「奇奇怪怪、全てを呑み込むこの街で」 (59)
此処は、あらゆるもの全てが混沌とした、とある薄暗い街。通称「イサクラ」。
法も秩序も倫理も無く、あるのは欲望のみで御座います。
親は子を売り、子は親を殺し、道端に転がる死肉には、今日も烏どもが舞い降ります。
……おや、そんな街の路地裏で、何やら話し声が聞こえてくるようですよ?
「ひっひっひ……まぁたワシの勝ちじゃな。お主も飽きんのう」
薄汚れたボロ布を羽織った老人は、からからの林檎を片手に、そのしわだらけの顔をにたりと歪ませます。
「クソジジイめ――ほらよ」
黒いマントに、頬に蜥蜴の刺青をした男は、不機嫌そうに酒の入ったボトルをその手から投げました。
「これで5勝0敗じゃのぉ、おぉ弱い弱い」
「うるせえ……次はこいつだ」
男は、懐から見えない「何か」を取り出しました。
「なるほどのぉ……ワシは、赤に賭けよう」
「なら俺は紫だ……行くぜ」
男が手をかざすと、それは炎に包まれ、どこかへ消え去りました。
「さぁて、どこのどいつが拾うかね……」
此処は、欲望が渦巻く街、「イサクラ」。日没と共に、闇は一層勢力を伸ばしていきます。
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「なんだろう、これ」
私は歩いている途中、草むらに不思議な石が落ちているのを見つけた。
なにが不思議なのか、と言うと、その石は、その時その時で色が変わるのだ。
……いや、さらに正確に言うと、その石には「色が無い」。ただ、どんな色をしているか、が頭で理解できる。しかし、その色自体を見る事は出来ない。
まるで空気の塊を掴んでいるようだ――この石には不思議な魅力があり、何故か私は手放す事が出来なかった。
「うーん……何だろう、これ。図書館で調べてみようかな?」
私はその不思議な石をポケットに入れ、再び歩き出した。
この石……仮に「ストーン」とでも呼ぼうか。ストーンについて分かった事がある。
これは、私の感情に呼応して色を変える事が判明した。怒った時には蒼、悲しい時にはオレンジ、と言った風に、私の感情の正反対の印象を持つ色に染まり、私の心を落ち着かせてくれるのだ。
さらに、私の感情が強ければ強いほど、熱を帯びて強く染まる事が分かった。
図書館で調べても、当然出てこない。不思議な石だ。
「これは、もしかしたら神様の贈り物かも?」
私はストーンを眺めながら、一人にっこりと笑った。
ストーンは黒に妖しく光っていた。
「……はい、ありがとうございます!」
やった! また大きな契約を結ぶことが出来た!
ストーンを手に入れてから、何だか全てが上手くいっている気がする。人からも、「落ち着いてきたね」と言われるようになった。
本当に神様の贈り物だったのかもしれない。ストーンは私のお守りだ。
友人に見せても、ただの古ぼけた石にしか見えないそうだ。色は「灰色」にしか見えないらしい。
「あー……君、最近調子が良いようだねぇ」
「はい、おかげさまで! 周りの方々のおかげです!」
「よしよし。実は新しいプロジェクトを考えているんだが、君に任せてもいいかな?」
「……はい! ぜひやらせて下さい!」
「ほっほっほ。期待してるよ」
……また物事が上手く進んだ! これで何回目だろう?
私の心は嬉しさで弾んでいた。
ポケットの中のストーンも、じわりと熱くなっていた。
「あー、○○さん? 例の件ですけど……ちゃんとやってくれてます?」
「え、あ……何の事でしょうか?」
「だから! 昨日もいったでしょ!? ちゃんと「明日仕上げます」って言ってたじゃないですか!」
「……?」
「はぁ……もう良いです」
……まただ。何だか最近、もの忘れが多い気がする。
何故か頭に残らない。まるで記憶が一方通行に抜け落ちている気分だ。
おかしいな……ちゃんと聞いているんだけどな。
……あーあ、すっかり気分が沈んだ。ストーンを見よう。
「……ああ、綺麗」
ストーンは夕日のような深いオレンジに染まっている。
まるで心が吸い込まれるような、美しい色合いだ。
「綺麗……」
よし、明日も頑張ろう。
……あれ?
「……何を?」
……ねむい。なんだかとてもねむい。
なんだか、ずっとねてばかりなきがする。
……でんわがうるさいなぁ。
「……よし」
これでもうならない。ゆっくりねれる。
あれ……なにか、そとにいかないといけなかったような……
ああ、でもどうでもいいかな……
すとーん、きれいだなぁ。
……そもそも、なんでわたしはおきているんだっけ?
