「はぁ……どうしよう」
外しておいた腕時計に目をやると、もう下校時間をとっくに過ぎていた。
なんで私がこんな風に悩むことになったのか、きっかけはただ単純なことだ。
思春期にありがちな、悩み事の定番。
恋だ。
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彼女のことを考えると集中できず、ピアノも弾けず仕舞いで今日も1日を終える。
いつもこんな感じ。
ホントやだ。
「あー、むしゃくしゃする」
「お、真姫ちゃんこんなところにいたんやね」
「……」
出た。
探してほしいなんて一言も言ってないのに出てきた。
こういう時、何と言うべきか知っているほど私は俗に染まっていない。
「希、私を探してたわけ?」
「うん」
屈託のない笑顔で私を見つめるのはやめてほしい。
いたずらに私の心をもてあそばないで、と言いたい。
「おとといから真姫ちゃんが作曲するとか言ってたから、もしかしたらここかなーって」
私のことをよく覚えている。
嬉しい反面怖さが滲む。
「完成したかどうかの催促?」
「ううん、ちょっと心配やって」
ゆったりとした足取りで私の元に近づいてくる希は、普段通りの優しい微笑を携えていた。
美人ね。
私はとてもそんな風に笑えない。
そこが好きなんだけれども。
「真姫ちゃんってすぐ1人で何とかしようとするやん?」
彼女は私の肩に何の気なしに手を置いた。
そのせいで鍵盤に触れていた指がぴくりと動く。
しまった。
鍵を少しだけ押してしまった。
「あらら、びっくりさせちゃったみたいやね」
「別に」
静かな音楽室の静寂は、ごく微量の小さな音で破られてしまったようだ。
希のバカ。
いや、私のバカ。
「真姫ちゃん、何か悩み事?」
鋭い彼女はすぐさま私の変化に気付いてしまう。
私の顔を覗き込もうとする希は、やはり何も考えていないように無垢だった。
こっちはこれほど意識してるっていうのに。
悩みはアンタのせいよ、なんて言えたら楽かしら。
「悩んでなんてないわ。ただ今日は気分じゃなかったってだけ」
生憎そんな度胸も勇気もない。
私は解けない難問に挑む前に、きちんと予備知識を備えておきたいタイプなのだ。
という口実で進展させる気がない、と言われればそれまでだけど。
「そっかぁ……たしかに気分とか重要やなぁ」
希はそう言って、私の肩から手を離した。
触れられていた肩に少し温もりを感じる。
意識し過ぎかしら。
「それで、他に何か用?」
「そうそう。ウチの悩み事も聞いてほしいんよ」
ぶっきらぼうに返した私に希はすんなり返事をする。
扱いに慣れた、ということだろうか。
正直に言うと希と会話ができるならそんなことどうでもいい。
重症なのは自覚してるわ。
「聞いてくれる?」
「暇潰しくらいになら聞いてあげる」
「もー、真姫ちゃんってばひどーい」
拗ねた子どものように、希は頬を膨らませた。
率直な言葉にするなら「可愛い」。
それ以外の表現は知らない。
「これにはね、真姫ちゃんの協力が必要不可欠なんよ」
「ふーん」
私は鍵盤に優しくキーカバーをかけ、ピアノの鍵盤蓋を閉じながらそっけなく返した。
ピアノにするように優しくできたら苦労しないわね。
自分の不器用さ加減が身に染みてわかるようで腹が立つ。
「これは、ひっじょーに重要なことで……」
希はそんな私の気も知らずに、まるで恋する乙女のような視線で私を見る。
それはこっちの役割だっていうのに。
しかもその視線はどうせ私には向いていないことくらい容易にわかる。
「で、私は何をすればいいの」
「お、協力的やん!」
好きな人が頼ってくれるんだもの。
そんなに嬉しいことはないわ。
と澄まし顔で決めて言ってみたい。
「じゃあ言うで?」
希はきりっとした表情を作った。
私はそれにどきっと心臓を高鳴らせる。
やめなさいその顔。
私の表情が緊張で固まってなかったらバレるじゃない。
「早く言いなさいよ」
私の催促に、希は少し不満げな色を見せた。
何よ。
私だってもうちょっとその顔見たかったわよ。
そして希は、ようやく私のすべき内容を告げた。
「真姫ちゃんには、ウチの恋人の役をやってもらいたいんよ」
恋人「役」。
なんとなく想像はついた。
「いつからいつまで」
「今日からちょうど3日間!」
音楽室の片隅に掛けられたカレンダーに目をやる。
