藍子「九度目のバレンタイン」 (42)
私が大学を卒業して、アイドルを引退してから、もうすぐ二年が経つ。
この喫茶店で働き始めてからは、二年半。
アイドルを引退してから次にやりたいことが見つかるまでの間のお仕事として始めたけれど、このお仕事は私に合っていたみたいだ。
今ではウェイトレスだけではなく、料理やお菓子作りの勉強もしてお店に出したりもしている。
「こんにちはー!」
「いらっしゃいませっ、未央ちゃん」
この喫茶店のちょっと変わったところといえば、よくCGプロのみんながお客さんとしてやってくることだ。
私が働き始めてからは何度も訪れる人もいる。
「ご注文が決まりましたら、お呼びください」
「もう決まってるよ。チーズケーキひとつとオレンジジュースひとつと、あとはあーちゃんひとつ!」
「チーズケーキがおひとつとオレンジジュースがおひとつですね。私は……おばさん?」
「未央ちゃんもちょっと久しぶりだからね。藍子ちゃんも休憩してきなさい」
「ありがとうございますっ。少々お待ちください、未央ちゃん」
エプロンを外しにいったん裏へ。
みんながお客さんで来ると、たまに私も休憩をもらってお話をすることがある。
あまり忙しくないときだけだけど、ちょっと多く休憩をもらってるから申し訳ない気持はある。
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「それでは、忙しくなったらすぐ戻りますから」
「あんまり気にしなくていいよ。それより、これ持って行きなさい。藍子ちゃんは紅茶にしておいたよ」
「ありがとうございますっ」
今はいつもより空いてるから、少し長くお話できるかな。
「お待たせしましたっ。チーズケーキと、オレンジジュースです」
「おお、おいしそう! ささ、どうぞどうぞ」
「未央ちゃん、それ私の台詞だよ」
未央ちゃんはいい意味で昔と変わっていない。
15歳の頃のみんなのリーダーだった頃と同じようにアイドルをしている。
最近は、アイドル芸人なんて言われるようになってしまってるけど。
バラエティを中心にかなりの人気だ。
「最近が一番忙しいかもねー。なかなか来れなかったよ」
「そんなに? あの頃よりは落ち着いてると思うんだけど……」
みんなが忙しかったのは、ニュージェネレーションとしての人気が最高潮だったとき。
事務所が大きくなって、たくさんお仕事が入って、目が回るような忙しさだった。
「そうなんだけどね、私もお姉さんって歳になったからかパッショングループのまとめを本格的に任されちゃって」
「あぁ、みんな自由だからね……」
昔も未央ちゃんがリーダーになって、私がサポートをしていた。
あの頃からアイドルが新しく入って来たり引退して行ったりしたけど、パッションは今でも自由で元気が有り余ってるらしい。
「亜子ちゃんもまとめ役してるんじゃなかったっけ?」
「つっちーはね……うん……」
亜子ちゃんもしっかり者だし、まとめるのは向いてそうなんだけど。
「たまに、お金が絡むと暴走側に行っちゃうから。あーちゃんとやってた頃がなつかしいよ~!」
「あはは……って未央ちゃんテーブル越しに抱きつかないでってば! ケーキと飲み物が危ないから!」
年上ほど自由な人が多かったと思う。しっかりしてはいるんだけど、その中ではっちゃけるというか。
……未央ちゃんも含めて。
「あぁ、戦友(とも)よ……なぜいなくなってしまったのだ……」
「友って、なんだか少年漫画みたいな言い方だね」
「これは兄弟の影響だね……それはともかく、あーちゃんと私の関係って考えてみると戦友だよね」
「戦友?」
「あのパッションを一緒にまとめたあーちゃんとは『戦友』と書いて『とも』と読む関係と言っても過言ではない!」
「戦友かぁ……うん、確かにあの頃は戦いだったね」
未央ちゃんとは一緒に何かをすることが多かったから、戦友ってのはぴったりだと思う。
「ちなみに、あーちゃんとしぶりんは『強敵』で、あーちゃんとしぶりんは『親友』って字になるかな」
「うーん、それも合ってるね」
「その中でも! 戦友とは離れてはならないものだったのだよ……」
「未央ちゃん、そんなに大変なの?」
「うん。みんなギリギリを攻めるから、いつ限度を超えるかヒヤヒヤしてるよ。あーちゃんに癒されたい」
「ええと、よしよし?」
こんなやり取りも、未央ちゃんとはずっとしてきた。
久しぶりだから、少し懐かしい。
「あー落ち着くー……でも、今でこそ落ち着いてるけど、あーちゃんもなかなかだったけどね」
「今は自覚してるよ……」
「初めの頃に日野っちについて行った時点で悟っておくべきだったよ」
「楽しくってついやっちゃっただけですっ」
「楽しくってできらりんとハピハピ☆できるの?」
「うぅ、そんなこともあったようななかったような……って未央ちゃんも同じでしょ?」
「そうとも言うね! みんなが集まってくるからいつの間にかいろんな趣味特技が増えたよね」
未央ちゃんは自分から動いて、私はみんなが来てくれていたというか。
いろんなことをやったなぁ。今でもいくつか趣味にしてるものもある。
「最近でもここにみんなが来てくれるし、お休みの日にはいろいろとしてるよ」
「今はどんなことしてるの?」
「文香さんと沙織さんと図書館や書店巡ったり読書したり、今度は芽衣子さんと日菜子ちゃんと旅行行くよ。芽衣子さんの取材のついでに誘われて、観光もして行こうって」
「こ、これが女子力なのかっ……!」
未央ちゃんがテーブルに突っ伏してしまう。これは、つついておくのがお約束かな?