……こんなに、ねむい、のに……
……。
それからしばらくして、女性の遺体が自宅から発見された。
あまりにも連絡が来ないので、しびれをきらして友人が警察に通報したのである。
部屋は異様なほど汚れておらず、腐臭などの刺激臭も一切しなかったそうだ。まるで今も生きているかのように。
死因は不明。まるで寿命が切れたかのように、安らかに眠っていたと言う。
「……あれ」
「……あの子が言ってた、変な石……無くなってる?」
枕元では、少しの焦げ付いた跡と共に、「ストーン」が姿を消していた。
「おっ、やっと帰ってきた。さーて、何色かな?」
「おっと、まだウィルオウィスプを消すなよ? 10秒後に消すんじゃ。一気にな」
「はいはい」
男がぱちんと指を鳴らすと、その炎――ウィルオウィスプは、一瞬で消えうせました。
炎が消え、その石の色が露わになります。
「――赤……!」
「ひっひっひ……ワシの勝ちのようじゃのぉ」
「クソ……当たる確率なんてほんの少しだってのによ……!」
「また勝ってしまったわい……ひっひっひ」
「……ちっ、持ってけ泥棒!」
男は再び酒の瓶を乱暴に投げました。老人はどこ吹く風と言った感じで軽々と受け止めます。
「ひっひっひ……ああ、人からタダで貰う酒は美味いのぅ」
「……けっ」
どうやら、男が持っていたのは、ケルベロスの魂の一部を封じ込めた魔石のようですね。
持った人間の感情を喰らい、最初は嫌な感情のみを喰っていくのですが、だんだん楽しい感情なども喰らっていき、最終的には所有者の思考や命を喰らい尽くしてしまう、闇のアイテムです。
この魔石は、喰らった人間の個体差により、内部にさまざまな色の魂の炎を灯します。
これはそれを当てるお遊びだったようですね。
「ほら、そんなに拗ねるな……これでも飲んでろ、若造」
「んだよ、酒自分のあるじゃねえか……がはっ!?」
老人から渡されたそれを口に入れた瞬間、男の口に電流のようなエネルギーが走ります。
「て、てっめぇ……盛りやがったな!! 鬼ガジュマルの根の秘薬が入ってるじゃねえか!!」
「ひっひっひ……!! 刺激的じゃろ? 魔力も一気に回復じゃ」
「この刺激に耐えれるのはそういねえだろうが……ああ喉がイガイガする」
男はそう言いつつも、あまり怒ってはいないようです。老人のイタズラには慣れているのでしょうか。秘薬が入った酒を一気に飲み干します。
「さて、次はどうするかのぉ……? ひひひ」
「薄気味悪いジジイめ……」
満月が「イサクラ」の中央に浮かび上がります。狼がどこかで大きな遠吠えを上げ、彼らはまた、座り込んで博打を始めるのでした。
【一夜目 終わり】
「……ん、何食ってんだ?」
「ひっひっひ……サラマンダーの黒焼きじゃよ、お主も食うか? 精がつくぞ」
「うげっ……いらねえよ気色悪い、ってかそれ下級のなりそこないじゃねえか」
「だから安かったんじゃがのぉ……ひひひ」
老人は愉快そうに笑い、棒に刺さった、ぬらぬらと光る黒焦げの生物を口に放り込みます。
くちゃくちゃと音を立てながら、男から得た酒でそれを流し込みました。
「相変わらず、きったねえ食い方すんな。見てるこっちも食欲が失せる」
「ひっひっひ……ああ、そう言えば、何やら新しい食材が出ていたぞ? 「悪魔の魚」とか言う」
「……へえ、そりゃ気になるな、行ってみるか」
失せた食欲とは何だったのか。立ち上がった男と老人は、ゆっくりと暗い路地を歩き出しました。
「おぉ、さすがに賑わってやがる」
「迷子にならんようにのぉ……ひっひっひ」
市場――と言っても、頭に闇が付く――では、所狭しと店が並べられています。山積みにされた果物、山羊の頭骨、謎の肉塊……
その中で独特な匂いを出しているのは、大きな寸胴でぐつぐつと煮られた赤い汁でした。
「あれが「悪魔の魚」か?」
「ああ、そうともぉ」
「ああ、お客さん、初めてかい? こんな奴だけど」
店主が木の樽から引っ張り出したのは、ぬめぬめとした赤い生物でした。足は八本も生えており、おまけに生臭い臭いを放っています。目はぎょろぎょろと忙しなく動き、足がうねうねと店主の腕に絡みつきます。
男は顔をしかめます。どうやら「鼻」が利くようですね。
「生臭っ……これが「悪魔の魚」……確かにこりゃ異形の生物だな」
「最近、新しく開拓された「黒海」で発見されてね。食うかい? 一杯につき金貨2枚だよ。宝石なら1つだね。ものによるけど」
「……どれ、食ってみるか」
「まいどっ!」
ほくほくとした笑みを浮かべた店主は、寸胴からぶつ切りにされた「悪魔の魚」を木のボウルに移します。
「……」
茹でると生臭さが消えるようです。もうもうと湯気を立てる赤い汁からは、妙な魅力が感じられました。男は汁を口に運びます。
「……おお、悪くねえ」
「ひひ、ワシも一口……」
「駄目だ」
「……ケチじゃのぉ」
今まで感じた事の無い旨みが口に広がります。ためしに足にかぶりついてみると、男好みの歯ごたえと共に、旨みが一層強くなりました。
「おお、良い顎持ってるねお客さん。大抵は冷めるまで待ったり、ちょっとずつ齧ったりするんだけど」
「この程度なら平気だ」
「ワシにもおくれぇ」
「やめとけジジイ。噛みきれねぇだろが」
「あー……確かにそっちのお客さんはちょっと」
「……まあいいさ、ひっひっひ」
歯ごたえのあるものを食べ、男は満足したようです。相変わらずの態度を取る老人と共に、人ごみの中を押し進んで行きました。
「……ん、何だこりゃ」
「ほほぉ……楽しそうな事がありそうじゃのぉ」
異臭をいち早く嗅ぎ取った男は、早歩きで暗い路地を歩きます。進んで行くと、大量の死体が転がっておりました。
どれも急所を一突きでやられているようです。相当な手練れのようですね。
「……ヒヒヒヒヒッ!」
「テンション上がってんじゃねえよ、気味悪いな」
