少女「願いは叶いましたか――?」 (57)
僕には兄がいる。
とても優秀で人望も厚く、たいていのことは何でもできる――そんな人だったらしい。
――らしい。
なぜ「らしい」などという表現を用いたか、答えは簡単だ。
僕には、記憶がなかったのだ――。
「事件のショックによる一時的な記憶喪失」
医者は僕に向かってそういった。
その医者が言うには、僕の目の前で両親が殺されたらしい。
それもとてもひどい殺され方で。
犯人は誰なのか、捕まったのかと尋ねると医者は少し困った顔をして少し間を置いた後言った。
「犯人は君のお兄さんだ。もう捕まった」
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その後ニュースなどでこの事件が幾度もなく取り上げられた。
兄が優秀であることなどはそのニュースで知ったものだった。
兄を知る者は皆口をそろえて言う。
「とても人殺しをするような人ではない」
ほとんどの人間が兄に対する否定的な印象は抱いていなかったのだ。
――なぜ兄が狂ってしまったのか。
それだけが気がかりだった。
??「だったら、教えてあげようか?」
声をかけてきたのは一人の少女だった。
どこか不思議な雰囲気を纏うそんな少女――彼女が僕に声をかけた。
少女は僕の返事を待たずに続けて言う。
少女「今日のボクは機嫌がいいからね、暇つぶしに付き合ってくれたらなんでも願い事をかなえてあげるよ」
男「……なんでも?」
少女「そう、何でもさ。僕は全知全能、何でも知ってるし、何でもできる。君の願い事くらい簡単にかなえられるよ」
何を言い出すんだ?
新手の宗教か何かだろうか。
少女「おや? ボクのこと、疑ってる? まあそれも仕方ないかぁ」
少女「だって、実の兄が両親を殺して、自身は記憶を失っちゃってるんだもんね」
男「――っ!? なんでそれを――!!」
少女「アハハ、なんでだって? 言ったじゃないか、僕は何でも知ってるってさ」
少女はおどけたようにそう言い放った。
まさか――いや、でもそんなことありえないだろ……!!
全知全能――そんなものが存在するわけない。
少女「……まだ信じられない?じゃあこれならどうだい?」
男「え? 何? なんで近づいて――」
少女は僕との間合いを徐々に詰めていき、そして。
口を、ふさがれた。
それはいわゆるキスと呼ばれるもので。
しかし僕がそのキスの感覚を味わうことはなかった。
代わりに僕が感じたものは――。
………………
…………
……
そこは病室だった。
その病室は個室で、一人の少年が入院していた。
少年はその部屋で一人、退屈そうに雑誌を読んでいる。
しばらくするとその部屋に一人の男が入ってきた。
「よっ!」
「あ、兄ちゃん! 来てくれたんだ」
「おお、そりゃくるさ。大事な弟のためだからな」
「そんなこと言って……彼女はいいの?」
「ふっ、お前に心配することじゃねーよ」
「だって兄ちゃんの彼女さん、僕に嫉妬するんだもん」
「ったく、あいつは……」
そんなくだらない会話をその兄弟と思われる二人は飽きることなくし続けた。
……
…………
………………
男「――――っ!!!!」
少女「ふふふ、どうだい?」
男「…………今の、は?」
少女「記憶だよ、君の。わかってるだろ?」
確かにあの病室にいた人間は昔の僕のようで。
また、そこに現れた男はニュースで見た僕の兄のようだった。
――しかし
男「僕には記憶がないんだ……なのに、どうして?」
少女「何度も言わせないでほしいな、僕は何でもできるんだって」
少女「僕の言うことを信じてもらうために、君の記憶の一部だけを再生したんだ。ああ、キスはおまけだよ? 特に意味はない」
男「……本当だったってことか」
少女「やっとわかった? やっぱり身をもって体験してもらうのが一番手っ取り早いね」
男「……そうだね」
少女「それで、どうするんだい?」
