【シャニマス】円香「お幸せに」 (40)
【X年後/とあるマンション/透とPの自宅】
〈ふわふわとした悪夢の中に、私はいた〉
「え~!なんでもう帰らなきゃいけないの~?」
玄関先でブーツも履き終えたのに、雛菜は何度目か分からない駄々をこねる。足元が覚束ない様子で見ていて危なっかしい。完全に飲み過ぎだ。
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「ひ、雛菜ちゃんは明日仕事でしょ!家も遠いんだからもう帰らなきゃダメだよ」と、雛菜に次いで靴を履き終えた小糸が注意する。
「じゃあ~、なんで円香先輩だけ帰らないの~?」
そんなにうらめしそうな目で見られてもね。
「さっきも言ったけど、私の家ここから近いから」
「ずる~い!じゃあ雛菜もまだ帰らない~!」
「も、もう!下でタクシーに待ってもらってるのにワガママ言わないでよ、雛菜ちゃん!」
「あはは、またすぐに会えるよ」
「そうだな、雛菜も小糸もいつでも遊びに来てくれ」
浅倉とプロデューサーが相次いで雛菜をなだめにかかる。
「ごめんね小糸、雛菜の世話を任せちゃって」
「ううん、わたしも途中まで雛菜ちゃんと帰り道一緒だし……円香ちゃんはまだ楽しんでいってね」と、小糸は屈託無く笑顔を見せてくれる。
まだ帰りたくないと駄々をこねる雛菜の手を引きながら小糸が玄関のドアを開けると、途端に寒々とした空気が忍び込んできた。アルコールで火照っていてもこの寒さには身を震わせてしまう。
「それじゃあ、今日はありがとうございました。すごく楽しかったよ!
透ちゃんもプロデューサーさんも、いつまでもお幸せにね」
「ふたりが籍を入れたらまたお祝いするからね~!バイバ~イ!」
雛菜の手を引いて小糸がドアから出る。体格差が明確でも、ほぼ素面の小糸と足元の覚束ない酔っ払いとでは前者に軍配が上がるらしい。
玄関前の通路を引きずられる雛菜が「おしあわせに~!」と言い切る前に、ドアは静かに閉じられた。
「はぁ……帰る時まで騒がしすぎ」
「はは、雛菜は久々にみんなで集まれてよっぽど楽しかったみたいだな。みんなドラマや映画の撮影が忙しくて最近は中々会えないもんなぁ」
「『透先輩達の同棲祝いしよー!』ってグループチェインで言ってくれたのも雛菜だったしね」
「今更だけど、同棲始めたばかりなのに遊びに来て迷惑じゃなかった?」
「全然」
「円香も遠慮せずにいつでもウチに来てくれていいからな」
私が礼を告げた後、三人でリビングに戻った。騒がしい人間がいなくなり祝いの席は途端に静かになる。
「ーーそれにしても、ノクチルのみんなと出会った時はまさか透と結婚するとは夢にも思わなかったなぁ」と、赤くなった顔でプロデューサーが話し出した。
呂律も若干怪しい。雛菜に相当飲まされていたから許容量をオーバーしてるのかもしれない。
「まぁ、あなたと浅倉が結ばれると予想出来た人間はいないでしょうね」
「えー、そう?」と、浅倉は学生の頃には見せなかった表情で柔らかく微笑んだ。誰の影響なんだか。
□□□□□□□□
ノクチルの初ライブ、花火大会、夜の海……そして出会ったばかりの頃の話。人生の節目に、人は過去を振り返りたくなるものらしい。
「ーー俺と透ってさ、子供の頃に一度会ってたんだよ」
……は?
「……初耳ですが」
「あー……言ってなかったっけ」
「言ってない」
「俺が高校生になりたての頃にさ……バスを待ってる間、小学生の透と公園で遊んでたんだよ。ジャングルジムとかでな」
「高校生にもなってまだそんなレベルの遊びをしてたんですか?してても違和感がないのがすごいですね」
「はは、透が遊びたそうにしてたんだよ」
「えー、してないよ」
笑い合う二人。
「透をスカウトしたのもあの公園の前のバス停だったんだよな。俺は成長した透に気付いてなかったけど」
「私は気付いてたよ」
「え、そうだったのか。言ってくれれば良かったのに」
「ふふ、思い出して欲しかったから」
「そういえば、俺が思い出したのは透に告白される少し前だったなぁ」
「……なんだかまるでーー」
「ん?どうした円香」
「いえ、なんでも」
『ーードラマみたいですね』
喉まで出かかっていた言葉をすんでのところで飲み込んだ。
幼い頃に出会っていた二人がアイドルとそのプロデューサーになり、その道を極め、ついには結ばれる。神様が書いたとしか思えないあまりに都合の良い脚本。二人が主役なのだとしたら、私に与えられた役割は……何?
