男「この俺に全ての幼女刀を保護しろと」 (602)
過去の戦国英雄、露離魂(ろりたま)幕府の将軍『露離 大好木』は自らが心から愛した少女たちを永遠のものとするべくその魂を刀に封じ込めた。
時は経ちおおよそ百年。
古きより伝わりし幼女の魂が封印された-幼刀-はもはや伝説の代物となっていた……
SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1551863632
「なるほど。話は大体掴めた。つまりこの俺に全ての伝説の幼刀を保護しろと」
その場所、過去に露離魂幕府が拠点とした都『露離魂町-ろりたまちょう-』
その栄光は幕府が消滅した今もなおそこに住み着いた町民たちの人口が示していた。
その賑わう町の民家の一角、自称剣豪を語る男……紺之助のもとに刀を持った客人が一人
客人「はい。仰る通りでございます。大好木様が所有していたとされていた幼刀はもはや世の宝と言っても過言ではありませぬ」
客人「10年前何者かの手によって世に放たれて以降我々は噂と情報を手繰り寄せ、ずっとその在りかを探っておりました。しかし先日その宝の一刀、幼刀俎板 -まないた- が幼刀児子炉-ごすろり-を持つ何者かの手によって破壊されたとの情報が入りました」
紺之介「その男を止めるため剣豪の俺のもとへ参ったということだな」
紺之介は得意げに腕を組むと目を閉じて二度頷いて見せた。美麗な刀の収集を趣味とし並びに剣術の腕にも磨きをかけていた紺之介であったが幕末以降武術がさほど権力を持たぬようになった今の世では彼は変人たる扱いを受けていた。即ち、誰にもその趣味と剣術を公に認められたことがなかったのである。
そこに国家権力に近しい輩からの依頼となっては本心舞い上がらずにはいられない。
腕を組み頷くといった側から見ればそれだけで高慢とみなされかねん素ぶりですらこの男からすればまだ古の侍魂由来の平常心を保てているつもりであった。
紺之介「して、報酬の話を伺うとするか。まさかこの俺を雇うのであれば銭を重ねるだけでは事足りぬことは承知だろうな」
客人「はい。一先ずこちらに百両ほど……これらには旅費も含まれております……そしてこちらが幼刀愛栗子-ありす-でございます」
紺之介「っ……!」
紺之介は客人が貝紫染めの刀袋から取り出した碧塗りの鞘にその目を奪われた。抜刀せずとも分かる『美』の頂……彼はそのことを鞘と鍔の間から今にも溢れんとする刀身の輝きをまなこに受けて感じとった。
客人「いえ、それはまだ。しかしこれを持って依頼を果たしていただいた暁には望み通りこの刀の委託と更なる報酬を約束しましょう。我々の目的はあくまで保護。大好木様の意思が安全な状態で保管されるのであれば都住まいで刀の収集癖があるあなたに預けておけば間違いはないでしょう」
紺之介「なんだがっかりさせてくれる。じゃあ何故今この場で出した。所有証明なら結構だ。さっさとしまってくれ……切りかかってでもあんたから愛栗子を奪おうとしてしまう」
依頼を達成した際の譲渡ではなく委託という言葉にも不満があった紺之介だが客人の機嫌を損ねまいとグッと腹に力を入れて堪えたのだった。
客人「我々は奴との交戦の後に悟りました……奴の目的は恐らく児子炉以外の全ての幼刀の破壊。しかしながら皮肉なことに幼刀をいなす事ができるのもまた幼刀のみ」
客人「そして恥ずべきことに我々はこの唯一保護に成功した愛栗子ですら真の力を解放するに至らなかった」
紺之介「真の力?」
客人「柄を握ることで幼刀に込められた魂を刀から解放し露にする力……露離魂-ろりこん- にございます。『大好木様と共通する志を持つ者』とも……それがもし紺之介殿の胸の内にもあるのであればぜひこれを振っていただきたいと」
紺之介(共通する志……?)
紺之介は疑念を抱いた。この客人同じく幼刀情報部隊とやらは元を辿れば幕府の犬の家系。ならば『共通する志』とやらは客人たちにもあるのではないかと。
更にそれが客人たちにないだけならまだしもなぜ幼刀児子炉の所持者が露離魂を持っていたのかと。
紺之介(幼刀……露離大好木……それに関連される志……)
紺之介「まさか」
しばし顎に指を当てていた紺之介が手を顎から離したのを見て客人は問う。
客人「何か心当たりが?」
紺之介「あんた、少女を愛でる趣味はあるかい」
客人「……い、いえ。私には既に愛する女房と息子がおります故、今さら浮ついた心で女遊びをする気にはとても……」
手を横に振りながら苦笑いを浮かべる客人を見て紺之介は一人確信する。『露離魂』とは即ち……
紺之介「なるほど、少女を愛でる者のことか」
紺之介はやにわに両手で腿を叩き座布団の上に立つと若干驚いて見える客人へとおもむろに距離を縮め愛栗子の柄を握り込んだ。
紺之介「残念ながら俺に少女を愛でる趣味はないが、俺はこの刀を好いている。 黙ってこの刀を俺に貸せ。さすれば必ずや児子炉の所有者を斬り伏せ、残りの幼刀も保護してやる」
紺之介は客人を見下ろしながら彼の持っていた愛栗子をそのまま抜刀した。瞬間、刀身が眩い光を放ち少女の影をうつしだすと客人の握る鞘を残して刀は全て少女の一部となった。
客人「なっ……」
愛栗子「ふぁぁ……んぅ~~? なんじゃおぬしは」
水色の着崩れた浴衣に巨大な蝶を作った白い帯、栗色の髪に黒の手ぬぐいを兎の耳のように結んだその少女は大あくびをしてもまだ尚その美を崩さない。
その姿をとらえた紺之介の瞳は薄気味悪く笑みを浮かべた。
紺之介「ヒヒッ……見ろよあんた」
紺之介「どうやらコイツは、俺を選んだみたいだぜ」
幼刀 愛栗子 -ありす-
すみません>>5と>>6の間を抜かしていました
紺之介「これが大好木が生前もっとも愛したとされる少女が封印されし刀……愛栗子-ありす-……この美しき刀を俺に譲渡すると……!」
正座の状態から興奮気味に身体を前に乗り出した紺之介に対し客人は持っていた愛栗子の鞘を少し後ろに引いた。
つづき
幼刀保護の旅に出た紺之介と愛栗子は伝説の幼刀七本が内の一つ幼刀乱怒攻流 -らんどせる-を求め、情報部隊の控え書きを元に都から十里ほど離れた隣街を目指していた……のだが
愛栗子「紺、わらわは団子が食べたいぞ」
二人はまだ都すら出ておらず、昼間は毎日十人ほどの行列ができるほどだという都一の茶屋を前に愛栗子は容姿相応の駄々をこねていた。先を急がんとする紺之介の着物の裾を内に引きしわを作る。
紺之介「何故刀が団子をせびる。お前ら幼刀のその姿はもはや可視できる霊体といっても過言ではない。食わずとも倒れぬだろう」
愛栗子「霊体とはまっこと失礼なやつじゃな! このわらわの美麗な脚が見えぬと申すのか!?」
『脚ならある』とその場で跳んだり跳ねたりを繰り返す愛栗子を見て紺之介は口元を左に引きつらせた。
紺之介(まるで野兎だな)
紺之介には先を急ぎたい理由があった。まず第一にしてこの愛栗子を一刻もはやく収蔵品に加えたいということ。そうしてもう一つは今も浴び続けている町民の視線から逃れること。
大好木に魂を封印された第一の幼刀にしてその根拠から彼が最も愛した絶世の美少女と謳われる愛栗子は茶屋に並ぶ者たちの視線すら集めていたのである。その様子まさに凝視の行列。まだ茶屋に並ぶと決めていない二人は並んだところで当然最後尾なのだが、そこに並んだ人々が皆目的地の茶屋とは逆方向を向いているという異様な光景であった。
紺之介(流石伝説の一刀……)
さほど『女』というものに興味を示さない紺之介ですらその光景を前に愛栗子の美を再確認した。
さてこれらの理由から延々と立ち往生する訳にもいかず、だからといって子どもの躾のように置いて先を行ったところで大して付いていく理由のない愛栗子はここに残るであろうことを紺之介は予測できていた。なんならこの娘、己の美とそれに向けられる視線を自覚していないはずもなく放って行こうものならば今行列を構成している誰にでも団子をせびろうとするであろう。
愛栗子「そうけちけちするでなぃ。わらわは知っておるのだぞ? 紺おぬし今、確か羽振りよく振る舞えるはずじゃろう?」
愛栗子は紺之介の胸に肩から寄りかかると手を口に小声で囁いた。
紺之介(っ、この小娘……!)
仕方なく折れた紺之介は渋々茶屋へ並ぶも顔には早くも旅に疲れた表情が伺える。この愛栗子の鞘と共に腰に吊るした巾着に重々しくあるのは確かに百両。特に遊びと商いに手を出さぬならば何もせずとも暮らせる金でもあるが、これには旅賃も含まれているのだ。
今までまともな仕事をしておらずその上刀の収集に手入れといったことを趣味にしているためか財産の殆どをそちらに当てている貧乏侍はどんな些細な無駄遣いでも避けたいというのが本音であった。
愛栗子「よかったのう紺。わらわのような絶世の美少女と共に団子を頬張れるのじゃ。このようなことどんな遊廓に転がり込んでも叶わぬことぞ?」
その一方で愛栗子は久しき現代の露離魂町を満喫していた。その顔はとてもこれからどのようなことが起こるとも分からぬ幼刀収集の旅に赴こうという表情ではない。愛栗子の顔にほだされて旅の気が抜けぬよう紺之介はすっかり彼女の高飛車冗句を無視して並んでいる間に控え書きに改めて目を通していた。
紺之介(幼刀は愛栗子を含めて全てで七振り……)
『大好木に最も愛されたとされる少女の魂が封じられし刀、愛栗子』
『舞うような剣さばきで怒涛で独特の攻め方と切れ味を持つ刀、乱怒攻流-らんどせる-』
『魚のように水に溶け水さえ切る刀、透水-すくみず-』
『血で染まる赤い頭巾に身を包む刀、裵奴-ぺど-』
『刀身は平たく、その硬度はもはや盾に近しいと謳われる刀……俎板-まないた-』
(児子炉によって破壊される)
『相手の剣士を必ず屈服させ、相手剣士が刀身を力なく降ろす様が『まるで相手の刃を踏みにじるような制圧力』だと言われたことからその名がつけられた刀、刃踏-ばぶみ-』
『依頼の発端の刀、児子炉-ごすろり-』
愛栗子「ふむぅ……懐かしい名ばかりじゃの~」
愛栗子が控えを持つ紺之介の腕を掴んで下ろした。
紺之介「この控えは封じられた幼刀の順に書かれてるらしいな。やっぱりお前が一番大好木に可愛がられてたのか」
大好木が幼刀を作ったのは少女たちの魂を永遠のものとする為……故に最も愛した愛栗子を最初に封印するのは妥当だと考えた紺之介であったが返された愛栗子からの返答は予想外のものだった。
愛栗子「はてさて、それはどうじゃろうな~」
紺之介「は?」
愛栗子「好かれておったのは事実じゃろう。大事にされておったのも事実じゃろうて。しかしそれは他のやつらも同じ……そしてわらわは美し過ぎたが故に最も将軍様の愛からは遠い存在じゃったのではないかの」
またも高飛車冗句かと一瞬呆れかけた紺之介であったが愛栗子の表情が先ほどのものと全く違うことに気がつき思わず詳細を求めた。
紺之介「どういうことだ?」
愛栗子「絵画と同じじゃ……わらわは他の者ども以上に美しく着飾られたが、同じく他の者以上に触れられることはなかった。それでも将軍様はわらわを愛してくださっておると自惚れておったわ」
愛栗子「じゃが一番最初にこの身にされてようやっと気付かされた。将軍様はただこの世で最も美しかったわらわを手中に収めておきたいだけじゃったのだとの。それと同時にわらわの将軍様への想いも幻想だったと気付かされたのじゃ。わらわもまた同じじゃった……美しき己と釣り合う男は将軍様だけじゃと思い込んでいたに過ぎんかったというわけじゃ」
愛栗子は掴んでいた紺之介の腕を更に引いて抱いてみせた。
愛栗子「のぅ、紺……もしこの身体でもまだ叶うならばわらわはまことの恋愛というものをしてみたい。心から人を愛してみたいのじゃ……おぬし露離魂の持ち主なのであろう? ならばここは一つ刀集めなぞやめてわらわと駆け落ちしてみぬか?」
一時は興味本位で愛栗子の話に耳を傾けた紺之介であったがその根本に潜むものが恋に恋するうら若き乙女心であったことを知り適当に受け流すと再び控え書きに目を落とした。
愛栗子「のぉ~」
それでも袖を揺さぶる愛栗子に紺之介は彼女の頭に手を置いて言ってきかせる。
紺之介「それは劇場の見過ぎというやつだ。それに俺には少女を愛でる趣味どころかもはや女を抱くことすら十一のときに飽きている」
愛栗子「なんと!」
紺之介「俺が子どもの頃はまだ武士が刀を握るだけでそれなりの地位を保てていた時代でな……父は護衛業一本で銭を重ねて母は無理することもなかった。そのとき父は何人かの妾を雇っていて、その内の三人くらいを十のときに俺も頻繁に抱かせてもらっていた」
紺之介「俺が女に飽きた頃に丁度時代も移り変わり、父は仕事が減ったのと同時に趣味だった収蔵品の刀だけを残してある日ぱったり姿を消した。そこからは母に育ててもらったが恩も返せぬ内に病気で亡くなった」
女に飽きた理由以降は完全な自分語りであったがその時なんとなく紺之介の口は饒舌となっていた。彼は全てを話した後、誰かに自分の話をしたのは初めてだったことを思い出した。
紺之介(唐突に刀収集の趣味や剣術を買われたり、誰かに自分語りをしてみたり……俺もまた慣れん風に乗せられているのか。何十年ぶりにこの地に足をつけたこの小娘とさほど変わらんな)
愛栗子「ほぉ~? しかしそれを聞いて確信したわ。おぬしやはり露離魂じゃの」
紺之介「俺は刀には酔っても女には酔わん。お前を解放できたのはお前を惚れたわけではなくあくまで幼刀愛栗子-ありす-に惚れたからだと考えている」
愛栗子「それはありえぬ。露離魂を持つ者は例外なく童女を好む。昔抱いたのがどのような美女だったかは知らぬが『少女』の味はまだ知らぬであろう……?」
愛栗子が崩し浴衣の肩を更に露出して見せる。
紺之介「そんなに俺を『お前に惚れている』ことにしたいのか。とんだませ娘だな」
紺之介がため息をついて愛栗子の肩を戻そうと浴衣に手をつけたときだった。
紺之介「っ! 伏せろ!」
反射的に愛栗子を抱き寄せて地に伏せる。すると彼らの頭上を短いドスのようなものが通り抜けていきそのまま地に落ちた。刃物が通り抜けたその後には不穏な緊張感だけが残り彼ら以外の茶屋の客列は悲鳴嬌声を上げて散り散りとなった。
愛栗子「お、おぉぅ……? 思ったより大胆にきたのぅ……」
紺之介「ぬかせ」
刃物が飛んできた方向を向きながらおもむろに立ち上がってみるとそこには顔に古傷を走らせた丸刈りの男とその取り巻きだと思われる何人かのならず者が低い笑い声をあげながら立っていた。
丸刈りの男「そいつ、幼刀なんだろ? ウチの宝刀マニアがその兄ちゃんの腰につけた碧色の鞘に目ぇつけてよ……それを大人しく譲るってんなら痛い目には合わせねぇぜ?」
紺之介「いかにもといった連中だな。白昼堂々しかも民の集まる茶屋でとは……直ぐにでも警備隊が飛んでくるぞ?」
丸刈りの男「それまでに終わらせるだけの話よ」
紺之介「俺としてもそっちの方がありがたいな」
紺之介が腰につけたもう一つの鞘から自らの刀を抜刀し構えたと同時にならず者たちも活気を増す。
「調子こいてんじゃねーぞゴラァ!」
「テメェら! 久しぶりの血祭りだ!」
愛栗子「……紺、こやつらもわらわに見惚れた連中か?」
紺之介「愛栗子、お前は先に茶屋で団子でもはんでいろ」
後ろ目で愛栗子に避難を促した紺之介であったがそれに対して愛栗子本人は不思議そうな顔をしていた。
愛栗子「わらわを使わぬのか?」
紺之介はその問いに対して目を合わせることなく返すと勢いよく前へ駆け出した。
紺之介「収蔵品に傷をつけるわけにはいかんからな」
紺之介が振り上げた刀は取り巻きの内の一人の得物をかち上げた。続けて大振りに振り返り背後から襲い来る輩の脇を峰打ちにする。
その隙を突かんと紺之介の左を遮る影に裏拳を叩き込み最後に丸刈り男の吠え面に刃を向け新たな浅傷を作ると彼らはその場で尻もちをついて降伏した。
紺之介「愛栗子、警備隊が来る前に茶屋に隠れるぞ」
再び納刀し自分の元へと戻ってくる自称剣豪の男……そんな彼の雄姿をしっかりと瞳に焼き付けた愛栗子は小さく呟いた。
愛栗子「……なるほどの」
紺之介「? これはなんだ」
紺之介の口元には三色団子の一番上が差し出されていた。彼にその串を向けた愛栗子はそれを褒美と語った。
愛栗子「ほれ、はよう食わんか。このわらわが三つしかない内の一つをおぬしにくれてやると言うておるのじゃぞ?」
いまいち理解できず困惑した表情の紺之介だったが団子がそのまま唇に押し付けられたことを機にその顔のまま団子を口に入れた。
愛栗子「紺、わらわはぬしが気に入ったぞ」
紺之介「ならばこの先は駄々をこねず大人しくついてこい」
愛栗子「そうじゃのぅ……この後は共に劇場でも行かんか?」
紺之介「……話を聞け」
続く
幼刀 乱怒攻流 -らんどせる-
露離魂町から十里ほど離れた街、『夜如月-ようじょづき-』ここにて乱怒攻流の詳細な在り方を探るため紺之介ならび愛栗子は情報を集めていた。
愛栗子「ふむふむ、ここのきな粉わらび餅はなかなかのものじゃな~」
茶屋の娘「まことにございますか! あなたのような綺麗なお方に褒めていただき光栄でございます! ご無礼ながらお聞きしたいのですが、もしやあなたはどこかの姫君で……?」
茶屋の娘の絶賛にて愛栗子は得意げに懐の扇子を広げて見せた。
愛栗子「ふふん。くるしゅうない」
因みにこの扇子は都散策にて彼女が紺之介にねだったものである。
愛栗子「わらわの名が知りたいか? わらわの名は……」
とまで言ったところで紺之介の手が愛栗子の頭頂部を覆う。
紺之介「お前の名は面倒ごとの種になる。まくな」
控え書き通りここに幼刀の噂があるならばそもそも幼刀の存在自体がこの街の民にとっては周知の宝刀。愛栗子がここにあると知られればその噂もまた瞬く間に広がり正確な情報源の妨げとなりかねぬ。客観的にて紺之介の判断正しけれど愛栗子は不満げに頬を膨らませた。
愛栗子「それくらい分かっておるわ。じゃからわらわにふさわしき姫名を新たに見繕うと思うておったのじゃ」
紺之介「なんなんだそれは……」
呆れながら茶をひとすすりした紺之介はひとまずじゃじゃ馬娘との徒労話を切り上げて少し残念そうな様子を見せる茶屋の娘に質問を振った。
紺之介「すまん。ここには幼刀の噂を聞きつけて遥々都からやってきたのだ。何か知っていることがあれば教えてはくれんか」
茶屋の娘「幼刀……ですか。風の噂で耳にしたことはあったんですけど私はあまり刀には関心がなくて……」
紺之介(ここは外れか)
紺之介「そうか、詰まらん質問をしてしまったな」
愛栗子「ご馳走になった! ここはよい店じゃ。また来るからの」
二人分の金額を置いて茶屋を後にしようとしたところで娘は二人を呼び止めた。
茶屋の娘「あ……! 待ってください!」
紺之介「? 銭が足りなかったか」
茶屋の娘「いえ、夜如月に刀を進んで収蔵している人がいるんです。なんかここでは変わってる人という扱いなんですけど……その人だったら何か知ってるかもしれません」
茶屋での休憩のち娘の情報を頼りに二人は例の刀趣味の者の住居を目指し歩き始めた。
夜如月も中枢部ではないにしろ都を取り巻く街の一つ。商いは都に負けず劣らずの盛んさを見せ、昼間は民で賑わっている。
それが起因して紺之介は肩をすぼめていた。そう。またも視線の雨霰……幼刀愛栗子は刀からも只ならぬ異彩を放つが、刀に盲目的酔いを見せる紺之介ですらもうはや感づいてきている。
紺之介(どうにかしてこいつを刀の姿に戻せぬものか)
大多数の視線を避けることができるのはどう考えても刀の姿の方であるということ。そのことを彼女にも間接的に伝えるため紺之介は愛栗子に相談を持ちかけた。
紺之介「一度魂を解放した幼刀は二度と刀には戻らんのか?」
愛栗子「ん~、それはあり得ぬ。幼刀の所有権は柄を握るものに常々移り変わるのじゃが……露離魂を持たぬ者が柄を握れば刀のままじゃ」
愛栗子「あとこれはついでに言っておくが魂を解放された幼刀は好意に所有者を傷つけることが叶わぬ」
歩きながら愛栗子の下から上を順に眺める。
紺之介「……柄とはどこだ」
愛栗子「~……足首かの?」
なるほどと思いつつもそれではまだ根本的な解決には至らぬとして紺之介は次の質問に移った。
紺之介「所有権を持つ露離魂が任意で刀に魂を閉じ込める方法はないのか?」
その方法さえ分かれば視線を避けられ、愛栗子の駄々からも逃れ、美しき刀を腰に携えて歩く優越感に浸れる。紺之介からすれば良いことづくめであったがここでこの男しくじってしまう。
愛栗子「……むぅ」
紺之介「なんだ。知っているなら早く教えろ」
愛栗子「教えぬ」
紺之介「なっ……!」
愛栗子は扇子を前にして首を露骨に彼から背けてみせた。
顔に出てしまっていたのである。紺之介の思惑、願望、そして欲望……その全てが。
愛栗子「にしても刀好きの変人とは……ぬしと一緒ではないか。類は友を呼ぶとはよー言ったもんじゃのぅ」
首が前を向いた時にはもう話題すらすり替えられており紺之介自身も今揺さぶりをかけても無意味と見てひとまず納刀を諦めた。
紺之介「案外そいつが乱怒攻流を持っていたりな。もしそいつが筋金入りの刀収蔵人ならば同じ街にて幼刀の噂が広まっているのにいてもたってもいられまいよ」
愛栗子「わからんのぅ……わらわは簪に封じられた方がまだよかったわ」
手を横に首を振る愛栗子の態度が紺之介の刀狂心に若干の火をつけたが、語っても分からぬであろう愛栗子には分かりやすく簡潔に伝えた。
紺之介「漢の刀は女子にとっての簪と同じということだ」
愛栗子「そう思っておるのはもうおぬしら特異な人種だけじゃと思うがの」
紺之介(どこまでも生意気な小娘め……)
紺之介の簡潔な例えも虚しく逆に皮肉で返され、どうにかしていち早く愛栗子を納刀状態にもっていかねばと眉を歪ませる彼の元に一人の恰幅の良い男が話しかけてきた。
「あの~、そこの方……」
紺之介「ん、なんだ」
「失礼ですがそれはもしや……愛栗子た……幼刀愛栗子-ありす-の鞘では……」
その言葉を耳にした瞬間紺之介は腰の刀の柄に手をつけた。それを見た男は大変驚いた様子で手を前に出して頭を伏せた。
「ひっ! す、すみません! 実は某……刀収集を趣味にしている者で……!」
紺之介「! ではこの街の刀を収蔵している変わり者というのは」
庄司「へ? あ、はい……某以外にはいないかと……庄司と申します。某に何か用で?」
紺之介「この街にあると噂の幼刀の情報だ。愛栗子の鞘に一目見ただけで気がついた辺り、全く何も知らない……ということはなさそうだな」
紺之介が刀の柄から手を離し要件を伝えると庄司と名乗った男は先ほどの穏やかさを何処かに潜め目の色を変えて背を向けた。
紺之介は見逃さなかった。その際彼が一瞬だけ愛栗子にその目のまま目配せしたことを。
紺之介(こいつ……今愛栗子を)
庄司「こっちです。某も貴方のその鞘には興味がありますので」
紺之介「……行くぞ」
愛栗子「のぅ紺。これはもう情報を聞き出すまでもなく当たりかもしれぬぞ」
紺之介「俺もそう考えている。気を抜くな」
と、かなりの警戒心を持って庄司の家へと上がり込んだ紺之介であったがその引き締まった緊張感は彼の家に飾られた数多の刀を前に雲のように霧散した。
特に広座敷の掛け軸前に飾られた木刀は彼の瞳に童の光を与えた。
紺之介「これは名刀『星砕-ほしくだき-』!? 金剛樹という樹齢1万年の大木から作られた妖刀・星砕の由来を持ち、真剣を上回る強度や硬度を誇りそれを捜し求めて刀狩りを行う者までいたとされている伝説の一振り……!」
庄司「さすが! いやぁ某は分かってもらえる方に出会えて嬉しいですぞ」
紺之介「ふむ……俺ほどではないが、中々の刀蔵だな」
庄司「ほう? それほどまでとは某も貴方の収蔵刀に興味がありますな」
紺之介「俺も見せたいのは山々だが何しろそれらは今都にて留守番を任せていてだな……なんなら時間はかかるが俺の家までくるか?」
完全に刀談義に華を咲かせている彼らに呆気に取られた愛栗子は一人紺之介の隣を立ち彼の袖を軽く引いた。
愛栗子「紺、しばしわらわは花を摘んでまいる。そこの……庄司と言ったか? 口頭でよい、場所を教えてくれ」
庄司「あ、はい。そこの廊下を行って突き当たりの右です」
愛栗子「礼を言う。ではの~」
紺之介(刀の癖に排泄を行うのか?)
紺之介は愛栗子がぺたぺたと廊下へ出て行く音を聞きながら一人不思議がっていると次第に自らが何かを忘却しかけていることに気がついた。
紺之介「そうだ庄司。幼刀の話だが……」
そう口を開けた瞬間廊下の方向で只ならぬ物音が響き渡った。
紺之介「何事だ!」
庄司「あーあー……派手に暴れてくれる」
紺之介「は」
庄司は深くため息を吐くと掛け軸裏から紅色の鞘を取り出し
庄司「納刀」
と呟いた。
すると瞬時に鞘口に光が集まりそれは形となってやがて柄と鍔として固まった。その様子に全てを悟った紺之介も見よう見真似で碧色の鞘を握り「納刀」と口にする。すると幼刀愛栗子-ありす-は再び刀の光となりてそこに納刀された。
庄司「全く……幼刀愛栗子-ありす-に傷をつけたらどうするんだ。乱怒攻流たん」
庄司が抜刀した刀からは見慣れぬ形の紅の背嚢を背負った少女が姿を現した。それに合わせて愛栗子の安否を確認するために紺之介も再び抜刀する。
紺之介「愛栗子、傷はないか」
愛栗子「まあの。簡単に斬られるほどわらわも貧弱ではない。……にしても乱よ、とても親友の再開とは言えぬ挨拶じゃのう」
愛栗子に乱と呼ばれたその少女こそ大好木の創り出した第二の幼刀、乱怒攻流-らんどせる-である。
乱怒攻流「誰がいつどこであんたを親友だなんて言ったのよ! ……庄司、あたしにいい刀をくれるあんたには出来るだけ協力しようと思ってたけど……やっぱりコイツだけは無理! もうムカつくもん! 叩き折ってもいいわよね」
庄司「ダメだよ乱怒攻流たん。愛栗子たんも某の収蔵刀としてこの家に飾るんだから」
紺之介「たん……? 何だか知らんがそれは無理な相談だな。何しろこいつはもう俺の刀だからな」
紺之介が愛栗子の前に出て刀を構える。その姿は都の時と同様に愛栗子の瞳にはまたも勇ましく映ったが、乱怒攻流はその彼の雄姿をみて鼻で嘲笑った。
乱怒攻流「あんた正気? 人間が幼刀に勝てるだなんて……本気で思ってるの?」
紺之介「俺としては正気を疑っているのはそちらの男の方だ」
紺之介の言葉に庄司は核心を突かれたかのようにハッと目を見開く。
紺之介「折角自らが所有している幼刀と今から手に入れようという幼刀を擦り合わせて削るなぞ俺にとっては言語道断だな」
庄司「っ……煩い! 乱怒攻流たん! やっちゃってくれ!」
乱怒攻流「はーい。まぁいいわ……そんなに死にたいなら愛栗子の前にあんたの背骨からへし折ってあげる」
微笑を浮かべた乱怒攻流が背から明らかにその背嚢には収まらぬ長さの刀を二本取り出した。そしてその様子を目の当たりにした紺之介の軽い驚愕の表情が消えぬ内に一気に畳をけって距離を詰める。
乱怒攻流「ふんっ!」
紺之介「っ」
まず右の一撃を見切った紺之介は刀を中央から殆ど動かさずに若干の傾きでそれをいなすと本筋と見た左側の刀を打ち返すようにして弾く。
乱怒攻流「あっ」
その太刀打ち見事なり。あっという間に乱怒攻流から一本を無力化すると彼女に息を呑ます間にもう一本も素早くはたき落とす。
両手が空いたことによりもうはや決着かと刃を突きつける体制に入ろうとした紺之介だがそこで乱怒攻流の余裕の表情が引っかかる。
『まだ何かある』と瞬時に判断し直した彼の判断はやはり正しく、乱怒背流の背嚢からは新たな刀が投げられるようにして振りかざされた。
間一髪それをかわした紺之介の横畳に深く刃が突き刺さる。しかしその常人の意表を突いた一撃は乱怒攻流が人間から距離を取るには十分な時間稼ぎとなった。
乱怒攻流「ふーん。なかなかやるじゃない」
そう言いながら彼女は背嚢から新たな二振りを取り出す。ここまで見れば最初は若干の驚きを見せた紺之介も流石にその可能性を認めざる得ないとした。
紺之介(こいつの刀……何本はたき落としても背から生えてきやがるな)
しかしこの男やはり剣豪を自称するだけある。
乱怒攻流が彼の腕を見誤っている限り、これだけの手数不利さえもその気になれば瞬時に覆し乱怒攻流の首を跳ねることなど容易い。だが彼の目的はあくまでも保護であり破壊ではないこと。そのことがこの両者の実力を均衡とする枷となっていた。
乱怒攻流がそのことにいち早く気づき真髄を発揮するか、その前に紺之介が彼女をただの童女に変えてしまうか……この場でただ一人、愛栗子はこの勝負の肝を悟っていた。
愛栗子(まぁ、いよいよとなればわらわが手を貸すがの……あの男には死んでもろうては困る)
座敷の中では早くも二度目の衝突が繰り広げられていた。乱怒攻流の跳飛は二人の身長差を軽々と埋め、その中で上下段に行き来する怒涛なる剣先の軌道が多彩さ攻め手を生み出している。
その様相まさしく乱舞。さすがの紺之介も防戦一方となり攻めあぐねていた。
だがその嵐のような剣舞の中でも紺之介は含み笑いをこぼしていた。
乱怒攻流「随分と余裕そうな顔してるじゃない! それとも何? 自分の死を悟って笑うしかなくなっちゃったのかしら!」
紺之介「乱怒攻流……確か庄司はお前に刀をくれたと言っていたな」
乱怒攻流「! それが何」
不敵に笑う紺之介を前に彼女はもう一度距離を取った。彼が己の底を見定めたかと感づいたからである。
そう、彼女の背嚢から出る刀の数は無数ではあるが無限ではない。あくまでその中に事前にしまわれた本数しか扱うことができないのである。もし紺之介がその事実に気がついたのであれば如何に効率よく彼女の手から刀を奪うかの勝負となる。
ここまで負ける気など毛頭なかった乱怒攻流であったが、そのこめかみからは微量の冷や汗が溢れ始めた。察し始めたのである。目の前の男の圧倒的技量に。となれば見せるしかない……己の真の力を。
乱怒攻流「庄司……アレ、使っていい?」
それまで二人のやり取りを固唾を呑んで見守っていた庄司がハッとして反応した。
庄司「だ、駄目だ乱怒攻流たん! ここでアレを使ったら部屋中がめちゃくちゃに……!」
乱怒攻流「でも多分……こいつアレ使わないと倒せない」
庄司「えぇ」
二人の会話に紺之介が割って入った。
紺之介「なんの話をしているのか知らんが乱怒攻流……俺はお前が欲しくなった。保護対象としてではない。俺のものになれ、乱怒攻流」
乱怒攻流「は……」
愛栗子「紺、それは聞き捨てならん台詞だの」
後ろでは愛栗子が不機嫌そうに腕を組み眉を顰めていたがそんなことはお構いなしに紺之介は続けざまに語った。
紺之介「お前がその姿で旅について来てくれるならば刀収集を趣味とする者としてこれ以上はない! その不可解な造りの背嚢があれば旅路にて見つけた素晴らしき刀を見限りをつけず購入、持ち運びすることができる!!!」
いつになく静けさを消し興奮して語る紺之介だったが結局のところ幼刀たちには理解が追いつかず一人は困惑の表情を浮かべもう一人は苛立ちそっぽを向いた。
だがそれは意外にも今まで口数の少なかった庄司の心にだけ業火の炎を灯した。
庄司「っ!!!乱怒攻流たんは某の幼刀! 同士として紺之介殿には絶対に譲れんッ! 幼刀 乱怒攻流 -らんどせる- ! その者を八つ裂きにしろォ!」
乱怒攻流「よく分かんないけど……本気出していいってことね」
庄司の許可を得た乱怒攻流は両手の二刀をその場に捨てると背嚢から刀でも鞘でもない、いくつかの穴が開けられた棒を取り出してその先端を咥えこんだ。
紺之介(なんだ……あれは……)
もう一度両者互いに身構えた静寂の中に、甲高い旋律の音色が響く。
紺之介(縦笛?)
愛栗子「紺! ボサッとするでない!」
愛栗子の声に反応して横に跳んだ紺之介の背後から全くの平行軌道で刀が横切る。その柄は誰にも握られていなかったが明らかにして何者かが投げた軌道ではない。
紺之介が刀の軌道先を目で追っていくとそこには信じられない光景が広がっていた。
紺之介(刀が……浮いている!?)
縦笛を吹く乱怒攻流の周りをいくつもの刀が魚のように宙を泳いでいる。瞬時に周りを見渡したが先ほどまで畳に突き刺さっていた何本かも完全に姿を消している。恐らく宙を泳ぐが内のその一本一本がそれらなのだろう。
紺之介「面白い。その笛の音色もさることながらまるで美刀の展覧会ではないか」
乱怒攻流(まだ笑えるのね。ならその減らず口にぶっ刺してあげる!!!!)
紺之介が駆け出したことによりついに二人の最後の攻防が幕を開けた。宙を舞い的確に紺之介を狙う刀に対して彼は出来るだけ低い姿勢を保ったまま接近し、襲い来る刀を間合いぎりぎりまで引きつけてかわす。
再び畳を裂いた刀を今度は紺之介が抜いて振り上げた。また一刀、また一刀と宙を舞う刀がはたき落とされていく。
乱怒攻流(あ゛ーもう!)
徐々に距離を詰めた紺之介の刃はついに乱怒攻流に届く間合いを捉えた。接近した低い姿勢のまま身長差のある彼女にも確実に届く超低空の下段払いが乱怒攻流の足首を打った……かに思われたが。
乱怒攻流(ばーかっ!)
