久「この夏に囚われて」 (38)
インターハイ、全国、団体戦決勝、大将戦。
下馬評では、白糸台と臨海女子の強豪校同士の一騎打ち。Aブロックを勝ち上がってきた阿知賀女子は、準決勝で1位に輝いていたこともあってダークホースとして有力視されていた。
つまり残った一校、清澄高校は大方「ドベ」であろうと予想されていた。――が、そんな予想を裏切り、清澄高校のメンバーは予想外の奮戦を見せる。
優希、まこ、私、和。
清澄高校の面子はいずれも自分たちの持ち味を発揮し、大将戦開始前での合計点数は原点を1万点以上も上回り、1位に迫る僅差の2位という運びになっていた。
もちろん、全てが思惑通りにいったというわけではない。
他家にしてやられることもあれば、勝負所で押し負けることもあり、点棒を守り切れなかったメンバーもいた。
それでも、私たちは存分に戦い抜いた。いい意味でも悪い意味でも、これまでにない手応えを感じながら打てたし、なにより……少なくとも、私は――楽しかった!
そんな風に、優希が守り、まこが繋ぎ、私が掠め、和が託した清澄高校の点棒。
その重みと熱さを抱いて、全国指折りの大将たちと同卓する咲の心中はいかばかりだっただろう。
実感はできないけど、想像はできる。だからこそ、彼女が、少しでもその重みから解放されますようにと。
柄にもないことを思いながら、私は言った。
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「ねえ、咲」
「部長? ……なんですか?」
目の前の当人からは、ちょっとした緊張と、私への疑問が見てとれた。
「私、この夏の最後に見るのが貴方の麻雀でよかったって、心の底から思えているわ」
「? ……ありがとうございます」
これから口にする言葉は決めている。だからこそ、ちょっとした仕草や口調には気をつけねばならない。
「だからね、咲、」
「……はい」
咲の応答を聞いてから、少しだけ『ため』を作って、言う。
「私に、いい思い出を作らせてちょうだい?」
口角を上げ、歯は見せず、問いかけるように、いたずらっぽく。
文脈で考えると、相当にプレッシャーになることを私は口にしているはずだ。
そこを敢えて軽口のように言うことで、咲の緊張を、ほぐし、また適度に張りつめさせようというのが私の狙いであった。
その意図が、伝わってくれただろうか?
私の言葉を聞いた咲は、若干ぎこちなくも柔らかい笑顔で「……はい」と口にした。
私と咲の会話が終わると、まこが
「お前さんなら大丈夫じゃ。気楽に打ってきんしゃい」
とバトンを繋いでくれる。
すると、続いて優希が
「いや、せっかくの大一番、張り切らないと損だじぇ!」
と咲に発破をかけ、追いかけるように須賀くんが
「とにかく頑張れよ!」
と。そんな具合に、彼女たちもそれぞれ私に続いてくれたのだった。
それらに対して咲がお礼を返し、一呼吸の間ができると。
和が、少しの間だけ咲と見つめ合った後に
「いつも通りの麻雀を、心がけて。……いってらっしゃい、咲さん」
「うんっ、和ちゃん」
とやり取りをする。
それ自体は短いけれど、和の言葉に対する咲の返事は、私たちにしたものよりも力強くて。
だから、私は。私は――。
◆◆◆◆◆◆◆
宮永咲。
二年間待ち続けた私に訪れてくれた、まさしく天の配剤とも言うべき雀士。
牌に愛されているかのようなその打牌で、私たちに幾度となく奇跡を見せてくれた、花のような打ち手。
花……そう、「花」だわ。咲を表す上で、これほどしっくりくる形容も中々ないでしょう。
彼女を知る者にとって、彼女の打つ麻雀はまさに「花」だった。それはきっと、彼女と同卓して、その恐ろしさを知った打ち手までもが同意することだろう。
……かくいう私も、咲の咲かせる「花」に最も魅せられた者の一人である。
咲と初めて出会い、咲の麻雀を初めて見たあの日から変わらない。
咲は、私にとって何よりも美しく、愛おしく感じられる花のような存在だったのだ。
強く、可憐で、時に冷たく、無慈悲に咲く花。
その美点が最も魅力的に、そして恐ろしく感じられるのはただ一点。彼女が、心の底から楽しみながら麻雀を打っている時。
故にこそ、私は咲に、この大舞台で楽しんで打ってもらいたかったし、そうすることで彼女の打つ麻雀を心から楽しみたかった。咲が楽しんでくれれば、チーム順位の方はどうなってもいいとすら思っていた。
そのために声をかけたのに、肝心の花は、今、私の方を向いてくれていない。
この大舞台で、これほど熱く、間近に咲を見ていられる瞬間は二度とないかもしれないのに。
