男「え?友が早退した?」男友「そのようだな」(23)

プールの授業のあとで、塩素の匂いが充満する更衣室。
クラスメイトの話声が飛び交う中で、その話を聞いた。

男友「俺の集めた情報によれば、急な発熱が原因らしい」

男「…………」

そういえば、一時間前は数学の授業だったな。
試しに、その時の光景を思い出してみた。

男「……ぐおおおおおおっ」

昼休みが終わって、腹も満たされた5限目の授業。
いつも通りおれは爆睡していた。
男友によると、相当デカいいびきだったらしい。

メガネ「……ふむ」

そんな状況を、数学担当のスパルタ教師、通称『メガネ』が黙って見逃すわけもなく……

男「ぐがあああああああっ」

メガネ「……ギリッ!」

メガネはおれの席の横まで、音も立てずにゆっくりと歩いてきた。
バカデカいアルミ製の三角定規を片手に。

メガネ「男くん」

重く低い声が、教室にじわーっと広がっていく。
そのただならぬ威圧感に触発されて、こそこそ話をしていた生徒も急に静かになってしまった。

友「おい、男。おーとーこー」

男「……ん」

後ろの席の友が遠慮がちにおれの背中を指で突いた。
それで目を覚ましたおれは、寝起き直後の不機嫌な顔のまま、後ろを振り返った。

男「……んだよ。急に起こすなよな」

友「…………」

だが、友は何も答えない。
どこか呆れたような表情で前を指差すだけだ。
その意図が理解出来ないまま、おれはねじった体を元に戻して、くるりと前に向き直った。

メガネ「……おはよう」

男「……あ」

メガネ「よく、眠れたかな?」

すると視線の先には、怒りに身を震わせているメガネの姿があった。
激怒のあまり、額にはうっすらと青筋が浮かんでいる。
その気迫に圧倒され、おれは目を合わせることができなかった。

男「よく、眠れました……」

メガネ「正直でよろしい」

満足そうに頷いたメガネは、その手に持ったバカでかい三角定規の先を黒板に向けた。
黒板には、バランスのとれた美しい放物線のグラフが描かれている。
その横には、難しそうな数式がびっしりと敷き詰められていた。

……えーっと、これってたしか……にじかんすう(?)っていうんだよな?

メガネ「男くん、きみにはあの問題を解いてもらいましょう」

そして、三角定規で机をこんこんとノックした。
早く席を立て、ということらしい。
当たり前のことだが、その命令に素直に従うわけもなく、おれはできる限りの抵抗を試みた。

男「む、無理ですよ!簡単な計算問題ならまだしも、あんな複雑そうな問題!」

メガネ「たしかにこれは応用問題ですが、今までの解説を聞いていたら確実に解けるはずです」

メガネ「そ れ と も」

そう言って、メガネが俺のノートを覗きこむ。
もちろんノートは真っ白だった。

メガネ「ま さ か !! 今 日 の 授 業 内 容 を !! ま っ た く 聞 い て い な い !!……なんてことはありませんよねえ?」

その脅しつけるような口調とは裏腹に、メガネは満面の笑みを浮かべていた。
目はまったく笑っていないのが怖かった……

っていうか――

男(こいつ、ぜったいにわかってて言ってるだろッ!!)

メガネの思惑はわかっている。
おれをダシにして、他の生徒たちに恐怖心を植え付けようとする作戦だ。

腐ってやがる!!
ここまで性根の悪い教師は今までに出会ったことがない!

絶対に口には出さないけど……

それでもまだおれが躊躇っていると、メガネは掛時計を見上げながら、苛立たしげに足踏みを始めた。
授業終了まで、あと10分をきっている。

メガネ「なるべく急いで解いてくださいね?わたしには次の授業の準備もありますし……」

男(あんたがおれを指名したんだろうがああああああああ!!)

だが、それを言い出せるほどの勇気は、おれにはなかった……

紆余曲折のすえ、俺はついに腹をくくった。
いや、くくらざるをえなかった……

男「…………」

黒板の前に立って、白チョークをつまみあげる。
そして、チョークの先を黒板にすべらせようとした――

メガネ「あと、1つ言い忘れてましたが――」

男「え?……あ」

――が、後ろを振り返った途端、ぽきっという音とともに根元から折れてしまった。

メガネ「不正解の場合には追加の課題を用意しますから。まあ恐らく、正解してくれるだろうと思っていますが……」

男(このやろう、タイミング考えろよ……)

鬼だ。こいつは生まれついての悪魔だ。
どうやらこの数学教師の辞書には、慈悲という言葉は存在しないらしい。
適当な答えを書いて逃げよう、というおれの行動はすでに見破られていた。
つまり、これで逃げ道をふさがれたというわけだ。

黒板をもう一度眺めてみる。
数式がずらっと並べられているが、まるで意味がわからない。
こんなことなら、日頃から真面目に授業を受けておけばよかった……
だが、後悔したところで遅すぎる。

男(おれの頭ではこの問題を解くのは無理だ……)

とすれば、この状況を抜けられる方法はただ1つ!
それは――

男(だれかに助けを求めよう!)

