【モバマスSS】双葉杏、王さまになる (147)
※ このSSには、オリジナル設定やキャラの崩壊が含まれます。
===1.「王さま、働かない宣言をする」
「そうか。なら今月もお前さんの給料は、少なくなっちゃうなぁ」
「だからさぁ。あれだけ曲を出して、グッズも山ほど売れて、ライブもお客さんが入ってるのに、
どうして杏の取り分がこれっぽっちしかないのか。その点をキチンと話し合おうじゃんって言ってるの」
「答えは簡単。曲が売れて儲かるのはレコード会社、グッズが売れて嬉しいのはグッズ屋さん。
ライブの方は他所よりも回数が少ないし、本気で不労所得を目指してるって言うんなら、
もう少しやる気を出して頑張ってくれないと……」
「うっ……が、頑張らなくても楽して儲けれるからって、
杏をアイドルの道に引っ張り込んだのはプロデューサーでしょ? これはそう、契約違反! 詐欺だよ!
だから訴えられたくなかったら、今すぐ私をここから帰すように要求する!」
そうだ、不当な労働環境には、不平不満を申し立てる権利が労働者にはあるはずだ。
私は宙に浮いた足をぷらぷらと揺らしながら、その事を目の前に立つプロデューサーに必死に訴えた。
SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1460385502
※ このSSには、オリジナル設定やキャラの崩壊が含まれます。
※ また、このSSは以前建てものの、書いている途中で話を続けるのが難しくなってしまった
『双葉杏「不労働賛歌」』のリブートになります。いわゆる、仕切り直しです。
けど、この冴えない風体をしたおっさんは私の話なんてどこ吹く風。
ポケットから装飾の入った缶を取り出すと、その中から飴玉を一つ取り出して。
「まぁ、そう言うなよ。飴でも食べて落ち着けって」
「ま、また物品で買収する気? そんな見え見えの懐柔策に何度も丸め込まれる私じゃあ……」
「あ、そう? なら、俺が食べちゃおうかなぁ。いやぁ残念、この飴美味しいって評判らしくてね。
お前さんに食べさせるために慣れないネットショッピング利用して、わざわざお取り寄せまでしちゃったんだから」
そう言って、にやにやと私を見つめるプロデューサー。
た、確かにプロデューサーの手に握られた飴は、市販の飴よりも気合の入った見た目をしてるし、
飴にうるさい私としては、その味が気にならないなんて言ったら嘘になるけど……。
プロデューサーの持つ缶の中には、宝石みたいにきらめく、色とりどりの美味しそうな塊がごろごろしてて。
ごくり、と私の喉が鳴る。そんな私の反応を確認してから、
プロデューサーは飴を自分の口に放り込むと、ころころと満足そうな顔で飴玉を転がし始めた。
「おほっ、こいつは旨いや。こりゃあ一人で食べるのは、やっぱり勿体ないかなぁ」
「…………っ!」
「でも、誰かさんは興味がないみたいだし。いやぁほんとに、こまったこまった」
そう言って首に片手を当ててから頭をかしげる、そのわざとらしい演技に腹が立つ!
初めて会った時から思ってたけど、やっぱりこのおっさんは性格が悪い。
そんな顔して見せつけるように食べられたら、こっちだって我慢できなくなるじゃないか!
「わ、分かった! 分かったから杏にもその飴食べさせて!
そんできらりにもいい加減私を下に降ろすように言ってやってよ!」
そうなのだ。私の139センチしかない小さな体は今、同僚の諸星きらりの手によって後ろから抱きかかえられ、
まるでペットの犬猫のように地面から遠く離れた空中に浮かされていた。
普段の私なら、「自分で歩かなくて良いかららくちんだね」なんて言うところだけど、移動と拘束じゃ、意味合いが全然違う。
「えっとぉ、どうすゆ? Pちゃん?」
私の頭の上から聞こえてきた、きらりのとろけるぐらいに可愛らしい声にプロデューサーが答える。
「悪いなぁ諸星。双葉の『分かった』ほど信用のならないセリフもないからさぁ……。
できたら出番が来るまではそのまま、コイツを見張っといて欲しいんだけど」
「お、鬼! 悪魔! ちひろさんでももう少し優しくしてくれるよ!」
「前回の件、出番ぎりぎりまで姿をくらまして昼寝してたのがよくなかったな。
あの時は俺もたっぷり絞られたからねぇ。悪いけど今回は、こっちも強硬手段を取らしてもらうよ」
そう言ってプロデューサーがまたニヤリと、意地悪そうに笑う。
「あ、あれはちゃんと始まる前には起きようとしたのに、目覚ましの奴が……!」
「目覚ましの奴が?」
「い、家から起こしに来てくれなくて、えっと……」
うぅ、私は一体何を口走ってるんだか。聞いてるプロデューサーも呆れた顔をしてたけど、
彼はポケットから新しい飴玉を取り出すと、なおも何かを言いかけた私の口の中にそれをむぎゅ、と放り込んできた。
「まっ、そういうことで後はよろしく。俺もまだ、やることがあるからさ」
「うぇへへ、きらりがバーッチリ☆ 任されたにぃ!」
きらりがピースサインで応えると、プロデューサーもひらひらと手を振って、「じゃあね」と楽屋から出て行こうとする。
きらりが私から目を離してくれないのなら、自分の出番がやって来るまではここから逃げ出すことも難しいだろう。
私は口の中の飴玉を転がしながら、悠々と部屋を出ていくプロデューサーの後姿を見送るしかない。
それにしてもちくしょう。この飴、ホントに美味しいじゃないか。
えぇいプロデューサーの奴め、このライブが終わったらこの飴を箱で要求してやるんだから、覚悟しといてよね!
だけど、恨みを込めた視線の先にプロデューサーの姿は既になくて。事務所主催の定例ミニライブ。
その出番を待つ楽屋できらりに抱えられたままの恰好で、私は静かに降伏のため息をついたんだ。
===
さてさて、時は吹き荒れるアイドルブームの真っ只中。
ちょっと見た目がよろしくて、女の子らしい愛嬌を少しでも持ち合わせていれば、
どんなに元が野暮ったかろうとそこそこのアイドルとしてやっていくことができる。そんな時代。
故郷の北海道にある中学校を卒業した私は、都内の高校に通うために単身、ここ東京の街へとやって来た。
そこでひょんなことをきっかけに知り合った、今のプロデューサーにスカウトされる形でこのアイドル業界へと
転がり込んだのはいいけれど。「こいつはヤバい所に連れてこられちゃったな」なんて後悔する頃にはもう遅い。
そこは有象無象のアイドル達がライバル相手にしのぎを削る、「超」がつくほど過酷な競争社会。
「働かなくても、売れれば印税で暮らしていける」なんて旨い話にまんまと釣られてしまった私にとって、
そんな生き馬の目を抜くように厳しい業界の現状っていうものは、まさに拷問に等しいわけで。
アイドルになってからは来る日も来る日もレッスンと仕事の反復の日々。
まさに金が欲しくて働いて、ねむ~るぅだけぇ。ホント、たまったもんじゃなかったのであーる。
いつしか純朴だった田舎娘も捻くれて、事あるごとに「杏は働かないって言ってるでしょ!」なんて毒づく始末。
それでもさ。私はなんだかんだと文句を言いながらもアイドル活動を続けていたんだ。
どうしてかって?
もう少し頑張れば、夢の印税生活に手が届くんだ。
そんなところで辞めちゃうのがもったいないってことぐらい、私だって理解はしていたからさ。
でも、「百里を行く者は」って言うじゃない?
物事ってのは何事も、自分で思い描くようには、なかなか進まないんだなぁ。
……コホンッ!
さて。これから私が語るのは、ワガママで、怠け者で……だけど、ちょっぴり寂しがり屋だったぐうたら王国の王様が、
胡散臭い魔法使いのおっさんと、優しい笑顔が魅力的なお姫さまと共に歩んだ、軌跡の物語。
物語の始まりはずっと昔。まだ私がアイドルどころか、東京にも来ていない。
まだまだこの世が自分中心で回ってると勘違いをしていた、
そんな恥ずかしい過去の思い出の時代まで、時間をぐーんと遡ることになるのだ。
===2.「王さま、失格になる」
恥の多い生涯を送ってきました……なーんて。
さっきも言ったけど、物事ってのはいつだって、思うようにはいかないんだよ。
神童って言葉、あるでしょ?
そうそう、小さい頃に周りと比べて、飛び抜けて勉強やスポーツができるっていう、アレのこと。
そりゃまぁ、小さな頃の私は優秀で、同年代の友達と比べても頭の回転は悪くなかったし、運動だってそこそこできてさ。
まだ皆が習ってもない難しい漢字を読み書きしたり、ちょっと上の年齢向けの本も格好つけて読んでみたりしてね。
まぁこの辺は、父親の影響が強かったんじゃないかって、今になったら思うんだけど。
とにかく当時の私を見る大人の目ってのが、まさに「神童」の言葉通りの子供を見る目、そのものだったの。
だから私が年に似合わない、ちょっと友達よりも進んだことをするたびに、周りの大人たちは手放しで褒めてくれるわけ。
やれ杏はあれができた、それ杏はこれもできた、
きっとこの子は将来優秀な人間になるに違いない!……なんて。調子いいことばっか言っちゃってさ。
でも、そんな幼年期の経験なんて、あっという間の話。
学年が上がって、小学校も卒業しちゃえば、周りのレベルもどんどん私に追いつき始めるんだよ。
私が褒められていい気になってる間にさ、皆は少しづつだけど努力して、前に進んでいくんだもの。
そんな彼らがいつの日か、ちやほや周りから持ち上げられて天狗になってる、
歩みを止めた私の隣に並ぶのなんて、分かりきってたことのハズだったんだけど。
中学校生活を半分も過ぎて、自分の勘違いに気がつく頃には手遅れもいいところ。
私の成績なんて、下から数えた方が早いほどに落ちこぼれてたんだから、笑えない。
そこからがまた酷いもんだよ。「こいつはマズいぞ」なんて本腰入れて勉強しようにも、
その勉強の仕方が分からない。分からないところが、分からないんだ。
「私ってこんなにもバカだったのか?」なんて、あの時の私は思ってたっけ。
とにかく、相当なショックだったのは確かでさ。
それまで、ただ「なんとなく」で生きてこれた私。
なんとなくで優秀な成績がとれて、なんとなくで運動もそこそここなせて。
でも、「なんとなく」じゃ、ダメなんだ。
人に褒められ、認められたいなら、そのための努力を怠っちゃ、いけなかったんだよね。
それからしばらくの間は、ホントに必死だったよ。
そこで初めて、私は私なりに遅れを取り戻そうと頑張ったんだ。
……けど、結果は散々。
努力はしない、忍耐もない。面倒くさいこともやだやだパスパス……
そうして無駄に過ごして来た数年間を、たった一年や半年足らずで、取り返すことなんて出来やしない。
頑張れば頑張るほどに、身に染みて分かっちゃうの。
普段から頑張ってた人達との間に一度ついちゃった差ってやつは、そう簡単に縮むことはないんだってことに。
そうするともうやる気も何も続かなくってさ。幸いにもウチは、お金だけはある家だったから。
周りについていけないなら、母親の希望通りに進学校なんて目指さないで、普通の公立や、
いっそのこと流行りのニートになってみるのも良いかもしれないな、なんて考えたりもしたよ。
追いかけて追いつけないなら、初めから追いかけない。
私は私のやり方で、行きたいところまで連れてってもらうことにするよ……ってね。
===
そうしたら、人間ってのは不思議だよ?
高くしすぎた目標を、「まぁ、これくらいでいいや」って低く設定し直すと、途端に気が楽になるんだもん。
親の意見も、進学校も知るもんかっ! って一旦自分の中で決めちゃうと、
それまで悩まされてた受験や期待に対するプレッシャーもすっかりと感じなくなっちゃって。
いつしか私はだらだらごろごろ。勉強もそこそこに、日々をぐうたら遊んで過ごす、健康優良無気力少女に逆戻りしてたんだ。
すると、当然ウチのお母さまが黙ってないわけ。私と顔を合わせるたびに、「やれば出来るのに、どうしてアナタはやらないの!」
「他のお友達はみんな有名な進学校を目指してるのに!」なーんて、お決まりのセリフを並び立ててくるんだもん。
もうね、うんざりだよ。
だからある日、私も面と向かって言ってやったんだ。
「杏は残念ながら、やっても出来ないお子様でした。アナタの期待に応えられなくてごめんなさい」ってね。
その時の騒動の凄まじさったら……あれだけウチの母親が怒鳴り散らしたのを見たのなんて、なにせ初めてだったからさ。
でも、それと同時に分かっちゃったんだよね。
杏はあの人にとって、「出来の良い娘」であり続ける必要があったんだってことに。
結局、その場は私が父の提案を受け入れることで、一応の収まりがついたんだけど。
その条件っていうのが、「高校進学と同時に家を出て、一人暮らしを始める」こと。まぁ、しょうがないよ。
あのまま一緒に暮らしてたら、遠くないうちにあの人か私の、どちらかが先にまいっちゃうのは目に見えてたもん。
要は、母親と物理的な距離を取りなさいってことだったけど。
本当はもう一つ理由があって、私の余りのだらけっぷりに将来を心配しての提案でもあったらしい。
普段は私のことなんて気にもかけて無い様子だったくせに、そういうところは、ちゃっかりしてるんだから。
後からこの話を聞いた時には、大人ってずるいと思ったね。……まっ、その話は今は関係ないから置いといて。
ただ、さ。なんでも親の言う通りにハイハイ言うのも癪だから、私もその条件に注文を付けることにした。
それが、「一人暮らしはする。でも、進学するなら都内の高校がいい」
「それに、向こうでの生活にはお金がかかるだろうから、ちゃんと仕送りもして欲しい」って注文。
そうしたらあの人、自信ありげな顔してたった一言、「分かった」だもん。
母親曰く「出来の悪い娘」が、もしかしたら高校に受からないかもしれないなんて可能性、考えちゃないんだよ。
むしろ私は、「お前に受験を失敗するなんて勇気があるのか?」って逆に言われてるみたいでさ。
見透かされるってのは、こういうことを言うんだな、なんて考えた後で、
なんだかんだ言ったって、これが親ってヤツなのかな……って妙なところで感心したりしてたんだ。
まぁ、本人にはこんなこと、絶対に言ってあげないんだけどさ。
===
「まったく……どんなお金の使い方だよ」
目の前に広がる光景を見た、私の口から思わず呆れとも感嘆ともつかない感想がこぼれる。
そうして私は、ここまで必死こいて引きずって来た大きなスーツケースを床に放り出すと、
改めて部屋の中を――これから一人で暮らすことになる、都内のマンションの一室――見回した。
汚れ一つない真新しい壁紙、ワックスでピカピカに磨き上げられたフローリング。
主婦の喜びそうな機能的な台所に小奇麗な洗面台、そして大きなお風呂。
しかも部屋には最初から最新式の家電一式まで用意されているんだから、まさに準備万端、至れり尽くせりの用意の良さだった。
それもこれも、全ては父が手配した事。
高校に受かったと私が両親に伝えてから数日後、「合格祝い」だと父から手渡された一冊のパンフレット。
それは、私が通うことになる高校からほど近い場所に建てられた、とあるマンションの物だったんだけど。
「だからって合格祝いに、マンションなんて買うかね。普通」
それが、その時の私が感じた、素直な感想。
でもまぁ、私も理屈は分かってるつもりだ。高校、そして大学に行くかどうかは分かんないけど、
長くこっちにいる気があるなら毎月の家賃を負担するより、思い切って部屋を買った方が将来的にはお得ってわけ。
人に聞かれたら親バカが過ぎる、甘やかしすぎだ! なんて言われそうだし、
事実、昔から父は私に甘く、どんなワガママでも最後には条件付きで聞いてくれるのがお約束だった。
だけど、今回あの人が私にここまでしてくれたのには、私の行動に釘を刺す意味もあると思うんだよね。
つまりさ、「そのうち家に帰る」って選択肢を、私は選ぶことができないってこと。高校も、大学も、そしてその後も……。
あの日の出来事以来、私と母の仲は険悪なままだったし、父からしたらこれでも精一杯のはなむけのつもりなんだろう。
それは、二人の関係が改善されるまで……何年かかるかは分からないけど、
さすがに今すぐどうこうするという話には、まぁならないよね。
そこまで考えてため息をつくと、私は腰に手を当てて、
辛気臭い気分を無理やりにでも変えようと、これからの新生活について思いを馳せる。
今や私も、一国一城の主。このお城、いや、王国かな?
