【ゆるゆり】櫻子「花子ちんまいな~」 (31)

・さくはな

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櫻子「あっ、花子帰ってたんだ、おかえり!」

花子「ただいま……風邪じゃなかったの?」

不自然な程整った姿勢で、ソファーに腰を掛ける花子は、
こちらに目をやらず、TVのリモコンを操作しながら受け答えをこなしていた。

櫻子「えっ、そうだけど……なんで?」

花子「風邪ならリビングにいない方がいいし、部屋に戻って欲しいし」

視線をテレビから逸らすこともなく、ニュースキャスターと睨めっこを続けながら、
花子は淡々とした口調で言い放った。意訳して言えば、さっさと出て行ってくれという退去命令だった。
なんともまあかわいげのない妹! 病魔に苦しんでいる私を厄介払いして、
自分は病原菌からさっさと遠ざかるという非常に合理的な判断を下せる八歳らしい。
慈愛に満ち溢れた私の妹がなぜこんなにも擦れてしまったのか……。

櫻子「うう……只今の時代は社会に出るまでも無く、小学校で世間の荒波に揉まれるのか……」

花子「なにをいってるんだし……」

床に四足を付く私を見下ろす花子の目は、冷たくはなかったけど、
呆れ半分憐れみ半分で、視線は中々に鋭利なものだった。

櫻子「もういいもん! そんなに病気が怖いなら花子は健康ランドのオーナーにでもなっちまえばいいんだ!」

なにかを言いたそうな花子を尻目に、私はリビングを後にして行った。
もうふて寝でもしてやる! 起きたらきっとこの熱も何処かへ吹き飛んでいるに違いない!
足取りに力を込め過ぎないようにしながら、自分の部屋の扉まで進んで、腹いせにならないような力でドアノブを掴んだ。

ベッドに入ってから、そう時間は経っていなかった。
コンコン、と軽快な音が二回鳴った。予想外の訪問に、少し心臓が跳ねたけども、
すぐに平静を取り戻して、身体を起こした。

櫻子「……誰?」

眠りの入り口に入りかけていたせいか、応対は少し気怠い声になった。

花子「花子だし」

櫻子「花子?」

反射的にドアを開けると、右肩にバッグを掛け、左手にミネラルウォーターのペットボトルを持った花子が、無表情に佇んでいた。

櫻子「……訪問販売かなんか?」

花子「だからさっきから訳わからないし!」

何故か声を荒らげる花子を見て、安心する自分がいるのがおかしかった。

花子「ちょっと入るし」

櫻子「へ、ああ、うん」

花子はベッドに腰を掛けると、バッグをひとまず置き、勉強机の上にミネラルウォーターを置いた。

花子「一応聞くけど薬飲んだかし?」

櫻子「……薬?」

花子「宿題みたいに忘れるなし……。病院へ行った時に、食前とか、食後に飲むものは渡されなかったのかし」

櫻子「あー、あったような、なくもなかったような」

花子「……もしかしてあれ?」

花子の視線の先は、勉強机に置いてある、白い紙袋に向けられていた。

櫻子「あ、そうそうあれ! ちゃんと貰ってるよ!」

花子「……飲んだかし?」

櫻子「……貰ってるよ」

花子「……はぁ。そんな事だろうと思ったし」

溜め息を吐くわりには、大して気にしてない様子で、花子は紙袋から取り出した薬と、ペットボトルを手渡してきた。

花子「最後に食べたのは何時ぐらいだし?」

櫻子「えーっと、カップラーメンをちょっと前に、何時だったっけ」

花子「病人がカップラーメン……もうそれでいいし、さっさと飲んで治せし!」

櫻子「お、おう」

五歳も下の妹の剣幕に気圧されて、速やかに薬を水で流し込んだ。

櫻子「……ええっと、これでいいの」

花子「まあ、後は飲んで寝ればいいし」

ふう、と今度は一仕事を終えたように息を吐いて、花子は持ってきたカバンに手を伸ばした。
中から出て来るのは、教材とノート文房具と、何を始めるかが明け透けに分かるラインナップだった。
机借りるし、とだけ言って、花子は教材を開いた。……あれ?

