速水奏「眠り姫には口づけを」 (26)




速水奏「ねぇ、Pさん」

奏「私、待ってるから」

奏(そう言ったのはほんの5時間くらい前のことで)


---


――事務所

千川ちひろ「じゃあ、本当に、帰ってしまって大丈夫ですか?」

奏「はい、大丈夫です。こちらこそ、我がまま言ってしまってごめんなさい」

ちひろ「それはいいですけど……帰りはちゃんと送ってもらうか、タクシーでも大丈夫ですので」

奏「ええ。ひとりでは帰らないようにしますから」

ちひろ「というかプロデューサーさん、ちゃんと帰ってくるか聞いています?」

奏「一応、連絡はしているので…… ちゃんとお祝いしてもらわないといけないもの」

ちひろ「それはまあ、そうかもですが……」


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ちひろ「奏さんなら、お友達に囲まれて過ごすかと思っていました」

奏「誕生日が18回もあれば、一人で過ごす回があってもいいかなって思ったの」

ちひろ「そういうのは、20回以降でいいんですよ」

奏「なるほど……それじゃあ私、ちょっと背伸びしているのかもしれないわね」

ちひろ「それは少し違うような……」

奏「ふふっ…… それにほら、この方がふたりきりになった時に、気分に浸れそうでしょう?」

ちひろ「……個々人の気持ちには口出ししないですが……男の人をあまりからかいすぎないでくださいね」

ちひろ「奏さんはその傾向が強いですから。度を過ぎるとPさんでも……なんてことがあるかもしれませんよ」

ちひろ「そうかしら? ふふ、そうかも」


奏「もしかして、心配されています?」

ちひろ「それはそうですよ。売れっ子アイドルとプロデューサーのスキャンダルとか、想像するだけでも恐ろしいんですから」

奏「ふぅん。それもありかしら、なんて思っていたけど……」

ちひろ「勘弁してください、お願いですから~……」

奏「ふふ。そこまで言われたら、無碍にはできないわね」

奏「でも…… 本当にそう言うことする子だって、思われているのかしら?」

ちひろ「そんなことは…… でも、万が一ということも」

奏「無いと思うわ。だって、そこまでの度胸は無いもの」

ちひろ「……プロデューサーさんが?」

奏「いいえ、私が」

ちひろ「あら、まあ」

奏「?」

ちひろ「いえ。思ったより……ご自身を冷静に見ているなと」

奏「そうね…… 少し前まではそんな余裕もなかったけど」

奏「ここ最近は、ポーズで塗り固めなくてもいいんだなって、思うようになったかもしれないわ」


ちひろ「それを聴いて、少し安心しました」

奏「そう? なら良かった」

ちひろ「釘は刺しておいたので、あとはもうお任せします」

ちひろ「では奏さん、ごゆっくり」

奏「ええ。ちひろさんも、お気を付けて。お疲れさまです」

ちひろ「お疲れさまです」

パタン

奏「……」

奏(さて)


(改めて、この部屋はしばらく私の空間になる)

「独り暮らししたら、こんな感じなのかしら」

(仕事のデスクに、ソファ、ローテーブル。窓のブラインドはもう降りていて)

(テレビもあるけど、今日の映画は何をやっていたかな)

「……」

(待っている)

(そう言ったのはほんの5時間くらい前のこと)

(今日は学校へ行って、いつも通り過ごして)

(学校でも、ファンだという下級生から贈り物を貰ったりして)

(学校が終わってからは、美嘉の生配信ラジオのゲストに呼ばれ、誕生日を祝われた)

『今日はこのあと、友達に祝ってもらう予定よ』

(なんて、喋って)

「……あーあ」

(嘘をついて、こんな時間を過ごして)

(いつの間にこんなに、悪い子になっちゃったのかしら)

(全部あの人のせいにできたらいいのに)

「なんてね」


「それでは」

ピッ

(あの人が帰ってくるまで)