なにはともあれ、これからは誰に小言を言われるでもない、気ままな一人暮らしが始まるのだ。
親との関係や、将来の生活なんて面倒事はこの際置いといて、今を楽しまないと損じゃないか。
「…まっ、なるようになる、か」
こうして、私の東京での生活が始まって……それは同時に、新たな出会いの幕開けでもあったんだ。
===幕間劇「少女は、お姫様の夢を見る」
ちっちゃな頃の私の夢は、おとぎ話のお姫様! キラキラ輝く綺麗なドレスに、アクセサリーをたぁくさんつけて。
森に棲んでる、小さくて可愛い動物さんや、小鳥さんたちと一緒に、
皆で毎日、笑顔で過ごせたら、それってとっても素敵なことだと、思わないかな? かな?
でもねぇ、がっかりしちゃうことだけど、私はお姫様じゃなかったの。
そもそもお家はお城じゃないし、周りに王子様だっていないもん。
いくら毎日夢見ても、それじゃあ憧れのお姫様には、なれないよねぇ。
しっかーし! 夢を諦められなかった私は、気持ちだけでも憧れに近づくために、お洒落に興味を持ちました。
素敵なドレスや舞踏会は身近にないけれど、可愛いお洋服やアクセサリーなら、
手に入れることができたし……簡単な物なら、自分で作っちゃうってことも出来たから!
だから小学校の頃の私は、クラスの女の子達の中でも結構な人気者。
いつも可愛いお洋服を着て、オリジナルのアクセサリーの作り方をお友達に教えてあげたりして。
そんな毎日はとぉっても楽しかったけど……私は、ついつい忘れちゃってたんだ。
夢は、どこまで行っても夢でしかない。夢はいつか、覚めるものなんだってことに。
===
きっかけはそう、小学校の高学年になる頃から急激に伸び始めた、私の身長のせい。
それまでもクラスの中では、少し、ほんとにすこぉしだけ大きかった私の背は、ある時期を境にして一気に高くなっちゃった。
パパやママは「成長期なんだよ」なんて言ってたけど、
まるで悪い魔法使いの魔法にかかっちゃったみたいに、日に日に大きくなっていく私の身体。
いつの間にか身長はクラスだけじゃなく、学年で一番高くなっちゃうし、
お気に入りだったお洋服は小さくなって着られなくなっちゃって。
最初の頃は皆よりも早く大人に近づいた気がして、恥ずかしくも嬉しかった気持ちも、
小学校を卒業する子には、すっかりしぼんじゃってたの。
だって、私を見る皆の目が、少しずつ……少しずつ、変わっていくのが分かったから。
でも、しょうがないよねぇ。
だってクラスに、自分よりも頭一つも二つも大きな子がいるんだよ?
男の子達は巨人だとか、怪獣だってからかうし。
そんな私を、仲の良かったお友達は庇ってくれてたけど……ある日、事件は起きました。
踊り場に響く大きな泣き声。ざわつく野次馬に、慌てた様子で右往左往する先生たち。
そして、騒ぎの真ん中で呆然と座り込む……私。
目の前では、クラスの男の子が床に転がったまま、足を抑えて泣いていた。
ぼぅっとした頭で、「大丈夫?」って手を伸ばそうとして、気がついたの。
その子が凄く怯えてることに。私を見て、怯えてたの。
私が、彼を、怯えさせてたんだ。
なぜか? 答えは簡単、私が、怪我をさせたから。
階段から転げ落ちるときに、彼を巻き込んで……下敷きにして。
結局、男の子は足を骨折。私はというと、この大きな身体と……
下敷きした彼がクッションになって、大した怪我もしてなくって。
そしてこの日から、誰も表立って私をからかうことはしなくなった。
けどね、同時に私の周りには、誰も近寄らなくなっちゃったの。それは、あれだけ仲の良かったお友達も一緒。
すると、からかわれるかわりに、今度は視線が私を苦しめ始めたんだ。
どこにいても、誰かの視線が、不安に怯える視線が、私を刺すの。
今度はもう、誰も庇ってはくれない。
お姫様に憧れていた少女は、呪いによって怪物へと姿を変えて……一人ぼっちに、なったのです。
以前から読んでいて下さった方々に、もう一度ご迷惑をおかけしたことをお詫びします。
とりあえず、今回はここまでです。お手数をおかけして本当にすみませんでした。
>>7 訂正
× 彼はポケットから新しい飴玉を取り出すと、なおも何かを言いかけた私の口の中にそれをむぎゅ、と放り込んできた。
○ 彼は持っていた缶から新しい飴玉を取り出すと、なおも何かを言いかけた私の口の中にそれをむぎゅ、と放り込んできた。
>>26
×下敷きした彼がクッションになって、大した怪我もしてなくって。
○下敷きにした彼がクッションになって、大した怪我もしてなくって。
===3.「王さま、ぐうたら王国」
テレレッテ、プルルップ……いつか聞いたことのある、気の抜けたラッパの音で私は夢から起こされた。
ベットの中で丸まっていた体を猫みたいにゆっくりと伸ばすと、枕元へと手をやって目覚ましを止める。
ぐうたら王国に住む、王様の朝は早い。
二度寝しそうになる頭に活を入れたら、私は自分の体には十分すぎる程の
広さがあるベットから降りて、まだ重たい瞼を擦りながら洗面台へ向かう。
大きな口から出るあくびを隠すこともなく、蛇口から出てくるお湯で顔を洗って、口をゆすいで。
ハンドタオルで濡れた顔を拭いたら、鏡にはまだ寝ぼけた表情の自分が映ってた。
「……こりゃまたひどいや」
にやりと口の端を上げて、鏡の中の自分に挨拶。
そのぼさぼさの頭は見事に寝癖だらけで、まるでライオンのたてがみのように跳ね回っていた。
目元にうっすらと出来ているクマは、遅くまでゲームをして遊んでいたのが原因かな。
でもでも、そうのんびりとはしちゃいられない。顔を洗い終えたなら、今度は朝食の準備が待っている。
私は台所へ移動すると、買い置きの食料置き場から取り出した食パンをトースターに放り込み、
トースターがいい具合に焦げ目をつけている間に、今度はフライパンを火にかけて。
ぱちぱちと温まった油が跳ねだせば、私は用意しておいた卵を片手に持ってポーズを決めた。
それから「ふっ」と息を吐きながら、卵を調理台の角にこつんとぶつける。
「秘技・片手たまご割り。てやっ!」
大げさな動作で卵を割ると、熱された鉄板の上に落された中身がじゅわっと音をあげて固まっていく。けど、焼き過ぎはダメ。
お月さまみたいに丸い黄身は、半熟で。それが、王様流だって教えられてきたからね。
そうこうしている内に、「チンッ」と音を立てて食パンが焼きあがる。
私はアツアツのトーストにバターを塗ると、出来立ての目玉焼きと一緒にお皿に乗せて。
小さなテーブルの上に、牛乳の入ったコップと共に並べたら、朝ごはんの準備はばっちりだ。
「いただきます」
ゲーム雑誌を読みながら、サクサクしたトーストを齧る。
私の口の動きに合わせてぱらぱらとパンの粉が落ちていくけど、
口うるさく注意する人なんていないから、今更お行儀なんて気にしちゃいない。
時折、私が鼻をすする音以外は静かな朝のワンシーン。
とろりと黄身が流れ出る、最高の半熟目玉焼きも平らげると、
私は朝食の最後を牛乳で締めて、食器を片付けるために立ち上がった。
とはいえ、食器を片付けると言ったって、私は命令を下すだけ。
王国一の勤労者である洗浄機君に食器を任せると、着ていたパジャマ代わりのシャツを脱ぎ捨て、
まだ少し大きな制服に袖を通したら、もう一度洗面台へ移動する。
歯磨きをして、腰よりも長い髪をブラシを使ってざっととくと、後はそのままヘアゴムで簡単にまとめて。
寝起きよりは多少マシになったたてがみだけど、それでもまだだいぶ、ターザンみたいにあちこちぴょこぴょこと飛び跳ねていた。
そういえばこんな風にいつもぼさぼさした髪型だから、「身だしなみには気を使いなさい」ってよく怒られてたっけ。
最初の頃は言われた通りにちゃんと直すようにしてたけど、いつからか私は、ここまで伸びた髪を
毎朝まっすぐに直すのは面倒だって言い訳して、身だしなみに気を使わなくなったんだよね。
長い髪をセットするのが大変なら、なんで手入れしやすいように髪をもっと短くしないのかって?
……昔さ、理由はよく分かんないんだけど、私が髪を短くすると「男の子」と勘違いする人が一杯いたんだよね。
とにかく、そんな勘違いに対していちいち訂正を入れるのにうんざりした私は、
一目で女の子と分かるように、髪を伸ばし始めたってわけ。
以上、私の自分語りは終わり! 忘れてたけど、学生の朝は忙しいのだ。
こんなことに使ってる時間は、そうそう余ってないんだよ。
それからその他もろもろ、朝の身支度を済ませた私は学校へと行くために鞄を持って靴を履いて。
「……行って来ます」
誰もいない部屋に向かって呟くように声をかけてから、玄関を出る。ここまでが、私の毎朝の光景。
一人暮らしなんだから返事が返って来ることはないんだけど、習慣というものは簡単に変えられない。
それはある意味で、私の心を守るおまじないでもあったんだ。
===
まっ、大体こんな感じで平日は学校に通い、家に帰ってくると家事や宿題をこなしてから、後はゲームやネット、
漫画やアニメなんかの、思いつく限りの娯楽(ただし、インドアに限る!)をして日々を過ごす。
そして休日になれば、とうとう家事もほったらかして。袋菓子を片手にだらだらとした時間を過ごすことに全力を向ける。
花の十代。それもうら若き乙女が送るには、余りにも実りのない生活だったけど……別に、いいんじゃない?
この部屋の中に入れば、必要以上の人付き合いなんてしなくていいんだもん。
そんな半ば世捨て人みたいな気楽な毎日を、私は思う存分エンジョイしてたんだ。
まさにここは、杏にとっての理想の王国そのものだったってわけさ。
===4.「王さま、赤い夢をみる」
手渡された紙に赤いペンで書きこまれた数字が、私の存在価値を表していた。
ふと感じる気配に振り向けば、後ろには沢山の小さな影。
その影が手を伸ばしながらこっちに近づいて来るもんだから、私は短い足を懸命に動かして逃げ出すんだ。
でも、影の奴はずるいんだよ。
走ってるうちに、どんどん成長していって。あっという間に私なんかよりも大きくなっちゃってさ。
そうなったら、足の長い向こうの方が、一歩が大きくなるのなんて当然じゃん?
だから、影の追って来るスピードは時間と共にどんどん速くなる。
私も必死に足を動かすんだけど、だめなんだ。
そのうちに息が苦しくなって、逃げるのに疲れた足もとうとうもつれて転んじゃって。
すると一人、また一人。倒れた私に見向きもしないで、影達が凄いスピードで駆け抜けて行っちゃうんだよ。
誰一人、振り返らないし、倒れてる私に手を差し伸べる事もしないでさ。
気づいたら、逃げてたはずの私が、今度は皆を追いかけてるんだ。
でも、この小さな体じゃとてもじゃないけど追いつかなくって。
あれだけ仲の良かった子でさえ、他の皆と同じだ。
口では「××××」なんて言ってたけど、結局最後には、私を置いて行ってしまった。
それで、私は追いかけるのを止めて立ち止まるんだ。肩で息をしながら、こんなことを考えるの。
「私の身体も皆と同じように、もう少しでも大きくなれてたのなら、こんな思いはしなくてもすんだのかな?」なんて。
……どうなんだろう?
