【モバマス】「高垣楓とOwlのワルツ」 (189)
このSSは
速水奏「虚像と実像と偶像」
http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/kako/1386936344
北条加蓮「幸福なお伽噺」
http://ex14.vip2ch.com/test/mread.cgi/news4ssnip/kako/1387887733
と関連性があります
読まなくても問題ありません
※
・オッドアイに関して言及
・765アイドルネタ
・微量の独自設定
を含みます
これらが苦手な方はご注意下さい
SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1391865427
「いいよー楓ちゃん。次はカメラの方に目線お願い」
カメラマンの声が、静かで肌寒い公園に響きます
私がその声に応えて無機質な一つ眼へと視線を送ると、これまた無機質なシャッター音が鳴りました
カメラが入ってきた当時は、写真と共に‘魂を取られる’と信じられていたらしいです
もしそれが本当なら、私はとっくの昔に死んでいるでしょう
いや、それは本当で、既に‘私’は死んでいるのかもしれません
スカウトされてなんとなく始めたモデル業も今年で五年目を迎えました
最初の数年こそ新しいことの連続でやりがいに満ち溢れていましたが、慣れとは恐いもので、今では日常の連続にしか思えなくなっています
業界が造り出した流行の服を着て写真を撮る
季節毎に様々な変化やイベントこそ有るものの、結局のところそれの繰り返しです
そこに私の意思はありません
『っくしゅん…!』
ちょぴり冷たい風が服を素通りします
春物特集なのですから生地が薄いのは仕方ない
発売日に合わせるために、冬の気配が残るこの時期に撮ることも納得できます
でも、私じゃなくてもいいじゃないか
モデルの仕事は服が主役であって、服の魅力を引き出せるのなら誰でもいいんじゃないだろうか
こんな考えが浮かぶのも、きっとこの肌寒さのせいです
明日は暖かくなるのかな
なんとなく空を見上げます
目に入ったのは、固く閉ざされた桜の蕾と澄み渡る青い空
「いいね、楓ちゃん。手も挙げてみよっか」
そうだ、撮影中だった
真面目にこなさなくては
従順な人形にならなくては
「うん、これぐらいでいいかな。お疲れさま」
『ありがとうございました』
あっけなく終わってしまいました
あとは撤収して、事務所に報告をして、やっと解放されます
今晩はどこで呑もうかな
すっかり事務所の近くの居酒屋は顔馴染み
毎日この時間を楽しみに生活しているようなものです
「楓さん、車の準備できましたよ」
マネージャーさんを待たせていました
早く報告して帰りたい
年甲斐もなくうきうきします
マネージャーさんは運転中にラジオを流します
何もない社用車に流れてきたのは二人の少女の声
「はい、次のコーナーにいきましょう!次は“発見!!金の卵”!」
「このコーナーは、あらゆる分野で活躍が期待される新人さんをゲストにお招きしてお話を伺う、というものです」
「なんとっ!今日は私たちと同じアイドルの方がゲストです!」
今では不動のトップアイドルとなった天海春香と、孤高の歌姫と呼ばれる如月千早がパーソナリティを努める‘はるちはラジオ’だ
「それでは自己紹介をお願いします」
「はい!皆さん初めまして、島村卯月です!よろしくお願いします!」
「はい、よろしくお願いします」
「ねぇ、千早ちゃん。私、何となく親近感を覚えるよ」
「ええ、そうね。言いたいことは分かるわ。どこが似てるかは分からないけど」
「そんなっ!私なんかが春香さんと似てるだなんて…」
「……ねぇ、卯月ちゃん。“無個性”って言われない?」
「え、はい…よく言われますが…」
「そこだよ!私達が似てるの!」
「案外簡単に見つかったわね、共通点」
「卯月ちゃん!今日は何でも相談してね!一緒に頑張ろう!」
「はい!」
‘個性’
モデルに要らなくて、アイドルに必要な要素
モデルの中で、私の個性はとても強い方です
そもそも、人類においてオッドアイを持つ者は極少数
そのオッドアイを持つ私がモデルで、無個性に悩む少女がアイドルとは何と皮肉なことでしょう
しかも、そのオッドアイがアイドルとは真逆の性格に造り上げたというのですから、自嘲めいた笑みも自然と溢れます
オッドアイは必ず好奇の目に晒されます
それが幼児であろうと成人であろうと
ある者は綺麗だと誉め、ある者は訝しげな態度をとります
どちらであろうと、視線を集めることにかわりはありません
私も例外ではなく、その視線を煩わしく思い、いつしか他人からの干渉を拒むようになりました
周りの言葉を拒絶して、安全な殻に隠れたまま成長した人間は、他人に意思を伝えるのが苦手になります
精神的な引きこもりという表現が合うかもしれません
意思さえ上手く伝わらないのに、夢を与えるなんて無理な話
意思の要らないモデルには打ってつけですが
「楓さん、着きましたよ」
マネージャーの声で事務所の駐車場にいることに気がつきました
思いの外、考え込んでたようです
#
事務所への報告を終えて帰路につきます
街の灯りが季節外れのイルミネーションのようで、呑んでないのにほろ酔い気分
そんないい気分も、すぐに冷たい風に吹き飛ばされてしまいました
夜の冷え込みは冬と大差なく、まだまだコートが手放せません
こんな日は、熱燗に限る
最近見つけた、隠れ家的なお店に行くことに決めました
今日も今日とて一人酒
人と呑んだ経験は数えるほどしかありません
自分のペースで呑める一人酒の方が性に合うのです
そんな私にとって隠れた名店というのは凄くありがたい
この店も、路地の奥まったところにありますが、日本酒を専門に扱っており種類も豊富です
引き戸を開けると大将の男前な声が飛んできました
この雰囲気も、たまらない
カウンター席に座り、お気に入りのを注文して、ツマミで迷いました
「鮟鱇なんかどうですか?そろそろ旬も終わってしまいますよ」
突然の声に狼狽える
大将じゃない
隣に座っていた男性から声を掛けられたようです
「高垣楓さんですね?初めまして、CGプロのPと申します」
彼は私に名刺を押しつけながら名乗りました
不審者ではあるが、同業者らしい
CGプロと言えば、さっきのラジオに出てた島村卯月の事務所のはず
アイドル事務所の人が私に何の用なのか
そもそも何故私の名前を?