『ーークリスマスを直前に控えた街はご覧のように鮮やかなイルミネーションで彩られています。本日は“初々しい恋人特集”という事で、これから街行く人達にインタビューをしてみたいと思います!』
つけっぱなしのTVにはインタビュアーが通りを歩くカップルに次々と質問する様子が映し出されていた。
『ーー初めてのキスはいつしましたか?』
『あ~、僕たちは付き合って1ヶ月くらいでしたね』
初めてのキス……ね。
何組ものカップルが質問に答える映像がテンポよく流されていく。付き合ったその日、3日目、3ヶ月後……付き合って1ヶ月以内にするケースが多いみたいだけれど、中には長期間しないでいるカップルもいるみたい。
ソファに深く腰掛けると視界の隅にそわそわと落ち着かない様子の浅倉が映り、思わず声を掛ける。
「どうしたの?」
「え、あ~……ちょっとコンビニ行ってくる」と言いながら立ち上がる浅倉。
「なんで?」
「飲み物、足りないかなって」
「十分でしょ」
「まぁ、いいじゃん」
不自然に会話を終わらせて、浅倉は玄関に向かおうとする。
「待って。そこに置いてある財布、浅倉のでしょ」
「あ」
テーブルの上から財布を取り、今度こそ浅倉は出掛けてしまった。
「何あれ?」と、思わず呟いてしまう。
「まぁ、すぐ帰ってくるさ。コンビニは近くにあるし」
「様子がおかしくなかった?」
「それは……たぶんこの番組のせいだろうな」
「は?」
TVではさっきまでインタビューしていた街並みからスタジオにカメラが切り替わり、“初めてのキス”というトークテーマでタレントが思い思いに語り合っていた。
「この番組が何か?」
「たぶん透は見ているのが気恥かしくなったんじゃないかな……」
「キスが恥ずかしい?そんなわけないでしょ。子供じゃあるまいし」
「いや、俺たちがまだキスしてないからさ。どうしても意識してしまうんだろう」
「…………は?」
彼が何気なく放った一言は私を硬直させるには十分だった。
「……あなた達、もう1年以上付き合ってますよね?というか、結婚するんですよね?」
「うん……そうだな」
彼は酩酊状態になり掛けてるようで、自分が何を喋っているかもわかってない様子だった。それでも私は質問を続ける。
「それなのに何故一度もしてないのか理解できません。……プラトニックなお付き合いってやつ?」
「そんな大層なもんじゃないよ。ただ、透と約束したからさ……」
「何を?」
「結婚するまでそういう事はしないでおこうって……俺から話したんだ。ファンの人に対して少しでも誠実でありたかったからな……透も納得してくれたよ」
「そんなの……してたって誰にもわからないでしょ」
「もししたら透に嘘を吐かせる事になるだろ……そんなのダメだ」
『初めてのキスはいつ?』と質問された時に……ってこと?
何年経っても馬鹿みたいに真面目な人……
「浅倉とキスしたくないんですか?」
「そんなの……したいに決まってるだろ……
でも、あと1週間もしないうちに約束は果たされるからさ。今更なんの焦りもないんだ……」
彼が酔ってるように私も酔っていた。こんな話、普段の私なら絶対にしないし、彼だって答えない。
「来週のクリスマスに婚姻届を出すんだ……ありがちだろ?」
「そうですね。あなたらしいと言えばそうかも」
「はは、そうだよ……な……」
しりすぼみな言葉に続けて一つ大きな欠伸をしたかと思うと、彼はソファにその身を預けて寝てしまった。
客人がいるのにふつう寝る?と思わなくもない。けど、雛菜に飲まされた量を考えると怒る気にもなれない。
……もう少しで浅倉も戻ってくるだろうし、起こしておいた方がいいか。
ソファを移動して彼の隣に座り、寝顔を覗いてみる。
「ほんと、間の抜けた顔……」
何も考えてなさそうで、平和ボケしてて……愛する人と結婚する幸せに満ち溢れてる。そんな顔。
「起きてください」と軽く肩を揺すっても、返ってくるのは気の抜けた寝言ばかり。
「ねぇ、起きて……」
強めに揺すっても起きる気配がない。
ふと、閉じられたままの目蓋から唇へと視線が移り、その形を意識する。
……さっき浅倉とのあんな話を聞いてしまったせい?