いつかその答えを、見つけられるといいんだけどな……。
===
夢見の悪い目覚めっていうのは、こういうことを言うんだろう。
悪夢の続きを見るようにじんわりと瞼を開くと、私は転がりなれたベットの上に
仰向けになったままで、まだ薄暗い部屋の中、ぼやっと視界に映る天井を眺めていた。
自分しかいない家、王様しかいない王国。
辺りを包む静寂が、私が置かれている状況を浮き彫りにして。心がざらざらとざわつき始める。
これはそう、私、寂しいんだ。
自分以外、周りに誰もいないことから感じる孤独――ざわつきの正体に気づいた途端、胸の動悸が激しくなった。
もがこうにも、体が思うように動かせない。
気持ちがどうにも焦りだして、背中に嫌な汗が浮かぶ。
そうしていてもたってもいられなくなり、何かを求めるように天井へ向けて伸ばした両手は何を掴むこともなく。
私の心の中からワケも無い焦りが沸き上がり、思考の中の落ち着きを奪い去っていく。
暗い感情を振り切るように起こした体が、呼吸の度に荒く揺れる。全身から噴出した汗が気持ち悪い……。
胸の底から、嗚咽が漏れる。体の震えが止まらない。
私は鋭く刺さる寂しさから守るように、自分で自分の体を抱きしめた。
噛みしめる唇の痛みと、肌に突き立てる爪の痛みが、私の心を妙に安心させてくれる。
……どれくらいたったのかな。
心地いい痛みのお陰で、私はようやく落ち着きを取り戻した。
それからぐっしょりと濡れた肌着を着替えると、ベットの中にもう一度飛び込む。
ぎゅっとつむった瞼の隙間を、溢れ出た切なさがじんわりと熱くして、きつく抱きしめた枕に吸い込まれていく。
怯えて震える子供のように小さく小さく丸まった私は、そうしてそのまま、朝が来るのを待ったんだ。
ここまで。
===5.「王さま、お出かけひと騒動」
「ふぃー……ホント、今日が休みで良かったよ」
大きなため息と一緒に吐き出した私の独り言が、浴室の湯気に溶けていく。
夜中に見た夢のせいでたらふく汗を掻いていた私は、朝が来るなりベットから飛び起きて、
そしてそのまま、お風呂に入ることにしたんだ。
汗のせいでべたべたと気持ちの悪い体をシャワーで流したら、大人二人が余裕で入れるほど、広い浴槽に浸かって。
のんびりと体を漂わせていたら、もやもやとした気持ちや悩み事が体から出て行くような気がして、気持ちがいい。
この心地よさはそう、ふかふかのお布団にくるまれている時に感じるものと、少し似てる。
だからお風呂の準備は面倒だけど、私はお風呂が好きだった。
浴槽の縁に体を預けて、私の体の分だけ溢れ出たお湯が排水溝へと吸い込まれていくのを、意味もなく眺めながら考える。
そういえば、一人暮らしを始めてからは、休日と言っても家で過ごすことが多かった。
珍しく今日は朝からお風呂にも入ったんだし……たまには、外に出てみようかなぁ。
「……お出かけ、かぁ」
口に出してみたものの、いまいちどうもピンと来ない。
それはつまり、どれだけ普段の私が外出と縁の無い生活を送っていたかという事を表してたんだけど、ね。
「まぁ、変じゃない……よね?」
滅多に使わな姿見の前、珍しく余所行きの服で着飾った自分の姿を見て、自信なさげに私はつぶやく。
普段は襟のよれたシャツ一枚で過ごす休日。
でも、今の私はそんなシャツの上からジャケットを羽織り、下にはちょっと大きめのズボンを履いて。
今回は朝風呂に入ったついで、慣れないドライヤーを片手に悪戦苦闘することしばらく、
鏡に映る私の髪も、いつものたてがみに比べたら幾分かまっすぐだし。まっ、大丈夫でしょ。
お財布持って携帯持って、トントンとシューズを履くと、
私はいつか買った安物のキャップをかぶって玄関を開き、振り返ることなくそのまま外へ出る。
「さぁて、どこに行こうかなっと」
時間は、十分にある。私はジャケットのポケットに手を突っ込むと、とりあえず駅に向かって歩き出した。
===
学校へ向かういつもの通りを抜けて、駅についたら電車に乗って。
そうして何とはなしに決めた目的地に着くころには、私はすっかり後悔してた。
なぜって? そりゃ、私の目の前を埋め尽くす人混みを見れば、理由なんてすぐに分かるんじゃないかなぁ。
とかく、私は甘かった。東京にやって来てすぐに巻き込まれた、あの休日の人混みの恐ろしさを忘れてたんだ。
基本は通学と近場のお店に買い物に行くぐらいしかしてなくて、普段からそんなに外を出歩かない私にとって、
この荒れ狂う海のようにうねった人波の中を進んでいくのは、随分と堪えるものがある。
駅を出てからものの数分。
私の頭に、「もう帰っちゃおうかな」なんて考えが浮かんでくる程には、
この人混みによって心が折られかけていたと言っていい。
なんて根性の無さだと笑いたい奴は、笑ったらいいさ。
反論する気力もない今ならば、その嘲笑も甘んじて受け入れようじゃないか。
「大体さぁ、杏が外で遊ぶってのが、そもそも無理があったんだよ……」
そうなのだ。ここまでやって来てから気がついた、この「お出かけ大作戦」最大の問題点。
これまでずっとインドア生活を送って来た私に、まともな外遊びのやり方なんて、分かるわけがない。
欲しくもない物を眺めてショッピングするぐらいなら、そのお金でゲームに投資するし、
カラオケやらボウリングやら、そういった娯楽施設を一人で利用する気だってさらさら無いんだもん。
一応、映画を見るって選択肢ぐらいはないこともないけど……できることなら、映画は転がって観たい派なんだよね、私。
さてこうなると、自然と私の向かえる場所は限られてくるわけで。
気がつけば私は、溢れ出る電子音と喧騒に包まれた憩いの場……
ゲームセンターへとやって来ていたのであった。あぁ、なんて情けない。
「これじゃあ、普段とあんまり変わんないなぁ」なんてぼやいてみるけど、
だったら日頃からもっと外出して、経験値を積みなさいってことだ。
それでも私は財布の中身から小銭を取り出すと、お店の中を見て回る。
初めて訪れるお店は、こうしてどんなゲームが置いてあるか最初に確認していくのが楽しかったりするのだ。
そうすると案外、珍しい筐体や魅力的な景品が、あったりするんだよね。
===
「よぉし……いい加減、決着をつけようじゃあないか」
お金を入れられたクレーンゲームの筐体が、ピロピロと陽気な音楽を流しながら動き出した。
私はというと、まるでアクション映画の悪役のようなセリフを呟きながら、
握っていたレバーを操作して三本爪のアームがついたクレーンを慎重に動かしていく。
これまで、何度も繰り返した手順。位置はばっちり、今度こそ上手くやれるハズ。
祈るようにボタンを押すと、アームがその爪を開きながらゆっくりと下に降りてって……。
狙いすまして閉じられた爪の先が、とうとう獲物の隙間に引っかかる。
ふふっ、良いぞ良いぞ。そうだ、そのまま持ち上げられてこっちへ……だが、爪の差し込みが甘かったのか。
持ち上げられた景品は取り出し口まであと少しというところで、ポロリと下に落ちてしまった。
「こ、コイツ。往生際の悪いヤツめぇ~っ!!」
気分はまさに、追い詰めたハズの相手をすんでのところで取り逃がした悪党の親玉か。
私は悔しさに震える手を握りしめると、目の前のヒーロー……もとい、
アームの拘束からまんまと逃れた一体のぬいぐるみを睨みつける。
そいつは「ぐったり」って言葉がぴたりと似合う、なんともゆるい表情をしたぬいぐるみ。
うさぎを模した全身はピンク色。お腹周りが白いポケットになっていて、
私は丁度そのポケットと体の間にできたわずかな隙間に、狙ってアームを差し込んだんだ。
皆も知ってるとは思うけど、クレーンゲームの景品を取る方法は大体二つ。
一つは、正規の取り方……普通にアームで景品を掴み、そのまま取り出し口に持ってく方法。
でもこれは、アームがちゃんと「景品を掴める強さ」を出してないと成立しない。
そしてその「景品を掴める強さ」ってのは、ゲーム側で決められてるのだ。
だから、向こうがその気にならない限り、アームはずっと「景品を掴めない強さ」のまま。
景品が欲しいなら何度も挑戦して、その「掴める強さ」がやって来るのを待つしかない。
けど、そんなことしてたらいくらお金があっても足りないじゃない? ここで、もう一つの方法の出番ってわけ。
それが、アームについてる爪の先を、景品の隙間や景品についてるタグの輪っかに差し込んで取る方法。
こっちはアームで掴むんじゃなくて、無理やり引っ掛けて持ち上げるわけだから、「掴む強さ」は関係ない。
上手く狙った場所に差し込みさえすれば、余程のことがない限り、ほぼ確実に景品を取ることができるんだ。
ただ、その分難易度は普通に掴むよりも格段に高い。なんたって数センチも無い小さな隙間を狙うんだからね。
気が付いたら結局、もの凄い額のお金を投入してる……なんてこともよくある話だ。
……で、この時の私はどうなんだって言うと。
もうね、ここまで来ると意地と意地とのぶつかり合い。
取る側の私と、取られる側のヤツとのチキンレースだよ。
それまでにつぎ込んだ金額と、このぬいぐるみが釣り合いを取れるかどうかなんてもう関係ない。
ここで引き下がっちゃあ、私はクレーンゲームに、そしてこのぬいぐるみに負けを認めることになる。
ただそれだけの理由で、私は不毛な争いに身を投じていたんだ。
「よぉし落ち着け……冷静になれよ、杏。今のヤツの位置は、
誰がどう見たってゲットするまで後一、二回って距離だ。ここは、クールに行こう。うん」
私はやっとの思いでずらして来たぬいぐるみを見てそう呟くと、
今のプレイで使い切った百円を補充しようと、本日何度目かになる両替のためにその場を離れる。
いくら銃があったって、打ち出す弾がないんじゃ戦いにはならないからね。
待ってろよ、ピンクラビット。私がこの百円玉で、お前を必ず仕留めてやるぜぇ……
なんて気分を盛り上げながら、両替を待つ間にチラリと筐体へ目をやった時だ。
「うぇへへ、かわゆいうさちゃん、ゲットだにぃ~☆」
さっきまで私がプレイしていた筐体の前に立つ、一人の女。
そしてその腕に抱かれてるのは、今の今まで私を悩ましていたあのうさぎのぬいぐるみ。
「こいつ、一体何してるんだ?」なんて思うまでもない。
一瞬だけポカンとした私だけど、事態を飲み込んだらすぐに動き出す。
これはアレだ、あと少しで取れそうな景品を後からしれっと横取りしていく、ハイエナ行為そのものだ!
「あ、アンタ! そいつは私が取ろうとして……!」
怒りに任せて文句の一つも言ってやろうと両替したての小銭を握りしめ、彼女を指さしながら近づいて行った私だけど、
徐々に感じる妙な違和感。そしてその違和感の原因に気がつく程に近づいた時には、私の足は完全に止まってしまっていた。
「う、うにゅ? 何かな何かなぁ?」
ぬいぐるみを持った女が、不思議そうな顔で私を見下ろす。それ自体は、別に良い。
私は自分の背の低さを知ってるし、他人から見下ろされるのにも慣れたもの。
「いや、それ……私が……」
しかし、しかしだ。
その場に停止した私は突き出した指を引っ込めることも忘れて、ただただ唖然とした表情で彼女を見上げてた。
そしてその時に私が考えてたのは、「こいつ、ホントに女なのかな?」だ。
随分と失礼なことを考えてたと思うだろうけど、
皆も私と同じ状況になったとしたら、まぁそれも仕方ないと納得したと思うよ。
だってさ、目の前に立つ彼女は、私よりも遥かに身長が高くって。
どれくらい高いかって言うと、見上げる私の首がほとんど真上を向いちゃうくらい。もう、びっくりだよ。
それは明らかにその辺にいるお客の誰よりも頭一つ飛び抜けていて……
女の人でここまで背が高い人、私は今まで見たことが無かったからね。だから一瞬でも、
背のたっかい男が女装してるとか考えちゃってもさ、別にぜんぜん、おかしくはないじゃないか。
「えっと……それって言うのは、このぬいぐるみのことかにぃ?」
でも、頭の上からかけられる甘ったるい声と、頭ん中が
とろけてるんじゃないかって疑うほどに変な口調のせいで、そんなバカげた考えはすぐに否定される。
そして私がなおもその見た目の衝撃と言動のギャップに圧倒されていると、
次に彼女はその場で膝を折り、私と同じ目線の高さまでしゃがみこんだ。
それから彼女は、例のうさぎと私のことを交互に見比べて。
「もしかして、もしかしてだけど……横取りとか、しちゃった?」
彼女の視線が、私の手に握りしめられた百円玉を見て止まる。
すると彼女はぬいぐるみを抱いたまま、困ったように眉をハの字にすると、小首をかしげてそう言ったのだ。
「そ、そうだよ! そのぬいぐるみは、最初に私が狙ってたの!
あと少しで取れるところでお金が無くなったから、両替に行ってただけなんだよ!」
「言われてみれば確かに、この子はスゴく取りやすい位置にあったにぃ」
私の説明を聞いた彼女は「そっかそっかぁ」と頷くと、
今度は「はいっ」とその両手で持ったぬいぐるみを、私に向けて差し出したんだ。
「え、なっ何っ?」
「ホントなら、このうさちゃんをゲットしてたのはアナタだよね? だったらぁ、きらりはこの子を持って帰れないなぁって」
その思いがけない行動に、思わず面食らってしまう私。
「あー……。別に私は、そういうつもりで言ったんじゃ……」
「いいのいいのっ! お姉さんは、自分の分は自分でちゃあんと、取るからにぃ!」
彼女が私にぬいぐるみを押し付けると、まるで小さな子供にするように、私の頭をよしよしと撫でる。
「な、何すんのさ!? 止めてよっ!」
でも、急に頭を撫でられて驚いた私が彼女の手を払いのけると、彼女は「にょわ!」なんて変な声で驚いて。
「ご、ごめんねぇ。びっくりさせちゃったかな?」
「当たり前でしょ……いきなり知らない人に頭なんて撫でられたら、普通は誰だって驚くよっ!」
私が少し、強い口調でそう言うと、彼女の表情がさっと曇る。
あ、あれ? ちょっと待ってよ。私なんか、変なこと言ったかな?
まずい。なんだかよく分からないけど、この状況は非常にまずい気がするぞ。
そして案の定、彼女は曇った顔のまま下を向くと、今にも泣きだしそうな声で「ごめんなさい」と呟いた。
この状況を一体どうしたものか? おろおろと狼狽える私の脳裏に、
これからの自分が取れそうないくつかの選択肢が浮かんでは消え、浮かんでは消え。
最悪、目の前の彼女を放ったらかして逃げてしまおうかとまで考え出したとき、
ようやく彼女が伏せていた顔を上げてこちらを向いた。
「きらり、まぁた失敗しちゃったにぃ。怖い思いさせちゃって、本当にごめんなさい」
自分の頭をこつんと叩く仕草をしながら、「うぇへへ」と笑う彼女。
「それからそれからぁ。怖がらせちゃったお詫びに、これあげゆ! おいすぃ飴だから、良かったら食べてみて☆」
そう言って彼女は持っていた鞄から、カラフルな包装で包まれた飴玉をいくつか取り出すと、
私にそれを握らせてから立ち上がった。そうして再び彼女を見上げることになった私に、「バイバイ」と手を振ってから離れてく。
でも、その離れてく小さな背中は。
「ま、待ってっ!」
私の声に、彼女が驚いて振り返るけど……まずい、あんまり気の毒に見えたから思わず声をかけちゃったけど、
咄嗟のことだからこの先のことを何にも考えちゃあいないぞ。
「えっと、なに、かなぁ?」
彼女が、私の次の言葉を待っている。あぁヤバい、どうしよう?
と、とにかく何か……そう! ぬいぐるみと、あと飴玉のお礼とか、いや、お礼っていうか。
「そ、そう! お礼っていうか、お詫びだよ! 私にこんなことしといて、飴玉だけで済むとは思わないでよね!」
「えっ!? えっ……?」
「あ、いや、そうじゃない。ごめん、違うんだ。えっと、えっとぉ……」
だぁぁぁっ!! 何を言ってるんだ私は!? これじゃあまるで、彼女をゆすってるみたいじゃないか!
違う、違うんだよ。私が言いたいのは、私が彼女に伝えたいのは……!
