穂乃果「海未ちゃんが……癌?」 (204)
始めに
これは、【海未「え…が、癌?」】の続き物です。
始めにこちらから読んで頂けると物語に入りやすいと思います。
海未「え…が、癌?」のURL
海未「え…が、癌?」 - SSまとめ速報
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海未「それでは、穂乃果……行きますね」
そう言って、海未ちゃんは私に背を向けた。
私は、その背に手を伸ばすけど、触れることはできなかった。
穂乃果「必ず……必ず迎えに行くから!」
代わりに、私は声を上げることしか出来なかった。
穂乃果「絶対に、絶対に会いに行くから!」
自分の無力さを知った直後だったけど、私は叫ばずにはいられなかった。
そうでもしないと、今すぐに倒れてしまいそうだったから……。
海未ちゃんはゆっくりと私に振り返る。
その顔には、無理矢理作った笑顔を浮かべて。
海未「それじゃあ……先に乗りますね」
その言葉を最後に、電車の扉が閉まる。
海未ちゃんは私に背を向け、ゆっくりと遠ざかっていきます。
私はその光景を、ただじっと眺めている事しか出来ませんでした。
力になれると思った。
でも、実際は何も出来ない自分がいた。
私は震える膝から力を抜いてしまいそうになった。
キーンコーンカーンコーン──
崩れ落ちそうになった私の耳に、澄んだ鐘の音が聞こえてきました。
私はゆっくりと音のした方へと振り返りました。
そこには、他の建物から頭一つ飛び出して立つ、音ノ木坂学院の姿がありました。
(海未ちゃんも……ここから見てたのかな……)
そんな事を考えながら、私は自分が学校から抜け出してきたことを、今更ながら思い出していました。
穂乃果「……戻らないと」
うわごとの様にそう呟いて、私は困った顔を浮かべる駅員さんに謝罪の言葉を述べると、駅を後にしました。
走ってきた道のりを、私はずっと俯きながら歩いていました。
行きはあんなにも力強く走れたのに、今の私は一歩一歩進むのも辛い。
なんで?どうして?
そんな的を射ない言葉ばかりが、私の頭の中を埋め尽くしていました。
思えば、何度もおかしな点はあった。
嘘の下手な海未ちゃんが、必死になって嘘を付き続けていたと言うのに、私は全く気付けていなかった。
私は、何も見えていなかった。
そう思う度、どうしようもなく自分が嫌になる。
気付けば、音ノ木坂学院の前まで、私は戻ってきていました。
道路を挟んで眺める音ノ木坂学院を、私はぼんやりと眺めていました。
穂乃果(……なんで、戻ってきたんだろう)
今更、いつも通り勉強?
放課後の練習?
出来る訳がない。
穂乃果(海未ちゃんがいなくなっちゃったのに、いつも通りに出来る訳ないよ……)
もう考えるのも疲れてしまいました。
帰ろう。
そう思い、私は音ノ木坂学院から背を向け、歩きだそうとしました。
その時。
振り返った私の眼の前を、誰かが横切ろうとしました。
その人も私が急に振り返ると思っていなかったようで、私とその人は互いに急停止できずに衝突してしまいました。
穂乃果「きゃっ」
???「おっと」
その人は手に何か持っていたらしく、慌てて両手で手に持っていた物を支えました。
???「おい、気を付けろ。せっかくの豆腐が台無しになるところだったぞ」
穂乃果「す、すいません……」
私は慌てて頭を下げました。
???「……わかればいい」
何だか偉そうな人だな、と私は思いました。
しかし、そんなことはどうでもいい。
私は再度頭を下げると、その人の顔を見ることもせずに駆け出しました。
???「待て」
穂乃果「え?」
しかし、駆け出した私を、その人は呼び止めました。
???「……いい太陽を持っているな」
穂乃果「……太陽?」
振り返った私は、そこでようやくその人の姿を捉えました。
若い大人の男性で、手には料理に使うスチール製のボールを持っています。
不思議な人だな、と思っていると、その男の人は話を続けます。
男「俺の内なる太陽とは違う、周囲を明るく照らす……そんな力を感じさせる」
穂乃果「……えっと」
男「だが、その太陽も今は真っ暗な雲に覆われている……何かあったのか?」
男の人の言葉に、私は驚きました。
その男性は不思議な事に、出会ったばかりの私の胸の内を見抜いていました。
穂乃果「どうしてそれを……貴方は、一体……」
男「そんなことはどうでもいい。それより、お前の太陽を覆っている物の正体は何だ?」
その男の人は私の瞳を真っ直ぐ見ながら言いました。
普段なら、会って間もない人に自分の胸の内を話したりはしない。
なのに、気付けば私は震える唇を動かして、会って間もない男の人に胸の内を話していました。
男「──幼馴染の病気と突然の別れ、か……どうやらただ事ではないらしい」
私達は音ノ木坂学院の前の階段に並んで腰掛けていました。
穂乃果「すいません、いきなりこんな話されても困りますよね……」
男「話せと言ったのは俺だ。お前が謝ることはない」
そう言って、男の人は空を見上げて黙り込んでしまいました。
穂乃果「病気の事もそうですが……何も出来ない事が一番つらいです」
男「……」
穂乃果「子供の頃からずっと一緒だったに、嘘一つ見抜けなかった……そして、気付いたらもう何も出来ない自分がいて……ハハ、なんで私は、こんなにも……」
考え出すとまた辛くなり、私はまた泣き出してしまいました。
穂乃果「何泣いてるんでしょうね、私……本当に辛いのは海未ちゃんなのに……」
男「……泣きたければ泣けばいい」
穂乃果「え……?」
男「おばあちゃんが言っていた。女の涙は良くも悪くも美しい、とな」
そう言って、男の人は微笑みました。
穂乃果「……ふふ、素敵なおばあちゃんですね」
男「当たり前だ……それで、お前はどうするんだ?」
穂乃果「どうする……って?」
男「病気を知って、気付けなかった事を悔やんで泣いて……それでお前はお終いなのかと聞いている」
穂乃果「……」
男の人の真っ直ぐな言葉に、私は顔を伏せることしか出来ませんでした。
穂乃果「だって……どうしようもないじゃないですか……癌なんて、お医者様にしか治せないんだし」
男「確かに、病気は医者にしか治せん」
穂乃果「私じゃ、海未ちゃんの力にはなれない……」
男「なぜそうなる」
穂乃果「なぜって……」
男「癌を治すことだけがそいつを救う事だというなら、殆どの人間には不可能な事だ」
穂乃果「……」
男「お前は少し思い違いをしている。お前はこのままずっとその幼馴染を一人で戦わせるつもりか?……言っておくが、一人で戦うということはとても辛い道だ。とても常人に耐えられる道ではない」
一人で、戦う……。
私の脳裏に、暗い病室で横たわる海未ちゃんの姿が思い浮かびました。
一人で必死に病気と闘って、『奇跡』を起こそうと精一杯頑張っている。
それなのに、私は何をしているの?
男「力になると言うのは、何も病気を治す事だけではないはずだ。たとえどんなに小さなことでも、取るに足らない努力だとしても、力になりたいと想う『力』があれば、必ず何か見えてくるはずだ」
穂乃果「力になりたいと思う、『力』……」
そうだ……そうだった、私は知っている。
『奇跡』は、一人では起こせない事を。
最初から答えが分かってたのに、私はいつの間にか、目先の悲しみに囚われていた。
穂乃果「そうだ……そうだよ……」
私の心に、熱い何かが込み上がってきます。
男「雲は晴れた様だな」
男の人は立ち上がると、階段を上がっていきました。
穂乃果「あの!本当にありがとうございました!」
私は階段を上り切った男の人の背中に、精一杯の感謝を込めて、頭を下げました。
男の人は、肩越しに振り返ると、人差し指を空に掲げて言いました。
男「気にするな……俺は天の道を往き、総てを司る男だからな……」
その言葉を最後に、男の人はゆっくりと歩き去っていきました。
穂乃果「……本当に、ありがとうございました」
私は、最後にもう一度去りゆく背中にお辞儀をすると、自分の頬をパチンと叩く。
穂乃果「……よしッ!」
もう塞ぎ込むのはお終い。
やるべきことが見えた。
なら、後は私の得意分野。
一直線に、駆け抜けるだけ。
穂乃果(海未ちゃん……海未ちゃんは言ってくれたよね、『奇跡』を起こして見せるって……でもね、海未ちゃんは一つ勘違いしてるよ)
『奇跡』は一人では起こせない。
だったら、また起こせばいいんだ。
一人では起こせない奇跡を、『皆』で。
私は一度大きく深呼吸をしました。
いける。走れる。
先ほどまで動かなかった体が、今は走り出したくて仕方がない。
私はその衝動に抵抗することなく、走り出しました。
穂乃果「まずは皆に知らせないと……」
学院の時計は十時を回っている。
既に授業は始まっている。
一刻も早く知らせるために、私の足は自然と向かうべき場所に向かっていました。
ことり「はぁ……」
ほのかちゃんが行ってから、一時間近く立ちました。
今頃どうしてるのかな、ちゃんと引き留められたのかな。
ことり「……はぁ」
そんな事を、もう何十回と考えてはため息をついていました。
私はいつもそう。
誰かが行動を起こしても、私はずっと待っている。
信じて待つと言う言葉なんて、体の良い言い訳でしかない。
実際は、自分は何も出来ないのだから。
今回だって、私はほのかちゃんと一緒に学校を飛び出すことだって出来たはず。
なのに、私はそうしなかった。
怖かったから。
一人で抱え込んだまま行ってしまう海未ちゃんの覚悟がぼんやりと見えたから、私は行くのを恐れてしまった。
その覚悟を決めさせた真実に、目を向けるのが怖かったから。
でも、そんな私だけど、そんな私だからこそ絶対に決めている事がある。
それは──。
ピ…ピピィ、ガガッ!
