言えば小食の類に入るだろう。
ひたぎとも、家族ぐるみでご飯を食べたりデートで食べたり、ということがなかった訳ではないが、羽川や神原も引きつれてみんなで騒ぎながらご飯、ということはなかった。

みんなで食事、か。
悪くないな。
765プロの面子ならばきっとお祭り騒ぎになるに違いない。


「そうだな、また今度、事務所の面子を全員誘って食事に行こうか」

「ええ、あなた様のおごりで」

「そこまでして僕を破産させたい理由はなんだ!」

冗談ですよ、と上品に笑いながら返す四条。
と、注文していた品が届く。
シンプルだが食欲をそそる苺とふわふわのスポンジが特徴の苺のショートケーキ。
ケーキ、と言われてこれを最初に思い浮かべる人間も少なくないのではないだろうか。
シンプルが故に飽きが来ない素晴らしいの一言に尽きる逸品である。

「では、いただきます」

律儀にも手を合わせてフォークを持つ四条だったが、その手がケーキに触れるところで止まった。

「……おや?」

「……?」

見ると、四条の右手がふるふると震えていた。
どうやら手が上手く動かないようだ。
四条自身も心当たりがないのか、顔に疑問符を浮かべている。
一度フォークを置き手を調べてみるも特に異常はないようだ。

「何事でしょう……面妖な」

だが、もう一度フォークを持ち食べようとすると手が止まる。

「……身体が拒否反応起こしてるんじゃないか、それ。糖分の摂り過ぎ、とか」

「まさか、あり得ません」

四条の場合、その食べる量からあり得ないとは言えない気がする。
とは言え僕の意見もいい加減だが。

と、次第に四条の身体に異変が現れ始めた。

「四条!」

「う……くっ……」

フォークを取り落とし、四条は苦しそうに口元を押さえる。

僕は場所にも関わらず、思わず声を上げて彼女の名前を呼ぶ。
周囲の人たちが何事かと僕らに視線を集めるが、僕は構わずに四条の腕を取った。


「な ……!」

そこには、十二分に異様と呼べる程の異変が四条の身に起こっていた。

何せ、四条の口元が、『針と糸で縫うように綴じられていたのだから』。

実際に綴じられている訳ではないようだ。
口も開くし、呼吸も出来ている。
ただ、ものを口に運ぼうとすると全身が硬直して動かない、というのが四条の言であった。

知識を総動員して記憶を探ると、すぐにひとつの事例が思い浮かぶ。

「四条――お前、ひょっとして蟻を助けなかったか?」

「蟻、ですか……ええ、先日、蟻地獄に呑まれていた蟻を助けましたが……」

それが何か、と四条は苦しそうに呟いた。

四条にとっては良い事をしたつもりなのかも知れないが、蟻地獄からしたら食料を何の理由もなく奪われたに等しい。
特に蟻地獄や蜘蛛なんて言うのは掛かるかも判らない罠を張り、ひたすら気長に待ち続ける生物だ。
その食料が飢餓の果てに得た貴重な食料だと仮定したら、四条は蟻地獄に相当の恨みを買ったことになる。
蟻地獄は蜉蝣の幼虫だ。

四条貴音、ミステリアスな雰囲気を持つ端麗の美女アイドル。

彼女は、蜉蝣に綴じられた。


――という一連の出来事があり、今日で早くも三日目を迎えていた。

しかし単純にものが食べられなくなる、というだけの怪異で良かった。
全く食べられないにしても三日ならば人間生きられるだろうし、放っておいても良かったのだが……さすがに胃袋とやる気が直結していそうな四条を三日断食させるのは少々可哀想だ。

「おはよう――」

今日を乗り切ればようやく四条の、天国と地獄の狭間のような日々から抜け出せる――そんな解放感と少しの裾を引かれる思いの中事務所に出勤すると、

「あら、おはようプロデューサー」

「おはようございます、あなた様」

「おはようだぞ!」

「おはようハニー! ミキ今日早起き出来たんだよ!」

えらい?と抱きついてくる星井や同席している我那覇、ましてや現時点で問題になっている四条の症状や容態なんてどうでもいい、と斬って捨ててしまいたくなるような、自分の眼どころか世界そのものを疑いたくなる事象がそこにはあった。

