「君、クビね」
「え?」
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「というのは冗談だよ」
「そんな凍りつく冗談はやめてくださいよ。社長......」
「まぁクビではなく、君には休暇をあげるよ」
「まったく社長は、そういうところが......え?」
「ん? なんだその不思議そうな顔は」
「いえ、驚いただけです」
「社長が休めとおっしゃるなんて」
「いやいや、君を休ませないと労働基準法に反するからねぇ。はっはっは」
「けっこうな問題だと思いますが......」
「細かいことは気にするな、それに君には嫁がいるそうじゃないか」
「家族サービスしてきなさい」
「社長......」
「分かりました。ではその休暇、いただきます」
「よろしい」
「では失礼します」
「ああ、一ついいかね?」
「なんです?」
「君の嫁は綺麗なんだそうだな。して、どうなんだ?」
「はい......それはもう」
「とても綺麗ですよ」
風そよぐ 故郷の山々に 朝日がのぼり
草木が輝き渡り 数多の命が 目覚める季節
私は......。
「春子」
澄み切った夜空に、愛しい人の名を一人呟き
「今から、帰るよ」
言葉にしようものなら、たちまち薄れてしまうような、幸福の一文字を
心に抱き、私は夜間のバスに乗り込んだ。
ーーーーーー
バスの傾きに身体をゆだねながら、私は闇夜に瞬く色とりどりの光の粒を
まるで好奇心旺盛な男児のように見つめていた。
「そうだ、春子に帰ると連絡しないとな」
普通ならば、バスの中での携帯は、マナー上御法度だ。
しかし、今私が乗っているバスには私以外に乗客はいない。
そして運転手に許可はもらったので、私は堂々と春子に電話をかけた。
「(春子は早寝だからな、起きていればいいんだが......)」
そう、心の内で思いながら、携帯の無機質に鳴り響く音に集中する。
「......もしもし」
「......!! 春子!!」
無機質な音が六回繰り返されたのを最後に、携帯から聞こえてきたのは
春子の温かい、透き通った声だった。
「その声は......元さん?」
彼女は、恐る恐るというような声で私の名を言った。
「ああ、俺だよ春子」
私は、彼女が今抱いているであろう、不安のような気持ちを払拭しようと
努めて優しい声で言った。
「ああ......元さん」
その甲斐あって、彼女の声から不安な雰囲気は消え去り
変わりに安らかな、うっとりとした声が携帯を通して伝わってきた。
「(春子、お前は私の声を聞くやいなや、携帯越しでの再会を喜んでくれている
だが、お前と同じように喜んでいる男がここにいるぞ)」
と、心の内で言いながら、春子の声に自身もうっとりしていた。
「それで元さん、こんな夜中にどうしたんですか?」
「うん、実は休暇をもらったんだ」
「今、そっちへ向かっているところだよ」
「え、それって......」
「ああ、もうすぐ会えるよ」
私がそう言うや、彼女は小さく甘美な声を上げた。
「あと、どのくらいで着きますか?」
と、彼女が聞いてきたので
「そうだな......あと三時間くらいかな?」
私が快くそう答えると
「ふふ、分かりました。元さん待ってますよ」
彼女のそんな弾んだ声が、携帯を伝い私の耳へと届く。
「ああ、待っててくれ」
「はい......」
そして彼女との会話を終えた。
ふと運転手が鏡越しに私を見て微笑んでいた。
少し照れくさかった。
ーーーーーー
私はまた闇夜に視線を注いでいた。
心なしか、闇夜に瞬く光の粒が増えているような気がした。
「(こっちでは星なんて殆ど見えないが、あっちに帰れば
きっと数えるのが面倒になるくらいの星が輝いているのだろうな)」
などと闇夜を見ながら思っていると、ふと彼女の顔が脳裏に浮かんできた。
そんな彼女は、私に向かって優しく微笑んできた。
「(春子に、早く会いたいな......)」
