店員「お待たせしました」
春香「あ、ありがとうございます」ジー
店員「……? どうか、されましたか?」
春香「あ、あの…いえ、なんでもないです。すいません……」
店員「そうですか。では、ごゆっくり」ペコ
いきなりですが、私には好きな人がいます。
それはとある喫茶店の店員さんです。
わたしが学校帰りや休日によく利用する喫茶店。
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春香(はぁ…また話しかけられなかった……)
その名前も知らない店員さんのことを好きになったのは、つい1か月ほど前のことです。
??『ティンときた!!』
そう言っていきなりこのお店で紅茶を飲んでいる私に、知らないおじさんが近づいてきました。
??『きみ、アイドルに興味はないかね!!』
春香「え?」
??『私はアイドル事務所の社長をしている者なんだがね、キミを今一目見てこう、ティンときてしまったんだ!!』
春香「え?え??」
??『私の目には狂いはないはずだ!いや、たぶんだが……』
春香「あの……」
店員「お客様」
??『むむ?』
店員「そちらのお客様がお困りのようです」
??『あ、ああ…』
店員「……」
??『うむ、興奮しすぎていたようだ。キミ、怖がらせてしまって申し訳ない』
春香「いえ、大丈夫です」
正直言うと、アイドルには興味がありました。
でも、この時は必死すぎるおじさんの表情が少し怖くなって、アイドルっていう単語は頭まで届いていませんでした。
??『私はこういうものだ。』ピラッ
春香(765プロダクション…社長さん?)
??『先ほども言ったが、アイドル事務所の社長だ。もし、もし興味があれば連絡してほしい』
春香「…はい」ポカン
??『よし!それではね!!待っているよ!!』
そのおじさんは勢いよくお店から出ていきました。
春香「……」パチクリ
店員「お騒がせして、すいません」
春香「え、いや、店員さんが悪いわけじゃないですから」
店員「いえ、あ、そうだ」タッタッタッ
店員さんは一旦お店の奥に行って、戻ってきました。
店員「これ、どうぞ」カタッ
店員さんが持ってきたのは、わたしがこのお店でたまに注文するチーズケーキでした。
春香「そんな!悪いですよ」
店員「お詫びの印です。どうぞ、召し上がってください」
春香「えっと、ありがとうございます。なんかすいません」
店員「いいえ、これに懲りずにこれからも来ていただきたいですから」ニコ
その控えめだけどわたしを安心させてくれた笑顔は、わたしが初めてみた店員さんの笑顔でした。
一度気になりだしてから好きになるのはあっという間でした。
ただその喫茶店の穏やかな雰囲気が好きで通っていましたが、わたしがお店に行く目的はその店員さんになりました。
今までは気にしていなかった店員さんのことを気づかれないように、ずっと見ているうちにいろいろわかりました。
普段は正直無愛想だなってくらい無表情なんだけど、お客さんの方から話しかけられると、あの控えだけど優しい笑顔で接すること。
お客さんと話すときはゆっくり穏やかで、お店の雰囲気に合っていること。
その声は少し低くて、かっこよくて、聞いていて心地がいいこと。
眼は少し垂れてて、かわいい目をしていること。
春香「……」ジー
店員「……?」
春香「ぁ…」
店員「……」ニコリ
春香「ど、どうも」ペコ
み、見すぎて目があっちゃったときに、微笑んでくれること。
そうなってからはお店にいるとき以外でも、ずっと店員さんのことばっかりでした。
春香「そういえば最近目の下にクマがあることが多い?」
忙しいのかな?
春香(じゃあわたしもあそこでアルバイトに入って手伝ったらいいんじゃ!)
春香(そしたらあの店員さんとの仲も一気に縮まっちゃったり!)
春香(あ、でもうちの学校はバイト禁止だった)
春香(それじゃあお金はもらわないでお手伝いってことじゃダメかな!)
春香(でもいきなり、『お金はいらないので手伝わせてください!』って言ったらおかしいよね…)ハァ
そんな感じでよくわからないことで悩んだりしているわたしですが、まだお話をしたことがあるのはチーズケーキを奢ってくれたあの日だけでした…。
春香(でも、でも!今日こそは!)
今日こそはわたしから話しかけるぞ!という意気込みでこのお店のいつもの席に座っています。
本当はさっき紅茶を注文して、店員さんが運んできてくれた時に話しかけるつもりだったんです。
でも緊張しちゃって、用意していた話題も全然出てきてくれなくて、顔が熱くなるのをただ感じていることしかできませんでした。
春香(でも、まだ終わりじゃない!)
