【艦これ】まるゆ「隊長が鎮守府に着任しました」 (194)
息を潜(ひそ)め、海に潜(もぐ)り、敵を狙い撃つ海のスナイパー、潜水艦。
艦娘となった彼女達の役割は、先制雷撃による敵戦力の減衰、囮、海洋資源の回収、特定海域の定期的な安全確保等、多岐にわたる。
しかし、潜水艦娘は重宝されこそすれ、重用されることは少ない。
“使いやすい便利なコマ”、それが大抵の鎮守府における潜水艦娘達への評価だ。
無論、全ての鎮守府がそうした評価を最終的に下している訳ではない。
例えば、この鎮守府でも――。
「初期艦のまるゆです。よろしくお願いします、隊長」
「チェンジで」
「そんなぁ!?」
――これは、一人の提督と六人の潜水艦娘によるドタバタ奮闘記である。
SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1426037676
初期艦は大事だ。とても大事だ。
共にこれから戦う初めての仲間なのだから、友好を築きやすく頼りになるに越したことはない。
百歩譲って初期艦が生真面目過ぎたりふざけていたり自信家だったりドジっ娘だったりおどおどし過ぎていたりしても、ゆくゆくはどうとでもなる。
――しかし、努力で解決出来ないことも、世界には確かに存在した。
「隊長、出撃ですか?」
「まるゆ、お前自殺願望でもあるのか? あるなら先に言え。解体者を大本営からすぐに呼んでやる」
「そんなの無いです。まるゆ、戦う為にここに居るんです!」
いかにもやる気がありますという目と仕草で自分への出撃命令を促すまるゆ。
それに深いため息を吐いた後で、提督は言葉を返す。
「お前達艦娘に“無茶”はさせるつもりだが、“無謀”なことをさせる気はない。確実に海の藻屑になる奴を出撃なんぞさせられるか」
「やってみなきゃ分かりません!」
「うるさいモグラ、いいからまずは工廠行くぞ」
「まるゆ、モグラじゃないもん!」
自分の肩程も無い身長の初期艦についてのデータに目を通しながら、彼は工廠を目指す。
何故彼女が自分の初期艦なのか、ここに配属される予定だった叢雲はどうなったのか、他にも様々なことが気にかかってはいるものの、そこに書かれている一文こそが、彼にとって今一番気になることだった。
――潜水能力に難あり。
工廠に着いた二人を迎えたのは、数人のツナギを着た妖精だった。
彼等、或いは彼女等は人間の言葉を理解しているが、基本的に人語を話すことはない。
しかし、その性質は極めて人間に友好的であり、気分によるムラはあるものの、開発や建造を頼めば断られることはまず無かった。
「まるゆ、最初の任務だ。艦娘を二人建造する」
「まるゆじゃなくて隊長が頼んでも、妖精さんは建造してくれますよ?」
「今言っただろ、これは任務だ」
「了解しました!」
流石に二度同じことを繰り返すようなことはせず、意気揚々と妖精の元へ駆け出し、建造を依頼するまるゆ。それを眺めながら、提督は少し思案する。
(初期艦が最悪の場合出撃すら危うい、か。今建造依頼した二隻と合わせて明日一度出撃させてみるとしよう。それでダメならまた考えるしか無いな――あっ)
張り切ったあまり滑って転けている初期艦の姿に、また一つ大きなため息を吐く。
しかし、かなり頼りないながらも一生懸命な彼女に提督は、まだ右も左も分からない新米だがとにかく頑張ろうという気にさせられるのだった。
「まるゆ、これが暫くはお前の机になる」
「隊長、わざわざ丸にゆって描いてくれなくてもいいですから……」
「サービスだ」
「そんなサービスいらないです」
「あっ、歪んだ」
(まるゆ、この隊長の下でやっていけるかなぁ……)
まだ荷解きの途中で荷物が散乱している執務室。その中心で提督は一つの段ボールを組み立て、マジック片手に円を描いている。
最初は真面目で少し怖そうな印象を彼に持ったまるゆからすれば、その行動は意外であり、少し不安にもさせられるものだった。
「――よし、完成だ」
「わー、まるゆ、すごくうれしいです」
「心底嬉しくなさそうな声で言うな。待ってろ、これで不満なら今から白く塗ってやる」
「もうまるゆの机はいいですから、隊長は早く荷物の整理をして下さい」
「分かった、白く塗るのは後にするとして、そろそろもう一度工廠に行くか」
「あっ、もうこんな時間。整理全然進まないよぉ……」
予め妖精さんに示された建造にかかる時間は約三十分。既に時計の短針が一周はしているので、すぐに新しい艦娘を迎えに行く必要がある。
二人はまだ全く整理出来ていない執務室を後にし、再び工廠へと向かうのだった。
「伊168よ。言いにくいならイムヤでいいわ」
「伊58だよ。ゴーヤって呼んでね」
「念のために確認するが、二人の艦種は何だ?」
「「潜水艦」」
「おいモグラ、どうやったらこうなる」
「だからまるゆはモグラじゃないもん!」
建造が終わり、蓋を開けてみれば潜水艦が追加で二隻。これでこの鎮守府には、現時点で存在が確認されている日本艦の潜水艦娘の半分が着任したことになる。
油と鉄、多種の弾薬、それからボーキサイトを用い、妖精が未知の技術で行うのが“建造”という行為だ。
どの艦娘が建造されるかは艦艇の魂や残留思念が資源で構成された肉体に完全に定着するまで判別出来ず、特定の艦娘を狙って建造することは出来ない。
故に、この結果は完全なる偶然ではあるものの、提督は流石に頭を抱えた。
「何よ、私達が建造されたのが司令にはそんなに不満なの?」
「ゴーヤの魚雷はお利口さんだから、きっと役に立つでち」
「……お前達、潜水には当然自信があるよな?」
「当たり前じゃない」
「潜るのは大好きだよ?」
「だったらまるゆと明日出撃してもらう。今日は一緒に執務室や私室の整理だ」
「それは構わないけど、司令官、他の艦娘は?」
「ゴーヤ、挨拶したいでち」
「まるゆはここに居るよ?」
「……まさか、これだけなの?」
「理解が早くて助かる」
「そもそもまるゆって誰でちか?」
「まるゆはまるゆだよ!?」
「冗談でち」
早速意気投合、とまではいかないものの、比較的良好な関係を築けそうな二人の艦娘を新たに迎え、四人は執務室へと歩いていく。
丸は難しかったが数字だけなら簡単だなと考える提督に早足でついていくまるゆの表情がその時少し曇っていたのに、彼が気付くことはなかった。
書き貯めはここまで、更新はゆっくりです
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執務室に戻り、イムヤの机とゴーヤの机を作った後、本格的に提督は荷物整理を始める。
とは言っても半分ぐらいは彼の私物であり、四人でここに必要なものだけを出していくと、そう時間はかからなかった。
「ふぅ……とりあえずは出来ましたね、隊長」
「この段ボール机、どうにかならない?」
「ゴーヤは結構気に入ったよ。おっきな段ボール、大好きです」
「段ボールを被るなゴーヤ、それは隠れる為の物じゃない」
頭隠して尻隠さず、段ボールからはみ出ているゴーヤの尻を提督が直視していると、二つの視線が彼に突き刺さった。
別にそれを見ていかがわしい事を考えていた訳ではないのだが、ずっと見ているのは確かに無遠慮だったなと視界から外す。
「――時にお前達、料理が出来たりするか?」
場の空気を変える為、という訳でもなく真面目に聞いた提督の問いかけに、まずは首が二つ横に振られ、残る一人は段ボールを左右に振って答える。
つまり、艦娘の中に料理が出来るものは居ないということだ。
「となると、必然的に俺が作ることになるのか」
「隊長、料理出来るんですか?」
「出来る。が、味は保証しない」
「司令官以外にこの鎮守府に人は居ないの?」
「どこの鎮守府にも“人”は提督しか居ない。何か鎮守府内で問題が生じた時、処分する人間の数は少ない方がいいという有難い配慮があってのことだそうだ」
「ふーん……」
“労働力が足りないのならば艦娘を使え”、それが大本営の方針だ。
確かに掃除や洗濯、炊事も自分達でやってやれないことはなく、無駄な人件費を一切省き資源や物資などの確保に回すというのは、一つの正しい選択といえる。
ただ、泡まみれの手で出撃準備や、慌てて火にかけっぱなしになった油がはねて火事になるというような事態にもなりかねないので、ある程度の人数が揃わないと管理が大変なのも事実だった。
「そもそも初めて物を口にするから、ゴーヤには味なんて全く分からないでち」
「私もよ」
「まるゆは普通に食べてたから、分かります」
「どうせそのうち自分で作ることにもなるだろう。今から食堂で作るから横で見とけ」
「隊長、何を作るんですか?」
「チャーハン」
総評、食べられる。
「旗艦はまるゆ、イムヤとゴーヤも出撃だ」
「まるゆ、頑張ります!」
「海のスナイパー、イムヤに任せて」
「いっぱい潜るでち」
提督が着任して二日目になり、いよいよ初出撃の瞬間が訪れる。
潜水艦のみでの出撃なのでもう少し準備を整えてからするべきなのかもしれないが、はぐれ一隻以外と遭遇した場合は即撤退するように命じてあるので、そこまで危険がある訳ではない。
「じゃあ行ってこい。沈むならもっと良い舞台をいつか用意してやるから、今はとにかくここへ帰ってくるのを優先しろ」
「陸地に近い場所に居るのは大抵弱い個体なんでしょ? 私達をあんまり舐めないでよね」
「余裕でち」
「――じゃあ、出撃します」
その時三人が見たものは、天空を蹴るように水面から突き出したまるゆの両足が、ジタバタともがく姿。
提督が一瞬それを見て犬神家の一族のマネで笑わせようとしたのかと錯覚したほど、彼女の足はピンと張っていた。
結局鎮守府から出ることも無いまま、最初の出撃は失敗に終わる。
当のまるゆはというと、身体を乾かすこともなく自室へと駆け込み、完全に閉じ籠ってしまっていた。
「司令官、知ってたの?」
「いや、あそこまでとは俺も予想してなかった。まるゆ自身が出撃に意欲を見せていたから、多少ぎこちない程度だと思っていたんだが……」
「ゴーヤ、心配だよぉ……」
「とりあえず、今日もこのまま待機してくれ。可能なら書類を手伝ってもらえると助かる」
「まるゆはどうするの?」
「夕方話しに言って、明日まで出てこなけりゃその時は――」
「その時は、どうするんでちか?」
「ドアを蹴破って入って連れ出す。たかだか潜水が出来ないぐらいでアマテラスみたいに閉じ籠られてたまるか」
「潜水艦としては致命的よ、潜水出来ないなんて」
至極真っ当な意見がイムヤから出るが、提督は無言で窓から外を指差す。
しかし、その先にあるのは海だけであり、潜水艦娘二人は顔を見合わせ、何が言いたいのか分からないといった様子で首を傾げる。
結局、そのまま無言で執務室に戻っていく提督を、黙って二人も追っていくのだった。
鎮守府から出ることも無いまま、最初の出撃は失敗に終わる。
当のまるゆはというと、身体を乾かすこともなく自室へと駆け込み、完全に閉じ籠ってしまっていた。
「司令官、知ってたの?」
「いや、あそこまでとは俺も予想してなかった。まるゆ自身が出撃に意欲を見せていたから、多少ぎこちない程度だと思っていたんだが……」
「ゴーヤ、心配だよぉ……」
「とりあえず、今日もこのまま待機してくれ。可能なら書類を手伝ってもらえると助かる」
「まるゆはどうするの?」
「夕方話しに言って、明日まで出てこなけりゃその時は――」
「その時は、どうするんでちか?」
「ドアを蹴破って入って連れ出す。たかだか潜水が出来ないぐらいでアマテラスみたいに閉じ籠られてたまるか」
「潜水艦としては致命的よ、潜水出来ないなんて」
至極真っ当な意見がイムヤから出るが、提督は無言で窓から外を指差す。
しかし、その先にあるのは海だけであり、潜水艦娘二人は顔を見合わせ、何が言いたいのか分からないといった様子で首を傾げる。
結局、そのまま無言で執務室に戻っていく提督を、黙って二人も追っていくのだった。
投下したのを忘れて再投下してしもうた…ごめんなさい…
執務室での作業も一段落し、提督は再びまるゆの部屋を訪れていた。
イムヤとゴーヤには米炊きと、玉子焼きを人数分作るという任務が彼から与えられており、ここには同行していない。
「まるゆ」
扉を叩き、呼び掛けるも返事はない。
「まーるーゆー」
強く扉を叩き、なおも呼び掛けるが返事はない。
「初期艦であり秘書艦であるお前が二日目からサボりか?」
叩くのをやめ、ただ問いかける。部屋の中から多少なりとも反応があるのを提督は期待するが、風が廊下の窓を叩く音以外はせず、ドアの向こうからは何も聞こえてこない。
「……分かった、明日まで待ってやる。それまでに出てこないなら、着替えてようが裸だろうがドアを蹴破ってでも連れ出してやる」
この鎮守府にもマスターキーというものが存在しており、蹴破らずとも外側から部屋のドアを開けることは可能だ。
しかし、本人自ら外へ出てくるのが最良であり、彼もそうなることを願っているからこそ、蹴破るという脅しを口にしていた。
ただ、その言動が裏目に出るかもしれないことにまで思慮が回っていないのは、経験が浅いと言わざるを得ない。
(年頃の娘を持つ親の気持ちってのは、こんな感じなのかねぇ……)
艦娘も人も難しい、などと考えながら、料理に奮闘しているであろう二人の元へと提督は向かう。
その背中が曲がり角の先に消えていくのを、ほんの少しだけ開けたドアの隙間から少女は見つめていたのだった。
調理場に着いた提督を出迎えたのは、動く寸胴鍋だった。
「ゴーヤ、何度も言うが物を被るのはやめろ」
『おっきなお鍋、大好きです!……でも、声が反響してくらくらするでち』
軽く鍋を小突いてから、奥に居るイムヤへと彼は歩み寄る。
真後ろに立っても気付かない辺り、手元でしている作業に相当集中していることが窺い知れた。
(失敗が1、見た目の悪いのが1、この調子ならすぐに失敗しなくなりそうか)
「――よし、今度はうまく焼けたわ」
「そうか、それは良かった」
「ひゃわっ!?」
急にかけられた声に驚いたのか、イムヤは綺麗に焼けた玉子焼きを乗せた皿から手を放してしまう。
そのまま床へと落下し、皿の割れる音が調理場に響くかと思われたが、咄嗟にしゃがんで受け止めた提督により事なきを得た。
「落とすな、勿体無いだろ」
「あ、ありがと、司令……官?」
振り向いたイムヤの腰の辺りに彼の顔があったのは、あくまで不幸な偶然である。
少し柔らかめのご飯、失敗から成功への過程が見える玉子焼きが四つ、後は買ってきた海苔と増えすぎたわかめ入りの味噌汁が、この日の夕飯の献立である。
「てーとく、まるゆはまだ部屋なの?」
「あぁ」
「まるゆの分も言われたから作ったけど、来ないなら無駄になっちゃうわね」
「後で部屋の前に供えとくから安心しろ」
「――供えるのは、やめて欲しいです」
椅子に座ったまま反り返り、提督は後ろを見る。
そこには、食堂の入り口から覗き込むように三人を見ている逆さまのまるゆが居た。
「そんなところに居ないで、こっちに来てさっさと食べたらどうだ?」
少し躊躇うように視線を泳がせた後、小さく頷き、まるゆはゆっくりと三人の元へと歩み寄る。
そして、彼女が自分の席の前まで来ると同時に、ゴーヤは勢いよく席から立ち上がる。
「ゴーヤ、ご飯よそってくるでち!」
「ゆっくり立て、味噌汁が……溢れないな、これ」
「玉子焼き、まるゆのは上手く焼けたやつにしてあげたんだから感謝してよね」
「……いただきます」
「イムヤ、甘い」
「甘い方が美味しいでしょ?」
「激甘でち……」
(甘くて美味しい……)
「隊長」
「何だ?」
食事の後、後回しにしてあった書類や艦娘の資料に提督が目を通しているところへ、まるゆは自分の話をする為に訪れていた。
そして、一から全て伝えようと話し始める。
「まるゆは……まるゆは潜るのが苦手なんです!」
「知ってる、それで?」
「そもそもまるゆ達はあまり潜水が得意じゃなくて、たまに同じように潜水が出来ないまるゆがいるそうなんです。まるゆも、その一隻で……」
「それで?」
「まるゆを建造してくれた隊長からは面倒を見る余裕は無いって言われて、軍本部預かりになることが決まって、それからずっと潜航の練習をしてたんです。……でも、全然うまく潜れなくて……」
「長い、結論から先に言え」
「ふぇっ!? え、えっと、あの、まるゆは潜れないので、戦力にはなれそうにない、です」
「そうか、じゃあ今日はもう寝ろ」
話の間は止めていた手を動かし、提督は再び資料へと目を通す。
一方のまるゆはというと、頭に疑問符を浮かべたままその場で固まってしまっていた。
「お前、立ったままここで寝る気か?」
「い、いえ、あの、隊長?」
「寝てもいいが、風邪は引くなよ。明日は一日海に入ってもらう」
「はい、気を付けま……へ?」
二日目、まるゆが潜れなかったり増えるワカメが増えすぎたりイムヤの平手打ちで提督の頬が真っ赤になっていたりしたが何事もなく終了。
三日目の朝、四人は鎮守府と目と鼻の先の海――正確には海の上と下――に居た。
「司令官、コレで本当に大丈夫なの?」
「知らん」
「し、知らんって……」
「潜るのが苦手な潜水艦がどうすればうまく潜れるようになるかなんて、俺にはさっぱり分からんし」
今、まるゆはゴーヤに見守られながら“沈んで”いた。
手に持った重りによって沈み、それを放して浮上するという行為を繰り返し、身体に潜る感覚を覚えさせる為だ。
効果があるかは不明だが試せることはやってみよう、というダメ元の特訓である。
「これでダメだったらどうするの?」
「次の方法を考える」
「それでダメなら?」
「また考える」
「ふーん……」
提督用の小型艦のへりの上に乗り、足をぶらぶらさせながらイムヤは二人が浮いてくるのを待つ。
その背に加えられた力により、気の抜けたような声と共に彼女が海へ落下するとは、押した提督も予想していなかったのだった。
「二人とも、何やってるんでちか?」
「司令官が一緒に海に潜りたいって言うから、連れていってあげようと思って」
「奇襲に反応出来るか試してみたらこうなった」
「隊長、まるゆにはやらないで下さいね……?」
潜水訓練を一日行った成果は、しょぼくれながらシャワーを浴びに行ったまるゆの背中が物語っていた。
そのフォローは二人に任せて、提督はもっと何か有効な手は無いかと手当たり次第に資料を漁る。
各鎮守府には紙媒体の様々な艦娘に関連した資料が、提督着任時に支給される決まりとなっていた。
それは、備え付けの書棚が優に二十を超える資料室を埋め尽くす膨大な量だ。
(『トラウマへの対処法』……『記憶の混濁を防ぐには』……『八百万の神と妖精』……)
医学的なモノからオカルトめいたモノまで雑多にある中から、目当ての資料を探すのは容易ではない。
そもそも、それが本当にこの中にあるかどうかすら、彼には分からなかった。
(『艦娘の生態』……『深海棲艦の分類と呼称について』……ん?)
