京子「あかりと磁石」 (58)


 砂鉄集めに必要なもの。
 磁石。
 砂鉄をいれるためのきれいな瓶。ジャムの瓶がいい。
 それからビニール袋。これが一番大事。

 砂に直接磁石を近づけると、磁石がザラザラになってしまう。
 だから磁石はビニール越しに扱う。
 そうすれば、くっついてきた砂鉄を磁石から切り離すのも簡単なのだ。

 結衣はこのビニール袋をよく忘れた。
 だから結衣の磁石には砂鉄がくっついていた。


 砂鉄集めに大事なことは焦らないことだ。
 鉄分を含んだ砂から磁石で砂鉄を集めるのは手間がかかるし、集めた砂鉄をきれいにするのにはもっと時間がかかる。
 砂に磁石を近づける。
 くっついてきた砂鉄を瓶に集める。
 最初の段階ではまだゴミや余計な砂などの不純物が多く含まれているので、もう一度磁石を使ってほんとうの砂鉄だけを取り出す。
 この作業を何度も繰り返すと、真っ黒な粉のようなものができる。
 根気のいる作業だ。
 でも、私はこの単純な遊びが好きだった。


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 小さいころの私はどちらかと言えば家のそとで遊ぶのが得意じゃなかったけれど、
 それでも、この砂鉄集めだけは気に入っていた。
 公園の砂場や校庭の砂、河原なんかを見ると、あそこからどれだけの黒いものが採れるだろうとワクワクした。
 運動が得意じゃなかった私には、砂鉄のズッシリ詰まった重いガラス瓶は誇りだった。
 私だって、がんばればこのくらいのことができる。
 そう思えた。

 私たち幼なじみ三人は小さいころの一時期、よく砂鉄集めに精を出した。
 もっとも結衣はこの退屈な遊びがあまり好きじゃなかったらしい。
 ときどきは私に付き合ってくれたけど、それでもすぐに飽きてしまってそこら中を駆けまわりはじめた。
 活発な結衣にはこんなちまちました作業より、からだを動かすほうが好きだったらしい。
 結衣はただ走ってるだけで楽しそうだった。
 私も結衣の走ってる姿を見るのは好きだった。
 だから結衣の走っているあいだは、私がかわりに結衣の瓶に砂鉄を集めた。
 私は努力して、できるだけ純粋な、きれいな砂鉄が結衣の瓶に入るようにした。
 走るのに疲れた結衣が戻って来て、砂鉄の溜まった瓶を見ると「ありがとう、京子」と言った。
 だけど結衣がそのことにどれだけ関心を持っていたかはわからない。
 しかたないことだ。
 結衣は走る。
 私は砂をいじる。
 それぞれ別のことが好きで、近くにいても別のものを見ていた。
 思えば、あのころの私たちがいつも一緒にいたのは不思議かもしれない。
 それでも私は結衣のお礼が聞きたくて、砂鉄を集めた。
 私がたくさん砂鉄を集めると、とりあえず結衣は笑顔になってくれた。
 べつに不思議になんて思わなかった。
「よく集めたな、京子」なんて褒められるのは嬉しかった。
 結衣に勝てるのは砂鉄集めくらいだ。


 私といっしょに、一番熱心に砂鉄集めをしてくれたのはあかりだ。
 あかりは私みたいに運動が苦手なわけでもないし、結衣といっしょに駆け回るのも好きだった。
 それでもあかりは根気よく付き合ってくれた。
 あかりには砂鉄集めの本質のようなものが見えていた。
 地面にしゃがみこんで、ひたすら同じ手作業を繰り返す。
 黒いものでいっぱいになった瓶は、積み重なった作業のあかしだ。
 私とあかりはほとんど話もせずに砂鉄を集めた。
 あかりがほんとうに砂鉄集めが好きだったのかはわからない。
 もしかしたら、私が一人じゃかわいそうだと思ったのかもしれない。
 だとしても、もくもくと砂鉄を集めるあかりの姿はりっぱなものだった。
 私はこの歳下の幼なじみにあこがれのようなものを抱いて、多くのことを学んだ。
 砂鉄集めは静かに。落ち着いて。笑顔で。



