俺ガイルSS 『思いのほか壁ドンは難しい』 (1000)

ガガガ文庫 渡 航 著 「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている」SS

10巻、冬休み明け間もない頃の話という設定です。

SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1457710424



「――― 壁ドン?」


一色「そう!何と言ってもやっぱり壁ドンです!」

冬休みも明けて間もないある日の放課後、奉仕部の部室としてあてがわれている総武高校、特別棟の一室。

亜麻色をしたセミロングの髪、まだあどけなさの残る顔立ち、華奢な細い線にやや着崩した制服 ――― 俺たちの後輩、一年生にして生徒会長でもある一色いろはが、きゃぴるんとばかりにその大きな瞳をきらきらと輝かせた。

一色「素敵な男子に壁ドンされるなんて、女の子にとってはもう最っ高の萌えシチュじゃないですか!ね、先輩?」


八幡「…いや、ね?とか言われても俺知らんし」

唐突に話を振られた俺はスマホの画面から顔を上げ、一部では稲毛海岸に流れ着いた死んだ魚に勝るとも劣らぬと定評のある目を更に腐らせて一色を見た。

どうでもいいけど、ぼっちってひとりで時間潰す事が多いからスマホのバッテリー無くなるのやたら早いんだよな。その分電話帳のバックアップとかは要らないんだけど。


雪乃「一色さん、比企谷くんに同意を求めても、それは無駄というものよ」

俺の戸惑いを察したものか、いつもの定位置、つまり俺の反対側にある窓際の席に座る黒髪にして白皙の美少女 ――― 雪ノ下雪乃が手にした文庫本に目を落としたまま静かに諭すかのように、だがきっぱりと断言した。

八幡「…まぁ、そうだな」渋々ながら俺も彼女に同意する。

雪ノ下のその言い方もどうかとは思うのだが、確かに男である俺にそんな事訊かれたって答えようがないだろ…その言い方もどうかとは思うが。大事なことなんでとりあえず二回言ってみました。


雪乃「――― だって、もし仮にそんな経験があったとしたら、今頃は間違いなく刑務所の中にいるはずだもの」

結衣「って、捕まっちゃうんだ?!」

俺と同じクラスでやはり奉仕部に所属している由比ヶ浜結衣が驚きの声をあげ、その拍子にピンクがかった茶髪のお団子髪がぴょこりと揺れた。

八幡「…ちょっと待て雪ノ下、さすがにそれは言い過ぎだろ」

雪ノ下の毒舌はいつものこととはいえ、やはり後輩もいる手前、今日こそはひとつビシッと言っておいた方がいいだろう。

八幡「――― 初犯なんだから多分、情状酌量で執行猶予くらいはつくはずだ」


一色「………逮捕されること自体は認めちゃってるんですね」


結衣「でも壁ドン…かぁ…」由比ヶ浜が片手でぽわぽわとお団子髪を弄びながらそれとなく横目で俺を見た。

なんぞと返した俺と目が合った途端、慌てて横を向いてしまったが、その仄かに赤くなった耳を見ればさすがに鈍い俺といえどもピンとくる。

八幡「………や、アレだぞ由比ヶ浜」

結衣「…え?なっ、何?」/// ドキッ

八幡「一応断っておくが、ドンがつくからと言っても、別に天丼やカツ丼みたく食い物の事じゃないからな?」

もちろん深夜営業のディスカウントショップや辛口のファッションチェックともまるで関係がない。

結衣「あ、あたしだって、そ、それくらい知ってるしっ!」/// 

せっかく教えてやったというのに逆に何やら機嫌を損ねてしまったらしくプンプン怒り出す。でもコイツ、確かついこの間まで人間ドックのこと人面犬と勘違いしてなかったっけ?

八幡「そうなのか?そりゃ悪かったな。じゃあ、お前、壁ドンがどんなもんか説明してみろよ」

結衣「…………へ? えっと、ほら、アレでしょ?なに?なんかこう、壁にドーンって…」

言いながら右手を突き出して見せるその仕草はどちらかというと、いや、むしろ限りなくガチョーンのそれに近い。昭和かよ。

八幡「…壁にドーンって、お前それ、まんまじゃねぇか」もしかして説明の意味から先に説明しなくちゃいけないの?

一色「あー…、でも、それって、いかにも結衣先輩って感じですよね」

結衣「うわっ!なんかいろはちゃんにまで残念な目で見られたっ?!」


雪乃「由比ヶ浜さんの説明が拙いのはいつものことだから仕方ないとして ――― そもそもどうしてそんな話になったのかしら?」解せないわ、とばかりに雪ノ下が小首を傾げる。

どうやら由比ヶ浜をフォローしたつもりらしいが、残念ながらまるでフォローになっていない。むしろ追い討ちに等しい。こいつってば相変わらず他人のこと慰めるのとか超下手なのな。

「仕方ないんだ…」さりげなく切り捨てられた由比ヶ浜の顔がリアルでショボーンみたくなっているがそこは敢えてスルーで。

だが、そう言われて見ればいつの間にそんな話になったのか始めから聞いていたはずの俺にもイマイチよくわかっていない。

確かこいつらさっきまで「寒いからシチューが美味しい季節になったね」とか「余ったシチューは焼きシチューにするといいらしいですよ」なんて言いながら料理の話で盛り上がってなかったっけ?

おいおい、もしかして焼きシチューが萌えシチュになって壁ドンって、いくらなんでも自由すぎだろ。

あれな、女子の会話って脈絡もなく話題がポンポン変わるから、ホント話の展開についていけないんだよな。まぁ俺の場合、最初から話の輪に加えてもらえないから特に問題ないんですけどね。


一色「と・に・か・く、葉山先輩なんかに壁ドンなんかされちゃったら、もう、どんな女の子だって即オチですよ、即オチ」

俺や由比ヶ浜と同じクラス、つまり2年F組のリア充グループのリーダー、葉山隼人は一色が生徒会と掛け持ちでマネージャーを務めるサッカー部のキャプテンでもある。

爽やかなイケメンで成績も学年トップクラス、父親は弁護士で家はお金持ちという、三拍子どころか三三七拍子くらい揃ったリア充の中のリア充だ。
そのリア充度たるや、俺と並んで立たせるだけでもう格差社会の縮図と言っていいレベル。

だが、その葉山と言えば ――― 俺はそっと一色の顔色を窺う。こいつ、自ら特大の地雷を踏みにくるとは大したハートロッカーだな。


雪乃「そう言えば一色さん、あなた部活に出なくて構わないのかしら?もう練習は始まっているのでしょう?」

雪ノ下の指摘に、一色の薄い肩が一目でそれとわかるほどギクリと強張る。


一色「…だって外、寒いじゃないですか」来客用に出された紙コップの紅茶をすすりながらおずおずと答えた。

八幡「…そりゃ寒くて当然だろ、冬なんだし」

千葉は一年を通して比較的気候が温暖な地域なのだが、だからといって冬が寒くないというわけでは決してない。
逆になまじ暖かいからこそ千葉県民の寒さに対する耐性は全国一低いといって過言ではないだろう。
加えてここのところこの部屋で唯一の暖房器具であるヒーターの調子が今一つ良くないせいもあってか、今日は殊更寒く感じられる。
部屋の中でさえこれなのだから、海からの風が容赦なく吹き付ける屋外はもっと寒いに違いない。

一色「あ、それにマネージャーは他にもいますし、葉山先輩には生徒会の仕事で休みますって伝えてもらってありますから」明らかにとってつけたような言い訳を口にする。

八幡「いや誰がどう見てたってお前、仕事なんて一ミリだってしてねぇだろ」ダベってお茶飲んでるだけで仕事してますとか、なんだよその夢ジョブ。今時、丸の内あたりの腰掛けOLだってもっとちゃんと仕事してんぞ?

一色「失礼な!仕事ならちゃんとやってますよ!副会長くんと書記ちゃんがっ!」

雪乃「…あなたじゃないのね」


一色「…でもあのふたり、最近仲が良すぎちゃって、正直ちょっと生徒会室にいづらいってのもあるんですよね」

もの憂げな感じで小さく呟く一色に、俺たちはそろって顔を見合わせる。

なるほど、確かにさして広くない部屋の一方で、イチャコラキャッキャウフフとかしてるのを見せつけられたりしたら、色々とやりづらい面もあって当然だろう。
それに実のところ、一色は昨年のクリスマスシーズンに東京ディスティニーランドで葉山にコクってフラれたばかりなのである。
冬休みというインターバルがあったにせよ、やはりそうそう気持ちの切り替えができるというものでもあるまい。

こいつがこうやって意味もなく奉仕部に入り浸ってるのも案外そのあたりが本音なのかも知れない ――― そう考えると、無碍に追いやるのも少し可哀想な気がしてきた。

雪ノ下にしてもそれは同じだったのだろう、それ以上は何も言わず、ティーポットを片手に静かに立ち上がると、手ずから一色の紙コップにそっと温かい紅茶を注ぎ足した。

「スミマセン。アリガトゴザイマス」神妙な顔でぺこりと頭を下げる一色に対し「いいのよ」と言いながら柔らかな笑みを浮かべる雪ノ下。そんなふたりを由比ヶ浜が優しい目で見ている。

俺の視線に気がついた雪ノ下がポットを小さく掲げ「あなたもどう?」と目で問うてきたが、猫舌の俺は軽く首を振ってそれに答える。

こうやって見ると雪ノ下も初めて会った頃に比べて随分物腰が柔らかくなったものである。それはやはり由比ヶ浜の影響が大きいのだろう ――― ふとそんな事を思った。


八幡「ま、アレだ。壁ドンだの顎クイッとか言ってもだな、好きでもなんでもない男がやったら、それこそただのパワハラやセクハラ扱いされるだけなんじゃねぇの?」

だいたいなんだよ萌えシチュって。シチュー焼いたらそれもうフツウにグラタンだろ。

雪乃「あら、執行猶予期間中のあなたが言うとさすがに説得力が違うわね」雪ノ下がクスリと小さく笑う。

八幡「ばっかお前、何言っちゃんてんだよ。壁ドンはともかく、こう見えて壁打ちとか壁パスなら超得意なんだぜ?なんせ体育の授業中は誰もペア組んでくれなかったからいつもずっとひとりでやってたし」

結衣「なんか理由が悲しすぎるっ?!」


一色「先輩って、お友達もいなかったんですね」少し俯き加減だった一色もようやく顔を上げ、小さく笑みを浮かべて会話に加わる。

八幡「“も”ってなんだよ“も”って。ボールが友達だったんだよっ!」どこぞのキャプテンだって言ってるだろ。正直、友達を足蹴にするのはどうかと思うが。それってイジメじゃね?

雪乃「そうね。それにあなたの場合、暗い部屋の中で毎晩話しかけているくらい壁とも仲良しですものね」

八幡「いやそれは女子にキモいとか言われて落ち込んだ時だけ…って、なんでお前そんなことまで知ってんだよっ!」

結衣&一色「…うわぁ」おいよせお前ら憐みの目でこっち見んじゃねぇよ。

せっかく湿った空気変えようとしただけなのに、いつの間にか俺の方がよっぽど可哀想なヤツ扱いされてんじゃねぇか。


一色「でも、壁ドンに関して言えば、確かに先輩の意見にも一理あるかも知れませんね」一色が何事か考えるかのように人差し指を頬に当てる。

ダブらせたカーディガンの袖口から覗く、その白くて華奢な指先が狙い過ぎててなんかあざとい。お前それわざとワンサイズ上の服選んで着てんだろ?

八幡「一理どころか人間の心理なんて大抵そんなもんだろ?“何をしたか”よりも“誰がしたか”によって判断が全然変わったりするからな」

“人は見かけじゃないから”なんて言葉からして既に上から目線の発言だし、そうでなければ単なる負け犬の遠吠えにしか聞こえない。
何をどう言ったところで、所詮、人は見かけだけでほぼ8割方決まってしまうものなのだ。

雪乃「なるほど。つまり比企谷くんの場合、裁判員制度は圧倒的に不利ということね?」雪ノ下が納得したかのようにふむふむと頷く。

八幡「…いったい何をどうやったらそういう結論になるんだよ」


一色「あ、そうだ!だったらいっそのこと、実際に試してみませんか?」


八幡「あん?」

結衣&雪乃「…試すって?」「…何を試すのかしら?」

にこぱぁっと、今日、部室に来てから一番の笑顔を見せる一色とは対照的に、由比ヶ浜と雪ノ下が揃って訝しげな顔をする。俺に至ってはまるっきり嫌な予感しかしてこない。

俺たちの当惑を他所に一色は何を思ったのかいきなり椅子から立ち上がると、そのままとことこと部屋の端まで歩いて行き、短く詰めたスカートの裾をふわりと翻し壁を背にして立つ。

…って、なに?お前もしかしてゴルゴなの?




一色「…という訳で先輩、ヘイヘイ、カマンカマン。レッツ・トライです」

今日はこんなところで。続きはまた明日ノシ


八幡「…なんだそりゃ」ヒクッ


…いきなりレッツとかトライとかって、家庭教師でも派遣するつもりかよ。

だが、両手で小さくおいでおいでとしてるところを見ると、どうやら俺にそれをやれ、ということらしい。

一色「実はちょうど私もいつ葉山先輩から壁ドンされても舞い上がらないように、少し慣れておいた方がいいかなって考えていたところなんです」

ぬけぬけと言ってのけるその心臓には呆れるのを通り越して感心してもいいくらいなのだが、やはりどう考えても呆れる以外の選択肢が思い浮かばない。


八幡「おう、そうか。なんか知らんがとりあえず頑張れよ」言いながら再びスマホの画面に目を落とす。

一色「ちょ、なんですか、その反応?!いいじゃないですか、どうせヒマなんだしっ!」

八幡「一緒んすんじゃねぇよ。こちとらお前の相手してるほどヒマじゃねぇーんだよ」

一色「ハイそこっ!とかなんとか言いつつ、なにカバンからマンガ本取り出してるんですかっ!?」

八幡「…ちっ、うるせーな。そんなにヒマなら部活出りゃいいだろ、部活」

一色「それができるんだったら、こんなとこいるわきゃないじゃないですかっ!」

完全に逆ギレとしか思えない一色の暴言に、由比ヶ浜も苦笑いを浮かべ、雪ノ下でさえ呆れ顔である。

雪乃「いくら比企谷くんがいるからって、こんなところって…。この子ったら、自分がとても失礼なこと言ってることに全然気がついていないのかしら?」

八幡「いや、それを言うならお前も俺に対しては大概だけどな」

雪乃「あなたこそ失礼ね。私はちゃんと気がついた上で言ってるわよ?」

八幡「…なお悪いだろ」


一色「んもぅ、せんぱぁーい、立ってると寒いんだから早くしてくだーさーいー」両手で肩を抱いた一色がぴょんぴょん跳ねながら鼻にかかった甘え声を出す。

八幡「…だから誰もやるだなんて、ひとっ言も言ってねぇだろ」お前人の話をちゃんと聞きなさいって学校で習わなかったのかよ。

一色「あ、そんなこと言うんだったら私、奉仕部に依頼しちゃいますよ?!それなら文句…じゃなかった、問題ありませんよね?!」

むんっとばかりに得意げに胸を張って見せるのだが、残念ながら目視では顕著な変化は観測できない。せいぜいミリ単位、誤差の範囲内だ。

八幡「…アホかお前。問題ありまくりだっつーの」

一色「え?でも奉仕部って、生徒が抱える悩みや問題をなんでも解決してくれるところじゃありませんでしたっけ?」

雪乃「――― なんでも、という訳ではないわ。それに正確には解決するのではなく、解決するための手助けをするところ、ね」一色の率直な問いに雪ノ下が部長として答える。

一色「それって、何が違うんですか?」顔中にハテナマークを浮かべて俺を見た。

八幡「ああ、つまり、俺たちはあくまでも依頼人に力を貸すだけであって、問題を解決できるかどうかは本人次第ってことだ」

一色「…ふーん」

わかったようなわからないような顔をしているが、大抵そういうヤツに限って実はよくわかっていない。(俺調べ)


一色「でも、こんな可愛い後輩女子に壁ドンできる機会なんて、先輩のセミのように短い一生の中で滅多にないことなんですよ?!しかも今なら無料(ただ)ですよっ、無料っ!」

八幡「…この際だからお前が可愛かどうかはともかくとしてだな、それ以前に何で俺の一生が短いことが確定事項みたくなってんだよ」


雪乃「――― 一色さん?先程から聞いているとあなたどうやら何か思い違いをしているようだけど」

一色の暴走を見かねた雪ノ下が手にしていた文庫本をぱたりと音を立てて閉じ、淡々と説教モードで割って入る。

ほれみたことか。こってり絞られて海よりも深く反省しろ。

雪乃「――― セミの幼虫は暗い土の中で約七年間過ごすのよ。だから昆虫の中ではむしろ長生きと言えるわね」

結衣「って、そっちなんだ?!」

八幡「…出たなユキペディアさん」なんでそんな無駄に広い知識披露すんだよ。しかも今このタイミングで。

雪乃「でも、孤独で暗い十七年間を過ごしてきたという点では、比企谷くんはまさに十七年ゼミね。なるほど、ある意味、的を得ているといってもいいわ」ふむふむと一人頷く。

八幡「何気に酷いこといってんじゃねーよ。とりあえずお前は今すぐ全力で謝れっ!」

雪乃「あら、ごめんなさい。さすがに今の発言はちょっと失礼だったかもしれないわね、セミに対して」

八幡「…俺は虫ケラ以下の存在なのかよ」


八幡「ま、とにかく、そういう事だ、一色。どうしてもやりたんだったら、他当たれ、他」

一色「えー、そんな事言われても私、先輩の他にこんなこと頼めそうなキモい男子に心当たりないですし…」

八幡「ちょっと待て、お前、今、俺のことつかまえてさらりとキモいとか言わなかった?」

一色「あ、ごめんなさい。ほら、私って嘘つけない性格なんで」

八幡「それ、明らかに謝るとこ違うよね?」

一色「それにこの場合、壁ドンという行為そのものに効果があるかどうかの検証なんですから、イケメン相手じゃ意味がないじゃありませんか」


八幡「…………こほんっ。いいか一色?葉山ほどではないにせよ、目が腐っていることと働いたら負けだと考えていること以外、基本俺はハイスペックなんだぞ?」

顔立ちもそれなりに整っている方だし、現国は常に学年三位をキープしている。運動神経だって決して悪くはない。それになんといっても小町という超可愛い妹がいるというだけでもう間違いなく圧倒的な勝ち組。


雪乃「…その前提条件からして既に全てを台無しにして余りあるわね」

結衣「…しかも、自分からハイスペックとか言っちゃってるし」


八幡「うるせーよ。俺の場合、誰も言ってくんねぇから自分で言うしかねーんだよっ!」


結衣「…えっと、いろはちゃん、それって同じクラスの男子とかじゃダメなの?」由比ヶ浜が遠慮がちに口を挟む。

八幡「お、それだ!由比ヶ浜が珍しくいいこと言った!」お父さん思わず感動しちゃったよ。

結衣「ちょっ!珍しくとか超余計だしっ!」

確かに一色のような男好きのしそうなゆるぽわビッチであれば、喜んで協力してくれそうな男なんぞ、それこそいくらでもいるだろう…その分、女子からは嫌われてそうだけど。

雪乃「そうね、この時間ならまだ知り合いが学校に残っているんじゃないかしら?」


一色「え? えっと、あー…、そうですねー…」なぜか取り乱す一色。お前、今、目がカジキマグロ並みの勢いで泳いでんぞ。



一色「 ――― あ、でも、やっぱり私、先輩のことが好きみたいなんです!」



雪乃&結衣「えっ?!」ふたり揃って俺を見る。

八幡「って、だからそうじゃねぇだろ。お前らなに勘違いしてんだよ。少し落ち着けっつの」

自慢ではないが過去に同じような勘違いを幾度となく繰り返してきこの俺が、今さら後輩女子、それも一色ごとき相手に“好き”とか言われたくらいで取り乱すはずもない。

…しかし、こいつってば何で俺のことは“先輩”としか呼ばないんだろうね。もしかしてまだ名前覚えてないのかしらん?

そんな事を考えつつ、俺はそろそろ冷めたであろう頃合いを見計らって手元の湯飲みをそっと口に運んだ。


結衣「ヒッキー、それシュガーポットだし!」

八幡「んぶっ?!」

雪乃「…あなたこそ少し落ち着いた方がいいみたいね」


雪乃「一色さん、それはつまり、“年上の男性が好き”ってことでいいのかしら?」

一色「あ、そうですそうです!そんな感じです!」


雪乃「…あらそう」ホッ

結衣「…なーんだ」ホッ


八幡「いや、そんな感じって、お前、いくらなんでもそれアバウトすぎだろ」そんなふわっとしてるの、どこぞの政党の掲げた民意かタンポポの綿毛くらいしか知らねぇぞ?


雪乃「ちなみに年上なら誰でもいいのかしら?もちろん、これはあくまでもちなみに、なのだけれど…」

一色「え、やだなー、そんなわけないじゃないですかー。私にだって選ぶ権利くらいありますよー」チラッ(八幡を見る)

結衣「あはは、だよねー」チラッ(八幡を見る)

雪乃「うふふ、そうよね」チラッ(八幡を見る)

八幡「…うんうん、お前らそうやってさりげなく笑顔で俺をディスるのやめような?」うっかり自殺しちゃったりしたらどうすんだよ。


結衣「でも、どうして年上がいいの?」

一色「え?だって年上の方が何かと頼れるしー…それに」

結衣「ふんふん、それに…?」

一色「デートの時とかもワリカンじゃなくって全部奢ってもらえそうじゃないですかぁー」ニヤァっと、それこそ腹の底まで透けて見えそうなほど真っ黒な笑みを浮かべて見せた。



…うわー、その話、聞きたくなかったわー…。


八幡「だったら俺じゃなくて戸部にでも頼んだらどうなんだ?あいつなら同じサッカー部だし」

結衣「あ、それいいかも!いろはちゃん、とべっちなんてどう?」

由比ヶ浜が“いいね!”ボタンを一秒間に16連打しそうな勢いで賛成する。




「…それじゃ意味がないじゃないですか」ボソッ



八幡「あん?」

一色「あ、いえいえ、さすがにそれはありえないっていうかー…あ、それにほら、戸部先輩、今部活中じゃないですか。邪魔しちゃ悪いですし」

ないない、とばかりに手を振る。でも前半のそれ、いらなくね?

八幡「なら、材木座のヤツ召喚…じゃなかった…紹介やろうか?あいつなら四六時中ヒマしてるから呼べばすぐに来ると思うぜ?」


一色「は?ざい…?なんですかそれ、産廃?」材木座と聞いて、面識のない一色が戸惑いの表情を浮かべる。


八幡「…いや産廃じゃねぃだろ。まぁ、邪魔だし、重いし、かさばるし、処分に困るという点では確かにいい勝負かもしんねーけど」

雪乃「あら、でも彼なら面倒臭いし、鬱陶しいし、気持ち悪いし、何といっても傍にいるだけで十分過ぎるくらい暑苦しいから、この場合適任かも知れないわよ?」

結衣「…ふたりとも、ちょっとひど過ぎだし」


一色「ふーんー…で、どんな方なんですか、その…ざ、ざ、ざ?」

八幡「…どんなって、お前今までの俺たちの話全然聞いてなかったのかよ」

雪乃「アレを言葉だけで的確に表現するにはなかなか難しいものがあるわね…。でも敢えてひと言で言えば…言うとするならば…」

首をほぼ直角に曲げるようにして散々考えあぐねいた挙句、俺を見てふと何か思いついたらしく胸の前で手をポンと打った。


雪乃「“比企谷くんのお友達”…かしら?」

一色「えっ、先輩のお友達っ?いたんですかっ?!」


八幡「…うんうん、お前ら、つくづく失礼だよな、特に俺に対して」

今日はこんなところで。ノシ

こんなペースで、だいたい一週間くらいで完結します。


八幡「…ちっ、ダメだ。出やしねぇ」

とりあえず材木座に連絡してはみたのだが、今日に限ってなぜか繋がらない。
普段はワンコールで出やがるくせに、アイツってばホンっト肝心な時に全っ然役に立たねぇし使えねーのな。まぁ、知ってたけど。

一色「ふーん、それは残念ですねー…」

スマホのミラーアプリを使って前髪をいじくりながら一色が応じる。
って、お前いくらなんでも棒読み上手すぎだろ。パソコンのビープ音だってさすがにもうちょっと心こもってんぜ?

一色「じゃあ、やっぱり先輩が…」

八幡「 ――― それはなしだ。さっきも言っただろ?俺たちはあくまでも力を貸すだけだからな」

俺のその言葉に、一色ばかりか、雪ノ下と由比ヶ浜も少しばかり意外そうな顔をする。

確かに今までのように効率のみを重視するだけだったら、俺がやった方が遥かに手っ取り早いしやりやすい。

だが、昨年の修学旅行の嵐山の一件の事もある。

たとえ依頼を解決する為の手段だとはいえ、あれがもし逆の立場だったら、もし彼女たちのどちらかが俺と同じ行動をとろうとしていたならば、俺は何だかんだ理由をつけて間違いなく止めていただろう。

そう考えると、やはり俺がふたりにして欲しくないような事は ――― 少なくとも彼女達が見ている前では、俺もすべきではない。何とはなくだが、そう思った。


雪乃「そうね。私も比企谷くんで試すのは、その…どうかと思うのだけれど…」

結衣「う、うん。あたしもそう思う!」


肯うふたりの口許が心なし綻んでいるところを見ると、どうやら俺の判断は間違っていないようだった。


一色「はぁー…そうですか…」一色が溜息をつく。


その口振りからすると、どうやらやっと諦めて…


一色「…せっかく先輩方も一緒にどうかなって思ってたんですけど」



雪乃&結衣「……………え?」



一色の言葉に雪ノ下と由比ヶ浜が同時にピクリと反応を示した。シンクロ率で言えば120パーセントくらい。お前らいったい何チルドレンなんだよ。


結衣「…えっと、そ、それって、もしかしてあたし達もヒッキーに壁ドンされる…ってこと?」由比ヶ浜が少し食い気味に訊ねる。


一色「え? あ、はい。どうせなら私だけじゃなくって、他の方の意見も参考に聞いてみたいし?」一色はそこで一端言葉を切り、


一色「…でも、当の先輩がノリ気じゃないんだったら仕方ありませんよね…」

さも残念そうな様子を装いながら、チラリと俺に向けて意味あり気な視線を送って寄越した。



結衣「ひ、ヒッキーやってあげようよっ!」///

八幡「ちょっと待てッ!なんでいきなりそうなるんだよっ?!」



雪乃「……ば、ばかばかしい」

その一方でいつもと同じように毅然とした態度を崩すことなく雪ノ下がきっぱりと言い放った。

おお、さすがはクール・ビューティー雪ノ下さん!そこにシビれる憧れるぅ!

雪乃「…………でも、奉仕部に対する依頼、ということであれば致し方ないわね。その…今日は他に依頼人も来ないみたいだし」///

八幡「って、引き受けんのかよっ?!」雪ノ下、お前もかっ?

結衣「う、うんうん、仕方ないよね、なんたって他でもない、いろはちゃんの依頼だしっ!」


一色「うわー!ありがとうございますぅー」

二人に向けて可愛らしく手を合わせる一方で、ふたりの視線が自分からそれた途端、してやったり、と、まるで勝ち誇ったようなドヤ顔で俺を見る。


八幡「や、ちょ、お前ら、嫌なら別に無理して引き受けなくたって…」


結衣「あ、ほらほらっ!ヒッキー、早くするしっ!さっきからいろはちゃんがずっと待ってるんだから!」

雪乃「比企谷くん、さっさとなさい。まったくあなたときたら本当にクズのうえにグズなんだから」


…え?なに?なんかお前ら、急にノリノリになってねぇか?って言うか今の今まで反対してなかった?手のひら返すの早すぎだろ。阿波踊りかよ。


* * * * * * * * * * * * * *


差し込む陽の光が金色に輝く放課後の部室。

俺は壁を背にした後輩と向かい合って立つ。ふとした拍子に会話が途切れ、二人の間に少し居心地の悪い、それでいて胸の切なくなるような、そんな不思議な沈黙を落とす。

「…あの…せん…ぱい…?」

着崩した制服の襟許から覗く薄く静脈の浮いた瑞々しい白い肌と小さな鎖骨の窪みが、やけに眩しい。

「お、おう?」ゴクッ

俯き加減だった後輩が不意にその顔を上げ、潤んだ大きな瞳でじっと俺を見つめる。その差し迫ったような表情と微かに漏れる苦し気な息遣いに不覚にも鼓動が早くなる。

彼女は、すっと視線だけを斜めに落とし、自らの手でしゅるりとリボンタイの結び目を解くと、小さく震える声でそっと囁く。



「…私…初めてなんで…優しく…お願い…します…」


――― 遡る事、数分前。



八幡「…じゃあ、いいか一色?」

とにもかくにもこの茶番を早く終わらせたい一心で覚悟を決め一色の前に立つ俺 ――― の姿を雪ノ下と由比ヶ浜が興味深げにじっと見ている。

…なんなのこの羞恥プレイ。

一色「はいっ。あ、でもちょっと待ってください」 一色が掌を俺に向けてストップをかける。

八幡「って、今度は何なんだよ」

一色「女の子には女の子の準備ってもんがあるんです」

ぶつぶつ言いながら一色はさらさらと前髪を直し、スカートの裾を引っ張って整える。

そして「んっんっ」と喉の調子を整えるように軽く咳払いすると、おもむろに胸元で拳をきゅっと握りしめ、顔を俯けて湿った吐息をひとつ。




一色「…あの…せん…ぱい…?」



雪乃&結衣「えっ?!」///



八幡「 ――― って、だからなんでお前はわざわざ誤解を招くような言い方すんだよっ!!!」///



バンッ


一色「ひゃうっ」

ツッコミと同時に突き出された掌が部室の壁に当たると、静まり返っていた室内に思いのほか大きく響いた。

壁と俺の間に挟まれる形で身体を縮めた一色は、ただでさえ細くて小柄な体が常より更にか弱く小さく見え、俺を見る目が不安に揺らいでいる。


一色「…え、あ、ご、ごめんなさひ…」


先程までの先輩を先輩とも思わぬような不遜な態度はどこへやら、消え入るようなか細い声は次第に尻すぼみとなり、


一色「…ひぐっ、ひぐっ、先輩怖いですぅ~」


遂にはしゃくりを上げてマジで泣き始めてしまった。


結衣「あーっ!ヒッキーがいろはちゃん泣かせたー!さいてー」

雪乃「まったく、かよわい後輩女子を脅して泣かせるなんて、男として本当に最低最悪のクズね」


八幡「…ちょっと待てお前ら、なんでそうなるん…





「―――― 君たちはいったい何をしているのかね?」





いきなり背後から掛けられた声に驚いた俺は、反射的に首を振り向かせる。

黒く長い髪、ややキツめではあるがスッキリと整った目鼻立ち、黒のパンツスーツに白衣の上からでもわかるメリハリの効いたシルエット。

いつの間にか部室の戸口には、奉仕部の顧問である平塚静先生がこちらを見ながら呆然と立ち尽くしていた。

そしてその視線の先には、半ばシャツの胸元のはだけた涙目の女子生徒と、その彼女を壁際に追い詰めたであろう腐った目の男子生徒。


―――― そう、それは紛れもなく、俺自身の姿であった。


平塚「―――― なるほど。事情は大体わかった」


スラリと伸びた長い脚を組んで椅子に座し、ひと通り俺の釈明を聞いた平塚先生がふむふむと頷く。

平塚「要するに、壁ドンとやらをすれば異性のハートを仕留める…いや、射止めることができる ―――― つまりはそう言うことだな?」 その目の奥がキラリと怪しく輝いた。

って、この先生、いったい何をどう理解したんだよ。つか、その前に何で俺、床に正座させられてるわけ?

俺は助けを求めて、ここ何度目かの、すがるような視線を再び雪ノ下と由比ヶ浜に向けて送ったのだが、



雪乃&結衣「つーん」



……… やはりなぜか二人揃って無視されてしまった。


平塚「よし、そうと分かれば話は早い。ものは試しというヤツだ。比企谷?」 言いながら平塚先生が顎で壁を指す。

八幡「…へいへい」 多分、そうくると思ったぜ。

既にいろいろと諦めてしまっていた俺は、まるでマハトマ・ガンジーもかくやという無抵抗主義の境地に浸りながら、言われるがままにノロノロと立ち上がった。


平塚「…いや、キミはそこに立ってこちらを向きたまえ。そう、そこだ」そういって空いた壁の一角を指さす。


八幡「や、壁ドンってのはフツウ、女子の方が壁に立つ…」



ブンッ



皆まで言い終えるよりも早く、突然耳元で風を切る音が聞こえ、



バゴンッ



一泊おいて、いきなりものすごい音と衝撃が教室全体をビリビリと揺るがす。

咄嗟に働いた生存本能のお陰で何とかかわしはしたものの、側頭部の髪の毛が数本もっていかれ、足元にはパラパラと塗料の破片が舞い落ちた。


平塚「…………チッ。外したか」

舌打ちしながら睨みつけるその目が完全に据わっている。明らかにやる気…いや、[ピーーー]気満々だ。全身から噴き出す殺気のオーラが俺の肌にビシバシ伝わってきた。


平塚「…キサマ、なぜ逃げる?」

八幡「いや、逃げるだろフツウ!つか、何すんですか、いきなりっ?!」

平塚「…何、とは異なことを…壁ドンにきまっておるだろう」

…違うし。それ俺の知るどんな種類の壁ドンとも全然違うし。なんなら壁ドンですらないし。


雪乃「平塚先生、先生のそれは“壁ドン”ではなくていわゆる“壁パン”ではないかと思います」

はいっとお行儀よく挙手をしてから、雪ノ下が冷静なツッコミを入れた。

平塚塚「…むっ?違うのかね?」

困惑の表情も顕に投げかけられたその問いに、彼女はいつもの如く静謐な空気を纏ったまま暫し瞑目黙考する ―――― そして、ややあってキッパリと告げた。






雪乃「―――― だいたいあってます」






八幡「あってねぇよっ!!!」


一色「でもすごい威力ですね。あちゃー…、なんか壁の表面にヒビ入ってますよ?」

平塚先生が殴った壁面をしげしげと眺めながら一色が嘆息を漏らす。どうやらとうに涙は引っ込んだらしい。

うん、八幡知ってる!女の子の涙なんてだいたいそんなもんだよね!だって小さい頃から散々小町に騙されてきたもん。嘘泣きは女の子のはじまりだよっ!みんなも気をつけてねっ!


平塚「ふっ。どうだ、比企谷。見眼麗しい年上女性に壁ドンをされたのだ、少なからず胸がときめいたのではないか?ん?」

満面の笑みを浮かべたそのドヤ顔が少しばかり、いや、はっきり言ってかなりウザい。

八幡「…確かに俺の心臓はまだバクバクしてますけど、多分それ、違う理由からだと思います」 率直な感想を述べた。

つか、そんなの食らったら恋に落ちる前に地獄に落ちるっつーの。相手のハート射止めるどころか心肺停止させてどうすんだよ。

平塚「なに、心配はいらん。何のためにAEDがあると思っているのだね?」

八幡「…少なくともこの時のためじゃないことは確かだと思います」

その言葉のどこをどう探しても、とにかく安心とか安全とか明るい安村という要素が全くといっていいほど見当たらない。明るい安村関係ねぃか。


平塚「…それにしても、思いのほか壁ドンというものは難しいものなのだな」

握り締めた拳をしげしげと見つめながら、何が違うのだろう、といった感じで溜息を吐く。

俺に言わせてもらえば一から十まで違うところだらけで、それこそ掠りもしていないのだが、敢えてそれは口にはしない。だってこの人、面倒臭いし。


平塚「…はっ!?そうか、角度かっ?!角度だなっ?!もっと、こう、脇を締めて内側から抉り込むように、打つべしッ、打つべしッ!」ビュン ビュン

…うん、やっぱダメだわこのひと。教師云々以前に人間として問題ありすぎだろ。戦闘力上げる前に女子力上げようよ。

では今日はこのへんでノシ


今日は代休なので昼間にちょっとだけ更新なう。
みなさん、応援トンクスです。


一色「えっと、ちょっとイレギュラーな事態が発生しちゃいましたけど…次、結衣先輩いかがですか?」

結衣「え?あ、あたし?」///


“イチから修行をやり直してきます。探さないでください”

俺たちが少し目を離した隙にわけのわからぬ書き置きを黒板に残して平塚先生が立ち去った後、改めて一色が検証実験の再開を宣言する。

八幡「…アレをあくまでも“ちょっとしたイレギュラー”と言い張るつもりか、お前…」ヒクッ

しかし大丈夫なのかよ、あの先生…。もしかして今頃、片っ端から通行人捕まえて無差別にさっきみたいな壁パンひたすら繰り返してんじゃねぇだろーな。それってもう立派な犯罪行為だろ。テロだろ、テロ。
明日の千葉○報の朝刊とかに載ってたらどうしよう。校門の前で取材されたら「いつかやると思ってました」としか答えようがねぇだろ。


八幡「…つか、まだやんのかよ。もういいんじゃね?」

正直、俺、早くおうち帰りたいんですけど。何で壁ドンで命の危険に晒されなきゃならねぇんだよ。

一色「まぁまぁ。やっぱりこういった事は、できるだけサンプル数があった方が参考になりますし?」


結衣「えっと、ヒッキーはイヤ…なの…?」由比ヶ浜がおずおずと問うてくる。

八幡「や、別にそういうわけじゃないんだが…」

実のところ、昨年来、修学旅行から生徒会長選挙にかけて二人との間で色々とあったせいで、今だ互いの距離感をつかみかねるものがある。
だからという訳でもないのだろうが、こうして改まって正面から、それも間近で顔をつき合わせるとなると何かしら面映ゆいのもまた確かだった。

…って、何意識しちゃったりしてるんだ俺は。キモチ悪い。それこそ自意識過剰ってもんだろ。


八幡「…おし、んじゃ、ちゃっちゃと終わらせるぞ」

そんな思いなどおくびにも出さぬよう、努めて軽いノリを装って由比ヶ浜に声をかける。

結衣「う、うん。そ、そうだね」

応えながらも由比ヶ浜がなぜか遠慮がちにそっと雪ノ下の横顔を窺うのが見えた。

もしかしたらこいつも、俺と同じような思いをずっと抱えていたのかも知れない。
だとすれば、やはりこれが何かの契機となり、以前のようにごく普通に接することができるようになれば、それに越したことはないのだろう。
別に開き直った、というわけでもないのだが、俺は今のこの状況をできるだけ前向きに捉えることにした。

雪乃「由比ヶ浜さん、どうかしたのかしら?」 由比ヶ浜の視線に気が付いた雪ノ下が優しく声をかける。

結衣「ん、うううん。な、なんでもないの」

雪乃「胸ヤケの薬なら常備しているから遠慮しないで。気持ちが悪くなったらすぐに言うのよ?」

結衣「あ、うん、平気、平気、大丈夫だから。気を遣ってくれてありがとう、ゆきのん」


八幡「……いや、お前ら少しは俺に遠慮するなり気を遣うなりしたらどうなんだよ」


由比ヶ浜は意を決したかのように席から立ち上がり、そのまま俺の前を横切って戸口近くの壁際のスペースへと向かう。
そして一色と同じように壁を背にして立ち深々と深呼吸をすると、まるで気合を入れるかのように自分の頬を両手でペチペチと叩いた。


結衣「よ、よぉし、こいっ!」///

八幡「お、おぅ…」


…いや、壁ドンにその掛け声もどうかと思うんだが。つか、そもそも掛け声とかいんのかよ。


「じゃ、いくぞ」「う、うん」

先程の一色のこともあるので、今度は少しばかり手心を加えて、できるだけゆっくりと手を前に突き出…


結衣「 ――― や、やっぱダメッ!!!!」///


…そうとしたところで、いきなり由比ヶ浜の伸ばした両手でもって俺の目が塞がれてしまった。


八幡「おわっ?!」


その拍子に壁に向けて伸ばしたはずの手がまるっきりあさっての方向に突き出され、


…むにゅ


何やら弾力のある物体に触れて止まる。


「え?」「お?」


なにこれ?なんか超やわらかいんですけど?……………もみもみ。って、つい反射的に揉んじゃダメだろ、俺の手っ?!


結衣「ひゃっ?」///


素っ頓狂な声をあげて由比ヶ浜が手を引っ込め、急に開けた俺の視界に飛び込んできた光景は ――――












―――― 材木座の胸を揉みしだいている俺の右手だった。


続きはまた夜にでもノシ


材木座「…は、八幡よ、た、例え我とお主の仲といえど、こ、こういう事はやはりそれなりの段階を踏んでもらってからでないと…ほげらっ!」

無意識のうちに一発、材木座の頬桁を思い切りブン殴っていた。

だが、これで済むはずもないし、俺もこのまま終わらせるつもりはない。


八幡「材木座…」


ゆらぁり…


材木座「…は、はぽん?」

八幡「…キサマ、北斗七星の脇に輝く蒼星を見たことがあるか?」ゴゴゴゴゴゴ…

材木座「あばばばばばば?」

材木座の顔色が、まるでネズミに耳をかじられた猫型ロボットのように青くなり、その表面からは滝のような汗がダラダラと流れ落ちる。


八幡「これはラブコメの王道を築いてきた作家先生方の分ッ!」


ど が っ!


材木座「ひでぶっ!」


八幡「…そしてこれはラッキースケベを期待した俺の分ッ!!」


ど が が っ!


材木座「たわばっ!!」


八幡「…最後にこれは、これは、これは……最低最悪の形で期待と予想を裏切られた、このスレを見ている皆さんの怒りだあああああああああああっ!!!!!」


ど が が が が が が が が が っ!


材木座「あべしっ!!!」


八幡「てめぇっ、いったいどこから涌いて出やがった?!」

やり場のない衝動的な怒りに突き動かされ、俺は材木座に激しく詰め寄る。

材木座「…い、いや、たまたまこの近くを通りかかったら、お主からの着信に気が付いたもので…」

八幡「言い訳すんじゃねぇっ!」ゲシゲシッ

材木座「ひぃっ!な、なんと無体な仕打ちっ?!」


一色「あのー…先輩、お取込み中スミマセン…それ、もしかして…?」一色が恐る恐る俺に声をかけて来た。


材木座「…むっ?」

いきなり下級生女子に“それ”扱いされた材木座が、床に這いつくばり俺に足蹴にされた姿のまま固まる。


八幡「…ん?ああ、コレか?コレがさっき俺が話した…うぉっ?!」


いきなり材木座がむっくりと起きあがったかと思うと、そのまま何食わぬ顔でぱたぱたと衣服に付いた埃を払い、襟を正す。

そして、おもむろにバババッとコートの裾を翻し、指抜きグローブの中指でメガネのブリッジをくいっと持ち上げた。


材木座「左用!天知る地知る人が知る!隠れもなき我こそは、その名も高き剣豪将軍、材木座義輝その人であ~るっ!愚民共よ、我を崇めよっ!」シュバババババッ

八幡「………って、お前、どこ向いて言ってんだよ。そっち黒板だろ」

どうやら直前までの醜態は材木座の中で“なかったこと”にしたらしい。


八幡「あー…、んで、こっちが生徒会長の一色な。材木座、お前も一応、ゴミカスワナビとはいえこのガッコの生徒の端くれなんだから名前くらい知ってんだろ?」

雪乃「…比企谷くん、この際ワナビはあまり関係ないと思うのだけれど」

結衣「ゴミカスはそのままでいいんだっ?!」


材木座「なぬぅっ?!生徒会長…だと…」俺の言葉を聞いたゴミカス…いや、材木座の顔色が瞬時にして変わった。


一色「へっ?な、なんですかっ?」一色が慌てて俺の背後に逃げ込む。


だが材木座はその口許をキツく引き結んだまま、鼻息も荒くずずずいっと進み出た。近ぇよ。それに暑苦しい。


一色「や、ちょっ、け、ケーサツ呼びますよっ?!私見かけと違ってあんまり美味しくないですよっ?!ってか先輩、早くそれ駆逐しちゃってくーだーさーいー!!!!」


叫びながらぐいぐいと俺の背中を前へ前へと押し出そうとする………って、お前ね…。


材木座「…これはこれは生徒会長殿とは露知らず、大変な失礼をば」コロッ


だが、何を思ったのか、いきなり材木座は一色の前で揉み手をしながらへこへこと頭を下げ始めた。


一色「……へ?」

八幡「…お前、今、選挙前後の政治家みたいに態度豹変してんぞ?」


こいつってば権力とか権威って言葉にやたらと弱いのな。
強いものに弱く、弱いものにも弱い。それがブレることなき安定した材木座クオリティ。
なんか俺、いつ間にかこいつのオーソリティみたくなってねぇか?


結衣「…中二、カッコ悪るぅ」

雪乃「…ある意味、清々しいほどのクズッぷりね」

由比ヶ浜と雪ノ下もほとほと呆れ果てた顔で後輩女子にへりくだる材木座の姿を見ている。

一色はというと、俺の背後から肩ごしに材木座の姿を頭の天辺から爪先に至るまで値踏みするかのような目でひとしきり、じっと眺めていたかと思うと、やがてひと言、



一色「…チェンジ」ボソッ 



いきなりばっさりと切って捨てやがった。

いや、いきなりチェンジって、おまえどこの大統領だよ。もしかして次は“イエス・ウィ・キャン!”とか言い出したりするの?



では今日はこのへんで。ノシ

あと2回で完結予定です。できれば明日またいつもの時間帯で。


一色「じゃ、最後は雪乃先輩、お願いします」

せっかく呼んだ材木座も即座にお払い箱となり、しかも“邪魔だから”という訳のわからない理由でさっさと部室から締め出されてしまった。
もっとも、材木座じゃ壁ドンというよりも、相撲部屋の鉄砲の稽古みたくなっちゃいそうだから仕方ねぇか。

材木座「では八幡よっ、しゅらばだっ!」 

…いや、お前には幼馴染も許嫁も元カノもフェイクな彼女もいねぇだろ。


一色の指名を受けた雪ノ下が、大仰に溜息をつきながら席から立ち上がる。 

雪乃「…やれやれ、全く仕方ないわね」 

とかなんとか言いつつも、長い髪の先にくるくると指先を巻きつけ、随分とノリノリのご様子なのだが、それは多分俺の気のせい………ですよねー、雪ノ下さん?



俺の体型はごく標準で、腕のリーチも長くはない。だから壁に手が届く距離で相対するとなれば、自然、雪ノ下とかなり近づいてしまうことになる。

陽の光を浴びて輝く漆黒の黒髪とその髪と同じくらい深く濃い色を湛えた美しい瞳、瞬く長い睫毛。対照的に白い磨きぬかれた大理石のような肌、通った鼻筋、薄桃色の唇。

性格はともかく、見てくれだけは学年一、いや全学年を通じてトップクラスと呼び声が高い美少女が相手だ。緊張するなという方が無理というものだろう。

普段は努めて意識しないようにしてはいるが、それでもやはり ――― その美しさはまぎれもない“本物”だった。


――― それでも、俺は、俺は本物が欲しい。



…やべっ、こんな時に。

いきなり昨年の恥ずかしい記憶がフラッシュバックする。なにこれもしかして走馬灯?俺もしかして壁ドンで雪ノ下にカウンター喰らって死んじゃうの?


雪乃「比企谷くん、どうかしたの?いつも以上に挙動不審で、無様なのを通り越して正直、気持ち悪いくらいなのだけれど」 雪ノ下が俺を見る目がマジで引いている。

八幡「…や、俺は別に…お前が…ホンモノとか…」/// 動揺のあまり、つい思わず訳の分からぬ言い訳を口走ってしまう。

だが、聡い雪ノ下はそれだけで何かを察っしたらしく、不意にその形のよい唇を小さく「あ」の字に形作ると、白い頬を瞬く間に赤く染めた。


……………………… どうやらお互い共有する記憶がリンクしてしまったようですね。


一色「あ、先輩、そこは…」

一色が何か言いかけたようだが、羞恥のあまり取り乱した俺は、その言葉を無視して心持ち、いや、明らかに力を込めて壁面に掌を叩き付けた。

まさに壁ドン。違う意味で。


バキッ 


その瞬間、まるで予期せぬ奇妙な音が聞こえたかと思うと、当然あるはずの抵抗を感じることなく勢いよく前へとつんのめった。


「え?」「や?」「あ?」「お?」


たたらを踏みつつも、なんとか雪ノ下にまともにぶつからないようはにしたものの、彼女の方は壁を背にしてるため逃げることも叶わず

――― 結局そのまま、俺が雪の下を抱き竦めるような形になって止まった。

細いが暖かく、そして柔らかな感触。俺の首筋にかかる湿った吐息。ベルベットのような髪の質感、ふわりと漂うサボンの香り。
思い出したように、もぞり、と、俺の身体の下で小さく雪ノ下が動いたせいでより一層密着感が増す。


…って、

近い近い近い近い近い近い近い近い近い近い近い近い近い近い近い近い近い近い近い近い近い近い近い近っ!

いや、近いってもんじゃねぇだろ、これっ?!


一色「…だから、そこはさっき平塚先生が殴ったところですよって、言おうとしたのに」 今更のように一色が付け加えた。

八幡「す、すまん」

俺がもごもごと謝りながらぽっかり空いてしまった壁の穴から腕を引き抜き、身体を離そうとする ――― と


「痛っ」 雪ノ下の口から小さな悲鳴があがった。


見るとその艶やかな黒髪が一筋、俺のブレザーのボタンに引っかかっている。

八幡「 ――― や、ちょ、ちょっと待て、今解くから」

そうは言ったものの、どうやら思いのほか複雑な絡まり方をしてしまったらしく、しかもすぐ近くからかかる雪ノ下の息遣いにテンパってしまって、うまく解けない。

雪乃「…ふぅ。仕方ないわね。由比ケ浜さん、私のカバンに裁縫セットがあるから、ハサミをとってもらえるかしら?」

俺がもたもたしているのを見かねた雪ノ下が、そのままの姿勢、つまり俺の胸にもたれかかった状態のまま、自分の肩越しに由比ヶ浜に声をかけた。


一色「…裁縫道具いつも持ち歩いてるなんて、雪ノ下先輩って女子力高いんですね」 一色がまるで場違いな感想をぽしょりと漏らす。


――― だが、肝心の由比ヶ浜からの返事はない。


雪乃「…由比ヶ浜さん?」

再度、雪ノ下が声をかける。今のこの体勢からでは由比ヶ浜の姿が見えないせいもあってか、その声にはいくらか怪訝そうな響きが含まれた。


一色「…結衣先輩」チョイチョイ

結衣「…え?」


一色が小さく袖を引っ張ると、やっと由比ヶ浜が再起動したようだった。

結衣「…あ、ごめん。うん、ちょっと待ってて」

由比ヶ浜は慌てて雪ノ下のカバンからパンダのパンさんの絵柄のついた裁縫セットを探し出し、中にあった小さなハサミをそっと差し出す。

不本意ながらも重なり合ったままの俺達に向けたその目が微かに揺れ動いているのが見えたが、髪に気をとられている雪ノ下の方はその表情の変化にまるで気がついていない。


雪乃「 ――― この体勢じゃ、私にはちょっと無理みたいね。比企谷くん、代わりにお願いできるかしら?」

八幡「…あ、ああ」

俺は由比ヶ浜の表情に何か引っかかるものを感じながらも、とりあえず今は目の前の出来事へと意識を戻した。



一色「あ、先輩、痛くしないでくださいね? 先っぽだけですよ?」 

八幡「…お前、それ絶対わかっててわざと言ってんだろ」



カツン


俺がハサミを入れると、乾いた硬質の音を立ててボタンがひとつ床に落ちた。

雪乃「 ――― え?」

ようやく戒めを解かれた雪ノ下が、ゆっくりと俺から身体を離す。だが、その瞳は驚いたかのように大きく見開かれている。

八幡「ん?どうかしたのか?」 

雪乃「どうかしたって…あなた、私の髪じゃなくて、ボタンの紐の方を切ってしまったの?」

八幡「…当たり前だろ。他にどうしろっつーんだよ?」

別にただの紐だからといって蔑ろにしたわけではない。例のひもとか超人気だし、色々な意味で俺も将来ヒモになりたいくらいだし。

ふと目を遣ると、由比ヶ浜と一色もぽうっとした表情で俺を見ている。


「…ちょ、ちょっと、キュンッってしちゃった…かも…」ボソッ

「…先輩のああいうとこ、ホンッとズルいですよねー…」ボソッ


雪乃「…どうして?」

本人も意識せずに口を衝いて出たであろう真摯な問いに、俺は知らず答えに窮してしまう。

八幡「や、どうしてって、そりゃ…」




「 ――― お前のその美しい髪を切るだなんて、そんな罪深いこと俺にできるわけがないじゃないか」ボソッ





雪乃&結衣「えっ?!」///



八幡「って、ちょっ、一色っ!おまっ、なに勝手に俺のセリフ、アフレコしてやがんだよっ!!!!!」///

一色「…ちっ、バレちゃいましたか」 さして悪びれた風もなく一色がチロリと小さく舌を出した。

八幡「バレるわっ!全っ然っ似てねーしっ!」 だいたい俺がそんな恥ずかしいセリフ、絶対口にするわきゃねーだろ。

一色「…でも、そう思ってましたよね?だって顔にそう書いてありましたよ?」

八幡「なっ?!」///

思わず自分の顔に手をやってしまうという失態を演じた丁度そのタイミングで、先ほどからずっとこちらを見つめていた雪ノ下と目が合ってしまう。

八幡「や、違っ、こ、これはだな…」/// 

一色「…ほら、やっぱり」 一色がまるで見透かしたようにダメ押しをする。


そんな俺見て雪ノ下は何か言いかけたようだが、結局何も言わずに床に転がった俺のボタンをそっと拾い上げた。


雪乃「…制服、かしなさい。ボタン、つけなおすから」 雪ノ下が憮然とした表情で俺に告げる。

八幡「や、それくらいなら家に帰ってから自分でできるし…」

自慢ではないが小さい頃から両親が共働きで帰りも毎晩遅かったせいか、大抵のことならひとりでできる。逆にひとりでできないことはまるでできないまである。

雪乃「いいからかしなさい」 少し怒ったような声で雪ノ下がもう一度繰り返した。

八幡「あ、いや、この寒さで上着脱いだら、さすがにそれは ――― 」 寒いだろ、と言いかけると

雪乃「すぐに終わるから、それまでこれで我慢なさい」 そう言って、いつも膝掛け代わりに使っているスツールを差し出した。

八幡「…お、そ、そうか、スマン」

よく考えてみればコートを上に着ればそれで済むことだったのだが、雪ノ下の圧に押し切られるような形でそれを受け取ると、暫し躊躇った後、結局そのまま肩に羽織ることにした。

ふわり、と、さきほどの雪ノ下と同じ香りが漂う。まるで彼女自身に優しく包み込まれたれたような気がして、何だか妙にこそばゆくて気恥ずかしい。

雪ノ下は由比ヶ浜から先ほどの裁縫セットを受け取り ――― なぜか俺のすぐ隣にストンと腰を下ろすと、そのまま何食わぬ顔でチクチクと裁縫をはじめた。


………えっと、あの、雪ノ下さん?気のせいか少し近くありません?


気がつくと、いつの間にか室内をなにやらぎこちない空気が漂いはじめていた。

誰も何も言葉を発しない部室では、時折咳き込むような音を立てるヒーターと、吹きつける風で揺れる窓のカタカタという音ですら妙に大きく響いて聞こえる。

由比ヶ浜は先程からそわそわと身じろぎしながら、雪ノ下を見、その目を今度は俺へと移し、そして膝の上に揃えて置いた自分の手にと落とすという仕草を繰り返している。


一色「あー…えっと…そだ、あの、どうでした、壁ドン?」

沈黙に堪えかねたかのように一色がおずおずと口を開くと、雪ノ下の手がぴたりと止まった。


雪乃「別に…今までと何ら変わりはないわね」 素っ気なく答え、また作業へと戻る。

一色「あ、ですよねー♪」 

八幡「……お前、今、平然と俺の努力を完全否定しなかったか?」

一色「ソンナコトナイデスヨ」 しらっと恍けて見せやがった。


八幡「…ったく、だから最初っから言ってるじゃねぇか。萌えシチュだか焼きカレーだか知らんが、好きでもなんでもな…」

雪乃「…変わらないっていったのよ」 雪ノ下が被せるように小さく呟く。


八幡「…あん?それって…ぶっ」

雪乃「…できたわよ」///


不意に雪ノ下が俺の顔に制服を乱暴に押し付けたせいで、その問いは答えを得ずに宙にぶらさがり、そのまま自然に消えてしまった。

八幡「…お、おう、そうか…その、さんきゅーな」

雪ノ下の態度に釈然としないものを感じながらも、一応、礼を言ってから、仄かに彼女の移り香のするブレザーに袖を通す。

雪乃「…どういたしまして」

雪ノ下はこちらを見ることもなくそう返事を残すと、そそくさと俺から離れカバンに裁縫セットを仕舞う。

そして、窓の外を見ながら ―――



雪乃「…少し冷えてきたみたいね」



誰にともなく、まるで言い訳のように呟きながら、俺の返したスツールを自らの身体にそっと巻き付けるように羽織った。



今日はここまで。ノシ

次回がラスト、短いですがエピローグです。できれば明日、同じ時間に更新します。

皆さん、コメ、ありがとうございます。このSS、実は実験的な習作なんで、途中でレスできなくててスマソ。


普通に誤字ですね。喪前ら間違える前にツッコメ(w


部室の戸締りは部長である雪ノ下の役目なのだが今日は二人を先に返し、俺が施錠して職員室まで鍵を届けることにした。

たまにはそんな日があってもいいだろう。ぼっちであることを寂しいと思った事など久しくないが、今だけはなぜかひとりでいられる事が無性にありがたく感じられた。

放課後の特別棟はひたすらガランとしていて、人の気配はまるでなく、そのせいかただでさえ冷えた冬の空気で余計に寒々しく感じられる。

「寒ぶっ」ぶるりと身震いをひとつ。慣れない手つきで、古くなったせいか少し強情になった鍵に暫く手こずりながらも、ようやく鍵を掛け終える。


「 ――― ずっとこのままでいいんですか?」


不意に背後からかけられた声が誰のものなのかは、振り返るまでもなくすぐに分かった。

八幡「…このままって、何がだよ?」

問いに問いで返しながら、俺は声をかけてきた相手 ――― 一色いろはへとゆっくり向き直る。

“生徒会室に寄る用事があるから”確かそう言ってひと足先に帰ったはずだが、どうやら俺を待っていたらしい。

一色「ホントはわかってるくせに」

後ろ手のまま壁に寄りかかり、光の加減なのか妙に大人びた表情を浮かべて俺を見ている。

その時の俺は多分、後輩女子の戯言に付き合う気が失せるほど疲れ切っていたのだろう。床に置いたカバンを左手で肩に背負うと、そのまま無言で一色の脇を通り過ぎようとした。



一色「 ――― もしかして卒業までおふたりともキープして置くつもりなんですか? 都合よく?」


すれ違いざまに浴びせかけられた嘲るような声に、まるでいきなり頬を張られたような衝撃を受け、一瞬、怒りのあまり目の前が真っ暗に反転する。


バンッ


気がつくと向き直り様、一色を挟み込むかのようにして、右の掌を壁に思い切り叩きつけていた。じわりと鈍い痛みが掌から手首へと伝わってくる。

湿った吐息がお互いの顔にかかるほど近い。だが一色は、先ほどのように怯えて見せることもなく、ただただ俺の目をじっと見つめ返してきた。

そのあまりに真っ直ぐな視線に耐え切れず、いつの間にか俺は自分の方から目を逸していた。


一色「…今日の、アレで、少しは何か進展しました?」挑発的だが、僅な語尾の震えがそれを虚勢であることを明瞭に物語っている。

八幡「…お前、もしかして」 一度逸らした目を再び後輩へと向ける。

一色「…私って、他人がいいなって思う相手には、とりあえず手を出したくなるタイプなんですよね」

変に隠さず、はっきりと告げるその顔に小悪魔めいた笑みが浮かぶ。

八幡「…生憎と、俺たちはそういうんじゃねーんだよ」

搾り出す声が自分でもそれとわかるほど掠れた。
では、何なのか、と問われたら返しようがない。
自分自身にさえ、その答えが未だ何なのかわかっていないのだから。答えを出すことを先送りにしているのだから。


だが、一色はそれ以上追求はしてこず、その代わりに突き出された俺の手に、冷たくなった自分の手を添え、そっと柔らかな頬をすり寄せた。

一色「…だったら」言いかけた言葉を故意に途中で途切れさせる。

そしてゆっくりと伸び上がるようにしながら顔を上向け ――― そのままそっと両の瞼を閉じた。


微かに震える睫毛を見つめながら、永遠とも思える数瞬が流れた。俺は自らの意思の力を総動員して視線を引き剥がす。

八幡「…バカなこと言ってねぇで、お前も早く帰れ」

頭に掌を乗せ、くしゅりとひとつ優しく撫でると、まるで何かの魔法でも解けたかのように一色がぴくりと反応した。

一色はゆっくりと目を開き、小さく溜息をつくと、するりと俺の脇を抜けて少し離れた位置に立つ。そして


一色「さっさと決めちゃえばいいのに」


つまらなそうにそう口にして、そのまま俺に背を向けた。


つかみかねる距離感。ぎこちない空気。それもこれも慣れない人間関係と、ちょっとした言葉や気持ちのすれ違いから生じるものだとばかり思っていた。そう思い込もうとしていた。

だが、他人に言われるまでもなく、俺たち三人の関係は以前とは確実に少しづつ変化しつつある。そうとは気がつかないうちに。いや、気がつかないふりをしているうちに。

不意に、深く重いため息が口を衝いて出た。だが、吐き出しても吐き出しても胸の奥底に沈むわだかまりは一向に消えることなく、逆に少しづつその質量を増して行く。



「…でないと、私がどうしたらいいかわかんないじゃないですか」


独り言に似た小さな呟きが俺の耳に届いたような気がしたが、敢えてその考えを振り払った。

窓から差し込む斜陽で薄く長く引き伸ばされた自分自身の影を引きずるようにして俺は寒々した廊下を通り抜け職員室へと脚を向ける。

束の間、背後に残してきた空気が僅かに滲んだような気がしたが振り向きはしなかった。



俺ガイルSS『思いのほか壁ドンは難しい』了


おしまいです。ノシ


ストールとスツール間違えたお陰で、どれだけの人が見ているかわかってちょっとびっくりしましたね(汗

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俺ガイルSS 『そして彼と彼女は別々に歩み始める』

ガガガ文庫 渡航 著 「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている」SS

6.5巻のクリパ直後の話です。

円盤の特典書き下ろし小説は未読なので、齟齬が生じてたら、そこはスルーで。

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「あっれぇー!比企谷じゃーん?」


赤と緑の補色鮮やかな飾り付けが溢れ返り、そこそかしこから定番クリスマスソングが聞こえてくる聖なる夜の街角。

背後の雑踏の中からかけられた声に驚いて俺の足が止まる。

俺が驚いた理由とは総じてみっつ。

ひとつ目は自他共に認めるぼっちであるところの俺は他人から名前を呼ばれることが滅多にない。

大抵は、“おい”とか“あの”とか、せいぜいいいところで“ねぇ”である。

ふたつ目は仮に呼ばれたとしても、まず“ヒキガヤ”ではなく“ヒキタニくん”だ。名前間違えられてる上に微妙な“くん”付けが疎外感をマジパなく加速(ブースト)している。

それでもごく希に、ごくごく親しい間柄であるクラスメートの戸塚や、全然親しくねぇしできたら金輪際したいとも思わねぇ材木座からは“八幡”とファーストネームで呼ばれることもあるのだが、それはまず例外中の例外といっていいだろう。

そして俺が驚いたみっつ目にして最大の理由、それはかけられた声が明らかに女の子のものであり、かつ、聞き覚えがあったからだ ――― それも、ごく最近。

聞き覚えのある女の子の声で、しかも俺のことを親しげに“比企谷”と呼ぶ?
その一見ありがちで実は決してありえない複数の条件を満たす相手といえば消去法を用いるまでもなく俺の知る限りただのひとりしか存在しない。

まぁ、厳密に言えば俺が半ば強制的に入部させられた奉仕部の顧問である平塚先生も俺のことを“比企谷”と呼びはする。
だが、とうにとうのたったアラサー女教師をして“女の子”と呼ぶにはさすがに抵抗…というか、それ以前に世間一般の通念に照らし合わせても少しばかり、いや、かなり無理があるというものだろう。

それはさておき…


「――― ちょっと比企谷、なにシカトしてんの?超ウケるんだけど」 


ヒキガヤ?誰ですかそれ、知らない子ですね。俺、ヒキタニくんだし。
今更のように他人の空似をキメこんでバックれようとする俺の背に、再び声の追い打ちがかかる。どうやらこのまま見過ごしてくれるつもりはないらしい。

…ちっ。小さく舌打ちをひとつ、俺は渋々ながら再び足を止めると、ゆっくりと肩越しに背後を振り返った。

眼の覚めるような黄色のPコートから伸びる黒タイツにファーのついた踝丈のティンバーランドブーツ、くしゅりとパーマのかかったショートボブ、小ぶりな顔に猫を思わせるやや釣り気味の大きな目。

俺の予想…というか、むしろ嫌な予感のとおり、そこには中学時代の同級生にして俺史上最凶最悪のトラウマ・メイカー、折本かおりがまるで屈託のない笑顔で立っていた。


折本「よっ!メリークリスマス?」

しゅたっと無駄に勢いよく手を挙げ、ごく当然のようにあいさつする。

八幡「…って、なにそれ欧米かよ」

初っ端からまたリア充(笑)らしい軽快なジャブをかましてやがったなーこいつ。っていうか、突然背後から声かけるって、なんかそれ違うメリーさんだろ。

折本「アハハ、なにその超嫌そうな顔、マジウケる」

無意識に顰めてしまったらしい俺の顔を見て、なぜか嬉しそうにバシバシと肩を叩く。

八幡「…なんでウケるんだよ。つか、痛ぇよ」

いきなり肩なんか叩きやがって、お前どこの会社の人事部よ?会社辞めますか、それとも人間扱いやめますか?


今更言うまでもないことなのだが、中学時代、俺は同じクラスだったこの折本かおりに告白し、そしてにべもなくフラれている。

しかもあろうことかそれを周囲に言いふらされ、華やかなバラ色になるはずだった俺の残りの中学校生活は瞬く間にくすんだ灰色に染め上げられてしまったのである。
今思い返してもあんなグレイなのといえば函館出身のロックバンドかせいぜいエリア51ぐらいのものだろう。

何の因果かここ暫く立て続けに顔を合わすことになったとはいえ、深層意識の更に奥底にまで刻み込まれたコイツに対する俺の苦手意識は未だ完全に払拭された訳ではない。
顔を合わせた途端、知らず頬の筋肉が引き攣ってしまったのも、何も師走の街を吹き抜けるこの風の冷たさのせいばかりではあるまい。


折本「今日はひとりなの?」

キョロキョロと辺りを見回しながら折本が俺に訊ねてきた。その意外そうな顔についイラっとしてしまう。

八幡「あ?何か?クリスマスの夜はひとりでいちゃいけねぇっつー、キマリでもあんのかよ?」

つか、そもそも俺がひとりなのは何もクリスマス限定じゃねぇけどな。

折本「なにそれウケる。で、比企谷はこんな時間にひとりで何してるわけ?」

八幡「何って…そりゃ…あー…そういうお前こそ、こんなとこで何してんだよ」

大抵の状況において質問に質問で返すのは都合が悪い時と相場が決まっている。ソースはまさに今の俺。
実はつい先ほどまでカラオケボックスで雪ノ下や由比ヶ浜たちと合同イベントの打ち上げを兼ねたクリパをしていて、今はまさにその帰り道なのだが、まさかこいつにそこまで教える義理はあるまい。


折本「あたし?あたしは…」


言いながら、チラリと背後を振り返った。


「うっわっ、もしかしてかおりの彼氏ぃー?!」「うっそ、マジで?紹介しなよっ!」「ひゅーひゅー」


その途端、不意に複数の黄色い声が弾けた。

驚いてそちらに目をやると、やや遠巻きにしながらこちらを見てはしゃぐ数人の女の子の姿。
ざっと見、年の頃は俺達と同じようだが覚えのない顔ばかり、ということは恐らく折本の高校の友達なのだろう。

声に悪意がないのはわかったが、過去に似たようなシチュで幾度となく嫌な経験しているこの俺としては、自然に、トラウマ・スイッチがオンになってしまう。
後頭部の毛ががぞわり逆立ち、胃のあたりがぎゅっと縮む、お馴染みの、だが、ここ暫くはなかった嫌な感覚に襲われ、寒いはずなのに額に汗がじんわりと滲んできた。

今、もしここで折本に「ちょっとマジやめてくんない?」とか冷めた目と声で言われた日には、既に角の所がちょっぴり欠けている今の俺の繊細な心なぞ、今度こそ間違いなく真ん中からポッキリと折れてしまうに違いない。

俺は死刑宣告を言い渡される直前の被告人のような面持ちで次に繰り出されるであろう折本の辛辣な言葉を待ち受けた。


折本「――― そんなんじゃないってば」


苦笑まじりとはいえ折本の返すその声に迷惑そうな色がないのが意外でもあり、また、同時に救われた心持ちになる。

折本「見ての通り、さっきまであの子たちと一緒にカラオケボックスでクリパしてたんだけど…」

八幡「…お、おお、そ、そうなのか」

その言葉を聞いて安堵のあまり口から半分出かかっていた魂が瞬時にして凍り付いた。

…っべー。それって、もしかしてどこかでニアミスしてたかもしんないってことじゃね?