男「え? どうするって……?」
少女「最初に言ったじゃないか、暇つぶしに付き合ってくれたら君の願いを叶えてあげるって」
男「その願いってので兄が狂った理由がわかるのか?」
少女「まあ、君が望めばね」
選択の余地はなかった。
男「わかった、やるよ。付き合う、君の暇つぶしに」
少女「そうか、それはよかった」
少女は天に向かって手を突き出し、ぱちんと指を鳴らす。
刹那。
背景が消えた。
それまで僕がいた町は消え、僕たち以外はすべて白に包まれた。
――いや、一つだけ例外があった。
そこには、先ほどまでなかった大きな扉があった。
少女「さて――」
男「この扉は……?」
少女「ん? ああ、心配しなくても大丈夫。これはただの扉だよ」
男「………」
少女「まあまあそんな顔しないで、難しいことじゃないからさ」
男「……具体的に何をすればいいんだ?」
少女「入ってみればわかるよ」
男「うっ……!!」
そういって少女が扉を開けるとそこからは凄まじいほどの光がこぼれだした。
その光に思わず目を閉じ、そして目を開けると――。
男「……草原?」
そこにあったのは一面の草原だった。
目の前には少女が立っているがもうあの扉はない。
??「よう、人間」
ふと後ろから声をかけられる。
その言葉につられ僕は後ろを振り向き――硬直した。
男「あ……悪魔――!!」
悪魔「ククク……いかにも!! お察しの通り俺様は悪魔だ!!」
振り向いた先にいたのは悪魔だった。
とても極悪そうな顔をしており、人間の一人や二人、簡単に食べてしまいそうだ。
少女「いやいや、悪魔は人を食べないよ」
男「……勝手に心を読むなよ」
少女「聞こえてくるんだから仕方ないじゃん」
悪魔「……で? なんで俺様はここに呼ばれたんだ?」
どうやら悪魔は現状を把握し切れていないらしい。
いや、僕も把握し切れているわけじゃないけど。
少女「今から悪魔と男には戦ってもらいます!」
男「…………………は?」
戦う?
今この少女は戦うといったか?
誰が? ――僕が
誰と? ――悪魔と
『難しいことじゃない』
少女が扉を開ける前に言った言葉だ。
確かに戦うことは難しくないだろう。
――――しかし
少女「いやいや、別になぐり合えって言ってるわけじゃないからね」
少女「殴り合いなんてさせても悪魔が勝つのは目に見えてる。そんなもの見てもつまらないじゃないか」
男「……じゃあどうやって戦うんだ?」
少女「悪魔が一問、問題を出す。それに正解したら男の勝ち。間違えたら男の負けだよ」
悪魔「……なるほど」 フッ
男「……そ、それなら」
少女「問題は悪魔が考えてね。言っておくけど男が絶対に正解できないような問題はだめだよ?」
悪魔「ふん、わかっている」
少女「じゃあ男、これはボクからのアドバイスだ」
男「アドバイス?」
少女「男、悪魔は人を欺くプロだよ。せいぜい騙されないようにね」
悪魔「少女、もういいか?」
少女「それはこっちのセリフだね」
悪魔「相変わらず口の減らない女だ」 パチン
そういうと悪魔は指を鳴らす。
するとさっきまであったはずの少女の姿がなくなり、しかしその代りに3つの箱が出現した。
男「……箱?」
悪魔「真実というのはほんの少しのことで簡単に見えなくなる」
悪魔は言いながら箱の近くまで近づいていく。
そして箱のある場所までたどり着くと大きく両手を広げた。
悪魔「この3つの箱のいずれかに少女が入っている。それがどの箱か――答えろ」
とりあえず書き溜めは以上です
以降ペース落ちます
悪魔「チャンスは1度きり。さあ、選べ」
男「そんなこと言ったって――」
目の前に出現した3つの箱。
箱にはそれぞれA,B,Cの文字が書かれているが、それ以外の違いがあるようには見えない。
男「こんなものからどうやって選べば……」
少女「そんなもの、勘でいいんだよ」
男「えっ?」
少女の声が聞こえた。
どの箱から……?
