男「余命1年?」女「……」 (296)


男「あの、面会なんですけれども。女さんです。……ええ、分かりました」


エレベーターに乗り、階数表示が段々と数字を上げる様子を、ただ茫然と見つめていた。

やがて、目的地の5Fで床の上昇がゆっくりと止まる。

十数秒歩き、待ち合わせの部屋へ到着すると、彼女の姿が視界に入った。


女「……あ、今日は来てくださったんですね」


男「ええ、お邪魔します。それで……調子はどうですか?」


女「もちろん順調ですよ。……はい、これが原稿です。病院のコピー機で印刷させていただきました」


男「いや、その……具合の方は……?」


女「ああ……何も変わりません。可も不可も無し、と言ったところですね」


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女は、取ってつけたような笑顔でそう言った。

こうしている今も、彼女の小さな身体が蝕ばまれ続けているだなんて……想像もつかない。


女「それで、前回の修正点は? その様子だと、また駄目だったんですよね?」


男「え……は、はい。前回は、キャラクターの心理描写に物足りなさを感じました。ですから、今回は……」


女「別に……夢なんて、どうだっていいんですよ?」


男「っ……そんなことないですよ。編集長もおっしゃってました。

段々、執筆に磨きがかかっていると。もう少しですよ、頑張ってください!」


女「……これでも、頑張ってるんですけどね」


男「あっ……すみません、失言でした」


訪れた、数秒の沈黙。

時間が経てば経つほど、息をするのが辛くなってくる。


男「……こちらの原稿、拝見させて戴きます」


女「あの……男さん」


男「はい、何でしょう」


女「……いつもありがとうございます。何の価値も無い私の原稿を、こうして取りに来てくださって」


男「……いえ、仕事ですから」


女「……はい、そうでしたね」


多少の打ち合わせを行った後、逃げるように病室を後にして。

駐車場に止めた自分の車へ乗り込むと……思わず、ため息が出た。


男(どうして、もっと気の利いた事を言ってあげられなかったんだろう。よりにもよって、仕事だからって……最低だろ)


それほど傷ついた様子には見えなかったのが、唯一の救いか。


……いや。まずもって、およそ感情と言えるものが彼女の顔に出た事が無い。

その表情の下では、本当は傷ついていたのかも。


でも、それはお互い様だ。

彼女だって、自分に心の内を打ち明けたことが、ただの一度だってないのだから。


会って1ヵ月と言えど、仕事上のパートナーであることに変わりはない。

やり辛さは、日に日に増していった。


男「本当は……叶えたいんでしょう? あの夢を……」


彼女との出会いは、重なった偶然により生まれたものだった。


選考で落ちた彼女の作品が、たまたま選考委員の目に留まり、たまたま俺が担当につけられて。

電話越しに告げられた、待ち合わせの場所。

彼女との初対面は、まさかの病院だった。

生まれつき心臓に持病を抱えていて……彼女曰く、もう長くないとのこと。


余命1年の作家の卵。それが彼女だ。


死ぬ前に、足跡を……自分がこの世に存在していたという証を残したい。

きっとそれが彼女の望みなのだ……俺は勝手にそう思っていて、勝手に感情が高ぶっていた。

何としてでも、出版までこぎつけてみせる。


そう思って、病室へ入ったんだが。

いざ彼女と話してみると、何だか拍子抜けしてしまった。


この世に未練など、欠片も無いとでも言いたげな雰囲気だったのだ。

既に死を覚悟しているだとか、死を認識していないだとか、そんな雰囲気ではなかった。

まるで……いつ死んだって構わないとでも言いたげな。


初めて女さんと出会ったのは、1ヵ月程前の事だった。


男『必ず出版しましょう! 私も、全力でサポートさせていただきます!』


女『……それなら、これは私とあなたの夢ですね』


男『え、俺……じゃない、私もですか?』


女『フフッ、そんなにかしこまらなくてもいいですよ、変に気を遣わないでください。

 ……だって、仮に本を出版できた時、あなたが一番喜びそうだから』


男『……分かりました。では、これは俺とあなたの夢です。必ず……必ず、2人で叶えましょう!』


男「……ハァ」


恐らく、このままいけば1冊は出版できるに違いない。

彼女の表現力は、目に見えて上がっているから。

軌道に乗れば、2冊目、3冊目だって可能かもしれない。


それだけに、彼女の纏う雰囲気は、俺には理解し難かった。

この世に生きた証を残せるだなんて、それほど名誉な事が存在するだろうか。

必死にならない方がどうかしている。


――もしも、自分が同じ立場だったなら。


男「……やめだやめだ。そんなこと考えたって、仕方がないじゃないか」


自分はもう、諦めたのだ。

自分には、執筆の才能がない。

そう思ったからこそ、せめて同じ夢を持つ者の手助けをしようと思い、この仕事を選んだ。

ここで彼女を支えないで、何が編集だ。

彼女の本を出版する事が、自分の使命。


……だからこそ、諦めないで欲しいのに。


女さんの、本音が聞きたい。

仮面のように変わらない表情の奥で、一体何を考えているのか。

彼女の第一印象は……まだ、拭われていなかった。

とりあえずここまで。かけたら更新します。

過去作も貼らせていただきます。

【バンドリ】沙綾「卒業?」香澄「そんなの私達にあるわけないじゃんwww」
http://elephant.2chblog.jp/archives/52197926.html

【バンドリ】沙綾「好きです////」有咲「へっ!?//////」
http://elephant.2chblog.jp/archives/52199334.html


編集長「うーん……」


男「……どう……でしょうか」


編集長「悪くは無いんだけどねえ」


――やはり、まだ駄目か。


編集長「表現力は増してる。……ただ、味が無い」


男「……キャラの心理描写が、薄いということでしょうか?」


編集長「それもある」


男「それ……も?」


編集長「彼女だけの持つ何か。それが、この原稿からは抜け落ちている」


男「……分かりました」


――さっぱりわからん。


デスクに戻り、彼女の原稿を読み直すことにした。

他の作家も担当してはいるが、今はこっちが優先だ。


なんせ、彼女は……。


男「彼女だけが持つ何か……ね」


そんなもの、ただの個性というか……売れるかどうかに関係あるとは思えないが。


売れた作家こそが正義。要は、売れればいい。

世間に認められれば、その作家の個性が初めて『個性』として認識されるのだ。


男「……ここまで出来が良かったら、別に出版したっていいじゃないか」


読者に読んでもらうまで、何が売れるかなんて分からないんだから。


――嘆いていても、仕方がない。


男「まずは、心理描写からだな」


キャラクターの心情をどれだけ文字に表現できるかは、

どれだけ人の心に触れ、どれだけの文字に触れ、そしてどれだけ自分自身で考えて人生を過ごしてきたか。

その三点に掛かっていると言っても過言ではない。

というか、それが全てだ。


男「まさか……今まで、人付き合い自体が少なかったのか?」


大いに考えられる話だ。

彼女は、心臓病は生まれつきだと言っていた。

そのせいで、今まで人と触れ合う事が少なったのかもしれない。


男「うーん……そればっかりは、どうしようもないな」


今すぐどうこうできるとは思えないが……それは、どうにかしようとする努力を怠っていい理由にはならない。


男「とりあえず……やれるだけやってみよう」


彼女と出会ってから、5度目の週末。

俺はいつも通り、病院へ打ち合わせに来ていた。


男「……え? もう退院できるの?」


女「はい。あくまで、一時帰宅なんですけど」


男「そうだったんだ……」


彼女は俺よりも5歳も年下らしい。

俺達は次第に敬語が減り、フレンドリーに会話を交わすようになっていた。

とは言っても、彼女は敬語が抜けきっていないけれど。

それが、彼女の年上に対する接し方なのだろう。


女「あの。それで、前回は?」


男「あ……ああ」


原稿のダメ出しを何度も繰り返し行うのは、こちら側としても本当はしたくない。

できる事ならば、今すぐにでも出版したい。

だが、そうもいかないのが現実だ。


男「……やっぱり、心理描写が甘いね。それで、俺からの提案なんだけど」


女「……提案?」


もしかすると彼女は、人付き合いの数が人よりも劣っているのかもしれない。

人付き合いが嫌いな作家は、何度も見てきたが。

彼女の場合、好きで人を避けているわけではないはずだ。


男「本当は、週末だけの予定だったんだけど。

女さんが退院できるのなら、できるだけ毎日。コミュニケーションの練習をしよう」


女「……誰と、ですか?」


男「それは勿論、俺と」


すると彼女は、初めて明確に表情を変化させた……とんでもなく嫌そうに。


女「……嫌です」


男「え? ……な、なんで?」


女「男さんは、編集者としては信用できますが。男性としては信用できません」


男「へ? だ、男性としてって……俺、君に何かしたっけ?」


どういうわけか、俺は唐突に彼女からの信用を失ったらしい。

全く身に覚えのない不信感をジト目で向けてきた彼女。

初めて俺に、女さんが感情の起伏を見せたように感じた。


女「だって男さん……この間、看護婦さんと仲が良さそうに会話してました。初対面なのに」


男「この間……ああ、あれね」


先々週のことだ。病室を訪れると、彼女は席を外していて、病室内は空っぽだった。

立ち尽くしていた俺に、年の近そうな看護婦さんが世間話を持ち掛けてきたのだ。


男「あれは別に……普通だよ、仲良くなんて……」


女「何だか、すっごく親し気でした。鼻の下を伸ばしているようにも見えました」


男「誤解だよ……本当に、ただの世間話だって」


女「初対面なのに、口説いてました」


男「いくらなんでも、飛躍しすぎだよ」


本当に、ただの誤解だ。

あの時の看護婦さんとは、女さんについての会話ばかりしていたのだから。

病院での彼女は、とても元気そうだとか。

優しいお父さんがいるだとか。

彼女の病気は……元々、お母さんのものだったとか。


男「とにかく、君の考え違いだよ」


女「……まあいいです。えっと……コミュニケーションの練習でしたっけ?」


男「うん。毎日俺と会話すれば、何か参考になるかもしれないよ。

 俺も、君の小説を一刻も早く本にしたいんだ」


本心だった。

彼女の病気を差し引いても、彼女の書いた小説は、俺の胸を強く打った。


女「でも……毎日って、具体的には?」


男「この病院で、色々……世間話とか」


女「私、もう退院するんですけど」


――そうだった。

退院の話を聞くまでは、週末だけの予定だったから。


男「そうだな……俺が、君の家に――」


女「嫌です」


即答だった。


男「そんな……露骨に嫌がらなくても」


女「……ハァ。分かりました。家の近くに、公園があるんです。

 そこでならいいですよ……外でなら何もできないでしょうし」


随分と警戒されてんなあ……。


男「別に、何もしないよ。それに……」


女「な……なんですか、そんなにジロジロ見て。ナースコールしますよ?」


男「待って待って、違うから。だから、あれだよ。君は、女としてはみれない」


女「……どうして、ですか」


男「だって、5歳も離れてるし。俺の好みは年上なの。ロリコンじゃないんだ、分かった?」


その時だ。


一瞬、彼女の表情が凍ったように見えた……のだが、気のせいだったみたいだ。

すぐに、さっきの嫌そうな表情が復活した。


女「うえー……なおさらキモチワルイです。それを、女の子の前で言うんですか」


男「どうしろってんだよ……」


それからも、何度か嫌そうな顔をされたのだが。

渋々了解したみたいだった。

今日はここで切り上げます。次回は公園でのシーンからです。


男「……暑い」

男(ちびっ子達……元気そうに走り回ってんな)

男(無邪気な子供達を、日曜日の昼間に、たった一人で公園のベンチに腰掛けて見つめている私服姿の冴えない独身男性)

男(……平日じゃないのが、唯一の救いだ)

男(早く来ねえかな……さっきから母親達の視線が痛い)


女「お待たせしました」

男(え、マジか……私服じゃん、今風のファッションなのかな)

女「……って、何ですか、その酷い顔」

男「ああ……待ってたよ。酷い顔?」

女「はい、すごく酷い顔です。まるで、この世の全てを恨んでいるかのように」

男(一体どんな顔だよ。想像もつかないわ)

女さんは俺から少し離れた位置に腰かけた。


男「えーっと……お久しぶりです?」

女「昨日会ったばかりですよ」

男(いつも病院服しか着ていなかったから、気が付かなかったけど)

男「スタイル……いいな……」

女「……は?」

男(やっべ、声に出てた)

男「いや、何でもない」

彼女は両手で自分の身体を抱きかかえ、俺から離れるように、すぐさまベンチの一番端へ腰を滑らせた。

女「いやいやいや、誤魔化せないですから。何ですか、誘ってるんですか? 警察呼びますよ?」

男「ちょっとちょっと、本当にそんなんじゃないって!」


女「……それで、何でしたっけ。コミュニケーションの練習?」

男「そうそう、コミュニケーションね。とりあえず……世間話でもしようか」

男(世間話っつってもな……何を話せばいいのやら。言い出しっぺは俺なんだけど)

女「……元気そうですよね。あの子達」

男「ああ……羨ましいの?」

女「……少し、思います」

男(まただ……この表情。何もかも、どうでもいいと思っているような)

男「思いっきり走ったこと、ある?」

女「いえ……小学校の時、マラソンで倒れてから……一度も」

男「……なら、思いっきり走ろうか」

女「……はい?」


男「だあー! 強すぎだろ! 君、本当に初心者?」

女「車の免許なら持ってますよ。マニュアルです」

男「なるほど……俺、5年以上ペーパードライバーだからなあ……」

女「見苦しい言い訳はやめてください。男さんが言ったんじゃないですか、ゲーセンでレースゲームしようって」

男「いや、確かに言ったけども」

女「フフッ、こんなに気持ちよく走ったの、久しぶりです」

男(ゲームだけどね。しかもただのカーレース)

男「じゃあ、次は何やる?」

女「え? これ、もう一度やりません?」

男「マジか……分かった、やろう」

女「さっき負けたの男さんですから、今回は男さんが払ってくださいね」

男「その約束生きてたのね……」

男(野口さんが消えていく……なんだろう、この財布の寂寥感)


男(あー、すっかり夜になっちまった)

男(あのゲーセン、案外いいな。女さんの家から近いし。また行くかもな)

男「大丈夫? 親御さんに心配されたりしない? 家まで送って行くけど、挨拶とかしとく?」

女「あー、別に大丈夫ですよ……多分、まだ帰って来てないんで」

男「帰って……ない?」

男(確か……優しいお父さんがいるって聞いたような……)

女「ウチ、父子家庭なんです。父はいつも、遅くまで仕事……なんて言ってるけど。多分、遊んでるんだと思います」

男「え、だって……優しいお父さんだって」

女「それ、誰から聞いたんです? 別に、ウチはそんなんじゃないですよ。

 お父さんは、私の事なんてどうだっていいんですよ。もうすぐ……いなくなるんですから」

男「それ……は……」


男(すっかり忘れていた。いや……考えないようにしていた)