恐らくこいつのことだ。俺が誰といようとお構いなしに、今みたくまるで友達みたいな顔をして声をかけてきたに違いない。いや友達いない俺にはそれがどんな顔かよくわからんけど。

いずれにせよ、もしそんなところを雪ノ下達に見られでもしていたら、ひたすら問い詰め…いや追い詰められて、とてもではないがクリパどころの騒ぎではなくなっていたことだろう。


折本「じゃ、あたしこれでね!」

俺の耳元で声高に叫ばれた折本の声で我に返る。

って、声でけぇよ。目の前にいんだからそんな大声出さなくても聞こえんだろ。ったく、人の話を聞かないヤツに限って声だけはやたらとデカいのな。

八幡「…お、おお、そうか、じゃあな」

目を泳がせながらも、何とか平静を取り繕って返事を返す。
既に先程までの浮かれた気分は跡形もなく消し飛んでいた。今日はもう速攻でこのまま家に帰ってさっさと布団かぶって朝まで寝てしまおう。固く心にそう誓う。

だが、ふと見ると折本はごく当たり前のような顔をして俺の傍らに留まり、笑顔で友達に向けて手を振っている。

「じゃねー」「ばいばーい」「後でLINEするねー」女の子達もきゃっきゃ言いながら当然のように去ってゆく。

暫くその背中を見送っていた折本は、くるりとこちらに向き直ったかと思うと、当惑する俺に向かってさらりととんでもないセリフを口にした。


折本「じゃ、どこ行こっか?」



んじゃ、今日はこんなところで。できればまた明日。ノシ

だいたい一週間前後で完結する予定。面白くなくても途中でエタナることはありません。

イタくなくて素人がこんなことにSSなんてアップできるかw


八幡「………は?」


折本「いやぁ~、実はうっかり家の鍵持ってくるの忘れちゃってさ~」

言いながら早くも俺のコートの袖をひっつかみ、まるであさっての方向に向かってずんずん歩き始めていた。

折本「今日は親の帰りも遅いから、どこかでぶらぶらして時間でもつぶそうかなって思ってたとこなんだ~」

八幡「や、ちょ、待て、んなもんさっきの友達と行けばいいだろ」

ずるずると引きずられながら、散歩途中にいやいやする犬のように抵抗を試みる。

折本「え?だって、夜遅くまでつきあわせて迷惑かけたら悪いじゃん?」

八幡「…いやその理屈だと俺には夜遅くまでつきあわせて迷惑かけても悪くないってことにならねぇか?」

折本「それにこの時間帯、女がひとりでうろうろしてるとナンパとかウザくってさー。わかるでしょ?」

八幡「わかんねぇよ!俺なんか一晩中ひとりでうろついてたって、お巡りさん以外誰も声なんかかけてこねぇぞ」


急に折本が立ち止まり、まじまじと俺の顔を覗き込む。

折本「もしかして比企谷、これから誰かと会う約束でもあったの?」

八幡「…や、俺は今から家に帰るところだけど」///

つか、顔近ぇよ。

折本「そう。だったらいいじゃん。家に帰るってことはどうせヒマなんでしょ?」 

八幡「なんで家に帰るイコール、ヒマってことになるんだよっ?!」

年柄年中ありえないノルマに追われてるブラック企業の社畜営業だって終電には家くらい帰んだろ。或いは会社近くのネットカフェとか。なにそれリアルすぎてなんか悲しい。

そうでなくとも俺くらいになると理由なんぞなくとも基本家に帰る。というか最初から家を出ない。謂わば究極のインドア派。
どうでもいいけど、なんか“印度亜派”って漢字で書くとアジアンティストでエスニックな響きがあるよな。いやホントどうでもいいなそれ。


八幡「…とにかく、まぁ、そういうことだから」

いったい何がそういうことなのか自分でもよくわからないが、できるだけさり気ない風を装って、そろりとその場を立ち去ろうとすると

折本「ちょっと待ちなよ!」

今度はコートの襟をギュっと掴んで阻まれてしまった。

八幡「イヤだ待てんっ!つか、俺は一分一秒でも早く家に帰りてぇんだよっ!妹がひとりで俺の帰り待ってるしっ!」

嘘ではない。先にひとりで帰ったはずの小町も、そろそろ家に着いてておかしくない頃合いだ。
俺の帰りが遅いのを心配してひとり家でそわそわしてるんじゃないかと考えただけで逆に俺の方までそわそわしちゃうまである。


折本「あー!そう言えば比企谷、妹いたんだっけ?オオマチ…じゃなくてナカマチ…ちゃん、だっけ?元気?」

いきなり襟から手を離されて、思わず前につんのめりそうになった。

八幡「小町だよ、小町ッ!仲町はこないだ連れてたお前の友達だろッ?!」

折本「あ、そうそう、小町ちゃん、小町ちゃん。確か、同中の2コ下だっけ?」

八幡「…まぁな。そういや、お前、今日は仲町とは一緒じゃなかったのかよ」 

確か先ほどの顔ぶれの中にはその姿が見えなかったはずだ。

折本「え? あー…」

珍しく少し困ったような顔をする。

折本「やー、実はあれ以来、ちょっと気まずくなっちゃってさー…」

八幡「………そう……なのか」

折本の言う“あれ”とは、恐らく葉山を交えたダブルデート…じゃねぇな…どう見ても俺、いらない子だったし…のことだろう。


八幡「そりゃ…その…悪かったな」

どちらかというとムリヤリ付き合わされた上に引き立て役までさせられた俺の方がむしろ被害者だとさえ思えるのだが、最後の最後で葉山が変な気を回したお陰で後味が悪いのは確かだった。

折本「別に比企谷が謝ることでもないじゃん」 

知らず口を衝いて出た俺の言葉に、折本が苦笑で返す。

八幡「まぁ、それはそうなんだが、その、なんつーか、お前にもイヤな思いさせちまったわけだし…」

折本「アハハ、そんなの全然気にしてないって」

そう言って快活に笑ってみせた。
全然湿ってないのはさすが自称姉御肌のサバサバ系。そんなところは以前と少しも変わらないようだった。

折本「――― それに、あたしも比企谷に会うのって超久し振りだったから、ついテンション上がっちゃって調子のってたし?」

八幡「なっ?!」/// 

…おいおい、それだとまるで久しぶりに俺に会えてうれしかったみたいに聞こえちゃうだろ。

お前のそういうところがただでさえ自意識過剰な思春期男子(つまり俺)を勘違いさせて自爆テロに追い込んだんだってことにいい加減気がつけよ。
ったく、こういうヤツが大学行ってからサークラ女子になったり、就職してから自サバ女になって職場の雰囲気を悪化させたりするんだよな。


ンヴヴヴ…ヴヴヴ…


八幡「…っと」

そんな事を言ってる傍からタイミングよく俺のコートのポケットでスマホが着信を告げた。

八幡「ほれみれ。俺は妹からだけは愛されてるし、それ以上に妹を愛しているんだよっ」

千葉的には全然セーフなのだが、世間一般では完全にアウトであろうセリフを発しつつ、俺はスマホを取り出してメールアプリを起動する。ポチッとな。

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差出人:小町

件 名:お兄ちゃんへ

本 文:

今日は帰るのが遅くなっても全然OK。というかお泊り推奨?

高校生として節度のある範囲内でプライスレスな想い出を作ってね。きゃっ!(≧▽≦)

(あ、これ小町的にポイント高いかも!)

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画面をスクロールさせると更に下にも何やら書いてある。


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P.S.サンタさんへ

白物家電がムリならプレゼントは現金で。


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…いやそれだとヨドバシ的にポイント低いだろ。


折本「なになに?妹さんからカエレコール?」

八幡「…なんで妹からブーイング浴びなきゃならねーんだよ」

それを言うならカエルコールだろ。いやそれもちょっと違うか。ケロケロ。

折本「うわっ、待ち受け画面、妹さんなんだ」

八幡「なっ、ちょっ、おまっ、勝手に人のスマホ覗き込むんじゃねーよ!これは妹が勝手に設定したんだよっ!」/// 撮ったのは俺だけど。


折本「それじゃ、さ、この間のお詫びってことならどう?」

八幡「や、別に詫びられるってほどのことでも…」

折本「比企谷が」

八幡「って、俺かよっ?!俺、何もしてねーだろっ!」

折本「実はさ、バイト先でもらったケーキセットのクーポン券あるんだ。ちょっとだけ付き合わない?」

そう言ってポーチから券を取り出して見せたのは、ここからさほど離れていないホテルの一階にある喫茶店のものだ。
時節柄、カップルをあてこんだものか、クリスマス期間限定でケーキとドリンクのセットが半額ということらしい。

そうまで言われると無碍に断るのもなんだか忍びないような気がしてきた。仲町のことを聞いてしまった後だけに尚更だ。
それに、たかが中学時代の知り合いとたまたま会ったついでに、ちょっとお茶を飲むだけだ。別にやましいことは何もあるまい…って、うわ何こいつ超面倒臭ぇ。俺のことだけど。


折本「はは~ん。もしかして比企谷、意識しちゃってる、とか?」

不意に折本が悪戯っぽく目を細めた。

八幡「ばっかお前何言っちゃってんだよ、そんなのぞんぜんしてねぇーし」///

そうはいいつつも内心“付き合う”という言葉に過剰に反応してしまったのは彼女いない歴イコール年齢のはい俺ですね。

折本「あ、でも、ここには比企谷の好きなMAXコーヒーは置いてないと思うよ?」

八幡「…知ってるっつの」

こいつ俺のこと何だと思ってるわけ?千葉県民?いや、まぁ確かにそうなんですけどね。


八幡「つか、お前こそコーヒー飲めるようになったのかよ?」

何気なく皮肉を返したつもりだったのだが、折本が急にポカンとした顔になる。
そしてややあって、くすりと小さく笑った。


折本「…まだ覚えてたんだ、それ」


その照れたような笑顔に不意を打たれ、心ならずもドキリとしてしまった。

そういや中学時代、どういう経緯だったか忘れたが、こいつが缶コーヒーが飲めないと言うんで、俺の持っていた午後茶と取り替えてやったことがあったっけか。
あの時の折本の笑顔と、缶を交換するときに触れた指の感触だけは未だに鮮明に覚えている。


八幡「た、たまたまだ。たまたま」/// 


共有する記憶で急速に縮まる距離感がなんとなくむず痒い。
気が付くと俺たちは何の違和感もなく肩を並べて同じ方向に歩き始めていた。

短いけどキリがいいのでこのへんで。ノシ

続きはできればまた明日、少し遅い時間に。


ふたり連れ立って店の戸を潜ると、ドアベルがからりんと古風な音を奏でた。

店内はオサレで落ち着いた感じのロココ調の内装で、時間が時間だけに客の影もごくまばらだ。
俺たちはそのまま通りに面した窓際の小さな四人掛け席まで案内された。
傍らではやや小ぶりなクリスマスツリーの飾りがチカチカと明滅を繰り返している。

数少ないぼっちの利点のひとつに、こういう時に知り合いに出くわす可能性が低いということがあるが、俺くらいになると例え出くわしても相手が気が付かないまである。

店内は暖房がよく効いていおり、逆に少し暑いくらいなので俺はコートと一緒に首に巻いたマフラーを外して隣の椅子に置く。
折本も上着を脱ごうとして、なぜか一瞬だけ躊躇うかのような素振りを見せたが、やはり俺と同じようにマフラーと一緒にまとめて隣の椅子に置いた。

厚手の外套の下は体にぴっちりとしたセーターとタイトなミニスカートで、その落差のせいもあってか、否が応でも年相応に成長した体の線が俺の目に飛び込んでくる。


折本「そういえば、久しぶりに再会したのに、ふたりでゆっくりと昔の話とかしてなかったよね」 

正面の椅子にかけながら折本が改まったように俺に話かけてきたのだが、

八幡「ないだろ…別にお前と話す事なんて」

何か見てはいけないものを見てしまったような気恥ずかしさのせいで、俺の方は知らず返す声が不躾になる。

考えてみれば中学時代だって特別親しくしていたわけではない。共通の話題だって無きに等しい。
単に俺がこいつに自分の理想を勝手に押し付けて一喜一憂していただけだ。
他人との間に壁を設けないという、折本のデリカシーに欠ける態度を親しみと錯覚し、あまつさえ自分への好意と取り違えていたのだから俺も相当おめでたいものである。

そんな考えが言葉の端に顕れでもしたものか、折本がほんの僅かだが、むっとしたかのような表情を見せる。

折本「…卒業まであたしのことずっと避けてたの比企谷の方じゃん」 怒ったようにそう呟いた。

折本「学校だって、勝手にひとりで総武高なんか受けてさ」

小さく付け加えられたその言葉は、少しだけ拗ねているかのようにも聞こえたのだが、多分それは俺の思い過ごしなのだろう。


折本「………どうしてなの?」

やや間を置いて放たれた今更のような問いかけに、俺は少々面食らってしまう。何が“どうして”なのか、質問の意図からしてよくわからない。

八幡「どうしてって、そりゃ…」

普通に考えて、フラれた相手に対して今まで通り何事もなかったように接するなんて、そんなことできるわけがない。もしそれができるとすればそれこそ欺瞞というものだろう。

だいたい女の子にコクった後で「お友達のままでいましょうね」って言われて本当に友達のままいられたことなんてないし、それ以前によく考えてみたら俺の場合最初から友達ですらなかったりする。

少し気まずいに雰囲気になりかけたちょうどその時に、ウェイトレスさんがメニューを届けに来てくれたので、そこでその話は中途半端なまま立ち消えになった。


折本「そう言えば、さ、こないだ葉山くん紹介してくれたキレイ系のお姉さん、比企谷とどういう関係?」

メニューを眺めながら、折本がごくさりげない口調で訪ねてきた。
すぐにそれが陽乃さんのことだと気が付く。傍目にも全然釣り合うはずのない取り合わせだ。別にこいつでなくとも疑問に思うのは当然だろう。

その類稀なる容姿と、感じの良い人当たり、猫の目のようにくるくるとよく変わる豊かな表情。
滲み出る聡明さといい、人当たりの良さといい、傍から見れば陽乃さんは男女を問わず、まさに理想的な女性、そういっても過言ではないかもしれない。

だがその実“面白そうだから”というだけの理由で他人をトラブルに巻き込んだ上に自分はちゃっかり安全圏から高見の見物を洒落込むという、超のつくハタ迷惑な存在だ。
俺にとっての折本をトラウマメーカーとするならば、さしずめ陽乃さんはトラブルメーカーといっていいだろう。それもごくごく極め付けの。


八幡「…ありゃ雪ノ下の姉ちゃんだ。ほら、俺と一緒に途中から合同会議に出てた」

興味を惹かれたのか、折本がメニュー越しにチラリと目線を俺に向けて寄越す。

折本「雪ノ下さんって…会議の時に玉縄くんをやり込めてた、あの黒髪のちょっとキッツイ子?」


八幡「…おい」


雪ノ下のことをよく知りもしないヤツにそんな風に言われたせいか、無意識にだが、つい咎めるような口調になってしまったようだ。


折本「…あ、ごめんごめん」


俺の声の変化を察した折本が慌てたように小さく首を竦める。ここはやはり今後の為にもキチンと言っておいた方がいいだろう。


八幡「…“ちょっと”どころじゃねぇ“かなり”だ」

折本「って、そっち?!」


折本「その雪ノ下さんのお姉さん?なんか葉山くんとも随分親しかったみたいだけど?」

八幡「…ああ、俺も良くは知らんが、雪ノ下と葉山の家は家族ぐるみのつきあいで、あの三人は小さい頃から姉弟みたく育ったらしいぞ」

自分で言っておいてなんだが、その割には葉山と雪ノ下の関係は今ひとつギスギスしているし、葉山の陽乃さんに対する態度も何かしらよそよそしいものを感じる。姉妹間の関係に至っては言うに及ばず、だ。
あの三人の間には陽乃さんを頂点としながらも何かしら歪な力関係が働いているようにしか思えない。

八幡「そんなことよりお前、何頼むのかもう決まったのか?」

それ以上他人の家の事情に踏み込むのもなんかアレなので、俺はわざと話題を変えることにした。

折本「比企谷は決めたの?」

八幡「俺はガトーショコラとブレンドのセットで」

折本「あたしは何にしよっかなー。ねぇ、何がいいと思う?」

八幡「…いや何がいいっていきなり言われてもな。あー…レアチーズケーキとかどうだ?なかなか美味しそうだぞ?なんかレアみたいだし」

我ながら超いい加減な返事をすると、

折本「えー…、それはないかなー」 あっさり流された。

八幡「んじゃ、モンブラン…とか…?」

折本「んー…、それもないなー…あたし、栗キライだし」

八幡「…それはないこれもないって、だったらお前、最初から自分で選べばいいだろ」ヒクッ

あれな、女の子って「何がいい?」とか聞いておきながら、いざこっちが提案すると、なんだかんだ言って必ず却下するのな。

折本「わかってないなー。こういうのって選ぶ過程が楽しいんじゃん?」

八幡「いや、もし仮に俺に彼女がいたとしてもデート中にそんなこと言い出したら多分その場でブチ切れて別れ話切り出す自信があるぞ、相手が」

折本「………相手なんだ」


折本「…彼女って言えばさ、比企谷ってやっぱこないだ会議に連れてきた子たち、どっちかとつきあってんの?」

さして待たされることもなくテーブルに並んだケーキを前に、いきなり折本が斬り込むように訊いてきた。
さすが遠慮というものを知らないサバサバ系。こんなサバサバしているのなんて人間以外では恐らくスズキ目の回遊魚ぐらいだろう。

八幡「や、だからあれはそんなんじゃねーって」///

では何なのかと改めて聞かれるとそれはそれで返答に困るのだが。

折本「だよねー♪」

異様に早いレスポンスがほぼタイムラグなしで返ってきやがった。

八幡「…だったら聞くんじゃんねぇよ」 社交辞令にもほどがあんだろ。

折本「でもふたりとも超可愛くなかった?」 

八幡「…まぁ、そうだな」

確かにあのふたりの見てくれに関してはかなりレベルが高いことは否定しないが、なにしろ由比ヶ浜の方は頭がちょっとアレだし、雪ノ下に至っては性格がかなりアレだからな。

折本「同じ部活なんだっけ?えっと…ちょっと変わった名前の…確か、そう、帰宅部!」

八幡「いやそれ部活じゃねぇだろ。奉仕部だよ、奉仕部!“部”しかあってねぇじゃねぇか」

折本「そう、それ!でも、それってボランティアとかしてる部活なの?比企谷がボランティアって想像しただけでなんか超ウケるんだけど」

八幡「…それもしかして俺はボランティアされる方が似合ってるとか言いたいわけ?」

俺、いったいどんだけ周りから同情されてんだよ。


折本「あ、でも比企谷って、部活やってなかった割になんか運動神経とかけっこう良くなかった?ほら、サッカーの授業の時もずっとリフティングとかしてたし?」

八幡「チームに入れてもらえなかったんで校庭の隅でひとりで遊んでたら自然とうまくなっただけだけどな」

折本「でも、ゲームでシュート決めてたでしょ?」

八幡「あれはたまたまこぼれ球拾っただけだ。敵のゴールキーパーですら俺がすぐ傍に立ってたことに全く気がついてなかったんでな」

折本「あー…そういや、比企谷って、あんまり仲のいい友達とかいなかったんだっけ?」

八幡「いや仲の悪い友達もいなかったけどな………って、お前、よく見てんのな?」

俺が素で驚いて見せると、折本の顔が急に赤く染まる。

折本「別にずっと比企谷のこと見てたってわけじゃ…」///

そう言って、ついと窓の外に視線を逃がした。

八幡「…わーってるよ。別にそう言う意味でいったわけじゃねぇから」///

やっぱこの店暖房、ちょっと効きすぎじゃね?何だかやたらと顔が火照るんですけど。


折本「そう言えば、一色ちゃんとはどうなの?」

いきなり変化球が来た。変化球というよりむしろビーン・ボール。しかも顔面スレスレのかなりキワどいヤツ。

八幡「…なんだそりゃ」

返す声もさすがにげんなりした調子になる。

八幡「いいか?確かに俺は年下の女の子が好きだし、この際だからその事を認めること自体は決してやぶさかでもないが、それはあくまでも血縁者限定だ」

俺は自分がロリコンではないことも、そしてそれ以上にシスコンであることも大いに自覚している。

八幡「それに俺は例え小町が年上だとしても妹として愛せる自信がある」

折本「…それもう妹じゃないし」


折本「でも、随分と慕われてる様子だったじゃない?一色ちゃんも比企谷のこといい人だって言ってたよ?」

八幡「ありゃどう見たって慕ってるというより、むしろ都合よく利用してるってだけだろ」

しかも大抵の場合において女の子の言う“いい人”というのは、自分にとって“都合のいい人”か、そうでもなければ“どうでもいい人”のことなので勘違いしてはいけない。
ちなみに女の子が言う“可愛い”は“可愛いと言っている自分可愛い”のことであり、それを同性に対して用いた場合は“私ほどじゃないけど”という但し書きがつく。


八幡「…それに一色は他に好きなヤツがいるみたいだぜ」

さすがにここで葉山の名前を出すわけにはいくまい。どちらも面識のある共通の知人となれば尚更だ。俺にだってそれくらいのモラルは…


折本「あー、それって葉山くんのことでしょ?」

八幡「………そうそう。って、何でお前がそんなことまで知ってんのっ?!」

なにその女子の情報網っ?怖すぎだろっ!?

折本「あー…、えっと、ほら、こないだ比企谷のいないところで、一色ちゃんに昔のこと根掘り葉堀り聞かれて?その会話の流れで、色々と、ね」

八幡「…何やってんだよ、いろはす」

つか、色々ってなんだよ、色々って。

俺の葬り去ったはずの黒歴史ピンポイントで掘り起して何がそんなに楽しいの?考古学者にでもなるつもり?一色いろは、やはり性格はかなりアレ。


折本「でも一色ちゃん、葉山くんにはフラれちゃったみたいだから今がチャンスなんじゃない?脈あるかもよ」

八幡「ねえよっ!ねえねえっ!」

折本「そんな全力で否定しなくてもいいじゃん」 折本が苦笑する。

八幡「それにあいつはあんな風に見えて意外としたたかなヤツだからな。葉山のこともまだ諦めてないみたいだぜ?」

折本「ふーん。そうなんだ」

八幡「…まぁ、葉山の方はどう思ってるか知らんが」

普通に考えたら関係の再構築はかなり難しいだろう。振ったり振られたりした相手との距離はどうしても測り兼ねるものがある。いやふられたことしかない俺にはよくわからんけど。

それでも何事もなかったような態度で一色と接している葉山の姿を見ると、それが果たして正しいことなのかと疑問に思うことはある。
恐らくは今までの経験からそうした時の振る舞いを自然と身につけているのだろう。
だが、それは決して誠意のある態度であるとはとても思えない。うまく言えないが、それはむしろもっと酷い、別の何かのような気さえする。



折本「でも、それってさ…」



八幡「あん?」

知らず思いに耽ってしまっていたらしい俺の意識を、いつにない折本の声の調子が現実へと引き戻した。


折本「…コクられて初めて相手のことを意識しちゃう…ってこともあるんじゃないの…かな…」


窓の外に目を遣りながら、殊更素っ気なく口にされたその言葉には、さすがに俺も何思わぬところがなかったわけではない。

だが、俺の経験上、下手に言葉の裏を読もうとすれば、必ずといっていいほどドツボに嵌る。

返事をする代わりに手にしたグラスの水をそっと口に含むと、まるでその言葉の余韻のように、せめぎ合った氷の塊が器にぶつかる音が小さく響いた。


今日はこのへんで。できればまた明日。ノシ

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俺ガイルSS 『そして彼と彼女は別々に歩み始める』

ガガガ文庫 渡航 著 「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている」SS

6.5巻のクリパ直後の話です。

円盤の特典書き下ろし小説は未読なので、齟齬が生じてたら、そこはスルーで。

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解説さんすこ。二期の円盤に何やら折本が出ているらしい。そんなん知らんがな(汗



“こんこん”


その時、外から遠慮がちに窓ガラスを叩く音が聞こえてきた。

そはなんぞとそちらに目を向けると、まるでショーウィンドウのトランペットを眺める黒人少年もかくやと窓ガラスにへばり付く見るからに怪しい人影。


『あんれー、やっぱ、ヒキタニくんじゃね?』


ガラス越しに聴こえる妙にくぐもった声によくよく眼を凝らせば、最新モデルのスマホよりも薄くて軽いことで定評のある俺と同じクラスの戸部である。

…つか、お前、なんでサンタ帽被ったままなんだよ。
もしかしてそのカッコでバイト先からここまで歩いてきたの?いくらクリスマスだからってチャレンジャーすぎだろ。スペースシャトルかよ。


折本「ヒキタニっ?なに、比企谷、友達からヒキタニって呼ばれてんの?ねぇ、超ウケるんだけど」

折本が俺を指してケラケラと笑う。

八幡「…だからウケねーっつの」 それに俺、友達いねーし。

戸部は招かれもしないのに、っべーっべー、さみぃーさみぃーとかなんとか言いながら、ぐるりと回って店内に入ってくる。

入口のカウンターで「あ、すぐに出ますんで」と、慣れた調子で断り真っ直ぐこちらに向かって近づいてきた。

そこにきて初めて同席している折本の存在に気がついたらしく、はたと足を止め、へーんとかほーんとか言いながら、まるで何かを期待するかのような目で俺を見る。

…なにそれもしかして紹介しろってか?

でも正直な話、俺、紹介できるほどお前の事よく知らないんだよな。好きか嫌いかの二択で聞かれても“どうでもいい”と即答しちゃうレベルだし。


八幡「あー…、こいつは俺と同じクラスの戸部な。ものすごくウザくてありえないほどアホだが、とりあえずそんなに悪いヤツじゃない」 多分、だけど。

戸部「おほっ?それってもしかして褒めてる系?俺って、意外とヒキタニくんから評価高い系だったりして?」

たはっと照れたように長く伸ばした髪の襟足をかき上げるその仕草が激ウザい。

八幡「…いったい何をどう聞いたらそうなんだよ」

一ミリだって褒めてねぇし。つか、高いのはむしろお前のテンションだろ。もしくは常にお前が周りの人間に与えている不快指数だ。


折本「へぇ、戸部くんって言うんだ?あたし、海総高の折本かおりー。比企谷とは中学時代の同級生。よろしくー。イェーイ!メリクリー!」(ハイタッチ)

戸部「ウェーイ!メリクリー!」(ハイタッチ)


戸部「ありゃん?もしかして前にどっかで会ったっけか?」

折本「あー!あたしも今、そう思ってたとこー」
 

そして、なぜかふたり揃って俺の方をもの問いた気に見た。


八幡「…前に一度顔会わせてるだろ。ほら、葉山と一緒だった時に、千葉パルコで」 仕方なく助け舟を出す。


戸部「おー!?」(折本を指さす)

折本「あー!?」(戸部を指さす)



戸部「………そうだっけ?」(頭を掻く)

折本「………ごめん、全然覚えてないかも」(頭を掻く)


八幡「…ああ、そうかよ」


思わずズルズルと椅子の背もたれからずり落ちそうになってしまった。何なのこの超疲れる会話。


八幡「んで、わざわざ声かけてきたってことは、俺になんか用でもあんのか?」

俺の方はお前に用なんか全然ないんだけど。

戸部「や、バイト終わって外歩いてたら偶然ヒキタニくんの姿が見えたんで…さっきのお礼言おうかと思って?」

“さっき”とは戸部のバイト先でケーキの売り上げに貢献したことだろう。でも、あれはどちらかというと戸塚サンタのコスプレ効果だ。
俺も思わず有り金叩いてケーキ買い占めちゃうところだったし、握手券とか入ってたらまず間違いなく箱買いしている。まぁ、基本、クリスマスケーキは箱売りなんですけどね。


八幡「礼ならさっき十分過ぎるくらい貰っただろ」

戸部「…や、それもあんだけどさ」

それもある、とうことは、つまりそれだけではない、という意味なのだろう。お調子者の戸部にしては、まるで何か奥歯にものの挟まったような言い方だった。

八幡「とりあえず、掛けたらどうなんだ?」

戸部「や、ホント、すぐ帰るから」 

俺が椅子を勧めると、両手と一緒に振られた頭に合わせてサンタ帽の房飾りがポンポンと揺れる。


戸部「…さっきはみんないたからちょっと聞けなかったんだけどさ」

そう言いながら、少しだけ気まずそうにチラリと折本を見た。


折本「あ、ダイジョブ、ダイジョブ!あたし、こう見えて超口固いから!全前気にしなくていいよ?」

八幡「………お前、いったいどの口がそれ言ってんだよ」


折本「じゃあ、あたしちょっとお花摘みにでも行ってこよっかな」

珍しく空気読んで気でも利かせたものか、折本が席を立つ。
でも、いつも思うんだけど女子トイレってもしかたらお花畑にでもなってるのかしらん?アサガオなら男子トイレにもあるけど。


八幡「…んで、俺に聞きたいことって?」

折本の背をぼんやりと見送った後、改めて戸部に水を向ける。


戸部「あー…いや、その…」

戸部は暫く言いあぐねいたように言葉を濁し、窓ガラスを鏡代わりにしてサンタ帽の位置を直していたが、やがて覚悟を決めたように切り出した。



戸部「…ヒキタニくんってば、もしかして海老名さんのこと、もう諦めたん?」


昨年の修学旅行の3日目、京都の嵐山で俺は戸部の目の前で戸部の想い人である海老名さんに告白している。

無論、本気ではない。戸部が海老名さんにフラれないように、告白自体を未然に防ぐためだ。

正直なところ、別に戸部が海老名さんにフラれようがフラレまいが、それは俺にとってはまるで無関係なはずだった。

だが、例えそれが嘘や欺瞞であると知りつつも、変わらない人間関係の継続を願う葉山や三浦、そして海老名さん自身の気持ちに、らしくもなくつい共感するものを覚えてしまったのである。

結局のところはいつもの通り、――― つまり、あまり褒められたものではないやり方で、俺はどうにか彼らの要望に応えることができたのだと思う。

しかし、その代償として危うく俺にとって一番大切なもの、かけがえのないものを失いかけることになってしまった。


そういや、あれからもう二ヶ月…か。

主観的な時の流れは常に一定ではない。それがついこの間のことのようでもあり、随分と昔のようにも感じられた。

戸部「まぁ、俺としてはライバルがいなければ、ありがたいっちゃ、ありがたいんだけど…」 

暫し感慨に耽る俺の耳に、戸部が独り言のように呟くのが聞こえてくる。だが、そうは言いつつも、言葉とは裏腹にやはり釈然としない様子が覗えた。

確かに自分をさしおいて海老名さんに告白しておきながら、今の俺のこの態度は戸部からすれば随分と不誠実に映っていることだろう。
こいつは一見ちゃらんぽらんでいい加減なようでいながら、殊、海老名さんの事に限っては案外一途で真面目なところがあるからな。

…いや考えてみたら、俺、こいつのこと語れるほどよく知らないんですけどね。


八幡「…ん。俺は彼女の…海老名さんの気持ちを尊重したいと思ってる」


戸部に対する答えは敢えて考えるまでもなく自然に口を衝いて出た。嘘をついたわけではない。単に真実の部分を口にしなかっただけだ。

だが、時に真実というものがあまりに厳しすぎるように、優しさに塗れた嘘もあっていいのではないだろうか。不思議と今はそう考えられるようになった自分がいる。


戸部「…そっか」


完全に納得したわけではないのだろうが、戸部はそれ以上突っ込んだ話は諦めたようだ。そして、

戸部「…わりかったな、文化祭の後、なんか俺、チョーシ乗っててヒキタニくんのことよく知りもしないで悪く言ったりしてさ」

ふと思い出したかのように付け加えながら、サンタ帽を脱いだ。こいつなりの礼儀なのだろう。

八幡「…お前がチョーシ乗ってんのはいつもだろ。だから全然気になんかしてなんかねぇよ」

それに実のところ俺も未だにお前のことよく知らないし。

戸部「うっわっ、ヒキタニくんてば、それって、ヒドくね?ヒドくね?それもうヒキタニくんじゃなくて、ヒドタニくんだわっ!」

聞きたいことが聞けて少しだけ心のモヤが晴れたのか、大袈裟におどけて見せる。

戸部「いやー、海老名さん、アレ以来なんかヒキタニくんのこと超意識してるみたいで?実はちょっとだけ気になっててさー」

おちゃらけては見せているが、その言葉には少なからず不安からくる本音も含まれているのだろう。
それが杞憂に過ぎないことは俺も海老名さんも知っているのだが、ここでそれを戸部に告げる必要はあるまい。

戸部「休み時間なんか、時々ヒキタニくんの方じっと見て、“ハヤハチ、ヤバイ”とか言ってるし?」

八幡「………いや、それは多分、お前が考えてるのとはかなり違うと思うぞ?」


そうこうしているうちに折本がお花畑から帰ってきた。

折本「ただいまー!イェーイ!」(ハイタッチ)

戸部「おかえりー!ウェーイ!」(ハイタッチ)


八幡「…お前ら顔も覚えてない割にはやたらノリいいのな」 


戸部「や、トモダチのトモダチはトモダチって言うべ?」 戸部がしたり顔で言い、

折本「うん、それある!」 すかさず折本がサムズアップで同意を示す。


八幡「…いや、言わねーし」


お前ら、タモさんなの?いいとも終わったのご存じない?
っていうか、いつからお前ら俺のトモダチになったんだよ。だいたい“友達の友達”なんてどう考えたって赤の他人か、そうでなければ都市伝説ぐらいのもんだろ。


戸部「んじゃ、ヒキタニくん、また学校でー。おっじゃまっむし~」

別れの挨拶らしきものを告げ、戸部は再び夜の街に姿を消していった。


折本「何の話だったの?」

八幡「…まぁ、色々と、な」

折本「…ふーん?」

折本の問いかけに言葉を濁して答えながらも、なぜかその顔をまともに見ることができないでいた。

それは、もしかしたら折本が戻る前に、戸部と交わした最後の会話のせいだったのかも知れない。



*******************



戸部「でもさ…やっぱ、なに?その…」

ふと照れたように目を逸らしながら戸部が改めて言葉を継いだ。


戸部「コクられてから、初めて相手のことを意識しちゃう…ってこともあるじゃん?」


八幡「…………んなわけねーだろ。考えすぎだ」


あの時、即答できたはずなのに僅かに返事が遅れてしまったのは、そのセリフを聞くのが二度目だと気がついてしまったからだけなのだろうか。


では今日もこのへんで。ノシ

あと3回ほどで完結する予定です。


「どこ行くんだよ」「もうすぐ」

“ちょっと行きたいところがあるからもう少しだけ付き合え”と言われ、店を出てからずっとこの調子だ。

クリスマスとはいえ、さすがにケーキの喰い過ぎで少しばかり胸やけがする。それに寒いし疲れたし、俺、いい加減おうちに帰りたいんですけど。

先程から首周りがやけにスースーと思ったら、どうやら店にマフラーを忘れて来てしまったらしい。

ここからだと駅の方が近いので、わざわざ取りに戻るのも面倒臭い。
だが考えてみればそれを口実に、この“昔コクってフラレた女の子とクリスマスの夜に並んでそぞろ歩く”という罰ゲームのような状況から離脱する手もないことはない。

折本「どうかしたの?」 

どうしたものか決めかねてそわそわしている俺に気がついた折本が声をかけてきた。

八幡「…ああ。さっきの店にマフラー置いてきちまったみたいでな」

わざとらしく振り返って、目いっぱい戻りたいアッピールを試みる。

折本「どうする?一度店に戻るんなら、つきあうけど?」

八幡「…いや、このままここで別れてそのまま帰るという選択肢はないのかよ」

言った途端に盛大なくしゃみがでた。

折本「ほらほら寒空の下でマフラーもしないでいるから」

折本がくすくすと笑う。

八幡「…その寒空の下、俺を無理やり引っ張り回してるのはいったいどこの誰なんですかね?」


仕方なく、そのまま大通りに沿って広い歩道を真っ直ぐ進むと、やがてよく知った公園が見えてきた。

毎年この時期になると周辺の街路樹が色とりどりのクリスマスのイルミネーションで飾り立てられ、夜には定番のデートスポットにもなる。
実際、今もそこかしこに寄り添いながら語らう男女の姿が見え隠れしていた。

俺は深々とひとつため息を吐くと、自分でもそれとわかるほどの真剣な面持ちで頭上に広がる星空を仰ぐ。


――― 隕石でも落ちてきて今すぐここにいる奴らみんな死なねぇかな。


公園に近づくに従って何組かのカップルとすれ違ったが、この寒さのせいもあってか皆一様に、手を繋いだり腕を組んだりしている。

もしかして、傍から見れば俺たちも恋人同士に見えたりしているのだろうか。ふとそんな頭の悪い考えが脳裏を過ぎったが、軽く首を振って追い払った。

それでも隣を歩く折本の存在を意識しまいと意識するあまりに余計意識してしまっている自意識高い系(笑)の俺がいたりする。

俺ひとりだったら絶対にこんなリア充ワールドには近づかないし、むしろ方違えしてでも避けるべき鬼門だとさえ言える。
いったいこいつはどういうつもりなのだろうと目を遣ると、やはり丁度こちらを見ていたらしい折本と偶然目が合った。

折本「なに?もしかして、比企谷も、あたしと手ぇ、繋ぎたいとか?」

まるでからかうかのようにひらひらと手を差し出す。

八幡「…なんでそうなるんだよっ」///

折本「ったく、相変わらずノリ悪いなー比企谷は。いいじゃん、別に手くらい。減るもんじゃないし」

八幡「ノリで女の子と手とか繋げるわきゃねーだろ」

折本「ははーん、さては比企谷、まだ女の子と手を繋いだことない、とか?」

そう言って、今度は意地悪そうに俺を見た。

八幡「…や、俺だってそれくらいあるし」

折本「へぇ、そうなの?あ、言っとくけど妹さんはナシだよ?」

八幡「………ぐっ。い、いや、ほら、その、体育の授業ん時に、フォークダンス…とか?」 半強制的に、だけど。

どうでもいですけど「フリだけでいいよね?」とか「なんか手、汗ばんでない?」とかいうのやめてくれませんかね。あれ、マジ凹むから。


折本はそのまま俺を先導するように公園の真ん中を突っ切って進み、中央にある噴水のオブジェの前でぴたりと足を止めた。


折本「――― やっぱちょっと変わったよね」


八幡「そうか?」


言われて辺りを見回す。このあたりはしょっちゅう通ってはいるがそう言われても何が変わったのかよくわからない。
確かにいくつかの店舗は入れ替わってはいるのだろう。しかしさほど大きな変化はないように思えた。

折本「…比企谷のことだよ」

八幡「あん?」

折本「あたしと話とかしてても、全然キョドんなくなったし」

八幡「…その言い方だと、まるでお前と話す時はキョドるのが俺のデフォみたいに聞こえちゃうんですけどね」

折本「この間の会議の時だって、昔は人前であんな風にハッキリと自分の意見とか言うようなタイプじゃなかったじゃない?正直ちょっとビックリしたって言うか…」

八幡「そうだったか?」

確かに中学時代の俺は人前で自分の意見を言わせてもらえるような境遇ではなかったが、だからといって別に驚く程のことでもないだろうに。


折本「それまでみんなでわりかし和気藹々とやってたのに、比企谷がいきなりわけわかんないこと言い出して…」 

あの時のことを思い出したのか、くすりと笑う。


八幡「いや、どっちかっつーと、最初から最後までわけわかんない事言ってたのはお前んとこの生徒会長の方だろ」

意識高すぎて高山病おこしそうなレベルだったし、しかも、しょっちゅうエア轆轤(ろくろ)とか回してて、お前いったいどこの人間国宝だよって感じだったし。


折本「最後は険悪なムードになっちゃてさ、もう少しで会議どころかイベントだって台無しにするところだったじゃん?あれはないよね。うん、マジ、ウケる」


八幡「…それくらいでダメになるんだったら、所詮それまでのもんだろ」


こんなところまで来て、いったいこいつは急に何を言い出すのだろう、と俺がそう思い始めた頃、


折本「…だったら」


不意に折本の声の質が硬くなった気がした。


折本「だったら、一回フラれたくらいで諦めちゃうなら、最初からそれくらいの気持ちだったってこと?」


彼女が言わんとしていことを察して、俺は返す言葉に窮する。

中学時代、誰もいない放課後の教室で俺が折本に告白した時、彼女はただひと言、“どうしてなの?”とシンプルに問うてきた。

その時の俺は、それを“どうして私が比企谷なんかとつきあわなきゃいけないの?”という意味に受け取った。

だが、今になって思えば、それは“どうして私の事が好きなの?”という意味だったのかもしれないと気がついていた。

確かに俺にとっての折本は、明るくて、可愛くて、しかも俺みたいなぼっちに対しても分け隔てなく接してくれる、親しみやすい女の子だった。
だからこそ、俺は安心して自分の理想を彼女に投影し、憧れを勝手に押し付けることができたのだと思う。

しかしそれは、絶対に手の届かない場所にある、酸いか甘いかわからないような蒲萄に手を伸ばす代わりに、俺自身の妥協が生んだ感情ではなかったと、そうはっきり言い切れるだろうか。


折本「それに…変わったといえば…」

くるりとこちらを振り向いた折本の表情は、いつもと変わりなく、逆に不自然に感じるほど落ち着き払って見えた。

そして、何を思ったのか自らの首に巻いたマフラーをしゅるしゅると解き、「んっ」とひとつ背伸びしたかと思うと


折本「…あの頃より少し、背も伸びた」


そう言いながら、俺の首にふわりとそれを巻きつけた。


思いがけず折本の顔が近づいて、自然、目と目が合ってしまう。

仄かに漂う香水の香り、うっすらと化粧したことで俺の記憶にあるよりも少しだけ大人びた顔。
こんなに間近で顔を付き合わせるなんて、中学時代にもなかったことである。

噴水から吹上げる水をイルミネーションの灯りが鮮やかに染め上げ、既に終わり向けて時を刻む聖夜の公園を幻想的に彩る。
流れ落ちた水に照らされる折本の瞳が潤み、微かに頬が赤く染まって見えるのははたして光の悪戯なのだろうか。


折本「あのさ…」


折本がおずおずと口を開く。薄桃色をした唇からこればかりは記憶と変わらない白い歯が覗いた。


八幡「お、おう」/// 


折本「あたし、今、一応、フリー…なんだけど」


八幡「…そ、そうなのか」/// 


折本「…中学時代のリベンジ、してみる気とか、ある?」


言葉尻にかけて次第に消え入りそうなほど小さくなったそれは、俺が初めて聞く甘い声音だった。



「あ、はーちゃんだっ!」


ふひっ

その瞬間、思わず素で鼻が鳴ってしまう。

咄嗟に声のした方へと顔を向けると、そこにはもこもこと厚着をしてはいるものの、確かにどこかで見覚えのある幼女の姿。

そしてその繋がれた手の先をゆっくり辿って行くと ―――

ファーのついた革のダウンジャケット、ミニスカートに膝丈のブーツ。青みがかった長い黒髪を凝ったお手製のシュシュでポニーテールに束ね、少しタレ気味の大きな目の下に特徴的な泣きボクロ。

名前は確か、陸…海…空…いやそれ自衛隊だし。山といえば川…は合言葉か。なら、富士…鷹…茄子?いやいや縁起のいい初夢かっつーの。なんかどんどんかけ離れてねぇか?

とにかく妹の小町の同級生で一万円札の肖像画みたいな名前のヤツの姉であると同時に、俺のクラスメートでもあるところの…そう、川…川なんとかさん…だと思う…いや多分。自信ないけど。

その川なんとかさんは、常にも増してやたらと不機嫌そうな顔で無言のまま、じっと俺のことを見つめている。


「はーちゃん、めりーくりすます、おめでとー!」

仏頂面の川なんとかさんとは対照的に、幼女の方は屈託なく俺に話しかけてくる。どうやらいつの間にか懐かれてしまったようだ。

八幡「お、おう、おめっとさんな」

寒さでりんごのように赤くなった頬っぺに、にっこにこ天使のような笑顔を浮かべて手を振ってくる幼女に俺も反射的に小さく手を振り返す。

そして恐る恐る超不機嫌そうな川なんとかさんへと目を戻すと、今度はなぜかぷいっとそっぽまで向かれてしまった。


川○「けーちゃ…京華がどうしてもクリスマスのイルミネーション見たいって言うから連れてきたとこ」

こちらに見向きもせずに、川なんとかさんがぽしょりと呟く。

八幡「お、おう、そうか。大変だな、寒いのに」

そうだ、思い出した!けーちゃんだ、けーちゃん…んで、肝心のこいつの方はなんだっけか?

川○「で、あんたは?」キッ

いきなり刺すような声と視線が同時に俺に向けられる。そのまま由緒正しい寺にある土蔵の地下に500年くらい繋ぎ留められちゃいそうな勢い。

八幡「え?俺はその…アレだよ。ホラ、アレがアレしてナニだから」

名前を思い出せない後ろめたさもあってか、浮気のバレた亭主みたく目が泳いでしまうのは、やはりうちのクソ親父のDNAの為せる業なのだろう。
優生遺伝のはずなのに、なぜかそこはかとなく漂う劣性臭。


そんな俺と俺の傍らに居る折本を不思議そうに見ながら、京華がミトンの手袋をした手で川なんとかさんの手をくいくいと小さく引く。

京華「さーちゃん、さーちゃん」

幼いなりに気を使ってか、口許に手をあて小声で内緒話をしているつもりなのだろうが、残念ながらここまで丸聞こえだ。

川○「ん?なに?今ちょっと忙し…」


京華「さーちゃんは、はーちゃんのおヨメさんになるんじゃないの?」


八幡&川○「えっ?!」///


川○「ばばばばばば、ばっかじゃないの、けけけけ、けーちゃん、ああああああんた、いいいいったい、なななな何言ってんのよっ!」

よほど怒っているのか、夜目にも耳まで真っ赤に染まっているのが見えた。


京華「はーちゃん、はーちゃん、さーちゃんがけーかのこと、ばかって言った~」

ぷくっと膨れて今度は俺に訴える。やだ何この子、超可愛い。家に持って帰りたいくらい。いやさすがに時事的にそのネタはヤバいか。

でもそんなこと言われても、俺の方がどんな反応していいか困っちゃうでしょ。


八幡「よしよし、ホント酷いヤツだな、さーちゃんは」

とりあえず俺はしゃがみこんで目の高さを京華に合わせ、頭を優しくなでくりなでくりしてやると嬉しそうにふにゃりとした顔になった。

ふっ、どうだ。お兄ちゃん歴15年のキャリアは伊達じゃないんだぜ?ドヤ顔で川なんとかさんを見上げると、

川○「あ、あんたが気安く、さーちゃん言うなっ!」/// 

今度は真っ赤な顔でがーっとがなりたてられてしまった。いや、仕方ねーだろ、お前の名前思い出せねーんだから。

八幡「あー…、だったら…サキサキ?」

確か海老名さんがそう呼んでいたような?

川○「そ、それもだめっ!!」///

八幡「…んだよ、アレはダメこれはダメって、お前、俺のかーちゃんかよ?」

川○「だ、だだだだだ、誰があんたのかかかかか、かーちゃんよっ?」///

八幡「…は?何怒ってんの、おま…」


京華「…かーちゃん?」(川崎を見る)

川○「だ、だから違うって!」///


京華「…とーちゃん?」(八幡を見る)


…いやいやいいやいやいやいやいやいいやいやいや、なんでそーなるんだよ。


折本「ちょ、比企谷、いつの間にそんな手が早くなったのっ?しかもこんな大きな子どもまでいたなんてっ?!」

八幡「アホかっ!んなわけーねーだろッ!!」

折本「…だ、だって、この人、なんとなくヤンママっぽいし」

川崎「だ、誰がヤンママよ、誰が!?」///

うん、まぁ確かに見た目ヤンキーっぽいし、ちょっと所帯じみたとこありますけどね?たまにネギ挿した買い物袋持ってたりとかするし。

では今日はこのへんで。ノシ


折本「あたし海総高校の折本かおり。比企谷とは中学ン時の同級生。確か合同イベントの時一緒だったよね?」

さすがに他人との間に壁を設けないサバサバ系を自負するだけあって、まるで物怖じすることなく慣れた調子で自己紹介をする。

川崎「…川崎紗季。そいつとは“今の”同級生」

いつもように気だるけに答えつつも、なぜか心持ち“今の”を強調しているように聞こえるのは気のせいか。

折本「川崎さんって言うんだ」

確認するかのように折本が俺を見る。

八幡「お、おう」 

そうですね、実はこいつが川崎だってこと、俺も今知りましたけどそれが何か?


川崎「…で、あんたそいつとは、その、どんな関係なの?別に興味とかないんだけど、一応?」ゴニョゴニョ 

折本「比企谷とは、それほど親しかったってわけでもないんだけど…あ、そうそう、昔、いきなりコクられたこととかあって?」

さらっと、とんでもない爆弾を落としやがった。

川崎「えっ?!」

驚いたような顔つきで川崎が俺を見る。


八幡「だからなんでお前はそういうこと言うんだよっ!?」

それもうサバサバ系ってレベルじゃねーぞ。なんか雰囲気どんどんサツバツしてるしっ!おだやかじゃないわねっ!


川崎「…ふ、ふーん、あ、そ」

だが、川崎の反応は思いのほか大人しい。ま、そういや別に興味ないって言ってたしな。つか興味ないなら最初から聞くなよ。


川崎「…む、昔の話でしょ。あたしなんか、その、ついこないだ、文化祭の時に…んッんッ」/// 

文化祭の時?なんかありましたっけ?パンツ見ちゃったのはもっと前だし。


折本「へー、そうなんだー、ふーん」 

今度は折本が意味あり気にチラリと俺を見る。


八幡「…ちょっと待て、お前今いったいどんな解釈の仕方したんだよ?」

気がつくといつの間にか二人の視線が揃って俺に注がれていた。

まるで質量でも伴っているかのような圧に気圧されるようにして、俺は無意識のうちに二、三歩後退り、


どんっ


その拍子に通行人のひとりに軽くぶつかってしまった。



「…ったー。あ、ごめんなさいっ…って、あれ? もしかして、先…輩…じゃないですか?」


亜麻色をしたセミロングの髪。やや大きめのダッフルコートの下から伸びた細く華奢な脚。
余った袖口からわずかに覗く白い指先が庇護欲をくすぐるが、明らかに計算されているであろうそのあどけなさい仕草が逆に狙いすぎててなんかあざとい。

―――― よくよく見れば、それは俺の後輩で一年生にして総武高校の生徒会長でもある一色いろはだった。


折本「一色ちゃん?!」

一色「あ、折本さんも!先日はどうもでした」

折本の姿を認めた一色が礼儀正しくぺこりと頭を下げる。


折本「こんなところで会うなんて奇遇だねー。もしかして家、この近くなの?」

一色「あー、いえいえ。実は知り合いがバイトしてるケーキ屋さんに寄って、余り物をガメて…じゃなかった、タダでわけてもらって来たところなんですー」

きゃぴるんとばかりに笑顔で答える。

ちょっとちょっと、いろはす?お前のその手にしてる箱、どこかで見覚えがあるんですけど?それってもしかして、戸部のバイト先のじゃね?しかも何げに一番高いヤツだろ?

一色「ほら、私も女の子ですから、やっぱり甘いものとかに目がないじゃないですか、ね、先輩?」

八幡「…いや、じゃないですかとか言われても、俺、お前の好みとか知らねぇし、それ以前に興味もねいし」

だいいち、お前、甘いもの好きどころか普段から俺や雪ノ下に超甘え過ぎだし、世間舐め過ぎだろ。


俺の味も素っ気ない返事に、一色が「むぅ」とか言いつつ可愛らしくムクれてみせるが、残念ながらその手には乗らない。
ちょっと甘やかすと絶対につけあがるのは目に見えているし、それ以前に妹の小町で何度も経験している。


一色「えっと…ところで、先輩達はこんなとこでいったい何をしてるんですか?」

俺を見て、折本を見て、川崎を見てから、最後にもう一度俺に目を向けた。

顔にはニコニコと愛想のよい笑顔を浮かべてはいるものの、よく見るとその目はまるで笑っていない。それどころか刃物にも似た物騒な光が宿っているようさえ見えた。

“あたしがフられて落ち込んでるってのにテメェは女の子ふたりもつれてクリスマスエンジョイしてるとはいいご身分だな?この後どうなるのかわかってんのかよ、あぁん?”

高性能自動翻訳装置でもついているんじゃないかと思えるくらいもんのすごく流暢に剣呑な思考が伝わってくる。


川崎「あたしもそれ聞きたいんだけど…。けーちゃんも聞きたいよね?」

京華「うん!ききたいっ!」


元気よく手を挙げるが、多分何もわかってない。無垢な子どもをダシに使うのはいけないと思いますぅ。


これは何を言ってもドツボに嵌る、お決まりのフル(ボッコ)コースのパターンだ。

思わず燦然と光輝く不可避の巨大死亡フラグが頭上に屹立するのを幻視してしまう。やはりここはちゃんと事情を説明して、あらぬ誤解を解くのが先決だろう。

素早く俺が目で促すと、折本も心得たとばかりに小さくコクコクと頷いた。


折本「や、実はさー、ついさっきまで、比企谷とホテルでお互いに温め合ってたとこなんだ」 照れたように頭を掻く。


川崎&一色「はぁ?!」「な、なんですとっ?!」


八幡「ちょっ、おまっ、いきなり何言っちゃってるわけっ!?」

折本「えっ?何って…旧交を温めてたって言っただけじゃん?」

八幡「お前、それ、ぜってーわざとやってるだろっ?!」

温まるどころか今のひと言で俺の心臓が凍りついちまったじゃねぇか。


そんな俺たちを不思議そう見ながら、京華が川崎の袖をくいくいと引く。

京華「さーちゃん、さーちゃん?」

川崎「ん?何?」

京華「…はーれむ?」


…いや、けーちゃん、どこでそんな言葉覚えたか知らんが、それは違うぞ。どちらかというと修羅場だからな、これ。



一色「はぁ…まったく何やってんだか」

ひと通り俺の釈明を聞いた一色の、呆れたような、何か色々と諦められたかのような溜息にムカついたが、さすがに今のこの状況では何も言い返せない。

一色「…私はてっきり、松ボックリに火でもついちゃったのかと」 ぽしょりと呟く。

八幡「…いや松ボックリに火が付いたら、それもう山火事だろ」 正しくは焼けぼっくいな?


だが、ないすだいろはす。丁度いいところに通りかかってくれたぜ。

八幡「あー…と、とにかく俺も、もう帰ろうと思ってたとこなんだけど、なんだったら途中まで送ってくか?物騒だし」

特に今この場所が、俺にとって。

ついでに先程から手にしている重そうなケーキの箱も持ってやろうかと、すっと手を差し出す。
後輩女子を思い遣る、俺なりの優しい心遣いのつもり…というか、一色に対しては既にパブロフの犬なみの条件反射だったのだが、


一色「え?いいんですか?じゃあ、お言葉に甘えて…」


まるで遠慮することなく当たり前のように応じる。

うわー、やっぱこいつ、慣れるの早いなー等と考えていると、



きゅっ



――― 一色はなぜか当たり前のような顔をして、空いている方の手で俺の手を握った。


八幡「え…?」

一色「…は?」


俺の驚いた顔に、一色がキョトンとした様子を見せる。


八幡「…あ、いや、ケーキ」 


我ながら間抜けなセリフを口にすると、一色は目を大きな瞳をパチパチと瞬き、繋いだままの手と俺の顔を交互に見る。


一色「はわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわッ」/// 

一色「ななな、なんですかそれもしかしてクリスマスだからって私のこと口説いてます?!でもハーレム系ラノベヒロインとかやっぱりちょっと無理なんでごめんなさい!」

真っ赤な顔でまくしたて、勢いそのままぴょこんと頭を下げた。

八幡「…いや、そういうのいいから」


つか、いい加減、手ェ離せよ。


京華「さーちゃん、さーちゃん?」

再度、京華が川崎の袖をくいくいと引くのが見えた。


川崎「ん?こ、今度はなに?おしっこ?」

京華「んーん、けーか、眠くなったからおうち帰りたい」



………子供ってホント自由でいいよな。


川崎「じゃ、あたし、そろそろ帰るから」

ぐずつき始めた京華を背負った川崎が、何か言いたげに俺を見て、だが、仕方なくといった感じで寒さで白く靄(もや)る溜息をひとつ残しその場を立ち去ると、

一色「あ、えっと、わ、私もお邪魔みたいだから、もう帰りますね?」///

一色の方も目を泳がせながら、川崎のそれに倣うようかのように暇(いとま)を告げた。


八幡「…おう、そうか…そりゃ残念だな」


それからチラリと折本の方を見遣り、少しだけ複雑な表情を浮かべて、ぺこりと頭を下げる。

一色「あ、そだそだ。先輩?」

去り際に一色が思い出したかのように振り返って、俺に声をかけてきた。


八幡「ん?」


一色「メリー・クリスマス♪」

そう言いながら、片手の人差指を立て、俺に向かって可愛らしく片目をつむって見せる。

八幡「…お、おお。メリークリスマスな」///

こいつの場合、あざといとわかっていながらも、決してそれが可愛くないとは思えないから逆に困るんだよな。
恐らく、もしこれが一年前の俺だったら、間違いなく即オチしていたことだろう。

一色いろは、なかなかやる。


…書いてる本人が忘れててどうする(死


公園の時計塔の文字盤を見上げると、すでに結構な時刻を廻っていた。

八幡「…さて、俺もそろそろ帰って寝るとするかな」

そうはいいつつも、中学時代の学区が同じだけあって、俺と折本の家は近い。近所といっていいくらいだ。
だから本来は帰る方向について自然と同じ、という事になってしまう。

わざとらしく独り言ちて、いかにもごくさり気なく歩き出そうとした俺のコートの袖が、くいっと小さく引っ張られた。またかよ。


折本「…返事、まだ聞いてないんだけど」


…あ、やっぱり。ですよねー。


敢えて確認するまでもなく、折本が指先でちんまりと俺の袖を掴んでいるのが気配で伝わってきた。



八幡「………………すまん。悪いけど」


その言葉は自分自身でも意外に思うほどすんなりと口から滑り出ていた。



折本「…そか」


折本は、まるであらかじめ俺の答えを予期していたかのように、そう短く返事をすると、そっと手を離し背を向ける。


そして暫く立ちすくんだままの姿勢で押し黙り、胸の潰れてしまいそうな息苦しい沈黙が続いた後、肩を小刻みに震えさせ始めた。

断続的に小さく鼻をすする、すんすんという音、嗚咽を押しころす呻きにも似た意味を為さない声。

今の俺に彼女にかける言葉はない。それは十分過ぎるくらいわかっていた。逆の立場だったら、やはり俺もそっとして置いて欲しいと願うだろう。

優しい言葉が逆に人の心を深く傷つけてしまうことだってある。同情や憐憫が相手を余計に惨めにさせるだけだということも十分に知っているはずだ。

だが、それでもなお、俺はその小さく丸められた背に向けて声をかけられずにはいられなかった。


八幡「折も…


振り向き様に折本が俺の胸にぶつかるようにして飛び込んできた。
咄嗟にその身体を受け止めた俺は、どうしていいかわからず、ただただ黙って立ち尽くす。

その背中に回す腕も、その髪を優しく撫でる手も、その耳元に囁くべき慰めの言葉も、俺は持っていな…




折本「ぶ、ぶはははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは!」




……………ちょっと待て、なんでいきなりここで大爆笑なんだよ?何か違くね?


折本「…ひっ…ひーっ、やだなぁ、冗談だよ、冗談! 比企谷と付き合うとか、マジありえないから」


折本が笑いながらひょいと顔を上げる。

呆然とする俺の顔がよほど間抜けに見えたのだろう、俺から離れ、なおも腹を抱えながら心底おかしそうに笑い続ける。つか、俺のモノローグいったいどうしてくれるわけ?

だが、からかわれたという悔しさよりも、なぜか安堵の気持ちの方が遥かに勝っていたのだろう、


八幡「…ああ、そうだろうよ」


自分の顔にも思わず苦笑が浮かんでしまうのがわかった。


ひとしきり、それこそ腹筋が攣りそうな勢いで笑っていた折本だが、やがて少し落ち着いたのか、ひくひくとしゃくりながら、指先で目尻に溜まった涙を拭う。


折本「……さて、丁度いい具合に時間も潰せたし、比企谷からかって気も晴れたから、あたしそろそろ帰るわ」

八幡「…って、おい、お前さすがにそれは自由過ぎだろ」 ヒクッ


折本「あっと、そだ。比企谷、ケータイのメルアド変えたでしょ?」

八幡「…ん?ああ。迷惑メールが増えてきたら定期的に変えることにしてるからな」

俺のメルアドは家族以外数人しか知らないので急に変えても特に困ることはない。材木座は常に非通知に設定してあるし。
ちなみに戸塚のケーバンとメルアドは丸暗記している。


折本「……… 私のアドレス、変わってないから」 

ごく何気ないように言い添える。それはつまり気が向いたらメールでもしろ、という意味なのだろうか。

中学時代、苦労の末に教えてもらったはずの折本のメールアドレスも、とうの昔に削除してあるということは敢えて口にはしない。
例え消してなかったにせよ、今となってはもうメールすることもないだろう、とも。


八幡「…ん。わかった。そのうちまた、てきとーにな」


その言葉は自分のものとも思えないほど空虚に響いた。それは多分、折本にも伝わってしまったのだろう、彼女は曖昧な笑を浮かべて見せたが、やがて


折本「そか。じゃあね。つきあってくれてありがと。今日はホントに楽しかったよ」

少しだけ寂しそうに、ぽしょりとそう告げた。


八幡「楽しんでいただけたようで幸いだよ」

折本「なにそれ、超ウケる」



八幡「あ、おい!折本!待てよ!マフラー」


既に背を向けて歩き始めていた折本に声をかける。

折本「…あげる。あたしからのクリスマスプレゼント。どうせもう捨てようかと思ってたとこだし」

寒さのせいかコートのフードで顔を隠し、振り返りもせずにそう告げた声に風の音が混じり、いやに滲んで聞こた。

そのまま暫く雑踏の中に消えてゆく折本の背を黙って見送っていたが、やがて俺も踵を返し、少し回り道をして帰るためわざと反対方向へと足を向ける。

「寒っ」首をすくめるようにして首元のマフラーに顔を埋めると、なんとなく懐かしい香りに包まれたような気がした。


小町「あーあ、帰ってきちゃったんだー。そっかー。帰ってきちゃったかー」

びろーんと縦に伸びたカマクラの上半身を抱いたまま、パジャマ姿で俺を出迎えた小町の第一声がそれである。他に掛ける言葉の選択肢はないのかよ?

八幡「なにその残念な兄を見るような目?」

小町「ゴミィちゃんこそホントにわかってる?クリスマスは一年に一度しかないんだよ?」

やれやれといった感じで首を振ると、それにあわせてカマクラのしっぽがぷらぷらと揺れた。なんかムカつく。

八幡「…そりゃクリスマスは本来キリストの誕生日なんだから、一年に一度だけなのは当たり前だろ…つか、ゴミィちゃん言うな」

誕生日が一年に何度も訪れたら、それこそ平塚先生が可哀想すぎんだろ。誰か、誰か先生のカウトダウンを今すぐ止めてあげてっ!


小町「あれ、お兄ちゃん、それ、どしたの?」 目ざとく俺の首に巻かれたマフラーに目を止める。

八幡「ん?これか?………………もらった」

小町「もらったって、あ、もしかして親切なお爺さんが憐れんで笠の代わりに恵んでくれたの?大変!恩返ししなきゃっ!」

八幡「…俺はどこの笠地蔵だよ。それにあれはクリスマスじゃなくて確か大晦日の話だろ?」

小町「ふーん。でもそれって手編みでしょ?なになに?雪乃さん?結衣さん?あ、でもどちらかというとやっぱり結衣さんっぽいかな?」

によによとした顔で俺を見る。

八幡「勝手にきめつけんじゃねーよ。どっちもハズレだ」

確かに明るいところで見るとところどころ目も粗いし、ほころびもある。それにとても昨日今日編み上がった代物とも思えない。

なるほど、捨てるというのも満更嘘でもないらしい。捨てるようなシロモノを他人にくれてやるという行為自体、それはそれでどうかとも思うが。


そういや、中学3年の時、クリスマス前に教室で一生懸命何か編んでて冷やかされてる折本の姿を見たような気がする。
間に合わせるために連日夜遅くまで編んでいたのだろう、授業中に居眠りこいてて先生に注意されてたりとかしてたっけか。

もっとも、その頃にはさほど親しくもなかった俺たちの仲も、かなり疎遠になっていたわけだが。

だが、それが未だに手元にあるということは、結局誰だか知らんがその相手には渡せず終いだったってことなのだろう。


小町「その模様、イニシャル?」

八幡「あん?」


言われてみれば、フリンジのすぐ上にある模様が2文字のローマ字に見えないこともないこともない。どっちなんだよ。


小町「それって…」 もの問いたげな目でじっと俺を見る。


――― ほーん。なるほど、そういうこと、ね。


八幡「――― 葉山隼人、か」


恐らく、折本は中学時代から葉山のことが好きだったのだろう。

先ほどの会話の中で、葉山と陽乃さんの関係を聞いてきたり、やたらと俺に一色の話しをしていたのもそれで頷ける。
あれだけの人気を誇る葉山のことだ、当時から近隣の学校にその名が知れ渡っていたとしても不思議はないし、付き合いの広い折本がどこかで葉山を見かける機会があったのかも知れない。

そう考えると、仲町との仲違いも、案外そのあたりがホントの原因だったのかもな。


マフラーを見ながら無意識にボソリとつぶやいてしまった俺の言葉が聞こえたのか、小町がキョトンとした顔になる。
次いでゆっくりと、まるで呆れたかのように小さく首を振りながらため息をついた。

八幡「…んだよ?」

小町「んーん。べっつにー。お兄ちゃんがそれでいいなら小町は別にいいや。さて、寝よ寝よ」

八幡「………いや、おまえ一応受験生なんだから、もうちょっと頑張って勉強したらどうなんだよ」

小町「大丈夫、明日から頑張るもん!小町、やればできる子だもん!まだ本気出してないだけだもん!」

八幡「……お前、それ完全に死亡フラグだろ」


自分の部屋へと向かいながら小町が更になにやらブツクサ呟いていたようだが、その声は俺の耳にまでは届かなかった。



「 ――― しっかし、なんでそうやって無自覚に自分からフラグ折るかなぁ…」



部屋に戻ってから何気にラジオを点けると、どうやら関東の一部では初雪が観測されたらしい。道理で寒いわけだ。

小町の笠地蔵ではないが雪と言えば、疲れた旅の僧侶をもてなすために地主の畑から野菜を盗んだ婆さんの足跡を雪が隠す、なんて昔話もあったっけか。

――― やれやれ、いつかは俺の黒歴史やトラウマを優しく覆ってくれるような、そんな白い雪でも降ってくれんもんかね。


短いですが、今日はここまでで。ノシ

次回はラスト、エピローグです。できれば明日、同じ時間帯に。


スミマセン、一応、ageときます。


******当然、彼女たちが登場しないわけがない******


冬休みも明けたある日の放課後、総武高校の特別棟にある、いつもの奉仕部の部室でのことだ。

さすがに年明け早々依頼に訪れる生徒などいようはずもなく、俺たちはそれぞれが思い思いに過ごしていた。

不意に俺の反対側、窓際の席に座る黒髪の美少女 ――― 奉仕部の部長である雪ノ下がそれまで読んでいた文庫本をパタリと閉じる音がした。

俺がスマホの画面から目を上げると、こちらを見ていた彼女と目が合う。偶然、という訳でもないらしい。

「何かいいたいことでもあんのか?」と、目で促すと、雪ノ下が「んっ、んっ」と小さく咳払いをしてから、おもむろに切り出した。


雪乃「そういえば…クリスマスの合同イベントで一緒だった海浜総合高校の折本さん、比企谷くんの中学時代の同級生だったらしいわね」

結衣「へー、そうなんだ…」

いつものようにピンクがかった茶髪をお団子に結った由比ヶ浜が、フジツボのようにデッコデコに飾られたスマホの画面を見たままわざとらしく相槌をうつ。

雪乃「ええ。なんでも聞くところによると、随分と仲が良かった、みたいな話なのだけれど」 チラッ

結衣「そんな話、ヒッキー全っ然してなかったよねー」 チラッ

雪乃「この間の生徒会選挙の時も、葉山くん達と一緒だったようだし?」 チラッ

結衣「なんか随分と楽しそうだったよね?」 チラッ


…え?何?何なの、そのわざとらしいまでのサルの小芝居?


八幡「や、ちょっと待て。たまたま海総高に中学時代の友達がいたとしても、それは別に不思議でもなんでもないだろ?」

雪乃「あなたに友達がいた、というもうそれだけで十分過ぎるくらいに不思議なのだけれど?」

八幡「…ぐっ。だ、誰も俺の友達とはいってねぇだろ。ほ、ほら、俺の同級生の友達ってことだよ」

雪乃「…………それなら普通に“中学時代の同級生”でいいのではないのかしら」


結衣「でも、どっちにしてもそれって、別にあたしたちに隠す理由にならないよね?」 

由比ヶ浜がいつにない鋭さで斬り込んできた。お前もしかして刀剣女子に目覚めたの?


八幡「…いや別に隠してたって訳じゃねぇだろ」

嘘はついていない。ただ単に黙っていたたけだ。
それに聞かれもしないのに自分からわざわざ弁解するだなんて、それこそまるで自意識過剰みたいで、そんな恥ずかしい真似、俺にできる訳がない。


八幡「…つか、なんでその事で俺がお前らに怒られたり責められたりしなきゃならねぇんだよ」


結衣「…別に怒ってなんかないし」 フスッ

雪乃「…それに、責めてるわけでもないのよ?」 フスッ


…いやそれ完全にダウトだろ。女の子が“怒ってない”とか“責めてない”っていってる時は間違いなく怒ってるし、責めてるよね?



雪乃「コホン、比企谷くん?あなたもしかして、ああいった髪型の女性が好みなのかしら?いえこれはあくまで参考までに聞いているだけなのだけれど」///

言いながらも、多分無意識にだろう、雪ノ下がその長く美しい黒髪を形の整った指の先に絡め、クルクルと巻く。

俺がその仕草に目を止めると、慌てて髪から指を離し、まるで悪戯が見つかった子供のように両手を揃えて膝の上に乗せ、軽く咳払いしながら居住まいを正した。

由比ヶ浜も由比ヶ浜で、「むぅ」と難しい顔をしつつ、やはり片手で髪をしくしくと弄りながら、チラチラと俺に意味ありげな視線を送って寄越す。


………何故かアウェイにいるみたいでやたらと居心地悪いんですけど?


八幡「…うぉっほん。いったい何の参考なんだよ、それ?」


雪乃「え?そ、それは、その、まぁ、色々と…?」///

結衣「そ、そうそう、やっぱさ、色々とあるよね。ほら、人生色々とか言うし?」///

八幡「…なんで島○千代子なんだよ」 お前、女子高生のくせにチョイス渋すぎだろ。


結衣「で、どうなの?」

八幡「…どうって、だから何がだよ」

雪乃「だから折本さんとはつまりどういう関係だったのかしら?」

八幡「って、ど真ん中ストレートだなおいっ?!」 

お前らもう取り繕うつもりとか全然ねぇだろ。
だが、考えてみれば雪ノ下は小手先の技を弄するようなタイプではない。真正面から堂々とブチ当って砕けるタイプなのだ。当然、この場合砕けるのは相手の心の方なのだが。

雪乃「…あらそう。でも昔のことだもの、あなたがどうしても答えたくないというのなら、それはそれで全然構わないのよ…………直接身体に訊いても?」 ニコッ

八幡「おい雪ノ下その笑顔やめろマジで怖いから」



雪乃「…あなたらしいわね」


俺が恥ずかしい自分語りを終えた後、雪ノ下がごく簡潔に感想を述べ、由比ヶ浜も複雑な表情を浮かべて俺を見る。

八幡「…それって俺が女子にコクって速攻でフラれたってことがですか?」 ヒクッ

雪乃「あら、ごめんなさい。私の場合、フったことはあるけれどフラれたことはないものだから」

八幡「なにそれ自慢かよ?つか、お前今まで何人の男子振ったことがあるわけ?」

雪乃「さぁ?100人から先は数えていないわね」

うわっ、何こいつ? 今、超可愛らしく小首を傾げてみせやがった?!