全ての死体から、金品や武器などが抜き取られています。男はぺろりと舌なめずりをしました。
(いる、近くに)
刹那、近くの闇から、漆黒に染まった剣が飛び出してきます。男は俊敏な動きでそれを躱し、持ち主の腹に強烈な拳を叩き込みました。
「ごっ……!!」
持ち主は剣を落とし、膝をついて苦しげに呼吸をします。その首には、光を失った勾玉の御守りが付けられていました。
「ほう、珍しいのが迷い込んでやがるな」
「ひひ……人間の勇者様とは! どこの空間の歪みから入ってきたんじゃ?」
「……はぁ、はぁ」
勇者と呼ばれた彼は、ふらつく身体を剣で支え、鋭い眼差しを男に浴びせます。
「此処に魔族の巣があったとは……! 私が全て絶滅させてやる!」
「嘘つくなよ、バァカ」
「!」
「その割には、金目のもんを全て奪い……何よりもその剣、闇魔法が込められてたじゃねえか」
「勇者様が使う光魔法とは、正反対の魔法じゃのう……ひひっ」
図星をつかれた勇者は、ぐっと言葉を詰まらせます。光を失った勾玉は、彼の勇者としての資格を否定している事を証明していました。
「……うるさい! 魔族は私が全て滅ぼす! それが私の使命だ!」
そう言うが早いか、勇者は再び剣に魔力を込め、男に飛びかかりました。
男は瞬時にウィルオウィスプを召喚し、視界を埋め尽くすほどの火球を勇者に浴びせます。
四方八方から小さな爆発が発生し、勇者は再び地面に倒れました。
「あー……駄目だ駄目だ。闇に身を落としても、そんな良い子ちゃんぶってるようじゃ」
男は紅い瞳をぎらりと光らせ、自らを炎で包みました。
めぎ、めぎっ。骨格が軋む嫌な音が響き渡ります。
「おぉ、久しぶりに見るのぉ。テンションが上がっているのは、自分も同じじゃろぉ……ひっひっひ」
「……そ、その姿は……まさか、貴様……」
「覚えときな、勇者さんよ」
「此処は「イサクラ」――使命だの希望だの、そんな甘っちょろいもんが通用する世界じゃねえんだ」
変貌を遂げた男の、大きな口から豪炎が放たれます。勇者は、全身に絡みつく恐怖に支配され、動くことすら出来ませんでした。
豪炎が消えた後には、静寂のみが残りました。
【二夜目 終わり】
「……おっ、奴隷ショーか」
「ひっひっひ……」
奴隷市を訪れた二人は、奴隷ショーの人だかりを見て、足を止めました。
「さて、ト」
奥に居る調教人が、メガホンで大きな声を上げます。
「今から一人、どちらを殺すか……選べ!! 制限時間は30秒ダ!」
その声と共に、観客から大きな歓声が上がります。どうやら、エルフの一家がショーに出されているようですね。
見た感じですと、母親と妹……どちらを殺すか、青年に選ばせているようです。
丁度良い、と男は、老人に賭けを持ちかけました。
「俺は母親が殺される方に賭ける」
「ならワシは妹に賭けよう」
さて、どちらが勝つか。男は顎を撫でながら、震える青年に視線を向けます。調教人は、拳銃を雑に投げてよこしました。
青年はがしゃん、と言う音に、肩をびくりと縮み上がらせます。それはもう制限時間が無い事を表していました。
「へえ、拳銃渡していいのか?」
「自信の証じゃろうな。完全に自分に屈服している、と言う……パフォーマンスの一部じゃろう」
「なるほどねぇ」
青年は拳銃を握りしめたまま動きません。母親と妹は、どちらも震えながら涙を流しております。
自分たちの命など、観客を楽しませるものでしか無いと理解しているのですね。
此処は「イサクラ」。命の価値など、その辺に生えている雑草と同じで御座います。
「おぉイ!! 早くしロ!!」
調教人が罵声を浴びせます。青年は、震える手で拳銃を掴み――
――パァン! 甲高い銃声が響き渡りました。
「!」
「ほう……そう来たか」
銃弾は――青年の眉間を撃ちぬきました。
「な……なんで!! 何で逃げたの!? 卑怯者!」
「あ、ああああ……あんたなんか産まなきゃ――」
「ま、そういう事ダ」
銃声が二発。母親と妹の死体は、同時に倒れ落ちます。観客は、一層大きな歓声を上げました。
「……自殺を選んだか。まぁ賢いっちゃ賢いな」
「ひっひっひ……残念じゃったなぁ。今回は引き分けじゃ」
「次こそ勝つぜ……腹減ったな、何か食いに行こうぜ」
「おぉ、奢ってくれるのかの?」
「アホ」
血なまぐさい臭いが辺りに立ち込め、満月に雲がかかります。
これは「イサクラ」の、ありふれた光景。明日には皆、この一家の事など覚えちゃいません。
今宵の喧騒も、まだまだ始まったばかりで御座います。
【三夜目 終わり】
今日の更新は終了です。
「ううむ……どうも目が良く無いのぅ」
「……あん?」
右目の瞼を指先でとんとんと抑える老人を見て、男は訝しげな目を向けます。
「……どうせまた変なもんでも食ったんだろうが、それともクスリか?」
「ひっひっひ……両方じゃ」
にたぁ、と口を開く老人を見て、男はため息をつきました。
「なかなか刺激的だったんじゃがのぉ……視力が奪われるのは辛いのう」
「視力?」
「メデューサの蛇の肝が美味くてのぅ……ついつい食べ過ぎてしまったんじゃぁ」
「……」
男は呆れた様子で、老人に冷ややかな目線を浴びせます。老人は気付いているのかいないのか、相も変わらず、にたにたと笑っております。
辺りはまだ日が出ています。大きな市場はまだ開催されていないでしょう。
この街は、朝昼は人気が無く、夜に活気が出ます。今の時間帯では大したものは買えないでしょうね。
「ハァ……ったく、知り合いのブローカーに話をつけてやる。やってるかは知らねぇが、臓器市へ行くぞ」
「ひっひっひ……貸しが一つ出来たなぁ」
どこの口が言うんだか、と男は踵を返し、まだ明るい路地を歩き出しました。
ブローカーから紹介されて向かった臓器市では、それぞれの店がテントを張り、品物の値段を書いた札を並べています。何処にしようかと目移りする老人を背に、男は迷わず紫色のテントに入りました。
