【モバマスSS】あやかし事務所のアイドルさん 個別ルート・肇編 (55)

※注意事項※
このSSはアイドルマスターシンデレラガールズの二次創作です。

続き物ですので、過去作(下記)を先に読んでいただければ幸いです。

登場するアイドルの多くが妖怪という設定になっております。

それでも構わない、人外アイドルばっちこい!という方のみご覧下さい。

プロローグ(【モバマスSS】あやかし事務所のアイドルさん【文香(?)】 - SSまとめ速報
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続(【モバマスSS】続・あやかし事務所のアイドルさん - SSまとめ速報
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続々(【モバマスSS】続々・あやかし事務所のアイドルさん - SSまとめ速報
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続続々(【モバマスSS】続続々・あやかし事務所のアイドルさん - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1488901052/))

番外編①(あやかし事務所のアイドルさん 番外編① - SSまとめ速報
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番外編②(あやかし事務所のアイドルさん 番外編② - SSまとめ速報
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前日譚-肇-(【モバマスSS】あやかし事務所のアイドルさん 前日譚~肇編~ - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1491389066))


SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1497455039

ほんの少し欠けた月が輝く夜、文香は志希の部屋を訪れていました。

「いらっしゃ~い。ま、座って座って」

「すみません、お邪魔します……あの、どこに座れば?」

志希の部屋は文字通り足の踏み場もありません。

「おっとごめんね。その辺りの本をこっちに頂戴、座布団も埋まってるはずだから」

積み重なった本をよけて一人分のスペースが出来た所で文香は腰を下ろしました。

「その、片付けをするのでしたらお手伝いしますが?」

「いいのいいの、物がどこにあるか分かっていて、ある程度の清潔さが保たれていれば問題なし! 薬品を扱うスペースは隣の部屋だし、そっちはちゃんと整理整頓してあるよん」

ちなみに志希の言う整理整頓とはよく使うものがどこにあるか把握している状態の事ですので、隣の部屋の惨状もお察しの通りです。

「それで、わざわざあたしの部屋で話したいことってなんなのかにゃ?」

「志希さんに相談したいことがありまして」

「ほほう、何やら面白くなりそうな予感」

「それと、相談の前に一つ質問なのですが……志希さんは妖怪として生まれたことに疑問や後悔などありませんか?」

「ないよ?」

「……即答ですね」

「あたしは割と長生きしているけど、興味深いコトは山ほどあって全然飽きないからね。人間の一生じゃあとても足りないし、妖怪で良かったと思ったことは沢山あるけど逆はないかな」

「なるほど、志希さんらしいです」

「そういう文香ちゃんはなにか後悔しているのかな?」

「私もそのようなことはありませんね。ただ……いえ、何でもありません」

「明らかに何かあるよね、それ」

「す、すみません、失言でした」

「んー…気になるけど、まあいっか。今聞いても答えてもらえないだろうし。とりあえず本題を聞かせてよ。あ、話が長くなるならコーヒーでも入れようか? ビーカーがコップ代わりだけど」

「いえ、それは結構です」

「つれないにゃ~。変な薬入れたりなんてしないのに」

「つい先月寮内でパンデミックを引き起こした方の言うことではありませんね」

「面白そうな効果の薬が出来ちゃったら試したくなるよね?」

「あれだけ叱られたのに反省の色が欠片も見えないのは流石です……」

「まあそれはさておき、相談って?」

「……私のチカラの検証について、協力していただけませんか?」

「…へぇ、意外だね。文香ちゃんはそのチカラを使わないようにしていくんだと思ってた。面白そうだしあたしとしては大歓迎だけど、どういう風の吹き回しなのか教えてくれたらもっとやる気が出るかもよ?」

