P「臨死体験、ですか」(33)
臨死体験というものがある。
一般的には死の危険に瀕した際に、まるで魂だけの存在になったかのように自分自身や周りの景色を俯瞰的に見ることが出来るという現象、その報告を指す。
そもそも臨死体験自体が一般的ではないということには目を瞑っていただきたい。
とにかく、本来ならば知りえない情報をまるで見て来たかの様に語る重病人や怪我人が多数おり、それを不思議に思った、あるいは面白がった人間がさらにそれを伝え、今では臨死体験=幽体離脱というような図式が容易に思い描けるまでになったのだ。
これに対して、一つの仮定を述べたいと思う。
人間の脳というものは、通常ではそのほとんどの能力を使わずにいるらしい。
聡い人であればここまで言えば何を言わんとしているのかが予測出来たことと思われるが、もう少しお付き合いいただきたい。
多くの場合プロのスポーツ選手などが、極限まで集中した時に、世界がゆっくりと動いているように見えると言う。
これはスポーツ選手と並んで、交通事故などに遭う瞬間なども報告されているようであることから、危機回避能力の発露と捉えるのが妥当である。
報告と言っても、一小市民である私にとって、それはtvやインターネット上の書き込みの受け売りであることを明記しておこう。
本題に戻ると、何かしらの危機に陥った際に、普段は使われていない能力を発揮してそれを回避しようという本能的な行動が、このゆっくり見える状態なのではないだろうか。
これを仮に『クロック・アップ』と呼ぶことにする。
ちなみに走馬灯もその一種だと考えられる。
そして、そのクロック・アップこそが臨死体験や、いわゆる幽体離脱の正体ではないかと思うのである。
ゆっくり見えるのと、知り得ないことを知るのでは通じないとお思いだろうが、その点についても説明したいと思う。
先に述べた通り、我々の脳は常にセーブ状態にある。
理由は色々言われているが、主だったものとしては負担が大きすぎるからというものが挙げられるだろう。
ともあれ、そうして機能を制限された状態で認識する、たとえば細長い棒状で先が細くなっているという大まかな情報からthis is a pen.と判断するということは、そのために得た視覚的、触覚的情報等を、必要最低限以外は切り捨てているということなのである。
もし、その制限が外れた場合、どうなるのだろうか。
それこそが、クロック・アップなのである。
物事を認識する速度が上がれば、当然世界は遅く見える。
バッターボックスに立った打者を想像して頂きたい。
自分とボールとの距離がどの程度であるという認識の積み重ねこそが、ボールの速度であるのならばその積み重ねる速度が上がるのに反比例してボールは遅く見えるようになるのである。
この時、バッターの脳内では高速で処理するために出力を上げているだけでなく、必要のない情報をシャットアウトするなどの最適化も行われているだろう。
そして、これこそが幽体離脱の正体である。
つまり、通常の脳では処理しきれないために捨てている多くの情報を、クロック・アップによって認識出来るようになったのである。
普段なら聞き逃している床や壁の木材の軋みや空気の動く音、それが肌に触れる感触など、その全ての情報を認識した時、目の前には俯瞰的な景色が広がっているのではないだろうか、知り得ない遠くの出来事を知っているのも同じ原理である。
だから、こうして今見ている風景は、きっとあそこで暢気に横になっているやつが見聞きしている世界なんだろう。
おそらく痛みも感じているはずだが、それは不要な情報としてカットしているのだろう。
そうでなければあの状態でこうしてのんびり考え事をする余裕なんてないはずだ。
あれは確実に足が折れてるだろう、服で見えなくて助かったな、ってそんな引っ張り方したらとれちゃう! 足とれちゃうから!
これからどうなるのだろうか。
このままどこか高いところに上っていってあたたかい世界で暮らしていくのだろうか、それともどこか別の命へと旅立つのだろうか、出来ることなら苦しいことや、ずっとこのままなんていうのは勘弁してほしいところなのだが。
…………
……
突然景色が切り替わり、病室のような場所になった。
意識が途絶えたのだろう。
淡い色調の部屋、白いベッドの上で管を通されて寝ている自分自身を眺める。
写真の嫌いな自分にとって、こうして眺める寝顔は滅多に見ないものだ。
周囲には見知った顔がいくつかあった。
妻と子供たちだ。
残りは病院関係者とかだろう。
いや、微妙に見覚えのある顔が……あれはあのトラックの運転手か?
