阿良々木暦「あみスパイダー」 (50)

・化物語×アイドルマスターのクロスです
・化物語の設定は終物語(下)まで
・そこそこネタバレ含まれます。気になる方はご注意を
・終物語(下)より約五年後、という設定です
・アイドルマスターは2基準。平常運転です

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SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1397552552

ID変わりますが30分くらい後から書きます。



001


人はなぜ、争うのだろうか。

場所は765プロ事務所、研究用という名義において経費で落とされた44インチ液晶テレビに映るのは、醜い争いを続ける者達の姿だった。
彼等はその強い意志で、鍛えられた四肢で、洗練された技で、相手を容赦無く殴り、蹴り、締め、自分の強さを誇示する。
しかし、それはあまりにも滑稽で愚かな光景だった。
個人の強さなど、役立つことはあっても決して絶対的なものではない筈なのに。
影縫さんのように人間とは思えない度外の強さを持つ人だって、自分の力を自慢したり他人の弱さを蔑視するなんてことはしなかった。
彼女の力ははあくまで仕事、ひいては自分のためのそれであり、人を傷付けるためのものではない。
だと言うのに、画面の中の彼等は明確な 理由もなく争いと諍いを繰り返している。

僕は彼等に問いたい。
それは名誉のためか?
単なる自己満足か?
他の誰かの為か?
僕には到底理解出来ないステージで戦っているのか?

それとも人間は、争いを通してでしか進化出来ない悲しい生物だとでも言うのか?


戦争はこの世で最も技術を進歩させる行為だと聞く。
戦うことにより相手に負けない為の科学技術は勿論、効率と実を最大限まで追求した流通、医学、格闘術、その他諸々のあらゆるものが驚異的なスピードで進歩していく、という理論だ。
現代においても経営やマーケティングも戦争と喩えられることはしばしばある。
が、やはり直接命や家族、最終的には自分の住む国まで掛かった原始的な闘争である戦争には及ぶべくもないのだろう。

戦争は、言うまでもなく人が死ぬ。
寿命でも自然死でもない、人間の手によって人間が死ぬ。
生物として人間の全うすべき使命が生きることだとしたら、それはあまりにも残酷で救いのない事実じゃあないか。

人という生物の根本は闘争でしかないのか!?
だったらなんで僕たちは産まれて来たんだ!?
僕は闘って死ぬために産まれて来たんじゃない!


「なにさっきからブツブツ言ってんだ兄ちゃん?」

「…………」

火憐ちゃんの言葉で現実に引き戻される。

テレビの画面では、身長三メートルはありそうな筋肉ダルマがちょうど地面に伏すところだった。
『PERFECT!!』のテロップと共に僕の負けが確定する。

「いぇ→い、これで41勝2敗、っと。いや→、兄(C)は担当アイ ドル想いでプロデューサーの鑑ですなぁ」

「ほんとほんと、このままだと兄(C)を双海家専属の奴隷に出来ますなぁ」

「兄ちゃんは弱いなー」

「格ゲー苦手なのに意地張るからだよ」

僕は妹達の言葉も聞き流し無言でスタンプカードに判を押す。

この百円均一で買ったちゃちな手帳を改造して作ったスタンプカードの名称は阿良々木カード。
僕がアイドルのために作ったもので、阿良々木ポイント、すなわち判子一個につき僕にひとつ命令できる、という肩叩き券のようなものである。
アイドルの勤労意欲、及びコミュニケーションの一環として僕が個人的に作成したものだ。
仕事をがんばった時や、落ち込んでいる時に僕が押す。使用期限はなし。
何でも言うことを、とは言ってもそこはい い子ばかりの765プロ、ジュース買ってこい(水瀬)、ラーメン食べについてこい(四条)、肩を揉んでくれ(あずささん)、など非常に可愛いものばかりだ。


で、その阿良々木ポイントが今まさに双海姉妹に対してデフレを起こしかけている。

事の起こりは、少し前に休憩時間に双海姉妹に誘われて行ったテレビゲームだった。
ゲーム機を持ち込んでの格闘ゲーム。
まあ息抜きにもちょうどいいし、子供の遊びに付き合ってあげるのも大人の役目だよな、と軽い気持ちで始めたのだが、

『せっかくだから何か賭けようYO!』

『兄(C)が亜美たちに勝ち越した分だけ亜美たちに命令していいZE!』

『ほう、いい度胸だ。この阿良々木暦の担当アイドルとなったことを後悔させてやる!』

『さっすが兄(C)、プ ロデューサーとは思えないセリフをいとも簡単に言ってのける!』

『そこにシビれねェあこがれねェ!』

というやりとりの結果、昼休憩の30分の間だけ死闘が行われることになったのだ。

僕に命令権利を渡すとは未だに僕の恐ろしさがわかっていないようだな。
さて、勝利の果てにはどんな鬼畜な命令をしてやろうか!
と意気込んだのはよかったが、結果は先述した通り。
僕が基本的にテレビゲームなんてやらないから、というのもあるけれど、それにしたって二人とも強すぎじゃないか?
大抵が反撃も出来ずに負ける。
今なんて空中に浮かされたまま即死コンボを決められた。


ちなみになんで火憐ちゃんと月火ちゃんがいるかという点についてだが、三日で都内観光は飽きたらしく、こうして昼間は事務所に遊びに来ている。
それを快く許可する社長も社長だが、本当に遠慮なく遊びに来る妹達も大概である。

一応 、音無さんや秋月を手伝ったりお茶を淹れたりと最低限の心遣いはしているようだが、二人の本性をよく知る兄の身としては心が休まらないことこの上ない。
とっとと帰らないかなこいつら。