八幡「…お前、いったいどこの羅将さんだよっ?!」ヒクッ

雪乃「それともあなたは今まで食べたパンの枚数を覚えているとでも言うのかしら?」

八幡「…俺はパンよりお米派なんだよ」

もしかしてこいつがいつも部室で読んでるのって、ジャ○プ・コミックだったの?


八幡「ま、その事に関して言わせてもらえば、俺にとって良くも悪くも単に過ぎ去りし日々の想い出ってヤツだな」

記憶という名の倉庫の、既に収まるべきところにきちんと収まった過去の断片。
眠れぬ夜や、その面影を宿す人影とすれ違った時、何かの拍子にふと思い出すことはあっても、今となってはそれ以上でもなければそれ以下でもない、単なる過ぎ去った日々の残像。


結衣「…でも、ヒッキーはそれでいいの?」

由比ヶ浜がおずおずと問うてくる。

八幡「いいも何も、もう済んだことだし、だいたいからして俺は過去は振り返らない主義なんだよ」

そう嘯(うそぶ)いてはみたが、それでもまだ納得のいかないような顔をしているふたりに向けて、

八幡「…まぁ、要するに、だ。あそこでみっともなく追いすがらなかったってことは、それはやっぱり俺が本当に求めていた“ホンモノ”ってヤツじゃなかったってことなんじゃねぇの?」

まるで他人事のように付け加えた。

――― それに俺は、やはり例えそれがどんなに酸っぱくとも不味くても、いつかは本物の葡萄を手にしてみたい。

それが何かとは口にこそ出さなかったが、ふたりが浮かべた柔らかな笑みを見れば、俺のその思いが十分すぎるほど伝わっていることがよくわかった。


八幡「それに、俺にとって想い出なんてもんは大抵はロクなもんじゃ…」


雪乃「…馬鹿ね」

俺の言葉を遮るようにして雪ノ下がぽしょりと呟く。

八幡「…あ?何がだよ」

お前、馬鹿って言う方が馬鹿だって先生に言われなかった?


雪ノ下は机の上に置かれた読みさしの文庫本を再び手に取り、栞を挟んでいたページをパラリと開く。そして耳元の後れ毛をそっと指先で梳いた。


雪乃「想い出なんて、これからいくらでも作れるじゃない…その…私たち…と…?」///


次第にその語尾が聞き取れないほど小さくなり、窓から差し込む午後の光の加減なのか、彼女の白い頬に赤味がさして見える。

結衣「そうそう、いい想い出も、そうでない想い出も、これからみんなでたっくさん作ろうよ」

由比ヶ浜が、そう言いながら、にぱっと太陽のように明るい笑みを浮かべた。


八幡「…………いや、そうでない方は十分過ぎるくらいだから。もう間に合ってるから」


だが、確かにふたりの言う通りなのだろう。

卒業するまでの短い間とはいえ、これからもこうして、この部室でこいつらと満ち足りた時間が過ごせるというのならば ―――

そして、今のこの関係が、トラウマだらけの俺の過去の延長線上にあるとするならば ―――


もしかしたら、俺の間違いだらけの青春ラブコメも、それほど悪いものではないのかも知れない。





俺ガイルSS 『そして彼と彼女は別々に歩み始める』了



無事、完結しました。みなさん、さんすこです。ノシ

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俺ガイルSS『かくして文化祭に房総の赤き狂犬は暴走す』 


ガガガ文庫 渡 航 著 「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている」

原作6巻の文化祭の最中に起きたサイドストーリーという設定です。

* なお、この作品はフィクションであり、実在する、人物・地名・団体・ゆるキャラとは一切関係ありません。

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「文化祭にチーバくんを呼ぶ?」


文化祭も目前に押し迫るある日の放課後、文実執行部会議の席上で名ばかりの委員長、相模南が突然またロクでもないことを言い出した。

相模「そ!どうかな?我ながらいいアイデアだと思うんだけど」

…… いや、いきなりどうかな、とか聞かれてもだな。

別に俺に意見を求めているわけではないのだろうが例え求められていたにしても、“とにかくお前のそのドヤ顔が超ウザい”としか答えようがないだろ。


城廻「あ、でもそれいいかもぉ~♪」

やはり文実執行部で、総武高校の生徒会長も務めている3年生、城廻めぐり先輩が三つ編みを揺らしながらいつものほんわかした調子で真っ先に賛成する。
まぁこの人の場合、確かにゆるキャラとか超好きそうだよな。でも誰がどう見たって一番のゆるキャラは彼女自身だと思うのだが。


城廻「ね、ね、ね、ね、雪ノ下さんはどう思う?」

めぐり先輩がつるりとしたおでこを廻らせ、副実行委員長にして俺の所属する奉仕部の部長でもある黒髪の美少女 ――― 雪ノ下雪乃に意見を求めた。


雪乃「…そうですね、アイデアとしては決して悪くはないと思います。いえ、話題性という点ではむしろとても良い考えだとは思うのですが、ただ…」

問われた彼女はいつもの様に冷静に答えながらも、その髪と同じくらい黒く美しい瞳に当惑を色濃く滲ませて ――― なぜかそのまま俺に一瞥を投げかける。


出し抜けに思わぬパスを受けた俺は一瞬面食らってしまったが、まさかここで別の人間にボールは回せない。人間関係のドン詰まり、対人関係の袋小路、それがこの俺、比企谷八幡だからだ。


…や、俺、記録雑務担当部長の代わりにここにいるだけであって、別に執行部でもなんでもないんですけど?

慌てて返したはずの無言の抗議の視線はいつもの如く呆気なく、かつ、いつも以上に完膚なまでに黙殺され、俺は仕方なくパソコン入力の手を止めると、マリアナ海溝もかくや思われるほど深い深い溜息をひとつ吐いた。

先ほど相模のことをして“名ばかりの文実委員長”と称しはしたが、それは別段、揶揄でも皮肉でも嫌味でもない。
今もこうして皆で実行委員長である相模の顔を立ててはいるものの、実際には就任してより此の方、遍く全てを取り仕切り、万事に於いて采配を振るっているのは、誰がどう見ても明らかに副実行委員長の雪ノ下だと断言していいだろう。

つまるところ、彼女こそが陰の実行委員長であるということは、――― 当の本人であるふたりを除けば ――― 今やこの会議室に集う誰しもが暗黙の裡に認めている事実なのである。

だがしかし、殊、俺にとっての雪ノ下雪乃という存在は、陰の実行委員長どころかむしろ“鉄血宰相”という名の方が遥かに相応しい。
なぜならば彼女の場合、目の前に立ち塞がる障害は全てその名の示すが如く“鉄”と“血”によってのみ解決されるからだ。



――― しかもそれは往々にして、雪ノ下の“鉄の指令”と俺の“血と汗と涙”を意味するのだ。

*******************


雪乃「 ――― 相模さんはいるかしら?」


雪ノ下が珍しく2年F組の教室に顔を出したのは、昼休みのことである。

俺はといえば、いつものごとく早めに昼飯を終え、何をするでもなく机に突っ伏していたところだ。

天気さえ良ければ屋上か中庭にでも出て、ひとりでゆっくり昼食をとりつつ有意義なぼっちタイムを満喫したいところなのだが、生憎と今日は朝からの曇り空。
いつ雨が降り出すやも知れぬそのどんよりとした空模様が今の俺の目と心情を如実に顕していた。

そういや今朝、妹の小町に「午後から雨が降るかもしれないからカサ持ってった方がいいよ」って言われてたっけ。

差し出されたのがピンクのフリルのついた紫の日ガサという、つくづく残念な妹ではあるのだが、その分を差し引いても十二分に可愛いと思えてしまうあたり、もしかしたら千葉という特殊な土壌が兄妹の間に何らかの電撃的な悪影響を及ぼしているのかもしれない。


俺の家のちょっとアレな家庭の事情はさておき、このところ ―――― より正確には先日の文化祭スローガン決め直しの一件以来、クラスにおける俺の立ち位置に微妙な変化が生じていた。

ぼっちであるがゆえにその存在が無視され、疎外されるのはいつもの事なのだが、ここ最近は何かにつけ俺に向けられたものであろう陰口や嘲笑を聴く機会が増えてきたような気がする。

恐らくはあの一件のことを根に持つ相模とそのシンパによる草の根活動的なネガキャンのせいなのだろう。

多少は煩わしいとはいえ今のところ実害があるというわけでなし、特に問題視するほどのことでもないのだが、どのような理由であれ俺のようなぼっちが他人の興味や関心を引くこと自体、あまり良くない傾向にあると言えた。

―――― やれやれ。

“世界を変えるってことを教えてやる”

確かにあの時、俺は謎の大見得を切りはしたものの、所詮俺ひとりで出来る事など多寡が知れているし、それ以前に俺は俺のやり方でしかできない。

そして何よりも、例えそれで本当に世界とやらを変えることができたとしても、それが俺自身にとって住みやすい世界かどうかは全く別問題なのである。


相模「あ、うん。うちならここだけど…」

予期せぬ来訪者に驚いたのか、相模が戸惑いがちに応じる。

雪乃「お昼休みにごめんなさい。ちょっといいかしら?」

返事を待つことなく雪ノ下がつかつかと教室に入ってきた。
無意識に発動されたステルスモードのせいか、俺の目と鼻の先を通ってもまるで気がついた素振りさえ見せない。


…………って、おい、もしかしてわざと無視してんじゃねぇのか、それ?


不意に小さく鼻が鳴らさられた方を見ると、あからさまに不機嫌そうな顔をした三浦優美子 ―― の傍らにいる、俺と同じく奉仕部に所属する由比ヶ浜結衣と偶然目が合ってしまった。
いつものようにピンクがかった茶髪をお団子にまとめた頭が僅かに傾られ、真っすぐ俺へと向けられた潤んだような大きな瞳は、雪ノ下が何をしに来たかと問うているようであったが、正直俺にだってそこまではわからない。

仕方なく本人にだけ伝わるように小さく首を振って見せると、僅かに間をおいてコクコクと小さく頷き返してきた。


雪乃「今日の会議の件なのだけれど…」

おもむろに雪ノ下が要件を切り出す。
挨拶らしい挨拶ひとつないのがいかにも彼女らしい。つまりはそれほど親密な間柄でもないといったとこなのだろう。
人間観察のスペシャリストたる俺からしてみれば、こうしたちょっとしたやりとりからでも微妙な距離感や力関係までが推し測れてしまうものなのだ。

雪ノ下のあくまで事務的な態度に気分を害したのか、相模がちょっとむっとしたようだが、本人は全く気にする様子もない。

…さすがは雪ノ下さん、相変わらずブレないっスね。

そういや俺もあいつからまともな挨拶されたことなんて滅多にないよな。
親しい間柄じゃないにしても人間関係を円滑にするためには挨拶だって必要だと思うよ?円滑でない人間関係さえも構築できない俺が言うのもなんだけど。

しばらくは切れ切れに届いてくるふたりの会話を聞くともなしに聴いていたのだが、どうやら俺には直接関係はなさそうなので一度もたげた首を再び机の上へと戻す。

気がつくと雪ノ下の登場によって静まりかえっていた教室も、再び日常のさざめきを取り戻しつつあった。


「 ――― 比企谷くん?」


不意に名前を呼ばれて反射的に顔を上げると、いつの間にか目の前に雪ノ下の姿。

…やっぱり気がついてたのかよ。存在ごと既読スルーすんのやめてくれない? 友達なくすよ? でもその点俺は大丈夫。だって失くす友達いないからね!

文化祭が終わるまでの間は奉仕部の活動は休止しているはずなので、こいつが俺に用があるとすれば、やはり文実絡みということなのだろう。

多少なりともイヤな予感がしないでもなかったが、とりあえず「何か用か?」と目だけで問うと、雪ノ下にしては珍しく僅かに躊躇うかのような素振りを見せた後、小さく咳払いをしてから続けた。


雪乃「 ――― 今日の会議、よかったらあなたにも出席してもらいたいのだけれど」


予告より大幅に遅れました。今回は事情により更新がかなり不定期になります。

このスレの残りを潰すくらいのつもりですので、気長におつきあいください。

では今日はこのへんでノシ


八幡「 ……… は?」


今しがた自分が耳にしたばかりの言葉がまるで理解できない俺がいた。

何かの聞き違いではないのかと、思わずまじまじと雪ノ下を見つめ返してしまったが、いつものようにとり澄ましたその顔からはどのような感情も読み取れない。

いつの間にそんな話になったのかと、納得のいく説明を求めて相模へと首を巡らすと、やはりその顔には俺と同じくらい困惑した表情が浮かんでいる。
そしてそのまま、まるで互いの肚の裡を探り合うかのような視線を交わしていたのだが、すぐに嫌そうに顔を顰(しか)めて、さっさと俺から背けてしまった。

その口許に、小さく、だがはっきりと「キモッ」という言葉が浮かんだのを見逃さない。いや別に俺、フォアグラじゃないから。

しかし、会議? 俺が? 何で?

頭の中に立て続けに疑問符が立ち並ぶ。
今の俺のこの心境を敢えて例えるとするならば、サッカー少年なのになぜかプロ野球ドラフト一位に指名されてしまったような違和感。
よかった、サッカーにも野球にも興味なくって。チームプレイとか超苦手だし。まぁ、それ以前に俺の場合、チームに入れてさえもらえないんですけどね。


ちなみにここで雪ノ下の言っている会議とは、文化祭実行委員会の中枢メンバー、つまり正副実行委員長に議事録作成のため記録雑務担当部長、加えて生徒会からは会長、副会長、書記、会計の都合七人で構成されている文実の執行部会議のことである。

主に全体会議に諮る前の議題について素案をまとめたりするのだが、あまり重要でない細々とした案件についてはこの会議の席上で処理され、後は必要に応じて結果だけ事後報告に回されるケースも多い。

文実執行部に生徒会役員が含まれているのも組織運営に不慣れな役員を生徒会執行部がサポートする、という体制が敷かれているからなのだろう。

また、生徒会にとっては文実の運営を通じて次期生徒会役員としてめぼしい人材を発掘するという側面があるらしく、事実その手腕を高く買われている雪ノ下には真っ先に白羽の矢が立てられている。

もっとも、人前に立つことを嫌う雪ノ下のことだ。こればかりは天地がひっくり返りでもしない限り首を縦に振るようなことはあるまい。この時の俺はまだそんな風に考えていた。


八幡「や、その会議だったら、確かうちの担当部長の…」

咄嗟に断ろうと、そこまで言いかけはしたのだが、残念ながらその後に続くはずの名前が出てこない。

……… あー …… そういやなんつったっけ、あのメガネの3年生 ……。

しばらく考えてみたものの、恐らく残りの貴重な昼休みの時間を全て費やすどころか当の本人を目の前にしても絶対に思い出せそうもないのでさっさと諦める。


雪乃「彼なら都合が悪いから今日は欠席だそうよ。代理出席はあなたということで既に話はついているわ」

俺の考えを察したらしい雪ノ下が先回りをして告げた。

八幡「 ……… いや、俺そんな話、全然聞いてないんですけど?」

そうは答えつつもよく考えてみたら、いやみるまでもなく、うちの担当部長とは仕事の話どころかここ最近ではまともに会話した記憶すらない。
いつも気が付くと机の上に未処理の書類がでんと置かれているだけで説明とかも一切なし。 おいおい、報・連・相は仕事の基本だろ? ポパイだって言ってるぜ? 言ってねぇか。

あまりに一方的かつ急な展開に戸惑いを隠せないでいる俺に対し、雪ノ下はいかにもそれが当たり前であるかのように、さらりと付け加えた。


雪乃「 ――― 当然ね。だって、あなたには今初めて伝えたのだもの」

八幡「…お、おう、そうか。なるほど …… って、そうじゃねぇだろッ!?」


雪乃「どうせあなたのことだから特に用事なんてないのでしょう?」

八幡「ちょっと待て、なぜそうやってナチュラルに俺をヒマ人だと決めつける? 実はこう見えて超忙しかったりするかもしれねぇだろ?」

雪乃「昼休みに机で寝ているような人間が何をどう言ったところで説得力は皆無ね」

八幡「ばっかお前、人は見かけで判断してはいけませんって学校で習わなかったのかよ? シエスタだよシエスタ! サーカディアンリズムとか知らねーのかよ実は俺もよく知んねーけどッ!」

雪乃「あら、人を見かけだけでおよそ八割が決まるものらしいわよ?」

八幡「だったらお前は日頃の俺に対する暴言で、その八割をことごとく台無しにしてるってことにいい加減気が付けよ」

雪乃「それはつまりあなたの場合、見た目だけじゃなくって人を見る目も腐ってるってことなのかしら?」

八幡「…いや、さすがに見た目までは腐ってねぇだろ」 これはゾンビですか、いいえ比企谷です。


八幡「 ――― だいたい、なんで今日に限って部長が欠席なんだよ?」

雪乃「確か不足している消耗品の買い出しに男手が必要だからって、資材係の友達から助っ人を頼まれた、みたいな事を言っていたと思うけれど」

俺の問いに答える顔には「それがどうかしたの?」という表情がありありと浮かんでいる。

八幡「はぁ? なんだそりゃ? いくらうちが雑務だからって、何もこの一番忙しい時期に、わざわざ担当部長が手伝う必要なんてあんのかよ?」 いや友達いない俺にはよくわからんけど。

社畜…じゃなかった組織の一員としての自覚が足りてねぇんじゃねぇのか? 世の中そんなに甘くないんだぜ? 世界は残酷なのよってミカサも言ってたし!



相模「――― そういえば彼、最近資材係の女子と一緒にいるところをよく見かけるけど、それって何か関係あるのかな?」

聞かれもしないの相模が超どうでもいいような情報を、さも得意気にリークしながら割って入ってきた。


……… ほーん。なるほど。そういうことね。


確かに文化祭といえば修学旅行や体育祭と並んで学校生活を代表するリア充(笑)にとって一大青春イベントのひとつだ。
お祭り気分で盛り上がりついでに、つい別の所まで盛り上げちゃって、その場のノリと空気だけで付き合い始める光合成みたいなバカップルがいたとしても別に不思議はあるまい。
しかもそういうヤツらに限って、いつの間にかさっさと別れちゃってて、理由を聞かれると大抵“自然消滅”とか答えるんだよな。いやどう考えても不自然だろそれ。


雪乃「………… どういうことなのかしら?」

だが、やはりというかなんというか、その手の話にはとんと疎い雪ノ下はキョトンとして相模の顔を見つめ返すばかりだ。

相模「え?ど、どういうって、そ、それはその…」

自分から話を振った手前、きまりの悪そうな顔をする相模を見て、俺はつい苦笑してしまう。

こいつってば、頭の回転は人並み以上に速いくせに、殊、恋愛脳の分野に至っては、それこそどこか遠くに置き忘れてきてるんじゃねぇのかって感じだからな。

まぁ、俺としては腐れリア充(笑)どもがお祭り気分に酔って浮かれて騒いだ挙句、勝手に青春の一ページ(笑)とやらに黒歴史を綴ろうが、フラれた相手の名前をデスノートに綴ろうが、そんなの知ったことでは ………


……… ん、ちょっと待てよ?


八幡「ってことはもしかしてそれ自分が女子とお買い物デートでイチャコラキャッキャウフフするために俺に仕事押し付けたってことかよッ?!」

なんなのこの理不尽極まりない格差社会。それもこれももしかしたらみんな妖怪のせいなの?


相模「 ……… 知らないわよ、そんなことまで」


雪乃「 ――― とにかく、これはもう決定事項よ。いい加減諦めたらどうなの?」

八幡「 …… いや、お前さっき“よかったら”とか言ってなかったか?」

それってどう考えたってフツウに社交辞令で使うお誘い文句のテンプレだよね?
真に受けてホイホイ顔出したら「え?マジ来ちゃったの?困るんだよな本気にされると」みたいな顔されたの2度や3度じゃきかねーぞ。ホント居たたまれねぇんだからな、あれ。
ちなみに「できたら行く」とか「気が向いたら出る」って答えた場合、それほぼ100%断り文句だからな?

痛いところをつかれたものか、雪ノ下は一瞬言葉に詰まったかのように見えたのだが、やがて気まずそうについと目を逸らしながらもキッパリと告げた。


雪乃「いいこと? あなたみたいな顔も頭の造りもお粗末な人間が担当部長の代理だなんて二階級特進なのよ? 光栄に思いなさい」

八幡「 …… だからなんでわざわざ殉職扱いすんだよ」


相模「…あのさ、何もこんなヤツじゃなくて、誰か別の人に頼んだ方がよくない?」

よほど俺の事が気に食わないと見えて、相模のヤツが横目で俺を睨み据えながら無遠慮に言放つ。

うんうん、そうだよねー。こんな時ばかりは例え相模の意見にだって無条件で賛成しちゃう。
何気にこんなヤツ呼ばわりされたこともぜんぜん気にしてなんかないよ?ちょっとムカついただけだし。こめかみがピクピクしているのも多分気のせい。


八幡「相模もああ言ってるみたいだぜ? 他当たったらどうなんだ?」

そんな内心の苛立ちなどおくびにも出さず、あくまでも素っ気なく返す俺に、


雪乃「 …………… それじゃ意味がないじゃない」 


雪ノ下があまるで拗ねたかのように、ぽしょりと呟くのが聞こえた。



八幡「あん?そりゃ…」




結衣「ヒッキー、出てあげたら? 特にクラスの方でも仕事ないんでしょ」

…どういう意味だ、と聞きかけたところで由比ヶ浜に遮られてしまった。

八幡「 …… いやまぁ、確かに俺の場合、仕事どころか居場所すらないけどな…って、ちょっ、おまっ、何てこと言わすんだよっ!?」

結衣「勝手に自分で言ってるだけだしっ! もう、ヒッキーってば、なんでそんな僻みっぽいかな…」

雪乃「あらそう。だったらやっぱり、ヒガミヤくんは出席という事で決まりね」

八幡「って、お前今、どさくさに紛れてわざと俺の名前間違えただろッ!?」


雪乃「いずれにせよ、どうしても出られないというのなら、それなりの理由を述べなさい。そうすれば或いは考慮して………コホンッ………あげないけれど」


結衣&八幡「…あげないんだ」「…くれないのかよ」


次回はさほど間をおかずに更新できるようにします。では今日はこのへんで。ノシ

スミマンセン。訂正しときます。

>>272
雪ノ下があまるで拗ねたかのように、ぽしょりと呟くのが聞こえた。
         ↓
雪ノ下がまるで拗ねたかのように、ぽしょりと呟くのが聞こえた。


もちろん既に自分の能力も職分も遥かに超えた量の仕事を押し付けられている俺としては、これ以上余計な仕事は引き受けたくないというのが本心である。
そもそも俺にとって“仕事”と名のつくものはすべからく“余計なもの”に該当するということは最早言うまでもない。

だが、実のところ俺が会議に出ることを拒んでいるのには別の理由もあった。

それというのも、先日のスローガン決め直しの一件も含め、俺と彼女が何か示し合わせているのではないか、等と変に勘ぐるヤツが出てこないとも限らないからだ。

雪ノ下はあのとおり、性格はともかく見てくれだけは学年でもトップクラスの美少女だ。
そんな彼女と同じ部活動に所属しているという、もうそれだけで俺の方にも変なバイアスがかり、色眼鏡で見られかねない。

不要なリスクを回避するためとあらば、敢えて石橋を叩いて壊し、わざと吊り橋を揺らして女子にマジギレされるのが俺である。

相模のせいで一時は迷走していた文実の運営も今はなんとか順調に進んでいることだし、このまま俺に対する対抗意識を煽ることでモチベーションをキープする上でも、やはり雪ノ下とは一定の距離を置いた方がいいだろう。


八幡「あー…実は俺、会議に出たら死んじゃう病気なんで…」

雪乃「却下。あなたの場合、会議に出席するしない以前に、もうこれ以上はないくらい目が死んでいるじゃない」

八幡「…うるせーよ。じゃあ、実は俺も今日は友達と約束があってだな…」

雪乃「それも却っ下ね」

八幡「って、早っ! いきなりかよっ! まだ話の途中だろ?!」

雪乃「だって、あなたのように信用に値しない男と約束を交わすような物好きがそうそういるとは思えないもの」

八幡「ちょっと待て、そこは“あなたには約束をするような友達なんていないでしょ”ってツッコむところだろ? もっとも俺には約束をしないような友達だっていないけどなっ!」


結衣「 ……… それ、自分で言っちゃうんだ」


相模「別に出たくないなら無理に出てもらわなくても全然構わないんだけどさ、それにしたって、あんたもうちょっとマシな言い訳とかできないわけ?」

あくまでも俺の出席には反対らしく、相模が再び横合いから口を挿んできた。

ただでさえこいつに対しては不満が募っているうえ、先程からのいちいち突っかかるような態度に普段から飼い殺された…じゃなかった飼い慣らされた社畜のような従順かつ温厚な俺もさすがに少しばかりカチンくる。ニンジンだって赤くなる。いやあれはカロチンか。


八幡「あ゛? だったら何か? デートならいいとでも言うのかよ?」


別に深い意味はなかったのだが、部長の件もあったせいか思わず売り言葉に買い言葉で返す俺に、


相模「 ……… ぷっ、なにそれ? マジありえないし」


何をどう勘違いしたのか、すかさず小馬鹿にしたように吹き出して見せやがった。

ぐっ…。はいはい、そりゃそうですよねー。いくらなんでもそれはありえませんよねー。でも、だらかって何もお前ごときにそんなこと言われる筋合いは…


結衣「……え?ひ、ヒッキー、で、デート…なの?」

だが、妙な勘違いをしてしまったヤツがどうやらここにもいたらしい。いきなり由比ヶ浜が真顔で問うてきた。

八幡「…んわけねーだろ。例えばの話だよ、たーとーえーば!」

向けられたその視線があまりにも真っ直ぐだったんで、素直に否定しちゃってるどうも俺です。

結衣「…ほ、ホントに?」/// 

それでも納得しないのか、くいくいと小さく裾が引かれる。

八幡「おいこらふざけんな進路希望専業主夫一択の筋金入りヒキコモリなめてんじゃねーぞ? 女子とデートなんぞするヒマがあんなら、それこそ家に籠って全力でヒマ潰ししてるに決まってんだろ! だいたいなんでわざわざ気を遣った上に金まで遣わなきゃなんねーんだよッ!」

逆切れ気味に捲し立てたはいいものの、勢い余って自ら堀った墓穴を埋めるため、そのすぐ脇に更なる深い穴を掘っているようにしか思えないのは気のせいか。


結衣「そ、そーだよねっ!ヒッキーってば、マジ人間のクズだもんねっ!。あー、よかった」

言いながら、そのふくよかな胸元に当てた手をそっと撫で下ろす。


八幡「…いやそれ全然いくねーだろ」 

今のそのセリフのいったい何がよかったの? 誰か納得できるまで俺に説明してくんない?

結衣「あ、や、違うしっ! び、びっくりしたって意味だしっ!」/// 



八幡「 ……… コホンッ、いいかよく聴け由比ヶ浜。自慢じゃないが俺だってデートとまでは言わないまでもリアルで女子とお出かけすることくらいあるんだぜ?」

結衣「えっ?そ、そうなの?! だ、誰と?」

八幡「や、誰とって……そりゃ……大抵は小町とだけど。 後は……まぁ……母ちゃん……とか?」


やべぇ、何か自分で言ってて急にぶわっと涙あふれそうになっちまったじゃねーか。どうしてくれんだよ。


八幡「 …… と、とにかくだな」


雪ノ下との話がまだ途中だったことを思い出し、急いで彼女へと向き直る。目尻に溜まった涙を指先でそっと拭い去ることも忘れない。


雪乃「 ……… え?」


すると、由比ケ浜とは対照的に、そのささやかな胸元に手を当て、そっと吐息を漏らす雪ノ下と目が合ってしまった。


え? なに? 何なの? こいつ、もしかして……… 


……… シスコンだとばかり思ってたら、実はブラコンだったの? やっぱブラのサイズにコンプレックスとかあったりするわけ?

とりあえず豆乳飲んどけ、豆乳。イソフラボンとか超いいらしぞ。小町も最近毎日飲んでるし。残念ながら今んとこあんま効果ないみたいだけど。


雪ノ下は、まるで自分自身の反応に戸惑うかのように胸元の手をきゅっと握り、その長く美しい睫毛をパチクリと瞬かせ、暫し固まっていたかと思うと、



雪乃「……… か、会議室に3時半よ」/// 



いきなり一方的にそう告げ、くるりと俺に背を向けると、ただの一度も振り返ることなく足早に教室から立ち去ってしまった。


短いですけどキリがいいので今日はここまで。ノシ



*******************



八幡「 ――― なんで今になって急にそんな事言い出すんだよ?」



放課後の会議室。

それまでできるだけ目立たぬよう、ひたすら風変りなオブジェに徹していた俺が口を開いた途端、会議室がまるで水をうったかのように静まり返ってしまった。

ぼっちが何か言うと周りが沈黙してしまう確率の高さはやはりちょっと異常。


城廻「キミっ!」


めぐり先輩がいきなり俺を指さして声高に叫んだ。


城廻「いたんだ?! いつの間に?!」


……… って、今頃気がついたのかよ…。さっき会議室入って来た時もちゃんと挨拶しただろ。

人事も匙を投げた窓際社員でさえも一歩譲らざるを得ない俺の存在感の希薄さは、もはや月面の空気と同等かもしかしたらそれ以下のレベル。


――― だが、何も俺だって好き好んで会議室(こんなところ)にいるわけではない。

放課後、終業のチャイムが鳴ると同時にバックれようとしたところを、わざわざ教室の前で待ち構えていた雪ノ下に捕まり、有無を言わさず半ば拉致同然に会議室まで強制連行されたのである。


うわっ…もしかして俺の信用、なさ過ぎ? 



相模「ちょっと、何よその言い方? うちのアイデアに文句でもあるってわけ?」

どうやら俺の言葉に機嫌を損ねたらしい相模が不満顔全開で噛み付いてきた。

八幡「 …… 言い方が悪かったんならいくらでも謝ってやってもかまわんが、文句だったらそれ以上にある。だいたい … 」


ばんっ


怒りに任せた相模の両手で机を叩く音が俺の言葉の続きを強引に遮る。


相模「あんた、またうちにケチつけようってのっ!? いい加減にしてよねっ!?」


やれやれ、お前ごときケチな女のケチなアイデアにいちいちケチつけるほどケチな男じゃねーっつの。
普段からできるだけ気力体力を使わないように心がけている俺はケチというよりむしろエコ。地球環境と自分にだけは超優しい人間なんだぜ?


城廻「…… まぁまぁ。相模さん、ちょっと落ち着いて、ね?」

めぐり先輩がやんわりと割って入ってくれたお陰で、さすがの相模もそれ以上は控えたようだが、その顔は依然として仏頂面のままだ。

“また”というからには、やはりあのスローガン決め直しの一件の事を相当根に持っているのだろう。

あれな、女子ってばホンっといつまでも昔のこと覚えてて、ことあるごとにいちいち蒸し返すんだよな。
そのくせ自分が同じことされると“しつこい”とか“ウザい”とか言って怒り出すんだぜ? あれ、なんとかならんもんかね。


俺はめぐり先輩の手前、今度は少し言葉選んで続けた。


八幡「 ――― 時間がねぇだろ。文化祭まであと何日だと思ってんだよ?」


確かにここに来て雪ノ下が全日全員参加を決定したことにより、遅れがちだったスケジュールも持ち直してきてはいる。
それは彼女の高校生離れした事務処理能力は勿論、その辣腕とも言える采配と卓越したリーダーシップによるところも大きい。

だが、文化祭に限らず、この手のイベントものにはアクシデントやトラブルがつきものだ。

実際、当初は予期していなかった諸々の問題はその大小に係らず、現在進行形で後から後から生じている。
しかもそれに伴ってプログラムの変更、動線の確認、予算の見直し、人員の再配置、変更内容の周知徹底等、やることはいくらでもあるのだ。

だいたい普通に考えたって最後の詰めの段階である今のこの時期になって、いきなり持ち出すような話ではないし、実際、俺の見たところ会議進行の邪魔にしかなっていない。


雪乃「……… そうですね。今から新しいイベントを増やすとなると、さすがにスケジュール的にも厳しいのではないでしょうか」

それまで何も言わずに難しい顔で進行表を眺めていた雪ノ下が、ここにきて初めて口を開き、俺の意見に淡々と同意を示した。

だからと言っても別に彼女も俺の肩を持って言っている、という訳ではあるまい。

雪ノ下は副実行委員長として上から、俺は記録雑務として下からという視点の違いこそあれ、全体を進行状況をきちんと把握してさえいれば、自ずと導き出される答えは同じである。

それに、こいつが持つとすれば肩よりもむしろ足、それも俺の挙げ足を取るときくらいのもんだし。


相模「でも、昨年までの文化祭は雪ノ下先輩達が率先して盛り上げてくれたおかげで過去最高の動員数を記録したっていう話だし」

だが、思いがけず相模の口からあねのんの名前が出たことで、雪ノ下の肩がぴくりと小さく反応したのがわかった。


城廻「そうそう! そうなの! 昨年と一昨年の文化祭は、はるさんたちのお陰でホントすっごい盛り上がったんだよ!」

めぐり先輩が三つ編みをゆらしながらしきりにこくこくと頷いて見せる。

恐らく顔にこそ出していないものの、雪ノ下も心の中では「さすがです、お姉様!」とか思いながら小さく拳を握っているに違いない。屈折してるとはいえこいつも姉ちゃん大好き人間だからな。


相模「…それでうちなりに考えてみたんだけど、文化祭の二日目、つまり一般公開の日にチーバくんを呼べば、動員数にもかなりテコ入れができるんじゃないかなって」

城廻「うんうん、それってとってもいいアイデアだと思う!」

めぐり先輩が「いいね!」ボタンを長押しして「とてもいいね!」にしちゃうくらいの勢いで褒めると、相模も気を良くしたのか得意気な顔になる。

相模「みんなが楽しんでこその文化祭っていう、うちの考えは変わらないけど、やっぱりやる以上は、ある程度実績というか成果みたいなものも形として残す必要もあるんじゃない?」

雪乃「それは…勿論、そうなのでしょうけれど…」

いつになく正論でぐいぐいと押してくる相模に虚を突かれたのか、雪ノ下にしては珍しく戸惑ったような表情を浮かべる。

というか、むしろこいつの場合、姉のんが絡んでくるとやたら感情的になって正常な判断ができなくなるからな。

恐らく相模も今までの経緯から姉妹間の軋轢について何かしらを察しているのに違いない。
また、それを十分認識したうえでの発言なのだろう。チラリと俺に勝ち誇ったような視線を向けると、ここぞとばかりに畳み掛けてきた。


相模「それに、いくら時間がないとか言っても、みんなで頑張れば…」



「――― みんな、ね」


まるで冷水を浴びせかけるような白けた声が得意顔の相模を途中で遮る。

…… いるんだよなー、どこにでも。こういう空気読まないヤツって。ったく、誰だよいったい……。まぁ、俺なんですけどね。


八幡「便利な言葉だよな。漠然としていて、曖昧で…」

言いながら、わざとらしく溜息を吐いて見せる。


相模「な、何よそれ。どういう意味? 言いたいことがあるんならハッキリ言ったらどうなの?」


八幡「…なら言わせてもらうが、お前の言う、その“みんな”ってのは、いったい誰のこと指してんだよ?」

相模「誰って…そんなの文実のみんなのことに決まっているじゃない」

八幡「だから具体的に文実の“誰”が“それ”をやんのかって聞いてんだよ」


相模「……え?」

俺の指摘に相模が言葉を詰まらせ、

相模「…そ、それはこれからみんなで話し合って決めれば…」

周りの顔色を窺うように見ながら、おずおずと付け加える。


八幡「つまりそれって何か? 要するにお前の言うその“みんな”とやらで、また“そうでない誰か”に面倒なことを全部押しつけるってことかよ?」

おいおい言いだしっぺは自分のくせに仕事はみんな下請け丸投げって、お前いったいどこのゼネコンだよ? そんな投げやりなの、俺の知る限りせいぜい室伏くらいしかいねぇーぞ。いやあれはハンマー投げだっけか。


相模「そ、そんなこと…」

相模がまるで助けを求めるかのようにせわしなく周囲を見回すが、当然今日の会議は執行部だけなので、いつものようにピーチクパーチクさえずるトリマッキーズはいない。

生徒会役員は基本、アドバイザー的な立場を堅持しているので、最終的な意思決定に際しては文実委員長の判断に任せ、あまり積極的に関与してこないと踏んでいいだろう。
その証拠に、めぐり先輩も敢えて口を出してこようとはしなかった。

リア充(笑)の多くは自然界における草食動物と同じよう群れで行動するが、それはある意味、個としての存在の弱さに他ならない。
だからこそ相模は逆立ちしても三浦には勝てないし、ましてやその三浦を一対一で真正面から論破し、あまつさえあれを泣かしてしまうような雪ノ下には遠く足元にすら及ばない。

ちなみに俺にも味方がいないからイーヴン。もっとも俺の場合、味方がいないのは今日に限ったことでもないんですけどね。


八幡「そもそも、なんでこんな切羽詰まった状況になってんのか、お前、ホントに分かっててそんなこと言ってんのかよ?」


別に意図したわけではないのだが、俺のその何気ないひと言で会議室の空気が一瞬にして凍りつくのがわかった。

めぐり先輩のほんわかした笑顔が強張り、居合わせた生徒会の役員も揃って居心地悪そうに身じろぎしながら、そっと互いに目を見交わす。 こうかはばつぐんだ!


相模「……… う、うちのせいだって言うのっ?!」


ようよう搾り出すその声は明らかに狼狽し、微かな震えを帯びる。


城廻「さ、相模さん、誰もそんなこと思ってないから、ね? 彼も別に本気で言ってるわけじゃないから。そうだよね? ね? ね?」

すかさずめぐり先輩が相模をフォローしながらチラチラと俺に非難がましい目を向け、相模も涙を堪えた責めるような目でじっと俺を見ている。

大抵の場合において、こんな状況では男の方が圧倒的に不利である。

例えどんな正当が理由があろうとも、女の涙という究極の最終兵器の前には、――― 男女平等が叫ばれるこの現代社会においてさえ ――― 男が一方的に謝る以外の選択肢は認められていないのだ。

俺は小さく肩をすくめると、相模に向けて静かに口を開いた。









八幡「………いや、誰がどう考えたってお前のせいだろ」

城廻「キミッ! 本当の本当の本当に最っ低だねっ!!!?」


ちょっと短いんでsageたままにしときます。できれば続きはまた明日にでも。



雪乃「 ――― 比企谷くん」


静かだ、がそれでいてよく通る雪ノ下の声が会議室に響いた。


雪乃「過ぎてしまった事について今更どうこう言っても仕方がないわ」

雪ノ下は敢えて一旦そこで言葉を切ったかと思うと、

雪乃「過去にトラウマを山ほど抱えているあなたなら、よくわかっているはずでしょう?」

明らかに余計なひと言を付け加える。


八幡「 ……… うんうん確かにその通りだよな。でも今ここで俺のトラウマ云々について触れる必要性がホントにあんのかよ」

雪ノ下に言われるまでもなく、何もこの場で相模をこき下ろす事が目的ではない。ただ単に、これ以上余計な事を言い出さないよう釘を刺そうとしただけだ。

幸か不幸か文実内における俺の信用は急転直下右肩ダダ下がりで、既にカンスト状態といってよく、どうせこれ以上悪化のしようがない。
今更何を言ったところで、少しばかり不名誉な噂が増えるくらいなのだから、特に気にするほどのこともないだろう、そう多寡を括っていたということもある。

だが、自らの行いをまるで顧みることなく、反省の色さえない相模を見ていると、何故か無性に肚立たしくなり、必要以上に当たりがキツくなってしまったのも、また事実だった。

それはもしかしたら、あの日のうちひしがれた雪ノ下と、そんな彼女に何もしてやれずに心を痛めている由比ヶ浜の姿が、未だに俺の脳裏から消えていないからなのかも知れない。


雪乃「確かにその男の言い方には、色々と問題があると思います」

気がつくと、雪ノ下がそのまま静かに言葉を継ぎ始めていた。


雪乃「…というよりも、それ以前に人間性にも問題というか疑問というか欠点がそれこそいくらでもありますが…」

八幡「…ちょっと待て、何か発言の趣旨がズレてんじゃねぇか?」


雪乃「…いえ、むしろ彼の場合、問題しかないと言っても差し支えないくらいなのですが」

八幡「問題があるとすれば、それはお前のその発言以外の何ものでもないだろッ! なんで会議の席上で滔々と俺の人間性まで否定してんだよッ?!」



雪乃「 ――― ですが、やはり今のこの状況で、これ以上現場の混乱を招くようなリスクは冒せません」



雪乃「 ――― 相模さん?」


相模「 ……… え? 」


雪乃「 ――― 申し訳ないけれども、私もそのアイデアには反対させていただくわ」


俺の人間性についてはともかく、雪ノ下がそうまではっきりと断言した以上、それを覆すだけの論拠を示すのは相模ごときでは不可能だろう。

本人にもそれが十分わかっているのか、相模は押し黙って顔を俯ける。

表情が不自然なまでに強張っているのが少し気にかかったが、彼女のその態度を見る限りでは敢えて採決するまでもなく、どうやらこれで結論が出たようだった。



城廻「そっか~。そだよね~」


ややあって、めぐり先輩が残念そうにぽしょりと呟くのが聞こえた。その声には失望というよりも、むしろ相模に対する気遣いのようなものが感じられる。

恐らくはこの人も決して事務処理能力に長けているというわけではなく、どちらかというと彼女の人柄を慕って集まった有能な人材に助けられてきたのだろう。
それゆえに今の相模が置かれた境遇と、自分が今までしてきた苦労を重ね合わせて過渡に感情移入してしまっているのかもしれない。

そう考えると、相模のことなぞどうでもいいが、この人のためならなんとかしてあげたくなるから不思議な。
もしかしたら、それが人望とか人柄とか言うヤツなのかもしれない。どちらも縁のない俺にはよく分からんけど。


何を思ったのか不意にめぐり先輩が、にぱっと、とても明るい笑顔を浮かべて見せた。


城廻「あ、じゃあ、くま○ンとかなら、どーかな?!」


……… いやいやいやいや、どーかな、じゃねぇだろ。いいわけなかろーもん。 


雪乃「 ……… せん○くんもまん○くんもメ○ン熊もダメです」

雪ノ下が頭痛がするかのようにコメカミを押さえながら、ぴしゃりと先手を打つ。


城廻「え、ええっ?! な、なら、ひこにゃんは…?」

雪乃「え? ひ、ひこにゃん?」///


…… って、だからそんな目でこっち見んじゃねーよ。ダメにきまってんだろ。無言で首を振って見せる俺。


雪乃「 ……… ざ、残念ながら…ひ、ひこにゃんも、ダメです」

なんか無駄に断腸の想いとかひしひし伝わってくんのな…。つか、唇噛みしめて肩震わせてんじゃねーよ。いくらなんでもお前、ねこ好きすぎだろ。


城廻「ショボーン」

その一方で、めぐり先輩ががっくりと肩を落とす。うわ初めて見たよリアルでAAみたいな顔してる人。




雪乃「…それでは、次の協議事項に移ります。相模さん、いいかしら?」

相模「あ、うん。いえ、はい…。それじゃあ、次の…」



その時、会議室のドアが荒々しく引き開けられ、奉仕部顧問にして文化祭担当でもある平塚静先生が白衣の裾を颯爽と翻しながら、険しい顔で入ってきた。


平塚「相模! これはいったいどういう事だ?!私は何も聞いておらんぞ?!」



雪乃「先生、会議中です。入る時はノックを…」

こんな時でもやはり雪ノ下は雪ノ下だ。いつもの通り例え相手が教師であっても躊躇なく指摘する。


平塚「 ……… お、おお、そうだったか、すまんな」///

生徒にたしなめられて素直に謝っちゃう平塚先生ちょっと可愛い。ひらつかわいいしずかわいい。でもそれって教師としてどんなもんなんですかね?


雪乃「それより、どうかなさったのですか?」

平塚「う、うむ、実は、こんなものが校内で配布されていてるのを見つけてな」

威厳をとりつくろうかのように咳払いをひとつ、その手に差し出された一枚の紙に皆の視線が集まる。一見したところ、どうやら何かのチラシらしい。



八幡「 ……… なんだこりゃ?!」




『総武高校文化祭に千葉県のあの人気マスコットキャラクター“チ○バ○ん”が登場!!』



A4版の大きさの紙に安っぽいポップ体の文字が踊り、ご丁寧に千葉県の形をしたシルエットにクエスチョンマークが被せてある。

言うまでもなくこれはもちろん“チーバくん”のことだろう。

伏せ字の意味が全くないくらい見事なまでにバレバレで、まるでテレビのプレゼントコーナーでやるようなクイズ並みに稚拙であざとい。


知名度は既に全国区だと思われるが、ここらで一応、説明くらいしておいた方がいいだろう。

チーバくんとは、千葉県公式のご当地キャラクターで、いわゆる“ゆるキャラ”である。

「ゆめ半島千葉国体」のマスコットキャラクターとして著名なデザイナーによって考案され、その姿は房総半島を模しており直立した赤い犬を横から見たような形をしている。

だが、いかんせん、どこからどう見てもスポーツの祭典に似つかわしいとはいえない中年サラリーマンのようなメタボ体型で、おいおいお前それで国体のマスコットとしてやっていけるのかよ、アングル限定しすぎだろ正面から見たらお前いったい何者なんだよ?という疑問が各方面から吹き出さなかったワケでもなかったのだが、何事につけおおらかな千葉の県民性と、子ども達からの絶大な人気のせいもあってか、国体終了後の翌年にはちゃっかりと千葉県の公式マスコットキャラクターの座に納まっていたという“自称”なぞの生物である。


雪乃「いつの間に?」

手にしたチラシと相模の顔を交互に見ながら雪ノ下が問い質す。

相模「ゆ、雪ノ下さんがお休みしている時に…文実委員長の専決処分で…」

まるで悪戯のバレた子供みたいに半ベソをかくようにして相模が白状した。

文化祭のような特殊なイベントの常として、迅速かつ円滑に事務を進めるため文実委員長にはそれなりの裁量が与えられている。
その中でも専決処分は使いようによっては委員長の独断で物事を勝手に推し進めることができてしまう、かなり大きな権限だ。
相模のことだから規則なんてロクに目を通していないだろうと思っていたのだが、どうやら少しばかり見くびっていたらしい。


雪乃「もしかして既に校外にも配付してしまっているのかしら?」

相模「 … と、友達にもお願いしたから、多分」

雪乃「 ……… そうなると、今から回収するというのはちょっと難しいわね」

雪ノ下がそっと形の良い眉を顰めた。


平塚「さて、問題はこれをいったいどう処理するか、だな」


当然のように俺の隣の椅子に腰を下しながら、平塚先生が黒いパンツスーツに包まれた長い足を無造作に組む。


うんうん。確かにこれは大問題だと思いますよ。
腕組んでるせいか間近で見てると、ただでさえ大きな胸が余計に強調されてるし。少しは気を遣ってあげたら? 気にしてる人もいるみたいだよ? 誰とは言わないけど。


雪乃「比企谷くん、どうかしら?」

いきなりその誰かさんからご指名を受けてしまった。そうですね牛乳は鉄板だと思いますよ。あ、鉄板なのは胸ですねわかります。


八幡「…まぁ、こうなっちまった以上、今からでもどっかのクラスの出展に強引にネジ込むくらいしか手はねぇだろ」

雪ノ下の胸元から目を逸らしながら、咄嗟にもっともらしいセリフを口にする。


雪乃「なるほど。確かに既存のイベントと抱き合わせにした方が手間もコストもかけずに済むわね」

そうとは気が付かないまま、いち早く俺の考えを察したらしい雪ノ下がふむふむと頷く。


雪乃「そんな手をすぐに思いつくなんて、やっぱりさすがね。小手先の技とか姑息な手段を使わせたら、あなたの右に出る者なんてまずいないわよ? 賭けてもいいわ」

八幡「…… 一応聞いておくが、それってもしかして、褒めてるつもり?」

雪乃「ええ、もちろんよ。感心するのを通り越して呆れ果てたといっても過言ではないわ」

八幡「いやそれフツウ逆だろ。つか全然褒めてねぇし」


話し合い ―― というか、ほとんど俺と雪ノ下のふたりの間で矢継ぎ早に意見を重ね、とりあえず着ぐるみの受け渡しはワンボックスカーを持っている先生から車を借りることになり、スーツアクターについても、当日手の空いている文実委員が交代で務める、というところに落ち着いた。

後はチーバくんを登場させるのに良さげなイベントをいくつか洗い出し、そのクラスと交渉が成立すれば、なんとか体裁だけは取り繕うことができそうだ。
文化祭のパンフレットへの掲載は間に合わないが、当日校内に告知を貼り出しておけば十分だろう。相模の作ったチラシの内容がかなり大雑把なものだったのも逆に幸いしたようだ。



城廻「キミたちってホンット手際がいいんだね。息もピッタリだし」

ひと通り段取りが決まったところで、めぐり先輩が目を丸くしながら称賛する。

城廻「あ、そう言えば、確かふたりとも同じ部活だっけ? いつもそんな感じなの?」


雪乃「…いえ、そんなことありません」///

雪ノ下が珍しく照れたかのように頬を赤くしながら恐縮して見せた。


城廻「うんうん。雪ノ下さんが優秀なのは知ってたけど、キミもやっぱりやればできるコだったんだね!」

そう言って今度は俺に向けて久しぶりに、にぱっと明るく微笑みかけてくれる。

さすがにそんな風に手放しで褒められると、やはり俺としても少しばかり照れくさい。
特に俺の場合、普段あまり褒められ慣れていないだけに尚更どういう態度をとっていいかわからなくなる。こんな時はやっぱり、とりあえず笑えばいいんですかね?


八幡「…や、そんなことは」

雪乃「全然ありません」 


八幡「 …… いや待てだからなんでそこでお前が否定すんだよ」


平塚「確かに比企谷は性格はともかく、ある意味有能な人材ではあるからな。性格はともかく」

八幡「 …… それ、繰り返し言う必要があるんですかね?」


平塚先生は俺の抗議をさらりと無視し、



平塚「 ――― つまりは、そういう事なのだろう?」


その代わりに、何か含みのありそうな笑みを浮かべて、あらぬ方へと問いかける。つられて問われた先へと目を向けると、



雪乃「 ……… ええ。はい。まぁ」///


なぜか雪ノ下が頬を赤らめながら、気まずそうに、ついと顔を背けた。

その問いの意図するところも、返事の意味すらも俺にはとんとわからない。
直接訊くのもなんかアレな気がしたので「どういうことなんすか?」と平塚先生に目だけで問うと「なんだ気がついていなかったのか?」とでもいいたげに、少しだけ意外そうな顔で返された。



平塚「 ――― わからんのかね? 彼女も彼女なりに気遣っているのだよ」



そのひと言で、今日の会議に無理やり俺を出席させたのも、周囲の俺に対する誤解を少しでも解こうという彼女の気遣いだったことに、ようやく思い至った。


平塚「しかし、確かに先ほどのキミたちのやり取りはなかなか見物だったな。そうだな……まるで、長年連れ添った夫婦みたいだったぞ?」

にやりとからかう様な笑みを浮かべながら、平塚先生いきなりとんでもない事を言い出した。


八幡&雪乃「なっ?!」///


平塚「色々な意味で、キミたちにはいつも驚かされてばかりいるな」

そう言いながら、今度は伸ばした手を俺の頭の上に優しく置く。

高校生にもなって子ども扱いされた反発か、それとも照れ隠しのせいなのか、自分でも判じかねるまま、それでもついいつものようにまぜっ返してしまう。


八幡「 …… や、俺的にはどちらかというと未だ独身を託(かこ)つ先生が夫婦のなんたるかを語っちゃっていることの方が驚きなんですけど」


平塚「ほう…」 ニコッ


ミシッ


八幡「いで、いででで、ちょっ、アイアン・クローとかやめてくださいっ、そんな古典的なプロレス技使うとさすがに歳がバレ …… いででででででででででででで」





雪乃「 ……… 雉も啼かずば撃たれまいでしょうに」


八幡「 ――― ところで相模、申請はいつ出したんだ?」


ヒリヒリと痛むこめかみを押さえながら俺が声をかけると、それまで黙ってうなだれていた相模がびくりと顔を上げた。


相模「え?…申請って…何の?」


おどおどと俺の顔をみつめ返す。


八幡「…何のって、着ぐるみの借用申請だよ」





相模「えっと……あの……実は、それもこれからやろうと…」




八幡&雪乃&平塚「はぁ?」「え?」「なに?」


次第に尻すぼみになってゆく相模の返事に、思わず俺は雪ノ下と目を見交わしてしまう。

まずい。とてもイヤな予感がする…というかまるっきりイヤな予感しかしない。この流れではそれも当然のことだろう。


雪乃「仮押さえとか、着ぐるみの空き状況の確認とかはしてあるのかしら?」

相模「し、してない…けど…」

八幡「…してないって、お前」

相模「ぶ、文化祭まで日にちがあんまりないから、周知の方を急いだ方がいい……かと思って……もしかして何かまずかった……のかな?」


ありえないほどの段取りの悪さに唖然として二の句が告げられずにいる俺に、雪ノ下がケータイを手にしながら素早く告げる。



雪乃「――― 比企谷くん、とりあえず今は確認が先よ」




雪乃「…ダメね、チーバくんの着ぐるみはいくつかあるみたいなんだけど、当日は全部、既に予約が入っているみたい」


数分後、電話を切った雪ノ下がため息まじりに報告した。自然、皆の視線は蒼白な顔をした相模のもとへと集まる。



相模「そ、そんな…う、うち…どうしたら…」

では、本日はここまでで。ノシ

急な仕事でシフトの変更がなければ、また明日にでも。



「ひゃっはろー、みんな、進行具合はどうかなー?」


お通夜の席か、参加者全員A型の合コンじゃねぇのかってくらい静まり返っていた会議室のドアが、何の前触れもなしにやたら勢いよく開け放たれた。


城廻「あ、はるさん!」


耳に心地よい明るく柔らかな声、男であれば誰しも夢見るような理想的なボディライン、女神像のように美しく整った顔だち。
皆の視線が吸い寄せられるように集まった先には、強化外骨格のような鉄壁の外面を纏う美女にして雪ノ下雪乃の姉 ―― 雪ノ下陽乃が完璧ともいえる笑顔を浮かべて立っていた。

陽乃さんはそのままいつものように当たり前みたいな顔をして、やあやあと周りに声をかけながら堂々と会議室に乗り込んでくる。…… って、あんた戦国武将かよ。

本来は部外者のはずなのだが、この学校の伝説的なOGで、しかも今回の文化祭でも協力してくれる有志団体の代表なのだから誰も文句は言わない。というか、言えない。
それどころか、あねのんに心酔しているめぐり先輩なんかはどちらかというと両手を挙げての歓迎ムードである。

文化祭が近づいてからは丁度今頃になるとほぼ毎日のように顔を出すようになり、既に名前も顔も知れ渡っているせいか顔パス状態。まるでパスモかスイカ。ちなみに胸もちょっとしたメロン並み。


平塚「陽乃、会議中だぞ。ノックぐらいしたらどうだ」

自由過ぎるあねのんの行動を平塚先生が諌める。さすがは教師。でもさっきいもうとのんから同じこと言われてたのどこの誰でしたっけ?

陽乃「あら、いいじゃない。私もこの学校の卒業生なんだし? それに文化祭の事だったらアドバイスできるわよ。ね、静ちゃん?」

平塚「その呼び方はやめろと言っているだろう」

苦々しい顔を向けられるが、あねのんの方はまるで意に介した風もない。

チラリと目を遣ると案の定、雪ノ下がそれとわかるくらいにピリピリしはじめたのがわかった。
今迂闊に触れでもしたらマジで感電しそう。こいつスマホぐらいなら、ただ握っているだけでも余裕で充電できんじゃね?


雪乃「今日はいったい何をしに来たの、姉さん?」

いつもながら実の姉に向けるにしてはよそよそしく冷淡な態度なのだが、その気持ちもわからんではない。
そもそも今回の文実の迷走は、ある意味で彼女が陰で糸を引いていたとも言えるからだ。いやもう糸とか引きすぎててどこの納豆なのってくらい。

陽乃「あら、ご挨拶ね。やさしいお姉ちゃんがかわいい妹の様子を見に来たらいけない理由でもあるわけ?」

意義アリ!あなたのその発言には大きな矛盾があります! 姉の方は全然やさしくねぇし、妹に至ってはこれっぽっちもかわい気がねーだろ。

だいたい、あんた現役女子大生なんだろ?勉学の方を疎かにしていいのかよ?
ロックフェラーじゃあるまいし、昼間っから堂々と油なんて売ってないで家で大人しくレポートでも書いてろよ。


陽乃「おやおやぁ?比企谷くんもいたんだ? 元気してた?」

くるりとこちらに向けられた目が、まるでネズミを見つけた猫のように妖しく光る。

八幡「………お陰さまで」

できるだけ関わりになりたくない俺は今更のように開いたままのノートパソコンの陰にこそっと隠れるようにして身を低くする。

陽乃「ふーん、どれどれ。何してるの? お義姉さんが何か手伝ってあげようか?」

八幡「いえ、間に合ってます。色んな意味で…」

つか、いい加減その不穏なアクセント使うのやめてくれませんかね。だいいち、俺に姉はいらない。妹さえいればそれでいい。

俺のその言葉を聞き流すかのように無視して陽乃さんは俺の背後に回り、肩越しにノートパソコンの画面を覗き込む。その拍子にふわりと柑橘系の香水の香りが漂ってきた。

慣れない距離感に妙に居心地が悪くなってもぞもぞと避けようとするのだが、いつの間にか反対側の肩に廻されていた手に遮られる。

陽乃「うふふ、比企谷くんったら、いつ見てもかわいいわね。何をそんなに怯えているのかしら?」

優しく甘い、それでいて明らかに毒の含まれた声を耳許に注ぎ込まれ、反射的に仰け反ってしまう。美人、怖い!美人! 好きだけど!やっぱ怖い!


八幡「…そんなの、貴女の存在以外にありえないでしょ」ヒクッ

思わず漏らしてしまった本音に陽乃さんは特に気分を害した風もなく、


陽乃「うふッ。いいね、いいねー。その反応がますますそそるのよねー」

逆になぜか上機嫌で俺の背中にそれこそ抱きつかんばかりに身を寄せてくる。
その弾みに、こればかりは妹とは似ても似つかぬふくよかでやわらかな感触が伝わってきた。


八幡「や、ちょ、その、あた、あた、当ってますからっ!」 

そのっ! オッパイがっ! ボインボインっと!


陽乃「え? 何言ってるの比企谷くん?」 キョトン



八幡「…………は?」



陽乃「そんなのわざと当ててるに決まってるじゃなーい! うりうり~」

八幡「って、確信犯かよッ!!!!!!!!!!?」



雪乃「姉さん、その男から今すぐ離れなさいッ!!」


すかさず雪ノ下の矢のように鋭い叱責が飛んできた。

陽乃「あらあら。ヤキモチなんて妬かなくっても、別に盗ったりしないのに…」

あねのんが、おどけながらもやっとのことで俺を解放してくれる。それはそれで少しだけ残念な気がしないでもないのだが、さておき、


相模「あ、あの、雪ノ下先輩、こんにちは」


そんな陽乃さんに相模がおずおずと声を掛ける。
あまりにもおずおずし過ぎてて、おまえいったいどこの魔法使いよって聞きたくなるくらい。
どうでもいいけど、女の子も経験のないまま三十路超えると魔法使いになったりするのかしらん。


陽乃「あら、あなた確か文実委員長さんよね。こんにちは。 えっと … ナニガミちゃんだっけ?」

魔法使いどころか二○にして既に魔王と化しているあねのんにとっては相変わらずどうでもいい人間に対してとことん無関心のようだ。

だが、この人の場合、知ってても敢えて知らないふりをしてる可能性も否定しきれない。というか、むしろそちらの可能性の方が高いから怖いんだよな。
くるくるとよく代わるその表情の下で、他人を冷静に観察し、値踏みし、分類し、そしてふるいにかける。そういうことを平気でする類の女性なのだ。


相模「あ、さ、さが、相模です」

緊張のあまり自分の名前すら噛む。カミカミに噛む。さすがはサガミ。


陽乃「あ、そうそう、さがみん、さがみん、ね。調子はどうかしら? 文化祭の準備は順調?」

相模「ええと … その … まぁ … 」

陽乃「ふーん … どうかしたの?」

相模の歯切れの悪い口振りに、あねのんがすっと目を細めた。


相模「えっと、あ、あの、実は … 」

遠慮がちにかいつまんで事情を話し始めるが、その目には明らかに陽乃さんに対して縋るかのような色が見てとれる。

そんな彼女に対して陽乃さんは優しい先輩然とふんふんと相槌をうちながら熱心に耳を傾けていたが、最後まで聴き終えるや否や、



陽乃「あら、そんなことだったら大丈夫。心配しなくてもいいわよ」



いかにもそれが何でもないことであるかのように、さらりととんでもない事を言い出した。


相模「ほ、ホントですか?!」


陽乃「うん。うちのお父さんなら仕事柄、県とは太いパイプもあるし、何かと融通も利くから」

そういや雪ノ下の父ちゃん、建設会社の社長で県議会議員か何かだっけか。チラリといもうとのんの顔を窺うと、やはり複雑な表情を浮かべている。

相模「だ、だったらお願いしてもいいでしょうか?!」


雪乃「 ……… 相模さん、こういった事を安易に部外者に頼るのはどうかと思うのだけれど」

雪ノ下が戸惑いがちに口を挿む。


陽乃「ひっどーい。こんなに親身になって協力してあげてるのに、お姉ちゃんを部外者扱いするなんて。くすんくすん」

その泣き真似があまりにもわざとらしくてあざとくて最早突っ込む気力すら起きない。


相模「雪ノ下さん、せっかく先輩が力になってくれるって言うのに、こんな時にまで私情を挿まないでもらえるかな?」

以前の姉妹のやりとりを見て味をしめたのだろう。ここぞとばかりに相模が雪ノ下に食ってかかる。


雪乃「…っ!」


陽乃「うんうん。私は頼ってもらって全然構わないんだけどなー。なんといっても可愛い妹のためだし?」


殊更何気ない風を装って言ってのけたはしたが、その言葉に相模どころか文化祭すらも含まれていないことに気がついた人間が何人いただろう?
言葉は柔らかく優しいが、その実、妹に対し膝を屈せよといっているに他ならない。超のつくほど負けず嫌いの雪ノ下にとってはこれ以上の屈辱はないはずだ。

しかもタチの悪いことに、あねのん自身もそうした妹の性格を充分に熟知したうえでの発言だ。
一見して微笑ましい姉妹の諍いのように見えて、俺にはその美しい笑顔はそのままに、陽乃さんの中身だけが不意に入れ替わったような、そんな薄ら寒い感覚を覚えた。


雪ノ下は何か言いかけたが、唇を噤んだまま、きつと姉を睨みつける。よほど悔しいに違いない。ただでさえ白い顔が蒼白になっている。

いつのもことなのだが、どのような経緯があってこの姉妹の間に感情の縺れや軋轢が生じているのかは知らないし、それは俺にとって全く関係のないことだ。
どんな家庭でもひとつやふたつ問題を抱えていてもなんら不思議はない。他人の事情、ましてや家庭の問題にまで首を突っ込むほど、俺は軽率でも無思慮でもないつもりだ。

それにこの姉妹の場合、下手にかかずりあいでもしたらそれこそ命に関わりかねない。ある意味、猛獣同士の喧嘩を素手で止めに入るようなもんだからな。

でも、毎度思うんだけど、そういうことは家に帰ってからやってくれませんかねー。

俺は改めて無視を決め込むことにする。こう見えて無視は超得意。もっとも俺の場合、するよりもされる方がもっと得意だったりする。



平塚「 ――― ふむ、この場合、第三者の客観的な意見も聞いてみた方がいいと思うのだが、どうだろう」

それまで黙ってやりとりを見ていた平塚先生が、静かに口を開いた。


なるほど、確かにそれはもっともな話である。なんかこのまま放置したらふたりとも無限にヒートアップして地球温暖化を加速しそうだし。


でも、この場にいる第三者っていったら ………


平塚「 ――― というわけで、比企谷、キミはどう思うね?」


え? なに? なんなのそのムチャぶり? つか、なんでピンポイントで俺なわけ? そういうのやめてくれません? キラーパスってもんじゃねぇだろそれ。

平塚先生のご指名により、それまで雪ノ下姉妹を見守っていた皆の視線が、今度は俺に集まるのを感じた。

俺はこれで何度めになるのか数えるのも億劫になるほどの深い溜息をつきながら、仕方なくゆっくりと口を開く。


八幡「…そうですね」

八幡「…俺たちはまだ学生なんだから、別に見栄を張らずに頼れるものは何でも頼って構わないんじゃないですかね」


親や学校、世間に甘えることが許されるのは学生の特権である。例えそれが社会に出るまでの僅かな期間のみ釈された期限付きのモラトリアムだとしても、だ。


平塚「なるほど、キミらしいな。確かにそれも一理ある」

陽乃「あらあら、どうやら比企谷くんの方が雪乃ちゃんよりもずっと大人みたいね」


平塚先生が苦笑し、あねのんが勝ち誇ったように妹を見る。

雪ノ下はそんな姉を無視して、まるで俺の真意を探るように凝っと俺を見つめる。そして俺はその真っ直ぐな視線を正面から受け止めながら続けた。



八幡「…ただ」


平塚「…ん?何かね?」



八幡「…ただ、俺はそんな風にいざという時に他人にばっか頼ってて、それで誰かさんの言っている人間的な成長なんてもんができるとは到底思えませんけどね」


相模「えっ?!」


それが自分に向けられた言葉だと気が付いた途端、相模が狼狽し、見る見るうちにその顔を青褪めながら硬く強ばらせる。

事情を知らないであろう陽乃さんはキョトンとしているが、もちろん、これは相模が文実委員長に自ら立候補する際に公言したセリフに対するあてこすりである。



八幡「ま、人間的な成長なんてこれっぽっちも求めてない俺には、それがどんなもんかよくわかりませんけど…」



もし、意に反して、重要な試合の最中にボールを受け取ってしまったなら ―――


――― 何も迷うことなんてない。敵味方関係なく、誰か近くにいる相手にそのままパスしてしまえばいい。要はそれだけの話なのだ。



くすっ。


雪ノ下の形の良い唇から小さく笑らしきものが漏れるのが見えた。
それを聴いた俺の口の端も少しだけ緩んでしまったが、咳払いしてそれを誤魔化す。


雪乃「――― そうね。確かにあなたは呆れるくらい成長していないものね。それとも単に学習能力がないだけなのかしら?」

やれやれといった感じに、呆れたような顔で小さく首を振る。

八幡「うるせーよ。ほっとけ」

そういうお前だって、全然成長してねぇじゃねーか。特に胸のあたりとか。


雪乃「…まったく、あなたを見ていると、変に気を遣っていた私の方がまるで馬鹿みたいね」


そう独り言のように口にしたかと思うと、次の瞬間にはいつものように自信に満ちあふれた毅然とした態度で、


雪乃「相模さん、やはりこの問題はまず私たちだけでなんとかしてみましょう。部外者に頼るのはそれからよ」


心持ち“部外者”という言葉を強調しながらきっぱりと断言した。


相模「…え、で、でも」


あねのんといもうとのんに挟まれた相模はその凡庸ぶりを遺憾なく発揮して、オロオロと狼狽えている。


陽乃「ふーん…。でも、あなた達だけでなんとかできる問題なのかしら?」

雪乃「これは“私たち”の問題よ。姉さんはこれ以上余計な手出しをしないで頂戴」 

陽乃「あらそう。だったらどれほどのことができるのか、お手並み拝見させてもらいましょうか」

そう言って陽乃さんは挑発的で、それでいてなお魅力ある笑みを浮かべた。


本日はここまで。可能なら続きは明日の深夜にでも。ノシ


話が全然別モンなのに原作のセリフ使って辻褄が合ってるのは素直にすごいと思う

>>328

一応、執行部だけの会議ということで、無理やりネジ込んでます。齟齬があったら広い心でスルーしてください。


葉山「失礼します。有志団体で使用する機材の追加申請の件なんですけど」

軽やかなノックと爽やかな声ともにドアが開かれ、2年F組のカリスマ、葉山隼人が会議室に入ってきた。
どうやらいつの間にか予定されていた会議の時間を超過してしまったらしい。という事は、当然そろそろ他の文実委員も作業に集まってくる頃合なのだろう。
素早く時間を確認した雪ノ下が相模を促し、あわただしく執行部会議を閉会させる。

平塚「とりあえずこの件についてはお預けだな。他にもやらなければならない仕事もあるのだろう?」

先生の言う通りだ。他にもまだまだ文化祭当日までにクリアしければならない諸々の問題と、俺の机の上の未処理の書類は山積みのままなのだ。


葉山は陽乃さんの姿を認めて一瞬戸惑いの表情を見せたが、すぐにいつもの感じのよい笑顔を形作る。

葉山「…今日は何をしに来たんだい?」

探るような視線がなぜか俺に向けられる。いや俺関係ねぃし。

陽乃「ちょっと雪乃ちゃんと比企谷くんの顔を見に、ね?」

陽乃さんはそう言って意味ありげな笑みを浮かべ、

陽乃「じゃ、比企谷くん、期待しているよ。くれぐれも私を失望させるようなマネだけはしないでね」

激励というか、むしろ忠告するかのように俺の方をポンポンと叩くと、そのまま鼻歌を歌いながらふらりと会議室から出て行ってしまった。


葉山「ヒキタニくん、お疲れ。調子はどうだい?」

陽乃さんの姿を暫く目で追っていた葉山が思い出したかのように俺に声をかけてくる。
その声はまるでブレスケアのコマーシャルのような涼しげだ。心なし口元から覗く歯まで白く光って見える。

八幡「お、おう、ぼちぼち…だな」 ぼっちだけに。

……… ちっ、思わずつられて返事しちまったじゃねーか。

あれな、悪気はないんだろうけどさ、俺としてはなんかこう、負けた気がすんだよな。いや最初から勝てるとは思ってないけど。


葉山「キミは随分と彼女に気に入られているみたいだね」

八幡「ありゃどっちかっつーと、面白がってるだけだろ」

あれだけの美女に寄ってこられても、なぜかうれしいという気持ちは微塵も湧いてこないのは、彼女が時折垣間見せるその苛烈な本性のせいだろう。
しかも俺がその事に気が付いているとわかっているにも関わらず、敢えてそれを隠そうともしない。
余程自分に自信があるのか、それとも単に俺のことなど歯牙にもかけていないのか、恐らくはその両方だ。


葉山「そうかな。あの人がそこまで他人に対して興味を持つのを初めて見たよ」

八幡「よければ喜んで代わってやるぜ?」

何気ない、だが混じりっけのない本心からのセリフに、葉山が複雑な表情を浮かべてじっと俺を見つめる。

そして尻の座りの悪くなるような沈黙の後に、

葉山「 ――― いや、多分、俺では君の代わりにはなれないさ」

目を逸らしながら、そっと呟いた。


葉山「 ――― その後、どうなんだい?」

俺の隣の席に腰を下ろし、有志団体に関係する書類を手にしながら葉山が話かけてくる。

八幡「どうって、何がだよ?雪ノ下なら見てのとおりだ」

答えながら、目の前に積まれた文書に素早く目を通し、次々と的確な指示を出している彼女に目を遣る。
その姿はなぜか以前よりも更に精力的になっているようにさえ見えた。

だが、葉山にそう答えつつも、俺は内心自分の行動を少しだけ悔いていた。――― こんなに元気になるとわかっていたら、やはり多少は弱らせておいた方が正解だったかもしれないな、と。


葉山「いや、俺が言っているのは文実の方なんだけど」 

俺が雪ノ下を見る恨めしそうな視線に気がついたのか、葉山が苦笑いを浮かべる。

八幡「…まぁ、前よりはいいかな」

相変わらず俺の仕事は減らないけど。つかむしろ増えてるくらいだし。あれ? よく考えたらそれってもしかして前より悪くなってることじゃね、俺的に?