「俺だ」
「あぁ、旦那ですか。どうもどうも。心臓は今は品薄ですけど」
「今日はこの爺さんだ」
体中に縫い傷がある痩せこけた店主は、男を見るとにこやかな笑顔を作ります。
「ほぉおぉおぉ……これはまた随分と安いのぉ、粗悪品じゃなかろうな?」
「ああ、そう思うのも無理は無いけどねぇ」
店主はにやりと笑い、嬉しそうに話しました。
「実は、以前にウェアウルフの集団が、テロを初めましてね。おかげさまで、質の良い臓器が山ほど手に入ったんです」
「今月は「満月」の月だからな……奴らにとっちゃ、常に魔力を補充出来る天国だったろうよ」
「なぁるほどのお」
老人は子供のように目を輝かせ(見えているかは不明ですが)、店内をうろつきます。
「ってな訳で、このジジイの両目、移植してやってくれ」
「はいよ、コレは?」
店主は、親指と人差し指で、○印を作ります。前払いが当たり前の世界ですからね。
「……おい」
「ひっひっひ」
「――クソジジイめ!」
男は観念したかのように、金貨を差し出します。店主は「確かに」と言い残すと、奥の方へ下がりました。
戻ってきた店主の手には、氷漬けにされたウェアウルフの両目がありました。特殊な氷魔法で、鮮度を保ったまま保管してあるようです。
「えーと、「機能」はどうします? その分の魔力は出してもらいますけど」
「ああ、このジジイには必要無い。余計に変なもんを探し出す」
「ワシにもつけとくれぇ」
「うるせぇ! 金出さねえぞ!」
なるほど……どうやら、男の「嗅覚」は、ウェアウルフの心臓を移植した際に宿ったもののようですね。
莫大な魔力を込める事で、元の所有者の「能力」の欠片も受け継ぐ――表の世界では禁止されている魔法ですが、「イサクラ」には関係ありません。
店主は老人を奥の方へと案内します。男は退屈そうに、持っていた煙草に火をつけるのでした。
「ひっひっひ、お目目がぱっちりじゃあ~」
「目を見開くな、気色悪い」
上機嫌な老人と共に、男はすっかり暗くなった道を進みます。此処一帯はゴーストタウンのようで、夜でも人気がありません。
男は暗くても平気ですが、老人が移植したての目を堪能したい、と言うので、仕方なくウィルオウィスプをランプ代わりにしています。
「そもそも、どうせ擬態解いたら、またあの気色悪い目になるんだろうが」
「ひひひ……解いてみせようか?」
「やめろ。虫が五月蠅くて敵わん」
ひひひひひっ、と甲高い笑い声をあげた老人は、辺りをきょろきょろと見渡します。
「……おおおお、よぉ~く見えるのぉ、お主らの目玉は」
「!」
そう声を上げた瞬間、周りから何匹もの大きな獣が老人達を取り囲みました。男と同じほどの体格で、色は茶色が銀色など、個体によってさまざまです。
「ウェアウルフ……まだ残ってたのか」
「グルルルル……満月が我らに力を与える!! お前ら、我らの身体を移植しているな!! 殺してやる!」
その中でも一際大きい、リーダー格の黒いウェアウルフが男に向かって声を荒げます。それに対し、さっさと帰りたいんだがな、と男は面倒くさげに目を細めます。
「……力与えられてるくせに、壊滅してんじゃねーか」
男がそう言い放った瞬間、ウェアウルフ達は一斉に飛び掛かりました。
男は瞬時にウィルオウィスプを召喚し、炎の陣を作ってそれを防ぎます。
「ひっひっひ……ワシも手伝ってやろうか? 久しぶりに元の姿に戻りたいしのぅ」
「絶対にやめろ。あんたが暴れると洒落にならん」
「ネクロマンサーか……小癪な術を! だが、こいつはどうかな!?」
「!」
一瞬反応が遅れましたが、男は地中から襲い掛かってきたそれを回避します。
「百千ムカデか」
百千ムカデと呼ばれたそれは、大きなムカデのモンスターでした。サイズは10メートルほど。なかなかの大きさです。黒い甲殻は月光で照らされ、牙をかちかちと鳴らしています。
どうやら、このモンスターを手懐けていたおかげで、彼らは生き延びる事が出来たようですね。
「ちまちま潰すのは面倒だな……一気に終わらせてやる」
男はそう言うと、真の姿を解き放ちました。辺りが炎で明るく照らされます。
「……あ……!?」
次の瞬間、百千ムカデが豪炎に包まれ、黒コゲになって倒れました。辺りに焦げ臭い臭いが充満します。
「き、聞いてねえぞ、こんなヤベェのがこの街にいるなんて――」
「そうかい」
大きな翼を羽ばたかせ、高く飛びあがった男は、凄まじい爆炎で一気に真下を焼き払いました。
煙が晴れると、そこには無傷の老人が、相変わらずの様子で笑っています。
「ひっひっひ……ワシを殺せなくて残念じゃったのぉ」
「あ、ごっめーん。うっかり巻きこんじまったー……ちっ」
棒読みでその言葉を口にした男は、全くのダメージが入っていない事に舌打ちをします。
「さすがは無敵の怪物、ジャバウォック様じゃのぅ……ひっひっひ」
「……てめえが言うんじゃねえ、クソジジイめ」
人の姿に戻った男は、不満げに歩き出します。
「……ああ、そういや、焼かずに臓器売れば良かったな」
その後ろでは、満月の光が、ウェアウルフ達の死体を妖しく照らしているのでした。
【四夜目 終わり】
「っあー……! また負けた!」
「ひっひっひ……よわーい、弱いのぉ~」
男はサイコロの目を見て、苛立ちながら頭を掻き毟ります。老人は嬉しそうに手を叩き、琥珀色の液体をごくごくを飲み干します。
「……あぁクソ、良い酒なのによ……せめてちびちびいけよ……」
「ゲェーップ……ひっひっひ……」
相変わらず、彼らが潜む路地裏には、人気がありません。と言うのも、「あの辺にはヤバい奴らがいる」と言う噂が、最近こっそりと流れているからであります。
この欲望の街「イサクラ」を取り仕切る者は、意外にも存在しません。誰もが好き勝手に売り、買い、暴れ、殺し、治し。そんな澆季溷濁とした有様で、今日も街を満月が照らします。