 そんなことを机の引き出しから出てきた、「あかざあかり」とマジックで書かれた棒磁石を見ながら思い出した。
 砂鉄集めに使っていた磁石のはずなのに、ひとつもゴミが付いてない。
 律儀にビニール袋を使っていた証拠だ。

 磁石を発見したのは、結衣の家にも行かずに部屋でゴロゴロしていたところを「掃除をしなさい」と母親にやんわり促され、
 抵抗するほどの言い訳も思いつかなかったのでしかたなく掃除をはじめた矢先のことだった。
 S極とN極で青と赤にくっきりと塗り分けられた棒磁石は、「としのうきょうこ」と書かれた丸い磁石とくっついて出てきた。


 どうしてあかりの磁石がここにあるのだろう。
 間違えて持ってきてしまったのか、借りたまま返してなかったのかもしれない。
 砂鉄集めをしていたのはもう何年も前のことだから、それからずっとあかりの磁石は私の部屋にあったことになる。
 ふたつの磁石をもてあそんでくっつけたり離したりしながら、なんだか無性に懐かしくなった。


「お母さん」
 と、リビングでくつろいでいる母親に声をかける。
「瓶に集めてた砂鉄ってどこにやったっけ」

「砂鉄?」


「うん、子どものころ集めてたやつ」

「今も子どもでしょ」

「私、もう大人だもん」

「部屋の掃除もまともにできない子は大人とは言えません」

「うーるーさーいー。それより砂鉄はー?」

「あー、あれね。あんたハマってたよね。おっきくなったら、砂鉄集めるひとになる!って言ってたし」

「お恥ずかしい話です」

「たしかずいぶんまえに捨ててなかった?」


 母親のそっけない言い方に私は傷ついた。
 だけどしかたない。
 私が自分で捨てたのだ。言われてみれば、そんな記憶がある。
 きっと幼い私は、ある時点で「砂鉄を集めるひと」なんかにはなれないと気づいたのだろう。
 真っ黒な砂鉄は考えてみればやぼったいし、何にもならない。
 女の子の部屋の装飾品としてはあまりよろしくない。


 勝手な話だけど、私は罪悪感でいっぱいになった。
 手に握ったままのふたつの磁石がズシリと重くなった。
 小さいころの、あの河原に座って砂鉄を集めていた私が、私の手をひっぱっているようだった。
 今、後ろを振り返ったら、あのころの私とあかりは、どんな顔をして今の私を見ているのだろう。
 泣いているだろうか。
 軽蔑してるかもしれない。
 あんなに夢中になったのに、おまえはなんだ。
 忘れられた歳納京子と赤座あかりが私の背後に佇んでいた。
 忘れられるのは、さびしい。
 あかり。お前はそこでどんな顔をしてるんだ?
 私は今どんな顔をすればいい?
 握りしめた磁石が、じわりと汗をかいた。
 私は決意した。
 あかりに会いに行こう。


 部屋に取って返して、出かける準備をはじめる。
 リュックサックにさっきの磁石と、必要な道具を詰め込む。
 財布もある。方位磁石もある。携帯も、家の鍵も持った。

「お母さん、出かけてくる」

「あんた部屋の掃除は?」

「あとでやるー」

「はいはい。また結衣ちゃんの家?」

 私は答えない。

「あー、あかりちゃんね。迷惑かけるんじゃないよ」
 と言って、お母さんはにやりと笑った。
 うるせー。


 あかりと結衣と私。
 私たち三人が出会ったのは、それぞれの親が昔から友達だったからだ。
 だから私たちの関係は、親たちには小さいころからほとんどすべて知られている。