そう。今日のチャンスはまだ終わりじゃあないのです。
わたしはいつも紅茶を頼んで、しばらくしてからお気に入りのチーズケーキを頼みます。
春香(その時が2度目のチャンス!)
春香「すいません!」
店員「はい」タッタッタッ
春香「チーズケーキをお願いしマス」
店員「かしこまりました。ありがとうざいます。少々、お待ちくださいませ」ペコリ
春香「すー…はー…すー…はー…」
わたしはきたる2度目のチャンスをものにするため、深く息を吸って呼吸を整えます。
春香(大丈夫大丈夫ただ少しお話しするだけ普通に自然にほかのお客さんみたいに)
頭が真っ白になって、言葉に詰まってしまった時のことを考えて、話題は10個考えてきました。
春香「えっと…最初の話題は……」
最初の話題は天気で、その次は最近気になっていた店員さんの目の下のクマについてです。
春香『最近疲れちゃってませんか?』
店員『え、わかりますか?そうなんですよ』
春香『あ、やっぱり!最近、店員さんの目の下にクマができてることが多いからわかっちゃいました』
店員『いやぁ、お客様に気を使わせてしまって、申し訳ないです』
春香『そうだ!今度疲れをとりに温泉でも行きましょうよ!』
店員『温泉ですか。いいですね!ぜひ、行きましょう!』
春香『やったー!』アハハハハハ
店員『楽しみだなぁ』アッハッハッハ
店員「お待たせしました」カタッ
春香「ハッ」
わたしが意味の分からない、店員さんとの会話のシミュレーションをしているうちに注文したチーズケーキは運ばれてきました。
春香(はははは早く話しかけないと!)
店員「では、しつれ」
春香「あの!」
店員「はい?」
春香「えっと…今日」
??「ティンときたぁ!!!!!!!」
春香「へ!?」ササッ
わたしはお店の中に響いた、以前聞いたことのある声に驚いてとっさに鞄で顔を隠しました。
社長「キミ!アイドルに…ああいやすまないまた大声を出してしまった。よければ少し私の席に来てくれないかい?」
店員「僕…がですか?」
社長「そう、キミだ。私はいまキミにティンきているんだ」
どうやら今回は私にではなく、店員さんに用があるようです。
社長「今日は騒がしくはしない。頼む、話だけでも聞いてもらえないだろうか?」
店員「わかりました。いいですよ」
社長「あーありがとう!ではこっちへ」スタスタ
店員さんはたしか…どこかのプロダクションの社長さんに連れられて行ってしまいました。
春香(はぁ……今日も話しかけられなかった……)ショボン
すいません、今日はここまでです。
また明日続きを書きます。
それから1か月ほど経っても、私は店員さんに話しかけられずにいました。
春香(わたし、こんなに内気な子だったかな…)
恋愛感情自体は今までで何度か抱いたことはありました。それが実ったことはありませんでしたけど。
春香(先生には良い意味で楽天的なのが取り柄なんて言われたこともあるのに…)
春香(でも!でもでも!それも今日が最後!!)
わたしは1か月ほど経った今日この日、話しかけられなければ二度とあの喫茶店には行かないと自分に約束していました。
春香(大丈夫。この前はあと少しだったんだから!よし!)
ガチャンッ
わたしは勢いよくお店の扉をあけました。
??「いらっしゃいませー」
春香「あれ? こんにちは…」
??「お好きなお席へどうぞー」ニコ
春香「今日はお休みなのかな…?」
お店にはあの店員さんは不在で、代わりにとても愛想の良い知らない店員さんがいました。
春香「すいません。この紅茶をお願いします」
新店員「かしこまりました。ありがとうございます」ニコッ
わたしはあの店員さんが出てこないか、しばらく紅茶を飲みながら待ちました。
でも、どうやら今日はお店には来ていないようです。
ずっと通っているうちにあの店員さんがお休みする曜日は把握できたので、何か急きょお休みになる理由があったのかもしれません。
春香(また日をあけてこようっと)
あの店員さんがいなくて少しガッカリしたわたしですが、今日喋りかけられなかったらこのお店に来ないと誓っている身としては、少しホッとする部分もありました。
春香(今日こそ!)