不意に、黒板の上に設置されているスピーカーからノイズが走り、私は机から顔を上げた。
そして、次の瞬間。
『みんなぁぁぁぁぁぁぁ!!大変だよぉぉぉぉぉぉぉぉ!!』
先生「なッ!なんだぁ!?」
耳を塞ぎたくなる様な大音量で発せられた声に、学院は一気に騒めきだした。
『こら!高坂!何をやってるんだ!!』
スピーカーの後ろから、先生らしき人の慌てた声が聞こえてくる。
『すいません!緊急事態だったんです!許可は山田先生に取りました!』
『な、何だとぉ!?山田先生は何を考えているんだ!』
私達の教室で授業をしている山田先生の顔から、血の気が一気に引いていく。
『とにかく、μ`sの皆は今すぐ屋上に来て!海未ちゃんが……海未ちゃんが大変なの!』
その言葉を聞いて、私は立ち上がりました。
ことり「先生!私、行ってきます!」
先生「……おぅ、もう好きにしろ」
がっくりとうなだれた先生は、手だけを振って了承してくれた。
ことり「はい!」
私はその姿を確認して、ほのかちゃんに負けない勢いで教室を飛び出しました。
私は臆病で、ほのかちゃんの様に直ぐに行動に移せないけど。
呼び掛けられたら、誰よりも早く動き出そう。
それが、臆病な私に出来る精一杯の誠意だと思うから。
教師「な、何なんでしょう、今のは……」
花陽「……凛ちゃんッ!」
凛「うん。行こう!真姫ちゃん!」
教師「ま、待ちなさい3人とも!」
真姫「先生」
教師「な……何ですか、西木野さん」
真姫「お説教は後で受けます。なので今は行かせてもらいます」
凛「真姫ちゃん急ぐにゃ~!」
真姫「今行くわよ!」
教師「あ、こら!…………んもぅ!」
教員「い、今の放送は……?」
絵里「先生」
教員「綾瀬さん。何なんでしょうか、先ほどの放送は」
絵里「すいません。私の所属する部活の後輩の仕業かと」
教員「元気なのはいい事ですが、困りますねぇ」
絵里「えぇ、全くです」
希「これは私達先輩がちゃぁんと注意せなあかんなぁ……なぁ、絵里ち?」
絵里「そうゆうことですので、先生。私と希は彼女の行動を注意してきますので、少し席を外させていただきます」
教員「……そうですか。ではしっかりと指導してきてくださいね。頼みましたよ、生徒会長」
絵里「分かりました……行きましょ、希」
希「はいはい」
体育教師「こぉらぁ矢澤ァ! どこ行くんだぁ!まだトラック二周走ってないだろうがぁ!」
矢澤「やぁ~ん!先生顔怖~い!ほら一緒に!にっこにっこに~!」
体育教師「ふざけとるんかぁ!矢澤ァ!」
矢澤「うわ、本気で怒ってるわね……仕方ないでしょ!部員の危機に部長の私が行かなくてどうすんのよ!」
体育教師「待たんか矢澤ぁ!」
矢澤「後で二周でも五周でもいくらでもやって上げるわよ!だから今は行かせてもらうわよ!」
教職員「待たんか高坂!」
ほのか「本当にごめんなさい!後でちゃんと謝りますから!」
教職員「あ、こら待て高坂!くそっ、なんてすばしっこい奴……」
???「行かせてあげなさい」
教職員「り、理事長……」
ことり母「遊びでやっている訳ではないのでしょうから、今は満足するまでやらせてあげましょう」
教職員「し、しかし……」
ことり母「それより、私は生徒が勝手に放送室の鍵を持ち出せた職員室の警備体制に疑問を感じているのだけど」
教職員「は……はい、申し訳ありません!」
ことり母(ま……私がホノカちゃんにお願いされて鍵を渡したのだけれど♪)
ことり母「とにかく、先生方は今すぐ全クラスの収拾を最優先に動く様に。彼女たちの事は私が何とかします」
教職員「分かりました」
ことち母(がんばるのよ、ホノカちゃん、ことり……)
穂乃果「ハァ、ハァ……」
私は必死に階段を駆け上がりました。
放送室は屋上のある階段から一番遠い所にある。
放送を聞いてくれた皆はとっくに屋上に集まっているだろう。
言わなきゃ。
海未ちゃんが大変だって。
一人で病気と戦おうとしてるって。
私は屋上に続く最後の階段を、一気に駆け上がり、屋上の扉を勢いよく開いた。
眩しい太陽の光が、私の目を眩ませる。
その光の先に、皆はいた。
「「「「「「「どうゆうことなの、穂乃果!!」」」ちゃん!!」」」」
皆が一斉に、私に声を掛ける。
集まってくれた。
誰一人欠けることなく。
穂乃果「ハァ、ハァ……皆、落ち着いて聞いてね」
こんなに心強い仲間がいるなら、きっと大丈夫。
穂乃果「海未ちゃんが大変なの──」
私は、先ほど知ったこと全てを、皆に打ち明けた。
書いてるの>>1本人なんだよな?
>>75
大丈夫ですよ。ちゃんと本人です。
私が海未ちゃんの突然の転校の事、そして、病気の事を皆に伝え終わっても、皆は直ぐに声を発することが出来なかった。
無理もないと思う。私だって、一人では耐えられなかった。
でも、ここにはみんながいる。だからきっと大丈夫。
私は皆が落ち着くのを静かに、そして祈る様に待った。
凛「そんな……海未ちゃんが……」
花陽「凛ちゃん……」
皆が皆、血の気の引いた顔をしている。
絵里「癌なんて……私達じゃどうしようも……」
希「……」
希ちゃんも、今回の件には流石に動揺しているのか、悲しそうに眉を伏せて俯いている。
でも、やっぱり一番ショックだったのは──。
真姫「ちょっとことり、しっかりしなさいよ……」
ことり「……」
呆然とすることりちゃんを、いつもより沈んだ声の真姫ちゃんが揺さぶる。
ことり「あ……わ、私……」
穂乃果「落ち着いてことりちゃん!」
ガクガクと体を震わせることりちゃんの肩を、私は力強く叩きました。
ことり「ほ……ほのかちゃん……」
穂乃果「皆も!突然の事でどうしたらいいか分からないと思うけど、まずは私の話を聞いてほしいの!」
私の声に、皆が顔を上げて私を見る。
穂乃果「海未ちゃんは今、一人で病気と戦おうとしてる。私はそんな海未ちゃんの力になりたい」
矢澤「力になるって……にこ達に何が出来るのよ。癌なんて……にこ達にはどうしようもないじゃない……」
穂乃果「私も最初はそう思ったよ。穂乃果じゃ癌は治せない……穂乃果じゃ海未ちゃんの力になれないって」
希「穂乃果ちゃん……」
穂乃果「でも、気付かせてもらったの。癌を治すだけが、力になることじゃないって」
真姫「癌を治すだけが……」
絵里「力になることじゃない……」
穂乃果「癌なんて、穂乃果達には治せないよ。でも、だからって私達に出来ることってもうないの?もう海未ちゃんの力になることはできないのかな?」
花陽「……」
凛「……」
穂乃果「そんなことない。穂乃果達にだって出来ることはあるはずだよ。たとえどんなに小さなことでも、穂乃果は海未ちゃんの為に何かしたい……皆は?」
私の声に、顔を見合わせる。
困惑気味に見合わせていた顔が、やがて決意に満ちた表情へと変貌する。
希「……穂乃果ちゃんの言うとおりやね」
絵里「えぇ……私達にだって、出来ることはあるわよね」
花陽「どんなに小さな事だって」
凛「やれることがあるなら!」
真姫「やってやろうじゃない!!」
皆が声を上げる。
海未ちゃんの為に、立ち上がってくれる。
ことり「やろう、穂乃果ちゃん……私も、海未ちゃんともう一度話がしたい……このままお別れだなんて、ことり納得できないよ!」
穂乃果「皆……うん、やろう!穂乃果達に出来ることを、全力で!」
私達は全員で顔見合わせて、一度大きく頷きました。
ことり母「話はまとまったかしら」
話が終わったのを見計らったようなタイミングで、理事長が私達の元へとやってきました。
ことり母「話が纏まったのなら、まずは皆自分の教室へ戻りなさい。ちゃんと今日の授業を終わらせて、それからまた集まってがんばりなさい。それとホノカちゃん」