そういえば、この状態になる直前はあのクロック・アップ状態になってたんだと思い出す。
その時に嫌というほどスローで眺めた顔だ、憶えていてもおかしくはない。
不思議と、恨みやなんかは湧いてこなかった。
あの人にもこうして泣いてくれる誰かが居るのだと思うと、むしろこれでしばらくは仕事も出来まいと同情してしまった。
それに、あんな沈痛な面持ちをしている人間にどうこう言おうとは思えない。
そういえば、さっきから音が聞こえないな。
涙を流しているから泣いているのだとわかりはするが、泣き声は聞こえてこない。
その方が楽といえばそうなのだが、無声映画を見ているようで妙な気分だ。
どれ、先ほどの仮定が正しいならば、集中さえすれば聞こえてもおかしくないはずだと、必死に耳を傾けるようなイメージをしてみる。
おかしな言い回しになってしまうが、傾ける耳がないのだから仕方がない。
そうして集中していると、次第に音が近づいてくる。
まず真っ先に耳に入って来たのは子供たちが呼ぶ声だった。
──ぱぱ、おっき、おっき
これはなかなかに気が滅入るな。
次に聞こえてきたのは、医師の声だ。
──先ほどの検査の結果ですが、ご主人は脳梗塞だった可能性があります
え、そうなの?
そういえば、事故の直前くらっと来て道に倒れこんだ気もするな。
──怪我の方もそうですが、そちらも致命的なレベルだったものと思われます
そうか、どちらにしろやばかったのか。
もしかしてこの幽体離脱状態も、そのせいだったりしてな。
…………
……
あぁ、またか。
しかし今度は随分飛んだみたいだな、窓から見える季節が違う。
結局あれから色々と検査をしてみたらこの体はぼろぼろだったみたいだ。
脳梗塞、過労、それに癌まで見つかった。
休みなく働いた結果と言えば聞こえは良いけど、それがこれでは少し報われないよな。
──もうお休みの日に遊んでって言わないから
いや、こんなこと言ってくれる家族が出来たことが、何よりの報酬か。
本当はもっとずっと守っていってやりたかったんだけどな。
こんな風に泣かせたりしないために、がんばってたはずだったんだけどな。
どうなるんだろうなこれから。
…………
……
段々と、飛ぶ間隔が大きくなって来てる。
あんなに小さかったのがもう結構大きい、中学校にはまだいってないかな。
次に飛んだら娘の結婚報告とか嫌だぞ。
しっかり旦那を見定めてやるつもりだったんだからな。
まあ、喧嘩するの苦手だから、酒飲んで潰してやるくらいしか考えてなかったんだけど。
あと、友人が何人か訪ねて来た。
──嫁さん置いて先に逝くようなやつとは絶交だぞ
そういえばこいつは小学校の時の口癖が絶交だぞ、だったな。
──だからうちの保険に入っとけって言ったのに
こんな時まで仕事の話かよ、空気読め。
──同窓会でかっこいい姿見せ付けるんじゃなかったのかよ
あぁ、そうだ、こいつらは高校の時のバンド仲間だった。
俺がギターボーカルで絶交がリードギター、空気読めないのがベースで最後のがバンマスでドラム。
──同窓会会場が葬式会場に早変わりなんて笑えないぞ
あの時のあだ名がそのまま仕事になったんだな、あんなに実家を継ぐのを嫌がってたのにな。
ちなみに、そのつるつるな頭はどれくらいの頻度で剃ってるんだ。
こいつらも働き盛りだろうに、飛んでいる間も暇を見つけてはこうして来てくれているみたいだ。
走馬灯は見てないけど、ある意味人生のハイライトっていうか、がんばった結果を見せてもらってるような感じがするな。
…………
……
──プロデューサー。私、決めました
懐かしい顔を見た。
担当していたアイドルの一人だ。
偶然なのか、何なのか、アイドルが見舞いに来ている時に、こうして見られることがなかったな。
──もうアイドルではないですけど、トップを目指すことにします
そもそもあまり見舞いに来てないとは、悲しくなるので考えたくないな。
それにしても、少し険が取れたな、千早。
思いつめたような顔をしてた頃が懐かしいな。
何を決めたのかは知らないが、応援しているよ。
…………
……
──ぱぱ
今はいつなんだろう。
夜で外の風景が見えない、カレンダーくらい付けとけよっていうのも無理な話か。
何度試しても遠くには行けなかった。
あの仮説が間違っていたのか、この脳の性能が足りなかったのか。
しかし、せっかくこうしているのに、変化がない時はすごくもったいなく感じる。
