【モバミリクロス】 双葉杏は、お姫さまになる (230)


 ※ このSSには、オリジナル設定やキャラの崩壊が含まれます。
 
 また、この作品はこちらの「【モバマスSS】双葉杏、王さまになる」からの続き物です。
 【モバマスSS】双葉杏、王さまになる - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1460385502/)

===11.「サンセット・ララバイ」

 夕暮れ時、ビルの向こう側へと沈んでいく夕陽が、開きっぱなしにされた玄関をオレンジ色に染め上げる。
 オレンジの光と、影が同時に住む世界。小さなスーツケースと鞄を持って、きらりはそこに立っていた。

「荷物は、それだけ?」

「うん……かさばる物はあらかじめ、全部運んじゃったから」

「そっか。まぁ、忘れ物があるなら、いつでも取りに来れば良いだけなんだけどさ」

「うぇへへ、そうだねぇ。それじゃあ、今までお世話になりましたー☆」

 そうしてきらりが、見送る私にぺこりと頭を下げるから、一応私も、それに応えて。
 頭を上げると、彼女はポケットから一本の鍵を取り出していた。

SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1461575859


 
「それからこれも、お返しします! きらりがこのまま持ってても、しょうがないでしょー?」

 バカに明るく、きらりが言う。それは、一緒に暮らし始めた時に彼女に渡した、この家の鍵。
 でも、私は受け取ったその鍵を、再びきらりに差し出して。

 
「この鍵は、別に返してくれなくていいからさ。きらりがこのまま、預かっててよ」

「えっ? で、でも。これからはきらり達、別々な場所に住むんだよぉ。こういうのはキチンと、返す物だよねぇ」

「だから、家主の私が良いって言ってるんだから、黙って受け取りなよ。ほら!」

 戸惑うきらりを見ないよう、私は顔を背けながら、渡された鍵をもう一度彼女の手に握らせて。
 
「私達さ、一緒に暮らしたのはちょっとの間だったけど、ほら、その……二人とももう、『家族』みたいなもんでしょ?
 だったら、家族に鍵を持たせておいたって、別にいいじゃんか」

「杏ちゃん……」


 ぎゅっと、きらりにハグされた私の体が宙に浮く。伝わる温もりと、胸によぎる切なさ。
 すすった鼻の音だけが、小さく二人の間に響く。

 
「うみゅ……きらりがいなくても、お菓子ばっかりじゃなくご飯も食べて、お部屋のお掃除もするんだよぅ?」

「うん」

「それにそれに、毎朝ちゃんと目覚ましで起きて、一人で身だしなみも整えて……」

「うん」

「お風呂だって面倒くさがらずに、夜も夜更かししないでキチンと寝なきゃ、ダメなんだからぁ……」

「うん、分かってるよ」

「それから、それからぁ……」

「大丈夫、きらりがいなくても、杏はちゃんとやれるからさ。だからもう、泣かないでよ、きらり」

 私を抱きしめる、きらりの力が強くなる。
 
 その時の、声を抑えて震えるきらりの体はいつもよりずっと小さく思えて。
 それから彼女が泣き止むまでの数分間、小さな子供をあやすよう、私はそっと彼女の頭を撫でてあげたんだ。

===

 ――事務所に所属した私がまず最初にやった事。それが、身の回りの身辺整理。

 プロデューサー曰く、「火の無い所にも煙を立てる」という無茶を平然とやってのけるのが、
 杏がこれから身を置く芸能界ってヤツらしい。
 
 だから、これからアイドルとしてデビューしようとする女の子の異性交遊なんてもってのほか。
 それに加えて私の場合、きらりと一緒に暮らしているのが良くなかった。
 
「別にいいじゃん。男と住んでるわけじゃ、ないんだしさ。
 それにきらりは恋人じゃないし、大体私はまだデビュー前だよ? 少し神経質過ぎるんじゃないかなぁ」

「あのね、デビュー前、同性同士ならオッケーって話じゃないの。君は知らないだろうけど、
 世の中にはデビュー前の新人の情報を集めるのを生きがいにしているファンの人たちだっているんだよ? 

 お前さんがアイドルとして成功した後に、あのアイドルに特殊な性癖が、
 なんてあること無い事書かれたりするのは、こっちとしても勘弁してもらいたいわけ。わかる?」

「う、で、でもさぁ……」

「契約する時も言ったでしょ? アイドルとして活躍を続けたいなら、本人の努力も必要不可欠だって。
 こういう不安の種ってのは、芽が出る前に摘んでおくのが、一番なワケ」


 それを言われちゃ、こっちだって言う事なんて何もない。
 ここで変に意地を張ってアイドルになるって話自体を、おじゃんにするワケにもいかないしさ。
 
 私がこの話を彼女にした時、きらりは寂しそうな顔をしてたけど、「でもそれは、しょうがないよねぇ」とすぐに納得してくれて。
 
「勝手な奴だって、思ってるでしょ。私から一緒に暮らさないかって、誘ったのにさ」

「うぅん、そんな事ないよぉ。アイドルになる杏ちゃんを応援するのが、今のきらりがやりたい事なんだから」

===

 こうして、私ときらりは別々の場所で暮らす事になった。

 彼女と一緒に過ごしたのは、僅か一ヶ月と少しの間だけだったけど、
 実際にはそれ以上に長い時間を、二人で過ごした……そんな気がする。
 
 久々に一人きり、静かになった部屋の中に座っていると、なおさら彼女がいなくなってしまった事が、実感を持ってやって来て。
 
「この部屋って、こんなに広かったんだね……」

 それは、いつか私がきらりに言ったセリフ。けど、言葉に込めた気持ちは、全然違う別の物で。
 寂しさを感じ始めた心を誤魔化そうと、私はベットの上に置かれた、彼女の置き土産に目を向ける。

 
「これ、杏ちゃんのお家に置いて行こうと思うの。
 もしも杏ちゃんが寂しくなったら、きらりの代わりにこの子がぎゅって、してくれるからにぃ」


 初めて見つけた時から変わらない、やる気なさげにぐったりとしたピンクのうさぎのぬいぐるみ。
 私はそいつを自分の所へ引き寄せると、思いっきり強く抱きしめた。
 
「ちくしょう……悩みのなさそうな顔しやがって、コイツめぇ」

 顔をうずめたぬいぐるみから、微かに彼女の匂いがする。
 一瞬でも温もりを知ったからこそ、再びやって来た孤独が身に染みる。
 
 その日私は一人っきりの王国で、初めて声を上げて泣いたんだ。

ここまで。

56 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2016/04/23(土) 00:06:17.33 ID:2vN2clFz0
メモで書いてるから55までレスきてるとは思ってもみなかったwwwww
はえーよw

提督「ほら、間宮券だ」

陽炎「しーれーいーかーん?」

提督「何だよ、高価なもんだろ?」

陽炎「確かに高価だけどさぁ~……あーもういいや、今日は疲れちゃったから間宮さんのところで甘味食べて寝るよ」

提督「おうそうしろ……ところで陽炎?」

陽炎「なに?」

提督「来週にはたくさん間宮が手に入るかもしれんぞ?」

陽炎「……はぁ?それってどゆこと?」

提督「明日には説明するよ。ほら、今日はお疲れさんってことだ」

陽炎「全く意味わかんないけど……はーい」



提督「……あいつなら、あの3人を止められるかもしれないな」

提督「……人間性を捧げよ……か、あいつらは果たして救えるのか……」

提督「大丈夫だろうな、さてと、執務を終わらせるその前に磯風のところに見舞いに行くかな……」

57 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2016/04/23(土) 00:08:58.72 ID:2vN2clFz0
みなさまお疲れ様でした。



よろしかったらこちらも書いてますのでぜひ参加してください

陽炎「ダークソウル3?」提督「陽炎型は強制参加な」
陽炎「ダークソウル3?」提督「陽炎型は強制参加な」 - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1460706468/)

html出してきます

101 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2016/04/23(土) 01:07:00.08 ID:2vN2clFz0
陽炎

102 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2016/04/23(土) 01:08:12.71 ID:2vN2clFz0
ksk

131 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします sage 2016/04/23(土) 01:45:52.94 ID:2vN2clFz0
荒らし止めなよ
迷惑じゃないの?

201 ◆bcl3OxnGHI sage 2016/04/23(土) 21:40:51.18 ID:2vN2clFz0
今日の更新はお休みさせていただきます


荒らされてるから気の毒だと思ってたらこいつ自演作者じゃねえか
これは荒らされて当然だし荒らしはもっと荒らせよ

===12.「レッスン、しましょ♪」

「おい双葉……お前さん、何を事務所に持ってきとるんだ? ここは一応、お仕事をするところだぞ」

「何って、見ればわかるでしょ? このうさぎのぬいぐるみを持っていると、私の可愛らしさが二割増しになるのだ」

「あのなぁ、確かにお前さんと桃子のユニットは、この前の会議で『カワイイ』をウリにすることに決まったわけだけど……うぅむ」

 あの日きらりが置いてった、ウサギのぬいぐるみを枕にして、
 事務所のソファーに寝転がる私を見たプロデューサーが、呆れた顔でそう言うからさ。
 
 私もわざといたずらっ子みたいな笑顔になって、その意地の悪そうな微笑みをプロデューサーに向けて返してあげる。
 
 すると、ソファから離れたところにある本棚の前、椅子に座って本を読んでいた桃子が、口を開く。

 
「気にすることないよ、おじさん。むしろそうやって普段から不真面目な態度で居てくれた方が、
 真面目にお仕事する桃子の印象も良くなるかもしれないし」

「なにさ、杏がアンタの引き立て役だって言いたいの?」

「言いたいもなにも、事実だよ。この前の話し合いだってそう。
 何がニートアイドル、働かないアイドルよ。ふざけてるわけ?」


「まさか、杏はいたって真剣だよ。カワイイだけじゃ、インパクトがないじゃんか。
 どうせデビューするんなら、それぐらいぶっ飛んだ方向の方が、注目を集められると思っただけ」

「あのね、芸能界って、そんなに甘い所じゃないの。
 奇抜さだけでやっていけるなら、今頃業界は変人奇人で溢れかえってる事でしょうね」

「お、おいおい二人とも落ち着けって。これから同じユニットを組む仲間同士、喧嘩せずに仲良くするって約束しただろうが。
 
 じゃないとお前らのデビューを待たずして、この企画自体がポシャっちまうんだから……
 そんな事になれば、二人ともお仕事がなくなっちゃいますよー?」


 私がなおも反論しようとすると、それを止めるようにプロデューサーが私達の会話に割って入った。
 
 まったく、この「先輩」は本当に可愛げがない。

 私だって小学生と本気で喧嘩する気なんてないから、大抵のことは「はいはい」と受け流しているけれど。
 それでもこう毎回毎回、顔を合わすたびに棘のある事ばっかり、言わなくたっていいじゃあないか。
 
 私が再びぬいぐるみの上に頭をやると、場の雰囲気が落ち着いたと判断したのか、プロデューサーが話し始める。

 
「そーだ二人とも、とりあえず今は仲良しなフリでも良いから、大人しくしといてくれよ。
 それじゃ、二人ともレッスン室に行こうじゃない。今日もトレーナーさんがお待ちかねだ」

「ぐぇっ、またレッスン……? ここに来てからは殆ど毎回レッスンしかしてないよ?」

「そうは言ってもね、今のこのユニットがやらなきゃいけない、最優先事項は杏、お前さんの体力強化なんだから。
 まさか数曲踊り切るだけの体力すらないなんて、誰が思うのよ」


 その言葉で蘇る、初めてのダンスレッスンの思い出。

 吸っても吸っても楽にならない呼吸、酸素が足りない、体は痛い、
 おまけに最後はレッスン室の床に盛大に「ピー」をまき散らす始末。
 
 思い出しただけで喉奥から酸っぱいものがこみ上げる、人生の汚点。
 
 あの時のトレーナーさんが言ってくれた「だ、大丈夫! 私も飲み過ぎるとよくこうなるから!」なんてフォローの言葉が心に刺さる。


「うっ、だ、だって……あれには自分自身が一番驚いてるっていうか。あんなにもダンスがきついなんて思わなくってさ……」

「だがな、せめてデビューするまでには二曲、休憩をとるとしても三曲は通せるぐらいの体力をつけて貰わないと。

 その後の仕事にも支障が出るし、なにより肝心のデビューライブで倒れられて、
 活動初日から救急車のお世話になるわけにはいかんでしょ」

「だ、だから私は、歌だけ歌って極力ダンスは踊らない、そんなキャラクターにしようって提案したじゃん! 
 可愛さだけをファンに振りまく、癒し系ゆるキャラアイドル路線で行こうって。
 
 だから、杏にはハードなレッスンは必要ないの! それよりもこうしてだらだらしながら、自分を可愛く見せる研究をさぁ……」

「でもねぇ、さすがにアイドルが踊れないってのは、どう考えたってマズいよ」


 そうして頭を掻きながら、プロデューサーがしばし何かを考える。

 
「よし、ならこうしよう。双葉がデビューするまでの間、一回レッスンをこなすごとに、俺が一枚、シールをあげます」

「……はぁ?」

「で、そのシールを二十枚集めたら、何でもお前さんの提案を一つだけ、聞いてやるって言うのはどうだ? 
 
 予定してるデビューライブまではまだ一ヶ月程はあるわけだし、

 毎日一回キチンとレッスンをこなせば、期限までには確実に二十枚揃うってわけだ」

「……でも、それじゃあ杏に話が美味しすぎるよ。どうせ何か、裏があるんでしょ?」


「まぁ、そうだな……条件は、最低でもデビューライブまでに、一曲分は完璧に踊れるだけの体力をつける事。
 この際だ、二曲三曲と高望みはせんから、その代わりに一曲だけでもキチンと形に仕上げてくれ。

 
 ただ、その時に歌やダンスの手を抜こうなんて考えるなよ? 
 毎回レッスンが終わる度に、トレーナーさんからお前さんのレッスン態度の報告は聞くつもりだからな」


「まぁ……一曲だけで良いなら、なんとかやれそう……かな?」

「うんうんそうでしょうそうでしょう? 

 この条件をクリアして、なおかつシールを揃えられたなら、デビューした後はゆるキャラだろうがニートアイドルだろうが、
 お前さんがやりたい好きなキャラクターで活動するなんて、無茶なお願いも、しっかりと聞いてやるさ」


 ふむ。さっきは突然何を言い出したのかと思ったけれど、これは中々悪くない話である……けど。
 
「あのさ、後でやっぱりこの話は無しでしたとか、そういう事は言わないよね?」

「もちろん! 約束を破るつもりなんてないし、お前さんの話を『聞くだけ』なんて寒い冗談だって言わないと、
 ここに誓おうじゃない。それはほら、ここで俺たちの話を聞いてる桃子が証人だ」

「ちょっとおじさん、桃子をこんなくだらない取引に巻き込まないでよ」

「まぁまぁそう言わずにさぁ……なんなら桃子も一緒にシール、集めてみる?」

「だから、桃子が言いたいのは……!」


 でも、彼女は何かを言いかけた口を途中で閉じて。

 
「……やっぱり、今のは忘れていいよ。確かにこの子の体力の無さは問題だし。
 桃子は、足さえ引っ張られなくなるなら、どんな方法だろうと口は挟まないから」

 一体、何を言いたかったのか。
 それっきり黙り込んでしまった桃子の姿を私から隠すように、プロデューサーが私たちの間へと移動する。
 
「それじゃ、早速今日から始めましょー。ほら、ハキハキ起き上がってレッスン室に行った行った!」

「わ、分かってるよ! それに、一人で起き上がれるからっ!」


 私をソファーの上から引きずり起こそうとするプロデューサーの手を払いのけると、私はそのまま部屋を出て。
 
 なんだか良いように言いくるめられた気がしないでもないけど、見返りも大きいし、
 ここは一つ、プロデューサーの口車に乗せられておくのも、悪くないかな……
 
 なんて、頭の中では早くもシールを集め終わり、どんなお願いをしようかなどと考えていたのである。
 まったく、後の事を考えると、この時の私は阿呆そのものであったのだ。

===幕間劇4.「桃子『先輩』」

 ――杏が出て行った「第二企画室」。

 桃子は読んでいた本を棚に戻すと、杏のいなくなったソファに腰を下ろす、プロデューサーに声をかける。

「あのね、あんまりこういう事は言いたくないんだけど、おじさんはもう少し自分の発言に責任を持つべきだと思うな」

「なんだい、藪から棒にさ」

「さっきのあの子に言ったシールの話だよ。あんな話を簡単に信じる方も悪いけど、もうちょっとやり方って物があるんじゃない?」

「一回のレッスンでシールが一枚。二十枚集めたらなんでも言う事を一つ聞く……嘘をついたつもりは、ないんだけどなぁ」


 悪びれた様子もなくそう言い放つプロデューサーに、桃子は呆れたようなため息をつくと。

 
「なら、デビューするまでの間にはもう二十回もレッスンをする時間が無いって事も、一緒に言ってあげなよ。
 ホント、人の乗せ方がずるいんだから」

「はははっ、まさか俺も、あんなにすんなりと信じてくれるとは思わなくってさぁ。
 いやぁ、彼女も態度の割には、素直な良い子じゃない」

「……だから、おじさんみたいな悪い大人の嘘に引っかからないか、桃子はあの子が心配なの。分かる?」

「そうは言ってもさ、桃子だって困るだろう? 初めてのデビューライブが、そのまま解散ライブになるのはさ」


 そう。杏と桃子、二人のユニットがデビューするライブの予定日までは、確かに三十日以上の時間があった。

 だが、彼女たちだって毎日事務所に来るわけじゃあない。
 お休みだってあるし、これからはライブのための取材や準備でレッスンの無い日だってぽつぽつと出始める。
 
 桃子の言う通り、どう計算したとしても初めからこの取引は、前提からして成立していないのだ。


「ホント……そういうところがずるいんだよ」
 
 ポケットから取り出した飴を咥え、プロデューサーが言う。
 
「まさに、知らぬは本人ばかりなり。双葉にはこれを教訓に、賢く育ってもらいたいものだね。桃子も、そう思うだろう?」

「ハァ、まったく……それじゃ、桃子もレッスンに行って来るから」


 反省の色を見せないプロデューサーに対して、再びため息をついてから桃子も部屋を出る。
 
 とはいえ、桃子だって杏がいるからこそ、再び芸能界で仕事をするチャンスを与えられたのだ。
 そしてだからこそ、彼女の事が心配なのである。
 
 レッスン室へと続く廊下を歩きながら、誰に言うでもなく桃子は呟く。

「ここじゃ、自分を守る方法は自分で考えなくちゃ……誰も庇ってなんて、くれないんだから……」

ここまで。

===13.「アプリコット&ピーチ」

「――でさ、私はまんまと一杯喰わされちゃったってわけ。
 ホント、今からでも時間が巻き戻せるのなら、あの日の私をはっ倒してやりたいところだよ」

『それでも、真面目にレッスンを続けたから、なんとかダンスだって踊れるようになった……そういう話、なんだよにぃ?』

「それは、まぁ、そうなんだけどさ。やり方が汚いって話だよ。まったく」

『こーらっ! 杏ちゃんも今日から、可愛いアイドルなんだからー。いつまでもそんな乱暴な言葉遣いじゃ、ダメ! だよぉ』

「はいはい分かってるって。心配しなくても普段は一応、ちゃんと猫かぶってるし……
 もう、きらりはいつだって、きらりなんだから」


 電話越し、「それってどういう意味なのかにぃー?」なんてわざとらしく怒った風に言ってるけど、
 久しぶりに聞いた彼女の声は元気そうで、私も少し安心する。

「ところで、ステージの方は見にきてくれるの?」

『もっちろんっ! そっちに着くのは少し遅れちゃいそうだけど、杏ちゃんがデビューする、初めての舞台なんだよ? 
 きらりが応援に行かないわけには、いかないにぃ☆』

「そっか、ありがと……じゃあ、杏としても格好悪い所は、見せらんないな」


 今年も残すところ後僅かとなった12月の某日。
 いよいよ、私たちのデビューライブ。その開始時刻が刻々と迫って来ていた。
 
 会場となったのは、街中にあるショッピングモール内に用意されたイベントスペースで、
 なんでもプロデューサーの話によれば、かつて一世を風靡した元トップアイドルもデビューに使った縁起の良い場所らしい。

 
「だから、ウチじゃあ新人のデビューになるべくココを使うようにしてるんだ。まっ、いわゆるゲン担ぎってヤツだな」


 その事を話していた時のプロデューサーは、そう言っていつものように胡散臭く笑っていたし、
 私も普段から神様だなんだってものは信じちゃいなけど。これで多少なりとも実際に、ご利益があるっていうのなら儲け物だ。

 
「ちょっと、電話が終わったなら早く戻って来なさいよ。本番前の最後の確認、残ってるんだから」


 声を掛けられて振り向くと、スタッフさんたちが行き来する廊下に、両腕を組んだ桃子が立っていた。
 きっと控室から、私を探しにやって来たんだろう。腕を組んだ姿勢のままで、彼女が言う。


「杏は、振り付けとか……歌の歌詞もちゃんと覚えてる? 振り付けは多少怪しくたって初めてだからって誤魔化せるけど。
 歌は生歌なんだから、歌詞を忘れて歌が途切れたりしたら、恥ずかしいよ?」

「それなら全然問題ないよ。杏、暗記だけは自信あるし……
 それに、あれだけ桃子とトレーナーにみっちり詰め込まれたんだ。忘れたくても簡単には忘れらんないよ」

「……それと、間のトークの時は休んでても構わないけど。笑顔だけは忘れないでね? 
 いつもみたいにやる気のない顔してたら、見に来てくれたお客さんに与える印象、最悪になるんだから」

「分かってるって。杏たちのウリは、『カワイイ』……でしょ? まったく、これじゃあまるで母親が二人いるみたいだなぁ」

「何よ、それ?」

「別に、こっちの話。ほらほら、最後の確認があるんじゃなかったっけ。時間もないなら、早く控室に戻ろうよ」


 いまいち納得のいってなさそうな桃子を連れて控室に戻ると、そこにはもうプロデューサーもやって来ていて。
 
 本番前にもう一度、今日の進行について確認をする。
 それから準備ができた事を伝えに来たスタッフさんの言葉で、私たちは舞台裏まで移動して。
 
 仕切りの為の幕越しにがやがやと聞こえて来る人の声は、
 私達を見に来た人か、それとも単にお店にやって来ているお客の物か……どちらにせよ、だ。

 
 周りで作業をする大人達は、誰も彼もが真剣な表情で自分の役割をこなしていた。

 それは、いつもおちゃらけて見えるプロデューサーだって同じ。ここに居るのは、みな「仕事」をしている人間なのだ。
 一人ひとりが、責任を持って、杏達のステージを始められるよう動いている。
 
 そうした人の集まるこの場所には、独特の緊張感があって……杏の役割、そしてその「仕事」と「責任」。
 理解しちゃったからには、ここでビビッて失敗するわけには、いかないじゃないか。

 
 そんな私の胸の高鳴り、緊張を察したのか、隣で一緒に出番を待っていた桃子がそっと、私に向けて手を差し出してくる。
 
「な、何?」

「手、出して。気に入らない先輩の手かもしれないけど、何もせずに待ってるよりかは、きっとマシだよ」

 そうして私の手を、一方的にぎゅっと握りしめる桃子の見せた、いつにも増して真剣な眼差し。
 そっか、アイドルとしての舞台は初めてでも、彼女はやっぱり「プロ」なんだ。
 自分より遥かに年下であっても、この子は私にとって、頼ることのできる先輩なんだと気づく。

 

「安心していいよ……失敗する時は、桃子も一緒だから」

 時間が、来た。
 
 スタッフの出したGOサインにつられるようにして、ステージと舞台裏を仕切る幕を体が跨ぐ。
 瞬間、視界に飛び込んでくる人の姿に、全身で感じるその視線。
 
 ステージ傍で私達の登場を待っていた人、何が始まるのかは知らないが、なんとなく立ち止まる人、
 そして歩みを止めることなく、ちらりとこちらを見て去っていく人。
 
 反応は様々だけれども。それでも今この瞬間、確実に私たちに興味を示し、注目している人がいる。
 その視線を受けるこの感覚、相手の興味を惹いていると感じるこの気持ちを、私はかつて知っていた。
 
 隣に立つ桃子が、弾ける笑顔で喋り出す。

 
「初めまして、アプリコット&ピーチです! 今日は桃子達の初めてのステージ、どうか楽しんで行って下さいね!」

「それじゃあ早速、杏達のデビュー曲――!」

 曲が流れだし、パフォーマンスを始めると、私の動きや歌に合わせて、幾人かのお客が反応をしめす。
 歌に合わせてリズムを取る人、ダンスの動きを目で追う人、そしてその度に、感じる視線がより一層強くなって。
 
 そして私は、ようやく思い出したんだ。
 
 それは、いつしか失ってしまった視線。もう一度経験したくても、どうしても手が届かなかった「皆に注目される」という体験。
 でも今は、それが形を変えて目の前にぶら下がっているのが分かる……

