しゅがはゼロ (59)

捏造過去SSです

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小煩い店長をぶん殴って自宅謹慎になってから3日が経とうとしている。ぶん殴る直前まではあちらが悪者だったはずだが、店長が後ろの棚まで吹き飛び、商品のコート(¥18,000)に埋もれながら、よろよろと起き上がる頃には悪者という役はわたしに移っていた。やりすぎた。完全にやりすぎだった。物事には限度がある。もう20代も後半に差し掛かっている大人なのだから限度くらい弁えているつもりだった。いくら店長が普段からわたしたちにパワハラと呼ぶような行為をしてきていたとはいえ、いくら後輩ちゃんが理不尽に怒鳴られていたとはいえ、殴り飛ばすのはやりすぎだったのだ。怒鳴られていた後輩ちゃんですらドン引きし、わたしを庇ってくれることはなかった。



わたし佐藤心はアパレル店の店員だった。過去形(笑)。ようやく正社員として働ける場所を見つけられたのに、あんな店長の下について働くことになるとは。店長がいない日には女子共で集まり、店長をぶん殴ってやりたいなんて冗談ぽく話していたが、まさか本当に殴り飛ばすバカがここにいるとは同僚たちも驚いていたことだろう。自宅謹慎なんて形を取っているが実質クビだ。そりゃそうだろう。警察沙汰にならなかっただけでわたしは感謝するべきだ。


服飾系の専門学校を出て、ファッションデザインの仕事なんて転がってないかなと、のんびり探していた20歳ピチピチのわたしに現実を叩きつけてきたのは、自宅アパートのポストに積まれた公共料金の請求書たち。世の中、普通に暮らしているだけでとてもお金がかかるんだなあとびっくりする。シャワーを浴びるだけで水道代もガス台もかかる。地球上にはあんなに水があるのに、どうしてわたしがシャワーを浴びる程度のことにお金がかかるんだ。なんて文句を言いたくもなるが、とにかくお金がいる。デザイナーの仕事はアルバイトでもしながら見つけよう。と、夢見る若者らしく、わたしはフリーターとなった。


フリーターになり、そうこうしてるうちに5年が過ぎた。生きていくので精一杯の日々。街ですれ違うあの綺麗なお姉さんも、あの禿げたおっちゃんもみんな生きるために働いている。みんな凄い!偉いぞ☆フリーターとして時給換算で長時間労働してきたわたしには正社員という立場が輝いて見えていたが、なったらなったで待っていたのは数字だとかノルマだとか管理だとか責任だとか。その上、直属の上司である店長はパワハラ人間。働くってとても大変、生きるってとても大変。生きることに必死になりすぎていたせいで、いつの間にかファッションデザイナーになりたいという気持ちは、部屋の隅のミシンと一緒にホコリを被っていた。


そういえば来月の給料はどうなるんだろう。有給なんて使ったことないし(あるのかどうかすら知らない)、謹慎中はそれが充てがわれるのだろうか。そうじゃないと、家賃も電気代もガス台も水道代だって払えない。そこで思い出した。わたしは給料日の度に宝くじを買っているのだ。なんでかって?なんでだろう。誰かが言っていたが、多分夢を買っているのだ。2億だとか3億みたいなお金が入ってくる夢。生きていくためにそれをアテにしているのではない。数週間前に6つの数字を選ぶタイプのものを買った記憶があるが、まだ当選確認をしていない。どうせ当たってないからチェックするのも気が滅入る。結果を確認さえしなければシュレディンガーの宝くじだ、この部屋に3億の価値がある(かもしれない)くじが転がっていることにしよう。チェックは今度でいいや。


自宅謹慎とはいえどもお腹はすく。別に家を出ちゃいけないわけではないので、コンビニに買い物へ行くことにした。外の空気は冬が終わりかけているのか、思っていたほど寒くない。パジャマにコートを羽織るずぼらファッションでも十分耐えられる空気の冷たさだ。コンビニに着き、弁当を選んでいるとスマホが震える。電話だ。妹くらいしかわたしに電話を寄越す人物はいないが、画面に表示されるのは知らない番号だ。一旦、弁当を棚に戻し店の外に出て電話を取る。


「◯◯店の佐藤さんです?」

はいそうですが?

