文才ないけど小説かく 5 (1000)

ここはお題をもらって小説を書き、筆力を向上させるスレです。





◆お題を貰い、作品を完成させてから「投下します」と宣言した後、投下する。



◆投下の際、名前欄 に『タイトル(お題:○○) 現在レス数/総レス数』を記入。メール欄は無記入。

 (例 :『BNSK(お題:文才) 1/5』) ※タイトルは無くても構いません。

◆お題とタイトルを間違えないために、タイトルの有無に関わらず「お題:~~」という形式でお題を表記して下さい。

◆なお品評会の際は、お題がひとつならば、お題の表記は不要です。



※※※注意事項※※※

 容量は1レスは30行、1行は全角128文字まで(50字程度で改行してください)

 お題を貰っていない作品は、まとめサイトに掲載されない上に、基本スルーされます。



まとめサイト:各まとめ入口:http://www.bnsk.sakura.ne.jp/

まとめwiki:http://www.bnsk.sakura.ne.jp/wiki/

wiki内Q&A:http://www.bnsk.sakura.ne.jp/wiki/index.php?Q%A1%F5A



文才ないけど小説かく(実験)

文才ないけど小説かく(実験)2

文才ないけど小説かく(実験)3
文才ないけど小説かく(実験)3 - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1357221991/)

文才ないけど小説かく(実験)4
文才ないけど小説かく(実験)4 - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1373526119/)




SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1391418769

▽書き手の方へ
・品評会作品、通常作を問わず、自身の作品はしたらばのまとめスレに転載をお願いします。
 スレが落ちやすいため、特に通常作はまとめスレへの転載がないと感想が付きづらいです。
 作業量の軽減にご協力ください。
 感想が付いていない作品のURLを貼れば誰かが書いてくれるかも。

▽読み手の方へ
・感想は書き手側の意欲向上に繋がります。感想や批評はできれば書いてあげて下さい。

▽保守について
・創作に役立つ雑談や、「お題:保守」の通常作投下は大歓迎です。
・【!】お題:支援=ただ支援するのも何だから小説風に支援する=通常作扱いにはなりません。

▽その他
・作品投下時にトリップを付けておくと、wikiで「単語検索」を行えば自分の作品がすぐ抽出できます
・ただし、作品投下時以外のトリップは嫌われる傾向にありますのでご注意を

▲週末品評会
・毎週末に週末品評会なるものを開催しております。小説を書くのに慣れてきた方はどうぞご一読ください。
 wiki内週末品評会:http://www.bnsk.sakura.ne.jp/wiki/index.php?%BD%B5%CB%F6%C9%CA%C9%BE%B2%F1
 ※現在は人口減少のため、不定期に開催しております。スレ内をご確認ください。

▽BNSKスレ、もしくはSS速報へ初めて来た書き手の方へ。
文章を投下する場合はメール欄に半角で 「saga」 (×sag「e」)と入力することをお勧めします。
※SS速報の仕様により、幾つかのワードにフィルターが掛けられ、[ピーーー]などと表示されるためです。



ドラ・えもん→ [たぬき]
新・一 → バーーーローー
デ・ブ → [ピザ]
死・ね → [ピーーー]
殺・す → [ピーーー]

もちろん「saga」と「sage」の併用も可能です。

今回は(皆さんお気づきかも知れませんが)、スレタイから(実験)いう部分を抜きました。

最初は、vipで建てられていたスレをSS速報にて実験的に行うという目的のスレだったのですが、
既にここが本スレ(?)の様相を呈してきており、
かつ前スレのレスで要望の声があったため、(実験)の部分を取ってスレを建てさせていただきました。


或る意味では、作者たちの実験の場と言う意味で(実験)を残してもよかったかもしれませんが、
まあ今回のスレタイで(実験)を外すのも一つの実験ということで、皆さんの反応やレスを見たいと思います。

それではいつも通りに、お題を貰って書いちゃってください。

サーバーが復旧しましたね


2014年3月 品評会日程表

エントリー受付:~ 03/09 (日) 23:59
執筆期間:03/10 (月) 00:00 ~ 03/26 (水) 23:59
投稿期間:03/27 (木) 00:00 ~ 03/29 (土) 23:59
投票期間:03/30 (日) 00:00 ~ 04/01 (火) 23:59
集計、発表:04/02 (水)


とりあえず作ってみました。
投稿と投票は土日を絡めた方がいいかなと思い、いつもより全体的に期間が短めですが
不都合があれば適宜変更してください。


2014年3月 品評会

 お題:『取引』



 品評会日程

エントリー受付:~ 03/09 (日) 23:59
執筆期間:03/10 (月) 00:00 ~ 03/26 (水) 23:59
投稿期間:03/27 (木) 00:00 ~ 03/29 (土) 23:59
投票期間:03/30 (日) 00:00 ~ 04/01 (火) 23:59
集計、発表:04/02 (水)

 ※不都合があれば適宜変更





 只今エントリー受付中です...

 現在のエントリー登録者
・◆veZn3UgYaDcq 氏
・◆Gr.Ti1RX5s 氏

 ※実験的なものなので参加表明に関わらず参加は可

通常作投下します。
久しぶりです。あんまり長くないです。気軽に読んで、感想や批評をいただけたうれしいです。

「この針は誰のものだ」
 僕はそう言いながら、目の前に集まっているモンスターたちを見回した。僕が受け持つ二年四組のクラスは、一見すると
仲が良くて優等生が集まっているように見えるが、事実は全く違う。皆が皆、常に誰かを傷つけようと画策しており、腹の
中では化け物を飼っている生徒が多い。そんなの当たり前じゃないか、誰もが大きさに関係なく己の中に悪い感情やら悪意
やらを抱えているじゃないかと言う意見はもっともだが、しかし僕のクラスの生徒はそんな甘いものじゃない。彼らは隙あ
らば誰かを殺そうとしているのだ。誰かを殺してみたいと思っているのだ。実験的に、人間を殺してみたいと思っている、
無邪気な好奇心と言う名の大きな悪意を抱えた化け物たちが揃っているのだ。先月から不登校になっている山田と言う男子
生徒がいるのだが、彼はこのクラスの中でも地位が低く、多くの者にいじめられていた。悪意をぶつけられ、蔑まれ、スト
レス発散のはけ口として、彼はこのクラスの中に存在していた。彼へのいじめはだんだんエスカレートしていった。机の中
にカッターの刃がばら撒かれていたり、下駄箱に猫の屍骸が入っていたり、屋上から飛び降りさせられたりした後に、彼は
自分の身に巻き起こる不条理な環境に耐えられなくなって自殺した。享年十四歳。しかし、クラスメイト達は葬式で泣きは
したものの、誰一人として悲しんでいた奴はいない。次の日も平然と笑いながら学校に来て、山田の座っていた机を蹴飛ば
し、死んだ後も彼の尊厳を、生と死を、貶しめ続けていた。ひどく歪んでしまった中学生たち。それが僕の受け持つクラス
だった。そして次の標的は、どうやら僕になったようだった。教員歴五年の、まだまだ新人ともいえる僕を、彼らはずっと
嘲笑っていた。真面目に僕の授業など聴かず、僕の顔の醜さを嘲笑い、平気で暴力をふるい、僕が叱ったところで、彼らは
狂った親の後ろ盾を期待してPTAに訴えたり、僕が叱った部分だけを動画撮影して動画サイトにアップロードしたりして、僕
だけを悪者にしようとしている。僕は、どうすればいいのか分からなかった。中学生が、僕の目の前にいる大人とも子供と
もつかない思春期の人間たちが、こんな純粋な悪意を持って、歪んでいたなんて、僕は知らなかった。僕は毎日毎日、彼ら
に玩ばれながら、胃潰瘍になったり、不眠症になったりしながら、徐々に壊されていった。そんな折に、教室内にある僕の
机の椅子に、針が突き立てられて置かれていたのだ。もちろん僕は、そんな恐ろしいものが仕掛けられているとは想像もせ
ずに、安易に座ってしまい、そして尻に強く刺さった長さ七センチほどの針の鋭い痛みに、神経に電撃が走ったような鋭い
痛みに、声もなく蹲った。僕は彼らの仕掛けられた罠にひっかかってしまったのだと気が付いた。慌てて椅子を見てみれば、
椅子のクッション部分に何らかの方法で針が固定されていた。先端部分が天井に向かって真っ直ぐに伸びている。あんな恐
ろしいものが、僕の椅子に仕掛けられていたなんて。僕はもっと注意深く生きるべきなのだ。彼らはどんどん、僕に対する
密かな攻撃性を増している。僕の肉体を傷つけることを厭わなくなっている。そのうち、本当に僕は山田みたいに、精神を
病むか、彼らの罠にかかるかして、死んでしまうのではないだろうか。そう、山田を守れなかった僕が、己を守れるとは思
わない。すでに僕は、この生活に参り始めている。割と本気で辞職や求職を考え始めている。僕に味方はいない。この話を
したところで、誰も本気にはしない。いじめ問題など、学校からしたら面倒くさくて、発覚を信じたくないもののひとつな
のだ。上の人々は、いじめ問題などがあったとして、現場が何とかして耐えるか解決すればいいと本気で考えているのだ。
だから、僕にはもう、味方も助けもない。もちろん、僕がそう思いこんでいるだけで、何かしら解決策があったり、味方し
てくれるような人々がいるのかもしれないが、しかし、僕にはもう、それにたどり着く体力や、想像力なんかもわいて来ず、
ただひたすら痛みや攻撃を我慢しながら、何とか日々を消化していくことしか考えられなくなっている。それでも、僕は建前
として、あるいは最後の無力な抵抗として、死んでいないことを証明するために、こう言うのだ。
「この針は誰のものだ」
 しかし、それに答える者はいない。彼らは、ただ心の中で笑い続けているのだ。恐怖に怯え壊れていく僕の姿を笑い続けて
いるのだ。



 最近、先生の様子がおかしい。山田君が、家庭環境の原因で自殺した後から、先生はどんどん様子がおかしくなっていっ
てしまった。先生には元々、気弱な所があって、私たち生徒にも物事を強く言えずに、おどおどとしているところがあった
けれど、それでも優しく丁寧に教えてくれる先生だった。このクラスは元気な生徒が多くて、授業中も盛り上がったり騒い
だりして、先生の授業を中断してしまうことがあったけれど、先生は困ったような顔をしながら笑って、私たちを注意して
いた。しかし、最近はどうだろう。先生は、私たちを怖い目で見つめながら、ぶつぶつと不明瞭な言葉を呟き、クラス中を
睨みつける。その様子に私たちも、黙らざるを得ない。先生の目には隈が出来始めて、毎朝、お前らは人殺しだ、中学生は
歪み過ぎているという、先生自身が病んでいるような重い話を何分も語って、それから意味不明な事を話し続けるのだ。は
っきり言って、最近の先生は怖かった。一番怖かったのは、朝の小テストがあって、先生がプリントを配った後に己の席に
着いた時に、いきなり奇声を上げて飛び上がったことだ。私たち生徒は驚き、恐怖を感じ、皆が先生の様子を恐々と窺って
いた。先生は、ぶるぶると震えたかと思うと、急に叫びだし、怒り狂ったかのように、私たちを怒鳴った。
「この針は誰のものだ!」
 私たちは、先生が何を言っているのか分からなかった。皆が黙っていた。針とは何のことだろう。先生は、しかし怒鳴り
続ける。
「お前らが仕掛けたのは分かってるんだ。山田の時みたいに、俺を殺そうとしてるんだろ」
 先生はどうやら、私たちが山田君を自殺に追い込んだと思い込んでいるらしい。しかし、それは大きな勘違いだ。むしろ、
私たちと山田君は親友だった。山田君が死んだのは、父親の暴力が続き、夜ご飯すら食べさせてもらえずに、朝ごはんも食
べさせてもらえずに、母親にも蹴られ、人格を否定され続けたからだった。そんな彼を、最初は同情的に、私たちは仲間に
入れ、遊んでいたのだが、そのうち彼が学校に居る時にだけ、心からの笑顔をたまに見せるようになって、私たちは彼を心
から救いたいと思うようになった。しかし、中学生にできることはあまりなかった。もちろん、市や虐待相談所などに連絡
をしたこともあったのだが、それは逆効果だった。そういう人たちが家に訊ねて来ても、山田君の親は、その時だけ山田君
に優しく接し、後から、そんなものを呼んだことで山田君を罰し、一晩中裸で物置小屋に閉じ込めたりしたらしいのだ。私
たちは、ただ彼を苦しめただけだった。彼は言った。もういいよ、大人になるまで我慢してればいいんだ。それまで僕はな
んとか耐えながら生きるよ。だから、もう余計な事はしなくていいんだ。私たちは、その言葉を聞いて泣いた。無力な自分
たちに。不条理な世界に生きなければならない山田君に。救えもしない大人たちのひどさに。先生は、そんな山田君の境遇
に気づいているのか気づいていないのか、山田空に事情を訊ねたりしてはしていたのだが、結局何もしてくれなかった。それ
から山田君が自殺してしまい、先生は勝手に私たちに責任を押し付けて、自分は何もできなかったくせに勝手に狂った。私は
無力な大人を許せない。先生は、辞めればいいと思っていた。山田君の親も[ピーーー]ばいいと思っていた。



 十二月一日。たくさんの針をばら撒いて、生徒たちに怪我を負わせたとして、S県M市、I中学校の教諭、西宮洋(31)が
逮捕された。彼は「子供たちは歪んでいる。皆が人を殺そうとしていた。僕も針を使って殺されかけた。だから針がどんな
に恐ろしいものか教えたかった」と供述し、犯行を認めている。逮捕されるときに、教室中にばら撒かれた針を見て「この
針は誰のだ! この針は一体誰のなんだ!」と意味不明な叫びを繰り返し、生徒たちを怖がらせていたと、同僚の教師が語
っている。


 取調べと事情聴取を終えて、容疑者の西宮と、彼の生徒だった戸川奈津美の調書を見返しながら、誰が本当の事を言って
いるのだろうと、刑事である俺は考えた。もちろん、犯罪を犯した西宮が社会的にも一番悪いのだが、果たして彼は本当に
精神がおかしくなってあんなことをしてしまったのか、俺は懐疑的だった。戸川奈津美が言うことは全て本当なのか。西宮
の言ったことは全て戯言なのか。それが今一つ分からなかった。しかし、疑問に思ったところで、俺がそこまで詳しく調べ
ることはないだろう。俺たちはこんな小さな事件をいつまでも詳しく調べている時間など、全くと言っていいほどないのだ。
世間にはもっと凶悪な事件が溢れていて、それらの事件の解決を待っている人が大勢いる。俺はその人たちのために精力的
に動かなくてはならない。だから例え、戸川と言う生徒が嘘をついていたとしても、西宮が狂ってしまっただけだったとし
ても、俺はその後の彼らを救う力など持っていない。本当の意味で俺は人を救うことはできない。ただ、罪を罰するために、
犯罪行為を咎めるために、俺と言う人間はいるのだ。
 しかしながら、果たしていつからこんなに意味が分からない犯罪が増えてしまったのだろうと、俺は考える。俺が刑事に
なった十五年前は、もっとわかりやすかった。狂っている奴は突出して狂っていたし。想像力のない奴は、単純な犯罪で分
かりやすい動機で罪を犯していた。だが、現在は誰が狂っているのか、誰がおかしくなっているのか、犯人だけが悪いのか、
犯人を壊そうとしている存在、犯人を白日の下にさらして楽しんでいるような奴らがいるんじゃないかと、思い悩んでしま
う。今の犯罪と、犯罪が明らかになるまでの経緯が、俺には上手く掴めない。皆が犯罪者を見て楽しんでいるように感じて
しまう。もっと言ってしまえば、犯人を追い詰めるだけの環境があり、犯人の周りにいる悪い奴は、ただそいつを狂わせよ
うとしており、そいつらは罪に問われずに、社会にのうのうと生きているのだ。俺は正直に言って今の社会が怖い。決して、
悪いのは犯罪者だけではない。犯罪者を作ってしまう、歪んだ人々、無関心な人々も怖い。俺は、俺のやっていることが、
ただの清掃業者のように思えて仕方がない。罪を犯した奴を、片づけて、その場だけ綺麗に見せる。そんな、社会的都合の
良い清掃業者……。だが、そんな穿った考えを持ちすぎないようにと、俺は己に言い聞かせていた。考えすぎれば、自分も
歪んでしまう。社会や他人に意味を求めれば、自分自身も壊れてしまう。俺は、この歪んだ社会で、ただ己の役割を全うす
るためだけに生きているのだ。歪んだ人間を、牢屋に入れるためだけに。
俺は、ただ罪を犯した人間を罰するしかできない、無力な人間だ。
西宮が言った言葉が耳に残る。
「この針は誰のだ」
 社会の暗部に、一目では見えないような場所に仕掛けられた鋭い針に、いつの間にか傷つけられている人々が、少なからず生まれている。死角から刺され、決して他の人からは見えないような小さな針。誰の物でも無いその鋭い針は、いつか俺の椅子にも仕掛けられるのかもしれない。見えない様に。誰が仕掛けたか分からない様に。そして俺は叫ぶのだろう。この針は誰のものだ、と。
醜い姿を衆目に晒しながら。



久しぶり過ぎて『saga』入れ忘れました。ええ、ごめんなさい。これから書く人たちは、悪い見本だと思って見てやってください。
初めて来た人のために一応説明しておきますと、メール欄に『saga』と入れないと、2レス目みたいにフィルターが掛かって
変な表示が出ちゃいます。[ピーーー]みたいな。

ちなみに2レス目の最後は『死ねばいいと思った』と書かれています。

以上。(眠たい頭で書いたのでミスたくさんあると思いますが、いつものことです、すみません)

通常作投下します。
お題は『記念日』で2レスです。

 僕に初めての彼女が出来たのは高校一年の終わりだった。
 入学式で隣になったのを皮切りに、クラスでの委員や体育祭や文化祭、その他の行事などなど、何かと一緒に
なることが多く、冬が終わる頃にはしっかりと彼女の事を意識するようになっていた。
 けれども告白するだけの勇気を持ち合わせていなかった僕は、クリスマスや正月を彼女がいったいどう過ごし
たかに悶々としながら三学期を迎えた。そしてやはりというかなんというか、行事ごとで彼女と行動を共にする
ことが多く、『これはもう運命だな』などと確信していた。
 しかし僕の思いを言葉にするだけの勇気はやっぱり持っていないので、何事もなく終業式を終えて一年が終了
した。と思ったその時、突然に彼女から声をかけられ、思いを告げられた。まさに青天の霹靂というか、『やは
り運命だったか』と感じずにはいられなかった。
 二年生になっても彼女とは同じクラスで、学校でもそれ以外でも彼女と一緒にいる時間が多くなった。そうす
る内に気づいたことがひとつあった。彼女は記念日を大事にするのだ。僕と付き合い始めた記念日とか、初めて
デートした記念日とか。それくらいなら世の初々しいカップルの多くが気に留めているものだろう。けれど彼女
の記念日はもっと多かった。機会があって見せてもらった手帳には、びっしりと記念日が書かれていたのだ。一
年の始まりは去年の入学式の日。僕と出会った記念日だそうだ。その後も、図書委員になったとか、初めて電話
で話したとか、隣の席になったとか、僕との記念日がびっしりと。正直、かなり引いた。
「サラダ記念日って知ってる?」
「去年、授業で習ったよね。俵万智だっけ?」
「そう」
「それがどうしたの?」
 彼女はきょとんとしている。
「あれって「『この味がいいね』と君が言ったから七月六日はサラダ記念日」って詩なんだけど」
「うん。さすがにその記念日はちょっと無理があると思うけどね」
 そうでもないと思うけど、という言葉は胸の奥にそっとしまっておいた。
「……確かにね。まあ、それはとりあえずおいといて。あれって、恋はどんな些細なことでも記念日にしてしま
うって意味なんだよね、確か」
「ふーん」
 あー、自覚はないのか。
「でもね、僕はこう思うんだ。恋って確かに毎日を記念日に変えてしまうけど、毎日が記念日になったら、それ
はもう特別じゃないんじゃないかって」
「……」

「普通の日があって、だからこそ記念日が特別になると思うんだ。だからさ、あんまり記念日にこだわらなくて
も良いんじゃないかな?」
「……私、なんだか舞い上がってたのかな。初めて好きな人が出来たから、あなたに関わるすべてがなんだか特
別に見えて……。でも、それは別に特別じゃないんだよね。恋って普通のことを特別に変えるけど、でもその特
別を普通に出来るのが恋人同士なんだね」
「……あ、そうだね。うん。特別なことが普通なんだよ。普通の毎日が特別で、でもその特別は普通のことなん
だよ」
 彼女の言葉に、僕はまさに目からうろこが落ちた思いだった。
「恋人同士って、すごい事だね」
 彼女が微笑む。
「うん。すごいね」
 僕も微笑み返す。
「今日は恋人同士を改めて理解した日として、大事にしなくちゃね」
「……うん、そうだね」
 屈託のない彼女の笑顔に、僕はそう返すのがやっとだった。
                            
おわり

なんだかもうひどい。
すみませんでした。
でも何年振りだかに物を書いた。
ちょっと楽しかった。

お題をください。

ファーストキス

私にもお題をお恵み下さいな、なんか書いてみたい
それとも感想書いてからでなければ、それはお恵みいただけないのかしら

>>140
ありがとう

>>141
絶叫

えーと、今回品評会を行うに辺り他サイトで宣伝をすることを提案した者です
その節はいろんな意見、ありがとうございました
一応、今までスレ覗いてたけど、レス付く様子もなくなってしまったし、通常作も2作投下されて感想もつきました
なので、ここらでやるかやらないかを決めたいと思います
どうやって決めるか悩んだんだけど、今回は率直にアンケートで決めようと思います
つきましては、協力出来る方はお願いしたい


ttp://enq-maker.com/e7mHPTW


ここで、答えられるようになってます
締め切りは21日の夜で、その時点で集計します
見てもらえれば分かると思うけど、一応内容をこちらにも書いておきます

Q.貴方は今回の品評会に参加しますか? また、品評会を外部サイトで宣伝することに賛成ですか?

A1.品評会には参加するつもりだし、宣伝にも賛成だ
A2.品評会には参加するつもりだが、宣伝には反対だ
A3.品評会に参加するつもりはないが、宣伝には賛成だ
A4.品評会に参加するつもりはないし、宣伝にも反対だ

同一IPからの回答は弾く仕様にしてあるので、回答出来るのは一人1回まで
同じIPの人が複数いる可能性もあるけど、今回はあえて考えない方向でいきます
結果をどう判断するかなんだけど、ここは自分が仕切る都合上、勝手に決めさせてもらいます

投票者の80%以上が賛成、且つ参加するつもりがある人間が5人以上いた場合に、自分が他サイトに宣伝に向かいます
残念ながら、それ以外の場合は今回は見送ろうと思っています
何故8割かっていうと、単に投票者が5人以上いる気がしなかったからww 10人以上答えてくれる人がいるなら9割にしたんだけどね
参加予定者5名以上っていうのは、最低限そのくらい参加者がいないと、そもそも品評会の体を成さないと思うからです
他の方も言っていたけど、誰も参加しない状態で宣伝だけしたって、何の意味も無いしね
すでに自分の票はA1に投票しました
出来る限り、多くの方の投票を待ってます

何か質問等ありましたら、遠慮なくどうぞ
長文失礼しました

それぞれいろいろな考え方はあると思うんだけど、勝手に自己責任で宣伝すればいいのにって思っちゃう。
宣伝するまでに臆病になりすぎじゃない? 多数決で票を得られなきゃ宣伝しないってのは、ある意味で無責任だと思うよ。
宣伝するから人が集まるって考えもあるんだし、そこまでごちゃごちゃ考えんとやってみればいいのに。
誰も反対してる人いないんだから。

隣の家の主人が行方不明になった。
荷物が動いた形跡もなく、あたかも寝ている状態で忽然と消えてしまっていたような状態で警察もとうとうさじを投げているほどだった。
うわさによると、小さい子供がその家の庭に入っていて、誰かがその子を怒鳴っていたらしい。
主人は一人暮らしだったので、おそらく彼がやったのだろう。
しかし彼は子供好きで有名な人だった。
彼以外にもこの町の多くの人が次々といなくなり、毎日マスコミが町中に押し寄せてきた。

そんなある日のことだった。
目が覚めると、私は知らない場所にいた。
とりあえず知っている道を探そうとすると、回りの建物が嫌に大きくなったように思える。
ふとカーブミラーを見て思わず自分の目を疑った。
そこには小さな子供が映っていたのだった。

それでもひたすら、半ば走るように進んでいくと、ようやく見知った場所に出た。
ビルの間をくぐっていくと、毎日慣れ親しんだ庭に出た。
嬉しくて嬉しくて涙が出そうになるのをこらえながら立っていると、耳をつんざく様な怒鳴り声が響いた。

すみません2で足りました


そこでなにをしている!
さっさと出て行け!
私も負けじと怒鳴り返す。
ここは私の家だ!
おまえこそでていけ!
声ははなはだ小さく、怒鳴り声より大きく劣っていたが。
なんどもなんどもしつこいほどに。


目が覚めると、私の部屋のベッドの上にいた。
台所では妻が朝食を作っていてくれたので、
手早く顔を洗ってダイニングに行った。

>>147
一応投票はしたが、俺も決を採るとかせずに宣伝してもいいと思うぞ

>>152
まず、「あたかも寝ている状態で忽然と消えてしまっていたような状態で」の”状態で”かぶりとかはさすがに気になるかな
冒頭の6行はちょっと混乱させられるというか、もうちょっと分かりやすく推敲できるように思える
「それでもひたすら、半ば走るように進んでいくと、ようやく見知った場所に出た。
ビルの間をくぐっていくと、毎日慣れ親しんだ庭に出た。」らへんも(わざとかもしれないが)時系列がおかしいというか、
走るように進んでいき→ビルの間をくぐっていくと→見知った→慣れ親しんだ庭に出た
という意味にとればいいのかな?
仮にこの「夢」を部分だけあやふやな記述にするというなら、余計前後の文章はきっちりさせないといけない気がする

>>148>>153
決を採ることにした理由は二つあります
まず、自己責任で好きにやればいいということなんですが、そもそも匿名掲示板である以上、責任の取りようがないということ
勝手にやって批判があった時に、こちらはその批判に対して何も出来ないわけです
だから、前もって伝えておくことで、一応の義務を果たすべきだと思ったからというのが一つ

もう一つは、こちらの理由がメインなんだけども、こっちに投下された小説を他サイトに転載する可能性があるということ
こちらは宣伝云々じゃなく、嫌がる人は当然いるだろうと思ったんですよね
だからこういうのを企画した時点で、前もってやるかやらないかは聞いておくのは絶対必要だと思いました

あと、そもそも俺は上でも書いた通り、宣伝して新規を呼ぶことのみがメインの目的じゃなかったんです
何かしらイベントをやることで、今いる住人のモチベが上がったらいいなっていう気持ちもすごくありました
もちろん新しい人がこれを機に増えたらめちゃくちゃ嬉しいですけどね
だからこそ、スレ住人の意見を大事にしたいなって思ったんです

>多数決で票を得られなきゃ宣伝しないってのは無責任
えーと、これは「せっかく企画したのに、結局やらねーのかよ。ぬか喜びさせやがって」っていうことだろうか
だとしたら申し訳ないとしか言えない
でも、仮に反対する潜在意見があったとして、強行して後から批判を受けることの方がリスクとしては絶対的に上だったと思うんです
仮にやらないことになったら、言うだけ言って結局やらないのかと失望させてしまうかもしれないけど、そこは理解してほしい
あと、やっぱり俺自身の打算もあります
せっかく企画して、品評会参加者全然おらず、宣伝にも何もなりませんでしたっていうんじゃ心が折れちゃうよww
だから、確証とまではいかなくても、ある程度の安心は欲しかったんです
じゃないと、行動にも移れないんです、チキンなもので(´・ω・`)

>>151
えーと、よく分からなかった……かな
どこからどこまでが『私』の夢の話なのだろうか
隣の家の主人と怒鳴り合いをしていた子供っていうのは、子供になってしまった主人本人だったのか、
それとも子供になった『私』がその主人と怒鳴り合いをしたのか
つじつまを考えると多分前者だと思うんだけれども
夢オチを使う場合「ああ、何だ夢だったのか。よかったよかった」と思わせるか「え、どこまでが夢でどこからが現実なの? こえー」と思わせるか
「夢かよww しょーもなww」と思わせるか
いずれにしろ、夢オチであると分かった時点で、読者に何か感想を抱かせる落とし方をしてほしいかなって思う
最初にも書いたけど、よく分かんない話でした
ただ、奇妙に歪んだ空気は好きです

帰宅して結果見ようと思ったらメンテ中で見れない(´・ω・`)
集計、ちょっと待ってね

アンケートの結果、やることになりました。
協力してくださった方ありがとうございます。
てか、9票も集まるなんて思ってなかった。
結構人いたんですね、びっくりしました。
強制は出来ませんが、参加するに票を入れてくれた方、出来れば参加してください(´・ω・`)
さて、ちょっと大急ぎ出張先のサイトを調べてこようと思います。

こちらの掲示板のURLの掲載許可が下りました。
なので、イベントは問題なく行えそうです。
ここで、皆様に相談なのですが、投票期間を少し伸ばすことになっても構わないでしょうか?
流石に、イベントを行って、投票期間が2日というのは厳しいと思うので
個人的には、日程を

執筆期間:03/10 (月) 00:00 ~ 03/26 (水) 23:59
投稿期間:03/27 (木) 00:00 ~ 03/31 (土) 23:59
投票期間:04/01 (日) 00:00 ~ 04/05 (火) 23:59
集計発表4/6

このくらいにしていただけるとありがたいです。
もし都合が悪い方が多いようなら、>>78のままイベントページを作ってこようと思います
もし無理なようなら、

コピペミス
最後の行は気にしないでください(´・ω・`)

通常作投下します。
お題は大魔王です。
3レスいただきます。

 四月から社会人になる為、一人暮らしを始めるにあたって荷物の整理を行っていた私は、押入れの奥から小学
校の思い出の数々を見つけ出した。
 その内のひとつ、小学一年生の時の文集を手に取る。そこには将来の夢や学校が楽しい事や、お父さんやお母
さんの事が書かれていた。懐かしく目を細めながら、私は何を書いていただろうかとページをめくっていると、
ひとりの男の子の作文が目に留まった。

しょうらいのゆめ
                           いちねんさんくみ      ながみねたろう

 ぼくのゆめはだいまおうになることです。
 だいまおうはとてもつよくて、あいてをにがしません。
 ぶかもたくさんいるし、とってもえらいのです。
 だからぼくはだいまおうになりたいのです。
 そしてゆうしゃをぎゃくにやっつけるのです。
 だってゆうしゃはひとのいえにかってにはいったり、たんすからおかねをとったりしているのです。
 だからぼくはゆうしゃをやっつけるために、だいまおうになるのです。
 ぜったいなるぞ!!

 そう言えばこんな子いたなーと、うっすらと思い出した。悪の親玉を目指すこの子は当時、からかわれたりし
ていたはずだ。まあ、それもやむなしだろう。小学一年生でこの発言はちょっと特殊すぎる。けれどかと言って、
ひどく苛められていたという事もなかったはずだ。私たちの時代はとても平和で、みんな仲良くしていたものだ。
けれどこの子一緒だったのは中学までで、高校は私が女子高に行ったのでそれ以降は会っていないし、消息も知
らない。もっとも、男子の多くはそうなのだけれど。……ながみね君も、大きくなってこんな事を書いたのを恥ず
かしがっているのだろうか、そんな事を考えて文集を眺めていると、スマートフォンが小さな電子音を鳴らした。
 確認すると、幼馴染の裕子から『なにしてるの?』というLINEのメッセージが届いていた。
 私が『一人暮らしに向けて荷物の整理中』と返すと、すぐに『「いるもの」「いらないもの」だね』と返事が来
た。最近裕子は、昔のバラエティ番組を良く見ているらしい。これもその中に出てくるらしい。
『懐かしいの見つけた。小学一年の文集』
『うわー懐かしい! あたしどんなこと書いてたっけ?』
 聞かれたので、私は裕子の作文を探して返事をする。

『裕子は「お嫁さん」になりたいって書いてる。ちゃんと叶ってるじゃん』
 彼女は、二十歳のときに子供が出来て早々に結婚してしまっていた。旦那とは今も仲良くやっている。
『さすがあたし。葉子の方は? なんて書いてた?』
 尋ねられて、私は返事をせずにごまかした。
『私の事はいいじゃない。それよりさ、ながみね君って覚えてる?』
『あー、永峰ね、覚えてるよ。どうかした?』
『彼ね、将来は大魔王になりたいって書いてあったの。なれたのかなーと思って』
『確か二年前は魔将軍になったって言ってたよ』
 ……………………。
 はい?
『魔将軍ってなに!?』
『なにって、魔の将軍でしょ? なかなか大変だったみたいだよ。あれ? 葉子は成人式行ってなかったっけ?』
 どうやら成人式の時にながみね君の現況を知ったらしい。そう。私は翌日が第二外国語の試験だったため、泣
く泣く成人式を見送ったのだ。こんなことなら行っておけば良かった。
『魔将軍って、魔物になっちゃったの?』
『ううん。普通だったよ。スーツがあんまり似合ってなかった』
『そうなんだ』
『高校入ってしばらくして魔王軍にスカウトされたらしいよ。で、しばらくは兵士だったけど、なんか大きな戦
争があって上の方がバタバタと死んだらしくて、永峰君にもチャンスが回ってきたって言ってた』
『……そうなんだ』
『十代で魔将軍ってそれまでにも数人しかいないらしくて、将来を嘱望されてるんだって。女の子たちも何人か
はチェック入れてたみたいだよ』
 ……わけがわからない。
 私が大学に通ってる間に世界は魔物に支配されたのだろうか? 魔王軍での出世が好条件ってどういうことだ。
というか魔王軍って何だ。いや、魔王って誰だ。
『今はまだ魔将軍だけど、必ず魔王になって、いつか絶対大魔王になるって言ってたよ』
 ……なれるんだ、大魔王。
『どこまでがホントの話なの?』
『なにが?』
『魔王とかって話』

『全部ホントだよ?』
『……魔王ってどこにいるの?』
『さあ? やっぱり知られてると倒しに来る人とか出てくるから、どこにいるとかは秘密なんじゃない?』
 ……魔将軍は秘密じゃなくていいのだろうか。
『……ありがと。荷物整理の続きを再開するわ』
 私はそうメッセージを送って、スマートフォンをスリープ状態にした。
 メッセージの着信を知らせる電子音が鳴ったけど、きっと友子なので無視した。
 そうか、大魔王ってなれるんだ。
 ……だったら、私の夢も叶うのかな?
 やっぱりもう遅いのかな。さすがに遅すぎるよね。
 でも、今、この年で一度思ってしまったら、それはもう捨てることは出来ないよね?
 だから、私も目指してみようかな……!

しょうらいのゆめ
                           いちねんさんくみ      ふくながようこ

 わたしのゆめはまほうしょうじょになることです

                        ―完―

以上でした。
おやすみなさい。

品評会作品が書きあがらNEEEEEEEEEEEEEE

>>211
なんとも荒唐無稽な話で、面白かった
現実の中で、誰が言っていることが常識なのか、非常識なのかすら分からない
そして、正気を保っていると思われる主人公すら、その非常識を正しいと受け入れてしまう
まさにカオス
わけが分からないよ!
ただ、オチがちょっと残念かな
なんか、非常識の中では常識的というか、あまりにも普通過ぎる夢で肩すかしを食らってしまった

>>211
小1の女の子が「魔法少女」って言うかな?「魔法使い」じゃないかな?と思ったというのはまあいいとして。
良いと思った。>>214が言うようにオチが弱いかもしれないけど、逆に見れば綺麗にまとまっているとも取れると思う。
こういう不可思議な設定を消化せずに謎のまま残すっていうのは、短編小説だからこそという感じがして好きだ。

品評会作品(4レス)投下します。

 だいぶ昔の話になるが、初めて学校で「株」について習ったとき、俺はずいぶん混乱したことを覚えてい
る。決して内容が難しかったからではない。むしろその逆―俺にとっては当たり前すぎる内容だったから
だ。会社の価値が株価という形で上下するなどということは、人間の価値の決まり方と全く同じじゃない
か。そう思ったが、世間一般ではそうは思われていないようだ。
 人の「株価」が見えるのは、どうやら俺だけらしい。

 俺、北岡直樹が人の「株価」が分かるのは子供の時からずっとだった。誰かを見ていたり、その人のことを
考えていたりすると、なんとなく数字が浮かんでくる。それがその人の「株価」である。誉められるようなこ
とをすれば株価は上がり、まさに「株が上がった」ことが分かるのだ。そのことには幼少期から気づいていた
ような記憶がある。また、株を「買う」ことで他人を評価したり持ち上げたりできるし、もちろん買った株を
「売る」こともできると、ある時から分かってきた。もちろん自分の今の株価だって分かる。この能力で、俺
は今まで人間関係を上手く保つことに使ってきた。誰だ誰をどう思っているか、というような具体的なことま
では分からなくとも、相手の価値や自分への周りの評価がストレートに分かれば上手く立ち回れる。もっと
も、人を数字で判断する癖のついた俺には、愛だの友情だのいうような感情はやや希薄だったかもしれない。
とはいえ、気のおけない友達もいるし、子供こそまだいないが結婚もしている。妻への愛情が株価とは関係な
いとも確信している。

「最近、帰り遅いよね」
 妻の佳織が口を開く。棘の無い言い方から、別に怒っているというわけではないようだ。
「ちょっと、仕事でさ。企画のコンペが近くて」
「ふうん」
 共働きだが、佳織は普通のOLではなく図書館の司書だ。いまいちこういった会社の話は伝わりづらいこと
がある。それに、お互い普段からさほど仕事の話はしない。あえて干渉しないほうが良いというのが俺たちの
共通認識だった。
「直樹、いつごろまで忙しいの」
「来月の頭までくらいかな。それさえ終われば結構余裕あると思うけど」
「そっか」

 俺が忙しかったのは、単純に企画会議の準備のためだけではなかった。今回のコンペティションの相手は、
1年後輩の藤林という男である。初めて会った時からいけ好かない奴という印象であったが、佳織とは藤林を
介して知り合ったこともあり何となく付き合いは続けていた。だが、藤林の狡猾さ、女性への態度、そして俺
を含む周りの人間への陰口―そういった要素全てが鼻についた。そして、先日藤林が不正に関わっているとい
う噂を聞き、彼への不信感が決定的になるとともに、邪な考えが首をもたげてきた。
 人の株価をどの程度操作できるのか?
 ずっと気になりつつも、実践するのは倫理的に許されないように思えていたことだ。どうせ不正が明るみに
出れば、藤林の株は下がる。ならば多少は俺が人為的に介入しても問題はなかろう。俺が考えているのは、サ
ブプライム問題の時に投資家達が行ったように、藤林の「株」を俺が大量に空売りすることで、株価を急落さ
せられるのではないか?ということだ。あるいは空売り後、不正が明るみになれば差益を受けられるかもしれ
ない。もっとも、この利益とやらが何なのか、俺には分からないのだが。
 計画はコンペ前日。奴を売り、最後に不正を告発する。そのための準備を怠るわけにはいかない。

 コンペティションの前日、俺は温めてきた計画を実行に移した。とはいえ、具体的に行動する必要はまだ
ない。藤林を思い浮かべると、彼の株価が漠然と浮かび上がってくる。そして、藤林を「売る」イメージを持
つ。それだけで売買取引は完了だ。大量に藤林が「売られて」いくさまは、俺にある種の優越感を感じさせた。
しかし、ある時から異変に気付いた。藤林の株価がほとんど変化していない。まるで誰かが大量に藤林を「買
って」いるような感覚が得られた。あの野郎、どこでそんなに評価されているんだ?そう思いながらふと自分
のことを考えると、愕然とさせられた。
 俺の株価が急落している。
 これといって、近頃問題を起こすなんてことは特になかったはずだ。しかし、これほど急激に株価が下がる
なんて、中学時代に優等生のクラスメイトが放火未遂を行ったときくらいしか見たことがない。俺が高校受験
で第1志望に落ちた時も、部活の大会でミスをしたときも、これほど株価が下がったことはなかった。今まで
に感じたことがないような焦りの中、最後の切り札―藤林の不正の証拠となる書類を取り出した。
 それを見て、俺はさらに愕然とした。確かに藤林の名前が書かれていたはずのその書類に、何故か俺の名前が
印刷されている。しかし、鍵付きの引き出しに閉まってあった書類をすり替えるなんてできるのだろうか?しか
も取引先の捺印までそっくりな書類を用意するなんて……。俺の混乱した頭は、この書類のために自分の株価が
暴落したのだとは考えることができなかった。むしろ、株価が下がったせいで、俺の置かれた状況が悪化したか
のように思ってしまった。

 コンペにはあっさり負けた。こんな精神状態でまともなプレゼンができるわけもないし、上司たちも俺を見
ただけで顔をしかめているような感覚があった。被害妄想かもしれないが、株価の低い人間がこういう扱いを
受けるのは、俺から見れば世の常だ。自分のデスクでうなだれながら、あの名前の入れ替わった書類について
ぼんやりと考えていた。
「トレーディングは難しいでしょう」
 後ろから藤林の声がした。
「トレーディング?」
「ええ。北岡さん、株の取引、やってますよね?」
「株?……いいや?」
「とぼけなくていいですよ。北岡さんの株もずいぶん下がってしまいましたね」
 そう言われて、ようやく藤林が何のことを言っているのかが理解できた。こいつは「人の」株取引の話をし
ているのだ。しかし、俺以外が、どうしてそのことを知っている?隣りを同僚が何食わぬ顔で通り過ぎていった。
確かにこの会話を聞いただけでは、藤林が皮肉を言っただけに聞こえるもんな、と頭の片隅で考えていた。
「そりゃあ、お前にコンペで負けたわけだ。周りの評価だって少しは下がるさ」
「少し、ならそうかもしれませんけれど」
 藤林の声が僅かに鋭くなったように感じた。こいつは確かに俺の「株価」が暴落したことを知っている。い
や、もしかすると、それ以上に―
「まさか、お前……?」
「僕一人でそんなことができると思いますか?B・N・Fみたいな個人投資家が『この市場』にも存在するとい
 うなら別ですけど、人に人を売り買いするのは限界があります。元々北岡さんを『買っていた』のなら別で
 すがね」
「どういうことだ?協力者でもいるというのか?」
「そう推論するのが自然でしょう」
「誰だ」
「誰だと思います?」
「さあ……」
「……このままいくと上場廃止は免れないでしょうね」

 まるで独り言のように藤林がつぶやいた。上場廃止。通常の株式市場ならその意味は分かるが、俺という人
間が「上場廃止」されるとはどういう意味なのか、見当もつかない。いや、見当をつけることが恐ろしすぎる、
といったほうが正確だろうか。脳が考えることを拒否していた。全身の震えが止まらない。
 藤林の口角が僅かに上がったのが見えた。きっと邪悪な表情をしているのだろう―その予想は確認しなかっ
た。目を見ることさえ怖かった。
「不正の件、大変ですね。株価が下がって、北岡さんも辛いことが増えるでしょう」
 何気ない一言が、俺に確信を与えた。周りの評価が下がったから株価が下がったのではない。株が下がった
 ことで俺を取り巻く世界が変わったのだ。
「どうします?私に助けを乞うこともできますが」
「助け?」
「交換条件を持ちかける、と言い換えてもいいでしょうか。あるいは、人を陥れようとしたその悪意の償い、
 と呼んでも構いません。そうですね、まずは協力者が誰なのか、ということですが、もう察しは付いている
 んじゃないですか」
「……まさかとは思うが、佳織、か」
「当たりです。まあ、一番北岡さんの株を持っている人物ですから、大量に売ることも可能なわけです」
 ということは、佳織は俺を裏切り、藤林と結託して破滅に追い込もうとしたということだ。俺が空売りした
藤林の株を、佳織は俺を売った資金によって買い支える。まるで経済小説のようなシナリオだ。それが何を意
味するのか?藤林は俺にどんな取引をさせようとしているのか?無論、それは単なる株式市場に介した取引よ
りも何か血生臭いものであるだろう。俺はきつく目を閉じた。
「それでですね、北岡さん、あなたの株を釣り上げて差し上げる条件として―」

以上です。

以上です

>>235
転載乙です
てきすとぽいの方でも既に↑を含め2作品が投稿されてますし、この宣伝は今のところいい形で進んでる気がします
投票なんかも盛り上がるといいなあ、と個人的には思ったり

品評会作品投下します


尺とか考えずに、好き勝手に書いた。
後悔はしていない。
いや嘘。してるかも

多分13レス

 毎年この時期になると、街のすぐ横を流れる大河から、濃い霧があふれ出す。 
綿を伸ばしたように、うすく広がって街の上を覆いながら、しかし綿ではない証拠に絶えず動き続けている。
 丘の上からは、いくつも小さな隙間が見えた。
 そこから目に入るのは、所狭しと並べられた赤レンガの三角屋根だ。しかし、霧の中へと一歩踏み込んで
しまえば、対照的に白を基調とした、しっくい塗りの街並みが広がる。
 整備された石畳の道の中央には、間を空けて椿の植え込みが並んでいる。夜には、その縁に腰掛けて愛を
語る若者たちの姿を見ることが出来るだろう。
 だが、今は朝だ。
 パン工房の薪の音を除けば、通りは静けさに満ちていた。
 と、不意に工房の二階にある出窓が音を立てて開かれる。
 顔を出したのは年の頃十をいくつか越した辺りの少女だった。
 少女は小さな体をめいっぱい乗り出し、辺りを見渡した。そして、通りの南からゆっくり近づいてくる小
さな影を見つけると、その顔がまるで宝物でも掘り当てたかのように華やいだ。
 急いで首を引っ込めると、家の中から何やら巻き上げられた大きな布の束を手に取る。
 そして、小さな影が曲がり角から数えてちょうど三つ目の植え込みを超えたところで、手に持った布を重
さに任せて広げた。
――ルカおはよう!
 彼女の日課だ。
 小さな影の正体は、ブカブカの古めかしいコートを羽織り、分厚いスケッチブックを抱えた少年だった。
 彼は自分の名前の書かれた垂れ幕に、両手を大きく振って応える。
「おはよう、ルカ」
 垂れ幕を懸命に振る娘の姿に苦笑しながら、パン工房の主人が店先から顔を出した。
 ルカはその挨拶に少し遅れて気づいてから、手に持ったスケッチブックをめくる。
――おはようございます。アリーナおばさん
「持っていきな」
 そう言って差し出される湯気の立った丸い紙の塊。ルカはそれを遠慮がちに受け取ると、スケッチブック
の真新しいページに、耳の間に挟んでいたパステルを走らせる。
――いつもありがとうございます
「いいってことさ」
 ルカは深々と頭を下げると、もう一度出窓に向かって手を振ってから歩き始めた。

 耳が聞こえない代わりに、ルカには不思議な力がある。
五つの時に親を事故で亡くし、孤児となったルカを引き取ったのは、時計職人のアレサンドという男だった。
彼は街でも有数の腕利きだったが、仕事にはとても厳しく、おまけに偏屈だ。弟子を一度ほめる間に百度そ
の頬を叩くと言われた男だった。
そうして弟子が皆出て行ってしまったので、代わりに幼子に自分の技術を教え込もうとしたのである。
当然、周囲の大人達は心配したが、それをよそに二人の生活は大変うまくいった。
ルカの力のおかげで、だ。
アレサンドが十度頬を叩くまでにルカは初めての時計を組み上げた。その懐中時計はとても出来が良く、六
年経った今でも数秒と狂いを見せていない。
「ルカ。俺はたまに、歯車の奏でる音が、実はお前には聞こえているんじゃないかと思うことがあるよ」
 アレサンドは、ルカが五つ目の時計を組み上げた時に、そう微笑んで頭を撫でた。
 けれど、この時本当にルカには聞こえていたのだ。いや、見えていた。
 耳の聞こえない優しい少年に授けられた力。
 彼は、音を見ることが出来た。
 
 元気な声、落ち込んだ声、川のせせらぎに、そよ風が若葉を叩く音、あらゆる音色がルカの周りを包んでいた。
 例えば、年老いて長く歩くことが億劫になったアレサンドに代わり、街の中央に建つ大聖堂……その時計塔
の整備はルカの日課だ。
 彼は毎朝、時計塔まで行くと歯車を一つ一つ丁寧に調べ、油を差している。この時、調子の悪い歯車は気味
の悪い色で染まるので、ルカにはすぐに見つけることが出来たのだ。
 ルカはそうやって、この街の時間を守ってきた。
 整備を終えると、時計塔を誇らしげに見上げてから、ブドウ畑を越えて街を見渡せる丘へと登る。
 そして、アリーナおばさんから受け取った焼き立てのパンを齧るのである。
 心地よいそよ風に身を任せながら、丘へと寝そべるこの時間を、ルカは何よりも愛していた。
――今日もここはとてもきれいな色でいっぱいだ
 この日も、ルカは仕事を終えて丘のへ来ていた。
 目を瞑り、陽光を肌で感じる。朝はまだ肌寒いが、日が天頂に近づくにつれ霧も晴れる。
 ルカはコートを脱ぎ捨ててその上に横たわり、思い切り伸びをした。
 そして目を開いた瞬間、ルカの目に見覚えのないものが飛び込んできたのである。
「……?」

 それは真っ黒な塊だった。
 ルカから少し離れたところで、街を見下ろすようにぽつんと一つ、そこにあった。
 まず、ルカはそれが大きな石だろうか、と考えた。
 その正体が実は人間だと、それも自分と年頃の同じ子供だと彼が気づいたのは、その塊がちょうど膝を抱
えた自分と同じ位の大きさで、しかも小刻みに震えていたからだ。
 それは、立てた膝に顔をうずめ、声を出さないように嗚咽していた。
何故この子はこんな色をしているのだろう?
 ルカは不思議に思った。だから、そっとスケッチブックを取り出すと、パステルを握る。
 真っ白な画用紙に緑の曲線を描き、その向こうに見える赤い屋根と、太陽が跳ね返る水面の様子を描き出
す。
 一生懸命に指を滑らせていると、彼に気づいたのか黒い影は顔を上げる。
 ルカはその様子をちらりと横目で確認した後、悪戯っぽい笑みを浮かべて、さらに書く速度を上げる。
 絵は瞬く間に完成した。
 ばりばりと、乾いた音を立ててスケッチブックからその絵は切り離される。
 ルカはそれを黒い塊にそっと差し出した。
――あげる
優しい微笑みに親しみを込めて。黒い塊は、よく見ると少女のようだった。
 彼女は怯えるリスのように一旦後ずさった後、恐る恐る近づいてきた。
 そして、その絵を受け取ると、じっと見つめる。
「きれいな絵……」
言葉の内容まではルカには分からない。けれど、彼女の声もまた、ルカには真っ黒に染まって見えた。
――あなたの名前は?
 スケッチブックの四枚目、挨拶の次のページをめくって見せる。
 それを読むと、ためらいがちに彼女の口から黒が漏れ出すのをルカは見た。そして次の瞬間、少女は背を

向けてあっという間に走り去っていった。 
 
 結局その後二回ほど、こちらの姿を見ただけで逃げられてしまったので、ルカが少女の名前を知る頃には、

一週間が過ぎていた。
 この日、時計塔で歯の欠けた小さな歯車を一つ交換したルカは、少し疲れていた。
 丘の上に着くと、少女の姿はない。

 ルカはいつも通り、コートを広げてその上に横になる。いつもと違ったのは、その日の陽光が余りにも心地
良すぎたことだ。ルカはいつの間にか浅い眠りに落ちていた。
 ふと、耳元で何かが動く気配がした。薄目を開けてみると、黒い塊……例の少女がすぐ傍で背を向けて、
ごそごそと何かを弄っている。
「綺麗な絵がいっぱい……」
 少女はルカのスケッチブックを見ていたのだ。ルカは少女に気づかれないようにそっと起き上がると、ゆ
っくり大回りをしながら少女の前に回った。
 絵を見るのに夢中で気づく様子はない。
 ルカは意を決すると、少女の手をぎゅっと掴む。
「きゃっ!」
 少女は慌ててその手を振りほどこうとする。ルカは少女が痛がらないように、けれど離さないようにしっ
かりとその手を握りながら、スケッチブックをめくっていく。
 おはよう、こんにちは、ありがとう、そして四ページ目。
――あなたの名前は何ですか?
 やがて、暴れ疲れてルカの手を解こうとするのを諦める頃、少女はやっとそのページに書いてある言葉に
気が付いた。
 ルカの顔を不思議そうに見た後、おずおずとその口から黒い音が零れる。
 それが名前であろうことが分かったので、ルカはほんの少し苦笑する。
 そして、一度自分を指さしてから、ゆっくりと少女の掌に指を滑らせた。
――ぼくはルカ、きみは?
 少女はしばらく何かを考えていたが、やがてやっと気づいたようだった。
 その細く美しい指で、ルカの手の甲に
――わたしはリタ
 やっと名前がきけた。ルカはそのことに喜びを感じながら、スケッチブックをめくる。
 しばらく探した後で、やっとお目当てのページを見つけると、それをリタに見せてはにかんだ。
――良い名前だね

 リタという黒い少女は、二週間ほど前にこの街にやってきたらしい。
 スケッチブックを挟んでの会話は、お互いのことを知るのに少しだけ多くの時間を要した。

 彼女が親を亡くし、親戚の家に住んでいることを知ると、ルカは自分にも親がおらず、親代わりの時計職
人と一緒に暮らしていることを伝えた。
 リタは「お揃いだね」と少し寂しそうに微笑んだ。
 リタと話していると、ルカの時間は駆け足で過ぎていく。気が付くと暮れかけた陽が西の空を赤く焼いて
いた。
 ルカはスケッチブックに「またここで会える?」と書いた。
 リタはルカの耳に挟んであるパステルをそっと抜くと、すぐ下に「多分」と書く。
 その文字を見た瞬間、ルカの心には今まで感じたことの無い色の爆発が起きる。
 リタが家路についた時、ルカは彼女の背中がブドウ畑の向こう側に消えて見えなくなるまで、その場を離
れなかった。

 二人はすぐに仲良くなった。引っ越してきたばかりのリタには友達がおらず、ルカも耳が聞こえないので
、中々友達と遊ぶ機会がなかったからだ。
 ルカは彼女にいくつも質問をし、時計の直し方を教え、絵を描いてあげた。
 代わりにリタは今までに集めた綺麗な石を見せ、ルカの頬にキスをした。
そうしてリタと仲良くなるにつれ、ルカはあることに気が付く。
 丘の上でルカと会う時、時折リタは膝を抱えて泣いていることがあるのだ。
 ルカにはそれが不思議で仕方がなかった。
――なぜ、泣いているの?
 ルカが尋ねても、リタはごめんね、と首を振るだけだった。
――いじめられるの?
――ちがうの。わたしが悪いの
 何度きいても返ってくる答えは同じだった。だから、ルカは思い切って、自分の力のことを話してみるこ
とにした。
――リタ、誰にも秘密だよ? 実はぼくは、音の色が見えるんだ
――音の色?
――うん。ぼくは耳が聞こえないけど、例えば誰かが何かをしゃべった時、それが色になって見えるんだよ
 ルカは一生懸命説明する。始めは半信半疑だったリタも、次第にルカの言うことを信じるようになった。
――例えば、そよ風の音はどんな色?
――そよ風はね、若草色だよ。そして雨が降ると青が少し混ざって、とてもきれいな碧色になるんだ

――じゃあ、時計の音は?
――少しさびた鉄の色だよ。良い時計であればあるほど、光沢があるんだ。
 リタはルカにいろんな質問を投げかけた。ルカはそれに、パステルを交えて答えていく。
 そして、きく物がなくなってしまった時、リタはとても迷うように小さな文字で尋ねた。
――わたしの声ってどんな色?

 ルカは、彼女の姿が真っ黒な理由は、彼女が泣いていることと関係があるのではないか、と考えていた。
だから、黙っているわけにはいかなかった。
――落ち着いて聞いてね。きみはね、まっ黒なんだ。声だけじゃない、ぼくの目にはきみは姿かたち全てが
、まっ黒に見えてしまうんだよ
「まっ黒……?」
 リタはルカの言葉にぽろぽろと涙を流した。ルカはそんな彼女を力いっぱい抱きしめる。
 離せば逃げてしまいそうな気がして。
 ルカの望みはリタを傷つけることではなかったのだから。
 一しきり泣いた後で、リタは腫れた目をこすりながら、スケッチブックに文字を書き始めた。
――わたしが泣いているのはね。家の中でしゃべると怒られるからなの
――怒られる? なぜ?
――わたしは歌がとっても好きだったの。でもある日、わたしの歌を聞いた人が、気を失って川へ落ちてし
まったの
――歌のせいで?
 リタは寂しそうに頷いた。
――お父さまに言われたの。わたしの歌は人の心を狂わせるから、人前で歌ってはいけないって
――そんなこと、あるの?
 ルカにはとても信じられなかった。けれど、リタの瞳に宿る暗い光はとても真剣で嘘をついているように
はとても見えない。
――お父さまが亡くなってから、わたしは我慢できずに一度だけ歌ってしまったことがあるの。そうしたら
、教会の窓ふきをしていたおじさんが、落ちて足を折ってしまった
――わたしは歌うのが大好きだったのよ? 歌を聞いてもらうのも大好きだった。でも、これではっきりし
たわ。わたしの声は悪魔の声なの。もうこんな声、なくなっちゃえばいいのに
 リタの目に再び涙がこみあげる。

 ルカは悲嘆にくれる彼女を見据えながら、意を決したように指を走らせる。
――ねぇ、リタ。歌ってみてくれない? 今、ここで
「……! いやよ! 絶対にいや! 何故そんなこと!?」
――この丘の上なら、街には聞こえないよ。そしてぼくにも聞こえない。でも、ぼくはきみの歌を見ること
ができる。ぼくは見てみたいんだ。きみの歌うところを。
――だめ。何があるか分からないもの。だって、まっ黒なんでしょ? 見ただけでルカの目がつぶれてしま
うかもしれないじゃない
 
――それくらいじゃつぶれないよ。歌ってくれるまで、ぼくはここを動かないからね
 リタは真っ直なルカの瞳に、肩を落として項垂れる。
――ルカ。おねがい。わたしはもう誰も傷つけたくない。大好きな友達ならなおさら
――だめ。大好きだからこそ、聞きたいんだ
 ルカとリタは無言で見つめ合う。二人の間を、穏やかな風が吹き抜けた。
 やがて、リタは根負けしたように溜息を吐いた。
――おかしくなったらすぐに止めてよ?
――うん、分かった
 ルカは、草の上にあぐらをかく。その瞳は期待に満ちてきらきらしている。
 リタは、躊躇しながらも目をつむり、胸の前で祈るように両手の指を絡ませた。

 アで始まる歌。彼女の口からそっと漏れたのはドの音だ。
 別に珍しい歌ではない。パン屋もパンを焼きながら口ずさむような、花屋も花に水をやりながら口ずさむ
ようなありふれた歌……それがリタの口から紡がれる。
 その瞬間
――えっ!
 ルカはあまりの出来事に、思わず目を見開いた。
 リタを包んでいた黒。それが、次第にほどかれるように彼女の体を離れ、極彩色の輝きを放ち始めたのだ。
 ルカはその時、初めてはっきりとリタの姿をその目に捉えることができた。
 亜麻色のウェーブがかかった髪、頬にうっすらと浮かぶそばかす、透き通るような青い瞳に、小さな口。白
いワンピースを着ていることすら、今の今まで彼は知らなかった。

 そして、リタの体を離れた音色達は、時に情熱的な赤、時に静かな青、時に雄大な緑と、その姿を変えな
がら、二人の周りで螺旋を描く。
――すごい
 ルカはまるで虹だ、と思った。自分たちは今、太陽の光の中にいるのだ、と。
 やがて歌が終わり、リタが目を開く。
 その姿は元の、黒い塊へと戻っていた。
 しばらく恍惚の中にあったルカは、ややあって掌が破れんばかりの拍手を送った。
 興奮冷めやらぬままに、スケッチブックを取り出す。
――リタが黒く見えたわけが分かったよ! きみの体にはとてもたくさんの音色がつまっているんだ。それ
が混ざって黒くなってしまっていたんだよ!
――たくさんの色?
――そう。赤、青、黄色、緑に紫。いろんな色が混ざり合うと黒くなっちゃうだろう? それが、きみが歌
った瞬間に、いっせいに爆発したんだ!
 ルカはリタの手を握る。その顔は少し熱を帯びて火照っている。
――分かるかい? リタ。きみの歌が人を傷つけるんじゃない。きみの歌がきれいだから、みんな好きにな
ってぼーっと引き寄せられちゃうだけなんだよ! リタの歌は悪魔の歌なんかじゃない! おひさまの歌、
天使の歌なんだ!
 ルカは自分の思っていることを上手く伝えられないことにもどかしさを覚え、頭を抱える。
 スケッチブックを書いては破り、また書いては破りを繰り返す。
 リタは、ルカがそんな風に一生懸命になってくれることが嬉しくてたまらなかった。今まで好きなのに憎
くてどうしようもなかった自分の歌を、許してもらえたような気がしたのだ。
 リタはルカの手からそっとパステルを奪うと、真新しいページに一言。ありがとう、と書く。
 ルカが弾かれたように顔を上げると、リタの黒く覆われながらも微笑む顔がはっきりと見えた。
 自分の小さな体から、溢れだしそうになる喜びを感じて抑えられなかったルカは、その日珍しく家へと走っ
て帰った

 次の日の朝、ルカがいつものように大通りを丘の上に向かって歩いていた時だ。
「ルカ!」
 赤い声で彼を呼ぶ者があった。

――おはよう、ヒルダ
 このページはルカが最もよく使う内の一枚だった。情熱に満ちた彼女の声と同様に、赤いパステルで書い
てある。
 栗色の長い髪に大きめの赤いリボンが良く似合うパン工房の一人娘だ。
 ヒルダは、ルカと話す時のために持っている紙の束を取り出すと、鉛筆で文字を書く。
――また、丘に行くの?
 ルカはとても嬉しそうに頷く。その顔を見て、ヒルダは面白くなさそうに口をへの字に曲げる。
――最近、ずーっと丘にいるよね
――あそこで、新しく友達になった子が待ってるんだ
――もう、行くのは止めなさい
 ルカは不思議そうに首を傾げる。
――なぜ?
――知らないの? あの子は魔女なのよ。昨日、となり街から遊びにきたおじさんに聞いたの
――魔女?
 両手を広げて通せんぼをするヒルダに、ルカは訝しげに眉根を寄せる。
――そう、魔女。あの子が歌で、たくさんの人が呪いころしたって。だから、行っちゃだめ
――そんなわけないじゃないか。ぼくはあの子の歌を見たけど、とってもきれいだったよ?
――やめて! 魔女の味方をしたら、あんたも悪魔になっちゃうでしょ? お願いだから行くのはよしなさい
 仲良しのヒルダとはいえ、リタを魔女呼ばわりすることを許すことはできなかった。
 ルカは、珍しく怒りながらヒルダの横を通り過ぎようとする。
 ヒルダはその手を乱暴に掴んだ。
「魔女と仲良くするなら、あんたも仲間外れだからね! もう友達じゃないんだからっ! いいの?」
 ルカはヒルダには答えず、その手を振り払う。
 そして、どうしようもなく悲しくなり、目をつぶって走り出した。
「ルカー! 待ちなさいよ! ルカー!」
 その声はもう届かない。
「ルカー! えっ!? ちょっと、ルカ! 前! 前を見て!」
 全速力で丘に向かって走る。
「ルカー! 誰か! お願い、ルカを止めて! このままじゃ……」
 丘の上にはリタが待っているのだから。

「ルカ! 危ないっ!」
 そこで、少年の意識は暗転する。
 
 果たして、これを罪と呼べるだろうか?
 時を遡って、リタはいつもより少しだけ心を弾ませながら丘への道を歩いていた。
 ルカと遊ぶことが楽しみでしかたがなかった。
 ルカは今日はどんな絵を描いてくれるだろう? どんな絵でもきっと美しいに違いない。
 何かお礼をしたい、と思った。お礼に……また歌を聞いてもらえるだろうか?
彼に歌を送ったら、喜んでくれるだろうか? そして、またほめてくれるだろうか?
 リタは自然と鼻歌を口ずさんでいる自分に気づかない。
 彼女の体から、虹の音色が静かに奏でられていることに気づかない。
 そして、彼女がたった今、荷馬車とすれ違ったことも。
 その日、ルカは丘には来なかった。
 
 夕暮れの中、リタは肩を落としながら歩いていた。
 ルカとたった一日会えなかっただけで、胸が張り裂けそうな自分に少し驚く。
 なぜ、来なかったのだろう? 何かあったのだろうか?
 リタの頭の中を、そんな疑問がぐるぐるとまわっては消えていった。
 そして、ちょうど街の入口に差し掛かった頃、聞きなれた名前が彼女の耳に入って来た。
「本当かよ……? ルカって、アレサンドのとこの?」
「ああ、耳の聞こえないガキだ」
 ルカ? リタは無意識のうちに耳を澄ます。
「しかし、何だってそんなことに?」
「何でも、御者が意識を失って、馬が暴走したらしい。ほら、あのパン屋の前だ。あそこで突っ込んで来た
ってよ。耳のせいで、周りの注意も届かなかったってさ」
「へぇー。不思議なこともあるもんだ。御者がねぇ」
 リタの背筋が凍りつく。彼らは今、何と言ったのか?
 勘違いに違いない。きっとそうだ。
 リタは痛いくらいに早鐘を打つ胸を掴みながら、自然と速足になる。
 通りに入ると、辺りはその話でもちきりだった。

 リタは、大通りを越え、パン工房へと急ぐ。大丈夫、きっと大丈夫と小さな声で呟きながら。
 そして、最後の曲がり角を曲がった時、彼女の目に飛び込んできたのは、横転した馬車、そしてものすご
い人だかりだった。
 呆然自失でその場に近づく。そんなリタの手を突然、別の小さな手が掴んだ。
 その手の主は、彼女を裏通りまで引っ張っていく。そして、人がいなくなったのを確認してから、振り向
いた。
――パンッ!
 乾いた音が響く。
 リタは、一瞬何をされたのか分からなかった。
 次第に熱を持つ頬に、しばらくしてから頬を叩かれたのだ、と気づく。
「あんたの! あんたのせいで!」
「……え?」
 ヒルダだった。彼女は目に涙を湛えながら、憎しみに満ちた視線をリタに向けている。
「あんたなんでしょ!? ルカをころせて嬉しい!? あの子が何をしたっていうのよ!」
「え……? ルカ……え……?」
 リタは混乱していた。考えが上手くまとまらなかった。
 目の前の少女は今何といったのか? ルカをころした、そう言ったのか? 誰が? 自分が?
「馬車が暴走するなんてありえないわ! 魔女! あんたがやったに決まってる! 絶対に許さないからっ!」
 ヒルダはそう言い残し、背を向けて走って行った。
 リタはしばらくその場で立ち尽くし……不意に崩れ落ちた。
 真っ白になった頭を抱えながら、リタはその場を動くことが出来なかった。

 リタが重い足取りでルカの家にたどり着くと、すでに日は落ちていた。
 背伸びをして、窓から家の中を覗くと、ベッドの上に寝かされ、頭に包帯を巻いたルカの姿が見える。彼
の小さな手を握りながら嗚咽する、白い髪の男も見える。
 その傍らには医者らしき男が立っていて、鎮痛な面持ちで首を振った。
「手は尽くしましたが、恐らく明日の朝まではもたないでしょう」
 その言葉は、リタをさらなる絶望へと叩き落とした。力なく尻もちをつき、その場で膝に顔をうずめる。
 また自分の歌が人を、それも大好きな友達を傷つけたというのか。
 リタは自らのかぼそい首に、少し爪を立てる。

「また、この喉が。この口が……う、あ……うあああああっ」
 リタの脳裏に、ルカの笑顔が浮かぶ。
 歌ってはいけなかったのだ。ルカはきっと、自分の呪われた歌を聞いたから死ぬのだ。
 馬車ではない。自分の歌が彼をころすのだ。
 次第に彼女の指には力が籠り、遂には血がにじみ出た。
 どうすればいいのだろう? このままでは、ルカは行ってしまう。天国へと連れて行かれてしまう。
 天使に手を引かれ、ここからいなくなってしまう。天使に……
 その時だった。リタは弾かれたように顔を上げる。
「天使がルカを……」
 リタはルカの言葉を思い出す。
――きみの歌がきれいだから、みんな好きになってぼーっと引き寄せられちゃうだけなんだよ
 リタの瞳に光が戻る。疲れ切った足に力を込めると、立ち上がって走り出す。
 行先はあの丘。ルカとリタが初めて出会った丘だった。

 満月が天頂に輝き、街の明かりはすでに半分近くが消えている。
 リタは穏やかな風の吹く丘に一人立っていた。
「ルカ、待っててね……」
 リタは覚悟を胸に目をつぶる。再び両手を組み、胸の前で祈るように。
 いや、実際に祈りを捧げながら、彼女は口を開き、そして歌いだす。
 彼女の全てを込めて、その声が天国まで届くほどに。
 やがて、彼女の体から極彩色の光が溢れだし、次第にそれは空へと登っていく。
 リタは、道が出来たことを確信すると、そこへ意識を飛ばす。
 ルカはきっとそこにいるはずだ。天使に手を引かれ、まさに今そこに向かっているはずだった。
 だから、リタは歌う。その歩みを止めるために。その歌で天使すら引き止めるために。
 歌声は螺旋を巡り、ルカの元へと辿り着く。そうすれば連れ戻せるはず、リタはそう信じた。
 なぜなら、ルカが自分の歌は天使の歌だと、そう認めてくれたからだ。

 気づくと、リタの意識は純白の雲の中に立っていた。
 目の前には、六枚の羽根を携えた天使がルカを抱きかかえながら、微笑んでいる。
 リタはルカの元へと歩み寄る。彼はおだやかな顔で眠っていた。

 彼女は返してくれと願った。彼はまだそこへ行くべきではない。お願いだから連れて行かないでほしい、
と頭を下げる。
 そんなリタの心に、優しい声が響く。それはとても残酷な問いかけだった。
 誰か一人は連れて行かなければならない。きみはどうしたい?
 けれど、リタに迷いはなかった。彼女にとっては条件ですらない。
 リタはルカの寝顔に口づけると、破顔した。
「また会おうね、ルカ。そしてまた、わたしの歌を聞いて」
 そこで、少女の意識は暗転する。

 ルカが次に目を覚ました時、彼の頬は涙でぬれていた。
 彼に起きた奇跡を、周りの者達が大いに祝い、喜んだ。
 けれど、ルカは泣くことしか出来なかった。自分の代わりにいなくなったリタ。微かに残る記憶の断片に、
彼女の笑顔がこびりついて離れない。
 体が治った日、ルカは久しぶりに丘へと登った。もう、そこには彼女の姿はない。
 黒くうずくまり、涙を浮かべる大好きな女の子。彼女のことを思うと、ルカの胸に強くこみ上げるものが
あった。
 だから、ルカはその日以来、丘へ行くことを止め、あるものを作り始めた。
 それは時計だ。機械仕掛けの、ある細工がほどこされた時計
 彼が二十歳になる頃に完成し、街の広場に設置されることとなった。
 朝の八時、昼の十二時、そして夕方六時。日に三度、音楽が流れ人形が踊り出す。
 時間になると、街の者は皆足を止め、心地いい音楽に身を任せた。
 ルカはその時計の前で、満足げに微笑む。
 踊る色とりどりの人形達。その中心で、亜麻色の髪の少女が楽しそうに歌うのを見届けながら。


                             了

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正直スマンかった

てきすとぽいに投稿された品評会作品を転載します。◆BNSK.80yf2さんにまかせっきりなのは気が引けるので。
未転載2作品あります。

「持ってきたか」
「ああ、ここに」
 俺は手に持ったブリーフケースを見せてやる。
「確かだろうな」
「ああ、確かだ」
 正直なところ何が確かなのか俺は知らない。
 きっと中身は確かに本物なのかと問うているのだろうが、それが何なのか知らない。
 ただ、指定された場所に行って、指定された額を受けとればいいだけだ。
 知る必要もない。
 厄介ごとには首を突っ込む主義じゃない。
「そっちもちゃんと用意してるんだろうな」
 俺はさっさと取引を終わらせて飲みに行きたいんだ。緊張で喉が渇いた時ほどビールがうまい。
「ああ」
 相手の男はパチンパチンと軽快な音を鳴らすと、銀色のアタッシュケースを開けて見せる。
 毎度のことながらハリウッド映画でも見ている気分だ。
 ピン札が整然と敷き詰められている。
「フクザワダラーか、気が利くな」
「大事な品だからな」
 一束とってざっと枚数を数え、頭の中で敷き詰められた金額を計算する。
 そして金額が算出された瞬間、血の気が引く。
「足りないぞ」
 何かの手違いかとも思ったが、そんなことあるはずがない。
「前金だ」
「ふざけるな。一括のはずだぞ」
 男は呆れたように首を振る。
「こっちも完全に信用してるわけじゃないんでな」
「そうか、じゃあ、交渉は決裂だ」
 あくまで事務的に言い放つ。内心動揺しているが表情に出すわけにはいかない。
「おっと、そういうわけにはいかないな」

男は自然な動作で銃を抜き、こちらに向けてきた。
「お前がその金を受け取る。俺にそのケースを渡す。それだけのことだろ?簡単じゃないか」
「そうかな?」
「安心しろ。後から残りの半分も渡すさ。こっちだってお前の命なんて欲しくないんでね」
 まずい状況だ。
 だが、相手に有利な状況を作り出されつつある。こっちは一人バックアップはない。
 その時、ガタっと大きな音が鳴った。
 ブリーフケースからだ。
「なんだ!?」
 男の動揺が見えた。チャンスだ。
「そりゃ、中身に決まってんだろ」
「中身?」
「おいおい。まさか中身も知らないでここに来たのか?」
「ば、馬鹿な。そ、そうだな。中身だな」
 かかった。どうやら本当に中身のことを知らないらしい。
 それはこちらも同じだが。
「確認しなくていいのか?中身を」
「確認か。それもそうだな。だが、お前に背を向けるわけにもいかないしな」
「何だ?俺を信用してるのか?銃まで持ってきたくせに」
 相手の目が泳いでいる。どうにも中身のことが気になるようだ。気になるが、確かめようがない。
むしろ確かめることは避けたいだろう。中身を確かめずに受け取ってくることを指示されたに違
いない。あるいは中身を見るなとすら言われているかもしれない。
「だったら、俺が開けてやろうか?それだったらお前が俺に銃を突きつけたまま、中身を確認で
 きる」
「そうだな。それがいい」
「よし、じゃあ」
「待て!お前、その中身を使って俺に反撃しようとしてるんじゃないのか?」

 反撃?中身を使って?
 反撃ってどうやって。いや、中身が武器であれば確かに反撃に使えるかもしれない。
 だが、俺は中身を知らない。
 そしておそらくそれは相手だって同じだ。
「じゃあ、どうする?試験でもするか?」
「試験?」
「そりゃそうだ、中身が本物だったら試験すりゃ一発でわかるだろ」
「どうするんだ?」
「おいおい本当に中身のこと知ってるのか?試験なんて常識だろ」
「いや、常識がないものでな。そんな試験知らんな」
 くそ、墓穴を掘った。どうする。試験なんてただのでっち上げだ。
 どうすりゃいい。
 ガタガタッ。
 タイミングよく、またケースが動いた。
「まあ、テストするまでもないか」
「そ、そうみたいだな」
 明らかに相手は動揺している。中身を何も知らずにケースがやたら動いているわけだから。
 俺も少なからずびびってはいるわけだが。
「生きてるのか」
「は?」
「中身は生きてるのか」
 ここに来て相手は中身を知らないことを認めたのか?
 いや、違う。探っているのだろう。
 こちらが生きている、もしくは死んでいるはずだといえば中身は何か生き物。
 こちらが訝しげな表情をすれば、比喩的な意味で言ったのだとはぐらかすこともできる。
「さあな。どう思う?」
「答えたくないのか?本当に中身は確かなんだろうな?」
 薄々とこちらも中身を知らないことを感づいているかもしれない。

 交渉はほぼ敗北に近い状況だ。
 仕方がない。
 ゲームは負けだ。
「持って行けよ。正直俺も中身を知らないんだ。確かめようがない。だが、お前もそれは同じな
んだろ?だから前金はもらっていく」
「ふん。最初からそうしていればいい」
 そもそも厄介ごとに首を突っ込む主義じゃない。
「取引終了だな」
 そういった瞬間ケースが激しく音を立て振動する。
「何だ!?いったい何なんだ!?」
 ガタガタガタガタガタガタガタ。
 俺は静かに目を瞑り、しゃがみ込む。
 厄介ごとには巻き込まれたくない。
 ただ、黙って目を瞑り、耳を塞ぎ、口を閉じる。
 銃声が聞こえたような気がした。

「毎度のことながらきったねぇ」
 俺は血だらけになったケースの取っ手をとるとって周辺を見る。
 血だらけだ。これでもかって程に真っ赤だ。
 食い散らかすにしてもやりすぎだ。
「おっと、忘れちゃいけねぇな」
 銀色のアタッシュケースもしっかり持っていく。予定の半分だが、仕方ない。
 服も血まみれだ。
 バーに行く前にどこかで着替えてシャワーでも浴びなくちゃいけない。
 面倒な話だが、仕方がない。
 ガシャンと何かが落ちる音がした。
 見れば相手の持っていた拳銃だ。
 ケースの中身が吐き出したらしい。
 食えなかったらしい。
 俺はこの中身がどんなものなのか知らない。
 何故誰かが欲しがり、交渉を持ちかけてくるのかも。
 もしかしたら、何かの分泌物を出して獲物を誘い出しているのかもしれないが、正直知りたくもない。
 ただ、金さえ手に入ればそれでいいんだ。

茶屋氏の「ブツ」は以上です。
続いて、もう1作品の転載です。

 まず最初に、マーガリンがあった。
 パッケージの側面には、原材料として食用植物油脂、食用精製加工油脂などが記されている。
 食用植物油脂と食用精製加工油脂のちがいは何なのだろう、などと考えながら、慎重かつ丁寧
に僕はマーガリンを冷蔵庫にしまった。
 日曜だというのに気分が落ち着かないのは、大事な商談が明日に控えていたからだ。
 大事といっても、会社からすればたいした儲けになるわけではない。
 ただ僕自身にとっては、契約にこぎつけるはじめての案件になりそうだった。

 入社して、はや三ヵ月以上。
 親類縁者はもちろん、片っ端から名刺を配って歩けとの社命を受け、僕はほうぼうで顔を売っ
ていた。
 まずは名前を覚えさせることだ、と上司は言う。
 お宅の営業がしつこすぎる、とクレームが来るくらいでようやく半人前なのだ、とさらにえら
い上司が言う。
 けれども、そんなの非効率的だし、スマートじゃない。
 時代遅れのアドバイスのような気さえする。
 新米だけれど、僕には僕のやり方がある。
 ようは契約に結びつければいいのだ。
 人間の性格がさまざまなら、結果を導き出す方法も一つだけではないはずだ。

 そのようなわけで、僕はついさきほどスーパーへ行き、一番高いマーガリンを買ってきた。
 数日前、飲み屋で知り合った客と意気投合し、ある話を持ち掛けられたのだ。
「ほお、兄さん。保険の営業か。そりゃ大変そうな仕事だね。ところで、俺は時計の販売をして
 いてね。ここはどうだろう。バター取引といかないか? つまりは、互いに相応のものを交換
 するわけさ。兄さんも客商売なら、身なりが大切だろう。俺がいいのを見つくろってやるからさ」
 バターに相応するものと言えば、マーガリンしかない。
 僕はビールジョッキをあけながら、思わせぶりな客の言葉に肯いた。
 冷蔵庫の中には、僕の輝かしい未来がある。
 今はスマホが時計代わりだが、パネライやユンハンスをひけらかす日も近い。

 そうそう、一つ重要なことを忘れていた。
 客に渡すのだから、ラッピングは欠かせないだろう。
 僕は壁にかかった時計を見た。
 今なら、100均も開いているはずだ。

しゃん@にゃん革氏の「時計屋との約束」は以上です。

かく
お題plz

転載おつー

>>262

ま、まだ間に合う? 推敲あまりできていないけれど、投下してもいいかしら?

