少女「そんな所で寝ていると、風邪を引きますよ?」続々 (652)




――

彼は今、これまでの人生と、そしてこれから起きる出来事に対して、陰鬱な思いでいた。

何しろ全てを失ったのだ、家名も家族も役職も。挙句の果てには生贄になれと言う。人権も失ったと言っていい。


課長「私はそれほどまでの事をしたのか……?」

騎士『ごちゃごちゃ言ってねえで歩け』

課長「教えてくれ……こんなに、人生を狂わされるほどだったのか?」

騎士『あんたの金欲しさに一体何人の人生が狂わされてると思ってんだ。安いもんだろ?』

課長「安くなんかない……全然、私は不幸だったのだ。報われるべきだったのに」

騎士『あのなぁ、貴族様が一体何言ってんだ』

天騎「ラル、相手にするだけ無駄だ。放っておけ」

弓兵「ま、俺様はちょっと同情してやるよ」


魔道士「クォートさん?! な、何言ってるんですかっ」

弓兵「でかい声だすなよエミリー、ちょっとって言ってんだろ?」

弓兵「聞いた話によると、出来る弟にうまいとこ全部持ってかれて、残り汁啜ってきたような人生だったらしいじゃねーか」

騎士『なんだよ、庇うつもりか?』

弓兵「んなつもりはねーよ、頭固すぎるなお前ら……」

弓兵「やったことは確かに糞以下だが、不憫な人生だったってのに同情してるだけだっつの」

弓兵「誰にも求められない、生きる理由が見つからないのって結構キツイぜ?」

天騎「……まぁ、視点を変えれば不憫だとは思うが」

弓兵「だからってこいつを許すってことにはなんねーよ。むしろ狩り生活してた俺様からすりゃ、ざまみろって感じだね」

歩兵「……素直でいい、と思う」

弓兵「お! 分かるか? この微妙な気持ちが、博愛主義な俺様は心が痛んじまうんよ」



騎士『さっき、ざまみろっつった奴が何言ってんだか……さぁ、無駄口叩いてないで準備にとりかかるぞ』

弓兵「お前さんはホントお堅いねぇ。どうせ俺達は待機なんだからいいじゃねえか」

ぶつぶつと言いながら、弓兵は魔道士、歩兵と共に課長を連れて行く。

騎士(可哀想、ってことかな? まぁ、分からなくはないけど……自業自得なんだよなぁ)


天騎「なぁラル」

騎士『ん?』

天騎「……さきほども隊長に進言したが、隊長自らが敵の本拠地に乗り込み、私たちが外で待機というのは……どうなんだ?」

騎士『俺もそうは思うが、あいつがやるって言ってるんだから、任せとけばいいさ』

天騎「…………」

騎士『な、なんだよ』

天騎「いや、この間の事件から、ラルの隊長に対する態度が変わったなと思ってな」

騎士『そうかぁ?』


天騎「前はこう……何というかな、親の仇でも見るような目だった」

騎士『は、はぁ? 何だよそれ』

天騎「私にもよく分からない。お前と隊長の関係なんて知らないからな。ただそんな気がしただけさ」

騎士『……気のせいだろ』

騎士(……まだ、こいつらには言えねえよな。あいつが皇帝の息子だなんて)

天騎「ふふ、昔からお前はすぐ人に噛み付く所があったからな」

騎士『い、いきなり何だよ』

天騎「何か気に食わないことがあったり、

天騎「騎士学校に入学した時からだったな。初めて会った時なんて、あいつと――」

騎士『おい、やめろって」

天騎「っ……す、すまない」


騎士『謝るなよ。あいつの話して一番辛いのは、セラだろ』

天騎「…………ただ、私はあの時みたいに、また楽しく」

騎士『……そっか、そうだな』

騎士『あいつらとなら、きっと出来るだろうさ』

天騎「あ、あぁ」

騎士『じゃあそろそろ戻ろうぜ、もたもたしてたらオッサンに何言われるか分からねえ』

天騎「ふふ、そうだな、そうするとしよう」


笑って見せた天騎は、昔を思い出したせいか、まだ淋しげで。

騎士は彼女のそんな顔を見ると心が痛むのだ。

だがどうすることも出来ない、彼女が望む日常は失われたのだから……帝国軍と言う、巨大な敵によって。

騎士(あの時みたいに……か、本当は俺達にそんなの望んじゃいねえんだろうが)

騎士(元気になったと思ってたけど、んなこと言っちまうほど、まだ立ち直れて無い、か)

騎士『なぁ、ランディ……俺に、何か出来るかな?』


いつも頼りになる相棒は、何も答えない。


――


騎士『全員、配置についたぜ。準備は完了だ』

青年「分かった、ありがとう」


準備は整った。

密売組織の頭は商談に応じた、今から課長を出汁に敵を誘い込む。

例え中枢を叩けなくとも、尻尾さえ掴めれば問題ない。

騎士『……結局、お嬢ちゃんはどうすんだ?』

青年「あ、あぁ……彼女に黙っていた事は咎められたが、あの子に手を汚して欲しくないと言ったら、納得した様子だったよ


痛いところを騎士は突いてくる。

護衛のためにと、目立たない服装に着替えた青年は、苦笑しながらそう答えた。


騎士『そうか。……俺達は全力でサポートするが、くれぐれも無茶なことすんなよな』

青年「肝に銘じておく」


騎士『てめぇも、下手なこと考えたら容赦しねえからな?』


課長「…………ぐ」

賢者「貴様の命運は俺達と共にある、死にたくなければ、賢明な判断をするようにな」

騎士『例え上手く出し抜いたとしても、この俺が地獄の底まで追いかけて、必ず捕まえてやる』

青年「二人とも、必要以上に脅すんじゃない。そのくらい、よおく理解しているよ……ね?」

課長「は……は、い」

青年「まあ、安心してくれ。君がこちらの言うとおりに動いてくれれば、君の身は全力で守る」

課長「本当……ですか?」

青年「あぁ、神に誓って」


青年「さて、もうすぐ約束の時間だ。……行こう」



指定された場所へと、課長が向かう。

青年と賢者はその後ろを、要人警護のように付き従うのだ。

勿論、彼らは警備などではない。

課長の一挙一投足に目を配り、監視する。


課長「……な、なぁ」

賢者「無駄口を叩くな」

課長「す、すまん」

青年「もっと自然に、堂々としてくれ、怪しまれる」

課長「あぁ……」


その言葉で黙りこむ課長、それ以降は何も発言すること無く待ち合わせの場所へと向かった。

大通りを離れ、人気の無い路地に足を踏み入れる。

街開発の結果、迷路の様になってしまった地区だ。

その一角に寂れたバーがある、そこが約束の場所。

課長が扉を開き、一歩進む。すると影から三人ほどの男が近づき、彼を取り囲もうとした。


課長「ひっ、な、なんだ」

青年「それ以上は、やめてもらおう」

だが、その前に青年たちが立ちふさがる。

「……約束は一人のはずだが?」

賢者「そんな圧倒的不利な交渉、受けるはずがなかろう。お互いの立場を考えて貰いたいものだな」

青年「変に事を荒立てない方がいいと思うが?」

課長「か、彼らは私の護衛だ。騎士団でも腕利きの者を連れてきた。だが心配するな、金さえ払えば何でもする連中だ」


青年はその言い方に嫌悪感を抱いた。でまかせの嘘とは言え、こんな奴らと同類扱いされたのだ、不快に思って当然だ。

「…………」

課長の言葉を受け、男たちは何やら相談を始めた。

やけにか細く、聞き取ることは出来ない。


「いいだろう。だが、頭にはお前一人で会って貰う、いいな?」



課長「そ、それで構わない。お前たちも分かったな?」

青年「……了解」


「いんや、その必要はのうなった」

声がした、店の奥からだ。

しゃがれた声なのに、よく響く重低音、よく煙に燻られているのだろうと推測する。

しかし、あからさまに他の奴らと格が違う、青年はこの男こそが密売組織の頭なのだと確信した。


「頭……!」

頭領「おう、騎士団の皆さん。よぅお集まりくだすった」

課長「貴方が……」

頭領「頭ァ務めさせて貰っとるもんじゃ、以後お見知り置きを」

青年「……その必要がなくなった、とは一体どういう意味ですか?」


頭領「そう急ぎすぎんな若造」

賢者「さっさとしろ、返答次第では貴様ごと屠る」

頭領「がっはっはっ! 威勢がよくてええのう」

頭領「じゃがお前さんもワシからしたらまだまだガキや。ちったぁ大人しゅうしとけ」


落ち窪んだ瞳が、鋭い光を走らせたのが見えた。

嫌な予感がして青年は自然と後ずさりをしていた。

頭領「まぁ、なんちゅうか」

頭領「ガキにはこっちに来て貰いたいんや、そんで、お前には死んで貰いたい」

賢者「ふん、この程度の奴らにこの俺が…………?!」

瞬間、賢者の表情が焦りに変わった。

足元に幾何学的な魔法陣が、突如として浮かび上がったのだ。

賢者「っくぅ!」

青年「……!?」



だが、青年には一体何が起こったか分からなかった。

ただ何かに勘付いた賢者が、咄嗟に青年を突き飛ばしたのだけは分かった。

視界暗転、迸る閃光、爆音、舞い上がる砂煙。

それぞれの事象が次々と流れて、青年の脳を混乱させる。


頭領「ほう、こりゃ凄い」

賢者「…………この程度で俺を倒せると思われていたとはな」

大爆発があったにも関わらず、賢者は無傷。

硝煙の臭いがする中で、仁王立ちしていた。

「まさか、防がれるなんてね」

砂埃の向こう側から、女の声がする。

どうやら魔術を使った人物らしい、青年の位置からでは見えない。


賢者「ッ!? な、お前……は」


賢者が驚きの声をあげる。


頭領「何や、知り合いか」

「……いいえ、知らないわ」

賢者「何故……お前が、ここに」

青年「……マグナ?」


こんなことは初めてだった、あの賢者が狼狽えるなど。

一体相手は誰だと言うのだ。少し痛む体を抑えて、賢者の元へ歩み寄ろうとする。


賢者「陛下ッ! こちらに来てはなりません!」

青年「一体どうしたと言うんだ! マグナ」

「……! 今ッ」

再度、魔法陣が展開される。今度は頭上、天井に描かれたものだ。

高密度圧縮された魔力の束が解放され、賢者に襲いかかった。


賢者「ぐぉぉぉぉああぁっ!?」

壮絶な、悲鳴があがる。

青年と、女に気を取られ、防護壁が間に合わなかったのだ。

閃光、崩壊。

塗りつぶされた視界が元通りになった時、青年の目に映ったのは


瓦礫の山。

青年「そんな……まさか」

勿論賢者の姿など無い。

青年「マグナ、おい、嘘だと言ってくれ」


返事などあるわけがなかった、未だに耳の奥がわーんと鳴っている、あったとしても小さな声ならば聞き取れないだろう。

そんな状況下で、しかも背後に敵の姿があるにも関わらず、青年は瓦礫をどかそうと手を伸ばす。

だが、突如襲い掛かった衝撃が、彼の小柄な体を吹き飛ばした。



頭領「おう、ちょっとしくじったが概ね手はず通りや。ようやった」

「ふふ、当然のことですわ」

青年「貴様……ら、がはっ!」

頭領「坊主、お前は運がええ。黒髪なんて珍しいからのう、高く売れるやろ」

頭領「しかし特殊遊撃隊っつったか? 精鋭だと聞いとったが、大したことないのう」

青年「なぜ、それを」


やはり、裏切ったのか。しかし一体、いつ? そんな暇など与えなかったはず。

そう思って青年は課長を睨む、だが当の本人は何が起こっているのか分かっていない様子。

だとすれば、あの女。


道化「漸く気づいたのかしら。思った通り、馬鹿な人ね」

嫌な予感が的中した。


青年「イアラ……さん?」

青年に助けを求めてきた女性の名をつぶやく。

口調こそ違えど、まさしく道化だ。

そしてその存在が全てを繋げた。青年はハッとする。

彼女は最初から――


組織に仇なす者を排除する、そのために行動していたのだ。

全て演技だったのだ、まさしく道化だった。

青年は奴らの掌の上で踊らされていたに過ぎない。


その考えに辿り着くと、途端に頭が重くなっていくのを感じた。


青年「お願いだ……ラル、どうか、マグナを」

願いは虚しく、虚空に消え、宙を舞う光の粒が、闇に呑まれる幻想を見た。



――


騎士『!? 一体、何の音だ!』

弓兵「おい、不味いんじゃねぇかコレ!」

魔道士「……強い、魔力の爆発を感じましたっ! 隊長さんたちの所からですっ!」


もし、奴らを逃してしまった時のため、周囲に展開していた騎士たち。

現在は各々が情報を持ち寄り、騎士に報告している。

異変は青年たちが店に入って数分の後に起こった。


天騎「ナディが先に突入した! 私達も向かうか?」

騎士『いや、セラたちは外で見張っていてくれ、俺が行く』

騎士『いいか! ネズミ一匹逃すんじゃねえぞ!』


口早に指示を伝え、騎士は全速力で現場に向かった。

それは、ひどい有様だった、柱と床は焼け焦げ、天井は崩れ落ち、瓦礫の山が重なる、隣の民家にまで被害が広がっている。


歩兵「……駄目、誰もいない」

騎士『チッ! 遅かったか……!』

歩兵「……皆逃げたあと」

床に転がっている三つの焼け焦げた死体は、恐らく青年たちのものではないだろう。

しかし何より、賢者の姿が見えないのが気にかかる。

あの爆発が賢者の起こしたものならば、戦闘が発生し、彼が追撃を行っているのだろうが……。

とそこで、気になるものを見つけた。


騎士『……これって、まさか』

瓦礫の横に転がる、魔導書。

背表紙に鉄板を仕込んだ、羊皮紙の本。

賢者がいつも持ち歩いていたものだ。


騎士『オッサン……おい! 返事しろ! 偉そうに言っといて駄目でしたなんて……許さねえからな!』

まさかと思うが、現実、そうなのだろう。しかし一度剣を交えた騎士だからこそ分かる。

あいつがここで死ぬような玉じゃない、ということが。


騎士『今助けてやる……死ぬんじゃねえぞ!』

つ づ く
我らがズヴィズダーの光を、あまねく世界に!




――


春の陽気が温かく、中庭に多くの花が咲き乱れている。

青年がまだ六歳の時だ。国中に活気が溢れ、まだ希望に満ちていた頃。

数年前まで、東方の邪教崇拝国との戦争が続いていたのだが

教会、騎士王国、そして帝国が力を合わせ、その戦いを勝利で収めた。

皇帝自ら前線で指揮を取り、教主の首を勝ち取ったおかげで今の平和がある。

「父上は、今日も出かけているのかい?」

「はい、フューリ様」

「……そうか」


だが幼かった青年には関係なかった。

只々、唯一の肉親である父と会うことさえ叶わない現状が苦痛だった。

母は青年を産むのと引き換えに、息を引き取り、この世にはいない。

父はとても厳しい人で、甘えを許してはくれない。


結果、青年は乳母や使用人からの愛情しか知らずに育った。

恵まれた出自だと誰が見ても思うだろうが、彼がどう思っているかは別だ。


「さあ坊っちゃん、今日のお勉強を始めますよ」

「……うん」

自室へ戻るよう促される、だが足取りは重く、気分は暗い。

そんな時、日差しが差し込む中庭のベンチに、一人の男が座っているのが見えた。

「……すまない、先に行っていてくれないか? ぼくもあとで行くから」

何故かは分からないが、その姿に惹かれた。

「坊っちゃん? ……分かりました、少しくらい遊んできても構いませんよ」

「ありがとう」


こっそりと、その男に近づいて見る。

ベンチの背に両腕を預け、空を仰ぎ見るようにしている男は、真っ白な、灰のような髪色をしていた。

三十ほどだろうか、しかし髪色と同じように、燃え尽きてしまっているような印象を受ける。


「ねえ、君。こんなところで何をしているんだい?」

「…………」

男は何も言わず、ぎろりと睨めつけた。

「具合でも、悪いのかい?」

「……しい」

「え?」

「喧しいガキだ、あっちへ行っていろ」

「し、失礼な奴だな! せっかく心配しているのに」

「余計なお世話だと言っているのだ。ガキ、お前は自分のやっている事が如何にも良い事だと思っているようだが、それは間違いだ」

「善意の押し付けほど鬱陶しいものはない、分かったらさっさと失せろ」

「う、うぅ、ぅ……で、でも、ぼくは」

「お、おい、何故泣くのだ」

「だれかの、役に立ちたく……って、けど、やっぱり迷惑……?」


「分かった、分かった、いいから泣くのをやめろ、男だろ」

「……うん」

ぐしぐしと涙を拭き取る。するとその男は彼の頭にぽんと手を乗せた。

「いいか、拒絶されても誰かのためになりたいのなら、まずお前自身が強くなれ。泣いちゃいかん」

「……え?」

「何を言われても動じぬ心を持て、お前が本当にそいつの事を思っているなら、きっと伝わる。最初は迷惑でもな」

「うん……」

「……チッ、俺はガキ相手になにを言っとるんだ」

「??」

「何でも無い。とにかく、俺を超えるほど強くなれ、そうすれば俺のために何か出来るだろう」

「俺が望んでいるかどうかはともかく、おせっかいはそれからだ。分かったな?」

「……うんっ」

目を少し腫らしながら、返事をする。


その様子を見て、男はベンチから立ち上がり

「よし、それでは俺は行くぞ。これから仕事があるのだ」

「うん、分かった」

「縁があればまた会うかもしれん、じゃあな」


「ああ、こんな所におられたのですか、賢者さま」

「む、申し訳ありません、長旅の疲れが堪えまして」

「そうでしたか……おや、フューリさま、お勉強のお時間では?」

「う、うん、今から行くところだよ」

「……ん? フューリだと?」

「えぇ、いい機会ですから、紹介しておきますね」


「こちら、本日からフューリさまの護衛兼、教育係となりました、マグナ・シュラインさまでございます」

「……ぼくの?」

「なん、だと……?」

男は額に手を当て、空を仰いだ。

「ま、まさかこいつが、とはな」



――

それが賢者と青年の出会いだった。

あれから十数年、時は過ぎるだけで、結局彼の役に立つことは出来なかった。

いつも何かを抱えている、大事な事は教えてくれない、要は青年を認めてくれていなかったのではないかと思う。

そのもどかしさと、腹ただしさから強く当たる事もよくあった。

しかし、彼はいつも側にいようとしてくれたし、守ってくれた。

なるほど、確かに自分はまだまだ弱かったのだ。だから彼を巻き込んでしまった。

悔しさで涙が溢れそうになる、その時。

熱くなる瞼の上に、ひんやりと冷たいものが、そっと添えられた。

心地よかったのだが、少しむず痒くて、寝返りをうつ。

すると鼻先に、何か柔らかいものを感じ、同時に甘酸っぱい香りが漂ってきた。

頭の下で何かがもぞもぞと動く、だがやけに安心するので暫く顔を埋めてみた。




「ん、ふぅ」

青年「……ん」

そのくすぐったさを我慢するような声で、目が覚める。

だが視界は何かで遮られており、何も見えない。

ここはどこなのだろうか、体を起こそうとして体が痛んだ。


「あ、起きましたか?」

青年「この声は……ティノア?」

少女「はい」


何故ここに少女がいるのだろうか、もしかしたら長い夢を見ていたのかもしれない。

と、淡い希望を抱くも、周囲に広がる無骨な部屋づくりに直ぐ様打ち砕かれた。

青年「ここは……牢屋か何か、かい?」

少女「そのようです」

青年「そうか……夢じゃなかったんだね……っ!?」


はっとして、自分が今まで少女の膝枕で寝ていた事にようやく気づく。

青年「ご、ごめん! すぐ退くよ!」

少女「だめです、もう少し横になっていてください」

だとすると、自分が先ほどまで顔を埋めていたのは、少女のお腹ということになる。

慌てて起き上がろうとすると、少女が肩を抑えて再び寝そべらせた。


青年「…………」

少女「…………」

気恥ずかしさから、押し黙る。

しかしここで、青年はやっと当然の疑問を思い浮かべた。

青年「というより、どうして君がここに?」

少女「それは……フューリさんが心配になりまして、ウロウロしていたら、男の人たちがいたので、連れてきてもらいました」

青年「……」


絶句した、とんでもない事をやっていたのだ、この少女は。

下手すれば取り返しのつかない事になっていただろうに。

恐らくは青年をここまで連れてきた連中と、同じ仲間の奴らだったのだろうが……。

何故、関係の無い少女を青年と同じ牢に入れたのかが疑問に残る。


青年「……心配してくれてありがとう、でも、こんな危険な事はもうしちゃ駄目だよ?」

少女「……分かりました」

青年(しかし、もう一人の彼女は一体何をしているんだ? 危険だから待機しておいてくれと言ったのに……)

少女「あの、それで」

青年「ん……?」


少女「師匠は、どうしたのですか?」

青年「……っ」


青年「マグナは……僕を守って、それで」

少女「そう、ですか」

青年「やはり僕は、間違ってしまったのかもしれない」

青年「周りの人を振り回して、犠牲にして、自己満足のために……こんな」


再び、熱くなる目頭。

そんな青年を見兼ねて、少女は慈しむように青年の頭を撫でた。

少女「そんなことはないと思います」

少女「自己満足でも、それで誰かが幸せに、笑顔になれるのなら」

青年「……ティノア」

少女「それに、師匠もきっと無事ですよ。とても強いですから」

青年「そう、だね……マグナだもの。そう簡単にはくたばらない」

少女「はい、わたしの師匠ですから。にこー」


青年「ふふ……ふふふ」

突然、笑いがこみ上げてきた。

理由は色々あるだろうが、多分、単に安心したのだろう。

少女「フューリさん?」

青年「ふふ、ありがとう……ティノア」

少女「そ、んな、お礼を言われるほどでは」

青年「いいや、君がいなければ……僕は折れてしまっていたかもしれない」


思えば、少女は苦難に面したとき、いつも青年を助けてくれた。

そして今回もだ。


青年「……小さな女の子に何度も救われるなんて、本当、僕って奴は」

少女「??」


青年「なんでもないよ。さて、これからどうするかを考えよう」

少女「はい、そうですね」

青年「……どうやら、見張りの類はいないようだが。随分舐めてくれてるな」


鉄格子を掴んで、外を見回す。

ここと正面以外に牢屋は無く、左には看守用であろう机と椅子、右には鋼鉄製の扉があった。

人気は無い。

だが、その殺風景な空間に突然の来客があった。


道化「あら、ようやくお目覚めかしら」

青年「イアラ……さん」

少女「どちら様でしょうか?」

道化「……うふふ、貴方がそう言うことにしたいなら、それでも構わないわ」

少女「……?」


青年「ミーコさんや僕を、騙していたんだな」

道化「騙していただなんて、人聞きの悪い。貴方たちが勝手に騙されていたのよ?」

青年「それを騙していたと言うのだろうが……! 何故、こんなことを!」

道化「ふふ、言わなきゃイケないの?」

青年「……大方、金を握らされたんだろう」

道化「嫌だわ、そんなそこらのゴロツキと一緒にされるだなんて不快ね」

青年「じゃあ一体」

道化「少しは自分で考えたら?」

青年「分かる訳、無いだろう! ……今でも信じられないさ、君が本当は、奴らの手先だったなんて」

道化「随分、純粋なのね。いいえ、ただの馬鹿なのかしら」

道化「貴方ほどの間抜けを見たことが無いわ。確証を取れないままに行動して、騙されている事に気づきもしないで、挙句の果てには真実から目を背ける」

青年「…………」

道化「とんだ騎士様ね、それで本当に市民を守れるとでも――」

少女「いい加減にしてください」



苛ついたように青年を罵倒する道化、何も言い返せず黙りこむ青年。

一方的かと思われたその状況に、区切りをつけたのは少女であった。

その表情は、心なしか怒りに染まっているように見える。


道化「どうかしたの? お嬢さん」

少女「あなたが何をしたのかも、フューリさんとどういう関係なのかも、わたしには分かりません」

少女「ですが、あなたは、フューリさんに悲しい顔をさせました」

道化「だからどうしたの? 許さない、だなんて言うつもり?」

少女「いえ、目には目を歯には歯を、と誰かさんが言っていました」


少女「……つまりあなたには、相応の報いを受けて貰うの」

少女「くす、それって、とっても素敵でしょ?」


道化「――っ」



一目で分かった。道化の背筋が凍り、表情が強張る。

彼女は言い知れぬ恐怖に、怯えたのだ。

暗く笑う少女の姿に。


道化「……そう、出来るものならやってみなさい」

しかしここは道化、演じるのは得意なのだろう、直ぐ様元の調子で対応し始めた。

道化「うふふ、少し無駄な話をしすぎたみたいね」

道化実は、私は貴方と取引をしにきたのよ」

青年「取引……だと?」

道化「そう、貴方たちを解放する代わりに、騎士団の、貴方の知りうる限りの情報を話して欲しいのよ」

青年「……そんな取引、するとでも?」

道化「どうかしら。しなくてもいいけれど、そこの可愛いお嬢さんが無事でいられるとは、保証できなくなるわ」

そう言って微笑み、胸元から束になった牢屋の鍵を取り出した。



青年「くっ……」

少女は強い、青年では比較にならないほど。

だが碌に抵抗も出来ない状態で、大勢に囲まれてはどうだろう?