そう思う傍ら、きっと私の帰りを今か今かと、そわそわして待っているであろう
春子を思い浮かべながら、私も、早く着かないかなとそわそわしていた。
主な人物紹介
元さん(私) 25才
春子さん 23才
ーーーーーー
長かったような短かったような、そんなバスの傾きに
身をゆだねている時間は終わり
申し訳なさそうに頭を垂らす街灯が一本だけある、
辺りを生い茂った木々に囲まれた停留所に到着した。
そしてバスを降りた瞬間、私は驚愕に顔を染めた。
「は、春子......?」
私はいくらか上ずった声で、驚愕の原因であるその
あまりにも見覚えのある銀白の女性の名を呼んだ。
しかし、その銀白の女性は折りたたんだ膝に顔を埋めて
停留所の時刻表に体をもたれさせて
小さく寝息をたてていた。
そして彼女の息づかいに合わせて揺れるその銀白を私はしばし
呆然と見つめたあと、はっと我に帰り、その銀白へとゆっくり近づいた。
「春子......春子......」
そして安らかに眠る銀白の前に膝をつき、小さくそう囁きながらその銀白を撫でた。
すると、その銀白はくすぐったそうに体をもじもじと動かし、
その膝に埋めていた顔をゆっくりともたげた。
「元......さん?」
そしてそんな銀白の大きく見開いた瞳には私が閉じ込められていた。
そしてきっと私の瞳には彼女が閉じ込められているだろう。
「ああ、ただいま......春子」
私は彼女の頬に触れながら、そして触れてから気づいた頬の冷たさにさえ
愛おしさを抱きながらそう言った。
「おかえりなさい......元さん」
彼女は嗄れた声で言った。すると彼女の瞳から
透明な雫が滑らかな軌跡を描くように彼女の頬を流れた。
私はそれをそっと拭ってあげた。
そして私達は久しぶりの再会という幸福を、二人で分かち合った。
完
今日は投下終了
地の文あるけど読んで頂けたら幸いです。
ーーーーーー
停留所から自宅への近道である雑木林を、彼女の持っていた電灯の光で
照らしながら、歩くことしばらく。
雑木林を抜けると私の視界には、数えきれないほどの
星々がどこまでも広がっていた。
そして夜空に淡く輝く月が私達を出迎えてくれた。
「綺麗だな......」
「そうですね......」
私達はこの壮大な景色にしばらく見入っていた。
もう電灯も必要なかった。
「......ふぁ」
それをやめるキッカケは彼女の可愛いらしい欠伸だった。
「眠いかい?」
「そ、そんなことありませんよ」
「何をいってる。春子は早寝なんだから
今の時間はとっくに寝ている時間だろ」
「おぶってやるから、春子は寝てていい」
「でも......」
「有無は言わせないよ」
「ひゃ......」
私は彼女をおぶり、我が家を目指してゆっくりと歩きだした。
「もう......」
「なんだい?」
「私はもう子供じゃないです......」
「そうだな、春子は俺の嫁だ」
「.......」
「どうした?」
「ううん、ただ......嬉しいなって」
「俺もだよ......春子」
「ん......元さんの背中、温かいね」
「春子の体も温かいよ」
「ふふ、そう?」
「ああ」
ーーーーーー
「......眠ったか?」
嫁をおぶり歩くこと数分、嫁は早々に寝息をたてていた。
「子供じゃあないという台詞は撤回だな、春子」
私は寝ている嫁に独り言を呟きながら、歩くペースを変えず我が家を目指す。
「元さん......」
「ん、起きてたのか?」
「......」
「ふ......寝言か」
「俺も、着いたら寝ようかな」
また歩くこと数分、私が歩いている道の少し下の所に
大きくもなく小さくもない、和風の一軒家があった。
私たちの家だった。
「春子は......起こさなくていいか」
言って背中で安らかに眠る嫁を起こさず
私は我が家への残った道を歩き、そして到着。
そして嫁を寝室へ寝かせたあと、嫁が用意してくれたのであろう
寝間着に袖を通し、嫁の隣に添い寝しながら、自身も意識を手放していった。