>>265
いけいけー

自分のことは棚に上げてガンガンいきます。

No.01 ホープ・ノーマル

まず一目見て文章がうまいと思いました。
さすが小説を販売するだけはある。
だけど話の面白さ、というか、『僕』が正直好きではありませんでした。
たまにこういう感じで語らせたくなるのは分かるけどね。
物語にしてほしいなあと思ったりします。

No.02 ストック・マーケット

お題の取引を直球で扱った作品。
人を株化するというアイデアにはワクワクします。が、もう少し具体的なところに落とし込んでほしかったなと。
まだまだ短いと思いますので、もっと文量を増やしてオチに至る伏線を書いても良かったと思います。

No.03 不等価交換

文章はとても良く書けていると思いました。
ただ、出だしに違和感が……まずは部屋の様子を説明しないと、という義務感に則って書かれた文章のような気がしたんですよね。三人称であればそれもアリなんですけど、一人称の場合だと、その視点の人物がまず最初に何を思うかを書くべきだと思うんですね。
あと、オチがほとんど最初から分かってしまった点が残念です。
最初に書いたとおり文章はよく書けているので、あとは見せ方を工夫するよう努力すると良いかもしれません。

No.04 ブツ

うーん……
この小説を読んだとき最初に思ったのが、「こんなこと何回も続けられないだろ」ってことなんですね。例えばこれがジャンプの漫画だとすると、この後に「主人公調子に乗って同じことを続ける→相手が大群で攻めてくる→主人公チビるけど、そのときアタッシュケースが……」というように。多分そこまで行かないと、話に面白さは出てこないんじゃないかな?
もしくは、主人公自体もケースのことを全然知らないか、もしくはある程度把握しているはずでも想定外のことが起きて襲われるというような、主人公をピンチにさせて読者をハラハラさせる工夫が欲しかったところです。

No.05 時計屋との約束

これ、バター取引の意味を取り違えたということでいいんですよね?
だとすると、これを小説のメインに持ってくるのはちょっと厳しいと思います。

No.06 時計仕掛けのローレライ

まあ今回はこれが優勝でしょう。
いや、気が早いんですけど、まあ間違いないと思いましたよ私は。
感動した! という訳ではなかったのですが、読み終えてほっこりしました。
ディナーの最後に出てくるデザートのような感じ。後味すっきり。
そう感じたのは多分作りが丁寧だったからでしょうね。
13レスで今回最長だったわけですが、その分だけしっかり書き込まれていましたよ。

No.07 生まれ変わりの日

自作。
うん。自分で言うのもなんだけど、この構造はちょっと厳しい気がするんだ(´・_・`)
けど久々に小説書けたので良しとしましょう。

***********************【投票用紙】***********************
【投票】:No.06 時計仕掛けのローレライ
気になった作品:No.02 ストック・マーケット
********************************************************

まとめサイトにも投票したほうがいいんすかね……

***********************【投票用紙】*********************
【投票】:No.06 時計仕掛けのローレライ

気になった作品:No.07 生まれ変わりの日
********************************************************

以下感想を軽く書いていきます。

No.1「ホープ・ノーマル」
文章が上手いことは確かだと思いました。「取引」というテーマに沿っているかどうか微妙かな、というのは気になります。
小説内では「魔法」でしたが、現実にも先天的障害や生い立ち等で同じ状況が生まれていることは明らかなので、
ならばこそ、今作のように単なるキャラクター同士の「会話」で終わらせるのはもったいないというか、
もっと鋭く問題に踏み込む姿勢や、皮肉や風刺を盛り込むような部分があればよかったのに、と思ってしまいます。

No.2「ストック・マーケット」
私の拙作です。人の株式を売る市場、っていうアイディアを思いついたときは面白いと思ったのですが……
最終的に上手い形にならなかったのはひとえにプロットを書く力がないからだなあ、と反省しきりです。
いずれリベンジしたいテーマです。

No.3「不等価交換」
2人しか登場人物がいない中では、悪魔が昔「リズ」と呼ばれていたという時点で確かに話が読めてしまいます。
あとは冒頭とか、悪魔殺しの部分とか、妙な蛇足、みたいな部分が若干あるのかな、と。
文章自体は上手いと思いました。

No.4「ブツ」
いわゆる1対1の「取引」ですね。アタッシュケースの「ブツ」と金を交換する、というのも、「ブツ」を運び屋が知らないという部分も、
ある意味「お約束」にきっちり乗っ取って話が進行しているわけですが、そうなると小説の個性は最後の部分で決まります。
>>304も書いているようなことなのですが、結局主人公は中身をどこまで把握しているのか?とか、そういう部分で工夫があれば。
あと、相手の持っていた拳銃が落ちる部分はどこから落ちたのでしょう?
「ブツ」は主人公が姿を見る前にもうケースの中に戻ったのだと理解したのですが、
そうすると拳銃が吐き出される描写とつじつまがあわない気がするんですね。

No.5「時計屋との約束」
字数も短いですし、こういったジョークは嫌いじゃないです。
ただ、冒頭の“まず最初に、マーガリンがあった。”はちょっと意味が分からない気がしました。
文章もところどころ気になるかな、と。いっそジョークならジョークらしく軽い語り口でもいいかもしれないと思いました。

No.6「時計仕掛けのローレライ」
参加者が投票するのは野暮かな、とも思ったのですが、これを読んで気が変わりました。
文章もプロットも美麗。外国に伝わるお話のような雰囲気の中、本当に語り継がれてきたように矛盾や飛躍のない話の進行は凄いです。
唯一引っかかったのは名前。「ルカ」が女性名っぽいんです。イタリア語で-aが女性形だからかもしれませんが。
それで、冒頭部で少女=ルカかと思って一瞬混乱しました。まあ、こんなことしかケチをつけられる部分がないということで。

No.7「生まれ変わりの日」
ちょっと動機も結論も弱いのかなあ、という気はしました。ラストとか、案外覚えてるじゃん!という感じがしちゃうんですよね。
文章自体はとても綺麗ですし、回想を中心に据えるスタイルも個人的には好きです。
読み返すと良いと思える作品だと思いますけど、一読したときのインパクトをもっと強くできるんじゃないかな、という気がします。


※割と厳しい批評をしているので、そのような批評が苦手な方は、読むのを控える事をお勧め致します。
 そして、あくまでも私個人の感想であり、もちろんそれが正しい意見という事ではありません。
 作品の全てを面白く読んだ上で、気になったことをここに書いています。
 偉そうに……何様だよと思われるかもしれませんが、私の感想をあまり重大に受け止めず、
 そのような事を言う人も居るのだなあ……程度に受け流してもらった方がいいと思います。
 
 さて、保身のような文章を書いたところで全感いきます。

 No.1「ホープ・ノーマル」

 今回、一番違和感のようなものを感じた小説。少し厳しい批評かも知れない。

 鬱病患者向け自己啓発本とか、ポエムのような空々しい会話が続く作品だ。
 文章は巧いと思う。余計な描写がないのは好ましく感じた。でもこれって、作者の格好良い言葉で書いた自問自答でしょ。
 会話と言うよりも、結末に導かれるために書かれた鍵カッコの文章にしか見えなかった。

 アイデアは面白いと思った。魔法というのが、この現実社会における『才能』や『生まれ持った環境』
 を比喩しているようで、差別を表すモチーフとしてとてもいいと思った。
 ただ、どうにも村上春樹的な、お洒落な言い回しが気になった。
 
 「つまり君はやさしいんだ」
 「幸せとはなんだろうね」

 思わず舌打ち。なんだろうこの心療内科みたいな、誰かを傷つけないような詩的な言い回し。どれだけ薄めた村上春樹だ。
 こういうテーマとしての差別を描こうとするときに、怒りを書こうとするときに、こんな文章では真に迫ってこないし、
 嘘をつかれているみたいな白々しささえ感じる。深みも重みもあったものではない。
 お前本当に怒ってんのかよ。ただ格好つけた言葉だらだら喋ってるだけじゃねえかって感じの。
 こういう文章を書く人多いけど、何でもかんでも優しければいいってわけじゃないんだからさ。
 と言うか、なんだろう。テーマと文体があってないというか、ちょっと格好をつけすぎてる。気取りすぎてる。
 もっと自分を剥き出しにして語ってほしかった。差別に怒りを感じているのならば。もっと怒りを感じたかった。
 まだ殻がある。草食系男子的な怯えを感じる。あるいは余裕がある貴族たちの上からの会話みたいな。
 むしろこの小説に怒りを感じる。

 まあでも、こういう文章の方が受けるのだろうし、好きだって人は結構いると思う。
 自分が受け入れられないだけで、このような雰囲気の文章がいいと言う人はいるのだろう。
 もっと詩的な物語だったら、語り口に合っていたんだろうなと残念に思う。
 もっと魔法を前面に押し出して、シュールなファンタジックな感じで書けばあっているんじゃないかなと勝手に思った。
 No.3とかNo.6のような。
 でも、確かに文章は読みやすいと思う。それがあだになっているが。 

 あと、上の人が書いているから思い出したけど、取引のテーマも上手く組み込まれていない。
 それは駄目だと思う。そのような作品は、まず前提として駄目だと感じる。

 
  

 No.02 ストック・マーケット

 今回の中で一番、『取引』と言うテーマをうまく組み込んで書けていたと小説だと思う。
 と言うか、取引と言うテーマを直球で書いた作品と言うべきだろうか。

 設定が面白い。人の株が見えると言うのは良い。『株が上がる』という慣用句(?)をうまく使った言葉遊び的な設定。
 取引と言うお題にも沿っているし、世界観・設定は素晴らしい。

 ただ、何と言うか面白く小説を読み進めていったところで……オチが、うん。
 何と言うか、ジャンプの十週打ちきり漫画を思わせるような、意味深なだけで深みの無いオチ。
 せっかく設定や内容が面白いのだから、もう少しまとまった形で話を落としてほしかったというのは、読者の勝手な願いだろうか。

 藤林が奥さんとどんな関係だったかをもっと深く見たいと思ったし、
 屑である藤林が主人公にどんなひどいことをさせるかと言うのが、最大の見せ場であるのだと思う。
 今までの内容をひっくり返すような、度肝を抜くような一言オチでも良いし、
 とことん主人公を貶めていく描写でもいい。
 あるいは最後に主人公の逆転劇があるでも良い。
 終わり方が唐突過ぎるなと言う印象が、やはりぬぐえない。

 あと、これって奥さんも株が見えてるのかな? そうでないと主人公の下部が売れない気がする……そうでもないのか?
 株に詳しくないから分からんけど。そうでなかったら、他に強烈に主人公を買う人を探せば、問題解決になってしまう気もする。
 うん……誤読力が低く株の知識もない俺には少し難しい。
 もう少し詳しく世界観の説明が欲しかった。

 でも、テーマに沿った面白いアイデアの小説だとは思う。
 詳しい描写や説明があると分かりやすかった。

 
 No.03 不等価交換
 
 恐らくミステリー要素を含んだ作品。しかし読んでいる途中で、結末はああだろうなあと分かってしまった。それが残念。
 悪魔との契約と言う設定で、星バーーーローーを思い出した。これもショートショートっぽい。でも結末は読者の予想通り。
 
 文章が少し、硬すぎて読みずらいと感じる部分があった。そして描写が多いから、リズムが全く生まれない。
 あえてそうしたのかもしれないが、悪魔の感情描写が少なく、動きの描写ばかりなので話が進むのが遅く感じた。
 会話を中心に進めていってもよかったのではないか? もう少し描写を簡潔に書いてもよかったのではないか。
 
 お話としては、作者のやりたいビジョンがこちらにも見えているし、頭の中のプロット通りに進んだのだろうけれど、
 結末はグッと来なかった。なんでだろう。
 そう、悪魔とその元主人の過去の関係がほとんど描かれていないからだ。全くラストシーンに感情移入できなかった。
 悪魔の最後の葛藤も読者に全く伝わらなかった。

 それでも上手くブラッシュアップすれば、面白くなるだろうと思う。

 No.04 ブツ

 淡々と、余計な描写を書かずにまとめた印象。無難でいて、特に目を引く個性がない小説。
 初めて読んだ時、何だこれ、と思った。短すぎるし、盛り上がりもフックも、読者の心を惹くようなものはほとんどない。
 味のないガムを噛んでいるような小説。害ではないが、味がない。

 批評を書くために、二回目にちゃんと読んだ時に少し意見が変わった。
 これはこれで、別にいいのでは、と思ってしまった。ショートショートとしては、まあこれで悪くないのでは、と。
 オチがもっとブラックだったらな、と思ってしまうのは否めないが、まあ短編として無理をせずにまとめた小説と感じる。
 あるいはしっかり評価が出来るのではないか、と個人的に思ってしまった。

 何て言うか、うん、減点すべきところがない。
 小説としては、何倍も薄味にした木下半太のような小説。ダーティな雰囲気の、描写が淡々としていて読みやすいエンタメ。
 あとは、やっぱりオチなんだろうなあ。ここで惹きつけられるような落ちがあったら、かなり良くなるとは思うんだけどな。 
 でもそれが多分、一番難しいのだろうと思う。

 あと自分だけかもしれないが、最初、どっちがどっちの立場で、誰が何をしているのか分からないと感じる描写があった。
 どういう取引でどっちがどういう目的なの? と少し混乱してしまった。

 とりあえず無味乾燥な小説だった。味のないガム。
 あ、お題はしっかり組み込まれていた。しっかりお題に添って書かれている。
 あとは面白さを感じたい。



 No.05 時計屋との約束

 読んで一言。くだらねえwwwwww
 さっきの小説と逆。変な味の、例えばシジミ味のガムをかんでしまった感じ。奇抜な一発ネタ。
 でも、まあいいんじゃない、と思ってしまうのが不思議だ。例えて言うのなら、清涼院流水とか西尾維新的な言葉遊びを読まされ感覚……かな。
 これってバーター取引とバターをかけてるんだよね。で、バターと言えばマーガリンじゃんって。思わず、駄洒落かい! と席を立ち上がった。 
 まあ、それを小説にしてしまうセンスは嫌いじゃないぜ。でも、内容がないよう。

 
 

 No.06 時計仕掛けのローレライ

 今回の中で一番完成された小説だと思う。良作を一つを選べと言われたらこれなんだろうなあとは思う。
 物語としても、しっかり丁寧に描かれている。出会いがあり、二人の温かい交流があり、悲しい事故が起き、寂しい結末がある。 
 展開としてはテンプレートだけれど、それをしっかり書けることは強みだと思う。
 自分個人の好き嫌いは別にして、これはエンターテイメント小説として、読者の心を揺さぶろうと、しっかり書かれた小説なのではないかと思う。
 良いライトノベル等で見る作風。分かりやすいし、文章も問題ないと思う。
 

 No.07 生まれ変わりの日

 個人的には一番好きな文体。
 書き方としては(以前からそうだったけれど)大衆小説的と言うか、直木賞系エンターテイメントの感じだと思う。
 文芸的。ちょっとジャンルは違うかもしれないけれど、本多孝好や伊坂幸太郎を思い出す。
 あるいは朝井リョウとか、角田光代とか、島本理央とか。(言い方はおかしいかもしれないけれど)まっとうな文芸系の文体。
 
 ただ、このよく分からないファンタジックな設定にする必要があったのかと疑問に思う。
 現代のセックス・ジェンダー問題に悩む人を書くのではいけなかったのだろうか。
 ラストシーンも疑問だ。どんな顔をしていたかも思い出せない。そんな大事なことを忘れてしまうのに、性別を変えようとするだろうか。
 本末転倒じゃないだろうか。いや、その滑稽さを書きたかったのか?
 それとも、自分自身をまるっきり生まれ変えようとする人の話として書きたかったのか。
 それではセックス・ジェンダーを乗り越えようとする恋愛の問題が放置されてしまうように思う。
 
 そもそも生まれ変わって考え方や精神が変わってしまうなら、相手側は受け入れないだろう。その人じゃなくなるのだから。
 いや、違うのか……? 
 社会的に男女として認められることを選ぶか、相手が男でもその人自身を愛し続けるのか、それに悩む人を書いていて、
 その男の曖昧さに決別しようとしている人を書いたのか?
 世間の目か、世間の冷たい目を受けても、相手を愛す続けられるかを主人公が問うている?

 ごめん、俺が自問自答してしまっている。今ひとつ読み取れない。主題なテーマが読めない。別にテーマ無くても面白ければいんだけどさ。
 どちらにせよ、このファンタジーな設定はあまり機能していない様に思える。
 

 あと、儀式の前の別れ方が、いかにも普通の恋人っぽくて陳腐だ。いや、まあこれでもいいのだろうとは思うけれど……。
 なんだろう。悪くないんだけれど……。
 星野智幸さんくらいぶっ飛んでいたら面白いけど、いや、まあプロと比べるのがそもそも違うんだけれどさ。


 一言で表すと、文体や雰囲気は好きだし嫌いではないのだけど……今一つ推せない、といった小説。
 そして性別問題がただの道具として使われてる感じが否めない。
 本人たちにとって、それを抱える人にとって、それはとても真剣でシリアスな問題なのだから、もう一歩踏み込んでほしかった。

 そして、お題の『取引』の部分が今ひとつ分からなかった……と言うより弱かった、かな?
 女性という入れ物と中身を手に入れる代わりに、男として生きていた時に愛してた彼を失くしてしまうという事が取引?
 なんだか比喩に紛れているのかどうか知らないが、少しわかりにくい。
 あまりお題に則していたとは(うまく使っていたとは)言い難い。

 結局、主人公男性のあいまいな部分が嫌いだったから女性になりたがった、と言うことなのかな? 
 
 ちょっと読んだだけじゃ今ひとつ分からんね。

 何度も読もうとするほどに、惹きこまれるものでもなかったし。
 うーん……上手く言えない。悪くはないんだけど、中途半端な気がする。伝えようとするものが伝わってこない。
 まあ、自分の読解力もないんだけれどさ。


***********************【投票用紙】***********************
【投票】:No.06 時計仕掛けのローレライ

気になった作品:No.07 生まれ変わりの日
        No.02「ストック・マーケット」
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投票はNo.06で。

気になった作品は、No.7。
あとは打ち切りっぽい終わり方だったけど、展開と設定が面白かったんでNo.2で。

>>322の続きです。久々の品評会に対する感想です。
昔のBNSKでもこんな偉そうに厳しいこと言う奴いたよなあ、という感じで流し見てください。
まあ、昔に厳しい感想を書いてたのは僕じゃないですけど。
とりあえず、芥川の選考辞めたあのクソジジイの戯言並みに、これも受け流してください。


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No.6に投票して改めて読み返してみたんだけれど……。
確かに投票するならこれしかないんだけれど、やはり無難すぎて面白みがない。

もちろん作者が悪いわけじゃなくて(まあ王道のお話ってこういうものだし、個人的には無難すぎてつまんなかったけど)
邪道で惹きこむ小説がなかったのが残念に思う。
N0.2なんかは人のクズな部分を見せる小説なんかが見れそうでちょっとドキドキしたんだけれど……惜しかった。
個人的に一番惹かれていた小説なんだけれど。

設定や世界観で惹きこむって作品ってのが、品評会では多くなるし、やはりそこで勝負する人も多いんだけれど、
小説自体が完成していない印象が多い。突出して面白い部分はあるんだけれど、弱点となる穴も大きい作品。
だからこそ、いいなと思う作品があっても強く推せない。
それで結局、No.6のような無難にうまい作品が優勝してしまう。
なんか昨今の新人賞の傾向をここでも見る事が出来る気がする。

N0.7だけは、ある意味いつも通りに、言葉にできない人の曖昧で微妙な部分を小説にしようと言う挑戦は感じたけれど、
やはり突出して面白い、或いは引き寄せられる文章がなかった。書き方は巧いんだけれど。こなれた、手癖で書いてる印象。
あと、周りに釣られたのか、誰かの影響か、不思議な世界観を持ち出して、それをうまく活用できてない。
昔から見てて、良い文体作ってるなあと言う印象があるだけに残念。

No.1はボロクソ書いてしまったけれど、一番書き慣れている印象で、作品によってはかなり化けるはず。
滅茶苦茶に面白い作品が書けるんだと思う。今回は作風があっていなかった。あと、ちょっと手癖で書いてしまった印象?


なんだかんだ、結局グチグチ言ってしまったが、久しぶりの品評会でこんなに作品が集まったのは奇跡的。
宣伝した人も居たし、その結果だと思う。宣伝した人も、作品を投下された皆様も、お疲れ様です。
僕に対して、お前偉そうに、言うだけなら誰だって出来るんだよ、と言うのはごもっともで恐縮するしかない。

全作品、面白い所がしっかりとあって、全体的に文章が巧かった。
なんだか厳しいことばかり言って本当にすみません。
ちゃんと真剣に批評をしたかったという気持ちで、ばーっと書いてしまいました。
これで次の品評会の作品数がゼロとかイチとかだったら確実に僕の所為ですね……。
あんなキチガイにコメントされるなら、もう書かない! と言われることでしょう。
それでも僕の感想なんて受け流して、皆さん次もすごい作品書いてください。僕の言葉なんて、ただの一人の感想なんですから。
僕も次は参加しようと思います。ボロクソに叩かれるくらいに。




上から目線とか気にしない。
正直を言えば、自作以外の全作品に票をぶっこみたいところなのだ。
けれど、最大の自制心を発揮した。俺偉い、マジ偉い。
そして、全感想はやりたいようにやるのがマイポリシー。
他人のために感想を書くつもりはない。
ある意味、感想を書くために作品を書いているのだから。

No.1「ホープ・ノーマル」
この作品が嫌いだ、と自信を持って言える。優れているかどかという判断基準にするつもりはないし出来ないけど。
俺はこの作品を読んだ時、強制的に「彼」の側に立たされるような居心地の悪さを感じた。
理由はいろいろある。
ある問題に対して、義憤に駆られる人物が現れた時、一般的には読者はそちらの側に立つことを選ぶということ。
「僕」の主張が酷く曖昧(意味が、ではなく言い回しが)で、パッと見何が言いたいのかよく分からないこと。
単純に「僕」の気障な台詞が鼻について、感情移入どころではなくなること。

差別には二つの立場が存在する。差別する側とされる側ではない。推進する側と拒否する側だ。
そして、基本的には推進する側が強者、拒否する側が弱者である。
この作品で言えば、魔法が使えるか否かは強弱に影響を及ぼさない。大事なのは肯定的に捉えるか否定的に捉えるか、だ。
ただ、この作品には肯定的に捉える側が存在しない。「僕」も「彼」も間違いなく差別に対しては否定的な立場なのだ。
この二人の違いは、直接的に否定する意志を示すか、心では否定しながらも仕方なく受け入れてしまっているかである。
上述のように、この作品において読者は半ば強制的に「彼」の立場に立たされる。
「彼」としての読者が、「僕」に何を感じるか? それは作者以外ありえない。
何故なら、「僕」は「彼」を「君」と呼ぶからだ。
「僕」は「彼」の義憤を否定する。魔法を使える側、つまり強者が弱者を憐れんでいる(意訳)だけだ、と。
同じ立場に立っているはずの人間の考えを、持っている者の憐れみだと拒絶するのだ。
とどのつまり、「彼」の立場に立たされた読者を「僕」の立場から作者が拒絶するのである。
だから、俺は「僕」を通して伝わってくる作者の意志に強烈な嫌悪感を覚える。

>「魔法がこの世になかったとしても、僕らはきっと悩んでいただろうね」
>僕は表情を崩して微笑んだ。

吐き気がする。目の前に「僕」がいたらぶん殴ってやりたい。
お前が何もかも分かったような面が出来るのは、本当につらい目にあっていないからだろう、と。

結局、「僕」が「彼」の義憤を否定する理由が理解できるほど、「僕」が描かれていなかったからなんだと思う。
「彼」を薄いと否定できるほどの濃さを「僕」から感じることが出来なかった。
だから「彼」の義憤を強者の優越感だと思うことも出来なかった。

No.02 ストック・マーケット
>会社の価値が株価という形で上下するなどということは、人間の価値の決まり方と全く同じじゃないか
正直、この冒頭の主張がするっと頭に入ってきていたら、もっとこの話を高く評価出来ていたと思う。
つまり、人の価値も株価と一緒で、絶対評価ではなく相対評価だってことだと思う(違ってたらごめん)
何かをやって人に評価されれば価値は上がり、その逆は下がる。
慣用句で株が上がるっていう言い方があるけど、それを具現化し、さらにそこから一歩発展させ、トレードの要素を加える。
ショートショートのアイデアとしてはかなり良いと思う。

>周りの評価が下がったから株価が下がったのではない。株が下がったことで俺を取り巻く世界が変わったのだ。
逆転の発想。目からうろこが落ちた。
ただ、この一行が結局はこの話のオチを平凡なところに落とし込んでしまったと思う。
つまり、相対評価ではなくトレードによって株価を上げようとすることだ。
良い落としどころの一つだとは思うんだけども、妻がトレードによって旦那の価値を下げたという、めちゃめちゃ面白い所から、
結局は同じ方法での穴埋めになってしまうわけで。
そもそも、旦那の価値を下げるために旦那の株を売り払う、これ自体が妻の株を下げる行為じゃないの? という。
何が言いたいかって言うと、人間が書けていないのだ。名無しのAさんで終わってしまっている。
もうちょっと上手く料理出来たんじゃなかろうか、と思ってしまった。
逆に言えば、それだけネタが面白かったということなんだけど。


No.03 不等価交換
俺はこの作品が好きだ。これはもう好みであってどうしようもない。
長所や短所を言おうと思えばいくらでも出てくると思う。
でも言う気にならない。
一つだけ言えるとしたら、もっと灰汁が強いほうがより好みかもしれない。
ストーリーでもキャラでもネタでも文章でも何でもいい。

No.04 ブツ
鞄が本体ですね? 分かります。
なんだろう。もっと評価されてもいいのにって思う。
物足りないって感じるのは事実なんだけど。
でもこれは、書いてあるだけじゃ足りないっていうんじゃないと思うんだ。
どちらかというと、書かなくていい部分まで書いてて、それが足引っ張ってるんだと思う。

>何故誰かが欲しがり、交渉を持ちかけてくるのかも。
>もしかしたら、何かの分泌物を出して獲物を誘い出しているのかもしれないが

例えばここ。
こういう説明はいらない気がする。書き始めると途端にあれもこれもって目に付き始めるから。
この長さじゃ、基本的に読者は細かいことを追及しない。でも作者が説明を始めると、あれは? それは? ってなる。
俺からすれば、鞄が次々と獲物を得られる理由なんて、「俺」のお蔭で十分だって思う。


No.05 時計屋との約束
アホだなぁwww
もっとスマートに書いてたら、一発ネタとしての切れ味が上がったように思う。
それか、もっとバターネタで突っ走って、ガンガン小ネタ挟んでいっても良かったと思う。
あと、一行目はなんか意味ありげでかっこよさげなんだけど、特に意味はないから掴みとしてはどうなんかなって思う。
俺が君に1票入れるから、君も俺に1票入れてくれ。
読みながら、こんなバーター取引が浮かんだ。


No.06 時計仕掛けのローレライ
拙作。
イメージとしてはスイスのシャフハウゼンっていう町。すぐ横をライン川が通ってる。
ちなみにルカって名前については、スイスのドイツ語圏(他にイタリア語圏、フランス語圏、ロマンシュ語圏がある)で人気だった男の子の名前。
多分、アレサンドっていう所でイタリア??ってなって女名に感じさせてしまったんだと思う。
13レスも使ってるのに、キャラを書ききれなくて、うわべだけをさらっと流した感じになってしまった。
もうちょっと、毒みたいのを出したかったと反省している。

No.07 生まれ変わりの日
>「え、女になりたい?」
俺はこの行に至るまで「なんかこいつ女っぽいなー」と思いながら読んでいた。
一人称が僕なのに女っぽいと思ったってことは、男が上手く書けてないんかなって思ったら、狙ってましたとさ。
文体を評価している方がいたけど、納得した。ただ、本当に良かったのは最初の6~7行くらいだと思う。
そこからは別人が書いたのか? って感じた。いや、十分上手いんだけど。
俺には特徴的な文体で書く才能がない。だから、文章を書く時には分かりやすさを重視するしか手がない。うらやましいと思う。
この作品における台詞は、ほんの少し回りくどい。けどそれがNo1と違って鼻につかない。
これは俺の好みもあるのかもしれないけど、多分バランス感覚が良いんじゃないだろうか。性別に関してのことも含めそう思った。
きちんとパッと見で意味が分かるのだ。前後関係を考えなくても。

取引というお題を考えた時に、作者は一体どこからどこまでを考えていたのだろうか、と思う。
姿形を差し出して得た新たな姿形は、果たして何かが欠落しているのだろうか? または何かが付加されているのだろうか
50を差し出して50が帰ってくるとは限らない。リンゴを差し出してオレンジが帰ってくるから取引は面白いのだと思う。
そういう変質に対する不安を

>どんな顔形をしていたか、よく思い出せない
って表現したのは凄く上手いと思った。
ただ、書き方から考えれば、彼女が変質していたのは、彼と神殿前で別れた時、もっと言えば彼に助けられた時なんじゃないかって思う。
ガタカを思い出したよ。俺はあの映画がすごく好きだ。

総評的な何か
すげー久々に品評会に出た。やっぱ楽しいね。
そして毎度のことだけど、自作に悔いが残る。ぶっちゃけ、参加して後悔しなかった試しがない。
昔を知ってる立場としては7作って物足りなかったんだけど、それでも読んでいて面白いと思える作品が多かった。
次があるのかどうか、出れるのかどうかは分からないけど、参加したらまた後悔するんだろうなって思う。

***********************【投票用紙】***********************
【投票】:No.07 生まれ変わりの日

気になった作品:No.02 ストック・マーケット
       :No.03 不等価交換
       :No.05 時計屋との約束
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投票はNo.7に。理由は読んでいて一番楽しかったからだろうか。
関心票はNo.2 No.3 No.5に。2はアイデア、4は軽さがそれぞれ良かった。3は好きだから。
最後に、関わったすべての人間に感謝を。

全感想貼っていきます。

No.1「ホープ・ノーマル」
 導入いい。ベタだけど「どんな世の中なの?」って思いながら読んでいけた。
 主人公が考えを自分の中でまとめながら話しているんだけど、着地点がすごく曖昧。狙っているのかも知れないけれど、もし私が「僕」だったら最後の答えに納得しないだろうなあ、と思った。
 「僕」は魔法を使えない人なのかな? だとしたら確かに「彼」はとても失礼なことを言ってるけれど、だからこそ何故彼が「やさしい」世界を求めていたのか、それも見たかった。結局この作品は「僕」の目線でしか語られてないんだよね。

No.02 ストック・マーケット
 設定とその説明が簡潔かつ、わかりやすい。すんなり主人公の世界にはいっていけた。
 色々想像できて楽しい。この話自体がどんどん先に膨らんでいくであろうものだし、物語の中だけでも、奥さんのことだとか、藤林のことだとか、そういう本文にないことを妄想できていい文章だなと思う。

No.03 不等価交換
 面白かった。真実が分かったときに、「あーこれどうするんだろう」って思いながらどきどきしながら読めた。
オチも文体にぴったりなオチだったと思う。映像にしたらかなり(いろんな意味で)ショッキングだと思うけどww

名前かえるの忘れてたのと改行うんこだけど次から気をつけますってことにして続き貼るおー

No.04 ブツ
 面白かった。ひとつひとつの文が簡潔で、読みやすかったし、分かりやすかった。
細かいことは気にしないというのか、妄想でなんとかしちゃうたちなので、これぐらいざっくりと描写してるのもいいと思う。ただ句読点や被りなどの添削をもうちょっとやってくれると視覚的に読みやすくなる。

No.05 時計屋との約束
 マーガリンのくだりと上司の話がぜんぜん噛み合ってないけど、これはこれでいいのかも。「そのようなわけで」が変にいい味出してる。
この主人公は時計屋さんと仲良くやりそうだ。こういう天然ジョークが好きそうなしゃべり方をしている。
まあでも、商談って言ってるしちゃんと営業もするのかな。この主人公は予測がつかん。

No.06 時計仕掛けのローレライ
 面白かった。タイトルのせいで若干オチが読めちゃうのと、途中駆け足になってしまった(そのおかげで臨場感もあったんだけど)のが読んでて少し残念だったかなー。
色が混じりすぎて黒になっちゃう、みたいなところが凄い好き。歌うシーンも、その会話(?)のシーンも凄い目に浮かぶ。
ヒルダはこの後どう育っていくんだろうね。リタもかわいそうだけど、彼女もきっとこの町で暮らすには幸せとはいえない未来が待っているのだろう。

No.07 生まれ変わりの日
 目が離せないお話だった。こういう話を見ると、いつも言葉の選び方に迷うけど、やっぱりグロテスクだなと感じる。この言葉は主人公も、「彼」も、そしてこの世界観にも共通して感じることで、そこに何か惹かれるものを感じた。
「文学少年」という言葉でなんとなく現実に引き戻されてしまった。これは私の偏見なのかな? この世界はこの世界で完結していて、でも「文学少年」という言葉がほかの世界を提示しているような気がして、このお話を見る集中力が削がれてしまったというか。
しかし面白かった。怖いもの見たさだけど面白かった。
 

***********************【投票用紙】***********************
【投票】: No.03 不等価交換
      No.07 生まれ変わりの日

気になった作品:No.06 時計仕掛けのローレライ
        No.04 ブツ
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全部面白かった。とは言うものの、選ばなきゃいけないので何とか半分(切り上げ)に絞りました。
まあ感想は全感想で書いたし、良いでしょう。次回があったら私も参加したいね。

久々にお題を頂きたいです

お、お題を把握……できたのか自信はないが、頑張ってみます

無理だろ。いや、できたけど……。何ぞこれ? 2レス投下します。


 合コンをセッティングしろと言われたんだ。と、嘘をついたんだ。
 三人で構成された小さなサークルを二組知っていて、それが男女別に分かれていた。
 そういう状況での好奇心が発端なのか、それとも双方のサークルから寄稿を求められていた鬱憤が原因
だったのか。取引先での懇親会などで幹事を務めるのが多かった件で、双方から全く別々に幹事長と同一
のあだ名を頂いたせいもあったのだろうか。
 兎にも角にも、俺は双方に「寄稿してもいいけど、その代わり知り合いの勤め人から合コンのセッティング
を頼まれてたんだ」と伝えた。
 双方とも予想通りに慌てふためいて、それでも予想通りに断りはしなかった。なかなかいい塩梅に物事が
進むのに頬が緩むのを自覚しながら、俺は双方に勤勉な仕事っぷりや明け透けで親しみやすい人柄などを
嘘を交えずに伝えた。
 ただ、殆ど持ち出しのあんな金のかかる趣味なんて社会人じゃないとなかなか軌道に乗らないだろうとも
思っていたけれど、その思いは伝えることはなく、俺は二組の人間の慌てふためく様をただ見ていた。
 仕事上の立場を双方に伝えて日時は互いの休暇をすり合わせ、あたふたしていた部分は省いてその心待ちに
した様を逐一伝えた。
 会場をセッティングして、会費は男性側に、女性には先に着いていてもらって、今俺は男どもを引率している。
 そのうちの一人、芝克岳から「お、おい、なんの話をすればいいかな?」なんて聞かれたので、俺は
「普段通りでいいだろ、左近」とあしらった。
「いや、左近はまずいだろ。オタバレするじゃん! あっちではそう呼ぶなよ?」
「といっても、お前ら公の立場でのお互いの呼び方なんて調整してたっけ?」
「……あ」
「それに島勝猛はメジャーの部類だろ。あだ名としては普通普通」
 芝克岳(しばかつたけ)、得川靖(とくがわやすし)に石田満(いしだみつる)の三人が揃っているんだから、
東西関ヶ原でーすとでもサークル名をネタにすればいいものの、オタ容疑に怯えるこいつらでは到底無理か。
 まあ、同じネタでも扱う人間によっては滑るものだし、それを上手く回避しようと思ったら少々硬く
ならざるを得ないというのは分かるし、上手くいってもらいたいとは思っているからその意見は尊重するが。
 それでも地が悪いわけでも無いし、面白くないからやらなかっただけで、お互いにオタ趣味を理解して
いながらの合コンと言われたなら上手くいくだろう事も予想ついていたので、オタバレして慌てふためく
所になったらばらすけど。


「どうするよ内府!」
「そういうお前も内府って呼ぶなよ……」
「内府は刃物って事でさ。それより、三成はやめてよね。明らかに違う名前だし」
「いや、あだ名なんだから別の名前でもいいだろ。それより左近が痛い。気をつけてくれよ」
「気をつけろったって、克岳って聞いて山岳に克つだなんてまず連想しないから……無意味では?」
「しばしば芝を島にしてしまったりなんかしちゃったりなんかしちゃってみたりして」
「やめろよ!」
「いや、けれど重要な所のような……。語呂合わせしやすいというのは言い間違えしやすいということでは……」
「そうなんだよね。どうせ左近はばれると思うから、僕らの件だけを考えようよ。時間もないし」
「見捨てんなよ! なんかひねり出してくれよ。こう、新しい呼びやすいあだ名とか」
「そんなのあったら、既にそれで呼んでるような……」
「無理だよね。徒歩であと十分も無いんでしょ?」
 そこで急に俺に振られたので「ああ、正確はあと五分くらいだよ」と答えた。
 目に見えるほど緊張が増したようなので
「サークル内での打ち合わせも、仕事の打ち合わせも似たようなもんでしょ。上司や部下の無茶振りやアフォが
無くて、本人に情熱があればだけど」
「無茶振りやアフォがない仕事なんて無いっての!」
「なら、少なくともコレからのことは仕事より楽ってことじゃん」
「あー……。そういう解釈もできる……かな?」
「まあ、僕もそれには同意なんだけどね。でも、頭で分かっていてもってこともあると思うんだよね」
 三者三様の反応を確認しつつ、俺は最終目的の達成の為に僅かなりとも気晴らしの言葉を紡ぐ。
「俺はこの合コンが成功したらいいとは思っているけど、別にそれは義務でもなんでもないんだから、気楽にね」
「ま、失敗しても明日は来るな」
「少なくとも、今まで通り……以下にはならない」
「気楽にするつもりはあるんだけどね」
 そう、成功させる義務があるのは彼らではない。この道を進んだ先の店にいる彼女たちでもない。
 二つのサークルの舞台裏、お座敷で行われた赤裸々な人間模様。それを収めるボイスレコーダーの準備もできている。
 そう……これは秘密の座談会。
 それを成功に導いて、俺はこの作品を双方のサークルに寄稿するのだ。

これで勘弁してつかぁさい……

なんとかやり遂げた達成感と、手軽な掌編に逃げて描写を省いた未達感が綯い交ぜになって混乱してたけど……

ありがとう
評価って嬉しいもんだね

稚拙な分だったのに、伝えたい内容をしっかり読み取っていただけていたので、流石BNSK住人だと……

自分でも、男女六人+視点で七人のキャラをぶん回す自信がなくて
視点変換をしすぎると上手く伝えられなくなりそうで……とか、逃げに入った自覚があって
自分の駄目なところもしっかりと読み取っていただけているなと、その面でも流石BNSKの住人だなと…… orz

しっかりと挑戦するべきだったのかなと今では思います
最初は慌てて形にする事にいっぱいだったので、気持ちが落ち着いたらいずれ推敲し直して物語として完成に近づけてみます

思えば、それが書いた文章を一晩置いて見直してみるって事なんだろうな……

偶像

>>356 のお題で通常作投稿します。

「あーゆーふぃりんふぁいん♪」
 そのとき私は、何故そんなふうに歌ってしまったのか。春先に胸が踊るみたいに、つい口を出てしまったのだ。
 慌てて後ろを振り返り、誰もいないことを確認してホッとする。だけど正面で物が落ちる音を聞いたとき、私の人生は終わったと
思った。
「て、天使……」
 アスファルトの上に通勤バッグが落ちていた。視線を上げてみると、片手を胸に当てた男の人。
 なぜ手を胸に?
 しかしそんなことよりも歌っているのを聞かれたことが恥ずかしくて、私はかぁーっと顔が赤くなり、飛ぶように家に帰ったので
あった。ついてこられなかったのは幸いだけど、あまりもの恥ずかしさに悶え、ベッドの中で二時間ぐらい塞ぎ込んだ。夜ご飯の時間
になってベッドから起き上がったときは、どうかあの人が私とは全く無関係の人であってほしいと思った。ただ単に今日たまたまあの
道を通っただけで、近所の人でもなんでもない。もう二度と会うことがなければいい。どうか、神様。
「テン、早く食べてしまいなさいよ。片付けられないじゃない。本当に遅いんだから」
 そんなふうに略すならどうしてこんな名前を付けたのよ、なんて、お母さんが悪いんじゃないことは知っている。だけどお父さんが
初めての子供に興奮して変な名前を付けたとき、止めなかったのはお母さんの人生最大の失態だった。
 唯野天使(ただのてんし)。それが私の名前だった。

 中学生のときまで、私はその名前のせいで嫌な思いをすることが多かったと思う。あんた自分の名前がそんなので恥ずかしくない?
 とか、このぶりっ子! だとか、男の子よりも女の子に虐められるほうが多かった。その証拠に私は、小中時代と通して親友と呼べ
る人がいない。
 だけど高校生になると、なんだろう。決して名前で得をしたということはない。ないけれど、それまでとでは全く傾向が異なるのだ。
「天使ー」
「うっ」
 と、まあこのように不意に抱きつかれたりするのである。
「や、やめてよ瞳ちゃん」
 背中越しに抱きつかれて思いっきり頬ずりされたので、くすぐったくて声を上げる。
「やだー。だって今日寒いもん」
 自慢ではないが、私に抱きついてくるのはこの子だけではない。しかし抱きつかれるようになるきっかけを作ったのは、間違いなく
この子だった。
 あれは一年生の冬における体育の授業でのことだった。粉雪が舞うなか半袖半パンでマラソンしろと虐待のような命令を受けた私
たちは、集団で寄り添いながらグラウンドを走っていたのだ。走っているうちに体なんて温まるというけれど、ほとんど歩いている

ような速さではそう上手くいくわけもなく。そのとき彼女が急に思いついたかのように集団の一員(というより巻き込まれていた)で
ある私に抱きつき、他の人たちよりも体温が高いことを発見したのだ。
「うー、天力さまさまやで……」
 彼女がときどき口にする天力とは、よく知らないのだが、テンテンくんという漫画からきているらしい。その漫画に出てくる天使は
天力という力を常に纏っているので、冬でも寒くないのだとか。相当古い漫画らしく、なぜ彼女がそれを知っているのか不明だけど。
「あー、瞳ちゃんズルい!」
 そして彼女が抱きついていると次々と違う子も抱きついてきて、まるで東京湾に沈められる前のような状態になるのだ。
「うーっ……」
「天使ちゃん、押し潰されてとんでもないことになってる……」
「んー、本当に天使はかわいいねえ」
 もはやクラスのマスコットというよりペット的存在。それが現在の高校における私の立ち位置なのである。

「ねぇ、天使天使ー」
 彼女が本当に天使を呼ぶみたいに、親しげに私の名前を呼ぶ。
「なあに、瞳ちゃん」
「今日の放課後カラオケにいかない?」
「えっ」
 か、カラオケですと。
「それはちょっと……」
「えー、いいじゃん。私たちもう三年生だよ? 遊べる時間なんて今しかないんだよ?」
 眉をへの字に曲げて彼女が言う。
 今日は四月第一週の金曜日。「三年生は受験生だから頑張ってくださいね」なんて始業式で言われた言葉を真に受けて、全員がなん
となく「そっか、私たちはもう受験生なんだ」って気分になっている。進路なんかまだ全然決めてない私だけど、そろそろ決めないと
まずいかなって気になったりして。
 瞳ちゃんも、やっぱり考えているのかな……
「こら、トリップしない」
 瞳ちゃんに頭をチョップされる。痛い。
「天使ってときどき自分の世界に閉じこもることあるよねー。ま、そこが可愛いんだけど」
 彼女に言わせておけば、私のやることなすことがなんでも可愛くなってしまう。いい加減恥ずかしくなってきたので、話を元に戻す
ことにした。

「だけど私、今日お金持ってきてないよ?」
「大丈夫大丈夫」
 瞳ちゃんが私の肩をポンポンと叩く。
「そんなの私が奢ってあげるから」
「え、悪いよ」
 反射的に私が言う。
「悪くない、全く悪くないよ。私は自分の懐を痛めても天使の歌声が聴きたい。そう私の全細胞が叫んでいるのだ――」
 瞳ちゃんが目を見開き高らかに宣言する。これは漫画か何かからの引用なのだろうか? 詳しくない私には分からないのだが……
「でも……」
「みんなも天使と一緒にカラオケ行きたいよね?」
「行きたい!」
 瞳ちゃんが振り返ると、現れたのは瞳ちゃんシスターズだった。瞳ちゃんを中心にぐるーっと囲むように集まるから、(実は瞳ちゃ
んたちと仲良くなる前から)心のなかでそう呼んでいる。
 彼女たちはまるで台本で示し合わせたかのようにどこかで繋がっていて、多数決の場で大量の賛成票を投じるシステムを持っている
のだ。
「ほらほら、みんな行きたいと言ってるよ」
 こうやってスクラムを組まれてしまえば抗う術はなく、こくりと頷くしかないのだった。

「天使ちゃんラルク好きなんだよね? どんな声で歌うのかすっごく興味あるー」
 シスターズのひとりがそんなことを言ったので、無難な歌を歌おうという目論見は脆くも崩れ去ったのだった。
 まあ無難な歌と言ってもどんな歌があるのかよく分からないけれど。そもそも私は小学生時代に家族と行って以来、カラオケという
ものは随分久しぶりだったのだ。からかわれそうなので口には出さなかったけれど。
「天使ちゃん、私がジュース入れてきてあげる。メロンソーダでいいよね?」
 それにまるで接待されているかのように周りで着々と準備が進められていって、なぜ彼女たちは私の飲み物の好みを知っているのだ
ろう? ラルクのことはなんとなく話した記憶があるけれど、飲み物について話したことなんてあったかな……
 とにかく私は「自分ちのペットなんだから好きなものなんて知ってて当然」なんて感じで、どんどん逃げられない方向に追いやられ
ていったのである。
「さあー、天使。一発目良いの頼むよ?」
「え、最初に私が歌うの?」
「当然じゃん。だって私たちは天使の歌声を聴きにきたんだよ?」

 ねえ、と瞳ちゃんが周りに振ると、頷く一同。
 まじですか。
 瞳ちゃんに「これで検索するんだよ」と渡されたリモコンで何か歌える曲を検索して、って何を歌えばいいのか分からないよ! ラ
ルクを避けたくてもスマップとかしか知らないし、第一サビ以外はあんまり覚えてない。
「ああ、ほら、天使が早く選ばないからアーティストのインタビューが始まっちゃってるよ。なに、あの斜めに刈り上げた変な髪型!」
 できればそのアーティストとやらがどんどん奇抜な格好をして瞳ちゃんたちの興味を惹きつけてくれればいいのだけど、当然そんな
に長い間効果が期待できるはずもなく。ついに私は曲を入れたのであった。
 画面が切り替わり、曲のタイトルとアーティスト名、番号が表示される。
「きた! ラルク!」
「レディステディゴー……?」
「私この歌知ってる!」
「ええ、天使こんな曲歌えるの?」
 最後の瞳ちゃんの言葉が気になったが時すでに遅し。私はマイクを取り上げ、ついに覚悟を決めたのだった。

「Are you ready?」

――ミュージックスタート――
http://m.youtube.com/watch?v=cjNtqHexA3Y

  ――READY STEADY CAN’T HOLD ME BACK――

「え?」

  ――READY STEADY GIVE ME GOOD LUCK――

「ええ?」

  ――READY STEADY NEVER LOOK BACK――

「うそっ」

  ――LET’S GET STARTED READY STEADY GO!!――

「まじでぇぇえええっ!?」

 生音バンド演奏と書かれていただけあってさすがに音が良い。かき鳴らされるTETUYAのベース。何故かPVはラルク本人じゃ
なくアニメなのだが、不思議と合っているので気にならない。
 シスターズのひとり、伊達メガネの肥後ちゃんが目を丸くしている姿が見えたが、もはやそんなことを気にしている場合ではない。
 場面の切り替わりに合わせて、私はマイクに音声を入力する。

  ――吹き飛んでゆく風景 転がるように前へ――

  ――苦し紛れでも 標的はもう見逃さない――

 同じくポカンとしている南ちゃんは一見不良っぽく見えるけど、歳が離れた弟の世話をする良い子である。

  ――あてにならない地図 焼いてしまえば良いさ――

  ――埋もれた真実 この掌でつかみ取ろう――

 少しリズムに乗ってきた髪が長い七瀬ちゃんはお嬢様みたいだけど、実は抱きついてくる回数が一番多いことを私は知っている。

  ――夢中で――「早く――」

 瞳ちゃんがベストのタイミングで合いの手を入れてくる。

  ――駆け抜けて来た――

  ――うるさいくらいに張り裂けそうな鼓動の高鳴り――

  ――響いて 「呼んで――」 いる君の声――

  ――ここで立ち止まるような時間は無いさ
   READY STEADY GO!!――

 この頃から腕を上げたkenのギターに、鳴り響くベースとドラムの音が気持ちいい。そして曲は二番に突入したのだった。

 ………
 ……
 …

 わあー、と誰彼もなく声を上げた。七瀬ちゃんが思いっきり私に抱きついてくる。
「すごい! すごいよ天使ちゃん!」
「実はちょっとサビの最後が上手くいかなかったんだけど……」
 あの「READY STEADY GO」の部分は叫びつつもしっかり声を落とさないといけない場面なのだ。しかし周りはそんなの関係ない、
すごいぜ天使、というように喝采の声しか聞かれなかった。
「まさかあんな格好いい声で歌えるなんて……ただでさえ天使、ただでさえ天使ちゃんの魅力が倍増だよ!」
「天使ちゃんみたいな外見でさ、あんなハスキーな声で歌う人って見たことないよね」
「むむう……歌手・天使か……」
「それ面白いんじゃない? 新しいアイドルですって紹介されたらファンになりそう!」
 勘弁してくれ。
 しかし周りの興奮は冷めやらず、結局私はひとりで多くの曲を歌わされたのであった。そのたびに、ラルクの様々なジャンルの曲で
応えていた私も私なのだけど。

「あー、笑った笑った。あんなに楽しかったの久しぶりだよ」
 午後六時にカラオケを出て店の前で解散して、ふたりで地下鉄の駅に向かって歩いているとき、瞳ちゃんがそのようなことを言った。
 私は後悔していた。
 ついつい乗せられて何曲も歌ってしまったけど、明日から弄られるネタがこれで増えてしまったではないか。
「けど、一曲目のあれは本当にびっくりしたなあ」
「あ、あれは……」
「あはは、何も言わなくていいって」
 そういって瞳ちゃんが私の肩をポンポンと叩く。何故かこのようにされると、私は全く反論できなくなるのだ。
「一曲目のときは本当驚いたけどさ。二曲目、三曲目はそんなに激しくなかったけどしっかり歌えてたでしょ。そこで『あ、こいつ、
歌うの好きだな』って思っちゃったから」
 思わずかあっとなる。実は暇なときは思わず歌を口ずさんだりしていたから、歌うの好きなんだなあって自分でも何となく思ってい
たけれど。客観的に言われると、やっぱり恥ずかしい。
「けど、瞳ちゃんもすごく上手だったよ?」
 話を逸らすように言ってしまったけど、私の本音だった。私ばかり歌っていたせいで一曲しか歌わなかったのだけど、本当はもう少
し聴いてみたいと思っていたのだ。

「最初の曲、タイトル忘れちゃったけどファルセットがすごく綺麗だった。他のね、七瀬ちゃんとかも上手なんだけど、瞳ちゃんはな
んか響き方が違ったもん。まるでプロの人みたいっていうか……」
「そう聞こえるだけだよ」
 後ろで手を組んで胸を逸らしつつ、瞳ちゃんが言った。
「テレビとかでアーティストが歌っているの聴くとさ、『あれ、そんなにも上手くないなー』って思ったりすることない? もしかし
たら自分の方が上手いんじゃない? って思ったりして。だけど実際に生で聴いてみると、すっごく上手いんだよ。どうやってそんな
声出してるの? みたいに。そして歌が上手いだけの人なんて、たくさんいるからさあ」
 すごく具体的で、もしかして瞳ちゃんにはそういう経験があるんじゃないかと思った。怖くてとても聞けないけど……
 瞳ちゃんはとても素敵な子だ。私が中学生の頃と状況が異なっているのは、多分瞳ちゃんのおかげだと思う。一年生の最初の頃、
「高校生にもなってまだそんなことしているの?」と彼女が言った言葉が、まだ耳に残っているから。
「ねえ天使」と彼女が言った。
「なあに?」
「進路ってさ、もう決めてる?」
「ううん……瞳ちゃんは?」
「私もまだ、だなあ」
 そっか、まだなんだ。
 それから私たちはなんとなく一言も口にせず、地下鉄の駅に着いた。反対方面だから、改札口を出てすぐのところでお別れだ。
「ねえ天使」
 別れの挨拶をする前に、瞳ちゃんが話しかけてきた。
「なあに?」
「真剣にさ、歌手にならない?」
「えっ」
 私は面喰らった。
「本格派かアイドルかわかんないけどさ。天使は売り出し方さえ間違えなければ意外といけると思うんだ。私がマネージャーになって
さ、ふたりで……ってどう?」
 どう返せばいいか分からずドキマギしていると、瞳ちゃんがニヤッと微笑んだ。
「じゃーね!」

 私は電車に乗っている間、彼女が言ったことをずっと考えていた。歌手になるとかそんなのじゃなく、彼女らしくないということだ。
言った内容は分からないけれど、タイミングとか。
 私は今日、瞳ちゃんが歌が上手いということを初めて知って、実はあんまり瞳ちゃんのことをよく知らないし。
 時期も時期だし、ああ見えていろんなことを考えているのかな……
 ひとつ大きな溜息をつく。外の景色を見て気分転換しようにも、地下鉄だから真っ暗だし。
「Are you feeling fine?」
 ハッとして私は掌を口に押し当てた。何を歌っているのだ。ここは地下鉄の中なのに。
 周りに聞こえちゃったかな、そんな大きな声ではなかったと思うんだけど……
 そのとき、どさっと物が落ちる音がした。驚いて振り返ってみると、床に転がっていたのは通勤バッグだった。そしてその傍には、
吊革を持ったスーツ姿の男の人が……
「て、天使……」
 げっ。
 私は逃げようとしたけれど、運悪く自動ドア付近の三角コーナーに陣取っていたのだ。しかも男の人が吊革を離し、何故か胸に手を
当ててこちらに近づいてくる……!
 あろうことか、男の人は震える私の手を握った。
「ひっ」
「私は……」
 そして語られた男の人の正体に、私は驚愕したのだ。
                (完)

終わりです。偶像、と聞くと BUCK-TICK の idle という曲しか思いつかなくて……
しかし使ったのは何故かラルク!!

品評会はたぶん駄目だと思っていたけれど、意外と票が伸びてくれたので、終わってみると悔しいですね……
こういう人数が多いときに優勝しないと、やっぱり。
次回があれば、今度こそ・・・・・・という感じです。

あ、しかも綴り間違ってる。idle じゃなくて idol ですね。すみません。

まず、作品を評価するとかしないとか以前に、一読者の立場に没入できませんでした。
作者としてでもなく、スレの参加者、板の利用者、ネット界隈の住人として、J@$R@Cの介入を許しそうな表現に危惧と戦慄を覚えざるを得ません。

著作権を侵害している二次SSが氾濫している板で何をと思われるかも知れませんが、三ッ木ー等のAAやネタに関しては目線やその他名前などを不明瞭にさせる表現がテンプレートと化しているように、あれでも各々がそれがよろしくない行為だと自覚した上でより問題となり難い題材や描写へと表現の幅を絞った上でのことです。

ぶっちゃけ、ご本人が気にされていたyoutubeの貼り付けなどは「いいぞ、もっとやれww」というノリですが、タイトル及び歌詞を、曖昧にせずにしっかりと記載してスレに投下するという行為にはあまりいい感情を覚えられません。
長々と、作品に対してではない苦言を失礼しました。

   ・

さて、作品自体の感想ですが……なんか、勿体無いなというところでした。
過去のいじめの実態も、現在の友人達の姿形も、主人公のヘアスタイルも、不用だと思うからこそあっさりと流し、もしくは省略していたのだろうと。
その分だけ、歌に関するところに注力しようとしたのだろうと思えましたが、その記載された文章における部分を何かとても上手く歌ったという表現ばかりで、主人公の声質もイメージできませんでした。

高音に伸びる声で一オクターブ上で涼やかに歌いきったのか、元の音に近い声がでるハスキーボイスなのかすら。
youtubeを貼り付けたのは(個人的には)OKだとしても、それをどのような子がどのように歌ったのかが分からず、読者が想像で補足してその歌声を思い浮かべるにせよ、その取っ掛かりとなる部分すらないままに、折角の見所が終わってしまった感あり、とても残念です。

せっかくyoutubeへのリンクを貼り付けたのだから、歌詞やタイトルについて文字数を用いるよりも、
いまにも演奏に消えそうな高く静かな声が、ドラムのビートが刻まれる瞬間に遠くで鈴の音がリン……と重なるかのように小さくともはっきりと響き、トライアングルの余韻のような芯の通ったまま儚く消えていくビブラートがフレーズの末尾を飾っていく。
という風に(これは自分が声の高い子が静かに淑やかに低音の歌を歌うのが大好物なだけでありますが)、作者がどういう音が好きなのかを滔々と語る方に文字数を用いてもらいたかたったかなと思っています。

作品の展開的にはシンデレラストーリー的でそれもまた憧れの対象という面での偶像の暗喩かなと、アイドル(歌手)とヒロインというイメージ像(シンデレラ)という風情で、綺麗にお題を消化されていると思えました。

>>389

コメントありがとうございます。

やっぱり歌詞貼り付けは不味かったですね……
本来ならば商業誌みたいに許可を取らないといけないのですが、ここなら大丈夫かな? えいや、っとやってしまいました。
やはりこういうことをすると気分を害される人が出てきますし、自分も何か心のモヤモヤが残るしで、良くないですね……
今後気をつけたいと思います。

なお、このようなことを書くと荒れるかもしれないですが、歌詞はともかくタイトルも不味いのでしょうか?
例えば村上春樹の小説には、実在する本や歌のタイトルとか出てきますが、やはりああいうのはちゃんと許可を取ったうえでやっているのでしょうか。
厳密に言えば商標権に引っかかりそうですが、なんとなくそこはオッケーだと考えていました。

主人公の声質は、今回はあえて書きませんでした。
その理由はご記載いただいたとおり読者に想像していただきたかったのですが、どちらかといえば youtube と合わせて読んでほしいという気持ちがありました。
少し前にある人から「いま小説といえば単に文を読むだけだけど、昔(映画などがなかった時代)はもっと工夫されていた」という話を聞いたのです。
その人曰く、例えば巻物をひっくり返したら巨大な龍が現れるなど、すごくエンターテイメント性に富んでいたらしいです。
それを聞いたときは「いや、文章で想像するから小説は面白いんじゃないか?」と思いましたが、そのときの言葉が何故かずっと心に残っていたので、今回のような形の小説になりました。
私の中では、天使ちゃんの声=hydeの声です。
想像すると、少し怖いですが……

気が向けば、文章で表現するバージョンも書いてみようと思います。

私まだてきすとぽいのアカウント持っているので、前回と同じ形式で良ければ以下のような感じで立てようと思いますが、如何でしょうか?

執筆期間:04/10 (水) 00:00 ~ 04/26 (土) 23:59
投稿期間:04/27 (日) 00:00 ~ 04/30 (水) 23:59
投票期間:05/01 (日) 00:00 ~ 05/05 (火) 23:59
集計発表5/6

参加者がいないと始められないので、今日中に私を含め三人参加表明があれば開催することにしたいと思います。

お題ですが、もし優勝者が今日中に来られなければ、安価にしようかなと思ったり……

そんなに安価遠くしなくても……。

せっかくだしお題を貰おうかな

んー、420 はちょっと通そうですねぇ……

あんまり待っていると執筆期間が減ってしまいますので、今回のお題は

「絶望」
または
「420 のお題(4/10 23:00 までに 420 に達すれば)」
のどちらを選んでもOK

にしたいと思います。
#「の中に光を見出す人間」は複数人でやるには範囲を絞りすぎな気がしたので、今回は見送らせていただきました。

てきすとぽいには 4/10 23:00 以降に立てます。

>>415

夜更かし

あれ、意外とすぐに 420 行くかも……

女子アイドル『兄は私のマネージャー』

>>419
>>420

なんだこのお題……!
と心のなかで叫んでから寝たけど、起きてからよく考えたら、意外と良いかもしれません。

「女子アイドル『兄は私のマネージャー』」に見せかけた「絶望」……!

もしくは「絶望」に見せかけた「女子アイドル『兄は私のマネージャー』」……!