──ぱぱ
そんなことを思っていたら娘が来た。
学校の制服とコートを着てるところを見ると、今は冬か。
それにしても、大きくなったな。
もう十年は経ってるんだな。
──ぱぱ
まだそう呼ぶのか、あいつのことはお母さんって呼ぶようになったのに。
ずっと時間が止まってるのは自分だけで良いのに。
──私が変わってあげられたら良いのにね
そんなわけあるか。
それだけはありえない。
精一杯守ってきたものの代わりに生き延びて、それがなんになるんだ。
ただし、お前がこうなったら変わってやる。
何があったか知らないけど、何があっても絶対生きろ。
きっともう長くない。
思考がまとまらない。
前から思い出せないことがあったりはしたが、最近は考えるのこと自体が難しい。
あの桜は、何て花だろう。
そうか、さくらと言うのか。
ところでこの人たちは誰だろう。
忘れてもこの状態だったらと想像したことがある。
それは何よりも辛い。
憶えてもいない家族の、友人の顔を眺めるのなんて。
これは何の罰なんだ。
奇妙な音が聞こえる。
何か目覚ましのような、煩わしくて、注意を引く音。
走り回る白衣の人々。
隅に固まっている見知らぬ家族。
やっと、この苦しみから逃れられる。
何が苦しいのだったかも、忘れてしまったけれど。
──今夜が山場です。しかしこれを越えても、おそらくはもう
光が見えた。
てっきり、やっと終われるのかと思ったのだが、違うらしい。
あの時見えたのは、病室に差し込む朝日だったようだ。
見渡してみるとどうやら泊り込んだみたいで、ベッドの周りには家族が、少し離れて友人たちが寝ていた。
重く、まだ涙で濡れている腕を何とか持ち上げて、家族の頭を順に撫でた。
そうすると不思議なことに、家族も友人も全員が目を覚まし出した。
驚き、何か言おうとしているが声にはならないようだ、それかもう聞こえていないだけなのかもしれない。
友人がナースコールをしようとするのを、やめてくれという思いを込めて見つめた。
全員がこちらを見ている、そして全員が涙を流していた。
──泣く必要はないよ
声が出ているのか不安だった。
なにせずっとのどを動かしていなかったのだ。
しかしなぜか伝わっているのは確信していた。
──お前たちの、不幸とかそういうのは、全部もらったから
きっと何を言ってるのかわからないだろう。
みんな黙って俺の言葉を待ってくれている。
自分でもわからなかった。
でも、今ははっきりしている。
ずっと、ずっと、何もかもを忘れるまでこうして残っていた理由。
罰なんかじゃなかったのだ。
──その分の、代償は払っておいたから
そうして、多くの悲しみや不幸は、どことも知れないどこか遠くへと一緒に旅立つのだ。
──結構高かったけど、そのためにがんばって来たからな
──だから涙とは、お別れだ
今度こそ最後だろう、自然とそう思えた。
誰の声かはわからない、でも確かに聞こえた。
──これは、嬉し涙だよ
あぁ、こんなにも自慢出来る財産を持てたんだ。
幸せだな。
了
というわけで、終わり。
>>1に書いた通り、続きというか外伝的なものです。
今さらながら、スレ立てせずに同じスレに書けば良かったかなと。
あえてわかりづらく書いたのですが、質問等あれば。
クロック・アップ(キリッ
恥ずかしい……///
一応千早「狭き門?」から含めて、
アニマスの数年後pが事故にあう(ついでに結婚して子どもも居る)、その事故をきっかけに765プロが解散、
そのまた数年後(アニマスからは10数年後くらい)に美希が千早を勧誘、
数年後、美希と千早が成功する直前にpが行くって感じで書いてます。
ついでに、医者と友人たちと子どもはオリキャラだけど、それ以外はアイマス登場人物だったり。
果たしてpは誰と結婚したのか。
千早「狭き門?」の二人が変わりすぎだったかなと思ったので、補足的な意味合いも込めて書いてみました。
とりあえずわかったのは、よく知りもしないことは書かない方が良いということかw
クロック・アップ(キリッ
ではまたの機会があればノシ
>>29
嫁さんは……嫁さんは春香ダヨネ(懇願
>>30 好きなキャラを未亡人にしたいとかこのおにちくっ!
ともあれ、誰がなったとしてもこの展開が待ち受けてるのです。
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