藤原肇「彦星に願いを」 (62)
悩んでいた時間の割に、書き上がれば存外あっさりしたものでした。
初夏の風にさらりさらりと揺れる枝を掴まえて、飛んで行ってしまわぬようしっかり括り付けます。
色とりどりの願い事が、緑を背景に眩しく輝いていました。
「ほら、肇。早く行こうよ」
「はい、すぐ向かいますので」
屋上の扉から手招きする凛さんに、苦笑しながら応じます。
扉を閉める前に、もう一度青空を振り返って、
「……今夜も晴れますようにというのも、願いに入ってしまうのでしょうか」
今も何処かで働いているであろう彦星に、そう問い掛けました。
SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1405601439
シンデレラガールズの天女こと藤原肇ちゃんのSSです。
前作、
渋谷凛「ガラスの靴」( 渋谷凛「ガラスの靴」 - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1404552719/) )
の後日談かつ前日談になります。
ガールズトーク多め。
期待
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「ミルクレープとダージリンを」
「えっと……アイスミルクティーをお願いします」
まだ七月に入ったばかりだというのに、東京は陽炎が立つ程に暑くて。
故郷の穏やかな夏に慣れた体が訴える不満に、ついつい冷たい物で応えがちになってしまいます。
「いいお店だね。静かで、事務所から離れてて」
「こんな話をするにはもってこい、ですか?」
小さな喫茶店の中、はしっこのテーブル。
向かいの席に座る凛さんは、にこにこと上機嫌に微笑んでいます。
……おそらく、私の方は正反対の表情をしているでしょう。
「私を見捨てた事、忘れたとは言わせないよ? 話を聞くの楽しみにしてたんだから」
「ひ、人聞きが悪いですよ……凛さんにはちゃんとお話しますから」
「うん、感心感心」
「もう。……ところで」
視線を横にずらすと、奈緒さんと加蓮さんが、これまたにこにこと笑っています。
……いえ、にやにやと、でしょうか? 微妙なところです。
「何故お二人もここにいるのでしょうか」
「えーいいじゃん」
「アタシ達にも聞かせてくれたっていいだろー」
「この二人は何というか、うーん、ヤケ? 道連れ?」
「……他人の不幸は蜜の味、ですか」
思わず溜息が漏れてしまいました。
確かに凛さんにはちょっとだけいじわるをしてしまいましたが、お代はどうやら高く付きそうです。
……まぁ、あの時の真っ赤な凛さんは、それはそれは可愛らしかったですけどね。
「正直な話、最近奈緒が隙見せなくて弄れないんだよね。つまんないの」
ブルーベリーパフェをつつきながら、加蓮さんが至極残念そうに呟きます。
「ふふん、私だっていつまでもオモチャにされてるわけじゃないぞ」
「……あれ、奈緒さんなら確か、先週末プロデューサーさんと二人で」
「うぉぉい肇ストップ! その話はナシだ!」
凛さんと加蓮さんの瞳が輝き出しました。
何となくは察していましたが、奈緒さん、苦労しているんですね……
きゃあきゃあとじゃれ合う三人を眺めつつ、凛さんへ問い掛けます。
「話をするのは構いませんが、凛さんの方はどうだったんでしょうか」
あの様子なら心配無いとは思いますが、とは続けられませんでした。
質問した途端、凛さんは頬を膨らませ、ぷいとそっぽを向きます。可愛らしい。
「……あの、馬鹿。大馬鹿プロデューサーめ」
「……え、も、もしかして駄目だったんですか!?」
「ちがっ、フラれてないし!」
慌てふためく凛さんを横目に、奈緒さんが苦笑しつつ補足してくれます。
「『保留』だとさ。まぁ考えてみりゃあそーだよな。確か……」
『気持ちはすごく嬉しいけど、凛はアイドルで俺はプロデューサーだ』
『だから凛の気持ちには応えられない』
『凛がトップアイドルになって、引退したら』
『その時は俺の方から迎えに行かせてください、って頼み込むさ』
「……とまぁ、言葉を取り繕ってはいるけど、要は逃げだよね」
凛さんが顔を赤くしながら、必死に勝ち取ってきた言葉を語りました。
奈緒さんがエスプレッソを傾けて、おぉ甘い、と舌を出します。
全く同感でした。
「ふふん、凛には悪いけどチャンス到来だね。恋人じゃなくてシンデレラを目指せって事でしょ?」
「……わ、私の方がリードしてるし」
「いやー、まだまだ分からないよ? こりゃ急いでトップアイドルにならないとね。凛より先に」
加蓮さんと凛さんの飛ばす火花が、ぱちりぱちぱちと弾けます。
……恋は別腹、というやつでしょうか。
「それよりも! 大事なのは肇の話だよ! 『返事』の話っ」
凛さんが露骨に話題を逸らしました。
「あぁ、そういやその話だったか。凛に漏らしたのが運の尽きだったなぁ」
「気になってたんだよねー。よくわかんないけど、肇は担当Pさんにちゃんと返事、したんでしょ?」
「えぇと、それはですね」
さてどこから話したものかと記憶を手繰り寄せます。
「…………その、ですね」
「あの、肇。顔真っ赤だけど」
あの夜を思い出して、顔がどんどん熱くなってきてしまいます。
うぅ、今更ながらこれ、すごく恥ずかしいのでは……
三人の目は、お腹を空かせた猛獣のように煌めいていました。
「えっと、ほ、本当に話すんでしょうか……」
「あ、いきなりは話しにくいよねー。なら馴れ初めから順番に話したら良いんじゃないかな。ね、奈緒」
「いい考えだな、その方が話しやすいだろ。な、凛」
「うん。無理せず、最初から最後までじっくり話してくれればいいから。ね、肇」
「……うぅ」
私の方はと言えば、まるきり草食動物の心持ちでした。
「ささ、それでは出会いからどうぞ」
「……最初は、スカウトでした。岡山でライブがあった時なのですが……」