……まあ難しいかもしれませんが、複数お題があることでインスピレーションが得やすくなるかもしれませんし、別に片方だけの採用でも構わないとしましょう。

ということで、てきすとぽいに立ててみました。
http://text-poi.net/vote/60/summary.html

今回のお題:「絶望」または「女子アイドル『兄は私のマネージャー』」
※片方のみを採用、両方採用のどちらでもOK
縛り要素、枚数制限等は無し

執筆期間:04/10 (水) 00:00 ~ 04/26 (土) 23:59
投稿期間:04/27 (日) 00:00 ~ 04/30 (水) 23:59
投票期間:05/01 (木) 00:00 ~ 05/05 (火) 23:59
集計発表5/6

踏み台のつもりで絶望書いたらお題にされた
というか僕参加出来ないんですがお題出してよかったんですかね…

>>424

お題はとくに参加者じゃなくてもOKです。


え、「女子アイドル~」はダメなの?

しかしお題「上」て……本当に上?
ちょっとどちらの意味なのかわかりずらいので「上」は無しで。

>>419 は評判が悪いので 430 に再安価しますが、あんまりこの流れを繰り返しても良くないので 430 が最終にします。
#もし 430 がわかりずらいようであれば、私の独断で「絶望」+「女子アイドル~」にします。

430 には、
お題「~」
という形でお題を書いてください。
#お題を「上」にしたいのであれば、お題「上」と書いてください。

ということで、もう一つのお題は「一目惚れ」に決まりました。

今回のお題:「絶望」または「一目惚れ」
※片方のみを採用、両方採用のどちらでもOK
縛り要素、枚数制限等は無し

執筆期間:04/10 (水) 00:00 ~ 04/26 (土) 23:59
投稿期間:04/27 (日) 00:00 ~ 04/30 (水) 23:59
投票期間:05/01 (木) 00:00 ~ 05/05 (火) 23:59
集計発表5/6

http://text-poi.net/vote/60/summary.html

これ以降は如何なることがあってもお題を変更しません。

では、作品を書き進めてください……!

よく分かんないんだけど、何で絶望が必ず入ってるの?
この場合、ひとめぼれだけじゃないの?

>>432

なぜ絶望が入ってるかというと、>>416 の時点で「絶望」は入れますと宣言したからなんですね……

まさか >>420 まであんなにすぐ進むとは思っていなかったので、私の認識が甘かったということで……

今回は、先ほど連絡したとおり「絶望」もしくは「一目惚れ」で進めさせてください。

ん、お題って上に決まったんじゃないのか
いろいろ書けそうで面白そうって思ったけども

出題者云々は別に気にしなくて良いよ
流石にアイドルだのマネージャーだのはごめんだけどさ
自分で決めるのめんどいから安価にしたんだし、運営やってくれる人がやりやすいようにやってくれればいい

あ、そうか……

ごめんなさい。
>>436 の方が優勝者だということに今気がつきました。
普通に参加表明+お題の出し方を提案してくれたのだとばかり……

そりゃ批判が殺到しますね……

とりあえず早くお題を確定させないといけないというところばかりに頭がいっていました。

いろいろ問題起こしてしまって申し訳ありませんが、>>436 にもこう言っていただけたので、今回お題は >>431 のほうで進めさせてください。

つまり品評会、女子アイドル「私の兄はマネージャー」で書いてもいいのかな?

>>457

すみません。
ここに書いたとおり、「女子アイドル~」は無しになりました。
http://text-poi.net/vote/60/summary.html

「絶望」もしくは「一目惚れ」で書いてください。

「絶望」もしくは「一目惚れ」のどちらかを上手く組み合わせられるのであれば、女子アイドルを書いていただいてももちろん問題ありません。

一応転載したほうが良いかな、と個人的に思ったので転載します。今回不参加なのでせめてこれくらいは。

まずは、茶屋氏「恋のまなざし」

初恋は多分、幼稚園児だったか、それぐらいの時分。
父の手にひかれて桜並木の下を歩いていた。
舞い散る花びらを追っていると視線の先に、綺麗な女の人が見えた。
とても、とても綺麗だった。
同じくらい綺麗な人は多分たくさんいただろうし、その人だって女優並の美人ってわけではなかったと思う。
けれど、彼女は特別で、輝いて見えた。単純な綺麗だなっていう感情とは別の何かがあった。
圧倒されるように立ち尽くしてしまった。
それからだいぶしてから、それが恋という感情で、一目惚れって呼ばれてるものだって知った。
普通だったらそれはそれでよい思い出になったかもしれない。
すれ違った女性に一目惚れした幼稚園児。なんとも微笑ましい。
それで終わり。終わりのはずだったんだ。
だけど、それが全ての始まりだったんだ。
そう、全ての。
綺麗な女の人は、目の前で車に撥ねられた。
関節がおかしな方向に曲がって、血を流して、見開かれた生気の無い目はじっとこちらを見ていた。
桜舞い散る季節、それが僕の初恋。

今でも初恋の人のことは夢に見る。
この記憶が本当に目にした光景なのか、それとも幾度も記憶を反芻するうちに変質を遂げたものなのかはわからない。
目の前で初恋の人が死んだ。
死んだとは限らないかもしれないが、多分死んだだろう。助かりっこない。少なくとも今までの経験上は。
そうだ誰も助からなかった。
皆死んだ。
幼稚園で三年間一緒だった子を好きになった時には普通の風邪のはずが別の病気も併発して死んで小学校の時好きになった娘も夏休みが終わっ
てみると担任が彼女が事故で死んだことを告げ憧れのアイドルは薬物中毒で死に中学まで一緒だった娘は中学二年の夏に首を吊って高校で優し
かった先輩は通り魔に襲われて大学のコンパで出会った彼女は心臓まひで会社の取引先で出会った彼女はアパートの火事で焼け死んだ。
みんな、みんな、みんな、死んだ。
恋した相手は皆、死んだ。
中学生の時にはそのことに薄々気づいていたし、こんなに悲しい思いをするならばもう恋はしないとも誓ったりもした。
けれども、駄目だった。
その感情に気づいてしまった瞬間、それを消し去ることなんてできないんだ。
気づいてしまったら最後、あいつもこっちのことに気づいてどんどん成長していく。
想いは止めることはできず、そしてそのせいで人が死ぬ。
絶望もした。自殺を試みたこともあった。いっそ外に出なければとも思った。
だけど、生きることを止める勇気は、なかった。
他人の命を奪ってでも生きようとするクズなんだ。
どうしようもないクズなんだ。
もちろん、心を殺すように努め、なるべく恋はしないようにしてきた。
うまく行っていたと思う。
もう、誰も死なない。
おしまいだ。全部。
そのはずだった。
君に出会うまでは。
でももう嫌なんだ。
誰かを死なせるのは。
多分、君はもう助からない。
だから、せめて、一緒に。

「恋のまなざし」は以上です。

続いて、犬子蓮木氏「終わりの決定」

「ライオンが逃げたぞー!」
 わたしは開いていた入り口からゆっくりと外に出る。太陽がまぶしい。檻の中に差しこんでくるような淡い光でもなく、
人間達が用意した偽物の光でもなく、太陽からの日差しがわたしの体を温めてくれた。
 人間達が騒がしい。
 わたしを怖がって泣いていた格子の向こうの小さな男の子みたいだ。
 いつもなら、格子の向こうでゆっくりとわたしを見ている人間達が叫び声をあげて逃げていた。大人も子供も、
わめいて、叫んで、泣いて、逃げて、わたしから遠ざかっていく。
 そういうことか。
 本能で理解した。
 あれは餌だ。
 この動物園で生まれて、人間に餌をもらって生きてきた。だけどそれはやはり噂通りの屍肉であったのだろう。
鼻がひくつく。四肢で硬い地面を踏みしめて、毛を振るわせた。わたしの体がわたしに「狩れ」と命ずる。
 吠えた。
 人間達の悲鳴が一瞬止まる。
 そして再びの大絶叫。
 わたしは、一番近い人間の元へ駆けだした。
 人間は走ることをやめ、地面に転がり、わたしを見たまま、震えていた。
「たすけて。たすけて」
 前足を振り上げる。
「やめなさい!」
 振りおろそうとしたとき、聞き慣れた声を聞いた。ずっと遠くで、その声を出したのは、いつもわたしに餌をくれていた
人だった。なにかの囲いの影で、他の人間に押さえつけられながら叫んでいた。
「やめなさい! 人を傷つけたら、あなたが殺されるの!」
 わたしは前足を振り下ろし目の前の人間を引き裂いた。そのまま前足で押さえつけ、肩口に噛みつく。
 悲鳴が聞こえた。
 あの人間だ。
 わたしに餌をくれた人間。
 だけど言葉はわからない。
 おいしかった。
 あの人間も同じようにおいしいのだろうか。

目の前に転がった人間は、もう言葉も出さず、動きもしなくなった。いつもの屍肉みたいに、それはそれはまずそうだった。
一瞬なのか。味という意味では違いはあまりないのかもしれない。ただわたしの体が、その一瞬を求めているのだ。
 わたしが食事をしている間に、騒がしかった人間達はみんなどこかへ隠れてしまった。仕方がないので、ゆっくりと探すことにした。
 ここは動物園という場所で、いろいろな動物たちがいる場所だというのは知っていた。だけど、歩いて眺めたことはなか
った。わたしのいた場所からは他の動物たちの檻は見えず、ただ匂いや泣き声だけを知っていたのだ。
 今は違う。
 この動物園を歩くと、わたしがどんな立場であったのかがよくわかる。
 虎の檻があった。
 地面に体を投げ出して、虚ろな目でわたしを見ている。あれは昨日までのわたしだ。わたしもただ視界に入るだけの小さな世界を眺めて生きていた。
 オランウータンが格子に掴みかかって騒いでいる。そちらの方に近づくとよけいにわめいた。何を考えているのだろう。わたしがどう映って
いるのだろう。そこから出たいのか。それともわたしに怯えているのか。
 ただからかっているだけかもしれない。
 あの中から出られないことを知っているのだから、あの中へ入れないことだってわかるはずだ。
 歩いていると獣の匂いに、人間の匂いが紛れているのがわかる。いろいろな建物へ隠れているのだろう。ただ、それができなかった人間もいる。
 何かよくわからない板の裏に人間が隠れているのがわかった。
 まだ小さい子供だろう。
 わたしは舌なめずりしてから近づいて行く。すぐに食べたいという気持ちと逃げて欲しいという気持ちがあった。結果が同じなら
ば労力は少ない方がいいのではないかと思うが、その過程に本質があるのではないかとも思う。
 少年が板の影からとびだした。
 全力で走っている。
 だけど遅い。
 当然のことだ。
 人間が、
 たとえ大人であろうと、
 わたしより早くなど走れはしない。

 首をまわし、
 空をあおぐ。
 太陽がまぶしかった。
 前を向き、
 少年を見る。
 脚はもう命令を待っている。
 脳は既に命令を送っている。
 一瞬のラグ。
 少年はわずかすら進めていない。
 わたしは、
 ただ、
 地面を蹴った。
 すぐに追いつきそうだ。少しつまらないな、と思う。近づくにつれて、少年のかんだかい泣き声が余計に高く聞こえる。ただそんな声
よりも大きな音がわたしを貫いた。
 なにが起こった?
 混線している。
 痛みか?
 わたしは地面に横たわった。血の臭い。煙の臭い。痛み。悲しみ。青空は見えない。餌はどこへ。オランウータンの笑い声が聞こえる。
虎はわたしを見ているだろうか。
 眠ればいいのか?
 そうすれば、また、檻の中に戻ることができるのか?
 否、そうはならないだろう。これが終わりなのだ。先程、わたしが人間に与えたように、人間がわたしに終わりを与えたのだ。人間は、
わたしを食べるのだろうか。それならそれでいい。檻に入れておくよりは、理解できる。
 あの人間の声が聞こえた。
 わたしのことを呼んでいた言葉が聞こえた。
 言葉の意味は、わからない。 

「終わりの決定」は以上です。

続いて、しゃん@にゃん革氏「ふほへほげげのげ/絶望、そして文学が生まれた時」

(原文みたいなもの)
 ほげほげほほほげげ ほげげげ
 ほーげほーげ ほげほげほげげ
「おほっ うほっ ほげげげ ほほっうっほうほっほ」
「へへほげほ ほーげほーげ ははへげほ」
「うほっほ へげへげほ ほげほげほげほ」
 へへほげ ほげほげへげ へへほにほ
「ほほほげげげほげげ ほげげげのげ、BNSKほへ へげげのほへほげげげほーげげげ」
 へへほへほっへ ほげげげんげ へげげほーげげげ
 ふほへは ほげげんは へーほへへ
「んほへげげ ほげっげのげ へへほひほへひひへほ」
「へほ ふふんげほげほげ へーひひはー」
 ほげひほ ほげほげんほ ほげげのげ
 ほにはひへげへげ ほーへへ
 ほげほげお ほーげおちゃん
 ふはひへ ほへへへっへ

ありがとうございます。
まさか転載してもらえるとは……

さっき私が超長いのをてきすとぽいに投下してしまったんですけど、それはさすがにちょっと辛いですよね?

自分の作品なので、自分で転載しようと思います。
#その前に、さすがに長すぎるとアレなので、まずはレス数を数えてから……

(現代語訳)
 鉄棒でもなく、渇望でもなく、ましてやうまい棒でもなかった。
 人類の黎明期、とある原人の群れが諍いを起こしていた。
「ちょっと待てや、こら。お前ら、人の餌場荒らすわ、メスにちょっかい出すわ、タチが悪すぎるんじ
ゃ。この大地溝帯から出て行けや。いい加減、これ以上辛抱できんぞ、おう」
「そんな。私ら森の奥の木の実を食べているだけですし、ましてやメスにちょっかい出すなど。ちょ、ち
ょっと一目ぼれしたと言いますか。あなたもオスなら分かるでしょう。お互い平和にいこうじゃないですか」
「じゃかましいんじゃ、ボケ。言い訳かますんなら、さっさと出ていけや。お前らみたいな身勝手な種族は
お荷物なんじゃ。北へ行けや、北へ。ここはわしらの土地じゃ。まだ迷惑かけるつもりなら、覚悟せえよ」
 北の土地は荒涼とし、餌も少ない。飢えた獣が徘徊し、希望の一欠片もない場所だった。
「おうよ、お頭に逆らったら、ただじゃすまんぞ。俺ら、ぶんどったり寝取ったりしたら承知しないから、
略してBNSKじゃ。俺らを怒らせたら、アフリカやユーラシア程度ですむと思うなよ。ぐだぐだしとったら、
アメリカ大陸の最南端まで追いかけ回したるわ」
 こうして一つの種族が大地溝帯から追放され、やがてアフリカ大陸からも遁走することとなった。
 しかし、お頭は彼らが憎くて追い出したのではない。この瞬間こそ、文学の誕生だ。絶望からの再起。彼
らが立ち直ることを願うお頭の胸中には、葛藤という新たな感情が芽生えていた。
「しかし、お頭、あれですな。あいつら、上手く乗り越えてくれるんやろか。なんやもう、俺、こんな気持
ちはじめてや。なんで他人の心配しとるんやろ」
「さあ、それこそ神のみぞ知るちゅーやっちゃ。さて、わしらも狩りに出掛けるぞ。うちのカミさん、腹に子
供がおるせいか、獲物少ないとめっちゃこわいねん」
 日差しが強くなったブッシュに、影が二つ。その彼方に、象の群れが歩いていた。
 こんなちっぽけな存在なのに、どうしてわしら子孫をつくっとるんやろ。
 またしても考えたこともない疑問が頭をよぎる。
 それを振り払うかのように、地平線に向かって二つの影は走り出していた。

「ふほへほげげのげ/絶望、そして文学が生まれた時」は以上です。

>>527
改行等でミスるかもしれませんし、ご自身で転載していただいた方が確実かもしれません。
とりあえず私は様子を見ようと思います。

>>529

ありがとうございます。
あと、途中で割り込んでしまって申し訳ありません。
てきすとぽいで読んでいたとき、まさかふほへほげげのげの話に続きがあるとは思っていなかった・・・・・・

25レスだったので転載しようかどうか迷いましたが、せっかくなので転載しておこうと思います。

 本屋で参考書を買った帰り道、アイツに遭遇した。最悪だ。
 女の人を連れていた。私より背が低い。そのくせ意外と胸があり、まるでCMの人みたいな綺麗な髪をしている。
 誰だろうこの人。
 アイツが口を動かした。「よう」って言ってる。
 なんだよ、「よう」って。そんなこと家で一度も言ったことないじゃない。
 私が無視して歩いていると、アイツと女の人も後をついてきた。
 どうしてついてくるの?
 そりゃアイツと私は同じ家に住んでいるんだから仕方ないかもしれないけれど……どうして女の人までついてくるの? もしかして
家に連れ込むつもり? 勘弁してよ!
「ねえ奏(かなで)くん、知り合い?」
 意外と、見た目よりは図々しい女の人の声が聞こえてきた。
「ええ、妹?!」
 エミリーの歌声に、悲鳴のような甲高い声が差し込んでくる。
「奏くん妹がいるなんて聞いてないよ!」
「どうして言わないの?」
「私はリーダーなのよ。メンバーのことはちゃんと把握しておかなきゃ!」
 うるさい。うるさいうるさい。
 どうしてこのヘッドホンはあの人の声をキャンセリングしてくれないの? アイツの声はシャットアウトするくせに――
 私は駆け出した。逃げているみたいで嫌だったけど、それ以上あの場所にいたくなかった。
 結局アイツはあの人を家に連れ込むことはなかった。どうやらそういう関係ではないみたい。毎日でもないみたいだし。
 次にふたりを見かけたとき――警戒していたから鉢合わせする前に道を避けたのだが、女の人が肩にギターケースを担いでいること
に気がついた。あの人がバンドのリーダーなんだ。アイツ、高校に入ってからしばらくして軽音楽部に入ったって聞いていたから。こ
の目で見るまで本当に活動しているのかどうか信じられなかったけど……女の人と一緒に、バンド組んでいるんだ。ふーん、別にどう
でもいい。けど、不潔って気がする。ふつう男子と組むんじゃないの? 本当にアイツは何を考えているのかよく分からない。

「ねえ楓」
「なに?」
「うわ、機嫌悪い」
 翠が両手を顔の前でぎゅっとして、怖がるふりをする。
「別に機嫌悪くない」

「ウソ、氷の女王様みたいな目をしているよ」
「氷の女王様なんて見たことないくせに」
 私がそう吐き捨てると、翠はやれやれというポーズをする。
「また弟くんのこと考えていたの?」
「考えてない!」
「ウソ。だって楓が機嫌悪くなるのって、いつも弟くんのことばかりじゃない」
「別に機嫌は悪くないし、アイツのことだって考えてない」
 私は翠の顔から目を逸らしそう言うと、わざと音を鳴らして席から立ち上がった。
「どこに行くの?」
「移動教室。だから呼びに来たんでしょ?」
 午後は二時間連続でパソコンの授業だったのだ。
 教室を出て、翠と並んで廊下を歩く。
 道行く道を人が避けていった。そんなに私は怖い顔をしているだろうか。
 階段を降りて、中庭に沿ったところで四人目の男子が道を譲ってきて、
「もう、楓。いい加減にしとかないと誰も相手してくれなくなるよ?」
「え?」
 ドキリとして顔を横に向けると、翠が眉をへの字にしていた。
「せっかく可愛い顔しているのにさあ……男子たち誰も怖がって楓に近づかないじゃない」
「なんだ、そんなことか」
 本当にそんなことだった。
 だけど翠はその反応に不満なようで、
「『なんだ、そんなことか』じゃないでしょ! 私たちもう高校二年生なんだよ?」
 しかも秋! と翠は付け加える。
「今どき中学生どころか小学生で付き合っているのも当たり前なんだから! どんどん周りに乗り遅れちゃうよ?」
「別に乗り遅れても……」
「何言っているのさ! そのうちに花の高校生時代は過ぎていき、大学生、社会人……終いには三十路に四十路になって一生独身で過
ごすことになるんだよ? いいの? それで!」
「いや、それはさすがに嫌だけど……」
 さすがに私でも一生独り身で過ごすつもりはない。何がさすがなのか分からないけれど。けど将来「これ!」という人に出会えたと
したら、私は躊躇なく添い遂げるつもりだ。そんな人現れるかどうか知らないし、恥ずかしいから絶対に口にしないけど。

「じゃあもっとこっちからアクション起こさないと! 楓は有名人なんだよ? 陸上界のホープなんだよ? みんなが話しかけやすい
ように下に降りてあげないと」
「うるさいなあ。そういう翠だって彼氏とかいないんでしょ」
「たしかに今はいないけど! 楓と違って恋愛経験ゼロじゃないから!」
「えっ……」
 私は言葉を失った。
「み、翠、付き合ったことあるの……?」
「おお、意外そうだなあ楓さん!」
 翠はトレードマークのポニーテールを揺らして、まるで舞台役者のように大袈裟に言った。
「お仲間だと思っていたでしょ? 残念でしたー!」
「ちょ、ちょっと待ってよ!」
 思わず縋り付くように言ってしまった。
「ウソでしょ? だって翠、今までそんなこと一度も言ったことないじゃない」
「聞いてこなかったからね」
「聞いてこなかったからって……」
 あっけらかんと言う翠に唖然とする。
「だって楓ってそういう話好きじゃなかったでしょ? だから言い出しにくかったんだよ」
 うっ、と唸りそうになった。たしかに私が翠の立場なら言い出しにくかったかも……
 けど、けど、
「それなら今だって言わなくていいのに……」
「楓さんの頑なさに、翠は少し心配になってきたわけですよ」
 翠が教科書と筆記具を抱え直して、
「楓もそろそろ弟くん離れしなきゃなあと思っていたわけです」
「なんでそこでアイツが出てくるのよ……」
 結局そこに行き着くのか、と私は溜息をついた。
「だって楓、男の子といえばいつも弟くんのことばっかり」
「それは、嫌いだからよ」
 言って気分が悪くなる言葉だった。
 嫌い、嫌い。自分に嫌いな人がいるというだけで小さな人間のような気がしてくる。
「けど嫌よ嫌よも好きのうちっていうよ?」

 翠にかかればどんな感情も良い方向に向いてしまうらしい。
 話にならない、という風に私は空いているほうの手を振った。
「そんなことあるわけないじゃん。それにさ翠、勘違いしているけど、私の言う嫌いは無関心の嫌いだから。別にアイツが何してよう
がどうでもいいの。気に障ることをしてこなければね」
「気に障ることって、例えばどんなこと?」
「例えばアイツさ、この前……」
 ハッとする。
「翠!」
「いや、今のは私悪くないと思うんだけど……」
「うるさいうるさい。もうアイツの話なんて金輪際口にしないで」
 私はそう吐き捨てて足早にパソコン室へ急ぐと、背後から翠の溜息が聞こえた。
 もう知らない、翠の横顔だって見ない。
「ねえ、楓ちゃんの弟って青葉高校に通っているんだよね?」
 しかし私が翠から離れても、アイツの話題は私から離れてくれなかった。どうしてアイツは今日に限ってこんなにも人気なのか。
「あのね、実はお願いがあって……」
 パソコン室に入ってすぐ、私に話しかけてきたメガネの女の子・仁科さんは何故かモジモジしていた。いつもモジモジしているけど、
そのモジモジに不穏さを感じてしまうのは何故だろうか。
 ああ、もう。
「ムリムリ。楓、弟くんのこと嫌いらしいよー?」
「別に嫌いじゃない!」
 言ったことに気づいて口を塞いだのだが時すでに遅しで――目の前には驚いて体をビクつかせる仁科さんと、「やっぱり」と今にも
言いたげな翠の表情。
 顔をモニターのほうに向けてから、
「別に嫌いじゃないけど、好きでもないっていうか……あえて言うなら無関心……」
 ポツリと呟いたけど、モニタに映っている自分の顔が情けなくて。
 どことなく気まずい空気になったなあと思っていると、仁科さんが慌てて頭を下げてきた。
「ごめんなさい! 私、そんな複雑だとは思ってなくて……」
「いや、別に複雑でも何でもないの。ただ無関心というだけで」
「でも……」
「本当に何でもないから、ね? ちょっと最近話してないだけだから。思春期にはよくあるじゃない、ほら」

 何だか必死に言い訳してしまっているけど、私は仁科さんが苦手だ。決して嫌いというわけじゃないんだけど、彼女は何でもかんで
も真剣に取り過ぎるところがある。もう少し翠みたく無神経になってくれてもいいのに……
「じゃあ弟くんとの仲は悪いわけじゃないんだ」
 そして無神経の権化たる翠が口を差し込んでくる。
「翠うるさい」
「じゃあ仁科さん、言ってみたら?」
 え? と仁科さんが翠のほうを見る。
「だって仁科さん、楓にお願いしたいことがあったんでしょ? 弟くん関係のことで」
 余計なことを、と翠をひと睨みするが意に介さず。
 でも、と怯んでいる仁科さんを「本当にそれでいいの?」「ここで逃すと次はないんだよ?」とあの手この手で籠絡していく。頑張
れ仁科さん、と私は祈っていたけれど、どうやらそれは違う方向へ向いてしまったようで、
「楓ちゃん!」と力強く私に向けて声を発したのだった。
「なに?」
「青葉高校って来週文化祭あるでしょ?」
「えっと……うん」
 たしかお母さんがそんなことを言っていた気がする。
「だからその、弟くんに頼んでチケットを貰えないかなあ、なんて……」
「ええっ」
 なんだそれは。まさか私がそんなことを頼まれるなんて青天の霹靂だ。しかも仁科さんまで影響を受けて「弟くん」なんて言ってるし。
「おおーっ」と歓声を上げる翠。おい、全てお前のせいだぞ。
「で、楓さんの返答はどうなのですか?」
「どうって……」
「翠的にこれはナイスアイデアだと思うのですよ。青葉高校の文化祭といえば昔から大々的にやることで有名! だけど一昨年からチ
ケット制になっちゃったから遊びに行けなかったんだよねー。だけど楓さんにはその青葉高校に通う弟くんがいた! そうだ! 弟く
んに頼めば文化祭に行けるじゃないか!」
 すらすらと言葉を並べる翠。絶対に知ってただろ。
「文化祭行きたいね、仁科さん」
「うん、行きたい……」
 仁科さんも乗せられて、何だかそういうモードになっちゃってるし。
「ああ、もう!」

 私は全てがどうでも良くなった。

「文化祭、チケット四枚」
「いるの?」
「当たり前じゃん」
「明日渡すよ」
 そう返されたとき、もう明日なんて来るな、と私は思った。
 どうしてこんな思いをしなきゃならないんだろう。私のほうが上なのに、上なのに。
 明日もアイツと会話しなきゃいけないなんてバツが悪いにもほどがある。
 だから私は家の中でずっとヘッドホンを付けてやった。エミリーの曲を流して。
 エミリーの曲はポップで、パンクだ。
 私は現代音楽には常にポップ性がなければならないと考えている。大衆に受け入れられるポップさと、激しさが一体でなければ――
「楓、食べるときぐらいヘッドホン外したらどうなの?」
「今ちょうど良いところなの!」
 さすがに日本の食卓とパンクが合わないこは私にも分かっていたけど……だけどこの時間が、家の中で最も長くアイツと過ごす時間
なのだ。このときばかりは気を抜くわけにはいかない。
 そうして食事を終えお風呂に入った後は、部屋に引きこもりアイツと相対せずに過ごせているけど――本来の目的を果たせていない
ことは私も分かっている。いいんだ、アイツのほうが頭を使えば。私はそんな言い訳をしつつ、机に伏せながら目を閉じて、ヘッドホ
ンから流れてくる音に耳を傾ける。曲はセカンドアルバムの中頃に突入していた。エミリーは日本人の歌手と違って、バラードが多い
ほうじゃないけれど……いま流れている曲はエミリーらしくないと批判されたけど、反面多くの人にも絶賛された曲だ。私は後者の側
に立っている。たしかにエミリーは擦れているけど、それは綺麗さの現れなんだって。今にも壊れてしまいそうなぐらい綺麗だから、
擦れるしかなかったんだって私は思っている。歌詞は英語だけど一度調べたことがあって、遠く離れてしまった人を想う曲だ。だから
エミリーらしくないって批判されているけど……たまには自分らしさを捨てたくなるときだってあるはずなんだよ。
 私も囁くように口を開こうとして――
 肩に手が置かれたのはそのときだった。
 私は慌ててヘッドホンを外して振り返る。
 アイツが、立っていた。
「触らないでよ!」
 言ってみたけどアイツは困ったような顔をするだけで、私は目を逸らして前を向いた。そして再びヘッドホンを被ろうとして、
「チケット」

 ハッとして振り返ると、片手でチケットを四枚差し出していた。
「用があるならメールしなさいよ!」
 チケットをぶん取りながらそう言うと、
「いや、したけど」
「え?」
 返ってきた言葉に唖然として、ヘッドホンのプラグが繋がっている先に視線を移す。スマホの通知画面に、アイツの名前が表示され
ていた。
「もう、うるさいうるさい!」
 ヘッドホンから流れてくるエミリーの歌すら煩わしくなり、スマホからプラグを引き抜く。音楽の再生が止まってひどく静かだ。ア
イツも私も動かず、時間が止まったみたいになって、
「もう用は済んだでしょ。出ていってよ」
「ああ」
 アイツがそう返事して、ドアを開ける音が聞こえて――閉まった。
 震えが止まらなかった。中学のころ大会に出場して、体中が自分のものじゃなくなったようなときに似ていた。あのときはどうした
って――
 震えを止めるために、深呼吸を一回、二回……
「なあ」
 アイツの声が聞こえて、息が詰まりそうになる。
「まだいたの?」
 思わず振り向いて、アイツと目が合った。水晶玉みたいな瞳をしていた。覗くと私の顔が映って、小さな頃はずっと、ずっとその瞳
を覗いていたのだった。お人形みたいで、双子なのに私とは似ても似つかない。
 私は負けるのが嫌で、その瞳を呪いをかけるぐらいにじっと睨んでやった。アイツが先に目を逸らしたので勝ったと思った。
「文化祭さ、あの翠って子と行くの?」
「アンタ翠のこと好きなの?」と言ってやる。
「いや、別に」とアイツは言って、「楓の友達、その子以外知らないから」
「……翠に仁科さん、それに隣のクラスの沢口さんっていう子。その三人と行くの」
「そっか」
 アイツはポツリとそう呟いて――奏とまともに話したのは随分久しぶりだった。アイツの口から私の名前を聞いたのも。普段はあれ
だけいがみ合っているのに不思議だった。もしかしたら私が感じていることは大したことないのかもしれないと思い、
「あのさ」

「……なに?」
 アイツの言葉に耳を傾けてしまった。
「俺、文化祭でライブやるんだけど」
 それを聞いた瞬間、私の中で熱が引いていくのが分かった。周りの景色の何もかもが熱を失って、考えていることが全部馬鹿らしい
と思えるような。
「それって、あの女の人とするんでしょ?」
「女の人? ……ああ、うん」
 アイツは少し考えたけど、どうやら思い当たったようで、
「行かない」と私は言った。
「私がどうしてアンタのライブになんか行かなきゃいけないの?」
 何も考えなくたって、そんな言葉が口から出ていく。
「私はアンタのことも嫌いだし、あの人のことも嫌いなの」
 声を出すたびにアイツの顔を見れなくなり、視線を下げてしまう。
「早く出ていってよ」
 私は机のほうに向くと、ヘッドホンを被りスマホにプラグを差し込んだ。通知画面にアイツの名前が残っていたけど無視して――ミ
ュージックプレイヤーを開いて再生を押せば、エミリーの曲が流れてくる。さっきの途中だったけど、巻き戻す気にはならず。机に伏
せて目を閉じると、私は完全に外部から遮断された。さっきみたいにアイツに肩とか叩かれればどうしようもないけれど、今度は叩い
てくることはなかった。エミリーの歌声は、そのうち私を違う世界に誘ってくれる。

 ―*―*―*―

「ちゃんと私のこと応援してね、奏!」
「分かってるよ、楓」
 奏はそう言って私の肩をポンポンと叩いたけど、全然分かっていない。
 だって今の私は、緊張で体が崩れてしまいそうなくらい不安なのだ! 湯豆腐で豆腐がぐずぐずになった感じって言えば分かるかな
……すんでのところで形を保っているというか、豆腐が無理やり人の形をしているみたい。自分でも何を言っているのか意味が分から
ないよ!
「大丈夫だって。まだ時間あるでしょ? いつもみたいに音楽聞いておけば?」
「うん……」
 オリンピックのマラソンで金メダルを取った選手がさ、ウォーミングアップ中にずっと音楽を聴いていたらしいよ。楓だって走る前

に音楽を聴けば、少しは緊張しなくなるんじゃないかな。
 奏がある日そんなことを言って、それを聞いたお父さんが誕生日にヘッドホンを買ってきた。こんな高いのじゃなくても、普通のイ
ヤホンで良かったのに……だけど実際に使ってみると、イヤホンとは雲泥の差だった。イヤホンは耳の中で音を鳴らしているように感
じるけど、お父さんが買ってきたヘッドホンは、まるで近くで本当に演奏しているみたい。高音は伸びがあって低音は広がりがあって、
ずっと付けていると音楽の世界に吸い込まれそうになるのだけど――このヘッドホンには一つ欠点があった。奏の声が聴こえなくなる
のだ。ノイズキャンセリング機能搭載だけど、危ないから人の声は聞こえるようになっているはずなのに……
「奏。手を握って、お願い」
「分かったよ」
 苦笑しつつ奏は私の手を握る。奏の手は私の手よりも大きく、少しだけだけど男の人の手をしていた。前はそんなことなかったはず
なのに……目は私は少しキツくて、奏は吸い込まれそうな水晶玉の瞳をしている。その他にも頬の膨らみだとかところどころ違うとこ
ろがあって、けれど同じ格好をしていれば、私たちは完全な双子だと思われていた。
 今はどうなんだろう。
 奏の横顔を覗いていると、気がついたのか奏が微笑んできて――恥ずかしくなった私は目を逸らして、ヘッドホンから流れてくる音
楽に耳を傾けた。エミリーの曲だ。エミリーは今年デビューした歌手だけど、ファーストアルバムがいきなり世界で一千万枚売れた。
ファッションは不良みたいだったけど独特で、日本でも真似する人が続出したぐらいだ。カッコよくて私も憧れていたけど……何より
も惹かれたのは歌声だった。とても透き通って、泣きたくなりそうな声をしている。何もない崖で海に向かって一人で歌っているみた
いに。その声を聴いていると私は一人だけの世界に突入していってしまうけど、今は奏がいた。声は聴こえず、目を閉じているから姿
だって見えないけれど。手が繋がっている。私が少し力を込めると、ギュッと握り返してくれる。そうしていると、エミリーが崖で歌
っている背後で、私たちふたりだけが体育座りしてずっと耳を傾けているみたいだった。日が沈んで、日が昇って、水面に光が反射し
て、また日が沈んで……
 ポンポン、と繋いでいる手を叩かれた。
「時間だよ」

 競技場に出てみると、やっぱり別世界みたいだった。そんなに席が埋まっているわけじゃないのに、周囲をぐるっと囲んでいる二階
の観客席が反り返ってきて、押し潰されてしまいそうな圧迫感がある。
 私は昨日、この圧迫感に負けて上手く力が出せなかったのだ。タイムはボロボロ、決勝に残れたのが奇跡なくらいだった。それでも、
中学一年生で決勝に残れたのは凄いことらしいのだけど……
 奏の姿を探していると、観客席の一番前でお父さんお母さんと三人でいた。今日は家族全員で応援に来てくれているのだ。手を振っ
てくれているけど、さっきまで隣にいたとは思えないぐらい、その姿が小さく見える。ひとりなんだって思う。どれだけ奏がそばにい
ても、私はひとりで走らなきゃいけないんだ。

 場内アナウンスが聞こえる。ひとりひとり選手を紹介していく。これがテレビで放送されるなんて嘘みたいだ。私の番になる。声を
上げて「はい!」なんて言ってしまう。隣の人に笑われた。最悪だ。もう走りたくない。
「楓、頑張れー!」
 声が聞こえた。私がそちらのほうを振り向くと、相変わらず奏が手を振っている。一生懸命というより、微笑むような感じで。
 私は覚悟を決めた。
 銃声が鳴り、スタートした。
 私は一番前に出た。長距離走はペース配分が重要だけど、私は自分のペースで走りたい。後続との差がぐんぐん開いていく。振り返
らなくても分かる。
 走っているあいだ、私はいろんなことを考えた。
 奏のことだ。
 奏は私より全然勉強できて、運動神経も良くて、足だって奏のほうが速かった。髪だって柔らかいし、同じ格好をすると奏のほうが
女の子っぽかったし、いつだって奏は私の前を行っていた。私はむかし歌手を夢見ていたことがあったけれど、奏のほうが歌が上手だ
ったし。
 だけど中学校入学時に体力測定があり、そのときの長距離走で先生に「すごい記録だ!」と褒められて……先生は陸上部の顧問で、
そのまま勧められる形で陸上部に入ったのだ。最初は苦しかったけど記録はぐんぐん伸びて、いつの間にか長距離走で奏に勝てるよう
になった。初めて勝ったときのことは今でも覚えている。はしゃぎにはしゃいで、こんなに嬉しいことがあるのかっていうくらいはし
ゃぎ回ったのだから。
 いま奏はきっと、私のことを見ていた。私はずっとずっと、奏が活躍する姿を見ているだけだったのに。作文コンクールで奏が賞を
取ったときだって、先生に褒められているときだって、私はただ見ているだけで、なんで奏だけこんなにも出来るんだろうって。奏の
半分でも私に才能をくれれば、きっと、きっと嫉妬することなんてなかったはずなのに。
 だけど私にだって才能があったんだ。この大会に勝って、勝って、全国大会に勝ち進むんだ。ちゃんと結果を残したら、そうしたら
初めて奏と向き合える気がする。隣に立てる気がする。
 私は走った。無我夢中だった。調子が良い。まるで風に乗っているみたいに体が前に運ばれていく。空気の中を泳いでいるみたいに。
誰も追いつけない!
「やった!」
 結局一度も抜かれることなくゴールに辿り着き、勝ったんだと思った。振り返ると他の人たちは遥か後方にいた。もしかしてレース
はまだ続いている? なんて思ったけど、みんなが拍手する音が聞こえて、係員の人に誘導されて、やっぱり勝ったんだって。
「すごいぞ深山!」
 何か事件が起きたみたいに先生が駆け寄ってきて、
「見ろ! 信じられない記録だ!」

 見つめた先の掲示板に表示されていたタイムは、びっくりして腰が抜けちゃいそうなくらいすごい記録だった。
「これだと全国制覇も夢じゃない!」
 先生の夢みたいな言葉に私は圧倒されて、だけど周りの人もみんな驚いているから、決して嘘じゃないんだって思って。
 私にもちゃんと才能はあったんだ。奏にも負けないぐらい、すごい才能が……
 私は本当に腰が抜けた。なんだか涙がボロボロ出てきて、周りに人がいるにもかかわらずわんわんと泣いてしまった。
「おいおい、泣くにはまだ早いだろ。この後には全国大会が控えているんだぞ」
「だって先生……」
 奏に、お父さんとお母さんの姿が見えた。観客席から降りてきてくれたみたいだ。
「こんな勝ち方いままで見たことないぞ! すごいじゃないか楓!」
「あんなに速いのならどうして緊張したりするのよ……」
 ふたりとも、お母さんは微妙な褒め方だけど、私が勝ったことを喜んでくれているみたいだった。こんなこと初めてだ。
 あとは奏が、私のことを褒めてくれたら……
「奏!」
 思わず私はその名前を呼んだ。お父さんとお母さんが空気を読んで前を開けてくれて、奏の顔が見えて。
 奏は、笑っていなかった。
 表面上は笑っているけど、無理やりそうしている、みたいな表情。
 奏は私の活躍を喜んではくれていなかった。
 そのとき私の中で何かが壊れたのだ。

 ―*―*―*―

 ――嫌な夢を見た。
 二度と思い出したくない。それなのに、お風呂のタイルの間にこびりついているカビみたいに、いつまでも忘れさせてくれない。
 本当に嫌な夢だった。
 昨日よりももっとアイツに会いたくなくなった私は、朝早く外に走りに出掛けた。休日で朝練がない日でもちゃんと毎日走っている
けれど、それよりももっと早く。書き置きを残しておいたから、みんな心配しないはずだ。
 私が家から持ってきたものといえば、スマホとヘッドホンだけ。出来る限り身軽でいたかった。エミリーの歌を聴いて走っていると
きだけは何も考えずにいられる気がする。
 ずっと走っていると、いつの間にか朝日が昇っていた。最近は日の出が遅くなり、すっかり秋だという感じがする。早朝にジョギン
グを始めてからは、それを目に見えて感じることができる。

 毎日ジョギングしているとどうしてもコースが決まってしまうけれど、いつもとは違う道を行くのが好きだった。普段とは違う街並
みが見られれば、興味を惹かれて普段よりも速く走ることができる気がする。だから今日は思いっきり違う道を進んでやろうと思った。
出来る限り遠く、遠くへ――
(さすがに遠くに来すぎちゃったかな……)
 スマホの地図アプリで位置を確かめて思った。これだと家に帰るまでに一時間近くかかる。一時間くらい走るのは平気だけど、ここ
まで休まず二時間くらい走っていた。ダラダラ走るのは良くないのに。それに水分だって全然取っていない。
 少しぼうっとしてきたので近くの公園のベンチに座ると、どっと疲れが出てきた。休まないほうが良かったかもしれない。エミリー
の歌はとっくの昔に二週目に突入している。立ち上がる気がせずベンチに体を預けていると、
「楓ちゃん?」
 その声が誰だか思い出せていれば、きっと知らないふりをしていただろうけど。
 私はほとんど何も考えず顔を上げてしまった。

「いや、あの、本当に結構です」
「そんなこと言って。倒れられたほうが逆に迷惑なんだよ? ささっ、飲んじゃって」
「でも……」
 私に声をかけたのはあの人だった。
 アイツと一緒に歩いていた女の人。浅海(あさみ)和音(かずね)さんというらしい。
「奏くんや楓ちゃんと苗字が正反対なんだよね。面白いでしょ?」
 そんな風にして私の思考を先回りして言ってきたこの人は、私が何故こんなところにいるのかと聞いてきた。家からずっと走ってき
たのだというと素直に驚いて――そこから水分はちゃんと取っているのかとかそんな話になって、無理やり飲み物を奢られるハメにな
ったのだ。
「ほらほら、早く早く。こうなると私はしつこいわよ? 飲むまでここを一歩たりとも離れさせないんだから」
 寄越されたスポーツドリンクに仕方なく口付けると、体中に水分が一気に浸透した気がした。思っていた以上に体は水分を渇望して
いたらしい。
「ありがとうございます。あの、どうやってお礼したらいいか」
「別にいいよ? 私が勝手に奢っただけだし」
「でも……」
「楓ちゃんって、思っていたより礼儀正しい子なんだね」
「え?」
 思いがけない言葉に声を上げる。

「だって楓ちゃんって、もっと怖い人みたいな気がしたの。そしたら結構、こうやって話してくれるんだなあって」
 あなたは思っていたよりフレンドリー過ぎるけどね、と私は思った。
 落ち着いてそうな人という第一印象はとっくの昔に崩れていたけれど、いまの浅海さんは髪を後ろで括りポニーテールになっていて、
幾分スポーティな感じだ。弾けるような笑顔で、性格通り明るい人という感じがある。
「どうしても気になるって言うのなら、奏くん経由でお金を返してくれればいいよ?」
「なっ……!」
 思わぬ言葉にあんぐりしていると、浅海さんは「あははっ」と笑った。
 やっぱりこの人は嫌いだ。
「あの、ありがとうございました。これで失礼します」と言って立ち去ろうとすると、
「ごめんごめん、待って。お礼の話」
 そう言って私のことを引き留めて、
「少しお話しよう? 私あなたと話したいと思っていたの」
 私が思っていたこととは真逆のことを言った。
 釈然としない気分のまま私は再びベンチに腰を下ろす。
「奏くんに聞いたんだけど、奏くんと楓ちゃんは双子なんだよね?」
「そうですけど……」
 そう答えると、浅海さんは私の顔をじっと見つめてきた。眉毛が整っていて睫毛も長く、本当に綺麗な顔をしていて思わずたじろい
でしまう。
「たしかに似ているわね」
「え?」
「うん、これは確かに双子だなあって感じ」
「どの辺りがですか?」
 私は素で聞いた。
「リアクション」と浅海さんは言って、
「困るとすぐ瞼を閉じ加減にして目を逸らすんだ。そういうところそっくり」
 私はハッとして浅海さんから顔を背ける。
 アイツの癖だ。
 言われるまではっきり意識したことなかったけど、たしかに――
「結構ちゃんと観察できているでしょ? 奏くんのこと」
 ぼとん、と心の泉に重たくて大きいものが落ちた気がした。再び目を向けると浅海さんは笑っていた。

「浅海さんはどうしてアイツを勧誘したんですか?」
「……さすが楓ちゃん、勘が良いね」
「え?」
 意味が分からず疑問符を口にすると、
「そうだよ。私が奏くんを勧誘したんだ」
 浅海さんは背筋を伸ばして遠くを見つめる。それを見て私の心の泉に、また何か重いものがぼとんと落ちた気がした。
 何だろう、この人。
「ある日中庭を歩いているとね、鼻歌を歌っている奏くんとすれ違ったの」
 浅海さんが言った。
「ついつい口をついて出ちゃったという感じでね。けどそれがすごくサマになっている気がしたから、『それなんて歌?』って声をか
けてみたの。だけど奏くんは全然教えてくれなくて。押し問答しているうちに、『もう鼻歌のことなんてどうでもいいわ、ウチに来な
さい!』って奏くんを誘ったの」
 この人が新しい言葉を喋るうちに、私の内に黒い何かがどんどん落ちていく。ぼとん、ぼとん、ってひっきりなしに音が鳴って。
「けどやっぱり、あの歌が何だったか気になるわ。また今度聞いてみようかしら」
「浅海さんは今年で高校卒業ですよね」
 とにかくこの人の言動を止めたいと思って、私はそんなことを口にした。
「私と奏はいま、二年生だから。アイツとは部活動でやっているんですよね。高校を卒業しても続けていくんですか?」
 正面を向いて話す私の前に雀が降りて来て、トントントン、と軽やかなステップを踏んだ。
 私とは関係なしに世界は回るみたいだ。
「続けていくよ。たとえ奏くんがいなくても」
 私はその言葉に思わず引きつけられる。
「奏くんとは関係なしに、音楽関係の仕事に就くのは私の夢だから」
 遠く過去を見ていると思っていた瞳は、未来も見ていたようだった。
「私ね、高校卒業したら音大に行くの」
 浅海さんが両手を頬に当てながら語る。
「推薦が一枠だけあってね? 受けてみたら受かっちゃった」
 そのときのことを思い出したのか悪戯っぽく笑って、
「だからね、再チャレンジしてみるんだ」
「再チャレンジ?」
 その言葉も気になるけれど、もっと気になったのは別のことで。

「それって、バンドに関係あるんですか?」
「ん?」
「いや、あの、どう言ったらいいか分からないんですけど、大学でやる音楽って私たちが普段聴いているものとは違う気がして。クラ
シックとか、そっちのほうになるのかなあって……」
「うん、そっち方面だよ」
 あっけらかんと浅海さんは言った。
「私中学生まではずっとそっち方面の音楽ばかりやっていてね。またやろうかなって」
「そんな、じゃあ奏とは全然関係ないじゃないですか!」
 意味が分からなかった。
 私は睨むように浅海さんを見つめたけど、浅海さんは微笑みの表情を崩さなかった。
「……ギターしかやったことない奴が音楽を語るな」
「え?」
 浅海さんの口調がとつぜん変わったので、私は戸惑った。
 何それ、誰の言葉?
「全然有名でもなんでもないネットの書き込みなんだけどね」
 浅海さんは苦笑を浮かべながら口にして、
「ギターしかやったことない奴なんか見識が狭いから、音楽を語る資格なんてないんだって。極論だと思ったけど、一理あるなあって
思ったの。だってテレビの音楽番組を見ても、ボーカルと、ギターと、ベースと、ドラム。だけどそれだけじゃないよね? キーボー
ドはもちろん、ピアノやヴァイオリンだって入れるし、オーケストラを雇ったりして。典型的なバンドサウンドって少ないじゃない。
たまにそれを嫌って、『俺たちはバンドサウンドで行くんだー』ていう人たちもいるけれど。けどそれって、他の音もあるってことを
知った上でやって意味があると思うんだ。私はリーダーだからね。もっといろんな音楽に触れなきゃいけない。そして曲を作ってね、
奏くんに歌詞をつけてもらう……って、奏くんがいなかったらって話をしてたんだっけ? まあ奏くんがいなくても……けど、勿体無
いなあ。奏くんみたいな歌詞を付けてくれる人ってなかなかいないんだもの。とても幻想的でね。奏くんが歌うか歌わないかでは曲が
段違いで……」
 何故だろう。
 もっと嫌な人だったら良かった。
 もっと、もっと、奏のことを利用するだけの人であってくれれば。
 だって、奏のことを好きだってことがこんなにも伝わってきたら、どうすればいいのか……
「楓ちゃんは、奏くんのことが嫌いなんだよね?」
 ぼとん、とまた大きな音がした。

「多分そうなんだろうって奏くんが言ってたから」
 ぼとん、ぼとん、と心が支えられなくなりそうで。
「そうですよ」と私は言った。
「私はアイツが嫌いです。だって、小さいから。つまらないことを気にしたりするから。疲れるんです。アイツといると」
「奏くんは嫌いじゃないって」
 浅海さんの言葉が、私の心を串刺しにしていく。
「多分嫉妬したから嫌われたんだろうって言ってたの」
「アイツはあなたになら、どんなことでも話すんですね」
 私はこの人を睨んで、睨んで、
「聞いてみたら意外と話してくれるよ、奏くんは」
 私はこの人が、わざとこんなことを言っているんだろうと思った。
 傷つけるために……?
 なぜ傷つくのか。
「奏くんに言われたでしょ? ライブに来て欲しいって」
 言われてない。
 そんな悪態も口から出てこなくて。
「私からもお願いするわ。来て、絶対。あなたが知る深山奏と私のバンドの奏くんは、きっと違うと思うから」
「浅海さん、あなたは一体何がしたいんですか?」
 初めて浅海さんの顔から笑みが失われて、「分からないよ」と言った。
「だけどあなたみたいな傍にいる人に奏くんが認めてもらえないなんて、私は許せないから」


 ――青葉高校文化祭当日。
「わあー……」
「ねえ楓。本当にこの文化祭、チケット制なの……?」
「そんなの私に聞かれたって分かるわけないでしょ」
 そう答えたものの、翠の疑問はもっともだ。
 青葉高校は正面玄関から人で溢れていた。これで本当にチケット制なのか。チケット制じゃなかったとしたら一体どんなことになっ
ていたというのか。
「とりあえず皆さん、はぐれないように手を繋いで行動しましょう」

「え、それはちょっと……」
「さあさあ、早く手を繋ぐのです」
 何故か動じていない絶対敬語の沢口さんに半ば無理やり手を繋がされて、私は重い気持ちを抱えたまま文化祭に参加することになっ
てしまった。
「文化祭といったら食欲の秋、食べ物でしょ」
 そんな翠の食い意地に促されるがままに屋台を回って、四人が同時に声を上げる。
「美味しい!」
「このイカ焼き美味しいですねえ……」
「こっちの唐揚げもすごくカリカリしてる!」
「焼きそばって当たり外れ大きいんだけど、これはなかなか……」
 これがウチの学校の近くにあったら間違いなく毎日買いに行くよ。安いし。
 みんな夢中になって食べているが、仁科さんの食べっぷりが物凄い。恐ろしい勢いで食べ物がなくなっていく。
 仁科さんってこんなキャラだっけ?
 まあいいか。繋がっていた手も離れたことだし。
「お腹いっぱいになったし、遊べるところを回って見ようよ」
「賛成です!」
 そしていろんなところを回ってみたけれど、なかなか楽しかった。
 翠は相変わらず屋台のゲームを極めているのかどんどん景品を取っていったけど、仁科さんは私の予想通りに数々の失敗を見せてく
れる。沢口さんは分析とかしだして、最もらしいことを言うけれどそれが全然成果に反映されなかったりするし。
 私は私で、まあいろいろやった。うん、いろいろ。私をお化け屋敷に蹴り込みやがった翠だけは絶対に許せない。いつか仕返しする。
「あれ、深山楓さん?」
「えっ……あ」
 名前を呼ばれたので思わず立ち止まると、私と同じくらいショートカットの女の子が立っていた。
 あれは……
「光井早矢?」
「そう! 覚えていてくれたんだね」
 こちらに駆け寄ってきて嬉しそうに手を握った。
 光井早矢。
 中学三年の全国大会で一緒のレースを走った子で、闘争心剥き出しでなかなか手を焼かされた。
「忘れないよ。すごく印象的だったし」

「あはは。そう言ってもらえると嬉しいよ」
 ある意味嫌味な言い方でもあったのだが、光井さんはそんなこと関係なく善意でさっぱり受け取ってくれる。なかなか気持ちの良い
子だ。
「ちょっと楓、その子知り合い? 話についていけないんだけど」
「翠、この子は……」
 そして私は三人を光井さんに紹介する。
「ああ、楓が言ってたのってこの子だったんだ! レース中ずっとくっつき回られたって」
「ちょっ、ちょっと翠……」
「あはははは! よっぽと印象的だったようだね」
 翠の余計な言葉にヒヤリとする。
 光井さんは全然気にしてないようだけど……実は気にしているとかないよね?
「そういえば光井さんは何故ここにいるの?」
 私は無理やり話題を変えることにする。
「何を言っているのさ。この制服を見てみなよ」
「え?」
 言われて光井さんの全身にあらためて目を向けると……これは青葉高校の制服?
「光井さんって青葉高校の生徒なの?」
「そうだよ。随分意外そうだね」
 だって青葉高校の陸上部はそんなに……
 言おうかどうかまごついていると、遠くから青葉高校の人が光井さんに声をかけてきて、
「早矢ちゃん、何しているの?」
「竹内さん、旧友と話していたんだよ」
 敵と書いて友と呼びそうなニュアンスで光井さんが言った。
「早矢ちゃんのお友達? 初めまして、私は竹内唯と言います」
 沢口さんとはまた違った感じで行儀良く言われたので、私も思わず「初めまして、深山楓です」と馬鹿正直に自己紹介してしまった。
「深山……」
 何かに思い当たったように竹内さんは私の顔をじっと見つめて、
「もしかして奏くんの双子の妹さんですか?!」
 いきなり身を乗り出してそんなことを言ってきた。
「……へえ、たしかに苗字が同じだ。深山さん、そうなの?」

 言われて成る程という風に光井さんが言って、
「違うよ」と無表情で私は言った。
「アイツが弟だから」
「えっ、でも……」
「ちょっ、ちょっと楓! お邪魔しました!」
 とつぜん翠に連れられて、人のいない場所に連れていかれる。
「もう、何やっているの楓!」
 怒られた。
「だって……」
「まったく。弟くんのことになるとすぐに冷静さを失うんだから」
 本当に、アイツのことになるとなんでカッとなってしまうんだろう。さっきのはふたりとも悪意があったわけじゃないのに。
 しばらくして、仁科さんと沢口さんがこちらに向かって走ってくる。たどり着いて、すごい息の乱れようだ。
「か、楓ちゃん……翠ちゃん……」
「急に走り出すからびっくりしました……」
「あはは、ごめんごめん」
 翠は簡単に場を取り繕って、だけどふたりは何か言いたげで、
「あの、楓ちゃん……」
「聞きたいことがあるのですが……」
「……なに?」
 このときの私の心は意外と平静で。
 ふたりは深呼吸して息を整えてから、覚悟を決めたように私に向かって言った。
「楓ちゃん、あなたの弟くんは……」
「今日文化祭のライブでトリを務めるバンドの奏くんと……」
「同一人物ですか!」
「うん、そうだよ」
 ハモってきたふたりにあっさり答えた。
 ふたりの体がぶるりと震え、わあーっと歓声を上げる。
「し、知りませんでした……」
「まさか弟くんが奏くんなんて……」
 もはや仁科さんにとってアイツの名前は弟くんになっていたのか。

 しかしふたりまで、アイツはそんなにも有名なのか?
「ねえ、ふたりとも。奏くんってそんなに有名なの?」
「当たり前じゃないですか!」
 翠の言葉に、当然のように沢口さんが言った。
「去年の文化祭のライブ、ひとりで観客の心を全部鷲掴みにしちゃったんですよ? 真ん中ぐらいに登場したので後のバンドは鳴かず
飛ばずで大変だったって聞きました。だから今回はトリなんです! どれだけ観衆を魅了しても問題ないように!」
 想像以上の内容に私は閉口する。
 兵器かよアイツは。
 さすがの翠も「すごいね……」と言葉を失っているようだ。
「というかふたりとも、ようやく合点がいきました」
「へ?」
 翠と私が同時に素っ頓狂な声を上げる。
「なぜふたりともそんなに冷静だったのかという意味ですよ。このチケットを受け取ったときに」
 沢口さんはスカートのポケットからチケットを取り出すと、「ここ見てください」と端っこを指差した。
「アルファベットと番号が書いてあるでしょう」
「書いてるけど……」
「え、これってもしかして」
「そのもしかしてですよ!」
 何かに思い当たったかのような翠に、沢口さんがビシッと指差しながら言う。
「このアルファベットと番号は、ライブのときの座席位置を指定しているんですよ!」
「ええ?っ!」
 こくりと沢口さんの隣で頷く仁科さんを見たが、まだ全然理解が追いついてこない
「い、いや、文化祭のライブにふつう座席指定とかある?」
「ないでしょ……」
「ふたりともまたまた何を言っているんですか」
 そろそろ追いついてきてくださいよと言いたげに、沢口さんが頭に手をやる。
「ただでさえ観客同士の位置取りを巡って問題が起きたことがあるのに、そこに奏くんが参加するとどうなりますか?」
「どうなりますか、って……」
「とんでもないことになるに決まってるじゃないですか!」
 沢口さんはそう言い放ち、

「血を血で洗う争いが起きますよ! そうならないように今回のライブでは位置を最初から決めることになっているんです。抽選があ
りましてね……もしかしたらライブを見れないかもしれないんですよ? こんな残酷なことってあります?」
 うんうんと再び隣で頷く仁科さんを見つつ、ようやく理解が追いつく。
 つまりこのチケットは……
「最初から座席指定がついた、超プレミアムチケットってことね?」
 私の意思を汲んだ翠の言葉に、「そのとおりなのです!」と沢口さんが答えた。
「しかもこの位置、一番前ですよ。正面じゃないですけど……こんな良い位置を本人から貰えるなんて、もう感謝、感激……」
 瞳を潤ませてトリップする沢口さんを見て、ようやく謎が解けたのだった。
 チケットを渡したとき、仁科さんがガタガタと震えて椅子から滑り落ちたこと。
 てんで話したことのない沢口さんが私のクラスまでやってきて、土下座しかねない勢いで私に数多の感謝の言葉を送ったこと。
 ふたりともよっぽと文化祭行きたいんだなーとか、沢口さんに至っては言葉だけでなく頭まで少しおかしいのかとか思ってしまった
けれど。
 全て合点がいった。
 一体アイツのどこにそんな魅了があるのかということを除いて。
「楓、ライブ行くの……?」
 別世界にトリップしているふたりに聞こえないように翠が言ってきて、
「当然じゃない」と私は言った。
「一体どれほどのものなのか見てやるの。私はそのために来たんだから」

 ライブが始まった。といってもまだアイツの番ではないけれど。
 チケットは本当に、某テーマパークのプレミアムチケット並みにプレミアなものだった。群衆が渦巻くなか、素知らぬ振りして特等
席までたどり着ける。
 ライブは講堂で行われるのだけど、下から見下ろす壇上は恐ろしく広く感じた。何より近い。手を伸ばしたら届いてしまいそうで……
 休憩を挟んで二時間半で十組演奏するのだけど、後ろにいけばいくほど演奏時間が長くなるようで、奏が所属するトリのバンドに至
っては五曲も演奏するらしい。しかも今回は冒険的で、全部オリジナルだとのこと。
 正直私は、一組目のバンドから度肝を抜かれていた。
「この人たち、メチャクチャ演奏うまいんじゃない……?」
「うん……」
 ノリノリの沢口さんと仁科さんに置いていかれて、私は翠と話していたけれど。
 私たちの学校の文化祭でも学生がバンドで演奏することはあるのに、それとは全くレベルが違っていた。本気で音楽やってますとい

う感じ。ファンだってしっかりついているようだし……
「やっぱりプロの人たちってこれより上手いの?」
 休憩時間になって、後半への体力回復に努める仁科さんは置いといて、沢口さんに話しかける。
「そうですねー。まあ上手い下手というよりも、そのバンドだけが持っている特別な何かがないといけないですね」
「特別な……何か?」
「そうです。これだけはどのバンドにも負けないっていう特別な何か」
 それってやっぱり。
「奏くんは、そういう意味では特別です。といっても生の奏くんは今日が初めてなんですけどね……本当に楽しみです」
 沢口さんの言葉を聞いて、私はなんだか怖くなった。
 とんでもない決定的な何かを叩きつけられそうな感じ。
 逃げるわけにはいかないけど。
 そして後半戦が始まった。
「ここから出てくるバンドは、いつプロデビューしてもおかしくないですよ」
 その言葉のとおり、登場してくるバンドのレベルがぐんと上がった。
 上手いだけじゃなく、特別な何かを持っている――
 とくに六組目のバンドなんか、ガールズバンドなんだけどロックにしっかり歌い上げて、もしテレビに出てきたらファンになりそう
なくらいだった。
「きた、ね」
「はい」
 翠の言葉に、仁科さんか沢口さんのどちらかが小さく返事して――
 きた。
 明らかに場の空気が変わった。
 まだアイツは袖のほうにいるのに。
 浅海さんがギターを抱えながら登場して、少し手を振っただけで何人もの男の人の声が聞こえる。やっぱりあの人も人気あるんじゃ
ないかと思って。
 ベースの人が登場して、ドラムの人が登場して。
 どちらも男の人だった。
 ベースの人は不良っぽい。ドラムの人は寡黙そうで、だけどどちらにも声援が飛んでいる。
 なんだ、アイツだけじゃないんじゃないって思って。
 だけど最後にアイツが登場して、

 ――物凄い歓声だった。
 背後から歓声がせり上がってくる。背中がむず痒くて、ここから飛び出したくなるような。
 なんだよ、これ。
 全然レベルが違うじゃないか。
 誰だよあれ。
 私はいま目にしているのがアイツだとは信じられなかった。
 髪型が違うし、格好だって黒のタンクトップでキメているし。そりゃ顔はあいつだけど、あんな自信満々な顔見たことなくて。
 混乱したまま一曲目が始まってしまった。
 アップテンポな曲。
 アイツがシャウトして、観衆から悲鳴が上がる。
 浅海さんが初っ端からテクを見せつけて、アイツが観客を煽って――
 いきなりベースの人と絡んだ。
 思い切り顔を近づけて歌って、アイツが何かやるたびに歓声が上がって。
 何だよこれ。
 どれだけ煽る気だよ。
 どうしてみんな歌えるんだよ。
 オリジナルだろ。
 怖い。
 怖くなった。
 底なし沼にはまったように、暗闇に堕ちてゆく。
 仁科さんが消えて、沢口さんが消えて、私と同じように言葉を失っている翠も消えて、ベースの人が消えた。ドラムの人も。ポニー
テールを振っていた浅海さんも消えて――
 アイツだけしか見えない。
 どんどん沈み込んでいく視界の中で、アイツの姿だけしかもう捉えることができない。
 何でこっちを見ないんだよ。
 一曲目が終わってアイツがMCで語りかけているのに、こちらには一度も振り向こうとしなかった。何か、バンドの紹介をして、指
差して歓声が上がって。
 私は今にも消えてしまいそうなのに。
 こっちを、見ろよ。
 お前がチケットを渡したんだから、どこにいるかぐらいわかるだろ。

 だけどアイツは頑なに、いつまでも私のことを見ないで――
 見た。
 アイツが完全にこちらを見た。
 いつものアイツの目だ。水晶玉みたいな。
 なんだ、変わらないじゃないか。
 私はその瞳を睨む。
 睨んで、睨んで、世界が一つになって。
 アイツはこちらに向けて微笑んだ。
 それどころか近づいて、私の顔に――
「――!」
 キャアアアアーッ、という悲鳴のような歓声に一瞬体が浮かんで、それから真っ逆さまに堕ちていく。
 どこまでも。

「すごかったですね……」
 放心状態のような沢口さんの声が聞こえた。
「私、しばらく立てないかも……」
 そんな息も絶え絶えな仁科さんの声が聞こえて。
「正直、私も同じかも……」
 翠までそんなことを言うなんて、とても珍しい。
「生の奏くん、凄すぎました」
「何なのあれ、別次元すぎるんだけど」
「この前あるバンドの前座を務めたらしいんですけど、そこでも全員骨抜きにしちゃったって」
「いや、そりゃなるでしょ。これはなるでしょ」
 ふたりの会話が耳に入ってきて、そうかもしれないと思う。
「ねえ楓、投げキッスぶつけられていたけれど大……」
 こちらを振り向いた翠が絶句する。
 そりゃそうだった。
 全然大丈夫じゃなかったのだ。
 私は泣いていた。
 涙腺が壊れてしまったみたいに、涙が止まらなかった。

 アイツは、あの人は、とんでもないことをしてくれた。
 私のプライドをぶち壊しにして……
「楓……?」
 私は涙を拭うと、走って講堂を飛び出した。
 誰かにぶつかったけど、そんなの関係なく遠くへ。
 走っている途中にエミリーの曲を聴こうとしたけれど、ヘッドホンを持ってきていなかった。
 ずっとアイツの声が、歌が聴こえる。耳から離れない。
 全速力で走っていると胸が痛くなって、仕方ないから足を止めると涙が溢れた。走っているときは空気の抵抗で抑えられていた分が、
立ち止まったとき一気に溢れ出たのだ。
 それ以上一歩も動けなかった。
 視界が溶けてしまいそうなくらい、何も見えない。(完)

以上です。
お題は一目惚れですが、いちおう絶望も含んでいるつもりです。

転載していて、やはりこの作品は長すぎたと思いました・・・・・・
次回やるときはレス数制限、もしくは11レス以上はてきすとぽいのみに掲載するなど、何か制限を設けたほうがいいかもしれません。

ダメだ、半分しか終わってない。間に合わないや。明日の昼ぐらいに時間外で投稿しよう。

しかし25レスってすごいね。

品評会作品 No.6 悲しい嘘を転載します。7レスです。

 サイドテーブルに、ぽつんと残された私の携帯電話。
 ガラケーの、今はもう使ってなかったヤツ。
 「どうせ誰からもかかってこないし、それでいいから貸して」……とせがまれて、
 香住ちゃんに貸してたものだった。

「君か、海ほたるが見たいって言った娘は?」

 急に声をかけられた。ほんと、急に。
 驚いて振り向くと、脳外科の高梨ってセンセ。確か外来種。
 あんまよく知らない。冴えない中堅……ってほどの年でもないはずだけど、
 カンファレンスでも、いつもそんな雰囲気の人。

「……は? いえ、言ってませんけど」(……何の話よ?)

 感傷を邪魔されて、気分を害したワタシ看護師。23歳。彼氏ナシ。ちなみに外村春美。

「そうか。いや、ならいいんだ」

 まったく。なんなんだか。

 また忙しくなる。そうしたら確実にこの気持ちも消えていく。
 だから、そうなる前に、しっかりお別れしたかったのに……。

            ◆


To:
subject: 3月8日(土)、晴れ

いつも楡の木の下で、夜の寝息を楽しむように

小声で鳥たちと話す人だった。

ベンチの周りには誰もいない。窓越しに、きっと私一人が見つめている。
誰も先生の優しい顔には気づかない。

世界を二人占めしているような、時間。
いつからだろう、この気持ち……そんなふうに悩む必要はない。
出会ったあの日に、それは始まったのだから。

この使えない携帯電話で、今日から記録していこう。
私の体が使えなくなる、その日まで……。

16:05 | 2014/03/08


To:
subject: 3月9日(日)、曇り

今日は検査の日。検査担当の先生と、堂々と会える日。
だから哀しくない。

どうせ結果は悪かったに決まってる。
だから先生のへたくそな嘘が、また聞ける。
それが一番いい薬。
私にはそれが一番……

あ~あ、楽しみだな。

11:23 | 2014/03/09


To:
subject: 3月14日(金)、晴れ

嘘のほうがいいな。
ほんとのことって重すぎる。

検査結果のことは、たぶん嘘。
よくなってたはずがない。
それより……

先生が、春美ちゃんのこと好きだった。
私に、コクってきた。

20:31 | 2014/03/14


To:
subject:

……きっと、あれが先生の優しさ。

生きる“よすが”? ……にでもなればって、
コイバナを選んだだけなんだよね。

私が、見舞いの一人もない身の上だから、
自分のことは話したがらないだろう、って。
せめて、先生自身の話でもって……。

無理しちゃってさ。

作り話じゃ、ないよね……。さすがに。


00:18 | 2014/03/15


To:
subject: 3月22日(土)、雨

うん。応援しよう。

私は向こうで待ってればいい。
あの世で告白するんだ。若い姿のままでさ。

だから、春美ちゃんにゆずってあげる。
もしかしていま、……これ読んでるかな?

「まっかせったぞ~」

……なんか、大人になったカンジ? ふふ……

人はこうしてオンナになるのだよ、春美くん。

19:27 | 2014/03/22


To:
subject: 3月23日(日)、雨

一目惚れ、っすかぁ~。

それだと、立場が弱くなるんだよねぇ(経験者談)。

てか、お二人さんはさぁ、
私よりだいぶ前に会ってるはずでしょ?
……ずいぶん長患いですな、旦那も。

ま、春美ちゃんもそこそこかわいいけどさ。
先生のお年頃の男性で、そんなことあるのかな?

う~ん。なんかちょっと、イメージが違うけど。
……ま、いいでしょ。おねいさんにまっかせなさい。

16:52 | 2014/03/23

            ◆


「あなたが一番見たいものは?」

 シークレットフォルダのパスワードが、変わってる……!

 夜勤明けの倦怠感が一息ついて、ふと、あの携帯電話を取り出した時のことだった。
 まだベッドから飛び起きる体力があったこと以上に驚いたのは、
 直感的にそれが意味するところが分かったからだ。
 もちろん、興奮でざわついてきたし、すぐに……指が動いてた。

 「う、み……ほ、た、る」

 そういえばこんな入力方法だったな。もどかしい……。

 「……!」

 やっぱり、保存フォルダに未送信のメールがいくつも残されてる。
 自分で書いた覚えは当然ないし、日付から言っても明らかに……香住ちゃんだ。

            ◆


To:
subject: 3月25日(火)、晴れ

今日は、先生に魔法の呪文を教えてあげる。
「これでダメだったら、ダメだから」って。

……春美ちゃんは、なんて答えるのかな。
いや、それはもちろん、最初は「……え?」とかだろうけど。

OK?
それとも……NG?