葉山「随分と活気も出てきたみたいだね」

あたりを見回しながら満足げに呟く。

八幡「まぁな。雪ノ下が本気を出せばこんなもんだろ」

確かに以前とは随分と雰囲気も異なるし、文化祭が近づくにつれて確実にモチベーションも高くなってきてはいる。


葉山「それだけじゃないだろ。やり方はどうあれ、みんなが変わったきっかけは、やっぱりヒキタニくんだと思う」

思いがけない言葉になんと答えていいものか戸惑ってしまう。ついいつもの悪い癖で、その言葉の裏に何か別の意味が隠されているのではないかと勘ぐってしまったからだ。


八幡「…おまえが俺にそんなことを言うなんて意外だな」


皮肉ではなく、率直な感想を口にする。

葉山「そうかい? これでも俺はキミのことを高く評価しているつもりだよ … それに多分、陽乃 … さんも」

あくまでも真摯な目。だが、その目には、俺の心を落ち着かせなくするような何かが見て取れるような気がした。

八幡「そりゃ光栄だな………もし、それがお前の本心から出た言葉なら、だが」

俺の返す言葉に葉山の目がすっと細まる。その反応は、さきほど立ち去ったばかりの女性を思わせた。

いつでも誰に対しても分け隔てることなく公明正大に振舞う葉山だが、時折、本当のところはいったい何を考えているのかわからなくなることがある。

案外、こいつも一皮むけば意外な一面とか潜んでいそうだよな。


葉山「ところで、彼女、どうかしたのかい?」

ごく自然に話題を逸らすようにして葉山が向けた視線の先を追うと、先ほどから雪ノ下の隣で何をするでもなく項垂れた様子の相模の姿が目に入った。

さすがはリア充(笑)のリーダーだけあって、空気を読むにも敏である。

きっとこいつがいるだけでイヤな空気も0コンマ単位の速さで浄化されるに違いない。
大気汚染が深刻な問題になっている国とか行けば重宝されるぞ、きっと。さっさと行ったら? ついでにもう帰ってこなくてもいいのよ?


八幡「ああ、実は…」

俺が何か言う前に、まるでタイミングを見計らっていたかのように相模がこちらに寄って来た。


相模「葉山くん、ごめんね。うち、文実の仕事が忙しくて、なかなかクラスの方にまで顔出せなくなっちゃって」

やたらとクネクネニュルニュルとシナをつくる様はまるで映画泥棒。思わず劇場スタッフさんに通報しちゃうところだったぜ。


葉山「いや、クラスの方は優美子がうまく回してるから心配ないよ。それより何か問題でも?」

相模「うん、実は…」

言いながら、相模が横目で俺を睨みつける。

そのまま黙って聞いていると、いつの間にか俺が相模のアイデアにケチをつけたという愚痴の方がメインになっていた。

おいおいさすがに事実を歪曲しすぎだろ。ほとんど原形留めてねぇし。事件はやっぱり会議室で捏造されるんだな。
警察はレインボーブリッジじゃなくて、その前にまず相模の口を封鎖すべきだろ。


葉山「 … なるほど、それは確かに厄介な問題だね」

ひとしきり相模の話を聞いたあと、葉山が顎に手を当てて、眉を顰めた。

イケメンだけに苦み走った表情も様になるのだが、俺からすればそのこと自体が苦々しい。
ちなみに俺がマネしたところでせいぜい苦虫を噛み潰したような顔にしかならないのは既に鏡の前で検証済み…って、何やってんだよ俺。


相模「うちがせっかくみんなのために文化祭を盛り上げようと思ったのに…」

葉山「…それにしても、ちょっと軽率だったね」

相模「え?」

いつになく葉山の言葉が手厳しい。

…ほう、こいつが女子に対してこんな面を見せるとはな。

俺の視線に気が付いた葉山が、とりつくろうかのようにいつもの感じの良い笑顔を浮かべる。

葉山「結果としてみんなに迷惑をかけることになったんだから、そこはちゃんと謝らないとね」

どうやらいつもの葉山と違うことを察したらしく、相模はしばし躊躇いがちに俺と葉山の顔を交互に見ていたが、やがて

相模「 …… ご、ごめんなさい」

コクリとしおらしく頭を下げて見せた。






………… って、俺じゃなくて葉山に謝ってどうすんだよ。


相模「でもあんた、あんな大見得を切っちゃって、本当に大丈夫なの?」

いきなり相模が俺に振ってきた。

八幡「 …… いや、あれは俺じゃなくて雪ノ下だろ 」

相模「そもそもあんたが最初に反対したのがいけないんじゃない」

元はと言えば、全てこいつが勝手なことをしたせいなのだが、逆切れした相模はまるで意に返さない。

八幡「まぁ、いざとなったらテキトーに似たような着ぐるみでも作って、チーバくんの偽物でもデッチアゲるさ」

相模「まさかそれ、本気で言ってるわけじゃないわよね?」

八幡「半分は冗談だけどな」

相模「ちょっとそれ、半分は本気ってこと?!」

八幡「なら色変えるとか? 黄色くしてチバッシーとか、ヒゲ書いて、チーべェくんとか、一回り小さくしてチービくんなんかどうよ?」

相模「なによそれ、完全にパクってるだけじゃない!」

八幡「ばっかおまえ、リスペクトとかオマージュとか言い張れば世の中大抵のことは許されるようにできてるんだよっ」

相模「そんなわけないでしょ!? いくら高校の文化祭だからって、そんなことしてバレたら学校側にクレームがくるわよ!」

八幡「電話がかかってきたらとりあえず“担当が不在でわかりません”とか“係争中の案件につきお答えできません”って答えときゃいーんだよ」

どこの会社の電話対応マニュアルにも大抵そう書いてあんだろ。


葉山「 … その件なんだけど、もしかしたらなんとかなるかもしれない」

俺の相模のやり取りをしばらく見ていた葉山が、ゆっくりと口を開いた。


八幡&相模「 … え?」


相模「は、葉山くん、それホントっ?!」

葉山「ああ。実はその日、別の場所でチーバくんを使うイベントがあるんだけど、そこの主催者が父の知り合いなんだ」

葉山の父親は確か割と著名な弁護士だったはずだ。ならば色んな方面に顔が広いのも頷ける。

葉山「そのイベント自体、ボランティアみたいなもんだし、PR活動の一環として市内の高校の文化祭にも出張る、ということなら追加申請で済むと思うんだけど、どうかな?」


相模「さっすが葉山くん! 頼りになる!」

相模があからさまに葉山に媚を売り、

相模「 ……… 文句しか言わない誰かと違って」

ついでに俺に喧嘩を売ることもキッチリ忘れない。


すぐに俺は葉山の提案を検討するため、雪ノ下とめぐり先輩に声をかけることにした。


葉山「――― でも、2日目の出展の完全撤収時刻から逆算すると、時間的にはギリかな」

言いながらも、雪ノ下の性格をよく知る葉山が彼女の顔色を窺うようにして見る。

プライドの高い雪ノ下としては、どのような理由であれ葉山に借りをつくるようなマネをするのは不本意なのだろうが、それでもあねのんに頼るよか何倍もマシな筈だ。

「どうかしら?」躊躇いがちに目で問うてくる雪ノ下に黙って頷いて見せる。


雪乃「比企谷くん、その時間帯に何か良い出展はあるかしら?」

溜息をひとつ、すぐに俺に訊いてきた。さすが一度そうと決めたら頭の切り替えは早い。

八幡「ああ、お誂え向きに午後から特設ステージで“千葉県横断スペシャルクイズ”をやる予定になってるみたいだぜ」

なんでも優勝者の景品は東京ディスティニーランドのペア・チケットらしい。うわっなにそれ超豪華っ! もし俺が当たったら、ひとりで2回行けちゃうっ!

恐らく単独でも十分に盛り上がることは間違いないだろうがが、それにチーバくんが加われば更に集客力も高まることだろう。


葉山「イベントそのものは確かその日の午前中には終了するはずだから、その時間帯なら急げばなんとか間に合うかもしれない」

八幡「…でも、お前、ホントにいいのか?」

俺は念のために葉山にその覚悟を問い質す。

葉山「いいって、何がだい?」

八幡「俺たちに手を貸したとわかったら、その … お前の立場がマズくならないかってことだ」

俺たちに加担することで、葉山が陽乃さんから不興を買う恐れがある。
文実でもないこいつがそんな余計なリスクを負ってまで俺たちに肩入れする理由があるとは思えない。


葉山「One for all.All for one …ひとりはみんなのために。みんなはひとりのために」

葉山がまるで独り言のように呟いた。


八幡「 ……… は? こんな時に何言っちゃってるわけ?」

お前、そんなにアイマス好きなの? 


葉山「これは俺たちの文化祭なんだから、できるだけ自分たちだけの力だけで成し遂げるべきだと思うんだ。違うかい?」


相模「葉山くん … カッコイイ … 。うん、そうだよね! やっぱそうでなくっちゃねっ!」


……… いや、他力本願と絵馬に描いて神社に奉納しちゃうようなお前がそれ言っちゃダメだろ。


八幡「まぁ、お前がそれでいいっつーんなら、俺は構わんが…」

今は手段を選んではいられない。それこそ猫の手も借りたいくらいなのだ。でも実際に借りたらモフモフの毛並みとプニプニの肉球に気をとられて雪ノ下が仕事にならなくなりそうだけど。


葉山「それに … 」

八幡「ん?」


葉山「 ……… 彼女は気にしたりはしないさ。例え俺が何をしようとも、ね」


葉山にしては珍しく自嘲気味なセリフとともにその顔に浮かんだ笑顔には、なぜか一抹の寂しさのような翳りが感じられた。


雪乃「でも、ちょっとした賭けである事に変わりないわね。間に合わなかった場合のリスクも大きいわ」

確かに話題性が大きければ、それだけ失敗した時の反動も比例して大きくなる。
ならばやはり、その時のために何か別の手段を講じておく必要があるだろう。

八幡「…よし、わかった。とりあえず葉山はその方向で動いてもらっていいか?」

葉山「了解。できるだけ早くするつもりだけど、場合によっては時間に遅れることもあるかもしれない。一応それは覚悟しておいてくれ」

八幡「もしお前が間に合わなかったとしても、後は俺が何とかする」

葉山「でも、どうやって?」

俺は葉山の問いを無言でスルーした。別にもったいぶった訳ではない。今ここで口にすることで反対される恐れがある以上、何も言わない方が得策だと判断したからだ。


雪乃「 … 比企谷くん?」

俺の沈黙をどう受け取ったものか、雪ノ下が珍しく気遣わしげな視線を送ってくる。


八幡「ああ、わかってる。嘘をつかなければいいんだろ?」

雪乃「私が言いたのは … そうじゃなくて … もしかして、あなたはまた…」 言いかけた言葉の先をそっと濁す。

八幡「…とにかく、ここは任せてくれ」

俺に向けて集まる懐疑や戸惑いの視線を余所に、ハッキリと断言した。




八幡「 ……… 俺に考えがある」



雪乃「…比企谷くん、それ、その筋では有名な失敗フラグなのだけれど」


八幡「って、お前何でそんなことまで知ってんの?!」

さすがはユキペディアさんだな。

雪乃「ふぅ。でもこの際、あなたに任せる他ないわね。葉山くん、申し訳ないのだけれど早速手配してもらっていいかしら?」

葉山「OK」

答えながらすぐにスマホを取り出す。


相模「ちょ、ちょっと待ってよ。本当にこんなヤツ信用しちゃって大丈夫なの? やっぱり今からでも雪ノ下先輩に頼んだ方が…」

八幡「あ゛?」

相模「ま、万が一何かあったら、実行委員長である、うちの責任になるんだからね?!」


ったく、そもそも誰のせいでこんなことになったと思ってやがるんだコイツ?


俺が何かひとこと言ってやろうかと口を開く前に、雪ノ下が無言でスッと一歩前に出た。

特に高圧的、という訳でもないのだが、恐らくは格の違いというヤツを肌で感じたのだろう、ただそれだけで相模がまるで気押されたかのように一歩後ずさる。

ちなみに無意識の内に既に三歩くらい下っている俺はパブロフの犬どころかいっそのこと負け犬まである。


雪乃「あら、相模さん、あなた知らないのかしら?」

雪ノ下が穏やかに話しかける。だが、底冷えのするようなその声の響きには、聴く者の心胆を寒かしめるものがあった。

相模「な、何を…なの?」

自分に向かられた雪ノ下の黒く深い瞳を直に覗き込んでしまったらしい相模が多分に怯えを含んだ声で訊き返す。

雪乃「確かにこの男は人間としてあるまじきどうしようもない最低のクズかもしれないけれど、今まで“任せろ”と言ってどうにかならなかったことなんて一度もないのよ? どうしようもない最低のクズかもしれないけれど」


八幡「 …… いやだからなんでわざわざ繰り返して言う必要があんだよ、それ?」


葉山「確かにね。ま、色々と問題はあったけど … 」

苦笑しながらも葉山が雪ノ下に同意を示す。


相模「は、葉山くんまで … ?」


城廻「 … そうだね。なんだかんだいっても、一番大変な時に一生懸命頑張ってくれてたからね」

八幡「 … え?」

思いがけないめぐり先輩の声を耳にして、今度は俺が驚く番だった。
スローガン決め直しの一件以来、当然のように不真面目で最低な男としてユダの烙印でも押されたものと自覚していただけに、そのひと言は意外であり、また救いであると言えた。
雪ノ下も少しは見習ったら? いつもいつも人の足下ばかり掬わなくていいからさ。


城廻「うん、そう!えっと ………… 」


城廻「 ………… ヒキガミくん … だっけ?」


……… なにそれ空から降りてくるドン引きの神様ですか? 天空高く舞い上がった俺の心の翼が、まるでイカロスのように墜落する。

そんな俺を見ながら雪ノ下がしらっと応じる。


雪乃「だいたいあってます」

八幡「って、そうじゃねぇだろッ!」

葉山「ドンマイ、ヒキタニくん」



……… こいつ、もしかしてホントはわかっててわざとやってんじゃねーのか?


城廻「よし、とにかく、この件はこれで決まりだね!」

めぐり先輩がポンッと軽快に掌を打ち合せながら、いつものほんわかした笑顔でやや強引に締めくくる。

これで問題が全て解決したわけではないのだが、なんとなく前向きにうまくまとめてしまうあたり、さすがは生徒会長といったところだろう。

そして、めぐり先輩につられるようにして皆が笑みを浮かべる中、




――― ただひとり、相模だけは自分の作ったチラシを手に、唇を噛みしめながら無言で顔を俯けていた。


本日はここまでで。ノシ
序盤はこれで終了です。申し訳ありませんが、次の更新はちょっとだけ先になりそうです。

スミマセン、また訂正です(死


>>339

2行目

俺の相模のやり取りをしばらく見ていた葉山が、ゆっくりと口を開いた。
            ↓
俺と相模のやり取りをしばらく見ていた葉山が、ゆっくりと口を開いた。



**********************************



結衣「ヒッキー、やっはろー」


暫くして、由比ヶ浜が会議室に元気な笑顔を見せた。

八幡「ん? 珍しいな。どうかしたのか? 雪ノ下だったら今、職員室だぞ」

結衣「あ、うん。そろそろリハが始まるから隼人くん呼びに来たんだけど、ついでに、ちょっとだけヒッキーの様子見に?」/// モジモジ

八幡「…お、おう。そうか」///

恐らくは無理やり会議に出席させた後ろめたさもあるのだろう。
でもそんな風にみんなの前で名指しにされたりすると、ちょっと恥ずかしいからやめてくれません? その名前で呼ばれると特に。

由比ヶ浜にも言った通り、雪ノ下は葉山の申し出について相談するため、つい先ほどめぐり先輩を伴って平塚先生の処へ向かったところだ。

本来なら相模も行くべきなのだろうが、正副実行委員長がふたり揃って席を外すと作業に支障があるだろうという理由で残っている。

とはいえ、先程からずっと例の女子バスケット部に所属する友達 ――― ゆっこだか遥(はるか)だかと、きゃいのきゃいのダベってばかりいるのを見ると、ここに居たところでちっとも役に立ちそうもないのだが。


結衣「ところで、ヒッキー何してんの?」

八幡「あん? 俺か? まぁ、今はさっきの執行部会議の議事録作成してっけど、いつもは各クラスから提出された申請書なんかをデータ化したり、サイトの更新とか、諸々の雑務がメインかな」 あと、主に嫌われ役。

結衣「ふーん … 」

由比ヶ浜は俺がノーパソに向かって、たったかたったか入力作業をする姿を「へー」とか「ほー」とかいいながら物珍しげにじっと見ている。


八幡「 …… んだよ? 別に珍しいもんでもねーだろ?」 

結衣「いやいや、いつもは“働いたら負けだ”みたいなこと真顔で言ってるヒッキーがマジメに仕事してる姿なんて超珍しいし」

八幡「 …… そっちかよ」



だが、すぐ間近でじっと俺の作業を見つめている由比ヶ浜の視線を意識しまいとして余計に意識してしまうあまり、つい手元の方が疎かになってタイプミスが続いてしまう。

三文字打っては四文字消し、三文字打っては四文字消す ……… って、おい、気がついたらいつの間にか元の文章までなくなっちまったじゃねぇかっ?! どうすんだよこれ?!

つか、ノーパソとノーパンってなんか似てねぇか? いやそれはこの際どうでもいいか。

でも、ネットとかで、プロ野球の始球式で“アイドルが初体験でノーバン”って記事も何かちょっと見、「え?」って感じだよな。絶対に狙ってねぇかあれ? ますますどうでもいいな。いいからとりあえず落ち着けよ俺。


文章がうまくまとまりそうもないので、議事録の作成の作業は一旦中止し、今度は別のウィンドウで未決裁の申請書のドキュメントファイルを立ち上げる。

八幡「あー…、丁度いいや。お前に頼まれてたうちのクラスの追加申請なんだけど、これでよかったんだっけか?」

結衣「ふーん、どれどれ」

言いながら俺の肩越しにぐいと乗り出して身を寄せてきた。その拍子に由比ヶ浜が髪が俺の頬をなぶり、細く温かい息遣いが耳元にまで届いてくる。近い。


結衣「あ、ヒッキー、ここ間違ってるよ?」

いやいやいやいや、間違ってるのはむしろお前の対人距離感の方だっつーの。
だからさりげなく肩に手とか置くんじゃねぇよ、リストラされるんじゃないかと思って不安になっちゃうだろ。

でも大丈夫! 俺は一生働くつもりないからそんな心配無用だねっ! いやよく考えたら全然大丈夫じゃねぇな。



八幡「…どこだよ」


内心の動揺を押し隠すあまり、ついぞ返す言葉も不躾になってしまう俺に、

結衣「ほら、こーこ」

まるで気にした風もなく、由比ヶ浜が応じながら画面の一点を指した。

八幡「指で押すな指で。指紋つくだろ」

結衣「もうっ、ヒッキーてばヘンなところで神経質なんだからっ」

ブツブツと文句を口にしていた由比ヶ浜だが、少しだけ思案げな顔をしていたかと思うと、


結衣「…んー、よっと♪」



――― 何を思ったか、いきなりマウスの上に置かれた俺の手に、自分の小さな手をそっと重ねた。



八幡「くぁwせdrftgyふじこlp 」///


そして、素知らぬ顔をしたまま、マウスに載せた俺の手ごと画面上のポインタをするすると滑らせる。


結衣「ほら、ここ。ね? 違ってるでしょ?」 ニパッ


いやだからだなお前のそういう無意識にやる思わせぶりな態度がだな健全な思春期男子の正常な判断力を狂わせるんだと何度言ったらわかるわけ? 言ってねぇかもしれねぇけど。


八幡「 まさか俺の人生に於いて、由比ヶ浜ごときに間違いを指摘される日が来ようとは ……… なんたる屈辱」

こんな屈辱、世界史で習ったカノッサ以来だろ。

いや別に照れてるわけじゃないから。リアル3次の妹のいる俺ともなればこれくらいのスキンシップはちょうよゆう。心臓がバクバク音を立てているのは多分単なる不整脈。いやなんか逆にヤバくねぇかそれ?


結衣「うっわ、ちょっと間違いを教えたげただけなのに、そこまで言われちゃうんだ?!」

八幡「だいたいからして、お前の説明が超アバウトなのがいけねーんだろ?」

なんだよ“舞台がバアァァァァーン”とか“緞帳(どんちょう)がドオォォォォーン”って、お前もしかしてジョジョなの?



結衣「 …… かっちーん」



八幡「あ? 文句あんだったら、お前自分でやってみろよ」

あ、念のために言っておくと、これ仕事の上では高確率で死亡フラグな。
これでもしホントにできちゃったりなんかした日には立場がなくなるから。それどころか、下手をすると次の日から自分の座る席までなくなってる可能性すらある。


結衣「おッしッ!だったらヒッキー、椅子半分貸すしっ」 ガタガタッ

何を思ったのか、いきなり由比ヶ浜が自分の尻で俺をぐいぐいと押し退けるようにして椅子を半分占拠しようとし始めた。


八幡「や、ちょ、おい!」///


いやだから近い近い近い近い近い近い近い近い近い近い近い近い近い近い近い近いんだってば!

俺が慌てて席を蹴って立ち上がろうとすると、


結衣「ちゃんと見てるしっ!」


由比ヶ浜がいつにない強引さを発揮して、俺の袖を取り、そのままぐいっとばかりに椅子へと引き戻す。
その反動でますますふたりの身体がくっついて、いやもう激録警察24時の取材班かよってくらい密着してるんですけどっ?!

だからちょっと待てって! 小学校時代には“フルーツバスケットの帝王”とまで呼ばれたこの俺が他人に席を譲るなんて超珍しいことなんだぞっ?!
電車で優先席座ってても目の前にお年寄りとか来たら急に寝たフリするくらいだからなっ!?


ほんのちょっとだけ更新なのでsageたままにしときます。続きはできれば明日にでも。ではではノシ



「へえ、そんなにくっついちゃって、やっぱり仲いいんだね」


不意にざらりとした不快な声音が俺の耳朶を打つ。
明らかに俺達に向けたであろう声の方向へと目を向けると、相模を中心にゆっこと遥がにやにやと感じの悪い笑を浮かべてこちらを見ている。

ちなみにどっちがゆっこでどっちが遥なのかは未だによくわかっていなかったりする。


結衣「 …… べ、別にそういう訳じゃ」///

素に戻った由比ヶ浜が慌てて立ち上がり、真っ赤な顔で今更のように俺から微妙な距離をとる。


相模「いいよねー、結衣ちゃんは文化祭エンジョイしてるみたいで。ホントうらやましいなー」


そう言ってまた、くすくすと嫌な感じの忍び笑いを漏らし、ゆっこと遥がそれに加わった。

そんな彼女たちを見て、俺の後頭部の毛がチリチリと逆立ち、胃のあたりが迫り上がる。この感覚には覚えがあった。


――― そう、これは女子が好んでよく使うお馴染みの陰湿なイジメの手口だ。

普段の天然発言であほキャラ認定を受けているものの、由比ヶ浜は顔もスタイルもいい上に性格も明るく、しかもそれを鼻にかけるでもなく誰とでも分け隔てなく優しく接することから、密かに男子から人気が高いという話を耳にしている。
それでいて浮いた話ひとつ聞こえてこないのは、やはり三浦が常に目を光らせているからなのだろう。

そんな彼女と、スクール・カーストの最下層のそのまた底辺を這いずり回っているようなこの俺が釣り合うはずもない。

だからこそ逆に相模は敢えて俺たちの仲を冷やかすことで、由比ヶ浜に恥をかかせ、俺にも精神的なダメージを与えようとしているのだ。

過去にも同じようなことをされた経験があるが、さして親しい間柄でもなかったとはいえ、相手の態度が妙によそよそしくなったり、不自然に距離を置かれたりするのは地味にキツかったりもする。


葉山「 ――― 結衣、クラスの方はどんな様子だい?」


その時、葉山がさりげなく俺たちに声をかけてきた。

結衣「あ、う、うん。これから通しでリハ始めるから、その前にみんなでちょっと休憩してるところ」

葉山「じゃあ、俺たちもそろそろ教室に戻った方がいいみたいだね」

言いながら、とんとんと音を立てて書類を束ねる。

葉山がゆっくり席から立ち上がる様子を見て、相模の顔に残念そうな色が広がった。


相模「やっぱり、たまにはうちもクラスの方に顔出しとかした方がいいかな~」

誰に言うでもなく、だが、明らかに葉山を意識したであろうそのしらじらしい言葉に、

葉山「いや、向こうは優美子がやってくれてるから気にしないでくれ。それに相模さんが文実に専念してくれてるお陰で、クラスの方も随分と助かってるよ」

角を立てないように気を遣いながらも、葉山がやんわりとそれを押しとどめる。

相模「 …… え、で、でも、どうせうちなんかいなくても、雪ノ下さんが全部やってくれてるし?」

おっと、ここにきて自分の存在理由を全否定ですか?

葉山「そんなことはないさ。相模さんもよく頑張っていると思うよ。もっと自信を持っていいんじゃないかな?」

相模「えー、そんなことないよー、うちなんてー」

言葉とは裏腹に満更でもなさそうなところを見ると、相模も決して本心で言ってるわけではあるまい。
自ら卑下して見せることで、葉山に優しい言葉をかけてもらおうという魂胆が見え見えだった。



葉山「な、キミたちもそう思うだろ?」


不意に葉山が俺と由比ヶ浜に話を振ってきた。

ごく自然な会話の流れだったが、どうやら葉山も先ほどから俺たちの間に流れる不穏な空気を察していたようだ。
恐らくはこれ以上関係を悪化させないようにという、葉山らしいスマートな気遣いなのだろう。

――― だが、いつもは空気を読んで相手に調子を合わせるのがうまい由比ヶ浜が、なぜか今日に限っては押し黙ったままだった。

すぐにそれが、あの日の雪ノ下の姿が落とした影であることに気がつく。



八幡「まぁ … そうだな…」



ごく曖昧なものとはいえ、由比ヶ浜に先んじて俺が同意を示したことに、葉山が少しだけ意外そうな表情を見せた。

別に驚くほどのことでもあるまい。普段から空気のような存在の俺だけに、同じ空気を読むに長けているのは当然だろう。
それに、俺は空気を読まないのではなく、敢えて読まないフリをしているだけなのだ。



相模「 ――― だったら、いちいちうちのやることにケチつけるのやめてよね」


だが、イエスともノーともとれるような俺の返事は、どうやら相模のお気に召さなかったらしい。

打って変わって俺を睨み据えながら、妙に低い、冷めた声で言放つ。


相模「 ――― 言っとくけど、あんたのその見え透いた下心なんて、うちは最初っから全部お見通しなんだからね」


思いがけず告げられた相模の言葉に、俺の背筋を嫌な予感が走り抜けていた。


相模「今日だって、うちのこと散々あげつらって恥かかせたのだって ―――  」


遅まきながら、不用意に会議に出席してしまった自分の迂闊さを呪うが、それこそ後の祭りというヤツだ。


相模「雪ノ下さんに調子合わせるみたいなふりしてたけど、あんた、本当は彼女と ――― 」




相模「 ――― 結衣ちゃんと一緒に文実委員やりたかったからなんでしょっ?!」


そう言って、びしりと由比ヶ浜を指さした。



結衣&八幡「 … へ?」 「 … は?」


おいおいおいおい。いきなり何言っちゃってんのコイツ? なんでここに由比ヶ浜が出てくるわけ?


結衣「 …… え? そ、そうなの?」///

いきなり自分の名前が出たことに驚いたのか、由比ヶ浜が頬を赤らめながら、わたわたと俺を見る。


八幡「 ………… アホか。そもそも俺は最初から文実やる気なんて全っ然なかったっつーの」

結衣「あ、アホって言うなしっ!!」

なぜか由比ヶ浜までぷんぷんと怒り出してしまった。


八幡「だいいち、俺がいない間に勝手に男子枠決めたのお前らだろ? もう忘れたのかよ?」

正直なところ、もし俺が一緒に文実をやってもいい、いや、ぜひともやりたかった相手がいるとするならば、それはもう唯ひとり、戸塚以外に考えられない。

それなのに皆でボクのことをこんなにひどく言うなんて …… わけがわからないよ。


相模「 …… あらそう? でも結衣ちゃんの方はそうでもなかったみたいよ?」

相模の目が意地悪く、すっと細まる。

八幡&結衣「 …… え?」


相模「 ――― だって、ふたりは一緒に花火デートに出かけるくらいの仲だもんね?」


そのセリフを口にする相模の瞳孔は、まるで獲物を狙う蛇のように縦に裂けて見えていた。


今日はこんなところでノシ

次回更新は、できれば明日の深夜にでも。


結衣「あ、あれは、そ、そんなんじゃないし」///

由比ヶ浜が慌てたように胸の前で小さく手を振る。

八幡「 …… あん時は由比ヶ浜が俺の妹から頼まれた買い物に付き合わされてただけだ。俺は単なる荷物持ちな」

相模「へぇ、それってつまり、家族公認ってこと?」

八幡「 … だから、そうじゃなくてだな」

慣れない言い訳をしているせいか、何か言うたびに一歩また一歩と泥沼に嵌ってしまうような感覚に襲われる。


相模「そう言えばさっき、“今日はデートの約束がある”とかなんとか言ってたっけ。ゴメンね~、うちってば気が利かなくって」

聞えよがしの大きな声が会議室の他の生徒の注意を引きつけのだろう、ひとり、またひたりと作業の手を止めて、こちらに好奇の視線を向けている。

これはかなりマズイ状況だ。

この手の噂はその真偽に関わらず、ただ面白いというそれだけの理由で瞬く間に拡散する。
しかも厄介なことに、噂というヤツは勝手に独り歩きを始める上に簡単に尾ヒレがつく。そして、一度広まってしまった噂を完全に消し去ることはほぼ不可能に等しい。

今、ここではっきりと否定しておかないと、後々とんでもなく誇張された噂を耳にすることになりかねない。


結衣「そ、それに、あの時は、ゆきのんのお姉さんも一緒だったし」

由比ヶ浜が咄嗟に付け加えたそのひと言で、葉山の顔色が変わる。


葉山「 ……… 陽乃が?」


まるで問いかけるように俺を見る葉山は、自分が今しがたあねのんの名を呼び捨てにしたことにさえ気が付いていないようだった。

八幡「 …… 雪ノ下さんとは会場で偶然遭っただけだ。俺も詳しくは知らんが来賓として親父さんの名代で来てたみたいだぜ」

でもなんかこれじゃ葉山に対して言い訳してるみたいだな。べ、別にお前のためなんかじゃないんだからねっ。

だが、どうやらそれすらも藪蛇だったらしく、葉山は暫く考え込むような素振りを見せた後、静かに、だが有無をいわさないような口調で俺に告げた。

葉山「よかったら、その話、俺も詳しく訊かせてもらえないかな?」


別になんらやましいことがあるわけではないのだが、不利な状況証拠が揃い過ぎていた。

恐らく、弁解すれば弁解するほどボロが出てしまうに違いない。これがもし裁判員裁判であれば、判決を待つまでもなく間違いなくギルティだ。

こんな時、いつもの俺であれば、わざとらしくトイレに立つかスマホに着信のあったフリをしてさっさと抜け出すところだが、今のこの状況で由比ヶ浜をひとり残すわけにはいくまい。

ぼっちの唯一のアドバンテージといえば、失うものがないことであり、守るべきものがないからこそ、常に捨て身の強かさを発揮できる。
しかし、それは裏を返せば、何かを守りながら戦うにはこれほど不慣れ、かつ、不向きな存在もない。ということでもあるのだ。

翼をもがれた鳥にも等しい今の俺には、由比ヶ浜を守りつつ現状を打破する手段は何ひとつ思いつかなかった。


――― いや、待て。ひとつだけ、手がないこともない。


今の俺にできること、それはやはり、いつものように自分を悪者にしてしまうことだ。


“ ――― なんでこんなヤツと”


ただそのひと言を口にするだけで、周囲の批難や悪感情は全て俺に集まるだろう。それで少なくとも由比ヶ浜は無傷で済むはずだ。

だが、いざ口を開こうとした瞬間、小さく俺の服の裾が引っ張られた事に気が付いた。

ふと見ると由比ヶ浜がちんまりと俺の裾をつかみ、小さく首を振っている。その目には俺がこれから何をしようとしているかを察しているかのように、悲哀の色が滲んで見えた。



相模「ねぇねぇ、この際だから正直に認めちゃったら? あんたたち、ホントはもうつきあって ――― 」



既に俺の耳には相模の言葉など届いてはいなかった。

俺は無理やり由比ヶ浜から視線を引き剥がすようにして、自分を落ち着かせるために、息をひとつ吐き、すぐに吸う。

しかし、俺が行動を起こす前に、由比ヶ浜が先に口を開く。


結衣「あ、あたしは、」


胸の前で拳を固く握った手をかすかに震わせながら静かな決意を秘めたその表情に、いつかどこかで見た覚えのある事に卒然として気が付く。


結衣「そ、その、ひ、ヒッキーのことが … 」




あの花火大会の帰り道 ――― 

暗闇からふたりの影を切り離す、橙色の街灯の下で ―――

もし、あのタイミングで由比ヶ浜のケータイに着信がなかったら ――― 

もし、あの時、俺が逃げ出すような真似をしなかったとしたなら ――― 




――― 由比ヶ浜は俺に何を言おうとしていたのだろうか。





「ハぁ?! アンタ何言ってんの? そんなことあるわけないっしょ!!!!!!!!」




会議室を覆っていた粘りつくような不快な結界を外から粉砕するかのような傲岸不遜ともとれる声が轟き渡る。


女子にしてはやや高めの上背、ただでさえ高い鼻梁を更に心持ち高く掲げているせいか、まるで周囲を睥睨するかのようにさえ見えるナチュラルな上から目線。

驚きのあまり茫然とする皆の視線が一様に集まったその先には、





―――――― 苛立ちに渦巻く黒く猛々しいオーラを纏った獄炎の女王、三浦優美子が腕を組み仁王立ちする姿があった。


スミマセン、明日から頑張る(死


相模「 ……… み、三浦さん?!」

葉山&結衣「 ……… 優美子」 

思いがけない人物の登場に、会議室が、いや、まるで地球そのものが静止してしまったのではないかと錯覚を起こすような深くて重い沈黙に包まれた。


三浦「隼人と結衣がー、全っ然、帰ってこないからー、あーし様子見にきたんだけどぉー、あんた達、いったいここで何してくれてるわけ?」


みょんみょんと自慢の金髪ゆるふわ縦ロールを指に絡みつかせながら、すらりと細く長く伸びた足の爪先で、カツカツと小刻みに立てる音が彼女の苛立ちを言葉以上に明瞭に物語っている。

こわいさすが三浦こわいあもりにもおそろし過ぎるでしょう俺の恐怖が有頂天。って、有頂天でいいんかいっ?!

と言うか、ヤバい。 三浦、ヤバい、マジヤバい。

何がヤバいって、同級生や下級生はおろか、先輩であるはずの三年生の男子までもが急いで目を伏せてるあたり、この人ってば、やっぱリアルで超ヤバい。

スクール・カーストどころか食物連鎖のピラミッドの頂点にまで君臨していそうな最上位捕食者の持つ圧倒的なオーラがビシバシと伝わってくる。

その迫力たるや肉食系というよりむしろ肉食獣。地上最強の生物の鍛え抜かれた背筋に三浦の顔が宿っていたとしても十分頷ける。


相模「あ、い、今のは …… その …… 」

三浦に怒りの矛先を向けられた相模がなんとか言い訳しようと試みはするものの


三浦「あ゛? 」


相模「ひぃっ!」


ギロリと効果音でもつきそうな三浦のひと睨みで、たちまち萎縮して言葉に詰まってしまう。
そして青褪めた顔で視線を床に落とし、もごもごと動かすだけのその口からは意味を為す台詞は些とも出てこない。

同じように、ゆっこと遥も、三浦を目の前してに竦み上がったままの様子だった。


三浦「ちッ」

生まれたての小鹿のようにうち震える彼女らを一瞥し、三浦が舌打ちをする。

恐らく三浦のあの性格からして、そのはっきりしない態度にこそ余計に苛立ちを募らせるのだろうが、当の相模はその事に全く気がついていないようだ。

先ほどまでの威勢はどこへやら、ただおろおろと狼狽えおどおどと怯えるその様こそ、俺の知る中でも屈指の凡人、凡人オブ凡人たる相模南本来の、ありのままの姿なのであろう。

そもそも三浦と相模とでは人間としての、いや、生物としての格が違い過ぎる。いかに相模が文化祭実行委員長という肩書きを手にしても、その距離は縮まるはずもない。
逆に地位や肩書に頼ることで自分を大きく見せようとする姿勢が、彼女の器量の小ささを端的に顕しているとさえいえた。

そこへいくと、俺なんかは明らかに大器晩成型。あまりにも器が大きすぎちゃって、もしかしたら今世紀中に大成しないのではないかと心配になるレベル。



「おや? ヒキタニくん、はろはろー」


緊張のあまり皆が息を潜め、ひっそりと静まり返ってしまった会議室に、もんのすげぇ場違いで超軽いノリ、しかも相変わらず意味不明の挨拶が響いた。

肩まで伸びたストレートの黒髪にピンクフレームの眼鏡。全体的に小造りな印象を受けるその清楚な佇まいは、図書館のカウンターにでも座っていればさぞかし絵になることだろう。

――― 但し、彼女のいる図書館の蔵書については時代が時代なら禁書どころか焚書レベル。

可憐とも形容していいその容姿に反して、殊、趣味の領域における腐れ具合では、もはや千と千尋のオクサレ様とタメを張るであろう2年F組の腐一点、海老名姫菜嬢である。

三浦の迫力に圧倒されて今の今まで気がつかなかったが、どうやら彼女も一緒だったようだ。


海老名「へー。いつもここで仕事してるんだぁ」

海老名さんが物珍しそうな顔できょろきょろと室内を見回す。

三浦同様、こちらもこちらでまるで空気を読まない。というか、最初から読もうとすらしない。その愛らしい顔にはいつもと同じように屈託のない笑みが浮かんでいる。

だが、そんな彼女の物怖じしない態度のおかげで、張り詰めていた会議室の空気が、ほんの少し和らぐのが感じられた。

もしかして、こうなるかもしれないことを予見した上で、三浦のストッパー役としてクラスの準備の忙しい中、わざわざ時間を割いて同道してくれたのだろうか。

なるほどそう考えると、実は彼女も単にクレバーなだけという訳ではなく、案外、由比ヶ浜と同様、気遣いの人なのかもしれない。

時折垣間見せるエキセントリックな腐女子の仮面の下には、きっと周囲を思い遣る女性らし…


海老名「 ……… ところで隼人くん? 結衣?」 ニコニコ


いきなり、くるりっとふたりへ振り向いた海老名さんの声が、にこやかな表情そのままに、急に腐穏、いや、不穏な空気を纏い、剣呑なものへと変わる。


葉山&結衣「え?」



海老名「クラスの仕事を放り出して、あなたたちはここでいったい何してるのかなぁ~~~~? ん~~~~?」 ゴゴゴゴ…



ふええええええええん、海老名さんのその笑顔、超怖いよぅ(泣


結衣「あ、あー… ひ、ヒナ、ご、ごめん。ちょっと、その、ひ、ヒッキーに用事とかあって? あは、あはは…」 アセアセ

曖昧な笑顔で誤魔化しながら、由比ヶ浜が俺の陰にこそっと隠れようとする。

八幡「 … ちょっと待てなんで俺なんだよ?」


海老名「ふーん … 。で、隼人くんは?」 キッ


葉山「お、俺も、ヒキタニくんから、その、ちょっと相談受けてて…」 アセアセ

葉山もいつもの爽やかな笑顔をいくぶん引き攣らせて、ごくさりげない風を装いながらも、やはり、じりじりと俺の背後に回り込もうとする。

八幡「 … だからなんで俺なんだよ?」


おい、おまいらいくら怖いからって俺を盾にしようとすんじゃねぇよ! 言っとくけど俺だって超怖いんだからなっ?!




海老名「…………… え? は、葉山くんが? ヒキタニくんに? ワイ談?! ウける?!」





八幡「 ……… は?」


ちょっとお待ちよ腐ロライン。もしかして腐った趣味が高じて、ついにお耳まで腐敗が進行しちゃったの?



海老名「キタ ―――――――――!!! ハヤハチ、キ・マ・シ・タ・ワ ―――――――――!!!!」



その威力たるやファーストインパクトも斯くやという海老名さんの絶叫が会議室に響き渡る。

いや、キてないっ! キてないからっ! 逆に誰かこいつ疾く速く腐海に連れて帰るか、もしくは巨神兵を総動員して焼き払うべきだろっ!?


海老名「ももももも、もしかして身の上、いえ、身の下相談とか? あらあたしとしたことがなんてはしたないっ、ああああああ、でも妄想が捗っちゃうっ! ぶっ腐ぅ! いいぞ!もっとやれぇ!」

……… ヤバイ。海老名さんの妄想がフルスロットルでヒートアップしてマックスでレボリューションを起こしかけている。このままでは現実世界まで侵食、いや、腐食されかねない。


結衣「 …… ひ、ヒッキー?」

八幡「 …… ああ、間違いない、こいつ十四番目の使徒だ」(ゲンドウのポーズ)


三浦「姫菜っ! ほら、落ちつけしっ! 擬態しろしっ!」

すぐさま世話焼きおかんお気質を遺憾なく発揮して三浦が止めに入る … って、もしかしてストッパー役は三浦さんの方だったんですかッ!? そうなんですかっ!?


海老名「ちょ、ちょっと待って、もっとkwwsk! い、今、話を聞くからね? ね? ね? ね? ね? じゅるるるるるるるぅ…」

メガネの奥の瞳を名状し難い色に輝かせ、色々な器官から様々な粘液をしたたらつつ、にゅるにゅるにょろにょろと葉山に向かって詰め寄る … いや、這い寄る。


相模「ちょ、ちょっと海老名さん、よしなさいよ。葉山くんが困ってるじゃない!」

三浦よりはまだ与しやすいかとでも思ったのか、我に返った相模が懸命にも葉山と海老名さんの間に身体を張って割って入ろうとした。
その無謀ともいえる勇気は敵ながら天晴れ。賞賛にすら値するだろう。だがしかし、


海老名「おだまりっ! このパンピがっ!」 キシャー!


相模「ひぃっ!」ビクッ  


文字通り気焔吐く海老名さんの一喝で、あえなく轟沈。しかも涙目。

ほれみれ。お前みたいな“まちのひと”ばりのNPCごとき凡人が、この正体腐名の腐老腐死の魔物、“ノーBL・ノーライフ・キング”相手に敵うわけねーだろ。俺だって勝てる気しねーよ。

レベルをカンストまで上げてロトのつるぎとロトのよろいを装備してても絶ッ対ッムリッ。チートでも勝てない。
運悪く地下迷宮の奥底深くの暗闇でエンカウトなんかした日には、どんな高レベルの勇者のパーティだって、ルーラ唱えてラダトーム城に戻ってから布団ひっかぶってひたすら震えて寝るしかない。


海老名「あら、これは … ?」


臨界点さえ突破してしまいそうな勢いだった海老名さんが不意にその動きを止め、手元にあった例のチラシをしげしげと眺め始める。


海老名「へぇ、これって、チーバくんのことでしょ?」


結衣「 … チーバくん? えっと、ヒナもチーバくん、好きなんだっけ?」

由比ヶ浜がおずおずと尋ねる。つか、いい加減、俺を盾にするのやめません?


海老名「んー…そうねー」

そう言いながら、少しだけ考えるかのように不可思議な間を置いた。
可愛らしく小首を傾げる仕草はさすがは腐っても美少女。いやこの場合、腐った美少女というべきか。


結衣「 …そういえば彩ちゃんも確か、チーバくん好きなんだよね」

由比ヶ浜が思い出したかのようにぽしょりと口にする。

八幡「なにそれどこ情報よ? ソース出せ、ソース」

戸塚の話題が出た途端、つい喰い気味になってしまったのも戸塚が食べちゃいたいくらい可愛いんだから仕方ないよね?


結衣「 ……… え? スマホのストラップ、確かチーバくんだったし、グッズとかも結構集めてるみたいなこと言ってたよ?」

八幡「なん … だと … ?」

俺としたことが全然気がつかなかったぜ。

八幡「もしかして抱き枕にチーバくんのぬいぐるみを使ってるとか?」

やだなにそれ可愛い。似合いすぎだろ。ちょっとだけチーバくんに嫉妬しちゃうところだったぜ。

結衣「さ、さぁ? そこまでは聞いてないけど … 」

八幡「いや、そうに違いないっ! そうに決まってる!」

もうこうなったらいっそのことチーバくんを抱いた戸塚を俺が抱いて寝るというのはどうだろう? おお、我ながらグッド・アイデア! それはありだろ。いやもうそれしかないまである。

結衣「もう、ヒッキーってば、彩ちゃんのこと、好きすぎだしっ」

八幡「なにを言う、俺が一番好きなのは小町だ」

結衣「 ……… 出た、シスコン 」

八幡「ばっかお前、何言ってんだよ。もう風呂だって一緒に入らないし、同じベットで寝たりもしないんだぜ …… 最近は」

結衣「って、最近なんだっ!?」


先ほどまでの嵐のような狂態がまるで悪い夢でもあったかのように、海老名さんは清楚な佇まいのまま無言で手にしたチラシをじっと見つめていた。

雲の狭間から太陽の光がひとさし降り注ぎ、彼女の艶やかな黒い髪に宝石のような光の滴が弾ける。

海老名さんは、その桜色をした小ぶりな唇に、天使のように小さく可憐な笑みを浮かべて、そっと呟いた。



海老名「 ……… チーバくんの鼻ってなんかヒワイな形してない? 腐ふっ」


三浦「ヒナ、擬態しろしっ! っていうか、まずは野田市民に謝れしっ!」


バシッ


海老名「腐゛ひッ」


三浦が海老名さんの後頭部を力任せに叩(はた)く小気味のいい音が静けさを取り戻した午後の会議室に高々と鳴り響いていた。


本日はここまでノシ

続きは可能であればまた明日にでも。



**********************************




「 ――― 失礼します」


遠慮がちなノックとともに、見慣れない女子生徒が会議室に入ってきた。

とは言っても、会議室は現在のところ文実が専有している状態なので、申請やら相談やらで生徒の出入りも激しく、知らない顔も珍しくない。
だいいち、向うだって俺のことなんて知らないだろうし。

恐らくそのうち誰か顔見知りを見つけてそいつが相手をするだろう。俺はその姿を一瞥しただけですぐにパソコン画面に目を戻した。


女生徒「あのー…」


だが、気が付くとその女子生徒は俺の前に立ち、しかもなぜかピンポイントで俺に向かって話しかけてくる。
返事をする前に一拍置き、念のため前後左右上下360度を見回すが、やはり俺の周りには誰もいない。まぁ、それはいつものことなんですけどね。

いや待て、油断は禁物だ。
珍しく女子に声かけられて緊張のあまり思わず裏返った声で返事しちゃったら残念でした声かけてたのは実は隣のヤツでしたーぷすーくすくすとか、なにそのふと思い出す度に絶叫しながら走り出したくなるような壮絶な黒歴史。


八幡「 …… お、俺?」


念には念を入れ、声に出しながら自分自身を指さし確認。事故防止のためにはやっぱり確認が大切だよね。注意一秒トラウマ一生って言うし。言わねーか。

女生徒「いえ、あの、雪ノ下さんなんですけど…」

八幡「や、俺、雪ノ下さんじゃないんですけど…」

女生徒「それは知ってます」

何がツボにはまったのか、その女生徒がくすくすと小さく笑う。

見知らぬ女子との慣れない会話で俺が一方的にテンパリすぎてるせいか、会話自体は全く噛み合っていないのだが、その悪意のない笑いにつられるようにして自然俺の顔にも笑みが浮かんだ。



「――― 失礼なことを言わないでくれるかしら」


不機嫌そうな声のした方に目を遣ると、その声に更に輪をかけて不機嫌そうな顔をした雪ノ下がつかつかと早足でこちらに歩み寄ってくる。

どうやらいつの間にか職員室から戻ってきたらしい。見るとめぐり先輩と平塚先生とも一緒のようだ。

雪乃「あなた、あまりこの男と話をしない方がいいわね。目が腐るわよ。ほらご覧なさい、本人はもうこれ以上はないくらい腐っているでしょう?」

八幡「お前の方がよっぽど失礼な事言ってるっつの。つか、いつから見てたんだよ? 気がついたんなら、すぐ声かけりゃいーだろ」

雪乃「あんまり楽しそうったから、つい、声をかけそびれたのよ」



……… 何怒ってんだよ、コイツ?


女生徒「…雪ノ下さん、あの、これ…」


遠慮がちに差し出された大きな紙袋を雪ノ下がじっと見つめる。

雪乃「ごめんなさい。前にも言ってあったと思うのだけれど、文化祭当日も見回りがあるから、クラスの出展の方には参加できそうにないの」

女生徒「あ、わかってます。でも、せっかくみんなで雪ノ下さんの分も用意したから、渡しておいた方がいいかと思って…」

雪乃「…そう。とりあえず受け取っては置くけれど期待はしないで頂戴」

女生徒「はい。ありがとうございます」

嬉しそうに笑顔を浮かべる女生徒とは対照的に、雪ノ下がいかにもしぶしぶといった感じで紙袋を受け取った。

女子生徒が俺たちに軽く会釈をして会議室を後にすると、なおも渋い表情を浮かべながら雪ノ下が小さくため息を吐く。


八幡「そういや、おまえのクラスの出展って…」

雪乃「…ファッションショーよ」


結衣「あ、ゆきのん!」

そうこうしているうちに、葉山たちと一緒に教室に戻ったはずの由比ヶ浜が再び舞い戻ってきた。
一旦リハが始まってしまえば、後は裏方としては特にすることもないのだろう。

雪乃「あら、由比ヶ浜さん、こんにちは。昼間はゆっくり挨拶もできなくてごめんなさい」

雪ノ下が優しく微笑みかけると、由比ヶ浜も「いいのいいの」と小さく手を振りながら、はにかんだような笑顔で返す。おいお前ら背景に百合が咲いて見えてんぞ? 

雪乃「あなたが会議室にくるなんて珍しいわね。どうかしたのかしら?」

結衣「えっと…、ヒッキーがちゃんと仕事してるか、様子見に?」

チラリ俺に視線を送って寄越す。先ほどの一件については雪ノ下には内緒に、ということなのだろう。俺もそれとわかる程度に小さく頷いて返した。


城廻「へぇ、わざわざ様子見に来てもらえるなんて、キミもなかなか隅に置けないなぁ。よっぽど …… 」

結衣「へ? そ、そんなことないです」 ///

相模の件もあったからなのだろう、めぐり先輩のふざけ半分で入れたチャチャに、由比ヶ浜が顔を真っ赤にしながら頭と両手を大袈裟にぶんぶんと振る。



雪乃「 ……… 信用されていないのね」

八幡「 ……… そうじゃねーだろ」



城廻「ところで? 相模さんは?」

めぐり先輩がきょろきょろと辺りを見回す。そう言われればいつの間にか姿が見えない。


八幡「ついさっきではいたみたいですけど ……… 」

いかに葉山も一緒とはいえ、まさかあの騒動の後で三浦と同じ教室には戻れまい。

それでも一応、確認のために由比ヶ浜に目で問うと、やはりふるふると首を振って見せた。


城廻「雪ノ下さんが戻るまで会議室にいてねって、ちゃんと言っておいたはずなんだけど」

少し困った様な笑顔を浮かべ、


城廻「 ……… やっぱり彼女にはちょっと荷が重かったのかな」


溜息混じりにそっと呟く。

だが、俺たちの視線に気がつくと慌てて口元に手を遣り「あ、ゴメン、ゴメン、違うの」と力なく打ち消した。

どうやら、つい本音が口を衝いて漏れ出てしまったらしい。


八幡「あー…、そう言えば城廻先輩はどうして生徒会長になろうと思ったんですか?」

少し気まずくなりかけた空気を変えるために、わざと当たり障りのない話を振ると、めぐり先輩が少しだけ驚いたような顔をした。

いや、俺が話しかけた時の女子が見せるその反応にはもう慣れっこなんですけどね?


城廻「ははぁ、さてはキミ、私が生徒会長なんてガラじゃないって思ってるんでしょ?」

めぐり先輩が目を細め、冗談めかしながら笑顔で応える。

八幡「 …… や、そういうわけでは」///

城廻「私ってさ、あんまり勉強とかできないし、かといって運動神経もいい訳でもないでしょ?」

確かに見た感じ少しばかりドン臭そうなところもあるにはあるのだが、さすがにタモさん相手じゃないんだから、簡単に“そうですね”なんて応えられない。
それに彼女にはそれを補って余りある人望がある。それはある意味、雪ノ下や三浦にもない、彼女の持つ優れた資質であると言えた。

城廻「生徒会の仕事だって大変だし、文化祭みたいなイベントも決して楽しい事ばかりじゃないけど、それでもみんなの笑顔を見ていると、ああ、やっぱりやってよかったって思うんだ」

城廻「 …… こんなドン臭い私でも、人の役に立てることがあるんだなって実感できるから、かな?」

めぐり先輩の、そのほんわかした笑顔を見ていると、なぜかこちらまで暖かな気持ちになってくる。


平塚「いかにも城廻らしいな。まぁ、それに、こうしたイベントというものは手間も暇もかかる分、ある意味、我が子を育てる楽しみに似たところがあるからな」

不意に平塚先生が口を挿んできた。

八幡「我が子 …… ですか?」

平塚「 ……… 何だね、その意外そうな顔は?」

八幡「いえ、思ってませんっ! 思ってませんっ! 出産どころか結婚すら経験していない先生が子育てについて真顔で語っているのがちゃんちゃらおかしいなんてぞんぜん思ってないし、例え思ったにしても絶対口には出せませんっ!」

だから指関節をボキボキ鳴らして威嚇するのはやめてくださいってば!


平塚「ほう、やはりキサマには一度、とことん鉄拳制裁…いや、教育的指導が必要なようだな、比企谷?」

八幡「今なんか恐いこと言いかけたっ?!」


城廻「 ――― 相模さんにも、そんな気持ちを少しでも感じ取ってもらえるといいんだけどな」

めぐり先輩が寂しそうにぽしょりと呟くその言葉が心の奥深くの琴線に優しく触れる。




――― だが、結局その日、相模は会議室に戻ってくることはなかった。


結衣「あれ? ゆきのん、それなぁに?」

雪ノ下の手にしたままの大きな紙袋に目を止めた由比ヶ浜が訊ねる。

雪乃「え? ええ、これは ―――― 」


結衣「ほわー。ファッションショーかぁ。ゆきのんも出ればいいのに」


雪ノ下の属するJ組の国際教養科は帰国子女が多い。
しかも、クラスのほとんどが女子で構成されるため、雪ノ下ほどではないにせよ、それなりに見てくれのいい女子も多数在籍している。
見映えのよさを前面に押し出すという意味では確かにファッションショーは最適な出し物と言っていいだろう。


雪乃「ごめんだわ。大勢の前で晒し者にされるのはもうたくさん」

雪ノ下がうんざりしたように呟く。
恐らくは、小さい頃から社交界のパーティやらなにやらで親に引っ張り回されでもしたのだろう。
社交的で要領のいいあねのんと違って、愛想笑いひとつできそうにないこいつのことだ、それも無理からぬことなのかもしれない。

それに愛想笑いを浮かべる雪ノ下など想像もできない。
少なくとも俺の知る、他人に対して決しておもねることも媚びることもしない雪ノ下には全くそぐわないものであるような気がした。

俺はこいつの本当の笑顔を知っている ――― それだけで十分だろう。

無意識に向けてしまった俺の視線に気がついた雪ノ下が「どうかしたの?」と目で問うてきたが、俺は軽く首を振って誤魔化した。


八幡「それにしても、出ないって言ってるのにわざわざ衣装まで作ってくれてるってことは、お前って別にクラスで孤立してるってわけでもねーんだな」

雪乃「あら、随分と意外そうな顔をしているけれど、私は対人関係において、あなたみたいに南海の孤島の如く隔絶されているわけではないのよ?」

八幡「…って、俺はガラパゴスかよ」

雪乃「あら、誰もそんなことはひと言も言ってないわよ、ヒキガラくん」

八幡「思いっきし言ってんじゃねーかッ!?」

雪乃「もっともあなたの場合、ことコミュニケーション分野に至っては進化の過程でも行き詰っているどころか、逆に退化さえしているみたいなのだけど…」

八幡「誰だって生まれる時と死ぬ時は必ずひとりなんだよッ! つまり、ぼっちは人としてあるべき本来にして究極の姿ってことだろ」

雪乃「あなたの場合、その生まれてから死ぬまでの間でさえずっとひとりじゃない」

八幡「うるせーよ、だったら、お前はどうなんだよ?」

雪乃「私の場合、あなたと違って、ただ単に友達といえるような相手が存在しない、というだけの話よ」

超高度の上から目線で勝ち誇ったように高らかに宣言する雪ノ下に、

結衣「むぅー…」

由比ヶ浜が膨れ面をする。なにお前もしかしてオカルト雑誌なの?

雪乃「…も、もちろん、例外もいるけれど」///

そんな由比ヶ浜を見て雪ノ下が慌てたように小さく附け加えると、

結衣「えへへー。ゆきのーん」

由比ヶ浜の顔がぱっと明るくなった。

雪乃「ゆ、由比ヶ浜さん、暑苦しいから、その、あんまり抱きつかないでくれるかしら?」

そうは言うものの、口で言うほどイヤそうな顔はしていない。ホントこいつってば由比ヶ浜には弱いのな。


平塚「仲睦まじいところ申し訳ないのだが、ちょっといいか、雪ノ下?」

雪乃「は、はい、なんでしょう?」///

平塚「城廻とも少し話をしたのだが、文化祭関係の書類が増えてきて、会議室が手狭になってきたようだ」

八幡「そういやそうですね」

あたりを見回すと、確かに所々に書類が山積みのまま放置されている。特に俺の机の上が他を圧倒して一際高い。

平塚「文化祭に向けてこれからまだまだ増えるだろうから、処理の済んだものや使わないものは一時的に別の場所に移した方がいいと思うのだが」

雪乃「居ても役に立たない男の方はどうしますか?」

八幡「俺、超役に立ってるだろッ?!」

雪乃「だから誰もあなたのことだなんて、ひと言も言ってないじゃない」

八幡「確かに言ってないよなッ! 指さしてるけどッ!」


平塚「とりあえず奉仕部の部室にでも運んでおくか? 文化祭が終わるまで活動は休止しているのだろう?」

城廻「雪ノ下さん、こっちは私が見てるから、少しの時間なら大丈夫だよ?」


雪乃「そうですか ……… わかりました」

結衣「あ、ならあたしも手伝う!」

雪乃「重いし結構な量があるわよ?」

結衣「大丈夫、大丈夫! ほら、ヒッキーもいるし」

雪乃「そう。じゃあ、お願いしようかしら」

八幡「ちょっと待てお前ら、何で勝手に俺が手伝うこと前提で話進めてんだよ?!」

結衣「ホラ、いいから手伝うし! ヒッキー、男でしょ?」


………出たよ。出ましたよ。女子の伝家の宝刀“男でしょ”。

何かにつけその魔法の言葉で男を都合よくコキ使いやがって。
こんだけ男女平等が声高に叫ばれるこのご時勢、その言葉自体いい加減時代遅れだとは思わんのかね?


八幡「だいたい女のくせに料理もまともにできないオマエが言っていいセリフと違うだろそれ」

結衣「ふっふーん、ヒッキー知らないんでしょ? あたし最近、料理の本読んでるから腕もかなり上達してるんだよ?」

八幡「いやその理屈はどう考えたっておかしいだろ」

本読んだくらいで料理の腕が上がるんなら、毎日マンガ読んでる俺なんか、ある日ベットの中で目が覚めたら自分が手○治虫に変身しているのを発見しても全然不思議ではないくらいだ。

雪乃「でも由比ヶ浜さんにしては随分と殊勝な心がけね。ちなみにどんな本を読んでいるのかしら?」

結衣「 … え? … お、美味しんぼとか … 食戟のソーマとか … ?」

雪乃「 … それは料理の本とは言えないわね」

結衣「うわっ、ゆきのんにまで残念な子みたいな目で見られた?!」

八幡「何を言ってるんだ、由比ヶ浜。それは違うぞ?」

結衣「 ……… え? あ、そ、そうだよね? あー、ビックリし … 」

八幡「あれは、みたいな、じゃなくて残念な子を見る目そのものだからな?」

結衣「がーん!」



八幡「まぁ、そこまで言うのであれば、小学生レベルまでなら家事日本一を自負するこの俺が、お前の料理の実力を問うことにしよう」

雪乃「 ……… 上から目線の割にかなり微妙な自負なのね。いかにもあなたらしいけど」

八幡「うるせーよ。じゃあ、第1問。味噌汁の出汁は何から採る? 」  ビシッ

結衣「うっわっ、いきなりハイレベルっ?!」

八幡「って、どこがだよっ?! こんなもん、基本中の基本だろっ?!」

結衣「でも、お味噌汁ってインスタント食品じゃなかったっけ? コンビニで売ってるの見たことあるし」

八幡「お前の頭ん中ではコンビニで売ってるもの全てがインスタントの括りなのかよ…。ったく、いったいどういう教育受けてんのか親の顔が見てみたいもんだぜ」

結衣「え?! もしかして、ひ、ヒッキー、うちのパパとママに会いたい … の?」/// モジモジ 

八幡「ちげーよっ!!!!」///  なんだよその罰ゲーム。



八幡「わかったわかった … ならヒントだ。次の3つの中から選べ。いち、昆布。に、煮干し。さん、削り節」

雪ノ下が無言のまま、怪訝そうな視線を俺に送って寄越す。

もちろん、これは由比ヶ浜の実力を気遣ってのサービス問題だ。これならいくらなんでも外しようが…


結衣「えっと……………4番の桃…………かな?」


八幡「………よし、よくわかった。男子ではないが、お前はもう金輪際厨房には入るな」

たぶんこいつのメシマズの理由は100どころの騒ぎじゃない。誰かもう家庭科調理室に“由比ヶ浜全面禁止”の貼り紙でもすべきだろ。そのうち絶対に死人が出る。


結衣「ひどっ! そこまで言うっ? ゆきのん、なんか言ってやってよっ!」

雪乃「…そうね。確かに酷いものね」

雪ノ下がため息まじりに同意を示す。

結衣「だよねっ! だよねっ! ヒッキーのばーかばーか、べぇー!」


雪乃「………由比ヶ浜さんの料理センス」

結衣「って、あたしっ?!」


雪ノ下にダメ出しを食らって肩を落とす由比ヶ浜をよそに、俺は仕方なく重い腰を上げると書類の放り込まれたダンボール箱に手を掛けた。


本日はここまで。ノシ

スミマセンが、次回の更新は今のところ未定です。


着いてみると当然のことながら部室は以前となんら変わることなく、しかし不思議とどことなく違っているかのようにも見えた。

曇天に加え、あの日からずっと閉め切られたままのカーテンのせいで昼間だというのに薄昏く漂う空気も心なし乾燥し、埃っぽい。


結衣「この部屋に三人が揃うのも久しぶりだね」

机の上に荷物を置いた由比ヶ浜が室内を見回しながら感慨深げに呟く。

八幡「ま、実際はそれほどって経ってるわけでもないんだけどな」

結衣「あーあ、早く文化祭終わんないかなー。そしたらまた、部活再開するんでしょ?」

雪乃「そうね。また、元どおり…なのかしら…」

由比ヶ浜の問いかけに対し、雪ノ下がそっと俺の顔色を窺うようにして見る。


始まりは入学式初日、俺が由比ヶ浜の飼犬 … よく土産物として売られているハトだかヒヨコだかの形をしたお菓子みたいな名前をしたミニチュアダックスフンド … 確か、サブレだっけ? を庇って雪ノ下の乗っていた車に跳ねられ、入院した事にある。

別にそのこと自体は雪ノ下のせいでもないし、それについてとやかく言うつもりもない。だいいち、俺の不運は今に始まったことではない。

ただ、雪ノ下ひとりが被害者と加害者という俺たちの関係に薄々感づいていながらも、今までずっとそれを黙っていた事、そして ―― これはあくまでも結果論とはいえ、その事で俺たちに嘘をついていたという事実が許せないでいた。

――― いや、それも違う。

本当のところは、俺の理想であり憧れでもある完璧超人であるはずの雪ノ下雪乃でさえも嘘をつくという、ごくごく当り前の事実を、俺自身が認めたくなかった、というだけのことなのだ。


雪ノ下だって何も好き好んで黙っていたわけではあるまい。

恐らく彼女が真実に気がついた時には既に告げるタイミングを失していたのだろうし、そのことで彼女も少なからず苦しんでいたのに違いない。
それにも拘わらず、俺は雪ノ下に幻滅し、まるで彼女を責めるかのような態度さえとってしまったのである。

手前勝手な理想の押しつけは中学時代に身をもって懲りているはずなのに。そんな思い込みはもう卒業したはずなのに。

やはり、雪ノ下に言われるまでもなく、俺という人間は全く成長していないのかもしれない。

そしてその蟠りは完全に消えさったというわけではなく、単に相模や文化祭の騒動で一時的に棚上げ状態になっているだけなのである。

それは雪ノ下もよくわかっているはずだ。

だが悲しいかな、ぼっちとはぼっちであるが故に、互いに歩み寄る術を全くと言っていいほど知らぬ、ヤマアラシにも劣る哀れで悲しい生き物なのだ。


結衣「ほわー、かわいー」


雪ノ下が書類と一緒に持ってきた私物の袋を勝手に覗き込みながら、由比ヶ浜が能天気が声を上げた。

こいつアレな。きっと部屋の掃除してる最中に昔買った雑誌とかコミックなんか読み返して頓挫するタイプな。絶対に間違いない。だって俺がそうだし。

結衣「ゆきのん、ゆきのん、これ、あたしが着てみてもいいかな?」

雪乃「え、ええ。それは別にかまわないのだけれど … 」

八幡「それはやめておけ由比ヶ浜 … 」

結衣「え? どうして? やっぱり似合わない、かな?」

八幡「いや、似合う似合わないの問題じゃなくてだな … 」

サイズが合わないだろ。特に胸回りとか。察しろよそれくらい。怖くて口に出して言えないんだからさ。


結衣「そっかー… あ!じゃあ、やっぱりゆきのんが着てみてっ」

雪乃「え? 急に何を言い出すの? 今はそれどころじゃ…」

結衣「でも、どうせクラスの出し物には出るつもりないんでしょ?」

雪乃「それは … そうなのだけれど … 」

結衣「だったら、見たい、見たい! 絶対似合うと思うし! ほら、ヒッキーも見たいって!」

八幡「 … や、俺は」


雪乃「 … そう。じゃあ、仕方ないわね」

なぜかあっさりと意見を翻す雪ノ下。


八幡「 …… お前ってば、ホント由比ヶ浜には弱いのな」

苦笑を含んだ俺のその言葉に、なぜか雪ノ下は少しだけ不服そうな顔をする。そして何かしら言いかけたようだが、

結衣「じゃ、あたしとヒッキーは外で待ってるから、着替え終わったら呼んでね!」

気が変わらないうちにと由比ヶ浜に急き立てるように背中を押され、彼女が口を開く前に俺はそのまま部室から追い出されてしまった。


少しだけ更新。短いのでsageたままで。ノシ


部室を出た俺と由比ヶ浜は、ふたりしてそのまま廊下の壁に寄りかかるようにして並んで立ち、何をするでもなくただ雪ノ下の着替え終わるのを待つ。

音楽室から聞こえる吹奏楽部の演奏を耳に、俺は向かいの校舎の廊下を行き交う人影と、その上にどんよりと広がる、いつ雨が降りだしても不思議ではない曇り空を見るともなしに見ていた。

手持無沙汰になったせいか、由比ヶ浜がどうでもいいような話題をぽつぽつ振り、俺もそれにテキトーな相槌をうつ。

しかしあれな。壁一枚隔てて女子が着替えをしてるシチュってのも想像するとちょっとなんかアレだよな。
うん、アレすぎてナニがナニしちゃいそうなレベル。
特に俺のアレがナニしてしまいそうになんですけどね。自分でもナニ言ってるのかさっぱりわからん。


結衣「 … 元気になったみたいで良かったね」

不意に由比ヶ浜が切り出し、俺もそれがすぐに雪ノ下のことだと気付く。

八幡「ん? ああ、そうだな」

結衣「色々とあったし、忙しいのはよくわかってるんだけど、やっぱりちょっと気晴らしもいいかなって」

なるほど、それでか。

恐らく、こいつはこいつなりに雪ノ下を気遣っているのだろう。
ちょっとどころか、かなり強引だとは思うが、これはこれで、いかにも由比ヶ浜らしいやり方だ。


結衣「ヒッキーの方は、その … 大丈夫 … なの?」

八幡「大丈夫って、何がだよ?」

結衣「最近のヒッキーって、なんかちょっと … 」

八幡「やたらとひとりで悪目立ちしてる … ってことか?」

濁した言葉の先を俺が引き継ぐ。

こないだのスローガン決め直しの一件についても葉山あたりからだいたいの事情は聞いているのだろう。
それにここ最近、教室で時折俺に向けて心配そうな視線を投げかけていたのは知っていたのだが、周囲の目もあるので敢えて気が付かないフリをしていただけだ。


結衣「 ……… え?」

八幡「は ……… ?」


… ちょっとちょっと何なのその意外そうな顔?

