渋谷凛『シンデレラ』 (94)
「例えばの話だけどさ」
歌って、踊って。
泣いて、笑って。
数えるのも大変なくらい、たくさんの思い出をもらって。
振り返れば、刻み付けた足跡は遥か遠くまで霞んでいた。
「私がアイドル引退しようと思ってたら、どうする?」
SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1419402791
もしアイドルにならなかったら、私はどうなっていたんだろう。
普通に会社へ通っていただろうか、店先でハナコを撫でていただろうか、プロデューサーに出会っていただろうか。
ときどき寝る前にふと考えて、結局答えが出る事は無かった。
「例えばの話、だよな」
それに答える言葉を、私は持っていなくて。
ただ、プロデューサーに笑いかける事しか出来なくて――
「…………そう、か」
「うん」
「――ありがとう。凛」
十二時の鐘が、鳴ろうとしていた。
シンデレラこと渋谷凛のSSです
前作
鷹富士茄子「不幸中の幸い」 ( 鷹富士茄子「不幸中の幸い」 - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1417782233/) )
関連
渋谷凛「ガラスの靴」 ( 渋谷凛「ガラスの靴」 - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1404552719/) )
渋谷凛「例えばの話だけどさ」 モバP「おう」 ( 渋谷凛「例えばの話だけどさ」 モバP「おう」 - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1410679912/) )
上記「ガラスの靴」の直接的な続編になります
Pはプリムスの3人を担当しています
― = ― ≡ ― = ―
「――シンデレラを、知っているかな」
放課後のこの街は、いつでも人でごった返している。
女子高生、サラリーマン、客引き、インタビュアー。居ない人の方が少ないかもしれない。
コイツみたいな不審者も、特段珍しくはない。
「天海春香を観ていたね。街頭スクリーンの」
ぴたり。
……しまった、一瞬足を止めてしまった。
すかさずその場を立ち去ろうとすると、ソイツは実に弾んだ声で話しながら私に付いて来る。
「やっぱり、アイドルに興味が?」
「別に。じゃあね」
「君なら絶対に目指せると思うよ」
「アイドルなんて柄じゃない」
「いや、目指してほしいのはアイドルじゃないんだけどね」
再び、足を止める。
深く溜息をついて、ようやくソイツの顔を正面から拝見する。
憎らしい事に、なかなか整った顔付きだった。
「アンタ、スカウトじゃないの?」
「ああ、スカウトだよ」
「天海春香がどうとかって事は、アイドルのでしょ」
「いや、彼女はただのトップアイドルだからなぁ」
さっきから、コイツの言っている意味がよく分からない。
しつこいのだけはよく分かったけど。
トップアイドルに『ただの』なんて形容詞は付かないでしょ。
……あれ、形容動詞だっけ?
「じゃあ、星井美希は?」
「ただのスターだな」
「如月千早」
「日本が誇るただの歌姫さんかな」
「……日高舞」
「戦車兵」
さっぱり分からない。
「で、何をスカウトしたいワケ?」
「だから言ってるじゃ……いや言ってなかったか」
内ポケットから、小さな銀のケースを取り出した。
差し出された右手には、名刺が挟まれている。
「シンデレラを、探しているんだ」
……頭が痛くなってきた。
「ガラスの靴がどうのっていう、シンデレラ?」
「その通り」
「ハッ、じゃあアンタは王子様だとか言い出すの?」
「そんな甲斐性は無いな、残念ながら」
「ああ、分かった。魔法使いだ」
スラングの方の。
「いや、魔法使いは別に居るんだ。とびっきりの魔女が。……冗談抜きでな」
「なら、アンタは一体何なの」
「だからこの名刺に書いてあるだろう」
鼻を鳴らして、ようやく名刺を受け取った。
「……プロデューサー?」
「兼マネージャー兼トレーナー兼雑用、だな。シンデレラで言う所の、」
ふ、と言葉が止まる。
その表情は気障ったらしいというよりも、むしろ悲哀に近いものだった。
「馬車馬」
「ぴったりじゃん」
「哀しいかな、自分でもそう思う」
溜息をついて、首を振る。
同情を誘う作戦だとしたら、合格点をあげよう。
「間違っては無いのがな……馬もそうだが、俺も人を見る目には自信があるよ」
「私がその御眼鏡に適ったワケ?」
「両親は真面目。学校の成績も悪くない。ペットを飼っている。犬かな」
「……っ」
当たっている。初対面の筈なのに。
とすると、
「……ストーカー?」
「違う。見ればそれぐらいは分かるさ。その左腰の茶色い毛とか」
「あ」
カーディガンに、短い毛が何本かくっついていた。
マメに掃除はしているつもりだけど、どうしても見落としは出てしまう。
「眼鏡に適うって言葉も、ある程度の教養が無いと出てこない」
「……両親は?」
「背筋がピンと伸びてる。武道をやってるか親が厳しい場合が多いけど、武道を嗜んでるようには見えなかったんでね」
「ふーん……」
言うだけの事はあるみたいだ。
心の中で、不審者から見知らぬ奴にランクを上げておく。
「他には?」
「今の自分に満足している。一方で、何かをやってみたくもある。というか、アイドルにも興味がある」
「……それの根拠は?」
「無いよ。こっちはただの勘だ」
言葉を続けようとして、ふと腕時計を見る。
手帳を取り出すと、残念そうな顔で首を振った。
「あー、時間だ。それじゃあまた事務所で」
「…………それも、勘?」
「いいや。これは未来予知」
踵を返して雑踏へと紛れ込む。
その直前に振り返って、私へと尋ねた。
「そういえば、名前を聞いても?」
不審者で、客引きで、見知らぬ人で。
プロデューサーで、スカウトで、雑用で。
王子様でもなくて、魔法使いでもなくて、馬車馬。
人に溢れたこの街で、けれど初めて会うタイプの人だった。
「渋谷凛」
― = ― ≡ ― = ―
どうやら私はアイドルになったらしい。
社長だと言う恰幅の良い人と面接をしたのだけれど……いや面接と言うよりも、
『合格! 宜しく!』
と、ドアを開けるなり言われてしまったのだ。今更ながら不安になってきた。
とはいえ今から家に帰るつもりも無い。
意を決して、面接以来数日ぶりに事務所の扉を開く。
「お、来たか」
中には5人が集まっていた。
アイツと、似たようなスーツの大人が二人。
同年代っぽい女の子も二人居る。
「おいマジでスカウト成功してたのか。何ヶ月掛かったんだ」