何の気なしに手に取り開いた資料。そこには、数名の艦娘達に起こった出来事とその対処法について書かれていた。
(過去の艦自体に刻まれた記憶や、艦に乗った者とその艦を知る海に眠る者達の思念が色濃く現れた場合、稀に慢性的な不調を訴える艦娘が生まれることがある。それを解消する手段は――)
それはとても簡単であり、非常に難しい事柄だった。
「まるゆ、今日は潜水訓練する前に話がある」
「何ですか、隊長」
「イムヤとゴーヤも聞いといてくれ」
「いいけど、何?」
「おっきな段ボールの話?」
三人の意識を自分にしっかりと向けさせてから、提督は話を始めた。
まず、他にもまるゆのように何らかの原因で潜航や航行、砲撃などに関する不調が一向に治らない艦娘が居ることを説明する。
そして、その資料には解決策も載っていたことを三人に告げた。
「解決策……」
「それって、具体的にはどうするの?」
「簡単だ、原因不明の爆発や不運みたいなのを完全に治すのは難しいが、潜れないみたいにはっきりしたのは本人と周囲の意識の問題でしかないと書かれてる」
「そっか、なるほどなるほど……どういうことでち?」
「まるゆ自身が自分は潜れると信じて、俺達も信じているという気持ちをまるゆがちゃんと受け止めれば、負の思念によるしがらみからは抜け出せる。そこから先はまるゆの頑張り次第ってことだ」
「まるゆが、まるゆ自身を……」
厳密にはこれで解決出来る可能性があるというだけで、解決しなかった事例も存在する。
しかし、それをこの場で言うべきではないと考え、提督は敢えて潜れるようになると断言した。
「信じるって言葉にするのは簡単だけど、信じろって言われてすぐに出来るものなの?」
「少なくとも俺は潜れるようになると信じてるぞ? これから先ずっと付き合っていくことになるのに、信じられないとかやってられん」
「隊長……」
「ゴーヤもまるゆともいっぱい潜りたいから信じるでち!」
「……わ、私も一緒に潜れるようになるのは嬉しいかも」
当たり前のように、素直に、照れ臭そうに、それぞれに信じると口にする。
少し涙ぐむまるゆの胸中でこの時起きた変化がどう潜航訓練に影響するかは、海に出れば分かることだった。
三人に見守られる中、まるゆは海へと身を投じる。
潜れない自分を見た者が落胆するのは仕方無いと思っていた部分が彼女には確かにあり、無理に張り切って欠陥品扱いされる怖さを誤魔化していたのも事実だ。
信じると言われた今でも、潜れずに顔を上げた時、ため息や冷たい視線が向けられるのではないかという恐怖感を完全には拭いきれていなかった。
(でも、もう怖いだけじゃない)
まるゆは深呼吸を一つ、二つと繰り返し、大きく勢いを付けて海中へと潜ろうとする。
その背中に届いた頑張れの一言が、いつもならば途中で止まってしまう身体を押し込んだ。
(――アレ? ちゃんと潜れてる?)
潜水艦ならば経験して当たり前の感覚。しかし、まるゆにとって自力では初の体験であり、今までとは海の中がまるで別世界のように見えていた。
(海の中って、こんな風だったんだぁ……)
目新しくもあり懐かしくもあるその光景が、今まで感じていた不安などを一つずつ消していく。
そして――。
「潜りすぎて浮けなくて慌てる潜水艦も初めて聞いたぞ」
「うぅ、ごめんなさい……」
「うぅ、ボロボロだよぉ……」
「大丈夫だよまるゆ、バケツ被れば治るもん」
「バケツを被っても治りはしないってば……」
「そもそも烏の行水程度で今のお前等は事足りるだろうよ」
「お風呂はゴーヤ達にとってすっごく大事なんでち!」
「バケツ被ればとか言ってたお前が言うな」
潜水に支障が無くなったまるゆ。
今度こそは大丈夫と意気揚々と出撃したまるゆの戦果は雷撃する前に大破、撤退という散々なものだ。
今度は部屋に駆け込むようなことは無かったものの、落ち込んでいない訳ではないのは明らかだった。
「何はともあれまるゆはとりあえず入渠して来い、イムヤとゴーヤは飯の準備な」
「はい、隊長」
「今日はパンにしてみる?」
「じゃあゴーヤが目玉焼くでち」
(何の目玉を焼くつもりだよゴーヤは……それにしても、はぐれすら強敵になるか)
最初にして最大の問題を乗り越えたかのように見える鎮守府。
しかし、やはり戦力が全て潜水艦というのにもかなり難があると提督は痛感していた。
資源不足になりにくいというのは立派なアドバンテージであるものの、それだけで深海棲艦との戦いを続けていけるはずもない。
(――もう二隻ぐらいなら、建造してもどうにかやりくり出来るか?)
頭の中で資源の計算や今後の作戦を練りつつ、提督はまた工廠へと足を運ぶ。
後に彼は、その時の事をこう語った。
――――“諦めるには十分な衝撃だった”、と。
「あ、あの、隊長……」
「何も聞かず、受け入れろ」
「目玉後二つ焼くでち」
「その言い方怖いからやめてよね」
食堂に集まっていた三人の元に、提督は二人の新たな仲間を連れて入ってきた。
困惑するまるゆ、料理の追加に着手するゴーヤ、視線をあからさまに逸らし見なかったことにしたイムヤ、反応はそれぞれだ。
「今からご飯なの?」
「シュトーレンが食べたいな」
「今から夕飯だ、とりあえずこの場で挨拶も済ませたいから座って出来上がるの待ってろ。後、シュトーレンが欲しけりゃ出撃して戦果挙げろ。そんなもん買ったり作ったりする余裕も時間も今は無い」
「はーい」
「シュトーレン……」
他の四人と比べると明らかに身体の一部が圧倒的な大きさを誇る艦娘と、眼鏡をかけたシュトーレンを要求する艦娘。
二人も空いた席につき、全員分が食卓に並ぶのを待つ。
「てーとく、こんがり上手に焼けたよ」
「目玉焼きでそれは焦げたって言うんだぞゴーヤ、それは俺が食うからコイツ等にちゃんと焼けたの渡してやれ」
「了解でち」
パンと目玉焼き、それとハムが全員の前に並び、食事の用意が整う。
それに合わせて、提督も新顔二人の挨拶を始める。
「見ての通り、今妖精さんに頼んで建造した新しい仲間だ。二人とも、自己紹介しろ」
「伊19なの、イクって呼んで欲しいのね」
「伊8です。ハチ、はっちゃん、アハト、好きに呼んで下さい」
「よろしくお願いします! 秘書艦のまるゆでしゅ!」
「ゴーヤだよ、段ボール欲しかったらゴーヤに言ってね」
「イムヤよ、よろしく」
「よし、じゃあ後の話はこれ食べてからだ」
「「「「「はい、いただきます」」」」」
何事もなく挨拶も終わり、四人から六人に増えた食事が始まる。
異様なまでのスク水率ではあるものの、既に慣れてしまった提督には特に何の違和感も無かった。
しかし、相変わらず潜水艦しか居ないという現状には慣れようも無いのだった。
「イク、行くのー!」
「ゴーヤ、潜りまーす!」
「はっちゃん、待機します」
「イクはその銛置いてきなさい、ゴーヤはそのでっかいタコツボみたいなのどっから持ってきたのよ、ハチは本読んでないで来る!」
五人での初出撃。その前途は多難なようで、イムヤは三人に怒鳴る。
ハチだけは若干本気にも見えるものの、イクとゴーヤに関しては単純にちょっとふざけただけらしく、ケラケラと笑っている。
その様子を、旗艦であるまるゆは少し憂鬱そうな表情で眺めていた。
「まるゆ、どうかしたか?」
「イムヤは皆をまとめられて凄いです。まるゆ、旗艦なのに皆の足を引っ張ることしか出来てません……」
「お前にはお前にしか出来ないこと、分からないことがあるだろ。旗艦がそんな顔してんな」
「隊長……はい!」
自分の両頬を軽く叩き、まるゆは四人の元へと歩み寄る。
実際問題、いくら戦闘能力に関して難があるとはいえ、彼女にしか旗艦が務まらない理由は確かに存在した。
それは――。
「て、敵艦発見です! イムヤとゴーヤは敵の注意を惹き付けて、ハチとイクは合図を出したら撃って下さい!」
「イムヤにお任せ!」
「潜るでち!」
「スナイパー魂がたぎるのね!」
「帰って早くあの本読みたいな……」
艦隊が五人に増えたことにより、戦術というものが使えるようになっていた。
そして、その戦術を現状使えるのは、海に出られなかった時間を戦術書を読むことなどに費やしたまるゆしか居ない。
これが、彼女が旗艦でなくてはならない理由である。
「――二人とも、今!」
「イクの魚雷でいっちゃえなのー!」
「これで倒せたら、ご褒美にシュトーレン欲しいな……」
――――戦果報告。出撃三回目にして、はぐれ深海棲艦四隻の撃破に成功。
初戦果を挙げたということもあり、帰投した五人の表情は明るかった。
まるゆも潜水が出来るようになっただけではないという自信を持てた為、戦果報告に向かう足取りはどこか誇らしげだ。
「隊長、第一艦隊ただ今帰投しました! 戦果はイ級3、ホ級1です!」
「初戦果だな、御苦労さん。今日はゆっくり休め」
「はい!……隊長、お手伝いしましょうか?」
「いや、大丈夫だ。他の四人にもしっかり休めって――」
――段ボールいっぱい探すでち!
――夕飯を一品増やす為に、ちょっと行ってくるのね。
――ここに、書庫ってあるのかしら。
――料理のレシピって調べたら分かるかな?
