舞園「短編四つ、です」 (29)

・以前投稿した『苗木「彼女との再会」』以降の話で、小説形式の短編四作構成です。一・三作目が苗木君視点で、二・四作目が舞園さん視点になってます
・意図した訳じゃないですが、舞園さん視点の方は短めです
・他のキャラクターも出したかったんですが、長さの都合上、結局台詞はまた苗木君と舞園さんのみになりました
・変わらず平和な世界観で、基本的に原作の設定を使用していますが、勝手に変更したり追加したりしています
・前作同様キャラの性格や口調、文章自体におかしな所が見受けられるかもしれません

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■-ビデオメッセージ

『第七十八期生の苗木誠君、お荷物が届いています。お時間のある時に、寄宿舎の事務局までお伺い下さい』

希望ヶ峰学園に入学してから数日後の事。三時限目が終わった後の休み時間に、そんなアナウンスが校舎全体に響き渡った。
だけどその荷物とやらに僕はまるで心当たりがなくて、実際に受け取るまではどんな物なのか分からなかった。
それで、授業が終わって放課後に受け取りに行った訳だけど――その荷物の正体は、一枚のDVDだった。


(ビデオメッセージ、かあ)


そう、正確にはビデオメッセージ。差出元は僕の実家で、何でもこの中には家族から僕への応援メッセージが収録されているらしい。
添え付けられていたメモ翌用紙に、母さんの字でそんな事が書かれてあったんだ。送るなら送ると言ってくれればいいのにと思ったけど、それは一応サプライズの為なんだとか。
まあ、特にびっくりはしなかったんだけど……でも、僕の為にこんな物を作ってくれたのは、やっぱり嬉しかったり。

そんな訳で、僕はこのビデオメッセージを今から――じゃなくて。少し遅れて、夜に観る事に『なった』。


「うふふ、楽しみです。帰ってくる間、ずっとわくわくしてたんですよ」
「はは、家族の皆も喜んでくれるよ」


部屋までの道を、お仕事から帰ってきた舞園さんと一緒に歩く。わくわくしてたというのは本当のようで、弾ませている声音が何よりの証拠だ。

夜に観る事になった――それは、舞園さんに合わせたのが理由になる。
と言うのも、荷物が家族からのビデオメッセージだった事を伝えたら、『もしよかったら、私にも観せてもらえませんか?』……と、そうお願いされたんだ。
舞園さんは妹のこまるはもちろんの事、どうやら父さんと母さんについても、運動会の時に毎年遠目に見ていたらしい。
映像とは言え姿がはっきりと見られるし、声だって聞く事が出来る……だから、是非とも観てみたいんだとか。断る理由なんてないし、僕はもちろんそのお願いを引き受けた。
ただ、舞園さんはお仕事があるから寄宿舎に帰ってくるのは夜になる。どうせなら一緒に楽しみたいし、それなら先に観ておくなんて事はせず、舞園さんが帰ってきてからにしよう……そう思ったんだ。
僕がその旨を伝えると、舞園さんは電話越しにとても喜んでくれていた。

「苗木君のお部屋に入るの、数日振りですよね。それだけでもすごく楽しみです」
「あ、ありがとう。あ、部屋はちゃんと綺麗にしてるから」
「ふふ、分かってますって」

舞園さんが遊びにくるという事もあって、実家にいた頃よりも部屋は綺麗にしておくように心がけている。
汚れた部屋を見られる訳にはいかないし、何より、そんな場所に舞園さんを上がらせる訳にはいかないし……。
今日だって夕食を食べ終わった後、丁寧に掃除したんだ。汚いと思われる事は、多分ない……と思う。

それから幾らか会話を弾ませながら、僕達は部屋の前に辿り着いた。鍵を開けて舞園さんを中に招き入れる。

「お邪魔しますっ」

挨拶を済ませて、浮き浮きとした様子で部屋の奥へ進んでいく舞園さん。そんな後ろ姿に癒されながら、僕もその後をついていった。


「わあ……やっぱり荷物も片付いて数日経つと、初めて入った時よりも、『苗木君のお部屋』って感じがしますね」
「そ、そうかな? あんまり変わってない気もするけど……」

服はクローゼットの中に収納して、教科書や勉強道具は両袖机の上に整理して、娯楽物は棚に並べて置いて……と、変わったのはそれくらいだ。
置物の一つもなければ壁に何かを飾っている訳でもなく、こうして部屋の中を見回してみると、少々物足りなさが拭えない。
だけど入学してからまだ数日とは言え、僕はここで生活を送っている。ぱっと見じゃその形跡はあまり見受けられないけど、そういった点を踏まえれば、確かにここは立派な『僕の部屋』だ。

「何だか、数日前よりもずっと感慨深いです。ここが、苗木君のお部屋……」

……ただ、その生活を送ってる僕の部屋に舞園さんがいるんだと思うと、どきどきしない筈がなくて。僕の方も数日前よりもずっと、二人きりである事を強く意識していた。

「あ、苗木君。棚の方を少し見せてもらってもいいですか?」
「え、棚? うん、構わないけど……」

そう返事をすると、舞園さんは嬉しそうにとてとてと棚の前まで歩み寄っていく。何か気になるのかな……?
不思議に思う僕をよそに、舞園さんはその場にゆっくりと屈み込んだ。次に一つのスペースに視線を向けると、優しい眼差しで見つめ始める。

「……えへへ」

そして、緩みきった表情をその顔一杯に浮かべた。そのたまらなく幸せそうな姿に、僕は思わず見惚れてしまう。

……ここからじゃ死角になってて分からないけど、顔の向きから察するに、舞園さんが見ているのは自分達のCDなんじゃないかな。
それが棚に並べられているのを見て、つい嬉しくなった……きっとそうなんだと思う。
単に友達の棚に並べられているのが嬉しいのか、僕の棚だからこそ嬉しいのか、そこまでは分からないけど……どちらにせよ、こんなに喜んでもらえると僕としてもすごく嬉しい。
と、そうやって少しの間眺めていると、舞園さんははっと我に返った様子を見せて、慌てて僕の方を向いた。

「ご、ごめんなさい。並べてある自分達のCDを見たら、つい浮かれちゃって……」
「う、ううん。喜んでもらえて何よりだよ」
「そう、ですか? でも、みっともない所を見られちゃいましたね」

頬を真っ赤に染めながら、照れ臭そうに笑みをこぼす。そんな事は全然ない。僕にとっては、これ以上ないってくらいに眼福だった。それこそ、ずっと見ていたいくらいに……。

「あ、これがお家から届いたDVDですか?」
「うん」

舞園さんがハイテーブルの上にあるDVDケースに気づき、両手でそっと手に取る。一緒についていたメモ翌用紙に目を通すと、ふっと優しく微笑んだ。

「この中に、苗木君のご家族の皆さんが映っているんですよね。何だかそわそわしてきちゃいました」
「はは、それじゃあ早速観よっか。えっと……」

どこに座って観ようかと、僕は一度部屋を見渡す。テレビ自体はベッドの近くに置かれてるから、ベッドに座るのが妥当なんだけど……実際、僕だってそうしてるし。
ただ、僕は何度かこのベッドを利用してる訳で。そんな所に座らせちゃってもいいのか、少し悩んでしまう……。
でも、他に座ると言ったら椅子しかないんだよな。テレビの前に並べればいいんだけど、何かそうやって観るのはどこか不自然と言うか、ぎこちなく感じると言うか。
そうなると、やっぱり――

「……よかったら、ベッドに座って観る?」
「いいんですか?」
「も、もちろん。僕は別に……」
「ふふっ、それじゃあお言葉に甘えて」

そう言って、舞園さんは僕の意見をすんなりと受け入れた。……どうやら、別に気にする必要もなかったみたいだ。

(と言っても、今度は別の理由で気にしちゃう訳で……)

自分の利用してるベッドに、舞園さんが座るんだから。何か僕、どきどきしっ放しだな……無理もないんだけどさ。でも、なるべく意識しすぎないようにしよう……。
僕は心の中で一度深呼吸をして、舞園さんからDVDケースを受け取ると、中身をレコーダーに挿入した。
リモコンを手に取り、テレビの電源を点けてチャンネルをビデオに切り替えて。それから少し距離を空けて、舞園さんの隣に腰を下ろす。


「いよいよですねっ」

舞園さんは今か今かと待ちきれない様子で、そんな無邪気な所がすごく可愛い。横目に窺ってほっこりとしながら、僕はリモコンの再生ボタンを押した。
ディスクの読み込み音が鳴り始め、少しの間暗いままの画面が続き――やがて、パッと映像が映し出される。


