速水奏「夢で逢えたら」 (14)


モバマスSS。

初投稿です。

地の文あり。

短め。


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「遅くなっちゃった……」

 今日のラジオの収録はかなり時間がかかってしまった。事務所が開いていると良いのだが。

 忘れ物を取りに向かう道のりを、速水奏は早足気味に歩いていた。

 「人生はチョコレートの箱、開けてみるまで中身は分からない」と言うのは奏の好きな映画の台詞だったが、正に今がその通りだ。退屈な日常の蓋を開けてみればジェットコースターの様な日々。

 ついこの前まで只の女子高生だった自分が、あれよあれよと言う間にアイドルとなり今や超のつく人気ユニット「LiPPS」のリーダーだ。

 悩みを挙げるとすれば、ジェットコースターに振り落とされない様にするのが中々ハードだと言う事だろうか。

 これでもそれなりに努力は欠かしていないつもりではある。

 「キャラ」と言うほどでも無いが、人前に出てその目を引くだけのパフォーマンス、立ち居振る舞い、それらを演じるために必要な条件は全てクリアしておかなくては最高のものを観客に届ける事は出来ない。

 そういうのは嫌いではないし、怠るつもりは無いが、時々一息入れたくなる時だってある。

 特にここの所はあまり休む間も無かった気がする。疲れは溜まっているのだろう。

 こんな時に――。

 ふっと、自分をジェットコースターの渦中に放り込んだ人間の顔が浮かんだ。

 しばらく顔を見ていない日が続いている。

 向こうはLiPPS全員の面倒を見ねばならず、こちらはソロでの仕事も増えている最中だ。今日みたいに現場が近い日などは一人で入って直帰と言う事も多くなった。

 勿論ラインやメールで連絡事項の遣り取りはしているが、直接会って話すのはまた違う。

 ――どう思っても、詮無い事か。

 仕方が無い。お互いに仕事なのだ。

 まさかリーダーである自分がわがままを言う訳にもいかないだろう。



「あら?」

 扉を開けて目に入った光景は、正直以外だった。

 応接用のソファの上、器用な体勢で静かに寝息を立てているのは、誰あろう自分の担当プロデューサーだ。

 部屋の中を見回してみるが、他の人間の気配は無い。

 どうやらあの黄緑の制服のアシスタントも帰っている様だ。

 彼の目の前にはまだ湯気の立っているコーヒー、彼の机の上には書類の束とペンと出しっぱなしの判子と朱肉――差し詰め、残業の詰めの前に一息入れるつもりが睡魔の強襲に遭った、と言う所だろうか。

「まったく……」

 確か今日は昼からフレデリカに付きっきりだった筈だ。その後夕方から美嘉と志希の送迎もこなしたと聞いている。

 そこから更に書類仕事を片付けようとして……一体いつ休息を取ったのだろうか。

 この人の事だ、たぶんこんな事が今日初めてではあるまい。日頃は「健康な生活もお仕事のうち」などと挨拶の様に言っている癖に――。

「ふふっ」

 何と言うか、似た者同士なのだろう。

 この人だってジェットコースターの運転で疲れる事だってあるのだ。

 それにしても、よく寝ている。

 あまりに無防備な寝顔を見ていると、奏のちょっとした悪戯心が顔を出してきた。

「ねえ、Pさん……本当に、寝てる?」

 言いながらも足音を立てぬ様にゆっくりと近付いていく。

「駄目だよ、お仕事中に居眠りなんかしたら」

 彼の隣に腰を降ろす。まだその目は開かない。

「貴方の担当アイドルにイタズラされても――」

 顔を、寄せる。

「……………………………」

 規則正しい寝息が聞こえてくる。

 未だ開かれない瞼が目の前にある。意外と長いまつ毛をまじまじと見つめる。

「………………………………………………」

 已然、起きる気配は無い。

 余程疲れていたのだろうか。きっとそうなのだろう。

 思い切って頬に指を当ててみる。

 こうしてじっくり顔を見るのは、一週間ぶりだろうか。ようやく逢えたというのにそちらは気付いてもくれないとは。

 悔しいから顔に爪の跡でも残してやろうか。

 剃り残しの青髭がざらざらする。そのまま唇の端までたどり着く。

 こんなに近くに、あの人の顔が――

「Pさん……」

 ――キス、しちゃうよ?