「人の物を奪ってばかりだったこのチカラで何かを成せる可能性を感じたから、と言いましょうか……ごめんなさい、詳細はまだ言えません」

「ふーむ、どうもさっき言いかけたことに関係あるっぽい? 理由は追々分かるだろうし、それも含めて興味深いね。OK、協力しよう!」

「ありがとうございます。では、予定の合う時にまた……」

「にゃっはっはー、何言ってるの文香ちゃん。いつ調べるの? 今でしょ!」

「え?」

「過去の症例は一度ごっそり洗うべきだね。まずは文香ちゃんが纏めた本を確認しようか。にゃふふ、楽しくなってきた~♪」

「え、あの、そんなに急がなくても……」

「残念、あたしの興味を引いた時点でブレーキは壊れたと思ってもらおう! ではでは文香ちゃんの部屋にGO!」

テンションが天元突破した志希を止めることは文香には不可能でした。

翌朝、ランニングの時間になってもやってこない文香の様子を見に行った肇は、一心不乱に本を読み漁る志希と崩れた本の山に埋まってうなされている文香を目撃するのでした。

あやかし事務所のアイドルさん 最終話:オオカミ少女と魔法使い

時は流れ、今年も桜の季節がやってきました。

今日はプロデューサーから重大なお知らせがあるとのことで、寮のリビングには事務所のメンバー全員が集まっています。

「ふぁ…この時間はまだ眠いわね。もう少し遅くにしてくれたらいいのに」

「全員が一堂に会することの出来る時間は限られておりますので、仕方なきことかとー」

「明るいうちから奏さんが起きているのは不思議な感じがしますね」

「というか、まだお日様出てるけど大丈夫にゃ?」

「直接日光を浴びなければ問題ないわ。だからカーテンを開けようとした志希の拘束は引き続きよろしくね、夕美」

「了解っ。駄目だよ志希ちゃん、人の嫌がることをするのは」

「好奇心に勝てなかった、今はちょっぴり反省している。だからこの蔦ほどいて~」

「ほんまにしょうもないなぁ、志希はんは」

「サバーキェ サバーチヤ スミェールチ…アー、ジゴウジトク、ですね?」

「アーニャさんは時折辛辣なことを言いますね……」

女の子 3人寄れば かしましい なんて言いますが、9人いるのでその3倍です。

3倍のパワーに負けないよう、ホワイトボードの準備が出来たプロデューサーは手を叩きました。

「はい、注目! 今日集まってもらったのは…」

「最近ご無沙汰だし新人さんかな?」

「寮内に知らない人の気配は無いし、それはなさそうね」

「事務所の吸収合併とかは勘弁だにゃあ」

「えっ、うちってそんなに経営怪しかったのっ!?」

「世は無常、金の切れ目が縁の切れ目となるのでしょうかー」

「やめんか縁起でもない。むしろ経営もファン数も右肩上がりだぞ」

「アブリフチェーニイ、ほっとしました」

「となると、良い話になるのでしょうか」

「ああ、まだ先の話だが…これだ!」

プロデューサーがホワイトボードをひっくり返すと、そこには

【祝☆明石事務所オールスターライブ決定!】

という文字がでかでかと書かれています。

一瞬の静寂の後、寮内は歓声に包まれました。

「やったぁ! 全員で一緒のステージに立てるのって初めてだよねっ!」

「会場は!? 会場はどこなのにゃ!?」

「ふふふ、聞いて驚け…ドームだ!」

アイドルならば誰もが憧れる舞台と聞いて、さらに歓声が飛び交います。

「あらまぁ。初めての事務所単独らいぶでどーむなんて、思い切らしましたなぁ」

「最近のライブチケットの売れ方を考えると、ドームくらいじゃないとキャパシティが足りないからな」

「日取りはもう決まっておりましてー?」

「ああ、10月31日の日曜日だ」

「およそ半年後、ですか……頑張らないといけませんね」

「そうだな、長丁場の舞台になるから、いつものライブよりレッスンも本番も大変だとは思うが…皆ならきっとやり遂げてくれると信じている」

「ふふ、そんなこと言われちゃ引き下がれないわね」

「楽しい時間が長いのは大歓迎! MCでも面白いコトやれたらいいね~」

「歌う曲やMCについてはまだこれから決めていく段階だから、希望があったら是非言ってみてくれ。既存のユニットだけでなく新しい組み合わせも取り入れたいところだな」

「ライブのタイトルはもう決まっているのですか?」

「実はまだ決まっていなくてな。近いうちに決めようとは思っているんだが…良い案があったら採用するかもしれないから、こちらも思いついたら教えて欲しい」

「ドキッ☆ネコチャンだらけのオールスターライブ! なんてどうかにゃ? 皆で猫耳付けて~、尻尾もお揃いにして~」

「自分から個性を埋もれさせるなんて、みくはんはちゃれんじゃーどすなぁ」

「み、みくはボス猫ポジションだし! 埋もれないし!」

「ガラクーチカ…天の川、なんてどうでしょう? アイドルという星が集まりますから」

「おお、いい感じだな。ただ、開催日が秋だからちょっと季節外れかもしれん」

「ライブは10月31日……でしたら、仮装などの要素を取り入れるのはいかがでしょう?」

「そっか、その日はハロウィンだねっ!」

「わたくしたちに似つかわしい催しかとー。副題は“百鬼夜行”などいかがでしょー?」

「いやいや、正体を隠してアイドルしているのを忘れないでくれよ? 流石に今みたいな姿でステージに立たせるわけにはいかないぞ」

ちなみに今は寮の中ですので、みんな耳や尻尾・羽など出しっぱなしです。

「せやねぇ、連盟からもそれはあきまへんって言われそうやわ」

「それに私やフミカ、ヨシノの見た目は人と違わないです」

「それは確かにそうだにゃあ」

却下になりそうだったその時、文香から名案が飛び出しました。

「あの、自分の種族以外の仮装にすればいいのではありませんか?」

「ああ、なるほど。確かにそれなら正体がばれる心配もないか」

「面白そうっ! 私はそうだなぁ…吸血鬼、やってみたいかもっ!」

「あら、光栄ね。吸血鬼らしい振る舞いなら教えてあげるわよ?」

「あたしはラミアとかにしてみようかにゃ~、それっぽいコンタクトとかも用意して」

「わたくしは烏天狗でしょうかー。一本歯の高下駄にて舞を披露いたしましょー」

「高下駄は歩くことすら難しいはずなのですが……」

「芳乃はんなら冗談抜きでやってしまいそうなのがおっとろしいわぁ」

「下駄はともかく、反対意見も無いようだし決まりだな。序盤を仮装で、休憩を挟んで後半は普段のようなライブ衣装で、という構成で行くか」

元気のよい返事が響き渡った後、どんな仮装をするかでリビングはまた賑やかになるのでした。

「みくは勿論化け猫でいくにゃ!」

「私は…ンー、すぐには思いつきませんね。ハジメはどうしますか?」

「そうですね………うん、私は狼女にしようかと思います」

「シトー? それはダメだと言われていますよ、ハジメ?」

アナスタシアだけでなく他のアイドル達も不思議そうにする中、文香は肇が言おうとしていることを察してしまいました。

「…皆さんに聞いてもらいたいことがあります。実は私は…」

そう前置きをして、肇は打ち明け話を始めました。

自分が狼女ではないこと。

元々は人間であり、ずっと昔に犬神憑きと成ったこと。

プロデューサーに妖怪であることを明かした時に嘘をついて、その嘘を今まで続けてしまったこと。

肇が告白を終えると、寮のリビングに静寂が訪れました。

「…私の話は以上です。ずっと皆さんを騙していました、申し訳ありません…」

そんな肇にアナスタシアはおずおずと手を挙げて質問しました。

「つまり、ハジメの秘められた力が覚醒してしまうのですか?」

「覚醒って…えっ!?」

「闇に生きる者は正体を明かすことで真の力が覚醒し新たなステージへ至る。ランコが言っていましたね?」

「なにそれ面白そう。肇ちゃんが闇に飲まれる!」

「それは確かに蘭子はんが好きそうな展開やなぁ。肇はん、どないですのん?」

「い、いえ、そんなことは…先ほども話しましたが犬神の意識は私の中で眠り続けていますから、特別な力が使えたりもしませんよ?」

「それはそれであやめチャンとか喜びそうな話だにゃあ」

「ねーねー肇ー、分身の術など覚えてみてはいかがでしょー?」

「ライバル役は飛鳥ちゃんかな? この前のライブで手をバチバチさせてたしっ!」

やいのやいのと盛り上がるリビングの空気はすっかりいつも通りで、肇はぽかんとしてしまいました。

「誰だって秘密にしておきたいことはあるものよ。秘密が女を美しくするなんて言葉もあるし、ね」

「奏さん…」

「そして秘密を打ち明けてくれたなら、それを受け止めるのも友人としての甲斐性ってこと。ああ、ここは男の甲斐性と言うべきだったかしら。ねえ、プロデューサーさん?」

「そこでこっちに振るのか…」

気まずそうなプロデューサーの様子に肇が落ち込んでいると、思いもしない言葉がかけられました。

「あー、いや、なんというかだな…実はずっと前から肇の正体は知っていてな?」

「………え?」

「肇をスカウトした後にお爺さんと二人で話させてもらっただろ? その時に聞いたんだ。隠しておきたかったみたいだし、正体を暴くのは昔話みたく碌な結果にならないかと思って黙っていたんだが…肇から言ってくれるとは思わなかったな」