跳飛を取り入れた剣術を操る乱怒攻流にとって瞬時にそれをかわすなど容易いことであった。再び浮かせた拾い刀の雨が天井で紺之介の背に狙いを定めた瞬間だった。
乱怒攻流(えっ)
浮いた足首を紺之介が素早く掴み取った。そのことによって姿勢を後ろに崩しかけた乱怒攻流の背を、刀を捨てた彼の手が支えた。
紺之介「おっ、と」
その場で乱怒攻流を抱きしめた紺之介の背に天井に浮いたまま行き場を失った刀共が襲い来るもそれらは二人の上に展開された見えない壁に遮られるようにして全て弾き飛ばされた。
焦った庄司が鞘を握りて何度も「納刀」と叫んだがその言葉は乱怒攻流の身体に届かず無意味に座敷に響くだけとなった。
紺之介「どうやら、所有権が移ったようだな」
乱怒攻流「あ、ぁ……ちょっとぉ!」
乱怒攻流に両手で突き飛ばされた紺之介だったが彼はそのまま庄司の方を向いて高らかに宣言した。
紺之介「俺の勝ちだな。この刀もその鞘も、この剣豪紺之介が貰い受ける」
…………………………
庄司の家を後にした紺之介は興味本意に乱怒攻流の背嚢をいじり倒していた。
乱怒攻流「ちょっと! 将軍様に貰ったあたしの大切な鞄にベタベタ触らないでよ!」
紺之介「中は深い井戸のような暗闇だな。これを取り外すことはできないのか?」
乱怒攻流「これを自由に出現させられるのはあたしだけよ」
その様子をまだ不機嫌そうな顔つきで見ていた愛栗子は紺之介の興味を乱怒攻流から遠ざけるためか自らの口でその詳細を語った。
愛栗子「それはそやつの『刀』じゃ。幼刀はみなその名を授かるにあたった力を持っておる。先ほどの縦笛も乱の『刀』の一つじゃな。一つだけの奴もおれば複数持っておる者もおる」
紺之介「お前も持っているのか」
愛栗子「まぁそうじゃの。見てみたいか?」
紺之介「興味はあるが……お前は暫く納刀だ。連れて歩くのはそこの赤背嚢だけで十分だ」
乱怒攻流「は? 言っとくけどあたしはまだあんたに付いて行くだなんて一言も言ってないか!」
紺之介「あ、おい!」
乱怒攻流「悔しかったらまた捕まえてみなさい!」
颯爽と逃走を図る乱怒攻流の後ろ姿にため息を吐きながら彼女の鞘を握った紺之介であったが彼が『納刀』と口に出す前に何処からか飛んできた謎の黒紐が乱怒攻流の身体を巻くように絡みつき彼女を往来に転かした。
乱怒攻流「ふぎゃっ」
紺之介「なっ……」
愛栗子「どうやら乱を縛って歩く係が必要なようじゃの」
黒紐の出所を目で探るとそこには黒い手拭いを頭から外した愛栗子が得意げに構えていた。
紺之介「そうか。なら頼んだ」
乱怒攻流「ちょっとぉ! 愛栗子……! これ、外しなさいよぉ!」
続いて三人は幼刀透水-すくみず-の在り処を求めて港を目指す。
少しだけ愉快になった幼刀保護の旅は、まだ始まったばかり。
続く
幼刀 透水 -すくみず-
潮風に撫ぜられる港町 導路港-どうじょこう-
その名の通り海に浮かぶ数多の船に人々を乗せ航路へと導いてきた国の扉である。
南蛮の民との貿易航としても頻繁に機能するこの町はこの国で最も世界に近しいとも語られていた。
海と空、二つの青混じり合う空を滑空するかもめたちの鳴き声に連れられ、紺之介たちも無事この港に到着していたのであった。
紺之介「ほう。この刀なかなかだな……欲しい」
しかしこの男、まともな散策もなしに情報収集建前刀屋に寄り道をかましていた。店内数多の鋼の煌めきがそのまま彼の瞳孔を輝かせる。
実力、嗜好。二つ合わせて剣豪語る紺之介、呆れ返る幼刀二人をよそに気前良さげな店員に刀の値を聞く。
刀屋店長「あんさんそれに目をつけるとはお目が高い……なんと今なら八十両!! ここで買わねばいつ買うんだい」
因みにここの店主南蛮の民にも数多の刀を売りつけた百戦錬磨の商い匠である。
紺之介「ヒヒヒッ、口の上手い男よ。いいだろう……買っ「あほう」
その商談、あまりにも円滑。さすがの紺之介も有り金の殆どを叩いてまで刀の購入を試みるなぞありえんと高を括っていた愛栗子だったが彼の刀狂いは彼女の範疇をそれはそれは大きく超えていた。
しかしこの男、彼女に背を殴られてもなお己の愚行を疑わない。
紺之介「何だいきなり。まさか同じ刀として売り物に嫉妬を抱いたのではあるまいな」
愛栗子「なわけなかろうが。なぜわらわが只の鋼板に嫉妬せねばならんのじゃ」
乱怒攻流「……愛栗子、こいつって馬鹿なの?」
夜如月からここまでの道のりで薄々気が付いていた乱怒攻流……ここに確信を果たす。
紺之介「九十二両一分三朱だ。あと銅貨か何文か~……」
愛栗子「なぜわらわを茶屋に連れてくのを渋りその刀に金が出せるのじゃ!」
愛栗子ついぞ声を荒げる。だがそこに刀屋店長ここぞとばかりに紺之介の肩を持つ。
刀屋店長「あらあらお嬢ちゃん店内ではお静かに。刀の良さがわからねぇ娘はこれだからいけねぇ」
紺之介「まぁそう吠えるな。いざとなれば乱の背負った庄司の刀がある」
乱怒攻流「ちょっと何あたしの刀売ろうとしてんのよっ! っていうかあたしが振ってるのはそんな安物よりよっぽど高いんだけど!」
紺之介「なるほどそれはいいことを聞いた」
紺之介の口元が緩んだのを見て乱怒攻流思わずまたも駆け出したい衝動に駆られる。震える肩ぐっと堪え背嚢を守るようにして手を後ろに隠す。
乱怒攻流「いや……おかしいでしょ。何あんた実はいい刀の価値もよく分かってないの……?」
紺之介「千両刀ともなればさすがに共通認識にもなりえるが、刀に対して真眼を持つ剣豪たる俺の眼は他の凡人とは異なるのでな……例え庄司が良しとした刀全てを俺も肯定するとは限らんのだ」
乱怒攻流「呆れた。もうあたし付いていかないから」
紺之介「……しかたあるまい。ならば今だけは価値観を揃えてやるとするか。店主、この店で一番の刀をくれ。俺が気に入ればそれを買うこととする」
乱怒攻流「いやそういうことじゃないんだけど!」
内暖簾手前で突っ込みを入れる乱怒攻流と延々と茶屋を強請り続ける愛栗子をそっちのけに男二人はまた商談に入った。
刀屋店長「一番の刀ですかい……実は昨日入ったばかりの曰く付きがあるんですけどねぇ」
店主の男は一人奥へと入っていくと一分程後に両手に抱えた四尺程の木箱を紺之介の前に出して見せた。その中開けて覗き込むとそこには鞘のない生身の太刀が一振り……そして紺之介の刀狂心に稲妻駆け巡る。
紺之介(これは……!)
初めて愛栗子の鞘を見た時程ではないがそれに近しい衝撃が彼の中で木霊していた。殆ど理性無くして思わずそれを口に出す。
紺之介「欲しい」
刀屋店長「いやぁやっぱり分かりますかい? これですねぇ……実は妖の宿る刀らしいんですわ」
紺之介「ふむ、妖刀ということか」
幼刀とはまた違う興味に煽られた紺之介が詳細に耳を傾ける。
刀屋店長「昨晩店仕舞いしようって時間にここいらを張る海賊共の船長が来店したんでさぁ」
紺之介(海賊……? なるほど有名な貿易港だからな。そういう輩も湧くわけか)
刀屋店長「もう何事かと叫ぶ準備に息を深く吸ったところでその男の只ならぬ雰囲気に気がついたんでさぁ……そして箱ごと差し出されたのがこれ。なんでも魚の水揚げをしていたら引っかかったんだと」
そこから刀屋の店主は露骨に声を潜めて手のひらを口の横に立てて話し始めた。
刀屋店長「でよ? なんでもこの刀の柄を握ったやつは死の呪いにかかるんだと。その海賊の船長もいつもは威張り散らかしたロクでもねぇやつなんだがそのときばかりは浮かねぇ顔をしてたもんで話を聞いたらこれを握った仲間の一人がポックリあの世に逝っちまったんだとよ」
刀屋店長「んでまぁ綺麗な刀だがもう船に置いとくには気味が悪いってんでウチに売りつけてきたんでさぁ。最初は迷いもしたんですがぁね……こんないいモンを百両ポッキリで売ってくれるってんで、店に飾っておくことにしたんですよ。勿論柄には怖くて触れませんがね……ヘヘッ」
軽く戯け笑いを浮かべ店主は続けた。
刀屋店長「でもまぁ、あんさんがどうしてもと言うなら二千両でどうだい」
紺之介「二千両か……」
格好つけて顎に手を添える紺之介だったが当然この男にそこまでの即金が用意できるわけもなく
紺之介「これ程の刀……二度も三度も出会える気はしないが仕方ない。今回は先を見送るとするか」
二十秒ほど考える素ぶり見せども当然のごとくそれを諦めた……ところだった。
愛栗子「紺、これは幼刀じゃぞ」
紺之介「は……?」
彼の隣から木箱を覗き込んだ愛栗子が耳を疑う発言を口にした。
乱怒攻流「そ、そうね……まさかこんなところにあるだなんて……」
紺之介が一度疑った己の耳に追い打ちをかけるように乱怒攻流がそうこぼした。
…………
愛栗子「む、よい塩大福じゃの。程よい塩味があんの甘味を引き立てておる」
港茶屋の老婆「ここは新鮮で質のいい塩を使っていてねぇ……」
幼刀と判明したところで一度市場に出てしまったものは金がなければ始まらんというのが世の常なり。
結局三人は刀屋を後にして茶屋へと撤退し一度相談に入った。
乱怒攻流「なんで引き返しちゃったのよ。あたしたちがあれを幼刀だっていってるんだから手紙でも小切手でも使って依頼主に請求してやったらよかったじゃない。お偉いさんなんでしょ?」
紺之介「それも考えたが……通らぬ可能性がある」
乱怒攻流「なんでよ」
紺之介「鞘がなかったからだ。大金を巻き上げといて半端ものを送ってみろ……例え残りの幼刀全てを差し出したとて許しを得れるかは紙一重だ」
乱怒攻流「それで許してもらえるなら別にいいじゃない」
まだ何処が問題なのかを分かりきっていない乱怒攻流に紺之介が目を燃やして答えた。
紺之介「そうなればお前らの委託……いや譲渡も通らなくなる。それだけは許容できぬ」
愛栗子「ふふ、それでこそわらわの認めた男じゃ」
「天晴れ」と扇子を広げ陽気に笑う愛栗子と謎の野望を語る紺之介の二人に挟まれて淀んだ息苦しさに包まれた乱怒攻流であったが二人が己の思考では測りしれぬ輩だと割り切ると呆れながらにして本題に入った。
乱怒攻流「で、どうするのよ」
紺之介「どうもこうも……用意するしかないだろう。二千両」
紺之介は決意固くして塩大福を口に入れ茶を押し込むように流し込んだ。
乱怒攻流「はぁ? あんたそんな簡単に言うけどねぇ」
愛栗子「なんじゃ刀を担保に両替商に一時的に借り入れでもするのかの?」
乱怒攻流「ちょっ……! あたしの刀は貸さないわよ!?」
愛栗子「おぬしの鈍じゃと……? あほう。即日二千両借り入れるならぬし自身を刀身にして差し出すくらいでないとの」
乱怒攻流「ばーかっ、なーんであたしが担保にならなきゃならないのよ! あんたが担保になりなさいよ! 刀になっても綺麗なんでしょ? あんたなら一万両は引き出せるんじゃないの~??」
ものの数秒で二人の皮肉のつねり合いは激化し、やがてそれが物理的になりて茶屋の他客の視線が紺之介に痛くささり始めた。
一分間の激闘の末、茶屋の老婆の咳払いが二人の動きを静寂へと導いた。
紺之介「はぁ、心配するな。そのようなことは元からする気もなければ、幼刀を差し出して幼刀を手にしたところでそれは問題を先延ばしにしたにすぎんだろう」
紺之介「それにこの俺が故意に万が一にでもお前らを一時手放すと思うか?」
愛栗子「ふふ、ありえぬの」
紺之介の両手を頭に置かれた内の一人が嬉々とした表情でそれを否定した。
紺之介「算段ならある」
しかしながらこの男、世に生を受けてやってきたことと言えば剣術と刀弄り以外に何もなし。そうして効率よく稼ぐノウハウなぞあるはずもなく、彼の知る内で彼に出来る大金稼ぎの方法と言えば……
紺之介「護衛業だ」
これしかなし。
まだ不安気な顔色が取れない乱怒攻流を見て紺之介は補足を付け加えた。
紺之介「ここは国の扉とも言われている。物を運ぶ者おれば貴族の姫君すら移動手段としてここを用いることが多い。それが災してか海賊供も群がるそうだ」
紺之介「ここを拠点にそんな客層を狙って雇ってもらう。俺の腕が足らんということはないだろう」
愛栗子「なるほど考えたのぅ!」
紺之介「そうと決まれば客探しだ。行くぞ」
席を立ち料金を払って意気揚々と茶屋を後にする紺之介と愛栗子の後ろ姿を見た乱怒攻流だったが……
乱怒攻流(一体どれほどこの地に止まるつもりなのかしら……)
その顔から不安の顔色が引くことはなかった。
…………
紺之介「待たれよ、そこの姫君」
しかしながら紺之介の目の付け所自体は悪くはなく、三人は早速明日の船に乗る予定だと言う華蓮と呼ばれた姫の一行をつかまえた。
華蓮「はい?」
付き人「何者だ貴様」
少女との間に割って入った付き人に臆することなく紺之介は自己紹介に入った。
紺之介「俺は紺之介と申す。剣豪をやっている護衛業の者だ」
乱怒攻流(剣豪をやっているって剣豪が職業みたいになってるじゃない……)
紺之介の胡散臭さ漂う自己紹介に付き人早くも警戒心を強めるもそれでも臆することなく紺之介は話を通し続ける。
紺之介「そこで貴女らの明日の予定の立ち話を耳にしてな。そこの島へ渡るとこまででいい。俺を雇ってみないか?」
付き人「……結構だ。姫様の護衛役は私一人で間に合っている」
紺之介の船上護衛計画、あっさりと轟沈す。
乱怒攻流(これは駄目そうね)
乱怒攻流が首を振り、付き人が華蓮の手を引いてその場を後にしようとしたときだった。
華蓮「つきひと、もしかしたらこの方はとても頼れる方かもしれませんよ? ほら見てください。……紺之介さま? そこのお綺麗な方も貴方が護衛なさっているお方なんですか?」
華蓮が立ち止まって愛栗子に興味をしめした。見た目からして彼女らは年齢も近く、そして何より愛栗子の美が少女の目を引き寄せたのだ。
紺之介この機を逃す手は無し。早速先ほどまで扇子を仰いでいただけの愛栗子に話を合わせるよう仕向ける。
紺之介「あぁそうだ。こいつ……いやこの方も俺の腕を買ってくれた姫君の一人よ」
華蓮「まぁ! やはりそうでしたのね! ご無礼ですが何処の方か聞いても……?」
少女に月一と呼ばれた護衛の目は明らかにまだ彼らを疑っていたが、そんなのはお構いなしに彼らは小声で会話を交わす。
紺之介「愛栗子、姫名だ」
愛栗子「おお! ふふん。何にするかのぅ~」
紺之介「早くしろ」
愛栗子「むぅ……いざ聞かれると迷うてしまうのう。何しろわらわの名は完成されておる故、よくよく考えてみれば今さら偽名なぞ名乗る気にもなれぬのじゃ」
乱怒攻流「なんでもいいから早くしなさいよっ!」
華蓮「……どうかなされましたか?」
月一「姫様、やはりこの者たちは……」
月一が見限りを付ける既の所でようやく愛栗子は己の名乗りを入れた。
愛栗子「わらわは愛栗子。鏡ノ国 -きょうのくに- の愛栗子じゃ」
華蓮「京の国! 西の都のお姫様でしたのね! どおりで……つきひと! やはりこの紺之介さまは確かな腕を保証された方のようです! 頼んでみてはどうでしょうか」
月一「いやしかし」
華蓮「つきひと……もしものときの貴方ですが私はもしものときがあったとしても貴方には傷ついて欲しくないのです。小判はいくつもあっても、つきひとは一人だけなのですから」
月一「はあ……では紺之介殿とやら、商談に移るか」
首の皮一枚で繋がった雇い依頼に紺之介一行の間では静かな歓喜の波が渦巻いていた。
紺之介の剣豪を自称するに足る確かな風格と愛栗子の放つ圧倒的な美がこの時ばかりは乱怒攻流の目にも輝いて見えた。
が
月一「……では、一両でよいか」
華蓮「つきひと! 短い間とはいえ私たちの命を護ってくれる方なのですよ? けちけちしてはいけません。五両は出さなければ!」
紺之介らはその二人の会話を聞いて急激に現実へと戻される。この契約、距離と日数に対して破格の羽振り依頼であることは三人とも重々承知である。
しかし彼らの目標金額から見ればそれは限りなく微量に等しく、そうして最初こそこの微量の積み重ねを覚悟していた彼らであったが、契約にこぎつけるにあたって予想以上に労力を割いてしまったためそのことを忘れていたのだ。
月一「……では、五両出そう。明日の早朝、港口まで来てくれ。宜しく頼む」
差し出された月一の手を握った紺之介の表情が何とも表現し難い顔つきであったため、一瞬不思議がった月一だったがとりあえずは商談を成立させ彼らはそれぞれの宿の方向へと別れたのであった。
…………
愛栗子「むぅ……ここの宿、隙間から潮風が入ってくるのぅ。折角銭湯にて温めた肌が湯冷めしてしまうではないか」
乱怒攻流「というかせっま! 信じられないんだけど!」
紺之介「なんなら今晩は刀に戻っておくか?」
愛栗子「さすがにそうさせてもらうとするかの。ぬしはまだ寝ぬのか? 明日は早いのであろう?」
紺之介「いや、少し気にかかることがあってな」
一先ず明日に備え格安の宿で休息を取ることとした紺之介であったが、彼は考え込んでいた。やっと己の発想が途方も無いことを痛感したのである。
そうなれば如何にしてあの幼刀透水-すくみず-本体を手繰り寄せるかであるが、その方法を模索する内に根本的な疑念が彼の脳内に浮上する。
紺之介「寝る前に一つ教えて貰いたいことがあるのだが、透水というのはそこまで野蛮な娘だったのか?」
愛栗子「わらわはそうは思わんかったがの。奴は風呂でも泳ぐような水好きでの。放っておけばずっと湯に浸かっておるような奴じゃった」
愛栗子「奴の希望で皆で浜に出かけることもあったの。海なぞ砂つぶが足に纏わりつくだけでも不快じゃというのに、何がそんなによかったのかのぅ」
愛栗子「まぁというわけで性格だけの話ならそこの背嚢の方がよほど尖っておったと思うがの」
乱怒攻流「なんですってぇ……!」
またも小競り合いが勃発しかけた二人の間に入りて紺之介が愛栗子を促す。
紺之介「御託はいい。続けてくれ」
愛栗子「別に奴の性格に関してはこれ以上語ることもないのじゃがの。一体どうしたというのじゃ」
愛栗子の疑問に紺之介は己の胸の内の蟠りを打ち明ける形で答えた。
紺之介「アレを売りに来た船長とやらは仲間が刀の呪いに殺されたと語っていたらしいが、あれが幼刀透水だと仮定してそうなると露離魂を持った一味の誰かが透水を解放し、その状態の彼女に持ち主と船長以外の誰かが殺されたということになる」
紺之介は己の憶測をさらに洗礼し、確かな推測へと近づけていく。
紺之介「いや、もし船長以外の誰かが持ち主なら船長に透水を任せて刀屋に行かせるか? 本当に気味が悪くなるほど命が惜しかったならば、一人では行かせないにしろどう考えても危害を加えることのできない幼刀所有者は連れて行くべきだ。船長が所有者だったと見ても過言ではないだろう」
紺之介(まだ何かを見落としている気がする)
打ち明けても尚蟠りが晴れない紺之介は店主との会話をもう一度最初から、鮮明に思い出していく。
そうして、遂にその蟠りの正体にたどり着く。
紺之介(っ……!)
『なんでもこの刀の柄を握ったやつは死の呪いにかかるんだと』
紺之介(矛盾している……!? あれが幼刀ならば柄を握れば逆に殺されないはず。ならなぜ船長は店主にそんな嘘を……?)
紺之介(売りながらにして所有権を譲りたくなかったと考えれば道理はつくが、となれば次はその理由が分からない。伝説の幼刀をたった百両で売り払ったんだぞ? 船長は幼刀を手放したかったのではなかったのか?)
紺之介本人もう少しで全てが明らかになる気がしながら疑問が疑問を呼び唸りを重ねるばかりであった。
そんな彼を見ていて不憫と思ったのか乱怒攻流はあらぬ方向で話を完結させようとした。
乱怒攻流「なんだか知らないけどさ~? あたしら刀になってからもう何年も経ってるんだし、実際に生きてたころとは性格が違ってる子がいたっておかしくないと思わない?」
乱怒攻流「あんたらが旅に出た理由の児子炉だってそう。愛栗子は知ってるだろうけど、あの子生きてたころはただただ将軍様にベタベタしてただけの将軍様大好きっ子だったのよ?」
乱怒攻流「そんな子が今やあたしらを破壊しようとしてるんだから……透水が海好きを拗らせて一人海賊やってたって何もおかしくないでしょ」
紺之介「待て、そう決めつけるのはまだ……」
紺之介の考察脳を愛栗子の大欠伸が遮った。彼が愛栗子の方に目を向けてみると彼女もまた彼のそれを「憶測に過ぎんかもしれぬ」と両手を挙げた。
愛栗子「それもそうじゃの。しかし護衛業で稼ぎ続けるというのも難じゃしの……なんなら本当にわらわで金を借り入れてみるかえ?」
乱怒攻流「ふーん。あんたにしては珍しく面白い冗談じゃない。そんなこと言うなんて、もう頭は寝てるんじゃない?」
愛栗子「そうかもしれぬの。しかし我ながら画期的な考えじゃぞ? 鞘は渡さずに刀身だけを預けるのじゃ。柄は触らせぬように箱にでも入れての……で、金を受け取った後に離れた紺が納刀するのじゃ」
乱怒攻流「ふふふ、何それ。お主も悪よのぅ」
愛栗子「ふふっ、これで億万長者も夢ではないのう」
紺之介(……それか!)
愛栗子「およ? 紺! どこへ行くのじゃ!」
二人して悪代官芝居をうつ彼女らを見た紺之介は宿を飛び出してすっかり日の沈みきった往来を刀屋を目指して駆け抜けた。
紺之介(どうせ後から手元に幼刀が戻ってくるなら百両だって十分すぎるほど一攫千金だ! そういうことか!)
汗水を垂らしながら潜り抜けた暖簾の先には困り果てた表情で店内を走り回る店主の姿があった。
刀屋店長「ない! ない! ない! あれ……あんさんは確か昼間の……」
紺之介「例の呪いの刀がなくなったんだろう」
刀屋店長「何故そのことを……」
紺之介「俺には心当たりがある。だがこの推測した在りかを教える前に条件を呑んでくれ」
刀屋店長「はあ……」
何が何だかといった様子の店主に一方的に押し付けるようにして紺之介は条件を提示した。
紺之介「もしも俺がその呪いの刀を持ってきた暁には俺にその刀を譲渡しろ。代わりにあんたには損失分の百両を渡す。これでいいな?」
まだ状況の全てが呑み込み切れていなかった店主であったが、出してしまった百両分の損失が帰ってくるという部分だけを商人耳で拾い何度も頷いた。
紺之介「ふん。この剣豪紺之介に任せておけ」
帰宿した紺之介は彼の帰りを待って起きていた二人に己の出した答えと計画を全て伝えた。
紺之介「明日、華蓮と月一を送る過程で海賊を撃退し幼刀透水-すくみず-を奪還する」
乱怒攻流「でもそんな都合よく海賊があたしたちを襲ってきたりするのかしら」
紺之介「それについては完全な憶測な上に俺のような例外もあれど、全くあてがないわけでもない」
紺之介「奴は、露離魂だ」
続く
日の出と共に穏やかな波に揺れる和船。
華蓮に月一、そして愛栗子と乱怒攻流を乗せたこの船はまさしく華化粧が施されていると映った。
「漕ぎ手以外男なし……朝からいい船だなァオイ」
……双眼鏡を介した、ある者の目に。
華蓮「愛栗子さまはいつもどのようなものをお口にされているのですか? 一体何を食べたらそのように美しく……」
愛栗子「そーじゃの~……まぁわらわの美は生まれ持っての天の恵みじゃと思うておるが、強いて言うなら団子かの」
愛栗子「わらわはアレの張りのある弾力が好みなのじゃ。じゃから団子を好んで食べるのじゃがの、もしかしたらわらわのこの肌はその団子が生み出したものかもしれぬぞ」
愛栗子はそこまで言うと扇子を広げて高笑いして見せた。それは早朝の静寂な海にこれでもかと響き渡り水面に波紋を作る勢いであった。
華蓮にすっかりと持て囃されてご機嫌な愛栗子を乱怒攻流が縦笛でつつく。
愛栗子「む、なんじゃ」
乱怒攻流「朝からうるさいのよ。頭に響くの」
愛栗子「なんじゃぬし、まだ夢うつつとな? それなら丁度よかったではないか。わらわの高貴なる声色で目を覚ますがよい」
乱怒攻流「どこまで呑気なのよ」
どこまでも転がり続ける勢いの高飛車相手にもはやため息すら肺を空けきった乱怒攻流だったが、まだ愛栗子の真髄知らぬ月一が彼女に口添えした。
月一「お言葉ですが愛栗子姫、そこの乱怒攻流嬢の言う通りでしょう。この辺りは警も中々取り締まれぬほどの賊の者らが横行しているだとかで、みずから位置のわれるような声は張らないでいただきたい」
愛栗子「別にそのような小物どもが何人束になってもわらわには関係のない話なのじゃがの~」
『船周りの賊気にこれぽっちも興味なし』ということを示すかのように愛栗子は目を閉じたまま扇子を仰いだ。
そんな彼女の態度に少しばかり額にしわ寄せした月一、船の席を立ってもう一度口を開こうとしたところで乱怒攻流に袖を引かれる。
月一「んぅ?」
袖を引いた乱怒攻流は手を顔前に立て三回ほど月一に振って見せた。
それを見た月一は愛栗子たる少女がどのような人物なのかということを半分ほど理解すると口先まで出ていた不満を一旦呑みこみ再び船に腰かけた。
月一「はぁ……しかし、紺之介殿が別船で見回りをしているというのは果たして本当なのか? それらしき船は全く見えないが……」
改めて辺りを見回した月一は今一度疑いの表情を乱怒攻流に向ける。
その表情は彼女が最初に紺之介に向けていたものと全く同じ面であった。
睨まれているとボロが出ると悟った乱怒攻流、とっさに愛栗子の方に顔を流して振る。
乱怒攻流「う、うん……まぁね~……ね、愛栗子」
愛栗子「よいよい。今は全てあやつに任せておけばよいのじゃ」
一方愛栗子は変わらず堂々とした立ち振る舞い。これをまことの余裕と見極めた華蓮が月一をたしなめた。
華蓮「月一、無礼が過ぎます。紺之介さまは私たちのために何処かで睨みを利かせてくれているのですよ? それに京の姫の護衛を放って何処かへ行ってしまわれるだなんておなかがいくつあっても足りませんよ。そうは思いませんか?」
月一「それもそう……ですね」
二人のやり取りを横目に乱怒攻流はひとまず胸を撫で下ろしていた。
実のところ紺之介は彼女らの船に同席しているのだが、彼の作戦の都合上そのことを華蓮らには伝えられないというのが現状であった。
その安息もつかの間、乱怒攻流は微かな殺気を感じ取った。前方を見渡し耳を澄ませる。
そして拾う。
乱怒攻流「伏せて!」
矢尻が空を裂く音を。
漕ぎ手「へ? うぉあっ!?」
間一髪すかされた矢尻はそのまま水面へと呑まれていった。海へ消えゆく白羽を見て先ほどまで淑やかな佇まいを心得ていた華蓮も流石に嬌声を上げる。
そんな彼女を月一が守るように抱くとやっと誰もがその只ならぬ状況を察した。
揺れる水面の包囲網、彼らは彼女たちの乗った和船の航路を予測し先回りしていたのである。
気がつけば嗚呼無情。数多の小舟で彼女たちを囲んだ彼らは一斉にその中心部へと弓矢を構えた。
愛栗子「いつの時代も海賊というのは変わらんものじゃのぅ……そろそろお伽話のような巨船一つで攻めてくる輩が現れたのかと少しばかり期待しておったのじゃが……」
囲まれても尚余裕を崩さぬ愛栗子に月一は焦り混じりの表情で叫んだ。
月一「紺之介殿は何をしておるのだ!? 私たちがこんな状況になっても何故姿を現さぬのだ!」
華蓮「も、もしや紺之介さまはもう……」
月一「もしくはあの男、先に尻尾を巻いて何処かへ逃げたのか!?」
愛栗子「喚くでない」
華蓮「へ」
船で丸くなるばかりの二人に愛栗子は低く重みのある声で喝を入れた。
愛栗子「紺の強さの末端も知らぬ輩が好き勝手にあやつを語りおって……精々子犬のようにそこで怯えておるがよい」
愛栗子「乱、あの藍色の鞘をさげた奴が見えるか? おそらくあやつじゃな」
乱怒攻流「そうみたいね」
殺伐とした空気の中、二人が目をつけた大男が銛を掲げて名乗りを上げた。
船長「ここは我らが導路港海賊団の領海なり! よってタダでは帰さん。命惜しくば我らの船に掴まれ! さすれば命だけは助けてやろう」
大男のけたたましいまでの雄叫びのちに訪れたのは漕ぎ手と華蓮の震えすら音を持つかのような沈黙。誰が目にしても絶対絶命の境地……
月一、ただ汗をかくばかりの心境に一人思う。汗よりも水を掻く勇気欲しけり。
船長「見せしめだァ! そこの漕ぎ手を射てェ!」
漕ぎ手「ひィ!」
そして遂に漕ぎ手殺しの矢、放たれん。
だがそれを断ち切るモノ、縦笛の旋律に乗りて背嚢から姿現れたり。
下人海賊「な、なんだァ!? ありゃあ……!」
輩の驚愕に乗じて愛栗子これでもかと声を張り上げる。その声は先ほどの大男から放たれた声量に負けず劣らずのものであった。
愛栗子「賊供!その目に焼き付けるがよい! これから開かれる『鈍剣舞』を!」
乱怒攻流(勝手に変な名前つけないでよ!)
乱怒攻流不満を堪えつつ一斉に六本の刀を音色に泳がせる。その一本一本が向かってくる矢を叩き折り叩き斬る。
その反撃の鋼矢はやがて輩の布と身を切り裂いて小舟に赤いまだらを散らした。
月一「なんなのだ……これは……」
愛栗子「乱、一思いに微塵にして海へ落としてやれ。このような輩でも魚の腹の足しくらいにはなるじゃろて」
乱怒攻流(あんたも戦いなさいよぉ!)
余裕綽々と扇子をあおぐ愛栗子とは裏腹に乱怒攻流に敵を微塵切りにする余裕などそれこそ微塵にもなし。
彼女の振るう太刀は決して各々が意思を保持しているというわけではない。
彼女の奏でる『イロハ』に対応した太刀がそれぞれに動いているのだ。
『イ』の太刀が北東を切り裂き
『ロ』の太刀が北西を薙ぐ
『ハ』と『ニ』の太刀が東に牙を剥き
『ホ』と『ヘ』の太刀が西を突き刺す
そして『ト』の太刀が
乱怒攻流(そっちは頼んだわよ!)
紺之介「はあああああ!!!」
北で構える大男の首を狙う。
月一「嘘、だろう……? 今背嚢から……紺之介殿が……」
船長「なっ!? 男の付き人だと!? 一体いつの間に……! ふんぬゥ……!!」
上から転がり落ちる様に振りかざされた刃を大男の銛が辛くも受け止める。
小舟に着地した紺之介の喉を貫かんと切っ先が白刃をむくもそれはまた彼の剣豪たる技量によっていなされた。
敵手の引き際を逃さない紺之介、下がる銛先を追うように突きの体勢に入る。
紺之介「その首貰うける!」
船長「やるな小僧!」
紺之介「っ……!?」
しかしその紺之介の一撃は寸手のところで止められた。否、彼自身が止めたのである。
「ぁ、あ……ひえぇ……」
突如二人の間に割って入る少女の姿あり。
海で染めたかのような藍の髪色、服とも下着とも言えぬ群青のそれに上半身から臀部までも包む。
今にも泣き出さんとする表情で大男の盾となったその少女こそ幼刀透水-すくみず-である。
紺之介それを瞬時に理解できぬ男ではなし。
しかしその刀を容赦なく貫く信条もなし。
重ねてその隙を見逃す情は大男にはなし。
この導路港の海を手中に収めた男、遂に都剣豪の心臓をも狙い定めたり。
船長「獲ォッたどォォォ!!!!」
俊敏銛先彼の服を裂き
華蓮「紺之介さまぁ!」
透水(へ……)
薄皮膚を突き刺す。
紺之介(ぐッ!)
男、この海原にて死を覚悟したり……
しかし三途行きの船の汽笛、彼を乗せずしてその出航の音を奏でる。
乱怒攻流(何してんのよ!)