「うるせぇお前こそ何だオーディションて。一人しか応募してこなかったじゃねぇか」
「二人とも何で普通に養成所から連れて来ないかなぁ……」
入るなり、大人三人組が何やら言い合っている。
最近、不安の度合いがストップ高だ。
「そっちの二人も、アイドル?」
「はいはーい! ちゃんみおこと本田未央さんだよっ」
「島村卯月です。よろしくお願いします!」
「渋谷凛。宜しく」
声の大きい方が未央で、何か普通な方が卯月か。
とすると、そっちの大人二人もプロデューサーかな。
そう尋ねようとすると、三人はまだ話し合っていた。
「凛が一番綺麗な目をしてる!」
「未央が一番明るくてアイドルらしいっての!」
「卯月が一番……えっと、ちょっと待って」
楽しそうだった。
「渋谷凛だからー、しぶりんでどう?」
「え、それあだ名? いいよ凛で」
「卯月はしまむーね!」
「聞いて」
「はい! 頑張ります!」
「何を?」
そんな雑談をしばらく続けていると、大人達もようやく話が終わったらしい。
肩で息をしている三人を前に、深く深く溜息を零した。
「それで、私達をアイドルにしてくれるワケ?」
「いやいや、俺達がアイドルにするんじゃなくて、キミ達がアイドルになるのさ」
「ついでに言っとくと、アイドルじゃなくてシンデレラな」
分かったような、分からないような。
まぁ、続けていけばそのうち掴めてくるだろう。
そういえば、と思い立って、事務所の中をきょろきょろと見回す。
「アイドルってのは、私たち三人だけ?」
「いや、他にも二人在籍してるよ。キュートに」
「キュート?」
「事業部の一つだね。クリアクールとマイティーパッションと……まぁ、おいおい説明するよ」
「お、じゃあしまむーだけ先輩が居るんだ。ちょっとずるいぞー」
「えへへ……」
凛はクールな、と言われた意味がようやく分かった。
すると、卯月はキュートで、未央がパッションなんだろう。
先駆者が居ないのはちょっと心細いかな。
「先輩二人なら隣で待ってもらってるよ。そろそろ呼ぼうか」
入ってきてー、と声を掛けると、扉が開いて件の二人が出て来た。
一人は可愛らしい感じ。十七歳くらいかな。
もう一人は……えっと、眠そうな感じ。中1くらい?
「こんにちはっ、ウサミン星からやって来たナナで~す! ウサミンパワーで今日も元気に行きましょう!」
「あぁ、後輩さん達ね。じゃあ杏は帰って寝るから、後は若い人たちに任せたよ」
「…………」
「しまむー……」
「……大丈夫。普通は個性だよ、卯月」
卯月の肩に、未央と二人で手を置く。
卯月はなんか、すごい目をして固まっていた。
強く生きて、卯月。
「それで、私の担当は誰なの」
「ん? 俺だよ」
「アンタが私のプロデューサー?」
「事務所内ではアンタでも構わないが、出先ではプロデューサーと呼んでくれよ」
「ふーん」
他の二人に比べたら、まぁまぁ真面目そうな奴。
不審者じゃないと分かってる分だけマシだろう。
「まぁ、悪くないかな」
― = ― ≡ ― = ―
歓声。拍手。
聞かなくても結果は分かってしまった。
私達の時のそれよりも、倍は違っていたのだから。
「負け……ちゃった……」
「あんなに、練習したのに……」
三人とも、緊張はしていた。
本番中はそれを良い具合に昂揚感に変えて、なかなかのパフォーマンスが出来たと思う。
でも、三対一を覆された現実は変わらない。
「お疲れ様。良い出来だったよ」
卯月の担当さんが、口数の少なくなった私達を出迎える。
「……負けちゃいました」
「負けたねー。三人がかりなのにボコボコだったね」
「……ごめんね?」
「ん? いやいや初めてにしてはかなりのモノだったよ。ただ相手が三枚くらい上手だっただけ」
アイドル。
それを間近で見たのは、今回が初めてだった。
――凄かった。
「……ねぇ」
「うん?」
「この後、レッスン場使える?」
「もちろん。凛ちゃんの担当に開けとくよう言われてたからね」
お見通し、って事か。
考えにまんまと乗るのも癪だけど、このまま負けてはいられない。
「未央、卯月。来る?」
「もっちろん! 今の私は燃えちゃってるよ!」
「行きましょう、凛ちゃん!」
「いや着替えてからね」
リーダーの肩を掴んで止める。
一向に年上って感じがしないけどいいのだろうか。
「今日はお疲れ様。あんまり激しい練習はしないようにね」
「はーい! じゃあまた明日っ」
ライブの熱に浮かされたままの足取りで、私達は控室へと向かった。
― = ― ≡ ― = ―
「ふっふっふー。お疲れ様にゃ」
「あ、前川さん。今日はありがとうございました」
「みくでいいにゃ。ふふん、あの三人、なかなか今後が楽しみだからね。挨拶したいんだけど、どこかにゃ?」
「もう帰りましたけど」
「えっ」
― = ― ≡ ― = ―
「北条加蓮。程々に頑張るからヨロシク」
「あたしは神谷奈緒。まぁ今日は見学だけどな」
「…………」
放課後。
事務所に顔を出すと、見知らぬ二人がソファーに座っていた。
「……誰?」
「アイドル候補生」
「どうしたの急に」
「凛の担当始めて一年経ったし、そろそろ担当を増やそうと思ってスカウトしたんだ。それに見ろ」
「?」
プロデューサーが二人を指差す。
いつになく嬉しそうな表情だった。
「二人ともすごく可愛いだろ?」
「…………」
「痛っ」
「私は渋谷凛。まぁ、ゆっくりしていって」
「おい凛。何で今俺を蹴った」
「別に」
― = ― ≡ ― = ―
「凛ってさぁ、Pさんのこと好きなの?」
ライブの翌日、加蓮の部屋。
三人で昨日の録画を観ながら駄弁っていると、加蓮が出し抜けに呟いた。
「…………加蓮はどうなの」
「私? 大好きだよ。ライクじゃなくてラブね」
「…………」
「おい凛、顔怖いぞ」
「怖くない」
ぐにぐにと顔を揉みほぐす。
怖くない。
「まぁ見てりゃ分かるけどな。いっつもPさんの後をとことこくっついてるし」
「いつか告ろうかと思ってるけど、流石に凛に敵うかどうか分からないしねー」
「…………」
「凛、顔緩んでるぞ」
「緩んでない」
緩んでない。
「加蓮は、プロデューサーのどこが好きなの?」
「ん? んー……ほら、私って最初さ、ひどかったじゃん?」
「懐かしいなー。今じゃこんな良い娘になっちゃってまぁ」
事務所に入った頃の加蓮に今の加蓮を見せたら、どんな反応をするだろうか。
昔の私が今の私を見たら……何と言うだろう。分からない。
「ダメダメなガキにも諦めずに接してくれてさ、ライブの舞台にまで連れて行ってもらって」
「うん」
「……これじゃ、惚れるなって言う方が無理だよ」
そう呟いて顔を赤くする加蓮は、悔しいけれど、思わず見惚れてしまうくらい可愛かった。