櫻子「……花子」

花子「なんだし」

櫻子「なんでここにいるの?」

花子「いちゃ駄目かし」

櫻子「いや私が駄目じゃなくて……あれ?」

あっそうだ、そうじゃないか。

櫻子「私と一緒にいるのが嫌なんじゃないの!?」

花子「……は? なんで」

櫻子「いやだって風邪が移るからって追い払ってたじゃん!」

花子「いやそんなこと一言も言ってないし! 風邪ひいてるのにふらふらとしてたから部屋で休んでたほうが良いと思っただけだし!」

櫻子「……え、マジで」

花子「マジだし」

櫻子「ということは」

花子「櫻子の大勘違いだし」

櫻子「……ごめんなさい!」

花子「ちょ!? 土下座すんなし!」

速やかに地面に頭を擦りつけると、速やかに花子が身体を起こしにやって来た。
いやいや今は起こして欲しくなかった、顔を上げる方がよっぽど恥ずかしい。

身体の火照りがある程度収まった後、残り火を消化するようにふて寝に入った。
本日二度目のふて寝は、前回よりも身体が沈み込む感覚が強くて、這い上がるまでに時間が多分に掛かりそうだった。
ベッドに聞こえてくるのは、花子が文字を綴る音ぐらいで、環境音としては悪くはないものだった。
それを聞くうちに、少しづつ意識がぼやけていったが、ある時、一つの疑問が浮かび上がると、再び意識がはっきりとし始めた。

櫻子「ねえ、花子」

花子「なんだし」

櫻子「なんでここにいるの?」

花子「それさっき聞いたし」

櫻子「それさっき聞き返されたし」

花子「……真似すんなし」

櫻子「あとさ、なんでそんな怒ってないの? 普通に怒られても文句言えないなぁって思うんだけど」

花子「一々本気で櫻子に切れてたら身が持たないし」

櫻子「て、手厳しー……」

花子「……それに」

櫻子「ん?」

花子「櫻子、寂しそうだったから」

櫻子「……花子!」

花子「うわっ!」

這い上がるまで時間が掛かるなんて大嘘だった。
花子の言葉を聞いた途端に身体が跳ね上がり、瞬く間に、
面喰っている花子を抱き寄せ、一緒にベッドになだれ込んだ。

花子「櫻子! 痛い! 苦しいし!」

櫻子「照れるな照れるな! 美人の姉ちゃんにかわいがられて嬉しいくせに!」

花子「痛いのは変わらないし! せめて少しは優しくしろし!」

櫻子「櫻子様の優しさが分からないとは……日々の暮らしを忘れたのか」

花子「……なんかあったっけ?」

櫻子「ひどくね?」

花子「散々ちょっかい出された記憶ばっかりだし……なんかあったかし?」

櫻子「えっと……ほら、例えばこれから花子に私のヨーグルトあげるとか」

花子「えっ! ほんと!?」

櫻子「お、おう。ほんとだけど……」

ヨーグルト一つでここまで喜ぶとは思わなくて、面喰ってしまう。
……私そんなに優しくしてないかな。ちょっとだけショックだった。

花子「……あれ? そういえば今冷蔵庫にヨーグルトあったっけ?」

櫻子「あ、あれ? 無かったっけ?」

花子「そうだし、櫻子が欲張ったせいでもう残ってないんだし」

櫻子「まるで私がいやしんぼみたいな言い方!」

花子「どう違うのか弁明しろし」

櫻子「……べんめい?」

花子「……もういいし」

怒りよりも呆れをにじませて、花子はベッドから起き上がった。
そのまま去っていくと思いきや、再び勉強机に戻って、かりかりと音を鳴らしている。
なんだかんだと言いながら、部屋から出ようともしないのがなんだか不思議で。
かと言ってそれを聞くのもなんだか恥ずかしいし、さっき答えを聞いたような気もするし。