 私は重度の「あかりっ子」だった。
 うちの母親は今でも私を子ども扱いして、小さいころ私が事あるごとに「あかりちゃんの家」に行きたがったと言って笑う。
 怖いテレビを見て泣き止まなくなった私を、夜中に車で「あかりちゃんの家」まで送っていった話は今にいたるまで家族の笑い話だ。

 私は寝ぼけまなこをこすりながら起きてきたあかりに抱きついて、そのままいっしょの布団に寝て泊まっていった。
 あかりの家族まで私に会うたびにその話をするのだから困ったものだ。本気でやめてほしい。


 それからもう一つ定番のエピソードがあって、それはさらにもう少し小さいころ、家族で買い物に行ったときの迷子の話だ。

 ひとりはぐれてしまった私は、「あかりちゃーん」と泣きわめいたという。

 母親よりさきにあかりちゃんに助けを求める子。
 私はそんな子どもだったらしい。
 実際傷ついたわよ、とは母親の談。あんたったら、お母さんのことなんか眼中にないんだから。
 眼中にないは言いすぎだとしても大人の母親より、歳下のあかりの方がたのもしく見えたということだろうか。
 あかりにジェラシーを抱くお母さんの気持ちを考えると、もうしわけないやら恥ずかしいやらである。

 そういうわけで、親たちは今でも私があかりに甘えてると思ってるらしい。
 うるせー。


 だけど変わらないものなんてない。
 なにもかもどんどん進んで、新しくなっていく。
 私たちはどんどん大きくなって、今も成長していて、これからも違う私たちになっていく。
 大人はそれを知らない。
 結衣も、私も。
 昔のままじゃいられない。
 嫌だと言っても変化は止められない。
 怖くても立ち止まれない。
 私はもう泣き虫だった私じゃないし、今では砂鉄も集めてない。
 じゃあ、あかりは?
 あかりはどうなんだろう。
 確かめに行こうと思った。
 昔のあかりと歳納京子。
 今の私とあかり。
 私たちはどんな風に変わってきて、これからどうなってしまうのだろう。


「行ってきます!」
 うるさく何かを言っている母親を無視して、私は家を飛び出す。


 あかりの家まではそう遠くない。
 私は走りだした。
 晴れた青空と暖かい風。
 探検には絶好の日和だった。
 息が切れる。
 今の私はあのころよりは強くなったけど、結衣みたいには走れない。
 それでも早くあかりに会えるように走った。
 今の気持ちが変わらないうちに。
 あのころの私も、ひっくり返りそうになりながら後ろについてきてるような気がした。
 走るのは気持ちいいね。
 昔は知らなかったこと。いつの間にか学んだこと。
 全力で走る私にびっくりした小鳥の群れが一斉に飛び立つ。
 あかりの家が見えてきた。


 チャイムを鳴らして、息を整える。
 いつものあかりの足音が聞こえて、それから玄関の扉を開いて出てきた幼なじみに、私は言った。

「あかり、砂鉄集めに行こうぜ!」


 ◆

 我ながらいきなりすぎる訪問だとは思ったけど、あかりは文句ひとつ言わずについてきてくれた。
 これが結衣なら小言のひとつや百つくらいは言っていただろう。
 サンキュー、あかり。結衣も見習え。

 私たちは歩きながら砂鉄集めにふさわしい場所を探すことにした。
 私の少し後ろをあかりがとことことついてくる。
 あかりは動きやすそうなワンピースに春めいた上着を羽織って、小さなバッグを手に下げている。
 まだまだ子どもっぽいけど、少なくとも子どものころよりはおしゃれかな。

「京子ちゃん、どうしたの?」

「あかりのファッションチェックしてた」

「え~、恥ずかしいよぉ」
 恥ずかしいよぉと言って、ほんとうに照れた顔をする。
 なんでも言葉通りのやつだ。
 どうかな、だとか感想を訊かないところがあかりらしいと思った。