『やっほー! お兄ちゃん、見てるー?』


そんな快活な声と共に出だしを飾ったのは、妹のこまるだった。ビデオカメラの目の前に立っているんだろう、画面をほとんど顔で埋め尽くしながら元気よく両手を振っている。
初っ端からやけにテンション高いな……まあ、あいつらしいけど。

「わあ……! こまるちゃん、久し振りー」

半分呆れる僕の隣で、舞園さんはこまると同じように両手を振る。久し振りとあってかとても嬉しそうだ。
少しして画面のこまるが横に逸れ、ソファーに座って微笑む父さんと母さんの姿が映る。どうやらこのビデオメッセージは、リビングの団欒スペースで録ったみたいだ。

「ここ、苗木君のお家のリビングですか?」
「うん。ソファーの後ろに窓があるけど、その向こうが庭になってるよ」
「へえ……」

興味津々の眼差しを画面に注ぐ舞園さん。こまるが空いていた父さんの右隣に座ると、父さんが一度咳払いをしてから口を開いた。

『これが届くのは入学してから数日後になるだろうが、どうだ誠? 元気にやってるか?』
『誠くーん』

母さんが柔らかい笑顔でひらひらと手を振り、こまるもそれに続いて再び両手を振る。つられて僕も小さく振り返した。

『せっかく自慢の息子が新しい門出を迎えたんだ、昨日の母さんのご馳走以外にも何かしてやりたくてな。皆で話し合って、こうしてビデオメッセージを贈る事にした訳だ』
『ささやかな物だけど、喜んでくれると嬉しいわ。ちなみに、提案したのはこまるちゃんなのよ』
『いえーい!』

こまるが今度は両手でピースを作ってはしゃぐ。それを見て、舞園さんはくすくすと微笑ましそうに笑った。

『それじゃあ、早速一人ずつメッセージを伝えていこうかしら。まずはお父さんからね』
『ああ』

父さんが頷き、僅かに腰を浮かせて一度座り直す。それから穏やかな表情はそのままに、ゆっくりと話し始めた。

『さっきも言ったが、元気にやってるか、誠? たった数日で聞くのも何だが、今日駅で見送った時のお前の背中が、少し小さく見えたもんでな。やけに早くここを発ったが、もしかすると学園には一番乗りだったんじゃないか?』
「はは……」

正にその通りだったり……。五十分も早く到着した事を母さん達に伝えたら、思いっきり笑われちゃったからな。にしても『今日駅で』って事は、このビデオメッセージは入学当日に録ったのか。

『俺は希望ヶ峰学園の全景は写真でしか見た事がないが、写真で見てもあんなに感心するんだ。本物を前にしたら、さぞ圧倒されるんだろうな。校舎を見上げて溜め息を漏らすお前の姿が目に浮かぶよ』

それも正解。ただあの時は感動しすぎて、確か三回は漏らしたと思う。校舎内を見学中にだって何度も。ついでに、曲がり角で転んだ後も落胆の意味で……。
まあ、転んだお陰で舞園さんが駆け寄ってきてくれたから、すぐに気分は一転したけど。

『数日だけじゃまだ授業も一通り経験してないだろうが、何とかついていけそうか? 入学前は期待しつつ、何かと不安そうにしていたからな。もっとも、お前なら何だかんだで大丈夫だと思ってるが。とは言え普通の高校とは違うんだ、他にも色々大変な事があるだろう……でも、精一杯頑張れよ。皆で応援してるぞ』

物柔らかな励ましの言葉が、心の奥までしみ込んでいく。入学前にも色々言葉はかけてもらったけど、こうしてビデオメッセージという形で改めて聞くと、やっぱり感じ入るものがあった。

『……ま、無理はしないようにな。精一杯頑張れとは言ったが、何も根詰める必要はないんだ。お前が頑張れる範囲で頑張ればいい。もし何か困った事があったり声が聞きたくなったら、その時はいつでも連絡してこい。離れていても、俺達は家族なんだからな』
「……うん。ありがとう、父さん」

映像の中で微笑む父さんに、心を込めてお礼の言葉を返す。実を言うと、さっきまで少しだけホームシックを感じてたんだけど……でも、温かい言葉をもらって元気が湧いてきた。
全部観終わったら、観た事の報告も兼ねてまた電話しようかな。入学当日は母さんとこまるとしか話せなかったから、父さんの声も直接聞きたい。

「素敵なお父さんですね。正に苗木君のお父さん、って感じです」
「そ、そうかな?」
「はいっ」

舞園さんにそう言ってもらえて、息子の僕としても鼻が高い。ただ、暗に自分も誉められてるようで少し照れ臭いかも……。


と、どうやら次は母さんの番みたいだ。父さんと席を替えて真ん中に座ると、嬉しそうな声音で話していく。

『改めて、誠君が希望ヶ峰学園に選ばれて、本当に嬉しいわ。まだ入学して間もないけど……どう? クラスにはちゃんと馴染めそう? お友達はもう出来た? 自分以外は皆すごい才能を持った人達ばかりだから、どうしても気後れしそうだって言ってたけど、あんまり気にしないようにね。誠君だって、立派な希望ヶ峰学園の一員なんだもの』

それらについて何も心配がいらないのは、電話で伝えたから今の母さんはもう知っている。クラスには何とか馴染めそうだし、一番最初に舞園さんと友達になれた。
あんなに感じてた気後れだって、舞園さんが取り除いてくれたんだ。ちらりと隣を見ると舞園さんと目が合って、僕達はお互いににっこりと笑い合った。

『今までは色々不運に見舞われてたけど、希望ヶ峰学園ではどうなのかしら? せっかくの『超高校級の幸運』なんだし、いい事がたくさん起きてくれるといいわね。幸運らしさが欲しいって一緒にした昨日のジャンケン勝負も、功を奏すといいんだけど』
「ちょっ、か、母さんっ……!」

ジャンケン勝負をしたとか、舞園さんもいるのにそんな事まで言わなくても……! いや、舞園さんと一緒に観るなんて想定してる訳がないんだから、仕方がないんだけどさ……。
隣で聞こえる微かな笑い声に、たちまち頬に熱が篭もっていく。恥ずかしい……。

『場所が場所だから気に病む必要はないかもしれないけど、ご飯はしっかり食べるのよ? 『腹が減っては戦が出来ぬ』って言うし、朝昼晩、きっちり欠かさないようにね。ふふ……ひょっとして、今日の晩ご飯は大好きなカレーライスかしら? 当たってた?』

ご名答だよ、母さん……。入学当日の電話で晩に何を食べたのか尋ねてきて、『あ、予想通りね!』なんて喜んでたけど……この時にはもう予想してたのか。
……舞園さんに考えてる事を当てられたりといい、やっぱり僕って分かりやすい奴なのかな……?

『病気にも気をつけてね。誠君は風邪を引きやすい体質なんだから、特に手洗いやうがいはしっかりする事。ゴールデンウィークはともかく、夏休みには一度帰ってきてくれると嬉しいわ。声だけなら電話でも聞けるけど、やっぱり会って直接聞きたいし……それに、元気そうな顔だってちゃんと見たいから。……それじゃ、頑張ってね』

最後にその一言を加えて、母さんはまたひらひらと手を振った。母親らしい、何より母さんらしいメッセージだった。そう言えば、駅で見送ってくれた時も少し寂しそうにしてたな。
家族の顔を見たいのは僕だって同じだし、母さんの希望通り夏休みには一度帰省しよう。また一家四人で食卓を囲んで、他愛のない話で盛り上がったりしたい。

「お母さんも、雰囲気通りの優しい人ですね。苗木君をよく想ってくれているのが、私にもしっかりと伝わりました」
「は、はは…」

それにしても……こうして家族との触れ合いを傍目に見られるのって、父さんとよりも母さんとの方が不思議と照れ臭く感じるな。女の子が相手だと更に……舞園さんが相手だと、特に。
さて、トリを飾るのはこまるで、母さんと席を替えて何やらわくわくとしている。
まあ、こうやって録りながら誰かに向けて話すのなんて、初めての事だしな。こまるの性格上、わくわくするのは当然と言えば当然か。

『えーっと、まずは入学おめでとう、お兄ちゃん! 今日から新しい生活が始まった訳だけど……初めての寄宿舎生活はどうかな? 家ほど自由には寛げないだろうし、洗濯なんかも自分でやらなきゃいけないんだよね。色々大変だと思うけど……うん、まあ何とかなるよね!』