更には自分が人質に取られた状態なのだ、自分のことなど気にするなと言いたいが、それが彼女の隙になるかもしれない。


道化「うふ、いい顔。まあゆっくり考えて頂戴……そ、れ、と」

と言って、道化はおもむろに籠を取り出した。

道化「優しいお姉さんからご飯のサービス☆ 死なれたら困るからね~」

中には二房のブドウと、拳ほどの大きさのパン、そして水の入った瓶。

道化「お腹を満たして、幸せ気分で今後どうするか決めてね? それじゃ、私はまた来るから。良い返事を期待しているわ」

見せつけるように鍵を鉄格子前で揺らしたあと、ぽんと机の上に放りなげた。


道化「うふふ、またね」



軽い足取りで道化は牢屋から立ち去る。

取り残された青年は、ぐっと拳を握った。

青年「…………くそ」

少女「フューリさん……とりあえず、ご飯を食べましょう?」

籠の中のブドウに手をつける。

恐らく、毒の類は入っていないだろう、薬物等の痕跡も見られない。

それを一粒一粒むしりとって、少女は青年に差し出した。

だが微笑みを作り、青年を気遣う少女の姿を見て、青年はどうしようも無い感情を覚えるのだ。


青年「ティノア……」

少女「フューリ、さ――」

その気持ちが抑えられなくなった時、青年はいつの間にか少女を抱きしめていた。

膝立ちで、肩を引き寄せるように。



青年「……僕のために、怒ってくれて、ありがとう」

少女「い、いえ、そんな、お礼を言われることでは」

青年「それでもありがとう、嬉しかった」

ぎゅっと、抱きしめる力を強める。

少女「……あの、フューリさん。取引のことなのですが」

青年「ん……」

少女「わたしのことは、お気になさらないでください。大丈夫ですから」

やはり、と青年は思った。

そしてふと思った、どうして彼女は自分のためにここまで出来るのか、そんなことが言えるのか、と。

彼女のために何もしてやれない自分のことを、思ってくれるのか。

だからこそ、青年は――。


青年「いいや、君が犠牲になる必要なんて無いんだ」


少女「フューリさん……」

青年「こればかりは、曲げられない」


少女「……分かりました、わたしは、あなたを信じます」

少女「あなたなら、正しく導けると信じていますから。にこー」


青年「っ……、ありがとう。そして」

青年「ごめん」

再びきつく抱きしめる、少女も答えて青年の腰に手を回した。

そして……。

少女「ん、あ、っくぅ」


鋭い痛みに、少女は驚きと苦悶の表情を浮かべた。


青年の腕が離れた時、少女は自分の大切なものを奪われたのだと気づく。


青年「ごめん、でもこうするしか、なかったんだ」


彼の手に握られていたのは、少女の金糸のような髪の毛。

青年「これを、こうして……」

突然のことに理解が追いつかない少女は、青年のすることを黙って見ているしかなかった。

髪の毛を数本、互いに結びつけたかと思えば、片方をブドウの芯に括りつけ始める。

そして鉄格子の前に立ち、投縄のように振るうと

机の上に置かれた鍵に、投擲したのだ。

それは一発で鍵束を引っ掛け、青年の目の前へと引きずり込んだ。


青年「……ふふ、これで万事オーケーさ」

その鍵束をもって青年は不敵に笑う。

少女「…………」

青年「あれ、何か、少し怒ってる?」

少女「いえ」

青年「いや、でも……あ、ちょっと、鍵を、痛ッ?! どうして足を踏むんだい!」

少女「踏んでいませんよ?」

青年「……やっぱり、怒ってます?」

少女「…………」

青年「無言が一番怖いよ……」


青年「ね、ねえ、少し食事してからにしないかい?」

青年「え、ちょっと無視しないで、ま、待っておくれ! どこへ行くんだい、置いていかないでくれー!」


つ づ     く
ばれんたいんネタで何か書こうと思ったけど今年は中止だったみたいなんでスルーしときました!


――

騎士『くっそ、瓦礫が多すぎる。どこにいんだ、オッサン』


歩兵「……私も、そっちを手伝った方が」

騎士『いや、大丈夫だ。ナディは抜け道が無いか探してくれ』

歩兵「……了解……?」

騎士『どうした?』

騎士『何かあったのか』

歩兵「……床下収納の奥、木箱で隠されていたけど、階段がある」

騎士『本当か! よく見つけてくれた!』

歩兵「……えへん、もっと褒めてもいい」


騎士『あとでいくらでも、よし、取り敢えず他の皆を呼んできてくれるか?』



歩兵「……りょうか――っ!」


歩兵は一瞬で異常に気づいた、影で蠢くその姿と、無数の赤い斑点に。

カサカサ

多数の毛の生えた脚、赤く光る無数の瞳、ちらちらと動く白い顎。

誰もが一度は見たことがあるだろうその形、だが何よりも違うのはスケールの大きさ。

高さ一メートル、幅一メートル半はある、化け蜘蛛だ。

それが地下へと続く道から、大量に湧き出してきたのだ。


歩兵「……っ!」

騎士『でけえ……! これが蜘蛛なのかよ! ナディ、一旦引け!』

歩兵「……それは、出来ない!」

何とか地下に押し込めようと背負っていた槍を突き刺す。

ぶしゅっ

傷口から緑色の、粘性のある血液が吹き出す。



歩兵「……うくっ」

苦しげに化け蜘蛛は蠢くが、直に血液を被り、怯んだ歩兵を押しどけた。

持ちこたえられず、歩兵が後退した所から、続々と化け蜘蛛が湧いてくる。

歩兵「……申し訳、無い」

騎士『んなこと言ってる場合か! 早く逃げろ!』

歩兵「……でも、そうしたら街の皆が――きゃっ」

槍を構えて蜘蛛に向き直る歩兵に、一匹の蜘蛛が飛び掛る。

槍を挿して迎え撃つが、敵は怯まない。蜘蛛に上から覆いかぶさられる形となってしまう。


騎士『クソッ! 今、助けてやるからな……うおっ』

騎士『こっちからも蜘蛛が……! ナ、ナディ!』



歩兵「……は、なして!」

暴れる歩兵を、脚でしっかりと捕らえ、無数の赤い複眼で観察する。

歩兵はその瞳に映る自分の姿を見て、恐怖していることに気づいた。

今から奴の強靭な顎に、細い首を引き裂かれ、その毒で全身を蝕まれていくのだろう。

そして生かさず殺さずの状態で、頭からゴリゴリと捕食されてしまうのだ。


騎士『ナディーッ!』

歩兵「……っ」

顎がぎらりと光る、歩兵は硬く目をつぶった。


「風よ、刃と成りて敵を引き裂け! "ウインド"ッ」

突如として響き渡る、震えた声。

その直後に、歩兵にのしかかっていた蜘蛛がばらばらに裂けた。



騎士『エミリー!』

歩兵「……エミリー」

魔道士「え、エミリアですっ! もうっ、そんなことより早くっ!」

歩兵「……ありがとう、助かった」

騎士『だけど、どうしてここに』

魔道士「それは……っ、いきなり、街の人たちが襲いかかってきたんですよぅ!」

魔道士「それで、それで、クォートさんたちが抑えてるからラングウェルさんたちを呼んでこいって、ぼく、ぼく……っ」

騎士『……マジか、だが、わかったよエミリア。よく伝えてくれた、ありがとうな』

魔道士「あ、当たり前のことですっ、けど、一体どうすれば……!」


口早で報告しあうも、腕は止めない、魔道士は火玉を、騎士は盾で蜘蛛を押し込みながら剣で切り裂く

歩兵は槍を駆使し、眼球を潰し、腹を貫く。



騎士『万事休すって奴だな……ハハ』

魔道士「笑ってる場合じゃありませんよっ?!」

騎士『……わかってる、よし、ナディ、エミリアを守ってくれ。エミリア、俺の援護頼む』

歩兵「……了解」

魔道士「え、ど、どうするんですかっ!」

騎士『穴を塞いじまうのさ!』


騎士は蜘蛛を足蹴にし、跳躍する。

その騎士に群がろうとする蜘蛛を斬り裂き、蜘蛛の上を渡り走る。魔道士の援護もあり、敵を寄せ付けない。

そして地下への入り口に立ち上がると

騎士『……すぅ、はぁ』

屋根が抜け、支えるものがなくなった柱を

騎士『う、らぁっ!』

引きぬいた。



そしてそのまま……這い出ようとしてきた蜘蛛ごと、入り口に突き刺したのだ。


魔道士「すごい……」

歩兵「……馬鹿力」

騎士『よっし! 残りを始末すっぞ!』


増援を立たれた化け蜘蛛たちを殲滅するのはそう難しいことではなかった。

騎士『……こいつで、最後ッ!』

剣を腹に突き立て、引抜く。

暫くもがいたあと、蜘蛛は絶命した。

魔道士「すぐに、セライナさんたちの援護にっ……!」

歩兵「……でも」

騎士『あぁ、だが迷ってる暇はなさそうだな』

魔道士「ど、どうしたんですか、早くしないと……あ、そういえば隊長さんたちは」


騎士『いいか、よく聞いてくれ。フューリは捕まり、オッサンは瓦礫の下敷きだ。俺はオッサンを掘り起こしてから向かう』

騎士『ナディとエミリアは先に向かってやってくれ』

魔道士「え、えええっ!? マグナさんがっ」

歩兵「……そういうこと、急ご」

騎士『頼む、少し待っててくれ。すぐ援護に向かうわ』


「その必要はない」

騎士『ッ?!』

瓦礫に手を掛ける寸前、くぐもった声が聞こえた。

その方向を見てみると、瓦礫の山が微かだが揺れている。

直後、山が弾けるように吹き飛び、中心に賢者の姿が現れた。


騎士『……オッサン!』

賢者「喚くな……酸欠で頭が痛いのだ」



魔道士「よかった、無事だったんですねっ」

歩兵「……流石のしぶとさ」

賢者「当たり前だ、この程度で死んでたまるか」

騎士『と、とにかく、あんたがいてくれりゃ安心だ、今は――』

賢者「構わん、大体は把握している」

騎士『お、おう』

賢者「悪いが、俺は力になってやれん」

賢者「……陛下を助けにいかねばならんからな」

騎士『そう、だな』


賢者「ほれ、しゃきっとせんか。お前が副隊長なのだろう? さっさと指示をせねば部下が困る」



騎士『……わかってるよ、んなこたぁ』

騎士『よし、エミリア、ナディは俺と共に市民の鎮圧に向かう』

歩兵「……はっ」

魔道士「かしこまりましたっ!」

騎士『マグナ、あんたは逃亡した組織の連中の追跡、それとフューリの救出だ。こっちが片付いたら援護に向かう』

騎士『……もう無茶すんなよ』

賢者「ふっ、仰せのままに」


そうとだけ告げると、三人は外に向かった。


賢者「俺としたことが、みっともない姿を見せてしまったな」


賢者「だが……もう迷いはせん。断ち切らねばならんからな、全てを」



――


独房を脱出し、一つしかない階段を先へ先へと少女が登っていく、青年はそのあとを追いかけた。

随分、地下深くにあったらしい。階段の長さからそれが伺える。


青年「ちょ、本当にちょっと待ってって」

青年「どこに向かっているのか分かっているのかい?」

少女「…………」

青年「……やっぱり、怒ってますよね?」

少女「よく、分かりませんが。そうなのでしょうね」

少女「はい、わたし、怒っています。ぷんぷんです」


口ではそう言うが、いつもの無表情は変わらず

感情を含んでいない大きな双眸で、じっと青年を見つめる。

だが、ほっぺがぷくりと膨れあがって、怒りを主張しているのはわかる。



青年「それについては何度でも謝るからさ」

少女「何度謝っても、許しません」

少女「怒るということは、土下座をして謝っても許してあげないのだと、誰かさんが言っていました」

ぷい、とそっぽを向く、腕組みなんてしながら。

青年「ぷっ……」

だがその様子を、なぜだかとっても愛くるしく感じ、青年は吹き出してしまう。

少女「……今、笑いましたか?」

青年「い、いや、笑って何か無いよ。ふ、ふふふ」

少女「嘘です、笑っています。わたしは、怒っているのですよ?」

青年「ごめん、ごめんよ……くふふ」


笑いがこみ上げてくるのを抑えられない、そんな場合でないのは重々承知しているのに。



少女「……反省していませんね?」

青年「そ、そんなことないよ!」

少女「それはとても、いけないことだと思います。ですが……」

少女「何故でしょう。フューリさんが笑ってくれると、とても、とても嬉しいのです」


少女「おまじないが、効いたのでしょうか? よかったです、にこー」

青年「……っ」

言葉を失い、鼓動が早くなるのを感じた。頬が熱くなる。

怒る彼女は、笑う彼女は

こんなにも魅力的だっただろうか?


少女「フューリさん?」

青年「あっ、い、いや、何でもないよ」

少女「???」


青年「……君のおかげだろうね。こんな状況でも笑っていられるのは」

少女「そう言っていただけると、嬉しいです」

青年(先程まで、うじうじしていた自分が恥ずかしいな)

青年「ありがとう……でも、もう怒っていないのかい?」

少女「あ、そう、でした。怒っていますよ」

青年「無理に怒らなくたっていいんだよ」

青年「僕は、笑ってるティノアの方がずっと好きだな」

少女「す……き、ですか? はい、わたしも笑っているフューリさんが好きですよ」

青年「ふふっ、嬉しいな」

少女「わたしも、です。ですが、それとこれとは別です……」

青年「じゃあ、こうしよう。ここから無事に出られたら、また二人っきりでクレープを食べに行こう」

少女「クレープ、ですか?」

青年「あぁ、甘くてとっても美味しいんだ。それで許してくれないかな?」



少女「甘くて、美味しい……それと、二人っきり」

少女「……はい、それで許してあげますね」

青年「よし、じゃあ約束だ。約束破ったら針千本飲まされるんだよ?」

少女「針千本……とても痛そうです」

青年「痛いじゃ済まないけどね……だから、絶対だ」

少女「はい、楽しみに、しています」


ぱちぱちっ

小指を結び合い、指切ったところで少女が大きく瞬きをした。

それを機に雰囲気ががらりと変わる。


青年「……もう一人の」

少女「ふぅん、分かるの?」

青年「勿論、分かるさ。君たちの事だもの」

少女「そ、そう」


少女「……取り敢えず、ここに来て目ぼしい進歩ね」

青年「何がだい?」

少女「こっちの話。一応、お礼は言っておくわ、ありがとう」

青年「……?」

少女「とにかく、まずはここから出ないと」

青年「そうだね。だが今の状態じゃ敵に見つかった瞬間終わりだ、武器を探そう」

少女「わたしは必要ないけど」

ワンピースの裾をたくしあげ、ブーツに隠された包丁をみせる。


青年「君だけに戦わせる訳にはいかないさ。かと言って奪った武器を牢屋近くに保管しておくなんて、馬鹿な真似はしていないだろうから……」

青年「どうにか敵を倒して武器を奪い取ろう」

少女「そうね」



二人は階段を登りきる、その先にある扉をゆっくりと開き、隙間から様子を伺う。

そこは同じ牢獄であったが、牢の数が多く、中々の空間があるようだった。

奥にランプの灯りが見え、人の気配を感じさせる。

先ほどの会話で勘付かれていなかったか不安だったが、どうやら三名ほどの男性が酒盛りをしていた。


青年「暢気な奴らだ」

少女「あなたがそれを言うの?」

青年「……返す言葉もない」

少女「とにかく、ぱぱっと片してしまいましょ?」

青年「簡単にはいうけどね……っ」


酔っぱらいと言えど、多対ニ、しかし少女は気にせずかけ出した。


青年「まったく……ティノアが心配じゃないのかあの子は」

放っておく訳にはいくまい、青年もあとを追う。


「うっ」

「ぎぁ」

「がっ」

だがついた時には、三人いた男性が短い悲鳴をあげて絶命している所だった。


少女「どうしたの? もう終わって――」

「うおあああっ!!」

青年「危ないっ……!」

得意げに青年を見やる少女、その背後、暗がりから現れた生き残りが剣を振り下ろす。

少女「っ!」

少女も気付き、避けようとするが間に合わない。


だが、そこへ青年が体当たりを仕掛けた。

「ぐっ」

男はよろけるも、直ぐ様体勢を立て直し、反撃を試みる。

青年「はぁっ!」

しかし青年はそれを許さない、懐に潜り込み肘打ち、からの裏拳。

更にもたつく男性の腕と胸元を掴み、背負投げた。

頭から落ちる、自重と勢いのついた衝撃は男性を気絶させるのには十分だった。


青年「一人で勝手に動いて、危ないじゃないか」

少女「な、なに。ちょっと助けたからって調子に乗らないで」

青年「そう言うことじゃない。君に何かあったらどうするんだ」

少女「……っ、ふん。お礼なんて言わないから」

青年「いいよ、そんなの。まぁ、無事でよかった」


少女「…………あ、りがと」


青年「ふふ、どういたしまして」

少女「そ、それより、トドメささないの?」

青年「できれば、命までは奪いたく無い。武器を拝借したら手枷でも付けておこう」

少女「あなたって本当ばか、……でもまあ、今回は言うこと聞いてあげる」

少女が仕留めた三人は絶命しており、手枷の必要はない。

彼らの死骸から持ち物を漁るのは気が引けたが、仕方なかった。


青年「これは……ちょっと重すぎるな」

昏倒させた男性が振るっていた剣を持ってみる。

無骨で丈夫そうな作りだが、刃は欠け、何より重かった。

青年には扱えそうにないので、他を探す、すると死体の一つから二対の、刃渡り六十センチ程度の片刃剣が見つかった。


青年「……ふむ」

少女「そんなもの、扱ったことあるの?」

青年「一通り、マグナに教わったよ。格闘術もね」

青年「一番体に合うのがレイピアだったから、重い物は扱えないけど……こいつなら何とか」

少女「そう、足手まといにならないでね」

青年「頑張るよ」


双剣をベルトに挿し、二人は牢獄を脱出した。



――

密売組織の拠点の一部、大人数が収容できるこの部屋で

現在、宴が開かれていた。

その一端で、酒をつぐ道化と呷る頭領の姿があった。


頭領「様子はどないや」

道化「うふふ、随分と悔しそうな顔をしていましたわ。少し意地悪が過ぎたかしら」

頭領「ほんまええ性格しとるわ。まあ、そこを気に入ったんやけどな」

道化「お褒めいただき、光栄ですわ」


頭領「……お前は使える女や。下働きにさせとくんは勿体無い」

道化「そんな、私如きには勿体無いお言葉です」



頭領「ワシはこの国を変えたいと思っとる」

頭領「いつまでも力を出し惜しみしとるあの騎士王とか言う奴も気に食わん」

頭領「そんで富裕層にのうのうと居座り、自分だけがよけりゃええと思っとる奴らもや」

道化「胸中、お察ししますわ」

頭領「せやから、全部引っくり返したるんや。それをお前にも手伝うて欲しい」

道化「……勿論でございます。微力ながらお手伝いさせていただきますわ」

頭領「下準備は大方できとる。あとは導火線に火ぃつけるだけや」

頭領「せやから、奴らになるべく気づかれたらあかん。そこはお前に任したで」

道化「ええ、お任せくださいな。手は打っております」


頭領「お前ら! 今夜や、ワシらがこの国を取る、国盗り合戦や!」


「「「オォォォォッ!」」」

つ づ く

鯖落ち長かったなぁ、まあ落ちてる間何も書き溜めしてなかったのはお察し
あと、この章終わったらリクエスト受けて何か書いてみたいなーとか思ったり
なかったらなかったで、次章の構成練るだけだけど・・・


――

弓兵「ちくしょうっ! どうなってやがんだ?!」

天騎「喚いたって相手が引いてくれる訳がない! 口の前に手を動かせ!」

弓兵「かぁ~、お兄さんに向かって随分な言い草だなオイ!」

天騎「非礼なら後で詫びよう、だが今はこの状況をどうにかするのが先決だ!」

弓兵「言われずとも……! わりーが、手加減はできないんでね!」


寂れた市街の一角、そこで戦う弓兵と天騎。

敵は……理性を失った市民たち、服装を見るに貧民層の住民が多い。


弓兵「……ったくよ~。俺様たちのオシゴトってのは市民を守ることじゃなかったのかねぇ」

弓兵は手前の市民を蹴り飛ばしながら愚痴る。


天騎「相手が"善良"ならの話だろう。彼らにはもう、言葉も通じない」

弓兵「だな。しかしなんでまたこんなことに」

天騎「恐らくだが、これは罠だろう、どうやって操っているかは分からないが。……となれば隊長たちも失敗した可能性が高い」

弓兵「めんどくっせぇな……」

天騎「とにかく、エミリアがラルたちを呼びに行ってくれている。応援が来るまでの辛抱だ」

弓兵「おお、愛しのエミリー、はやく戻ってきておくれぇ!」

天騎「ふざけている場合かっ……く!」


大声で嘆く弓兵、それに気を取られた天騎に

鉈を持った市民が襲いかかる。

天騎「不味いっ!」



ヒュッ

だが、寸前で天騎の顔面すれすれを飛ぶ物体が、市民の腕に突き刺さり、そのまま木製の扉に釘づけた。

市民が痛みと怒りに吠える、その様子を見て弓兵は口笛を吹くのだ。

弓兵「わぉ、痛そう」

天騎「す、すまない、助かった」

弓兵「いいってことよ、少しはお兄さんを見直したかい?」

天騎「……感謝はしているが、まず貴方が真面目に戦っていれば」

弓兵「はいはい、わたくしめが悪ぅござんした」

弓兵「……にしても、あんでこんなにガキが多いんだよ、調子狂うぜまったく」

天騎「え?」


思わず耳を疑った。天騎たちのことを言っているのかと思ったのだ。



だがそれは違った、弓兵の視線を追えば分かる。

襲いかかってくる市民の、半分が子供なのだ。

白目を剥き、溢れる涎を地面に垂らしながら歩く様は、見ていて心苦しい。


天騎「…………」

天騎(本当を言えば、理由はどうあれ市民に手を上げたくはない)

天騎(それがまだ何も知らない子供なら尚のことだ……だがそれを言ってしまえば、私は戦えなくなってしまうだろう)