「!」
と、突然男が顔を上げました。
こつ。こつ。人気の居ない路地裏に、何者かの足音が響きます。
男はその存在に、少し身構えます。老人は、その不気味な笑みを止めました。
と言うのも、この街には色んな種が存在していますが、こんなに無警戒に歩いているのに、気配が一切感じられない足音は初めてでした。まるで足音だけが近づいてくるようです。
「どうも、こんばんはです。お二人とも、強そうなのです」
姿を現した明るい声の主は、穏やかな笑顔でそう告げます。小柄な背に、中性的な顔立ちをしていて、男か女か分かりません。一応少年、と呼びましょうか。
「……お前、種族は何だ?」
「えへへ、秘密なのです!」
「……」
彼を「危険」と判断したのか、男はウィルオウィスプを挨拶代わりに放ちます。
しかし、それは少年のウィルオウィスプで相殺されました。火球同士が弾けて辺りを眩しく照らします。
「……てめぇも死霊術を使えるのか」
「僕自身は使えないのです」
男は眉間に皺を寄せ、険しい表情をします。人に擬態中とはいえ、自分の攻撃を軽くあしらう相手を見るのは久しぶりでした。
「あまり乱暴は良く無いと思うのです。痛いのは怖いのです」
「……お主、なかなかやるのぉ……」
「僕は新参者なのです。あまり荒事をして目立ちたくはないのです」
勝てない相手では無さそうだが、お互い無事では済まなそうだ――男はそんな判断をしました。
「別に喧嘩をしにきた訳では無いのです。お二人にこの街の事を聞きたいのです」
「と言っておるぞぉ~? まぁワシは構わんが……」
「……ああ、良いぞ」
「やったのです!」
嬉しそうに飛び跳ねる少年を見て、男はまた面倒な相手が出来たな、とため息をつくのでした。
彼らは少し移動し、近くの酒場に腰を下ろしました。多くの酒飲みで賑わっています。
「で、お前は何処から此処に来た?」
「分からないのです」
「あん? お前のいた場所に、空間の歪みが出来てたろ?」
この「イサクラ」は、それぞれの空間の「隙間」にぽつりと存在する街。あらゆる世界の空間の歪みに繋がっています。
「真っ暗な所から来たのは覚えていますが、それが何だったかは分からないのです」
「んだそりゃ……」
そんなやりとりをしていると、注文していた料理と酒が届いたようです。彼らは会話を止め、酒に手を伸ばしました。
「ひっひっひ、酒はたまらんのぉ~」
「お金を出してもらって、感謝なのです」
「貸しだ。忘れんなよ」
「奢ってやればいいのにのぉー、ケチ」
「この街で生きていくには、どうすればいいのです?」
その言葉を聞くと、男は酒をテーブルに置き、にやりと笑いました。
「単純だ……騙されない「知恵」、身を守る「力」、後は「金」――これさえあれば、後は何もいらねえ」
「この街で信じられるのは自分だけじゃぞぉ~? ひっひっひ」
「なるほど、簡単なのです!」
少年はぽんと手を叩きます。
「だが、一つだけやっちゃいけねえ事がある――この街の中央にある、大きな時計台。そいつに触れるな」
「時計台?」
「ああ。それに触れた者は、「イサクラの主」によって、必ず殺されるんだ。これは脅しなんかじゃねえ」
「そうですかー」
本当に理解出来てんのか? そう男が疑惑の目を向けた瞬間、店の中央から大きな声が上がりました。
「おぉ、ついに「首斬りジャック」の野郎が死んだって!?」
「ああ、最期は自分も首を斬られて死んだってよ」
首斬りジャック、とは、最近「イサクラ」で噂になっていた殺人鬼です。
凄まじい数の人をその剣で斬り伏せた事から、「首斬り」の二つ名を欲しいままにしていた人物でした。
その首斬りが、誰かに斬られたようです。上には上がいるものですね。
「ほぉ、怖いのぉ~」
「ああ、ジャック……そう名乗ってたのです。僕が殺しました」
「!? お前、争いは嫌いなんじゃ無かったのか……」
「雑魚に偉そうにされるのは不愉快なのです」
どうやら、少年が首斬りを殺したようですね。悪びれもせずに告げる少年を見て、老人は笑い声を上げます。
やはりこいつは警戒しておく必要があるな――男がそう思い直している事も知らずに、少年は新しく来た料理に舌鼓を打つのでした。
【五夜目 終わり】
此処はネオン街に存在する、「イサクラ」でもトップクラスの巨大カジノ。ギラギラとした明かりが昼夜構わず街を照らす、数々の大物が集まる場所です。
中では真っ赤なカーペットが中央を陣取り、周りにはトランプゲームやルーレット等の台が並んでいます。
その中央の高台には、カジノの守り主であるガーゴイルが常に見張っており、どんな不正も許しません。
さらに、このカジノでは、擬態以外の全ての能力を封じる、超巨大な魔法陣が刻まれています。如何なる者でも、イカサマは出来ません。
……おや、そのルーレット台の中に、見覚えのある大きな背中が見えますね。
「ベットはどうなさいますか?」
ベルを鳴らした無表情のディーラーが、男に告げます。
男はすでに他のゲームでボロ負けしており、すでに賭けに使えるチップは、ごく僅かでした。
赤か黒か、奇数か群数か――男は残りの残金を頭に入れ、真剣に頭を悩ませます。
縦一列や大中小で当たった所で、減った分は取り返す事が出来ない。男は覚悟を決めました。
「黒の17番……一目賭けだ……!!」
「かしこまりました」
どうやら、17番一つだけに絞ったようですね。確率は少ないですが、当たれば大きいです。男は全てのチップを差し出しました。
銀色のボールがホイールを回り始めます。その速度に反応し、自然と男の心臓の鼓動が高まっていきます。
ボールが回って少し経過しました。ディーラーがベットの終了を宣言します。
「ベットの変更は、これで終了となります」
「……ああ」
男は返事をし、ベルを二回鳴らしました。もう後戻りは出来ません。
(……来い、来い……!!)