 これはチャンスだ。私にとっての、やり直すためのチャンス。
 今度はそう、「なんとなく」なんかじゃなくて、このチャンスを私の物にしてみせる。
 
 私のやりたい事、私の目指すゴールの形を。努力は、もう始めていた……そしてスタートラインはココ、この場所からなんだ。

とりあえずここまで。

===

 一度始まってしまえば、後はただただ終わりに向かって進むだけ。
 
 ステージの上で体験する時間の流れはあっという間で、気づいたら私は控室にあるパイプ椅子に座り、
 部屋に置かれたテーブルの上をぼんやりと見つめていた。
 
 まだ胸はドキドキしてるし、熱に浮かされたような体の火照りも冷めやらず。

 ただただ舞台を無事に終えた安堵感にその身をゆだねていると、
 開けっ放しのドアをノックしながら、プロデューサーが姿を見せる。
 
「はなまる百点とはいかんが、初めての舞台にしちゃあ上出来だろう。二人とも、お疲れさん」


 すると桃子も、タオルで汗を拭きながらプロデューサーの方を向いて。
 
「当然だよ。この規模のイベントで桃子がヘマするなんてありえないんだし……
 それよりも一緒に舞台に立ってた、この子がいつやらかすんじゃないかって、そっちの方でハラハラしっぱなしだったんだから」

「な、なんだよぅ……そんな目立った失敗は、してないじゃんか」

「まぁ、ね。粗が無かったわけじゃないけど、ステージの上で歌う杏の態度は堂々としてたよ……って、言うか。
 途中からはいつもと同じ、ふてぶてしさ全開だっただけみたいにも、見えたけど」

「それでも言われた通り、終始笑顔でいるよう気を付けてたもん……
 ちぇ、ちょっとぐらい褒めてくれたっていいんだよ? ホント、可愛げがないんだからさ」


「あら、だから褒めてるじゃない。初めてなのに、堂々としたパフォーマンスだったって。
 これでようやく、桃子も少しは安心できるかな」

 そうして私に、水の入ったペットボトルを放り投げて来る。

「ステージが終わって、水分補給もまだだったでしょ。自分じゃ分かんないと思うけど、
 これで結構、汗掻くんだから……体調管理も仕事の内、キチンと気をつけること!」

 だからっていきなりペットボトルを投げて来るなんて、危ないじゃないか! なんて言い返したかったけど。
 その時の桃子の表情に免じて、私はのどまで出かかった言葉を飲み込んだ。

 
「ん……ありがと」

「どういたしまして。ほら、おじさん! 桃子たちはまだ着替えだってあるんだから、早く部屋から出てってよね!」

 両手で握ったペットボトルの心地いい冷たさを感じながら、素直な感謝の気持ちを口にする。
 そうして私は心の中で、「なんだ、結構可愛らしく笑えるんじゃないか、コイツ」なんて思ってたんだ。
 

===

 衣装も着替えて、私たちは現地解散。
 
 でも、スタッフルームから表に出ようとしたところで、私の前を歩いていた桃子が「ふわっ」なんて言いながら立ち止まった。
 もちろん、後ろを歩いていた私は急に立ち止まった彼女の背中に、思いっきり鼻先をぶつけちゃって。
 
「ちょっと、なんで急に止まるのさ! 危ないじゃないか!」

 私はじんじんする鼻を抑えながらそう言ったけど、桃子からの返事は無くて。

 だけど彼女の背中越し……正確には頭越しに見えたその人物の姿を見て、納得。
 どこにいたってすぐに分かる、ふわふわで、すらりとしたその姿の持ち主は。

 
「なんだ、きらりか」

 スタッフルームの出口近く、そこには私が出てくるのを待っていた、きらりがひょこんと立っていて。
 私の呟きを聞いたのか、呆気に取られていた桃子が、こちらに振り向きながら小さく囁く。
 
「だ、誰? 杏の知り合い?」

「うん、友達だよ」

 そうして私がひらひらと手を振って合図すると、きらりがゆっくりこちらに近づいて来る。
 

 
「うぇへへ、杏ちゃ~ん。ステージ見たよ見たよぉ! 
 んもぉスッゴク衣装も似合ってたしぃ、歌や踊りを頑張る姿、とぉっても可愛かったにぃー☆」


「なんか面と向かって言われると照れるけど……杏の方も、きらりの姿はバッチリ見えてたよ」

 それから二言三言イベントの感想を交わすと、きらりが今度は桃子の方へ視線を移す。

 一瞬、びくりと体を震わせた桃子だったけど、
 きらりは私と初めて会った時のようにしゃがみ込むと、桃子としっかり目線を合わせて。

 
「初めまして桃子さん。杏ちゃんの友人の、諸星きらりって言います! 

 杏ちゃんは何をするのも面倒くさがりな子で、普段からワガママばっかり言ってるかもしれないけど、
 ホントはとっても真面目な子だから……どうかこれからも、仲良くしてあげてくださいねぇ」


 いつものハピハピは抑えめの、驚くほど「普通」な挨拶。

 そうしてきらりは再び立ち上がると、桃子に向かってぺこりとお辞儀して。
 当の桃子本人も、「あ、どうもご丁寧に……」なんてお辞儀を返してるんだもん。
 
「ちょ、ちょっと何言ってんの! これじゃあまるでダメな娘を紹介する、お母さんの挨拶みたいじゃん!」

「でもでもぉ、いつもみたいに杏ちゃんがワガママ言って困らせてるんじゃないかって、きらり心配で心配で」
 
「そんな……桃子の方こそ、この子のだらしなさを目の当たりにするたびに、
 杏ちゃんの分まで自分がしっかりしないといけないなって、刺激を受けてますから」

「桃子も桃子で、何きらりの言ってることに乗っかってんのさ!」

 こんな調子でしばらくの間、やいのやいのと三人で言い合っていると、通路の奥からプロデューサーもやって来て。

 
「ほらほらここは皆の通り道なんだから、塞いじゃったらお店の人にも迷惑でしょーが」

「あっ、プロデューサー」

「プロデューサー? じゃあ、この人が杏ちゃんの言ってた例の不審……」

「す、ストップきらり! それは言っちゃダメだって!」

 「例の」とは、私がアイドルデビューするきっかけとなった、あの公園での不審者騒動の事。

 プロデューサーもきらりも、お互いにどんな人物なのかって事は私から聞いてはいたものの、
 こうして直接顔を合わせるのは、確か今日が初めてだったはず。

 
「あぁ、アナタがきらりさんですか。お話は双葉から聞いてましたが……いやぁ一瞬、彼女のお母さんかと思っちゃいましたよ」

 ハハハと笑いながら、きらりを見上げるプロデューサー。

 関係はないけどこの二人が並んだ姿、プロデューサーより高いきらりを見ると、改めて彼女の背の高さを実感するな……
 なんて事を考えていると、きらりがプロデューサーにもぺこりと挨拶。


「はい! 杏ちゃんが、いつもお世話になってます!」

「あ、こりゃどうもご丁寧に」

 でも待った! この流れはマズいヤツだ。

 私は再び「母親役」になり始めたきらりの腕をつかむと、彼女の体を強引に引っ張って歩き出そうとした。
 けど、小さな私がいくら力を込めたところで、きらりの体がびくともしないのはご愛敬。
 
「ほら早く帰ろうよ! 今日は久しぶりに、一緒にご飯食べようって約束したんだからさ!」

「あぁん、でもぉ!」

「デモもストも無いって! 早くしないと、休日が終わっちゃうよ!」

「うー、それじゃあ本当に、これからも杏ちゃんをよろしくお願いしますにぃー」

===

 そうして杏に引っ張られる。もとい、今度は杏を引っ張るようにして彼女……
 諸星きらりは去り際にもう一度、軽く丁寧な会釈をしてから去っていく。

 俺たちはそんな二人が見えなくなるまで見送ってから、どちらともなく「大きかったねぇ」と呟いた。
 
「まさか、女の人を見上げる日が来るなんて、思いもしなかったなぁ」

「うん……桃子もびっくりした」

 しかし、だ。
 
「ねぇ、おじさん」

「ん、なーに?」

 声を掛けられ桃子を見ると、彼女はとても面倒くさそうな顔をして俺を見上げていて。


「おじさんさ、そのにやにや笑い止めた方が良いよ。誰が見たってろくでもない事考えてるの、丸わかりだもん」

「ありゃ、そんな顔してたっけなぁ……」

「……ついでに、その白々しいとぼけ方もね」

 そして笑って誤魔化す俺にため息をついてから、桃子が言う。

 
「ところで……も、桃子もあの子がライブ出来るようレッスン付き合ったり、今日だってステージで頑張ったんだから。
 その、杏じゃないけど、ご……ご飯とか食べに連れてって、桃子のそんな苦労をねぎらってくれても、良いんだけどな」

 照れているのか、顔を真っ赤にしながらもそう提案した桃子の姿を見て、俺は驚いた。
 彼女がこうして他人に何かをお願いするのは、いつ以来の出来事か。

 普段の桃子は歳に似合わない大人びた言動で、周囲に「甘える」事を拒否しているのだと思っていたが、
 どうやらワガママ言い放題の杏と組ませた事が、彼女に影響を与えたのかもしれない。
 
 だが、それは悪い変化じゃない。本来ならば桃子だって小学生……まだ、甘えたい年頃のハズなのだ。


「なら、帰り道にあるラーメン屋で良い? 実はさ、給料日前でお財布カツカツなの」

「あ、あー……食べに行くのはラーメンで構わないけど、心配しないで。桃子、自分の分は自分で出せるから」

 しまったという表情を見せた後で、桃子が小さく呟いた「ごめんね」。その気遣いの優しさが懐に染みる。
 
 それに比べて俺はというと、そんな彼女の優しさに甘えるダメな大人であり……
 「まったく、どうにも恰好がつかないなぁ」と頭を掻いたのだった。

ここまで。

===14.「新人と賭け事と伝説と」

 あのデビューライブから早くも三ヶ月。
 
 私と桃子、二人で組んだ「アプリコット&ピーチ」は、所属してる事務所の強力なバックアップを受けて、
 事務所期待の新人アイドルユニットとしてテレビにラジオ、雑誌や各地のイベントと、
 様々なメディアに片っ端から出演するっていう、多忙な日々を過ごしてた。
 
 その忙しさと言ったらもう、筆舌ではとても表せられない程だったんだけど。
 とにかく私達二人はこの「営業」で、世間に対して顔を売って売って売りまくった……
 いわゆる、事務所によるゴリ押しってヤツだ。
 
 するとどうだい。

 僅か三ヶ月って短い期間の間に、私達の知名度はうなぎのぼり。人前でちゃんと歌を歌ったのも、たかだか数回。
 出したCDも数枚しかないって言うのに、今やちょっと近所のコンビニに出掛けるにも、変装が必要なぐらいの人気っぷりでさ。
 
 プロデューサーは「有名税だな」なんて笑ってたけど。
 どうせなら杏は払うより納めて貰いたいんだから……ホント、やんなっちゃう。

 
 元々、桃子は子役として知られていたし、ウチの事務所もある意味で有名なところではあるけれどさ。
 
 それでもゴリ押しだけで人気者になれるわけじゃ、もちろんなくて。
 私達の人気が爆発したその直接のきっかけとなったのは、毎週テレビでやっている、とある人気歌番組に出演した為だったんだ。

===

 その番組の名前は「ルーキーズ」。
 
 その名の通り、デビューしてからまだそれほど時間の経ってない、新人アイドルをメインに据えた生放送の歌番組でさ。
 私達も当然、デビューしてから一ヶ月ぐらいした頃に、新人としてこの番組に出演するチャンスが与えられた。
 
 で、ここからが少し長い話になるんだけどさ。
 この番組はスタジオで出演者が歌を披露する、いわゆる普通の歌番組とはやり方が違ってて。
 
 なんと毎週、番組がちゃんとしたライブ用の会場を用意して、出演するアイドル達には実際にそこでライブをしてもらうっていう……
 いわゆるライブバトル形式を採用した、随分と大掛かりな番組だったんだよね。

 
 えっと、ライブバトルは知ってるかな? 
 私もプロデューサーから簡単に説明されただけだから、いまいち合ってるかは自信がないんだけどさ。


 一対一、もしくは複数のアイドルが一緒にライブを行って、その優劣や順位を審査員の判定によって決める。
 そういうライブイベントの種類の事を、全部まとめてライブバトルと言うんだって。

 それで、審査の基準はその時のイベントによって違ってて、純粋に歌やダンスの上手さだったり、
 会場に来たファンを盛り上げる力だったり、色々あるって話なんだけど。

 
 で、だ。この「ルーキーズ」におけるライブバトルがどんな風に行われたのかって話をすると。
 まず、番組には複数のアイドルグループが出演して、それぞれが順番に歌を披露する。

 んで、そのパフォーマンスに対する評価を、番組の審査員が収録を見に来たお客さんや
 視聴者投票の反応も参考にしながら話し合って、最終的な順位にして決めていくっていう流れでさ。

 その順位づけで一位になると、そのグループは「マスター」として、
 次回の収録にも無条件で参加する事が出来るって言う、ある意味で勝ち抜きサバイバルみたいな事をやってたの。

 もちろん、毎回の順位づけはこの「マスター」を含めて行われるし、
 その実力が確かなものなら、何週も同じアイドルが連続して「マスター」になる事だってある。


 だから「ルーキーズ」はこの「マスター」と、それに挑戦する他の新人との対決を番組一番のウリにしててさ。
 視聴者もそんな新人アイドル同士の潰し合いが見られる事を、毎週のお楽しみにしてたってワケだ。


 ……そう、この番組は決して新人アイドルを紹介するためだけの、生易しい番組じゃなかったんだよね。

 今も言ったけどこの番組は新人同士の潰し合い、言ってみればデビューしたアイドル達が
 この先ちゃんとやって行けるのかって、ふるいにかける役割も持ち合わせていてさ。
 
 実際にこの番組で審査員から酷評されちゃった事が原因で、アイドル辞めるって新人が後を絶たないって話も聞かされた。
 
 もしも「歌が下手」とか「笑顔が悪い」だとか、そういう事を言われちゃった日には、
 ずっとそのイメージが自分たちについて回ることになるんだから。まぁ、当然と言えば当然なんだけど。

 
 さらに言えば他のグループとの明確な人気の差って奴を、順位って形でつけられてしまうんだもん。

 このアイドルはあのアイドルと比べて人気があるだとかないだとか、
 そういう事をハッキリと見せつけられてしまう……それが、新人同士の潰し合いって言われる所以でさ。
 
 でもそれは同時に、この番組で評価されて「マスター」になる事が出来るのならば、
 それだけでそのグループには箔がつくって事でもあった。要は出演する方にも、メリットとデメリット、その両方があったって事。
 
 だから、多少のリスクに目をつむってでも、多くの事務所がこの番組に自慢の新人を送り出していた。
 そしてウチの事務所における、自慢の新人にあたるのが、私と桃子の「アプリコット&ピーチ」だったってワケ。

===

――さて。ここまで長々と説明してきたけどさ、結論から言っちゃえば、
 私達の「アプリコット&ピーチ」はこの「ルーキーズ」に初めて出演した回から連続八回。

 およそ二ヶ月に渡って「マスター」の地位に君臨し続けるという、
 それまでの番組記録だった連続六回を二回も更新するって快挙を、成し遂げることになる。
 
 八回って記録を作ることが出来た要因は、まぁ色々あったと思う。

 アイドルとしては新人だったけど、場慣れした桃子の見せる余裕のある立ち振る舞いは、
 周りの経験が浅い新人アイドルを委縮させるには十分すぎる程の効果があったし、
 事務所による力任せの「営業」によって、既に私達は知名度の面においても、他の出演者より頭一つ分は抜けていた。


 でも、私達の評価を決定的にした直接の原因は、何を隠そうこの私のパフォーマンスにあって……
 ほら、私って自慢じゃないけど、歌やダンスはからっきしだし、体力だって全然ないじゃない? 

 だからプロデューサーも私の売り方に関しては、デビューした後も結構頭を悩ましてたみたいでさ。
 
 一応、歌やダンス以外の部分。例えばトークとか、自分をいかに可愛く見せるかとか、そう言った方面を武器にして。
 実際に少なからず、ソレがファンの間では受けてたみたいだったんだよね。

 
 だからプロデューサーはこの番組に私達を出演させる際、杏に一つ賭けをした。それが、「無気力アイドルの解禁」っていう、大博打。
 それまではある程度、猫を被って活動してきた私に対して、ついにプロデューサーがその皮を脱ぎ捨てるように指示して来たんだよ。

 
 もちろん、この話を聞いた桃子は「バカじゃないのっ!?」って猛反対。
 でも最後には「いずれバレるなら早いとこバラしちゃおうよ」って私とプロデューサーが開き直っちゃってさ。
 結局二対一の多数決で、そのままこの意見を押し通しちゃったんだ。
 
 ……でも、一度やると決めたなら、とことんまで突き抜けないと意味はない。
 だから私は、初めての「ルーキーズ」のステージで思いっきりはっちゃけてやった。
 それはもう、今までは大人しく「良い子」を演じてきた分の反動も手伝って、物凄い程のはっちゃけぶりさ。

 
 自分たちの出番、曲を披露して終わった後の、司会者による質問が始まった時だ。

 私は「アイドル活動の感想は」とか、「アイドルとしてのこれからの目標は」なんてありきたりな質問に対して、
 
 「杏、ホントは働きたくないの。出来れば誰かに養われて生きて行きたい」「夢は印税による不労所得、楽して儲けたい」
 「それに最近お仕事も忙しくって……出番も終わったし、もう帰ってもいい?」なんてセリフを、全力の媚び媚び笑顔で返してあげたんだ。

 
 すると司会の人も周りのアイドル達も、みぃんな聞き間違いかなってポカンとした表情しちゃってさ。
 隣の桃子が「あ、あのね! そういう冗談は楽屋の中だけで……」なんて慌ててフォローを入れてきたけど。
 
 最後には「だから、杏の事を養いたいって人がいるならさ、杏達がこれから人気アイドルになれるように応援してよ。
 今ならそんな皆のこと、お兄ちゃんって呼んであげてもいいからさ!」とまで、私は言い放った。

 何度でも言うけれど、それはそれは最っ高に甘ったるく、なおかつその場の誰にも負けないぐらい思いっきりキュートに、だ。


 本来ならば、「何を言ってるんだコイツは?」って話だろうけど、
 私は歌やダンスの代わりに、自分の魅せ方は十分に分かってるつもりだったから。

 どんなふうな表情で、どんな声のトーンでお願いすれば、人が自分の言う事を聞いてくれるのかってのを、
 これまでの経験から知ってたんだ。そう、いつかきらりに、ルームシェアの話を切り出した時みたいにね。
 
 結果としては、この目論見は大成功。

 質問の直後から番組に対する問い合わせが殺到して回線はパンクしちゃうし、
 その場に来ていた一部の「アプリコット&ピーチ」のファンからは「俺が養う!」「お兄ちゃんと呼んでくれっ!」なんて歓声だって飛び出した。

 それで調子に乗った私が実際に、「ありがとうお兄ちゃん!」なんて返事したもんだから、その盛り上がりようったら尋常じゃなくてさ。
 さらにさらに、私たちがパフォーマンスを披露した順番が、一番最初だったのも追い風となる。


 そりゃそうさ、この私の発言により、会場はその時既に異様なムードに包まれてたもん。
 そんな状況で普段通りの実力が発揮できるような新人が、おいそれといるワケがないじゃない。
 
 結局、その場の雰囲気に呑まれた残りの出演者の評価はボロボロで、
 相対的に順位を上げた私たちは見事、その回の「マスター」になることができたのだ。

 まっ、いわゆる作戦勝ちってヤツだし、あくまで一度だけしか使えない手段。

 ともかく「マスター」にさえなってしまえば後は野となれ山となれって、
 そんなつもりだったハズなんだけど……世の中ってのはホント、何が起きるか分かんないもんでさ。

 
 その次も、そのまた次の回も、私達は「マスター」として一位の座に座り続ける事になる。
 それは回を重ねるごとに爆発的に増えていった私達のファンによる反応が、他のどの出演者よりも抜群に良かったからなんだ。

 
 いくら私達の技術が拙くたって、目の前でライブを楽しむお客さんの反応を、審査員達もないがしろにする事なんて出来ないじゃない? 

 それに、私の方も数をこなすごとにファンの扱いがどんどん上手くなっていたからさ。
 私が煽ってファンが増え、それで増えたファンをまた私が煽って……

 もうね、最後には「ルーキーズ」っていう番組自体を、
 「アプリコット&ピーチ」がジャックしたような状態にまでなっちゃってたんだよね。


 それで頭を抱えちゃったのが、この番組を作ってたテレビ局でさ。

 余りにも私達の勢いが強すぎて、もう並みの新人が相手じゃ、どうにもこうにも太刀打ちできなくなってたもんだから、
 遂には私達の事を「殿堂入り」って事にして、これ以上私達が番組に出演出来ないようにするしかなかったんだ。
 
 だから、私達の連続一位記録は八回でストップする事になったんだけど、
 こっちとしてもこの時既に十分過ぎる程箔がついてたワケだから、その提案を断る必要もなくってさ。

 こうして私達の「ルーキーズ」出演は、この番組の伝説として後々まで語り継がれる事になるんだけど……
 とりあえずそれは、また別のお話だよ。

===15.「天使の笑顔」

「杏達が活動休止って、どういうこと?」

 事務所に置かれたソファーに寝っ転がった姿勢のままで、私は目の前のプロデューサーにそう尋ねる。

「どうもこうも、休止って言ったら休止だよ。今月末に予定しているライブを持って、
 お前さん達の「アプリコット&ピーチ」は、当分の間活動を休止することが決定したの」

「で、でも、なんで? 人気が落ちてるわけじゃないし、桃子達が何か問題を起こしたわけでもない。
 急に活動しなくなる、理由が思いつかないんだけど」

 すると私と桃子の言葉を聞いて、困ったように顔をしかめるプロデューサーの隣に立っていた、一人の女性が口を開いた。

 
「だから、なんですよ。お二人とも」

「……ちひろさん」

 プロデューサーが、彼女の名前を口にする。

 緑色の事務服が良く似合う、柔和そうな雰囲気をまとった女性……千川ちひろ。
 時折社内でも見かけた事はあったけど、これまで直接こうやって、彼女と話をする機会は一度も無かった。

 その千川ちひろが、どうして突然この「第二企画室」にやって来て、私達の活動休止を告げるのか。
 その理由はさっぱり見当もつかなかったけど、彼女はそんな私達の疑念の視線を、気にも留めずに話を続ける。

 
「人気がありすぎるからこそ、このユニットの活動休止が決定となったんです。
 杏ちゃんも桃子ちゃんも、あの『ルーキーズ』の一件以来……
 特に杏ちゃんに関しては、ソロでのお仕事が日に日に多くなってきました。

 そろそろユニット単位でなくても、お二人は十分な利益を生み出す事が出来る……そういう、上の方針なんです」

「……だから活動を止めて、桃子達にはソロでの仕事に専念しろってわけ?」

「はい。ユニットで十割、ソロで八割のお仕事がこなせるなら、
 八を二つ作って十六のお仕事ができた方が、はるかに効率的でしょう?」

「でも、そんな急に言われても……なんか納得できないな。
 せっかく杏もそれなりに、お仕事に対するやる気が出てきたところだったのにさ」


 わざとらしい私の「お仕事」発言が可笑しかったのか、プロデューサーが小さくニヤッと笑う。
 けど、すぐにまた難しい顔に戻って。
 
「とはいえ、お前さん達にはこの決定を拒否する権利もない。
 アイドルとはいえ、事務所に所属して給料を貰ってる以上、普通のサラリーマンと変わらんのだから」

「残念ですがもしもこの決定を受け入れて貰えないとなると、
 こちらとしてもアナタ方との契約を解除する……そういうお話をする必要も出てきます」


 契約の解除。ちひろさんのその言葉で、部屋は一瞬にして重苦しい空気で包まれる。

 それは余りにも突然の申し出だった。

 人気がなくなったとか、問題を起こしただとか、そういう事でクビになるかもしれないってのは、
 考えた事が無かったわけじゃあないけれど。まさか人気が出過ぎたからクビになるかもしれないだなんて……そんな事があるんだ。
 
 すると、何も言えないでいる私より先に、静かに桃子がその口を開いた。

 
「分かった、おじさん達の言う通りにするよ……別に、お仕事がなくなっちゃうわけじゃ、ないんでしょ?」

「……あぁ、こっちとしても活動休止によるリスクがないわけじゃない」

「その後の見通しが立っているからこそ、こういう決定を下せるのが、業界最大手と言われるウチの事務所の強みですから」


 その時の桃子のその物言いは、どこか引っかかる物であったけど……
 そんな事を考える間もなく、すぐにちひろさんの視線がこちらを向いて。
 
「とりあえず、桃子ちゃんは賛成……後は、杏ちゃんですね」

 ちひろさんが「どうしますか?」と、にこりと優しく微笑んで。

 
 でも、おかしいじゃないか。こんな突然に、こんな内容の話を急に持って来られてさ。
 絶対に何か、裏があるハズなのに。
 
 なのに、この人のこの笑顔はなんなのか。
 ただ天使のように微笑んでるだけなのに、その笑顔にはどうにも抗えない迫力があったのも事実なんだよ。
 
「わ、私は……」

 そしてその時の私は、答えながらこう思ったんだ。
 天使が人を騙す時には、きっとこんな笑顔をしてるんじゃないだろうか……って。

>>49訂正
× その時の桃子のその物言いは、どこか引っかかる物であったけど……
○ その時の桃子の物言いは、どこか引っかかる物であったけど……
ここまで。

===幕間劇5.「笑顔の、裏側」

 かつて誰かが言っていました、「夢はいつか叶うもの」って。ふふっ、なんとも素敵な言葉ですね。

 ただ一点、こんな言葉を本気で信じてるような人間は、例え一生をかけたとしても、
 絶対に夢を叶えることは出来ないという点に目を瞑るなら、ですけど。
 
 ……「夢」というのはどんな形であれ、その人間にとっての「成功」の事を言います。
 誰だってそう、人生に失敗する事を目標にして、生きてる人なんていないのですから。

 それは実現できもしない絵空事を思い浮かべては、「いつか必ず」なんて言いながら、
 自分を慰めて日々を生きているような……そんな甘ったれたお馬鹿さんじゃあ、決して手にする事の出来ない代物なんです。
 
 夢をその手に掴みたいのならば、綺麗事ばかり、言ってはいられません。
 使えるものは利用して、必要のなくなった物は切り捨てて。夢を叶えるという事は、業を背負うという事でもあります。

 
 だから、私はそんな人達に教えてあげるんです。「アナタでは残念ながら、その夢を叶える事はできません」と。

 別に、酷い事を言っているつもりなんてありませんよ?