私の代わりに先生と一緒に、見てきてくれる?
……ねえ、これ……読んでるんでしょ?


あ、でも……最悪、気づかないまま終わるかもか。
まあその時はその時だね。
運命の神様に、恋のキューピッドが負けた、ってことで。

……じゃあ、もう一度言っときますか。

どっちを選ぶのも、もちろん春美ちゃんの自由だけど……


「まっかせったぞ~」

10:45 | 2014/03/25

            ◆


 読み終えて、涙している自分。
 香住ちゃんの想いが、その意味が、全部分かったから……普通に泣いてた。
 ……なんか、神様は残酷だなって、思った。

 彼女は絶望もせずに、生き続けていたんだ。文字通り、独りで。
 強い子だと、改めて思った。ほんと、大人の女性だったんだって……。


 もちろん、答えは決まってた。香住ちゃんも、分かってた答えだ。
 きっと、許してくれると思う……。


 私の答えは……もちろん、「NO」だ。
 高梨先生と付き合うなんて、できるはずもない。



 だってあの先生は……絶望的にブサメンだから。

                        <了>

以上です。

No.1 恋のまなざし(茶屋)
http://text-poi.net/post/chayakyu/59.html

相変わらず文章は綺麗ですらすら読めるのですが、内容は人物設定をただ文章に落としたという感じであまり評価できません。
例えば前回優勝者の作品では、歌が好きなのに歌えない女の子がいました。それが天真爛漫な主人公と絡んでいくことで話が進んでいったんですけど、やっぱりそんなふうにドラマを書いて初めて物語が成り立つのだと思います。
タイトルは個人的にすごく好みで、だからこそもっと書けたんじゃないか。
もっともっと挑戦してほしかったという気がします。

No.2 終わりの決定(犬子蓮木)
http://text-poi.net/post/sleeping_husky/22.html

正直なところ、話自体はあまり面白いと思いませんでした。
ただ、人物(ライオンですが)の描き込みはこの作品が一番よくできていたと思います。
物書きには二種類いると思っていて、登場人物に自己を投影していくタイプとそうでないタイプ。
前回と今回の作品を両方読んで、多分この作者は前者だと思いました。
そして私はそういうタイプの人の作品のほうが好みです。
ただ、ただ。
そういうタイプの人は、人物描写だけで満足してしまうことも多いのかなと思っていて。
同じ先が読める展開でも、先が読めるからこそハラハラドキドキしたりすることがありますが、この作品はそうなってはいませんでした。
じゃあどうしたらいいの、と言われるととても難しいのですが。
うん、難しい(^_^;
知恵の振り絞りどころです。

No.3 ふほへほげげのげ/絶望、そして文学が生まれた時(しゃん@にゃん革)
http://text-poi.net/post/syan1717/38.html

この作品を見たとき私は唖然としました。
しかし本スレに転載してくれた人のおかげで二レス目があることに気づいて……(~_~;
ほげ語と現代語訳の対応を楽しむタイプの作品だと考えていますが、本当のところどこまで意識して書かれたのでしょう?
例えば、ほげ語だけでなく現代語訳にも「BNSK」が出てきたので少し安心しましたが……「ぶんどったり寝取ったりしたら承知しないから」=「BNSK」とは一体……「SK」はどこにいった。もしかして「逆らったら」がソレ? どうなんすか、みたいな。
一目惚れと絶望は入れてみただけという気がしますし、文学の誕生のところもよく分からないし、んー……

No.4 愛と装いを混ぜ込んで(ほげおちゃん(◆xUD0NieIUY))
http://text-poi.net/post/hogeochan_ver2/2.html

自作。なんだか書いてるうちにどんどん長文に。
投稿してみて感じたのですが、レス数が違いすぎる作品を比較するのはあまり適切ではないなー、と思ったり。
レス数制限、やっぱりあったほうがいいのかなあ。

No.5 天気雨 ◆m03zzdT6fs
http://text-poi.net/post/hogeochan_ver2/3.html

最近マガジンでアルスラーン戦記の読み切りがありましたが、この作品を読んだときはまずソレを思い出しました。
それだけで私はこの作品に関心票をあげたい。
きっとこの世界を描くのに苦労されたのでは? と思っていて。そういう努力面も評価したい。
ただ。
もしかして、こういうファンタジー世界を描かれたのは初めてなのかなと思いました。そして世界観や舞台装置を用意することに注力してしまって、キャラクターメイキングまで手が回らなかったのかな、と……
主人公を見ていると、ストーリーに動かされているという気がするのです。
宰相のことを不審に思いながらも受け入れるしかないという言い訳を入れたあたり、実は作者もそれに気づいていたのでは。
主人公が本当の切れ者であれば、牽制する動きがあってもいいはずなんですよね。
例えば主人公ではなく宰相が支援を名乗り出て、主人公は一旦受け入れる姿勢を見せるも、「蛮族の討伐など我が兵のみで十分。宰相閣下は後方でご観戦いただければ」と牽制し――みたいな? いや、全然うまく書けないんですけど。
けどけど、そうやって主人公が宰相を牽制し続けるとストーリーが進まず……なんて思いませんでした?
思ったとしたら、それはストーリーを変えるべきです。
キャラクターのためにストーリーが用意されるべきだと思うのです。
アルスラーン戦記の読み切りは、そのあたりがすごく良く出来ていました。
あんな奴らに策を弄するなど恥だと考える者と、何か裏があるのではないかと感じる者。不安に思いつつも周りに抗うことができず流されるがままの主人公。結果起きたのは一国家を揺るがす惨事で、しかも信じていた人物に目の前で裏切られて――そしてそして、そこからさらにストーリーが続いていく! 最後は長編ならではですが……しかしだからこそ、短編では話を練りに練らねばならない、なんて難しすぎるけど。
次回作ではそのあたりに力を入れていただきたいと思います。

No.6 悲しい嘘(muomuo)
http://text-poi.net/post/muo_2/1.html

今回初めて書き方にコメントしますが、最初が読みにくいと感じました。
一言で言うと、二回物語が始まっている気がする。
「サイドテーブルに~」で一回。
「君か、海ほたるが~」で一回。
小手先で修正する場合、「香住ちゃんに貸してたものだった。その香住ちゃんは、もういない。」とすれば文章の切れが幾分マシになり、混乱を避けられる気がします。
ただ個人的には、書き出しがあまりにも短すぎるこの文章構造を再考したほうがいいのではないかと。
話の内容としては、過去に◇pxtUOeh2oI氏が書かれた以下の作品を思い出しました。
◇pxtUOeh2oI氏の作品に比べると、今回の作品は軽いです。どこまで書くかは人の好みによって分かれるところだと思いますが、私としては◇pxtUOeh2oI氏が書いたところまで人間を描いてほしい。どうせ書くなら深く、深くまで人間を掘り下げていってほしいのです。
文体を見るにあっけらかんなところが持ち味だと思うので、同じようにはいかないと思いますが。

***********************【投票用紙】***********************
【投票】:なし
気になった作品:No.5 天気雨 ◆m03zzdT6fs氏
********************************************************
実は>>569氏が時間外作品を投稿されるのを待っていたのですが。ちらっ。ちらっ。
最初はNo.2にも関心票を入れようと考えていたのですが、No.5の感想を書いているうちに明確な差をつけたくなりました。
No.6の感想を書くときに過去の品評会作品を漁っていたんですけど……VIPでやってたときはやっぱりすごかったですね。20作品とか……あの時居た人たちはどこで何をやっているんですかねえ。

てきすとぽいに感想が投稿されました!
http://text-poi.net/vote/60/report.html#vote

てきすとぽいの方、いつまでも未投票で「あらら……」と感じていましたが、最終日になって投票してくれる人が出てきたようです。

投票期間終了まで残り三時間半、まだまだ投票および感想お待ちしています!

>>582
じぶんでも忘れてたものがでてきて、ふぁ? となりましたが

>あの時居た人たちはどこで何をやっているんですかねえ。
わたしはこの品評会でNo.02書いてました

>>596
祝日終わるまでが投票日だと勘違いしてました……
Twitterのほうで、BNSK続くなら出してみたいな人もいたので、継続すると出してくれる人が増えるかもしれません

>>597

エッ、エッ……エエッ……!!

この品評会って、今回の「一目惚れ」&「絶望」のNo.2ですか?

全然わからなかった……
BNSK久しぶりと言われていたので、昔の誰かなんだろうとは思っていましたが。

あのお題「少女」で書かれた作品、めちゃくちゃ好きです。
あのときは全然受け入れられなかったのですが、ずっと心に残っていました。
というか昔と今で、主人公に対する印象が180度変わっています。
昔は「なんだこの主人公、最低すぎるだろ……」だったんですけど、今は「こんな誠実な主人公は私には書けない!」という感じで。
本当にこんなことがあるんだなあと身を持って体感しました。

ちなみに私はトリップ忘れてしまったんですけど、あのときの◇7C6LTZ08z6だったりします。


>>598

感想に時間がかかるようであれば、ぜひ投票だけでも!!

……祝日最終日はフリーにしたほうがいいのかなあと考えていましたが、勘違いが起きないよう事前にしっかり告知しておいたほうが良かったですね……

Twitterでは参加したいひと増えているんですね。
今回は私の手際が悪く立て込んでしまったので、次回はちゃんと余裕を持って開催すると人が集まってくれるかもしれませんね。

ちなみに今回の運営で私はやらかし体質であることがわかったので、他に運営したい方がいれば喜んでお譲りいたします(´・_・`)

2回計算して一致したので会っているはず・・・・・・

■てきすとぽい

 No.01 恋のまなざし           投票0 関心票3
 No.02 終わりの決定          投票2 関心票1
 No.03 ふほへほげげのげ/      投票0 関心票3
    絶望、そして文学が生まれた時
 No.04 愛と装いを混ぜ込んで     投票3 関心票1

 No.05 天気雨               投票0 関心票2
 No.06 悲しい嘘              投票0 関心票2

■BNSK本スレ

 No.01 恋のまなざし           投票0 関心票1
 No.02 終わりの決定           投票0 関心票2
 No.03 ふほへほげげのげ/      投票0 関心票0

    絶望、そして文学が生まれた時
 No.04 愛と装いを混ぜ込んで     投票3 関心票0

 No.05 天気雨               投票0 関心票2
 No.06 悲しい嘘              投票0 関心票1

■合算

 No.01 恋のまなざし           投票0 関心票4
 No.02 終わりの決定           投票2 関心票3
 No.03 ふほへほげげのげ/       投票0 関心票3
    絶望、そして文学が生まれた時

 No.04 愛と装いを混ぜ込んで     投票6 関心票1

 No.05 天気雨               投票0 関心票4
 No.06 悲しい嘘              投票0 関心票3

ということで、今回の優勝は「No.04 愛と装いを混ぜ込んで」でした!
参加者の方、感想・投票いただいた方、ありがとうございました!

てきすとぽいにも結果を記載しました。

改めて、皆さんありがとうございました。
実は前回かなりくやしかったので、今回優勝できて嬉しいです。

また、運営面でいろいろ問題を起こしてしまいすみませんでした。
運営者になった以上、「お題はふたつあったほうが参加者が多くなるかな?」
とかいろいろ考えているうちに暴走してしまいました。

またリベンジの機会があれば・・・・・・


次回ですが、運営者の立候補はいないですかね?

とりあえずお題を先に決めておいたほうがよいと思いますが、
まだお題を何も思いついていません。

明日中には決めようと思いますが、参考にしたいので、
いくつか案を投下していただけると助かります。
あまりにも案が多いようだったら、>>615 ぐらいまでで決めます。

またレス数ですが、縛りをつけたほうがよいかどうかも迷っています。
そのあたりも要望があれば、合わせて書き込んでください。
# 全然要望に沿えなかったらすみません。

すみません。
明日中と書いていますが、今日(5/6)です。

――私は特別な存在(special one)だ。

 お題「one」
 ※お題の解釈は自由。ただし読み手を納得させること。

 制限:400字(20x20)の原稿用紙換算で50枚まで(数枚など短い作品でも問題なし)。
    枚数計算には下記ツールを使用してください。
 http://htmldwarf.hanameiro.net/tools/novelchecker_easy.cgi

文章量制限については、単純な文字数だとBNSKスレ側で扱いにくく、レス数だと
てきすとぽい側で扱いにくくなるので、原稿用紙換算とさせていただきました。

最初はもっと枚数を少なくする予定でしたが、よく考えると一ヶ月に一回なので
緩くていいかなと。

ツールは提示したもの(ノベルチェッカー)以外を使用しても問題ありませんが、
結果が異なった場合はノベルチェッカーの結果を採用するようにしてください。

ちなみに先ほど気づきましたが、SS速報vipでは一レスで80行まで書けます。
てきすとぽいから作品を転載する際、前回は一レス30行で転載しましたが、
今回から一レス80行で転載してもよいかもしれません。

期間については運営者の立候補があればその人に任せようと思いますが、
今のところ以下で考えています。

 投稿期間:05/25 (日) 00:00 ~ 05/31 (土) 23:59
 投票期間:06/01 (日) 00:00 ~ 06/07 (土) 23:59
 集計発表:06/08 (日)

 ※執筆期間はややこしいので消しました。
 ※投稿期間、投票期間の締め切りは土曜日なので注意!

もし本日午後九時ごろまでに立候補が出ないようであれば、
とりあえず私が今回もてきすとぽいにスレッドを立てようと思います。

ところでさ、『アイドル「兄は私のマネージャー」』で品評会書いてたら膨らんじゃってさ。
さっきようやく出来上がったんだけど、なんか来月のお題でも大丈夫そうなんだよね。
今日通常作で出すのと月末まで待つの、出すならどっちがいいかな?

品評会作品がてきすとぽいに投下されたため、こちらに転載させていただきます。

まずは

No.01 たったひとつのぼくを求めて
http://text-poi.net/vote/62/1/

  5
 ビルに挟まれどこか閉塞感のあるような歩道橋を渡り、最近建てられた日本で最も高いというビルに入る。この七階の本屋に、ぼく
は惚れ込んでいた。SFの本が豊富に置いてあるのだ。SFを贔屓している店だというわけでもなくて、とにかく欲しい本が揃っている。
某社の学術文庫も揃っているというのだから驚きだ。手元に置いておきたかった古典SFをここで大人買いしたら、レジの女性店員さん
にじっと見つめられて気恥ずかしかった覚えがある。エスカレーターで七階に着き、書棚を眺める。特に買いたい本があって来たわけ
ではなかったのだが、用もなく入ってしまうのが本屋というものだ。相変わらず豊富に揃っているSFの棚を見て、気分を良くする。古
典SFばかりではなくつい最近発売されたSFも取り揃えているのだから感心だ。他にもいろいろな棚を見て楽しむことができる。眺めて
いるとふと、海外小説の棚で蒼い表紙が目についた。海のイラストだ。目に吸い込んでくるような、引きこんでくるような海。リチャ
ード・バックの小説だった。「かもめのジョナサン」で有名なリチャード・バックといえば空や飛行機を題材にすることが多い、とい
うよりもそればかり書いている作家だが、やはりこの海のイラストも、空のお話なのだろうか。ぼくは本を手に取り、立ち読みを開始
した。たちまちぼくは異世界へ飛ばされてしまった。
 そこには数人のぼくがいた。どのぼくもきっと、ぼくと同じように異世界から飛ばされてきたぼくなのだろう。数えてみると四人い
た。ぼくを合わせると五人だ。ぼくが五人もいる。ぼくたちがぼくの目の前に集合することで、ぼくは複数の鏡を合わせたような迷宮
の入り口を覗いているような感覚にとらわれてくらくらした。これからなにが起こるのだろう。と思う余裕もないままに飛行機が地面
に突っ込もうとしていた。でも時が止まったみたいに、飛行機は地面に突っ込みながらも空気のクッションに受け止められてぴくりと
も動かない。時が止まったみたいに、というか、実際に時が止まっているのだ。景色はすべて沈黙していた。粒子さえも活動すること
を休止している。それならこの世界に光がなくなってしまうようなものだけれど、そういうこともなくて、ただいろいろな条件を無視
しながらこの世界の時は止まっている。あるいは、そうだ、この世界にはもともと時なんてものは存在しないのかもしれない。もとか
らないんだから、光は時を必要としない形で存在できているのだろうし、ぼくたちもこうやって、動くことができているのだろう。ぼ
くは腕を動かしてみる。きちんと動いた。だったらあの飛行機もやっぱり動くはずなのに、動かないということは、もしかしたら他の
理由があるのかもしれない。ぼくは一度、仔細に四人のぼくを眺めてみた。他の世界から来たというのだからなにか違いがあるのだろ
うけど、どこにも違いは見受けられない。でもやっぱり、どこか違いがあるような気もする。その非常に曖昧なニュアンスはぼく以外
のぼくも感じ取っているみたいで、みんな目玉をきょろきょろさせている。ぼくたちは同じでありながら異なり、また異なっていなが
らも同じなのだ。それがよくわかった。
 ぼくはぼくに話しかけてみることにした。でもはたして言葉は通じるのだろうか。という不安は、実はさほど感じてはいなかった。
なぜならばぼくは日本語しか使えないからだ。あ、でももしかしたらこのぼくは英語も達者かもしれない。それは羨ましいことだが、
でもぼくのことだから日本語を使ってもらわないと困る。ぼくはぼくのことを信用していたから、あまり不安を感じなかったのだ。ぼ
くは空を見上げる。飛行機が地面に衝突しそうでぼくは驚いてわっと声を上げた。でも時が止まっているのか飛行機が地面に実際に突
っ込むことはない。まあ突っ込んでいたならここにいるぼくたちも巻き添えをくらうだろうから、時は永遠に止まっていてくれていい
のだけれど、でも考えてみるに、時が止まっているのなら永遠というものはもはや存在せず、だというのに時が永遠に止まることがで
きるというのは、いったいどういうことなのだろう。ああ、そういえばぼくはぼくに話しかけようと思っていたんだった。なんだか面
倒なことが起こる予感がした。飛行機を背にしてぼくはぼくに話しかける。「やあおはよう」でも確かさっき、書店に寄る前にオムラ
イスを食べたのだった。美味しいオムライスだったし、オムライスを食べたということはつまり昼食であるはずだった。だからおはよ
うと言うべきではなくこんにちはと言うべきだったんだ。でもそう気づいたからといって、相手のぼくが住んでいた世界にとってオム
ライスがイコールで昼食なのかといわれるともしかしたらそうではないかもしれないし、そもそも考えてみればぼくの世界でもオムラ
イスを昼以外に食べてはいけないだなんて法律はない。ああでもだとしたらぼくは、さっき昼食を食べたのだろうか。それとも朝食を
食べたのだろうか。そうやって悩んでいるばかりのままそうして悩み続けていると目の前のぼくは問題なく「おはよう」と返事してき
た。ああ良かった本当に言葉は通じるらしい。ぼくは安心してオムライスの味を忘れることができた。それから残りの三人も「おはよ
う」あるいは「こんにちは」もしかしたら「こんばんは」と返してきたような気がする。一件落着だ。一件落着だから、ぼくはぼくた
ちから離れて走って、それで走ると崖のようなものが見えたからそこまで息を弾ませて、それで飛び降りて自殺した。
 さっきぼくがぼくに向かって「おはよう」と言ってきたものだからぼくは咄嗟に「おはよう」と返すことにしたのだけれど、「おは
よう」とはどういう意味だったのだろう。そうしたらぼくとそのぼく以外のぼくが「おはよう」とか「こんにちは」とか「こんばんは
」とか難しい言葉を話すものだからぼくはこんがらがってしまってああそういえばこの世界には時がないのだったなと思いついた。な
ぜ思いついたのかは分からないけれど、発想とはそういうものだと思っている。発想とは常に躍動的なものだ。ではその失われた時を
求めるためにはぼくはなにをしたらいいのだろう。と考えると、なぜそんなことを考えているのだろうとぼくはぼくを考えることもで
きるようになる。でもきっとぼくは良い奴なのだろうなと思った。自画自賛した。そうだ、でもこうして自画自賛するのは不思議なこ
とではない。それというのも、ぼくは今日書店に寄る前に、少し離れたところのビルの最上階付近にあるオムライス専門店でオムライ
スを食べたのだけれど、そのときも自分を褒めてやりたくなるようなことがあったのだ。ぼくはオムライスを食べている間、手が滑っ

てスプーンを落としてしまい、ウェイターがすぐさま新しいスプーンを持ってきてくれたのだけれど、ぼくは良い奴なのだから洗う手
間を省くために落としたスプーンをそのまま使うことにしたのだ。と、威張っている自分を諌めることができたのだからぼくは良い奴
なのだ。ところでさっき、ぼくが自殺してしまったらしい。それは一大事だしぼくは死にたくないなぁと漠然とだけど思っているもの
だから死にたくないのになんでぼくは死なないといけないんだろうと気分を落としていると、でもぼくはぼくが死んでいないことに気
付いた。ぼくは生きている。でもぼくは自殺している。ああそうか分かったぞ、生きているぼくと、自殺したぼくは同一人物ではなか
ったのだ。そうだと分かるとぼくは嬉しくなって、安心して生き続けることができた。それはまた嬉しいことだ。ぼくはぼくが死んだ
というのにるんるんの気分でぼくが生きていることを喜んでいた。やったぁぼくは生きている。けれどもぼくは死んでいる。やったぁ
ぼくは生きている。けれどもぼくは死んでいる。それでもぼくは生きている。
 まったくここはどこなのだろう。ぼくは辺りを見渡した。するとなんと、ぼくがぼくの他に四人もいる。つまりぼくを合わせて五人
のぼくがいるのだ。ぼくは走って逃げてしまいたい衝動に駆られた。人間ならば誰しもそう思うだろう。しかしこういうときに走って
しまうと、ぼくはマラソンランナーになって金メダルを獲得してしまうから、どうしても、ぼくは走ることが許されないのだ。少しは
遠慮というものを覚えるべきだとぼくはいつかぼく以外の誰かに言われた覚えがあるから、その教えを忠実に守って、今回ぼくは走ら
ないでおくことにしたのだ。それで走ることはぐっとこらえて、ぼくはぼくのことを観察してみることにした。それぞれどこか、微妙
に違うようで微妙に同じだ。つまり言葉で言い表すことはできないぐらいには似ていて、そして言葉で言い表すことはできないほどに
は違っていた。どこがどう違うのか、説明することができない。どこがどう似ているのかさえ説明ができない。だというのにあの四人
のぼくが、ぼくではないことがとてもよく分かったのだ。あるいはそれは、ぼくがぼくという実感を認識しているからかもしれないが、
それを抜きにしてもぼくよく分かったのだ。ところでぼくは、言葉で表現できないものなんてこの世には存在しないものだと思ってい
る。言葉を信仰している。それはたぶんそんな良い小説作品たちと触れあってきたからだろう。でもぼくは浦島太郎の存在を失念して
いた。絵にも描けないくせに言葉には表せるのか、と聞かれると、ぼくはきっと答えに窮したに違いない。でもぼくは浦島太郎なんて
忘れていたからそんなことはどうでもよかった。ああそうだ、言葉で言い表すことができないのなら、言葉の代わりに映像や絵や音楽
を使えばいいのだ。竜宮城だって映像で撮ればばっちり説明することができる。ぼくはとても冴えていた。でもそれを実行する元気は
なかったのでそのままにした。とにかく曖昧な、よく分からない差異がぼくとぼくとぼくとぼくとぼくにはあったのだ。それはたぶん、
異なる世界に住んでいたから、環境がぼくに違いを与えたとか、そんな分かりやすいものではない。ところでそんなことを考えている
うちにぼくのうちの誰かが「おはよう」と言ってくる。そしてまたぼくのうちの他の誰かが、「おはよう」と言うのだ。ぼくは戸惑っ
てしまった。そしてまたもう一人が、「おはよう」と言う。つまりいまここで「おはよう」と言えば許されるのだなとぼくは理解して、
ぼくは「こんにちは」と発言した。それは自分の感覚に忠実に従った発言だった。最近は言葉狩りが激しいからもしかしたらこの発言
も検閲にかかるかもしれない。ぼくは発言した後に戦慄した。でももはや一度口に出した言葉は取り消すことは不可能なのだ。ぼくは
走り出したい欲求に駆られた。そうしている間に、ぼくではないぼくが、急に走り出した。ぼくの欲求を奪い取ったみたいにそれは良
い走りだった。きっとぼくと同じ理由で走りたいと思いながらも、走るのをこらえていたのだろう。あの世界のぼくは、ぼくよりも忍
耐強くないらしい。そう思うとぼくはぼくに勝った気がして誇らしくなったが、実に危ないところだった。ああ、忍耐強い、そして忍
耐強くない。このふたつの表現によって今ぼくはぼくとの差異を言葉で説明することができたみたいだ。これはすごい進歩だった。そ
れはともかく走っていったぼくが崖から飛び降りて死んでしまった。ぼくが死ぬ場面を見るというのはやっぱりぼくとしては悲しいも
のだから、ぼくは涙を流した。するとふいに空が明るくなってくる。なにがあったのだろうと思い目の下を拭うと、あの飛行機のなか
に乗っていたらしい男女が、ふいに消しゴムで消されたように消えていったのが見えた。あの男女はどうやら夫婦のようだった。その
二人が消えると、ぼくたちもまた、他の世界へ飛ばされるのだった。



   4
 さてさてどうやらぼくたちのうちの一人が死んだことによりぼくたち生き残りの四人は他の世界に飛ばされたらしい。そう推理する
のは容易だった。なぜならばぼくは天才だからだ。あるいはぼくがぼくを客観的に見ることに成功しているからだ。人間は自身を客観
的に見ることで、自己プロデュースを比較的能率的におこなうことができる。それは天才と同義だった。つまりぼくたちは今、ぼくが
複数いるために本当の意味でぼくを客観的に見ることができるので、こうして鏡なしでも目で見ることができているので、ぼくを客観
視することに成功していたのだ。だからどんなに慌てたとしてもぼくは冷静に物事をとらえることができた。そんなことはどうでもい
いからぼくはサッカーがしたかった。ここは競技場なのだ。いや、競技場そのものではない。世界が競技場の形をしていたのだ。楕円
の形をして競技場くらいの広さしかない世界だった。それでどうやって世界が成り立っているんだろうと思ったけれど、ああそうか、
つまりここは空間が不足している世界なんだ。さっきの世界は時が完全に失われていたけど、ここは少しではあれど空間が確保されて
いるのだなと思うと、なんだか空間を贔屓目に見て時を差別しているような不快感をいだいた。でもそういえばあの世界でぼくたちは

動くことができたのだし、もしかしたら完全に時がなかったわけではなかったのかもしれない。だから光が存在することができたり、
あの飛行機が止まったりできたのかもしれない。ぼくはもうなにも文句を言うわけにはいかなかった。でも文句を言う立場にいなくて
も文句を言うのがクレーマーの役目というものだろうから、ぼくは大声で文句を言おうとしたのだがところでつまり誰かが死ねばまた
他の世界に移動できるのだということにぼくは気づいてしまった。すぐに口をつむぐ。世界を移動していけばあの書店にも帰れるかも
しれない。そうだだったらぼくを殺していけばいいんだ。これからぼくとぼくとぼくとぼくによるバトルロイヤルが開始される、とで
も思ったけどそうではなくて、ぼくたちは平和主義だからこれから話し合って仲良く手を取り合って解決策を見つけようじゃないかと
思うはずがないからぼくは殺されてしまった。
 どうやらこのように一人が死ぬと景色がリセットされるらしい。いや、つまり景色が変わるということはまた異世界に飛ばされたと
いうことか。あまり実感は湧かなかったがそういうことなのだろう。ぼくはようやく自分のほっぺたをつねってみることにした。痛い。
痛いからこれは夢ではないらしい。でも考えてみるに、痛いと感じることが、どうして夢でないことの証明になるのだろう。おかしい
じゃないか。たとえばぼくの体は実際には存在しなくて存在するのはぼくの脳だけでぼくの脳は水槽に入っていてそれで水槽の脳がぼ
くの体が存在していると錯覚しているのかもしれない。ぼくの体を認識しているだけでぼくの体があるとは限らない。そしてぼくの体
があるくせにあるとは限らないということは、痛いと感じるくせに痛いと感じていないとも限らないということだ。脳だけの肉体であ
るのならいくら走っても平気なはずなのに、脳が勝手に疲れたと感じたら疲れたと感じてしまう。マラソンしているときだって、極力
口は開けないように心がけるのがいいとよく言う。口を開けると酸素をたくさん取り入れる形になるから、体が酸素を求めている体勢
になって、脳が勝手に自分は疲れていると錯覚してしまうのだ。現実にもそういうことがあるのだから、脳が実在しない肉体を錯覚す
るくらい、造作もないことのはずだ。ところでこんなことを考えていると眠たくなってきてしまった。そういえばぼくは難しかったり
簡単だったりすることを考えると眠たくなるタチなのだった。これはいかんいますぐにでも難しくも簡単でもないことを考えないとほ
んとうにぼくは眠ってしまう。そうしたらここらへんのぼくのことだろうからぼくの寝首を掻っ切ってしまうだろう。ぼくはジャンプ
してステップしてホップしてみたけれどそうするとなんだかこの狭い競技場が不甲斐なくてでもそれくらいのことをするのには充分な
広さがあるはずだった。それにこの競技場にはぼくら四人の他に誰もいないのだ。だとしたらここは、ぼくらが来る前は無人島ならぬ
無人世界だったのかもしれないし、そもそもさっきのはホップステップジャンプが正しいのであって逆にやるというのは難しいと思う。
でももしかしたらこのほうが楽しいかもしれないと思うのはぼくが運動の得意な奴ではないからなのかもしれない。どちらにせよぼく
に実践する元気はなかった。でもさっき死んだぼくに至っては崖から飛び降りるくらいの身体能力はあったみたいだから、やはり、ぼ
くもそれくらいのことはできるのかもしれないと思ってジャンプステップホップをやってみた。もしここに崖があったならぼくは死ん
でいただろうけど競技場に崖はない。命拾いをした。それくらいには飛ぶことができて満足した。そうしている間にぼくではないぼく
が殺されていた。
 ああ驚いたとぼくは独り言を呟いたけれど他の三人はぼくの独り言に気付いていなかったようで寂しい。誰もぼくのほうに顔を向け
ることをしなかったものだからもしかしたらぼくは無視されているのかもしれないという被害妄想が放出した。ぼくは無視されている
のかもしれない。ぼくは無視されているのかもしれない。また独り言をしてみたら、今度もまた誰も反応しなかった。ぼくはもしかし
たら無視されているのかもしれないと思いぼくは無視されていると思う。
 落としたスプーンを使ったからといって、ウェイターが顔をしかめることはなかった。なぜかというと、ぼくがウェイターに気付か
れないように使ったからだ。それは言い換えるなら、実際のところぼくは落としたスプーンを使わなかったということなのだ。ぼくは
綺麗なスプーンを使ってオムライスを食べていた。でもそれだと前提から間違っている。ぼくは良い奴なのに。でもそもそも人間の思
考なんてものは間違いだらけだし間違っていることを責めるわけにはいかないよ。そういう寛大な心を持つことが良い奴になるコツな
のさ。と思ったけれど人間の思考なんてものは欠陥だらけだからさっきのこの思考もまた間違っているのかもしれない。というこの注
釈が間違っている可能性もある。というこの。人間の思考も捨てたもんじゃないなぁとぼくはふいに褒めてみた。隣で独り言が聞こえ
てきたが声が小さすぎてなんと言っているのかは分からなかった。なぜこんなにも声が小さいのだろう、と思えばそうだ、あのぼくは
ぼくに殺されるのを恐れて、自ら無意識的に存在を隠そうとしているのだ。あははそんなことしても無駄なのに、とも思うけれど、良
い奴であるぼくは、それに付き合ってぼくを無視してあげた。ぼくはなんて良い奴なんだ。そういえば最近推理小説読んでないなぁと
思って書店の推理小説棚に行こうとしている自分の光景をふと思い出した。ぼくはなにも考えることができないときは昔の記憶を思い
出すのが癖らしい。ところでなぜ急にぼくはなにも考えなくなったのだろうと思えば、そうだ、無視したからだ。何事も、無視をする
とはつまり思考を停止するというのと同義だ。だからぼくは考えるのをやめて、元の世界にいたときの自分の行動を思い起こしている
のだろう。ぼくは新本格推理小説を読みたくて新本格棚を探してみたのだけれど、さすがにそういう分類までして陳列しているわけで
はないようだった。本格も新本格も同じように推理小説の棚に並んでいる。予備知識はあまりないけどただ新本格系のを読みたいなぁ
と思っていたところのこの惨事なのだから、王冠を被った王様が言うにはカエルがぐえーと鳴いたからには帰ったほうがいいというこ
とだった。ぼくは書店を出ようと思ってでもちょっと棚に目をやったら、あの小説があったものだからわりと好きな作家なものだから
手に取ったりして、それで気づいたら異世界に飛ばされていた。ような気がするけれど実際のところどうだったか、詳しくは覚えてい

ない。人間の記憶というものは時間が経つごとに褪せていくものだけれどさっき時のない世界にいたことで記憶の褪せることに堰がと
められて、それでこの競技場に飛ばされたときに一気に大洪水が起きたのだろう。大洪水に恐れおののいている間にぼくが近づいてき
てぼくを殴り殺そうとするものだからぼくは慌てて避けてついでにその殴り殺そうとする拳を真剣白刃取りしたら鳥が飛んでくるっく
ーと心地よいさえずりを鳴らしてぼくは襲いかかってきたそのぼくを殺してしまった。ぼくは生き延びたしゴールを決めた。


   3
 世界。再度。変わる。生きる。目的。果たす。条件。ぼく。他人。ぼく。死ぬ。達成。仮定。生きる。ここ。世界。空間。時間。両
者。虚弱。思考。断続。疲労。加速。混乱。頭。脳内。シナプス。ぐるぐる。吐血。ぼく。条件。果たす。ない。ぼく。ぐるぐる。死
ぬ。ぼく。死ぬ。
 ここ(の)世界(は)どうやら助詞(や)助動詞以外(の)単語(を)ひとつずつ(でないと)使用する(ことが)できない世界(
のようだ)(からつまりどういうことかというと)時空(が)虚弱(であるために)思考(電流が)低下(しているといえるのであろ
うから)ここ(で)(もし:仮定)単純(な)思考(だけしようものなら)急速(に)脳(の)機能(が)低下(し最終的には)死(
に)陥る(と考えて良いのだろうし)実際(に)ぼく(つまりぼくではないぼくが)ひとり(死んで)いる。
 ふはははとぼくは笑いださずにはいられなかった。というのはこの世界はぼくの住んでいた元いた世界なのだ。いや確かに、時間も
空間も弱弱しくしか存在していないこの世界には、書店などありはしない。もともとあの書店があった世界というのも、実はぼくにと
っては本来いるべき世界ではなかったということなのだ。ふはははは。ぼくは実はこの物語の犯人であり画策した当本人でありラスボ
スなのである。つまり四人のぼくを集めたのはぼくなのだ。ぼくは四人のぼくを他の世界から集めることで世界を移動する手段を得て
そしてこのようにぼくを死なせていくことでその世界におけるぼくを占領することができる。つまりぼくは世界におけるぼくを吸収し
ているのだ。このようにして。ぼくはぼくを飲み込むことによって世界を手に入れている。まあ全部うそだけど。でもこの世界がぼく
の元いた世界というのは本当のことだ。ぼくは世界を渡り歩くことでぼくを死に導き最終的にぼくのなかに取り入れてしまうのだが(
ところで(これは(うそ(だ)しかし困ったことに移動先の世界を自分で選択することはできないのだった。だからぼくはたびたびこ
のようにして世界を移動しいつかこの世界に帰ってこれるときを心待ちにしていた。いまそれが果たされたのだ。充足感に満ち溢れる。
本来この世界では満足に思考もできないようになっているのだが、やはりここが故郷であるぼくは違う。こうやって*自*由*自*在
*に認識を垂れ流すことができた。ふはははは。……おい、え、あれれ。ついにこの世界の思考制限にやられて一人死んでしまった。
だめだそうしたらまた異世界に飛ばされてしまう。せっかく帰ってきたというのに。おいやめてくれ死ぬな死んではならないやめろや
めてくれああ。


   2
 あああなんということだぼくはまたぼくを何人も集めてあの世界を渡り歩かねばならないということなのかなんという絶望だせっか
く帰ってこれたと思ったのになんという仕打ちだなにをそんなに怒っているんだいとぼくはその怒っているぼくに向かって話しかけた
あたりかまわず喚き散らして怒りを表現しているとぼくがなにをそんなに怒っているんだいと話しかけてきたなんだいこのぼくはぼく
を慰めるつもりなのかいいい度胸じゃないかこれからぼくはぼくに殺されるということも露も知らずにそうだ犯人はぼくなのだとぼく
は口に出して大声で言ったなんだ怒っていたと思ったら急に自分が犯人なのだとこのぼくは言い始めた推理小説の真似ごとだろうかそ
れにしてはトリックも動機ももろもろも感じられないしそもそも事件ってなんのことだろうなんというチープな小説だそんなぼくは古
典SFなり読んでいたらいいんだそうだそうだそう罵倒しようものかそれとも心のうちに秘めておくべきか迷っている間にぼくはぼくを
血走った眼で見てくるぼくはもうさっさと目の前のぼくを殺して次の世界に行ってやろうと考えたきっとぼくからしたらぼくは血走っ
た充血した目の殺人鬼に見えているかもしれないが実際にぼくは何人ものぼくを殺してきたのだそういえばぼくは目薬を持っていたん
だったぼくは内ポケットから目薬を出してそれをぼくに差し出したするとぼくは案外あっさりとそれを受け取るものだからもしかした
ら案外冷静でいるのかもなと思ったぼくが突然目薬なんて取り出してくるから驚いたが有り難く受け取ることにした確かにぼくの眼は
赤くなっているようだったから目薬をさしておく必要もあるだろうなと思ったしそれにぼくからの親切心を無碍にできるほどぼくは人
間ができてはいないしそういえばさきほどからなにか違和感があるのかと思えばぼくとぼくの思考が同時的に進行されているこれはつ
まりこの世界では実体というものが存在せずそれこそ本当に水槽の脳のようないやそれよりもタチが悪いそうだこれは文字だ言葉だぼ
くたちは言葉という存在に落とし込められて一段落に押し込まれようとしているなんだってそれは大変だいったいぼくたちはどうした
らいいんだいそうだなひとまずおまえが死ねばぼくひとりになるから一段落につきひとりというルールを結果的に守り通すことができ
るんじゃないかえーなにを言っているんだいぼくが死ねるわけないじゃないかそれになんできみはさっきぼくのことをおまえと言うん
だい同じぼくだというのにいまおまえもぼくのことをきみと言ったじゃないか同じことじゃないかそうかこうやってぼくたちは今まで

は客観的に自分たちを見ることでむしろぼくと呼べるだけの近さがあったのに今こうして同じ段落に入ってつまりすごく近い距離にま
で入ったらむしろ嫌悪感や自分とは異なる点が露出してきて相手を他者として認識するようになるんだななるほどつまり人間が家族に
対してと他人に対してで態度を変えるのはそういう理由があったためなのだなつまり人間は家族であれば家族であるほど消し去りたい
と思いながら消えることなく生きている生き物なのだただしその家族という存在がすぐ近くにいる場合に限り喉がかわいたおいそこの
ぼくちゃん飲み物を買って来いよそこの自動販売機でなにを言っているんだいこのあたりに自動販売機なんてないよそれに今度はまた
ぼくに呼称が戻ったと思ったらちゃんがついているじゃないか残念なことにぼくはぼくっ娘ではないんだそういうテンションのお話で
はないんだよではどういうテンションのときに女は一人称をぼくにするというんだそんなこと知らないけどきっとそういうテンション
だってあるだろう男が私って言うみたいにってそれはあたりまえに使うことじゃないかそんなでも急になんでこんな話をしなきゃなら
ないんだ無駄話ばかりしやがってさっさと死にやがれなにをするんだ眼が真っ赤っ赤だぞ病院行ったほうがいいんじゃないか違うこれ
は故郷を離れたときのあの離別の涙だ充血だそれはなんとも文学的なことだけどぼくは死ぬわけにはいかないよぼくはまだやりたいこ
とがたくさん残っているんだぼくだってそうに決まっているだろう故郷に帰って安息の日々を過ごしたいそれは誰しも思うことだろう
いやぼくは故郷じゃなくてもいいこの都会でもいいんだそれよりもぼくはこれからももっとたくさん本を読んでいたいしオムライスを
食べていたいしかわいい店員さんに見つめられていたいんだ三番目のが真理だねだから死ぬわけにはいかないんだなんだそれっぽっち
の理由で理由なんてどうでもいいよ生きたいと思うのは人間の道理だろうでもそれはぼくの思っていることでもあるのだろうねだから
ぼくを殺そうとしているのだろうねだからぼくはぼくに向かって死ねとは言わないよでもぼくだって死にたくはないだから共存の道を
今こそ切り開いて平和に解決しよう手を取り合ってといってもまさかぼくがそんな話に乗るわけがないからここはひとつ契約といこう
じゃないかぼくがぼくと契約を交わすというのはなんともシュールなことだけれども契約としてはなんの問題もなく成立するはずだろ
うぼくはぼくが元の世界に戻ることができるよう支援しようなにを言っているんだそんなことぼくにできるわけがないだろう虫が良す
ぎるいいやぼくは知っているんだよ具体的になにをするのかといえばぼくは元の世界に戻る方法を実は知っているなんでぼくが知って
いるっていうんだ知っているんだよだってぼくはぼくだからねなにを言ってるんだぼくたちは気づいていたはずさ本を開いたときに異
世界に飛ばされたことや助詞や助動詞の制限が加わったこともあったしぼくたちは気づいていたはずだし気づいていたのに無視をして
いたんだそれは思考停止と同じことだと思わなかったのかいぼくたちは元の世界に戻る方法を知っているんだよそれを今ぼくはぼくに
気付かせているだからそれを交換条件につまりぼくが元の世界に戻ると同時に僕もまた元の世界に戻ればいや同時にというのは同じタ
イミングとかそういう意味ではなく深い意味はないのだけれどだからだからぼくたちは、知っていたはずさ、ぼくたちはいつでも元の
世界に戻れるんだ、分かるだろう、逆に言えばぼくたちは、いつだって異世界の扉を開くことができる、そう、いまこそ本を閉じると
きだ。了。


   1
 ぼくはハッと我に返った。
 白昼夢でも見ていたのだろうか。本を立ち読みしながら、どこか遠くへ行っていたような気がする。
 なんとぼくは知らぬ間に本を最後まで読んでいた。飛行機が急上昇する。三百ページ以上あるこの本を、立ち読みで読み切ったとい
うのか。にわかには信じられなかった。
 ぼくはなんだか居たたまれなくなって、その本を買うことにした。レジに持っていく。いつもの店員さんに本を差し出した。
 差し出しながら、本を眺める。蒼い海の表紙は、読み終えた後に再度眺めるとまた違った意味合いが感じられて面白い。ぼくは微笑
を漏らした。店員さんの視線を感じる。
 カバーをかけるかと言われて、もう少しその表紙を見ていたかったぼくは、いいえと答えた。
 海のイラストには、大きな文字でタイトルが記されている。
 ――「ONE」というタイトルが。

終わり。
一段落が長すぎるわ!

次は私の作品

No.2 あの日の真白なキャンバス
http://text-poi.net/vote/62/2/

 あれは二十八歳になった四月のこと。
 その日の夜は雨が降っていた。傘をさせばパラパラと音がするくらいの雨で、公園には水溜まりと枝分かれした川がいくつも出来上
がっていて。
 公園の中にはもちろん、その周辺にすら誰もいなかった。
 だからこそ私は足を踏み入れたのだ。
 スマートフォンを手に、公園の写真を自分なりに構図を考えて撮って。
 本当は一枚か二枚撮ったら帰るつもりだったけれど、その公園に足を踏み入れるのは随分久しぶり(少なくとも十五年は経つだろう)
だったから、なんとなく中をくまなく歩いてみることにしたのだった。
 今は疎遠になったけれど、まだ小学校に入る前に仲良くなった友達。あのとき私はたしかイトコとジャングルジムで遊んでいた記憶
があるけれど――すでにジャングルジムは跡形もなく撤去されている。そんなことは公園に足を踏み入れる前から分かっていたことだ
し、撤去されたのはここ最近の話でもない。もしかしたら記憶が朧げな、十五年以上前に足を踏み入れたときでさえジャングルジムは
存在しなかったかも。だけど私がこの公園の中を歩くのだと決めたとき、まず思い起こされたのはその記憶だった。
 中を歩いていれば、意識すればいろいろな記憶が蘇ってくる。
 象の鼻を模した滑り台は以前はステンレス剥き出しで、一秒かそこらで滑り落ちれるくせにとても大きく感じたのを覚えている。
 何度取り替えられたか分からないブランコは、勢い良く立ち漕ぎしたら逆さまになって落っこちてしまうんじゃないだろうかとビク
ビクしたり。
 砂場は、犬か猫の糞が埋まっていたことがあったから大嫌いだった。
 他にも、公園と道を挟んだ向かいには家が並んで立っていたけれど、全部取り壊されて空き地になっていて。
 私はそういった光景を、全部カメラに収めていった。
 スマートフォンのカメラは露出補正が充分でなく、それゆえ雨の降る町がまるでミニチュアのように見えてしまうのだが、私はむし
ろその方が幻想的で好きだった。どうせ見た目と同じ写真は撮れないのだから、いっそのこと非現実でも印象深いほうが良い。
 そんなときだったのだ。私があいつを見つけたのは。
 公園の隅っこの、柵を越えた先の木が植えられた部分。
 春になれば桜が咲く木の根元に、何かもっこりとしたものが横たわっている。闇と同調するような真っ黒な毛布で覆われていたから、
パッと見ただけでは分かりにくい。しかし一度意識してしまえば、目を逸らすのは不可能だった。
 最初、私はそれを動物の死体だと思った。猫にしては大きいから、たぶん犬だろうって。普段なら何もせず場を去っていたはずだ。
しかしそのとき、何故だか私はそうしなかった。どうせなら撮ってやろうと。装っていただけかもしれないが、そのときは至って平静
で、ただ純粋な好奇心に任せて行動してやろうと思ったのだ。
 まず少し離れたところから一枚写真を撮った後、おそらく人生で初めて公園の柵を越える。木の根元に近づき、カメラを構えようと
してギョッとした。腕が見えたのだ。土に塗れて、しかも真っ暗なのに、人肌であることが分かる腕。私はそのとき声を上げたのか、
あまりにも驚きすぎて声を上げられなかったかは覚えていない。しかし肩にかけていた傘を地面に落としたことは覚えている。その音
のおかげで、少しだけ冷静になることができたのだから。
 唯一剥き出しになっている腕を、食い入るように見つめる。細い腕だ。未発達で、これは子供の腕だと私は思った。
 もしかして、子供の死体なのか……
 全身に悪寒が走り、早く立ち去るべきだと本能が警告を発する。そして私は本来であればその本能に――従うべきだったかどうかな
んて今となってはわからない。しかし私は、その瞬間においては本能に逆らうことを選んだ。何かが少しずつ狂っていたのだ。以前ま
で写真に興味のなかった私が、急に興味を持ち始めたこと。雨であるにもかかわらず、わざわざ夜に散歩しに外へ出かけたこと。公園
に足を踏み入れたこと。どれもが自分の認識する自分とは異なっていて。
 私は思い切って震える腕を伸ばし、毛布をゆっくりと剥がした。
 顔が、なかった。
 正確には、目がない。鼻がない。口がない。のっぺらぼうがそこにいた。
 しかもそれは目が無いにもかかわらず、私のことを見たのだ。
 今度こそ私は腰を抜かした。雨でぐちゃぐちゃになった地面に、ぺたんと腰を落としてしまった。
 なんだ、こいつは?
 しかもそいつは私が毛布を剥がしてから、まるでスイッチが入ったかのように動き始めた。
 細い腕をぐるぐる回し、上半身を起こそうとして――
 私は思わず飛ぶように後ずさった。そのまま振り返り勢い良く駆けようとしたので、公園の柵に躓き、転びそうになる。私はそれで
も何とか踏ん張り、バカみたいに走って家に逃げ帰ったのだった。
 私は玄関前の水道で、汚れた体を洗うことにした。
 服ごとホースで、身体中にまとわりつく土を洗い流していく。
 あいつは、一体なんだったんだ。
 体がぶるりと震える。水の冷たさなのか、生理的な感情によるものなのか、よくわからない。身も心もぐちゃぐちゃだった。
 これから、一体どうすればいいんだろう。
 そんな言葉がずっと頭を駆け巡る。
 これから、どうすればいいんだろう。これから、これから――
 直近の問題は、どうやって私は家に上がるかということだった。玄関を開けたら土間が広がっているから、そこまでは濡れててもい
い。だけどそこから先は居間だから絶対に濡らしたくない。
 とりあえず、玄関の屋根の下で服の裾や袖を絞った。頭がぼんやりとしながらも、機械的に服を絞って、絞って……
 私はスマートフォンを持っていないことに気がついた。
 まるで雷で打たれたような衝撃だった。
 私にとってスマホは、なくてはならない必需品だったのだ。一日中とにかく暇があればスマホを触って、それが無い生活なんて、今
となっては全然思い出せない。
 あのとき公園で、私はスマホを落としてしまったのだ。
 大きな重りが頭にのしかかり、意識をそのまま手放してしまいそうになる。
 あのスマホには、絶対に他人には知られたくないデータが入っていた。もし知られたら、自殺するしかなくなってしまう――
 頭を抱えて塞ぎ込んで、何分そうしていたか分からない。私が出した結論は、あの場にスマホを取りにいくことだった。
 あの、化け物の元に。

 徒歩一分ほどの道のりを、絶望に一歩ずつ足を踏み入れるような心地で、私は再び公園にやってきた。
 もう一度目に来たときのような高揚感は失われていた。

 闇はどこまでも深いように感じられたし、雨音は先ほどより強くなって、意思を打ち砕かんとしているように感じる。
 私はあの木の前の柵に向かって、さきほど毛布を剥がしてしまったから、あいつの姿がはっきりと見えた。見間違いじゃなく、顔が
ない。そいつはもう動いておらず、死んだようにじっとしていた。
 そいつから一歩も離れていないところに、ディスプレイを下向きにしてスマホが落ちている。
 私は柵を越えて、スマホを拾った。
 幸い、まだ壊れていないようだった。
 私はゆっくりと、のっぺらぼうを見下した。
 のっぺらぼうは死んでいるのではなく、苦しんでいた。
 表情は見えないけど、苦しんでいる。
 むかし家で飼っていた小鳥の雛が、衰弱死していくときのようだった。
 私はさきほど、何故これをそんなにも恐れていたのか分からなくなった。
 ただの弱々しい生き物じゃないか。
 普通の、放り出されたらひとりでは生きていけない餓鬼なんだ。顔がないから世間体が悪く、親に捨てられて。
 私は急に、こいつのことを哀れに思った。
 哀れな、哀れな、この世では生きていくことが許されない生物なんだって。
「ねえお前、助けてほしいか?」
 気がつけば私は、しゃがんでそいつの顔を覗き込むように声をかけていた。
「助けて欲しいんだろ?」
 表情がない怪物が、こくりと頷いた、ように見える。
「どっちなの? 助けてほしいの?」
 こくり、と今度はもう少しはっきりと頷いたように見える。
「どうしよう、かなあ」
 私は興奮していた。
 どうしようもなく背徳感があって、私は興奮していた。
「……ねえお前、私のことを裏切らない?」
 こくり、とまた小さく頷く。
「本当に? どんなときでも? 間違えていると思ってても逆らわない? もし私がお前を助けたら、一生私のために生きてくれる?」
 こいつは苦しんでいる。
 苦しんで、苦しんで、それでも自分が助かるために首を振ろうとしている。
 醜い。
「わかった。じゃあ助けてやる」と私は言った。

 本当は私は、すぐにでも救急車を呼ぶべきだったのだ。
 そいつがのっぺらぼうだろうがなんだろうが、私は赤の他人で関係ないことだったのだから。
 しかし一度関わってしまったら、そういう訳にはいかない。
 そいつは結果的に、丸々二日間苦しんだ。ずっとずっと、狂ったように汗を流して。
 私はずっと看病につきっきりで、会社に行く暇がなかった。計画的でない有給休暇を取ったのは、そのときが初めてだった。
 金曜日の朝、そいつは目覚めたのだ。
 気がつけば、私の顔をそいつが覗いていた。
 突然のっぺらぼうだったので、私は思わず大声をあげてしまった。
「何やっているんだよ!」
 そいつはぶかぶかのパジャマを着ながら、体をビクッとさせる。
 私のパジャマだった。それ以外に着せるものはなかったのだ。
 そいつがいつまでも何も喋らないので私は溜め息をつき、
「元気になったんだ」
 こくり、とそいつは頷く。
 少しは声を出せばいいのに。口がないようで、あるんだから。
「ちょっと汗流してくるから、お前はそこでじっとしてて」
 階段を降り、居間を指差しながら言い捨てて、風呂場にシャワーを浴びに行く。
 朝起きてからシャワーを浴びるなんて随分久しぶりだったから、とても心地良かった。
 風呂場から上がってみると、言われたとこりそいつは居間の隅っこでじっとしていた。
 顔がないからよくわからないけれど、居心地の悪さというか、遠慮を感じているのだろうか。
「そういうところは普通にしてていいから」と私は言う。
「お腹空いてるでしょ。朝ご飯作ってあげるから、待ってて」
 適当に刻んだ野菜に、目玉焼き。冷凍食品のオカズ。ご飯は冷蔵庫で保存しておいたものを使用。
 ふたり分でもそれほど手間はかからない。
「ほら、できたよ」
 まるで料理店のように、テーブルの上に皿を並べていく。
 そいつはピクリと顔を上げたように見えたが、こちらに寄ってこようとはしなかった。
「早くこっちに来な」
 私がテーブルをぽんと叩くと、怖ず怖ずと寄ってくる。どうやら相当臆病なやつのようだ。
「いただきます」
 私だけがその言葉を口にして、朝食に手をつける。
 そいつは目(顔?)を朝食に向けるだけで、テーブルの上に手を出さずじっとしていた。
「お前、私の料理が食べられないの?」
 そう言うと再びそいつは体をビクッとさせて、慌てたように自分の箸を手に取った。そして一口目を口にする。
 先ほど述べたとおり、そいつには口があった。
 何もないところに食べ物が消えていくようで不気味だけれど、見えないだけで、たしかにそいつには口があるのだ。
 それに気づいたのは、看病で水を飲ませようとしたときだった。
 そいつは生死の境目を彷徨っていたとき、全身から噴き出す汗を補うように、死に物狂いで水を口にしていたのだ。

 そいつは最初はちょびちょびと目玉焼きを口にするだけだったけれど、やがて恐ろしい勢いで食べ物を口にし始めた。
 全身で、生きようとしている。
 この私より一回りもふた回りも小さい体のくせして、どこにこんなエネルギーが詰まっているのか。
「今日はさ、お前に構ってられないから」
 ひととおり食べ終えたのを見て、私は言った。
「会社に行かないといけないから。二日連続で休んだことなんて初めてだよ。私は真面目だからね」
 そう言うと、先ほど朝食を頬張っていた元気は何処へやら、また縮こまってしまった。
 私はその反応に満足して、
「食器洗いぐらいはできるでしょ? やっといてね。あと、それから――」
 人差し指でそいつの顔の中心を指差す。
「絶対にこの家から出てはいけないよ。誰かが訪ねてきても返事しちゃダメ。誰もいないように振る舞って」
 なんとなく逡巡しているように見えたので、
「これはお前のためでもあるんだよ」
 きょとんとしたのを悟って、
「もし見つかったら、お前をここに置いておくのが難しくなってしまうんだから」
 その言葉を聞くとそいつはまた体をビクッとさせ、縮こまってしまった。
 臆病なやつだ。
 しかしこれで、本当にこいつは私に逆らえないんだということが分かった。
 私は再び満足して、
「頑張れば長くここに置いてあげることができるんだから。頑張ればね」
 そして私は支度をして、会社に向かった。

「お、来た来た。体調はどう? もう大丈夫なの?」
「大丈夫です。すみません、突然ご迷惑をおかけして……」
 出社すると上司がフレンドリーに話しかけてきたので対応する。
「駿河さんが休むなんて珍しいから、本当に心配したよ」
「すみません」
「結局何だったの? ただの風邪?」
「は、はい……強烈なやつに当たっちゃったみたいで……」
 二日連続で休むという電話をかけたとき、医者に診てもらったほうが良いと上司が行ったのだ。
 私はそのことについて後ろめたさを感じていたが、あいつを医者に連れていくかどうかについても、あのときはひどく迷っていた。
そりゃあいつの体調だけを考えれば、医者に診てもらったほうがいいのだろうけど――
「今日は仕事溜まっているかもしれないけど、無理しなくていいからね」
 チームのメンバーが来たから、その人たちにも謝って。
 メールボックスを開くと二百件以上メールが溜まっており、一気に現実に引き戻された。
 だから休むのは嫌なのだ。
 休んだ分の仕事が溜まるだけだから。
 私は無我夢中でメールの処理に取り掛かった。

「今日はこれで帰ります」
「お疲れ様ー」
 なんとか八時になる前に仕事を終えたが、私の脳みそはもうボロボロだった。
 これでも昔より早く帰れるようになったのだ。
 昔は十時近くまで残っていることもあったが、最近は残業規制が厳しい。早く帰れるから楽かと言われると、同じ仕事量を短い時間
でこなさないといけないので、以前より辛くなった気がする。
 私はときどき、将来に漠然とした不安を持つことがあった。
 今は脳みそフル回転でなんとかついていけてるけど、将来三十代、四十代となったとき同じように仕事を続けていけるのか。そして
このまま死んでしまうのか。
 会社から家までは、電車を乗り継いで一時間以上かかる。会社の人たちからは近くに住んだほうがいいんじゃないかと言われるけど、
私はできるだけ会社から離れていたかった。
 この電車で帰るときが、私の安息の時間だ。
 本を読んだり、脳みその体力があるときはちょっとした文章を書いたり。
 だけど今日は、何にもやる気がでなかった。だからスマホで適当にニュースを眺めて。電車が地下に入りそれも出来なくなったから、
スマホをポケットに仕舞い、ぼうっとして。
 突然あいつのことを思い出した。
 家に置いてきたのっぺらぼうのことだ。
 あいつはいま、どうしているのだろう――?
 私は急に、電車の中でじっとしていられないほど不安になった。
 地下鉄から乗り換えるために外に出て、すっかり日が落ちていた風景がさらに不安を煽り立てる。
 私は、あいつを裏切らないと感じていたけれど、そんな保証はどこにあるんだ?
 だいたい私が会社に行っているあいだ、一体あいつは何をしていたのか。
 膨大な時間だ。
 私はその時間を毎日会社で費やしていて、だからこそ人生に虚しさを感じているのだ。
 そんな膨大な時間があれば、あいつは一体何を――?
 私はスマホで自宅に電話をかけた。一回、二回、三回……
 出ない。
「なんで出ないんだよ!」
 留守番電話に繋がった瞬間、私は思わず叫んでしまった。
 そのときはホームで、周りの注目を集めてしまって。
 私は謝るため頭を下げたまま縮こまってしまったけれど、それでもあいつが電話に出ないのが不安で、不安で……

 きっと不審者のように、車内で体をガタガタ震わせていたと思う。
 何故こんなにも不安なのか私にはわからなかった。
 ようやく最寄り駅について、頭をふらふらさせて。
 私は帰路の途中で、もう一度だけ電話を掛けた。
 またしても留守番電話に繋がる。要件を伝えてほしいというメッセージと、ピーッという音が聞こえて。
「どうして電話に出てくれないんだよ……!」
 私はもう泣きそうだった。
 泣きそうで、それを必死になって食い止めて何かよくわからないことを呟いて。
 突然、かちゃりという音が聞こえた。
「……取ったの?」
 返事はなかった。
「……受話器取ったんでしょ? 取ったんなら返事してよ、ねえ」
 だけど返事はない。
 私はそのことについて罵詈雑言を浴びせようとした。
 何故、どうして。今朝だって全然話さなくて。
 そのとき、私の中を一直線に線が走った。
 それは下の下までスルスルと、まるで届かなかった井戸の底に届いたみたいに。
「もしかしてお前、喋れないの?」
 突拍子なことを口にしていた。
「喋れないの? 喋れないんでしょ、ねえ」
 返事がない。
 返事がないのに、それはあいつの無言の肯定のように感じられて。
 私は電話を切り、狂ったように家に向けて駆け出した。
 玄関を開けて中に飛び込んで、居間にあいつがいた。
 私は思わず抱きしめる。
「ごめん、ごめん」
 一体何を謝っているのか分からなかった。
「お前、お昼は食べたのか?」
 首を振る。
「じゃあ夕ご飯は?」
 首を振る。
「バカッ」と吐き捨てるように私は言った。
「今すぐ何か作るから。すぐできるから」
 私は冷蔵庫の中を引っ掻き回しながら、帰路の途中でのことを全て後悔していた。
 何を疑っていたんだ。
 疑うことなんてなかったんだ。やっぱりただの、弱っちい生き物じゃないか。
 私は冷蔵庫のありったけのものを詰め込んだ料理を、そいつに向けて出した。
「ほら」
 冷静に見れば、それはグロテスクなものだったかもしれない。
 そいつは箸を手にしつつも、料理に手をつけることに躊躇していた様子だった。
 しかし私がじっと見つめていたので、ついに料理に口つけた。
 一口食べれば、どんどん、どんどん減っていく。
 やっぱり。私は料理には自信があるんだ。
「ごめん、本当にごめん」
 のっぺらぼうの食べっぷりを見ながら、独り言のように呟く。
「私は狂っているんだ」
 前から薄々感じていたことだった。
 私は以前から他人と違うような気がしていて、それでも今日の行動は異常だった。
 いつの間にか私は狂っていたのだ。
 のっぺらぼうが手を止めて、こちらに顔を向けた。
「こんなやつに拾われて、災難だろお前」
 そいつはやはり何も言わなかった。
 そのかわりに、またパクパクと夕食を食べ始める。
 完璧な回答だった。
「ねえ」
 思わず背後から抱き締めて、
「お前が喋れなくなったのはいつから?」
 のっぺらぼうが再び手を止めて、
「私のせいじゃないよね?」
 抱き締める手を強めながら、私が言う。
「私が医者に連れていかなかったせいじゃないよね? 前から喋れなかったんだよね? それに、のっぺらぼうだから連れていかれて
も困るもんね?」
 そいつはしばらく固まっていたけれど、やがてコクリと返事する。
 それを見て、私は思った。
 こいつは本当は、のっぺらぼうじゃないんだ。
 私が顔を見えないだけなんだ。
 何らかの理由で。
 私はスマホで、そいつの写真を撮った。
 毎日毎日、そいつの写真を撮ることにしたのだ。

――*――*――

 one。
 ひとり、ひとつ、個の。
 私はそれを独立した、ひとつのオリジナリティー溢れるものだと認識していたけれど。
 誰でも、と訳すのを見たとき、最初は全然意味がわからなかった。
 ひとりと誰かじゃ全然違うじゃん、って。
 だけど成長していくうちに、とくに社会人になって、私はそれを痛感せざるを得なかった。
 みんな、誰かになっていく。
 大人になれば誰もが集団のひとりになっていった。
 結婚して、子供ができて、その子のために生きるようになって。
 同じように子供がいる人と楽しそうに話す同僚を見て、そっちの世界に行ってしまったんだなと思った。
 テレビニュースで見る、世界だ。
 いろんな大人がいるのを見て、誰もがその亜種なんじゃないかって認識する。
 私はひとりになった。
 そして私も、誰かになっていくのだ。
 彼らにとって。
 私は何にもなれないまま時が過ぎていっても、何にもなれなかった誰かとして皆の脳に記録されていく。
 私はそれを題材にした文章を書いていた。
 時にはそれは小説だったり、詩だったり、ただの汚い言葉の羅列だったり。
 ずっとずっと同じことを書き続けていて、成長なんか見られないから。
 ズルができないかって探してしまう。
 本当はすぐそばに抜け道があるんじゃないかって。
 そして勝手に期待して、失望したりする。

 私はあれからすぐ、家の賃貸契約を解約した。
 私が生まれる前、三十年前から両親が借りていた家だった。
 古臭いけど交通の便が良くて、家賃が安くて、住み慣れていて……
 だけど解約せざるを得なくなったのは、あいつを飼ってしまったから。
 近所に住んでいる親戚のおばさんにバレて、そんなの間違っているって言われて。
「いくら寂しいからって、知らない子と一緒に住むなんて……」
 私はカッとなっておばさんを突き飛ばした。
 おばさんがひっくり返って転んで怪我をして、警察沙汰にはならなかったけど、私はとても居心地が悪くなったのだ。
 それでもそいつを捨てることはできなかったし、何より捨てるにはもう遅すぎた。
 もうコトは起きた後だったし、何より情が移っていたし……
 本来なら私がそいつを捨てるはずが、いつの間にか立場が逆になって。

 気づけば、十年の月日が流れていた。

「行ってきます」
 声が聞こえる。
「今日は少し遅くなるかもしれないけど、十時までには帰ってくるから」
 男なのに、透き通るような綺麗な声だ。
「明日は久しぶりに休みだからさ、遠くに出かけようよ。マネージャーが車を運転してくれるって」
 私はこくりと頷く。
「じゃあ、行ってくるね」
 もう一度名残惜しそうにそう言って、あいつが部屋を出ていく。
 またひとりだ。
 ひとりになってしまった。いつものように。
 私はしばらく、何もせずぼうっとする。
 何十分か、何時間か、ひとりで考え事をしているのかしてないのか。
 しばらくしてテレビをつけると、あいつの顔がアップで映っていた。
 あいつは俳優になったのだ。
 去年からテレビに出始めて、今や若手人気一・二を争う人気俳優である。
 私は金塊を掘り当てたのだ。
 声だって、普通に喋れるようになった。
 あいつはみるみるうちに輝き始めて……
 私はスマートフォンのフォトアルバムを開く。あいつの写真がそこに映っていた。元ののっぺらぼうだったときから、顔がはっきり
見えるようになった今まで。
 それを見て悲しくなった。あいつはもういないのだ。何も描いていないキャンバスのように、真っ白なあいつは。
 今となっては私が、あいつの立派なお荷物だ。
 声の出なくなった私を――
 あいつのマネージャーが、私のことをどういう扱いをしているか知っている。
 私は鏡を見た。そこには、消えない年輪のような皺が刻み込まれていた。(完)

終わりです。最初にレス数の計算をミスり、ぐだりました。

内容も、ううむ……

皆さんの投稿、まだまだお待ちしております。

品評会作品を投稿します。

 ノスタルジックの使者が僕の前に立っていた。ノスタルジックの使者はつい一昨日に僕の家を訪れたばかりだったが、
しかし今日も僕の家に用事があるようだった。ノスタルジックの使者は、今日、時間空いてる? と小首を傾げながら僕に
問いかけてきた。
「今日は特に用事はないけど」
 と、僕は答えた。ノスタルジックの使者は少しはにかみながら、今日はお弁当作って来たから、一緒にピクニックに行こ
うと言った。僕は頷いた。
 草原に着くと、ノスタルジックの使者はバッグから『チョッパー』を取り出し、一緒に『サイコアナルシス』しない? 
と訊いてきた。サイコアナルシスが何か判らなかったけれど、僕は頷いた。
 ノスタルジックの使者はチョッパーの片方を僕に持たせ、それから右手に持った『鳩』をチョッパーで撃った。僕は落ち
てきた鳩を、ノスタルジックの使者の方に向けて撃った。鳩は僕の思った方向に飛んではくれなかった。試合をしたけれど、
結局『11対6』で僕が負けた。運動はあまり得意ではない。
 じゃあ、お弁当食べようか。
 ノスタルジックの使者はそう言った。僕は頷いた。
 ノスタルジックの使者は、持ってきたバスケットを開いて、中身を広げていった。
 私が丹精込めて作った『サルバトリュ』だから、残さず食べてね。僕は目の前の紙皿に載せられたサルバトリュを突いて
から、それを箸で割った。サルバトリュはもちろん冷めていたが、肉のうまみが舌に良い味わいを与えていた。僕はノスタル
ジックの使者を見ながら、美味しいと言った。ノスタルジックの使者は、ワイングラスを手に持ち、その中に指輪を沈めて、
僕に手渡した。中に入った物を取り出してみると、それは婚約指輪だった。
「私と、『     』をしてください」
 ノスタルジックの使者は、そう言った。
「僕でいいの?」
 僕はぼんやりとしながらそう返した。
「ええ、もちろん。ミスター・哀れな仔羊」
「じゃあ、よろしくお願いします」
 ノスタルジックの使者は、目に涙を浮かべて、嬉しそうに下を向いた。そして手の甲で目元を拭った。
「じゃあ、早速、家に帰ったらマウンドの上の泥仕合をしなくちゃ」
「別に明日でもいいじゃない」
「だめ! 今日しなきゃ! この気分のままマウンドの上の泥仕合しちゃいたいの!」
 僕は満面の笑みで語るノスタルジックの使者に押されるように、頷いたのだった。


 『壁がやってきた』と名付けられたこの日から、僕とノスタルジックの使者は、暗い部屋の中で暮らし始めた。部屋の中
にある全ての窓を塞ぎ、全ての隙間を塞ぎ、光が射し込まない様に、僕らは完璧な暗い部屋の中で、一緒に過ごしていた。
 お互いの姿が見えないので、僕らは何度もお互いを確かめ合うことになった。
「いる?」
「いるよ」
「本当にそこにいる?」
「いるよ」
「触って」
「いいよ」
「手を触れて」
「いいよ」
 そうして僕らは何度もお互いの存在というものを確かめ合った。でもどちらかが眠ってしまえば、片方はずっと「いる?」
と訊ね続けながら、孤独な暗闇に耐え続けなければならなかった。冷たい床に寝そべりながら、暗闇を見つめ続けて、隣に
いるはずの人の返事が聞こえないだけで、泣きそうになり「いる?」と何度も訪ね続けるのだが、誰も返事をしない。誰も
返事をしない。僕たちはほとんど孤独だった。ただの屍のようだ、という某RPGのメッセージを思い出す。あれは僕たち
に与えられた示唆だ。ただの屍のようだ。僕らは、ただの屍のようだ。ある時、眠っていた彼女が目を覚まして「いるよ」
と答えた。それだけで僕は何十年も暮らしていけるような気がした。それでも彼女が眠ってしまえば僕は孤独になったし、
部屋が暗すぎてやはり姿は見えないから、僕らは確かめ続けなければならない。お互いの存在を。幸せな人はもっとたくさ
ん、明かりがしきつめられた部屋に暮らすのだろうし、こんなに存在を確かめ合ったりはしないのかもしれない。部屋を明
るくしなければいけないと思った。もっと光が欲しいと思った。探せば、どこかに扉があるのだろうけれど、しかしどこに
扉があるのかも、もう忘れてしまった。その扉を開けば、すぐにでも明かりは漏れてくるのだろうけど、その扉がどの位置
にあるのかは、もう暗すぎて分からなくなってしまった。僕たちはすでに出口を失くしたまま、いますか? という問いを
繰り返し続けた。ノスタルジックの使者は、やがて返事をすることに飽きたのか、一人で歌い始めた。僕は一人で膝を抱え続
けて、「いますか」と泣きながらつぶやき続けた。その呟きが、すでに誰に宛てられたものなのかも、分からなくなっていた。
僕は眠った。もう問い続けるのに疲れたのだ。返事は聞こえない。