「だいぶ困惑されていますね」
いい笑顔で言われた
『CGプロのプロデューサーさんが、何の御用でしょうか』
「あれ?CGプロとそちらで移籍交渉が行われているのはご存知ないですか?」
なんですか、それは
初耳です
「…その様子だとご存知無いようですね。秘密だったのかな。あちゃー…」
「このこと、内緒でお願いしますね」
それは無理なお話で
お酒の席に秘密は無し
『内緒にしますから、詳しく教えていただけませんか?』
我ながら、狡い頼み方
「あー…、はい。まぁ、いずれ知ることですし」
「近々、そちらからCGプロに二名ほど移籍する事で話が進んでいるんです」
「そのうちの一人が貴女、高垣楓さんです」
大体読めてたけど、はっきり言われるとまた違います
「そして、貴女を担当するのが私です。今日は挨拶をしておこうと思いまして」
『私はアイドルになるということですか?』
「アイドルでも女優でも歌手でも、もちろん今まで通りモデルでも、高垣さんが望むならできますよ」
「けど、」
「今日の撮影を見させてもらって考えが変わりました」
「貴女はアイドルをやるべきです」
今日の、見てたんですか
『あの、お言葉ですが、私考えとか伝えるのが苦手で……アイドルはちょっと…』
「ん-……」
「確かに、意見や考えは口に出して伝えるものですが、」
「アイドルが売るのは想いや夢」
「それらは、伝わるものです」
酔ってるのかな、この人
「そんな胡散臭そうな顔しないでください」
表情に出てましたか
『どうしてアイドルなんですか?』
「もったいないから、です」
もったいない…?
「その表情です。そんなに様々な表情があるのに、今日見せて貰ったのは天気の事でも考えているような表情だけ」
惜しい、ハズレです
「貴女はもっと自分を知るべきなんです」
「モデルとして求められる“高垣楓”だけでなく、高垣楓を知るべきです」
「そうすれば、考えも伝えやすくなりますよ」
お酒が来ました
しかし、まだツマミを頼んでいません
「おっと、すみません。つい話し込んでしまいました」
「それじゃあ、おつまみに烏賊はいかがですか?」
『ンフッ』
酔ってますよね
「やっと笑った」
なんでドヤ顔なんですか
少し、アイドルに興味が湧きました
レスと画像ありがとうございます
#
あの日から三日が経ちました
今日は社長から呼ばれています
『失礼します』
「おお、来たね」
座るように促され、ふかふかのソファーに腰掛けます
「今日は大事な話がある」
内容は予想通り
「移籍、ですか」
「うむ、うちとしては君を手放したくはないんだが…あちらさんがどうしても、ということでな。なに、新興プロダクションではあるが――
社長のつまらないお話は止まりません
どこか言い訳でもするような口調よりも、口元のソースが気になります
あ、今日の晩御飯どうしよう
作り置きのは今朝食べちゃったし
一人暮らしは何かと大変です
そんなことを考えていたら話は終わっていて
その後、マネージャーから細かい事務的な話を聞き、この日は解散となりました
#
CGプロでの担当者と対面する日
「初めまして、CGプロのPと申します」
彼は素知らぬ顔で同じ挨拶をしてきます
『初めまして、高垣楓です』
CGプロではスカウトした人が担当するとか
ということは、私はPさんに選ばれたようです
意味の無い対面は滞りなく終わり、後は書類上の移籍日を待つのみ
彼に連れられてCGプロへ見学に向かいます
「CGプロに関して大まかな説明をしてしまいますね」
移動の車内で、後部座席に座る私に話し掛けてきました
「CGプロは三つのプロダクションが合併して成立した芸能事務所です。芸能事務所となってますがアイドル事務所ですね」
「もちろん、先日述べた通り、希望とあらば女優やモデルもできます。まだ誰もいませんが…」
「アイドル部門に関しましては、所属アイドルを性格や容姿に基づいて三つのグループ、cute・cool・passionに分けて活動しています」
「どこに属するかは話し合って決めましょう」
「さぁ、着きましたよ」
「CGプロへようこそ」
#
目の前にそびえ立つのは大きなビル
とても新興プロダクションとは思えない規模です
「事務所としての機能以外にアイドルの為の設備が充実していますからね。大きくならざるを得なかったんです」
どんな設備があるんだろう
「トレーニングルーム等の仕事に直接関係する物からカフェやエステルーム、シャワー室に併設してサウナまでありますよ」
ほー、芸能事務所とは思えない設備
もはや娯楽施設です
『あ、あの…温泉は…?』
「流石に温泉は無いですね」
……そうですか
「温泉、お好きなんですか?」
はい、それはもう
「よし、そういうことも含めてプロフィール作りをしましょう」
『前の事務所からそういう資料は貰っていないんですか?』
「ええ、基礎的な身長や体重のデータは受け取りましたがそれしかないんですよ」
それ以外の情報を欲しているようです
「うちは本人の個性をそのまま売り込む方針なので、趣味や好みを最大限に生かしたいんです」
「そのために詳細なプロフィールを作っています」
私を売り込む
改めてモデルからアイドルに転身したことを実感させられます
#
「ええっと…一応確認しますね。和歌山県出身、年齢は23歳、身長171cm、体重49kg、スリーサイズ81-57-83。これらを計ったのは約一年前」
『はい』
前の事務所からのデータを読み上げる
「そして誕生日は6月14日、星座は双子座、血液型がAB型で左利き。趣味は温泉めぐり」
新しく付け加えられたデータ?も読み上げる
「お酒は?」
『好きですよ。特に日本酒』
「それも加えときましょう」
また一つ増えた
「それでは、次にグループ選択…」
……?