「未央ちゃんは何をしてるの?」
「……マラソンに参加とか」
「今度の大会にゲストで呼ばれてたっけ」
「幸子チャレンジとぼののチャレンジのゲストとか」
「どっちもゴールデンだよね。見てるよ」
「法被着せられてヨーロッパのお祭りに飛ばされたり」
「あれは定期的にやってるよね」
「ナターリアのアマゾン生活!」
「ブラジルに行ったのは去年だったっけ?」
「そのうち熱湯風呂に突き落とされそうだよ」
「あれ? まだやってなかったの?」
「えっ……?」
「……未央ちゃんのプロデューサーさん熱血だからね。もしかしたら、いつかあるかもしれないね」
忘れそうになるけど、未央ちゃんはアイドルが本業だよね。
「今『そういえばアイドルだった』って思ったでしょ!」
「ええと……そういえばアイドル芸人だったなぁって……」
「違うよ! 百歩譲って芸人がついたとしても私は芸人アイドル!」
その順番って大事なのかな……?
「順番が大事なの!」
「そ、そんなに私考えてることわかりやすいかな?」
「もちろん! 今からあーちゃんに順番がどれだけ大切か授業してあげよう!」
そう言って、指示棒を持つ真似をする。らしいなぁ。
「まずわかりやすい例としてウサミン! キャッチコピーは?」
「歌って踊れる声優アイドル、だよね」
「その通り! ここで大事なのは、アイドルが後ろにつくことで声優属性のアイドルってなることなんだよ!」
「は、はぁ……?」
それもどこが違うんだろう。
「声優アイドルもアイドル声優もあんまり変わらないって思ってるでしょ?」
長年付き合ってるとこんなに心を読まれるものだっけ?
「だって、菜々さんは今でも声優もアイドルも現役だし……」
「ウサミン星のウサミン王国のお姫様で王国民増えてるし世界一かわいいけどさ……例が悪かったかっ」
「親子でウサミン星人って人も増えてるんだっけ?」
菜々さんは今でも17歳のままで、ずっと現役だ。
「じゃあほら! 昔の仁奈ちゃん! きぐるみアイドルとアイドルきぐるみじゃ違うでしょ!?」
「あ、確かにそうだね。なるほど」
あくまでアイドルがメインってことかな。
「だから重要なんだけど……どうしてこうなった」
「割と始めの方からそうだったような」
「ニュージェネにいるとボケてしぶりんに突っ込ませたり、ボケてしまむーのボケに上乗せしたりしたくなるじゃん?」
「それが全ての原因だったね……」
あの頃からバラエティで活躍してたし、その後もよく呼ばれてたから。
「10年前から諦めるべきだったか……あ、そろそろ時間だね」
「このあとお仕事あるの?」
「そうそう! ドラマに出れることになったんだ!」
「おめでとう! ちょっぴり久しぶりなのかな?」
未央ちゃんも、こんな風にアイドルらしいお仕事もしている。
いろいろな番組に出ているから印象は強くないけれど。
本当に、残念なことに。
「うーん、そうだね。今度始まるから、絶対見てよね!」
「うん、忘れずに見るね」
私も休憩終わりだね。
「それじゃあ、お会計だね」
「チーズケーキとオレンジジュースで、850円になります」
「ほい、野口さん」
「1000円お預かりします……150円のお返しです」
「ありがとっ! それじゃ、まったね~」
「ありがとうございましたっ」
久しぶりにお話できて楽しかったな。
早くお仕事に戻らないと。
「遅くなりました。すぐ戻ります」
「藍子ちゃん目当てのお客さんもいるんだから、たまに休むくらい気にしなくていいのに」
「そう言われましても……」
やっぱり、お仕事の時間に休むっていうのは罪悪感が……
ただでさえ、アイドルを引退した後の就職先ってだけで迷惑をかけているのに。
「初めの頃に比べたら迷惑でもなんでもないって」
「うぅ……すみません……」
「それに、うちはそのくらいで傾くような経営してないからね。変なことさえなけりゃあと100年はやれるでしょう」
「そこは疑ってませんよっ」
「そう? それならいいんだけど。さて、それじゃあ戻ろうか」
「はいっ」
チリン、とドアのベルが鳴った。
「いらっしゃいませっ……凛ちゃん?」
「藍子、久しぶり。今は大丈夫?」
見たことない変装してたからほんの少し自身がなかったけど、こんな美人さん間違えないよね。
今考えると、変装しないで来てた未央ちゃんはもう少し警戒しようよ……