ーーーーーー
寝室の障子越しに差し込む朝日で私は目を覚ました。
それは眩しいほどに輝いていた。が、私はそれに微塵も不快を感じなかった。
体をゆっくりと起こし、伸びをする。
寝覚めのいい朝だった。
ふと手元にある時計を見れば、まだ起きるのには少し早い時間だった。
私は隣で眠る春子を見る。規則正しい寝息を立てていた。
私は彼女の銀白をそっと撫でた後、腰を上げて玄関へと向かった。
ーーーーーー
サンダルを履いて玄関を抜けると
そこは緑が視界一面に広がっている美しい世界だった。
「はぁ......」
その景色を見るや、私の頬から熱いものが流れた。
しかし私は、それをあるがままにし
目の前の世界を脳裏に焼き付けるように見やっていた。
青く澄み切った空に薄い引き延ばしたような雲が、
風に連れられているのを見ながら、空の壮大さに心満たされ
その下では、奥深い緑を茂らす森に
心の安らぎを覚える。
そして、それらを等しく照らす日輪が
都会暮らしで冷え切った、心の体温を暖めてくれた。
私の視界にはそんな景色が広がっていた。
そして、そろそろ戻ろうかと思ったとき、突然
私を後ろから、心地よく締め付けてくる者がいた。
「おはよう、春子」
私は振り返らず、彼女の名を呼んだ。
しかしそれに彼女は、私をもっと、それこそ離さないと言わんばかりに
締め付けてくることで応えた。
「春子......?」
私はその行動に心あたりがないので、本人に直接聞こうと
彼女の締め付けから抜けようとする。
すると意外にも、その心地よい拘束は呆気なく解かれた。
そして私は振り返った。
「......どうしたんだい?」
見れば、彼女からは先ほどまでの安らかな表情は跡形もなく消え去り
変わりに、彼女の頬から熱いものが流れていた。
そしてそれが彼女を支配していた。
私はそんな彼女の、暖かな日輪で美しく光沢する銀白を掻き揚げ
彼女の中を支配している存在を探った。
「朝起きたら......元さんがいなくて......」
嗄れた声で彼女は続ける。
「昨日......元さんに会いたいなって......思ってたら
元さんから電話がきて......嬉しくて」
「そしたら元さん、帰ってくるって......もっと嬉しくなって......」
「早く会いたいからバス停で待って......元さんに会って
凄く嬉しくなって......夢みたいだなって」
「でも、起きたら元さんいなくて......」
「本当に夢だったのかなって......そう考えたら、止まらなくて......」
そこまで言うと、彼女は自身の目元に指をあてた。
その言葉は私の心を、良くも悪くも、大きく揺れ動かした。
「(春子、私はお前の気持ちを理解できなかった自分が恥ずかしい)」
「(そしてなにより、君の心を支配していたのは
自分だと知り、喜んでしまう私を......)」
そして私は彼女を安心させようと、掻き揚げていた、彼女のさらさらと
柔らかに動いているそれ越しに、彼女の額に優しい口づけをした。
なんか仲いいね
ーーーーーーーー
あっちにいたときは、レトルト食品など暖かみのない食事をしていた。
「うん、春子の作った飯は美味しいな」
しかし今の私は、机を挟んで座っている、この可愛らしい存在が作ってくれた
朝食に、いきいきと箸を動かしていた。
「......春子、食べないのか?」
しかし、私とは正反対に、彼女の箸は進んでいなかった。
「いえ......その......」
そして、私の問いに答えになってない声で応じ
頬を薔薇のような色に染めながら、目を伏せて
私との視線の交わりを避けていた。
私はその行動に、今度は心あたりがあったので
言いずらそうにもじもじする、この可愛らしい存在のかわりに
その心の内を言ってやった。
「春子、お前の今考えていることは、さっきの行動は年不相応だと
今更ながら恥ずかしがっていることだろ?」
私がそこまで言うと、彼女はその薔薇色に染まる頬をさらに