と張り切ってわたしはそのお店に通い続けました。
しかし、通えども通えども店員さんの姿はありませんでした。
春香(どうしちゃったんだろう……)
1週間、2週間、ついには3週間と、通えども通えどもあの店員さんの姿はありませんでした。
春香「もしかして…もう」
春香「辞め…ちゃったのかな……」
一度、そう考えてしまうと悲しくて悲しくてたまらなくなってきました。
春香(なんで、早く話しかけなかったんだろう…)
春香「……」ウルウル
新店員「お客様、大丈夫ですか?」
春香「あ、ごめんなさい。大丈夫です。ちょっと変なこと考えちゃって…」
涙目になって、あの店員さんに話しかけられなかったことを後悔しているわたしに、新しい店員さんが心配して駆けよってきてくれました。
新店員「そうですか…なにか、お手伝いできることはありませんか?」
新しい店員さんはとても心配そうな顔で、わたしの顔をうかがっていました。
わたしは思い切って聞いてみることにしました。
春香「あの…ここで前に働いていた店員さんは、辞めちゃったんですか…?」
新店員「前の…ああ、あの方なら……」
新店員「ちょうど1か月ほど前に退職されました」
春香「……」
春香「そうですか…ありがとうございます」ニコ
わたしはこれ以上新しい店員さんに気を使わせてしまうのが申し訳なくなって、お店から出ました。
春香「そっか……」
春香「もう、会えないんだ…」
春香「ひっ…えぐっ……」
ろくに話もしていない相手がいなくなってしまっただけのことなのに、涙はずっと止まりませんでした。
あの店員さんが辞めてしまったのを知った日からは、全然力が入りませんでした。
春香「……」ボーッ
隣の席の子「ちょっと春香!」
春香「へっ!?」
隣の席の子「先生に呼ばれてるって!」
先生「天海さん、授業はちゃんと聞いてください」
春香「ご、ごめんなさい!」
隣の席の子「ちょっと春香…大丈夫なの?」
春香「うん、ごめん少し寝不足なだけ…あはは」
春香(ちゃんと切り替えなくちゃ!みんなに心配かけちゃうし!!)
なんてことを思っていても、あのお店に定期的に足が向いてしまいます。
新店員「ご注文はいつものでよろしいですか?」
春香「はい、お願いします」ニコ
いつもと同じ席で、いつもと同じように注文を済ませます。
そうしていると否が応でも、あの店員さんのことを思い出してしまうので来ない方がいいのかもしれません。
でも、このお店から逃げてしまった方が逆に引きずってしまうようなきがして…。
なんていうのは言い訳で、また会えるのをただ期待してるだけません。
新店員「お待たせしました」カタッ
春香「ありがとうございます」
新店員「お客様」
春香「はい?」
新店員「今日はきっと、たぶんですけど、良いことが起きると思いますよ」
春香「良いこと?」
>>25 訂正
期待してるだけません。→期待しているだけかもしれません。
新店員「はい」ニコニコ
春香「それってどういう…」
新店員「あ、じゃあ失礼しますね」
春香「え」
新店員さんはわたしが問う前に行ってしまいました。
春香(良いこと…?)
ガチャッ
??「こんにちは」
わたしが新店員さんの言葉の意味を考えていると、他のお客さんがお店に入ってきました。
春香「……!」
それはかっちりとスーツに身を包んだ、わたしの好きな、ずっと待っていたあの店員さんでした。
(元)店員「……」キョロキョロ
(元)店員「あ……」
店員さんは、しばらくお店の入り口で何かを探すようなしぐさをした後、わたしのほうに歩み寄ってきました。
(元)店員「こんにちは」
春香「こ、こ、こ、こんにちヴぁ!」
春香(噛んじゃった~~~)
噛んじゃんったのも仕方ないです!