結衣「 … えっと、ヒッキーがひとりなのも悪目立ちしてんのも、別に今に始まったことじゃないと思う … けど?」

八幡「お前、いったい何が言いたいわけ?」ヒクッ

結衣「あ、そうじゃなくて … その … なんていうか…」 アセアセ


結衣「 … 色々とあったのは、やっぱりあたしがヒッキーに変なお願いしちゃったせいなのかなって」

申し訳なさそうに呟き、小さく溜息をつく。


―――― ゆきのんが困っていたら助けてあげて。

由比ヶ浜のいう“お願い”とは、あの日交わした約束とも言えないような約束の事を言っているのだろう。


八幡「や、別にお前のせいってわけでもねーだろ」

つい自分の顔に苦笑が浮かんでしまうのがわかった。

結衣「でも、あたしヒッキーに頼ってばっかで何もできなかったし、そのことでヒッキーがみんなから白い目で見られてもなんにもできないし … 」

八幡「それこそお前が気にすることでもないだろ」


結衣「… 気に … するし」


由比ヶ浜の声のトーンが変わり、ふたりを包む空気が急に湿り気を帯びる。


八幡「どうしてヒッキーもゆきのんもそうやって、みんなひとりで抱え込もうとするかな」

ややあって由比ヶ浜の口から出た言葉には、少しだけ責めるような色があった。

別に俺だって好きでそうしているわけではない。誰も頼る相手がいない以上、俺には俺なりのやり方しかできないのだから仕方がない。
今まで一人で誰にも頼らずひとりでずっとやってきたのだし、そして恐らくはこれからもそうだろう。

だが敢えて由比ヶ浜にそのことを告げはしない。多分、彼女にはそれが理解できないからだ。
由比ヶ浜のことだ、理解しようと努めてはくれるだろう。しかし、これはそういった類の話ではないのだ。

もし俺のこの考えを理解してくれる者がいるとするならば、それは多分、雪ノ下をおいて外にはいないだろう。

なぜならば、それだけが全ての面において対照的といっていいほど異なる、俺と彼女が唯一共有している己の生き方に対する矜持であり、信念というやつなのだから。


結衣「それに、さがみんとか文化祭のことだけじゃなくて、ヒッキーとゆきのんの間であたしの知らない間になんかあったのかなーって … 」

八幡「 … 何かってなにがだよ?」

結衣「え? それは … その … よくわかんないけど、色々と … ?」

いつものような説明下手というわけではなく、わざと曖昧に暈しているのがわかった。

八幡「別に。気のせいだろ?」

嘘は言っていない。少なくともこいつが心配するようなことは何もないはずだ。
だが、本当にそうなのかと自問自答するも、答えは返ってこない。まるで底なしの深い穴に向けて叫んでいるようなものだ。
ただ、今までとは違う何か、言葉にならない漠然とした違和感が胸の奥にしこりのように残る。

結衣「そ、そうかな? なら、いいんだけど…」

由比ヶ浜もそれ以上深く詮索するようなマネは控えたようだが、その代わりとでもいうかのように、諦めたかのような溜息をひとつ吐いた。



結衣「…でも、時々」


由比ヶ浜が慎重に選びながら再び言葉を継ぐ。

八幡「ん?」

結衣「 … 時々 … だけど、あたしヒッキーとゆきのんの間に入れないのかなっ … て思うことがあるんだ … 」

独り語りのようで、それでいて俺に対する問いかけのようでもあった。

八幡「や、そんなことはねーだろ…」

俺と雪ノ下の間にはそれこそ千里の隔たりがある。本来ならば今のように普通に言葉を交わすような機会すらもなかったはずだ。
その隙間というにはあまりにも広すぎる空間をを由比ヶ浜の存在が埋めているといっていい。

もし、仮に俺と雪ノ下ふたりだけだったなら、奉仕部の活動だって今まで続けてこられなかっただろうし、仮にもし続いていたにしても、それは今とは全く別のものになっていたことだろう。


結衣「あはは、部室ではいつも三人一緒なのに、それってなんか変だよね?」

わざと無理して明るく振舞う姿がなぜかとても痛々しく見えた。造られた笑顔はすぐにわかる。だいいち、そんな表情はこいつに似合わない。


結衣「…あ、あたしね、うまく言えないけんだど、ゆきのんのこと、すっごくすっごく大好きだし、大切な友達だと思ってるの」///

八幡「お、おう。そ、そうか…」

いやだからそういう事は直接本人に向かって言えよ。今ここで俺にそんな百合ゆりした告白されたって反応に困んだろ。


結衣「 … それに、その … ヒッキーのこと … も … ?」 ゴニョゴニョ

ちろりと俺に視線を送って寄越す気配を感じたが、面映ゆくなった俺は視線をあらぬ方向へと逃がす。

結衣「 … でも、今だって十分楽しいし、ふたりとの関係も大事にしたいから」

俺が頑なまでに変化を拒んでいる間に、由比ヶ浜は少しづつ、だがはっきりと変わろうとしている。


結衣「 … でも、ね、もし、こっから先があるなら … あるとするなら … 」

言葉の先に僅かな期待と不安が入り混じる。それが確たる形を為す前に、胸が急に窮屈なり、逃げ出したくなるような感情に我知らず小さく身を捩る。


結衣「もし、この関係が、いい方向に変われるんだったら…」


俺の肩に、そっと由比ヶ浜の柔らかくて暖かな重みが加わった。


気がつくといつの間にか吹奏楽部の演奏が途絶えている。


結衣「もしゆきのんが、それでもいいって言ってくれるなら…あたし…そ、その…ひ、ヒッキーと…


次第に小さくなってゆくその言葉の続きは、雨の先触れとなる風に揺れる窓ガラスの音で、俺の耳に届かないうちに掻き消されていた。




雪乃『 ……… いいわよ?』





結衣「へっ?い、いいのっ?!」


ガコンッ


八幡「てっ!」


驚きのあまり、いきなり身を仰反らせてしまった反動で、勢い余って俺の後頭部が派手な音を立てて廊下の壁にぶつかった。


雪乃『…ど、どうかしたのかしら? 着替え、終わったのだけれど?』

扉の向うで雪ノ下が慌ている気配がこちら側にまで伝わってきた。


結衣「あわわわわわわわわ、な、何でもないから!大丈夫だから!平気!平気!」///

八幡「いや俺の頭は何でもないこたないし大丈夫でもないし全然平気でもないけどなっ!」


痛みと、緊張から解き放たれた安堵がもたらした脱力で、俺はそのまま壁伝いにずるずるとしゃがみこんでしまう。

結衣「ひ、ヒッキー、大丈夫?」

由比ヶ浜が前かがみになって俺の頭を撫でる。

その拍子に、俺の視界に豊かな胸の谷間が飛び込んできた。

返事ができないでいる俺を見て、由比ヶ浜が心配そうにしゃがみこむ。いやその角度だと今度はパンツ見えちゃうだろ。


結衣「大丈夫?立てる」

八幡「…あ、いや、もうちょっと待ってもらっていいか?」


言いながら慌てて目を逸らす。そうでもしなければ別の場所が先にたってしまいそうなんです。


そんなワケで由比ヶ浜のターンでした。こんなペースで今月中には完結しそうです。故あって今日はsage。



雪乃「ど、どう、かしら…」/// モジモジ


部屋に一歩入るなり、雪ノ下の鮮やかな純白のドレス姿が俺の視界に飛び込んできた。


結衣「ふわー…、ゆきのん超きれー…」///


由比ヶ浜が感嘆の吐息を洩らす傍ら、そのまばゆいばかりの美しさに目を奪われ、俺は言葉もなくただひたすら魅入ってしまう。

明らかにウェディングドレスを意識したであろうフリルとレースを多様したデザインは、とても素人の手によるとものとは思えないほど手が込んでおり、生地の白さと雪ノ下の艶やかな黒髪との対比が鮮やかに映えている。

さすがに高校の文化祭ということもあってか露出こそ控えめだが、それだけにわずかに覗く胸元と、肩口からすっきりと伸びた淡雪のごとき腕の透明感がいっそのこと際立って眩しい。


単に雪ノ下のウェディングドレス姿、というだけであるならば、平塚先生や小町を交えたいつぞやの嫁度対決の時にも一度目にしているはずだった。

だが、今、俺の目の前で微かに頬を赤く染め、初々しくも恥じらうかのような様子を見せながら佇む彼女の姿には、なぜかしらあの時とはまるで異なる印象を受けている自分に気が付いていた。

同時に、ほんの少しだけ心臓がまるで締め付けられるかのようにキリキリと切なく痛む。

それは、いつの日にか彼女の傍らに立つであろう誰とも知らぬ男への模糊とした嫉妬と羨望に他ならなかった。


結衣「 … ヒッキー、感想、感想」


由比ヶ浜にそっと肘でつつかれて我に反る。
どうやら知らず見蕩れてしまっていたらしい。なんかくやしい。負けた気さえする。いやだから何と戦ってんだよ、俺。

八幡「 …… や、いきなり感想とか言われてもだな」

動揺を押し隠そうとするあまり、つい、へどもどしてしまうのだが、普段からキョドり方にかけては定評がある俺だけに、今更どれだけキョドったところで違和感はないはず。何それ自分で言ってて何か悲しい。

それでもここはやはり普段浴びせかけられている暴言の仕返しとばかりに、何か気の利いたイヤミのひとつでも言ってやろうと口を開きかけると、


雪乃「 ……… 」/// チラッ


俺のそんな様子をそっと窺い見る雪ノ下と偶然目が合ってしまった。

うわばかやめろ普段は上から目線のお前が上目遣いとか超レアすぎて破壊力マジパねぇんだから!!!!!


記録的な短さなので当然sageたままで。ノシ


八幡「 …… えっと、なに? その、い、いいんじゃね?」///

正直なところすげぇ良く似合ってるし滅茶苦茶キレイだとしか言いようがないのだが、さすがに当の本人を目の前にしてそんなセリフ、口が裂けても言えるワケがない。

もっとも口が裂けたらそれこそ何も言えなくなってしまいそうなものなのだが、雪ノ下の事だ“だったら実際に試してみたらどうかしら”とか平気で言い出しそうなので怖くて口にできないというのが一番正しい。

結衣「 …… そうじゃなくて、こういう時は女の子に対して何かもっと色々と褒め言葉とかあるでしょ?」

おやおや、由比ヶ浜に懇々と諭されてしまいましたよ? しかも溜息混じり。

八幡「んな事言われたって、ギャルゲーぐらいでしか女子とまともに会話したことのない俺に、リアルで服装褒めて好感度上げろとかハードル高すぎだろ」

それも相手は難攻不落の雪ノ下って、なんだよそのムリゲー。


雪乃「普段は事あるごとに“現国学年三位”を豪語しているくせに、こんな時に限っては急に語彙が貧困になるのね」

それまでずっと黙していた雪ノ下が不意に小さく口を開いた。
その皮肉な口調こそいつもと変わらないが、なぜか今日に限っては少しばかり拗ねて聞こえるのは気のせいか。


八幡「 … うるせーよ。いいだろが別に」

だからと言うわけでもないのだろうが、半ば照れ隠しで逆ギレを装いつつも、

八幡「 …… なにも特別なカッコなんてしなくたって、お前は素でも十分過ぎるくらい美人なんだから」

つい言わなくてもいいはずのひと言までもぼそりと口にしてしまう。


雪乃「 ……… え?」///

八幡「あ、や、そうじゃなくてだなっ。 … いや、 まぁ、そうなんだけど …… 」


雪乃「 … そ、そう。…… その、ありがとぅ…」///

短くて素っ気ない、それでも紛れなもなく心からの礼を返しながら、まるで小さな子どものように頬を染めモジモジと所在無げな様子で佇む雪ノ下。

普段の凛とした姿とのギャップが見事なまでにツボにはまり、意味もなくあさっての方へ顔を向けてしまう俺の耳に、




結衣「 … なんか … なんか、おもしろくないっ」


ふすっと、ふてくされたような由比ヶ浜の呟き声が届いた。


………  だからいったい俺にどうしろって言うんだよ。



結衣「あ、そうだ! せっかくだから記念に写メ撮らない?」

言いながら由比ヶ浜がフジツボのようにデッコデコに飾り立てられたスマホを取り出した。

結衣「ヒッキー、お願いしていい?」

返事を待つことなく俺に向けて差し出されたスマホを受け取りはしたものの、いざ手にして見ると何やら余計なものがじゃらじゃらとついててやたら持ちにくいし、それ以前にただ持ってるだけでもかなり恥ずかしいものがある。なにこれもしかして魔除けの飾りかなにかなの?煩悩の塊みたいな俺が素手で持っちゃって大丈夫なのかしらん?

カメラの操作方法については訊くまでもなく、なんとはなしにわかるので、とりあえずふたりの百合ゆりした姿をフレームに収める。


八幡「 ……… おい由比ヶ浜横ピースとかビッチ臭いからやめろ」

結衣「ビッチとか言うなしっ!!!!」


少しばかりのすったもんだの挙句、「いいか?」「うん」シンプルな掛け声と共に、適当に何回かシャッターボタンを押し、その都度、忘れないように保存する。


結衣「じゃ、次、ヒッキーとゆきのんね」


八幡&雪乃「 …… え?」///

流れでこうなるであろうことはある程度予期していたとはいえ、ごく当たり前のような顔でさらりと言われると、さすがにそれはそれで戸惑ってしまう。


八幡「 …… や、俺は」///

ここはすかさず、断られる前に断ってしまうのがぼっち流自尊心防衛術の基本なのだが、普段からまず誘われることがないのでわざわざ断る必要もないという俺最強説が実は根強い。

結衣「いいから、いいから、ほらほら、早く早く」

八幡「いくねーよ、魂とか抜かれちゃったらどうすんだよっ?!」

結衣「って、いつの時代の人間だしっ?!」

八幡「つか、もし知らないヤツが一緒に写り込んでたりなんかしたら、それこそ一生のトラウマもんだろ?」

結衣「そ、そんなことあるわけないしっ!」

そうは言いつつも、やはり少しばかり不安になったのか、由比ヶ浜がそっとあたりを見回す。


八幡「 …… それが、あるんだよ。俺がまだ小学生の頃、クラスの集合写真に全然知らないヤツが写ってるって大騒ぎになったことが」

俺がそっと声のトーンを落とすと、由比ヶ浜がびくりと反応する。

結衣「え? そ、そうなの? ほんとに?」 ゴクッ

八幡「 …… ああ、しかもそれよく見たら俺のことだったんだぜ? な、どうだ? トラウマになるくらい怖い話だろ?」

結衣「 …… トラウマって、そっちなんだ」


結衣「っていうか、時間ないんだから早くするし!」

時間がないなら撮らなきゃいいだろと言いたいところなのだが、ああ見えて由比ヶ浜は案外押しが強く、一度言い出したら聞かないところがある。

助けを求めるようにして雪ノ下を見れば、既に由比ヶ浜の強引さには慣れたのか慣らされたのか、先程からまるで困ったかのような表情を浮かべつつ、ただ大人しく立ったままだ。
それでもチラチラとこちらの様子を窺いながら少しだけそわそわしているように見えるのは、やはり時間を気にしてのことなのだろう。

押し問答する気力ないほどに疲れ果てていた俺は、結局根負けした形で雪ノ下の隣に、それでもあまり近寄り過ぎるのもなんかアレな気がしたので微妙な距離を置いて立つ。

やれ、笑顔を見せろだの、背筋を伸ばせだの、目が死んでるだの、どこぞの山奥の西洋料理店のようにやたらと注文が多いが、そちらは面倒くさいので一切無視することにした。



結衣「ふたりとも、もっと寄らないと入んないよ?」


由比ヶ浜の声に、反射的にお互いの位置をよく確認もせずに寄ってしまったせいで、思いがけず触れ合わんばかりに距離が詰まってしまった。


「え?」「や?」


驚きのあまり至近距離で顔を見合わせたまま、ふたりして硬直してしまう。

美しく整った顔だち、磨きぬかれた大理石のようになめらかな白い肌、濡れたような漆黒の髪と同じ色を湛えた美しく大きな瞳。

実際に雪ノ下と向き合っていたのは、ほんのごく僅かな時間に過ぎなかったのだろう。だが、俺にとってのそれは、まるで永遠を凝縮させたかのような密度と濃度があったかのようにさえ思えた。


シャリーン


小銭が落ちたかのような澄んだ機械音に、まるで何かの魔法が解けたかのように我に返り、互いに無言で一歩ずつ離れて距離をとる。

一拍おいてふわりと漂う、サボンの香りが、今の一瞬を殊更強く印象づけ、余韻を残す。

俺はそのまま意味もなく仰け反るように天井を見上げ、雪ノ下も俯くかのように床を見下ろす。

妙に火照ってしまった顔を見られまいとして、さっさと背を向けてしまったので、彼女が今、どんな表情をしているのかまではわからない。


――― ほれみれ。やっぱり魂奪われちまったじゃねぇか。

心の中でそっとひとりごちる俺の耳の奥で、やたらと騒がしく響く鼓動を落ち着かせ、雪ノ下の顔をまともに見ることができようになるまでには、まだしばらく時間がかりそうだった。


ひとり鼻歌まじりに先ほどの画像の確認していた由比ヶ浜が、不意にぴたりとその動きを止めるのが見えた。

八幡「どうかしたのか? もしかして手ブレでもしてたか?」

俺の問いかけが聞こえなかったかのか、由比ヶ浜はスマホの画面をじっと見つめたまま身動きひとつしない。


雪乃「 …… 由比ヶ浜さん?」


帰り支度を始めていた雪ノ下もその様子に気がつき、幾分心配げな声をかけると、やっと気がついたかのように慌てて顔を上げた。


結衣「 … あ、うん。ごめん。最後の一枚、うまく撮れてなかった … みたい」


申し訳なさそうに呟く由比ヶ浜の、その声と表情に、俺と雪ノ下はそっと顔を見合わせる。


八幡「 ……… ま、そんなこともあんだろ」

ほっとしたような、それでいて少し残念なような気もするが、ウェディング姿の雪ノ下とツーショットなんて、後々冷静になってから見たら、絶対悶絶することになりそうだからな。


雪乃「 … そう残念ね」

無意識に口を衝いて出てしまったであろう言葉に、雪ノ下がすぐにはっとして指先で口を覆う。


雪乃「あ、いえ、今のは別にそういう意味ではなくて」///

八幡「 …… わーってるよ。どうせまた俺のことヒキタテくんとか言うつもりだったんだろ?」

雪乃「そ、そんなこと … 」///


……… おいそこで黙るなそれだと俺がどんな態度とっていいかわかんなくなんだろ。


そんな俺たちを見ながら由比ヶ浜が泣くでも笑うでもなく複雑な表情を浮かべ、


結衣「 …… ごめんね」

誰にともなくもう一度謝ると、ためらいつつも、そっと消去ボタンに指を伸ばすのが見えた。


単純に考えれば、もう一度撮り直せばいいだけの話のはずなのだが、その時の三人を取り巻くいつにない微妙な空気の中では、誰にもそれを言い出すことができなかった。


今日はこんなところで。ノシ


恒例のさりげなく訂正。細かなところはたくさんあるのですが、特に気になったとこだけ。

>>432

4行目

今まで一人で誰にも頼らずひとりでずっとやってきたのだし、
               ↓
今まで誰にも頼らずひとりでずっとやってきたのだし、



**********************************




雪乃「あれ … 何 … かしら?」


部室から会議室に戻る途中で雪ノ下が不意に足を止める。

彼女の向けた視線の先、廊下の曲がり角からは何やら肉の塊らしき巨大な物体がハミ出しているのが見えていた。
そればかりか荒い鼻息の音までが俺達のいる場所にまで届いてくる。

一歩間違えば変質者。いやすでにその一歩を軽く踏み越えているというか、むしろ踏み外しているような気がしないでもない。人としての大切な何かを。


俺は来るべきシチュを予期して面倒臭くなり、黙って回れ右をする。


雪乃「比企谷くん、いったいどこへ行くつもりなのかしら?」

八幡「雪ノ下、悪いことは言わん。あっちはダメだ」

由比ヶ浜が俺の肩ごしにひょいと行く手を覗き見る。

結衣「ヒッキー、あれってもしかして…」

その声に気がついたのか肉の塊はわざとらしく一旦俺達の前をギクシャクと横切ったかと思うと、いかにも今気がついたと言わんばかりに大袈裟な仕草でこちらを振り返った。

材木座「ややや、それなるはもしかして八幡ではないか? まさかこんなところで出会うとは、なんたる奇遇」


八幡「…いやお前いくらなんでも棒読み上手(うま)すぎだろ」


八幡「だいたい、待ち伏せしといて奇遇も土偶もあるかよ」

奇遇というよりも、どちらかというと奇襲に近い。というか不意打ち。


ざいもくざ は いきなり おそいかかってきた でんでろり~ん(効果音)


材木座「むぅっ?! よもやお主、我の存在に気がついていたとでも申すかっ?!」

芝居がかった大仰な仕草と持って回った言い方が、ウザいのを遥かに通り越して殺意すら抱かせる。

雪乃「あれで隠れていたと言い張るのだから、あなたのお友達も大した神経の持ち主ね」

雪ノ下が呆れ果てたように首を振る。

八幡「いいか雪ノ下、知り合いは選べないが友達は選べるんだぞ?」



材木座「ふぅむ。もしかして我は今、褒めらておるのかのう?」

結衣「 …… 多分、違うんじゃないかな」


八幡「んで、わざわざここで待ち伏せてたってことは、俺に何か用なのか? 知ってると思うけど、今、文化祭の準備で超忙しいから、お前と関わってる暇ねーんだけど」

ホントは忙しくなくても相手などしたくないし、それどころかできれば今後一切関わりなど持ちたくもない。

材木座「おお、そうであった、そうであった。むほんッ、いや、じ、実は、ついに我がクラスの演劇の脚本が完成したのだが … お主、見たくはないかな?」///

なぜか頬を赤らめる材木座。うざい上にキモいときやがった。やっぱある意味で史上最強だなコイツ。

やはり早急にその存在自体を条例とかで規制すべき。でないと善良な市民が多大な迷惑を被る。例えば俺とかもう超いい迷惑。

八幡「まだやってたのかよそれ。後でリアルな禁書になるから止めておけと忠告したはずだぜ?」

材木座「おお、そうか。やはり見たいか。うむ、そうであろうのう … おや? なぜかこんなところに偶然、脚本が?」 ゴソゴソ

八幡「って、全然聞いちゃいねぇし。悪ぃけど、今忙しいんだよ。また今度、機会があればゆっくりな」

多分そんな機会は未来永劫訪れないと思うが。

材木座「なに、遠慮はいらん。我と八幡の仲ではないか。素直に頼めばこの完成仕立ての脚本をば拝ませてやらぬでもないのだぞ? この果報者めっ!」

八幡「 …… いや、だから見たくねーっつーの」

耳に三葉虫でも詰まってんのかよこいつ?

材木座「またまたそんな事を申してからに。ホントは見たいでのあろう? 見たいよね? ね、ね、ね?」

八幡「にじり寄ってくんじゃねぇよ暑苦しいッ!」

材木座「ね、ね、ね、ね、ね!ねーったらぁー! 八幡ー! 見てよぉー! お願いだからぁー!」

八幡「うるせえよっ!わぁった、わぁったから泣きながら俺の足に縋(すが)りつくんじゃねぇよ、キメェッ!」


根負けした俺は仕方なく材木座の手から無駄に厚い原稿の束をひったくるようにして受け取る。
見るからに紙とインクの無駄なのだが、何といっても一番無駄なのはこいつに付き合わされることで消費される俺の時間だ。


八幡「 ……… んで、これ今度は何のパクリ?」


材木座「ぐぬぅっ!? 中を一瞥することもなしにいきなりパクリと決めくさりおるとはッ! ……………… お主、もしかしてエスパー?」

八幡「 …… いや俺別に魔美ちゃんでも伊東でもないし」


材木座「よいか八幡よっ!聞いて驚け見て頓死せよ! これこそ我が夜も寝ないで授業中居眠りしつつ書き上げた珠玉の傑作!」

八幡「 … なんでもいいから早くしろよ。前置き長すぎだろ」


材木座「タイトルはズバリ、“星のお姫さま”であるッ!」


八幡「どこかで聞いたタイトルだな ……… って、まさかそれ ………」

材木座「左用! フランス人パイロットにして小説家でもあるアントワーヌ・ド・サン=テグジュペリの小説『星の王子さま』をアレンジした傑作中の傑作! ブロードウェイで上演すれば間違いなく全人類が泣く。少なくとも我は泣く。お主も読む前にハンカチ王子のおかわりを準備をしておいた方がよいぞ!」

八幡「 ……… だからなんで斉藤選手なんだよ」


八幡「…んで、一応聞いとくが、タイトルからしてヒロインはやっぱ女子なんだろ? 誰にやらせるつもりなんだ?」

材木座「うむ。我もよくは知らぬのだが、我がクラスの出席番号8番、血液型はB型、6月7日生まれのふたご座で会社員の父親と専業主婦の母親、大学生の姉と小学生の弟のいる桜山咲久(さくらやまさく)という女子はどうかと考えておる。いやホントに我はよく知らぬのだが」

八幡「 … いくらなんでもお前ちょっと詳しすぎだろ。もしかして、住んでる所とかは?」

材木座「無論、その点にぬかりわない。既にグーグ○ス○リートビューで確認済みである。いや、ホントによくは知らぬが」

結衣「うっわー…」

もはやストーカーの域に達している材木座に由比ヶ浜もドン引きである。

だが、どうやら、その桜山とやらが材木座が前に仄めかしていた“同じクラスの好きな女子”なのだろう。


八幡「ちなみにお前は何の役やんの? バオバブの木とか?」

屋久島の千年杉とかだったら超似合いそうだよな。出てこないけど。

材木座「うむ。この間の八幡の意見を取り入れてな、敢えて悪役を演ることにした」

八幡「ちょっとまて、星の王子さまで悪役っていやあ…」

材木座「いかにも。ヘビである」

八幡「 …… どっちかっつーとお前、無差別級の方じゃね?」

材木座「誰が階級の話をしておるかッ!! 蛇だというておろうが! “ヘイ! レッドスネイクカモ~ン!”の蛇である!!!」



八幡「 ……… もし毒ヘビに噛まれたら?」 ボソッ

材木座「急いで口で吸えっ!」 ビシッ




結衣「 …… ゆきのん、あのふたりなにやってんの?」

雪乃「由比ケ浜さん、見てはダメよ。昭和が感染(うつ)るから」


八幡「いやいやいやいや、それちょっと無理があるんじゃね?」

体型を見れば、ちょっとどころの話ではない。それこそアナコンダがゾウを飲みこんだって、さすがにこんなにふてぶてしくはならない。

材木座「なに、あくまで擬人化であるからの。ちゃんとそれなりの衣装も用意しておる」

そう言ってゴソゴソと手にした紙袋からなにやら衣装らしきものを取り出し、脱いだコートのかわりに得意気に羽織ってみせる。
どうやら蛇革のジャケットらしい。おいおいそんなもんよく見つけたな。お前に合ったサイズ。


材木座「どうだっ?!」

結衣「って、ツチノコッ?」


コンマ1秒とかからず由比ヶ浜が突っ込んだ。すげぇ、神速のリアクションだなおい。


材木座「わ、我をUMA扱いするかっ!?」

雪乃「そうよ由比ヶ浜さん、いくらなんでもそれは失礼じゃないかしら … ツチノコに対して」

材木座「げふぅ!」

八幡「それにウマというよりはブタだしな」

材木座「ぐふぅっ!」

雪乃「それを言うならむしろカバね。赤い汗とか流しそうな気がするわ」

材木座「ぶほぉっ!」

八幡「おいそろそろやめてやれ雪ノ下、材木座が血涙流してるじゃねーか」

雪乃「なるほど、ヘビじゃなくてツノトカゲだったのね。もしかしたら目から血を流して外敵を威嚇しているのかしら? そういわれてみれば確かによく似ているわね」

ふむふむと頷きながら、雪ノ下が感心したかのように胸の前でポンと手を打つ。さすがは博識なユキペディアさんですね。
でも、そこまで自由すぎる発言ってのも、いい加減、問題があるんじゃないですかね?


結衣「ヒッキー、そろそろ…」

由比ヶ浜が言いにくそうにモジモジと促す。

八幡「ああ、わかってる ……… じゃ、材木座、頑張れよ!」 シュタッ

結衣「って、そうじゃないしっ!」

雪乃「そうね、どうせならお友達であるあなたの口から直接、引導を渡してあげた方がいいんじゃないかしら?」

時間を気にしてか、チラリと腕時計を見る。明らかに我関せずといった顔だ。


雪乃「 …… ったく、やれやれ仕方ねぇな。材木座、よく聞け?」

材木座「うむ。賞賛の言葉ならいくらでも聞いてもよいが、否定的な意見なら一切無視するぞ? 我の繊細な心は風が吹いただけですぐ折れるでな」

八幡「お前、相変わらずメンタル弱過ぎだろ。とにかくいいからまずその両耳を塞いだ手をどけろ」

材木座「ま、待てっ、ちょ、ちょいと待つのだ八幡よ! まだ我の心の準備がっ。ぬぅ? 我の心臓が、心臓がぁあああああああああああああああああああ!?」

八幡「 … だからまだ何も言ってねぇっつの。つか、そっち右胸だろ」




八幡「いいか、『星の王子さま』なら、もうウチのクラスが演劇で演ることが決まってるんだぜ?」




材木座「 … え?」(八幡を見る)

八幡「 … 」 スッ(目を逸らす)

材木座「 … は?」(由比ヶ浜を見る)

結衣「 … 」 スッ(目を逸らす)

材木座「 … ぬ?」(雪ノ下を見る)

雪乃「何かしら?」 ジロッ

材木座「 … あ、いえ」 スッ(自分から目を逸らす)



材木座「ななななな、なに? そそそそそそんな馬鹿なっ?!」


いや、バカはお前の方だろ。というか、逆立ちしたカバ?

八幡「…ったく、脚本頼まれた時点で、誰も何も言わなかったのかよ?」

材木座「うむ、“材木材くんに任せるから、気のすむまで好きにやってくれていいよ”と … 」

八幡「だいたい、今頃脚本ができたって、文化祭に間に合うわけねーだろ」

っていうか、いい加減、名前間違えられてることに気がつけよ。俺も人のこと言えねーけど。


結衣「それって…」

何か言いかけたが、さすがに不憫に思ったらしく、途中で言葉を切った。


雪乃「…それって、言いたくはないけれど、ひとりだけ妙に熱くなってるウザいクラスメートに対する、ていのいい厄介払いみたいなものね」


材木座「どふぉッ!」


うわぁー…容赦なくトドメさしやがったな、こいつ。

材木座が大量の吐血と共に倒れ、ピクピクと断末魔のゴキブリのように痙攣を起こし始めた。


八幡「 … お前って、ホント、言いたくないとか言いつつ、言いにくいことまでハッキリ口にするのな … 」

雪乃「あら、失礼ね。さすがに私にだって、見ているだけで鬱陶しいとか、傍にいるだけで暑苦しいとか、生きているだけで空気と場所と時間の無駄だとか、思ってても言わないでおいてあげていることの方が遥かに多いわよ?」

八幡「…うんうん、とりあえず本人が目の前にいるんだから傷口を岩塩で殴りつけるようなマネはやめような?」


材木座「ぐぬぬぬぬぬうぅ … さては謀られたか! この我の目をもってしても見抜けぬとは、材木座義輝一生の不覚 … 」

八幡「おまえの人生、一生の不覚がいったい何回あんだよ … 」


雪乃「 ……… それにしても」

そんな材木座を見ながら雪ノ下が形の良い眉をそっと顰める。その口振りからして、さすがに不憫になったのかと思いきや、


雪乃「 …… 高校生にもなって人前で滂沱の涙を流す男の人の姿って、見ていてかなり引くものがあるわね」

八幡「一応言っておくが、ほとんどお前のせいだからな?」



まるで材木座の涙に呼応するかのように空から細かな水滴が落ち始め、完全下校の時刻になる頃には、かなり本格的な大降りとなっていた。


というワケで、本日はここまで。ノシ
なかなか更新できなくてタイミング逃してましたが、久しぶりにageときますね。



**********************************




―――――― やられた。


駐輪場に停めてあった俺の自転車の後輪がパンクしていることに気が付いたのは、日も暮れかけ雨脚の強くなってきた完全下校時のことである。

ざっと見た感じ傷跡らしきものはないようだが、両輪ともついこの間交換したばかりだ。もしかしたら目立たないように鋭く尖った何かで穴を開けられたのかもしれない。

いずれにせよ、恐らくは俺のことを快く思っていないヤツの犯行なのだろう。
しばし考えを廻らせてみたものの、残念ながら犯人を特定するまでには至らない。心当たりがないわけではない。ここ最近の自分の言動を省みるに、逆に多すぎるくらいなのだ。

怒りよりもむしろ覚めた感覚が俺を包む。
やれやれ、県内有数の進学校だけに、偏差値は高いはずなのだが、中には頭の悪いヤツもいるらしい。こんなことをしていったい何になるというのだろう。


少し風も出てきたことだし、傘をさしながら自転車を押すというわけにもいくまい。かといってこのまま放置して帰るのも気掛かりだ。
明日になったらもっと酷いことになっていることも十二分に考えられる。サドルがなくなっているとかならありがちだが、イタズラ半分にことごとくパーツをギられて、サドルしか残ってないとかマジで勘弁してほしいからな。

それに今のこの状況をどこからか見られているかもしれない。
落ち込んだ姿を見せれば調子に乗って益々嫌がらせがエスカレートする可能性もある。ここはやはり毅然とした態度を見せた方がいいだろう。

八幡「とりあえず一番近い自転車屋は … 駅前 … か」

俺は仕方なく濡れ鼠になるのを覚悟で自転車を押しながら正門へと足を向けた。


「 ―――― どうかしたの?」


不意にかけられた声の方に向けて振り仰ぐと、生徒昇降口の階段の上にひっそり佇む雪ノ下の姿。

八幡「や、その … ちょっと自転車がパンクしちまったみたいで … 」

よりによって一番知られたくない相手に見つかってしまうとは、今日という日はとことんツいてないらしい。

雪乃「あら、やっぱり日頃の行いのせい? それともよほど他人の怨みを買うような真似でもしたのかしら?」

その言葉に、ふと途中から姿を消した相模の顔が脳裏を過る。

八幡「 ……… かも … な」

動機としては十分かもしれないが、確たる証拠もないのに疑うのはやはりフェアじゃない。俺はすぐさま頭を振ってその考えを追い払った。

雪乃「 ……… まさか」

気のない返事に何を察したのか、雪ノ下の表情が急に硬くなる。

八幡「あー…、来る時にどこかで古釘でも踏んづけたんだろ。たぶん」

咄嗟に適当なことを言って誤魔化そうとはしだが、それが雪ノ下に通じるとも思えない。

彼女はそんな俺をもの問いたげな顔でじっと見つめていたが、やがて無音の溜息をひとつ吐く。

雪乃「どうしてそんなことをするのかしら … 」 

遠い目で呟くその問いは俺にではなく、まるで自身の過去に向けられたかのようだった。

きっと彼女は俺とは比べ物にならないくらいの謂われない悪意にその身を晒され続けてきたのだろう。
そして、俺のように逃げたり誤魔化したりすることなく、正々堂々正面から対峙し、傷だらけになりながらも完膚なでまでにその相手を叩き潰してきたのに違いない。

俺の知る、そして俺の憧れる雪ノ下雪乃とは常にそういう存在なのである。


雪乃「 ――― それで、どうするつもり?」

こちらに向けられた剣呑な光の宿るその目を見れば、言葉の示すところの意味は明白なのだが、俺は敢えて気が付かないフリをする。
こいついったい“なに”を“どうする”つもりなんだよ。

八幡「そうだな。とりあえずこのまま駅前の自転車屋まで押してくしかないだろ」

雪乃「あらそう」

素っ気ない返事が少し残念そうに聞こえるのは多分俺の気のせい … ですよね? 雪ノ下さん?


八幡「それで、お前はいったいそこで何してたわけ?」

雪乃「 …… 今日はついうっかりして傘を持ってくるのを忘れてしまったの。小降りになるのを待っていたのだけれど」

そう言って掌を上に翳しながら曇った空を見上げる。そんな仕草も自然と絵になるのな。
普段から彼女が身にまとっている静謐な空気せいか、雨でけぶる景色の中で佇む姿は一層透明感が増し、それこそまるで透き通るかのようだった。

八幡「ふーん」

つい見蕩れてしまったことを隠すために、つられるふりをして空を見上げたが、降り注ぐ雨の粒は勢いを増すばかりで素人目に見てもこの分では暫く止みそうもない。


八幡「そうだ。よかったら、お前、これ貸そうか?」

そう言って俺が差し出したのは、もちろん今朝方小町に渡された、どこぞのシュバ○ツゼクスプロ○タイプマークIIみたいな日傘ではなく、ちゃんとした、ごくごく普通の、ノーマル仕様の非戦闘用折りたたみ傘である。

雪乃「 … でもそれを借りてしまったらあなたが」

八幡「どうせこのままじゃ両手ふさがってて使えねぇし、それに昔っからふられるのには慣れてるからな」

小中学校と一貫して遠足の度についた“雨男”の名は伊達じゃない。


雪乃「 ……… それって女の子にってことかしら?」

八幡「雨だよッ! 雨っ! あーめっ! お前それ絶対わかってて言ってんだろッ?!」


八幡「まだ身体、本調子じゃないんだろ? 無理すんなって」

雪乃「 …… バレていたのね」

あれだけ間近で顔を突き合わせれば、顔色の悪さを隠すためにうっすらと化粧をしていることくらい俺にだってわかる。

雪ノ下はそのまま差し出された傘にじっと視線を注いでいたが、やがて

雪乃「そうね … 。せっかくだから使わせていただこうかしら」

思いのほか素直に俺の申し出を受け入れた。多少の押し問答を予想したただけに、いささか肩透かしを食らった気分だ。


八幡「ほれ、じゃあな」

それ以上特に会話を続ける理由もないので、俺は傘を手渡すと再び自転車を押し始めた。



雪乃「 ――― お待ちなさい。どこへ行くつもり?」


数歩進んだところで、背後から声がかかった。


八幡「あ? だから言ったろ、駅前の … 」

最後まで答えるのを待たず、雪ノ下はぽすっと軽い音を立てて傘を開くと、そのまま澄ました顔で俺の隣りに並んで立つ。

雪乃「どうかしたの? 駅前まで行くのなら、方向は同じでしょ?」

訳が分からず茫然としている俺に雪ノ下が素っ気なく告げた。

八幡「それは … まぁ … そうなんだが … お前、バス通学じゃなかったっけ?」

雪乃「どこかに定期を置き忘れてきてしまったみたいなの。ついてないわね」

まるで他人事のように言いながら、小さく肩を竦めて見せる。

八幡「 …… みたいって、お前」

雪乃「それとも私が電車で帰ると何か不都合なことでもあると言うのかしら?」

八幡「い、いや別に … 」

雪乃「そう。なら問題ないわね」


有無言わさぬ雰囲気に圧されるような形で再び歩き出そうとした途端、思わず自分の足を轢きそうになり、よろけた拍子に肩と肩が軽く触れ合う。


八幡「す、すまん」///


慌ててギリギリまで距離をとろうとすると、雪ノ下が傘と一緒にすっと身体を寄せてきた。

雪乃「なにを遠慮しているの? もっと寄らないと濡れるわよ。せっかく傘をさしているというのに意味がないじゃない」

八幡「 …… お、おう。そうか」///


……… いや、遠慮するもなにも、よく考えたら俺の傘なんですけどね、それ。


雨に濡れ、独特のきな臭い香りの漂う黒いアスファルトの歩道を無言のまま肩を並べて歩く。

ぎこちなく、確かめ合うように歩調を合わるふたりの姿を逆しまに映す水溜りに、降り注ぐ雨が絶え間なく輪を作る。

仄かに伝わる体温。柔らかな息遣い。微かな衣擦れの音。

すぐ近くにいる雪ノ下の気配を意識して火照る顔に、潮の香の混じった生暖かい風でさえ妙に心地よい。


道沿いに設置されている掲示板の前で、ふと雪ノ下が足を止めた。

そこには既に見慣れたものとなった、総武高校文化祭のポスターが貼り出されている。
文化祭までもう間もないはずなのだが、こうしてポスターを見ても、不思議とあまり実感は湧いてこない。

雪ノ下は画鋲が外れて丸まっていた角の部分を丁寧に手で伸ばす。

雪乃「相模さんも言っていたけれど、姉さんが実行委員長を務めた2年前の文化祭は、過去最大の動員数を記録しているの」

予備の画鋲を使ってポスターを止めなおしながら、雪ノ下がそっと口を開いた。

雪乃「その影響もあってか、昨年もそこそこ動員数があったみたいなのだけれど」

八幡「…… 今年はどうなんだ?」

雪乃「色々と調べてみたのだけれど、同じ日に近隣でいくつか大きなイベントが重なってて、ちょっと厳しいかも知れないわね」

八幡「だからって別にお前が気に病むことでもないだろ」

雪乃「そうね、でも…」

例え相模の補佐という立場であっても、やるからにはベストを尽くしたい … か。いかにもこいつらしい。

八幡「だったら、チーバくんを呼ぶっていうアイデアも、悪くないのかもしれねぇな」

雪乃「結局、あなたにはまた負担をかけてしまうことになってしまったのだけれど … 」


不意に雪ノ下がぴくりと何かに反応を示した。

俺達のいる歩道からさほど高くない段差の上、街路樹の生垣へと真っ直ぐに向けられた彼女の視線を追うと、仔猫が一匹、木の枝の下で小さく鳴きながら雨宿りをしているのが目に止まる。

ゆっくりとそちらに歩み寄った雪ノ下が躊躇いがちにおずおずと手を差し伸ばすと、仔猫が驚いてビクリと身を引くのが見えた。

彼女は手を引っ込め、くるりと俺に向き直り、仔猫を指さしながら今度はじっと俺を見つめる。


……… いやだからそんな縋るような目で見られてもだな。

だがこうなったら最後、嫌いな人物はと訊かれたら真っ先にシュレディンガーの名を挙げるほど筋金入りのネコ好きであるこいつはテコでも動きそうにない。ピアノでも“ネコ踏んじゃった”だけは断固として弾きそうにないし。

仕方なく自転車のスタンドを立て、ポケットをまさぐると、残り少なくなったフ○スクのケースを取りだした。

意外に思うかもしれないが、ぼっちはエチケットにはうるさい。なるたけ他人の注意を引かないように常に身だしなみや口臭などは気を遣う癖がついているからだ。

別にうるさいと言っても始終大声で「エェチィケットォオオオオオオオオオオオ!」とか叫びまくっているわけではない。そんな奴はいない。俺だってごくたまにやるだけだし。たまにやるのかよ。


フリス○のケースを差し出し軽く左右に振ると、カラカラという軽い音にひかれたのか、恐る恐る仔猫が寄ってくる。

雪乃「すごい … あなたって動物にだけは好かれるのね」

恐らくは知り合ってから初めてではないかと思われる尊敬の眼差しを俺に向ける雪ノ下。ただし褒め言葉としては超微妙なライン。


雪乃「やっぱり死んだ魚のような目をしているから猫が寄ってくるのかしら?」

八幡「 …… うまい事言った、みたいに言わないでくれる?」


不思議そうに小首を傾げるしぐさがやたら可愛らしいだけに、余計、腹立たしいことこの上ない。


俺は人さし指を差し出し、習性で鼻を寄せてきた仔猫を両手で優しくそっと抱え上げた。

八幡「ほれ」

そのまま片手で持ち替えて、ずっと物欲しそうな目をしていた雪ノ下に差し出す。

傘と仔猫を交換する際に、意図せずして手が軽く触れ合ったのは、なんてことのない単なる偶然だ。

そんな事くらいで意識をするような関係でもあるまい。

だが、そうとわかっていてながらも、なぜかその瞬間にお互いの手がぴくりと反応し、頬が赤く染まってしまったことには敢えて気がつかない振りをしていた。


ひとしきりふにふにもふもふして満足したのか、雪ノ下が猫をそっと地面に下ろす。


八幡「もう、いいのか?」

雪乃「ええ。時間をとらせてしまってごめんなさい」


去り際にこちらを振り返る猫に向けて、雪ノ下が胸元で小さく手を振りながら「にゃーにゃー」と鳴きまねをする。
すぐに傍らに立つ俺の存在を思い出してか、その顔が真っ赤になった。

猫好きであることにかけては人後に落ちないこの俺としては、そんなことで雪ノ下を揶揄するつもりにはなれない。
なんなら猫耳をつけてもう一度やってもらいたいくらいだ。誰得なのかはよくわからんが、とにかくそんな彼女の姿はレアであることはまず間違いないだろう。


再び無言で歩き出した雪ノ下の歩みは心持ち先ほどより遅く、理由こそ分からないが、まるでわざとそうしているかのようだった。


駅の近くまで来ると、さすがに人通りも多くなり、すれ違う通行人が不思議そうにチラチラとこちら見る視線が気になりはじめる。

先ほどから俺もなんとはなしに漠然とした違和感を覚えていたのだが、すぐ隣を歩く雪ノ下の存在にずっと気をとられていたあまり、それどころではなかったというのが本音である。


雪乃「ありがとう。お陰に制服を濡らさずに済んだわ」

立ち止まった雪ノ下が、開いたままの傘を俺に向けてそっと差し出した。

八幡「や、俺はいいから…」 

俺が断ろうとするのを彼女が掌で優しく押しとどめる。


雪乃「いいのよ。だって ――― 」


小さく振られた首に併せて肩にかかった黒髪がさらさらと揺れ、その唇が小さく動いて言葉を紡ぐ。

言われて初めて先程からの違和感の正体に気が付き、俺は咄嗟に傘を下ろして空を見上げた。


――― いつの間に?


驚いて視線を戻すと、雪ノ下の姿は既に改札へと向かう人影の中へと紛れ込んだものか跡形もなく消え失せていた。

ひとり残された俺の頭上で、街灯がチカチカと数度瞬いてから明かり灯し、雲の隙間から覗いていた小さな光の粒を隠してしまう。

暫くして自転車へと向かう俺の瞼には、先ほど雪ノ下が浮かべた悪戯っぽく、それでいて少しだけはにかんだような笑みの残像が、いつまでも消えることなく残っていた。




「だって ――― とっくに雨は止んでいるんですもの」




誰だ6月中に完結するとかデマを流したヤツは。俺でしたスミマセン。
これで“踊る会議編”は終わりです。次回からは文化祭編で。7月中には完結します。恐らく。

スミマセン。訂正です。

>>497

14行目

暫くして自転車へと
   ↓
暫くして自転車屋へと

更にもふたつ。

>>490

6行目

思いのほか素直に俺の申し出を受け入れた。多少の押し問答を予想したただけに、いささか肩透かしを食らった気分だ。
                ↓
思いのほか素直に俺の申し出を受け入れた。多少の押し問答を予想していただけに、いささか肩透かしを食らった気分だ。


>>497

3行目

雪乃「ありがとう。お陰に制服を濡らさずに済んだわ」
         ↓
雪乃「ありがとう。お陰で制服を濡らさずに済んだわ」

逆しま

誰もそんな真剣に読んでないかし訂正されたってどうにもならんからそういうのマジでどうでもいいよ

>>504

そ れ は わ ざ と だ 

>>505

このおまじないをしておくと神様がいつの間にかまとめサイトで直してくれるのです。チラッ(エレ速さんの方を見ながら)



**********************************



それから数日後、いよいよ総武高校文化祭の幕が上がった。



文化祭二日目、俺は貸与されたのデジカメを片手に、颯爽と校内を闊歩していた。

テキトーにぱしゃぱしゃとシャッターを切っているだけなのだが、それだけでもなんとなく仕事をしているような気になってくるから不思議な。
思わず俺の希望進路にカメラマンという選択肢が加わりそうになるが、ふと思いとどまる。

いやいや、そんないい加減なことじゃダメだろ。中途半端に仕事をして会社に迷惑をかけるくらいなら、いっそ働かずにいた方が遥かにましというものだ。

やはり俺の目指すところは、社会にも環境にも、そしてなによりも自分に一番優しい専業主夫という職業のリアリゼーションなのだ。

いかん、あまりにも意識高すぎて座ってても立ち眩み起こしそうになっとる。


一般客が校内に招き入れられてから間もなく、

ピンポンパンポ~ン♪

まるでカッパのカータンでも出てきそうな校内放送のチャイムが流れた。どちらかというと俺的にはポンキッキ世代なのだが、それはまぁいい。


『文化祭実行委員会から、ご来場の皆様にお知らせいたします。ただ今、校内では文化祭実行委員が記録用の写真撮影を行っております。不審者ではありません。繰り返します。不審者ではありません』


……… あれ、雪ノ下の声だよな…。なんでそこだけわざわざ繰り返し云う必要があんだよ。


気を取り直して撮影の仕事を続けるが、もちろん記録係であることを示す腕章の位置を確認するのも忘れない。


八幡「うぉっと!」


突然ひとりの女子生徒がファインダーの中に自ら飛び込んできた。

勢いそのままシャッターを切ってしまう。


女生徒「おっと、つい。エヘヘ」


亜麻色をしたセミロングの髪にやや着崩した制服姿、あどけなさの残る表情に細く華奢な線。あんま見ない顔だけど、もしかしたら一年生なのかしらん?

女生徒「 ……… あのぉ、勝手に写真とか撮られると困るんですけど … 」

八幡「 ……… いや、お前、今さり気なく自分からポーズとってなかったか?」

モジモジと恥ずかしそうに身を捩って見せる姿は確かに可愛くはあるのだが、狙いすぎてて逆になんかあざとい。

女生徒「はッ!? もしかして撮影にかこつけて私のこと口説いてます? でも年上は嫌いじゃないですけどその目は生理的に絶対無理です顔ごと洗って出直して来てくださいごめんなさい」

早口で捲し立てながら、ぺこりと頭を下げる。


………… なんで会って間もない見ず知らずの後輩女子にフラレてるわけなの俺? しかも何げに酷いこと言われてるし。


女生徒「 … っと? もしかして葉山先輩と同じクラスの方じゃありません?」

その後輩女子は俺の顔を見て、何か思い出したかのようにささやかな胸の前ではたと手を打った。

八幡「や、そうだけど … 」

葉山は同級生は勿論、上級生や下級生の女子にも根強い人気を誇っている。
そうは言っても例え同じクラスとはいえドスガレオス並の知名度の低さを誇る俺の顔まで知っているとは、こいつよほどのハヤマニアに違いない。

だが、後輩女子はその返事を聞いくや否や、何を思ったのかいきなり俺の手を両手でしっかと握ってきやがった。

え? や? なんなのこの子? 小さいし柔らかいしすべすべしてるし、とにかく惚れちゃいそうだからやめてくれません? でもそう言えば俺さっきフラレたばっかりでしたっけ?

俺を見つめるその大きな瞳はキラキラと輝いている ……… と言えば聞こえがいいが、どう見ても“将の乗る馬を射る”モードの目だ。


「一色ちゃーん」 「いろはー」

少し離れた位置から別の女子生徒らが声を掛けてくる。どうやら同級生らしい。

なるほど、おそらく「いっしき」というのがこの子の苗字で、「いろは」が名前なのだろう。“いろはいっしき”じゃ、カルタセットみたいだからな。

……… ん? 待てよ? 一色いろは? はて、どこかで見たような聞いたような?

俺が細々とした記憶の糸を手繰っていると、その一色とやらは眉を顰め“ちっ”と小さく舌打ちしたかと思うと、


一色「あ、うん、今行く~♪」

一瞬にして、にこぱぁっと明るい笑顔をつくって友達に振り向いた。

そして、再度俺に向き直ると後ろ手を組みながら一歩離れ、


一色「じゃあ、えっと …… 先 …… 輩 …… ? よろしくです~。あ、もちろん葉山先輩に、ですけどぉ~」


言わずもがなのセリフを残しつつ、あざとくも可愛らしく、小さな手を振りながら走り去って行った



………… なんか知らんが、スゲェなあいつ。性格はかなりアレみたいだけど。


明日から頑張るノシ


「あ、お兄さん! チワっす!」


八幡「あ゛?」


いきなり背後からかけられた聞き逃せない言葉に殺気とともに振り返ると、そこにはかすかに見覚えのあるようなないような坊主頭の制服姿。

八幡「 ………… って、お前、誰?」

大志「ひでぇ! 俺っす! 大志っす! 川崎大志っす!!」

……… 川崎ぃ? どっかで聞いたような気がするでもしないでもないが取り敢えず今はそんなことはどうでもいい。


八幡「いいか、特命全権大使だかマグマ大使だか知らんが、金輪際俺を兄と呼ぶな。ブッ殺○ぞ!?」



「あ゛? 誰が誰を殺○って?」



不意にすぐ近くから俺の耳に届いてくる、やけにドスの利いた低い声に向けて頭を巡らすと ―――

青みがかった長い黒髪を凝ったお手製のシュシュで束ねたポニーテール。少しタレ気味の大きな目の下に特徴的な泣きボクロ。

坊主頭のそのすぐ後に、俺のクラスメートであるところの川なんとかさんがやたらと不機嫌そうな顔で立っていた。


八幡「 … お前、何してんの?」

川○「別に。大志がうちのガッコの文化祭見にきたいって言うから、ちょっと案内してるとこ」///

頬を赤らめてぷいとそっぽを向く。

思い出した! そういやコイツ、小町の友達の川崎大志じゃん。なんだよそれならそうと最初から名乗れよ。名乗ってたっけ?


大志「姉ちゃんが先にお兄さん見つけたんですけど、俺に声かけてみろって … イテッ」

川崎「あ、あんた、な、なに余計な事言ってんのよっ?! 殴るよッ?」///

八幡「いや既に充分すぎるくらい殴ってるだろそれ」


川崎大志の姉ちゃん ……、ってことは、当然こいつも川崎なのだろう。うん、ちぃおぼえた! 多分すぐ忘れちゃうけどっ!

八幡「どうでもいいが、いい年こいてブラコンこじらせるのも大概にしとけよ? 見ててかなり恥ずかしいものがあるぞ?」

川崎「 … あんたにだけは言われたくないんだけど … っと、そういえばさっき、あんたのあの変な妹も見かけたわよ?」

八幡「え? 小町? なに? どこで? 案内しろよ。さ、早く。なんなら走る?」

川崎「あんたねー…」


川崎「と、ところでさ、あ、あんたさ、きょ、今日はひとりなの?」/// モジモジ

八幡「ふ、舐めんな。今日に限らず俺はいつだってひとりだ」 キッパリ

大志「 … 友達いないんスね」 ボソッ


川崎「ふ、ふーん、そ、そうなんだ。だったらさ、あ、あの、よかったらこの後 … 」/// 



『キャ――――――――――ッ』



その時、窓の外から複数の黄色い悲鳴が上がり、川崎の言葉を途中で遮る。

すわ何事ぞとばかりに慌ててそちらに目を向けると、中庭で数人の女子生徒が風に煽られ翻るスカートを懸命に抑える姿が目に入った。


八幡&大志「うっおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!?」(握り拳)


なんてこったい! 絶好のシャッターチャンス逃しちまったじゃねぇか?! どうしてくれんだよっ! 誰か責任とれ責任! やり直しを要求する!


大志「お、お兄さん、あ、あれは?!」 大志が食い気味に聞いてくる。

八幡「あん? ああ…。このガッコはわりかし海が近いんでな。昼時とか、たまに変則的な強い海風が吹きつけることがあるんだ。あと俺を気安く兄と呼ぶな」

そういえば戸塚のために三浦達と昼休みのテニスコートの使用権を賭けて勝負をした時も、この風には助けてもらったっけか。


…… あれは思い出すだに酷い試合だったな。




川崎「 … あんたたち?」


そろって窓ガラスにへばりつくようにしている俺達の背中に、川崎の冷たい視線と声が突き刺さる。


八幡「 …… ふぅ。大志、お前何やってんだよ。ったく、しょうのないヤツだな」

大志「お、お兄さん、ズルイっす!」


八幡「 ……… こほんっ。や、違うんだ、川崎。じ、実はこれには深い理由があってだな ――― 」


なんでもイギリスの自動車保険会社の行った調査によると、夏場は交通事故の起きる確率が圧倒的に高くなるらしい。
それというのも、暑さで女性の肌の露出度が高くなるせいで、ついそちらに目を奪われ脇見運転による事故を起こしてしまう男性ドライバーが増えるからなのだそうだ。

八幡「 ……… 本場紳士の国であるイギリスにおいてさえそうなんだぜ? つまりこれはワールドワイドでグローバルスタンダードな男としてごく当然の反応であってだな、要するに …… まぁ、そういうことだ」

何がそういうことなのか自分で言っててもよくわからないが、それ以上によくわからないのは、なぜか大志とふたりして廊下に正座させられている今のこの俺の処遇だ。


川崎「ばっかじゃないの? あんなのどうせ見せパンじゃない」

八幡「はぁ? なに言っちゃってんのお前、そんなこたぁ全然関係ねぇーだろ」

川崎「な、何が関係ないのよ?」

八幡「いいか、川崎。女子のスカートの下にはな ――― 人生を棒に振るとわかっていてもなお追い求めてしまう、男のロマンってヤツがあるんだよっ!!!」

大志「そ、そうっスよね! お兄さん、俺今猛烈に感動したっスっ! 正座してなければ、なおカッコよかったっス!」

八幡「はははははは、こいつめ。次に俺のことをお兄さんとか呼んだらマジで殺○からな?」 


川崎「 ……… あんたたち、ホントにばっかじゃないの?」


俺の力の限りを尽くした主張も、呆れ顔の川崎によってにべもなく一刀両断されてしまいました。



川崎「 ……… で、なに? もしかしてあんたもスカートめくりとかして喜んでたクチなわけ?」

八幡「ん? ああ、さすがに今はもうやらないがな」

川崎「 … 高校生にもなってやってたら犯罪だって」

八幡「まぁ、小学校の頃、悪いヤツに“絶対喜ぶから”って騙されて好きな女子のスカートをめくったことはある … 結局、その子には卒業までずっと口きいてもらえなくなったけど」

おまけにそれから暫くの間、俺のあだ名はエロガヤくんになったわけだが。

大志「…うわぁ、まっ黒な歴史っスね」

いやそれを言うならお前のねーちゃんの方がよっぽど黒いだろ。下着の色とか。


川崎「ふ、ふーん。そうなんだ。好きな子、ね」///

川崎はなぜか頬を赤らめ、困ったような顔をしてスカートの裾をちまちまと引っ張る。

おいよせやめろそんな事されるとかえって俺の方が困んだろ。ただでさえ正座させられてるから角度的に見えそうで見えなくて余計に目の遣り場とか困るし。


大志「決めたッス!やっぱり俺、来年絶対この高校に来るッス!」


何を思ったかいきなり大志が拳を握りしめて力強く宣言する。しかしなぜにしてこのタイミング?


八幡「 ………… おい、お前の弟、あんなこと言ってるけどホントに大丈夫なのか?」

全くの他人事ながらも、一抹の不安を感じて俺は川崎の顔を窺う。

川崎「そうね。本人もやる気だけはあるみたいだし、今からでも一生懸命やれば何とかなるんじゃない?」

苦笑を浮かべながらも弟を向けるその視線には、普段のこいつが学校では決して見せることのない柔和な色があった。


八幡「 … お、おう、そうか」



……… でも、俺が心配してるのは、弟の不純極まりない動機のことなんだが。


川崎「そういえば、あんたさ、こないだ、あたしのこと推(お)してくれたじゃない?」

八幡「あん?」

いきなり何を言い出したのかと訝ったが、思い当たる節といえばひとつしかない。恐らくはうちのクラスの星ミュの衣装係のことなのだろう。


八幡「…まぁ、あんだけやりたそうな顔してればな」

川崎「そ、そんなことないし。ばっかじゃないの」///

八幡「もしかして迷惑だったか?」

川崎「そ、そういうわけじゃないんだけど … あんたってさ、意外と、その、お節介…なんだ? なんかそんな風に見えなかったから…」

八幡「そうか?」

川崎「うん。でも、それってさ、やっぱりあの雪ノ下 … さん … とか由比ヶ浜たちと一緒に変な部活 … 奉仕部 … だっけ? やってるからなの?」

八幡「まぁ、確かにそうかも知らんが、別にそれだけってわけでもないだろ」 うまく説明できないが。

川崎「 … 誰にでも … そう … なの?」
 
背けた視線、ともすれば聞き漏らしそうなほど小さくなる声。

八幡「んなわけねーだろ」

川崎「じゃ、じゃあ、どうして?」

今度は少し潤んだような目で真っ直ぐ俺を見つめてくる。別に睨まれているという訳でもないのだが、なぜかやたらと落ち着かない気分になり言葉に詰まってしまう。


八幡「そりゃ、やっぱり … その、気になるからだろ」

お前の弟が塾で小町に変なちょっかい出してないか超気になるし。

川崎「え? それってどういう … 」///



八幡「あー… それより、いいのか弟ほったらかしで。なんか暇もてあましてるっぽいけど?」

大志が外の風景を見るのにも飽きたのか、今は正座したまま天井の染みを数え始めている。

川崎「あ、そうそう。あんたさ、この後よかったら、ちょっと校内案内してくんない?」

八幡「あ?」

川崎「あ、へ、変な意味じゃなくて、ほら、あんた確か文実だったでしょ? そういうの詳しいかなって … 」///

八幡「ああ、そういうことか。悪いな、今、仕事中なんだわ」 俺はカメラと腕章を示して見せる。

川崎「 … そっか。じゃあ仕方ないね」 残念そうにそっと呟いた。


あー… そういえばこいつも文化祭一緒に回るような友達とかいねーみてーだからな。

普段は大して気にならないけど、なんかこうした大きなイベントのある時って、ぼっちの疎外感っていったらマジパないんだよな。同じぼっちとして、その気持ちよくわかるわー。

まぁ、こいつの場合、友達ができないのは他に理由があるような気もするんだけど…。


川崎「な … なによ?」///

おっと、いかんいかん。どうやら無意識に川崎の顔をじっと見つめてしまっていたらしい。

八幡「ん? いや、まずそのデフォで怖い顔すんのやめた方がいいんじゃねーのかなって … 」

川崎「あ゛? 何それもしかして、あんたあたしにケンカ売ってるわけ?」

八幡「あ、や、だ、だからだなそういうのが怖くて誰も近くに寄ってこれねぇんだっつーの! せっかくの美人が台無しだろ?!」

川崎「なッ!?」///

俺の言葉を皮肉とでも捉えでもしたのか、ぽしゅっと音を立てそうな勢いで川崎の顔が真っ赤に染まる。


確かに見た目こそ不良っぽくて態度にもぶっきらぼうなところがあるとはいえ、彼女が家族想いで根は優しい女の子であることは例のスカラシップの一件からでもよくわかる。

家計助けるためのバイトが忙しくて、なかなか仲の良い友達をつくるヒマもないのだろう。だが、そのことで弟に変な心配をかけたくないという気持ちもあるのかもしれない。
この俺に頼るくらいなのだからかなり切実な問題に違いない … って、なにそれ自分で言っておきながらなんか悲しい。


代わりに何か俺にしてやれることでもあればな … そう考えているうちに、ふと自分が今手にしているものに気がついた。


八幡「あー… 川崎、どうせなら記念に二人で、どうだ?」

川崎「えッ?!」///

驚いたような顔で川崎が窓際まで一気に跳びずさる。


川崎「や、なななななな、なんで、あああああああああ、あたしが、ああああああああああ、あんたなんかとッ?!」///

八幡「 … あー、いや、そうじゃなくてだな」 弟と一緒にって、つもりで言ったんだが。


川崎「 ……… で、でも、あんたがどうしてもって言うんなら、一枚だけ … 」/// 

どこからか取り出したコンパクト片手にいそいそと髪を整えはじめた。


八幡「 ……… いや、だからお前も少しは人の話聞けよ」



結局、俺はなぜか超不満気な顔をした川崎と、によによと気持ち悪い笑みを浮かべる大志の写真を何枚か撮るとその場を後にした。

去り際に大志に乞われるまま撮られた俺と川崎のツーショットもメモリには納まっているのだが ……… まぁコレはアレだ。ノリってやつってことで。



小町に出くわし、雪ノ下につかまってしまったのは、その後のことである。



では、今日はこの辺でノシ



**********************************



陽乃さん率いる有志団体の生オケ演奏を見届けた後、未だ興奮冷めやらぬ体育館を一端後にして俺と雪ノ下は特設会場へと足を向けた。

雪ノ下は何かしら思うところがあるらしく終始無言のまま、俺もとりたてて掛ける言葉はない。

――― ならなくていいだろ、そのままで。 

雪ノ下に言ったそれは本心である。誰であれ無理をしてまで自分を変える必要はない。好むと好まざるとに関わらず時と共に人は刻々と変化するものなのだ。

それに俺は雪ノ下に今のままでいて欲しい、そう思ったこともまた事実だった。まぁ俺に対するアレな態度は改善の余地が大アリなのだが。



チラリと雪ノ下を見遣ると、ちょうどこちらを窺うようにして見ていた彼女と目が合う。
何か言いた気に口をもにょもにょさせていたようだが、結局のところ何も言わずにそのまま黙ってそっと目を伏せてしまった。

文化祭も終盤になるに連れて体育館は人の出入りが増え、気がつくと入り口付近はかなり混みあってきている。
クラスによっては既に出展を終えてたところもあるのだろう、エンディングセレモニーに向けて体育館に集まる生徒の数も次第に数を増しつつあるようだった。

外に向かおうとすると、自然、人の流れに逆行することになる。
振り向くと案の定、線の細い雪ノ下が俺のすぐ後ろで立ち往生している姿が目に入った。


八幡「 … 大丈夫か? あんま人ゴミとかに慣れてないんだろ?」

雪乃「そうね。誰かさんのおかげで人間のクズには多少慣れたつもりでいたのだけれど」

八幡「 …… とりあえずお前は俺の思い遣りを今すぐ返せ」

こんな状況下にあってまで、俺の人間性を揶揄することは忘れねぇのな。


雪乃「あっ」

弱みを見せまいと気丈に振舞っていた雪ノ下だったが、言ってる傍から他の生徒にぶつかってよろけ、咄嗟に俺の袖にすがりついた。

雪乃「ご、ごめんなさい。つい … 」///

八幡「お、おう。気ぃつけろよな」///

羞恥のためか真っ赤になりながらもごもごと謝る彼女の手を、俺はなるたけ邪険にならぬよう、さり気なく振り解いた。


そのまま雪ノ下を先導するように人ゴミをかき分けながら外に出たところで、やっと一息つく。

雪乃「で、出入り口は複数設けて混雑を回避した方がいいわね」///

髪や服装の乱れを片手でいそいそと直しながら雪ノ下がまるで独りごちるかのように呟いた。


「――― あ、お兄ちゃん?」


聞きなれた声に振り向くと、そこには先ほど校舎内で別れたはずの妹の小町の姿があった。


八幡「おう、なんだ小町ぃ。まだいたのか?」

小町「うん。折角だから今日は目いっぱい楽しんでいこうと思って」


雪乃「あら、小町さん、こんにちは。文化祭に来てくれていたのね」

小町「あ、雪乃さん、やっはろーです。受験勉強の気分転換を兼ねて兄の監視に来ました。お兄ちゃん、ちゃんと仕事してますか?」

雪乃「大丈夫よ。仕事でカメラを持たせてはいるのだけれど、私の見た限りでは犯罪行為には走ってないみたいね。今のところ」

八幡「今のところ言うな」

小町「そうそう、雪乃さん雪乃さん!実は小町、来年、総武高校受験するつもりなんですよ!」

雪乃「そうなの。小町さんならきっと大丈夫よ。だって、比企谷くんですら合格できたくらいですもの」

八幡「おい待て雪ノ下、いくらなんでもその基準はちょっとおかしくねぇか?」ヒクッ

雪乃「奇遇ね。私も前々からこの学校の合格基準はちょっとおかしいのではないかと思っていたところなの」

八幡「俺が言ってるのはお前の判断基準のことだよッ!」


雪乃「でも、小町さんはどうしてわざわざ総武高校を選んだのかしら? 確か、あなたの学校からは毎年ひとりかふたりしか総武高校を受験していないはずなのだけれど…」

小町「えへへ。それはもちろん、兄がいるからでぇーす。あ、これ小町的にポイント高いと思いません?!」

雪乃「…… そうね。兄妹仲がよくて本当にうらやましいわ」

小町「というかー、ホントはお兄ちゃんと同じ学校にいるというだけで自然と小町の評価があがるからなんですけどぉー」

しんみりと呟く雪ノ下に何を感じ取ったのか、わざとおどけて見せる。

八幡「 …… まぁ、そうなると相対的に俺の評価は下るんだけどな」

雪乃「あら、あなたに対する世間一般の評価がそれ以上下がるとも思えないのだけれど?」

八幡「うるせーよ。あと、経験から言わせてもらうと小町のせいで俺のあだ名が“1年○組の比企谷さんのお兄さんのヒキタニくん”になる可能性が超高い」

雪乃「 …… 何があってもヒキタニの名は不変なのね … 」


小町「あー… えーと…、ところでー、さっきから気になってたんですけどー… おふたりはー…」

何やら不思議そうな表情を浮かべて俺と雪ノ下の顔を交互に見る。

雪乃「私達なら、これから次のイベントの準備で特設会場に向かう途中なのだけれど、どうかしたのかしら?」

小町「あ、いえいえ、それもそうなんですけど、でも、そうじゃなくて … 」

ぶんぶんと勢いよく首を振ったせいで、これだけは俺とよく似たアホ毛がぴょこぴょこ揺れた。

八幡&雪乃「 …… ?」

まるで要領を得ない小町の態度に思わず顔を見合わせる。

小町「 ―――― えっと、あの」






小町「 …… おふたりはどうして手を繋いでるんですか?」



八幡&雪乃「えッ?!」///


小町に言われて初めて気がつき、それまでごく自然に繋いでいた手を同時に離す。

そういや、あの後体育館の中で“袖つかまれてるとバランス悪いからこっちにしてくれるか”とか何とか言って代わりに手を差し出したんだっけか。

うわ、思いっ切り忘れてたわ。俺の手の神経どうかしちゃったわけ? つか、こんな時にまでオートで発動してしまうお兄ちゃんスキルが憎いっ!