「本社人事部の△△です」

わーお、会社の人だ

「これからどうするつもりですか?」

ははーん、こいつはわたしの口から辞めるって言わせたいんだな

「聞いてます?」

聞いてる聞いてる、辞めるぞ☆

「そうですか、じゃあ手続きがあるので一度本社まで来てもらえますか?」

はいはい


電話はその要件だけで切れた。辞めるって言ってしまった。こういう時、後先考えないのがわたしの悪い癖だ。無職誕生である。おめでとう。要件だけ言って切りやがって仕事人間が。あの店長があれからどうなったか聞きたかったのだが。ともかくもう辞めるんだし、顔を合わせることもなさそうだ。寂しいな、ぐすん。さて、辞めるとなったら本格的に生活を心配しなくちゃならない。働かざるもの良い物食うべからず。貯金も少ないし、コンビニ弁当なんか食べてる場合じゃないな。スーパーでもやしでも買おう。




そんなこんなで手続きも済み、わたしは本格的に無職になった。まずい。このままではまずい。飢え死にする前に、何か働き口を探さねば。とりあえずアルバイトみたいなもので食いつなぐしかないかな。激安という言葉に踊らされて契約した謎の会社の謎のスマホは回線速度がバカみたいに遅くて求人サイトを回るのも一苦労する。仕方ないから街へ繰り出すかな。本屋さんに無料求人冊子くらいあるでしょ。ああ、適当な人生設計。ファッションデザイナーへの道がまた遠のく気がする。……本当にわたしはデザイナーになる気があるのか?そうじゃなかったらわたしは何になりたいんだろう。何になれるんだろう。


平日の昼間だというのに都会は人が多い。専門学校に通うために長野からこっちに出て来た時は、人の波に目が眩んだほどだ。まるで集団が一つの意志を持っているかのように流れていく。この人間たち本当に全員が自我を持っているんだろうか。田舎者のわたしをビビらせるためにどこかで悪いヤツが操縦してるロボットなんじゃないだろうか、あるいはプログラムに添ってあちこち歩き回っているNPCなんじゃないのかと本気で思う。だって、このすれ違う人々それぞれに人生というストーリーがあるだなんて信じられない。みんなわたしみたいに、小さなことで悩み、大きなことで喜んでいるのだろうか。上司にイライラしたり、友達と笑ったり、家族を愛し愛され生きているのだろうか。本当に?


長野でわたしみたいな大人が平日の昼間から街を歩くと、それはそれは目立ってしょうがないだろうが(悪い意味で)、都内だと似たような人も多くそうでもない。無職に優しい街だ(家賃の高さは全然無職に優しくない)。人混みをすり抜け、目当ての本屋に辿り着く。自動ドアを潜ると心地よい暖かさと柔らかな本の匂いが体を包む。うーん、せっかく本屋まで来たのに、いきなり求人冊子を探すのも味気ない。雑誌でも見てみるかな。昔は世の中の流行りに敏感であるためにファッション雑誌のチェックを欠かさなかったが、最近は全然だ。どれどれ。


「心ちゃん?」

あん?振り向くと、謎の美人がわたしの名を呼んでいる

「もしかして心ちゃんじゃない?」

確かに心ちゃんはわたしだけど……誰だっけこの女の子

「覚えてない?高校の頃の……」

うえっ!?
もしかしてちひろちゃん?

「そう、千川ちひろ、うわー懐かしい」


どこの美人が話しかけてきたのかと思ったら、高校時代の同級生だった。高校生の頃も美人で可愛く優等生だった印象だったけど、こりゃまた良い方に成長してる。育成◎。クラスが一緒でそこそこ仲が良かったが、わたしが専門学校、ちひろちゃんがどっかの良い大学に進学してからというものの全く連絡を取っていなかった。実に7年ぶり?うひゃー、歳を取るわけだ。ん?私服……じゃなさそうだ。どこかの会社の制服か?すぐ他人のファションをチェックするのはわたしのいつもの癖。


「うん、今はとある会社で事務員をやってるの」

偉い!花丸をあげよう!生きるためには働かないとね

「ふふ、生きるため?心ちゃん相変わらず面白いね」

「心ちゃんは今何をしてるの?」

お、やっぱり聞かれたか。ビシっとした制服がある良い企業で働いてるちひろちゃんに無職だって言い辛いな。まあ、最近までは真面目(?)にちゃんと働いてたからまあいいか。

「仕事を探してる……。あら、そうなの……大変ね」


そうなんだよ、大変なんだ。良いとこに就職してるんだろう?わたしにも仕事を紹介してくれ。

「うーん、そうねえ」

お!本当に紹介してくれるのかな?