「も、もう一回だ……」

「え→、もうやめようよ」

「うん、飽きた」

「勝ち逃げとは卑怯だぞ!」

子供相手に本気になっている大人ほどみっともないものはないよな、と日頃常々思っていたのだが、まさか僕がその大人になるとは……人生は迷走の繰り返しだな。

「だって兄(C)、ゲーム差38だよ?
 プロ野球球団なら監督がハラキリだよ?」

「はっきり言って逆転するの絶対ムリだよ?」

「く……っ」

確かにその通りだ。
僕の前世が格ゲーの神で、突如雄叫びと共に前世の力に目覚めるでもしないと無理だろう。


だが男には負けるとわかっていても向かわなければならない戦いがある。
今がまさにそうなのだ。

「わかったよ、じゃあ一回だけね」

真美ちゃんがやれやれ仕方ない兄(C)だぜ、とコントローラを取る。

「よ→し、兄(C)にチャンスをやろう。もしこの勝負で真美に勝ったら今までのゲーム差は全部チャラにしたげてもいいよ?」

「本当ですか!?」

あまりの好条件に敬語になってしまったじゃないか。
その代わり→、と小悪魔フェイスを浮かべる二人。

「兄(C)が負けたら負け数は倍々チャンス。どう?」

なるほど、一挙にけりを着けるつもりか。
チャラになったらなったで元手はないようなものだし、勝ったら更に僕を服従させることが出来る。

「ふ……僕がそんな面白い勝負を断るわけないだろう!」

「よ→し、やったろうじゃん!」

「だが忘れたのか?
 この阿良々木暦は追い詰められれば追い詰められる程に力を発揮する!」

「今までのは追い詰められてなかったんだ……」

「そして相手が年下であればあるほど戦闘力が増す人間だと言う事実を!」

「ダメ人間だ!」

だが事実だから仕方が無い。
実際に背を向けて歩く八九寺を発見したときの僕と言ったら、吸血鬼だった頃の全盛期、高校三年生の春休みの時と比肩しうる。


「やめた方がいいと思うぞ兄ちゃん……」

あの無鉄砲の代名詞のような火憐ちゃんからの貴重な進言も押し退け、キャラクターを選択しさぁ一世一代の勝負だ、と気合を入れた瞬間、来客を告げるインターホンが鳴った。

「月火ちゃん、悪いけど頼む」

「はいはい」

昼休憩のこの時間、音無さんはコンビニや食事で外に出ていることがあるので月火ちゃんが出て行った。
本当は僕が出るべきなんだけど。

だが優先すべき事項は他にある!

「おらおらおらぁ!
 そんな腕じゃ真美の足の指先にしか届かないZE!」

「真美ちゃんの足の指なら喜んで舐めてやる!
いや舐めさせてください!」

「真美の足を舐めるなら一回いちまんえんだ!」

「高すぎるぞ! 五千円にまけろ!」

「五千円出す兄(C)もどうかと思うYO!」

そんな不毛な会話を交わしている内に劣勢に追い込まれる僕。

何してるんだ! がんばれよ僕の分身!

「ほあっちょわ→!」

「うわあああああぁぁぁぁぁ!」

勝率5%の僕がここぞと言う時だけ勝てる訳もなく撃沈する。

おかしい……!
成功率一桁とかって主人公補正で百パーセント勝つフラグじゃなかったっけ!?


「勝っち→!」

「そんな馬鹿な……」

「やっぱり格ゲーみたいな技もやりてーなあ。二段ジャンプってどうすりゃ出来るのかな兄ちゃん?」

「生憎だが僕の知る限り人間は空中を足場には出来ないぞ」

「あ、お兄ちゃんやっぱり負けたんだ。だっさ」

月火ちゃんが兄を罵りながら何やら包装された小綺麗な箱を持って戻ってくる。

「ありがとな月火ちゃん。そしてたまには兄を気遣え。宅急便か?」

「うん」

これ置いてったよ、と差し出す月火ちゃんの持ってきた箱には、大きく『SAMPLE』と書かれていた。

「試供品?」

株式会社シェル、と箱の端に小さく銘が打たれていた。
聞いたことのない会社だが、宛先も個人ではなく事務所であることから、恐らく化粧品かファッション系の小売会社なのだろう。

包装を解くとマフラー……じゃないな、ストールと小さな手紙が入っていた。
赤と緑のチェック模様で編まれている、良く言えばスタンダードで悪く言えば取り立て特徴のない柄だ。
手紙を見てみると、『弊社で生産しております商品です、よろしければ御使用下さい』とだけ簡潔に書かれていた 。
売れっ子アイドルが使っているストール、ともなれば売上が上昇するのは目に見えている。
それを踏まえて送り付けたのならばかなりのいい度胸をした業者だ。
大抵は先に電話なりで約束を取り付けた上でコラボレーション等の商談をするものなのだが、ただ送りつけるだけでは何の意味もないに等しい。
この不況下で低迷気味の中小企業ともなれば必死になるのは分かるが、これでは普通にアイドルの誰かがもらうか、音無さんの膝掛けにクラスチェンジして終わりだ。