「え、ええー…では言うべきかずっと思い悩んでいた私の苦悩は…」

「まさしく取り越し苦労かとー」

芳乃の言葉にがっくりと落ち込む肇においうちが放たれます。

「まあ嘘を吐いていたのは事実だし、罪滅ぼしに罰ゲームなんてどうかしら?」

「それはええどすなぁ。せやねぇ…らいぶで肇はんのする仮装を皆で決めるのはどないやろ?」

「えっ!?」

「肇が普段しないような恰好がよろしいかとー」

「あっ、セクシー路線はどうかなっ?」

「開発中のフェロモン香水とかも使っちゃう?」

思わぬ話の流れに戸惑い視線で文香に助けを求める肇でしたが、文香は気付かないフリをしました。

「定番ですが、サキュバスなどいかがでしょうか?」

「文香さん!?」

「セクシーはいいが、ステージに立たせられないような露出過多な衣装はNGだぞ?」

「Pちゃんも結構ノリノリだにゃ」

「新しい肇の魅力が見つけられるチャンスかもしれないからな」

「プラーウダ…ホンネは?」

「サキュバス衣装の肇とか見てみたいに決まって…ハッ!?」

「ぷ、プロデューサーさんのえっち!」

その後天岩戸ならぬ押入れに籠ってしまった肇を引っ張り出すべく開催されたカラオケ大会は大いに盛り上がるのでした。

お仕事やレッスンに明け暮れていると半年なんてあっという間です。

満を持して迎えたライブ当日、ドームには大勢のファンが押し寄せました。

仮装をしてきているファンも多く、会場はまるで百鬼夜行のようです。

ステージが開演すると、歓声の中いつもとは一風変わった衣装でアイドルたちが登場しました。

中でも肇の衣装は普段とのギャップもあり大きな反響を呼んだのですが、本人の名誉のために詳細は伏せさせていただきます。

それはさておき、アイドルたちだけではなく、スタッフやファンとも一丸となって作り上げたライブはこれまでにないほどの盛り上がりで幕を閉じるのでした。

めでたしめでたし。

…と、ここで終わればよかったのですが、そうは問屋が卸しません。

その日の夜、寮で行われた打ち上げパーティーで事件は起こりました。

「それでは…乾杯!」

『かんぱーい!!!』

プロデューサーの掛け声で一斉にグラスがぶつかり合い、澄んだ音が鳴り響きました。

明日はみんな仕事が休みなので、今回はアルコールありの宴会です。

Pを除くと最年少のみくでも余裕で20歳は超えていますから、何も問題などありません。

「はぁ~、久しぶりのお酒は美味しいわぁ」

「一杯目から日本酒なのは相変わらずなのね。こっちのワインも美味しいからたまには飲んでみない?」

「せやなぁ、ほんならちょびっとだけ」

「う、いつだったか奏チャンに酔い潰された時の記憶が…頭が痛むにゃあ…」

「みくちゃん大丈夫? 酔い覚ましのお薬飲む?」

「あれは二度とごめんにゃ!!」

「にゃはは、ざーんねん。新作は自信あるんだけどなー」

「あ、この焼酎美味しいっ!」

「ふふっ、おじいちゃんが送ってくれたものなんですよ。気に入ってもらえてよかったです」

「それじゃあ肇ちゃんには私の自家製梅酒をご返杯するねっ」

「お受けします…ああ、とても美味しいですね。梅の香りも爽やかで…いくらでも飲めてしまいそうです」

「えへへ、自信作だからね。あ、プロデューサーさんもどうかなっ?」

「おお、じゃあ次はそれを貰おうかな」

「問題ないことは分かっているのですが、芳乃さんがお酒を嗜まれている姿はとても外では見せられませんね」

「これでもわたくしは最年長組の一人なのでしてー。敬い給えー」

「ピヤーニツァ…まだ二杯目ですがもう酔っていますか、ヨシノ?」

「この程度ではまだまだー。疑うならば飲み比べでもいたしましょー」

「ハラショー、望むところですね。フミカもどうですか?」

「わ、私はあまりお酒には強くないので……」

ゆっくりとお酒を楽しむ者、水のようにウォッカを呷る者、おつまみへ伸ばす手が止まらない者。

大きなライブの後ということもあってみんなのテンションはいつも以上に高く、にぎやかに楽しい時は過ぎていきました。

そんな中、プロデューサーの様子がおかしいことに最初に気付いたのは肇でした。

「プロデューサーさん、随分顔が赤いですけれど大丈夫ですか?」

「んー? あぁ、平気平気。この酒が美味しくてなー」

そう言ってプロデューサーが掲げた瓶には【鬼屠り】というラベルがついていました。

「見たことのないお酒ですね」

「それはうちが持ってきたんよ。お母はんが送ってくれたんやけど、一人で飲むには勿体ないくらいええお酒やから皆で飲みましょ思うて」

「おー、そうだったのか。悪い、結構飲んでしまった」

「ええんよ、美味しゅう飲んでもらえたならお酒も本望ですやろ。でも手酌はあきまへんなぁ。うちがお酌しますえ」

「おお、すまんな。くぅ~、旨い…美人に注いでもらうとまた格別だな」

「ふふ、お上手やね。肇はんもいかがどす?」

「いただきます。紗枝ちゃんにもご返杯を」

「おおきに…はぁ、おいし。故郷を思い出しますわぁ」

「わ、本当に美味しい…美味しいですが、これ相当強くありませんか?」

「このくらい強ぅないと飲んだ気がしませんやろ?」

「そういえば紗枝ちゃんは酒豪でしたね…あの、本当に大丈夫ですか、プロデューサーさん」

「美味しいから大丈夫だよ~」

「ぷろでゅーさーはんは物真似のお勉強が必要どすなぁ」

「びっくりするくらい似てなかったですね…」

それから数分ほどでプロデューサーはうつらうつらと舟をこぎ始めてしまいました。

「あらま、ぷろでゅーさーはんがこないに酔わはるのは珍しいなぁ」

「普段はこんなに飲みませんからね。プロデューサーさん、眠るなら客間まで行きましょう?」

「ん~、まだ寝てない…寝てないから…」

「ふふ、ちっちゃい子みたいや。かいらしなぁ」

「私としては目を瞑っているのにテレビを消すと文句を言うおじいちゃんを思い出します」

「そういえばうちのおとうはんも同じようなこと言っておかあはんに叱られとったなぁ。なんや懐かしいわ」

「あれ、プロデューサーさん寝ちゃったの? もうちょっとおしゃべりしたかったんだけどな」

「ちょっと飲ませすぎてしもうたかなぁ」

「寝てないって…俺ももっと皆と話を…」

「明日が休みとはいえ、無理はいけませんよ」

「あ、ちょっと待っててね。このまま寝たら二日酔いになっちゃいそうだから」

そう言うと夕美は特製のハーブティーを持ってきてくれました。

「寝る前にこれを飲んでおくと明日の朝が楽になるよっ!」

「お~、すまんな…」

「夕美さんのハーブティーには色んな効果がありますね」

「えへへ、志希ちゃんが作る薬に比べたら効果はマイルドだけどねっ」

「あれは副作用や失敗した時が洒落になりまへんから比べるものやないですやろ」

「ああ、少し楽になった気がする。ありがとうな、夕美」

「えへへ、どういたしましてっ」

「ふぅ、染み渡る…文香のデビューライブの時なんかも夕美には助けられたっけなぁ。事務所で一番の良識派でもあるし…いつも感謝しているよ」

「や、やだなあ、褒めすぎっ」

照れた夕美の背中からは花が舞い踊っています。

「プロデューサーさんらしからぬ素直さですね」

「せやなぁ、変な物でも飲んだみたいや」

「た、ただのハーブティーだよっ!?」

「うふふ、冗談や」

「紗枝の冗談は心臓に悪いからなー」

「ふーんだ、夕美はんみたいな優しさが無うてごめんなぁ」

「む、そんなことは無いぞ。確かに分かりにくかったり回りくどいことはあるが、紗枝の気配りは本当にありがたいんだからな」

「な、なんやの急にそないなこと言って…」

「事務所に転がり込んできた時にはどうなる事かと思ったが、アイドル業にも真面目に取り組んでくれているし、表立ってリーダー役はしなくても陰ながら支えてくれることが多いし。それを嫌味なく出来るのが紗枝の凄いところだよな」

「え、い、嫌やわぁ、本当に悪いものでも食べたんとちゃいますの?」

ストレートな褒め言葉には弱いのか、紗枝の頬っぺたは真っ赤です。

普段はぴんと伸びたご自慢の狐耳も心なしかふにゃっとしてしまいました。

紗枝が火照った顔を隠そうとしていると、他のアイドル達も話の輪に入ってきました。

「なんだか騒がしいけど、どうかしたにゃ?」

「ええ、実はかくかくしかじか…」

「まるまるうまうまって訳ね。なぁに、自白剤でも飲ませたの?」

「普通のハーブティーだってばっ!?」

「お酒との飲み合わせが悪かったんでしょうか…」

「なんにせよ面白い状況には違いないね。ねぇねぇプロデューサー、あたしのことはどう思っているのかにゃ~?」

「志希かー。志希はトラブルメイカーだよなぁ」

「うーん、予想通りの回答」

「でも洒落にならないことはしないし、志希が持ってくるトラブルは最終的に笑い話に出来るんだよ。自由奔放に見えて意外と周囲をよく見てくれているし、いざという時には尽力を惜しまないし、好奇心が強いだけあって幅広い知識もあるから、何かあった時に頼りになるのが志希だよな」