「……まぁ、好きにさせるか」
「だったら、隊長のお手伝いも好きにしていいですよね?」
そう言って書類に手をつけ始めるまるゆ。
止めさせようかと一瞬考えるも、好きにしろと言った手前、提督は諦めて手元の書類へと再び目を落とす。
「なぁ、まるゆ」
「はい、何ですか?」
「とりあえず、シャワー浴びて乾かしてこい」
鎮守府の廊下を移動する物体。それと相対した提督は、おもむろにその上へ抱えていた本を落とす。
「なっ、何するでち!」
「段ボールで鎮守府徘徊して何してるんだとこっちは聞きたい」
「色んな段ボールで機動性の実験をしてるんだよ?」
「……るな」
「? てーとく?」
「ついでに床掃除も頼んだ」
「そんなことしたら段ボールが濡れちゃうよぉ……」
不満を口にするゴーヤを後目に、提督は去っていく。
しかし、彼は気付いていなかった。本が一冊、段ボールの下に紛れ込んだことに。
「なっ……」
執務机の上に置かれた本。それが視界に入った瞬間、提督の動きが止まる。
後ろからついてきていたまるゆは何事かと驚き、彼の視界の先を確認しようと前に出た。
「隊長、何か危ない物でも――これ、本?」
手に取り、彼女はタイトルを確認する。そこにはこう書かれていた。
「『頼れる上司に見せる百の方法』……?」
振り返り、提督の顔を見るまるゆ。頑なに目を合わそうとしない提督。
一分程その状態が続き、意を決してまるゆは口を開いた。
「み、見なかったことにします!」
「いや、無理だろ」
「わ、忘れます!」
「それも無理だろ」
「ステルス迷彩欲しいでち」
「どう頑張っても――ん?」
「机の下からこんにちはー! ゴーヤだよ」
その日、提督は初めて艦娘にアイアンクローをお見舞いした。
提督が熟読した本が艦娘全員に知られた日の昼、食堂には質問責めされる彼の姿があった。
「隊長、あの本は何なんですか?」
「とある人から貰った。“これでも読んで提督としての威厳を少しは持て、そのままだと第一印象ただの馬鹿にしか思われんぞ”って言われたんだよ」
「司令官の素って、そんなに馬鹿っぽいの?」
「そんなことはない、と思う……多分」
「ゴーヤ、てーとくの素が気になるでち」
「今更出せるかそんなもん」
「でも、もうバレちゃってる時点で隠す必要無いのね」
「こ、今後着任する艦娘も居るしだな……」
「口止め料に、シュトーレン食べたいな」
「その本読みながら言うのやめろ。というより、食事中に読むな」
昼食である卵かけご飯をかっ込み、提督は先に食事を終える。
そこで立ち去らず全員を待つ辺りが律儀であり、今更多少口調や態度が変わったところで、今の彼が全て作り物の上辺しか見せていないと彼女達も思ってはいなかった。
「隊長、まるゆはどんな隊長でも全力でついていきます!」
「変態でも?」
「イムヤ、まだ根に持ってたのかお前……」
「その話、すっごく気になるのね」
「てーとくがイムヤの――」
「ゴーヤ、段ボール達とさよならしたくなければ口を閉じろ」
「お、横暴でち!」
「“その六十七、部下を脅してはいけない”」
「だから読むのやめろって」
熱心に読み耽っているハチから、提督は本を回収する。
付箋と下線だらけのそれを暫くネタにされるのは多少居心地が悪いものの、何も気にした様子がない彼女達に、彼は内心感謝していた。
(これはもう、必要無いか)
翌日からほんの少し肩肘張らずに接しようと心に決めながら、提督は仲良く笑っている潜水艦娘達を見つめるのだった。
「おー、おはよーさん! 今日も元気に出撃すっか!」
「「「「「……どちら様ですか?」」」」」
「まるゆ、ここ数日皆から距離を感じるんだが、俺何かしたか?」
「隊長の変貌ぶりに皆困惑してるんだと思います」
「そうか……やっぱダメだったか……」
「落ち込まないで下さい隊長、まるゆは今の隊長も変わらず尊敬してますから」
「まるゆにも“誰?”って言われた気がするんだが?」
「あ、アレはその、あまりに前の日までと口調も表情も違うから驚いただけで……」
「そのぐらい印象に差が出るから、なるべく上に立つ者として相応しくしようとしてたんだよ」
(確かに、最初からあの調子だと信じようとは思えなかったかも……)
「まぁはっきりと再確認も出来たし、これからは最初の感じに戻すから安心していいぞ」
「は、はい……」
書類から外していた視線を再び戻し、提督は日に日に増えていく紙の山を切り崩していく。
その横顔を見つめながら、まるゆはある決意を固めるのだった。
「別に軽いノリのてーとくも嫌いじゃないよ? でも、段ボールに“捨てゴーヤ、拾って下さい、苦くないです”って書いたのは許さないでち!」
「私達の扱いが変わったわけじゃないし、私はどっちでもいいわ。――ただ、次にあんなことされたら海に一緒に潜ってもらうかも」
「ちょっと最初はびっくりしたけど、すぐにあの感じには慣れたのね。でも、イクのマッサージを頑なに拒否するのは許せないの!」
「はっちゃんはシュトーレンと読書の時間さえくれれば、それでいいよ。次のシュトーレンはまだかしら……」
(……秘書艦として隊長と皆が仲良くなれるように頑張ろうって思ったけど、ギクシャクしてた理由が子供の喧嘩みたいな時ってどうしたらいいんだろう……)
段ボールに書く文字を変えたら頬を赤くしたゴーヤに殴られたのは、翌日のことである。
綺麗な海、爽やかな空、そして――ボロボロの水着。
「また随分と派手にやられたな」
まるゆ、イムヤ大破。イク、ハチ、中破。
少し近海から先へと出てみれば、敵も当然強くなる。油断でも慢心でもなく、必然の敗走だった。
「隊長、ごめんなさい……」
「現状で行ける限界を見誤った俺の責任だ、こっちこそ悪かった」
「そうそう、まるゆじゃなくててーとくが悪いんでち」
「……何でお前だけ無傷なんだ?」
「日頃の訓練の賜物だよ?」
何処かから拾って来たツボ(頭と足が同時に出せるよう改造済)に入りながら平然と答えるゴーヤに、提督は若干彼女への評価を改める。
それ以外にも、今回の出撃で分かったことは多々あった。
(まるゆは土壇場でテンパりやすく、イムヤは周りに集中し過ぎて自分が見えてない。ハチは敵旗艦に固執する癖があって、イクは先制雷撃のタイミングが他の四人に比べて早い、か)
自分で考え自分で動く以上、艦娘にも必ず個性というものが見えてくる。
それを正確に把握することは、艦隊を動かす上で必要不可欠だ。
(うちみたいな鎮守府と演習してくれる奇特なところがあれば助かるんだがなぁ……)
「提督、イク達のあられもない姿をいつまで眺めてるつもりなの?」
「ドックでも沈めるには十分よね」
「あまり派手にやらないでね、本が濡れちゃうから」
「あー、すまん。すぐに入渠してきてくれ」
その言葉を皮切りに、四人は入渠ドックへと向かっていく。
それを見送り提督も執務室に戻ろうとするが、行く手を遮るツボに足を止めた。
「何か用か?」
「てーとくの魚雷はお利口さんなのでち」
「……お前、そのまま転がすぞ」
本の虫、そうなるにはあまり質も量も芳しくない暗い夜の書庫で、スタンドライトの明かりで手元を照らしながらハチは本を読んでいた。
「ハチ、何を読んでるんだ?」
「『当世悪魔の辞典』」
「悪魔の辞典? ガーゴイルとかバフォメットとかそういうやつか?」
「――接吻は共食いの名残」
「・・・は?」
「希望と絶望は人間しか持たず、それは現実を現実として見ていないから」
「……とんでもない本だな、それ」
「提督は、勝てると思っていますか?」
「負けたらシュトーレン食えんぞ」
「それは嫌ですね」
「だったら勝てばいい。わざわざ絶望が形を持ってくれてんだ、ぶっ飛ばせばそれで消える」
「……提督は賢いのか馬鹿なのか、良く分かりません」
「馬鹿だからハチのだってことを忘れてシュトーレン食べてしまうかもしれないな」
「アハトアハトを脳天に撃ち込みますよ?」
「木っ端微塵はごめんだ」
ほんの少しハチが提督と話す時間が増えた。
(魚雷は四連装酸素魚雷が3、三連装酸素魚雷が4か……)
「まるゆ、ちょっといいか?」
「はい、何ですか?」
「出撃に支障が無い範囲で開発する。五人でそれぞれ妖精さんとやってみてくれ」
「分かりました。まるゆ、頑張ります!」
「皆、今資源はこれだけあるから、このぐらい使っても大丈夫だよ」
「了解でち」
「良いのが出来たらいいわね」
「すっごいのが出来たら、ご褒美欲しいのね」
「機銃作ってもいいかしら」
ここに各資源が五千あるとします。
それを使って開発を各3回、合計で15回行なったとしましょう。
これに燃料や鋼材を一度に投入出来る上限を百と定めた時、最低でもどれだけの資源が残るでしょうか。
答えは――。
「伊400型潜水艦二番艦、伊401です!」
「・・・・・・・・・」
「た、隊長? 隊長、しっかりして!」
「サプライズ大成功でち」
「これも妖精さんのお蔭なのね」
(ペンギン……ちょっと可愛いかも)
「アハトアハト、いえ、7. 7ミリ機銃です」
大型建造に使ったので各千程度残りました。
新たに増えた仲間、シオイ。
そのこと自体は大変喜ばしいことではあったが、勝手に資源と資材を大量に使用したゴーヤとイクは反省を踏まえて遠征による資源回収を命じられる。
一方提督も新規艦娘着任の手続きや、潜水艦に愛された逃れられない自分の運命と向き合うのに忙しかった。
「ごめんねシオイ、建造されたばかりなのに手伝ってもらって」
「いいよいいよ、何だかこうやって洗ってピカピカにするの気持ちいいし」
「この洗い物終わったら、鎮守府の中を案内をするね」
「うん、ありがとまるゆ」
第一印象は田舎の娘、話してみれば温和な普通の女の子。
一緒に皿洗いをしていると、自分たちが深海棲艦と最前線で戦っているということを忘れてしまいそうだとまるゆは感じていた。
「よし、こっちは終わったよ?」
「あーちょっと待って、この汚れがなかなか落ちなくて……」
「それぐらいなら大丈――」
「ダメ! ピカピカにしたいの!」
大きな声で遮られたことに驚き、まるゆは肩をビクリと震わせる。
別に急いでいたわけではないので彼女は大人しくシオイの気が済むまで待つことにしたが、皿洗いが終わったのは実に十分後のことだった。
「それじゃあシオイ、どこでも見たいところを言って。案内するから」
「じゃあまずはお風呂かな」
「お風呂? 入渠ドックじゃなくて?」
「そうだよ、お風呂。大切大切ー」
「う、うん、じゃあ案内するね」
「レッツゴー」
シオイはちょっと綺麗好きで皿洗いに余念が無くお風呂に入ったら二時間は出てこない普通などこにでもいる女の子だった。
まるゆ、イムヤ、ゴーヤ、ハチ、イク、シオイ、合計六人となった潜水艦娘達。
いつどうなるか分からない彼女達の今後の為にも、提督はいくつかの鎮守府に以前から演習を打診していた。
練度、編成、階級、色々なものに阻まれなかなか実現することのなかったそれが、ようやく叶うこととなる。
「――他鎮守府との演習が決まった」
「演習……」
「司令官、相手の編成は?」
「軽巡三名、とだけ知らされた。後は不明だ」
「六対三ならきっとなんとかなるでち」
「初演習、勝利で飾ってやるのね!」
「そううまくいくかしら……」
「演習楽しみだなぁ、前日はしっかりお風呂に入って気合い入れないと!」
「勝つに越したことはないが、自分達の長所や短所を改めて確認する良い機会だ。全員、この機会を無駄にするな」
「「「「「「了解!」」」」」」
初演習が次へ進むための足掛かりとなるのか、現実に打ちのめされて進めなくなるのか、どちらへ転ぶかはこの時まだ誰にも分からなかった。
演習予定日となり、提督と六人は軽巡三名の到着を待つ。
対潜攻撃への警戒やどういう陣形で挑むかという簡単な作戦会議を行う中、沖に現れた艦影を一番先に発見したのはイクだった。
「提督、来たみたいなのね」
「来たか」
全員の視線がイクの指差す方向へと集まり、普段は少し賑やかな面々も緊張の面持ちを見せる。
そして、段々とその姿がはっきりとした頃、提督は先方の鎮守府が真剣に演習相手を送ってくれたのだと確信した。
「けっ、軽巡洋艦、名取です。今日はよろしくお願いします」
「五十鈴よ、よろしく」
「軽巡洋艦、神通です。今日はよろしくお願いいたします」
「こちらから申し込んだ演習だというのにわざわざご足労頂き感謝する。では、早速あちらで始めてもらっても構わないだろうか?」
「はい、問題ありません」
「準備は万全よ」
「私も準備運動は済ませておきました」
「じゃあお前達、胸を借りる気持ちでしっかりぶつかってこい」
「皆、頑張ろうね」
「海のスナイパー、イムヤに任せて」
「避けまくってやるでち」
「機銃撃ってちゃダメかしら」
「勝ったらご褒美もらうのね」
「終わったらお風呂直行!」
気合いは十分、六対三と数の上では圧倒的に有利な彼女達にとっての初演習が、今始まろうとしていた。
「貴方達動きが単調過ぎるわ、もっと先を読んで動きなさい」
「何でゴーヤが避ける方向が分かるんでちか!?」
「あっ、ダメだよゴーヤ! そっちは――」
「動く的でも、動かない的と同じように狙った場所を外さなければ当たります」
「嘘っ!?」
「こ、こんな速い攻撃避けられないよぉ……」
ゴーヤが五十鈴の爆雷に追い立てられ回避した先には、同じ様に誘い込まれたイムヤが居た。
そこへ神通の容赦無い一撃が加えられ、呆気なく二人に轟沈判定が下される。
「ちょっと洒落になってないのね」
「こんな風にすぐに浮上してたら、蜂の巣にされちゃうかな」
「まるゆ、どうするの!?」
「え、えっとえっと――きゃあっ!?」
「ごっ、ごめんなさい!」
他の二人の放つ凄味に気が向きすぎていた四人に、名取の砲撃が降り注ぐ。
その一発がまるゆに命中し、彼女にもまた轟沈判定が出された。
「こうなったら、一発だけでもいいからイクの魚雷をお見舞いするの!」
ちょうど射線に入った神通目掛け、イクは魚雷を放つ。
それは大きな水柱を打ち上げ、彼女は一矢報いたと一瞬気を抜いた。
――――油断しましたね?
演習の結果は言うまでもなく、惨敗。
自分達と比べるのもおこがましい実力差を見せ付けられ、六人は肩を落とす。
しかし、むしろここからが本番であることを、まだ彼女達も提督ですら知らなかった。
「そちらにはあまり実りの無い演習となってしまったかもしれないが、今日は――」
「何を言っているの? 本番はこれからよ。伊8と伊401は名取、伊19と伊168は神通、まるゆと伊58は五十鈴についてらっしゃい」
「何? ちょっと待ってくれ、それはどういう……」
「いいから黙って五十鈴達に任せなさい」
「あ、あの、酷いことをしたりするわけじゃないので、安心して下さい」
「最低限、形になるまで戦い方をお教えします」
「……お前達は、どうしたい」
提督の問い掛けに、全員が不安の色を見せつつも頷いて返す。
それを見て、本当に今日出会ったばかりの相手に任せていいものか少し逡巡した後、彼も五十鈴達に対して首を縦に振り、更に頭を下げた。
「よろしくお願いする」
その日、この鎮守府から砲雷撃の音が絶えることは無かった。
「し、死ぬかと思ったでち……」
「まるゆ、大丈夫? ちょっとまるゆ!?」
「心配しなくても疲れすぎて寝ちゃっただけなのね」
「お風呂で寝るのは危ないよ」
「今日はどぼーんじゃなくてズブズブ沈みそう……」
疲労困憊の六人は、仲良く風呂に入っていた。
いつもならはしゃぎそうな面子も、今日に限っては大人しくしている。
それほどまでに、特別演習がハードだったということだ。
「――あんな深海棲艦がもし居たら、今のゴーヤ達じゃ一瞬でやられちゃうね」
「流石にゴロゴロは居ないと思うけど、中には居るかもしれないわ」
「察知されるより早く、的確に、一撃で仕留めるしかないのね」
「浮上と潜行のタイミングも大事、かしら」
「あえて誰かが囮になるとかも重要だよね」
「……全員の、連携も……大事……」
「まるゆ、無理してしゃべらなくていいよ」
「私、先に上がってまるゆ休ませてくるから」
「イクも手伝うのね」
「はっちゃんはもう少し浸かってます」
「私ももうちょっと浸かってから上がるね」
「此度の御厚意、痛み入ります」
『堅苦しいのは抜きにしていい。それと、聞きたいことがあれば答えるぞ』
「では遠慮なく――どうすればアイツ等を今より強くしてやれますか?」
『明確な戦う目的と意志、そして何がなんでも生き残りたいという欲を持たせてやればいい。それと、自分がどう艦娘達と向き合うかを決めておけ。いずれ来る時の為にも、な』
「……分かりました」
『“提督のあり方”なんてのは人それぞれだ。その様を見て、艦娘達も自分達がどうすべきかを考える。提督は鎮守府の司令官であると共に、指針となるべき存在でもある。ブレずに進め、潜水艦提督』
「ありがとうございます――ただ、最後の呼び名だけはやめてもらえないっすかね?」
一歩、また一歩、若人と少女達は先の見えない道を踏みしめながら歩いていく。
(これはどういう状況だ……?)