(独りきりの映画鑑賞と洒落こみましょう)

「ああ、このシリーズね」

---

ジャーン

「……」

(エンドロールまで2時間)

(長かったような、あっという間だったような)

(エンターテイメントに振った作品だから、ようよう間が持ったようなもので)

(フランス映画だったら詰んでいたかしら)

チラ

「11時、5分」

(……)

「ふぅ」


(嘘をついてまでして得た時間だったけど)

(あの人はまだ帰っていない)

(メッセージアプリの画面は動かない)

(遅くなるという連絡は、ちひろさんが帰る前にきたけど)

(私はそれに、はい、とだけ答えて……メッセージには、既読がついているだけ)

(だから、Pさんと連絡しているっていうのは嘘じゃない)

(けれど、Pさんが事務所に帰ってくるというか確証も無い)

「……」

(あの人は、直帰するかしら)

(でも言ったものね)

(待っているって)


(家族でも友達でもない)

(独りの時間が一番長い、誕生日)

(大人になると増えるのかしら)

(SNSアプリは、と……)

「わ…… ふふっ」

(ネットを見れば、今日だけは主役になったような騒ぎで、私を祝う声はどこまでも尽きることない)

(アイドルをやっていなければ、こんな人数に祝われることもなかっただろう)

(そして、あの人に出会うこともなく、ましてや)

「……」

(あの人に祝ってほしいという、ささやかな願いも持つことは無かった)


(時刻の表示は遅々として進まず)

「ふぁ ぁ……」

(コーヒーでも飲むかな……)

(サンタクロースを待つような心持ちとは裏腹に)

(ソファに深く腰掛けると、一日の疲労が覆いかぶさってくる)

「……」

(ああ、瞼が重い)

(だめ、起きていたいのに)

(私の意地は)

(微睡みに融けていく)



---



「……」

「……ん……」


奏「あ……」

奏(……何時……?)

奏(0時、15分)

奏「……」

奏「はぁ……」

奏「帰ってきていたなら、起こしてくれたらよかったのに」

モバP(以下P)「うん。……おはよう」

奏(変わらない声。変わらない姿で。その人は向かいのソファに座っていた)