男(彼女は……もうすぐ……)

女「……フフッ、そんな顔しないでください。今更、何とも思ってませんから。それに……」

男「え……どうしたの?」

男(なんか、近い、近いよ! ジト目可愛いし……なんかいい匂いするし)

女「……いーえ。何でもありません。じゃあ、また明日」

男「あ、ああ。また明日……」

男(行ってしまった……何だったんだ、一体)

とりあえずここまで


今日は平日。女さんと直接会って話すのは、難しいと思っていたんだが。

女「どうも、よろしくお願いします」

男「あ、うん。よろしくね」

男(まさか、直接編集部まで来てくれるとは)

女「それで、原稿持ってきたんですけど……」

男「え、もう?」

男(以前から感じていたことだが……いくら何でも、執筆のスピードが速すぎる)

編集長「驚きの才能だな」

男「編集長……そうですね。類希な程に速筆ですよ、彼女」

女「……どうも」コクッ

編集長「毎週、1作ずつ書くことができるなんて。君は将来有望だね」

男(将来……ね)


女「ありがとうございます。ですが、出版できるレベルに達していないのなら……」

編集長「ん、そうだね。男、あとは任せたぞ」

男「あ、はい。了解です」

女「……その」

男「ああ、編集長には言ってない」

女「やはり、そうでしたか」

男「……ごめんね。気を悪くしたのなら謝るよ」

女「いえ、気にしないでください。大学時代から慣れているので」


男「今も、大学に通ってるんだよね?」

女「いえ……先日、余命宣告されてすぐに中退しました」

男「えっ……そうなんだ」

男(確かに、人としてその選択は正しいことなんだろうけど。
こっちとしては、大学生活で得られるものだってあると思うし、辞めないで欲しかったな)

男(……いや何考えてんだよ。
彼女の人生だぞ。彼女の好きにして何が悪いんだよ。
残りの人生を、自分自身のために過ごす為に中退したんだ。
素晴らしいじゃないか。美しいじゃないか。
そもそも、正しい選択なんて存在しないんだから)

女「……男さん?」

男「うん? どうしたの?」

女「大丈夫ですか? 少し、怖い顔してました」

男「え、そうかな? ……何でもないよ。それで、原稿見せてもらえる?」

女「ええ、どうぞ」

男(うわ……普通に1冊分の分量だぞ、これ)

男「うん、ありがとう。読んでもいいかな?」

女「え……今ですか?」

男「うん。ダメかい?」

女「……いえ、ダメではありませんが」

男「では、拝見させて頂きます」

男(……これ、まさか)

男「ね、ねえ……これ」

女「……////」

男(め……メッチャ赤くなってる)

男(これ、もろ俺達のことじゃん)

男(最初の十数ページで分かる。
病院で入院していた主人公を、とある男性が訪れる所から始まって。
そこから、2人が約束を交わすのだ)

『必ず夢を叶えよう。2人で、一緒に』

男(いける……か? いや、いけるだろ)


男「これ……通るよ。多分、いや絶対」

女「ほっ、ホントですか!?」

男「わっ、ビックリした」

男(彼女、こんな表情もするんだな)

女「この原稿は、絶対に通したいって……そう思ってたので。そう言ってもらえて、嬉しいです」

男「編集長に通してからだから、俺だけじゃ確定とは言えないんだけど。
これは面白いよ、通せる。自信を持ってそう言えるよ」

女「……良かったあ」

男(うわっ、メッチャ笑顔。……可愛いな)

男(残りのページも読んでしまおう)

男「お茶ならいくらでも出せるから。ゆっくりしていって」

女「はい……ありがとうございます」


男(全部読み終わったけど、これは……)

男(ちょっと、マズイかも……しれない)


編集長「うーむ……」

男「……どうでしょうか」

編集長「面白い……が」

男(……冷や汗が、鬱陶しい)

編集長「……難しいな」

男「やはり……そうですか」

編集長「出版できないわけじゃない。寧ろ……売れるだろうな」

男「では……!」


編集長「ただ……読者がこれを読んだ時、どう思うだろう」

男「……それは」

男(もしかすると、出版は難しいかもしれない。
最後まで読んだ時、俺はそう感じた)

男(彼女の書いた、この作品は)

男(とんでもない、救いようのないバッドエンドなのだ)

編集長「これが、彼女の持ち味なのだとしたら……」

男(ヤバイ、メチャクチャ睨まれてる)

編集長「男、お前……何か隠してないか?」

男(うわ……やっぱバレてる)


男(小説ってのは、良くも悪くも、作家本人の人生観を反映してしまう)

男(出そうと思って出るものでもないし、かといって意図的に隠せるものでもない)

男(つまり……読む人が読めば、分かってしまうのだ)

男(その作家が……どんな人間なのか)

男「……申し訳……ありません」

男(元々、隠しきれるわけが無かったのだ)


編集長「……なるほど、事情は分かった。ならば、この内容も納得できる」

男「やはり……出版は難しいと」

編集長「できないわけではない」

男「っ! 本当ですか!?」

編集長「ただ、な」

男「……?」

編集長「彼女がこれを、本当に作品として売りに出したいのか。そのつもりで書いたのか。
……それが知りたい」


男「それは、一体どういう……」

編集長「俺が今言ったことを、そのまま彼女に聞いてみてくれ。
多分……それで、彼女の本心が聞けるさ」

男「……分かりました」

続きは夜書く予定


男「ふー……」

男(早めに仕事切り上げて、編集長のいう通り女さんから話を聞こうと思ったけど……)

男(6時過ぎてんのに、まだ公園にちびっ子が数人残ってやがる)

男(……げっ、こっちきやがった)

ちびっ子A「ねーねー、おじさん」

男「おっ、おじ……何かな、ボク?」

男(いかんいかん、こんな子供にイライラしてたらみっともないぞ)

ちびっ子A「おじさんは、ニートなの?」

男「……何だって?」

ちびっ子B「ぼくのママが言ってたの。幼稚園の日に、公園のベンチに座っている男の人はニートだから、話しかけちゃだめだよって」

男(小さい子に何教えてんだ母親……!)

男(つーか、思いっきり話しかけてんじゃねえかよ!)

男「ボ、ボク? おじさんはね、ニートじゃないんだよ」


ちびっ子A「なら、おじさんは誰? 暇なの?」

ちびっ子B「ぼくのママがね。暇そうにしてる男の人はロクデナシだから、話しかけちゃだめだよって言ってたの」

男(おかあさああああん! あんまり変な事教えないでえええええ!)

男「あ、あのなあ……」

女「フフッ……何してるんですか、男さん?」

男「や……やっと来てくれた」

ちびっ子A「お姉さん、だあれ?」

男(女さんはお姉さんなのかよ。俺、一応まだ25だぞ?)


女「私はねー……えっと、そういえばもう学生じゃなかった」

男「こっ、この人を待ってたんだよ、おじさん。だからここにいたの。彼女は、おじさんの知り合いだよ!」

ちびっ子A「しりあいー?」

男(あー、まだ分かんねえか。幼稚園児だもんな)


ちびっ子B「おじさんとお姉さんは、ふーふなの?」

男「ブッ――」

男(その可能性を考えてなかった!)

ちびっ子B「あのね、ボクの……むぐっ」

男「うんわかったわかった、それ以上言わなくていいぞー」

女「男さん、口を押えちゃ可哀そうですよ」

男「え、ああ……ごめんな」

ちびっ子B「んーん、楽しかった」

男「そうかよ……」


ちびっ子A「あのね、ボクのおともだちのお母さんがね。
 男の人と女の人が一緒にいたら、その二人はふーふだから、話しかけちゃダメなんだって言ってたの」

男(そっちかーい!)

女「夫婦……////」

男「あはっ……あははは」

男(もうどうにでもなれ……)


男(マセガキの戯言に過ぎない……とは分かっているが、予想外にでかい爆弾だったな)

男「あのー……さっきのは、あんまり気にしないでね?」

女「え? ああ、あの子供達の話ですよね。気にしてませんから、安心してください」

男「そう、なら良かった。……それで、本題なんだけど」

女「は、はい……その、どうでしたか?」

男「結論を言えば、通ったよ」

女「ほ……本当ですか? ……やったあ! 嬉しいです!」

男(おいおい、ガッツポーズなんかしちゃってまあ……)


男「でも……編集長から、どうしても君に聞いておきたいことがあるって、言伝を預かってきた」

女「言伝……ですか」

男「君は、あの原稿を……本当に作品として売るつもりで書いたのか」

女「……」

男(編集長は、そう聞けば彼女の本心が分かると言っていたけど……未だにそれがどういう意味なのかわからない)

女「そう……ですか」

男「編集長の言い方だと、どうやら後は、君が了承するだけで出版できるみたいなんだ」

男(普通なら、了承するに決まってる)

男(だって、自分の書いた原稿が、本として世の中に出るんだぞ。そんなに嬉しい話があるか?)

男(こんなの、断るわけが……)


女「……ごめんなさい」

男「……え?」

女「この話……無かったことにしてください」


男「なんで……どうして!?」

女「ごめんなさい……ごめんなさい」

男「いや、謝って欲しいんじゃない! どうして、こんな旨い話を断るんだ!?」

女「それは……」

男「まさか……売りに出すつもりで書いたんじゃないって、そういうことなの?」

女「……」

男(無言……肯定なのかよ)


男「どうして? だって、夢だったじゃん! 二人で協力して、君の本を出版しようって。君も、そう望んでたんじゃ……」

女「確かに……私の本をみんなに読んでもらえたら、それほど嬉しいことはないです」

男「だったら……!」

女「……でも」

男(女さん、顔……酷い顔だ。今にも泣きそうな)

男(でも……綺麗な顔だ)


女「この本は、あなたに……男さんに読んでもらうために書いたんです」

男「え……だって、この原稿は絶対に通したいって……そう言ってたじゃないか」

女「そうです。この原稿が通れば、男さんに、面白いって認められたことになりますから!」

男「認められるって……確かに、面白かったけどさ……」

男(分からない……分かんねえよ。何を言ってるんだ)

男「つまり……あの原稿は、売りに出したくないって……そういうこと?」

女「……はい」


男「……分かった。そう……編集長に伝えておくよ」

女「あの……」

男「……なに?」

女「また……書きますから。だから……えっと」

男「……はあ。分かってるよ。また、取りに来るさ」

女「……! ありがとうございます!」

男(メッチャ嬉しそうな顔。これで……良かったのかな、本当に)

とりあえずここまで。パクッてつなぎ合わせたってのは否定できない。

面白いならいんだよ、こまけえこたあ(松田鏡二

おもしろいから問題ない


男(一度は、払拭しかけていた彼女の第一印象だったけど)

男(これで、また振り出しだ)

男(彼女は……この世に自分の生きた証を残したいと、本気で思っているのだろうか)

男(本当に……この世に未練なんて、ないのだろうか)


男(本当に……この世に未練なんて、ないのだろうか)

編集長「なるほど……大体予想通りだ」

男「どうして……彼女は、出版を断ったんでしょう。私には……まるで理解できません」

編集長「なるほど。まあ、お前の言う事も分かる。どっちが正しいかと言われれば、世間一般ではお前だろうな」

男「だって、そんなの当たり前ですよ。自分の書いた本を、たくさんの人に読んでもらえるんです。
 自分の書いた本を、たくさんの人の手に取ってもらえるんです。そんなに嬉しい事が……他にありますか?」


編集長「男は、小説の応募経験があるんだったな」

男「……? はい、そうです。どれも、選考落ちでしたけど」

編集長「それなら……彼女の感情が、お前に理解できないのも仕方のないことだ」

男「女さんの……感情……」

編集長「男。作家が……人が、物書きをしたいと思う時は、一体どんな時だと思う?」

男「物書きを……? そんなの、本を出したい時に決まってるじゃないですか。誰かに読んでもらいたいからです」

編集長「まあ、そうだな。それもある。だが……その根本にあるものは、一体何だと思う?」


男「根本に……あるもの?」

男(人が文章を書く時なんて……自分を表現したいだとか、それで食っていくためだとか、そんな時じゃないのか?)

編集長「……分からないか。それなら、答え合わせだ」

編集長「人が物書きをする理由はな……誰かに、自分を認めて欲しいからだよ」

男「誰かに……認めて欲しいから?」

編集長「そうだ。世の中に自分の存在を認知されたい。もっと有名になりたい。自分の文章力を評価してほしい」

男「それが……根底にあるってことですか」


編集長「男もそうだろう。小説を投稿した時、そんな風に思ったことは無かったか?」

男「それは……」

男(小説を書かなくなってから、随分時間が経っている。
 あの時の自分が、一体何を考えていたのか。はっきりと思い出すことはできない)

男(ただ……少なからず、そんな気持ちがあったのだろう)

男(小説を投稿する理由は、作家になりたいから。たったそれだけでいい)


男「でも……だったら、なおさら彼女が断る理由なんて」

編集長「女さんは、他に何か言ってなかったか?」

男「他に……?」

女『この本は、あなたに……男さんに読んでもらうために書いたんです』

男「確かに……言ってました。あの原稿は……」

編集長「なら、それが彼女の本心だ。彼女は、そのために書いたのさ。
 ただ……その対象が、今回は少し狭かった。ただそれだけの事だ」

男(本当に……俺のために?)

男(ただそれだけのために……あの原稿を?)


男(原稿……もう一回読んでみようかな)

男(……主人公が、ある男性と約束を交わす)

男(いつか、必ず二人で海を見に行こう)

男(足の動かない主人公は男性に連れられて、ようやく彼と海へ行ける算段が付いた)

男(だが……急激に薄れていく、主人公の意識)

男(聞こえるのは、もう彼の声だけで……)

男(主人公は車椅子に乗せられ、初めての海へ辿り着くが……既に、全身が動かない。目も見えない。
 あるのは、彼の声と、触れられた肌の感触だけ)


男(そうして……初めての海で、主人公は息絶える)

男(やがて、天国に辿り着いた主人公は)

男(自分を追って天国までやってきた彼と、永遠の愛を誓うのだった……)

男「……ホント、これ以上ないくらいのバッドエンドだ……おもしろいけど」

男(女さんは……これを、俺のためだけに書いたのだろうか)

男「彼女が、俺に伝えたかった事……」


男(まさか……もし自分が死んだら、追いかけてきて欲しいとか?)

男「ハハッ、まさかな」

男(そんなわけ……ないよな?)