「京子ちゃん、よく見たら髪がむちゃくちゃだよぉ」
 あかりはちょっと背伸びをして私の髪を手で撫で付ける。

「おお、走ってきたからなー」

「転ばなかった?」

「あかりじゃねーよ」

「あかりはそんなに転ばないよぉ」

「私も転ばないから。ん、ありがと、あかり」
 私の髪はあかりの手ですっかり梳かしつくされてしまう。
 しかしせっかく整った髪も風のせいですぐに乱れる。


「えへへ。すこし風が強いけど、お日様が気持ちいいね」

「春分の日を過ぎたから、これからずっと夜より昼のほうが長いんだぞ」

「そうなんだぁ」
 と、あかりが感心した風に言う。
 春分を過ぎると、昼の方が長くなる。
 あれ。そういえば、これって昔あかりに教えてもらったことじゃなかったっけ。

「京子ちゃん、どこ行こっか」
 あかりはそんなことには気づいてないのか、知らないふりをしてるのか、私の横に並んで、きょろきょろと辺りを見回すしぐさをした。

「うーん、そうだな。川に行ってみよう」
 記憶が正しければ、河原の砂がいちばん砂鉄集めに適していたはずだ。
 あかりと二人で、子どもに混じって公園の砂場で遊ぶのも恥ずかしいし。

 べつに急いでるわけじゃない。
 私たちは川へ向かってゆっくりと歩いて行った。


「京子ちゃんは春休みの宿題、もう終わった?」

「んー。当然まだ」

「当然なんだ…」

「だって~、結衣が見してくんないんだもん。あかり手伝ってー」

「あかり、二年生の宿題できるかな……」

「いや、そんな本気で悩まないでもいいんだぞ。あかりはまじめだなぁ」
 私が不まじめとも言える。

 あかりはちょっと怒った声で、「もお、冗談だったのぉ?」と口をとがらせる。
 なんだか悪いな、という気がして、私はせっかくだからほんとうにあかりに宿題を手伝ってもらえるかどうかの算段を立てはじめた。


 そうこうしてるうちに川に到着した。
 こんなに気持ちがいい日だというのに、あたりには人がいない。
 私たちは堤防の階段を使って川岸までおりた。

「よし、あかり隊員。これより砂鉄の発掘を始める」

「おー!」

「はいこれ、あかりの磁石」

「わ、ほんとうだ。どうして京子ちゃんが?」

「なんかうちの机から出てきたんだよ。それで思ったんだ、これは砂鉄集めをしろって神様のお告げだとね」

 あかりは自分の名前が書かれた棒磁石を、珍しい宝物みたいにしげしげ眺めてから
「なんか懐かしいね」と笑って言った。
 うん、懐かしいよ。



 私とあかりは河原に座って、思い思いに砂鉄集めを始める。
 そばにいるだけで何も言わない。喋らない。
 なんだか数年前にタイムスリップしたみたいだ。
 川の景色はあのころとほとんど変わっていなかった。
 少なくとも、私の目にはそう見える。
 私とあかりの身体だけが、あのころより少し大きかった。

 どこからかシラサギが飛んできて私たちの近くに止まった。
 こんなでかい鳥がやってくると私はビビるが、あかりはそんなことも気にせずに磁石を使って、砂から砂鉄を集めていた。


 ほんとうのところ、あかりは今日のことをどう思っているのだろう。
 また京子ちゃんの気まぐれが始まったと思ってる?
 あかりのことだから、砂鉄集めがほんとうに楽しくて来てるのかもしれない。
 それとも、なにも考えてないとか。
 これはただの数年前の続き。
 特別な意味なんてなにもない。
 あかりの考えてることは、私にはけっこうわからない。
 それでも、あかりの気持ちは顔を見ればわかる。
 あかりは笑ってる。
 私にはそれが嬉しい。