「ねえ兄(C)、これ亜美がもらっていい?」

と、亜美ちゃん。

「この間ストールにジュースこぼしちゃって新しいの買おうと思ってたんだ→」

「いいと思うよ、ちゃんとしたオファーが来ている訳でもないし」

一応、後で音無さんと秋月に一言聞いておけばいいだろう。
万が一必要なものだったら返せよ、と亜美ちゃんに一言付けて渡す。

「うん! ありがと→!」

亜美ちゃんはストールを手に取ると、肩から羽織って見せる。

「えへへ、似合う?」

「ああ、似合う似合う。超似合う」

超投げやりに答える。
僕は双海ファイナンスに大きな債務を抱えてしまったのだ。もう知るか。

「適当だなぁ兄ちゃん」

「女の子がファッションについて聞いてるんだからちゃんと返しなさいよ」

女心がわかってないなぁ、と何故だか妹たちに責められる僕。
だがこれまでにも天海や菊地に事あるごとに女の子の気持ちがわかってない、と言われることはままあったし、今に始まった事ではない。
それに僕は男の子だ。女の子の気持ちなど女の子になってみないとわからないに決まっている。

それよりも今は双海姉妹に主導権を握られてしまった事に関して対策を考える必要がある。
彼女たちは無邪気であるが故にある意味妹たちよりも凶悪だ。
残り80回近い回数の中でどんなお願いをされるかわかったものではない。
何とかして減らす方法を考えないと……。


「さ→て兄(C)?
 まずは真美たちにゴージャスセレブプリンを買ってきてもらおうかな?」

「おっと、スペシャルリッチシュークリームも忘れるんじゃないZE?」

「……わかった、待ってろ」

財布の中身を思い出す。
スイーツを買うくらいはあった筈だ。

「あたし杏仁豆腐な!」

「私はチョコアイスー!」

「なんでお前らのパシリまでしなきゃいけないんだ!」

「命令だ兄(C)!
 火憐姉(C)と月火姉(C)の分も買ってくるのだ!」

「さっすが亜美ちゃん、わかってるねー」

「ほらほら?、早く買ってこいYO!」

「覚えておけよお前ら!
 僕は必ず復讐してやるからな!」

どう聞いても小物にしか聞こえない捨て台詞を残し、僕はコンビニへと走って行ったのだった。



002


最寄りのコンビニで品定めを終え、一通り品物をカゴに揃えレジに向かう。

コンビニという空間自体が僕は結構好きだ。
スーパーマーケットの方が安いのは百も承知なのだが、だだっ広い上に商品も選り取り見取り、という状況は優柔不断な僕にとっては鬼門に近い。
多少高くても、商品数は少なくても、必要なものがピンポイントですぐ揃い、かゆい所まで手が届く最近のコンビニは好印象がある。
まあ、そのせいで地方のスーパーとかもガンガン潰れて行っているのだが、それも時代の流れというべきものだろう。

……コンビニにはスーパーにない本も売ってるしね。
寂しい男の一人身生活ともなれば、そういうものが必要な時は助かる。

僕は一番高いスイーツを僕用に買う、とい う何とも悲しくささやかな抵抗を示しレジに行くと、別のレジに並んでいる男がやけに目に付いた。
いや、正確に言えば、何処かで見た事あるような奴だった。

「そちらの菓子折りをひとつ。いや一番安いやつだ。包装もしてくれ。領収書もな」

その男は不機嫌そうな声で菓子折りを頼んでいた。
コンビニの菓子折りなんて買っている奴は始めて見る。
そもそもあの菓子折りはどの客層をターゲットにしているものなのだろうか?


いや、そんなことよりも、

「……ん?」

「貝木……!?」

喪服のようなスーツ姿に、不吉な全体像。
その名前に相応しい粘着性のある声色は間違いようにない。

その男は、かつてひたぎと共に対峙した詐欺師、貝木泥舟であった。

「……阿良々木、か?」

「お前、こんなところで何をしてる!」

「1080円になります」

「ポイントもつけてくれ、ああ、ポイントは溜めたままだ」

僕の質問などいざ知らず、貝木は着々と支払いを終え、菓子折りを片手に店を出て行く。

本来なら話どころか姿も見たくない奴なのだが、見かけておいて放っておくのも気持ちが悪い、というどちらにせよ迷惑な奴だ。
僕も早々と支払いを終え、その蝙蝠のような後姿を追う。

「待て!」

貝木は鬱陶しそうに振り向くと、身体をこちらに向けた。


「なんだなんだ、相変わらず喧しい奴だな。お前ももう二十歳過ぎだろう、齢相応に落ち着いたらどうだ?」

「質問に答えろ、なんでこんな所にいる」

「俺が何処にいようがお前には関係あるまい、阿良々木よ。
 確かに俺は過去、お前と戦場ヶ原には一切合財関わらないとは言ったが、ここは首都だぞ、首都。
 首都の意味はわかるか? 国内で一番人の多い場所だ。
 そこに国民たる俺が偶然いた結果、偶然お前と会う確率はそう低くはないだろう」

いちいち琴線に触れるような言い回しをする奴だ。

臥煙さんの話によれば蛇神と化した千石を助けたのは貝木だ、ということだが、何度会おうと話そうとこいつと相容れることは一生ない、と断言できる。
在り方として、僕と貝木は全く正反対に位置する。
半ば自虐的に本質を捉えてしまうのなら、鏡を見ているようで気持ち悪いのだ。
それはあちらも同じなのだろう、二度と会わないと言っていた事もあり相当に嫌そうだ。

「また詐欺を行なおうとしているのか」

「それこそ愚問だ、俺は詐欺師はもう止めた。この菓子折りも営業の為だ」

「くっ……」

ほら領収書も切った、とあからさまな嘘に思わず歯軋りする。


間違いなくこいつは今から何処かに詐欺を仕掛けに行くのだろう。
怪異関連を扱うとは言え貝木本人には大した戦闘能力もなく、こいつを捕まえて尋問すればわかるかも知れない――が、そんなことをしても次の詐欺に向かうだけなのは火を見るよりも明らかだ。