ガクッ、と思わず身体が前のめりになる。何とかなるよねって……そこは普通、『頑張って』って言う所なんじゃないか? 相変わらず、何か少しズレてる奴だ……。

『正直言うと、何だかんだでお兄ちゃんがいなくなると寂しいかな。今までいるのが当たり前だったから、何か違和感があるって言うか。別に話は電話でも出来るから問題ないけど、漫画の貸し借りなんかはもう無理なんだよね。たまにお兄ちゃんの分のおやつをこっそり一口奪うとか、そういった事も出来ないって考えると、物足りない感じがするよ』
「お前、そんな事してたのか……」

僕がそう言うと、舞園さんがあははと小さく笑った。おやつをこっそり奪ってたとか、全然気がつかなかったんだけど……。
バレンタインに貰った義理チョコを勝手に食べた事なんかもあったし、全く困った奴だ。でも、こいつもこいつなりに寂しさは感じているんだな。

『でも、友達は自分のお兄ちゃんが一人暮らしするようになっても、別に寂しくなんてなかったって言ってたね。その所為か、私がブラコンなだけって言われちゃって……あ、わ、私別に、ブラコンなんかじゃないからね!? って、ちょっと! お父さんもお母さんも笑わないでったらー!』

恥ずかしそうに父さんの身体をぽかぽかと叩いたり、母さんの肩を掴んで揺らすこまる。
『ここ編集してカットしてよね!』なんて言ってるけど、そのまま残ってる辺り残念ながら聞いてもらえなかったみたいだ。まあ、こういった所は何となくこまるらしい。

『全くもう……。連絡だけど、ちゃんと楽しくやってるのかどうか気になるし、なるべくこまめにしてよね。こっちも変わった事とかあったら色々伝えたいしさ。お兄ちゃんがいい意味ですごい事をやらかしたとか、そんな友達に自慢出来るような事があると嬉しいかな。それじゃ、楽しい学園生活を!』

何故か手を振る訳じゃなく、ピースを向けてそう締め括った。何か、最後の最後でとんでもない期待をされてしまった。いい意味ですごい事をやらかすとか、僕には間違いなく縁のない話だろうに……。
……舞園さんと友達になった事なら、それに該当するかな? 伝えた時、電話越しに馬鹿デカい声で驚いてたし。
ただ、舞園さんとの出来事をこまめに連絡しろって言われたのは、正直あんまり気が進まない……。


『あ、そうだ。一つ言い忘れてた事があった』
「ん?」

と、全部伝え終わったと思いきや、まだ何か言いたい事があったみたいだ。でも、他にこまるが言いそうな事って何かあるっけ。
帰省する時はお土産を買ってきてとか、大方そんな事じゃ――


『お兄ちゃん、さやかちゃんにまた会えるのが嬉しいからって、あんまりデレデレしすぎないようにねー?』


「んなっ……!?」

なんて気楽に構えていると、予想外の発言に意表を突かれる。な、何を言って……!

『昨日も写真を見たり曲を聴いたり、テレビに映ってたさやかちゃんを楽しそうに眺めたり、いつにも増して嬉しそうだったもんね。まあ、気持ちはものすごく分かるけどさ。でも、いざ対面するって時に失礼のないようにねー』

『今度こそおしまいっ!』と元気よく言い放ち、こまるは満足そうに笑みを浮かべた。
余計な事を言った所為で、頬がどうしようもなく熱い。舞園さんの方を窺い辛い……。それでも何とかちらりと隣を見遣ると、舞園さんは少し顔を伏せていた。
……その頬は照れ臭さか恥ずかしさか、色濃く赤に染まっていた。

『俺達からのメッセージは以上だな。短くてすまないが、少しでも励みになれたならこっちとしても嬉しいぞ。こうして録った甲斐もあったという物だ。さて、それじゃあ最後にまた一言……頑張れよ、誠』
『しっかりね、誠君』
『ファイトー、お兄ちゃーん!』

手を振りながら三者三様に応援の言葉を口にし、やがて画面が暗くなり映像が終わった。暫くの間賑やかだった部屋の中が、途端にしんと静かになる。

「ふふ、終わりましたね」
「……うん」

まださっきの羞恥心が消えてなくて、僕は舞園さんの方を見ずに頷いた。立ち上がってDVDレコーダーの前まで歩いていき、DVDを片づけてまたベッドにちょこんと座る。

「ど、どうだった?」

恥ずかしいからと言って黙ってる訳にもいかず、そっと隣を向きながら尋ねる。舞園さんは既に僕の方を見ていて、視線が交わるとその顔に微笑みを浮かべた。

「苗木君のご家族の皆さんがどんな人達なのか分かって、とっても嬉しかったです。お父さんもお母さんもこまるちゃんも、苗木君の事を大切に想ってくれているんですね。家族愛って言うんでしょうか、見ていて心の中がぽかぽかと温まりました」
「そ、そっか。喜んでもらえてよかったよ」
「こまるちゃんの元気な所、変わっていませんでしたね。苗木君との仲の良さも改めて窺えて、すごく微笑ましかったですよ」
「意外な事実が発覚したりしたけどね……」

こっそりおやつを奪ってたとか、長い間一緒にいても知らない事ってあるもんなんだな。知る事が出来てよかったのかと言われたら、今一反応に困るような内容だけど……。


「うふふ……そうですね。私もです」

そう言うと、舞園さんはじーっと僕の顔を見つめ始める。そのいきなりの行動に、僕の心臓はたまらずどきどきと脈を打ち始めた。

「ど、どうしたの?」
「いえ、私と会えるのをすごく楽しみにしてくれてたみたいで、それが嬉しくて。……その、私の前ではデレデレ、してくれているんですか?」
「え!? そ、それは……!」

と、途轍もなく答え辛い。してると言われたらしてるんだろうけど、本人の前で実際にそうだと口にするのはどうも……。
まさかそんな風に聞かれるだなんて、流石に思いもしなかった。舞園さん、気になるのかな……?
お互いに見つめ合う形で、僕は答えるかどうか逡巡する。だけど少しの間そうしていると、やがて舞園さんは見つめていた視線をふっと緩めた。

「ふふ、ごめんなさい。困らせるような事を聞いちゃいましたね」
「い、いや……」
「もう既に充分すぎるくらい嬉しいのに、欲張るのはよくないですよね。苗木君について、色々と新しい事を知られたんですから。苗木君、風邪を引き易い体質だったんですか?」
「うん、まあ……年に二、三回は絶対引いちゃうんだ。気をつけてても不思議と……。その度に母さんに看病してもらってたよ」
「なるほど……。もしかしたら、中学の時に苗木君を見かけなかった日の内、何日かは風邪で休んでいた時と重なってたんでしょうか」
「はは、そうかもね」

その分舞園さんを生で見られなかったから、それが何より残念だった。まあ、その代わり治った翌日は、普段よりも多く眺めてたけど。
……それにしても、デレデレについて答えずに済んで助かった。でも舞園さんは気になってたみたいだから、やっぱり答えてあげた方がよかったのかも……。

「あ、そう言えばお母さん、ジャンケン勝負をしたって言ってましたよね? 確か、幸運らしさが欲しいって……あれって、苗木君から言い出した事なんですか?」
「う、うん。何かと不運に悩まされてたし、せっかく超高校級の幸運に選ばれたんだから、少しでも幸運らしさが欲しくて……」
「うふふ、そうですか。苗木君、可愛い事をしていたんですね」
「そ、そうかな……」

何だか自分の事を可愛いって言われたような気がして、どうにも照れ臭い。そうして熱を帯びた頬をぽりぽりと掻いていると、舞園さんが不意に『あ、そうだ!』と小さく両手を叩いた。

「あの、苗木君。よかったら私ともジャンケンしてみませんか?」
「え? うん、別に構わないけど……」
「ありがとう御座います。それじゃ、早速っ」

僕は頷き、舞園さんの手の前にグーを作った自分の手を持っていく。たかがジャンケンだけど、楽しそうにしてる姿がまた可愛い。

「行きますよー? 最初はグー、ジャンケン――」

――ぽんっ。その声と共に同時に出された手は、それぞれグーとパーを作っていた。僕がグーで、舞園さんがパー……つまり、僕の負けだ。

「はは、負けちゃった」
「私の勝ちですねっ。苗木君はきっとグーを出すと思っていました」
「よ、読まれちゃってたんだ……。その、エスパーだから?」
「はい! ……なんて、冗談です。ただの勘ですよ」