「……の前に一つ確認です」
「アイドルでいいんですね?」
そう、私はアイドルになるのだ
流されるようにここまで来てしまったが、これが私の行く末を決める最終選択だろう
正直不安だらけ
年齢や表現力に関しては尚更
でも、これ以上モデルを続けても無機質な、変わらない日常が続くだけ
いや、いずれそれさえ崩壊する
ならば、変えなくては
他の生き方を知らない私は、この機会を逃すわけにはいかない
『はい』
「分かりました」
「それでグループなんですが、高垣さんには歌や演技を中心としたCoolをお勧めします」
『PassionやCuteは…?』
「Passionは持ち前の運動能力や明るさを生かしてバラエティ方面。Cuteは王道アイドルといったところです」
その選択肢ならCool以外は無理です
「消去法でCoolを勧めた訳ではありません」
「高垣さんは綺麗な声をしています」
「歌手に向いていると思いますよ」
そうなのだろうか
『そういう事なら、Coolでお願いします』
#
まさか、初日に後悔するとは
成り行きとはいえ、アイドルを選択した私を恨みます
移籍後初めてのレッスンを、Pさんの担当するもう一人のアイドルである渋谷凛ちゃんと行いました
彼曰く、“手っ取り早くアイドルが分かる”から
ええ、分かりましたとも
ヴォーカルにおいても、ダンスにおいても桁違い
これでまだ新人だと言うのだから目眩がする
「大丈夫ですか?」
ダンスレッスンでへばった私を気遣ってくれる
十歳下の彼女が眩しい
『え、えぇ……なんとか』
「プロデューサー」
「うん、高垣さんのレッスンはこれで終了です。凛は二人が来るまで休憩しててくれ。身体冷やすなよ」
「わかった。楓さん、立てますか?」
肩を借りて壁際に移動します
「どうでしたか?初めてのレッスンは」
彼がタオルとドリンクを渡しつつ聞いてきます
『ンクッ………疲れました』
なんとも言えぬ味のドリンクです
「モデルとは運動量が違いますからね。これから慣らしていきましょう。ヴォーカルの方は、声量こそ足りませんが、音も安定していてとても良かったですよ」
「この後はここで凛達のレッスンを見学しててください」
さっきも“二人が来るまで”って言ってましたし、誰か来るのでしょう
凛ちゃんは柔軟体操をしながら先程のレッスンのビデオを観ています
余裕の無い表情の私も映っていて情けないやら恥ずかしいやら
そんな私の隣で踊る凛ちゃんは、どこまでもクールな澄まし顔でどこか楽しげ
まさにCoolアイドルです
「「すみません!遅れました!」」
突然レッスンルームの扉が勢い良く開かれました
「おお、やっと来たな。柔軟したら始めるぞ」
「っと…その前に。こちら高垣楓さん。本日付でうちの所属アイドルとなった元モデルさんだ」
彼の紹介を受け、軽く会釈します
「初めまして!本田未央です!よろしくお願いします!」
「初めまして、島村卯月です!一緒に頑張りましょうね!」
『こちらこそよろしくお願いします』
太陽みたいな明るさと純粋な愛らしさをそれぞれ持った二人の少女に少し圧されます
凛ちゃんをCoolの代表格とするなら、PassionとCuteは彼女達なのでしょう
彼が補足説明をします
「凛と卯月と未央はCGプロ初のユニット、“ニュージェネレーション”として売り出しています」
「彼女達がこけたら、恐らくCGプロも消えるでしょうね」
なら、こんな設備投資しなければいいのに
「それ故に、彼女達の実力は中堅以上に鍛えられてます」
そうだったのか
「いやー、そんな誉められちゃ照れるなー」
「準備はすんだのか、未央」
「うん!ばっちし!」
「よし!じゃあ、まず“輝く世界の魔法”を通しでいくぞ。見られてることを意識しろ!」
見直したら独自設定が微量じゃない
ごめんね
#
“手っ取り早くアイドルが分かる”
その言葉を反芻します
凛ちゃん達はレッスン後すぐに、卯月ちゃんのプロデューサーに連れられてラジオ局へ向かいました
「どうでしたか?初めてのレッスンは」
『楽しかったです』
「それは良かった」
事実、楽しかった
今日見せて貰ったのは一曲のダンスのみ
それも、歌は無し
なのに楽しく感じた
凛ちゃんの‘魅せる楽しさ’が
未央ちゃんの‘踊れる喜び’が
卯月ちゃんの‘笑顔にする幸せ’が
混ざりあって、強まって
私を突き動かした
夢や想いは伝わるもの、か
私にできるのだろうか
#
家に帰って、Pさんから教わったストレッチとマッサージを実践
ふと思い出し、ラジオのつまみを回します
「さあて、今日もこのコーナー、“発見!!金の卵”!!」
「このコーナーでは――
裏話も豊富な‘はるちはラジオ’
今日のゲストは彼女達のはず
「それでは、自己紹介をお願いします!」
「はい!ニュージェネレーションの島村卯月です!」
「本田未央です!!」
「渋谷凛です。よろしくお願いします」
「はい、よろしくお願いします」
「これまた三者三様のユニットだね。確かCGプロ初のユニットって聞いたけど」
「はい!そうなんです!」
卯月ちゃんは二回目とあってリラックスした声
半面、凛ちゃんと未央ちゃんは緊張気味かな?