櫻子「……んー。花子」

花子「なに?」

櫻子「ありがと」

花子「どういたしましてだし」

撫子「熱下がった?」

櫻子「うーん、大分楽になった感じ」

今しがた帰って来たねーちゃんが、私の額に手を添える。
ひんやりとした手に、残った熱まで吸い取られそうで、中々と心地がいい。

櫻子「あっ、そういえば頼んだもの買ってきた?」

撫子「買ってきたよ、丁度品薄で欲しがってたプリンは一つしか無かったけど」

櫻子「おー! ありがとー!」

撫子「けどあんた風邪だからって私に頼りすぎでしょ……。電話口で何品口に出せば気が済むの?」

櫻子「えー、いいじゃん。かわいい妹がこんなに苦しんでんだから」

撫子「自分でかわいいという所に関してはかわいくないよ、それに案外元気そうだけど」

櫻子「あー、それは多分」

私のベッドで寝息を立てる、花子に目をやった。
あれからしばらく勉強をつづけたあと、疲れが出たのか、うつらうつらとし始めて、そのまま眠りについてしまった。
今は私の部屋は良くないって言ったんだけど、中々頑固で引かなくて、もう呆れ半分でそのままベッドに運んでしまった。

撫子「あんたも少しは花子を見習ったらいいんじゃない、姉に頼るどころか姉に頼られるんだから……と思ったけど」

櫻子「ん?」

撫子「実は見習うのは櫻子じゃなくて花子なのかもね」

櫻子「当たり前じゃん。そりゃまだまだ花子は子供なんだし櫻子様の背中を見るべき……」

撫子「違うよ、逆」

櫻子「逆?」

撫子「うーん、もっと子供っぽくしてもいいってことかな?」

櫻子「マセてんかんなー、花子は」

撫子「マセては無いと思うけど」

櫻子「自分で言ったんじゃん……」

撫子「いや、そうじゃなくて。……ああ、そっか」

腑に落ちたようで、ねーちゃんはうんうんと納得している。

櫻子「なに一人でうなずいてんの……分かったなら話してよ」

撫子「……だからね、花子はさ、もっと姉を頼ってもいいんだよ」

櫻子「私達を?」

撫子「どうも一人で根を詰めちゃうことが多い気がするから。
まだまだ子供なんだし、もっと周りに力を借りても罰は当たらないというか、誰も文句なんて言えないはずなんだけどね。
一人でなんとかしようという意識が強すぎる気がするんだよ、大人びてるところが仇になっちゃってさ」