日本の文化としての地位を確立したマンガにおいて、驚く時の比喩表現に目玉が飛び出す、という奇々怪々なものがあるが、今の僕はまさにそんな感じだ。
もし僕がギャグ漫画の住人であれば間違いなく眼が十センチは飛び出していたと断言できる。

四条と星井の対面に座るのは、間違いなく僕の見知っている顔だった。
出来ることならば夢であって欲しいと僅かな希望を賭けて頬を引っ張るが、残念なことに僕の頬は小さな痛みと共に伸びるだけだった。

「どうしたのプロデューサー、面白い顔をしているじゃない」

彼女は心底楽しそうな顔をして僕をプロデューサーと呼んだ。

「アイドルの皆さんに聞いたわよ、担当アイドルにハニーと呼ばせたり手ずからご飯を食べさせてあげたりしているそうじゃない?」

目玉が飛び出すところか抉られそうな重い空気の中、彼女は一寸たりとも眼が笑っていない笑顔を振り撒きながら僕に問うのだった。

「どういうことか、聞かせてもらえるかしら、ハニー?」

「ひ、ひたぎ……?」

ここにいる筈のない戦場ヶ原ひたぎが、そこにいた。



004


拝啓、お母様お父様。
今更ですが、高校生の時分は学校に通わせてくれたにも拘らず、学業をさぼってしまい大変申し訳ございません。
就職してからも満足する額の仕送りも送れず、親不孝者で恥ずかしい限りです。

今日、僕は死ぬかも知れません。
しかも、痴情の縺れなんて最も望まない形で――。

「さて、裁判を始めましょう」

「待て! 待ってくれひたぎ!」

「判決、死刑」

「異例の早さだ!?」

ひたぎは驚く僕の姿を捉えるなり、一瞬にして迫ると押し倒し、眼球にシャープペンシルの先端を近付ける。

「手元が狂ったら危ないわ、動かないで」

「ハニー!」

「プロデューサー!」

「星井、四条、我那覇、構うな。これは僕の問題だ!」

駆け寄ろうとする三人を止める。
今のひたぎは、高校生時代、蟹に行き遭って荒んでいた頃の彼女と同じ眼をしている。
下手をしたら、かつて僕の頬をホチキスで綴じたように、三人にも手を出しかねない。

「ひたぎ、僕の話を聞いてくれ!」

「あら、あらあらあら、あらあらあらあらあら。
 こんな状況になってまで情状酌量の余地があると、プロデューサーは仰るのね」

面白いから言って御覧なさい、とシャーペンを持った手を完全固定し、かちり、と芯を一ノック分出した。
まだ眼球までは幾分か余裕があるが、僕が失言する度に、もしくはひたぎの気に障る度にノックされるのだろう。


「四条……彼女に僕の手から食事を与えているのは怪異対策だ。
 今の彼女は自分の手では何も食べられない。
 一昨日から始めて今日終わる」

かちり、

「あらそう、それはまあ、信じてあげるわ。
 プロデューサーは誰にでも優しいものね」

だがやはり気に食わないのだろう、一ノック分距離が縮まる。

「星井に関しては、僕から釈明することは何もない。
 僕と星井が、アイドルとプロデューサーとして打ち解けた結果だ」

かちり、かちり、かちり、

「そう、言い遺すことはあるかしら?」

「ない。だが僕がひたぎを好きなことに変わりはない」

かちり、

「…………」

その時、僕の眼は興奮と恐怖のあまり、赤く変色していたのかも知れない。

ひたぎの顔付きが親しい者にしかわからない程度に変わる。

「僕が信じられないのなら刺せよ。
 それもいいさ、恋人に殺されるなんて最高じゃねえか。
 だけどな、ひたぎ」

かちり、

「刺したところで僕の気持ちは変わらないし、何よりお前が後で何と言おうが、お前は自分を否定することになる」

「そう」

素っ気なく応えると、ひたぎは親指に力を入れた。

これから迫り来るであろう痛みと惨劇に可能な限りの覚悟を決め、身体を硬直させる。




かちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかち。


「…………っ!?」

「残念、芯が短かったようね」

目を開くと、シャーペンの先端が遠のいて行くところだった。
心中で安堵の息を吐きつつ乾いていた目を閉じる。

「冗談よ」

「……は?」

「ドッキリ大成功ー!」

我那覇がいつの間にかプラカードを掲げていた。

……。

…………ドッキリ?

