モバP「藍子と新婚生活」 (47)


 朝起きると、妻の顔が目の前にあった。
 結婚して数ヶ月。触れるか触れないかの距離で寝ていることはけっこうあったりする。
 もう驚くことはないけれど、不意にこの距離で顔を見ると少しドキッとしてしまう。

「ん~……すぅ……」

 出会った頃からずいぶん大人っぽくなったが、優しく柔らかい雰囲気は今も変わらない。
 性格はずっと変わらないまま。むしろ一緒に居ると以前より色々な表情を見る。
 まあつまり、なにが言いたいかというと……うちの妻は、世界一かわいい。


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 朝は弱い方ではないけれど、休日はゆっくり寝ている。
 時間があるときにはのんびり過ごすのが好きらしい。

「……………………zzz」

 とはいえ、もう九時半だ。あまり寝すぎても逆に疲れてしまうし、そろそろ起きないと。

「藍子、起きろ」

 軽く肩を揺すると、藍子が目を開けた。ただし、まだ眠そうな目をしている。
 目が覚めるのは早いが、頭が働くようになるまでいつも少し時間がかかる。

「……んぅ? おはようございまふ……?」

 体を起こしたはいいものの、ぼんやりとしたままふらふらと揺れている。
 このまま待っていてもいいが、ずっとこのまま寝転がってしまいそうだ。
 ベッドから出て、カーテンを開けることにする。

「…………まぶしい」

 顔をそむけて腕で覆って、陽の光から逃れようとする。
 朝日が部屋に差し込んでいるから無駄な抵抗なのだが。


「おやすみなさい」

 そうこうしているうちに、モゾモゾと布団を被ってしまった。

「なあ……もう目、覚めてるよな?」

「……そんなこと、あんまりないですよ?」

 敬語が出てきたら完全に起きている。
 寝ぼけているときには使い分けが曖昧だ。

「いいから起きろって」

「あと五分です」

 布団を剥がそうとするが、しがみついて抵抗される。
 意識がはっきりしている分、とても手強い。

「はいはい、抵抗する方が悪いんだからな」

「ちょっとそれだけはやめ――きゃっ」

 軽く脇をくすぐると、ほんの少し我慢した後布団を離した。
 その隙に一気に剥ぎ取る。

「これだけは離しませんっ」

「だから無駄だって」

 脚で挟んで死守しようとするが、それだけなら引っ張ってやれば取れる。
 というか、もうそこまで来たら守る意味が無いと思うんだが。


「せっかく気持ちよく寝てたのに……」

「下手したらいつまでたってもあのままだっただろうが」

 掛け布団を取った後も不満そうにしている。
 ここからでも、いつの間にか二度寝をしていることもあるから油断できない。

「春はゆっくり寝ていたいって乙女心をそろそろわかってくださいよ」

「飯はしっかり食わないと。ほらベッドから出る」

「はーい」

 春と秋はこうなっているが、冬は立場が逆になる。
 冬の朝は外が寒いし布団の中が快適なものだが、春や秋の方がいいらしい。

「よいしょっと。ん~、はいっ。起きましたっ」

「よし。それじゃ、朝食つくるから手伝ってくれ」

「はい。こっちはやっておきますから、先につくっててくださいね」


……

…………

……………………


「今日もおいしくできました」

「元々そこまで凝る必要もないんだけどなぁ」

「食べることも楽しみの一つなんですから」

 今日はトーストと目玉焼き、ベーコン、レタスとトマトのサラダだ。
 簡単につくったと言えばそうだが、元々トースト一枚で済ませてしまう俺からしたら十分豪華だ。
 藍子までそんな手抜きに巻き込むこともないから、普段はこのくらいはつくっている。

「今日は午前から外出て夕方まで適当にぶらぶらする予定だったけど、それでいいよな?」

「はい。準備もそこまでかからないでしょうし……十一時前には家を出れますね」

 ちょうど昼食をどこか探して食べて、午後は散歩できるくらいか。

「片付けは俺がやっとくから、先に出かける準備しておいてくれ」

「ありがとうございますっ。なるべく急ぎますね」

「慌てなくていいからな。忘れ物だけないように」

「もう。そんなにドジじゃないですから」

 藍子は準備自体にはあまり時間がかからないほうだとは思う。
 けれど、たまにあってもなくても困らない程度の忘れ物をすることがある。
 今日はただ散歩するだけだから大丈夫……だと思う。