弓兵「おい、セラ」

天騎「……っ」

弓兵「何考えてるか俺には分からねぇが、迷うのは仕方ねぇ」

弓兵「だがな、迷ってる暇があったら、戦え」

天騎「わ、私は迷ってなど」



弓兵「全力で、仲間と、あいつらを守るために戦え、それ以外は……あんま気にすんなよ」


天騎「……」

天騎は槍を持つ手に力を込める、その横で弓兵が民の両足に矢を放ち、近づく者に回し蹴りを食らわせる。


弓兵「ようは死ななきゃいいんだよ死ななきゃ」

天騎「……まったく、貴方と言う人は」

弓兵「んだよ、何か面白いこといったか? 俺」

天騎「子供なのか、大人なのか、よく分からないな」

弓兵「それ、褒めてないぜ?」

天騎「褒めてるつもりなんてないさ……!」

弓兵「へっ、そうかよっ!」


騎士『セラ、クォート!』

魔道士「お怪我はありませんか!」

歩兵「……お待たせ」



弓兵「おう、随分遅かったじゃねぇか。ほとんどのしちまったぜ?」

騎士『そいつは結構、だが軽口叩ける状況じゃねえ』


相手が増えたからといって手を休めるはずのない市民を、盾で押出しながら騎士は事情を説明した。


弓兵「やっぱりな……失敗か、上手くいったらそれはそれで不気味だけどよ」

天騎「私たちがついていながら、不甲斐ない」

騎士『いや……奴らの力を見くびってた性だ』

歩兵「……反省会なら、後」

魔道士「うあうあ、街の人たち相手に、戦えませんよ~っ!」

弓兵「相手さんは待ってちゃくれないぜ!」

騎士『わかってるっての!』


騎士『……けど、この有り様。あの時を思い出すぜ。ますますきな臭くなってきたな』


――

青年「よし、誰もいない」

少女「……ねぇ」

青年「なんだい?」

少女「こそこそする必要あるの?」

青年「できるだけ戦闘は避けたい。周りくどいことになるが、相手の動向が分からない以上、情報も集めたいしね」

少女「……ふぅん。まぁ、いいけど」

少女「さっきから同じ景色ばかりで、飽きてきたの」

青年「そうは言ってもね……多分、似たような造りにすることで侵入者を困らせようとしているんだろう」

少女「そう、いい迷惑ね」

青年「効果的ではあるんだけどね……やられる側になると困りものだ……っ、誰か来る」

少女「見つかる前に殺しましょ」



青年「ちょ、ちょっと待ってって、隠れてやり過ごそう」

少女「…………」

青年「頭大丈夫? みたいな目で見られてもね……こっちだ」


すぐ脇にあった扉へ逃げ込もうとした時

ぺちんぺちんと小さな音と、声が暗がりから聞こえた。


「おっにさんこっちら、手のなる方へ」

青年「誰だ……? いや、考えている暇はないか」

仕留める気満々の少女の手を無理やりひっぱり、体を滑りこませるように隠れる。

商人「やっほ、元気してた?」

青年「ミーコさん……!」

少女「どうして逃げるの」

商人「ちょっと静かにしててね~」



不服そうな少女の口を抑える青年、驚く青年の口を抑える商人。

そんな異様な光景を、近づいてきた男性は気づきもせず、青年が逃げ込もうとしていた扉の奥へと消えていった。


商人「はい、もう大丈夫~」

青年「す、すまない。危ない所だった、ありがとう」

少女「だから言ったの」

青年「……返す言葉もない」

商人「いいのいいの、こうなっちゃったのもあたしの性っぽいしね」

青年「事情は大体?」

商人「うん、君たちと別れた後、あたし一人で色々調べてみたんだけど、伝える前に……」

青年「イアラさんに、裏切られたと」

商人「そゆこと、参ったね、あはは」



少女「……でも、どうしてお姉さんは無事なのですか?」

商人「ん? まあ長年商人やってると色々特技が身につくものなの」

少女「そうなのですか、ご無事でなによりです」

青年「商人の域では無い気がするけど……」

商人「うんっ、ありがと! てぃっちーたちも無事でよかったよ~」

商人「あたしの情報で皆を危険な目にあわせちゃって、ほんとごめんね」

青年「ミーコさんが謝ることじゃないさ。それに、もう僕らだけの問題じゃなくなった」

商人「そう、だね。年下に気遣われるなんて、お姉さん失格だね……でも、ありがと」

商人「とにかく、奴らの目的が反乱だって知っちゃったら、止めないわけにはいかないよね」

青年「反乱……やはりか、そこまでの規模に膨れ上がっていたのに、何故騎士団は……」

青年「内部への侵食は思ったよりも深く進行していたのかもしれないな」



商人「難しいことはよく分かんないけど、これからどうしよっか」

少女「悪い人たちを倒せばいいのですよね?」

商人「う~ん、そうなんだけどね」

青年「運良く頭を仕留めたとしても、僕らが無事生還できる確率は……絶望的だね」

青年「他に情報は?」

商人「ううん……捕まってた時に聞いたけど、今夜には動き始めるみたい」

青年「……今夜か、あまり時間は無いな」

商人「それともう一つ、こっちはいい情報よん」

商人「この地下施設は、先々代の騎士王さまが内緒で作らせてたものらしいの。目的は分かんないけどね」

青年「先々代か……そんな話は聞いたことがない」

商人「途中で開発中止になったみたいだしね~」

少女「中止になったのに、どうしてこんなにも広いのでしょうか?」



青年「きっと奴らがこの施設のことを知って、勝手に改造したんだろう」

青年「……待てよ。国家が開発していたのなら、王宮に通じる抜け道もあるんじゃないかな」

商人「そゆこと、そこから攻め入る手はずなのかもね」

商人「だとしたら不味いよ。外敵からの守りには堅いこの都市でも、夜襲でしかも内部からやられちゃうと……」

青年「大混乱は免れないな……その隙に帝国に攻め入られてはひとたまりもない」

青年「だがこれはチャンスだ。僕らがそこから抜けだして、このことを騎士王に伝えることができれば」

商人「先手を取れるね、ちょっとは被害もマシになるかも」

少女「……ですが、どうやって抜け道を探すのですか?」

青年「じ、地道に探すしかないかな」

商人「それじゃ日が暮れちゃうよ~」



少女「でしたら、誰かにお願いして聞いてみればいいのです」

少女「指のニ、三本切り落せば教えてくれますよ」

青年「そ、それはちょっと……」

商人「あはは、最悪、そうするしか無いかもしれないね~」

青年「……覚悟は決めなければいけないか」


「おいッ! 脱獄だ、捕虜が逃げたぞ!」

青年「ッ?!」

商人「び、びっくりした~」

突然響き渡った怒号、思わず青年と商人は身を固くした。


「なんだと?! 見張りはどうした!」

「全滅だよ畜生! あいつらどうやって抜けだしたんだ?!」



「俺が知るかよ、とにかく情報が外に漏れちゃ不味い、お前は頭に報告に行け! 俺は他の奴ら連れて出口を塞ぐ」

「分かった!」

「おいてめえら、酒飲んでる場合じゃねえ! 行くぞ」


青年「……もう気づかれたか」

商人「みたいだね~」

少女「ですが、あの人達は出口に行くようですよ?」

青年「そうだね。当てもないわけだし、危険だがついて行ってみよう」

少女「わたし、知っています。ストーカーというものなのですよね?」

商人「えへへ、こういうのって結構ワクワクしちゃうよね~」


青年「……まったく、どうして僕の周りの女性はたくましいのかな」




――

賢者「…………」

一方その頃、賢者は道を塞いだ柱を破壊し、隠し通路の奥へと突き進んでいた。

大量に這い出る化け蜘蛛を物ともせず、頭を鷲掴み、魔術で内部から燃やし尽くす。

一瞬だ。体液もろとも蒸発させる、悪臭が漂うが眉一つ動かさない。


賢者「この俺とした事が、こうなるまで奴に気づきもしないとはな」


独りごちる。呆れとも取れるその言葉は薄暗い闇の中に溶けていった。


賢者「それにあの娘、まだ生きていたとは、な」

賢者「何の因果か……これもまた、あいつが仕組んだことだろうが」

賢者「毎度ながら、悪趣味な奴だな。お前は」


賢者「……ネーベル!」

つ く
 づ ぜ

遅くなってごみんね、ダクソ2が悪い。まだ一周もしてないけど
リクはほのぼのでも嬉しいけど、最近うつうつしてないから暗いのでも・・・
  

よーしお兄さん今日投下しちゃうぞ~




ザッザッ……

青年たちが隠れている部屋の、扉ごしから大勢の歩く音が響いた。


少女「こちらのようですよ?」

青年「分かった、他に人の気配は……」

少女「ありませんね、行きましょう?」

商人「ひゃー、ドキドキするね。おしっこ行きたくなってきちゃった」

青年「ミ、ミーコさん、女性がそう言うこといっちゃあ」

少女「はやくしないと、置いて行きますよ?」

青年「あぁ、ティノア、待ってくれ」


音の消えていった方へ歩みを進める。

薄暗く、ジメジメした通路は、どこもかしこも同じような造りで、気を抜くと方向感覚を失いそうになる。


敵の動きを気にしつつ、且つ気付かれないように、迷わないように行動するのは相当神経を使う。

だが青年はマイペースな女性陣に振り回され、それどころではない。


少女「こっちです」

商人「てぃっちーすごーい。よく分かるね~」

少女「いえ……それほどでも」

青年「…………」

こうまでも少女に頼りきっていしまっていると、男としての自分が惨めになってくる。

しかしちっぽけなプライドを気にしている暇はない、騎士王国の一大事に関わることなのだから。


少女「……どうやら、あそこが出口のようですね」

暫く道を進んでいくと、不意に少女が立ち止まった。

角越しに覗いてみると、その通り、上へと続く階段と、いくつかの武器が立てかけてある部屋が見える。


商人「そうみたいだね~。けど、あの人数を突破するのはむつかしいよ……」

青年「ざっと数えて十人か、もっといるかもね」

少女「いけると思いますけど」

青年「いや、何が起こるか分からない。時間が経てば不利になるが……少し策を考えよう」

少女「……ほんと、慎重ね」

商人「じゃあそこの部屋に入ろっか」


商人が指差す先に、扉があった。

ちょうど奴らの視界には入らない位置にあるし、ちょうどいい隠れ場所になる。


青年「よし、そうと決まれば入ってみよう……うん、少し薄暗いが人の気配はないみたいだね」

商人「わ、ちょっと埃っぽいね~」

青年「そこは我慢してもらうしか……」


少女「……ねえ、ちょっと不味いんじゃない?」

青年「うん? どうかしたのかい」


「あら、さすが、いい勘してるわね」

青年「……っ!?」

ぼっ、と部屋中の燭台が一斉に燃え上がり、辺りが明るく照らされる。

その中心には……

青年「イアラさん……」

道化の姿が。


青年「くっ」

道化「あら、逃げようとしたって無駄よ。すでに囲まれてるんだから」

青年「……」

商人「気づかれてたんだね~、久しぶり、いーちゃん」

道化「うふふ、それほど久しぶりでもないでしょう? 貴方は暢気ね。ミーコ」



少女「何の用でしょうか?」

道化「貴方も相変わらずね。わかってるでしょ?」

青年「わざとらしいあの鍵も、この子を同じ牢に入れたのも全て罠だったか……」

苦々しい表情で道化を睨む。

道化「ええ、わざわざ逃してあげたのに、まんまと罠に引っかかっちゃって……お姉さん嬉しいわ」

青年「それで? こんな周りくどい事をして、何がしたいんだ」

道化「随分強気ねえ、そういうのも嫌いじゃないけど。わかってるでしょ? お利口さんな坊やなら」

青年「……君たちの仲間になれというのなら、断る」

道化「あら、振られちゃったわね、悲しい」

青年「どの口が……!」

道化「ねえ、いい加減言葉遣いに気をつけたら?」



そこで道化の雰囲気が一変する。

薄ら笑いは消え、ふっ、と瞳が暗くなる。

道化「目の前で大切な女の子が、大勢の飢えた男たちに輪姦されるのなんて、みたくないでしょ?」

道化「それともそういう趣味なのかしら?」

少女「……まわす?」

商人「やー……それは困っちゃうね~。初めては好きな人とって決めてるの」

青年「……外道が」

道化「物分かりの悪い子ねぇ」


道化はすっ、と立ち上がり、青年に近づく。そして動けない青年の頬を片手で撫で

道化「じゃあ、貴方が代わりになる? 案外可愛い顔してるから、きっと人気者になるわよ?」

耳元で囁いた。


青年「……っ」

少女「あの、話しが見えないのですが」

道化「あらあら、おこちゃまにはちょっと早かったかしら」

少女「む」

青年「……分かった」

道化「うふふ、ようやく分かってくれた?」

商人「ふゅーにゃん……もしかしてそっちの気が」

青年「ち、違うっ! ……君たちの仲間になろう。それで彼女たちは見逃してくれるのか?」

道化「……どうやら、まだ理解してくれてないみたいね」

道化「貴方は、這いつくばって私に懇願すべきなのよ? この子たちをどうするのかは、私のさじ加減ひとつなんだから」

青年「……くっ」

道化「さぁ、私の靴を舐めてごらん。それで忠誠を示してもらおうかしら」



木箱に腰掛ける道化、そして脚を組み、そのつま先を青年に差し出す。

青年は言われるがままに、道化に近づき、片膝をついた。

商人「だ、駄目だよふゅーにゃん!」

青年「……だが、これで二人が助かるなら」

商人「こんな過激なプレイ、子供には見せられないよ!」

青年「…………」

道化「うふ、いい顔。まずはお姉さんがたっぷり可愛がってあげるからね」


少女「そろそろ、調子に乗るのもいい加減にしてください」

道化「……っ!」

ヒュッ……カッ

青年が顔を道化のつま先に近づけようとした時

道化のすぐ眼前に、少女の放った投げナイフが迫った。

しかしそれを寸でで避け、ナイフは背後の壁に突き刺さる。



青年「今ッ!」

座ったままの姿勢で避けようとしたため、バランスを崩した道化に

青年が両腰に差していた刀剣を同時に抜刀した。

だが交差するように振り払われた刀剣は、道化にはあと一歩届かない。

曲芸さながら、座ったままの状態でムーンサルトを繰り出したのだ。

つま先が青年の顎を狙うが、こちらも食らってはやらない。


道化「……ふっ、ふっ、あはは、随分と思い切ったことをするのね」


余裕だとでも言わんばかりに笑ってみせる、しかし無傷ではなかった。

青年の一撃は道化の胸元を斬り裂き、はだけた部分から白い肌と赤い筋が見える。

滴る血液は、その豊満な谷間に落ちていく。青年は慌てて目を逸らした。



青年「少し早いよティノア」

少女「だって、あなたってば本当に舐めちゃいそうで」

少女「……それと、わたしたちの為だっていうの、禁止」

青年「え……?」

少女「自分の身くらい、自分で守れるの。余計な心配よ」

商人「そうそう、ここまで付いてきたのだって自分たちの意志なんだから、ふゅーにゃんが気にすることなんて無いんだよ?」

青年「二人共……そうだね、すまなかった」


道化「それで、私はいつまで無視されるのかしら?」

道化「馬鹿にしてくれるわね」

青年「……先ほどの答え、訂正しておこう」

青年「僕は君たちの仲間にはならない。そして君たちの思い通りにもならない」

青年「どうなろうとも、彼女たちを守り切ってみせる!」


道化「ああそう、だったらいいわ」

道化「三人まとめて、仲良く地獄に送ってあげるわ!」


その言葉を皮切りに、背後の扉から数人の男性が侵入してきた。

青年たちは互いに背中を突き合わせ、敵に相対する。


青年「そちらは任せても?」

少女「誰に聞いてるの? 一人でも十分」

商人「おっけー了解っ!」

青年「はは、心強いな!」

道化「本当、ムカつくわね」


一歩退いて道化は魔術の詠唱を始める。

大道芸でも見たが、彼女はかなりの魔術の使い手である。

こんな狭い場所で使われては一網打尽にされてしまうだろう。


青年「させるかッ!」

だからこそ青年は道化の相手をすることに決めたのだ。

大きく踏み込み、両の刀剣を突き出す。


道化「ッ……!」

しかし、それは道化の持ちだした鉄輪によって防がれる。

青年の記憶が正しければチャクラムと呼ばれる武器だ。

どこかの民族が生み出した投擲武器だと記憶しているが、実際に相手したことはない。

青年「随分とマニアックなものを使ってるじゃないか……!」

道化「あらそう……! できればあまり使いたくないのよ!」

青年は右手を引き、横薙ぎ。左手をそのまま振り下ろす。

息もつかせぬ双剣の連撃。にも関わらず、道化は小回りの効く鉄輪でやすやすといなしていく。


青年(……こうして密着していればお互いに決定打はない、ジリ貧になるが)

道化「ふふっ、いつまでこうしているつもり……?」

道化「早くしないと大切な彼女がやられちゃうわよ?」

青年「……君はあまり僕を舐めないほうがいい! こっちには男としての意地があるんだ!」

刀剣と鉄輪でのつばぜり合い、その中に道化は青年の不安を煽る言葉を吐く。

しかしそんな言葉には捕らわれない。青年は迷いごと剣で切り払った。

道化「くぅっ……!」

青年「これで……!」

斜め上からの剣撃、受け止める道化、そして青年は鉄輪の真下からもう片方の刀剣で切り上げる。

道化「しまっ――」

受け止めた真逆の方向からの一撃、それにより道化の防御は崩れ、無防備な姿を晒すこととなった。


そこへ、渾身の力を込めた突きが道化の喉元へ伸びる。

貰った。そう思った刹那。

青年と道化の間に、赤々とした魔力の塊が発生したのは。

咄嗟に腕を引いて防御の姿勢を取る。

次の瞬間には、高熱と閃光の洗礼が青年に襲いかかった。


青年「ぐあっ?!」

道化「うぅっ……!」


少女「お兄さん!」

商人「ふゅーにゃん!」

突然のことに、四、五人の男性を相手していた少女と商人が気を取られ

押し切られそうになる。

青年「構うな! 問題無い!」



その実、火傷を負う程度のダメージで、悪あがきに過ぎなかった。

しかもその上、近距離で爆発させたため、道化にダメージが入る。

道化「ふふ、侮ってたみたいね」

青年「そのようだね」

じりじりと対峙する青年と道化。

道化「でもかなり時間は稼げたみたい」

膠着状態で道化が一歩下がる。

すると、突如、天井の一部が崩壊し、残骸が降り注いできた。

思わず顔を覆う青年たち、埃が舞う部屋の中で、辛うじて目を開けてみると……


崩れた天井の縁から、青年たちを見下ろす無数の影。

矢を持ち、魔導書を持つ者達が、そこにはいた。


道化「うふ、こんなこともあろうかと。どう? これでも考えは変わらない?」

青年「……っ、当たり前だ!」

少女「…………」

商人「わー、ちょーピンチかも」

道化「そう、じゃあ残念だけれど」

青年「くそっ!」

道化が手を大きくあげる、矢が担がれ、魔導書が開かれる。

青年は咄嗟に剣を投げ捨て、商人と少女を引っ張り、部屋の角へ

二人を座らせると、庇うように両手を広げた。

先ほどまで戦っていた男性たちは巻き添えを避けるために退避している。

部屋には青年たちと道化だけだ。



少女「お兄さん?!」

商人「ちょ、ふゅーにゃん!」

青年「君たちだけは守る、そう決めた!」

道化「あら、素敵。……けどそういうのを一方的に叩き潰すのが、いいのよねぇ!!」


(これ―――殺――のに、ため――――駄目)

青年(……え?)