 僕が眠り続けてから、二年が経った。
 目が責めた時に、僕の上に何かが乗っかっている感覚があった。触れて確かめてみれば、ノスタルジックの使者が裸にな
って、僕にまたがっているのが分かった。
 そのようにして、僕がノスタルジックの使者と、暗い部屋のベッドの上で『フロッグパーティの恍惚』をした時、ノスタ
ルジックの使者は、僕の体を一瞬たりとも離そうとはしなかった。ずっとしがみついたまま、僕の体を抱きしめていた。も
ちろん僕もノスタルジックの使者を抱きしめ続けていた。ノスタルジックの使者は、体に触れるのが好きだった。まるで捕
食した餌を離さない動物の様に、僕が逃げられないよう、僕の体に触れ、巻き付き、そして拘束した。僕はそれを愛の表現だ
と考え、抵抗はしなかった。決して抵抗しない、というのが僕の人生のテーマだった。
 フロッグパーティの恍惚から一年ほどが立って、ノスタルジックの使者との間に子供が生まれた。ノスタルジックの使者は
我が子を見ながらこう言った。
「世界中に誰も味方がいなくなった時に、私はこの子を味方にするの」
 そしてノスタルジックの使者の子供は『ワン』と名付けられた。唯一の味方と言う意味での、ワンと言う意味らしかったが、
僕には上手く理解できなかった。


 ワンが生まれてからというもの、僕らは天井に人工的な明かりをつけることを決めた。その灯りは便宜的なものだったけ
れど、目が痛くなるくらいに明るかった。ワンと僕ら夫婦は、その眩しい明かりの中で暮らした。もうお互いに、どこにい
るかを確かめ合わなくてもよくなったし、お互いに触り合う必要もなくなった。そして会話が途絶えた。触れ合いがなくな
った。僕らは世界が明るくなっても、幸せにはなれなかったし、問題は何も解決などしなかった。


 人工的な明かりの中で、ワンは順調に育っていった。この世界のありとあらゆるものに興味を示し、そして自らの好むも
のと嫌うものとを、分別していく作業を始めていた。ワンが好きなものは、アンパンマン、羊の人形、腕時計、バタークッ
キー、椅子の脚に付けるカバー、コカコーラのラベル、セロテープの芯、死んだ蛙、チョッパー。そして嫌いなものは、
ニンジン、電車の中に立っているスチール製らしきポール、シャーペンの芯、左腕の骨、甲高い声を出す丸い肉塊みたいな
人形、だった。
 その作業をしていく中で、ワンは次第に言葉を話すようになった。最初に覚えた言葉は、『アダムトラバス』だった。そ
してその言葉の意味を僕は知らない。けれど、彼が最初に覚えた言葉は『アダムトラバス』だった。まるで泣き叫ぶように、
彼は『アダムトラバス』と叫んだ。
 

 ワンが小学校三年生になった時、僕とノスタルジックの使者は一緒に暮らすのを辞めた。明るすぎる部屋からの脱出を決
めた。僕らの子供であるワンを引き取ったのは、ノスタルジックの使者だった。僕はまた一人に戻った。一つの個体として一
人で暮らすのは、共同体として暮らすのと、全く異なっていた。そこには自由があり、そして寂寥感があった。僕は狭い部屋
に引っ越し、明るすぎる部屋は売り払った。ノスタルジックの使者は、唯一の味方と共に、海辺の家で暮らし始めた。


 ワンが高校生になると、よく僕の家にやってくるようになった。ワンはよく背中にショットガンを背負って、僕の家にや
ってきた。そのショットガンで何をするんだい? と僕が訊いたら、世界中の人をこれで撃つんです。と彼は言った。どう
して世界中の人をショットガンで撃つんだ? と訊ねると、皆が僕の敵であるからです。と答えた。彼の主食は、かつて僕
らがサイコアナルシスをした草原の草だった。
 ノスタルジックの使者が死んだと知らされたのは、ワンが高校を卒業した直ぐ後のことだった。僕は、ノスタルジックの
使者が埋められている森まで足を運んだ。そこには縦に長い墓石があり、碑文には『架空の自分を超えようとしている』と
書かれていた。それが彼女の人生を表した言葉なのかもしれない。僕は彼女の墓の前で、膝を折って祈った。どうか彼女の
死後の世界が、素敵な世界でありますように。ただ祈った。そして僕は、ただ音もなく、静かに泣いた。蝉の声だけが響く、
夏の森の中だった。彼女の体が埋まった石碑は、ただ凛としてそこにあった。僕は泣かないと決めていたのに、どうしても
涙を止める事が出来なかった。僕は結局、ノスタルジックの使者に何もしてやれなかった。彼女を幸せにすることが出来な
かった。そんな欺瞞に満ちた陳腐な言葉を吐きながら、安っぽい慰めを感じながら、まるでテレビドラマでありがちの見え
透いた悲しい演出のように泣きながら、しかし僕は両手を地面に付けて、ただ祈る事しか出来なかった。それは心からの祈
りであると、自分で自分に呟き続けた。
『祈り』
 祈りとは、神に向かってお願いごとをする行為でも、自分の決意を言葉にするものでもない。ただ対象に向けて、言葉な
き感情を、静かに伝え続ける行為だ。祈りとは、言葉を排除した感情である。僕はただひたすら、死んでしまったノスタル
ジックの使者の為に、祈った。
 そうして僕は毎日森にやってきて、祈り続ける日々が続いた。その果てに、使者との懐かしい会話が思い出された。絶え間
ないノスタルジックが、まるで友達の様に、僕の元を訪れては止まなかった。彼女はその時正しく、ノスタルジックの使者で
あったことを僕は知った。


 ノスタルジックの使者の死後、ワンは僕の元で暮らすようになった。ワンは相変わらずショットガンを背中に背負って、
世界と戦おうとしていた。孤独な少年だった。友達は少なかった。その友達でさえも心の奥では信じていなかった。ワンは
時折、そのショットガンで、不用意に相手を傷つけた。弾丸を放ち相手を吹き飛ばした。「だって先に傷つけなければ、こ
ちらが傷つけられるじゃないですか」。その考えは間違っている、と言いたかったが、僕は彼を説得するだけの言葉を、持
っていなかった。僕は祈る事しか出来ない。
 彼が大学を卒業してからも、就職しないことについて、僕は何も言わなかった。彼には彼のやりたいことがあるのだろう
し、彼の見ている世界は僕とは違うものだ。だから僕の世界にある言葉で語っても、彼は理解しないだろうし、彼の世界を
壊すことになるだろうと、僕は思ったのだ。
 ワンはそれからもニートとしての活動を続けた。ただショットガンを持って街をうろつき、時折それを発射するだけの生
活を送っていた。「いつかこのショットガンで、オリンピックに出るよ」僕はその言葉を嗤いながら受け流し、時折ノスタ
ルジックの使者の石碑まで行って、相変わらず言葉なき祈りを続けていた。
 ワンが人を殺したと電話で伝えられたのは、ワンが二十九歳になった五月六日の朝で、僕はその時、昨日の夕食で作った
サルバトリュを温めて食べていたところだった。
 ワンは透明な壁で仕切られた向こう側に座っていた。後ろには警察官が立っていた。僕はワンに触れることが出来なかっ
た。
「ごめん」
 ワンはそう言った。僕は泣く事しか出来なかった。彼は孤独だったのだ。それを理解してしまった。本当は気づいていた
その事実に、目を逸らしていたその事実に、僕は目を向けてしまった。この世から唯一の味方を失くしてしまったワン。名
付け親であり、味方であったノスタルジックの使者を失くしてしまったワン。彼は本当の意味で、ずっと一人だったのだ。
ワンであり続けたのだ。孤独に世界と戦い、社会と闘い、そして周りが敵だらけの状況で、味方もなく、こうして敗北を喫
して牢屋に入れられてしまった。
「お前は孤独なんかじゃない」
 僕はそう言ってやるべきだった。そんな簡単な言葉を、僕は言えなかった。それを言えていれば、僕が真剣にワンの味方
でいれば、ワンは孤独ではなかったはずだ。しかし僕は、自分から言葉を発することはできなかった。自らの考えで言葉を
発することはできなかったのだ。何故なら僕は翻訳者だからだ。他人の言葉を翻訳して相手に伝える事しか出来ず、自分の
言葉というものを一つも持っていないからだ。僕の中には、僕の言葉なんて一つもない。今まで読んだ小説の中の言葉を翻
訳して相手に伝え、アニメで見た格好いい台詞を翻訳して相手に伝え、哲学書で読んだ難しい内容を簡単に翻訳して相手に
伝え、他人が言った主張を翻訳して相手に伝え、だから僕の中に、ワンに伝える、心からの言葉なんてなかった。今までの
人生の中で、僕が生み出した言葉など一つもなかった。僕は空っぽの人間だった。ただの空虚な空気人形に過ぎなかった。
もしくは翻訳するべき対象を失った翻訳者に過ぎなかった。僕は、ノスタルジックの使者の翻訳者であるべきだった。使者
の言葉を、たくさん翻訳しなきゃいけなかったのに、その翻訳の対象を失ってしまった。僕はただのミスター・哀れな仔羊だ
った。
 ワンは泣きながら「なんでこの世に、僕の味方はいないんだ」と言った。彼の母親は死んでしまった。そして彼の父親であ
る僕は、ただ翻訳と祈りを続ける事しか出来ない愚か者だった。
 僕とノスタルジックの使者にとって、たった一つの存在であるワンは、現代をうまく生きぬくことが出来なかった。だから
ショットガンを乱射した。でも現代では、ショットガンを乱射する若者など、疎ましいだけだった。


 ワンは牢屋の中で自殺をした。
 僕はその知らせを聞いて、ただ言葉もなく立ちつくした。
 彼の遺体は、ノスタルジックの使者の横に埋められ、そして使者と同様に、石碑が建てられた。
『願わくば、世界の全ての笑顔が僕の味方でありますように』
 彼の石碑にはそう彫られた。それは僕が彫ったものだった。彼の遺書にあった『愛されたい』という言葉を、僕が翻訳し
たものだった。
 僕はかつて訪れたことがある草原に行って、何時間もそこで過ごした。もうここにはノスタルジックの使者も、ワンもい
なかった。チョッパーもなかったし、鳩もいなかった。
 僕を訪れた者たちは、全て僕を通過して、森の中へ帰っていった。
 僕はそこで、もうそれ以上、言葉に翻訳することを辞めた。
 言葉にする必要は、もう無いのだと思った。
 僕はただ祈る人になりたい。言葉もなく他人のために祈り続けられる人になりたい。呪いではなく、祈り。
『呪いと祈り』
 呪いと祈りは、感情の込め方が違うだけで、それは一緒の行為であるはずだった。負の感情か、善の感情かを、遠くの相
手に届けようとする行為だった。僕は、どんなに世界が嫌いであっても、祈る人であり続けたかった。


 それから僕は、彼らの葬式をするために、海へと向かった。
 僕は朝の海辺へ行って、太陽が昇る光景を見つめていた。海辺をなぞるようにして、微かに風が吹いていた。この世界は
群青色に包まれていて、まだ暗かった。これから夜が明けるのだと思った。潮の香りが、使者たちとの思い出をもたらしていた。
崖下には、小さな舟が桟橋に繋がれているのが見えた。僕はその船まで歩いた。そして二人の遺体をその船へと乗せた。
二人の遺体はもう朽ち果てそうになっていた。この世にもう二人はいないのだと思った。
僕は船に繋がれたロープを切った。二人を乗せた小舟は、波に揺られながら、沖の方へ向かって行った。
二人は朝を迎えに行くのだと思った。風が強くなった。その風は、彼女らの船には追い風だった。強い風が通り過ぎていく。
風が彼女らを運んで行った。しかし僕に宛てられた風は吹いていなかった。風は僕を通り過ぎ、そして僕はまた一人になった。
僕は流されていく船を見続けていた。船はいつか、郷愁と共に沈むのだろう。



         ―――――――了――――――――







ぎりぎりの時刻になりましたが、品評会作品、投下します。


 自分とそっくりの姿形を持つ人物が目の前にいたら、あなたはどう思うのだろうか。戸惑うだろうか。怖れるだろうか。
見て見ぬふりをするだろうか。怯えて逃げるだろうか。サイコパスの様に、相手を殺そうとするのだろうか。あるいは仲良
くなろうとするのだろうか。しかし、それらは全て、人間の反応として正解であるように私は思う。ドッペルゲンガーのご
とき存在が目の前に居たら、誰だって正常ではいられないだろう。しかし、一卵性双生児として、自分とまったく同じ姿を
持つ者同士として生まれた姉妹のそれぞれは、一体どう思うのか。あなたに想像がつくだろうか。姿形がまったく一緒の身
内。物心ついた時にお互いの姿を見る姉妹。そして自分の姿を改めて鏡によって確認したそれぞれの女の子。彼女たちは一
体全体どういう風に思うのか。私はその経験をしている。私と姉は、全く同じ顔と体型をしているのだ。そんな姉妹の片割
れとして言わせてもらうと、私は容姿が同じ姉のことが心から大嫌いだった。幼いころは気にしなかった。しかし学校に通
うようになってから、明らかな優劣が出始めてしまったのだ。成績。人間性。コミュニケーション能力。姿形以外の、明ら
かな能力の差というのが現れた。そして私はそれら全てで姉に劣ってしまっていた。姉は人気者で、私は双子のダメな方と
言う扱いを受け続けてきた。自然と、その状況に陥った私は姉を疎ましく思うようになった。姉に対して強烈に嫉妬し、そ
して心から嫌うようになった。何で容姿が一緒なのにこれほどの差が出るのか。そして周りの者は何かと言うと、私と姉を
比べ、私の不器用さを嘲った。姉をひたすらに誉め、私だけを馬鹿にした。容姿が一緒だと、どうしても比較対象として扱
いやすいらしい。そんな周りからの扱いに耐えかねて、私は姉などいなくなってしまえばいいと常々思っていた。姉の方は
私をどう思っていたのだろう。姉の事だから、私のことなど気にしていなかったかもしれない。私をいないものとして見て
いたかもしれない。あるいは私をいいカモと見ていたか。結局いくら考えたって、私には姉の心など分からない。同じ姿で
あっても、他人であるからだ。皆は双子の姉妹がよくテレビで扱われているように、お互いの心の内が読めるように思って
いる節があるのだが、一卵性双生児の双子であるからと言って、私には姉の考えることなど分からない。着る服だって違う
し、聴く音楽だって違うし、男の趣味だって違うし、姉はただ遺伝子を共有する他人に過ぎない。ここまで性格の違う双子
がいるのも結構珍しいことではあるらしいのだが。
 さて、最初の問いについて答えてみよう。もし私たち姉妹が全くの他人だったとして、お互いに街中で出会ってしまった
のなら。私は、そのドッペルゲンガーのごとき人物を二度見し、怯えたように後ずさるか、あるいは見て見ぬふりをして、
走り去って逃げることだろう。
 本当にそうできればいいのだけれど。しかし自分で答えておきながら、その想像をすることにまったく意味など無かった。
それは不毛な仮定でしかない。私たちはどうあがいても、生まれた時から一緒に過ごしている家族だ。そして同じ遺伝子を持
つ姉妹なのだ。故に、その結びつきは簡単には解けない。だから、私は死んだように生きるしかなかった。何故なら私は姉よ
りも劣っているのだから。


「それじゃあ行ってきます」
 姉はいつも朝の六時五十分ぐらいに家を出る。テニス部の朝練に出るためだ。高校に入っても真面目に運動を続けるなど
私には信じられない。そして一緒の高校に通っていると言うことも。
 そもそも、私は姉とは違う高校に行くはずだったのだ。しかし勉強が出来ない私にとって、入れる高校の選択肢は限られ
ていた。その少ない選択肢の中でもなんとか偏差値的にマシな高校に入った。入ることが出来た。物凄く勉強したのだ。必
死に勉強して、何とか自分のプライドは保てるレベルの高校に入ることが出来た。これで姉と比べられる生活ともおさらば
だと思って、私は狂喜乱舞したのを覚えている。そんな喜びに浸っている時に、姉が無慈悲にも両親と私に告げたのだ。
「私も由希ちゃんと一緒の高校行くよ! 心配だからね。由希ちゃんは私がいないと何にもできないんだもん」。そのわけ
の分からぬ理屈を通して、私のいる高校に入ってきやがった。受かっていた県内偏差値トップの高校を蹴って。そして私が
通うことになった高校の特待生として、海外進学コースと言うエリートしか入れないクラスに入りやがった。姉はどうせチ
ヤホヤされたいだけなのだ。偏差値トップの高校を受験したのだって、ただ勉強が出来る事を見せつけたかっただけだろうし。
いつもみたいに優越感に浸るべく、偏差値トップの高校を蹴って、妹の為に私立の高校に入った素晴らしい家族思いの姉と
してデビューしたいだけなのだ。そして姉は私のいる高校で、劣っている私を踏み台にして、人気を得るためのダシに使い、
高校生活においても周りのアイドルになろうとしている。面倒見のいい優秀な姉。人当たりの良い美人。妹と違って優しい
姉。そのような評価を得るために。そうだ。きっとそうに決まっている。ああ、本当にいい加減に私から離れてくれないか
と思う。これ以上、私を惨めな気持ちにさせないでくれ。あなたは優秀なんだから、自分一人でやっていけるはずだ。私な
んかに構わずに、あなたはあなたの人生を送ってくれ。私はもう、双子として比べられるのは嫌なんだ。そんな暗い気持ち
を思い返しながら、私はもそもそと朝ごはんを食べ、憂鬱な気分で朝のワイドショーの占いを見、そしてぎりぎりの時間を目
指して学校へ向かった。


 一か月前に始まった高校生活にて、私には一人だけ友人と呼べる存在が居た。
 その子の名前は永沢加奈。クラスで一番成績が悪く、万引きなどの軽犯罪を私に自慢したり、援助交際などもしたり
(クラス内ではあくまで噂レベルだったが、友人である私は彼女が本当にそれをしているのを知っている)、嫌いな先生を
平手で叩いて入学早々に三日間の停学処分を受けたり、髪を染めていつも校門で注意されていたりと、まったくもってアウ
トローな子だった。それが私の唯一の友人だ。そんな社会的に迷惑をかけている彼女が、どうして私立の学校へ来られたの
かと問えば、親が金持ちであり、入れるのがここくらいしかなかったから、と言う事だった。金の力はすごい。世の中、結
局は金で何とかなる。もちろんそれは彼女の力じゃないけれど。
 彼女と出会ったのは入学式の日だった。入学式が終わってクラスに向かう途中、私は誰にも話しかける事が出来ず、ずっ
と辺りを窺いながら歩いていた。そうしたら周りの平凡然とした女子どもには目もくれず、加奈が私の元へやってきて、話し
かけてきたのだ。「同じクラスだよね、よろしく」と。
 私はびっくりして、どうして私に声を掛けたの? と思わず訊ねてしまった。
 加奈は笑いながら、「なんだか世の中のすべてを呪ってそうな目が、好意を持った」と答えた。私はその時、どう反応した
らいいのか分からず曖昧に笑ってしまった。
 そんなに世の中を呪ってそうな目をしているのか、私は。少しショックだった。が、友人らしき人物が出来たのは嬉しかっ
た。なにしろ今まで私は孤独だったのだ。
 それから私たちはお互いに会話を交わすようになり、親友になった。


 始業五分前くらいに教室に着くと、加奈が私の席に座って何やら本を読んでいるのが見えた。周りの生徒は彼女と目を合
わさないようにしている。遠巻きに小声で悪態をついている女子も少なからずいた。が、加奈はそのような人物の事は端か
ら気にしていないようだった。以前、ヒソヒソと加奈の悪口を言う奴のことを告げ口した時に、加奈自身は「あいつらはさ、
自分が正しい人物だって周りにアピールしたいだけなんだよ。群れからはぐれないようにさ。私みたいな異端なやつを罵る
ことで、自分たちは正常であり、正しい感覚を持ってる人物ですってアピールしてんだよね。そういう人って、友達とかは
作れるけど、結局社会において、みんなと同じように生きる事しか出来ないんだと思うよ」と言っていた。みんなと同じよ
うに生きられるだけでも素晴らしいと私は思ったのだが、加奈としてはみんなと同じように生きるのは嫌なようだった。だ
から強く、孤高に生きている。自分からその立場に立っている。そこが私とは違うところだった。
「おはよう」
 私がそう言うと、加奈は読んでいたファッション雑誌から視線をあげて「おお、ユッキー。おは」と明るい声で言った。
ムラのない金色に染められた髪が、微かな風になびいている。
「今日は遅刻しないんだ?」
 私がそう言うと、手慰みに雑誌のページを手繰りながら加奈は答えた。
「ああ、寝不足だったからさー、昨日は早めに寝たんだよねー。そしたら早く目が覚めちゃった。一昨日はバイトの所為で
あまり眠れなかったし」
 加奈の言うバイトとは、援助交際の事だ。加奈は月に三度ほど援助交際をして、九万円ほどを稼ぐ。今時援助交際をする
子なんて居るの? と以前に聞いたら、意外に援助交際をする子は多いのだと言う。そしてその中の大半は、遊び感覚でや
る、セックスが好きな子が多いのだとか。私にはわからない世界だったが、しかし惹かれる部分もなくはなかった。姉が優等
生であるなら、自分はとことん堕ちてしまいたいという誘惑に駆られることもある。悪いことをして、姉ごと私たちの評判を
引き下げてしまいたい。そう願うこともある。


 姉は休み時間になると、よく『由希ちゃんの様子を見に来たよ』と言いながら教室にやってくる。最初の頃は、私たちが
双子だと言うことに、クラスの皆が食いついた。同じ顔を持っていることに。そして次に、姉が私と違って明るく社交的な
性格で、皆を楽しませる会話が出来る人物だと言うことに皆が気付き、そして姉とだけ仲良くし始める。そして私は、クラ
スの皆からも、姉とは違って暗い性格で、勉強も出来ず、頼まれたことすら上手くこなせない、劣った人間だという評価を
与えられる。私にはそれが辛かった。
 加奈は私たちを見て、「へぇー。顔が一緒の双子を見るのって初めてだよ」と私たちを見比べて笑い、それからすぐに姉
に興味を失くして、私と会話をし始めた。加奈は姉に一切の興味を抱かないようだった。その事に姉は少なからずのショッ
クを受けたのか、積極的に加奈に声を掛け続けたのだが、加奈は鬱陶しそうにするだけで、姉との会話は膨らまなかった。
その事について、どうして姉に興味を引かれないのかと聞いたところ「由希の方が話してて面白いし、なんかあんな感じの
さ、みんなに好かれてるやつって苦手なんだよ。理由どうこうじゃなくて。生理的にダメ」と話した。
 姉は悔しかったのか、よく私の教室に来て、私たちの会話に交ざり、加奈の気を引こうとしている。様々な知識を披露し、
加奈の興味のありそうな話題を繰り出すのだが、加奈は姉をほとんど見ない。冷たくあしらう。その事が少し、いい気味だ、
と思った。あなたにも思い通りにならないことがあるのだと、私は姉に言いたいような気持になった。私の唯一の味方が、
私と同じ人物を嫌っていることに、嬉しさも感じていた。
 姉は加奈の事を諦めたようだった。
 だが、姉の攻撃はここで終わることはなかった。
 姉は教室に訪れる度に、私のクラスメートに、私の過去の失敗談を吹聴して回り始めた。
「あのね、あの子はよく失敗をしてしまうの。例えば遠足の時に一人だけお弁当を忘れてしまって、私のを半分食べさせて
あげたり。国語の作文発表会の時に、一人だけ何も言えなくて泣いてしまったり、いじめられてトイレに閉じ込められて水
を掛けられたり、お母さんの大事にしていた装飾品をお菓子と間違えて食べちゃって、病院に行ったり、だからあの子の面
倒をしっかり見てあげてね。あの子は何もできない子だから」
 その様に、面倒見のいい天然な姉を演じて、私の悪いイメージを周囲に植え付ける。姉はそのような自然な精神攻撃に長
けている。そこが私には悔しいのだ。一体、なぜ姉は私を攻撃し続けるのだろうか。いい加減にしてほしい。まさか、本当
に天然ボケで、私を心配するあまりにこのような事になってしまうのか。いや、そんなことはないはずだ。私は過去に何万
回と言ってきた。私の事を放っておいてくれ。姉がすることによって、私は物凄く傷ついているのだ、と。だが姉は軽く笑
って「分かった」とはいうものの、それを止めることはない。姉は私が周囲から拒絶されることを見ているのが楽しくて仕方
ないのだ。


 ゴールデンウィークが過ぎて二週間近くがたった頃。
 中間テストが終わり、午後の時間が丸々開いた日に、加奈が遊びに誘ってきた。
「ちょっと私に付き合ってよ」
 もちろん放課後に町へ遊びに行くことは多々あったが、その日はそのまま制服ではなく、私服を着て遊びに行こうと言う
ことになった。たまに加奈の遊び友達が来たりすることもあり、加奈と町へ行くのは楽しかった。誰も私の事を馬鹿にした
りしないし、人から疎まれている人間、集団に交じわれないマイナーな人間に、彼女たちは優しかった。だから、私は私服
に着替えてから、駅前で加奈と待ち合わせをし、出かけることにした。
 加奈とやってきたのは、駅ビルの中にある香水店だった。ティーン向けの安価な商品から、OL向け、主婦向けの少し高
価なブランド物も売っている店だった。店に入ると、私たちと同様に、テスト明けの少女たちで店は賑わいを見せていた。
「ユッキーは香水とか付ける?」
「私は付けたことないな。こういう店に来るのも初めてだし」
「そうなんだ。じゃあ、私がお勧めを選んであげるよ」
 そう言って彼女はいくつかの棚を見、サンプルの香りを嗅いだりしながら、一つの商品を選んだ。
「これがいいと思うよ」
 そう言って彼女が選んだのは、ピンク色の可愛らしい小瓶の香水だった。値段を見てみたが、千七百円と言う値段で、月
に七千円のお小遣の私にとっては少し痛い出費だったが、せっかく加奈が選んだ物だから買ってみようと思った。が、加奈
は私に買わせるつもりはない様だった。加奈は辺りの様子を窺い、それから私に微笑みかけて、何気ない仕草で、全くもっ
て自然に、その小瓶の入ったプラスチックの箱を己の鞄の中に入れた。それを見た私の方が却って焦ってしまい、挙動不審
に辺りを眺めながら、小声で加奈に耳打ちをした。
「ま、万引きするの?」
「そうだよ。だって出来そうだったし」
「いや、でも」
「ふふ、ビビりすぎだって。こんなの捕まったって大したことないし。一度くらいこういうことしないと、駄目だよ。健全
に生きている人間なんて、何の面白みもない。まっとうな意見を述べる、誰もが予想できることしか話さないロボットにな
ってもつまらないでしょ。ユッキーは、もっと私と一緒に駄目になってほしいな。その方が素敵だから」
 その言葉に、私は二の句が継げなかった。確かに私の願望として駄目になってしまいたいと言うのはあった。自分は駄目
になっていくことが合っていると考えていた。その方が自然でいられるような気がすると。
「私も、じゃあ、やる」
 いつの間にか、私は自然とそう口にしていた。自分は常に、姉とは正反対の方へ行こうとしていた。それは昔からの癖の
ようなものだった。姉が上手い絵を描けば、自分はわざと下手に描いた。姉がおいしい料理を作れば、私はわざと調味料の
配合を間違えた。姉が好きになった人は、どんな人であろうと嫌いになろうとした。姉が称賛される人であるのなら、私は
暗い世界で生きる人間になりたかった。姉が清純に生きようとするのなら、私は汚い生き方をしたかった。何故なのだろう。
私は姉と同じになりたくないのだと思う。生理的な嫌悪と言うよりは、自分と同じ形をした人と、同じように生きてしまえ
ば、それはもう私と言う存在が居なくなることを意味するような気がしたのだ。私の個性など、もう無くなってしまいそう
な気がしたのだ。双子だからこそ、私は姉とは違うように生きたかった。だって姉と同じようになってしまえば、私が存在す
る意味など無い。ただの互換品になってしまう。その事を私は恐れているのだろうか。私と言う個性を、社会に示したいのだ
ろうか。それがたとえ汚いものであったとしても。
 私はそうして故意に、姉とは違う方向を歩んできた。
「本当に? 嫌ならいいんだよ?」
 加奈は私の決意を確かめるように、尋ねてきた。しかし、私の決意は固まっていた。
「やる。もっと汚くなってしまいたい。黒くなってしまいたい」


 そうして私はどんどん堕落していった。
 加奈と出かけては万引きを繰り返した。姉の黒髪に反するように、私は脱色した髪色にした。加奈と一緒に援助交際をす
るようになった。どんどん私の心は黒く染まり、私の心はそれに慣れ、反社会的な事をしても、心は痛まなくなった。とに
かく自分として生きていたかった。毎日自分と同じ顔を見ることにうんざりしていた。姉と同じにはなりたくなかった。だ
から彼女が上を目指すなら、私はどんどん下へ降りていこうと思った。
 母親はそんな私を見て、とても口喧しく言ってきた。私は全てを無視した。やがて母親の口数は減り、面倒くさくなった
のか、私に目を向けることはほとんどなくなった。父も私を叱ったことがあったが、父のメールフォルダにあった女性との
やり取り(恐らく浮気だろう)をほのめかした瞬間、父は私に強く言うことはなくなった。姉はと言えば、取り繕うように、
心配そうな様子で私に接してきた。
「由希ちゃん。そんなことしちゃ駄目だよ。ねえ、お願いだから真面目に生活しよう? もし私が悪い事したなら謝るから」
 とても嘘くさい科白だと思った。こんなのが自分と同じ遺伝子を持つ人間なのかと、悲しくなってくる。彼女はただ、妹
を心配しているふりをしているだけだ。演技をしているんだ。でも、他人にはそれが見抜けない。
 私は姉とは全く別の人間になった。それが嬉しかった。姉とは違う方向に向かう事だけが、私のほとんど唯一の生きがいと
言ってもよかった。



 中学生の頃、幾度か姉の真似をしたことがある。
 日曜日に、姉は友人と遊びに行く約束をしていた。だが当日になって姉は風邪を引いてしまい、遊びに行けなくなった。
「お願い、由希ちゃん。皆に断りの電話をかけておいて」
 当時私たちは携帯電話を持っていなかった。親が厳しい人だったので、持つことを禁止されていた。そのため、姉は私に
断りの電話を頼んだのだ。ようは自分の人脈を見せつけたかったのだろう。私にとって、仲良くない人物に電話をすると言
うのがどんなに心苦しく緊張するかというのが、姉には分からないのだ。と一瞬考えたが、しかし姉は分かっていて、わざ
と私に電話をかけさせたのかもしれないとも思った。私は悔しさを感じた。何で姉の為に、姉の友人に電話をしなきゃいけ
ないんだ。どうせ冷たい態度であしらわれるに決まっている。私が代わりに誘われるわけなど無いのだ。
 と、その時、何故か不思議なアイデアが浮かんできた。姉の代わりに私が行ったらどうなるのだろう。完璧に姉の真似を
して、姉を演じたのなら、皆は気づくのだろうか。私はその思いつきに、妙に心が躍った。それは危険な賭けであったが、
私は実行せずにはいられなかった。待ち合わせ場所は、昨日の夕食時に姉が自慢するように話していたのを覚えているから、
そこへ向かえば大丈夫だろう。私は姉が着そうな服を着て、姉がしそうな薄い化粧を施し、姉がいつもしているハーフアッ
プの髪型にし、鏡の前で姉が見せるような笑顔を作った。それは完璧に姉に似ていた。と言うよりも、姉本人が映っている
ようだった。私は早速、その待ち合わせ場所に向かった。
 結果から言えば、誰も微塵も疑うことなく、私を姉だと思い込んでいた。もちろん会話の齟齬がある事にはあったが(い
つも話している話題や、好きな人の事、先日話した話題等)、しかし姉の天然ぶりを装いながらとぼければ、相手は簡単に
信じた。私は、振舞おうと思えば、なろうと思えば、簡単に姉と同じ立場に立てるのだろうと思った。姉のように笑い、姉
のようにみんなに気を遣い、姉のように皆を楽しませ、姉のように勉強を頑張り、姉のように恋をする。それは恐らく簡単
にできるのだろうと思った。だってそれは、私が考え付いた行動のうちの一つと同じことなのだから。姉のやろうとするこ
とは、私にも浮かんでくる思考のうちのひとつなのだから。だが私はその行動をしない。私はあえて裏を行った。姉と同じ
ことをしても姉と同じ人物になってしまう。それが嫌なのだ。
 それから数日が経ち、姉の友人たちが「日曜日に行った映画楽しかったよね」という話を姉にした時に、姉は直感的に私
が代わりを演じたのだと気付いたはずだった。しかし姉は何も言わなかった。咎めも感謝もしなかった。恐らく姉も、私が
姉と全く同じことを出来る事を知っているのだ。だが、それと同時に今回の事が、私の単なる遊びに過ぎないと言うことも
理解しているはずだ。だって私たちは同じ遺伝子を持つ双子なのだ。お互いの心は分からないが、考え方の大まかな傾向は
分かる。恐らく私が先に生まれたなら、姉の様になっていただろうし、姉と同じように人気者になろうとしただろう。
 その他に、気まぐれに姉と同様に上手い絵を描いたことがあった。美術の時間に描いたコンクール用の絵だ。姉が風景や
人物を詳細に書こうとする絵なのを知っているから、私は反対に、空間や人物を曖昧に描き、人々に緩やかなイメージを想
起させる絵を描いた。図書館で見た、姉が好みそうにない印象派の絵を模倣した。そうしたら私の絵が大賞を取り、姉の絵
は特別賞を取った。私が勝ってしまったのだ。その発表を知った時の姉の鬼のような形相を私は覚えている。目が吊り上り、
私を一瞬だけ睨み、叫びだしそうな口をした。あれこそが、姉の真の姿だと思った。私はしかし、それ以降、姉の立場を壊
そうとしたり邪魔したりするようなことはしなかった。魅力を感じなかったのだ。姉の持っているものに。私は一切の魅力を
感じない。だから、私は能力面を姉に引渡し、自分はアウトローな世界で生きようと決めたのだ。



 思えば結局、私だって演技をしているだけなのだ。勉強が出来ないのだって、コミュニケーション能力がないのだって、
手先が不器用なのだって、全て演技だ。でも全て素のままに生きたら、私は姉と同じになってしまう。面倒くさい。何で私
たちは双子として生まれてきたのだろう。一つの確固たる存在として生まれてこなかったのだろう。もちろん世の中には、
こんな問題を抱えた双子などほとんどいないのだろうが、しかし私は双子としてこんな思いをするなどもう嫌だった。オン
リーワンで生きたかった。素のままで生きたかった。私と同じような人物がいると言うだけでうんざりだった。
 姉を汚してしまったらどうだろう。私が姉のふりをして、万引きや援助交際を繰り返せば、姉の評判は落ちるような気が
したが、そんな事、通用するはずがなかった。いずれ私がやったとバレるし、そもそもそんなことをしたって、私の苦しみ
の本質は解消されるわけではない。姉がいなければ、と考えてしまう。奴がいなくなれば、私は自由に歩ける。姉をいっそ
のこと殺してしまおうか。だけれど、姉を殺すと言うことは、自分を殺してしまうのと同じだった。私と同じ遺伝子を持っ
た人を殺すと言うことは、すなわち自殺のようなものだ。まったく我ながら面倒くさい考え方をするものだ。これじゃあいつ
までたっても堂々巡りだ。
 私はこうやって自己に囚われていき、やがて外に出るのが面倒くさくなり、部屋に引きこもることになった。学校へ行かな
くなり、自室でパソコンばかりするようになった。これでいい。姉とは違うんだから。これでいいんだ。私はどんどん駄目な
方へ堕ちていくのだ。




 私は日がな一日中、パソコンばかりをしていた。
 パソコンで一番ハマったのは、素のままの自分で、知らない人とチャットをすることだった。姉の事を考えず、姉の逆を
するという発想から解き放たれて、チャットをするのは安らかに楽しめた。
 ネットの友達募集の掲示板を見、趣味が合いそうな人を見つけ、スカイプを使ってチャットをする。そこで何人かの友人
が出来ていた。
 そういえば、いつの間にか加奈とは会わなくなっていた。引き篭もるようになってから何の連絡もないし、私からも連絡
をしていない。恐らく彼女は別の友人を作り、別の人間を堕落の道へ引きずり込んでいるのだろう。
 チャットの中の私は明るかった。テレビ電話を使って話すことはしなかったが、文章だけで人と通じ合えると言うのは、
思っていた以上に楽しいことだった。
 私は、『レノ』という自称男性の人とチャットをすることが多かった。彼は聞き上手だった。最初は私も警戒して、自分
の事は話さなかったのだが、彼は相談に乗るのが上手かった。いつの間にか私は自分の境遇、悩み、葛藤などを徐々に話す
ようになっていた。
「つまりさ、自己嫌悪みたいなものだよね」
 ある日、レノはそう言った。
「人間の中にはさ、ほんの小さいときから強い自己嫌悪を感じる子供って言うのがいるんだ。普通ならそういうのって、も
ちろん自分自身に対して嫌い、恥ずかしいって感じるんだろうけれど。でも君にとっては、目の前にまさに自分と同じ、自
分とそっくりな存在が居た。だから君の自己嫌悪は、そのお姉さんに向かったんじゃないかな。つまり本来自分に向けるは
ずだった自己嫌悪を、自分に向けるより先に目につく、自分と同じ存在であるお姉さんに向けてしまった。自分と同じ思考
をする姉を嫌うことで、自己嫌悪を補完し、自分は姉の逆を行くようにする。そうやって君の思考は作られていったんだと
思うよ。って、まあ、あくまで僕の推測にすぎないけれどさ。でも、そうだねえ。そうなると、君が抱える問題の解決方法と
言ったら、やっぱりお姉さんと離れて暮らすぐらいしかないんじゃないかなあ。大人になれば、思春期の自己嫌悪というのも
徐々に和らいでいくように思うし。ごめんね、それくらいの無責任な事しか言えないけれど」
 レノはそう分析してくれた。そこには納得できるものがあるような気がし、私は感謝を告げた。
「いえ、でも、こうして相談に乗ってもらえる事だけでも嬉しいです。今までこういう話をできる人っていなかったから」
「まあ俺なんかでよかったらいつでも相談にのるよ」
 そのようにして、私は夜中、仕事が終わった後の彼とチャットをするのが楽しみになっていた。もちろん毎日ではなく、
彼がスカイプにログインした時だけだったが、今の私の生活の中で、彼との会話だけが私の生きる目的となっていた。


 一ヶ月近く、彼とのチャットを経た後で、私はリアルで彼と会うことになった。提案してきたのは向こうだった。
「ちょっと君と実際に会って話してみたいな」
 その言葉に私は何となくOKを出した。もし相手が性行目的(あるいは援助交際)であっても、イケメンや金持ちなら
OKだし、ブサイクだった場合は断って、人気のない場所に行かなければいい。真面目な人ならそれでよし。とりあえず私
は彼に返事をし、会うことになった。
 彼が住んでいるのは神奈川県の鎌倉だった。静岡の東部に住んでいる私にとっては行けない距離ではなかったが、少し遠か
った。その事を告げると、彼が私の住んでいる近くの町まで来てくれることになった。私たちはその町で会うことにした。
 待ち合わせ場所に指定したのは、私が住んでいる町から電車で五駅離れたターミナル駅の前だった。もしレノが危険な思考
の持ち主で、私をストーカーしたり、私の家を探ろうとしているのだったら、あまり私の家の近くに場所を指定しない方がい
いと思ったのだ。


 待ち合わせ当日になり、私は地元の駅から電車に乗って、その町へと向かった。思えば高校を休むようになってから、電
車に乗るのも久しぶりだった。平日の昼間であるために、車両はどこも空いていた。空席が目立ち、子連れの主婦や老人な
どがぽつぽつと座り、静かで穏やかな空気がそこに満ちていた。まどろみのような、黄昏のような、何とも言えない空気が
車内に流れ、午後の日が射す黄金色の町の風景が、車窓を流れていくのが目に映った。
 私の目の前には親子が座っていた。大人しそうな印象の母親と、その隣には目を瞑っている少女がいた。少女は可愛らし
い服装と見た目をしていた。紺のチュニックのワンピースを着、下は白黒ボーダーのパンツを穿いており、頭には可愛らし
いリボンが付いたペーパーハットをかぶっている。そんな少女は目を瞑りながらも、しかし眠っていると言うわけではない
ようで、脚をぶらぶらとさせながら、辺りをきょろきょろと見回し、車内で起こるいろいろな音に反応している様子だ。恐
らく少女は、目が見えないのだろうと私は思った。そんな盲目の少女はしかし、暗い表情は一切していなかった。楽しそう
に笑顔を見せ、落ち着きなくきらきらとした表情で座っている。その光景は何やら微笑ましかった。はしゃぐように動く彼
女に向かって、お母さんは「落ち着きなさい。危ないから」と言うが、しかし盲目の少女は、椅子のクッション部分を手で
撫でたり、ガラスをべたりと触ったりなど、この世にある感触を楽しむことに夢中だった。母親もその様子を見て、微笑み
ながら、ため息を吐いた。その光景は、見ている者の心を癒すほどに優しいものだった。その光景を見ている時、ふとした
瞬間、私のスマートフォンの着信音が鳴ってしまった。恐らくレノが待ち合わせ場所に着いたのだろう。
 目の前の少女は、私のスマホの着信音に反応したようだった。私はこの子の楽しみを邪魔したような気持になって、マナ
ーモードにしていなかったことを後悔した。しかし少女は、私を見て何故か、笑顔で手を振ってくれたのだった。まだ小学
校に入学するかしないかぐらいの年の子だろう、少女は真っ暗な世界にあっても、目の前にいる誰かに笑顔で手を振ること
が出来るのだ。その事に私は驚き、そして強い子なのだと思った。決して少女には見えていないはずなのに、彼女は私と言
う人間に気が付き、そればかりか笑顔で手まで振ってくれたのだ。私はそんな少女の優しさに、何故だかわからないが、感
動してしまった。その笑顔で手を振る盲目の少女の姿が可愛く、とてもきれないように見えて、ふと涙が零れそうになった。
自分はこんなに感傷的な人間だっただろうか。しかし、こんな幸せな光景と言うのは、思い返せば自分はあまり見たことが
ないような気がした。目の前にいる盲目の彼女は鼻水を垂らし、この世の全てが楽しくて仕方がないと言う様子で、私を見、
その楽しさを分け与えるように、笑顔で手を振ってくれた。私と言う一人の人間に気づいてくれた。目が見えないと言うハ
ンデ、いや、私たちがハンデだと思い込んでいるそれとは関係なく、純粋に世界を楽しみ、綺麗な心を持ってこの少女は生
きていた。この少女を見て、私は、心が浄化されていくような気持ちがしたのだった。この子みたいに、純粋な心で、美し
く生きてみたい。その言葉が自然とわき上がり、そして今までの自分が恥ずかしく感じられて仕方なかった。目の前の少女
の様に、飾りのない美しさで生きていきたい。暗闇の世界であっても、色々なことが楽しめるこの子みたいに、強く綺麗に
生きたい。私は思わず、そう願っていた。何故私にこんな光景が訪れたのだろう。何故こんなに目の前の親子に惹きつけら
れるのだろうか。それはまるで奇跡みたいに思った。自分とは全く関係ないはずなのに。盲目の少女が鼻を垂らしながら楽
しそうに私に手を振ってくれただけなのに、その光景は圧倒的に強くて美しかった。なんて優しくて奇麗なんだろう! 午
後の光に包まれている盲目の少女と母親は、一枚の絵画の様だった。
 私は、その少女に勇気づけられるように、その少女と母親と、その二人の光景に励まされるように、自分は自分として強
く生きていけばいいじゃないと、強く思った。私の悩んでいたことが、とてもとてもとてもとてもとてもとてもとってもち
っぽけでくだらないことに思えて仕方がなかった。私は大きな病を抱えながらも楽しげに生きるこの子の様に、純粋な心で
生きると心に誓った。この少女は、私に希望のようなものを与え、私はそれを見て、なんとか死ぬ寸前で踏みとどまったよ
うにして、生きていけるような気持がしたのだ。そして私も、誰かにとってそのような存在になってみたいと、自然と、そ
のように思う事が出来た。たとえ障害を抱えようと、誰かに笑顔で手を振って、悩んでいる人の気持ちを吹き飛ばせるような、
そんな力強い生命を感じさせるような女の子に……。



 ターミナル駅構内は、大勢の人で込み合っていた。ここは大きなビルがあり、たくさんの路線を繋ぐ駅であるために、そ
の利用者はとても多い。私は混雑した人の流れに乗りながら改札を出て、汚らしい階段を上り、待ち合わせ場所に向かった。
 レノは黒のワイシャツに、ベージュのチノパンを穿いているらしい。眼鏡をかけ、髪は黒のツーブロック、身長は百七十五
センチほどで細身。駅前ロータリーの噴水にいると言う。情報と一致する男を探すと、確かにそのような人物が噴水前にい
るのが分かった。私が近づくと、向こうもこちらを見る。少し怯えながら、レノさんですか。と声を掛けると、彼は一瞬だ
け驚いたような顔をし、それからすぐ安心させるような笑みを見せて、うん、レノです。ロップイヤーさんでしょ、と言っ
た。私も頷き返して笑みを見せた。姉を知らない他人であると、どうやら私は素のままで笑顔を見せられるようだった。そし
てレノは、想像していたよりも、爽やかで清潔感のある男だった、年は二十代半ばあたりだろうか。
 とりあえず私たちは、話をするために、近場のカフェに入ることにしたのだった。




 カフェで話していくうちに、彼は私とセックスがしたいのだということが、はっきりと感じ取れた。私はもうどうでもよ
くなり、自らセックスを持ちかけて、彼を誘った。男など全部くだらない生き物だと思った。性欲をコントロールできない
ただの醜い犬だ。そうして私たちは夜になってからホテルへ行き、セックスをすることになった。
 私がベッドに倒れると、彼は私を獣のように突いた。まるでこの時だけを待っていたと言う風に。この女を犯すことだけ
が楽しみだったと言う風に。そしてセックスが終わると彼は唐突に言った。
「お前さ、何でそんなに嫌われてるの?」
 私はどういう事か分からずに彼に訊ねた。
「いや、俺はさ、お前の姉から頼まれたんだよ。お前を騙してほしいって。双子の妹がいるから、そいつとのセックスを隠
し撮りしてほしいって」
 私はその事実を聞かされて驚いた。姉はよほど私が嫌いなのだろう。私が姉を嫌っているのと同様に、姉もまた自分とよ
く似た私と言う存在を嫌っていたのだろう。
「でもさ、やる気なくすぜ。俺とお前の姉は付き合ってるんだけどさ、恋人と同じような文章を書いてくるんだもん。
で、今日あったら顔や雰囲気までまったく一緒で、もちろん髪色が違ったから区別はつくけどさ、本当に驚いたんだ。でも
第三者の俺からすれば、そんな恋人と全く同じに見える女の子を、騙すなんてできないわけだ。でも君らからすれば、お互
いは全く別の人間であり、周りからもそう見られたいと思っているわけだろ。なかなか面倒くさいよな。今日は悪かったよ。
でもさ、俺が言うのもなんだけど、チャットとかでホイホイ男の誘いに乗らない方がいいぜ。危ない奴ばかりだから」
 本当にお前が言うな、と私は思った。何故姉はこんなクズと付き合っているのだろう。というか、このクズは多分、姉に
利用されただけだ。恐らく私を地獄へ突き落すために姉が用意した駒に過ぎないだろう。姉がこの男に近寄り、恋人という
甘い関係を提供して、それでこの男を操っていたのだ。姉は容赦なく私を壊そうとしている。私はその事が怖く、そして空
しくなった。お互いがオンリーワンとして生きるために、何故ここまでしなければならないのだろうか。私はもう、うんざり
だった。彼女から離れて生きたいと思った。私は目の前の男に平手打ちをくらわせて、「楽しかったよ、クソ野郎」と言って
からホテルを出た。自分は醜いと思った。何でこんな醜く生きているのだろうと思った。





 家に帰って、私は姉と話すことを決めた。思えば姉と面と向かって話すのは一ヶ月ぶりだった。そして姉の部屋に行こう
とするのなんて、小学生の時以来、実に七年ぶりだった。
 姉の部屋をノックすると、姉は明るい声で返事をした。私は遠慮なく彼女の部屋に入る。
「おかえり」
 私を見て姉はそう言った。私にクズを嗾けたくせに、姉は何も知らないと言う様子で、笑顔を見せるのだ。私はこんなや
つと同じ遺伝子を持っている事にうんざりだった。自分がこうなっていた可能性を考えるだけでもうんざりだった。
「私のセックスの様子を隠し撮りさせようとしたんだって?」
「えー何のこと?」
「とぼけてんじゃねえぞ。クソ女」
「わかんないなー。由希ちゃん何言ってるの?」
「あのクソ男が全部洗いざらい吐いたんだよ。ボイスレコーダーにも録ってある」
「へえー、由希ちゃんやるね」
「アンタと同程度には頭が回るからな」
「だから嫌いなのよ」
「だろうね」
「なんであんたなんか生まれてきたのよ。本当にウザったい」
 姉は語勢を強めて、私に向かって、そう言う。抱きしめていたクッションを床にバンバンと叩きつけ、私を今にも殺しそ
うな目で睨み、唾を飛ばしながら醜い表情で、私に叫んだ。
「幼稚園にいたころ、私が好きだった子をあんたが奪ってから、私はあなたを地獄に落とすことを決めたのよ。同じ顔で、
同じ技量で、ほとんど同じ人間であるのに、どうしてあんたの方に卓也くんが惚れたのか。私は強烈な嫉妬を感じた。以来
私はあんたの何倍も勉強を努力するようにした。皆から好かれるように努めた。料理や裁縫などの技術を身につけた。全て
あんたが私より劣っていると証明するためだ。でもあんたは私の努力とは関係なしに、勝手に落ちていった。分かるわよ、
私と同じになるのが嫌だったんでしょ。私も同じ思考だから分かるわよ。私の周りに私と同じような人間なんて、一人もい
らない。だから私は徹底的にあんたを潰すためにこれまで生きてきた。あんたが中学の時に絵画コンクールで大賞を取った
時、どれだけ本気で殺してしまおうと思った事か。実際に台所で包丁を握って、それからあんたの部屋の前で何時間も立っ
ていたの。私はオンリーワンでありたいのよ。あんたなんかゴミみたいに生きていればいいの。そうすれば私だけが、私と
して、人気者でいられるんだもの。しかし、本当にあのクズは使えないわね。どうせセックスした後で怖気づいたんでしょ。
もっと早くあんたが援助交際してると知っていれば、上手くやれたんだけどなあ。ああ、本当にムカつく、お前早く死んで
よ、そこら辺のウザったい野良犬みたいにさ。お前にはお似合いだよ。あーくそっなんでお前この部屋にいるんだよ、何で
この家にいるんだよ、あームカつくし、ヤバいキレそうなんでお前は私と同じ顔してんだよ何で双子として生まれてきたん
だよ!」
 ぶつぶつと呟き続けながら、姉は突然立ち上がり、私に覆い被さってきた。そして私の目を殴った。私は反射的に左手で
防御したのだが、姉は執拗に目や鼻などを狙って、殴ってくる。
「そうだよ、お前の顔に傷を付ければ、目印になるじゃん。お前の目を潰せば、私たちの区別がつくじゃん。そうすれば私
の心の苦しみも少しは解消されるわよね、腐った死体みたいに生きてるお前を殺そうか?」
 私は反撃しようとしたが、しかし姉の顔を殴るのは気が引けた。どこでこの違いが生まれたんだろう。私には姉を殴る事
は出来なかった。どんなに嫌いであっても、それはもう一人の私であったし、もう一つの可能性として存在する私だった。
そんな私を殴ることなど出来なかった。しかし姉は攻撃の手を一切緩めなかった。
「いたっ、痛いっ! 助けて! お母さん! 痛い!」
 私は声の限り叫んだ。姉は「うるせえんだよ! 私と同じ声で喋んな!」と大声で怒鳴りながら、肘で私の顔を打ち、私
は鼻が潰れるような痛みを感じた。鼻を中心とした激痛が走り、鼻孔に何か温かい液体が流れ出している感覚があった。すぐ
に鼻孔から鉄のような匂いがし、鼻骨が折られて血が出ているのだろうと思った。私は涙が浮かんで、止まらなかった。
「何してるの!」 
 部屋に母親が入ってきたようだった。その時に、姉は冷静さを取り戻した。しかし姉の髪はぐしゃぐしゃと乱れ、大きく息
をし、そして顔が引きつっていた。私は激痛の中、泣いて、床に寝そべっていた。





 その後、病院で入院することになった私は、母に事情を説明した。私たち姉妹の持つ軋轢を。そして母は驚いていた、私
たち姉妹がそんなにも大きな闇を抱えていることを知らなかったようだった。
 私は姉と離れて一人暮らしをすることになった。母は心配していた。私が一人暮らしを本当に出来るのか。大丈夫なのか
と。しかし私は言った。姉が出来ることぐらいなら私は本当は出来るんだよ、と。母は時折、私の様子を見に、私の住んで
いるアパートにやってくる。母との関係は以前とは違い、良好になった。それは私が、無理をしなくなったからだ。姉の逆
をやろうと言う、そのような無理な発想がなくなり、素直に母を労わったりできるようになったからだ。
 

 私は一人暮らしを始めてから、ようやく解放されたように思った。そして素直に笑うことも出来るようになった。
 大丈夫。これからは姉とは違い、自分に正直に生きるんだ。嫌な事は嫌だと言うし、楽しければ素直に笑おう。それがい
つか、私の個性になればいい。私は姉の様に、他人を騙しながら、ちやほやされて生きる気はない。私は純粋な心で世界を
生きていきたい。騙されたって、何度だって私は心をよみがえらせて、世界と立ち向かう。姉が美しい白鳥に擬態するのな
ら、私は黒くあっても強くたくましく生きていきたい。醜く這いつくばっても、どんなに汚い事を思おうと、私は純粋に相
手に接し、強く生きていきたい。誰かに焦がれたり、世界を美しいと感じたい。そして願わくばあの盲目の女の子の様に、
世界を楽しめればいいと思う。姉の反対として生きていく私は死んだ。姉ありきで生きていた双子の私はもうこれで殺してし
まおう。私は姉みたいに綺麗な白鳥ではない、まるで正反対の黒い白鳥である私は、この世界にもう一度、強い心を持って羽
ばたこうと思うのだ。
 自分は二人で一人ではない。れっきとした一人の人物なのだ。
 私は姉とは離れ一人の人物として、これから飛び立つ。この汚い湖から。
 その飛び方を、あの盲目の少女が教えてくれたような気がするのだ。
 闇に覆われようとも、笑顔で手を振れる人になる事は出来るのだと。
 綺麗に生きることはできるのだと。
 何故だか今日の私は素直にそう決意することが出来る。
 私は一人の人物として、世の中に飛び立つ。
 堂々と羽を広げて。
 いつか確固たる一人の人物として生まれ変われることを願って。




投下終了しました。

運営者さんにこんなにも長い文章をコピーさせるのは負担をになるし忍びないので、てきすとぽいにアカウント(?)
を作り転載しておこうと思います。それで大丈夫ですよね?

一応、ギリギリ五十枚以内にはなっているはずです。エントリーの方をよろしくお願い致します。

巨大な一面のガラスの前、少女が一人立っている。
少女の視線は先ほどからガラスの向こうに注がれ、一ミリも動かない。もうかれこれ
一時間はこうして過ごしている。
「また見てる」
少女の横、少し離れた暗がりの場所から少年の声が起きた。どこか不機嫌そうな響
きが耳に付いた。
でも少女は振り返らない。ガラスの向こうにある巨大な人間の頭部と対面し、その形
をした天辺を見据えたままでいる。巨大な頭部は、ちょうど少女の身長くらいはある
だろうか。
「もう寝てるよ。そんなの強制自動シャットダウンすればいいのに」
巨大な人型が呼吸し、その息づかいで頭部が上下していた。どうやら少年が言うと
おり寝てしまっているようだ。
少女の目からも、巨大な頭の下に敷かれたその腕が見えている。胴体から先は見えな
い。巨大なそれは突っ伏す形で寝ていた。
恐らくだいぶ疲れていたのだろう、着の身着のまま眠りに着いた様子が見えた。だら
しなく開いた口元からは涎が垂れ流しになっている。
「……もう、汚いなぁ」
その様子を眺めながら少年は嫌そうに顔を歪めて吐き捨てた。少女は黙っていた。
「ねえ。ニュー。ニューってば!」
少年は何度も少女の名を呼んだ。少女の意識をガラスの向こう側の人間から引き離
したがっていた。
「ニュー!行こうよ!」
しかし少年の試みは通じないようだった。少女は一切反応を示さなかった。少年は
拗ねたように唸り声を上げた。
「分かったよ。勝手にすればいい。そろそろ朝だからね。また忙しくなるんだから
ね」
少年がその場を去っていく。だが暗がりの向こうに行ってしまっても、少女はガラ
スの前を動こうとはしなかった。
やがて暫くした後、ガラスの向こう側の巨大な頭がゆっくり動いた。
「ニュー……大丈夫……きっと上手く……だよ。心配ない……。うぅ……ん…スー」

巨大な頭は、くぐもった不明瞭な声でブツブツ呟くと、また寝息を立て眠り始め
た。呟いた寝言は、今一要領を得ない一方的な内容でおおよそ理解不能だった。
だがその時、少女は始めて表情らしい表情を浮かべていた。それはほんの微かでは
あったが、ひどく暖かく人を安心させる様な、柔らかい微笑みだった。
少女はそのまま動かなかった。やがて時間が過ぎ、時計の針が正午を越えても、少
女たちが居る場所には何の変化も見られなかった。
その場所は、まるで日の光が刺しこまない所にあった。その為、時間の経過は容易
に分かる環境になかった。部屋の角にある、大きなデジタル時計だけがせっせと働い
ていた。
少女が身を固めて動かないその場所は、ひどく奇妙な空間だった。そこは一見、彼
女が住んでいる部屋の様にも見えなくも無かった。だが部屋と言うには一切の生活感
が無く、愛着などといったおよそ自然に染み付く物が感じられそうになかった。
何しろ人が暮らして行くための必要な要素が見当たらなかった。食べ物や飲み物は
おろか水道さえない。
そしてその上、部屋の続きや出入口といった当たり前の要素がスッポリと欠けてい
た。あるのは部屋自体と、その片側を占める巨大ガラスの枠だけだ。あとは枠の外の
巨大な人間の姿。
むしろ巨大なガラスの枠の世界だけが、その強い存在感を主張していた 。
まるで一つの目的の為だけに造られた、仮設の実験施設の様だった。その他の部分
は、舞台のセットと同じくあくまでも張りぼてでしかない。
事実ガラスの枠の範囲内から外れてしまえば、あるのはどこまでも永遠と続く、無地
の剥きだしの廊下だけだった。
そんな奇妙な場所で、少女とその巨大な頭は、いつまでも固まり続けていた。時間
は永遠に流れ続ける様に思えた。だがいつしか変化は訪れた。
「……ううん」
ガラスの向こう側、巨大な頭がゆっくりとその動きを見せた。ひどく重そうな首を
持ち上げ、正面に向け顔を起こしたのだ。
数秒後、巨大な人間の大きな上体が、ガラス一杯に姿を覗かせていた。まぶたが開
かず、ひどく眠そうな表情だった。
「……もう昼か」

若い男だった。もちろん頭だけではなく身体もあった。見た目は、成年は過ぎてい
そうなどこか風采の上がらない青年だ。張りのない顔付きをした巨大なだけの男だっ
た。
男は欠伸混じりに身体を伸ばし、気怠そうにまぶたを擦っている。頭の横には、強い
寝癖が着いている。
男はやがて、まぶたを擦っていた手を下げ、下の場所にある機械にその手を添えた。
すると『カチッ』っという小気味よい音が響いた。
「お兄ちゃん、遅いよもう!」
突然のことだった。今まで固まっていた少女の身体が、途端に動きだし、生き生き
と活動を開始しはじめたのだ。
まるで男が出した小さな機械の音に、生命の息吹を吹き込まれたかの様だった。
「言い訳ばっかして、お兄ちゃんてばもう!」
しかも喋るばかりでなく、活発なさまで手足を使い、精一杯に感情を表現して見せ
ている。少女は不機嫌な様子でさえ何処か可愛らしかった。
一方の巨大な男は、ガラスで区切られた向こう側に構えている。かしましいといっ
た感じの少女の様子を鋭い眼差しで逐一追い掛けていた。
何やら機械を叩いて操作していく男。巨大な黒いマウスパッドが握られている。
その操作がもたらす物なのか、ガラスの下の方にカーソルが表示され、先程から文
字が浮かんでは消える様子が流れていった。
『いつもはそっちが起こしてもらってるんだから。今日ぐらいはいいだろ』
その文に素早く反応するように、少女が返答を重ねた。
「知らないんだからね!せっかく久しぶりに取れたオフなのに……ほら?、仕事の時みたいにテキパキ準備してよ~」
また下のガラスに文章。『せっかくの休みなんだからさ、ゆっくりしよう』という
内容。きびきびと手を動かし、慣れた手付きでカーソルを動かしクリックした。
すると少女は怒ってしまった。先ほどより一層不機嫌になり、眉間にシワを寄せて
いる。もはやガラスを睨みつけてしまっている。
「……お兄ちゃん?本当に分かってる?……今日は出掛けるって……あれだけしっか
り約束してたでしょう?」
慌てて男がマウスを操作する。準備するという項目を選んで急いでクリックした。

「もう、早くしてよね!」
するとそこでまた、その閉鎖的な場所に劇的な変化が訪れようとしていた。
なんと今まで居た筈の部屋が一瞬にして消え失せ、少女の後ろに、突如として街の広
大な風景が現れていたのだ。
まるでなにかの巨大な大掛かりなマジックでも目にしているかの様だった。
だが変化してしまう前の部屋と同じく、そこは実に奇妙な街並みだった。実際に人
が暮らしているとは思えないほど、整然とした建物と区画整理。どこかモデルルーム
の展示会場を思わせた。
少女の洋服が、先ほどの部屋着からいつのまにかよそ行きの綺麗な装いに変わって
いた。
髪型もしっかりスタイリングされている。とても分厚いサングラスの下はしっかり
メイクもされているようだ。
「今日一日ぐらい、普通の女の子として楽しみたいな……しっかりスケジュール管理してね、お兄ちゃん」
少女の言葉に応えるかの様に、巨大な男が下に出た単語を選らび、『公園』をクリ
ックをする。
「え?公園?」
少女は怒るというよりむしろ驚いていた。そしてまた周りの空間が瞬時にして切り
替わる。
今度は街並みやビル群が消え、その代わりに木や植木、それにベンチや噴水が現れて
いた。それはいかにも公園らしき、憩いの空間をふんだんに配した風景だった。
ただしガラスの枠の中以外は、完全に“無”の空間だ。
「もう……! なんで選りに選って公園なのよ……別に何時でも行ける場所じゃな
い。ほんとお兄ちゃんって気が利かないよね。せめてクレープぐらいは奢ってよね」
選択された公園に不満を持っているのか、少女は散々な言いようだった。だが、男
は慌てる素振りも見せなかった。
手元のマウスを上下に大きく動かし移動させて、手早くアイテムを作動させている。
クレープの映像が光っている。
「はぁ?」
だがそこで少女の手に出現した物はクレープなどと言う洒落た代物ではなかった。

なんと手の中に握られていたのは、安価そうな『缶詰め』一つ。ただそれ一つだけだ
った。
「え、何これ?『缶詰め』?……これでも食えって事?」
少女の顔はもはや期待外れこの上ないと言った表情だった。そのまま呆れ顔でカン
ヅメをかざしている。
「……お兄ちゃん……!いい加減にしてよ!……そろそろ本気で怒るからね……!」
だが少女が癇癪を起こし掛けたその瞬間、ガラスの向こうで男が操作を打ち込んだ。
今度は文章が浮かび上がる。
『いいから開けて。ほら』
少女がカンヅメを開ける。すると大量の猫が出現した。少女の周りに沢山の猫が現
れて群がったのだ。
「わぁ……!近所のノラ猫かな?可愛い……」
様々な柄の猫に取り囲まれる少女。猫がエサの缶詰めへと我先に群がっていく。
「あらら。キミ達ちょっと待って。もう今分けて上げるから」
少女はとても楽しそうに笑った。
それから数秒後、また空間が自動的に入れ替わっていた。少女の周囲に大量の本棚
と貸出カウンターが現れ、見覚えのある施設が出現した。
「ここ図書館?……お兄ちゃん、私本とか読まないんだけど?それ分かってバカにし
てるの?」
少女が怒り出す前に、またマウスを操作して男は場所を移動する。奥にある絵本が
並ぶ一画に変わった。
「児童コーナー?これは『これなら分かるだろ』って言いたいのかな?ほんと……い
い加減にしないと怒るからね……!」
だが怒り始めたその時、少女はなにかを見つけて手を伸ばしていた。それは一冊の
絵本だった。
「え?この本……子供の頃お母さんに読んでもらったやつ……」
少女は懐かしそうに絵本を開き、その場で読み始めていた。少しの間本の世界に浸
って読み耽っている。とても穏やかな顔をしてページをめくる少女。
やがて満足そうに本を閉じると、その余韻を何時迄も楽しんでいるようだった。
「大好きだったなぁ、この本。いつもお母さんに読んでもらったっけ。あれ……お兄

ちゃんにも読んでもらったっけ?」
少女がガラスに向けて微笑む。それは先ほどまであんなに不機嫌だった少女とはと
ても思えない、ごく自然な微笑みだった。
『ははっ。図書館も悪くない。そうだろ?』
「……うー。今日もしかして結構楽しいかも……でも、でも!これだけじゃまだ納得
してないんだからね!次はどこに連れてってくれるの?」
そう言うと少女は期待の眼差しで尋ねてきた。だが男が選んだ場所は、またしても
少女の意図にそぐわない選択、『立ち食いソバ』だった。
「立ち食いソバ?もう!なんでそんなのばかり……あ!」
不意にそこで、少女が週刊誌コーナーを前にして、杭を打ち込まれた様に立ち止ま
ってしまった。その手に芸能スクープをのせた雑誌が現れてくる。
『若手新人アイドル!謎の降板!裏にはヤバめのスキャンダルが!?』
そんな見出しを付けた記事が表紙を飾り、扇情的な文句が所狭しと踊っている。そ
れを見るなり少女は眉を顰めてしまった。
「あーあ、せっかくの気分が。台無し」
そう言うと少女は、今まで見せたことのない暗い表情を浮かべ図書館を去っていっ
た。
暗転。そこでまた、空間に木々や植木のある夕焼けに包まれた公園風景が現れた。
だが実際には時間はまだ一時を回った所だった。その空間では空の色はすっかり茜色
に変わっていた。
少女がベンチに座っている。少女は何も話さず、その代わりに状況を説明する文章
が、ガラスに文字として浮かび上がっている。
【"妹が急に今まで引き受けていた仕事を休みたいと言い出した。その理由を、この
兄でありマネージャーである僕でさえ聞いていない。そんな状況が続いていた。もち
ろん聞いてみた。だが何度聞いても頑なに話そうとしなかった。ただ妹は何かを隠し
ている様だった”】
目線に合わせて、空間全体の位置が少し低い。少女は憂いを帯びた表情で肩を落と
し、押し黙っている。悩み事を抱えて辛そうにしている顔はとても美しかった。
【“一体なんの悩みだろう。妹は新人アイドルとしては珍しいくらいにトントン拍子
でステップアップを重ねていたのだ。今年の春にはテレビドラマの重要な役も来てい

た。自分抜きで事務所に呼び出された日から、妹は突然休みたいと言い出した。事務
所で何か無理な仕事を要求されたのだろうか。何度聞いても教えてくれなかった”】
文章が浮かんでは消えた。その間も少女は相変わらず俯いている。ガラスの向こう
側の男がマウスを素早く動かした。
『なぁ。なんでなんだ。兄貴にくらい教えてくれよ』
その問いに、少女は困った様に口をすぼめて俯いてしまった。
「やりたかった事がよくわかんなくなっちゃったの。もちろんアイドルは楽しいよ。
楽しいけど。……でも違うの。違くて嫌なの」
『だから何が嫌なんだよ?』
問い詰めるが少女は質問には答えず、逆に質問で返していた。
「お兄ちゃんはさ……マネージャーをしていて楽しい?」
『ん?芸能の世界がやりたかった仕事だからな。もちろん楽しいよ』
「違う、そうじゃなくて。私のマネージャーをしていて楽しい?って聞いてるの。妹
のマネージャーとかって実際どうなのかな?って」
『どう思うか。うーん。始めに、お前がアイドルやりたいって言い出した時、うちの
事務所に入ってきた時は大丈夫かな?って思ってたよ。ミーハーな気分でやるんじゃ
ないかってね。でもお前は真剣にやり甲斐ある仕事としてアイドルに向き合ってくれ
た。そんな子と仕事が出来るのは、誇らしいと思ってたよ』
「そっか誇らしいだなんて思ってたんだ。でも本当?いつも心配ばっかしてるのに」
『当たり前だろ。僕は立場上の肩書きより、まずお前の兄貴なんだ』
「……カッコつけ」
『そうだな、あまり直接言うのは照れ臭いけど本気で誇らしい気分だよ。お前がアイ
ドルとして成功してくれたら最高だ。もちろんマネージャーとしてじゃなく兄として
もさ』
「そっか……え?マネージャーじゃなくても?」
その当たり前の言葉の一体どこに引っかかったのか、少女がわざわざ聞き直す。そ
んな様子にまるで気付かないまま答えが返ってくる。
『ああ。だってそうだろ。妹がスーパーアイドルなんて、本当にね。それにだな、売
れっ子スターなんて今の俺の手には余るよ!なんてな、あはは』
そこで今まで噛みしめる様に聞いていた少女の顔が、急に一変して苦しげな表情に