赤く染めた。見事に図星だったようだ。
私はそんな彼女に思わず、優しい溜め息のようなものが出た。
そして、私も彼女のように、ありのままをさらけ出そうと思い、口を開いた。
「実はな春子、お前にさっき抱きしめられた時
俺はこんなことを考えていた」
「な、なにを考えていたんです......?」
「春子がこんなに、俺のことで心を乱してくれていることが嬉しい.....とな」
「............元さん」
「お前が悲しんでいるとき、俺はそんなことを考えていたんだ」
「俺はこんな人間なんだ」
そう言ったきり、私達は沈黙した。
私はふと、外の景色を見た。
実に晴れ晴れとした、まさしく散歩日和といった天気だった。
そんな私を見ていたからか
彼女の言葉が沈黙を破った。
「元さん......今日はその......お散歩に行きませんか?」
私はそれに、歯を磨いてくると言って、彼女の銀白を
優しく撫でることで答えた。
ーーーーーー
彼女と散歩することになった。
私はある程度の身なりを整え、外出の準備をする。
「お昼は、おにぎりですよ~」
台所からは彼女のそんな声が家に響き渡った。
私はそんな声に誘われるかのように台所へ向かった。
台所に行けば、彼女はせっせとおにぎりを作っていた。
私はそれを彼女の揺れる銀白を撫でながら後ろで覗きこむ。
そんな私に彼女は嫌がるような素振りは見せず
私のするがままにさせていた。
そして私は、そんな彼女の態度を認め、彼女の光沢ある
穏やかに揺れるその銀白を櫛なんぞでとかすように
そして、溢れんばかりの愛情で染め上げるように
彼女のそれを可愛いがっていた。
私が玄関を出たのは、すでに太陽が昇りきってからのことだった。
ふと遠方に目を向けると、ありがちな大きさの雲が
どこか怠惰な様子で私の方へと流れてきていた。
そして後ろを振り返れば春子が慌てた様子で玄関から出てくるところだった。
右手には先ほど握っていたおにぎりの入ったバスケット。
新しく購入したのだろうか、私が見たことのない洋服を着ていた。
「新しく買ったの、その服?」
私は何の気なしに訊く。
しかし彼女の頬に赤みが差した。
「その......久しぶりに会うから、少しでも元さんに可愛いと思ってもらいたくて......」
「そっか......すごく可愛いよ、春子。よく似合ってる」
これ以上無く妻を愛おしいと思うが、貧弱な私の語彙ではそのような月並みな言葉しか言えない。
それでも春子は初々しくも顔をさらに紅潮させ、笑みをこぼす。
そしてその顔をバスケットで隠してしまう。
「は、恥ずかしいです......」
そんな恥ずかしい顔ももっと見せてほしいと思った。
しかし、彼女のそんなしぐさも崩してしまうのは
たまらなく勿体無いので、私はそっと彼女が
バスケットを持たない方の手を取り、散歩へとおもむいた。
ーーーーーーーーーーーー
「(都会は上を見ることが多かったが、ここは遠くを見ることが多いなぁ......)」
そう私は心の内で思いながら、遠くの山々や、今私達が歩いている
両脇に広がる田園を何気なく見やっていた。
そして、ふと視線を下げれば、隣で私と手を繋ぐ可愛いらしい存在が
口元を微かに緩めながら、私のように視界に広がる自然の景色を見ている
ようだった。
すると彼女と目があった。
私が微笑を浮かべると、彼女も若干頬を赤らめ、私に優しげな笑みを浮かべた。
私達はそんな風な雰囲気で、二人仲睦まじく歩いていた。
「春子」
「はい......?」
「いや、呼んだだけだよ」
「はい......」
「......」
「......」
「元さん」
「ん?」
「いえ......呼んでみたかっただけです......」
「そうか」
「はい......」
そして、私達が今こうしている、この瞬間を
言葉ではない何かで確かめあっていた。
ーーーーーー
そうしているうちに、私達は小高い、草原が広がる丘へと着いた。
そこで私達は昼食をとることにした。が......