「だから、私も知らない人から貰いっぱなしじゃ気分が悪いの! それにこのぬいぐるみをずらしたのは杏だけど、
最終的に手に入れたのはそっちなんだから、しょ、所有権だってホントはアンタにあるわけで!」
「う、うみゅ……?」
「とにかく、このぬいぐるみはアンタに返す! 私の方こそ欲しけりゃ自分で、勝手に手に入れるからさ!」
そう言って私がポンと放り投げたぬいぐるみを、彼女が慌ててキャッチして。
「飴玉は貰っとくけど、ぬいぐるみはこの通り、ちゃんと返したからね!」
「だ、ダメっ! これはきらりがアナタにあげたから、アナタのぬいぐるみなんだから!」
「しつこいな! 要らないったらいらないの! 大体さ、小学生のお子様じゃないんだし、
高校生になってまでぬいぐるみの一つや二つ、そこまでして欲しいとは思わないよっ!!」
瞬間、彼女の表情が困惑から、驚きへとみるみる変わっていく。
「……しょ、小学生じゃ、ない……の?」
「……違うよ。良く間違われるけど、こんな見た目でもれっきとした高校生。背の低さは生まれつきなんだ」
それから、お互いに見つめ合ったままで固まる私たち。唖然と立つ彼女の口から、小さく「にょわ~」なんてため息が漏れて。
私もつられて自分の頭に手をやると、今までのやりとりを思い出す。
なんとなくそんな気はしてたけど、やっぱり彼女は、私を「小学生」だと勘違いしてたんだ。
「ご、ごめんなさい。きらり、てっきり……」
「いいよ、別に……慣れてるから」
「で、でもでも。きらり、また酷いこと言っちゃって」
「別に酷いことなんて言われてないし……むしろ、あ、謝らないといけないのは、こっちだと思うんだよね。
頭を撫でられたとき、私の態度で落ち込ませちゃったみたいだから」
そう、だから私は、彼女を引き留めたんだ。
「ごめん」と呟く私を、きらりとか言ったっけ? 彼女が、なんとも罰の悪そうな顔で見つめてて。
「うん……こっちこそ、なんだかごめんねぇ」
きらりがまた、「うぇへへ」と笑う。
けど今度の笑顔は、さっき見せた寂しそうな笑顔とは、まるで違うものだった。
===
……さて。これが私の、最初の「お姫様」との出会いの思い出。
実はまだもう一人、小生意気な別の「お姫様」と、そんな彼女と私を引き合わせた胡散臭いおっさんの話があるんだけど……
杏、ここまでいっぱい喋って疲れちゃったからさ。ちょっとだけ休憩したいんだよね。
だから、話の続きは充電が終わってから……それまでは彼女が、もう一つのお話の続きをしてくれるはずだから、さ。
ここまで。
===幕間劇2.「背高少女と魔法の舞台」
あのね、みんなは学校で一人ぼっちになっちゃった女の子のお話を覚えてる?
そう! 周りのお友達よりも身長が高くなっちゃって、
小学校を卒業するまでの間、一人で孤独な時間を過ごした、あの女の子のお話を。
さてさてさて。小学校を卒業した女の子……
つまり、私を待っていたのは、中学校での新たな出会い。
それは、他の小学校からやって来た新しいお友達と、先輩たちの存在だったのです。
もちろん、中学校には前の学校から一緒の子もいたわけだけど……
それでも私のことを、あの「事件」のことを知らない人も、沢山いたの。
そして一学期が終わる頃には、前の学校のお友達たちも私のことを余り「怖い」って目では見なくなってたんだ。
なぜかって言うと……その学校には、私よりもずっと「こわぁい」先輩たちがいたから。
うー……今思い出しても、ちょっぴりドキドキしちゃうけど。
今まで六年生っていう、「一番上」にいた子達がまた一年生になって、
その学校の「一番下」に戻っちゃうって感覚は、分かるかなぁ?
自分たちが一番で、その上に怖い物なんていなかった状態から一転、自分たちよりも歳も学年も上の存在がいるっていうのは、
中学校に上がりたての子達にとって、結構なプレッシャーになるのです。うん。
だから、そんな皆にとって、私の「背の高さ」はある意味、身を守るための「盾」だったの。
自分たちの方にも、先輩に負けないぐらい大きなヤツがいるんだぞ! ……って、そんな感じでね。
私だって、急にそんな扱いをされだした時は戸惑ったけど……それでも、嬉しかった。
だって前みたいに、お友達の輪の中に入れるようになったから。
そして周りの人の私の評価も、「やたらと背が高い新入生」ってことぐらい。
自分でも驚くほどすんなりと、再び私はみんなの中に溶け込むことができたのです。
それにそれに! 皆よりも背が高いってことは、一概に悪いことばかりじゃなかったの!
背が高くって体が大きいってことは、それだけ体力もあるし、力がある。つまり、運動なんかに向いてるって言われちゃって。
現に私は、体を動かすのは好きだったから……ちょっと恥ずかしいけど、昔はお姫様を夢見てたでしょ?
だから歌ったり踊ったり、そうして小さな頃から自然と体を動かしてたから。
だから運動部、特にバスケットやバレーみたいな、背が高い人が有利な部活から、熱烈に勧誘されちゃった!
あの時は初めて自分の背の高さが受け入れられたと感じれて……
だけど私は、そんな運動部からの勧誘を一つずつ丁寧にお断りして回ったの。
今までコンプレックスだった背の高さを褒めてもらえたのは嬉しかったけど、
それと同時に、やっぱり怖さがあったから。「もしかしたらまた、私は誰かを怪我させてしまうかもしれない」って。
運動部なら特に、ね。なおさら怪我とは、切ってもきれない関係なんだもん。
それは確かに、「そういう道」が私にもあることが分かって、
ちょっと心惹かれたのは事実だけれど……私は運動部じゃなくて、文化部。それも、「演劇部」に入部するの。
うぇへへ。どうして演劇なのか、不思議かな? それはねぇ、私がまだ、夢を諦めていなかったから。
お姫様は難しくても、私の代わりに誰かをお姫様にしてあげる、お手伝いがしたかったんだ。
それは夢見た世界に少しでも関係のあることに関わりたいっていう、私の気持ちの表れでもあって。
後は……自分の中の、「お姫様のイメージ」を大切にしたかったって理由かな。
それは誰にも見せない、私だけの秘密のこだわり。頭の中でいつも考えていた「可愛いお姫様」のイメージを、
こっそりとそこにちりばめたい、ちょっとしたイタズラ心。
それは歌い方だったり、仕草だったり、はたまた衣装や小道具であったり。
いつかお姫様として舞台に立つ誰かのため、魔法をかける魔法使いに、私はなろうと思ったのです。
===6.「王さま、条約を締結する」
「ね、ねぇきらり? そろそろ杏を、元の部屋に戻して欲しいんだけどな……」
私は枕を抱いたまま、そわそわと落ち着かない様子で周囲を見回すと、
目の前に立つ彼女――数ヶ月前に、ゲームセンターで偶然出会ったあの女の子――に向かって尋ねてみた。
でも、彼女は作業の手を休めることなく顔だけをこちらに向けると、私の問いかけに答えて笑う。
「元のおへやって……ここが、杏ちゃんのお家だにぃ」
う、うん。やっぱり、そうだよね。
だって今私が座ってるのは、いつも自分が寝てるベットだし、抱いてるのも紛れもなく私の枕でしょ?
それにきらりが今使ってる掃除機も、私がここに来た時からずっと箱の中で眠っていたヤツとおんなじ見た目をしてるんだもん。
それはつまり、ここが私の家で間違いないって確かな証拠ではあるんだけどさぁ……。
「この部屋って、こんなにも広かったっけ……?」
私は改めてもう一度部屋の中を見回してから、ぽつりとそう呟いた。
あれだけテーブルの上とテレビの前に散乱していたお菓子やジュースのゴミは綺麗さっぱりに片付けられ、
床のあちこちを覆っていた雑誌は紐で縛られて部屋の隅に並んでる。そしてうず高く積まれていた洗濯物の数々も
今ではベランダの物干しで風に吹かれ、気持ちよさそうにぱたぱたとはためいていた。
そしてそんな部屋の中を踊るように動きながら、テキパキと掃除を進めるきらりの巨体。
私はというと、さっきも言ったようにベットの上に座り込み、
彼女の邪魔にならないよう大人しく掃除が終わるのを待っているといった状況だ。
「そうだよー? こぉんなに良いお部屋なんだから、ちゃあんとお掃除してあげなきゃ、ダメダメェ☆」
そう言ってフリル付きのエプロン姿で掃除機をかける彼女の姿は、まさに「おかん」。
うぅん? さすがに「おかん」は失礼だよね。彼女だってまだそんな歳じゃないわけなんだし。
だったら「お母さん」とか「ママ」とか? いやいやいや、だからそんな歳じゃないんだからここはやっぱり……。
「……奥さん、かな?」
どうしても幼妻と素直に呼べないのは、容易に隠すことのできない存在感のせいだけじゃないだろう。
そう、彼女は年齢の割には似合わない、不思議な包容力を持っている女性だったのだ。
===
――さて。世の中何をきっかけにして、どういう風に人と仲良くなっていくかなんて、誰にも予想なんてできないものなんだけど。
ゲームセンターでの一件以来、私は例の彼女、「諸星きらり」と交流を持つことになる。
その理由は至極単純で、「彼女が私に興味を持った」から。
住んでる場所も通ってる学校も違うのに、私たちは初めて会った時から妙に気が合った……なーんて言っちゃえば、
どこぞの青春漫画みたいでとっても素敵な関係に思えるだろうけど、実際のところは全然そんなことはなくってさ。
私たち二人の関係は、平たく言えばギブ・アンド・テイク。
それでもどちらが上でどちらが下だとか、ビジネスライクなパートナーってわけでもなくて。
お互いがお互いの欲してる物を提供し合う、非常にフラットな関係だった。
おっと。その辺のことを話す前にちょこっとだけ、この「諸星きらり」って子のことを紹介しとかないといけないかな。
まず、彼女の見た目の印象から言わしてもらうと、きらりはいわゆる「美人」さん。
まんまるぱっちりなお目々にすっと通った鼻筋をして、その下には愛らしい小さな口元が上品についていた。
そして肩の少し下ぐらいまで伸びてるウェーブのかかった艶やかな茶髪は、彼女の動きに合わせていつだってゆるふわと踊ってて。
さらに人目を引く日本人離れした身長は、なんと180センチを超えてるって言うんだから驚きだ。
(ちなみに言うと私の身長が139センチだから、彼女との身長差は実に40センチ近くにもなる!)
しかもそんなに背が高いっていうのに、彼女はプロポーションの方だって抜群でさ。
まさに「出るとこ出てるダイナマイトバディ」って感じなの。
正直な話――小学校の頃からほとんど変化のない「ザ・幼児体形」な私にとって――彼女の背の高さ、
そして胸の大きさと腰の細さには少々妬いちゃうところもあるんだけど……。
でも、そんな彼女にも一つだけ。常人には真似のできない個性が、普通の人とは変わってるところがあったんだよね。
それが、彼女のキャラクター。えぇっとね、これは初めてきらりと出会った時から気にはなってたことだったんだけど、
彼女はダウナー気味な私と違い、普段からやたらとテンションが高い。
喋るときにもよく「にぃ」とか、「~ゆ」「もん」「☆」とか、まぁ色々と妙な語尾をやたらとつけるし。
可愛い物を見つけたり、甘いものを食べてたり、そんな「普通の女の子」が楽しむようなことをしてる時には、
楽しい気持ちと共に彼女の中にある「ハピハピ指数」とやらが上昇するらしく、そうしてテンションの上がり切った彼女は
「にょわー」とか、「うっきゃー」なんて奇声(……って言っていいのかな?)を上げるオーバーなリアクションまでとるようになっちゃうの。
だから黙ってさえいれば、彼女は紛れもない「美人」さんなんだけど、
ひとたび喋りだして彼女のキャラクターが外に出ちゃうと、途端に「残念な子」になってしまうのだ。
それは昔、「黙ってれば賢そうで真面目な子に見えるのに」なんて親戚連中によく言われてた私と少し似ている気がして、
親近感を覚えたのもホントなんだけど……うーん、この例えは、なんだか少し違う気もするなぁ。
後はそうだね……歳は私と同い年で、彼女も現役の高校生。さらに生まれた日が私と一日違いっていうのが面白い。
私の誕生日が九月の二日で、きらりの誕生日が九月の一日。
きらりの方が私よりも先に生まれたわけなんだけど、この事実を知って最初に思ったのが、
「もしやコイツが、私の分の身長や胸を奪ってこの世に生まれてきたのか?」なんて馬鹿げた空想。
現実的に考えたら、そんなことはありえないんだけどさ。ほら、彼女の苗字が「諸星」っていうじゃんか?
それにさっきも紹介したように、妙なキャラクターだってしてるから、その辺から飛び出した、SFや怪奇物の発想なんだけど。
この世に生まれてくる前に、二人の身体バランスを神様が混ぜこぜにして間違えちゃったとか。
実は彼女はアンドロイドで、だからこんなに背が高くて変な喋り方をしたるのだ。なーんて妄想、してみたりしちゃったワケ。
それでねそれでね? そんな隠された真実を知って空想に憑りつかれちゃった私に向けて、どっかの誰かがこう言うの。
夢みる機械じゃないけれど、とらわれの娘よ、私を訪ねたまえ……って危ない危ない。
こういう話は気をつけないと、すぐにワケのわかんない方へと話の行方が引っ張られていっちゃうから、ホント困るよね。
――コホン、閑話休題。
それで、どこまで話したんだっけ? ……あぁ、そうっ! だから、彼女が私と同い年だってことと、その苗字が珍しいって話。
それでお互いに正反対な見た目や性格なんかの違いがさ、なんとなく気になっちゃったんだよね。
だからあの日彼女が切り出した、「お友達になりませんか?」って誘いに私は乗っかった。
それからはトントン拍子、私たちは週末になると外で待ち合わせてから、一緒に遊ぶ仲になったんだ。
まぁ、遊ぶって言っても大したことはしてないんだけどね。
甘いもの買い食いしたり喫茶店でお茶したり、きらりが洋服選ぶのについてったり逆に私の買い物に彼女が付き合ったり。
でさ、ある日のことだよ。
私が彼女のファッションセンス――ふわふわでゆったりとした服装に、お菓子みたいなアクセサリーを
これでもかってぐらいデコレートした「甘々」な服装――が気にならなくなる程度には、二人の距離も縮まった頃だ。
その日は、私の週に一度の「買い出しの日」でさ。
きらりと一緒に近所のスーパーまで、お買い物に行ったわけ。
ほら、私って一人暮らしでしょ? それで料理とか家事とか……とにかく、
出来るだけそういった作業には手間をかけたくなかったんだよね。だって、メンドイし。
だから週に一度、カップ麺とか日持ちするパンだとか、そういう物をどっさりと買い込むわけ。
そうしたらいちいち買い物に出なくてすむから楽ちんでしょ?
