二宮飛鳥「十年目の孤独と葛藤と」 (64)

――ボクはアスカ。二宮飛鳥。

――キミは今こう思っただろう。『こいつは痛いヤツだ』ってね。でも思春期の14歳なんてそんなものだよ。

――キミとボクとでどんな未来が見られるかな。楽しい未来だといいね。


――さあ、往こうか


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飛鳥「………」

夢を見た。
まだ中学生だったころの自分。彼に出会い、アイドルのセカイへ飛び込んだばかりのころの自分。
……久しぶりに、当時のことを鮮明に思い出した。

飛鳥「懐かしいな」

ベッドから降りて、なんとはなしに姿見の前に立つ。
昔と比べれば、少しばかり背は伸びた。スタイルも大人らしくなった。
……頭のてっぺんにあるくせっ毛は、あの頃と何も変わらないけれど。

飛鳥「これは、チャームポイントということにしておこう」

さあ、いつまでも鏡の向こうの自分とにらめっこしているわけにもいかない。
今日も仕事だ。早めに準備を済ませてしまおう。
まずは、シャワーからかな。

シャワーを浴びて、着替えて、朝食を作って食べて。
いつも通りのルーチンをこなしながら、朝のニュースに耳を傾ける。

『今日のゲストは、目下赤丸急上昇中の絵本作家、森久保乃々さんです』

『ど、どうも』

『よろしくお願いします』

『はい……がんばって視線を合わせます』


飛鳥「へえ。朝から懐かしい顔だ」

卵焼きもいい塩梅に焼けたし、今日はいい日になりそうだ。
コーヒーをすすりながら、しばらく旧友のトークを楽しむことに決めた。

ゆったりと朝食を終えたら、歯を磨いて化粧をして。出勤前の最終調整というヤツだ。

飛鳥「そーんざーいしょうめいをー♪」

気分が昔に戻っているのか、自然と口ずさむのは懐かしのデビューシングル。昔はライブのたびに歌っていたものだけれど、最近は少しご無沙汰だったりもする。

飛鳥「……よし。こんなものかな」

そして、最後の仕上げ。ボクを彩る、装飾品。
今日は何色にしようかと手を伸ばしたところで……その装飾品の姿が見えないことに気づく。

飛鳥「……寝ぼけているな」

それを、エクステをつけていたのは、夢の中の自分。過去の自分。
今はそうじゃないことを、すっかり忘れてしまっていた。

飛鳥「いってきます」

部屋を出て、エレベーター……はしばらく来そうになかったので、階段を使って下まで降りる。
玄関まで出ると、まぶしい朝日の光が体中に降り注いできた。
ちょうどマンションの管理人さんが掃除をしていたので、挨拶をしておく。

飛鳥「おはようございます」

管理人「あら飛鳥ちゃん、おはよう。今日も綺麗ねえ」

飛鳥「そちらこそ、今日はお肌のノリがいつもよりノッてますよ」

管理人「そう? うふふ、まだまだ私もイケるかしら。40にしてアイドルデビュー、なんちゃって」

飛鳥「あ、あはは」

こういう場合、どう返すのが正解なのか。
24年生きてきたけれど、いまだにうまい切り返しはパッと出てこない。

飛鳥「……っと。風が」

冗談混じりの会話を二言三言交わしていると、朝風に勢いよく頬を叩かれた。
反射的にスカートを抑えながら、「そういえば昔は、もっと短いのを好んでいたな」なんてことを思い出す。
……どうにも今朝は、過去を思い出してばかりだ。

飛鳥「あんな夢を見たからかな」

管理人「どうかした?」

飛鳥「いえ、なんでも」

イタズラな風になびくのは、長く伸ばしたボク自身の栗色の髪。
この色は、嫌いじゃない……いや、好きだ。

事務所


飛鳥「………」

「……せーんぱい。飛鳥センパイっ」

飛鳥「……ん? ああ、なに?」

後輩「朝からぼーっとして、どうしたんですか? 寝不足?」

飛鳥「いや、そうじゃないよ。少し、昔を思い出していたんだ。昔の事務所の風景をね」

カーテンの色やソファーの配置、壁にかかった時計の種類。たくさんのものが変わっていくとともに、ボク自身も変わっていった。
今と昔では、ドアノブの高さも違って見える。たとえ同じものでも見え方が違うことを、今さらながら感じている。

後輩「昔って、いつごろ?」

飛鳥「10年くらい前かな。ボクがデビューしたてのころ」

後輩「10年前かあ。そのころ私、まだ病院のベッドの上ですね」

飛鳥「……嫌なことを思い出させてしまったなら、ごめん」

後輩「い、いえいえとんでもない! 今は元気なんだから笑い話ですよ」

後輩「というか飛鳥センパイ、いつも気を遣いすぎです」

飛鳥「気を遣っている?」

後輩「そうですよ。ベテランアイドルとして、みんなのお悩み相談だっていろいろ受けてるじゃないですか」

後輩「飛鳥さんは話をわかってくれる人だって、大好評ですよ?」

飛鳥「まあ……アレだ。ボクもいろいろ経験したからね。特に思春期特有の心の乱れについては、一家言ある」

10年後の自分が後輩たちから頼られていることを知ったら、昔のボクは驚くだろうな、きっと。
一匹狼を気取ったり、誰かに歩み寄ろうとして失敗したり。コミュニケーションでは失敗を重ねてきたのだから。
その失敗が糧となって、今の相談役としての地位があるなら……無駄ではなかったのだと思うけれど。

飛鳥「しかし、ボクがベテランか」

後輩「ベテランですよ? 年齢云々じゃなくて、アイドル歴が」

飛鳥「そうだね。10年アイドルを続けている人間は、この事務所には少ないから」

アイドルとして、プロデューサーや仲間と共に駆け抜けてきた日々。
その中で、別の道を進み始める仲間も数多くいた。
時が経つにつれ、その数は加速度的に増えていって……今では、同じ年に入った人間はそう残っていない。