……

…………

……………………


 出かける準備ができた。だいたい予定の時間通りだ。

「戸締りと電気とガスの元栓は大丈夫ですか?」

「大丈夫。ちゃんと閉めたよ」

「あとは鍵をかけて……はい、これでよしっ」

「じゃあ行こうか」

 ドアの前から、二人並んで歩き出す。
 仕事が絡まなければ都内は公共交通機関で移動したほうが便利だから、出かけるときは基本徒歩だ。
 これが遠くまで行くことになると車を使わないといけない。今でも自分の車は一台持っている。

「まずは昼食だな。どこか行きたいところあるか?」

「つけ麺で」

 即答だった。

「醤油がいいです」

 どうやらもう決めていたらしい。

「そこまで言うってことは、いつものところか?」

「そうです。最近行けていませんでしたからね」

 マイブームが来るとよくその店に行く。そうでなくとも、普段からお気に入りの店に行くことが多い。
 もう十年も趣味の散歩をしているとお気に入りの店もかなりの数になる。
 昔から新規開拓はゆっくりだったが、最近は特にその傾向が強い。


「今日は天気がよくってあったかいですね」

「今くらいがちょうどいいな。これから暑くなると思うと気が滅入る」

 最寄り駅までは徒歩で移動する。遠くもないが、特別近くもない。
 これで職場はすぐ近くだから、いいところに住んでいると思う。

「夏は暑いものですよ」

「陽射しに体力が奪われる。太陽が煩わしい」

「日傘でも差せばいいじゃないですか」

「似合わないだろあれって。黒や銀はなんか暑そうだし」

 どうにも勝手なイメージがあって手を出しづらい。それに、いいデザインのものも見つからない。
 毎年だらだらしているうちに夏が過ぎて行き結局買ったことはない。

「ほっとくと結局買わないですよね……また夏が近くなったら一緒に選びましょう。男物もいろいろなデザインがありますから」

「ありがとう。覚えとくから、その時はよろしくな」

 また出かける理由ができたのはいいことか。
 藍子との約束なら忘れないだろう。

「これで夏もどんどんお出かけできますね」

「夏は夜暑くて寝られないからやっぱり嫌いだ」

「冷房ちゃんとつけますからっ。子供ですかもう……」

 ずいぶん冷たい目で見られた。いい意味で遠慮がなくなったというか。
 もうこんな視線を送られるのも慣れてしまった。最近ではむしろそこに――

「また変なこと考えてませんか?」

「いいや、まったく?」

「いつからこうなってしまったんだろう……」


 少し歩くと駅に着いた。ここから目的の駅までは六駅。
 そう言えば、あのあたりには……

「あそこって近くに公園や商店街あったよな?」

「はい。お散歩とおやつも完璧ですっ」

「もうその後の予定まで考えてたか」

「今日はあのあたりでゆっくりしたかったので」

「当然行く店も?」

「決まってますけど……大丈夫ですか?」

「それでいいよ。いつものとこなら当たりだし」

 新しい発見はないけれど、どこも落ち着いてゆっくり過ごせるから気に入っている。
 さて、もう改札だ。

「パスは持って来たか?」

「さすがに忘れてませんよ。ちゃんと持ってきてます」

「よし、それじゃあ行くか」

「ってああっ、ちょっと待ってくださいっ。私まだ取り出してませんってばっ」

 慌ててバッグの中を漁りながら追いかけてくる。
 相変わらず、藍子はしっかりしているくせにどうでもいいところは抜けている。


……

…………

……………………


 つけ麺屋に到着した。ここも駅からは近い方だ。
 店内は少し空きがあり、待つことなく座ることができた。

「いらっしゃいませーっ! ご注文はお決まりでしょうか?」

「ええと、もう大丈夫ですか?」

「ああ、決めてるよ」

 何度も行ったことがある所はだいたい注文するものが決まっている。

「じゃあ、私はチャーシューつけ麺醤油の特盛で」

「醤油つけ麺大盛でお願いします」

「醤油チャーシュー特盛一丁醤油大盛一丁! 少々お待ちください!」