でね、きらりと一緒にスーパーに行った時も、私は買い物カートを押しながら、
カゴの中にポイポイとインスタント食品や冷凍食品なんかを詰め込んでたんだ。そうしたらさ。
「ねぇねぇ杏ちゃんって、もしかして一人暮らしなのぉ?」
「そうだよー、言ってなかったっけ?」
「うん、聞いてないにぃ」
「じゃあ、今言うか。そうです杏はこの春から、東京で一人暮らしをしておりまーす……あっ!」
きらりの質問に答えながら、特売のカップ麺を手に取った時だよ。
ひょいって感じで、彼女が私の手からカップ麺を奪ってさ。
「な、何すんの? それ、今日の晩御飯にするつもりなんだけど」
「……杏ちゃんは、もしかしなくても、いっつもこんな物ばっかり食べてるのかな?」
振り返って見上げたきらりの顔……それは彼女が初めて見せた、不機嫌な表情で。
いつもはまんまるな可愛らしい目をさ、こう、じっと睨むって程じゃないんだけど、とにかく妙な迫力のある顔で私を見るんだよ。
「えっ、う、うん。大体いつもインスタントとかレトルトで済まして……たまに、果物のゼリーとか食べてる……かな?」
私は馬鹿正直に答えた後で、しまったと思ったね。だけど、気づいた時にはもう遅い。
「そんな食生活は、全然ダメダメッ!! きらり、杏ちゃんの体が心配だにぃ!」
そして彼女はカゴの中の商品を半分近く元の棚に戻していくと、代わりに魚や野菜なんかと入れ替えて。
「今日は、きらりが杏ちゃんのご飯を作ってあげゆ! もちろん、食材のお金はきらりが払うから……いいよねぇ?」
やはり事態は悪い方……いや、面倒くさい方へと転がった。
この「いいよね?」が、「まさか断る気なんてないよね?」であることはきらりの表情からも明白に読み取れる。
そして自分の倍以上も大きい相手に迫られて、非力な私に断る勇気なんてあるわけもなく。
「う、うわぁ……楽しみ、だなぁ……」
彼女の迫力に圧倒されながら引きつった笑顔でそう答えるのが、その時の私の精一杯だったのである。
ここまで。
===
ポケットから取り出した鍵を使って、がちゃりと玄関の扉を開け、
私はきらりより先に中へ入ると、電気のスイッチを入れて振り返る。
「はい、ここが私の家……まぁ、入りなよ」
「うぇへへ、お邪魔しまーす!」
そうしてきらりを台所に案内すると、そこでやっと彼女も両腕にさげていた買い物袋を床へと降ろした。
「包丁とかフライパンとか、調理器具も一通りそろってると思うから、好きに使っていいよ」
「うみゅ、ありがとー。でもでも、なんだか随分とピカピカな台所だねぇ。
さっきちらっと見えた、お部屋の方はすっごく汚れてるのにぃ」
「……さらっと痛いとこつくよね。きらりの言う通り、
普段から料理らしい料理なんてしないからさ。あんまり汚しようがないんだよ」
「あー、なるほどー」
きらりが、納得がいきましたと言う風にポンと手を打つ。
「それで、その……ねぇきらり?」
「ん、なぁにー?」
「あのさ、きらりが料理を作ってる間、私は何してたらいいかな? ほら、ただ待ってるだけってのも、変じゃん?」
「別に、そんなことないよぅ。杏ちゃんは、今日のゲストなんだから、お料理が出来上がるまで座って待ってて大丈夫っ!」
「でも、なんか手伝う事とかないの? ほら、野菜の皮むきとかさ……」
「いいのいいいのっ! きらりのワガママに付き合ってもらってるんだから、杏ちゃんは気にしないで」
私はきらりに背中を押され、台所から追い出される。
いつから私がゲストになったのかはさておいて、
本当にこのまま手伝いもせず、のほほんと料理が出来上がるのを待っていても良いものか?
けど、あの調子じゃきらりは絶対に手伝わせてくれそうにないし……。
悩んだ私は結局、料理が完成するまでの間、汚れてると指摘された部屋の中を片付けることにした。
しかし、改めて見ると確かに部屋の中は酷い有様だ。おかしいなぁ、一応一週間に一回は、
「それなりに」片付けてたはずなんだけど。とりあえず、散らばったお菓子のゴミから手をつけて行こうかな。
「にょわー、にょわにょわ、にょーわー☆」
それからしばらく。台所に立つきらりが、聞いたこともない歌を口ずさみながら慣れた手つきで料理を作る。
リズムに乗った包丁の音、漂ってくる美味しそうな匂いに、思わず私のお腹がぐぅっと音を立てる。
「にょわわー……もうすぐ出来上がるから、あと少しだけ待ってねー」
私のお腹の音で振り向いたきらりが、笑顔でそう言う。
「うん……分かった」
返事をしながら、私は料理とは違う、別のあることを考えていた。
この感じ、この雰囲気。確かに昔、経験したことのある懐かしい気持ち……これ、なんだっけ?
なにか、とても大切な思い出だった気がするんだけど。なんだろう……どうしても上手く、思い出せないや。
===
「こ、これは……っ!!」
「うぇへへへ、さぁさぁ遠慮なんてしないで召し上がれ! 出来立てがイッチバンおいすぃにぃ~!」
目の前のテーブルに並べられた、きらりの手料理の数々を見て、私はすっかり言葉を失っていた。
まさか、そんな! 私はてっきり、「旗の立ったオムライス」とか、「スパゲッティナポリタン」とか、
後はそう、「一口大のハンバーグ」だとか、そういう料理が出てくるものだとばかり思ってたっていうのに、だ。
「どうかなどうかな~? 美味しいかな、かな?」
「うん……美味しい。特にこの里芋の煮っ転がしは、箸が止まらなくなるね」
「うっきゃー! ほんとにほんとにぃ? じゃあじゃあ、こっちのお魚はー?」
「これも、臭みがなくて食べやすいよ。大根おろしとポン酢がよく合うし」
「でしょでしょー? お浸しもお味噌汁もおかわりできるから、好きなだけ食べてねぇ!」
やばい、きらり超やばい。まさか彼女が用意した料理が、「純和風」で攻めてくるなんて思てもみなかった。
具だくさんの味噌汁に肉と野菜の煮物、焼き魚にお浸しとほかほか美味しい炊き立てご飯。
そのどれもこれもが食べやすい味付け、大きさ、量なんだもん。
しかも飾りつけの人参とか、わざわざ星の形に切ってあるし。
「食後のデザートに茶碗蒸しも用意してるから、楽しみにしててにぃ」
私の食べている姿を見ながら、きらりが嬉しそうに言いながら微笑んで。
これが、本当に私と同い年の女の子が作る料理の出来栄えだろうか?
だけどそれは決して嫌な感情じゃなく、むしろなんだか心地よいものだったのだ。
===
だからだろうか、あんなバカなことを考えたのは。
初めは、ただの思いつきだった。ほんの少し、「そんなことになれば良いのにな」程度の、本当に些細な思いつき。
「ねぇきらり。もし良かったらさ、これからも毎日杏のためにご飯を作ってくれないかぁ」
満足のいく食事を終えてぱんぱんに膨らんだお腹を撫でながら、
私は床に寝ころんだ姿勢のまま、台所で食器を片付けるきらりの背中にそう言った。
がちゃん、と食器のぶつかる音が鳴ったかと思うと、ゆっくりとした動作できらりがこちらに振り向く。
その手には、泡のついたスポンジとまあるいお皿。
「な、なになになに? どうしたの、急にぃ?」
その時のきらりの顔。嬉しさと恥ずかしさ、そして驚きの入り混じったなんとも可愛らしい表情と、
持っているお皿で顔を隠そうとするいじらしい仕草を見て、私の中のいたずら心がむくむくと持ち上がり始める。
「ん、どうやら杏は、きらりのご飯が気に入っちゃったみたいなんだよね。
だからさぁ、これからも杏のお世話……もとい、食事を用意してもらえると、嬉しいなぁって。もちろん毎日、三食全部だよ」
「にょにょにょにょ……そ、それって、つまり、杏ちゃんときらりが、その、あの、うぅ……」
「同棲……今風に言ったら、ルームシェアかな? 結構流行ってるみたいだしさ、どう? 面白そうな話だと思わない?」
「にょ、にょわ」
「ここは杏の持ち家だから、一緒に住んでも家賃の心配はいらないし。
きらりは家に住む代わりに、ご飯の用意とか、家事をやってくれるだけでいいんだよ。
そうしたらきらりはいつでも杏のお世話ができるし、杏も毎日きらりの美味しいご飯が食べられる。
お互いに悪い条件じゃないと思うけどなぁー」
するときらりったらさ、顔を真っ赤にしてその場で考え込んじゃうの。
彼女が固まってる間にも、水道からは水がじゃばじゃば流れてるんだけど、それすらも目に入ってない様子でさ。
「……でも、それって杏ちゃんにしかメリットがない、よね?」
ようやくきらりがそれだけを言って、こちらを見る。あちゃ、ばれちゃったか。
雰囲気で誤魔化せると思ったんだけど、どうやら失敗のようだ。
私はわざとらしくため息をつくと、さも残念そうに次のセリフを口にする。
「バレちゃあしょうがない。でも、杏がきらりの手料理を食べたい……
そんであわよくばそのままお世話されたいっていうのは、ホントだよ」
ここでようやくきらりが水道の水を止めて、もう一度こちらに向き直した。でもその顔は、なんだかいたって真剣で。
「ごめんね、杏ちゃん。きらりはやっぱり、一緒には住めないよ。
それは、きらりも杏ちゃんと一緒だと楽しいし、ハピハピな気持ちにもなれるけど……」
「なれるけど、なにさ」
「パパとママにもちゃんとお話ししないといけないし、きらりたち、まだ知り合ってから半年も経ってないでしょ?
だからそういうのは、まだちょっと早すぎるんじゃないかなって」
そういうきらりの様子は、申し訳ないけれど、それでもまんざら興味がないわけでもないって雰囲気で。
あれ? これってもしかして、このまま私が押しちゃえば、「うん」って言ってもらえる、そんな空気?
その時、私の心の天秤が揺れたのだ。私に「そっちの気」はないけれど、本当にきらりが一緒に住んでくれたなら、
美味しいご飯に毎日ありつけるし、面倒な家事なんかも全部やってくれる……甘え放題な日々を過ごすことができるかもしれない。
そしてそのためならばきらりのハピハピなキャラクターやテンションに付き合うのなんて、些細なリスクでしかないじゃあないか。
「……杏ちゃん?」
悩んだ顔でこっちを見るきらりを見た瞬間に、私の天秤が大きく傾いた。
「そっかぁ、やっぱそうだよね。ごめんねきらり、急に変なこと言っちゃって」
「う、うん。きらりを必要だって言ってくれるのは嬉しいけど、ちょっと、ねぇ」
「いいよ。私が悪かったんだもん。きらりが気に病む必要は全然ないよ」
そうして私は、部屋の隅に目をやりながら言葉を続ける。
「実は、この部屋に人が来たのは今日が初めてでさ。杏もちょっと、舞い上がってたみたいだね」
「……杏ちゃん、お友達とか呼んだことないの?」
「私、こんな性格だからさ。中々仲の良い友達って作れなくて。だからきらりがすっごく優しくしてくれるから……つい、さ」
「杏ちゃん……」
「へへ、忘れてよきらり。私はそう、一人でも別に、寂しくなんてないからさ」
そしてここで、フッと無理に笑う演技。完璧、完璧だよ、この私の演技力は。見てよ、目の前のきらりの表情を!
あれはもう、捨て犬や捨て猫を前にした人が見せる「この子可哀想。ほっとけないよ」って顔じゃないか!
「あ、杏ちゃん! きらりは、あのね……!」
だが、最後までは言わせない。なぜならば、彼女の次の言葉を、私は得意の「嘘泣き」で押し込めたからだ。
かつてはこの技で父から最新型のゲーム機をねだりとり、母に対しては
嫌いな食べ物を食卓に出さないようにと説得した、この私の切り札である「泣き落とし」。
その効果は絶大。約束された勝利が待っていることを、私は経験で知っていた。
だってそうでしょ? (見た目が)ちっちゃな子が瞳をうるうる潤ませて、可愛い上目遣いでお願いするんだもの。
どんなに怒った先生だろうが、怒り方は優しくなるし、掃除だの給食だの面倒な当番だってこの手でいつも変わってもらってたんだ。
だから今度も確信を持って言えるわけ。きらりは絶対に「うん」と言うって!!
「……分かった」
「う、ぐすっ……ふぇぇ?」
「泣き止んで、杏ちゃん。きらり、一応パパとママにも話してみるから、ね?」
するときらりが、「やっぱり、放っておけないよ!」って感じの表情で、私に向けてそう言ったのだ。
それはつまり、どういう事なのかと言うと……。
「ひくっ、き、きらりは、一緒に住んで、杏の面倒を見てくれるの?」
「にょーわ。両親の許可が貰えたらっていう条件がつくけど、
きらりが本気なんだって分かってもらえたら、きっと大丈夫。それに……杏ちゃんが、そうしたいんでしょ?」
あぁ、ここにいるのはまさに天使か女神か聖母様か。
優しく微笑む彼女の後ろには、気のせいか後光までさして見えるじゃあないか!
ただの思いつきから始まったこの一連のやり取りの結果が、
自分の思うように進んだことで、私は内心ほくそ笑んでいた。
だが、それも彼女の次の言葉を聞くまでで。
「た・だ・し! 杏ちゃんのお世話を見るってことは、杏ちゃんの生活スタイルもきらりが改善させてもらいます!