P「すまない、結構しっかり寝ていたみたいだから…… 眠り姫を起こすのは忍びないなって」

奏「あら。眠り姫は、キスで起きるものなのに」


P「ゆっくり休んでもらうために、起こして帰しても良かったんだけれど」

奏「けれど?」

P「寝顔を見ていたかったって言ったら、怒るかな」

奏「それは、怒れないわね」

P「はは……本当は、ちょっと違う」

奏「……」

P「この部屋で、奏が待っていたから」

P「寝ながら、俺を待っていた。なんか……起こせなかった」

奏「そう。……ちょっと、分かるかも」

「遅くなってすまない」

奏「仕事だもの。仕方ないでしょう」

P「間に合わなかったな」

奏「でも、来てくれた」

P「……」

奏「私が帰っているかもって、思わなかった?」


P「あんな電話貰ったら……メッセージでも、帰っている気がしなかったから」

P「じゃあ、待っているんだろうなって」


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prrrrr

P「はい、お疲れさまです…… ああ、奏か」

奏『お疲れさま。これからラジオのゲスト……うん、いま移動中』

P「わかった。特に問題なければ、連絡はいいよ」

奏『分かったわ。……ねぇ、今日は……』

奏『会えるかしら』

P「今日か……? このあと、地上波の企画会議で出席する必要があってな」

P「局で長時間になりそうだから、正直かなり遅いんだ」

奏『そう……』

P「だからいま言っておくよ、奏。誕……」

奏『言わないで』

P「え?」

奏『それは、会った時に聞きたいの』

P「……」


P「そうか……じゃあ」

奏『ねぇ、Pさん』

奏『私、待ってるから』

P「え?」

奏『待ってる。事務所で』

奏『Pさんが戻ってくるの』


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奏「……電話口だけで済まされるなんて、嫌だったから」

P「うん。……最近はそういうの、素直に口にするようになったよなぁ」

奏「前の方が良かった?」

P「そうだなぁ。……どっちでも変わらないんじゃないか」

奏「そうなの?」

P「どっちでも、俺を困らせるのには変わりない」

奏「そうね、そうかも」

P「でも、口にしてくれる分、安心できる」

奏「そう…… じゃあ、少しはいい方向に成長できているのかしらね」

P「だろうな」

P「奏のことだからそんなに心配はしていないんだけど……ご両親にはどう説明してあるんだ?」

奏「友達の家でパーティー」

P「言い訳でよくあるやつ」

奏「そうね。もしバレても構わないって思っていたし」

P「それで男と密会は、バレたら困るな」

奏「そこはあなた次第かしら」

奏「……ねぇ」

P「ん? ……ああ、遅くなっちゃったな」

奏「誕生日おめでとう」

P「ありがとう」

奏「ね。何か用意していただけたのかしら」


P「あれ……ちひろさん、渡してなかったのか」

奏「ちひろさん?」

P「渡すものだけはって思って、預けておいたんだけどな……えーっと……」

奏「……」

奏「……あの人も、良い性格してるわ……」

P「え?」

奏「ううん、なんでも」

P「あ…… 先に、事務所に届いたファンレターとプレゼント」

奏「あら」

P「目は通してあるから、それらは持って帰って大丈夫」

奏「ふぅん」

ガサガサ

奏「あ…… ふふ、女性のファンも多くなったわね」

奏「ね、手紙にキスマークまで」

P「あー、あったな」ゴソゴソ

奏「映画のディスクはまぁ嬉しいけど……サメが多いのは何故」


P「ちひろさん、どこに置いたんだ……うーん、と…… これだ」

奏「あった?」

P「ああ」

コト

P「どうぞ」

奏「ありがとう。開けても?」

P「うん」

ガサッ

奏「……」

P「少しは考えたんだけど……それにした」

奏「……香水」

奏「……」

奏「ねぇ。独占欲の意味があるの、御存じ?」

P「知ってる」

奏「!」

P「そういう意味じゃないと断ったうえで」

奏「……?」

P「それが似合う女になってほしい」


奏「……」

奏「酷いこと言うのね。これもプロデュースの一環ってこと?」

P「拗ねないでくれよ。10割仕事ってつもりもない」

P「仕事している間柄だからこその、個人的な……」

P「……最初のファンからの、プレゼントってことで受け取ってほしい」

奏「……」

奏「個人的な、ね」

P「ああ。……まあ、奏のファン、香水とかコスメとか贈ってくれるから、事欠かないとは思うけど」

P「そういうことも全部考えて、それでもやっぱり、これにした」

奏「そう……」

奏「わかった」

奏「受け取るわ、Pさん。ありがとう」