提督の行く手を遮るように廊下に転がるまるゆ。
その背中には“イク”と書かれた紙が貼り付けられている。
「何してるんだ、まるゆ」
「隊長、まるゆ達は特訓の最中なんです。だから気にしないで下さい」
「気にするなって言われてもな……」
「――密かに近付いて、確実に仕留める」
「巻き込まれたらそうも言ってられんだろ」
「えっ、ちょっ、きゃあっ!?」
「足音は消えてたが、気配が――ん?」
相手が艦娘とはいえその力を利用すれば、投げたり一時的に組み伏せることは可能だ。
戦艦クラスになるとかなりの技術が必要とされるが、潜水艦は非力な部類に入るので、最低限の訓練を受けていれば十分に対抗できる。
それよりも今問題なのは、イムヤを投げる際に肩紐に指をかけていたことだった。
「先に言っとく。急に襲ってきたお前が悪い」
「……よね?」
「?」
「――次何かしたら、一緒に潜ってもらうって言ったわよね?」
潜水艦に海に引きずり込まれたら、確実に人間は仕留められると提督はその日身を持って体験した。
入渠は大切な行動の一つだ。
それを怠れば、万が一という事態を招きやすくなる。
高速修復材を使用するか否かの判断も大事であり、急を要する場合に在庫が無いでは話にならない。
ただ、高速修復材を使われるのがその艦娘にとって幸せかどうかは、状況次第である。
「やっぱりお風呂はいいよねー」
「……おい」
「あっ提督、入浴剤入れてもいい?」
「入れてもいいからその前に話を聞け」
「何ですか?」
「今は俺の入浴時間で、お前はさっき入ったはずだろ。何で戻ってきた」
「だって今日高速修復材使ったからすぐに入渠終わっちゃったし、ちょっとお風呂も短めだったからやっぱり入り足りないなーって思って」
「だからって俺が入ってるのに入って来るなよ。他の奴は止めなかったのか?」
「ちゃんと水着着てるよ? 皆今日はもう寝ちゃった」
「水着着てようが問題だ、後でイムヤに知られたらまた海に潜らされかねん」
「しおい的にありだからありです!」
「お前なぁ……」
「――ありがと」
「何だよ、急に」
「焦ると提督、あんな風になるんだね」
「焦らせたお前が悪い」
「だって、後もうちょっとだったんだもん」
「……あんまり、仲間に心配をかけるな」
「……うん」
「分かったならいい、俺は先に上がるぞ」
「提督、まだ入って二十分だよ?」
「二十分なら普通だ、お前も程々に――」
「ご入浴のところすいません。隊長、シオイがどこに居るか知りま……せん……か?」
脱衣場から声をかけようとしたまるや、脱衣場へのドアを開けた提督、走り去るまるゆ、追う提督、転けるまるゆ、抱き起こす提督、シオイをまるゆと探していたイムヤ合流、腰にバスタオルを巻いただけの提督と気絶したまるゆ、以下略。
「提督、大丈夫?」
「自分に高速修復材を使いたい気分だ……」
緩やかに、だが着実に実力を身に付け、彼女達は少しずつではあるが戦果を挙げていく。
それは同時に、求められるものが増えるということにも繋がる。
避けては通れない問題に、提督はある提案を彼女達に提示するのだった。
「――先行偵察、ですか?」
「あぁ、危険だが重要な任務だ」
「司令官、どうしてそれをわざわざ私達にやらせたいの?」
「はっきり言って、お前達に現在確認されている上位の姫級はどう頑張っても倒せる相手じゃない。そもそも、辿り着くことすら困難だ」
「でも、敵の主力を叩くだけが作戦じゃない、ということ?」
「戦力を削いで、ついでに作戦海域の情報を持ち帰るだけでも十分な成果なのね」
「そういうことだ、艦載機による偵察だけでは分からない情報も多い」
「ちゃんと私達が活躍出来る……うん、ありです!」
「てーとく、別に倒しちゃってもいいんだよね?」
「ゴーヤ、冗談だとは分かってるが敢えて言うぞ? 無理せず帰れ、あくまで偵察だ、絶対にバカな気は起こすな」
「当たり前でち、ゴーヤにはまだまだ被りたい段ボールや壺がたくさんあるんでち」
「じゃあこの件については全員異論は無いということでいいな? 次、それに伴って戦力の増強を行う」
「新しい艦娘が来るんですか?」
「来る――が、実際に出撃するのはお前達だけだ」
「それ、どういう意味?」
「……まぁ、その、何だ。色々大本営から言われているうちに戦力は潜水艦娘だけでいいって啖呵きった結果そうなった」
「提督、やっぱりバカだったの?」
「今更確認するまでも無いと思うな」
「それでそれで、結局誰が来るの?」
「性格に難ありな修理のスペシャリスト、と聞いてる」
「後半だけならすっごく頼りになりそうだね」
「どう考えても嫌がらせか厄介払いじゃない……」
「で、でも仲間が増えるのはまるゆ、嬉しいです!」
「着任は明後日の予定だ。初めての潜水艦以外の仲間で多少最初は戸惑うかもしれんが、よろしく頼む」
大規模作戦への参加と新たな仲間、それぞれに様々な思いを胸に抱きながら、今出来ることを着実にこなすのだった。
多少や若干という言葉は往々にして鵜呑みにしていると痛い目を見る。
色々な場面で使え、程度も幅広く、明らかに当てはまっていないことも少なくはない。
特に、性格に難ありという言葉に付いていた場合には、要注意である。
「(隊長、アレが今日着任予定の艦娘の方でしょうか)」
「(まず間違いなくそうだろうな、どこからどう見ても不審者だが……)」
工廠の片隅、明かりも届かぬ物陰で、彼女は工具を黙々と磨いていた。
その後ろ姿に妖精さんも興味は持つものの、言い知れぬ雰囲気に近付くモノはいなかった。
「(どうしますか、隊長)」
「(放っておくわけにもいかんだろ、話しかけるぞ)」
人を寄せ付けぬその背中へとゆっくりと歩み寄り、咳払いを一つすると提督は声をかける。 しかし、聞こえていないのか作業する手は止まらない。
「(聞こえていないのでしょうか?)」
「(そう願いたいもんだ)」
仕方無く前に回り込み、絶対に気付く形でもう一度提督は声をかける。
そうしてようやく彼女は頭を上げ、手を止めた。
「……何ですか?」
「着任の挨拶ぐらいはしてくれ、形式上ではあってもな」
「隊長、形式って言っちゃっていいんでしょうか……?」
「……明石です、よろしく」
これで責任は果たしたとでも言うように、工作艦明石は再び工具を磨き始める。
それを咎めるでもなく、提督はまるゆを連れてその場を去った。
そして、二人が去って数十分後、明石はようやく手を止める。
(――まずは、ここにある艦装のチェックをしないと)
「いいか? もう一度確認するぞ。まず、まるゆ」
「はい隊長、まるゆは旗艦として艦隊の指揮、もとい進撃か撤退の判断をします」
「イムヤ」
「まるゆのサポートと雷撃の発射合図、でしょ?」
「ゴーヤ」
「隠れる場所を探すのはゴーヤにお任せでち」
「ハチ」
「状況に応じた作戦の立案、優先標的の確認、です」
「イク」
「索敵はイクに任せるのね」
「シオイ」
「後ろを警戒すればいいんだよね? 大丈夫です!」
「よし、後は各自それぞれに自分の出来ることをしろ。無理だけはするな、作戦会議は以上だ」
「お疲れ様です、隊長」
「ねぇ司令官、あのずっと工廠に居る明石さんって艦娘、大丈夫なの?」
「どういう意味だ、イムヤ」
「いつ行ってもイク達の魚雷を点検してるのね」
「気になるんだろ、お前達の修理が主な仕事だが、艦装の点検もその延長にあると言えなくもない」
「本当にそれだけ、かしら……」
「段ボールもらいに行ったら凄い顔でにらまれたでち……」
「ふむ……シオイはどうだ?」
「うーん、まだ会ったばっかだしあんまり話したこと無いから分かんないなー」
「シオイの言う通り、俺もまだ会ったばかりで明石については良く分からん。分からんからと言ってそれを理由に今みたいに本人が居ないところでアレコレ話すべきじゃない。気になるなら直接聞いてみろ」
「じゃあ司令官聞いてきて」
「提督、お願いなのね」
「てーとくにお任せするね」
「右に同じく」
「……一応これも提督の役目、ではあるか」
「隊長、まるゆも付き添いますから」
「あっ、私も私も!」
「あぁ、頼む」
まるゆとシオイを連れ、提督は工廠へ向かう。
初めての大きな作戦を控える非常に大事な時期、彼女達の後顧の憂いを断つのも、大事な彼の務めだった。
――作戦難易度甲、“多少”性格に難ありの艦娘とコミュニケーションを図る。
「――何ですか? 人間の修理は専門外ですよ」
「いや、今日は明石に話があってきた」
「私からは無いので作業の邪魔しないで下さい」
(取りつく島も無い、か)
「あ、あの……」
「これ以上邪魔すると頭の中点検しますよ?」
「ひぅっ!?」
「ねぇねぇ、それって私の艤装だよね。たまに魚雷が発射しづらくなってたのが治ってたんだけど、どこが悪かったの?」
「……僅かに発射口が歪んでたんです、修復材は“戻す”だけで“治す”効果はありませんから」
「へーそうだったんだ。ありがと明石さん!」
「話はそれだけですか? ならもう用は無いでしょう。出てって下さい」
「えっと、まるゆも何だか前より調子がいい気がします。ありがとうございます」
「また来るね、明石さん」
「邪魔したな」
(――今度こそ、今度こそは必ず……)
「や、やっぱり少し怖いです明石さん……」
「そう? 明石さん、私はいい人だと思うなー」
「……」
「隊長? どうかしたんですか?」
「……いや、何でもない」
(修復材に関してそんな注意事項は無かったはずだ……アイツは、どこでそんな情報を得たんだ?)
情報とは武器であり、身を守る盾である。
敵を知らねば策は講じれず、己を知らねば打てる手も分からない。
故に、偵察とは非常に重要な任務だった。
「隊長、行ってきます」
「帰ってきたらご馳走食べるでち」
「甘いものもいいわね」
「シュトーレン、食べたいな」
「すっごいご褒美、期待してるのね」
「運河とか、行ってみたいなー」
「帰ってきたら一つずつ考えてやる。しっかりやってこい」
「「「「「「了解!」」」」」」
出撃していく潜水艦娘達。その背を見送り、提督は踵を返し執務室へと戻っていく。
その途中、ふと視界に入ったモノが気になり、彼は後を追う。
辿り着いた先は予想通り工廠、そこで彼女はいつものように兵装の点検をしていた。
「見送りなら声ぐらいかけてやったらどうだ」
「話し掛けないで下さい、邪魔です」
「――あの修復材の効果、どこで知った」
「……邪魔です」
「……そうか、邪魔したな」
頑なに会話をしようとしない彼女に背を向け、提督は歩き出した。
その途中、一度だけ彼は振り返り言葉を残す。
「――無事に帰ってくるぞ、アイツ等は」
「も、もうすぐ作戦海域に突入しましゅ!」
「まるゆ、ちょっと落ち着くでち」
「あの出撃前のやる気満々な感じはどうしたのよ」
「い、今になって緊張してきて……」
「退却、する?」
「流石にその選択肢は無いのね」
「無しです!」
「うぅ……やっぱり頼りない旗艦でごめんなさい……」
「大丈夫でち、まるゆが頼りないのはいつものことだよ」
「はうっ……」
「ゴーヤ、それフォローになってないから」
「でも、まるゆ見てたらイク達は何だか緊張しないのね」
「うんうん、私達がしっかりしないとって思っちゃうよね」
「それもフォローじゃないです」
笑い合う潜水艦娘達。自然とまるゆの緊張は解け、下がっていた視線は前へ向く。
「――行くよ、皆!」
旗艦らしく、力強く号令をかける。
行く先に待ち構えるのはこれまでとは比べ物にならない強力な深海棲艦ばかりだが、彼女達は潜り、潜み、作戦海域の最深央を目指していく。
今まで積み重ねてきたモノが、無駄ではないと信じて。
運、それは良い方向にも悪い方向にも一瞬で傾かせる人の手に余るモノ。
艦娘の場合においても例外でなく、天使が微笑むか悪魔が笑うかは誰にも分からない。
そして、今回においては――。
「に、逃げ切ったの?」
「まだでち」
「ホンット~にしつこいのね!」
後方にまだ艦影が見えるのを確認した六人の顔には、疲労感が浮き出ている。
既に二度の戦闘を彼女達は潜り抜けており、これ以上の戦闘は航行に影響の出る損傷が出かねない為、避けるのが妥当だった。
「やっぱり敵主力艦隊群の一部と出くわしちゃったからかなぁ……」
「運が良いのか悪いのか、悩むところですね」
「シオイ的には良いんだと思うけどなー」
全力での航行を続けながら、六人は現状は運が良かったと言えるのか悩み始めた。
裏を返せばそれを考える余裕程度はあり、変に気負っていないということである。
疲労は基本的に思考を鈍らせるが、常に逆境の中で鍛えられた彼女達にとっては現状の方が本領を発揮出来るのだ。
「皆、とにかくこのまま無事に鎮守府に帰ろうね」
「鎮守府に帰るまでが任務だもんね」
「その言い方だとまるで遠足じゃない……」
「帰ったら皆でお出掛けしたいのね」
「はっちゃんはゆっくり部屋で本――」
「いいね! 飛び込み台のあるプールでどぼーん! とかしたいなー」
(……まぁ、たまにはいい、かしら)
魚雷や爆雷、砲撃の音がする中でなおも続く会話。
時折潜行も織り混ぜながら、巧みに直撃を避けていく。
そして、六人は示し合わせた訳でもなくこれだけ全力を出しきれる要因の一つに“完璧な整備”というものがあると認識するのだった。
――――戦果報告、敵主力艦隊群ノ一部ヲ捕捉。全隊ヲ確認スルニハ至ラヌモ、新種ノ発見ニ成功セリ。尚、先行偵察隊ノ損傷ハ中破四、小破二デアル。
“休み、休ませることも戦いのうちである”。
これが今の提督と艦娘という上下関係を良好に保てる環境の基礎固めにおいて、忘れてはならない言葉の一つとされている。
ピンと張り詰めた糸はいとも容易く切れ、また何かを切ることもある。
故に彼等は今、目一杯糸を緩めているのだった。
「お前達、あまりはしゃぐなよ」
「司令官、もう遅いわ」
「し、しおいとゴーヤの姿が見当たらないです」
「アイツ等……」
既に索敵範囲から離脱している二名に頭を痛めつつ、提督は違う意味で問題な二人へ視線を向ける。
「――別にはしゃげとは言わんが、一緒に遊んだらどうだ?」
「コレを読み終わったら行きます」
「……」
防水カバーに守られた鈍器の様な本を読むハチと、水着の上からパーカーを着て三角座りで彼をにらむ明石。
前者は既に後ろからトリプルテールの悪魔が忍び寄っているので陥落は時間の問題だとしても、後者はなかなかに骨が折れそうだった。
「強引に連れ出したのは俺じゃない。恨むならコイツ等を恨め」
――なっ、何っ!?