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『良い知らせだ。肇に担当が付く事に決まったぞ! 詳しくは明後日、事務所に来てくれ』
そのメールを貰ってからというもの、一日中そわそわして落ち着きませんでした。
それまでスカウトを受けた楓さんの担当Pさんに面倒を見てもらっていて、言わば見習いの状態でしたから。
事務所に辿り着く時まで、私の足取りは浮ついたままでした。
「こんにちは……」
「こんにちは、肇ちゃん。やりましたね」
ソファに座りながら、楓さんが出迎えてくれました。
ちょいちょいと手招きされるまま、私も隣に腰を下ろします。
「はい、ありがとうございます」
「フフ、肇ちゃんは頑張り屋さんでしたから。今日がはじめの一歩、ですね」
「わっ」
頭を優しく撫で回されます。驚きましたが、悪い気分ではありません。
楓さんは綺麗で、背が高くて、優しくて……私にこんなお姉ちゃんがいれば、きっと自慢になるでしょう。
「いいこ、いいこ、とんでけー」
なでり、なでり。
「飛んでちゃうんでしょうか」
「肇ちゃんはトップアイドルのタマゴですから、きっと高く高く飛んでいきますよ?」
しばらく撫で回されるままでいると、奥からプロデューサーさんが顔を出しました。
「お、来てたのか肇。おめでとう、今日がはじめの一歩、だな」
「プロデューサー、それさっき私が言いました」
「なんと、しまったな」
「肇ちゃんはひどいです。ツッコミを入れてくれませんでした」
「え、えっと、ごめんなさい?」
「いや肇、謝る必要無いからな」
今朝も元気にお二人が漫才を始めます。
いつも仲が良くて、信頼し合っていて……私は、本当に先輩に恵まれました。
「……と、それはともかく。応接室に向かってくれ、肇。担当が待ってるから」
「えっ、もういらっしゃるんですか」
「ああ、今日は顔合わせだな。引き継ぎはしておいたから安心してくれ」
「私も会った事無いです。ワクワクですね、肇ちゃん」
さぁさ、と促され、応接室の前に立ちます。
私の担当プロデューサー……どんな人でしょうか。
ワクワクとドキドキが混ざり合ったような気分で、恐る恐る戸を叩きました。
「失礼します……」
中に入ると、スーツのぴしりと決まった方が座っていました。
私に気付くと、ソファーから立ち上がって。
立ち、上がって……
「……わぁ」
思わず驚きの声が漏れてしまいました。
楓さんは女性にしてはかなり背の高い方で、担当Pさんも同じくらいの背丈です。
私が目の前で見上げている男性は、二人よりも頭一つ分高く、体格もがっしりとしていました。
「……はじめまして、藤原肇さん。あなたをトップアイドルにします」
そう差し伸べられた右手は、私のそれより一回りも二回りも大きく見えました。
私の方も、おずおずと右手を差し出します。
「藤原肇です」
ふと、先程の楓さんの言葉が浮かびました。
「……トップアイドルに、なります」
そう言い足すと、プロデューサーさんは笑顔を浮かべました。
その笑顔が数少ない貴重な機会だったと知るのは、もう少し後の事です。
「今日がはじめの一歩、だな」
「……あの、それ、さっき楓さん達からも言われました」
「…………すまん」
これまた珍しい冗談を飛ばしたプロデューサーさんの体は、この時ばかりは小さく見えました。
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「あー、確かに最初はびっくりしたねー。絶対只者じゃないって思ったし」
「肇は線が細いから、二人で並ぶとますますデッカく見えるんだよなぁ」
「顔は整ってるんだけど眼付きが鋭くて。ちょっと近寄りがたかったね」
お三方が素直な印象を零します。
今でこそ年少組の皆さんにも懐かれていますが、当初はかなり怖がられていました。
お話してみればとても優しい人だと分かってもらえるのですが……
「にしても、仲良いと思ったら直接の先輩だったんだな、楓さん」
「はい、今でもよくお話したり食事に行ったりしますね」
「先輩、か。羨ましいな。私、一番最初の頃から居たから」
「いーなー、楓さん美人だもんね。オヤジギャグも実はちょっと可愛いと思ってたり」
「ふふ、なら今度皆さんもご飯に行ってみませんか?」
「うん、連れてってほしいな」
自慢の姉で、自慢の先輩で。
……個人的には、駄洒落はどうかと思っていますが。
「……ところでよー、楓さんの担当Pってさぁ」
いつの間にかエスプレッソをお代わりしていた奈緒さんが呟きます。
「あー、あの人楓さんにベタ惚れしてるよね。完全に」
「肇、あれどうにか進展させらんないのか? 当の二人以外全員知ってるぞ、もう……」
「え、えーっと……」
恋愛に疎い私でもすぐに気付きましたから、事務所の皆さんにとってはもはや周知の事実なのでしょう。
なんだかちょっぴり悲しいような、微笑ましいような……
「……事務所的には進展させる訳にはいかないでしょ、普通」
「おやおや、Pさんに告白なんてしちゃった凛が何か言ってますな、加蓮さんや」
「全くですねぇ奈緒さんや。凛なんて『……私、きっとプロデューサーのシンデレ』」
「やめて肇聞いちゃダメっ!」
凛さんが慌てて加蓮さんの口を塞ぎます。
楽しそうにじゃれ合うお二人を横目に、カウンターで苦笑いするマスターへ、奈緒さんと小さく頭を下げました。
「……で、それからはどうだったんだ?」
「そうですね、最初の頃は苦労しました。お仕事もそう多くなくて」
今となっては懐かしい思い出ですが、なかなか大変な時期でした。
私もPさんも、まだまだ色々と手探りで……
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「……お疲れ、肇」
「はぁ……はっ……ありがとうございます」