悪魔「チッ」 パチン
すると悪魔は再び指を鳴らす。
しかし僕の目には先ほどのように何か変化があったようには見えなかった。
少女『ありゃ、対策されちゃったね』
男「なっ!?」
なんと少女の声は3つの箱すべてから同時に聞こえてきた。
なるほど、さっき悪魔が指を鳴らしたのはこのためだったのか。
だがしかし、これで本当にどうしたらいいかわからなくなった。
男「くそ……絶好のチャンスを逃すなんて」
悪魔「八ッ!そう簡単に正解できると思うなよな?さあ人間、早く選べ。さもないと――」
悪魔が右腕を突き出す。
右腕は血管が浮き出し、ミシミシという音を立てながら徐々に大きくなっているようだった。
ここは一か八か――
男「ええい、ままよ!!」
――――Bだ!!!
グシャッ!!!!!
すさまじい音が鳴る。
見るとCの箱がつぶれていた。
男「なッ―――!!」
悪魔「おい、何をする少女」
少女「いやいや~、ちょっと小細工?」
悪魔「貴様……!!!」
少女「そんな怒らないでよ、男は今Bの箱を選ぼうとしてたんだよ?Cの箱をつぶしたところで何の問題もないでしょ?」
悪魔「少女……お前、わかってて――!!」
男「確かにCの箱を壊したところで確率が五分になるだけで――」
悪魔「五分じゃねえよ」
男「……え?」
悪魔「モンティ・ホール問題、人間はそう呼ぶ」
――モンティ・ホール問題。
アメリカの番組にその名を由来する確率論の問題。
3つの選択肢が存在し、その中で正解が一つだけの場合。
まず、その3つの選択肢のうち1つを選ぶ。
その後に選ばなかった2つの選択肢のうち1つを選択肢からなくし、2択とする。
この時、最初に選んだ選択肢が正解である確率はもう一つの選択肢が正解である確率の倍となっている――らしい。
悪魔の奴が丁寧に説明した
悪魔「少女の奴はお前の心を読み、そして選択肢を減らした。一見五分のように見えるが、実際はそうじゃない。Bが正解である確率はAの2倍となっているのだ」
意味が分からない
急にそんなこと言われて信じられるか
少女「真実ですよ」
>>19
間違いですすいません
確率が倍となるほうを間違えて書いてました。
以下のほうが正しいです
――モンティ・ホール問題。
アメリカの番組にその名を由来する確率論の問題。
3つの選択肢が存在し、その中で正解が一つだけの場合。
まず、その3つの選択肢のうち1つを選ぶ。
その後に選ばなかった2つの選択肢のうち1つを選択肢からなくし、2択とする。
この時、最初に選んだ選択肢が正解である確率はもう一つの選択肢が正解である確率の半分となっている――らしい。
悪魔の奴が丁寧に説明した
悪魔「少女の奴はお前の心を読み、そして選択肢を減らした。一見五分のように見えるが、実際はそうじゃない。Aが正解である確率はBの2倍となっているのだ」
意味が分からない
急にそんなこと言われて信じられるか
少女「真実ですよ」
男「は?」
少女が僕の心を読んだかのようにそういった。
いや、実際に僕の心を読んでいるんだろうけど……。
少女「悪魔の言ったことは真実だよ。まあ、信じられない気持ちはわかるけどね」
悪魔「おい、それはどういう意味だ?」
少女「そのままだよ。だってキミ、悪魔じゃないか」
悪魔の言ったことが真実。
少女は3分の1の分の悪い勝負をひっくり返してくれたのだ。
それならばここはAを選んだほうが――。
男「それじゃあ――」
そう言いかける僕の目の端で悪魔は小さく微笑んだ。
僕はそこで言葉を区切る。
今はもうなくなっているが一瞬見せたあの悪魔のほほえみ。
それが気になったのだ。
悪魔「どうした人間、早く選べ」
考えろ。
なぜ悪魔はわざわざモンティ・ホール問題を説明したのか。
悪魔がそれを説明しなければ僕はおそらくそのままBを選んだ。
男「……そうか」
悪魔は僕にモンティ・ホール問題を説明し、そして
――僕をAへと誘導した!!!!