「なんでも、私達を起爆剤にして他の娘も売り出していく、みたいなことをプロデューサーさんが言ってました」
「ほほーう。てことはCGプロには卯月ちゃん達以外にも金の卵が潜んでるということですな」
「そうなんです!今日なんか凛ちゃんのプロデューサーさんが凄い人をスカウトしてきたんですよ!声の綺麗な人で――
「ちょ、ちょっと卯月。そんなことまで言っちゃっていいの?」
ナイスストップ、凛ちゃん
「だーいじょーぶだよ、しぶりん。まだしまむーのプロデューサーさん笑顔だし」
ちょっと、未央ちゃん
「ば、番組的には……」
「どんどんぶっちゃけちゃって!」
……春香さん
「許可も降りたところで、島村さん。その声の綺麗な方はやはり歌手寄りということかしら?」
……千早さんまで
「え?いや、まだ方針とかは決まってないと思いますけど……」
「そう…。私としてはぜひ歌手の方に進んでもらいたいわ」
「千早ちゃん、最近は‘孤高の歌姫’なんて呼ばれてるもんね。ライバル登場かな?」
アイドルになって一日目
いきなり大きな壁が立ちはだかりました
#
翌日、会議室でPさんと打ち合わせです
「お待たせしました」
Pさんがたくさんの書類を抱えて入ってきました
「昨日の疲れは取れましたか?」
『筋肉痛は遅れてやってくるんですよ?』
「まだ二十代でしょうに、何言ってるんですか」
さすがに十代の子達とのレッスンは堪えますよ
「それでですね、今日お呼びしたのは今後の活動方針と初めてのお仕事に関してです」
「昨日のはるちはラジオはお聴きになりましたか?」
『はい。なんか凄いことになってしまって…』
「あれはあんまり気にしないでくださいね。千早さんなりのジョークですから」
「でも実際に、高垣さんには千早さん並の、もしくはそれ以上の歌姫を目指していただきたい。それだけのポテンシャルは秘めていますから」
なんと、まぁ
「すなわち、私としてはヴォーカルを軸として売り出していきたいと考えています」
『私に、できるんでしょうか』
「できます。昨日のレッスンで確信しました」
私はただへろへろになっただけなんですが
「まぁ、昨日の今日で決められないと思いますし、路線変更はいつでもできますので何かあれば言ってくださいね」
「えー、それともう一つ。さっそくお仕事の話です」
たくさんの書類のなかから一つの資料を抜き取って渡してきました
「凛に行かせようと考えてたんですけど、温泉がお好きということだったので、スイーツと温泉巡りの番組を一つ」
凄く行きたいです
「気に入っていただけたようで何よりです。これにはCute所属の三村かなこちゃんもスイーツ担当として一緒に行きます。既に会ってますか?」
『いえ、まだニュージェネレーションの子達としか…』
「それでは、撮影自体は先ですが、後で顔合わせしましょうか。他の所属アイドルとも、まだそんなに人数いませんからすぐに顔合わせできるでしょう」
『はい』
「ここまでで何か質問ありますか」
『あ、あの…歌を中心にということでしたがそういうお仕事は…?』
「まだ先になりますね。きちんと基礎を作ってから歌手デビューと考えています。ドラマや映画の主題歌を取れたら理想的ですね」
彼はきちんと考えてくれていたらしい
私より私の事を考えてくれてるのではないだろうか
『分かりました』
「……」
『どうかされましたか?』
「あ、いえ何でもないです。この後は宣材写真の撮影になります。さっそくスタジオに移動しましょう」
#
まず私服の撮影から
元モデルの意地で滞りなく終わらせる
「いやー、いいね楓さん。P君もどこにこんな逸材隠してたんだい?」
「居酒屋で見つけたんですよ」
「なんじゃそりゃ」
「半分嘘です。モデルさんだったのを引っ張ってきました」
「ああ、なるほどね。どっかで見たことあると思ったよ」
Pさんとカメラマンさんは仲が良いらしい
冗談の言える同業者がいるのは何となく羨ましく感じます
「高垣さん、次はこの衣装でお願いします」
渡されたのは緑を基調としたドレスのような衣装とステッキを模したマイク
スタイリストさんに手伝ってもらって着替えます
このステッキ、とても素敵
そんなこと言えるわけもなく
あとでPさんにでも言おうかな
いや、やめとこう
「おっ、準備できたね。じゃ、早速撮っちゃおっか」
「……」
撮影が始まりました
先程までとは違い、カメラマンさんの指示だけが聞こえます
この感覚、懐かしい
‘私’の居場所だ
おや?