穂乃果「はい?」
ことり母「ホノカちゃんは私と一緒に職員室へ行きましょうか♪」
そう言って、理事長はにっこりと笑いました。
絵里「そうよ、穂乃果。いくら一大事とはいえ、放送室を勝手に使用するなんて……」
穂乃果「うぅ~……ご、ごめんなさい」
希「先生方にちゃんと謝らんとね」
矢澤「全く!穂乃果はいっつも考えなしに突っ走るんだから」
穂乃果「皆酷いよ~!私だって必死だったんだよ!」
花陽「まぁ、そこが穂乃果ちゃんの凄い所でもあるんだけどね……」
真姫「確かにね……私じゃ到底できそうにないわ」
凛「凛もそう思うにゃ~」
穂乃果「それ全然褒めてないよ~」
ことり「あはは……頑張って、ほのかちゃん」
しょんぼりする私の肩を、皆が軽く叩きながら、各々の教室へと帰っていきます。
とにかく、やるべきことをやっていこう。
私はそう思って、理事長と共にかんかんに怒っているであろう先生方のいる職員室へと、足を運びました。
これからこっぴどく怒られるはずなのに、私の足取りは軽快でした。
──
────
─────
穂乃果と別れを告げた数日後、私の体は一気に病に侵されました。
海未「ゲホッ!ゴボッ!」
看護師「園田さん!?大丈夫ですか!?」
咳き込む私の背中を看護師さんが優しく撫でてくれました。
海未「は、はい……ありがとうござい──ッ!?」
お礼を告げようとした私は、次の瞬間には驚きに目を見張りました。
口元を抑えた私の掌に、真っ赤な液体が付着していました。
それも、大量に。
海未「あ……あぁ……」
看護師「園田さんッ!!」
私の思考が動き出す前に、看護師さんは私の両肩を強く掴んで、私の意識を強制的に引き付けました。
看護師「落ち着いて園田さん。大丈夫、落ち着いて……」
海未「……は、はい……」
私の体は、私が思う以上に危険な状態だったことを、この時初めて理解しました。
海未「穂乃果……」
不安に蝕まれた私は、無意識の内に最愛の幼馴染の名前を呟いていました。
看護師「……お友達?」
暫く無言で私を見つめていた看護師さんが、恐る恐るといった風に尋ねてきました。
海未「え……えぇ。昔からの、幼馴染なんです」
看護師「そう……ねぇ、その子はどんな子なの?よかったら聞かせてくれないかしら」
看護師さんは優しい微笑みを浮かべながら、私のベッドに腰掛けました。
海未「で、でも……看護師さん、お仕事中なのでは……?」
看護師「患者さんとのコミュニケーションも仕事の内よ。こんなに真面目に仕事に取り組んでいるんだから、ちょっぴりナース会議の時間に遅れちゃっても仕方ないわよね?」
看護師さんは悪戯っぽい笑みを浮かべながら言いました。
その悪戯っぽい笑顔に、私の頬は自然と緩んでいました。
海未「そうですね……看護師さんにちょっぴり似ているかもしれません」
看護師「え?」
海未「私の幼馴染の事ですよ。自然と人を笑顔に出来る、そんな人なんです……穂乃果と言う人は……」
それから私は、看護師さんに昔の穂乃果の話をしました。
穂乃果と初めて会った時、穂乃果についていって大変な目に遭った事、それでも、最後は皆が笑い会っていた事。
ふと窓の外に視線を向けると、昨日と変わらない青空のはずなのに、心なしか澄んでいる様に、私には見えました。
──
────
──────
学校を終えた穂乃果達は、とりあえず手当たり次第に聞き込みを行う事にした。
知人や近所の人に癌に詳しい医者はいないか、またはその人を知っている人物は知らないか。
絵里ちゃんや真姫ちゃん、希ちゃんは真姫ちゃんの実家の病院から聞き込みを開始するっていっていた。
医療関連の人達の情報の方がきっと早く情報が手に入るといち早く言いだしたのは、しっかり者の絵里ちゃんでも、実家が病院の真姫ちゃんでもなく、ことりちゃんだった。
皆は意外そうに驚いていたけど、穂乃果は知っている。
ことりちゃんは普段はおっとりしていて抜けてることもあるけれど、本気になったことりちゃんはとってもすごいってことを。
皆で意見を出し合って、ネットから情報を探す役は普段よくパソコンを使っているにこちゃんと花陽ちゃんが、病院などの有力筋には絵里ちゃんと希ちゃん、そして真姫ちゃんが。
そして残りの私と凛ちゃんとことりちゃんの三人はと言うと──
穂乃果「癌に詳しいお医者様を探しています!ご協力お願いしまーす!」
人通りの多い秋葉原に出て、情報集めに勤しんでいました。
今は一つでも多くの情報が欲しい。
私達はチラシを作り、色んな人に話を伺った。
穂乃果「どう?」
凛「ダメにゃあ、全然いい情報が集まらないにゃ~」
ことり「私も……いい病院を知っている人はいても、癌のお医者様ってなると難しいみたい……」
穂乃果「そっか……」
気付けば、辺りはすっかり暗くなっている。
穂乃果「……今日はもう遅いし、明日また頑張ろう!」
結局、中々有力な情報が得られないまま、その日は帰ることにした。
そして翌日。
穂乃果「海未ちゃんの為に、今日も情報集め頑張ろう!」
ことり「うん!」
凛「もちろんにゃあ!」
昨日と同じように、私達は秋葉原で情報収集を始めました。
穂乃果「ご協力お願いしまーす!」
凛「癌に詳しい人を探してまーす!」
ことり「ご協力、お願いしますッ!」
必死に声を上げるけど、中々情報は集まらない。
そして、辺りはゆっくりと薄暗くなっていく。
穂乃果(今日もダメなのかな……)
私がそう思った、その時。
???「チラシ、もらえるかしら?」
俯く私の視界に、一つの人影が映り込んできました。
穂乃果「は、はい!ありがとうござい……」
勢いよく顔を上げた私は、目の前に立つ人物を見て言葉を失った。
???「初めまして、高坂穂乃果さん♪」
私の目の前には、UDX学院の看板ともいえるアイドルユニットのリーダー、綺羅ツバサさんが立っていた。
穂乃果「あ、あ……アラ──ッ!!」
ツバサ「しっ!」
驚きの声を上げそうになった私の唇を、ツバサさんの人差し指が遮る。
ツバサ「いくら人通りが少なくなってきたとはいえ、大きな声で名前を呼ばれちゃ流石に落ち着いて話も出来ないから……ね?」
そう言ってツバサさんは小首を傾げながらウインクする。
私はドキドキしながらも、人差し指で塞がれた唇の代わりに、首をコクコクと振って了承の意を伝える。
ようやく唇から人差し指が離され、私は張り詰めていた息をゆっくりと吐いた。
ツバサ「驚かせたみたいでごめんなさい。学校で聞いたのよ。音ノ木坂の制服を着た子達がチラシを配っているって。それもラブライブに出場候補のμ`sのメンバーだって……」
穂乃果「そうだったんですか……」
ツバサ「何でも誰かを探しているって聞いたんだけど……どうかしたの?」
穂乃果「はい……実は──」
私は海未ちゃんが癌にかかっている事、そしてそれを治せるお医者様を探している事を簡潔に伝えました。
ツバサ「園田さんがそんなことに……」
穂乃果の話を聞き終えたツバサさんは心配そうに眉を伏せて私を見つめます。
ツバサ「彼女は、治るのか?」
穂乃果「……分かりません。今担当しているお医者さんが言うには既に末期で、治療は難しいって」
ツバサ「そんな……」
ツバサさんは悲しそうな表情で顔を伏せました。
穂乃果「でも、海未ちゃんは戦うって言いました」
私の声を聞いて、ツバサさんが僅かに顔を上げます。
穂乃果「奇跡を起こすって……だから私達は、そんな海未ちゃんの力になりたいんです。どんな些細な事でも構いません、協力お願いします!」
私は勢いよく頭を下げる。
ツバサ「……ごめんなさい。癌に詳しいお医者様は、私も知らないわ」