教員すらも存在を忘れていたこのカレンダーの埃を払って月を合わせたのは私だ。
そんな愛着と言っていいのか疑問なそれをじっくり見ると、今日から3日間はちょうど3連休だった。
「ふーん」
「な、何?」
狼狽える希。
知ってるんだから。
どうせ絵里の代わりの練習台だってことくらい。
それでも私は幸せだった。
好きな人のため、そう考えると別に悪くはない。
重症よね。
だから知ってるってば。
「じゃあまた明日ね」
「え、ま、真姫ちゃん!」
「何よ」
慌てたように希は私を呼び止めた。
まるでさっきまでの私みたい。
それはそれで嫌だけど。
「明日の予定とか……」
「メールでお願い」
そう返して私は音楽室のドアを閉めた。
綺麗に夕陽を映す窓ガラスは、その夕陽と負けないくらい真っ赤な私の顔を反射させている。
きっとトマトばかり食べてるせいで、顔が赤くなったのよね。
★ ★ ★
3連休の初日、私は希に呼び出された。
カフェで待つんだって。
デートよね、これ。
恋人「役」でもデートはデート。
私はアクションを起こせないだけでそういうところは積極的なんだから。
「こんにちは、希」
「こんにちは真姫ちゃん」
なんと20分前に着いたにもかかわらず、彼女は先に席をとっていた。
流石だわ。
絵里とのデートじゃ遅れられないものね。
「真姫ちゃん何にする?」
希はそう言い、メニューをこちらへ寄越した。
私は普段なら何でもいいなんて言っちゃうけど、今日はとびきり甘いものを食べたい気分だった。
この思い出を忘れないために、ね。
それ以上の意味はないわ。
「バナナパフェにする」
「おお、がっつり行くんやね。じゃあウチはショートケーキ」
私が来る前に頼んだらしい、まだまだなくなりそうにないカフェオレに、希は少し口をつけた。
「聞いて聞いて、この前えりちがなぁ」
案の定、彼女の口から出てくるのは絵里の話ばかりだった。
別に嫌だとは思わない。
私は今、希とデートをしているのだ。
本当に好きな人が誰であれ、今だけは希のものになっているという充足感が私を満たしてくれている。
「……このショートケーキってクッキーついてくるんやね」
すると希は突然話題を変えた。
確かにそのショートケーキにはクッキーが2つ添えられている。
絵里の話題を取りやめてしまうほどクッキーが好きなのだろうか。
でも相手の機嫌を損ねてしまうかもしれないから、今度からはやめた方がいいかもね。
「真姫ちゃんどうぞ、ウチと半分こしよ?」
「え?」
希は当たり前のように、クッキーを私の目の前に差し出した。
そんなことは今までになかったので、少しだけ驚いてしまう。
「ありがとう、いただくわ」
そうね、恋人「役」だもの。
私はクッキーを手で受け取ると、すぐには食べずに眺めてみた。
何もおいしそうだったから、というわけじゃない。
希から食べ物をもらったのが嬉しかったからだ。
「んー! このクッキーおいしい!」
幸せそうに顔を綻ばせる希。
そんなにおいしいのかしら。
「そうね。おいしい」
一口かじるとチョコレートの風味が口の中いっぱいに広がる。
おそらくビター。
甘いものと一緒に食べたら確かに絶品だった。
思ったより硬かったのが少し残念だったけれど。
「真姫ちゃん、パフェどうやった?」
「甘かったわ」
「それだけなん?」
希は不思議そうに訊ねてくるが、本当にそれ以外は覚えていない。
彼女のころころ変わる表情を見ていると、スプーンが底に当たった音を聞いた記憶はあるけれど。
「次、どこ行く?」
あなたとならどこでも、と言うのはあまり好まれる選択肢ではないらしい。
インターネットで得た付け焼刃の予備知識でどこまで持つかはわからない。
でも恋人「役」ならそれらしくしなきゃいけないでしょう?
「希、買い物に付き合ってくれる?」
私は希と一緒にいたいだけだから、それでいい。
「真姫ちゃんの服、いい感じやね。似合ってるよ」
「ありがとう。希もよ」
デートでの常套句らしい会話をしながら、私たちは雑貨店に着いた。
休日だからか人が多い。
この際だし、恋人「役」に徹底してしまおう。
「希、はぐれないようにね」
「……そ、そうやね」
驚いたのだろう。
私が彼女の手を握った途端、びっくりしたと顔に書いてあった。
本当に表情に出やすいんだから。
絵里と一緒にいるときは、もっとポーカーフェイスでいた方がいいんじゃない?