そう言って、舞園さんはおどけるようにくすくすと笑った。その可愛い笑みに、僕も自ずと笑顔を浮かべる。
この何気ない一時をこれからいっぱい過ごせるんだと思うと、浮き浮きとせずにはいられない。舞園さんの可愛い所を、もっとたくさん見ていくんだ。

それから別れるまでの間も話を弾ませて、僕は舞園さんとの時間を楽しんだ。


■-お風呂上がり

「ふう……」

温かいお風呂から上がり、きっちりとお肌のケアやヘアドライをした後、丁寧にブラッシングをして。
ようやくお手入れを済ませた私は、雑談を交わしている先輩方に挨拶をして、お先に女子用の大浴場を後にしました。バストートを手に、すたすたと大広間に出ます。

お風呂から上がってそれなりに経ったとは言え、身体はまだぽかぽかしてて温かいです。お風呂は本当にいいものですね。
全然使わないのはもったいないと思って、一度だけ部屋のシャワーで済ませちゃった事があるんですけど……でも、やっぱりお湯に浸かった方が断然気持ちいいです。
身体の汚れや疲れと共に、気分もさっぱりして。お風呂に入り終えた後のこの一時は、一日が終わった事をしみじみと感じます。

(さて……)

さっぱりしたのはいいとして、これからタオルや着替えた衣類を洗濯しなくちゃいけません。一日おきにする人もいるみたいですけど、私は毎日する事にしています。
やっぱり臭いが気になるので……。体育があった日の体操服なんかは、特に。そんな訳で、女子用のランドリーまで行かないと。

……でも、その前に。何だか少し喉が渇いてるので、何か飲み物を買っていく事にしました。ランドリーとは別の方向、近くに設置されてある自動販売機に向かって歩き始めます。
今日は何にしましょう? この前は桃のジュースにしましたし、今日はスポーツドリンクとか? それとも……。

(あっ)

なんて何を買うか頭の中で考えていると、視線の先にある自動販売機の前に、ある人が立っていました。
こちらに背を向けてるので顔は見えませんけど、その特徴的な髪……頭頂部のアンテナを見れば、すぐに誰だか分かります。途端に気分が弾んだ私は、元気よくその人の名前を呼びました。

「苗木くーん!」
「あ、舞園さん!」

その人――苗木君は私の声に振り向くと、ぱぁっと嬉しそうな表情を浮かべてくれて。それだけで私も嬉しくなって、手を小さく振ってからたたたっと彼の元に駆け寄りました。

「お仕事お疲れ様。帰ってたんだね」
「うん!」

『お帰り』や『お疲れ様』と言った、苗木君からの労いの言葉。それは寄宿舎に帰った際の楽しみの一つで、私の気分を更に弾ませてくれます。

「丁度今さっき、大浴場から出た所なんですよ。ひょっとして苗木君もですか?」
「うん。それで喉が渇いたから、ランドリーに行く前に何か買おうかなって……もしかして舞園さんも?」
「はい、そうですよ。今日は時間が重なりましたね。あの、よかったら一緒に飲みながら、少しお話でもしていきませんか?」
「も、もちろん。僕もそのつもりだったし……」
「そうなんですか? 嬉しい」

苗木君も同じ事を考えてくれてたみたいで、頬が緩んじゃって仕方ありません。本当は洗濯を待ちながら飲もうと思っていたんですけど、急遽予定を変更です。
何て言ったって、苗木君と一緒にお話が出来るんですからね。


「舞園さんは何飲むか、もう決まってる?」
「ううん、悩んでてまだ決まってなくて。苗木君は?」
「僕は牛乳だね。お風呂上がりはこれが一番美味しく感じるから……まあ、好きだからってのもあるけど」

苗木君はそう言いながら、既にお金を入れていた自動販売機のボタンを押して、取り出し口から紙パックの牛乳を取り出します。
確かに、お風呂上がりの牛乳ってより美味しく感じられますもんね。

「んー……それなら、私も牛乳にしようかな」

という訳で、私も苗木君に続いて紙パックの牛乳を購入しました。もっとも、選んだ一番の理由は『苗木君と同じ物がいい』からなんですけど。

「一緒ですね。うふふ」
「う、うん」

心なしか苗木君も嬉しそうで、またついつい浮かれてしまいます。そうして買い終わった私達は、側にある雑談スペースのベンチソファーに一緒に腰掛けました。

「かんぱーいっ」
「はは、牛乳で?」

何となくそんな事を言いたくなって、紙パック同士をこつんと合わせます。まあ、そもそも乾杯するのも変なんですけどね。
そんなやり取りにお互いに微笑み合ってから、ストローを刺して一緒に牛乳を飲み始めました。

「美味しいですねっ」
「うん。今は冷たい奴の方が美味しいけど、冬になるとホットにして飲みたくなるよね」
「分かります! あ、ホットと言えば、沸かす為の牛乳用の小鍋があるじゃないですか。あれってミルクパンって言うらしいんですけど、苗木君、知ってました?」
「え、あれそんな名前があったの? 僕、今初めて知ったよ」
「かく言う私も、去年お父さんに教えてもらって初めて知ったんですけどね。ミルクパンって、小学校の給食でたまに出てましたよね」
「あ、出てた出てた。他にも黒糖パンとかレーズンパンとか、色々あったよね。はは、懐かしいな」

隣で笑顔を浮かべる苗木君に、私も笑顔で返しました。こんな取りとめのない話でも、苗木君と一緒だととても楽しく感じられます。
話したい事がどんどん頭の中に浮かんできて、色々話したくなっちゃうんですよね。

(と、それにしても――)

見かけた時から気になってた事があって、私は苗木君をじっと見つめ始めます。すると照れちゃってるんでしょう、苗木君の頬がはっきりと赤らんできました。

「ま、舞園さん? 急にどうしたの?」
「ふふっ……お風呂上がりの苗木君、やっぱりいいなーって」

潤ってつるつるしている肌に、しっとりと艶の出た茶色の髪。元より少し上気していた頬は、今は誰が見てもすぐに分かるくらい、真っ赤に染まっています。
パジャマは入学当日の夜に見た時と同じ、無地の紺色の物。私が今着ているのもあの日と同じパジャマで、そんな小さな偶然も何だか嬉しく感じたり。
お風呂上がりの苗木君はついこの間も見たんですけど、やっぱり見入っちゃいます。もし今携帯を持ってたら、絶対写真を撮ったのにな……。
明日からお風呂に行く時は、トートの中に携帯を入れておくといいかもしれませんね。

「あ、ここの髪の毛、まだ少し濡れてますね。ちゃんと乾かさないと傷んじゃいますよ?」
「う、うん。気をつけるよ」

手を伸ばして指先で髪を摘むと、苗木君は視線を横に逸らしつつ答えます。うふふ、本当に恥ずかしがり屋さんなんですから。
まあ、そんな所がいいんですけど……いえ、そんな所『も』でしょうか。


……でも、こうしてお風呂上がりの苗木君を見ていると、何だか自分の事が気になってきました。髪が跳ねちゃってたりとか、乾かし残しがあったりしないでしょうか……?
お手入れの最後にちゃんと鏡でチェックをしたので、大丈夫だとは思うんですけど……もし変に見えていたら、やっぱり恥ずかしいです。
とは言え確認しようにも、ここで手鏡を出すのは気が引けますし……。大体、苗木君にはもう見られちゃってる訳で。
それならと、思い切って苗木君に聞いてみる事にしました。

「あの、苗木君。今の私の姿、どこか変な所があったりします……?」
「え? へ、変な所?」
「その、髪が跳ねてるとか、乾かし残しがあったりとか……。よかったら教えて下さい」
「えっと……別に、変な所なんてないよ? それに、お風呂上がりの舞園さん、僕もいいと思うな……」

また恥ずかしそうに、だけどはっきり私と目を合わせながら、苗木君はそう言ってくれました。後半は声が段々小さくなってましたけど、それでも私にはちゃんと伝わりました。

「ありがとう御座います、苗木君っ」

いっぱい気持ちを込めて、苗木君にお礼を。でもまさか、一緒に褒めてもらえるなんて思っていませんでした。苗木君に褒めてもらうのは、他の人に褒めてもらうよりも更に嬉しいです。
『可愛い』と言ってもらえた時なんかは、思わず心が舞い上がっちゃったりなんて……。また言ってもらえるといいな。
そうやって期待を募らせながら、牛乳をまた一口。苗木君と一緒に飲む牛乳は、不思議と一層美味しく感じられます。