「凛は?」
「……全部?」
「はいはいごちそーさま」
「で、トリは奈緒だけど」
「ちょっと待て何であたしまで」
「好きでしょ?」
「そりゃ好きだけ……違う!」
加蓮と一緒に奈緒をイジるこの時間が、私にとっては何よりもの癒やしだった。
のんびりハナコを撫でてる時と甲乙付け難い。
「あたしのはラブじゃなくてライク! ライクだから!」
「うん。わかるわかる」
「奈緒、ポテチ取って」
「聞けよ!」
暢気にダラダラ過ごして。
本気でお仕事をして。
たまには色っぽい話もして。
そんな私達の日々の集大成をぶつけきって、トライアドプリムスの解散ライブは幕を閉じた。
― = ― ≡ ― = ―
「すごい……拍手、まだ聞こえてる」
三度のアンコールを終えて、舞台袖に帰って来た。
三人とも、肩で息をして、腕も脚も震えていて。
心臓が、ドキドキとうるさくて。
この拍手が、まだ鳴り止んでいないのか、それとも耳から離れないでいるのかも分からなかった。
ライブが、終わったんだ。
「これが、トライアドプリムスの手に入れたものだ」
「Pさん」
うるさいぐらいの拍手をしながら、プロデューサーが出迎えてくれた。
その顔は、泣き出しそうな、嬉しさに叫び出しそうな……想いの詰まった、表情だった。
「本当に、ありがとう。奈緒も、加蓮も、お疲れ様」
トライアドプリムスの、解散ライブ。
そして同時に、奈緒と加蓮のラストライブでもあった。
「ははっ、本当に疲れたよ。でも、この疲れももう味わえないとなると……寂しいな」
「……奈緒」
言葉とは裏腹に。
奈緒の表情は、また踊り出してしまいそうな笑顔だった。
「Pさん」
奈緒が、手を差し出す。
プロデューサーが、その手をしっかりと握り締めた。
「こっちこそ、ありがとう。昔のあたしなら、絶対にこんな凄い事出来なかったよ」
「俺はちょっと背を押しただけだぞ」
「随分でっかい『ちょっと』だなぁ」
くすくすと笑って、それから真面目な顔になった。
私達の方をちらりと振り返って、プロデューサーに向き直る。
「Pさん」
「おう」
「まだ色々と言いたい事はあるけど、後でいいや。とりあえず、一つだけ」
「何だ」
「多分、この何分かが正念場だから」
「……ん?」
「ここで決めろよ、色男」
じゃあ、また後で。
そう言い残して、奈緒は控え室へと戻っていった。
私と加蓮とプロデューサーが残されて、しばらく沈黙が流れる。
「Pさん」
加蓮が口火を切った。
「大好き。私と付き合ってください」
「ごめん。それは出来ない」
「うん。知ってる」
「……やっと、言えた」
失恋してしまった女の子は、けれど晴れやかな表情だった。
「すまん」
「女にはね、負けると分かってても戦わなきゃいけない時があるの」
「それ、男じゃあ」
「口答えしないの」
「すまん」
加蓮に一括されて、プロデューサーの頭が下がる。
結局、最後までこの力関係は変わらなかったみたいだ。
「……意気地無しは、私の方だったね。アイドルを、言い訳にしてたのかも」
「加蓮は意気地無しなんかじゃない。どこに出しても恥ずかしくない、立派な女の子だ」
「フッた女に優しい言葉を掛けないでよ。ばーか」
鼻を鳴らして、加蓮が私をじっと見つめる。
どんな顔をしたらいいのか分からなくて、私もじっと見つめ返すしか無かった。
「キスの一つでもしてやろうかと思ったけど、やめとく」
「そうしてくれると助かる」
「でも、私のファーストキス。忘れないでよね、色男さん?」
――加蓮。私、その話知らないんだけど。
悪戯っ子のような雰囲気が身を潜めて、加蓮が微笑みを浮かべる。
プロデューサーの背に腕を回して、ぎゅっと抱き着いた。
……長年の戦友だ。ここは、見えないフリをしてあげよう。
「Pさん、夢を叶えてくれて、ありがとう。アイドル、とっても楽しかった」
「こちらこそ。煌めいてる加蓮の姿は、一生忘れない」
「まぁ、私もしばらく落ち込んだり、悩んだりするかもしれないけど」
一呼吸置いて、加蓮が言葉を続ける。
「大丈夫だから。もう、あの頃の私とは違うから。ちゃんと前に、進めるよ」
「……そう、だな」
「……うん。言いたい事は、全部言えたかな」
加蓮が身体を離して、プロデューサーへ向き直る。
「それじゃあ、またね。――プロデューサーさん」
見る者全てを恋に落としそうな、穏やかな微笑みだった。
そしてプロデューサーと二人、舞台袖に残される。
加蓮の足音が遠く響いて、やがて聞こえなくなった。
「加蓮、綺麗だったね」
「そうだな、惚れそうだったよ」
「あんな良い女をフッちゃって。勿体無い事したね」
「凛」
「なに」
「泣きたい時は、泣いていいんだ」
「泣いて、ないよ」
「そうか」
「プロデューサーこそっ、ひどい、顔だよ」
「泣いて、ない」
「そう、なんだ」
「悲しいんじゃ、ないんだ。ただ、みんなでやってきた、この三年間がっ、あんまり、楽し過ぎたから」
そこからは、言葉にならなかった。
大の男と、いい歳した女が、子供のようにボロボロと涙を流して。
どれくらいの時間、そうしていただろう。
拍手は、もう聞こえなかった。
― = ― ≡ ― = ―
五月も、そろそろ終わろうとしていた。
早ければ来週には梅雨入りするらしいけど、今日の空は知った事じゃないとばかりに蒼々としている。
……うん、やっぱり蒼は良い。
「ここ、空いてるか」
「おはよ。休憩?」
「そんな所だ。この時期は割と時間があるしな」
事務所のカフェテラスでくつろいでいると、プロデューサーがやって来た。
コーヒーを片手に、テーブルの向かい側へ腰を下ろす。
「選挙か。確かにみんな忙しいかもね」
「俺は凛のお陰でヒマ出来るけどな」
「まぁ、流石に三冠はどうかと思うし」
シンデレラガールに再び選ばれて以来、私は総選挙に参加していない。
別に期間中はアイドル活動を休止している訳じゃ無いけど、大抵はこうしてお茶を飲みながらみんなを応援している。
「中間だと美嘉がトップだよね」
「ああ。アナスタシアさんといい、この調子だとあの人が連れて来たアイドル、全員シンデレラガールになりかねないぞ」
「……否定出来ないのが怖いね」
初夏の風に吹かれながら、しばらく雑談にいそしむ。
大学も卒業してしまったし、自由な時間は以前よりも多いくらいだった。
「……さて、そろそろ行くかな」
「もういいの?」
「手が足りないらしくてな。蘭子ちゃんの送迎があるんだ。それに、見てみろ」
プロデューサーが、カフェの店内を指し示す。
視線を向けると、この春に入ったばかりの娘たちが、こちらを見ながら何やら盛り上がっていた。
「良い天気だ。たまには先輩風を吹かしてみるのもいいだろ」