「わー、変な定規」
希はおもちゃを見つけた子どものように、言葉通り奇妙な形の定規を手に取った。
どこかで見たことがある。
雲のような形のそれは、確か絵を描くときに使う定規だった。
「それはいらない」
「はーい」
私の言葉に素直に従った希は、きちんと元の位置に定規を戻してきた。
私の手を離れて行ってしまったのは少しさびしかったけれど。
「じゃあ行こっか」
と思っていたら、私の手は素早く握られた。
ああ、意識しちゃう。
「じゃあ真姫ちゃん、また明日メールするな」
「ええ、また明日」
「今日は楽しかったでー!」
「そうね」
こうして初日は幕を閉じた。
あっけない。
帰路は1人で寂しかった。
でも、今日は楽しかった。
角を曲がる際、少しだけ気になった。
彼女はまだ、見える位置にいるのだろうか。
少しだけ振り返ってみようかな。
「あ……」
確かに希はその場に留まっていた。
もう1つ、もう1つ見えたのは綺麗な金色の髪。
希は顔を赤らめて何かを話している。
何だろう。
気になってしまう。
しかし私がそれを確認しても意味がないだろう。
「帰ろ……」
今日は楽しかった。
家に着いてまず最初に始めたのはクッキー作りだった。
ああ、ちゃんと手は洗ったわ。
早速、雑貨店に寄って自宅に到着する間にあるスーパーで購入した材料をキッチンの上に並べる。
「で、何するんだっけ」
私は携帯電話を片手に作業を始めた。
料理なんか嫌いだけど、希のあの笑顔はもう1度見て見たかった。
レシピ通りに作業すれば、私にだって簡単に作れるのだから。
本当よ、本当。
「……できた」
案外さっぱりとした結果だった。
チョコを使っていないクッキーはそこまで難しいものではなかった。
見た目も綺麗にできている。
私、料理の才能があるのかもしれないわね。
「問題は味よ……」
私は出来上がったそれを1つ持ち上げて、じっくりと観察してみる。
色も形もよし。
「えいっ」
思い切って口の中に放り込んでみた。
「……まあまあね」
少なくとも絶品の域には至らなかった。
初心者でここまでできれば上出来なのかもしれない。
「ま、こんなものよね」
そう言いながらもう1つ、私はクッキーをつまんだ。
なんとなく、自分で作ったものだからもう少し味わってみたかったのだ。
「うん、本当にまあまあね」
愛情を隠し味、というのはこのレシピの最後に書いてあったけれど、案外間違ってない気がする。
初めてでここまでできたのは、その愛情のおかげかしら。
あと2日。
そんなにたくさんあるのだから。
不出来な私好みの味のクッキーを袋に詰めると、自分の部屋の机に置いた。
暇な時に食べよう。
これを希にあげられるような権利は、恋人「役」にはきっとない。
★ ★
2日目は朝から電話が来た。
家に遊びに来てほしいとのことだった。
そういえば希の家って行ったことがないのよね。
「よし……」
私はいつもより少し気合を入れて服装を考えた。
この機会が、きっと最後になると思ったから。
「あ、真姫ちゃんいらっしゃい」
「あら、希って1人暮らしだったのね」
「うん」
希の家は広かった。
1人暮らしだと持て余すくらいに。
「ちょっと待っててな」
希は慣れた手つきでキッチンに立つと、やかんでお湯を沸かし始めた。
そういうの、希にはすごく似合ってるわ。
私はエプロン姿の彼女を少し眺めて、ちょっとだけ部屋の周りをぐるりと見回した。
やっぱり、絵里と写っている写真が目立った。
そう、それでいいわね。
μ'sの写真もちゃんとあったものの、小物の奥に隠してあった。
「はい、簡単やけど紅茶やで」
「ありがと」
ティーポットではなく急須に入れたお湯をカップに注ぐ希。
そんな些細なことにケチをつけるつもりはないし、何より彼女が用意してくれた物を断る理由がない。
「こうして……こうやんな?」
「ええ、合ってるわ」
慣れない手つきでティーバッグを入れる希の姿は愛らしいものだった。
「むむ、結構難しいなぁ」
「私に任せてくれればよかったのに」
「ううん、真姫ちゃんはお客さんやもん……まあお客さんにこんなん出したけど」
希はしょんぼりとした表情でカップを覗き込んでいた。
別に気にしてないのに。
私はその様子を見ながら、おそらくアールグレイであろう紅茶を口にする。
「おいしい」
「そう? 真姫ちゃんのはうまくできたんかなぁ?」
私の為にわざわざ用意してくれたことが嬉しかった。
だからその紅茶も、おいしくないわけがない。
喉も心も満たされるような感覚だった。
絵里と一緒にお茶するときは、もっと上手になってないとね。
「真姫ちゃん、何かして遊ぶ?」
希はカップを2つ洗い終えるとそう語りかけてきた。
遊ぶと言っても、いったい何をするのだろうか。
この家に何かあるの?