男(……なんだか、無性に怖くなってきたんだが)

男「……直接、聞いてみるか」

そろそろ眠気に負けそうなので、ここまで。なるはやで更新します。

>>65 >>66
ありがとうございます。ご期待に沿えるよう頑張らせていただきます。

男(この公園で彼女を待つの、何だか慣れてきたな……)

女「お待たせ……しました」

男「ああ。大丈夫、そんなに待ってないよ」

女「それで……お話っていうのは?」

男「うん。ちょっと……この間の作品のことで、聞きたいことがあって」

女「……!」

男(うわ……明らかに動揺してる)

男「その……俺に読んでもらうためって、結局どういう意味なのかな……って」

女「……本当に、分かりませんか?」

男「ああ、ごめん。俺には……」

女「あの……あの小説はっ……私の……」

男「……?」

男(女さん……いつになく必死だ)

女「私のっ……想いの全てです」

男「想い……女さんの?」


女「はい……分かって、いただけましたか?」

男「……えっと」

男(想いって……どういう事だよ)

女「で……ですから……////」

男(顔なんか真っ赤にしちゃって……真剣なのは伝わるんだけど)

男「えっと……つまり……」

女「っ……はい……」

男(よく思い出せ……あの小説の内容を)

男(主人公は、何を求めていたのか)

男「つまり……君は」

男「君は……海に行きたいのかい?」

女「…………はい?」

男「いやー、それなら早く言ってくれれば良かったのに。取材ならいつだって付き合うよ」

女「あの……どうして、そういう結論になるんです?」

男「え? 違うの?」

女「……ハア。男さん……失礼ですが、経験はお持ちですか?」

男「経験って……なんの?」

女「察しが悪すぎます。恋愛経験ですよ、恋愛!」

男(おおう……顔が近い! いい匂い!)

男「えっと……その……」

女「なんなんですか、はっきりしてください!」

男「……くそっ、無いよ。不本意だけど……彼女いない歴が、そのまま年齢だ」

女「……でしょうね。そうだと思いましたよ……はあ」

男(何か、メッチャ呆れられてるぞ。俺、何かしたか? 全く身に覚えがないんだが)

男「その……何か気に障るようなことしちゃったかな?」

女「別に、何もされてません。ほんっとうに、言葉通り何もされてません」

男(……なんでそんなに不機嫌?)

女「男さん」

男「はっ、はい何でしょう」

女「さっきの言葉、本当ですか?」

男「えっと……さっきの?」

女「しゅ・ざ・い!」

男「あ……ああ、海の話? 本当だよ、どこにだって連れていくさ。君の手伝いができるのなら」

女「……言質、取りました」

男(ヤバい……何だか、メッチャ嫌な予感が……)

女「私を、旅行に連れて行ってください」

男「……へ? 旅行?」

女「はい。旅行です」

男「旅行って……ああ、日帰りでってことね」

女「……何言ってるんですか? 泊まりに決まってるじゃないですか」

男(ちょっと待ってちょっと待って女さん)

男「泊まりって、ま、まさか……俺と!?」

女「たった今、そう言ったじゃないですか。ちなみに、断るのは許しません。さっき言いましたよね、取材ならいつでも付き合ってくれると」

男「う……うん。言った、よ」

男(女さん、いつになく強気だ。ホント、今日はどうしちゃったんだろう)

女「なら決まりです。取材ということで、海に旅行に行きましょう。それを新しい原稿のネタにします」

男「えっと……ほ、本当に俺とでいいの? もっと、違う誰かの方が……」

女「また信用を失いたいんですか?」

男「はいっ! 今すぐ予約させていただきます!」

男(くっそ……こんなんで担当外されたら立場がねえ。付き合うしかないのか……)

男(まあ……嫌では、ないけれど)

短くて申し訳ないがここまで。次回は旅行から帰るところまで書きたいと思ってます。

男(……遂にこの日がやってきてしまった)

女「お待たせしました、男さん。いつもすみません、待たせてしまって」

男(なんか、やたら荷物多いな……女の旅行ってこんな感じなわけ?)

男「いやいや、約束の時間には全然遅れてないよ。それじゃ、行こうか」

女「え……あ、はい」

男「……どうしたの? この間の強気な君はどこに行っちゃったわけ?」

女「だって……本当に連れて行ってくれるなんて、思ってなかったので」

男(何だよ……連れて行かないルートもあったのかよ)

男「いや、もう飛行機もホテルも取ってるし」

女「……! ありがとう……ございます」

男(ったく……可愛い顔してんな、ホント)

男「……それじゃ、行こうか」

男(さて……機内に乗り込んだんだけど)

女「フンフーン♪」

男(声量は小さいけど、真隣だから……さっきから気になって仕方がない)

男「やけに上機嫌だね。鼻歌なんか歌っちゃって」

女「あ、そう見えます? だって、海なんて私、初めてなんですよ」

女「しかも、南の島だなんて! 興奮しない方がおかしいです!」

男「そっか、じゃあ俺もおかしくないね」

女「……え?」

男「俺も、ちょっと楽しみなんだ。南の島なんて、修学旅行でも行ったことが無かったから」

女「……それなら、私とお揃いですね。私は、当時は丁度入院と重なってしまって、行けなかったんです」

男「うわ……それは残念だったね」

女「その分、楽しんじゃいますから!」

男「……そっか」

男(楽しめれば……いいんだけど。多分、女さんは泳ぐのも無理だろうし)

男(海を見て終わりとか、そんな悲しいことにならなければいいんだけど)

男(……何か、時間が経つのが妙に早い気がする。実家に帰る新幹線だと、3時間ですらクソみたいに疲れるのに)

男(気圧だって下がってるのに、妙に目が冴えて……眠れない)

女「……」ポテッ

男(うおっ!)

男(女さんの頭が……俺の肩に……!)

男「お……女さーん?」

男(……眠ってらっしゃる)

男(あーもう……仕方ないな)

女「スー……スー……」

男(何だか、こうして眠ってると……普通の女の子みたいだ)

男(いや、そりゃあ普通の女の子なんだけど)

男(あと1年後には……なんて、全然思えないくらい生き生きとしてて)

男(きめ細やかな肌や、艶やかな黒髪、長いまつ毛……潤った桜色の唇)

男(……ちょっと、信じられないな)

女「……男……さん」

男「っ!」

男(寝言か……あざといんだよ、全く)

男(うっかり……好きになるところだった)

女「男さん……」

男「ん? 何かな?」

女「あの起こし方は……ちょっと有り得ないです」

男「人に寄りかかって寝る方が悪い」

男(空港に到着して、俺からも少し呼びかけたけど……いつまで経っても女さんは起きなかったものだから)

男(彼女の頬を引っ張って、無理やり起こしてやった)

女「……ちょっと酷くないですか? 普通に起こせないんですか?」ムッスー

男(そしたら、この通り不機嫌になってしまったけど)

男「悪かったって、機嫌直してよ……ほら、見てみな」

女「えー……あ」

男(やっぱり、凄いよな)

男(言葉を失う時って、多分……こういうのを見た時なんだろう)

女「これが……海」

男「俺も、こんなに綺麗な海は初めて見た」

男(もうゴールデンウィークもとっくに過ぎたってのに、たくさんの人が泳いでる)

男(それだけ、人気のある観光地ってことか)

女「……いいなあ」

男「泳ぎたい?」

女「頷いたら、泳がせてくれるんですか?」

男「……無理、だね」

男(女さんにとっては、こんな光景も……蛇の生殺しでしかないんだよな)

男「ごめんね……全然、そこまで考えて……」

女「……ホテル」

男「え?」

女「どこにあるんですか、ホテル。早く荷物下ろしたいです」

男「あ……ああ、そうだね。この近くにあるんだ。海がとても綺麗に見渡せる場所だよ」

女「そうなんですか!? 楽しみです……えへへ」

男(良かった……元気が戻ったみたいだ)

女「すごーい!」

男「うわー……絶景だね」

男(窓から入る風が気持ちいい)

男「写真とは、全然違うな」

男(流石に、高いだけある)

男(俺がいつも泊まるような相場と、3倍は違うからね……)

女「ホント凄い……今日は、男さんにビックリさせられっぱなしですね」

男「さっきから凄い凄いって……いつもの表現力はどこに置いてきたんだよ?」

女「えー、だって違くないですか? 文章力があれば話すこともできるだなんて、編集者らしからぬ単純思考ですよ?」

男「そういうもんなのか……」

女「もー、しっかりしてくださいよ、男さん」

男(風が……女さんの髪がたなびいて……まるで映画のワンシーンみたいな)

男(いや……そんなのよりも、ずっと美しい)

女「……男さん? どうしたんですか、ボーッとして」

男「えっ……いや、何でもないよ、うん」

男(だから、あざといんだって……)

男(手すりに上半身を預けて、顔傾げてこっち見つめてくるなんて)

男(俺じゃなかったら、今絶対ヤバかったぞ)

女「変な人ですねー。まあ……予約した部屋を見た時から、おかしいって思ってましたけど」

男「え……何かおかしいかな?」

女「普通……こういう時って、2部屋取りません?」

男「あ…………ああっ!」

男(やっちまった……!)

男(旅行なんて、大学の友人と行って以来だから……そこまで頭が回らなかった!)

男「ごっ……ゴメン! でっ……でも、ほら、ベッド2つだし!」

女「そういう問題ですか?」

男「い、今からでも変えられるかなあ!? きっと、頼み込めば変更してもらえるんじゃ……」

女「男さん」

男「ひっ、ひゃいっ!」

男(やべ! 変な声でた!)

女「……構いませんよ、私」

男「……え?」

女「どうせこんな大きいホテルだと、当日変更は難しいでしょうし……それに」

男(そ、そんな見つめんなよ……今、恥ずかしさで顔真っ赤になってんだからさ……)

女「……きっと、男さんは何もしないじゃないですか」

男「え……と……」

男「否定は……できない」

女「フフ……だと思いました」

男(……なんで、そんな顔すんだよ)

男(そんな寂しそうな顔……君には似合わないよ)

男「……あの、さ」

女「はい?」

男「……海、見に行こうよ。泳がなくたって、きっと楽しいよ。……ほら、海だけじゃなくて、この近くにも色々店とかあるし!」

女「……そう……ですね。はい……行きたいです!」

男(良かった……いつもの笑顔だ)

女「……男さん」

男「ん? どうしたの?」

女「……私……男さんの、そういう……ところが……」

男(女さん……顔が)

男(耳まで、真っ赤に染まってる)

男「女……さん?」

女「っ……なんでも、ないです。ほらっ、早く行きましょう! 私、お腹空いちゃいました」

男「う、うん……それじゃ、行こうか」

男(何だったんだろう……まあ、気にしなくていいか)

続きは夜書きます

女「男さん! このタコライス、すっごく美味しいです!」

男「うん、俺も驚いた」

女「なんでも地元の方々に、キンタコの愛称で親しまれている店らしいです!」

男「へえー、キンタコねえ」

女「お持ち帰りもできるらしいです! 男さん、お願いしますね!」

男「え、まって。まだ食べるの?」

女「だって美味しいんですもん。食べなくちゃ勿体ないです!」

男「そうかー勿体ないか―、それなら仕方ないね」

女「男さんっ、ここのステーキ、美味しいらしいです!」

男「まってまって、さっき食べたばっかじゃん。それに、このパックのタコライス……」

女「是非入りましょう! 是非!」

男(そんなに目を輝かされたら……)

男「……仕方ないなあ」

男(断れないじゃん……)

女「ふー、美味しかったですねえ」

男「……うん、そうだね」

男(もう……大分苦しいんだけど)

女「あっ! ここ、この間テレビで特集されてた天ぷら屋さんですよ!」

男「え……へ、へえー、そうなんだ……」

男(まさか……いや、まさかな)

女「流石に……入れないですね」

男「はは、そうだよねー。流石にお腹いっぱ……」

女「こんなに食べてばかりだと、男さんのお財布が心配です」

男「よっしゃ上等だあ! 食えるもんなら食ってみろよ!」

女「え! いいんですか! それなら、喜んで!」

男「うっぷ、もう……食えね……」

女「男さん男さん、持ち帰りのタコライス食べましょう!」

男(マジで、ブラックホールみたいな食べっぷりだな……)

女「ふー……綺麗ですね」

男「……うん。まさか、こんなに綺麗な海を見ながらご飯を食べられるなんて。夢みたいだよ」

男(今食べてるのは、女さんだけだけど)

女「……もう皆さん、いなくなっちゃいましたね」

男「あー、だってもう7時だし。まだちょっと明るいけど、みんなご飯食べに行ってるんじゃないかな?」

女「そう……ですよね。なら……」

男「女……さん?」

男「な……なにしてるの?」

女「何って……決まってるじゃないですか」

男「ちょ……! こんな所で脱ぐなよ!」

女「え、だって、誰もいませんよ」

男「俺俺! 俺がいるから!」

女「大丈夫ですよ、だって……」

男(ああ! 最後の一枚が……)

男「……あれ? 女さん、それ……」

女「はい! この日のために選んだ、とっておきの水着です!」

男「水着って……」

女「どうです? 似合ってますか、男さん」

男「あっ……急に走っちゃ身体に悪いって!」

女「大丈夫ですようー! だって、薬飲んでますから!」

男「いや、でも……」

女「本当に大丈夫ですよ、だって……」

男「ちょ……女さん! それ以上は……」

女「キャッ……男さん、服……濡れちゃいますよ?」

男「もう……濡れちゃったよ」

男(靴の中に、海水が入り込んで……膝下までビッチョビチョだ)

女「だって男さん、水着じゃないのに……」

男「流石に、泳ぐのはマズいって。俺だって、ちゃんと調べたんだから」

女「……どうやって?」

男「それは……インターネットとか」

女「……フフ。男さんらしいですね」

女「でも、大丈夫です。自分の身体の事は、自分がよくわかってますから」

男「いや……だって」

女「泳げますよ」

男「……女……さん?」

女「……泳げますよ? ちゃんと……健康な人と、同じように」

男(女さん、腕が……微かに、震えてる)

男「……女さん」

女「……はい」

男「……帰ろう、ホテルに」

女「フンフーン♪」

男(シャワーの……水の音が……)

男(別に、やましい事してるわけでもないのに……)

女『男さんが先に入ってください! 服が濡れて、ビショビショなんですから。風邪引いちゃいますよ?』

男(そう言われて、先にシャワー浴びたけど)

男(なんか……待機してるみたいで)

男「……アホかっ、何もねえよ」

男(だって、この旅行は……ただの取材なんだから、さ)

女「ふー、気持ちよかったー」

男「そう? ただのシャワーじゃん」

女「シャワーのお湯も、何だか高級感に溢れてますよね!」

男「そ、そう?」

男(意味が分からん。お湯が高級ってどーいう事なんだよ)

女「……なんか、男さん。浴衣カッコいいですね」

男「えっ……そ、そうかな」

男(そんなこと言ったら、女さんの方がよっぽど……)

男(風呂上がりのシャンプーの匂いとか、濡れた黒髪とか)

男(浴衣のせいで……強調された、身体のラインとか)

女「……なんですか、そんなにジロジロ見て」

男「え!? いや……その……ごめん、そんなつもりじゃ」

女「……もう。やっぱり、男さんは男さんですね」

男「……何言ってんの?」

男(女さん、背中向けて……ドライヤーかな?)

男(……冷蔵庫?)

