一目惚れ (オリジナル百合) (59)

百合
めちゃくちゃ短い






唐突に映画を見たくなった。


ほのぼの系が見たい。
思い立ったが吉日で、
あたしはスマホを取り出して、
今日の上映スケジュールを素早く調べた。

姉妹の物語のやつがあった。
なんかTVとか雑誌とか、学校の友達の間で、話題になっているやつ。
ただ、今の時間だと夜のしかない。
確か、18歳以上は保護者同伴じゃないとダメだった気がする。
というか、なんでほのぼの系なのに、こんな夜遅くにするんだろう。
どうでもいいけど。

映画館は近所の大型モールの中にあって、
外側に設置された階段で二階へ上がるとすぐに映画館に通じていた。
ただ、問題は家からモールまで一体どうやって行くか、ということだ。

「……とりあえず、お風呂入って、靴を部屋に持っていって、もう寝たと見せかけて……窓から屋根づたいに行く」

あたしは一連の計画を頭の中でシミュレートする。
完璧な計画だ。
初めてやるが、完璧な計画だ。

「よし……お母さーん! お風呂入ってくるからー!」

あたしはわざとらしさが出ないように、
そう言ってお風呂場へ向かった。

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お風呂から出て、髪を乾かして、

「もう寝るねー」

と言って、玄関に向かう。

「あら、早いわね」

リビングからそんな声が聞こえた。

「あー、う、うん。なんか、眠たくてさー」

音を立てないように、暗い玄関から自分の靴を掴んだ。
廊下がぎしりと音を立てる。
心臓がびくんと跳ねた。

「おやすみー」

階段に足をかけて両手に靴をしっかりと持って、あたしは眠そうな演技をした。

「おやすみなさい」

なんの疑いのない母の声が返ってきた。
あたしは心の中で、よしっ、と拳を握りしめた。
フェーズ1はオッケーなり。

部屋に戻るや否や、布団の中に抱き枕を入れて、
夜目に見るとそこであたしが寝ているようにカモフラージュする。

「行ける……行けるで」

あたしは窓を開ける。
昼間とは打って変って、
肌寒い夜風が風呂上がりの体を撫でた。

「さむっ……」

ベッドの上に転がっていた上着を羽織る。

「っしゃ」

靴を履いて、窓枠に足をかけた。
窓の縁に手をかけて下を見る。
瓦屋根にゆっくりと左足を乗せた。

「っうお!?」

瞬間、瓦ががたんと揺れる。
瓦ごと落ちてしまうかと恐怖で息が止まりそうになる。
動悸がすごい。

もう片方の足を乗せ、
瓦が滑り落ちないことを確認して、
壁づたいに歩いていく。
がちゃがちゃと瓦が鳴る。
どうか、聞こえませんように。
ネコかイヌと思ってくれますように。

なんとか、屋根の端までたどり着き、
下にあるブロック塀を見下ろした。
あそこに足をかけて、庭に着地するだけだ。
距離にして、3m程。
いや、めちゃくちゃ怖い。
夜で暗がりで、星はキレイで。
足を踏み外したらどうなるだろうか。
例えば、捻挫。
例えば、お腹の横をごりっとこする。
あたしは、他の手段を考える。
きょろりと周囲を探ると、雨水を流す排水管が家の壁伝いに設置されていた。

「これだ……」

排水管をぐいぐいと手で押した。
多少動くが、取れなさそうだ。
二階から一階の途中まで行けたら、
後は勇気を振り絞って降りればいい。

足から先に降りて、排水管にしがみつく。
ゆっくりと手で管を挟む。
いける。
ぎちぎちと留め金が軋む。
壁と管との狭い隙間に指を入れて、
少しずつ足と手を下に移動させていった。

なんとか予定した高さまでたどり着き、ぱっと手を離した。
だん! と予想より大きな音が家の外に響く。

「やばっ……」

あたしは逃げるように、抜き足で駆け出した。
手がじんじんして、額と背中とふくらはぎのあたりに汗をかいていた。
走ること五分で、目的のモールの入り口に到着した。
脱獄囚ってこんな感じだろうか。
モールはライトアップがされており、
専門店街は閉まってお客もいないにも関わらず、
賑やかさの残滓が漂っていた。
時計を見る。
上映時間になっていた。

あたしは急いで階段を駆け上った。
客のいない時間に入るというのは、
少し特別な招待客のようで、
密かな高揚感があった。
タバコ臭い休憩室を通り過ぎ、
映画館の前の自動ドアをカエルのように潜り抜ける。
看板の前にカップルがいて、
どの映画を見ようかと迷っていた。