道化「もう、死んじゃいなさいよッ!」

その手が、振り下ろされる。

だが瞬間、一迅の風が吹いた。

地下空洞では感じることの出来ない、一層強力な。



「魔導書第十二項、其は荒れ狂う猛き風神! 息の根全員止めてやれ! 風剣"レクスカリバー"!!」



どこからか声がした、いつもは機嫌の悪そうな声なのに、笑うと凄く快活で、聞くと安心できる、そんな声が。

一瞬、ほんの一瞬だ。

安心したのも束の間、台風でも起こってるんじゃないかと思うような風が巻き荒れ

上の階にいる男たちを飲み込んでいった。

あまりにも強い風で、よくは見えなかったが

空間が歪むほどの風の刃が襲いかかり、ぶつかった所から無数の刃に体中を刻まれている

そんな惨状だった。


賢者「……待たせましたな」

青年「マグナ……マグナっ!」

それも束の間、血が滝のように降り注ぐ天井から、ずしりと飛び降りてきた男。

賢者に、思わず青年は抱きついていた。


青年「生きて……いたのか……よかった」

賢者「ハッハッハ、坊っちゃんはまだ泣き虫ですなぁ」

青年「泣いて、なんか無いっ!」

賢者「そいつは失礼しました」


青年の頭をぽんぽんと叩く賢者。

その表情には疲れが見て取れる、ダメージも少なくないはずだ。

なのに、青年たちのために急いでくれたのだろう。

少女「……ちょっと、遅いんじゃない?」

商人「おー、まぐにゃんスッゴイ久しぶりじゃーん! 元気してた?」

賢者「ティノア、ミーコ。無事で何よりだな」



目と口元を細めて、賢者はいう。

いつもなら滅多に見せない表情だった。

商人「うっ……その顔卑怯かも、ちょっとドキっとしちゃった」

賢者「ふむ? 俺に惚れたのか? 生憎だがもっと大人になってからだな」

商人「うげ、台無しだよ台無し~。乙女心返せ~!」


道化「貴方……生きてたの」

賢者「……ふん、よく言う」

道化「…………」

賢者「だが、俺の弟子とプラスアルファを危険な目に合わせてくれたことは、許さんぞ」

商人「プラスアルファってひどいなー……」

道化「ふぅん、そう。じゃあどうする気?」

賢者「……お礼に、面白い話を聞かせてやる」

道化「…………話? どうしてそうなるのよ」


賢者「これは俺のけじめのためだ、そしてお前のためでもある」

抑揚も変えずに、賢者は続ける。

賢者「なぜなら俺は……お前の父親なのだからな」


!ぜくづつ

エイプリルフールネタは何も思い付かなかったので割愛
うーん今回は暗くなるかな・・・俺的にはそうでもないな・・・いい話思いつかないのが現状



道化「……は?」

青年「えっ」

少女「……?」

商人「ま、まさか、まぐにゃんに子供がいたなんて。一瞬で失恋だよ~」


賢者「なんだ、何か文句でもあるのか?」

青年「い、いや、確かに。君くらいの歳なら子供がいてもなんらおかしくは無いが……」

少女「……正直、意外」

青年「あぁ……」

賢者「何ですか二人共、その微妙な反応は」

青年「だってね、君が女遊びが好きなのは知っていたが、そ、その……ひに、や、やることはちゃんとだね」

賢者「ほうほう? やることとは?」

青年「な、なんでもないっ! 大体、子供の存在を知っていたなら、どうして一緒にいてあげなかったんだ!」


賢者「女遊びで生まれたような言い草ですな……。安心してください、こいつは望んで生まれた子です、目的がどうあれ」

少女「……目的?」


道化「う、嘘……でしょ? パ、パ?」

賢者「嘘なものか、子供の顔を見間違える親がいるか?」

道化「だって……なら、どうして私の側にいてくれなかったの!」

道化「ママも、パパも、気づいたらいなかった! ずっと、孤児院で生きてきたのよ?!」

賢者「残念だが、母はいない。孤児院に預けたのは、その方が幸せだと思ったからだ」

道化「……そんな、幸せなんて。私にはパパがいればよかったのに」

賢者「そのパパがいないほうが良かったのだ」

青年「っ、それは、君のエゴだろう!」

賢者「……まったく、どちらの味方ですか。先ほどまであいつに殺されかけていたのですぞ?」



青年「そんなこと、関係ない! 彼女を見守り、育てるものがいれば、こんなことには……」

道化「っ……」

賢者「その点については、申し訳ないと思っている」

賢者「だが、誰が血と罪に濡れた手で、子を育てられるというのでしょう」

道化「……そう、だよ」

道化「そんなこと、関係ない。私にとっては、貴方だけが家族なんだから……ねぇ、パパ、私の事名前で呼んでよ……」

賢者「ルイス」

道化「……! 私の、本当の名前……やっぱりパパなんだ」

立ち眩みのような感覚が道化を襲う。

思わぬ事実に、頭が混乱しているのだ。

だが、彼女の中の遺伝子が、賢者を父と認めている。

上手く働かない頭の代わりに、本能が思わず賢者の胸に顔をうずめさせた。



道化「ずっと、あいたかった」

賢者「…………」

商人「感動の再開……うぅ、ちょっともらい泣きしちゃったよ」

道化「ねえ、パパ……私、大きくなったでしょ? ずっと会いたくて、頑張ったんだよ」

賢者「……あぁ、立派に成長したな」


少女「パパ、ねぇ」

青年「これで、いいじゃないか。もう、僕たちが争う理由もなくなった」

青年「さぁ、あんな奴らと手を組むのはやめるんだ。マグナも、もう一度やり直してみればいい」


賢者「残念ですが、そう言う訳にはいきません」


青年「……何故だ! 何を拒む必要がある? 彼女はこんなにも君を求めているんだよ」

道化「どうして……? やっぱり、殺そうとしちゃったこと、怒ってるの? それは、ごめんなさい。でも、知らなくて」

賢者「そんなことは関係ない。第一、己の魔術で死んでしまっては笑えん」



商人「……ん? 自分の?」

少女「ねぇ、いい加減、言葉を濁すのはやめてくれない?」

少女「それじゃいつまでたっても話が終わらないの。わたしは早くここから出たいの」

商人「あれ、てぃっちー何か変わってない?」

少女「女の子はすぐに成長するものなの」

商人「そっかー」


青年と少女が、早く言えと言わんばかりに賢者を見る。

賢者の胸でぐずる道化も、気持ちは同じだろう。

賢者「……分かった。では正直に話しましょう」

短く嘆息、そして道化から目を逸らして、少し躊躇うように続けた。



賢者「こいつは、俺とネーベルで作った、いわば人形のようなものです」


青年「……え? なんだって?」

道化「…………ぇ」

明かされたのは、衝撃の事実であった。

思わず、青年は聞き直してしまう。


賢者「俺たちは、人を生み出すという魔術の研究、実験をしていました。その時生まれたのがこいつです」


道化「…………」

青年「……」

道化は一言も喋らない。先ほどまでと同じ体勢のため、表情を窺い知る事も出来ない。

その胸中は、さぞ荒れ狂っているだろう。

何せ自分の存在を、根底から覆されているのだから。


賢者「だが、俺の子供だという事実は変わりません。俺の遺伝子を使って生み出したのですからな」


少女「……遺伝子?」

賢者「人の体を形作る、設計図みたいなものだ。その設計図に少し手を加え、魔術によって人の体を作ったのだ」

商人「なんだか難しそうだねぇ」

賢者「そして、その成功が奴の実験に拍車をかけることになったのです」

賢者「次に奴は、死者を蘇らせようとした」

賢者「こいつの体を使って」


青年「ッ!?」

少女「……ふぅん」

商人「ということは……」

賢者「あの頃は俺もまだ若かった、周りが見えていなかったのです」

賢者「ですが俺は、生まれたばかりのこいつを見て、とんでもないことをしでかしたと思いました」


青年「……君は、再度実験に使われそうになった……ルイス、さんを逃したんだね?」



賢者「…………」


青年が問うと、彼は無言で頷く。

商人「まぐにゃんはいーちゃんのこと考えて、そうしたわけでしょ?」

商人「やったことはいけないと思うけど、その考え、あたしは正しかったと思うな」

少女「……頼んでもないのに産み出されて、大人の都合で振り回されるなんて、いい迷惑だけど」

賢者「その通りだ」

賢者「だからこそ、お前に一言謝っておきたい」


賢者「この世に生み出してしまって、すまなかった」


その一言は、どれだけ残酷だっただろう。

彼女にとって、今までの人生がどんなものであったか、青年たちには分からない。

だからこそ、何も言えなかった。

言えるはずがなかった。

賢者を責めることも、彼女を慰めることも……何も。



道化「……もう――て」

賢者「許せとは言わん」

道化「やめてって、言ってるでしょッッ!!」


堪えきれなくなった感情が、一斉に放たれた。

賢者の胴に手を回したままの道化が、どこからか短剣を取り出し、その背中に突き刺そうとする――。

のを、誰よりも早く少女が止めた。


道化「……じゃま、しないでよ!」

少女「くす、言ったでしょ? 相応の報いを受けて貰うって」

少女「今のあなたの顔、とっても面白いわ。素敵よ」

道化「うるさいっ、うるさいっ、うるさぁいッ!!」

駄々をこねる子供のように、少女の手を振り払う。

そして賢者から勢い良く離れ、息を荒げた。



賢者「ふむ、刺されるくらい、覚悟していたのだがな。すまんな」

少女「謝らなくたって別にいいの。お姉さんの悔しがる顔、見たかっただけだもの」

賢者「そうか」

青年「マグナ、怪我はないか」

賢者「えぇ」

商人「……ねぇ、もうやめようよいーちゃん。まぐにゃんを恨む気持ちはわかるけど」

商人「いーちゃんのやってることも、おかしいよ」

道化「だまって……! あなた達なんかに、私の事なんて分からないッ!」

少女「……くす、分からないのはあなた自身も同じでしょ?」

賢者「だからこそ、お前を知っているかもしれない俺に、手加減したという訳だ」

青年「そう……なのかい?」

道化「だったら、何だっていうのよ」


道化「こんなことなら、聞かなきゃよかった」


消え入りそうな声で、道化はつぶやく。

その気持ちは、なぜだか青年にはよく伝わった。

掛ける言葉は以前見つからないが。


道化「……話はもう、終わりね」

賢者「うむ。元はどうあれ、今はお前の命だ。好きに生きるがいい」

青年「そんな……無責任すぎる! このまま彼女を行かせていいのかい?!」

賢者「どうやって責任を取れというのです。俺にはその方法が分からない」

賢者「なれば、奴の好きにさせるしか、無いのです」

道化「あぁ、そう。だったら好きにさせてもらうわ」

道化「私を生んだ世界を、貴方を絶対に許しはしない」


商人「ほんとに、やめようよ……まだ、間に合うから」

道化「もうどうにもならないのよ。決めちゃったことだから」

青年「待ってくれ、ちゃんと話をすれば分かるはずだ。君だって、今まで辛いことだらけだった訳じゃないはずだ」

青年「手を悪に染めて、その先に幸せがあると言うのかい?」


道化「えぇ、そうよ。少なくとも、私にとっては」

もう、説得のしようがない。彼女との交渉は不可能だ。

唯一のブレを、迷いを、賢者が粉々に砕いてしまったのだ。

彼女は壊れてしまったような笑みを浮かべて、青年たちから距離を取る。

そして背後に近づく壁、とんっ、と背中がつきあわさる。


道化「……良いこと教えてくれたお礼に、私からも良いこと」

道化「この先の道は王宮へ続く道でも何でもないわ」



道化「せいぜい、地下に張り巡らされた迷路に悩まされて、赤に染まった王都を観光でもすることね」

青年「謀られたか……! 待てッ!」

道化「うふふ、じゃあね。もう二度と会うこともないでしょうけど」


壁に描かれた魔法陣が、突如浮き上がる。

青年が手を伸ばしたのも束の間、縁から眩い光が溢れだし

次の瞬間には、道化の姿はどこにもなかった。


少女「……逃げられたみたいね」

青年「転移魔法、か……くそっ」

賢者「ふむ、自力で高位術式を修得したか。さすがは俺の子だ」

賢者「だが、陣に頼らねばならんとは……劣化は避けられんということだな」

青年「……劣化、だと?」

賢者「術式を人に応用する前、小動物を使って実験したことがあるのです」

賢者「結果、どれもこれも、全てオリジナルに比べ、劣っていました」


少女「じゃあ、あなたの劣化版って言うところね。あなたが何人もいても、困るけど」

賢者「勿論、寿命もです。およそオリジナルの約三分の一、あいつも例外ではないでしょう」

青年「三分の、一……?」

賢者「恐らくは、長くて三十、短くて二十で尽きるでしょうな」


青年「ふ……ざけるなよ」

青年「何故……君は、そんな非人道的なことをしたんだ!」

青年「僕には、まだ信じ切れない……なんでそんなに非情でいられるのかも……」

無機質に、躊躇う事もなく事実を告げる賢者に、青年はやり場のない感情をぶつけた。

しかしどんなに彼を責めても、何も変わらないのは分かりきっていることだ。

そして青年には関係の無いことで、当人たちには解決する気がない。

だからこそ、やりきれない思いだけが募って行くのだ。


賢者「……ですから、陛下には言いたくなかったのです」

青年「え……?」

賢者「そんなことより、これから一体どうするのです」

青年「そんなことって!」

少女「……はぁ、いい加減に落ち着いて。国が滅びるかもしれないんでしょ?」

少女「だったら今大事なのはそれじゃないの。違う?」

青年「……そうだね、すまない」

商人「取り敢えず、出口を探さなきゃね~」

少女「宛てがなくなったわけだけど。どうするの?」

賢者「いざとなればぶち壊せばいい」

商人「そんなんじゃ地下が崩壊してあたしたち全員生き埋めだよ~」

少女「あなた、転移魔法とやらが使えるんじゃないの?」


賢者「できるが、俺一人を転移させることしか出来ん」

賢者「魔法とは言うが、どちらかと言うと奇跡の類に近い。俺は奇跡に疎い上、触媒でも無ければ複数人は、あのアドフィルドでも不可能だ」

少女「……そう」


青年「……僕は、彼女を止めたい」

少女「…………はぁ、まだ言うの? いい加減にして」

青年「我儘だって思う。だけど、僕には放って置くことは出来ない」

青年「この組織の、頭を潰す。そして彼女を止める」

少女「馬鹿は、死ななきゃ治らないの? わたしは絶対にイヤ」

商人「……でも、あるかどうかも分からない出口を探すより、頭を叩く方が現実味があるかも」

賢者「転移魔法には大きな魔力を仕様する、あいつが頭の元へ転移したのなら、その残滓を辿ってある程度追うことはできる」


賢者「そっちのほうが楽かも知れんな。恐らくは、俺の通ってきた道も防がれてしまっただろうからな」


少女「……まったく、ほんとに」

青年「君には、いつも迷惑を掛けるね。どうしても嫌だったら、出口を探して……」

少女「分かった、分かったから。もう、それでいいわ」

青年「……本当かい? ありがとう!」

少女「仕方なく、仕方なくよ? これっきりだから」

青年「それでも、助かる。君が来てくれると、凄く嬉しい」

少女「勘違いしないで欲しいの。あなたに勝手に死なれたら、あの子が悲しむから」

青年「わかってる、ヘマはしないさ」


賢者「……相談はこれで終わりですかな。では行きますぞ」

青年「あぁ、マグナ、頼む」

続 く ん だ ぜ
さあてこの章もあと四分の一くらいかなー頑張るぞー


――


道化「はぁ、はぁ……う、ぐ」

息も絶え絶え、じんわりと滲む汗で服がへばりつき、気持ち悪い。

転移は高位魔術、魔法陣によってある程度魔力の消費は抑えられてはいるものの、消耗は免れない。

魔力石が嵌めこまれ、直接術式を書き込まれている触媒があればいいのだが、そんなものはそうそう手に入るものではなかった。

道化は転移先に指定していた、己の個室で暫く休息することにする。

やれることはやった、思い通りにいかなかったのが悔やまれるが

何分、まだ時間はある。

道化「……ふぅ」

ベッドに腰掛け、気持ちと、息を整える。

その時、遠くで地鳴りがした。



道化「……パパ」

己の父を名乗った男、間違いなく彼は父だった。

才能だと思っていた魔術は、彼譲りのもので、一人になってしまった道化が今まで生きてこれたのは

彼から引き継がれたもののおかげなのだから。


道化「だけどもう、関係ない。私は、私のやりたいことをやる」

道化「誰にも……邪魔はさせない」


ゆっくりと立ち上がる、すべきことは頭に入っている。

後はもう、実行するだけなのだ。


――


騎士『霧がねえな! 勘弁してくれよ!』

下町で、狂ってしまった住民との戦闘を強いられている騎士たち。

騎士『……ちくしょう、』

仮にもこの場の指揮を執る者らしからぬ、弱音が思わず出てしまう。

それも致し方ない、際限なく現れる敵は、彼らの守るべき一般市民なのだから。

状況は最悪と言っていいだろう。

天騎「諦めるな! 私たちが狙われているうちはまだいい、だが、敵を見失ったら奴らは正常な市民まで襲うかもしれない!」

歩兵「……そうなったら、大惨事」

弓兵「はっはー! いまでも大惨事だぜクソッタレ!!」

魔道士「も……ぼく、むりかも……です」

騎士『そう、だな……ふんばれエミリー!』

魔道士「エミリアですっ!」


弓兵「言い返せるだけの気力があるんなら、まだまだ行けるなぁ?」

魔道士「わ、わかりましたよっ! がんばりますっ」

天騎「はは、期待しているぞ」

歩兵「……! また、増援がくる」

弓兵「マジかよ! いい加減しつこいぜ!」

騎士『……いや、足音をよく聞け、あれは』


騎士たちの後方から現れた集団。

重厚な金属音を響かせて現れたのは……。


「諸君、またせたな、と言っておこうか」

大盾を担いだ重騎士が十数名。その背後からは魔石を先端にこしらえた杖を持つ、聖職者たち。

彼らの先頭を歩く、白地に金刺繍の鎧、顔半分を覆い隠すヘルムを被った男。



騎士『ユリウス将軍……!』

紛れも無く、騎士団であった。

聖騎士「すまない、少し遅くなってしまった」

天騎「えん、ぐん……」

弓兵「やっとツキが回ってきたって訳か!」

魔道士「たすかった……?」

騎士『ですが、何故将軍がここに? それに彼らは……』

聖騎士「諜報員から情報が入ったのだよ。暗躍する組織が王国に反旗を翻そうとしている、とな」

聖騎士「それと、マグナから通信が届いた。これを聞き、騎士王直属の指示が我々に与えられたということだ」

歩兵「……そう、ですか」

聖騎士「ここから先は我々に任せてくれたまえ」

聖騎士が重騎士たちに前進命令を出す。



すると大盾を構えた重騎士が、市民たちの進行を塞ぐ壁となった。

凶器を持った市民もいるが、何十キロという装備を纏う重騎士には、まったく歯がたたない。


騎士『話はわかりました……支援はとても有難いです。しかし、これは我々の招いた事態ですから』

騎士『ここで放棄する訳にはいきません』

弓兵「はー……いいじゃねぇか、任せろって言ってるんだからよ」

魔道士「ちょ、クォートさん……」

聖騎士「ははは、彼の言うとおりだよラングウェル君」

聖騎士「それに、これは誰の責任でもない。君たちが気にする必要はない」

騎士『……ですが』

聖騎士「君がとても真面目なのは知っている、しかも実力を兼ね備えている」

騎士『そんなことは』

聖騎士「謙遜しなくていい。だから君たちには、奴らのアジトに突入してもらい、反逆者どもの鎮圧を行って欲しい」


聖騎士「フューリ君もそこにいるのだろう?」

騎士『そ、それは……』

聖騎士「ならば君たちの手で助けてやるといい。彼もそれを望んでいる」

弓兵「……しゃーなしだな。おう副隊長殿、手のかかる隊長様を助けにいこうじゃねぇか」

天騎「そうだな、私も賛成だ。腕を信頼していない訳ではないが、少し危なっかしい所があるからな」

魔道士「はいっ、隊長さんの助けに間に合わなかったのは……ぼくらにも責任がありますし……」

歩兵「……面目ない」

騎士『わかった。お前たちがそこまで言うんなら、行こう』

騎士『将軍、後はお願いします』

聖騎士「あぁ、それがいい」


騎士『行くぞ、皆。こんなふざけた事やってる奴らにはお仕置きが必要だ』

騎士『……全員、ぶっ潰してやる!』



――

青年「マグナ、次は?」

賢者「あまり焦らさんでください。……左ですな」

青年「分かった、左だね」


魔法陣に残った魔力の残滓、それを頼りに、転移先の位置を賢者が感じ取る。

陣を使用しての術式は、手軽なものなのだが、証拠を残してしまうことに難がある。

故に現在、戦闘では有用な代物ではない。しかし、拠点防衛用に改良されたものもある。

更に余談だが、魔術もその国の技術であり、独自の歴史と文化があり、これまでに進化を遂げてきた。

だからこそ、技術と証拠を残してしまう陣術というのは自然と淘汰されているのである。


要するに道化のようなタイプは、極めて稀なのだ。

今はそれに救われているが、賢者の時のように、トラップなどに応用されては堪らない。

唯一の弱点を克服すること、要は敵を根絶やしにすればいいだけなのだから。



青年「……マグナ、分かっているね? 最短ルートより少し迂回した道を」

賢者「分かっております。……ふー、老体には堪えますな」

青年「無茶を言ってすまない」

賢者「なあに、もう慣れっこです」

青年「……ありがとう」

商人「迂回するのは罠を避けるため……っていうのはなんとなーく分かるんだけど、まぐにゃんはどうして道が分かるの?」

少女「勘、なんて言わないでしょうね」

賢者「侮るな? 説明するのも億劫だが……要は風を地下通路に流し、それによって地形を感じ取っているということだ」

青年「空気が通じる所なら、把握できるということだな」

商人「ほえ~……なんだか凄いね~」

青年「あぁ、思わず笑っちゃうほど無茶苦茶だ」

賢者「それは褒めているのですか……?」

少女「くす、ほんとデタラメなことするのね。でも、わたし好きよ? あなたこそ化け物ね」

賢者「ふ、よせ。照れるだろう」

青年「……照れるのか」

賢者「おっと、さっきの所を右です」

商人「ええっ?! 随分通りすぎちゃったよ~!」

少女「しっかりして、戻るのが面倒でしょ」

青年「…………やはりマグナが加わっても緊張感が無いな」

つづく
ちょっと短いけど堪忍やで~




――

道化「そろそろ動かなくちゃね……」

深呼吸をし、気合を入れる。

体は少し軽くなったが、それでも十分に休息が取れたとは言えない。


それでも道化はやらなくてはならない。他の誰でもない、自分のために。

道化「…………」


部屋の扉を開ける。すると先ほどまでは気づかなかったが、何やら騒然としている事に気づく。

その理由を、予感はしていたが、ちょうど目の前を通りすぎようとしていた一人の男性を捕まえて事情を問いただした。


道化「どうしたの」

「あぁ、頭の……いや、失礼」

道化「……気にしないで、続けて」


「じ、実は、さきほど騎士団の連中がここのアジトを突き止めて、攻めてきたんです」

道化「…………そう。で、いまの状況は?」

「準備の出来た者から対応させてますが、所詮はチンピラに毛が生えた奴らばかりで……騎士団の連中には歯がたたず……」

道化「使えないわね。いいわ、今戦ってる奴らごと、通路を封鎖して閉じ込めてやりなさい」

「で、ですが」

道化「……いい? もう気づかれちゃった以上、撤退するしかないわ」

道化「なんとか時間を稼がせて、逃げるのよ」

「逃げるのですか?! 今日の日のために準備をしてきたっていうのに」

道化「だったらどうするの? 厳重警戒中の敵の懐に飛び込んでいって、殺されたいのかしら」

「そ、それは」

道化「死にたくないでしょ? だったら早くするのよ」

「わかり……ました」

道化「それが終わったら例の通路から逃げ出しなさい。わたしはあの方を連れて先にいくわ」

「は、はっ! それでは失礼します」



道化「思ったより早かったわね……とにかく急がないと」



――

頭領「なんや、どないなっとるんや!」

「騎士団の連中に勘付かれたようです!」

頭領「何やっとんねんアホが!」

頭領「糞が……この日のためにどんだけ苦労したと」

頭領「イアラの奴はおらんのか?!」


道化「お呼びですか?」

頭領「お前……なんしとったんや! 化け蜘蛛はどないした!」

道化「頑張って召喚したのですが、どうやらあの男が生きていたようで、全部倒されてしまいましたわ」

頭領「倒されてしまいましたわ、ちゃうわ。お前が任せぇ言うたから任せとったんやろうが!」

道化「本当に、申し訳ありません。ですが今は償うことはできません、すぐに逃げましょう」


頭領「……せやな。やけど、計画は全部パァや」

道化「それは、問題ありませんわ。薬物は大量に街へ出回っています」

道化「あとは、その宝玉があれば、いつだって国一つ落とすのは簡単なこと……」


頭領「…………」

道化にそう言われ、頭領は懐から巾着袋を取り出した、中には紫色に怪しく光る握り拳ほどの宝石が入っている。

そう、この邪の秘宝こそが彼ら最大の武器なのだ。

どんな仕掛けかは分からないが、これは人の精神を汚染し、正気を失わせることができる。

そしてとある術式を利用することで、ある程度、汚染された人間を制御することができるのだ。

これで小さいほうだと言うのだから驚きだ。

だからこそ、薬物によって、予め術の効きやすい状態にしなければならないのだが……その方が人を選べて使いやすかった。


頭領「その通りかもしれんな……こいつがあれば、何度でもやり直せる」

道化「えぇ、ですから急ぎましょう。貴方がいなくなってしまっては、私……」

宝玉を握りしめる頭領の手に、そっと手を添える。

頭領はそれに答えるよう、もう片方の手でぎゅっと握りしめた。

頭領「安心せぇ、ワシはこの程度で躓く男やない」


道化「……はい、信じておりますわ」




――

一方、その頃。

地下アジトへの道を進む騎士たち。

化け蜘蛛を警戒していたのだが、姿は見えず残骸のみ。


弓兵「けっ、拍子抜けしちまうぜ。あのオッサンが全部倒しちまったのかねぇ?!」

騎士『みたいだな』

弓兵「なんならついでに、このクソ共もぶっ殺してくれてたらよかったんだがなぁ!!」


代わりに現れたのは武装した賊共、だが所詮ならず者だ。彼らの敵ではない。

狭い通路で効率よく戦うため、先頭に盾を構えた騎士、その左右後方で隙を狙い槍を突き刺す歩兵と天騎。

背後や脇道から現れる増援を短剣を構えた弓兵と魔道士で処理していく陣形を取り、奥へ進んでゆく。


天騎「しかし凄い数だ。本当に奴らは国を潰すつもりだったのか」

歩兵「……そうみたい。でも、この程度で戦おうなんて浅はか」


魔道士「でも、さっきみたいに街の皆が襲いかかってきたら……」

騎士『そいつが一番厄介だな。原因を取り除けさえすれば……』

天騎「なぁ、さっきから思っていたんだが、ラル」

騎士『……なんだ? あんまりのんびり喋ってる暇はないぞ』

天騎「市民のあの様子、お前は惨状を目の当たりにしてもさほど驚いてはなかったな」

天騎「何か心当たりがあったのか?」

騎士『……その話か、あぁ、実はある。王都に戻ってくる前の話だ。暴動があったって街知ってるだろ? あそこで似たような状況を見たことがある』

弓兵「あんだって? ありゃ領主の圧政に耐えかねた奴らが暴動起こしたって聞いたぜ? ……おっと、あぶねえな」

各々は襲いかかる賊を蹴散らしながら、話を続ける。

それほど強敵ではなく、その余裕があると言うことなのだろう。


騎士『そりゃな、一部改ざんして報告してあんだ。一般的にはな』


騎士『第一誰が信じる? 上も余計な混乱を招きたくなかったみたいだしな』

魔道士「そう……かもしれませんが」

歩兵「……その原因、知っているのなら、今回もやりようはある」

騎士『これはフューリやオッサンから聞いた話なんだが、どうやら宝玉っつーもんが影響してるらしい』

天騎「宝玉? 以前の任務で隊長が奪取したものか?」

騎士『そうだ。……人を狂わしちまう、くそったれな道具だ』

魔道士「え、ええっ?! でも、ぼくたち普通に触って、運んで持って帰りましたし……王宮に保管してるんですよねっ?!」

魔道士「そんなの……もしかしたら凄い危ないことやってたんじゃ」

歩兵「……何もなかったんだから、何か細工する必要がある。違う?」

騎士『らしいな、俺も詳しくはしらねえが、魔術の触媒にして使うんだってよ』

弓兵「はぁん。ってことは今回のも、その宝玉って奴のせいって訳か……ふざけてんな」


騎士『あぁ……あんな石っころ一つで大勢の人が狂わされちまう。本当にふざけてる』


その怒気を孕んだ声音に、相対する賊共がたじろぐ。

騎士『……テメェら、知らずにやったとはいえ、許されるもんじゃあねえぞ』

騎士『一匹残らず、ぶっ潰してやるからなぁ……?』

「ひっ……」

人ならざる者から発せられる、恐怖のようなもの。

凍てついた氷のようなその殺気に、奴らは恐れ慄く。

味方である弓兵たちも例外ではなかった。


魔道士「ラングウェルさん、こ、怖いですっ」

弓へ「お、おぉう。えらいお怒りみたいだな……俺も、気持ちは痛ーほどわかるけどよ」

天騎「……ラルはキレたら手がつけられないんだ。いざという時はクォート、止めてくれよ?」

弓兵「あ、アホかッ! こっちが殺されちまう!」


歩兵「……噛み付かれるのは御免」

騎士『あんたらな……人を猛獣みたいに言うんじゃねえ』


と、その時だ。

前方から大きな爆発音が聞こえてきた。

一拍置いて、訪れる衝撃波と砂埃。

魔道士「わっぷ! い、いったいなんですかっ?!」

天騎「けほ、けほっ。爆発か? だがどうして……」

歩兵「……えふっ、えふっ。煙たい」

弓兵「うわっち、勘弁してくれよ! 今度は何だってんだ?!」


突然の出来事に驚く各々。

だが困惑したのは彼らだけではなかった。

「ぐわあぁっ!!」

「ぎっ」

「い、いでぇ、いでぇよ!」


賊たちから、数々の悲鳴が聞こえてくる。

騎士『何やってんだ、あいつら……』


砂埃が晴れる。すると騎士たちの目の前に現れたのは……。

弓兵「おいおい……味方ごとかよ」

崩壊した瓦礫によって産み出された、壁。

味方の存在などお構いなしに、騎士たちの進行を防ぐためだけに火薬を使用したのだ。


騎士『チッ……そうかよ。やっぱ、クソ共の親分は、そりゃあ最高にクソったれだよな』

天騎「ラル……これから一体どうする? 脇道はあったがこの迷路の中探しまわるのは……」

歩兵「……恐らく、ここが主要の道。だから塞いだ、他の道は無いかも」

魔道士「ど、どうしましょう」


騎士『いいんだよ。相手がこう来るってんなら』

騎士『俺達はただ、一切の躊躇なく……目の前の敵を切ればいいだけだ』

つづく

ほんとくっそ短いんだけど投下しとかなきゃいつまでたっても出来そうになかったので、ごめんやで~

許さない
ティノアの出番がないとか許さない

まあ言うのもなんだが
多分ラルはスレタイのじゃなくて2人目よ

…あの頃は殺伐としてたなあ、盗賊とかもいたっけか
ここまで明るくなったのもおうどんパワーだろうか

二回ほど読み直した俺の記憶でまとめると

兵士=死んだ
騎士=死んだけど蘇った
盗賊=骨になった
男女=女ハラキリで死亡、男生存
司祭修道女=修道女を助けて司祭死亡
兄妹=恐らく死亡
領主令嬢=領主死亡、令嬢は父を目の前で殺される
踊り子は死ぬと思ったけど生き残ったな