えっとぉ、まずはお部屋のお掃除と、そのぼさぼさした髪や身なりだって変えていかないと、ねっ!」
「えっ? いや、別にそれはこのままで、そこまでしなくてもいいんじゃないかな……」
「だぁめー☆ 等価ぁ交換っ! 杏ちゃんの言う事を聞くんだから、
杏ちゃんだってきらりのお願いを、一つは聞いてくれなきゃ不公平だにぃ!」
そこにいたのはさっきまでのしんみりとした雰囲気はどこへやら。
再びにょわりだしたきらりと、唐突にフラッシュバックする過去の私の失敗談。
ゲーム機を手に入れたのはいいけれど、その後数ヶ月の間お小遣いがカットされたこと。
嫌いな食べ物が実は細かく刻まれて食事に混ぜられていたこと。
何度も同じ手を使い過ぎて、最後には嘘泣きの効果が全くなくなっていたことや
当番を変わってもらい過ぎたことが帰りのホームルームで問題になってしまったあの事件にその他もろもろエトセトラエトセトラ……。
「うぇへへ……一緒に暮らすってどんな感じかな? かな? きらり今からちょっぴりドキドキ、楽しみだゆ!」
うって変わって満面の笑みをたたえるきらりと違い、今度は本当に泣きそうになってる私。
後悔先に立たず、一寸先は闇。早まったことをしたかもしれないなんて思っても、もう遅い。
すっかりその気になってるきらりを前に、今更冗談でしたなんてとても言い出せる雰囲気じゃなくってさ。
こうして私の王国に、新たな住民が一人増えることになる。それはもうすぐ秋も終わろうとする、10月のある日の出来事だった。
ここまで。
===7.「王さま、新ぐうたら王国」
喉元過ぎれば熱さも忘れ、時が経つにつれて変化に対応していけるのが、人間の良い所であり、悪い所でもある。
冗談のつもりで提案したきらりとのルームシェアの一件から早くも半月。私という人間だって、それは例外じゃない。
二人で始めた共同生活は、奇妙なことだけどまるで昔から「そう」であったかのように、
それまでの私の生活スタイルとも、実に馴染むものだった。
「ふわぁ……おはよう、きらり」
「にょわにょわ、おはよー杏ちゃん! 今日の朝ご飯は、トマトとベーコンのサラダにぃ、美味しいキャロットスープにだよー!」
「あ、うん……目玉焼きは?」
「もちろん、ちゃんと用意してあるよぉ。今日の卵も、バッチシ半熟! 王さま仕様だにぃ」
「ん、ありがと」
「今日は買い物して帰るつもりだけど、杏ちゃんは何か欲しいもの、ある?」
「あー、いつもの漫画と、なんかお菓子があればそれでいいよ。確か今日、発売日だったと思うから」
「にょわ、りょーかい……って杏ちゃん!」
「な、なに?」
「ご飯の時に、雑誌は読まないって約束、したでしょー?」
「別にいいじゃんかこのぐらい。誰に迷惑かけてるわけでも、ないんだしさ」
だけど、彼女はそんな私の手元からゲーム雑誌を取り上げると、
聞き分けのない子供に言い聞かせるよう、なぜそんなことをしちゃだめなのかって理由を説明するのだ。
そしていつもこの話は、お行儀が悪いからってところに収束していくんだけど。
「分かった、分かったから。でも後でちゃんと返してよね。まだ読んでないところがあるんだからさ」
「分かれば、よろすぃのです。ほら、スープも飲み頃、デザートのフルーツもいるぅ?」
そんな他愛のない会話をしながら過ごす、朝のワンシーン。でも、この何気ないやりとりが良いのだ。
一人でいた時には決してできなかった、会話のある食卓。
それは私に、久しく忘れていた「団らん」の喜びを思い出させるには、十分すぎる程の変化だった。
朝食を食べた後は、きらりが食器の片づけをしている間に、私は自分の身だしなみを整える。
つまり、あれだけ面倒くさがっていた寝癖を直す作業に入るのが、二つ目の変化。
姿見を見ながら、寝癖直しのスプレーを使って髪をまっすぐにとかしていく。
「身だしなみには気をつかう」、それはきらりと私の間に結ばれた「協定」の内の一つ。
「杏ちゃん、寝癖はちゃんと直したかにぃ?」
「……見えるとこはやったけどさ。後ろは……はい、ブラシ」
「ふんふんにょわにょわ~……痛かったら、すぐに言ってねぇ」
洗浄機君に食器を預けたきらりが、鼻歌を歌いながら私の髪にブラシを入れていく。
そして私の髪をいじるきらりの手つきは、とても優しくて。
その間の私は、彼女に髪を預けたまま、姿見に映る自分の頭が綺麗に整えられていく様を眺めてるだけでいい。
「杏ちゃんの髪ってぇ、びっくりするぐらいさらさらだよねぇ。それに、髪もとぉっても長いし」
「長いって言ったって、ただ切るのが面倒で伸ばしてるだけだよ。手入れだって別に、特別なことなんて何もしてないしさ」
「でもでも、お人形さんみたいで羨ますぃなぁ。きらりは、くるくる癖がついてるから」
「そう? でも、私からしたらきらりの髪は、きらりに合って可愛らしいと思うけど」
「にょわ~?」
「なんか、いかにも『きらり』って感じじゃん? ふんわりしてるっていうか、ゆるいっていうか」
「そうかなぁ? でも、杏ちゃんに可愛いって言ってもらえるのは、うれすぃー☆」
ブラシを入れ終わると、寝癖の無くなった髪をいつものように紐でまとめて。
姿見の中には、さっぱりと小奇麗な頭になった私の姿。
面白いのは、寝癖を直すだけでまるで別人のように印象が変わること。
以前の私、野生児のように荒れた髪をしていた自分と比べれば、今の私は十分文明人。
これで清純そうなワンピースの一つでも着て黙っていれば、それなりに育ちの良いお嬢様と言っても通じる……かもしれない。
それからは二人で歯磨きしたり、制服に着替えたり。朝の身支度を終わらすときらりと二人、玄関に一緒に立って。
「これ、今日のお弁当。杏ちゃんの好きな物が一杯だからねぇ」
「うん。いつもありがと」
きらりの用意してくれたお弁当を鞄に詰めると、二人一緒に家を出る。これが私の、新しくなった毎朝の光景。
===
さっきも言ったけど、きらりとの生活は実によく馴染む。
基本的には、私たちは仲の良い「姉妹」のようであったし、時には「夫婦」の、そして時には「親子」のような関係でもあった。
それは多分に彼女の持つ「母性」だとか「包容力」によるところが大きかったのだけれど、
元来寂しがり屋の甘えたがりだった私の中で、優しく包み込んでくれるような彼女に依存する割合が
日に日に大きくなっていったのは、言うまでもなく予想がつくと思う。
……だからこそ、その後に来る二人の問題が、よけいにこじれた物になってしまったとも、言えるのだけど。
===
それは、避けては通れぬ問題でもあったし、出来る事ならば早急に解決策が求められるデリケートな話題でもあった。
いくら生活している場所が持ち家で、毎月の仕送りがあるとは言っても、
住んでいる人間が一人から二人に増えれば、例えそれが微々たる額だったとしても、必要な「お金」の量は増えるもの。
電気や水道、ガスなんかの公共料金は良いとして、食費や雑費は単純に倍、二人分が必要になる。
元々、仕送りの金額自体は十分に余裕があったから、最初は私がきらりの分も負担するつもりだった。
それは一切の家のことを私に代わってやってくれると言う彼女に対しての正当な報酬だと私は考えていたし、
そもそもは私が彼女の人の良さにつけ込む形でこの生活を始めさせたのだ。
だから私は、それくらいするのが当然だと思ってた。でも、きらりはそんな私の申し出を丁寧に断ったんだ。
その時のきらりの言い分はこうだ。
「自分は家事をする代わりにここに住み、杏の生活スタイルに口を出している。
そのうえでかかるお金まで、私に負担させるのは釣り合いがとれてない」
……私からしたら、そんな事いちいち気にしなくたっていいじゃん。
私が良いって言ってるんだから、きらりもグチグチ言わずに、素直に受け取りなよって思ってたんだけどさ。
結局、きらりは以前からやっていたという週末のアルバイト……確か、コンビニかどっかだったと思う。
そのバイトで稼いだお金から、自分にかかるお金を出すって話で一応の収まりをつけたんだけど。
私としては、どうしても納得がいかない。
彼女には、そんなつまらないことで気を使ってほしくはなかったし、何より私自身、
居心地が悪くなっていく自分の心に、焦りも感じ始めてた。
それは二人の関係が、二人の繋がりが「お金」なんて物のせいで失われるのを恐れたから……
きらりが私の前からいなくなる、再び一人ぼっちになるかもしれないと考えたら、とてもじゃないけど気が気じゃなかったんだ。
===
その日は週末で、きらりは朝からバイトに出かけていなかった。
私はと言うと、昼前までずっと布団の中で眠っててさ。
起きたら「行って来ます」の書置きと、
テーブルの上にラップをかけて置いてあるご飯を見て、きらりが仕事に出たことを知ったんだ。
私は寝ぼけた頭で布団をたたむと(二人で暮らし始めてから、私は布団で寝るようにしてた。それは単に、個人的な好みの問題だ)
きらりの用意してくれた昼食を食べてから、時間はかかったけど一人で寝癖も直し、いつものようにゲームをして遊んでた。
けど、頭の中は他の事で一杯。遊んでても楽しくないし、いまいち気分も盛り上がらない。
理由は簡単、きらりがこの生活を続けるために仕事をしてるっていうのに、
自分はこうして遊んでていいのだろうかって疑問が、いつまでも頭の中から離れないからだ。
「……私もバイトとか、してみようかなぁ」
でも、呟いたところで具体的な内容までは浮かんでこない。
第一、アルバイトなんてする必要、今までは一度だってなかったもん。
お金は黙ってても転がり込んでくるもの……それが、幼い頃からの私の認識。
はっきり言ってダメ人間そのものな考え方だけど、こればっかりは仕方がない。
だって両親は、一人娘のためにマンションだってポンと買っちゃうぐらいのお金持ちだよ?
母親の方は旧家の良いとこのお嬢さんで、土地だって持ってるって言ってたし。
欲しいなら、必要な時に、必要な額を与えられて育ってきた。
だから毎月親から振り込まれる、仕送りの額だってちょっとしたもんだ。
例え私が調子に乗って使い過ぎたとしても、それでもなお余る程……
でも、だからと言ってその「余ったお金」をきらりの為には使えない。
きらりは、私がそれを彼女のために使うことを決して良しとしないからだ。
もしも私が自分の意見を押し通し、「それ」をやってしまったとしたら、私は彼女との友情を「金で買った」ことになる。
だからきらりは受け取らないし、受け取れない。
そしてその事に気がついてからは、私自身、二人の関係はフラットで、もっとこう、純粋な物なんだと考えるようになっていた。
ならばお金を使う以外の方法で、彼女の負担を減らしてあげる術はないだろうか。彼女に対するこの気持ちを伝える方法は……。
時計を見ると、きらりが帰ってくるまではまだまだ時間があった。
私はゲームのコントローラーを置いてテレビのスイッチを切ると、本棚から一冊の本を探し出し、ページをぱらぱらとめくって。
それから一度台所へ行ってこれからの作業に必要なものを確かめると、急いで余所行きの恰好に着替えてからお財布片手に家を出る。
「さて、と」
私は寒さから身を守るように首にかけていたマフラーをまき直して歩き出す。
街道に並ぶイチョウの葉っぱが、木枯らしに吹かれて舞っていた。
ここまで。
>>99訂正
×「にょわにょわ、おはよー杏ちゃん! 今日の朝ご飯は、トマトとベーコンのサラダにぃ、美味しいキャロットスープにだよー!」
○「にょわにょわ、おはよー杏ちゃん! 今日の朝ご飯は、トマトとベーコンのサラダにぃ、美味しいキャロットスープもあるよー!」
===8.「王さま、不審人物要注意!」
誤算は誰にだってある。私の場合、家を出る前にあらかじめ、必要な物をリストしたメモを用意してなかったのが一つ目の誤算。
きらりに対する日頃のお礼に、手作りのお菓子でも贈れないかと思い付きで買い出しに出掛けたのはいいものの。
お店につくころにはすっかり何を買うべきだったのかを忘れてしまってるんだもん。
商品棚に並ぶ、似たような名前の粉、粉、粉。それにあれ、覚えきれない横文字の長いヤツ。
結局どれを選べば良いか迷ってしまった私は、記憶の中にあるイメージと合う商品を片っ端からカゴに入れなきゃならなくなって。
そして二つ目の誤算が、安売りされていたお菓子とジュース。
特売だとか期間限定の文句につられてしまった私は、よせばいいのに調子にのってそれも買い込んだ。
お陰で今やパンパンに膨らんだ買い物袋を両手で持って、ふらふらと家路を急いでるんだから。
「う、腕が、つりそう……」
はぁはぁと肩で息をしながら家路を急ぐ。
日頃の運動不足が、こんなところできいてくる。
とはいえ、やってしまったものは仕方がない。墜落しかけの飛行機みたいに、道に荷物を捨てながら歩くわけにもいかないし。
私の歩く先に、ようやく公園の入り口が見えてきた。
公園、それは街に住む人々にとっての憩いの場所でありながら時として、買い物帰りの少女にとっての、絶好の近道にもなるのだ。
この中を突っ切れば、私のマンションまであと少し。
私はよろける足取りで中に入ると、買い物袋を引きずるようにしながら反対側にある出口を目指す。
けど、人気の少ない公園の中を半分ほど進んだところで、ソレは起きた。
「……ぬぁっ!?」
それは起こるべくして起きた三つ目の誤算。
足元で派手な音が鳴ったと思ったら、足が何かに躓いて、そのまま体が前のめりに宙に浮く。
瞬間、右肩を中心にして、体に走る衝撃。
咄嗟に体を捻れたから良いものの、あのまま転べば今頃は、地面と派手にキスしてたところだ。
寝ころんだままの姿勢で、一体何に躓いたのかと足元を見れば、そこには無残に散らばった商品と破けたビニール製の買い物袋。
握りしめた手のひらには、袋の持ち手部分だけが残ってる。
「ちくしょー……なんだよぅ……」
どうしてこう、私のする事は裏目に出るのか。あんなにしんどい思いをして、ようやくここまで歩いて来たっていうのに。
ごろり。寝ころんだまま姿勢を変えると、目に映るのは青い空。
地面の上、大の字に寝ころんだ私の体に吹き付ける、風の冷たさが心地いい。
しばらくそのままの体勢で息を整えて、よっこらしょと体を起こした時だ。
地面に落ちた買い物袋の傍に立つ一人の男と目が合った。歳はそう若くない。見た目で言えば三十代の半ばか後半か。
背広姿にコートを羽織り、口に煙草……じゃない、なんだあれ? 細い、白い棒を一本咥えてる。
「いやぁおじさんそこで見てたんだけどね? 見事な転びっぷりだったよ、君」
そう言って、私の方に近づいて来る男。
「ほら、立てる?」
差し出された手を無視して、私は一人で立ち上がる。すると彼は、やれやれと言った風に肩をすくめて。
「買い物帰りかな、お嬢ちゃん。しかし袋が破けるなんて、運が悪いなぁ……怪我とか、してないかい?」
「……別に、大丈夫です」
「そう? まぁ頭を打ったようには見えなかったし、本人がそう言うなら大丈夫なんだろうけど」
ぽりぽりと自分の頭を掻きながら、彼が私を見下ろす。
そして何かを考えるように、私の体を上から下まで眺めてこう言った。
「ところで君、歳はいくつ? その見た目なら、小学生ぐらいかな?」
一瞬、何を言われてるのかが理解できずに、ポカンと彼を見つめる私。なんだ? 今、このおっさんはなんて言った?
「あー……その、別に変な意味じゃなくってね。単純に、確認がしたくって。
これもおじさんの仕事の一環なの。で、よかったらお家の人にこれをさ……」
仕事、年齢、見知らぬおっさん。そしてここは、休日だと言うのに人の少ない公園の中。
頭の中で組みあがる、キーワードの出すその答え。
男が背広のポケットに手を入れて、何かを取り出そうとした瞬間だ。
「あ、ちょっと!」
ここは、そう。一目散に逃げだすのが正解だよね。
私はその場で振り返ると、そのまま出口に向かって走り出す。折角買った商品を置き去りにしていくことになるけど、仕方がない。 誘拐だのなんだの、危険な目にあうよりはよっぽどマシだ。ちらりと後ろを確認するが、どうやら追いかけては来ないみたい。
それにしても……あぁ、ホントに今日はついてない!