なってしまった。
「……もういい。じゃあ一旦アイドル辞めるから」
『いや、……待て待て!お前何言ってるんだ、、。今日休んだら次から頑張るって。
昨日だってあれだけ言ってただろ』
「だって頑張れないよ。お兄ちゃんが頑張ってないのに……頑張れだなんて私に言わ
ないで」
そう言うと少女はベンチを立ちその場を離れようとする。
『おい待てって。……お前やっぱり何かあったんじゃないのか?』
「え?……何が?」
『あの日事務所でなに言われたんだよ?』
「何でもない!お兄ちゃんとは関係ないの!もうほっといて!」
そう言うと少女は椅子から離れて行ってしまった。ガラスから見切れるところまで
来て見切れていった。
【“行ってしまった。しかし俺とは関係ないって。一応マネージャーだろうが。やはり
兄貴である俺と一緒に仕事するのが嫌になってしまったのだろうか?”】
何故そう採れるのか首を傾げたくなるほど、好き合ってる会話が展開されていたは
ずだった。
だいたい反抗期近い女の子が、嫌いな人間と一緒に休日を過ごしたりするだろうか。
むしろ少女の言動はもっと一緒に居たがっている様に見えた。恐らく男が間違ったこ
とを言った所為で、少女の逆鱗に触れたのだ。
【“あいつのマネージャーを外れる事になるのだろうか。確かに最近仕事の規模が大き
くなり過ぎて、新人である自分では場違いな場面になっていたが。でもあいつが望む
なら仕方がない”】
どう考えても理由はその仕事の規模の事だろう。恐らく兄が担当を外され掛かって
いて少女がボイコットしているのだ。何とも歯痒い会話が繰り広げられていた。行き
違いする二人。ずいぶん回りくどいやり方だった。
「ミューめ……大したツンデレぶりだ……」
ガラスの向こう側の男か何かを楽しそうに呟いている。カチカチ叩くスピードが増
している様だった。
その時だった。今まで滞りなく機能していたガラスの透明性が突如消え去り、二人

を隔てていたガラス面が一瞬にしてブラックアウトした。
それは本当に突然の事だった。もちろんガラスの向こう側である男の様子は一切見
えなくなってしまった。
「は?フザケんな!また不具合かよ!クソ!」
男の立てる物音で、その苛立ちがガラスの向こうからも伝わってきた。ずいぶん慌て
ているようだった。やがてガラス一面に事務的な処理画面が浮かび上がった。
【現在サーバーに原因不明のシステムエラーが生じています。復旧に当たっておりま
すので、今しばらくお待ちください】
「なにやってんだクソ運営がぁ!あぁ、ミューが……!やめろやめろやめろやめ
ろ!」
カチャカチャとキーボードやマウスを操作する音が、辺りに虚しく響いている。
一方の少女はガラスが見切れる横の通路、舞台で言う袖の奥で、ひっそり立って男の
声を黙って聞いている。
「ダメだ。いやダメだって。あぁミューが居なくなる。あんなにイジましいミュー
が……大丈夫俺が何とかする」
少女は慌てふためく男の様子に耳を傾け、飽きもせず熱心に聴いている。そんな少
女の顔つきは、始めに巨大な男の寝顔を見ていた時と同じような、食い入る様な顔つ
きと重なった。
その時ふいに突然、少女の後ろで騒がしい嬌声とは別の、突き放す様な声がした。
「なんだいあのギャーギャー言う喚き声は。うるさくて堪らない」
少女が声のする方を振り向く。すると、朝方に会いにきていた少年が彼女の後ろに立
っていた。
「情けない声だしてまぁ。ほんと[ピーーー]ばいいのに」
「ルクル。そんな風に言わないで」
そこで少女が初めて少年に返事らしい返事を返した。少年は少女の厳しい口調に、
煩わしそうに肩をすぼめる。
「はいはい。ミューはまたいい子ぶって。本当は自分だって気持ち悪いくせに」
「思ってない。ねぇ、ルクル。お願いだから、そんな風に悪く言わないで。悲しい気
持ちになるから」
少女はそう言うと、また通路からガラスの方へ向き直った。それを見て少年は面白く

なさそうに頭を掻いている。
「うわうわ。ミューってあいつが好きなんだ。あんな頭悪そうで小汚い奴。不潔だ
よ。気持ち悪い」
「ルクルの方が変に悪く取り過ぎなんだよ。いい人だから」
「あれがかい?目がどうかしちゃってんじゃないの?」
少年がガラスの方を指差す。その姿こそ見えないが、カチャカチャと出すキーボード
の操作音で男の慌てぶりが聞こえてくる。
ガラスはいつの間にか白く染めた処理画面が別の映像に切り替わっていた。そこに開
かれていたのは、クレームを受付ける為のメールフォームだった。
よくあるタイプの、定型文を弾き返すだけの事務的なメールシステム。男はすぐに望
めそうにない効力に見限っていた。
その次は返信つきのメール。こちらは、男が送ったメールに対する、丁寧な返事の文
章が書かれていた。
【メールありがとうございます。不具合の為、キャラクターのデータだけはせめて復
旧したいと言った内容で宜しかったでしょうか。この度は、ご指導ありがとうござい
ます。スタッフ一同最善を尽くしております。
ですが損失してしまった細かいデータは復元することが非常に困難な作業でありま
す。ご期待に添えない場合も出てくるかもしれません。誠に申し訳ございません。
尽きましてはお詫びに一万ゲームポイントや、貴重な特別アイテムを贈らせて頂きま
す】
「アイテムなんかいらないよマジいらない。データがいいんだってばもう何も分かっ
てないなこいつら」
男はなんども恨み言と懇願を連なり重ねたメールを返信フォームに打ち込んだ。だ
が一向に埒が明かなかった。
どうにもならないと悟った男は正攻法であるメールを諦め、データの盗用やらなにや
らの、怪しい情報をネットで検索し始めた。
だが素人目にはどう見ても無理そうなやり方だった。
「なんだいありゃ。自分で何をしてんのかちゃんと分かってんのかね。いくら何でも
錯乱し過ぎだろハハ」
少年はすっかり冷めた目線でそんな男の慌てふためく行動を揶揄して鼻で笑った。

だが少女の方はそうは思っていなかった。
「ほら。やっぱりいい人だよ。こんなに必死になってくれている。優しくなければ出
来っこないよ」
「この頑迷さが?これが優しさから来てると思ってるの?頼むからこれが愛だなんて
言わないでくれよ。もっと下劣な感情さ」
「またそんな言い方して」
少女が責めるような目付きで少年を見つめる。少年は少し困った様に顔を背けた。
「いや本当さ。ミューが見えてないだけなんだよ」
「そうじゃない!だってさ!ルクルだって自分のプレイヤーのことは悪く思ってないはずじゃない。そうでしょう?」
「はいはい。あいつらを悪く思ってないか?そんなの悪くも糞もないよ。あいつらは
あいつらだし、あくまでも《向こう側》さ」
少年は肩をすぼめて手を広げている。そのお手上げといった感じのポーズは少年が
よくやる仕草の一つであり、少女はそれがあまり好きではなかった。
「それにプレイヤーが見てるのは設定の中で振る舞う僕だ。イケメンでクラスの人気
者で影があるキャラ。そんなのは僕じゃない」
「ルクルって捻くれてる。なんか理屈っぽい言い方ばっか」
「それはどうも。と言うかミューが単純過ぎるんだよ。というか単細胞というか1bit脳
というか。そこら辺、向こうのデカブツと似てるんじゃない?」
少年が親指を立てガラスを指差した。そこには最後の手段とばかりに、眉唾物の都
市伝説じみた、おまじないや魔法陣と言った怪しげなサイトが検索ツールで引き出さ
れ、片っ端から開かれていった。
「ダメだこりゃ。魔法使いになり始めちゃったよ。あはは面白え」
すると突然そこで、ミューたちガラスの内側の世界に異変が巻き起こった。
後ろの背景が矢継ぎ早に、公園から少女の部屋、また分からない場所や、スタジオセ
ットになった。
まるでカラクリ屋敷のようにくるくると背景が変わった。
「んん?……おいおい。なんだ。単なるメンテナンスにしては大掛かり過ぎやしない
か?何かあったのかな?なぁミュー……おいミュー?ミュー!?」
少年が話し掛けた時には、もう少女は床にうずくまり体を小刻みに震わせていた。

「ミュー!大丈夫か!?」
少女は今まで背景が瞬時にどれだけ変化しても、慌てた事は無かった。それがこの世
界の理だったからだ。
だが、今起きてる異変はどうやら外ではなく彼女の身体自身に起きている異変の様
だった。
「熱い……!」
少女は自分の身体が信じられないほど熱かった。熱を持った熱い空気が身体の中に
入り込み、抑えが効かないほど膨張していく様だった。
彼女には何が起きているのかさっぱり分からなかった。何しろ少女自身の存在はこ
の世界で唯一絶対不変の物だったはずなのに。
「ミュ、ミュー……!?お前か、身体が……!?」
「身体?……なに身体って?」
少年が声を震わせる。この熱以外にも何か異変が起きていると言うのだろうか。少
女はますます募る不安と恐怖に苛まれていた。
「はぁ?そんな馬鹿な」
いつも冷静沈着な少年が珍しくパニック寸前になっている。声が遠くに聞こえる。
「な……に?私の……身体……どうなってるの……?あぁ!!熱い…….」
「大きくなってる……」
先ほどから少女の身体がどんどん膨張していた。今はもう少年の倍近くはあった。
「熱い……!ルクル助けて……!」
「どうしよう!どうすれば?ミュー!しっかりして!」
やがて大きさは天井を越え、空間一杯に膝を抱えた大きな少女が今にも溢れそうに
なっていた。
「ダメだミュー!このまま大きくなって行ったんじゃ部屋に圧迫されて……!止めな
いと!止めるんだ!」
「だって……そんなの自分じゃあ……熱い……!」
「ダメだって!どうすれば!」
いよいよ少女の身体が広がり切り、空間の壁に圧迫され始めた。
苦しそうに顔を歪める少女。
「痛っ……ルクル……ごめんね。今まで心配ばかり掛けて……」

限界が来ていた。少女の身体が圧に耐えられなくなり破裂しそうになった。そこで
空間の壁がみしみしと音を立てた。
「バカ!諦めんな!絶対に助けるから!聞こえるかミュー!?」
身体より先にミューを覆っていた壁が崩れていた。大きな音を立てて世界が壊れてい
く。
少女は強いショックにいつしか気を失っていた。


"""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""


少女が意識を取り戻す。すると、いつの間にか彼女は椅子に腰掛けて座っていた。
だがその椅子は酷く固い座り心地で、特に背もたれの部分は冷たいガラスで出来てい
た。その上、足を置く場所は変に柔らかく生暖かいという、ひどく変わった素材だっ
た。
一体何処にいるのだろうと少女が辺りを見回したその時、彼女は自分が俄かには信じ
られない光景を目の当りにしている事に気が付いた。
「あ……!」
「ん?何だ?……画面が見えない……。というか身体が重たいな……ん?」
少女の目の前にあの男がいた。ガラスを挟まない直接的な近距離、少女の目と鼻の
先にあの男が座っていたのだ。男はパソコンデスクと自分の身体の間に少女を挟み、
対面する形で回転椅子の上に収まっていた。
少女はひどく驚いていたがそれ以上に、湧き上がる喜びの方がより打ち勝っていた。
「あの……こんにちわ!」
男がびくりと体を震わせた。もちろんよく聞かなくても、少女の声は男が慣れ親し
んだ声のはずだった。だがパソコンのスピーカーから出る音と実際の肉声はまるで印
象そのもの自体が違っていた。
誰かが部屋にいる。男はゆっくりとした動作で椅子を引き擦り後ずさると、声の正体
を己の視界に収めようと努めた。身構えつつおもむろにその全体像を見上げる。する
と見知らぬ少女が机の上に座り、満面の笑みで男の方を伺っていた。

「えっと……大丈夫ですか?」
男はしばらくの間固まっていた。反応する事すら出来ないのか、ただ少女を夢見心
地でぼんやりと眺めていた。それからまた男は、我に帰った様にびくりと体を震わせ
た。
「はぁ!?え!?だ、誰!?」
なんと答えるべきなのか、机の上では上手くまとまらない思考を整理しながら少女
は男を見ていた。男の身長はもはやかつての様な巨大な姿ではなく、ほぼ少女と同じ
身の丈になっていた。それが彼女には新鮮な驚きとより深い親近感を与えていた。
「あ……あの。だからえっと、私です」
「いやだから!誰!?」
「あ。あのミュー。ミューって呼ばれていたヒロインキャラです」
少女がそう言うと男は何度も首を振り捻って、少女の言葉を飲み込もうと確認して
いる。
「ミュー?」
「はい。私です」
「いや、馬鹿な。ミューって言ったって。だって……はぁああ!?今パソコンから?
まさか……嘘だろ!?」
男の慌てぶりを見るのは初めてではなかった。いつも見上げていた巨大な相手なの
だ。やっと会えた、少女はそう思った。
「えっと、こちら側では初めまして。ミューです」
少女は勢いよく頭を下げ、深くお辞儀をした。長い髪がまとまり無く下に落ちてひ
ろがった。
「うわわ!」
その瞬間、男はまるで脱兎の如く飛び跳ねるように椅子を引き、少女から素早い動
作で離れた。それからただおずおずと見ているだけの少女を必死で制止した。
「いや待った!まずは落ち着いて話を整理しよう!」
「あ、はい」
「じゃあまず……えー、……貴方はひとまずそこから降りてくれませんか?」
「え?……なんで?ここ意外と座り心地いいですよ?」
少女は机の上で不思議そうに首を傾げている。だが男は慌てて訂正する。

「いや!いやいや!あのですね……こう、机の上に座られてるとこっちが落ち着かな
いので。いま場所作るのでこっちに座ってもらえますか?」
男の方がより驚いてるようだった。なにせガラスの向こう側を現実として認識して
いた少女と違い、男はゲームのキャラが突然現実にやって来ていたのだ。
「なるほど。それもそうですね」
少女は机を降りると、男が用意した部屋の真ん中にあるテーブルまで移動する。
そこで少女は部屋をぐるりと見回してみた。実際目にする男の部屋は、彼女の部屋
とだいぶ造りが違っていた。
置いてある品物もそうだが、なによりもその現実感がまるで違っていた。
「わぁ……本物の窓だ」
男の部屋には片側に窓があった。もちろん正真正銘の窓だ。少女の部屋にも窓があ
るにはあったが、それはあくまでも模様と同じ役割りのただの飾りでしか無かった。
だが現実世界の窓は、あまりに違っていた。窓の外には別の、ちょうどガラスの向こ
う側と同じ様な、完全に外の世界が存在していたのだ。
そして、窓の外には空が広がっていた。どこまでも続く青い空が、少女の目の前に
広がっていたのだ。
初めて見た空の高さは果てが無く、それを見ただけで少女の胸の高鳴りはもはや押さ
えることが出来なくなる程強くなってしまっていた。
「あの……座ってもらっていいですか?」
「あ、ごめんなさい。実際の空を見るのが初めてで」
男がまじまじと一挙手一投足を見守る中、少女はソファ代わりの抱き枕にぺたんと
座った。男も座る。二人は改めて対面した。
「どうも初めまして。ミューです」
「あ、はい。初めましてツグムです」
「知ってます。ツグムさん、ですよね。いつもお母さんにその名前で呼ばれているの
を、ガラスの向こうからずっと見ていました」
今さらながらにして、ようやく少女にも『自分がこの現実の世界にやってきた』と
いう実感が湧いてきた。そうだ、ここがそうなのだ。もちろん話には聞いていた。ガ
ラスの向こう側に外の世界があるという事は実しやかな夢物語として伝えられていた。

だが実際に来てみた現実の世界は、彼女の予想以上に驚きの溢れた場所だった。目に付く全ての物に、確かな手触りと重みがあった。不確かな物は何も無かった。あやふやなデティールは一つもない。少女はもはやすっかり現実の世界に魅せられていた。
何よりも、少女は現実の世界で男とこうして会って話してみたいと常々思っていたのだ。少女が現実の存在として会いに行けば、男はどんなにか喜ぶかしれない。少女の心は今や高翌揚する気持ちではち切れそうになっていた。
「いやー、しかし。ゲームの中からね。参ったな本当に」
だが肝心の男はそうでもない様子だった。もちろん男だってゲームの中から女の子が出てくるだなどという話はまさに夢のような状況だった。
だが想像していた夢物語と現実は違っていた。実際にいま男の目の前にいたのは、ゲームの中の物言わぬ絵だけの存在などではなく、男が最も苦手とするタイプの『普通の女の子』なのである。
自分と同い年くらいの女子であり、しかも若さと自信に満ち溢れ、クラスのマドンナ
と言った雰囲気を持つ美少女である。男の脳裏の中には今にも数々のトラウマが蘇っ
てくるようだった。
「はい。アニマネの世界でお世話になりました……と言ってもツグムさんにとっては
寝耳に水のお話ですかね?」
ただ気安く手軽に現実逃避の出来る、美少女ゲームのアニマネ。その続きがしたい
というささやかな男の願望。それだけの願いだったのに。どうしてこんな状況になっ
たのだろう、男は困り果てているようだった。
「……なんで出てきたの?」
男がぼそりと呟いた。その予想外の男の残念そうな口調に、少女は一気に不安で一
杯になってしまっていた。
「え?……私こちらの世界に来てはいけませんでしたか?……すいません」
少女が泣きそうな顔で俯いた。男は慌てて口にした言葉を引っ込めると、笑顔で体
良く取り繕っていた。
「あ、いやそうじゃ無くて。どういう経緯でこっちの現実世界にやって来たのかなっ
て」
「あ、……良かった。てっきり会いたくなかったのかと思ってしまって。そうですね
経緯は、どういう風にかというと、あの、それはえっと。あれ?」

少女はなんとか自分の言葉なりに説明しようと試みたが、よくよく考えてみると、
自分でもどういう現状の立場に置かれているのか、さっぱり分かっていなかった。
「分かりません」
「え?」
そこで張り詰めていた気持ちが弛み、少女は気が抜けてしまった。ふいに少女の腹
の虫がぐうと大きく鳴っていた。それは驚くほど大きな音だった。だが少女は照れも
せずお腹を抱えて眉を顰めている。
「あの、ツグムさん。なんか私お腹が変です。スースーとお腹の奥が嫌な感じがしていて」
「へ?」
「だからお腹が。とても辛いんです。これなんでしょう?まさかあのよく言う病気と
かいう物ですか?」
鳴り続ける腹を不思議そうに抱え、しきりに首を捻る少女。 男は最初少女がふざけ
ているのかと思った。
「いや。いやいや今グーって鳴ってるじゃん。単にお腹すいただけでしょ?」
砕けた調子でそう言ってみた。でも言っては見た物の少女の表情の上には何処にだってふざけているような調子等は一ミリも感じられなかった。
「あ、なるほど。これがお腹が空くって感覚なんですね。実際スゴく辛いんだ……。なんか感動しました」
少女が腑に落ちたように笑顔で頷いた。どうやら少女には空腹と言う概念自体が掛
けていたようだった。
「なんて事だ……。まさかそんな馬鹿な」
男は愕然としていた。ようやく深刻な状況が鈍い男の頭にも浸透し始めていた。今
日この日のこの瞬間、ミューというゲームの中にいた少女が、現実の生身の身体を持
って、一人の人間としてこの世界に産まれ落ちたのだ。
「ちょっと待ってて。今食べ物用意するから」
数分後、男が台所にある冷蔵庫から持ってきた適当な食料を、少女は少しずつ口に
運んでいた。
それは少女にとって驚きの体験だった。食べ物を噛み砕き、味わい、飲み込む。すべ
てが心地よかった。

そしてそれによって舌に伝わる絵も言われぬ感覚。もちろん言葉や表現を越えてい
た。これが『美味い』という感覚なのだ。
幸せだった。ただただ満たされていた。世の中にはこんなに純粋な幸せなだけを傍
受出来る体験があるのだ。少女はその時初めて知った。
「旨そうに食べてるところを申し訳ない。ちょっと聞いてもいいかなミューさん」
男が頬杖を突いて、少女を見ている。
「結局『気づいたらこっちの世界に来ていた』と。それでいいかな」
「げもごも」
「あー、物を口にしながら喋るのは行儀がだな……まぁいいか。ふむ、正直何にも分
からない。参ったな」
「むぐ……あの。多分ですけど、ツグムさんが開いたサイトに。多少は関係があるん
じゃないかと思うんですけど」
「サイト?俺が?え、そんなのいつ開いたっけ」
男は先ほどの慌てぶりなどすっかり忘れている様だった。
「色んな形の魔法陣や怪しい呪文の載ったホームページです。ほら、私のデータを復
旧しようとして」
「あぁ!あれか!」
男が思い出したようにパソコンに向かう。急いでページバックさせていくと幾つか
の魔法陣が出てきた。
「なんだこれ……」
男が放心している。ホームページ上の魔法陣から浮かび上がるように光がでてい
た。モニターに映った魔法陣は、そこだけまるで生き物のように、液晶を越えて光り
を放っていた。
「おいおいおい……嘘だろ」
流石に気味が悪くなったのか、男が必死で画面上のバックボタンをクリックしてい
る。だが何故かそのホームページのウィンドウを閉じる事が出来なくなっていた。
「これ……か?これの力の……所為なのか?」
「わたしにはちょっと……。でもそんなに珍しいんですか?ゲームの世界では割とよ
く見かける光景ですが」
少女は首を傾げている。その口からはぼろぼろと食べカスが落ちていた。まるで食

べ方を知らない赤子の様だった。
「いやいや……現実ではよく起こらないんだよ……」
「じゃあ、今は大変な状況なのでしょうか」
「まぁそうだね……。そして偶然になにかとなにかを繋ぐ扉が開いた。それで、きみ
がこっちの世界に来てしまった。つまりそういう事かもしれない」
「それは大変ですね」
少女は相変わらずその口に少しずつ食べ物を運んでいる。少女はすっかり食べる事
に嵌ってしまった様だった。
男も一旦は頷いて腕を組んだ。そうして一人感慨に耽る。本当に大変だ。つくづくと
んでもない事が自分の身に起きた物だ。そんな風に考えていた。
そこでしばらく部屋に沈黙が流れた。優に五分は経ったろうか。
「え?それで?」
「はい?それでとは?まだなにか問題が?」
「いや問題も何もさ。だから状況はそれでいいとして。今からはさ。これから一体ど
うするの?」
「あ。はい。……どうするんでしょう。わたしはまるで知りませんし」
「いやいやいや……ちょっと待ってって!帰れるんだよね!ゲームの世界!」
「あー……やはりわたし帰った方がいいでしょうか?」
少女がひどく寂しそうに聞く。綺麗な女の子にそんな風に聞かれて平然として居ら
れるほど、男は神経が図太く出来ていなかった。
「いやだから違くてさ。緊急事態が起きた時にね。今すぐ帰れとかの話じゃなくても
ね」
「緊急時?」
「だから緊急時だよ。そういう時に自由に行き来出来るんだよね?って聞いてるの」
「そんな簡単に通れる物なんですか?ツムグさんの言葉じゃないですけど、ゲームじ
ゃないんですから。それに緊急時というのは?」
「だからさ!例えば誰かが君の姿をさ」
その時だった。階下の玄関の方からガサゴソという物音が聞こえてきた。鍵を開けドアを開く音が続いた。見る見るうちに男の顔が真っ青に青ざめていった。
「まずい。母親だ。最悪だ。母親が帰ってきた」

少女は特に慌てていなかったが、男の狼狽ぶりは見て居られないほど酷い物だっ
た。部屋をばたばたと駆け回り、隠す場所を探している。だが部屋には少女一人を収
納出来るスペースなど何処にも無かった。
男が焦っていると階段を駆け上がる音がした。
「ツグムー。あんた起きてるのー。何バタバタやってんのよもう。また変なゲームで
も振り回してんじゃないの」
そこで母親は部屋の扉を開けた。ちょうど男が少女の肩を掴み、掴んだ物のどうし
ようもなく立ちすくんでいる、そんな場面だった。
「母さん!驚いた?いや、ホント今すぐ説明するよ!」
滅多に使われない男の頭が、この瞬間だけはフルスピードで回っていた。
なにしろ男は引きこもりだった。もちろん友達など一人もいない。ましてや女の子な
ど以ての外の存在だ。
この子はネットで知り合った子である。それぐらいしか説明が思いつかなかった。だ
が肝心なその後の事はどうすればいいのか。少女を泊まらせると言うのか。この部屋
に。母親が何と言うだろう。そんなことがぐるぐる男の頭に思い浮かんだ。
だがその時だった。なんと男の母親は特に驚いた様子もなく、見ただけですべてを
納得したように軽く頷いてこう答えてきた。
「ああ、はいはい。彼女がミューちゃんね。ホントに可愛いわね。アイドルみたいじ
ゃない。よろしくねー!」
男はもはや絶句するしか術がなかった。なぜ母親がこの今日出てきたばかりの少女
の存在を知っているのか。
「こんにちわー。ミューです。会いたかったです、お母さん」
普通に挨拶を返す少女。それは絶対にありえようのない光景だった。
「私もよー。ホント会いたかったわ」
まさか男がやっていたゲームのキャラを覚えていたのだろうか。だが答えは全く違
っていた。
「しかし勝手よねー、お父さんも。いくら親友の娘さんとは言え、見知らぬ国の若い
娘さんをさ。いきなり養子縁組を組むだなんて。しかも私になんの相談もなしよ。ほ
んと信じられない」
「養子……縁組?」

「あら、アンタまだミューちゃん本人から聞いてないの?今日から彼女この家に住む
のよ」
「はぁ?」
話がまるで見えてこなかった。もちろん男の方はそんな話を少しだって聞いていな
い。いや、そもそもゲームから出てきたのではなかったのか。
「別にいいでしょ。アンタどうせ引きこもりなんだし。ウチにはでっかいお荷物が一
人居るんだから。これ以上増えた所で生活なんか変わんないわよ」
もはや全ての話は男の預かり知らない所で既に決定済みの事項として処理されてる
様だった。あまりに事務的で飛躍的な展開に男は空恐ろしくなっていた。
「あの。私ご迷惑掛けるような事は……。ホントに」
「聞いた!今の台詞!なんて遠慮深い!いじましい子じゃないの!いいわよミューち
ゃん!いくらでも居てちょうだい!」
あまりに状況をすんなり受け入れる母親。男の母親の性格が普通より壊れていたの
でなければ、半分はまたそれさえも魔法陣の力による物かもしれなかった。
「よーし。部屋を用意しなきゃね!使ってない部屋があったわね、お父さんの部屋!全部押入れにぶっ込んでくるわね」
男は母親に全てを説明しようかと思った。だが母親はその前に忙しそうに階下へ降
りて行ってしまった。
「素敵なお母さんですね、ツムグさん」
「母親の話はもういいんだよ。それよりも、なぁ。養子縁組ってのは……」
「はい……」
「一体どういう事なんだよ。そんなバカな話が……あってたまるもんか」
「……ごめんなさい。ツグムさんの世界ごと、私の世界に巻き込んでしまったという
事かもしれません」
少女は深く詫びている様だった。そして男の方もまた今まで以上に、ひどく神妙な
表情を見せていた。その顔色は極端に悪く、まるで今にも倒れてしまいそうな程生気
が無かった。
「なんだよこの一連の流れは。親の親友の娘に、養子縁組。挙句は同居だと?」
男は泣き出しそうな声で自分の気持ちを吐き出していた。声を出さないと気持ちが
押し潰されてしまいそうだった。

「これじゃあ『あにマネ』のシナリオそのまんまじゃないか……!一体なにが起きて
るんだよ……?」
男がやっていたゲームの設定が確かにそれその物だった。マネージャーとして働い
ているプレイヤーの実家に、親を無くしたハーフの女の子が養子縁組でやって来るの
だ。
現実感が希薄そうな少女ですら、さすがにこの状況に返す言葉を失っていた。
「待った。これ以上は何だ。ちょっと外に出よう」
男はそう言うと部屋を飛び出し、階段を降りて出て行ってしまった。少女も大人し
く付いて行く事にした。階段を降り、玄関へ向かうと、男が少女の突っかけを用意し
て待ってくれていた。
「早く」
男は有無を言わさない様に、玄関を手で示した。 少女は家の玄関を恐る恐る開けると、ようやく外へ一歩足を踏み出した。
「うわぁ……空が……!本当に広くて……これ何処まで続いてるんですか?」
玄関前の道端で、少女が空を仰いで驚きの声を上げている。だが男は少女の質問に
答えず、よたよたと下半身を動かし、まだ玄関先の戸枠をまたいでいる所だった。
「……ふぅ。意外と平気なもんだな。まぁこんなもんか
「何してるんですか?ケンケンパとか?足場悪そうですよ」
「いや、そうじゃなくてだな」
すると男の母親が、台所の方から出てきた。二人の姿を見るなり、彼女は手に持っ
た生ごみの袋を落としてしまった。
「ツムグ!?あんた、ええ!?何!?え?どうしたの?」
目を離せないと言った表情で男を見つめている。男は気まずそうに手を上げ、視線
を背けている。
「いや、このミューって子がさ。住んでる街を見て回りたいって言うからさ。だから
まぁ、ちょっと散歩」
「まさか……外へ出掛けるつもりなの!?大丈夫?」
「大丈夫、すぐ帰ってくるし」
男が平然とした態度で言うと、母親は気が抜けたように生返事をした。
「あ。え。そう、じゃあ、お願いね。なるべく早く帰ってくるのよ」

二人が玄関を出て道を歩き出そうとした時、母親が靴も履かずに玄関先へ出て来て
こう叫んだ。
「……あの!ミューちゃん!ツムグの事よろしくね!」
そう言うと彼女は少女の方へ頭を下げた。普通逆ではないのだろうか、少女は不思
議そうに首を傾げていた。一方の男は少しばつが悪そうに、後ろを振り向かずにてく
てくと歩いて遠くへ行ってしまった。
しばらくして家から少し離れた時。早歩きを緩めながら、男がようやく喋り出した。
「もういいかな。さぁ一体どう言う状況になっているのか説明してくれ」
少女は、急に男が外へ行こうと言い出した理由がようやく分かった。
「なるほど、お母さんのこと気にされていたんですか」
「まぁな……。やっぱ深刻な事態についてはあまり知られたくないからさ。あんなで
も余計な心配は掛けたくないし」
少女は目に飛び込んでくる、見たことのない街の風景や様々な建物や人々に心を奪
われながら、男の質問に頭を悩ませていた。するとそこで電話のベルが鳴った。
「ん?ちょっと待った。珍しいな携帯が……母さんからかな」
男がズボンから古い型の携帯を取り出す。だが掛かって来た相手は母親などではな
かった。
「え?……はい、もしもし。どうもお久しぶりです叔父さん。いやまだ仕事は。は
い、探し中です」
男の親戚の叔父が男の現状を心配して掛けて来てくれたようだった。
「はい。はいはい。はい?はぁ!?知り合いの芸能事務所?いやなんで叔父さんが事
務所なんか……いや、なんとか外には出られるんですけど……試しにですか。えっ……と。ちょっと一旦考えさせて貰っていいですか?失礼します」
男は電話越しに頭を下げながら、やりにくそうに話を切り上げ電話を切っていた。
「おいおい……今度はマネージャーの仕事かよ」
「マネージャー?一体なんのお電話だったんですか?」
少女は電話での会話の端々を聞いて、すでに不安を覚え始めてはいたが聞いて見
た。もちろん嫌な予感は的中していた。
「親戚の叔父さんだよ。久しぶりに連絡が来ただなんて思ってたら、いきなり仕事を

紹介してやるだってさ」
「アイドルのマネージャー……」
「ああ、その通り。なんでも『知人が新しく立ち上げた芸能事務所でマネージャーを
探している。アイドルとか好きなんだろ?』だって」
まるでゲームのシナリオが現実を追いかけて来ているかの様だった。
「何がどうなってるんだ……。俺だって普段だったら何も思わないけどさ……。でも
こんなに都合よく、矢継ぎ早に来られたら……」
状況が整い過ぎている。いやむしろこの世界がなんらかの大きな作用でゲームの状
況に組換えられていっているかの様だった。
「なぁ、俺がしたかったのは自分がやっていたゲームの続きだけなんだよ。それなの
に画面から君が出て来て。ゲームの世界みたいに養子縁組されるって言うし……これ
がゲームの続きだって言うのか?」
少女には答える事が出来なかった。
「現実世界でゲームの続きをしろって事なのか?この街で?……ダメだ、気分が悪く
なってきた」
男はそう言うと、身体を少しふらつかせていた。少女も手を貸すが、男の身体を支
えながら歩ける程には、少女の身体は鍛え抜かれてはいなかった。
「大丈夫ですか?あ、あそこの広い場所によさそうな椅子がありますよ」
二人が寄り添いながら公園までやって来た。その公園は噴水こそはないが、立派な木立や遊具の揃った、整理された場所だった。
「まさか。ここ公園ですか?」
男が力無く頷く。そこで少女は何度目かの感嘆の声を上げていた。
「これが。公園か。へぇー。やっぱ広いですね。住宅地と違って視界を遮るものがな
いもん」
男は公園に驚いている少女を横目に、ベンチに腰かけ息をついた。どうやら心労の
他に、長い引きこもり生活で体力も無くなっていた様だった。少女が続いてその隣にちょこんと座る。
「なるほど、ここは落ち着きますね。ゲームの中で公園の場面が描かれる理由がよく
分かります」
男は隣でぐったりしている。まだ回復出来ない様だった。少女は周りをしきりに見

渡しながら、上着のポケットに手を入れた。するとポケットの中で手に当たる固い感
触があった。掴んで取り出してみる。
缶詰めだった。可愛い猫のパッケージが印刷されている。ゲームの中で持っていたア
イテムが具現化された物だろうか。
「ツグムさん!缶詰めがありました!やった!開けてみよう」
少女はうきうきした様子で缶詰めのプルタブを開け、地面に置いて次の展開を待っ
ていた。だが、少女がいくら待っても現実の公園では何も起こらなかった。
「あれ?猫ちゃん達来ませんね。私、やり方間違えました?」
男は複雑な表情でそれを眺めていた。
「いや、間違ってはいないよ。でもこの世界はね、ゲームとは原理が違うからさ。缶
詰めを開けた次の瞬間に、猫が飛び出して来たりはしないんだよ」
「え?……そうなんですか」
少女は寂しそうな顔でうつむいている。そこで男はようやく整った息を吐き、缶詰
めを持ち上げた。
「待った。だから違うんだよ。だからって来ない訳じゃないんだ。自動的に起こらな
いだけで、例えばこういう茂みの向こうとかに……あぁ、ほらいた」
男が茂みの奥に入っていくと、そこにいかにもノラっぽい、警戒心をむき出しにし
た猫が身構えてこちらを見ていた。
「わぁ!おいでおいで!缶詰めあげるよ!」
「ストップストップ!それじゃ逃げちゃうんだ。そうっと置かないと」
そう言うと、男はその猫となるべく距離を取りつつ、ゆっくり近づき、缶詰めを男
達と猫の中間地点にそっと置いた。
「これでいい。後は絶対動かないこと。いいね?」
「……わかりました」
二人が静かに見守っていると、最初は警戒し遠巻きに見ていたノラ猫が、じりじり
と缶詰めに近づき、しばらくすると口を着けて食べ始めた。
「可愛い……」
ノラ猫はだいたい食べ終わると、素早く身を後ろへ引き、茂みの向こう側へ姿を消
してしまった。
男はベンチに戻り、少女にこう言った。

「これが現実なんだ。さっきの缶詰めだって本当は買わなきゃいけない。いきなりポ
ケットから出て来たりはしないんだよ」
少女がなるほどと頷いていると、そこへ急に突然、通りすがっただけの紳士が彼女
の顔を見るなり途端に奇声を上げて近づいて来た。
「う、美しい!」
「……どちら様ですか?」
男は怪訝そうな顔で紳士を眺め回した。そこで紳士も冷静になったのか、姿勢を正
して表情を戻していた。
「あ。いやたいへん申し訳ない。取り乱してしまった。実はわたくしこう言う者であ
りまして」
名刺を取り出して、少女と男に一枚ずつ渡す。そこには会社の名前が印刷されてい
た。
「モニープロダクション?あの最大手のアイドルプロダクション?」
「ええ。そちらの少女をぜひウチのアイドルとして預からせて頂けないかと。いやも
うお話だけでもいいのでご連絡ください。失礼します」
そう言うと紳士はさっそうと町中に消えていった。男はもう驚かなかった。
「ほら。これがゲームだよ。現実はこんな風に上手くはいかないんだ」
「……つまり逆を言えば、この人に連絡すれば、アイドルに成れるって事ですね?」
「え?いや……まぁそうだろうけどさ……え?じゃあ」
少女はすっかり覚悟が決まった様に目を見据えて名刺をかざしている。
「はい、私アイドルやってみます。『ゲームの続きをやる』と言うのが魔法陣に掛け
られた契約事項なら、クリアすればあとはきっと自由になれますよね?」
少女は既にこの現実世界がすっかり気に入ってしまっていた。様々な期待で今はも
う胸が膨らみ溢れる程に一杯になっていた。
「うん……。でもちょっと待って。あのさ俺さ……現実でマネージャーとかは……」
一方の男は、何処まで経っても後ろ向きのままだった。ゲームで見せた優しさは何
処にも見えなかった。少女はその時どんな顔をすればいいか分からなかった。ただひ
どく悲しかった。
だが少女に落ち込んでいる暇はなかった。男が付き合えないと言うなら仕方がなかっ
た。彼女はなるべく男を頼らず、彼の世界を侵さない事に決めていた。そうして迷惑

を掛けない選択を選んだ。
「なるほど。ツムグさんは、働くのが嫌な人なんですね。……わかりました。条件は
私一人でクリアしてみせます」
だが勇ましくそう宣言する少女の声は、少し震えていた。顔を伏せる男にはそれに
気づけなかった。


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朝。少女の朝は携帯電話の目覚ましから始まる。少女はこの眠りを必要とする身体
になってから二ヶ月、眠りから覚めるという独特な感覚に今だに慣れていなかった。
「おはよう……」
棚の上にある、以前男に買ってもらった観葉植物のサボテンに声を掛ける。彼女は
秘かにこのサボテンに《ツグム二号》という意味ありげなアダ名を付けていた。
「ん……今日は、何だっけ」
昨日も忙しかった。今日のスケジュールを調べるために少女はベットから抜け出
し、洋服を着替えた。
少女はすでにアイドルとして芸能活動を始めていた。その世界はとても煌びやかな
場所であり、誰もがその中で忙しく動き周り、一秒たりとも無駄にする事を惜しみ、
今その瞬間を生き急いでいた。現実世界でも特別かもしれない。
少女は着替えを済まし寝癖を軽く直すと、廊下の二つ先にあるドアへ向かい、音を
立てない様にそっと男の部屋へ入った。
「おはよう……」
ゆっくりドアを閉めると、少女は嬉しそうに男に挨拶した。まだ男は机に突っ伏し

たまま寝ている所だった。何時ものようにパソコンの電源が着きっ放しであった。
サボテンのアダ名に特別な意味はなかった。男にプレゼントして貰い、単純に嬉し
かったからそう名付けたに過ぎない。
だがよくよく考えてみると、部屋でゲームだけして生活している男と、砂漠で僅かな
水だけで生活するサボテンとの二つの生活スタイルの間には、どことなく類似点がな
くもなかった。その非活動的な生き様というか、消極的な所が同種だった。
『もっと楽しまなければいけない』そんな強力なスローガンが、目に見えない所に掲
げられて常に煽られているかの様な、芸能界の活発さとは真逆の物だった。
だがそんな男の様子を見て、少女は今日も嬉しそうに笑顔を浮かべた。そのまま顔の見える近い場所に座り、男の寝顔を眺めて過ごす。
これが少女の毎日の日課だった。男はたいてい朝方に眠る。ベットで寝る時もあれ
ば、こうして突っ伏して寝る事もあった。違いはあったが、たいてい寝出す時間は同
じだった。
「ん……ミュー……やめろって……サラダなんか食いたくないよ……んん」
男が寝言を言った。恐らく少女が二三日前に、部屋へ無理矢理押しかけて食べさせ
た時のことを夢に見ているのだろう。
「食べなきゃダメだよ……病気になっちゃうんだから……」
そうだ。そこで少女は今日のスケジュールを思い出した。今日は休日だったのだ。
少女は喜びが胸の内に湧き上がってくるのを感じていた。本当にひさびさの休日だっ
た。
あまりに忙しい日は、男の寝顔を見ている時間も取れなくなる時があった。仕事を
辛いと思った事は一度もなかったが、少女にとっては、この時間が取れなくなる事が
何よりの痛手だった。
今日が終わったらまた二週間先まで休みは無い。少女はまるで慈しむように男の寝

顔を見ていた。そんな時、少女にはその砂漠に生えたサボテンの様な男が、堪らなく
愛しい物に思えるのだった。
「おやすみ……」
少女はそのまま男が起きるまでずっと見つめ続けた。ガラスの向こう側にいたあの
頃と同じ様に。とても緩やかで親密な空気に満ちた時間が、部屋の中をゆっくりと過ぎ去っていった。少女が入って来てからは、優に五時間は経とうとしていた。
時計が一時を回った頃、ようやく男がびくっと頭を震わせ、目を開けた。
「う……。ミュー……。おはよう」
すると少女が急に腰に手を当て、元気良くポーズを取り初めた。
「お兄ちゃん、遅いよもう!」
「え……?なにそのキャラ……萌えキャラ?」
「もう知らないんだからね。せっかく久しぶりに取れたオフなのに」
少女は声を作ってオクターブ高い声を出した。そこで男はようやく思い出した。
「あぁ。『あにマネ』のあの時の……懐かしいな」
男は目を遠くへ向け、腕を上に伸ばし大きく伸びをした。
「ツグムさん。今日わたし休みですよ。行きましょうね、街」
少女は休みの日は必ず、男を連れて街へ出掛ける事にしていた。何処にでも行って
みたかった。
「もちろんゲームのイベントも無しです。いいですね?」
「分かってる。マネージャーの仕事を逃げ回ってるんだからな。休日を付き合う約束
ぐらいは守るよ」
そこで男は箪笥を開け、行き支度を開始した。眠そうに上着に袖を通しながら、ぼ
そりと漏らす様に呟いた。
「でもさ、無理に俺なんか連れ出さなくても……」

「……無理に?」
「だってさ、芸能人の友達とかいるんだろ?……それとも母さんか?母さんが連れ出
してくれって頼んでたりするのか?」
男は自虐的な表情をうかべて半笑いしている。こんな顔をさせるのは好きじゃなか
った。少女はそこでシャツのボタンを掛けてる男の手を取り、強く握りしめた。
「ツグムさん。私は休日に、わざわざ無理して誰かに付き合う様な、そんな無意味な
真似は絶対しません」
「う……」
「ツグムさん。私はツグムさんと一緒にいるのが一番なんですよ」
街へ着くと、少女はまず洋服店を見て回った。まだ給料が出たばかりなので、あま
り高価な物には手が出ない。
街の中心に並ぶ洋服店にはさまざまな服があった。女の子らしいひらひらとした素材
のドレスっぽい服から、動きやすそうなカジュアルな服が並んでいる。
見ているとすべてを試着してみたくなる。堪らなくなって少女は男に頼んでみた。
「ツグムさん。試着してみてもいいですか?」
だが男はすぐ近くにあった下着コーナーで、下着を前に口を開けたまま釘付けにな
っていた。まるで紐の様な造りの下着だった。
「ツグムさん、そういうのが好きなんですか?」
「いやいやいや……え?で何だっけ?」
男を試着コーナーの前で待たせて、少女は着替えを繰り返した。着替えが完了する
度に男に仕上がりを見せた。
「どうですか?似合いますか?」
可愛い服を着るのはもちろん楽しかった。でもそれを男に見せる事はそれよりもっ
と楽しかった。

「似合う。ばっちり似合ってるよ」
何度も聞いた言葉だが、やはり聞くとどうにも嬉しかった。
「というかミューは可愛いしスタイルだっていいから。何でも似合うよ」
男の褒め言葉は心地よかった。でもすぐに足りなくなった。もっと欲しかった。
「どんな風に似合っていますか?さっきの服よりこれの方がいいですか?」
「いやどうなんだろう……。俺は服のことなんかよく分かんないし、細かい所までは
ちょっと……」
まるで水を欲しがる生き物みたいだった。少女は癒えない渇きを満たそうとする、
飢えた生き物だった。
「だいたいでいいんです。どう似合いますか?」
少女はそれからも男にしつこく言葉をせがんだ。何度も何度も根を上げるまで繰り
返した。結局一時間ほど経ち、試着に費やしながらも、少女は洋服を一着も買わな
かった。それも何時もの事だった。
「また買わないのかい?流石に店員さんも呆れていたみたいだけど」
「だって気に入った服が見つからなかったんです。仕方ありません」
買う事自体にたいした意義はない。そうして何時ものように、男の服を買いにメンズ
服が売っている洋服店に入っていった。
「さぁツグムさん。試着タイムですよ。張り切って行きましょう」
少女が目を付けたシャツを手渡し、上着を脱がせる。なすが侭にされる男は文句を
言いつつ諦めている様だった。
「だからさ……。俺の服は別にイイって……。前から何度も言ってるだろ……」
「いいから黙って着てください。一日付き合うって約束忘れたんですか?」
「だってさ。こんな高そうな服、着ていく場所ないよ」
上着の下の、何時も着てるよれよれのトレーナーと比べると、新しいシャツは段違

いに見栄えが良かった。
「今日みたいな、出掛ける時に着てくればいいんですよ。……ふむ、なかなか似合い
ますね」
着替え終わった男は、小綺麗なオシャレ好きの青年に見えなくもなかった。
「いい感じのシャツです。値段も手頃だし。店員さん、これください」
男は納得いかないと言う表情でシャツをつまんでいる。少女が財布から万札を出す
と、ため息を吐いている様だった。
水を与え過ぎるのは危険な行為だ。砂漠の植物であるサボテンはすぐに根腐れして
しまう。少女にだってそれはもちろん分かっていた。
「行きましょうツグムさん。お腹が空きました。あ、手を繋いでもいいですか?」
でも我慢出来なかった。男を構う事それ自体が、少女に取っての一つの癒しだっ
た。言葉を欲するのと同じ、生理的な欲求だった。
「え、ちょっと……あの」
男がサボテンなら、少女は砂漠に生まれ落ちた新しい“ナニカ”だった。
その“ナニカ”はかつて砂漠の一部だった物だ。砂漠の一部である砂を一握りほど集め、
そこに無理やり命の息吹が吹き込まれた、偶然の産物のような新種の生き物だ。
「ファーストフード店にしましょう。もちろん席はくっ付けるし、ストローも2本差しです」
生き物だから水を欲するが、砂の集まりである“ナニカ”は、どれだけ水を巻かれて
もすぐに枯れさせてしまうのだ。
「勘弁してくれ……」
洋服店を出ると、隣が不動産サービスだった。住宅情報が書かれた張り紙が壁一面
に張り出されている。少女は立ち止まって文字を追った。
その内一人暮らしを始めなければならなくなるはずだった。もしゲーム通りに事が進

むのなら、彼女はそこそこ人気のあるアイドルになる。
男の家からは通いづらくなるかもしれない。もちろん男から離れるのは少女に取っ
てなによりの苦痛だった。
だったら男を自分で借りたアパートの部屋に引きこもらせればいいのではないか。少女はそんな風な事を考えていた。
「ミュー。なに?」
そして“ナニカ”はサボテンを大切に愛でる。サボテンは砂漠を糧に生きている植物
だ。依存し合う関係。
ファーストフード店にやって来ると、少女は本当に椅子をくっ付けて、飲み物のグ
ラスにストローを二本差して笑顔を見せた。
「これでバッチリです。さぁ」
「さぁ、って言われても」
少女は無理やり男の口にストローを持っていくと、自分でやっておきながら急に赤
面し出した。それにつられて男も赤くなる。互いに咳払いでわざとらしく誤魔化して
いたその時だった。
間に柱があって視覚的に見えない席にいた高校生らしき男子グループの大きな喋り声
が、二人の席まで聞こえてきた。
「え、てかこの今週のカバーガールの子って誰?」
「ん?……これ名前ミューで良いのか?またハーフタレントかよ。もうそろそろいい
よなハーフ」
「あー。なんか最近たまに見るよなこの子。まぁでも可愛いんでねえの?」
少女が近くにいる事にまったく気がつかないまま、彼女の噂話を始めたのである。少女は自分の噂をじかに聴くのは初めての経験だった。それはなんともこそばゆい感
覚だった。

男はまるで自分の事の様に、いつになく周りをキョロキョロと見回し、挙動不審で怪しい人物になっていた。
「あぁ、この子か。俺ちょっと知ってる。なんか変な噂があるらしいぞ」
耳をそばだてて聞いていたミューたち二人は、そこで凍りついた。会話の中心は、一人の少年が言った言葉に持って行かれてしまった。
「は?おい噂ってなんだよ?整形?接待セックス?」
「いやそう言うんじゃないんだけどな。……なんて言うかちょっと都市伝説っぽいと
言うか」
「なんだよもったいぶんなよ。あれか宇宙人か」
「分かった、未来人だ」
「いやちょっと待てって。ところでお前らソシャゲって知ってる?」
「知らん。ソシャゲ?」
「ソシャゲって、あれはネトゲの一種だっけ?」
「あー、まぁそんな感じ。で、そのソシャゲのゲームに『あにマネ』ってゲームがあ
るんだけどさ。そんなに知られてないゲームなんだけど」
その名前が出てきた時、少女の手には汗がじわりと滲んできた。男はずっとミュー
の顔を見て、どうすればいいか分からないと言った情けない表情を浮かべていた。
「へぇ。知らね。それで?」
「いや、これに出てくるヒロインがさ。ミューって言うんだよ。それでな、このハー
フの子にそっくりなんだ」
訳知り顔で高校生がそう言うと、他の皆は鼻で笑うように馬鹿にした。
「はぁ?なんだそりゃ。偶々似てたってだけか?しょうもな!」
だが高校生は引かなかった。それにまだ話には続きがあった。
「いや違うんだ。ゲームはアニメっぽい絵で、この子は人間だけど、どう見ても同じ

なんだ。しかもなこの二人、プロフィールや住んでる環境や、更にはやって来た仕事
まで全部が全部ゲームと同じなんだ。ここまで来るとさすがに変だろ?」
「えぇ?そういう売り出し方なんじゃないの?ネトゲ発信アイドルとか」
「いや違う。それならそこを売り文句にしてメディア展開するはずだ。でもプロフィ
ールにはソシャゲについて一切触れられていないんだ」
「本人がファンだったとかのオチは?」
「受注してきた仕事もか?まったく同じなんだぞ。しかもな、そのソシャゲ、今謎の
不具合で復旧が出来なくて、トップページの枠から外されてるらしいんだ」
他の皆は食い入るように高校生の話を聴いている。少女は気分が悪くなってきてい
た。
「いいかお前らよく聞けよ。しかも不具合の発生した日、それがこのハーフの子が活
動を始めた時期がちょうど重なるらしいんだ。だから二ちゃんのネトゲ板スレではあ
り得ない噂話で盛り上がっているんだ」
男が我慢できずに席を立った。少女の手を取り、店を出ようとする。
「『ゲームのヒロインキャラが現実世界に出てきた』ってな。どうだ、実に都市伝説
っぽいだろ?」
「……くだらねー!んなわけねぇじゃん!」
二人はなるべく柱を背にしながら、ファーストフード店を逃げる様に後にした。
街を歩きながら、二人はもうそれほど楽しい気分に浸っている訳にはいかなくなっ
ていた。
「ミュー、大丈夫か?」
少女は頷いたが、とても平気そうな顔には見えなかった。二人とも常に誰かに見ら
れている様な気分が続いていた。
「……これは……ちょっと考えてなかったです。私の事を、まさかあのゲームと関連

付ける誰かが出てくるとは……」
少女の浮かない沈み込むような表情に、男はなんとか少しでも不安を消し去る様な
明るい話題を探してみた。
「大丈夫だよミュー。きっと大丈夫」
「本当に?」
「あぁ。噂が立った所でこっちにはあの魔法陣の強制力がある。恐らくゲームが終わ
るまでは、例の効果で少女に不利な噂は押さえてくれるはず。だろ?」
少女は心が落ち着くのを感じていた。だがそれもすぐに渇いて不安に成り変ってし
まった。
「なるほど……そうかもしれません。他にはありませんか?」
「え?ほ、他!?いや、他ってなに?」
「もっと私を安心させてください。無いんですかツグムさん?じゃあ泣きますよ」
だがその噂はやがてどんどんと大きく広がっていった。一ヶ月もすると、いよいよ
少女の芸能活動を圧迫し始めた。
そこで予定を繰り上げ、早くクリアして一流アイドルになればいいと考えた少女
は、今まで以上に沢山のスケジュールを入れる事になった。



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朝。最近の少女の朝。前と比べるとかなり早い時間に起きている。まだ日が登る
前、何もない部屋で少女は目を覚ます。けたたましい鳥の鳴き声にも似た、とても大
きな目覚ましの音が耳を劈いている。

「おはよう……」
つい癖で少女は枕元に声を掛ける。だが肝心のサボテンの姿は何処にも見当たらな
かった。ここは少女の部屋ではなかった。
「ふーっ……」
この部屋は事務所のビルの上にあるマンションの一部屋だった。少女は押し寄せて
くる仕事の忙しさから、男の家に帰る暇さえ無くしていた。
起きねばならなかった。少女は大きく息を吐くと、無理やり何度も鞭打つ様に身体
を叩く。まるでそれで活力を呼び覚まそうとしているかの様だった。でもいくら待っ
ても力は湧いて来てくれなかった。
その時、まるで待ち構えていた様に、枕元にある電話の子機が鳴った。気怠そうな
動きで子機を取る少女。
『ミューさん。おはようございます。三十分で出掛ける用意だけ済ましてください。
化粧時間、食事は向こうに着いてから取れます』
受話器の向こうで、ひどく機械的なしゃべり口調の男が要件だけを告げて、少女の
返事を待っている。
まるでよく訓練された猟犬みたいだ、少女はそんな事を思った。
「わかりましたマネージャーさん。準備が出来たら電話を入れます」
身体ごと引きずる様にしてベッドを出た少女は、着ていた寝間着を普段着に着替
え、ブラッシングと歯磨きだけを済まして、電話を掛けた。
約束通りきっちり三十分後、飾り気のないしっかりしたスーツを着込んだ、あまり
風采は上がらないが真面目そうな男が現れ、玄関前で少女を出迎えた。
「おはようございます、ミューさん。それでは今日も一日よろしくお願いします」
「はい。おはようございますマネージャーさん」
少女がマネージャーの顔をじっと見た。真面目そうな顔付きと姿勢だったが、やは

りそれ以外は兄である少女のサボテン男とひどく似ていた。
「いい天気ですね」
「今日の天気は晴れです。気温は最高で18度。夜は少し肌寒くなります」
「さすがマネージャーさん。抜かりがないですね」
「予定が詰まっています。早速仕事に向かいましょう」
だが二人はまるで性格が似ていなかった。むしろ真逆と言っても良かった。
エレベーターを降りると、敏腕マネージャーは事務所専用の駐車場からワンボック
スを発進させた。もちろん少女も後部座席に乗り込んでいる。
駐車場から出ると車はすぐにビル群のある街の中心に躍り出た。道行く人々は皆、
忙しそうに各々の通勤場所を目指して歩いている。
「今日の予定です。正午ちょうどに行われる新発売の清涼飲料水の発表記者会に、公
式キャンペーンガールとして参加して頂きます。その為準備も含め九時には会場入り
して頂きます」
敏腕マネージャーが、運転に意識を集中しながら、事も無さ気に今日のスケジュー
ルを伝達する。
「昨日言ってた新規の仕事ですか。新しいジュースの、記者団に向けてのコメントは
どうしますかマネージャー?」
「一応一通りの予想と対策はそちらの資料に取りまとめてはあります。ただ会場の
空気までは掴めませんので参考程度に目を通しておいてください」
少女の手元に資料が回される。元々事務所の社長の付き人だった経歴の持ち主で、
車の運転ほか全ての仕事が恐ろしく有能かつ的確だった。
「それでは会場に着くまで一時間と少しあります。もしお疲れの様なら車の中で寝て
しまっても構いません。ミューさんは最近無理をし過ぎています。事務所としては仕
事を大量にこなしてくれるタレントは大変有難い存在ですが、無茶は禁物です」

別に寝たくはなかった。疲れてもいなかった。ただ干からびていた。少女はどうし
ようもない実感としてそう感じていた。生物としての原型を保てない程に渇いてい
た。
男に会いたかった。もちろんどうしても側にいて欲しいと言えば、恐らくイヤイヤと
は言え少女の頼みを聞いてくれるはずだった。
「大丈夫です。頑張ります」
少女は自分が男に好かれている自信があった。
ゲームと自分だったら、なんとか勝てるのではないか。ゲームでは得られない喜び
を、少女は男に与えてきたはずだった。
「ミューさん、少しスケジュールを詰め過ぎていませんか?」
質問された事より、今は考えに集中したかった。でも男に無理に一緒にいて欲しく
はなかった。少女は秘かに思っていたある事があった。
「平気です。むしろ足りません」
男の全ての願いを、理想を、自分の力で叶えてしまいたい、そう思っていた。
「何か急ぐ理由でもあるのでしょうか。もし例の噂話の件と何か関係があるのなら、
貴方には報告する義務があります。今すぐ報告してください」
予定よりは早くこなしている工程だったけれどまだクリア条件には程遠かった。早
くイベントをクリアしないと、どうなるか分からない。
「関係ありません。何度も言うようですが私には寝耳に水の話でした」
噂話については完全にスルーする事に決めていた。
「隠し事はないですね?誓って嘘はありませんね?」
「ありません」
だからこそ、男の負担になる様な要素は極力避けて来ていた。もちろん生理的な欲
求はせめて男の寝顔だけでも見たいと、突き上げてきた。

「それならばよろしい。もちろん我々も最善を尽くしてあなたの活動環境を守っていく所存ではあります。だけれど、芸能活動と言うのは人気商売であります。故に一度
ケチが着くと連鎖的に崩壊してしまいます」
会場に着くと、朝からごみごみとした人集りがすでに屋内に出来始めていた。
カメラを抱えた記者らしき一群と、記念に呼ばれたスーツ姿の飲料品会社の関係者ら
しきビジネスマンたち。
それはとても賑やかな光景だった。ただ少女にとってこれらの狂騒はどこか蜃気楼
の様な物だった。実態がなく触れられないアラビアの宮殿だ。確かな手触りはなく何も掴めない感覚だけ。少女は自分がいまだに砂漠の只中にいる事を強く感じていた。
「これはどうも、おはようございます。本日はこの様な素晴らしい晴れの舞台に私ど
もの様な門外漢をお招き頂き、誠に……」
敏腕マネージャーが根回し活動を余念なく行う中、少女は先に控え室に回り、撮影
用のメイクを施されていた。メイクを担当するテレビ局専属のメイクアップアーティ
ストの女性が、少女に入念な工程を重ねて化粧の磨きを掛けている。
メイクの女性とは顔見知りの親しい関係の間柄だった。
「ミューちゃん大丈夫?」
「え?なにが?私そんなに疲れてる様に見えますか?」
少女は自分ではあまり疲れを感じていなかった。ただ以前程は走り出したくなる様
な、元気の源みたいな物が身体から感じられなくなっていた。
「うんとね……肌がとっても疲れてるんだよね。ミューちゃんもともとビックリする
くらい綺麗な肌だったからさ。昨日産まれた赤ちゃんみたいな肌」
「あ……。ちょっと睡眠不足かも……」
なるほど、少女は合点した。女性の言う産まれたばかりと言う形容詞はあながち間
違っていない。少女の身体は実際産まれたばかりだったのだ。

「ダメだよ無理しちゃ。睡眠不足は肌の大敵なんだから。しかもミューちゃんあんま
り肌ケアとかしてないでしょう。若いからって油断してると……」
少女はぼんやり女性の話を聞くともなく聞いていた。今まで疲れを感じなかったの
は、出来たての身体だったからなのだろうか。それならこれからの仕事はどうするべ
きだろうか。
あまり呆然と物思いに耽っていたため、少女はメイクが終った事に気づかなかった。
「……ミューちゃん?終ったよ?」
「あ。お疲れ様です」
慌てて女性に礼を言い、頭を下げる。少女は気を保つ様に頭を振った。
「ねぇ、本当に大丈夫?……あのさミューちゃん……もしかして悩みって例の噂話のこと?」
「え!?」
少女は肝を潰した。もう例の話題はこんな所にまで話が広がって浸透している様だ
った。さすがの少女も上手く返事が出来なかった。
「大丈夫、安心して。私は絶対ミューちゃんの味方だから。本当バカみたいな噂だ
よ。小学生じゃないんだからさ」
「いや私は別に……気にしてないので」
「そう。それで正解。二ちゃんのオタク共の言うことなんかに絶対負けちゃダメだ
よ」
女性は少女の肩を掴み、必死で励ましてくれていた。その気持ちは嬉しかったが、
嘘をついている分少女の心は痛んだ。
「大丈夫です……本当に……」
「ホント気持ち悪い。あいつら引きこもりで暇なクズ人間なんだから。萌えゲーがど
うこうって。一日中パソコンの前で過ごしてさ。うるさいってのよ本当に」

女性の剥き出しの嫌悪感に、少女の心は段々と萎れていく様だった。
「あの……お願いです。そんな風に……言わないで」
「あぁ……ミューちゃんって本当に優しい子なのね。だから好きよ。何でも相談して
ね」
そこで控え室にマネージャーが時間通り少女を呼びに来た。
「失礼します。ミューさん、そろそろ時間です。準備は万全ですか?」
立ち上がる少女。後ろからメイクの女性が檄を飛ばす。
「しっかりね!ミューちゃん!」

会釈すると、少女とマネージャーは廊下を歩き、会場の袖に通されて待機をした。
やがてざわつく場内にマイクで拡声された開始宣言が流れた。
『それでは只今より、新発売のスポーツ飲料、レイミューの発表記者会を開始します』
次々と関係者の名前が読み上げられ、最後に公式キャンペーンガールである少女の
名前も呼ばれていた。
少女は沢山の大人たちと一緒に壇上に上がった。一斉にストロボが焚かれ、シャッタ
ー音が雪崩のように巻き起こった。
「ミューさん、笑顔でお願いします」
少女は真面目なだけの発表に花を寄せる、客寄せとしてだけの存在だった。
だが、記者たちの質問は少女に集中した。
真ん中の広報担当の責任者が発売に向けての戦略を語り終えると、話題はあっと言う
間に少女に移り変わったのだ。
「ミューさんに質問です。このスポーツ飲料、ミューさんならいつどんな場面で飲み
ますか?」

「そうですね……非常に飲みやすいので、どんな場面でも美味しく飲めると思いま
す」
するとまるで狙っていたかの様に、別の記者が少女に質問を投げつけてきた。
「それはソーシャルネットワークゲームをやっている場面でも当てはまりますか?」
「……そうですね。私はやった事がないので分かりませんが、水分補給に最適なドリ
ンクです」
早速来た。少女は無視を決め込み、冷静に、でも無愛想にはならない様に対応を心
掛けた。でも記者たちは別のネタを隠していた。
「ミューさん。お兄さんはスポーツ飲料お好きですか?」
「え?何でですか?」
「ご家族には薦めないのですか?」
「あぁ。とても美味しいので、直ぐにでも兄に薦めたいと思います」
「ではお休みの日はお兄さんと二人で熱々デートで火照りながら、このドリンクで喉
の渇きを癒されるのですね?」
「いや……あの。質問が別の方向に行っていませんか?」
「あれ?話を逸らされましたね。何か触れられて欲しくない話題でもありました
か?」
こういう場面での記者たちの揺さぶりはよく見かける物だ。だがさすがにやり過ぎ
だと見たのか、司会者が釘を刺した。
「記者の皆様、ミューさんは公式キャンペーンガールですので、あまり関係のない質
問はどうかご遠慮ください」
「ええ?休日に飲むかどうかを聞いただけですがね。いやたいへん申し訳ない」
「じゃあミューさん、例えば血の繋がっていないご兄弟とこのドリンク、どちらの方
がより手許に置いておきたいですか?」

ひどい質問だった。大切にしていた少女だけの秘密。砂漠のサボテンが荒されよう
としていた。少女は胸の内に黒々とした感情が広がっていくのを感じていた。
「兄は私にとって掛け替えのない存在です。侮辱する様なことは言わないでくださ
い」
「記者の皆様。あまり過ぎるようですと、質問を終了させて頂く事になります」
「どう掛け替えが無いんでしょうか?例えば砂漠で喉が渇いても、スポーツ飲料より
愛しいツムグさんを取るんでしょうか?」
「それまでです。質問を終了させて頂きます。ミューさん、ありがとうございました」
「おい、血の繋がってない兄貴といつも何してるんだ!同じ屋根の下らしいぞ!」
会場中から口汚い罵声が飛び交う。そこで係にエスコートされた少女は、急に自分
の身体から、根こそぎ力が抜けて行くのを感じた。少女はふらふらとよろめき足をフ
ラつかせ、身体ごと係員の腕に倒れ込む。そうして少女は失神してしまった。
場内は騒然とした空気で満たされ、ストロボとシャッター音が先ほどの倍近く巻き起
こっていた。
その騒動から一時間後、少女は事務所上のマンションで意識を取り戻していた。
彼女が目を開ける。するとソファの近くでは少女がよく診てもらう医者とマネージャ
ーが顔を見合わせて頷いていた。
「もうこれで大丈夫でしょう。身体にこれと言った異常は見られません。あとはお願
いします」
会釈して帰る医者を見送りもせず、マネージャーはその場に立ち尽くしている。
「非常に困ったことになりました。彼らはこういう下世話なハプニングが大好きなん
です。少しなら話題作りになりますが、何度も繰り返している様に人気商売ですから
ね」

本当に何時になく厳しい顔つきをしている。まずは謝るべきだとそう少女は思っ
た。姿勢を正し、頭を下げる。
「すいません。私ついカッとなってしまって」
だが敏腕マネージャーは怒るというよりは悲しそうな顔をしていた。少女の喉が焼
きつく様な渇きを覚えていた。
「ミューさん。後で社長からも聞くと思いますが、貴方には少しの間仕事を謹慎し、
世間の目から隔離した生活をして頂きます」
「え?予定が入っていた仕事は?」
「今は仕事をしてもマイナスになるだけです。ほとぼりが冷めるのを待つのが最良の
選択なのです。その他にある選択は……引退ぐらいでしょうね」
「いやでも、私大丈夫です。いくらでも働けます」
「いいですか?体調管理も出来ない人間に、責任ある仕事が出来ると思えません……
ミューさん、それが何だかわかりますか?」
マネージャーは事務的に少女の下半身を手で示した。少女が顔を下げる。すると、
少女が履いていた真っ白なホットパンツに血が滲んでいた。
「え?何ですか?私ケガ、え?」
「何って生理に決まっているでしょう。全くもう、しっかりした少女だと思っていた
のに。それもこれも事前に報告があれば対応出来た事なのですよ」
生理。今まで少女は生理が来たことがなかった。身体が気怠く痛み、重かった。
「今日は寝てください。引退する気がないのなら、明日からは待機しながら別の仕事
をこなしてもらいます」
マネージャーはそこで部屋を出て行った。部屋には少女が一人残された。
終わりだ。少女はそんな予感を心の裡にひしひしと感じていた。こうして砂漠で砂にも帰れず立ち往生して終わるのだ。男に会いたかった。せめて側にいたかった。




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昼。男の一日は昼から始まる。大抵はこうして机の上で起きる。疲れ果てて寝てし
まう迄、男は只ひたすらゲームやネットをやり続けてしまうそんな毎日だった。
「……んん。もう昼か……なぁミュー」
男は夢の中で、男は少女に見守られながら、眠りについていた気がしていた。
だから目が覚めても少女が何時もの様に側にいる気分になっていた。だが部屋にはも
ちろん少女の姿はなかった。
「……ミュー大丈夫かな……」
男は普段なるべく少女の話題で盛り上がるワイドショーを避けて見ない様にしてい
た。だがしばらくの間テレビは、まるでそれしか取り上げる話題がないかの如く、こ
ぞって少女がフラつく映像を流し、何度も繰り返し執拗に再生し続けた。
少女の名はむしろ事件の前より有名になっていた。そしてすべての仕事を休み、謹
慎の身に入っていた。別になにも悪いことをしていないのに、謹慎なんておかしい話
だと男は思った。だが、ほとぼりが冷めるまでは大人しくしているのが良いのだと事
務所の人達が母親に説明したらしい。
当然の処置かもしれない。だが少女が目指しているゲームのクリアを思うと、どう
やら彼女が窮地に陥っている事だけは間違い様がなかった。
「……大丈夫なわけ……ないか……」
男はパソコンを操作し、メール欄を覗いた。少女からのメールが来ていないかと毎
日チェックしていた。しかし送ったメールでさえ返事が来ない。事務所が外との連絡
を絶っているのではないかと男は勘繰った。
もちろん男にだって少女を救いたい気持ちはあった。だがこの現状で彼女を救うに
は、何をどうすればいいのかが、男にはさっぱり分からなかった。
少女の部屋に行ってみる。騒動があった日から何度か訪れてみたが、何の変化も見

られない。枕元のサボテンもどうやら元気らしい。無駄にトゲを立てて、瑞々しく植
木鉢に生えている。
「よう、サボテン。元気か」
男はサボテンを眺めながら漠然と考えた。自分もコイツと同じだ。少女に今現在大
変な事が巻き起こっていると言うのに、何の変化も見られずこうしてのうのうと生き
ている。
あれだけ少女に甲斐甲斐しく構われて面倒をみてもらったと言うのにである。これ
では義理も情けもあった物ではない。感じられないではないか。
「でもなぁ……」
男に出来ることと言えば、サボテン片手にすごすごと部屋に戻るくらいの事しかな
かった。ふとその時だった。男は自分の上着に、少女の部屋の残り香を感じていた。
堪らなくなった。男は声を上げて叫びそうになった。街に出掛けた時の少女の楽し
げな笑顔が、男の脳裏に鮮やかに蘇って淡く消えていった。
無理だった。我慢出来ずに声を上げて泣き出しそうになった。その時突然奇妙な事が
起きた。メール画面の下、閉じる事の出来なくなっていた魔法陣と『あにマネ』のウ
ィンドが音を立てて自然に開いた。
続いてポォンという気の抜けた操作音と共に、いつの間にか別のソーシャルゲーム
のウィンドが隣りに開き、キャラクターと吹き出しが浮かび上がってきた。
「……はぁ?な、なんだこれ」
男はウィルスを心配したが、シャットダウンはしなかった。事態の成り行きを見守
っていると、吹き出しに次々と文字が打ち込まれていった。
『おい。お前。お前だよ。この引きこもり野郎。見えていたら返事しろ、この[ピザ]』
画面ではイケメンアニメキャラがこちらを睨みつけている。まるでこのキャラがこ