「あ、甘いですね......」
やってしまった。彼女の表情はそんなことを言いたげな険しいものだった。
「うんや、上手いよ」
しかし、私にとってそれは、さしたる問題ではなく
むしろ彼女のその抜けたところにさえ愛おしく思いながら
この甘いおにぎりをほおばっていた。
意外にいけないこともなかった。
ーーーーーー
風が流れていた。
それは草木をなびかせ、雲を引っ張り、私達を通り抜けていった。
私はバスケットの中のおにぎりを食べ終えて
丘から見える景色に視線を注いでいた。
彼女はそんな私の肩に凭れ、そして私の腕を抱えるように
抱いていた。
すると私は、私達が作りあげた、この甘ったるい雰囲気にあてられたのか、
自分の心の内までそれに侵略されたように、甘ったるい気持ちが芽生えてきた。
私はその気持ちに促されるように、隣で私の腕を抱いている暖かい存在に
ちょっかいをしだした。
まず私は彼女を胸へと抱き寄せた。
そして彼女の、日の光に照らされてより艶めくなった銀白に
顔を埋めて、彼女から溢れるその良い匂いを堪能する。
しかし、そんな私がくすぐったいのか、彼女は私から離れようとする
が、私は彼女をより強く抱きしめ、否が応でも逃げられないようにする。
しばらくそんなやり取りが続いたが、やがて無理と判断したのか
私の胸に顔を埋め、いつもの呼吸より深く、長い呼吸を繰り返していた。
そうやって私達は、私達なりに、お互いが抱く、尊く純粋な
感情を、雲の縁が茜色に彩られるまで育んでいた。
ーーーーーー
しかし、それは突然だった。
散歩からもどり、彼女とのささやかな夕食を過ごした直後だった。
彼女が風呂に入っていた時だ、私の携帯が鳴いた。
社長からだった。
「急用だ、悪いが明日戻ってきてくれ」
社長の口から衝いて出てきた言葉。
それは休日が終わってしまうこと、そして......
彼女をまた一人にさせてしまうことを、理解させた。
「......分かりました、では明日の午後にそちらへ」
「うむ、まってるよ」
「はい、では」
そして私は社長との会話を機械的にこなし、電話を切った、
その実、受け入れるしかなかった。というわけだが......。
私は彼女のいる風呂場へと目を向けた。
耳をすますと、彼女の歌っているような声が耳へと届いた。
私は彼女にこの話をどう切り出したものかと考えるが
これといった名案も思いつかないまま
彼女が風呂から戻ってきた。
そして風呂上がり特有の色っぽい雰囲気を漂わせながら
彼女は私に風呂だと伝えてきた。
そして私は風呂へといくすれ違いざまに
彼女の肩に掛けてある、タオルで
いささか乱暴に、彼女の銀白を愛でた。
彼女はそれを、心地よい表情を浮かべて受け入れていた。
ーーーーーー
すっかり夜もふけた。
草木の音をもいできた微風が淋しげに窓を叩いていた。
ーーーーーー
私達は寝間着に着替え、二人で一つの布団に寝ることにした。
しかし私は彼女に、自分が帰るということをまだ伝えていなかった。
否、言えなかった。
彼女の悲しみに歪んだ表情を見たくなかった。
だから私は、彼女に私の感情を悟られたくないがために
そんな暇を与えないように、彼女にちょっかいをするという
魅力的な選択肢を選んだ。
「春子」
そう言ったのを皮切りに、私は彼女の温かいぬくもりを味わい
柔らかな身体を愛撫したり、そして常に自己主張している
触れても引っかからない、触り心地の良い銀白に口づけをする。
「恥ずかしいわ......」
「嫌なら離れればいい」
「嫌なんてそんなこと......」
「だったらいいじゃないか」
「あ.......」
言って私は彼女の額に口づけをしようとした。
しかしそれに、彼女は首を横にふり拒んだ。
「春子......」
突然拒まれたことに、呆然としていた私に彼女は......