「流れが変わったのでしてー」

「ごめんストップ、あたしのことはもういいから! にゃはは~、意外と恥ずかしいね~これ」

「志希もそんな風に照れたりするのね。ふふ、いい物が見られたわ」

「なぁなぁぷろでゅーさーはん、奏はんの事はどう思ってはりますの?」

「ちょっと紗枝!?」

みんなでプロデューサーを質問攻めにしていると、アナスタシアが爆弾を放り込みました。

「プロデューサーはミーラャ マヤー…アー、好きな人、いますか?」

『!?』

「おう、いるぞー」

「あっさり答えたにゃ!?」

「では、それは…モゴモゴ」

とっさにみんなでアナスタシアを取り押さえました。

一旦プロデューサーから離れ、円陣を組んで乙女会議開始です。

「あ、アーニャちゃん、流石にそれはまずいんじゃないかなっ?」

「でも、今を逃すとプロデューサーの本音、聞けないです。皆は気になりませんか?」

「それはその…ねぇ?」

「気にはなりますけど、こんな形で聞いてしまって良いのでしょうか?」

「散々質問攻めにした後でそれは今更かとー」

「現状でも記憶が残っていたなら後で怒られるんだし、毒食らわば皿までってことでいいんじゃない?」

乙女会議の結果、賛成多数で尋ねることになりました。

「ほな、うちらの誰かやったとしても恨みっこなしやで」

「よし、それじゃあPチャン…って、寝てるにゃー!?」

みんなで円陣を組んでいる間に、プロデューサーは机に突っ伏して夢の国に旅立とうとしていました。

「んー…寝てないって…むにゃむにゃ…」

「寝落ちする寸前みたいね」

「ドーブラャ ウートラ…起きてください、プロデューサー」

「起きてるって…どうしたぁ…?」

「プロデューサーの好きな人、誰ですか?」

「んー…でも噂になったりしたら恥ずかしいし…」

「乙女か!!」

「内緒にいたしますので安心してくださいませー」

「内緒かぁ…内緒ならいいかぁ…」

「でしてー」

「わぁ、芳乃ちゃんが【計画通り】みたいな顔してる…」

「じゃあ言うけど…女々しいなんて言ってくれるなよー」

「女々しい?」

「だってなぁ…子供の頃の初恋相手を未だに、なんてなぁ…」

その言葉にみんなの視線が一点に集まります。

「あの……もしやプロデューサーさんの好きな方というのは……」

「肇には内緒…だからな…ぐぅ…」

そう言うとプロデューサーは寝入ってしまいました。

「…内緒と言われても、ねぇ?」

「う、うぅ~…」

みんなが見つめる先では肇が真っ赤になっていました。

「あー…なんかごめんにゃ、ロマンの欠片もない告白にしちゃって」

「い、いえ、私も尋ねることに賛成しましたから文句なんて…」

「ですが、この様子では覚えていないかもしれませんなー」

「後日雰囲気作りからやり直しが必要ね」

普段の様子を見れば肇の好きな人が誰かなんて一目瞭然ですから、両想いと分かったみんなは口々に囃し立てました。

「積み重ねた年月には勝てへんかったかぁ」

「おめでたいですが、残念です…ところで、国籍が違えば重婚が出来るというのは本当でしょうか?」

「アーニャちゃんメンタル強いね…」

「日本では無理なんじゃないかなー」

「経緯はともあれ……おめでとうございます、肇さん」

文香の言葉に肇がはにかみながら答えようとしたその時です。

「…ァッ!?」

肇の耳と尻尾がぞわりと逆立ち、そこから噴き出した真っ黒な煙がプロデューサーに襲い掛かりました。

「き、急にどうしたの肇ちゃんっ!?」

「照れ隠しにしては過激すぎるにゃ!」

「違っ、と、止められ…なくて…くっ!」

話している間にもどす黒い靄は湧き上がり続けています。

「これは緊急事態どすなぁ。うちの結界で防ぎきれますやろか」

「…遮断できてる! 紗枝ちゃんナイス!」

「纏わりついている瘴気はわたくしにお任せあれー。祓い給えー、清め給えー」

「お祓いが苦手な人は離れないと巻き込まれるわよ!」

「芳乃ちゃんも妖怪なのにお祓い出来るんだ…」

「昔取った杵柄でしてー。かしこみかしこみもうしますー」

紗枝や芳乃の活躍でプロデューサーを覆っていた靄は取り除けましたが、プロデューサーが起きる気配はありません。

「短時間とはいえ、無防備なところにあれだけ強い瘴気を浴びては……」

「そんな…プロデューサー、さん…」

「…くかー…くかー…」

『………………』

「ドリモータ…アー、寝ているだけ、ですね?」

「志希、やっちゃって」

「酒気覚ましと眠気覚ましを合成、こまごめピペットでプロデューサーの口にシュート!」

「…もごもご…!? aДpe☆☆★!?!?!?」

効果はてきめんでした。

何度も口をゆすいだプロデューサーは眠気も酔いもすっかり吹き飛んだようです。

「まだ口がひりひりする…で、何事なんだ?」

「説明する前にいくつか確認したいのだけれど、体調は大丈夫かしら? 酷く怠かったりどこか痛かったりはしない?」

「口以外に問題は無いぞ。随分飲んだはずだがアルコールの影響も全く残ってないし、流石志希の薬だな。味は酷かったが」

「あの瘴気を受けて無傷って…Pチャンも若干人間やめてるにゃあ(ヒソヒソ」

「普通の人ならば昏倒は確実でしてー。即死していてもおかしくはなかったかとー(ヒソヒソ」

「抵抗力が強いことは知っていましたが、ここまでとは……(ヒソヒソ」

「おい、後ろから何やら物騒な話が聞こえるんだが?」

「無事だったのだから気にしないの。質問その2、宴会の事はどこまで覚えているかしら?」

「うーん…紗枝が持ってきたお酒が美味しくてついつい飲み過ぎたのは覚えているが、そこからは記憶が曖昧だな」

「ハーブティーを飲んだ時にはもう記憶がなかったんだね(ヒソヒソ」

「記憶が飛ぶくらい飲んでもあないに流暢に話せるんどすなぁ(ヒソヒソ」

「それじゃあ次の質問…」

「あ、ちょっと待った、その前にひとついいか」

「あら、どうかした?」

「さっきから肇の顔色が優れないんだが、大丈夫か?」

「!? だ、大丈夫で…いえ、そうですね、私もちょっと飲みすぎたかもしれません。少し外で風に当たってきます。文香さん、よかったら付き合って貰えませんか?」

「え、ええ、私でよければ」

「あ、みくも行くにゃ!」

三人がリビングを出ていくと、プロデューサーはため息をつきました。

「はぁ…よく分からんがまずい状況みたいだな」

「トーチヌイ…正解、です」

「にゃはは、やっぱり分かっちゃう?」

「分からいでか。顔色のこともそうだが、肇がこちらを心配そうにしているくせに遠巻きに見ているだけ、なんて初めてのことだぞ」