確かに最近は殺伐としてないけど鬼の話が結構好き
うどんもふやけて丸みを帯びてきたな

>>173
許してちょんまげ
>>171
更新が遅すぎて追いつかれちまったか……何にせよウェルカムだぜ
>>178
やな、ラルきゅんは二人目や
むしろおうどんパワーが抜けたからこうなった
>>179
よく覚えてんな、俺は忘れた

つーわけでこの章最後の更新やで~



――

青年は賢者の後を追いながら考えた。

道化の事についてだ。

賢者たちによって産み出された彼女。

遺伝子という設計図が同じならば同じ者が生まれると思うのだが

女性として生を受けたのならば、改造なりなんなりされているのだろう。

しかし生まれはこの際、どうでもいい。

問題なのは一つ、父を愛していたということ。

孤児院に捨てられたのに、憎しみを抱いても仕方が無いというのに。

彼女は父を求めたのだ。求めて欲しかったのだ。


青年(たった一人の、肉親だものな……)

と青年は思う。

唯一信じていた者から裏切られる悲しみと、喪失感を青年は知っている。

淡い希望を胸の奥に抱いていたというのに。

それも無残にも砕かれてしまった彼女を止めるには……。



賢者「……む、この気配は」

少女「どうかしたの?」

賢者「例の宝玉ですな」

青年「何? ……またそいつが一枚噛んでいたか」

商人「宝玉? なにそれ、おいしいの?」

青年「……えーっと、説明すれば結構長いんだけど」

賢者「俺もよくは分からんのだが、人の精神系に影響を与える、人を魔物化させる等が出来る趣味の悪い代物だ」

青年「最初に遭遇した事件も宝玉が関与していたらしいが、マグナが破壊したんだったね」

青年「ミーコさんと会ったすぐ後の街、覚えているかい?」

商人「……ん、ふゅーにゃんたちがいなくなった後、街の皆がおかしくなっちゃった時だね?」

青年「そう、あれも宝玉の仕業だったらしい」

商人「ほえー……じゃあ、この街の皆も」

少女「みんなみーんな、化け物みたいになっちゃうってわけ?」


賢者「うむ。現に地上では正気を失った市民が暴れているようだ」

青年「……くっ、どこまでも破廉恥な奴らだ」

青年「一刻も早くルイスさんを見つけ出す必要がある、そして宝玉を――」


賢者「その必要は、もうなくなったみたいですな」



道化「あら、来ちゃったのね」

無駄に長い通路の先、開かれた扉の向こう側に道化の姿があった。

その後ろには

頭領「鬱陶しいのぅ、こないなとこまで追ってきたんか」


青年「貴様……ッいた!」

少女「落ち着いて」

二対の刀剣を抜刀し、今にも飛び出そうとしていた青年の脛を少女が蹴る。

青年「い、痛いじゃないか」

少女「あなたがいつまで経っても学習しないからいけないの」



道化「うふふ、仲間割れかしら? 子供の遊びに付き合っている暇はないのよ?」

青年「ルイスさん! こんな馬鹿な真似はもう辞めるんだ!」

頭領「……なんや、えらい好かれとるみたいやんけ」

道化「いい迷惑ですわ、お生憎様だけど、子供には興味ないの」

青年「……迷惑だろうと構うものか。僕は貴方を、力づくでも止めてみせる」

賢者「…………」

道化「そう、だったら好きにすれば?」


ぱちん、と道化が指を鳴らす。

すると青年と少女が踏み込んでいた部屋、その扉の間に紫色の壁が張り巡らされたのだ。


商人「ちょ、なにこれ?!」

賢者「……結界か、猪口才な」

青年「マグナ、ミーコさん!」

思わず二人の名を叫ぶ、それもそのはず

先ほど通ってきた道の先から、大勢の賊が現れたからだ。



商人「まぐにゃん! これどうにかならないの?」

賢者「すまんが今すぐぶち破るほどに、魔力の余裕がない。あの部屋一帯を利用して陣と触媒を配置し、作られた結界だろう」

賢者「……俺としたことが、最後の最後でヘマをするとはな」

商人「って冷静に言ってる場合じゃないよ、いっぱいきてるぅ~!!」

賢者「黙って武器を構えろ、雑魚程度、敵ではない!」

賢者「陛下、すみませんが時間が掛かりそうです」

青年「……わかった、こちらは気にするな。怪我をするなよ」

少女「はぁ、他人の心配をしている場合?」


道化「……本当、私を無視してくれちゃって、妬けちゃうわね!!」

おもむろに道化が腕を振るう、すると火の玉がいくつも空中に浮かび上がり、青年たちに襲いかかった。

だが

少女「くす、子供に興味は無いんじゃなかったの?」

飛んできたすべての火の玉を少女が一刀両断。分裂したそれらは、壁に張り巡らされた結界に衝突し、爆散した。



道化「あら、別に貴方達のことじゃないわよ」

一瞬で道化に詰め寄る少女、彼女たちの包丁と鉄輪が交差する。

青年「大丈夫かい?!」

少女「このおばさんは任せて。あなたはそっちをお願い」

道化「言ってくれるわね……!」

青年「……分かった!」


頭領「なんや、ワシの相手はお坊ちゃんかい」

青年「…………」

頭領「さすがに、ガキにやられるほど老いとらんで」


頭領は鋭い眼光で青年を睨み、大きく湾曲した刀身を持つ、サーベルを引き抜いた。

青年も双剣を構える。

その人生で、いくつの死線を経験してきたのだろうか。

数多くの返り血を浴び、数多の屍を踏み越えてきたのだろう、歴戦の猛者にのみ出せる、威圧感を頭領から感じた。


だが、そんな威圧の中でも、青年は怖じけることもない。

真っ直ぐ敵の目を睨み返した。


青年「一つ聞いておく」

頭領「好きにせぇ」

青年「貴様は本気でこの国を乗っ取るつもりなのか?」

頭領「せや。腐った騎士団、腑抜けた騎士王。そのどちらも不要や」

青年「正気の沙汰じゃないな」

頭領「正気やないんはお前さんたちの方や。騎士団の腐敗っぷりはお前さんらもよう知っとるはずやろ」

頭領「我が身可愛さに私腹を肥やし、意味の無い血統に頼り続ける」

頭領「地方では成り上がりの元荒くれが騎士団の名を使ってやりたい放題……すべてあげりゃあ限がない! こんなもん、ないほうがええに決まっとる!!」


青年「……確かに、そうかもしれない」

青年「だが、僕は人の幸せを願って戦う者たちを知っている」

青年「過去に何があったかは敢えて聞かない」

頭領「……っ!」


青年「けれど、憎しみに囚われ、一つの面でしか見ることの出来ない貴様には」

青年「その者達の思いを、踏みにじらせはしないッ!!」


一気に詰め寄る。

初手は突進力を生かした、リーチのある素早い突き。

しかし頭領は老衰しているとはいえ、中々の手練、いとも容易くそれを回避した。

そして反撃の袈裟斬り。

一瞬の攻防、息をつかせぬ殺し合い、青年は寸での所で逆手の刀剣で防いだ。

暫く、つばぜり合い。

気圧されれば、負ける。嫌な汗が青年の額から流れた。


頭領「やるやないか」

青年「それは、どうもッ!」

突きを放った側の刀剣、その柄で頭領の側頭部を狙う。

だがそれも手首を捕まれ、阻まれる。


ほぼ取っ組み合いの状態だ、長く続けば、ここまで来るのに体力を消耗した青年が押される。

それは避けたい。となると判断は早かった。

青年「ッ!」

頭領「ふん」


相手の脛を狙い、蹴りを放つ。警戒されることの無いよう、頭領から目は片時も離さない。

にも関わらず、予測していたのであろう敵は、難なく回避した。

青年も躱される事は予感していたのだろう、そのまま前方に踏み込み

敵の曲刀を弾くと、体と手首をひねって束縛から逃れる。

そして半回転、ほぼ平行に揃えた両の刀剣で、前方に体重を移しつつの横薙ぎ。

しかしこれも曲刀で防がれる。


頭領「中々、ええ動きするなぁ。その腕で、何人殺してきたんや?」

青年「貴様にだけは、言われたくないなッ!」

頭領「自分の身を守るためか? 悪人を裁くためか? 何にせよ、人を殺した点については、ワシらと何ら変わらんなぁ」


青年「……確かに変わらないだろう。人の命を奪うのは最も許されないことだ」

青年「だが、僕には過ちを侵してでも、やらねばならない事があるッ!」

頭領「そこも、ワシと同じや」

青年「己のためにだけ戦う貴様とは違う!」

頭領「何も違わん。お前さんも人のためと言いながら、所詮は自分のためやろ」

青年「……かもしれないな」

青年「それでも僕は、自分の信じた道を進む。貴様もそうすればいい」

頭領「あぁ、そうさせてもらうわ」

青年「だからこそ、その道を行かせる訳にはいかない!」


せり合っていた刀剣を滑らせ、頭領の曲刀を弾く。

ぎりぎり、と火花が走り、二人の瞳に映った。

そこからは、剣撃の応酬だ。

両の刀剣から繰り出される、瞬きも許さぬ連撃。

急所を狙い、フェイントを掛け、突きを放つ。

だがどれもこれも防がれ、往なされ、躱される。

そして遂に、敵の強打が青年の片方の刀剣を弾き飛ばしたのだ。


青年「チッ……!」

頭領「甘いのぅ。戦いってのは、力や技量だけやない」

頭領「感覚や、やからこそ生き延び、経験を積んだ者こそが強い」

青年「だから、どうした!!」


少女「お兄さん……!」

道化「あら、あっちの心配をしている暇があるのかしら?」

少女「……っ」

少女の目の前に、赤々とした炎の球体が迫る。

するとそいつは、衝突の寸前に爆発し、火の粉を撒き散らかしたのだ。

だが少女がその程度の攻撃、食らってやるはずもない。

素早く後ろに飛び退き、逃れた。

道化「……ちょこまかと」

少女「くす、加減して貰ってるの、気づいてくれない?」



薄く笑う、道化はこの表情が苦手だった。

ぞっとするのだ、年端の行かない子供に出来る顔じゃない。

見てくれと中身が全くのあべこべで、不安になる。

そんな一瞬の思考が脳裏を走り、はっとした時には少女の飛び膝蹴りが眼前に迫る直前だった。

咄嗟に両腕を交差し、防ぐ。

ごきり、と嫌な音が聞こえたが、直撃は阻止した。

それでも追撃は続く、少女は道化の頭を掴み、その上でなんと

身を捻りながら倒立、落下して背後に回る。


道化「あがっ……」

少女「あなたが可哀想だから、あまり虐めないようにしてるの」

すると少女は、道化の背後から足元を掬うように蹴りを放った。

道化「……ッ?!」

体勢を崩しかけていた道化は、易易と地べたに突っ伏す。



少女「ね? 今ので二回は殺せたの」

その様を見下ろし、少女は言う。

少女「わたしが上、あなたは下。これではっきりわかった?」

つまらなさそうに呟き、這いつくばった道化の頭に、踵落としを放つ。

道化「子供の癖に、偉そうに……!」

それを道化は横転し、なんとか避ける。

ただ逃げただけではない、道化は回避しつつ、床面の魔法陣に触れ、術式を解放したのだ。

陣から突如発せられる、凍てつく冷気。それは一斉に少女に襲いかかり

その小さな体を壁に押し付け、徐々に凍らせていく。


道化「ふふ、これで動けないでしょ?」

少女「…………」

道化「ここで貴方の大切な人がやられるのを、見てなさい」

少女「……くすっ」




まただ、またあの表情。

そう、あのすべてを見透かされているような目が、声が、どうしようもなく不安にさせるのだ。


道化「何がおかしいのかしら」

少女「やっぱりあなた、殺す気無いでしょ」

道化「……っ」

少女「そんなに嫌なら、わたしが手伝ってあげる」

少女「得意なの、そういうの」


道化「どこまで、気づいてるの?」

少女「さぁ、どうでしょうね。くすくす」

道化「だったら、邪魔しないで」

少女「邪魔してるのは、あなた自身でしょ?」

道化「……っ! そんな無駄話ばかりしてて、いいのかしら」

道化「あの子、負けちゃうわよ?」

少女「……ええ、でも。大丈夫」

少女「あの人は、簡単には死なないから」




頭領「ほうら、さっきまでの威勢はどないしたんや」

青年「くっ……!」

頭領「老いぼれ一人倒せずに、皆を守るんだ~なんて言えるんかぁ? あぁ?」

攻守は一転、体格差、得物の重量の違いに押され、青年は防戦一方となる。

手元に残っているのは片割れの刀剣のみ、手数の有利も突けない上、不慣れな部分が徐々に露呈し、経験も相まって不利と言える。

敵はもう、仕留めた気になっているだろう。

しかし――。


青年「諦めれば、死ぬ。屈すれば、死ぬ」

襲い来る恐怖、諦め、すべてを払拭する。

青年は、立ち向かう。

上段からの袈裟斬り、曲刀に受け止められる。

にやり、と頭領は笑った。

攻撃に集中しすぎて、足元の警戒がおろそかになっていたのだ。

頭領はそこを突く、足払い。青年の視界が傾く。



青年「っ……!」

その時の判断が、生死を分けた。

青年は倒れこむ瞬間に頭領の胸元を掴み。

全体重を掛け、相手を引き込んだ。

これには頭領も驚く、そして――。

地面に背をつけると同時に、敵の腹部を蹴りあげ……そのまま後方へと投げ飛ばしたのだ。

防ぎきれず、受けた傷口が悲鳴をあげ、涙を流す。けれども投げ切った。

巴投げ、油断していた相手には効果的だった。

しかし虚を突いたのは一瞬、敵は直ぐ様起き上がり、追撃にかかる青年を迎え撃つ。

だが、寸前で違和感に気づく。


頭領(刀が……無いやと?)

身を屈め、こちらに踏み込んでいる青年の手に、得物は無い。

困惑、焦り、相手の行動が読めなかった。

その結果、対応が遅れてしまったのだ。



青年「……ぉぉぉオオオッ!!」

吠える、一撃にすべてを込める。

力強い踏み込み、敵を射止める眼差し。

一瞬だが、彼の力は、敵を上回った。


居合一閃。

収められた刀剣が、鞘走る。神速の抜刀。

頭領「がっ……?!」

その一撃は目にも止まらぬ速度で、敵の腹部を斬り裂いた。

深く、鋭い居合は、致命になり得た。

一拍置いて血が噴き出す。


頭領「んな、アホな……」

腹部を抑え、よろめきながら後退、そして頭領は此度の戦闘で初めて膝を着いた。

青年「……戦いは、最後まで生を諦めなかった者が勝つ。迷い、恐怖、驕りは剣を鈍らせる」

青年「覚悟だ。事を成し遂げるための覚悟が、貴方には足りない」


頭領「………そんな、精神論で、ワシが負けるやと?」

青年「小さいが、大きな違いだよ」


賢者「陛下ッ!」

商人「ふゅーにゃん! てぃっちー、大丈夫?!」

刀剣の血を振り払い、青年は刀を収める。

すると賊を片付け、結界を突破したのであろう賢者たちが駆けつけた。

青年「マグナ、ミーコさん。無事だったか……」

賢者「えぇ、雑魚を相手にするのは、暫く勘弁願いたいものですな」

商人「あたしも頑張ったんだよ~。こうビュビュビューンって!」

青年「ふふ、そうか、ありがとう。……さて」


地に伏せた頭領を見やる。

青年「そんなに血を流しては辛いだろう……介錯してやる」

頭領「や、やめろ。ワシは……!」



道化「……やめて」

短剣を取り出し、一歩ずつ歩み寄る。

その途中で、頭領を庇うように道化が立ちふさがった。

青年「ルイスさん……もう終わりだ、終わったんだよ」

道化「まだ終わってなんか無い」

頭領「せや……おい、お前がこいつらを押し止めぇ」

頭領「ワシを逃がすんや。こんなとこで、こんな奴らにやられる訳には……いかん」

頭領「わかったら、ぼけっとしとらんではよぅせぇ!!」



道化「えぇ、そうね。殺される訳にはいかないわ」

道化「だって貴方は、私が殺すんだもの」



その言葉を聞いた瞬間、頭領の顔が希望から、絶望に移り変わるのがわかった。

頭領「な、何を言うとるんや! 冗談いうとる場合やない!」

道化「冗談なんかじゃないわ」

頭領「……うっ?!」

青年「ルイスさん……? 何を。貴方は」



唖然としていた青年は、はっとした。

少女「……ほんと、周りくどいことをするのね。馬鹿みたい」

氷の呪縛から逃れた少女が、青年の傍らに立つ。

そして頭領の胸を、短剣で一突きにした道化を見て、呟くのだ。


商人「えっ? えっ? ど、どういうこと? いーちゃんはあいつらの仲間じゃなかったの?」

賢者「まさかな……いや、そういうことか」

青年「…………」

商人「なんで皆納得しちゃってるの~!!」


頭領「お、まえ……」

道化「ごめんなさいね。もっと早くにこうするべきだったのに」

口から血を流す頭領が、道化の肩を掴む。

道化「いつまで経っても決心が出来なかった。私には手を血に濡らすことが出来なかった、殺す感触を味わいたくなかった」

道化「本当、馬鹿で、我儘で、身勝手ね。だけど、こいつだけはこの手で仕留めたかったの」



青年「僕達を陥れたのも、信用を得てこいつに近づくためか」

青年「僕とティノアを同じ牢に閉じ込めたのも、混乱を起こし、機会を狙うためだったのか」

道化「……えぇ、そう」

青年「どうしてそんなことをしてまで……」

道化「このために、数えきれないほど人を不幸にしたわ」

道化「でも……こいつは、私からすべてを奪った」

頭領「……まさか、お前は」

道化「やっと思い出してくれた? そうよ、貴方が私利私欲のために襲った孤児院の、生き残り」

少女「…………」

道化「あの時の貴方は、邪教徒との戦争が終わり、職を失い、強奪を繰り返していた」

道化「孤児院、いえ、教会の神父でもあった私の義理の父を殺し」

道化「兄を、姉を、弟を、妹を殺した」

道化「母の代わりになってくれた人たちも、皆」

道化「私の目の前で!! こんな、こんな物のためにッ!」



乱暴に、胸元に隠してあった巾着袋を剥ぎ取る。

そして道化は、それを青年たちの方へ投げてよこした。

青年「これは……宝玉」

道化「そうよ。こいつらはただの金品としてしか見てなかったけどね」

道化「でも、それが不思議な力を持った物だと知った時から、こいつは野望を抱くようになった」

道化「そいつを利用して、ありとあらゆる悪事を働いていたわ。おかげで探しだすのが楽だったけど」


頭領「ふざ、けるな……そんなことで、ワシを……ワシの……」

道化「そんなこと?」


道化「殺したら、殺される。それって極普通なことじゃない?」

道化「報いは、受けなきゃ……ふふふ」

道化は狂ったように笑いだし、止めの一撃を頭領の首に突き立てた。

見るまでもない、絶命しただろう。

青年は色んな事が胸中に渦巻き、何も言えないでいた。

殺したら、殺される。報いは受けねばならない。

ならば、いつかは自分も――。



道化「ねぇ、パパ。こんな私を悪い子だって思う?」

賢者「……お前の命は、お前のものだ。好きにしろと俺はいったはずだ」

賢者「だが、ふむ。やはり俺の子だ。芯の通った所、俺は嫌いじゃない」

道化「うふふ、褒められちゃった」

商人「いーちゃん……」

道化「ミーコ、だましちゃってごめんね」

道化「貴方と過ごした短い日々は、とってもくだらなくて、人生で一番つまらなかったわ」

商人「…………」

道化「ティノア、って言ったかしら?」

少女「わたし? 何か用でもあるの」

道化「貴方もいろいろ、抱えているみたいね」

道化「私みたいにならないことね。気づいたら、一人ぼっちだもの」

少女「……余計なお世話」



道化「それじゃあ、もうお別れね」

頭領の亡骸を放り捨て、道化は立ちあがった。

そして背後にある、出口へと歩き出す。

青年「待ってくれ! どこへ行くんだい?」

道化「……貴方達には、もう関係ないわ」

青年「そんなこと……! 君は、この街を救ったんだ、これからは幸せに……」

道化「なる権利があると思うの? 人を殺して、皆を不幸にして」

青年「……く、でも、君は悪い人じゃない。それにマグナだって、時間はかかるかもしれないが、また君と」

道化「いいの。パパも私も、そんなこと望んでない」

青年「どうして……!」

道化「貴方がいるから。だからもう、私はいらないの」

青年「僕が……?」

道化「私、本当の事を言うと貴方に嫉妬してるの。パパに愛されて、認められて、守って貰えて」

道化「そこには私がいるはずだったのに、私の場所だったのに」

道化「けど、私は要らない子だった……そうでしょ?」


青年「マグナ! そんなことは無いだろう? 君は彼女を守るために……」

賢者「…………」

青年「マグナ……」


道化「だから、もうやめて。私を一人にさせて」

道化「惨めにしないで、親なんていなくたっていい、仲間なんていない方がいい。一人で十分」

道化「じゃあね、パパ。こんな腐った世界に産んでくれてありがとう。一生恨むから」

道化「せいぜい、この地獄で抗いながら、苦しみながら、生き続けるといいわ」


青年「待っ――」

ごぅ、と青年たちと道化の間に、炎の壁が吹き上がる。

呼びかけても、道化はもう振り返らない。

最後の扉が閉まる時、青年は無力さを呪った。



――

終わった、やりきった、すべて。

未練は無い。これは、本当? 嘘?