「ウチはねー、ちゃんとそういうの持ってるんよ!」
希は自信ありげに首だけをこちらに見せてウィンクすると、蛇口をひねって水を止めた。
私はそれを見て溜め息を吐いた。
希は自分の魅力に気付いてない。
軽々しくそういうことをしてちゃダメなんだから。
「はい、持ってきました」
「……トランプ?」
「うん、よく考えたらこれくらいしかなかった」
開き直るように希は言ってのけた。
タロット以外はトランプだけ。
カードが好きなのだろうか。
「じゃあポーカーしよ、ポーカー」
「いいわよ」
まあ結局は何でもいい。
希とゲームできるのは楽しい。
それだけよ。
「うぅ、真姫ちゃん強い……」
「希が弱いのよ」
勝負は10回やって、10回とも私が勝った。
相手より強いと思ったら勝負を受けて、弱いと思ったら勝負を下りるという簡単なゲーム。
連続で下りるのは禁止という単純なルールだった。
単に運がよかっただけというのもあったけれど、それ以上に希の目の動きがわかりやすかったというのもある。
「組ごとに並べ替えるのはやめた方がいいわ」
「あ、それかぁ……」
それ以外にも、最初に来たカードを見る時に自然とペアを作るように視線が動いていた。
右端と真ん中、左端と右、というように動くのが手に取るようにわかった。
要するに、私は希の顔ばかり見ていたということだ。
自然と見ちゃうんだもの。
仕方ないでしょ。
「あー、もう夕方やなぁ」
「そうね」
夕方。
今日もそろそろ1日が終わろうとしている。
それも悪くないのかもしれない。
きっと今日も、絵里が来るはずだから。
「私はそろそろ帰るわね」
「え? もうちょっとゆっくりしててもいいのに」
「いいえ、今日は家に帰ったらやることがあるの」
もちろんやることなんてない。
でも、絵里と直接会ってしまうことだけは避けたかった。
希が私と一緒にいて、絵里が勘違いでもしたら大変だもの。
「じゃあまた明日ね」
「うん……また明日」
希は少し元気がなかった。
私が機嫌を損ねたと思っているのだろう。
あなたと一緒にいて、機嫌を損ねるなんてことあるわけないのに。
でも放っておくのは少々罪悪感がある。
弁明の余地をもらうくらいはいいだろう。
「また明日、ね」
別れ際に1度だけ希の手を握った。
「うん!」
希は嬉しそうにしてくれる。
その笑顔が見られただけで十分だわ。
「……やっぱりね」
1度帰ったふりをして、近くの角に身をひそめていたら、やはり絵里が姿を見せた。
希はとても嬉しそうな表情をして絵里を出迎える。
うん、やっぱり絵になるわね。
自分よりも恋人同士らしく見える2人を見て、私はゆっくりと歩き始めた。
1人でも寂しくない。
恋って素敵だわ。
「紅茶の淹れ方って、こんな手順踏むのね……」
またもインターネットで得た知識で成長する私。
実際にやってみると面倒だったものの、予想以上においしい紅茶を淹れることができた。
これでお茶菓子の残りもあるし、1人で飲んじゃおうかしら。
「いただきます」
冷めてないうちに飲む紅茶は、私の舌を火傷させた。
焦がすのはこの想いだけで十分だって言うのに。
★
今日がついに最終日。
私が希に与えられたものは何かあったかしら。
憂鬱な思いを胸に抱きながら、最後となるであろう希からのメールの文面を読み上げた。
「真姫ちゃんの好きなところに連れてって、か……」
当てがない。
私にはピアノくらいしか特技がないもの。
ただ曲を聴かせるだけって言うのも退屈だろうし。
何の目的もなくテレビのリモコンを手に取った。
3連休最終日、帰省ラッシュのニュースが流れてくる中、私は一際目を引くニュースを見つけた。
「……今日は雨のち晴れ?」
星を見るには絶好の環境だった。
一旦停止
結末はわかってると思うからネタバレ禁止やで!