「ちょうど空いてますよ。こちらのお席へどうぞ」
凛ちゃんも忙しくて本当に久しぶりだな。
「ご注文が決まりましたら、お呼びください」
「それじゃ、いいかな? チョコレートケーキとホットティーで。あとは、藍子をひとつ」
「チョコレートケーキがおひとつとホットティーがおひとつですね。ええと、また私……?」
「うん、未央がこうすればいいって言ってた」
なんとなくそんな気はしてたけど。私をついでに注文するのはどうなんだろう。
「聞いてみないとわからないよ?」
「無理だったらいいから」
未央ちゃんが来てから数日なんだけど。大丈夫かなぁ。
「すみません。また、なんですけど……」
「次は凛ちゃん? 一人で来たのは初めてだね。いいから行ってきなさい」
「すみません、ありがとうございます」
「向こうも空いてる時間に来てくれてるし」
「そうなんですけど……それじゃあ、行ってきます」
「おまたせしましたっ」
「藍子の同じのにしたんだ」
「凛ちゃんの見てたら私も食べたくなっちゃって」
「そっか。今日の紅茶は?」
「ダージリンとアッサムのブレンドだよ。それとウイスキーを少し。今日の中でチョコレートケーキならこれだって」
「なるほど……うん、口当たりいいね」
「チョコには風味を邪魔しないのが一番だよね」
「うん、おじさんいつも上手いよね。最近は藍子のプロデューサーも十分上手いけど」
「え、あの人はなにをしてるの……」
私がアイドルを引退してからも、まだプロデューサーをしている。今ではそこそこ上の方にいる……らしい。
それはともかく、何で紅茶の淹れ方なんて練習してるんだろう。
「桃華達に教わってたよ。この前合格点貰ってた」
「あそこのお茶淹れる人ってプロだよね……」
あの人はどこを目指しているんだろう。そういえば、料理も練習してたような……
「ま、やりたいことなんだよ、きっと」
「そうなのかな? プロデュースのお仕事は大丈夫なのかなぁ」
「ふふ、藍子は心配しすぎ。ちゃんとやってるみたいだから」
「それならいいんだけど」
一応真面目なのはわかってるんだけど、それでも心配。
いろいろやりすぎて無理をしてないかどうしても気になってしまう。
「そういえば、凛ちゃん新しいシングル出したんだよね。改めて、ランキング2位おめでとう」
「ありがとう。今回も納得できるのになったよ」
凛ちゃんは、今は歌手をメインに活動している。
ニュージェネレーションというユニットは今でもあるけど、未央ちゃんも卯月ちゃんも主にソロで活動している。
その分、たまにしかないユニットでの活動の人気は今でも高い。
「凛ちゃんは昔から歌に妥協はしなかったよね」
「アイドルを始めたときに一番楽しかったのが歌だったから。好きなことは完璧にやりたいし」
「すごいなぁ。私は歌もそこまでだったから」
「藍子は最後まで藍子らしかったよ。アイドルとして尊敬してた」
「そこだけは自信を持てるかな」
みんなに笑顔を届けるって目的は最後まで貫けた。
私の憧れた、私のなりたかったアイドルは今でも現役だけど。
「ねえ、藍子は、なんでアイドルをやめたの?」
しばらくの沈黙の後、少し目を伏せて、凛ちゃんはそう言った。
「えっと……いきなりどうしたの?」
お店に入ってきたときから、少しいつもと違ったから。
何か話はあるんだろうとは思っていたけれど。
「2年前は忙しくて話せなかったし、その後はなんとなく言い出しづらくて。卯月と未央には話してるみたいだし、本人に直接聞いて来いって言われるし……あの頃の藍子ならもっと続けれたんじゃない?」
凛ちゃんとは、ユニットを組んでいた未央ちゃんや卯月ちゃんと違ってちゃんと話してはいなかった。
大きな事務所だから、引退するときにさすがに全員と話すのは無理だったけど、お店に来たときにこうして話した人もいた。
でも、凛ちゃんはちょっと深刻そうだ。だいたい公式発表と同じなんだけど……
「あのとき言ったことと変わらないよ。やれることはやったし、ここでひとつの区切りにして次の道に進むっていうことは」
引退するかなり前、20歳になったところから考えていた引き際について。
「私の活動は主に中規模までが主体だったよね?」
「うん。ファンとの交流重視で活動してたね」
大きなステージに立つよりは、少人数のイベントやラジオで交流できるように。