そこで、おれはまず男友に視線で合図を送った。
男友は学年でトップクラスの成績を誇っている。
この前の模試では総合成績で、全国100位以内にくい込んだという噂だ。
だから、こいつならこの応用問題も楽に解けてるはず。
だが――

男友「…………」

あいつは窓の外をぼーっと眺めていた。
おれの視線に気づいているようには見えない。

男(おーーい!おーーーーーいっ!!)

おおげさなウインクで何度も合図を送ったが、ついにこっちに気づくことはなかった。
こいつ、肝心なところで役に立たねえ……
そんなこんなで余計な時間を使ってしまった。

男(……待てよ?)

そういえば残り時間は、あとどれくらいなんだろう?
掛け時計に視線をうつしてみる。

男友「…………」

あいつは窓の外をぼーっと眺めていた。
おれの視線に気づいているようには見えない。

男(おーーい!おーーーーーいっ!!)

おおげさなウインクで何度も合図を送ったが、ついにこっちに気づくことはなかった。
こいつ、肝心なところで役に立たねえ……
そんなこんなで余計な時間を使ってしまった。

男(……待てよ?)

そういえば残り時間は、あとどれくらいなんだろう?
掛け時計に視線をうつしてみる。

男「…………」

おれの額の上を一筋の汗がつたった。
タイムリミットはあと3分……
敗戦色は濃厚だった。

メガネ「……ふっ」

メガネの方を見ると、あいつは口元ににやっと微笑を作っていた。
こいつ、楽しんでやがる!
この状況を楽しんでやがるっ!

男(万事休す、か……)

終わった……
完全に終わった……
おれの負けだ……

悔しいがどうすることもできない。
もはや、おれの中には抵抗する気力は残されていなかった。

だが――

男「……ん?」

勝利を諦めていた俺の耳に、なにかの音が入ってきた。
かちかちとボールペンを鳴らす音だった。
一回ならまだしも、しつこいぐらいに何回も何回も続けている。
まるでなにかの信号でも送っているかのように。
おれは床に向けていた顔を持ち上げてみた。

友「ふぅ……」

すると、音の方向には友の顔があった。
やれやれと、呆れた様子で溜め息をついている。

男(……なんだよ)

いまは遊んでる場合じゃないんだぞ、というおれの意思を伝えるように視線で合図を飛ばした。

友「はあ……」

だが、そんな俺の視線を無視するように、あいつは目をつぶった。
そしてそのままの状態で、指でピースサインを作った。

男(……なんだ?)

突拍子もない友の行動。
友のやつ、いったいなにを考えているんだ?
おれが怪訝そうな表情をしても、友はその姿勢を崩さない。

男(まさか――)

なにかを伝えようとしている?
ピースサインになにか隠された意味があるというのか?
おれは無い知恵を絞って考えた。

メガネ「あと、10秒……」

気がつけば、そんなメガネの声が聞こえた。
どうやら迷う時間は残されていないようだ。
当たって砕けるしかない……!
おれは新しいチョークを手にした。

メガネ「はい。この授業はここまで――」

5限目終了のチャイムが鳴るとともに、メガネが口を開いた。
その時だった――

男「せ、先生っ!」

メガネ「――はい?」

おれの声を耳にしたメガネは、眼鏡のふちを触りながら黒板を見た。
そして、おれの解答を見定めるように、じっと目を細めた。
しばらく経って、あいつはおれの名前を呼んだ。

メガネ「男くん」

男「は、はいっ」

緊張で声が震える。
おれの書いた答えは数字の2。
これでおれの運命がどうなるかが決まるのだ。
その結果は――

メガネ「正解――」

男「……え?」

マヌケな声が出た。
まさかの正解だった。
だが、喜んだのもつかの間だった。

メガネ「――ですが、途中式は?」

男「…………」

友「…………」

授業終了後に、おれは追加の課題をもらった。

男「うーん……」

そんな騒がしい5限目だった。
その時の友の様子は、「ものすごく元気!」とまではいかないが、そんなに体調が悪かったようにも思えない。
でも、最近はインフルエンザが流行してるらしいし、そんなに気にするようなことでもないか。