紺之介の身体急激に海に引かれ急所を逃れる。
船長「なんだと!?」
紺之介「……助かったぞ乱」
その勢いに乗り乱怒攻流に操られるがまま水上を滑走し大男の背後を取った紺之介、二撃目は逃しはしない。
紺之介「女を盾にとは関心しないが、幼刀を盾にとは尚許しがたしッ!」
紺之介が振りかぶる。
激しい攻防に揺れる小船上、高波さえ彷彿させる決着の斬り上げここに極まれり。
船長「ゔぁ゛ッ……ァ゛が……」
崩れゆく海の漢の最期見届けて腰の鞘引き抜けば沈む大男の血の硝煙、水飛沫とともに広き海の水面に溶けたり。
紺之介「お前が幼刀透水-すくみず-……で合っているな」
透水「ふぇ……は、はぃ……」
小舟の少女の足首を掴みながら確認を取る紺之介に透水は頷きながら内股を隠す。
彼が物珍しいものを見る目で己の脚の肌色を触るためである。
紺之介「にしても大好木というのはつくづく少女に妙な格好をさせたがる男だな……まぁいい。付いてきてもらうぞ」
透水「……やっぱり、そうなんですね」
紺之介「なに?」
突然の主人の死に惑うかと思いきや意外にも彼女の返答は全てを受け入れており、むしろ理解しきっている様子だったため違和感を覚える紺之介だったが一先ず愛栗子らの船に戻るため乱怒攻流に指示を出した。
紺之介「乱! 頼む」
紺之介(透水は鞘だけ持ってあちらの船で納刀すればいいか)
乱怒攻流「ちょっと人遣荒いんじゃない?」
愛栗子「おぬしは刀じゃろ。いや背嚢か?」
乱怒攻流「は?」
月一「姫様、お怪我は」
華蓮「大丈夫です。しかしどうなることかと思いました……本当に紺之介さまを雇っていて正解でしたわね」
漕ぎ手と華蓮ら二人が安息を享受する横で乱怒攻流と愛栗子がまたも頬をつまみ合う。そんな誰もが安心しきった海上の刻であった。
乱怒攻流「じゃあ運ぶわよ~」
下人海賊「お、や……かたっ……!」
紺之介「……! 乱!」
乱怒攻流「へ? きゃっ!」
下っ端の輩が最後の力で引いた一矢、報われたり。
乱怒攻流、矢から身を引くもなんと見事に縦笛射抜かれたり。
弾かれた縦笛は彼女が離した両手から大きく飛び海に没した。当然紺之介を操る旋律もそこで途切れる。そして彼もまた水没に呑まれたり。
紺之介「ぁ゛ぶっ!?」
透水「こ、こんのすけさん!」
透水瞬時に海へ飛び込む。深く潜りて沈みゆく紺之介の肩を持つ。
紺之介(……なるほど)
水の中で彼が見たものは人魚のような幼刀だった。水を裂き水に溶ける刀との伝説、ここに理解を得る。
あまりにも美しきその泳姿は彼女が海の中でも自由自在であることを彼に一瞬で分からせたのであった。
…………
海上抜けて浜。一先ず華蓮と月一を見送りながら紺之介服を絞る。
月一「ひ、姫様の前で脱ぐなっ!」
紺之介「仕方ないだろう。着物が海水を吸って重くてかなわんのだ」
華蓮「紺之介さま……? なぜ小判をお受け取りにならないのですか? 私たちは命を助けてもらったも同然ですのに」
紺之介は二人から報酬金を受け取らなかったのだ。そのことを不思議がった華蓮は首を傾げていた。
紺之介「そこでしょげている背嚢の働きっぷりを察してこちらにも事情があることは分かってもらえただろう。少しばかりお前らのことを利用させてもらってな……だからそれは受け取れん」
紺之介「それに海賊から多少海賊させてもらってな。見逃す代わりに積み金を失敬したんだ。これ以上は求めん」
皮肉たらしく冷めた笑みを浮かべた彼に二人がそれ以上問いかけることはなかった。
手を振りてその場を後にした華蓮は最後に愛栗子との再開を夢見て軽く頭を下げた。
愛栗子「紺、これからどうするのじゃ」
紺之介「あの漕ぎ手には俺たちのせいで災難な思いをさせたからな……一先ず新しいのが来るのを待ってまた導路港へと帰るとするか。それまでそこの背嚢を慰めてやれ」
愛栗子「ふむぅ~……アレは暫くあのままじゃと思うがの~」
縦笛を失い海原を虚ろな瞳で眺める乱怒攻流の方へと歩きながら愛栗子はやれやれと首を横に振った。
愛栗子の背を横目に紺之介は透水に問いかける。
紺之介「透水、お前には聞きたいことがいくつかある」
透水「はい……」
紺之介「お前はあたかも俺がこの場所に来るのを知っていたみたいだったが……」
彼に問われた透水は手を後ろに組んでしばし波の方向へ歩み寄ると懐かしそうな顔つきで話し始めた。
透水「あの船長さんより以前の私の持ち主様が言ってたんです。昔、こんのすけという人が来るまで私を預かっていて欲しいと言われたと……」
紺之介「なんだと……? そいつの名は」
透水「えぇっと……私を託した人の名前は知らないんです。前の持ち主様も聞いてなかったみたいなんですけど、私の記憶もないということはその人は露離魂を持っていなかったのかなって……」
紺之介は彼女の奇怪な昔話に眉をひそめる。
第一にして考えられるのは人違い。己ではない、別の『こんのすけ』なる者の存在。
しかしながらその説を提唱するには彼自身が今この場に辿り着いた事実すらも偶然の産物という事となる。
紺之介(偶然にしてはあまりにもでき過ぎている)
紺之介から見て彼女がホラ話をするような柄ではないということは一言二言交わしただけで見極めるに足りた。しかし鵜呑みにするにはあまりに謎が残る。
紺之介は半信半疑の間に閉じ込められた気分になり頭を抱え込んだ。
この謎を解き明かすには彼女から更なる話を聞き出すしかない。それを悟った彼は質問を重ねた。
紺之介「海賊連中がお前を網にひっかけたと聞いた。それは本当か?」
透水「はぃ。おそらく……」
紺之介「ならばなぜお前は海に沈んでいた。前の主人はどうした」
それを問うと透水は哀しげな顔つきでその場に座り込み迫る波に手をさらした。
透水「元々持病を患っていたようで、おそらく、二年ほど前に……。その人は私と同じだったんです。水が大好きで、海を愛していました」
透水「だからその人の死に際に私から頼んだんです。もう一度誰かに私を預けるのではなく、私を海に沈めて欲しいって……あの人は言っていました。自分が亡くなった後は知人に灰を海に撒いてもらうと……ですから、あの人はきっと今頃この海と一つになっているんです」
透水「あの人とこの海から離れたくなかった。私も一緒にこの海と一つになりたいって……でも、私の納刀状態でも発動するこの『刀』がそれを許してくれなくて……」
彼女は自らが纏うその群青を摘んだ。
紺之介(あの服のような何かがあいつの『刀』だったのか。海でも朽ちなかったのはそのためか)
彼女の運命の皮肉さに紺之介は短いため息を漏らした。
彼も見たその泳ぎから水にすら溶けると謳われた彼女はその名と伝承の通り水中でも生きれる身体を手にした代わりに完全に一つとなることを水に拒絶されてしまったのだ。
紺之介は透水の隣に立ち彼女の頭に手を置くとこれから彼女の生きる道をしめした。
紺之介「この後の話だが、とりあえずお前を売っていた商人のとこまで同行してもらう。どういう奇天烈が俺たちを引き合わせたかは結局分からんままだが、お前はもう俺のものだということには変わりない」
透水「……はぃ」
小声で寂しげに呟く彼女の後に続ける。
紺之介「だから鞘は預かっておく。だが、お前はここに残れ」
透水「へ」
紺之介「お前には俺たちの旅の終わりまでにあそこの背嚢の笛を探してもらう。できるだろ?」
透水は思わず紺之介を見上げた。
紺之介「その代わり無事に旅の終わりを迎えた暁には俺はお前も収蔵させてもらうつもりだ。だが、そのときには……そうだな……お前が干からびぬよう、報酬金でどでかい風呂でも作らせるか」
紺之介「愛栗子から聞いた。風呂も、好きなんだろう?」
そして幸薄ながらも確かな微笑みを浮かべて彼の頼みを聞き入れることとした。
透水「はぃ……!」
…………
刀屋店長「おお……! ありがてぇ! ありがてぇ!」
涙して頭を下げ続ける店主に向かって紺之介は納刀した透水を彼に見せつけながら店を後にした。
紺之介「では、こいつは貰っていく」
刀屋店長「また来てくだせぇあんさん!」
乱怒攻流「絶対! 絶対みつけなさいよっ!」
透水「ぅ、うん……」
再び船に乗り込む寸前、食い気味にして乱怒攻流は透水に念を押した。その様子に愛栗子がまたも乱怒攻流の棘のある物言いを指摘し、彼女らの言い合いが幕を開けた。
愛栗子「やはり幼刀の中で一番野蛮なのはおぬしのようじゃの」
乱怒攻流「は!? というかあんたも戦ってたらあんなことにはならなかったのよ!」
愛栗子「すまぬの~、わらわが得意としとる近接戦は紺に禁じられておるのじゃ。まぁあのような輩に遅れをとるわらわではないが、返り血でも汚れると紺に怒られてしまうでの」
乱怒攻流「あーらまた随分と大切にされちゃってぇ~、いつまでお人形さんやってるのかしら?」
透水「乱ちゃんも愛栗子ちゃんも仲良くしようよぉ……ねぇ……」
紺之介(やはり仲介役としてこいつは連れていくべきだったのか……?)
そのように微塵に後悔の念を港に残しつつも一先ず透水を残して紺之介たちの幼刀収集の旅は続く。
過去に『こんのすけ』なる者に幼刀を託そうとした輩、幼刀の破壊を企む児子炉の所有者……謎を抱えつつも彼らは続いて幼刀裵奴-ぺど-の情報を追うのだった。
続く
幼刀 裵奴 -ぺど-
常闇統べる夜の空。
浮かぶ月下のこの場所は雑木林。
肉を裂かれた武士の悲鳴……それを食らうは理を外れた、かつて幼子だった何か。
それは刃物、着物に血を吸わせる姿はさながら赤鬼の子なり。
その影で暗躍する男あり。その男幼刀欲しさに死体の携えたる刀漁るもその刃見て微ながら肩を落とす。
「チッ、ダメか。こいつもハズレだ。行くぞペド」
「うー」
「……ついに元幕府の連中も刀探しに本腰入れてきたみてぇだし、広げた噂が役立ってくるのはそろそろのはずなんだがな。もっと噂を流すか」
男は嗤うようにして口の口角を吊り上げた。
「来いよ……幼刀使い……!」
紺之介ら一行は港を渡り海から少し離れた町、茶居戸 -ちゃいるど- を訪れていた。
この場所は控え書きの情報によれば幼刀裵奴-ぺど- の在り処と記されたり。
早速情報収集のため通りを散策していた紺之介であったが町の様子に対して何やら不満気に眉を顰めていた。
愛栗子「紺、どうしたのじゃ」
紺之介「どうもこうもない。刀売りもいなければ鍛冶屋もない。どうなっているんだこの町は」
刀狂いの彼にとって旅中での刀見物はどのような質素な店内であろうと憩いの場となっていたのだ。
導路港からここまでの距離は中々のものであったのだが、どれだけ歩けどもその先に刀連なる場所あるならばと歩を進めてきた彼にとってそれは常人には理解し難い鬱憤となっていた。
乱怒攻流「庄司も言ってたけど、今の時代ってそれほど刀に需要ないんでしょ? 寧ろなんでこんな田舎にあると思ったのよ……ってか買えないでしょあんた……」
半目の乱怒攻流に続いて愛栗子が彼に口添えする。
愛栗子「こればかりはそこの背嚢に同意じゃの。人の大欲を満たせぬものなぞいつかは廃れるものなのじゃ。いつの世も最後に人が求めるものは『食』に『休』に『色』というわけじゃな」
愛栗子「紺、心が落ち着かぬのなら一度茶屋に入らぬか? 腹を満たし足を休め、いくさ場にはない華が色を育てる……茶屋とは実によい場所じゃ。ほれ、丁度そこに暖簾が……」
乱怒攻流「もう聞いてないみたいよ」
愛栗子が熱弁に熱弁を重ねて茶屋に向かうよう促すも彼女が暖簾を指差してから紺之介の方を向いたとき彼はすでにそこにおらず先立つ町民へ話かけていた。
白玉より鋼。紺之介の刀へ注ぐ情熱はまさしく日本刀の如き実直さと言えよう。
町民に話しかける彼の後ろ姿は彼女たちに多くは語らなかったが簡単に二人を黙らせるに足りた。
無の熱弁である。
愛栗子「……むぅ」
紺之介「すまん少しいいか。この町に刀を売る商人か鍛冶屋はないのか」
町民「ねぇ~なぁ~? なんだあんちゃん今どき珍しいお侍さんかい?」
町民の男は後ろ髪をかきながら紺之介の腰刀に指と視線を向けた。
紺之介「俺は旅の剣豪だ。ここには伝説の幼刀の噂もあると聞いて来た」
乱怒攻流(だから『剣豪』ってなんなのよ……)
乱怒攻流の内心の疑問も知ることなく紺之介はついでに裵奴の情報も収集していく。
町民「あ~……その話な。確かにお侍さんなら興味持ちそうな話だなぁ……もっと言うとな、本当はこの町にも鍛冶屋があったんだよ」
紺之介「何だと? あんたこの俺に嘘を……!」
町民「んなっ、待て待て待てよあんちゃん!」
食い気味に一歩詰め寄る紺之介に対して町民の男は身を引きながら両掌で策を作って続けた。
町民「おらぁ別に嘘なんざついてねぇよ。ついこの前まであったって話な。まぁ元々『今どき刀叩くだけじゃ飯は食えねぇ』ってんで色々やってたとこではあったんだがな……」
町民「しかしついこの前親方は『刀狩りの噂』にビビって店を畳んじまったのさ」
紺之介「刀狩りの噂……?」
彼の話に興味を示した紺之介は詰め寄った身を引いて耳を傾けることとし、その様子に町民の男も安堵した様子で両掌を下ろした。
町民「実際にその姿を見たって奴も居るんだからなかなか背筋の凍る話だぜ……夜中に旅路のお侍さんがこの町の通りや、そこのすぐ近くの雑木林を歩いてたら俊敏に短剣を振り回す二歳児に切り裂かれるって話よ」
町民「その二歳児の反物は死体の血で染められた赤黒らしい。まさに『乳飲み子』ならぬ『血飲み子』よ」
町民「で、お侍様の屍はみな刀を取られちまってるんだ。目的は不明なんだが侍じゃなくとも洒落た脇差を差した商人が襲われたって噂も耳にしたんでどうやら刀を差してる奴を狙うってのは確かみたいなんだ……でだ」
紺之介「鍛冶屋は店を畳んだ……というわけか」
町民「そういうこったな。あんちゃんも今晩ここに泊まるなら野宿だけはやめときな。んじゃあな」
後ろ手を振る男を見送ると紺之介は二人のところへ戻り質問をした。
紺之介「今の話、聞いたな。裵奴というのはそんなにも幼い女児だったのか? 大好木……どこまで幼女を好んでいたんだ」
愛栗子「まぁの……将軍様の愛した『女』というよりあれは愛娘と言うべきじゃの」
紺之介「愛娘、だと……幼刀裵奴-ぺど-は大好木の実の娘だとでも言うのか!?」
乱怒攻流「だからそうだって言ってるじゃない。隠し子の一人や二人いたっておかしくないでしょ。……その、あたしたちみたいなのがいるんだし……?」
愛栗子「まぁそこの背嚢も抱かれておるくらいじゃしの」
乱怒攻流「もー!」
乱怒攻流の恥じらいもよそに愛栗子は身も蓋もなく紺之介を納得させてみせた。
紺之介「なるほどな。俺も父からそのような話を聞いたことがある。まさか本当にあったとはな」
紺之介「しかし何故また二歳児が刀を……こちらはもっと謎だな」
愛栗子「さあの。それこそ紺、ぬしと同じようなものではないか」
乱怒攻流「なわけないでしょっ」
茶屋に入れぬ不満を隠しきれず話を適当に畳もうとする愛栗子に乱怒攻流が冷静な突っ込みを入れる。
乱怒攻流「そのことに関しては裵奴の持ち主が一枚噛んでると見て良さそうね。裵奴は刀なんか興味ないにしろ、持ち主があんたや庄司みたいなやつってのはありえる話でしょ」
紺之介「さっきの話が本当ならそれは失敬だぞ乱。やり方が気に食わん……正々堂々と『己の魂-かたな-』を賭けた決闘にて得た一振りと、夜間に不意打ちで得た物との価値を一緒にするな」
紺之介の瞳に宿る確かな侍魂に乱怒攻流はいつもの呆れを覚えつつも微量ながら敬意も感じてしまうのであった。
乱怒攻流「そ、そう……それは悪かったわね」
燃やした瞳のまま紺之介は握り拳を作り謎の使命感を帯びていた。
紺之介「気に食わん奴だ。今晩にでもその腐った精神を叩き直してやるッ……愛栗子、乱。今夜は鞘に直って俺に協力してくれ。夜道に出てその刀狩りとやらをおびき寄せる」
乱怒攻流「はいはい。裵奴が関わってるのは間違いなさそうだし、仕方ないわね」
彼の熱意に押されあっさり承諾した乱怒攻流だったが、彼女とは違い愛栗子は膨れ面のまま茶屋の暖簾を指差していた。
紺之介「……分かったよ」
愛栗子「わかればよい」
さすがの紺之介も察したのか短いため息を一つ吐くと茶屋の暖簾をくぐった。
紺之介一行に束の間の休息が訪れる。
無事茶居戸に到着し次にやるべき方針も決まり、そこにいる誰もが心を緩めたことによって彼らは誰一人として気づかなかった。
同じく幼刀の噂に釣られてそこへ訪れた、邪悪な視線に……
………………
紺之介「静かな夜だ」
茶居戸の深い夜。腰に幼刀愛栗子-ありす-と幼刀乱怒攻流-らんどせる-を差した紺之介は久しく独りの夜の中にいた。
彼の耳が妙に音を拾わなかったのは普段聞いていた幼女たちの声のせいかもしれない。
紺之介(一人で三本も太刀を携帯している奴を見かければさすがになんらかの動きは見せてくるだろう)
紺之介一人雑木林の方向へと歩を進めていく。地擦る草履の雑音だけが夜道に何度も刻まれる。
一擦り、二擦り、一擦り、二擦り
その中で紺之介はある異変に気がついた。
一擦り、二擦り……ここで紺之介歩み止めたり。
三擦り。
紺之介(いるな)
彼あえて振り向かず、愛刀に手をかけソレの出方を伺う。
紺之介が歩みを止めてから十と経過した後、それは突如俊敏に動き始めた。
紺之介「……!」
一擦り、二擦り……三、四、五六七八
「ウラァ!!」
紺之介「ふんっ!」
紺之介ついに振り返りソレの振る鋭い鋼を受けかち上げる。
初撃弾き合い互いに間合いを取り向き合う。
彼が両腕で太刀構え刃先向けた先に立つは黒髭の濃い筋骨隆々の男。
対面の彼もまた紺之介の姿を確かと視界に捉え不気味に笑みを浮かべる。
「強ぇな」
紺之介を簡潔かつ一言で褒め称えた彼の言葉に紺之介の口は噤まれた。
『対面の者が強者であること』
そのことへの賞賛の言葉は紺之介の口からも漏れかけていた台詞であった。
しかし彼らの間で違ったのが余裕の差異である。
髭の濃いその男はその言葉を口にしても尚余裕に満ち溢れていた。故に推測される。その言葉の持つ言霊は『悦』
一方紺之介の口から出かかったソレの源は『恐れ』
その余裕の差を悟られぬよう瞬時に口を噤めたのは彼の自尊心が成せた技だろう。
ここで本能のまま対面の男を讃えてしまうのは悪手そのもの、彼らの力量差が互いに知れてしまうからだ。
『今はまだ互角の覇気を纏わねばならぬ』という紺之介の意地が、彼の柄を握る手に力を入れさせた。
紺之介はらしくなしに彼に若干の恐怖を抱いていた。
紺之介(なんだ……こいつっ……)
髭の男の面構えの中には禍々しい狂気たる何かが渦巻いており、それを紺之介は本能的に感知したのである。
目の前の男は一体何者なのか……己の中にある問に簡易的な答えを与えるために彼は男に質問した。
紺之介「『刀狩り』か?」
「いいや、違うぜェ」
紺之介(刀狩りじゃないだと!?)
理解し難き回答に紺之介の背筋が強張る。
その状況は彼が困惑するのも当然と言えた。
紺之介(こいつがもし本当に刀狩りではなかったとして、なら何故俺を襲った……? このような一撃刹那でやり手と分かるような男が、何故)
急な強襲。予期せぬ強敵との邂逅。
それらの出来事が着実に紺之介の冷静さを崩していき彼から遠回りな問いを選ぶ余地を奪っていった。
紺之介「なら、何故俺を襲った」
「あ゛? んなモン強そうだったからに決まってるじゃねェか」
紺之介「は……?」
男の返事に紺之介の額は多くの汗に濡らされる一方である。彼の募り募った焦りはとうとう確信へと迫った。
紺之介「お前……何者だ!」
「……弱えヤツに名乗る名はねェがまぁ、てめェならいいか……」
もう一度紺之介を強者と賛美しつつも男は構えていた太刀を肩に担ぐ余裕を見せ、低い漢声で名を語った。
源氏「オラぁ、源氏-ゲンジ-ってんだ」
紺之介「源氏……」
紺之介はそう呟いて己の旅の記憶を辿りつつ彼が何者なのかを改めて模索し始めた。
まだ信用ならなかったのだ。『全くの他人を一目見ただけで強者と決めつけ尚且つそれだけを理由に斬りかかる』彼の心情を。
紺之介(何処だ? 何処でヤツと俺は会った……露離魂町にこんなやつは……なら夜如月、、いや違う。しかし導路港にもこんな男は……)
源氏「なァもういいか? 三つも質問に答えてやったんだ。そろそろ殺し合ってくれたっていいよなァ!!!」
紺之介「っ……!」
紺之介が納得いく結論を出す隙もなく源氏は再び彼に太刀を下す。二度目の一撃は不意に来た先ほどの物より重く、紺之介の愛刀に威圧抑圧重圧がのし掛かる。
しかしさすがに紺之介も腹を括る。源氏という人間の行動に意味を求めるのを諦め、ただ目の前の『敵』を退けると決意した時。彼の中の『剣豪の血』が完全に目を醒ました。
源氏「うぉっ」
自らにかけられた源氏の体重を利用し彼の剣を引き寄せてから滑らせ彼が前のめりに躓きかけたところを素早く右にかわし側背を取る。
紺之介(もらった……!)
それは紺之介から見れば確実に決着の一太刀ととらえられたが曲者源氏やはり只者ではなし。
彼はなんとほぼ猫背の状態から右腕だけで太刀を振り上げてそれを完璧に受けてみせた。
紺之介「何ッ!?」
源氏「予想以上におもしれェじゃねぇか……この感じは久しぶりだぜ」
そのまま片腕だけの力で紺之介の太刀をはねのけると紺之介の空いた懐に猪のごとき獰猛な突きを放つ。
が、それは紺之介の神業的反応速度が功を制し間一髪逸らされたことによって着物ひと裂き程度の傷で収められた。
文字通り紺之介の隙を突いた源氏の攻撃であったが、小舟の一戦で突きによる反撃で一度命を亡きものにしかけた紺之介にとってそれは想定範囲内の出来事だったのだ。
だが無論片腕のみで渾身の一振りを受けられたことは想定外である。一度後足で引いた紺之介の表情はより余裕の無いものに変わっていく。
そこから一太刀、また一振りと源氏との攻防を交わしていく中で紺之介の心拍数は上昇していった。
紺之介(この戦い……冗談抜きに命を落とすことになるかもしれんな)
それでも尚腰の愛栗子乱怒攻流の柄を触る手はなし。
彼は決して幼刀を最後の切札として出し惜しみしているのではない。幼刀をその戦場に立たせるという発想自体が皆無なのである。
しかし当然源氏にはそんな彼の思惑を知る由も無し。彼は次第に疑念のこもった目で紺之介の腰刀を睨むようになった。
源氏「……それ、抜かねェのか?」
一人の侍が脇差でもない刀を三本も携帯していることは非常に稀である。よって源氏の強者を求める血が疑ったのは紺之介が多刀の使い手であるということであった。
となればより強き者との戦を望む彼にとって紺之介がそれを抜かぬとするのは切歯扼腕の怒りである。
源氏は紺之介にそれを抜刀するように促した。
源氏「抜けよ……じゃねェと、てめェまるでソイツを護って戦ってるみてぇじゃねェか」
源氏の言葉に紺之介はつい口元を緩めた。彼の言葉によってやっと自らが幼刀を戦わせることを全く考慮していなかったことに気がついたのである。
だが源氏が刀狩りではないと分かっている以上事実を語る義理も無しと紺之介は引きつった笑みのまま己の剣を示した。
紺之介「当たり前だ。俺の剣は父から譲り受けた護衛剣術……故にそれが誰かであれ刀であれ己の命のためであろうと護るためにこの剣を振るのみよ」
源氏「護衛剣術……」
源氏の眉が歪む。彼は何かを思い出したかのように左人差し指でその眉をかいた。
紺之介(……なんだ?)
そしてやがてもう一度にやけると一人頭の痞えが取れたかのように呟いた。
源氏「てめェ……最高-もりたか- が言ってた倅ってヤツか……? どおりで久しぶりの感覚を味わえたわけだ。なげぇこと待ったぜオイ」
瞬間、紺之介は目を見開いて驚愕した。あまりの出来事に柄から離れかけた力をぐっと入れ直す。
紺之介「もり、たか……だと……何故お前が、お前が……!」
紺之介が平常心を失ったのは他でもない。源氏の口から出たその人物の名は……
紺之介「父の名を!」
紺之介の実の父親の名である。
源氏「何故ってそりゃあよォ……」
源氏が次に口を開いた時、刀狩りの噂が呼び寄せた運命がついに交差した。
源氏「その最高が……俺に幼刀児子炉-ごすろり-を託したんだからなァ!」
続く
………………
それは遡ること十年の時。
『強者』を求め、そして己もまた『強者』であることを極めんとした男、光源氏。
彼が葉助流武飛威剣術-ようじょりゅうぶひいけんじゅつ-道場の鬼の師範として下宿していたのはこれよりさらに前の話である。
道場とは本来力なき故に教えを請う者を歓迎する場所であるべきところだが、源氏は師範という立場でありながら尚も己を過剰に磨くための立会いを繰り返し門下生に深手を負わせ続けてきたのだ。
そのことを師に指摘された源氏は逆上。遂に己の師すらその切っ先の錆としてしまう。
そして肉塊と化した師に目を落としたとき源氏は一人悟った。
源氏(もうここに俺の求めてる『強さ』はねェ)
こうして彼のいつ終わるともしれぬ無謀な旅が幕を開けた。
しかし当然のことながら彼は途方に暮れていた。
師をも超えた彼の狂刃と渡り合う相手など武士が消えゆくこの幕末の世にはそうそう現れなかったのである。
そうして見つけた退屈しのぎの熊殺しにも飽きてきた頃、彼は獣道を歩く一人の男と遭遇した。
梅雨離 最高 -つゆりもりたか- 紺之介の父である。
最高は熊の血滴る源氏の刀を見て戯けた様子で軽く両腕を挙げた。
最高「ははっ、まいったねぇ。この辺は獣の通りが少ないって聞いたモンだから身を隠すのに丁度いいと思ってたんだが……まさか熊殺しの方に会っちまうたあな」
源氏「なんだァ……? てめェ」
熊の骸に腰掛けた源氏はそこで最高に新たな暇つぶしを授かりて途方もない旅路に一つ道標を立てることとした。
そう。それこそが……
…………………
紺之介「幼刀と戦うこと……だと?」
源氏「そうだ。最高は俺のぼやきを聞き入れそれを成すための方針を与えてくれたってわけだ」
彼は脳裏に浮かび上がる懐かしき過去を探るように額に左中指を当てて滑らせた。
原氏「幼刀の戦闘力や性能は人知を超えたものなのだと聞いたモンでな……そいつを聞いたときは血湧き肉躍ったぜ……だが奴はこうも言っていた」
…………………
最高「だかな……俺の息子はもっとつえーぞ」
彼が先ほどまで語っていた幼刀の伝説を感嘆としながら聞いていた源氏は一時眉を顰めた。
人有らざる者が人知超えしとは誰もが理解にたることであるが、その語りを予め源氏の耳に入れた上で己の子がその上を征くなど子煩悩もいいところである。
しかし意外なことながら源氏は最高の言うことをすんなりと信用した。
最高の倅……即ち『人』が『幼刀』に勝らぬと疑うことは己もまたそれに劣ると認めることと同義である。
その信頼は彼が自らを強者と信ずるが故の志に近いものであった。
最高「俺は美刀を愛し、先祖にまみえるため故に幼刀を手に入れようとしたが露離魂を持たぬ俺がそれらを手中に収めたとてそれはただの美刀と成り下がってしまうことに気がついた」
最高「だから俺は、同じく美刀を慈しむ志を持った息子の紺之介に全てを託すこととした」
最高「だが息子まで盗人とするわけにはいかんだろう? だから他の連中にこの児子炉以外の刀を一時隠してもらうこととしたのだ」
最高「源氏と申したか……幼刀を追うならそのときは覚悟しろ。お前さんはいつか必ず紺之介と衝突する。息子は先十五年と経たぬうちに元幕府の連中に頼られる剣豪となる。この俺のようにな」
忍ぶ為に山道へと入ったというのが嘘かのような高笑いを上げて最高は息子を褒め称え続けた。
彼の倅と嗜好の話は流し耳に聞いていた源氏であったが彼の発言の一部に触発された。
源氏「……なんだ。おめェも強ェのか」
最高「ん?」
源氏の獣のような視線に先ほどまで子煩悩に満ちていた最高の顔も真面目な面持ちとなる。
源氏「最高おめェ……その幼刀児子炉を持ってこれからも逃走し続ける気か? ってことはなんだ……そんだけ溺愛してる小僧にも、もう今後一切顔合わせする気はねぇんだな」
最高「……何が言いたい」
最高自身それは城から幼刀を持ち出した時既に受け入れていた運命であったが改めて源氏に事実を突きつけられ顔を引きつった。
最高「それはもはや要らぬ言及だ」
源氏がもう一言二言口出ししていたなら彼は抜刀し大樹に八つ当たりしていたかもしれぬことを通りすがりの雌鹿すら勘付いた。
逃げるような獣脚に紛れて源氏は再び口を開いた。
源氏「その小僧に合わせてやるって言ってんだ。あの世でな」
最高「ほう?」
源氏「俺とここで決闘しろ梅雨離最高。そして俺が勝利した暁にはその幼刀児子炉をこちらに渡せ。そうすれば約束してやる。その刀に迫る連中の手を全てはね飛ばし、いずれ来たる自慢の息子もおめェと同じ場所に送ってやるってよ」
……………………
源氏の語りにて紺之介は悟った。
紺之介「つまり、父は……」
源氏「ああ、この強者たる俺の刃の錆となったってわけだ」
紺之介「っーー!!」
瞬間、紺之介は感情任せに源氏へと斬りかかった。そのブレた一太刀は虚しく源氏に受けきられてしまい隙だらけの懐には彼の右足が叩き込まれる。
紺之介「ぉ゛ふっ……! かハッ!」
源氏「まあ待てよ。もう少し俺の愚痴を聞いてくれてもいいじゃねェか」
心身ともに余裕なく肩で呼吸する紺之介。
その前髪から覗かせる睨みに対して凄まれることもなく源氏は峰で肩を叩いた。
源氏「でもな? 最高の奴俺に重要なことを何一つ喋らずに逝きやがった。他の幼刀の在り方もそうだがな、一番頭に来たのは持ってる幼刀とは殺りあえねぇってこった」
源氏「最初に児子炉を抜いたときそれは只の刀でな……それだけでも騙された気分になっちまったがまぁ仕方なく当てもなしに幼刀ってやつを八年くらい探してたんだよ」
源氏「そうしたら金がいるだろ? まぁ文無しだったからよ……村一つ二つ焼いて金目の物漁ってたんだがある時それすら馬鹿馬鹿しくなっちまってな。いろいろ溜まってたんだよ」
源氏「だからある日焼いたついでに村のメスガキを犯してな……これが思いのほかイイもんだったんだよ。うるせェ悲鳴やら嬌声やらも全部快感に変わんだ。ありゃ今思い出してもたまんねェぜ」
源氏は歯と歯の隙間から舌をちらつかせて下衆そのものといった様子の嘲り笑いを浮かべた。
その邪悪な笑みは紺之介を内側から恐怖の狂気で包み込む。
源氏「そんなことしている内によ……抜刀したヤツの姿が見えるようになっちまったぜ。しかし自分の所有物とは戦えねェたぁがっかりだよなァ~……」
源氏は目の前の男が己の狂気に足を固められているとも知らずに何年も蓄積させた愚痴をここぞとばかりにこぼし続ける。
彼を前にして紺之介の戦慄収まることを知らずただただ太刀の刃先にか細い戦意を乗せて構えるばかり。その最中に源氏たる男の『異常』を噛み締める。
紺之介(村を一つ二つ焼いただと……? こんな男がなぜ今日の今日まで生きていられる……!? そんなことをすれば噂が広がり一年と経たずして首をはねられる身となるはず。となればこの男)
紺之介(殺し続けてきたのか……煙が立たぬよう追っ手を、もしくは村の民を全員……!? )
紺之介の脳内に見たわけでもない景色が広がる。広がるゆく業火の中……彼に縛られ、犯され、汚されゆく少女たちの表情が。
その少女の顔は次第に近しい存在へと変化してゆく、乱怒攻流、そして愛栗子の顔へと……
紺之介「あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛!!!!」
気がつけば彼は彼女たちを抜刀していた。そして瞬時に二人を庇うように愛刀と共に源氏に突進をしかける。
紺之介「愛栗子! 乱! 走れ! 逃げろ! 後で必ず納刀する!」
源氏「ハッ……! やっぱり幼刀かよ」
乱怒攻流「へ、ちょ……どういう状況なのよこれ!」
愛栗子「……乱、はよう走れ」
紺之介を残し迷わず駆け抜けた愛栗子に乱怒攻流は戸惑いを覚えながらも後に続く。
紺之介が本来向かう予定だった雑木林の方向へと二人はただただ走り続ける。
駆けながらにして乱怒攻流は紺之介の言葉に困惑したままであったが、それよりも愛栗子の行動に強い不可思議を抱いていた。
乱怒攻流「なんかあいつの目の前にいた奴が相当強いヤツだったってことは何となく分かったんだけど……にしてもあんたがあいつの強さを信じずにすんなり逃げ出すだなんて、そっちの方が驚いたわ」
愛栗子「何を言っておる。信じておるわ」
依然として彼女は疾走を心がけてはいたがその言葉には一寸たりとも迷いも不安も隠されてはいなかった。
今乱怒攻流の視界に映る彼女の姿は顔すら見えぬ背中の蝶帯一つだがそれでも乱怒攻流にはその心情を読み取ることができた。
それは普段から愛栗子に憎まれ口を叩かれている彼女ならではのことであろう。
先ほどの愛栗子の物言いはいつもの高慢ちきの口から出たそれであった。
愛栗子「じゃがの、わらわよりもあやつの方がさらに己の強さに信を通しておる。そのあやつがわらわらを抜刀するやいなああも叫んだのじゃ……そういうことじゃろう」
愛栗子「それに、あやつはこうも言うておった。『後で必ず納刀する』との。何も死に場所を見つけたわけでもなさそうじゃし、今は無理にわらわらが出る幕でもないというわけじゃの」
乱怒攻流「まぁ、あいつに馬鹿みたいに心酔してるあんたがそこまで言うならそういうことにしておくわ」
乱怒攻流「にしても『刀狩り』とやらがそこまでのやり手だったとはねぇ……これからどうするのよ」
愛栗子「一先ずあちらの木々に身を潜ませるとするかの。わらわはもう疲れてしもうたわ」
乱怒攻流「……いやあんた絶対本気で走ってないでしょ……というか裵奴はあの場所には居なかったみたいだけど、一体何処にいるの?」
愛栗子「さぁの。わらわにはまったく見当が……」
愛栗子がそう呟いた瞬間であった。
「へぐぅ……!」
愛栗子「! 乱、止まるのじゃ」
愛栗子らより二周りほど小さな幼女が彼女たちの視界を横切り土煙を上げながら土壌に叩きつけられた。
乱怒攻流「へ……? さっきのって」
裵奴「いたぁ……あぁ゛ー! い゛だぁぁぁい!」
乱怒攻流「裵奴!?」
半べその表情で立ち上がった幼女は母親を呼びつけるかのような叫び声を夜空に響かせた。
「ひっ……! な、なんなんだよアイツはよぉ……!」
後に続いて引き腰の男が裵奴の飛んできた方向を見ながら尻餅をついた。
それでも尚男は手をついて後ずさり、その場に裵奴と同じ幼刀である少女が二人も現れたというのにまるでそのことに全く気がついていない様子で正面に釘付けにされていた。
彼の見る方向にあったのは闇に潜む殺意。
その闇が放つ殺意が男の脳に『一瞬でも目を逸らせば殺されかねない』という情報を焼き付け、視線を正面に固定させているのだ。
男の目の前に迫る『何か』は木々の隙間から割って入る月明かりに照らされ闇から浮かび上がるようにして姿を現した。
その者が纏った黒い洋服は夜の闇に病的なほど異様に馴染み、その者が抱きかかえた熊を模した人形は愛らしき表情ながらその全く変わらぬ表情が薄ら寒い気味悪さを感じさせた。
さらに熊の人形は片腕のみを肥大化させると
「オイ泣いてんなよペド! ま、待ってくれ……」
「……じゃま」
「ごはっ!」
それは男の横腹を見事に振りかぶり、突き飛ばされた男は木の幹に叩きつけられ気を失った。
この一連の光景を目の当たりにした愛栗子は一人確信に至る。
愛栗子「……紺が手こずっておった相手はどうやらとんでもない輩だったみたいじゃの」
乱怒攻流「愛栗子、あれって……」
愛栗子「黒の塊のような西洋着、赤子程の熊の人形……間違いないの」
愛栗子「児子炉じゃ」
……………………………
茶居戸の通りにて金属の弾き合う音が交差する。
源氏「ウラァ!」
紺之介「ぐぅ゛……!」