ちらに向けて喋っているようだった。
するとそこに、文末に点滅するカーソルが現れた。シミュレーションゲームでよく見
る待機状態だ。そこで男は反射的にマウスをクリックしていた。
「おい。お前。お前だよ。この引きこもり野郎。見えていたらさっさと返事しろ、こ
の[ピザ]」
声優が吹き込んだらしき音声が再生された。悪ふざけが過ぎる、男はそう思った。
男はこのキャラに見覚えがあった確か女の子向けのハーレムソーシャルゲームだっ
たはずだ。
「えー。名前はなんだっけ……ルなんとか」
「ルクル。ルクルだよ、引きこもり野郎。人の名前ぐらいちゃんと覚えろよ」
まるで男の言葉に答える様にして、ゲームキャラの音声が再生された。流石の男も
違和感を感じてきた。
「んん?誰かがソーシャルゲーム内のチャットリンクでも送ってきたのか?」
男はそう思った。だが違っていた。
「リンクなんかじゃないよ。試しに回線ケーブル外してみろよこのバカが」
悪質だ、そう思った男はパソコンに繋いである回線ケーブルを外した。
「おお、ほんとに外しやがった。確かネトゲやってる最中じゃなかったか?まぁ別に
どうでもいいか」
相変わらず少年は、まるでこちらの行動を逐一観察し把握してるかの様に、すぐさ
ま返答をしてきた。
「はぁ!?何なんだよお前!?」
「だからルクルだって言ってるだろ、痴呆かてめえは。だからミューの時と同じだ
よ。俺はガラスの向こう側にいるんだブタ野郎」
男が不思議そうにガラスを触る。すると嫌そうな顔で少年がすばやく指を避けた。

「ああ、そうだ。今もこうしてガラスの向こうのゲームの世界から直接見てるんだ。お前らは知らないかもしれないが、こっちからだってその醜い姿が丸見えなんだよ」
「何だこれ……一体何が目的なんだよ……」
「目的か。目的はもちろんミューだ。お前だって今一番の目的はミューだ。そうだ
ろ?情けなくて泣き出しそうになったくらいだしな、ビェーンってよ」
少年は先ほどの男の泣き真似をした。男はようやく理解してきた。
「お前……いつから見てたんだ!」
「うるせえな。だからずっとだって言ってんだろ馬鹿野郎が」
パソコンの画面に被せる布を探していると、少年が話し掛けてきた。
「いいから黙って話を聞け。お前の働き如何んによっては、彼女を助ける事だって出
来るかもしれないんだよこのカス」
「え?……な!ほ、本当か!」
「嘘なんかついてどうする。もちろんお前みたいな役立たずのクズ野郎は、騙されて
グチャグチャの肉ミンチにされればいい。でもそれじゃあミューが助からなくなるだ
ろうがボケ」
男は少年がムダに絡んでき過ぎてる気がした。つまりこれは少女を連れ出した男に
怒りを向けている証拠ではないかと男は直感していた。
「分かった!つまり……君が怒っているのはミューの親友だからなんだな!そっか…
…もしかして助かるかもしれないんだ……」
ケッと啖呵を切って、少年は嫌そうに男の次の言葉を待っていた。
「それで俺はどうしたらいいの?」
「おう。お前は今すぐゲームの世界に来るんだ。【あにマネ】の中にな。そこでキャ
ラとしてゲームをクリアしてもらう」

「ゲームの世界で……クリアを……。なるほどそれなら助けられるかも」


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巨大な一面のガラスの前、少年が一人立っている。
少年の視線は、先ほどから彼の側で四つん這いになって動かない男の上に注がれてい
る。もう十分はこうして過ごしていた。
「まだか[ピザ]。早くしろ」
男は汗まみれだ。息も絶え絶えに疲れ果てて倒れている。少年の横、少し離れた場
所に立つ一枚の看板から、何故か少女の声がした。
『お兄ちゃん!ちゃんと持ってきた!?私が大切にしてた髪留め!』
少女の声はどこか不機嫌そうな響きだ。でも少年も男も振り返らない。少年は男の身体を見据えたままである。まるで軍隊の教官と新兵いった様相を呈していた。
「待った……はぁ、ふっ……。い、息が……」
ちょうど少女の身長くらいはある看板に、微笑みを浮かべて立っている少女の姿が
印刷されていた。
『ほらぁ!走って取ってきてよねー!急いでっ!収録始まっちゃーう!』
それはまるで販促用の等身大パネルといった風情がある看板だった。下の方にブツ
ブツと穴の空いたスピーカーがあり、其処から少女の声が出ていた。
「だとよ。姫が言ってるぞ。ほら走れブタ」
しかしそうは言われても、男はもう一歩も動けなかった。汗で濡れた頭が吐息で激
しく上下している。どうやら回復まではもう少し時間が掛かりそうだった。
だらしなく開いた男の口元からは涎が垂れ流しになっていた。
いいざまだ、少年はそう思っていた。せめてミューの何分の一がでもその苦しみを味 わうがいいと、男の苦しむ姿を睨みつけていた。
「あ、あれ?……だ、ダメだ……ごめんルクル……ちょっと目まいが……ん」
そう言うと男は支えを無くした操り人形のように、突っ伏して地面に倒れ込んだ。
男はそのまま意識を失った。どうやら疲れ果てて寝てしまっているようだった。少年

はまたケッと啖呵を切った。
「……今日はこのぐらいにしといてやるよ」
その場を立ち去ろうとした少年が、ふいに下を向いた。すると男の腕が遠くに伸び
ていた。しかもその手が少女の看板に向けて手を伸ばしてるようだった。反射的に少
年は男の手を蹴り飛ばしていた。
だが男は一向に意識を取り戻す気配がなかった。恐らくだいぶ疲れていたのだろ
う、深い眠りに着いている様だった。
「クソが……。逃げてばかりの腑抜けの癖に、ふざけやがって」
まるで捨て台詞を吐くように独り言を呟いて、少年が何処かへ離れて行ってしまっ
た。部屋には男と看板だけが取り残されている。
少年が暗がりの向こうに行ってしまってから暫く後、男の腕がもう一度ゆっくりと
動いていた。どうやら無意識に声のする少女の看板の方に向けて伸ばしている様だっ
た。
「ミュー……待ってて……今持って……。大丈夫……絶対…スー」
くぐもった不明瞭な声でブツブツ呟くと、また寝息を立てて寝始めた。そこで看板
から音割れした少女の声が再生された。
『もう……お兄ちゃんのバカ』
男がいる場所は、もちろんかつて少女がいた光の差し込まない場所だった。相変わ
らず時間軸が分かり辛い。
男が一体何をしているのかと言うと、ゲームの進行だった。但しコントローラやマウ
スではなく、ゲームのキャラ側での、身振り手振りを使った特殊なコマンド入力方法
だった。
『俺たちと同じ事をすればいいんだよ』
最初少年はひどく簡単そうに男に言った。まるで赤子の手を捻るように語った。だ

がもちろん捻られたのは男の甘い考えだった。
最初は一つの動作でさえ満足に入力出来なかった。
『それがお辞儀かよ?』
なにしろ現実の世界でマネージャーとして働く場合の、実際の身体の動きでは駄目
なのだ。キャラクターの動きとしては、まるで足りなかったのだ。むしろ現実の動き
の十数倍のエネルギーが必要だった。
『ふざけんなよ?アイドルの不始末を詫びる大切なお辞儀だぞ?そんな動きで画面の
向こう側のプレイヤーに、細かいニュアンスが伝わると思ってんのかテメエ』
それは一見俳優が、舞台で演劇の稽古を受けている姿にも見えなくなかった。だが
そこには一切の余興性といった物が感じられなかった。
『ほら、その後は急いでダッシュで次の現場に直行だ。走れブタ』
男が端に向けて必死で走る。だがどれだけ走っても、立ち位置は変わらない。特に
展開の飛躍や省略が大変だった。コマンド入力では実際に行う動きを省略出来なかっ
たのだ。一つだっておろそかに出来ない。
こんな事ならば、現実世界で少女の側でマネージャーとしてクリアを速めた方がい
いのではないか、男はそう文句を吐いたこともあった。
『馬鹿が。なぜこんな事になったのか知らないのか。アレは魔法陣の力が弱まったせ
いじゃない。本来契約は有効で、現実世界でさえクリアするまで続くはずだったんだ
よ』
それならば何故ミューはクリア出来ずにいるのか。男が不思議そうな顔をしている
と、少年がしびれを切らしたように説明し出した。
『もういい。つまりな、ミューの存在があまりに人間に近づき過ぎてしまったからだ
よ。お前だって、ゲームの頃とは何か違うと感じていただろ?その為にバグとして機
能しまい、結果としてゲームの強制力に歪みが出てきてしまったんだ』

少年は煩わしそうにため息を付く。
『しかしまぁ……本当に何も分かってないなこの野郎。だいたいミューが人間に近づ
いて行っている一番の理由が何だか分からないのか?』
どれだけ考えても男には正解が分からなかった。
『お前の存在だよ』
少年はそれからも説明した。他人を思うこと。それで心にありとあらゆる感情が生
まれること。少女が男を大切に思う事で、少女に感情が産まれたと言うこと。
それはもちろんそれは道筋の決まっているゲームに必要のない概念であり、男が四六
時中近くにいたら、ますます少女が人間に近づいて、歪んだ強制力がそのまま崩壊を
招くに決まっていると言うこと。
全てを聞いた男は、しばらくの間神妙な顔をしていたが、やがて少年に頭を下げ懇
願する様に全面に指示を仰いでいた。
「ミュー……もうすぐだから……待ってて……今クリアはする……。大丈夫……絶
対…スー」
いま少女と男に時間がどれだけ残されているのかは分からなかった。だが、初めて男が少女の為に動いたのは間違いなかった。



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男が必死でゲームの世界で必死で攻略作業と格闘しているその頃、一方の少女はマ
ンションの一室で大量の文章と格闘していた。
「……あー、もう。これ以上どう直せばいいって言うんだろう……」
それは世間では始末書、若しくは反省文と呼ばれている代物だった。パソコンで何
ページにも渡って書き込んである。今回の騒動について、自分の何が悪かったのか、
またどうすれば良かったのかを、自分なりに振り返り反省する文章である。
ただしマネージャーからは中々OKのサインが出なかった。どれだけの分量を書いて
も、彼からの評価は結局『まだ報告が足りません』の一点張りだった。彼は勘も鋭か

った。恐らく噂話を真実が含まれていると疑っているのかもしれない、少女はそう思
った。
「わぁー……」
だがもちろん真実を書いてしまうわけにはいかなかった。一度書いてしまえば全て
を一から白状しなければならないし、またそれを信じて貰えるとは思えなかった。
終わりが見えなかった。何もない砂漠にずっと砂を落とし続けている感覚。自分を
形どっていた枠が曖昧になり、砂として落ちていく。
「駄目。諦めたら駄目。そこで終わる。絶対駄目」
だが恐らくこのまま芸能界を引退させられるのだろう。そうなれば自分はどうなる
のか。ゲームの設定すら破綻する。
分岐の一つとして処理されるのだろうか。バッドエンド。見るのも嫌な文字だ。か
つての少女にとっては何でもない単なる一場面だったが今になると、とてつもない恐
怖を伴う結果として認識に染み込んできた。不安になった少女は堪らず男のパソコン
にメールを送ってみた。だがもちろん少女の部屋の回線は繋がって居なかった。
その時、ポンという軽い機器の捜査音と共に、画面上にいつの間にかソーシャルゲ
ームのウィンドが開いていた。
「え、回線も繋いでないのに」
キャラクターと吹き出しが浮かび上がってきた。さらに驚くべき事に、そこには懐
かしすぎる顔があった。
『やぁ、久しぶりだね』
「ルクル!ルクルだ!……え、まさか本当にあなたなの?」
少女は感激のあまり、声を出して画面に話しかけた。でも本当に少年が訪れるとは
夢にも思っていなかった。
『また泣いてないかと思ってね。さぁゲームを始めよう』

なるほど。少女は上手いと感心していた。こうやって宣伝して広めているのだと改
めて知った。
だがゲームはなかなか始まらなかった。少女が困惑していると、急にゲームキャラは
姿勢を崩して砕けた口調で話し始めた。
「え、泣いてないの?相変わらず気丈だなミューは。少し泣くぐらいじゃないと女の子は可愛くないんだがな」
懐かしい声が再生された。だがそれより何より、少女はその懐かしい憎まれ口に思
わず声を上げてしまった。
「あっ!……ルクル……!」
「久しぶり。元気そうで何より」
「本当に来てくれたんだ……!」
少女はもはや涙を堪え切れなくなっていた。そこで少年は煩わしそうに二三度手を
振って、苦笑いをした。
「あーはいはい。感動の再会は終わってからにしよう。くさいのは苦手だしな」
間違いない。本物の少年だった。でも少女にはまだ事態がよく分からなかった。
「え?終わる?……まさかゲームの世界に帰ろうって事?」
「あー、まぁそれも考えなかった訳じゃないけどね。でも魔法陣に掛けられた契約の
内容からすっとさ、多分無理なんじゃない?」
少年はなるべく曖昧な表現を使い、言いにくそうに言葉をぼやかしていた。だが少
女には何の事かさっぱり分からなかった。
「内容?なんでダメなの?」
「おいおい……ミュー。今のお前があるのは自分の願い事だろ。忘れたのか?あの時
ミューは恐らく『現実世界に行きたい』って心の中で強く願ったはずなんだ」
「あ……」

確かにその通りだった。少女は男が少女を復元しようとしてる姿を見て、強く現実
世界に惹かれたのだ。
男に現実の世界で生身の人間として会ってみたかった。そう、それは間違いなく、男
ではなく少女の願い事だったのだ。
「だからさ。ミューの方はもう叶ってるだろ。後はこっちの方に『ゲームの続きをし
たいだけだ』ってバカ野郎を呼んで、ゲームの世界でクリアさせれば魔法陣の契約は
終了ってことさ」
そこで少年は嬉しそうに小気味よく指を鳴らし、契約が煙と共に消える手振りを真
似て見せた。ただ少女はその時まるで別の事に気を取られていた。
「バカ野郎って……え?もしかして……ツグムさんの事?」
少女は自分の言葉に、今にもモニターに張り付かんばかりにその身を乗り出した。
「ねえ!まさかツグムさんがそっちの世界にいるの?ねえルクル!」
「あーはいはい。居ますよ。楽しくゲームやっております。まぁ心配しないで二三日
待っててよ。あのお[ピザ]ちゃんでも流石にクリアするだろうからさ」
そう言うと少年は会話を切り上げて、足早にウィンドウを閉めて帰ろうとした。そこ
で少女が叱責するように少年の名を呼んだ。
「ルクル!」
「あー……。見たい?はいはい。まぁ見たいだろな。しかし何やってんだろね俺も。
どうぞごゆっくり」
少年が別のウィンドウを開くと、そこには少女が出てきたゲームの世界で懸命に動
く、男の姿があった。
「あ……!ああっ……!」
汗まみれで必死にクリアを目指し、東奔西走している男の姿が見えた。それは、普
段の男の姿からは考えられない物だった。男はまるで掛け声か声援の如く、ずっと少

女の名前を必死に呼び続けている。
『ミューー!待ってろ!』『ミュー!ミュー!今行くから』
少女はモニターに手を伸ばして男の映像にすがる様に触れた。
「……ツグムさん……!」
ゲームの中の世界で、男がふと不思議そうな顔をしていた。看板以外の場所から声
が聞こえた気がしたのだ。しかもお兄ちゃんとではなく名前で呼ばれていた。
そこで男は一面のガラスを見た。するとそこにはとても大きな少女が、泣きながらこ
ちらに手を伸ばしていたのだ。
「ミュー?……もしかして現実のミューなのか?」
少女はガラスの向こう側でしきりに頷いている。間違いなく彼女だった。男はガラ
スに駆け寄り、手を立て掛けて必死にガラス越しに少女を呼んだ。
「ミュー!大丈夫か?具合は?倒れたって?ミュー!待ってろよ!すぐクリアするか
ら!」
少女は額をガラスに付けて男の名前を呼んでいる。男はガラス越しに抱きしめる様
に身体を広げた。
二人は泣き止むまでいつまでもそうして互いの名を呼び合っていた。



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昼。男の昼は、日曜も寂しく一人で机の上で寝ている場面から始まった。
部屋の中はまるで植物園の如く、サボテンがそこかしこに所狭しと並んでいる。パソ
コンのモニターには地味な画面が写っていて、ゲーム画面には見えなかった。
そんな昼過ぎ、ようやく男は深い眠りから覚め顔を上げる。
「ふぁ……んー」
男は欠伸をしながら、寝ぼけ眼のまま、なんとか身体の強張りを取ろうと必死に伸
びを繰り返した。しばらくは回転イスの軋む音だけが部屋に響いていた。窓からは太
陽の光が斜めに差し込んでいる。

「ミュー……なんかいま変な夢を見たんだよ。疲れてるのかな?」
男はかつて少女がいつも座り込んでいた、窓際の一画に声を掛けていた。だがなか
なか少女の返事は返って来なかった。まだ意地悪く笑いながら見つめてでもいるのだ
ろう。男には見なくても分かっていた。
のんびり少女の返事を待った。何時まで返事は返って来なかった。
「ん……?なんだよ、日曜日だから出掛けたいのか?……すぐに用意するよ」
だがもちろん、そこに少女の姿はなかった。
「……あれ?」
男はしばらく無言で床を眺めていた。男には少女の笑顔が見える様な気がした。幸
せな夢から覚め、一人である現実が身に沁みてくると、男は椅子に深く沈み込んだ。
一人では何にも出来ない。男はそう思った。ひどく少女に会いたかった。
「ミュー……」
その時、パソコンの画面が一人でに起動した。だが男は特に驚いた様子もなく、切
り替わっていくモニター画面を呆然と眺めていた。
「なんだ、もっと驚けよこのブタ野郎。せっかくこうしてルクル様が出てきてやった
と言うのに」
ソーシャルゲームの画面が開き、美少年が憎たらしい顔付きで登場していた。
「やぁ!会いたかったよルクル……。元気だったかい……?」
男のモニター画面をジャックした少年は口をへの字に曲げて不機嫌そうに立ってい
る。だが男はひどく懐かしそうに少年の声を聞いていた。
「ケッ……。お前の顔さえ見ないで済むなら、もっと元気で過ごせるはずなんだが
な」
少年はあくまでも舌を馬鹿にしたように突き出して、口汚く男のことを罵っている。
それでも男は懐かしそうに少年に話し掛ける事を辞めない。どうやら男は少年に頭が

上がらない様だった。
「バカ野郎が……本当アレだなお前は。昼間から部屋で一人辛気臭い顔なんかしやが
って」
少年の少し苛立った表情に、男は申し訳なさそうに笑っている。
「窓際見つめて『ミューちゃーん……!ウエーン』ってか?しっかりしやがれこの
豚!もう一辺こっちでシゴいた方がいいんじゃねえか?」
「そっか……。いやでも本当にそうだな……」
どうやら少年はガラスの向こう側から監視し、ずっと男の近況を追っていた様だ。
ほぼストーカーに近いが、少年に言ったら最後、どんなことを言われるか分かった物
ではなかった。
「で?用事は?わざわざ人のゲームに土足で上がりこんで、ギャーギャー騒いでただ
ろが」
「なんだよルクル……、あれやっぱり気づいていたのか……」
「アホか。回線繋がってる所で勝手に話し出したら、バグ扱いされて処理されるだろ
が。もっと気を使えドアホ」
「なるほど。よく考えなかった。ごめん……」
「しかしミューもお前も、どうしてこう後先考えずに動けるのかね……。無謀な行動
ばっかでさ……。もうアレだよな、天性の英雄か単なるバカのどっちかだよな」
「はは……。ひどい言い方だな」
でも実際に少年の言うとおりだった。男はもちろんだが、少女にはどこか特に無鉄
砲すぎるような帰来が度々見受けられた。
「本当に……。まったく、考えなしに突っ走りやがって……。あのバカ野郎は」
少年はどこか半分諦めてるかの様に少女のことを口にした。だがその時、男が急に

沈黙したまま暗い表情でしだいに翳りを見せる様になった。顔を俯けたままいる。
「おいおいなんだよ……。いや待てコラ。は?あのさ、なんでお前がそんな顔してる
んだよ」
「だってさルクル……本当にこれで良かったのかなって……つい考えちゃうんだよ」
うつむいたままの男。後ろ向きな考え方をする癖がどこかにまだ抜け切れていない
様子だった。
「こんな俺の為に、あの素晴らしいミューが犠牲になるなんてさ……なんか間違ってない
かな?って……」
その時少年が、恐ろしい形相で男を睨みつけてきた。
「あ?犠牲だ?まさかテメエ。ミューが後悔してるなんてことを考えてんじゃないだ
ろうな?だとしたらテメエはそれこそ真性のクズ野郎だからな」
「ルクル……」
「ミューが一番大切なのはな、自分じゃないんだよ。それぐらい分かるだろうが。お
前がそんな風に考えることがな、あいつにとっては一番の侮辱になるんだよ」
少年は怒りを声で押さえつける様に、低くゆっくりした声で話した。
「お前はお前で、自分に出来ることを必死で考えろ。いいかこのブタ野郎」
男は少年になんと言って感謝すべきなのかそれさえ分からなかった。自分の気持ち
をありのまま話すことにした。
「ありがとうルクル。本当に、本当にありがとう。君がいなかったら俺は」
「はぁーあ……。なんでお前に感謝されなきゃいけないんだよ。お前なんかな……。
まぁいいや。もう戻らないとまずい」
「うん。分かった。会えて嬉しかったよルクル。なぁ、また会えるだろ?もっと頻繁
に訪ねてきて欲しいんだ。ゆっくり話もしたいしさ」

男がそう言うと、少年は中指を突き立て、憎まれ口を叩いていた。
「お前がこっちの世界に来い、このブタ野郎。泣き言なんか言わない様に徹底的にシ
ゴいてやる」
「分かったよ。楽しみに待ってる」
「ケッ。ところでお前はどうするんだ?また部屋でビービー泣くのか?」
「あぁ……ちょうど天気もいいしね……ちょっと顔見せにでも行ってくるよ」
男は空を仰いで、遠くに流れる雲を見つめていた。高い空には良さそうな兆しは浮
かんでいなかった。それでもこうして毎日やって来ていた。
「そうだな……あいつ寂しがり屋だったからな」
少年がモニターから外れて行きながら、自分が一番寂しそうに少女の事を語ってい
る事には気づいて無いようだった。
少年と別れを告げると、男はバスに乗った。一時間をかけ街が一望出来る、見晴ら
しのいい丘のある高台の所まで向かう。
バス亭に辿り着いた男は、バスを降りて一人で歩き始めた。男の手には花束が抱えら
れていた。
閑散とした建物のない野原に敷かれた道路には、僅かな人影さえあまり見えなかっ
た。車の通りも少なく、バスが行ってしまうともはや何の音もしなくなってしまっ
た。
心地よい風が、閑散とした場所で手にメモを持った男の、すぐ側を通り抜ける。
「静かだな……」
なぜこういう場所は、ひどく静かな所に造られているのだろうか。男は少女が静か
な場所と同じくらいに、また賑やかで活発な場所と言う物も好んでいる性格である事
を熟知していた。
少女が気に入ってくれているかどうかが心配だった。男には少女がこの丘の事をど

う思うか、しつこく男に聞いてくる様がすぐに思い浮かんだ。
自分は好きだったが、少女にとっては物足りないかもしれない。すると少女はまた
どんな風に物足りないと思うか聞いてくるはずだ。それは少し難しい。少女は変わっ
ているからだ。
少女はいつか自分が砂漠に生きる突然変異の動物みたいだと話していたことがあっ
た。その時は意味が分からなかったが、常に変化を求めて動き回る活発的で衝動的な
生命体と言うのは案外少女にはぴったりなのかもしれなかった。
そして恐らく、彼女にとって自分はサボテンなのだろう。その考えに思い当たった
時、そこで割りとすんなり受け入れられていたのがサボテンの例え方だった。
男は歩きながらも、クレイアニメの歩くサボテンが、同じ様に道を歩いていく場面を
思い浮かべる。ぴったりかもしれない。
あまり格好付かない部分は誤魔化そうとするサボテン。いつも頼りない失敗だらけの
サボテン。しかしそれでも多分優しい突然変異は快く許してくれるだろう。
なぜだろう。なんで自分はもっと強くなれないんだろう。男は悲しいほど強くそう思
っていた。どうしてこうも弱く、最後の棘さえ脆弱のまま、頼りない存在で生きてい
るんだろう。男はつくづく自分の無力さに苛まれていた。
その棘は大事な何かを守る為にあったはずなのに。生きる事を怠ったっていた所為
で、いつしか棘さえ弱らせてしまっていた。
気づくと街並みが見える箇所まできていた。そうこうしている間に着いてしまって
いたようだった。
男は遠くに見える街並みを覗く、見晴らしのいい中庭を通り抜けていった。すると
そこで墓地が見えた。男は慣れた足並みで先を急ぐ。
入口から広くない墓地の通路に、赤ん坊を抱えた新婦の姿が見えた。赤ん坊と一緒に
散歩中のようだった。

その生まれたばかりのまだ目も上手く開いてない赤ん坊を、愛おしそうに胸に抱く新
婦の姿は、まるで幸福の象徴そのものの様に男の目に飛び込んで来た。
「なんて可愛いんだろう。そして、なんて幸せそうなんだろう」
男はついその場で自分の思いを口に出してしまっていた。そこで新婦たちが男に気
づく。それから新婦は不思議そうに男に対してこう返事をした。
「あなたは幸せじゃないの?」
赤ん坊をあやしながら、そう笑顔で聞いてくる。その表情は幸福と自信に満ち溢れ
て輝いていた。
「俺は……強くなりたい。強くなりたいんだ」
男は、自分でもそれが答えになっていない事を重々承知しながら、それでもじりじ
りと膨らんでいく己の不安と恐れに向き合い、必死で歯を食いしばっていた。
新婦はそんな男の様子に、ひどくおかしそうに笑っている。そして空いてる片手でポ
ーズを作ると、可愛いらしい声で男を叱責した。
「もう!じゃあ早く強くなってよね!このバカ兄貴!」
男はもはやそれになんて答えればいいか分からなくなっていた。赤ん坊の姿は何も
かもが愛おし過ぎて、抱き抱えたらそのまま押し潰してしまいそうで怖かった。もち
ろん少女に馬鹿にされそうで言えなかった。
「幸せだ……!怖いくらい幸せなんだ……!でも君はどう?俺だけなのかな」
「じゃあ私も幸せ。貴方が不幸なら私も不幸。それで分かった?」
「いやでも」
「キスでもされたいの?じゃあしてあげるからコッチ来なさい」
少女は片手を男の体に回し、赤ん坊を挟む様にして抱きかかえる。流石の男も逃げはしなかった。
「キスはダメだ。もし君が病気にでもなったら。そうだ病院は?駄目だよ!はやく安

静にしてないと。あ、サボテンの花を持ってきたよ。あとさ、ルクルに会ったんだ!
元気そうで……元気といえば、赤ん坊が泣いてなくない!?泣かない子は体力がつか
ないって」
急に喋り出した男の様子に、少女の顔に困った様な笑顔の花が咲いた。男は彼女と
生きていける事の喜びを噛み締め、墓場に入るまで支え続ける事を密かに誓ってい
た。

《了》

以上、投下終了しました。
結局64レスでした。テキストポイよくわかんないけど後で自分でやるのでまとめは放置してください

しかし投下に二時間掛かった……書くのよりしんどいかもしれん

あ、あと参加者乙々。
前回のから感想書いてくるか。

時間過ぎてしまいましたが、時間外ということで品評会作品を投稿してもいいですか?

10レス予定で投下します

「今日は帰りたくないんです。だから」
 彼女の好きな梅酒のにおいがする。梅酒の甘いにおいは凍えた白い吐息とともに夜の空へ散っ
ていく。
「……だから?」
 オレンジ色の外灯の下で彼女は立ち止まる。私も立ち止まって彼女から吐き出される言葉を待
つ。どうやらお互い二十五になった今でさえ、子供のように欲しい言葉を期待してしまうどうし
ようもない私のようだ。甘ったるくなってしまったその唇で飾らない愛の言葉を囁いて欲しい。
 彼女はダウンジャケットの両ポケットに突っ込んだむき出しの手を取り出した。私は無意識の
うちに彼女の柔らかな素肌から、手のひらの先から、かすかに動く指先から彼女の体温を想像し
てしまう。私はカシミヤのマフラーに口元を深くうずめた。
「ねぇ、ユキノ。私酔ってます」
 彼女の手のひらは空中でしばらく静止する。
「そう」
 その指先は往き場を失ってそのまま、私のマフラーをくるりと回りダッフルコートの胸元にす
とんと落ちつく。そうして私の背中に抱きつくと、彼女のはにかんだどもり声が聞こえた。「彼
女が緊張している」なんてちっぽけな事実が私の胸を満たす。耳元で吐かれる彼女の息が私のう
なじをくすぐって堪らない。私だって帰りたくないのよ。シラフになりたくないの、あなたもわ
かるでしょう。あと少しだけ大好きなあなたの梅酒のにおいを味わって酔っていたいの。でも――
「私、酔うと記憶を失くすクセがあるんです。知ってました?」
「知ってる」
「聞いて欲しいことがあるんです」
「知ってる」
「まだ何も言ってないです」
「それも知ってる。……重い、背中から離れて」
 ――だって冬の北海道は冷える。まだ冬は始まったばかりなのだ。酔いだってなんだってすぐ
醒めてしまう。このよこしまなひと時が彼女の心に残らないとは限らない。
 遠い昔の私は、いつだって優れた彼女に甘えてきた。二人だけの空間でただひたすら彼女の大
きな体に抱かれて甘えるのが好きだった。なんでもできる彼女。勉強だって運動だって、人付き
合いだってなんなくこなして、皆の憧れの存在だった。つまらない日常のなかでもヒーローだっ
た彼女は、甘える私をいつだって優しく見つめていた。私を慰める術を知り尽くしている彼女は、
それをいつだって最優先にした。私の知りうる人物のなかでは他の誰よりも強かった。
「もう一軒回りましょう。今度は酸っぱいお酒飲みたいです」
「仕事は?」
 ヒーローだった彼女は、私から素早く離れるとあの頃と変わらない微笑みを見せる。
「先月辞めました。また無職です。文無し待ったなしです」
「あんたそれでいいの」
「お金は無いと困ります。こうしてユキノと飲めなくなっちゃいますから」
「ちがう。十年とか、二十年先のこと」
「考えたことありません。だって――」
 遠くで揺れる地下鉄のシェルターの音が彼女の次句を隠してしまう。この時刻なら、たぶん最
終の電車だろう。
 私は彼女の言おうとした言葉が知りたかった。確認したかった。しかし彼女の言おうとした言
葉は、最終電車と一緒にどこかへ行ってしまったようだった。

 ▽

 私の椅子が、教室のビニル床を擦りつけて不快な音を鳴らす。
 座学中に突然立ち上がった私を、教室じゅうの生徒達が不思議そうに見上げている。教壇のむ
こうで教科書に視線を落としていた教師も顔を上げる。私は室内のありとあらゆる視線を一手に
集めてしまったようだ。
「どうした? トイレか?」
 私は、教師の問いに答えないまま一人の女生徒に視線を向ける。
 彼女は、その他の生徒のように見上げることはせず、英語の教科書に目を落とし続けている。
黒板に書かれている英文章と教科書の例文を交互に見て、教師に指示された文章をどうにか読も
うと努力していた。まるで私が立ち上がったことなんて、問題じゃないかのような態度だった。
今の彼女のなかでは、私のことよりも、たかが高校二年の英文の和訳が問題のようだ。
 ――どうして私に視線を向けないの? どうして背を向けたままなの?
 私は彼女の名前を言おうとした。彼女に不満があるのだ。
「……お手洗いに行ってもいいですか」
 でも言えなかった。どう言っていいのか、くしゃくしゃになった気持ちを表現する術を私は知
らなかった。
 ばつが悪くなって、ドアまで歩き出す。ドアを力任せに開けて、また大きな音を響かせる。そ
の威圧的な音が鳴り止むまで、その場に立ち止まってみた。
 彼女の後姿をちらと見やる。もしかしたら今度こそ私のことを見ているかもしれないという淡
い期待を抱いたからだった。
 ……最後の悪あがきは叶わず、それでも彼女は教科書と睨めっこをしていた。
 教室を飛び出した私を追うものはなかった。どこか納得ができず、私は廊下を少し歩いてすぐ
に後ろ髪を引かれたように立ち止まってしまう。
 背後にある置き去りにした教室から、教師の落ち着いた声が聞こえる。
「ところで八重宮、まだ和訳は終わらんのか」

 ▼

 私と八重宮水佳は小学五年生のときに同じクラスだった。小学五年と六年の二年間が、私たち
の何物にも変えがたい大切な日々だった。それまで接点のなかった私たちは、ある日の体育の授
業で初めて話す間柄になった。短距離走のタイムを測定している最中、私は激しく転んで膝を擦
りむいてしまった。痛いことは痛かったが、そのとき膝を擦りむいた痛みよりも、「良い記録を
出さなければならない」失敗できない授業で大失敗をしてしまったことに私はパニックになって
しまった。コースの真ん中で放心した私の手をどこからともなく現れ、引っ張って保健室に連れ
て行ってくれたのが八重宮水佳だった。彼女は保健室につくまで何も言わず、消毒液と絆創膏の
場所を探り当て、私の膝頭に手際よく貼ってくれてはじめて口を開いた。なんと言ってくれたか
覚えていないが、彼女の言葉を合図に決壊したように泣き出してしまったのは覚えている。
 家庭の事情で少し離れた中学校へ行かざるを得なくなってしまった私は、彼女に小学校の卒業
式のあと私の部屋に泊まりにこないか、とお泊り会のお誘いをした。彼女は快く承諾し、私たち
はその夜一緒の布団でずっと友達でいると約束をした。お互いに「あなたは大事な人」と確認し
たのだった。
 その日の夜、さよならを告げた彼女の顔を見て玄関で泣き出した私に、微笑んで手を振ってく
れた彼女の姿を今でも思い出せる。
 しかし完璧な離れ離れではなかった。中学校模試の高得点者欄で度々彼女の名前を見かけたか
らだ。彼女の名前を見つけるたびに、私は勉強に打ち込んだ。高校の入学式で彼女と再会するた
めに、できるだけドラマティックに再会するために勉強を続けた。ただ彼女と供にいる時間を願っ
て、中学校生活を過ごした。
 結果を先に言えば、高校の入学式で彼女と再会することは無かった。私は学区内で一番の進学
高に入学することはできたが、そこに彼女はいなかったのだった。彼女は学区内で一番ぱっとし
ない学区内唯一の女子高に入学していた。
 私はそれを小学校の友人に聞いて首を傾げた。友人は声を潜めてこう言った。
「家族で事故に遭ったんだって。お父さんとお母さんが死んじゃって、ヤエノミヤさんもしばら
く目を覚まさなかったの。それから、ね。すごいキビキビしてたユウトウセイってやつだったけ
ど、今はぜんぜん。それでもいい子っちゃあいい子なんだけどね。どうしたのかな」
 はやく、はやくあなたに会わないと、と私は思った。

 ▲

 こうなっては仕方なく、トイレに向うことにした私はトイレの場所がどこか分からないことに
気付いた。酷く方向音痴だったので、長い間彷徨ってしまった。
 この女子高の校舎は、どうやらそれなりに歴史があるみたいで、古い校舎を第一校舎としてそ
の周辺に三つの校舎が繋がっていた。曲がりくねっている廊下を歩いていくうちにトイレのマー
クが見えるだろうと思っていたが、そんなことはなかった。この学校は増改築を繰り返したせい
で意図せず迷路のようになってしまったようだ。そのせいで、人通りのなく電灯もついていない
通路にて、三年とおぼしき女生徒が一年とおぼしき女生徒に暴言を吐いている嫌な場面にも出く
わしてしまった。
 終いには途方も無くなって、来た道を引き返すことにしたのである。



「笹草さーん」
 教室向かいの階段に腰を下ろし、踊り場の採光窓を眺めていると誰かに呼び止められた。振り
向くと、見た覚えのある桃色のヘアピンをつけた短髪の女生徒が立っていた。
「あなたは……」
「大川あげは。あげはって呼んでね」
「私は、」
「知ってるって。同じクラスでしょう。そうでなくても、笹草さんってとぉーっても有名なんだ
から」
 あげはは、マスク越しから発せられるくぐもった声色でそう言って、私の隣に腰を下ろした。
彼女の切りそろえられた前髪が揺れる。ちらとおでこのあたりにシールみたいなものが張り付い
ているのが見えた。
「……どう有名なのやら」
「転校生でしょう」
「それって、そんなに珍しいことなの?」
「ただの転校生じゃないよー? あの頭いい南高校から、なぜかこんなへんぴな学校に転校して
きた謎の転校生。成績優秀、スポーツ万能、美人でスタイル良し。男子が居たら、放っておかな
いね。きっと」
「……」
「ホント、漫画みたい」
「それはどうも」
 あげはの前髪から覗くシールのように見えるプリント柄の絆創膏が、やけに不自然に映る。彼
女は私の視線に気付いて、おでこを手のひらで隠した。
「さっきの授業中さ、ずっと八重宮さんのこと見てたでしょ」
 隠されてもなお、私はおでこを凝視し続ける。
「その絆創膏は?」
「これはいーの」
 今度は彼女の口元にあるマスクに視線を落とす。
「風邪気味なの?」
 彼女は明らかに嫌な顔をして目を逸らし、すぐさま強引に話題を戻す。
「じっと見てたでしょう? 白状したまえ」
「なんの話?」
「八重宮さん」
 私の呼吸は勝手に止まってしまう。
「やっぱり。八重宮さんと笹草さんの間に何かあったのかなーって思ってさ。追いかけてきちゃ
った。すっごい迷ってたねえ、トイレなんていくつもあったのに。考えごとでもしてた? でも
歩くの早いんだもん、案内しようと思ったけど、途中で見失っちゃった」
 ぐいと擦り寄ってくる。あげはの顔をようく見ると、目元が腫れているのがわかった。
「笹草さんと八重宮さんの間に接点が見えないから、みんな不思議がってたよ? 八重宮さんっ
てトロイからさ、笹草さんに何かしでかして、目ぇ付けられたんじゃないかとか……」
「違うわ」
「そうなの? なら私たちが気にしすぎなのかな。八重宮さんって人気あるからさ、じぃっと見
てる人多いんだよ。ファンクラブまであるし……っていっても同じクラスの宮古さんと、山岸さ
んと……」
 あげはは指を折りながら日本人の苗字を挙げ続ける。私は溜息を吐いて、その行為をやめさせ
る。
「どこが人気なの。勉強だってできないみたいだし、だいいち『トロイ』んでしょう?」
「勉強なんてできなくても、いいじゃん」
「別に男っぽいってわけでもないでしょう」
 彼女は、そんな愚問始めて聞いた、とでも言うように饒舌に語りだす。
「あのね、優しくて、包みこむような淡い目がいいの。体が大きめだけど、威圧感ないじゃない?
全体をしっかりと見てる」
 まるでお気に入りのアイドルについて話すように、楽しそうに、嬉しそうに言葉をつむいでい
く。確かに本当にそんな人間がクラスにいたら、人気者だろう。彼女は饒舌さを失ってようやっ
と、お仕着せでない言葉を呟いた。
「いつだって、その目で困った人を見つけて、手を差し伸べてくれる」
 私は、彼女のおでこに張り付いた絆創膏や、腫れぼったい目元や、何かを隠すためにつけたで
あろうマスクを見てほくそ笑む。
「まるで手を貸されたことがあるみたいな言い方ね。そんなこと一度でもあるの?」
 彼女は答えない。いや、きっと答えられないのだ。
「そう。ヤエノミヤって人は、そんなにも人気なのね。でもここは女子高」
「関係ないよ。憧れるのは勝手でしょう」
 言葉が途切れる。あげはの肩が震えている。
「……そう。いじわる言ってごめんなさい。あんまりにも、私が抱く『ヤエノミヤさん像』とか
け離れているから驚いてしまって。そうね、ヤエノミヤさんはいつも、あげはさんに良くしてい
るのね」
「……そうだよ」
 あげはは自信の欠片もない頷きをひとつつく。
「優しいんでしょう? ファンクラブが出来るほどに」
「……勘違いだったみたい」
「良く分からないけど、そうみたいね」
 私が微笑んで返すと、あげはは立ち上がって私を見下ろした。
「笹草さんはちっともだ」
 彼女はそういって、私に背を向けて教室に戻っていった。



「笹草さん。どうですか? 学校には慣れました?」
 彼女は微笑んで世間話をもちかけてくる。
「……」
 美術教室の周りを見渡すと、誰もが思い思いに、木造りのブロックを木目調の薄い板の上に置
いていた。今後の授業で、このブロックをボンドで固定し、色を塗る。「未来」をテーマにした
美術の立体の授業だった。
 向かい側に座っている彼女の板には、まだ一つもブロックが置かれていなかった。ブロックは
板の傍に丁寧に整列されている。
「笹草さんは凄いですね。それは街ですか?」
 彼女は綺麗な指先で、私の手元に置かれた板を指し示した。確かに、ブロックを家と見立て配
置していた。街といわれれば街なんだろう。合ってはいるが、私は頷きもしなかった。
 彼女は構わず話しかけてくる。
「ここに川を流して、ここにブロックを積み合わせて高い塔を作る。そしたらこの街そっくりだ。
笹草さんは、勉強も出来てセンスもある。スポーツまでできますね……」
 私は、彼女の何も置かれていない板と、その傍に整列させられたブロックを眺める。
「だから?」
 口調がきつめになってしまう。こんな反応を彼女にしたいわけじゃないのにだ。
「さ、笹草さんは美人ですし……本当に憧れてしまいます」
 唇を噛み締める。彼女の表情を確認すると、それでもまだ微笑んでいた。堪らなくなって、配
置されたブロックを板の上から全て払い落とした。落ちたブロックは床を跳ねて飛び散る。
「さっきから――」
 彼女は目を丸くして、口をぽかんと開けた。なぜ私がこんな行為をしたのか納得いかないのだ
ろう。彼女はワンテンポ遅れて「あっ」と小さく漏らした。その「あっ」という言葉はきっと、
気の障ることを言ってしまったのではないか、という気付きの声だろう。でも違う。私は――
「笹草さんって、どうして呼ぶの? ミズカは私のことを忘れたの?」
 彼女は、私など見ずに、落ちて散らばったブロックを丁寧に拾い集める。私はその後姿を見下
ろす。
「ねぇ、昔みたいにユキノって呼んで」
 唇が震える。気持ちと折り合いがつかなくなっていく。
「私を見てよ。私、ミズカに何かした? したなら謝るわ。ねぇ」
 私の涙声に反応して、とうとう生徒たちが一斉に私達に注目する。
 彼女は拾い集めたブロックを、板の上に置いていく。どうやら私が作っていたものを再現しよ
うとしているみたいで、苦心しながらブロックを一つ一つ置いていた。
「やっぱり私がやると、ダメですね。街にはとても見えない」
 申し訳無さそうに笑う水佳の顔を見て、涙が溢れ出てくる。
「ユキノ……さんが悲しい顔をすると、私、悲しくなってしまいます」
「……」
「そんなつもりじゃなかったんです。お友達になれないかと思ったんですけど……私、ユキノさ
んとお友達になりたくて……あの、気に障ったなら謝りますから」
 彼女は、眉を下げてすまなさそうに頭を下げる。私は違う世界に飛び込んだSF物語の主人公
になったのだ、と思った。眩暈がする。空気が合わない。
 「お友達になりたい」というのが彼女の本心なのだ。私が怒る理由に心当たりがないのだ。本
心から「すでにお友達である」私との時間を無かったことにしたいのだ。
 ――私は何を期待していたの? 私は彼女にどうして欲しかったの?
「なんで。こんなことのために、転校してきたんじゃないのに」
 放心した私は泣き崩れてその場でうずくまった。その際に足を椅子の角で切ってしまう。痛い。
辛い。今までしてきたことが大変であればあるほど無意味になることが辛い。それ以上に、大
切な人だと一方的に思っていたことや、私は彼女の忘れたい過去であることが辛かった。
 ――誰かこの世界から私を救い出して。息苦しいの。溺れてしまうわ。
 そうやって、みっともなくうずくまっている私の手がある手に引かれる。心のどこかにいる冷
静な私が、授業の邪魔だわ、と判断する。そりゃあ避難させるわよね。何処へでも連れて行って
頂戴。ここじゃなければ、どこでもいい。
 私の手を引いたのはヤエノミヤだった。彼女は、何も言わず手を引っ張って美術室から飛び出
す。私は知っている。この後、私は保健室に連れて行かれるのだ。そして、彼女は消毒液と絆創
膏を探り当てる。私のおでこに消毒液を塗って、絆創膏を貼り付ける。そして「びっくりした?」
と笑う……彼女を期待している。
 目的地は予想通り保健室であったが、彼女は何も探り当てず、私をベットに座らせるとこの部
屋を出て行った。養護教諭はいなかった。



 授業の終わりを告げるチャイムが聞こえて、保健室に入ってきたのは養護教諭ではなく、見知
らぬ女性徒だった。彼女は周囲をちらとも確認せず、扉を閉めてそのまま真っ直ぐベットに座る
私まで近づいてきた。
「水佳と同じ中学校だった吉野です」
 私はこくんと頷いた。
「話は水佳から聞いた。あの子ずいぶんと慌ててた。状況が上手く飲み込めなかったけど……き
っと笹草さんは水佳と小学校のとき仲良かったんでしょう? それで大体把握した」
 この部屋はとても涼しい。でも、私の体温は徐々に上がっていく。頭はぼぅっとして、これか
ら聞かされるであろう事実を受け入れまいとしている。吉野は口を開いた。
「なんであれ、水佳は小学校のことは綺麗さっぱり忘れている。事故に遭ったあの日から。それ
どころか、両親のことさえも忘れてしまっている。でも、彼女自身にはどこも悪いところはない。
成績は悪くなったみたいだけど、それであの子の全てが変わったわけじゃない。だから、今ま
でのことは忘れて、今目の前にいるあの子と仲良くして欲しい」
「あなたはヤエノミヤさんとお友達なの?」
 当たり前なことを聞いてしまう。
 吉野は頷いた。
「あの子は今、私の叔母がやっているアパートに下宿している。私もそこにいるから、良く話す。
友達と聞かれれば、そうだと思う」
 これほど、遠まわしに肯定されたのは初めてだった。吉野はどこか普通の人と違うところがあ
るみたいだ。言葉の流れが、いたるところでせき止められている。スムーズではない口調。なん
となく、今の水佳を思い出す。
「思い出話ができなくて残念だった。それは素直に同情する。でも、あなたの期待を押し付けな
いで欲しい。これ以上あの子を振り回すのだったら、私は笹草さんを許さない」
 許さない……どうやら私は吉野に糾弾されているようだ。力なく、ええ、と呟く。
「ええ。どうやら私の思い違いだったみたい。私はこれ以上ヤエノミヤさんや吉野さんを困らせ
るつもりはない。大丈夫。大丈夫」
 繰り返し大丈夫と呟いて笑う私を見て、吉野は目を細めた。
「私の知っている大丈夫とは、笹草さんは程遠い。今日はもう帰ったほうがいい」
 微笑みを作ってみたものの、どうやら上手くできていなかったようだ。
「一つだけ教えてほしいの」
「……」
「私はこれからどうしたらいいのかな」
 吉野は私には出来なかった完璧な笑みを浮かべた。
「今日はもう帰ったほうがいい」


 職員室で担任を見つけて、早退するという旨を伝えると、担任は「八重宮となんかあったのか。
そういうのはできるだけ急いだほうがいいぞ」と言った。美術の授業中、錯乱した私のことを、
あらかじめ水佳が担任に伝えたのだろうと推測した。担任は何故か優しく、今日はもういいと
いうことだけ伝えて、受け持ちの教室に戻っていった。担任の椅子の傍に、私の荷物が置いてあ
った。この荷物は、彼女が持ってきたのだろう、と思った。確かに、ヤエノミヤさんは全体をし
っかりと見ている。その通り、今の私には教室に戻る元気は持ち合わせては居ない。



 私はバス停のベンチで三本目のバスを見送った。その間、どうして彼女に固執していたのだろ
うと考えた。大切な思い出があった。しかしそれは壊れてしまった。今の私の気持ちを上手く一
言で表すなら、喪失感とでも言えばいいのだろうか。要するにがっかりしたのだ。がっかりした
経験なんて数え切れないほどある。お気に入りのマグカップを割ってしまったことや、部屋にぴ
ったりだろうと思って買った本棚が隙間に上手く嵌らなかったこととか。というか、始めから彼
女がどこを受けるかリサーチしとけばよかったのだ。そうすれば変わった彼女にさよならをして、
どこか別の高校で楽しいことを見つけていたところだったのだ。
 思い切って、道路を挟んで向かい側のバス停に乗ってみた。街の中心部に向かう路線だ。駅の
遊び場で男を見つけることにした。
 出来るだけ小柄で細めな……シルバーアクセサリーなんかを見せびらかしている男がいい。
 駅の改札を抜けると、誰でもよくなって、私は手ごろな若い男に声を掛ける。思ったよりも背
が大きめだったが、構わず腕を絡めた。香水の臭さが私を不快にする。そんな私の表情の変化に
気付くわけも無く、男はただ喜んだ。
 その夜、終電では帰れなかった。


 ¶

 次の日、朝のホームルームが終わると、水佳が声を掛けてきた。私は出来るだけ笑顔を作って、
やり過ごすことにした。
「どうしたの? そういえば、この前はごめんなさい。もうあんなヘンなふうにはならないから、
安心してちょうだい」
 水佳は私の机の前で首を傾げる。
「ヘンなふう?」
 彼女のオウム返しにイラついてしまう。あなたの目には「ヘンなふう」に映ったのでしょう、
と言いたかったがやめにした。
「とにかく、昨日はごめんなさい。ヤエノミヤさんには迷惑かけないようにするから、この辺に
して」
 私は視線を窓に向ける。窓枠の外は山が見える、ただそれだけだった。
 水佳は視線を逸らした私の手を、不意に掴んだ。
「何するの」
「私、反省しました」
 私は唾を飲み込む。
「反省?」
「はい。正直、ユキノさん……」
 水佳は私に目配せをする。まだ呼んでいいのか、という確認のつもりだろう。どうでもよかっ
た。私は頷く。
「ユキノさんの言いたかったことが分かりませんでした。ユキノさんとは違って、私はあまり頭
が良くありません。運動だってできないし、トロイです」
「そうみたいね」
「もしかしたらいつかどこかで知り合っていたのかもしれないです。でも、私あまり覚えられな
くて、忘れてしまっていたのだと思います。あの……」
 私は彼女の顔を眺める。ふと、頭の中である疑問が巡り巡る。
 ――どうして、覚えても居ない私にこの女は一生懸命なんだろう。
 本当に私のことを覚えていないのであれば、急に現れて感情をぶつけてきた私に恐怖している
のではないのか。普通はそんな危険な人物とは距離を置くのではないか。
「ねぇ、なんでそんなに必死なの」
 彼女は困ったように微笑んだ。
「分かりません。多分理由はないです」
「……」
「あの、これ」
 水佳はポケットから絆創膏を取り出して、私に見せた。それはシールのように見えるプリント
柄の絆創膏だった。
「足ケガしてましたよね。まだ手当てをしていないのならこれ使ってください」
 私ですら忘れていたことを、水佳は心配していたようだ。言われて、私は足を確認する。ふく
らはぎに一センチ程度の傷があった。彼女はその傷を認めると、その場で絆創膏を貼った。
「私、よくケガするので持ち歩いているんです。ユキノさん、もう一度じゃだめですか?」
 絆創膏を貼られながら、私はぼぅっと彼女の言葉を反芻した。
「もう……いちど?」
 彼女は楽しげに答えた。
「もう一度、思い出を作りましょう。これ以上ないっていうものをです。確かに、小学校の私と
今の私は違うかもしれません。でも、きっと小学校と違う私とだったら、その頃以上の思い出が
出来るかもしれません。どうでしょう」
 私は苦笑した。何を言っているのだこの女は、と思った。辺りを見渡すと、ヤエノミヤさんの
ファンクラブ会員と思しきクラスメイトがちらちらと羨ましげに見ていた。そうとは知らず、彼
女は得意げに胸を張る。どうだ、参ったか、という様子だ。
 今まで悩んでいた全てのことがどうでもよくなって、彼女のくだらない提案を了承することに
した。
「それが出来れば、それでいいわ」
「出来ます。努力します!」
 今私にとって確かなのは、彼女のくだらない提案に乗ったほうが、男とベッドで一晩ともにす
るより少しだけ面白そうだということぐらいだった。



 それから、私達は時々二人だけの時間を過ごした。残りの高校生活はあっという間で、やはり
私の思い出のなかでヒーローだった彼女とは違う、新しい彼女と思い出が作られた。喧嘩をして
は仲直りして、そのたびに彼女が謝って私が許した。同級生に告白された私の相談に乗ったのも
彼女で、フラれたときに慰めてくれたのも彼女だった。
 フラれたときや嫌なことがあったときは決まって彼女とお酒を飲んだ。彼女は梅酒が好きで、
私は彼女のために毎年梅酒を作るようになった。それがいつしか楽しみにもなった。
 あっという間に二十五になって、私は市立の図書館に腰を下ろして将来のことを考えるように
なった。しかし彼女は違った。
 彼女は大学にも行かず、資格も取らず、定職に就かず、日雇いの仕事を転々としては生活費を
なんとかやりくりしていた。もうあの頃の彼女はいない。時々思い返す。あの頃の彼女が生きて
いたら、私はどうなっていたのだろう。こうして二人で梅酒を飲むことができたのだろうか。
 今となってはこれで良かったのかもしれない。少なくとも私はそう思っていた。だって、彼女
は私と思い出を作る約束をしたのだから。友達でいつづけるという約束よりも、もっと効力の強
い呪いの言葉を彼女は吐いた。そう、定職につかない限り、呪いが解かれない限り私は彼女と居
続けることができる。

 △

 最終電車が通り過ぎて、地下鉄のシェルターは鳴りを潜めた。
「もう一軒はさすがに無理ね。私の家で飲みなおす? まだ家にお酒あったと思うから」
 彼女は嬉しそうに笑って頷く。
「まだまだ飲みますよー」
 そうして私の手を引っ張る。私はもう一度マフラーに顔をうずめる。頬が熱くなってきた。ど
うやら私も酔ったみたいだ。


 私たちはコタツに入りながら、ケーブルテレビで放映されている映画を見た。ホラーなのかサ
スペンスなのか判断のつかない邦画でとにかく画面が暗く静かだった。彼女は大きな欠伸をふた
つつく。テレビの右端に、二時と表示されている。
「もう寝る? お酒は今グラスに注いであるので最後です。本日の営業は終了致しました」
「ベッドで寝たいです」
 いそいそとベッドに潜り込もうとする彼女の腕を引く。
「服ぐらい着替えなさい。あんたが着ると思って買っといたあれ。その服は洗濯出しちゃうから。
何日それ着てるの」
「めんどくさいです」
「いいから。言うこと聞きなさい」
 彼女はふくれっつらで、仕方なさげに服を脱ぎ散らかす。私は溜息を吐いて、遠くへ飛んでい
ったねずみ色のシャツを拾いにいった。
 このシャツを着る彼女を良く見る。彼女のお気に入りなのだろうか、なんてどうでもいいこと
を考えながら、そのまま拾った服を洗濯カゴに入れ、彼女のために買ったパジャマを入れた箪笥
を引いた。すると視界が真っ暗になった。
「だーれだ」
「あんたねぇ……」
 耳元で彼女の好きな梅酒のにおいがする。私の胸の鼓動がはやくなっていく。
「私、酔うと記憶を失くすんです。知ってました?」
「今日は面倒なほど酔ってるわね」
「聞いて欲しいことがあるんです」
「もういいわ。なんだっていって頂戴」
「私、小学校でユキノと遊んだこと。覚えてます。卒業式の夜にお泊り会したことも。同じ布団
でずっとお友達でいようって約束したことも、ばいばいのときに泣いたユキノの顔も、それに手
を振ったことも」
「……知ってる」
「いじわるしてごめんなさい」
 私は後から彼女に寄りかかられる。彼女の体重を感じる。まだ視界は明るくならない。暗転。
ブラックアウト。

「兄が一人いたんです。両親に酷く虐められていました。兄は、頭が良くないから虐められてい
るんだ、と笑ってました。でも夜中に泣いていたのを知っています。私は両親が親戚の法事で高
速に乗ることを知りました。それで、タイヤに穴を空けました。その夜に両親は事故で死にまし
た。タイヤのせいではなく、居眠り運転していたトラックと高速道路で正面衝突したみたいでし
た。タイヤはすぐ気がついて交換したみたいでした」
 私は彼女の言葉に耳を傾ける。ただ、嬉しかった。彼女の秘密に触れているということが。本
当は彼女の目を見たかった。こんなブラックアウトではなく、真正面から彼女の全てを受け止め
てあげたかった。しかし、それは彼女にとってはまだ無理なことだったようだ。
「多分、私が殺したのだと思います。兄も酷く傷ついて、首を吊りました。私には兄の気持ちは
分からなかった。てっきり、両親を恨んでいるのだと思ったのです。でも違った。兄は両親のこ
とを理解し、愛していた」
「そう」
「ねぇ、ユキノ、愛ってなんでしょう」
 私は迷うことなく答える。
「私はあなたを愛しているわ。世界中の誰よりも」
 彼女は苦しそうに返した。
「利口ってどういうことなんでしょう。勉強して身につくものなのでしょうか。私はユキノのし
て欲しいことは分かっても、ユキノの気持ちは理解できません」
 そういってやっと、視界を遮る彼女の手のひらが私の瞼から離れる。私は彼女のために買った
ピンク色のパジャマをじっと見つめる。
「理解できなくてもいい。されなくてもいい。そう思えるのが、愛してる」
「じゃあ私は兄を愛していたと言っていいのでしょうか」
 振り返ると彼女は下着を着けていなかった。私はパジャマを彼女に手渡す。
「あなただけが納得できる愛を見つけなさい。それか、愛なんて古臭い言葉とっとと忘れて定職
につきなさい」
 そういってから、彼女の裸体に目を滑らせる自分を自覚して、視線を逸らせた。彼女は受け取
ったパジャマを身に着けて、私をベッドまで連れて行った。
「あの頃のように一緒に寝ましょう」
「あの頃?」
「……忘れてください」
 私はベッドのなかで、彼女を抱きしめた。明日になったら彼女はまた嘯くだろう。「何かいい
ました?」とのうのうとのたまうのだ。それでもいい。彼女がそうしたいのなら。
 私の胸のなかで、彼女は飾らない愛の言葉を囁いた。
「愛してます、ユキノ」

 END

時間外作品なので、扱いはご自由にどうぞ
できれば感想いただけると嬉しいです
てきすとぽいやってみます

投票期間 : 2014.06.01 0時  ~  2014.06.08 0時

No.01 たったひとつのぼくを求めて(小伏史央)
http://text-poi.net/post/u17_uina/30.html

No.02 あの日の真白なキャンバス(ほげおちゃん)
http://text-poi.net/post/hogeochan_ver2/4.html

No.03 ヒトリ・ヒストリ(犬子蓮木)
http://text-poi.net/post/sleeping_husky/25.html

No.04 一本杉(茶屋)
http://text-poi.net/post/chayakyu/66.html

No.05 もう、一人でいいから(すずきり)
http://text-poi.net/post/tamamogari/1.html

No.06 THE ONE ◆Mulb7NIk.Q
http://text-poi.net/post/hogeochan_ver2/5.html

No.07 ノスタルジックの船よ、沈め ◆S6qZnfmn3/gR
http://text-poi.net/post/hogeochan_ver2/6.html

No.08 Black Swan Song(木下季香)
http://text-poi.net/post/kika_kinoshita/1.html

No.09 (文章量超過) アイドル「兄は私のマネージャー」 ◆1ImvWBFMVg[
文才ないけど小説かく 5 - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1391418769/704)
※本スレの >>704 から

No.10 (時間外作品) ブラック・アウト ◆xaKEfJYwg.
http://text-poi.net/post/hogeochan_ver2/7.html

皆さん投稿ありがとうございました。

感想や批評があると書き手は喜びますが、単純に『面白かった』と言うだけの理由での投票でも構いません。
毎回作品投稿数に対して投票数が少ないので、多くの方の投票をお待ちしております。
また、週末品評会では投票する作品のほかに気になった作品を挙げて頂き、同得票の際の判定基準とする方法をとっております。
ご協力ください。

投票は、本スレッドかてきすとぽいのいずれかのみでお願いします。

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投票、気になった作品は一作品でも複数でも構いません。
No.9、No.10 について投票された場合は、すべて関心票(てきすとぽいでは評価4の投票)として扱わせていただきます。

たくさんの方の投票をお待ちしています。

なお、時間外作品の投稿はまだまだ受け付けています。

>>768
私が転載しておこうかなと一瞬思ったのですが、
ちょっと量が多く改行の修正が大変そうだったので、転載はお任せしようと思います。

なお、文字数が50000字を超えており原稿用紙50枚の制限を超過していたため、
時間外作品と同じ扱い(関心票のみ)とさせていただきました。ご了承ください。
#今回初めて文章量制限を追加しましたが、まさかそれを優に超えてくる作品が出てくるとは思いませんでした……
#すげえ……

先ほどのレスにも書きましたが、時間外投稿の作品はまだまだお待ちしております。
というか私が今日中に間に合えば、時間外作品としてもうひとつ投下させていただく予定です。

少々早いですが3レス予定で感想投下します

No.01 たったひとつのぼくを求めて(小伏史央)
http://text-poi.net/post/u17_uina/30.html
 お酒を飲みながら思いつく文章を書いたような、そんな文章でした。
 リチャード・バックの「one」という本を読んだことがないので、この作品が深く読み込めなか
ったのだと思います。レビューをちらと読んだぐらいでは分かりませんでした。
読書最中の思考世界(?)での理屈も分からないので「そう書かれたならそうなのか」を繰り返
してだんだん無関心になっていくというか……こういった尖った作品は難しいですね。


No.02 あの日の真白なキャンバス(ほげおちゃん)
http://text-poi.net/post/hogeochan_ver2/4.html
 三十路間近の女性の情緒不安定さは凄く伝わってきました。何もするなといったり、電話取れ
といったり。得体の知れないものに固執して、そういった不安を紛らわせることはただの逃避な
んですよねー。なんか辛いお話でした。案外印象に残ったりするお話でもありました。
 物語の序盤でいくつか疑問が。なぜ公園に写真を撮りにいったのか。絶対に他人には知られた
くないデータとはなんなのか。公園に入ったのはなんとなく気分で、データは自分の悩みを題材
にした文章だったのでしょうか。想像できなくはないですが、できれば文章で言及して結末に絡
めると、もっとこの女性個人の変化が浮かび上がってきたのかなと思います。結局変化という変
化もしなかったんですけどね……辛い。


No.03 ヒトリ・ヒストリ(犬子蓮木)
http://text-poi.net/post/sleeping_husky/25.html
 作者さんの思ったとおりに読み込めているか分かりません。「ぼく」と「わたし」はやっぱり
別人なんでしょうか。歴史は繰り返すってやつなんですかね。そうすると、電子世界もダメに
なったら今度はどこへ逃げるんでしょう。最後の四行をどう捉えるかでがらりと変わりそうです。
私は五段落目のロボットが生き残ってご主人様を思い返しているのかなぁと思いました。
 もしかしたら、現実世界らしきものを仮想空間で体験できる最先端のシミュレーションゲーム
をプレイした人間の話なのかな。マトリックス的なものをほのかに感じました。
 とはいえ推測でしかありません。……上手く読み込めなくてすいません。すんなりと読み込め
て、最後の四行で驚くといったものに仕上がると良かったのかなと思います。


No.04 一本杉(茶屋)
http://text-poi.net/post/chayakyu/66.html
 洒落怖とか案外完成度の高い作品多いですよね。バトル要素があったり、幽霊萌えがあったり。
「霊だから」で説明つけちゃうので書くほうも気楽ですよね。展開の読めなさも読むほうとしては
ワクワクできる要素のひとつだと思います。
 オチはオマージュということでこれでいいとしても、物語のクライマックスはもう少し力を入
れて書いても良かったのでは。序盤の描写力がクライマックスにも欲しかったです。


No.05 もう、一人でいいから(すずきり)
http://text-poi.net/post/tamamogari/1.html
 人物描写が上手でした。主人公の置かれている状況から思考まで過不足なく書かれ、力のある
方だなと思いました。なので、あとは書かれているものを読者がどう受け取るかだけなのかなと。
 まあガッカリしますよね、純粋な気持ちでないと知ったら。でも宗教と聞いてここまで拒否す
るのだったら、それに関する不快な過去等が一段落程度あると、結末のガッカリ感もさらに増し
たのかなと思います。なんかリナちゃん悪い人じゃ無さそうなんですよね……。やっぱり世間知
らずに付け入られて上手くいってるってだけの、ただの二十歳の子のような。断って豹変したら
納得できたのかな。そんなこんなでいろいろ考えれるいい作品だったと思います。

No.06 THE ONE ◆Mulb7NIk.Q
http://text-poi.net/post/hogeochan_ver2/5.html
 今回の品評会作品では飛びぬけて文章が上手でした。量はあれどスラスラ読める。語彙も豊富
で羨ましいです。多分何度も作者さんの作品を読ませてもらったことがあります。
 このタイトルは作中にて言及されるビートルズのアルバム名からでしょうか。音楽に明るくな
いので、どこまでそれがこの作品を膨らませるものなのか、下地になっているのか分かりません
でした。ごめんなさい。
 エレナの「強すぎて不完全」という部分を丁寧に説明した作品という印象を受けました。果た
して再会することができて、いったいどういった会話をするんでしょうか、気になります。それ
が主人公も含めた物語になるのかなと。


No.07 ノスタルジックの船よ、沈め ◆S6qZnfmn3/gR 【関心】
http://text-poi.net/post/hogeochan_ver2/6.html

 投票用紙に記載。

No.08 Black Swan Song(木下季香) 【投票】
http://text-poi.net/post/kika_kinoshita/1.html

 投票用紙に記載。


No.09 (文章量超過) アイドル「兄は私のマネージャー」 ◆1ImvWBFMVg
http://text-poi.net/post/ksatokiti/1.html
 楽しく読ませていただきました。エンターテイメント作品として、飽きさせないように話が展
開していったので、量が多くとも最後まで読めました。この板に建てられるスレに一番ふさわし
い作品ですよね。作者の思惑通りニュー可愛い、男コラッ! ルクルいうねぇ……ってなって話
にのめり込むことができました。
 話の筋が見えればあとはスラスラと読めたのですが、序盤は読みにくい。しょっぱなに少女、
少年、巨大な人間とがどういった配置なのか、関係性なのかが読み取りにくかったです。少年
少女はモニターの中にいるって理解するのに何回か読み返しました。描写する際の視点カメラの
問題ですかね。
 やっぱりこういった作品はハッピーエンドに限りますねー。


No.10 (時間外作品) ブラック・アウト ◆xaKEfJYwg.
http://text-poi.net/post/hogeochan_ver2/7.html
 自作。時間外作品の扱いが分からなかったので、どうしたもんかと思ってましたが、てきすと
ぽいに転載してくださってありがとうございました。どうせ誤字るなら間に合わせたかったと心
残り。次回も参加できるといいな。


 ***********************【投票用紙】***********************
 【投票】:No.08 Black Swan Song(木下季香)
         興味を持って読み物として読めたので投票。
        お題に真っ直ぐでしたし、姉の本心次第で結末が
        変わるので最後まで楽しく読めました。

 【関心】:No.07 ノスタルジックの船よ、沈め ◆S6qZnfmn3/gR
         翻訳者という説明で個性的な名詞の意図が分かっ
        たような。踏まえて読み返すと、それぞれの名詞が
        何を指し示しているのか想像する楽しみがありました。
 ********************************************************


 ――総評――
 今回は全体的に暗めのお話が多かったです。話のスタートから「孤独」や「諦め」「無念」等
ずっと落ち込んでいく展開が多かったです。あと、読むのに体力が必要な作品が多かったです。
とはいえ久しぶりの品評会なので、全作品楽しく読ませていただきました。
 お題の「one」が個人的には難しかったのかなと思います。どうにでも捉えられる分、お題を
中心に据えづらかったのかもしれません。その中でも、お題を意識させることができる作品を書
いた作者さんはやはり力があったのだと思います。
 品評会に参加した方々、てきすとぽいに転載してくださった方お疲れ様でした。時間外作品の
感想については、随時追加で行うつもりです。私の作品の感想もお待ちしています。

全体の感想はというと、わりとバリエーションは豊か。皆お題の「one」をどう扱うか骨を折ったんじゃないですか
ね。そのままストーリーに絡めにくく、抽象的なテーマにせざるを得ないですからね。あとこれは言っておきたいん
ですが、ほげおちゃん頑張りすぎぃ!!