……それに――
男「少女がいる箱は――Bだ!!!」
悪魔「……」
少女『ほう……』
悪魔「……なぜだ人間。どうしてより確率の高いAを選ばず,Bを選ぶ? 言い間違えたか?今なら特別に変更のチャンスをやろう」
男「変えないよ。だってお前は――悪魔じゃないか」
少女『アハハハハハハハ!!!』
悪魔「うるさいぞ少女……!!!!」
男「悪魔は人を欺くプロ、そう少女が言った。Aが正解ならAに有利なことを言うわけがない。Aに有利なことを言ったのは答えがBだから……!」
悪魔「……」
男「それに悪魔、最初にチャンスは一度。そういったのにもかかわらずさっき変更の機会を与えた。」
悪魔「…………チッ!」 パチン
悪魔が指を鳴らす。
それと同時に2つの箱が消え、そして
少女「正解。よく見破ったね、ほめてあげるよ」
男「はぁあああ~」
安堵のため息。
ようやく緊張から解放される。
悪魔「人間、お前なかなか見所があるな」
男「え?」
悪魔「俺と契約しないか?お前の望みをなんでもかなえてやるぞ?」
少女「騙されちゃだめだよ?悪魔と契約なんかしたら魂とられるからね」
男「え?」
少女も悪魔と似たようなこと言ってた気がするんだけど
なに、僕魂抜かれちゃうの?
少女「全知全能のボクが魂なんか欲しがるわけないじゃん」
またしても心を読まれてしまった。
悪魔「おい、俺はそろそろいいか?」
少女「ああ、もういいよ。これで貸してたかりひとつチャラにしといてあげるからね」
悪魔「チッ」
悪魔は舌打ちし、そして消えた。
少女「さあ、すぐに次が来るよ~」
男「え!? 今ので終わりじゃないの?」
少女「やだな~! 願いをかなえるんだよ?こんなことだけで済むわけないじゃん」
……なんか騙された気分だ
まあ確かに少女は『暇つぶし』としか言ってなかったが
少女「じゃあ呼ぶよ、それっ!」 パチン
例のごとく少女は指を鳴らす
おそらくこの指を鳴らす行動も特に意味はなく、ただのそれっぽい演出なのだろう
そして、次に僕たちの前に現れたのは――。
男「………人間?」
人間。
僕の目にはそう見えた。
Yシャツにネクタイ、黒いズボンをはいた4,50代くらいの男。
しかしこの男と対峙すると先ほどの悪魔とはまた違った、いやな感じがした。
中年「うむ、確かに俺は人間だ。それも――お前と会ったことがある」
男「……え?」
中年「では俺からの出題だ」
中年「男よ、俺の名を当ててみろ。チャンスは一度きりだ」
目の前に現れた男の名前を当てる。
それが次の課題だった。
今日はここまでです
また明日続きかきます。
>>1です
お待たせしてすいません
書き溜めしていたデータが消えて諦めてたんですが細々とレスが付いていたので今から投下していきます
中年「どうした男よ、そんなに難しいことじゃないだろ? ただおれの名前を言えばいいだけだ」
確かに面識のある人物の名前をいうことはそれほど難しいことではないだろう。
しかしそれは「記憶があれば」の話だ。
僕には記憶がなく、この男と会ったことがあるなど何の意味も持たない。
たった一度のチャンスで知らない人間の名前を言い当てることなどできるわけがなかった。
少女「本当にそうですか?」
男「え?」
そして少女はじっくり僕を見据えて言う
少女「――探求のパラドックス」
――探求のパラドックス?