「ん。そうしようかな」
「じゃ、また後で」
プロデューサーを見送って、中に居た娘たちを手招きする。
しばらく何か騒いでいた後、ちょっと気弱そうな娘を先頭に、三人組がテラスへとやって来た。
「……あ、あの。渋谷先輩」
「凛で良いよ。あと、別に怒ってる訳じゃないから」
何年経っても、無愛想らしいのは変わらなかった。
もう少し物腰を柔らかくしてみたいけど、こればっかりはしょうがない。
「どう? アイドル生活は」
「まだよくわかんないけど、何だか楽しくなりそうです!」
聞く所によると、三人はそれぞれキュート、クール、パッションの新人さんらしい。
入って間も無いというのに、仲が良くてで結構な事だ。
新しい時代。
新たな世代。
「……あの、凛先輩?」
「…………ん、ごめん。何でも無いよ」
世界は、こうしている間にも移ろいで。
私と、卯月と、未央と。
そろそろ、話をしないとね。
― = ― ≡ ― = ―
ありがたい事に、私は結構な人気アイドルになってしまって。
事務所としても、今すぐに引退させる訳にもいかないようだった。
9ヶ月後。来年の3月。
それが、私の魔法が解ける時間だった。
「いやー残念だねぇ。しぶりん、もっかい考え直さない?」
「何度も考えたけど、私にとっても二人にとっても、これが一番良いと思う」
「そっかー……。凛ちゃんが悩んで出した結論なら、私は尊重しますよ! ね、未央ちゃん」
「うんうん。しぶりんが一度決めたら曲がらないのは、私達が一番よく知ってるし」
「……ありがと」
卯月と、未央と、私の、ニュージェネレーション。
二人とも、何度も話し合った。
迷惑をかけてしまうけれど、これが私達にとって一番だと信じている。
「ま、そうと決まったらド派手なライブにしちゃおう!」
「ふふ。気が早いよ、未央」
「いやいや、光陰矢の如しって言うからねぇ。気を抜いてると置いてかれちゃうよ? 私達に」
「じゃあ卯月のお尻でも捕まえておこうかな」
「ええっ!? 掴むなら袖とかにしてよぉ!」
「――おはよう諸君。絶好の特訓日和だな」
忙しなく動いていた私達の口が、一斉にぴたりと閉じられる。
レッスン場に入ると、既にマストレさんが待ち構えていた。
「……ねぇ、最初から『スペトレさん』なんだけど」
「あの竹刀は……?」
「何かのコスプレとか」
「そこ、何をこそこそ話している。早く着替えてきなさい」
ウチの事務所の専属トレーナーは四姉妹だ。
その中でもマストレさんはとびきりの変人である。
白のタンクトップがいつものトレードマークだ。
だけど、何やら調子が良いらしい日には緑のタンクトップを着て来て「今日はスペトレと呼ぶように」などと言ってくる。
妙なこだわりがあるらしかった。
「ふむ、着替えたな。では早速レッスンを始める……前に、渋谷」
「はい」
何故だろう。物凄く嫌な予感がする。
「聞いたぞ。来年引退の予定らしいな」
「その通りです」
「それに関してはおめでとうと言っておこうか。だが、私が気になるのは理由の方だ」
「……えっと」
「『ここが、私の限界だと思う』……そう言ったと聞いているが」
「そう、です」
「うむ」
目を閉じて、マストレ……スペトレさんが何度も頷く。
――ぱぁんっ!!
「……っ!」
突然スペトレさんが叩き付けた竹刀の音に、三人で跳び上がってしまった。
普段から厳しい人ではあるけれど、こんな事をされたのは今までで初めてだった。
「渋谷。キミにはアイドルとしての才能がある。限界値も非常に高い」
「……あ、ありがとうございます」
「私や妹たちのレッスンで、その枠内一杯まで実力を伸ばしてきたつもりだ」
「…………」
「確かに限界近いだろう。普通のトレーニングでは、な」
スペトレさんが、ニヤリと笑う。
私の背筋にぞくりと悪寒が走った。
隣を見ると、卯月と未央もカタカタと震えていた。
「渋谷。この前キミのプロデューサーと話をしたんだがな」
「な、なんて……?」
おそるおそる、未央が尋ねる。
「いや何、『ちょっと地獄見せていい?』って聞いたら『OK牧場』ってな」
あの馬鹿プロデューサーとも、一度『話』をするべきだったかもしれない。
「大事な親友の為だ。本田も島村も、もちろん付き合ってくれるよなぁ?」
「は、はい……あ、あははは……」
「なぁに安心しろ。必ず限界の向こう側を見させてやるさ」
卯月が、ほとんど泣きそうな声で返事をした。
何か、ごめん。二人とも。
「よし。話はこれぐらいにして早速始めようか。まずは軽く、基本のステップ&ターン300セットから」
「100セット?」
「300セット」
「30セットですかー」
「300セットだ」
「あの、スペトレさん」
「今日の私はスペトレではない」
竹刀を軽く振って肩に担ぐ。
その眼の中に揺らめく炎が見えたのは、きっと錯覚ではない。
「ヘルトレと呼ぶように。では始め」
― = ― ≡ ― = ―
「おーい、凛。生きてるかー?」
「…………」
「死んでるか。本田さん、島村さーん」
「…………」
「…………なに……?」
「お、本田さんは生きてたか。二人の犠牲を無駄にしない為にも、これから頑張っていこうな」
「…………かってに、ころさないで」
「がんばりました…………」
「何だ、生きてたんじゃないか」
視線を動かす体力ぐらいしか、もう残っていなかった。
この始末の張本人は脳天気な顔をしている。
体力が残っていたら間違いなくビンタの2、3発をプレゼントしてやったのに。
「動けるか?」
「むり」
「まぁ、今日は全員車で送ってやるから」
まず、駐車場まで辿り着けない。
というか着替えも怪しい。
「再来週もまた三人でレッスンするから、頭に入れといてくれ」
「……ま、またやるんですかー……?」
「うん。あ、凛は来週に個人レッスンもあるぞ」
「…………」
「凛ー、聞こえてるか?」
私は聞こえないフリをして、ただ床の冷たさを味わっていた。
― = ― ≡ ― = ―
矢よりも早いぐらいだった。
週に一度、死にそうになって。
最後のリリースになるCD収録の練習もして。
ありがたい事に、当然お仕事もたくさん舞い込んできている。
「凛」
「何?」
「次の現場までしばらく掛かるから、今の内に車内で寝とけ」
「うん」
メディアへの露出も以前より減っていた。
プロデューサー曰く、意図的にそうしているらしい。
私への負担を減らすのと、ラストライブへの期待を高める狙いだとか。
そうしてあっという間に夏が過ぎて、秋を迎えて、冬を終えて。
最後のライブも、終わろうとしていた。
― = ― ≡ ― = ―
『涙のあとには――』
「また笑って!」
「スマートにね?」
「でも可愛く♪」
『――進もうっ』
歓声。