それが、私のなりたいアイドルを目指す上での方針だった。
派手なところはないけれど、ファンも増えて順調だった。
「私のイベントをずっと楽しみにしてくれる人達はたくさんいたから。たぶん、今でも続けらてれたかもしれないね」
7年間応援してくれて、今でもここにお客さんとして来てくれる人もいる。
今でもアイドルだったらって惜しんでくれるのにも本当に感謝している。
でも――
「でも、歌手や女優みたいに別の道に行かない限りはどこかで引退しなくちゃいけない。ずっと芸能界に残るとしても、どこかでアイドルはやめないといけないから」
そうなると、問題はどこで区切りをつけるか。
「もうアイドルとして新しいことを始めないだろう時期。ファンのみんなが納得してくれる時期。これ以上の人気が見込めない時期。それから、私が次に進むのにちょうどいい時期。そうなると、大学卒業と同時がいいかなって」
長くやっていたから、色々な最後を見てきた。
事務所の意向も入ってくるけれど。
私自身、納得のいくけじめをつけたかったのも事実。
「コラムや写真で続けていくってのもあったけど、一回完全に離れようって。ここで働くことになったのは予想外だったけど」
ここまで話すと、凛ちゃんの緊張はなくなっていた。
「ありがとう。けっこう普通だったね」
「だから、引退の理由は本当のことしかないって言ってたってば」
「うん、そうなんだけど……後で卯月と未央シメてくる」
「ええと、何があったの?」
凛ちゃんずいぶん怒ってるんだけど……
「卯月……はいいとして、あの未央が最近になって藍子のことを聞いてみたらずっと深刻そうに言うから! それまでは公式発表信じてたけど、不安になるし」
「あー、未央ちゃん私相手だったからけっこうきつい冗談を」
「私が相手だってこともあると思う。変な勘違いしちゃったじゃん。恥ずかしい」
これは後が大変そうだよ、未央ちゃん。
「でも、心配してくれたんでしょ? ありがとう、凛ちゃん」
「……まあ、一応ね」
相変わらず、こういうところは不器用で素直じゃない。
「凛ちゃんとはあんまりこうしてお話しなかったからね」
ユニットが違うとどうしても機会は少なくなる。
複数人で話すことはあったけど。
「そうだね。一対一で話すことはあまりなかったかな」
「でも、凛ちゃんはわかりやすいよね。心配性だし、意外と熱いし、照れ屋だし」
「もう、藍子までからかわないでよ……とにかく、安心した」
未央ちゃんがからかいたくなる気持ちもわかるんだよね。
「文句は未央ちゃんと卯月ちゃんまでお願いしまーす」
「なにそれ。そうするけど」
「うん、そうしてください。今日は久しぶりに突っ込みが来てくれたから、私もボケてみたかったんだけどな」
重い話になったのはちょっと不満かな。
「その文句も未央と卯月に言ってよ」
「はーい。次に会ったら言っておくね」
「そうだ、藍子のプロデューサーのことなんだけど――」
会話が一旦落ち着いたときに、凛ちゃんが切り出した。
まだ何かあったのかな。
「近いうちに社内でかなり大きい異動があるんじゃないかって噂があるんだけど、藍子は何か聞いてない?」
「私は何も聞いてないよ。社内で話せないことは言って貰えるとも思えないし……」
「そっか。知らないならいいんだけど」
そんな噂があったんだ。
アイドルを引退した今では、事務所の内部事情まではわからない。
「でも、今は経営は順調なんだよね? だったら、昇進とかじゃないかな……」
「いつものその感じとも少し違うみたいなんだけど……伏せてるなら変に探ることでもないよね」
「そうだね。下手につつくのは余計かも」
社長さんたちに任せておけば悪いようにはならないとは思う。
どうしても情報の扱いには気を使うお仕事だから、見えない部分があるのは仕方ないことだし。
「それじゃ、そろそろ仕事あるから」
「はい。それじゃあこっちで……」
雑談……にしては重かったけど、凛ちゃんと話せてよかった。
「チョコレートケーキとホットティーで、930円になります」
「……ん」
「930円ちょうどお預かりします」
「今日は話せてよかったよ」
「私も。この後は何のお仕事なの?」
「歌番組が入ってるんだ。時間あったら見てみて」
今日あるのっていうと……かなり大きい番組じゃないかな?