『いや、俺たちがまだキスしてないからさ』
別に……キスなんてしたってしなくたってどうでもいい。ドラマの重要なシーンで見かけるから大切なような気がするだけの行為でしょ。
ーーそれなのに何故、顔の距離が近づいてるの?この人が起きてる?違う、私から近づいてる。
まるで他人事。何か見えない力に引き寄せられて身体が動いてる気がした。熟したリンゴが地面に落ちるように、身体が自然と彼に近づく。
ーーほんの一瞬だけ、唇を重ねる。
……初めてキスをしてみてわかったのは、たった一瞬触れただけでは何もわからないって事。次は数秒だけ長くしてみる。唇の感触を知る。でも、まだ足りない。
だから次はもう少しだけ長く。もう少し……もう少しだけ……ーー
□□□□□□□□
ガチャガチャ
玄関の方から鍵を挿し込む音が聞こえてきて、私は彼から身を離した。
まどろみから半分覚醒したような浮遊感の中、私は無意識に姿見で髪の乱れをチェックする。特に問題はない。
……あれからどれくらい時間が経ったんだろう。時間の感覚がないけれど、たぶん2~3分……?
「ただいま」
飲料の入ったコンビニの袋を置いて、浅倉はダウンジャケットを脱いだ。
「……おかえり」
「あれ?
立ってるけど、なんかあった?」
「あぁ……そろそろ帰ろうかと思って」
「えー、折角買ってきたのに」
私が目線だけ彼に向けると、浅倉も腑に落ちた表情を見せた。
「あー……寝ちゃったんだ。あんまお酒に強くないんだよね」
「雛菜に相当飲まされてたし、仕方ない」
「ごめんね、折角来てくれたのに」
「別に……」
……早くここから立ち去らないといけない。私は手早く身支度を整えると玄関へと向かった。
「まぁ、また来てよ。昔みたいにさ。ちょっと家は遠くなったけど」
「……」
否定も肯定も出来ず何か言うべき言葉を探していると、先刻の小糸と雛菜が思い浮かんだ。
『透ちゃんもプロデューサーさんも、いつまでもお幸せにね』
『おしあわせに~!』
私は深く考えずにこの場に適した言葉を伝える。
「……今日はありがとう。
ーーお幸せに」
浅倉は一瞬キョトンとした表情を見せた後、本当に嬉しそうに微笑んだ。
「ありがと。嬉しいよ」
その純粋な喜びに溢れた表情があまりに眩しくて……今更になって我に返る。
……私、さっきまで何してた?
タールのように粘り気のある負の感情が心臓を覆い、文字通り血の気が引いた。
「……樋口?」
何も言わない私を心配する声色の浅倉に投げるように別れの言葉を告げて外へ。
それからどこをどう歩いたのか全く覚えていない。あの時を思い出そうとする頭と、それを拒否する心が反発し合って思考がぐちゃぐちゃになっていた。
ふと気が付くと道の向こうに公園が見えた。
……ここ、どこ?
闇雲に歩いていたことに気付き、ひとまず落ち着くために公園に入る。……誰もいない。当たり前か、深夜なんだから。
自分の身の危険は全く考えなかった。全部、どうでもいい。
月明かりだけを頼りに公園内を歩き、ベンチを見つけて座る。脚の筋肉がパンパンに張っていた。時計を見るとマンションで飲んでた時から長針が軽く一周している。足が棒になるわけだ。
シーソー、ブランコ、ジャングルジム……なんとなく公園内の遊具を見回してようやく思い出す。ここ、むかし浅倉たちと遊んでた公園か……暗くて入るまでわからなかった。
「はぁ……」
かじかんで上手く動かない指を吐息で温めながら、ゆっくりと思考を整理する。
なんであんな事……したんだろ……
あの時を思い出すと吐き気がした。キスに幸せさえ感じていた自分自身が、本当に気持ち悪くて。
あの時の私は私じゃなかったとか酔っていたとか勝手に体が動いたとか、性犯罪者と同じレベルの言い訳しか思い浮かばなくて気が滅入る。彼らに対して思っていたあらゆる侮蔑の言葉が自分に跳ね返ってきた。衝動を抑えられないとか、獣以下でしょ。
『俺たちがまだキスしてないからさ』
……結局、未練が断ち切れていなかったのが一番の理由か。浅倉より先に何か一つでも手に入れたかった……?