アリーナを埋めるファン達から、身体を揺らすくらいに伝わってくる。
アイドル生活の中で、いや今後も含めた人生の中で、間違いなく一番大きなものだった。
私達は、やりきったんだ。
そして私は、もうこれを感じる事は出来ないんだ。
「――みなさん、今日はライブに来てくれてありがとうございましたっ!」
卯月が一歩前へ進み出て、会場の人たちに手を振った。
「これでしぶりんも引退かぁー。これからはただのニュージェネになっちゃうねぇ」
「私、レーションの部分担当だったの?」
未央との掛け合いに、客席から笑いが起きる。
うん、二人のお陰で、最後まで楽しくアイドルでいられるみたいだ。
「さてさて、そんなしぶりんの最期の言葉とは?」
「死なないから。練習で死にそうにはなったけど」
「さぁ、凛ちゃん。ファンのみなさんへメッセージをどうぞ!」
二人に背中を押されて、ステージの中央へと歩み出る。
会場がしんと静まり返って、マイク越しの私の息遣いが聞こえてきていた。
うん、大丈夫。
これまでに感じた事。ファンへのお礼と、引き続きニュージェネへの応援のお願い。
ちゃんと、言うべき事は分かっている。
「――私は」
今までの事を、思い出す。
「私、」
変な奴にスカウトされて。
うるさいやつと普通なやつに出会って。
猫かぶりにライブで負けて。
ラジオから聞こえる自分の声に、むず痒くなって。
ツンデレとダウナー系に出会って。
ガラスの靴を貰って。
笹の葉に短冊を吊して。
レッスンで死にそうになって。
喧嘩して。
遊び疲れて。
悔しくて。
楽しくて、楽しくて。
「私……わたし、楽しかったよ」
あぁ、駄目だ。
声が震えて、視界が滲む。
大事なライブの、大事な最後なのに。
ちゃんとしなきゃ、いけないのに。
「アイドルに、なって……みんなと、歌えてっ! よかったよ。しあわせ、だった、よ」
ありがとう。本当に、ありがとう。
そう言ったつもりだけど、ちゃんと言葉に出来たかは分からなかった。
あぁ、最後の最後でやってしまった。
ファンの前で、泣いた事なんて一度も無かったのに。
きっと、ひどい顔だ。カメラだって回っているのに。
「お疲れ、しぶりん」
「凛ちゃん、おめでとう」
二人に抱き締められて、それでも涙は止まらなかった。
みんなが、いけないんだ。
みんなが、あんまり優し過ぎるから。
私の目元が濡れているのも。
きっと、この雨みたいな拍手に打たれているせいなんだ。
― = ― ≡ ― = ―
「じゃあねー、しぶりん!」
「凛ちゃん、また明日ね♪」
「……え? いや、私も帰るけど」
「いやいや、しぶりんには大事な大事な用事があるでしょ?」
「用事?」
「凛ちゃんのプロデューサーさんが呼んでましたよ? 話があるって」
ニヤニヤと笑いながら、二人が私を押し戻す。
「いやー、さっきもなかなかだったけど、今度こそ人生一の大舞台になっちゃうかもね?」
「……分かった、分かったから早く帰って」
大きく手を振って、二人が帰って行くのを見送った。
一つ息をついて、来た道を引き返す。
プロデューサーの居る場所は、何となく分かっていた。
こつ、こつ。
袖から舞台へと向かうと、いくつかの照明が点いたままだった。
そして、観客席へ伸びたステージの端に、見慣れた背広姿が腰掛けている。
こつ、こつ、こつ、こつ。
さっきまでの喧噪が嘘のように、アリーナは静まり返って。
私の小さな足音が誇るように響き渡っている。
視線を下げれば、少々くたびれた、お気に入りの革のパンプスが見えた。
そろそろこの靴も新調しないといけないかな。
「よう、お疲れ」
「うん」
プロデューサーの隣に腰を下ろす。
ところどころの非常灯以外、観客席は真っ暗だった。
「広いね」
「広いさ、3万5千人入るんだからな。チケットが40秒で完売したのは変な笑いが出たが」
「未央も卯月も、なら私達はドーム埋めてやるぞー、って息巻いてたよ」
二人なら、そう遠くないうちに埋めてしまうだろう。
それぐらいは私にも分かった。
「いいの? ここ、出なくても」
「ああ。まだ鍵預かったままだしな」
「そういうのって普通、余計にレンタル料かかっちゃうんじゃ」
「これぐらいのわがままが言えるプロデューサーになっちまったって事だ」
鍵束とカードキーを揺らして、プロデューサーが笑う。
「馬車馬さんが、よくまぁ出世したね」
「御者さんのお陰かもな。……懐かしいな、スカウトの時だったか?」
もう、5年以上は前になるんだ。
自分でもよく覚えているなと感心してしまう。
それだけ印象的だったって事もあるかもしれないけど。
「……それで」
「ん?」
「話、って」
「ああ、そういやそうだったな」
プロデューサーが天井を仰ぐ。
釣られてそちらを向くと、四角く切り取られた夜空が採光窓から覗いていた。
「したい話が、山ほどあるんだ」
「うん」
「どれから話せばいいのか、分からなくてな」
「全部、話しちゃえば良いよ。時間だって、山ほどあるんだし」
「それも、そうだな。じゃあ、スカウトの時の話から――」
たくさん、たくさん。
本当にたくさんの話をした。
真面目な話。
くだらない話。
秘密にしていた話。
秘密にされていた話。
失敗した時の話。
一生忘れられない話。
久しぶりに、肩の力が抜けた気がして。
その夜、私は。
渋谷凛は、アイドルじゃなくなった。
― = ― ≡ ― = ―
引退してからも、何だかんだで割と忙しかった。
雑誌のインタビュー。
関係各所への挨拶回り。
いくつもの契約の完了確認と手続き。
ようやく一息つけたのは、そろそろ桜も満開になろうかという頃で。
「大丈夫。凛さんなら、絶対に大丈夫ですよ」
「凛。プリクローイ ミニャ……頑張って、です」
「ありがと。でも肝心な時に押し弱いし、今日で決めてくれるかどうかだね」
「…………なぁ、凛」
「何? Pさん」
「多分だが、そういうのは本人の前でする話じゃないんじゃないか」
「わざとだからね」
事務所で肇とアーニャと、ドレスを着たまま雑談していた。
深い蒼の、シンプルなドレス。私の一張羅。
数年前に貰った宝物は、少々の仕立て直しを経て未だに現役だ。
身長の方はともかく、体型がさほど成長しなかったお陰で。
……乙女心は、複雑なのだ。
「さっきハイヤー呼んだから、出る準備しといてくれ」
「お仕事とかはもう無いんだよね」
「もうというか、今日は全然無かったな」
「私が引退したから?」
「それもあるが、周りがな……ちひろさんも他の奴らも、ニヤニヤしながら俺の分を奪っていくんだよ」
通りで手持ち無沙汰にしていた訳だ。
まぁ、普段が仕事中毒みたいな感じだし。たまにはそういう日があってもいいんじゃない?