P「どういたしまして」


奏「ねぇ」

奏「香水、付けてくださらない?」

P「……まぁ」

P「それくらいいいか。誕生日だし」

奏「ええ。もう終わってしまった誕生日だもの」

奏「これくらいの埋め合わせは、ね」

P「ああ」

カチャ

奏「どこに付けるのがお好き?」

奏「手首か、首筋か。それとも胸?」

P「霧吹きならもう少し気軽に吹けるんだけどな…… 手に出して」

チャパ

P「触れるよ」

ピタ

奏「んっ」

P「耳の後ろは強く香るから、少しでいい」


P「どうだ?」

奏「……」

奏「……この香り」

奏「どう感じて、どう考えてみても」

奏「高校生の私がつけるには早すぎるわね」

奏「この香りが、あなたの理想の女性?」

P「それを訊かれると、少し困るな」

奏「そうね。困らせてるかも」

P「……理想のアイドルだ」

P「いつかなれる、君のアイドル像」

奏「……」

P「でも、速水奏はそのままでいい」

P「高校生とは思えないほど大人びて見えて、背伸びをして」

P「最近は相応にはしゃいでみせたりして」

P「奏はそのまま、君の望む自分になっていい」

P「それが俺の理想の、速水奏だ」

P「その時にもしこの香水が似合っていたら、嬉しいだろうけどな」


奏「う……」

P「……うん?」

奏「……愛の告白よりも緊張する言葉を貰った気分よ」

P「遅れた分の埋め合わせにはなったかな」

奏「そうね…… ……愛の告白の方は、くれないの?」

P「勘弁してくれよ」

奏「ふふっ……わかった。それはとって置いてもらうわ」

P「在庫あるかもわからないぞ」

奏「そう?」

P「ああ」

奏「ふふ…… でも、いつかは答えてくれるわ」

P「いつか?」

奏「そう。ねぇ、Pさん」


奏「私もあなたを待ったのだから、あなたも待っていてね」

奏「この香りが似合う女になってみせるまで」

P「……俺が待たせたのは、数時間だった気がするけど……」

P「まぁ」

P「待っているよ。何年でも」

奏「その時は、次こそ起こしてくれる?」

P「それは……キスで?」

奏「だって、この香水が似合う女になっているんだもの」

奏「答えてくれるでしょう?」

ギシッ

P「お、おい……」


 (Pさんの膝に正面から、腰を落として向かい合わせに座ると)

 (私の方が顔の位置が高くなる)

奏「ね?」

P「……参ったな」

奏(あなたは少し俯いて 笑うように息を吐いた)

P「ああ」

P「分かった」

 (それがくすぐったくて)

ギュッ

奏「香水、ちゃんと嗅げる?」

P「……少し、付け過ぎた」

奏「ふふっ」

 (私も笑ってごまかした)


奏「さて、この後はどうしようかしら」

P「うん? 奏を家に送って……」

奏「あら、ダメよ。私いま、友達の家でパーティーしているんだから」

P「……ん? あ、泊まりって言ってあるのか!」

奏「ええ」

P「……あー……こっちを心配するべきだったか……」

P「どうしたもんか……」

奏「どうしましょう。どこに連れていってくれるの?」

P「……深夜なら、カラオケも映画館もダメじゃないか……」

奏「じゃあ、Pさんの家とか?」

P「あまり魅力的な提案はしないでくれ」


奏「じゃあ、あなたの魅力的な提案は、どんなの?」

P「……」

P「……そうだな……」

奏「……」

P「少し寝よう」

奏「え? ……寝るの?」

P「ああ。それで、夜明けの海を見に行こう」

奏「!」

P「どこかでモーニングを取って、そしたら奏を家に送る」

P「どうだ?」

奏「……うん。それは魅力的ね。ところで」

奏「このまま寝ていいのかしら?」

ギュゥ

P「俺が寝られないからやめて」


奏「ねぇ、Pさん」

P「ん?」

奏「眠り姫のお話ね」

P「え? ああ」

奏「キスで起こしてくれるのは素敵だと思うし、いずれ叶って欲しいと思うけど……」

奏「やっぱり私ね」

奏「シンデレラがいい」

P「……」

奏「眠り姫には口づけを。シンデレラには?」

P「ガラスの靴を」

奏「……お願いしたら、届けてくれる?」

P「……ああ」

P「履かせにいくよ」

奏「うん」

奏「ありがとう」

奏「……我がままを言うなら……」

奏「今日だけは」

奏「12時過ぎても解けない魔法がいいわ」






おわり






お読み頂きありがとうございました。
4年ほど、毎年誕生日に書いていたので、今回は間に合わなかった誕生日を書いてみたくなりました。
結果甘さ2割増しくらいになった気がします。
奏、誕生日おめでとう。



過去の奏SSです。よろしければどうぞ。

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