「皆さんに協力してもらったのよ」

「さすがはプロデューサーだな、男を見せてもらったぞ!」

「あなた様の真っ直ぐな愛、まこと美しゅうございました」

「やっぱりハニーはハニーなの!」

「…………」

「あら怒ってるの、暦?」

いや、怒ってはいない。
怒ってはいないけど……。

「心臓に悪いんだよ! 僕の寿命を縮めて何が楽しいんだ!」

「でも、超かっこよかったわよ暦」

「う…………」

思わず赤面してしまう。
ひたぎって人前でも遠慮なく惚気るようなキャラだっけ?

「これでも私はあなたを信頼しているのよ。
 万が一、浮気をしたり私を捨てるような事があっても、暦の性格上、面と向かって私に言うでしょうしね」

「信用してくれて嬉しいよ」

皮肉と照れ隠しを十二分に混じえひたぎに返す。

「でも星井ちゃんにハニーと呼ばせているのにはさすがにちょっと引いたわ」

「呼ばせてる訳ないだろうが! 僕をなんだと思ってるんだ!」

「ロリコン変態紳士」

「否定出来ませんごめんなさい!」

いや、でも僕は一線は引いてるつもりだよ?
……たぶん。

「それに、星井ちゃんに奪われるのであれば私はその程度の女だったというだけのことよ」

相変わらず自分の彼女ながら、自分に厳しいのか自意識が強いのかよく分からないやつだ……。

「あはっ、でもひたぎさんには負けないの!
 絶対にハニーをミキにメロメロにさせちゃうんだから!」

「そう、楽しみね」

「楽しみなのかよ」

「暦がどんな風にのたうち回って死ぬのかとても楽しみだわ」

「もう殺し方まで考えてる!?」

怖いよこの女!
今更だけど本当に僕の彼女なのか!?


……まあ、僕がちゃんとしていればいいだけの話だし、いいか……。
星井の身の安全の為にも絶対に誘惑されないよう心に留めておこう。

と、それよりもだ、

「なんでこんな所にいるんだよ、ひたぎ」

「あら、自分の職場をこんな所とは随分と酷いこと言うのね」

「この場所を評価しているんじゃない。
 お前が今現在ここにいる理由を問うている」

「単純に、サプライズで遊びに来たのよ。
 この間は急だったからすぐに帰ってしまったし、暦が喜ぶと思って」

この間の……あずささんの時の事か。
あの時も寿命が五年くらい縮まった思いをしたな。
そして今回も。
あとどれくらい残っているんだろう、僕の寿命。
死神の眼を取引した気分だ。

「喜ぶどころか心臓が止まりかけたけどな」

「死ぬほど嬉しかったって事かしら。やった甲斐があったわ」

「受け取り方がポジティブすぎる!」

しかし神原と言いひたぎと言い、サプライズで僕に会いに来ては僕に心労を重ねていくな……。
ヴァルハラコンビは僕の命を狙っているのだろうか。
二人名義で生命保険とか僕にかかってないよな?

「――あれ? そういえば四条と我那覇は?」


ひたぎの対面に座っていた筈の二人が見当たらない。
何処かに出て行ったなら気付く筈だけど……。

「さっきまでいたよ? トイレじゃないの?」

二人で一つしかないトイレに行くかよ。

「ねえ、暦」

「ん?」

「銀髪の彼女――四条さん。
 彼女、怪異に取り憑かれているのよね?」

「あ、あぁ。ものが自分で食べられなくなる、ってだけなんだけど」

「さっき聞いてふと思ったのだけれど、それ、ひょっとしたら『食べられない』のではなくて、『食べてはいけない』のではないかしら」

「――――え?」

「いえね、ついさっきから気になっていたのだけれど、雰囲気があの時とそっくりなのよ」

あの時……?