 叶うはずもない夢を追いかけて、貴重な時間を浪費するという
 悪夢から目を覚ましてあげているのですから……むしろ、感謝されたっていいぐらいです。

 
――さて、本題はここから。

 私は自分の夢のため、周防桃子と双葉杏……この二人の若い芽が実らせた「アプリコット&ピーチ」と言う名の果実を、
 予定していたよりも少しだけ早く、収穫してしまう事に決めました。
 
 それもこれも全ては彼女……双葉杏が私に見せた、「ルーキーズ」における一連の騒動のせい。
 彼女は本当に、良い「掘り出し物」でした。
 
 そもそも、彼女達を「ルーキーズ」に出演させるよう
 プロデューサーに指示を出したのは、ウチの事務所に確実な勝算があったから。

 
 子役上がりの周防桃子は実力も経験も、新人としては十分高い水準にありましたし、出演するまでの一ヶ月、
 事務所は彼女たちをみっちりとメディアに取り上げさせて、その顔を広く世間に認知させていたのですから。
 
 何人かの審査員にも根回しはバッチリ行って、唯一の不安要素だった双葉杏……当日、彼女がステージ上でヘマをやらかした場合に備えて、
 フォローの為に相当数のサクラを、お客の中に紛れ込ませる事も私は忘れませんでした。
 

 
 まさに仕掛けは上々、後は結果を待つばかり。
 でも、このお膳立ては彼女の言動によって、全て台無しになりました。
 
 なにが「働きたくない」、なにが「楽して儲けたい」ですか! 当時、放送を事務所で見ていた私は頭を抱えて唸りを上げたものです。

 まさかそんな、全国放送されている番組の中で、
 こんな馬鹿げた事を平気で言ってしまうだなんて、どこの誰が想像するっていうんです?
 
 けれど次の瞬間、画面一杯に映ったあの子の笑顔……あの「天使の笑顔」を目の当たりにして、
 私の頭からはそんな些細な怒りなど、綺麗さっぱり吹き飛んでしまいました。
 
 もう、とにかくその時の杏ちゃんは可愛くて可愛くて……い、今思い出しただけでも、ついつい頬が緩んでしまうんですから、
 あの日の放送を見ていた私は、きっともっとだらしない顔をしていたことでしょう。

 
――あー、コホンッ……話を元に戻しますね?

 この前代未聞のカミングアウトと、直後に披露された宝石のような笑顔によって、
 双葉杏の名前は一夜にして全国に知られる事となりました。

 その反応としては、「すげぇやる気のないアイドルが現れた」とか、「いやいや、あれは演技だろ? さすがにさぁ」とか、
 「なんか生意気でむかつくけど、そこがまた可愛いんだよなぁ」と、多種多様。
 
 とはいえ、「双葉杏は生意気カワイイ」というのは、どうやら多くの人々の間において共通の認識となっており、(これには、私も諸手を挙げて賛成します!)
 放送のあった日からしばらくの間、事務所には問い合わせの電話が
 掛かりっぱなしになるという、忙しくも嬉しい誤算を、彼女は引き起こしてくれたのです。

===

「――だから、私はあの子が欲しいんです……構いませんよね?」

 千川ちひろは、自分の目の前に立つPに今回の提案……「アプリコット&ピーチ」の活動休止、
 その理由を語って聞かせる間、終始にこやかな笑顔であった。
 
 場所は、P達が勤務する事務所ビル内の一室。
 社長室にほど近い場所に用意された、「特別事務員」千川ちひろ専用の個室である。
 
「お言葉を返すようですが……双葉はまだデビューしたてで、業界の右も左も怪しい状態です。
 そんな彼女を上にあげるなんて、少しばかり早すぎるんじゃありませんか……?」


 だが、革張りのオフィスチェアにゆったりと腰かけるちひろは、彼の意見を鼻で笑い飛ばすと。
 
「誤魔化そうとしても無駄ですよ。私が見たところ、彼女はこの程度で自惚れるような……
 いえ、自惚れる事が出来る程、強い性格の人間じゃあありません。
 やる気のないように見せているのも、本当の自分を隠すための演技……そう、臆病な自分を偽るための、ね」

 そう言ってデスクの上に両肘をつき、組んだ両手に顎を乗せて
 Pを見上げるちひろの顔は、「何もかもお見通しですよ」と笑っている。

 
「臆病だからこそ、大人の意見を素直に聞くんです。
 一見捻くれているように見えるのも、素直な良い子である事を他人に知られるのが照れ臭いから……可愛いじゃありませんか。

 口では生意気を言ってても、その実頼りになる存在……大人に依存しないと怖くて怖くて仕方がない。
 それでも外の世界には興味津々、まるでお姫様みたいな女の子です」


 Pの口元が、僅かに歪む。しかし、恍惚とした表情で言葉を続けるちひろは、彼のそんな些細な変化には気がつかない。

 
「そう、お姫様。アナタもその目で、その肌で感じたでしょう? ステージに立つ彼女が放つ、圧倒的なカリスマ性が生み出したあの光景。

 回を重ねる事に増した熱狂するファンの群れに、彼女の一挙一動が規律を与える、あの光景を! 
 私は、アレを見た時に確信したんです、彼女なら、きっと次世代の『日高舞』にだってなれる可能性を持っていると!」


 ちひろはそこでようやく自分が椅子から立ち上がり、机の上に身を乗り出す程に興奮していた事に気がつくと、
 一度ゆっくりと息を吐いてから、再び椅子の上に腰を下ろした。
 
 ちひろが椅子に座った事を確認してから、Pがその口を開く。

 
「ちひろさんは本気で……双葉が日高舞になれると思ってるんですか?」

「言い方が悪かったようで勘違いをさせたみたいですが、正確には日高舞になるのではなく、私達が日高舞を作るんです。
 これまでだって、その為の準備を社長の指示で進めていましたが……残念ながら、肝心のアイドル候補が思うように見つからなくて」

「そこに、双葉が現れた……」

「えぇ、まさに彼女は神様が遣わしてくれた天使のような存在ですよ。
 彼女なら、きっと私達の期待以上の結果を、見せてくれるハズです」


 会話は終わり、ちひろは自分の椅子から立ち上がった。

 これから彼女はこの部屋を出て杏達の待つ「第二企画室」へと足を運び、
 「アプリコット&ピーチ」の活動休止を伝えなくてはならないのだ。

 「ちひろさん。一つ、質問があります」

 だが、動き出そうとしたちひろをPが呼び止めた。
 
「はぁ、何でしょう?」

 Pの顔を見るちひろの目つきは、鋭い。
 しかし、Pにはここで、どうしても確認しておかなくてはならない事がある。

 
「これからの双葉の面倒を、ちひろさんが見る事は理解しました。ですが……そうすると桃子はどうなるんです? 
 彼女が抱えてる問題を、知らないわけじゃ、ないですよね」


「あぁ、そういえば桃子ちゃんがいましたねぇ」

 Pの言葉を聞いたちひろが自分の顎に手をやって、わざとらしく考え込むふりをする。

 
「担当アイドルに入れ込んで、その将来を心配するのも結構ですけど……
 ここが使い道の無くなったアイドルを、お情けで囲っておくような事務所で無い事ぐらい、当然知ってますよね」

「っ、それじゃあ!」
 
「俳優業界を干された元子役スターがアイドルに転身。

 活動休止からソロでお仕事をするにしても、得意分野である舞台やドラマのお仕事が望めない以上……
 桃子ちゃんには悪いですけれど、彼女レベルの歌やダンスをこなすアイドルは、ウチの事務所に履いて捨てる程いるんです」


 Pの握られた拳に、力がこもる。だが、それを振り上げたところで、どうにかなる問題では無い事を、彼だって理解しているのだ。
 
「……なんとか、なりませんかね?」

 呻くようなPの声を聞いても、ちひろの表情にはなんの変化も起きなかった。
 もはや彼女にとって興味の対象は杏一人であり、桃子の事は「その他大勢」と一緒なのである。
 

 
「そもそも、彼女を移籍させたのは彼女の経験と子役時代からの人気を買ったからです。

 けれど、一度デビューしてしまった以上、また新しくユニットを組ませて
 再デビューと言うわけにもいきませんし、そんな事をしたら彼女の価値が逆に下がってしまいます。

 さっきも言いましたが、ソロで売り出すにしても、彼女には演技以外の武器が無い……
 これ以上の投資は、ハッキリ言って無駄でしかありません」

「なら……せめて移籍先だけでも、用意してやることはできないんですか?」

「うぅん……一時とは言え、彼女が面倒を見てくれたお陰で、今の杏ちゃんがある事も事実ですものねぇ」


 そうして少しの間、ちひろはその場で悩むようなジェスチャーをした後で、「分かりました!」と両手を打った。

 
「桃子ちゃんの今後は、お仕事にしても移籍にしても、全て彼女のプロデューサーであるアナタに一任することにします! 
 彼女としっかり話し合って、納得のいく結論を二人で出してください……ただし!」


 ちひろが、右手の人差し指を立てる。

 
「これから二人の所に行って、活動休止の話をしますけど……余計な事は一切言わないでくださいよ? 
 まぁ、分かってるとは思いますけど、一応の確認です」


「……分かりました」

 これ以上はもう、何を言っても無駄だろう。また、自分は担当アイドルを守れないのか……。
 
 Pの脳裏に、苦い思い出が蘇る。それはこの業界で仕事をしている以上、忘れたくても忘れられない、業のような物。
 自分たちは、年端もいかぬ少女達の夢を食い物にして生きているのだと、改めて心に刻み付けられる。

 
「ふふふ……これでウチの事務所は、業界の頂点に立つことが出来ますよぉ~」

 部屋を出たちひろの後を追うように、Pも桃子達の待つ「第二企画室」へと向かう。

 浮かれながら自分の前を歩く、千川ちひろのその背中。
 そこに、悪魔の羽のような物が生えている……そんな幻覚が、彼には見えるような気がしてならなかった――――。

ここまで。

===16.「桃子とプロデューサー」

 私と桃子、二人の「アプリコット&ピーチ」が活動を休止してから早いもので数ヶ月。
 桃子と離れてお仕事するようになってからも、杏のアイドル活動は順調そのもの。
 
 学校行きながら仕事して、休日でもオフって日なんかほとんどなくて。
 毎日あちこちの現場やスタジオを回る忙しい日々を過ごしてた。
 
 そりゃ、体力的にもしんどいし、面倒なことだってあったけど。

 それもこれも、全ては自分の夢……もう一度、きらりと一緒に暮らすためには必要だと思ってたからさ。
 そのためには、学校を卒業した後も生活に困らないで済むぐらい、稼いでおく必要があったんだ。

 でも、そんなある日のこと。私は珍しく、プロデューサーに話があるからって呼び出された。
 えっ、なんで「珍しく」なんて言うのかって? あー、それは……。


「それでどうだ。俺たちから離れて、ちひろさんと一緒に仕事をしてみた感想は」

「一緒にって言ったって、ちひろさんはリストの中から杏にやりたい仕事を選ばしてくれるだけでさ……
 現場にはいつも一人で行ってるし、大変以外のなにものでもないよ」

「ははっ、そうだよな。ウチは売れっ子になると、基本的にプロデューサーがつかなくなるからなぁ」


 昼下がりの事務所の廊下。私の前を歩いていたプロデューサーは自動販売機を見つけると、私の方を振り返る。

 
「何か飲もうや、俺がおごるからさ」

「……いいの? 桃子が言ってたけど、プロデューサーっていっつもお金ないんでしょ?」

「あのな、ジュースの一本買ったぐらいで、困窮するような生活は送ってないよ」

「なら、遠慮なく」


 そうして近くにあったベンチに座ると、プロデューサーはおもむろに話し出した。

 
「実はな、今日お前さんを呼んだのは……桃子のことで聞いてもらいたいことがあってな」

「桃子が、どうかしたの?」


 私は奢ってもらったミルクセーキの缶に口つけながら、プロデューサーの顔をうかがうように見る。

 
「ん、まぁ……いわゆる今後についてってヤツさ。桃子は決して悪いアイドルじゃないんだが、
 お前さんとのユニット活動を止めてからは、どうにも調子が出なくってな。
 まだまだ人気だってあるし、あの年でちゃんと礼儀もしっかしてる」

「礼儀ねぇ。杏にたいしては、いつだって慇懃無礼な感じだったと思うけど」


 おどけながらそう言うと、プロデューサーは少しむっとした口調になった。

「茶化すなよ。とにかく、桃子に回って来る仕事の種類が、最近妙に偏っててな。
 ドラマや舞台なんかの演技の仕事は、元々期待しちゃいなかったけど……」

「ちょっと待って。桃子って元々俳優でしょ? なんで演技の仕事が回ってこないのさ」

「それは……お前さん知らないのか? どうして桃子が子役からアイドルになったかの理由」

「あのね、桃子と初めて会ったときにも言ったけど、杏は芸能界の事情にはめっきり疎いの! 
 いちいち誰が何やったとか、そんなことには興味もなけりゃ、気にだってしてないんだから」


 そうして「どうだ、まいったか」と言わんばかりに両手を組んだ私を見て、プロデューサーは頭を掻くと。
 「なら、まずはその話からしないといけないかな」と、話し始めたんだ。
 
 桃子が、どうしてこの事務所に来なくてはならなくなったのか、その理由をさ。

===

 事務所の廊下に置かれたベンチに腰掛けて、ジュース片手にプロデューサーが語ってくれた話をまとめると、大体こんな感じ。
 
 桃子が元々所属していた俳優事務所っていうのは、そう規模の大きくはない中堅事務所で、
 世間での人気を手に入れた彼女は、事務所にとっての稼ぎ頭でもあったらしい。
 
 そんな桃子が参加した、とある新作映画の撮影で事件は起きた。
 桃子のヤツ、共演してた俳優の一人に、怪我をさせたっていうじゃんか。
 
 怪我自体は命がどうとか、大げさな物じゃなかったらしいけど、
 怪我によって主演だったその俳優は代役を立てなくちゃいけなくなって、
 そのせいで生まれる損失の責任が、全て桃子一人にかぶされた。
 
 要は、怪我をさせた俳優のいた事務所にたいして、桃子が多額の賠償金を支払うことになったって話だった。

  
「だが、相手方の事務所が業界の大手だったのが桃子のついてないところさ。
 払わなきゃいけない金額自体は、そう法外なもんでもなかったらしいんだが、
 話し合いの際に彼女、相手方を怒らしちゃったらしくってな」

「ふーん、そのせいで業界から干されて……仕事のために、アイドルに転身ってわけね。
 それにしても、相手を怒らせたっていうのは桃子らしくないんじゃない?」

「そこなんだよなぁ、なんでそんなことになっちゃったのか。
 俺はほら、前の事務所の彼女を知らないから、なんとも言えないんだけどさ」


 私たちの間に、少しだけ沈黙がおとずれる。
 今の話が本当ならば、桃子は小学生にして厄介な問題を抱え込んでることになるけれど。

 
「まぁ、大体の話はわかったけど。それで、杏を呼び出したのはどういう理由があったの? 
 まさか、昔話を聞かせるためだけじゃ、ないんでしょう」


 するとプロデューサーは、なにかを考えるような顔になって。

 
「本来、アプリコット&ピーチ……お前たちのあのユニットは、桃子のために用意したものだったんだ。
 それが、例のルーキーズ以降、方向がまったく変わっちまってね」

「桃子の……?」

「仕事には、真摯であれ。息の長い話ではあるけど、桃子の仕事にたいする誠実さを、俺はあのユニットで周囲に知らしめたかった。

 そうすれば彼女についた悪いイメージを払拭できるし、なにより次のステップに繋げることができるからな。
 だから、お前さんのような新人……とくに生意気そうな活きの良い新人と組ませることで、桃子がいかに『しっかりしてるか』を引き立てようとしたのさ」

「けど……杏が桃子よりも、目立つ存在になっちゃった……」

「まっ、それが悪いってわけじゃない。俺だって担当してるアイドルが、世間に認められるのは単純に嬉しいからな。
 ただ、結果的に言えば、それが桃子にとってはマイナスに働いたってだけの話さ」


 誰にもどうにもできないことってのは、ある。
 杏だって好きで彼女よりも人気が出たわけじゃないし、それはプロデューサーだって分かってるんだろう。


「さっきも言った通り、桃子の最近の仕事は歌やモデルに偏っててな。だが、歌っていっても他人のカバー、新曲なんて貰えない。

 双葉はもう分かってると思うけど、ウチは俺を含めたプロデューサー組が取って来た仕事から、
 お前さんらのような個人活動のアイドル組が好きな仕事を選んでいくスタイルだ」

「それで、選んだ後の残り物がプロデューサーの担当してるアイドル組に回されるんでしょ? 
 ソロで仕事を始めるときに、ちひろさんからも説明されたけど……
 杏は残った仕事の中から、プロデューサーがもう一度選び直してるんだと思ってたのに」

「なら、いいんだけどな。実際は、上から回された仕事をそのまま担当に渡してるような現状さ」


 プロデューサーが、自嘲気味にふっと笑う。
 
「何がプロデューサー、アイドルを育てるだ。俺たちは何も知らない彼女たちを、良いように使ってるだけ……
 それでも、仕事があるウチはまだマシさ。けどな、このままじゃいつまでたっても桃子は飼い殺しのままだ」

「でも、仕事があるからこそ、例の払わなきゃいけないお金が払えてるんでしょ? それなら……」


 その時、私は気がついたんだ。あのプロデューサーが眉間にしわまで寄せて、思いつめた顔で「なにか」を見つめてることに。
 
「俺はもう、こんなつまらない理由で才能のある人間を失いたくないんだよ。桃子は演技の才能がある……
 なのに、俺はそんな彼女を舞台に上げてやることができない……!」

 プロデューサーの握ってた缶が、べこりと音を立てる。その視線は、きっとこの人の過去を見つめてるんだ。

 
「けど……それを杏に言われたって、どうにもできないよ」

 私だって、桃子が嫌いなわけじゃない。

 事務所に入りたての頃は、なんて生意気なヤツなんだろうなんて思ってたけど、
 彼女と一緒に仕事をしていくうちに、その人となりが分かって……。

 あの子は、いつだって真面目だった。それは、自分に誇りを持ってたから……小学生の自分が、大人に混じって仕事をするんだ。
 そこに甘えを持ち込まず、同じ「プロ」として仕事に取り組む、そのことに誇りを持っていた。
 
 年齢なんて関係ない……仕事という舞台に立ってる時の桃子は、私から見ても十分に「プロ」だったさ。
 けど、だからって私が事務所を辞めたら、彼女に私の分の仕事が回って来るわけじゃないし、
 私の人気がそっくりそのまま、桃子に移ることだってない。

 
「上の連中、いや、ちひろさんは……このまま桃子が目立った実績を残せないなら、そのまま彼女の首を切る気でいる。
 そのための準備として、あの人は桃子に回す仕事を『誰にだってできる』物に偏らせ始めたのさ。
 そこには、別に桃子じゃないといけない理由なんてない。ただ、黙々とこなせばいいだけの……それこそ新人用の仕事ばかりをな」

「なんで、そこでちひろさんが出てくるのさ」

 ふとした疑問が、つい口からこぼれる。


「双葉も薄々気がついてるとは思うが、ウチの事務所で社長の次に偉いのが、あのちひろさんだ。
 彼女は、ウチの事務所があわや経営破綻って時にココに来てな……その手腕で、傾いたウチの台所を立て直した実績があるのさ。
 だから、彼女は専用の個室と、経営に関して裁量する権限を、社長から与えられててね」

「なぁるほど、どうりで誰も彼もがあの人の顔色をうかがってるわけだ。
 前々から不思議に思ってたんだよね、あんなニコニコしてる人なのに、時々妙な迫力を見せるから」

「昔のウチの事務所の方針ってのが、そりゃあもうイケイケの大艦巨砲主義でね。
 稼ぎ頭だった二組のユニットを猛烈にプッシュして、その人気と実力で業界内を荒らしまわってたのさ。

 少数精鋭と言えば聞こえはいいが、実態は二枚看板に頼り切った、かなり危ないやり方だよ。
 案の定、二組とも人気がピークに達した頃になってから社長と揉めて……」


「まさか、クビにしちゃったの?」

「そう、そのまさか。『ウチのやり方が気に入らなければ、どこへなりとも行くがいいっ!』ってね。
 頭を抱えたのは、残された俺たちプロデューサーさ。なんてったって稼ぎ頭の空けた穴を、どうにかして埋めなきゃならなかったからな。
 もちろん、当時だってウチの事務所には他のアイドルがいたけど、あの二組に続くことができるような、
 十分な実力を持った人材を育てるには……時間がなかった。そこにやって来たのが、ちひろさんだ」


 そこまで話してからプロデューサーがポケットから飴玉を取り出して、自分の口に入れる。

 
「社長の知り合いだってやって来た、あの人のやり方は合理的だった。
 無駄な設備や人材、投資なんかを整理して……実力がなけりゃ顔色一つ変えずに、役員だろうがアルバイトだろうが、
 社内の立場も関係なしにクビを切って行くんだもの。そりゃ、もう皆必死になって仕事に取り組んださ」

「うへぇ……じゃあ、杏なんか真っ先にクビになっちゃうじゃん」

「いや、そうとも言えないよ。要は、会社にとって利益になる物だけを残して、後は全部処分するのが、ちひろさんのやり方。
 その点で言えば、お前さんは十分ウチの事務所に利益を出してるじゃない。

 けど桃子は、今のままじゃダメだ……演技の仕事ができない以上、いつかは彼女の代わりが現れる。
 そうすりゃ、事務所としても桃子を置いておく理由がない」


 プロデューサーの言葉に、私はただ静かに相槌をうった。

 プロデューサーとちひろさん、どっちの意見が正しいとか、正しくないとか、そういう話じゃない。
 二人とも、遊びでやってるんじゃないんだもん。でも、だからこそこうした問題が起きるんだ。

 先に進める者と、取り残されてしまう者、本人がどれだけ努力したところで、
 どうにも縮められない距離があることを、私は知ってる。
 
「なんで……なんで杏に、そんな話をしたの?」

「さあなぁ……ただ彼女のことを知っている、誰かに吐き出したかったのかもしれない。
 正直なところ、俺にももうどうしようもなくてね」


 何かを諦めたような、プロデューサーのため息が漏れる。
 私だってこんな時、何か希望を持てるような良い意見を言ってあげたいけどさ。
 
「あのさ、杏は俳優のことをよく知らないけど、それこそ相手の事務所が

 気にもしないような……小さくてもいい、どっかの舞台に出るとか、そんなお仕事じゃいけないの? 
 