「真姫ちゃんの別荘に?」
「ええ、電車で行くし、山も登るわ」
「ええっ!?」
私は背中にリュックサックを背負い、小型望遠鏡を詰め込んで希の家へとやってきた。
驚いた表情の希も素敵だった。
「ちょ、ちょっと待っててな」
そう言って希は部屋の中に入っていくと、ドアを閉める前に一言こう残していった。
「覗いたら怒ります」
ぱたん。
乾いた音をたててドアが閉まった。
するわけないでしょう。
私にそんな権利はないんだから。
権利があったとしてもやらないけどね。
「よーし、ウチの準備はばっちりやで!」
希は動きやすい服で上下をそろえ、しっかりと運動靴も履いていた。
そこまでしなくてもいいのに、と言おうか迷ったが楽しみを邪魔するのも悪い。
何よりはしゃいでいる希は可愛かった。
「それじゃ、行くわよ」
「うん!」
リュックの中には用意できなかったお菓子と飲み物の代わりに、私の焼いたクッキーの余りが缶に、紅茶が水筒に入っている。
昨日足りなくて作りすぎちゃったせいね。
咄嗟の判断といえども、これを手作りだと言って渡すのは気が引ける。
何とかごまかして、希がお腹を空かせたときに食べてもらいましょう。
「……あんまり登らないんやね」
「言えばよかったかしら」
「ううん、ウチは楽しかったからいいよ」
そう言ってくれるだけでありがたい。
今日で恋人「役」が終わってしまうのを気にしていないのだろう。
それでいい。
私は希の意思を尊重したい。
傍にいる人は希自身が選ぶべきなのだから。
それが私でなくても、私は何も文句を言わない。
そう思った時、少しだけ心がちくりと痛んだ。
「あ、そろそろ外が暗くなってきたで」
「そうね」
希は空を指さしながら微笑んだ。
結局時間は希のトランプで潰すこととなった。
相変わらず希はポーカーが弱い。
でも最後の1度だけ、負けてしまった。
明日からこの相手をするのは絵里なのね。
そう思うとどうしても、希の表情が見られなかったからだ。
「真姫ちゃん、あれは何星?」
「あれは―――――――」
私が次々と星の名前を列挙して、希が望遠鏡を覗く。
少しずつ夜が深まっていく。
体の芯が冷えていくような感覚。
もう、終わりは近づいている。
「そろそろ帰りましょうか。終電がなくなっちゃう」
「ウチはもうちょっと見たいけどなぁ」
駄々をこねる希は本当に子どものようだった。
もう、絵里の前じゃそんなことしたらダメよ?
「今日は楽しんでもらえたかしら」
遅くなりすぎてもう電車には誰も乗っていなかった。
希は貸切だなんて言ったけど、この狭い空間に誰もいないのは寂しいものだ。
「うん、楽しかったで! 特にクッキーと紅茶がおいしかったなぁ」
「そう。それはよかった」
お世辞でも嬉しい。
あの2つは買ったものだということにして、希には食べてもらった。
ただ、どこで買ったのかと言われたのが一番悩んでしまうこととなった。
海外から仕入れたということにしておいたけど、それじゃ貧相すぎるわよね。
なんとかうまい言い訳を考えていると、希は首を傾けて眠ってしまっていた。
さっきはあんなに楽しそうに笑っていたのに。
駅に着くまではまだまだ時間がある。
私は携帯電話を開きながら、ただただ今日と言う日の残り時間のカウントダウンを始めた。
「うーん……」
「わ」
すると希が体勢を崩し、私の肩に寄りかかってくる。
どうしよう。
鼓動が早鐘を打つように速くなる。
「うー……えりち」
「……」
その声を聞いて、私はそっと彼女から離れた。
ゆっくりと横に寝かせても、この時間なら誰にも怒られないもの。
私がこうやって希も近くで見ていいなんて理由はどこにもなかったことに気が付いた。
「うぅ、ごめんなぁ真姫ちゃん」
「いいわ。気にしないで」
希を家まで送ったところで、携帯電話の画面には2の数字が4つ並んでいた。
ゾロ目は不吉と言うけれど、いったい何が起こるのかしら。
「じゃあね。また――――――――」
私は希にそう言いかけて、最後の言葉をすり替えた。
「――――――――また学校でね」
私たち2人に訪れる「明日」はもう来ないのだから。
「真姫ちゃん、1つだけ聞いていいかな?」
返ってきたのは別れの言葉ではなかった。
希は真剣な表情を見せると、私の両手をしっかりと握る。
また早鐘が鳴り始める。
私は真摯に視線を送ってくる希の表情をちゃんと見ることができなかった。