「もう......帰ってしまうの?」
その時、私は我にかえった。
どうやら彼女は私の感情の変化を捉えていたようだった。
そして私はすっかり彼女に話すことにした。
私は彼女にすべて話した。
話し終えると、彼女の顔は
嘘勢をはる小さな子供のように見えた。
私にはそう見えた。
ーーーーーー
「ねぇ......都会ってどんなところ?」
「森や木がない、あとうるさいな」
「どんなふうに?」
「車や電車の音、あと人の声、それがずっと」
「ふふ、頭が痛くなりそう」
「笑い事じゃあないんだがなぁ......」
私達は一つの布団に身を寄せあい、互いに顔を見合わせながら
そんな他愛ない会話をしていた。
そしてそんな私達を、窓から差し込む淡い月明かりが
照らしていた。
幾分、そんな風に会話をしていると、ふと彼女が
押し黙り、次には私の胸に抱きついていた。
「ねぇ......元さん」
「なんだい?」
「私も、ついていっちゃ......ダメですか?」
彼女はかすれたような声でいった。
その言葉を聞いた瞬間、私の脳裏に
青ざめた顔で苦しげに咳き込んでいる彼女が蘇った。
「バカなことを言うな.......」
言って私は続ける。
「春子、お前に寂しい思いをさせてすまない。だが今の私には
死に物狂いで働くことしかできない。だが、そう遠くない未来
必ず共に歩ける日がくる。だからそれまで......」
しかし、私の言い訳のような言葉は、私の口が彼女の人差し指
で塞がれたことにより、中断された。
「さっきの言葉は撤回するわ」
「さ、明日は早いのでしょう? もう寝ましょ」
そう言って彼女は私から離れて
反対側を向いてしまった。
「春子......」
私が彼女の名前を呼んでも、彼女は沈黙を守っていた。
私はなんとも言えない空虚さを抱え、しかし生理的欲求に勝てず
意識を暗闇に手放した。
ーーーーーー
翌日は彼女の言葉通り早かった。
私達は淡々とした会話をするのみで
私達の間に居座る、気まずさのようなものを
私達は処理しないでいた。
そうしている間に、私達は先日に涙を流すほどに
再会を喜びあった場所にいた。
しかし、今の私には到底同じ場所だとは思えなかった。
「(このまま行ってしまっていいのだろうか?)」
ふと、そんな考えが頭に浮かんできた。
少し前まで、あんなにも仲睦まじく、互いに愛を育んでいたのに
何故私は、それを壊すようなことを、してしまったのだろう。
「(できることならば、隣にいるお前の手をとりたい。
だが、お前のことを理解しているからこそ、私はそんな
残酷なことはできない......)」
そして互いに会話がないまま、ついに別れの時がきてしまった。
「じゃあ、行ってくる」
私は彼女の方を振り向かずに、誰も乗っていないそれに乗りこもうとした。
「元さん!!」
「!!」
私は信じられなかった。
彼女がこんなにも、運転手まで、どうしたんだ!? と驚くほど
大きな声で私を呼んだことに......
そして私は後ろを振り向いた。
「......!! 春子......」
見ると、彼女は涙を流しながら
しかし「私は幸せです」といった満面の笑みで......
「いって......らっしゃい......」
「......!!」
私は手に持っていた荷物を手放し
彼女を強く抱きしめた。
「春子ぉ.....ごめん、ごめんなぁ......」
そんな私の瞳からは彼女同様、涙が溢れて頬を濡らしていた。
「待っててくれ!! こんな俺だけど待っててくれ!!」
「うん、待ってる......待ってるよ元さん......」
言って、春子も私を強く抱きしめ返してくれた。
「春子ぉ......」
いつも小さく可愛いらしい存在だったお前が
その時はとても大きな存在に見えた。
そしてその大きな存在は
私の壊してしまったものを
壊す前よりも
美しいものへと変貌させた
「......元さん」
私達は久しぶりに互いの唇を重ね合わせた
私は目を閉じ、彼女の唇から伝わる想いを全て
汲み取ろうと彼女の唇を求めた。
彼女はそんな私を只々、受け入れてくれた。
そしてそんな私達を春の暖かい風が包み込んでいた。
これでこのSSは終わりです。
ありがとうございました。
てす
今読んだ乙
乙
このSSまとめへのコメント
このSSまとめにはまだコメントがありません