「わかった。空いてたら見るね」
「うん、よろしく」
「それと、またゆっくりお話しに来てね?」
「……今日はあんまり普通に話せなかったからね、なるべく近いうちに」
「約束だよ?」
「大丈夫。じゃあ、またね」
「ありがとうございましたっ」
「お待たせしましたっ」
「もっと話しててもよかったんだが」
「おじさん……さすがにそれは申し訳ないですよ。凛ちゃんにもお仕事がありますし」
「それにしても、あれも中々できるようになったみたいじゃないか。今度また淹れさせてみるか」
普段は厳しいんだけど……私にはなんだか甘い。
その分、あの人には当たりがきついんだけど。
「あんまり無茶なことさせないでくださいよ?」
「わかってるよ。やけに心配するな」
「そんなことないですよ。ただ、付き合いが長いですから……」
「そんなもんか? まあどっちでもいいんだが」
ほっとくと大変なことをすることがあるから心配するのは仕方ない。
いろいろな意味で、もう少し落ち着いてくれるといいんだけど。
「よし、それじゃあ、厨房を手伝ってくれ」
「はいっ。今行きますね」
「いらっしゃいませっ」
「こんにちは、藍子ちゃん!」
「こっちの席にどうぞ」
今日もいい天気だ。お昼も終わりに近づき、店内は空いてきている。。
「ご注文が決まりましたら、お呼びください」
「ペペロンチーノひとつと、藍子ちゃんをひとつお願いします♪」
「そう来ると思ってたよ、卯月ちゃん」
「あれ、やっぱりバレてた?」
卯月ちゃんは全然意外なお客さんじゃない。
未央ちゃんだけならともかく、凛ちゃんまで来て卯月ちゃんが来ない、なんてことはありえない。
「未央ちゃんと凛ちゃんにずるいーって言って困らせたんじゃない?」
「そ、そこまでわかるんだ……」
「いつものことだからね。卯月ちゃんが来たらお話できるように頼んでおいたから、ちょっと待っててね」
「うん、ありがとう」
おばさんを見ると、笑顔でうなずいてくれた。それを確認して厨房に入る。
つくるのはペペロンチーノ2人前。卯月ちゃんが来たときは余裕があれば私がつくるようにしている。
昔から練習してたから、自信を持って人に出せるもののひとつだ。
「おまたせしましたっ」
「藍子ちゃんも一緒に食べるの?」
「私もまだだったから」
丁度いいから私もここで食べてしまう。
ついでに他の注文分もつくっていたから少し待たせてしまったけど。
「やっぱり美味しいです♪」
「卯月ちゃんには随分鍛えられたからね。そうそう腕は落ちないよ」
これは昔から卯月ちゃんの大好物だった。
自分でつくるのも美味しいけど誰かにつくってもらうともっと美味しいってことで、私がつくることもかなりあった。
「料理だけでも満足なんだけど、今日はケーキまでは食べれないのが残念だよ……」
「卯月ちゃんもまた来ればいいよ。って言っても、忙しいよね……?」
卯月ちゃんは今でもアイドルを続けている。
25歳になった今でも、王道アイドルの象徴だ。
私が憧れたみんなを笑顔にするアイドルはいつまでも変わらない。
「今は近くのバレンタインイベントのためにお仕事は少ないかな。その分チョコをつくらないといけないけど」
「ああ、毎年人気だもんね」
卯月ちゃんのバレンタインイベントは手作りのチョコレートを配ることが中心だ。
少人数でしか開催できないから、倍率が年々高くなっていた。
卯月ちゃんの人気もさることながら、毎年チョコのクオリティが上がっていることも人気の理由だ。
「藍子ちゃんはどうなの?」
「お店のチョコ作りがあるから、もう少ししたら忙しくなるね」
「ここのチョコも人気だもんね。今年も自分でつくったりはしないの?」
「うーん、やっぱりいつも通りかなぁ」
バレンタイン前はお店のチョコをつくらないといけないから、自分の分はそのついでに簡単につくっている。
商品に使うような凝ったつくりにはするわけにいかないし、何よりそんな時間もない。
「そっか。ちょっと残念かな」
「時間があれば、言ってくれればいつでもつくってあげるんだけどな……」
「バレンタインは特別なんです! 藍子ちゃんだってわかってるでしょ?」
「そ、そうなんだけどね……」
この時期は商戦だって意識が強くなってきたように思う。
もしかして、アイドルをやってた頃の方が意識してたのかな……?