櫻子「……その話長くなる?」

撫子「ならないよ、一つだけ覚えればいいだけ」

ねーちゃんは軽く微笑むと、私の頭にポンと手を添えた。
なんだか懐かしさを感じて、少しむずがゆくなったけど、悪い気はしなかった。

撫子「もう少し、花子を甘えさせてあげて」

櫻子「……うーん、どういう風に?」

撫子「それは自分で考えな、大丈夫、多分櫻子はそれなりにいいお姉ちゃんだよ」

櫻子「それなり止まりかよ……」

撫子「嫌なら尊敬されるお姉ちゃんになれるように頑張りな」

そう言うと手を離して、ねーちゃんは私に背を向けて、部屋の外へ足を進めた。

撫子「あっ、そうだ」

ドアに手を掛けたところで、こちらに振り向いた。

撫子「買ってきたプリン食べる?」

櫻子「ああ、うん! ……あっ、いや、持ってきて」

撫子「? 分かった」

怪訝そうに首をかしげると、そのままねーちゃんは部屋から出て行った。

撫子「はい、これ」

櫻子「おお、ありがと! ねーちゃん」

ねーちゃんが持ってきたプリンを受け取ると、ノータイムで花子の頬にピタっとつけた。

花子「……冷た!」

櫻子「おー起きた起きた」

花子「……えっ? えっ?」

撫子「ちょ、なにしてんの……」

呆然としてるねーちゃんから、スプーンを取って、
状況を把握し切れずに、あたふたとしている花子にそれを渡した。

櫻子「ヨーグルトじゃなくてプリンだけどいい?」

花子「……あっ、えっと。うん」

櫻子「はい、じゃあこれも!」

まだうつら半分といった体の花子に、半ば押し付けるようにプリンを渡した。
……うぅ、楽しみだっただけに名残惜しいけどしょうがないよね。

しばらく花子は、受け取ったプリンをぼーっと眺めていたけど、
完全に目が覚めると、首をぶんぶんと振って、勢いよく、こちらにプリンを返却する素振りを見せた。

花子「いや受け取れないし!」

櫻子「えっ、なんで? プリンじゃ駄目だった?」

花子「違うし! 病人なんだから遠慮せずに自分で食えし!」

櫻子「でもさっきあげるって言ったもん! 優しい姉の好意を素直に受け取れよ!」

花子「櫻子こそ優しい妹の好意を素直に受け取れし! それは今度でいいから今はさっさと栄養取って治せし!」

撫子「……あれー、どっかでみたことあるやりとりだなー」

なぜか懐かしそうに笑う撫子ねーちゃんが、仲裁に入って、なんとかその場は収まったけど、
プリンの行方は決まらないままだった。

撫子「取りあえず冷蔵庫に入れとくから。もう争うのはやめな。今から二人分買ってくるから」

花子「いや、そんな迷惑かけたくないし……」

櫻子「……いいの、ねーちゃん?」

撫子「気にしないでいいよ、いいもの見させてもらったし」

言っていることが良く分からなくて、私と花子は顔を見合わせてしまった。
そのまま撫子ねーちゃんは去って行って、部屋に二人だけ残されたような格好になったけど、
特に気まずい空気も無かった。喧嘩? の後だったけど、相手が憎くてした訳でもなかったし、
珍しいぐらいに柔らかい表情をしていた、撫子ねーちゃんのお蔭かもしれない。

花子「……すっかり目が覚めちゃったし」

櫻子「私は逆に疲れた……、やっぱりまだだるい……」

花子「寝ていればいいし、ベッドはもう空くから」

櫻子「そうしよ……」

入れ替わるようにベッドの中に潜り込んだ。
なんかさっきと違う匂いがして、違和感があったけど、不快ではなかった。
寧ろ、なんだか落ち着くような、あったかいような匂いがして、さっきの気の立っていた気持ちの残滓が、あっという間に溶けて行った。
このまま眠りに入ろうかと思ったけど、つい最近に聞いた音が耳に入り込んできて、それをやめた。

櫻子「……まだ勉強してんの?」

花子「うん」

櫻子「物好きなことで」

花子「櫻子がやらなすぎなんだし」

櫻子「でも花子はやりすぎじゃね? 最近また増えてる気がするし」

花子「……たいへんよくできましたが欲しいんだし」

学校のスタンプかなんかかな? でも花子はいつも取ってそうなものだけど。

櫻子「そんな欲しがるものかなーあれ」

花子「珍しいんだし」

櫻子「スタンプとかシールかなんか? しっかしそれのために必死になるなんて、花子にも子供らしいところもあんだね」

花子「そんなんじゃないし!」

露骨に花子は唇を曲げて拗ねたようにしている。
……やっぱり花子はマセてんじゃん、ねーちゃん。

それ以降はさして突っ込まずに、話を中断させた。
言葉の代わりに出てきたのは、大きい欠神で、目元に溜まった涙で視界がぼやけた。
やっぱり眠いなぁ……。軽く目を拭って、再び瞼を閉じた。