飛鳥「いつの間にか、花瓶に挿す花を選ぶ役もボクになってしまった」

後輩「……センパイ、今日はなんだかアンニュイですね」

飛鳥「フフ。昔はそれこそ、毎日アンニュイだった時代もあるんだよ?」

後輩「うわ、それすっごい気になります!」

飛鳥「はは……まあ、その話はまた今度にしよう。そろそろレッスンの時間だ」

後輩「センパイのダンスについていけるよう、がんばります!」

飛鳥「期待しているよ」

笑顔でこんなセリフをさらっと口にできるようになったあたり、先輩役が板についてきたのは事実のようだ。

飛鳥「………」



本当に。
時が流れた――そういうことなんだろう。

飛鳥「というわけで、周囲のイメージというものを今一度考えてみる機会があったんだ」

P「へえ」

P「確かに、昔と今では『二宮飛鳥像』も全然違ってくるだろうな」

飛鳥「みんなから頼られるのは、正直うれしいよ。悪い気分じゃ決してない」

飛鳥「けど……なんだろうね。ボクはそこまでできた人間じゃないから、違和感も少しある」

飛鳥「キミはどう思う? P」

飛鳥「10年の間、ずっとボクと共に走って来たキミは」

こういうことを尋ねられる相手というのも、なかなか少なくなってきて。
結局、答えを聞きたい相手はいつも彼になる。

P「そうだな……」

P「俺は、今の飛鳥がみんなに慕われるのは理解できるよ」

P「トップアイドルにまで登りつめた実績もあるし」

飛鳥「過去の実績だけどね。今はトップとは言えない」

P「それでも、他のみんなにとっては憧れだ。それに、ここ数年の飛鳥は本当に物腰が柔らかくなったから」

飛鳥「そうかな」

P「俺は、そうだと思う」

飛鳥「………」

彼の前では、自分が14歳の頃と何も変わっていないように感じられる。
悩みがあれば打ち明けて、それを彼が受け止める。変わりゆくものが多い中で、変わらない関係がここにある。

P「納得いかないか?」

飛鳥「……いや。実を言うとね、自分の中でもある程度の答えは出ていたんだ」

飛鳥「翼が広がっていくのと同じように、ボクという人間の性質も拡大していく」

飛鳥「ファンが認識するボクも、同僚が認識するボクも。あれもこれも、等しくボクだ」

だけど。
だけど、それでも。

飛鳥「それでも……一番大事な、芯の部分。それだけは、誰かに理解っていてほしいかな」

飛鳥「ね?」

P「………」

P「任せとけって言えばいいのかな」

飛鳥「正解」

ボクは幸せ者だ。
共に手を取り歩める理解者が、これほど近くにいてくれるのだから。

飛鳥「コーヒー、飲むかい」

P「ありがとう。いただくよ」

二人分のコーヒーを淹れ、片方を相棒に手渡し。
そのまま、ふたり仲良く砂糖を1杯。最近ようやく、苦みというモノに向き合えるようになった。

P「飛鳥がめちゃくちゃ砂糖を入れてまでコーヒーにこだわるの、結構好きだったんだけどな」

飛鳥「ボクも今は普通に飲める。残念だったね」

P「ははは、そうか」

飛鳥「ふふ」

穏やかな時間。過去から姿を変えないまま、続いていく時間。
心地いい。

けど、セカイは間違いなく変化を続けていて。
ボクの周りのアイドル達も、すっかり顔ぶれが変わっていて。
ボクだけが――

飛鳥「………」

P「飛鳥?」

飛鳥「あっ……いや、なんでもない」

P「………」

P「もうすぐ夏だし、疲れが溜まる時期だ。どこかでまとまった休みがとれるようにするか?」

飛鳥「休み……」

P「身体を落ち着けられるし……考え事も、捗るかもしれないぞ」

飛鳥「………」

ああ、まったく。
彼はボクのことを、本当によく理解している。

飛鳥「そうだね。近いうちに、いただこうか」

アイドル二宮飛鳥の全盛期は、とうの昔に過ぎ去っている。
ダンスや歌の実力が衰えたとは思っていない。ただ……それらだけではどうにもならないものが存在する。

大衆は常に新しいものを求める。一時期爆発的な人気を博したものでも、ブームが落ち着けば自ずと注目されなくなっていくのだ。
それが悪いことだとは思わない。『飽き』という感情はどんなものにも付きまとうものだし、新たな刺激を求め続けるのは人間の性。
まれに、十何年もブームを持続させる怪物が生まれることもあるが……ああいう手合いは、本当に例外中の例外だ。

飛鳥「簡単に5日も休みがもらえるなんて、昔では考えられなかったな……」

プロデューサーの提案からそう日を置かずして、なかなかの長期休暇が実現した。
それ自体は喜ばしいけれど、やはり人気が下り坂なことを痛感させられる事実でもある。

飛鳥「さて」

……どこへ出かけようか。

飛鳥「まず、家を出よう」

家でじっとしているのもよくないと思い、とりあえず近場の喫茶店で計画を練ることに。
あの店は2年ほど前にオープンしたのだが、内装の雰囲気がよく、値段も手ごろなので贔屓にさせてもらっている。

飛鳥「さすがに、平日の午前中は人が少ないな……」

子どもたちは学校。大人たちは仕事。
道行く人々は、スーツに身を包んだ外回り中のサラリーマンであったり、買い物袋を提げた主婦であったり。
車道も空いていて、車もバイクもまばらに走っている。静かな時間だった。

飛鳥「……?」

そんな中、傍を通り過ぎた黒のバイクが、ブレーキをかけて歩道の横に停車した。

「飛鳥じゃない。アンタ、今日オフなの?」

運転手はヘルメットを被ったまま、こちらを振り向いてボクの名を呼ぶ。
その声と口調にははっきりと聞き覚えがあったので、ボクも相手が誰なのかすぐに理解した。


飛鳥「バイク、買ったのかい。梨沙」

梨沙「似合ってるでしょ? アタシ、かっこいい系もイケるから」

ヘルメットを外すと、艶やかな黒の長髪がその全貌を現した。今日は髪を結ばず、真っすぐ下におろしている。
同時に、少女時代から変わらない勝気な笑顔が姿を見せた。

梨沙「暇ならその辺でお茶でもしない? 後ろ乗っけてはあげられないけど」

飛鳥「確か、バイクの二人乗りは一定期間の運転経験がないと禁止されているんだったね」

梨沙「そ。まだ乗り始めたばっかりだし」

梨沙「うっかりアイドルの顔に傷つけちゃ大変だもんね」

飛鳥「……近くにいい店がある。そこに行こうか」

梨沙「オッケー」

的場梨沙、22歳。
かつてボクと同じ事務所でアイドルをしていた彼女も、今では引退して普通の大学生活を謳歌している。
とはいえ彼女のアイドルとしての過去を知っている人間は多いため、あちらこちらのコミュニティへ引っ張りだこだと愚痴をこぼしていることも多々あるが。