ひたぎとの想い出を模索する。
正直言って心当たりがありすぎてすぐには特定出来なかった。
が、次の瞬間、僕はそれを嫌でも思い知らされる事になるのだった。

「『蟹に行き遭った時に』」



005


「きゃあ!?」

そのひたぎの言葉を聞き取れたかどうかは、今や確かではない。
僕が反応らしい反応をする前に、星井が悲鳴と共に消えた。
文字通り、影も形もなく『消えた』のだった。

「星井!!」

僕が叫ぶのが早いか、背後から聞こえるのは人が倒れる音。
慌てて振り返ると、我那覇がうつ伏せに倒れていた。

「我那覇……! くそ、どうなってるんだ!」

我那覇を抱きかかえ、ひたぎと共に一旦事務所の外へ。
入り口に我那覇を安静に寝かせる。
意識はなく、細かく荒い呼吸をしている。
と言うかこの状態は見たことがあった。

「エナジードレイン……?」

「……障り猫のものと同じ?」

「ああ、確定は出来ないが……似てる」

「と言うことは、やっぱり四条さんに憑いた怪異、なのかしら」

ひたぎの推測を考慮する暇もなく、再び事務所内から人の倒れるような音。
有無も言わず扉を開けると、そこには、

「四、条…………!?」

我那覇と同じくして倒れた星井と、

「――――大変、美味でした」

紅い瞳を爛と輝かせ、触角と思われる二本の角を頭部に生やした、赤髪の四条貴音だった。


四条はぺろりと恍惚の表情で舌舐めずりをすると、空気に溶けるかのように薄くなって消える。

「くっ……!」

とりあえず、先に急いで星井を回収すると部屋を飛び出した。
今、事務所内に留まるのは非常にまずい。
二人を並んで寝かせると、扉を背に座り込んだ。
急展開の連続で些か頭が追いついていない。現状を整理しなければ。

「……四条さんに憑いた怪異、で間違いなさそうね」

「ああ……蜉蝣の怪異だ、でもなんで……」

蜉蝣には摂食機能が備わっていない。
だからこそ、僕が三日に亘って四条の食事の世話をしていたのに……。

「三日で消える、と言っていたわね。今日が三日目なの?」

「ああ、こんな展開になるなんて、色々な資料を見たけど一言も――」

先程のひたぎの言葉が思い出される。

『食べられない』のではなく、『食べてはいけない』だとしたら――?

「そういう、事か……」

怪異と本物の蜉蝣を重ねてしまったことがいけなかった。
怪異は実在の生物に準ずることも多いが、あくまで準ずるだけだ。
同じになるとは限らない。

かばみ蜉蝣が、『宿主が他人から食べさせてもらうことにより成長する怪異』だとすれば、全て辻褄が合う。
資料にも残らない筈だ。
摂食出来ない筈の蜉蝣が成長――いや、この場合は退化か。
とにかく、かばみ蜉蝣は取り憑いて三日間、『きちんと食事をすることを条件に』変態する、人の手を借りなければ存在すら出来ない怪異だったのだ。
僕は四条の為とは言え、結果的にせっせと怪異を育ててしまったことになる。

四条は蜉蝣に、ではない。

四条は蟻地獄を孕んでいたのだ。


蜉蝣に全く関係のないものに変態するとは考え難いし、あの四条の様子は蟻地獄のそれだろう。
となると、今事務所は蟻地獄そのもののようなものか。

「蟻地獄……か、ひたぎ、蟻地獄についてどれ位知っている?」

「性格は臆病で、巣を掘って待つだけの暢気な生物。
 罠に掛かった蟻などの小動物を捕獲し、その血を吸い殺す――吸血動物よ」

ということは、事務所という罠に掛かった獲物を捕獲し、巣に連れ込みエナジードレインを行っている、という予測が立つ。
消えたり現れたりしているのは、空間そのものを砂に見立てていると仮定すれば納得出来る。
普段は砂に埋もれ、捕獲の瞬間だけ姿を現す、という訳だ。