「確かにプロデューサーさんに何かあったらすぐ傍に飛んでいくよね、肇ちゃんって」

「まあ今日はぷろでゅーさーはんに近付く訳にはいかへんかったからなぁ」

「それじゃあ私から説明させてもらうけれど…怒らないで最後までちゃんと聞いてね?」

プロデューサーが記憶を無くした後のことを奏が話し始めると、紗枝はさりげなく話の輪から離れました。

「ふぅ…結界は得意なつもりやったんやけどなぁ…」

プロデューサーには見えていませんが、今もまだ部屋の外から瘴気は入り込んできています。

何とか結界で食い止めてはいますが、消耗が大きいのか紗枝の額にはじんわりと汗がにじみ出していました。

「おかわりの方がわたくしが祓える量よりも多いようですなー、わたくしも結界維持に協力いたしましょー」

「芳乃はん、おおきに。それにしても、肇はんはえらい大物を抱えとったんやねぇ」

「でしてー。この瘴気は何百年単位で溜めこまれたものではないかとー」
 
「連盟が出張ってくるようなことにならへんとええんやけど…ああ、あちらさんの話は終わったみたいやね」

二人がみんなの方に視線を向けると、酔っている間に好きな人を暴露してしまったプロデューサーが崩れ落ちていました。

「さて、外の方はどないやろうなぁ」

「志希もいつの間にやらそちらへ行ったようですし、何か打開策が閃いていれば良いのですがー」

ここで時間を少々戻して、場面は肇と文香とみくの三人がリビングを出たところへ移ります。

「肇チャン、その瘴気はどうにか止められないのにゃ?」

「ええ、これでも、抑え込んでいるつもり、なのですが…」

「外ではなく少し休める場所に行った方が良いかも知れませんね。肇さんの部屋でよろしいでしょうか?」

「ええ、大丈夫で…っ!」

ふらつく肇を両脇から二人が支えました。

「す、すみません…」

「気にしない気にしない。それにしても、この瘴気ってみくたちには何の影響もないみたいだにゃあ」

「確かにプロデューサーさんだけを狙い撃ちにしていますね」

「…はい、その通りです」

「……肇さん、心当たりがあるのですね?」

肇が暗い顔で頷くと、沈んだ空気を吹き飛ばすようにみくが言いました。

「原因が分かったら対処法も閃くかもしれないし、ひとまず肇チャンの部屋で話を纏めるにゃ!」

座布団に腰を下ろすと、肇はぽつりぽつりと話し始めました。

「私の村で行われた犬神憑きの儀式は、多数の犬を殺し合わせて生き残った一匹を顔だけ出して地面に埋め、限界まで飢えさせて首を刎ねるというものでした」

「ひ、酷過ぎるにゃ…」

「一般的な手法に蠱毒が合わさった形、なのでしょうか……」

「そんな成り立ちですから、犬神が抱えた人への恨みはとても大きな物です。長い年月を経ても風化しないほどに」

「ということは、やはりその瘴気は……」

「…はい、私の中で目覚めた犬神によるものです」

「で、でも、今まで眠りっぱなしだったのになんで急に目を覚ましたのかにゃ?」

「…儀式で殺し合わされた犬の中には、犬神の伴侶だった相手も居たんです。薬で理性を消され、訳も分からぬまま愛した相手を手にかけた。犬神憑きとなった時、私の中に流れ込んできた感情は恨みだけでなく、愛する者を失った深い悲しみもありました」

「…つくづく碌でもない儀式だにゃあ」

「! まさか、犬神が目を覚ましたきっかけは……!」

「…私とプロデューサーさんが両思いだということが分かったから、でしょうね。犬神が目を覚ました時に頭に響いた声からも間違いないかと」

「響いた声とは……?」

「『リア充死すべし、慈悲は無い』です」

「現代に毒され過ぎてるにゃ!?」

こんな時でもみくのツッコミは絶好調でした。

「ええー、シリアスな空気が木端微塵にゃ…」

「つまりは嫉妬、ですか……そうなると鎮めるのは難しいかもしれませんね……」

「え、嘘、シリアスモード継続!?」

「源氏物語の六条御息所は言うに及ばず、橋姫や鉄輪の話など嫉妬心による呪いは枚挙に暇がなく、どれも厄介なものですから……」

「た、確かに肇チャンの出してる瘴気はとんでもなく強いけど…」

「何とか止めたいのですが、少しでも弱くなるよう抑えるので精いっぱい、ですね…」

「先ほどは紗枝さんや芳乃さん、それにプロデューサーさんの抵抗力のおかげで最悪の事態は免れましたが……抑えが効かなくなったとしたら次は危ないかもしれません」

部屋に重苦しい沈黙が訪れたその時、ノックの音と共に扉が開きました。

「やほー、こっちはどんな感じ?」

「……芳しくはありませんね。瘴気の原因ですが、かくかくしかじか」

「まるまるくまぐまって訳ね。んー、大体予想通りだけど、そうなると丸く収めるのはちょーっと難しいかにゃ~」

「そんにゃ!? ほら、さっき芳乃チャンがお祓いしてたし、その要領で犬神を祓うとか!」

「瘴気の末端ならともかく、これだけ荒ぶっている犬神を祓うなんてまず無理。第一その場合犬神憑きの肇ちゃんごと祓われちゃうし」

「犬神を何とか説得することは出来ないでしょうか?」

「…無理ですね、こちらの呼びかけに答えてくれる気配はありません」

「この手の話の結末は…ま、言うまでもないよね」

「志希チャン! そんな言い方しなくても!」

「事実は事実として認めないと。それに、今回に限って言えば抜け道はあるわけだし」

そう言って文香に意味ありげな視線を送ると、志希はみくの手を掴みました。

「さて、そろそろ奏ちゃんの状況説明も済んだ頃だろうしリビングに戻ろっか。あたしはみくちゃんと先に行ってるねー」

「え、なんでみくまで!?」

「紗枝ちゃんたちは頑張ってくれてるけど、結界維持が大変みたいだから手伝わないと。まさに猫の手も借りたい状況ってわけ!」

「みくはあんまり結界系の術得意じゃないんだけど…にゃああ、引っ張らないでー!」

「じゃあお先にー、二人もぼちぼちおりてきてねー」

二人が部屋を出て行った後、文香が俯いたままの肇にどう声をかけようか迷っていると、肇は何かを決めたようでした。

「…うん、それしかなさそうですね」

ぽつりと呟き顔を上げた肇の目には覚悟の光が灯っていました。

「文香さん、お願いがあります。私のプロデューサーさんに関する記憶を食べて頂けますか?」

「……確かに問題は解決するかもしれませんが、肇さんはそれでよろしいのですか?」

「プロデューサーさんを[ピーーー]ことなく、私が退治されることもなく解決するにはこの方法しかないでしょうから。文香さんに損な役回りを押し付けてしまうのは申し訳ないのですけれどね」