ステップの練習で火照った体を、プロデューサーさんが差し入れてくれたスポーツドリンクで冷まします。
「すまない、レッスンばかりさせてしまって」
「いえ、上達してるのが自分でも分かって楽しいですよ」
「そうなんですよ! 肇ちゃん、飲み込みが早くて。とっても熱心に取り組んでくれるんです!」
トレーナーさんが嬉しそうにプロデューサーさんへ報告します。
実際、私の言葉も嘘ではありません。着実に実力が付いているのは実感出来ていました。
ですがプロデューサーさんの方は、何か焦っているというか……
「キリも良いですし、今日はここまでにしましょう」
「分かりました。肇、車で待ってるぞ。ストレッチはしっかりな」
「はい」
ストレッチとシャワーの後、駐車場へと向かいます。
ちらりと車内を覗き込むと、プロデューサーさんが書類とにらめっこをしていました。
「ただいま戻りました」
「ん……あぁ、行こうか」
書類を手早くしまい、車を出します。
しばらくの間、車窓を流れる風景を二人とも無言で眺めていました。
「……二週間後に、ライブの前座の仕事が入った」
「え……はい」
「練習期間は余り長く取れないが、頑張ってモノにしてみよう」
「そう、ですね。ライブは初めてなので、楽しみです」
「そうか」
その短い会話の後は、また沈黙が訪れて。
いつの間にか眠っていたのに気付いたのは、事務所に着いて起こされた後でした。
「お疲れ様、肇ちゃん」
「あ……楓さん」
慌てて寝ぼけ眼を擦ります。
「仮眠室、使う?」
「いえ、そこまでは大丈夫です」
「そ。無理しちゃダメですよ」
食べます? と差し出されたお饅頭をありがたく頂きます。
レッスンで疲れた体に、粒餡の甘味が染み渡りました。
「……楓さん。その、聞きたい事が」
「何でも聞いてください。ちなみに最近のお気に入りは天狗舞です」
「天狗……? いえ、それではなくて」
事務所の奥をうかがってから、少しだけ小さな声で尋ねます。
「楓さん、担当Pさんととっても仲良しですよね」
「ええ。いわゆる同じ甕の酒を飲んだ仲、ってやつですね」
「その言葉は初耳ですが……ええと」
言い淀んだ私を、楓さんがくすくすと笑います。
「分かってますよ。どうしたらプロデューサーさんと仲良くなれるか、でしょう」
「うぅ……」
私が相談される側であっても、たぶん一目で分かるでしょう。
正直恥ずかしいですが、これは今聞いておかなければいけない事だというのは私にも分かっていました。
「その、プロデューサーさんは一生懸命頑張ってくれていて。私もそれに応えなきゃ、って思うと」
「ぎこちなくなっちゃう?」
「はい。私の為に余計な時間を割かせるのは迷惑かと……」
んー。
楓さんが目を瞑って、左右にゆらゆらと体を揺らします。
目蓋を開けると、食べ差しのお饅頭に目を留めました。
「肇ちゃん、お饅頭は好き?」
「えっ? ええ、好きですね」
「プロデューサーさんはお饅頭、好きかな?」
「ええと……」
プロデューサーの仕事風景を頭に思い浮かべます。
……あ。
「そういえば、たまに羊羹を食べていますね。お饅頭も好き、だと思います」
「そう。じゃあ、ネクタイは何種類使い回してるか、知ってる?」
「ね、ネクタイ? んーと……」
「じゃあ、好みの女性とかは?」
「えぇっ!? わ、分からない、です……」
思わず頬が熱くなります。
そんな事、考えた事ありませんでした。
…………いえ、違いますね。あまり、考えた事がありませんでした。
「そういう事ですよ、肇ちゃん。仲良くなるというのは、お互いをよく知ろうとする事です。しろうとの考えですが」
「……ふふ。楓さんも担当Pさんも、冗談がお好きですよね」
「肇ちゃんもプロデューサーさんも、お互いの事をまだよく知らないだけです」
頭を撫でられます。
最近はなんだか恒例行事のようになってしまいました。
「ひとまずライブに向けて、もっとお話してみるのはどうでしょう?」
「……楓さん、ありがとうございました。頑張ってみます」
頼れる先輩に、深く頭を下げました。
スケジュール表を確認してから帰ろうと腰を上げ、ふと疑問が湧いてきました。
……これも、今聞いておかねばならない事のような気がします。
「……楓さん、最後に一つだけ」
「はい。好きな肴は鶏皮とチーズです」
「いえ、それではなくて。……担当Pさんの女性の好み、ご存知なんですか?」
珍しいものを見ました。
楓さんがきょとんとした表情になり、頬に手を当てて考え込みます。
「いえ、そういえば知りませんでしたね」
「……」
「今度聞いておきます」
「…………あ、はい……」
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「ライブも近付いてきたが、練習の方はどうだ?」
レッスン帰りの車内。
いつものように助手席に座る私へ、プロデューサーさんが完成度合いを尋ねます。
「一通り、形にはなりました。後は時間いっぱい細かい所の改善ですね」
「早いな、流石は肇だ。一生懸命なのは素晴らしいが、無理だけはしないようにな」
「はい」
いつもなら、ここで終わる会話。
今を『いつも』にしないために。
トップアイドルを目指すなら、この一歩ぐらい踏み出せなくては。
「……プロデューサーさん」
「うん?」
初めて顔を合わせた時。いえ、それ以上にドキドキしています。
ライブも、こんな風にドキドキするものなのでしょうか。
「たまには、寄り道していきませんか?」
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からんからん。
カウベルの吊られた扉を押し開けると、どこか懐かしい店内が目に映りました。
古木特有の微かな香りと、飴色に鈍く光るテーブル。
「らっしゃい。……アンタか、ご無沙汰だったな」
「あぁ。奥の席は空いてるかな」
マスターらしき人が、ちらりと私を見やります。