「もしかして、プロデューサーさんにもついででつくったのを渡してるの?」
「ええと……」
どうしよう、何も言えない。
「はぁ……あれだけお世話になってるのに。そろそろお仕事にも慣れてきたんだから、ちょっとは考えてあげたら?」
「はい……」
実際、アイドルをしてた7年間とアイドルを辞めてからの2年間の間はお世話になりっぱなしだ。
担当アイドルとしてプロデュースしてもらっていたときは勿論、アイドルを引退して就職先として実家の喫茶店を紹介してくれたことも。
知名度のあったアイドルが働ける場所は限られてくる。
普通のお仕事ができて、私が働くことでの迷惑も気にしないと言ってくれたこのお店には感謝の念しかない。
「うん、よろしい」
卯月ちゃんが大げさにうなずいた。
「そう言えば、あの後凛ちゃんに怒られなかった?」
未央ちゃんからは泣きが入ってたけど、卯月ちゃんはどうだったんだろう。
「結構叱られました……」
「凛ちゃんも逃がしてくれなかったんだね」
「ネタバラしを十分する前に移動になっちゃったからあんなことに」
「あんまりやっちゃ駄目だよ?」
「はーい。次の大きいライブがニュージェネでの出演だから、毎回鬼軍曹に絞られてます……」
凛ちゃん、いつもよりちょっと厳しくしてるのかな。
「藍子ちゃんは最近どう?」
「私はもうすっかり慣れたかな。CGプロのアイドルや、アイドルをしていた頃のファンのみんなも来てくれるし、常連さんも多いから。楽しくやってるよ」
「喫茶店で働くのはやっぱり藍子ちゃんに合ってたのかな?」
「そうだね。ずっとこのままここで働くのもいいなぁ」
アイドルを引退してから次までの間にって始めたけど、私には合ってたみたいだ。
ずっと居てもいいって言ってもらっているから、いつまでもここに残ってしまいそう。
「これもいいと思うよ。藍子ちゃんらしいから」
「当分はそのつもり。惰性で続けないようにはしないといけないけど」
そろそろ、また先のことを考えないといけないかな。
「あっ、そうだ。凛ちゃんからプロデューサーさんのこと聞かれたんだって?」
「うん、異動があるって噂だって」
卯月ちゃんは今でも直接担当してもらってるから、凛ちゃんより詳しいかもしれない。
「そんな話が出るのはしょうがないかな。たぶん、それは本当みたい」
「そうなの? どうなるんだろうね」
今まで大きい移動は一度しか記憶にない。
それから随分経つし、あり得るのかな。
「もしかしたら、私の担当からも外れるかも」
「……えっ?」
一瞬、言われたことが理解できなかった。
卯月ちゃんの担当を外れるなんて、考えたこともなかった。
「卯月ちゃんの担当を外れるって、そんなことできるの?」
「全体の統括か、新人の担当に回るか、スカウトか。昇進扱いだと思うけど……私の活動も今は安定してるし」
デビューこそ違ったけれど、ここまで殆どの期間プロデュースしている。
当然、卯月ちゃんを最も上手くプロデュースできるということでもある。
最近活動が安定しているというのはわかるけど、ここから先も活動期間と年齢を考えると舵取りは難しいんじゃないかな?
「それでも、卯月ちゃんの担当をできる人っているのかな……?」
「他のプロデューサーさん達も離れるってわけじゃないし、たぶん大丈夫だと思うよ。ずっと人を増やして育ててきたし」
卯月ちゃんのプロデューサーというのは、ある種のステータスだ。
それをどの方向で使うかってことだけど……どうなるんだろうか。
「そろそろ改編の時期ってことなのかな……」
「実はどうなるかって大体予想はついてるんだけどね」
卯月ちゃん、わかるなら教えてよ。
「それで、どうなるの?」
「それは社外秘です♪」
人差し指を唇に当ててウインクしてくる。
かわいいんだけれど……
「すっごく気になるんだけど?」
「秘密ですよ? でも、いいかげんヘタレにも覚悟を決めてもらわないとね」
「ええと、なんのこと?」
「惚気は過ぎるとちょっと頭に来るよねって」
「そんな話を聞かされてるの?」
引退した人にはそういう話もときどきある。
卯月ちゃんが聞くっていうと、誰なんだろう。
「話はされてないんだけど……もうそろそろそれも終わりそうだし」
「そうなの?」
「うん、これもそのうちわかるんじゃなうかな?」
「はぁ……よくわからないけど、それじゃあ待っておくね」
この感じは絶対に教えてくれない。
卯月ちゃんが楽しんでるのがちょっと不満だ。
「そういえば、またプロデューサーさんは変なことをしてるんだよ」
「また? 次は何をしたの?」
「例えば、紅茶淹れてたり?」
「それは凛ちゃんに聞いたよ。褒められるくらいには上手いって」
「あとは、かな子ちゃんとお菓子もつくってるね」
「……何をしてるんだろう」
昔からよくわからないことをしていたけど、それが仕事に役立ったこともあるから何とも言えない。
紅茶にお菓子って、趣味で女の子に勝つ気でもあるんだろうか。
「他にもそんな事をそこそこやってるかな」
「本当に何をしてるんだろう……」
「そんなに心配しなくても、仕事はプロデューサーさん真面目だから」
「心配……してるなぁ。最近帰りも遅いみたいだし」
お店が閉まるまでに顔を出すことも少なくなった。
早く終われば夕食だけ食べて行ったりもしたんだけど。
「この時期は仕方ないよ。私達のライブも入っちゃったし」
「今度ゆっくりお話しておこうかな」
たまには時間をつくっれもらってもいいよね?