「お前の考えていることはわかるぞ、阿良々木」

心底不機嫌そうな顔で、貝木は言い捨てた。

「俺に詐欺を止めさせたければ俺を殺すか、金を払え。一千万から検討してやる」

とは言うものの、仮に何十億と金を払ったところで貝木は詐欺を続けるだろう。
貝木に詐欺 を止めさせるのならば、本人が言うように息の根を止めるしかない。

だが、

「僕はお前なんかを殺すつもりはないし、金を払うなんてもっての外だ」

「だろうな。では二度と会わん事を神に祈るよ」

と、これ以上話す事はないと言わんばかりに背を向けて歩を進める。

休憩中に嫌なものを見てしまった感じだ。
早いところ事務所に戻り亜美ちゃん真美ちゃんと遊んで気を紛らわそう。
貝木相手に気を患うのも馬鹿馬鹿しいし、忘れるに限る。

「……」

「……」

「…………」

「…………」

「………………おい」

「何だ、阿良々木」


事務所に向かって歩くこと数分、目の前を歩く不吉な背中は一向に方向転換する気配も見せずに坦々と歩き続けていた。

「なんで同じ方向に進んでるんだよ、逆方向に行け」

「お前が勝手について来ているんだろう、俺はこちらの方角に用がある」

「僕だってこっちの方向が仕事場だ」

「そうか、こちらで就職したのか。それはおめでとう」

社会の歯車とは羨ましい限りだ、と皮肉たっぷりの言葉に余計なお世話だ、と撥ね退けて貝木を追い越す。

これ以上こいつの不吉な後姿を見ていたら気が滅入ってしまう。
いつもより早歩きで帰途を急ぎ、少々歩くと765プロダクション事務所に着いた。
が、相変わらずどころか貝木はあろうことか事務所前でその足を停めた。

「…………」

「…………」

「おい、早く何処かに行け」

「馬鹿を言え、俺の目的地はここだ」

「何……!?」

気付くが早く、僕は事務所に飛び込んだ。

株式会社シェル、シェルは貝だ。気付けと言うのも酷な話だが、良く考えれば怪しかったじゃないか!

「みんな、大丈夫か!?」

部屋の扉を破らんばかりの勢いで開けると、そこには、

「あれ、遅かったね兄(C)」

部屋中の床、壁、天井に敷き詰められた蜘蛛の巣の模様と、その中で糸に絡め取られ倒れる真美ちゃん、火憐ちゃん、月火ちゃんの姿。

そして、

「ねえ兄(C)、亜美のこと好き?」

頬に蜘蛛の巣の模様を貼り付け、蜘蛛と思しき影を蠢かせる、ゴスロリの衣装を着た亜美ちゃんとは思えない何かだった。



003


事の後から真美ちゃんの話を聞くところによる、僕のいなかった間の一連の出来事を、本編の断片としてここに記す。

僕が涙を散らしながらコンビニへ向かったあと、四人は仲良くゲームを続けていたとの事だが、突然、本当に急に、亜美ちゃんが真美ちゃんに質問をしたという。

「ねえ真美、亜美のこと好き?」

と。

「ん? 好きに決まってんじゃんか→、何々、愛の告白?」

「火憐姉(C)と月火姉(C)は?」

「そりゃあもう大好きだぜ!」

「うん、持って帰って本当の妹にしちゃいたいくらいだよ」

三人が答えたその瞬間、座っていた床に、壁に、天井に、蜘蛛の巣の模様が張り巡らされた、と。

「え……?」

「な、なんだこりゃ!?」

突然の変化に驚く三人に対し、いつの間にか ゴスロリの衣装に身を包んだ亜美ちゃんが居た。

「怪人の襲撃か!?
 伏せろみんな! あたしがぶっ倒す!」

「火憐ちゃん、落ち着いて!
 クモといったら殺虫剤だよ!」

奇怪な状況に置かれてなお腕力で解決しようとしている火憐ちゃんと噴射式殺虫剤を提案する月火ちゃんには脇目も振らず、亜美ちゃんは続ける。

「ねえみんな、好きな人いる?」

「亜美!!」

そこから先のことは、真美ちゃんも覚えていないそうだ。


閑話休題。

時間を戻すこと現在、僕はその亜美ちゃんと訳も解らず対峙する羽目になっていた。

「ねえ兄(C)、亜美のこと好き?」

その質問を受けた瞬間、先ほどから感じる、部屋に入った瞬間に感じた違和感が更に増幅される。
嫌な感じだ。
例えるのなら、何かの胎内にいるような……。

とりあえずは何よりも、現状の認識から始めよう。
亜美ちゃんはあのストール、貝木が用意したであろうあれが原因で怪異に取り憑かれた、と見てまず間違いはないだろう。
解りやすく亜美ちゃんの影の形まで蜘蛛となり、足が節足動物らしく気味悪くわしゃわしゃと蠢いている。

次に倒れている三人だが、見た所外傷はないし、胸が呼吸により上下しているところから気を失っているだけのように見える。
一刻も早く三人を救出して態勢を立て直したい所だが、身体が先ほどから全く動かない。
恐怖心から来る比喩ではなく、力を入れても神経が通っていないかのようにぴくりとも動かないのだ。
恐らくは、この部屋中に張り巡らされた蜘蛛の糸が関係しているのだろうが、あまりにも情報が少なすぎる。

「く……」


「何をしている阿良々木、その少女の質問に答えろ」

「貝木……?」

「早くしろ、でないと喰われるぞ」

喰われる……?
真美ちゃん達は『喰われた』結果だと言うのか?