「そうそう。今日のお昼休み、セレスさんに紅茶の淹れ方を詳しく教えてもらったんですよ」
「紅茶の……ああ、舞園さん、茶葉から作ってみたいって言ってたもんね」
「鉄分の含まれないポットを使うとか、茶葉を入れたポットにはお湯を勢いよく注ぐとか、蒸らす時はとにかく温度を下げない工夫をするとか、色々ばっちりメモしました! 明日、実演してもらう事にもなったんですよ。と言っても、実演してくれるのは山田君なんですけどね」
「はは、自分がする訳じゃないってのがセレスさんらしいね……」

ふふ、確かにそうかもしれませんね。でも、あの二人は何だかんだでいいコンビだと思います。

私は紅茶の中でもレモンティーが一番好きなんですけど、今まではインスタントの物しか作った事がありませんでした。
先日苗木君が初めて部屋に遊びにきてくれた時も、それを振る舞ったんですけど……でもその際に、苗木君のお母さんもレモンティーが好きで、たまに茶葉から作ってるという話を聞いたんです。
そしたら私も本格的に作ってみたくなって、それでセレスさんに教えを乞ったという訳ですね。

「言っていた通り、美味しく淹れられるようになったら、苗木君にも振る舞いますね」
「うん! 期待してるよ」

こうして苗木君も楽しみにしてくれていますし、早く上達したいです。美味しいって言ってもらえるよう、頑張らないと!


「そう言えば、クラスの皆ってどんな飲み物が好きなのかな?」
「んー……霧切さんと十神君は、間違いなくコーヒーじゃないですか? 朝も毎日飲んでるみたいですし」
「まあ、あの二人は確かにコーヒーだろうね。僕はあまり口に合わないから、やっぱりカフェオレの方がいいな……」
「私もです。ブラックは何度か一口だけ飲んだ事がありますけど、その度に苦すぎて無理ってなっちゃうんですよね」
「僕も僕も。いつか飲める日がきたりするのかなあ……」

どこか遠い目でそんな事を呟く苗木君。ひょっとして、コーヒーを飲めるようになりたいと思ってたりして。でも、飲めない方が何となく苗木君らしいかも。
それにしても、霧切さんと十神君……二人って、どちらもクールな性格ですよね。……クールで知的な人は、コーヒーを好む法則があるとか?
明日にでも霧切さんに聞いて確かめてみようと思います。

「他に間違いないと言ったら、セレスさんのロイヤルミルクティーだよね。後は山田君のコーラとか」
「ふふっ、二人共本当に好きですよね。霧切さん達みたいに、毎日飲んでいそうです」
「僕も牛乳好きだけど、毎日は飲まないかな。お腹壊しちゃうと辛いし……」
「まあ、飲み過ぎは禁物ですね。ちなみに、ミルクティーやロイヤルミルクティーの作り方も教わったんですよ。いつか一緒に飲みましょう?」
「う、うん」

一緒に飲める物が増えれば増えるだけ、その分楽しさも増しますもんね。苗木君が喜んでくれる顔を早く見たいです。
……ところで、噂によると山田君のお部屋の冷蔵庫には、コラコーラが常備されているみたいなんですけど……実際どうなんでしょう?
何でも油芋と合わせて飲んでるみたいで、これ以上太っちゃわないか心配です。ダイエットを勧めてみましょうか?

「朝日奈さんと大神さんの二人は、やっぱりプロテインになるんでしょうか?」
「う、うーん……プロテイン自体は飲み物じゃないけど、間違ってはない……のかな? あれって基本的に不味いけど、牛乳で飲んだらイケるって、昨日朝日奈さんが言ってたね。僕、試しに少し飲ませてもらったよ」
「そうなんですか? お味、どうでした?」
「……全然美味しくなかった」
「あはは、朝日奈さん達は味に慣れてるんでしょうね」

実は、私も少し味に興味があったんですけど……でも、やっぱり飲むのはやめておこうと思いました。ただ、苗木君にちょっぴり罪悪感を感じたり。
そう言えば、朝日奈さんも大神さんもミルクティーは飲めるんですよね。ちゃんと淹れられるようになったら、遊びにきてくれた時に二人にも振る舞ってみようかな。
朝日奈さんがドーナツを持ってきたら、一緒にティータイムを楽しみたいです。

「残りの皆は……どうなんだろ? 桑田君はよく炭酸ジュースを飲んでるけど……」
「戦刃さんは一昨日ココアを飲んでいましたね。レーションの物よりも美味しい、って言ってました」 

それからも暫くの間、私は苗木君と話に花を咲かせました。
自分の事、苗木君の事、クラスの皆の事、その他の事……たくさんお話をすればする程、その分苗木君との距離が縮まっていくのが、確かに感じられて。
この調子で、もっともっと縮めていきたいですね。お互いに大の仲良しだと言い合えるくらい、仲を深めていきたいです。


「っと、結構話し込んじゃいましたね。そろそろランドリーに行かないと……」
「あ、それもそうだね」

牛乳を口元まで運び、残っていた最後の一口を飲み干しました。楽しい事は時間が経つのが早いって、本当だなとしみじみと思います。

「ゴミ、僕が捨ててこようか?」
「ありがとう御座います。それじゃあお願いしてもいいですか?」
「うん」

こんな言葉を自然と言えるのが、苗木君なんですよね。中学の時から変わってない事に改めて喜びを感じながら、私は牛乳の紙パックを苗木君に差し出しました。
それを受け取ろうと、苗木君が手を伸ばしてきて――


「あっ」


――すると、その手の指が私の指にちょんっと触れて。苗木君は反射的にそんな声を出し、再び頬を赤く染めて紙パックを受け取ります。

「ご、ごめん」
「もう、苗木君ったら。別に謝る必要なんてないじゃないですか」
「そ、そうなんだけど、何となく……あはは」

誤魔化すように笑って、回収ボックスまで歩いていく苗木君。恥ずかしがり屋さんだからか、苗木君の方からスキンシップを取ってくる事はほとんどありません。
この前、肩にあった糸くずを取ってくれた時くらいでしょうか。だから、今のは二回目になるんですね。
と言っても、今のはスキンシップとは言えませんけど……でも、それでも嬉しい事に変わりはないです。

程なくしてゴミを捨て終わった苗木君が、私の側まで戻ってきました。頬を見るに、恥ずかしさはまだ抜けていないみたいですね。

「そ、それじゃあ僕、ランドリーに行くね。すごく楽しかったよ」
「私も苗木君とのお話、とっても楽しかったです。また時間が重なった時は、今日みたいにお話してくれますか?」
「う、うん。じゃあ、もしかしたらまた会うかもしれないけど……お休み、舞園さん」
「はい! お休みなさい、苗木君っ」

小さく手を振ると苗木君も振り返してくれて、そうして私達はその場で別れました。
けど、少し歩いてから振り向いてみると、苗木君も振り向いてくれていて。
立ち止まったまままた手を振り合い、今度こそ雑談スペースを後にしました。


苗木君が触れてくれた指にそっと手を添えると、伝わってくる特別な温もり。その温もりを確かに感じながら、私は気分上々の足取りでランドリーまで歩いていきました。


■-舞園さんの部屋

特に問題もなく平穏に迎えた、希望ヶ峰学園に入学して初めての週末。その日の夜、僕は自分の部屋で舞園さんの帰りを楽しみに待っていた。

『お仕事が終わったので、今から帰りますね。寄宿舎に着くのが待ち遠しいです』

ベッドの上に寝転がりながら、携帯の画面に表示されているメールの本文を見つめる。数十分前に届いた物で、差出人はもちろん舞園さんだ。

僕が舞園さんの帰りを楽しみに待っている理由――それは、今夜初めて舞園さんの部屋を訪れるからだ。
『是非遊びにきて下さいね!』『当然じゃないですか、大歓迎ですよ?』……舞園さんは入学当日にそう言ってくれてたし、近い内に訪れようと思っていた。
だから今朝一緒に朝食を食べている時に、今日遊びに行ってもいいかと話を持ちかけたんだけど……そしたら、舞園さんは喜んで承諾してくれた。
そんな訳で、僕は朝から気分を浮き立たせながら、休日の一時を過ごしていた。

(でも、やっぱり緊張するな……)

入学当日にも思った事だけど、それは今も依然として変わらない。この約一週間を一緒に過ごして、少しは気楽に接せられるようになったけど、部屋を訪れるとなると話は別だ。
緊張する余り、声が裏返ったりしないか不安になってる自分がいる……。ただ、それでも楽しみな気持ちの方が大きい。

『きっと~♪ Shooting Love Shooting Heart~♪』

と、期待に頬を緩ませた所で、側に置いていた携帯から舞園さん達の曲が流れ始める。
舞園さんからの電話やメールにはそれぞれ着うたを設定してるんだけど、どうやら新しいメールが届いたみたいだ。寄宿舎に着いたんだろうか……僕はわくわくしながらメールを開く。

『苗木君、お部屋の前に誰か立っていますよ?』
(え?)