 私があかりっ子だったのも、この笑顔のせいなのかもしれない。
 記憶のなかのあかりちゃんは、いつも笑っている。
 私はあかりの笑顔を見ると、どんなときでも安心した。
 私が不安なとき、転んで怪我をしたとき、結衣と喧嘩をしたとき、誰かに怒られたり怒鳴られたりしたとき、
 あかりがいつもの顔をして、「大丈夫だよ、京子ちゃん」と一言言ってくれるだけで、私は安心できた。
 ああ、私は大丈夫なんだな、と思えた。
 私は泣かないでも平気なんだ。
 あかりが笑っているかぎり、怖いことは、怖くなかった。
 あかりは暖かい毛布みたいに私のことを安心させてくれた。



 私とあかりはそのあともほとんど会話もせずに作業を続けた。
 二人のちょうど中間に置いたガラス瓶に、採った砂鉄を入れていく。
 一時間ほどすると少しばかりの砂鉄が集まった。
 瓶の蓋をして、重さを確かめてみる。
 まだ中の砂鉄より、瓶そのものの重さのほうが上くらいだった。
 砂鉄集めは、根気のいる作業だ。
 幼いころの私は、こんなことをずっとやってたんだな。
 今の私より集中力がありそうだ。
 自分のことながら、感心する。

「あー、お腹すいたー」
 転がるように地面に直接おしりをつけて私はぼやく。
 お昼を食べずに家を出てきてしまったのだ。
 あかりの家で、なにかごちそうになってからくればよかったかな。

「あかり、餡パン持ってきてるよ。一緒に食べよう?」

「まじ? あかり、やるー!」

「えへへ。ピクニックみたいだね」


「私、飲み物買ってくるよ。待ってて」
 私は立ち上がって、来る途中にみた自動販売機に向かって歩き出す。
 たしか、堤防の上にふたつ並んであったはずだ。

「あ、お金」

「いいって、いいって。あかりは砂鉄きれいにしといて」
 餡パン貰って、飲み物代まで出して貰うんじゃ歳上としての威厳が示せない。
 歳納京子にもプライドはあるのです。
 あかりに任せておいたら、私の分までお金を出されかねない。


 てきとうな飲み物(ほんとうにてきとう)ふたつを買って、川へと引き返す。
 堤防の上から見ると、あかりは言われたとおり砂鉄をきれいにする作業をしているようだった。

 ふと、昔もこんな風景を見たような気がした。
 デジャヴだ。
 あれは、いつのことだろう。
 砂鉄集めにハマっていたころより、さらに前。
 あかりの赤い髪を見下ろしていると、胸のきゅっと痛むようなノスタルジーが私を襲った。
 なんだったっけ。
 これ。

「ピクニック」と私はつぶやく。

 ピクニックだ。


 あかりが私に気づいて手を振る。

「京子ちゃーん」


 我に返って、私は走りだした。
 今日の私は、いろんなことに捕らわれている。
 昔のこと、今のこと、これからのこと。
 バナナの皮に気づかなかったのはそのせいだ。

「うおっ!?」

「京子ちゃん!?」
 グルリときれいに回転する世界のなかであかりの驚いてる声が聞こえた。

「いてて……」
 手をついて起き上がるが、最初はなにが起こったのか私にもさっぱり。
 数秒してようやく事態を把握する。
 バナナの皮で滑って転ぶなんて、現実に体験できるんだな。
 また私の自慢話が増えてしまったみたいだ。


 あかりが慌てて走ってくる。
 おいおい、気をつけないとお前さんも転ぶぞ。
「怪我してないー?」

「膝擦りむいちった」
 ついた手のひらが痛むけど、膝以外に怪我はないみたいだ。
 飲み物もいちおう無事だ。

「たいへん。あかり、消毒と絆創膏持ってきてるよ」

「えー、いいよー」
 私の断りの言葉も耳に入らなかったのか、あかりはハンカチと消毒液を出してテキパキと傷の手当をはじめた。
 傷の周りに付着した砂粒を軽く取りのけて、シュッと液を吹きかける。
 されるがままだ。
 あっという間に私の膝小僧には、猫さんの顔がプリントされたかわいい絆創膏が貼られてしまった。
 おまけに頭までなでられる。