いったい何のことだ?
少女「人は知らないものを探求することはできない。しかし知っているのならばそれはもう探求する必要などない」
全く意味が分からない。
つまりどういうことだ?
少女「つまり、人はなにも捜し求めることなどできないってこと」
男「はぁ?」
いやいや、そんなことはないだろ。
いまいち納得しかねる話に顔をしかめる僕だったが少女はそんなことを気に介さず続けて言った。
少女「答えなんて、探すまでもなくそこにあるんだよ」
少女「男、君は何を探しているんだい?」
何を?
目の前の中年の名前か?
………いや違う
少女「それは本当に、探さなきゃ見つからないのかい?」
僕は何をしにここに来た。
中年の男のためなんかじゃない。
僕は――――。
少女「君はただ、逃げているだけなんだよ」
僕が捜しているのは――。
僕は今まで逃げていた。
少女に言われて初めて気が付いたことだが、どうなのだろうか。
本当はどこかで気が付いていたのではないだろうか。
男「僕は逃げていたのか、自分の記憶から」
記憶。
確かに僕は今まで積極的に記憶を取り戻そうとしたことはなったように思える。
今回の問題だって、記憶がないから中年の名前はわからないと決めつけた。
何とか思い出そうという努力を全くしようとは思わなかった。
つまりそういうことなのだ。
男「う………うああああああああああああ!!!!!」
そして僕は、初めて記憶を取り戻そうとした。
頭は割れるかのように痛く、思わず声が出る。
男「ぐうううううううううううううう!!!!!」
それでも少しずつ。
少しずつ何かに近づいている、そんな確信があった。
――そして。
男「今こそあんたの問いかけに答えよう」
男「あんたの名前は――■■だ」
もう、頭の痛みはなくなっていた。
中年「ふっ……よろしい、正解だ」
中年は満足したかのように笑みを浮かべる。
少女「おめでとうございます」パチン
そして少女が指を鳴らすと中年の姿は虚空に消えた。
少女「どうやら、記憶は戻ったようだね」
男「うん、思い出したよ。いろいろとね」
少女「それはよかったじゃないか」
男「でも――」
少女「うん、わかってるよ。まだ全部じゃない、そうだろ?」
男「ああ」
全部じゃない。
僕の記憶にはまだ欠損した部分がある。
それはたった1日分の記憶だが、しかし今の僕にとっては一番重要な記憶。
男「事件のあったあの日の記憶は、まだない」
少女「無理に思い出すのはやめたほうがいいよ」
男「……え?」
少女「その記憶は君の心の最深部に眠っている。さっきみたいに無理に思い出そうとすれば頭が痛いだけじゃすまないよ」
男「じゃあ、どうすればいいんだ」
少女「何を言ってるんだい?そのためにボクがいるんだろ」
全知全能のボクが、そう少女は付け加える。
少女「しかし、やめるなら今だ。事件のあった日の記憶はないがそれ以外の記憶はある。これからの生活でさほど困ることはないだろ?」
男「……お前なら言わなくてもわかってるんだろ?」
少女「まあね」
僕が思い出した記憶の中には様々なものがあった。
しかしその記憶にいた兄はいつも優しく、そして僕の理想の兄だった。
男「知りたいんだ。どうして兄は突然狂ってしまったのか」
それが答えだった。
そうだ、僕は最初からそれを知るためにここにいる。
少女「じゃあもう止めはしないよ」
男「うん」
少女は腕を高く上げ、指を鳴らす。
意識が空間にのまれるその瞬間、僕は確かに聞いた。
――君の兄は、狂ってなんかいなかったよ
……
………
…………
気が付くと僕は学校にいた。
教室の右奥に位置する僕の席、そこに座っている。
黒板の前には先生が立っており、どうやら数学の授業中のようだった。
さっきまでのことは夢だったのか……?