「いいわよ。何?」
声を振り絞って答えた。
彼女は満足そうにうなずいてから、小さく深呼吸をする。
「もしウチが真姫ちゃんの恋人やったら……楽しいと思う?」
「思わないわ。私はそういうの、いらないもの」
迷わず私は言い捨てた。
私に未練を持たないで。
あなたには絵里がいる。
私には――――――――そうね。
ここにお茶とお茶菓子があるわ。
「そっか……そうなんや」
「ええ。だからまた学校でね」
「……うん。またね」
元気がない様子で希はうなずいた。
私は希の両手が離れていくのを少し残念に思いながら、自分も未練を残さないようにその場で踵を返す。
あなたのことが大好きよ。
大好きだから、嫌いなの。
恋って複雑ね。
「ウチ、自信あったんやけどなぁ……」
そんな台詞が聞こえてきたのは、ドアが閉まり切ってからだった。
連休明けの登校日。
星は昨日のように輝いてはいなかった。
そうよね。
朝だもの。
「行ってきます」
今日は普通の登校日。
私は「役」をうまく演じ切れたかしら。
「おはようにゃー!」
「おはよう真姫ちゃん」
「おはよ」
凛と花陽と挨拶を交わし、私は机に突っ伏した。
何故か、こうしていないとどこかがずきずき痛むからだ。
知らない間に何かを抑圧してしまったからだろうか。
「ねぇねぇ、今日は希ちゃん、学校休んでるって聞いたんだけど真姫ちゃん何か知らない?」
凛の無邪気な声でさえも陰鬱なものに聞こえた。
「休んでる?」
私が山まで連れて行ったからかしら。
それともクッキーが悪くなってたとか?
どちらにせよ、私のせいであることには違いない気がする。
「ま、真姫ちゃん?」
「え? あ、なんでもない」
花陽の怯える声で、自分でも表情が険しくなっているのがわかった。
どうして?
私に嫌われたと思ったから?
いや、それは自惚れすぎよね。
ともかくいい状況ではないのはわかる。
絵里は何か知っているだろうか。
「あ……」
無情にも始業の鐘が鳴る。
私はそのまま大人しく座席に着いた。
昼休み、聞いてみましょう。
きっと絵里なら何か知ってるわ。
昼休みまではすぐに過ぎてしまった。
希のことを考えていると、授業も素早く終わってしまったように思える。
「真姫、ちょっといい?」
そんな時、待っていた存在が私に声をかけてきた。
「絵里……」
絵里は、いつもより悲しげな眼をしていた。
「希のことは聞いてるわよね」
「ええ。何かあったの?」
絵里は私の言葉を聞いて、さらに表情を悲しげなものへと変える。
どうしていいかわからない、という感情がこちらにも伝わってくるようだ。
「希はね、不器用なのよ」
「……知ってるわ」
絵里は慎重に言葉を選んでいる。
私はそれを見て、真剣な言葉を返した。
この様子なら希と私が何をしていたかも知っているだろう。
しかし次に出た言葉は、私の知らないことだった。
「希はね、好きな人がいるって私に相談してきたのよ」
「希のことは聞いてるわよね」
「ええ。何かあったの?」
絵里は私の言葉を聞いて、さらに表情を悲しげなものへと変える。
どうしていいかわからない、という感情がこちらにも伝わってくるようだ。
「希はね、不器用なのよ」
「……知ってるわ」
絵里は慎重に言葉を選んでいる。
私はそれを見て、真剣な言葉を返した。
この様子なら希と私が何をしていたかも知っているだろう。
私が希のことを3日間で知ったように。
しかし次に出た言葉は、私の知らないことだった。
「希はね、好きな人がいるって私に相談してきたのよ」
好きな人がいる?
好きな人?
それは――――――――
「……絵里じゃないの?」
自分でも驚くほど頓狂な声が出た。
絵里はその、私が発した一言ですべてを理解したように大きくうなずいた。
「だからだったのね……」
「な、何よ。どういうわけ?」
正しく現実と合致していたはずの私の仮定が覆された。
根本的な部分から間違っていた、とすれば彼女はどうして休んだのだろうか。
「真姫、よく考えて。あの子はどうしてあなたを――――――――」
よく考えて。
そう言った絵里の目は真剣そのものだった。
遠まわしに真意を伝えたいのが透けて見えるようだ。
私は次の言葉を聞き逃さぬよう、しっかりと耳を傾けた。
「――――――――どうしてあなたを恋人役に選んだ?」
どうして。
それは単純な話。
私は練習台だから。
本当の恋人にはなれない位置にいるから。
違う?