「京子ちゃん、もう大丈夫だよ。いいこいいこ」

「あかりー! 私子どもじゃない!」
 私は抗議する。
 これじゃ歳上の威厳が台無しじゃん。

「あ、そっか」

 あ、そっかってどういうことなんだよ。
 あかりにとっての私って、いったい?

 気恥ずかしいけど、それでも、私はみょうに気分が明るくなってきた。
 けっきょく私はまだ、「あかりっ子」のままなのかもしれない。

今日はここまで

乙。
期待します。

ここまで地の文が多いSSもめずらしい
期待

いい雰囲気
続ききたい

楽しみ

京あか支援

地の文あったほうが好きだな


良い


 ◆

 キラキラと光る川を見ながらあかりのくれた餡パンをかじった。
 レジャーシートでもあれば本物のピクニックみたいだ。
 結衣だったら、お弁当を作ってくるかもしれないな、と思った。

「昔もこんなことあったよねぇ」
 あかりがしみじみと言う。

「砂鉄集め?」

「ううん。この川原で、みんなでごはん食べたこと。覚えてない?」

「あ、私もさっきそれ考えてたんだ。すっごい昔にあった気がする」

「お姉ちゃんも、お母さんもいてね、家族みんなで」

「結衣も」


 結衣。
 って、口に出すの、そういや久しぶりかもしんない。
 自分の口が形作った音を聴き、そのことに気づいてびっくりする。
 あいつに最後に会ったの、いつだっけ。

 態度に動揺が出てしまったのか、それとも私が黙ったせいか、あかりは怪訝そうな顔をしてこちらを見た。
「京子ちゃん?」

 私は動揺を振り払うように首を振った。

「……もうちょっと、」

「?」

「砂鉄集めようか」

 あかりは少し心配そうに、うん、と頷いた。


 私たちは作業を続けた。
 あかりは相変わらず黙っている。
 私も。
 川って、静かだとばかり思ってたけど、気づいてみると色んな音がする。
 鳥の声。
 耳をかすめる風の音と、風にそよぐ草の葉ずれの音。
 いつまでも止まないせせらぎ。
 少しずつ変化して、続いていく音たちが、時間は止まらないことを私に教える。
 いつの間にか、日はさっきよりも傾いていた。
 みょうに気持ちが焦る。


 私たちは今日、ここに何をしに来たんだろう。
 あかりに会うことで、何を確かめたかったんだろう。
 集まった砂鉄はほんの僅かで、もうすぐ夜になってしまう。
 あのころ、夜が来るのが、私は怖かったな。
 暗くなることだけじゃなくて。
 友達と別れなくちゃいけないのが。
 明日また会える、そう知ってても、今のこの瞬間、この遊びが終わってしまうのが怖かった。
 今ならその理由がわかる。
 やってくる次の日は、昨日とは別の一日だからだ。
 同じ遊びをしても、同じ仲間たちでも、その気持ちは、景色は少しずつ違う。
 私たちの気持ちは少しずつズレていって、別の人間になる。
 なあ、あかり。
 お前は怖くないか。
 私はどうしたらいいの?
 私が砂鉄集めを忘れたように。
 新しいことを覚えたら、今のこの瞬間、この気持ちを忘れてしまうのか。