「……こういうのはわたしの仕事じゃないんだけど、これ渡しておくね」

名刺?千川ちひろ……っておい!ちひろちゃん◯◯グループで働いてんの!?超大手じゃん!さっすが出来る子は違うなあ。それでなんで名刺?

「これを持って、3日後にここの住所に来てくれる?私服でいいから」


住所……会社の?まさか本当にコネ入社出来るの?やったー、持つべきものはやっぱり友達だね!

「今日までその友達の存在忘れてたクセに」

手厳しいなあ、ちひろちゃん

「それにもちろん私の一存で決まるものでもなんでもないからね」

それはもちろん分かってるよ、大人だもん

「じゃ、その日来てくれたら私が迎えに行くね、よろしくね、はぁとちゃん」


うげぇ、はぁとちゃんって……懐かしい響き。高校の頃そんなあだ名で呼ばれてた記憶がある。しゅがーはぁと。佐藤心という名前をもじったわたしのあだ名。ゲロ甘で激ダサ。まさか26にもなって黒歴史を掘り起こされるとは。ちひろちゃんめ。仕事の休憩中だったのか時間がなさそうな彼女は早々にどこかへ消えていった。一流企業の事務員だ、それなりに忙しいんだろう。ともかく期待出来るかはまだ分からないが、一先ずの指針は決まった。求人冊子は放っておいて家に帰ろう。そういやちひろちゃん名字変わってないってことは結婚はまだなのかな……今の時代それだけじゃ判断つかないが。高校時代の美人同級生が既婚者で超大手企業勤めだとしたら、無職独身のわたしは消えてなくなるところだった。




約束の日。私服でいいとちひろちゃんは言っていたがなんでだろう。もしかしてあの可愛い制服をもう今日から着られるとか?ただ、あれわたしに似合わなさそう。ってかそもそもまだ働けるか分かんないし。ちひろちゃんはなんでわたしみたいなやつに、仕事を紹介してくれるような真似をするんだろう。実は超ブラック企業で人手が常に足りてないとか?うわー、それはあり得る話だ。それでもわたしは無職を脱出出来るなら助かるけどね。また仕事に追われて、人生を生きていこう。


さて、言われた時間に言われた場所に着いたが。ピシっとしたスーツの男の人やちひろちゃんが着てた制服の人ばかり。なんだかわたし場違い?趣味丸出しの私服に金髪。うーん。早くも帰りたい。ちひろちゃんはやくきてくれー。と、キョロキョロしてると意外にも若い私服の女の子も歩いてる。しかも、やけに可愛い子ばかり。派遣社員か何かかな。明らかにJKだろって子もいるけど。うーん。


「あ、心ちゃんちゃんと来たんだね」

おー、女神様ちひろ様今日もお美しいです!

「よしてよ」

そんな謙遜なさらず。で、わたしはどこで何をすればいいのかな?なんでも来いの精神でなんでもやるぞ♪


「そう、良かった。今日心ちゃんにはこれに出てもらうから」

ん?なんだその紙。募集要項?なんの?

「オーディション」

オーディション?

「アイドルの」

アイドルの。

「うん」


は?……えっえっ!?どういうこと!?アイドルってなにさ!?

「うちの部署はアイドルをプロデュースして売り出す部門なの。今日はその新人アイドルオーディション」

ほう

「心ちゃん……あなたはアイドルになるの」

……いや、むりだろ!!!!!


「ほら言ってたじゃない。高校生の頃。アイドルになりたいって」

えっ!高校の頃の話!?何年前だと思ってるんだよ!
あ!!!さっき通り過ぎてたやけに可愛いJK達、まさかオーディション受ける子じゃないの!?

「あー、多分そうね」

無理無理無理!!!!

「いけるいける♪心ちゃん可愛いよ♪」

「あ、審査員の方には千川ちひろ推薦『アナタのはぁとをシュガシュガスウィート☆さとうしんことしゅがーはぁとだよぉ』ってキャラで書類選考通してるから。頑張ってね、はぁとちゃん☆」

いやいやいや何そのキャラ!?
ちひろちゃん!?


「ここは会社だから、ちひろちゃんじゃなくて、ちひろさんって呼んでね」

ちひろさん!?えっ、これマジ話!?

「そうだよ、はぁとちゃん、書類は結構評判良かったから。頑張ってね、わたしはお仕事に戻らなきゃ」

ちょ、ちょっと!