雪乃「こ、これは体育館の出入り口が混雑していたからという致し方ない理由があってやむを得ず比企谷くんの手を借りていただけであって別に深い意味があるわけでは全然なくてむしろ…」///

雪ノ下がわたわたと慌てながら言い訳めいた言葉を連ねていたが、最後の方は尻すぼみになり、真っ赤な顔をしてチラリと俺の方を見る。また俺ですか …… 。


八幡「あー…コホン。これはアレだ。ホラ、小町とだって人ゴミではぐれないように手を繋ぐことぐらいあんだろ? アレと同じだ、アレ」

小町「ふーん。でも、最近は恥ずかしがって滅多に繋いでくれなくなったけどねー」ニヤニヤ


雪乃「 … え? そ、そうなの?」///

八幡「や、それはだな … 」///


このままではまるで俺がしょっちゅう妹と手を繋いでいるシスコンだと勘違いされてしまいそうなので、一応セルフのフォローを入れることにする。


八幡「小さい頃から家族揃ってお出かけする度に、かーちゃんとオヤジと小町が俺からはぐれて迷子になるんで、仕方なく手を繋いでやってたってだけの話だからな?」


雪乃「 …… それって、どう考えても迷子になっているのはあなたの方だと思うのだけれど」


小町「お兄ちゃんと雪乃さんって、ホントにただのお友達なんですか?」

どうやら手を繋いでいるところを見られたせいで、小町に変な誤解を与えてしまったようだった。

八幡「ふっ、残念だったな小町。雪ノ下は俺と友達になること自体、絶対にありえないって言ってるぜ?」

小町「そうなんですか?」

雪乃「え? ええ … そうね。比企谷くんは … その … お友達とは … ちょっと違う … わね」///

いつになく雪ノ下の歯切れが悪い。妹の面前で兄を罵倒することに躊躇しているのだろうか? だとしたら、何を今更という気がしないでもないが。

小町はそんな雪ノ下の様子を見ながら、何事が考えるような素振りを見せたかと思うと、やがてひと言、



小町「 ――― あ、それってつまり、友達はありえないけど恋人ならワンチャンってことですよね?」



八幡&雪乃「なっ?!」///


思いがけず返されたセリフに、俺と雪ノ下が揃って絶句する。


雪乃「ちょ、ちょっと小町さん? そ、それはいくらんでも … 」///

八幡「や、雪ノ下は猫派なんだからさすがにワンチャンはねーだろ」///



小町「おやおやぁ? おふたりとも顔が真っ赤ですよ? もしかして小町、お邪魔でしたかぁー?」


夜勤明け。誰だこんな無茶なシフト組んだヤツは。ではではノシ



「あ、八幡!」


この世にもし天使が実在するならば、たぶんこんな声なのだろう。
マイ・ラブリー・エンジェル戸塚彩加が俺たちに手を振りながらまるで可愛らしい仔犬のように駆け寄ってきた。

その燦然と輝く太陽のような笑顔で、厳しい世間の風に晒されて荒んだ俺の心を慰め、癒してくれる。

俺がもし旅人だったら、もうその場ですぐに服脱いじゃうね。むしろ脱ぎすぎちゃってそのまま警察に捕まるまである。

だが、ふと気が付くと戸塚はなぜかエビーズ事務所プロデュースのホモの王子さま … じゃなかった、星の王子さまの衣装のままだ。

相変わらず似合いすぎるくらい似合ってるぜマイ・ハニー。そのまま宝塚デビューしても不思議はないくらい。

ホグワーツで組み分け帽子なんか被らせたら「星組!星組!」とか言い出すに違いない。


小町「あ、戸塚さん、やっはろーです」

戸塚「小町ちゃん、やっはろー。雪ノ下さんも一緒なんだね。こんにちは」

雪乃「こんにちは、戸塚くん」

八幡「ところで、戸塚、お前どうしたんだ?」

もちろん俺が聞いたのは、お前はどうしてそんなに可愛いんだ? ということではない。どうして王子さまの衣装のままなのか、という意味である。

戸塚「うん、舞台の片付けをしてるうちに、ぼくの服がどこかに紛れこんじゃったみたいで…」モジモジ

八幡「お、そ、そうか。それは大変だな」

おいおいもしかして今頃ネットオークションに出品されてんじゃねーのか? 早く手を打たないと俺が落札できなくなんだろ。

それよりもなによりも何が大変って、この場合俺が理性を抑えつけるのが超大変。意識して自制していないと無意識のうちに抱きしめて、しかも耳元で愛の言葉を囁いてしまうところだ。

小町「まぶしっ!戸塚さん、まぶしっ!」

小町に言われるまでもなく、舞台用にとクラスの女子が丹念に施したメイクのせいで、頬を染めただけでそんじょそこいらの美少女など遠く及ばないほど可愛くなってしまう。


戸塚「や、やっぱりヘンかな?」

八幡「いや、ヘンじゃない。そのままで全然アリだと思うぜ」

なんなら明日からもその格好で登校しても全然OK。風紀委員だって戸塚に対しては特別措置をはからうべきだろう。


「 …… 私の時とは全然態度が違うのね」


拗ねたような呟きを耳にした気がして振り返ると、何やら少しだけ不服そうな顔をしている雪ノ下と目が合う。


雪乃「あなたたちの組の演目は、“王子と乞食”だったかしら? 変更届は出ていなかったと思うのだけれど」

八幡「なに言っちゃってんのお前? “美女と野獣”に決まってんだろッ?!」


戸塚「…八幡、“星の王子さま”だってば」


戸塚「あ、そういえば彼もいるみたいだよ」

繊細な指が差す方向を目で追うと、特設ステージの真ん前に、どこかで見覚えのある物体が我が者顔で陣取っていた。

いまだ残暑厳しい中、トレンチコートに指ぬきグローブ、更に両手に巻かれた意味不明の深紅のパワーリスト(0.5キロ)。

両腕を組み、口をへの字に曲げて仁王立ちのまま、鼻息も荒くふんぞり返っている。

その名を口にするまでもなく、それ以上に口にしたら呪われそうなのでしたくもないのだが、もちろん材木座である。

ただでさえ暑苦しいのに、あいつのせいでその周囲の気温が更に2度ほど上昇しているようだった。気のせいかうっすらと陽炎までもが立ち昇り、まるで可視化された不吉な負のオーラの如く頭上に渦巻いて見える。

恐らくあいつを排除すれば地球温暖化の問題は八割方解決されるに違いない。
それどころかCO2の排出量も産業革命以前にまで戻るやもしれない。誰かヤツを止めるべき。息の根と一緒に。

材木座「ぶほむ。見せて貰おうか。房総の赤き狂犬とやらの実力を!」

なにやらほざいているようだが、よく見るとコートのポケットからはチーバくんのケータイストラップが覗いている。

…… って、こいつもチーバくん好きなのかよ。

なんか俺の周り、チーバくんファン率がやたらと高くねぇか? 夏場の首都圏のゲリラ豪雨だってさすがにこんな局地的じゃねぇぞ。


戸塚「声、掛けてみようか?」

戸塚が無邪気に、だが、それ以上に危険極まりない発言をする。

八幡「 … いや戸塚、やめておこう。ここはやはりそっとしておいてやるべきだろ」

知り合いだと思われたら超いい迷惑だしな。
だいいち、あんなヤツと一緒にいるところを見られるだけでも戸塚の評判に傷でもつきかねない。
この汚れを知らない純真無垢な天使の笑顔は、なんとしてでも俺の手で守ってやらねばなるまい。


戸塚「え? でも、材木座くんだって…」

八幡「あ、戸塚、名前を呼んじゃダメだ!」

俺がとっさに戸塚の腕を引いて人垣の後ろに身を伏せたのと、材木座がくるりとこちらに振り向くのはほぼ同時だった。


材木座「ふぅむ。今、なにやら我の真名を呼ぶ声を聞いたような気がするのだが…」

サーチライトで照らすかの如くゆっくりと周囲を見回す材木座から間一髪で身を隠し、そのまま見つからないように息をひそめる。

ぼっちってば、滅多にないことだから自分の名前を呼ばれることに過剰なまでに敏感だったりするんだよな。



戸塚「八幡…ちょっと痛い…かな…」


切れ切れの切ない恋 … じゃなかった声に気がつくと、いつの間にか俺は無意識のうちに戸塚の繊細な肩を抱き寄せていた。

何これ女の子みたいないい匂い。普段どんなシャンプー使ってたらこんないい香りがすんの? アロマ効果がシナジーして俺のステータスがネクストステージにオーバーシュートしそう。いかん、舞い上がりすぎて自分でも何言ってるかわけわからんくなっとる。

八幡「お、おう、す、スマン。大丈夫か」///

そのまま、くんかくんかすりすりぺろぺろしてしまいそうになるのをぐっとこらえてなんとか失いかけた理性を取り戻す。

戸塚「う、うん大丈夫だけど」///

潤んだ瞳に見つめられ、思わず俺の心臓がドキドキと高鳴ってしまう。やべ、もしかしたら俺このままマジで戸塚にフォーリン・ラヴしちゃうんじゃね?

OK。まずは落ち着くんだ俺。大丈夫、ノープロブレムだ。戸塚は男の子だからギリギリセーフ。いやよく考えたら全然アウトだろそれ。


ちょっとだけ更新して、本日のところはここまでノシ


スマン、ここだけは訂正させてくれ。

>>551

3行目

雪乃「ちょ、ちょっと小町さん? そ、それはいくらんでも … 」///
              ↓
雪乃「ちょ、ちょっと小町さん? そ、それはいくらなんでも … 」///


城廻「あら、こちらは?」


事前の打ち合わせ通り、特設会場付近で合流しためぐり先輩が小町に目を止め、不思議そうな顔で俺に尋ねる。

八幡「あー…、妹の小町です。小町、こちらは生徒会長の城廻先輩な?」

小町「比企谷小町です。兄がいつも大変ご迷惑をおかけしてます」ペコリ

要領のいい小町が如才なく挨拶する。

八幡「 …… お世話になってます、だろ?」 ヒクッ


城廻「え? い、妹さん?キミの?」

めぐり先輩がさも意外そうな顔で俺と小町の顔を交互に見比べた。

八幡「どうかしましたか?」

雪乃「天涯孤独、孤立無縁、孤影悄然、四面楚歌で、生きたまま孤独死しかねないあなたにも妹さんがいるという事実に、城廻先輩もさぞや驚かれているのでしょうね」


八幡「 … いやいくら俺がぼっちでも、そこまで深刻じゃないから」


城廻「あ、えっと、そうじゃなくって、妹っていうから、私、てっきり雪ノ下さんの妹さんかと…」

小町「そうですねー、もしかしたら近い将来、そうなるかも知れませんよ? ね、雪乃さん?」

雪乃「えっ?」///

八幡「ば、ばっかお前、何言ってんだよ!?」///

小町「おやおや兄がヒネデレちゃってますよ?」


八幡「小町は未来永劫俺だけの妹だ。誰にもやらん。絶対に、だ」


雪乃「………相変わらず一貫したシスコンっぷりね」

小町「ハァ…。ホンッと、残念な兄で申し訳ありません」


城廻「あー…、でも、そう言われてみれば、なんとなく似てる … 気もする … かな? あはは … 」

小町「ガーン!似てますっ?! 似てるんですか?!」

八幡「もしもし、小町ちゃん、なんなのその反応? お兄ちゃんが傷ついちゃったらどうすんだよ?」


城廻「あ、わ、私、もしかして失礼なこと言っちゃった … かな?」 アセアセ

八幡「そうですね。確かにその発言は失礼かもしれませんね、特に俺に対して」


城廻「ご、ごめんなさい。気を悪くしないでね、小町ちゃん?」 アセアセ

八幡「うんうん、確かに気を悪くしちゃうかもしれませんねー、特に俺が」


雪乃「小町さん、城廻先輩も別に悪気があって言ったわけではないのだから許してあげてね?」

八幡「 … お前のその発言はどう考えても悪気どころか明確な悪意しか感じられないけどな」


城廻「あ、あ、でも、かわいいなー。あたしもこういう妹が欲しかったかも … 」

可愛いものはなんでも愛でるめぐり先輩、さすがお目が高い。

小町「キラーン。ぜひぜひ! 今からでも全然遅くありませんよ! 城廻さんなら、いつでもウェルダムです!」

八幡「いや別に誰も肉の焼き加減とか指定してねいから」

正しくはウェルカムな。こいつホントに受験生かよ。

小町「今なら漏れなくヒネデレてて目の腐った兄と、モッフモフしたネコのカァーくんもついてくるから超お得ですよ?」

城廻「あ、え、そ、そういう意味じゃなくて、ね」

めぐり先輩が困ったような顔で俺を見る。そうですよねー。俺もどういう態度とったらいいか困っちゃいますよねー。

ホントすみません。おバカな妹で。でもかわいいから許してやってください。

その傍で雪ノ下が戸惑いがちに呟きながら俺の顔をチラチラと見る。

雪乃「…ネ、ネコ? ネコもついてくるの?」

だからお前はお前でネコ好き過ぎだろ。あとチョロすぎ。


当日の朝、校内ポスターで告知しただけだというのに、チーバくん目当てなのか特設会場の周辺には既にかなりの数の親子連れが集まってきているようだった。

前段の『千葉県横断ウルトラクイズ』の方もいよいよクライマックスに向けて盛り上がりを見せ、参加者が一喜一憂する姿にステージを取り囲む観客も、どっと沸き上がる。



司会「東京ディスティニーランドへ行きたいかあああああああああああああああああああああああああああああ?!」

観客「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」

司会「罰ゲームは怖くないかあああああああああああああああああああああああああああああああああああああ?!」

観客「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」



… なんでここだけノリが昭和なんだよ。


辺りを見回すと、恐らくはこのイベントのためにクラスで特別に誂えたものなのだろう、お揃いのハッピに団扇(うちわ)を手にしたスタッフらしき生徒の姿がチラホラと見受けられた。

雪ノ下とめぐり先輩が声をかけ、この後の段取りについて確認する。

俺のいる位置からでは何を言ってるかまでは聞こえないが、事前に話は通してあるので特に問題もなくスムーズに話はついたようだった。

めぐり先輩が簡易放送設備を指差し、ふたことみこと言葉を交わすと、ハッピ姿のスタッフがこくこくと頷くのが見えた。

それを受けて、めぐり先輩が俺に片手でOKサインを送ってくる。――― 了解だ。俺もそれとわかる程度に軽く頷いて見せた。


八幡「葉山から連絡は?」

スタッフとの打ち合わせを終え、こちらに戻ってきた雪ノ下に確認する。

葉山は星ミュの午後の公演が終わった後、平塚先生の運転するバンに同乗してチーバくんの着ぐるみを直接受け取りに向かっているはずだった。
父親のツテということもあり、こればかりは誰か別の人間に任せるという訳にもいかなかったのだろう。

雪乃「ついさっき連絡があったのだけれど、こちらに向かう途中で、ちょっとした事故渋滞に巻き込まれているみたいなの」

俺の問いに答える表情に懸念するかのような翳りが見える。

城廻「どうしよう? もう、クイズの方は終わっちゃいそうだけど?」

めぐり先輩がステージの方を見ながら、そわそわと告げた。


――― やはり、ここは俺の出番、ということなのだろう。



八幡「さてと、じゃあ、そろそろ行くとしますか … 」


頃合を見計らって伸びをひとつ、うざいくらいに眩しい陽射しに目を眇め、俺は自分のすべき仕事の準備にとりかかることにした。


雪乃「 ――― 任せたわ。でも、あまり無茶なことはしないでね」


珍しく気遣うような雪ノ下の声を背に受け、だが俺は振り返ることなく背中越しに軽く手を上げるのみでそれに応えた。


短いですが、タメをつくりつつ今日はここまで。続きはできればまた明日ノシ


「お兄ちゃんはどこに行くんですか?」

「ええ、実は ―――― というわけなの」

「お兄ちゃんが、任せろ、って言ったんですか?」

「え?ええ」

「それでまさかホントに任せちゃったんですか?!」

「え、ええ … もしかして、いけなかったのかしら?」

「いえいえ、あのヒネデレた兄のことをそこまで信頼していただけるのは妹である小町としても非常に感激なのですが … 」

「 … ど、どうかしたの?」

「小町が言うのもなんですが、お兄ちゃんはあの通り、口に咥えた青いリトマス紙が赤く変色するくらい、それはもう人生の辛酸を嘗め尽くしています」

「 … なるほど確かにそうかもしれないわね」

「だから本人はごくフツウのつもりでも、実際には他人の想像の斜め下をいく方法でしか物事を解決できないのではないかと思うんです」

「 ……… つ、つまり、どういうことなのかしら?」

「そうですね、例えば … 」

「あ、雪ノ下さん、小町ちゃん、ステージが終わったみたいだよ?」



司会『さーて皆さんお待ちかねでーす。今日は総武高校文化祭のために、みんなのお友達が来てくれましたー。誰だかわっかるっかなー?』



「はーい!はーい! ふなっしー! ふなっしー!」



「 … あれ、結衣さんですよねー…」

「そうね … とりあえず見なかったことにしましょう」



司会『 … さ、さぁ、みんなで一緒に、大きな声でお友達の名前を呼ぼう! せーのー! ちーばく … 』






八幡『犬(けーん)!』





雪乃&城廻&戸塚「 ………… え?!」





  ざわざわざわざわざわざわざわざわ…
 
ざわざわざわざわざわざわざわざわ…

   ざわざわざわざわざわざわざわざわ…




材木座「 … なにぃ … ちば … 犬 … だと … ?」



観客のざわめきの広がる中、特設ステージの舞台袖から手を振りながら颯爽と飛び出した俺の姿は千葉県のイメージカラーである“菜の花”を表す黄色のオールインワンに、房総半島の地形を模した歪つな頭部。

そう、某千葉県環○財団のちば環○再生○金のマスコット・キャラクター、その名も、“ちば犬(ちばけん)”。

チーバくん誕生に先駆けること七年、“ゆるキャラ”商標登録に先立つこと更に三年前に華々しくデビューを飾っている、愛すべき(?)元祖千葉県のご当地キャラクターである。

そのオリジナルとなるイラストが二頭身であるのに対し、着ぐるみはデザインと(おそらく)予算の都合上、優に四頭身近くはあり、デザイナーも想定外の直立によるプロポーションのアンバランスさと相俟って、既にゆるキャラというカテゴリーを遥かに超越し、犬というよりも、あたかも“外宇宙の深淵より這い寄る冒涜的な何か”といったラヴクラフト的な形容詞のふさわしいコズミック・ホラーの領域にさえ達している。

登場するや否やロール判定するまでもなく最前列の子どもたちのSAN値がピンチ!

そしてわが子を匿うがごとくその腕にかき抱く親の顔は激しく引き攣り、そのままじりじりとステージから後じさるのが見えた。



*** なお、この作品はフィクションであり、実在する、人物・地名・団体・ゆるキャラとは一切関係ありません。 ***


「ママー、なにアレー?」

「これっ、指をさすんじゃありません」


怒涛のごとく押し寄せる罪の意識と後悔の念、衣装の下を滝のように流れ落ちる別の汗。そして体中の至る所に隈なく突き刺さる冷たい視線。


―――― だが、しかし。


ここまでは計算のうちだ。慌てず騒がず当初の計画の通り、俺はめぐり先輩に片手でさっと合図を送る。

それを受けてめぐり先輩が神妙な顔でコクリと頷くのが見えた。

傍らの簡易放送設備のスイッチが指でぽちっと押されると、会場内に設置されたスピーカーからは、千葉県民であれば誰でも知っている軽快なシンセサイザーのミュージックが流れ始めた。



♪~♪♪♪~♪♪~♪~♪♪♪~♪♪~



材木座「むっ? これは … もしや … “なのはな体操”… ?!」


説明せねばなるまい。

なのはな体操とは千葉県が県民の健康増進のために1983年に制定した二代目県民体操のことである。ちなみに初代県民体操は人知れず歴史の闇に埋もれて消えている。

明るいテクノポップ調のインストルメンタルが特徴で、現在でさえも県内の小学校や中学校で運動会・体育祭の準備運動としてラジオ体操の代わりに行われている場合もある。

千葉県内では比較的ポピュラーな体操なのだが、公開当初はこの独特の音楽と体操が児童生徒の間でかなり不評だったため、通常のラジオ体操に戻してしまった学校も多いと聞く。


……… つか、いいのかよこれ? 今更ながらこのネタ、千葉県民にしかわからねーんじゃねぇのか?


「あっちゃー…。やっぱりゴミィちゃんの考えつきそうなことですねー… 」

「 …… 相変わらずあなたのお兄さんは期待を裏切っても悪い予感だけは決して裏切らないわね … 」

「まぁ、そこが兄のいいところでもあるんですけどねー…って、敢えてここで兄を庇う妹って、ポイント高くありません?」

「雪ノ下さん、小町ちゃん、客足がステージから遠のき始めてるよ。このままじゃ、チーバくんが来る前にみんな帰っちゃうかも…」

「やれやれ仕方ありませんねー。雪乃さん、城廻さん、戸塚さん、兄のために、ちょっとお手伝い願えますか?!」

「え?ええ。でも、いったいどうするつもりなのかしら?」

「う、うん。私にできることなら」

「ぼ、僕も?」

「うむ、ここはひとつ我に任せるがよい ……… 何かは知らぬが」

「あ、中二さん、いたんですか? でも、お呼びじゃありませんから、ここで大人しくしててくださいねー」


「あ … はい … 」


半ば自暴自棄となった俺が半狂乱の状態で一心不乱に“なのはな体操”を狂気乱舞しているところへ、いきなり小町が雪ノ下とめぐり先輩、そして戸塚を伴ってステージに乗り込んできた。

急遽スタッフから借り受けたらしい御揃いのハッピを羽織り、団扇まで手にしている。


――― そして、何を思ったのか、みんな揃って俺と一緒になのはな体操を踊り始めた。


え? なに? なんなのこれ? 新しい宗教かなにかなの?


だが、戸惑いつつも客席へと目を向けると、いつの間にかステージから離れかけていた客の足が止まっていた。

小町「さぁ、みなさんもご一緒に♪」

小町の挙げる元気な掛け声を聞いて、まず子どもたちが面白がって一緒に見よう見まねで踊りはじめる。振り付けはめちゃくちゃだがそれはそれで可愛らしい。

すると、子どもにせがまれるような形で親御さんたちも一緒に踊り出した。

最初こそ渋々といった感じだが、恐らく身体で覚えているのだろう、そのうちに子ども達に手本を見せるようにノリノリで踊り始めた。さすがは、なのはな体操直撃世代。



材木座「ぬぅ? も、もしやこれぞ、恋チュン、なのはなバージョン?!」


…… いやもうそれ恋チュン関係ねぃだろ。今更だし。


一糸乱れぬ、とまではいかないまでも、それなりに揃って踊っている中で意外にも一番動きがぎこちないのは雪ノ下だった。

あー… そういやこいつ、帰国子女だっけ。知らないの? なのはな体操。有名だよ? 千葉県では、だけど。

しかし、お前らいったいどこのダンス・ユニットよ?

つか、星の王子さまの衣装で踊る戸塚、マジで可愛すぎだろ。これはもう総選挙するまでもなく、センターは戸塚で決定。異論は認めない。



「どうやらなんとか間に合ったようだね」

「き、貴様は葉山何某?!」

「えっと … キミは、たしか … 財津くん、だっけ?」

「無礼者ッ! 我を何と心得るッ?! その名も高き剣豪将軍、材木座義輝なるぞッ! 頭が高ぁいっ! 控えおろうっ!」


「 ……… えっと、すまない。できたらこっちを向いて、もう少し大きな声で話してもらっていいかな? 音楽が大きいせいか、小さい声だと何を言ってるかよく聞こえないんだ」

「 ……… あ、ハイ … スミマセン」 ボソボソ


「それで実は財津くんにちょっと手伝ってもらいたい事があるんだけど?」

「な、なに? 貴様が我に頼み事とな?」

「ああ、キミの方が適任だと思うんだけど、頼まれてもらえるかな?」

「なるほど。そうかそうか。くくくくく、なれば貴様、今すぐここで我に土下座して乞うがよい。さすれば考えてやらんでも … 」

「もうっ!中二ってば、時間ないしっ! 早くするしっ!」

「は、はいーっ!!」


曲が終盤に差し掛かった頃、会場の外から由比ヶ浜に先導されて大きな赤い物体がゆっくりとステージに近づいてくるのが目に入った。

葉山のヤツ、どうやら間に合ってくれたようだ。

いつの間にか会場の脇に立ちこちらを見ていた葉山が腕を組んだまま俺に向けて親指を立てて見せる。
サムズアップとはいかにもリア充(笑)らしい陳腐な仕草だが、イケメンがやるとなぜか様になるので癪に障る。

あんまり悔しかったので、反射的に中指を立てて返そうかと思ったが、何か色々なコードとかに引っ掛かりそうなので自重した。

由比ヶ浜に小声で促され、短い手をぎこちなく振りながらおぼつかない足取りで歩を進めるチーバくんの登場に気がついた客席が一斉に沸き返る。

丁度なのはな体操の曲も終わり、小町たちは観客の拍手に包まれながら舞台袖からゆっくりと降りてゆく。


役目を終えた俺も、この場からそっと離脱しようとしたのだが、すれ違い様にチーバくんにガッチリと腕を掴んで引き止められてしまった。


……… ん? なんだよ。つか、誰だよこいつ?




( …… は、八幡よ、我だ )ヒソヒソ


八幡( その声、て、テメェ、もしかして材木座か?! )ヒソヒソ

材木座( 然り。故あってこの千葉の赤き狂犬の中に身をやつしておる )ヒソヒソ



「あ、チーバくんだ~!カワイイ~」


その時、この学校の女子生徒が数人、こちらに向かって駆け寄ってきた。
どこかで見覚えがあるような気がすると思ったら、俺らと同じ2年、それもどうやら材木座と同じクラスの女子らしい。

だが、その女子生徒達を目にした途端、材木座がギシリと不気味な音を立てて硬直するのがわかった。


材木座( は、八幡よ、ま、マズいことになった。非常事態である! ) ヒソヒソ

八幡( どうかしたのか? トイレならちょっと我慢 … ) ヒソヒソ

材木座( 否ッ! ) ヒソヒソ

八 幡( まさか、もう漏らしちまったとか? やべっ、えーんがちょっ! バーリアッ! ) ヒソヒソ

材木座( フォカヌポゥ! バカめ、この我にバリアなど効かぬわッ! っと、そうではないっ! … か、かの女子が、桜山殿なのだっ )ヒソヒソ

八幡( あ? 桜山って確か、この間お前の言ってた… )ヒソヒソ


その女子生徒 ――― 桜山咲久は、チーバくんに擦り寄り、やたらとかわいいかわいいを連発している。

… でもあれな、女子がかわいいって言うのは、大抵、かわいいと言ってる自分かわいいアピールなのな。

ギリギリまで詰めた短いスカート、わずかに染められ緩くカールした髪、常に笑っているかのように細められた目、鼻にかかった甘ったるい口調。

その立ち振る舞いは一見、天然であるかのように見えるのだが、冷静な目で見れば明らかに自分をいかに可愛く見せるか常に計算しているのがよくわかる。

俺のアホ毛の形をした“あかんやつレーダー”がすぐさま反応し“ビッチメーター”がマックスで振り切らる。



間違いない。こいつ、自称サバサバ系女子に勝るとも劣らぬ喪男の天敵 ――― ゆるかわビッチだ。


八幡( いいか、材木座。何があってもぜってー声出すんじゃねーぞ?ぜってーだぞ! )ヒソヒソ

材木座( … 八幡よ、それはもしや、我に“声を出せ”というフリかのう? )ヒソヒソ

八幡( フリじゃねぇっつの! )ヒソヒソ

東京ディスティニーランドのヒッキーネズミほど厳格ではないにせよ、こうしたキャラクターには一般的にイメージの統一を図るためにいくつかの禁則事項が設けられている。

代表的なものはだいたいふたつ。ひとつは、関係者以外の目に触れる場所で着ぐるみを着脱しないこと。そしてもうひとつは ――― 着用者は絶対に声を出さないこと。


八幡( つまりルールその1は、“中の人のことは知られるな”だ。 そしてルールその2も“中の人のことは知られるな”だ。わかったな? ) ヒソヒソ

材木座( う、うむ、なるほど、そうであったか。まるでどこの秘密クラブみたいであるな。よし、しかと心得たぞ! ) ヒソヒソ


桜山「あのぉー、ちょっと鳴いてもらっていですかぁ?」 キャピキャピッ


材木座「ぶもおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」


八幡( だから、言ってる傍から声出してんじゃねぇっ! )


すぱこんっ


材木座( ぶべらっ! )

おいおい、今こいつ一ミリの躊躇いも見せずに吠えやがったぞ?

つか、お前いったいどこのジブリだよ? ト○ロなの? いやどっちかーっつーと言うと紅の豚?


桜山「一緒に写メ撮らせてもらっていーですかぁー?」

桜山がスマホ片手にきゃぴるんと寄ってくる。

材木座( は、八幡よ … ど、どうすれば良いかのう? ) ヒソヒソ

八幡( いいから黙ってされるがままにしてろ! すぐ終わるからしばらく我慢しとけっ ) ヒソヒソ

材木座( う、うむ。承知 ) ヒソヒソ

材木座が桜山に向かってにコクコクと無言のまま頷いて見せた。すると

「あー、ずるーい!私もっ!」 「私も私もー!」 またたくまに材木座の周りに女子生徒達が群がり始めた。

材木座(は、八幡よ?! こ、これがいわゆるモテ期というヤツなのか? そうかっ? そうなのだなっ?) ヒソヒソ

そうこうしている間に、材木座は隙間なく女子生徒達に取り囲まれ、彼女たちによるスキンシップも次第次第にエスカレートし始めた。


女生徒「あたし腕組んじゃおー!」

材木座「!!」

女生徒「なら、あたし抱きついちゃう!」

材木座「!!!」

女生徒「ほっぺにチューとかっ!」

材木座「!!!!」


突如として材木座が天に向かい拳を真っすぐ突き上げた。



材木座( わ… )

材木座( わ、我が人生に、一片の悔いなああああああああああああああああああああああしっ!!! )



……… だからお前いったいどこの世紀末覇者なんだよ。


では、本日はこの辺でノシ


「ちば犬×チーバくん … アリね … イケるかも」

女子生徒に揉みくちゃにされながら写メを撮られまくっているチーバくんからそっと離れた俺の耳に、腐穏な声が届いてきた。

ピンクフレームのメガネを輝かせ、満面に腐敵な笑を湛えているのは、誰あろう俺と同じクラスの海老名さんだ。

戸部「っべーっ、べー、マジ、っべーわ。あれ、やっぱマジ、チーバくんじゃね? これ、もうテンションアゲまくリングでしょ?」

その傍らに付き従っているのは、相も変わらず暑苦しい長髪をカチューシャでとめた、やはり同じクラスの戸部である。
いつもツルんでいる大和や大岡の姿はなく、珍しく今日は二人きりのようだ。

戸部「やっぱ、海老名さんも、チーバくんとか好き系なん?」

しきりに襟足を掻き上げながら話しかける戸部に、

海老名「うん、あたしゆるキャラものもイケるクチだから」

輝かんばかりの笑顔で答えながらも、なぜかそこはかとなく漂う腐敗臭。もしここがサバンナあたりなら、すかさずハイエナやらハゲタカやらが寄ってくるところだ。


戸部「やっぱコレもう、もっと近くで見るしかないっしょー。なんだったら俺、写メ撮るし?」

海老名「そうねー…」

戸部「や、実は俺もチーバくん、超好きなんだわー」

そう言いながらも、ポケットから取り出したスマホのストラップはどう見てもふなっしー。

戸部「えっと、なんつーの、ほら、やっぱ、赤いじゃん?」

…… しかもなんだよそのティ○ァールのフライパンみたいにとってつけたような理由は。


戸部の猛烈なプッシュも心ここにあらずといった様子で聞き流し、海老名さんがまるで何かを、もしくは誰かを探すかのように背伸びをしながらくるりと周囲を見回す。

だが、間の悪いことにちょうどそのタイミングで、ごくさりげなく背に回そうとしていたらしい戸部の手に気がついてしまった。

戸部、ピーンチッ! でもオラ、ワクワクしてきたぞっ!


戸部「 ……… あ」

海老名「 ……… どしたの?」


戸部の顔と中途半端に伸ばされた手を交互に見ながら、海老名さんがキョトンとした表情で尋ねる。


戸部「え? あ? や? … い、いや」


返事に窮した戸部は、咄嗟に目と手をあらぬ方へと泳がせる。そして、


戸部「い、いやー、コレ、ホントよくできてるわー。いい仕事してるわー」


どこぞのなんでもお宝鑑定士みたいな事をいいながら、必死に手近にあったものを撫で廻し始めた。

海老名「 …… ふーん?」

そんな戸部の姿を不思議そうな顔で海老名さんが見ている。

だがしかし、戸部よ …………





………… 今、お前の撫でてるそれな、俺の頭なんだけど?


校舎の角を曲がり、辺りに人の目のなくなったところで、段差に腰掛け、ちば犬のかぶりものをとって一息つく。

アドレナリンが抜け出ると、いつも馴染みの感覚に浸ってくる。達成感や充実感はなく、重い脱力と疲労感。
所詮は小手先だけの誤魔化し。俺がやっていることといえばいつも同じだ。胸の張れるようなことでないのは自分でもよく理解している。

流れ落ちる汗が流れ込み、ぼやけ俺の視界がふわりと白いもので覆われた。


「――― 随分とまたバカなアイデアを思いついたものね。でも、あなたらしいわ」


頭にかけられたタオルの隙間から見上げると、目の前には雪ノ下が立っていた。


雪乃「葉山くんが間に合わなかったら最後までそれで押し通すつもりだったの?」

八幡「 … ウソはついてねーだろ?」

相模のつくったチラシの文句は『総武高校文化祭に千葉県のあの人気マスコットキャラクター“チ○バ○ん”が登場!!』だ。

雪乃「“ちーばくん”と“ちばけん”ではかなり無理があるし、それ以前に誤表記と偽装くらいの差があると思うのだけれど?」

八幡「“嘘も強弁”って言うだろ? この世界、なんでも言ったもん勝ちなんだよ」

なんであれ、正しいことを言う人間よりも、声の大きい人間の意見の方が通りやすいなんてことはよくありがちな話だからな。

雪乃「正しくは“嘘も方便”ね。でもこの場合あながち間違ってるとも思えなくなるから不思議ね … 」

八幡「ま、いずれにせよ結果オーライってことでいいんじゃね?」

雪乃「そうね。お陰でお客さんも帰らずにいてくれたことだし、一応感謝しているわ。 … それから」

八幡「 … それから、なんだよ?」

雪乃「 … よく似合っているわよ、その格好。これからもずっとそれ着ていたら?」

八幡「 … うるせーよ」

そうは答えつつも、雪ノ下の形の良い唇に浮かんだ笑みを見ていると、なぜか俺の馬鹿な行いも今は少しだけ報われたような気がした。


雪ノ下がそんな俺の手から、ちば犬の頭をそっと取り上げる。


雪乃「…… でも、私、この犬、結構、好きよ」


言いながらごくさり気なく、すとんと俺のすぐ隣に腰を下ろす。
その行為があまりに自然でだったせいか反応する暇もなく、だが、その代わりに俺の心臓だけが勝手に跳ね上がった。

雪ノ下は素知らぬ顔をしたまま、まるで手にしたちば犬の頭に向かって話しかけるかのように、ぽしょりと小さく付け加えた。


雪乃「 ――― 間の抜けているところも、なんとなく、あなたによく似ているし」


短いですが今日はここまで。続きはできればまた明日。ノシ



「 ――― あら、こんなところにバカがいた」


いきなり俺たちの目の前に現れた陽乃さんは“ラスボス”という表現がふさわしく、そして正にその通りの存在であるといえた。

艶(あで)やかなステージ衣装の上に薄手のカーディガンを羽織った姿は、体育館のスポットライトを浴びて燦然と輝いていた先ほどとはまた異なる雰囲気を纏いつつも、陽の光の下でも全く損なわれない完璧な美しさを保っている。

彼女は俺たちの数歩前で足を止めると、いつもの如くまるで値踏みするかのような無機質な視線で、反射的に立ち上がってしまっていた俺の姿を、上から下までじっと見つめた。


雪乃「姉さ…」

陽乃「 ――― で、それが比企谷くんの私に対する答えってわけ?」

妹の存在を無視して俺にかけられたいつになく冷たく鋭い声。
もしかしたらこれがこの女性(ひと)の本来の声音なのかもしれない。ふとそんなことを思う。

八幡「 ……… お気に召しませんでしたか?」

なんとか絞り出した強気の声はあくまでも虚勢だ。言いながらも自分でも腰が引けているのはよくわかっていた。


陽乃「比企谷くん、あなた、もしかして私の事、揶揄(からか)っているのかしら?」

口角こそ吊り上げて見せるが、その目はまるで笑っていない。


八幡「そんな風に見えますか?」

潔白を示すかのように両手を広げて見せる。

陽乃「ええ、とっても」

間髪入れずに返されたその原因は、やはり緊迫した場面に似つかわしくない、ちば犬の衣装のせいなのだろう。


陽乃「だとしたら、私もまた随分と舐められたものね」

八幡「まさか。これが俺にできる精一杯ですよ」

陽乃「…そう。私はキミのことをちょっと買い被っていたのかもしれないわね」

言葉とともに向けられた鋭い視線に思わず首を竦めてしまう。


陽乃「あれは、隼人の差金?」

あれ、とは即ちチーバくんのことだろう。どうやら全てお見通しらしい。

別に葉山を庇い立てするつもりはなかったが、特に否定も肯定もしない俺の沈黙を彼女は肯定と受け取ったようだった。

そのまま俺と陽乃さんの視線が無言で絡まり合う。

こうして直接目を合わせると、その目力がハンパでないことを実感できる。

気が付くと俺の膝が意思に反して小刻みに震え始めているのがわかった。


ひどく長く感じたが、実際はほんの数秒だったに違いない。あねのんの気配がふと緩んだ気がした。


陽乃「…ま、いいわ。笑わせてもらったし。面白かったから今回は許してあげる」


八幡「…そりゃどうも」 ほっと一息するのも束の間、


陽乃「でも、次があるとは決して思わないことね」

ピシリと鋭い追い打ちがかかった。

もちろん、言われなくてもそんな事くらい充分承知している。
彼女が俺という人間に対していくばくかの興味を抱いてくれているからこそ、今回も大目に見てもらえたに過ぎない。俺にとっては、それも計算の内である。

だが、この女性(ひと)のことだ、その気になれば俺ごときぼっちなど、ひと捻りで潰してしまうだろう。間違いなくそれだけの力と影響力を持っているはずだった。


雪ノ下は先程から何を言うでもなく、静かに姉の姿を睨みつけている。そんな妹から向けられた強い視線を、微動だにせず受け止める姉。

俺がこのふたりを知る遥か前から、今までも何度となく繰り返されてきたであろう姉妹の相克の図。
性格はまるで対極的とも言える二人だが、こんな時だけは不思議とまるで鏡写しのようによく似て見える。


そして、そんな彼女たちを見ているうちに、またぞろ俺の悪い癖が疼きはじめた。



八幡「あー、そういえば雪ノ下さん … 」


陽乃「陽乃、でいいわよ。もしくは義姉さんでも可。むしろそちらを推奨」

俺は彼女の戯言を聞き流し、ひとつ大きく息をすると言葉を続けた。



八幡「 ――― チーバくんの着ぐるみの予約する時は、お父さんの会社の名義は使わない方がよかったんじゃないですかね」



陽乃「 …… ?!」


あねのんの美しい瞳が驚愕に彩られるのを見て、俺は昏い快感に痺れた。


雪乃「え?」


雪ノ下が戸惑いの目で俺と陽乃さんの顔を交互に見る。

陽乃さんは、まるで射抜くかのような鋭い視線で俺をまっすぐに見据えた。

陽乃「 … どうしてそれを … ? … いえ、そんなはずはないわ。あなたもしかして … 謀った … わね?」


さすがはあねのん、ご明察。もしやと思ってカマをかけただけなのだが、どうやら俺の推理は的中していたようだ。


そもそも普通に考えて、“専決処分”なんてとびきりの裏技、相模に思いつくはずもない。

だが、もし仮に、“文化祭にチーバくん”を呼ぶというアイデア自体が誰かの入れ知恵であったとするならば、その“誰か”とは当然、文実委員長の権限を熟知している者、つまり、経験者である可能性が高い。

――― 例えば、そう、目の間にいる彼女のような。

雪ノ下が電話で確認した時には、“着ぐるみは数体あるが全て予約済”だと言っていた。
陽乃さんであれば、そんな初歩的なミスを犯すことなど絶対にありえない。当然、事前になんらかの形で手回しをしていたはずである。


彼女が何のために、誰のためにそこまでしたのかなど、敢えて俺がここで言うまでもないだろう。
素直でない妹に塩を送るような真似をするのは、恐らくもっと素直でない姉以外にいるはずもないのだから。

そして、例え妹に向ける愛のベクトルは違うとはいえ、シスコンはシスコンを知るものなのである。



陽乃「…覚えてらっしゃい。この借りは必ず返させてもらうわよ?」


まるで悪役の捨て台詞のような言葉を口にしながらも、その目はいかにも楽しげに輝いている。

しかし、俺にはそっちの方がよほど空恐ろしく思われた。



陽乃「あ、それから大事な事、忘れてたけど…」

背を向けかけていた陽乃さんが何事か思い出したかのように悪戯っぽく笑みを浮かべる。

その笑顔は先程までの剣呑さがまるで嘘であったかのように影を潜めている。その代わりといってはなんだが、なぜかものすごーくイヤな予感に囚われた。

陽乃さんはずずずぃっと俺との距離を一気に詰め、気がつくと俺の顔のすぐ目の前にその美しい顔が迫っていた。

その蠱惑的な瞳に魅入られたせいか、それともいつもよりやや強い柑橘系の香水のせいなのか、頭の中心が痺れて身動きすらとれない。


陽乃「――― これは楽しませてくれたご褒美よ」


耳元で小さくそっと囁くと、陽乃さんはそのまま、その形の良い柔らかな唇を俺の頬へと軽く押し当てた。



八幡&雪乃「えっ?!」



陽乃「ふふ。ちょっと汗臭い、かな? でも、嫌いじゃないわよ男の人のそういう匂い」

一瞬何が起こったのか理解できなかったが、我に返るのは雪ノ下の方が早かった。


雪乃「姉さん! 今すぐ比企谷くんから離れなさいっ!」

いつぞやと同じ鋭い叱責が飛び、俺が遅まきながら跳びすさるようにして陽乃さんから距離をとる。

唇の感触が残る頬が熱を帯び、それが瞬く間に顔全体に広がるのがわかった。


陽乃「あら、比企谷くんだって雪乃ちゃんの為に無い知恵絞ってくれたんだから、あなたからもお礼のひとつでもしてあげたらいいんじゃない?」

あねのんの顔に浮かぶ勝ち誇ったかのような笑み。


雪乃&八幡「なっ?!」///

その言葉に思わずふたりして顔を見合せてしまった。が、すぐに雪ノ下が目を逸らす。そして、


雪乃「し、しないわよ」///

八幡「って、まだ何も言ってねぇだろっ!」

雪乃「……え? まだ?」///


八幡「だ―――! だから、こんな時にまで挙げ足とってんじゃねぇよっ!」///



ン・ヴヴヴヴヴ … ン・ヴヴヴヴヴヴ …


その時、突然、俺のスマホのバイブが鳴り始めた。

急いで取り出して画面を見ると、どうやら由比ヶ浜かららしい。

メールならともかく、直接電話してくることなんて今までも滅多になかったことなので、つい緊張して声が裏返ってしまう。


八幡「あー…、もしもし、俺、俺、俺だけど」



陽乃「 …… もし、この場に警察でも居合わせてたとしたら」

雪乃「 …… ええ。まず間違いなく現行犯逮捕されてるわね」


俺が電話に出るや否や、由比ヶ浜の声が俺の耳に飛び込んできた。


結衣『ヒッキー?!今どこっ?!』


声に切迫したものがある。どうやらかなり慌てているらしい。


八幡「ん? どうした? 何かあったのか?」

結衣『た、大変なの。ちゅ、中二が…』

八幡「材木座? 材木座がまたなんかやらかしたのか?」

結衣『それが、あの、その、』

気が動転してしまっているのだろう、まるで要領を得ない。


八幡「取り敢えず落ち着け由比ヶ浜。そんな時は、素数とか数えるといいらしいぞ?」

結衣『う、うん、そうだね! …………… えっと ……… そ、そすうって何だっけ?』

OK。それでこそいつもの由比ヶ浜だ。


八幡「んで、いったい何がどうしたんだって?」


一周廻ってどうやら落ち着いたらしい由比ヶ浜に再度問い質す。


結衣『あ、そうそう、そうなの! 中二が ……… 中二が ……… 』




結衣『 ―――― 中二が暴走しちゃったの!!』



次回、タイトル回収。ではではノシ



「いたぞ、そっちだ!」 「逃がすなっ! 追えっ!」


気がつくと校内の一角はものものしい雰囲気に包まれていた。

既にめぐり先輩の指揮下、生徒会の役員達が手分けしてチーバくんの着ぐるみを着た材木座の姿を追っている。

何かのアトラクションとでも思われているのか、今のところはまだ一般客や生徒達にはバレてはいないようだが、恐らくそれも時間の問題だろう。

それに、定刻までに着ぐるみを返却する必要もある。もし遅れでもしたら本来の借主に多大な迷惑をかけることにもなりかねない。

当然このままのんびり放置して置くというわけにもいくまい。


由比ヶ浜の話によるとイベントも無事終了し、ある程度客足のはけたところで、人目につかない校舎裏で着替えさせようとした時に事件は起きたらしい。

結衣「あたしが、ちょっと目を離した隙に … 」

雪乃「彼が着ぐるみを着たまま逃走した、というわけね … 」

雪ノ下の言葉に無言で頷く由比ヶ浜。

結衣「でも、どうしてなんだろう?」


八幡「 ……… 材木座のやつ、着ぐるみの魔翌力に取り憑かれやがったな」


雪乃&結衣「着ぐるみの魔翌力?」

俺の独り言にも似た呟きに、雪ノ下と由比ヶ浜が揃って反応する。


結衣&雪乃「それって…」 「どういうことなのかしら?」


八幡「お前らも見ただろ。普段は産廃にも劣るゴミカスワナビに過ぎないあの材木座でさえ、チーバくんの着ぐるみを着ている限り、女の子の方からわらわらと寄ってくるんだぜ?」


結衣「それってつまり …… 」

八幡「 …… ああ、そうだ。つまり材木座は … 」




雪乃「 …… 救いようのないバカってことね」


雪ノ下の深々とした溜息とともに漏れ出たセリフこそが、文字通り材木座という存在の全てを的確に言い表していた。


それほど広い学校でもない。ケータイを通じて目撃情報は続々と集まっている。というか、報告を受けるまでもなく歓声が聞こえたらそちらに向かえばいい。

雪乃「いったいどこに向かっているのかしら?」

八幡「ああ、恐らく例の桜山を探しているんじゃないのか?」

雪乃「桜山さんって ……… 確か、中身も知らずにチーバくんに真っ先に抱きついてた、あのやたらと頭と貞操観念のユルそうなB組の女子のことかしら?」

八幡「 ……… お前ってば、同性に対しても何げに容赦ないのな」


次々に上がる驚きの声の方向を順に追って行と、視界の隅を過る赤い影をとらえた。

見ると、チーバくんが短い足で器用に走りながら次々と追手から身をかわし、ことごとくその追跡を逃れている。
いかに必死であるとは言え、ただでさえ動きが制限される着ぐるみを着た状態である事を考えれば、まさに神業、超人的なフットワークだ。

すぐさま「くそっ」「逃げたぞっ」失望の呻き声があがる。


雪乃「思いのほか素早いのね…」

その様子を見て、雪ノ下が呆れるとも感心するともつかない感想を呟いた。

八幡「 … まぁ、赤いのは三倍速い、というのは、もはや定説だからな」


だが、めぐり先輩に代わって陣頭指揮をとる雪ノ下の下す的確な指示のもと、じわじわとではあるが確実にその包囲網は狭まりつつあった。

そしてついに、人気のない特別棟の裏、フェンスに囲まれた庭の隅へとチーバくんを追い込むことに成功する。


シュッシュッ シュッシュッ


追い込まれたチーバくんは観念するどころか、なぜかシャドーボクシングで周囲を牽制。


八幡「 … うぜぇな」

雪乃「確かに、妙に動きがいいだけに、見ていてイラッとするものがあるわね … 」


退路を断つためにひとりの男子生徒が背後に回り込もうとすると、いきなりチーバくんがくるりと振り向くのが見えた。


チーバくん「しやぁあああああああああああああああああああああああああああああああ!」


八幡「 …… あ、荒らぶるチーバくんのポーズ…だと?」


雪乃「ところで、あれはいったいどういうことなのかしら?」

雪ノ下の向けた視線の先に目を遣ると、そこには茫然自失といった態で両膝をつき、がっくりと項垂れる平塚先生の姿があった。


城廻「ふたりの来るちょっと前に平塚先生がひとりでチーバくんを捕まえようとしたんだけど … 」

めぐり先輩がもじもじと言いにくそうに事情を説明する。


雪乃「 …… どうやら着ぐるみがクッションになって先生の得意とする打撃系の技が通じなかったみたいね」

雪ノ下が状況を冷静に分析し判断を下した。つか、借り物の着ぐるみに何てことしてんだよ、あの先生。


八幡「打撃系がダメとなると、あとは投げ技 … か」

あの図体だ。倒してしまえば自力では起き上がれまい。だが、手足が短く胴回りがやたらと太い上に着衣も帯もない以上、柔道の技は有効ではなさそうだ。

だからといって集団でかかれば、着ぐるみを必要以上に傷つけてしまう恐れがある。やはりそれは避けたいところだ。

俺がそれとなく見ると、自然と雪ノ下と目が合い、同時にコクリと頷く。どうやら考えていることは同じらしい。


八幡「雪ノ下、もし仮に、だが、俺が一瞬だけあいつの注意を逸らすことができれば、その間に取り押さえることは可能か?」

俺の言葉に雪ノ下は少しだけ考える素振りを見せたが、

雪乃「ええ、そうね。多分、できるとは思うのだけれど … 。何か策でもあるのかしら?」

あくまでもさりげないその返事に自信のほどが窺える。

八幡「まぁ … な。あると言えばある」

雪乃「 … その顔は、またいつのようにロクでもないこと考えているようね」

そうはいいつつも雪ノ下はどこからか取り出したヘアゴムを口に加えると、慣れた様子で手際よく長い黒髪を一本に束ねた。

普段は見ることのないその白い項(うなじ)に、こんな状況であるにも関わらず、つい目を奪われてしまう。


雪乃「城廻先輩、これ以上騒ぎが大きくならないうちに、相模さんを呼んでもらっていいですか?」

城廻「あ、うん、そ、そうだね。ちょっと待ってて」

慌ただしくその場を離れるめぐり先輩の姿を見届けると、雪ノ下は自然体のままチーバくんにしずしずと歩み寄り、ギリギリの間合いでピタリと足を止めた。


雪乃「準備ができたら声を掛けてちょうだい」


こちらを振り向きもせず、なんの気負いも衒いもないその声の頼もしさに惚れ惚れとしながらも、俺はすぐに気持ちを切り替えて次の行動に移った。


ここでは後々のためにも慎重に事を進める必要がある。


――― タイミング、角度、そしてなによりも一番重要なのは人選だ。


俺は素早く辺りを見回し、まず心配そうに雪ノ下を見つめる由比ヶ浜の姿に目を遣った。

文化祭のためにクラスで作ったお揃いのTシャツに下は動き易さを重視したジャージタイツ ――― 却下だ。

そして先ほどのショックから立ち直れずにがっくりとうなだれたままの平塚先生。

いつもの白衣にパンツスーツ ――― これも却下。


しかし、そうなると ……… 俺の心に焦りが生じてきたその時、



「 ……… ねぇ、あんた何やってんの?」



背後からかけられた声に振り向くと、いつものように気だるげに、それでいて呆れたような表情で俺を見る川崎沙希の姿があった。

どうやらこいつも騒ぎを聞きつけて様子を見に来たようだ。既に帰ったのか弟の大志の姿はない。


八幡「なんだお前か。悪いな、今ちょっと取り込み中 … 」


答えつつ、ふと川崎の姿を上から下まで見る。 ――― ビンゴだ!


八幡「おい、川崎。ちょっと協力してもらえるかッ?」

川崎「え? あ、あたし? な、なんで?」

八幡「今は説明しているヒマがないんだ! ただ … 」

川崎「 … た、ただ?」 ゴクリ



八幡「俺には ……… 俺にはお前が必要なんだッ!!!!!!」



ざざざざざざ …

間隙を縫うようにして校庭に植えられた樹の枝が、海から吹き付ける強い風で一斉に揺れ動き、低い音を立てる。




川崎「…… えっ?」



川崎「えっ? ええええええええええええええええええええええ ?!」///



川崎「そ、そそそそ、それって、どどどど、どういうことなの?」///

なぜか川崎が頬を赤らめてわたわたしているが、今はいちいちそんなことにまで構っていられない。

八幡「いいからッ! 頼まれてくれるのかッ?! くれないのかッ!? どっちなんだッ?!」

川崎「い、いいけど…どうすんの?」///

俺は川崎の返事を聞くや否や、有無を言わさず、ぱしりとその手をひっ掴む。


川崎「え? や? ちょ? なに?」///

そのままうろたえる川崎をひきずるようにして、チーバくんからよく見える位置へと移動した

そしてなおも戸惑う彼女にくるりと向き直ると、今度は自分を落ち着かせるためにひとつ大きく吸った。

チャンスは一度だ。


――― 方向、よし!

――― 角度、よし!


タイミング ――― よし、今だっ!



八幡「すまんっ!こうする!」








――― そして次の瞬間、俺の手は制服姿の川崎のスカートを高々と捲り上げていた。



川崎「ひゃうっ!?」///




期待に違わず、川崎は今日もやっぱり黒! レース! しかもガータ! マニアック!


チーバくん「っ?!」


川崎の下着(黒)に目を奪われたチーバくんに、ほんの一瞬だが隙が生じたように見えた。



八幡「今だっ! 雪ノ下ッ!」



俺の放った合図の声とともに、雪ノ下は一気にチーバくんに詰め寄り、超えるとも見えずに間境を超えていた。

冷ややかな笑みを浮かべながら、チーバくんの太く短い腕に、対照的なまでにたおやかな自らの両手を優し気にそっと掛ける。


雪乃「Shall we dance ?」


雪ノ下の唇が確かにそう言葉を紡いだように見えたその時、さして力を入れた風もなく、まるで舞うが如く優雅に円を描きながら、くるりとその細身を翻すのが見えた。



―――― 気がつくとチーバくんの身体が鮮やか宙に舞い上がり、陽光を遮りながら黒々とした影を形作る。



そして、次の瞬間にはそのままスローモーションのように地面へと投げ落とされていた。

本日はここまでノシ

>>635

魔翌翌翌力じゃなくて魔翌力だよな … なにやってんだか。

マジでなんか変換がおかしい。コピー元の原稿はちゃんと“魔翌力”だった。

げげげ、“まりょく”と書き込むと“まよくりょく”になる?!


もしかしたら今までの誤字脱字も全てそのせい …… なわけねーか。

メール欄にsaga打てば大丈夫

>>658

殺〇とか〇ブは知ってたけど、まりょく、も禁止ワードだったんだ。さんすこ。いい勉強になった。


ずばんっ 


どおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおん


チーバくん「きゅう」


周囲に響きわたるほどの派手な ――― イメージとは裏腹に、ぽすんと間の抜けた音ひとつで倒れたチーバくんは、目でも回してしまったのだろう、そのままピクリとも動かない。


雪乃「ふぅ … 、一応、手加減はしたつもりなのだけれど?」

雪ノ下の方はといえば、息も乱さず、汗ひとつかいていない。

八幡「お前、こんな状況でよくそんな余裕あんのな … 」 ヒクッ

半ば驚き半ば呆れつつ、俺は仰向けに倒れたチーバくんにゆっくりと歩み寄る。

平塚先生の猛攻にも耐えたくらいなのだから、この程度でケガをするようなことはまずないだろう。

ぱっと見、瞳孔は開いたままだし、息をしている様子もない … 着ぐるみだから当たり前か。

とりあえず脳震盪 … は脳ミソないから大丈夫。脳挫傷 … も脳ミソないから大丈夫と。脳挫滅 … おっと言うに及ばずだったな。


八幡「 … やれやれ、観念しろ、材も … 」



「 ――― ふぅむ、これはもしや鶴翼の陣」


その時、背後から不吉な影を落としつつ、どこかで聞き覚えのあるような無駄にいい声が響いてきた。
  

「 ――― 数で劣る相手を殲滅するに良い陣形ではあるが、左右の兵が遅れることで大将首を狙われる恐れのある諸刃の剣 … 」

声の主は頼まれもしないのに知ったかぶりで蘊蓄を垂れ流しはじめる。うざい。


「 ――― いやはや、三方ヶ原における信玄公の戦ぶりを思い出すではないか … のう、八幡よ」

無視されたのが悲しいのか、それとも単に無視されたことに気がついていないだけなのか、やけにしつこい。そしてそれ以上に鬱陶しい。


「 ――― 八幡? 八幡? ね、聞いてる? ね、ね、ね、ね、八幡? 八幡たらぁ!」


…… なに急にカワイコぶってんだよ、キメェな。


八幡「 … お前、さっきからうるせぇ よ … って、え?!」



さすがにいい加減イラっときて舌打ちしながらくるりと振り返った俺の目には、逆光で隠されてはいるものの、まさに今、目の前で倒れ伏すチーバくんと、うりふたつといっていいほど似通ったシルエット。


材木座「八幡が、我を無視するからであろうっ!」


――― そう、材木座義輝その人の姿が映っていた。


八幡「って、材木座ぁ?!」

雪乃&結衣「えっ?!」 「中二っ?」


材木座「 …… はぽん?」



平塚「なにぃ … 材木座 … だと … ?」

材木座と聞いて、平塚先生がまるで幽鬼のようにふらりと立ち上がる。

顔にかぶさった長い髪のせいで、その表情までは読めない。

そしてそのままふらふらと魂の抜けたような頼りない足取りで一歩一歩材木座に歩み寄り、目の間で足を止めた。



平塚「迷って出たか材木座よ!? 外道照身霊破光線!  汝の正体みたり! 前世魔人チーバくん、天っ誅ぅ ―――― !」


ばこんッ


材木座「ぶべらっ!?」


平塚「うむ、手応えありっ! 我が破邪顕正の拳を以て、今度こそおとなしく成仏するがよいッ!!」


…… いや、材木座、別に死んでた訳じゃないから。少なくとも今この瞬間までは。


だがその全身全霊をかけた渾身の一撃は、確かに死体でさえ屠り去るであろう威力だった。


復ッ活ッ! 平塚静ッ復ッ活ッッ! 平塚静香ッ復ッ活ッッ! 平(以下略


雪乃「 …… おかしい人を亡くしたわね」

結衣「ゆきのん、それ、惜しい人だし … 」

八幡「だいたいあってる … って、おい、ちょっと待て」


俺は倒れたままのチーバくんと材木座を交互に見る。

雪乃「そうね、肝心なことを忘れていたわ ……… この場合、不燃ゴミでいいのかしら?」

八幡「いや、そうじゃねぇだろ」

雪乃「ごめんなさい。予想外の展開にちょっと取り乱してしまって。どう考えても粗大ゴミよね … それともやっぱり産廃扱いなのかしら」

まじめな顔をして考え込む様は、まさに死人にムチを打つ行為。いや、死んでないけど。


平塚「む? チーバくんがふたりいる …… だと?」

自分が今殴り倒したばかりの材木座と、その向こうに倒れたチーバくんに気がついた先生が目をゴシゴシと擦る。あれ、角膜傷つけるからよくないらしいんだけどね。


平塚「 ……… ま、まさか、これは ……… ?」


自分のしでかした間違いにようやく気づいたものか、平塚先生の目が愕然と見開かれた。


平塚「 ………… ものが二重に見えるとは、もしや老眼の兆候 ?」


…… いやいやいやいや、だから今心配すべきなのはそっちじゃねーだろ。


ちょうどそのタイミングで目を覚ましたのか、チーバくんが倒れたまま、もぞもぞと動き始めた。


八幡「じゃあ、こいつはいったい…?」

生徒会役員の手を借りて、引き剥がすように脱がした着ぐるみの中から現れたそいつは、ゆっくりと上体を起こして辺りを見回す。

そして、鬱陶しいまでに長い髪を汗で額に張り付かせたまま、


「 ……… かー。っべー、やっぱ捕まっちったかー…」


その男 ――― 2年F組のお調子者、戸部翔は悪びれることなく、にかりと照れたように笑ってみせた。


結衣「とべっち、なにやってんの?!」

雪乃「ど、どういうことなのかしら?」


戸部「や、なに? なんつーか、その、やっぱ、ちょっとコレ、なんとなく着てみたかったっつーか?」

襟足を掻あげながら、戸部がもごもとご言い訳めいたセリフを口にする。

つか、男がてへぺろとかしてんじゃねーよ。コイツってば、やっぱり材木座とタメ張るくらいウザさだな。

だが、確かに普段からお調子者である戸部の性格からしてみれば、悪ノリやウケ狙いでこれくらいのことはしても不思議はないのかもしれない。いや、よく考えたら俺、コイツのこと語れるほどよくは知らないんですけどね。

しかし、さすがに悪ふざけにしては少しばかり度が過ぎている。いくらなんでもこれはやりすぎだろう。


戸部「これって超動きづれーし、中、鬼あちぃし、めっさ視界も悪りぃのなー」


皆の呆然とした視線を他所に、戸部ひとりが平然とした顔で、なにやらブツクサ文句を零している。


「 ――― とべっち、ここに居たの?!」


弾かれたように振り向く戸部に、反射的につられるようにしてその視線の先を追うと、そこには心配そうな表情を浮かべて佇む海老名さんの姿があった。


結衣「姫菜?!」


予想外の人物の登場に、思わずその場に居合わせた全員の視線が一斉に彼女へと注がれる。

海老名「チーバくん連れてきてくれるって行ったきり帰ってこないから心配したじゃない」

自分に向けられた皆の視線にもまるで臆することなく、海老名さんはそのままつかつかと戸部に歩み寄った。


戸部「あ、や、それがちょっと … その … なんつーか」

彼女が現れた途端、先ほどまでの開き直ったような態度はどこへやら、見る見る萎れ項垂れてしまう戸部。


結衣「どうしたの?」

海老名「うん、あのね、実はどうしてもチーバくんに会いたいって子ども達がいて … 」

結衣「子どもたち?」

海老名「うん、実はあたしの隠し子で ――  」


戸部「うえっ?!」


海老名「 ―― ってのは冗談なんだけど」



…… このタイミングで冗談かますとか、いったいどんな心臓なんだよ。


海老名「以前、ボランティアしてた時に知り合った子達なんだけど … 」

結衣「ふんふん?」



海老名「 …… 施設の子たち、なんだ」


小さく付け加えるように、ぽしょりと呟いた。



海老名「せっかくだから、うちの文化祭に招待したんだけど、こないだのチラシ見せたらどうしてもチーバくんに会いたいって。でも、時間とかよくわかんなくって」


……… なるほど、そういうことだったのか。


結衣「なんだ、とべっち、いいとこあるじゃん!」

由比ヶ浜が戸部の背中をぽんと叩く。

戸部「や、別に、そんなんじゃ…」///
 
戸部が照れたように頬を赤らめ、わしゃわしゃと襟足を掻き上げた。おいだからそれやめろただでさえウザイのに余計鬱陶しくなんだろ。

そんな戸部を見ているうちに、ふとあのキャンプ場での夜のことを思い出す。

…… そうだよな。こいつ、海老名さんにいいとこ見せたかっただけだもんな。

苦笑まじりに生暖かい視線を向ける俺に気がついた戸部が、驚き慌てて拝むように手を合わせた。


戸部「や、ヒキタニくん?! それ内緒で! マジ、オナシャス!」


雪乃「でも、だとしたら、中にいたはずの彼はいったいどうしたのかしら?」

先程から倒れたままの材木座にやっと皆の視線が集まるが、心配している気配は微塵も感じられない。ま、仕方ねぇか、材木座だし。

戸部「あー…、彼、ザイモクザキくんだっけ? ヒキタニくんのトモダチの」

八幡「いいか戸部、お前の今のセリフには三つの間違いがあるぞ?」

戸部「や、実は俺も最初、ザイモクザキくんに頼むつもりだったんだけどさー…」

八幡「ん? どうした? 断られでもしたか?」

こいつってば普段からリア充に対してやたらと無駄に敵愾心持ってるからな。ありえない話ではない。


戸部「いや、そうじゃなくて?」

ぶんぶんと顔の前で手を振ってみせる。


戸部「 …… なんつーか、俺が見つけた時には校舎裏で真っ白に燃え尽きててー? いくら話しかけても、ぜんっぜん反応なくってさぁー。かー、なんなん、彼?」


俺は伸びたままの材木座をあらためて見下ろす。


……………… ホント、なんなんだろうね、コレ。


結衣「それで、子ども達はどうしてるの?」

海老名「え? まだ向こうで待ってるけど … 」

そう言ってここから見えない一角を指差す。


結衣「ヒッキー…?」

由比ヶ浜が期待と不安の入り混じった目で俺を見つめた。

おいおいいヒキョーだろ。そんな捨てられた仔犬拾ってきた子供みたいな目で見られたら、断るものだって断り切れない。


八幡「…雪ノ下、まだ少しなら時間あんじゃねーの?」

俺が苦笑しながら声をかけると、

雪乃「ハァ…。やれやれ、そういうことなら仕方ないわね。さっさとなさい」

雪ノ下も諦めたかのように首を振る。


結衣「ありがとー!ゆきのん!」

それを聞いて由比ヶ浜が雪ノ下にがばっと抱きついた。


雪乃「ちょ、ちょっと由比ヶ浜さん、み、みんなが見てる前でそんなにひっつかないでくれるかしら … 」///



…… ってことは、みんなが見てなければいいってことですか、ゆりのしたさん?


八幡「ほれ、戸部。副実行委員長の許可も下りたことだし、折角だからお前が最後まで演ってこいよ」

状況が理解できないでいたらしい戸部は暫しポカンとした顔で俺達を見回していたが、やがて、

戸部「え? マジで? いいの? そっか、悪りぃーね。 んじゃまた、ちょこっとだけ貸してもらうことにするわ」

そう言って再びゴソゴソと着ぐるみの中へと潜り込んだ。


背後から裾がくいくいと引かれたことで、俺はもうひとつの問題に直面して板を事実を思い出す。

恐る恐るといった態で振り返ると、はたして川崎が真っ赤な顔をして上目遣いで俺を見つめていた。


川崎「あ、あのさ…」///

八幡「や、その、さっきは悪かったな … 」

たどたどしく弁解をしながらも、目を逸らさないようにしてそろそろと後じさる。


川崎「 ……… べ、別に、そ、それは、い、いいんだけどさ]

なぜかもじもじと恥ずかしげに身を捩る川崎。

川崎「そ、その、そ、そういうのは、ちゃ、ちゃんと言葉にしてくれないと…」ゴニョゴニョ ///


八幡「…は?」


川崎「こ、この後、あたし、ずっと教室いるから … 」


訊き洩らしそうなほど小さな声で言い残すと、川崎は俺に背を向け、そそくさと歩み去ってしまった。



文化祭の最終日、クラスの女子に、誰もいない教室で、呼び出し …… ?

これって、もしかしていわゆる ……


“テメェ、シメてやっから、後でちょっと顔かせや”ってことだろうか。


やべぇ、なんか超怖いんですけど。

代わりといってはなんだが、ここはひとつ腹パン一発くらいで勘弁してもらえませんかね ……… 大志に。


校庭の一角。大喜びでチーバくんにまとわりつく子供たちの姿を、海老名さんが微笑ましく見つめている。

柔らかな笑みを浮かべたその横顔からは、時折見せるエキセントリックな言動や、腐った趣味の片鱗さえも窺えない。

そんな彼女を見ていると、もしかして彼女自身も何か大切なものを守るために、あえて腐女子としてのポーズをとっているのかもしれない … ふとそんな考えが脳裏を過った。案外、戸部の気持ちにも、とうに気がついていながら、気のつかないフリをしているのだろうか。

俺の視線に気が付いたものか、海老名さんがこちらに振り向き、ニコリと可愛らしく笑みを浮かべる。


海老名「見て見て、ヒキタニくん。チーバくん、総ウケ … しかもショタ … 腐ヒッ」 ジュルッ


…はい、モノローグ撤回、撤回。


葉山「ヒキタニくん、戸部のために色々と気を遣ってもらってすまなかったね」

おっとり刀で三浦を伴ってかけつけてきた葉山が、そう言いながら俺の肩にそっと手を伸ばす。


八幡「あ … ばかッ … 葉山、やめろッ!」


だが、俺が制止するよりもその手が俺に触れるのが早かった。


海老名「は、葉山くんがヒキタニくんの身体を手にかけたっ?! … な、なんたる眼福!ぶっ腐ぅ!」

八幡「だからなんでそうやってわざわざ誤解を生むような紛らわしい言い回しすんだよッ!?」


三浦「ヒナッ、擬態しろし! 鼻血とヨダレふけし!」

すかさず三浦が生来の世話焼きおかん気質でもって海老名さんの鼻と口を同時に塞ぐ。


海老名「もがっ! もがもがっ! もががっ!」

…… でもそれだとフツウに呼吸も止まっちゃいますよね? もしかしてわざとですか?


つか、既に今回の文化祭で華々しくカミングアウトしてしまった以上、今更何をどう取り繕ったところで、もう完全に手遅れじゃありませんかね?

いちど豆腐や納豆になってしまった大豆は、どんなに手を尽くしても元には戻せないんだよ?