もう分からない、あまりにも嘘をつきすぎた。

自分を騙し、人を騙し……なんと罪深いことか。

でももういい、終わったことなのだから。


「見つけたぞ、裏切り者」

気だるげに振り向く。

そこには数人の、あの男の部下がいた。

そっか、そうだよね。


殺したら、殺される。報いは受けなくちゃ。


ごめんね、パパ。

本当は私――




生まれてきて、貴方に会えて、皆に会えて

よかっ






――

簡単に事後報告をすると、密売組織は全滅。

アジト内はすべてラルたちが制圧していた。

怒り狂って敵をなぎ倒すラルの様子は、中々に恐怖物だったらしい。

あの一件以降、エミリアがラルに怯え始め、どうしたものかとラルが相談に来た程だった。


錯乱した市民たちも、ユリウス将軍が率いる部隊によって沈静化、怪我をした者が大勢いたらしいが治療はほとんど終わり、死者は出なかったという。

例の宝玉は、以前持ち帰ったものと同様に、厳重に保管された。

ちなみに此度の事件で、僕達の部隊は勲章を受け取ることになった。

最初は断ったのだが、レオルード騎士王がどうしてもというので、断りきれなかったのだ。

名誉十字勲章と呼ばれるもので、将軍クラスの人物が貰えるものだという。

とても複雑な気分だったが、あの流れでは受け取るしかなかった。

勲章を受け取る時、セライナが緊張しすぎて、人が変わったようになったのが印象深いが、また別の話だ。


そして……事件はそれで終わりではなかった。

語らねばならないだろう、僕が救えなかった


彼女の事を――。


――


「きゃぁぁぁああっ!!」

事後処理のために、城下町を歩いていると、突然悲鳴が聞こえた。

一緒に行動をしていた、賢者と少女と共にそちらへ向かい、事情を聞くと

街の用水路に人が浮かんでいるとの事だった。


少女「なにがあったのでしょう?」

青年「……殺人事件か、何かかな」

賢者「どうでしょうな」

この時から、妙な胸騒ぎがしていた。

野次馬を抑えている騎士団員たちの脇をすり抜け、急いで階段を降りる。

するとそこには。


青年「ルイスさん……」

大量の血を浮かべ、その真っ赤な液体に沈んでいた女性。

紛れも無く、道化の姿であった。

思わず、賢者の横顔を伺う。



賢者「…………」

いつもと変わらぬ不機嫌な顔だったが、その瞳には、確かに悲しみの感情が映っていたと思う……と願いたい。

少女「どうしたのですか? よく見えないのですが」

青年「ティノア、ちょっとかくれんぼをしよう。君が鬼だ」

少女「かくれんぼですか? わたし、得意ですよ。にこー」

青年「じゃあ目を瞑って二百秒数えてね」

少女「数の数え方は、この前師匠に教わりました。任せて下さい」


両手で目を覆い隠し、数を数え始める少女。

青年は微笑むと、集まってきた騎士団員に指示を出す。


青年「担架と毛布を持ってきてくれ、人目に触れないよう運ぼう」

「はっ」


賢者「…………陛下」

青年「どうしたんだい」

賢者「俺は、どうすればよかったのでしょうか」

青年「……君が決めたことだろう? 後悔するなよ、彼女に失礼だ」

賢者「そう、ですな」


賢者はぽつりと呟くと、突然用水路の中に入り

血と水に濡れた道化の死体を抱き上げた。

体中に刻まれた無数の裂傷が酷い。

再び賢者が何かを呟く。すると死体に残った傷口が塞がって行き、醜い傷跡はすべてなくなった。


賢者「……すまんかった、こんな父親で。正しい命を授けられなくて」

青年「…………」

賢者「こいつの言葉は、すべて本当だった。紛れも無い真実だった」

賢者「なのに、何故こいつは……」


笑って死んでいるのだ


青年「それは違うさ」

すでに冷たくなっている道化の手に触れる。



産んでくれて、ありがとう。

短い命でも、少しの間でも、幸せでした。

あなたに会えて、よかった。


青年「彼女は本当に……嘘つきだったよ」

少女「……ひゃくきゅうじゅうきゅー、にひゃく。あ、フューリさん、見つけましたよ。えへへ」







真っ赤な嘘つき。

お わ り

くぅつか

>>1だけど次どうしよう
外伝突っ込むかストーリー進めるか…
リクは特に無い感じ?



外伝――ささやかな日常。の話




青年「ううん……」

とある日、僕はいつものように執務室で机に向かい、書類整理と作成を行っていた。

といっても、以前の事件があってから魔物の被害は何故か減り始め、仕事量はかなり減ったのだけど。

今はもっぱら、特遊隊がこなした任務の報告書をまとめるくらいだ。

後は……


青年「マグナとラルの起こした喧嘩の後処理……」

これが一番厄介だった。

片方は喧嘩を売り、片方は喧嘩を買う。

どうやら僕たちが名誉十字勲章を授かった事を、快く思わない者たちに因縁を付けられ

ことごとく返り討ちにしている様なのだ。


青年「抑えろとは注意したが……かと言って、言われっぱなしで我慢出来る二人じゃあないしね」


姫「大変そうですね、お兄様っ」

青年「ル、ルナ? いつの間に」

思わずため息をつくと、すぐそこに彼女たちがいた。

嫌なところを見せてしまったかもしれないな。


少女「ルナさん、フューリさんの邪魔をしてはいけませんよ?」

姫「何よ、あんただってお兄様が構ってくれないってぼやいてたじゃないの」

少女「わ、わたしはそんなこと……」

姫「なによー、いい子ぶっちゃって。まあいいわ、お兄様~ちょっとくらいいいでしょ?」

青年「ははは、構わないよ。ごめんねティノア、ルナ、あんまり遊んであげれなくて」

ティノアがぼやいていた、というところに少し驚いたけど、強く断る事も出来ないので了承する。

姫「分かってくださればいいんです。これからは毎日二時間遊んでくださいねっ?」

青年「そ、それは……善処するよ」

仕事も減ってきているし、まあ……多少はね?


少女「あの……フューリさん」

少しくらい睡眠時間を削ってもいいか、なんて考えていると

伏し目がちにティノアが僕の名前を呼んだ。


少女「本当に、ご迷惑では無いでしょうか……?」

少女「無理なら、断ってもいいのですよ? わたしは、フューリさんの邪魔をしたくはありません……」

僕を気遣って、そんなことを言ってくれる彼女を、僕は思わず抱きしめたくなった。

これが親心というのだろうか、いい子に育ってくれて本当に嬉しい。

……まぁ、僕が育てた訳ではないのだが。

青年「迷惑だなんて、思ったことないよ。仕事ばかりじゃ気が滅入るからね」

青年「むしろ君たちがそう言って来てくれて、嬉しいよ」

この時僕は、例え眠れなくとも相手をすると決意した。



少女「本当ですか……? えへへ、嬉しいです」

ここのところ、彼女は随分感情が豊かになって来ていると思う。

怒ったり、笑ったり、スネたり。

同年代の子と触れ合える機会を得て、周りに心を開き始めているのだろう。

いい兆候だ。だから極力、彼女と親睦を深めたい。


青年「ふふ、それじゃあ何をして遊ぼうか」

その上、自分も以前の事件で落ち込んでいた部分がある。

これはいい気分転換になるだろうと、少し楽しみにしているのかな。

思わず声が弾んだ調子になっている。

姫「うーん、そうですねー……」

青年「なんだ、何も考えていなかったのかい?」

姫「え、えぇ、実はお兄様がこんなにも簡単に許してくれるとは思ってなくて」


青年「ははは、そっか。じゃあ、うーん……どうしようか」

考えながら、ふと思う。

ルナも僕の気が沈んでいることを感じていたのだろう、だからこうやって声を掛けてくれたのだ。

考え過ぎかもしれないが、やけに気の回る彼女のことだ、その線も十分にあり得る。

またいらぬ心配を掛けさせてしまったのか、と思うと情けなくなるが……

そう思い始めると更に心配を掛けるだろうと、無理やり振り払うことにした。


姫「うーん、うーん……あれ?」

何をしようかと思案していると、ルナが何かに気づいたのか

急にしゃがみこんだ。

そして立ち上がる、その手に掴んでいるのは、何かの書類のようだ。



姫「本棚の下の隙間に何か落ちていましたよ? ええと……」

少女「まもののはっせいげんいんと、そのせいたいについて?」

姫「ふぅん……お兄様、これは大切な書類ではないのですか?」

青年「…………あ!」


――魔物の発生原因とその生体について。

それは確かに、将軍から己の見解でいいので報告書としてまとめて提出してくれと頼まれたものであった。

いろいろあってうっかりすっかり忘れていた。

しかもそんなところに落ちていたとは、期限に指定はなかったはずだが、頼まれてから随分と時間が経っている。

そろそろ提出しなければならないだろう。


とは言え、元々考えが上手くまとまっておらず、後回しにしていたものだ、今日明日で書き上げられるとは思えない。

青年「ま、まぁ調査報告書みたいなものだから、急ぎはしないよ」

どうにかしてでっち上げるしか無いな……、何分、ほとんどが謎に包まれている課題だ。



あまりにも見当違いなことを書いていなければ、将軍も納得してくれる……はず。

姫「調査報告書……うん、決めました!」

少女「何をですか?」

姫「調査って、なんだかワクワクしない? 探偵みたいで!」

少女「たん、てい……?」

青年「事件や依頼された事を秘密裏に調査して、謎を解く人たちの事だよ」

少女「そうなのですか」

姫「そうよ! と決まればさっそく行動ね! 何か裏のありそうな人を徹底的に調査しましょ」

姫「ほら、行くわよワトソン君!」

少女「あ、あの、わたしは女の子なのですが……」

青年「……また何かの本に影響されたんだね」


だが……ふむ。

これはいい機会になるかもしれない。

そう思い、僕はティノアの手を引っ張り、部屋を飛び出したルナを追うのだった。

こんな感じでつ づ く
外伝で適当に掘り下げつつメインストーリーの構成を考える形で



――

姫「ふぅむ、何だか怪しい臭いがする……」

それにしても、ノリノリだ。

少女「そうですか? 特に何も臭いませんが……」

姫「あんたね、そんなんじゃ探偵の助手は務まらないわよっ!」

青年「ティノアが助手なら、僕は何になるんだい?」

姫「えっと、お兄様は…………ペット?」

青年「……おいおい」

その扱いは酷いんじゃないかな?

姫「わ、悪い意味ではなくて! ええっと、探偵にば賢くて忠実なペットが必要かな? って」

青年「そうなのかい? まぁ、それでも複雑だけど……別にいいか」

青年「それでご主人、何か事件の臭いが?」

姫「え、えーっと……こっちかな?」



適当に言ったんだね……。

ご主人はごまかすように小走りに駆けていく。

その後を追いかけてみると、通路の角にべったりと引っ付いているご主人を見つけた。

少女「何かいるのですか?」

姫「っし! あんた顔出しすぎよっ」

青年「本当に何かあったのかい?」

ひょっこりと顔を覗かせてみる。

すると、その先に見えたのは白鋼を金で彩る、神聖さを感じさせる鎧に、顔半分を覆い隠す謎めいた仮面を被る男と

男の胸元にまで及ばない、ローブを羽織った小柄な男の子の姿。

二人は通路の一角で立ち話をしいているようだった。

僕は二人を知っているから、あまり違和感はなかったけど、確かに珍しい組み合わせではあるね。


姫「あれってお兄様の部隊の子でしょ? なんでユリウスと話してるんですか?」



青年「そりゃあね、騎士王直属の部隊と言えど、表向きは聖騎士大隊の一部だから、何もおかしくはないんだけど……」

姫「ふぅん……でもあの子、ちょっと怪しい臭いがするわね」

少女「あの人はエミリーさんですよ? とっても物知りで、優しいのです」

少女「わたしも、何度かお話をしてもらいました。にこー」

青年「エミリーが怪しい……か」


確かに、僕はあまり部隊員のことを知らない。それは僕自身があまり知られたくないことなので、遠慮していたのが大きいが……。

知っていると言えば、魔道士であるエミリーは、親に騎士団へ入団しろと言われたらしいという事だけ。

恐らくはそこそこの貴族出身なのだろう。


青年「まぁ、皆の事を知るいい機会だが……僕の事を隠している手前、こそこそ調べるのはあまり褒められたことではないな」

姫「ばれなきゃいいんですよ! ばれなきゃ!」

青年「…………」



何だか、たくましい子に育ってしまった。

一国のお姫様としてどうなんだろうかと思うが、拒否しきれない僕も僕だ。

……しかし、いつかは話さなければならない時が来るだろう。

その時は必ず、すべてを話そう。だから今は許してくれ、エミリー。


そうして僕たちは黙りこくる、通路の角からひっそりと顔を覗かせて。

あの気の弱いエミリーのことだ、将軍ほどの位ともなれば、緊張して話すことも出来ないのでは? と、失礼ながら思っていたが

見たところ仲よさげに談笑している模様。

ということは、二人は以前からの知り合いだったのだろうか?

耳を澄ませて、会話を聞き取ろうとする。


魔道士「――それでですね! クォートさんってば酷いんですよっ!」

魔道士「宿舎が相部屋なので、待機の時はいっつも悪戯してくるんですっ!」


聖騎士「ははは、仲良くやっているようで、いいじゃないか」

魔道士「わ、笑い事じゃありませんよっ! この前なんて、フードの中にセミが入ってたんですからっ」

聖騎士「そういえば君は、虫が苦手だったな。だが、それが彼なりの友好の証なのかもしれん」

魔道士「そ、そうなんでしょうか……確かに、危ない時はいつも助けてくれますし、真っ先にぼくを気遣ってくれるのはクォートさんですが……」

聖騎士「ふむ、君を鍛えようとしてくれているのかもしれないな。彼の性格上、気に食わない者には関与すらしないだろう」

魔道士「か、かもしれませんね……でもぉ」

聖騎士「ふふ、耐えてくれよ? 君も男の子なのだから」

魔道士「が、がんばりますっ……」

聖騎士「ところで、仕事の方は順調かな?」

魔道士「はいっ! それはもう、ばっちりですよっ」

聖騎士「そうか、心強いな。頼りにしているぞ?」

魔道士「任せてくださいっ! なんとかやっていけてますっ」


聖騎士「ふっ、君を推薦してよかった……ん?」


そんな感じの会話が続いた後、将軍が何かに気づいたように、こちらに顔を向けた。

姫「ま、まずっ、ばれた?!」

少女「そのようですね。そもそも、全然隠れていませんから」

青年「まぁ、三人で顔を出して、凝視していたらばれるだろうね……」


聖騎士「これはこれは、姫、フューリ君、ティノア君。何か用かな?」

魔道士「あ、皆さん! こんにちはっ」

少女「こんにちは。にこー」

青年「お疲れ様です、将軍。ご挨拶をと思ったのですが、お話の途中だったようなので」

聖騎士「こんにちは、そうだったのか。後、楽にしてくれて構わない」

青年「恐縮です」


姫「うわー、なんかえらそー」

聖騎士「姫様? この時間は語学の勉強だったと記憶していますが、いかがなされたので?」

姫「きょ、今日はお休みなの! だだだから暇になっちゃって、お散歩してたのよっ! 別に盗み聞きとかしてないから!」

青年「墓穴掘ってるよ、ルナ」

少女「正直なのは、いいことですよ」

聖騎士「盗み聞きですか、感心しませんね」

姫「ち、違うのよユリウス。たまたまだから、たまたま」

魔道士「ユリウスさん、そんなに怒らないでくださいっ」

聖騎士「怒ってなどいないさ。少々おてんば過ぎるのも玉に傷ですが、息抜きも必要でしょう」

聖騎士「今回は目をつぶりますが、あまり目立つようだと……」

姫「わ、わかってるわよっ!」



青年「……しかし、意外ですね。将軍とエミリーが知り合いだとは」

聖騎士「彼の父には、随分お世話になったのでね。彼が幼少の頃からの付き合いだよ」

魔道士「エミリアです……。そうなんですよ、一人っ子のぼくにとってはお兄さんみたいな存在でっ!」

少女「お兄さんですか、羨ましいです」

魔道士「うんっ、強くてかっこよくて、自慢の兄さんだよっ!」

聖騎士「はは、よさないかエミリア」

青年「へぇ、そうだったのか」

魔道士「はいっ! ……あ、いけない。そういえば借りてた本の返却期限が今日までなんでしたっ!」

聖騎士「あぁ、そんな話をしていたな」

青年「本か、しばらく読んでいないな。また今度、おすすめを教えてくれ」

魔道士「いいですよっ! この前読んだ冒険譚がですねっ……」


姫「はしゃいでる場合? 管理人、すっごい期限にうるさいのよ?」

少女「ルナさんも期限を忘れて、よく叱られてますよね」

姫「ちょ、余計なことは言わなくていいのっ!」

魔道士「そ、そうですね! それじゃあ皆さん、すみませんけど、ぼくはこれでっ!」

青年「あぁ、またね」


急いで駆け出したエミリアの後を見送る。

何度かつまづき、転びそうになる度心配になるが、何とか持ちこたえ、彼の姿は奥に消えた。

青年「元気だな。最初のころの印象とは大違いだ」

聖騎士「はは、エミリアがあそこまで明るくなったのは、君たちのおかげさ」

聖騎士「昔は本ばかり読み、他人と関わることを避けていた子だった。今では大違いだ、ありがとう」

青年「いえ、そんな。僕達は何も」


聖騎士「君たちと積んだ経験が、彼を育てている。礼くらい受け取ってくれ」

青年「……はい」

聖騎士「だが、まだまだ若く、頼りない。すまないが、私に代わって彼のことをよろしく頼む」

青年「もちろんです、僕にそんな器があるかは分かりませんが」

青年「彼も、この子たちも、部隊の皆も、守り切ってみせます」

聖騎士「ふふ、心強いな。……さて、少し立ち話が過ぎたようだ」

青年「あ、すみません。お時間を取らせてしまって」

聖騎士「いや構わないさ。しかし将軍という立場も嫌になる、人の上に立っているだけで、実際は大したことは出来ないからな」

聖騎士「これでは昔と変わらん」

青年「そんなこと……」

聖騎士「そんなものさ。変わったと言えば、忙しくなった事と……」


秘書「会議はとっくに始まっていますよ! どこにいるんですかッ!」

聖騎士「小うるさい秘書がついたくらいだよ」



少女「すごい怖い顔のお姉さんがすごい勢いでこっちに来てます」

姫「うっわ、わたしあの人嫌ーい、うるさいんだもん」


秘書「あら、姫様? 今はお勉強の時間では……またサボったのですか」

姫「ち、違うってば、ちょっと休憩貰っただけ」

秘書「…………教育係にきつく言っておきます」

姫「ひぇ……」

青年「あ、あの、誰かお探しで?」

秘書「ああ、特遊隊の。そうなんです、うちの将軍見ませんでしたか?」

青年「え、あ、ユリウス将軍ならここに……あれ?」

思わず目を疑った。ほんの一瞬前までそこにいた人物がいなくなっていたのだ。


秘書「……あんの野郎」

女性に似つかわしくない、重低音が聞こえたが、聞こえなかったことにしよう。



秘書「分かりました、ありがとうございます」

秘書「あぁ、それと。この前頼んだ資料、まだ提出されてませんよ、どうなっているんですか?」

青年「す、すみません、急ぎます」

秘書「しっかりしてくださいね、仮にも隊長格なんですから」

青年「……はい」


少女「お姉さん、怒ってばかりではいけませんよ? 笑顔です、笑顔、にこー」

秘書「皆さんがしっかりしてくれれば笑顔になります、ヘラヘラとしている暇はありませんので」

少女「あぅ……」

姫「うっ……」

青年「申し訳ありません……」


秘書「反省してくださいね。余計な苦労はしたくありませんから」


秘書「では、私は急ぎますので……あの放浪野郎、今度こそ首根っこ掴んで引きずり出してやる」


彼女は更に眉間に皺を寄せて、去っていった。

やはり僕も、あの人は苦手だ。


青年「……さて、どうする? まだ続けるかい?」

思わぬ来客に、すっかり意気消沈の僕達。


姫「………………も、もちろんです!」

青年(ちょっと悩んだな)

姫「このくらいでへこたれていては、探偵は務まりませんもの!」


青年「まぁ、ほどほどにね……?」


早くも、ルナに付き合ったことを後悔し始めていた。

つ づ く
あまり掘り下げてないけどまーいいか!



――


姫「……怪しい臭い、怪しい臭い」

青年「…………」


躍起になって何かないか探しているルナ。

犬のように鼻をひくつかせ、通路の隅から隅を嗅ぎまわる。

今一番怪しいのは君だよ。と言ってあげたいんだけど……。


少女「わんちゃんみたいですね? 探偵とはこういうものなのですか……」

少女「では、わたしも」

青年「やめておきなさい」


これ以上変な目で見られるのは勘弁だった。

ルナに関しては、「また姫様か」という一種の諦めがあるので、割と許容されてたりする。

僕も慣れているので止めようとはしない、というか止まらない。


姫「……はっ?!」

青年「ん、誰かいたかい?」

姫「怪しい、怪しいですよお兄様!」

青年「う、うん」

姫「ほら、あれ!」



興奮して窓の外を指さすルナ、そこには……。


青年「ああ、あれは……」

背の高い木の上に寝そべる、クォートの姿が見えた。

確かに、傍から見れば怪しいだろうけど……。

少女「あの人はクォートさんといって、とっても面白い人なのですよ?」

少女「この前は、街で女の人の胸の大きさを当てるゲームをしたのです」

青年「何を教わってるんだ君は……」

姫「な、なによそれ! ……ますます怪しいっ!」

少女「ちなみにルナさんは、おそらく……七十にぎゅ」

姫「わーわーわーわーっ!!!」

姫「あんた何言ってんのよっ!!」

少女「むぐむぐ」

青年「……ま、まぁ、これからだよ。気にしないでへぶ」

姫「フォローになってませんっ!」


とてもいいストレートを腹部に食らったところで本題に戻ろう。



我が部隊に所属する弓兵、それがクォート。

複合弓と呼ばれる、短い弓と短剣を巧みに操り、もっぱら隊の後方支援を行ってくれている。

普段はやる気なさげで、すぐ不平不満を垂れる彼だが、背中を任せると途端に頼もしくなる。

そんな彼だが、素性はまったくの不明だ。

なぜこの部隊に入ったのかもさえ。

僕は外への壁に背を預け、窓の外を覗き込んでみた。



弓兵「……んぁ、んだようっせーな」

「――おい! 聞いているのか!」

弓兵「あん?」

天騎「いつまでそこでサボっているつもりだ!」

弓兵「お前か……またうるせーのが来たな」

天騎「なんだ? なにか言ったか?」

弓兵「なーんにもー」

天騎「それより、いつまでサボってるつもりなんだ? 今日は鍛錬をする約束だったろう!」

弓兵「そりゃお前さんが勝手に決めたことだろが! 俺ァやるなんて一言も言ってないぜ!」


天騎「まだ言うか」

弓兵「こっちのセリフだっつの! いい加減諦めてくんねーかなァ?」

天騎「ふっ、この程度で諦める私ではないぞ。そっちこそ諦めるんだな」

弓兵「……ホント、面倒な奴に捕まっちまった」

弓兵「せっかくの休みぐれーゆっくりさせてくれませんかねー?」

天騎「だめだ! 命を預ける相手として、お前は不真面目すぎる!」

天騎「その曲がった根性を叩き直すために私がだな!」

弓兵「いい迷惑だっつってんだろ?」

天騎「むむ……そこまで言うなら仕方がない」


弓兵「やっと諦めてくれたか……ってうおッ?!」

天馬「ぶるるる」

バサッバサッ

天騎「降りる気がないなら、こちらから行かせてもらうぞ!」

弓兵「お、おいッ! やめろって!」

天騎「なんだ? 高いところが好きなんじゃないのか?」


弓兵「それとこれとは話が別だろがッ! いいから離せー!」

天騎「離したら地面に真っ逆さまだが、かまわないのか?」

弓兵「く、くそったれ!」

天騎「そうれ、空中宙返りだ!」

弓兵「や、やめろォー!」


……とまぁ、こんな感じだった。


少女「とても楽しそうですね」

青年「君にはそう見えるのかい? セライナもなかなかえげつないことをするな……」


颯爽と天馬を駆り、空をかけるあの女性は天馬騎士であるセライナ。

生真面目で気高い、まるで天馬騎士の見本のような女性だ。

以前から、副隊長であるラルと仲が良かったようで、よく二人で会話しているのを見かける。

彼女についても、大まかなこと以外は何も知らない。


姫「ふむん……ピンと来ましたわ!」

姫「お兄様、あの二人は付き合ってるんですか?」

青年「……いや、違うと思うけど。あれを見てどうしてそう思えるんだ」

姫「あら、そうなんですか。むむ、乙女の感が外れてしまいましたね」



「次はきりもみ飛行でもやってみるか! いい眠気覚ましになるだろう!」

「ぐぉぉぁああああーッ! やめ、やめろッ! 死にたくなーいッ!」


さすがに同情せざるを得ないな……、でもまぁ、クォートも結構仲良くやっているようで安心した……かな?