Pさんが赤いカードに何か書いています
「ちょっとすみません」
そのカードを渡してきました
表は赤、橙、黄の混ざったデザインに Kaede の文字
本来、これも小道具の一つなのでしょう
裏をめくると、Pさんの字が
“そのステッキ、素敵ですね”
『ふふっ』
「おっ!いいね、楓さん!ちょっとポーズ取ってみようか!」
またPさんのドヤ顔
なんだか楽しくなってきました
#
「お疲れさまでした。すごく良かったですよ」
撮影を終えて、彼が労いの言葉を掛けてくれます
『ありがとうございます。Pさんは狡いですね』
「さて、何のことでしょうか」
『さぁ?何でしょうね』
「そんな事より、一枚とても良いのがあったので早速印刷して貰いました。これです」
そこに写っているのは、悪戯っ子のように微笑む私
『こんな表情できるんですね』
私が私じゃないみたい
「楽しそうですよね」
『楽しかったですから』
「それは良かった」
『はい、本当に……』
“想いや夢は伝わるもの”ですね
『……こうして見ると、自分はアイドルなんだって実感が沸いてきました』
もう、私は人形なんかじゃない
『ふふっ、今更って感じですけど…。改めてよろしくお願いしますね、Pさん?』
「はい、お任せください。楓さん」
日付越えそうなので酉を
レスありがとうございます
最後までお付き合いいただけたら幸いです
#
今日はついにかな子ちゃんと番組収録です
お仕事で温泉に行けるだなんて夢のよう
しかも三泊四日だなんて
ロケ地は歴史ある温泉街
スケジュールも大雑把なもので、のんびりと撮影まで待機です
かな子ちゃんが焼いてきてくれたクッキーをいただきながらのちょっとした休憩時間
会話が弾みます
「すみませーん。最初の撮影なんですけど……」
そんな時間も、スタッフさんの声で終止符が打たれました
恐らく、温泉かスイーツ、どちらを先に撮るかの相談のはず
一瞬、かな子ちゃんと視線が交錯します
彼女の目もまた真剣そのもの
でも、私だって負けられない
先手は、貰った
「温泉とスイーツ、どち――」
『温せn「スイーツ!!」
……被せられるとは
「――らを、うおっ……あ、はい分かりました。それではあそこのお団子屋さんから撮影始めますので準備お願いします」
かな子ちゃんの満足そうな顔
悔しいもっと声量があれば……
『Pさん……』
彼を見つめます
「楓さん、団子屋のあと温泉なのでそんな落ち込まない下さい」
『私、ヴォーカルレッスン頑張りますね』
「え…あ、はい……え?」
酉付けといて忘れるという
あれ?つかない
#
夜の11時
一日目の撮影を終えて、本日三回目の温泉
カメラは無しのプライベートです
熱燗をあおると、水面の三日月が揺らぎました
だだっ広い露天風呂で、満点の星空と揺らぐことのないお月様を独り占め
散りかけの桜もまた風流です
お仕事で来ていることなんか忘れてしまいそう
いつもこんなお仕事ならいいのに
Pさんにおねだりしてみようかな
彼のことです
我が儘だと知っていても無下にはしないでしょう
いつもいつも、彼は私の意思を第一に考えてくれています
私は何か返せているのかな
せめて、素直に感謝の言葉が出ればいいのに
伝えたい事は沢山あって
つのる想いが、穴を空けるかのように胸を苦しめる
この気持ちは何でしょうか
この苦しさは何でしょうか
私には分からない
“想いや夢は伝わるもの”だけど、私が分からないなら伝わりようが無いじゃないか
伝えたいな……
処理しきれない感情を押し流すためにお酒を飲み干します
嘲笑うかのように、三日月が揺れていました
#
撮影からニ週間
あの番組がオンエアされる日がきました
事務所のテレビの前でPさんと凛ちゃんと共に待機です
「どうだった?楓さんの初仕事は」
「凄く良かったよ。さすが元モデルなだけあって、魅せ方をわかってる」
『いえいえ、Pさんのおかげですよ』
「いやそんな、楓さんの実力です」
『Pさん、ずっと働いてくれてましたよね。お陰様で気持ち良くお仕事ができたんですよ』
「ははっ…そう言って貰えるとプロデューサー冥利に尽きるってもんです」
「あ、始まったよ」
リポートをしながら番組を進めていく私とかな子ちゃん
最初のお団子屋さんではかな子ちゃんがよく喋ります
ふふっ…本当に美味しそう
あれ?スイーツと温泉、分業体制でリポートだったけど、私、喋ってたっけ?
ナレーションが入って次の場面に切り替わります
次は……温泉、だ
「色っぽいなぁ…この仕事、楓さんに回して正解だったね。プロデューサー」
「凛には凛の魅力はあるが、確かに。喋ってないことでより一層艶やかさが引き出されてる。ディレクターさん、やるなぁ」
やっぱり、レポート忘れてました
撮り直さずにOKがでたのは、ディレクターさんがそう判断したからなんでしょう
ナレーションが私の代わりに説明をしてくれています
結局、私が喋っていたのはかな子ちゃんとの雑談のみ
こんなので良かったのでしょうか
「いやぁ、大変良かったですよ。楓さん。実に素晴らしかったです」
良かった
ちゃんとPさんからのお仕事をこなせてた
「……鼻の下伸ばしちゃって」
あらら、凛ちゃんがちょっと拗ねてる
可愛らしいので、少しだけ悪戯を
『そうなんですか?Pさん』
「いや、そ、そんなこと……」
『ふふっ…なら今度また行きませんか?…二人っきりで。Pさん、あまりゆっくりできなかったでしょう?二人っきりで、温泉に浸かりながら熱燗を呑むんです』
「ちょっ…か、楓さん!」
焦ってる焦ってる
凛ちゃん可愛いなぁ
PさんはPさんで顔を紅くしてるし、からかいがいのある二人です
『ふふっ…お顔、真っ赤ですよ。Pさん』
「なっ…からかわないでください!全く…冗談も程々でお願いしますよ」
そう、これは冗談
でも“いつか”なんて思ってしまうこの気持ちは、冗談なのでしょうか
#
時の流れは残酷で、暖かさは暑さへと変わり、私の周りも大きく変化しました
まず、あの番組の準レギュラーを頂けたこと
それが切っ掛けで、私の知名度が上がったこと
その知名度のお陰でお仕事が増たこと
お仕事の内容は様々で、女優をやったり、モデルをやったり、地方のイベントに出たり
今日も温泉街でのイベントを終えて、新幹線に揺られています
一泊する予算は無いそうで、日帰りの小旅行みたい
そんな感じの、忙しないけど張り合いのある毎日です
けどそんな中、変わらないものも
歌に関する事だけは変わっていません
ヴォーカルレッスンを続けています
確かにあの日‘頑張る’って言いましたけど…
外へ目を向けると、夕焼けに染まる入道雲が目に入りました
のんびりと流れていくその様は、私を揶揄しているみたい
ゆっくりと、ゆっくりと
雲になりたいなぁ…
……さ…でさん、楓さん!」
『あ、はい』
「乗り換えですよ。急いで下さい」
『分かりました』
それともう一つ変わらない、大事なもの
Pさんとの距離感
だじゃれを言い合ったり、皆で呑みに行ったり
正に仲のいい仕事仲間といった感じで、心地いい距離感です
事務所の方達もいい人ばかりで、昔の私からしたらこんな大勢で呑むなんて考えられないでしょう
そういえば、最近はあのお店に行ってない
一人酒自体、減ったような
目まぐるしい変化があれば、雲のような変化もある
そういうことなのかもしれません
それでも、この距離感だけは変わって欲しくない
かつて憧れた、冗談の言い合える関係
居心地が良くて、暖かい
「ちょっと楓さん、ぼーっとしすぎです。迷子にならないでくださいよ」
『ふふっ…大丈夫ですよ。三浦さんじゃないんですから』
「心配だな…」
『そんなに心配なら…』
左手を差し出す
『お願い、できます?』
そんな関係だから、からかいたくなる
「……しょうがないですね」
あら?