だってずっと待っていた人が急に現れて、ずっとずっとずっと話しかけたかった人から挨拶されて……。
それに加えて、あの店員さんだってわかった瞬間泣き出しそうになるのをこらえるので精いっぱいだったんですから。
(元)店員「おひさしぶりですね」ニコ
春香「ぁ………」
春香「……」ダラー
(元)店員「泣いて、いるんですか?」
春香「え!?あ……あれ、なんでだろ…あはは」ゴシゴシ
こらえていたものが勢いよく流れ出してしまうのに、店員さんの笑顔は十分過ぎるほどの力がありました。
春香「ごめんなさい!もう、だいじょうぶです」
春香「ほ、本当におひさしぶりですね!」
(元)店員「はい。お客様もまだ通っていてくれていて良かった」
春香「はい……このお店、大好きですから」
(元)店員「今日、実はお客様にお話ししたいことがあって来たんです」
春香「わたしに、ですか?」
(元)店員「はい。あなたに、です」
(元)店員「そんなにお時間は取らせません。少し、お話を聞いていただけませんでしょうか」
春香「大丈夫です!少しなんて言わずに、いくらでも!なんて…」
(元)店員「そうですか、良かった」ニコ
春香「あう……」ボッ
わたしは本当にこの人の笑顔に弱いです。
春香「それで、お話って…?」
(元)店員「そうですね。同席してもよろしいですか?」
春香「あ、はいどうぞ」
(元)店員「まずは、僕の自己紹介からさせてもらおうかと」
春香「! はい、お願いします」
(元)店員「こちらを」スッ
店員さんは1枚の名刺を、わたしのほうに差し出しました。
ここで初めて、わたしは店員さんの名前を知ることができました。
春香「プロデューサー…さん?」
P「はい」
春香「765プロダクション」
P「はい」
765プロダクション…どこかで聞いたことがあるような気がします。
P「アイドルプロダクションです」
春香「アイドル……」
P「あの、よろしければお名前をお聞きしてもよろしいですか?」
春香「あ、ごめんなさい。わたし、天海春香っていいます」
P「ありがとうございます。では、天海さん、お聞きします」
春香「…はい」
彼の少しばかり緊張した面持ちと声色に、わたしの方も少しドキドキしていました。
P「アイドルに、興味はありませんか?」
春香「え?」
春香「アイドル…」
P「はい、アイドルです」
春香(アイドルかぁ…)
アイドルは、わたしの小さい頃の夢でした。
テレビの中でいつもキラキラしていて、楽しそうに歌って踊って、みんなを元気にする。
アイドルの子が少しでも喋ると、みんなが笑顔になる。
春香『大きくなったら絶対アイドルになる!』
お母さんとお父さんにもずっと前に言ったことを覚えています。
クレヨンで描く絵は全部好きなアイドルが踊って歌ってるもので、歌う曲もアイドルのものばかり。
成長して、学校に入るような年齢になってもアイドルに対する夢はありました。
そんな時、学校の先生に聞かれたことがあります。
先生『天海さんは、将来の夢とかあるの?』
春香『わたし、アイドルになりたいです!』
先生『え、アイドル?ぷふっ』
先生のその時の表情を今でも覚えています。
アイドルが少し現実的でないものであるというのは、その頃のわたしも薄々感じてはいました。
それに加えて、その時のわたしの夢を馬鹿にしたような先生の表情を見たことで、わたしはわたしの夢に疑問を持ち始めました。
わたしは、自分でアイドルになるための訓練みたいなことを始めました。
ビデオに撮ったアイドルのダンスをまねて、鏡の前で練習して。
好きなアイドルの歌を歌って、それを録音して自分で聞いて、納得のいかないところを練習して。
どんな仕草がアイドルっぽくて、かわいいのか研究して。
そんなことをやればやるほど、自分の目指すものがとても遠くにあるような気がして、少しずつ、少しずつアイドルへの夢は輪郭をなくしていきました。
P「どう、ですか?」
春香「……」
P「……」
春香「わたし、アイドルが好きです」
P「はい」
春香「小さいころから、ずっと好きでした」
P「はい」
春香「わたしに、できるでしょうか」
P「……」
春香「……」
P「天海さん」
春香「はい」
P「僕はまだ新米のプロデューサーですが、アイドルというものがいかに難しくて、成功する人がほんの一部であるかは知っています」
春香「はい」
P「だから、天海さんがアイドルとして成功するかどうか、保証することはできません」
春香「…はい」
P「それでも」
P「僕は天海さんがステージに立っているところをこの目で見たいと思っています」
春香「プロデューサーさん…」
P「この喫茶店で微かな光を放っていた天海さんが、ステージの上でどう輝くのか見てみたい」
P「俺は、天海さんのつくるステージを見てみたい」
P「俺を、アイドルとしての、天海春香の一人目のファンにしてくれませんか?」
春香「……」
P「どうか、お願いします」
プロデューサーさんはそう言うと、深々と頭を下げました。
春香「そ、そんな!顔をあげてくださいプロデューサーさん!」
わたしの答えは、もう決まっていました。
もし、今目の前にいるこの人以外に言われていたらまた違う選択をしていたかもしれません。
でも、この人となら頑張っていけるって確信がありました。
だから、わたしは……
春香「はい、よろしく…お願いします!」
この日からわたしの好きな店員さんは、わたしの好きなプロデューサーさんになったのでした。
プロローグおわり
今日はここまでです。
特に武内Pを意識してはいません。
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