そう言って困ったように笑う肇の姿は、文香には泣き出す寸前の子供のように見えました。

「瘴気だけでプロデューサーさんを害せないと分かれば、犬神は体の主導権を取りに来るかもしれません。そうなる前に…ぱくりとお願いします」

「……一つだけ条件があります。プロデューサーさんも当事者なのですから、肇さんから直接説明をしてください。それでプロデューサーさんが納得されたなら、責任を持って食べさせていただきます」

「…ごもっとも、ですね。プロデューサーさんも頑固ですから頑張って説得しないと。では私達もリビングに行きましょうか」

「肇さん、本当によろしいのですか?」

「…ええ、考えられる限りこれがベストな解決法です」

そう言って立ち上がろうとする肇を文香が抱きとめました。

「文香さん、何を…」

「部屋から音は漏れないようにしました。私も今からの事は忘れることを約束します。だから……肇さんの本音を聞かせてください」

文香がぎゅっと抱きしめると感情が抑えられなくなったのか、肇の目から大粒の涙がぽろぽろとこぼれ出しました。

「…プロデューサーさんの事を忘れてしまうなんて、そんなの嫌に決まっています! でも、でも他にどうすることも出来ないじゃないですか!」

「大好きだから傍に居たいのに、大好きだから大切にしたいのに、大好きなせいで傷付けてしまうなんて、そんなの…そんなのあんまりです!」

「せっかく両想いだって分かったのに! ずっと一緒に居たかった! 好きだって伝えたかった! 恋人になれたらやってみたいと夢見ていたことだって、たくさん、たくさんあるんです!」

「こんな私が、妖怪の私が、人と愛し合うことが罪だとでも言うんですか! 人のままであの人に出会えていたならば、こんな思いをすることも無かったのに!」

「犬神憑きになったからあの人に巡り合うことが出来たのは分かっています! でも! でも…その結末がこれならば、私は犬神憑きになんて…」

胸に顔をうずめて涙と本心をこぼす肇の背中を、文香はそっと撫でてあげました。

泣きじゃくっていた肇もしばらくそうしていると落ち着いたのか、もぞもぞとハグから解放してもらうとティッシュで鼻をかみ、照れくさそうに笑いました。

「すみません、みっともないところを見せてしまいました」

「みっともなくなんて……第一、私が言わせてしまったようなものですから」

「ふふ、確かにそうかもしれません。でも、ありがとうございます。少しスッキリしました。それに、あのままリビングに降りていたらプロデューサーさんたちの前で感情を溢れさせてしまったかもしれませんから」