中背ですが、よく鍛えられた体と厳しい目付きが、プロデューサーさんと似た雰囲気を漂わせていました。
「……なるほどな。好きな席に座ってくれ」
プロデューサーに促され、奥のテーブル席に着きます。
そう広くない店内には二、三組のお客さんがいるだけで、ごく静かなものでした。
「……落ち着いたお店ですね」
「秘密の場所だ。余り他の人に教えないでくれよ」
「いいんですか? 私を連れてきてしまっても」
「肇なら心配無いだろう。そのうち仲良くなった娘でも連れてくるのは構わないさ。……誰か、いるか?」
「いえ、その、恥ずかしながら、まだ……」
レッスンで忙しくて、というのは言い訳になってしまいますが。
プロデューサーさんは元より、その頃はあまり親しい友人もいませんでした。
こればかりは、生来の引っ込み思案は、なかなか直せなくて。
……我ながらよくアイドルを目指そうとしたものです。
「そうか。まぁ、すぐ出来るさ……ほら、メニュー」
「ありがとうございます」
「肇はずっと頑張っていたからな。何でも好きなのを頼むといい」
「えっと……」
品書きを開くと、飲み物と同じくらいの面積をケーキ類が占めていました。
どうやら手作りケーキに力を入れているお店のようです。
プロデューサーさんも品書きをぱらぱら捲って眺めています。
……今、聞いてみましょうか。突然こんな事を聞いて、笑われないとよいのですが。
「プロデューサーさん」
「何だ」
「好きな食べ物、何ですか?」
顎に手を当てて考えこんだ後、少々困ったような顔で尋ね返してきます。
「笑わないか」
「笑いませんよ、笑われませんでしたから」
「…………こんなナリだが、甘いものに目が無くてな」
ぱたりと品書きを閉じます。
「特にここのミルクレープは美味いんだ」
「ふふ、では、私も同じものを」
「いいのか? ……決まったぞ。ミルクレープとアッサム、二つずつだ」
注文を取りに来たマスターさんが呆れたような顔になりました。
溜息を吐きながら、伝票にペンを走らせます。
「久々に来たと思ったらまたそれか。アンタは構わんが、こっちのお嬢さんまで付き合わせるなよ」
「何を頼んだっていいだろう。この娘の希望だ」
「分かってるよ、すぐに持ってくるから待ってな」
軽口を交わした後、マスターさんがカウンターへ戻ります。
今まで抱いていたプロデューサーさんのイメージとは随分違って、肩の力の抜けた関係に見えました。
「お知り合い、ですよね」
「昔の同僚みたいなもんさ。ちなみにケーキは全部アイツが作ってる……似合わないだろ?」
「うーん、どちらかと言えばお煎餅を焼いていそうな方ではありますね」
「お嬢ちゃん、そんなこと言ってると食わせてやらないぞ」
マスターさんが二人分の注文を運んで来ました。注文する物を予め知っていたような早さです。
目の前に置かれたミルクレープは確かに美味しそうで、ついマスターさんの顔と見比べてしまいました。
「……口に出さなきゃいいって問題でも無い。ケーキは俺の顔じゃなく自分の舌で確かめてくれよ」
「す、すみません」
慌ててフォークを手に取ります。
三角形の頂点を切り分けて、口へ運びました。
「……美味しい」
「だろう? 久しぶりだが、味は変わってないな」
よく見るとプロデューサーさんのミルクレープは、私のものより少し太めに切り分けられていました。
……マスターさんなりのサービス、でしょうか。
「……私、プロデューサーさんの事、全然知りませんでした」
「まぁ、話してなかったからな」
「プロデューサーさんは、私の事、知っていますか?」
「いや……」
ちょっと気まずそうな表情で、プロデューサーさんがカップを傾けます。
「私の事、教えます。だから、プロデューサーさんの事も、知りたいです」
それから、本当にいろいろな事を話しました。
これまでしていなかった分を精算するみたいに。
父が今、陶磁器の新たな技法を学びにドレスデンへ赴いている事。
大学時代、講義をサボって富士山を登りに行った事。
アーニャさんにいくつか星座を教えてもらって、結局覚えられなかった事。
ケーキ作りの趣味を似合わないと馬鹿にしたら、マスターさんと喧嘩になった事。
岡山でニュージェネレーションのライブを見て、アイドルに興味をもった事。
仁奈ちゃんに初めて会った途端、肩車をせがまれた事。
川釣りで深い所に行こうとして、おじいちゃんに血相を変えて怒られた事。
初めて私と対面した時、実はちょっと緊張していた事――
――気付けば空は茜に染まっていて。
プロデューサーさんが腕時計で時刻を確認します。
「……そろそろ戻らないとな。これ以上遅くなるとちひろさんに怒られる……本当に怖いんだよ」
その話も気になりますが、また今度聞く事にしました。
プロデューサーさんが伝票を取って立ち上がります。
期末なんでちょいと間が空く
待ってる
期末終わった
就活は終わらない
>>28
ありがとう 再開します
「肇」
「はい」
「すまなかった。本当にありがとう」
プロデューサーさんが私に頭を下げました。
突然の事に驚いてしまって、慌てて尋ねます。
「えっ、その、何がでしょうか」
「肇なりに俺との距離を詰めようと考えてくれたんだろう。入れ知恵したのは楓さん辺りでも」
……どうやら、全て分かっていたようです。
「本来なら俺の方から何とかしなければいけなかったんだ。だが、一回りも歳の離れた娘と何を話したら良いか……分からなくてな」
「いえ、私はただ、疲れてるプロデューサーさんに少しでも休んでもらおうとしただけで」
「……そんなに疲れて見えるか、俺は」
言い訳染みた答えでしたが、あながち嘘だとも言えません。
お仕事を取って来ようと、いつだって忙しそうに営業に出掛けていました。
いくら鍛えていたって、このままでは体を壊してしまいます。
……思い切って、話してみます。
「釣りの良い所って、釣果だけではないんです」