「チャンスは、獲物を捕らえる一瞬、か……」

「私が囮になるわ」

微塵の葛藤も見せずにひたぎは言う。
見る限り、僕が何を言おうと取り下げることはなさそうだ。

「ひたぎ」

「勘違いしないでよね、別に暦のためなんかじゃないんだからー」

「なんでここでツンデレなんだよ」

しかも超棒読みだし。

「大丈夫よ、さっきも言ったけれど、私は暦を信頼しているから」

障り猫にもドレインされたことあるし多分大丈夫よ、と訳のわからない自信を持つひたぎさん。

「そうね、必ず成功するようにやる気の出るおまじないをしてあげるわ」

「おまじない?」


「暦が無事、事を終えたら今日一日メイドの如くご奉仕して差し上げます」

「マジでっ!?」

メイドひたぎさん。
ありそうでなかった新ジャンルだ。
想像するだに怖い、とても高圧的なメイドになりそうな気もするが、怖いもの見たさの方が大きい。

よし、俄然やる気が湧いてきたぞ。
まるで顔を変えたばかりのアンパンマンの気持ちだ。

「あー……ちなみに失敗したら?」

失敗する気など微塵もないが、一応お約束として聞いておこう。

「私をアイドルとしてデビューさせなさい」

「何それ怖すぎる!」

人の心を癒すどころか荒ませる、世界一の逆アイドルとしてデビューしてしまう。
それだけは避けなければなるまい。

それに何より――、

誰よりも愛しい僕だけの彼女を、アイドルにして衆目に触れさせてたまるか。

ひたぎが流し目と共に微笑み、扉を開け中に這入る。
本当に、まったくもって、とんでもない女を彼女にしてしまったものだ。
僕には勿体無い、なんて言ったらひたぎは怒るだろうな。

だったらせめて――好きになってくれた分は釣り合うように努力しなけりゃな。

こういう時に煙草でも吸えれば格好がつくのだが――あいにく僕はアニメの主人公という設定上吸えないのだ。


僕は一息つくと扉を開ける。

例えるのならば、煮こごった澱の中に身を沈める感覚。
先に這入ったひたぎは果たしてまだそこにいた。
全方位からの襲撃に備えているのか、部 屋の中をうろつくように歩き回っている。

「……暦」

やはり不安はあったのだろう。
一瞬、安堵の表情を浮かべるひたぎの背後、何もない空間から、腕が伸びるのが見える。

「ひたぎ!!」

今思えば、ひたぎが捕まる瞬間に心渡で斬るのが正しい対処だった――と言うよりは、ひたぎもそのつもりで囮になったのだろうけど、思わずひたぎを突き飛ばしてしまった。

四条の手に抱きとめられるように捕まる。

「暦!」

ぞぶり、といった空気を抉る音と共に引き込まれる。
四条に連れて行かれた先は、何もない暗闇だけの空間だった。
どこか息苦しく、空気自体に粘度があるようにべたついている。

ここが『巣』という訳か。
仰向けに倒れた僕に覆い被さるように、四条が身を寄せて来る。
傍から見たら四条が僕を押し倒している としか見えないだろう。
実際、ちょっとドキドキする。
うん、赤髪の四条も悪くないな……妖し気な雰囲気が倍増されていて。

「御覚悟を、あなた様」

「何の覚悟だ?」

「わたくしに、食されて下さいまし」

妖艶な笑みを浮かべて舌を出す四条は、僕に口付けをせんと目を閉じて唇を近付けて来る。
マジか。経口エナジードレインなの!?

やばい、ちょっとドレインされてもいいかも、なんて思っちゃってる僕。
しかも同じ方法で我那覇と星井からエナドレったとしたら……。

「――――うむ」

まずいな、想像するだけで鼻血が出そうだ。っていうか出た。

ひびたか!!
みきたか!!
わっほい!!

いかんいかん、正気を失っている場合ではない。
落ち着けよ僕。


鼻血を拭うと僕は、鼻血? 何のことですか?と言わんばかりのドヤ顔で口を開いた。

「舐めんじゃねえよ――なあ忍」

「かかっ、このまま流れに身を任せるかと思うたぞ」

忍はそんな事を言いながら四条の背後に取り付く。

馬鹿を言え、そんなことしたら冗談抜きにひたぎに殺される。
僕は彼女を猟奇犯罪者にする悪趣味なんてない。

「な――――!」

忍は驚き振り向く四条の唇を強制的に奪うと、なんというか、ものすっっっごい卑猥な音を立てて『食事』を始めた。
とても映像では電波に乗せてお届け出来ないようなサウンドとビジュアルだ。
辛うじてドラマCDで許されるレベルだろう。