女「これ、さっき買ってきたんですよ」

男「それ……ワインじゃん」

女「男さんがシャワー浴びてる間に、下のコンビニで買ってきちゃいました」

男(そんな……舌なんか出して)

男「もう20歳なんでしょ? 悪いことじゃないよ」

女「そうはいっても、中々慣れなくて。一人じゃ買ったことも無かったんですよ」

男「お酒は強いの?」

女「んー、そうでもないのかな。大学の友達と飲みに行ったときは、そんなに酔わなかったです」

男「へー、あんまり飲まないんだ?」

女「あ、いえ。ジョッキ三杯と、ワイン二杯くらい、友達と。あ、あと温かいのも、おちょこで飲んだかも」

男(メッチャ飲んでるやん……)

男「ふ、ふーん……とりあえず、開けようか」

男(あれ……)

男「女さん……これ、いくら?」

男(これ……コンビニに置いてるなんて。やっぱり高級ホテルは違うな)

女「……秘密です」

男「お金渡すよ。流石に悪いから」

女「いえいえ、いいんですよ。飛行機代も、ホテル代も、食事だって、お世話になりっぱなしですから」

男「それはそれでしょ。学生と社会人なんだからさ」

女「元、ですけどね。もう、律儀だなあー」

男(あれ、女さん……既に酔ってらっしゃる?)

男(そういえば、さっき若干それっぽい匂いがしたような)

女「もー、男さんは細かい事を気にし過ぎなんですよー」

男(なんか、身振りもいつもより大げさだし……)

男「女さん……いつの間に……」

女「男さんもジャンジャン飲んでください! 折角私が買ってきたんですから!」

男「ちょ……!」

男(近い近いデカい近い近い何かいい匂い!)

男「……もう、仕方ないな」


男(あー、なんか、いい気分になってきた)

女「男さん」

男「……ん? なに?」

女「男さんはー……ホントはゲイなんですか?」

男「は!?」

男(いきなり何言い出すんだこの子は!)

男「そんなわけないだろ!」

女「だってー、私を見ても、全然そんな風に見てくれないし」

男「そんな風にって……君ね」

女「男さん、私より、編集長? と話してる時の方が楽しそうですよ」

男「そ、そんなわけっ……」

女「じゃあー……」

男(な……胸、当たってるって)

男「女さん……腕にっ……」

女「じゃあ、男さんはー」

男(ええい耳元で囁くなあっ!)

男「女……さん!」

女「男さんは……私と話してて、楽しいですか?」

男「そりゃ……あ、楽しい……よ」

女「どんな風に?」

男「どんなって……君みたいな可愛い子と話せたら、嬉しいよ、男としても」

女「だって……この間、男さん……年上がタイプって言ってたじゃないですか。あれはどーいうことなんですか?」

男「いや……だから、そんなの関係なく、君は可愛くて……魅力的だってことだよ」

男(何言ってんだ俺……こんな歯の浮くようなセリフ、素面じゃ絶対言わないだろうに……)

女「……本当、ですか?」

男「俺が嘘つくような男に見える?」

女「……半分くらい?」

男「凄い微妙だね、それ」

女「……フフッ、そっかあ」

男「ちょっ……女さん!?」

男(抱き着いてきたああああああ!)

男(腕が……背中に……!)

男(胸に……顔を押し付けんなって!)

男「女さん! 流石に、これは……」

男「……?」

女「……スー……スー……」

男「……えぇ」

男(……マジかよ)

男(女さん……軽かったな)

男(こんな小さな身体のどこに、あの量の食べ物が入るんだろう)

男(……あ、女さんのバッグ)

男(ホント、どうしてこんなに大きなバッグが必要なんだか)

男(ちょっと中身、見てみるか?)

男(……いやいやいや、いくら何でもそれはマズいだろ)

男(……)チラッ

女「……スー……スー」

男(……少しだけなら、いいよな)

男(……えーっと、着替えと……化粧品か? あとは……ん?)

男(なんだ、この紙袋……やたら大きいな)

男(中身は……え、これ)

男(……見間違いじゃない。これは……)

女「……スー……スー」

女『お父さんは、私の事なんてどうだっていいんですよ。もうすぐ……いなくなるんですから』

男(……酔いなんて、吹き飛んだ)

男(どこかで……夢なんじゃないかって、思ってたんだ)

男(それか、女さんの悪い冗談なんだって)

男(だって、そう思ってしまうくらい、女さんは元気に見えたから)

男(もしくは、病院の診療ミスとか……ちょっと大げさに言ってるだけで、実はたいしたことありませんでした、とか)

男(心のどこかで期待してたんだ、俺)

男(何を今更……こんなに、動揺してんだよ)

男(あの後……結局一睡もできなかった)

男(……果てしなく眠い)

女「……どうしたんですか、男さん。眠れなかったんですか?」

男「ああ、ちょっとね。そういう女さんは、すごく元気だね。昨日はよく眠れたかい?」

女「はい! なんだか、すっごく安心して眠れたような感じです!」

女「正直、昨日はどうやってベッドに入ったのか、記憶に無いんですけど」

女「男さん、何か覚えてます?」

男「いや……全く」

男(嘘だけど。ホントはメッチャ覚えてるけど)

男(お姫さまだっこで女さんをベッドに寝かせたってことは……言わないでおこう)

女「そっかー、仕方ないですね。仕方ない!今日はとことん遊びましょう!」

男「いや、後はもう帰るだけだよ」

女「ええ! どうしてですか!?」

男「だって、あんまり遅くなると、ほら……お父さんが心配するでしょ?」

女「……」

男(やっべ、失言だったか?)

男「……お土産、どっかで買って帰ろうか」

女「え、お土産ですか? ……いいですね! 何買っていこうかな!」

男(なんとか……誤魔化せたかな)

女「やっぱり、沖縄っていったらちんすこうですよねー!」

女「あっ、サーターアンダギーも捨てがたい!」

女「うーん、迷っちゃうなあ!」

男「あはは……好きなだけ買いなよ。お金は心配しないで」

女「えっ、いいんですか!? じゃあ……お言葉に甘えて!」

男「抱えすぎて落とすなよー」

男(もう……はしゃいでるなあ)

男(考えてみると、彼女にとっては今更薬なんて、大したことじゃないのだろう)

男(薬を一目見ただけで、こんなに動揺してしまうなんて……なんて情けないんだろう)

男(自分自身、こんなに弱いとは思わなかった)

男(それに比べて……女さんは、強いな)

男(不条理な運命を背負って、それでもなお、あんなに輝かしい笑顔を浮かべられるんだから)

女「否定しないんですね? 言いましたね?」

女「じゃあ……もし私が作ったら、食べてくれますか?」

男「そりゃあ……まあ……作ってくれるなら、食べるけど」

女「やった! 嘘は駄目ですからね? 男に二言は?」

男「……無いよ。なんだその確認の取り方」

女「フッフッフ……期待してくれてもいいんですよ? 私、これでも料理は好きなんです!」

男(ここで得意って言わないあたり、妙に謙虚なんだよなあ。……酒さえ入ってなければ、ね)

女「……男さーん」

男「……うん……起きてるよ、まだ……」

男(ヤバい……滅茶苦茶眠い)

男(行きの飛行機ではあんなに眠れなかったのに……寝不足だからかな。帰りの飛行機は、全部寝て過ごしそうな勢いだ)

男(せっかく女さんが起きてるのに……俺だけ寝ちゃったら申し訳ないし)

女「男さん……目が半開きですけど。ホントに起きてます?」

男「ああ……起きて……る」

女「フフッ……可愛いなあ」

男「男は……可愛いって言われても……嬉しくないよ……」

女「……男さん……もし」

男「うん……なに?」

女「……もし、昨日のホテルでの出来事を……私が全部覚えてるって言ったら……どうします?」

男(……覚えて? ホテル……何か、あったっけ?)

男(ああ……眠い。ごめん、女さん。もう、起きてられなさそうだよ)

女「……あらら、寝ちゃった」

女「…………ばか」


男「ふあーあ……よく寝た」

女「ホント、ぐっすりでしたね。私が起こさなかったら、危ない所でしたよ」

男「いやいや、流石にスタッフさんが起こしてくれるでしょ」

女「もう、そこは素直にありがとうって言ったらどうなんです?」

男「そうだね……うん、ありがとう」

女「いーえ、どーいたしまして!」

男(ホント……眩しいくらいの笑顔だ)

女「……じゃあ、ここでお別れですね」

男「え、いいの? まだ公園だよ?」

女「いいんですよ。まだこんなに明るいですし」

男「……そっか。それじゃあ、また」

女「男さん」

男「……ん? なんだい?」

女「あの……ありがとうございました。本当に、楽しかったです」

男「えっ……何だよ、改まって」

女「今回は……いいえ、今回だけじゃない」

女「私、男さんと出会ってから……楽しくて仕方が無いんです」

男「……俺と出会ってからって……担当についてからってこと?」

女「はい。……私、それまで、何をしても楽しくなかったんです」

女「お父さんといても、友達といても、テレビを見ていても、何をしても」

女「心の底から、楽しいって思える瞬間なんて……多分、一度だってなかった」

女「それなのに……あなたと出会ってから、私の人生は変わったんです」

女「あなたと話していると……あなたと一緒に歩いていると……色んなものが、輝いて見えた。美しく見えた」

女「初めてなんです……こんな気持ち」

男「……女……さん」

女「私……知ってるんです。この感情が、どういうものなのか」

女「こんな……みんなと違って、生まれつきのハンデを背負っている私は、きっと人生を楽しむ資格なんか無いんだって、そう思ってました」

女「でも、そんな私が変われたのは、全部……あなたのおかげなんです」

男「……そっか、良かったよ」

女「男さん……」

男(その時の、女さんの顔は……多分、俺は一生忘れられないんだと思う)

女「男さん……大好きです。あなたの事が、この世で、一番……好きです」

ここで一旦区切りますが、まだ続きます。気長にお待ちくださると幸いです。

申し訳ないです、>>147>>148の間に入れ忘れました。↓に上げておきます。

女「男さん男さん! これ、タコライスの素ですって!」

男「……ごめん、流石にそれはもう要らない」

女「えー、つれないなあ」

男「逆に聞くけど、昨日の今日で、どうして、また食べようと思えるの?」

男「君の辞書には、飽きるっていう単語はないわけ?」

女「えー! 飽きちゃったんですか!? あんなにおいしかったのに!」

男「いや……それは否定しないけど」

男「す……好きって……」

女「男さん」

男「はっ……はい」

女「返事は……まだ要らないです。きっと、男さんにも色々と考えるところがあるでしょうから……」

男「えっと……その……」

女「ですから……単純に、今の気持ちを伝えたかった。ただそれだけなんです……迷惑でしたか?」

男「めっ……迷惑だなんて……とんでもないよ」

女「本当ですか……よかったあ」

男(女さん……今まで、見た事の無い表情だ)

男(顔は少し赤らんでるけど……落ち着いてるっていうか、今の気持ちを味わっている途中というか)

女「……それでは、今日はこれで失礼します」

男「うん……気を付けてね」

女「もう、気を付けるも何も、家はすぐそこですよう」

男「……!」ドキッ

男(だめだ……彼女の一言一行に、心が……揺れる)

男「ま……またね、女さん」

女「はい……また、明日」

男「はあー……」

男(結局、何も言わないまま帰ってきてしまった)

男「俺……告白されたのか?」

男(まさか……モテ期なんて、生涯一度も来なかった俺だけど)

男(女さんは、本当に俺を好きになってくれたんだろうか)

男(俺みたいな……冴えない男を?)

男(何かの夢じゃないのか……)

男(嬉しい半分……困惑もあって、素直に喜べないや)

男(……会いたい、な)

男(って、さっき別れたばかりなのに、気持ち悪すぎだろ)

男(そういえば、また明日って言ってたか?)

男(もしかして、また編集部に来てくれるんだろうか)

男(……早く、明日にならないかな)


女「男さん、よろしくお願いしますね!」

男「君……いくら何でも、早すぎない?」

男(結局、今日も編集部まで来てくれたけど)

男「まさか……一日足らずで、一冊分書いちゃったわけ?」

女「いえ、構想は大体練ってありました」

女「昨日全て書いたのは……その、できるだけ早く……あの時の気持ちを文字に書きおこしたかったので」

男(つまり……一日で書いたんじゃねーかよ)

男(ありえねえ……ホント、とんでもない逸材だ)

男「えっと……それじゃあ、読んでもいいかな?」

女「はい! 喜んで!」

男(あれ? 今日は恥ずかしがらないな)

男(前みたいに、俺たちをモデルにした物語じゃないってこと?)

男(……! これ……)

男(引き込まれる……!)

男(一文一文に、思いが込められてて)

男(読み進める度に、主人公に気持ちが入り込む!)

男「すごい……な」

男(全身の毛が逆立つような感覚)

男(二番煎じで溢れているなかで……ここまでの作品を書いてくるなんて)

男「……女さん」

女「はい……何でしょう」

男「これ、主人公が男だけど」

女「……はい」

男「……女性が書いたとはまるで思えない。ミステリーとしては、かなりの出来だよ」

女「ほっ……本当ですか!?」

男(読み進めた感じ、前回のようなバッドエンドのフラグはどこにも立っていない。きっと最高の結末を迎えるんだろう)

女「良かった……本当に良かったです。実は、ミステリーを書いたのは初めてで……ちょっと不安でした」

男(ジャンルに限った処女作か……それでも、十分だよ)

男「ああ、きっと、今回も通るさ。それで……」

女「……ええ、勿論です」

女「今回は……出版するために書きました!」

男「ああ……ああ! 絶対通して見せるさ!」

女「私達、二人の夢ですからね! お願いしますよ、男さん!」

男(二人の……そうだった)

男(ホント……今更ながら、改めて考えると恥ずかしいな)

女「フフッ……えへへ。私達の……夢、かあ……」

男「おいおい……まだ決まったわけじゃないんだからさ」

女「はっ、はい……そうでした。浮かれるのはまだ早かったです!」

男「うん、よろしい。それじゃあ、今日もくつろいで……」

女「いえ、今日はここで帰らせていただきます」

男「え……何か、用事でもあるの?」

女「あ、いえいえ、そういうわけじゃないんですけど……まだ、書き足りないんです」

男「もしかして、まだ書きたいネタがあるってこと?」

女「はい! そういう事です!」

男(そっか……女さん、すっかり作家病にかかっちゃったんだな)

男「別に、空いてるパソコンとかあるから、それ使ってくれてもいいんだけど」

女「え……でも……えっと、ここだと……ちょっと」

男「ああ、そりゃあそうだよね。慣れない場所より、親しんだ場所の方が落ち着くよね」

女「いえ、違うんです。その……」

男「ん?」

女「ここは……男さんがいるから、ちょっと……集中できないっていうか。ここにいると、男さんにばかり気がいってしまいます」

男「え……そ、そっか。それじゃ……駄目だよね」

男(なんだよこの羞恥プレイ……!)