「止めずに見ていたんですから同罪です」
――イクの前で隙を見せたのが悪いのね!
「俺が止めたところで聞くわけもないし、結果は変わらなかったと思うが?」
――ほ、本にシワが出来ちゃ、やめ、くっ、ふふっ、いい加減に、して!
「威厳、無いんですね」
――な……殴る方が、本に良くないと、思うの……ね。
「命令を聞かせるだけが提督の役割じゃないんでな」
――アハトアハト、いえ、八十八ミリのこの本は叩く程度ではビクともしません。
「……怪我させないようにしっかりと監督ぐらいはして下さい」
「努力はしよう」
「隊長! 飛び込んだしおいと潜ってたゴーヤが衝突しました!」
「……努力はしよう」
生きていく上で、壁というものに何度もぶち当たるのが世の常だ。
それを乗り越えて進むか、叩いて壊すか、避けて通るかは個人の自由である。
――しかし、必然的に巻き込まれる相手が居た場合、その相手のことは考慮すべきだろう。
「隊長、どうやっても辿り着けませんでした……」
「そうか、また日を改めて頼む」
「司令官、やっぱりダメだったわ……」
「分かった、今日は休め」
「提督、あの海域全然進める気がしないのね……」
「何か特殊な装備が必要なのかもしれんな、もう少し調べてみる」
「あんなとこより運河とか行ってみたいなー」
「運河に行きたきゃ全部終わってから好きに行け」
「無理ですね……」
「……」
「てーとく、あそこ行くのもう嫌でち」
「――だ」
「? てーとく?」
「こうなったら意地でも攻略だ! やれることは何でもやるぞ!」
(あっ、これダメなやつでち)
「こ、このマント水を吸って泳ごぼごぼ」
「まるゆ!? 何でそんな泳ぎにくそうな服借りたの!?」
「いつもとほとんど変わらないでち」
「これがドイツの服……ダンケ」
「ちょっと胸の辺りがキツイのね……」
「たまにはスカートも……うん、ありです!」
「よし、これで再出撃――ん?」
その日、提督は初めて明石の満面の笑みを見た。
これは彼女が提督達に少し心を開いてくれたということかもしれない。
故に、頭に向けて六角レンチをフルスイングされたりクレーンで狙われたりバーナーを向けられても問題はない。誰が何と言おうと、問題はないのだ。
――後日、その海域は無事別の鎮守府によって突破された。
沈む身体、視界は徐々に暗くなり、音も次第にしなくなり、光は遠退いていく。
待ち受ける闇の世界、艦娘であるからこそ認識できる自分と周囲。
――それが分からなくなった時、果たして彼女達は平常心を保てるのだろうか。
「部屋から出てこない、か」
「はい、今朝から返事が無いんです……」
「中で倒れてるなんてことは無いと思うが……イク、俺だ、入るぞ」
今回は非常事態の可能性も考慮し、提督はマスターキーで鍵を開け、中へと入る。
そこにはある意味異常とも言える事態が待ち受けていた。
(引きこもり……とは違うか)
「イク、どうしたの?……イク?」
日の光が部屋を明るく照らしているというのに部屋の電気を点け、備え付けのテレビにヘッドホンを繋げて画面を食い入るように見つめるイク。
部屋に二人が入ったことに気付いた様子もなく、まるゆの呼び掛けにも返事は無かった。
「まるゆ、とにかくテレビを消せ」
「は、はい」
まるゆは床に座るイクの隣に転がっていたリモコンを拾い上げ、電源を切る。
すると突然、イクは身体を震わせ始め、両腕で自分を抱き締めるように小さく丸まった。
「――まるゆ、お前ちょっと部屋戻ってろ」
「隊長……?」
「いいから、戻れ」
真剣な提督の声音に、まるゆは少し不安そうにしながらも部屋を後にする。
そして、気配が遠ざかるのを確認した後イクへゆっくりと近付いた。
(ふぅ……よし)
気合いを入れ直し、失敗のことは考えないようにしながら、提督は行動に出る。
「っ!……て……や……」
「俺の目を見ろイク、後で文句は幾らでも聞いてやる、だから、見ろ」
雰囲気から分かる通りかなり不安定な精神状態にあるイクをどうにか拘束し、自分の方を見るように言い聞かせる。
潜水艦娘とはいえ見た目より力は強く、錯乱状態であることも相まって、あまり長くかかると振りほどかれて壁に激突などという結果も考えられた。
(あー……いてぇ……)
殴られ、引っ掻かれ、身体のそこかしこに傷を負ってはいるものの、それを顔には出さず、ただひたすら落ち着くのを待つ。
そして、ようやくその時は訪れた。
「……てい、とく?」
「……セクハラはこの傷でチャラな」
「あの……は、恥ずかしいから離れて欲しいのね」
「あぁ、だから後でちゃんと話聞かせろよ? まるゆ達にも、な」
音も、光も届かない暗闇の世界に彼女は恐怖を覚えた。
けれど、例えそのどちらも取り戻せなかったとしても、きっとまた彼女は笑うだろう。
何故なら、彼女には――。
「急に深海で音も光も感じなくなる夢、ですか」
「それは、私も嫌かな……」
「まるゆはそんなの耐えられないよ……」
「ゴーヤもごめんでち」
「一度感じた恐怖をそう簡単には拭えん。完全に大丈夫だと判断できるまでは本格的な出撃は見送る」
「だ、大丈夫なのね。もう全然平気なの」
「分かった。なら今から無音で真っ暗闇な空間に放り込んでやるから一分耐えてみせろ」
「っ……そ、それ、は……」
青ざめていく顔、再び震え出す身体、息も徐々に荒くなり、実際に目の当たりにした仲間達もそのイクの姿に動揺を隠せずにいた。
(まるゆの時はどうにかなった。だが、今回は自分達のみで解決出来るレベルの話なのか? 艦娘に対しても有効なのかは分からないが、カウンセリングの様なものを受けさせるべきか? 対処を間違えれば下手すると……クソッ!)
出撃時に平気だとしても、敵地で急に発作を起こしてしまう可能性もある。
大丈夫だという確信を得ようにも、精神的な問題は目に見える形で必ずしも解決する訳ではない。
さしあたって、今はとにかく先刻同様落ち着かせようと提督はイクへと一歩歩み寄ったが、それより速く彼女へと一人の艦娘が駆け寄った。
「イク、シオイはここだよ。艦娘っていいよね、艦の時と違ってわざわざ何かで繋がなくってもこうやって手を握るだけで繋がれるもん、ね? また怖くなったら手を伸ばして、すぐに掴みに行くから」
「シオイ……」
「そうね、一人じゃないんだし私達はいつでも一緒だもの」
「ま、まるゆも頑張ります!」
「一蓮托生、ですね」
「そうでち、ゴーヤもイクの髪の毛後ろから引っ張るでち」
「髪の毛引っ張ってどうするのよ……」
「……髪は、やめて欲しいの」
いつの間にかイクの身体の震えは止まっており、涙目ながらも顔には生気が戻っていた。
その様子を見て、思い違いをしていたと提督は気付く。
(コイツ等はもう六人で一つみたいなもんだ。“一人”になることが無いのに、乗り越えられないはずがない)
イクとイクを囲むように立つ艦娘達、その繋がりは強固で、全員が全員を支え合っていた。
深夜の工廠、そこで動くものは一つしか存在せず、それは一人の艦娘の艤装の前に立っていた。
小型のヘッドライトで手元を照らし、扱い慣れた工具で本来とは正反対の作業を開始する。
――例えその行為が間違っていたとしても、それが、彼女なりの精一杯の償いなのである。
「――イクの艤装が原因不明の不調?」
「はい」
「珍しいこともあるものだな。お前が“原因不明”なんて報告をしてくるとは」
「事実を報告したまでです。そういうことなので、暫く彼女には出撃させないで下さい」
「明日、出撃の予定がある」
「少し修理しないと日本語すら理解できなくなりましたか? 暫く出撃は無理だと言ったんですよ」
「間に合わせろ」
「っ……結局、貴方もそういう人なんですね」
「俺は何もおかしなことは言っていない」
「何と言われようと、明日彼女の艤装は動きません。失礼します」
軽蔑と落胆の入り交じった視線と声を残し、彼女は部屋を去る。
一難去らずまた一難、優秀な工作艦の仕事ぶりに、彼はどんな手が通用するか一人思案に耽るのだった。
~閑話休題~
「明石さんってどんな風に戦うのかな?」
「そりゃ普通に砲撃するんじゃない?」
「きっとクレーンで戦うんでち」
「流石にクレーンは無いと思うな……」
「艦娘なんだからその場に応じて艦装を変えているんだと思うのね」
「ドリルとか、装備して欲しいなぁ……うん、ありです!」
「接近前提か、耐久性的に神風特攻になるな」
「で、どうなんですか隊長?」
「――全員外れてないぞ?」
「「「「「「……え?」」」」」」
「海上で修理中でも攻撃される可能性があるのに、修理だけの為の艦装なんてしてられませんよ」
――クレーンにあまり触れると、危ないですよ?
閑話休題の使い方間違ってるぞ
>>114
申し訳ありません、仰る通りです…以後気を付けます
「今日の出撃は少し編成を変える」
「隊長、編成を変えるって言っても他に艦娘が居ないです」
「居るだろ」
「はっ!? まさかてーとく!?」
「そんなとんでも人間ならさっさと一緒に出撃してる」
「まぁ普通に考えて、あの人よね。でも、何でなの司令官」
「押してダメならぶち破る方式だ」
「時々、提督の発言は意味不明ですね」
「うんうん、たまに何言ってるか全然分からないよね!」
「シオイのは単純に言葉が難しくて分かってないだけだと思うの」
「本題に入るぞ。今回待機はイク、お前だ。理由は言わなくても察しろ。出撃先は近海、無理の無い範囲で撤退、判断は任せる」
「イク、提督と二人っきりなんて恥ずかしいのね……」
「司令官……」
「その生ごみを見るような目をやめろ、襲う気ならもうとっくに襲ってる」
「大胆な暴露発言ゲットでち!」
「アイン、アイン、ヌル」
「だからその気は無いと言ってるだろ。下らないことを言ってないでさっさと準備しろ」
「イク、何かされたらちゃんと言うのよ?」
「おっきな魚雷だったか教えて欲しいでち」
「アハトアハト……」
「つべこべ言わずにさっさと行け!」
怒鳴られながら工廠へ明石を迎えに行く艦娘達。
その背中が視界から消えると同時に、イクは口を開く。
「――提督、ごめんなさいなのね」
「艤装が原因不明で壊れてるのはお前の責任じゃない。それに、元々今回の出撃はお前を口実にして突発で決めたものだ。だから、お前は俺に謝る必要がない」
「それ、どういう意味なの?」
「――八人で飯、食いたいだろ?」
いつもとは違う編成で出撃した艦娘達。その中で一人だけ不機嫌さを全身から滲ませる者が居た。
「き、機嫌がとても悪そうです……」
「きっと便秘なんでち」
「しー! 聞こえちゃうって」
「ねぇはっちゃん、便秘には何がいいの?」
「ヨーグルトとか、いいと思います」
「明石さーん! 戻ったらヨーグもがもが……」
「シオイ、ダメだってば!」
(全部聞こえてるんだけど……)
潜水艦娘達の和気藹々(あいあい)とした会話に怒りよりも呆れが強くなり、ため息を吐く明石。
願わくば深海棲艦とこのまま出会わずに帰投したいと彼女は祈るも、その祈りが天に届くことは無かった。
「――三時方向、艦影四。多分軽巡級二隻と駆逐級二隻、どうするまるゆ?」
「えっと、まだ気付かれてないの?」
「気付かれてないよ」
「周囲に隠れられそうな場所は?」
「無いでち」
「……先制雷撃で二隻を無力化出来たら追撃、外したら撤退。で、どうかなハチ」
「いいと思います」
「シオイは明石さんと後方で待機してて」
「はーい」
「小破程度ならこの場で応急処置出来ますから、直撃だけは避けて下さい」
明石の言葉に無言で頷くと、四人は海中へと姿を消した。
それを見届けた後、二人は言われた通り後方へと退避する。
「ねぇねぇ明石さん」
「……何ですか?」
「ヨーグルトはしっかりしたのとトロトロしたやつ、どっちが好き?」
「・・・・・・トロトロしてる方です」
「うんうん、ありです!」
――三十分後。
「全艦撃沈を確認。皆、お疲れ様」
(被弾はゼロ、至近弾が二、この程度なら)
「ハチ、少しじっとしてて下さい」
「このぐらい平――」
「じっとしてて!」
「は、はい……」
鬼気迫る表情で応急修理をする明石を、五人は終わるまでの間ただただ見守っていた。
その後、すぐに六人は帰投。出迎えた提督とイクが最初に耳にしたのは、シオイが大声で叫んだ“トロトロのヨーグルト八人分買ってきて”だった。
「よし、ようやく揃ったな」
「強引に連れてきておいて何言ってるんですか」
「今日からここでのぼっち飯は禁止する。来ないと便秘む――どこから出したそのドライバー」
「どこが悪いんですか? 耳ですか? 頭の中全部ですか?」
「病気知らずで健康そのものだ」
「定期的なメンテナンスは大事です」
「それはメンテナンスじゃなくて解剖だろ」
「大丈夫です。ちゃんと組み立てますから」
「お前は俺をどこまで分解する気だ」
「骨と皮と筋肉と臓器」
「俺の標本は高いぞ」
「――二人とも、ちょっといい?」
「何だ?」
「何ですか?」
「レバニラ炒めの日に臓器がどうとかやめて」
「……悪い」
「ごめんなさい……」
「てーとくのレバー、美味しいでち」
「まるゆはちょっと苦手かも……」
「ありです!」
「イクもありだと思うのね」
「原因はこっちだがお前等やめろ。俺の食欲が失せる」
「美味しいですよ、レバー」
「こっち見ながら言うな、バケツでヨーグルト補給させるぞ」
ぎこちなさやわだかまりは残っているものの、明石を輪に入れるという目的は果たされる。
そして、無言で隙を見つけては隣のゴーヤの皿にレバーを移していたのがバレたハチの食後のヨーグルトは明石へ回された。
互いが互いに話があると食後に呼び止め合った二人。
場所は工廠、妖精さん達が観客のように見守る中でそれは始まった。
「どちらから、先に話しますか?」
「じゃあ、イクから話すの。明石さん、イクはもう大丈夫だから出撃させて欲しいの」
「艦娘の記憶の呪縛はそんな簡単なものじゃない。いくら身体は修復出来たって、心までは治せません。いつかはボロボロに擦りきれて、そのまま修復不可能になってしまう」
「……暗いのは、今も怖いのね。でも、きっとそれは皆も一緒なの。提督も、“艦を引き揚げるのは骨が折れるが艦娘なら俺でも引き揚げられる”って言ってくれたのね」
「言うだけなら誰にでも出来ます」
「これ、見て欲しいの」
――艦娘ト提督ハ一心同体也。艦娘沈ム時、己モ沈ムト知レ。
「……何ですか、これ」
「提督の先生が書いたらしいの。自分の艦娘沈めるような奴は素っ首叩き斬ってやるが口癖だったらしいのね」
「どれだけ甘い考えで戦ってるんですか。私達がしているのは戦争です」
「明石さん、それは矛盾してるの。だったらイクは尚更出撃しない理由が無いのね」
「無駄死にとやむを得ない犠牲は違います」
「イクも無駄に沈むつもりはないのね」
「……どうあっても、出撃すると?」
「だって、イクは艦娘なの」
「……分かりました。ただ、一つだけ条件があります」
「何でも来いなの!」
「沈むぐらいなら無様に尻尾をまいて帰ってきて下さい。私の整備した艤装を無駄にするのは許しません」
「……明石さん」
「……何ですか?」
「ツンデレさんなの?」
「ちょっと頭の中修理してあげますからこっちに来なさい」
誰だって怖い、沈むのも、沈めるのも、沈まれるのも、みんな怖い。
だから、戦うんだ。
闘う恐怖、沈む恐怖、記憶の呪縛、それぞれが何かを抱えている。
抱えないものなど、居るはずもない。
悲鳴、怒号、怨嗟、別離、無念、絶望。
もの言わぬモノだった頃の彼女達に染み着いた負の念は薄まれど、消えはしない。
――そう、身体に染み着いているのだ。
「特定の備品の減りが異常に早いが、原因は何だ」
「石鹸……ティッシュ……トイレットペーパー……洗剤……ホントだ、凄い勢いで減ってます!」
「まるゆ、毎日資材管理はしてるはずだな?」
「してます!……週三回」
「そうか。まるゆ、今日から食事は週に三回にしてやる」
「そんなぁ!?」
(……一番安全そうな奴が、一番ヤバかったパターンか?)