だから、私は――。
◆◆◆◆◆◆◆
「咲、待ちなさい」
と。控え室を出て、対局室へ歩みかけた咲を呼び止めた。
呼び止められた咲も含め、チームメイトの五人分の疑問符が私の目に映る。
そこから生まれるある種の緊張は、私にとって好ましいものではなかったが……ここで、何としても言っておきたいことがあった。
「直前で悪いけど、さっき、言い忘れたことが一つだけあったのよ」
「なんですか部長?」
さきほどと違い、一瞬の逡巡も交えず咲は問う。本番の直前の直前まで来て、気合も満ちて臨戦態勢ということだろう。
それで、ちょっとだけ迷った。
これから私のすることは、余計な茶々に終わるのではないのかと。
あの花を誰よりも愛でているはずの私が、その美しさに、一点の疵を与えてしまうのではないのかと。
けれど、ここで後戻りするという選択肢はない。
大丈夫。咲なら、私の最後の後押しも素直に律儀に受け止めてくれるだろう。そして、あわよくば――。
そんな思惑を悟られるのが怖くなり……この緊張から逃れたかったのもあって、私はやや早口で言葉を放った。
「こんな大舞台、またいつどこで巡り合えるか分からないんだもの!」
「どんなときでも、自分と自分の麻雀を信じて!」
「楽しんできなさい、咲っ!」
私の言うことに驚いたのだろうか、その瞳が、少しだけ大きく見開かれる。
自分の言葉と想いが、咲に届いてくれたのかどうかが不安になった。正直、そこから逃げ出したいとすら思えた。
けれど、そういうわけにはいかない。例え無視されるにしても、咲からの反応を確かめないわけにはいかないのだ。
そんな風に思い、自らを叱咤しながら咲に目を向ける。
すると、咲は。
数瞬だけ目を伏せて、顔を上げて、一言。
「行ってきます、部長っ」
私だけに向けられた、彼女の強さが込められた一言は、何よりも何よりも待ち望んでいたもので。
どんな禁断の果実よりも蠱惑的で、甘美な響きをも伴って私の耳朶を打った。
この時、この瞬間をこのまま鮮明に鮮烈に保てるなら、私はなんだってするだろう。
――しかし、私はいつまでもこの時間に囚われているというわけにはいかなかった。
私は……私たちは、望むと望まぬとに関わらず、その瞬間を目に焼き付けなければいけなかったのだ。
一度目の半荘が終わった際、咲は着実に得点を伸ばして総合1位だった。
後半、土壇場になるほど強い彼女の特性を考えると、清澄高校の優勝も、十分な可能性の元に実現するかとも思われた。
それが災いしたのだろう。他家のマークが厳しくなったのか、ツキをもぎ取られたのか、あるいはその両方か。
咲は負けた。
花は、手折られるその瞬間まで美しいままであった。
――――――――――――――――――――――――
「……ごめんなさい。ごめんなさい、ごめんなさい……」
よく頑張った、と人は言うだろう。
奮戦したチームメイトの後を継ぎ、勝てないまでも、よく踏ん張り、よく打ったと。
けれども、私たちには言えなかった。
おためごかしでも下手な気遣いでも、一言でもいい。
なにか、なんだって、口に出して咲を慰めなければならないのに……。
「わた、わたひ、あのとき、何も見えなくなって……!」
「み、みんながっ。あ、あんなに、頑張ってくれた……のにぃ……っ」
誰に訊かれるでもなく釈明を始める咲の姿は、今まで見せてきたどんな姿よりも、痛切に私たちの胸を抉る。
こんなに痛々しい様子は、見ていられるものじゃないのに。
それでも、泣いている咲を目の前に、私たちは誰も止めに入ることができず、目を逸らすこともできなかった。
「あっ、あそこで、……あそこで、わたぃがっ……!」
普段から気弱で、怯えただけで涙を見せるような子ではあったが。
人前で、こんな風にしゃくり上げながら、後悔と悲嘆とを隠そうともせず泣き続ける咲の姿を見たことがある者はこの世界にいるのだろうか?
部で一番親しいであろう和も、一番付き合いの長い須賀くんも私と同じく微動だにできないということは、そういうことなのだろう。
果たして、彼女の家族でも見る機会があったかどうか疑わしい。
数々の逆境を跳ね返し、光の届かない海の底ででも大輪の花を咲かせ、人々を魅了してきた彼女の姿は、もう、そこにはなかった。
「ごめ、なさい……。ごめん、なさい……っ」
お願いだから謝らないで。誰も、貴方を責めてなんかいないわ。
そう言いかけた言葉が、どうしても喉に詰まる。
高鴨穏乃、ネリー・ヴィルサラーゼ、大星淡。この三人にマークされて、ほんの……ほんの少し弱気になってしまったからといって、責められるわけないでしょう?