女「そっ、それでは……失礼します!」

男「あ、うん……気を付けてね」

男(行ってしまった……)


編集長「お前、何編集部でイチャイチャしてるんだ?」

男「もっ……申し訳ありません!」

編集長「ったく……見せつけやがって。うちなんか、最近カミさんとうまくいってねえってのに……」

男「あ……そうなんですか。あの、本当に申し訳ありません」

編集長「……いいよ、駄目とは言ってないさ。それよりも、原稿受け取ったんだろう?」

男「あっ、はい! 素晴らしいです、文句のつけようのない作品でした!」

編集長「そうか……なら、出版は確実だな」

男「はいっ……ありがとうございます」

編集長「こっちの方で確認をとる。決まり次第、男に連絡するよ」

男「はい! どうか、よろしくお願いします!」


男「……は? 今……何と、おっしゃいました?」

男(昨日の時点では、事がうまく運びそうだったのに)

男(何で……何で! こうなっちまうんだよ!)

編集長「だから、おめでとうって言ったんだ。来年の4月に出版が決まったぞ。良かったな」

男「来年って……どうしてそんなに遅いんですか!?」

編集長「男……何を驚いてる? 今に始まった事ではないだろう?」

男「そう……ですけど。どうして! よりにもよって、女さんなんですか!」

編集長「……男。それは、仕方のない事だ。出版枠が、そこまで全て埋まってしまっているからな」

編集長「それに、まさか女さんの作品を、受賞作品と同じ枠で出版するわけにもいかない。こればっかりは契約の問題で……どうしようもないことなんだ」

男「そんな……」

男(そんなことって……あんのかよ)

男(だって、来年の4月って……)

男(その時には……女さんは、もう……)

中途半端で申し訳ないですが、今日はここまでです。
ほとんど即興で、その場のノリで書いてますので、所々チグハグだったり伏線を拾ってなかったりするかもしれません。ご了承ください。

男(女さんに、伝えるべきなんだろうか)

男(出版が、来年の4月になってしまったと)

男(俺達の夢が……叶わないかもしれない、と)

男(……伝えて、どうするんだ?)

男(伝えたところで、ただ悪戯に彼女を悲しませるだけじゃないのか?)

男(だが、隠したところで……いずれ知られてしまうに違いない)

男(いつまでも自分の本が出版されないことを、疑問に感じる日が来るだろうから)

男(わからない……どうするのが正解なのか)

男(俺には……わからない)

男(さて……毎度の事ながら、女さんと公園で待ち合わせしたんだけど)

女「……あっ、男さん!」

男「女さん……ごめん、遅くなった」

男(こっちに、ブンブン手を振ってる)

男(……可愛いな)

男(あの後、散々迷った挙句……女さんに話す事にした)

男(……真実を話すべきか、嘘を吐くべきか)

男(まだ……決めあぐねているのだけれど)

女「もうっ、男さんったら」

女「私、結構待ってたんですよ?」

男「うん、その……ごめんね、色々と立て込んじゃって」

男(ただ、俺が迷っていただけなんだけどね)

女「……ともあれ」

女「初めてですね!」

男「え? 初めてって……何が?」

女「私が、待つ側になった事です!」

男「待つ……ああ、そういうこと」

女「……はい。いつも私が、男さんを待たせてしまっていたので」

女「でも今回は、私が待ってましたよ!」

男(何だよ……その期待の眼差しは)

男(まるで、褒めて褒めてー……って、子犬が尻尾振ってるみたいだ)

男「……ああ、偉い偉い」ナデナデ

女「ふええっ!」

女「なっ……何してるんですか!?」

男「え、何って……ご褒美に頭撫でただけだろ?」

女「だけってなんですか! どうしていきなり……そんなこと……」

男「ごっ、ごめん! 嫌だった?」

男(しまった……流石に軽率すぎた……か?)

女「……男さん、女の子に対して、いつもそんな感じなんですか?」

男「まさか。女性の頭を撫でたのなんて、これが初めてだよ」

男(まあ、前に抱き着かれてるしな……酒入ってたけど)

男(頭なでなでくらい、今更……ねえ?)

女「へ……へえー、そうなんですか……」

女「ふーん……そっか……えへへ」

男「な……なんだよ、気味悪いな」

女「いーえ、何でもないです」

女「……別に、もっと撫でてくれてもいいんですよ?」

男「なっ……」

男(このタイミングで……上目遣いだと!)

男(く……断れるわけねえ)

男「……し、仕方ないなあ」

男「……これでいいかい?」ナデナデ

女「……!」

女「えへへ……ウフフ……////」

男(何だよ……だらしなく破顔させちゃって)

男(ホント……あざといんだっつーの)

女「……もう、いいですよ」

女「これ以上されると……ちょっと、ダメです」

男「え……ああ、分かったよ」

男「えーっと……それで……」

女「ふぅ……では、本題をよろしくお願いします!」

男「あ、ああ……そうだね」

男(本当のことを……話すべきなんだろうか?)

男(それとも……誤魔化すべきなんだろうか?)

男(何も、誤魔化しきれないわけではない)

男(出版が延期になりましたと言えば……その時は、多少は落ち込むだろうけど)

男(今この瞬間だけは……彼女を喜びに浸らせることができるんだ)

男(ただ、考えようによっては、それは残酷な事なのかもしれない)

男(要は、女さんを騙すってことだから)

男(……でも……でもさ)

男(出版されるのは、自分の死後になるかもしれないなんて)

男(そんな事実を突きつけられる方が……よっぽど残酷じゃないか!)

男「女さん……あの……ね」

女「男さん? どうしたんです?」

女「どうして……泣いているんですか?」

男「……え? 泣いてる……俺が?」

男(ああ……どうして)

男(頬を伝った、この一筋の雫の理由は……)

女「男さん……もしかして」

女「私の本の事で……何か、あったんですか?」

男「女さん……俺……俺……」

男「ごめん……ごめんね」

男「君が生きている間に……出版は、難しいかもしれない」

女「……!」

女「そう……でしたか」

男「ごめん……俺、何もできなかった……!」

女「……どうして、男さんが謝るんです?」

男「どうしてって……」

女「男さんは、何も悪いことなんてありません」

女「だって……仕方のない事、なんですよね?」

男「……女さん」

女「……それに」

女「出版は、決まったんですよね?」

男「……うん、決まったよ」

男「来年の、四月に」

女「来年……四月……そうですか」

女「……うん。大丈夫」

女「思ったほど、悲しくありません」

男(女さん……どうして、そんな笑顔を浮かべられるんだよ?)

男(……この笑顔)

男(いつかの、取ってつけたような、仮面の笑顔じゃない)

男(気持ちを押し殺して……それでも、必死に笑おうとしている)

男(俺に……責任を感じさせないために)

男(おい……俺)

男(まだ、あるんじゃないのか?)

男(女さんのために、やれることが……まだ、残ってるんじゃないのか?)

男「……女さん」

女「はい……?」

男「俺……できるだけの事、してみるから」

女「男さん……」

男「だからね……まだ、諦めないで」

女「……はい」

女「ありがとうございます!」

男(ああ……そうだよ)

男(俺は、彼女のこんな笑顔が見たいんだ)

男(まるで、太陽のように俺を照らしてくれる)

男(眩しい……笑顔をさ)

ここまで。夜にまた更新します

編集長「おい、男……何してるんだ?」

男「見ての通りです……」

男「お願いしますっ! どうか……どうか……」

男「女さんの本の出版次期を速めては頂けないでしょうか!?」

編集長「……あのなあ」

編集長「頭上げろ……」

編集長「男が、そう簡単に頭を下げるもんじゃない」

男「だからこそです!」

男「この件だけは……どうか、了承しては頂けないでしょうか!?」

編集長「前にも言っただろう」

編集長「出版は来年の4月。契約の関係で、動かすことはできない」

男「……っ!」

男「編集長っ!」

編集長「……なんだ」

男「彼女は……女さんは……あと1年、持つかどうか分からないんです」

男「そんな彼女に……華を持たせてやりたい」

男「だから……この通りです」

男「お願いします……全責任は俺が負います! だから……」

男「女さんの出版枠を……確保しては頂けないでしょうか」

編集長「……なあ、男」

編集長「お前の言いたいことはよくわかる」

編集長「だがな……お前も、3年も勤めたんだ。知らないわけではないだろう」

編集長「この業界は……売り上げが命なんだ」

編集長「既に枠が決まっている作品は、ほぼ確実に売れると予想される作品だ」

編集長「だが、女さんはどうだ」

編集長「これが……初めての作品だろう」

編集長「面白いのは認める……が」

編集長「何か賞を取ったわけでもない、前作も無い」

編集長「まさか、彼女の身上を表に出すわけにもいかない」

編集長「こればっかりは……どうしようもないんだ」

編集長「一個人の事情で、そう易々と変えていいものじゃない」

男「そんな……」

男(突きつけられた現実は……余りにも残酷だった)

男(……もう外は大分暗くなってるのに……あんまり肌寒くない)

男(ちょっと前は、夜になると、上着を着ないと耐えられなかったのにな)

男(女さんと初めて出会った春の季節が過ぎて……夏が、来ようとしている)

男(この世界は無常で……そして、無情だ)

女「……あっ、いた」

女「探しましたよー、男さん」

男「ああ、女さん。こんばんは」

女「こんばんは。……どうしたんですか? こんな夜更けに呼び出して」

男「うん、ごめんね。身体に悪いかなって思ったんだけど」

男「どうしても、相談したいことがあったんだ」

女「どうしても……相談したいこと……ですか?」

女「それって……その、もしかして……////」

男「そう……君と俺の未来に関わる、重要な話」

女「は……はい」

男「あのさ……」

男「出版社を、変えないか?」

女「はっ、はい! 私は全然…………え?」

女「出版社を……変える?」

男「ああ、そうだ」

男「正直に言って……ウチの会社で出版次期を早めるのは、とても難しいことなんだ」

男「だったら、他の出版社に持って行った方が、早く出版するには一番可能性が高いんだよ」

女「あの……その……」

男「なに、心配することは無いよ。女さんのあの小説は、完成度はかなりのものだ」

女「男……さん?」

男「なんなら、俺もついて行くよ。君だって、本屋さんに並ぶ様子を自分の目で見たいだろう?」

男「だからさ……明日にでも……」

女「待ってください!」

女「え……出版社を変えるって……どういうことですか?」

男「そのままの意味だよ」

男「今のままだと、女さんの本を出版するのは、随分と遠い日になってしまう」

男「だから、もっと早く出版するために出版社を変えてしまうのさ」

男「どう? いい案だと思わない?」

女「そんな……だって、そんなことしたら、男さんが……」

男「え……俺? ……そんなのどうだっていいんだよ」

男「とにかく、今一番大切なのは、女さんの小説をできるだけ早く出版する事だろ?」

男「……あ、もしかして、出版社に持ち込みに行くのは怖いかな?」

男「まあ、一見さんお断りの所も無いわけじゃないけど……大丈夫、俺が直接話をつけて……」

女「男さんっ!」

男「……っ!」

男(なんだ……今の)

男(女さんの声……だったのか?)

男(女さんが、こんな大きな声で叫ぶなんて……初めてじゃないか?)

男「女……さん? どうしたんだよ、そんなに大きな声なんか出して」

男「ここ、公園だし……近所に響いちゃったんじゃ……」

女「男さん……」

女「私……男さんにそんなことがしてほしくて、あんなことを言ったんじゃありません」

男「あんなこと……?」

女「夢……ですよ」

女「初めて出会った時に、約束したじゃないですか」

男「あ……」

男『必ず出版しましょう! 私も、全力でサポートさせていただきます!』

女『……それなら、これは私とあなたの夢ですね』

男『え、俺……じゃない、私もですか?』

女『フフッ、俺でいいですよ、変に気を遣わないでください。……だって、仮に本を出版できた時、あなたが一番喜びそうだから』

男『……分かりました。では、これは俺とあなたの夢です。必ず……必ず、2人で叶えましょう!』

女「二人で、協力し合って、必ず出版しようって……そう言ったじゃないですか」

男「でも……さ」

男「現に……夢が叶わないかもしれないじゃないか!」

女「夢なら、叶いますよ」

男「……え?」

女「私、一言も言ってませんよ?」

女「生きている間に出版したいなんて……一言も言ってません」

男「そんな……そんな!」

男「女さん……見たくないの!?」

男「自分の本が出版される瞬間に……立ち合いたくないって、それ、本気で言ってる……?」

女「……はい。本気ですよ」

男「そんな……なんで……」

女「……今の私には、もっと大切な夢があるんです」

男(もっと……大切な夢?)

女「ええ……とっても、素敵な夢です」

女「それはね、男さん」

女「私は、自分の命が尽きる、最後の瞬間まで……」

女「大切な人と……一緒に過ごしたいんです」

男(待てよ……ちょっと待てよ)

男(自分の書いた本が、本屋に並ぶんだぞ?)

男(人気が出れば、テレビで特集されるかもしれないんだぞ?)

男(死ぬ間際に、それ以上に叶えたい夢なんて……あるわけねえだろ!?)


編集長『男は、小説の応募経験があるんだったな』

編集長『それなら……彼女の感情が、お前に理解できないのも仕方のないことだ』


男(ああ……分かんねえよ)

男(アンタの言ってることも……彼女の言ってることも)


女『この本は、あなたに……男さんに読んでもらうために書いたんです』

男『つまり……あの原稿は、売りに出したくないって……そういうこと?』

女『……はい』


男(何もかも……全部が全部!)

女「私の……死ぬ間際まで一緒にいたい……大切な人というのは……」


男「……わっかんねえよっ!」

女「っ……!」

男(怒号のような……公園中に響くような)

男(頭の中を……胸の中を、グルグル渦巻いている、この感情)

男(嫉妬……憎しみ……諦め……絶望……)

男(色んな感情が、混ざりに混ざり合って)

男(無意識に……口から出てしまう)

男「君の言っていることは、俺にはさっぱり分からない!」

男「俺は……俺はなっ!」

男「夢を諦めて、この仕事やってんだよ!」

女「男……さん?」

男(女さん……肩が震えてる)

男(寒くなんてない……俺が、怖がらせてしまっているんだ)

男(でも……駄目なんだ)

男(奥底から溢れてくる、ドス黒い感情が……止まってくれないんだ)

男「俺はっ……俺はな!」

男「昔から、ガキの頃から、ずっと作家目指してがむしゃらに書きまくってたんだ」

男「部活動も、勉強も、友達付き合いも、何もかも犠牲にして」

男「ただひたすら……大好きな小説をよんで、こんな本が書きたいって、ずっと願って!」

男「ずっとずっと、夢見てたんだよ! いつか、自分の本が出版される夢を! ずっと追いかけてきたんだよ!」


男(こんなことが、言いたかったわけじゃない)


男「家族全員に反対されて! 友達全員に白い目で見られて!」

男「挙句、教師には鼻で笑われて! 現実を見ろだなんて罵られた!」

男「それでも、ただひたすら俺は夢を追っていた! 諦めなければ絶対に叶うって!」


男(こんなの、俺の身勝手でしかない。女さんは関係ない)


男「でも、いつまでたっても俺の夢は叶わない! 最終選考にすら届かない!」

男「一つ残らず……全部、全部! 俺の生きてきた理由を、全て否定されたんだ!」

男「その気持ちが……君にわかるか?」

男「いいよな、君は……才能があって」

男「俺には……これっぽっちも才能なんて無かったんだ!」

男「分かってる……ただがむしゃらに書いていたって、何もいい作品は生まれやしないんだ」

男「でも……悔しいじゃないか!」

男「君みたいな新人が……軽々と俺の作品を超えてしまうんだから!」

男「そんな才能を持った君が……自分の作品に、まるで興味が無いようなそぶりを見せるんだからっ!」

女「…………なさい……」

女「……ごめん……なさい……」

男「はぁ……はぁ……」

女「ごめんなさい……男さん」

男(女さんの瞳が……あっという間に潤んで)

男(涙が……溢れ出すように……)

女「ごめんなさい……」

男「あ……女さん……」

男(走って……行ってしまった)

男(両手で口を抑えて、嗚咽を堪えるかのように)

男(彼女にあんな顔をさせたのは……間違いなく俺だ)

男「……ふっ」

男「……どこまで最低なんだよ、俺は」

男「正真正銘の……ゴミ野郎だな……」


男(……なんだ? 頬に……違和感が……)

男(……水?)