「……うん?」
「せせらぎに耳を澄ませながら糸を垂らしているだけで、とても癒やされるんですよ」
唐突に釣りの話を切り出した私に、プロデューサーさんが首を傾げました。
「私の実家の近くに、良い川釣りの場所があるんです。……秘密の場所、です」
プロデューサーさんが秘密を教えてくれたのですから。
私の方も秘密を打ち明けるのが筋、でしょう。
「良ければ、羽を伸ばしてみませんか?」
じっとプロデューサーさんの顔を見つめます。
プロデューサーさんも目を逸らさず、先程までのお喋りが夢だったみたいな沈黙が続きました。
「…………まぁ、家族の方に挨拶しておけば、アイドル活動もやりやすくなるかもしれんな」
「それって、つまり」
「まずはライブを成功させるぞ。話はそれからだ」
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「……えっ、実家に呼んだのか? 岡山だっけ?」
「はい。その時両親は海外に居たので、挨拶したのは祖父だけでしたが」
ぎっくり腰のため、初対面が布団の中になってしまったのは伏せておきました。
孫娘にはおじいちゃんの名誉を守る義務があると思うのです。
ミルクティーで喉を潤しながら、何やら考え込んでいる凛さんと加蓮さんに目をやります。
「……なるほど、実家。その手が……盲点だったかも」
「流石にウチじゃ近い、かな……? いや、理由なんてどうだって……」
まるでライブ直前のレッスン中のように、二人の眼差しはこれ以上無い程真剣でした。
その二人を見つめる奈緒さんはと言えば、これ以上無い程面倒くさそうな眼差しでした。
「はいよ。ミルクレープ、お待ちどう」
「あ、どうも」
マスターが、奈緒さんと私の前にミルクレープの皿を置きます。
加蓮さんが不思議そうに尋ねました。
「あれ、いつの間に頼んだの?」
「二人がアホな事考え込み出した辺りだよ。話聞いてたら食べたくなってきてな……お、ホントに美味しいなコレ」
加蓮さんの視線が、幸せそうな顔でミルクレープをつつく奈緒さんと、目の前のブルーベリーパフェとを往復します。
そして凛さんの前にある、半分程削られたミルクレープの皿へと。
「ね、凛……」
「……はぁ。良いよ、交換ね」
「さすが凛、話が分かるっ」
いつまで経っても、女の子は甘いものには勝てません。
アイドルも、例えシンデレラでも、きっとそれは変わらないのでしょう。
「ところで、その『秘密の場所』にアタシ達を連れてきて良かったのか?」
奈緒さんがちらりとマスターを見ながら訪ねます。
「はい。皆さんはとても素敵な友達ですから」
「…………」
「あ。凛、照れてる」
「照れてない」
「照れてるじゃ、むぐ」
加蓮さんの口に、凛さんがフォークに載せたパフェを突っ込みます。
凛さんほど分かりやすい……いえ、素直な人はそう居ませんね。
「で、肇があのレストランに行ったのっていつ頃だっけ」
フォークを突っ込んだまま、凛さんが話の続きを促します。
加蓮さんは大丈夫なのでしょうか。
「あれは……そう、ちょうど去年の七夕辺りでした」
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『がんばります! 卯月』
『頑張ります! 千枝』
『Pさん 加蓮』
『ボンバー!!!! 茜!!』
『桜花 散りぬる風の なごりには 水なき空に 浪ぞたちける 高峯』
「んー……」
目の前に吊り下げられた短冊の数々と、私の短冊とを見比べると、何やら私の方が間違っているような気持ちになりました。
目の前に掲げた自前の短冊とにらめっこしていると、ソファーの方から視線を感じます。
「肇。その紙、なんですか?」
読んでいた雑誌を閉じ、アナスタシア……アーニャさんがやってきます。
星のお話をして以来仲良くなって、最近はよくお喋りをするようになりました。
青く澄んだ猫のような瞳が、不思議そうに短冊へ向けられています。
「イディーカームニェ……夏の、クリスマスツリー?」
「いえ、違う……わけでもない、のかな。 笹という木ですが、見た事ありませんか?」
「地元の駅にも飾られてたので、何度か見ました」
北海道では、あまり盛んな行事ではないのでしょうか。
「ええと、これは短冊と言って、七夕の……あ、七夕というのは……」
聞きかじった知識を、なるべく分かりやすいよう噛み砕いて説明します。
茄子さんや歌鈴さんは詳しそうですし、今度聞いてみるのも良いかもしれません。
「なるほど。願い事、書くんですね?」
「はい。それで事務所の皆さんもこうやって吊しているんですよ」
何しろ人数が人数ですから、結ぶ場所をちょっと探してしまうぐらいには短冊が吊されています。
色とりどりの紙片が所狭しと並んでいるのを見ると、まるでパーティーのようです。
……空のお二人も、これだけ集まっていると見回すのも一苦労でしょう。
「フダイジョーシ、でも、今日はダメ?」
「……そう、ですね。残念ですけれど」
そう言って、二人で窓の外を見上げます。
雨粒越しに覗く空は一面ねずみ色に沈んでいて、このまま夜も止みそうにありません。
「……私も書きたい、です」
「いいんですか? どうぞ」
短冊を受け取ると、アーニャさんは筆ペンをさらさらと走らせます。
意外に達筆な字で、ちょっと驚きです。
願い事を書き上げると、隙間を縫うようにしてそれを笹へと結びつけました。
待ってたよ
就活は焦ると余計決まらないから適度に息抜きした方がいいよ、ソースは俺
『次は、はれます Анастасия』
「これで来年は大丈夫、です」
アーニャさんがにこりと笑います。
「そう、ですね。流石はアーニャさんです」
「私も来年は、ずっと楽しみにしてたから」
「何か、ありましたっけ?」
「マーツォバショ、秘密です。肇はどんなのを書いたんですか」
「えっと、私は」
バンッ!!