穂乃果「そう、ですか……」
ツバサ「だから──」
穂乃果「え……?」
落胆しかけた私を見つめながら、ツバサさんは言葉を続けます。
ツバサ「私も、周りの人に聞いてみるわ。近い内に取材でテレビ局に行く用事もあるし、そっちの業界の人達にも聞いてみるわ」
穂乃果「ツバサさん……ありがとうございます!」
私は再度、頭を下げました。
ツバサ「気にしないで。これは自分の為でもあるんだし」
穂乃果「え……?」
ツバサ「ううん、何でもないわ。それより、連絡先教えてちょうだい?」
穂乃果「は、はい!」
私達が連絡先を交換し終えた時には、辺りはすっかり暗くなっていた。
ツバサ「それじゃ、何か分かったら連絡するわね、穂乃果さん」
ツバサさんはそう言うと、軽快な走りで去っていきます。
私はその背中に、もう一度深く頭を下げました。
凛「今日もだめだったにぁ~……」
ツバサさんの背を見送っていた私の後ろから、凛ちゃんの声が近づいてくるのが分かりました。
凛「もうだめなのかなぁ……?」
穂乃果「……ううん、そんな事ないよ凛ちゃん」
凛「え……穂乃果ちゃん、何かいい情報でも手に入れたの!?」
穂乃果「ううん、残念だけど」
凛「なんだぁ~……」
穂乃果「でもね、私達の事を知って、一緒に探してくれるって言ってくれた人がいたよ!」
凛ちゃんに振り返りながら、私は言いました。
凛「ホント!?」
穂乃果「うん!海未ちゃんの為に頑張ってくれる人が、また一人増えたんだよ!」
私の嬉しさが伝わったのか、沈んでいた凛ちゃんの表情も次第に明るい笑顔へと変わっていく。
凛「いよぉーし!ならもっともぉーっと協力者を増やすにゃー!」
穂乃果「おーう!A-RISEを味方に付けた私達に怖いものはなぁい!」
凛「え!?それってどういう事なの、穂乃果ちゃん!?」
驚く凛ちゃんを置いて、私は一人チラシを真剣に配ることりちゃんの元へと駆け出しました。
落ち込んでいる暇なんてない。
今は一人でも多くの人に聞き込みをして、情報を集めないと。
弱気になりかけた自分に再度そう言い聞かせ、私は走る足に力を込めました。
その日は真っ暗になるまでチラシ配りを行いました。
あれから新たな情報を得ることはできなかったけど、それでも落ち込むことはなかった。
だって、今穂乃果達に出来ることが分かったから。
穂乃果(待っててね海未ちゃん……必ず、迎えに行くから)
見上げた夜空は真っ暗だったけど、そこには小さく輝く星の光が、確かにあった。
ツバサ「──でね、その子達はその病気のメンバーの為に毎日遅くまで情報集めを頑張っているの」
???「へぇ~、なんだかとっても大変そうなの」
ツバサ「でしょ?だから出来る限りの協力はしてあげたいって思うのよ」
???「うん!そういうことなら美希も手伝うの!色んな人にこの話をすればいいんだよね?」
ツバサ「えぇ、それで何か分かったら私に連絡してもらえれば助かるわ」
美希「わかったの!さっそく帰ったら事務所の皆に相談してみるの!」
ツバサ「いきなりこんなこと頼んでごめんなさいね。でも、色んな仕事をしてる貴方ならきっと私達よりも色んな人に話が届くと思うの」
美希「任せるの!美希達の顔は広いの!きっといいお医者さんの情報を届けれると思うな!」
???「おーい、美希~!そろそろ次の現場行くぞ~!」
美希「はーい!今行くの~!ごめんねデコ助ちゃん、ハニーが呼んでるからもう行くね!」
ツバサ「えぇ……あと、いい加減その名前やめてよ!」
美希「大丈夫なの!事務所にはもっとすごいデコを持った子がいるの!世の中は広いの!」
ツバサ「どういう意味よ!」
美希「それじゃあ、何か分かったら連絡するの~」
ツバサ「ちょっと!……全く、あれがトップレベルのアイドルなんて……世の中狭いんだか広いんだか」
美希「──と、言う訳なの」
???「へぇ~……色々大変なんだなぁ」
美希「とっても大変なの!だから響も一緒に手伝ってほしいの」
響「それくらいならお安い御用だぞ。自分に任せておけ!」
美希「流石は響なの!話が早くて助かるの!」
響「フフン、自分、完璧だからな!」
美希「うん!」
響「……」
???「ただいま帰りました~!」
美希「あ、あの声は……春香~!」
春香「わわ!?み、美希~!いきなり抱き着かれると危ないよ~」
美希「はるかにも聞いてほしい話があるの!実はね──」
響「……何か自分、流された様な気がするぞ……」
響「──でね~、その子達は今も友達の為に一生懸命お医者様を探しているんだって」
???「立派な話じゃねぇか。凄いと思うぜ……っと、ほい、診察終わり!今月もいぬ美の健康に異常はなしだ」
響「ありがと先生!」
???「いぬ美もよく頑張ったなぁ、偉いぞ~」
いぬ美「ワンッ!」
響「鉄生先生は何か知らない?癌に詳しい先生とか」
鉄生「ん~、そうはいっても、俺は獣医だからなぁ。医者って所は同じでも、相手が違うからな」
響「そっかぁ……もういっそ、先生が執刀してくれない?」
鉄生「馬鹿言うなよ。確かに特例で人間の患者さんを手当てしたことはあるけど、俺は動物専門なんだよ。そんな無責任な事出来っかよ」
響「アハハ、冗談だよ先生……でも、そっかぁ、先生も知らないとなると、他に知ってそうな人いたかなぁ」
鉄生「……いや、待てよ?」
響「え?」
鉄生「もしかしたらだけど、俺にも一人心当たりが──」
???「お疲れ様、鉄生君」
響「あ、サボリ魔!」
???「えー、酷い事を言う飼い主さんだなぁ」
鉄生「そりゃ四六時中寝ながら漫画読んでたりしたらそう言われるだろ、陵刀……」
陵刀「それで?何の話をしてたんだい?」
鉄生「あぁ、たった今陵刀に聞きたいことが出来たんだ」
陵刀「僕に?何かな?」
鉄生「あぁ、実は──」
陵刀「──なるほど……癌に詳しい医者か」
鉄生「あぁ……陵刀なら何か知ってるかと思って」
陵刀「ふむ……響ちゃん、だっけ?」
響「おう!」
陵刀「その病気の子の腫瘍は既に末期なんだよね?」
響「うん……話で聞く限りではそうみたいだぞ」
陵刀「そうか……残念だけど、癌の初期症状なら未だしも、末期となると殆ど手遅れに近い状態なんだ」
響「……」
鉄生「……」
陵刀「初期段階なら摘出できる人は何人か知っているけど、それでもかなりの技量を持った人物に限られる。それが末期ともなればもう天才を超えた神の様な技術を持った人物にしか……」
響「……?」
鉄生「どうした陵刀?急に考え込んだりして」
陵刀「……いや、少し昔の噂話を思い出してね……」
響「噂?」
陵刀「僕も小耳に挟んだ位だから詳しくは知らないんだけど……なんでも、治療不可能と言われた手術を治すことが出来る医者がいるって……確証も何もない噂話だけどね」
響「それはどこで聞いたの!?」
陵刀「その噂自体は別に珍しくないものだよ。僕が聞いたのもこの病院に通ってた飼い主さんからだし」
鉄生「それなら俺も知ってるけど、実際にあった人は一人もいないらしいぜ」
陵刀「あくまで噂の域を出ない話だからね、あまりむやみに希望を与えるのも可哀想だから、この話は伝えない方がいいかもね」
響「治療不可能の病気を治すことが出来るお医者さん……ありがとう、鉄生先生!サボリ魔!」
鉄生「あ、おい!話聞いてたか!?あんまり適当な事は──!」
響「なんくるないさー!」
鉄生「……いっちまった」
陵刀「まぁ、いいんじゃないかな。今はどんな情報でも欲しいみたいだし……もしかしたら、ね」
鉄生「……助かるといいな」
陵刀「そうだね……」
──
────
──────
真っ暗な、只々真っ暗な世界が広がっている。
海未(これは……夢?)