貝木の指示に従うのは癪だが、この状況では致し方ない。

「……僕は亜美ちゃんこと、好きだよ」

「そう? 嬉しいこと言ってくれるじゃ→ん」

と、ぷつん、といった音と共に急に身体が軽くなった。
見ると、足元に蜘蛛の糸の残骸が散らばっていた。
よく見えなかったが、この糸が僕を拘束していたらしい。
問題なく足も上がる。

今すぐにでも全員助けてやりたいが、貝木の持ち込んだ怪異だし、貝木を問い詰めて解決策を出さなければいけない。

「忍」

「応よ」

影から忍を呼び出し大太刀『心渡』を受け取ると、三人を拘束しているであろう蜘蛛の糸を断ち切り、なんとか三人を抱える 。

「ごめん亜美ちゃん、すぐに戻るから」

「うん、待ってるね」

いつもみたいににこりと無邪気な微笑みを返す亜美ちゃんを背に、部屋の扉を閉めた。


その場で三人を降ろし、ようやく一息つく。

「っはぁ……」

閉めた扉を背もたれに、一気に解けた緊張感を溜息と共に吐き出す。
三人の状態を軽く看てみたが、意識がない以外に問題は無さそうだ。

「昔の蜂と言い蛇神と言い、毎度毎度ご苦労な事だな、阿良々木よ」

その勤労意欲は俺も見習わんとな、と貝木が相変わらずの調子で事務所内にいた。

「今お前に一番言われたくねえ言葉だよ……!」

先程は僕を助けるような真似をしたが、何か企んでいるのか?

「何故僕を助けた?」

「助けてなどいない。全ては俺の保身の為だ」

「保身?」

「お前に手を出すと忍野やら余弦やら臥煙先輩やらが五月蠅いからな。
 お前が絡んでいると知っていればこんな事はしなかったよ。
 本来ならば俺が問題を解決すると言って金をせしめるつもりだったのだがな。
 お前がいるだけで準備から何まで全て御破算だ。さあて願いましては、だ」

全くもって大損だ、と菓子折りを開封し始める貝木。
あの菓子折りは事務所に入る為に買って来たのか……。


「しかしお前がアイドルのプロデューサーとはな、ぴったりじゃないか」

「褒められても嬉しくねえよ」

「しかし芸能界は儲かるだろう?
 ご同慶に預かりたいことだ」

僕は単なるサラリーマンだ、と座っていた身体を起こし、貝木を睨み付ける。

「解決法を教えろ」

「知りたいか? 教えてやろう。金を払え」

菓子折りのクッキーを齧りながらそんな事をのたまう貝木。
果てには勝手に茶まで淹れ出した。
やっぱりこいつは気に食わない。

「早くした方がいいぞ、蜘蛛は夜行性だからな。
 今でこそ昼間だから部屋で大人しくしているが、夜になれば手が着けられなくなるぞ」

「元々はお前が蒔いた種だろうが!」

「俺が蒔いた種なのは確かだが、この事務所がどうなろうが俺の知った所ではない」

お前を助けたのはあくまで自分の為だ、と次々にクッキーを口に運ぶ。
僕に手は出したくないが765プロなど知ったことか、という事か。

ならば――。

あまりにも不愉快な選択肢だが、こいつと問答を続けていても終わりは 見えてこない。
こいつに唯一美徳と呼ぶものがあるとすれば、初志貫徹のその姿勢だ。
こいつは相手が例えどんな神や悪魔だろうと騙そうとするだろう。
自分の生き方に微塵も疑問を挟まない人間の意見を変える事は非常に困難だ。

僕はポケットから財布を取り出すと、貝木に向かって投げつける。
貝木はそれを片手で容易に受け取ると、器用にもそのまま中を開けた。


「……千円しかないぞ、阿良々木」

「給料日前だからな」

「……まあ、ストールは返して貰うとして送料の450円分の元は取れた、が……」

こんなボロい財布はいらん、と札とポイントカードの類だけ抜き取って懐に仕舞う貝木。

「これでは到底足りんな」

「現時点じゃ鼻血も出ねえよ」

「では交換条件と行こう、 阿良々木」

「……なんだ」

ぞくり、と悪寒が走る。
貝木のペースに乗せられたままなのは悔しいが、それ以上に貝木が金以外のもので譲歩しようとしている点が恐ろしい。

貝木は腐っても日本銀行券至上主義者だ。
金の為ならば他人の事情も、人間関係も、自分の人生すらも投げ捨てる程だと聞いている。

その貝木が提示する条件。
一体、何を要求されるのか皆目見当もつかない。
千円で貝木を買えるとは思っていないので、次善策として僕の身を人質にしての脅しをかけるつもりだった。
協力しなければ臥煙さんたちにチクる、という情けない方法だが、これも通用しなければ忍を呼び出して力尽くで強制的に従わせるくらいしか思い付かない。

と、貝木の口から出た要求は斜め上を遙かに越えるものだった。


「765プロ所属アイドル全員分のサインが条件だ」

「……何だって?」

「聞こえなかったか。天海春香、如月千早、菊地真、萩原雪歩、秋月律子、高槻やよい、水瀬伊織、三浦あずさ、双海亜美、双海真美、星井美希、我那覇響、四条貴音、計13人のサインだ」

こいつ全員の名前まで把握してやがる。
しかもサイン?