梨沙「ま、なんだかんだでいいキャンパスライフだったと思うわ」

飛鳥「まだ半年以上残っているのに、もう終わったつもりかい」

梨沙「内定も決まりそうだし、単位も足りてるし。ぶっちゃけ、消化試合なのよね。あとは」

飛鳥「ふうん」

お気に入りの喫茶店。二人用の席に腰かけ、他愛のない話をぽつぽつと進めていく。
彼女の通うキャンパスとボクの通う事務所の距離が近いこともあって、こうして会って話す機会はそこそこ多い。
彼女のフットワークの軽さもあり、元同僚の中では、もっともコンタクトを取りやすい人物のひとりかもしれない。

梨沙「そうそう、聞いたわよ。あいつ……プロデューサー、結婚するんですって?」

飛鳥「あぁ。式は秋頃だそうだ」

梨沙「やっとって感じよね。もう二人とも36でしょ?」

梨沙「あの人がアイドル引退してから6年。待ちすぎじゃないの?」

飛鳥「引退後、すぐに結婚したら騒ぎになるだろうから。十分間隔を空けるのは、間違った選択だとは思わない」

梨沙「それはそうだけど。ホントのところは、単に関係が進むのが遅かっただけな気がするわ」

梨沙「あの人、普段は積極的なくせに肝心なところでヘタれるんだから」

飛鳥「はは……それは、同意だね」

顔つきはすっかり大人びたものになって、美少女から美女へと成長した梨沙。
けれど、その表情の豊かさは子どものころから変わっていない。

飛鳥「キミの顔を見ていると、楽しくなるよ」

梨沙「なにそれ。バカにしてる?」

飛鳥「褒めているのさ。周囲の人間を元気にするオーラを持っている」

梨沙「そう。ならいいけど♪」

おすすめメニューのティラミスを頬張りながら、ニコニコと笑う梨沙。
エスプレッソを口に運びながら、ボクもつられて微笑んでしまっていた。

梨沙「飛鳥は、よく笑うようになったわよね」

飛鳥「そうかな」

梨沙「会ったばかりの頃なんて、笑うのすっごい下手だったもん。今思うと、あれはあれで面白かったけど」

飛鳥「笑顔の話じゃないけれど、似たようなことをPにも言われたよ」

他人に指摘されて改めて思う。ボクもこの10年で、いろいろと変わったのだ、と。

……けれど。

梨沙「今日休んだら、明日からまた仕事?」

飛鳥「……いや、明日もオフだ」

梨沙「あ、そうなんだ。珍しいわね、6月のこの時期に連休って」

梨沙「明後日は?」

飛鳥「……休み」

梨沙「………」

梨沙「アンタ、何連休とったの?」

飛鳥「……5連休」

梨沙「……なにかあった?」

先ほどまでの柔和な笑顔から一転、目を細める梨沙。

飛鳥「………」

梨沙「言いにくいこと? とりあえず、話すだけで楽になることだってあるわよ」

梨沙「具体的に力になれるかどうかは別として、聞き役くらいにはなれるし」

彼女の大きく澄んだ瞳が、真剣にボクを心配していることを告げている。
昔からだが、梨沙は案外周りをよく見ているし、気にもかけるタイプの子だ。

飛鳥「……この10年。たくさんのことを経験した。どれもこれもが得難い経験で、新たな出会いに心を躍らせ、仲間とともに活路を開き、セカイを広げてきた」

飛鳥「けれど。時が経つにつれ、みんなそれぞれの道を歩み始めた」

飛鳥「正直、まさかと思っているんだ。ボクやキミ達の中で、ボクが一番長くアイドルを続けることになるとはね」

飛鳥「……少し、取り残された気分になるんだ」

それはまるで、自分一人だけ時計の針が進まないような感覚。
12時を過ぎても解けない魔法。それは夢のようでいて……裏を返せば、時計塔の中の牢獄に縛りつけられることと同義なのかもしれない。

梨沙「アイドル、続けたくないの?」

飛鳥「いや。続けたいとは思っている……はず、だ。やめたいとは考えていないから」

レッスンは疲れるが達成感はあるし、ライブだって、心躍ることに変わりはない。
だが……なんだろう。言いようのない不安が、焦燥が、ここ最近胸の中を巣食っている。

梨沙「じゃあ……ちょっとキツイこと聞くけど、いい?」

飛鳥「……かまわない」

梨沙「よし」

すう、と深呼吸をする梨沙。言うべきことははっきり言ってくれる彼女だからこそ、ボクの中ではある種の信頼感が存在する。

梨沙「飛鳥がアイドル続けたい理由って、なに?」

梨沙「一度頂上まで登り詰めて、その後はじわじわと下り坂。全盛期が過ぎていることはわかってるわよね」

梨沙「しかも、みんながいなくなって自分だけが変わらない……そんな気持ちまで抱いてる」

梨沙「そんな飛鳥が、まだアイドルにこだわる理由。アタシはそれを聞きたい」

飛鳥「………」

ストレートに疑問をぶつけられたボクは……案の定、返答に窮した。
梨沙だって、きっと理解している。その問いに対する明確な答えがあれば、ボクはここまで悩んでいないと。

飛鳥「……ただ、怖いだけなのかもしれない」

梨沙「怖い?」

飛鳥「アイドルは……ボクに翼を与えてくれた。それを失えば、自分はどうなるのか。きっと、怖いんだ」

強くなれたつもりだった。
閉じていた殻をこじ開け、新たなセカイへ踏み込み、躓きながらも、前へ、前へ。
アイドルになったことで、自分は変われた。それは、間違いではないのだろう。

だからこそ。アイドルを辞めればどうなるのか、想像するのが恐ろしい。
未熟な子どもだったころに逆戻り、とまではいかないだろうけど……なにか、大事なものを失ってしまいそうな気がして。

飛鳥「でも、それは停滞だと叫ぶ自分がいる。みんな、自分の道を進んでいるのに……ボクだけが、後ろ向きな感情でアイドルにしがみついている」

あぁ、いけないな。これは。
最近は……ううん。ここ数年は、ポジティブな二宮飛鳥ばかりが顔をのぞかせていたんだけど。
今まで溜まっていた分がまとめて放出されるかのように、ネガティブな二宮飛鳥が自己主張を始めていた。
昔からそうだ。心の奥底では暗い感情が鬱々としている。ボクは、そういう人間だ。