彼の右手が私の左手に触れます
彼の小さな仕返し
その効果は絶大で、心臓をキュッと締め付ける
夕焼けに染まるプラットホーム
彼の顔も、紅く染まっていました
彼に引かれて進む私
Pさん、貴方はどこまで連れていってくれますか?
貴方に付いてきて、私の世界は一変しました
次は何を見せてくれますか?
貴方となら、どこまでも行ける
こんな確信が浮かぶのは、何が原因なのでしょうか
私は、どこまで行くのでしょうか
#
翌日、オフを満喫していたら、Pさんに呼び出されました
‘良いニュースがあります。暇だったら事務所に寄ってください’
簡潔なメールでしたが、私の心を騒がせるには十分
急いで事務所に向かいます
『おはようございます』
「おっ、おはようございます。早いですね」
『何事かと思って』
「急いできたんですね。寝癖、立ってますよ」
『…ちょっと失礼します』
寝癖を直して、Pさんの元に戻ります
「ん。それじゃあ、先に会議室に行っててもらえますか?チーフ呼んでくるので」
『え、チーフプロデューサーですか?』
「はい。今日は直々にお話があるんですよ」
チーフプロデューサー
担当アイドルを持たずに、事務所全体のプロデュース業を担っている方です
そんな方からお話があるとは…
自然と緊張してしまいます
「お待たせしました。楓さん」
『お疲れさまです』
Pさんは満面の笑みを、チーフさんはたくさんの資料を携えて入ってきました
「初めましてかな、高垣さん。最近の活躍、確と届いてるよ」
『ありがとうございます』
「どうだい?モデルから転身したことで何か変わったかな」
『そうですね――
近況に関して当たり障りのない会話が続きます
チーフさんはお話が好きなようで、緊張して相槌ぐらいしか返せない私とでも楽しそうに話しています
隙を見てはPさんに助けを求めますが、彼は良い笑顔を返すだけ
戸惑ってる私を見て楽しんでいるようです
「最近のレッスンはどうかな?Pからはヴォーカルに重点を置いていると聞いたけど」
『はい。歌のお仕事は無いんですが、ずっとヴォーカルレッスンだけは続いています』
「調子は?」
『最近は肺活量も声量も増えて、トレーナーさんにも誉められるようになりました』
ちょっとした自慢です
「それじゃあ、そんな高垣さんにプレゼント」
チーフさんが一枚のCDを差し出してきました
『…これは?』
「とある映画の主題歌となる予定の曲」
「これを高垣さんに歌ってもらいたい」
『……』
『私が?』
「うん」
『映画の?』
「うん」
これはドッキリ?