辺りを見回しても、あるのは真っ暗な闇だけ。
次第に自分が辺りを見ているのかもわからなくなってきた頃、前方に小さな光が灯りました。
その光はか弱く、今にも消え入りそうな程小さな火でした。
不安定に揺らめき、今にも消えてしまいそうな日の傍に、新たな光が灯りました。
その光は、まるで不安定な火に力を与える様に、優しい光で消えてしまいそうな灯を照らします。
やがて、消え入りそうだった火は力を取り戻した様に自ら燃え上がり、力強い光を放ちだしました。
その光はとても熱く、それでいて温かい光。
眩しい位に輝くその炎は、まるで──。
その時、燃え上がる炎の周りに、七つの火が灯り、次第にその数はどんどんと増えていきます。
あっという間に増えて言ったその光に、私は思わず顔を覆いました。
それでも、腕の隙間を縫って瞼の裏まで私を照らしてきます。
そして、圧倒的な光に、私は呑み込まれ──。
海未「ん……」
薄らと瞼を開くと、そこには見慣れ始めた白い天井が映っていました。
私はゆっくりと体を起こし、まだぼんやりとする思慮で考えます。
海未「今のは、一体……?」
私が一人呟いていると、
看護師「おはようございます、海未ちゃん。あら、もう起きてるなんて……早いわね」
看護師さんがカーテンを割って中へと入ってきました。
海未「おはようございます。ついさっき目が覚めた所なんです」
看護師「あらそうなの?」
海未「はい」
看護師「……」
ふと看護師さんが黙り込んだかと思うと、じっと私の顔を見ています。
海未「……あの、私の顔に何かついていますか?」
看護師「あ……ごめんなさいね。なんだか今日の海未ちゃん、昨日よりも元気そうに見えたから」
海未「そう、ですか……?」
看護師さんの言葉に、私は首を傾げました。
体調は昨日と変わらない……と思う。
それでも、看護師さんは断言する様に大きく頷きます。
看護師「絶対そうよ。なんていうか……凄く生き生きとしてる」
看護師さんは嬉しそうに微笑みながらそう言いました。
海未「……そうですか」
私は小さく微笑みながら、先ほどの夢の事を思い出しました。
温かな光達が集まり、さらに大きな光となっていく景色。
それは、なぜだかとても心を熱くしてくれた。
海未「そうなのかもしれませんね」
私の言葉に、看護師さんは満足そうに微笑みました。
看護師「さぁ!朝の体温検査しましょうね」
そして、私の一日が始まります。
孤独な戦い、そう思っていたはずなのに、今は自然と一人ではないと、そう思える様になっていました。
それが目の前の看護師さんのお陰なのか、それとも……。
朝の診察を終えても、私の心には燻る何かが残っていました。
その炎の正体は一体何なのか。
私の中で熱く脈打つこの気持ちは、きっと生きる意志。
一人じゃない、私には帰りを待つ人が、迎えに来てくれる人がいる。
ここで倒れる訳にはいかない。
気付けば私は筆を走らせていました。
自分の生きる意志を、筆に乗せる。
書いては消して、消してはまた書いて……私は一心不乱に書き綴りました。
この想いを、余すことなく表現する為に。
海未「必ず、必ず起こして見せます……奇跡を」
痛む体に言い聞かせる様に、私は筆を走らせ続けました。
──
────
──────
穂乃果「絵里ちゃん、どうだった?」
私の言葉に、絵里ちゃんは眉を八の字にしながら頭を振った。
絵里「ダメよ……何人かは見つかったけど、末期症状の話を伝えると皆揃って首を振ってしまうわ」
穂乃果「そっか……」
穂乃果達が動き出してから、数日が経過していた。
今日は穂むらに集まって状況報告をしているけど、どこもうまくいっていないみたいでした。
絵里「穂乃果の方はどう?ほら、例のA-RISEのリーダーから教えてもらった噂の天才外科医さん」
穂乃果「うん……にこちゃん、花陽ちゃん、あれから何かわかった?」
私の声に、花陽ちゃんが申し訳なさそうに縮こまる。
花陽「そ、それが……噂話なら沢山見つけるんだけど、どれも確証を得ない内容ばかりで……」
にこ「ぶっちゃけ、本当に存在するのかも怪しいものばかりだわ」
真姫「まぁ、元々噂の域を出ないものらしいし、あんまり当てにしない方がいいんじゃない?」
絵里「そうね……今は噂話を信じるより、確実な情報を頼りにした方がいいわね。なんせ、時間は限られてるんだから」
絵里ちゃんの言葉に、辺りは張り詰めた様な緊張感に包まれた。
こうしている間にも、海未ちゃんは少しずつ病に蝕まれている。
にこ「いっそのこと、真姫ちゃんの所でやりなさいよ!どこの馬の骨とも知れない医者に頼むよりよっぽど信頼できるわ!」
真姫「出来るのならとっくにやってるわよ。ママに聞いても他と同じ答えしか返ってこなかったわ」
にこ「くっ……」
希「落ち着いてにこっち、慌ててもいい結果は生まれんよ」
にこ「時間がないのよ!落ち着いてる場合じゃないでしょ!」
希「にこっち……」
にこ「……ごめん、希」
希「ううん……」
その言葉を最後に、皆は黙って俯いてしまう。
絵里「……今日はこれくらいにしておきましょうか」
皆の頭が煮詰まっているのを察して、絵里ちゃんが席を立つ。
希「……せやね」
絵里ちゃんに続いて希ちゃんが声を上げながら立ち上がり、ようやく皆が荷物を纏めだす。
絵里「続きはまた明日考えましょう。ね? ことり……」
ことり「でも……」
皆が荷物を纏めて立ち上がる中、ことりちゃんだけが渋る様に座り込んでいました。
真姫「このまま考えていても、いい案が出てくるとは思えないわ。まずは一度頭を落ち着かせないと……」
ことり「うん……」
真姫ちゃんの言葉に頷くのだけど、ことりちゃんは立ち上がらなかった。
花陽「ことりちゃん……」
ことり「ごめん……ごめんね、皆。分かってる。分かってる、んだけど……」
穂乃果「……」
多分、ことりちゃんの言いたいことは皆わかってる。
ここ最近、何も進展していない事。
探せば探すだけ、最終的に行き止まりにぶつかって、その先に進めず引き返す。
その繰り返し。
悪戯に時間だけが過ぎていくことに、何時しか慣れてしまっているんじゃないかと不安になる。
だから、私は。
穂乃果「ねぇ、ことりちゃん……今日、家に泊まっていく?」
同じ不安を募らせていることりちゃんに、ついそんな言葉を掛けていたのでした。
穂乃果「ことりちゃん、パジャマはそれで大丈夫?」
ことり「うん、ありがとう。ほのかちゃん」
私の替えのパジャマを着たことりちゃんが、にっこりと笑う。
いつも通りの笑顔。
でも、穂乃果には分かる。
その笑顔の裏に隠れた、悲しい影の存在があることを。
ことり「ごめんね、ことりだけ急に泊まらせてもらっちゃって……迷惑だったよね?」
穂乃果「ううん、迷惑だなんて誰も思ってないよ。お父さんは実家に帰っていないし、お母さんも雪穂も全然嫌がってなかったでしょ? むしろ、いろいろ話しかけられて大変じゃなかった?」
ことり「ううん! そんな事ないよ。ご飯もとってもおいしかったし、ほのかちゃんのお母さんも雪穂ちゃんもとっても良くしてくれたよ」
穂乃果「そう? だったら、いいや!」
私はそう言って微笑むと、ベッドに腰掛けることりちゃんの隣に座る。
穂乃果「……」
でも、こちらからは話しかけない。
私はただ、ことりちゃんの隣に座って、ことりちゃんが話し出すのを待つ。
それが、昔からことりちゃんが落ち込んだ時の私達の話し方だった。
ことり「……」
ことりちゃんは黙って背中を丸めて、俯いている。
自分の中で、言葉と気持ちを一生懸命整える。
やがて。
ことり「……あのね、ほのかちゃん」
静かに、ことりちゃんは俯いたまま小さな声で話し出す。
ことり「ことり、ことりね……」
穂乃果「うん……」
震える声を催促するでも、軽くあしらうでもなく、ただ受け止め、次を待つ。
ことり「ことり……ことりは、ほのかちゃんが、好き」
穂乃果「……え?」
でも、ことりちゃんから放たれた言葉に、私の心はあっさりと塗り替えられました。
真っ白に。
ことり「ほのかちゃん……聞いてほしいの。私の気持ち、そして、罪を……」
──それから、ことりちゃんは静かに語ってくれました。
海未ちゃんが転校する前、私達の前から去っていく前日にあった、二人の話を。
穂乃果「……」
ことり「……」
ことりちゃんから話を聞いた私は、言葉を発することが出来なかった。
ことりちゃんが私を好き?
海未ちゃんにはどうしても確かめておきたかった?