ボールの速度が摩擦によって殺され、だんだんと遅くなってきました。何度もかちん、かちんと目に弾かれ始めます。
(……来い!!)
そして、運命のボールは、ついに目に収まりました。その数字は――
「黒の17番……おめでとうございます」
「――よっし……!」
ディーラーは感情を感じさせない声色で、淡々とそう告げます。
ガッツポーズをとる男の目の前に、次々とチップが重ねられます。ギャンブルで勝ったのは、いつぶりでしょうか。
全てを金貨と宝石、少しの酒に換金した男は、意気揚々とカジノを後にしました。
後に彼が老人に大敗し、その半分を持っていかれるのは、また別のお話。
【六夜目 終わり】
「……ああ、血が疼くなァ……」
「ヒッヒッヒ……」
「怖いのです。襲われそうです」
フクロウが鳴き、不穏な空気が流れる今宵。深紅の光が降り注ぐ「イサクラ」は、普段よりも段違いに危険度が増します。
何故なら、今宵は珍しい「血の満月」だからです。その妖しい月光が含む魔力は、耐性が低い者の理性を、簡単に無くしてしまいます。
この月が出た翌日は、普段の数倍の死体が街に転がる事になります。生き残っていられるのは、一部の強者だけ――定期的に行われる選別のようなものですね。
「あァ、じっとしてられねえ。散歩にでも行くわ」
「ヒッヒッヒ……行くか」
「決して自分から喧嘩を売らないでほしいのです」
男や老人も、普段よりもギラついた目をしています。少年だけが、いつもと同じように飄々とした態度を取っています……何者なのでしょうか?
何処からか、生臭い風が吹き、男の肌を撫でます。そのまま路地を歩いて行くと、案の定殺し合いが起きておりました。
「ヒッヒッヒ……楽しそうじゃのぉ~」
「……あんたは暴れんなよ? 自分でも分かってんだろ?」
「このお爺ちゃんは、何の種族なのです?」
「驚くなよ? このクソジジイはな――」
男が口を開いたその瞬間、空から何者かが飛び出してきました。
「今宵は素敵な月ですねぇ……クフフッ」
「……血狂いか、失せな雑魚」
現れた金髪の女性は、ヴァンパイアのようですね。理性は保っているようですが、男と同様、満月に血が惹かれている様子。すでに何人も殺しているようです。
艶めかしい動きで口元の血を拭うと、腰に下げた剣を少年に向けて突きつけました。
「……止めるのです」
「あなたの血、とても美味しそう……ウフフッ」
ヴァンパイアの女性は、そう言うと同時に、鋭い突きを放ちます。少年は不気味な笑みと共に、突如手にした剣でそれを難なく弾きました。
「あれ、いつの間に剣を……?」
「ふふ……分からないのです?」
「ッ!」
女性は背中にぞくりとした悪寒を感じました。まるで、得体の知れない暗闇に呑まれたかのような――
「クフフ……怖い?」
「!」
その瞬間、ヴァンパイアの「女性」が「本体」の首元に飛びかかりました。「本体」は驚き、跳ね除けようとしますが、すでに時は遅く。
「女性」が「本体」の首元に噛みつき、そのまま血を吸い取ります。
恐ろしい速さで全ての血を飲みほした「女性」は、元の姿に戻りました。
「激レアじゃねえか、見た事ねえぞ……ドッペルゲンガーだったとはな。次は俺とやろうぜ……!」
「ヒッヒッヒ……驚いたのぉ」
少年はドッペルゲンガーだったようですね。相手の姿や能力をコピーする能力でしょうか?
「強い相手はコピーだけじゃ勝てないのです。だから争いは嫌いなのです」
「なんだそりゃ」
今も何処かで血に飢える者共の咆哮が聞こえます。
血なまぐさい今日の「イサクラ」の夜は、まだまだ続きます。
【七夜目 終わり】
「……!」
「……あ、起きた……大丈夫……ですか?」
目を覚ました男は、自分の身体が軽い事に驚きました。見ると、全ての傷がある程度癒えています。
「……てめえがやったのか?」
「……う、うん」
少女はびくりとしましたが、心配そうな顔を見せます。
「……勝手な事すんじゃねえよ」
男はむくりと起き上がると、服の汚れを落として少女に背を向けました。
……ですが、さすがに胸糞が悪いと感じたのでしょうか、懐から金貨を三枚ほど出しました。
「……だが、治してもらったもんはしょうがねえ。これはその分の金だ」
その金貨を乱暴に放り投げ、男は歩き出しました。
「……ありがとう、お兄さん……大事にするね」
「貰ったんならさっさと失せな、いつ俺がお前を殺すか分からねえんだぞ」
男は壁に唾を吐くと、狭い路地へと消えていきました。
「もう大丈夫か……涙を買いにいかねえと」
男は、体力がある程度回復したのを確認すると、自分の住処から再び表通りに戻りました。
「……ん? あいつは……」
視線の先には、先ほどの少女が道に座り込んでいます。
「……おい、さっさと失せろっつっただろが! 此処に居座ってんじゃねえよ!」
自分に目をつけているのか? 男は罵声を浴びせますが、どうも様子がおかしいようです。
少女はぜぇぜぇと肩で息をし、今にも崩れ落ちそうな状態です。
「おい、聞いてんのか……」
少女の髪を掴み、こちらに引いた男は、一瞬動きが止まりました。
(こいつ、なんで――)
「……何、笑ってんだ……?」
少女は、安らかな笑みを浮かべていました。
「……誰かの役に立ったの、初めて……だから……」
「……」
「……嬉しかったな……」
そう言い残し、少女は目を閉じました。
呼吸をしていません。どうやら、息を引き取ったようです。