「なんで皆の名前を把握してるんだ」

「詐欺にかけようとする相手のことを調べるのは当然だ」

「……理由を聞いてもいいか」

「今をときめくアイドルのサインだ。元手がかからん割に高額で売れるだろう?」

「貝木さんへ、って書いてもらうよう頼んだ方がいいか」

「それは…………いや、やめてくれ。売る時の価値が落ちる」

一瞬躊躇したような気がするが気のせいという事にしておこう。
貝木がうちのアイドルたちのファン、だなんてことが万が一事実だったら悲し過ぎる。

「わかった、後日どこかの局留めで郵送してやる」

では、と貝木は僕の心中などいざ知らず、勝手に淹れた紅茶を飲み干し、更に新しいティーバッグを取り出し淹れ始めた。


「あのストールは誤説蜘蛛という怪異の糸を使って作った、言わば怪異のレプリカだ。
 誤説蜘蛛はアヤトキグモと読み、取り憑いた者の記憶に糸を張り縄張りとする。
 そして糸を使い人間の中から『嘘』を捕食する悪食怪異だ。
 これは素晴らしいぞ阿良々木。誤説蜘蛛に取り憑かれた人間は嘘が言えなくなる。
 つまりどんなに聖人ぶった奴でも汚濁に塗れた本音を持っていることがわかるんだ。
 糸で意図を操り意図を食う怪異なのだが、お前達にとってそれはどうでもいい事だな」

「そいつは是非ともお前に取り憑かせたい怪異だよ」

「それは困る。俺は詐欺師だ。嘘を吐くのが仕事だからな」

卑しく笑いながら兎も角、と続ける。

「誤説蜘蛛の糸を使って作られたストールを羽織った者は偽の誤説蜘蛛を外部に飼うことになる。
 意図を餌とする誤説蜘蛛は腹が減るが、本体はストールだから取り憑いた者の意図は食えない。
 だから取り憑いた者を操り他人の意図を食うのさ。
 その方法は相手に質問をすることで捕獲、捕食する。
 捕食された人間は魂を喰われる。なに、あの誤説蜘蛛も所詮は偽物だ。足で踏み潰してやれば魂も戻るさ」

貝木はそこまで一気に喋ると、クッキーを全て平らげ、紅茶を啜る。


貝木の言う事を信じるとして、亜美ちゃんは怪異に乗っ取られている、ということになる。
解決方法としては、亜美ちゃんに取り憑いている蜘蛛を心渡で斬り捨てれば問題ないだろう。

だが、そこに至るまでの道程が多少困難か。
あの部屋には縦横無尽に蜘蛛の糸が張り巡らされており、亜美ちゃんに辿り着くよりも前に質問をされた時点で蜘蛛の糸は発動する。
発動させられ、動きを止められては戦うことすら出来ない。
下手をしたらそのまま、という線も考えられる。
先程は何とか離脱出来たが、怪異も意思を持つ以上は学習もしよう。

「あの『質問』から逃れる方法はないのか」

「無い。あれは防衛本能兼攻撃方法だからな」

蜘蛛の巣そのものだよ、と付け足す貝木。

あれを防ぐ方法がないとすれば、一体どうやって……。

いや待て、貝木は自分でも手に負えない怪異を送り付けたりするだろうか?
仮に大金をせしめる為とは言え、自分の命に関わる程の怪異を送り付けたりはしない筈だ。
自分が対峙する際に、確実な護身方法がなければならない。
となるとヒントはさっきの『質問』から逃れた時だ。
貝木は質問に答えろと言った、すなわち答えること自体が糸から逃れる方法とも言えるが、それでは先程の『質問をすることで捕食』の言葉に矛盾が出る。