「……ん…………な……で……」


 その時、彼の唇が僅かに揺れた。

 ビクッと、身体が強張るのが分かった。 

 目覚める?

 駄目、間に合わない――

 言い訳? この体勢で? 何が――

 頭の中がグルグルする。どうすればいい。どうやって誤魔化す。分からない。

 ああ、もうダメ――



「――――スゥ……」

「えっ?」

 動き出すと思われたプロデューサーの肩はそのままストンと落ち、また規則正しい寝息を立て始めた。

「……何よ……もう……」

 大山鳴動、とは言わないまでもすっかり拍子抜けしてしまった。

 何と言うか安心したと同時に落胆している自分がいる。一人で焦って馬鹿みたいだ。

 この男はいつもこうやって私をもてあそぶ。

 こちらの誘いになびきもしないと思えば、予想もしていない所でドキドキさせてきて、こちらの気持ちなんてお構いなしだ。

 まさか寝ながらにしてまで不意を打たれるとは思ってもいなかった。

 それでも――



 ――「か……な……で……」



 ――それでも許してしまうのは、我ながら本当にどうしたものかと思う。

「今度は夢じゃなくて、目を開けて言って頂戴」

 それにしても、何だか疲れた。いや、元から疲れは溜まっていたのだが。

 壁の予定表を見る限り、今日はもう誰も来たりするまい。

 よし。

「夢の中とはいえ――責任は、取ってちょうだいね?」



―――――――――――――――――――――――――。





 目を覚ますと、向いのソファで自分の担当アイドルがコーヒーを飲んでいた。

「ん? あれ? 速水?」

「おはよう。ばっちり寝てたわね。そのまま目覚めなかったらどうしようかと思ったわ」

「お前なんで……いや、っていうか今何時だ?」

 慌てて時計を確認する。結構な時間寝ていた様だ。

「やべっ……仕事たまって……」

「机の書類なら明日でも間に合うそうよ。ちひろさんにラインで確認したわ」

 何故か事務所にいる担当アイドルが、何故か担当プロデューサーの残業を把握していた。

 一体何がどうなっているのか。

「Pさん、ここの所残業続きなんでしょ? ちひろさんが『早く帰って休んで下さい』だそうよ?」

「いや、何で速水がここに……?」

「忘れ物、取りに来たの。ついでに明日からの予定の確認もね。そしたらPさんが事務所で寝てるじゃない。どうせだからゆっくりして、帰りは送ってもらおうと思って」

「マジかよ……」

 ちゃっかりしている。

 残業続きで疲れているプロデューサーを労わって早く帰そうという気にはならないのか。ならないのだろう。

「仕方が無い……それじゃ帰るか速水、仕度してくれ」

「そうこなくっちゃ。コーヒー、ご馳走様」

「あ、それ俺の淹れた奴かよ! 勝手に飲んだな!」

「冷めたらどうせ飲まなかったでしょ? 有効活用よ」

「お前、本当に口が達者だよな……」

「あら、口以外にも色々達者よ? 確かめとく?」

「はいはい。また今度な」

 相変わらずこの娘は危うい真似を……。いつかきちんと説教してやる。

「ほら、電気消すぞー」

「はーい」




「Pさん」

「ん?」

「いつもお疲れ様」

「お、おう」

「ちゃんと休まなきゃダメよ?」

「分かってるよ……そういえば、夢に速水が出てきたぞ」

「あら、夢にみてくれるなんて光栄ね」

「夢の中でもキスを迫ってきてたなー」

「ふーん……したの? 夢の中の私と」

「……しません」

「怪しいわね。美味しいディナーをおごってくれたら水に流そうかしら」

「夢の話で食事をねだるんじゃありません……また、今度な」

「ふふっ、おぼえとくわ」




 ――ちなみに。

 実はこの日、偶然レッスン帰りに事務所に寄った塩見周子がソファで寄り添って眠る奏とPを目撃し、そのまま写真に収めてLiPPSのラインに披露する事になるが、二人は未だそれを知らない。



終わり。

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