色々な事がぐるぐると頭を回り、今自分が何を考えているのかすらわからなくなる。
ことり「ごめん、ごめんねほのかちゃん……こんな時に、私……」
堪え切れなくなったのか、ことりちゃんの瞳から涙がこぼれました。
ことり「でも、もう隠しておけなかったの……私の気持ちも、海未ちゃんが何を想っていたのかも」
海未ちゃんは言ってた。
近すぎるからこそ、私達は辛いと。
今ようやく、その言葉の意味が分かった。
あの時、海未ちゃんは……。
ことり「私の気持ちには答えなくていい。これは私の罰だから」
ことりちゃんは赤くなった目で、穂乃果を真っ直ぐに見つめてきます。
ことり「でも、海未ちゃんの気持ちは、ちゃんと考えてあげて……」
穂乃果「ことりちゃん……」
まだ考えが纏まらない頭でも、一つだけハッキリと解ることだけを、私はなんとか言葉に表そうとして、ことりちゃんの手をギュッと握りました。
穂乃果「びっくりしちゃって、まだ穂乃果もよくわかってないけど……でも、これだけは言えるよ」
ことり「ほのかちゃん……」
穂乃果「罰だなんていわないで……ことりちゃんの気持ちに応えなくていいなんて、そんな悲しいこと言わないで」
それだけは、動かない頭でもハッキリと分かったから。
私はことりちゃんの眼を真っ直ぐに見て告げた。
ことり「ほのかちゃん……うっ、ぐすっ」
それ以上は言葉にならなくて、ことりちゃんは私の胸に顔を埋めて泣きました。
私はことりちゃんの背中を優しく撫でながら、ことりちゃんの言った言葉の意味をずっと考える。
『海未ちゃんの気持ちは、ちゃんと考えてあげて』
穂乃果(それって、つまり……)
海未ちゃんとの最後の別れの時、駅で言ってくれた言葉。
『私は、太陽の様に明るく笑った貴方の笑顔が大好きです』
あれは笑顔が好きって意味じゃなかったとしたら。
そう考えると、自分の顔がどんどん赤くなるのが分かりました。
部屋の姿見に映る自分の顔が、恥ずかしいくらいに真っ赤になっていました。
ことり「ぐすっ……ほのかちゃん、今海未ちゃんのこと考えてたでしょ」
穂乃果「え、えぇ!?」
涙声のことりちゃんに言われ、私は思わず驚いた声を上げてしまう。
穂乃果「な、何で分かったの!?」
ことり「分かるよぉ。心臓だって早くなってるし」
穂乃果「うぅ……恥ずかしい」
ことり「ふふふ……少し妬けちゃうな」
ことりちゃんが目尻を拭いながら小さく笑う。
ことり「本当は海未ちゃん自身が言うべき事だったんだろうけど、勝手にいなくなっちゃったお仕置きです。ことりがほのかちゃんに言いつけちゃいました」
そう言ってことりちゃんはえへへ、と笑った。
穂乃果「……ありがとうね、ことりちゃん」
難しい気持ちを告白してくれたことへ、私は素直に感謝の気持ちを口にしました。
きっと、この気持ちを告げるのはとても勇気のいることだと、私は思ったから。
ことりちゃんは一瞬、感極まった様に目元を潤ませましたが、
ことり「……こちらこそ」
直ぐにとびっきりの笑顔を浮かべて、そう言いました。
穂乃果「……」
電気を消した部屋で、私はベッドに寝転がりながらぼんやりと天井を見上げる。
隣ではことりちゃんが静かに寝息を立てています。
『私は、太陽の様に明るく笑った貴方の笑顔が大好きです』
穂乃果(海未ちゃん……)
考えてみれば、照れ屋さんな海未ちゃんらしい言い方だと思う。
素直に好きと言えない、恥ずかしがり屋な海未ちゃんらしい、遠回しな言い方。
そう思うと、心がどうしようもなくうずいて、思わず顔がほころんでしまう。
昔から恋愛関係が苦手だった海未ちゃんが、精一杯の気持ちを込めて言ってくれた言葉が、嬉しくないはずがありませんでした。
でも、きっと真面目な海未ちゃんの事だから、病気の事を考えて自分の気持ちを押し殺したんだと思う。
穂乃果「海未ちゃん……穂乃果、ちゃんと聞きたいよ」
誰に言うでもなく、私は一人呟いていました。
考えれば考えるだけ、どうすればいいのか分からない。
でも、考える事を止められない。
穂乃果(やっぱり、こうしちゃいられないよ)
私は体を起こすと、ことりちゃんの脇を通って部屋を出ました。
時刻は既に十二時を回っています。
もちろん一階の居間には誰もいる訳もなく、寝静まった我が家で私は一人電話帳とパソコンをお供にお医者さん探しを始めました。
でも、やっぱり直ぐに調べられる所はあらかたチェック済みで、今更私が一人で調べても見つかるものはありませんでした。
穂乃果「なんで……どうして見つからないの……?」
いくら探しても、解決の糸口が見えてこない。
まるで暗闇をもがいているかのような虚無感を、私は声を出して追い払おうとしました。
それでも、時間が徐々に私の心に焦りと不安を積み重ねていく。
もし見つからなかったら?
もし間に合わなかったら?
そんな事ばかり考えてしまう自分を叱りつける様に、私は電話帳のページを、パソコンの画面を、食い入るように見つめました。
穂乃果(どこかに、きっとどこかに……)
そんな風に探していると、
???「……穂乃果?」
今の入り口からこちらを覗き込む人物に気付きませんでした。
穂乃果「お母さん……」
穂乃果母「こんな時間までお医者さん探し? 心配なのはわかるけど、ちゃんと休まないと今度はアンタが倒れるわよ」
そう言いながらお母さんは自分の肩に掛けていたタオルケットを私の肩にかけてくれました。
穂乃果「ありがとう、お母さん……でも、ジッとしてられないよ」
穂乃果母「穂乃果……」
穂乃果「心配しないで。もうこの間みたいな失敗はしないよ」
ラブライブに出場する事に囚われて、周りを見失ってしまった事は、今でもはっきりと覚えてる。
もうあんな馬鹿な事は繰り返さない。
なぜなら──。
穂乃果「もう、海未ちゃんにひっぱたかれたくないもん」
苦笑いを浮かべながら、私はそう言いました。
穂乃果母「そぅ……でも、一時までにしなさい。明日も早いんでしょ?」
穂乃果「うん……」
明日は朝早くから皆と集まることになっている。
穂乃果「わかったよ。一時までにするね」
そう言って、私は再びパソコンに視線を戻しました。
タイムリミットが出来た所為か、私は直ぐにパソコンに意識を集中させ、一心不乱に電話帳に載っている病院をしらみつぶしにチェックしていきました。
後ろで心配そうに見守るお母さんに気付くこともなく……。
──
────
──────
寝静まった居間で、穂乃果は一人でパソコンと向き合っている。
私はその姿を、後ろでずっと見守ることしか出来なかった。
穂乃果母「……」
約束した時刻を過ぎても、やっぱりこの子は手を止めることはなかった。
昔から一度始めたらいつまでたっても止まらないのが私の娘の心配な所だ。
それが大事な幼馴染の事なのだから、尚更止まることはないのだろうと、私は思う。
現に、穂乃果は今も頭を抱えて、泣きそうな呻き声を上げて、それでも必死に手を動かしている。
その姿を見守ることしか出来ない自分がもどかしく、そして嘆かわしかった。
でも、私にだって母親としてこの子を支える事は出来る。
必死に頑張るこの子の体を休ませることは、今の私にしか出来ない事のはずだから。
そう思って、私がいつまでたっても止まらない娘を受け止めようとした時だった。
ガラララ。
???「……何だ。まだ起きてたのか」
穂乃果母「あなた……」
深夜の玄関の扉を開けて入ってきたのは、用事で実家に帰っているはずの夫でした。
穂乃果母「どうしたのこんな時間に……帰りはまだ先のはずでしょ?」
穂乃果父「予定より早く片が付いてな……家は大丈夫だったか」
穂乃果母「うん……店の方は何ともなかったけど……」
私は視線だけを今に向ける。私の視線を追って夫が傍に来てパソコンに向き合う穂乃果を見つける。
穂乃果母「海未ちゃんの容態が悪化しちゃってね……このままジッとしていられないからって、お友達皆でお医者様を探してるの」
穂乃果父「……そんなに悪いのか」
夫の言葉に、私はゆっくりと頷いた。
夫は暫く穂乃果の背中を見つめ、
穂乃果父「……お前はもう休め、穂乃果には俺が言っておく」
ただ一言、そう告げました。夫がこう言った時は任せた方が良い事は長い夫婦生活で既に分かっている。
穂乃果母「……分かったわ。後お願いね」
夫に任せて、私は娘と夫を残して今を後にしました。
──
────
──────
穂乃果(……見つからない)
画面から少し顔を離して、私は痛くなった両目を強く閉じた。
ネットや電話帳で調べられるお医者様を虱潰しに探しても、結局目新しい情報はほとんど得られなかった。
もう時間はないのに……そんな気持ちだけが私を性懲りもなく囃し立てる。
だからといって落ち着いてもいられない。いたくない。
こうしてる内にも、海未ちゃんの体は弱っている。
穂乃果「時間がないんだよぉ……」
私はやり場のない気持ちでいっぱいになり、いつの間にか涙ぐんでいました。
それでも、手を止める訳にはいかない。
だって、ここで手を止めてしまえば、本当に間に合わなくなる……そんな気がしたから。
そう思って、私が再び画面に視線を移した時だった。
穂乃果父「穂乃果」
後ろでお母さんとは違う声がして、私は後ろを振り返る。