突然事務所の扉が勢いよく開き、思わず身体が跳ねてしまいました。
何事かと振り向いてみれば、そこに居たのはプロデューサーさんで。
頭をぶつけそうな勢いのまま早歩きでこちらへ近寄ってきます。
「あ、あの、プロデューサーさん?」
つかつかと私の目の前までやって来ると、その場で立ち止まります。
そのまま無言で向かい合い、私をじっと見下ろしています。
「……えっと」
「受かったぞ」
お茶でも淹れましょうか、と言おうとして、途中で遮られました。
「えっ?」
「この前のオーディション。ヒロイン役だ」
ひょい。
突然、身体が宙に浮きました。
ぼんやりとした頭で視線を下ろしてみれば、プロデューサーさんの両腕が私の両脇へと伸びていて。
少し視線を上げれば、久方ぶりに見る、素敵な笑顔と目が合いました。
「ははは! やったな肇、すごいぞ! ははっ!」
「ひゃあぁぁっ!?」
私を両手で抱えたまま、プロデューサーさんがぐるぐると回り出します。
何せ身長が身長ですから、持ち上げられた私の頭は事務所の天井スレスレで。
長い腕も相まって、これまで経験した事の無い、すさまじい遠心力を味わいました。
メリーゴーランドと観覧車と高い高いを足して三を掛ければこんな感じになるのではないでしょうか。
視界の隅に、ぽかんとこちらを眺めるアーニャさんの姿が映ります。
「頑張ったな! はは! おめでとう!」
「おろ、おろしてくだ、さいぃっ!」
そのまま数回転した後、やっと床に降ろされました。
ソファに倒れ込んでも、未だに世界がゆらゆらと揺れています。
「いや、すまん。つい舞い上がってな」
「……飛んでっちゃうかと思いました」
脳裏に一升瓶を抱えた楓さんが浮かびます。笑顔でVサインを送ってきました。
いえ、飛びませんから。
「でも、凄いぞ肇。映画のヒロインなんて始めて一年やそこらで出来る事じゃない」
「肇。アイウォントゥビリィッチ、おめでとうです」
「……そっか。受かった、んですよね」
「ああ、肇の実力だ」
「いえ、私だけではなくて……」
二人の目を盗んで、ポケットに短冊を押し込みます。
受かりますように、だなんて、恥ずかしくて見せられません。
それを知ってか知らずか、プロデューサーさんが笹の葉に気付きました。
「ん、今日は七夕だったか。ちょうどいい、肇」
「はい」
「お祝いだ。何か欲しい物とか、行きたい所はあるか? 出来る限り叶えてやる」
「行きたい所…………」
まだ回っているような余韻に任せて、頭の回転を加速させます。
七夕、メリーゴーランド、観覧車、高い高い……
…………あ。
「あの、また高い所に行きたい、です」
「うん?」
以前タワーを登ったとき、いつもより仲良くなれた気がしました。
今度はそれこそ、観覧車に乗ったり……
「いいぞ。近い内に連れてってやる」
「ありがとうございます」
「ついでに俺も書いとくかな」
そう言って、プロデューサーさんも何やら短冊に書き始めます。
背中から覗き込んで、思わず笑ってしまいました。
「肇? どうかしましたか?」
「いえ、何でもありませんよ」
たくさんの人が観てくれますように。
ポケットの中の短冊が、溜息を零したような気がしました。
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「…………あの」
「ん? あぁ、鴨は苦手だったか?」
「いえ、美味しいです」
かちゃ、かちゃり。
ホールの中心に据えられたピアノの調べを聞きながら、鴨のローストを拙い手つきで切り分けます。
素敵な夜景に、美味しい食事。文句など付けるべくもありません。
ありませんが……
――『高い』違いですよ!
……だなんて、今更言い出せませんでした。
何というか、楓さんの周りにいる人は影響を受け過ぎではないかと時々心配になります。
「……私の格好、変じゃありませんか?」
「とんでもない。親御さんに良い服送ってもらったな」
「なら、いいいんですが」
「何よりそれを着る素材が良いからな。こういう場合は衣装負けって言うんだったか?」
「さ、さぁ……」
何と返したものかと、口ごもってしまいました。
余所行き用の一番良い服を着てくるように言われていましたが、どうにも浮いているような気がします。
私はてっきりスカイツリーやサンシャインシティ辺りに連れて行ってもらえると思っていたので……
こんな格式高そうなお店だとは予想もしていませんでした。いえ、高いのは確かですが。
「本当なら、な」
「え?」
「もっと早くに、スポットライトを浴びせてやれる筈だったんだ」
グラスを置いて、プロデューサーさんが真剣な面持ちになります。
「あの時は一年を『早い』と言ったが、肇の力なら数ヶ月でそこまで辿り着けた筈だ」
「そんな事、」
「事実だ。自覚してないかもしれんが、肇にはそれだけの実力があった。ただチャンスが無かっただけだ」
強い口調で遮られます。
喉元まで上ってきた言葉を、口に出す事が出来ません。
「肇。アイドルって、何だと思う」
「……アイ、ドル」
不思議なものでした。
今まで確かに一生懸命練習してきたのに、いざ問われてみれば……
自分の中に確かにあると思っていたイメージが、途端にふわふわと手の中から逃げていきます。
ただ思い浮かぶのは、先輩や友達の姿で。
熱狂というものを初めて知った、ニュージェネレーションのライブ。
会場がひとりでに静まりかえる、楓さんの澄みきった歌声。
ユニットの一員として、舞台を身軽に跳ね回るアーニャさん。
「歌って踊れる、女の子」
「あぁ、俺もそう思っていた。だけどな、そうじゃないんだ」
プロデューサーさんが、窓の外を指差します。
「アイドルはな、星なんだよ。たまたま地上まで降りてきて、眩しいくらいに輝くんだ」
「……プロデューサーさん、酔ってます?」
「酔ってなきゃあ、肇にこんな話できないさ」
暗さの中でもかすかに分かる頬の赤みは酔いでしょうか、恥ずかしさでしょうか。
「星が青や白に輝くように、アイドルも色々に光るんだよ。歌や、踊りや、それ以外にも」
「…………」
「肇が一番輝くのは、何も歌やダンスに限らなかったんだよ。俺はそれに気付くのが遅れてしまった」
「でもっ、プロデューサーさんは、私の良い面を目に掛けて、伸ばしてくれました!」
「それに気付かせてくれたのも、肇だったんだ」
「わたし、が?」
身に覚えがありません。
いつの間にか偉そうな事でも言ってしまっていたのでしょうか。
「……秘密だ、って言ってた釣り場に連れて行ってくれたろう」
『いわゆる釣り名人というのは、のんびり屋さんが少ないんですよ』
『そうなのか? 釣りってのは待つのが醍醐味だと思ってたが』
『それも間違いでは無いですけど、巧い人は色々な場所を試すんです』
『それで、ひょいと釣り上げちまうのか』
『最終的には。ただ、名人はそうやって上達していくそうで』
『…………』
『プロデューサーさん?』
『……肇、竿、引いてるぞ』
『え、わっ』
「あの時な、正直に言うと説教されてるような気持ちだったよ」
「す、すみませんっ」