梨沙「……プロデューサーが休みくれたの、いい判断だったのね」

そうつぶやいて、梨沙はティラミスの最後の一口分をフォークに刺す。
そのまま口に放り込むのかと思っていると。

梨沙「あーん」

こっちにフォーク(ティラミス付き)を突き出してきた。

飛鳥「?」

梨沙「ほら、あーん」

飛鳥「………」

飛鳥「……はむっ」

梨沙「おいしい?」

飛鳥「……おいしい」

梨沙「そ」

優しい微笑みだった。
いつからだったろう。彼女は年下の仲間に対して、このような表情を向けることが増えていたのだが……まさか、年上のボクが向けられることになるとは。

梨沙「アタシは正直、難しいことはよくわからない。昔っから、感覚で動くタイプだから」

梨沙「でも、その感覚には自信があるのよ。だから、自信をもってアンタに言える」

梨沙「アタシは、二宮飛鳥がアイドルにしがみついている『だけ』だなんて思わない。じゃないと、あんな風に観客を魅了したりできるはずないもん」

飛鳥「あんな風って……」

まるで、ボクのライブの様子を知っているかのような……

梨沙「大学生って結構暇なのよ。だから、そういうこと」

梨沙「アンタのパフォーマンスのスタイルが、ずーっと痛いまんまなのもちゃんと知ってるんだから」

飛鳥「梨沙……」

梨沙「ま、アタシが言えるのはこのくらいかな。こういうのって、結局自分で納得いく答え出さなきゃ意味ないのよね」

飛鳥「………」

飛鳥「ありがとう」

梨沙「んじゃ、ここの会計ヨロシク♪」

飛鳥「ありがたみが一気に消えた」

梨沙「いいじゃないのよー年上なんだし」

ニタニタと意地の悪い笑みを浮かべる梨沙を見て、やっぱりこういう顔が似合うな、なんてことを思った。

しばらく経って


梨沙「それじゃ、またね」

飛鳥「あぁ。また会おう」


梨沙「………」

梨沙「………」prrrrr

梨沙「あ、もしもし晴? アンタ、確か明日サッカーの試合だったわよね」

梨沙「違う違う。別に応援に行けなくなったわけじゃないから、安心しなさいよ」

梨沙「ちょっと、話したいことがあるんだけど――」

長期休暇、2日目。


少し遠出をして、ぶらぶらと散歩をすることに決めた。
普段見ない光景を目にすることで、何かきっかけをつかめるかもしれないと考えたからだ。

遠出といっても、駅にすれば2駅か3駅ぶんの距離ではあるのだが。
日常的に歩き回るテリトリーから少し離れただけでも、案外未知の領域が広がっているものだ。

飛鳥「呉服屋がバッティングセンターになっている……」

以前訪れた時と街並みがいくらか変わっている。
当然だが、時の流れによる変化がここにもある。

飛鳥「………ん」スンスン

ふと、鼻孔をくすぐる芳ばしい香りが風に運ばれてきた。
もともと行く当てもないので、自然と足がその香りのもとへ向かっていく。

飛鳥「パン屋か。店名は」

飛鳥「……おおはらベーカリー」

おおはら。パン。
その二つは、ボクにとっては驚くほど自然に結びつくワードだった。

飛鳥「………」

興味本位で、気づけば入口をくぐっていた。
自動ドアが開くとともに、カランコロンと鐘の音が鳴り響く。

「いらっしゃいませー……あっ!」

顔を上げた店員は、こちらを見てハッと驚いた反応を見せる。
ボクもあちらの顔にはっきり見覚えがあったので、やはり予感は正しかったのだと心の中で頷いていた。

みちる「飛鳥ちゃんじゃないですか! お久しぶりですね」ニコニコ

飛鳥「久しぶり。みちる……さん」

店の奥のスタッフルームに案内されて、ふたりで椅子に腰かけて向かい合う。

みちる「どうぞ、カフェラテです」

飛鳥「ありがとう……前はここにお店はなかったと記憶しているけれど」

みちる「おおはらベーカリー3号店です。店長はあたしなんですよ?」

飛鳥「へえ。それは、すごいな」

みちる「うっかり並んでいるパンを食べようとしてしまう癖を抑えられるようになったので、お店を任されてもへっちゃらです」

飛鳥「ははっ。相変わらずだね、みちるさんは」

みちる「……ところで、どうしてさん付けなんです? 昔は呼び捨てだったのに」

飛鳥「ボクなりの敬意だよ。全部敬語にしたら、さすがに違和感が大きすぎて心地が悪いんじゃないかと思って」

みちる「あはは、確かにそうですね」

みちる「でもすでに違和感があるので、昔のように『みちる』でいいですよ?」

飛鳥「そう?」

みちる「はい」

飛鳥「なら、みちる。元気そうで安心した」

みちる「あたしもです! といっても、こっちはテレビで飛鳥ちゃんの活躍を見ていたんですけどね」

飛鳥「見ていてくれたのかい? それは、うれしいな」

みちる「昔、一緒に頑張ったお友達ですから。いつも応援していますっ」

飛鳥「みちるのほうは……店長としての仕事は、どうなんだい」

みちる「そうですねえ。いろいろやらなくちゃいけないことが多くて大変です」

みちる「前までは、パンとお客さんのことを気にかけていればよかったんですけど……こういう立場になると、従業員のみなさんやお店全体のことも考える必要がありますし」

みちる「失敗も多くて、毎日が勉強の繰り返しです」

飛鳥「そうか。やはり、人の上に立つ仕事は難しいんだね」

みちる「本当、その通りです」ハァ

彼女のため息なんて、珍しいものを見た気がする。アイドル仲間だった時代は、いつも元気な姿をボクらに見せてくれていたから。

みちる「でもそのぶん、やりがいもあるんです」

飛鳥「やりがいか」

みちる「はいっ。あたしの大好きなパンを、あたしの手で作って、あたしが頑張って切り盛りしているお店でお客さんに食べてもらえる」

みちる「そして、みんなが満足して笑顔になってくれる。それって、とても素敵なことだと思うんです」

みちる「アイドルで例えると……ステージがお店で、パンが歌とダンスですかね。あはは、たとえが下手ですみません」

飛鳥「……いや。なんとなく、理解る。キミのやろうとしていることも、その価値の大きさも」

みちる「そうですか? そうだったら……うれしいな」

飛鳥「………」

またも、彼女の表情に驚かされる。
はにかむような笑顔に、慈しみがこもった目つき。それは、ボクが初めて見る彼女の顔で。
大原みちるも変わり続けているのだと、強く認識させるものだった。