「??????!!」

「んむ、はぶ、んぐ」

……まあ、言ってしまえばべろちゅーだ。
四条もそのモデル体型を全力でじたば たと振り回して抵抗を試みるが、元とは言え吸血鬼な上に、エナジードレインの上位互換を持つ忍に四条が勝てる道理はない。

……って言うか僕の上でそんな神原が両手を離して喜びそうな光景を繰り広げないでくれ。

「う……」

「ん――馳走じゃ」

忍の『食事』は終わったらしく、精も根も尽き果てた、といった様相で四条は僕の上に全体重をかけてくる。
口周りを二人分の唾液でべとべとにして気絶する四条は、本人が鏡を見たらショックで倒れそうなこと請け合いだった。

同時に、周りの風景も事務所に戻る。
かばみ蜉蝣は消滅した、と見ていいだろう。

「お帰りなさい、暦」

「ああ――ただいま、ひたぎ」

お互いの名前を呼び合って無事を確かめる。

「ところでその四条さんの口元は、忍ちゃんの力を借りた結果、と考えていいのかしら?」

「当たり前だ」

僕だってまだ死にたくはない。

「そう。お疲れ様、ご主人様。
 お風呂にする? ご飯にする? それとも私?」

「そりゃメイドじゃなくて新妻だ……とりあえずは、ご飯にするか」

四条の件も解決したことだし、四条が先日言っていたように、皆を出来るだけ呼んで食事をしよう。
もちろん、ひたぎも含めて。

なお、先程の問いに対して仮にひたぎ、と答えたらどうなるのか恐ろしくて聞けない僕は、男としてまだまだということなのだろう。



006


後日談というか、今回のオチ。

その後、どうやらかばみ蜉蝣は本体が消滅すると元に戻る系の怪異だったようで、体調も戻った我那覇や星井、四条も含め 、出来る限りのメンバーを集めて小さなパーティのようなものを開催した。
仕事で出ていた如月と水瀬だけは来られなかったが、また改めて行えばいい。
交流会、という名目で経費を使わせて下さいと社長に提案すると即決でいいよ、と返ってきた。
やはり社長は大物だ。
大物すぎて不安になることも多々あるが。

とりあえずピザに始まり寿司、フライドチキン、中華、パスタ等が広いとは言えない事務所内にずらりと並べられた。
壮観とも言えるその光景の下、

「はいダーリン、あーん」

「あ、あーん……」

僕は、雛鳥のごとく何故かひたぎに直接お寿司を食べさせられていた。
当然だがアイドル達の視線が痛い。痛すぎる。
社長だけが一人、仲睦まじきは良い事だねえなんて言って笑ってくれるが、恥ずかしい事この上ない。
これじゃあまるで僕が惚気るためにこの食事会を開催したみたいじゃないか。

「あら、口周りが汚れてしまったわね。拭き拭きしましょう」

と、甲斐甲斐しく僕に何もさせてくれない。
当に男の手を煩わせない大和撫子の鑑のようなひたぎさんであったが、たぶんこれが彼女の言う『ご奉仕』なのだろう。
あるいは単純に星井や四条に対する当て付けだ。
なんかそっちの可能性が高い気がしてきた。
ダーリンとか言っちゃってるし。
普段からこれくらい尽くしてくれたら――いや、それはそれで怖いな。
考えないでおこう。


「な、なあひたぎ。その、心遣いは嬉しいんだけど、人前だし恥ずかしいからそろそろ――」

「ダメだっちゃ」

「ラムさん!?」

「間違えた。駄目よ、 今日一日奉仕すると言ったじゃない。
 それとも私に恥をかかせる気かしら?」

恥ならもう僕が十二分にかいているから、それで何とか気を収めてくれ。頼むから。

「むううううううう……! ハニー!」

「うわっ!?」

星井がピザを片手に突撃してきたせいで危うく料理を取り落としそうになる。

「ひたぎさんばっかりズルいの! ミキもやる!」

「ぷ、プロデューサーさん! こっちのマフィンも美味しいですよ!!」

「あら、もてるのね暦。やれるものならどうぞ。
 でも恋人として隣は譲らないわよ」

「んががっ!?」

星井がシーフードピザを、天海が蜂蜜まみれのマフィンを口に突っ込んでくる。

ちょっと待て、僕の口は一つしか無いんだ!
天海まで何で対抗心を燃やしている のかわからないが、被害を被る側の気持ちも考えてくれ!