「謝らないでくれ。謝るのはこっちの方だ」
プロデューサーさんの表情が少しだけ和らいで、それからすぐに引き締まります。
瞳の奥に、確かな意志の輝きが見えました。
「肇。俺は肇の時間を無駄に使ってしまった。そこは言い訳のしようも無い、申し訳無い」
そんな事、と言おうとして、けれど口には出せませんでした。
「だけど約束する。肇を必ずトップアイドルに、一番星にしてやる」
「…………」
「だからこんな俺でも、これからも肇の隣に居させてくれないか」
あぁ、やっぱり。
プロデューサーさん、酔ってるじゃないですか。
「……はい。私こそ、これからもプロデューサーのそばに居させてくれませんか?」
――ひょっとしたら、私も酔っていたのかもしれません。
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「…………いや、それ告白じゃん。もう」
……改めて自身で振り返ってみても、否定出来ませんでした。
熱を帯びた顔を冷まそうと手を伸ばしたミルクティーは、すっかり温くなっていました。
「……なるほど。しまったな、やっぱりあの時グラスを……」
「酔わせるなら大人組と結託して……いや、危険過ぎる?」
さっきにも増して、凛さんと加蓮さんがぶつぶつと考え込んでいます。
奈緒さんはといえば、我関せずとばかりにストローの空き袋でヘビを作っていました。
「しっかしまぁ、肇もあの人も真面目だよなぁ。こっちのPさんに見習わせたいね」
「ふふ。何せ、トップアイドルにならないといけませんから。皆さんよりも先に」
ぴくり。
三人の視線が、ゆっくりと私へ注がれます。
「一番星になります。トライアドプリムスには、負けません」
「……へぇ?」
「珍しいね、肇がそんな事言うなんて」
「『女の意地』は、何も凛さんだけの特権ではありませんから」
凛さんも、加蓮さんも、奈緒さんも。そして、私も。
お互いから一切目を逸らさず、にこにこと笑顔を浮かべます。
夕方に差し掛かったせいでしょうか。辺りの気温も幾分か下がってきたような気がします。
「……ハイ、やめたやめた。今日はオフなんだしここまでな」
「ま、いいけどねー。私もミルクレープ頼んじゃおっかな」
奈緒さんと加蓮さんに釣られて、私と凛さんも緊張を解きました。
皆さんはライバルでもありますが、とても大切な友達ですから。
「たださ、本当に肇の担当Pさんって真面目過ぎだよね。いつも忙しそうにしてるし」
「だから良い仕事取ってこれるんだろうなぁ。肇の出た映画、DVDの売れ行き好調らしいし」
「ねー。 ひょっとして一年中働いてるんじゃない?」
確かに、あれ以来Pさんはいっそう一生懸命になってしまって。
……ひょっとしたら、本当に一年中働いているかもしれません。
「そうですね。ですから今日は」
からん、からん。
「……あれ、アーニャ」
「ダー。凛たちも居たんですね」
カウベルを鳴らして、アーニャさんがやってきました。
ちょっとのんびりし過ぎてしまいましたが、もうそんな時間だったんですね。
「そろそろ行きましょうか。皆さんも来ますよね」
「え、ちょっと待って。どこに行くの?」
「あら、言ってませんでしたっけ」
顔を合わせると、アーニャさんはふるふると首を振りました。
最近忙しくて、すっかり伝えたつもりになってしまっていたようです。
「今日は、百年に一度の七夕なんですよ」
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茹だるような暑さも、夜になればすっかり鳴りを潜めて。
申し訳程度に吹く風のお陰で、屋上は昼間よりも随分と過ごしやすくなっていました。
「……この辺か?」
「あの、もうちょっと右、ですっ」
「すまん」
笹の葉も短冊で一杯になってしまっていて。
何とか結び足そうと、千枝ちゃん達の足場代わりにPさんがふらふらと揺れていました。
はしゃぎ声に囲まれながら子供達によじ登られている姿は、まるでもう一本の笹の葉のようでした。
「……ふふ」
「人気者だね、あの人も」
月見団子を囓りつつ、凛さんが呆れたようにPさんを眺めています。
「七夕会って聞いたけど、これお月見用のだよね」
「歌鈴さんに聞いたら作ってくださったんですよ」
「あー……納得したかも」
事務所の皆さんは細かい事をあまり気にしていないように見えます。
そこかしこでお酒を飲んでいたり、月餅を摘んでいたり、お酒を飲んでいたりしています。
「事務所でお酒が飲めるなんて。七夕会で、たなぼたかい?」
お酒を飲んでいた人がお酒を飲みながらやってきました。
最近、楓さんの手には何となくハンドバッグより一升瓶の方がしっくりくるように感じてきています。
「うーん確かに、さっきまで知らなかったし、たなぼたかも?」
「あらら。こんな楽しい事をヒミツにしてたなんて、肇ちゃんは悪い子ですね。めっ、です」
めー、と呟きながら、楓さんが私の目蓋をくりくりと押してきます。
すっかり出来上がっていたようで、上機嫌に即興の歌を口ずさんでいます。
「さっき、短冊を探索してたんだけどね」
「……」
「凛ちゃん、笑っていいんですよ?」
「……はは」
「むぅ」
楓さんが頬を膨らませて、すぐににこにこの笑顔に戻りました。
「肇ちゃんなら、なれますよ」
「えっ?」
「私の折り紙付きです。短冊だけに」
それだけ言うと、楓さんが茣蓙の上の定位置へと戻っていきました。
たなばたさーらさらー、と、微妙に間違った歌詞を口ずさみながら。
「なれるって、何に?」
「えっと、その」
「まぁ短冊に書いたものだろうけど」
凛さんが笹の葉に歩み寄って、しげしげと短冊を眺め回します。
『サイキック』
『もっとがんばります!』
『早割25%に間に合いますように』
『金』
『プロデューサー』
「……無記名なんだよね」
「はい。かれ、誰かが書いた短冊で一悶着ありましたからね」
短冊には関係有りませんが、端っこの茣蓙では加蓮さんが担当Pさんにお酌をしています。
どこから持ってきたのか二人の周りにはずらりと酒瓶が並んでいて、担当Pさんの顔はどこか怯えているように見えました。
「ところで凛さん。この『プロデューサー』っていう短冊」
「あ、アーニャだ。何やってるのかな」
凛さんがすすいとアーニャさん達の元に駆け寄って行きます。
……そうですね、『詳しい話』はまた後日聞かせてもらいましょう。
「冥王の輝き!」
「蘭子。それはグドハンティ、火星です」
立派な天体望遠鏡が一脚、屋上の隅に据え付けられていました。
美嘉さんや蘭子さんが代わりばんこに覗き込んで、アーニャさんに次々と質問をぶつけています。
私も夜空を見上げて……あの星座は果たして何と教わったかと、頭を悩ませました。
「やってるね。でもそれ、今日は必要無いんじゃない?」
「ダヴァイ、これはオマケですね。夏にしては良く見えるから」
「土星のわっかとか見えるの?」
「やってみますか、凛」
凛さんも加わって、小さな天体観測会が始まりました。
月の模様を見て、あれは兎だ、いやナナさんだよと盛り上がります。
……そろそろ、かな?