姫「で、あの天馬騎士はどんな奴なのよ」

少女「あの人はセライナさんと言って、とても真面目で優しくてかっこいい人なのですよ?」

少女「あと、ラルさんとは昔からの友達で、すごく仲がいいのです」

姫「……ふぅん、あの鎧男とねぇ。はっ! ということは」

青年「……?」

なぜだか今、ルナが凄い意地悪そうな顔をしている。

姫「くふふ、修羅場の予感ね! この先の展開が楽しみだわ!」

姫「お兄様! わたし、ちょっと楽しくなってきました!」

青年「う、うん……まぁ、付き合うけども」

姫「さー次いってみよー!」

少女「おー」

青年「お、おー」



――


姫「……ん、あれ?」

正午を過ぎ、日の光が心地よかったので僕たちは外を歩くことにした。

そうして中庭をぶらついている途中、とある人物を見つけたんだ。

彼女は得に何をするでもなく、ただつっ立っていた。


青年「あれは……まさかな」

姫「ナディ! ナディじゃないの!」

青年「あ、やっぱり」

完全装備をまとい、身の丈よりも大きな槍をどっしりと携え、ひたすら立ち尽くしている女性。

歩兵であり、我が隊の切込み役を買って出る勇敢で寡黙な彼女は、ナディという。


少女「ナディさんですか、わたしはあまりお話したことがないのです」

青年「彼女はとっつきにくいところがあるからねぇ」

少女「ですが、ルナさんは仲良しなのでしたね」

姫「そーよ、ずっと前からわたしの警備兵やってたもん」

青年「らしいね。でも昔来たときには見当たらなかったような……」

姫「それは……ナディ、昔はすごい影が薄かったですから」


青年「そ、そうなのか……、それでもおかしいな。まったく記憶にないんだ」

姫「仕方ありませんよ。たぶん、ナディもお兄様のこと覚えていませんし」

姫「でも、あれでもずいぶんマシになったほうなんですよ?」

青年「へぇ……まぁ、僕自身、自国でもあまり公衆の面前に立ったことはないし、僕の顔を知らない民も多い」

青年「それに父上のついでって感じで、お忍びで遊びに来ていたからね。覚えてなくても仕方ない」

まぁ、今はそれで助かっていることが多いけど。

姫「そうでしたね。お義父様もやけに神経質でお兄様のことを公開したがりませんでしたし」

……うん? なんだかニュアンスがおかしかったような。


姫「ナディ! あんたこんなとこで何してるのよっ!」

突っ込む隙も与えず、ルナはナディに駆け寄っていった。

歩兵「………………」


しかしルナが声をかけても、微動だにしない。

まるで銅像のようだった。


姫「……あんた、また寝てるの?」

歩兵「…………あ、姫様」


姫「寝てたでしょ」

歩兵「……いえ」

ぎぎぎ、と音が聞こえそうな動作で、僕たちのほうに顔を向ける。

兜の奥には眠たげな瞳と、端整な顔つきが伺えた。

……いつもはもっとキリッ、というか、凛々しいんだけど。

案外マイペースというか、オンオフの切り替えがはっきりしているというか。

歩兵「……隊長、それに」

少女「おはようございます、ナディさん。にこー」

歩兵「…………おはよう、でも、寝てない」

少女「あぅ、すみません」

青年「こんにちは、こんなところで何してたんだい?」

歩兵「……ええと、あの」

歩兵「………警備?」


何故か疑問符がついていた。

要するに、することがなく、暇なのでぼーっとしていたということだろう。



姫「どーせまたぼーっとしてただけなんでしょ?」

歩兵「……いえ、そんなことは」

姫「あんたってばいっつもそうなんだから、やるときはやるのに、変わってるわよねー」

歩兵「……すみません」

姫「謝らなくたっていいのよ。それより怪しい人とか事件とかなかった?」

歩兵「……怪しい、人、事件、ですか」


空をゆっくりと仰ぎ見、硬直したのちにナディはこちらに視線を戻した。

歩兵「…………本日は得に異常ありませんでした」

姫「えー、なんだ、つまんないの」

少女「ナディさんは、休みの日はいつもこうしているのですか?」

歩兵「……うん」

少女「お休みなのに、お仕事、えらいですね」

歩兵「……そうでもない」

青年「しかし、休みの日くらいゆっくりしていればいいのに。装備も重いだろう? 脱いだらどうだい」

歩兵「……ここで、脱げというのですか。……隊長は、案外変態」


青年「い、いや、そういう意味じゃ……おしゃれでもして、街に出かけたりはしないのかい?」

歩兵「……故郷では畑を荒らされないよう、見張り、してましたから」

姫「ナディは田舎出身で、そういうのに疎いんですよ。わたしも誘ってみたりしたんですけど」

青年「まぁ、君と一緒に出掛けるのなら、護衛しなきゃだろうしね……。でも、そうか、大変だったんだね」

歩兵「……生きる、ためです」

青年「そうだね、でも、君のような人たちのおかげで、僕たちは飢えずに生きていられるんだ」

青年「感謝してもしきれないよ、ありがとう」

歩兵「…………あ、う」


姫「なぁに部下を口説いてるんですか、まったく」

少女「……そういうの、よくないと思います」

汗と泥にまみれ、必死に作物を生み育てる。そうやって社会を支えてくれている人たちがいるから、僕たちが生きていられる。

だから、感謝の気持ちを忘れてはいけない。そう思って、ただお礼をしただけなんだけど……、どうやら姫様たちは不服な模様。


青年「口説いてるだなんて、そんな。その気はないよ」

姫「わかってますよ。……ナディに手を出したらただじゃおきませんから」

少女「めっ、ですよ」



青年「お、穏やかじゃないな。部下に手を出すわけないだろう? そもそも、そういうのはお互いの合意があってだね……」

青年「ほら、ナディも困っているじゃないか」


歩兵「……あ、へ?」

姫「ちょっと、なにその反応。だめだかんね!」

歩兵「……い、いえ、その。どれだけ育てても、当たり前のように、徴収されていた……ので」

歩兵「…………そんなこと言う人、いなかったので」

姫「だめだめだめだめだめ! ちょっとキャラ変わっちゃってるし!」

姫「お兄様はわたしのなんだから!」

少女「それは違うと思います」

姫「何よ文句あんの?!」

少女「もちろんです」

姫「上等じゃない!」

青年「こらこらやめなさい、そんなことで喧嘩しちゃ駄目だよ。ナディも止めてくれないか?」

歩兵「……あの、違いますから」

青年「え?」


歩兵「…………そういうのでは、ない、ので」

青年「え、あぁ、うん」

歩兵「……し、失礼。します」


そういうと、ナディはそそくさとこの場を離れていった。

取り残されてしまった僕を後目に、二人の争いは徐々にヒートアップしていく。

もう手のつけようがなかった。

姫「こうなったら決闘ね」

少女「わかりました」

青年「なんでそうなる……」

姫「勝ったらお兄様を一日、好きにできるってことで」

少女「いいですよ」

青年「勝手に決めないでくれ」


少女「ですが、かけっこもかくれんぼも、わたしのほうが強いですよ?」

姫「……ふんっ、そうやって高をくくっていられるのも今のうちなんだから!」

青年「ねえ君たち、もうその位にして……」


姫「お兄様は」
少女「フューリさんは」

「「黙っていてください」!」


青年「……はい」

誰でもいいので、助けてください。

つづくのじゃ




姫「……よし、決まったわ」


一体どうやって決闘するつもりなのだろうか。

黙っていろと言われたので、少しハラハラしながら待っていたわけだけど。

どうやら決まってしまったようだ。


姫「内容は簡単!」

少女「……ごくり」

姫「やはりここは探偵として、もっとも怪しそうな奴を見つけたほうが勝ちってことで!」

青年「…………」


とりあえず、一安心。

血が流れない争いなら、大きな問題になることはないだろう。


青年「もうしゃべってもいいかい?」

姫「あ、忘れてました。どうぞ」

青年「…………」



青年「不審人物を探す勝負ってことはここからは別行動ってことかい?」

姫「あ……」

少女「そうなりますね」

姫「いえっ、それはだめでしょう!」

青年「でも、二人同時に見つけてしまっては勝負にならないんじゃ?」

姫「そうですけどぉ……ううん」

少女「……フューリさんと一緒にいられないのは、少し寂しいですが、不安ならわたしが一人で行きますが?」


そう思ってくれるのはうれしいが、少しむずがゆく感じるな。

姫「だめ、それこそだめよ!」

姫「あんた一人で行ったら、もしほんとに変な奴がいたら何されるかわかんないのよ?」

少女「わたしは、大丈夫ですよ?」

姫「でもだめなの! それに……またすぐにみんなどこかに行っちゃうもの……」

姫「だ、だから、少しでもみんなと一緒に……」

なるほど、そういうことだったのか。

確かに、危険な任務にはルナを一緒に連れていくことはできないし

僕たちが任務に出たら、彼女は遊び相手もいない王宮で一人ぼっちだ。


姫「って何言わせてんのよ! そのくらい察しなさいよ!」

少女「ふふ……」

姫「も、もう、何笑ってんの!」

少女「いえ、すみません。わたしも、もっとルナさんと一緒にいたいですよ。にこー」

姫「あ、あっそ! じゃあこのままでいいわよね?」

少女「はい、もちろんです」

青年「僕も構わないよ、二人が危険な目に合うのは嫌だしね」

姫「じゃあ早速いきましょっ! でも、手加減はしないんだから!」

少女「わたしもですよ」

青年(やっぱり、なんだかんだ言って仲良しなんだな……決闘っていうのも、もっと遊びたいからなんだろう)

姫「お兄様? なんで笑ってらっしゃるのですか?」

青年「ん……いや、ふふ、怪しい人、見つかるといいね」

姫「……えぇ! ティノアにはぜえったい負けませんから!」

姫「それより、わたしが勝った後のこと、考えておいてくださいねっ!」

青年「あ、うん……」



――

姫「……見つかんない」

少女「……見つかりませんね」


決闘の内容が決まってから、随分時間が経過した。

日が傾きかけている、だが、どちらも不審者を見つけることはできなかったようだ。


青年「そろそろ夕飯の時間じゃないか。不審者もご飯を食べているよきっと」

青年「だからご飯を食べにいかないかい?」

姫「だめです! 決着がつくまでご飯はお預けです!」

青年「そんなぁ……」


思えば、昼食もろくに口にしていない。

このままでは空腹で死んでしまいそうだ。

それに今日の食堂のスペシャルメニューはピザだったはず、僕としては品切れになる前に一刻も早く注文したいところ。

またしばらくのうちに任務が言い渡されるだろう、そうなれば味気ない保存食生活に戻ってしまう。

その前においしいものを食べておきたいのが本音だ。

まぁ、時間があればラルの作った料理が食べられるのだが……。

というか、あれが無ければ僕はとっくのとうに力尽きてしまっていただろう。


少女「少し時間が悪いのかもしれませんね」

姫「うーん……そうなのかも。というか警備のしっかりしてる王宮で不審者なんて見つかるわけないじゃない!」


そういえばこの前ラルが作ってくれた、キノコとウサギ肉のシチューは格別の味だった、また作ってくれないだろうか。

思い出しただけでも涎が溢れそうになるな。材料さえ集めればなんとか……。

しかし、僕はまともに狩りなんてできないし……となれば狩猟の本でも読んで――。


青年「……ん?」

なんて考え事をしていると、遠くに全身甲冑の人物が見えた。

歩き回っているうちに、王宮勤めの騎士などが暮らしている宿舎にたどり着いたようだ。

王宮勤めの騎士には、貴族やそこそこの名家出身のものが多く存在するので、造りや内装は立派なものだ。

僕やほかの部隊員も一室を借りているが、不満は何一つない。


おそらく、あの鎧男はラルだろう、宿舎前の広場はなかなかの広さがあり、ここで鍛錬するものも少なくはないが

夕飯時というのもあって、そこにいるのは彼一人だった。

はずなのだろう。

剣を持ち、素振りを繰り返している彼を、遠くの木影で監視するものがいる。

数は……ここから見えるだけで三人。


青年「……まずいな、また因縁をつけようって言う気か」


彼らはルナとティノアが探している、不審人物に他ならない。

しかしどうだろう。もし、争いに巻き込まれて、彼女たちが怪我でもしたら?

それに、これは部隊長である僕の責任でもある。

だからこそ、放っておくわけにはいかない。ラルが簡単に負けるはずはないだろうが。

……むしろ、彼らの身の安全のほうが心配だな。何かあったら始末書が増えるし。


姫「じゃあ次はあっち探しに行くわよ!」

少女「いえ、それよりあちらのほうを」

姫「何よ! 絶対あっちだって! わたしの探偵の勘がそういっているわ!」

少女「やはり人気のなさそうなところに、いると思うのですが」


青年(悪いけど、ここは彼女たちに気づかれるわけにはいかないな)

青年(幸い、二人は会話に夢中だ。今のうちならばれはしないだろう)

僕はそーっと二人の後ろから離れていくのだった。



――


「見ろよ、あの男。まだ素振りやってるぞ」

「かれこれ五時間はやってるな……やっぱり、何か裏がありそうだ」

「人前じゃ、絶対に鎧を脱がねえもんな」

「特殊遊撃隊なんて怪しい部隊の副隊長やってんだ、人に知られたくない何かがあるんだろうぜ」

「……大体、その特殊なんちゃら隊ってのが気に食わねえんだよな」

「だな、騎士団のあぶれものばっか集めてエリート気取ってる奴らが、名誉十字勲章だ? 騎士王は一体何考えてんだか」

「おいおい、'雑種王'の悪口言うなよ。どこで聞かれてるかわからねえんだぞ?」

「はははっ、よく言うぜ。おめえも言ってんじゃねえか」

「……とにかく、あいつらが裏でどんなきたねえことしてるか、暴いてやろうじゃねえか」

「だが、勝てるのか? 何人も返り討ちにしているらしいが」

「まさしく化け物みたいだな……けどよ、三人で不意打ちをしかけりゃあ……」


青年「勝てるとでも?」


「ッ?!」

「だ、誰だぁテメぇ!」



青年「僕が誰かなんて関係ないだろう? とにかく、さっきの話は聞かなかったことにしてあげよう」

青年「闇討ちなんて卑怯な真似は考えないほうがいいよ」

「チッ、偉そうに!」

「……おい、こいつ、特遊隊の若き隊長様だぜ!」

「何ィ? そういうことか、ならなおのこと放っておくわけにゃいかねえなぁ?」

青年「……勘弁してくれないか? 厄介事は好きじゃないんだ、始末書ももう書きたくない」

「ごちゃごちゃ言ってんじゃねえ!」


説得を試みたが、躍起になっていた彼らには効果がなかった。

一人の男が鞘走り、僕に向かって剣を振り下ろす。

模擬刀でもはない、真剣だ。しかし殺生沙汰にはしたくないのだろう、峰打ちだが当たると痛い。

対し僕は、腰に下げていた小剣を咄嗟に抜き、鍔でそれを防いだ。


「この!」

受け止められるとは思っていなかったのだろう、相手はすぐさま剣を戻し、ニ撃目を放つ。


騎士団特有の動作だ、それもなかなかの修練を積んだ。

そんな人材がこのようなことになってしまい、とても残念だが……。

仕掛けられたからには、相手せざるを得ない。

僕はその袈裟斬りを小剣の刀身で軌道をずらし

体制を崩した相手の握り手を、柄で殴打した。


「ぐぁっ!」

折れはしていないだろうが、衝撃で思わず剣を離す。

その隙に蹴りを放ち、尻餅をついた相手の鼻先に切っ先を突きつけた。


「……ひっ」

青年「僕すら倒せないのでは、彼には適わないよ。君たちも諦めたほうがいい」

「ちょ、調子に乗りやがってぇ!」

青年(まいったな……もっと上手いやり方があったかもしれないが)

青年(少々痛い目を見てもらうか? でもそれはそれで始末書が……)

まず、負ける気はしなかった。


型は洗練されてはいるが、実戦の経験が薄いと見える。

驕っている訳ではないが、僕は多対一の戦いも慣れているし、血反吐を吐くほどマグナに訓練をつまされている。

これ以上騒ぎが大きくなる前に、黙ってもらうのが一番手っ取り早いので、彼らには悪いが……。


騎士『おい、何やってんだあんたら』

小剣を胸元に構え、血気盛んに挑もうとする残りの二人を相手しようとした時。

背後からくぐもった声が聞こえた。


青年「ラル」

「お、お前……なんで!」

騎士『いつ襲ってくるか待ってたんだが、一向に来なかったもんでな。こっちから来させてもらった』

青年「すまない。注意すれば諦めてくれると思ったんだけど」

騎士『あんたもあんただ、そんな奴らほっときゃよかったのに』

青年「ラルが襲われそうだっていうのに、僕が見過ごせるわけがないだろう?」

騎士『へっ、よく言うぜ。俺が相手したらまた始末書だもんな』

青年「わかっているなら控えてくれると嬉しいんだけど……」

騎士『……わ、悪いとは思ってるけどよ、あっちから来るんだぜ? しゃーねえだろ』

青年「……ま、今回ばかりは僕も共犯だ、大目に見るよ」

騎士『感謝するぜ、隊長さん』

青年「それで……まだやるのかい?」



「う……くそ、ここは一旦退くぞ」

「お、おい! おいてくなって!」


青年「……ふぅ、行ってくれたか」

騎士『一回痛い目みねえとわかんねえって、どうせまた来るぜ』

青年「はは、だろうね……。今度は、歯を全部折るなんてことしないでくれよ?」

騎士『あ、あれは……やりすぎたな、正直すまん』

青年「君は謝ってくれるだけましさ……マグナと言ったら」

騎士『オッサンは……えげつねえもんな。俺も同情するレベルだ』


『なんだぁ?! あの腑抜け共は!』

『まったくなっとらんなぁ!! 致し方なし! この俺が騎士のあり方というものを見せてやろう!』


一件落着、といったところでさっきの奴らが逃げていったほうから、地響きが聞こえてきた。

重装兵『我は国一番のアーマーナイト! 戦場で俺の姿を見て生きて帰ったものはいない!』


騎士『おい、変な奴が来たぞ』

騎士『大体、鈍足のアーマーナイトじゃ逃げる敵追えないだろ』

青年「……しっ、思ってても言っちゃあ駄目だよ」

青年「まぁ、この国一番は重騎士大隊のヴォルス将軍を差し置いて名乗れるもんじゃあないけど」


重装兵『ぐははは! 俺の姿を見て恐れをなしたか! やり手の特殊遊撃隊と聞いていたが、その様子では聞き間違いだったようだな!』

重装兵『そもそも、そんなひょろひょろな奴が騎士を名乗れるのか? 筋肉が足りんぞォ!』


青年「うわぁ、面倒くさいな」

騎士『あんたも言ってんじゃねえか』

重装兵『よし、ならばこの俺が訓練をつけてやろうではないか! もちろん一対一でだぞ!』

重装兵『まずはそこの鎧男だ! さぁかかってこい!』

騎士『俺かよ、まぁいいけど』

重装兵『これは別に新人いびりなどではないぞ! 大した実力もないのに威張っているお前らが悪いのだ! ぐははは!』


騎士『体系に似合わず、考えが小物くせえな』

青年「しょうがない、頼んだよラル」


――


結果は言わずもがな。

最後はラルのワンパンで重装兵の鎧が砕け、下着一枚となった彼は目に悪い筋肉を両手で隠しながら走って行った。


騎士『やっぱこんなもんかよ……手ごたえねえな』

青年「これで少しはおとなしくなるかな? 拳一つで鎧を粉々にするような人と戦うなんて御免だよ」

騎士『……この体になってから、やけに力が有り余って仕方ねえ』

騎士『これも魔物化による影響ってことなのか?』

青年「……ふむ、僕もよくは分からないが、もう一人のティノアを見るに、そういうことなのだろうね」


彼らのように理性を保っていない魔物も、常人とは桁違いの怪力だ。

人としてのリミッターが外れてしまうのだろうか、仲間にすると心強いが敵に回すと厄介なことこの上ない。

と、ここで、気になっていたことをラルに聞いてみることにする。


青年「君が魔物化した時の話だが……辛いかもしれないが、聞いてもいいかい?」

騎士『……おう、別にいいぜ』

青年「君は……一度、死を経験した。それは間違いないんだね?」

騎士『あぁ、首をばっさりと刎ねられて、一発だったぜ』


青年「……聞いておいてなんだが、軽いね」

騎士『ほかに言いようがねえんだ、仕方ねえだろ』

青年「それでその時、何があったんだい?」

騎士『…………わかんねえな。気づいたら戦闘は終わってて、俺はコイツに抱えられて砦の外にいた』

コイツ、というのはラルの体に住むもう一人の住人。ランディのことだろう。

騎士『そん時の記憶はあんまねえし、そりゃ、最初は驚いたがまだ生きてたって嬉しく思う反面、こんな状態でどうしようかって考えてた』

騎士『なんでこうなったかなんて考えもしたが、俺自身何もわからねえ』

青年「……そうか。あの魔物を生み出していた男がやっていたように、宝玉によって何らかの影響を受けたのかもしれないが……」

騎士『でもありゃあ、複雑な術式とかがねえと出来ないんじゃなかったか? 俺をわざわざ魔物化させる理由はねえし、そもそもあんときはまだ実用化してねえと思うぜ』

青年「そうだね。……だとすれば、君やティノアは自然的に魔物化したということになるが」

騎士『……やっぱ、嬢ちゃんも俺みたいに』

青年「その可能性が大きいだろうね。だが、彼女には何も聞かないでおこう」

騎士『それがいい。もう一人の嬢ちゃんならまだしも、嬢ちゃんは何も知らねえみたいだしな』

青年「もう一人のティノア、か。彼女にも一度ちゃんと話を聞きたいが……」


姫「お兄様! さっき、半裸の筋肉ダルマが!」

少女「奇声を上げて走っていきました」


姫「ちょっと! あれはわたしが先に見つけたんだからね!」

少女「いえ、ほぼ同時だったと思いますが」


騎士『噂をすれば……てか、姫様と嬢ちゃんは何やってんだ?』

青年「ま、まぁ、ちょっと……ね」

姫「あ! あんたは全身甲冑男! 不審人物はっけーん!」

少女「ラルさん、こんばんは」

騎士『誰が不審人物ですか。よう、嬢ちゃん』

姫「これはわたしの勝ちでしょ!」

少女「いえ、これも同時ですよ」


騎士『一体何なんだ? いきなり不審人物とか……』

青年「あまり気にしないでくれ、探偵ごっこで勝負してるんだよ」

姫「それでお兄様! わたしの勝ちでいいでしょ? ね?」

青年「と言われても……僕は見ていなかったしね」

青年「今回のは無しだよ、無し」

姫「えーそんなぁ!」



騎士『ハハ、色々大変そうだな』

青年「ま、まぁ……もう慣れたよ」

騎士『っと、それじゃあ俺はそろそろ』

青年「うん、何か予定でも?」

騎士『ああ、今日のスペシャルメニュー、ピザだったろ? 俺、食堂のおばちゃんとは仲良くってさ。残してもらえるよう頼んどいたんだよ』

青年「な、なに……?」

騎士『こないだ新しいレシピ教えてやったら仲良くなっちゃってさ』

騎士『あの海鮮ミックスデラックススペシャルピザは絶品なんだよな~、すぐ売り切れちまうし。今度作り方教えてもらわねえと』

青年「……ちょ、ちょっとだけ貰えないかい?」

騎士『ダメダメ、あんたに食わせたら俺の分がなくなっちまう』

青年「そんな殺生な!」

騎士『今度なんか作ってやっからさ、ほんじゃお守りがんばれよ~』

青年「ううううう、や、約束だよ! 絶対だからね!」

騎士『おーう』


と言い残し、ラルは手を振りながら宿舎に戻っていった。

海鮮ミックスデラックススペシャルピザ……なんておいしそうな響きなんだ……。

あぁ、きっと頬がとろけるような……。

青年「ね、ねぇ、ちょっと僕たちも食堂に寄っていかないかい?」

姫「だーめーでーす! まだ決着ついてないもん!」

少女「そうですよ。決着がつくまで、お預けです」

青年「そんなぁ……」

姫「ほら、次いきますよっ!」


青年「さっきので終わらせておけばよかったぁぁ……うわぁぁ……」

つづくんじゃ



青年「……ねぇ、もう日が暮れそうだよ」

姫「……だってぇ、全然見つかりませんもん」

少女「誰もいないですね。警備の人がいるくらいです」


ラルと別れてから随分経った、未だに決着はつかない

そして僕のお腹と背中はくっつきそうだ


青年「ここは一旦休憩にして、ご飯でも食べにいこうよ」

姫「だめですっ!」


ぐぅ~

何をムキになっているのやら、子犬のようにルナが吠える

と同時に、なんともかわいらしい音が鳴り響いた

姫「……うっ」


少女「お腹の虫さんが鳴いてますよ?」

姫「わ、わたしじゃないもん!」

青年「ほらほら、やっぱりお腹空いてるんじゃないか」

姫「ちがいますっ! こ、これは……えと」

青年「そんなに無理しないで、我慢は体に毒だよ……特に僕にとっては」

姫「うぅ……」

青年「それに食堂に行ってみれば何かあるかもしれないだろう? 食事をとりながら探してみたらいいじゃないか」

少女「それもそうですね。そうしましょう、ルナさん」

姫「……」

青年「ティノアも、お腹減っただろう?」

少女「はい、わたしもお腹が空いた気がします」

姫「そ、そう……あんたがそこまで言うんなら、仕方ないわね」


青年(ちょろい)