すると、本文にはそのような事が書かれていた。部屋の前に立ってるって、来客かな……? 僕はすぐさま起き上がり、ベッドから下りて部屋の入口に向かう。
『誰か』と言ってる辺り、舞園さんの知らない人みたいだけど……でも、一体誰だろう? 用があるならインターホンを押せばいいのに……。
まさか、壊れてるなんて事はないだろうし。用はあるけど、何かしらの理由で呼ぶのを躊躇ってるとか……?
そんな風に頭の中であれこれと思索しながら、入口の前に立ちドアの鍵を解く。それからゆっくりとドアを開くと、そこにいたのは――

「ただいま、苗木君っ」

舞園さん、だった。見る度に心を癒してくれる明るい笑顔が、僕を快く出迎えてくれた。

「あ、あれ……?」

けど、癒されるのも忘れて僕は首を傾げる。部屋の前に誰か立っていたんじゃ……? そうやって不思議に思っていると、そんな僕に応えるように舞園さんが口を開いた。

「部屋の前に立ってる『誰か』って言うのは、私の事ですよ。ついさっきちょっぴり悪戯心が芽生えて、苗木君をからかってみようと思ったんです」
「あ……な、何だ。そうだったんだ」

合点がいき、頭の中のもやもやが解消される。舞園さんは意外とお茶目な所があって、時折僕をからかってきたりする。
再会した時のあの悲しんだ振りを含め、これまで何度かからかわれたんだけど……どうやら、今回も見事に引っ掛かったみたいだ。

「もう、舞園さんったら」
「ふふっ、ごめんなさい」

そう言って、ペロリと舌を出しながら悪戯に微笑む。最初はこんなお茶目な子だなんて思わなかったけど、そんな所もすごく可愛いんだよな。何だかんだで舞園さんらしいと言うか。
ちなみにからかわれると言っても、嫌なんて気持ちは微塵もない。寧ろ逆に嬉しいくらいだ。だって……それだけ、舞園さんが僕に構ってくれてるって事だから。


「あ、そうだ。お帰り、舞園さん」
「はい! 改めてただいま、苗木君っ」

 『ただいま』『お帰り』と言うこの挨拶も、寄宿舎生活だからこそ出来るやり取りだ。そんな風に親しく言葉を交わせる喜びを、じーんと深く実感する。

「朝から随分待たせちゃいましたね。それじゃあ早速、私の部屋に行きますか?」
「う、うん! あ、ちょっと待ってて」

一旦部屋の中に戻り、収納棚の上に置いていたルームキーを手に取る。
それから廊下に出て自分の部屋の鍵を閉めると、一緒に隣の舞園さんの部屋の前にきた。

「そう言えば舞園さん、部屋にはもう誰か招いた?」
「ううん、苗木君が初めてのお客さんですよ?」
「そ、そっか。何か嬉しいな」
「うふふ、私もです。……さ、どうぞ。ゆっくり寛いでいって下さいね」

なんて会話をしている内に、舞園さんが鍵を解いて部屋のドアを開く。視線の先……入口の向こうには、舞園さんの部屋の中の一部が映し出されていた。

「う、うん。お邪魔します」
「はいっ。お邪魔されて下さい」

嬉しそうに声を弾ませる舞園さんの視線を受けながら、ゆっくりと室内に足を踏み入れる。
続いて舞園さんも入り、ぱたんとドアを閉める音を背に、どきどきしながら部屋の奥まで歩いていった。


(……ここが、舞園さんの部屋……)


自分の部屋とはまるで違う雰囲気に、ついつい視線があちこちと動く。同じ部屋でも、使う人が違うとここまで変わるんだ……。

――念願叶って遂に入った舞園さんの部屋は、可愛くて清潔感のあるとても舞園さんらしい部屋だった。
ハイテーブルの上にはお洒落で可愛いテーブルクロスが敷かれていて、二脚の椅子にはそれぞれ淡い色の丸いクッションが乗せられている。
収納棚にはたくさんの本や雑誌がバランスよく並べられていて、上にはクロスを挟んで置かれた数々の可愛らしいぬいぐるみ。
作業机の上には教科書などがブックスタンドできっちり整理されてあり、可愛いペンスタンドやメモ帳、卓上カレンダーなどによって程よい具合に彩られていて。
他にもテレビ台には小さな猫やウサギの置物が飾られてあったり、壁にはこれまた可愛いコルクボードが掛けられていたり……と、普通すぎる僕の部屋とは違い、個性溢れる立派な女の子の部屋に仕立てられていた。
何より僕の部屋と決定的に違うのが、室内に漂うこの甘い香りだ。芳香剤を置いてる訳でもないのにこんな香りがするなんて、流石は舞園さんと言うか……。
まだ入ったばかりにも関わらず、僕は既にこの上ない幸福感に包まれていた。

「その……どうですか? 苗木君から見て、ごちゃごちゃしてたりしませんか?」
「そ、そんな事ないよ! 舞園さんらしい部屋で、すごくいいと思う」

尋ねられて咄嗟に口から出たのは、小さな子供が言うような余りにも簡素な感想。だけど舞園さんは『よかった。ありがとう御座いますっ』と、心底嬉しそうに笑ってくれた。

(それにしても、感動だな……)

舞園さんの部屋の中で、舞園さんと二人っきり。全国の男子の誰もが一度は夢見た……そう言っても過言じゃないくらいの、正しく夢のような状況。それを今僕が、僕だけが体験しているんだ……。
どうしようもなく嬉しくて、ついつい目の前の舞園さんを見つめる。すると舞園さんは可愛らしく小首を傾げた。


「どうしたんですか? 苗木君」
「あ、ううん。その、舞園さんの私服、何度見ても似合ってるなって……」

そう、私服。お仕事があったとは言え今日は休日な訳で、今の舞園さんは私服姿なんだ。
上には軽く網目模様の入った白いドルマンニットTシャツを着ていて、下には薄桜色の可愛らしいレーススカート。
今日は少し冷えるからと脚には茶色のニーソックスを履いていて、そんな清楚な雰囲気を醸し出している淡い春服姿は、舞園さんには正にぴったりだ。
……と、こうして説明すると僕がファッションに詳しいと思われそうだけど、そんな事は全然ない。単に朝お披露目してもらった時に、舞園さんに教えてもらっただけだ。
これからたくさん私服姿を見ていく事になる訳だし、どうせなら色々知っておいた方がいいかと思って……。

「ふふっ、ありがとう御座います。苗木君の私服も、何度見てもとっても似合ってますよ」
「あ、ありがとう」

僕の方は白い柄物のTシャツに藍鼠色のパーカー、それにベージュのチノパンという普通な服装だけど、舞園さんは気に入ってくれたみたいだった。
朝に初めて見てもらった際、『私は好きですよ、その組み合わせ』って言われた時は、何だかすごくどきどきしたな……。

「そう言えば舞園さん、今朝は出てくるのが少し遅かったよね。やっぱり舞園さんみたいにお洒落だと、組み合わせを選ぶのに手間取っちゃう時が……って、こういう事聞くのはよくないかな……」
「あはは、別に大丈夫ですって。そうですね……たまにですけど、悩んじゃう時はやっぱりありますよ。今日は少し特別な日だったので、特に……」
「特別な日……?」
「あ、いえ……その、少しって言った通り、そこまで大した事じゃないですから」
「……? そ、そっか」

舞園さんは目を横に逸らし、はぐらかすようにそう言った。その頬は少し赤らんでいるようにも……。
少し特別な日、か。そう言われると気になって仕方がないけど……言いたくはないみたいだし、やっぱり詮索はしない方がいいよな。