それが例え、トップ目陥落の一打への引き金になってしまったとしても。それまでの貴方が打ってきた麻雀を思えば、そんなものどうってことないんだから。
だからお願い。もうやめて。泣き止んで。
思いはすれど、言葉は出ない。
目の前の光景が押し付けてくる、今までにないほどの胸の締め付けに、息を呑むことさえ許されないのだと思えた。
「本当に、ごめん、なさい。部長……」
どきりとした。
こんな状況、こんなタイミングで、咲が真っ先に自分の名を呼ぶと予期できる者は、きっとこの場にいないはずだ。
戸惑いながらも、声が出ないので、目だけで咲の呼びかけに応じる。
その応答をキャッチしてくれたかどうか、私には分からないが。
咲は、うつむき、涙に濡れた目を両手で拭いながら続けた。
「あのとき……、卓に向かう前に、部長が、言ってくれた、」
「……っ!」
思わず、私は足を踏み出し、目の前にいる咲を抱きしめていた。
咲の背中へ手を回し、私の胸に顔を押し付けるような恰好になる。
先ほどまで声を出すことすらできなかったのに、よくやったものだと。我ながら、場違いな感心すら覚えた。
それでも咲の涙は止まる気配を見せず、彼女の口は悔恨の言葉を紡ぎ続ける。
「じっ、自分と、自分の麻雀を、信じてって……!」
「……っ」
「私、部長に言われたのに、それなのに……っ」
「…………!」
そこで、やっと私は気が付いた。
『こんな大舞台、またいつどこで巡り合えるか分からないんだもの!』
『どんなときでも、自分と自分の麻雀を信じて!』
『楽しんできなさい、咲っ!』
咲のために、私のために言った言葉が。
咲をリラックスさせようとした私の助言が、和に負けまいと試みたアプローチが。……ここに至って、咲を苛む楔となってしまっていたことに。
結果論、ではあるが。それが咲の精神的苦痛を増加させていることに、私は嫌悪感を抱いた。
それは――当初の予想以上に咲からの関心を買えたことで、この状況下で悦に浸りかけている自分自身にも、であった。
「部長は……っ、ぶちょ、は、最初で最後のっ、夏なのにっ、」
「それでも、自分を信じて、って。楽しんできてくれ、って」
「なのに私、わた……ごめん、なさいっ」
「……咲……、」
◆◆◆◆◆◆◆
――嗚呼! このときの咲の言葉は、どんなに烈しく、どんなに痛く私の心を揺さぶっただろうか!?
咲。咲。咲。咲。咲。彼女が私の胸の中で、こんなにも悲しく、いじらしい言葉をぶつけてきてくれるだなんて!
私は、きっと、もう、おかしいのだ。こんな状況で、こんな状態の咲に目を向けてもらえて、悦んでるだなんて。
この花は、手折られるその瞬間まで美しく。……そして、手折られた後でも、色褪せることはなくて。
そうよ。
この時、この瞬間をこのまま鮮明に鮮烈に保てるなら、私は。
そう思って。そう願ったから。
だから、私は――。
◆◆◆◆◆◆◆
「……咲」
「ごめんなさい。すみませんでした、ごめんなさい……」
「咲。お願いだから、聞いてちょうだい」
「…………あぅ」
咲の興奮は、少しだが収まってくれた。そこに生じる一瞬こそが、私の狙いであった。
これから口にする言葉は決めている。だからこそ、ちょっとした仕草や口調には気をつけねばならない。
「咲。貴方のお陰で、――――――――――」
二人以外の誰にも聞こえないよう、私は咲にささやいた。
耳元で、小さく。それでいて、彼女の耳に確かに届くように。
優しく、冷たく投げかけた言葉は途切れた。ほんの一瞬だけ良心が咎めた気がしたが、敢えて考えないようにした。
「……あっ」
咲の肩が震え始めたのが分かった。
「ああっ……」
震えはやがて全身へと伝わり、私に縋る両の手から、力が抜けていく感触があった。
胸ではなく、私のお腹のあたりから。
彼女の、嗚咽交じりの声が徐々に強く聞こえ始めてきた。
「あああああああああああああ…………!」
そのとき、今までよりも一層ひどく泣き出した咲に、ついに揺り動かされたのだろう。
まこ、優希、和、須賀くん。みんな、何か口々に言いながら私と咲の方へ駆け寄ってくる。
私は、膝をついて咲を抱きなおした。
これで先ほどのように咲の顔が私の胸の高さに来ることになったが、咲は、変わらずに泣き続けている。
咲は、私に抱きしめられていながら、私に体を預けることもなく、また私を拒絶する様子もない。
その反応から、私は、自分の発した言葉が思惑通りに働いたという確信を得た。
この時、この瞬間。私の中で、この時間は永遠のものとなった。
同時に、咲の中で、長い長い間、終わることのない夏が刻み込まれることとなっただろう。
私の言葉は、私の思惑通りに、咲の弱さへ突き刺さった。
その苦しみを思うと、自己嫌悪に胸が痛む。しかし、もう後戻りはできないのだ。
後悔なんて、許されるはずもない。咲が味わうことになるであろう苦痛と孤独とを承知しても尚、私は、己の欲望に衝き動かされるままに行動してしまったのだから。
この時、この瞬間に、咲を閉じ込めておきたい。――そう、願ってしまったのだから。
だからね、咲。聞いてくれる?
貴方のお陰で、一生忘れられない夏になったわ。
これにてカン、ということで。読んでいただきありがとうございます。
高校野球とかで夏の大会でやらかした下級生がえらく悲劇的に見えることがあって、そういうのを参考にして書きました。html依頼出してきます。
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