あまりに子供じみた理由に怒りさえ湧いてくる。私が何年彼を想っていたかなんて、あの二人には何も関係無いのに。
子供……たぶん、私の心は学生時代に取り残されたままなんだ。告白しなかったから、振られなかったから、彼との関係をあの頃から更新出来ていない。いつまでもゴールテープを切らなければ最下位が確定しないとでも思ってるの?
こんな裏切りをしてもまだみんなと一緒にいたいと思うなら、私の中で決着をつけないといけない。謝る事は絶対に出来ないから。
浅倉も彼も知らない不快な事実をわざわざ伝えれば、私は獣にすら劣る何かになってしまう。他人を傷付けてまで許されたいと思うほど堕ちてない。
過去の私がしなかったこと、出来なかったこと。言葉にしてしまおう。そうすれば何かが終わる、そんな気がする。
耳が痛いほどの静寂だった。自分以外の生き物の音は何一つ聞こえない。心臓の鼓動が全身を伝わっていくのがはっきりとわかる。
「す……」
微かに開いた口はそれ以上動こうとしない。……は?なんなの?動いてよ。言わないと終われないんだから。
心の反発を抑え込んで無理やり言葉を絞り出す。
「……好きです」
その小さな掠れた声は、白い吐息と同じように一瞬だけ現れて消えた。
……あーあ、だから言いたくなかったのに。言葉に出してしまえばもう心を誤魔化せなくて、雫が止めどなく頬を伝い流れ落ちてゆく。
もし直接あなたに言っていたら、困った顔をするんでしょうね。その表情を想像するだけで胸が張り裂けそうになるんです。馬鹿みたいでしょ?
もっと昔、浅倉が想いを伝える前に言えてたらあなたがどんな顔をしたのかなんて、考える意味も資格も私には無い。
浅倉が選ばれて、私は選ばれなかった。違う、私は審査の場にすら立とうとしなかった。拒絶されれば次のないオーディション。想いを伝えるのが怖かった。
嫌われるのが怖いから好きな素振りなんて全然見せなかったくせに、好きになってほしいなんて甘え過ぎでしょ。
……長い夢から醒めた気分。
浅倉と彼が付き合うと聞いたあの日から世界に膜がかかったように感じてた。傷付いてる自分を認めたくなくて、感覚を閉ざしていた。
やっと……彼を好きだと認められたから、『好きでした』と過去形にできる日がきっと来る。
水分を出し切った目がヒリヒリと痛む。……もう、帰ろう。ベンチに手をついて立ち上がると凍え切った体が悲鳴を上げた。けど、そんなものは無視して歩き出す。
ジャングルジムの横を通り過ぎようとする間際、ふと浅倉を思い出した。
そうだ……やり残した事がもう一つあった。帰り際のあの一言をちゃんと言えてない。場の空気に流されて口に出してしまっただけのあの言葉を後悔していた。
今の私に言う資格は無いと思う。まだ本気では言えないと思う。それでも言わなきゃいけない。もう、面と向かってはやり直し出来ないから。
「浅倉、プロ……」
違和感を覚えて言葉の途中で口を噤む。
……いつまで“浅倉”って呼ぶつもりなの?もう呼び方に拘る理由も無くなったのに。来週には“浅倉”ですらなくなるのに。
今度こそはっきりと言葉にする。名前でなんて何年も呼んでいなかったのに、不思議と口に馴染んだ。
「……透、プロデューサー……お幸せに」
その柔らかく懐かしい響きが思い出を呼び起こし、枯れたはずの涙が一雫こぼれ落ちた。
(了)
最後まで読んでくれた方、ありがとうございます。
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