強さを求め続ける源氏の荒々しい野獣の如き剣さばきと護衛剣術を操る自称剣豪たる紺之介との攻防は両者ひたすら互角に見えたが紺之介自身は己の体力の限界を感づいていた。
今ここで源氏を打倒するのは不可能と悟ったのである。
であればここで息を絶やすか逃げ延びるかの二つに一つであるがかの紺之介戦場だけに生ける剣豪ではなし。
美しき鋼見たさに生に執着するもまた剣豪と捉える彼にここで絶える道は無かった。
改めて距離を取り刀を構え、源氏の隙を伺う。
紺之介「はぁ、はぁっ……少し気になっていたのだが、お前の相棒の児子炉とやらはどこにいるんだ。まぁ、幼刀とはいえ所詮は童女……この時間なら宿屋でお眠なのか?」
源氏「さァな。ただヤツは他の幼刀が憎いだとかでそれらに対する鼻利きが良くてな……俺が情報も無しに幼刀に辿りつけるようになったのはアイツ様々よ」
源氏「児子炉とは利害も一致してるしな。俺も幼刀と戦いたがっているがヤツもヤツで幼刀の破壊を目論んでやがる。利害が一致しすぎてヤツが暴れ過ぎてねェかは心配になるがな……楽しみが減っちまうのは色々と堪える」
紺之介のこめかみに大粒の汗が走る。
源氏の言っていることをまことと受け止めるならば彼女たちをそのままにしているのは尚更のこと危険が伴うと判断したからである。
そうと決まれば彼は足早に背を向け走り去るべきなのだろう。しかしそれは背を守りきれるほど走れることを示唆している。
当然の事ながらそれを試みれる体力はもはや今の紺之介には無し。
絶体絶命の境遇。
しかしながらここまでの戦いを経て彼らは互いの真髄を露わにしながらぶつけ合って見せた。その結果紺之介には源氏たる男の思想が手に取るように分かりかけていたのである。
それを上手く利用できるか否か、この勝負の分かれ目はそこにあった。
心の蔵を叩く音、唾を飲み込むぐぐもった濁音。それら全てが重なったとき
紺之介は、最終手段に出た。
…………………………
裵奴「ぅ、ぐひゅ……ぅ゛~」
べそをかく裵奴の前に漆黒の足音が迫る。それは一歩また一歩とかさねるごとに重みを増し、枯葉や枝木を強く軋ませた。
熊人形に隠れた児子炉の口元からは小さくも強い怨念が込められたどす黒い言葉が途切れ途切れに放たれ、その呪いにも似た言霊に只ならぬ想いがはせられていることを夜風に揺れる木々たちが伝えていた。
児子炉「……本当に、忌々しい。忌み子、め……! けす、けす、けす、けしてやる!」
着々と葉を割る足音は立ちはだかる彼女らを前にしてとどめられた。
児子炉「っ……!」
乱怒攻流「ちょっと、待ちなさいよ」
愛栗子「そうじゃ黒いの。そこで伸びておる男のことなぞはどうでもよいが、あっちのはおぬしに壊されては困るのじゃ」
児子炉「乱……と、あ、あ、ぁ、」
児子炉「あ゛り゛すぅ゛ぅ゛ぅ゛!」
愛栗子の姿を見るやいな児子炉の表情は更に少女とは思えぬものへと豹変した。
彼女の殺意の対象が露骨に変動されたことを機に裵奴は雑木林の奥の方へと走り出す。
乱怒攻流「あ、ちょ……あんたも待ちなさい!」
その小さな背中にもう乱怒攻流の言葉が届くことはなし。虚しく高木々に吸われた彼女の声を愛栗子が供養するかのようにいさめた。
愛栗子「よいよい走らせておけ……それよりも今はこっちの黒づくめの方じゃ」
乱怒攻流「そ、そうね」
愛栗子の言葉に振り返りつつ二本の刃を背嚢から取り出した乱怒攻流であったが、その刀を握る彼女の手の上から愛栗子の後ろ手が乗せられた。
乱怒攻流「……へ」
その手は乱怒攻流から見て静止を促しているものと映り、彼女が困惑の表情で愛栗子の横顔に目を向けるとあの高飛車愛栗子がいつになく真剣な表情になっていたことに気がつく。
乱怒攻流の表情に追加して『驚き』が加わった。
愛栗子「乱、導路港で笛をうさしたとき……ぬしはわらわも戦っておればああはならなかったと申したの」
愛栗子が真剣な面持ちのまま依然として困惑気味であった乱怒攻流に話を振った。
流れに乗せられそのまま首を縦に振りそうになった乱怒攻流であったが寸手でいつもの強情な我に返りて虚勢を張る事とする。
乱怒攻流「そ、そうよ! あんたのせいであたしの大切な『刀』が……」
その虚勢には勿論その件についての怒りも込められてはいたが、何よりも愛栗子の凛とした研ぎ澄まされし気迫に呑まれぬように気つけをしたというのが何よりであった。
それほどまでに今から只ならぬことが起こりうるのだと乱怒攻流は全身の肌で感じ取っていた。
愛栗子「その借、ここで返させてはくれぬかの」
愛栗子が己の左胸を手のひらで包み込んだ。瞬間乱怒攻流は目を見開く。彼女は愛栗子のそこに何があるのかを知っていた。
乱怒攻流「面倒臭がりのあんたがその金時計の『刀』を使うだなんて」
愛栗子「まぁどうやらあやつはわらわの客のようじゃしの。じゃが何度も言うようにわらわは紺に戦を禁じられておる」
そこまで言うと愛栗子は月光の映える微笑を向け、駆け出した。
愛栗子「なるべく汚れぬよう終わらせるのでの……紺のやつには内緒じゃぞ?」
彼女が〝居た〟場所に砂利風が立ちそれが乱怒攻流の前髪を浮かせた。
児子炉「あ゛り゛す ! あ゛り゛す! あ゛ぁ゛ぁ゛り゛ぃ゛!」
世に存在する怨恨やら憎しみやらを可視化させたかのような邪気が児子炉と熊人形を包み込み黒い稲妻となって電光石火の愛栗子を迎え撃つ。
白き光の如き愛栗子と黒の怨みを纏う児子炉がぶつかり合うとき、それがこの旅の果てと乱怒攻流が直感で悟ったときだった。
児子炉は黒煙となりて闇に溶けその光景を残された二人が認識した瞬間、彼女らも光となりてその場から姿を消したのであった。
……………………………
薄暗い裏路地に一人、源氏は億劫な表情を浮かべつつ児子炉の鞘を抜いた。
源氏「どれくらい殺りやがった? 勝手に一人で暴れ過ぎンなよ。俺の楽しみが無くなっちまうだろうが」
児子炉「……じゃまされなければ、ぜんぶこわしてた」
源氏の問いに今度は児子炉が沈めた表情で口元を熊の頭で隠してみせたが、その様子に源氏の生き生きとした狂気は口角に取り戻された。
源氏「まあそう拗ねるこたァねェだろ。裵奴はともかく今奴らを壊すのはもったいねェ」
クククと堪えた笑いには紺之介に対する期待が大いに含まれていた。というのも彼が紺之介の要求を呑み、彼らの間である契約がなされたからである。
………………
紺之介「源氏、率直に言うとだ……今の俺はお前に本気になれない」
源氏「あ゛? そう水臭ェこと言うなよ。本気で殺し合おうぜ? なにせ俺はてめェの親父の仇なんだからよ」
刀を前に突き出し今にも紺之介に牙を剥かんとする源氏の闘志を断ち切るかのように紺之介は口を挟んだ。
紺之介「だからこそだ」
源氏「……そいつァどういうこった」
紺之介「今の俺はその件やお前のここに至るまでの行いに対して強い憎悪や怒りを覚えている。それに任せて剣を振りかねんということだ」
紺之介「それ即ち護るための剣にあらず。それはもはやただただお前を斬り伏せるためのみ存在する太刀筋だ。護衛剣術を得意に扱う身としてこれ以上に不利なことはない」
源氏「ほう?」
紺之介の発言は眼差しも含め至って真剣なものであったがそれでも尚命乞いをする者を見るような目でそれを聞く源氏に彼は念を押した。
紺之介「これは言い訳ではなく敬意でもある。強者を求めるお前に対しての敬意だ。ここに宣言しよう。次にお前と邂逅したとき、俺は今よりも確実に強い本気でお前の相手をする。再び出くわすことは互いに幼刀を求め続ける限り、容易い事だろう?」
紺之介が源氏という男に理解を示したように源氏もまた紺之介という男を剣を交える過程で理解しかけていた。
源氏(確かにコイツが幼刀の一件から完全に手を引くとは思えねェ)
それは紺之介の熱意が源氏を瀬戸際で引き離した悪魔の契約であった。
源氏は刀を納めると背を向け紺之介から遠ざかって行く。
後ろ手を振ってそのまま茶居戸の夜道へと姿をくらませたのであった。
源氏「次に会った時は、本気で殺し会おうぜ。紺之介よ」
……………………
源氏(初対面で俺の事をあそこまで知り尽くしたのはやはり最高の血を引く所か……親子揃って俺をひりつかせやがる)
源氏「次は殺す」
………………………
紺之介「その様子なら無事そうだな」
次に愛栗子と乱怒攻流の二人が目を開けたとき、そこは紺之介の目の前であった。
愛栗子「……まあの」
乱怒攻流は愛栗子が少しばかり締まらない顔つきをしていたのを見逃さなかったが、夜闇と疲労に包まれていた紺之介の目には映ることはなかった。
乱怒攻流(あのまま二人が戦ってたら一体どうなってたのかしら)
心中乱怒攻流によぎったのは愛栗子敗北の後に狙われていたのは全力を出しきれないことが分かっている己だったという危うさ。
愛栗子の締まらぬ表情の中に隠されていたのは『あの場所でこの一件を終わらせておきたかった』という心情。そのことを彼女は見抜いていた。
乱怒攻流(あの楽観的な愛栗子が)
それ程までに彼女を危険視されている児子炉を取り巻く『憎しみの力』
その力の源の正体をこの場で愛栗子だけが理解しているように乱怒攻流は思えた。
一方愛栗子はというと隠した心中を露わにしないよう早々に事後報告に移った。
愛栗子「すぐそこで噂の男かもしれぬ者が何者かに襲われたのか伸びておったわ。刀を奪おうとして返り討ちにあったのかもしれぬの。裵奴の鞘を持っておったしの……間違いなさそうじゃ」
愛栗子「肝心の裵奴のやつはどこに行ったか分からぬがの……幼刀とはいえ小さいやつじゃからのぉ~……べそをかいてどこかへ消えてしもうたのかもしれぬの」
紺之介「! それは本当か。案内してくれ」
愛栗子「こっちじゃ」
…………………………
紺之介「おい」
完全に気を失っていた男の頬を紺之介は軽く数回はたいた。刺激を受けて『噂の男』は目を覚ます。
刀狩り「っ……うぉわぁ!? だ、誰だよお前!」
紺之介「お前、噂の刀狩りか?」
刀狩り「ってめ……! もしかしてさっきの黒ずくめの……」
間違った方向に警戒する男の口に愛栗子が軽く下駄を押し付けた。
刀狩り「ぶベッ」
愛栗子「何があったのかは知らぬが妙なことを喋るでない」
不自然に口数の多い愛栗子にさすがの紺之介も懸念の顔つきで彼女を見たが一先ず男に刃先を突きつけ脅しまがいに裵奴を要求していく。
紺之介「……お前が噂の刀狩りであると言うのなら状況は分かっているな? 今ずく裵奴を納刀しろ。そうすれば命は助けてやる」
乱怒攻流(うわぁ……児子炉がここにいるって分かってるから焦ってるとはいえ随分と荒いやり方ねぇ)
不本意ながら乱怒攻流も引く強引な要求の中刀狩りの男は泣いてそれを呑む……と思いきや彼は紺之介らが幼刀関係者と見るや否逆に反抗的な態度で紺之介の刃先に唾を吐きつけた。
刀狩り「簡単に渡すわけねーだろ。噂によると幼刀はどいつもこいつも人知を超えた力を持ってるって話じゃねーか。でも俺様はペドを見て確信した……あいつら全てを手にした者は武力がモノをいわねぇこの国でも……いや西洋すら丸ごと統べる力を手にできるってなぁ!」
刀狩り「殺したきゃ殺せ。アンタが掴んだ世界なんざ興味ねぇんだよ」
的外れな野望を抱いていた彼に対して愛栗子は虫を見るかのような視線を向けた。
愛栗子「あほうめ。確かに幼刀は人あらざる者じゃが……わらわらにそこまでの力なぞ備わっておるわけがなかろうが」
愛栗子に罵られてもなお『納刀』を口にしない男に対して疲労困憊の紺之介も流石にしびれをきらしあろうことか突きつけた愛刀を自ら先に納刀してしまった。
刀狩り「うわ、おい何しやがるッ!」
刃先に付着した唾液を男の袖着になすりつけながら。
紺之介「……となれば俺たちで裵奴を探し出すしかないか」
乱怒攻流「うーん……でもあたしたちじゃ何処に行ったのか検討もつかないわ」
紺之介「それはまずいぞ。先ほど刀を交えた源氏という男が幼刀児子炉を所持者だったんだ。児子炉は他の幼刀の在処を探知する力があるらしい。一刻も早く見つけなければ収集の前に破壊されてしまう」
体力の限界が近く足元をフラつかせる紺之介とお手上げと言わんばかりに両手を上げる乱怒攻流を見た愛栗子は二人が予想だにしない方針を切り出した。
愛栗子「もはや茶居戸にてわらわらにできることなぞ何一つとしてない。早急にここを離れ次を目指すべきじゃ」
乱怒攻流「次ってことは……もう刃踏しかいないわよね」
紺之介「……は?」
彼女の出した結論に納得いかずの紺之介が声を荒げて反発する。
紺之介「何を言っている愛栗子! そんなことをすれば……」
当然のことであった。彼にとって今ここを離れるということは裵奴の収集を諦めるということである。それは客人の依頼を裏切るばかりか己の野望すらも危うくする決断であったからだ。
愛栗子「心配せずともよい。炉が裵奴の位置を知りとて小柄俊敏かつ逃走に命がけのあやつを捕まえるのは至難の業じゃ。それにのぉ紺」
愛栗子が下駄先で紺之介のむこうずねを軽く小突くと紺之介は刀を杖にしてその場に膝を着いた。
紺之介「ぃ゛つ゛……!?」
愛栗子「例え奴らより先に裵奴を見つけたとて、そのような状態で仮にも幼刀相手にまだ太刀を握る気かの? そのような気力があるとほざくならその気力はこの場を離れるのに使うべきじゃ」
愛栗子「……まぁもっとも、この件を全てわらわに一任すると申すのなら話は別じゃがの」
紺之介「それは論外だ」
その間僅か一秒と足らないものであった。
乱怒攻流「……はぁ」
愛栗子「ならば今はわらわの言うことに従ってもらうぞ。さて、そこの哀れな男も使えぬし戦わぬともなると裵奴の方からこちらの傘下へ入ってもらうしかなさそうじゃし、後のことはふみに頼み込むとするかの」
愛栗子「となると最後の問題じゃが」
刀狩り「がぁ……!?」
愛栗子は刀狩りの男の額を跡が残るほどの力で踏みつけ彼から裵奴の鞘を取り上げると静かに、声低く怒鳴りつけた。
愛栗子「……ぬし、わらわと紺が戻ってくるまで死ぬことは許さぬぞ? 醜いなら醜いなりに這いずり回って生き延びて見せよ。ぬしに死なれると人知れず刀化して動けぬようになった裵奴を割られてしまうのでの」
刀狩り「わ゛……わ゛がっだがらやめ゛ろ゛! ペドよりも先に俺様の頭がッ……割れるッ!!」
紺之介「そこまでにしておいてやれ。で、幼刀刃踏を手にすると裵奴の方から傘下へ入るとはどういう意味だ? 刃踏はそんなに強いのか? だがな愛栗子……いくら刃踏が強くとも俺が幼刀に直接的な斬り合いをさせることは……」
愛栗子「分かっておる。じゃから『戦わぬ』と言うたではないか。奴ならば戦わずして裵奴をこちらに引き寄せることが出来るかも知れぬと言うておるのじゃ」
彼女の発言に乱怒攻流は何かを察したかのように呟いた。
乱怒攻流「あ~……そういうこと?」
紺之介「どういうことだ」
愛栗子「裵奴はの……ふみが十二のときに生んだ将軍さまとの赤子なのじゃ」
源氏、そして児子炉……それぞれの邂逅と過去の記憶を経て彼らは新たな旅路へと進む。
幼刀収集の旅は今、折り返しに向かおうとしていた。
続く
幼刀 刃踏 -ばぶみ-
茂る山道に石擦る音。
それに合わせるよう蝉も音を奏でる。
乱怒攻流「ねぇ~……ちょっとぉ、まだ付かないのぉ?」
連なる石段の頂点を仰ぐ。
嘆く少女の目指すは遥か。
広き聖域の寺院なり。
助寺 -じょじ-
その場所こそ控えに記されたる幼刀刃踏-ばぶみ-の在り方なり。
乱怒攻流「もう疲れたんだけど……」
愛栗子「なんじゃもうへばったのか。その背嚢がおぬしの負担になっておるのではないかえ?」
げんなりとした様子で前屈み両膝に手をついた乱怒攻流を愛栗子が煽る。
そんな愛栗子を彼女は負けじと睨み返した。彼女にとって今さら愛栗子に減らず口を叩かれる筋合いなど毛頭なかったからである。
その理由の蓋開けてみるとまず愛栗子は上がり始めて数十歩のところではや歩を止めてしまったのだ。
その場の石段に座り込む愛栗子に紺之介気を利かせて刀に戻るよう促してみるも、彼女は聞く耳を持たずしてあろうことか彼に自らを背負わせることとしたのだ。
さもなくばここから一歩も動かんとした愛栗子に紺之介は頭を抱えつつも仕方なしと従うこととした。
紺之介が強引な納刀に出なかったのはここまでの旅路で深めた彼らの仲が生んだ優しさとも妥協とも取れる。
そのようなことあって今の今まで楽をしてきた彼女に煽られた乱怒攻流が眉間のシワを増やすのは至極当然のことであった。
紺之介「お前はどうする。刀になっておくか」
乱怒攻流「ならない!」
その意地は愛栗子のわがままとは違った。否、言ってしまえばそれもまたわがままなのだった。そう紺之介の目には映り込んでしまったのだ。
ため息一つで彼女らの意思の違いを混ぜ込んでしまうほどに彼の足もまたそこそこの軋みを上げていたのである。
と、なれば紺之介の対応もまた同じものとなる。
紺之介「……愛栗子降りろ。もういいだろ。まだ歩くつもりがないなら納刀しておいてやるから」
吐いた言葉は命令形で愛栗子の降背を促すものであったが、実際の彼の動きは強引で腰を下ろすとそのまま愛栗子の腿にかけていた腕も離してしまった。
愛栗子「なっ……!?」
愛栗子なす術なく彼の背を滑り落ちるしかなし。
紺之介「乱、乗れ」
乱怒攻流「ぇ……いや、あたしはそんなつもりじゃ……」
紺之介「あー早くしろ」
乱怒攻流の声は蝉のざわつきに呑まれ、後ろすら見ぬ彼の耳には届かぬものとなっていた。
乱怒攻流は唖然としながらも彼の背に吸われるように一歩一歩と石段を踏んでそれにすがる。
紺之介が再び立ち上がる中『これでいいのだろうか』とまだ少し恥の熱を持つ彼女の顔は横側の愛栗子の顔に気づくことはなかった。
そのときの愛栗子の顔こそ彼女が本当に見たかったものであったとも知らずに。
愛栗子「……不愉快じゃ。納めよ」
紺之介「結局か……納刀」
…………………………
重ねること千の段。その先で彼らと最初に目を合わせたのは桃の着風にたなびかせ竹箒で石を撫ぜる少女だった。
乱怒攻流よりか一つ二つ大人びて見える彼女は背負われた背嚢を見て目を見開かせた。
「あれ……? 乱ちゃん!?」
一方乱怒攻流も彼女に気づくやいな焦るように紺之介の肩を三度ほど叩く。
まるで見られてはならないものを見られたかのように。
乱怒攻流「あ……もういいから降ろしなさい!」
紺之介「暴れるな!」
彼の背から再び石に着地した彼女に寺の少女が駆け寄ってくる。
乱怒攻流「久しぶりね。刃踏」
刃踏「もぅ、乱ちゃんも『ふみ』でいいのに」
その名で呼ばれたことに少し不満気な表情を浮かべたのは伝説の一振りが一本、幼刀 刃踏-ばぶみ-である。
刃踏「へぇ、乱ちゃんは今この人と一緒にいるんだね~」
乱怒攻流「まぁ、いろいろあってね」
彼女の正体を知りえた所で紺之介は早速と本題に入る。己を見上げた刃踏に紺之介は要件を述べた。
紺之介「どうやらお前に敵意はなさそうだな。勿論お前にも用があってここに来たわけだが、一先ず今の持ち主に会わせてもらおうか」
刃踏「茢楠先生に、ですか? 少し待っててくださいね」
刃踏「せんせぇ~! お客様です~!」
刃踏は紺之介の話を快く引き受けると寺に駆け足で寄りて声を張り上げた。その声に応えるようにしてこれまた優男を漂わせる声色一つ。
寺の障子が一つ開くと眼鏡をかけたその声の持ち主は姿を現した。後ろからは数人の童の姿もちらついて見える。
茢楠「いやはやこのような何もない寺にお客様とは……申し遅れました。私、田布 茢楠-でんぷ れつなん- と申します。この助寺の管理を一任されているしがなき坊主にございます」
紺之介(なんだ……この男)
縁側を降り頭を低く保ったその男は常人視点にして如何にも聖人たる気を纏っていたが紺之介の勘は瞬時にその男の只ならぬ歪みを感じ取っていた。
故に既に下手のその茢楠に紺之介容赦のない揺さぶりをかける。
紺之介「何もない……なんてことはないだろう。現にそこにいるのは幼刀刃踏-ばぶみ-……既に奴の言質は取ってある。俺がここを訪れた理由などそれだけで十分だ」
紺之介の真に迫る声色に一度刃踏と茢楠が和らげた空気が緊張感で上書きされる。緊張感に当てられた何人かの童はそそくさと障子に身を隠した。
姿を現したときは緩かった茢楠の表情もどこか真剣な面持ちとなっておりその中で刃踏だけが困惑した表情で二人を交互に見つめていた。
紺之介の事情を直感で拾った茢楠は一つ咳払いをして彼を案内した。
茢楠「成る程。では、話はあちらで……」
刃踏「先生……?」
茢楠「フミ、この方とのお話の間……みんなを頼みましたよ」
刃踏「は、はぃ」
縁側に上がり茢楠の後ろについた紺之介らを見送る刃踏の表情は曇ったままであった。
……………………
茢楠「先ほどから気になってはいましたがもしやそのお二方は……」
乱怒攻流「ええ、あたしは乱怒攻流。まぁ刃踏の知り合いってとこね」
愛栗子「わらわは愛栗子、並びに幼刀じゃ」
抜刀された愛栗子に続いて紺之介も口を開く。
紺之介「まだ名乗ってなかったな。俺は都一の剣豪、紺之介だ」
乱怒攻流(そもそもその『剣豪』って名乗ってるのはあんた一人でしょ)
連られた別室の床で胡座をかきながら紺之介らは淡々と名を、そしてここまでの経緯を語った。
その一方で茢楠と名乗った男も紺之介の名を聞き覚えのあるものだったと告白した。
都から持ち出された伝説が一刀幼刀 刃踏-ばぶみ-は持ち出した梅雨離最高本人の手からこの茢楠に渡されていたのである。
茢楠は紺之介の話を耳に入れながら〝その時〟が来てしまったのかと若干の感嘆に浸りながらも表情は僧なりにその運命を無情に受け入れていた。
茢楠「話は大体理解できました。幼刀裵奴を引き入れ都にまた刀を集めるにはフミの協力が不可欠と……いうわけですね。分かりました。彼女にも話してみましょう」
茢楠が何かを諦めたかのように目を閉じ、床を遅緩な動作で立ち上がる様子から愛栗子は目を離せずにいた。
愛栗子(まぁ、そうなるのも無理はなさそうじゃの)
言葉にはし難き蟠りも呑み込みて一つ貫かんとする男、茢楠。その抑えても抑えきれぬ無念の情はこの場でただ一人愛栗子の目にだけ映りそのまま彼女の無言の激励によってなんとか無事霧散しかかる。
紺之介「待て」
だがその男を引き止めてしまったのは意外にも紺之介だった。
茢楠「……はい?」
紺之介「お前にはまだ聞きたいことがある。俺の父と出会った経緯、そして刃踏を預かった経緯も聞きたい」
茢楠「あ~……」
愛栗子「これ紺! ちと無粋が過ぎるぞぬし!」
紺之介「? 何故お前が取り乱す」
愛栗子に肩を扇子で叩かれてもなお己の私利私欲の為に口を滑らせる紺之介に愛栗子は露骨な疲れため息を吐いた。
愛栗子(まったくこやつというやつは……!)
彼の言葉にしばらく間を抜かした茢楠であったが再び座り直すと己への戒めのつもりだったのか、はたまた僧故の温厚さか、快く紺之介の要望に応えることとした。
茢楠「ええいいでしょう。やはり、気になってしまいますよね」
乱怒攻流「まぁいいんじゃない? 本人もああ言ってるんだし」
愛栗子「~……」
愛栗子だけがなんともいえぬ表情で下唇を歯をあてがう中、茢楠は語り始めた。
茢楠「はは……自分で言うのもなんなんですけどね。私、今でこそ坊主の面を被らせて頂いておりますが、昔はどうしようもない荒くれ者だったのです」
紺之介「荒くれ者……?」
紺之介思わず床に視線を落としそのまま上へ上へと茢楠を見直して行く。
初見でちらついた歪みの正体はどうやらそこにあったようだと紺之介理解しつつも最終的に彼の仏のごとき微笑を見直したるときには『荒くれ者』という言葉の意味を忘れてしまっていた。
乱怒攻流「あんたが荒くれ者ね~……想像もつかないわ」
茢楠「お褒めに預かり光栄にございます。そう言ってくださると、この自責に費やした十の年月に意味があったのだと……奢ってしまいそうになります」
紺之介(荒くれ者……十年の自責……もしや最初に感じたこいつの歪みはそれか)
茢楠「この世に絶望し、ただ暴力を振るうのだけが取り柄だった私はある日流浪の剣士と出会いました。それが」
紺之介「梅雨離 最高、だな」
紺之介、展開を急かす様にして口を割る。
茢楠「はい。私は彼に暴力を蔑まれたことに腹を立てそのまま決闘を申し込みました」
紺之介「父と闘ったのか!」
また一段と食い気味に前へ乗り出した紺之介に対して茢楠はしばし申し訳なさげに眉を下げた。
茢楠「いや~……少し話を盛ってしまったかもしれません。今思えばあれは決闘だったのかも疑問ですね。やられちゃったんです私。それはもう、一方的に」
紺之介「……そうか」
紺之介が興奮に前へ着いた腕を再び膝へ持っていったのを確認し茢楠は続ける。
茢楠「私は最高さんの護衛剣術に宿る『守るための強さ』に惹かれましてね。彼に弟子入りを頼んだのですがそれもまた断られてしまいまして……ああ、私の過去は思い出せば恥ずべきことばかりですね」
紺之介「続けてくれ」
茢楠「ん、失礼。ですがその代わりに最高さんは『守るための強さならこいつが教えてくれる』と言ってフミを私に預けてくださいました」
紺之介からすればもうはや耳の傾け所は無いに等しかったがその一方で語り手である茢楠からすればここからが募る言葉の吐露であった。
茢楠「フミは私に優しさを教えてくれました。時には誰かを助け、そうして時には誰かに無理せず寄りかかること……自らがその依り代たる器になること。私は誓いました。その『誰か』を必要としたフミがすがる先は、私自身になることを」
茢楠「それほどまでに、愛しているんです。彼女を」
乱怒攻流「ふーん……ぁいたっ、何すんのよ!」
欠伸混じりの相槌を打つ乱怒攻流の背嚢を愛栗子が叩く音が客間に響いた。
茢楠「あはは、すみませんこんな退屈な話をしてしまって……」
愛栗子「案ずるな。全くもってそのようなことは感じておらぬ。ぬしの心は尊きものじゃ」
茢楠「ありがとうございます。ですが、どうもそうはいかないこともあるようで……稀に彼女が何処か遠くに切ない眼差しを送ることがあるんです。まるでその先に、私も知らない大切な何かがあるかのように」
愛栗子「茢楠、それは恐らくの……」
詳細を口に出そうとした愛栗子に茢楠は語らせまいと目を閉じて右手を挙げた。
茢楠「ええなんとなく分かってます。それが訪れたこの日の運命に関係していると。ですから私のことは気にしないでください」
愛栗子「そうか。よかったの紺……こやつはよく出来た男じゃ」
愛栗子が清すぎるとも言える彼に賞賛の言葉を送りその言葉をもって彼らの対話は一度畳まれた。
座っていた幼刀二人と茢楠はその場を立ち上がった。これにて話は一件落着……と誰もが納得したかと思いきやその中で紺之介だけがまだ腕を組み胡座をかいていた。
愛栗子「どうしたのじゃ紺。足でも痺れたか」
紺之介「……いや、やはりいきなり押し掛けて長きを共にした刀を寄越せというのはムシのいい話だと思ってな」
乱怒攻流「は!?」
愛栗子「ほう? して、どう決着をつけると?」
紺之介はおもむろに立ち上がると差した黒鞘を握り茢楠を見た。
紺之介「この男の話を聞いて確信した。この男が折れたところで、刃踏自身がすんなりここを離れるとも思えんとな」
紺之介「故に俺は刃踏に決闘を申し込む。やはり幼刀との衝突は避けられんのだ。それはこの旅が始まったときから覚悟していたことだ」
紺之介の発言と面持ちに茢楠は一瞬呆気に取られたかのような表情になったが直ぐに彼の言い分理解し確認に移った。
茢楠「つまり、フミと貴方が模擬試合を行い貴方が勝てばなんの蟠りもなくフミをここから連れ出すと」
紺之介「ああそういうことだ」
乱怒攻流「ね、ねぇあんたやっぱり馬鹿なの? なんでそんなことする必要があるよの!」
茢楠「私としてもあまりそれは……」
茢楠の内心を察した紺之介が補足を付ける。
紺之介「俺は傷ついても構わん。だが安心しろ。刃踏には一切傷をつけずに勝つ」
だが意外にも茢楠の思惑は彼の予測を大きく外していた。
茢楠「いえ、そうではありません。大変失礼ながら……紺之介殿ではフミに勝つことはできないかと」
紺之介「なんだと?」
眉をひそめる紺之介の後ろから更に愛栗子が告げ口を送り込む。
愛栗子「……全くもってその男の言う通りじゃ。もう良いじゃろう? 馬鹿なことを言うのはよして今回ばかりは素直にその男に甘えておけ」
乱怒攻流「え……愛栗子が紺之介に負けるなんて言うのはちょっと意外だったけど……兎に角やっぱりそうでしょ。戦わずに幼刀が手に入るならそれに越したことはないわ」
この場において多数決でも取ろうものならば一瞬で片がつきそうなほど紺之介の発言は多方からの否定を受け愚言とされたがその一方で紺之介自身はそれを物ともしない闘志を燃やしていた。
否、完全に焚きつけられてしまったのである。
ここまでの戦いで幾度となく死線を潜り抜けてきた彼は元々自信過剰の実力者。
その揺らぐことのない信条を戦わずして真正面から否定されて黙っていられる筈もない。
紺之介「どいつもこいつも、中々面白いことを宣ってくれる」
冷めた口調で腰の柄に手をつけた紺之介は顔色こそまだ普通であったがその内心には確かな血色が沸きに沸いていた。
紺之介「俺はやるぞ。誰がなんと言おうと刃踏を負かし、必ずや実力にて収集してみせる」
茢楠「……」
乱怒攻流「あらら」
愛栗子「……はぁ」
そうして誰もが呆れ返ったその場所に刃踏が呼び出され、紺之介の誇りと尊厳を掛けた戦いの火蓋が切って落とされた。
……………………
愛栗子と乱怒攻流、そして茢楠が見守る中紺之介と刃踏が向かい合う。
方や鞘付き刀を異様な形相で握る剣客の男、方や手ぶらに着物の少女……その光景はとても試合の前触れとは思えぬような光景であった。
刃踏「あ、あのぅ……先生、これ本当に……」
茢楠「ええ、フミの力を紺之介さんに教えておやりなさい」
紺之介「おい」
刃踏「は、ひゃいっ!」
紺之介「早く『刀』を構えろ。お前にもあるのだろう?」
刃踏「『刀』なんて……そんなもの、私には」
紺之介(確かに服装も他の幼刀と比べて普通だが……側から見てる茢楠の崩れぬ余裕っぷりで『刀』を持たぬなどハッタリとすぐに分かる。まだ獲物を見せる気は無しか……)
茢楠「では御二方、よろしいですね」
紺之介の疑いの目配せを他所に茢楠は行司として対する二人の間に立つと片腕を真上に挙げる。
紺之介は握り手に、刃踏は震える足腰にそれぞれ緊張を走らせど一部の観客の目からは未だ憂いの目線がある中茢楠の腕が空を割いた。
茢楠「始めっ!」
声と共に紺之介のすり足が床を離れ、飛び込む形へと移り変わる。
姿勢を低くした急速な接近はかつて彼が乱怒攻流と対峙した瞬間を彷彿させる。
紺之介(先ずは獲物の正体を出させてやる)
決闘において真正面の衝突の先には大抵決着か鎬の削り合うような激しい攻防が待つ。
即ち剣術であれ体術であれ相手の手の内を初手にて知るには一番手っ取り早い方法であった。
実際、向かってくる紺之介に対して刃踏も棒立ちをやめ、まだ締まらぬ表情を浮かべながらも両腕を広げていた。
紺之介(来るッ)
向かう紺之介の柄にもう一度力が入る。
二人の衝突まであと一丈とない距離だったが対人において常人を逸脱した才覚を発揮する紺之介の頭脳はあらゆる状況を想定していた。常に相手の一手を視界に入れる準備をしながらも己の手が彼女の足首に届く機会をも見極め思考し続ける。
受けに特化した合気のような武術か、はたまた隠された刃針の奇襲か……一寸一寸と詰められるその一瞬の中片時も警戒を怠らない。
そうして遂に衝突の時は来たる。
激しい攻防の幕開けか、どちらかの決着か、見届ける三人の瞳にその景色は映り込んだ。
乱怒攻流「へ」
突き立てられた鞘付きの刀は刃踏の脇腹をかすめており紺之介の上体は刃踏に抱かれていた。
彼の膝は床を着き、彼の頭は刃踏の胸元にあった。
刃踏「幼刀なんて……そんな大きな力、やっぱり私にはありませんよ」
紺之介の手元からは力なく愛刀の柄が滑り落ち、鍔が大きく床を叩き金音を響かせる。
紺之介(……何が起こった。いったい、なに、が)
先ほどまであらゆることを思考していた彼の脳が糸のように無にほつれていく。紺之介は感じていた。豊満に埋められた頭が意識を手放していくのを。
薄れゆく意識な中、近づいてくる愛栗子の声だけが置き土産のように彼の頭蓋に木霊した。
愛栗子「少しは頭が冷えたか。全てを呑み込むその慈愛こそがそやつの『刀』なのじゃ……ぬし、もう斬られておるよ」
紺之介(ああ、これか。これが幼刀刃踏-ばぶみ-の『刀』だったのか……この、やわらかいこれが……)
愛栗子の答え合わせと共に自分なりの理解を得た紺之介は薄い笑みを浮かべ、その心地良さに殺されるようにして意識を絶った。
「ぬしの負けじゃ、紺」
……………………
紺之介「ン……」
紺之介滲む視界を開けばそこは床布の上。障子からは橙色が漏れ出していた。
上体を起こし顔の片方へと手を添えれば意識を失う前の温かな感触がひっそりと蘇り始める。
やがて徐々に鮮明になっていくそれは己が敗北したのだという事実を彼の爪先をもって思い知らせた。
紺之介(っ……本当に敗れたのだな。俺は)
剣豪剣客の前に彼とて一人の男子である。
か弱き少女に屈したという事実は靄となりて彼の肺あたりを蠢いてはいたがそれでもそれは一人の侍の傷にしては小さきところであった。
というのも彼は……否も彼もまた、刃踏の確かな母性から来たる『寛大な慈愛』に呑まれたに過ぎなかったからである。
紺之介(故に『刃踏』か……くそ)
紺之介片目つぶりて頭上に手を置く。
あの敗北する瞬間、あの慈愛に顔を埋めた瞬間だけはきっちりと己が癒されてしまっていたことを認めなければならない。
紺之介は一人ため息を吐いた。
まるでその吐息が合鍵にでもなったかの様な間合いで縁側の障子が開く。
刃踏「あ! ……えっと、随分とぐっすり……でしたね」
紺之介「……お前か」
敷居越しに気まずそうに一礼して入室したのは先ほど彼を負かした少女だった。
刃踏は目を逸らしながら紺之介の横に正座すると握り拳二つを腿の上でさらに力強く詰め、口火を切った。
刃踏「あの、私……勝っちゃいましたけど……付いていきますよっ」
そんな彼女の真剣な物言いと先ほど受けた『慈愛の刀』を重ね、紺之介は何処をみているかも分からぬような澱んだ瞳で呟いた。
紺之介「別に、愛栗子を疑っていたわけではないが……本当だったんだな」
刃踏「は、い?」
紺之介「裵奴のことだ。まさか本当に当時の年齢で将軍の子種を孕んだとはな」
彼女の胸に斬られたせいかまだ半分夢見心地な顔の紺之介から出た無頓着な言いぐさに若干の頬を赤らめた刃踏であったが彼に悪意がなかったことを直ぐに理解するとまた元の面持ちに戻りてぽつぽつと募る想いを溢し始めた。
刃踏「……刀となったこの身ではや百の年月を生きてしまいましたがあの子のことは片時だって忘れたことがないんです。私も、将軍様も、あの子が大好きでしたから……本当に、将軍様がくれた宝物なんです」
俯き気味の彼女の顔は外で遊んでいるであろう童たちの声に釣られるかのようにして今度は外に向けられた。
刃踏「あの子たちと触れ合う度にこの想いは大きくなっていきました。『今頃どうしてるのかな』『元気なのかな』と……あの子に、あの子にどうしてももう一度会いたいって……」
刃踏「そしてついに、その機会が訪れたんです。あの子たちや先生を置いてここを暫く離れるというのは寂しくもありますが、私は絶対に同行させていただきます」
紺之介「……そうか」
大口を叩いた紺之介からすると流れに任せて彼女の同行をそのまま許可してしまうというのは中々にして締まらぬ展開であった。
が、彼女の固い意志を尊重するという形で今回は甘えもやむを得ぬかと珍しく軟弱になりかけたところであった……
そんなときである。外の童らの声が彼らの元に波のように押しかけ、障子を勢いよく開いた。