これなら変な気なんて起こさずに、普段通りウチでだらだらと過ごすんだった!
===
「そういうのはやっぱり、警察に連絡した方がいいのかな? でも、杏ちゃんの事を小学生かどうか聞いて来たって事は、
先に近くの小学校に連絡するべきかもしれないし……ねぇ、杏ちゃんはどう思う?」
「いや、そこまで大事にしなくても……別に私が危険な目にあったってわけじゃないし……」
「でも! もしもこれで杏ちゃんが目をつけられて、何か起きたら私、私……!」
「う、うん。でも、ホント大丈夫。しばらくは外出も寄り道も控えるから、ね?」
「うぅー……でも、でもぉ……」
驚いた。いや、例の不審者に声をかけられたのも、人生において初めての経験で驚いたけれど。
今はそれより、目の前のきらり……彼女の変わりっぷりに、私は驚いて。
きらりが仕事から帰ってくると、私は先ほど起きた出来事を彼女に話して聞かせた。
気持ちとしては、「こんな事があってまいったよ」なんて、笑い話みたいな気軽さで話したつもりだったんだけど。
私の話を聞き終わりもしないうちからきらりは目に見えて落ち着きがなくなると、
これは事件だ、警察に相談するべきだと言い出したのだ。
「やっぱりやっぱり、警察には言っておこ? 確かあの公園の傍に、交番もあったよね。杏ちゃん、すぐに準備して!」
「えぇっ! 今から行くの!?」
私の驚きの声に、さも当然と頷くきらり。
「そうだよ! 杏ちゃんがその人と会ってから、結構時間が経っちゃってるけど……。
もしかしたらまだ、公園にその男の人がいるかもしれないでしょ?
だったら、いなくなっちゃう前に警察の人に頼めば、その場で捕まえてもらえるじゃない!」
「や、やり過ぎじゃないかな、それ? 第一、杏が一緒にいなくても……」
「男の人の顔を知ってるのは杏ちゃんしかいないんだから! ほら、早く靴を履く!」
そのまま抱えられるようにして、玄関まで連れてこられる私。
だめだ、今のきらりには何を言っても聞いてもらえそうにない。
しぶしぶ靴を履くと、二人で家を出て。
公園の傍の交番目指して歩きながら、私はきらりに声をかける。
「ねぇ、きらり」
「なに? どうかしたの杏ちゃん?」
「きらりって、普通に喋れたんだね。私てっきり、いつだってあの喋り方なんだと思ってた」
何気なく聞いた一言で、きらりの動きが止まる。
「あ、あー……しまった、にぃ」
「……やっぱりそれ、わざとだったんだ。ねぇ、素朴な疑問なんだけどさ、どうしてそんな喋り方してるわけ?」
「それは……い、今はきらりの喋り方よりも、杏ちゃんの見た不審者の相談をしに行く方がさーき! ほらっ! 急いで急いで!」
そう言って私の手を握ると、私を引っ張るように前になって歩き出すきらり。
ほんのわずかに、困った顔になったきらりを見て、私は少しばかり後悔する。
誰だって、人には知られたくない秘密の一つや二つ、あるものだ。
私は少し無神経に、きらりの秘密に足を踏み入れてしまったのかもしれない。
前を歩くきらりが、ぽそりと呟くように言う。
「いつか……いつかその疑問には、答えてあげる」
私は何も言わず、彼女の後ろをついて歩く。
そして返事の代わりに、私は彼女の手を握る力を、ほんの少し強くした。
===
「どう? いるぅ?」
「んー……いや、見当たんないよ」
「そっかぁ。やっぱり、帰っちゃったのかなぁ?」
私たち二人は、交番を訪ねる前に一度、先ほどの公園の様子を見て、
あの男がまだそこにいるかどうかを確認することにしたんだ。でも、男はもう公園にはいなかった。
「杏がぶちまけた買い物袋もなくなってる……あいつが持って帰ったのかな」
「むぅ、他の誰かに拾われたのかもしれないし。とりあえず最初の予定通り、このまま交番に行こ?」
きらりの言う通りなんだけど、少し勿体ないことをした。
せっかく二人で食べようと、お菓子もジュースも買っておいたのに。
「杏ちゃーん! ほら、こっちこっちぃ!」
「あ、うん。分かってるよ」
でも、交番についた私たちを待っていたのは、意外な展開。
「あぁ、その男の人ですね。話は彼から聞いてますよ」
交番できらりが事のいきさつを説明すると、お巡りさんは笑って言って。
そうして奥からごそごそと、小さな段ボール箱を持ってきた。
「こんなに早く落とし主が見つかって良かったですよ。お子さんが落したのは、こちらで間違いないですね?」
箱の中には、破れたビニール袋と商品の山。さらにお巡りさんがもう一つ、見覚えのある物を持ち出して。
それは間違いなく私の財布。買い物した商品と一緒に、袋の中に入れてたヤツだ。
「これ、袋の中に一緒に入っていたそうで。いやぁ、拾った人が親切な方で、本当に良かったですね」
落とし物を受け取ったという証明の書類にサインして、交番を後にした私たちは、呆けてた。
段ボールを抱えたままで、きらりが呟く。
「……悪い人じゃ、なかったの?」
「財布の中身もちゃんとあったし。今日買った商品も全部あるもんね」
そう。男は不審者でなく、ただのおっさんだったのである。
さらに交番に落とし物を届けているので、むしろ「良いおっさん」だ。
さっきまでの私たちに張りつめていた空気はどこへやら。
きらりに至っては、意気込んでいた分その落差も激しいのか、すっかりと放心した様子。
だが、私たちが呆けていた理由は、それだけではない。荷物を受け取る際に、お巡りさんが渡してくれた、一枚の名刺。
「お礼をするしないは自由ですが、もしお礼をするならば、内容は相手と相談して決めてください。
こちらからも、拾い主さんには落とし主が落とし物を受け取ったって連絡は入れますので」
数分前の、交番での会話が蘇る。
「やっぱり、お礼はしないと……失礼だよねぇ……」
「……でもさぁ、まんまとハメられた気がするのは、杏の気のせい?」
実際、きらりも迷っているようだった。そりゃ、そうだ。なんてったって名刺に書かれていた拾い主、その勤め先は、
ドラマやワイドショーに疎い私だって知ってるぐらいに有名な、大手芸能プロダクションの名前だったのである。
ここまで。
>>49 訂正
× 滅多に使わな姿見の前、珍しく余所行きの服で着飾った自分の姿を見て、自信なさげに私はつぶやく。
○ 滅多に使わない姿見の前、珍しく余所行きの服で着飾った自分の姿を見て、自信なさげに私はつぶやく。
>>72
× 「元のおへやって……ここが、杏ちゃんのお家だにぃ」
○ 「元のお部屋って……ここが、杏ちゃんのお家だにぃ」
>>86
× やばい、きらり超やばい。まさか彼女が用意した料理が、「純和風」で攻めてくるなんて思てもみなかった。
○ やばい、きらり超やばい。まさか彼女が用意した料理が、「純和風」で攻めてくるなんて、私は思ってもいなかった。
===9.「王さま、虎の子供に会いに行く」
さて。あの落とし物騒動が起きた後、私ときらりの二人は
名刺に書かれていた番号へと電話して、拾い主である彼と連絡を取ることにした。
目的はもちろん、私の落とし物を拾って貰った、そのお礼のための電話だったんだけど。
私の代わりに相手と話をしていたきらりが突然、小さく「にょわっ!」って叫んだかと思えば、
受話器の喋り口を手で覆いながら私の方へと向き直る。そうして慌てた様子で口を開いて。
「あ、あのね杏ちゃん! 向こうの人が、一度ちゃんとお話ししたいって。
杏ちゃんをね、スカウトするお話がしたいって言ってるの!」
興奮するきらりと違い、私の頭に「やっぱりか」って気持ちが浮かぶ。
公園でのあの会話、そして警察に届けられた荷物と名刺。
向こうからしてみれば、こちらから電話が掛かって来るのも、計画通りと言ったところだろう。
「でもさ、それってやばいお誘いじゃないよね? そんな突拍子もない話、ほいほい信じていいのかなぁ……」
「その点は、大丈夫なのです! 名刺の電話番号と、この事務所のホームページに乗ってる番号が、一緒だったから!」
そう言って、きらりが小さくブイサインを作る。まったく、一体いつの間にそんなことまで確認してたのか。
「はぁ……、で? スカウトってさ、なに? 杏をアイドルにでもするって言うの?」
「そうだよぉ! 杏ちゃんにアイドルをやってみないかって、お誘いが来てるんだよぉ!」
まるで自分のことのようにはしゃぐきらりを見て、私はますます頭を抱えて黙り込む。
「やっぱりぃ、杏ちゃんはお姫様だったんだねぇ……で、どうすゆどうすゆ? 杏ちゃんのお返事はぁ?」
その時のきらりの、嬉しそうな姿と言ったら。
結局、私は彼女に押し切られる形で返事を返し、後日再びあの男の人と会うことになった。
待ち合わせの場所は、家の近所にある喫茶店。それも、「保護者同伴で来てほしい」って条件付きで。
「まじか……実家に連絡するの、あんまり気が進まないんだけどな」
「えぇー、どうしてどうしてぇ? 杏ちゃんが、アイドルになるかもしれないんだよぉ?
杏ちゃんのご両親も、きっと喜んでくれるってぇ!」
「そうだ、ウチの親の代わりにさ、きらりが来てくれたらいいんだよ。それだったら……」
「だーめー! そんなのすぐに、嘘だってバレちゃうよ。
それにきらりはぁ、杏ちゃんなら絶対にかわゆいアイドルになれるって、思うんだけどなー」
「だからさ、そのアイドルってのが分かんないんだよ。自慢じゃないけど、私って芸能とか、そっちの事にはからっきしだよ?」
そう、気が進まないのは、それも原因。
アイドルって、詳しくは知らないけど大勢の前で歌ったり踊ったり、テレビに出たりもするんでしょ?
拘束時間も長そうだし、そんな明らかに面倒くさそうな事、やってみないかって言われてもさぁ。
……だけど、結論から言わせてもらえば、この時既に私のとるべき道は決まっていたと言ってもいい。
しぶしぶきらりのいう事を聞いて、父親に事の顛末を説明した時に言われた衝撃の一言が、
私の退路を完璧に塞ぐことになろうとは……この時の私は、まだ知る由もなかったのだ。
===
「なるほど、大体のいきさつは分かりました。アナタはウチの杏に、その、アイドルでしたか?
やっていけるだけの素質がある、そうおっしゃるわけだ」
「えぇ、そうです。あの日、公園でお宅の娘さんを一目見た時、ピンと来ましてね。
残念ながらその時は、声をかけた途端に逃げられてしまいましたが」
「……そりゃ、そうでしょ。いきなり知らない人に歳だなんだ質問されてさ。誰だって逃げ出すに決まってんじゃん」
隣に座る父が、小さく「杏!」と注意する。場所は、件の喫茶店。
並んで座る父と私、そして対面に例の男の人が座り、三人の人間がテーブルを囲んでた。
この日の話し合いのためだけに、わざわざ飛行機に乗ってやって来た父が、「すみませんね」と謝りながら言葉を続ける。
「ですが、ご覧の通り……娘は甘やかして育てたためか、少々世間知らずでして。
言葉遣いや態度も良くはないですし、もしもアナタが娘の容姿に惹かれて
このお話を持ってこられたというならば、今回は残念ながら、縁がなかったという事で」
すると、父の言葉を聞いた男の人――貰った名刺によると、「P」という名前らしい――が自分の頭に手をやって。
「はははっ、こいつは厳しいなぁ。勿論、お嬢さんの容姿は十分アイドルとして通用する……
これは、長年アイドルを売り出して来た私が、しっかりと保証しますよ。むしろ、大事なのはお嬢さんの性格の方でして」
「と、言いますと?」
「初対面の人間を前にして、この物怖じしない態度とふてぶてしさ。つまりお嬢さんには、大勢の人の前に出る度胸がある……
正直な話、今のご時世どんな女の子でもアイドルにしようと思えばできるんですよ。
化粧って言うマジックと、綺麗な衣装で着飾れば、例え田舎から出てきたばかりのあか抜けない女の子でも、ね」
男の言葉に、父が小さく「はぁ」と相槌を打つ。
「ただ……アイドルとして成功するには、ある意味での『性格の悪さ』が必要不可欠です。
大人の言う事をよく聞いて、なんでも素直に従う『良い子』だと、本人の成長と共に、いずれどこかで歪みが出てしまう。
反抗期と本人の『キャラクター』による、ギャップって奴に悩み始めるんですよ。
そしてそういう子が、成長に合わせてイメージを路線変更した途端、
ファンが離れて行って、アイドルを辞めざるを得なくなる……よくある話でしょう?」
「まぁ確かに、そういう話も聞きますな」
「それまで『良い子』だった子が、ある日突然『悪い子』になるんですから、まぁ、当然の反応です。
でも、最初から『捻くれて』いればその点は問題ない。
最初こそ捻くれていますけど、後は『真っすぐ』になるしかないんですから。
ファンは彼女を応援することで、彼女はファンに応援されることで、一緒に『良い子』になっていくんです」
そこで、私たちの目の前に座るこの男は、背広のポケットから一本の棒つきキャンディーを取り出した。
「失礼。一つ、頂いても?」
「……どうぞ」
隣に座る父の声に、若干だが呆れの色が乗る。まっ、そりゃあそうだろう。
他所の家の娘をアイドルとして預からせてほしい、そんな大切な話をする場面で、どうして飴なんて舐められるのか。
「ほら、今じゃどこでも禁煙禁煙って、うるさいでしょう? それで、代わりに飴を舐めることにしたんですけどね。
これが逆に、止められなくなっちゃって……今じゃ定期的にコイツを舐めないと、どうにも落ち着かないんですよ」
言いながらも、男のポケットからはさらに数本の棒つきキャンディーが現れる。
そしてそのキャンディーの束を、私に向けて差し出して。
「キミも、一本どうだい? 好きな物を選びなよ」
そう言われると私も、つい「あ、じゃあ」なんて手を伸ばしそうになる。
「貰える物は貰っとけ」、その言葉自体は嫌いじゃないけど、「タダより怖い物も無い」ともよく言うし。
私は動かしそうになる体をぐっとこらえると、誤魔化す事も兼ねて彼に質問を投げかけた。
「あのさ、さっきの話……『どんな女の子でも』アイドルに出来るってのは、ホントなの?」
「ん、まぁ……『アイドルになる』ってだけなら、ね。でもその先のこと……
皆の人気者になるとか、長く活躍を続けて行きたいなら、当然キミにも努力をして貰わなくちゃ、ダメさ」
「つまり、努力さえすれば……『成功』できるってわけね。話を聞いてる限りだと、私にはその素質があるって聞こえたんだけど」
「成功の形っていうのは人それぞれだから、キミの言う成功が何をさすかは分からないけど……まぁ、そういうことになるかな」
そこで、男は一度言葉を切った。
私を見る彼の表情が、少しずつ不思議な物を見るような目になっていくのが分かる。
「じゃあさ、杏にとっての成功は、『不労所得』を得ることだね。印税って言ったっけ?