(……もう動く体力すらも、残ってなかったのか)
そんな状況だったのに、こいつは俺を治したのか。
男は理解が出来ません。この街では、そんな事をする人間なんていませんから。
「……ふん、俺の知った事じゃねえ」
男はそう言うと、早歩きで進み始めます。
「……」
「……」
「……」
「……悪かったな」
男がぽつりと放ったその言葉は、夜の闇に呑み込まれて行きました。
【八夜目 終わり】
「……そういえば」
「ん」
「えーと、「イサクラの主」って、結局何なのです?」
「……ああ。誰も見た事がねえんだが……広場にある時計台の事は話したな?」
「はいです」
「まあ、正体は改造人間だの、亡霊だの、色々言われてるが――」
「噂じゃ、あの時計台には、「イサクラ」をずっと監視している奴が、たまに降り立ってんだとさ」
「わざわざあんな所で休憩するんですか、変わってますね」
「知らねえよ、俺は奴じゃねえ……誰もが言う唯一の特徴は、白い梟の仮面を付けてるんだとよ」
「へえ。それじゃ、時計台を魔法で吹っ飛ばしたらどうなるです?」
「……それがな。奇妙な事に、あの時計台は全ての攻撃を捻じ曲げるんだと。打撃もな。まるで磁石みてえな力で押し曲げられるらしい」
「へえー」
「……ま、それを試した奴らは、全員殺されたけどな」
「可愛そうですね」
「どの口が言ってんだ……触れても駄目、魔法を打っても殴ろうとしても駄目。あれが何の為にあるのかは誰も知らん」
「ふーん……」
「……ま、近寄らない事が一番だな」
「はいです」
「……おーい、仕事だ! 金が欲しい奴はいるか!」
夜の酒場に、大きな声が響きます。でっぷりと太った、サングラスをかけた男が、仕事の勧誘をしているようですね。
「場所は「黒海」! 仕事内容は、その海域で最近見られるようになった、「悪魔の魚」の親玉を討伐だ!」
「!」
その声を聞き、一人が分かり易い反応をしました。例の男です。
「ひっひっひ……行く気じゃろ? ワシもつれてけ」
「あん? ジジイが行くほどのもんじゃねえだろ」
「少し必要でのぉ……ひひっ」
「気持ち悪い……とにかく、死体は残しとけよ」
男はそう言うと、説明を続けるサングラスの男の前に座りました。
「俺と……あのジジイも行く」
「おし、二人だね! 一応船は出すけど、高確率でバラバラになるよ! 浮遊魔法とかは使えるかな?」
「ああ、両方大丈夫だ」
「……あ、あれ。確かジャバウォックの旦那じゃ」
「マジかよ?」
「あっちの爺さんも、相当強いらしいぜ……」
酒場にざわめきが生まれます。男の身元が割れてしまっているようですね。
耳障りだな、と男は思いますが、雑魚に絡まれないだけましか、と考え直します。
「ひっひっひ……」
そのまま話を進める男を見て、老人はにたりと気味の悪い笑みを浮かべました。
「……確かに真っ暗だな」
「いやー助かるよ、少数精鋭の方が色々と楽でねー」
朗らかに話すサングラスの男は、操作魔法で船を動かしています。辺りは「黒海」と言うだけあって、海の色は漆黒に染まっています。
天候は大荒れです。ひどい嵐にぶつかってしまったようですね。老人が巨大な結界を貼り、雨をしのいでいます。
「……ん、そういや……あんたはどうやって狩るつもりだったんだ? 操作魔法中だが」
「だから少数精鋭なんだよー、皆が駄目なようなら、その前に逃げないとねー」
「……ああ、なるほどね」
シビアな返しですが、いたって普通の事です。男は荒れ狂う波を見つめました。
「ひっひっひ……嵐で戦い辛いんじゃないかぁ?」
「アホ。ウィルオウィスプ無しでも勝てるわ」
「おお、こりゃ頼もしい……ん」
ゆらり。海面が大きく揺れました。
「! 来たみたいだねー」
「……おお、でかいな」
真っ黒な海面から、次々と巨大な肉の柱が出現します。一本、二本……八本。おまけに見覚えのある吸盤がびっしりと並んでいます。
そして、小山かと錯覚してしまいそうなほどの、巨大な頭が現れました。その目は明確にこちらに敵意を放っています。
「よーし、そんじゃあ一発……」
触手の一本に向かって飛びだした男は、魔力を込めた強烈な一撃を与えます。
……しかし。
「うおっ……おお!」
男はそのまま海面に叩き付けられてしまいました。凄まじい衝撃と共に、視界が真っ黒に染まります。
触手の吸盤は思っていたよりも強く、威力を全て殺されてしまったようです。
(……チッ)
「おいおい、あの人やられちゃったんじゃ!」
その瞬間、黒と紫の甲殻、赤い翼膜を持つ怪物が、海中から飛び出してきました。触手に捕まる前に、上手く脱出出来たようです。
「ひっひっひ、本気を出さないと勝てないのかのぉ?」
「うるせえ……海中だとブレス撃てねえだろ」
(嵐で大分弱体化するが……てめえを丸焦げにするくらいなら容易い)
男は大きく息を吸い込み、夕日が落ちてきたかと思うような、巨大な火球を放ちました。
「悪魔の魚」の親玉は、火球に呑み込まれ、その巨体を仰向けに倒します。これにて一件落着のようですね。
「ふう……お、嵐も丁度過ぎたか。これで終わりだな」
「おー! ブラーボォ! いいねいいね! よくやってくれた!」
「……ん、おいジジイ、何持ってんだ」
両手を上げて大喜びするサングラスの男とは対照的に、やけに大人しかった老人は、右手から何かをを親玉に投げました。
それは身体に触れた瞬間、凄まじい勢いで成長し、親玉の身体に絡みついていきます。そして鬼のような形相の顔を形作りました……これは。