案の定と言うべきか、私が快方に向かうのと逆に、
花子は体調を崩して、学校を休む所まで悪化してしまった。
単純に言えば、私の風邪が花子にうつった。

そりゃそうなるよなぁ……と原因には納得は出来たけど、私に寄り添ってくれた花子が苦しむのは納得出来なかった。
しかし納得出来ないと言っても、誰のせいでこうなったかと言えば、私のせい以外の何物でもなくて。
流石に罪悪感というものを覚えずには居られなかった。
らしくもなく学校では沈んだ顔で過ごしてしまって、向日葵にもあかりちゃんにもちなつちゃんにも心配をさせてしまった。
そのたびに「私は大丈夫」と答えたけど、本心であるにも関わらず、言葉通りには取ってもらえては無さそうだった。
だって苦しいのは私じゃなくて花子の方だしと言えば良かったのかもしれないけど、あまり言う気が起きなかった。なんでだろう。
少し考えれば分かったのかもしれないけど、なんだか好ましい答えが出て来なさそうなので思考を投げた。きっと身勝手な答えなんだと思う。

なんにせよちゃんと看病しないとと思い、帰りに必要そうなものを買うと、急ぎの足で帰路を進んだ。

櫻子「花子ー! ただいまー!」

帰宅して、声を上げても、返事は帰ってこなかった。
取りあえず、リビングに行ったけど、誰もいない。
自分の部屋で休んでいるのかな、多分。

手を洗って、着替えてから、花子の部屋に向かう。
しかし、ドアの前で立ち止まると、なぜだかノックするのに躊躇いを感じた。
なんでだろう、と考えてみると、この前のことが引っ掛かったのだと思い当った。
あんまり甲斐甲斐しく付き添って、子供扱いするのは花子は嫌がるのかもしれない。
かと言って、なにもしないつもりはないけど、極端にべったりするのはよくないのか。
うーんと脳がぐるぐると回って、頭を抱えそうになる。つーかこんな考えるなんて私向きじゃねーんだよ!

櫻子「あーもう! どうしろっていうんだよ!」

花子「櫻子うるさいし……」

櫻子「あっ……。えっと、ただいま」

花子「おかえりなさいだし」

うだうだと悩んでいると、ノックする前に、向こうからドアを開けられていた。



櫻子「えっと、ゼリーとかスポーツドリンクとかいる? あと熱さまシートとかあるけど」

花子「……なんか優しすぎて櫻子っぽくないし」

櫻子「私はいつも優しいもん! 花子が分かってないだけ……いや、ごめん、やっぱり違うかも」

花子「やっぱり変だし」

櫻子「流石に風邪うつしちゃったら反省するよ」

花子「櫻子のせいじゃないし、ただの自己責任だし」

……なんとなく、ねーちゃんの言ったことが分かった気がする。

花子「……喉渇いたし」

櫻子「ああ、じゃあ冷蔵庫から持って来るから! スポーツドリンクでいい?」

花子「うん」

冷蔵庫まで取りに行って、再び部屋に戻ると、なんだか聞き慣れたような音が微かに聞こえる気がした。
気のせいと言っても、問題のない程度だったけど、何故だか前聞いた時より不安を煽る音に思える。
奇妙な感覚を覚えながら、ドアを開けると、その音が気のせいではないのが分かった。
文字を綴る音、発生源はもちろん花子で、真っ赤に染まった顔を軽く歪めながら、ノートの上で手を動かし続けていた。

櫻子「……なにやってんの?」

花子「? 勉強してるんだし」

櫻子「そうじゃなくて! 別に今やんなくていいじゃん! 休めよ!」

花子「でもちゃんと毎日続けないと駄目だし……」

なんの使命に駆られているのか分からないけど、そこまで無理をする必要があるのかな。
花子なりの理由があるんだろうけど、私には理解できなかった。
頑張っているといっても、この前と違って、子供らしいとは思えなかった。
なんだか、この頑張りを子供らしいと評した自分が恥ずかしくなってくる。