 ザアッと強い風が吹く。
 私ははっとした。
 しっかりと掴んでいたはずのビニール袋が、風にあおられて飛んで行く。


「あっ」
 ボーっとしていた私が追いかけるより早く、あかりが立ち上がってビニール袋を捕まえた。
「はい、京子ちゃん」

 ここからだと、逆光になって、あかりの輪郭が輝いて見える。
 風に逆立つ髪の毛の先が、透明に光って見えた。


 なあ、あかり。


「あかり」
 私は口を開く。
「あかり、聞いて」


 あかりは首をかしげる。
「話して」と言ってるみたいに見える。


「座って」


 あかりは言われたとおり私の近くの地面に座って、私の顔をまっすぐに見た。
 ちゃんと聞いてる。
 私は、うつむいて、口の中を、舌で舐めて濡らした。


 川の音が聞こえる。

「結衣がさ」
 ゆい。今日二度目に発音した音。
「いっしょの高校に行こうって言ったんだ」

「うん」
 と、あかりは静かに相槌をうつ。
 たぶん、頷く動作と一緒に。
 あかりの顔を見れない。
 私は、いたずらを親に告白する子どものように緊張していた。

「あの、さ」
 あかり、これは悪いことなの?


 どうしよう、言えない。
 言って、どうなる。
 言う意味なんてない。
 言わないほうがいい。
 でも、言わなくちゃ。
 たぶん、きっと。
 あかりにそれを聞いてもらう。
 そうしなくちゃ、たぶん。
 たぶん、なんだろう?

「私、結衣のことが好きなのかもしれない」
 ちがう、そうじゃない。
「好き、かも」
 ちゃんと言え。


「結衣のことが好き」
 そうなんだ。私は。あいつのこと。
「すごく、マジなほうの意味で」
 私はこんなに喋るのがへただったかな。
 なんかすごいばかみたいだ。

 喉がカラカラに乾いている。
 水がほしい。
 あかりの顔を見ることが出来ない。
 叱られるのを待つ子どもみたいに、私の手は震えていた。
 なあ、あかり。
 あかりは、どんな顔をしてる。

「結衣のことが好きなんだ」
 恐ろしくて、ギュッと目をつぶった。


 私は。
 私は、結衣のことが好きでいいの?
 この気持ちは、いいものなの?
 このまま、好きでいていいの?
 こんな思いは未来まで続くの?
 私たちはどうなるの?
 ねえ。
 あかり。

「京子ちゃん」
 あかりのやさしい声がする。

 目を開いて、ゆっくりと顔を上げる。
 私は見る。


 そこには私の大好きなあかりのあの顔があった。

 あかりは私を見て、にっこりと笑っている。
 いつもみたいに。
 大丈夫だよ、京子ちゃん。
 そう言ってるみたいに。

 大丈夫だよ、京子ちゃん。
 怖いことなんてないよ。
 大丈夫。
 なにもかもうまくいくよ。

 いつの間にか握りしめていた両手から力が抜ける。
 私は大丈夫なんだ。
 平気だ。
 あかりが笑顔でいるなら。
 安心していいんだ。
 ゆるされたみたいに、私の心はときほぐされていく。

 私はきっと、あの笑顔に背中を押してもらいたかったんだ。
 未来の姿も、今の正しさもわからないけれど。
 これはきっと悪いことじゃない。
 私たちはこの道を歩いていいと。
 この先で出会えるものを信じて。


「あかり」
 ありがとう。
 そう言う代わりに、私は言った。
「さっきから、すごく気になってたんだけどさ」
 風が吹く。
 だめだ、抑えようとしても口元がニヤついてしまう。
「あかり、パンツ見えてるよ」

「んん!? ちょ、ちょっとぉ! 京子ちゃん!!」

 あかりが慌ててワンピースの裾を抑えて立ち上がる。
 私は笑った。
 生まれて初めて笑うみたいに。
 あかりも「もおっ、京子ちゃん」と少し怒った風に言ってから、えへへといつものあの顔で笑ってくれた。