何かを理解しかけ思考を巡らせていると、貝木が気の滅入る声音で思い出したように口を開いた。

「蜘蛛の巣の特性を知っているか、阿良々木よ」



004


「入るよ、亜美ちゃん」

返事も待たないままに扉を開ける。
片手に心渡を携え、蜘蛛の巣に足を踏み入れた。

最初に感じた違和感は、言ってしまえば結界の中に入ったようなものだからだろう。
今では取り込まれた、といった表現の方がしっくり来るが。

「来てくれたんだ兄(C)。ねえ、兄(C)って好きな人いるの?」

途端、全身が動画の一時停止のように一瞬にして止まる。
身体中の神経を途絶される感触。
だが実際は、僕には見えない蜘蛛の糸が全身に巻き付いているのだろう。

『蜘蛛の巣の特性を知っているか、阿良々木』

直接的な関係は無い筈だが、不吉の象徴である貝木と蜘蛛は何だか似合う気がした。

『蜘蛛の巣には、縦糸と横糸がある。
 縦糸は粘らず横糸には粘球がついてい て粘る。
 獲物を捕獲するのは横糸。蜘蛛が移動するのは縦糸だ』

縦糸と、横糸。

誤説蜘蛛が獲物を捕える為に横糸を使うのならば、『縦糸の上だけを歩けば近寄れる』。


誤説蜘蛛にとっての縦糸は先ほどの『質問』の解答、蜘蛛の餌となりえない『本音』となる。

つまり――、

「ああ、戦場ヶ原ひたぎって言うんだ。僕の恋人だよ」

身体に自由が戻り、僕は再び一歩を踏み出す。

本音だけを答え続ければ、横糸が絡むことはない。

「でっかい刀だね! それで亜美を切っちゃうの?」

止まる。

「亜美ちゃんは切らないよ、本当の名刀は切りたいものだけを切る。
 亜美ちゃんに取り憑いてる悪いものだけを切る刀だよ」

二歩。

「兄(C)ってほんと面白いね。こないだは真美も 助けてくれたし、兄(C)って何者?」

止まる。

「名前は阿良々木暦。最初は人間。高校三年生の春休みに吸血鬼になった。
 その後はずっと吸血鬼の後遺症を残した人間もどきだ」


三歩。

「へ→、兄(C)人間じゃなかったんだ。人間じゃないの一人で寂しくない?」

止まる。

「寂しくないよ。恋人が、仲間が、僕をたくさん助けてくれたから」

四歩。

「ふ→ん、じゃあさ、亜美のこの服どう思う?」

止まる。

「ゴスロリだな。いいね、ものすごくいい。
 でも亜美ちゃんよりは如月あたりが一番似合いそうだな」

五歩。

「わかるわかる、ゆきぴょんや千早お姉ちゃんはゴスロリ似合いそう!
 ねえ兄(C)、その刀で切っちゃうのやめない?」

止まる。

「ダメだ、それだけはいくら亜美ちゃんのお願いでも聞けない」

六歩。

「お願いだよ兄(C)、亜美のいっしょ→を兄(C)に捧げるから!
 このまま二人で一緒に何処かで暮らそうよ、ね?」

止まる。

「断る。僕は亜美ちゃんとならまだしも、お前なんかに付き合う気は無いね」


七歩。

「ねえ兄(C)?」

八歩。

「……助けてよ……」

九歩。

それは涙だった。
恐らくは蜘蛛の演技でも何でもない、亜美ちゃん自身の本音。

「当たり前だよ亜美ちゃん、僕を誰だと思ってるんだ」

十歩。

踏み込むと同時に心渡を薙いだ。心渡の刃が亜美ちゃんの身体を一閃する。
怪異のみを斬る刀は亜美ちゃんの身体を傷付けることなく、蜘蛛を斬り捨てた。

「僕は亜美ちゃんのプロデューサーだ。それに――」

部屋 の蜘蛛の巣が解除されると同時に、亜美ちゃんの身体が服諸共元に戻って行く。
気絶した亜美ちゃんの身体を抱え上げ、心渡を地面に突き立てる。

「忍」

無言で影から出てきた忍は、心渡を飲み込んで体内へと仕舞うと、視線だけを交わしそのまま何も言わずに戻って行った。

僕と忍はリンクしている。
きっと同じ心象だったのだろう。

僕が人生を共にする相手は――一人だけで充分だ。



005


後日談というか、今回のオチ。

あの後いつの間にか姿を消した貝木の行方は杳として知れない。
こちらとしても一生会いたくはないから結構なのだが、律儀にもサインとストールの送り先である郵便局と宛名をきっちりとメモに残して行った辺りは抜け目のない奴だった。
逃げたのも責任の追求を避けるためだろう。
元凶はあいつなんだから、せめてもの抵抗として送料着払いで送ってやった。
これを最後に二度と会わなければいいのだけれど。

火憐ちゃんと月火ちゃんは遊んでる途中で寝ちゃった、程度の認識で済んでいた。良かったバカで。
二人は日課の僕を叩き起こすことを終えると、たまには帰ってきなよ、なんてらしくない事を言って帰って行った。

そしてその日、事務所に着くなり亜美ちゃんと真美ちゃんがいた。
休日とは言えこの二人がこんなに早くにいるのは珍しいことだ。


「あれ? 今日撮影か何かだっけ?」

「違うよ、ちょっと兄(C)にお礼言おうかと思ってさ→」

「お礼?」

「二人ともお世話になっちゃったからね→」

ああ、昨日の蜘蛛とこの間の櫛のことか。

櫛に関しては事故みたいなものだし、蜘蛛は完全に貝木のせいだ。
両方ともお礼を言われるほどの事でもない。

「いいよ、そんなの」

「でもカリは返さないとギリとニンジャの世界じゃ生きていけないってゆきぴょんが……」

義理と……忍者?
ああ、人情か。
しかし萩原も古い言い回しが好きなんだな。
確かに萩原は一歩引いて男性を立てる、古き良き大和撫子って感じだし、言われてみれば似合ってる気もする。

僕は忍にそうするように、二人の頭を撫でてやる。

「その二人の気持ちだけで嬉しいよ。ありがとう」

何も僕はやましい気持ちがあって二人を助けた訳じゃない。
ましてや褒めてもらおうとか、何か見返りを求めてやったことではないのだ。
ただの自己満足かも知れないが、僕はそういう生き方をすると決めている。

「えへへ……」

「兄(C)、真美ちょっと見直したよ」

そんな僕の想いが伝わったのか、亜美ちゃんと真美ちゃんは歯を見せて笑ってくれた。

ちょっと大変な思いはしたけれど、いい想い出には決してならないけれど、彼女たちの笑顔がこうしてまた見られるのなら、それでいいじゃないか。

お金よりも名誉よりも大事なものは確かにここにあるんだから。


「そっか→、でも残念ですなぁ」

「ん?」

「兄(C)の言うこと、一個だけなんでも聞いてあげようと思ったんだけどな→」

「えっマジで!? やったあ!!」

「!?」

即答だった。

僕はかつて羽川に『なんでも言う事を聞くから』と言われた時と同じ、いや今回は二人だから二倍のテンションでひとり盛り上がった。

いやいや! 二人は更に人が憧れる上にそう簡単には触れられないアイドル!

相乗効果で更に二倍! 四倍だよ! 四倍萌え!

あの赤い人でさえ三倍だったのに!