本屋へ行き、一冊の本を手に取る。そして本の世界へ没入して行く、という感じでしょうか。
実際に「ONE」を読んでいたら、ちゃんと意図が掴めたのかもしれないんですが、私の読解力ではそれぞれの文やそ
の内容の意味を理解できませんでした。歯がゆい!という感じです。


主人公の不可解な行動や感情の変化の理由が描かれていたらいいなと思いました(自分が読み取れていないだけかも
しれないです)。序盤はきちんと説明文があるんですが、後半になるとだんだん段落が多くなって散文的?になって
いると思います。それによってある種の独特な趣が出ていると感じました。しかし一方で読者を置いてけぼりにする
ような、ともすれば「だから?」と説明を求めたくなる部分がちょっとあるような気もしました。


作者の想像の世界ではきちんと補完されているんでしょうが、それを正確に十分にアウトプットできていない、のか
な?と感じました。小説は作者と読者、両者の想像力の柱で成り立つものだと思います。ところが、いくらこっちが
想像力を逞しくしてもどうも作者の思い描いたモノがなんなのか判然としない。もっと作者の想像した物語を文章に
してくれたら、と思いました。


怖い話コピペのそれですね。オカ板でありがちな怪談話、寺生まれのTさんイズムを感じました。お題の「ONE」
が、とってつけたような対心霊現象特別部隊の通称になって消化されているという点が個人的なツボ。


ゴミ


小説は出だし9割などと言われますが、この作品の出だしだと、歳月や、とりわけ「二十年」が物語のキーになるの
かな、と思いました(実際はそうでもないかも)。普通に読むことの出来る佳作だと思いました。強いて何か文句を
つけるなら、「ONE」というお題とはあえて繋げなくても良かったんじゃないかなと。「0から1へ」あたりの文章
からふわっとしだしている印象を受けました。といっても私の難癖ですよ。

残りはいつか

No.01 たったひとつのぼくを求めて(小伏史央)
http://text-poi.net/post/u17_uina/30.html

こういう作品を読んだときにまず思うのは、どれだけ考えて書いているのかということ。
思考をただ垂れ流しているだけなのか、それとも一つ一つに意味があるのか、判断するのはとても難しいです。
あんまりタイトルと内容がマッチしていない気がするんだよな……
文字数12345は狙って書かれたのだろうか。

No.02 あの日の真白なキャンバス(ほげおちゃん)
http://text-poi.net/post/hogeochan_ver2/4.html

私の作品。これ、出した次の日にちょう後悔しました。
書いているうちに疲労感で頭の中がぐちゃぐちゃになってきて、無理矢理完成させて、「ええい、いいや出しちゃえー」と思って出しちゃったんですね。
まだ一週間ぐらい時間があったのだから、もう少し粘っても……

No.03 ヒトリ・ヒストリ(犬子蓮木)
http://text-poi.net/post/sleeping_husky/25.html

「アリケルエラスメネス」←こういう自分が知らない言葉に出会ったときにググる癖をなくしたい。
「ぼくね、今日から小学校にいくだよ」の「いくだよ」は脱字なのか、そうではないのか。
くーたん……
最後に全部繋がっていたら面白かったんですけど、そうじゃなさそうっぽいのが少し残念です。
個人的には3の話なんですけど、思考的にはちょっと『無い』気がするんですね。
自分でプラスチックの彼と言うところとか、実体はないけれどと言うところとか。
どうしても異常者を演じているようにしか見えないのです。
そういう設定だとしたらアリといったらアリなんですけど。

No.04 一本杉(茶屋)
http://text-poi.net/post/chayakyu/66.html

真・剣・に書け!
思わずそう心の中で叫んだ作品。少し笑ったけど。
一本杉も光線銃で爆発させてくれよ。
一本杉を恐れる冒頭とラストが矛盾している気がするけど、そういうのに突っ込むのは野暮なのかな。

No.05 もう、一人でいいから(すずきり)
http://text-poi.net/post/tamamogari/1.html

いや、頑張れよ(´・_・`)
最後そういう思考に陥る人見ると悲しくなってくるわ……
一度断られた本屋に毎日行くってすごい根性あると思うんですよね。報われてほしいです。
個人的には、主人公をもうちょっと能動的にしてもらわないと読む方としては苦しいと思いました。

No.06 THE ONE ◆Mulb7NIk.Q
http://text-poi.net/post/hogeochan_ver2/5.html

なかなか評価しにくい作品です。
読んでいると文章がうまくて、思わず関心票ぐらいは入れたくなってしまうのだけど。
というかつい先ほどまで入れる気でいたのだけど。あらためて振り返ってみると、どうも……うーん。
まず読んでいて違和感に残ったのが、エリナ覚醒時の描写なんですね。
変節が突然すぎる。
私が思うに人の変節には段階があって、AからBに変わるまでには中間であるABの状態が存在するはずなんですよ。
悪口言われてからしばらく放っとかれるとトラウマになるんですよ、って「ほんまでっか」で澤口という人が言ってたと思うけど、
逆に言えばトラウマになるまでには少しの時間的猶予があるわけで。
この作品からはあまりそういう部分が感じられなかった。
あと、彼女がうまく体を動かせない原因である「心理的な」問題に対して、「私の中で何かがカチリと音を立てて組みあがった」
という解決はなんだか違う気がするんだよな。肉体的な方向に問題が変わっている気がする。
そういった意味で、作者に力はあると思うんですけど作品としてはあまり押せないんですよね。

No.07 ノスタルジックの船よ、沈め ◆S6qZnfmn3/gR
http://text-poi.net/post/hogeochan_ver2/6.html

うーん、これは……
私が作者の意図をうまく読み取れていない可能性があるな。
No.01もそうなのだけど、こういう作品はただ雰囲気に任せて読めばいいのかどうなのか……
翻訳がなー。
最も気になったのは、作品の内容よりも翻訳に対する作者の考え方だったりするんですね。
私翻訳家じゃないから本当のところは分からないけれど、本当にこんなこと考えていたりするのかなと。
もっともっと、うまく翻訳できない(なかった)ことについて悩むんじゃないかなと。
なお、ラストシーンはとても印象的でした。

No.08 Black Swan Song(木下季香)
http://text-poi.net/post/kika_kinoshita/1.html

はい優勝。おめでとうございます。まあ私の一存じゃ決められないけどね(´・_・`)
ぶっちゃけ本音を言うと、気に入らないところはあったよ。
妹が本当はできる子なのに、できない子に見せているところとか。人間的に嫌い。
けどねー……なんかそういうのを超えたところにこの作品の良いところはあったな。
盲目の少女に感化されるシーンが間違いなくこの作品のハイライトなのだが、その後も新たな見せ場があるところが大好き。
いったい過去にどんな作品書いていた人なんだって見返してみると、へー、あの人だったのかー。
腕を上げたな。しゃれにならんくらい。いや、前から文章はうまかったけど。ひとつ壁を越えた感がある。
私も越えてえ。

No.09 (文章量超過) アイドル「兄は私のマネージャー」 ◆1ImvWBFMVg
http://text-poi.net/post/ksatokiti/1.html

さて、いま話題の問題作。
なんというかこれはもったいないな。
他の人も言ってたけど、中盤以降はすらすら読めるのに前半がもったいない。
あとミューがニューとかツグムがツムグとか誤字脱字が多く目立って、せっかくこんなにたくさん書いたのにもったいないよ。うん。
個人的にラストはあまり好きじゃないけど、話としてはよくできているんだよな。
ルクルと兄は最初は嫌いだったのだけど、最後のほうは好感が持てるようになって。
けど乾きやサボテンの表現が連発で、そういうところもやっぱり勿体ない気がしました。
ぶっちゃけ最初のほうマウスとかディスプレイとかボカす必要ないと思ったし。
なんか心がけ次第でいくらでも救えそうな勿体なさなんだよな。
勿体なし。

No.10 (時間外作品) ブラック・アウト ◆xaKEfJYwg.
http://text-poi.net/post/hogeochan_ver2/7.html

この作品、てきすとぽいでは No.08 の下に来てしまっているんですけど(というか私がそうしてしまったんですけど)、
ちょっと順番が悪かったかなと思いました。
悪くないんだけど、No.08 と比べるとパンチ力に欠けている気がして、どうしても見比べてしまう。
とはいえ最後のほうは完全にこの作品の世界に浸れていたから、やっぱりちゃんと書けている作品なんだな。
ただ、ユキノとヤエノミヤの関係を「そういう設定」として見てしまっているところがあって、そこをなんとか。
もう少し説得力のある描写があると印象が違ってきたのかなあと。

No.11 (時間外作品)身の回りの世界で(ほげおちゃん)
http://text-poi.net/post/hogeochan_ver2/8.html

たどり着きました、最後まで。
No.02 で後悔した私が別視点でもう一度書き直そうとした作品。
本当は時間内に間に合わせるつもりだったけど、間に合わなかったよ!
しかも最初の感想をもらって即反省……
そして実はその後にもう一度後悔という、後悔に後悔しっぱなしの品評会でした。
以前ある小説で、最後まで結末を書かない方がいいっていう話を読んだことがあって。
どうも最近それにとらわれすぎている気がしました。
また一から出直しだなぁ。

***********************【投票用紙】***********************
【投票】: No.08 Black Swan Song(木下季香)
気になった作品:No.09 (文章量超過) アイドル「兄は私のマネージャー」 ◆1ImvWBFMVg
********************************************************

印象に残った作品ほど感想が多くなっています。そういう意味で、うわ、こいつロクでもないこと書いてるなーと思うものがあっても許してください。
今回「one」というお題を出させてもらったんですけど、はっきりいってこれは失敗でしたね……
どうしても題材が「ひとり」になってしまうんだよなあ。
モウリーニョの名言を出したけど、結果的にあれも絞り込みを加速させてしまったかなあと。
本当に今回の品評会は反省しっぱなしだ!

あ、あと突然話が変わりますが、みなさんの全感をてきすとぽいに転載したいなあと考えているのですが、転載しても問題ありませんでしょうか?

以前は品評会別に感想をまとめていましたが、それをてきすとぽいでやってもいいかなあと思いまして。

あまりてきすとぽい依存度が高くなるようだと嫌がる人がいるかもしれませんが……

批評感想、及び投票を投下します。

長文となっております。


No.01 たったひとつのぼくを求めて(小伏史央)

この作品の冒頭に目を通した時に、私は思わず引き込まれました。
そして私にとってこの小説は、品評会における批評云々を抜きにして、とても好みの小説となりました。ラブです。

まず、この読んでいるとたちまち酔ってしまいそうな程に饒舌な文体。
サリンジャー、或いはサリンジャーに影響を受けたと思われる人たちを彷彿とさせます。
もちろんそれは文体の話であり、作品としてはSF要素を取り入れた文学的作品だと思うのですが。
しかし、このいつまでも終わることの無いような予感を覚えさせる軽妙な文体。これは非常に私の好みです。もう文体だけで百点満点です。
などと言ってしまうと他の作品への差別になってしまうし、平等な評価ではなくなってしまうので(私としては出来るだけ平等に評価をしたいのです)
なるべく好みとは切り離して、この小説の分析(の真似事)を試み、そして批評を書いて行こうかと思います。

SF系の書き手だと聞いて納得。自分の知っている範囲の知識で申し訳ないのですが、
円城塔さんが書くような、言葉によって思考の構築を試み、世界の在り方を言葉で構成し、そして遊び心を加えながら、
小説という文章の数式を完成させていく、まさに理解できそうで理解できない、実験的(と評してしまったら失礼でしょう
か)な作品だと感じました。
と言っても私は普段、本格SFは読みません。円城塔さんにしても、文學界に載っている幾つかの作品に目を通したことがあ
る程度です。
しかし、この一見すると不可解な、抽象をこの世のものとして具現化しようとする発想は、SF作家的文章なのだと感じました。

或いは、【3】段落目なんかは文学詩における散文詩にも似ているのではないかと私は感じます。
若手の文学系詩人(という言葉があるのでしょうか?)の作品や、文学極道というサイトで投稿される詩の如く、自由な発想で、
既存のルールに縛られない言葉の並びや使い方、文の構成の仕方で、一つの作品を作ることを試みる。
このような作品は私にとってやはり面白く、普遍的な試みによる小説的面白さの欠乏がある作品や、つまらないアイデアを
だらだら並べ立てた小説、ただ奇抜なだけの幼稚な発想などより、
どうしようもなく心を惹かれてしまう。と言うよりも、どちらかと言うと、この作品はエンターテイメントとして読むより、
文学的な実験作品として(そして前衛的な文学作品がそうであるように、この作品にも、正解の解釈はないと思う)、作者
が思うとおりの成功を収めていると私は思います。


文体としては(すみません、もう一度語らせていただきます)、西尾維新さんや佐藤友哉さんなどのミステリ系エンターテ
イメントの方々も思い浮かびました。
もちろん作者がこれらの作家に影響を受けているかまでは分からないのですが、今挙げたお二方の様に、自分の思考をすら
すらと喋るような文体だと思います。
人間の思考というものは恐らく、このように揺らぎながら常に変化していくもので、そのあたりのリアルさを私は感じました。
思いついた言葉をそのまま表記することによって、それが小説として構成されていく実験。とでもいえばいいのでしょうか。
失敗しているか成功しているのかは読み手によって変わると思います。私はひとまず、そのような目的で成功はしている文
章なのだと思います。

絶え間なく思考する人間の、思考の揺らぎ、言葉が定まらぬうちに次の思考に移ると言う思考の一面を、
作者が意識して書いたかどうかはわかりませんが、しっかり表せていると私は思いました。

本を読んでいる人間の、抽象的なイメージを具現化した作品。まあ、作品の主題は恐らくこれなのでしょうが、饒舌な文体が心地よく、
本に浸っている人間の脳という部分を書いた、面白い作品だと思います。

一つだけ惜しいなと感じた部分は、小説における”フック”が無いこと。
読者の心をひっかけるような明確なテーマ(付け焼刃的でないもの)、或いは描写、場面。それが一瞬でも現れれば、
この小説はもっと化けると思います。
もっと広く読者の心に残る作品になると思います。

お題に則しているかという点では、お題が抽象的なものであるため、このような解釈でも問題ないと個人的には感じました。

No.02 あの日の真白なキャンバス(ほげおちゃん)

うーん……評価の難しい小説です。
荒を探してしまえば色々と出てきそうなのですが、書きたいことはちゃんと伝わってくるという、しっかりした形になって
いる作品……。
物語の核はしっかりあるが、その肉づけが薄く、味気ないと言う印象を抱いた作品でした。

とりあえず気になった点を以下に書かさせていただきます。

まず
>>以前まで写真に興味のなかった私が、急に興味を持ち始めたこと。雨であるにもかかわらず、わざわざ夜に散歩しに外へ
出かけたこと。
>>公園に足を踏み入れたこと。どれもが自分の認識する自分とは異なっていて

物語のきっかけとなる大事なこの部分の説明が、最後まで明確になされていないような気がしました。
この描写における主人公の動機、あるいは主人公が異常な思考へと変わってしまった理由を説明しないと、
主人公がどうして正常な思考から足を踏み外していったのか、と言うのが分からないと感じました。
もちろん、あえて不気味さを演出するためにそうした可能性もありますから、そうした方がいい! と私も強く言うことが
出来ないのですが、しかしこの部分は少しモヤモヤする点でした。

次に >>あのスマホには、絶対に他人には知られたくないデータが入っていた。もし知られたら、自[ピーーー]るしかなくなって
しまう――

この部分。
多分、読者に想像を促していると思われる描写。最後まで謎は明かされない(もしかしたら私が気付かなかっただけで明か
されていたのかもしれません)。
物語における重要な謎として受け取ったのですが、しかし最後まで読んでも、結局この描写の意味するところが分かりませんでした……。
どうしても、主人子がのっぺらぼうのいる場所へ戻るための道具として出された感が否めないのです……うーん。
私の勘違いか、読解力のなさのせいもあると思うので(時々、壮絶なる変な読み方をしてしまう時があるのです)作者さん
の考えがあるのならば、教えて頂きたいです。
主人公が子供を誘拐すること(背徳行為へと落ちていくこと)を示唆する布石でしょうか。
それとも他にも子供がいたと言う事なのでしょうか。
今一つ、この描写の意味するところが読み取れませんでした。物語的に、重大な感じがする書かれ方をしてるのですが……。

その辺が気になりつつ、最後まで読んでみました。
そうしてみると、この作品におけるテーマは【自分よりも弱い者に依存しようとする、孤独な女性の不安定さ】だと解釈し
ました。

オチでは、自分が依存していた者が地位を得て、そしてまた一人になってしまう。主人公自身も老いてしまって、女性とし
ての尊厳も失われていく。
何と言うか、子供を勝手に攫って依存した(あるいは依存させた)という事への報いを感じさせる、勧善懲悪的な着地な仕方だと感じました。

この辺は、以前から書かれているほげおさん的テーマがぶれていない感じがして、とても良いと思いました。
背徳に身を任せて孤独になる、というのを瑞々しい世界観で書ける人だと思いますので。

しかしながら、人物の造形の仕方や、会話、人がのっぺらぼうに見えると言う比喩も、少し定型形の様な気がして、モヤっとしました。
ほげおさんが絶好調な時は、とても瑞々しい比喩をされる方なので、少し今回は疲れていたのかな、という勝手な印象を受けました。すみません。

物語のテーマはしっかりと感じますし、書きたいことも理解できる。
ただ、その物語の道筋が少し、ストレートに行き過ぎなのではないかと言う気がしました。
女性が狂ってしまったきっかけとなる描写、回想、そのような場面が挟まれていれば、惹きこまれたような気がします。
あるいはその女性の過去、心の深い部分、を読んでみたかったです。

良い部分と悪い部分が、奇妙に同居している小説だと思います。
その点で、どう評価したらいいのか、私は少し悩んでしまいました。
後半の文体も、描写が淡々としすぎているような気もします。

厳しいことを書いてしまいましたが(お気を悪くされたらすみません)、しかし良い時のあなたを知っている分だけ、
この小説に落差を感じて、あまりいい評価が与えられませんでした。

No.03 ヒトリ・ヒストリ(犬子蓮木)

私もよく、文章を書き始めた時にこのような作品をたくさん書いていました。
小説の形態と言うよりは、散文詩的、頭の中の設定やシチュエーション、比喩を書き出し、そして構築を試みるタイプ。
私は前から思っていたのですが、犬木さんは詩人的な方だと思うのです。草食系的な詩に近い形態を好む人だと思うのです。
ホープノーマルしかり前回の作品しかり。品評会では評価が得にくいと思いますが、しかし自分の勝負できる作風があると
言うのはとても素晴らしいと思います。
この作品は小説観だけを持ち出して評価するのは少し違うと思うので、
純粋に文章と表現を見て、批評を書いて行こうかなと思います。

それぞれの設定や着眼点……というよりモチーフとなるアイデアは素晴らしいと思います。
しかし、そこに読者の心を驚かせよう、揺さぶろう、裏をかこうと言う、変な言い方をすれば『ズルさ』がない。
巧い書き手と言うのは(もちろん私はまだまだそこに到達していませんが)、優しい世界を書いていても、
このような『ズルさ』、読者を驚かせようと言う試みが入っているものです。
それを加えられたら(言うは易し、しかし実際には難しい、私も挑戦し続けています)、この文章はもっと良くなるように
思いました。

それと文体。恐らくそれぞれの場面で違う人物なのだろうと思うのですが、それぞれの一人称をもう少し工夫したら
作品に面白さが出たのではないかと感じました。それぞれに差異がなく、人間性が深く表せていない気がします。
最後に出てくる人物が書いていると言う設定なのでしょうが、ただ描写が羅列されているだけで、そこに主張があまり感じられませんでした。

しかしながら、この作品を読んでいて可能性を感じさせるアイデアがたくさんありました。
例えば場面2や場面3、5など、人間の暗部を予感させるアイデア(人形に依存する、異性の人形を買う等)があるので、
その病んだ面をしっかり誤魔化さずに書けると、と言うよりも格好つけずに書ければ、もっと深みが出るような気がします。
と、無責任に書きましたが、犬木さんの作風で汚いことに挑戦すると言うのは、ある意味では諸刃の剣かも知れません。
あまり私のアドバイスを気にせず、参考程度にお受け取りください。

一つ一つのアイデアは面白いと思ったのですが、その一つ一つ、あるいはどれかを、もっと深く掘り下げて見てほしいと
誠に勝手ながら感じました。

あと、お題への結びつきが弱かったです。そこが弱点となってしまうのは惜しいと感じました。


No.04 一本杉(茶屋)


【洒落にならない怖い話】ではなしに、【洒落になる怖い話】。

文章はかなり読みやすく感じました。
余計な装飾のない文体で、淡々と語られる物語は、読者を引き込むのに適していたと思います。
怖い話と言うのは、どうも怖がらせようという意識が働いて、変におどろおどろしい文体になってしまいがちですが、
作者さんはその辺のバランスが巧く、変に驚かせようとせずに語りを進めていたので、引きこまれるように読ませていただきました。

そして恐らく評価が分かれるのは、この奇抜なオチなのでしょう。
メフィスト賞作家の方々を思い出します。ぶっ飛んだオチです。
私は個人的にとても好きで「ぶっ飛んでるなあ」と思いながら好意を持ってしまうのですが
しかし投票するのにこの小説を推せるか、と言ったら考え込んでしまいます。

もっと強烈な爆発を感じてしまいたいと、心の中でもやもやとした気持ちが残ってしまいました。

ストレートに怖い話で終わらせたくなかった作者さんの意図は感じられたのですが、
うーん、やっぱり小学生的なぶっ飛んだオチと言うのが、ちょっと安易じゃないのかと思ってしまいます。
すごく好きなんですけどね。

小説とは関係ないですけど、大喜利をやってる時のホリケンさんとかを思い出します。
でも、ぶっ飛んだオチで勝負するのならば、もっとこちらを木端微塵にするぐらいの爆発力が欲しかったです。
もっと根底から度肝を抜くぶっ飛んだオチがあったらと、そう思ってしまいました。

しかしショートショートとして読むと、王道な感じで、上手い構成だなあと感じます。
でもまだまだ圧倒的にインパクトが足りないし、巧いと思わせるオチでもないのが残念でした。


No.05 もう、一人でいいから(すずきり)

本作を読み終わり、この作者はこの作品で何を述べたかったのだろうかと考えた時に、
【自分の心境や感覚を共有する相手のいない、自意識だけが肥大した孤独な女性】を書きたかったのだろうと、私は勝手に推測しました。
No.2と大まかなテーマとしては一致しているような気もします。

電車内でスマホばかりを弄る人、愛想がよく外見に気を遣っている自分とは正反対の先輩(異性)
化粧のできない自分、垢抜けてしまったかつての同類、そのような人物対比、というかアイデアは面白いし上手いと感じました。

あと個人的な感想なのですが、宗教(あるいは自己啓発セミナー?)の怖さが書かれていないため、
リナちゃんがただ宗教を勧めてくる勧誘員のようになってしまっていて、今のリナちゃんの人間性が描かれていないのが
残念に思いました。

他の人も書いていましたが、その宗教の恐ろしい面、怪しい面、あるいはリナちゃんが
マインドコントロールされている描写と言うのがないと、何と言うか、
主人公が感じる社会の(あるいは人間関係の)面倒くささと言うのが深く伝わらないと思うんです。

それに、ただ批判されるべき記号として簡単に宗教を出したみたいに見えて、
あるいはとても糾弾されることになるかもしれません。まあ、そんなうるさい事を言う人なんてほとんどいないと思うんですけどね。

ただやはり、そうですね……。
リナちゃんがマインドコントロールされているんだな、としっかりわかる描写が欲しいと感じました。
もしくは、主人公が宗教セミナーに参加し、そのセミナー独特の気持ち悪さをしっかり描写してしまうとか。

物語としては、社交性のないまま大人になった女性が、結局そのまま一人で生きていくことを決意した。
いわゆる【社会の中で生きているマイノリティーな人間の苦しみ】的作品だと思います。どちらかと言うと文学系。

だとすれば、もう少しその主人公の孤独を踏み込んで書くか、
あるいは宗教的マインドコントロールの恐ろしさの方を主題にしても面白かったんじゃないかなと、
個人的に思ってしまいました。

文章は読みやすく、とても上手だと思いました。
人物造形はありがちながらも、変に奇をてらっていなくていいと思います。


No.06 THE ONE ◆Mulb7NIk.Q

他の方も仰られている通り、文章がとても上手でした。
しっかりと海外作品風(翻訳調)の文体を作りだし、淀みなく最後まで書けていると感じました。
そして物語も面白く、最後まで飽きることなく読むことが出来ました。

小説としての完成度は、かなり高かったのではないかと思います。


しかし一方で、>>――落ちていく瞬間、私の中で何かがカチリと音を立てて組みあがった。

ここがやはり唐突で、ご都合主義と言わざるを得ない感じがしました。ここまでの流れが素晴らしいだけに、
この描写が唐突に現れたことで違和感を覚え、戸惑いました。

そのような都合の良い奇跡が、人間の身に唐突に、しかも抜群のタイミングで起こる事なんてまずあり得ません。
もしそのような奇跡を描くのならば、それを読者に納得させるだけの密度の高い描写をするか、
それとも奇跡が起こるまでの予感を感じさせる、身の変化を読者に気づかせるような描写を事前にしておくべきだと感じました。

物語における奇跡というのは、やはり読者に納得してもらわなければいけません。
それは本来、現実ではありえない事なのですから。
失敗してしまうとご都合的展開だと揶揄され、作品を傷つけかねない諸刃の剣だと思います。
もちろん私も、奇跡をうまく描写することは出来ていません。使いたくなりがちですが、やはり難しいです。

更にこのエリナの体が正常になる描写、それが唐突にエリナが語ったという回想描写として現れるので、
読む際に引っかかってしまいます。
主人公の視点で描写してから、後にエリナはこう語った――とすると自然になるのかなと感じてしまいました。

と、偉そうな事を言ってしまいましたが、この部分以外がとても魅力的で完成度が高いだけに、
一番の見せ場で違和感を覚えさせるのは惜しいなと、どうしても感じてしまったのです。

それくらい上手な文章、構成だったと思います。素晴らしい作品でした。


No.07 ノスタルジックの船よ、沈め


実を言うと、自作です。

とあるアメリカの新人小説家であるお二方の小説を読み、「この人たち凄いっ!」と唸らされ、
自分もそんな作品を書いてみたいと思い創った作品です。

故に、品評会で見てもらうために書いた、と言うよりは、
自分の好きなものを好きなように書くという趣旨のもとで書かれた作品です。
品評会で勝てる作品ではないな、と思いながらも、どのような評価がされるのだろうとワクワクしながら投稿した、
そんな実験的作品でした。

この作品及び今回品評会に参加した理由は、No.1さんの作品を見て、これはすごいなと思わされ、今回は品評会に参加して、
自分を高めるためにこの人と競い合ってみようと思い、この作品を書き始めたのです。

当初、全くアイデアが出ずに、とりあえず好きなものを書いて、その後でちゃんとしたものを書こうと思い、
こんな摩訶不思議な作品が出来上がりました。
影響を受けた二人の作家さんも、詩的で不思議な世界観の小説を書いている人だったので。
もちろん私とは比べ物にならないくらいに、すごい想像力と技術で書かれています、私が影響を受けた方たちは。

ちなみに、この小説がちょっと奇抜すぎるのと、二作連続で同じトリップの人が投稿したらうざいかなと思い、
いつも使っているトリップとは別で投稿させて頂きました。
いつも使ってるトリップだと、知っている人からすれば、「また変な作品書いて来たな」と思われそうでしたので、
色眼鏡なしで(私を知っている人がいるかどうかも分からないですが)どのような評価を受けるのかと、挑戦した作品で御座います。

ほげおさんにはお手数をかけてしまい申し訳ありません。転載ありがとうございました。本当、ごめんなさいっ!


No.08 Black Swan Song

いつものトリップで投稿しました、自作です。

書いている途中で、あまりにも普遍的すぎないか、長すぎて話がたるまないか、と不安になっていたのを覚えています。
書き始める前に、簡単にプロットを作り、構成に力を入れて書いた作品です。
吉田修一さんのような、構成が上手い小説を目指して、この作品を書き始めました。

書き終わって投稿した後も、この小説が皆様にどのような評価を受けるのかドキドキして過していました。
もっと読みやすく書くことが出来たのではないかと、文体が気になってしまって……。
いつもとは違い、文体よりも構成に力を入れたので……どうなるのだろうなあ、と。

それと、書いた後にふと思い出したのですが、
私が小学生の頃、学年の離れたクラスに、双子の兄弟がいました。
彼らは一卵性双生児であり、顔では見分けがつきません。性格もまったく一緒、声も一緒、
それが当時の私にとって、とても不思議に感じたのです。

彼らが高校を卒業したある日の事。
私は高校に入ったばかりで、彼らの存在など忘れて新たな友達を作り、過していました。
学年が離れていたこともあり、あまり接点もなかったのです。
そんな双子の情報が耳に入ったのは、恐らく夏頃だったと思います。
仕事から帰ってきた母が、〇〇くん(双子の弟の方)が、警察に逮捕されたらしいよ、と教えてくれたのです。

私は驚きました。いつも明るく皆の人気者だった彼が、なんで逮捕されたのだろうと。
母が言うところによると、暴行で逮捕された、との事でした。

更に二人の近況を、母が続けて話してくれました。
双子の兄の方は有名大学に行き、好きな事を学んでいるそうで、
弟の方は高校を卒業した後働きに出て、今回暴力事件を起こしてしまったらしいのです。

一体全体、全く同じに見えた二人が、なぜこうもそれぞれ変わってしまったのか。
どこの時点で二人は別々の方向に向かい始めたのか。私には不思議に感じました。
書いている途中に思い出したわけではありませんが、書き終わってしばらくした後に、
その二人の事を思い出していました。

――私は双子=二人という認識で彼らに接している。しかし彼らはやはり、それぞれ一人の人間であり、
それぞれの人格を持っているのだ。
彼らは外見が同じというだけの、まったく別々の人間である。

その考えは、書き始めた時から自然と浮かび、この小説のテーマとして持ちだされたものでした。
そのテーマが、自分なりになんとか書けて、ほっとしています。


No.09 (文章量超過) アイドル「兄は私のマネージャー」 ◆1ImvWBFMVg[


登場人物の関係性を丁寧に書いたエンターテイメント作品。他の方が言われている通り、
序盤の文章が不安定だと感じました。
色々と気になる部分が多く、物語の中に入りにくかったです。

それと最初の方の文中にある、『身を固めて』の誤用も気になりました。
意図は分かるのですが、そこはあえて身を固めると言う凝った表現を使わずに、
『留まって』などの表現でよかったように思います。
このような微妙な違和を感じさせる文章が時々出てきて、その度に読むのが止まってしまいました。
なんかうるさくいう奴ですみません……。


序盤の展開でも気になることがありました。一番最初の場面。あそこはいきなり書くべき場面だったでしょうか?
ガラスの向こうとこちら側(非現実側)と言うことを強調したかったと思うのですが、読者としては混乱してしまいます。
三人の関係をミステリアスに演出しているのでしょうが、正直に言うと、ここがあまり機能していなかったように思えてならないです。
男がゲームを始める場面からでもよかったように思えてしまいます。その後で、ミュー(ニュー?)とルクルの会話を入れれば、
流れとして綺麗に見えた気がします。

その他、人物の名前が安定していない(ニュー→ミュー等)、段落の最初が空けられていない、『ふいに突然』など日本語として変な文章がある
などいろいろと気になることはありましたが、しかしこの作品が、一番読者を楽しませようとして苦労して書かれた作品なのが分かりました。
作者の力の入れようが伝わってきます。
悩みながら(あるいは楽しみながら?)時間をかけて作られた作品なのでしょう。
それだけで、もう評価に値するのだと思います。

設定としては、ライトノベルやギャルゲー、小説家になろうなどで書かれていそうな、不思議な設定のエンターテイメントだと思います。
指摘すべき穴は結構あるように思いますが、最後までしっかり物語を書き、丁寧に描写を続け、最後まで書ききったのはとてもすごいです。

この作品においては野暮なことは言わず、楽しめるか楽しめないか、それに尽きると思います。

が、最後に一つだけ野暮な事を言うのならば、お題にそっていないような気がしてなりません。
以前本スレ>>419で出された【女子アイドル『兄は私のマネージャー』】をお題として書かれた作品であるような気がします。
まあ、【one】を感じさせるような描写もなくはないですが……。この品評会に出すべき作品だったのか、疑問を感じます。

と意地の悪いケチをつけてしまいましたが、一番力を入れて書かれた作品であるように思うので、このレス数にはやはり賞賛します。
まさに問題作でありながら力作だと思います!

No.10 (時間外作品) ブラック・アウト ◆xaKEfJYwg.

読んでいて切なくなりました。書き方が上手かったです。
最後の辺りが少しわかりにくかったです。と言うよりも、ミズカの抱える闇が今ひとつわからなかったです。
恐らく私の読解力(および想像力)が足りないのだと思います。
しかし作品の雰囲気や書き方は、今回の品評会の中で一番好きでした。

恐らく読み手である私たちが、二人の関係を、そしてそれぞれが抱える思いを想像することによって、映える作品なのだと思います。
読み手によって評価は分かれそうな気がします。彼女たちの抱える複雑な思いが、もう少し見えればいいのに、と私は思ってしまった。
なんだかこの作品に妙に惹かれた。心を動かされた。それは確かです。



No.11 (時間外作品)身の回りの世界で

No.2の作品よりも、文章が安定している印象を受けました。
この小説の後半、前回のような短い描写を書き繋げていく文章から、一つ一つの心情を掘り下げようとする文章になっていて、
良くなっているように感じました。
以前の『のっぺらぼう』というメタファーを持ち出すよりも、自然に母親との回想が入っていることで、主人公の人間性が少し見えた気がします。

ただやはり、子供を拾って育てると言うことは大変なので、その辺の葛藤なり、親となった自分の心情や、
かつての母の心情を想像するなりがあったらなあ、となんとなく思ってしまいました。

ラストシーンについては、人間などそう簡単に変わることが出来ない、というメッセージが込められている風に私には思えたので、
これはこれでいい終わり方なのだと思います。
結局は主人公にダメな部分があり、そこを直せずに、また元の孤独に戻ってしまう。大人になった人間がそう簡単に変わることなど出来ないのだ、という主張に感じました。
孤独に戻る場面と言うのは作者さんが書きたかったことだろうし、これはこれできっちり成功していると私は感じました。

たとえどんな人間と出逢おうが、本質的な問題を解決しなければ、人は心から変わることなど出来ない――
私にはそんな叫びが聴き取れたような気がして、わりと好きなのです。
それが意識的に書かれたものなのか無意識に書かれたものなのか分かりませんが、
駄目な人が、陳腐な創作の様に、簡単に心を入れ替えて人生が変わるだなんて、それは嘘っぽいですし、物語に対して正直ではないです。
作者さん的には後悔はあるのでしょうが、この作品はこの作品のままでいいのだと私は思います。

そしてできれば、主人公の問題の本質、という部分を少し踏み込んで書いてほしかったと感じました。

投票する際に、N0.1とNo.6どちらに投票すべきか相当悩みました。
いっそのこと両方に投票しようかなとも思いましたが、やはり一つに決めるべきかどうかを思い、最終的にこのような結果に決めました。

***********************【投票用紙】***********************

 【投票】:No.06 THE ONE ◆Mulb7NIk.Q氏

       物語の構成力とリーダビリティという点を重視して考え、No.6に投票します。   
       読んでいく中で、一番物語に引き込まれ、心地よさを味わうことが出来た小説でした。
       今回の品評会の中では、小説としての完成度が一番だったと思います。
一つ欠点をあげるとすれば、お題の扱い方に疑問を持ちました。『one』への持っていき方が、無理やり繋げたような印象を受けるのです。
       もちろん、『one』を上手く使えなんてルールはないですから、これはこれで良いのだと思います。
       私にとってはこの小説が一番でした。  

     :No.01 たったひとつのぼくを求めて(小伏史央)

       散々悩みましたが、やはりNo.1も投票させていただきます。
       一つの作品しか投票しないと決めていたのですが、やはりこの作品を関心票で済ませてしまうのは個人的に惜しい。
       実験的な作品でありながら、ここまで読ますことが出来るのは、評価に値すると思うのです。
       ずば抜けた一つのアイデアや表現こそなかったが、饒舌な文体での抽象的思考の構築は、やはり読んでいてクセになりました。
       最初はNo.6だけに投票しようかと思ったのですが、こういう実験的な作品が品評会では評価されにくい事を考え、
       ならば自分が推そうと思い、最終的にこの作品の投票に至りました。



 【関心票】(気になった作品)

      :No.10 (時間外作品) ブラック・アウト ◆xaKEfJYwg

        単純に読みやすく、物語に惹きこまれました。
        これが時間内に来ていたら、恐らく投票する際に、三つ巴の戦いになっていたと思います。
        どれに投票するか余計に悩んでいた事でしょう。次回は、ぜひ時間内に間に合わせて、優勝争いに食い込んでください。
         
      :No.03 ヒトリ・ヒストリ(犬子蓮木)

        上記の作品よりも、何歩か劣る印象だったけれど、これからどう進化していくのか気になりました。
        世界観や、一つ一つのアイデアは、作者の中で完璧にイメージできており、出来上がっていると思います。
        あとはそれをしっかりと読者に伝える技術なり、リーダビリティがあれば、大いに化ける作者さんだと感じました。
        技術的に未熟さを感じさせるけれど、これからに大いに期待したいと言う意味で、気になった作品にあげさせていただきます。

********************************************************


  【総評】

今回はレベルの高い作品が多かったように思います。
いつもよりも多くの投票や関心票を入れていました。
上位三つの作品はそれぞれに良い部分があり、本当にどれに投票すべきかを悩みました。

お題については、かなり難しかったと思います。
もちろん難しいことが悪いわけではありません。それこそ腕の見せ所な気がします。
が、やはりお題に則りながら、それでいて読んで面白い小説を書くと言うのは、大変難しいことなのだと実感しました。

そんなお題にあっても、それぞれに個性のある、いろいろなタイプの小説が揃い、読んでいて楽しかったです。
ちなみに私も偉そうに批評など書いていますが、私の小説観は結構偏っているので、
偉そうな批評が書かれてあっても、話半分で笑い飛ばしてください。
その人にとって的外れなアドバイスになっていることもあると思います。

それと他の人も仰っていましたが、今回のお題のためか、確かに孤独や諦めをテーマにした小説が多かったような気がします。
どうしても『one=一人、一つ』というイメージが浮かびやすいのだと思います。
こういう品評会だと、他の人とアイデアが被ると言うこともありますので、小説の主題の選び方も難しいですね。

自分は二作品出しましたが、珍しく十作品を越える作品が集まって、盛り上がったと思います。
運営をしてくださった方、作品を投稿した方、感想を書いてくださった方々の全員に、心から感謝をしたいと思います。
皆様お疲れ様でした。

投下終了です。レス数を多く消費してしまいすみません。

【本スレ】
投 関
1    No.01 たったひとつのぼくを求めて(小伏史央)
    No.02 あの日の真白なキャンバス(ほげおちゃん)
  1  No.03 ヒトリ・ヒストリ(犬子蓮木)
    No.04 一本杉(茶屋)
    No.05 もう、一人でいいから(すずきり)

1    No.06 THE ONE ◆Mulb7NIk.Q
  1  No.07 ノスタルジックの船よ、沈め ◆S6qZnfmn3/gR
2    No.08 Black Swan Song(木下季香)
  1  No.09 アイドル「兄は私のマネージャー」◆1ImvWBFMVg(さと吉)(*1)
  1  No.10 ブラック・アウト ◆xaKEfJYwg.  (*2)
    No.11 身の回りの世界で(ほげおちゃん)(*2)

    
【てきすとぽい】
投 関

  3  No.01 たったひとつのぼくを求めて(小伏史央)
  2  No.02 あの日の真白なキャンバス(ほげおちゃん)
1    No.03 ヒトリ・ヒストリ(犬子蓮木)
  2  No.04 一本杉(茶屋)
  1  No.05 もう、一人でいいから(すずきり)
2    No.06 THE ONE ◆Mulb7NIk.Q
1    No.07 ノスタルジックの船よ、沈め ◆S6qZnfmn3/gR
  1  No.08 Black Swan Song(木下季香)
  1  No.09 アイドル「兄は私のマネージャー」◆1ImvWBFMVg(さと吉)(*1)
    No.10 ブラック・アウト ◆xaKEfJYwg.  (*2)
    No.11 身の回りの世界で(ほげおちゃん)(*2)

    
【合計】
投 関

1  3  No.01 たったひとつのぼくを求めて(小伏史央)
  2  No.02 あの日の真白なキャンバス(ほげおちゃん)
1  1  No.03 ヒトリ・ヒストリ(犬子蓮木)
  2  No.04 一本杉(茶屋)
  1  No.05 もう、一人でいいから(すずきり)
3    No.06 THE ONE ◆Mulb7NIk.Q
1  1  No.07 ノスタルジックの船よ、沈め ◆S6qZnfmn3/gR
2  1  No.08 Black Swan Song(木下季香)
  2  No.09 アイドル「兄は私のマネージャー」◆1ImvWBFMVg(さと吉)(*1)
  1  No.10 ブラック・アウト ◆xaKEfJYwg.  (*2)
    No.11 身の回りの世界で(ほげおちゃん)(*2)


 *1...文章量超過
 *2...時間外

というわけで優勝は、「No.06 THE ONE ◆Mulb7NIk.Q」でした。
おめでとうございます!

自分が参加しておいて言うのもなんですが、今回は力作が多く、
価値がある優勝だと思います。

優勝者はお手数ですが、次回のお題の決定をお願いします。
#とりあえず6/14(土)ぐらいまでで・・・・・・?

あ、あれ?投票期間、今日の0時までかと思って余裕かましてたら全部終わっちゃってた……?
まあ、いいや中途半端だけど全館投下しよう

No.01 たったひとつのぼくを求めて(小伏史央)
http://text-poi.net/post/u17_uina/30.html
なかなか評価するのが難しい小説。一度目を通し終わって、恐らくリチャード・バックの「ONE」を読んでいる主人公の心理世界を饒舌体で
描写しているんじゃないかな、とあたりをつけてみる。件の「ONE」は読んだことがないので、グーグル先生のお世話になり、あらすじを読む。
なるほどなるほど、と。どうも平行世界の話らしい。それから愛の話。「ONE」は素直な筋のある小説ではないのだろうか、どのサイトを眺めて
も、ストーリーの部分にはあまり触れられていない。それを念頭に置いて読み返してみる。するとどうもこれは、心理世界を描写しただけの
単純な話ではなさそうだ。
と、ここでいきなり話は変わるのだけれど、僕は以前にハーラン・エリスンの「世界の中心で愛を叫んだけもの」に触発されて、その構成や
モチーフを借りた小説を書いたことがある。それをふと思い出してニヤリとした。そこでまあ、氏の書いた小説を読み込むためにはやはり「O
NE」というテキストが必要になるのだろうから、どうにも評価が難しい。でもまあ、そうはいっても手元に問題の本はないし、仕方がないので
予想をまじえながら再び読み進めてみる。
語り口はどうだろうか。饒舌であり、とりとめなく、要領を得ない。これも予想でしかないのだけれど、元となったテキストは恐らく明晰な文章
(つーかフツーの文体と置き換えようか)で、平行世界のありさまを描写してるのだろう。じゃあ、次の点。様々な平行世界を旅し、自分の元
いた世界に戻ろうとするという、大まかな話の流れは一致している。ふむ。だが、書こうとしているものは全然違うんだな、と比較してみて気
付く。そしてまたニヤリ。容器は一緒だけれど中身は全然違う、まさに僕が昔やったのと同じ試みだ。ちょっとしたシンパシーを覚える。
この小説はどこへ向かうのか。こういった物語に王道的な解釈を施すのは難しい。なぜなら、そこにある文章が「意図せず書かれている」
可能性があるからだ。意図せず書かれた文章、こいつはやっかないな言葉だ。あるいは目的のない実験。
まず一応、5・4の章、3・2の章がセットになっているのは見てとれる。で、5・4の連なりは元となったテキストに関してのオマージュ色が強い
ことに対し、3・2は「1」というキーワードに基づいた文章になっている。3は単語を「1つ」づつしか使用できないというルールに、2は二人の
ぼくの一人称を「一つ」の段落に収めるというルールに従っている。屋台骨だけは見えた。
リチャード・バックによる「ONE」には(読んでないけど)どうやら明確なテーマがあるみたいだ。読み手は、「愛について」だとか「運命について」
「人生について」、いろいろな意味で「ONE」という題名らしい小説だとレビューしてる。じゃあ、この小説はどうだろう。構造について分析は
してみた。が、とりとめない文体は物語そのものの意味を散逸させてしまっている。何がしたいのかは分かったが、何が言いたいのかは
分からなかったという状態。そういった状態に読み手が陥ってしまうと、やはり疑念が生じてしまう。これは意図をもたない文章、ナンセンス、
狐と狸の化かし合いといったものの類なんじゃないか、とね。
なんとなくではあるけれど、「自己愛」あるいは「自己嫌悪」についての小説なんじゃないかなという気はした。だけれど、気のせいかもしれ
ない。自信を持って判断するための材料がやはり少ない。読者を特定の目的地に導くための道標は、信用していいのかわからない(語り手
への信頼の欠如)、もしくは、何らかの形で秘匿されている(饒舌は多くの無意味の中に真意を埋めていく)。一連の流れの中で、重要そうに
見えるのは、世界から世界への移動方法だ。「1」以上に分裂した「ぼく」を殺すことによって、別の世界へ。死についても幾度となく作中で
触れられるし、博愛的だった「ぼく」が、他の「ぼく」に大して激しい憎悪を抱くといったような変化も起こる。なるほど、分かりやすい。分かり
やすすぎて、逆に解釈に困るほどだ。この線で追っかけていけばそれなりに「こじつけ」は出来るだろう。
だけどこれらの出来事は、重要そうに見えるだけで、作者の中ではそれほど重視されていないのかもしれない。やはり最初に生じた疑念
通りに、作者は何も考えていなくて、実はただ垂れ流しの文章をここに残しただけという可能性もある。
と、まあ、そういうわけで評価に困るんだよなあ。ただの文体練習じゃね、とか思っちゃったり。も少しヒントがあれば読みやすかったかもー。

No.02 あの日の真白なキャンバス(ほげおちゃん)
http://text-poi.net/post/hogeochan_ver2/4.html
声に出して読んでみよう

No.03 ヒトリ・ヒストリ(犬子蓮木)
http://text-poi.net/post/sleeping_husky/25.html
恐らくSFを齧った書き手なのだろう

No.04 一本杉(茶屋)
http://text-poi.net/post/chayakyu/66.html
くだらねー、と思いつつちょっと笑ったよ

No.05 もう、一人でいいから(すずきり)
http://text-poi.net/post/tamamogari/1.html
読みやすいね

No.06 THE ONE ◆Mulb7NIk.Q
http://text-poi.net/post/hogeochan_ver2/5.html
自作

No.07 ノスタルジックの船よ、沈め ◆S6qZnfmn3/gR
http://text-poi.net/post/hogeochan_ver2/6.html
好き。とーひょー

No.08 Black Swan Song(木下季香)
http://text-poi.net/post/kika_kinoshita/1.html
上手い。かんしん

これからバイトなので、お題は帰ってから考えます
運営者の方、参加者の方々、お疲れ様でした

品評会のお題は「泣」で。
特に制限は無し。解釈は自由。できれば泣ける小説が読みたいな。
というわけで、乙乙

>>863
お題ありがとうございます。


期間は以下の通り考えていますが、皆さんどうでしょうか?

投稿期間:06/22 (日) 00:00 ~ 06/30 (月) 23:59
投票期間:07/01 (火) 00:00 ~ 07/06 (日) 23:59
集計発表:07/07 (月)

本当は個人的には土曜日締めにしたかったんですけど、日付がうまくいかなくて……

問題なければ明日にでもてきすとぽいにスレを立てようと思います。

ありがとうございます。

待っててもとくに意見は出なさそうなので、てきすとぽいにスレを立ててみました。
http://text-poi.net/vote/66/


お題「泣」
特に制限は無し。解釈は自由。できれば泣ける小説が読みたいな。

投稿期間:06/22 (日) 00:00 ~ 06/30 (月) 23:59
投票期間:07/01 (火) 00:00 ~ 07/06 (日) 23:59
集計発表:07/07 (月)

 「暑い! 汗臭い! 下着がベタベタする! もう嫌!」
「そんな事を叫ぶ無駄な体力があるなら、黙って掘れ」
太陽から容赦なく日光が照りつける中、青いジャージを来た少女と、白いティーシャツにジーンズというラフな恰好をした青年が、ひたすら地面を掘っていた。
「なんで、なんで私がこんな事をやらないといけないのよぉ……冷暖房の効いた部屋で本を読むだけでいいと思ったから、歴史研究グループを希望したのにぃぃー!」
「生憎と、そういった作業はもうとっくの昔に終わっている。今のメインは発掘調査だ」
「こんなところ、掘っても何か出てくるわけないじゃない! それともなに? ここで勾玉の一つでも発掘された事があるの!?」
男が右ポケットから、化石を取り出した。その化石は胎児のような形をしており、頭蓋骨にあたる部分に穴が開いている。
「……それ、本当にここから出たの?」
「ここから出たんだよ。そういうわけで、至急俺たちが駆り出されたってわけだ」
「ぎゃー! これ、早く見つからなかったら休みがなくなるパターンじゃないの! もう映画、予約しちゃったわよ!?」
「その映画だって、こういう作業がなかったら見れなかったんだ。文句を言わずに働け」
「うぅ……わかったわよぉ、もう」
少女がスコップを手に取り、思いっきり地面に突き立てた。
その衝撃で、辺りに生えていた樹木が軒並み根っこから吹き飛ぶ。
「力込めすぎ、発掘物に傷がついたらどうするつもりだ」
「あー! もーーー!」

数時間後、標高20メートルほどの山と、これまた大きな穴ができていた。
少女が発掘物を見て、残念そうに呟いた。
「……これが全部、勾玉とかだったら良いのに。」
「俺達の大きさじゃ、勾玉が出ても砂粒程度にしか見えんさ」
「はー……もう、絶滅した古代人なんてどうでもいいじゃない。創造主がなにを思って私達を作ったかを調べなければならない? どうでもいいわよ、もー」
「残念ながら、娯楽作品はなさそうだな。あれば高く売れるんだがな……」
「コレクターが原本を欲しがるんだっけ? 古代人サイズのだから、読めないのによく買う

>>902
文章は何となくロマンチックで良いと思います。
ただ、2レスの短文に対して無意味な謎、というか不明点が多いかなという印象。

例えば、巨人/古代人/創造主、という3つの噛み合わなさ。

最初は古代人=創造主で巨人とはゴーレムのことかな?と思ったけどそうではなさそう
(「古代人」とわざわざ呼ぶことから自分達は新人類=彼らからの派生であるという認識があるので)。

次に創造主=神(「古代人」を作り、その絶滅後に巨人=新人類を作った)
と見て読んだ時、勾玉への拘りがよく分からない。
勾玉って、文中で暗に書かれているように「形状」の祭具で、
胎児だとか魂だとかの形を模した物(とされている)だから、
どちらかと言うとアミニズム寄りで、あんまり「神(創造主)」とは関係なかったり。
(八坂の勾玉が『三種の神器』に指定されてる節はあるけど)

それと、時系列的な違和感が少し。
古代人が『化石』になるほどの時間経過があるのだから、
ジャージ・Tシャツ・映画 とか、現代的な物質の名前は不適当かなと。
「銃」は埋まっている=勾玉との対比に使われているのに…ってなった。
なかなか難しい事だけど、都合のいい所だけタイムリープさせないように気をつけるべきだな、
と自分への教訓込みで思いました。


粗を探したようで申し訳ないけれど、
「十数行も書く程度にはちゃんと読んでくれたんだな」と好意的に受け止めていただければ幸いです。

間にあったー

さよならの味(くろー)
http://text-poi.net/post/va8DWzwViw/1.html

投票期間:07/01 (火) 00:00 ~ 07/06 (日) 23:59
集計発表:07/07 (月)

No.01 祖父の葬式(茶屋)
http://text-poi.net/post/chayakyu/69.html

No.02 ぱずる(住谷 ねこ)
http://text-poi.net/post/neko_sumiya/6.html

No.03 一夜の悩みと夢(碓氷穣)
http://text-poi.net/post/_latefragment/21.html

No.04 越中泥棒左衛門碧之介の私怨ゲージ(しゃん@にゃん革)
http://text-poi.net/post/syan1717/42.html

No.05 裏返しの感情(ほげおちゃん)
http://text-poi.net/post/hogeochan_ver2/9.html

No.06 硫化アリルのせいにして(妄想ボックス)
http://text-poi.net/post/delution_box/2.html

No.07 さよならの味(くろー)
http://text-poi.net/post/va8DWzwViw/1.html

No.08 ことりと落ちる(雨森)
http://text-poi.net/post/t_amamori/14.html

No.09 ディレイド・ルーム(muomuo)
http://text-poi.net/post/muo_2/8.html

No.10 泣け ◆hlyRv5ZPWE
http://text-poi.net/post/hogeotensai/1.html

皆さん投稿ありがとうございました。

感想や批評があると書き手は喜びますが、単純に『面白かった』と言うだけの理由での投票でも構いません。
毎回作品投稿数に対して投票数が少ないので、多くの方の投票をお待ちしております。
また、週末品評会では投票する作品のほかに気になった作品を挙げて頂き、同得票の際の判定基準とする方法をとっております。
ご協力ください。

投票は、本スレッドかてきすとぽいのいずれかのみでお願いします。

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                ―感想―
 気になった作品:<<タイトル>>◆ZZZZZZZZZZ氏
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・てきすとぽいの場合

 「この作品が最も良いと思った」と思われる作品にのみ5の評価を、
 「投票には至らないけど、気になったor良かった」と思われる作品にのみ4の評価を行ってください。

投票、気になった作品は一作品でも複数でも構いません。

たくさんの方の投票をお待ちしています。

おお……
時間外の投稿、ぜひぜひお待ちしています。

今回は投稿数が少なく一時期どうなることかと思いましたが、>>951あたりで流れが変わり、最後にどどどっときて十作品超えましたねー。

一レス風作品が多いのも特徴的でした。

お腹を守るくん

No.01 祖父の葬式(茶屋)
http://text-poi.net/post/chayakyu/69.html

難しいのは、例えばこれが誰かの実話であれば興味が出てくるのかもしれないのだけど、創作の場で勝負するには先が見え過ぎていて辛いなと。
例えば最後に一つ、死んだ祖父からのビッグサプライズみたいなのがあると印象が変わった気がするのです。

No.02 ぱずる(住谷 ねこ)
http://text-poi.net/post/neko_sumiya/6.html

いや、これで終わりだと悲しすぎるだろ……
救いのないから一回の盛り上がりもなしに救いのないなので、もうちょっと主人公を応援してあげてよという感じ。

No.03 一夜の悩みと夢(碓氷穣)
http://text-poi.net/post/_latefragment/21.html

これ一回目に読んだとき「なんだこりゃ、B酷いヤロウだな」と思ったけど、二回目に読んでみて印象が変わった。
Bのほうが仕事に対する責任感があって行動的で、一方Aは自分の殻に塞ぎこんじゃっている感じがあるんだよな。
そりゃBのほうが幸せになるわ。

No.04 越中泥棒左衛門碧之介の私怨ゲージ(しゃん@にゃん革)
http://text-poi.net/post/syan1717/42.html

ばっかもん!
ふざけて書いたらいけないってあれほど言ってるでしょうが!
何がひっく、ひっく、ふええええ、だよ!
思わず笑ってしまったやんけ!
クソッ!

No.05 裏返しの感情(ほげおちゃん)
http://text-poi.net/post/hogeochan_ver2/9.html

自作。
実はこれを書いてからものすっごい体調が悪いです……

No.06 硫化アリルのせいにして(妄想ボックス)
http://text-poi.net/post/delution_box/2.html

涙がずっと目に溜まり続けるって、どんなん?
ずっと目がウルルン滞在記なのだろうか。
それはそうと私的にこの作品は良かった。
ややパンチ力不足に感じるけども、綺麗な作品を読むと心が落ち着くのです。
けど女の子、これでこの後もまた殴られるんじゃないかと思うと……

No.07 さよならの味(くろー)
http://text-poi.net/post/va8DWzwViw/1.html

CDアルバムの途中に挟まれるイントロみたいな感じで、それ単体で感想を問われるとなかなか難しいのです。
どちらかというと詩や歌詞にしたほうがいい内容だと思いました。

No.08 ことりと落ちる(雨森)
http://text-poi.net/post/t_amamori/14.html

雰囲気は好きなのだけど、封筒がことりと落ちるっていうのは効果音が少し違う気がするなあ。
たぶん布巾と母ちゃんをかけている気がするのだけど、母ちゃんそこまで虐げられている気がしないから、なんか違和感があるんだよな。
まあこの兄は私も願い下げだけど(´・_・`)

No.09 ディレイド・ルーム(muomuo)
http://text-poi.net/post/muo_2/8.html

序盤はとても雰囲気が良くワクワクしたのだけど、途中からの急展開についていけなくなりました(´・_・`)
というか後でよく考えてみて、「本物とシミュレーションを聞き分けられる設定はどこいった?」とか、「そもそも主人公なんで一人旅してんだ?」とか、「記憶提供とかいう技術あるなら拷問必要なくね?」とか、いろいろ疑問点が出てきてしまってね……
自分の体に合わない記憶などただのデータというのは、以前私も似たようなことを考えたことがあるので少し気になりました。
けど記憶をただのデータって解釈されるのは冷たいから嫌だな(´・_・`)

No.10 泣け ◆hlyRv5ZPWE
http://text-poi.net/post/hogeotensai/1.html

これはどう解釈すればいいのか……
何か暗号を含んでいるのかなと思ったけど、解読できず。

No.11 見送り人(司馬)
http://text-poi.net/post/Shiba_0241/1.html

これは私には受け入れられなかった。
全員が全員感謝するっつーのは違うと思うよ。
最終的に美化された空気になっているのもちょっとね……

 ***********************【投票用紙】***********************
 【投票】:No.06 硫化アリルのせいにして(妄想ボックス)
 気になった作品:No.03 一夜の悩みと夢(碓氷穣)
         No.04 越中泥棒左衛門碧之介の私怨ゲージ(しゃん@にゃん革)
 ********************************************************

んー、投票難しかった。
No.06はややパンチ力に欠ける気がしたけれど、他の作品と差をつけたかったので投票。
関心票はNo.08とNo.09にも入れることを考えたのだけど、もう少しなんとか出来たんじゃないか感があったのよね。
だから作品の完成度を考慮してNo.03とNo.04に関心票……まあNo.04は完成度というよりも笑ったからだけど。
今回は短い作品が多かったけど、なかなか面白かったなという印象でした。

全感です。

1.祖父の葬式
家族の死、というものをよく書けているように思いました。
繰り返される「祖父は大きな人だった」というフレーズも印象的です。

2.ぱずる
何というか、打ち切りエンドっぽい感じがしてしまいます。
先生を含む皆に嫌われていることに気づいて、そこでの感情の動きとか行動とか、そういったものが描写されていないので、
唐突に終わって、結局何だったんだ・・・という感想になってしまいました。

3.一夜の悩みと夢
#Aと#Bが繰り返される構成から、某叙述トリックもののA面とB面を思い出し、
叙述トリック好きとしてはちょっと期待したのですが、特に仕掛けがある作品ではない、という解釈でよろしいでしょうか。
男女の対比から、「秒速5センチメートル」を思い起こします。
全体として、言っていることはわかるんだけれど、もっと何かないの?っていう物足りなさがありました。

4.越中泥棒左衛門碧之介の私怨ゲージ
とりあえず、真面目に書けよ、と言いたくなります。
ナンセンスものとして見ても、全然面白くないのは致命的かな、と。

5.裏返しの感情
読み返してみると、「僕」や「妹」の齢がなんか変に思えます。そんなに離れてない印象なのですが、妹は父の失踪後に生まれた、とあるのは???
まあ細かいところなのですが。
全体として、母との関係性とか主人公の感情をきちんと書かれているのですが、何となくしっくりこない。
多分なのですが、後半、主人公の母に対する感情が変わるあたりで急に違和感のある文章表現が多くなる気がします。
そのせいで文章のレベルで引っかかってしまっているのかな、と。
もしかしたら、敢えてわざと主人公の精神の昂ぶりとリンクした文章表現にしているのかもしれませんが。

6.硫化アリルのせいにして
良い短編小説、という感じがします。
涙が流れない病という設定から、少年期の淡い恋みたいなものを綺麗に描けていて、
広がりには乏しいかもしれないけれどよく纏まっている、という感じがします。

7.さよならの味
うーん、短い。
文章は綺麗なのですが、いかんせんストーリーがないので、何とも。

8.ことりと落ちる
短いながらに綺麗に作られている作品ですね。
「泣」というテーマとしては何とも言えないかもしれないかもしれませんが、まあ他の作品もテーマの省かという点では微妙ですし。

9.ディレイド・ルーム
SFって難しいんだなあ、と他人事のように思ってしまったり。
悪くはないと思います。きちんとSFとして成立しているというか。
ただ、もう一歩踏み込んだ設定を見せてほしかったですね。「母」のくだりとかは唐突な気がしました。

10.泣け
これもちょっと評価できないなあ……。
何を意図して書いたのかをつかめない、という感じでしょうか。

11.見送り人
戦争(日本の太平洋戦争)をど真ん中ストレートで書いた小説、というのが感想。
ひねりが無い、とか言っても仕方ないタイプの作品でしょうか。しっかりした文章力があるので好感が持てます。
時代考証的にどうなのか等は、私が歴史に疎すぎて分からないので、誰かお願いします。




***********************【投票用紙】***********************
投票:8.ことりと落ちる
気になった作品:6.硫化アリルのせいにして
********************************************************

この2作品で迷いました。完成度としてはNo.6の方が高いとは思うのですが、直感で決めました。

全感です。

全体:
暗い話ばっか!!
……まあ実際、そっちのほうが書きやすいですよね。
前回、前々回の品評会もROMってましたが、書く側としては落とすほうが楽なのか。

「某少年漫画の打ち切り作品」みたいな作品が多いです。
文章の途中で新要素を出してちぎり取っていく感じ。読者が迷子。

短い作品の中で「2つめの新展開」を出す作品は読みにくいなーと感じました。
なんというか、最初に置いた布石を大事にしてほしいなと。
私の考え方が固いのかもしれませんが。

些か評価の軸が【テーマ】に寄り過ぎてるかもしれません。
割とぼかさず辛辣な書き方をしているかも。ごめんなさい。
ぜひ私の作品にもぶっ刺さるような指摘をくださいませ。

1.祖父の葬式

前作や他作品も読みましたが、何か一貫して不思議な魅力があります。
一つの文章に必ず一つ突拍子もない設定を盛り込んでますよね。
でもそれがあることで生き生きとしてる感じがします。
郷愁の涙、懐古の涙?

祖父の物理的な大きさを語りながら、精神的にも大黒柱として大きな存在感をもっていた事を示す。
家族との別れ、ぽっかりとした空虚を上手く描写できているなーと。


2.ぱずる
この感情は「泣く」ではないな、と思いました。
主人公にとっても、読者の私にとっても。
近いとは思いますが。近くて非なるものです。

身につまされる感じを丁寧に書いていて心に染みましたが、
涙につながるものでは無く、
唇を噛む、ワナワナと震えるような辛さ。
主人公も卑屈と諦念が全面的に押し出されていて、
彼女は泣かない、泣けないだろうなと感じてしまいました。

テーマを除けば凄く高評価したいです。


3.一夜の悩みと夢
#A/#Bの交錯、したいことはわかります。
が、離散的すぎるかな。
AとBとが全く別枠の物語として受け取れる。
同じシーンを二方面から回想する、と言うよりは、似たものを並列させて違いを見せると言う感じ。

3000字程度の塊でこの手法を使うんだったらもっとあざとさ、わざとらしさが欲しいです。
マクガフィンを一つ用意するだけでも違うかも。
決まればカッコいい手法ですが上手く繋げて見せないと只の書き散らしになってしまってもったいない。

A/Bでパート分けしているので、☆☆☆の部分を三人称視点、俯瞰で書くと良いのでは。
「僕」の登場のせいで結局Aのパートになってしまっていて、結果として文章全体がAに偏っててバランス悪いです。

4.越中泥棒左衛門碧之介の私怨ゲージ
よくわからんけど好きです。
私怨の「私」が作中人物から作者へと変わる唐突なメタ化がよいですねえ。
ぜひ、時間をたっぷりととった時の作品も見てみたい。


5.裏返しの感情
さすが前回覇者、今回のテーマを決めた人、と言う感じ。
「僕」の受け身な生き方、母の変貌、純粋故に恐ろしい妹の思考。
ゾクッときました。
「泣く/泣かない」と家族としてみなすか否かを掛けているのも変にリアルで良いです。

一つちょっかいを。
船舶の沈没による失踪の場合(危難失踪)、当人が死ぬ=失踪宣告が通る、のは一年が経過してからです。
更にいうと、この場合の申立人:失踪宣告に対して利害を有する者、
ここでいうと配偶者・相続人にあたる母がその権利を有しますが、
彼女が失踪宣告を行わない限り死亡したと勝手にみなされることはありません。ので死亡保険はおりない。
これに関して通常なら「ぺらぺらと薀蓄を語りやがって、気にしすぎるとハゲるぞ」と流して貰って構わないのですが…


果たしてこの母が父親の「死亡」を認めるのか?

認めないだろうな、と。恐らくすがり続けるでしょう。何年も何年も。
死亡保険や診断書と言った目に見える『死』の形を求めないでしょう。
その上で、保険金が入らずいつしか彼女の稼ぎだけが家族の生命線になってくる。
そうすると物語の根本が若干ブレる気がするんですよね。(と読んでる側としては感じました)。



6.硫化アリルのせいにして
自作。
設定をベタベタ貼っつけて、剥がしきってないのがいくつか。
精通のくだりいらない?浮いてるかも。
そのくせ「筋の通ったストーリー」にこだわり過ぎ。
書き始めと書き終わりでテンションの違いが明確。良くない。
他の人との対比になるけど、
「架空の設定」を用意する際に整合性と言うか、理論武装に走り過ぎかな。
お陰で矛盾とかは少なく見えるかもしれんが、読者としては「ふーん。で?」という感じ。
その努力を本筋の魅力引力アップにだな。


一応ウルトラハッピーエンドを目指して書いたやつです。
ちょっとあざとすぎるかな。

参考までに、書く前に「隣の家の少女」を何度か読み返しました。
良作なのでネタバレを見ずに読むことをおすすめします。


7.さよならの味
どこが、という詳細は言えないけど好きです。
じんわりと染み込む悲しみ。綺麗。
言葉選びのセンスも好き。こういうのもかけるようになりたい。
べた褒めで逆に申し訳ない。

8.ことりと落ちる
一つの鉄板テーマである「普通の家庭の歪な中身」を上手く描写していると思います。

「ことり」と音を立てるということは、それなりに分厚い(=内容がつらつらと書かれた)封筒なのかな、と言う印象。
しかし物語的には「何も書かれていない」母の談ですが。
愚痴たり癇癪を起こしたりと言う形で日々垂れ流していたので、いざとなると何も思いつかなかったのかな、という納得がいきます。
ただそうするとことり、よりぱさ、なのか。

モチーフとして利用している吸盤式ハンガーについてですが、あれって描写のとおり、不意にコトッ、と落ちるんですよね。
もし…普段の母が大人しく内向的で、汚れた布巾をただ黙って洗うような人で、そんな母が実は家出をしていた。
という筋ならぴったりなモチーフだと思います。その場合、封筒の中身は何枚もの黒黒とした便箋で、きっと重みでことりと音がするでしょう。

そこにズレを感じて、しっくりこないなーと。

幽霊のような表情と鬼のような表情ではかなりニュアンスが変わってしまいますが、敢えて違えたのでしょうか?
文章を書き慣れていることが見て取れるが故に、気になる所が目立ちます。


9.ディレイド・ルーム
もったいない。最初に浮かんだ感想がそれです。

SFはそれなりにインプット・アウトプットの経験があるんだなーと文中の所々で感じました。
が、それ故に”自分のSF”感が強く出ているのかも。
分量に対する設定の重さがキツい。
それも、最初についた設定を追々活かしていくタイプでは無く、ストーリー展開のためにどんどん追加されていくので雁字搦めです。
最初のイヤリングと指輪のシーンを最後まで活かして欲しかったな、と思いました。

あと、細かい点ですがロボット三原則をプログラムに対して持ち出している点が不可解。
第二条ですよね?言いたいことはわかりますが、実行する装置=ロボットに言及するものであって、その知能=プログラムに対してではない。
あの部分だけ「主人公の思考・感情に合わせてそれっぽいワードを選んだ」という感触。


10.泣け
星新一のショートショート風味なのでしょうか。
「F氏の妹の友人」の登場の仕方が唐突すぎるのと、そこからの展開が不可思議というかなんというか。
ロボット(ガイノイド)だから人間のやり方では泣かない、というオチは面白いのですが、
それをもてあましている。
その上最後の段落で急に方向転換していて、あれっ?と。

11.
圧倒的な分量としっかりとした書き込み。
あんまり言うことないです。すごい。
というか、それ以外言葉が用意できないです。



 ***********************【投票用紙】***********************
 【投票】:5.裏返しの感情(ぼげおちゃん)
 
 気になった作品:2.ぱずる(住谷 ねこ)
         7.さよならの味(くろー)

 ********************************************************

どの作品もそれぞれの味が出ていて参考になります。
もっと自分も柔軟な発想を持たないとな、と感じました。

■本スレ
投 関

  1  No.01 祖父の葬式(茶屋)
  1  No.02 ぱずる(住谷 ねこ)
  1  No.03 一夜の悩みと夢(碓氷穣)
  1  No.04 越中泥棒左衛門碧之介の私怨ゲージ(しゃん@にゃん革)
1    No.05 裏返しの感情(ほげおちゃん)
2  1  No.06 硫化アリルのせいにして(妄想ボックス)
  1  No.07 さよならの味(くろー)
1  1  No.08 ことりと落ちる(雨森)
    No.09 ディレイド・ルーム(muomuo)

  1  No.10 泣け ◆hlyRv5ZPWE
    No.11 見送り人(司馬) ※時間外

■てきすとぽい
投 関
1  2  No.01 祖父の葬式(茶屋)
    No.02 ぱずる(住谷 ねこ)
  1  No.03 一夜の悩みと夢(碓氷穣)
    No.04 越中泥棒左衛門碧之介の私怨ゲージ(しゃん@にゃん革)

2  1  No.05 裏返しの感情(ほげおちゃん)
3  2  No.06 硫化アリルのせいにして(妄想ボックス)
    No.07 さよならの味(くろー)

2  1  No.08 ことりと落ちる(雨森)
  4  No.09 ディレイド・ルーム(muomuo)
    No.10 泣け ◆hlyRv5ZPWE

    No.11 見送り人(司馬) ※時間外

■合計
投 関

1  3  No.01 祖父の葬式(茶屋)
  1  No.02 ぱずる(住谷 ねこ)
  2  No.03 一夜の悩みと夢(碓氷穣)
  1  No.04 越中泥棒左衛門碧之介の私怨ゲージ(しゃん@にゃん革)
3  1  No.05 裏返しの感情(ほげおちゃん)
5  3  No.06 硫化アリルのせいにして(妄想ボックス)
  1  No.07 さよならの味(くろー)
3  2  No.08 ことりと落ちる(雨森)
  4  No.09 ディレイド・ルーム(muomuo)
  1  No.10 泣け ◆hlyRv5ZPWE
    No.11 見送り人(司馬) ※時間外

というわけで優勝は、「No.06 硫化アリルのせいにして」でした。
おめでとうございます!

優勝者の方は、7/12 頃までにお題の決定をお願いします。


No.6とNo.8のデッドヒートかと思ったけど、最後少し加われてよかった・・・・・・

>>976

No.5 へのコメントありがとうございます。

ぐふっ……
正直保険金はGoogleでちょちょいと調べて、「へー、死体見つからなくても保険金出るんだー」
みたいな浅い認識で書いたので、突っ込まれるとボロがボロボロ……

私の中での母ちゃんは、父ちゃんの死は一応認めたけど、だからといってそのまま生きている
のは悲しくて、子供のことを思って一所懸命働いたけど心擦り切らしちゃった感じでした。

こうして振り返ってみると、「ああ、書き足りなかったなあ」と毎回思うので、小説って不思議です。

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