穂乃果「お父さん……」
穂乃果父「……何を泣きそうな顔してるんだ」
そう言ってお父さんは穂乃果の目尻をそっと拭ってくれました。
穂乃果「お父さん……穂乃果、どうしたらいいのかな」
穂乃果父「……」
穂乃果「病気なんて穂乃果じゃ治せないよ。だからせめて海未ちゃんの病気を治せる人を探そうと思ったのに全然見当たらない……」
穂乃果父「……人間ってのはそう万能なもんじゃない。何でもやれる人なんていない」
穂乃果「……うん」
穂乃果父「焦る気持ちは分かるが、ここで一人根を詰めてもいい結果はでないさ」
穂乃果「でも……」
穂乃果父「ジッとしていられないか?」
私はこくりと頷く。
穂乃果父「なら尚更早く寝ろ。ちゃんと体を休めて、万全の状態で臨まないと自分の全力はだせないぞ」
穂乃果「……うん、そうだね」
お父さんの言う事はよく分かった。無理をして後悔した事は他でもない私が一番よく知ってる。
穂乃果「ありがとう、お父さん……お休みさない」
穂乃果父「あぁ、お休み」
お父さんにお礼を言って、私は自分の部屋へと向かった。
部屋ではことりちゃんが静かな寝息を立てている。
起こさない様にそっと忍び足で横を通り過ぎようとすると、ふとことりちゃんの目尻に涙が浮かんでいるのが見えた。
穂乃果(ことりちゃん……もしかしてまだ……)
しかし、ことりちゃんは目尻に涙を浮かべながらもどこか嬉しそうな微笑みを浮かべているのを見て、私の不安は杞憂だったと分かりました。
私はそのまま自分のベットに潜り込み、ゆっくりと瞼を閉じました。
さっきまでぐるぐると頭を支配していた不安や焦りはなくなってはいない。
けれど、その気持ちが私を駆り立てる事は、もうありませんでした。
やがて、私の意識はゆっくりと眠りに落ちていきました。
──
────
──────
穂乃果が寝静まったのを確認して、俺は静かに部屋の扉を閉めた。
そのまま家族全員が寝静まったのを確認して、俺は受話器の前に立つ。
右手には古ぼけた一枚の紙。
そこには複数の数字の羅列だけが記されている。
俺はその番号を電話器に打ち込んでいく。
プルルルル、と数回のコールの後に、そいつは出た。
『こんな時間に電話を掛けてくる不届き者はどこのどいつだね』
穂乃果父「……久しぶりだな」
『……ほぅ、随分と珍しい奴から電話が掛かってきたもんだ』
穂乃果父「まだ一言しか話していないのにもう相手が分かったのか?」
『生憎そんな堅苦しい話し方をする奴は限られているもんでね……それが不愛想な声とあれば一人しか思いつかん』
穂乃果父「相変わらずのようだ」
『用件は何だ? 仲良くお話する為に電話してきたんじゃないんだろ』
穂乃果父「頼みたい事がある」
『……ふむ』
勿体ぶった様にそいつは黙ると、やがて小さなため息と共に言った。
『……いいだろう、聞いてやる』
──
────
──────
チチチ……チュン、チュン……。
穂乃果「んぅ……」
瞼を刺す光が眩しくて、私はゆっくりと瞼を開いた。
ぼんやりとしたした視界の先に、見慣れた天井がある。
穂乃果「朝……だ」
いつもならこのまま心地良いまどろみを思い切り堪能するところだけど、そう呑気にもしてられない。
私は心地良いまどろみと別れる為に、勢いよく体を起こした。チラリと時計を確認すると、時刻は七時を過ぎたくらいだった。
穂乃果「ことりちゃん、おはよう!」
ベッドの下で寝ていることりちゃんに声を掛け、私は元気よく立ち上がる。
あれだけ重かった頭は、今ではすっきりしていた。
今日も頑張れる。私の胸は今すぐにでも動き出したいくらいに熱い鼓動を繰り返していた。
ことりちゃんを起こして、私達は居間へと降りる。
穂乃果母「あら、もう起きてきたの?」
ことり「おばさん、おはようございます」
穂乃果母「ことりちゃんが起こしてくれたのかしら? この子なかなか起きないから助かるわ」
穂乃果「違うよ! 穂乃果が先に起きたんだよ!」
穂乃果母「そうなの? ……今日は嵐かしら。嫌だわぁ、洗濯物干そうと思ってたのに」
穂乃果「酷いよ! たまには穂乃果だって早起きするよ!」
ことり「あはは……」
穂乃果母「さぁ、二人とも顔を洗ってらっしゃい。その間に朝ごはん用意しといて上げるから」
はぁい、と二人で返事して、私達は洗面所へと向かった。
顔を洗い、身支度を整えた私達が居間へ戻ると、私達の朝食ともう一つ、空になった食器が机の上に置かれていた。
穂乃果「お母さぁん、お父さんもうご飯食べたの?」
穂乃果母「えぇ、そうよ。何でも、朝から行く所があるんだって」
穂乃果「ふぅん……」
ことり「こんな朝早くからお出かけなんて、ほのかちゃんのお父さんも大変だね」
穂乃果「う~ん、いつもはもう少しゆっくりしてるんだけどなぁ」
そう言いながら、私はいつも自分が座っている場所に腰を下ろす。
穂乃果「ん?」
ふと気付けば、空になった食器の端に、何かが置かれている。
穂乃果の席側に置かれていたその紙を取り上げると、そこには短い言葉が書かれていた。
『もう大丈夫だ』
穂乃果「……これって」
見慣れた力強い字を見て、私は首を傾げました。
ことり「どうしたの、ほのかちゃん」
穂乃果「……ううん、なんでもない。食べよっか!」
私はその紙を元に戻して、目の前の朝食に向き直る。
私にはこの紙が何の事かはわからなかったけど、お父さんの力強い字は、私に元気を与えてくれました。
──
────
──────
ガラララ、と白い廊下に担架を押す音だけが響く。
その担架に運ばれながら、私は遂にこの時が来たんだと一人物思いに耽っていました。
先日、病室にやってきた担当の先生から突然告げられた、手術の日程。
何やら不穏な雰囲気を感じながらも、他に手立てを知らない私は言われるままに承諾し、今、その日を迎えています。
看護師「海未ちゃん、着いたわよ」
付き添いの看護師さんに促されて視線を巡らせると、そこにはガラス張りの扉が。
その上には光の灯っていない『手術中』の文字。
それを見た途端、体の芯が震える様な感覚に襲われる。
あれだけ覚悟を決めたと思っていたのに、いざ目の前になるとどうしようもない恐怖に襲われる。
海未(私は、こんなにも弱いのですね……)
弱気になった私を見透かしてか、私の手に看護師さんの手が添えられる。
看護師「……ちゃんと、成し遂げたの?」
看護師さんの問いに、私は目を細めて小さく頷きました。
ここしばらく、私は看護師さんの制止も聞かずに、一つの詩を書き綴りました。
奇跡を起こすと言っておきながら、それでも何か形に残る物を残そうとする辺り、自分の女々しさに笑いが起きそうです。
それでも、私は書きたかった。
だから、私は休むことなく書きました。
そして、遂に今日の朝、完成しました。
看護師「そう……でも、私のお説教はまだ終わっていないわよ」
手術室の前に着き、扉が開きました。
手術着を着た人が、私を手術室へと運んでいきます。
看護師「必ず帰ってきなさい。逃げるのは許しませんからね」
海未「……はい、必ず」
その言葉を最後に、看護師さんの姿は手術室の扉によって見えなくなりました。
ピッ、ピッ、と。
規則的な音が、手術室に響きます。
幾つもの灯りが私を照らしていてとても眩しい。
突然の手術。
それが何を意味するのかは、私には分かりません。
でも、急の手術を要するという事が何を意味するか……。
つまりはそう言う事なのだと、私は内心覚悟を決めていました。
その為に、私の全てを書き綴った。
海未(もう思い残すことはありません……)
音ノ木坂学園の門の前でヒマワリの様に明るく笑う穂乃果の笑顔を思い浮かべると、私の頬はこんな時だというのにどうしようもなく緩んでしまう。
海未(全く、貴方と言う人は……)
お母様のお腹の中にいる頃から、ずっと一緒にいた。
たくさんお話した、喧嘩もしました。その度に泣いて、笑って……思い返せば、いつも隣には穂乃果がいました。
今際の際になるかもしれないのに、こんな穏やかな気持ちでいられるのは、きっと貴方と言う人に会えたからなんでしょう。
それだけで、私の人生は有意義だったと断言できます。
海未(ありがとう、穂乃果……)
私は、太陽の様に光るライトを見ながら、ゆっくりと瞼を閉じました。
「随分と満足した表情をしているな」
そんな時でした。
横から聞こえてきた、低い男の人の声に、私は半ば反射的に振り向きました。
???「手術前にそんな表情を浮かべられる患者はそういないんだが……お嬢さんはアイツの何なんだ?」
そこには、手術衣に身を包んだ男の人が立っていた。
その人は横たわる私の隣に立つと、力強い瞳で私を覗き込んできました。
???「歳は同じくらいだろうが、アイツの娘ではないな……娘の友人といった所か?」
一体何の話をしているのか、見当もつきません。
その人の顔はライトの逆光の所為ではっきりとは見えませんが、チラリと垣間見えた力強い瞳だけが妙に印象強く私の脳裏に焼き付きました。
???「たった一度きりの『貸し』を使ってきたから何事かと思えば、自分はおろか、肉親でもないとはな……そのくせ手術だけは難題ときた」
一頻り話し終えた後、その人はようやく眩しさに目を細める私に向き直り、