みちる「……そろそろかな。ちょっと待っていてください」

飛鳥「?」

ぱたぱたと向こうへ引っ込んでしまうみちる。手持ちぶさたなので、カフェラテを口につけながら待っていると。

みちる「お待たせしました! どうぞ、焼きたてのクロワッサンです!」

バケットに山盛りのクロワッサンを詰め込んで、満面の笑みで彼女が帰ってきた。

みちる「せっかくだから、できたてほやほやを食べてほしくて。だからしばらく、カフェラテだけで我慢してもらっていたんです」

みちる「さあ、たーんと召し上がってください!」

飛鳥「ありがとう。でも、さすがにこれは量が多すぎるかも」

みちる「大丈夫です! あたしも一緒に食べるので」

飛鳥「あぁ。それなら大丈夫だね」

彼女は太らない体質で、ことパンにおいては摂取量がすさまじい。あれだけの炭水化物をどこにやっているのかという疑問は、かつての事務所七不思議のひとつに数えられたほどだ。


飛鳥「いただきます」

手を合わせて、食事前の挨拶。
一番上のクロワッサンを手に取り、まずは一口かじってみる。

飛鳥「……おいしい」

みちる「お口にあってよかったです」

バターの風味がほどよく絡んでいて、いくらでも口に運べてしまいそうだ。
……昔と違って代謝が衰え始めているから、食べすぎには注意しなければならないけれど。

みちる「………」

飛鳥「……? みちる、食べないのかい」

ふと正面に目を向けると、パンを眼前にして手を伸ばさないみちるという驚愕の光景が。

みちる「いえ、食べますけど……あれですね」

飛鳥「?」

みちる「飛鳥ちゃん、クロワッサンみたいだなぁって」

飛鳥「……ボクが、クロワッサン?」

みちる「はい!」

自信満々に言うみちるだが、ボクにはさっぱり意図が理解できなかった。

みちる「あたしにもうまく説明できないけど……クロワッサンです! おいしいです!」

それで話は終わりなのか、彼女は自然な動作でクロワッサンへ手を伸ばし

みちる「いただきます!」モグモグモグ

飛鳥「……相変わらず、すごい勢いで食べるね」

みちる「フゴフゴフゴ!」

飛鳥「……ははっ。あははっ」

みちる「ふご?」

飛鳥「いや、いいんだ。そういうところは変わっていないなって、そう思っただけだから」

そして、なぜだかそれが無性にうれしかったことは……口に出さないでおこう。

休暇3日目。

本でも読もうと思いたち、近所の本屋に足を運ぶと。

「うーん、久しぶりの日本! 久しぶりの東京! なにもかもが懐かしい!」

「気分がいいから歌っちゃお! ららら~♪」

店の近くで、キャリーケースとギターを抱えて突然歌い始める女性の姿が目に入った。

飛鳥「……最近、知り合いによく会うな」

これも、なにかの縁……あるいは導きというヤツなのだろうか。
その答えを知ることはできないが、とりあえず声をかける。

飛鳥「柑奈さん。日本に戻ってきていたんだね」

柑奈「あっ……飛鳥ちゃん! 久しぶり!」ピース!

飛鳥「久しぶり。……肌、焼けたね」

柑奈「いやあ、赤道付近の国は本当に日差しが強くて強くて」

柑奈「私、結構色白だったのに、今じゃすっかりガングロギャルみたいになっちゃいました!」

飛鳥「ガングロって……ふふっ」

有浦柑奈さん。29歳。
ここ数年は、世界各国をめぐってラブ&ピースの歌を届けているらしい。

柑奈「私、ちょうど事務所に挨拶しに行こうと思っていたんです。プロデューサーさん、まだプロデューサーやってますよね?」

飛鳥「あぁ。今度結婚するけどね」

柑奈「ええっ!? なにそれ私初耳!?」

飛鳥「海外を飛び回っていたら情報も入ってこないだろう」

柑奈「た、たしかに。それで、相手は誰なんですか?」

飛鳥「あなたも知っている人物。当ててみるかい」

柑奈「クイズ形式……よし、挑戦します」

飛鳥「ヒントは金髪」

柑奈「莉嘉ちゃん?」

飛鳥「それはダメだろう。年齢的に」

柑奈「言われてみれば」

柑奈「次のヒントは?」

飛鳥「そうだな――」

結局、ボクも流れで事務所に来ることになった。
Pは今手が離せないとのことなので、それまで柑奈さんと二人でよもやま話に花を咲かせることに。

柑奈「わあ、ルームランナー新調されてる! いいなあ、私もこれ使いたかったです」

飛鳥「今使えばいいんじゃないか? 空いているみたいだし」

柑奈「なるほど! では早速!」ダダダダ!