 ほら、よくあるじゃん。小さな劇団の俳優が、たまたま凄い監督とかの目に止まってさ、そっから人気俳優に

 成り上がって行くような話とか……あんな感じで、もしかしたらそこからもう一度、俳優としての仕事が来るようになるかも」

「けどな、そんな小さな舞台に桃子を出して、誰かの目に留まって、もう一度演技の仕事ができるようになるっていう保証はどこにある?
 俺はな、もっと沢山の人に桃子の才能を見てもらいたいんだよ。そのためには、誰も注目しないようなそんな小さな仕事じゃ……!」


「それは、プロデューサーのワガママだよっ!」

 思わず、私はベンチを立って叫んでいた。

 私の知ってる桃子は、どんな小さな仕事でも、手を抜かずにしっかりとこなす女の子だ。

 もちろん、いつだって完璧というわけじゃなかったけど、だからこそ普段から自分をきつく戒めて……
 そういう彼女の姿を見てたからこそ、私は五つ以上歳が下の彼女の言うことを、「先輩」の注意を素直に受け入れていたんだ。
 
「桃子には確かに、お金が必要なんだと思う。
 だから彼女の人気を上げて、どんどん良い仕事を増やしてもらって……そうしていつかはドラマや映画なんかの、
 演技の仕事を誰にも文句を言われないようにできるようにしてあげたい。そういうプロデューサーの考えも分かるけどさ。
 でも、でも……今のは、やっぱり違うと思うんだよね……」


 偉そうなことを、言ったかなとも思ったけれど。これだけは、たとえプロデューサーが相手でも……ううん。
 桃子を担当してきたプロデューサーが相手だからこそ、曲げられない意見だった。

 二人の間を流れる、気まずい沈黙。ガリガリと、プロデューサーが飴玉をかみ砕く音だけが響く。

 そうして飴玉を最後まで粉々にしてしまうと、プロデューサーがゆっくりと顔を上げて、見下ろす私をまっすぐに見た。
 その顔は、普段のやる気のない顔でも、さっきまでの何かを諦めたような顔とも違っていて。余りの迫力に、私は思わず息をのむ。
 
 それからプロデューサーは、気迫に押される私に向かってハッキリと言ったんだ。
 「決めたぞ。俺は、桃子に事務所を辞めさせる」って。

ここまで。

===17.「新たな舞台、新たな出会い」

 ……私の聞いた話によれば、学生時代に協調性の欠片も無くて、
 先生の手を煩わせていた問題児ほど、社会に出てから成功する確率って言うのは高いらしい。

 それはいわゆる、発想の柔軟性――型にハマった考え方じゃなくて、物事を柔軟に受け取ることができるから――
 社会の抜け道、成功への道を見つけやすいんだそうだ。

 
 その逆に、先生のいうことを素直に守っていた優等生ほど、社会に出てから伸び悩み……
 仕事が思うように進まなかったり、最悪、犯罪に手を染めてしまうことが多いという。

 理由は、さっき言ったのと反対で、発想の柔軟性が欠けている
 ――言われた通りのことしかできない、誰かに聞かないと、自分の道すら決められないから――
 何をしたら良いのか分からなくなって、結局ある一定のラインから先に進むことができなくなるらしい。

 
 でも、らしいらしいと言っているのは、この話の全てが真実では決してなくて、
 あくまでも偏った視点から作られた、当てにもならない通説だから。
 
 不良がある日イイコトをして、「根は真面目なのかも」なんて思われたり、
 良い子がたまにズルをして、「あんな奴とは思わなかった」なんて言われちゃうのと同じ。

 
 それでも皆、こんな例え話をくだらないと思いながら、心のどこかにソレを引っ掛けて生きてるんだ。
 でも、ひょっとしたら、本当はそうなんじゃないかって思い込みながら。

 そしてこの話に当てはめて考えてみる限り、彼女たちは紛れもなく前者の存在であり、
 私は限りなく後者……大人の言うことを真面目に守る、とても素直な良い子だったんだ。

===

「それじゃあ後は、こことここ。それからここに、判子を押して」

「……こうですか?」

「ん、オッケーよ。これで必要な書類は全部揃ったわね」

 とんとんと机の上で書類を揃えると、彼女は持っていたファイルにそれをしまってからこちらに向き直る。
 
「じゃあ改めて、ようこそ765プロダクションへ。私はプロデューサーをやってる、秋月律子っていうの」

「あ、周防桃子……です。こちらこそ、今日からお世話になります」


 差し出された手に握手で応えると、彼女……律子さんはくすりと笑い。
 
「あんまり固くならないでいいわよ……っというか、本当はこっちが緊張してるのよね。
 まさか、あの周防桃子が移籍を申し込んでくるなんて、思ってもみなかったから」

 すると、私の隣に座っていたプロデューサーが「まいったね」といった風に頭を掻く。

 
「それには色々と事情もありましてね。急な話だとは思ったんですが、他に桃子を送り出せるような事務所も思いつかなくて」

「おじさん、律子……さんと知り合いなの?」

「彼女本人というよりも、ここの事務所と縁があるって言うべきかな」

「まぁ、そうでなくても桃子ちゃんのプロデューサーさんは業界では結構有名な人だし……だいぶ前にも一度、ね」


 そういって律子さんが、私に向けて小さくウィンクする。

 いつでもくたびれたようなスーツを着ているおじさんと違い、シャキッとしたスーツに眼鏡姿の律子さんは、
 まさに仕事のできる女性といった雰囲気で。そんな彼女が見せた茶目っ気が、素敵なギャップになってどきりとさせられる。
 
 この日、わたし周防桃子はプロデューサー……うぅん。元プロデューサーになったおじさんに連れられて、
 事務所移籍の手続きを済ませるために、765プロダクション所有の劇場へと足を運んでいた。


 事務所を辞めろ……突然そんなことを言われた時は、さすがにこっちも驚いたけど。
 真剣な表情で私のためだとワケを説明してくれた、おじさんの話を聞いて私も納得。
 
 あのまま前の事務所にいつづけて、落ち目になって捨てられるぐらいなら、今の人気を持ったまま他所に移籍する方がずっと良い。

 加えて、移籍先が自前の劇場(シアター)を持つ事務所なら、誰に圧力をかけられることもなく、
 私は「俳優」周防桃子にだって戻ることができる……そういう話。

 
「とりあえず、これから桃子ちゃんには劇場の方を見て貰おうと思うんですけど……プロデューサーさんはどうします?」
 
「おや、一緒に見て回っても良いんですか? これでも一応、ライバル事務所の者なんですけど」

「えぇ、もちろん構いませんよ。見られて恥ずかしいような物は、どこにもありませんし」

 律子さんにそう聞かれたおじさんが、ニヤリとしながら答えると、そう言って不敵な笑みを返す律子さん。

 
「それなら、偵察でもさせて頂きますかね。実は、前々から興味はあったんですよ」

 こうして私とおじさんは、律子さんの案内で劇場の中を見て回ることになった。
 建物の中を回りながら、律子さんがあれやこれやとする説明を、おじさんも結構真面目に聞いていて。
 
「――それで、ここがリラクゼーションルームになります。
 とは言っても、今はまだ名前だけで余り設備の方は整ってないんですけどね」

 苦笑いしながらそう言って、律子さんが扉を開けた先はソファーやテレビみたいな娯楽設備が置かれた大きめの部屋。
 一歩部屋に入ると、アロマかな? ふわりとしたいい香りが鼻をくすぐった。
 
 でも、それよりも私が気になったのは、部屋に置かれたソファーの上に転がる物体。

 頭の下にクッションを敷き、ごろりと放り出された四肢。
 そして呼吸の度に上下するお腹……その姿は、私に強烈な既視感を感じさせる。

 
「……杏?」

 思わず呟いたのは、ここに居るはずもない人物の名前。
 いつだってだらだらごろごろ、この数ヶ月の間、私の手を煩わせ続けた問題児……だけど。

 
「くぉら美希っ! アンタこんなところで何やってんのっ!!」

 瞬間、ぱこんと小気味のいい音が広い部屋の中に響くと同時に、律子さんの怒声が飛ぶ。

 そうして美希と呼ばれた彼女は叩かれた頭を撫でながら、「あふぅ」と一声。
 呑気にあくびをしながら横になっていた体を起こすと、そのままソファーに座りなおした。
 
 彼女、歳は明らかに私よりも上だろう。あちこちに毛先の跳ねた長い金髪と、すらりと伸びた手足……
 そしてなにより目を引くのが、座った彼女が眠たげに目をこするたび、存在を主張するその大きな――。

 
「ふーむ。これだけ立派なら、確かに見られて恥ずかしいもんじゃないなぁ」

「……おじさん、それってきっちりセクハラだから」


 隣でにやにやと鼻の下を伸ばすおじさんに冷たい視線を浴びせた後で、私は彼女へと向き直る。

 ま、まぁ確かに、立派な物を持ってるようだけど、胸の大きさがその人の価値を決めるわけじゃあないし、
 そういうことならまだ私にだって成長の余地はいくらでも――。

 けど、次の瞬間には私はもうそれどころじゃなくなってた。
 だって彼女はおじさんの姿を見つけた途端に、勢いよくソファーから立ち上がると。

 
「ぷ、プロデューサーなのーっ!!」

 嬉しそうに叫んで、そのままおじさんの胸の中に飛び込んでいったんだもん。

 予想もしなかった展開に、私は馬鹿みたいにポカンと口を開けたまま、
 おじさんのさっきの言葉を思い出す……まさか、これがおじさんの言ってた「縁」ってヤツ?
 
 視界の隅に、頭を押さえて肩を落とす律子さんの姿がちらり。
 そうして私も彼女同様、呆れたようにため息をついたのだった。

ここまで。

===
 
「ねぇねぇ! どーして今日は、プロデューサーが来てるの? もしかして、美希に会いに来てくれた?」

 自分の姿を見つけるなり突然抱き着いてきた金髪少女を、おじさんは「相変わらずだなぁ」なんて言いながら引きはがして。

「残念ながら。今日は別の用事があってね」
 
「ほら、こっちの子……美希にも話してたでしょ? 新しくウチに移籍してくる子がいるって。その付き添いよ」

 律子さんが腰に手を当てながらそう説明すると、おじさんから離れた彼女……美希さんが私の方を見る。

 
「ふぅーん。この子が新しい子? なんだか全然、パッとしないの」

 あっけらかんと言い放つ、彼女の態度に少しだけカチンとくるけれど。
 私はにこやかとは言い難い、ちょっと怪しい笑顔でぺこりと挨拶。

 
「初めまして、周防桃子です。あの、今日からお世話になるので、よろしくお願いします」

「はいはーい。よろしくされてあげちゃうの!」

「こらっ! 初対面の相手にそういう不真面目な態度はとらないって、何度も注意してるでしょ!」


 私の自己紹介に片手をあげる軽いノリで応える彼女の頭を、律子さんがぱかんとはたく。
 
 けど、彼女ははたかれた頭を撫でながら唇をとがらせると。

 
「えぇー、でも、美希は桃子のこと知ってるもん。アプリコットなんとかの、周防桃子でしょ?」

「あれ? ウチの桃子とどこかで会ったことがあったっけ?」

「うぅん、直接会うのは初めてだけど、いつもテレビで見てたから」

 とはいえ、いつもテレビで見ていたのなら、ユニット名ぐらいは覚えておいて欲しいものだけど。
 悪びれた様子もなく笑う彼女に、律子さんがため息をつく。

 
「アンタね、それじゃ本当に『知ってる』だけじゃない。ごめんなさいね、この子ったらいつもこんな調子で」

「い、いえ別に。あの、それよりも美希さんってもしかして……プロジェクト・フェアリ―の星井美希さん、なんですか?」

「そうだよ? 元、プロジェクト・フェアリ―だけどね」


 そう……さっきの既視感は杏とイメージが被ってたから、そのせいだと思ってたけど。
 私の方も、やっぱりどこかで彼女を見たことがあるような気がしてたんだ。

 プロジェクト・フェアリー。私がアイドルになる前に、おじさんの事務所が売り出していた新進気鋭の大型新人アイドルユニット。
 私の記憶が確かなら、会社との意向の違いで随分前に解散したって聞いてたけど。

 
「あの、自分が写真で知ってる美希さんとは、印象が随分違いましたから……以前は髪も短くて、金髪でもなかったですよね」

「えっとね、イメージチェンジ? したの。事務所を移ってからは三人とも、自分の本当にやりたいことができるようになったから」

 答えになっているのいないのか。少々ピント外れな回答をした後で、美希さんが律子さんに向かってふふんと得意げな顔をする。

 
「ほら、桃子も美希のこと知ってたよ?」

「だからどうしたって言いたいのよ。初対面なのに変わりはないでしょうが」

「それにしても、美希が桃子のことを知ってるとは……」

 二人のやりとりに口を挟んだおじさんが、「他所のアイドルには興味がないとばかり思ってたんだが」と言葉を続けた。

 
 ……けど、それってどういうこと? 
 そう疑問に思った私が浮かべた怪訝な表情を察したのか、すぐにおじさんが説明をしてくれる。


 
「美希は、いわゆる『天才肌』のアイドルでな。ダンスだろうと歌だろうと、
 基本的になんだってこなせるんだよ。それも、全て完璧に近いレベルで、だ」

「でも、そのせいかこの子はムラッ気が酷いのよ。気分が乗らないと日がな一日事務所でごろごろしてばっかりで。
 それでもたまにやる気になって仕事をすると、ウチの事務所でもトップクラスの結果は残すから……」

「もー、また律子、さんはその話ー? 事務所を移る時に、そういう条件で良いって約束してくれたのにー」

「まっ、そういう性格だからウチにいた頃からも競争だとかライバルだとか、自分に関係のないアイドルには
 とんと興味が無いって感じだったんだがな。それがほら、桃子のことを知ってるって言うだろう? 俺も少々、驚くじゃないか」


 おじさんと律子さんの説明……一日中ごろごろしてると聞いて、
 馴染みのぐうたらアイドルの顔が頭に浮かぶけど、とりあえず今は置いといて。
 
 なるほど。素行に多少の問題はあっても、結果を出せる実力を持ってるから、
 普段の多少のワガママには目をつむってもらえてるってワケか。
 
「でも、だったらなんで……」

 なんで、そんな人が桃子のことに興味があるような素振りを見せたのか?
 そう質問しようとした私よりも先に、彼女が口を開く。

 
「ところで、移籍して来るのは桃子だけ? 一緒のユニットにいた、杏って子は?」

 美希さんのその何気ない質問に、おじさんと私は言葉を詰まらせた。杏は……彼女は、私と違って事務所ぐるみで売り出し中。
 人気も日に日に高まってるし、移籍しなきゃいけない理由なんてない。

 
 でも、そんななんともいえない雰囲気に落ち込んじゃった私たちの反応を見て、美希さんが嬉しそうに言う。

 
「よかった! あの子まで移籍してきたらどうしようかって、実は美希、結構悩んでたんだよ? 
 でも、今のプロデューサーの様子だと、そんな心配もいらないみたいなの」


「悩んでたって……一体?」

 おじさんが不思議そうに聞き返すけど、私だって同じ気持ちだ。
 すると彼女は、いたずらっぽく自分の唇に人差し指を当てて。

 
「だってそうでしょ? 『らいばる』が同じ事務所だと、タ・イ・ケ・ツ、できないもん」

「対決って……あ、杏と?」

「あのね、美希の作った、『ルーキーズ』での記録が抜かれた時に思ったの。杏なら、きっと美希を楽しませてくれるって!」

 呆気に取られる私に向かって、彼女はそう言って無邪気に笑ってたけど。

 その時の私はそんな美希さんの目、瞳の奥に……じりじりと静かに燃える、抑えられない感情を見た気がして。
 自分のことじゃないっていうのに、ヒリヒリとしたプレッシャーと、ちょっとした寒気を感じてたんだ。

===幕間劇6.「眠り姫」

「私、アイドルを辞めようと思うんです」

 伏し目がちで言った彼女の顔を、今でも鮮明に覚えている。
 当時の俺はプロデューサーとしても、社会人としてもまだまだ駆け出しで。
 
 実力もなければ知恵もなく、どんな問題にも出たとこ勝負。
 体当たりでぶつかっていく方法しか知らない、若さだけが取り柄の男だった。
 
 忘れもしない、初めて担当したアイドル。彼女には、アイドルとして大成できる資質があった。

 明るい人柄に気遣いもばっちりで、なにより彼女の持っていた人を惹きつける伸びやかな歌声は、
 誰にも負けない強力な武器にだってできたハズなんだ。


 それなのに……俺は一人の少女を散々に振り回した挙句、彼女の夢を、無残にも叩き潰して。
 
 あの時、俺にもっとプロデューサーとしての力があれば、彼女を守る賢い方法を、少しでも身につけていたならば、
 そして同期に、あんな「化け物」がいなければ……彼女を手放した後で、後悔するのは楽だった。

 言い訳を並べて自分を責めていれば、俺はどこまでだって逃げ続けることができたのだから。

 
 ……けれど、その後も逃げ続けた俺とは違い、しばらくすると彼女はキチンと前を向いて歩き出した。

 自分に出来ることと出来ないこと、そして自分の「これから」についてしっかりと整理すると、
 誰に支えられることもなく、彼女自身の足で再び自分の道を歩き出していた。
 
 そんな彼女の姿は、紛れもなく「アイドル」だった。

 ステージから降り、声援をくれるファンがいなくなったって、ただただまっすぐに進む彼女の芯の強さ、
 その背中は、残された俺のような人間の道にも、確かな「光」を見せてくれたんだ。

 
 今にして思えば、彼女はデビューした時から多くの事務所にマークされていた。

 容姿、性格、歌唱力……どれをとっても高い水準で満たしていると、彼女の実力を見た者はみんな思ったんだ。
 こんな彼女に真正面からぶつかって、対抗できる力を持ったアイドルはそう多くはないぞ、と。

 だからこそ、彼女が成長して脅威になる前に潰しにかかって来たのだろう。
 一度決まっていた仕事が他所に流れたり、彼女を取材した雑誌の記事が別の物に差し替えられたり、
 明らかに実力で劣る相手が、彼女の代わりにオーディションで合格するということだってあった。
 
 単に運が悪いとか、実力が不足してただけじゃない……確かな妨害行為が、俺たちには日常的に行われていたんだ。

 
 しかし、当時の俺はそんな圧力の存在を薄々感じながらも、彼女を守るためになんの手も打てないでいた。
 
 所属していた事務所ができたばかりの弱小だったこともあるが、それ以前に、
 そういった圧力から自分たちの身を守る手段を、俺はちっとも知らなかったのだ。
 
「夢はいつか叶う」、どんな問題にも真摯に向き合えば、いつかきっと上手くいく……。

 だが、そんなことを信じていた俺に、本当に必要だったもの。
 それは知識と経験、中でも最も大切なのは、いかにして業界内の「あくどい」やり口を知り、対処法を身に付けるか。

 
 蛇の道は蛇……一つの結論に達した俺が彼女の照らしてくれた道の先に進むためには、
 どうしても一度、暗がりに入る必要があった。だから俺は、今の事務所に移ったんだ。

 なぜならば移籍先のこの事務所――961プロダクションは――年中あくどい噂で持ち切りで、
 俺の目的を達成するために、まさにうってつけの職場だと思ったからさ。

===

 事務所を移ってからの俺はプロデュースに関しての、あらゆるノウハウを覚えることに必死だった。

 とにかく多くの経験を積むために、人の嫌がる面倒な仕事には進んで参加したし、
 手のかかると評判のアイドルをわざと自分に回してもらい、どんなじゃじゃ馬でも扱いこなせるようにと努力もした。
 
 お陰で何年と経たないうちに俺はそれなりの実績と、
 数人のアイドルを人気者にするぐらいのプロデュース力は身につけられた。

 だが、思うように進んだのはそれまで……置かれた環境が変われば、人だって変わってしまう。


 俺の担当したアイドル達の多く……元々、性格や素行に難があるとして担当もつかずに「売れ残っていた」彼女たちは、
 人気が出てくると同時に新たな問題も引き起こしてくれた。

 異性問題に喫煙飲酒、素行不良が原因で表舞台から姿を消す者は後を絶たず。
 仕事上、いくら俺が上司だからといって、抱えてるアイドル全員のそうした負の側面を見張っていられるわけじゃない。
 加えて、問題を起こさなかった少女であっても、長くアイドルを続けられた者はいなかった。

 
 理由は簡単。彼女たちは、耐えきれなくなったんだ。

 所属している事務所が、自分を売り出すために行っていた裏工作とでも言おうかな。
 やらせ、圧力、人気操作に他所の事務所にたいする妨害行為……一度でも知ってしまえば、それらは本人の胸に暗い影を落とす。
 
 夢に向かって純粋に努力をしてきた少女。だが実際は、その人気も、地位も、他人に用意された物だと知ってしまったら。
 大勢のファンの前に立つ、彼らの目に映るのは本当の自分じゃない……作られた「偶像」だと考えてしまったら。
 
 いくらそんなことはないと説得したって、もう無駄だ。
 そうやって業界を去っていく寂しい背中を、何度も繰り返し見て行くなかで……いつしか俺も、変わっていった。

 
 知識と経験をいくら身に付けたところで、それを注ぎ込むだけの器を持ったアイドルなんて滅多にいやしない。
 暗がりの中に踏み込み過ぎた俺にはもう、あの日の彼女が見せてくれた「光」を感じとることも難しくなっていたんだ。

===

 しかし、だ。ここでやって来たことの全てが全て、悪いことばかりだったかというとそうでもない。
 
 さっきも言った通り、多くの元担当アイドルたちは夢半ばで
 この事務所を去って行ったが、中にはキチンと結果を残した者だっていた。
 
 特に印象に残っているのが、プロデューサー内で「眠り姫」と呼ばれていた少女だろうか。

 どこからか社長がスカウトしてきたのは良いものの、余りにも手が掛かり過ぎるから、
 多くのじゃじゃ馬をならした実績を買われた俺のところに担当のお鉢が回って来た、一日の大半を夢の中で過ごすお姫さま――星井美希。

 
 そんな彼女がいつの日か、担当だった俺にだけ打ち明けたあの一言。
 
「あのね。美希はもう――」

「――頑張らないって決めてるの。だって杏は、やってもできないお子様だからね」

 そうして美希の後に出会ったもう一人の「眠り姫」、双葉杏に彼女を重ねて見たのはただの気まぐれか偶然か。

 ……美希はそんな闇に呑まれる直前に、仲間のお陰で自分の進む道を見つけ、光の中へと出ることができた。

 だからこそちひろと事務所の後押しのもと、かつての美希たちと同じように
 トップアイドルへの道を駆け上がっていく杏の背中を見ていると、俺はどうしても考えてしまうのだ。

 だが桃子は既に去ってしまい、杏には美希たちのように支え合う仲間もいない。
 ちひろと事務所が用意した、彼女の上る階段のその先が……光輝く舞台へ続いている保証なんて、どこにもありはしないのだから。

ここまで。

>>100 訂正 文章の前後間違い
×……美希はそんな闇に呑まれる直前に、仲間のお陰で自分の進む道を見つけ、光の中へと出ることができた。

 だからこそちひろと事務所の後押しのもと、かつての美希たちと同じように
 トップアイドルへの道を駆け上がっていく杏の背中を見ていると、俺はどうしても考えてしまうのだ。

 だが桃子は既に去ってしまい、杏には美希たちのように支え合う仲間もいない。

○……美希はそんな闇に呑まれる直前に、仲間のお陰で自分の進む道を見つけ、光の中へと出ることができた。
 
 だが桃子は既に去ってしまい、杏には美希たちのように支え合う仲間もいない。

 だからこそちひろと事務所の後押しのもと、かつての美希たちと同じように
 トップアイドルへの道を駆け上がっていく杏の背中を見ていると、俺はどうしても考えてしまうのだ。

===18.「ライブバトル」

 初めから、なんだかヤな予感はしてたんだよね。
 
 いつもならお仕事のまとめられたリストを持ってくるはずのちひろさんなのに、
 今回に限ってはニコニコと手ぶらのまま私のところにやって来てさ。
 
「杏ちゃんの次のお仕事は、ライブバトルですよっ! ライブバトルっっ!」

 なんて言うんだもん。だから私の方もついつい反射的に「えぇー、面倒くさいなぁ……」なんて返したけれど。

 
「まぁまぁまぁ、そうつれない返事をしないでくださいよ。今回のライブバトルは、杏ちゃんにとっても美味しい話なんですから!」

「でもさ、ちひろさん。美味しい話には裏があるって、昔から言うじゃんか」

 私があえてそう言うと、ちひろさんは「心外ですね」という顔をして。

 
「んもう、杏ちゃんったら! 今日まで私が、アナタに裏のあるようなお仕事を持ってきたことがありましたぁ?」

 そうして両手を胸の前で合わせた「お願いのポーズ」をとって、ちひろさんはしれっと言うけどさ。
 いつもいつもそうやって、私のことを誤魔化せると思ってるなら大間違い。
 
 ついこないだだってそう、「ただ座ってサインを書くだけですから」なんて連れてかれたファン感謝イベントで、
 トイレにもいけず三時間以上、ひたすらサインと握手をさせられ続けたことは、未だに覚えて根に持ってるんだから。


 私のそんな訴えるような視線が効いたのか、ちひろさんがまゆをしかめて言う。

「むぅ、なんだか不満ありげな顔をしてますね」

「心あたりがあるんなら、自分の胸に聞いてみなよ……それで、その話は杏にとってどう美味しい話なの?」

「あ、一応聞いてはくれるんですか」


 意外そうな顔をするちひろさんに、私は小さなため息をつく。
 まったく、立場上は私の上司になるはずなのに、この人は……なんていうのかな?
 