「それじゃあ、私はそろそろ帰るね」
「この後も用事があるの?」
「夕方からレッスンなんだけど、藍子ちゃんもそろそろ戻ったほうがいいでしょ?」
「うん、ありがとう」
伝票を持ってレジに向かう。
「ペペロンチーノがお一つで、750円です」
「はい、ちょうどです」
そろそろ午後の休憩に訪れるお客さんが多くなる時間だ。
ちょうどいいところでお話を切り上げてくれた。
「今日は楽しいお話ができてよかったです♪」
「私もいろいろ聞けて楽しかったよ」
「私もいいこと聞けたから満足だよ」
「私は卯月ちゃんに新しいことは言ってないんだけど……」
「聞く人によって変わるんです! それじゃあ、またね」
「うん、またね。ありがとうございましたっ」
卯月ちゃんと話せて、漠然としていた部分が少し整理できた。
毎年この時期は私も忙しいけれど……
今年は、何かをしてみたい。
大変だけど、やっぱり……
「あの、おばさん……今年は少しだけ、お時間をいただけませんか……?」
「……ま、いいでしょう。自分の担当分だけ終わらせたら後は好きにしなさい」
「ありがとうございますっ」
これでいつもと違う日にできるかな。
「無理しない程度にだけど、頑張りなさいよ」
「時間は大丈夫ですから、そんなに頑張ることもないとは思いますよ?」
「これは大変そうだね……さ、仕事に戻ろうか」
「はいっ。本当に大丈夫なんですけど……」
「ただいま」
「あ、おかえりなさいっ」
「準備できてるか?」
「大丈夫ですよ。それでは、行ってきます」
バレンタインに一緒に食事に行くのももう今年で三回目だ。
なかなか時間が取れないから、ホワイトデーのお返しも一緒にしてしまうということで。
どちらからともなく、自然にそうなった。
「今年もありがとうございます。時間取れないんじゃないかって思いました」
「あー、ごめんな」
「いいんですけど、無理はしないでくださいよ?」
「何度も言われてるからわかってるって」
ちょっぴり久しぶりの会話をしながら車へ。
今日も私の定位置は助手席だ。
「ちゃんとシートベルト締めろよ?」
「はーい」
「何で笑うんだよ」
「いえ、変わらないなって」
アイドルを引退してからは車で移動することも殆どなくなった。
久しぶりに乗ったけれど、昔と何も変わらない。
「最近はどうだ?」
「どう、って言われても……いつも通りですよ」
特に変わったこともなく、いつも通りの生活。
困ったことはないかって気を使ってくれるけど。
「バレンタインも前日までが一番忙しいですし。当日とそれ以降はお客さんが少なくなりますから」
「楽しくやってるみたいだな」
「はい。このお仕事は向いてるみたいです。続ければ続けるだけ好きになる気がします」
こんな風に好きなお仕事をして、平凡な毎日を送れることが私にとっては幸せだ。
この先のことはわからないけれど、少なくとも今は。
「そうだ、今日予約したところもたぶん美味しいとは思うんだが……」
「新しいお店に行くのも楽しいじゃないですか。いつもちゃんと調べてるからハズレはありませんし。期待してますよ?」
「責任重大だな」
それっきり、車内に沈黙が降りた。
いつもBGMに流しているラジオの音だけが流れる。
気心の知れた人となら、こういう空気も悪くない。
心地よい静寂を共有できる人がいるのも幸せなことだ。
「よし、着いたぞ」
「ありがとうございました」
その沈黙は目的地まで続いた。
やっぱり、今年もちょっとおしゃれなレストランだ。
いつもより気合を入れて服を選んでいるけれど。
予約してあったから、すぐに席に案内された。
落ち着いているけど、堅苦しい雰囲気はないお店だ。
「もう注文は決まってますか?」
「二人とも肉がメインのコースにしたけど、よかったか?」
「私もそれがいいです」
だいたい食べ物の好みは似ている。
私がどちらかといえば濃い味付けが好きなせいだと思う。
私の好きな食べ物が男の人に近いのかもしれないけど、これは今更気にすることじゃないかな……
「そういえば、またいろいろやってるみたいじゃないですか。卯月ちゃんから聞きましたよ?」
「卯月……余計なことを……」
「まったく……どこを目指してるんですか?」
「俺にもいろいろあるんだよ。たぶん」