チーバくんの暴走は総武高校文化祭における「紅蓮の疾風事件」として、その後も一部生徒の間で伝説として語り継がれることとなる。

今回の評判がよかったので、次回は是非、体育祭にも呼んだらどうかとの声も上がったらしい。

またこれはものっそどうでもいい話なのだが、材木座の進路希望に「ゆるキャラ」という選択肢が加わったらしい。いやそれ職業じゃねぃし。


材木座「ぶほむ。八幡よ、“材木座エモン”というキャラクターを思いついたのだが、いかがであろうかの」

こいつ…真顔で聞いてきやがった。

俺の頭に、ふなっしーのせいで影の薄くなった船○市の公式ゆるキャラの姿が想い浮かぶ。


八幡「……… いいからユルいのは頭のネジだけにしとこうぜ? な?」


本日はここまで。次回いよいよラストです。更新日は未定。ノシ

さすがにここは直しておかんとあかんな。今更だけど(汗

>>676

1行目

背後から裾がくいくいと引かれたことで、俺はもうひとつの問題に直面して板を事実を思い出す。
              ↓
背後から裾がくいくいと引かれたことで、俺はもうひとつの問題に直面していた事実を思い出す。


喪前ら、そこは漏れを凹るところだろ、流れ的に(汗


有志団体のトリを務めるために葉山グループが慌ただしく立ち去り、気がつくと残されたのは俺と雪ノ下のふたりだけになっていた。

八幡「相模のヤツはどうしたんだ?」

先ほどめぐり先輩が探しに行ったはずだが、結局そのまま帰って来ていない。連絡もないということは、もしかしてまだ見つからないのだろうか。

雪乃「私も朝から別行動だったから、ずっと姿を見ていないの」

俺の問いに雪ノ下はふるふると首を振ってみせた。

八幡「あー…、もしかしたら、投票の集計結果を確認するために会議室に詰めているのかもな」

脳裏を過るイヤな予感を振り払うかのようにもっともらしいセリフを告げる俺を雪ノ下が不思議そうな目で見つめる。

俺はそんな彼女の視線に気がつかないフリをしながらも、手にしていた“それ”を無意識のうちに、ぎゅっと握り締めていた。


雪乃「 ――― そういえば、あなたの自転車を傷つけた犯人、わかったわよ」

唐突に切り出された雪ノ下の思いもよらない言葉に、俺は少しばかり面食らってしまっていた。


八幡「 …… あ? お前、いつの間に?」

おいおい、あんだけ激務こなしながら、いったいどこにそんな余裕あったんだよ?


雪乃「由比ヶ浜さんが協力してくれたお陰で、犯人を割り出すのは意外と簡単だったわ」

八幡「由比ヶ浜が?」

雪乃「ええ、私から話を聞いて、彼女もまるで自分のことのように怒っていたわ」

そう言いながら、ちらりと俺の反応を覗うように見る。


八幡「 …… んで、結局、誰だったんだ?」

このタイミングで話が出たということは、やはり相模か、その取り巻き連中ということなのだろうか。


雪乃「A組の男子なのだけれど ――― 」

八幡「 …… はぁ?」

意外、と言いたいところだが、雪ノ下から聞かされた名前にはまるで聞き覚えがなかった。少なくとも面識はないはずだ。まぁ、俺の場合、大抵の人間とは面識がないのだが。


雪乃「 ……… 1年の時、相模さんや由比ヶ浜さんと同じクラスだったらしくて … 」

八幡「それで?」

俺が続きを促すと、雪ノ下はほんの僅かだが躊躇うような素振りを見せたあと、静かに続けた。


雪乃「 ――― その頃からずっと相模さんに好意を持っていたみたいなの」


そういえば、今となっては三浦の陰に隠れて鳴かず飛ばずだが、相模も1年の頃はクラスの上位カーストとしてブイブイ言わせてたんだっけ。
つまりは、そこそこ人気者だった、ということなのだろう。

だとすれば、そのA組の男子生徒とやらは自分の片想いの相手をこきおろす俺が許せなくて犯行に及んだ、という事なのかもしれない。


――― やれやれ、思わぬところで恨みを買っちまったわけだ。


雪乃「今回の件に関して、相模さんは何も知らないみたいなのだけれど …… 」

言葉を途切らせたのは、恐らくどうするか俺に問うているのだろう。
わざわざ“今回の件”と断っているからには、相模一派の俺に対するネガキャンについてもある程度把握しているに違いない。


八幡「 ……… 言わんくていいだろ、別に。もう済んだことだし」

面識もない以上、とかく思うところもない。それこそ一週間もしないうちに今聞いたばかりの名前すら忘れるだろう。なにその1週間フレーズ。


雪乃「あなたなら多分そう言うと思ったわ。 ――― でも大丈夫よ。もう二度とさせないから」

その確信に満ちた物言いが少しだけ引っかかる。

八幡「お前、いったいそいつに何したわけ?」ヒクッ

雪乃「あら、聞きたいのかしら?」 ニコッ


八幡「 ……… いや、遠慮しとくよ」 だからその笑顔怖いからやめろってば。


雪乃「別に、少し追い詰め …… いえ、問い詰めただけよ」

…… しらっと答えやがった。つか、なんでそこで目ぇ逸らしてんだよ。


恐らくこいつのことだ、ちょっとやそっとどころの話ではないのだろう。

そう考えると、なぜか顔も知らぬ相手に対して同情の念しか浮かんでこなかった。


八幡「 …… 俺は全世界を敵に回すことなんかより、お前の存在の方がよっぽど恐ぇよ」

雪乃「それって、随分と失礼な物の言い草ね」

思わず本音を吐露してしまう俺に、雪ノ下が憮然とした表情で応じる。
だが、特に気分を害した様子もなく、そのままごくさりげない調子で言葉を継いだ。


雪乃「 ――― でも、例え本当にあなたが全世界を敵に回したとしても」


八幡「あん?」


雪乃「少なくとも、ふたり、あなたには味方と言える人間がいることを覚えておきなさい」


八幡「 ……… そりゃ頼もしいな。誰だか知らんが、その物好きなふたりとやらに、よく礼を言っといてくれ」

雪乃「礼には及ばないと思うのだけれど」

八幡「ぼっちってのは義理固ぇんだよ」



雪乃「 ――― 知っているわ。あなたのことは。よく、ね」


スミマセン、事情により今日はここまで。次回こそ、最後です。ノシ

久しぶりにまとまった時間ができたので、ちょっとだけ更新なう。終わんね(泣


その時、体育館からひと際高い歓声が上がる。

どうやら文化祭もクライマックスへ向けて徐々にボルテージが上がりつつあるようだった。

振り仰いだまま校舎の窓に反射する白い陽射しを避けるようにして見上げると、抜けるような空の青が目に沁みた。

ふと俺の横顔のじっと注がれる雪ノ下の視線に気が付く。

八幡「あー…、俺たちもそろそろ体育館に行ってた方がいいんじゃねぇのか? 」

これといった理由もないのだが、なぜか急に照れ臭くなり、顔を背けたままそれとなく声をかけると、

雪乃「そうね。――― でも、その前に比企谷くん? あなたさっき姉さんとふたりで何か話をしていたみたいだけれど?」

返ってきたのはいかにもさり気なく、それでいて明らかに探るかのような声。しかも“ふたりで”の部分だけがやけに強調されて聞こえるのは気のせいか。

思い当たる節があるとすればひとつ。恐らく雪ノ下の言う“さっき”とは、由比ヶ浜からの連絡を受けた直後に起きたあの出来事のことをさして言っているのだろう。

あの後、現場に向かおうとしていた俺は陽乃さんにちょいちょいと呼び止められ「ちょっとだけふたりで話があるんだけど」と、いかにも意味深な声をかけられている。



**********************************


八幡「 ―――――― 雪ノ下が文実委員長をやりたがっていた?」


フィジカルにもメンタルにも突き刺さりそうな視線を向ける雪ノ下をなんとか宥め賺して先に行かせた俺は、何の脈絡もなく不意打ちのように告げられたその言葉に、そっくりそのまま同じセリフで返してまう。

陽乃「ええ、そうよ。あの子のことだもの、私の真似をしようとしていたとしても別に不思議はないでしょう?」

そんな俺に対し、いかにもそれがごく当り前のことでもあるかのように平然と応じるあねのん。


八幡「 ……… それ、笑えない冗談ですね」

確かに雪ノ下は姉に対して強い憧れの念を抱いている。それは先ほど有志団体のオケを指揮する陽乃さんの姿を目にしながら交わした会話からも十分に窺えた。
また、それが完璧超人とも言える彼女の抱える唯一のコンプレックスとなっているであろうことも容易に想像がつく。

だが、少なくとも俺の知る雪ノ下は自ら率先して人前に立ちたがるようなタイプではない。逆にそういったことを極力避けているとさえ言っていいだろう。
そんなことは敢えて俺が口にするまでもなく、実の姉である陽乃さんの方がよく知っているはずだった。


陽乃「ちっちっち、わかってないなー、比企谷くん」

陽乃さんは訝し気な顔をする俺の考えを見透かしているかのように、すっきりと伸びた人差し指を立て目の前でゆっくりと振って見せる。
そこいらの女がやったらそれこそ失笑ものの仕草なのだが、彼女がするとまるで映画のワンシーンのように様になって見えた。

陽乃「あの子はね、別に人前に立つのがイヤってわけじゃないんだよ」

八幡「 …… どういう意味ですか?」

恐らくわざとであろう途切れた言葉の続きを促すに、

陽乃「人前に立つことで私と比較されるのがイヤなだけなの。――― だって、雪乃ちゃんがいくら頑張っても、私には絶対に敵(かな)わないって、わかってるんだもの」

彼女は事実を事実としてのみ述べるように、淡々とした口調でそう告げた。


陽乃「 ……… 自分ではしないで他人にやらせるところなんか、ほんと、あの人そっくり …… 」

やや間をおいて、濡れたように艶やかな紅い唇から漏れ出た呟きは、誰に聴かせるというでもなく、ただ言葉の余韻だけが昏い影のようにじわりと重く心にのしかかってくる。


八幡「 ……… そういうあなたこそ、なぜわざわざ相模をそそのかして雪ノ下を追い詰めるような真似をしたんですか?」

もって回ったような言い方とわざと仄めかしたセリフがいつになく燗に障り、募る苛立ちに知らず言葉が固くなる。

自分でもそれとわかるほど尖る視線を向ける俺に対し、陽乃さんは、その完璧ともいえる唇を僅かに綻ばせて小さく薄く嘲ったように見えた。

陽乃「このまま雪乃ちゃんひとりが自己満足しただけで終わってしまったら、面白くもなんともないでしょ?」

八幡「面白くないって …… 」

あまりにも身勝手で自分本位な言葉に俺は返す言葉を失う。


陽乃「 ――― それに、実力も能力もないくせに自己顕示欲ばかり強いあの手のタイプは扱いやすかったっていう、ただそれだけの話よ」

それがいったい誰のことをさしているのかは問うまでもないだろう。

雪ノ下が体調を崩すことなった一件で多少は思うところはあったにせよ、あねのんの余興めいた茶番につきあわされ、いいように利用された相模南がいっそ哀れにさえ思えてくる。


もちろん今回の文化祭の迷走を招いた一番の原因が相模であることは紛れもない事実だ。

だが、正直なところ、小さな仲間内のグループのリーダーならまだしも、こうした大きな組織の運営などまるで経験したこともないであろう彼女に多くを求めるのは酷というものだろう。

しかも、直近に雪ノ下という類稀なる逸材がいるだけに、その無能ぶりが余計に際立ってしまっていたのは、自業自得とはいえ彼女にとっては最大の不幸としかいいようがないとさえ言えた。

自ら文実委員長に立候補した事を例にとるまでもなく、自己承認欲求の強い相模のことだ、いかに自らが招いた状況とはいえ、いたたまれなかったであろうし、俺もその気持ちはわからんでもない。

腫れ物にさわるような扱いなら、いっそのことガン無視された方がまだ救いがあるというものだ。
ソースは中学時代の俺。頼むから「比企谷くんをクラスに馴染ませる会」とかやめてくんない?いや今は俺のことはどうでもいい。

ある意味で相模もまた、容姿、才能、人望の全ての面において自分を遥かに凌駕する雪ノ下に対してコンプレックスを感じていたに違いない。

それがわかっていながら、いや、わかっていたからこそ、陽乃さんは相模を利用し、直接手を下すことなく妹を追い込んで自分は高みの見物を洒落込んだのだ。


それが妹に対する信頼の顕れなのか、それとももっと別の何かなのか、いかに人間観察のスペシャリストを自認する俺と雖も、その美しくも厚い貌の下から窺い知ることはできなかった。

慄然とした思いで目を瞠る俺の心を知ってか知らずか、陽乃さんはまるで蝶の羽を毟り取る子供にも似たあどけなく無邪気な笑顔を浮かべたまま、こともなげに言ってのける。



陽乃「 ――― だって、それ以外に利用価値なんてないじゃない」



「 ―――― !」


その時、さほど離れていない校舎の影で誰かが微かに身じろぎし、息を飲むような気配が伝わって来た。

恐らくは陽乃さんもその事に気が付いたはずなのだが、それが何であれ、誰であれ、軽く一瞥しただけですぐに興味を失ったように見えた。


八幡「 …… なぜ、今ここで、そんなことを?」

本当に聞くべきことは他にもあったかも知れない。だが、それは明らかに今の俺が踏み込んでいい領域ではなかった。

形にも言葉にもならない模糊とした遣り切れなさが、否定でも肯定でもなく、彼女がそれを俺に告げた意図を問い質す。

陽乃さんは目を細めると、優しく、柔らかく、甘く、しかし明らかに毒の含まれた言葉を紡ぐ。


陽乃「これはね、比企谷くんに対する、私からの忠告よ」

八幡「 ……… 忠告?」 

陽乃「そう、忠告。もし、キミが雪乃ちゃんのことを今みたいに考えているとしたら、そう思い込んでいるんだとしたなら」



陽乃「 ―――――― 遠からずキミはあの子を失望させることになるわよ」



不意に低く転じた声は妙に冷たくひりひりと渇いていて、俺の耳には忠告と言うよりも、むしろ抗えぬ運命を告げる不吉な予言のように空ろに響いて聞こえていた。



終わる終わる詐欺。ではまたノシ

10 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします sage 2016/09/09(金) 13:41:39.03 ID:ij/k8YcBO
魔王様「HA☆YA☆TO☆(笑)の分際で…身の程を再理解させる必要があるみたいね?」

薄化粧マッチョメン×100に囲われたHA☆YA☆TO☆(笑)「ア゛ッ゛----!!!!」ズブッ… ズブッ… ズブッ… ズブッ……

何故かいるE.H(姓.名)女史「愚腐腐腐腐腐……」

奇跡的に残ってて安心しました。
仕事山場超えたんで、続き書こうと思ったら、いつの間にか文章書けなくなっててめっさ慌てた。

とりあえず終わらせます。


**********************************


八幡「 ……… なぁ、雪ノ下」


あの時、校舎の陰にポツンとひとつ落ちていた誰のものとも知れぬ文実委員の腕章を手に、俺は彼女に向けて重い口を開く。

――― お前、もしかして本当は相模の代わりに文化祭実行委員長をやりたかったのか。

だが、喉まで出かかっていたそのセリフは、無意識のうちに彼女の顔に姉の面影を重ね見てしまった事で中途半端に途切れてしまう。

もし、俺の知る、いや、知っているはずの雪ノ下が陽乃さんの言う通り全く違う人間なのだとしたら ――― 。

もし、ふたりが共有する信念や矜持が、俺だけの一方的な思い込みなのだとしたら ――― 。

わきあがる疑念に、言葉の続きを口にすることもできず、苦みを帯びた唾液が一度口にしかけたものを、そのまま飲み下すことさえ拒んだ。


八幡「 ……… やっぱり、お前はそのままでいいんじゃねぇのか?」


結局、俺が口にしたセリフはまるで別のものへとすり替わってしまっていた。

恐らく以前の俺ならば、あの時陽乃さんが告げた言葉など、単なる戯言として気にも留めはしなかっただろう。

だが、雪ノ下は決して嘘をつかないという、彼女に対する信仰とすら言える確信の揺らいでしまった今となっては、逆にその事実こそが彼女に向けて踏み出す一歩を躊躇わせた。

それは単に彼女に失望することを恐れるあまり、都合よく現実から目を背けてしまっただけなのかもしれない。


――― 例えそれがまたひとつ、自分の理想を他人に押し付けるという過ちを繰り返すことになるのだとわかっていたとしても。



雪乃「 ……… それってつまり、私には姉さんのようなマネはできない、という意味なのかしら?」





八幡「 ……… は?」


真っすぐ俺を見据える彼女の片方の眉がごく僅かに吊り上がり、その顔には今やお馴染みとなった負けん気の強い色が刷かれる。


八幡「 え、あ、や …… べ、別にそういう意味じゃなくてだな」


いきなりに怪しくなってきた雲行きに、俺は何と答えていいものかわからず、かといってこの状況では恐らく何をどう答えたところで死亡フラグが乱立してしまいそうで返す言葉に詰まってしまう。


雪乃「そう。だったら、まずはあなたのその思い違いから正す必要がありそうね」

雪ノ下は何事か決心したかのようにそう呟くと、

雪乃「比企谷くん? ちょっとだけ耳を貸してもらっていいかしら?」 いきなり奇妙なことを言い出した。


八幡「 …… あん?」


耳を貸すも何も、改めて周囲を見回すまでもなく、一般参加者も帰り大方の撤収作業も終わった今となっては目の届く範囲に人っ子ひとり見当たらない。
こんなひとけのない場所で今更内緒話もないだろうに、とは思いつつ、

雪乃「いいから、さっさとなさい」

何を怒っているのか憮然とした表情で告げる雪ノ下に渋々片耳を差し出すと、

雪乃「そっちじゃなくて反対よ」

八幡「あがっ?!」

今度はむっつりとした顔のまま、脛骨も砕けよとばかりの勢いで無理やり俺の首が逆の方向にひねられた、まさにその瞬間 ―――  


偶然にも俺の視界の隅で、文化祭開催期間中は閉鎖されているはずの校舎の屋上に、何やら人影らしきものが動くのが見えた気がした。






八幡「おい、ちょっと待て、雪ノ下。今 ――― !」



咄嗟に雪ノ下へと向き直るのと、俺の唇の端に何か柔らかな感触のものが軽く押しつけられるのは、ほぼ同時だった。



「なっ?!」「えっ?!」



雪ノ下は驚いたように目を瞠りながら慌てて口許を隠し、すぐさま俺から距離をとる。


雪乃「あ、あなた、いきなりなんてことをするのっ?!」///






八幡「……… いやこの場合どう考えてもそれ俺のセリフだろ」


八幡「 ……… いったいなんのつもりなんだよ?」///


未だ柔らかな感触の残る頬を手で抑えながら改めて問い質す。

そういやさっき、あねのんからも同じことされたような …… って、もしかして


雪乃「 ……… えっと、それはその …… お礼 …… なのかしら ……… 一応?」///


俺から顔を背け歯切れ悪く答える。だからなぜにして疑問形。


雪乃「で、でも、これで私の勝ちね」///

しかも、小さく拳を握りしめ誰にともなく勝利宣言。

……… おいおい、こいつってば、いったいどんだけ負けず嫌いさんなんだよ。


そんな彼女の姿を半ば呆気にとられつつ見ているうちに、俺の心で燻っていたはずのわだかまりも、気が付くといつの間にかきれいさっぱり消え去ってしまっていた。


だからというわけでもないのだろう、


八幡「 ……… なぁ、今回の文化祭、やっぱりお前にとっては自分の子供みたいなもんだったのか?」


改めて仕切り直すかのようなその問いは、あえて何をか意識するというでもなく、自然と俺の口から滑り出ていた。

多少婉曲な言い回しになったとはいえ、思うところは同じだ。

淡々と相模の補佐に徹する雪ノ下に、平塚先生の言うところの“我が子を育てるに似た楽しみ”を感じていたかどうかまではわからない。

しかし、俺の見る限り、副実行委員長として采配を振るう雪ノ下は、いつになく活き活きと光輝いて見えたのは確かだった。

それはやはり、常に憧れ、その背中を追い続ける姉に自らの姿を重ね、いつかは自分もああなりたいと望んでいるからなのだろうか。

それとも、彼女は彼女なりに、変わりつつあるという兆しなのだろうか。


だが、雪ノ下はその問いをどう受け取ったものか、ほんの一瞬だけ、キョトンとした表情を浮かべて俺を見る。

そして次の瞬間には、くるりと俺に背を向け、何も言わずにひとり先へ先へと歩き出してしまった。

その思いがけない反応に戸惑いつつも、慌てて小走りで後を追いかける俺の耳に、振り向くこともせずに告げる彼女の言葉が風に運ばれて届く。



雪乃「何をバカなこと言ってるの … 」





「 ………… 私たちの、でしょ?」




同じ風に吹かれて靡く彼女の黒い髪の隙間から覗いた耳元が、先程よりも更に真っ赤に染まっていたのは、俺の見間違いだったのかもしれない。


再び体育館から大きな歓声が沸き上がる。

ただひとり祭の輪の外にいるはずの俺にさえ、今はその熱だけがやけにはっきりと伝わってきた。

俺の顔が先ほどからずっと火照っているような気がするのも、多分そのせいなのだろう。


********** エピローグ **********



ふと気が付くと雪ノ下が足を止め、何かしら怪訝そうな面持ちで校舎の屋上を見上げている。



八幡「ん?どうかしたのか?」

雪乃「 …… いいえ、なんでもないの。きっと気のせいね」


小さく首を振ってみせる彼女を見ているうちに、いつの間にか俺の胸に否定しがたい、ある種の感情が芽生えていることに気が付いた。

じっと見つめる俺の視線に気が付いたものか、雪ノ下が顔を上げ、その黒い双眸を真っすぐ俺へと向ける。



雪乃「 …… あの、比企谷くん? ……… 今更こんなこと言うのも何なのだけれど」


八幡「お、おう?」///


まるで自分の気持ちを見透かされたような気がして、俺の口からは、つい、うわずった声が出てしまう。

そんな俺を見ながら、雪ノ下が静かに、躊躇いがちに口を開く。
















雪乃「 ……… あなた、いい加減、それ着替えたら?」







俺ガイルSS『かくして文化祭に房総の赤き狂犬は暴走す』 了


終わった~、というか、なんとか無理に終わらせた感じですかね。

さんざっぱら待たせてしまったお詫びに、昔書いたのがまだ過去ログに残ってたので、お目汚しですが…

俺ガイルSS『なぜか学校の階段には怪談話がつきまとう』 - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1374939221/)

次からはちゃんと書き上げてからうぷします。スミマセンした。

それではぼちぼち。


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俺ガイルSS 『(やはり)俺(に)は友達がい(ら)ない』

ガガガ文庫 渡航 著 「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている」SS

11巻の後のお話です。細かな齟齬も大まかな齟齬も広い心でスルーしてください。

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海老名「 ――― ヒキタニくん、知ってる?」


肩まで伸びたセミロングの黒髪、小さくまとまった可愛らしい顔立ちによく似合うピンクフレームのメガネ ――― 俺や由比ヶ浜と同じクラス2年F組に所属する海老名姫菜嬢が、振り向き様、いつになく真剣な面持ちで切り出した。

八幡「 ……… あん?」

昼休み、いつものように早めの昼飯を終えて机に突っ伏していたところへ“ちょっと話があるんだけど”と小さく声をかけられ、人目を避けるようにして案内された先は校舎最上階の踊り場である。

踊り場とは言っても別にひと昔前でいうところのディスコのことではない。ジャスコだって今はイオンだし、近所のサンクスだっていつの間にかみんなファミマだ。いや、それはこの際どうでもいい。

物置代わりに雑多な備品の無造作に積まれたこの校内の一角は普段から滅多に人が訪れるようなこともなく、昼間でも薄暗いこんな場所を好き好んで利用するのは、俺のように孤独をこよなく愛するぼっちか、そうでなければふたりだけになれる居場所を求めるリア充(笑)のカップルくらいのものだろう。

ぼっちとリア充(笑)では対照的どころか対極的とさえいえるのだが、殊、人目を避けるという一点においてのみ好む場所の傾向が変に似通ってたりするから、昼休みや放課後の行動範囲が丸かぶりだったりするんだよな。そのお陰で今まで何度気まずい思いをしたことか。

ちなみに言っておくと、俺の名前はヒキタニではなくヒキガヤである。漢字で書くと比企谷。

もしかしたらこのまま卒業するまでずっと名前を間違えて覚えられたままではないかと不安になることもままあるのだが、クラスメートでさえ名前を知らない人間の方が圧倒的に多いこの俺にっとは実はさしたる問題でもないのかもしれない。


海老名「あのね、ひとくちに腐女子って言っても、人によって色々とこだわりがあるんだよ」

八幡「 ……… は?」


予想外 ――― というか、ある意味あまりにも予想通り ――― なセリフを耳にして、何かの聞き間違いではないのか、いや、できればそうであって欲しいと自らの耳を疑ってしまったが、むしろ真っ先に疑うべきはやはり目の前にいるコイツの頭の方が先なのだろう。

海老名「文系、理系、肉食系、草食系、雑食系もいれば、リバ、逆カプ、下剋上はどんな好きな絵師さんでも絶対に認めないって人もいるし、かける順番によっては仲のいい友達同士だって血を見る事もあるんだからね?」

八幡「お、おう。そ、そうなのか … そりゃ大変だな」

次第に熱を帯びる彼女との間にフィジカルとメンタルの両面に於いて安全な距離を測りつつ、できるだけ刺激しないように後ずさりながら適当な相槌をうつ。

っていうか、かける順番が違うだけで不正解って、なにそれ小学校の掛け算問題かよ。 



海老名「年齢層だって幅広くって ――― 私の知り合いなんて、けっこういいところの奥さんみたいなんだけどふたりの子持ちだって言ってたし」

腐女子は腐人、貴腐人、汚超腐人と、年を経るごとにレベルアップし、最後は腐老腐死に至るか、もしくは妄想で悶死した挙句に腐死鳥となって甦るらしい。
まさに、ノーBL・ノーライフ。バカは死ななきゃ治らないというが、腐女子は死んでも治らないというのは、もはやその筋では定説、いや伝説と化している。

海老名「もしふたりとも男の子だったりしたら、それだけでもう、ゴハン三杯は軽くイケると思わない? ドンブリで!」

うちはダブルインカムで中流もいいとこだが、同じく子どもはふたり。幸いになことに小町は妹なのでギリギリセーフ。

それでも、もし、俺のかあちゃんがいきなりカミングアウトなんかしたら、さすがにそれはそれでかなりのところショックだ。

何食わぬ顔をして実は陰で俺とオヤジの絡みを想像して萌えていた、なんて考えただけで、もう頭の中を家庭崩壊の序曲がフルオーケストラで流れてきそうな気さえする。



八幡「 ……… んで、俺に用事ってのはなんなんだ?」


このまま放置しておくと海老名さんの妄想が無限にヒートアップしそうなので、適当なところでお茶を濁す。

彼女の方でも別に俺相手に腐女子について講義をするためにわざわざ呼び出したというわけでもあるまい。もしそうだとしたら、それはそれで怖いものがある。


海老名「あ、そうそう。つい布教の方に熱が入っちゃった。あのね、」

八幡「ちょっと待て、お前、今、布教とか言わなかったか?」

布教じゃなくて腐教だろそれ、という俺のツッコミを海老名さんは含みのある笑みでさらりと軽く受け流し、



海老名「 ―――――― ヒキタニくん、雪ノ下さんが留学するって噂、聴いてる?」



いつもの調子、何食わぬ顔で、突然とんでもないセリフを口にしたのだった。



海老名「 ……… ふーん、その顔は知らなかったって顔だよね ……… だとしたらやっぱりガセなのかな ……… でもそんなはずないし」


驚きを隠せないでいる俺を傍目に、小さく首を傾げて思慮深げに独りごちるその様はとても先程までの腐女子と同一人物だとは思えない。

もし仮にあれが俺の素の反応を見るための演技なのだとしたら、やはりこいつとんだ食わせ物だ。


八幡「 ……… どこ情報なんだよ、それ」

海老名「ごめん、それは言えないんだ。でも、かなり信用できる筋からだよ」

腐っているとはいえ、海老名さんはあの三浦優美子が自ら取り巻きとして選んだほどの美少女だ。
それだけではなく、時折見せるエキセントリックな言動を差し引いても俺なんかよりもはるかに処世術に長け、コミュ力も高いし、頭も切れる。

三浦や由比ヶ浜という学年でも屈指の美少女と同じグループにいるだけに華やかさという面に於いてこそ、その陰に隠れてはいるものの、実はそれすらも敢えて本人が意図しているのではないかと思わせる節がある。
まぁ、俺に言わせればもっと他に隠すべきもんがあんじゃねぇのかと言いたくもなるのだが。

いずれにせよ、そんな彼女だからこそ、決して根も葉もないヨタ話を鵜呑みにして他人に伝えるとはまず考えられない。
だとすれば、恐らくは彼女なりに確信を得た上でのリークなのだろう。


――― しかし、それでもやはり疑問は残る。


八幡「 ……… なんでそれをわざわざ俺に?」


相手の言葉の裏を読もうとしてしまうのは、俺のようなぼっちにとって最早自己防衛本能からくる習い性といっていいだろう。

本来なら海老名さんが真っ先に話すべき相手は、雪ノ下と共通の知人であり、かつ、最も近しい友人、つまりは由比ヶ浜であるはずだ。
そして、もし由比ヶ浜がその話を聞いていたとするならば、俺に黙っていられるはずがない。

雪ノ下雪乃はその厳格さと完璧さゆえに決して嘘は吐かない。 だが、それ以上に由比ヶ浜結衣という少女は、その素直さゆえに嘘のつけない性格なのだ。


海老名「ヒキタニくんには修学旅行の時にとべっちのことで色々とお世話になったし?」

俺の不躾な質問に対し、海老名さんはいつものように感じの良い笑みを浮かべて率直に応える。

恐らくは、彼女のいう“色々”とは、主に昨年の修学旅行における嵐山での一件のことを指しているのだろう。
俺にとってはあくまでも奉仕部の仕事としてやったことなのだが、どうやら海老名さん自身はあの事を俺に対する個人的な“借り”として受け止めているようだ。

借りは借りとして早めに返しておくに越したことはない ――― もしそういう意識が働いたのだとしたら、なるほど、それはそれで頷けないこともない。


海老名「 ……… でも、もちろんそれだけじゃないんだよ?」 

だが、まるでそんな俺の考えを読んだかのように、不意に彼女の声が濡れたような艶を帯びる。


八幡「ん?」


海老名「 ……… ねぇ、お願い。我慢できないの …… ここなら誰も来ないわ …… だから、いつものように …… して?」 


妙に潤んだ瞳で俺を見つめながら熱く吐息混じりの甘い声で囁くと、彼女は自らの手でスカートの裾をそろそろとたくしあげた。




すぱこんっ



咄嗟に手近にあった来客用のスリッパで叩く(はた)と、海老名さんの頭がまるで次世代汎用京速計算機みたいな軽快な音を立てる。


海老名「いったーい。暴力反対!」


両手で頭を抱え、非難がましい涙目で俺を見る。その声と仕草がやたらと可愛らしいだけに余計に腹立たしいことこの上ない。


八幡「何がっ、いつものように、だっ?! 何がっ?!」///

海老名「んもうっ、ちょっとふざけただけじゃない …… あ、でもこの痛みがいつしか快感に ……… って、ちょっ、ウソだから、ね? 女の子相手にグーはやめようよ、グーは」

そうは言いつつも、海老名さんはいっかな悪びれた風でもなく、それどころか満面に腐敵な笑みを浮かべて、メガネの奥のそのつぶらな瞳をキラリと輝かせる。

海老名「冗談はともかく、もしかして“彼”なら何か知ってるかもしれないわよ ……… ヒキタニくんの」


八幡「 ……… いや、そういうのもういいから」



海老名さんの言う"彼"とは、2年F組のカリスマにしてリア充(笑)グループのリーダー、葉山隼人のことである。

呼び出された葉山は俺の姿を認めると少しだけ意外そうな表情を浮かべて見せた。


葉山「 ……… 随分と珍しい取り合わせだね」

イケメンに似つかわしいその爽やかな笑顔に僅かだが探るかのような色が混じる。

海老名「あら、もしかして隼人くんたら妬いてる? でも、大丈夫。私たちはあくまでもカラダだけの関係だから」

八幡「 …… お前、頼むから少し黙ってろよ」


苦笑を浮かべる葉山に、俺は先ほど海老名さんから聞いた話をそのまま、しかし情報源については敢えて触れずに伝える。


葉山「 ――― ありえない話ではないかもしれない」


俺の話に無言で耳を傾けていた葉山だが、暫しの黙考の末に選んだのは、あくまでも可能性を示唆するだけにとどめた慎重な言葉だった。

つまりそれは雪ノ下の留学の話は葉山も知らなかったということなのだろう。その割にはあまり驚いた様子が見えないのが奇妙といえば奇妙だった。


海老名「そういえば、雪ノ下さんって帰国子女なんだっけ?」

自分がその情報源であることなどまるでおくびにも出さず、ごくさりげない海老名さんの言葉に葉山が無言で頷いて見せる。

雪ノ下が帰国子女であることはもちろん俺も知っている。
そもそも彼女の所属するJ組、国際教養科は帰国子女が多いクラスだ。だから留学自体は決して珍しいことではないのだろう。だが ――― 、


海老名「でも、どうして今になって急になんだろ?」

海老名さんがぽしょりと呟く。誰に向けて問うたというわけでもないが、明らかに葉山を意識してのことだろう。

確かに問題はそこである。留学ともなればそれなりに事前準備も必要なるだろうし、その過程で何かしらの噂が洩れ伝わってくるはずだ。

どんなに本人がひた隠しにしたところで所詮人の口に立てる戸はない。また、隠そうとすればするほど逆に広まってしまうのが噂というものなのだ。

しかし雪ノ下は今までそんな素振りは露ほども見せていなかったし、それ以前にそんな大事なことを俺や由比ヶ浜にまで黙っている理由もないはずだ。


八幡「ところで3年次の留学期間ってのはいったいどのくらいなんだ?」

海老名「んー…、受験の準備とかもあるから、春休みの期間中 …… 長くてもせいぜい一学期の中間あたりまでじゃないのかな」

八幡「そうなのか?」

留年ならまだしも留学には全く縁のない俺だけに、答えの内容そのものよりも、むしろそんなことにまでそつなく答えることのできる海老名さんの方にこそ驚きを禁じえなかった。

やはりこいつ、只の腐女子じゃねぇな。腐女子というだけで既に只者ではないのだが。

だが、もしそれが本当なら、いわゆる短期留学ということになる。
よくわからんが感覚的にはちょっとした海外旅行みたいなものなのだろう。だとすれば、さほど大騒ぎするほどのことでもないのかも知れない。

自分の肩から自然に力が抜けるのを感じながら、ふと目を向けると


葉山「 …… いや、必ずしもそうとも限らないんじゃないかな」

それまで黙していた葉山が急に口を開いた。

八幡「あ?」

葉山「確か、留学先で特別優待生の制度を利用すれば3年の2学期の最後に単位認定試験を受けるだけで卒業資格を得ることができたはずだ」

その言葉に、思わず俺と海老名さんが顔を見合わせる。


海老名「 …… それってつまり 」


葉山「 ――― ああ。場合によったら、雪ノ下さんはそのまま留学先で海外の大学を受験するつもりでいるのかもしれない」


不意に俺達を取り巻く空気が薄く、重くなったかのような錯覚を覚える。階下の喧騒でさえ、まるで別世界のできごとのように遠く聞こえた。

現時点では、まだあくまでも数ある可能性のひとつに過ぎないとはいえ、雪ノ下の性格や彼女の家庭の事情をよく知る葉山が口にしたことでその信憑性はいやでも増す。
また、それだけではなく、葉山の口ぶりからして他にも何か、恐らくは俺たちが知りえない特別な事情があるような気がしてならなかった。


葉山「 ――― もしかしたら、俺のせいなのかもしれない」


自らの生み落とした沈黙に耐えかねたかのように、葉山が再び口を開く。


海老名「隼人くんのせい?」

八幡「どういうことだ?」


話の続きを促す俺達に、葉山は僅かに逡巡するかのような様子を見せたが、やがて何かしらの覚悟を決めかのように、無音の溜息をひとつ、静かに言葉を継ぎ始めた。


葉山「雪ノ下さんの家と俺の家が懇意にしてるのはもう知ってるね?」

八幡「 …… それは雪ノ下から聞いている。それがどうかしたのか?」

確か親同士が旧知の仲で、葉山の父親は雪ノ下の親父さんの経営する建設会社の顧問弁護士かなんかだったはずだ。


葉山「彼女がキミに言ったのはそれだけかい?」

八幡「それだけって …… どういう意味だよ」

まるで葉山らしからぬ奥歯にものが挟まった様な言い方に焦れた俺は、つい尖りの帯びた口調で訊き返してしまう。

それと同時に、模糊として形を成さないが、酷く嫌な予感めいた何かが次第に胸中を圧迫し始めるのを感じとっていた。

校内マラソン大会の前、雪ノ下は確かに他にも何かいいかけた。しかし、俺はもう充分だと彼女の言葉を遮ってしまったのではなかったか。

それは多分、彼女が告げようとしていた事柄についての胸の悪くなるような自分の予想に反駁するあまり、無意識のうちにそれを否定し、拒んでいたからに他ならない。


葉山はそんな俺の様子をじっと見つめながら、なかなか次の言葉を発しようとはしなかった。

そのすぐ傍で海老名さんがひとりでぶひぶひ言ってるがそこは敢えてスルー。なにやってんだよこんな時まで。


ややあって葉山がやっと口を開いたが、その表情は昏く翳り、口調はいつになく重く鈍かった。


葉山「ゆくゆくは、両家の間には婚姻関係によって強い絆が結ばれる事になっているらしいんだ」

そこで一度言葉を切ると、今度は聞き違えようのない、はっきりとした口調で淡々と告げた。



葉山「 ――― 高校を卒業したら、多分、俺は雪ノ下さん、或いは陽乃さんのどちらかと、正式に婚約することになると思う」



本日はここまで。次回の更新はまだ未定です。ノシ


カタンッ


その時、俺たちの背後から微かに息を飲む気配とともに、小さな物音が聴こえた。


葉山「 ……… 優美子」


葉山の向けた視線の先を追うようにして振り返ると、そこには自慢の金髪ゆるふわ縦ロールに縁どられた顔を蒼白にして立ち竦む三浦優美子の姿。
そしてその後ろには由比ヶ浜のピンクがかった茶髪のお団子髪が覗いて見えていた。


三浦「あ、あーし、姫菜のこと探しに …… そ、そしたら隼人の声がして」


いつになく取り乱したその様子からして、恐らくは今の会話を漏れ聞いていたのだろう。

だが、三浦はそれ以上言葉を続けることができず、胸の前で握り締めた拳と小さくすぼめた肩を震わせながら、葉山の目を避けるように視線だけを床へ落とす。

やがて無言で背を向けると高く小刻みに響く足音だけを残し、その場から逃げるように走り去ってしまった。


由比ヶ浜はそんな三浦の後姿を見ながら、すぐに後を追うべきかどうか躊躇っていたようだが、その視線をおずおずと俺に向けた。
言葉にこそ何も出さないが、その揺れ動く瞳を見れば何を問うているのかは一目瞭然だ。


八幡「 …… 追わなくていいのか?」


俺は由比ヶ浜の視線を受け止めることができず、代わりに葉山に低く訊ねる。


葉山「追ったところで、何ができるって言うんだい?」

返ってきたのは冷たく、そっけないとさえ思えるような返事。
自嘲さえ含んだその乾いた声が、俺の耳にはまるでどこか他人事でもあるかのように虚ろに響いて聴こえた。

葉山「優しい言葉が却って相手を深く傷つけてしまうことだってある。同情や憐憫が相手を余計に惨めすることだってある」

まるで独り言のように訥々と言葉を連ねる。

葉山「そうだろう? 違うか? 比企谷?」

静かだが、まるで八つ当たりのようなその口調に、込められた苛立ちと遣り切れなさが切々と伝わって来た。


結衣「 …… でもだからって」

八幡「 …… よせ、由比ヶ浜」


堪りかねて何か言い募ろうとした由比ヶ浜を静かに遮る。

別に葉山を庇い立てするつもりはない。ただ単に、うちひしがれた今の葉山をこれ以上追いつめるような真似はしたくはないし、させたくもなかった。


結衣「 …… そんなのって、酷いよ」


ぽしょりとひとつ切なげな言葉を残し、由比ヶ浜は三浦の後を追うようにして階下に駆けていく。

やがて海老名さんも小さく溜息をひとつ吐くと俺に一瞥をくれ、だが何も言わずにそのままゆっくりとその場を後にした。



八幡「 ……… それがお前の選択なんだな」


俺の言葉に、葉山はゆっくりと力なく首を振って応える。

葉山「そうじゃない。俺には最初から選択の余地なんてなかったんだ」

臓腑を締め上げるかのようなその声にもし色が付いたとしたら、それは紛れもなく血の赤だった。


八幡「そうか … 」


恐らくは葉山もずっと親によって敷かれたレールの上をただ走り続けるしかなかったのだろう。

誰にでも公正で、わけ隔てなく公平の接する態度は、裏を返せば他人との間に特別な人間関係を構築せず、誰に対しても心を開いていないという証でもある。
常に明るく爽やかに振る舞いつつも時折垣間見せる冷淡さは、期待に応えようとしながらも応えることができない罪悪感と焦燥の裏返しだったのかもしれない。

だが、葉山はその生来の責任感の強さと高潔さゆえに、本人の意思とは関係なく常に周囲から期待され、そうしたポジションを求められ、本人も可能な限りそれに応えてきた。自分の行いが常に嘘と欺瞞に塗れていると知りつつもも、敢えてその役を精一杯演じ続けてきたのに違いない。

ノブリス・オブリージェ。持てる者は持たざるものに対してより多くの責任を負う、だったか。

いつぞや雪ノ下が口にしたそのセリフは、当然、葉山にも当て嵌まっていたのだろう。
それはある意味、他人より抜きんでた才能を与えられた者にのみ架せられる"呪い"のようなものなのかも知れない。


葉山「キミはこんな時にさえ随分と落ち着いていられるんだな」

不意に葉山が返してきた言葉によって、俺の思いは断ち切られる。


八幡「あん? そりゃ皮肉か?」 

葉山「いや、素直に感心しているだけさ」 


いつもの調子でまぜっかえすと、葉山もいくぶんいつもの調子を取り戻し苦笑で応える。


そうは言いながらも正直なところ、実は俺もかなりのところ動揺していた。しかし、今はそれより先にしなければならないことがある。



八幡「 …… まぁ、いずれにせよさしあたっては、もうひとりの当事者に話を聞いてみるしかねぇだろ」



短くてスマンが今日はこの辺で。ノシ


その"もうひとり"、つまり雪ノ下の所属する2年J組の教室は、同じ2学年のフロアの一番奥まった場所に位置している。

帰国子女が多いこのクラスは女子の比率が高く、ほとんど女子生徒のみで構成されているといってもいいだろう。

それだけに俺のようなあまり見慣れない顔、しかも腐った目をした挙動不審な男が近くでうろうろしている、というだけで胡乱な目で見られてしまう。
かてて加えて俺の方も普段から女子に見慣れられていないだけに、注目を浴びることによってますます挙動不審になってしまうという、まるで絵に書いたようなデフレスパイラル。

こんな時ばかりは俺の得意とするステルス機能もまるで役に立たないどころか、逆により一層悪目立ちを助長するばかりだった。

雪ノ下の連絡先を訊いておかなかったのが今更のように悔やまれるが、既に後の祭りだ。


砕け散りそうになるメンタルにひたすら鞭打ち、半ば開き直るようにしてJ組の教室の前まで辿り着くと、そこにはなぜか所在なげにたむろしている数人の男子生徒の姿があった。ちなみに俺の場合は教室の中でさえ所在ない。

こんな時、本来であればその中に誰か知り合いを見つけて雪ノ下を呼び出してもらうのがベストなのだが、残念ながらJ組に知り合いはいない。

というか、ナンバーワンよりオンリーワンを地で行く俺としては、全学年を通じて知人はおろか、俺の名前を知っている存在すらほとんどいないと言っていいだろう。当然この場合、戸塚は例外、材木座は問題外だ。


仕方なく覚悟を決め、男子生徒の前を“ちょっと通りますよ”とばかりに素通りし、そのまま教室の扉を開けようとすると、


「おい、待てよ」


いきなり背後から肩をつかまれた。

見れば先ほどから教室の前にいた男子生徒のひとり。しかもこの学校にもJ組にも似つかわしくない今時のオラオラ系だ。
パリピの多い千葉とはいえ、こんなオラオラしてるやつなんて、ドラゴンボールかジョジョでぐらいしかお目にかかったことがない。


普段であれば、例え相手がどのような無礼を働いたとしても終始下手かつ卑屈に接し、姿が見えなくなった途端“ふっ、今日のところはこれくらいで勘弁しておいてやる”と人知れずクールに呟くところまであるのだが、今の俺は少しばかり虫の居所が悪かった。


八幡「雪ノ下に話があんだよ。いるんだろ?」


文句でもあんのか、と言わんばかりの俺の剣幕にたじろいだのか、それとも雪ノ下の名がそうさせたのか、オラオラ系は少しばかり驚いたような顔をすると、躊躇いがちに周りの生徒と目を見交わす。これはどうやら後者みたいですね。うん、八幡そう思う!

そのうちに「ほら、確かこいつ … 」と誰かが俺を見ながら耳打ちすると、オラオラ系は「マジかよ」とボヤキつつ、


男子生徒「 …… とにかく今はやめといた方がいい」


小さく首を振り、周りの生徒もまるでそれに倣うかのように一様に首肯する。

いつに増して自意識過剰になっていたのか、そのいかにもといった訳知り顔が癇に障った俺は、理由も聞かずに無言で肩の手を払い除けた。

そして、更に何か言い募ろうとするオラオラ系を無視してJ組の扉を開けようとした、まさにその瞬間、


ガラッ


いきなり内側から扉が引き開けられ、溜息の出るほど長く美しい黒髪と、同じくらい深く濃い色を湛えた瞳を驚きに見開く美少女 ――― 雪ノ下雪乃本人と目が合ってしまった。



雪乃「 ……… 」(八幡を見る)

八幡「 ……… 」(雪乃を見る)



ガラガラガラガラガラ …



八幡「 …… ちょっと待て、なぜいきなり無言で閉めようとする?」


ほんの僅かに開けられた戸の隙間から、警戒心も顕にこちらを覗き見るようにして雪ノ下がおずおずと口を開く。


雪乃「な、何の用かしら? 新聞ならもうとってますけど?」

八幡「いや別に新聞の勧誘に来たわけじゃないから」


雪乃「テレビがないからNHKも見てません」

八幡「受信料の徴収でもない」


雪乃「あれほど覗かないで下さいと言っておいたのに」

八幡「 ……… お前、教室でハタでも織ってんのかよ」


もしこいつの正体が鶴だとしたら、恩返しより先に罠を仕掛けた相手に十倍返しとかしそうで超怖い。ほんとうにあったらこわいむかしばなし。


八幡「 ……… ちょっと話がある」 敢えていいかとは訊かない。

その俺の様子に、ただならぬものを感じとったのか、雪ノ下が僅かに戸惑いの表情を浮かべるのがわかった。


雪乃「ごめんなさい。今はちょっと …… 話があるなら放課後ではダメなのかしら?」

確かに放課後になればイヤでも部活で顔を合わせることになる。だが、


八幡「ふたりだけで話したいことがあるんだ。それに …… 」

ふたりだけ … という言葉を雪ノ下が口の中で小さく反芻する。


八幡「中途半端にして置くと寝つきが悪くなるんでな。次の授業、数学だし」

雪乃「 …… 数学の授業は寝ることがデフォなのね」


八幡「なんでもいいから、取り敢えずここを開けろ」

雪乃「だ、ダメよ」

このまま扉越しに押し問答を続けたところで埒があきそうにない。

それどころか雪ノ下を説得するために白墨(はくぼく)を食べたりパン粉を手を塗(まぶ)すことにもなりかねない。

仕方なく俺は先ほどからずっと手を掛けたままにしていた扉を力に任せて引き開けた。



雪乃「 ―――― あっ」



八幡「 ……………… え?」



当然のことながら、開け放たれた扉の向こう側、雪ノ下の背後にはシュールな高校生活、つまり女子高生の女子高生による女子高生のための、ごくごく普通のお昼休みの光景が展開されている。


――― と、思いきや、恐らくは次の授業が体育なのだろう、教室の隅でひと固まりになった女子が文字通りキャッキャウフフとお着替えの真っ最中だった。


そして扉が開け放たれた途端、すわ何事ぞとばかりにほぼ全員の視線がこちらに向けて一斉に注がれる。





**** し ば ら く お ま ち く だ さ い ****






雪乃「 ………… だから」

男子生徒「 ……… やめとけって言ったのに」



まるで地球が自転も公転も止めてしまったかのように静まり返った教室の中と外で、雪ノ下とオラオラ系が同時に呟くのが聞こえた。



雪乃「と、とにかくこっちに来なさいっ! いいからっ、早くっ!」


次の瞬間、雪ノ下は俺の手をぱしりとひっつかむと、そのまま強引に腕を引きながらJ組の教室から速足で遠ざかる。


八幡「えっ? やっ? ちょっ? おっ?」


咄嗟のことに戸惑いつつ 半ば引きずられるようにしてジャージ姿の彼女に付き従う俺の耳に、



っきゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああ



一拍置いて、盛大な嬌声とも悲鳴ともつかない叫びが湧き上がるのが聞こえたが、とりあえず後の事は努めて考えないようにした。


今日はこの辺で。近日中にまた更新します。ノシ


倒(こ)けつ転(まろ)びつしながらも、雪ノ下によって拉致同然に強制連行された場所は、先程と同じく校舎最上階の踊り場。
どうやら今日はよくよくこの場所に縁があるらしい。


雪乃「 ……… まったく、いきなり教室になんかに来られたりしたら、また変な噂が立ってしまうじゃない」///

八幡「 ……… 悪かったよ。ん? また?」

雪乃「な、なんでもないわ」///


ここまで俺の手を引きながら足を緩めることなく歩いてきたせいか、雪ノ下は既に息も切れ切れの状態である。顔が赤いのも恐らくそのせいなのだろう。


八幡「それにしてもお前ってば、相変わらず体力にはからきし余裕がないのな」

ジャージの胸元はまだまだ十分過ぎるくらい生地に余裕があるみたいだけど。


雪乃「あなたこそ、その足、どうかしたの?」

八幡「あん?」

雪乃「気のせいかちょっと引き摺っているみたいだけど。この間のマラソン大会で頑張り過ぎたのかしら?」


八幡「 …… ああ、これか。寒かったり雨が降ったりすると、たまに古傷が痛むことがあってな」


――― 言ってから、しまったと思った。己の迂闊さに舌を噛みちぎりたいくらいだ。


雪乃「 ……… そう。あの …… ごめんなさい」


雪ノ下が顔を俯けながらしょんぼりと肩をすくめる。


高校入学の初日、俺は由比ヶ浜の飼い犬である家具付きの貸部屋みたいな名前をしたミニチュアダックスフント ――― サブレット? いや、サブレだっけか? ――― を助けるために、雪ノ下の乗る車に撥ねられて足を骨折し、その後暫く入院生活を送ることを余儀なくされている。

俺としてはそんな事なんてとうの昔に忘れていたし、それ故の失言でもあったのだが、間接的にとはいえ加害者の立場である雪ノ下が覚えていないはずがない。


八幡「や、すまん。別にそういう意味じゃなくて、えっと、これはホラ、アレだよアレ、なに? 遺伝っつーかなんつーか? その、うちのオヤジも俺や小町に脛とか齧られて超ボロボロだし? 」

それに足なんてただの飾りですよ。偉い人にはそれがわからんのです。

しどろもどろになりながら必死に言い訳する俺を見て、雪ノ下は、ふっと困ったような笑みを浮かべ、――― やさしいのね、と小さく呟いた。

そんな風にされたら、俺としてもどんな顔をしていいのか困ってしまう。



雪乃「ところで、私に話っていったい?」

やっと呼吸も落ち着いたのか雪ノ下が改めて俺に問うてきた。


八幡「 ――― どういうことなんだ?」


細部を省いて直球で切り出す俺に、雪ノ下が当惑の表情を浮かべる。


雪乃「 …… どういうことって?」 

八幡「留学の話だよ。本当なのか?」


俺の言葉に一瞬だけ驚いたように目を見開く。


雪乃「そのことなのね …… 。ふたりだけでって言うから、私はてっきり ……… 」

何か言いかけたが慌てて口を噤み、その顔に失望とも安堵ともとれるような複雑な表情が浮かぶ。

いきなりのことであるにも関わらず、どうして知っているのか、とも、誰から訊いたのかとも口にしないのは、今となってはそれこそどうでもいいことだからなのだろう。

しかし、敢えて否定も肯定もしようとしない彼女を見ているうちに、俺の抱いていた不安は確信へと変わり、そして確信は失意を生み、失意はやがて胸の奥に息苦しくなるような疼痛を招いた。



八幡「由比ヶ浜には何て言うつもりなんだ?」

雪乃「 …… 彼女には折を見て話そうとは思っているのだけれど」

なかなか踏ん切りがつかない、ということなのだろう。


八幡「だったら、葉山とのことはどうなんだ …… その ……」

直接口にするのも何か憚られるような気がして、つい言葉の先を濁してしまう。だが、聡い彼女はどうやらそれだけで察したようだった。


雪乃「それは …… あなたには関係のないことよ」

突き放すようなその言い方に少しばかりカチンと来る。確かに俺には関係のない話なのかもしれない。でも、だからと言って ……


八幡「お前はそれでいいのかよ?」

雪乃「いいも何も、私には ――― 」


葉山同様、選択肢はないとでも言いたいのだろうか。しかし、雪ノ下はその言葉の続きを口にしようとはしなかった。


そして、その代わりとでも言うように、くるりと俺に背を向け


雪乃「あなたは ……… どうなの?」 と、逆に問うてきた。


陰になったその顔の表情までは窺い見ることができないが、漏らす溜息が切なげに滲むのがわかった。


八幡「 ……… どうって」


間の悪いことに、丁度そのタイミングでひと組の男女が踊り場に姿を現した。

俺達がいることに気が付くと、明らかにぎょっとした様子を見せたが、気まずそうに顔を見合わせるとすぐに踵を返す。

去り際に、


「 …… ね、あれってJ組の」 「 …… あのふたりって、やっぱり」


低く抑えてはいても踊り場に続く階段に必要以上に声は大きく響き、対照的にふたりの間に気まずい沈黙を落とす。


ややあって、俺が再び口を開きかけると、


雪乃「そろそろ昼休みが終るわ。もう行かないと」


まるでわざとそれを遮るかのように雪ノ下が一方的に会話を打ち切る。


八幡「 ――― 逃げるのか?」

雪乃「逃げる?」

俺の言葉に、雪ノ下が首だけで振り向いた。

八幡「忘れたのかよ? 勝負はまだついてないはずだろ」

今更言うまでもないことだが、勝負とは俺が平塚先生に奉仕部に連れてこられたその日、つまり、雪ノ下と初めて会話をした日 ――― もちろん、あの一方的な罵倒が会話と呼べるとするならば、だが ――― 奉仕部の活動を通じて貢献度の度合いでその勝敗を定め、敗者は勝者の言うことをなんでも聞く、というあの取り決めのことである。

そしてそれはまた、あの日、あの場所で、由比ヶ浜と三人で交わした約定でもあった。


俺の安っぽい兆発に、ほんの少しだけ、雪ノ下の向ける視線が尖る。

だが、それも束の間に過ぎず、


雪乃「 ――― そうね。そうとってもらっても構わないわ」


無音の溜息とともに、彼女は静かにそう告げた。


それはどんな逆境にあってさえ決して敗北を受け入れることを潔しとしない雪ノ下の口にした、そして、俺が初めて聞く彼女の敗北宣言だった。


雪乃「これ以上変な噂が立たないように、別々に降りて行った方がよさそうね」


俺に向けたままの背中から、言葉よりも明瞭に会話の継続を拒む気配が伝わった。



――― ごめんなさい。



やがて、短くそう言い残して立ち去った彼女のいた場所に、どこからともなく、透き通った、切れそうなほどに冷たい冬の空気が流れ込む。

俺はいつの間にか、凍え、悴(かじか)んだ手を無意識に握り締める。


この手にいつかは掴めるかもしれないと思っていたそれは知らぬ間に温度を失い、気がつくとまるで細かな砂粒のように俺の掌から滑り落ちていた。


短いですが、キリがいいので今日はこんなところで。時間があれば近日中にまた。ノシ


教室に戻ったのは五限目始業ギリギリの時間だった。

席に着くや否や始業を知らせるチャイムが鳴り、同時に数学教担の先生が姿を現す。

雪ノ下の留学の件ついては由比ヶ浜にはまだ話していない。

話をする時間がなかったせいもあるにはあるのだが、例えあったにせよ俺から伝えていいものか、それともこういったことはやはり直接本人から伝えるべきなのか、希薄な人間関係しか築いてこれなかった俺としてはその辺りの機微がよくわからないというのが本音だ。


俺の最も苦手とするところの教科ということも当然関係するのだろうが、今日はいつにも増して授業に身が入らなかった。

教科書に書かれた数式を目で追うふりをしながらも、その実まるで集中することができず、当然のようにやる気も出ない。まぁ、考えてみたら俺の人生の中で、やる気なんてものは出たことも出したこともないんですけどね。

しかし、ただでさえ赤点ギリギリだというのに、このままでは下手をすると進級さえも危ぶまれる。

留年して一色と同じ学年とかマジ勘弁してもらいたい。
それよりも何よりも、材木座の後輩になるだなんて考えただけでもぞっとしてしまう。つか、それだけは絶対にイヤだ。断固拒否する。

こうなったら、なりふり構ってなんぞいられない。今からでも万全の対策を講じ、例えどんな卑怯、卑劣、姑息な手段を用いるにしても、絶対に材木座だけは巻き添えにしてくれよう。固く心にそう誓う。


だが、ある意味でこの場合、チャンスはピンチ、ピンチはチャンスという考え方もできなくはない。

春からは晴れて妹の小町もこの学校に通うことになるかも知れないし、もし俺が留年すれば当然それだけ長く小町と一緒に高校生活が送れるということにもなる。

ありかなしかで言えば、当然ありよりのありだ。しかも更にもう一年留年すれば小町と同じクラスになることも夢ではない。

妹と同じクラスともなれば、さすがに多少恥ずかしい思いをすることになるかも知れないが、そこはぐっと我慢すればいいだけの話だ。小町が。


そんなことをつらつら考えているうちに、不意に誰ぞのケータイから着信を告げる音がした。

先生が板書の手を止めて振り返り、クラスの連中もそわそわと周囲を見回し、目だけで犯人捜しを始める。



――― しかしそれはまた、俺に先日の葛〇臨〇公園での、あの情景を思い起こさせた。



* * * * * * * * * * * * * *


「 ――― 私の依頼、聞いてくれるかしら」


由比ヶ浜に促されるようにして雪ノ下が自らの依頼を口にしようとしたまさにその刹那、



♪~♪♪~♪~♪♪~♪



突然どこからか、聞き慣れた曲が聴こえてくる。恐らくはケータイの着信音だ。

当然この三人のうちの誰かということになるわけだが、俺のスマホは常時マナーモードだし、それ以前に滅多に着信がない。

しかも、今のこの緊迫した状況にまるで似つかわしくない、いかにものんびりとした曲調は紛れもなく“パンダのパンさん”のテーマ。

……とくれば、敢えて消去法を用いるまでもなく持ち主が誰であるかはすぐに知れた。


雪乃「ご、ごめんなさい、こ、こんな時に」///


慌ただしくスマホを取り出した雪ノ下は画面を一瞥するや、その美しい眉をそっと顰める。
そして暫く躊躇った後、一向に鳴り止む気配のない電話を片手に、こちらに向けてもう一度ごめんなさいと小さく謝罪の言葉を口にすると、背を向けてそっと通話ボタンを押すのが見えた。


雪乃「 ……… はい。 ええ。 ……… え? 」


俄かに雪ノ下の声が緊張を孕み、僅かにしか見えないその顔色が、俺の所からでもそれとわかるほどに変わる。


雪乃「…… え、ええ、わかったわ。すぐそちらに向かうから」


その後、更にふ二言三言、簡単な言葉を交わした後、スマホの画面に目を落としたまま、深い溜息とともに通話ボタンを切る雪ノ下。
改めてこちらに向き直った彼女の目が戸惑いに揺らいでいる。

そんな彼女の様子を見て、俺と由比ヶ浜は互いにそっと目を見交わした。


結衣「どうか …… したの?」




雪乃「 ―――― ごめんなさい。お父さんが急に倒れてしまったらしくて。ついさっき病院に運ばれたみたいなの」


短くてスミマセンが今日はこのへんで。ノシ


父親が倒れたという急報に接し、雪ノ下は別れの挨拶もそこそこにその場を立ち去ったため、俺たちは彼女の依頼を聞いてはいない。

その後も雪ノ下とは学校で何度となく顔を合わせてはいるのだが、見舞いやら何やらで放課後は不在の日も多く、とても話の続きができるような状況ではなかったし、そのことについて、おいそれと触れることも憚られるような雰囲気だった。

そして何よりも、雪ノ下自身が敢えてその話題を避けているかのような節さえあった。

それがいったいどのような理由に因るものかまではわからないが、あの時、俺達に向けて確かに踏み出されようとした彼女の足は、まるで何かに怯え、竦んでしまったかのように以前の場所に留まったままだ。




* * * * * * * * * * * * * *


戸部「ったくー、誰だよいったい 。…… って、俺じゃん?!」


お調子者の戸部が、セルフでツッコとボケを同時にかます。


葉山「戸部、授業中は電源くらいちゃんと切っておけ」

そんな戸部に対し、葉山が苦笑混じりに低い声で窘(たしな)めると、

戸部「かしこまりーっと。あ、サーセンしたっ、気ぃーつけます」

慌てて先生に向けて頭をひとつ下げ、すぐさまスマホの電源を落とす。

その一連のやりとりに教室がどっと湧き、壇上で先生が苦々し気に咳払いをしたが、そのまま何事もなかったかのように授業は再開された。


いつものことながら、リア充(笑)グループのリーダーだけあって、葉山の言動は嫌味にならず鼻につくこともないスマートなものであった。
そして、そのいかにも優等生然とした振る舞いは、そこだけ切り取れって見ればいつものそれと何ら変わりない。

しかし、昼休みのあの出来事を知る俺から見たそれは、あまりにも自然で、逆に違和感すら感じさせた。


葉山とて、決して三浦のことを気にかけていないという訳ではないのだろう。

だが、それは冷静とか冷淡という通り一遍の言葉で片づけることのできるようなものでは決してなく、根源的に歪んだ、もっと酷い別の“何か”であるようにさえ思えた。

またそれと同時に、葉山隼人という存在が今までの生きてきた中で、いったい幾度同じような経験を繰り返してきたのだろうかと、ふとそんなことを考えずにはいられないものがあった。


葉山に向けていた目を逸らし、そのままそれとなくクラスの中を見回すと、今のふたりのやりとりに対して明らかに反応の薄い影が三つあった。

三浦は頬杖をつきながら、心ここにあらずといった様子で自慢のゆるふわ縦ロールの金髪をみゅんみゅんと指に絡みつかせ、時折俺のところまで届きそうな深い吐息を漏らす。

由比ヶ浜は由比ヶ浜で何やら考えに耽り、今、自分が手にしているのが現国の教科書であることにさえ気が付いてない。しかもそれ、上下逆さまだし。

そして ――― 海老名さんは、なぜか授業とは全く無関係のはずのコンパスを三角定規を手に、既に穴の開いている三角定規の穴を、それこそ穴のあくほどしげしげと見つめている。

彼女については、いったい何を考えているかなど知りたくもないのだが、なんとなくそれがわかってしまう自分がとてつもなくイヤだ。


そんな彼女たちの姿を見ながら、俺は再度あの時のことに思いを馳せる。

自ら選択する苦しみから逃れようとするあまり、雪ノ下は一度は由比ヶ浜の言葉に与(くみ)しようとし、それは他ならぬ俺自身によって否定された。

陽乃さんの言うように、選ぶことをしなかった、選択することのできなかった彼女は、あの時、いったい何を選択し、何を告げようとしたのだろうか。


由比ヶ浜は全てを欲し、俺は本物を求め、雪ノ下は自分ですらわからないという、形にも言葉にもならない何かを希(こいねが)う。


だが、いずれはそれも彼女自身の言葉によって語られなければならない。それこそが彼女の選択であり、願いであり、依頼なのだから。


そして堂々巡りの末、俺の思考は再び一点へと集約される。

雪ノ下が口にしようとした依頼とはいったい ――――



「 ―――― 比企谷、わかるかね?」


八幡「 ……… わかるわきゃねぇだろ、そんなの」



不意に問われて、思わず反射的に口にしてしまう。

答えてから、はたと気が付くとクラスの連中が唖然とした表情を浮かべてこちらを見ていた。

そして、恐らくは先ほど問いを発したであろう先生の頬がピクピクと小刻みに引き攣る。



先生「 …… 比企谷、後で職員室に来なさい」

八幡「 ………… うす。……… あ、いえ、はい」



ぐったりと脱力した身体の重みを任せると、椅子の背凭れがギシリと不快な音を立てて軋んだ。

そのまま天井を仰ぎ見る俺の口から知らず深く大きな溜息が漏れ出るのと、終業を知らせるチャイムが鳴るのは、ほぼ同時だった。


今日はここまで。時間があれば、また近日中に。ノシ

乙です。相変わらず面白いっす


>>851 あざーす

スミマセン、後でまとめとか見ると超ハズイんで、目立ったとこだけ恒例の訂正をば。

>>753 15行目 この俺にっとは → この俺にとっては

>>842 2行目 セルフでツッコと → セルフでツッコミと

>>844 5行目 コンパスを三角定規を手に → コンパスと三角定規を手に


そして放課後。

奉仕部の部室としてあてがわれている特別棟のいつもの一室。

どんよりとした曇り空に似つかわしく、いつになく重い空気の垂れこめた室内では、最初に交わしたぎこちない挨拶以外、誰も口を開こうとはしなかった。

いつもはとりとめのない話題をふってくる由比ヶ浜でさえ今は繰り返し小さく溜息を吐きながら、ページを手繰ることもせずに文庫本に目を落としたままの雪ノ下をチラチラと見ている。

恐らくは由比ヶ浜は昼休みの一件について訊くタイミングを、雪ノ下は雪ノ下で、自身の留学について由比ヶ浜に話すタイミングを計っているのだろう。

ちなみに俺は現在進行形で数学の授業中にやらかした際の反省文を作成中。

やばい、息苦しくて窒息しそう。でも寒いから窓開けて換気もできない。どうすんだよこの状況。



「失礼しまーす。こんにちはー」


そうこうしているうちに、不意に部室の扉が開け放たれた。

亜麻色のセミロングの髪、まだあどけなさの残る顔。やや着崩した制服の短く詰めたスカートから伸びる健康的な細くて白い足。
俺達の後輩であり、一年生にして生徒会長でもある一色いろはだ。


「こんにちは」「やっはろー」「よう」三人三様に挨拶を返す。


一色「あ、先輩いたんですか?」

八幡「いや、フツウにいんだろ。一応俺もここの部員なんだから」

一色「 …… 一応なんですね」


一色は一歩入るなり部室内に漂う微妙な空気を肌で感じ取ったのか、ふむっとばかりに小さく首を傾げたが、気を取り直してそのままいつの間にか指定席となったいつもの場所に腰を下ろす。


一色「よっこいしょーいち」


ってなにその昭和のオヤジギャグ? ただでさえ寒い室内が余計に寒くなんだろ。 

雪ノ下はいつもと変わりない様子で席を立ち、慣れた手つきで来客用の紙コップに紅茶を注ぐ。

そして出された紅茶を前に、一色がアリガトゴザイマスとか言いながらこくんと頭を下げるまでがここしばらくのルーティーン。



だが、今日に限っては一色に向けて誰も気の利いた言葉ひとつかけようとしない。

そんな様子を見て、一色の首の角度がさらに深くなった。


一色「 …… えっと、寒いですねー。もしかしたら今夜あたり、また雪でも降るんじゃないですか?」


沈黙に耐えかねたのか、一色が乾いた愛想笑いと共にどうでもいいような話題を振る。

千葉の冬は大抵2月頃にその寒さのピークを迎えるが、3月に入ってから雪が降ることも珍しくない。それを過ぎれば三寒四温、徐々に春に向けて暖かくなってゆく。

この季節、俺の常備するマッカンも寒さで加糖練乳の乳脂肪分が固まって表面に白い粒が浮いていることがある。
それを見る度に、嗚呼やっぱり冬なんだなと、しみじみと感じ入るのだが、ある意味それも千葉における冬の風物詩のひとつと云えよう。



八幡「寒いんだったらお前もっと長いスカート履いたらどうなんだよ? ハラ壊すぞ?」

本来は聞き流すような超どうでもいい話題なのだが、今日ばかりは渡りに船、とばかりに俺がのっかる。

それにしてもあれな、女子ってば寒い寒いとかいいながらなんで冬でも短いスカートに生足なんだろね。見てる方がよっぽど寒いっつーの。
まぁ、目の保養にはなるからいいんだけど、一色相手だどオヤジ目線じゃなくて、なぜかお父さん目線になっちゃうんだよな。


一色「なに言ってんですか、気合いですよ、気合い。それに私、こう見えて、身体だけは丈夫なんです。風邪だって滅多引きませんし」

エヘンとばかり薄い胸を張るが、残念ながら由比ヶ浜を前にして、とてもではないが自慢になるようなシロモノでもない。
それにそれ、健康以外に取柄がないってことになんじゃね?