???「お嬢さん。私はね、生きる意志の無い人間は助けないんだ」
そんな言葉を突きつけてきました。
当然、その場のスタッフ全員が驚いた声を上げる。
しかし、その人は動じた様子も見せずに私を真っ直ぐ見据え続けています。
だから、私もその視線から目を逸らすことはしませんでした。
???「あれだけ満足した表情を浮かべていたんだ。もう未練はないんじゃないか? このまま手術を行っても、お嬢さんに生きる意志が無いのなら意味がない」
海未「……」
???「一つだけハッキリさせておこうじゃないか、お嬢さん。とてもシンプルな質問だ」
なんてことはないと、世間話でもするかのように、その人は言いました。
???「生きたいか?」
あまりに簡潔で、当たり前すぎる質問。
故に、誰もが考えもしない事。私も、自分が死ぬかもしれないと分かるまで考えた事はありませんでした。
???「アンタの体は弱りきってる。例え手術が成功しても待っているのは辛いリハビリの日々だ。毎日マズい薬を飲んで力の入らん体を遊ばせる毎日。それに耐えれたとしても、再び腫瘍が出来るかもしれない。そしたら今度こそ手の施しようがないといわれるかもな」
それは、とてもつらい日々なのでしょう。自分の体が動かせないというのは、想像していた以上に心を蝕みます。私も何度不安と恐怖で自分の髪を掻き乱しそうになったことか。
それだけの恐怖と向き合えたとしても、途方に終わる可能性もあるとこの人は言っている。
???「それでも、お嬢さんは生きたいのか」
なんて容赦のない人なんだろう。
そして、なんて親身になってくれる人なんだろう。
試す様に私を見る力強い瞳に、私は答える。
今の私の、全てを込めた言葉で。
海未「私は……生きなきゃいけないんです」
どんな理屈も、理由も必要ない。細かな説明なんて語るだけ無粋というものです。
私の想いは、この一言に全て詰め込んだ。
これ以上、私に言えることはありませんでした。
???「……ふむ、少しはまともな目つきになったじゃないか」
海未「……貴方のお陰で、未練がましくなってしまいました」
???「人間それくらい執念深い方がいい。自分の命くらい我が儘言わなきゃやってられん。子供となれば尚更な。私の娘なんて二十一にもなって子供のままだ」
やれやれと困った様に首を振るお医者様に、私は小さく笑う。
そして、急激に意識が遠のいていく。麻酔が効いてきたのがぼんやりと理解出来た。
???「お嬢さんの心意気は確かに受け取った。安心して眠るといい。次に目を覚ましたら忙しくなるだろうからな」
海未「……はい」
その返事を最後に、私の意識は完全に途切れました。
瞼が閉じられる寸前、マスクで覆われたお医者様の顔に傷の様なものが見えた様な気がしました。
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──────
さわさわと、桜の木が揺れる。温かな春の風に包まれて、気持ちよさそうに漂っているようです。
校庭の桜並木を眺めながら、私は思う。
海未(またこの景色を見る事が出来た)
この光景を見るまでに、色んな事があった。
幻と言われていた天才外科医がいた事。
そのお医者様を探す為に、色んな人の協力があった事。
その人達に協力をお願いする為に、μ`sの皆が寝る間も惜しんで活動していたこと。
そして、μ`sの皆が動き出した訳を。
海未「私は、なんて……」
言い掛けて、言葉が詰まる。
胸に宿る想いを持て余していると、
「うーみちゃん」
校門から、大好きな声が聞こえてくる。
振り返ると、そこにはやっぱり大好きな人がいて。
私はやっぱりこの想いが間違いじゃないと確信する。
「どうしたの?もう皆待ってるよ。海未ちゃんの退院祝いなんだから早くいかないと!主役が行かないと始まんないよっ!」
海未「すいません。どうしてもこの風景を目に焼き付けておきたかったんです」
私の隣に立った彼女と一緒に、私は再び音ノ木坂学院を見上げた。
「海未ちゃん……もうそんな事する必要ないんだよ」
彼女は、私の手を取って言う。温かな彼女の両手が、優しく私の手を包み込む。
「だって、これからはいつだって見に来れるんだからさ!」
そう言って、彼女は太陽の様に眩しい笑顔を浮かべた。
海未「……えぇ、そうですね」
辛い日々じゃなかったといえば、嘘になる。何度もくじけそうになった。
でも、彼女がいた。
この笑顔が、すぐ傍にあった。
だから、私は今ここに立てている。
彼女だけじゃない。μ`sの皆だっていた。他にもいっぱい、一人ずつ上げていたら日が暮れてしまう程沢山の人達が。
私は、こんなにも沢山の人に助けてもらったのだ。
「行こう!海未ちゃん!」
私の手を握ったまま、彼女は走り出す。その力強い手に引っ張られない様に、私も並んで走り出す。
海未「穂乃果」
走りながら、私は隣で共に駆ける彼女に言った。
海未「私は、世界一の幸せ者です!」
私の言葉に、彼女は世界一の笑顔を返してくれた。
Fin.
海未「……ふふ、我ながら酷い出来ですね」
私は筆を置いて、小さく息を吐く。
看護師「園田さん。体の調子はどうですか」
既に見慣れてしまった看護師さんに軽く会釈して、私は机に広げていたノートを閉じる。
看護師「あら、何を書いてたの?」
海未「それは、その……」
気恥ずかしくて視線を逸らしてると、
看護師「えいっ」
海未「あぁ!」
隙を付かれてノートを奪われてしまいました……。
ノートを開いた看護師さんが、そこに掛かれていた文章に目を通す。
看護師「へぇ~、小説なんて書いてたんだ」
海未「うぅ……そ、そんな、小説なんて呼べる物ではありません」
看護師「ふふ、確かにちょっと酷い出来ね」
海未「そんなハッキリ言わなくても……」
看護師「冗談。とても素敵な想いが籠ってるわね」
照れた顔を隠す様に、私は下を向く。
看護師「この……作中に出てくる人達は皆知り合いなの?特にこの豆腐男とか、鉄生?とか言う人は」
海未「いえ、その人達はこの病院で読んだ絵本に出てくるキャラクターなんです。病院の子供たちに読み聞かせていると覚えちゃって」
看護師「海未ちゃんは子供たちに大人気だもんね~。あ、じゃあこの穂乃果って子も?」
海未「いえ、彼女は私の本当の……友達、です」
看護師「……そう」
何か感づいたのか、看護師さんは一瞬切なそうな表情を浮かべるも、すぐに柔らかな微笑みを浮かべる。
看護師「じゃあ、早く元気にならないとね!穂乃果さんもきっと待ってるよ」
海未「……ふふ、そうですね」
私はふと窓の外を見る。今日は快晴で雲もほとんどない。
でも、青いはずの空は何処か淡泊で、まるで今の私の毎日の様。
入院してから、何日たっただろう。
今頃、皆は何をしているんだろう。
もしかしたら、私の夢物語の様な事をしているのでしょうか。
辛くなると思って病院の場所は伏せて欲しいとお母様にお願いしたのを少し後悔しつつ、私は手元に帰ってきたノートの側面をなぞる。
このノートをくれた太陽の様な少女の顔を思い浮かべる。
それだけで、私は今日も病気と闘う力を貰える気がした。
彼女が、彼女達が私の中にいる限り、私はあきらめない。
いつか帰る、その時まで。
END1 どんなときも、ずっと
大変長らく待たせして申し訳ない。これにてEND1完結です。
SSならでは特色を生かした作品にしてみたのですが、結果はご覧の有様でしたね。泣いてないよ。
とはいえある程度は予想していたので、最後はこんな終わらせ方を用意してみました。いかがだったでしょうか?
感想とかいただければうれしいです。
だいぶ期間が開いてしまいましたが、ここまで読んでくれた方、本当にありがとうございました。
P.S 悲しみだけが物語の全てじゃないと言ったな。あれは……嘘じゃない
このSSまとめへのコメント
ことりは?
続きが楽しみ
他作品のキャラ出した時点でダメだわ
アライズまでで良かったね
前作は良かったんだがな
同じ東京都のスクールアイドルとかを出せばよかったのになんでアイマスのキャラなんか出すかなぁ。読む気なくなっちゃった
カブト嫌い
前作見てlove marginal 聴くたび泣きそうになるようになった。続きとても気になる
6と同意見です。
他作品のキャラが出るのも、二次創作の醍醐味だと思うんだが
クロスオーバーがあるならあると書いておくべきだったかもな
二次創作の面白い点だとしても
出すなら予め言っておかないとね。
アイマス嫌いな人間もいるからさ
アイマス出てきて鳥肌になったのは私だけでしょうか?・・・お話の完結期待しています
みんなどんだけアイマス嫌いなん?読み飛ばせばいいだけやん?
書かれることが予め分かってれば飛ばすけどねぇ これ急に来たから冷めたんだよねぇ
アイマスの件はもうどっちでもいいから続きはよ
続きを書くんだ早く
基本的にハッピーエンド主義だけど、この作品に関しては前作のままでよかった。蛇足感がハンパない。
たてにげかよ
流石に別人だろ
そんなことどうでもいい、書いて下さいお願いします
続きお願いいたします
続き楽しみにしてます、頑張ってください!
続きが楽しみです!!
応援しています。
頑張ってください