見えていた歪みはとても繊細で、複雑で、だからこそ誰もが深く追及しなかった。
そもそも、彼女はどうして潔癖なのだろう、と。
「事情を聞いてくる、お前は書類の整理してろ」
「隊長、どこに行くんですか?」
「……塵一つ無い部屋だ」
(っ!……隊長、何だか怒ってる?)
大きく音をたててしまった扉。
隠しきれない焦りが、そこには確かに表れていた。
消えない、消えない、落ちない。
自分の血が、仲間の血が、敵の血が、身体を滴り落ちていく。
こんなのは幻想で、幻覚で、妄想。
昔の自分に血は流れてない。
――でも、私の世界はいつだって血に濡れている。
「シオイ、入るぞ」
「提督? 何か用事?」
至って普通、至って自然。
いつものほんわかとした表情で出迎えるシオイを見て、提督の表情は険しさを増した。
(これは……間に合うのか?)
空の掃除用洗剤のボトル、ゴミ袋にパンパンに詰まった使用後のウェットティッシュ、今も意識してか無意識か、シオイは手を拭いている。
何度も、何度も、何度も。
「何か触ったのか?」
「? あー、落ちないんです」
「何が、落ちないんだ」
「――赤いのが、落ちないんです」
「……そうか」
何も汚れていない、少し強く擦り続けたせいで赤くなっているだけの手。
その手を、しっかりと提督は握った。
「あのー、提督? こういうのはちょっと困っちゃうなー」
「今まで気付いてやれず、すまなかった」
「何を謝ってるの?」
「お前の手は、汚れてなんていない」
「汚れてるよ。ほら、こんなに真っ赤じゃない」
「……」
普段通りに、淡々と、シオイは自分の手を真っ赤だと口にする。
泣いてくれれば、慰めることも出来るだろう。
喚いてくれれば、そっと胸を貸すことも出来るだろう。
だが、ただただ彼女は提督の目をジッと見つめ返すだけだった。
艦娘は、元々不安定に肉体と精神を得ている。
そうでなければ、解体という最終手段は使えない。
故に、様々な面で不安定になりやすく、それを深海棲艦との戦いの中で管理・調整するのが、公式に明言されることのない提督の責務である。
――つまり、仮に過去に何も無かったとしても狂う可能性もあるのだ。
「シオイ、俺はどう見えてる」
「真っ赤」
「明石はどうだ?」
「一緒だよ?」
「……どう思う」
「色覚異常、という線はありません。彼女の精神がそういうフィルターをかけているのだと思われます」
「セルフ血みどろスプラッターか、需要は無いだろうな」
冗談混じりに返してはいるが、提督の表情はとても険しい。
今もシオイの手にはウェットティッシュが握られており、腕を拭いている。
明石の見解では、初期はところどころ染みが見える程度だったのが徐々に悪化し、今の状態に至ったというものだった。
潔癖症に見えていたのは、彼女自身も自分の異常を正しく認識出来ていなかった故だ。
「提督、明石さん、ちょっとお風呂行ってきてもいい?」
「あぁ、構わん」
「じゃあシオイ、どぼーんしてきます!」
普段通り、シオイは元気に風呂へと駆けていく。
それを見送った後、提督は明石へと視線を向けぬまま問いかける。
「アレは、正常と言っていいのか?」
「……気が触れてないのが不思議なくらいの異常さです」
「……そうか」
異常を異常と気付かなければ、それはきっと幸せなのだ。
しかし、それはずっと命綱の無い綱渡りをしているだけで、平穏は無い。
――だから、彼はその身を削ることを選んだ。
「おはよう、シオイ」
「あっ、おはよー提督。私の部屋の前で何してるの?」
「大したことじゃないんだが、ちょっとお前に話しておきたいことがある」
「何ですか?」
「俺な、小学生ぐらいの頃ちょっとした事件に巻き込まれたんだ。通り魔的なのに母親と買い物中に遭遇してな」
気が触れた男が、白昼堂々商店街で刃物を振り回すという事件があった。
新聞にも乗ったその事件の被害者は、通行中の男性一名と女性一名が軽傷、子供と買い物に来ていた主婦が一名子供を庇い重症。
幸い命を取り止めたものの、その主婦は車椅子での生活を余儀なくされた。
「――元からタフな母親だったし驚く程回復は早かったんだけどな、暫く俺の方が参っちまったよ。急に目の前が真っ暗になって、すっげぇ力で抱き締められて、やっと視界が開けたと思ったら自分の母親も俺も商店街の白いタイルも真っ赤で、今でもその光景だけは鮮明に覚えてる」
「んー……提督は何でその話を私に?」
「今のお前に見えてる世界ってさ、はっきり言って異常だぞ。普通の人間ならいつ発狂しててもおかしくない程に」
「私はおかしい、って言いたいの?」
「……俺から見たお前は、仲間のことを大事に思っている優しい艦娘だ。ただちょっと……普通の艦娘より、少し不安定になってるだけの、な」
提督の言葉に眉をひそめるシオイ。今も確かに彼女の世界は真っ赤で、提督も真っ赤で、壁も天井も床も――そこで彼女はようやく気付いた。
「てい、とく……?」
「きっと、お前は気付いてる……だが、一度それを自覚したら自分を保てなくなるかもしれないから……仲間に迷惑がかかるから……抑えて、るんだ」
赤い、赤い、赤い、赤い。
真っ赤な世界で分からないはずなのに、彼女は“それ”が赤いと知覚する。
「イクの時も……明石の時も……お前が、一番……最初に手を、差し伸べたよな……?」
怖い、怖い、怖い、何が怖い。
分かりたくないけれど、シオイは完全に認識する。
「提督……赤いよ?」
「あぁ……お前にはそう……見えるもんな……」
「違う……違うよ、ていとくぅ……」
差し伸べた彼女の手が触れた彼の腕は、少しねっとりとしていた。
「――バカなんですか?」
「上官に向かってバカとはなんだ」
「私は艦娘と艤装の修理が仕事で、バカの修理は専門外です。あぁ、頭の中なら少し構造に興味があるので修理して欲しいなら言ってください」
「丁重にお断りさせてもらう。後、バカじゃねぇし」
「……貴方がどうなろうと私は気にしません。でも、少なくともあの子達は提督を程度の差はあれ信頼しています。それを忘れないで下さい」
「……あぁ、言われなくても分かってる」
二人の視線の先には、ベッドに上半身を預け椅子に座ったまま眠っているシオイが居た。その目もとは少し腫れており、誰の目にも泣いていたのは明らかだ。
普段は何があっても大抵終始笑顔の彼女が泣くというのは、彼女にとってそれだけのことがあったということに他ならない。
「明日、ちゃんと病院にも行ってください。行かないと言ったら海水で傷口を洗うとイムヤも言ってましたから」
「海水ぐらい何ともない。病院も必要ない」
「だったら、シオイの涙で洗いますか?」
「……それは、ちょっと痛そうだな」
包帯の巻かれた提督の左腕。シオイはずっと寝ている今も、その腕を守るように掴んで離そうとしない。
――例え、そのせいで自分が本当に血まみれになっていようとも。
「まるゆ、大丈夫?」
「……平気、です」
「そっか。今、水入れるわね」
「ありがとう、イムヤ」
「いいのよ。……私も、正直ちょっと辛かったし」
「隊長は、今自室に?」
「えぇ、明石さんとシオイが付き添ってる。そこまで思ったほど出血の量も多くなかったし、ちゃんと休んでれば大丈夫だって」
「……どうして、まるゆ達に一言も言ってくれなかったんでしょうか」
「自分の腕斬りつけた後、廊下で止血しないまま立ち話してくるからって言われて、はいそうですかって返すバカは居ないからでしょ」
「けど……けどまるゆは、秘書艦なんです」
「まるゆが落ち込む必要ないわ。廊下掃除してるイクもハチもゴーヤも血を拭いた雑巾投げ付けてやるって怒ってたし」
「でも、まるゆは……まるゆはもっと皆の力になりたいんです! 今回だって、イクの時だって、結局まるゆは何も出来なくて」
「……そんなの、私だって一緒よ。皆のこと見てるつもりでいたけど、全然気付かなかった」
「やっぱり、隊長って凄いんだなぁ」
「変な人だけどね」
「……それは、言っちゃダメです」
「……おい」
「何ですか?」
「何がどうしてこうなる」
「お風呂は元々大好きだもん」
「そうじゃない、何でお前と俺で入ることになってるのかと聞いてる」
「提督と入りたかったからだよ?」
「……俺にその気は無いぞ?」
「? 背中流してあげようと思ったんだけど、嫌?」
「背中?……あー、そうか、じゃあ、頼む」
「うん!」
艦娘に親は居ない。仮に親と呼べる存在が居るとしたら、常にその身を案じ、共に生活する提督だ。
死地へ子供を何度も送り出すのが親として正しいかは分からない。しかし、シオイにとって提督は自分の身を傷付けてまでも心に寄り添おうとしてくれた相手である。
元々好意的に見ていた彼女からすれば、今回の一件はその好意をより強くするには十分過ぎるものだった。
その変化を恋愛感情と誤解するのも分からないではないが、艦娘の精神とはそう簡単なものでもない。
仮に一番しっくりくる関係性を言い表すならば、そう――よく遊んでくれる親戚の仲の良いお兄ちゃんだ。
「シオイ、俺の背中は洗うもので磨くもんじゃない」
「大丈夫、ピッカピカにしてあげる!」
「俺の背中をどうしたいんだお前は……」
隠れるとはそもそも、などという話はどうでもいい。
彼女は隠れるのが好きだ。そして、見付けられることを願っている。
これが真実で、事実で、たった一つの重要な事柄だ。
ツボの中に、段ボールの中に、クローゼットの中に、机の下に、ベッドの下に、屋根裏に。
敵に発見されるのはマズイ。しかし、かくれんぼにおいて最後まで見つからないというのが何を意味するか、彼女は知っている。
だから、彼女は見つかった時に一瞬悔しそうな表情を浮かべた後、笑うのだ。
「だからいつも言っているだろ。せめてもう少し隠れる場所を選べ」
「痛いでち……もうお嫁にいけないでち……」
「頭叩かれたぐらいで傷物にされたみたいに言うな」
「何でベッドの下に隠れてたのがバレたの?」
「お前の髪の毛が落ちてるのが見えた」
「そこはお前の考えてることなんてお見通しだって返してくだちぃ」
「……そこまでお前等のことを、俺は理解しているわけじゃない」
不意に、そこで彼の表情は曇る。その胸中には、つい先日起こった出来事への後悔の念が渦巻いていた。
「――てーとく」
「っ……俺は子供じゃないんだが?」
「ゴーヤはね、てーとくが頑張ってるの知ってるよ。隠れて見てたから」
抗議を無視するように、ゴーヤは提督の頭を撫でながら話を続ける。
その表情は、いつも見せる能天気なものではなく、慈愛に満ちたものだった。
「シオイは、てーとくに感謝してるよ。まるゆやイク、イムヤ、はっちゃん、明石さんだって。勿論、ゴーヤもだよ?」
「似合わないことを言うな」
「てーとくも、そういう顔似合わないでち。かっこつけようとして、ボロが出て、皆に白い目向けられるけど、いざというときは頼りになるてーとくで居てくだちぃ」
「……」
意表をつかれすぎて、提督は自分の顔が赤くなっているのを誤魔化そうと顔を手で隠す。
しかし、背伸びをして頭を撫で続けるゴーヤの手から離れるのが妙に名残惜しく、暫くそのままでいるのだった。
部屋を調べた、居ない。
段ボールを探した、居ない。
ツボを覗いた、居ない。
クローゼットを調べた、居ない。
物陰を探した、居ない。
ベッドの下を探した、居ない。
屋根裏を探した、居ない。
倉庫を探した、居ない。
工廠を探した、居ない。
鎮守府の中を全て探した、居ない。
その日、突然ゴーヤは鎮守府から姿を消した。
「探し物は何でちかー見付けにくいものでちかーツボの中もーベッドの下もー探したけれど見付からないのにー」
歌いながら、ゴーヤは歩く。いつものスク水ではなく私服で、目立つ髪の色は帽子で隠して、街を行く。
まだまだ明るい時間で、人通りも多い。行き交う人々も、彼女が艦娘とは気付かない。
木を隠すなら森の中。人を隠すなら人の中。艦娘を隠すなら、人の中。
「まだまだ探す気でちかーそれよりゴーヤと踊りませんかー海の中へー海の中へー潜ってみたいと思いませんかー」
普通のかくれんぼは一人では出来ない。隠れる役と、探す役がいる。
ゴーヤは、隠れた。誰にも告げず、ただ隠れた。
大丈夫、きっと大丈夫。そう心に言い聞かせて、たった一人で、震える手を固く握り締めて彼女は人混みを歩いた。
「世界の全てが海色に溶けてもー」
――――ゴーヤはここだよ、てーとく。
執務室に集められた艦娘の顔には、今から自分達に求められることが期待通りのものかどうかという不安が表れていた。
ゴーヤが居なくなったと報告を受けた提督の反応は、そうか、という一言のみ。捜索は命じられず、全員命令あるまで待機という言葉だけが彼女達の耳に届いた。
不満や憤りはあれど、誰も勝手に探しに行かなかったのは、どこか不恰好ながらも積み重ねてきた信頼があったからだ。
そして、一夜明けた今、提督は彼女達に新たな命令を下す。
「――出撃だ」
「……隊長、どこへ、ですか?」
「オリョール、南西諸島、バシーなんかもいいな」
「イク、あんまり今は行きたくないの……」
「旗艦、まるゆ」
「ちょっと司令官!」
「イムヤ、イク、シオイ、ハチ――」
「それとゴーヤ、でしょ?」
「おい、先に言うな……あー、出撃メンバーの変更はしない。ここに居ないなら首根っこ引っ掴んででも連れてこい」
「はっちゃん達、探す振りして逃げるかもしれないよ?」
「それは問題だ。俺もお前達の監視として同行する」
「……面倒な頭の構造してますね」
「お前に言われたくはない」
「っ……隊長! 索敵範囲はどのぐらいですか?」
「半径三キロ、市街地に限定。アイツのこれまでの行動を思い出せ、見付けられない場所にアイツは隠れない。全員、これを持っていけ」
「司令官、これは?」
「隠れてそうな場所のリストだ。それのお蔭で日光が眩しい」
「イクのスナイパー魂がウズウズするの!」
「シュトーレン、奢り」
「よし、晩飯はチャンプル作戦、開始!」
「提督、その作戦名はなしかな」
「……徹夜なんだ、察しろ」