先ほどまでよりも自然な笑顔を浮かべると、肇は改めて立ち上がりました。

「さて、いつまでも紗枝ちゃんたちに負担をかけるわけにはいきませんし、私たちもリビングへ向かいましょうか」

「ええ。私は少し自室から取ってくる物がありますので、先に降りていてください」

肇と別れ、自室に入った文香は棚から一冊の本を取り出しました。

「……騙すような真似をして申し訳ありません。でも、私は……」

文香はそう呟くと、本を小脇に抱えて早足でリビングへと向かいました。

リビングには紗枝たちの張った結界を境にして瘴気が立ち込めていました。

「これは……予想以上に事態は逼迫していますね」

「はい。ですので急いで現状と打開策の説明をしたいと思います。申し訳ありませんが、もうしばらく結界の維持をお願いしますね」

「お任せあれー」

「ぷろでゅーさーはんはそこから動いたらあきまへんえ?」

「了解。俺には普段通りのリビングにしか見えないんだがなぁ」

プロデューサーは少し気まずいのか、肇と目が逢うとふいっと逸らしてしまいました。

そんな子供っぽい照れ隠しに肇はくすくすと笑うと、咳払いを一つして説明を始めました。

この瘴気は肇の中で目覚めた犬神によるものであること。

犬神が目覚めたきっかけは、肇がプロデューサーと両思いであることへの嫉妬であること。

嫉妬の原因は犬神憑きを生む儀式で犬神の伴侶を殺させられたことに起因すること。

犬神の説得は不可能であり、このままではプロデューサーか肇が死ぬまで犬神の暴走は止まらないこと。

「ですので、文香さんに私の記憶を…プロデューサーさんに関する記憶を食べて貰おうと思います」

肇がそう言って説明を終えると、静かだったリビングは喧騒に包まれました。

「そんな! せっかく両思いになれたのに、そんなのってないよっ!!」

「…さっき志希チャンが言ってた【抜け道】ってこのことだったんだ…でも、でも!」

「随分と思い切った解決策ね…肇はそれでいいの?」

「現状ではこれが最善の策ですから」

「…そう。二人が付き合い始めたらからかったりしたかったのだけれど。残念だわ」

「みなで考えればもっと良き案が出るかも知れませんが…それには時間が足りませぬか」

「…うん。さすが芳乃ちゃん、お見通しだね」

「ちょ、ちょっと待ってくれ」

あまりのことに硬直していたプロデューサーですが、ようやく再起動しました。

「すまん、聞き間違いだよな…どうやって解決するって?」

「…プロデューサーさんの記憶を文香さんに食べてもらって、です」

「そんな馬鹿なこと!」

そう言って肇に詰め寄ろうとするプロデューサーでしたが、志希とアナスタシアに両腕を取られてしまいました。

「っ!? なんで止める!!」

「アパースノスチ…アー、これより先、危ないです」

「せっかく結界を張ってるのに、プロデューサーは通り抜けちゃうからね~」

「離してくれ! さっきも大丈夫だったんだ、問題なんて…!」

「…ふふっ、プロデューサーさんは変わらないですね。強がる時の癖も子供の頃のままです」

「な、何を言って…」

「風邪の時のようなだるさがあるのでしょう? 一目見たら分かっちゃいますよ」

「え、そうなの? アーニャちゃんは分かる?」

「…ニェット、普段と変わらないみたいですね?」

観念したのか、暴れるのをやめて二人から解放されたプロデューサーは椅子に腰かけると深いため息をつきました。

「…そんなに分かりやすいか?」

「小さい頃からあなたを見ていましたから」

「…そのことも全部忘れてしまうんだろう?」

「…そうですね。でも、あなたは覚えていてくれるでしょう?」

「酷いな、残される方の身にもなってくれよ」

「その言葉はそっくりそのままお返しします。私が故郷でどれだけあなたを待ちわびていたと思っているんですか」

「あー、その話を持ち出されると弱いな…」

「これでおあいこ、とはとても言えないですけれどね」

そうやって話している間にも、肇から湧き上がる瘴気は徐々に強くなっていきます。

「そろそろ時間切れ、ですね。お別れです、プロデューサーさん」

「…付き合いが長いのも困りものだな。肇の目を見たらどうやっても説得できないのが分かってしまう」

「ふふっ、理解のあるプロデューサーさんで良かったです。今まで本当にありがとうございました」

「こちらこそ。あの時肇と出会えて良かった」

「…さようなら、プロデューサーさん。あなたのことが大好きでした」

「…俺もだ。肇のことがずっと好きだったよ」

二人の想いを感じ取ったのか、よりいっそう強くなった瘴気が結界をギシギシと軋ませます。

「力が増したようでしてー」

「これやとうちらの結界も長くは持たせられへんなぁ…」

「す、すみません! 文香さん、お願いします!」

「任されました。では、行きます……っ!」

文香がチカラを使うと、肇の意識にこんな注意書きが浮かび上がってきました。