少女「夢なんかじゃないよ」
男「うわああああ!!!」ガタッ
突然机の下から少女が現れた。
驚いた僕は思わず席を立つ。
先生「こら男、何を騒いでいる」
男「あ……すいません」
授業をしていた先生――先ほど名前あてをさせた中年が僕に注意をする。
僕は慌てて席に着く。
先生「全く……どうしてお前はそうなんだ?」
始まる。
先生「なあ?俺は不思議でならないんだよ、どうして兄弟でここまで出来が違うんだ?」
僕個人にターゲットを定めたいじめ。
生徒だけでなく、教師までもが加担しているそのいじめが始まった。
僕は昔から兄と比べられて生きてきた。
とても優秀で人望がある兄。
何をしても半人前で、誰からも慕われない僕。
対照的な兄妹だった。
最初は兄との違いにがっかりする程度だったそれはいつの間にかいじめに変わっていた。
男「……すいません」
クラスに笑いが響く。
少女「ひどい状態だね~。あ、ボクの声は君以外には聞こえないから僕と話したかったら心の中で念じてね」
どうしてこいつはここまで能天気なのだろうか。
僕の心情もわかっているだろうに。
少女「まあまあ、そういわずに。あ、何も言ってないか」
男「……」
少女「まあとにかく、伝えるよ?」
そして少女は言った。
今日は、ボクの家族が殺されたあの日だと――。
タイムリープに近い何か。
少女曰くそういうことらしい。
少女「多少なら自由に動けるけど歴史を大きく変えることはできないからね。行動にはかなり制限が付いてます」
事件のあった当日だが事件を防ぐことはできないと少女は念を押した。
少女「まあつまり、君には見届けてもらうよ」
男「……」
少女「つらいとは思うけど、それも君が選んだことだからね」
少女がそういうのと同時に終業の鐘が鳴る。
少女「じゃあ行こうか」
男『いくってどこにだよ』
少女「どこに?決まってるじゃないか」
少女「君の両親が待つ家にだよ」
ほどなくして僕たちは家に着いた。
中に入るのがためらわれたが、体は俺の意志など知らないかのように家の扉を開き中に入っていく。
なるほど、これが少女の言っていた「行動の制限」なのか。
俺の意志など関係なく。
ただ、歴史を繰り返すために。
男「……ただいま」
居間の扉を開けて中に入る。
そこには父と、母が互いに向かい合ってソファに座っていた。
母「ああ、お帰りなさい」
父「……お帰り」
男「あれ? 父さん今日は早いんだね」
今の時刻は16時30分ごろ。
いつもなら父はまだ仕事に出ている時間だった。
父「……ああ」
父の態度に違和感を覚える。
そういえば母も普段の様子とは違うように思えた。
何か嫌な予感がする。
心の奥底に眠っているという僕の記憶によるものなのかもしれない。
「やめるなら今だ」という少女の声がリピートされた。
しかし僕の口はそれでもやめずに、言葉を放つ。
男「父さん、仕事はどうしたの――?」
父「仕事は………クビになった」
しばらくの沈黙の後父がそうつぶやいた。
ああ、そうだ。
おぼろげながら記憶がよみがえってくる。
母「この人、上司のミスを全部押し付けられたのよ」
父「仕方ないだろ……! そうするしかなかったんだ」
母「だからって素直にやめることないでしょ!? あんな辞め方じゃ退職金ももらえないし、もっとやり方があったでしょ!!」
父「なんだよ!! 俺が悪いっていうのか!?」
母「本当のことじゃない!!」
男「父さんも母さんも落ち着いてよ!!」
父「子供は黙ってろ!!!」
母「あなた! 子供に当たらないでちょうだい!!」
父「うるさい、黙れ!!!!!」ガッ
頭に血が上った父が振り上げたこぶしは母の体を大きく突き飛ばした。
母さんは小さくうめき声を漏らしている。
男「父さん、母さんに何するんだよ」
父「………」