 まるで同年代の友達と話をするような気さくさで、ちひろさんは私に接してくるから。

 別に、かしこまってる方が良いってわけじゃないけどさ、たまにそういった上下関係だとか、
 そういうものを忘れちゃいそうになるから困るんだよね。

 それも、相手が事務所のナンバー2的ポジションにいる人だから、なおさらさ。

 
 でも、ちひろさんはそんな私の気持ちを知ってか知らずか、ポケットから一枚の写真を取り出して話を続ける。
 
「実はですね、対決する相手っていうのが、以前ウチで売り出していたユニットの一人でして……
 名前は、星井美希っていうんですけど」

 写真に写ってたのは、スタイルの良いショートカットの女の子。
 黒と金を基調とした趣味の悪そうな衣装を纏い、強気な顔立ちが印象的だ。
 
「ふ、ん。この子が対戦相手……ね」

「今の彼女は写真と違って、髪も伸ばして金髪に染めてるそうですよ。
 事務所を移ってからは露出が極端に減って、テレビやライブでは見かけなくなってたんですが……
 何を思ったのか最近になってから、急に活発に活動するようになりましてね」

「それで、いきなり私と共演するって? でもさ、自分で言うのもなんだけど、杏これでも結構人気があるんだよ?」


 そう、ちひろさんと一緒に仕事をするようになってからの杏の人気者っぷりは、まさに向かうところ敵なしって感じでさ。

 そんな私だから、今までみたいにデビューしたての新人だとか、
 自分よりも売れてないアイドル相手にライブバトルをするワケにもいかなくって。
 
 一体全体、どういうことかって説明すると。本来、ライブバトルっていうのは人気や実力の近い者同士が戦って、
 どっちがより優れたアイドルなのかってのを、分かりやすく格付けするために行われる物なんだよね。
 
 それはつまり、杏ぐらいに勢いのあるアイドルに対しては、
 対戦相手の事務所だってそれなりに売れてるアイドルを用意しないといけないってこと。


 例えばほら、既に人気も実力もあることが分かってるアイドルが
 新人アイドル相手にバトルをしたってさ、結果は見るまでもなく決まってるでしょ?
 
 だから杏としては、移籍後に露出が減ったとかなんとか、
 そういうブランクのある相手と対戦するのはどうなのかって心配したんだけど。
 
 私のそんな心配をよそに、ちひろさんは笑って言う。

 
「ふふっ、相手のアイドルランクのことなら心配には及びませんよ。
 なにせ彼女、移籍する前はウチで一番の稼ぎ頭だったそうですから」

「……ちょっと待って。その話、前にプロデューサーから聞いたことあるよ。確か、社長と揉め事起こして辞めちゃったって」

「あぁ、そんな話もあるそうですね。
 私も彼女たちがいなくなってからココに来た身ですから直接知ってるわけじゃありませんけれど、
 当時は人気も実力も、中々の物だったらしいです。でも……」

 そこでいったん言葉を止めて、ちひろさんが私を見る。
 その顔は、何かを期待する自信に満ち溢れた表情をしてて。

 
「今の杏ちゃんの人気の前には、彼女も既に過去の人。
 何があって今頃動き出したのかは知りませんが、杏ちゃんだっていつまでも新人じゃあないんです。
 これまでだって、いくつものライブバトルを勝利してるんですから。ハッキリ言って、負けるハズがないじゃありませんか!」

「随分と簡単に言ってくれるけどさ、勝負事には常に、もしもってことがあるんだよ?」

「あら、杏ちゃんは自分に自信がないんですか? もしかして、彼女に負けるなんて思ってるんじゃ……」

 ちひろさんの言葉に、私は「まさか!」と肩をすくめる。
 ちひろさんの言う通り、これまでだって杏は他所のアイドルとのライブバトルをいくつもこなしてきたんだよ?

 
 例えばそう、新進気鋭の猫キャラアイドルに、「自称・○○」の多すぎるお嬢様アイドルとも戦ってちゃんと勝利をおさめたし、
 
 同じ北海道出身のはずなのに、父親がロシア人で本人は片言な日本語を話す、
 実力派の売れっ子ハーフアイドルその他諸々なんかを相手にしてきたこの私がだ。

 少なくとも私がアイドル活動を始めてから数ヶ月の間、どこかで鳴りを潜めてたような「元」売れっ子が
 いまさら表舞台に戻って勝負をしかけてきたところで、ノリに乗ってる自分が負けるなんて思っちゃないさ。

 
 なのに、本来なら断ったっていいはずの、こんな話をわざわざちひろさんが持って来たっていうことは……。
 
「要するにちひろさんはさ、この美希って子に杏が勝って……昔のウチの稼ぎ頭より、今の私の方が上だっていう、
 そういう実績が欲しいってことでしょ? これからも杏のこと、売り出していくためにもさ」

 私の答えを聞いて、ちひろさんがニッコリと満足そうな顔になる。

 
 そうして上機嫌になった彼女は、小さな子供を褒めるみたいに私の頭を撫でてきて。
 子供扱いされてるみたいでホントは止めて欲しいんだけど、一応これでも上司だし、ここは私の方が大人になって我慢、我慢。
 
「……ふふふ、ご明察です。杏ちゃんは、本当に賢い子ですねぇ♪」
 
 ま、まぁ、理由はどうあれ褒められるのに悪い気はしないかな……でもさ。

 
「あのさ、ちひろさん。頭を撫でるのはともかく、スキをみて杏のほっぺたをつまみに来るのは、
 流石に恥ずかしいから止めてくんないかな? ちひろさんだから我慢してるけど、やっぱりちょっと……」

「あ、あらあらあら……その、赤ちゃんみたいに柔らかいから私もついつい……ごめんなさいね?」

 そうして謝るちひろさんに、私は再びため息。
 とはいえ、そうやってバカをやりながらも、私は自分の心がどこか落ち着きなくざわついてるのを感じてた。
 
 気になってるのはちひろさんの言うように、どうして今になってこんな話が私のところにやって来たのか。
 少なくとも、対戦する相手は杏に勝つ自信、勝算があるからこそこうして勝負を挑んでくるわけで。
 
 そうした相手の真意が分からない以上は……どうしても不安は残るのだ。

とりあえずここまで。

===

 そんな私の不安を他所に、ライブバトルの準備は着々と進められ、とうとうその日がやって来た。
 
 場所は、普段からウチの事務所が使ってるライブ会場。
 私の方も何度か歌を歌ったことのある場所だから、勝手知ったるなんとやら、緊張なんてしちゃいないんだけど。
 
「なんか、不安が残るんだよね。不気味というか、相手に余裕があり過ぎて怖いっていうか」

「本番前に、何を弱気なことを言ってるんですか。普段の杏ちゃんなら、
 『自分が勝つに決まってるから、始まる前に帰ってもいいよね?』なんて軽口を叩いてるとこですよ」


 会場の控室。顔を見せに来たちひろさんを相手に、私は少しだけ胸の中の不安を吐露する。

「でも、敵を知り、己を知れば……事務所にあった相手の過去のライブも見たりはしたけどさ、
 どうもいまいち、パッとしないんだよね。なんていうか、こう……」

「こう……なんです? 歯切れが悪いですね」

「こうさ、ほら、あれだよ、あれ」


 ちひろさんはそう言うけれど、私だってぴったり「コレだ!」っていう言葉が見つからないんだからしょうがない。
 
 過去のライブ映像を見る限り、ダンスのキレは向こうの方が私よりも数段上のレベルに見えたけど、強いて言えばそれぐらい。

 当時のユニットに所属してた他の二人はともかくとして、
 今日対決する星井美希自身に限って言えば、ダンスに加えて歌も飛び抜けて上手いとか、
 客いじりが芸人並みに冴えてるとか……そういったところはまったく見られなかった。

 
「向こうは杏と比べてダンスに自信があるみたいだから、その点で言えば結構苦手な相手ではあるけど。
 それでも勝てないかって聞かれると……微妙?」

「だから、どうしてそこで疑問形なんですか。
 ほらほら、そろそろ出番も来ちゃいますから、いつもみたいに堂々としてて下さいよ!」

 そうして「アナタは、ウチの事務所の期待の星なんですから」なんて、
 応援したいのかプレッシャーを与えたいのか分からない、ちひろさんの激励を背中に受けながら私はステージへと向かったのだ。

===
 
「おいっ! ここの配線邪魔だからかたしとけって言っただろう!」

「今になったらもう無理ですよ! なんで初めに言っとかないんです!」

「誰か手の空いてるヤツは照明の方に行ってくれ! 人手が欲しいんだと!」

「ならお前が行けよ! ここはもう最後のチェックだけなんだから!」

「なぁ、机の上に残ってた差し入れのおにぎり、どこいったか知らない?」

「そんなもん、いつまでも残ってるわけないだろーが。早いもん勝ちだよ……あいてっ!」

「バカ野郎! 無駄口叩く暇があるなら手ぇ動かさねぇか! 
 まったく、どいつもこいつも始まる直前になってまでバタバタしやがって、
 これ以上もたもたする奴ぁ、全員客席ん中にたたっこむぞ!」


 老練のスタッフさんのセリフにたいして、「いや、それは流石にマズいでしょ」なんて心の中でツッコミを入れながら、
 私は彼らがごちゃごちゃと仕事をこなす、お馴染みの光景を眺めて出番を待つ。

 すると後ろから、とんとんと肩を叩かれて。
 振り返ると、そこに立っていたのは見慣れぬ……だけど知ってる少女。

 
「あはっ、やっぱり杏ちゃんなの!」

 写真とは違う、金色に染められた長い髪。フレッシュグリーンを基調とした
 動きやすそうな衣装に身を包み、人懐っこそうな笑みで私を見下ろす彼女は、間違いない。

 
「星井美希?」

「そう、美希だよ? 律子、さんは杏ちゃんが美希のこと知らないかもって言ってたけど、
 美希の思ってたとおり、そんなことはなかったの!」

 そうして、彼女……美希が私に右手を突き出してくるから、私もついその手を握り返す。
 
「今日はよろしくね! 美希も久しぶりのライブ、楽しみにしてたから!」

「よろしく。でも勝負は勝負……杏は相手にブランクがあるからって、手加減なんてしないからね」

「もっちろん、手加減なんてしてくれなくても大丈夫! でもでも、今日の勝負に勝つのは、美希の方だって思うな」


 その時、一瞬だけ美希の雰囲気が変わった気がして、無意識のうちに握手していた手が少しだけ強張る。
 それは初めて感じるタイプのプレッシャー。
 
 今までの相手のほとんどは、「負けないんだから!」って挑戦的な、前向きな闘志の持ち主だった。
 けど、彼女の場合は「負けるわけないじゃん!」っていう、自分の力に自信を持った、余裕のある闘志。

 
 だけど、いちいちそんなことで驚くのもカッコ悪いから、私はつとめて平静を装って。
 
「まっ、お手柔らかに。ところで、ちょっといい?」

「んー、なぁに?」

 私は握っていた手を離すと、不思議そうに聞き返す彼女に言う。

 
「ほっぺた、ご飯粒ついてるよ。後さ、食べ歩きは行儀が悪いから、止めた方がいいと思う」

「むぅ、まるで律子、さんみたいなこと言うの……」


 私の指摘を受けて、美希が自分の頬についていたご飯粒を指で取る。

 そうして彼女は左手に持っていた食べかけのおにぎりを口の中に放り込むと、
 「まひゃふぁふぉふぇね」と――多分、「また後でね」と言ったんだろう――離れて行った。
 
 後に残された私が、さっきまで彼女に握られていた自分の手に視線を移すと、手のひらにはじんわりと汗が浮かんでて。
 これから出番だってのに、なんとも言えない気持ちにさせられる。


「……失敗する時は一緒だよ、か」

 ふと、思い出した言葉。こんな時、あの子が隣にいてくれたなら、なんと言ってくれただろう? 
 きゅっと握りしめた手の感触は、余りにも軽くて。

 
「双葉さん、出番です!」

 スタッフの呼びかけに、私は慌てて顔をあげた。どうも今日の私は、変だ。
 とはいえ、どんな状況でも与えられた仕事はキッチリとこなさなきゃ……じゃないと、きっと笑われちゃう。
 
 スタッフのGOサイン。照明で照らされた、ステージの上へと躍り出る。
 
 鳴り出す音楽、会場に響く声援、私を照らすスポットライトの光が、
 「双葉杏」というアイドルをステージの上、空間から切り取って。
 
 とうとう、私のライブが始まった。

===

 ステージの幕は上がり、広い舞台の中央には杏が一人立っていた。
 
 余裕のある笑み、不遜な態度のMC。
 だが、それらはすべて彼女の「キャラクター」を表現するための、計算された演出。
 
 生意気な語り口でやる気のなさをアピールするトークから一転、音楽が流れ始めると、杏の表情はきりっと引き締まる。

「それじゃ、杏のやる気がなくならないうちに一曲目――」

 勢いよく振り上げられる彼女の右手、次いで会場全体を、無駄に豪勢で重厚なイントロが包み始め。

 
「働かない奴は、誰だっ!」

『俺だっ!』

「楽して儲けたい奴は、誰だっ!」

『俺だっ!』

「でもさぁ! 人生ってそんな甘いもんじゃないよねっ!」

『知ってるーっ!』

「だから私は、頑張る諸君らに労働を称える歌を歌うのだっ! レッツ・労働っ!!」

 はたらけーっ!! と、彼女が大声でマイクに向かって叫ぶ。
 
 それを聞いた大勢のファンが合いの手を返す。ギラギラとしたレーザーの光を浴びながら杏が歌いだし、
 スピーカーからも激しい電子音が爆音で、かつ大量に辺りへまき散らされる。

 
 彼女のライブは、アイドルの物としてはかなり異質だ。
 
 まず、一般的なアイドルのように可愛い恋の歌なんて歌わないし、ろくにダンスも踊らない。
 持ち歌のほとんどもファンによる合いの手が入ることを前提としているので、実際に杏が歌うパートはごく僅か。

 だが、それでも彼女のライブは成立する。
 
 理由は単純。
 ちひろと事務所が作り出した「双葉杏」というアイドルが、
 ファンの感情を受け入れることに特化した、器のようなアイドルだったからである。
 
 杏が歌う曲の中身は、曲調こそコミックソングのようでありながら、ジャンルとしては応援歌に分類できた。
 ただし、その内容はというと……。

 
「汗水たらして!」

『働きたくないっ!』

「休日潰して!」

『働きたくないっ!』

「残業お願いっ!」

『お断りしますっ!』
 
「それならいっそ、お仕事なんてさぼっちゃえっ!」

 小さな体を精一杯に動かしながら、キュートな仕草と笑顔で武装した妖精のような少女がノリノリで歌い上げれば、
 歌に合わせて客席のファンが吠える、吠える。
 
 彼女の歌う歌はご覧のように、ネガティブ方向へ向けてのメッセージ性が強いことが特徴で。

 
 他にも「がむしゃらに頑張らなくて大丈夫」「テキトーで丁度いい」「ズル休みして貪る惰眠は最高だっ!」といった類の
 フレーズがふんだんに盛り込まれた、まさに現代のダメ人間賛歌。
 
 普段からやる気を見せない少女が全力で不真面目な歌を歌い、それを聞いたファンが日頃から心の内にしまい込んでいる、
 欝々とした欲求を合いの手として少女に返し、彼女もその意見を肯定する歌をファンに届ける。
 
 そして曲が終わりライブが終われば、後に残るのは感情を吐き出したことによる充足感で満たされた、大勢のファンが残るだけ。

 
 まさに一種の宗教にも似た、負の感情の連鎖反応によるスパイラル。
 だがそれが、杏を明確な「偶像」として売り出したちひろの狙いそのもの。
 
 要は、ファンは日頃のストレスを大声で叫んで発散させるために
 彼女のライブに足を運んでいると言うことができ、そのためには何度だって彼女のライブにやって来る。

 そしてそれを可能としているのが、杏という少女の「キャラクター」なのである。


 普段は小悪魔のような微笑みで、
 「大丈夫大丈夫、一緒にだらだらしようよ」と人を堕落の道へと誘惑し、

 またある時は
 「杏さ、誰かにお世話されないと、一人じゃ生きていけないんだよね」などとのたまって、見る者の庇護欲を刺激する。
 
 だが、ひとたびライブの舞台に立てば、そんなファン達の負の感情を
 一手に引き受ける「良き聞き手」として、彼女はステージの上を歌い踊るのだ。

 
 これが「可愛さ」や「真面目さ」をウリにした、普通のアイドルならこうはいかない。

 なぜならば、彼女たちでは歌に込められる説得力がまるで違ってくるし、
 さらにはファンから返される反応と自分の中のアイドル像とのギャップの大きさに耐えられず、
 きっと「壊れて」しまうことだろう。
 
 杏に求められていたのは、「偶像」としての自分の立場を理解して、気持ちを割り切ることだった。
 それには、アイドルとしての自分を見せたいだとか、成功して周りの人に認められたいだとか、そういった感情は邪魔でしかない。
 
 あくまでも、自分のアイドルとしての活動は「ビジネス」であり、
 ファンが求める心地のよいアイドル像を演じることが大切なのだというわけだ。


 その点、杏ほどこの役目に適任な者はいなかった。

 彼女がアイドル活動を行う最大の理由は「お金が欲しい」というビジネスの為であり、
 向上心など欠片も持ち合わせていない受け身な彼女だからこそ、
 ほとんど素のままでこの「偶像」という役割を演じることができたのだ。

 
 これならばアイドル像のギャップに悩むことも、自身のプロモーションに疑問を抱くこともない。
 ファンと事務所、両方が求めるアイドル像を演じることのできるポテンシャルを持った少女。

 それが、双葉杏というアイドルを、器のようだと表現する理由である。

===

 今回のライブバトルは、杏が先に歌を披露した後で、対戦者である美希のステージが行われる。
 
 各自二曲を続けて歌い、その後の審査員と会場のファンによる投票で、
 より支持率の高い方が勝者になるという、いたってシンプルな勝負方式。
 
 舞台裏からステージの杏を見守る、千川ちひろには確かな自信があった。

 
 今日の杏は本番前の弱気が嘘のように、勢いのあるノリに乗ったパフォーマンスを披露していて。
 
 対戦相手である美希のことを、「ダンスに自信があるみたい」と言っていたからだろう。
 
 いつもなら「疲れるから」と所々で手を抜くダンスも、今日に限っては最初から全力。
 それでいて、激しく体を動かしながらも、歌唱の方は随分と安定している。

 
 そんな彼女の歌を聞く、ファンの反応も普段より断然良くて。まさに今の杏は絶好調。
 これならファンの投票は勿論のこと、いつもならムラのある審査員からの評価も上々のはず。
 
 それに……仮に杏の心配していたとおり、美希による番狂わせが起きそうになったとしても、
 万が一の場合に備えての手筈はしっかりと整えてある。

 
「まぁこちらがそういった手段を用意しておいても、未だに彼女は一度も使わせてくれないんですがねぇ」

 千川ちひろが、ぼそりと呟く。
 
 台の上ではそんな企みを知らない杏が、そろそろ二曲目を終えようとしているところであった。

===

「お疲れさまです杏ちゃん。良いステージでしたよ」

 ステージを終えて舞台裏に戻って来ると、笑顔のちひろさんが出迎えてくれた。
 
 けど、私はそんな彼女にチラリと視線をやってから、すぐに近くの壁へふらふらともたれかかる。
 
「ちょ、ちょっとちょっとどうしたんですか! 具合でも悪くしましたか!?」

「ち、違う……久しぶりに全力で踊ったから、い、息が切れて……」


 心配そうに駆け寄って来たちひろさんが、私のためにどこからかパイプ椅子を持って来て。

 どっかりとその上に腰を下ろすと、もう限界。
 膝に力は入らないし、体全体が疲れてだるい。


「あぁ、ダメだ。しばらくこのまま休憩してるぅ……」

「なにか飲み物を飲んだ方が……持って来ましょうか?」

「い、要らない……今飲んだら、確実に吐く自信あるよ……」

 まるで船酔いした乗客みたいにグロッキーな私の横を、ふわっと風が通り抜けてく。
 見ると、美希がそこに立っていた。

 
「ステージ、見たよ」

「そりゃ、どうも……なに? ご覧の通り今の私、疲れてへとへとなんだけど」

「……大丈夫? 控室に戻ってゆっくり休んだ方がいいんじゃないの?」

「別に、しばらく休んだら平気だよ。それより次はそっちの出番でしょ」

 私の言葉に、美希が頷く。

 
「うん……そうだ! 杏もそこにいるんなら、美希のステージもちゃんと見ててね! 
 杏よりももっともぉっと、美希が盛り上げてあげちゃうの!」



 それはどこにも嫌味を感じない、すごく自然体な発言で。
 だからこそ、言われて少々ムッと来るものがあるのも事実。
 
「へぇ、楽しみだね」

 どれだけ自信があるかは知らないけど、今日の杏のステージの出来は、悪くない。

 美希が舞台に出る準備を始めると、ちひろさんが彼女には聞こえないよう、こしょこしょと私に耳打ちをする。
 
「心配しなくても、今日の杏ちゃんのステージは完璧でした。彼女には悪いですけど、かないっこないですよ」

「……杏だって、ちひろさんと同じこと考えてるよ」

===

 美希の飛び出していった会場は、ファンの盛り上がりによって熱い熱気に包まれていた。
 まっ、今の今まで私がパフォーマンスをしてたんだから、当然と言えば当然なんだけど。
 
 なのに、ステージの上に立つ彼女はぐるりと会場を見渡した後、開口一番こう言ったんだ。

 
「んー、なんだか今日のお客さんは、いまいち乗りきれてない気がするの。みんなちょっと、ドキドキが足りてないのかな?」

 ルックスこそ良いけれど、知名度的には今の杏よりも劣る
 美希の空気を読んでないセリフに、会場のお客さんから不満の声が沸き上がる。
 
 だけど、彼女はそんな反応なんてどこ吹く風と話を続けて。

 
「だってね? みんな自分のことしか考えてないって顔してるんだもん。
 それじゃ、せっかくこんなに沢山の人が集まってるのに、勿体ないなって、美希は思うな」

 不満の声が徐々にざわつきへと変わり、彼女の下へと会場にいる人たちの視線が集まる。
 
「ライブってね、一人で楽しんでも良いけれど、
 みんなで一緒にドキドキ、ワクワクできた方が、きっともっと楽しいの! だから……」

 ステージの照明が一気に暗くなり、一筋のスポットライトに照らしだされた美希の金髪が光を反射してきらきらと輝く。

 
「美希がそんなみんなのことを、これからド・キ・ド・キ……させてあげるね?」

 小悪魔のようなウィンクと同時に流れ出した音楽は、
 アップテンポのノリの良いイントロから始まると、静かな歌いだしへと繋がって。

 そして彼女のパフォーマンスが始まってすぐに、私は分かってしまったのだ。

 
「……やられた」

 私の口から、思わずこぼれた驚嘆の呟き。そして同時に、先ほどの美希のセリフ。

 自分のことしか考えてないという言葉の意味を私……いや、会場にいる全員が
 ――それこそ、お客さんから裏でステージを見ているスタッフに至るまで全員だ―― 一瞬にして、彼女に理解「させられた」。

 モニター越しじゃあ感じられない、生で見ることで分かる彼女の圧倒的な迫力。
 言うなれば、人の目を惹きつけて離さない、「華」とでもいうべき力。
 
 彼女のパフォーマンスを見る者の心に共通して生まれた、言いようのない高揚感。

 楽し気な歌声は聞く者の心から落ち着きを取り除き、気持ちのいいダンスの動きを見れば、ついついつられて体を動かしてしまう。
 その表情、仕草、一挙一動から目を離すことができなくなる、奇妙で、それでいて心地の良い感覚。
 
 並みのアイドルじゃあこうはいかない、一部の人間だけが持つ、それは紛れもない天性の素質。

 
「Good-bey Memories、この思い出――」

 サビに入り、一層盛り上がる美希のパフォーマンス。
 あれだけ彼女に懐疑的だったお客も、今じゃすっかりノリノリで彼女のステージを楽しんでいた。
 
 彼女がステージに上がってから、まだほんの僅かな時間しか経っていないっていうのに、
 今回のライブバトルの勝者は誰の目にも明らかで。
 
 数分前の宣言通り、彼女はみんなの心を「ドキドキ」させていたのだ。それは、私だって例外じゃあない。

 
 私とちひろさんのやり方とは、似て非なる美希のライブにたいするアプローチ。
 
 私たちがファンに見せ、そしてファンが私に求めていたのは、自分一人を応援してくれる「アイドル」だった。
 けどそれは、突き詰めてしまえば究極の自己暗示。まるで鏡写しのように、終わりの無い「一人遊び」。

 
 でも、美希は違う。彼女は自分というアイドル……たった一つの物にたいして、その場にいる全員の意識を集めてしまうのだ。
 私たちじゃ、こうまで会場の意識を一つの物……つまり、ステージに立つ自分自身に集めることはできやしない。
 