「ようし! これは二度とあの過ちを犯さぬよう熟考する必要があるぞ。冷静になるんだ、僕!」

「あ、あの兄(C)?」

「もしも→し?」

「うるさいな、誰だね君達は。お兄さんは今重要な考え事で忙しいんだよ」

「亜美たちのこと忘れてる!?」

「たった一瞬で!?」


「さて、どうするべきか……やはり願いを増やせとか永続的な願いはダメだとして……亜美ちゃんと真美ちゃんにしか出来ないこと……魅力……なんだ?
 くそっ、なんでこういう時に即時にベストアンサーが浮かばないんだ!
 僕の脳みそは何のためにあるんだよ!
 今最適な答えを出すためにあるんじゃないのか!?」

「亜美……真美たちはああいう大人にならないようにしようね……」

「そだね……さすが兄(C)だ、亜美たち に身をもって教えてくれたよ……」

直接的なセクハラは倫理的にアウトだし、かと言って中学生に何でも言うことを聞かせるなんて機会、僕の人生においてこの先あるとは思えない……!
ギリギリな線での合法かつ美味しいお願いって何だ……?

……そうだ!

「ちょっと待っててくれ、二人とも」

「?」

僕は咄嗟に名案を思い付くと、財布を握り締めて事務所を飛び出したのだった。


息も絶え絶えに事務所に戻る頃には、三十分が経っていた。

「……なにこれ」

「み、見ればわかるだろう……バナナ、だ……」

しかもフィリピンの高山で取れた三本で898円の超高級バナナだ。
何だよバナナのくせに一本300円って。
バナナの癖に生意気すぎるだろ。
しかも昨日、貝木に財布の中身を空にされたから銀行からわざわざ降ろし、まだ開店してなかった八百屋の戸を叩いてまで買って来たのだ。
もうあの八百屋には行けないが致し方あるまい。

「これ食べていいの?」

「無論だ、その為に買って来た」

「……兄(C)、なに企んでるの?」

「何の話だね?」

「いや、願い事でただバナナ食べろっておかしいじゃん?」

「いいじゃないかバナナ。エネルギー補給にも最適で安価、十秒チャージで時間と戦うサラリーマンの味方だ」

いつも頑張ってくれ ている二人にご褒美だよ、とそれっぽい建前を並べる。
まあこのバナナは高級品だけど、そこは僕の微かな罪悪感が買わせたものだ。


「う→ん、ま、いっか」

「一本300円のバナナってのも食べてみたいしね!」

かかりやがった、バカめ!

バカめなのはどう考えても僕なのだが、ここで無難なお願いをする阿良々木は阿良々木ではないわ!

皮を剥いて、実を食べ始める二人。

ああ――遂に僕に春が来たんだな。

素晴らしい。脳内フォルダに死ぬまで保存しておこう。
フフ……これで阿良々木軍は後十年は戦える。

ただ単にバナナを食べるだけではない、そういう意図を持って見るだけでこうも世界は変わるものなのだ。
何も映像に残そうとかそんな非道を行うつもりはない。
いたいけな少女がバナナを食べる様子を慈愛に満ちた視線で見守る――これこそ紳士の振る舞いだ。
少女に意味もなくバナナを食べさせている時点で非道と言えなくもないが。

「なにコレ! ちょ→おいしい!」

「ホントだ!」

そんなに美味しいのか。
僕もちょっも興味が出たので残りの一本を食べてみる。
二人の言う通り、抑えられた甘味と芳醇なバナナの風味が味覚と鼻腔をくすぐる。
それでいて繊細で緻密なバランスによって、料理において食材の一端となりがちな果物を立派なデザートに仕立て上げていた。

そう言えば、ひたぎとの邂逅の折、階段から足を踏み外した理由がバナナの皮で滑ったからとか言っていたっけ。
そういう意味ではバナナは僕にとって縁のあるものなのかも知れない。


「おっはようございまーす!」

と、天海が出勤してくる。
割かし事務所から離れた場所に住んでいる天海は出勤が早いのだ。

「おう、おはよう天海」

バナナにかぶり付きながら天 海を迎える。
天海は僕たちの姿を見るなり疑問符を頭上に浮かべていた。

「……朝から何やってるんですか?」

「バナナを食べている」

「はあ……」

よく分からないですね、と首を傾げる。
まあ三人揃って朝から事務所でバナナ食べていたら違和感ばっちりなのかも知れない。

「兄(C)が四の五の言わずにバナナを食べるんだ!って」

「しかもわざわざダッシュで買ってきたんだよ」

「ちょっ、二人とも!」

しまった、双海姉妹に口止めするのを忘れていた!

それを聞いた天海は、超がつくジト目で僕を見ている。
セリフがつくなら『うわぁ……』って感じだ。


「プロデューサーさん……これはないですよ流石に……」

天海ももう高校生だ、意図を理解してしまったのだろう。
心底呆れた風な顔だった。

「あ、天海……あのな」

「プロデューサーさん、バナナをくわえたまま目を閉じてください」

「え?」

「早く」

「は、はい」

反論の余地すらなく天海に従う。

「眉を寄せて」

「ほ、ほうは?」

と、シャッターを切る音が聞こえる。
驚いて目を開けると天海が僕の姿を写メに撮っていた。

「罰です。また同じようなことをしたら、gimpで加工して小鳥さんに送ります」

「それだけはやめてください!」

余談として、あの後貝木に送り付けたアイドル達のサインがネットオークション等で売られたという事実は、こまめに検索しているが未だ発見されていない。

きっと手渡しで直接ファンに売っているか、アイドル達の人気がもっと上昇するのを待って、価値の高騰を計っているに違いないのだろう。




あみスパイダー END

読んでくれた方、ありがとうごぜーました。

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