櫻子「花子、ごめん!」

花子「えっ?」

櫻子「いやさ、この前勉強する花子を見て子供っぽいとか言っちゃったじゃん。
今見てると到底そんな風に思えなくてさ、そりゃ怒るよなって思って」

花子「……違うし」

櫻子「へ?」

花子「そんなんじゃないし」

櫻子「……また怒ってる?」

花子「だから違うし!」

違う違うと言い続ける花子は、もはや何を聞いても違うと答えるんじゃないかってぐらいに
意固地に見えて、どう対処すればいいのか分からなかった。

櫻子「私にどうしろと……」

万策尽きた感を覚え、逆に肩の力が抜けていく始末だった。
空っぽになった頭に、ふとした疑問が浮かんだのは、しばらく沈黙が続いた後だった。

櫻子「そんなにスタンプとかシールが欲しかったの?」

花子「だから違うし……そもそもそんなものって言っただけでスタンプとかシールじゃないし」

櫻子「じゃあどういうものが欲しかったんだよ、カードとか?」

花子「それも違うし……」

櫻子「また違うかよ……いつになったら答え出んの?」

花子「当てずっぽうに言わないで普通に聞けばいいし、だから……」

櫻子「あっ、ちょっと待って」

花子「急になんだし」

櫻子「……いやーこんだけ引っ張ったら自分で答えを出したいっていうか」

花子「クイズじゃないんだし! ……ゴホッ!」

櫻子「あーもう風邪ひいてるんだから無理すんなって、さっきの勉強もそうだけどさぁ」

花子の背中に触れて、しばらく擦り続けた。
半分無心でしていた中で、一つだけ感じたのは、こんなに面積小さいんだなぁってことだった。
やっぱり撫子ねーちゃんの言う通り、これで一人で根を詰め過ぎちゃうのは良くないよなとつくづく実感した。

花子「はぁ……気が抜けるし。なんで櫻子に」

櫻子「私に?」

花子「……だから、櫻子に甘えたかったんだし」

櫻子「へ? どういう意味?」

頭の整理が追い付かなくて、ポカンとしてしまう。
唐突な宣言に、どういう反応を返せば正常なのかすらわからない。

花子「スタンプでも、シールでも、カードでもなくて、櫻子のたいへんよくできましたが欲しかったんだし……」

櫻子「……どういうこと?」

花子「……た、たまには櫻子お姉ちゃんに甘やかされたり、褒められたりしたかったんだし」

櫻子「……急にそんなん言われても。そもそも散々私を子供みたいに扱ってるの花子じゃん」

花子「それは、ごめんなさい……」

櫻子「あー! しおらしくなるな! 別にそんな嫌がってないから!」

慌てて花子の頭を、少々乱暴に撫でた。
……ツンケンしてる時もあるけど、根が素直すぎんだよね、花子は。

花子「普段はそう見えるかもしれないけど、花子にとって櫻子は……」

櫻子「……うん」

花子「……花子にとって櫻子は、ずっと尊敬するお姉ちゃんだし」

櫻子「……」

花子「なんか言えし! なんでこんな時に限って黙ってるし! こっちが恥ずかしくなるし! いつもみたいに調子に乗ればいいし!」

櫻子「花子」

身振り手振りで恥ずかしさを伝える花子を、宥めるように腕で包んだ。
触れた途端に暴れ馬のようだった花子は借りてきた猫のように大人しくなって、私の胸の中で縮こまっている。

そうだよね。妙に納得してしまった。

櫻子「花子ちんまいな~」

こんな小さいのにあんな賢くなるまで勉強して、散々振り回しても付き合ってくれて、
この前の時の私より一回りも二回りも小さいのに弱音一つも吐かなくて、
なんだろう、上手く言葉が出て来なくなってくるから、せめて一つぐらい伝えないとと思って。