「っと、こうして遊びにきてくれたんですし、お飲み物を用意しないとですね。苗木君、お好きな方の椅子にどうぞ?」
「あ、うん」

手前の椅子には水色のクッションが、もう片方の椅子にはピンク色のクッションが。舞園さんにはやっぱりピンクが似合うし、僕は手前に座ろうかな。
そんな理由で手前にある椅子を軽く引き、僕はそっとクッションの上に腰を下ろした。……クッションが沈む感触が、舞園さんの私物に触れているという事実を鮮明に意識させる。
その意識を逸らすように舞園さんの方を見てみると、収納棚の右側にある扉を開き、その中からティーカップを取り出している所だった。恐らく舞園さんが持ち込んだ物だろう。

「それ、舞園さんのマイカップ?」
「はい! 結構長い間使ってて、お気に入りなんですよ」

そう言うと、側まで寄ってきてそのティーカップを間近で見せてくれる。内側だけ白くなっている朝顔型の赤色のカップに、同じ赤のソーサー。舞園さんらしい可愛いティーカップだ。


「これからもいっぱいお世話になると思います。ただ、苗木君の分は調理室の備品を使う事になっちゃいますけど……」
「はは、別にいいよ。僕はマイカップは持ってなかったんだし」

ただ、舞園さんがマイカップを使ってる中、僕だけ備品なのは何か気になる。
今日以降も遊びにくる事になるだろうし、それにまた僕の部屋に遊びにきてくれる際には、僕も何か飲み物を用意したいし――

「せっかくだから、僕もマイカップを買っておこうかな……」
「そうですね。その方が私としても嬉しいです」
「へ? ……って、あ! 舞園さん、また僕の考えてる事を……!」
「いえ、苗木君、今口に出してましたよ?」
「え、ほ、本当? 恥ずかしいな……」
「うふふ……マイカップ、買ったら是非見せて下さいね。楽しみにしています」
「う、うん」

いの一番に舞園さんに見せる事にしよう。そうと決まれば、明日にでも買ってこようかな……。

「ところで苗木君って、レモンティーは飲めますか? 苦手なようならカフェオレなんかもありますけど……」
「ううん、レモンティーで大丈夫だよ。……ん?」

答えた直後、僕はある点に気づいて小首を傾げる。飲み物を用意するって事は、近くにある調理室に出向く訳だよな。そうなると……。

「どうしました?」
「あ、えっと……あのさ、調理室、僕もついていった方がいいかな……?」
「え、私だけでも大丈夫ですよ? そうじゃなくても、苗木君はお客さんなんですから」
「で、でも……舞園さんの部屋に僕一人が残るのは、やっぱり駄目なんじゃ……」

……そう。舞園さんが飲み物を用意してる間、僕だけがこの部屋に残る事になる。幾らもう友達だとはいえ、それは流石にマズいんじゃないかと思ったんだ。
別に変な事を考えてる訳じゃないんだけど、それでも……。

けど、それはどうやら余計な心配だったみたいで。返ってきた舞園さんの表情は、安心感を与えてくれる穏やかな笑顔だった。

「……ふふっ、別に駄目なんかじゃないですよ。だって私、苗木君の事はとっても信頼してますから。だから気にしないで下さい」
「そ、そう……?」
「そうですよ。どうぞゆっくり寛いでて下さい」
「わ、分かった。じゃあ、そうさせてもらうね」
「はいっ」

また笑顔を浮かべて頷き、舞園さんはまた扉付きの棚の前に戻っていく。そこから今度は二つのティーバッグを取り出し、マイカップの中に入れた。

「それじゃあ、レモンティーを作ってきますね。少ししたら戻ってくるので」
「う、うん」

そうしてそのカップを片手に、僕に手を振りながら自分の部屋を後にした。甘い香りが満ちる部屋の中、一人残った僕の頭の中で、舞園さんのさっきの言葉が反芻される。

『だって私、苗木君の事はとっても信頼してますから』
「……へへ」

友達になってまだ日は全然浅いのに、そこまで信頼してくれてるなんてすごく嬉しい。たまらず有頂天になりながら、僕は舞園さんが戻ってくるのをのんびりと待つ事にした。
とは言え、そのままじっと同じ姿勢でいる訳でもなく。椅子に座ったまま、改めて部屋の中を見回してみる。

(ここで、舞園さんが生活を送ってるんだよな……)

身だしなみを整えたり、のんびり一人の時間を過ごしたり……全国の男子の心を惹きつけ全国の女子を憧れさせる、そんな舞園さんの私生活。
それを思うと、僕の視線は自ずとある一点に向けられた。

「…………」

真後ろの少し離れた所にある、薄いピンク色のシーツのベッド。舞園さんの私物の白いハート型のクッションが、女の子のベッドだと言う事をより実感させる。
ベッドメイキングが綺麗に施されていて、そんな所からも舞園さんの几帳面な性格が窺えた。

……初めて部屋の中を見回した際、僕はこのベッドはなるべく見ないようにしていた。少し見つめるだけでもどきどきして、意識せずにはいられなかっただろうから……。
でも、やっぱりどうしても気になってしまう。あの舞園さんがここで毎日、気持ちよさそうに眠っているんだと思うと――。

(……いや、駄目だ駄目だ)

せっかく、あんなに信頼してもらえてるって言うのに。ちゃんと大人しく待っていよう……僕は視線をベッドから外し、前へと向き直った。

「……でもまあ、寝顔を想像するくらいならいいよな」

舞園さんの顔を思い浮かべ、そこからぽわぽわと想像を膨らませる。一度でいいから、実際に寝顔を見てみたいな……。
けど、ただでさえ誰よりも仲良くさせてもらってるんだ。それなのにそこまで求めるのは、やっぱり欲張りかなと思ったり。


「お待たせしましたっ」

それから数分後、舞園さんが浮き浮きとした様子で戻ってくる。ハイテーブルに置かれたトレーには、湯気を立てる舞園さんのマイカップと備品のカップ、それとシュガーポットが乗せられていた。

「はい、苗木君」
「ありがとう、舞園さん」

ソーサーに乗せられた自分の分のカップを、そっと両手で受け取る。舞園さんはマイカップとシュガーポットをテーブルに置くと、自分の席にゆっくりと腰を下ろした。

「お砂糖、先にどうぞ?」
「うん」

トングで角砂糖を一つ掴み、紅茶の中に入れてポットを舞園さんに手渡す。舞園さんも同じように一つだけ入れて、ポットを元の位置に戻した。

「砂糖、舞園さんも一個なんだね」
「いつもより疲れている時なんかは、欲張って二個入れちゃうんですけどね。糖分の摂りすぎにならないよう、気をつけないといけませんけど……。朝日奈さんが美味しそうにドーナツを食べてるのを見ると、ついつい私も食べたくなっちゃいます」
「はは、分かる分かる」

まあ、朝日奈さんも別に太らない体質って訳でもないらしいけど……。つい先日、『太らないか心配だよ~』って言ってたもんな。
と言っても水泳は消費カロリーがすごいみたいだし、ドーナツを食べた日はその分多く泳いでるらしいから、きっと大丈夫だと思う。

「っと、せっかく淹れてもらったのに冷ましちゃったら悪いよね。それじゃ、いただくよ」
「はい! と言っても、インスタントですけどね」

それでも、舞園さんが僕の為に淹れてくれた物なんだ。それだけで格別と言ってもいい。
湧き上がる嬉しさを身に沁みながら、僕は舞園さんと同時に最初の一口を口に入れた。レモンティー独特の香りと甘い味が口の中に広がっていく。

「うん、美味しいね。身体がぽかぽか温まるよ」
「そうですね。朝も言った通り今日は少し寒かったですし、温かい飲み物がとても美味しく感じます」

僕としても、舞園さんが淹れてくれた分更に美味しく感じられる。一口、また一口と念入りに味わうように飲んでいった。
……と、ふと顔を上げると、舞園さんが僕をじっと見ている事に気づく。

「ど、どうかした? その、僕の紅茶の飲み方が間違ってたとか……」
「あ、別にそういう訳じゃないですよ。こうして苗木君と一緒にお茶が出来ているのが嬉しくて、それでつい……」
「あ……そ、そっか。もちろん、僕だって嬉しいよ。こうして舞園さんの部屋で一緒に時間を過ごせるなんて、すごく幸せだし……」
「わあ……本当ですか? ありがとう御座います! でも、幸せだなんて何か照れちゃいますね……」