様変わりしたルームに興奮気味の柑奈さんを眺めたり。

柑奈「メキシコで追い剥ぎに会った時はさすがにピンチだったけど、私はギター片手に勇猛果敢に弾き語りを始めて」

飛鳥「そこは素直に逃げるべきだろう」

柑奈「気づけば身体が勝手に動いていたの」キリッ

各国での土産話を聞かせてもらったり。
ボクは仕事以外で海外にいくことはあまりないから、本当に新鮮なエピソードばかりで興味深かった。


柑奈「いろんな国をめぐるのは大変だし、辛いことも時にはあるけど。でも私は、今がすごく充実しているんです」

飛鳥「愛と平和の歌、届けられているの?」

柑奈「うん。少しずつだけど、確実に」

柑奈「アイドルをやっていく中で、私はラブ&ピースを伝えるやり方をたくさん学びました。歌の作り方。歌の歌い方。その歌を聴いてもらう方法」

柑奈「今の私には、歌を届けるための力がある。それは、プロデューサーさんやみんなが与えてくれたもの」

柑奈「だから私は、胸を張って歌えるんです」

飛鳥「柑奈さん……」

……強い人だ。心から、そう思う。

柑奈「これ、言ったことなかったかもしれないけど。私が世界中を旅しようって思ったきっかけ、飛鳥ちゃんにもあるんですよ?」

飛鳥「え? ボクに?」

柑奈「ほら。昔、愛について語り合ったことがあったでしょ? 私と飛鳥ちゃん、日菜子ちゃんに葵ちゃん」

飛鳥「あぁ……グリッターステージ、か」

柑奈「あの時飛鳥ちゃん、こう言ったんですよ。『愛と平和は未来と同じ。信じる者の心にしかないところもそっくり』って」

そんなこと、言っただろうか。10年も前だから、記憶は定かじゃない。

柑奈「それを聞いて、思ったんです。『だったら、世界中の人達に、愛と平和を信じさせてやればいいんだ』って」

柑奈「みんなが愛と平和を信じていれば、世界中がラブ&ピースで満たされるってことになるでしょ?」

柑奈「じゃあ、やってやろう! って、ね♪」ピース

飛鳥「………」

飛鳥「すごいな、柑奈さんは」

柑奈「へへ♪」

柑奈「でも、私が笑顔で頑張れるの、飛鳥ちゃんのおかげでもあるから」

飛鳥「またボク?」

柑奈「そう、また飛鳥ちゃん」

柑奈「ずーっと、アイドルとしてステージに立ち続けて、歌って。その叫びを、想いを、観客のみんなに届けている」

柑奈「昔一緒に歌った子が、今でも同じステージで頑張っているんだから、私だって負けられないなって思うの」

柑奈「きっと、他のみんなもそうなんじゃないかな」

飛鳥「………」

そう、なのかな。
確かに、梨沙もみちるも、ボクの活動はチェックしてくれているようだったけれど。

柑奈「言ってみれば、希望の光、みたいなものかも」

飛鳥「希望の光……」

そんな大層なモノでは、ないと思うが……
でも、柑奈さんの目は、口ぶりは、本気だった。


柑奈「私も、みんなの希望の光になれるように頑張らないと」

柑奈「遠くにいる爺っちゃんとの、最後に交わした約束だから」

飛鳥「柑奈さん……」



柑奈「ま、爺っちゃんまだピンピンしてるんですけどね♪」

飛鳥「長生きだね、あなたの爺っちゃん」

休暇4日目。

今日は偶然ではなく、以前から会う約束をしていた人物とカフェで待ち合わせ。

ありす「お久しぶりです、飛鳥さん」

飛鳥「悪いね、忙しいところ」

ありす「それはお互い様です」

軽く手を挙げて、彼女――橘ありすを出迎える。

飛鳥「この前の新曲、聞いたよ。キミらしい繊細な曲調が胸に響いた」

ありす「ありがとうございます。でも、まだまだです」

ありす「売上がすべてだとは思いませんが……まずは、アイドル時代の最高記録を塗り替えることが目標ですから」

数年前、アイドルからシンガーソングライターに転向した彼女。歌うだけでなく作詞作曲にも携わるようになったのは、かねてより歌にこだわりのあったありすらしい決断だと思う。
きっと、彼女は根っからの創り手なのだろう。

ありす「せっかくのPさんたちの結婚式です。最高の歌を贈りましょう」

飛鳥「そうだね」

今日集まったのは、Pの結婚式の中でのちょっとした余興のため。
ありすが書き下ろしたオリジナルの曲に、ボクが歌を吹き込む。それを、彼らへの祝福をこめた贈り物にしようと考えているのだ。
こうして時々会って、作戦会議を行うことを決めたのはつい先月の話だ。

ありす「一応、歌詞の大まかな流れはいくつか考えてきました。まずは読んでみてください」

飛鳥「あぁ」

……橘ありすという少女は、Pに恋をしていた。
少なくとも、彼女がアイドルであった頃……ボクがよく見ていた頃は、そうだったと感じられた。
その気持ちは、恋は、いかような結末を迎えたのか。
彼女の口から、答えを聞いたことはない。

ありす「ちょっといじわるな歌詞にしちゃおうかと思ったんですけど、さすがに自重しました」フフッ

飛鳥「……そうか」

この笑顔を見る限りは、心配はいらないように感じられる、かな。

ありす「最近、どうですか。事務所の様子は」

飛鳥「一言で述べるのは難しいな。個性的なメンツが揃っているから」

ありす「ふふっ。顔ぶれが変わっても、そういうところは同じなんですね」

飛鳥「まったく、その通りだ」

ありす「飛鳥さん自身はどうですか。特に問題とかはありませんか」

飛鳥「問題は………」

忙しい身のありすに、わざわざボクの悩みを打ち明けて気遣わせるべきなのか。
そんな葛藤が脳裏をよぎったのだが……返答に詰まっている時点で、何かあったと語っているようなものであることに気づいた。