「こんのすけー! しょーぶしろー!」
「やーいフミねぇちゃんにまけたこんのすけ~」
紺之介「……な、なんだこれは」
刃踏「みんな紺之介さんと遊びたがってるんですよ」
刃踏は突然の童らの襲来に特に動じることもなく、寧ろそれが分かっていたかのような微笑みで紺之介を見たが彼はそれから逃げるかのようにもう一度床に伏した。
紺之介「知らんっ……何故俺が餓鬼の相手などせないかんのだ」
縁側とは反対側を向いて横になった彼を刃踏は上から覗き込んで目を細めた。
刃踏「……あのぅ、一応私が……勝ったんですよね?」
紺之介(っ~~……そういうことか)
自分に拒否権がなかったことを悟ると紺之介は布団を蹴り上げて裸足のまま庭に出て童らの足元にあった枝棒を拾い上げた。
紺之介「……来い坊主供。全員でかかってこい」
「やったー!」
「よーしみんなこんのすけをかこめぇー!」
「フミねーちゃんみててー!」
紺之介「どこからでも来い」
愛栗子「……なんじゃ随分と面白そうなことをしておるのぅ。わらわも混ぜろ」
紺之介「ん?」
庭木が喋りだしたのかと紺之介が上を拝むと同時に愛栗子の手ぬぐいが紺之介を腕ごと巻き取った。
紺之介「なっ!? おいどういうことだ愛栗子! 幼刀は故意に所有者を傷つけることができないんじゃなかったのか!」
愛栗子「傷つけてはおらぬじゃろ? 殺意も持っておらぬでの。まあなんじゃ……わらわは今ちとむしの居どころが悪いのじゃ。おい小童ども! やってしまえ!」
紺之介「うわ……おいっ! 」
「やっちゃえ!」
「えい!」
紺之介の周りにはまるで米に群がる山鳩かの様に枝棒を持った小僧らが集まり、それぞれ好き放題に紺之介をつつき始めた。
紺之介「いたっ! おいお前ら! やめっ……」
刃踏「ふふっ……あまり強くしてはいけませよ~」
慈愛の少女の微笑みに包まれながら、助寺の橙は静かに沈む。
結局童らの紺之介いじりは日が沈み茢楠の呼びかけがかかるまで続いたのであった。
……………………
翌日の朝、再び蝉の音と共に彼らは助寺を発つ。
茢楠「ではフミのこと、よろしくお願いしますね。紺之介さん」
紺之介「……ああ」
別れ際彼らは多くは語らなかったがそのときの不服げな紺之介の顔を刃踏は見逃さなかった。だがその理由は他の者にも分かりやすく単純明解で『幼刀刃踏-ばぶみ- の鞘がまだ茢楠の手元にあったから』とそれに尽きた。
そう、紺之介はまだ刃踏の足首を握るに至ってないのである。
多段に連なる石をそのときの表情のまま踏みしめるように歩く彼の背に刃踏は語りかける。
刃踏「……もしかして、まだ気にしてますか? 」
紺之介「何をだ」
刃踏「その……」
乱怒攻流「まさかまだ負けたこと引きずってんの~?」
刃踏「あ……」
上手く口に出せずにいた彼女に乱怒攻流がぶっきら棒な助け舟を出した。
『多少雑でも構わない』
乱怒攻流なりの紺之介という男の扱い方の手本である。
紺之介「いや、フミ……確か昨日お前『暫くここを離れる』と言っていたろ。それはつまりここに戻ってくるつもりということだろう?」
刃踏「へ……? 駄目なんですか?」
紺之介「駄目に決まっているだろう。お前は俺の収蔵品になるんだぞ」
刃踏「え、え~~~!!!」
困り果てその場に立ち止まる刃踏の手を引いて紺之介は続けた。
紺之介「だが、負かされたままの幼刀を支配しようとするほど俺も愚かじゃない。今はまだ握らされた刀だが、俺はいつか必ずお前もこの手に収めてみせる。故に俺は事が済んだときお前にもう一度挑む。そのときは必ずや俺が勝利してみせよう……またお前が勝った暁にはここに帰してやる。裵奴と共にな」
刃踏「は、はぃ……?」
首を傾げたままの刃踏に今度は愛栗子が助け舟を出した。
愛栗子「無理じゃ無理じゃ。諦めろ」
紺之介「ふん。言っていろ……剣豪の俺に握れぬ刀なぞないことを証明してやる」
そこにいた誰もが紺之介の勝利を否定したが彼の未来へ向けられた眼差しだけはそのことを信じて疑わなかった。
何故なら彼の描いた先の理想ではもう再戦の未来は目と鼻の先だったからである。
一行は再び裵奴収集を夢見て茶居戸へと舞い戻る。
彼らの行く道は紺之介の理想か、それとも……
続く
幼刀 俎板 -まないた-
裵奴「んゅ! おかー」
真昼の太陽の下、その小さな幼子の手は少女の腕を引いた。
刃踏「ふふ……そうね。おててつなぎましょーね」
乱怒攻流「……まさか、こうも簡単にいくなんてね」
紺之介「本当にな」
彼らの目に映るは手を繋いだ母娘の姿なり。
その微笑ましくもある二人の姿は茶居戸にて企てた作戦の成功を意味していたが、それはあまりにも呆気ないものであった。
茶居戸の雑木林にて刃踏が一度二度裵奴を呼び上げるとその幼女は飼主を待っていた仔犬が如き勢いで木陰から飛び出したのだ。その後の二人は語るまでもなく今の景色とほぼ同等。
こうして愛栗子の作戦通り無事戦わずして裵奴を傘下へと引き入れた紺之介一行が次に向かうは事件の発端、幼刀 俎板-まないた-があったとされる村、木結芽-こむすめ-である。
いよいよ間近に迫る彼らにとっての最後の幼刀収集……幼刀 児子炉-ごすろり-の収集へ向け、新たな策を企てるためできるだけ本刀が振るわれた地にて情報を集めるというのが今回の目的の主旨であった。
これを提案したのもまた愛栗子である。
だが
裵奴「こーん! たかいたかい!」
紺之介「は……? なぜ俺のとこにくる」
刃踏「きっと歩くの疲れちゃったんですよ。それで、紺之介さんが一番背高いので……」
紺之介「俺は知らん。疲れたのなら納刀してやる」
裵奴「う゛ー!」
紺之介「……少しの間だけだからな」
乱怒攻流「あんたそういうところ何だかんだで甘いわよね」
刃踏「ふふ、ありがとうございます」
愛栗子「~……」
提案した当の本人の機嫌は、いささか雲がかって見られた。
木結芽。
茶居戸の雑木林を抜け更に約三里先歩いた場所にその里は存在している。
一行は到着のち宿にて常駐。
一泊挟みて俎板の元所有者を当たる所であったがそれにはしばし問題点があった。
紺之介「俎板は既に破壊されている幼刀だからな……本人を見つければいいという訳ではないのが問題だな。あまり大きな里ではない故幼刀幼刀と聞いて回るのもできるだけ避けたいところだ」
乱怒攻流「まあお偉いさんがちょっと聞いて回っただけならまだしも一度その源氏ってのが暴れてるんでしょ? 幼刀絡みの話は警戒されるかもね」
愛栗子「なんじゃ背嚢にしてはよく理解しておるではないか」
乱怒攻流「は?」
紺之介「おいお前ら……」
眠たげな愛栗子が扇子を内にあおぎながら同時に乱怒攻流をも煽る。
二人以外からすればその光景はもはや日常の一部にもなりつつあったが、長らく二人のやり取りを見ていた紺之介の目には近頃愛栗子の煽り方が雑になっているようにも見えた。
紺之介(まるで別でためた鬱憤を八つ当たりに晴らしているような……)
愛栗子を睨み今にも掴みかかろうとする乱怒攻流を制止させるかのように裵奴を撫ぜていた刃踏が口で割って入る。
刃踏「あ、あの……では炉ちゃんの姿を聞いて回るのはどうですか? 幼刀という言葉や名前を出すのではなく『黒服の少女』として探してまわる……というのは」
乱怒攻流「なるほどね」
紺之介「妙案だな。それならば源氏たちの仲間とも思われずらく自ずと児子炉の目撃者……いずれ俎板の所有者に近づけるやもしれんな。まったく中々頭のきれるやつだ」
刃踏「ふふ、またぺとちゃんの相手……してあげてくださいね」
紺之介「っ……」
刃踏に関心を寄せる紺之介ら傍ら愛栗子は片付いた話を手早くたたみにかかるとそのまま横になり顔を背けた。
愛栗子「……もうよいか? ならはよう消灯してしまえ。わらわは疲れたのじゃ」
紺之介「そう急かすな。所有者に聞くべきことを今一度整理する必要が」
「お客様」
不意に宿屋の女将の声が彼らの会話を絶った。襖が二度叩かれた後紺之介の了承を得てその女将敷居滑らせる。
「入り口の方でお客様に会いたいと仰る方が……」
紺之介「なんだと? ここまで連れてこい」
「かしこまりました」
彼女が廊下へと去って行く中、愛栗子は不思議そうにぼやきをこぼした。
愛栗子「誰だか知らぬが非常識な奴もおったものじゃ。今をどこの刻だと思っておるのじゃ」
乱怒攻流「も、もしかして源氏だったりして」
紺之介(今存在する幼刀は奴の児子炉と導路港に置いてきた透水を除けば残りは全てここにある……児子炉の幼刀探知で追われていたら確かにその可能性もなくはない)
乱怒攻流の不穏な予想を考慮し紺之介閉ざされた襖の方を向いたまま背後に立てかけた愛刀を掴む。だが愛栗子に並び刃踏もいたって冷静であった。
刃踏「しかし一度この村で暴れた方を簡単にお通しするでしょうか」
紺之介「それも、そうか」
乱怒攻流「被り物をしてる可能性だってあるじゃない!」
焦りと疑惑どよめく中再び襖は叩かれた。
紺之介「……開けてくれ」
蝋燭の灯された部屋に廊下から二人の人影が差していく。それが徐々に、徐々に大きくなっていく中で紺之介は手を鞘から柄に移し、乱怒攻流は背嚢を開けた。
そして遂に、襖は完全に開かれる。
「こちらの方です」
「わ、悪い。こんな時間に」
暗い廊下の中、灯にその顔を浮かべたのは一行が名も顔も知らぬ無精髭を生やした男だった。
紺之介「……? 誰だ」
「俺はこの村に住んでる次堂 須小丸 - じどう すこまる - ってもんだ。その……アレだ。鮮やかな鞘と妙な格好した少女をぞろぞろと連れてるもんだからまさかと思ってな。この言葉に心当たりがねぇってんならそのときはもう帰るさ。気にせず寝てくれ」
男はおもむろにそう告げると紺之介らの反応を伺った。
彼は遠慮混じりで本当に直ぐにでも退散するといった様子だったがそこまで言われて一行に心当たり……ないわけがなし。
紺之介は少しばかり目配せしそしてため息を漏らした。彼は己が異様に浸かりきってしまっていたことに気がついたのである。
紺之介(確かに冷静に考えてみればこのような旅の集団……違和感だらけだな)
紺之介「と、言うことは……須小丸と名乗ったか、あんたはもしや幼刀 俎板-まないた- の……」
須小丸「ああそうさ。やっぱりそこの女共は俎板の言っていた他の幼刀だったんだな」
須小丸と名乗った男は拳を握りこみ一度瞼を閉じると息を吸い込んでから目を見開き叫んだ。
須小丸「なああんた幼刀に詳しいんだろう!? 教えてくれ!! なんで俎板は殺されなきゃならなかったんだ!」
彼は後ろで女将が短く矯正をあげたことも愛栗子が蔑んだ目で耳を塞いだことにも気にせず一歩二歩敷居を跨ぎて紺之介の両肩を取った。
紺之介は冷静に立ち上がりて彼の手を払いのける。
紺之介「なるほどな。あんたが知りたいのはその話か……実は俺たちも俎板の元所有者に聞きたいことがいくつかあってな。丁度話したいと思っていたところだ」
紺之介「……だが」
紺之介が何かを気にするかのように刃踏と彼女が抱えた裵奴へと視線を流したとき、裵奴が寝ぞろをかきて嗚咽を漏らしたことからさすがの須小丸も場の空気に察しを得た。
須小丸「す、すまん」
刃踏「あ、ああ~……気にしないでください。ねぇ~? ぺとちゃんごめんね寝てたもんね~……」
刃踏が裵奴をあやしこむ中、紺之介は須小丸に名乗りを入れて約を結んだ。
紺之介「俺は都の剣豪、紺之介と申す。というわけだ。明日の昼にでもまた訪ねてくれるか? さすれば須小丸、あんたの家にて俺が知っていることをできるだけ話そう」
須小丸「分かった。いきなり押しかけてすまなかった……ではまた昼の刻にて」
須小丸はそう言い残すと一礼のちに女将と共に引き上げて行った。
閉まる襖が合図のごとく裵奴を再び眠らせ、刃踏が紺之介に礼を申した。
刃踏「すみません紺之介さん……気を使わせてしまって」
紺之介「別に、餓鬼に騒がれた中では正確な情報は聞き取れんと思っただけだ」
乱怒攻流「素直じゃないのね~」
紺之介「お前にだけは言われたくない」
乱怒攻流「な、なによっ!」
刃踏「ふふっ」
愛栗子「ぬしら煩いぞ。用が済んだならさっさと寝てしまえ! わらわはもう寝かせてもらうぞ」
乱怒攻流「あーこわ……まったく最近お人形さんの機嫌が悪くて困るわ。紺之介! あたしは納刀して。こんな狭い座敷じゃ眠れないわ」
紺之介「はぁ……納刀」
愛栗子の機嫌の悪さはけして乱怒攻流だけが感じ取っているものではなし。
紺之介としては彼女の捨て台詞に加担することはただでさえ理解し難き愛栗子の機嫌を更に悪くするようで控えておきたかったが部屋狭きは事実なので仕方なく彼女の要望を受け入れんとする。
紺之介「フミ、そこの餓鬼はどうする」
刃踏「私たちは大丈夫です。ぁ……えっと、本当はぺとちゃんと一緒にいたいだけ、なんですけど……あはは」
紺之介「分かった。それじゃあ寝るか」
紺之介が蝋燭の火を消した部屋には闇夜と月明かりだけが残った。
頑なに皆に背を向け横になる愛栗子の姿も殆ど他の目に晒されぬ身となったが刃踏だけには見えていた。
刃踏「……」
月さえ照らせぬ、彼女の横顔が。
翌、一行と須小丸は白昼にて落ち合う。
して須小丸の宅上がりこむ紺之介らの視界に真っ先に入ったのは妙に大事そうに飾られた薄刃包丁であった。
紺之介(なんだあれは)
薄刃包丁……菜切り包丁とも言われるそれはその名の通り一般的包丁である。
故にそのありかも台所であるはずのそれがあたかも伝家の宝刀のように修飾されているとなるとやはりその光景は異様を模したものなり。
紺之介「? まさかあれが魂の抜かれた……」
乱怒攻流「違うわ。あれはただの包丁」
紺之介「そうなのか?」
紺之介の言わんとしたことをいち早く否定した乱怒攻流の言葉を聞いて須小丸は彼らが何のこと言っているのか気がつき補足を入れた。
須小丸「ああ、確かに幼刀俎板-まないた-の刀身はこんな形をしていたがこれはただの菜切り包丁さ」
須小丸「魂が殺されたとき、一緒に砕けちまったよ。ただそれでも、ここに置いておくとまだあいつがそこにいるみたいでな……何となく飾っちまってるのさ」
紺之介「……そうか」
愛栗子「なるほどの」
>>343
すみませんミスです台詞一つ抜かしています
紺之介「となると破壊された俎板は……」
須小丸「魂が殺されたとき、一緒に砕けちまったよ。ただそれでも、ここに置いておくとまだあいつがそこにいるみたいでな……何となく飾っちまってるのさ」
紺之介「……そうか」
愛栗子「なるほどの」
よく晴れた室外とは裏腹に須小丸の遺憾に濡れた重苦しい室内。
一行がそれに当てられ切り出しずらくなっているのを感じとりて須小丸自らが口を開けた。
須小丸「そろそろ本題に入っていいか。なあ教えてくれ。なんで俎板は殺されたんだ? やっぱ幼刀が異端な存在だから消されなきゃならなかったのか!?」
須小丸「俺は……見ての通り金も地位も、妻子すら持てねぇ落ちこぼれの農民だが……あいつがうちに来てからは毎日がそれなりに幸せだったんだ。あいつが包丁をまな板に当てる音で目を覚まして、うめぇ味噌汁飲んで……それで、それで……」
須小丸堪らず男泣きを見せる。
普段は無頓着な紺之介も流石に心中重く察したのか彼の話にじっと耳を傾けた。
刃踏が崩れ落ちる彼の肩を抱き背をさすり、それについて行くように裵奴が彼の頭を撫でた。
紺之介「すまん。実のところ幼刀 児子炉 -ごすろり- については俺自身詳しくなくてな。あの幼刀は『どういうわけか他の幼刀を憎く思っている』ということしか知らない。ここに来た理由もあんたから児子炉が俎板を襲った際、どのようなことを口にしていたか詳しく聞こうと思ったからだ」
須小丸「児子炉……? もしかして俎板を殺した幼刀の名前か」
紺之介「ああ。だが児子炉の所有者である源氏がどのような理由で幼刀を探しているのかは知っている」
須小丸「それでいい! それを教えてくれ」
紺之介(これで一応交渉成立としておくか)
垂らした情報の種に須小丸が食いついたのを見て紺之介は源氏について話し始めた。
紺之介「源氏という男は……ひたすら強者を求める狂人たる剣客だ。故に人知を超えた力を秘めたる幼刀と戦うことでその欲望を満たそうとしている」
須小丸「そんな身勝手な理由で俎板を……! あいつは戦を望むようなやつじゃなかったのに」
紺之介の口から聞いた源氏の人格があまりにも悪鬼羅刹をなぞっており須小丸は深く落胆喪心した。
砕かれた俎板の刀身には何か意味があったのではないかと信じ悲壮感奮い立たせ今日まで生きてきた彼にとってそれは身を討ち滅ぼされるほどの衝撃だったのである。
再び額を畳に落とし涙でそこを湿らせる須小丸。
一方でもはや情報収集どころではなくなった紺之介は若干困惑気味ではあったものの、とりあえずの同情を重ね最後は刃踏に彼を一任した。
紺之介「フミ、須小丸を少し頼んでいいか」
刃踏「……はい」
紺之介「裵奴、しばらく外に出るぞ。俺が相手をしてやる」
裵奴「こんたかいたかい」
紺之介「仕方ないやつだな」
紺之介は裵奴を抱き上げると愛栗子乱怒攻流引き連れて刃踏を残し須小丸の家を出た。
紺之介(さてどうしたものか……)
二度目の茶居戸抜けて以降彼らは急ぎ足前へ前への旅路であった。というのも当然といえばそれで何しろここへ訪れたところで新たな幼刀を収集できるというわけではないからである。
欲しいのはあくまで有力な情報、児子炉の明確な強さ、詳細な幼刀破壊の動機等……それが集まればいざ最後の収集へ。
紺之介の脳内にあった予定だと次なる猶予の安息は全てを終えた帰路の旅路の中にあり。
しかしながら貴重な情報源の男があれでは手詰まりというもの。
余裕のなかった筈の彼らにはからずも時間が生まれた。
となれば紺之介彼の人求めるはただ一つ。
紺之介「……裵奴、刀を見て回るか」
裵奴「うー?」
乱怒攻流「あ、昨日からそこら見てきたけどこの里刀鍛冶なんていないわよ」
紺之介「……」
紺之介、落胆。
危うく肩車をしていた裵奴を落としそうになる。
裵奴「う゛ー!」
紺之介「お、っと。はぁこれだから山里は」
乱怒攻流「いやその都では流行みたいな言い方やめなさいよっ」
木結芽の里に対して一言毒を吐いた後に紺之介は愛栗子の方を見た。
不貞腐れた猫のように岩に座し何処か遠くを見ながら扇子を揺らす彼女を視界に留めるとまた乱怒攻流の方を向いて彼女に問いかけた。
紺之介「……何処か休めそうな場所はあったか」
乱怒攻流「あ~……まあ、茶屋くらいなら?」
紺之介「何故刀鍛冶がいなくて茶屋がある! っ~……まあいい、行くぞ」
乱怒攻流(あんたが時代遅れなのよ)
乱怒攻流が先導する形で歩き始めた紺之介は二歩ほど歩いてから後方に目線を流す。
彼の視線に気がついた愛栗子は扇子を閉じて臀部をはたくと目を閉じ静かに歩き始めた。
その様子を確認した紺之介は裵奴に急かされる形で再び前へ歩き出す。
裵奴「こん?」
紺之介「お前餅、食えるか?」
裵奴「おもち!」
紺之介「その様子なら大丈夫そうだな」
………………………
「くず餅です。ではごゆっくり」
乱怒攻流「黒蜜とかないわけ?」
紺之介「文句を言うな」
看板娘に出されたくず餅を紺之介は竹串でさらに小分けにするとそれを裵奴の口元に運んだ。
紺之介「よく噛めよ」
裵奴「あむぅ、うゅ……うま!」
紺之介「そりゃよかったな」
そうして彼は自らもひとかけら口にすると奥歯でそれを噛みしめながら頬づえをつき、須小丸の家へと目を向けた。
紺之介(フミは上手くやっているか? そのまま児子炉のことについても聞いてくれれば楽なんだが)
紺之介は刃踏に対して絶大な信頼を置いていた。理由は言わずもがなの唯一無二の完敗にあり。
彼はあの慈愛に呑まれ安らがぬ相手は獣くらいではないかとすら考えていた。
紺之介(まあ、問題ないだろう)
茶を含みてもう一口くず餅を放り込もうとしたときだった。
裵奴「う゛~」
袖口が下に引かれたので顔合わせてみればそこにあったのは眉を下げしべそかきの裵奴。彼女の手は内股にあり。
紺之介「あぁ」
紺之介察して定員を招き席を外す。
紺之介「はあ、厠も一人で向かえんのか」
その様子を見届けた乱怒攻流が頃合いかと愛栗子の頬を竹串で軽くつついた。
愛栗子「っ、なんじゃ行儀の悪い!」
乱怒攻流「……何があったか知んないけどさ、いつまでぶすっとしてんのよ」
愛栗子「知らぬな」
愛栗子は乱怒攻流の竹串を持つ手を払いのけると扇子を開いてそっぽを向いた。開かれた扇子は彼女の頬をすら覆いて蓋のようにそこにあり。
乱怒攻流は諦めた様子で串先を彼女の頬から紺之介が残したくず餅へと変えた。
乱怒攻流「あいつがちょっと刃踏贔屓にしてるのは分かってるけどさ、あれは多分負け意地でしょ」
愛栗子「……なんじゃ、分かっておるではないか」
乱怒攻流「そこまで露骨に拗ねられると流石に分かるわよ。なんであんたがあんな刀馬鹿のこと気に入ってるのかは未だによくわかんないんだけどだけどさ~?」
愛栗子そっと扇子を下に傾ける。
紙一枚先にあった乱怒攻流の横顔はくず餅を貪る他愛ないものであったがそこに何となく彼女の美を感じた愛栗子は己なりの賞賛を送ることとした。
愛栗子「まあ、ぬしにも大人の恋路というやつが分かってきたようじゃし少しくらい聞かせてやるとするかの」
乱怒攻流「なによそれ。まあいいわ……で、何」
「聞かせる」と言ったもののまだ若干の勿体ぶりをにおわせる愛栗子。
しかしどっちでも良さそうな顔つきでくず餅を食み続ける乱怒攻流につまらなさを募らせるととうとう口を割り始めた。
愛栗子「無論、あやつの強さや芯の太さに惹かれておるところはある。しかしの……」
愛栗子「『運命の糸』と言われたらぬしは信じるかの? 瞳にその者の姿をとめた瞬間から、己はそれを愛するさだめと想うことじゃ」
乱怒攻流「何よそれ、結局一目惚れってこと?」
愛栗子「全くもって違う」
半目でから皿をつつく乱怒攻流に対して愛栗子力強くそれを否定する。
愛栗子「この衝撃は、あのおのこを見たとき以来じゃった。今やどうなったかも分からぬ……あの愛しきれなかったおのこと同じ。『これを愛す故に我魂此処に在り』と」
その愛栗子の真剣な呟きを耳に入れ乱怒攻流やっと目を見開かせる。
乱怒攻流「! ねぇ、それってもしかして……あいつってさ……」
彼女が愛栗子の方を向いたときだった。
紺之介「世話になった。代はここに置いておく」
紺之介が裵奴の手を引いて暖簾に腕押しながら二人に呼びかけた。
紺之介「お前ら、食ったなら行くぞ」
裵奴「ありしゅ! らん!」
その様子を見た愛栗子は諦めるようにして話を打ち切ると机に手をついて席を立った。
乱怒攻流「ねぇちょっと……」
愛栗子「続きはまたの機会に、の?」
乱怒攻流「……はぁ、わかったわよ」
……………………
茶屋を出た紺之介たちが須小丸宅へ蜻蛉返りしてみれば丁度玄関を出る刃踏の姿があった。
刃踏「あ」
裵奴「おか!」
刃踏「ふふ、何してたんですか?」
裵奴「あのね! おもち! たべた!」
刃踏「ふふふ、よかったですね~」
裵奴の駆け出した後から他三人も刃踏と落ち合う。
紺之介「須小丸は」
刃踏「はい。須小丸さんならもう落ち着いてますよ」
紺之介「児子炉について何か言っていたか」
刃踏「……いえ~それについては何とも」
紺之介「あの中年め、こちらに喋らせるだけ喋らせておいてっ……」
苦い顔のまま舌打ち混じえて戸に手をかける紺之介を刃踏が止めた。
刃踏「ま、待ってください。須小丸さんも、その……今日まで色々と辛い思いをしてきたんだと思います。俎ちゃんがここにいるわけでもありませんし、もういいじゃないですか……とにかく今はやめてあげてくれませんか?」
刃踏が腕持つ彼は頭を抱えていた。それもそのはずでここにて情報収集を諦めることは即ち『無駄足』以外の何物でもないからである。
児子炉による源氏の魔の手はすぐそこにある。しかし衝突を避け続けるのもまた透水の命に関わる。
此処に止まれるは今夜一杯と考えている紺之介にとってこの決断は差し出された苦渋を嬉々と呑むに等しいものであった。
紺之介「……仕方あるまい。宿に引くぞ。夜にもう一度出向くという手もなくはないが……次は万全の対面を迎えるというのが奴との条約だ。俺は寝る」
紺之介、無駄足を受け入れる。
彼が宿へと足を運ぶ後ろ姿で刃踏は一人胸を撫で下ろした。
が、彼のこの決断を受け入れきれぬ者が一人いた。そう、ここへ向かうよう彼らを動かした愛栗子である。
彼女が刃踏を睨むような目つきで見つめるとその視線に気がついた刃踏が愛栗子に近づき耳元で囁いた。
刃踏「今夜、お話しませんか。みんなが寝た後宿裏で待っています」
裵奴「おかー!」
刃踏「はいはい。お宿に帰りましょうね」
刃踏は裵奴の手を引きながら念を押すようにもう一度愛栗子に告げた。
刃踏「ちゃんと来てくださいね?」
愛栗子「っ~……まったく、何を考えておるのやら」
続く
ただ一人宿屋の壁に背もたれた愛栗子はじっと夜空に浮かぶ月を眺めていた。
灯りなしの空下は夜目慣れなければただ闇だけが広がり続ける場所。それが幾らかの星々を目立たせ、月にいたってはまるで千両役者のようである。
千両役者となれば愛栗子であろうと誰であろうと目を引かれるのは当然のこと……そこに別物の光割り込むことなき限りは。
こがね色の千両役者から愛栗子の目を逸らさせたのは足音でも人影でもなくまずは大きな橙の灯りだった。
刃踏「お月様、綺麗ですか?」
愛栗子「まあの。じゃが月周りが少し雲がかって見えておる。明日は一雨くるかもしれぬの」
愛栗子は横顔に差し出された提灯の灯りに少し目を細めながらぼやを入れた。
愛栗子「そちらから誘ったにしては随分と遅かったではないか。まったく、わらわの柔肌が羽虫にでもかまれたらどうしてくれるのじゃ」
刃踏「す、すみません。なかなかぺとちゃんを寝かしつけることができなくて……」
愛栗子ため息一つこぼし仕切り直す。
愛栗子「で? 話たいこととはなんじゃ? 先ほど話した通りじゃ、手短に頼むぞ」
刃踏「はい」
刃踏も改めて愛栗子に歩み寄りて隣に立つと彼女と同じ向きになりて本題に突入した。
刃踏「炉ちゃんと俎ちゃんが対峙したとき、炉ちゃんは『将軍さまの愛を受けるのはわたしだけ』と言っていたそうです。確かかどうかは曖昧だそうですが須木丸さんから聞きました」
小ぶり提灯に照らされた二人の影が土の上で揺れる。それを眺めたまま愛栗子は表情一つ変えることなく返答した。
愛栗子「なぜそれをわらわに言う。その話を報告すべきは紺じゃろう?」
刃踏「愛栗子ちゃんこそ、知っていたならここに来る前に紺之介さんにそれを伝えたらよかったじゃないですか」
隣の影が若干動いたのを見た愛栗子は影の持ち主へと横目を運ばせた。
愛栗子「なぜわらわがそのことを知っておると思うたのじゃ」
愛栗子がそう振ってから刃踏が次に口を開くまでの間五秒間……二人の間には独特の緊張感が走っていた。
刃踏は一瞬迷ったような表情を挟んだが決心したのか一呼吸置くと自信に満ち満ちた声量でその言葉を口にした。
刃踏「言ってしまえばずばり、勘です」
そうしてまた五秒の間。
しかしそれは先ほどのように緊張感から来たものではなく呆気にとられた愛栗子の倦怠感が作り出したものであった。
愛栗子思わずあくびをも漏らす。
愛栗子「話にならんの。終わったならもう寝てもよいか? なんならわらわの口から明日そのことを紺に告げてやろう」
提灯の光を背に白蝶晒して去らんとする彼女の手を刃踏が強く握った。
愛栗子「……なんじゃ」
刃踏「……勘、でしたよ。さっきまでは……でもやっぱり確信に変わりました。だって炉ちゃんの所感は愛栗子ちゃんたちの旅が始まった理由に繋がることなんですよ? どんなに興味がなくなって、『ふーん』とか『へぇ』とか少しくらい言いそうなものじゃないですか」
愛栗子「それらを口や顔に出さなかったから一体なんじゃと? 別にわらわが奴の心中に興味がなかっただけの話じゃろ。ここに行くよう提案し情報から動機を確かめようとしたのは紺のためじゃ。分かったならはようその手をはなさんか」
ぐっと内に引かれる愛栗子の腕。しかしそれを負けじと刃踏が引きかえす。
愛栗子「くどいぞぬし! 痛めてしまうではないか」
身体が駄目なら声。愛栗子が若干声を張り上げた後に刃踏はそれよりもさらに荒い声を張る。
刃踏「人が人を想う気持ちを愛栗子ちゃんが興味ないわけないじゃないですか!!!」
愛栗子「っ……」
響いた声に怯んだかのように月が雲隠れし湿り風が彼女らをなだめるかのように通り過ぎた。里に根を下ろすまだ青い木々たちが野次馬のように騒めき始める。
枝葉の音が妙に大きく木霊したとき少女たちは今が夜深き刻だということを思い出し腕引きをやめた。
愛栗子「……あほぅ。いつの刻じゃと思うておる」
刃踏「ご、ごめんなさい。つい取り乱してしまって」
愛栗子が刃踏の方へと向き直るとまた互いの顔が提灯の灯火に照らされる。
二人は互いの瞳の奥を覗いた。
今目の前にいる者は百の年月を経て互いに全てを悟りし者……そしてそれぞれの目指す結末に異を唱える者。
そのことを二人互いに確かめるとまず愛栗子が推測を語り始めた。
愛栗子「将軍様がわらわらをこの身に変えた順を存じておるか?」
刃踏「ええ、確か……」
愛栗子「わらわ、乱、透、裵奴、まな、ふみ、そして奴……炉の順番じゃ。どういうわけか幼刀を保護し続けた連中はこの順番を将軍様が大切にした女の順としておるようじゃがそれは全くの真逆じゃ……と言ってもぬしは人の身の頃からそのようなこと分かりきっておるか」
そう言って刃踏の顔色を伺うような顔をした愛栗子だったが、照らされた刃踏の表情が眉ひとつ動かなかったのを見て一度短くため息をはくと話を続けた。
愛栗子「つまり将軍様にとって一番の女だったのは奴……というわけじゃな。しかし将軍様が一度の唾つけ以降わらわを美術品のように扱ったことから幕府の連中が勘違いをし刀化の順をもソレと勘違いした。その噂を耳に入れてしもうたあやつは不安になったんじゃろうな……己が最も将軍様を想っておった故に」
愛栗子は呆れながらも哀しみの浮いた顔で呟いた。
愛栗子「少し考えればわかるじゃろ……将軍様にも人並みの心があったならば、情を吹き込んだ者ほど人の理から離れて欲しくはないじゃろて……なぜじゃ、なぜあやつもそれに早く気づかぬ」
愛栗子「故にわらわは一番奴の闇を増幅させてしまっておる。そしてその次が恐らく、順は遅けれど目に見えて贔屓されておったぬしじゃろうな。そう考えればまなが早々に壊されてしもうたのにもなんとなしに合点がつく」
一通り愛栗子が胸の内を開くと確かめるように、刃踏が閉ざしていた口を重く開けた。
刃踏「……だから、炉ちゃんを壊そうとしてたんですね。将軍様の元へ炉ちゃんを返すために……炉ちゃんがまた大好きな将軍様に会えるように」
下げられた刃踏の顔には影が落ちる。
愛栗子「はぁ……まあの。しかし紺に直接そう伝えたところで奴がそれを簡単に許すとは思えぬじゃろう? 故にそれが最善と紺に思わせる手立てとしてここに話を聞きに来たというわけじゃ……結果としてぬしに邪魔されてしもうたがの」
愛栗子の放った最後の一言は一見意地悪くも見えるものであったがその内に隠されていたのは彼女なりの場を和らげる冗句であった。
これにより下を向いたままの刃踏が面をあげ一つ反応を見せたならば彼女の狙い通りであったのだがそうはならず。
やはり 『彼女は異を唱える者』であったことを愛栗子は苦い顔つきで再確認した。
刃踏「誰が一番愛されていたとか……大切にされていたとか……そんなのやっぱり関係ないと思います。だって結局私たちはみんなこの身体になって生かされた」
刃踏「その時点で!! 将軍様はまだ私たちに生きていて欲しいって願ってくれたってことじゃないですか!!! 私は将軍様のその優しさを……想いを……無下にすることなんてやっぱりできません。守れるなら守り続けたいです!」
刃踏「だって私も将軍様をお慕いしていたから……この想いが炉ちゃんより劣っていたとも思いませんし、優っていたとも思いません。優劣なんてつけられるはずがないじゃないですか」
刃踏「それに私はあそこにいたみんなが大好きだったんです。将軍様も、ぺとちゃんも、乱ちゃんもスグちゃんも俎ちゃんも炉ちゃんも、愛栗子ちゃんも……そして、あの子も」
愛栗子「……そうかの」
互い想い巡らせ目を閉じる。
二人には自然と同じ景色が瞼の裏に映り込んだ。もっともどれくらい昔か……それはもう彼女らにははかりしれないものであったが。
愛栗子「で、ぬしはどうしたいのじゃ」
刃踏「炉ちゃんに伝えます。将軍様はみんなのことが大好きだったんですよって……そして私も炉ちゃんが大好きなんですって……だからもう、怖がることなんてないからみんなで精一杯生きましょうって……そう伝えます」
愛栗子は止められぬ慈愛の魂を見た。今彼女の目に映る優しく暖かくも微かに熱い光はまさしくそれを可視化したものであった。
それは仏の依代か、それともそれもまた刃踏自身の私欲に過ぎぬのか……愛栗子には解せぬ。だが愛栗子の中にはその魂に賭けてみてもいいかもしれないという希望が芽生えつつあった。
刃踏「それにこれは愛栗子ちゃんが今お慕いしている彼のためにもなるじゃないですか。叶うことなら少しでも好きな人の力になりたいって……そう思いませんか」
そして愛栗子は彼女の次の言い分を耳に入れるとこの上ない脱力感を肩から覚えた。
もはや呆れすら通り越しそれが己の前に立ちはだかった時点で一度立ち止まることを強いられていると悟ったからである。
今度はそれが愛栗子の闘争の炎だったかのように、提灯の蝋燭が消えた。
刃踏「はわっ!?」
愛栗子「夜目が慣れておる。このままでも部屋に帰れるじゃろて」
曇天の湿風はまだ彼女らに吹いていたが宿へと歩む愛栗子の足は不思議と軽快であった。
愛栗子「ふみ」
刃踏「はい……?」
愛栗子「……まったく、ぬしにはかなわぬな」
刃踏「え、えへへ……そうですかね」
…………………………
翌、空は生憎の灰色。
黒とも白とも言いきれぬ雲たちがまだ太陽を隠していたが紺之介一行は予定通り木結芽をたった。一応の目標地点は源氏との邂逅を兼ね透水のいる導路港への逆戻りとなる。
山林にて時刻はおおよそ卯の刻半ば……乱怒攻流と裵奴は並んで大あくびを披露した。
刃踏「ふふっ、かわいい。姉妹みたいですね」
裵奴「うにゅ~……おか?」
愛栗子「くく、言い得て妙じゃな。お子様の乱にぴったりではないか」
ここぞとばかりににぎやかしを投下する愛栗子に乱怒攻流が噛みつく。
乱怒攻流「ちょっとやめてよ。あんなせまっ苦しいとこだったから満足に眠れなかっただけ! 紺之介ったらあたしを納刀せずに寝ちゃったのよ。酷いと思わない? ねぇあんたも! 言うことあるでしょ」
最初こそしらを切る紺之介であったが次第に強めに袖を引く乱怒攻流に根負けし、ため息混じりに謝罪を吐き捨てた。
紺之介「俺が悪かったからそれをやめろ……で」
刃踏「ああすみません。お話の続きでしたね」
乱怒攻流「ああ、さっき言ってた児子炉も刃踏の力で戦わずに回収するって話?」
刃踏「あはは、そんな大層な作戦ではないんですけどね……紺之介さんどうです? 私に一任させていただけないでしょうか」
紺之介「ああ……」
締まりこそないが否定的でもない相槌を返した紺之介だったがその後は言葉を詰まらせてしまい、落ち葉を踏む音のみが段々と大きくなっていった。
愛栗子「……無理もないの」
愛栗子がそんな彼を擁護するように小さく呟いた。
裵奴という例外あれどこれまで出来るだけ自らが前線に立ち幼刀を収集してきた紺之介。今回の策はその姿勢を大々的に崩したやり口であった。
紺之介(刃踏の力は確かに凄まじいものではあるが)
源氏曰く幼刀 児子炉-ごすろり-とは彼と志を同じくした破壊の刀である。故に裵奴のときとは大いに違い刃踏の身を全面的に賭けることとなる。