舞園さんは照れ臭そうに、赤くなった頬を隠すように両手を添える。そう言われると、何だか僕もものすごく照れ臭くなってきた……。


「あ、そうだ。レモンティーと言えば苗木君、中学の頃、私がペットボトルのレモンティーのCMに出ていたのは知ってます?」
「もちろん! レモンティーが好きだって言ったらすぐにオファーが来て、喜んで引き受けたんだよね?」
「はい! CM発表会のインタビュー、観てくれていたんですか?」
「うん。ちなみに僕がレモンティーを飲むようになったの、そのCMを見てからなんだ」
「そうなんですか? 嬉しい……。苗木君もあのレモンティー、買ってくれていたんですね」
「発売して暫くは週一で飲んでたよ。頻度こそ減っちゃったけど、根黒六中を卒業してからも……」

テレビの映像や雑誌の写真越しに、離れ離れになってしまった舞園さんの姿を目に映しながら。一度でいいから言葉を交わしたかったなって、そう思いながら……。

「そうだったんですね……。それなら同じ日の同じ時間……ひょっとすると、同じタイミングで飲んでいた時もあったんでしょうか?」
「そうかもね。ううん、そうだったらいいな……」
「うふふ、私もです。でも、それも今は『かも』じゃなくて、その上私の部屋で出来ているんですよね。本当に嬉しいです」

舞園さんは笑顔でそう言って、マイカップを口許まで持っていく……するとどうしてか、窺うように僕を見る。……もしかして、同じタイミングで飲んで欲しいのかな?
それならと僕もカップを口許まで運び、また同時にレモンティーを飲む。どうやら正解だったみたいで、舞園さんは照れ臭そうに再び微笑んでくれた。

「そう言えば、舞園さんのお父さんもレモンティーは飲むの?」
「いえ、お父さんは残念ながら紅茶は駄目なんですよ。あの甘さがどうも口に合わないって、もっぱらコーヒーでした」
「そっか。まあ、紅茶が合わない人って結構多いもんね」
「苗木君のご家族はどうなんですか?」
「ウチは皆大丈夫だよ。特に母さんは好きで、たまに茶葉から作ったりもしてたかな。節約家だから、基本的にはインスタントだったけどね」
「茶葉からですか……いいですね! 私はまだ茶葉から作った事はないんですけど、機会があれば覚えてみたいです。そしたら、苗木君にも振る舞いますね」
「あ、ありがとう。楽しみにしてるよ」

舞園さんが淹れてくれたってだけで、インスタントでも充分嬉しいのに……茶葉から作ってくれるなんて感動だ。
その日が今から待ち遠しい。一滴一滴、しっかりと味わって飲まないとな……。

「ところで苗木君、今日は何をして過ごしていたんですか?」
「今日? えっと、舞園さんを見送った後はまず課題を済ませたよ。その後ゲームをして……昼からは大和田君達に誘われて、体育館でバスケで遊んだね。それでその後は……部屋で舞園さん達の曲を聴いてた、かな」
「あ、今日も聴いてくれたんですね! ちなみに今日はどの曲を?」
「どのって言うか……その、全曲だね」
「え、全曲ですか!?」
「う、うん。いつの間にか聴き耽っちゃってて……」

最初は全曲も聴くつもりはなかったんだけど、部屋に遊びに行けると舞園さんの事を考えてたら、気づけば全部聴いていた。
まあ、一度に全曲聴く事自体は、今まで何度もした事があるけど……でも、入学してからは今日が初めてだ。
舞園さんと仲良くなれてて、更に部屋の事で浮かれてた分、今までよりも幸せな気分に浸る事が出来たな……。

「全曲って事は、随分長い時間聴いてくれてたんですね……私、すっごく嬉しいです! ありがとう、苗木君っ」

舞園さんは今日一番の笑顔を浮かべて、ぎゅっと僕の両手を握る。
その肌触りは相変わらずすべすべとしていて、舞園さんの部屋の中という事も相俟って、普段握られる時よりも一段と嬉しく感じられた。


「舞園さんの方は、今日のお仕事はどんな内容だったの?」
「今日は雑誌に掲載する写真の撮影や、出演する音楽番組の収録、それからレコーディングに向けて新曲を何度も通しましたね。苗木君が部屋に遊びにくるとわくわくしていたからか、今日は絶好調でした!」
「そ、そうだったんだ。何か嬉しいな……」
「うふふ……他には、次の曲の歌詞を考えたりしていましたね。作詞は初めてなので楽しい反面、私の考えた歌詞を聴いてもらうんだと思うと、やっぱり少し恥ずかしくなっちゃいます」

頬を赤らめて恥ずかしそうに微笑む姿に、たまらず頬が緩みきる。今月に出る新曲の作詞は今まで通りプロの人に委託してたけど、その次の新曲は舞園さんが作詞を担当する事になったんだ。
去年もソロ曲を出したりしてたけど、作詞を担当するのは舞園さん自身も言ってる通り、今回が初めてだ。
当然ファンの間でも話題で、今月発売の新曲と合わせて、僕を含めたくさんの人達が発売を待ち焦がれている。

「でも、すっごく楽しみだよ。僕、予約が始まったらその当日にするから!」
「ありがとう御座います。苗木君にもいい曲だって褒めてもらえるよう、頑張っちゃいますね」
「うん!」

ちなみに言うまでもなく、今月発売の新曲も既に予約済みだ。発売日は授業が終わって舞園さんを見送ったら、すぐに予約したショッピングセンターの店に行かないとな。
買ったら早速何度も聴いて、舞園さんが帰ってきてから直接感想を言おう……。

(ん?)

と、そんな風に心底楽しみにしていると、また舞園さんが僕をじっと見つめていた。だけど心なしか、さっきまでとは少し雰囲気が違っているように感じられて……。

「……あの、苗木君」

それは確かなようで、舞園さんは溜めながらそっと僕の名前を呼んだ。僕は少し戸惑いながらも、さっきまでのように至って普通に返事をする。

「何? 舞園さん」
「実はですね、私……苗木君に関して、以前から気になってる事があるんですよ」
「気になってる、事……?」
「はい。それで、その事について今から聞きたいんですけど……いいですか?」
「うん、僕は全然構わないけど……」

気になってる事って言うのが何なのかは分からないけど、舞園さんがそれだけ僕に興味を示してくれてるんだ。それなら喜んで応じたい。
……でも、どうしたんだろう? こんな改まっちゃって……。わざわざ確認を取らなくても、いつもみたいに積極的に聞いてくればいいのに。そんなに遠慮してしまうような内容なのかな……?


「ありがとう御座います。それで、聞きたい事なんですけどね……」
「う、うん」

どんな事を聞かれるのかと、少し緊張しながら次の言葉を待つ。そして、舞園さんが口にした内容は――



「……苗木君って、彼女はいるんですか?」



――そんな、あまりにも予想外な物だった。

「え、ええっ!? か、かかっ、彼女っ!?」

僕は激しく動揺し、思わず素っ頓狂な声を上げた。するとその反応をどう捉えたのか、舞園さんはその顔に不安そうな表情を浮かべる。

「あれ、焦ってます? つまり、いるって事ですか……?」
「い、いや……いないよ! 僕に彼女なんて……! 部屋に女の子を上げたのだって、舞園さんが初めてだったぐらいなんだから……」
「それはそうですけど……でも、部屋にはまだ上げた事がない、ってだけかもしれませんでしたし……」
「い、いないって。彼女なんてそんな、全然だよ」

夕闇高校に入学した際、母さんが『高校生になったんだし、誠君にも彼女が出来たりしてね?』なんて言ってきたのを思い出す。
こまるも同調してくるもんだから、あの時は相手をするのにやたら疲れたんだよな……。僕に彼女なんて、縁がないにも程がある言葉だったのに。

「そう……なんですね。ひょっとしているのかも、って思っちゃってました」
「はは……。でも、びっくりしたよ。まさかそんな事を聞かれるなんて……」
「ふふっ、私だって女子高生ですからね。恋バナにだって当然興味はありますし、苗木君と一度してみたかったんです」
「ま、まあ、そうだよね」

全国に名を馳せる大人気トップアイドルとは言え、舞園さんだって一人の女子高生なんだもんな。グループの皆とも、日頃そう言う話だってしてるんだろうか……。

「……ちなみに、好きな人は?」
「そ、それもいないよ。夕闇高校にいた間も、そう言う浮いた話はからっきしで……」
「んー……そう、ですか」

まあ、バレンタインにチョコなら貰ったけど……あれはクラスの男子皆に配られた義理だからな。だから浮いたも何もないし、大体そのチョコもこまるが勝手に食べちゃったから……。
恋愛に関しては、僕は外側で他の人達を眺めてた……ただ、それだけだった。


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