「はい暦、次は私よ。あーん」

「うおっ!?」

いきなり繰り出された一陣の風に身体が反応し、紙一重で避ける。
僕の横を通り過ぎたのは、あわよくば口内をも突き抜けてしまえ、と言わんばかりの凄まじい速度で牛肉をつまんだ箸だった。
どう見ても恋人に食べさせる速度ではない。
ましてや箸のような、ものを穿つ形状の利器を人に向ける時の速度でもない。

こいつ、やっぱり星井や四条のことを根に持ってやがる!
全然信頼されてねえ!

「恋人からのあーんを避けるとは感心しないわね。愛が足りないのかしら」

「誰だって避けるわ! 物理的に身体に穴を開ける愛なんて要らん!」

「そう、暦は相変わらず愛変わらず、って感じなのよね」

「上手いこと言えてないからな!?」

「私の箸は天を突く。私を誰だと思っているの!」

「どう考えてもただの狂人だよ!」

「あなた様、わたくしも今日までの借りを今、返しておいた方がよろしいでしょうか」

「頼む、やめてくれ」

こんな状況に四条まで加わったら文字通り四面楚歌だ。
食事会で女の子に囲まれて死ぬ、なんて失敗したハーレム系主人公みたいな死に方は嫌だ。

「次はちゃんと受け取りなさい。あーん」

「危なっ!?」

またも超スピードで迫り来るひたぎの箸を避け、とにかく僕の口に食べ物を詰めようと間違った情熱に身を傾けている天海と星井の猛攻を凌ぎつつ事務所内を逃げる。

こんなの食事会じゃないよ!
全然楽しくないよ!

「ああいうのを見てると、恋人が欲しくなりますね?」

「そうかしら……?」

「いいなぁプロデューサーさん……私も恋人欲しいなぁ……あずささん、律子さん、今度婚活パーティ一緒に行きません……?」

「……私、まだ未成年ですよ?」

「こ、婚活はまだちょっと?……」

「あそこまでモテるのは男として本望だろうけど、全然羨ましくないね雪歩……」

「うん……でも戦場ヶ原さんとプロデューサー、お似合いだよね」

「そう……なの、かな?」

「うん、とっても素敵」

「やっぱり兄(C)は面白いな→」

「これはもう亜美たちもあそこ混じるべきですな!」

「うっうー! これとってもおいしいです!」

「やよいの分もタッパー持ってきたから持って帰っていいぞ!」


某トレーラー映像のごとく必 死の表情で逃げ回る僕。
次第に増えて行く追っ手と激しさを増していく攻撃(?)。

世の男子の大半は、叶わぬ夢としてハーレムを望んでいるかも知れないが、それは間違いだとここに断言しておこう。
いや、僕も男だ。ハーレムに夢を持つのはわかる。とても良くわかる。
だが僕を例に取ってもらえばよく理解るだろう。
高校生の頃から年齢問わず女子の知り合いも多く、神原や八九寺のように年齢や性別を越えた友情が成立することも証明した僕だ。
就職してからもアイドルのプロデューサーなん女の子には事欠かない状況に今もなお身をおいている僕だ。
その僕が断言しよう。
本当にハーレムなんてものを目指すのであれば、それこそ途方も無いほどの力が必要だ。
腕力でもいい、財力でもいい、防御力でも政治 力でもいい。
それこそ誰にも負けない、位の意気込みを持つ力が無い限りはハーレムなんて夢のまた夢だと。

でないと――僕のように中途半端に命を危険に晒されるだけだ。

「はい、あーん」

「いってえ!? 刺さった! 刺さっちゃいけないところに刺さっちゃった!」

ハーレムは、痛み無しでは成し得ない。

たかねデイフライ END

拙文失礼いたしました。

傷はまだか……。

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