 注文は詰まってないようだし、熱盛にはしなかったし。
 これならそう待たなくても食べられそうだ。

「………………………………」

 問題は、横目で睨んでくる藍子だけ。

「うぅ……これじゃ私が食いしん坊みたいじゃないですか……」

「俺が朝しっかり食べたら昼はそんなに食えないの知ってるだろ」

 藍子は見かけによらずかなり食べる方だ。
 量が少ないと食べた直後に次の食べ物を物欲しそうに見ていたりする。

「それでも、男の人の隣で私だけ特盛っていうのは恥ずかしいですよ……あなたもいつもは同じの食べてるじゃないですか」

「おいおい、その日の調子もあるだろうが」

「それはそうですけど……うぅ~」


「まあ量までいちいち見てる人もいないって」

「気になるものは仕方ないんですっ」

「とにかく気にすんな。それに、余ったら食べてやるから」

「……あげませんよ?」

「あ、はい」

 もう視線が湯切りをされている麺に向かっている。
 表面上は平静を装っているが、目を見ればかなり輝いているからわかりやすい。

「お待たせしました!」

 そうこうしているうちに、二人分のつけ麺が運ばれてきた。

「はい、どうぞ」

 藍子が箸を渡してくる。
 待ちきれないといった雰囲気が隠しきれていない。
 どことなく犬っぽいなと思う。

「それじゃあ、いただきます」

「いただきますっ」

 言うや否や、勢いよく食べ始める。けっこう食べるのも早いから遅れないようにしないと。

「ん~おいしい」

 一口食べて、本当に幸せそうな表情を見せる。
 家でつくったときにもこんな顔で食べてくれるから幸せだ。

「ずっと見て、どうしたんですか?」

「なんでもない。この後はどうする?」

「公園でゆっくりしましょうか。少し歩けばいい腹ごなしになりそうです」

「どうせこの後喫茶店でケーキを食べるんだろ?」

「いいじゃないですか。おいしいから大丈夫ですよ?」

「いや別にいいんだけど。あと、便利だからって何にでもそれを使わない」

 それでも三時間もしたら食べられるようになるだろう。散歩をしていればすぐに過ぎそうだ。
 あの名言は十年前に出て以来、今でも様々な場面で使われている。
 あまりにも言った人と内容が合いすぎていたからだろう。

「……食べてるときに次の食べ物の話をするもんじゃないな」

 満腹になるのが早くなる気がする。

「それもそうですね。今はつけ麺を食べてますし」

「微妙に違うんだが……まあいいや。もう半分くらい食べたかな」

「ちょっとだし入れて味を変えましょうか」

「終わったらこっちにもくれよ」

「はい、ちょっと待っててくださいね」

完結はGW終わり辺りになるかと。
10年後合同誌やゆるふわタイムEXTREME!!に多大な影響を受けていますので、暇だったら一度読んでみてください。


……

…………

……………………


「ふみゅぅ…………」

 あれから一時間。まだ藍子はぐっすり眠っている。
 午後三時を回り、雲が出てきて少し肌寒い。
 このままだと身体に悪いだろうし、そろそろ起こしたほうがいいか。

「藍子ー?」

「……」

 とりあえず呼びかけてみたが反応が無い。
 軽く揺すってみるか。

「藍子ー、そろそろ起きなー」

「…………んん? もう時間ですか?」

 しっかり起きたようだ。昼寝に限れば目が覚めるのは早い。

「今何時ですか?」

「三時過ぎだよ。そろそろ次行くか?」

「挨拶もしておきたいですし、そろそろ行きましょうか」

 藍子はそう言って立ち上がった。俺も立って横に並ぶ。

「ほら、公園の出口まではいつも通りですよ?」

 いつも通りに俺の右側へ。
 帰りは少しゆっくりと歩いた。


……

…………

……………………


 時刻は午後七時を回った。家に帰って一息ついた後、夕飯の支度をしている。
 とはいえ、今日は藍子がつくってくれるから俺のすることはあまりない。
 せいぜいダイニングでサラダをつくるくらいだ。
 マカロニサラダにマヨネーズを入れて混ぜている。
 うん、もう少し入れておくか……