ありす「……なにか、あったんですね」

そして、知りたがりの彼女はそうした変化に目ざといのだ。
ここまで来れば、下手に隠すほうが彼女にとっては負担になるか。

ありす「………」

ありす「なるほど。そういうことですか」

ありす「……難しいですね。私も、人生経験は豊富なほうではないので」

飛鳥「あまり気にしないでくれ。ボク自身の問題だ」

ありす「そういうわけにもいきませんっ」ダンッ

勢いよく机を両手で叩くありす。店内の注目が彼女に集まる。

ありす「あ、えと。すみません」

ぺこぺこと頭を下げるありす。帽子とサングラスで顔を隠しているから、彼女が橘ありすだとはわかりにくいはずだ、おそらく。


ありす「と、とにかくですね。そう冷たくもいられないんです」

飛鳥「どうして」

ありす「どうしてって……! それは、その」

ありす「Pさんたちの結婚式、最高の歌を贈ると決めているんです。なのに、歌手が自信喪失していては意味がないです」

ありす「これで理由には十分でしょうっ」

飛鳥「あ、ああ、うん」

ありす「でしょう!」フンス

ありす「……なんとか、論理的なアドバイスができるように考えておきます」

ありす「私……引退するにしても、飛鳥さんにはすっきり舞台を降りてほしいんです」

飛鳥「……ありす」

飛鳥「ありがとう。キミは優しい子だ」

ありす「当然です。このくらいは」

飛鳥「そうか。なら、ひとつお願いだ」

飛鳥「今は、曲の討論を急ごう。時間は限られているし……キミと音楽を語り合うこと、ボクにとっては楽しいから」

ありす「………」

ありす「そうですね。ぶつけ合いましょう、私の音楽と、飛鳥さんの音楽」

ありす「そこから見えてくるものも、あるかもしれません」フフッ

その後は、結婚式のための曲をああでもないこうでもないと議論しあった。
お互いにとって、有意義な時間だったと思う。

休暇5日目。金曜の夜。

梨沙「おじゃましまーす!」

晴「お、部屋広いな」

ネネ「きれいに片付いていますね。飛鳥ちゃん、さすが」

裕子「帰国早々みなさんと会えるなんて、いいタイミングで帰ってこられました!」

どういう因果か、独り暮らしの部屋に4人も来客が。

飛鳥「昼にいきなり『夜みんなで行くから部屋掃除しときなさい』とだけ言われたわけだが……梨沙、これはいったいどういう」

晴「オレたちも、いきなり電話で集められただけだからな」

梨沙「ふん、よくぞ聞いたわね」

梨沙「今回みんなを集めた理由は……これ!」

ドン、と重そうに抱えていたクーラーボックスを床に置く梨沙。
中を開けると、そこには。

飛鳥「酒、だね」

裕子「お酒ですね」

ネネ「たくさんありますね」

晴「お前、何持ってるのかと思ったら」

梨沙「いい? 思い出すのよ、10年前のオーストラリア」

梨沙「最終日の夜。プロデューサーとスタッフで打ち上げやって、あいつらだけお酒飲んでたでしょ」

ネネ「私達、あの頃は全員未成年だったから」

梨沙「だから今日はリベンジ! 全員飲めるようになったんだし、ね」

飛鳥「それで、オーストラリアのメンバーを全員集めたのか」

晴「それだけのためによく集めたな……」

ネネ「でも、梨沙ちゃんの行動力のおかげでこうしてみんなで集まれたんだし」

裕子「サイキック感謝ですね。本当に」

梨沙「ユッコを捕まえられたのは運がよかったわ。めったに日本にいないんだもん」

飛鳥「確か、ヘレンさんと一緒に世界をめぐっているんだったか」

裕子「イエス! 世界レベルのヘレンさんとともに、ワールドワイドなサイキックをお披露目しているところです!」

梨沙「具体的に何をやってるのか全然伝わってこないけど、なんかすごそうね」

晴「ていうかちょっと外国かぶれ?」

裕子「届かせますよ! 世界中にミラクルテレパシー!」


梨沙「はい! 全員グラス持ったわねー」

梨沙「それじゃ、かんぱーい!」

『かんぱーい!』




飛鳥「晴。もうサッカー部の活動は終わったのかい?」

晴「もうちょっとだな。今年は勝ち進んでるから、行けるとこまで行ってやるぜ」

飛鳥「そうか。どこかで応援にいこう」

晴「お、マジか? なら頑張らないとな。もとから全力だけど」

裕子「へへ~。えすぱーゆっこもおうえんにいきますよほ~」ヘベレケー

晴「って、酔うのはやっ!?」

裕子「はるちゃん、おっきくなりましたねー。はじめてあったころは、こーんなにちっちゃかったのに~」

晴「嘘つけ! 幼稚園児サイズだぞ、それ!」

裕子「むぎゅーっ」

晴「うわああっ!」


飛鳥「……裕子、絡み酒だね」

知らなかった。

ネネ「飛鳥ちゃん。飲んでます?」

飛鳥「ネネさん。まあ、ほどほどには」

明日は仕事だから、酔いつぶれるほど飲むわけにもいかない。

ネネ「どう? あの子、ちゃんとやってる?」

飛鳥「心配いらないさ。キミの妹は一生懸命頑張っている。ボクをセンパイと呼ぶのはよく理解らないけどね」

世間というのは狭いもので、今ではネネさんの妹の教育係がボクだったりするわけだ。
病気の全快した彼女の妹が、姉を追ってアイドルデビューするとは。栗原姉妹の仲の良さがうかがえる。

ネネ「そう。なら、よかった」

ネネ「これからもあの子をよろしくお願いします」

飛鳥「そんな、頭を下げないでくれ」

かしこまられるのは、いつになっても苦手だ。

飛鳥「ネネさんは、管理栄養士だったか」

ネネ「ええ。病気の人や、高齢の人達の栄養管理をしているんです。あと、給食もですね」

ネネ「食事って、誰にとっても大事なものだから。しっかり考えて、献立を作っていかないと」

飛鳥「頑張っているんだね。表情を見れば、なんとなく理解る」

ネネ「ふふっ、そうかな。ありがとう」

穏やかな笑みで、うれしそうに感謝の言葉を口にするネネさん。
そんな彼女を見ていると……思わず甘えたくなってしまうのは、昔からの癖なのかもしれない。

飛鳥「ネネさん。ひとつ、聞いてもいいかな」

ネネ「なに?」

飛鳥「どうして、栄養士の道へ進もうと思ったの?」

ネネ「どうして……」

ネネ「私がアイドルを始めたのは、妹に元気を与えるためだった。これは、知ってますよね」

飛鳥「うん」

ネネ「最初は、妹ひとりのために頑張っていた。でも、そのうちPさんのためにも頑張ろうって思うようになって……そして、ファンの皆さんのためにも、頑張ろうって思えるようになって」

ネネ「ファンの人、ひとりひとりと向き合うようになったら、本当にいろんな人がいるんだなってわかりました」

ネネ「その人達みんなが、健康にライブに来てくれるようにって、思うようになりました」

ネネ「そこから、最終的にファンの人以外にも広がっていって……たくさんの人が、健康でいてほしいって」

ネネ「あの子の病気が治った時、思ったんです。もう十分、元気を与えられる姿を見せることができた。だから今度は、違う形でみんなを元気にしたいなって」

ネネ「だから、結局同じなんですよね。今も昔も、根っこの思いは変わっていないんです」

ネネ「誰かに、元気を与えられるようになりたい。そこは、ずっと変わらない」

飛鳥「変わらない……」

思えば。
みちるも、柑奈さんたちも……きっと、根底にある想いは昔と変わっていないのではないだろうか。

みんな、別々の道を進んでいって……ボクだけ、変化に取り残されたような感覚を抱いていたけれど。

それは、ボクの思い込みで。

ネネ「飛鳥ちゃんは、どう?」

飛鳥「え?」

ネネ「昔と今で、アイドルへの想いは変わりました?」

透き通った瞳を向けて、ネネさんはボクにそう尋ねてくる。
ボクの、アイドルへの想い。
今と昔。
昔は、ボクはどんな想いで歌っていたのだろう。
何を願って、踊っていたのだろう。
それは、きっと――


梨沙「あすかーーっ!!」バシンッ!