おいおいおいおいおいおい、待って、ちひろさん、ちひろ様!!あいつ本当にどっか行きやがった。まじか。まじでアイドルのオーディション!?わたし今年で26だぞ?無理無理無理だろ!帰りてえ、即刻帰りてえ。しかし、ちひろちゃん、いやちひろさんが推薦者であって、書類まで通してる以上、あの子の顔に泥を濡れない。落ちることが分かっていても、オーディションに参加しないわけにはいかないだろう。それが義理だ。大人の。……いや、事前に言っとけよ。


確かにわたしはアイドルに憧れていたことがある。あるにはあるが、それは夢と呼べるような崇高で高尚なものではなく、もっと漠然としたものだった。女子小学生がプリキュアに憧れる程度のもの。高校生の頃は、将来だとか未来だとかそんな曖昧でふんわりしたものを明確に意識できず、ただただ毎日を生きるのが精一杯だった。今と同じだ。みんなが将来◯◯になるために勉強する!とか良い大学に行く!なんて話を聞く度に、わたしは劣等感や疎外感を感じていたように思う。そんなみんなの夢とは違い、わたしのアイドルに対する感情は本当にただの憧れ。だって別次元の存在だもん。それから手芸部だったわたしは先生の勧めもあり、言われるがままファッションの業界へ進んだのだ。


ともかく目の前にその別次元への扉が現れた。何故か鍵もある。想像していなかった未来に今立っているのだ。まさか、憧れのためではなく、水道代を払うためにアイドルの道に挑戦することになるとは。高校生だったわたしも想像すまい。


仕方なく、募集要項に書かれたオーディション会場に向かう。◯◯芸能プロダクション。わたしでも聞いたことがある超大手芸能事務所だ。建物もその名に恥じぬ出で立ち。ちひろさんこんなところで働けるなんてやっぱり有能なんだろうな。ロビーでオーディションを受けに来た旨を受付嬢に伝えると(受付嬢すらわたしより可愛い気がする)、丁重に控室に案内された。控室といっても会議室を臨時で使用しているようで、長机とパイプ椅子が規則正しく並んでいる。他のオーディション参加者だろうか。緊張した面持ちで出番を待っている女の子たちがちらほら。くっそーどいつもこいつも可愛い。26歳すげー浮いてるぞ。本当にわたしがアイドルなんて出来るのか?JKアイドル候補生に釣られてわたしの顔も強張る。


そして、ついに時間が来た。スタッフが今日のオーディションの流れを簡単に説明する。どうやら、一人ずつ別室に呼ばれ自分をPRするものらしい。合同で審査するタイプだったら、他の子がどんなやり方をしてるか参考に出来たというのに……わたしアイドル活動素人だからな、ぐぬぬ。そういえば、ちひろさん曰く書類の印象は悪くなかったらしい。あまり年齢とか気にせず採用してくれるのところなのだろうか?それならわたしにもチャンスはあるかもしれない。


「佐藤心さんー」

お、ついに出番だ。緊張しすぎて肝臓がひっくり返りそう。とにかく言われた通りに全力を出すしかない。ガチガチになりながら面談室の扉の前に立つ。これが、これこそが別次元への扉。手を伸ばし開ければ新しい世界がわたしを待っている。新しい世界。緊張していた身体が何故か急に軽くなる。心が燃える。なんだこの気持ちは。挑戦を前にした心地よいドキドキが自分を包む。よーし!頑張ってみよう!


ガチャ!

「はい、じゃあ自己紹介からお願いします」

アナタのはぁとをシュガシュガスウィート☆さとうしんことしゅがーはぁとだよぉ!
よろしくっ♪

「…………」

あれ!?
な、なんて冷たい目。ち、ちひろさん?聞いてた話と違うんですが?




アイドルオーディションを受けてから3日が経とうとしている。わたしはと言うと部屋で何をすることもなくゴロゴロしていた。比喩ではなく。本当にゴロゴロしていた。オーディションは最初から最後まで散々だった。全力でしゅがーはぁととやらを演じてはみたが、審査員5名の表情の変わらなさといったら……。ともかくわたしのやる気ゲージはあの日に全て消費してしまった。現在チャージ中。オーディションの結果通知はまだ来ていないがおそらく駄目だろう。アテは外れてしまった。1から仕事を探そう。アパレル業界は常に人不足だ。経験者だと言えばどこかしら雇ってくれる……はず。また本屋でも行くかな。