「花嫁修業でもする気ですか?」
「それは嫌だな。せめて執事にしてくれ」
どっちも似合わないなぁ。
「他に活かせる仕事はいくらでもあるだろ」
「主夫と執事以外で?」
「あのなあ……」
「まあ、最近はそういう趣味も増えてますし。いいんじゃないですか?」
少し見ないと、知らないうちにいろいろできるようになってたりもするし。
私も負けないようにしないと。
お互いに近況報告をしていると時間がゆっくりと過ぎていく。
もう残っているのはデザートだけだ。
「それじゃあ、今年もバレンタインのチョコです。デザートと一緒に食べましょう」
「いつもありがとう」
そう言って受け取ると、包みを剥いでいく。
いつもならそんなことはないのだけど、今年は緊張してしまう。
「なんか、いつもより豪華だな」
「……今年は、別につくったんです。いつもお世話になってばかりだし、感謝の気持ちを伝えたいなって」
「店の分だけでも大変だろうに。本当にありがとう……うん、おいしい」
喜んでもらえたなら、よかった。
「形も大事ですけど、やっぱり味ですよね」
「甘めにつくってあっていいなこれ」
「甘い方が好きですよね? いろいろな砂糖で味を変えてみたんです。基本は全部甘くしましたけど」
「めちゃくちゃおいしいよ。いつも通り、持って帰っても大丈夫か?」
「はい。お仕事しながらゆっくり食べてください」
昔からお仕事の合間に甘いものを食べてたからぴったりかなとは思っていたけど。
思ったより喜んでもらえたみたいだ。
「これ毎年でも食べたいくらいだけど、大変だよな……」
「別にバレンタインに限らなくても……いつでも時間があったら差し入れくらいつくりますよ?」
「悪いな。じゃあ、たまに甘えさせてくれ」
「気にしないでください。どんなのをつくるか考えるのが楽しみですから」
「それから、少し相談というか……お話したいことがあるんですけど……」
「どうかしたのか?」
「いえ、今すぐにってわけじゃないんですけど、そろそろ将来のことも考えないといけない時期なのかなって」
元々、繋ぎのつもりで始めたお仕事だった。
気づいてみればもう二年だ。
このまま続けるにしても、別の道に進むにしても、そろそろ考えないといけないと思う。
「店を続けるかは店長と話し合うことじゃないのか?」
「それはそうなんですけど……その前に、いつもみたいに相談したっていいじゃないですか」
引退のときも結論が出るまでゆっくりと話に付き合ってくれた。
本人のことを第一に考えてくれるから、つい甘えてしまう。
「でも、今の時点では何も決まってないんですけど。続けたいって気持ちもあるし、それでいいのかって気持ちもあるし。よくわからないんです」
「あんまり焦る必要はないんじゃないか? 今普通に生活が送れてて、この先もその見通しがあるなら時間をかけても構わないだろう」
収入への不安はないんだけれど、そういうことじゃなくて……
自分でも何が引っかかっているのかよくわからない。
「やっぱり時間をかけないと駄目なんでしょうか……」
「現実を見据えた上で、結局は何をしたいかによるからな」
「いつも言われてるから、わかってますよ」
たぶん、このまま喫茶店で働くことは決まりなんだと思う。
ただそれ以外のところで、どこか気になって……
「もう少しだけ、探してみますね」
いつも通りではたぶん変わらない。
何か出来事があればいいのかもしれない。
それが何なのか、見つかるといいな……
「もしかしたら、その答えの手助けはできるかもしれないが……」
「本当ですか?」
「いや、本当にそうかはわからないんだけど」
「いいじゃないですか。もしかしたら何かヒントになるかもしれないですし」
「あー、そうだな……いい機会だからこの際言っておくというかなんというか……」
「だから、どうしかんですか? 早く言ってくださいよ」
「そのな、藍子……俺からも、話があるんだ――」
以上です。読んでいただきありがとうございます。
ただこんな以来もあるのかなというだけの話になってしまいました。
十年後合同やらが届いたので次はそっちの方向でできたらと思います。
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