それがあれば、働かなくても生活していけるだけのお金が、入って来るようになるんでしょ?」
「ま、まぁそういう成功も、人によってはアリなのかもしれないけど。随分とその、子供らしくない事を言うんだねぇ」
すると彼の言葉を聞いて、父がお約束のセリフを口にする。
「娘は……杏はこう見えて高校生です。小学校の頃から殆ど見た目が変わってないので、
知らない人が勘違いなさるのも、無理はないんですけどね」
そうして、私を見て呆れたようにため息をついた。
まぁ、何を言いたいのかは大体想像がつくけれど、お願いだからここはもう少し黙っててよ。
私にとって、今が勝負の分かれ目なんだからさ。
「で、どうなの? 私が高校生だと、この話は無かったことになっちゃうかな?
でも、それはそれでお互いに、ちょっと勿体ない気がするけどなぁ~」
「……なるほど。通りで見た目の割に大人びて見えるわけだ」
苦笑いを浮かべながらそう言うと、彼が鞄の中にしまっていたファイルから、何枚かの書類を取り出して。
「いいでしょう。年齢なんて、芸能界においては飾りみたいなもの。ここに、契約のための書類がありますから……
よろしければ、サインをしてください。その瞬間から、アナタはウチのプロダクションの一員です」
隣に座る父が何かを言いかけるけど、私は「ちょっと待って」と手で制し、彼の差し出したボールペンを手に取った。
「ホントのホントに、アイドルになって成功すれば、印税暮らしも夢じゃないんだよね?」
「……あぁ、例え一発屋と呼ばれても、運よく金の鉱脈を掘り当てる人は確かにいる。
確率はともかく、その可能性はキミにだって十分あるさ」
随分と自信ありげな顔をして、調子の良い事言っちゃってくれるけど。
それってつまり、アイドルになってもその鉱脈を掘り当てられなきゃ、印税生活なんて夢のまた夢ってことじゃないか。
「へへ……なら、アイドルやってみようじゃない。だけど私が売れるよう、全力でサポートはして欲しいな。
私も努力はするけどさ、忘れちゃ嫌だよ? 私がアイドルになる理由は、夢の印税生活を実現するためなんだから」
でも、だからこそ虎穴に入らずんばなんとやら。
チャンスだろうとなんだろうと、貰える物は残さず貰って、成功を勝ち取ってやろうじゃないか!
だって私には、どうしてもそうしないといけない「理由」があるんだから、さ!
===幕間劇3.「親の心、子知らず。子の心、親知らず」
毎月、向こうでの生活の内容を報告すること。
それが、私があの子と交わした「約束」であり、遠く離れた地で暮らす、彼女に生活費を仕送りする条件でもあった。
しかし、あの子から来る連絡はいつも決まって「問題なし」。
その言葉通り、何事もなく日々を過ごせているならば、確かに私としても安心ではあるものの、
「何事もなさすぎる」というのも、ある意味ではかえって心配になって来るのが、どうしようもない親のサガである。
だから、あの日彼女が切り出した相談の内容が、例えいささか突拍子のない事であったとしても、
私としては相談を受ける事自体が喜ばしいものであり、ついついくだらぬ質問を繰り返し、心底うんざりした調子で
「いい加減にしてよね」と咎められようと、可愛い我が子との長電話を止められなかったのも致し方無い事ではなかろうか。
とはいえ、「アイドルにならないかと誘われた」とあの子の口から言われた時には、私だって驚いた。
アイドル。本来ならば私のようないい年をした男とは、とんと無縁の世界の代物ではあるものの、
その「仕事」が世の少女たちにとって一種の憧れであることぐらいは、なんとはなく理解はしていたつもりである。
なので、「どうしようか」と悩むあの子に対して、私は「好きに決めたらいいじゃないか」と言ってやる事にした。
そもそも本来ならば、あの子は自分のやりたく無い事や、
興味の沸かない事柄に関しては指一本でさえ動かす事を面倒くさがる性格の持ち主なのだ。
そんなあの子が突然、「相談がある」と言って私に連絡をよこしたのである。
少なくとも彼女の中に、「やってみようかな」という気持ちがあったのは、まず間違いない。
だとすれば、せっかくあの面倒くさがり屋が「仕事」に興味を持ち、「やる気」を少しでも私に見せたのだ。
私としても「馬鹿な事を言うな、止めなさい!」なんてとてもじゃないが言えないし、
かと言って「応援するぞ。是非、やってみなさい!」と安易に背中を押すのも考え物である。
無論、彼女を応援したい気持ちはある。
が、余りあの子に期待を背負わせ、プレッシャーを与えるのはよろしく無いだろうと私は思ったのだ。
なぜならば……あの母親との一件も、元を正せば私達が幼い彼女に背負わせた、その期待が原因であったのだから。
===
「でさ、向こうの話を聞くときに、親も一緒じゃないとダメらしいんだよね」
「なるほど、それでパパに来てほしいと電話を寄越した、そういうわけだ」
「うん……来れる?」
「あぁ、大丈夫。ちょうど原稿も一区切りついたところだったからな……ところで、杏」
「なに?」
「父さんな、どんな形であれ、お前が働くことに興味を持ってくれて、嬉しいんだよ。子供はやはり、自立して行くものだからな」
「大げさだなぁ……知ってるでしょ? 私が労働とか、そういう面倒なの嫌いなこと」
「勿論。だからお前がそっちに行くのを許可したんだ。一人で暮らしていれば、いずれ否応なしに働かなくちゃあならなくなる。
学生の間は、精々アルバイトぐらいだと思っていたが――」
「……ちょっと待って。なに? 私が学校を卒業した後に、就職するのは決定なワケ?」
「なにを寝ぼけたことを……まさかお前、いつまでも親に養ってもらえるなんて考えてたわけじゃ、ないだろうな?」
「……えっ?」
「まぁ、パパだって鬼じゃないからな。余った分をちゃんと貯金に回せるように、仕送りだって、多めに送ってあるだろう?
無駄遣いせずにキチンと残しておけば、一年二年は働かなくても蓄えでやっていけるとは思うが……杏?」
しかし、彼女からの返事が返って来ることは無かった。受話器の向こう側から微かに聞こえる「嘘だ……ウソ」と呟く声。
……どうやらあの子は、卒業後も本気で親の脛を齧り、一生を養って貰うつもりだったらしい。
大変馬鹿げた考えだったが、この反応の様子だと、どうやら仕送りを貯金する事もしていなかったのだろう。
果たして彼女はこの先、まともな仕事に就くことが出来るのか?
願わくば、この機会に考えを改め直し、真面目に将来について考えてくれればいいのだが。
===10.「王さま、小生意気なお姫様と出会う」
「ふぅん。この子がおじさんの見つけてきた、新人さん? なんだか全然、パッとしない感じだね」
初めて事務所にやって来た、その日のうちにプロデューサー……
例のPって言うおっさんに紹介されたのは、私とそう変わらない体格をした、一人の女の子。
「第二企画室」と札のかかった部屋の中、
ソファに座って雑誌を読んでいたその少女は、栗色の、毛先に少し癖のあるショートカットに気の強そうな目つきをしてて。
初めて出会う私の顔をじろじろと眺めた後、余り興味のなさそうな声音でそう言った。
「こらこら桃子。思ったことをすぐに口に出すのは、悪い癖だって言ってるでしょうが。
こう見えても彼女は、キミより年上なんですよー?」
プロデューサーの言葉に、彼女が私を向いて「本当に?」って顔をする。だから、私もコクリと頷いて。
「小学生みたいな見た目をしてるけど、ちゃんとした高校生だよ。なんなら、学生証も見せようか?」
すると彼女は私から、今度はプロデューサーへと視線を移す。
「でも、別に年上だから偉いってわけじゃないでしょ? 大体、桃子は一人で十分やれるって、そう言ってるのに」
「それも何度も説明した通り、上の方針だからしょうがないじゃない……」
彼女……桃子と呼ばれたこの女の子。プロデューサーに対する態度や口調から察する限り、どうやら相当なじゃじゃ馬らしい。
そんな彼女の機嫌を損なわないように振る舞うプロデューサーを見て、
なんだか大変そうだなぁ、なんて人事みたいに思っていると。
「それで、アナタ名前は?」
「えっ、なに?」
「だから、名前はなんて言うのか聞いてるのっ! まさか自分から名乗るより先に、先輩に名乗らせるつもりじゃないでしょうね?」
桃子が、「まったくそんな事も知らないのか」と呆れた様子でため息を吐く。
とはいえ、だ。どうして彼女は、こうも初対面の人間に対して高圧的な態度を取れるのか。
「あー、私は杏。双葉杏っていうの……よろしく」
とりあえず、言われた通りに名前を言ってから右手を差し出す。
けれど、彼女は再び雑誌に視線を落とすと、今度は私の顔を見る事なく言い放つ。
「あ、そう。とりあえず言ってあげれば動けるんだ」
そこで、私たちの会話は途切れた。「これ以上は何も言う事はない」……
先ほどと変わりなく、ぺらぺらと雑誌をめくる桃子の態度が、そう悠然と語っている。
私は行き場のなくなった右手を降ろすと、仕方がないので隣に立っていたプロデューサーに聞いてみた。
「ねぇ、さっきからこの子随分と偉そうだけどさぁ……一体何様なワケ?」
ピシリ、とその部屋の空気が固まった。見上げるプロデューサーの眉間には皺が寄り、
「なんでそんな事言っちゃうの?」と、まるで捨てられた子犬のような表情で私を見る。そして当の桃子本人は……。
「……き、聞き間違いかな? 今、その子なんて言ったの?」
「何って……だから、アンタは誰なのかって聞いたの。名前が桃子だっていうのは分かったけど、それ以上は何にも言わないし」
瞬間、バシッ! と大きな音がしたと思うと、鼻先に痛みが走る。それから、バサリと私の足元に雑誌が落ちて。
涙で滲んだ視界の中に、顔を真っ赤にして私を睨み付ける桃子の姿。
「――っ! な、何すんのさっ!!」
「うるさいっ!! おじさんもボサッとしてないで、こんな失礼な奴早くここからつまみ出してよっ!!」
「し、失礼なのはどっちだよ! いきなり人に雑誌を投げつけて、謝りもしないでさっ!!」
「うるさいっ! うるさいうるさいうるさーいっ!!」
だが、怒った彼女は私の話なんて全く聞いちゃあくれなくて。
私はプロデューサーに慌てて腕を掴まれると、そのまま引っ張られるようにして部屋の外に連れ出された。
閉ざされた部屋の中から、ドタンバタンと物音が聞こえてくる……どうやら、私の言動が彼女のカンに触ったらしい。
「あちゃー……どうにも参ったね、こりゃ」
企画室の扉を背にして、プロデューサーがその場に座り込む。
そうしてポケットから、いつものように棒つきのキャンディを取り出して。
「ねぇ、なんかマズい事言っちゃったかな、私?」
「あー、いや。今回のは事前の説明が足りなかったというか、
お前さんが桃子の事を知らないとはこっちも思っていなかったって言うべきか」
プロデューサーが私にもキャンディを差し出したので、
私もなんとなくそれを受け取ってから、彼の隣に同じように座り込んだ。
「彼女の名前は周防桃子。現役の小学生で、元子役スター……
以前の事務所で起きたゴタゴタをきっかけに、数ヶ月前にウチの事務所に移籍してきたんだけど」
「子役……俳優だったの?」
「そっ。映画や舞台をメインとした、結構な実力派でね。確かに、テレビのバラエティへの露出は少ない方だったけど、
知名度が全くなかったわけじゃない……だからこそ、『知らない』ってのはちょっとまずかったなぁ」
「……言われたって遅すぎるよ、杏は元々芸能界には興味がなかったんだもん。そういうのはやっぱ、事前に教えてくれなくちゃ」
「はははは……はぁ。だよねぇ……どうしよっか」
キャンディを仲良く口に咥えて、廊下に座り込む私たちを道行く人が不思議そうに見ていくが、
部屋の中から聞こえてくる物音を聞き、皆どこか納得した表情をして去っていく。
どうやら彼女が機嫌を損ねてプロデューサーが追い出されるのは、ここでは日常の光景らしい。
しばらくそうしてぼぉっとしていた二人だったけど、やがてプロデューサーがポツリと喋り出した。
「それで……ウチの方針なんだけど」
「うわぁ、聞きたくないなぁ」
「彼女と君と、二人でユニットを組んで売り出そうって話になっててさ。どう? 仲良くやっていけそう?」
「……ソロでデビューするってワケには」
「いやぁ、きっとダメだろうねぇ」
そして二人同時にため息をつく。これはもう、覚悟を決めるしかないようだ。
どうにも先行き不安だが、この試練を乗り越えられなければ結局「成功」はありえないわけなんだし。
だったら後はもう、全力で頑張るしかないじゃないか。
「分かった。出来るだけやってみるよ……杏の『夢』のためにも、ね」
===
一人暮らしを始めて、王さまのように振る舞っていた私だけど、
きらりと出会い、プロデューサーと出会い、自分でも思いもよらなかった方向へと進み始めた私の舞台。
そして桃子「先輩」の登場によってようやく役者は揃い、再びアイドルと言う名の新たな幕が上がる。
胸の中にしまい込んでいた感情、忘れようとしていた心の傷跡……演じるのは、私ときらり。
でも、初めの頃にも言ったよね? 物事っていうのは何事も、自分で思い描くようには、中々上手く進まないものなんだ――。
===
さて、一人暮らしを始めたことにより、杏はぐうたら王国の王さまになりました。
ですが、王さまには頼りになる大臣兼召使兼先生兼コックさんが必要ですよね? そこで、きらりの登場です。
当初は単に、謎の多い杏の生活設定や、きらりとの出会いなんかを書けたらなぁなんて軽い気持ちで始めたのですが、
気がつけば今まで書いたどの長編よりも長い字数を書いて、まだ物語が終わってないという始末。
とはいえ杏が一人暮らしを始めた理由やあんきらの出会いを書けたのと、
ミリオンの桃子先輩もようやく登場させることが出来たので、モバマスとして、さらに杏が王さまになるお話としては、
一旦ここでおしまいとなります。
===
ちなみに、書いてる途中でデレステの例のコミュの存在を知ったのですが、
ここは二次創作だという事で一つ、何卒ご容赦くださいませ。
そしてこちらが続きとなります。よろしければもうしばし、お付き合い下されば幸いです。
【モバミリクロス】 双葉杏は、お姫さまになる
【モバミリクロス】 双葉杏は、お姫さまになる - SSまとめ速報
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それではここまでお読みいただき、ありがとうございました。
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