腹筋とかその辺りの筋肉を駆使しなんとか起き上がる。人間動かないとドンドン身体も心も鈍っていくな。適当な服を着てコートを羽織り、玄関を出る。3月といえど外はまだ寒く早くも布団に戻りたい。ふと、ポストを覗くと、郵便物がたくさん来ていた。請求書の山。冬はガス代も電気代も高くなるので中身を見たくない気持ちが強い。どうせいつかは払わなければならないのにどうも後回しにしてしまう。わたしの悪い癖だ。そこで請求書の山の中に見慣れぬ封筒があることに気付く。


佐藤心様 ◯◯グループ、◯◯事務所

ドクン。心臓が跳ね上がる。間違いなく、オーディション結果通知だ。なんだよ、わたし。おそらく駄目だろうとかアテが外れたとか自分に言い聞かせながらも、どこかで少しだけ期待していたんじゃないか。封筒を持つ手が震える。開けてしまえば、夢から醒めてしまう。それが怖い。……これも、後回しだ。帰ってから開けよう。シュレディンガーの合否通知。開けるまではわたしはアイドルでいられる、ということにしよう。はぁ~、我ながら情けないメンタルだ。


平日の昼間だというのに都会は人が多い。運動不足の身体で人混みをすり抜けるのは一苦労だ。やっとの想いで目的の本屋に着く。やはり建物の中は暖かく、暖房のありがたみが身体に染みる。自宅では暖房なんて贅沢品稼働させたことがないなあ。この貧乏性も我ながら情けない限りだ。お金がないのでファッション誌の立ち読みでもと雑誌コーナーへ向かうと、どこかで見たことがある人影を見つけた。


うげ、千川ちひろ……さん

「あら、心ちゃん、偶然ね」

この本屋行きつけなのだろうか。とにかく今は会いたくなかった。

「なに?その嫌そうな顔は」

なんでもないです。

「オーディションの結果通知そろそろ届いたんじゃない?中はもう見た?」

うっ……、ま、まだです……。

「……」

わ、笑えよ、この雑魚メンタルを。

「ふふ」

本当に笑うなよ!


「心ちゃん覚えてる?」



「高校の頃ね、進路希望調査を先生に提出しなきゃいけなかったんだけど、心ちゃんだけは期限を過ぎてもずっと提出してなかったの」

……

「担任の××覚えてる?心ちゃん毎日怒られてたなあ」

うん、うっすらと覚えてる気がするよ。

「もうなんでもいいから書いて出せって言われた心ちゃんはね、進路第一希望の欄にアイドル!とだけ書きなぐって提出したの」

……


「で、また××先生大激怒、あれは面白かったなあ」

人が怒られてるのを面白がるなよ。

「でね、後で私は心ちゃんに聞いたの。アイドルに本当になりたいの?って」

で、なんて言ってたの?わたしは

「いや、別にって……言ってた」

……


「だからね、じゃあ、心ちゃん何になりたいの?って聞いたの」

……

「心ちゃんは迷いながらも、『何かになりたい』って言ってたよ」

『何か』……ね。

「何かって、わたしが覚えてないって意味じゃないよ?一字一句違わず、心ちゃんは何かになりたいっていったの」

ふうん、覚えてないなあ。

「ふふ、それも心ちゃんらしいね」

笑うなよー。

「じゃ、私は時間がないからもう行くね。また会いましょう、はぁとちゃん」

はいはい、ちひろさん。

「ここは会社じゃないから昔みたいにちひろちゃんでいいのよ。じゃあね」


ボロアパートの一室に戻ってきたが、室内の温度はさほど外と変わらない。家賃が激安だけはある。壁が薄いのか?それに比べ本屋は天国だった。遠赤外線ストーブを起動し、コートをハンガーに掛けていると、ふと布団に投げてある封筒の束が目に入る。


さっきの話。本当は全部覚えていた。あの頃のわたしは将来何になりたいか、自分で決めることが出来ずにいた。進路希望調査の紙にアイドルと第一希望で書いて提出したことも覚えている。前の日の晩にTV番組でアイドルたちが歌って踊る姿を見て、それを書いたのだ。


そして、その後のちひろちゃんとの会話もちゃんと覚えている。わたしは何になりたいかは決まっていなかったが、何かにはなりたかったのだ。でも、『何か』っていったいなんなのか、それを決めた時本当に自分は変わることが出来るのか分からず、怖かった。将来『何か』になれている自分が想像出来なかったのだ。そんなわたしと違い、テレビに出ていたアイドルたちは輝いていた。それはきっとわたしにはない輝きだった。だから第一希望にアイドルと書いた。別次元の存在。なれるとは思いもしなかったけれど、憧れだった。