「ドッキリではありませんよ」
Pさんが口を開きました
「実はこれ、だいぶ前から計画されていたんです」
「CGプロで音楽関係の活動をしているのは今のところ三ユニット、ニュージェネレーション・あんきら・ファミリアツインだけで、ソロがいません」
「そこで企画されたのが五人同時ソロデビュー」
「その五人に選ばれたのが固定ファンを持つ各ユニットから一人ずつ、凛・双葉さん・莉嘉ちゃん。それと、ユニットを組んでないものの知名度のあるかな子ちゃん」
「そして、確かな歌唱力を身につけた楓さん、です」
正直、何が何だか
話についていけません
『それで、いきなり映画の主題歌ですか?』
「そこはPが頑張った」
チーフさんが説明を引き継ぎます
「この企画が持ち上がった時に、僕の知り合いから“映画の主題歌が決まっていない。いい人を紹介してくれないか”って話があってね」
「それをPに伝えたら、“これこそ歌姫に相応しいデビューだ”って言って、高垣さんのレッスン風景を映したビデオを持って監督さんに売り込みに行ったんだよ」
「音楽に関しては無名なのに、取って帰ってきたときは驚いたな」
「監督さんが気に入ってくれたんですよ」
『そう、なんですか』
とんでもないことが、私の知らないとこで動いていました
移籍の時もそうでしたが、CGプロは秘密が好きなのでしょうか
「それで、昨日ついに曲が出来上がりました。これが譜面で、あと台本です。どんな映画か把握しといてくださいね」
『あっ、この監督って…しかも主演が三浦…あず、さ……え…?』
「はい。話題性抜群で、相応しいでしょう?」
とんでもないなんてもんじゃない
それこそ、興業収入トップ10入りが目されるような映画じゃないか
「その話題性に耐えうるだけの良い曲が出来上がってますし、何よりそれだけの実力はついていますから」
「それに、これは始まりなんですよ」
「少し遠回りしましたけど」
「“歌姫・高垣楓”は、この‘こいかぜ’から始まるんです」
#
「うーん…」
唸っているのはトレーナーの明さん
私を担当してくださっているトレーナーさんです
私に課された‘こいかぜ’は声が裏返りやすく、伸びる部分も多い難しい曲
きっかけはどうであれ、真面目にヴォーカルレッスンを受けてきて正解でした
レッスンが始まって二週間
ようやく通しで歌えたのです
私の感覚では、音は外してないしミスもしてないはず
彼女は何に困っているのでしょうか
『あの…私どこか失敗していましたか…?』
「い、いえ…そうじゃないです!音程はバッチリでしたよ!」
「ただ、なんというか…言葉で表しにくくて…うーん…」
「歌は素晴らしかったんですけど…伝わらない、と言いますか…」
『伝わらない…』
「楓さん、この曲の第一印象はどんなふうに感じました?」
『すごく壮大だなぁ、と』
「他には?」
『他……』
「質問を変えましょう。歌詞を読んでみて、いかがでしたか?」
『……青春、ですか?』
「え…いや、確かに恋愛を歌っていますけど、これは違いますよ」
『そうなんですか?』
「はい。これは切ない大人なラブソングですね」
「自分の恋心に気づいて、戸惑って、でも前を向く。そんな歌です」
ふむ…なるほど
「冗談じゃなくて、本当に分かってなかったんですか…」
頭を抱え込む明さん
渋谷凛(15)
http://i.imgur.com/5TL4Wko.jpg
http://i.imgur.com/beyGOj7.jpg
本田未央(15)
http://i.imgur.com/h6RlWPR.jpg
http://i.imgur.com/dQhUJZt.jpg
島村卯月(17)
http://i.imgur.com/HZR1rfy.jpg
http://i.imgur.com/S5iKWdR.jpg
トレーナー:青木明(23)
http://i.imgur.com/RUuOYni.jpg
それも束の間、私の目を見据えて口を開きます
「歌には感情、歌詞には意味があるんです」
「意味を理解して初めて感情が宿るとも言えます」
「感情の無いモノに何か伝えることなんかできませんから、音符を辿ることより大切かもしれません」
「例を出すと、如月さんですね。彼女はカラオケで五十点台を出すこともあるそうです」
「そんな彼女の歌は、心に響いて共感を呼びます」
「それこそ如月さんが真摯に歌に向き合ってきた証拠なんです」
音程より感情を優先する、ということでしょうか
『でも、楽譜通りじゃないと言うのは、歌手として、プロとしてはどうなんでしょうか』
「私は、楽譜というのが作曲者の意図を伝える媒介だと思っています。歌詞もそう」
「それを解釈して、声を媒介にファンに届ける」
「それが歌手じゃないでしょうか」
伝えるために意味を理解して、感情を得る
“理解する”
簡単そうで難しい
「あっ、す、すみません!偉そうに言ってしまって…」
『いえ…ありがとうございます。おかげで何か掴めたような気がします』
「そうですか…?それなら良かったです。それじゃっ、歌詞の意味を考えてもう一度いきましょう!」
『はい。あっ、大人っぽくアダルティに、でしたっけ?』
「……」
彼女の視線が痛い
違ったかな
「…今日の残りは曲の解釈を一緒にしましょうか」
今日のレッスンも長引きそうです
#
『うーん…』
「どうですか?じっくり読んでみて、分からないところとかあります?」
『えっと、このフレーズ』
『“2人の影 何気ない会話も 嫉妬してる 切なくなる これが恋なの?”』
『恋なんですか?』
「え、そこですか?それは恋ですよ、間違いなく。相手のことを愛してる故の嫉妬ですね」
『へー…』
「へーって…経験無いですか?」
『いえ、ありますよ。はい』
「……」
『……』
「楓さん程の美人なら経験豊富そうですけど、意外ですね」
信じてくれない
意地悪です
「男性とお付き合いしたことは…?」
『好意を寄せていただいたことはありましたけど…』
「お断り?」
『はい…“お付き合い”というのがよく分からなくて』
「楓さんから、というのは?」
ああ、彼女の目が輝いてる
女子の目です
ガールズトークです
『い、いえ…無いですね』
「えー!意外です!でもそうなると困りましたね。‘こいかぜ’自体ラブソングですし…」
あ、そっか
さっき感情がいかに大事か教わったばかりでした
「今、そういった感情とかは…」
『…分からないです』
「うぅ…困ったなぁ…あんな偉そうな事言っちゃったのに…」
「こうなったら理解してもらうしか…私は恥ずかしいから…そろそろ終わっただろうし」
何か思い付いたのか、明さんは内線に手を伸ばします