飛鳥「いたっ!?」

梨沙「なーによ、あーた全然飲んでないじゃない! のめ! もっろのめ!」

飛鳥「り、梨沙。キミも絡み酒か……」

裕子「さいきっくーー!!」

晴「みらくるーー!!」

裕子・晴「てれぱしーー!!!」

裕子・晴「あはははっは!!」


ネネ「ふふ。いつの間にか、みんなできあがっちゃってますね♪」

飛鳥「あちこち散らかして……ボクの部屋なのに」

梨沙「のーめ! のーめ!」

飛鳥「こっちはこっちで騒々しい……」

梨沙「のみなさいよー。あーたのために開いたのよ? 今日ののみ会ー」

飛鳥「……ボクのため?」

梨沙「そうよ。あーたが元気ないから、昔のメンバー集めて懐かしさでどうにかしてあげようって……って」

梨沙「な、なんれもないわよっ!」プイッ

飛鳥「………」

ネネ「うふふ」

飛鳥「あはは……ははっ」

飛鳥「梨沙。ありがとう」ナデナデ

梨沙「んなっ!? あ、頭なでるな! アタシはもう22よ! 子どもじゃらいのよ!」

飛鳥「ボクは24だ」

梨沙「むむむう~~!!」プクー

飛鳥「ふふっ……まったく」

まったくもって、ボクは幸せ者だ。
こんなにも、周囲の人間に恵まれているのだから。

休暇明け。土曜日の朝。


飛鳥「おはようございます」

P「おはよう、飛鳥」

P「お……ちゃんとリフレッシュできたみたいだな」

飛鳥「あぁ。若干飲みすぎた気もするけれど、心は元気さ。すこぶるね」

ネネさんと二人だけで、後片付けと潰れた三人の処理をしたから、身体は少々疲れているけれど。



飛鳥「P。事後報告になるけれど、ボクがここ最近、何に悩んでいたのかを語ってもいいかい」

P「ああ。聞くよ」

飛鳥「まあ、終わってしまえば些細なことというか。ボクが盲目だっただけという話なんだけどね」

ネネさんの問いに対する答えは、こうだ。


……ボクだって、何も変わりはしない。

ひとりでできることはたかが知れている。だから、他者と共鳴しようとするのだ。
ボクが歌を届け、観客が声援で応える。その瞬間ボクらはつながり、セカイはアップデートされる。
響きあうことで、ボクのセカイはどこまで広がっていく――そう信じたからこそ、ボクは思い切り声を上げ続けていたんだ。

そしてそれは、今も同じ。
とうの昔に知っていたはずのことなのに、いつの間にか見えるものが見えなくなってしまっていた。
孤独と焦燥が、ボクの眼を曇らせてしまっていたんだ。

もしかすると。
ボクは他のみんなと違って、アイドル以外に存在証明の手段を持たないのかもしれない。
だが、それは決して悲観することじゃない。
不器用な一筋の光だって、どこまでも広がっていくことはできる。それでいい。
そしていつかは、希望の光になってみせようじゃないか。


ワアアアアア――


飛鳥「………」

歓声を一身に浴びるたびに、思う。
やはりボクは、もう独りには戻れない。
Pがいるから。仲間がいるから。ファンがいるから。だから、ボクはボクを形作ることができる。
だからこそ……愛おしいんだ。


飛鳥「たとえボク自身の光が弱まろうとも、キミ達の光と重ね合わせれば、まだまだ灯火は消えやしない」

飛鳥「――さあ、往こうか」

そうしてボクは、今日もステージで舞う。
空を飛ぶ鳥のように、自由に、懸命に。
ありったけを、叫ぶ。


………
……



飛鳥「そういうわけで、当分アイドルを辞める気はないよ」

P「そうか。改めて、俺もしっかりプロデュースしないとな」

P「でも……あれだ。今後、同級生の結婚のお知らせが結構来るようになると思うから、そこはなんとか我慢しような」

飛鳥「結婚……女の幸せ、か」

P「やっぱり、そっちにも興味はあるよな」

飛鳥「まあ、それなりにはね。当然さ」

飛鳥「でもそっちに関しては、まず前提条件が満たされないと」

P「前提条件?」

飛鳥「あぁ」

飛鳥「恋をするなら。結婚を前提にお付き合いを始めるなら――」



飛鳥「まずは、キミよりいい男に出会ってからだ」フフッ

P「………」ポカン

飛鳥「………」

P「飛鳥……」




飛鳥「ぶふっ」

P「あっ……飛鳥! 君、今のっ」

飛鳥「あははっ……! キミとはこうして、くだらない冗談を言いあえる仲でいたいものだね」

P「飛鳥~~」

飛鳥「さあ、ボクはそろそろレッスンだ。次のライブへ向けて頑張らないと」

P「おい、ちょっと」

飛鳥「P」



飛鳥「これからも、よろしく」ニカッ

P「………」

P「このタイミングでそれは、ずるくないか」フフ

飛鳥「あぁ、ずるいさ。でもそれが自然」



飛鳥「ボクだって、もう大人だからね」

ボクはアスカ。二宮飛鳥。
いくつになっても、あれこれ必要以上に悩んだりするし、近くにあるものを取りこぼしたりしてしまうけれど。
でも、最近は少し、周囲を見られるようになったような気もして。そういうところは、成長しているのかなと思ったり。

つまるところ。


――二宮飛鳥は、アイドルということさ。

おわりです。お付き合いいただきありがとうございます
なんとなくですが、飛鳥は大人になってからも、迷いながら戸惑いながらそれでも前に進み続ける泥臭くもかっこいい生き方を送ると思っています
彼女にとっては、周囲とのつながりってすごく大事だと思うんです

過去作もよければどうぞ

モバP「なっちゃんと梅雨」
モバP「愛媛では水道からみかんジュース出るって本当なのか?」
的場梨沙「父の日のプレゼントはアタシ!」

もしかしてヴァリアスハートの人?

>>55
あ、はいそうです
梨沙だけ2回出てるところでお察しください

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