「……はい、はい。今行きます。……凛、出るぞ」
「うん」
にこにこと微笑むアーニャと肇に見送られて、私達は事務所を後にした。
― = ― ≡ ― = ―
「お待ちしておりました」
ここに来るのも何度目だろうか。
ライブ後とかに連れて来てもらっている、いつものレストラン。
後で調べたところ、どうもレストランと言うよりグランメゾンと呼ぶべきらしい。
「いつもの御席を用意しております」
「ありがとうございます」
「いえ。渋谷様も、お疲れ様でございました」
夜景のよく見える、窓際のテーブル。
最初は違和感のあった蝋燭の揺らめきも、もう慣れたものだった。
「流石に、顔も覚えられてたな」
「いつもの店員さんだしね」
「元トップアイドルだけあるな」
「――渋谷様の大ファンでございますから。こちら、食前酒になります」
老獪に笑いながら、店員さんがグラスにお酒を注ぐ。
おじさまと言うよりはおじいさまだけど、どんな顔をして私の曲を聴いているのか、少し気になる。
「シンデレラに」
「乾杯」
いつの頃からか。
冗談めかして言うようになった、いつもの音頭。
気障ったらしいと茶化したら、たまには格好付けさせてくれよと頼まれて……以来、これで通している。
「今日は、一気飲みはしないのか?」
「もう、子供じゃないからね」
「そうだな。凛はもう、立派な女性だと思うよ」
「ありがと」
一応、お酒を飲める歳にこそなったけれど。
それでもまだまだ、お酒の美味しさは分からない。
楓さんにでも聞いてみようかな。
「……ところで今日の照明、ちょっと暗くないか?」
「そうかな。気の早い老眼とか?」
「勘弁してくれ。去年三十路になったばかりだってのに」
Pさんは時々、本当に時々だけど、鋭い。
まぁ、別に今日はバレた所でどうという事も無いけど。
「……スカウトしてから、ちょうど7年くらいか」
「短かったような、長かったような」
「何せ濃かったからなぁ。それはもう」
時間的には、3割。体感的には、10割。
最初は何となくで始めたアイドルに、気付けば私はそれぐらいのめり込んでいたと思う。
クールの筆頭として扱われる事が多かったけど、案外私は熱血だったのかもしれない。
「高校どころか、大学まで卒業しちゃうくらいの時間ではあるね」
「ああ、それなんだが……食べ終わったら、今後の事について、少し話そうか」
「……ん」
未来の事。将来の事。
頭が痛くて、けれど楽しみな問題だった。
― = ― ≡ ― = ―
「凛の将来について、事務所の方から幾つか提案がある」
片付いたテーブルの上で手を組んで、Pさんが話し出す。
「一つ。女優や歌手へ転向する」
「よくある話だね」
「この場合は他の事務所へ移籍するか、もしくはウチで新しく事業を始めることになるな」
「一筋縄じゃいかないね」
芸能界も、厳しい所だ。
これまで以上の努力が必要になる場面も出てくるだろう。
「それと、アイドルの経験を活かして、トレーナーやプロデューサーになる道」
「いつだったか、冗談半分で言ってたね」
「ちょいと勉強が必要だがな。今度は奈緒の後輩になるかもしれない訳だ」
「プリムスの時と逆だね。年齢的にはそっちが正しいけど」
アイドルを引退後、奈緒はプロデュース側へと回った。
最初は苦労の連続で、アイドルにつっけんどんな態度を取ってしまったりしていたらしい。
まぁでも、人の性分なんてものはそう変わらなくて。
今では担当アイドルから事ある毎にイジられている。予定調和だ。
「最後に、実家の生花店を継ぐ選択」
「うん。一番現実的かもね」
最近は忙しくて、なかなか店番も出来なかったけど。
花は嫌いじゃないし、親孝行もしておきたい所だ。
「ただ、凛はまだまだ顔が売れてるからな。やるにしてもほとぼりが冷めるまで一年は待ってくれ」
「うん。親に迷惑は掛けたくないし」
「事務所も花の仕入れとかでよく世話になってるからな。俺も同感だ」
父も母も、今ではすっかりCGプロのファンになってしまった。
私のライブはともかく、他のアイドル達のライブにも度々出向いていると知った時の驚きと言ったら。
「それと、俺の方からも、提案が二つほど」
「Pさんが?」
「あぁ。一つは、自由にやる道」
「自由?」
「自由だ。アイドルだとか何だとか関係無く、やりたい事をやりたいようにやる」
Pさんにしては、ずいぶん抽象的な話だった。
目で促すと、Pさんが言葉を続ける。
「結果はどうあれ……凛、お前はアイドルって存在に縛られ続けてきた。俺はそう思ってる」
「…………」
「凛に限らず、年頃の女の子を事務所が押さえ付けていた側面は、少なからずあった筈だ」
否定出来なかった。
アイドルたるもの、というフレーズは、ちひろさんからもよく聞いていた。
時には甘い物を我慢したり、外出を制限される時期だってあった。
「……自由っていうのはさ、無責任に近い面もあると思う」
「無責任?」
「何をしてもよくて、何をしても自分の責任。それを子供が負うのは難しくて、だから大人がいるんでしょ?」
「そう、かもな」
「自由に出来るのも、自由にするのも。大人の特権なんじゃないかな。少なくとも私は、不自由だとおもった事は一度も無いよ」
それもまた、否定出来なかった。
確かに普通と比べたら厳しい生活だったかもしれないけれど、それを遥かに上回るぐらい、アイドルは楽しくて。
煌めく衣装も、輝く舞台も。子供の自分一人では、絶対に手に入れられなかったものだ。
「……俺より、凛の方が大人かもな」
「まさか。まだまだ新米だよ」
「ベテランアイドルがよく言うよ」
「元だよ、元」
アイドルとしての経験は、一生の宝物だ。
「……で」
「ん?」
「もう一つは?」
「……ああ」
Pさんが目を伏せる。
しばらく無言のまま、指を何度も組み直す。
いつの間にか、私も目を伏せていて。
気の早い心臓が、どくん、どくんとうるさい音を立てていた。
気力を振り絞って、顔を上げる。
Pさんが大きく息をついて、私の眼をじっと見つめた。
「例えばの話だけどさ」
「俺が凛の事を、好きで好きで堪らないとするだろ」
「うん」
「実は、ジャケットの内ポケットに指輪が入ってるとする」
「うん」
「それで、緊張で心臓がバクバク言ってて、脚も震えてたりしてな」
「うん」
「今から俺がプロポーズするとしたら、凛はどう思う?」
「――例えばの話じゃ、やだよ」
「凛。結婚を前提に、俺と付き合ってほしい」
「うん。喜んで」
「――ご結婚、おめでとうございまーーすっ!!」
パァンッ!!