そう。わたしは自分を変えたかったんだ。それは今この時も変わらない。いつか自分を変えたい。そんなチャンスがいつか欲しいと思っていたのだ。宝くじを定期的に買っていたのも、夢を買っていたわけじゃない。今を変えることが出来るかもしれないと機会を求め、それを期待して買っていたんだ。


そして、ついに掴んだ今回のチャンス。自分は本当に『何か』になれるのか。それがこの封筒の中身で分かる。わたしは怖いんだ。お前は何にもなれない、何かになれるチャンスも来ないと突きつけられるのが。ファッションデザイナーになりたいと夢を追いかけてるふりをしながら、日々を生きていた。『ファッションデザイナー』に本当になりたいならわたしはもっと行動するべきだった。仕事の忙しさのせいにして、本当はデザイナーになれないかもしれないという答えから逃げていただけだ。ホコリを被った相棒のミシンが泣いている。


ようするにわたしは自分の未来から逃げていたのだ。
ここまで来て、まだ、まだ逃げるのかよ佐藤心。
自分と、未来と、ちゃんと向き合え!


はさみを手に取り、中身を傷つけないよう、封筒の上部を丁寧に切る。そして──。


~~~~~~~~


「心さんはスウィーティ―な26歳です。後がない彼女をアイドル界でのし上がらせてあげてください!プロデューサーさんよろしくお願いしますね」

後がないなんてことないって!
ちひろさん冗談きついぞ☆


初顔合わせ日。わたしは◯◯グループの芸能事務所にいた。立地の良いとこにあるビルの一室。高層階で見晴らしも良い。暖房が効いていて綺麗な事務所だ。素晴らしい。担当プロデューサーだと名乗る男性に挨拶をする。こ、こいつ、わたしがオーディションで一生懸命PRしてる時、無表情だった左端の男じゃないか。


「無表情だったというより、笑いを堪えていただけみたいですよ?」

おい!!!!


そんなこんなあり、わたしはアイドルになった。厳密に言えばまだアイドルのたまごだけど。この担当プロデューサーを名乗る男が周りの反対を押し切り、強引にわたしを推したらしいと聞いた。そりゃ普通の神経だったら反対する。というより、あの封筒の中に書いてあった結果は普通に不合格だった。あれだけ、なけなしの勇気を振り絞って封筒を開封したのに。ショックを受けたわたしは、布団の中で不合格通知を握ったまま丸一日気絶していた(ちなみに宝くじも外れてた)。そんな時に、ちひろさんから追加合格の電話が掛かってきたのだ。どうやら辞退者が出たらしく、わたしは代わりに補充されたようだった。


補充でもなんでも構わない。26歳からのアイドル人生。自分の可能性を知ることを怖がる日々はもうおしまい。ここからやっとわたしは始まるのだ。扉は開いた。自分の足で、扉の先へ歩き出そう。未来は自分の手で掴むんだ。


この事務所の窓から見える世界の人たち。あの綺麗なお姉さんも、あの禿げたおっちゃんもみんな生きてて、それぞれ人生がある。小さなことで悩み、大きなことで喜んでいるんだろうし、上司にイライラしたり、友達と笑ったり、家族を愛し愛され生きているんだろう。そして、わたしと同じように未来に悩み苦しんでいる人だっているはずだ。そんな人たちの道標になれるようなアイドルになりたい。わたしが見た、あの日あのテレビに出ていたアイドルのように。それがわたしにとっての『何か』なんだ。


「心さん何か質問はありますか?」

ん?そうだなあ。
うん。大丈夫!不安もたくさんあるけど、色々楽しみなことの方が多いかな☆なんでも来いの精神でなんでもやるぞ♪


「ふふ、心ちゃんらしいね」

おいおい、心さんだろー?

「プロデューサーさんと一緒にこれから頑張ってくださいね」

あのヒョロヒョロした男が担当プロデューサーなんだよな。ぶん殴ったら背骨折れそう。気をつけなきゃ。


お、一個だけ聞いとかないといけないことがあるんだった。

「なんでしょう?」

ここって月給制?給料日いつなの?
いやー、滞納してる水道代払わなきゃいけなくてさ☆

「ふふ」

笑うなよ☆まじで切実な問題だからな♪


しゅがはゼロ 終わり


完結です。
過去作にもし出会うことがあればよろしくお願いします。

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