男友「――という話なのだがな」

男「あ」

しまった。
考え事に集中していて、男友の話をすっかり聞き流していた。

男「すまん。なんの話だっけ?」

男友「……うむ?聞いていなかったのか。まあいいだろう、若きウェルテル殿には悩み事は付き物だからな」

男「……は?」

男友は意味ありげにそう言って、満足そうに頷いていた。
相変わらずこいつはなにを考えているのか、さっぱりわからない。
まあ、気にするだけ無駄か。男友だし。

男友「友のお見舞いに行こうと言っているのだ」

男「お見舞い……」

こいつにしては、ずいぶんまともな意見だ。
おれはすぐに賛成しようと思ったが――

男「考えてみれば、おれあいつの家の場所しらねえ……」

男友「俺も知らんぞ」

男「…………」

男友「……ふむ」

結局、その日はまっすぐ家に帰った。

その翌日、目覚ましのかけ忘れで、遅刻ギリギリの時間に目覚めた。
なんで起こしてくれなかったのか、と母さんに散々文句を言ったが、取り合ってはもらえなかった。
諦めたおれは駆け足で家を飛び出した。

男「はあはあはあはあ……!」

息を切らしながら、往来を行き来する通行人を次々に追い抜いて行く。
こういう日に限って、太陽が強く照ってるんだよなあ……

カッターシャツの胸の位置は、汗でところどころが湿っている。
こっちからは見えないが、背中もひどいことになってるにちがいない。
おれは深い溜め息をついた。

男「よし……!」

それからしばらく走り続けて校門のあたりまで行くと、男友の後姿を見つけた。
無遅刻無欠席のあいつがいるということは、今日は遅刻を回避したというわけだ。
近づいていくにつれて、だんだんとスピードを落としていき、手が届くあたりの位置であいつの背中に声をかけた。

男「よっ!」

男友「うむ、おはよう」

男友は振り返って、おれに返答した。
その落ち着き払った声を聞いたせいで、おれは絶対に遅刻はしないだろうと油断していた。
そう、『油断』をしていたのだ――

男友の隣に並んで歩くこと十数歩、おれは足を止めてあたりを見回した。

男「……あれ?」

いくら勘の鈍いおれでも様子がおかしいことには気づいた。
周りにはおれたち以外の生徒……というか人間がだれもいなかったのだ。
だが、竹刀を肩に担いだ体育教師の『ゴリラ』はいた。
ゴリラは顔をしかめて、おれたちに近づいてきた。

ゴリラ「はよ急がんかい、ボケ!もう予鈴なっとんぞ!」

やや癖のある関西弁でゴリラは怒鳴った。

――ん?いや、ちょっと待て……

予 鈴 が 鳴 っ て い る ?

男「……どういう、ことだ?」

おれは男友の顔をのぞきこんだ。
だが、あいつは涼しい顔をしているだけだった。
それから、おれの視線に気づいた男友は訝しげに言った。

男友「……む?別にどうもしないだろう。ただもうすぐで本鈴が鳴る、というだけではないか」

男「れ?……れれれ?」

予想外の事態のせいで舌がうまく回らない。
一体全体どういうことだ?

えっと、とりあえず――

男「おまえ、今日何時に起きた?」

男友「それはいつも通りだが、途中でどこぞの老婆に道案内を頼まれたのでな。目的地まで送ってきたのだ」

男「えっと……じゃあ、なんでおまえはのんびりと歩いてるわけ?」

男友「決まっているだろう?歩きたいから歩いている、ただそれだけだ」

男「……は?」

まるで意味がわからん。
だが、おれたちがこれからとるべき行動だけはわかる。

それは――

男「走る」

――しかないよなあ……

昇降口を目指して、ぐんぐんスピードをあげる。
男友も後に続いて駆け出した。
やがて、おれたちは横に並んだ。

男「おまえ、責任って言葉知ってるか?」

男友「哲学の話なら昼休みに付き合おう」

男「いや、そういう意味で言ってるんじゃないから」

昇降口に着くと、おれたちは自分の靴を適当に脱ぎ捨てて、裸足のまま教室に向かった。
後ろからゴリラの怒鳴り声が聞こえたような気がしたが、気にしないことにした。

速報が復旧したみたいなので、これからは向こうで続けようと思います
自分勝手な理由ですがご容赦ください

もし見てくれてる人がいたならありがとうございました!

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