 ◆

 来た道を、私たちは帰っていく。
 あかりの家へ。
 私の家へ。

 ふたりで、ゆっくりと歩く。
 べつに急いでるわけじゃない。

「京子ちゃん、桜の木にツボミがついてるよ」

「ほんとだ」

 風は暖かい。
 春の気配はどんどん濃密になっていく。


「花が咲いたら、お花見しようぜ。みんな誘ってさ」

「いいねえ。みんなで来ようね」

「うん。きっと楽しい」

「あ、そうだ。京子ちゃんにいいこと教えてあげる」

「なになに? 宿題をしなくて済む方法とか?」

「あのね、さっきの話。みんなでピクニックに来たことあったって言ったでしょ?」

「ああ、その話」


「ピクニック。ううん、川原でバーベキューだったのかな? 何歳のときだったのかなぁ、はっきり覚えてないんだけどね。
 あのときが、あかりと結衣ちゃんと京子ちゃんが、はじめて会った日なんだよ」

「え? そうなの?」
 そんなこと、ぜんぜん覚えてなかった。
 私たちに、はじまりなんてあったんだ。
 なんだかそれは、当たり前のはずなのに、不思議な気がする。
 最初の記憶の、ずっとそれより前から。
 あかりと結衣は、私のそばにいつもいる存在だったから。

 ていうか、歳下のあかりが覚えてて、私が覚えてないって、なんかくやしい。


「うん、すくなくともあかりの記憶ではね」

「へー。知らなかった……」

「京子ちゃんはまっしろなきれいなお洋服着てて、頭におっきなリボンつけててね。すごい可愛かったんだよ」

「うーん、今と同じだ」

「そのとき、結衣ちゃんが、あかりにこっそりなんて言ったかわかる?」

「なに?」

「京子ちゃんがお姫さまみたいだって、そう言ったの」

「げ、それは恥ずかしい」
 結衣が。


 このこと、結衣ちゃんにはナイショだよ。
 あかりはしっかりと結んだ口の前で指を立てて、ナイショのポーズをする。

 うーん、ダメかも。

「そんなおいしいネタ、使わずにはいられないかもなぁ」

「ダメだよぉ、あかりが結衣ちゃんに怒られちゃうもん」

「へへ、わかった。言わない、言わないよ」
 むしろ、言いたくても言えないかもね。
 まったく、結衣のやつ、なんて恥ずかしいこと言いやがるんだ。


 あ、そうだ。
 私は思いついて、歩きながらリュックサックから磁石と瓶を取り出す。
 瓶を耳元で振ると、ザカザカと音がする。
 それほどの量じゃないけど、これが今日の成果。

「あかり。これ、あかりにあげる」
 私はそのまま磁石と瓶を、両方あかりに手渡す。

「いいの? 京子ちゃんの磁石まで」

「うん、今度はあかりが持ってて。今日のお礼」

「わかった。あかり、大切にするよぉ」
 あかりのことだから、本気で言ってるな。
 きっと、おばあちゃんになっても大切に持ってる。
 そこまでマジにならなくてもいいんだぞ、あかり。
 まあいいや。


「この磁石見て、思い出したら、今度はあかりから誘ってくれよ」

「うん」
 カチッ、とあかりの手の上であかりの棒磁石と、私の丸い磁石がくっつく。


「なあ、あかり」
 もうひとつ思いついたことを言ってみる。
「磁石がくっつくのはな、愛の力のせいなんだぜ」


 あかりは一瞬立ち止まり、それから真面目な顔で、
「そうかもね」
 と頷いた。

 おいおい。

 否定しろよ。

「うわー!」
 急に恥ずかしくなって私は走りだした。


「待ってよぉ、京子ちゃん!」
 あかりが追いかけてくる音がする。

 あかりの気配を、背中に感じるのは気持ちが良い。
 あかりはそこにいる。
 たぶん、きっと、いつものあの顔で。

 私たちは走る。
 晴れた青空と暖かい風。
 春休み最後の日曜日のことだった。


終わり。



良かった

京あか良かった
おつ

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