 あくまでも「偶像」として個人を相手にする私と、「華」として注目を集め、大勢の人間を一斉に魅了することができる美希。
 
 売り物でも作り物でもない、本来の意味での正しい「アイドル」の形……
 それが、星井美希という少女が見せたアイドルの姿だったんだ。

===

 美希のステージが予定通りに終わっても、会場の興奮はとどまることを知らず、
 時間が経つにつれてますます盛り上がっていくようだった。
 
 そんなファンの熱気を受けて、一度は舞台裏に戻っていた美希が、再びステージの上へと姿を見せる。
 
「あのね、みんながすっごく盛り上がってくれたから、特別にもう一曲だけ、歌ってあげてって頼まれちゃった!」

 そうして始まる、異例のアンコール。
 それも今度は、打って変わってキュートな曲調の、恋する女の子の気持ちを歌った歌で。

 
「カッコいいのも可愛いのも、どっちもできるなんて……そんなのチートじゃんか」

 もう、バトルの結果なんて誰も気にしちゃいなかった。
 私はというと、余りの実力の差に打ちのめされて、見事に放心状態ってヤツでさ。
 
 ただただぼーっと、椅子に座ったまま彼女が歌うその姿を眺めてたんだ。

 
 放心してるって言えば、私の隣に立ってたちひろさんも一緒だ。
 美希のステージが始まって少しして、ふっと姿を消したと思ったら、戻って来てからは肩を落としてため息のつきっぱなし。
 
「まさか、そんな……ここまで圧倒的じゃ、小細工のしようもないじゃない……」

 ぶつぶつと独り言を繰り返して落ち込むその姿を見てれば、何かよからぬことでも企んでたのかなって分かるけど。

 
 アンコールを終えて舞台裏に戻って来た美希が、私の顔を見て笑う。
 その笑顔が、今の私には眩しいったらありゃしない。
 
「美希のステージ、どうだった? 杏ちゃんも、ドキドキできた?」

「まいったね、ぐうの音も出ない程に完敗だよ」

 私は自嘲気味にそう返した後で、わざとらしく続ける。
 
「あーあ、これで杏もアイドル引退かぁ。ホント、とんだ伏兵が潜んでたもんだ」

「引退……? どうして?」

 美希が、不思議そうに聞き返してくる。
 どうしてって、そりゃ……。

 
「だって、意味がないじゃんか。杏より実力のあるアイドルがここにいて、
 今後どんなに頑張ったところで、その子に勝てる気もまったくしなくって」

「勝てる気がしなかったら、頑張らなくなっちゃうの? 
 でも、美希の知ってる子は、どんな時でも自分に出来ることを、いつだって精一杯頑張ってるよ」

「その子はその子、杏は杏だよ。まっ、元々印税欲しさで始めた仕事だったし、
 アイドル活動自体には未練なんかもないからね。辞める時は後腐れなくすっぱりと……」

「そっか……一回失敗しただけで、杏はアイドル辞めちゃうんだ。美希、なんだかガッカリだな」


 だけど私が全部を言い終わらないうちに、美希が厳しい顔をしてそう言って。
 
「……あのさ、世の中には引き際とか、相応の立場ってのがあるの。
 杏はここまで順調に進んできたけど、努力とか忍耐とか、そういうのに精を出してまで、この業界に居続けようとは思わないわけ」

「だから、逃げ出すんでしょ? 自分よりも実力のある人が突然目の前に出てきたから……
 自分がこれ以上惨めな思いをする前に、いなくなっちゃえば楽だもんね」


「随分と突っかかる言い方するよね。何様だよ、一体」

「別に。どうしてこんな子をプロデューサーや桃子が褒めてたんだろうって、美希が勝手にそう思っただけ」

 思わずカッとなって、私は椅子から立ち上がる。
 けど、伸ばした腕は彼女の顔に届く前に、ふらふらと宙を切り。
 
「……あ、れ?」

 そしてそのまま、力なく崩れる膝にグラつく視界。意識がスッと遠のいて……。
 
『体調管理も仕事の内、キチンと気をつけること!』

 いつかの桃子の言葉が、薄れてく意識の中で揺れていて。
 ……ごめんね桃子、杏はやっぱり、ダメな後輩みたいだよ。

稚拙なライブシーンは、勢いで押し切る所存。ここまで。

訂正
美希の一人称は、本来は「美希」ではなく「ミキ」が正しい表記です。
やらかしてしまった、申し訳ない。

===19.「××××」

 べちゃり、と前のめりに倒れ込んだ。地面とくっついたお腹が、服越しでもひんやりと冷たい。
 
 そんな私の隣を、いつかの影が通り過ぎて行って。そこでようやく、思い出す。

 
「そっか、転んじゃったんだ、私」

 ゆっくりと体を起こすと、もう周りには誰もいなくって。辺りには赤黒い闇。
 来た道も分からなければ、行くべき道も分からない。
 
 どこから来て、どうやって戻ればいいのか……でも。

 
「……そもそも、戻るってどこにだよ」

 無意識のうちに握った手の中で、くしゃり、と一枚の紙が音をたてる。みると、それは採点されたテスト用紙で。
 
 思い出す。これは、そう、初めて一番になれなかった時の。
 中学生になって初めて味わった、最初の挫折。

 それまで、大した努力をしなくても、勉強なら誰にも負けて無かった私。だからこそ、かな。
 その事実を、受け入れられなくて、受け入れたくなくて。

 
 こんなハズは無い。今回はたまたま調子が悪かっただけ……でも、違うんだな。
 
 神童だ天才だって褒められて、天狗になってたのも一因ではある。

 そんな私が、今更他の「普通の子」と同じように、少しでもいい点をとろうと頑張って、努力して、
 あくせく教科書や参考書と睨めっこするのには、耐えられなかった。

 私は、そんなことをしなくても大丈夫……ちっぽけな虚栄心が、邪魔をしたんだ。


 もしもやり直せるのなら、あの頃に戻ればいいのかな。

 今なら、そんなことを考えずにしっかりと勉強して、
 周りからも認められて褒められて、それで、それで……。
 
「ホント、馬鹿なことしたな」
 
 あてもなく、私はふらふらと闇の中を歩き出す。その先に光は、まだ、見えない。

===

 母親という存在を鬱陶しく感じ始めたのも、多分この頃。
 テストのたびに学校の成績のことで、お小言を言われるようになったのが原因だ。
 
 私だって、別に好きで悪い成績をとって帰ってるわけじゃないってのに、結果を見せるたびに悲しそうな顔しちゃってさ。
 
 でも、仕方がないじゃないか。気づいた時には、なにもかもが手遅れだったんだ。

 勉強の仕方も、努力の仕方も分からない……それを誰かに教えてもらおうと思ったって、
 自分を「特別な子」だと信じて周りを見下してた私には、友達もいやしない。

 
「あぁ、待って……一人だけ、いたじゃん」

 そうだ、彼女のことを忘れてた。小学校から一緒でさ、私の後にいっつもついて来た、あの女の子。
 
 先生に褒められて、大人たちに褒められて、嫌みったらしくて生意気だった私のこと、
 「凄いね凄いね!」って、尊敬の眼差しで見つめてきた、私の、唯一の友達。

 
 ……その時だ。私の視線の先、闇の中から人の形をした影が姿を現した。
 その影が、記憶の中の彼女と重なって。

 
「××××」

 声なのか、音なのか。
 真黒な顔、ぽっかりと空いた穴から、聞こえてくるのは――。
 
「……黙れよ」

「××××」

「いったい、今頃何の用? アンタは、私を裏切ったんだ」

 そう影に向けて言い放つ、私の顔が苦々しく歪む。
 
「×××――」
 
「だからっ! 黙れって言ってんだろっ!!」


 私の怒鳴り声を聞き、影がびくりと体を震わせた。
 そして胸にあふれだす、どうしようもない苛立ちと――せつなさ。
 
 今度は、思い出したわけじゃない……覚えてたのに、認めたくなくて、しまい込んで見ないふりをしてきた事実。
 
 ホントの彼女は、私を裏切ったりなんてしなかった。
 子犬のように純粋に、私ならやればできるって信じて疑わず、いつだって応援してくれた彼女。

 
 なのに、私はそんな彼女を邪険に扱って。
 
 改めて勉強しても伸び悩む成績に、家でのストレス、
 上手くいかない現実のイライラを、全部彼女にぶつけたんだ。

「……××××」

 そしてとうとう、彼女でさえ私のもとから離れて行った。それは、自分が招いた結末。
 変えることもできたハズなのに、傲慢な私は、それさえもあの子のせいにして。

 
 自分が捨てられた……見限られたってこと、信じたくなかったんだ。
 だって、そんな自分が、余りにも惨めだったから。
 
 だから私は自分の心を守るために、「頑張らないこと」に決めたんだ。
 いつでも不真面目な態度でいれば、失敗したって言い訳ができるから。

「だって私は、本気じゃなかったもん」……って。

 
『自分がこれ以上惨めな思いをする前に、いなくなっちゃえば楽だもんね』

 美希の言ったことは、そんな私の核心を突いていた。だから言われた私は、悔しくてさ。

 
 アイドルになってから、向かうところ敵なしで……
 久しぶりに感じた、一番になる感覚がたまらなく気持ちよくって。
 
 なのに、だ。

 また、私は一番になりそこねた。それも、圧倒的な差を見せつけられて。
 私はやっぱり、ただの「普通の子」だったんだよ。

===

 どれくらいの時間が経ったんだろう。

 あれからずっと、私と影はお互いに見つめ合ったまま動かなかった。

 その間も新しい影がいくつか辺りの闇から出てきたけれど、
 どれもしばらくするとまたどこかへと歩いて行って。
 
 多分、あれも私の知ってる「誰か」なんだろう。

 なのに通り過ぎて行っちゃうのは、きっと私との関係が薄いから……
 こんな私のために、わざわざ立ち止まる必要もないってことか。

 
「……アンタは、いつまでそこにいるつもり?」

 けど、影は答えない。

 ゆらゆらとその場で揺れて、ただ黙って私を見てる。
 その姿は、どこか寂しげで、儚げで。


 この影は、これからどこに行くんだろう。
 他の影みたいに歩き出さないのは、私が何かするのを、待ってるから?
 
 そんな風に考えてると、ようやく影がその口を開く。
 
「××××」

 そして私の方も、やっと自分の取るべき行動を理解する。
 それにこの影が、本当は何なのかってことも。


「……あー、もう! 分かったってば!」

 私は頭をがしがしと掻きむしると、影の方へと近づいて。
 
「ほら、これでいいんでしょ! ……それから」

「××××?」

 許してもらえるとは思ってないし、過去をやり直せないことも分かってる……けどさ。
 
「……私も……××××!」

 握ったその手は、私の手よりもおっきくて。
 私達は手をつないだまま、再び歩き出したんだ。
 
 ――今度はちゃんと、一緒にさ。

===20.「頑張るカタチ」

 夢の続きを見るようにじんわりと瞼を開くと、
 私は転がりなれたベットの上に仰向けになったまま、ぼやっと視界に映る天井を眺めていた。
 
 いつだかの悪夢の時とおんなじだ。
 見慣れた天井、自分しかいない一人ぼっちの――。

 
「あ、やっと起きたんだ」

「……えっ?」

 そう、一人ぼっちの、ハズだったんだけど。

 聞き覚えのある声の方へと目をやれば、そこにはフローリングに敷かれたカーペットの上、
 切り分けられたリンゴを齧る桃子が座ってて。
 
「きらりお姉ちゃんが心配してたよ……今は買い物に行ってるけど。
 あぁそうだ、杏もリンゴ食べる? お姉ちゃんが切ってくれたんだ」

「あ、あのさ。ここ、杏の家だよね? なんで桃子がここに居るワケ? それに、お姉ちゃんって……」

 状況の理解できない私がそう質問すると、桃子は呆れたような顔になって。

 
「……覚えてないの? 今日のライブ中に、杏、倒れたんだよ? それで、皆が病院だなんだって大騒ぎして」

「病院? 言われてみれば、診察を受けた記憶があるようなないような……」

「まっ、終始もーろーとしてたって言ってたから、覚えてなくても無理ないのかもしれないけど」

 そこで桃子がテーブルの上。リンゴの入ったお皿の隣に置いてあった、スポーツドリンクをコップに注いで。

 
「ほら、今度はちゃんと飲んでよね。まったく、水分補給をおろそかにするから、脱水なんて起こすんだよ。
 あれだけ桃子が注意してあげたのに、どーせないがしろにしてたんでしょ」

 桃子の小言が、耳に痛い。
 でも、それは私のことを心配してくれてるからだっていうのが、分かるからさ。
 
「……うん、ごめんね」

「な、なに? す、素直に謝られると、気持ち悪いな……」

「私だって、謝る時はちゃんと謝るよ」

 私が謝ると、びっくりしたような、照れたような顔になった桃子の反応が可笑しくって、私はつい、くすくすと笑ってしまう。
 

 
「それで、話を戻すけどさ。なんで桃子が家にいるの? それに、きらりも」

「杏さ、事務所に入る時に書いた書類の緊急連絡先に、お姉ちゃんの電話番号書いてたでしょ? 
 おじさんたちが連絡したら、お姉ちゃん事務所まですっ飛んで来たって」

「あー、そういえば、書いてたっけ」


「で、病院の診察が終わった後、おじさんと一緒に杏をここまで連れてきてくれたってワケ。
 本当は杏のご両親がいれば良かったみたいだけど、実家、北海道なんでしょ?」

「なるほど、それできらりが……まぁ、脱水なんかでいちいち呼んじゃ、いられないもんなぁ」


 納得した私は、一人でうんうんと頷いたけど。
 
「で、桃子は?」

「う、も、桃子は……」

 顔を赤くして、言葉に詰まる桃子。

 
「その、美希さんから、杏が倒れたって聞いて……」

「なるほど。それでわざわざ、心配して来てくれたんだ?」

「うぅ……そ、そうだよ! なに? 何か文句でもあるわけ!?」

「まさか! 優しい先輩を持った杏は幸せ者だなー、ってね」

 そうしてにやにやと笑う私から視線を逸らすと、
 照れ隠しなのか「バカじゃないの!」なんて悪態をつく。
 
 そんな姿が可愛くって、私はまた声を出して笑ったんだ。

===
 
 時計を見ると、そろそろ夕方。

 きらりは夕食を作るための材料を買いに出かけたらしく(きらりと離れた後の私は、また元の不摂生な食生活に戻ってたから、
 家の冷蔵庫の中は空っぽだったのだ)、部屋には私と桃子の二人きり。


「それで、美希さんから聞いたけど……アイドル辞めるって、本当?」

「あぁ……聞いたんだ。それ」

「話の流れで、ね。で、どうなのよ」

 そう聞いてくる、桃子の面持ちは真剣で。
 
「桃子から言わせてもらうと、そんなことしたらただのバカだよ。今日のライブはダメだったかもしれないけど、
 杏は実力も、人気だってまだまだあるんだし、一度や二度の失敗なんかで……」

「辞めちゃうのはもったいない、でしょ? それは、私だって分かってるよ。
 でもさ、美希……あの子の実力は、ホント凄くってさ」

 そこで一旦、私は口を閉じて。それから、吐き出すように呟く。
 

 
「……あのライブの盛り上がりを見た時に、思っちゃったんだよね。
 あぁ、私じゃどんなに頑張って努力しても、この差を埋めることなんてできそうにないなって」

「それが、アイドル辞めるって言った理由?」

「そっ……昔っからね。かないっこ無いと思ったら、すぐに諦めちゃうんだよ、杏は」

 すると桃子も、私と同じように、ポツリと呟くように。

 
「あのさ……美希さんが言ってたんだけど、あの人、『頑張る』ってことがどういう事なのか、分からないんだって」

「……なに、ソレ?」

「そのまんまだよ。昔から歌にしろダンスにしろ、他の人の何倍も早く、それも完璧にできちゃうから。
 今まで何か目標に向かって努力したり、頑張ったことが無いって言ってたの」

 それは、天才ゆえの悩みってやつか。でもそんな話、普通の人が聞けばただの嫌味にしか聞こえないだろう。
 まぁ、だからこそ周囲の理解を得られない、孤独な悩みってヤツなんだろうけど。

 
「で……それが杏と、何の関係があるっていうわけ」

「美希さんと初めて会った時、あの人は杏のことを『ライバル』だって言ったの。
 ほら、私達が一緒に出た『ルーキーズ』ってあったでしょ? あの番組の連続マスターの記録」

「あぁ、私達のユニットで塗り替えた、アレのこと?」

「そっ、あの記録を作ったのも、美希さんなの。それでね、そんな自分の作った記録を塗り替えた、
 杏のことに興味を持ったんだって。この子なら、自分を楽しませてくれるかも……って」


 桃子の言葉に、私も思い出す。
 
 そういえば彼女は、ライブに勝つことよりも、
 ライブを楽しむことの方をメインに考えてたような気がする。
 
「多分だけど、そんな杏が相手なら、美希さんは本気……が出せると思ったんじゃないかな」

「桃子はつまり、本気を出すことってのが美希の目標で、頑張る目的だったって言いたいわけだ」


 でも、私の言葉に桃子は少し困ったような顔をして。

「……どうだろう? 桃子は、美希さんじゃないから。今まで言ったのも全部推測だし。
 けど、杏と勝負することで、自分の中の何かが変わるんじゃないかって期待してたのは、間違いないと思うよ」

 会話が途切れて、沈黙が部屋におとずれる。
 
 ……美希は、頑張るってことを知らない子。それを聞いて、私の中のもやもやが、少しずつ形を作り出していく。


「あのさ、杏、美希に言われたんだよね。『勝てる気がしなかったら、頑張らなくなっちゃうの?』……って」

「それで……?」

「あの言葉、桃子の話を聞いてからもう一度考えてみたら……勝つために頑張る、努力するって言うのは、
 なんだか違うんだなと思ってさ。ホントは、勝てないと分かってるから、頑張るんだなって」

 桃子が、よくわからないと言った顔をする。でも、残念。
 私にだって、きっぱりとこうだって言えるものじゃない。

 
「きっと美希は、自分にはなんでもできるって先に分かっちゃってるから、
 自分がやってる努力や頑張りが、『みせかけ』にしか見えてないんだよ。

 だってそうでしょ? 自分が短時間で身につけて覚えれることを
 、周りにいる普通の人達は何日もかけて覚えて行くんだよ?」


 そう、だからきっと美希は、どれだけレッスンを積んだって、いつまでたっても「頑張ること」を実感として得られない。
 だからこそ、なおさら頑張って、努力してる人のことが気になってしょうがないんだ。

 
「……なんだかそれ、桃子の聞いた話と似てる。
 桃子のは、良い子がズルいことをしたら、なんだか凄く悪い子に見えちゃうって話だけど。要は、それと一緒だよね? 

 すぐになんでもできちゃう子と、何日もかけて一つのことができるようになる子なら、
 何日もかけてる子の方が、沢山頑張ってるように思えるもん」

「だから、美希の中では自分に足りない物がある人ほど……
 さっき言った、勝てないと分かってるからってヤツ。

 そんな自分の欠点を分かってる人ほど、欠点を補おうと頑張って努力するものだって考えが、
 美希の中にあるんじゃないかなってさ」


 そこまで二人で喋った後で、桃子が自分の眉間を抑えるように手を当てる。
 
「……ごめん、やっぱりよく分かんないや。なんとなく、言いたいことは分かるんだけど」

「あ、うん。杏も、だんだん自分で何を言ってるんだろうとか思ってたんだけど、喋ってればそれが分かるかなって……」

「要するにぃ、できると分かってる事をできるようになるために、わざわざ頑張る人はいなくって。
 できない事をできるようになるためにこそ、人は努力をするのです! ……ってことだよねぇー」

「あっ、そうそう、まさにそんな感じ……うぇっ!!」

 見ると、いつの間に帰って来てたのか、私達のすぐ隣にはきらりが座ってて。

 
「その美希ちゃんって子はぁ、なんでもできちゃうから、何にたいしても頑張れないんだねぇ。
 だから、まだまだ頑張れる杏ちゃんが諦めちゃうって話を聞いて、『どうして?』って不思議に思ったんだー」

「お、お姉ちゃん! いつの間に……!」

「えっと、『らいばる』がどーとかの辺りぐらいかなぁ? 
 二人ともお喋りに夢中になって、きらりのことに気がつかないんだもん。でもでもぉ……」

 そうしていつものように、きらりは「うぇへへ」と笑うと。
 
「杏ちゃんがあんなに楽しそうにきらり以外の人とお喋りしてるのを見るのは、きらりも初めてだったから。
 つい、嬉しくなっちゃって、声をかけるのが、遅れちゃったにぃ☆」

 きらりの言葉に、私と桃子は顔を真っ赤にして押し黙る。
 うぅ、なんだかこの状況、すっごく恥ずかしいんだけど。

ここまで。

===21.「王さま、一人ぼっちじゃない夜」

「ねぇきらり。お茶、入れて欲しいんだけど」

「いいよー。はい、どうぞぉ」

「……ちょっと杏、自分のお茶でしょ? それぐらいお姉ちゃんに頼まずに自分でやりなよ」

 私がきらりからお茶の入ったコップを受け取ると、一部始終を見ていた桃子が渋い顔でそう言ったから、
 私の方もきらりお手製のハンバーグを前にした桃子に向けて言い返す。


「でも、そういう桃子だってきらりにハンバーグ、切り分けてもらってるじゃん。子供みたいにさ」

「子供で結構。これは、桃子が食べやすいように、お姉ちゃんが好意でしてくれたんだから。
 それに桃子が大人びてるから忘れてるかもしれないけど、桃子はこれでまだ小学生、子供だよ」

「なら、杏はこう見えて高校生だぞ。年上のすることに、いちいち口出すんじゃあないの」

「高校生なら、なおさら自分のことは自分でやりなよ。もう、大人の一歩手前なんだから」

「はいはい、二人ともすとっぷすとーっぷ! ご飯の時に喧嘩はめっ! だにぃ」

 あわや言い争うに発展する直前で、きらりに注意を受けた私達は「はーい」と素直に返事を返す。

 
 ――そう、今はきらりの言う通り。
 
 買い出しから戻って来たきらりは、あれから手際よく晩御飯の準備を始め、
 私ときらり、そして桃子の三人で囲む食卓の上には、今やところ狭しときらりの作った料理が並べられていた。
 
 ちなみに今日の献立は、洋食がメイン。

 スープにサラダ、ハンバーグ。デザートにはなんとゼリーまでついて、
 どれも「はっぴー☆シェフ」きらり自慢の一品らしい。(そう本人が言ってたんだから、間違いはない)

 
「大体さ、きらりは良いとしても、どうして桃子まで家でご飯食べてるわけ? 子供は早く、自分の家に帰りなよ」

「えっと、それは……」

 私の質問に、桃子がちらりときらりの顔を見る。
 するときらりが、片手の人差し指をすっと伸ばして。
 
「それはぁ、きらりが誘ったの。折角お見舞いに来てくれたんだし、良かったら一緒にどうかなぁーって」

 なるほど。とはいえ、なんだか私の知らないうちに、随分と親しくなってるじゃないか、この二人。

「あ、もしかして……桃子がいない方がお姉ちゃんに甘えられるから、杏としてはそっちの方が良かったのかな?」

 すると私の表情を読み取ったのか、桃子がそう言ってにやりと笑う。

 
「あのね、そーゆーこと言うと、まるで杏が小学生に嫉妬してるみたいになるからやめてよね」

「ふふん、違うんだ? ……でもお姉ちゃんは、手のかかる杏より、素直な桃子の方がいいもんね?」

「えっ? う、うーんと……」

 そうして桃子が座っている場所を、きらりの隣へと移動する。
 そんな桃子の行動に、きらりは少しだけ驚いた表情をしたものの、すぐに満更でもない顔になって
 
「そ、そーだねー。杏ちゃんよりぃ、桃子ちゃんの方が、良い子かもしれないにぃー」

 なんて、私を見ながらちょっとだけ、意地悪そうに言うんだもん。

 
「ちょっときらり、なに桃子に甘い顔してるのさ!
 そもそもさっきからお姉ちゃんお姉ちゃんって、二人ともいつの間にそんな仲良くなってるわけ?」

 ついに我慢のできなくなった私が質問すると、二人は顔を見合わせて。

「別にただ……杏が寝てる間に色々と話してたら、二人で意気投合しちゃっただけだよ。共通の悩みを持つ者同士、ね」

「うぇへへへ……そおゆうことに、なるのかなー?」


 それから、きらりと桃子、二人一緒にくすくすと笑いだす。
 そんな二人を見てる私の心境は、なんだかとっても面白くない!
 
「なんだよ、共通の悩みってさ。二人だけで秘密作って、杏のことは蚊帳の外かよ!」

「あ、怒っちゃった」

「うぅん。あの顔は怒ってるんじゃなくて、拗ねてるんだよぉ」

「どっちだっていい! っていうか、どっちもだよ!」

 だから私も、「あぁ、もう!」なんて言いながら、桃子の反対側、二人できらりを挟むように、座ってた場所を移動して。

 
「き、きらりはいつだって、私の隣なの! 桃子なんかには、あげないからね!」

「ほら、やっぱり嫉妬してるんじゃん。ホント、杏って年に似合わず子供っぽくて」

「にょーわ。色々と手もかかるけど、そこがまた、かわゆいんだよねぇ」

 そしてまた、何が可笑しいのか、二人は私の顔を見て笑うのだ。

「だーかーら! そういう風に杏だけをのけ者にするなって言ってるの!」

 まったく、ほんっとーに面白くないんだから!