数えた数字は百を優に超えている。返事はないが、もう十分。鬼が七人、隠れたのは一人。頭に角を生やした七人に、見つかったらどんな目に合わされるか、彼女は知る由もない。
パッと見ただけでは分からない裏路地の死角に当たる場所で、ゴーヤは待っていた。
鎮守府を抜け出してまだ一日。だが、初めて一人で過ごした夜は心細く、彼女は自分の身体を抱えたまま一睡もせず日の出を迎えていた。
(お腹、空いたでち……)
鎮守府から食料は持ち出さなかった為、彼女は一昼夜何も食べてはいなかった。
最後に食べたのは、まるゆの作った少し焼き過ぎたお好み焼きだったなと、ゴーヤは思い出す。
(まるゆ、きっと今頃心配して慌ててるんだろうなぁ……)
少し慌てん坊ではあるが、懸命に自分の出来ることを少しでも増やそうとしているまるゆをゴーヤは凄いと思っていた。
それは、彼女だけに限らず他の仲間も同じ気持ちだ。
(早く、皆に会いたいでち)
きっと見付かれば怒られるだろう。でも、怒られるということの意味をゴーヤは知っている。
帰りたい。戻りたい。そればかりが彼女の頭の中を駆け巡っていく。
(もういいよー……もういいよー……)
「――かくれんぼは鎮守府内だけって、ルールだったでしょ?」
「っ……あーあ、見付かっちゃった」
「見付けるの、大変だったんだからね」
「ゴーヤは隠れるのが上手なんでち」
「……本当に居なくなったのかと思ったんだよ?」
「……ごめんね」
「どれだけ心配したと思ってるの?」
「……ごめん」
「次やったら、許さないからね!」
「もう、二度としないでち」
「……うん。じゃあ、帰ろ」
伸ばされた手が、ぼやけてうまく掴めない。
息を切らした仲間の顔を見たゴーヤの目からは、自然と涙が溢れていた。
そんな彼女の姿を見て、まるゆはそっと身を寄せ抱き締める。もうどこかへ勝手に行かないように、キツくキツく抱き締める。
結局、ゴーヤを見付けたとまるゆから他の者に連絡が入ったのは、発見から一時間後のことだった。
「あんまりでち……これはあんまりな仕打ちでち!」
「おい、ゴーヤが何か言ってるぞ」
「しゃべるゴーヤは珍しいですね、解体してみましょうか」
「ひぃっ!?」
「明石さんが冗談言ってるの珍しいね」
「あの目の下の隈見なさい。半分本気よ、アレ」
「ねぇねぇ、ゴーヤ」
「何でち、シオイ」
「ゴーヤの部屋、掃除しといたからね」
「……掃除?」
「うん、いらないものとか全部捨てといたから」
「ね、ねぇシオイ、ゴーヤのコレクション――」
「段ボールはちゃんと回収してもらったよ?」
「ゴーヤのコツコツ貯めたコレクションがー!?」
「シオイ、いつもニコニコしてるけど、怒らせたら怖いんだね……」
「ツボとかは残してあげてる辺り、優しいじゃない」
「アレ、そういえばハチはどこに行ったの?」
「ゴーヤの財布持ってアハトアハト言いながらシュトーレン買いに行ったぞ」
「それはゴーヤの財布の中に入ってた金額でちー!?」
「今頃お店だね」
「ちょっと分けて貰おっと」
「もうダメでち……ゴーヤのライフはもうゼロでち……」
「その程度で凹むなら二度とやるな」
「十分懲りたでち……だから、この“私は逃げる悪いゴーヤです、捕まえて下さい”って紙剥がさせてくだち!」
「罰だ、一週間はつけてろ」
「もう逃げないよぉ……」
「……疲れた、今日は寝る」
「隊長、寝ちゃうんですか?」
「寝る。お前等も寝ろ」
「はい、了解しました」
「――てーとく!」
「何だ」
「てーとくは、やっぱり分かってくれてるよ」
「……そうか」
翌日、大量のシュトーレンが朝食で出てきたのは言うまでもない。
その日、鎮守府に珍しく来客があった。
イムヤが見付けたその来客は、蟻の列を眺めて鎮守府の隅で佇んでいた。
だから、彼女が間違えたのも無理はない。
「先程はイムヤが失礼しました」
「いい、いつものこと」
羊羮を小さくするのに夢中になっているパーカー少女。身長はここに居る誰よりも小さい。イムヤが迷子と間違えたのも、至極当然だ。
しかし、ポケットから出てきた身分証には“中将”という目を疑う二文字が堂々と記されていた。
「それで、今日は何故こちらへ?」
「明石、居るでしょ」
「あの、それが何か?」
「明石が居ないと、あの娘達沈むよ」
「詳しく、話して下さい」
「言った通り。どうするかは貴方次第」
少女の戯言、そう思えない不思議な説得力。そもそも提督で階級も上ということは、年齢は彼より上になる。
正式に軍司令部が発行している身分証にも関わらず、顔写真と中将としか書かれていないのも異常としか言えない。
「ごちそうさま」
「……明石が居れば、アイツ等は沈まないんですね?」
「――怖いなら、結べばいい」
「結ぶ?」
「……」
少女はこれで役目は終えたとでもいうように、すっと立ち上がり出ていこうとする。その背を呼び止めることが出来なかったのは、これ以上関わるのを彼の本能が拒否したからだ。
提督が再び立ち上がれたのは、五分は経過した後だった。
(――ふぅ……悪い冗談、じゃねぇよなぁ)
「司令官、入るわね」
「イムヤか」
「さっきの子、何だったの?」
「羊羮食べて、満足したら帰った」
「……本当に何しに来たの?」
「俺が聞きたい」
(正体不明のちびっこ中将、か。出来れば二度と会いたくないな)
「帰る」
「そうか」
「……背負って」
「あぁ」
「長門」
「何だ?」
「羊羮は美味しい」
「……そうか」
深海棲艦は効率的に艦娘や人を殺す。時には自分の身すら使って殺す。ただただ殺す。
言葉を発する個体もいる。笑う個体もいる。怒っている個体もいる。
ソレがどういう存在なのかまだ明確な答えは出ていないが、確かなことが一つだけある。
――資材は腐るほど、そこにある。
「――戦果は?」
「重巡級を二隻と、軽巡級を二隻、駆逐級を三隻です」
「……潜水艦だけじゃ容易に偵察すらさせて貰えなくなってきたか」
「ごめんなさい、まるゆ達じゃ突破出来なくて……」
「いや、お前達がどうこうという問題じゃない。明らかにあっちの層が厚くなってる」
次々と確認される新型深海棲艦。これまでは火力や装甲のみの違いが主だったが、対空・対潜等に特化したモノが現れ始め、敵主力部隊を偵察で確認するのも苦労しているのが今の戦況だ。
(練度や多少の工夫だけでどうにかなるレベルじゃなくなってきたか……)
――沈むよ?
「っ……」
「あの、隊長?」
「イムヤとゴーヤは入渠、ハチは明石に診て貰え」
「はい、了解しました!」
(……考えても始まらん。今はとにかく出来ることから片付けるか)
知ることは武器だ。未知のものは脅威だ。
敵を知り、己を知れば百戦危うからず。
ただ、敵を知るということが却ってその引き金を躊躇わせるということを、忘れてはならない。
「無理だ」
「お願いします」
「それはお願いで許可できることではない」
「どうしても、ですか?」
「くどい、この話は終わりだ」
「……分かりました」
「――ハチ、深海棲艦は敵だ。それはどう転んでも変わらない事実だ、それを忘れるな」
「……はい」
理解している。提督の言っていることは正しい。それを知ったところでこの現状が変わる訳じゃない。
それでも、私は知りたい。そこにきっと、自分達の生まれた意味も隠されているはずだから。
(提督の権限で閲覧出来るモノ、その中にならきっと少しでも手がかりになるようなものがあるはず……)
普段使う書庫の隣、鍵を提督だけが持っている部屋。月明かりだけが手元を照らすその部屋の扉の前で、ハチは一度深呼吸をしてから、用意していた針金を取り出した。
ピッキングなど出来るかどうか分からないが、その先に求めるものがあるかもしれないという思いが彼女を突き動かす。
(バレたら、シュトーレンもう食べさせてもらえないかもしれませんね)
震えそうになる指。今していることは、自分達の為に傷つくことすら厭わない彼を裏切る行為に他ならないと、ハチは分かっている。
だが、それ以上に彼女は――。
「こんな夜更けに泥棒の練習でもしているのか?」
「そういう本を読んだので、練習中です」
「やりたかったらイムヤの部屋にしろ」
「はっちゃんは百合より薔薇の方が好きです」
「お前、後で私物検査な……で、知ってどうする」
「それは知ってから考えます」
「“絶望”するかもしれんぞ」
「人間しか絶望しないなら、どっちに転んでも悪くありません」
「……分かった。とりあえず、そこはもう二度と開けようとするな。どうせそこにはお前の探してるものはない」
場所を変えるぞと顎で示す提督にハチはついていく。歩きながら確認した彼女の手は、針金の形に赤くなっており、じっとりと汗ばんでいた。
「コーヒーでいいか?」
「砂糖五杯入れて下さい」
「想像しただけで口のなかが甘くなるな……」
「――提督」
「何だ?」
「深海棲艦って、何?」
「俺もその正しい答えは知らん。だが、アレは人を滅ぼす為のシステムであると俺は考えてる」
「システム……」
「人の作った兵器はほぼ無効化され、突貫や自爆、毒、熱、冷凍、色々試してはみたが“人の手のみで行うあらゆる行為”が無意味らしい」
「――核も?」
「例外は無い。現代兵器は等しくガラクタ同然になったそうだ、資材に生まれ変わって有効活用はされてるが」
「じゃあ、艦娘は何なんですか?」
「クソゲーの救済措置」
「クソゲーって、言葉のチョイスを考えてほしいな」
「実際問題そうだ、お前達の力を借りれてなければ確実に俺達は絶滅危惧種になってるか絶滅してる。艦娘が現れてなかったら俺もこうしてここに居なかった可能性が高い」
冗談めかしてはいるが、そこに嘘はない。対抗策が存在しない外敵が現れれば、蹂躙されるが道理であり、例外はない。
「深海棲艦がシステムなら、私達はそれを破壊するバグ?」
「バグというよりファイアウォールだ。人間って脆弱なプログラムを守るためのな」
「――秘密にされてるのは、仕組んだ存在?」
「そこから先は俺も詳しくは分からん。ただ、一度だけ俺を鍛えてくれた恩師に同じ質問をした時の返答はこうだ」
――もしそんな奴が居るなら、パンドラの箱を退屈だからと開くような奴じゃよ。
「はっちゃん、昨日てーとくと夜遅く何してたの?」
「今後のことについて、話してました」
「白無垢にするかドレスにするかとか?」
「……ゴーヤは白無垢似合いそうにないですね」
「そういうはっちゃんだって似合いそうにないでち」
「ゴーヤは、提督が好きなの?」
「好きだよ? ゴーヤを見つけてくれたもん」
「結婚したいぐらい?」
「んー……ゴーヤは艦娘としててーとくが好きなだけ、だよ」
「……そう」
「そういうはっちゃんはどうなの?」
「面白い人と思ってます」
「つまりは好きってこと?」
「嫌いでは、ないですね」
「まるゆとイクとシオイも好き、イムヤも多分好き、明石さんは修理デレでち」
「最後のは無理がありすぎると思うな……」
「そうでちか? ケガしてるの見た時結構慌ててたよ?」
「そういう意味じゃ――ゴーヤは、深海棲艦と私達が同じ存在だとしたら、どうする?」
「そういう難しいのはゴーヤの担当じゃないでち」
「そのセリフは一切説得力が無いから答えて欲しいな」
「はっちゃん目が怖い。んー……ゴーヤはてーとくが戦えって言うなら戦うだけだよ。ご飯も食べられるし、皆と居られるならそれでいいでち」
「……羨ましい」
「そう思ってるならゴーヤみたいに好きなことやればいいんでち」
「またシュトーレンいっぱい買ってくれるの?」
「それは勘弁してくだち!」
靄は少しずつ晴れていく。少しずつ、少しずつ。
――ただ、晴れた先に何かが見えた時には手遅れなんていうことは良くある。
どこかの鎮守府では艦娘が腕だけになって帰ってきた。どこかの鎮守府では提督が指輪を用意して待っていた。どこかの鎮守府では終わりの見えない戦いに笑顔が消えていた。どこかの鎮守府では弔い合戦だと出撃の準備をしていた。
――戦いに、犠牲は付き物だ。
「潜水艦娘の耐久性、上げられないか?」
「難しいですね。耐久性を求めれば他を犠牲にしないといけません」
「航行、もしくは潜行・浮上速度を上げるのはどうだ?」
「それは艦娘自身の能力や訓練でどうにかする以外ありません」
「……お前は、どうすればアイツ等が一番生き残れる可能性が高いと思う」
「提督が無理な作戦を命じず、危険な海域に行かせなければいいんです」
「――MI作戦への参加が決まった」
「……何を考えてるんですか?」
「それなりの戦果と功績を挙げてる、避けられるものじゃない」
「いくら状況は違っていても過去の影響がどれだけ艦娘に出るか散々見てきたはずですよね、何が起きるか分かりませんよ」
「だから、お前に聞いてる。俺の知らないことがあるなら教えてくれ、どうすればアイツ等を沈めずに――」
「やめて!」
「……すまん、邪魔したな」
「………………それが分かるなら、とっくにそうしてるに決まってるじゃないですか」
「明石さん明石さん!」
「何です――ぎゃー!?」
「ゴーヤと捕まえたんだけど、たこ焼き出来そうな鉄板ってある?」
「そっそそそれ……」
「タコだよ?」
「早くそれどっかに持ってって!」
「明石さん、タコ嫌いなの?」
「にゅるにゅるしてるものはダメなの! だから早く!」
「――にひっ」
「ちょっ、それ持ってこっち来ないでっ!?」
「あーかしさーん」
「いやぁぁぁぁっ!?」
「はぁっ……反省、しましたか?」
「レンチで全力で殴るとか、酷いよ明石さん……」
「もう一回、いっときますか?」
「あはは、ごめんなさい」
「全く、今忙しいんですからあまり無駄な体力使わせないでください」
「そういえば、何してたの?」
「艤装の調整です。艦娘にも個性や個体差があるので、それに合わせておけば多少なりとも被弾や轟沈の確率が下がります」
「ねぇねぇ明石さん、前から気になってたんだけど」
「何ですか?」
「そんなにシオイ達のこと心配してくれてるのに、どうして冷たい態度を取ろうとしてるの?」
「……理由なんてありませんよ、私は冷たいからです」