真横で、間近で鳴らされたクラッカーに、Pさんが椅子ごと引っ繰り返りそうになった。
「……早いよ、卯月。色々と」
「ええっ!? でもこれぐらいやらないと……」
「いやいやプロデューサー君。今のはダメだね。『愛してる。結婚しよう』ぐらい言ってやらないとさー」
「…………は、えっ? 島村さん、本田さん? なんで、」
「何でって、私が呼んだからね」
「……え? 凛が?」
「うん。二人だけじゃなくて、呼べる人はみんな」
Pさんの後ろを指で差し示す。
恐る恐るPさんが振り向くと、集まっていたアイドルと担当さん達がニヤニヤと笑ってこちらを見つめていた。
それはもう、いっそ暖かさすら感じるぐらいに、ニヤニヤと。
「いやぁ、こんな機会を設けてくれるなんて。凛ちゃんは良い娘だねぇ」
「全くだ。男なんぞよりどりみどりだろうに、健気なもんだよ」
卯月と未央の担当さんは、その筆頭だった。
石油でも掘り当てたような、とてもいい笑顔だ。
「…………マジかよ……」
「マジだよ。たまにはあたしの立場になってみろよな」
スーツ姿の奈緒が、グラスを片手にPさんの肩をぽんぽんと叩く。
だいぶお酒が回っているのか、実に気分の良さそうな様子だった。
「プロデューサーさん、お久しぶり。あ、凛。そのルージュ使ってくれたんだ」
「その為に送ってくれたんでしょ?」
「まぁねー」
加蓮のドレス姿を見るのも久しぶりだった。
留美さんの立ち上げた化粧品メーカーに付いて行って以来、なかなか忙しくて会えなくて。
この口紅は、加蓮なりの皮肉の効いた仕返しといった所だろうか。
「ふふ。先程までの落ち着きとは大違いですね」
「ダー。ちょっと可愛い、です」
「あら、二人とも事務所に居たの?」
「はい。凛さんに囮を、と頼まれまして」
「その役アタシに任せても良かったのに。見たかったなー」
肇、奏、周子、アーニャ。――ポラリス・オ・ギヤマン。
この4人が着くテーブルは、そこだけ空気が澄んでいるような錯覚を覚えてしまう。
奥に座る担当さん達も、よく気圧されないものだ。
「祝福の儀か。我には夢物語よ」
(結婚ですかー。良いなぁ……)
「蘭子ちゃんも、しようと思えばすぐに出来るでしょう?」
「ナー」
蘭子と泰葉。それとグリフォン。
二人は今や大御所アイドルであり、CGプロの稼ぎ頭だった。
その足元に、猫に似つかわしくない大人しさでグリフォンが寝そべっている。
横のテーブルでは、お天気お姉さんとして絶賛活躍中の茄子さんがにこにこと笑っている。
アイドルを引退後、茄子さんは気象予報士へと転身した。
以前にとんでもない騒ぎを(無意識に)起こして以降、彼女の天気予報の視聴率は毎回凄い事になっている。
……あと、気のせいか、最近ときどき後光が差しているように見える。
「…………」
ちらりと、手元の手紙に視線を落とす。
『おめでたい!』
その一言しか載っていない電報の送り主は、現在入院中の楓さんで。
二人目が産まれそうとの事なので、元担当さん……もとい旦那さんのお世話になりつつ病院で静養中だ。
……この分だと、お産の心配も要らないだろう。絶好調らしい。
「……よくもまぁ、これだけ呼んで騒ぎにならなかったな」
「貸し切りにしたからね。グリフォンも連れて来たいって蘭子に言われたし」
「貸し切りって凛、ここ……」
「これぐらいのワガママを通せるアイドルになっちゃったって事だよ」
ちらりと目を向けると、肇の担当さんと店員さんが軽く手を挙げる。
ちょっとずるい気もするけど、まぁ、今日ぐらいは許してほしい。
「あ、そうだプロデューサー君。指輪、指輪!」
「そうです! このまま凛ちゃんにプレゼントしちゃいましょう!」
「あー、指輪な……すまん、さっきはああ言ったんだが、その」
「……持って来て、ないの?」
「本当にすまん! こっちを用意するのに手間取っちまって、まだ見繕えてないんだ」
申し訳なさそうな顔をして、Pさんが足元の紙袋を探る。
そして取り出したのは、
「――っ!」
とても、とても見覚えのある大きさの。
白く塗られた箱だった。
「凛」
「…………」
「指輪も、必ず用意する。今日はこれで、許してくれないか」
「……開けてみても、いい?」
「もちろん」
逸る気持ちで震える両手を、箱の蓋にそっと添える。
「…………」
そしてゆっくりと、蓋を開いた。
「――ガラスの、靴……」
「ああ。今度こそ、本物だ」
薄暗い中でも、はっきりと分かる煌めき。
蝋燭の炎を受けて、きらきらと輝いていた。
箱の中から取り出して、目の前へ掲げる。
私だけじゃなくて、その場に居たみんなも、じっとそれを見つめていた。
「Pさん」
「ああ」
伝えたい言葉が、浮かんでは消えて。
何と言ったらいいか、だんだん分からなくなって。
だから、私は衝動のままに呟いた。
「踊ろうよ」
「…………はっ?」
ヒールを脱いで、ガラスの靴へ履き替える。
うん、さすが。
初めて足を通すそれは、魔法のようにぴったりだった。
「いやいやいや! 凛の事だからと思って一応履けるようには誂えてもらったが、踊るようには作ってないぞ!」
「下は……うん、悪くない」
「聞いてください凛さん!」
敷き詰められた、赤い絨毯。
靴も、思ったよりは丈夫そうだ。
この分なら、激しく動かなければ何とかなりそう。
「ちひろさん、ゆったり目の曲でお願い」
「わっかりましたー♪」
「……ちょっ。ちひろさん、いつの間に」
「最初から居ましたよ?」
グランドピアノの前に座るちひろさんは、今日は髪を下ろしている。