男(いや、違う。瞳から流れる液体を、水とは言わない)


男「なんで……なんでだよ」

男「どうして……俺が泣いてんだよ」

男「俺なんかが、泣いて言いわけ……ねーだろうが……!」

男「……うっ……うぅ……」

男「ちく……しょう……」

今日はここまで
なんだか鬱っぽくなってしまって申し訳ない

男(結局俺は、自分の夢を、女さんに重ねていただけだったんだ)

男(女さんの気持ちを……都合のいいように利用して)

男(期待させて……悲しませた)

男(もう、俺なんか……女さんに会う資格なんて、ない)

俺は、女さんと別れてから、公園のベンチから一歩も動けず、俯いたまま、ただ座っていた。

女さんを一方的に傷つけてしまった、自分への報いだろうか。彼女への償いのつもりだろうか。

自虐的になったところで、女さんを傷つけてしまった事実は何一つ変わらない。

そんなことは分かってる。でも、動く気にはなれなかった。


どれくらいの時間、そうしていただろうか。

ふと、右腕を見る。

時計の秒針は0時を通り過ぎ、無機質に時を刻んでいた。

男「……帰ろう」

誰に言うでもなく、ただそう呟いた。



立ち上がった時初めて、目の前に誰かが経っていることに気が付いた。

男「……女さん?」

言ってから、それはあり得ないと気が付いた。

女さんが、こんな時間に、あんな別れ方をした俺に会いに来るわけがないというのも勿論だが。

何より……その影は、明らかに女さんではなかった。

少し広い肩幅や、俺よりも高い背丈。

女さんの華奢な身体とは、似ても似つかない。

ならばなぜ、俺は彼の事を女さんだと思ったのだろう。

多分……雰囲気が、女さんのそれに似ていたからだ。


「女……というのは、私の娘のことでしょうか?」


男「……は?」

男(こいつは、何を言っている?)

男(娘……と言ったか?)

男(こいつ……誰だ?)


「……やはり、そうでしたか」

「私は、女の……父親です」


男「……ちち……おや?」

父「ええ、初めまして」

父「以前……病院でお会いしましたよね」

男「病院……」

男(わからない……話した記憶もない。見覚えすらない)

父「……ああ、それもそうですよね」

父「娘の病室の前で、すれ違っただけですから」

男「はあ……」

男(この男は、女さんの父親……それは理解した)

男(なら、どうして俺なんかの顔を覚えている?)

男(記憶力がいいだけで、こんな暗い公園でベンチに座っている男を、その人だと判断できるだろうか?)

父「貴方が、娘の小説を担当している編集の方……で、間違いありませんよね」

男「ええ……そうですが」

父「一度、お話してみたいと思っていたのです」

父「こんな時間に立ち話もなんですから……今日は、ウチに泊まっていきませんか?」

男「……いえ、結構です」

男「明日も仕事ですから」


男(嘘ではないけれど……それだけじゃない)

男(今更、女さんと顔を合わせるなんて……できるわけがない)


父「……そうですか」

父「では、少しだけお話させてください」

男「あの……どうして、俺が女さんの編集をしていることを知っているんですか?」

父「娘から聞いています」

父「担当の編集さんに、とてもよくしてもらっていると」

父「この公園で、いつも打ち合わせをしているとも聞きました」

男「ああ……なるほど」

父「……娘は、元気そうですか?」

男「ええ、元気ですよ」


男(昨日までの話だけれど)

父「以前、娘と旅行に行ったそうですね」


男(そんなことまで知ってんのか……!)


男「え……ええ、でも……何も無いですよ? ただの取材でしたから」

父「……どうやら、色々とお世話になっているようですね」

父「娘も、貴方には随分心を開いているらしい」

男「心を……ですか?」

父「ええ。娘は、貴方の事を話す時……いつも楽しそうにしているのです」

父「それに娘は、家族以外と旅行に行くのは、貴方が初めてですから」

男(……マジか)

男「でも、修学旅行とかは? 流石に、一度くらいは……」

父「無いですよ、本当に」

父「娘の人生は、病院での日々が半分を占めています」

男「そんな……」

父「いいのです。今の娘は、本当に楽しそうですから」


男(俺はさっき、女さんに酷い事を……)


父「昔がどうであろうと、今幸せでいるのなら、それで……」


男「申し訳……ありません」

男「俺は彼女に……とんでもない事をしてしまった……!」

今日はここまで


男(俺が話している間、ひょっとしたら殴られるかとも思ったけど)

男(お父さん、何も言わずに聞いてくれた)


父「そう……でしたか」

男「本当に……申し訳ありません」

父「いえ、謝らないでください」

父「編集者としては、確かに貴方は認められない事をしたのかもしれない」

父「ですが……男女としては、よくある事でしょう」

父「私も、同じでしたから」

男「同じ……とは?」

父「私の、妻の話です」

父「妻は、もうこの世にいないのですが」

男「ええ……女さんから聞いています」

父「私も、妻とは喧嘩が絶えなかった」

父「妻の身体が弱いのは、出会ってすぐに知りました」

父「知っていながら、私は彼女と何度も喧嘩をしました」

父「今考えれば、本当に他愛無いものです」


男(喧嘩……俺が女さんにしたことは、喧嘩と言っていいのだろうか)


父「ですから、私は貴方を責めません」

父「……ですが」

男「……?」

父「……今でも私は、後悔しているのです」

父「妻と会えなくなる前に、もっと優しくすることはできなかったのかと」

父「今でも……自分を責め続けている」

男「……そうですか」

男「自分を責める気持ちは、俺もよくわかります」

父「ですから……貴方には、後悔してほしくない」

父「そう……思っています」

男「……なら、女さんと……もっと話してあげてください」

父「娘と……ですか?」

男「女さん、以前言っていました」

男「貴方が、自分の事をどうでもいいと思っているのだと」

父「娘が……そんなことを」

男「それって……余計なお世話かもしれませんけど」

男「貴方が、女さんに対して、不誠実だからではありませんか?」

父「……かも、しれません」

父「いや、実際そうでしょう」

父「私は、妻がいなくなってから、ずっと仕事に明け暮れていた」

父「仕事が忙しかったのは、妻が生きていた時もそうでしたが」

父「今思えば、喧嘩が絶えなかったのも……それが原因かもしれない」

男「女さんは……そんな貴方を見て?」

父「……娘は、妻の生まれ変わりです」

父「妻は、娘を生んですぐに力尽きました」

男「そんな……ことって……」

父「元々、身体が弱かった。出産も、医師に反対されました」

父「それでも妻は……娘を、生みたいと言った」

父「私は、娘に……妻の生まれ変わりに、どう接してやればいいのか……今でも分かりません」


男(普通に、話してあげればいいんですよ……と言いたいけど)

男(俺はこの人に、何を言う資格もない)


父「……私が娘にしてあげられることなど、金に不自由しないよう、ひたすら働くことしかない」

男「だから……こんな時間まで?」

父「ええ……そういう事です」

男「……もっと、彼女の事を見てあげてください」

男「俺は……人のことを言えないかもしれませんが」

男「少なくとも、女さんは……お金なんかよりも、もっと欲しいものがあるはずです」

父「……そうでしょうか」

男「そうですよ、絶対」

父「……今日は、もう帰ります」

父「娘は、とっくに寝ているとは思いますが」

父「眠っている娘の姿を、一目見てやりたい」

男「……ええ、そうしてあげてください」


彼は立ち上がると、俺に軽く頭を下げて公園を去っていった。

書いたから上げた

男「……はぁ」

男(あれから、一週間が過ぎた)

男(女さんから……一度も連絡は来ていない)

男「どうしたもんかな……」


編集長「おい、男」

男「あっ、はい!」

編集長「お前当てに、外部からだ。繋げるぞ」

男「はい、承ります」

男「……はい、SS文庫編集部です」


『……冴内、男さんですか?』


男「はい、冴内ですが」

男(俺の名前をフルネームで? この人、一体誰なんだ?)


『……女の、父です』


男「……お父さん、ですか」

父『貴方に、どうしても伝えなければならないことが……ありまして』

男「ええ、どうぞ。ただその……勤務中ですので」

父「勿論、手短にします」







父『……娘が、再び入院しました』


男「……は?」

男「はっ……はっ……はっ」

男(5階……507……507……)

仕事を早々に切り上げ、急いで病院へ向かい、ようやく女さんの病室に到着した頃には、面会終了まで30分を切っていた。

男「……女さんっ!」


一人用の病室で、女さんは横になっていた。

どうやら今は眠っているらしく、ベッドの上で、静かに横になっている。


傍の丸椅子に腰を掛けているのは、先日公園で顔を合わせた瘦せ型の男。

女さんのお父さんだった。


父「……きて、くださったんですね」

男「はぁ……はぁ……」

男「……一体、何があったんです?」


父「……それよりも、仕事の方は問題ありませんでしたか?」

男「仕事……ですか? ええ、特に問題はありませんが……」

父「突然電話をかけてしまって、ご迷惑でしたでしょうか?」

男(……ああ、そっくりだ)

男(やっぱり……親子なんだなあ)

男「……ええ、特に支障はありませんでしたよ」

父「そうでしたか……本当に、申し訳ございませんでした」


父「貴方には……伝えるべきだと……思いましたので」


男「伝える……というのは、一体……」

父「それは……」

男「……えっと、その……」

男(なんて声をかければいいんだ……)


女「……男さん」


男「うっ……うん」

女「どうぞ……近くの丸椅子に」

男「ああ……失礼するよ」


女「今日は、来てくださって……ありがとうございます」

男「ううん。いいんだ、このくらい何でもないよ」

女「……男さん」

男「うん、なに?」


女「今日は……男さんに、ご報告があります」


男「ほう……こく?」


女「あの……私……私……」


その時、女さんは……笑顔を作った。

幾粒もの涙を流しながら。






女「私……寿命が、半分になりました」

男「なんだって……?」


女「昨日の夜、発作が起きたんです」

女「たまたまお父さんが早く帰っていて……すぐに救急車でここに運ばれました」

女「それで……お医者さんが言ってたんです」

女「予想以上に悪化していて、あと半年もつかどうか分からない……って」


男「……治らないの?」

女「私の心臓は、もうダメみたいで……方法は移植しかないんです」

女「でも、ドナーが見つからない」

女「例え運よく見つかっても……私自身の身体が、手術に耐えられないかもしれないって」


男「そんな……」

男(そんなのって……ありかよ)

男(何の罪もない女の子の命を縮めておいて……まだ足りないっていうのか)

男(そんなの、酷すぎる)


男(いくらなんでも、不条理を背負い過ぎだ)

女「……男さん」

男「……ん? なんだい?」

女「これは……ワガママかも、しれないんですが」



女「私……死にたくないんです……!」



目尻から頬を伝って、涙が溢れ出る。



女「私……私……もっと生きたい!」

女「このまま、消えてしまいたくない」

女「もっと……男さんと、一緒にいたい」

女「あなたと、一緒に過ごしたい」

女「それ以上のことは何もいりません……必要ないんです」

女「あなたと、ごく普通に時を過ごしたい、一緒に生きたい」



女「そう願ってしまうのは……私の欲張りなんでしょうか?」



女「私には……普通の幸せを願う資格なんて、ないのでしょうか?」

男「女さん……!」


俺は、ほとんど無意識に……彼女の身体を抱きしめていた。


女「男……さん?」


男「……俺も同じだよ」

男「君と一緒に、これからを生きたいんだ」

男「死んでほしくなんかない、生きて欲しい」

男「君に生きて欲しい」



男「女さん……好きだよ」


男「好きなんだ……どうしようもなく」


この25年間で、初めて抱いた感情だった。

自分以外の誰かを愛おしく思う時など、自分の人生には訪れないのだと諦めさえしていたのだ。


女「男さん……」

女「私もです……私も、男さんが好き」

女「このまま死んじゃうなんて……絶対嫌です」


彼女の細い腕が、俺の背中に回り、弱々しく抱擁される。

同時に、胸の奥がギュッと締め付けられた。


こんなに愛おしくても。

こんなに必要としても。


彼女は……もうすぐ死んでしまう。

その事実は、変わらない。

今日はここまで
また更新が遅くなるかもしれません

二度目の不注意、大変申し訳ありません
>>223>>224の間に入れ忘れました↓

女「……お父さん」


父「ああ、起こしたか」

女「ううん……大丈夫」

女「あのね、お父さん……お願いがあるの」

父「ああ、なんだい?」


女「……彼と、二人きりで話してもいいかな?」


男「……!」

男「女さん……」

父「……ああ、分かった」

父「じゃあ、今日はこれで帰るよ。また明日来るからね」

女「うん……ありがと、お父さん」

男「……」ペコッ

父「……男さん」

男「はい……?」

彼は、俺の耳元に口を寄せて囁いた。


父「どうか……気を取り乱さずに、冷静に聞いてやってください」


男「……は?」

父「どうか……よろしくお願いします」

言い残し、深々と頭を下げると、そのまま病室を去っていった。

エアコンの駆動音のみが響く病室内で、俺は彼女を、ただ無言で抱き締めた。

彼女もまた、その抱擁に応えるように、俺の背中に腕を回す。

女「……男さん」

男「なに?」


女「そろそろ……時間です」


幸せな面会時間は、終わりを告げようとしていた。


男「そうだね。今日はもう、さよならだ」

女「男さん、あの……お願いが、あるんです」

男「お願い……?」


言うと、女さんは腕をゆっくりと解き、俺の顔を凝視した。


女「男さん。私のこと……好きですか?」

男「ああ、勿論」



男「……好きだ、女さん」



女「ありがとう……私も、大好きです」

瞬間、細い腕に力が籠り、俺の上半身は女さんに引き寄せられた。

いや、女さんの身体が、俺に接近したと表現するのが正しいだろう。



女さんの瞳が、大きく視界に映る。

まるでマシュマロのような、柔らかな感触。

彼女が目を瞑ると、まつげの長さが際立って見えた。

こういう場面では、俺も女さんのように、軽く目を閉じるのが正しいはずだ。

だが俺は……突然の出来事に、ただただ硬直していた。



たった一瞬の出来事だった。



女「……ごめんなさい」

女「嫌……でしたか?」


不安そうに俺の様子を伺う彼女を見て、俺は我に返った。


男「君にはいつも驚かされる」

男「嫌なんかじゃない……嬉しいよ」


返事を聞いて、女さんは表情をめいっぱい輝かせた。


女「では……今度こそ」

男「うん。またね、女さん」

女「はい……また、来てください」


必ず来るよ、と返事を返し、俺は名残惜しくも病室を後にした。


それから、俺と女さんは、毎日のように病室で顔を合わせた。

彼女のお父さんは、仕事が多忙になってしまったためか、週に2回ほどしか病室を訪れなくなってしまったけれど。

俺は、可能な限り毎日、女さんの病室を訪れた。


女「男さん」

男「うん、なに?」

女「今日は……男さんから、お願いします」

男「おっ……俺から?」

女「ダメ……ですか?」


男(そんな顔されたら、断れないじゃないか)