男「父さん!!」
父「うるさい!!!……男、お前を見ているとイライラしてくる………!!!!」
男「……はぁ?」
心がざわつく。
僕は知っている。
この先に父が言う言葉。
そう僕は――。
父「お前は、俺の子じゃない」
僕の中の奥深くに眠っていた記憶が徐々に紐解かれる。
父「お前は、母さんが浮気相手とつくった子供なんだよ……!!!」
ざわつく。
母「あなた、なんでそれを!!?」
先ほどの日ではないほどのざわつき。
それが僕の全身を支配していく。
父「俺が知らないとでも思ったか? 前からおかしいとは思ってたんだ! 俺に似ない声、似ない容姿、似ない性格……!!」
聞きたくない。
父「兄とは大違いで、何をやっても人並み以下のクズ……!!」
母「あなた、そんな言い方!」
父「事実だろ! 半信半疑で鑑定に出してみたらどうだ? 俺の子じゃないっていうじゃないか!!」
ききたくない。
母「……仕方ないじゃない! あなたはいつも仕事ばかりで私のことも家庭のことも顧みない! 私だって我慢していたのよ!!」
父「開き直ったか……! これだからお前は――」
キキタク、ナイ――。
ドッ
……
………
…………
男「ハァ………ハァ………」
僕の手に握られていた何かが手から零れ落ちる。
その何かを目で追っていくと床には赤黒く染まった大きいものが二つ転がっていた。
いや、違う。
それは。
男「ああ、そうだ……そうだった」
完全に思い出した。
兄「おい……これ、どういうことだ?」
いつの間にか帰ってきていた兄が僕に問いかける。
男「ああ兄ちゃん、お帰り」
狂ったのは、僕だった。
足元に転がる赤黒いものは父さんと母さんで。
先ほど手から落ちたそれは血まみれの包丁だった。
父と母を殺したのは兄ではなく、僕だったのだ。
僕こそが事件の犯人だった。
兄は何もしゃべらない。
じっとその場の様子を観察して、考えているようだった。
――そして。
兄「男」
兄は後ろからゆっくりと僕を抱きしめた。
いわゆるあすなろ抱きというものだ。
男「兄ちゃん?」
兄「大丈夫だ、お前は兄ちゃんが守ってやるから」
兄は僕の体を自分のほうにむける。
正面からじっと僕の顔を見据えたまま続けて言う。
兄「だからこんなつらいこと、もう忘れるんだ」
そして僕は意識を失った。
…………
………
……
少女「以上が事のすべてです」
いつの間にか僕と最初の何もない、白に包まれた空間に戻ってきていた。
男「うん、ありがとう。おかげで全部思い出せた」
全部。
楽しいこともいやなこともつらいことも全部。
男「確かに兄ちゃんは狂ってなんかいなかった。それどころか――」
それどころか兄は、僕を守ってくれていた。
少女「そうだね、いいお兄さんだ」
男「うん、だけどこれじゃだめだ」
男「この罪は僕が背負わなきゃいけない罪だ。誰かに押し付けていいものじゃない」
少女「そう……じゃあ、もうわかるよね」
男「うん」
大丈夫。
僕がこの先するべきことはちゃんとわかってる。
男「ありがとうな」
少女「いやいや、礼を言われることじゃないよ。そんなことを言ったらボクも礼を言わなくちゃいけないじゃないか」
男「なんでだ?」
少女「だってほら」
――ボクの暇つぶしに付き合ってくれたんだしさ。
◆
「先日、両親を殺害したとして長男の兄が逮捕されていましたが、昨日次男の男が『自分がやった、兄は関係ない』などと言って警察署に出頭しました。現在警察は事実確認を急いでおり――」
ピッ
今までニュースを報じていたテレビの電源が切られる。
少女「ふふ……」
少女「願いはかないましたか――?」
以上で完結です
ありがとうございました
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