櫻子「花子はさ、凄く頑張ってるよ」

泣きだした花子を見て、ああシャツ着替えなきゃなぁと思った。
特に驚くことも無かったのは、言う前からなんとなくこうなる気がしたから。
それでも妹が泣く姿というのは、見ていて穏やかな気持ちにはなれなくて。
あんまり繰り返し見たくないものに分類されることだった。だから。

櫻子「だからたまには櫻子様に甘えさせてやらんでもない」

花子「なんだし、それ」

顔を上げた花子は、涙まじりの笑顔を浮かべていて、
目線の先にいる私は、五歳下の妹に使う言葉ではないのに、純粋に綺麗だなぁと思った。
散々にまだ子供だと実感したのに、今だけはそう見えなくて、一瞬、抱えているほとんどの感情が引っくり返ったように前後不覚になった。
その中で、一つだけ微かに残った感情のままに、花子の肩に手を添えていた。

花子「櫻子……?」

脈絡のない動作に、困惑しているようだったけど、
強張りは一切伝わって来なくて、微かだった感情が大きく膨らんでいく。
前後不覚になっていた感情が戻った時にはもう遅くて、あまりにも緩やかなブレーキしか踏めなかった。

花子は微動だにぜずに、こちらを見続けている。
このまま動かないで欲しいなと願いながら、花子の唇にキスをした。

唇が離れた後の沈黙はゆっくりした時間の流れで続き、声を発するタイミングは上手く計れなかった。
花子もそう感じていたのか、そうでもなかったのかは分からないけど、最初に口を開いたのは花子の方だった。

花子「風邪、うつるし」

櫻子「……あっ、しまった」

花子「はぁ……結局櫻子は櫻子だし。少しは考えてから行動して欲しいし」

櫻子「……考えたらキスして良かったの?」

花子「あーもう知らんし! さっさと出て行けし!」

櫻子「わかったわかったごめんって! 私が全面的に悪かったから! 許してください花子様!」

花子「花子様はやめろし! ……ゴホッ!ゴホッ!」

櫻子「あーそんな声出すから……これじゃあ悪化しちゃうじゃん」

花子「だ、誰のせいだと……」

櫻子「だから謝ってるもん! しつこい女はモテねーぞ!」

花子「……別に良いし、櫻子がいれば」

櫻子「……前言撤回するから健やかに育てよ」

花子「?」

櫻子「はぁ……」

疑問符を浮かべる花子の頭に手を置いて、軽く撫でた。
またしおらしくなる所は、飼い主にべったりの子犬みたいで和んだけど、子犬と花子では全く違うなと思いなおした。
花子と違って子犬はこんなに恐ろしくはないし、こんなにかわいくはなかった。





あーんとしてやろうか、なんて普段はからかい文句でしかないのに、
今日に限ってはただの提案に変化していて、私はついていけなかった。
だから、

櫻子「ほら、花子! 美人のお姉ちゃんがあーんしてやるぞ!」

花子「うん」

櫻子「……うん」

つい普段の軽さもままで言ってしまったのはまあ仕方ない、そこは割り切れるポイントだった。
だけど、花子の反応があまりにも穏やかで、力みがないものだから、こちらの方が恥ずかしくなってしまうのが困りものだった。
スプーンに乗ったおかゆにふーふーと息を吹きかけて、妹の口元に運ぶ。
年数で言えばどのぐらいかは計算するのがめんどくさくてやめたけど、まだ花子は十年も生きていない訳で、
前にこういう育児染みたことをやったのは、そう何年も前でもないはず。
それなのに、世紀を跨いだかのような遠い日々に感じるのはどうしてだろう、普段の花子が同世代と比べると相当に大人びているせいなのか。
でも、少量のおかゆを咀嚼する花子を見ていると、段々と近い出来事に戻ってきて、
相変わらず小さい口だなぁ、なんて、思うところまで至ると、つい最近まで身近にあったことのように思えるから、記憶というのは不思議だった。