違わない。
本当は自分でも――――――――わかってるはずなんじゃないか。
諦めのついたはずの感情が再び輪郭を持って現れてくる。
でも希は、絵里と楽しそうに話していたじゃない。
いつだって。
どんな時だって。
でもそれが、好きな人のことを相談していたとしたら――――――――?
指先が氷水に浸していたかのように冷たくなる。
私は取り返しのつかないことをしたんじゃないか、って。
今ならわかる。
どうして彼女があんなことを聞いてきたのか。
「嘘、でしょ?」
その選択肢を根幹から否定するように、絵里は首を横に振った。
「あなたなのよ、真姫。希に選ばれたのは」
私は頭が空っぽになったかのような錯覚を覚えた。
そして気づくと、私の体は勝手に動き始めていた。
校庭を駆け抜けて、校門を飛び出して。
今、希がいる場所はどこ?
この3日間でわかったすべての知識を総動員して彼女の居場所を探る。
彼女はきっと私の意志を優先して、自分の意見を押し殺してしまったのだ。
何なのよ、もう。
「私とそっくりじゃない……」
複雑だった。
でも今はそんなことを考えている場合じゃない。
走る方向は決まっていた。
初日で待ち合わせしたあのカフェだ。
私なら、未練をなくすために最後の記念として寄るはずだから――――――――
「やっぱりね。ここにいた」
私は汗でぐっしょりと、お世辞にも気分がいいとは言えない制服姿で希を見つけた。
ガラス越しにも印象的な輪郭は忘れない。
「すみません、待ち合わせで」
店員の人数確認を一言で済ませ、希の前へと姿を現して見せた。
「……真姫ちゃん!?」
いい反応だった。
素敵で可憐な顔。
それでこそ、私の愛する人だ。
次に来る言葉は手に取るようにわかる。
「「学校は?」」
嫌ね。
ほんと、嫌なとこばかり似てる。
「希こそ、学校休んで何してるのよ」
「そ、それは……」
手元にあるのはまだまだ残りのあるカフェオレ。
同じ状況に思わず笑みが零れる。
「行くわよ」
だから私は希のカップを掠め取り、自分の喉に流し込んだ。
熱い。
熱い。
喉まで火傷しそうなその熱は、今の私にぴったりだった。
「真姫ちゃん」
「何」
「真姫ちゃん、どうして私に会いに来たの」
言葉遣いが変わった。
合宿の時と一緒だ。
思えばあなたにほれ込んだのもその時からだったわね。
「恋人はいらないんじゃなかったの」
「拗ねてる顔も素敵だわ」
もう隠すのはやめだ。
おしまい。
嘘吐きの私は、我慢強い私はおしまいだから。
「素敵って、何?」
「言葉通りの意味よ」
「真姫ちゃんは、私を要らないって言った」
希の両目に小さな2つの宝石が浮かび上がる。
「私はあなたに、必要とされてないのがわかった。だから――――――――」
もう知らない。
私はもう我慢しない。
思いきり乱暴に、自分勝手な方法で私は彼女の唇を奪った。
「だから、何?」
「……まきちゃん、いま」
希は目を点にして、いつもよりクセのあるカタコトな日本語を口にした。
それもかわいいと思える自分は本当に重症なのよ。
ええ、だから知ってるってば。
「要らないって言ったわ。でもね、あれは嘘よ」
目を白黒させて驚きを示す希に、再び口づけをする。
「真姫、ちゃん……!?」
今度は顔を真っ赤にして驚いた。
ようやく状況が確認できたらしい。
「希が幸せになれる人を探すならそれでいいと思ってた」
だから私は三度唇を重ねた。
「でもやっぱり、希を幸せにできるのは私だけ」
最後のキスは3回目のどれよりも長く、白昼堂々何をやってるんだと自分でも笑えてきた。
平日の昼間でよかったとつくづく思うわ。
「要らないって言ったわ。でもね、あれは嘘よ」
目を白黒させて驚きを示す希に、再び口づけをする。
「真姫、ちゃん……!?」
今度は顔を真っ赤にして驚いた。
ようやく状況が確認できたらしい。
「希が幸せになれる人を探すならそれでいいと思ってた」
だから私は三度唇を重ねた。
「でもやっぱり、希を幸せにできるのは私だけ」
最後のキスは3回のどれよりも長く、白昼堂々何をやってるんだと自分でも笑えてきた。
平日の昼間でよかったとつくづく思うわ。