男「ううん、ダメじゃない」



細い身体を抱き寄せ、優しく唇を合わせた。



温かい何かが、胸の奥底からこみ上げてくる感覚。

乾いたスポンジに染み込むかのように、それは俺の心を包み込んだ。


――同時に、気がついたことがあった。



女さんの身体は、日に日に細くなって、弱々しくなっていた。



一見、昨日と比べて、今日の女さんは何も変わっていないように思える。

だが、二日前、三日前……遡っていくごとに、その変化は確実に彼女の身に現れていた。



男「女さん」

女「はい」

男「……大丈夫?」


彼女の表情が、一瞬だけ曇ったように感じた……が、気のせいだっただろうか、いつもの笑顔に戻っていた。


女「はい。身体の具合は、すこぶる好調ですよ」


この時ほど、人の心が読めたならと考えたことは、今までの人生で一度たりともなかった。


男(自分本位で生きてきたツケが、こんな所で回ってくるなんて……)



もしかすると、これからもずっと、彼女は死なないのではないだろうか。

彼女の余命が半分に短くなったなんて、医者の誤診に過ぎないのではないか。

だって、こんなにも明るい笑顔を見せるんだから。

ひょっとしたら、これからもずっと、何十年も生きるであろう人々よりも、彼女の方がずっと生命力に溢れているんじゃないだろうか。


そんな願望が、幾度となく俺の脳内を過ぎるのだ。




だが……願望は、現実ではない。




そうであると、分かっていても。


突き付けられた現実は、俺にとって、余りにも非現実だった。



女「男さん、提案があります」

男「……提案?」





女「一緒に、ここを抜け出しませんか?」



男「……何言ってんの?」

女「私を、どこか遠くへ連れて行ってください」



男「何を……言ってんだよ」

男「そんなことしたら、どうなってもおかしくないよ」


女「いいんです」

女「どうせ、早いか遅いかの違いでしかないんですから」


男「早いか遅いかって……死ぬのが怖いんじゃなかったの?」


女「確かに……死ぬのは怖いですよ」

女「死にたくなんかないですし、あの時男さんに言った言葉は、嘘じゃありません」

女「でも……でもね」




女「男さんと思い出を残せないことの方が……よっぽど怖いんです」



男「……思い出って、今こうしてる時間が、君との思い出そのものじゃないか」


女「確かにそうです。今、こうしてあなたといる時間も、私にとっては大切な思い出です」

女「でも……でもね」


女「この部屋で、最後の瞬間を待つのは、絶対に嫌なんです」


女「最後を待つより、男さんと最高の思い出を作りたい」

女「お願いします……男さん」


男「……そうか。君が、そう言うなら……」




男「一緒に、遠くへ行こう」

今日はここまで

これだけ長い文字数を読んでくださっている方、本当に感謝します
完結まであと僅かです
最後までよろしくお願いします



女「男さん……遠くに行くんでしたよね?」

男「ああ、遠くだよ」


女「ここ、いつかのゲームセンターじゃないですか」


男「そうだよ。懐かしいでしょ」

女「確かに……懐かしいですけど」

女「わざわざ家に帰って着替えさせられたので……もっと、特別な場所に連れて行ってもらえるものだと思ってました」

男「……特別だよ、間違いない」

男「女さん」

女「はい?」


男「これから……二人でデートしよう」


女「デート……デートって、あのデートですか?」

男「うん、多分そう」

女「恋人同士でする……あの?」

男「そうだよ」

女「そうですか……そっか……」

女「恋人……かあ、えへへ……」

男(はにかんだ表情も、すごく可愛いんだよな)

男「折角ゲーセンに来たことだし……何する? やったことないゲームの方がいいかな?」

女「レースゲームがしたいです!」

男「ええ……前に散々やったじゃん」

女「それもそうなんですけど……あのゲーム、好きになっちゃいました」

男「そ、そっか。分かったよ」



女「やったあ! 私の勝ちですね、男さん!」

男「……ねえ、前よりも早くなってない?」

女「以前プレイした記憶を思い出しながら、イメージトレーニングしたんです」

男「イメトレって……あれだけで、コースとか覚えちゃったの?」

女「インターネットの動画とかも見たりしましたけど……」

女「男さんとの思い出を、そう簡単に忘れたりなんかしませんよ」

男「それは……嬉しいね」

男(覚えていてくれたのは嬉しいけど……)

男(前回から俺、1回も女さんに勝ってなくね?)

女「男さん! もう一度やりましょう、もう一度!」

男「あ、うん……ホント、よく飽きないね」


女「それはもちろんですよ。だって、男さんと一緒に過ごすことが、楽しくないはずがないですから」


女さんは、あっけらかんと言い放った。

男「あ……ありがとう」

すると、自分の放った言葉の意味を理解したのか、彼女の顔が林檎のように真っ赤に染まった。

女「いっ……今のはナシです! 聞かなかったことにしてください!」

男「それはダメだよ。今のを忘れてしまうのは、あまりにも勿体ないからね」

女「もう……男さんったら、酷いです」

男(俺の心をこんなにも揺り動かす君の方が、余程酷いよ)


女「男さん」

男「ん? なんだい?」

女「その……デートということで……行きたい所があるんです」

男「いいよ、言ってごらん」

女「渋谷! 歩いてみたいです!」

男「渋谷……か」

男「……うん、分かった。ここからなら、電車ですぐだからね」

女「やったあ! 楽しみです!」



男(やべえ……電車の中、混み過ぎだろ)

女「あのぅ……男さん、ごめんなさい」

男「いや、いいんだ……大丈夫だよ」

男(さっきから押され過ぎて、俺と女さんの身体が密着している)

男(……めっちゃいい匂い)

女「本当にごめんなさい……変な匂いとかしてませんか?」

男「いや、全然そんなことないよ。俺の方こそ、汗臭くないかい?」

女「いえ、全然! 寧ろ……いや、何でもないです」

男「え、うん……」


男(あと少し……あと少しで、この状況から抜け出せる)

女「……」ギュッ

男「っ……!」

男(女さんが……胸元を掴んできた!)

男(なぜだろう……満員電車なんて、いつもなら不快感しか抱かないんだけど)


男(……もっと、こうしていたい)


男(今だけは……そう思ってしまう)


女「フー! 暑かったですね!」

男「そ、そうだね。大分暑かったね」

男(クーラーガンガン効いてたけどね)

女「男さん、まずはショッピングに行きましょう」

男「もう12時過ぎたけど、ご飯は大丈夫?」

女「ええ、平気です。それより、色んなお店がありますねー」

男「そうだね。流石、若者の街だよ」

女「こういう所、私初めてです」

男「実は俺も……何だか、嬉しいね」

それから、俺と女さんは、色んな所を歩いて回った。

いつか南の島に行ったときに、二人でそうしたように。


男「女さん……もう3時になるけど」

女「あ、本当だ。時間が経つのは早いですね」

男(この間は、まるでブラックホールみたいにたくさん食べてたのに……どうしちゃったんだろう)

男「女さん……ひとまず……」




女「……ハァ……ハァ……」



男「……!」


男「女さん、大丈夫!?」

女「はい……大丈夫ですよ」

女「でも、ちょっとだけ……休憩してもいいですか?」

男「ああ、勿論だ」

男「すぐ傍にカフェがある、そこまで歩けるかい?」

女「はい……」



男「女さん……もう、帰ろう」



女「帰るって……どこに?」

男「そんなの決まってる……病院にだよ」


女「……嫌です」


男「どうして?」

女「言ったじゃないですか。あの病院で死ぬのは、絶対に嫌なんです」


男「大丈夫、君は死なない」


女「どうして、そんなことが言えるんですか?」


男「きっとドナーは見つかるよ」


女「……根拠は、あるんですか?」

男「……ない、けど」



女「やっぱり嫌です。病院には、帰りたくありません」


男「きっと今頃、お父さんも心配してる。なんせ、急に病院から君がいなくなったんだから」

女「お父さんは、私の事なんて……」


男「そんなことないよ」


男「最近、君のお父さんは、早く帰ってくることが多かったと思わない?」

女「……」

男「お父さんは、君の事を心配して、早く帰っているんだよ」

男「現に、君が発作を起こした時、傍にお父さんがいてくれただろう?」

女「それは……そうですが……」


男「お父さんに心配をかけない方がいい。……さあ、帰ろう」


女「……ごめんなさい。やっぱり嫌です」


男「どうして?」


女「確かに、貴方の言う通り、運よくドナーが見つかって、手術ができるかもしれません。その結果、私は助かるのかもしれません」




女「……でもそれって、限りなく小さな可能性ですよ?」




女「今、国内に、心臓移植を必要としている人が何人いると思います?」


女「……600人弱です」

女「それだけの人が、私と同じように、心臓移植をしなければ死んでしまうんです」

女「それだけ多くの人達に、公平にドナーが見つかると思いますか?」

女「普通、あり得ません」

女「心臓移植を必要とする患者さんの半分は、1年以内に亡くなってしまうとも言われています」



女「分かるでしょう……私が助かる可能性は、限りなく低いんです」



女「運よく私が助かったとしても、そのせいで、多くの患者さんがドナーが現れないまま亡くなってしまうんです」


男「……それは、君のせいなんかじゃないよ」


女「いいえ。私だけが助かって、それでいいはずがないんです」




女「だから……だからね。私だけが助かるわけにはいかないんですよ、男さん」



男「なんだよ……それ……」


男「ふざけんな……ふざけんなよ!」


女「男……さん?」


男「君には、生きる権利があるはずだ!」

男「命は大事だとか、誰もが等しいとか、そんなのどうだっていい!」

男「俺は、君に生きて欲しいんだよ!」



男「だから……だからさ……頼むよ」

男「帰ろう……女さん」



女「そう……ですね」

女「私……誰かに必要とされて、こんなに嬉しいって思ったのは……」

女「これまでの人生で、あなたが初めてですよ……男さん」



女「でも……ごめんなさい」






女「もう……遅いんです」





それを最後に、女さんは意識を失った。







まるで、スローモーションのような世界の中で。

女さんの身体が、ゆっくりと椅子から滑り落ちていく。



女さんの口元が、僅かに動いたような……そんな気がして。




さ よ う な ら




彼女の口元が、そんな風に……動いたように見えた。

今日はここまで


突然倒れた女さんを前に、俺は身動き一つとることが出来なかった。



やがて、周囲にいた客や店員が騒ぎ始め、その内の誰かが電話をかけて。

数分後、けたたましいサイレンと共に、救急隊が駆けつけた。



水色の服にヘルメットを身に着けた彼らが、俺に向かって何かを聞いていることは認識できた。

だが、俺はただ茫然として、何一つ受け答えすることが出来なかった。



救急車に同乗し、彼女の手を握った事は覚えている。

その時の、彼女の手の冷たさも。



「彼女を病院から連れ出したのは、貴方ですか」

「なぜ止めなかったのですか」

「挙句、渋谷で倒れたって……つまり、ここから渋谷まで行ったんですよね」

「貴方の神経が全く信じられませんよ」

白衣を纏った医者らしき人物や、ナース帽を被った女性に次々と罵られ……どうやら俺は、病院を出禁にされたらしい。




――生ぬるい。


もっと、俺に罰を与えてくれ。


もっと、もっと……俺の命が尽きるまで。






そうすれば……きっとあの世で彼女に会えるから。


「男さん」


病院の中庭のベンチに1人座っていた俺に、誰かが話しかけてきた。

この声の主は、一体誰だっただろう。


「男さん……こんな所にいたのですね」


彼女に、雰囲気がそっくりな男。


男「……どうも」

父「どうしてまた、こんな所に?」

男「……出禁になったからです」

父「そう……ですか」

男「……申し訳ありません」

父「何がですか?」


これから俺は、彼に罵倒されるのだ。

殴られるかもしれない。

それだけの事を、したのだから。


男「入院中の女さんを、外へ連れ出してしまい……大変申し訳ありませんでした」


父「……何のことです?」


まさか、知らないのか?