櫻子「……おいしい?」

花子「うん」

櫻子「へぇ~、こんな真っ白で味とかあんの? ちょっと食べていい?」

花子「だから風邪うつるからやめろし」

櫻子「じゃあ」

花子「新しいスプーンも駄目だし、もう口付けてる」

櫻子「ぐぬぬ。私が風邪引いてた時は、そんな神経質じゃなかったのに! ほんとは一人で食べたいだけだろ!」

花子「そんな執着するような味でもないし。……櫻子の卵粥の方が何倍も美味しかった」

櫻子「……」

花子「得意げにしないの?」

櫻子「なんか、……調子狂うからパスでいいや、花子がやって」

花子「なんで花子があんなのやらなきゃいけないんだし」

櫻子「あんなのって……私はそんな風に見られていたのか……」


花子「気付いてなかったんだ……」

櫻子「あっそうだ、ショックで寝込むからベッド貸して!」

花子「随分陽気なショックだし……ベッド使うなら食べ終わってからにしてほしいし」

櫻子「じゃあ早く! 早く!」

花子「病人を急かすなし! まだ熱いし! 勢い余ってスプーンから飛び出てるし!」




花子「なんで食べるのにこんな体力つかわないといけないんだし」

櫻子「まあいいじゃんいいじゃん! 丁度いいし」

花子「?」

櫻子「ほら、おいで花子」

私が横になっているベッドの上を叩いて、催促をしてみる。
花子は、私の意図を呑み込むのに時間が掛かったのか、それなりの時間固まって、
それからただでさえ赤い顔をさらに赤くして、ゆっくりとこちらへ向かってきた。

花子「……やっぱり風邪うつっちゃうから駄目だし」

櫻子「いいようつして、寧ろもともと私のものなんだから返せ」

花子「なんだしそれ」

花子はクスっと笑うと、観念して、私の隣に寝そべった。

花子「うつしてうつされての繰り返しじゃキリが無いし」

櫻子「大丈夫大丈夫、私は花子と違って一度喰らった技は受けないから」

花子「頑丈そうで羨ましい限りだし。……本当にもう引かない?」

櫻子「へ? ああ、うん、そりゃもう櫻子様は頑丈だからね」

花子「……そっか」

櫻子「?」

花子は起き上がって、私が身を起こすのを促すように、左手を握って来た。
されるがままに私も起き上がって、花子の方を向くと、なにか渋っているかの様子で顔を俯かせていた。

櫻子「どうしたの?」

花子「目瞑って」

櫻子「は? 急になにを」

花子「瞑って欲しいし」

櫻子「いや、いいけどさ……」

花子が何を考えているのか分からなくて、頭の中が疑問符で一杯だったけど、言われるがままに目を閉じてみる。
どうしたのかなーと考えてみるけど、そう時間が掛からない内に、まあ好きにさせればいいと思って、思考を止めた。
それから、長い時間か短い時間が経った後、唇にさっきの感触が伝わって、反射的に目を見開いてしまった。
眼前には花子の顔があって、それはすぐに離れて行ったけど、とにかく真っ赤な色が網膜に焼き付いて、伝染するように私の顔まで真っ赤に染まった。

花子「……おやすみ」

櫻子「……えっ?」

花子「おやすみのキスだし!」

やけくそ気味に言い放つと、花子は身をベッドに投げ出した。
……えっと、なんだろう。呆然としながら、私は半分無意識に、自分の唇をなぞった。

櫻子「……まあ、いいや」

様々な思いが、溢れ出しそうに渦巻いているけど、すべて無視をして、私もベッドに横たわった。
目の先にいる花子は、多弁な顔をしていて、目を瞑っているのに、眠りには一番遠いような所にいそうだった。

櫻子「おやすみ、花子」

軽く花子の体を引き寄せて、私は目を閉じた。
小声で、律儀におやすみと返してくる花子が、なんだか無性に愛おしくて、口元を緩めた。



おわり
櫻子と花子様の姉妹百合が書きたかったはずでした

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