「……えと」

そんなことより、
さっさとチケットを購入しなければ。
早歩きで販売機をいじり、購入する。

ポップコーンとか、メロンソーダとか、
深夜にも関わらず欲しくなったけれど、
そこは我慢して半券をスタッフに渡した。

「お嬢さん、親御さんは?」

と、スタッフの人が言った。

「あ……後で来ます」

あたしは笑顔でそう言った。
上映前の10分は、確か宣伝だ。
だから、ここで多少遅くなっても大丈夫。

「本当に?」

スタッフに疑いのまなざし。
遅くなっても大丈夫。
の前に、やばい、なんか捕まった。

「は、はい」

はよ、行かせてください。
マジで。
お願いします。
半券を握りしめる。
スタッフにとにかく微笑む。

「今、トイレに行ってるので……」

と、適当な嘘を吐く。
でも、待てよ。
後で親が来ないと分かったらどうなるのか。
連れ出されるのか。
警察でも呼ばれるのか。
親に電話させられるのか。
店長さんが出てきてお説教するのか。
おーう。

あたしは、自分がバカだったことを思い出しながら、
スタッフに愛想を振りまくのを止める。

「ちょっと、話を――」

「あ、ごめん待った?」

「え……」

あたしは耳を疑った。
そして、振り返った。

「ごめんごめん……いこっか?」

スーツ姿の女性が、
優しく微笑みながら半券をスタッフに見せる。
スタッフは咳払いして、

「えっと……5番スクリーンになります」

特に悪びれもなく案内してくれた。
しかし、あたしはそのクソスタッフの対応について、
すでにどうでも良くなっていた。

「いこ」

スーツの女は長い髪を一つにくくり、
それを揺らしてあたしの前を進む。
あたしは呆然と立ち止まっていたが、
映画を見たい、という圧倒的欲望に押されて、
自然と彼女の後を追いかけるように歩き出した。

「あ、ありがとうございます」

スクリーン5番に入り、席へ着く前に彼女にお礼を伝えた。
彼女が振り返る。
背の高い人だ。
ハイヒールを履いているせいだけではない。
姿勢が凄くキレイ。

「ううん、いいよ」

姿勢だけじゃない。
美人だ。
なんか、こう、大和撫子的な。
20代後半くらいだろうか。
初めて会う人種だ。

「……」

で、ありえないけれど、何かビビッと来た。
何が来たのかとか言葉で表現できない。
でも、これは電車の中でたまたま隣にカッコイイ男の人が乗ってきた時とよく似ている。
似ているだけで、全く違うものかもしれない。
けれど、よく似ている。

「席どこなの?」

「あ……一番後ろの真ん中です」

「あ、隣の隣だね」

そういえば、チケットを買う時に、
画面上に映し出された配席図に、
黒塗りされた席があった。
この人だったのか。

「あはは……」



宣伝がちょうど終わった。

「いそご?」

彼女が少し、早歩きで上へ登っていく。
明日が平日ということもあり、
お客はあたしと彼女の二人だけだった。
一つ空きで、互いに腰かける。

「田舎の映画館って、人少ないよね」

彼女が言った。
残念そうな感じだ。
こんな夜中にわいわい見るのは勘弁して欲しい。
静かにゆっくり見たい。

「は、はあ」

と、生返事を返す。
ていうか、うん、その、誰なんだこの人。
あたしはその疑問を抱えながら映画に集中し始める。
女4人が主人公のその映画は、
すでに冒頭のBGMからプラトニックな印象をあたしに与えていた。

エッチの後の、いわゆる事後シーンが出てきて、
あたしは親とそういうのを見る時のような羞恥というか、
焦りのようなものを感じていた。
こっそり横目で彼女を見た。
うん、動じてない。
あっちが気にしていないのに、
自分が気にするなんてバカだ。

ていうか、知らない人だし。
なんで少し喋ったくらいで、
こんなに意識しなければならないのだろう。

映画。
映画見に来たの、あたしは。
それから、勝手に映画が終わるまでは彼女の方を見ない、
などという自分ルールを勝手に作って、前方のスクリーンを食い入るように見つめた。


映画が終わって、エンドロールで余韻に浸る。
良い映画だった。
あたしもあの姉妹の中に混ざりたい。
ていうか、朝ごはん美味しそうだな。
お腹空いてきた。
両手でお腹を押さえる。
さて、帰ろう。
がたん、と隣から音が聞こえた。
あたしは驚いて視線を左へ。

「……っ」

彼女は、なぜか、泣いていた。

え、今の映画泣く所そんなにあったっけ。
自分があんまり感情移入できなかったのだろうか。
あたしは先ほどのお礼をもう一度伝えたいと思ったのだが、
その人が俯いて、顔を両手で覆って嗚咽を漏らしていたので、
先に帰ることにした。
が、よく考えたら一緒に帰らないと不審がられる。

「あ、あの……」

なぜか声をかけてしまう。
キレイな人だけど、変な人かもしれない。
どうやら聞こえてないみたいだ。
夜も遅いし、あたしもさっさと帰りたい。
あたしは立ち上がって、鞄に入っているハンカチを彼女の前に差し出した。