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幾重にも星の瞬く今日のこの日は、近年で稀な量の流星群の見れる日だった。
「希、準備できた?」
「おっけー、こっちは大丈夫やで」
前よりも大きな望遠鏡をセットして、希は敬礼のポーズをとる。
あれから何回ここに来ただろうか。
ほとんど私と希しか訪れないこの別荘も、何度も来たおかげでそれなりに生活感が出てきていた。
「ここに来ると、真姫ちゃんがいじわるやったころを思い出すなぁ」
「いつ私が意地悪になったって?」
希はその言葉に、いたずらっぽく笑みを浮かべた。
「ウチのために嘘ついてた真姫ちゃんは、自分にいじわるやったもん」
「なるほどね」
私はどちらかと言うと、電車での希の寝顔くらいしか覚えていない。
あれはとてもいいものだった。
前言ったらそんなの覚えてなくていいって怒られてしまったけど。
「ねぇ真姫ちゃん、あの時なんであんなに乱暴やったん?」
「さあね。若かったから」
「今も十分若いですー」
希は私の頬を指でつつくと、ゆっくりと背中の方へと回ってきた。
私はそのいつものことを見逃して作業をし終え振り返ると、希が両手を広げて待っていた。
「真姫ちゃん愛してる!」
「よくもまあキスで倒れた人が言うわね」
「そ、それは昔!」
希は顔を真っ赤にして首を横に振る。
結局4回連続のキスの刺激に耐えられず、希は気絶してしまったのだ。
5回目のキスは病室でだったけれど、あれはこっそりみんなが見てたのよね。
「μ'sのみんなにも迷惑かけたしね」
希が懐かしむように呟いた。
切羽詰った様子で学校を抜け出した私が、休んでいた希と一緒に病院に運び込まれたってニュースになったもの。
で、出てきたら付き合ってた。
今考えるとかなり失笑モノの昔話なんだけど。
「そうね。今日の流星群の写真撮って来いって言われたし」
私はデジカメを空に向けて構える。
まあそんなのは口実で、私たちの会話をどこかで見ていたいだけなんじゃないかしら。
最近は興味津々で困るくらいだけど。
「真姫ちゃん、あの時は輝いてたなぁ」
「今は?」
「もっと輝いてるかも」
「そう」
少し間が開いた。
すると希はそっと、背中に寄り添ってくる。
「真姫ちゃん」
「何」
「いつもの」
「……わかった」
「はい、クッキーと紅茶」
「わー! これを楽しみにしてたんよ!」
ムードも何も関係なく、希は私の差し出した包みと水筒に歓喜する。
あれから作り続けた結果、かなり上達したのだ。
今なら海外から取り寄せたと言っても騙せるくらいに。
「うーん、これがないと生きてけない!」
「ゆっくり食べなさいよ」
ここに来たときは絶対にこれがないといけない。
そんな風な暗黙の了解ができていた。
「真姫ちゃんってこういうとこ、しっかりしてるんよね」
幸せそうに包みと水筒を抱えた希は、意外そうに言葉を紡いだ。
そうね。
前までは気付かなかったけど、こうして素直になってみたら色々わかることがあったのだ。
「ねぇ、知ってる?」
「何が?」
放っておくと希が私を待たずに食べてしまいそうなので、手短に済ませよう。
食いしん坊なところもかわいいんだけど、こればっかりは譲れない。
「私って尽くすタイプだったのよ」
空に輝く星々は、私たちを祝福するかのように煌めいていた。
おわり
のぞまきって案外少ないから立ててみたよ
実はもっと展開を引きずる予定でしたが、気付いたら真姫ちゃんがキスしてた
こっちは普通のスレです
しんみりした後はこっちで笑っていただきたい
絵里「つよくてにゅーげーむ」 - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1405000363/)
続編できたよー
絵里「やっぱり、私って面倒な子ね」
→絵里「やっぱり、私って面倒な子ね」 - SSまとめ速報
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このSSまとめへのコメント
春夏秋冬シリーズ♪
のぞまきもいいゾー
良かった
やっぱりのぞまきは最高だぜ、のんたんが純情で可愛い!