「んー、えいっ!」
「きゃっ!? きゅ、急に飛び付いたら危ないでしょ!」
「冷たいなら、私が暖めてあげる。それでもダメなら一緒にお風呂へどぼーんです」
「っ……油汚れ、付いちゃいますよ?」
「じゃあやっぱり一緒にお風呂です!」
「分かった、分かりました、とにかく離れてください。……これ、片付けてからでいいですか?」
「うん、じゃあ先に脱衣所で待ってるね!」
「はい、すぐに行きます」
(――私も、向き合わなきゃいけませんね)
「……そういえば、最後にお風呂入ったのいつだったかな」
誰もが何かを抱えていて、誰もが何かと戦っている。
救われたものも居た。向き合ったものも居た。震える手を固く握ったものも居た。絶望の先を覚悟したものも居た。今正に過去を吐露しているものも居た。
――さて、ここで一つ問いたい。仮に何も抱えていないものが居たとしたら、彼女は何を思うのだろうか。
(玉子焼きと味噌汁も飽きたなぁ……パンとか作れないかしら)
「今日は何にするの?」
「んー……パンとシチュー」
「イムヤ、作り方知ってるの?」
「知らない。けど、ハチなら知ってるんじゃない?」
「はっちゃん、最近ずっと出撃以外は引きこもってるから……」
「引きずり出してきて」
「えっ、でも――」
「いいから行く!」
「は、はい!」
(発酵させるって何かで読んだけど、どのぐらい時間かかるんだろ……夕飯間に合うのかな)
鎮守府内の大抵のことは当番制であり、その中でイムヤは食事当番に特に力を入れている。材料が無いときは適当に済ませることもあるが、大体は一手間加えた凝ったものに仕上げることが多い。
それには、ちゃんとした理由があった。
(今日はパンとシチューとして、次は何がいいかな……中華を攻めてみるのもありよね)
お玉を顎に当てながら、次の当番の日の献立を、そのまた次の献立を、あれにしようかこれにしようかと彼女は悩む。
当たり前に、“次”が来るとイムヤは思っているから。趣味となりつつある料理を、彼女は楽しいと感じているから。
普通と評するのは容易く、普通であることこそが難しく、だからこそ必要だといえた。何気無い日常のワンシーンを支える、彼女のような存在が。
「パンよりシュトーレンを作ればいいと思うな」
「ハチ、部屋に持ち込んでる本ごと天日干しされたい?」
「……とりあえず材料があるか確認しないと」
(キッチンに立ってるイムヤには逆らわないようにしよう、そうしよう、うん)
すいません、入院とか仕事とか色々あって遅くなりました
どうにか終わりまでは書くつもりなので気長にお待ちいただけると幸いです
「――提督は、何があってもあの子達を無事に帰投させると誓えますか?」
鉄と油の匂いではなく、石鹸の香りを漂わせながら、明石は提督に問う。ずっと纏ってきた彼女の人を寄せ付けない心の鎧はシオイに剥がされ、今は武装していない。それは、全てを語ると彼女が決意したということだ。
ならば、彼の答えは決まっている。
「それが提督の仕事だと、俺は思っている」
「……分かりました。参考になるかは提督次第ですが、知りうる全てをお話しします」
「いいのか? 信用できないんだろ?」
「信用はしてません。その修理不可能な頭で指揮されるあの子達が可哀想だと思っただけです」
「明石に匙を投げられたんじゃ手遅れのようだ」
結局その優しさだけは最初から隠しきれていなかったなと提督が笑うと、明石は咳払いを一つしてから自分の過去を話し始める。
「――私は、ずっと修理してきました。それしか知りませんでした。それだけをやってきました。治せるものは全て治しました。感謝の言葉は嬉しくて、無事に帰ってくる仲間の姿が何よりの褒美でした。……だから、気付けなかったんです」
――――私には、“心”が治せないことに。
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高速修復材は便利だ。すぐに戦線に復帰できるし、艤装も直せる。だから
深く考えずに誰もが使ってしまう。
――代償もなしに、そんな魔法が使えるはずもないというのに。
「そもそも、高速修復材はどういう物質であるか、ご存じですか?」
「お前が言った言葉から推察すると、艦娘や艤装をある一定の状態に戻す物質というところか」
「そうです。そもそもが鋼材等を使って徐々に再構築して治していくところを、アレを使うだけで腕が生えたり砕けた骨が元通りになるなんて、“修復”の域を越えています」
「だが、高速修復材について問題があるなどという話は聞いたことがない」
「適切に使う分には問題はありませんから。緊急を要する損傷等の場合は必要ですし、私一人だと複数人に対してでは処置が遅れてしまいます」
「……つまり、頻繁に使えば問題があって、その問題が起きたときは表沙汰にならないよう処理されてる。そういうことか?」
「高速修復材を使えば治るということは、それだけの傷を負いながら戻ってきた場所へまたすぐに行かされる可能性があるということです。確かに戦闘可能なフィジカルには戻っていますが、メンタルは徐々に疲弊します。記憶と経験は残っているんですから、当然ですよね。そして、高速修復材は“最後に認識した出撃前の正常な状態へ戻す”というのが正確な効能で、いずれ一部が欠損したり故障していても正しく認識できず、出撃する可能性が出てきます」
「行き着く先は轟沈。当然、それを馬鹿正直に報告する奴はそんな無茶な連続出撃を命令しない。記録上は高速修復材のせいでの問題は起きていない、だから誰も知らない。――お前、よく消されずにいたな」
「……私の罪を償うまでは、何がなんでも消されるわけにはいきませんでしたから」
「深くは聞かんが、ここへ来たのは消されないための行動の結果か?」
「まぁ、そんなところです」
「そうか。話してくれて助かった」
「……あの子達の心を、ちゃんと見てあげて下さいね」
「俺だけに押し付けず、お前も見ればいい」
「――言われなくても、そのつもりです」
次の日から、工廠に引きこもりがちになりながらも、食事と風呂にはしっかりと顔を出すようになった明石の表情は、晴れやかなものとなっていた。
そして、提督は彼女の話を聞いたことである可能性に気付くのだった。
「まるゆ、潜水艦の弱点を挙げてみろ」
「えっと、装甲が薄いのと、海中で被弾すると浮上が困難になること、ですか?」
「――全員に通達だ、浮上訓練をしろ。少しでも違和感があれば即時明石に報告」
「了解しました!」
(アイツにトラウマらしきものは見受けられず、明石の話が鍵だとすると、普段ではそこまで気にならないが非常時に正常でないと困る箇所の異常……バラストタンクと気蓄機のどちらかの違和感程度の不調が一番疑わしい。次に可能性が高いのは――)
考える、考える、何一つ見落とさないように、あらゆる可能性を考える。未来予知が出来ないのなら、起こりうる全てを想定すればいい。
問題も多く、手間もかかり、どう逆立ちしても歴史に名を残せるような鎮守府ではないが、失っていい命など一つもない。
「……妹みたいに思ってる、なんて言ったらアイツ等どんな顔するんだろうな」
いつの間にか当たり前となっていた日常を手放すまいと、提督は全身全霊を尽くす。この先もずっと帰投する彼女達全員にに心の中で“お帰り”と言えるように。
「――急速潜航時にトラブルが発生する可能性があったんだな?」
「はい、かなり可能性は低かったですが、普通に艤装を扱う分には絶対に大丈夫にしておきました」
「あぁ、引き続きしっかりと頼む」
「言われるまでもないですよ」
報告を終え、明石は執務室から出ていく。その足取りは力強く、後ろ姿は頼もしかった。
それを見て、提督も気合いを入れ直す。
(これで全部が終わった訳じゃない、まだ可能性を一つ潰しただけだ。次は――)
「まるゆ、全員の練度はどのぐらいだ?」
「えっと、ゴーヤが大体上限に後もう一頑張りで、イムヤ達はその少し下、まるゆは更に下、です」
「よし……また頼んでみるか」
「?……えっ、隊長ひょっとしてまたやるんですか!?」
「そうだ、練度を上げるのが一番手堅く効率的な生き残る方法だ」
(……まるゆ、次は本当に沈むかも……)
――我、演習ヲ打診ス。
喜ばしいことである。とても喜ばしいことである。
成長する際は競い合う相手と教え導く師が居るのが一番良い環境である。
であるからして、今のこの状況は、彼女等にとって天国(じごく)である。
「助っ人ってレベルじゃないのが同行されてないっすか?」
「あぁ、気にするな。ただの我が国の保有する最高戦力の一角だ」
「よく来てくれましたね、うちなんかに」
「最近内務ばかりだったんで、ちょっと羽休めさせる口実にちょうど良かったんだそうだ」
「理由はどうあれ非常に有り難いっすけど……大丈夫なんですか、アレ」
「大丈夫だ、信じてやれ」
「いや、信じたいんすけどね……」
――た、助けて隊長ぉぉぉぉっ!?
――大丈夫、死ぬほど痛いけど死にはしないから。
――鬼でち、悪魔でち!
――ふんっ、悪魔ってのはうちの卯月みたいなのを指す言葉よ、私なんて優しい方だわ。
――ひっ!? 来ないで、来ないでよぉ!
――大丈夫よ、この五十鈴に全部任せなさい。
――この距離で当ててくるとか化け物なの!?
――勘だけじゃこの先生きてけねーよ、当てるんじゃなくて当たる環境を整えんだって。
――本当に同じ晴嵐さんなの!?
――吾輩の教えうる限りを教えてやるが、まずは身をもって味わうことじゃな。
――教えて欲しい、資料だけで分からないこと。
――いいでしょう。艦隊の頭脳と呼ばれたこの私にお任せを!
――そんな技術力、どうやって……。
――妖精さんとやってるうちに、自然と。
「……大丈夫なんすよね?」
「度胸もつくし一石二鳥だろ」
翌日から、某トラックが通るのを見るだけで怯えるイムヤの姿が見受けられたが、全員の練度上昇作戦は成功をおさめるのだった。
地震の影響で更新が遅れます、申し訳ないです
時は流れる川の如し。流されるままにいれば瞬く間に流れ、一歩ずつ踏み締めて歩くのは困難だ。
故に、彼女達は“今”を尊び慈しむ。そこにずっと留まれないことを、誰よりも知っているから。
「――作戦目標は現在攻略中の海域で進行を妨害している鬼級、姫級の撃破、若しくは無力化だ」
「隊長、一つ確認してもいいですか?」
「別にうちだけでどうにかしろというわけではない、何隊かで修復の暇を与えず一気に押し通る作戦だ」
「聞きたいのはそういうことじゃなくて、敵の“艦隊”のことなんです」
チラリ、と提督はハチへと視線を向けるが、静かに彼女は首を横に振る。それが意味するのは、もう隠し通せる状況ではないということだ。
「昔ならいざ知らず、前線で戦ってるお前達が気づかない訳もなかったか。――察しの通りだ、深海棲艦は学習し、進化してる。初期は数の暴力による劣勢、艦娘が重要視され始めた頃に均衡、最近までは制海権を徐々に拡げて優勢、今はまた均衡……いや、劣勢に傾きかけてる」
「あの地獄のしごきを受けたゴーヤ達の練度でも偵察すら難しくなってきてるでち」
「一度だけ、魚雷が直撃しても全然効いてないのに遭遇したこともあったのね」
「自分の手足みたいに自由自在に動かせないと、晴嵐さん達だってすぐ落とされちゃうよ」
「司令官、何か具体的な手はあるの?」
「その“打つ手”を探すための作戦だ。現状を打破するには、決定的な何かが必要なんだ」
「つまり、早くそれが見つからないと……」
「いずれは均衡が完全に崩れて一気に押し込まれる」
「――なら、まるゆ達は是が非でも作戦を成功させないといけませんね!」
「……おぅ、その通りだ」
「提督、確認されてる敵の艦種と編成を教えて。索敵である程度敵の編成が絞り込めたら無駄に消耗しないで済むと思う」
「分かった。ハチ以外もある程度頭に入れておいてくれ。艦種は――」
深海棲艦の手は恐怖に震えない。それが深い闇であり、希望でもある。
作戦参加を翌週に控えた週末、唐突に提督は艦娘達に外へと連れ出される。
理由を聞いても、抵抗を試みても、徒労に終わる。屈強に鍛えられた今の彼女達は、ただ微笑みながら彼を引き摺るだけだった。
「……いい加減どこに向かってるかぐらいは教えろ、かれこれ一時間は歩いてる」
「もうすぐですよ隊長」
先を歩くまるゆの言葉は本当で、それから五分ほどで全員の歩みは止まる。そこには先に到着して待っていた明石の姿があった。
「――金なら払わん」
「第一声がそれってどうなんです? 一応、今回は日頃の感謝ってことで、私達が出し合いました」
「ありがたく思うでち」
「俺にはお前らが温泉に入りたかっただけのように見える」
「そんなことないのね」
「早く温泉にどぼーんしたいな!」
「歩いたら汗かいちゃった、早く入りましょ」
一足先に温泉宿へと入っていくシオイとイムヤ。イクが誤魔化すように笑っている横で、温泉の効能をじっくり調べているハチの姿が何ともシュールだった。
当然、鎮守府を一日空けることを想定していなかった提督は秘書艦に目をやるが、まるゆは一通の“一日鎮守府管理代行承りました”というメールを彼に見せる。冗談かなにかだと思える内容であったものの、発信元が大本営であることを確認して全てを理解し、受け入れる。
(大本営の名前でそれをやるのはまずいだろ、先生……)
「さ、行きましょ隊長」
「私も待ってて汗かいたし、お風呂行ってきますね」
「あっ、イクも行くのー」
「温泉卵って、興味深いな」
「……お前も行ってきたらどうだ?」
「いえ、まるゆは隊長と少しお話がしたいです」
「話か、まぁ時間は出来たから構わん。取ってある部屋に行くと――別部屋だろうな?」
「?」
首を傾げるまるゆ。数秒後、激しく提督に頭を揺さぶられた彼女が彼と入っていったのは八人で寝れる大部屋なのだった。
このSSまとめへのコメント
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