===

 ――さて。そんなこんなで騒がしい晩餐も終わり、時計を見れば、時間もいい加減遅くなってたから。
 
「桃子、そろそろ帰るようにしなくてもいいの?」……って、私は桃子に向かって言ったんだ。まぁ、当然の判断だよね。

 
 なのにきらりったら、やっぱり桃子のことを妙に気にいっちゃったみたいでさ。
 「明日は日曜日だし、桃子ちゃんさえよければ、きらりみたいにお泊りしてもいいんだよ?」なんてことまで言いだして。
 
「ちょい待ち! ここって一応、杏のウチなんだけど、家主の許可もなしにそんなこと――」

「あれあれ? きらりと杏ちゃんは、家族も同然だったんじゃなかったっけ?」

 可愛い顔しながら、いつか渡した家の鍵を見せてくるんだもん。

 
「こんな機会、そうそうないんだから。たまには仲の良い子同士、お泊り会みたいなことするのも、楽しいにぃ」

 そうしてニッコリ笑ってさ。桃子の方も、「別にそこまで」なんて言いながら、期待した視線で私を見てて。
 
 この時点で賛成二票、反対一票。
 多数決は向こうの勝ち。


「だぁー、もう! 分かったからさ、二人ともそんな目で見ないでよ! 泊めたげればいいんでしょ、泊めたげれば!」

 私が諦めてそう言うと、二人は「やったね」って調子で顔を見合わせる。

 でも、そんなことをする桃子の姿は、いつも見ていた大人ぶった姿じゃなくて、随分と年相応に見えたから。
 私の方もきらりの言う通り、こういうのもたまには良いかも、なんて思ったりしたんだ。

===

「……とはいえ、どーして杏がお風呂まで、桃子と一緒に入んなきゃいけないわけ」

 脱衣所で桃子と二人。本来ならお風呂上りは良い気分でいるハズなのに、
 濡れた体をタオルで拭きながら、出てくるのは愚痴とため息ばかり。
 
「そんなの、お姉ちゃんが桃子に頼んだからに決まってるじゃない。あーあ、ホントに手間がかかって仕方がないんだから」

 答える桃子は、そう言いながらもどこか嬉しそう。多分、年上に「お願い」されたのが嬉しいんだろうけど。
 よりにもよってその内容が、「私をお風呂に入れること」なんだから、失礼極まりないってもんだ。
 
 なんでこんな話になっちゃったかと言うと、時間は少し巻き戻って。
 
 三人での食事も終わり、きらりの提案で桃子も一緒に家に泊まることが決定すると、
 いつもみたいにきらりが食べ終わった食器を片付け始めたんだよね。

 
 すると桃子が、きらりに「何か手伝うこと、ない?」って聞いたんだ。
 けど、家には洗浄機君っていう食器洗いのプロがいるから、正直な話、洗い物にはそれほど手間はかからない。
 
 だから、きらりとしても桃子の気持ちは嬉しいけど、
 とりたててお手伝いがいるわけじゃあなかったんだ。
 
「うぅん、そうだにぃ……」

 その時だ、食後の優雅なひと時を、横になって過ごしてた私ときらりの目が合ったのは。


「じゃあ、きらりの代わりにぃ、杏ちゃんをお風呂に入れるの、お願いしちゃおうかな」

「……あのね、それを言うなら、杏に桃子を入れるよう頼むべきでしょ。なんで杏がお風呂に入れられる側になってるのさ」

「お姉ちゃんの代わりにって……なに? もしかして杏って、お風呂すら一人じゃ入れないの?」

「そんなわけないだろ! いくら私がものぐさだからって、そこまでじゃないやい!」

 すぐさま反論したけれど、両手を腰に当てた格好できらりが言う。

 
「でもでも杏ちゃん、一人だと髪や体を洗うのが適当になっちゃうから……
 女の子なんだからそういうの、ちゃんとしないとダメだよぅ」

「なるほど、そういうことなら桃子に任せてよ。しっかりちゃんと、見張っておくから」

「うんうん、桃子ちゃんはホントに、頼りになるにぃ☆」

「だから、人の話を聞いてよね! 二人とも!」


 ――っとまぁ、そんなやりとりがあってから、
 無事に(?)お風呂にも入り終えた、湯上りの二人は脱衣所にいるわけなんだけど。
 
「杏ちゃん、桃子ちゃんの着替えがないから、杏ちゃんの、借り手もいいかなぁ?」

「あー、いいよいいよ。適当に出しといて。そういうの、杏はあんまり気にしないから」

 脱衣所の外からかけられたきらりの声に返事をすると、タオルで体を隠した桃子がにやにやしながら私を見てた。

 
「そっか、そういえば、桃子と杏の体形ってほとんど同じなんだよね」

「……うん? なぁにが言いたいのかな、このちんちくりんは?」

「ふふん。桃子はまだまだ、将来に期待が持てるなって話」

「おぉっとそこまでだ。いくら相手が小学生だからって、この手の喧嘩は買っちゃうよ、私」

 言うが早いか私は桃子に向かって両手を伸ばすと、必殺のくすぐり攻撃をしかける。
 
「同じような体形でなに生意気言ってんだ! この! こいつめっ!」

「ちょ、やめっ! どこ触って……ひゃんっ!」


 それからしばらく、脱衣所の中では私と桃子の低次元な争いが続いたんだけど、
 突然勢いよく脱衣所の扉が開かれたと思ったら、そこには私達二人分の着替えを持って来たきらりが仁王立ちで立っていて。

「もぉ! 二人ともいい加減にしなさい! そんな恰好で遊んでちゃ、風邪引いちゃうにぃ!」

 私達はその迫力に圧倒されて、思わず声を揃えて「ごめんなさい!」と謝った……でも。

 
「でも、最初にちょっかいを出して来たのは桃子だよ。杏より、桃子の方が――」

「ちょっと、待ちなさいよ。私は口だけ、先に手を出して来たのは杏でしょ?」

「そりゃ、手を出されるようなこと言った桃子が悪い!」

「バカね! こういうのは先に手を出した方がもっと悪いって決まってるんだから!」


「大体、何が成長の余地があるだ! 分かんないぞ? 桃子だって私みたいに、そこで成長止まっちゃうかもしれないのに!」

「あら、自分がそうだったからって、桃子まで同だって言えるのはどうしてかな」

「それはなぁ……今から私が、アンタに呪いをかけてやるからだ! 体の成長が止まる呪いをなぁっ!」

「な、なに? ひゃっ! だから、それは止めてって! あは、あははははっ!!」

 脱衣所では再び低レベルな争いが始まって、そんな私達に向けてきらりが、
 「だから、早く着替えなきゃって言ってるのぉ!」と声を張り上げる。
 
 アイドル活動を始めてから久しぶりに過ごす一人ぼっちじゃない夜は、
 こうして笑い声を響かせながら、にぎやかにふけて行ったのだった。

ここまで。

訂正>>166

× あわや言い争うに発展する直前で、きらりに注意を受けた私達は「はーい」と素直に返事を返す。
○ あわや言い争いに発展する直前で、きらりに注意を受けた私達は「はーい」と素直に返事を返す。
>>174

×「杏ちゃん、桃子ちゃんの着替えがないから、杏ちゃんの、借り手もいいかなぁ?」
○「杏ちゃん、桃子ちゃんの着替えがないから、杏ちゃんの、借りてもいいかなぁ?」

===22.「夜、ふけて」

 部屋の中には、コーヒーの匂いが広がって、静かな夜のひと時に、くぅくぅとベットの上で眠る、桃子の寝息が花を添える。
 
「ふふっ、桃子ちゃん。寝ちゃったね」

そんな彼女の寝顔を見ながら、優しそうに微笑むきらりの姿はまるでお母さんのよう。

「まっ、なんだかんだで小学生だもん。眠気には勝てないなんて、可愛いじゃない」

「そういう杏ちゃんも、眠そうな顔、してるよう?」

「だから、普段は飲まないようなコーヒーなんて飲んでるの。桃子よりも先に寝ちゃったら、絶対後で笑い話にされるんだもん」


 私の言葉に、きらりが「あぁ、それで」と納得する。
 
「それにさ、コーヒー飲んでる方が、桃子よりも大人って感じがするじゃない?」

「小学生と張り合うような大人は、むしろ子供っぽいんじゃなぁい?」


 可笑しそうにきらりが言うから、私はあくびすることで誤魔化して。
 
「……杏たちも、そろそろ寝ようよ。これ以上夜更かしして、明日桃子に起こされたんじゃ、それこそ恰好がつかないし」

「ふふふっ、りょーかい。」

 そうして私はカップに残っていたコーヒーをくっと飲み干すと、
 床に敷いていたお布団の中に潜り込む。きらりは、桃子と一緒にベットの上。
 
 明かりを消して、薄暗くなった部屋の中。かちこちと、時計の針が進む音が響く。
 布団をかぶって目を瞑って、だけど、意識だけは妙にハッキリと冴えていて。

 
「……ねぇ、きらり」

「……なぁに?」

「今日は、ありがとね。ホントのこと言うと、きらりがこうやって来てくれるなんて、思ってなかったんだ」

「むぅ、どうしてぇ?」

「だって……その、アイドル始めて、仕事が忙しくなってから、
 私ってろくに連絡も取らなくなってたじゃんか。だからきっと、怒ってるだろうなぁってさ」


 アイドル活動が始まってからもしばらくは……
 それこそ、メールだったり直接会ったり、二人の時間ってのはいくらかあったけど。

 桃子とユニットでデビューして、ちひろさんと一緒に仕事を始めると、
 忙しさにかまけて私ときらり、二人のやりとりはどんどん少なくなっていて。
 
 それでもたまの休みにぐらい、電話をかけたり遊びに行ったり、やろうと思えばできただろうに、
 明日しよう、いつかしよう……そう思うだけでずるずると、今の今まで放ったらかしにしてたから、さ。


「……実は、そのことできらりも杏ちゃんに、言いたいことがあるの」

 どきり、と私の胸に緊張が走る。
 だって、その時のきらりの声は、さっきまでとは明らかに違う真面目なもの。


「あのね、杏ちゃんと会えなくなってから、それはやっぱり、きらりも寂しかったよ? だけど……」

「……けど?」

「それ以上に、杏ちゃんが心配だったの。なんだか最近の杏ちゃん、無理してるんじゃないかなって。

 テレビや雑誌で見るのもそうだし、ライブにだってきらり、ちゃあんと行ってたんだよ? 
 でもね、なんだか最初の頃の……桃子ちゃんと一緒だった頃の杏ちゃんと今の杏ちゃん、
 きらりには、まるで別人みたいに思えたんだぁ」


「そ、そんなに違うかな? 私には、全然覚えがないんだけど」

「うん、なんていうか……雰囲気がね、前とすっかり違っちゃってたの。ステージの上の杏ちゃんの笑顔が、
 作り物みたいで……いつもきらりに見せてくれてた、楽しそうな笑顔じゃ、無かったから」

 そこまで言って、きらりが言葉を切った。
 再び、静けさに包まれる部屋。私も、きらりに言われたことの意味を考える。

 
 無理してる、別人みたい……それと、作り物のようだと言われた、私の笑顔。

『杏ちゃんも、ドキドキできた?』

 そういえば、ライブが終わった後の美希の笑顔は、悔しいほどに眩しかったな。
 本人も、ライブのことを楽しみにしてたって、言ってたし。
 
 だけど、私のほうは……。

 
「……きらりはさ、そんな私のこと、どう思ってるの?」

 言葉を口にした後で、「聞かない方がよかったかな」なんてちょっぴり後悔したけれど。
 
「きらりは……どんな杏ちゃんでも、好き。あれだけ沢山の人たちを夢中にさせちゃうのは、凄いことだとも思ってる」

 そんな私の質問に、きらりは優しい声で答えてくれて。

 
「ただね? それで杏ちゃん自身が笑えなくなっちゃうのは、やっぱりきらり、悲しいなぁって思っちゃうの。

 どうせなら、杏ちゃんも、杏ちゃんのファンの人たちも、
 みんなで一緒に笑顔になれた方が、きっともっと、ハピハピできるって思うから」

「……そっか、きらりは、そう思うかぁ」

 人を楽しませたいのなら、まずは自分が楽しみなさい。
 それは、どこで聞いた言葉だったか。
 
 ……私は、ちゃんと楽しめてたのかな?

 
「杏ちゃん……もしかして、気を悪く、しちゃった?」

 私が黙ってしまったので、不安になったんだろう。
 きらりがそうやって声をかけてきてくれたから、私は「うぅん」と返事して。

「違うの、ちょっと……考え事をね。桃子にも言ったんだけど、私って昔から、
 なにかあると物事をすぐに投げ出しちゃう子供だったんだ」

「ふふっ、だから今の杏ちゃんは、そんな面倒くさがり屋になっちゃったの?」

「まぁ……それもある、かな? でもさ、そうやってなんでもかんでも途中で投げ出し続けるのも、面白くはないなって。
 こんな私でもなにか一つぐらい、胸張って『頑張りました』って言えること、欲しいじゃんか」


 それに……きらりには言えないけど、もうあの時みたいなことを繰り返すのは止めるって、約束しちゃったからさ。

 暗がりの中、私は布団から起き上がると、その上にちょこんと正座して。
 するときらりも、何だろうってベットから体を起こす。
 
「あのさ、ルームシェアしようって言った時のこと、覚えてる?」

「忘れるわけ、ないよ。あの時はホントのホントに、びっくりしたんだから」

「一緒に暮らして分かったと思うけど……杏って、基本的には誰かにお世話されてないと、ダメみたいなんだよね」

「……それも、知ってるよ。だってきらりは、そんな杏ちゃんだから一緒に住むことに決めたんだもん」


 きらりが、体をおこしたままで背筋をピンと伸ばす。
 
「杏ちゃんこそ、気づいてた? きらりはねぇ、あの時の杏ちゃんが泣いてたの、嘘泣きだって知ってたんだから」

「うぇっ!? あ、あれが杏の演技だって、きらりにはバレてたっての!?」

 ここに来て知る、まさかの事実。あの時の私は、きらりを思ったように懐柔できただなんて、内心ほくそ笑んでたってのに!

 
「杏ちゃんには言ってなかったけど、きらりは元、演劇部だから。あれぐらいの演技なら、ちゃあんと見抜けるのです」

 そうして驚く私に見せる、きらりの珍しいどや顔。

「それでも、杏ちゃんの提案を受け入れたのには理由があって。杏ちゃんはいつもわがままで、ぐうたらで、生意気でしょ?」

「……ず、随分と容赦なく言ってくれるね」

「ふふっ、それでいて、とってもとっても寂しがり屋さんなんだもん。
 ホント、きらりの周りにいる人の中で、杏ちゃんが一番手のかかる人」

 きらりが、うぇへへと照れたように笑うから、私もやれやれって苦笑い。

 
「でも、それなら話が早いや。そうやってアイドルになる前はきらりがいて、
 アイドルになった後は桃子が代わりに、杏のこと褒めてくれたり叱ったり、お世話してくれてたわけなんだけど」

 なのに桃子は事務所を移り、プロデューサーも私の担当を外れちゃって。

 今はちひろさんがいるけれど、あの人は「双葉杏」ってアイドルの価値だけを見てる人。
 でも、だからこそこれからやろうとしてる、杏の無茶な提案も聞き入れてくれるって思ってる。

 そしてそれにはどうしても、彼女の協力が必要で。

 暗がりの中、私はまっすぐにきらりの顔を見る。今度は嘘泣きも小細工もない。
 真剣で真面目な、私の心からのお願いを伝えたんだ。

「私と一緒に、アイドルやって欲しいんだ」――って。

とりあえず、ここまで。

===幕間劇7.「いずれまた、別の機会に」

 ぐうたら王国の王さまは、少女からの返事を受け取ると、
 満足そうな顔でもう一度布団の上に横になった。
 
 けれど、すぐに小さな声で「あぁ」と呻きをあげて。

「どうしたの?」
 
 ベットの上にいた少女が心配そうに王さまに声を掛けると、王さまは、恥ずかしそうに少女に答える。
 
「……なんか、眠くない。バッチリ目が覚めちゃってる感じ」


 そこで少女は思い出す。
 そういえば、王さまは寝る前に、苦い苦いコーヒーを飲んでいたことを。
 
「ねぇ……眠れないからさ、何か話でもしてよ。聞いてるうちに、眠くなるかもしれないでしょ」

 顔だけをこちらに向けて、そういう王さまの姿に、少女は、随分と勝手な要望だな、なんて思ったけれど。
 寝る前に絵本を読んでもらう子供のようだと思ったら、なんだかとっても可笑しくて。


「いいけど、どんなお話がいいの?」

「なんでもいいよ。できれば、眠くなるヤツで」

 それは簡単そうで、なんとも難しい注文だ。

 少女は考える。

 最近あった楽しい話、気になってるお洋服の話、でも、「なんでもいい」と言われると、
 何を話せばいいのか迷ってしまい、すぐには言葉が出てこない。

 
「うぅん、そうだにぃ……」

 何気なく、そう呟いた時だった。
 
 そういえば、前に王さまと約束をしてたっけ。
 いつか、疑問に答えてあげるって。
 
「……それじゃあ、『私』のとっておきの秘密、教えてあげる」

 そうして彼女は王さまに、自分自身のお話を喋りはじめたんだけど……
 それがどんな物語だったのかは、この夜の、二人だけの秘密になったのです。

===23.「星のお姫さま」

 さて。私の所属しているアイドル事務所――961プロダクションは、アイドル業界だけでなく、
 ワイドショーやゴシップ雑誌においても「超」がつく程に有名な、各方面に対して非常に大きな影響力を持つと同時に、
 いつだってその強引なやり方で、「黒い噂」の絶えない会社なわけだけど。

 目の前にそびえ立つ、961プロの所有する巨大な高層ビルのその姿は、
 辺りに並ぶ多くの企業ビルの中でも圧倒的な存在感を示す立派な物。

 普通の人なら中に入るのすらしり込みしてしまいそうなこの建物の入り口に、今、私たちは並んで立っていた。
 
「あ、あのあの。本当にきらりも一緒に入って、大丈夫?」

「杏と一緒に受付いって事情を話せば、多分大丈夫。ほら、こっちこっち!」

 
 きょろきょろと不安げな様子の背の高い少女の手を引っ張って、堂々と中に入って来た背の小さな女の子。
 そんな奇妙な二人組に、フロア中にいた人たちの、好奇の視線が集まって来る。
 
「うぅ、沢山の知らない人に見られるの、とっても緊張するんだけど」

「まっ、きらりは立ってるだけで人の目を引きつけるから」

 でも、その片方……背の小さな方が事務所に所属する杏だって分かると、今度は皆もう一人、きらりの方に興味を移して。


 ――あの女性は、一体誰だ? 私はそんな皆の反応に、心の中でガッツポーズ。

 (黙っていれば)美人で背が高くてスタイルも良いきらりなんだから、
 人の注目を集めないハズが無いと思ってはいたけれど、これは中々……感触、いいんじゃない?
 
 それから私たちは受付のお姉さんに事情を話し、ちひろさんを呼んでもらえるようにお願いをして。
 
「あの……千川さんがおっしゃるには、「直接部屋に来るように」とのことです」

 そう言ってお姉さんが、きらりに来客用のカードを渡してくれる。

 
「それじゃ、行こっか」

 私たちはエレベーターに乗って最上階――ちひろさん用の個室と、社長室があるフロアまで一気に昇る。

 途中の階で何度か止まり、乗り込んできた人がきらりの大きさに
 驚くといったシーンを何度か繰り返して、ようやくたどり着いたちひろさんの部屋。
 

 
 けど、中に入った私たちの目に飛び込んできたのは、自分専用の机の上に突っ伏して
 わんわんと泣きじゃくるちひろさんのあられもない姿で。
 
「ち、ちひろさんっ!? 何があったの!」

 慌てた私の声を聞いた彼女が、勢いよく顔を跳ね上げる。
 その顔は涙でくしゃくしゃ、目もウサギのように真っ赤に腫らし、涙声で私たちに語るには……。

 
「あ、杏ひゃん! わ、わた、私……クビになっちゃうかもしれないんれすぅぅっ!!」

「え、えぇっ!? そ……それは困るよ! 色々と、ホントに!」

 思わず私も、大きな声で驚いて。だって私の計画には、ちひろさんの後ろ盾が絶対に必要なんだもん。
 
 なのに……一体全体、何があったって言うんだよ!

とりあえず、ここまで。

>>196訂正 眠気と戦いながら書いた物はろくなもんじゃない。なぜちひろさんを辱めてしまったのか……申し訳ないです。

× わんわんと泣きじゃくるちひろさんのあられもない姿で。
○ わんわんと泣きじゃくる、酷く取り乱した状態のちひろさんの姿。

===

 とりあえずちひろさんを落ち着かせると、私は彼女から事の事情を説明してもらう。
 
 曰く、先日の765プロ――美希とのライブバトルの一件が、様々な雑誌に取り上げられたらしいんだけど、
 それが『天下の961プロ、弱小アイドル事務所に大差で敗北!』なんて感じの見出しがつく物ばっかりで。

「その記事の内容なんですが、ほら、対戦相手だった美希ちゃんって子は、元961プロの所属でしょう? 
 
『金の卵を961プロはみすみす手放した』とか、『遂に王座の交代か!? 
 芸能化の闇が晴れる日も近い』だとかって、もう散々な内容が書かれてたんです」



 そこまで言うとちひろさんの肩が、ため息と共にがっくりと落ちる。
 
「だから今日の黒井社長は、朝から凄く不機嫌で。私も長々とお叱りを受けた後、
 『今回の失態の責任はお前にある、お前がすべての責任を取れ!』って言われちゃいました……
 これってつまり、私はもうお払い箱ってワケじゃないですか!」

 ちひろさんから話を聞き終わった私ときらりは、お互いに顔を見合わせる。

 
「あの、ちひろさん。今の話の流れで言うと、ライブバトルに勝てなかったのは
 杏の力不足が原因だよね? 私には、何のお咎めも無しなの?」

「それが、美希ちゃんがライブで勝ったことに関しては、あの人、むしろ誇らしげなんですよ。
 『それ見たことか、彼女を最初にスカウトした、私の目には狂いが無かった』なんて」


 いやいやいや、流石にソレは、ちょっとおかしくないかな。

「その上で、どうしてちゃんと工作をして、こうゆう記事が書かれないようにしなかったんだ! って。
 杏ちゃんも知ってるでしょ? ウチの事務所が裏で色々と、その……してること」

 そうしてちひろさんが、「でも、あんなに大事になっちゃうと、手の打ちようがありませんよぉ」と再び机に顔を埋めて。


 その言葉を聞いて、私の胸がちくりと痛む。

 こう言っちゃあなんだけど、確かにウチの事務所は時に冷酷に、時に強引に、
 他所への妨害だったり自分のところのアイドルの売り込みだったり、手段を問わない一面があるのは事実。
 
 けど、私だって何も見てないわけじゃない。
 
 アイドル活動にまだ慣れてない私がしでかした数多くの失敗も
 ――収録中に寝落ちしちゃったり、仕事現場に遅刻しちゃったり、それこそ色々だ――

 この事務所に所属してたからこそ、大きな問題にならず、そのお陰でここまで杏が活動を続けてこれたとも言えるから。
 
 どんな業界にも競争はあるし、一番になるためなら使える手はなんでも使うって考え方だって、理解はできるつもりだ。


「とりあえず、話は分かったから顔を上げてよ。それからさ、ちひろさんにも協力して欲しいことがあるんだ」

「協力? 一体、何をしろ……と……」

 顔を上げたちひろさんの言葉がつまり、驚きに目を開く。

 それはちひろさんが私の隣にゆうゆうと立つ、きらりの姿にようやく気がついたから。

「要は、今回の失敗の責任を取ればいいんだよね? そのための秘密兵器が、彼女だよ」

 そう言って私は、ニヤリと不敵に笑ったんだ。

===

「それで――この私に一体、どんな話があるというのだね?」

 あれからちひろさんの部屋を出た私たちは、彼女を連れて社長室へと乗り込んだ。
 そんなことをする理由はただ一つ、さっきも言ったけど、今回の件に対しての、私なりの責任を取るのが目的で。

 黒に近い紫色をした、シックな机に座るここの事務所の一番偉い人……黒井社長は、
 目の前に立つ私たち三人、私と、きらりと、そしてちひろさんを前にして、非常に高圧的な態度で口を開く。
 
 紫色のお洒落なスーツに、佇まいから溢れるでる大物の風格。

 聞いた話によれば結構な年齢のハズだけど、そのエネルギッシュな見た目と声からは、
 年齢を感じさせないパワーを感じさせられる。


「あの、実は……」

 けど、私が喋りだそうとしたら、黒井社長はキザな素振りで人差し指を立てた手を前に突き出して、私の言葉を遮った。


「待った。私はねぇ、今、すこぶる機嫌が悪いのだ。話がしたいならば単刀直入、用件だけを伝えたまえ」

 それはつまり、私たちの話を真面目に聞くつもりはないってことなんだろうけどさ。
 
 私はそんな黒井社長の放つオーラとでも言うのかな、他の人間を容易には寄せ付けない、
 そんな迫力に圧倒されそうになる自分の心を奮い立たせるために、短い両足にぐっと力を込めて口を開く。


「……アイドル、買う気はないですか? それもこれから、絶対にトップに上り詰める、とっておきのアイドルの原石を」

「ふぅむ、それは大変興味のそそられる話題ではある、が。それはつまり君……
 ライブバトルで無様にも敗北した双葉杏のことを言ってるのかい? それとも……」

 ちらり、と社長の視線がきらりに移る。
 
「そこの背が高いことしか取り柄のなさそうな、可愛らしい女の子のことを言っているのかなぁ?」

 そうして黒井社長は、くっくっと口の端を上げて笑ってから、「お話にならないな」と私の言葉を切り捨てた。

 
「いいか? 今回のライブバトル、その相手が『あの』美希ちゃ……ゴホン! 
 星井美希だったのは、君たちにとって不運だったことは認めよう。


 なにせ彼女はこの私が見染めて直接スカウトを行ったアイドルでねぇ。私はこうみえて目利きには少々自信がある……
 彼女ならば、トップアイドルになれるだけの実力を秘めていると、初めて出会った時から直感で分かっていたのだよ!」

 でも、恰好をつけてそう言う黒井社長の言葉に、唐突に湧き出る一つの疑惑。


「見染めてって……えっ? 社長ってもしかしてロ――」

「違う! そうじゃあないっ! 私は彼女の才能に惚れ込んだという意味で、『見染めて』という言葉を使ったのだ! 