「アーニャさん。そろそろですよね」
「はい。あと十分くらいでアルチョーム、時間です」
「楽しみです」
「私も、ドキドキしてます」
観測会をこっそりと抜け出して、目的の人を探します。
立派な体格はすぐに見つかって、屋上の柵にもたれて空を眺めているところでした。
「お疲れ様でした」
「あいつらなんて軽いもんさ。……楓さんもな」
Pさんが肩を叩いて応えます。……困った姉です。
「しかし驚いたよ。今日の七夕会、肇の発案なんだろう?」
「本当は私とアーニャさんですけどね」
一年越しの計画でした、と言ったらもっと驚くでしょうか?
計画と言う程のものでもありませんけどね。
……せいぜい、茄子さんに晴天祈願を頼んだぐらいです。
「……あの辺が天の川、か?」
「そうですね……やっぱり、岡山ほど綺麗には見えませんね」
「そりゃあな。今度アナスタシアさんとか渋谷さん達を連れて旅行にでも行くといい」
「Pさんもいかがですか? また川釣り、したいです」
「それも悪くないが、今度は天の川で川釣りなんてのも良いな」
「難しそうですね」
「そうか? まぁ肇が織姫になれば出来るだろう」
ぎしり、と。
油の切れた絡繰人形のように首が固まります。
「なっ、何でそれ、を」
「ん? 肇の短冊だろう。『織姫になりたい』って」
「わぁっ! わぁ! 何で分かったんですか!」
「肇の字は綺麗だからな、一目で分かる。別に恥ずかしがる事もないだろう」
誤算でした。まさか、筆跡で見破られるなんて……
あれ、ひょっとするとこの短冊って、担当アイドルのものはみんな分かってしまうのでは……?
「肇ならなれるさ。小早川さんに頼んで衣装貸してもらおうか」
「結構ですっ」
「似合うと思うんだが」
真顔で考え込むPさんを前に、溜息を吐きます。
全く、真面目なのか抜けているのか、よく分からない人です。
「それで、どうして七夕会なんて開いたんだ」
「……Pさん、最近ニュースとか見ましたか?」
「いや……忙しくて見てないな。それが?」
「そうですね、いわゆる『百聞は一見に如かず』、というやつです」
「……どういう意味だ?」
――答えようとした瞬間、屋上が歓声に沸き上がりました。
「光った! いま光ったよ!」
「えっ!? 未央ちゃん、どこ?」
「どこってしまむー、ほらっ!」
空に、光が散りました。
夜空のキャンバスに次々と星の筆跡が描かれては消え、また新たに塗り替えられていきます。
「……えっと、加蓮。消えるまでに三回唱えるんだっけ」
「うん。あんな風に」
「増益増益増益増益増益…………」
「ちひろさん……」
屋上のあちらこちらから、願い事が聞こえてきます。
トップアイドルになりたかったり、お腹いっぱい好きな物を食べたかったり、あるいは、好きな……
皆さんの瞳は、流れ星にだって負けないぐらいに煌めいていました。
「……流星群か」
「はい。七夕の日にこれだけ降るのは七十二年後だそうで」
「俺も長生きしてみるかな」
以前に比べればPさんも随分冗談が増えました。
ただいつも真顔で飛ばすので、冗談なのかそうでないのかちょっと分かりにくいですが。
「流れ星に願い、掛けないのか」
「はい。短冊だけで十分です」
「いいのか。こんなに願いが叶いそうな機会なんて、百年に一度なんだろう」
願いは、掛けませんよ? 綺麗な光景を見せてくれただけで満足です。
だって、私が目指すのは、流れ星じゃなくて……
わざとらしく一つ咳払いをして。両手を広げてくるりと回り、天を仰ぎます。
「『アイドルはな、星なんだ』」
「……おい、肇」
「『たまたま地上に降りて、眩しいくらい輝くんだ』――」
「わかったよ、やめてくれ。顔から火が出そうだ」
顔の前で手をひらひらさせながら、Pさんが首を振ります。
ちょっとした仕返しです。
「私は願いを掛ける側より、叶える側に……そうですね。それこそ流れ星よりも、織姫になってみたいんですよ」
「……はぁ。いつの間にやら肇も良い性格になったもんだ」
「素晴らしい姉と、友人達に恵まれたもので」
そしてもちろん、最高のプロデューサーにも。
……なんて、直接口に出すのはもうちょっと先になりそうです。
「それに、もう一つの願いは叶ってしまいましたから」
「……もう一つ?」
プロデューサーさんでも届かない、笹のてっぺん。
夜空に一番近い場所に、笹の葉型に切り抜いた緑の短冊が、こっそりと結ばれています。
去年は結局、願い事を掛け忘れてしまいましたから。
今年は二つ願いを掛けたって、きっと許してもらえるでしょう。
「それはまだ内緒、です」
――また来年の七夕には、こっそり教えてあげましょうか。
そんな事を考えながら、Pさんと肩を並べて。
ベガと、アルタイルと、流れ星と。
それから、賑やかに笑い合う星のタマゴたちを。
笹の葉擦れを聞きながら、二人で静かに見守っていました。
働き者の彦星様へ
いつもいつも一生懸命にお仕事、お疲れ様です。
でも、息抜きだってとっても大切ですから。
たまには私達と一緒に、楽しく遊んでくださいね。
織姫より
おしまい。
肇ちゃんは撫で回したい天女可愛い
前作と同じく、話はおねシンから引っ張ってきてます
あとアーニャが話してるロシア語っぽい部分は全て適当なのであしからず
ちなみに微課金なのでR以上の肇ちゃんは持ってません
誰か助けてくれ
肇ちゃんはガチャで月末目玉当てるとかそういう問題じゃないもんね…
おつかれさまっす
おっつおっつ☆
九天玄女の だけ居ないからら、お迎えのためにちょくちょく貯めてる所だわ
早割25%はどっちだろ
九天玄女以外揃えてるとかすっげぇ
>>61
荒木先生のつもりで書いたけど毎即売会前の俺の心情も多分に含んでます
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