「なっ!? て、てめえ、「鬼神ガジュマル」の種……どこでそんなもん!」
「ひっひっひ、さっさと倒しとくれぇ。ああ、炎は使うなよぉ~」
あの種は「鬼ガジュマル」のさらに上、「鬼神ガジュマル」の種だったようです。目を覚ました瞬間、触れる物全てを吸収して成長する、かなり危険なモンスターです。
その根の粉末は、凄まじい秘薬となるのですが……おそらく酒に混ぜるためでしょうね。
「文字通りてめえが蒔いた種だろうが! 自分でやれ!」
「ああ、天下のジャバウォック様でも出来んか……そりゃすまんかったのぉ、ひっひっひ」
「……クッソジジイ――!!」
結局男は、炎を使わずに鬼神ガジュマルを倒す羽目になるのでした。
【九夜目 終わり】
「いらっしゃい……珍しいね、うちに子供が来るとは」
「此処の古本屋の店主さんは、物知りだって聞いたのです。あのおっきな男の人から」
「ああ……ジャバウォックの小僧か」
「僕は「ドッペルゲンガー」なのです。本当の自分というものが無いのです。文献はあるです?」
「ドッペルゲンガーか、そりゃ珍しい。残念ながら無いが……」
「なら、「イサクラの主」さんに会ってみたいのです。何か知ってるかもしれないのです」
「……彼が姿を現す時は、人を処刑する時だけだ」
「あの時計台ですか」
「ああ。あらゆる攻撃を全て捻じ曲げ、ただ触れるだけでも駄目……」
「迷惑ですね」
「一説では、彼はこの街の化身では無いか、と言われている」
「けしん」
「そう。時計台も、大した理由は無く、ただ「自分の存在を証明する」ためだけに、あるのではないか、と」
「……分かる気がするです」
「ありがとうございましたです、もう行くです」
「ああ、またいつでもおいで」
「はいなのです」
時刻は草木も眠る丑三ツ時。薄暗い広場を、月の光が薄暗く照らしております。
今日は「満月」の終わりの夜。明日からは「三日月」の月へと変わります。つまり、この月最後の満月ですね。
その広場の時計台に、ゆっくりと近づいてくる異質が一人。迷いはないようです。
そして、その右手を伸ばし……ぺたり、と触れました。
「!」
「びっくりした……本当に梟の仮面を被ってるんですね」
「フフフ。さて、分かっていて、それでもなお、わざと触れたという事ですが」
(すごいのです、まるで闇の具現化……良くない気が全身から溢れてるように感じるのです。本能が勝てないって叫んでるのです)
(でも、別に死んでも構わないのです)
「聞きたい事があるのです。僕は――」
「却下」
「えっ」
ひゅん、と鋭い風切音が一閃。
その瞬間、少年の首は宙を舞っていました。がつんと音がして、生首が地面に叩き付けられます。
「……会話くらい、してくれても、良いと思うのです……」
「おや、まだ意識があるのですか、さすがに驚きです」
「何故、あなたは――」
「では」
ぐちゅり。嫌な音を立て、少年の生首に剣が突き刺さります。
ふう、やはり人を殺すのは、心が痛みますね。まるで膨れ上がった心臓を、ゆっくりムカデに齧られているようで御座います。
……ああ、そう言えば、自己紹介をしていませんでしたね。ワタクシの悪い癖です。
ワタクシ、「イサクラ」と申します。随分と遅れましたが、どうぞお見知りおきを。
この街では、どろどろとした欲望が常に溢れ出ています。
まさに人の闇の塊――まあ、それがワタクシの血となり肉となるのですが。
……え? 少年の話を聞いても良かっただろう? ああ、悪いとは思っていますよ。
ただ……
「ワタクシは、絶対的「理不尽」であらねばならない」
そうして存在を知らしめる事により、この街には絶対に勝てない「何か」が居る。
そう心の奥底に刻み付けなければならないのです。
それを理解した上で、この世界で、人々がどのように生き、何を描くのか。
ワタクシは、それを見届けたいので御座います。
その時が来るまでは、この街は「平和」であり続けるでしょう。
街の真下の奥深く――その深淵には、「イサクラ」を丸ごと呑み込む、巨大な化け物が眠っている事。
未だ、彼らは誰一人として、知る由も御座いません。
【十夜目 終わり】
ぱちん。
「そう言えばよ」
ぱちん。
「ん?」
「最近、あのガキ見ねえよな」
「ひっひっひ……もしかしたら、殺されたかもしれんのぉ」
「ドッペルゲンガーがか? どんな奴が相手でも、殺されるほどには追い込まれねえだろ」
「ひっひっひ……「イサクラの主」にやられたのかもなぁ」
「……ありえるな。興味持ってたし」
「そーれ、詰みじゃ……ひっひっひ」
「!! くっそ……」
「ひっひっひ……相変わらず、弱い弱い~」
「クソジジイめ……」
「さぁて、次は酒を買ってもらおうかのぉ~」
「チッ……へいへい、喜んで買わせていただきますよ、ベルゼブブ様ー」
男と老人は、もう少年の事は頭から抜けてしまったようです。
にたにたと笑う老人に、不愉快そうに顔をしかめる男。いつも通りの光景です。
「だが……次はこいつで勝負だ」
「ひっひっひ……言い訳は聞かんぞぉ~?」
今日も「イサクラ」は活気があります。
梟が何処かでほうと鳴き、彼らは再び博打を始めるのでした。
【終わり】
終わりです。今回は人のダークな感じを書きたかったので……。
前作です! よく考えたら、とある被りしてるorz
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