 君のような『才』だけでなく、そこの彼女のような『華』も併せ持つ、星井美希と言う少女の才能にな! 
 そんな才能の塊に、お前のような半人前が敵うハズなど、最初からありはしないっ!」

 さっきまでの落ち着いた雰囲気から一変、黒井社長が、その感情を少しずつだけど私たちに露わにしだす。
 
「で、でも! そんな彼女に逃げられた後、プロダクションどころか業界中を見渡しても、
 あの子と対等に渡り合える実力を持ったアイドルが見つからなくて。

 だから彼女が活躍するのは嬉しいけど、それが自分にとっての利益にならなかったのが悔しいんですよね? だったら――」

 私の反論に、黒井社長の口元が、苦々しく歪む。

 
「ウィ! 本来ならばあのような戦いは、最初から避けるべきだったのだ……そして、だからこそ千川ちひろぉ!」

「は、はいっ!」

 語気を強めた黒井社長に、突然名前を呼ばれたちひろさんが慌てて返事をする。

「ここにいる双葉杏を駒とした例の計画を進めるためには、
 こんな早い段階で『敗北』の二文字を被せるワケにはいかなかったのだ! 

 頂点に立つまで絶対無敗! 常に勝者であり続けるアイドルをウチから売り出すことが、
 すなわち961プロダクションの圧倒的な実力を周囲に認めさせる唯一の――!」

「も、申し訳ございませんっ! それこそ、私の配慮が足りなかったばかりに――!」

「ちょ、ちょっと待って! 待ってよっ! ちひろさんばっかり責めることは無い、美希に勝てなかったのは私の実力が――!」


 本当ならこんなことにならない方が良いに決まってたけど、お互いの感情が爆発し、遂に始まった三つ巴の大論争。
 非を責める者、非を認める者、そしてその非を庇う者。
 
 堂々巡りの状態が、このままいつまでも続くのかもしれないと思ったその時だ。

 
「い、いい加減に、しなさぁぁっいっ!!」

 均衡を破ったのは、きらりだった。
 その可愛らしいのに、良く通る声が私たちの口から次の言葉を奪い去る。

 
「もう、もう! どうしてみんな仲良くできないのっ! 

 杏ちゃんは社長さんにお話しがあって、それを聞いて貰いたいだけなのに、
 社長さんも社長さんで、終わったことばっかりぐじぐじといつまでも引きずって!」

 それは、私も初めてみる彼女がホントに怒った姿。
 きらりの身長の高さも相まって、さっきの黒井社長にも勝るとも劣らない迫力だ。

 
「過去は、変えられない。失敗したことを完全に無かったことにはできっこない、
 そんなことはきらりだけじゃない、ここにいる皆が分かってることでしょう! 
 大切なのは、その失敗を次の成功に活かすことじゃない!」

「い、言わせておけば偉そうに! 大体お前は、この問題とは無関係、部外者だろう! 
 余計なことに口を突っ込むんじゃあ――」

「いーえっ! ここは言わせてもらいます! 杏ちゃんも、ほら、早くっ!」

 瞬間、呼びかけられた私ときらりの目が合った。

 私の隣に、彼女が一緒にいてくれる。たったそれだけのことなのに、桁違いな安心感に包まれる。
 震えていた体も止まり、私の中にも、なんだか力が沸き上がってくるようで。

 
「そ、そうだ! 失敗するからこそ次に向かって頑張れるってことを、私は美希から教わった! 
 だからこそ、今度勝負するなら絶対に負けたくないって思うし、そのためならどんな手段だって使ってやるって思ってる!」


「えぇい! 過去にこだわってるのはお前たちの方じゃあないか! 
 一度でも敗北! 失敗をした者に、次のチャンスなどあるわけがないだろう!」

「だったら! どうして社長はちひろさんと一緒に『双葉杏』なんてアイドルを作ることに決めたのさ! 
 それこそ美希がいなくなった失敗の、その『次』を目指したカタチじゃないか!」

 私と社長はそこで言葉を切ると、まっすぐに睨み合う。

 そうして静かに、確かめるような口調だけど、
 隙を見せればすぐさま飛び掛かって来るような迫力のある声で、黒井社長が先に口を開く。

 
「ならば、お前には『あの』星井美希を倒すための策があるとでも言うのかね? 
 その身を持って体験したハズだ、彼女は紛れもなく『本物』のアイドルだと言うことを」


「だから、分かったんだよ。私一人じゃ彼女に勝てない……けど、ここにいるきらりと私、二人なら……」

「一人では勝てないから、お友達と一緒に二人掛かりで挑もうと言うのか! 
 散々と大見得を切った割には、実に下らん幼稚な提案だ!」

「違うっ! 下らなくなんてないよ! さっき社長は言ったよね? 私ときらりの持ってる『才』と『華』、
 その二つを併せ持つのが星井美希だって。なら、そんな彼女に勝つ方法がさ、これしかないってわかるでしょ!?」


「しかし……しかしそれでは舞には……私の目指した彼女のような唯一無二の存在には……!」

 黒井社長がよろめくように呟いた、「舞」という名前。
 社長とちひろさんが準備をし、今の時代に杏を使って「再現」しようとした、伝説のトップアイドル「日高舞」。
 
 きっと彼女なら、美希を超えられると思ったんだろうけど。
 
 だけど二人のやり方じゃ、たとえ「偶像」は作れても、それに命を吹き込んだ「本物」にはできないんだ。

 
「だって、杏は杏。もちろん、美希だって誰だって、彼女の代わりになれる人なんていやしない! 
 でも、彼女のことを目標にして、頑張ることなら私にだってできるから……」


 できないことだと分かってるからこそ頑張れるのが、「天才」美希と凡人な私との決定的な違いなら。
 このどうしようもない劣等感を彼女に対抗するための武器に変えることができるというのなら――!

 
「お願いします黒井社長! 私にもう一度、美希と戦うチャンスを下さい! 
 そして彼女に勝つためには、ここにいるきらりの力が必要なんです!」


 深々と、私は黒井社長に頭を下げる。
 目の端から流れ落ちるのは、過去の自分への後悔と、あの日流せなかった悔し涙。
 
「私は私のやり方で、美希と勝負がしたいんです! もう作り物の『杏』じゃない、ホントの私をぶつけたいんです!」

 
 ……この言葉を最後に、部屋はしんと静まり返ってしまった。
 誰も何も言わないし、私も頭を下げたまま。
 
 でたらめで、滅茶苦茶で、だけど「負けたくない」って気持ちだけは本当で。
 
 今までなんだって中途半端に投げ出し続けた私だからこそ、
 もうこれ以上逃げ出したくないし、何も手放したくなんてないんだよ。

===

 それから永遠とも思える程に長い時間の沈黙が部屋を満たした後で、ようやく黒井社長が沈黙を破る一言を口にした。
 
「……顔を上げたまえ双葉杏、これが一体、何に見えるかな」

 声を掛けられて頭を上げると、黒井社長が人差し指を一本だけ立てた右手を、私に向けて突き出していて。

 
「……『1』、ですか?」

「そうだ……いち、ワン、フランス語だとアンとも言うが……とにかくこれが、私の好きな数字だ。
 理由は単純、私は常に勝者でありたいと思っているし、何事も頂点、つまり一番が好きだからだ」

 一瞬、その場にいた誰もがきょとんとした顔をしたけれど、
 黒井社長は右手を突き出したまま、真剣そのものの表情で話を続ける。

 
「そしてこれが、君たち二人が仮にユニットを組んだとして、星井美希に勝つことのできる可能性の数値。
 つまり、一パーセントと言うわけだ。だが、しかし……」

 黒井社長が、まるで改めて値踏みするかのように、私ときらりの顔を交互に見た。
 
「たとえ一パーセントの確立だったとしても、そこには勝つことのできる可能性があると言うことでもある。
 千川ちひろ! 一つ聞きたいのだがね、次のIMFが開催されるまで、後どれくらいの期間が残っていたかなぁ?」

「え、えぇっと、今年は一回目が既に終わってて、次の開催が×月ですから、今からだと――」


 ちひろさんから開催までの残り期間を聞かされた、黒井社長が不敵に笑う。

 アイドル・ミュージック・フェスティバル――通称「IMF」と言えば、
 幾多のアイドル達が所属している事務所という枠を超えて参加する、年に二回の大規模な音楽イベントのことだったはず。
 
 その中には当然、アイドル同士のライブバトルのステージだってあるわけで。


 私がそんなことを思い出してると、黒井社長が今度はきらりの方へと顔を向ける。

「それと、そこの背の高い方の君。先ほどは聞きそびれてしまったが……フルネームはなんと言うのかね?」

「えっ!? あ、あの……諸星、きらり……です」

「ふぅむ……悪くはない名前じゃあないか。特に『星』という字が入ってるのが気に入った。
 やはりアイドルとは、常に光輝く存在として、他者の視線を惹きつけることができないことには話にならん」

 そして最後に、私の番。
 まっすぐに彼が、私の顔を見る。
 
「さて――双葉杏。先ほども話した通り、君たちがユニットを組んだとしても、
 星井美希に勝てる可能性は現時点では僅か一パーセントしかないだろう。

 さらに聞いての通り、次回のIMF開催までの残り期間も決して多くは無いが……
 その間に、この確率を少しでも上げることは君たちには可能かな?」

「あの、それってつまり……」


 だけど黒井社長は、「ノン、ノン、ノン」とキザったらしく指を振って私の言葉を遮ると。
 
「待ちたまえよ、君ぃ。私はね、非常に気が変わりやすいのだ。答えるのならば簡潔に、イエスかノンで答えたまえ」

 ニヤリ、と社長が口の端を持ち上げる。
 隣を見ると、きらりも信じられないって顔をしてたけど。
 
「い、イエスっ! もちろんっ!!」
 
 こうして空の星に手が届きそうなほど高い、夢を詰め込んだ大きなビルの最上階。
 広々とした社長室の中に、二人分の大きな返事が響き渡ったのだ。

AMFでなくIMF、今度は間違っていないハズ。ここまで。

ご指摘感謝>>216訂正

×「たとえ一パーセントの確立だったとしても、そこには勝つことのできる可能性があると言うことでもある。
○「たとえ一パーセントの確率だったとしても、そこには勝つことのできる可能性があると言うことでもある。

===24.「それからの人々」

「子供の機嫌をとるためならさ、あんまり効果はないよ、ソレ」

 俺と桃子が初めて出会った日。彼女は「第二企画室」のソファに座り、
 不機嫌そうな顔をして俺が部屋に来るのを待っていた。
 
 そんな彼女のご機嫌を直そうと、ポケットから飴玉を取り出した時に言われたのが、さっきのセリフ。

「Pさん、煙草、止められたんですかっ!?」

 ――そしてこれが、数年ぶりに再会した元担当アイドルから言われたセリフだ。
 
 俺は劇場に並べられた椅子に座ったままで、口に咥えた棒つきのキャンディを転がした。

 
「そんなに驚くことじゃあないだろう? 担当してるアイドルに、臭いをつけるワケにも、いかないしさぁ」

「で、でも、私の知ってるPさんは、いつも煙と一緒にいるような人でしたから……」

 隣に座る彼女……今は765プロ<ココ>の事務員になっている、
 音無小鳥がひとしきり驚いた顔をした後で、今度はくすくすと笑いだす。

 
「君と別れてから、俺にも色々と思うところがあったってことだよ。
 その結果の一つが、目の前にある光景だと考えると、なんとも感慨深いものがあったりするね」

 そうして俺たち二人は舞台の上、公演の為の練習をしている数人の少女たちへと視線を戻す。
 
「……桃子は、上手くココでやれてるかい? 移籍しちゃったとは言ってもさ、
 やっぱり担当したアイドルのこと、少しは気になるもんなんだ」

 舞台の上では、今まさにその桃子が自分の「演技」を見せつけているところだった。

 その表情は、遠目でも分かるぐらいに生き生きとしているように見える。
 少なくとも、ウチに居た時じゃあ見られなかった表情だ。

 
「ふふっ、もう、分かってるんじゃないですか? 最初の頃は多少、とげとげしい所もありましたけど……
 ウチはほら、皆が一つの家族みたいな事務所ですから」

「ふぅむ……勢いに乗ってる事務所の人の発言だと、どうにも説得力があるもんだね。俺のいる事務所なんて、
 最近じゃあ他所で協調性が無いなんて追い出された、自分勝手な連中が集まってくる場所になっちゃってるもの」

 そう言ってから、俺はわざとらしく頭を掻く仕草をする。


「そうなんですか? でも、あの二人……杏ちゃんと、きらりちゃん。
 彼女達を見ていると、あぁ、Pさんのところも少しずつ、変わってきてるんだなぁ……って、思いましたけど」

「あの二人は、また特別だよ。本来なら、ウチを離れたってやって行けるだけの力があるのにさ……
 まったく、今じゃ社長まで抱き込んで……本当に『悪いヤツ』らだよ」

「まさか! 私の知る限り、二人ともとっても素直な良い子に見えるのに」

「その、まさかなんだよね。ほら、もう一人のそんな『良い子』が、こっちに来たみたいですよー」


 俺が言いながら指をさすと、彼女も指の先を視線で追った。
 そこには、俺たちの方に近づいて来る一人の少女の姿。
 
「もうっ! 来るなら来るで、連絡の一つぐらい寄越すのが、大人のたしなみってやつじゃないの! おじさん!」

 どうやら、練習は休憩に入ったようだ。
 舞台の上から降りて来た桃子が、いつもの調子で俺に話しかけてくる。


「それにね、人を指さすのは失礼なんだよ! これが桃子だからいいけどさ、
 ホント、いつまでたってもそういう細かいところが抜けてるんだから」

「ははっ、悪い悪い……近くに用事があったから、ついでに寄っただけなんだ。
 でも、元気そうで安心したよ。演技の仕事も、できるようになったみたいだし、な」

「う、うん。それは、本当にありがたいことだけど……で、でも! それだけじゃあダメなの!」

 桃子はそう言って、何かを考えてるような顔になる。

 
「あ、あのさ……杏の調子って、どんな感じなの? 
 最近はおねぇ……きらりさんと一緒に活動してるのは、知ってるけど。今度のIMF、出るって噂もホント?」


「なんだ、後輩のことが心配なのか? 桃子は」

「あ、当たり前じゃない! これでも一応、あの子とは一緒のユニットを組んでたんだし、今度のIMF、杏たちが出るからって、
 美希さんもスッゴクやる気出してて。また負けちゃったら、今度こそ杏、アイドル辞めちゃうんじゃないかって」

 そして桃子は下を向くと、ゆっくりと言葉を続けていく。

 
「も、桃子はさ、杏の先輩だったけど、今じゃ人気も実力も、あっちの方が数段上でしょ? だけど、その……
 諦めたわけじゃ、ないの。いつか私も、杏たちと同じ場所まで登ってやるんだって気持ちで、今だって頑張ってるんだよ」

「それは、二人を目標にしてるってことか」

「……うん。だから、私が追いつくまでに、いなくなって欲しくないんだ……それで、おじさん」

 桃子が、再び顔を上げる。
 
「杏たち、大丈夫だよね? 他所のアイドルを応援するなんて変な話だけど、それでも桃子にとって、大切な人たちだから」

 不安と、期待の入り混じった顔で、桃子は俺を見ていた。
 見つめる瞳の中にあるのは、ぎらぎらとした光。

 
「ふっ、当然だろう。あいつらに関しちゃ、俺はなんの心配もしてないよ。
 なんていっても、彼女たちは一度『失敗』をしてるからね。ああいうヤツは、驚くほどにタフなもんさ」

「そっか、なら良かった。これで桃子も、安心して今のお仕事に取り組めるよ」

 俺の答えを聞いて、桃子がふっ、と肩の力を抜く。そして今度は、いたずらっ子のような笑み……
 二人とも良く知っている、アイツそっくりの顔になって。

 
「なら、おじさんも覚悟しといた方がいいよ? 
 これから桃子は杏たちや美希さんにも負けないぐらいの、トップアイドルになってみせるんだから」


 舞台の上から、休憩の終わりと告げる声がかけられると、
 桃子は言いながら舞台の方へと歩き出し、振り向きざまに言ったのだ。
 
「その時になってから手放すんじゃなかったって、絶対におじさんを後悔させてあげちゃうから……期待、してなさいっ!」

 俺は彼女の言葉に苦笑いで答えると、舞台に戻るその背中を見送ってから、隣に座る小鳥に言う。
 
「……ほらね、言った通りでしょ? いつの間にか優等生が、悪友の色に染まっちゃってるんだもの。
 これは将来、手ごわい相手になるだろうなぁ。いやぁホント、今から困った困った」

 すると彼女は「えぇ、本当に」と答えた後で、急に真面目な顔になって。


「それにしても、いいなぁ、なんだかみんな楽しそうで……そうだ! Pさんさえもし良かったら、もう一度私のこと、
 プロデュースしてみませんか? 今でも私、結構いけるんじゃないかって思うんです!」

 突然、そんなことを言い出すのだから、俺は本当に驚いて。
 「いや、それは!」なんてまごまごとしていると、彼女もまた、心底可笑しそうに笑いだす。
 
「ふふっ、冗談ですよ、冗談! 見事に引っかかりましたね!」

 そんな彼女の笑顔があの頃と同じように眩しくて、俺はまた頭を掻きながら、「参ったね、ホント」と呟いた。
 
 だってそうだろう? 俺はこの瞬間、再び目の前にやって来た、
 「本物」のアイドルをプロデュースする最後のチャンスを、みすみす見逃してしまったんだから、さ。

===
 
 ――真上に広がる青い空は、雲一つなく晴れ渡り、
 その下にある大地も、空と同じよう際限なくどこまでも広がっているようだった。

 季節は夏、八月も半分を過ぎた頃である。
 
「あぁ、ダメだよきらり。これ以上は、もう一歩も前に進めない」

 そんな大地に伸びる一本の長い道を歩く、二つの人影。
 一つは小さく、一つは大きく。
 
「ちょ、ちょっとちょっと杏ちゃん! こんなところで転がっちゃ、お洋服も汚れちゃうし、
 大変でもちゃんと歩いて行かないと、いつまでたってもお家につけないにぃ!」

 歩き疲れたのか、突然地面に転がり出した杏と呼ばれた小さな少女を、きらりと呼ばれた大きな少女が抱き起す。

 
「よくよく考えてみたんだけど、やっぱりIMFのチケットだけを郵送したのでよかったことない? 
 杏は向こうのことが苦手だし、直接会って手渡す必要、ないじゃんか」

 
「だからぁ! それも出発する時に散々説明したでしょー? 折角のいい機会なんだから、
 杏ちゃんの晴れ舞台を見に来てもらうその前に、立派になった自分のことを見せるんだーって!」

「そ、それこそホントに必要ないじゃんか。どうせ私はあの人の中じゃ、未だに『悪い子』のままのハズなんだし」

 小さな少女が不満げにそう言うと、大きな少女は腰に手を当てて彼女を見下ろす。

 
「それ、本気で言ってるのぉ? ちょっと前の杏ちゃんならともかく、
 今の杏ちゃんには、らしくないセリフだなーって、思うんだけど」

「けど、けどさ、やっぱり直接会った時に、どういう態度を取られるかって、心配になるじゃんか。
 私は自分なりに一生懸命やってるつもりだよ? でも、やっぱり、なんていうかさ」

 そうして下を向いてしまった小さな少女と同じ高さになるように、大きな少女がしゃがみ込む。
 
「だから、その時はきらりがちゃあんと杏ちゃんを守ってあげゆ。
 友達として、お仕事のパートナーとして、それに……」


「それに……なに?」

「それにココじゃない、東京でのもう一つの家族として、
 きらりの知ってる杏ちゃんの良い所を、いっぱい、いぃっぱい!残さず全部お話してあげちゃうから! 
 それを聞いたらどんな人でも、杏ちゃんのこと悪く言う気持ちなんて、なくなっちゃうよぉ!」

 大きな少女が、オーバーな身振りを交えてそう言うと、小さな少女は小さく笑い。
 
「なら……もしもの時は、お願いしちゃおうかな。
 ま、まぁ、その前に、一応自分の力でも立ち向かってはみるけどさ」

「うんうん! これでまた、一歩、前進だにぃ! ……それじゃあ杏ちゃん、はいっ!」


 小さな少女の決意の言葉を聞いて、大きな少女が満足そうに頷いて立ち上がる。
 そして彼女が差し出した大きな手を、小さな少女の小さな手がしっかりと握り返す。
 
「……そう言えば、さ。家族ってことでふと疑問に思ったんだけど」

「んー? なぁに、なぁにぃ?」

「きらりってさ、この先誰かと結婚してからも、その喋り方を続けるの?」

 手を繋いだままで交わす他愛のない会話。小さな少女の質問に、大きな少女が顔を赤らめて恥ずかしそうに答えた。

「う、うっきゃー! け、結婚だなんて……あの、その、まだまだぜんぜん、早すぎるにぃーっ!」

「ちょ、ちょっときらりストップ! ゆ、揺れて気分が……うぷっ!」


 大きな少女が照れ隠しのため、つないだ手を大きく振る度に、小さな少女がふらふらとその体を揺すられる。
 
「ほらほら! 元気よくいっちに、いっちに! 腕を振って足を上げて、どんどん、歩いてこぉー!」

「分かった、分かったから少しは加減を、き、きらりぃ~っ!!」

 そうして二人の少女は、並んで同じ道を歩き出した。

 遠くから見ると、その姿は果てなく広がる舞台の上、二人きりのダンスを踊っているようにも見えて。
 彼女たちの頭の上にある、昼間の星空が、そんな二人の観客だった。


 エピローグ
 「二人きりの舞踏会」

===

 当初考えてたプロット。
 あんきら、出会ってアイドルデビュー→なんでもできてすぐに人気者になった杏より、
 中々目のでないきらりばかりをPが気に掛ける→杏の嫉妬から二人が喧嘩→仲直り、改めてユニットあんきら結成→おわり。
 
 現実
 なんとか杏はアイドルになったけど、同棲とか言い出したせいできらりが全然アイドルになれそうにない。ヤバい、終わらない。
 しかも当初の予定には影も形もなかった桃子先輩とか美希登場とか、ちひろ暗躍でどんどん話が大げさに。ヤバい、まとまらん。
 それとそれとぉ、きらりの口調をはっぴはぴ☆、させる余裕がぜーんぜん、なかったんだゆ! うっきゃー☆ やっばーい!
 
 そんなこんなで書きたいシーンをパズルを組み合わせるようにして出来たのが、今回の作品です。
 いや、長かった。あんきらの出会いとデビューを書きたかっただけなのに、そこまで行くのが長かった。
 
 後は勢いで登場したIMFでの美希との再戦の結果がどうなったかは、決めてないので熱く脳内補完を推奨します。
 自分にはそんな熱いライブシーンは書けません。ごめんなさい。

 他にも公式との設定の齟齬だとか、色々とあるとは思いますが、
 そこは例の、アイマスの世界観はみんなパラレルだって事で一つ、ご容赦頂けると幸いです。
 
 それでは無事にあんきらもデビューしたところで、今回のお話を終わりにしたいと思います。
 ここまで長々とお読みいただきまして、ありがとうございました。



 でもウサミンの時に勘違いしてた、AMFを訂正できたから良かったな。

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