だいたい、気合いだ、気合だってお前アニマル浜口かよ。
そういう気合いだの根性だのやる気出せだのっていう前時代的な体育会系の精神論が罷り通ってるからブラック企業がなくならないんだっつーの。


八幡「ふぅ。いいか一色? バカは風邪引かないんじゃなくて、自分が風邪を引いたことに気が付かないだけなんだぞ? なぁ?」

結衣「 ……… え? あ、うん、そうだね。アハハ …… って、あたしっ? 何であたしに振るしっ?!」


うんうん、相変わらず由比ヶ浜は期待通りのアホな反応を見せてくれるな。親や教師の期待は裏切りまくってるかも知れないけど。


ふと目を向けると、雪ノ下だけは会話に加わることなく、そんな俺たちをまるで淡雪のように脆く儚い笑みを浮かべて見ている。


八幡「あー…、そんなことより一色、お前、部活の方はいいのか?」


別に一色を邪魔者扱いするつもりはないのだが、やはり、今日こそは三人でちゃんと話しをしておいた方がいいだろう。
俺はなるたけ角が立たないように、それとなく一色に退室を促す。


一色「はい、今日は珍しく葉山先輩もお休みみたいなんで、生徒会の仕事があるからって抜けてきちゃいました」

葉山という言葉に、雪ノ下と由比ヶ浜がピクリと微かな反応を示す。一色はそれをどうとらえたものか、

一色「あ、大丈夫ですよ。マネージャーは他にもいますし、メンドクサイことは全て戸部先輩に押し付け …… じゃなかった、お願いしときましたから」

慌てて付け加える。

相変わらず戸部はマネージャーにさえ、いいようにコキ使われているらしい。見かはウザイが、人は好いんだな、きっと。いやアイツのことはよく知らんけど。

八幡「ならその生徒会の仕事はどうしたんだ? 確か今時分は卒業式やら入学式の準備で生徒会も色々と忙しいんじゃねぇのか?」

一色「ご心配なく。そっちは副会長くんと書記ちゃんにお任せしてありますから」

きゃるんとばかりの笑顔で答えてはいるが、言ってることもやってることもかなりアレだ。

おいおい、こんなのが生徒会長でこの学校、ホントに大丈夫なのかよ。つか、誰だよいったいこんなヤツに生徒会長やらせたの。俺でしたねそう言えば。


一色「ところで ……… 」


紙コップの紅茶をズズズと音を立てて啜りつつ、ひと息ついた一色が何事が思い出したかのように切り出す。

俺も一色を追い払うのを諦めて、仕方なく反省文の作成に意識を戻す。

それに、こいつがいるだけでも三人だけよりか多少なりとも張り詰めた場の空気が和らぐような ―――



一色「 ―――――― 雪乃先輩、留学するんですか?」



ふひっ


その瞬間、素で鼻が鳴ってしまった。



いきなり核心をついてきやがって、こいついったいなんなの? 鉄の心臓? もしかしてカバネなの?


結衣「えっ?」


一色の言葉に、由比ヶ浜がぴくりとして雪ノ下と俺とを交互に見る。


雪乃「 ……… こほんっ、一色さん? その話いったい誰から聞いたのかしら?」

そう言いながらも、雪ノ下の疑いの目が真っすぐに俺へと向けられている。

いや、俺じゃないから、全然違うから、それ誤解だから、無罪だからと、ありったけの意思を込めてふるふると首を振って見せたが、納得したかどうかはかなり怪しい。


一色「そんなの誰だっていいじゃないですか、それよりそれ、ホントなんですか?」

一色がしらっと受け流すと、暫く躊躇っていたが、やがて諦めたかのように溜息をひとつ、


雪乃「 …… ええ。本当の話よ」 雪ノ下が静かに答える。


結衣「 …… で、でも、それって、すぐ帰ってくるん …… だよね?」

由比ヶ浜の声に縋るような色が滲む。


―――― だが、雪ノ下は黙したまま答えない。



固唾を飲むようにして彼女の返事を待つ俺達の耳に、ごめんなさい、と消え入るような小さな声だけが聴こえてきた。


短いですが、本日はここまで。ではまたノシ


雪乃「本当はあなたたちにはもっと早く告げるべきだったのでしょうけれど」

雪ノ下が申し訳なさそうに言葉を継ぐ。


結衣「どう …… して?」

雪乃「 ……… 前々から考えてはいたのだけれど、家のことで色々とあって、それで急に」



結衣「嘘っ!」



たどたどしい弁解に、由比ヶ浜がそれを虚言であると喝破する。

雪ノ下はそんな由比ヶ浜を真っ直ぐに見ることができず、ただ黙ってその美しい面(おもて)を俯けた。

彼女の口ぶりからして全てが嘘という訳でもないのだろう。だからといって、やはり真実を全てありのままに告げているとも思えなかった。


結衣「それって、この間のことと何か関係あるんでしょ?」

一色「 …… この間のこと?」

一色の傾げた首の角度が更に深くなり、床とほぼ平行になる。


由比ヶ浜の問いに雪ノ下は答えない。だが、答えないこと自体が既に答えになっていた。


結衣「それに、隼人くんとのことだって …… 」

一色「隼人くんって ……… 葉山先輩?」


葉山の名を聞いて、今や一色の首は、あたかも地下闘技場でガングロ三つ編みお下げ髪の中国人拳法家を肩車したロシア人サンビストの如き様相を呈す。

そしてそのまま俺に問いかけるような視線を送ってきた。って、それ怖いからやめろ。


結衣「どうして …… ちゃんと話してくれないかな …… あたし、ゆきのんのこと友達だと思ってたのに …… 」

責めるかのような口調に静かな怒りが混じる。


だが、雪ノ下はやはり黙したまま何も語らない。語りたくても語れない、まるで語るべき言葉そのものを持たないかのように。


結衣「ヒッキーはそれでもいいの?」

縋るような視線が今度は俺に向けて問うてきた。


八幡「 …… いいとか悪いとかじゃなくて、本人が決めたことだろ」


返す言葉は紋切型。しかもその答えは由比ヶ浜ではなく雪ノ下に向けて聞かせるためのものだった。或いは自分自身にかも知れない。


大人とは言えないまでも、俺達はもはや子供と言えるような歳でもない。
それがどのような理由、どのようなやり方であれ、自分で決めたことは最後まで自分で面倒を見るべきだろう。

寄る辺をもたない孤高の魂は、己以外を頼みとしない。

誰が、いつ、決めたというわけではないが、それが俺たちの共通の認識であり、暗黙の了解だったはずだ。

そしてそれが、全ての面において全くといいほど異なる、俺と雪ノ下の唯一共有する自分の生き方に対する矜持であり、信念でもある。

だからこそ、今更私情でそれを曲げる訳にはいくまい。それをしてしまったら、なし崩しのうちに全てが曖昧になり、嘘となり欺瞞と化し、俺と彼女を繋ぐであろうたったひとつの絆さえも消えて失ってしまうような気がした。


何よりも、それはもう俺の求めてやまなかったはずの"本物"とは言えまい。



結衣「あたしは絶対にイヤ。それって絶対に間違ってる」

由比ヶ浜は目に涙を溜め頑なに拒む。

彼女の言う“間違い”とは、家庭の事情で留学せざるを得ない状況に追い込まれた雪ノ下の境遇を指してのことなのだろう。

それは正論であり、純粋に正しい。

だが、正しければそれで全てが通るわけではないのもまた事実だ。道理を引っ込めてでも無理が罷り通ってしまうのがこの社会の摂理であり現実である。

そしてこの現実社会において自分を曲げなければならないのは決して間違っている方ではなく ――― 常に力が弱く、立場の劣る方なのだから。



一色「 ――― なるほど、よく分かりました」


俺達の会話を耳を欹(そばだ)て、何事か想い巡らせていたらしい一色が口を開く。

まだ抜けきらない幼さの名残があるとはいえ、生徒会長としてそれなりの場数を踏んできただけあってか、彼女の声には俺達の注意をひきつけるだけの厳かな響きがあった。

一色は、雪ノ下、由比ヶ浜、俺の顔を順繰りに見回し、再度その目を雪ノ下へと向けた。

その顔に、俺の知らない尖鋭な色を帯びる。 そして ――― 、



一色「 ―――  だったら、雪乃先輩がいない間に私が先輩と付き合うことになっても構わないってことですよね?」




その口から発っせられたのは、紛れもなく雪ノ下と由比ヶ浜に対する一色からの宣戦布告だった。


では本日はこの辺で。ノシ


まるで不意打ちの如く放たれた一色の爆弾発言に俺たちはこぞって言葉を喪ってしまう。


一色「どうなんですか、雪乃先輩?」


更に畳みかけるかのような追及に、


雪乃「それは ……… 」


返す言葉に詰まった雪ノ下が困惑の表情を浮かべて俺の顔をそっと窺う。


一色「 ――― ほら、やっぱり」


そんな雪ノ下を見ながら、一色は呆れたように首を振る。



一色「自分が諦めればそれで全てが丸く収まるだなんて、思い上がりもいいところですよ。だいたい … 」


八幡「ちょ、ちょっと待て一色」 

更に言い募ろうとする一色を慌てて俺が遮る。


一色「先輩は関係ないので黙っててください!」

八幡「 ……… いや、関係ないって …… でもそれ俺のことだよね?」


一色「はぁ? んなワケないじゃないですか! この場合、先輩って言ったら葉山先輩のことに決まってます」

何言ってんのコイツみたいな顔でバッサリと斬って捨てやがった。


八幡「ですよねー…」


だからカラスに荒らされて路上に散らばる生ゴミを見るような目を俺に向けるのやめてくれません? 確かに目は腐ってるかも知れませんけど。



八幡「 …… つか、なんでお前こんな時まで俺の事"先輩"としか呼ばないわけ? 紛らわしいだろ」 

もしかしてこいつもまだ俺の名前覚えてないとか? まぁ慣れてるからいいんですけどね。

俺が不平を漏らすと、今度は一色の怒りの矛先が俺へと向けられる。

一色「だったら、もし私が先輩のこと名前で呼んだら、先輩は私のこと、いろはって呼んでくれるんですかっ?!」

八幡「えっ?! なにそのぶっとんだ等価交換?!」

っていうかもうそれ逆ギレってレベルじゃねぇだろ? 



一色「だって、なんかホンっト、ムカつくんですよ。みんなカッコばっかりつけちゃって」

いつになく辛辣な一色の言葉に、だが、誰一人返す言葉もない。そんな俺たちに一色は更に容赦のない言葉で攻めたてる。

一色「自分の気持ちだってちゃんとわかってないのに、相手の意思を尊重するなんて」

一色「綺麗ごとばっか並べ立てて、おままごとみたいなことやって、友達だからって譲り合って遠慮して本音も言えなくて ……」


次第にその言葉が湿り気を帯び、


一色「 ………… 私が、私がいったいどんな想いで」


それ以上言葉を続けることができず、ぐしっとしゃくりを上げたかと思うと、その大きな瞳が潤み、やがて限界を超えたのか大粒の水滴がポロポロと零れ落ちる。



雪乃「一色さん、もしかして、あなた …… 」


口にしかけた言葉を途切らせ、雪ノ下は再度躊躇いがちに俺に目を向けるが、結局何も言わずにそのままその視線を膝の上に重ねて置かれた自分の手へと落とした。




一色「もう留学でもなんでもすればいいじゃないですかっ! 勝手にしてくださいっ! 私も勝手にさせてもらいますからっ!」

捨て台詞を残し、椅子を蹴立てるようにして立ち上がると一色はそのまま小走りに部室から立ち去る。

聞こえよがしに激しく扉を閉める音がして、暫くはパタパタという足音が廊下から聴こえていたが、やがてそれも次第に小さくなり、部室は再び静寂に包まれた。



結衣「 ……… ねぇ、ゆきのん」

ややあって、由比ヶ浜がおずおずと口を開く。



結衣「 ――― もうゆきのんの気持ちだけでどうにかなる問題じゃないんだよ?」



優しくひっそりと告げる彼女の顔には、透明で、淋しそうな笑みが浮かんでいた。



ガタリッ


鞄を手に不意に立ち上がった俺にふたりの視線が集まる。


八幡「 ――― 俺も今日はもう帰るわ。入試の結果出るまで小町も家にいてひとりじゃ不安だろうし」


嘘である。

小町は前期選抜を終えた途端、自己採点の結果がよほど芳しかったのか、家に帰るなり腰に手を当て「勝ったな!ガハハ」と高笑いで意味不明の勝利宣言。
その後もずっと余裕をかましており、早、お寛(くつろ)ぎモードである。
後で泣きを見ることにならなければいいのだが、それは言わぬが花だろう。ま、いざとなったら後期もあるしね!


この機会にもう一度ふたりでゆっくり腹を割って話し合った方がいいだろう。
俺がいたら言えないこともあるのかも知れないし、俺の場合、腹を割るときは自腹を切るか詰め腹を切らされる時と相場が決まっている。

それに、俺もひとりで色々と考えなければならない事があった。結論を出すのはそれからでも決して遅くはあるまい。


八幡「じゃあ、また明日、な」

「ええ」「また明日ね」俺の挨拶にふたりがおずおずと応じる。


――― また明日、か。


永遠に繰り返されると錯覚していたその“明日”もいつかは必ず終わりの日を迎える。

そんな当たり前の現実に今更のように気がつく。


放課後の誰もいない特別棟の廊下で、寒さで白く靄(もや)る溜息をみつめがら、俺の心は千々に乱れていた。


本日はここまで。続きはまた近日中に。ノシ


俺が早々に部室を抜け出したのは、実はもうひとつだけ理由(わけ)があった。

廊下に点々と残された痕跡を辿ると、果たして部室から少しばかり離れた廊下の一角で、ひとり壁を背に俯いたまま佇む小さな姿が見つかる。

制服の袖口から覗く、余らせたセーターの袖で拭っても拭っても、後から後から止めどもなく溢れ出す涙のせいで、足元には無数の水滴が散らばっていた。

俺はその小柄な人影に向けてそっとハンカチを差し出す。


八幡「ほれ」


すると、その小さな影 ――― 一色いろはが驚いてぱっと顔を上げた。



一色「 …………  あの、それ」


俺とハンカチを交互に見ながら、一色が少しだけ戸惑ったような表情を浮かべる。

どのような状況であれ誰に対してであれ、甘え慣れしたこいつが他人に気兼ねするなんて滅多にないことだ ―― というか、らしくない。

慣れない行為にいささか態度がぶっきら棒になるのを自覚しつつも、俺は再度一色に促す。


八幡「いいから使え」 


一色「あ、いえ、そうじゃなくって ……… ちゃんと洗ってありますかって意味なんですけど」

八幡「 …… そっちかよ」



すびばせん。一色は鼻声でぽしょりと漏らすと、おずおずと手を伸ばして俺からハンカチを受け取り、



一色「んぶっ、ち ―――――――――――― ん!」


いきなり他人のハンカチで思いっきし鼻をかみやがった。


一色「んぶぶぶぶぶ ―――――――――――― っ !」


しかも更にもう一度。遠慮ねぇなこいつ。


一色「あじがとございばす。ごれ、洗っで返じまずがら」


八幡「 ……… いいよ、やるよそれ」




一色「 …… あの、おふたり …… は?」

そっと辺りを見回しながら、躊躇いがちに訊いてくる。

八幡「あいつらならまだ部室だ。俺は一足先に帰らせてもらうことにした」

一色「もしかして、私のため、ですか?」

八幡「 …… 別にそういう訳じゃねぇから」

しらばっくれはしたが、うまく誤魔化すことができたとは思えない。

だが、一色はそれ以上深く追及することなく、その代わりに


一色「先輩おひとりだけ蚊帳の外でいいんですか?」 心配そうな顔で尋ねる。

八幡「大抵の場合、蚊帳の外が俺の指定席みたいなもんだからな」

一色「なんですかそれ」

そう言って今度はおかしそうにクスクスと小さく笑った。



――― ホントはさっき、職員室で偶然小耳に挟んだんです。そしたら居ても立ってもいられなくなって。


まるで言い訳するかのように、一色がぽつりぽつりと語り始める。

それが雪ノ下の留学のことを言っているのはすぐにわかった。どうやらサボリというのは口実で、実は俺たちの様子が心配でわざわざ部室まで見に来てくれたらしい。

一色の心遣いに、胸の奥がじんわりと温かいもので満たされる。


八幡「一色」

一色「はい?」

八幡「 ……… その、ありがとうよ。心配してくれて」///

人差し指で頬を掻きながら慣れない礼を口にすると、一色は少しだけ驚いたような素振りを見せ、次いでぽうっと頬を赤らめた。

しかしすぐに、


一色「はっ? もしかしてそれ、情で絆(ほだ)して私のこと口説こうとしてます? 確かにちょっといいかなとか思いかけたこともなきにしもあらずですがでもやっぱりちょっとだけなんで口説くんならその前に先ず先輩の広範な女性関係全部清算してからにしてくださいごめんなさい」

勢いよく早口で捲し立て、そのままぺこんとひとつ頭を下げる。



八幡「 …… お前ってホンットいい性格してるよな」

一色「ええ、みんなからよく褒められます」


八幡「 …… いやそれ全然褒めてねぇから」



一色「あ、でも先輩に優しい言葉かけられたら、なんだかまた泣きそうになってきちゃいました。スミマセンが、ちょっとだけ後ろ向いててもらっていいですか?」

ぐすんとひとつ鼻をすすりを上げる。


八幡「 …… お、おう。そうか、そりゃすまん」

今更という気もしないでもないのだが、やはり年頃の女の子としては自分の泣き顔を男に見られるのが恥ずかしいのだろう。

ウソ泣きを含めて妹の小町の泣き顔をさんざっぱら見て育ってきた俺としては、滅多なことでは女の子の涙には騙されないし、例え目の前で女がギャン泣きしても平気で無視する自信すらあるのだが、だからといってこんな時のエチケットを忘れるほど無神経でもヤボでもないつもりだ。

言われるがままに、そのままくるんと一色に背を向けると、



とん



後ろから軽い衝撃を受け、背中に温かくて柔らかな感触が伝わってきた。


八幡「ちょ、ちょっと待て、お前 …… 」/// 当たってる当たってるって、当たってないけど。


一色「 ……… いいんです」

八幡「なにがいいんだよ?」///



一色「 ……… どうせ私はこれ以上先輩には近づけないんですから」 





一色「 ――― ねぇ、先輩?」


やや間を置いて、一色がそのまま背中越しに語りかけてくる。


八幡「 ……… なんだよ?」


一色「 ――― もし、もしですよ? もし私が、もうひと月早く生まれてて、もう少し先輩と早く出会っていたら …… 」


そっと一色の寄せてくる頭の重みが加わり、耳に届く切なげな溜息が微かに滲む。

伝わってくる鼓動は、俺のものか、それとも一色のものなのか。

胸の奥がぎゅっと狭まる感覚に面映ゆくなった俺は、ついそれを誤魔化すかのように、いつもの調子で捻た軽口を叩く。


八幡「 ……… 案外、お前のことだから、俺のことなんて全然気にも留めなかったんじゃねぇのか?」


例え見えなくとも、一色がふっと笑うのが気配で伝わってきた。


一色「 ……… 言われてみれば確かにそうかも知れませんね」

八幡「 ……… いや、そこは一応、否定しとこうぜ?」


やがて、気持ちも落ち着いたのか、一色が俺の背中を押すようにしてそっと離れる気配がした。


一色「さて、じゃあ、私、顔を洗ってメイク直してから生徒会室に戻りますので」

振り向いた俺に、まるで照れ隠しのように生真面目な声で告げる。


八幡「お、おお。そうか」 

いろいろ大変なのね、女の子って。でもうちの学校、原則化粧禁止じゃありませんでしたっけ?


一色はそのまま後ろ手を組んで数歩下がると、ひょこりと上体を倒した姿勢で下から俺を覗き見る。



一色「見つかるといいですね、先輩の"本物"」

八幡「 ……… そうだな」



そして、いつもより少しだけ大人びた笑みだけを残し、スカートの裾を翻すようにして俺に背を向けると、そのまま小走りでその場から立ち去った。

その姿が角を曲がって消えるまで見送ってから、俺も生徒昇降口へと足を向ける。


吹き付ける風に震える窓の音を耳にしながら寒々とした廊下を通り抜ける俺の背中には、いつまでも淡いぬくもりが残っているような気がした。



今日はこの辺で。ノシ


陽乃「 ――― こらこら、少年、どこへ行く?」


咄嗟に回れ右をして可及的速やかにその場から立ち去ろうとした俺を陽乃さんが呼び止める。


八幡「や、ちょっと向こうの席に友達を見かけたんで」

陽乃「へぇ。いたんだ、友達?」

八幡「いえ、友達はいませんけど、友達の友達なら多少は …… 」

陽乃「 ……… それって、論理的に破綻してない?」


陽乃「もしかして比企谷くん、私のこと避けてる?」

向けられている視線は上目遣いのはずなのに、感じるのはなぜか上から目線と同等か、もしくはそれ以上の威圧感(プレッシャー)。

八幡「別に意識して避けてるってわけじゃないです。できれば避けたいとは思ってますけど」

陽乃「あら、言ってくれるわね」

八幡「あ、いや、えっと、そうじゃなくて、ほら、よくあるでしょ、その、知らない女子に話かけられて、つい裏返った声で返事しちゃったら、実は声をかけられてたのは隣の人でした、みたいな」

慌てて言い訳らしきものを連ねると、

陽乃「ふーん」 それで? とばかりに陽乃さんが目で続きを促す。


八幡「 …… なにあのひとキモくないホントキモいよね今すぐ死んでくれないかしらそうですか生まれてきてどうもすみません、みたいなぼっちあるある黒歴史」

陽乃「 ……… 普通はさすがにそこまでないと思うけど」


八幡「あー…、ところで、いったいこんな処で何してるんですか?」

つか、なんでここにいんだよ。偶然にしたって、いくらなんでもタイミング良すぎて運が悪すぎだろ。


陽乃「待ち伏せ …… じゃなかった、待ち合わせ、かな」

八幡「 ……… 今なんかさらっと怖い事言いませんでしたか?」

この人の場合、いったいどこまで本気で言ってるかわかんないから余計に恐ろしいんだよな。


陽乃「 ――― と言っても、もうとっくに約束の時間は過ぎてるんだけど」

頬杖をつきながらその美しい愁眉寄せ、いかにも気怠げに左手の腕時計にチラリと目を遣る。

逢う度に妙なハイ・テンションで過剰なスキンシップを仕掛けてくるのがこの人の常だけに、今日のようなアンニュイな雰囲気はごく珍しい。また、逆にそれがいつになく落ち着いた大人の女性の色気を醸していた。

もっとも、アレだってその理由が単に"嫌がる妹を見てて楽しいから"という一語に尽きるのだから、この姉ちゃん、妹の嫌がらせするためだけに、いったいどんだけ身体張ってんだよって感じだ。



陽乃「 ――― 気になる?」 

不意に悪戯っぽく、なにやら含みのある笑みを浮かべて秋波を送ってきた。恐らくは待ち合わせの相手のことを言っているのだろう。


八幡「 ……… まぁ、正直、気にならないと言えば、嘘になりますね」

陽乃「へぇ」 

自分で聞いておきながら俺のその答えがよほど意外だったのか、少しばかり驚いたような様子を見せる。


八幡「あなたを待たせるだなんて、よっぽど肝が据わった方なんですね ……… それってやっぱり宮本武蔵とかですか?」

陽乃「 ……… どうやら比企谷くんの私に対する認識を改めておいた方がよさそうね」



陽乃「立ち話もなんだから座れば?」 

そう言って、片手で隣の空席を指し示す。

いつもであれば超テキトーに理由をデッチ上げるなりなんなりして固辞するところなのだが、俺の方でも彼女に聞きたいことがある。

かといって素直に隣にかけるのもなんかアレな気がしたので、ささやかな抵抗と抗議の意思を込め、わざとひとつ空けた席に腰かけた。うわ何こいつ我ながら超メンドくせぇ。

だがしかし、敵も然る者引っ掻く者で、あねのんはそんな俺の行動を予め見越していたかのか、当然のように隣の席に移って来る。

陽乃「よっこいしょーいち」

え? なにそれもしかして若い女性の間で流行ってんの? 俺が知らないだけ?

しかも必要以上に身を寄せてきたせいで、彼女の足が俺のそれにぴったりとくっついたのにも、まるで素知らぬ顔だ。


八幡「 ……… あの、ちょっと近すぎやしませんかね?」

陽乃「あら、もしかしたら膝の上の方がよかった?」 ぐっと顔を寄せた顔を、こてんと倒して下から覗き込む。


八幡「 ……… いえ、このままで結構です」 なんなんだよ、この人。




ふと陽乃さんの目の前に置かれた本に目が止まった。恐らく先程まで読んでいたものなのだろう。

八幡「読書中 …… だったんですか?」

そういえば雪ノ下もよく部室で文庫本を読んでいる。

陽乃「血筋、かな。うちのお母さんも本が好きで、時間さえあれば自分の書斎に籠ってるくらいだから」

自分の書斎があるとか、どんなセレブな家庭なんだよ。
うちのオヤジなんて自分の部屋どころか、たまの休日、家にいても居場所すらない。


八幡「なに読んでたんです?」 

ちょっとした興味本位で尋ねてみる。

陽乃「"正しい飼い犬の躾方"」

八幡「犬、飼ってるんですか?」

確か雪ノ下は犬が大の苦手だったはずだ。


陽乃「これから飼おうかと思って?」

となると、単なる妹に対する嫌がらせなのかもしれない。この人ならマジでやりかねない。

八幡「犬なんか飼って平気なんですか?」

妹の好きなものならともかく、嫌いなものや苦手なものをこの人が把握していないわけがあるまい。揶揄の意味を込めてそう訊くと、


陽乃「あら、犬は好きよ。だって、大抵の男より賢いし、飼い主に忠実だもの」 何食わぬ顔をして答えた。

八幡「 ……… なんか理由が怖いんですけど」



八幡「あの、ところで雪ノ下さん …… 」 

陽乃「だから私の事は"陽乃"でいいって、いつも言ってるじゃない。もしくは義姉さんでも可。というか、むしろそちらを強く推奨?」

八幡「や、うちには超可愛い妹がいるんで、もうそれだけで充分過ぎるくらい間に合ってますから」 むしろお釣りが来るくらい。

でも毎度思うんですけど、できたら冗談はそのチートみたいなスペックと強化外骨格並みの外面だけにしてもらえないもんですかね。


八幡「こほんっ ……… 、えっと、雪ノ下さん …… ?」

陽乃「キミも相変わらず強情だねぇ」

何がおかしいのかクスクスと小さく笑うと彼女の耳のピアスに店内の照明を反射して、キラキラと揺れて光が弾けた。




陽乃「 ――― で、比企谷くんとしては、私に何か聞きたいことでもあるんじゃないの?」

さんざっぱら自分で話をはぐらかしておいて、今度はいきなり彼女の方から俺に水を向けてくる。どうやら全てお見通しということらしい。


八幡「雪ノ下 …… いえ、あの、妹さんの留学の件についてなんですけど、もしかしてあいつから何か聞いていたりとかしてます?」

これ以上彼女のペースに巻き込まれないように、俺が慎重に言葉を選びつつ恐る恐る尋ねると、


陽乃「そりゃ家族だもの、もちろん聞いてるよ。色々と、ね」


そう言って、陽乃さんは俺に向けて、いかにも意味ありげな流し目を送って寄越した。


このくだり、長くなりそうなんで今日はひとまずこの辺で。ノシ


陽乃「そう言えば、この間はなんか邪魔しちゃったみたいでゴメンね」

そのまま雪ノ下の留学の件に話が及ぶかと思いきや、陽乃さんはいきなりまた違う話題を振ってきた。

もしかしてこの人、俺を焦らして楽しんでいるのかも知れない。


八幡「あ、いえ …… 」

その彼女の宣う“この間”が、恐らくは先日の〇西〇海〇園のことであろうことは容易に察しがつく。
あの時の電話はやはりこの人からだったのだろう。


八幡「お父さんの具合、いかがなんですか?」

その辺りに関してはデリケートな話題だけに、雪ノ下からも詳しくは聞いてはいない。


陽乃「あら、“義父さん”だなんて、随分気が早いのね」

八幡「 …… そう言う意味じゃありませんから」

話が全然進まねぇだろ。


陽乃「 …… ふーん、でも、ってことは、やっぱりあの時はガハマちゃんと三人一緒だったんだ? 電話の向こうからなんとなくそんな気配伝わってきたし?」

おっと、どうやらカマをかけられていたらしい。これだからこの人は油断できない。

特に否定も肯定もしなかったが陽乃さんはさして気にする風でもなく、

陽乃「お陰様で大事なかったよ。ちょっとした過労みたいだね。ほら、知っての通りうちのお父さん二足の草鞋履いてるし」

それに最近は議員に対する世間の風当たりも何かと強いからね、と難しい顔で小さく付け加える。


陽乃「それで、三人で何をしてたの?」

あねのんの目が興味深げに輝く。

八幡「いえ、別に …… フツウに遊んでただけですよ。水族館でネコザメの背中撫でたり、ハンマーヘッドシャークの前でインスタ撮ったり、三人で観覧車乗ったり」

陽乃「へぇ、写真なんて撮ったんだ。見せて見せて」

普段なら自分の写った写真を他人に見せることなど滅多ないし、それ以前に見せてくれと頼んでくるような相手からしていないのだが、この後の情報収集をできるだけスムーズに進めたいという思惑もあって渋々ながら譲歩する。


八幡「見て面白いもんでもないですよ。写ってるのも俺だけですし」

一応断りを入れてから画像を呼び出したスマホを差し出すと、

「ふーん、どれどれ」とか言いながら、受け取る際にわざわざその俺の手の上から両手を添えるようにして包み込む。

…… こういうところは相変わらずあざといんだよな、この人。



陽乃「うっわー、グロっ。……… で、どっちが比企谷くん?」

八幡「 ……… それ、わかっててわざと言ってるでしょ?」




陽乃「私はてっきり、これからどうするか三人で話し合ってたのかと思ったんだけどなぁ」

インスタを眺めるふりをしながら訊くともなしに投げかけられる問い。その言葉の余韻だけが暫し宙に浮く。


陽乃「やれやれ、少しは成長したかと思えば、どうやら相変わらずみたいだね」

なんの反応も見せない俺を横目に、あねのんが呆れたように溜息を吐く。

八幡「はぁ …… まぁ …… そうですね」

確かに妹さんの方は相変わらずみたいですけど。どこがどうとは言いませんが、特に胸のあたりとか。


陽乃「キミのことだよ」

そら惚けた俺の返事に被せるようにして、ピシャリと言い放つ。


八幡「俺 ……… ですか?」

心外である。確かに学習能力は無きに等しいかも知れないが、こう見えても負の経験値だけはそれこそ過負荷を起こしそうなくらいの勢いで着実に積み上げているつもりだ。



陽乃「 ――― この間お父さんが倒れた時、後援会の方から、今後もし父に万が一のことがあった場合どうするのかって話が出たの」

何気なく語り始めた陽乃さんに、俺はいささか戸惑いつつも黙って耳を傾ける。

陽乃「その場合、順当に考えれば長女である私か、もしくはその連れ合い、つまり娘婿が後目を継ぐことになるんだろうけど」

視線こそ窓の外、通りを行き交う人々に向けられてはいるが、恐らくその瞳には何も写してはいない。


陽乃「ねぇ、比企谷くん? そもそもなんであの子が今になって急に留学するなんて言い出したんだと思う?」

逸らされていたようでいて、どうやら実の処、話はずっと繋がっていたらしい。


八幡「 ……… 葉山と、とのことですか?」

陽乃「へぇ。隼人の家との関係まで知ってるんだ? なら話は早いわね」

陽乃「隼人は跡取り息子だから当然葉山家として婿に出すつもりはない。そうなると両家の間で結ばれた約束を履行するうえで、結婚相手は」

その先は杳としたままだが、言葉に出さずともその示すところは確として伝わる。


――― 当然、雪ノ下ということになるのだろう。


陽乃「まぁ、こんな状況でさえなければ、私は別に構わなかったんだけどね、隼人でも」

まるで他人事のようにその口調は素っ気ない。

八幡「 …… あいつのことつかまえてそんな風に言えるのは、多分貴女くらいのものでしょうね」

冗談か本気か知らないが、もし今のセリフを三浦あたりが聞いたらいったいどんな顔をするだろう。そう考えると、こんな状況であるにも関わらず、思わず苦笑が浮かんでしまう。


陽乃「うちの親もずっと男の子が欲しかったみたいだし。まぁ、そういった意味では私も雪乃ちゃんも期待には沿えなかったわけだけど」

性格はともかく超のつく美人姉妹だ。親としても不満なんぞあるまい、性格はともかく。大事な事なんで取り敢えず2回言ってみました。


八幡「俺にはよくわかりませんが、それってやっぱり、男親としては後継ぎとなる息子が欲しかったってことなんですかね」

陽乃「ううんん」 ふるふると首を振る。

陽乃「どちらかというと、男の子を欲しがってたのはお母さんの方みたいなの」 

八幡「 …… そうなんですか」

俺なんて小町に比べたら全然いらない子扱いなんですけどね。しかもその格差は年を追うごとに広がるばかりだし。



陽乃「だから小さい頃なんて隼人の事、ホンッと猫可愛がりで …… 、実の子である私の方が妬いちゃうくらいだったし。隼人の方もよくお母さんに懐いていたわ」

そう言って懐かしそうに眼を細める。
だとすれば、雪ノ下も葉山に対して何か思うところもあったことだろう、猫だけに。そっちかよ。

だが、ふたりが葉山に抱いている感情がどのようなものであれ、恐らくそこには三人が物心ついてからから今に至るまで共有してきた時間の積み重ねがあってこそのものなのだろう。

それは知り合って一年にも満たない、それこそぽっと出の俺にとってはまるで及びもつかないものである事は確かだった。



ふと気が付くと、いつの間にか陽乃さんの視線は真っ直ぐに俺へと向けられていた。


陽乃「比企谷くん、あなた去年、雪乃ちゃんのマンションに寄ったことがあるでしょ?」


唐突に切り出されたその言葉に、思い当たる節があるとすればひとつ、それは文化祭の準備期間中に起きたあの時ことを言っているのだろう。
確かに俺はめぐり先輩や葉山に促されるまま、体調を崩して学校を休んだ雪ノ下の様子を見舞いに彼女の許を訪れている。


八幡「や、でも、あの時は由比ヶ浜も一緒だったし …… 」

陽乃「 ―――――― でも、帰る時は別々だった。 違う?」


八幡「 ……… 見てたんですか?」


あまりのことに唖然としてあんぐりと口を開けてしまう。つか、なんでそんなことまで知ってるんだよ。
もしかしてこの人、妹のことストーキングでもしてるの? まぁ、同じシスコンとしてその気持ちはわからんでもないけど。


陽乃「私じゃないんだけどね。 でも、キミが“ひとりで”あの子の部屋から出てくるところを偶然見た人がいるの」

八幡「 ……… まさか」

俺の記憶が確かなら、行きも帰りもマンションの住人とは誰ひとりとして顔を遇わせていなかったはずだ。



陽乃「キミにひとついいこと教えてあげようか?」

彼女の言う、“いいこと”。それはつまり、間違いなく“悪いこと”だ。それも“酷く”。特に“心臓”に。


陽乃「比企谷くんは、雪乃ちゃんが今、住んでるマンションの名前、覚えてる?」

八幡「 ……… あ、いえ」

覚えてはいないが、確か横文字、それも舌を噛みそうな名前だったはずだ。


陽乃「"メゾン=サクシフラージュ"。 フランス語なんだけど」 

八幡「や、さすがにフランス語はちょっと」

英語だって十分怪しいし、なんなら他人とのコミュニケーションに限って言えば日本語でだってかなり不自由している。


陽乃「"サクシフラージュ"は日本語で“ユキノシタ”」

陽乃「 ――― あのマンション自体、うちの親の持ち物だし、経営しているのもお父さんのところの系列会社なんだよ」



八幡「それって ……… 」




陽乃「そ。つまり、管理人にも当然うちの親の息が懸かってるってこと」





陽乃「 ――― ねぇ、比企谷くん」


ただでさえ思いがけない事実を耳にして暫し言葉を喪う俺に対し、陽乃さんの声のトーンが低く転じる。


陽乃「もしかして、キミも本当は薄々気が付いているんじゃないの? それともわざと気が付いていないフリをしているだけなのかな?」

何かしらの含みのあるその声音に、コーヒーカップへと伸ばしかけた俺の手が微かに震えが走った。


八幡「何を …… ですか?」

乾いてひりついた喉から絞り出す声が、自分でもそれとわかるほど不自然に嗄れる。


陽乃「わかってるくせに」


問いかけるような視線に答える代わりに、手にしたカップをそっと口に運ぶと、既に冷めはじめたコーヒーの独特の酸味が舌を刺す。

そして俺の耳に、陽乃さんの蜜のように甘く、羽毛のように柔らかく、それでいて微量の毒の含まれた声が、鼓膜にそっと絡みつくようして注ぎ込まれる。




陽乃「今回の雪乃ちゃんの留学 ―――― ホントはキミが原因なのかも知れないって」


それでは今日はこの辺で。ノシ

ここまで1年掛けてやってきたんだし、無理に締めるより適当なタイミング次スレ立てて続ければ良いと思う

長いこと見てきたこの作品世界なら結末後も後日談いろいろと楽しめそうだし(終わらせた後の話も書けと言う催促)


>>943

途中で投げるつもりはないのでそれは大丈夫ですが、この場合、新しいスレのタイトルが悩みどころですね。
それにしても、もう1年経つんですね。



……… よく残ったもんだ。


八幡「 …… や、さすがにそれは」


束の間、ふたりの間に落ちた沈黙を打ち消すように俺が言葉を発しかけると、


陽乃「この間も雪乃ちゃんと一緒のところをうちのお母さんに見られたんだって?」

それを遮るようにあねのんが言葉を継ぐ。


八幡「 …… え? あ、ええ、はい」

陽乃「相変わらずそいうところ、脇が甘いのよね」

誰にという訳でもなく、ぽしょりと呟く。


正直、今しがた告げられた陽乃さんの言葉だけで、もう既に俺の頭の中は真っ白な状態である。
さすがにこれ以上は勘弁してもらいところなのだが、その様子を見る限り話はまだ終わっていない、ということなのだろう。

バレンタインのイベントの帰り、あの時もやはり由比ヶ浜は一緒だったものの、さすがにひとり暮らしの娘の周りに男の影がうろついていたのでは心配するだろうと早々に退散してる。
もっとも俺の影は普段からただでさえ薄いので、ある程度高を括っていた、というのもあるのだが。


“あなたはこんなことをする子じゃないと思っていたのに”


今となって考えれば、あの時の雪ノ下母のセリフも、娘と言うよりはむしろ俺に聞かせるためのものであったのかも知れないと気がつく。


陽乃「うちのお母さんね、私が在学中にはPTAの役員務めてたこともあるんだよ」

勿論、初耳である。

陽乃「だからその関係で、役員を降りた今でもうちの学校にはそれなりのコネクションが残ってるみたいなの」

あねのんが卒業したのは俺達と入れ替わり、つまり2年程前なのだから、彼女のことをよく知る平塚先生はもとより、当時の先生方が何人か残っていたとしてもなんら不思議はない。

陽乃「高校の先生ってつきつめれば県職でしょ?だから私の在学中の頃からお父さんが県議ってことで、その威光に縋ろうとすり寄ってくる先生もいてね」

陽乃「 ――― 今も雪乃ちゃんのことに関して訊かれもしないのにわざわざ御注進に及んでくるみたいなの」

バカみたい、と吐き捨てるように呟く。


" ――― いきなり教室になんかに来られたりしたら、また変な噂が立ってしまうじゃない"

" ――― これ以上変な噂が立たないように、別々に降りて行った方がよさそうね"


なるほど、つまりあれはそういうことだったのだろう。


八幡「でも、まさかご両親だって噂を真に受けるほど自分の娘を信用していないってわけじゃないですよね?」

それが事実でない以上、噂はあくまでも噂に過ぎず、それ以上でもそれ以下でもないはずだ。いくら俺を叩いたところで埃さえ出ないだろう。
それどころか逆さにして振ったって鼻血すらでないし、なんなら飛び跳ねたって小銭の音だってしない。


陽乃「それが単なる噂として片付けられるものなら、ね」

八幡「どういう …… 意味ですか?」


だが、俺のその問いには答えず、陽乃さんは更に続ける。

陽乃「今回の件についても、雪乃ちゃんにプレッシャーを与えて留学せざるをえないように追い込んだのは、多分お母さんね」

八幡「どうしてわざわざそんなことをする必要があるんですか?」

陽乃「人間関係のリセット、かな。キミやガハマちゃんが、あの子にとって良くない影響を与えるとでも思ったんじゃない?」

八幡「俺はともかくとして、由比ヶ浜も …… ですか?」

陽乃「あの人はね、直接手は下さないにしても、他人を思い通りにコントロールしたがるの。例えそれが自分の娘であっても同じ」

母親のことを“あの人”と呼ぶあねのんの目には、なにかしら剣呑な光が宿っていた。

もしかしたら彼女の良家の子女らしからぬ自由過ぎる言動や奔放な性格も、いくばくかはそんな母親に対する反発から生まれたのだろうかと、ふとそんな考えが脳裏を過る。


陽乃「それで、比企谷くん、キミはいったいどうするつもりなの?」

八幡「は?」

ここにきて唐突に投げかけられたその質問の意味するところはもちろん、彼女の意図からしてよくわからない。

この人はこんな状況でいったい俺に何をどうしろと言うのだろうか?

これはあくまでも葉山家と雪ノ下家の問題であり、言うなれば雪ノ下個人の問題である。

一介の高校生の身分に過ぎない俺にどうこうできるようなシロモノでもないし、それ以前に、俺にそこまで踏み込む資格があるとすら思えない。
だいいち、雪ノ下本人からも“あなたには関係のないことよ”と釘を刺されているのだ。

戸惑いを隠せないでいる俺の顔をまじまじと見つめ、


陽乃「キミはホントにまるで自意識の塊だね、というよりやっぱり理性の化け物、かな」


陽乃さんが大袈裟に肩をすくめて見せた。そして、改めて真っ向から俺を見据える。



陽乃「 ――― 言い方が曖昧すぎたかな? じゃあこの際だからはっきり聞くけど、キミは、あの子とガハマちゃん、いったいどっちを選ぶつもりなの?」



丁度その時、店の自動ドアの開く音が聞こえ、俺の視界の隅によく見知った顔が入ってきた。

学校指定のやや地味目な色合いのコートを羽織り、近くの書店で購入したと思しき紙袋を手にしているのは、誰あろう海老名さんだ。
三浦や由比ヶ浜の姿がないところを見ると、珍しく今日はひとりだけらしい。


海老名「おや、ヒキタニくん、はろは…」

彼女は俺に気が付くと、いつものように超軽いノリ、しかも相変わらず意味不明の挨拶を口にしかけたが、隣にいる陽乃さんの姿を見て、ピタリとその動きを止めた。

次いで、何を察したのか胸の前で軽くひとつポンと手を打ち、くるりと背を向けてそのまま店から出て行ってしまったかと思うと、すぐさま素知らぬ顔で再び入ってくる。


そして ――― 、



海老名「ごめーん、待ったぁ?(はぁと」

八幡「 …… 頼むからその場のノリや思いつきでそういう手の込んだ小芝居するのやめてくれる?」 ヒクッ




短いですが、今日はこの辺で。ノシ


あねのんがまるで珍しい生き物でも見つけたかのような目つきで海老名さんの様子をじっと見つめる。


陽乃「あら、もしかして比企谷くんのお友だ …… お知り合い?」

八幡「あなたもそこで変な気の遣い方するのやめてくれません?」 余計に傷ついちゃうだろ。


八幡「や、知り合いっつーか、なんつーか」

もちろん友達ではないのだが、コイツと知り合いと思われるのも恥ずかしい。

だが、この場合、下手にすぐ否定したりすると次に陽乃さんから返ってくるであろうセリフは容易に察しがつく。
かといって聞かれもしないうちに自分からそれを否定するのも自意識過剰のような気がして恥ずかしいとか思っている俺は既に間違いなく自意識過剰。


陽乃「あ、わかった! 友達でも知り合いでもないとしたら、もしかして …… 彼女 …… とか?」


ほらきた。


海老名「あ、わかっちゃいました? でも残念ながら、ちょっとだけ違います。本命は別にいて、私はいわゆるセフ … 」



スコンッ



海老名「トレイで殴った!?」




八幡「違ぇだろっ! ただのクラスメートですっ! たーだーのっ!」

これ以上あらぬ誤解を招かぬように、とりあえず"ただの"の部分を強調する。

だが、そこはさすがに陽乃さんである。海老名さんの下ネタに対してもなんら臆することなくコロコロと余裕で笑って見せた。

陽乃「アハハ、愉しい子だねー。雪乃ちゃんやガハマちゃんだけじゃなくって、いつの間にかこんな子まで囲っていたなんて、比企谷くんも隅におけないなぁ。いよいよヒキガヤハーレムだねぇ。このこのぉっ」

言いながら肘で俺を小突く。はっきりいってこの人のこういうところは超ウザイ。わかっててやってるだけに尚更だ。


八幡「 ……… いや、俺的にはできるだけ隅にいた方が落ち着くんで」

オセロだって隅をとるのが定石。つまり隅が好きな俺はもうそれだけで人生の勝ち組と言えるかもしれない。
しかも超がいくつもつく可愛い妹もいることだし、これはもう間違いない。



陽乃「あ、ごめんなさいね。私は ――― 」


ジュラルミン並みの外面装甲の威力を如何なく発揮して、いかにも慣れた調子で陽乃さんが自己紹介をしようとすると、

海老名「あ、知ってます。J組の雪ノ下さんのお姉さん …… ですよね? この間のバレンタインのイベントでは大変お世話になりました」

さすがにクレバーな海老名さんだけあって、陽乃さんに対しても全く物怖じすることなく、ペコリと頭を下げる。

陽乃「へぇ、そうなんだ。ありがと」

言いながら、あねのんがすっと目を細め、まるで値踏みするかのような視線で海老名さんの姿を上から下まで眺める。

恐らく脳内スカウターで相手の戦闘力でも計測しているのだろう。そのうち「私の戦闘力は53万です」とか言い出したりするのかもしれない。


だが、あねのんの隠そうともしないその目の奥に潜む酷薄な輝きに気が付いているはずなのに、海老名さんはまるで動じた素振りすら見せない。

それどころか、愛らしいとも言えるいつもの人懐こい笑顔を浮かべたまま、その慎ましい胸を張るかのようにして敢然と陽乃さんの視線を受け止めている。


気が付くといつの間にかふたりの間に何やら不穏な気配が交錯していた。目には見えない、まるで静電気のような火花が散っているような気さえする。

下手をすると背後ではスタンド同士が熾烈な戦いを繰り広げているのかも知れない。なにこれ超怖い。


陽乃「ふーん、比企谷くんって、意外と地味な子が好みなんだ♪ あ、ごめんなさい。私ったら、つい」

陽乃さんのてへぺろを伴う先制口撃。

しかし、まるでそれが聞こえていなかったのように顔色ひとつ変えることなく軽くいなすと、



海老名「 ………… BBA」 ボソッ



笑顔を崩すことなく、それもいきなり超ド級の爆弾投下で返礼する海老名さん。




ピシッ




その瞬間、陽乃さんの笑顔がほんの微かにだが、強張るのが見えた気がした。

鋼鉄以上の堅牢を誇る陽乃さんの鋼玉の外面に、亀裂 …… だと ……!? 在りえぬ!?



陽乃「 ……… 今、何か言ったかしら?」 ゴゴゴゴゴゴ…



海老名「やーん、ヒキタニくーん、このひと、こーわーいー」

わざとらしく鼻にかかった甘え声を出しながら海老名さんが俺の背後に隠れるように回り込む。



八幡「俺はお前の方がよっぽど怖えよっ!!!!」



「 ―――――― 陽乃?」


静かな、それでいてよく透る厳かな声が店内に響いた。

凛とした佇まい、楚々とした和服姿、高く結われた髪。あたりを払う堂々とした振舞いから放たれる圧倒的な迫力。順当に年を重ねれば恐らくは雪ノ下もいずれなるであろう、威厳の伴う美貌。

雪ノ下と陽乃さんの母 ―― 雪ノ下母、つまりは、ははのんである。

彼女が入ってくるや否や、まるでその姿が磁力でも帯びているかのように俺を含め、店内の客の視線がそちらに吸い寄せられるようにして集まるのがわかった。

それまで好き勝手に交わされていた会話や雑多な喧騒が収まり、店内を流れるBGMが急に音量を増したかのような錯覚すら覚える。


「 …… 誰?」 「 …… 女優?」


離れた位置から囁く客の声が俺の耳にまで届く。
明らかに称賛の目を向けられることに慣れきった者の態度で、ははのんはまるで無人の野を征くが如くこちらに向けて歩を進める。

そして、改めて俺の存在に気が付くと、その面(おもて)にごく微かにだが、何か、驚きのような感情が漣(さざなみ)のように過った。

だがそれは、自分でいうのもおこがましいが、人間観察のスペシャリストを自認する俺であるからこそ気の付いた、ほんの僅かな変化に過ぎない。


ははのんは、その面(おもて)にすぐに品のある笑みを浮かべ直し、小さく腰を折るようにして会釈する。

俺もその仕草につられるようにして反射的に頭を下げると、なぜか隣に立つ海老名さんもそれに倣った。

当然と言えば当然だが、どうやら数回会っただけに過ぎない俺の顔もキッチリ覚えられているようだ。

陽乃さんはそんな俺を少しだけ怪訝そうな顔を浮かべて見ていたが、すぐに椅子から降りて立ち上がる。


陽乃「じゃ、比企谷くん。やっと待ち人が現れたようだから、またね。 それから …… そちらの彼女さんも」



八幡「 …… だから」

海老名「 …… ただのセフ」


カコンッ



海老名「また殴った?! しかも今度は角(かど)ッ!?」


そのままふたりの立ち去る後ろ姿を暫し見送っていると、

海老名「あの人、やっぱり雪ノ下さんのお母さんだったんだ? ヒキタニくんも知り合いなの?」

不意に海老名さんが話しかけてきた。

八幡「 ……… いや、今年になってから何度か顔を合わせたことがあるってだけだ」

海老名「ふーん、そうなんだ。よく似てるよね。ひと目見てそうじゃないかと思ったんだ」 茫として呟く。

八幡「……まぁ、そうだな」

海老名「確かお父さんも県議会議員で建設会社の社長さん、なんだっけ?」

八幡「お前、そんなことまでよく知ってんのな」

海老名「だって、雪ノ下なんて名字、この辺りじゃかなり珍しくない?」

八幡「いや、それを言ったら比企谷だって海老名だって十分すぎるくらい珍しいだろ」

確かに面影は強く窺わせるが、その纏う雰囲気があまりにも異質なせいか、今はそれほどよく似てるとも思えなくなっていた。
もしかしたら雪ノ下の方はどちらかというと父親似なのかも知れない。例えば胸のあたりとか。


そんなことを話しているうちに、不意に外から陽乃さんの声が聞こえてきた。




陽乃「お母さん! そっちじゃなくて、こっち!」




……… なるほど、遅れてきた理由はアレなわけね。やっぱり親子だけあって似てるのかもしれないと思い直す。







だが、先ほど雪ノ下母の浮かべた不可思議な笑みの真の意味を、後に俺は嫌というほど、それこそ身をもって知らされることになる。


本日はここまで。ノシ


海老名「ここいい?」

訊いておきながらも俺の返事を待つことなく、海老名さんが先ほどまであねのんの座っていた席に腰掛ける。

海老名「よっこいしょーいちっと」

八幡「 ……… って、何、お前もかよ? つか、なんでわざわざ隣座るわけ?」

海老名「いいじゃん、空いてるんだし」

そしてそのまま、今度は当然のような顔をして俺のトレイを自分の前へとスライドさせる。

八幡「いやそれ俺んだけど?」

海老名「いただきまーす。あ、この場合はご馳走様、かな?」

俺の抗議をさらりと無視して小さく掌を合わせると、止める暇もあらばこそ、手つかずのままだったドーナツに、はむっとばかり喰いついた。


八幡「 ……… お前、いったい何しにきたんだよ?」

海老名「んー…? たまにはひとりで静かに読書でもしようかと思って? 優美子も結衣もあんなだし?」

ジト目を送る俺に、口についたドーナツのカスを小さな指先でそっと拭い澄ました顔で応える。

言ってることは至極健全かも知れないが、持ってる本は多分、健全にはほど遠い内容なのだろう。


海老名「もしかして邪魔しちゃった、かな?」

ドーナツを食(は)みながらそれとなく振ってきたのは、もちろん先程の一件のことだろう。

八幡「 ……… いや助かったよ、マジで」

海老名さんというイレギュラーな存在がいてくれたお陰で事なきを得たが、もしあのまま陽乃さんと雪ノ下母のふたりに対峙していたら、俺的にかなりマズイ状況に陥っていたに違いない。

それを考えたら急激に食欲が失せていた。

海老名「敵は闇の千葉県議会と建設業界に巣食う悪の組織かぁ、ヒキタニくんもこれから色々と大変だね」

八幡「ちょっと待て、いつの間にそんな話になってんの?」

海老名「フリーメイソンももとは千葉の建設業界から生まれた秘密結社だって話、知ってた?」

八幡「いや確かそれユダヤの石工ギルドかなんかだろ? つか、なにその中二設定?」

海老名「あ、私、こう見えて腐女子は中二だけど、中二病は小二デビューだから」


八幡「 ……… それはまた随分とお早い魔眼開眼ですこと」


海老名「 ――― ねぇ、ヒキタニくん、私からひとつ提案があるんだけど聞いてくれるかな?」

そのままごくさりげない口調で海老名さんが切り出す。

八幡「 ……… 気のせいかなんかイヤな予感がする …… っていうかむしろスゲェ悪ぃ予感しかしないんだけど?」

海老名「あ、もちろんそっちの方面の提案もあるんだけど …… 捗るやつ」

八幡「 ……… やっぱあるのかよ、つか、ねぇよ」

海老名「でもこっちは私にとってもヒキタニくんにとってもメリットのある話だよ。いわゆるウィンウィンって感じ?」

そう言って本来はダブルピースのところを、なぜか両手の親指を立てて曲げる仕草をする。その姿はどこからどう見ても彼女のいうところのウィンウィンではなく、浪越徳治郎以外の何者でもない。


だが、時々突拍子もない事を言い出してその度に俺を驚かせ、明らかにその反応を見て楽しんでいる節のある海老名さんではあるが、予めそれと覚悟を決めておけば、決して凌げない相手というわけでもない。

言うなれば、彼女の手の内は既に見切っている、といっても過言ではないだろう。


八幡「 ……… ほーん、何かしらんが一応聞いとくから、とりあえず言ってみ?」


万全の迎撃態勢を整えた俺は、余裕綽綽の態で海老名さんの言葉を待ち受ける。





海老名「そう、よかった。 あのね、ヒキタニくん、―――――――― 私とセ〇クスしない?」




海老名「 ……… おっと間違えた。"私と付き合わない?"だっけ。ま、いっか、似たようなもんだし …… って、おや、ヒキタニ君、そんなところで寝てたらお店の人に迷惑だよ?」

八幡「死んでるんだよっ!」

海老名「おやおや、いくら生き恥を晒すのが忍びないからって、何も死んでまで恥をかく必要なんてないんじゃない?」

八幡「 …… できれば俺も、お前みたいな“歩く腐乱死体”みたいなヤツにだけは言われたくねぇけどな」

しかしこいつ俺の予想の遥か斜め上を飛び越えてきやがったな。しかも見事なまでのベリーロール。もしかしたら世界陸上制覇すら夢ではないかも知れない。


八幡「つか、いったいなにをどうやったらそんな間違え方すんだよっ?」

海老名「ナニをどうヤるって …… やだ、乙女にそんな事言わせないでよ恥ずかしい。もしかして言葉責め? 羞恥プレイ? そういうのが好きなんだ? 正直ドン引きだけど、できるだけ慣れるように努力するね?」

八幡「もし今の会話の中に恥ずかしい点があったとすれば、それは間違いなくお前自身だということにいい加減気が付けよ」

それに乙女は間違ってもそんなセリフ、絶対口にしねぇだろ。



海老名「 ――― で、どう? 悪い話じゃないと思うけど?」

八幡「 ……… や、いきなりそんな話されて、どうって訊かれてもだな 。つか、そんなことしていったいなんのメリットがあるんだよ?」

海老名「私みたいに可愛い彼女ができるなんて、ヒキタニくんにとってはもうそれだけで十分過ぎるくらいメリットじゃない?」

八幡「 ……… 自分で言うか、それ」

ハイ、スミマセン。俺も時々自分で顔立ちが整ってるとか言っちゃってます。今は反省してます。


海老名「それに私、こう見えて浮気には寛容だよ? あ、もちろん男限定ね? というかむしろ推奨? それもできれば私の見てる前で?」

八幡「 ……… もう一度だけ聞くぞ? それが、"俺に"、"どんな"、メリットが、あるっつーんだよ?」

どこをどう探してもそんな要素は一ミリとても見当たらない。


海老名「んー、他にもメイド服着て猫耳つけてお兄ちゃんって呼んであげてもいいんだけど?」

八幡「残念ながら俺にはメガネ属性はもとより、制服属性も、ケモミミ属性もないんでな」

海老名「 ……… 妹属性だけはあるんだ。 あ、それから、もうひとつ ――― 」

八幡「あん?」



海老名「 ――― もし、私と付き合うことになれば、あのふたりとも今まで通りの関係でいられるよ?」


まるでそのタイミングを予め見計らっていたかのように、いきなり深く踏み込んできた。


“あのふたり”とは、言うまでもなく、雪ノ下と由比ヶ浜のことだろう。

雪ノ下の留学、葉山との関係、そして先程のあの出来事。それらの断片的な情報から海老名さんがいったいどのような判断を下すに至ったのかまでは分からない。
しかし、その一因が俺たちの関係性にあるということについては、いち早く見抜いたようだった。


なるほど、確かにそれも現時点で俺が取ることができる、数少ない選択肢のうちのひとつだ。

もし、俺が誰か別の女の子と付き合い始めたという噂が雪ノ下母の耳に入れば、雪ノ下に対するプレッシャーは緩和されるかも知れない。
場合によったら、留学の話も立ち消えになる可能性だってある。


しかし ――― 、

八幡「それって、お前にとってはどんなメリットがあるんだ?」

男除け? 確かに邪眼は魔除けになるらしいけど、腐った眼ってのはどうよ? 節分にイワシの頭を飾る風習もあるらしいけど、あれと似たようなもんなの?


海老名「修学旅行の時、言わなかったっけ? ヒキタニくんとなら、案外うまくやっていけるかもしれないって」

八幡「いや、あれは …… 」

海老名「冗談とかじゃなくて、あれ、私の本音だよ。それに ――― 、」

目を伏せ、微かに頬を赤らめながら、もじもじと少しだけはにかむような仕草を見せる。
腐っているとはいえ、やはりそこは美少女だけあって、悔しいがまんまと俺のツボに嵌まってしまう。


海老名「 ――― もし、私が男だったら、きっとヒキタニくんのこと好きになってたと思うし?」

八幡「 ……… いや、そもそもそれ前提条件からしておかしくねぇか?」


海老名「そしたら私達、絶っ対、つきあってたと思うよ?」

八幡「 ……… そこに俺の意思が考慮される余地はねぇのかよ」


海老名「将来結婚したら子どもは三人。一姫二太郎」

八幡「物理的に不可能だろ」


海老名「え? でも、産むのはヒキタニくんだよ?」

八幡「うん、それムリ」


って言うか、なにその意外そうな顔。こいつの頭ン中、いったいどんだけバラ色に染まってんだよ。



八幡「戸部のことはいいのか? あいつとは最近多少はいい感じになってきたんじゃねぇの?」

海老名「あー…、それってもしかして、こないだのバレンタインのイベントのこと言ってる?」

八幡「 ……… 違うのか?」

その手のイベントならまだしも、あの手のイベントごとには消極的で、なんやかや理由をつけて滅多に顔を出さない海老名さんだ。
例え三浦のためとはいえ、自ら率先して参加することなんて事自体珍しいし、それどころか戸部には手作りのクッキーまで振る舞っている。
一途な熱意に絆されて少しは憎からず想うことになったとしても、別に不思議はないと思ったのだが。


海老名「あれはあくまでガス抜き。ほら、男子って、あんまり避けてばかりいると逆にツンデレしてるとか勝手に思い込んじゃったりするでしょ?」

八幡「 …… なるほど、自意識高い系男子の心理をよく心得てらっしゃる」

全ては海老名さんの掌の上というわけね。食えない女だ。もっとも腐ってるだけあって、食ったら腹壊すかも知れないけれど。

海老名「そういうヒキタニくんこそ、さすが自意識高い系男子代表だけあって理解が早くて助かるよ♪」

八幡「いや、俺はどっちかっつーと自意識過剰系男子なんですけどね ……… 」


という訳で今日はこのへんで。ノシ

一姫二太郎のくだりは、本来の意味ではなく、あくまでも慣用句として使用しましたので、ツッコミはナシで。


海老名「ふふふ。知ってるよ。ヒキタニくんも今、あの時の私と同じような悩みを抱えてるんでしょ?」

不意に、海老名さんが悪戯っぽい笑みを浮かべて俺を見る。


八幡「悩み? 何のことだよ?」

海老名「結衣のこと。あの子があんだけ積極的にアプローチしてるのに気がつかないわけないでしょ?」

ここに来て、なんら遠回しに仄めかすこともせず、いきなりズバリと切り込んできた。


海老名「あの子の気持ちに向き合う覚悟はできたようだけど、そのことで結衣が被るリスクを考えると踏み出す勇気がなかったんでしょ? ――― 雪ノ下さんのこともあるし?」

どうやら何から何まで全てお見通し、ということらしい。

海老名「だから、例えそれがあなたの嫌うぬるま湯のような状態だったとしても、今までは現状維持しかなかった…ってとこかな?」

癪に障るが何も言い返すことができないのは、それがほぼ正確に俺の気持ちを言い当ていたからだ。

海老名「今は優美子が否定してるから誰も表立っては口にしないけど、さがみんなんかはもうとっくに気がついてるし、噂になるのもいずれは時間の問題だよ?」

あーしさんのご威光だな。噂も封じちゃうって、どんだけ影響力あんだよ。

海老名「でも、ここで私という伏兵が現れれば、結衣だっておいそれと踏み込んではこれなくなるわけ。世はこともなし。全ては今までどおり」

そして、「どう?」とばかりに再び目で問うてくる。


八幡「いや、それだと万が一、その …… 俺とお前が付き合うことになったとしても、今度はお前と由比ヶ浜との関係が気まずくなったりしないのか?」

海老名「なんで?」

小首を傾げ、心底不思議そうに尋ねる。

八幡「なんでって、いろいろあんだろ、お前ら友達なんだし」

海老名「 …… そうだね。でも大丈夫。結衣は私と違って空気読む子だから」


――― それに、と付け加える。


海老名「それで壊れるような関係なら、それまでのことでしょ?」

ごくあっさりと、まるで切って捨てるように口にした。


八幡「 ……… 意外 …… だな」

海老名「何が意外なの?」

呆けたような顔をしているであろう俺に、海老名さんが再び問いかける。


八幡「お前は空気読まずに周りに合わせることができるヤツだって、どこかの女王様が言ってたぜ?」

海老名「あはは、何それ? でも確かにそれ、当たってるかも」

おかしそうにケラケラと笑う。しかしやがて、


海老名「 ――― でもね、ヒキタニくん。相手を思いやる気持ちも確かに大切なのかもしれないけど、もしそれだけの理由で前に踏み出せないとしたら、それもまた、それまでの関係ってことになるんだよ?」


恐らくそれが彼女の哲学なのだろう、揺るぎない笑顔そのままで、さらりとドライな事を言ってのけた。




八幡「 ……… やっぱ、お前のその提案に乗ることはできないな。悪いけど」


知らず自然に口から滑り出る俺の返事に対し、


海老名「 ……… そ。残念」 


口で言うほどさして残念そうでもなく海老名さんが応じる。



海老名「いいアイデアだと思ったんだけどなー。あーあ、フラレちゃったかぁ。私ってば、そんなに魅力ないかなぁ」

天井を仰ぎ見て、足をぶらぶらさせながら聞こえよがしにそう独り言ちたかと思うと、

海老名「確かに、雪ノ下さんほどキレイでもないしー、結衣みたくおっぱいも大きくないもんねー」

今度は自虐めいた露骨な言い回しで俺にあてこする。

八幡「 ……… や、ちょっ、だから別にそういうわけじゃなくてだな」

海老名「ふふふ」

セリフの合間合間にこちらの反応をチラ見しながら小さく忍び笑いを漏らしている様子からすると、どうやら俺を弄(いじ)って楽しんでいるらしい。

恐らくは彼女なりの意趣返しのつもりなのだろう。


正直な話、海老名さんの提案に関しては心惹かれるものがなかったわけではない。

やや強引ではあるものの、決して嫌な感じはしないし、硬軟織り交ぜた巧みなプレゼンテーションもポイント高い。
以前から彼女に対してはある意味で親近感に似た感情を抱いていたということも、もちろん、ある。

どこまで本気なのかよくわからないが、確かに利害が一致するという点では、彼女のいう通りウィンウィンの関係とさえ言えるのかもしれない。


だが、それでもやはり ――― それは偽物だ。


今のこの状況から逃げ出したくなるような気持ちから生まれた、俺自身の一時的な気の迷いに過ぎない。
それは恐らく、打算とか妥協と呼ばれる類の感情に近いものなのだろう。



それに、それでは一時的な対処療法に過ぎず、抜本的なソリューションには程遠い。
結局は今までの俺のやり方と同じで、問題を先送りにするだけの話だ。

この場合、葉山と雪ノ下の家の婚約そのもの解消させることができない限り、何の解決にもならないし、むしろ人間関係を余計に拗らせてしまうだけだろう。

また、海老名さんはああは言っているものの、もしそうなったらそうなったで、ふたりと今までのような関係性を継続することは、まず不可能に等しい。

例えそれが偽りであったとしても、昨年の修学旅行での反応を見れば、ふたりが俺のその行為を看過し、赦すとはとうてい思えない。

そうなればいずれ奉仕部自体が空中分解してしまうのも目に見えている。それでは例え雪ノ下の留学を阻止することができたとしても、元も子もあるまい。


俺の出した結論は、そういった諸々の事情を踏まえてのことでもあった。


そして何よりも、



八幡「それに、俺は ―――――― 」



―――――― 本物が欲しいんだ。



無意識の内につい本音を呟いてしまう。


海老名「 ……… 本物?」


俺の漏らした言葉に海老名さんが反応し、当然のことながら怪訝な表情を浮かべてしげしげと俺を見る。


海老名「 ………… ふーん。本物、ね」 


何事か考えるかのようにその言葉を自分の口に乗せ、それきりふたりの会話は途切れた。




海老名「これ、ドーナツもらっちゃったから、代わりにあげる。いわゆる等価交換ってヤツ?」

なんの脈絡もなく、唐突にそう言って俺に向けて差し出されたのは、可愛らしいリボンと透明ビニールでラッピングされた、どこかで見覚えのある市松模様のクッキー。

海老名「こないだ作ったヤツ。余ったからお裾分け」

まるで言い訳のように付け加え、戸惑う俺に半ば無理やり押し付けるようにして手渡す。
彼女の意図もよくわからないまま、俺も黙ってそれを受け取った。


海老名「私、まだ本読んでるから。トレイも片づけといたげるからそのままでいいよ」

既に空になった俺のコーヒーカップと食べかけのドーナツの乗った皿を示す。

話はこれでお終い、ということなのだろう。


八幡「 ………… そうか。じゃあな」

海老名「あ、ヒキタニくんもよかったら試しに読んでみる? いろいろと捗るかもよ?」

八幡「なにそれセクハラ? つか、捗りたくねーし」


苦笑交じりに答えると、ふと、まだ何か言いたげな海老名さんの表情に気が付く。


海老名「でも、さ ―――― 」


ややあって、彼女はやや躊躇いがちに、それでも、ゆっくりと口を開いた。


海老名「本物って、比企谷くんが考えているような崇高で綺麗で光輝いているものなんかじゃなくって、案外、もっと矮小で汚くて、ドロドロしたものなのかも知れないよ?」




どういった光の加減なのか、その言葉を口にする彼女の眼鏡の奥にあるはずの瞳を覗き見ることは叶わなかった。



* * * * * * * *



そのまま海老名さんに別れを告げ出口へと向かいかけたが、小町に頼まれたドーナツの袋をカウンターに置き忘れたままであることに気が付いた。

すぐに回れ右をして先程までいた席に戻り、


八幡「悪りぃ。忘れ物 …… 」


少しばかりバツの悪い思いをしながらも、こちらに背を向けたままの海老名さんに声をかける


――― と 、



ガチャンッ


慌ててコーヒーカップをソーサーに戻す音が響いた。


海老名「な … なに …… かな?」


振り向きもせず返す声に、微かだが狼狽の色が滲み出ている。


八幡「 ……… や、妹に頼まれたドーナツ忘れたんだけど」


海老名さんは目の前に置かれた袋を素早く手にとると、無言のまま無造作に後ろ手にすっと差し出す。


八幡「お、おお、サンキューな」


再び出口へと足を運びながら、なぜか気になって最後に一度だけ振り返ると、テーブルに突っ伏して何やら呻きながらじたばたともがいている海老名さんが姿が目に入った。






―――――― そういやあいつ、飲み物なんてたのんでたっけ?

俺がそんなどうでもいいようなことに気が付いたのは、店を出て家へと向かう自転車のペダルを漕ぎ始めて暫く経ってからのことである。


本日はここまで。続きは来週になります。ノシ

そろそろ次スレ建てときますか。

俺ガイルSS 『思いのほか壁ドンは難しい』 その他 Part2

俺ガイルSS 『思いのほか壁ドンは難しい』 その他 Part2 - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1486873956/)


このSSまとめへのコメント

1 :  SS好きの774さん   2016年03月20日 (日) 07:02:26   ID: LHOnUO-n

平塚と材なんとかはいらない

2 :  SS好きの774さん   2016年03月25日 (金) 17:30:31   ID: SXAkIrlz

これぞ俺がいるのssだと思います

そんなクオリティーを感じました

3 :  SS好きの774さん   2016年04月10日 (日) 15:40:19   ID: q4BmwbPM

紗季じゃなくて沙希じゃね?

4 :  SS好きの774さん   2016年04月11日 (月) 00:41:18   ID: T4TRzIyB

八幡の馬鹿さ加減が結構鬱陶しかった

5 :  SS好きの774さん   2016年07月01日 (金) 13:14:49   ID: qGnTKIAZ

意味を正確に答えろ、言われたらさすがにわからんもんもあるけど、読めるし前後の文のニュアンスでわかるから読み仮名いらんやろ(大抵の読者は)

6 :  SS好きの774さん   2016年07月08日 (金) 22:01:40   ID: tqbMQl20

コレ相模に鉄槌は有るのか?

7 :  SS好きの774さん   2016年07月22日 (金) 12:45:32   ID: DqS7btF_

サキサキを無視したり忘れたりしないで!!!
責任とってあげて。

8 :  SS好きの774さん   2016年09月20日 (火) 14:04:15   ID: eBrLz96d

作者は面白いと思ってるんだろうけど急展開とかギャグ?がつまらなさすぎ

9 :  SS好きの774さん   2016年10月20日 (木) 23:37:30   ID: M-HjILZt

折本の方は面白かった

10 :  SS好きの774さん   2019年02月14日 (木) 07:46:50   ID: VgUgVdaQ

プロローグが一番面白かった
八幡の台詞に///とか!が多過ぎてキャラ崩壊
してるし平塚先生とかも喋り方少し変

11 :  SS好きの774さん   2019年02月14日 (木) 08:21:25   ID: VgUgVdaQ

原作なら「いやいや、違うからね?」ぐらいなのに「そうじゃねぇだろッ!?」とか新八並みの熱の入ったツッコミになっとる

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