「良ければ、使ってください」

いや、でも社会人だし自分で持ってるんじゃ。
思い直し、

「あ、いらないですよね……」

彼女の返事を聞く前に、
腕を引っ込める。
彼女が顔を上げた。

「ありがとう……」

泣きながら笑うという技の破壊力よ。
クリティカルヒットした。
女の人なのに。
うん、自分でも気持ち悪い。
だってもしこれが逆の立場なら、
思われたら怖いと思うんだ。

それに、今日限りの出会いの人だし。
でも彼女はまだ泣いていた。
なんでそんなに泣くのか。
もう、早く泣き止んで欲しい。
自分にはどうすることもできないけど。

「なんで……泣いてるんですか」

ぽろりと言葉が零れた。

「え」

「あ……えと」

彼女は自分の鞄からハンカチを取り出して、
目元を覆った。で、あたしの方を見て、

「安心したの……。良かったなあって……私も妹いたから」

「そうなんですか……」

「あなたにちょっと似てる」

「……へえ」

あー、まさかそれでさっき助けてくれたんだろうか。
でも、これ余計な詮索ってやつだと思ったので、何も聞かずにあたしは彼女の隣に座った。
すると彼女は少し驚いて、あたしを見た。
帰らないのか、と言いたそうだ。
ううん、帰れないの。

それから、漸く、彼女も気が付いたようで、

「あ、ごめんね……一緒に帰らないとだよね」

少し抜けた台詞を呟いた。

「急がないので……」

いや、嘘だ。
けっこう焦ってる。
こっそり家から出てきたし。
だが、そんな焦りはこの人には全く関係のないこと。
それに助けてくれた手前、急かすわけにもいかない。

「ううん、いこうか」

けれど、彼女はこちらの不安をくみ取ってくれたのか、席を立った。
あたしは彼女の前を歩き、部屋を出て映画館を後にした。

映画館の階段を下りながら、
先ほどと違ってなんだか頼りがいのなくなった彼女を見る。
目が合う。

「す、すいません」

なぜか謝ってしまう。

「こっちこそ、変な所見られちゃった」

「や、変では」

眠いのでねます

変では――ない?
いやいや、変でしょ。
モールの街灯は最低限しか点灯しておらず、
階段下に広がるだだっ広い駐車場は奥の方が全く見えない。
そんな時間帯に、隣を歩く大人の女性。
謎の救出劇。

あたしはもう一度彼女を見る。
少したれ目気味で、疲れ気味の顔。

「映画、よく来るんですか?」

「ううん、仕事帰りに今日はたまたまで……」

「お仕事遅いんですね……」

「そうね……あなたは、高校生くらいよね?」

「……いえ、大学生です」

なぜか、バレバレの嘘をつく。

「ほんと……?」

別に疑うって感じではなくて、
からかうように彼女は言った。
どちらでも、別にいいけどって思っているみたい。

「いえ、ごめんなさい。見た目通りです。ちんちくりんです」

誰もそこまで言ってはいない。

「あなたはこうやってよく映画を見に?」

ちんちくりんはスルーされた。

「や、初めてです。こんな夜遅くに来たの」

「だよね……」

頷きながら、彼女は突然お腹を抱えて笑い出した。

「っ……ふふっ……あははっ……」

何がおかしいのかよく分からない。
あたしは愛想笑いを返すべきか悩み立ち止まる。

「最近の子って、すごいっ……」

「すごい?」

「映画見るために……あんな風に家から脱出するなんて……すごいっ……ふふ」

「み、見てたんですか?」

まさか、あの醜態を晒しまっていたとは。

「ダイハードみたいだった……」

「家から脱出した瞬間、爆発しそうですね……」

あたしは想像して、可笑しくて笑ってしまった。
謎の組織からの逃走活劇。
謎の組織?
この場合、組織じゃなくてお母さんのことだけど。

「なんだろう、この子……空き巣かなって最初思ったんだけど、違ったね」

「玄関から出たら、ばれちゃうので」

「でもさ」

彼女はシャツの一番上のボタンを外した。
一瞬鎖骨が見える。

「帰りはどうするの?」

地に降り立ったあたしは、その質問にはっとなった。

「か、考えてなかったです」

「そうなの? やっぱり? そうなんだ……っ」

そして、また柔和な微笑みを浮かべる。

「どうしよう……」

「……ホントはね、そう思ってあなたの後をつけてたの」

「ええ……?」

趣味悪い人かもしれない。

「この子、帰りはどうするのかなって……」

ああ、帰りのことなんてすっぽり抜け落ちていた。
欲望に逆らわなかった結果がこれだ。
玄関は鍵がかかっている。
かと言って、外のポストに入ってある合鍵で開ければ外出したのがバレる。
母、起きる。怒鳴られる。喧嘩する。
裏切りだ。
大人しく寝たと見せかけて、信頼を裏切っての外出。

寝ます

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