【文香さんがあなたに魔法をかけようとしています。よろしいですか?】

【YES】

【NO】

以前よりも詩的になった言い回しに肇はくすりとして、迷うことなくYESを選びました。

文香がチカラを使って数秒で肇から噴き出していた瘴気はピタリと止まりました。

それだけではなく、リビングに充満していた瘴気までも綺麗さっぱり消えてしまいました。

みんながその光景にほっとしつつも手放しに喜ぶことは出来ない中、文香はチカラを使い続けています。

「……捉えました」

不意に文香が呟くと、肇が光に包まれました。

「え、なにこれ!?」

「文香のチカラってこんなに派手だったの?」

「以前志希にチカラを使った時にはこのようなことはなかったはずですがー」

「ズヴェズダー…キラキラしていますね」

どよめきのなか光が収まると、そこにはさっきまで出しっぱなしだった犬耳、犬尻尾を消した肇の姿がありました。

「……成功、です」

文香がほうっと息をつくと、肇も閉じていた瞼を開きました。

「…ん…あれ…!? ふ、文香さん、駄目だったのですか!?」

目を覚ますなりわたわたと慌てだした肇を文香がどうどうとなだめます。

「落ち着いてください、肇さん。プロデューサーさんを害する心配はもうありませんよ」

「で、でも、私覚えているんです! プロデューサーさんのことも、今までのことも全部!」

「なっ!?」

「にゃんだってー!?」

「でも瘴気は消えちゃったよね…文香ちゃん、何をしたの?」

みんなの注目が集まる中、文香は種明かしをしました。


「今回私が食べたのは記憶ではありません……肇さんが【犬神憑きになった歴史】を食べました」


一瞬の静寂の後、リビングは驚きの声で満たされました。

「文香ちゃんそんなこと出来たのっ!?」

「ええ、自分のチカラについて志希さんと調べたところ、記憶を食べるのはチカラの一端だったようで」

「では、犬神は消えてしまったのですか?」

「消えてはいませんよ。食べた歴史はこの本に封じましたので、この中で眠っています。この子もいわば被害者ですから、これから時間をかけて鎮魂出来れば、と」

「驚いた…こんなことが出来るのなら、先に教えてくれても良かったんじゃない?」

「このチカラは相手に拒否されると使えませんので……肇さんの中で目覚めていた犬神に知られてしまう訳にはいかなかったんです」

「ほんまに文香はんのチカラはでたらめやなぁ…」

「今回ばかりは紗枝に同意せざるを得ないのでしてー」

二転三転する展開についていけず目を白黒させているプロデューサーの背中を志希がぱしんと叩きました。

「ほら、文香ちゃんがせっかく魔法をかけてくれたのに、王子様が惚けててどうするの」

「あ、ああ…」

促されるままに肇のもとへ向かうと、肇もプロデューサーと同じように現状を上手く受け止められていないようでした。

「ぷ、プロデューサーさん…私…わた、し…あっ」

「…よかった…これからも肇と居られるんだな…」

「! はい…はいっ!」

抱き合って泣き出してしまった二人をみんなは優しい目で見守るのでした。

泣き止んだ二人を囲んで再開された宴会は過去最大級の盛り上がりを見せ、今回のMVPということで次から次へとお酌をされた文香は真っ先にノックアウトされてしまいました。

「……う……のどが、乾きました……」

数時間ほど眠っていたのでしょうか。

文香が目を覚ますと、リビングは酔いつぶれたアイドルたちで死屍累々の有様となっていました。

「あら、起きたの。はい、お水」

「あ、ありがとうございます……んく、はぁ……生き返る心地です」

「文香はんは真っ先に酔いつぶれてしもうとったからなぁ、復活も早かったんやね」

「お二人はまだ飲まれていたのですか……」

「私にとってはまだまだ宵の口よ。それに今夜はいつもよりお酒が美味しいし、ね」

「うちとしては飲まなやってられへん気持ちも無きにしも非ずやね」

「……あぁ、なるほど」

二人の視線の先を見れば、そこには納得の光景がありました。

「ほら、文香はんも一献。ちょびっとだけならいけますやろ?」

「……そうですね、頂きます」

「それじゃ、積年の想いが通じたカップルに…」

「その仲睦まじい姿に…」

「二人のこれからの歩みを祝して…」

「「「乾杯」」」

チンと打ち鳴らされるグラスの向こうには、幸せそうに寄り添って眠る男女の姿がありましたとさ。


                            めでたし めでたし

以上になります。読んで頂きありがとうございました。

前作から随分間が開いてしまいましたが、あやかし事務所シリーズはこれにて終幕となります。

プロローグから合わせると約7万文字と自己最長シリーズでした。少しでも楽しんで頂けたなら幸いです。

では最後に。

藤原肇さん、お誕生日おめでとう!

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