『戦わずして』とは甘美な響きであったが紺之介の中で既に戦いは始まっていると言えた。
紺之介が黙り込んでから落葉踏む音既に五十。途中座りこんだ裵奴を背負い込むと刃踏は彼の顔を少し覗き込みながら言った。
刃踏「まさか、源氏さんと炉ちゃんを同時にお相手するつもりではないでしょう?」
紺之介咄嗟に目をそらす。
刃踏の言っていることは確かに最もであった。ここで己が全てを背負うこともまた大博打
彼は決して弱気になっているわけではないが一度は源氏と鎬を削った仲故にそれも茨の道と心得たり。
紺之介は一つ大きめの深呼吸をすると深くうなづいて重く決心した。
紺之介「分かった。確かに考えてみれば源氏は手練で児子炉もまた幼刀……誰の傷も増やさずして楽になる方法が少しでも存在しうるのなら使わぬ手はないな」
乱怒攻流「ま、それもそうよね」
乱怒攻流が一言挟んだ後紺之介は申し訳なさそうに呟いた。
紺之介「……フミ」
刃踏「はい?」
紺之介「任せたぞ。信頼してるからな」
刃踏「はい」
刃踏が彼に微笑みを向ける一方で愛栗子は後ろで目を閉じて扇子を広げた。そこに何かを察した乱怒攻流は少し歩を緩めて愛栗子に近づくと小声で囁いた。
乱怒攻流「昨日も言ったけど、あれもきっと負け惜しみよ」
愛栗子「……わかっておる。一々いうでない鬱陶しい」
乱怒攻流「んなっ……! なによ! 折角人が心配してあげてるのに!」
愛栗子「急に声を荒げるでない」
後方で騒ぐ二人の声に頭を痒くしながら紺之介は振り向いて告げ口した。
紺之介「うるさいぞお前ら……もしあいつらが近くにいたら……っと!」
後ろを見ながら歩いていた紺之介は思わず前を行っていた刃踏と背負われた裵奴に軽くぶつかる。
紺之介「どうしたフミ……は……?」
一瞬こそ手前二人の方を見た紺之介であったが、その奥から感じる禍々しい殺気をすぐさま読み取り顔を上げた。
源氏「よぉ」
紺之介「源、氏……やはりこちらに近づいてきていたか」
源氏「そりゃあ一本より何本もある方優先するってもんだろ。その方が一度に長く楽しめるしな」
源氏に続いてその下で渦巻く黒煙もまた口を開く。
児子炉「あ、り゛……す! フゥゥミィ゛……!」
刃踏「……炉ちゃん」
愛栗子「……」
刃踏が背の娘を降ろすとそれは黒煙の邪気に当てられてうたた寝の夢から目を覚ました。
裵奴「あぁう」
裵奴は寝くじをかく間もなく刃踏の背後に身を隠す。
幼児も黙り込む程の緊迫した空気がそこにはあった。
原氏「さて、誰からでもいいぜ? かかってきなァ……あ、でも紺之介は後の方がいいな。てめぇにさっさとくたばられちゃ折角の幼刀が全部ただの刀になっちまうし」
源氏、刀を担ぎ清々しい程の喧嘩腰。獰猛な獣が化けて出たかのような彼に紺之介も腰の柄に手をつけたがそれはあくまで反射的なものであった。
紺之介の顔にははや玉汗浮かび上がるも今はまだそのときじゃないとしてその姿勢を保ちつつも口を割る。
紺之介「源氏、そんな喧嘩好きのお前にいい提案がある」
源氏「ほう」
源氏の広角が上がる。
釣られて紺之介の口元も引きつられる。
紺之介「幼刀 児子炉 -ごすろり-を渡せ」
源氏「ンァ?」
紺之介は児子炉からの強烈な睨みをその身に受けつつ若干首を傾げる源氏に続ける。
紺之介「そこの今にも喧嘩しそうな狂犬とお前を喧嘩させてやろうと言っているんだ」
源氏の闘争の炎にわずかだが薪がくべられる。
源氏「おぉ~……ってえっとなんだ? 紺之介、お前がコイツとやりあうのか?」
紺之介「いや、違う」
固唾を呑むと紺之介は柄から手を離し、その手のまま母に張り付く裵奴の腕を取りてもう片方で刃踏の背を押した。
紺之介「こいつだ」
源氏が彼女に目線を移したことによって紺之介の呑んだ固唾ごと刃踏にその場の指揮が託される。
紺之介「いい余興だとは思わないか? この幼刀は七振りの中でも間違いなく三本指の強さはあると自負している。そのことを確認してからの方が熱くなれそうだろ」
源氏「ほ~……」
源氏が峰で肩をならしながら児子炉の方を見るとそこには正に紺之介の言う狂犬が君臨していた。
児子炉「フ、フ、フゥゥミィ……!!!」
児子炉の握る熊の人形には布を裂いてしまいそうなほどに力んだ爪が立てられていた。
その様子を目の当たりにした源氏は彼女の興奮度は自らを楽しませるのに十分と評価したようで
源氏「なんだ。確かに面白そうじゃねェか……行ってもきてもいいぜ」
一言そう告げると一先ず太刀を肩から下げた。
紺之介(何とか乗せたな)
整った土俵に一歩ずつ前へ出る刃踏は一瞬だけ横顔を見せまた前へと歩き出した。
そのときの横目は紺之介らには後方の誰かを見ていたようにも全員を見ていたようにも見てとれた。
裵奴「おか……?」
漂う不安をぬぐい切れず裵奴だけがとうとう短く声をあげてしまったがそんな彼女の小さな肩を紺之介はさっと片手で抱いた。
紺之介「大丈夫だ。今はただお前の母親を信じてやれ」
前方から児子炉も草音を立てながら内へ歩み寄る。
児子炉「フゥミィ……」
刃踏「炉ちゃん……」
乱怒攻流(本当に大丈夫なのよ、ね……って……!)
乱怒攻流は真横の愛栗子が密かに自身の金時計に触れていることに気がついた。
それにより乱怒攻流は事の重さを改めて思い知ると同時に、己の隣で上がった重腰による微かな安心感が抱いてしまった。
結果返って落ち着かない乱怒攻流はひとまず自らも背嚢から柄を摘まみ出すことで平静を保たんとする。
誰もが何かに心情煽られる中、ついに二人は間近にまで対面した。
児子炉「……」
刃踏「炉ちゃん……私、考えたんですけど……やっぱり将軍様に生かされた私たちが互いにその身を砕き合うなんて間違っていると思います」
刃踏「そこにいる紺之介さんから今までの話もうかがってきたのですが、炉ちゃんを止めるために愛栗子ちゃんを振るうなんて、いくら偉い人でも酷いと思いました! それでいて『将軍様の意思を守ろうとしている』だなんて……とても信じられません!」
刃踏は一息吸うと胸元で包んだ拳を開きながら前へ差し出した。
刃踏「私たちと生きてください! 将軍様の愛を、そして将軍様への愛を共に守りましょう。共に応えてくださるなら、この手を……」
紺之介「っ……」
紺之介、やはり刃踏を信ずると決めつつも完全には秤傾けられず。して心はまだ駄目で元々。
決裂の火花ひとつ立とうものならばすぐさま抜刀し駆けつける心持ち。後方にて二人もまた同じ。
が、そんな彼らの警戒反して意外にも児子炉は落ち着いた様子で差し出された手をじっと見つめていた。
それ故か一方で退屈そうに耳をほじる男一人。欠伸混じりに落胆漂わせてはそわそわと太刀で近辺の幹に傷をつけている。
語るまでもないが彼が刃踏に求めていたのは情愛ではなく戦。源氏は紺之介に乗せられたことを若干後悔し始めていたがそれを振り払うように児子炉との戦いに期待を込めて片手素振りを始めた。
児子炉「将、軍さまの、愛を……」
そして中央の緊張感は次第にほつれていく。
児子炉は右手を熊人形から離すとおもむろに前へと持って行き始めたのだ。
刃踏「はい……! 守りましょう」
正に鈍い熊のようなその様子微笑ましく、釣られて刃踏の顔にも柔らかな笑みが浮かぶ。
状況が状況なだけにさすがに焦れたのか刃踏は少々強引に児子炉の浮いた手を引くとそのまま彼女を抱き寄せた。
児子炉「フ、ミ」
刃踏「ずっと……ずっとこうしたかった! 私は……!」
刃踏の募る想いは遂に頂点に達し児子炉を抱きしめる両腕に大きく力が入る。
その目には涙が浮かび全身から『喜び』を溢れさせていた。
刃踏「私はあなたのことも、大好ぎ、でッ…………え?」
だが彼女が見た幸福は幻想だった。
一瞬うつけた刃踏はハッとして己の懐に目線を落とすとそこには赤黒い景色が広がっていた。
刃踏「……」
刃踏、幾度となく瞬きを繰り返せど見える光景に変わりはなし。
熊の形をした嫉妬の操り人形……その腕は確かに、重く、深く彼女のみぞおちを貫いていた。
刃踏「ぁ゛……」
児子炉の肩越しに落ちた赤い血だまりを虚しく涙が追いかける。
彼女は思わず短いため息をもらした。
刃踏(結局、私もまた……炉ちゃんに認めてもらいたかっただけなのかもしれませんね)
刃踏「……ごめんなさぃ」
彼女が最期に溢したのはそのたった一言だったが、それは刃踏にとっての全てに、それぞれに向けられた辞世の一言だった。
紺之介「なっ……」
源氏「ハハッ」
乱怒攻流「そんな……やだ……ウソでしょ……?」
愛栗子「っ……」
それぞれ動揺と感嘆がひしめく中刃踏が発した命の輝きは徐々に集約されひび割れた刀身となりて辺り一面にもう一度ばら撒かれた。
血、光、破片。三度にも渡り彼女を散らした黒煙は陰りうねりて改めて低く唸る。
児子炉「将軍様の愛を受けるのは、わたしだけ」
沈黙の中で発せられた彼女の声は小さきものであったがそれは彼らの中心で不気味に大きなとぐろを巻いた。
やがて沈黙は幼子の劈く悲鳴で断ち切られる。
裵奴「お、か……おか……おかぁぁ……あ、ぁ、あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛!!!!」
紺之介「裵奴!?」
悲鳴は瞬く間に怒りの化身となり紺之介の足元を逸れた。
紺之介がそれを感じ下に目を向けたころには落ち葉だけが遅れて舞い踊るだけとなっていた。
乱怒攻流「紺之介!! 納刀!!!」
機転を利かせた乱怒攻流の叫びに紺之介慌てて対応する。裵奴の鞘を握りてその声を山林にて響かせようとした。
紺之介「納と……
が
児子炉「消えろ、忌み子」
裵奴「がッ……!」
その声、あとわずかすんで届かず。
向かってきた裵奴の小さな体躯を熊の腕は正確にとらえていた。弾き飛ばされた裵奴は激しく大樹に叩きつけられ力なく落ち葉に埋もれる。
裵奴「おっ……かぁ……」
虚空に伸ばされた短い腕は何かに導かれるようにして光となり短刀の鍔柄だけがそこに残された。
源氏「アッハッハッ! アッハッ! ヒヒッ……!こりゃひでェ……! 」
腹を抱える仕草で笑い声を上げた源氏だったがすぐさま直るときまり悪そうに大きく舌打ちを鳴らす。
源氏「……あーつまんねェ。楽しみを一つ増やして貰えると聞いて乗ってやったのに、見せられたのはくだらねェ三文芝居……加えて幼刀を二本も折られちまった」
源氏は苛立ちをつま先に乗せて数回地にぶつけると厳つい睨みをきかせて紺之介へと放った。
源氏「なァ紺之介……この落とし前、どうつけてくれるンだ?」
乱怒攻流「う、うるさいわねっ! だったら相手してあげるわよ! アンタなんてこのあたしが……!」
源氏「うるせェのはてめェだメスガキ!」
乱怒攻流「ひぅ……!」
乱怒攻流勇んで刀構えてみるものの源氏の咆哮に一蹴され怯む。
腰の引けた彼女に紺之介は「もういい」と言って前へ出た。その顔には深く前髪の影が落ちている。
紺之介「俺が全部終わらせるッ!」
駆け出した紺之介の一閃。
勢いは手前もろとも源氏を貫きそうな一撃である。
だが児子炉の前に滑り込むようにして源氏立ちはだかりてその一撃を余裕綽々と受け止める。
紺之介「ぐゥッ……!」
源氏「あんまガッカリさせんなよ紺之介ェ……なんだその突っ張った太刀筋は」
源氏はそのままかちあげるとよろめいた紺之介の腹めがけて賊がごとき荒い蹴りを決めた。
紺之介「がは……」
乱怒攻流「紺之介!」
堪らず仰向けで地に伏した紺之介を見下ろす源氏。あいも変わらず肩に峰を当てるその仕草は何とも緊張感の感じられない退屈そうな様子であった。
源氏「護衛剣術とやらはどこへやったんだ? お前のさっきの一撃……俺には怒りに任せて突っ込んでるように見えたぜ」
上から源氏にそう投げかけられ紺之介ハッとして目を開く。
源氏「ったくよ……話がちげェじゃねーか」
源氏はそう言いながら自身の刀をおさめるとあろうことか彼らに背を向けて歩き始めた。
紺之介「ま、待て!」
源氏「うるせーな……興が冷めちまったんだよ。頭冷やしたら葉助流武飛威剣術道場に来い……まだやってるかしらねーけど。オイ行くぞ児子炉」
呼びかけられてもなお愛栗子を睨み続ける児子炉に対し舌を鳴らしながら納刀すると源氏は一度も振り返ることなく立ち去っていった。
痛みに伏す紺之介、足のすくんだ乱怒攻流……そして澱んだ瞳で児子炉を見送った愛栗子。誰一人として彼らを追うことは出来ず。
源氏の後ろ姿が誰の目にも映らなくなったとき、まるで気が抜けたかのように山林の雲が大粒の雨を流し始めた。
身体を起こした紺之介は無念漂う柄二つを拾い上げ、空に遠吠えを上げた。
「チクショォォォ!!!!」
続く
幼刀 児子炉 -ごすろり-
時遡ることおおよそ百年。
愛栗子「ねーんねーん……ころぉりーや……」
場所はかつて露離魂幕府が拠点とした場所、露離魂城の一室。
十畳にもなるその一室は露離大好木の妾が一人、愛栗子の座敷なり。
奥にて座椅子に佇む者、妾というよりは花魁で、花魁というよりは姫君に近し。
そこに咲く一輪の華、愛栗子は赤子へと子守唄吹き込みて一息ついた。
愛栗子「ふぅ、ようやっと眠ってくれたの」
その小声、言葉こそ一仕事の疲れ表すもその顔に影はなし。むしろ微笑み一色でそれは彼女の可憐さを人知れずより一層際立たせていた。
そんな芸術の華を崩したのは襖を叩く音。
穏やかに漂う微睡みに割り込んだそれに愛栗子は不機嫌こもった声で応答した。
愛栗子「……なんじゃ」
正座で頭を下げつつ襖をずらしたのは愛栗子の世話役の者だった。本来ならば妾という立場に付かぬそれだが将軍の物となればまた別物である。
女中「失礼します。至高翌様のお守りを……」
愛栗子「ばかもの。坊ならもう寝付いたわ……それに何度も言っておるようにわらわは愛しき我が子にお守りなぞ必要とせぬ。必要となったならばこちらから頼むまでじゃ。散れ」
女中「ですが……」
女中を片手であおる愛栗子。が、女中からすればそれは業の放棄にあたる。
困り果てて一言挟みかけた女中だったが丁度そこに連なるようにしてもう一人遣いが現れた。
「将軍様のお客人がお見えだ。持て成して差し上げろ」
愛栗子「ほれ、どうやらお呼びのようじゃぞ。さっさとそこを閉めてしまえ」
一瞬迷いを見せた女中の者だったが、もう一度愛栗子に頭を下げると襖を閉じて隣に対応した。
愛栗子から見て閉じられた襖の向こう側、彼女らの姿こそもう目に映りはしないが会話は薄い壁を通していまだ愛栗子の耳を触っていた。
「そのお客人というのは」
「例の東山道の妖術使いだ。魂を別の器に移すことで半永久的なものとする妖術とやらに将軍様は興味をお持ちになったようだ」
「百戦錬磨の武将も老いには勝てぬ……ということでしょうか」
「さてな」
そこで遣いの者の声量は格段に落ちたが彼女らの会話に少しばかり興味を抱いた愛栗子は赤子を寝床におろすと足早に襖へと聞き耳を立てた。
彼女もまた『不老不死』というものに若干の憧れを抱いていたのである。それもそのはずでこの頃既に自らの『美』が異様で異彩であると自覚していた愛栗子は老いていく未来に憂いのようなものを感じていたのである。
そんな所になんとも輝かしく希望ある話……だがそこには絶望もまた同居していたのである。
「あまり大きな声では言えぬのだが、もしや愛栗子様はその妖術の試しにされるやもしれぬ。何しろあの美しさだからな」
「それ程愛されてらっしゃるということでしょう」
「それはそうかもしれないが妖術とは我らにとって未知。もし上手くいかなかったとき残された至高翌様はどうなる? 否、もう将軍様は決断なさっているのかもしれん」
「あの、何を仰っているのか」
「女子なら育てていくらでも使いようはあるが、至高翌様は男子だ。血筋が祟って面倒なことになる……その前に……」
愛栗子「っ……!?」
愛栗子は思わず口を押さえ込んだ。
あまりの恐ろしさに漏れそうになった小さき悲鳴を力を入れて堪えたのである。
「え」
「まあどうあれ私たちがどうこうできる問題でもないさ……さあ仕事だ。行くぞ」
遠ざかる足音が無音になったのを確認すると愛栗子は強く意思を固めて赤子を抱き上げそのまま座敷を後にした。
出先の廊下の左右を見渡しながらまず向かったのは透水……もとい透 -すぐ-のいる座敷であった。
愛栗子「透! おるか!」
透水「ひゃっ……! あ、愛栗子ちゃん……どうしたの?」
愛栗子「手ぬぐいじゃ! 手ぬぐいを貸せ! それもなるべく大きな……そう、頭を広く包めるものがよい」
透水「ええっと……」
愛栗子「はようせい!」
透水「は、はひっ!」
困惑しながら引き出しをあさる透を急かすと彼女から手渡される間も無く手ぬぐいを奪い去り、その黒布で己が髪を隠すよう包んだ。
愛栗子「これは貰ってゆくぞ!」
透水「ふぇぇ……」
そこからまた飛び出して人気のない裏口へと素早く滑り込むと鉢合わせた乱 -らん- の横を颯爽と風切りて外へと繰り出した。
乱怒攻流「え……? 今のって……」
愛栗子「はっ、はっ、はっ……」
愛栗子(確か、いつの日か駕籠の外から見た……ここらにあるはずじゃ)
確かな記憶を辿りながらそのあて求めて奔走する少女……時としてその姿は黒布など関係ないかのように民衆の目を集めていた。
「おい、あれ」
「いや、気のせいだろ。愛栗子様がこんな所に一人で来るわけが……」
民衆知る人ぞ知る将軍の寵児愛栗子……顔は隠せぞ美は隠せず。
彼女がどれだけ風に乗ろうとその美だけは振り切ることかなわなかった。
息も絶え絶え彼女が足を止めた場所は『用心棒』と書かれた小さな板を貼り付けた平家であった。
愛栗子「は、は……もし……!」
用心棒「んぁ~? ぇ……」
愛栗子が転がり込んだ先、奥から出てきたのは見るからに酒の入ったうつけ男であった。
愛栗子「おぬし、看板からして護衛業の者であろう? ならば……ならばこの子を護ってはくれぬか! 詳しいことは話せぬ! 代も……今は急ぎで持ち合わせてはおらぬ! じゃが、どうか!!!」
彼女が己の意思で深々と頭を下げたのはそれが初めてのことであった。
用心棒「は……」
形式でも接待でもない。ただ懇願のための哀訴……それがうつけ男の琴線に触れたのかは愛栗子の知るところではないが男は差し出された赤子を抱き寄せて微笑を浮かべた。
用心棒「ハァ……わーったよ。代は、そうだな……いつかでいい。だが綺麗なお嬢ちゃん、アンタ自身で頼むよ」
酔った勢い口任せ。高位と美女には跪く。が、それらが男を筋の通った粋狂にさせるのだと後の時代でも語られる。故にこの時代の生き様を人はみな露離っ子と呼んだ。
その要求に愛栗子は一瞬こそ驚きを見せたがそれが可笑しくて含み笑い一つ吹くと一気に張った気が解かれて笑いを上げた。
愛栗子「ふふふふっ……よいよいそれでよかろう。礼を言うぞ。それでは、いつかの」
愛栗子(この夢うつつな男……わらわが将軍様の女と知っておればまずこのようなことは言わぬであろうな)
愛栗子が玄関から立ち去った後うつけ男は眠る赤子を見つめて一人目を丸くしていた。
用心棒「少し呑み過ぎたか? いや、まさか……だがあんな女見間違えるはずもねぇ……となると、このガキは……」
固唾、寝耳に垂らせば飛び起きそうなほど冷ややかな水であったが男の夢未だ覚めず。
用心棒「もしかしなくてもヤベェことに巻き込まれたんじゃねーか俺……」
城に戻った愛栗子は壁越しに聞いた女中の話どおり大好木に呼ばれ彼の元に馳せ参じた。
愛栗子「愛栗子、参りました」
大好木「ああ来たか。……ところで、至高はどうした」
愛栗子「はて。しかし、誰もが羨む将軍様とわらわの子……」
「子運び鳥にでも攫われたのやもしれませぬ」
続く
女中「失礼します。至高様のお守りを……」
愛栗子「ばかもの。坊ならもう寝付いたわ……それに何度も言っておるようにわらわは愛しき我が子にお守りなぞ必要とせぬ。必要となったならばこちらから頼むまでじゃ。散れ」
女中「ですが……」
女中を片手であおる愛栗子。が、女中からすればそれは業の放棄にあたる。
困り果てて一言挟みかけた女中だったが丁度そこに連なるようにしてもう一人遣いが現れた。
「将軍様のお客人がお見えだ。持て成して差し上げろ」
愛栗子「ほれ、どうやらお呼びのようじゃぞ。さっさとそこを閉めてしまえ」
一瞬迷いを見せた女中の者だったが、もう一度愛栗子に頭を下げると襖を閉じて隣に対応した。
「あまり大きな声では言えぬのだが、もしや愛栗子様はその妖術の試しにされるやもしれぬ。何しろあの美しさだからな」
「それ程愛されてらっしゃるということでしょう」
「それはそうかもしれないが妖術とは我らにとって未知。もし上手くいかなかったとき残された至高様はどうなる? 否、もう将軍様は決断なさっているのかもしれん」
「あの、何を仰っているのか」
「女子なら育てていくらでも使いようはあるが、至高様は男子だ。血筋が祟って面倒なことになる……その前に……」
愛栗子「っ……!?」
愛栗子は思わず口を押さえ込んだ。
あまりの恐ろしさに漏れそうになった小さき悲鳴を力を入れて堪えたのである。
続き
少女は小鳥の囀りに誘われ、やがて追憶の夢から目を覚ます。
宿の床から身体を起こした愛栗子はまだ隣で眠る紺之介の顔を覗き込んだ。
愛栗子(妬いてしまいそうになるほど凛々しい寝顔じゃの)
その寝顔にどこか既視感を覚えつつも愛栗子は彼を起こさぬよう、一旦顔を引かせた。
紺之介が起きればまた旅が始まる。恐らく彼らにとってそこは最後かつ最期の地になり得る場所であった。
愛栗子、憂鬱に浸りつつそっと紺之介にもたれかかる。
今の旅が終わってしまうことが憂鬱なのか、それとも今歩き続けること自体がそれなのか、彼女今一度考えてはみたが答えは出ず。
彼らが幼刀刃踏-ばぶみ-そして裵奴-ぺど-を失ってはや一月……が、彼らの中の抉られた喪失感未だ癒えず。
季節はもはや冬近し。開けられた風穴にしっとりと吹き込んだ秋風が愛栗子らをひたすら沈鬱な空気へと陥れやるせなくさせていた。
愛栗子「紺……わらわは、どうすれば」
あらゆる意味を含んだ問だった。
彼女の出したか細い声は在るかも知れずの解を追って木造りに吸われていく。
問いかけど声は返らず。
それは単に彼が寝ているせいかもしれなかったが、例えそうでなくとも求める答えは返ってこなかったろうと愛栗子はまた一つ溜息をついた。
「あーつめた。顔を洗うのも一憂だわ」
襖が開く。
虚ろを見つめていた愛栗子の瞳は自然と音なる方へと流れていった。
乱怒攻流「あれ、もしかして邪魔だった?」
愛栗子「今さら改めて口に出すこともなかろう」
乱怒攻流「は? ちょっとあんたおもて出なさいよ。その寝起き面に冷水をおみまいしてあげるから」
といいつつも乱怒攻流穏やかに腰掛けて壁にもたれかかる。これらは最早互いにとって戯れで、そうと感じさせられる程度には彼女らは旅疲れていた。
乱怒攻流「はぁ」
乱怒攻流も感嘆を漏らさずにはいられなかった。
彼らはあと一本の幼刀を収集すれば完遂だったところを逃したばかりか二本も失ってしまっのだ。
漏らす彼女の嘆きの根元、これに尽きる。
乱怒攻流「ねえ」
疲弊の少女、視線は前方のまま隣の愛栗子に語りかける。
愛栗子「なんじゃ」
乱怒攻流「ずっと、聞かないようにしてきたんだけどさ」
愛栗子「はようせい」
乱怒攻流、気遣っていただけにむっと口をつぐむ。それを経て少し大きめの声で改めて口開いた。
乱怒攻流「じゃあ聞くけど! あんた本当は刃踏……ふみを助けられたんじゃないの」
愛栗子「まあ、その気になっておればの」
乱怒攻流「っ! じゃあなんでっ!」
愛栗子「炉と同じじゃ」
乱怒攻流「は」
激情する乱怒攻流とは対極に、愛栗子は己でも厭うほど淡々とした調子で話していく。
愛栗子「ふみが刺されるあの瞬間、ほんの一瞬ではあったがあのままでよいと思ってしもうた」
乱怒攻流「それってどういう……」
愛栗子「ぬしには今一度伝えておこう。わらわは炉を砕こうと考えておる」
乱怒攻流「な、何でよっ」
動揺する乱怒攻流。が、それでもまだ愛栗子調子崩さず。
愛栗子「その意図は……まあ今はどうでもよかろう。とにかくその意思があったが故に割って入るのに躊躇してしもうた部分はある。じゃがそれよりも……やはりわらわはふみを妬んでしもうたのじゃ」
少女二人、互いの顔が更に影る。
愛栗子「紺に頼られたあやつを、強く妬んでしもうた。あの場であやつが砕かれるのをよしとしてしもうた。まるで炉と同じじゃ……奴とわらわとで何が違う。 そう思うと、もはやあの場で奴を追う気すらおこらんかった」
乱怒攻流は愛栗子の言葉に驚愕と不快を抱きつつ児子炉の発言を思い出していた。
乱怒攻流「何よそれっ……最ッ低……!」
とうとう乱怒攻流が愛栗子に掴みかかったときだった。
紺之介「ぅ、ン……煩いぞお前ら。ああもう朝か……適当に支度して行くぞ」
激情した乱怒攻流の声に掻き立てられて目を覚ました彼によって一先ず諍いは身を潜めた。
愛栗子の衣服から手を離した乱怒攻流は荷物を纏める紺之介に駆け寄りて小声で告げる。
乱怒攻流「紺之介……ちょっとあいつのこと納めてよ」
紺之介「何故だ」
乱怒攻流「いいから!」
愛栗子の納刀を乞う彼女の意図など一寸とも理解できぬ紺之介であったが愛栗子の方へと目配せしたところ、乱された服装のまま虚ろな目で畳に座した彼女を見て適当に察すると静かに碧色鞘を握りて「納刀」と呟いた。
乱怒攻流「珍しく聞き分けいいじゃない」
紺之介「寝起きだったんだろう。あれは何となく歩き出すのに時間がかかりそうだと、そう感じただけだ」
乱怒攻流「そう。まあいいわ……ちょっとあんたに話したいことがあるの」
紺之介「分かっているとは思うが先を急ぐ。歩きながらでも構わんか?」
乱怒攻流「ええ」
彼らは一先ず宿を出て再び武飛威剣術道場へと歩み始めた。
紺之介「で、なんだ」
乱怒攻流「愛栗子ったら本当は本気を出せばあのときふみたちを助けられたのに助けなかったの。最低だと思わない?」
彼女は今まで内に秘めてきた苛立ちごとまるでその背嚢から取り出すがごとくここぞとばかりに告げ口を開く。
乱怒攻流「で、その理由を聞いてみたら『あんたに気に入られていたふみが気に食わなかったから』だって……ねぇ、幻滅するでしょ? ほんと、ほんっっと最低よね」
隣を歩く彼に共感を求めるよう視線を送る乱怒攻流であったが彼女の思惑とは裏腹に紺之介の顔は至って冷静かつ無表情で、あまりにもいつもの彼のそれであった。
乱怒攻流「ねぇ、ちょっと……」
彼女の話が終わったことを察すると紺之介はやっと口を開く。
紺之介「そうか」
が、その口が開いたのは一瞬だった。
乱怒攻流「うそ……それだけなの?」
紺之介「その話が本当だとして、幼刀が情に駆られ他の幼刀の破滅を望むことなどもはや驚くことでもないだろう? それにお前も夜如月では愛栗子を破壊しようとしていただろ……それと何が違うというんだ」
乱怒攻流「それは……」
『そのときの言葉の綾』そう続けたい彼女であったが、それは愛栗子と改めて共にした今だからこそ言える言葉であった。
当時がどうだったかなど正しき指針はもう彼女になく、そのことを認めたのか乱怒攻流の口はそこで潰えた。
乱怒攻流「うそ……それだけなの?」
紺之介「その話が本当だとして、幼刀が情に駆られ他の幼刀の破滅を望むことなどもはや驚くことでもないだろう? それにお前も夜如月では愛栗子を破壊しようとしていただろ……それと何が違うというんだ」
乱怒攻流「それは……」
『そのときの言葉の綾』そう続けたい彼女であったが、それは愛栗子と改めて共にした今だからこそ言える言葉であった。
当時がどうだったかなど正しき指針はもう彼女になく、そのことを認めたのか乱怒攻流の口はそこで潰えた。
紺之介「あの結果は全て俺の弱さが招いたものだ。あいつに頼る決断をしたのも、あいつらを守れなかったのも、源氏を斬り伏せることが叶わなかったのも、全て俺の弱さだ」
紺之介「故に次こそは弱さを捨て全力を待ってあいつに勝つ。そのために今は前へ進む。それだけの話だ」
紺之介はそうはっきり言い切ったのち言葉の通り真っ直ぐ前を見てまた無言になった。
乱怒攻流(もぅ……なんなのよこいつら)
少女は下唇を噛んだ。あまりのやるせなさに。
そして良くも悪くも事が転がらない現状に握り拳が固められる。
彼女はひたすら懸念していた。
『紺之介は源氏に敗れるのではないか』
『紺之介はきっと死にに行く覚悟でも己を実直に通すのだろう』と
ならば罪の意識で愛栗子を動かし事の収拾をつけさせるしかないと願うが……
乱怒攻流(どうせこいつがそれを許さないし、許してくれないなら愛栗子も無理には動かない)
『となればこの身は愛栗子と共に砕かれるであろう』
彼女の考えうる最悪の結末であった。
乱怒攻流(共倒れだけはごめんだわ……せめてあたしだけでも勝手に動けるようにしとかないと)
助け舟を求める乱怒攻流はその場に立ち止まって背嚢を漁ると紺之介の袖を引いた。
乱怒攻流「ねえ」
紺之介「なんだ」
乱怒攻流「透水を手元に戻しときましょ。 源氏があんたを待っている内に導路港へ寄り道しないとも限らないでしょ? 」
紺之介、差し出された藍色の鞘を握りて乱怒攻流に確認を取る。
紺之介「なるほど一理あるな。しかしいいのか? あいつには一応お前の縦笛を探させている。もしあいつがまだそれを見つけていなければ……」
乱怒攻流「いいからっ!」
彼女にとってもそこだけは博打であったがそれもやむなしとして彼を急かした。
紺之介「分かった」
改めて鞘を握りて紺之介、目を閉じ闇を覗き深海の果てよりそれを呼び込む。
紺之介「……納刀」
彼がそう口にしたとき藍色の鞘口に水飛沫が集まりて一つの柄となった。
それを引き抜くと彼らから見て久しき痴態、そこに姿を現わす。
透水「ふぇ……? 紺之介、さん……?」
紺之介「相変わらず妙な格好だな」
乱怒攻流「ほんと性格に似合わず変態的よね」
二人の下げた目線に透水は顔を照らして肩を抱く。
透水「うやぁ……」
乱怒攻流「『うやぁ』じゃないわよ。ん!」
乱怒攻流が伸ばした手で例の件を思い出した透水は己の襟口から縦笛を取り出し彼女の手に返した。
透水「あ! これだよね! 乱ちゃん『将軍さまから貰ったんだー』って大事にしてたもんね!」
「よかったね」とにこやかに透水が手渡す一方乱怒攻流は嬉しさ半分微妙な顔つきでそれを手にとって見つめる。
乱怒攻流「あんたどこから取り出してんのよ……ってか磯臭っ! もぉ~……とれるかしらこれ」
透水「一生懸命探したのに……」
微笑みから一転。半べそになる彼女の頭に紺之介は己の手を乗せた。
紺之介「欠けた刀の刃が戻ってきたんだ。お前はよくやってくれた」
透水「う゛ぅ~……紺之介さん……あ! 私を戻したということは……大きなお風呂が!」
紺之介「悪い。事情が変わってな……お前を呼び戻したのはそこの背嚢だ」
透水「え……」
期待の裏切りからか何とも言えぬ表情で透水が彼の指差す先を見る。
乱怒攻流「い、いやそんな言い方ないでしょっ!? どの道この子を守るためには呼び戻す必要があったんだからっ!」
透水「なら」
乱怒攻流「? なに」
透水は相変わらず笑顔満面というわけにはいかなかったが微笑み混じりに彼女に語りかけた。
透水「ならせめて、ここまでの旅を私に聞かせてくれませんか」
乱怒攻流「……言われなくてもそうするつもりよ」
紺之介「歩きながらで構わんな。乱、頼んだぞ」
乱怒攻流「あ、もぅ」
黙々と歩き出す紺之介の後に続くようにして二人も歩き出す。
乱怒攻流「とりあえずあんたと導路港で別れたところから話すわね」
透水「うん」
乱怒攻流「あのあとーー」
…………
夜、山道青暗くなりて獣の目も光り出す頃紺之介らはひとまず歩みを止めた。
紺之介「前の宿で中居に聞いたのはこの辺りか」
一行山林から少し開けた土地に出ればそこには平家の宿。よく見ると建物後ろ側から湯気立ち込めて淡く霧が如く周囲を包んでいる。
その風景に透水はうっとり瞳を輝かせた。
透水「これってもしかして温泉宿ですか!?」
紺之介「そのようだな」
乱怒攻流「へぇ、いいじゃない」
透水「早くまいりましょー!」
一人足早に駆け出した透水は後方の二人に対して大振りに手を振る。
その様子に紺之介と乱怒攻流はつい顔を合わせた。互い呆れ混じりではあるものの口元にほころび浮かばせ前へ進む。
幼刀という名の友を失いし一行、その傷口は簡単に閉じてくれるはずもないが透水との無事の再会は何処か彼らに癒しをもたらしたのだった。
………………
透水「ふぅ~……温かいお風呂なんて久しぶりですよ~」
紺之介が宿部屋にて足を休める一方、外気に浮いた白湯気が少女三人を包んでいた。
肩を撫ぜる愛栗子、湯に浸かりながらふとこぼす。
愛栗子「ここは混浴なのであろう? ならば紺もくればよかったというのに……まったく無駄に実直なやつめ」
乱怒攻流「いや私はあんな刀馬鹿となんか御免だから。きっと幼刀のあたしたちをいやらしい目でじろじろ見るに違いないわ」
愛栗子「ふっ、幼刀でなくともわらわの柔肌に男が惹かれぬという方が無理なこと。あやつが見たいと言うのなら見せてやればよいだけのことではないか。それともなんじゃ、ぬしのそのあまりに貧相な身体では流石に羞恥が勝ってしまうか?」
乱怒攻流「なんですってぇ~!」
透水「あわわ……二人ともせっかくの温泉なんだからぁ」
顔を突き合わせる二人の間に割って入る透水。が、その光景から彼女はどこかほほえましさのようなものを感じ取った。
透水(導路港じゃあんなに仲が悪そうだったのに)
自らが居なかった期間で紺之介も含め彼女らの間に見えない絆が育まれていることを確信した透水は何処か寂しそうな顔つきになるとついに叶わぬ願いを吐露してしまった。
透水「他のみんなもこの場にいたらもっと楽しかったのかな……」
湯と共に和らいだ空気が一転。
湯気をも凍てつく静けさが彼女らを覆った。
透水「へ……ぁ、ごめんね! 私つい……」
愛栗子「恨んでよいぞ」
透水「別にそんなつもりじゃ……! ただ、やっぱりみんないっしょがよかったなって……」
乱怒攻流「それ何の擁護にもなってないわよ」
透水「あぅ……」
俯く愛栗子をなだめるようにかこった透水だったが上手く言葉が纏められず口が滞る。
再び静寂に包まれた温泉場であったが彼女らの髪から滴る水滴と共に乱怒攻流がぽつぽつと喋り始めた。
乱怒攻流「ええ恨むわよ。透水もあの子たちもお人好しだから、その分まであたしがあんたを恨んであげる」
透水「ふぇぇ……」
彼女の横で何か言いたげな透水だったがそこを割り込ませまいという気迫で乱怒攻流は口を動かし続ける。
乱怒攻流「でももう悔やんだって壊された二人が戻ってくるわけじゃないしあたしはあたしであいつらに壊されないようにするだけ。紺之介に何を言われようがね」
殆ど一息で通した乱怒攻流であったがそこまで言い切ると一息二息置いて声量を下げ、あとはわずかに残った口内の残響をゆっくりとはきだし始めた。
乱怒攻流「ただ……そうね、まだ少し気がかりなことがあるとすれば、何であたしたちの魂を刀にとどめることのできた将軍さまが、自分の魂を残そうとはしなかったのかしら」
透水「た、たしかに。将軍さまも生きててくださったならこんなことには」
愛栗子「それはもはや誰にもわからぬ。理解しえぬことじゃ……しかしあの方は当時露離の世の頂に立つ者だったのじゃ」
愛栗子「物とは誰かに使われて然るもの。例え己が魂を刃に変えたとて、それより上を持たぬ者が人に振るわれるなぞ到底耐えられるとは思えぬがの」
…………………
紺之介「ふンッ! ふンッ!」
足を休めたのもつかの間、紺之介は一人外へと繰り出し素振りを重ねていた。
二度もいなされたのだ。彼にくつろぐ時間など皆無だった。
紺之介(九十一……九十二……!)