男「女さんを、病院から連れ出したのは俺なんです」

男「安静にしていなければならなかった彼女を、無理やり外へ連れ出して、死期を早めてしまった」


父「そうではなくて。何のことかと聞いたのは、貴方が一体何に謝るのかということですよ」


男「……は?」


父「あの子の事だ……どうせ、貴方にワガママを言ったに違いない」

父「あの子が望んだことです。どうして貴方を責められますか」


男「……あ……あぁ……」




男(どうして俺は、こんなにも愚かなんだろう)

男(あれだけの事をしておいて……まだ俺は、人の優しさが嬉しいと思ってしまっている)




父「男さん……涙を拭いてください」

そう言って、彼は俺にハンカチを差し出した。


男(我ながら、なんて情けない。なんて惨めなんだろう)


――ふと、思った。

何でもいい。

何だっていい。


彼女を……助けてくれ。


それが、どんなに不条理であろうと、理屈に通ってなかろうと。

悪魔に身を捧げるようなものでも、構わない。


誰か……誰か。

女さんを……助けてくれ。


父「男さん……娘も、最後に貴方のような人と出会えて、さぞかし幸せだった事でしょう」


やめろ……勝手に彼女を殺すんじゃない。

まだ女さんは、死んでないんだから。


父「これで……娘もきっと、安心して……」




男「うるせえんだよ!」


父「……!」

男「ハァ……ハァ……」

男「……まだ、彼女は死んでない……そうでしょう?」

男「諦めるのは、まだ早いんじゃありませんか?」





父「……どうやら、貴方は少し、勘違いをしているようだ」

父「私は断じて、娘の命を諦めてなどいないのです」



父「貴方には、まだ言っていませんでしたね」



そういうと、彼は一枚の小さな紙を取り出した。

どうやらそれは、彼の名刺らしい。



男「……東欧大学医学部、教授?」



男「これ……どういう……」

父「どうも何も、そこにある通りです」

父「私は長年、医学について研究をしておりました」



父「嫁を失ってからというもの……二度と同じことを繰り返すまいと、研究に明け暮れました」

父「私はね、娘まで奪われるわけにはいかんのですよ」




父「学者である前に……一人の父として、ね」


男「まさか……女さんは……」


父「正直に言って、分かりません」

父「私は、娘の担当医ではありませんので、何とも言えませんが……」



父「学者として、娘が助かる確率は……4割あればいいところかと考えております」




男「……助かる?」

男「だって女さんは……移植手術が必要だと……」




父「あの子の症状は、移植せずとも助かるのです」




父「……と、ここ最近の研究で明らかになりましてね」


男「本当……ですか? ……彼女は助かるんですか!?」



父「わからない……としか」



男「そんな……アンタ学者なんだろ! どうにかできないのかよ!?」



父「……そうですよ」

父「私は、あの子の父親です」


父「必ず、助かる……そう言いたいですよ」


父「でもね。こればかりは、どうしようもない」




父「ただ……全てを尽くしてきたという、自負はあります」



父「あとは、天命を待つばかりですよ」


男「……助かる、かもしれないんですね」



男(この絶望的な状況で、たった一つ見えた、一筋の光だ)

男(こんな状況で……俺は何一つ、力を添えることもできないなんて)



父「言い忘れていました」

父「以前、娘から預かったものがあります」


男「……え?」

父「娘に、もしもの事があれば、貴方に渡して欲しいと……」


差し出されたものは、クリップで止められた原稿用紙の束だった。


男「これ……は?」

父「小説……でしょうね。あの子が書いたものです」

父「貴方だけに読んでもらいたいと言っていました。ですから私は、目を通してはいません」


父「どうか……読んでやってください」


男「……ええ、勿論です」

今日はここまで
来週完結の予定です


彼女の父親が去り、病院の中庭には、俺一人だけが残された。


男(女さんの小説か……)

男(出版が決まってもまだ、彼女は書き続けていたんだな)


1ページ、2ページ……読み進めていくたびに、この作品のジャンルが明らかとなる。


男(純恋愛……なのか?)


見方を変えれば、日常系ともいえる、ありふれた物語だ。


男(これを、俺だけに読んで欲しいって?)


彼女が俺に向けて書いたこの小説が、果たして何を意味するのか。

何を、俺に伝えようとしているのか。


少し考えれば、それはすぐに理解できた。




この作品に描かれた物語は、彼女が望んだ世界そのものなのだ。


生まれた時から心臓病を抱え、

人生の半分を病室の中で過ごし、

誰かと思い出らしい何かを共有できたことが、これまでに一度たりとも無かった。


そんな彼女が描いた、理想の世界。


俺は、2時間も3時間も座り込んで、作品に没頭していた。


主人公の女子高校生が、クラスメイトの男子高校生と恋に落ちる。

二人は恋人となり、お互いを愛し合う。


ただ、それだけの物語だ。

変わった出来事は、何一つとして起こらない。


二人の恋愛事情がこじれる事も無く、

互いの家族がいざこざを起こすことも無く、


極々普通に、二人は共に時を過ごすのだ。


現実にもありふれているような、平凡な日常。


誰もが望まずとも手に入れ、それに飽きて手放したいとさえ思う、ただの日常。




けれどその日常は、彼女が望んでも、決して手に入らなかったもの。


彼女が幾度となく望もうとも、この世界が彼女に情けをかけることは、一度だって無かったのだ。


――気付けば俺は、涙を流していた。


きっと、作者が彼女であると知らなければ、

彼女の身の上を知らなければ、


決して流す事のない、涙。




男「ごめん……ごめんね」


――俺が、彼女の日常を奪ったのだ。


手術で助かる確率は、よくて4割だと、彼は言っていた。

その確率は、本来であれば、もっと高かったはずなのに。


ドナーが現れるのを、あの病室で辛抱強く待ってさえいれば。

もしかしたら、今よりずっと安全に手術に移ることができていたかもしれないのに。


俺が、彼女を連れまわしたせいで。


もしも彼女が助からなければ、その命を奪ったのは、紛れもない……俺なんだ。


男(……何だ? 最後のページは……あとがき?)




いや、あとがきではない。


それは……彼女が俺に残した、正真正銘、彼女自身の言葉だった。




『男さんへ』

『もしもあなたがこのメッセージを読んでいるとすれば、私は既に死んでいるか、もうじきこの世を去るのでしょう』

『あなたは、きっと悲しんでいるのだと思います』

『だって、あの時病室で聞いたあなたの言葉は、本物だと思うから』



『でもね、男さん』

『私は、不思議と悲しくはないんです』



『もちろん、あの時あなたに言った、生きたいという言葉は本心です』

『できることなら、もっとあなたと生きたかった』



『残念だけど、それは夢でしかありませんでした』



『あなたと生きることが、私の夢でした』

『そんな私の夢は、とうとう叶わなかった』



『けれどその夢は、私の願いの、ほんの一つに過ぎません』

『私は男さんに、たくさんの夢を叶えてもらいました』

『初めて病室で出会った時から、本当に、たくさんの夢を』



『あの時のあなたにとって、きっと私は、数多くの作家の一人に過ぎなかったのでしょう』

『だからきっと、あなたは覚えていないかもしれませんが』

『私にとってのあなたは、家族以外に私に優しさをくれた、唯一の人なんです』

『だって私は、この身体のせいで、いつも学校に馴染めなくて、友人と言える人は一人もいなかったから』

『担任の先生の優しさは、義務感からそうしているんだって、すぐにわかりました』

『ほら、私ってこんなだから、いつも他人の顔色とか伺っちゃうんです』

『その程度の親切心は、偽物だって分かっちゃうんですよ』



『でも、あなたは違った』



『もしかすると、あなたはただ、必死だっただけなのかもしれません』

『そんなあなたの必死さが、私にはたまらなく嬉しかったんです』


『気が付けば私は、貴方に恋をしていました』

『ええ、そうです。会って間もない、4月のうちに』

『尻軽女だって思いましたか? でも、本当なんです』



『あなたは、私の初恋の人でした』



『いつか、あなたと旅行に行けた時は、まるで天国にいるかのような気分でした』



『だからね、男さん』

『私はもう、満足です』

『あなたから、充分にたくさんのものを与えてもらいました』



『唯一の心残りは、私からあなたに、何も返せなかったこと』



『与えてもらうばかりで、ごめんなさい』

『あなたと過ごした日々は、今までの悲しい人生なんて、全部忘れられるくらいに最高の、夢のひと時でした』



『最高の時間を、ありがとう』



『さようなら、男さん』








男「あ……あぁ……!」


男「ひぐっ……うぅ……!」


クシャリ、と手元で音がした。

俺は無意識に、その紙を強く握って潰してしまっていたのだ。

けれど、俺は手を離すどころか、ますます強く力を篭めた。

クシャクシャに丸まってしまうだとか、そんな些細なことはどうでも良かった。


感情が渦を巻いて、飛び出していく。


崩壊する、何もかも。


俺を形作っていた全てが。

俺を支えていた、何かが。




決壊が破れたかのように、涙が溢れて、止まらなかった。


手術、当日。

俺はこの日、仕事を休んだ。


俺は受付に着くと、何度も何度も頭を下げた。

受付の女性はあきれ果てたように溜息を吐き、担当医まで受付へやってきて、結果俺は、手術中の時間のみ入る事が許された。


男「女さん……女さん!」


移動式ベッドに乗せられた小さな身体が、病室から手術室まで運ばれていく。

昨日意識を失ってから、彼女は一度も目を覚ましていない。


移動中、何度も何度も呼びかける。


俺の声は、彼女に届いているのだろうか。

俺には、確かめようもない。


やがて、無機質な扉の前に辿り着いた。


「……手を、握ってあげてください」


手術用のマスクと帽子を身に着けた医師らしき男が、俺の顔を見据えて言った。


男「は……はい!」


細い腕に手を伸ばし、すっかり冷たくなってしまった手の平に、自らの体温を送るように力強く握る。


男「大丈夫、俺がずっと傍にいるから」

男「だから……君も、頑張って」




微かに、指先に力が籠ったのを感じた。


手術は、予定では4時間で終わるはずだった。


彼女が扉の向こうへ姿を消した時、時計の秒針は10時を回っていた。




そして今……午後の4時を過ぎたところだ。




まさか、彼女の身に何かがあったのか?


手術が、失敗したのか?




まさか、まさか……死――




いや、それはありえない。

予定時刻より2時間も過ぎていることに、それでは説明がつかないから。



それでも……何かが起きたのは、確実だった。


時計の短針が6の数字を通り過ぎ、ようやく手術室の扉が開いた。

予定の二倍もの時間がかかった手術で、何も起きなかったわけがない。


男「あの……彼女は、無事ですか?」




「……手術は成功しました」

「ですが……手術中、彼女の心肺が何度も停止しましてね」




男「そんな……嘘だろ……?」


「何とか一命は取り留めましたが……」

「大脳の広範囲に損傷が確認されました」


男「損傷……って、どういうことですか?」

男「彼女は、助かったんですよね?」






「つまり、今の女さんは……植物状態ということです」

次回の更新が最後となります


手術から、1週間が過ぎた。


あれから俺は、毎日この病室を訪れている。


出禁の件は、うやむやになってしまった。

ありがたいことだ。


そのおかげで、今も俺は……こうして彼女に会うことができているのだから。


「俺ね、思うんだ」

「君の命が助かっただけでも、十分だって」


返事は、帰ってこない。


「だって、本当は助からなかったかもしれないじゃないか」

「どれだけ待ったって、ドナーが見つからなかった可能性だってあり得たんだ」

「それなら、早い段階で手術した方が、よっぽど良かったんじゃないかってさ」

「……なんてね。終わってからこんなこと言ったって、仕方ないよね」

「君ならきっと、もっと楽しいことを話そうって、笑うんだろうなあ」

「ひょっとしたら、この声が実は君に聞こえてて、今にも笑いたくて仕方がない……なんてこともあるのかな」


「……ねえ、何とか言ってくれよ」

「君には、言いたいことがたくさんあるんだ」

「病院の外に連れ出して、発作を起こさせてしまった事、ちゃんと君に謝りたい」

「後は、病気が治ったらどこに行こうかとか」

「そうそう、君はお父さんの誕生日を、ちゃんと祝った事がないそうじゃないか」

「そろそろ、お父さんの誕生日だろう?」

「今年こそはさ、ちゃんと祝ってあげなよ」


「……なあ、聞いてるのかよ」

「頼むよ……目を覚ましてくれ」


「君がいないと、謝れないよ」

「君がいないと、お礼も言えないよ」

「君がいないと、予定なんて一つも組めないよ」


「君がいないと……好きって、言えないだろ」


夢を見た。

女さんと俺は、もう一度南の島へ旅行に来ている。


俺の隣で無邪気に笑う彼女は、一輪の花のように華憐で、美しい。

やがて彼女は、身に纏っていた全ての服を脱ぎ捨て、水着姿となった。


裸足で駆けていくその姿を、俺はただ見つめていた。

根拠もなく、彼女は泳げるものだと思い込んでいたのだ。


腰まで浸かるまで進むと、彼女は全身の力を抜き、浮力に委ねる。


――ふと気が付くと、彼女は、水面から姿を消していた。


まさか……まさか……溺れているのか?


叫ぶ、叫ぶ、叫ぶ。


彼女の名を、叫んでいる……つもりが、全く声がでない。


出そうとしているのに、喉に力を入れているのに、口を動かしているのに。

まるで、何かが詰まっているかのように、声が出ない。


待ってくれ……行かないでくれ。


俺が悪かった。


戻って来てくれ。


戻ってくれたら、俺の全ては君に捧げよう。


だから……置いて行かないでくれ。


――男さん。


頭の中で、名前を呼ぶ声がして。

俺は、目を覚ました。


顔を上げると、そこは女さんの病室だった。

脈拍を示す機械的な音が、病室内に連続して響いている。


「なあ、女さん……あれから、もう1年が経ったんだよ」

「もう春だよ。俺と君が初めて出会った、桜の季節だ」

「今日は二つ、報告があるんだ」


「一つは……君の書いた小説が、遂に出版されたんだよ」

「初週売り上げが、1万部を超えたんだ」

「これ、すごいことなんだよ」

「どうやら、口コミで君の本の面白さが広まったらしいんだ」

「でも、慢心しちゃだめだよ? 君はまだ、作家への道を一歩踏み出したに過ぎないんだからね」


「あと、もう一つ」

「これは、俺個人の話なんだけどね」


「もう一度、作家になる夢を追いかけてみようと思うんだ」


「なんでかな、理由は分からないんだけどね」

「君に、負けてられないなって思ったんだよ」

「だからさ……君の背中を追いかけるような形になってしまうけど」

「もう一度、頑張ってみるよ」


そう言って、俺は、彼女の小さな手のひらを握った。

1年にも渡る入院生活で、すっかり痩せてしまったけれど。

その美しさは、未だ健在だ。


「ねえ、女さん」

「もしも君が、目覚めたらなんだけど」

「一つ、お願いがあるんだ」





「俺と、結婚してくれないかな」


「……なんて、ね。バカみたいだ、俺」

「意識のない君に言っても、届くはずないのにね」



その時だった。


一瞬……ほんの一瞬のことだ。


指先が、微かに動いた気がしたのだ。



「……女さん?」



「……ぅ……ぃ……ち……ど」



長いまつ毛が、揺れ始める。



「……もぅ……ぃ……ちど……」



ゆっくりと……その瞼が、開いた。





「もう一度……言ってくれますか?」



「あ……あぁ……」




全く……一体俺は、君に何度泣かされるんだろう。


でも今度の涙は、今までのとは少し違うんだ。



この時初めて、俺は嬉しさから涙を流したんだよ。



「ああ……言うよ、何度でも」


「俺と……結婚してくれ」


彼女の目尻から流れた、一筋の雫。

それは、たった一つの事実を示していた。


彼女は、遂に……日常へ帰ってくることができたのだと。



「……はい」

これにて完結となります
wordで大雑把に文字数を調べたところ、46000字となりました……文庫かよと
まあ、文庫ならば普通、文字数はこの2倍はありますが

これだけの文字数を読んでくださった方、本当に感謝です
お付き合いいただき、ありがとうございます


↓次スレもよろしくお願いします(酉は異なりますが同一人物です)

死んだはずの妻と出会った話
死んだはずの妻と出会った話 - SSまとめ速報
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このSSまとめへのコメント

1 :  SS好きの774さん   2017年09月14日 (木) 16:33:30   ID: 66ThJkfd

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