ちひろさんといい、杏といい、菜々さんといい……創設メンバーは全く容姿が変わらないけど、未だに理由は聞けていない。
私だって、命は惜しい。
「ほら、Pさん。手を」
「お、おい。本当に踊るのか?」
「もちろん。だって今日は、ここは、舞踏会だよ」
「いやでも、怪我でもしたら……」
「ふふっ」
ちひろさんの指が、穏やかな旋律を奏でる。
元トップアイドルの実力を、間近で披露してあげよう。
「――大丈夫。あなたの育てたアイドルだよ」
「ちょっと、凛! それ私のセリもごっ」
「やめとけ、加蓮。ああなった凛には言うだけ無駄だから」
「ほら、行くよっ! Pさんっ!」
ピアノの調べに合わせて、即興のステップを踏む。
てんでなっていないPさんのステップに合わせて、靴への負担を避けるように重心を移動させる。
「あーもうっ! 奈緒! 私達も踊るよ!」
「なんでアタシまで……」
「舞踏会、ねぇ。私と踊る? 周子」
「リードしてね。終わったらプロデューサーの相手したげないと拗ねちゃうよ」
「プロデューサー。グリニーチ ゼブラータ……私と、踊りましょう?」
「あの、Pさん。身長が全然違いますし、無理をしなくても……いえ、はい」
「闇の舞踏会!」
(おとぎ話みたい!)
「……グリフォン、あなた踊れる?」
「ニャッ」
「うーん、ダンスは久しぶりですねぇ♪」
「凛ちゃんに負けてられません!」
「おうともさ! 行くよしまむー!」
今は、今だけは。
この、舞踏会の間だけは。
――私は間違い無く、シンデレラだった。
― = ― ≡ ― = ―
ぼぉん、ぼぉん…………。
舞踏会も、そろそろ終わりに近付いて。
ホールの中央に置かれた柱時計が、厳かな音を鳴らした。
「……あぁーーっ。しまむー、そろそろ十二時になるねーっ」
「うんー。シンデレラで言ったら、魔法が解けちゃう時間だねーっ」
「……何だ、二人とも。そのひどい棒読みは」
暗い照明も、柱時計も、二人の演技も。
もちろん全て、そもそもPさんが予約を入れる前からの私の仕込みだ。
「Pさん、そろそろ十二時だね」
「ん?」
「魔法も、解けちゃうかも」
「あ、ああ」
「Pさん。――私に魔法、かけてよ」
Pさんの背中に腕を回して、ぎゅっと抱き締める。
私は、我ながら呆れるくらいの乙女だった。
「……魔法?」
「キスって事だよ。女の子に言わせようとしてんじゃねーぞタラシめ」
「相変わらずその辺ダメだよねぇ。そのまま魔法使いになっちゃえば良いのに」
「おい、いま魔法使いのニュアンスに悪意が無かったか」
も音卯月の担当さんが、心優しい野次を飛ばす。
鈍い馬鹿Pさんには、これぐらい言う程度でちょうどいい。
「……あー…………」
Pさんが、助けを求めるように辺りを見回す。
いつの間にかみんなは遠巻きに私達を眺めていて、一様にさっき以上の笑顔を浮かべていた。
うん。やっぱりCGプロは良い事務所だ。
「……凛」
「うん」
「えーとだな」
「うん」
「…………」
「…………」
「目、閉じろ」
「うん」
――そして、十二時の鐘が鳴った。
― = ― ≡ ― = ―
ハッピーエンドの後も、御伽話は続く。
― = ― ≡ ― = ―
― = ― ≡ ― = ―
「お母さんおかーさんっ!」
「はいはい、なに?」
「私もあれ履きたい!」
「あれ? ……ああ」
家族総出の掃除の最中。
この困った愛娘はどうやら良い物を見つけて、ハタキを放り出して来たらしい。
もうあの靴を見つけられるくらい背が伸びたのかと、しばらく感慨に浸っていた。
「おーい、この段ボール箱はどこに……あ、二人ともサボってやがる」
「お父さん! あれ履きたい!」
「ん……? ああ、あれか」
子供にとっては少々大きいチェストの上。
そこに大切な、大切な靴が二足、飾ってある。
私の、宝物だ。
「そうだなぁ。掃除を一生懸命に頑張れば、履かせてもらえるかもな」
「……! うん、頑張る!」
慌ただしくハタキを拾い直して、ドタドタと駆けて行く。
私の娘ながら現金なやつだ。
「……で、履かせてやるのか?」
「うん。アクリルの靴はね」
「『ガラスの靴』は?」
「それは私だけの物」
「……はぁ。相変わらずだな」
「いいでしょ、別に」
「靴はいいが、あの子が『お父さんと結婚する』って言う度に怖い顔するのやめてくれよ」
「怖くない」
怖くない。
「……ねぇ。あの伝統、まだ続いてるの?」
「ああ、誰かさんのお陰でな。あのガラス職人のじいさん、毎回首を捻りながら靴を作ってるよ」
「ふーん……あの子も、アイドルになったら履けるかもね」
「かもな。シンデレラの子はシンデレラって言うし」
「プロデュースする気?」
「それはアイドル馬鹿と言うより馬鹿親だろう」
「アイドル馬鹿はいいんだ……」
相変わらずなのはどっちだと、内心で溜息をついた。
「まぁ、何はともあれ掃除はサボらないでくれよ、シンデレラさん」
「はいはい。忠告はちゃーんと聞き入れますよ、魔法使いさん」
一通り終わったら、あの子にもちゃんと履かせてあげよう。
私は継母でも、意地悪でもないからね。
でもまぁ、その前に。
――埃まみれになるぐらいには、掃除を頑張ってもらわないとね。
めでたし、めでたし。
シンデレラ達に幸あれ!
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なるべく単体でも読めるよう気を付けてるけど、通して読むとより楽しめる、筈
良ければ読んでみてね
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