彼が信じられるのは己の力のみ。その中で最凶と最狂の幼刀剣士を次こそ相手にしなければならない。
今勝てぬ身体ならば、今すぐ勝てる身体にしなければならぬ。紺之介はただ必死だった。
紺之介(九十九……百……!)
『百』と心中数えた紺之介であったが実際の数はもはやそれより倍かそれ以上であった。それだけの五里霧中無我夢中に長旅の身体がおとなしくついていけるはずもなく、崩れるようにして力なく真剣を土に立てる。
紺之介「はっ……はっ……」
土に十滴ほど汗を吸わせたところで彼の背後から声がかかった。
「あがったわよ」
紺之介「……そうか」
かかる声を気にも止めずにもう一度刀を上げた紺之介に背後から影が忍び寄る。
彼がやっと近づいてくる影に目を向けたとき、それは白刃を持って紺之介を切り裂かん勢いで迫ってきた。
紺之介「っ……!」
背後の刀は寸手で契約の壁に阻まれる。
それでも白刃は彼の腹上、紺之介はそれが己に腹部に到達しないことを知っていたが一先ず身を引いてその刀の持ち主から距離をとった。
乱怒攻流「今死んでたわよ。あんた」
手持ちの刀を背嚢にしまいながらな乱怒攻流はフッとため息を吐いた。
紺之介「死ぬと分かっていたらかわしている」
乱怒攻流「嘘つかないでよ」
紺之介「嘘ではない」
乱怒攻流「嘘じゃなくてもよっ! 今の一撃があたしのじゃなかったらどうなっていたことやら」
紺之介「そこまで自己評価の低いやつだったか?」
彼の目には目新しく大人びた冷静さを保つ乱怒攻流の姿がそこにあったが、揚げ足をとるような返答に彼女はついに頬を膨らませて大声を上げた。
乱怒攻流「なによっ! せっかく人が心配してあげてるのに! 偶には休まないと本末転倒だって言ってあげてるのが分かんないの!? というかあんた毎日そんなになるまで素振りして汗臭いったらありゃしないのよ! さっさとその汗流してきなさい!」
紺之介「はぁ……分かったから部屋へ戻れ。それ以上叫んだら納刀する」
紺之介はそう言いながら愛刀を納めると浴場の方へと歩き始めた。
乱怒攻流「ふん! 早く! 行った行った!」
乱怒攻流「……」
まだ何か言いたげだった乱怒攻流を残して。
……………
紺之介「まだいたのか」
紺之介が浴場を訪れるとそこにはまだ藍髪の少女が肩を浮かべていた。
ただ一人ぼーっとした表情で水面に浮かんだ燭台を見つめていた彼女であったが紺之介の声に気がつくと彼の方へ振り返って軽く手を振る。
紺之介「風呂好きだとは知っていたがまさかここまで長風呂とはな。のぼせないのか?」
透水「これくらいでは全然……それに久しぶりのお風呂でしたし」
紺之介「そうか」
ゆっくりと足から浸かり目を瞑って岩壁にもたれかかった紺之介の隣に透水が燭台を運んで並ぶ。
透水「二人から聞きました。素敵な旅のお話」
紺之介「そうか」
目を閉じたままあまりにも素っ気ない返答を続ける紺之介に少し苦笑する透水だったがめげることなく彼に話題を振っていく。
透水「しょの……紺之介さんからも……聞きたいです」
その透水の切望すら湯に流すように無視した紺之介。が、徐々に己の耳元に顔が近づいてくるのを感じてようやく目を開けた。
紺之介「なんだ」
透水「ふぇあっ……! ぅ、もしかして眠ってしまったのかと……」
紺之介「こんなところで眠るわけがないだろ」
透水「だって……」
切なそうな表情で水面にて指をこねる彼女に紺之介は重く閉ざした口を仕方なく開き始めた。
紺之介「素敵な旅だと……? 一体何処をどう切り取ればそうなるのやら……俺には全く理解できん。 それにこれはいわば俺の一人旅……否、依頼されたことを考えれば仕事と言って差し支えないことだ。やつらも、お前も、名刀であることを除けば無駄な旅費を啜るだけの荷物に過ぎん」
透水「なんで、そんな寂しいこと言うんですか。刀を集めることにわくわくしたりとかしなかったんですか」
紺之介は俯いてしまった透水を細目で見つめつつ懐かしむように旅の記憶をなぞった。
紺之介「高揚感、か……最初はあったかもな。だがそうも言ってられなくなった。ただそれだけの話だ」
そして四半時足らずして湯から腰を浮かせる。その様子は自らに時間がないことを行動にして示しているようでもあった。
その場にいる者が対局たる長湯であったため尚更のことと早足が映える。
透水は焦り思わず言葉選ばずして彼を罵った。
透水「そんなっ……! あのとき私に生きる意味を、希望を与えてくださった紺之介さんがそんなつまらない人だなんて私は思いたくありませんっ! ……ぁ」
勿論本心であるはずもなく、彼女自身の柄にも合うはずもなく、言い放った後に彼女はハッとした表情で口を抑え込んだ。
透水「ぅ……すみま、せん」
もはや反射である。
口を覆った彼女の手指の隙間から漏れ出すようにして言葉が寂しく浴場を漂った。
紺之介「フン。少なくとも今ばかりはつまらぬ人間で上等だ」
当然紺之介も彼女の内を理解してはいたのだがあえて拗ねるようにしてそっぽを向いた。
そのままとうとう脚も湯を離れる。
透水「……私は海とお風呂が大好きです」
背中に張り付くように呟かれたその言葉に紺之介は歩みを止めた。
紺之介「知っている」
透水「私は水が大好きです」
紺之介「だから知っていると言っている。何が言いたい。まだ罵り足りないなら今のうちに全て言っておけ。どうやらお前は溜め込む性分のようだしな」
紺之介振り返りて少女に問う。
彼女は紺之介の方を見ようとはしなかったが伸ばした脚を三角にたたみて抱えるとゆったりと呟き始めた。
透水「それは将軍さまと一緒にいたときからそうに違いなかったのですが……暫く導路港にいてもっと大好きになった気がするんです。この気持ちはきっとこの身体にならないと分からなかった」
先の焦りの反動かその声はいつもにも増してか細く繊細につづられる。
透水「愛栗子ちゃんのお話を聞いてて思ったんです。だからもし、私にとってのそれが愛栗子ちゃんの紺之介さんへの想いなら……それはとっても素敵なことだなって……紺之介さんも愛栗子ちゃんのことが大好きなんじゃないんですか?」
紺之介「無論。やつほどの美刀、この手中に収めんと奮闘してここまで……」
そこまで口にして紺之介は目を見開く。
彼は己が何のために歩みを積み重ねてきたのかを思い出したのである。
紺之介(そう、か……俺の真の目的は幕府の忠犬の末裔に協力することでも、ましてや父や刃踏たちの仇討ちなどでもない)
紺之介(俺の目的は、こいつら美刀を己の手に収集すること……)
紺之介「フッ」
紺之介は言葉を詰まらせたかと思うと唐突に短く鼻笑いをこぼした。
透水「ふぇ? どうしたんですか……?」
何事かと思わず彼の方を見た透水に紺之介は礼を授けた。
紺之介「礼を言う。お前のおかげで、自分が一体ここまで何をしてきたのかを思い出せた」
薄く浮かべられた彼の笑みに透水は満面の笑みで返した。
透水「よかったぁ……紺之介さん、導路港で初めて会ったときよりすごく怖い顔してたから……」
紺之介「が、未だに愛栗子が俺に固執する意味が分からん。あの恋愛脳なら他の男でも良さそうなものだがな……まあゆくゆく手に収めておくにはその方が都合が良いと今まで気にしないようにはしてきたが……その点は何か聞いてないのか?」
透水「う……しょ、しょれはぁ……」
吃る透水、それを見つめる紺之介。
少しばかり膠着した両者だったがとうとう透水が紺之介の視線から逃げるようにして目をそらし、そうして露骨に声を上げると長湯から立ち上がった。
透水「ああきもちよかったぁ~!」
ぺたぺたぺたと軽快な足取りでそのまま紺之介の隣を横ぎろうとした透水であったが彼がその不自然を許すはずもなく彼女の肩を捕まえて二の腕ごと引き寄せた。
透水「ひゃっ」
嗚呼哀しきかな力量差。
紺之介「何か知ってそうだな。どうせ大した理由でもないだろう?」
透水「あわわ……」
例え幼刀といえども透水にそれを振り払えるはずもなくがっちりと両肩を掴まれたとき透水はとうとう観念を示した。
透水「あうぅ……愛栗子ちゃんには私から聞いたって言わないでくださいよ?」
紺之介「心得ている」
汗にも似た水滴が透水の頬を伝う。
彼女が唾を飲み込んで一呼吸置いたとき、それまで『大した理由ではない』と決めつけていた紺之介もつられて漂う緊張感に当てられた。
紺之介(一体何をそんなに躊躇う必要がある)
透水「紺之介さんは……」
次の瞬間、紺之介は己の耳を疑った。
「将軍さまの末裔かもしれません」
………………
紺之介「ふっ……! ふっ……!」
日に十里ばかり渡り歩き夜は鍛えるために真剣を振るう……当然今日も既に疲労を蓄積させた紺之介の身体であったが何故かその身は眠るにいたらなかった。
紺之介「は……はぁ、はっ……」
その原因は透水から聞いた信じられぬ驚言にあり。再び素振りに勤しめば無心になれるやもと試みた紺之介であったがどうにも動揺を振り払えずにいた。
「精がでるのう」
そしてその動揺は突如形となりて夜深き闇に浮かびあがる。
声が耳に入るやいな腰の碧鞘を握り込んだ紺之介であったが、ひとまず喉にせり上がる『のうとう』の四文字を呑み込むとその動揺の根源を無理やり振り払うのをやめた。
『案ずるより産むが易し』
本当に気になって仕方がないのならいっそのこと聞いてしまえばよい。
紺之介はそう考えたのである。
愛栗子「じゃが、それではあやつらには勝てぬ」
だが聞く前に加えて彼の癇に触る愛栗子の言動。紺之介はそちらの方が気に食わず思わずそれについての返答をしてしまった。
紺之介「だからこうして少しでも鍛えている」
紺之介、聞きたいことを聞くどころかそっぽを向いてまた刀を振い始めてしまう。
彼自称〝剣豪〟
勝てないと決めつけられた事が断固許せなかったのである。
愛栗子「はあ、強情なやつよの。勝てぬと言っても全く勝機がないと言っておるのではない。ぬしにとっての勝利とはすなわち幼刀児子炉を手中に収めつつ源氏を制することじゃろう? それが不可能なのじゃ」
紺之介「……」
一言も発さずまるで刀を振るう絡繰のようであった彼の腕が止まる。
彼も悟っていたことではあるもののそれは受け入れがたし決断であった。
紺之介「児子炉を壊す気で白刃を握れと」
ここまでの出来事で彼らが児子炉の凶暴さを測れる尺は大きく二つ。
一に盾のような硬度を有すると謳われた俎板を破壊していること。
二に紺之介をも唸らせた刃踏の戦意を削ぐ包容力を有無を言わさず貫いた狂気。
どちらも人智を超えた幼刀の力を覆したとされる情報である。
人が手を抜いて抑圧できるはずもなし。
それが分からぬ紺之介でもない。
だが愛栗子の発言はもう一段過激を追求していた。
愛栗子「壊す〝気〟ではない。壊せ。それが奴のためでもある」
紺之介「どういうことだ?」
紺之介ひとまず愛刀を納め愛栗子の方へと向き直る。
愛栗子「あの控え書きの順は覚えておるな。将軍様が炉を最後に封じ込めたのは彼女を最愛としておったからじゃ。奴はそのことに気づいておらぬ。故に、将軍様のため、奴のためにわらわはもう一度二人を黄泉にて会わせてやるべきじゃと考えておる」
愛栗子は紺之介へと深く歩み寄ってから彼の目に強く訴えかけるようにして告げた。
愛栗子「深く愛した故にあのように歪んでしもうたが、奴の恋愛は真のものじゃ。わらわはその尊さに敬愛を捧げたい」
辺りは夜。季節は冬間近。
彼らの間には灯一つなし。
しかし微かに慣れた紺之介の夜目に少女の瞳は大きく映った。
それは吸い込まれそうな程の美の幻影。
刃踏とはまた違う、『情熱的に愛を愛する者』の姿。
紺之介、焦がれる心拍に酔いしれてただ思う。
ただ、ただ
紺之介(美しい……)
それは彼が露離魂町にて最初に彼女を目にしたときにも感じた衝撃。何故今さらになってまたそれが起伏したのか、そんなことを考え直す余地も今の彼にはなかった。
紺之介はその美の肩に手を置いて呟いた。
紺之介「ああ分かった。お前の言っていることは相変わらず恋愛脳としか思えんが、だが俺はやはりなんとしてでも生きて帰らねばならぬことを思い出した。そのために全力を持って児子炉と対面しよう」
そしてそのまま背に片腕をまわし愛栗子を抱き寄せた。
愛栗子「あっ……」
紺之介「お前を、俺のものとするために」
荒々しくも繊細に。剣豪、美刀をいだく。
愛栗子「こ、ん……?」
唐突な抱擁に一瞬らしくなく赤面する愛栗子。だがその言葉の意味をゆっくりと噛みしめて彼のみぞおちに額をうずめるとまたいつもの調子にもどって堂々と想いを告げた。
愛栗子「……うむ。惚れ直したぞ紺。やはりわらわの真の恋愛はぬしとでなければならぬ……迷いもあったが、ふみにそれを思い知らされた」
愛栗子「今は刀としてでもよい。後に必ずおなごとしてぬしを振り向かせてみせよう。それがたとえ、脱兎を追い続ける途方もない夢物語だとしても」
愛栗子は紺之介にもう一歩深く寄りかかると彼の手に金色の懐中時計を握らせた。
紺之介「南蛮のものか……?」
愛栗子「絶世の美少女の魂を封じた幼刀 愛栗子-ありす- 。ものにしたくば全力を尽くせ。して、全力を尽くしたくばわらわを振え。それはわらわの真の刀じゃ。露離魂を持つ所有者が使えば心の臓に負荷をかけることで常人にはない速さを得る。わらわがために魂を燃やせ」
紺之介「これが……なるほど。しかし取り憑いて早死を誘うとはいよいよ妖刀らしくなってきたな」
揶揄うように薄ら笑いを浮かべる紺之介に愛栗子は「笑い事ではない」と頬を膨らませた。
愛栗子「貸してやるのは決戦のときまでじゃ。わらわはできるだけぬしと共に生きたいと考えておる。故にこれでも貸すのを渋っておったのじゃ。しかしわらわ自身が戦場に立つのはならぬのであろう?」
紺之介「無論だ」
彼女の問いかけに紺之介即答す。
愛栗子「うむ。ではの」
手を後ろに組んで機嫌良く鼻歌を歌いながら宿へと戻る愛栗子。
その姿は紺之介の目に久しく映った。彼女が愉快にこっぽりを鳴らす度、ふきぬける凛とした令風が彼の中にあった不安の靄をも払いのける。
覚悟引き締められつつもなだらかになっていく心の中、紺之介はハッとして愛栗子を呼び止めた。
紺之介「愛栗子」
愛栗子「む……?」
紺之介「何故、俺なんだ」
紺之介がそう問いかけると愛栗子はフッと微笑を浮かべ彼から見て後ろ姿のまま答えた。
愛栗子「始まりなぞもはやどうでもよかろ? わらわはただ、現世にとどまったこの身で今ぬしに恋い焦がれておる。それだけの話じゃ。しかしそうじゃの……あえて言うのならば」
愛栗子「そこにまことの愛があるから……かの」
その後紺之介が「やはり理解できん」と愛栗子の後ろ姿にぼやくも彼女がもう立ち止まることはなかった。
愛栗子(……うつけ、随分と待たせたの。これで許してもらおうとは思わぬが、ひとまずぬしが遺した場所には帰ってきたぞ)
その日の夜の夢、紺之介は父と修行した過ぎ去りし日を見た。
庭木の花弁が散りゆく陽の中で、共に竹刀を振るが二人。
百と大きく声を張り上げた少年に、その子の父は手を置いて撫でた。
「百一、百二……」と続ける我が子に休めと伝えるように。
最高「はっはっはっ! 紺之介、やはりお前には輝く才気がある! この俺よりな! もしや将軍様の子かもしれんな」
紺之介「……? おれは父上と母上の子ではないのですか? もしやめかけの……!? いやしかしそれだと将軍様というのは……」
一人混乱する紺之介に最高は待て待てと言って諭す。
最高「お前は間違いなく俺とあいつの子さ。だがまあ、可能性の話だな。この世には今もいつどこに将軍様の血筋が眠っているか分からんからな」
紺之介「将軍様は将軍様の兄弟や息子がつぐのではないのですか?」
最高「ははっ、それはそうだがな紺之介。将軍様は俺なんかよりさらに女好きなんだ。となれば妾との子もそれなりだ。しかしその子供はときに乱世をも生み出す」
最高「となれば赤子の道は茨の生か残酷な死か。もし茨の道を選んだのなら影で生きるため真名は隠さねばならん。よって先ずは姓を変えねばならぬのだが不望の子とて城生まれの男。親もその誇りを我が子から完全に奪ってしまうのは忍びないだろう? よってまずは読みを変えたと聞く」
最高「しかしそれだけではやはり危険としてとうとう字をも変えたそうだ。この話が本当なら、今となっては何処にその血筋が残っているかなど分かるまい」
そこまでは流暢ながらもやや真面目な面持ちで語っていた最高だが急に高笑いを上げるともう一度、今度は深く紺之介の頭に手を置いてそのまま髪をかき混ぜるがごとくわしゃわしゃと撫で回した。
紺之介「んぇっ……父上……?」
最高「でな? 俺はこの話を我が父……お前の祖父にあたる人から聞いたんだが、『故に我が家ももしかすると将軍様の血筋かもしれん』と言ってな? もしそうだったときのために子に釣り合う名を与えてやらねばならぬとして俺に『最高-もりたか-』と名付けたと言うんだ」
最高「だからな……紺之介。同じ理由で俺はお前に紺色の名を授けた。『紺』は権威を持つものが有する魂の色彩なんだ」
……………………………
……………
…
紺之介「んっ……」
眩しく晴れやかな朝日に当てられて紺之介は目を覚ます。ゆっくりと上体を起こし軽く伸びる。
心身共に重りを感じぬ己の足に彼は最後の旅立ちの風を乗せた。
彼に続いて歩く三人の少女も何処か昨日より晴ればれとした表情をしている。
再び歩き出した彼は昨晩見た夢を思い出し含み笑いを浮かべると、道中冗句を口にするように呟いた。
「フッ……『露離 紺之介』か……」
続く
源氏「ハァ~……どっこいしょっと」
季節は初冬。曇り空の冷めた空間は男の吐いた息を一瞬で白く染め上げた。
彼が腰掛けた木造は短く軋みその音に目を覚ました野良猫は彼らにそこを譲るかのようにその場を去っていった。
自分の洋服と同じ色をした猫を目で追っていく児子炉の横で源氏は寂れた道場の埃をなぞる。
源氏(やっぱ誰も居なかったか……まァ弱ぇ奴しかいなかったしな)
紺之介一行らとの二度目の邂逅から二月。源氏と児子炉は彼らより一足早く武飛威剣術道場に足を踏み入れていた。
猛者どころか刀を握る者すらいなくなったその場所に若干の虚しさを覚えつつも彼はただ一人、理想たり得る強者を待つ。
源氏(ま、所詮は開けた戦場の待ち合わせ場所よ。他には特に思いつかなかったしな。むしろ誰も居なかったのは好都合だ)
源氏「どうだ、ちゃんと奴らはこっち来てるか」
児子炉「ちかづいてきてる。たぶん、もう少し」
源氏「はァ~楽しみだなオイ。待ちに待ったアイツとの本気の激闘が遂に幕を開けるってわけだ」
もはや滾る闘志を抑えられないといった様子でガハハと豪快な笑い声をあげる源氏は児子炉の背をバシバシと叩く。
方や別段強者との戦を求めているわけではない児子炉は彼の剛毅な態度に対して不快そうに熊人形を抱きしめた。
源氏「なんだいつにも増してノリが悪いじゃねェか。お前ももう少しで闘り合いたかった奴に会えるんだろ? もっとアゲてけよ」
無論児子炉が源氏の言うところの『ノリ』がよかったことなど一度たりともない。
だが彼女がいつにも増して陰気であることは確かであり差し当たって源氏もそれを理解しての発言であった。
児子炉「……愛栗子といっしょにいたアレ」
源氏「んァ?」
最低限聞き取れるかどうかの小声で呟かれたそれが一体何を指すのか、源氏はしばし首を傾け脳内で消去法によってそれを導き出していく。
源氏「……紺之介のことか?」
幼刀の名前となれば彼女がそのように曖昧な呼び方をするはずもない……という導きから出した彼の回答は正解だったようで児子炉は短く首を縦に振った。
源氏「で、ヤツがどうした」
児子炉「……ちょっと、将軍様のにおいした」
源氏「は? 一体どういうことだそりゃ」
児子炉「だから、壊さないといけないかもしれない」
源氏「──ッ!!!」
瞬間、繊細に施された児子炉の胸ぐらに源氏が掴みかかった。
相変わらず無言で不快感を表す児子炉だが今度は荒々しく服を引かれたせいかその表情は今にも源氏を吹き飛ばさんとするほどの圧を帯びていた。
だがそれに当てられても尚源氏怯むことなし。
彼女の服に引き裂きかねないほどの力を手に込めたままドスのきいた声色で児子炉に言って聞かせる。
源氏「てめェが何を言っているのかイマイチ理解できねぇが……この際だ、幼刀共はもうてめェにくれてやっても構わねェ。だが紺之介だけは絶対にこの俺が斬り倒す。いいな」
そこまで言うと源氏は彼女の胸ぐらから手を離した。
源氏「やっと愉しめそうな相手が現れやがったんだ。そこは俺の好きにさせてもらうぜ」
再び軋む木造に腰掛けて一先ず感情の起伏を落ち着かせた源氏は思い出すように呟いた。
源氏「『いつの世も最後に人が求めるものは食に休に色』……か、くだらねェ」
彼にそっぽを向いたまま聞き耳だけ立てる児子炉だったが次の彼の言葉に思わず横顔をちらつかせた。
源氏「茶居戸であの愛栗子とかいう幼刀が言ってたことだ。少なくとも俺はちげェ……俺が最後〝まで〟求めるのは強者との『戦』……それだけだ」
源氏「オイ児子炉ィ」
重々しい呼びかけに児子炉改めて源氏の方へと向き直る。
彼は彼女に薄気味悪い笑みを見せるとその上がった口角のまま交渉を持ちかけた。
源氏「俺とヤツとのサイコーの殺し合いに横取りじゃなく協力するってんなら、こっちもてめェのぶっ壊しに付き合ってやらなくもねェぜ?」
………………………
そして源氏らがたどり着いて三日後、ついにその時は来た。
己に近づいてくるを鋭い覇気を敏感に察知し道場にもたれてい源氏は直ぐに身構えた。
源氏「ケケッ、来やがったな」
彼の前に現れたのは一人の剣客。
そして二人の少女。
紺之介「待たせたな」
そう言いながら紺之介は腰に掛けていた幼刀透水を後ろの乱怒攻流へと預けた。
それを受け取る乱怒攻流は微苦笑と冷や汗を浮かべる。
乱怒攻流「うっわなんなのアレ……もう鬼そのものって感じね。怖いからって納まっといた透水はどうやら正解みたいね」
愛栗子「ならぬしも見届けることなく鞘にこもるか? なに、透水はわらわが持ってやろう」
乱怒攻流「冗談」
彼女らが紺之介の後方でやり取りをする中、源氏は腰の児子炉に手をかけてほくそ笑む。
源氏「じゃ、始めるか」
それが抜刀される瞬間一行は一斉に身構えたがそこから抜かれた白刃を目に一同は驚愕した。
紺之介「なッ……どういうことだ……? 愛栗子」
愛栗子「むぅ。アレは確かに幼刀じゃ……児子炉で間違いないじゃろう。あの刀から臭う黒靄がそれをものがたっておる」
乱怒攻流「なんだかよく分かんないけど……お互いの欲望をいっぺんに満たすためについに本当に結託したってわけね」
紺之介「そんなことが可能なのか?」
予想外の展開に息を飲む一行。
誰も彼もが疑心渦巻くその中で愛栗子は己の考察を述べた。
愛栗子「あやつの露離魂は間違いなく児子炉の魂を解放しておる……しかしそれ以上にあやつの『戦』への執着心、そして炉の『怨恨』が幼刀を敵を切り裂く刃の姿へと変えておるのかもしれぬ」
紺之介「なるほどな。だが、もう手は抜かない。全力で児子炉ごと砕く」
『何となく理解はしたがしきれていない』だがそんなことより今はただ彼に、幼刀に、そしてこの旅に決着を。
募る想い、信念、そして父から継いだ意志を抜刀し紺之介は両手で太刀を構えた。
源氏「ハッ、やっぱ最後の最後まで後ろのは飾りか? まァいい。俺もコイツの仕事を引き受けた身だ。意地でもそいつらごとぶった斬らせてもらうぜ」
愛栗子「案ずるな荒くれの。紺の命がいよいよとなれば嫌でもわらわが相手をしてやろう。泣きわめいてもしらぬがの」
源氏「ハハッ、そいつぁ楽しみだ」
紺之介「心配するな源氏。貴様の相手はこの俺一人で十分だ。こいつらは、俺の剣で護り抜く」
二人の剣客が向き合う時、戦場に木枯らしが走る。
源氏「葉助流武飛威剣術免許皆伝! 光源氏ィ゛!」
紺之介「都流護衛剣術当主。 剣豪、梅雨離紺之介」
乱怒攻流「相変わらず剣豪ってよく分かんないけどやっちゃえこんのすけぇぇ!!!!」
少女の叫びが決戦開始の合図となり二人は互いに駆け出した。
石床を駆り風を切り砂利を蹴り彼らは衝突す。
ぶつかり合う鋼、間には魂と魂の火花が散る。初撃から激戦であったが先に押し勝ったのはやはり源氏。鬼神のごとき重撃は児子炉の怨恨を乗せてか更にその威力を増している。
紺之介「くっ……」
源氏「どうしたどうしたァ!!!」
距離を取る紺之介に源氏、迫り迫る。
開戦直後から防戦一方の紺之介、それを弾き弾かされ徐々に後退していく。
乱怒攻流「ちょっ、もう押されてるじゃないあいつ」
口元に縦笛をあてがう乱怒攻流を愛栗子が止めた。
愛栗子「まあそう焦るでない。勝負はこれからじゃ」
しかし愛栗子がそう嘯く中でも源氏の猛攻は続く。次第に刀で受ける重心が安定しなくなった紺之介はとうとう右手を峰に当て完全に守りの形となった。
源氏「もう終わりかァ?」
押し合い力み合いキリキリと交わる刀身が小刻みに振動する。
互い高め合う寒空の下そこだけが不自然に熱を持つ空間が広がる。
だが客観的にして彼らの優劣ははっきりとしたものであった。
源氏は戦いを愉しむ反面でもうはや決着は近しかと憂う。
その感情が虚無的笑みとして彼の表情にあらわれかけたときだった。
紺之介「そうだったかもな。今までの俺ならば……!」
紺之介(使わせてもらうぞ。愛栗子)
金色を紺色の魂が包む。
瞬間突如として紺之介が素早く刀身をずらして源氏の右側へと回り込んだ。
源氏「お」
寸手まで力んでいた腕からとは考え難い流れるような動き。
その神業は人とは思えぬ迅速の舞。
金時計が起こした奇跡に源氏の反応は完全に遅れをとった。
紺之介(ここで決める!)