「あ、ごめんね…今忙しい?……そうなの?………それじゃ第2レッスン室に来てもらえない?……うん、聞きたいことがあって……うん、分かった」
『どなたか呼んだんですか?』
私の問いに満面の笑みで答えます
「はい、妹を」
#
「えぇっ!?“恋”を教える?」
すっとんきょうな声をあげたのは明さんの妹の慶ちゃん
「そ。慶は今も恋する乙女でしょ?だから、ね」
「え、なっいや、何でいきなり…」
「これ読んでみて」
「これは、詩?」
事の顛末を説明する明さん
「それで、私が楓さんに教える、と」
「そう」
『ごめんなさい。迷惑かけてしまって』
「い、いえ!気にしないでください!」
「でも、恋なんて教えるモノでもないし…」
「慶は、例えば好きな人を思い浮かべたとして、どんな風に感じるの?」
「どんな風にって…こうなんかキュッと締め付けられるような」
『締め付けられる?』
「はい。胸が苦しいというか…息が詰まる?みたいな感じです」
「他には?」
「後は…一緒にいたいとか、もっと親密な関係になりたいとか思ったり。でも、いざ近づくと今の関係が壊れるのが恐くて…」
「うんうん」
「それと、ちょっとした仕草にドキッとしたり、何かとその人のことを考えちゃったり…って何言わせるのお姉ちゃん!!」
「いや、ありがとう。ためになったよ」
「うぅ…恥ずかしい…」
そっか、それが“恋”っていう感情なんだ
苦しくて、切なくて
分かりたくなかったかもしれない
でも向き合わないと
『ありがとう、慶ちゃん』
「…何か掴めたんですね?」
『確信は、無いですけど…』
「それでは、今日のレッスンはこれで終わりにしましょう」
『でも、まだ時間は…』
「何か掴めたなら、それを整理してください。それがレッスンです」
『……はい』
ルーキートレーナー:青木慶(19)
http://i.imgur.com/Sp5vR13.jpg
#
事務所を出るとムッとした空気に包まれます
すっかり夏となった今は寝苦しい毎日
不意に空を見上げると、見事に真ん丸なお月様が浮かんでいました
今日は、疲れた
明さんは‘整理してください’なんて言ってくれたけど、私は分かってるし理解もできてる
認めたくないだけ
ああ、駄目だ
こんなんじゃお月様に笑われてしまいます
堂々と輝くお月様
私も、本当なら輝くべき人間
そのために彼は頑張ってくれている
それなのに、この感情は裏切りです
どうも、頭が動かない
今日は呑もう
久しぶりにあの店で
そうと決まればあとは早い
あの歌を口ずさみながら向かいます
“満ちては欠ける 想いが今”
“愛しくて溢れ出すの”
“舞い踊る風の中で”
“巡り会えた この奇跡が”
“遥かな大地を越えて”
“あなたと未来へあるきたいの”
#
今何時でしょう
腕時計を確認
十一時三十八分
もう、こんな時間
早く帰らないと
彼が来るかも、なんて甘い期待をしていたから
酔いのせいでしょうか
年甲斐もなく浮かれちゃって
でも会いたい
まだ事務所にいるかな
どうせ通り道だし、ちょっと寄ってみよう
#
事務所の灯りは消えていませんでした
彼である保証は無いけど、僅かな可能性に賭けて扉を開けます
「あれ?楓さんじゃないですか。どうかされましたか?」
ビンゴ
小さくガッツポーズ
『さっきまで呑んでまして、灯りがついてたので寄ってみたんです』
「そうでしたか。いいなぁ、あの路地裏の店ですか?」
『はい。Pさんと出会ったお店です。今度、また一緒にどうです?』
「ええ、ぜひ。それにしても懐かしいですね。あの時は驚きましたよ。あんな店に楓さんが居るなんて思いませんから」
『あら、偶然だったんですか?てっきりストーカーされたのかと…』
「なっ…偶然ですよ。ひどいなぁ…」
『うふっ…冗談、ですよ。でも、何だか運命的ですね』
「そうですね。運命…か…」
“運命”だなんて、意識してしまう
「そうだ、今日のレッスンはどうでしたか?トレーナーさんからの報告では‘だいぶ進んだ’とありましたけど」
『ええ。今日は大きな収穫がありましたよ。そうだ、せっかくなので聴いて貰えませんか?』
今なら、感情を込められる
「お、歌ってくださるんですか?ぜひお願いします」
『では、よく聴きいてくださいね…』
これが、貴方に捧げる最後の‘こいかぜ’になるかもしれませんから
『いかがでしょうか?』
「…素晴らしいです」
「具体的に言うと、凄く感情がこもっていて、引き込まれました」
『今日、進んだ点がそこなんです』
「感情を込める、ですか?」
『はい』
そのあとも、彼は私の歌を褒めてくれました
でも、私が聞きたいのは違うこと
なけなしの勇気を振り絞ります
『あの、Pさん』
「はい、どうしました?」
『私が、この歌のような感情を抱いているとしたら』
『その…』
「歌のようなって、恋愛感情ですか?」
『……はい』
「うちは恋愛禁止ではありませんよ」
『え……?』
「あ、ただバレないようにお願いしますね。事務所が許しても世間が許してくれないので」
事務所内なら大丈夫ということ?それなら……
『ふふっ……。これで安心です』
「それは良かったです。それにしても、楓さんの想い人が羨ましいですよ」
『そうですか?』
「ええ、楓さんのような方に好意を寄せられて、喜ばない男はいないでしょう」
『Pさんも……』
「え?」
『いえ、何でもないです』
Pさんも、喜んでくれますか?
第一部はここまでになります
続きはバレンタインに
画像やレス、とても心強かったです
誰も読んでいないんじゃないかと思って恐くて…
それでは、ここまで読んでいただきありがとうございました
続きが気になる。
乙でした
修正
>>21
×「移籍、ですか」
○『移籍、ですか』
乙乙
自分は台本形式でしか書けないから、ちゃんと小説形式で書けるのは素直に尊敬します。
楽しく読めていますので、続き待ってます。
>>80
>>82
ありがとうございます
修正
>>1の過去作のURLが間違っていたようですね
速水奏「虚像と実像と偶像」
http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1386936344
北条加蓮「幸福なお伽噺」
北条加蓮「幸福なお伽噺」 - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1387887733/)
これで大丈夫かな
修正
>>77
×『では、よく聴きいてくださいね…』
○『では、よく聴いてくださいね…』
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