「あーっ! またつまみ食いしてますね!」

「これはつまみ食いじゃないっての。味見だ味見」

 藍子に見つかってしまった。減るものでもないのに。

「減りますっ」

「藍子の分は残してるじゃないか」

「そういう問題じゃ……あと、入れすぎです。もうマヨネーズは入れなくていいですからね?」

「オーケー」

 それもバレたらしい。容器を逆さまにしたまま止まる。

「わかったらそれをテーブルの上に戻してください」

「はい」

 蓋を閉め、テーブルの上に置いた。

「こっちに持ってきましょうね?」

「はーい」

 後々足りなくなるかもしれないんだけどなぁ。

「いいから、そこに置いておいてください。ほら、大根卸したりすることはあるじゃないですか」

「もうすぐ出来上がりだよな。ちゃんとやっとくよ」

 大根とおろし金を受け取ってダイニングに戻った。
 無言でひたすら大根を摩り下ろす。
 少しくらい燃料補給をしても……

「駄目ですよ?」

 何事もなかったかのように手を引っ込める。
 まったく、勘が鋭いことだ。


……

…………

……………………


「お風呂はどうしますか?」

 夕食後、あとは洗い物をするだけだ。

「藍子が先に入ってくれ。その間に台所片づけとくから」

「んー、それじゃあお願いします」

 それじゃあ、早めに終わらせてしまおう。

「覗かないでくださいね?」

「今更何を言ってるんだか」

「あはは……そうですよね」


「上がりましたよ。次どうぞ」

「おう。こっちも片付いたぞ」

 少し薄手の長袖の服を着ている。
 最近は日中は暖かいが、夜はまだ冷えることもある。
 今日は家の中でも少し肌寒いから、体調には気をつけてほしいところだ。
 さて、俺も入ってくるか。

「覗くなよ?」

「もう、何言ってるんですかっ」


 風呂上がりはどうにも暑くなる。
 冷めるまで十分程度、たいていはリビングのソファでボーっとしている。
 この後は特にすることもないから、だらだらして寝るだけだ。

「ガブッ」

「いつっ」

 突然、首筋に痛みが走った。

「むー」

「あの、そろそろやめてくれないか?」

 藍子に後ろから噛みつかれていた。
 我慢できないほど痛くはないんだが、ずっと噛まれるのも……

「今日のお昼の分の仕返しです。やられっぱなしは納得いきませんし」

「いや、だからってこれはないだろ。なんかくすぐったいって」

 小さく首を齧られると痛みよりもくすぐったさが大きい。
 ソファの背もたれ越しに後ろから寄りかかられて、逃げることもできないし。

「藍子、なんか疲れてるか?」

「そういうわけじゃないと思うんですけど。お風呂入ったらだるくなっちゃって……」

 なんとなく、体に力が入っていない。
 今日はもう寝てしまってもいいかな。

「よし、じゃあ運ぶぞー」

「わわっ、いきなりはびっくりしますって!」

 くるりと逆を向いて、藍子を持ち上げた。
 お姫様だっこも十メートルくらいなら軽くできる……はずだ。

「重くないですか……?」

「人ひとりは結構大変だけど、まぁ藍子だし」

「なんですか、それ」

 ちょっと呆れたように、嬉しそうに笑う。
 それが見たくてやってるところがあるんだけどな。


「じゃあ、おやすみ」

「あ、はい」

 危なげなくベッドまで運ぶことができた。
 手元のリモコンで部屋の明かりを消す。
 少し早いけれど、目を瞑っていたらそのうち寝れるだろう。

「…………って、本当に寝るんですか」

「ん?」

「いや、えっと、あの……そろそろ、家族が増えても、いい頃なんじゃないかなぁ……とか、なんて……」

 背中に顔を埋めて、小さな声で言う。
 ああもう、本当に。

「あっ、そんなに強く抱きしめられると苦しいですって……別にいいですけど」

 うちの妻は、世界一かわいい。

以上です。お付き合いいただきありがとうございました。
10年後合同誌が羨ましくて書きました。mentさんのは一度読んでみてください。
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とつながっています。
恋愛方面はやったので、今後藍子はアイドル活動を書いていこうかと思います。

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