慣性がついた刀を両手で持ち直しその大振りを勢いよく振りかぶる。
人の域を超えた神速の奇襲に源氏の鋭い戦闘感も流石に追いつかず。
源氏(やべッ……!)
源氏の左腕に渾身の一撃が刻まれる……そして決着。
誰もが、斬られる間際源氏すらその結末を幻視した時だった。
紺之介「何ッ!?」
左腕から咄嗟に振り払われた源氏の峰打ちによって紺之介の一撃は紙一重で弾かれる。
否、それは決して彼が咄嗟に振った剣ではない。彼の生存、闘争本能が反射的に彼にそうさせたわけでもない。
何しろその峰打ちに一番驚愕していたのは源氏その人であった。
不自然な動きの反動でよろけた源氏は一先ず紺之介と距離をとりまた彼と向き合って両手で柄を握り直す。
そうして体勢を立て直すといつものようにほくそ笑んだ。
源氏「はッ……! 今のは危なかったぜ。ひりつかせてくれるじゃねェか……だがすまねぇな。どうやら邪魔が入っちまったみてぇだ」
彼は己の持っている刀を手前に差し出した。
源氏「コイツはまだ終わらせたくないってよ」
先ほどの一撃で全てを断ち切るつもりでいた紺之介に冷や汗が走る。
紺之介(馬鹿な……児子炉はあの姿になっても尚まだ自分の意志で動いているというのか)
紺之介の戦慄を他所に源氏は続けざまに喋る。
源氏「だがよ、さっきの動き……お前もそうなんだろう?」
紺之介「っ……」
紺之介、思わず押し黙る。
無論源氏の言っている意味が分からぬわけではないが彼にとって金時計とはいわば奥の手。
ここでその存在を明確にしてしまうというのはこちらの奇襲性を失いつつ児子炉の奇襲に備えなければならないということ。
つまりは劣勢必至である。
紺之介(元々児子炉と奴を同時に相手することは考慮していたから問題ない。だが児子炉があの姿というのは予想外だった。常に姿を持つ者が仕掛けてくるよりも本来動かずの刀が突然意志を持つというのが思いの外キツイとはな)
源氏「なァ」
追求する源氏の声に対し力強く柄を握りて無理矢理仕切り直しに持ち込もうとする紺之介。
だがそのとき意外にも外野から横槍が投げ入れられた。
愛栗子「左様じゃ。そやつには一時的にわらわの力の一部を貸しておる」
源氏「やっぱそうかよ。水くせぇなァ」
紺之介(愛栗子……? 何を考えている)
だがその声は決して戦っている二人に対して向けられたものではなかった。
愛栗子「のぅ炉よ! 今の話、聞こえておるか! わらわの力が今そこにある! わらわが憎いか? ならば戦じゃ! 決めようではないか! ぬしとわらわ……どちらが将軍様に遺されるべき魂か!」
乱怒攻流「愛栗子……あんた何言って……」
瞬間、源氏の持つ刀から禍々しき黒い靄が炎のように吹き出した。
源氏「うォ……!」
紺之介(なるほど、児子炉を挑発することで制御不能にさせる策か)
しかし彼らの思惑とは裏腹に源氏はさぞかし嬉しそうな様子で決戦再開の幕を開けた。
源氏「ハッハー! コイツもノッてきたみてぇだし殺し合い再開といこうぜェ!!!」
紺之介「来いっ……!」
猪突猛進の源氏に対し紺之介は金時計を発動しつつ冷静に構える。
勝負は源氏が児子炉を制御できなくなった一瞬……そう見定めて先ずは紺之介、源氏の一撃を受け止めてみせる。
源氏「ぐらァッ!」
紺之介「ふッ!」
だがそれすらも最早容易なことではない。心臓を加速させる金時計の反動、ここまでの激闘、そして何より相変わらずの源氏の重撃。どれも紺之介の体力を着実に削る要因である。
しかしそのことを顔には出さず隙も見せず冷静に、ただ冷静に彼、その一瞬の刻を待つ。
源氏「オラオラオラァッ!」
紺之介(くそ!)
が、源氏の猛攻が途絶えることはなし。
それどころか源氏は次第に剣撃の中に蹴りや殴打を混じえ始め、上段斬りを同じく上段で防御した紺之介を逆に隙ありと下から大きく蹴り飛ばす。
紺之介「かはッ!?」
金時計が幸いし辛うじて受け身を取る紺之介。だが愛刀を杖に立ち上がるその表情にはさすがに陰りが見えていた。
後方で見守る二人にも緊張の汗がつたう。
紺之介「あ゛ぐ……ハッ、ハァ、はァ……」
早くも満身創痍寸前の紺之介に容赦なくしたり顔の黒鬼が迫る。
立つもやっとの紺之介は自然と姿勢が落ち、その目にはより一層源氏が大男と映った。
紺之介(嘘だろ……? 先程より確実に児子炉本位のデタラメな型に成り下がっているはず。それなのに何故……)
最早そこに論理などない。
紺之介(こいつら……互いに好き勝手やってるな……)
隙は確かに存在していた。
柄を握る源氏の腕は時節児子炉の暴走に引かれている。だがそこに生まれた隙を埋めるかのように源氏の殴打が差し込まれる。
方やひたすら戦いを愉しむため。
方やひたすら憎き敵を砕くため。
その為に動き続ける鬼は正に無敵であった。
紺之介「はッ……バケモノめ」
彼の緊張と絶望は回り回って笑みへと変わる。
しかし剣豪紺之介、今回ばかりは背を向けることはありえぬとしてもう一度しっかりと姿勢を保ち剣を構える。
それは決して愛栗子という後ろ盾が備わっているからではない。
彼自身、もしも愛栗子が己と源氏の前に割って入ろうものならばその瞬間切腹を覚悟していた。
彼はまだ気づいていない。
己もまた、ある意味で自由奔放の狂人なのだ。
もう一度奮い立てられた彼の刀狂心を後ろ姿から見守る者達。
彼女らは安堵と共に、一人は呆れた溜息を吐き、もう一人は恍惚とした表情で彼の勇姿に溺れた。
紺之介「うおおおお!!!!」
だが紺之介危うしもまた事実。
狂人同士みたび衝突するも紺之介とうとう刀をも叩き落とされ腕そのものを源氏にがっしりと掴まれてしまう。
源氏「ハハッ、ちょこまかと動く幼刀の力……鬱陶しかったがもう逃さねェ……てめェを殺すまでな」
紺之介「くっ」
紺之介の微力の抵抗も虚しく遂に源氏の殺意の先端がその身体に向けられる。
源氏「愉しかったぜ梅雨離 紺之介。せいぜいあの世で親父と俺の武勇伝で盛り上がってくれや」
源氏が剣先に勢いをつけたとき、紺之介の最後の切り札が戦場に一音を奏でた。
源氏「なッ!? 待てゴラッ!」
瞬間紺之介の身体は釣られた魚のように不自然に前を向いたまま愛栗子と乱怒攻流の方へと引かれていく。
紺之介「できれば頼りたくはなかったが……まあ助かった」
乱怒攻流「あたしの手を借りたくなかったらひやひやさせるんじゃないわよ」
愛栗子「よいよい。これくらいしか使い道がないのじゃ。もっとこき使ってやれ」
乱怒攻流「なんですってぇ~!」
刀を落とし腕を取られた絶体絶命の境地からの脱出は逆に確実に捕らえと見た源氏に大きな衝撃を与え、紺之介のあまりの食えなさに彼は軽く悪態をついた。
源氏「……チッ、結局そっちもかよ」
そうして次こそはとじりじり距離を詰める。
紺之介も直ぐに応戦せねばと駆け出そうとしたところ乱怒攻流に袖を引かれた。
紺之介「なんだ」
乱怒攻流「あんた手ぶらで戦うつもり?ほらこれ、庄司のやつ貸してあげるから」
紺之介「隙を見て拾うつもりだったがそうだな。礼を言う」
差し出された太刀を手に取る紺之介に乱怒攻流はさらに己の有能さを見出すかのように縦笛を左右に振って見せる。
乱怒攻流「なんならもうばれちゃってるしここから援護してあげてもいいけど?」
紺之介にそう言いつつも彼女の目は愛栗子の方へと泳いでいる。
如何にも彼女より貢献し優位に立とうという高慢な思惑が紺之介には伝わってきたが無論彼は直接的でないにしろ必要以上に幼刀に頼るつもりはなし。
彼が率直に断ろうとした時、意外にも愛栗子の方から先に口を挟んだ。
愛栗子「ならぬ」
乱怒攻流「え……な、なんでよ。どうせアレでしょ? あたしが大活躍するのが嫌なんでしょ!」
紺之介すらもそうなのではないかと思い込んでいたがその理由は割と筋の通った物言いであった。
愛栗子「ぬしの笛は紺の最期の命綱じゃ。〝そのためだけ〟に使うことに集中せい。わらわのために紺を守り、紺のためにわらわが動かねばならぬ状況を作るな。よいな」
彼女の命令口調に少しむっとした乱怒攻流であったがすぐにいつもの強気な表情を取り戻すと得意気に笛を構えた。
乱怒攻流「っ……まあいいわ。やってやろうじゃない」
乱怒攻流「あとそれっ……大切に使いなさいよね。一応あたしのなんだから」
紺之介「別に、都に帰れば俺の蔵からもっといいものをくれてやる」
乱怒攻流「あんたも愛栗子もなんか癪にさわる言い方するわよね~」
源氏を目前に紺之介駆けて呟く。
紺之介「そろそろ限界だ。次で終わらせたいところだな」
源氏「さァ! 幕引きといこうぜッ!」
四度目の、そしておそらく最後になるであろう鉄血の駆け引き。
加速する紺之介の剣。
二つの意思を持つ源氏の剣。
幾度となく振り上げ、受け止め、弾き合い、互いの狂気に煽られて燃え上がる闘志、踊る、踊る、踊る。
紺之介(やはり隙を突こうにも二段攻撃が同時に防御の役割も果たしている。攻撃は最大の防御とはまさにこのことだな。ならば今必要なのは力よりも手数。こちらも二段攻撃にするか? やはり乱に協力を仰いで……いや)
死闘の最中、彼は先ほどの愛栗子の言葉を思い出した。
『笛は紺の最期の命綱じゃ』
紺之介、人知れず気づきを得る。
紺之介(愛栗子、お前は分かっているんだな……お前がこの戦場の最中に立つ時、それが俺の本当の最期になると……)
彼は覚悟を決めると素早く源氏の後ろに回り込んだ。
だが度重なる激闘の中で更に研ぎ澄まされた源氏の戦闘感の前ではその程度は不意を突くに至らず。源氏も直ぐに向きを変えて応戦にかかる。
しかし
源氏「ッ!」
源氏の刀を持つ腕は大きく反対側に逸れた。
開幕の時より更に煽られた児子炉の怨恨は紺之介が立ち退いたことにより大きく露わになった愛栗子らの姿の方へと引きずられたのである。
源氏(クソッ!)
紺之介にとっては千載一遇の好機。決着にも直結する一太刀を加えられそうな瞬間であったが彼はあえてそうはせず後方の愛刀を素早く拾い上げた。
源氏(何だと……?)
紺之介(普通ならばこの瞬間を突かない手はないが児子炉にとって源氏を斬られれば危うくなるという事実は変わらない。一瞬でも冷静になられると状況は好転しない上最悪源氏ほどの男となれば骨を斬らせてでも俺の肉を断とうとしてくるかもしれない)
そうして瞬時にもう一度加速し源氏へと間合いを詰める。
紺之介(ならばこの一瞬で手数を増やし次に繋げるッ!)
だがそこは百戦錬磨の源氏。
そのときには既に強引に児子炉を両手で引いて体勢を立て直していた。
源氏「ハッ! 抜かったな紺之介ェ! だが最期まで愛刀に拘る姿勢は嫌いじゃねェぜ!」
紺之介「その通りだ! 例え慣れぬ二刀だろうとこいつさえあれば!」
紺之介による高速の乱撃が始まる。
対するは衣服を裂かれても怯まぬ鬼神源氏。
紺之介「うおおおおお!!!!」
源氏「なグッ……」
最初こそそれでも互角と言わんばかり攻防であったが次第に紺之介の二刀攻めに磨きがかかり始めると対する源氏は両刀になった紺之介に拳を出しづらくなり防戦一方に陥っていく。
紺之介「ふゥッ! くゥ!」
源氏「クソッ! 洒落臭せェ!」
とうとう攻守は完全に逆転。
元々攻め続ける戦法を得意とする源氏は丁寧に受け続けることに慣れず児子炉は徐々に傷んでゆく。
勝負は完全に紺之介が事切れるまで源氏が耐えられるかに掛かっていた。
紺之介(休むなッ! ただひたすら刀を振り続けろ! )
源氏「グッ……くそったれェェ!」
そうして長きに渡る攻防の末、遂に決着は訪れる。
紺之介「あ゛ァ゛ッ!!!」
紺之介の最後の一振りが幼刀児子炉を叩き割りその勢いのまま刃は源氏の身体へと振り下ろされた。
源氏「ガッ……!?」
紺之介「はぁッ……はァ……」
源氏、膝から崩れ落ちる。
源氏「フッ……ありがとよ……梅雨、離……」
そう呟くとそのまま力なく地に伏した彼だったが紺之介にはその口角は最期までつり上がって見えた。
紺之介「……狂人め」
紺之介の疲労困憊も限界を迎え両手から力なく刀を手放すと尻もちをついて座り込む。
息も絶え絶えに折れた児子炉の柄を握りこむとそこから黒服の少女が姿を現し紺之介の方へと倒れ込んだ。
愛栗子もそこへ駆け寄りて座り込むとまず紺之介から金時計を回収し倒れた児子炉を抱きかかえた。
児子炉「しょう、ぐん、さま……どぉ、して……」
最早憎き愛栗子に抱えられていることも分からぬといった様子で虚に手を伸ばす児子炉の頬を愛栗子がなでる。
愛栗子「それはの、将軍様がぬしのことを最も愛しておったからじゃ」
児子炉「へ……」
愛栗子「先ほどはあのように言うたがの、戦なぞするまでもなく百年前から決着はついておったのじゃ」
愛栗子「ぬしを最後の刀としたのはぬしに永遠を生きて欲しい反面でまだ人であって欲しかったという裏返しだったのじゃ。将軍様はの、本当はぬしと共に生きて、ぬしとともに永眠りたかったに違いないのじゃ」
愛栗子は児子炉の瞳で澱む涙を指で拭うと光に包まれて世を去る少女に最後の言葉を送った。
愛栗子「ほれ、はよう将軍様の所へ行ってやれ。きっと、今頃ぬしを刀にしたことを後悔して寂しがっておる……」
児子炉「う、ん……」
微かに首を縦に動かすと児子炉は目を閉じて粉雪のように霧散した。
方や激闘の疲れを少しでも癒し、方や感傷に浸りて暫し座り込んでいた二人であったがその空気を読んでか読まずか乱怒攻流が庄司の刀を片付けながら紺之介を指でつついた。
乱怒攻流「ちょっと~生きてる~? 終わったことだし早く帰りましょ?」
紺之介「少しくらい休ませてくれ。あと暫くしたら軽く穴を掘る。手伝え」
乱怒攻流「え゛……」
言葉を詰まらせる乱怒攻流の後ろでおもむろに立ち上がった愛栗子は先ほどまで感傷に浸っていたのが嘘かのように扇子で軒下の黒猫と遊び始めた。
愛栗子「律儀なやつじゃの~……ま、わらわはやらぬがの」
乱怒攻流「ちょっとっ!」
紺之介「ちなみに俺も全然動けん。なあ、屍も笛で動かせるのか?」
乱怒攻流「ぜったい嫌!」
まだ激闘の熱が仄かに残る戦場を冷たい風が優しく均す。
旅の終着、二つの弔い後彼らは露離魂町への帰路につく。
乱怒攻流「……というかあんたさ、二刀流の心得とかあったわけ?」
紺之介「いや初めてだった。だが剣術に関して剣豪に不可能はない」
乱怒攻流「ふふっ、なにそれ」
「ほんと刀馬鹿なんだから……」
続く
今日か明日か次で完結まで投下します
幼刀 Lolita sword
露離魂町への帰路の途中、彼らは再び助寺への石段を踏みしめていた。
ひたすら草履と石が擦れる音の中もう辛抱たまらずといった様子の乱怒攻流が嘆きをこぼす。
乱怒攻流「あ゛~もうまたここを上ることになるなんてぇ~……」
愛栗子「まったく情けないのぅ……真夏と違って動けば身体も温まり丁度よいではないか」
乱怒攻流より上の段で偉そうに語る高飛車少女だったが生憎彼女は紺之介の背に文字通りお高くとまっていた。
乱怒攻流「何よ偉そうに! 突き落としてあげるから今すぐ降りて来なさいっ! 」
透水「まぁまぁ……」
彼女らを取り持つ透水も内心今回ばかりは愛栗子に非があると思いながらも口には出さず。
乱怒攻流「はぁ……にしても透水あんた……見かけによらず体力あるわね……」
透水「えへへ、そうかな」
透水が上りながら照れくさそうに笑うと藍染が風に揺れる。
現状彼女の格好は珍妙な刀着一枚ではあまりにも悪目立ちするとしてその上から紺之介が買い与えた麻を羽織ったものであった。
それでも下の段の乱怒攻流から見れば彼女の引き締まった脚部や腰つきが見え隠れする。
その芸術的な曲線に乱怒攻流は人知れず彼女の有り余る体力の秘密に気づき納得したのであった。
乱怒攻流「……ふーん。なるほどね」
紺之介「着いたぞ」
一足先に到着した紺之介が一度下の二人に号令を入れてから先を急ぐ。
二度目の彼らの訪れに一番最初に出迎えてくれたのは紺之介を枝でつつき回した童であった。
「あ! こんのすけだ!」
駆け寄る童を前に紺之介は一先ず愛栗子を背から降ろし抱きついてくる彼の頭を撫でる。
紺之介「久しぶりだな……元気にしてたか」
「うん! またしょーぶしろ!」
紺之介「はは、元気なものだな」
表面上では彼に微笑みで返す紺之介であったがその内心はかなり複雑なものであった。
次第に透水、続いて乱怒攻流と上がりて童は初めて見る顔と前も見た顔にそれぞれ違う瞳の輝きを宿したが段々と不思議そうな顔つきになりとうとう紺之介にその原因を問うた。
「……フミおねーちゃんは?」
馴染みの顔に会えなかったからである。
愛栗子が顔を伏せ、乱怒攻流の気まずく落ちた肩を透水がさする。
その中で唯一断片的な事実を単刀直入に彼に伝えようとした紺之介だったが言葉は上手く喉を通らずただの呼吸となって侘しく気化した。
紺之介「悪いな。とりあえず、お前らの先生に会わせてもらえるか」
…………………………
茢楠「そう、ですか」
紺之介は助寺の別室にて茢楠に事実を語った。
だがそれに対して茢楠は涙することもなく一行を怒鳴ることもなくまた絶句するでもなくただ両手を合わせて「お悔やみ申し上げます」と、一言だけ口にした。
愛栗子の表情がさらに陰る。彼女はひしひしと苛まれる罪の情に耐えられずついに誰よりも先に謝罪を口にしようとした。
愛栗子「すま「すまなかった」
が、紺之介の土下座がそれより先をいった。
紺之介「あいつを壊してしまったのは全て俺の弱さ故だ」
愛栗子「紺……」
茢楠「そんな、顔をお上げになってください。仏の教えを乞う者からすればフミもフミの子も本当はもう世を去っているというのが理というもの……それにですね、紺之介さん」
顔を上げながらもまだ姿勢を低く保ったままの紺之介に茢楠が問いかける。
茢楠「今こうして私は子どもたちの前から席を外しているわけですが、この間一体誰がみんなの面倒を見てくれていると思いますか?」
無論紺之介がそのようなことを知るはずもなし。
彼は何を問われているのかすら理解あやふやにただひたすら茢楠を見上げた。
茢楠「……最近少しお兄さんお姉さんになった子たちが見ててくれてるんですよ。ちゃんと、育っているんです。ここには遺されているんですよ。フミが皆に与えた慈愛の教えが」
茢楠「そうして彼らがまたその意志を子に伝え、その子がまた孫に誰かを愛することの素晴らしさを教えてくれるでしょう。そうやってフミの生きた証はこれからも世に刻まれていくんです」
茢楠は紺之介の手を取り彼を立ち上がらせながら続けた。
茢楠「子どもたちに事実を受け入れてもらうのには時間がかかるかもしれませんが……そこはもう全て私に任せていただいて、貴方達は気にせず前を向いて進んでください。フミは優しい子です。彼女もきっと、それを望んでいるでしょう」
茢楠の彼らを慰め導く姿はまさしく聖職者の鑑と紺之介は感応した。
刃踏がこの世に遺したものの一番は今自分の目の前にあると彼は悟るのであった。
紺之介「……すまない。感謝する」
紺之介が謝罪と礼を告げると同じく心の重荷を救われた愛栗子も改めて茢楠を賞賛する。
愛栗子「まこと立派な僧じゃ。わらわからも礼を言うぞ」
茢楠「坊主冥利に尽きます……ですがまあ」
紺之介「ん?」
賞賛を受け茢楠はにこりと微笑んだ。
だが
紺之介「ぶはッ゛……!?」
透水「きゃあ!」
乱怒攻流「へ」
愛栗子「……」
あろうことか彼はその顔のまま紺之介を勢いよく殴り飛ばし、豆鉄砲を食らった鳩のように目を丸くしたまま床に伏す紺之介にやはりその顔のまま謝罪した。
茢楠「すみません。これくらいは許してくださいね」
………………………
別室を後にしながら紺之介は茢楠に殴られた頬をさすっていた。
愛栗子「男前が台無しじゃのぅ……」
透水「あのぅ……大丈夫ですか?」
乱怒攻流「ま、仕方ないわね」
各々の心配を向けられる中紺之介は一人思い出す。
紺之介(聖人君子とさえ思えたがそういえば奴は元荒くれ者だったな……)
ひとまず頬の鈍痛が引き始めたところでそれはさておきとして紺之介、建物の影に潜む気配に声をかける。
紺之介「もういいぞ。ずっとそこに居たのだろう」
透水「ふぇ?」
「……」
透水がなんのことかと周囲を見渡す中彼らの後方からそっと姿を現したのは迎えた童であった。
彼は俯いたまま今にも泣き出しそうな声をひりだす。
「しょーぶしろこんのすけぇ……フミおねーちゃんのかたきだ……」
紺之介「……いいだろう。来い」
フッと短い息を挟み紺之介も童の方を向く。その顔は子どもをあやすでもない真剣勝負の面持ちそのものであった。
乱怒攻流「ちょっと……!」
予想外に買って出る彼の対応に乱怒攻流が焦り割って入ろうとするもその肩を愛栗子が掴んで引き止める。
後ろで無言のまま首を横に振る愛栗子を見て乱怒攻流も不本意ながら仲裁を諦めた。
「うわああああ!!!!」
童が全力疾走で正面から紺之介に突っかかる。しかし彼が突き出した渾身の拳骨も虚しく紺之介はそれを手のひら一つで受け止めた。
「このっ! このっ! はなせぇ!」
左右に身体をひねらせ暴れながら抵抗する童の前髪を紺之介は片方の手でグッと掴み上げ強引に目を合わせるように仕向ける。
髪を引っ張られた童の顔はもはや涙鼻水まみれとなっていた。
紺之介「分かるな。今のお前では絶対に俺に勝てはしない」
「そんなごど、やっでみなくちゃ……」
紺之介「いいや無理だ。だから……」
無慈悲な現実を突きつける一方で紺之介は受け止めた彼の拳骨を開かせその手に幼刀裵奴の鞘を握らせた。
「なんだよ、ごれ」
紺之介「強くなれ。そして本当に勝てると思ったならば俺に会いに来い。そのときお前がまだこれを持っていたならば相手をしてやる」
そのことを伝えると彼は童から両手を離し幼刀三人を引き連れて石段を下り始めた。
特に何を言うでもなく紺之介についていく愛栗子に対し他二人は鞘を見つめ立ち尽くす少年を時折見返しながら下っていく。
乱怒攻流「ねぇ、何であんなこと言ったのよ。あの子が児子炉みたいになっちゃったらどうすんのよ」
紺之介「問題ない。やつがそれだけ本気ならば正しい力のつけ方も、力の振るい方も、きっと茢楠が教えてくれるだろう。それにもしこの先本当にやつが俺のもとへ来たのならそのときは斬らない程度に相手をしてやるのみだ」
紺之介「……それくらいのことはしたんだ。誰も、頬を一発殴られたくらいで許されたとは思っていない」
……………………
夜如月の平屋敷、季節は冬本番。
そんな中竹刀を素振りする恰幅のいい男が一人。
庄司「ふん! ふん!」
庄司 成逢 - しょうじ せいあい - ここ夜如月にて紺之介と幼刀 乱怒攻流をかけた戦いに敗れた刀趣味の青年である。
それなりの気品漂う庭の中彼が声を張り上げるその辺りだけが異様な熱気を放っていた。
そこに野良猫のように塀を越え少女あらわる。
乱怒攻流「……うげ、なんであんたまで紺之介みたいになってんのよ」
庄司「え……ら、乱怒攻流たん……!? どうしてここに……」
夢にまで見たと言わんばかりに瞳潤わせ興奮気味に近寄ってくる庄司に対し乱怒攻流冷めた態度で挨拶を済ませる。
乱怒攻流「別に、ただ旅が終わって露離魂町に帰る途中で立ち寄ったからちょっと見に来ただけの話よ」
庄司「ということは乱怒攻流たんはまだ紺之介殿と?」
乱怒攻流「そうよ」
庄司「なるほどそれは良かったといいますか、安心したといいますか……紺之介殿ほど刀を解る同志ならば乱怒攻流たんを安易に傷つけたりはしないと某確信しているので」
乱怒攻流(……なーんだ)
表ざたでは塩対応の乱怒攻流であったが内心では少しばかり拍子抜けといった様子であった。というのも彼女は『庄司は自分を手放してしまった後すっかり意気消沈してしまったのではないか』と思い込んでいたからである。
ところがどっこい実際目にしてみれば彼は自分といたときより活気溢れんばかりと見える。
それどころか自分がいまだ紺之介の所有物であることに納得さえしているではないか。
乱怒攻流不可思議を抱えつつ彼に問う。
乱怒攻流「で、何してんの」
庄司「よくぞ聞いてくれましたな! 某紺之介殿に敗れてからというもの誓ったのですぞ。必ずやいつの日か、次は己の力で乱怒攻流たんを紺之介殿から取り返すと! 今や週三回道場通いの身。最初こそタコ殴りにあいましたが最近では試合にも……」
乱怒攻流「あーもうわかった! わかったから……」
一度熱が入ると急に饒舌になり始める彼に何処ぞの剣豪を重ねた彼女は既視感から来た拒絶反応か強引に語りを終わらせると呆れ気味に庄司を落ち着かせた。
乱怒攻流「とにかく……まあ、元気そうでよかったわ。それじゃあね」
庄司が息災であったことに安堵しつつも要らぬ世話をしたと思いながら乱怒攻流はまた塀へとひとっ跳びで上がる。
さてここを降りれば茶しばきの愛栗子らと合流するのみと彼女が考えているときだった。
庄司「あ……」
乱怒攻流「!」
庄司がついもらしたうら淋しくか細い声が乱怒攻流の後ろ髪を引く。
乱怒攻流が後ろを振り返ると声の主はついやらかしたという様子で口を閉じきまり悪そうに視線を斜め下に落とした。
そんな彼の様子に乱怒攻流少しばかり顔をほころばせる。
乱怒攻流(なによ。やっぱりそうなんじゃない)
乱怒攻流「しょーじ!」
庄司「え、ぁ、はいっ!」
乱怒攻流「なんだかよく分かんないけど、せいぜいがんばりなさいよっ」
庄司「承知!」
激励を賜り姿勢を低くする庄司を見た乱怒攻流はくすりと笑うと、今度は小さく手を振り改めて告げた。
乱怒攻流「……じゃあね」
すたりと身軽に着地しさてさてと身体の向きを変えた乱怒攻流だったが、目の前には既に紺之介ら三人の姿がそこにあった。
乱怒攻流「うゎえぁ……は、早かったわね」
紺之介「そっちこそ、用事は済んだのか?」
乱怒攻流「まあね」
「さあ行くわよ」と露骨に先立って歩こうとする彼女の横顔を透水が覗き込んだ。
乱怒攻流「……なによ」
透水「ふふ、乱ちゃん……なんか嬉しそうだなって。用事ってなんだったの?」
乱怒攻流「べつに」
乱怒攻流が顔をそらしたところに愛栗子が後ろから口を挟む。
愛栗子「これこれ透水、探ってやるでない。昔の男とあっておったのじゃぞ? それはもう……逢引に決まっておろう」
透水「えっー!」
乱怒攻流「そんなんじゃないわよっ」
不意な煽りに顔を火照らせる乱怒攻流に薪をくべるかのように愛栗子がたたみかける。
愛栗子「あのような男が好みとはぬしの嗜好も変わったものよのぅ」
乱怒攻流「だから違うって言ってるでしょうがっ! 私が好きなのは……その、将軍様みたいにかっこよくて、強くて……? あとは……」
彼女がそこまで言ったところで愛栗子は紺之介の腕を抱き飄々とした顔で割り込んだ。
愛栗子「なんじゃ、紺はやらぬぞ?」
乱怒攻流「誰もそいつの話なんかしてないわよ!」
透水「えっー! 乱ちゃん二股なの?」
乱怒攻流「……あんた、このあたしをからかおうっての?」
ギロリと睨みをきかせる乱怒攻流に透水は腰をひかせつつ両手を振って否定する。
透水「あわわ……だ、だって乱ちゃん素直じゃないとこあるから……」
少女三人が黄色い声を響かせる夜如月の大通り。紺之介は突き刺さる視線の雨霰に久しく旅の始まりを思い出しながら懇願の音を上げた。
紺之介「頼むから静かにしてくれ……」
………………………
客人「……」
紺之介「……」
旅の発端となった客人が再び紺之介、そして愛栗子と目を合わせる。
その客人の二度目となる来訪は紺之介一行が露離魂町へと帰還してから報告の後、二日後のことであった。
客人「まずは改めて長旅ご苦労様でした。こちら先ほど運ばせました千両になります」
一先ず客人が差し出した千両箱の中身を確認した紺之介であったが、彼は別段大金に顔色を変えることもなく顔を上げるとむしろ声色低くして問い質した。
紺之介「して、本題だが」
客人「……ええ、委託保護の件にございますね」
紺之介「そうだ」
今度こそ紺之介の額に汗が浮かぶ。
彼はこのために旅を続け、死線をくぐり抜け、今に至るのである。当然の反応といえた。
戦場とはまた違う緊張感の中、客人がついに彼らに審判を下す。
客人「この度の紺之介殿の活躍には我々十二分に感謝しております。故に先ほどの報酬は勿論全額支給いたします。しかし幼刀を保護するにあたっての信頼はまた別となります」
雲行きの怪しい空気の中、乱怒攻流と透水が彼らのいた客間へと入室する。
透水「はぅぅ……やっと終わりましたぁ」
乱怒攻流「ちょっと紺之介! いきなり収蔵刀をあたしに入れようとか言い出したかと思ったら何よあの量は! ……って何これ? せ、千両箱!?」
紺之介「今大事な話をしている。お前らもとりあえずここに座っていろ」
紺之介は二人を座らせると咳払いをする客人にもう一度話をふった。
紺之介「すまんな。続けてくれ」
客人「紺之介殿が保護に成功した幼刀は今ここにいる愛栗子、乱怒攻流、透水……の三振りで間違いないですね?」
紺之介「ああ」
客人「俎板を除いて今回依頼した幼刀の数は全部で六振り。三振りということはその半分を欠損した……ということになります。我々はこの結果を信頼するに足らないとして幼刀はやはりこちらで手厚く保護することが決まりました」
客人のその言葉を耳にしたとき、紺之介と愛栗子は何かを決心したかのように立ち上がりて千両箱を乱怒攻流の中へと押し込むと彼女らも立たせて一言口にした。
紺之介「行くぞ」
乱怒攻流「へ……ちょっと……」
透水「紺之介さん?」
愛栗子「もたもたするでない」
彼らが立ち上がった瞬間はただただ彼らが落胆し気分を害して席を外そうとしたのかと思った客人も千両箱を詰める手際さすがに異様な空気に声を荒げる。
客人「紺之介殿……な、何を」
客人が立ち上がったとき、ついに彼らは走り出した。
困惑気味だった二人も愛栗子紺之介それぞれに腕を引かれその場の空気に乗せられて廊下を駆け抜ける。
とうとう宅を抜け外へと繰り出す彼らの後方大声が響き渡り何事かと町民が騒ぎ立てる。
追われ追われて人混みの中、息も絶え絶えに乱怒攻流が嘆く。
乱怒攻流「もぉ~なんなのよぉ~! これどこ向かってるわけ~!?」
愛栗子「華蓮といった姫君を覚えておるか? わらわはあやつと再会の約束を交わした仲なのじゃ。あのとき船で話に聞けばここより北におるらしくての。一先ずそやつをあてに流浪の用心棒として日銭を稼ぎながら東山道へ向かう。また紺を護衛として雇えと言って城に転がりこもうという算段じゃ」
乱怒攻流「確かにあんたはあの子に相当気に入られてたみたいだけどそんなにうまくいくわけ?」
ちぐはぐな計画に疑いを向けられた愛栗子だったが彼女はいたって涼しい顔で未来を描いた。
愛栗子「そのときはそうじゃのぅ~……どうせまた道中で茶屋を巡ることになるのじゃ。そのときに肥やした舌を生かして紺を菓子職人にしてしまうのも悪くないの。なに心配するでない。行列必至の看板娘ならここにおるではないか」
紺之介「勝手に決めるな」
乱怒攻流ほどではないが駆けながらにして透水も不安を吐露する。
透水「あのぅ……おっきなお風呂は……」
紺之介「もし華蓮のとこに転がりこめたならばあるかもしれないな」
透水「いきますっ!」
だがその不安は一瞬で道の足跡と共に捨て置かれた。
乱怒攻流「あんたそれでいいわけ!?」
紺之介の意思とは別に最後まで決心がつかないといった様子の乱怒攻流に愛栗子が最後の後押しに迫る。
愛栗子「……で、ぬしはどうするのじゃ? まぁどう転んでも紺がぬしを手放すとは思えぬがの」
彼女の『あくまで自分はどちらでもいい』という様子に少しばかりむっとした乱怒攻流はついに腹を括った。
乱怒攻流「まあ……折角あいつが頑張ってるのにいざ紺之介に会いに来てみればあたしがいないなんてことになったらかわいそうだし……いいわよもうついていけばいいんでしょ~!」
紺之介「決まりだな」
伝説の幼刀収集の旅は終われど彼らの足は止まることなく前へ進む。
お尋ね者の足跡として『少女を連れた腕利きの用心棒』の噂が新しい伝説を築き上げるのはまた後のお話。
七振りの幼刀と一人の剣豪の物語。
ひとまず、これにて……
完
今回はこれにて終了です
ここまで読んでくださった方はありがとうございましたm(-ω-)m
このSSまとめへのコメント
このSSまとめにはまだコメントがありません