姫「じゃあ、そうと決まったら早く行きましょ!」

青年「よしじゃあ行こうさっさと行こう今すぐ行こう!!」


まだ僕は諦めてはいない、海鮮ミックスデラックススペシャルピザ。

可能性を信じろ……! 信じれば救われるはずだ!


僕たちは足早に元来た道を戻るのだった。



――


「え? あぁ、残念だけど売り切れだよ」

青年「そん……な」

すくわれたのは足だった、僕はがっくりとその場に膝をついた


少女「ルナさんは何を食べますか?」

姫「ん~、そうね。というかあんまりここ来ないからメニューがわからないんだけど」

少女「メニューならあちらにありますよ? ……わたしは、カレーにします」

姫「カレー? 随分庶民的ね! ええと、どれどれ……」

姫「そうね、わたしはカルボナーラにするわ」


「おや、お姫様。珍しいね、食堂に来るなんて」

姫「ま、たまにはね。カルボナーラもらえる?」

「はいよ」


少女「わたしはカレーでお願いします」

「カレーね、ちょっと待ってな」

青年「うぅ……僕のピザが……」

少女「フューリさんは何を食べますか?」

青年「……ピザ」

「おや、フューリ君かい」

青年「どうも……」

「あぁ、スペシャルメニュー、売り切れてるもんね」

「いつもはまっさきに来るから、今日はちょっと心配してたんだよ」

青年「今日は、ちょっと色々ありまして」

「……あぁ、そうか。お守りも大変だねぇ」

青年「ええ、まあ」


姫「ちょ、お守りってなによっ!」

「あはは、ごめんなさいね」

「そう言うことなら任せな、残った食材で特別にピザ作ってあげるよ」

青年「ほ、本当ですか!?」

「まぁ、完璧って訳じゃないけどね。味じゃあ負けないよ」

青年「……女神だ」

「あっはは、お世辞がうまいねぇ。よーし、おばさん頑張っちゃうよ」

「ちょっと待ってな。ついでにいつもの奴も持ってってあげる」

青年「ありがとうございますっ!」


青年「……ふ、ふふふ」

少女「よかったですね、フューリさん」

青年「あぁ、おばさんには感謝してもしきれないよ」


姫「ねー、まだー?」

少女「もう少し待ちましょう? きっともうすぐですよ」

姫「えー……」

青年「お行儀が悪いよ、ルナ」

姫「うー」


「はいよ、お待たせ」

待ちに待った声が聞こえた。

僕は待ってましたとばかりに振り向く。

そこには大量の料理を両のトレイに乗せた女神の姿が。


「はい、カルボナーラと、カレー、それにピザね」

少女「わぁ、ありがとうございます」

姫「へぇ……結構おいしそうね」

青年「待ってましたっ!」


「それとフューリ君にはいつものコレね」


テーブルの上にどっかりと並べられた料理の山。

これはいつも僕が頼んでいるメニューだ。

姫「うわ……お兄様、なんですかこれ」

少女「いつものことですよ」

青年「何って……これくらい普通だよ」

「あはは、フューリ君はよく食べるからねぇ、作り甲斐があるってもんだ」

青年「いつもお世話になっています」

「いいのいいの」

姫「お兄様が大食いなのは知っていましたが……いつもこれを食べているんですか?」

青年「まぁね」

姫「……」

青年「とにかく食べようか、いただきます!」



カチャカチャ

青年「うん! 美味しい! たまらないな、これは」

少女「ええ、おいしいですね」

姫「確かにね……ずる」

青年「こら、ルナ。パスタをすすっちゃ駄目だよ」

姫「えー、別にいいじゃないですか、今日くらい」

青年「だめだめ、料理は楽しく食べるべきだと思うけど、最低限のマナーは守らなきゃ」

姫「うー……わかりました」


青年「ふぅ、ごちそうさま」

姫「って、えっ?! もう食べ終わったんですか?」

青年「ん? あぁ、まだ食べられるけど、満足かな」

姫「わたしたち、半分も食べ終わってないのに」

青年「まぁ、男の子だからね」

姫「そういう問題ではない気が……」


少女「いつものことですよ」

青年「しかし、ティノアのカレーもおいしそうだね」

少女「とってもおいしいですよ。フューリさんも一口食べますか?」

青年「うん、ありがとう」

少女「はい、あーん」

青年「あむ……うん! 美味しいね!」

姫「ちょ、ちょっと何やってるんですか!」

青年「ん?」

少女「何がですか?」

姫「あ、あ、あああ、あーんだなんて! わたしもやったことないのに!」

少女「ルナさんもしたいのですか? はい、あーん」

姫「わわ、わたしはいいわよ!」

少女「そう……ですか……残念です」

姫「あぁ、もう。わかったわよ……あー、んむ」



姫「むぅ?! ちょ、これな、から! い、いたい!」

姫「み、みず」

青年「はい」

姫「……んぐ、んぐ、ぷはっ!」

姫「な、なんてもの食べさせてんのよ! 死ぬかと思ったわ!」


青年「そんなに辛かったかい?」

少女「? 普通だと思いますが」

姫「……だめだ、味覚がおかしい」

姫「ていうか辛い! まだ辛いんですけど!」

青年「水、まだいる?」

姫「く、くださいっ」

少女「大変ですね、ルナさん」


姫「だ、だれのせいよっ!」

少女「えと、ごめんなさい?」

青年「まぁまぁ、落ち着いて、ほら水だよ」

姫「うー、ありがとうございます……」


少女「あ、フューリさん」

青年「うん?」

すさまじい勢いで水を飲み干していくルナを後目に

ティノアが何かに気づいたように声をあげた。

少女「あれは師匠ではありませんか?」

青年「……ん? マグナかい」

彼女が指さす方向、そこには確かにカウンターで酒を呷るマグナの姿が。


賢者「……マスター、ウィスキー、ロックでくれ」

「マグナさん、ここはバーじゃないんですよ」


賢者「飲まずにはやっとれんのだ」

「そうは言われてもねぇ」

賢者「……頼む」

「しょうがないねぇ、ほら、ウィスキーロックだよ」

賢者「恩に着る……」


彼は僕の保護者(一応の)兼、武術の師匠兼、側近のような人だ。

さまざまな魔術を自在に操り、豪快な見た目に違わず武術にも優れた

常識を逸した人、といえばわかりやすいだろうか。

とりあえず滅茶苦茶な人だ。

だがその性格さゆえに何度も救われることもあったし、実際、僕は誰よりも彼を信頼している。

あんな事件があった後も、その気持ちは変わらない。

……そう、あの事件。彼が生み出してしまった罪。

その罪は完全に晴らされることはないだろう、償う相手はもう死んでいる。


彼が現在、いつもの覇気なく飲んだくれているのは、それをまだ引きずっているからかもしれない。

少し、胸の奥が重くなるのを感じた。




賢者「なぜ、なぜ俺だけ謹慎なのだ……! これでは街に出てガールハントすることもままならん!」


撤回しよう、重みは一瞬のうちにとれた。

そうだった、彼は今、喧嘩を売ってきた相手を全治一か月にまで追い込み、謹慎処分を受けているのだった。

本人は十分手加減したと言っていたが、謝罪に向かった時、相手は見るも無残な状態だった。


賢者「はぁ、まったくついていない……陛下にはこっぴどく叱られるし」

賢者「噂が広まって女性がまったく近寄ってこない」

賢者「……これは由々しき問題だな」


青年「完全に自業自得じゃないか」

賢者「はっ?! 陛下!」

青年「陛下はやめろと言っているだろう……」

青年「まったく、少しへこん……いや、反省しているかと思ったら、君はまったく、ほんとにまったく」

賢者「うむ? 心配してくれていたのですかな?」

青年「だ、誰がするか」


少女「師匠、こんばんは」

賢者「おお、ティノア。今日は遊んでもらっていたのか?」

少女「はい、いっぱい遊びました。楽しかったですよ。にこー」

賢者「よきかなよきかな、子供は遊んで成長するものだからな」

少女「そうなのですか」

青年「あながち間違いじゃないけど、マグナの遊びは見習わないようにね」

少女「はい、わかりました」

賢者「ひどい言いぐさですな。俺にも学べるところはたくさんあるでしょうに」

青年「まぁ、その面の皮の厚さは、見習うべきところではあるかもね」

少女「たしかに」

賢者「うぐ……マスター、弟子がいじめるのだが」

「はいはい、慕われててよかったじゃないの」

賢者「くぅ、ここには俺の味方はいないのか……?」


姫「あ、マグナじゃないの」

賢者「おぉ、姫さま。少し見ないうちに色々と成長しましたかな?」

賢者「しかしいつみても貧弱な胸ですなぁ! はっはっは!」

姫「―――ッ!!」


げしっ

賢者「あいだっ?!」

姫「あ、あんたねぇ……人が気にしてることをいちいち……」

青年「セクハラだよ、マグナ」

少女「最低? ですよ、師匠」

少女「……? ということは」

ふと、思いついたようにティノアがぽんと手を打つ。

少女「師匠が不審者さんということではないのですか?」

賢者「俺が不審者だと? なぜそうなる!」

少女「セクハラする最低な人は、変態さんだと誰かさんから聞きました」


少女「変態さんということは不審者さんではないのですか?」

青年「ふむ、一理ある」

賢者「陛下まで?!」

姫「ちょ、待ってよ。それじゃああんたの勝ちってことになるじゃない!」

青年「そうなるね」

姫「だ、大体、知り合いなんだから不審者だなんて……」

少女「師匠は不審者さんではないのですか?」

賢者「うむうむ」


姫「………………」


姫「不審者ね」

賢者「そ、そんな! 横暴ですぞ!」


青年「じゃあ、決まりだね」

少女「わぁ、わたしの勝ちですね?」

姫「く、悔しいけど、認めざるを得ないわ」

賢者「ところで、話がまったく見えないのですが」

青年「一番変な奴を見つけたほうが勝ちっていうゲームだよ」

賢者「……聞くんじゃありませんでしたな」

青年「さ、勝負も終わったことだしそろそろ戻ろうか」

少女「はい」

姫「うー……そうですね」


賢者「泣きたいのは俺なのですが」

賢者「マスター、おかわり」

「はいはい、ほどほどにしなさいね」

つ づ く

おそなってすまんやで



姫「はー、今日は疲れたっ」

姫「お腹も膨れたし、ちょっと眠くなってきたかも」

少女「食べてすぐに寝ると、牛さんになるそうですよ?」

少女「ルナさんが牛さんになったら、わたし、頑張ってお世話しますね」

姫「そ、そんなの迷信でしょ!!」

少女「そうなのですか? ……残念です」

少女「ルナ牛さん、きっとかわいいと思います」

姫「ルナ牛って何よ……あーぁ、どうしてあんたなんかにいっつも負けるのかしら」

青年「口が悪いよ、ルナ」

姫「ごめんなさぁーい」

青年「君ねぇ……」

姫「だって……お兄様をティノアが一日好きにできるなんて、そしたらわたし……」



……まったく、この子は自分で発案しておいて、一人になるのが嫌なのか。

だったらこんな勝負なんてしなくても。


青年「はぁ……じゃあ、また勝負しよう」

青年「今度は君たち二人対僕だ、君たちが勝ったらなんでもしてあげる」

姫「えっ?!」

少女「ほんとうですか?」

青年「あぁ、ただし、僕が勝ったら……」

青年「毎日欠かさず勉強すること、あとは仕事を手伝ってもらおうかな」

姫「えぇー!」

少女「わたしはかまいませんよ、お勉強、好きですから」

姫「ま、まぁいいでしょう。勝てばいいんですものね」

姫「よしっ! 約束ですよ、お兄様! うふふ……何してもらおっかなー」



少女「ルナさん、元気になりましたね」

青年「ん……まぁ、ちょっと単純すぎて将来が不安だけど」

少女「やっぱり、フューリさんは優しいですね」

青年「そ、そんなことないさ」

少女「いえ、わたしはそんなフューリさんが好きですよ」

青年「っ! あ、あぁ、ありがとう」

少女「どういたしまして? にこー」


姫「ティノア! そうと決まったら作戦会議よ! わたしの部屋へ……」


「あっ!! 姫様! こんなところに!」

姫「げっ!」

「げっ、じゃありません! お勉強をすっぽかしてどこで遊んでいたんですか!」


青年「……やっぱりサボってたのかい」

姫「ち、違うのよ! これには深い訳が……」

「はいはい、言い訳はあとで聞きますから」

「今からみっちり補修しますからね!!」

姫「ひぃぃっ!!」

姫「やっ、やだやだっ! お兄様~、たすけて~っ!」


青年「勉強は大切だからね、仕方ないね」

姫「うわぁ~ん! お兄様の薄情者~~~っ!」


最後に悲鳴を残してルナは連行された。


青年「ふぅ……少しかわいそうだけど、あの子のためだからなぁ」

少女「ルナさん、行ってしまいましたね」


青年「うん、さぁどうしよっか。君はもう帰るかい?」

少女「いえ……あの、そのですね」

青年「うん?」

少女「勝ったご褒美、いまから使っても……いいですか?」


遠慮がちに、伏し目がちに、ティノアはそういう。

まったく、こういう動作に僕は弱い。

思わずドキっとしてしまう、彼女には得に故意はないんだろうけど。


青年「あ、あぁ、別にかまわないよ」

少女「ほんとうですか? でしたら、その」

少女「一緒に……お風呂に入りませんか?」


青年「……へっ?」


思わず情けない声が出たのは、仕方のないことだろう。


――


かぽん


青年「…………」

少女「………………」


そんなこんなで

僕たちは、誰も使っていない大浴場に入っている。

限られた人しか入ることはできなのだが、騎士王様の計らいで自由に使っていいとのことで

僕は以前から一人で入ることもあった。

このだだっ広い浴場を独り占めできるのは、今の僕にとっては贅沢すぎるほどで

よく疲れを癒しに来ていたのだ。


だが今は、すぐ横に一糸まとわぬティノアがいる。

これ以上に緊張することがあるだろうか? いや、ない。



青年「そ、それにしても……こんなことでよかったのかい?」

少女「はい。はだかのつきあい? で、くんずほぐれつ? するのが、男女の仲を深めるのにいいのだと、師匠が言っていました」

青年「なっ、なにを教えているんだマグナは……」

思わずのぼせそうになる。

青年「そういうのはね、もっと段階を踏んで、特別な関係になってからだね……じゃなくて! 君にはまだ早いっ!」

少女「……特別な、関係ですか?」

青年「何でもない、何でもないよ。とにかく、そういうことを男の人にいっちゃあ駄目だからね?」


湯に髪が浸らないよう、縛り上げており、濡れたうなじが妙に色っぽい。

僕はこれ以上彼女を直視できず、背を向けた。

青年(は、破廉恥だぞ、僕。よりにもよってティノアに劣情を抱くなんてこと、あっちゃならな――)


ぎゅっ


青年「っ?!」

少女「わたし、フューリさんと特別な関係に、なりたいです」

青年「な、なななななにを」



少女「だめ、でしょうか?」

青年「だ、だめというか、僕はまだ子供で、君はもっと子供なんだ。そんなこと」

少女「大人になれば、いいのですか?」

青年「まぁ、そうなる……のかな?」

少女「でしたら、どうすれば大人になれるのですか?」

青年「ん……」

少女「わたしはずっと、子供のままです。胸も大きくなりません」

ふにっ

青年「てぃ、ティノア?!」

ティノアが抱き着く腕に力を込める。

すると、やわらかい何かが、僕の背中に押し付けられた。

少女「フューリさんなら、わたしを大人にできますか?」

青年「お、大人に……?」

少女「はい……」



その時、僕の脳裏にある方法が横ぎった。

知識でしか知らないそれ、だが、それを経験すれば僕たちはお互いに大人になるだろう。

思わず想像してしまい、急速に頭の中が白くなっていくのを感じた。


少女「……お願いします、わたしを、大人の女性にしてください」

抱きしめる腕が震えている、彼女は知っているのだろうか。

大人になる方法を、そしてそれが何を意味することなのか。

パンクしそうになる頭、これまでの出来事が走馬灯のように駆け巡る。


青年「てぃ、ティノア、とにかく、そろそろ離してくれないかい」

少女「や、です」

背中を丸め、湯船に顔半分を埋める。

はっきり言って、限界が近かった。


少女「……くす、どうしたのですか? フューリさん?」

青年「……ん?」



その時、違和感を感じた。そして同時に、してやられた、と思った。

青年「君……ティノアじゃないな?」

少女「あらやだ、何を言っているのか、わかりませんよ?」

青年「と、とぼけるなよ! 人をからかうのもいい加減にしないか!」

少々手荒に、彼女の手を振りほどいた。

少女「あ……」

青年「うっ、そ、そんな顔をしないでくれ……」

少女「……くすくす、やっぱり、面白い」

青年「やっぱり、君か……」


口元に手を当て、お上品に笑う……ティノアの中に住むもう一人のティノア。

そう、あのお願いも、悪趣味な誘惑も、彼女によることだったのだ。


青年「はぁ……おかしいと思ったんだ、あの子がこんなわざとらしいことをするはずがない」

少女「くす、どうかしら。一緒にお風呂に入りたいといったのはあの子だものの」

少女「わたしは面白そうだから出てきただけなの」

青年「そ、そうかい……」

少女「あなたがこの子を襲おうとしたら、叩き潰してあげようと思ったの。でも、残念」

青年「ご期待に添えなくて申し訳ないけど、その気はないよ」

少女「ほんとに? くす、あの子が聞いたら悲しむわ」

青年「一体どうしろと……」

少女「くすくす……」

青年「あぁ、もう。僕は先に出るよ」

少女「あら、どうしたの? 興奮してのぼせたの?」

青年「違うよっ!!」


少女「ふぅん……この子の体じゃ、興奮しないってこと?」

青年「そういうんじゃなくてね、僕には、ティノアをそういった目で見ることはできない」

少女「あ、そう? したらしたで、殴ってたけど。くすくす」

青年「……だと思ったよ」

少女「ところで、もう出ちゃうの?」

青年「うん」

少女「ふぅん、せっかくの機会なのに、もっとお話ししないの?」

少女「知りたくないの? ……わたしについて」

青年「……教えてくれるのかい?」

少女「あなたの行動によっては、ね」

青年「…………」


確かに、二人っきりになれるいいチャンスだった。

前々から、気になっていたんだ、もう一人の彼女が一体何者なのか

そして、どうして彼女たちは魔物になってしまったのか。



僕は黙って、再び彼女の傍で湯につかる。

少女「そう、それでいいの」

と、彼女は満足げだ。


青年「……じゃあ、聞かせてもらえるかい」

青年「君たちはなぜ魔物になってしまったのか、そして君がなぜティノアの中にいるのか」

少女「くす、わたしになら遠慮しないのね」

青年「ティノアは、何も知らないみたいだからね」

少女「そう、そうしたのよ。わたしが」

青年「……え?」


少女「あの子には何も辛い思い出が残らないように、わたしがしたの」

青年「どういう、ことだい」

少女「人を殺すのも、傷つけるのも、傷つくのも、すべてわたしが引き受けてる」

少女「あの子が死にたくならないように」


青年「要領を得ないな」

少女「……あなたが察している通り、"わたしたち"は一度死んでるの」

青年「……っ」

少女「騎士のお兄さんもそうだったでしょ。そしていつの間にか魔物になっていた」

少女「まったく一緒」

青年「…………」

少女「どうしてわたしがあの子の中にいるのかは、わからない。気づいたらそうだったの」

少女「だからね、あの子がもう一度死なないように、わたしが戦っているの」

少女「どう? これで少しは満足?」

青年「……満足な、ものか」

ぎゅっ

と、今度は僕が彼女を抱きしめていた。

少女「っ?!」

青年「君も一度死を経験したのに……今まで一人で戦ってきたんだね」

少女「ちょ、お兄さん? 一体何を」


青年「そんなことも知らず、僕は何度も君たちを危険な目にあわせてしまっていた……」

青年「知らなかったとはいえ、自分が恥ずかしいよ」

少女「……かまわないっていってるでしょ、わたしには、わたしの理由があって戦ってるんだもの」

青年「それでもだ。……だけど、話してくれてありがとう」

青年「どこかで、君はティノアと違う、危険な子かと思っていたんだ」

青年「でも違うよな。君も必死に生きようとする、一人の女の子にすぎないんだ」

少女「…………」

青年「……辛いことがあったら、僕に話してくれ。力になれそうなら、頼ってくれ」

青年「それぐらいしか、僕にはできないけど」


青年「何があっても、僕は君の味方だ。もう一人で、戦わなくていい……ん、だ……よ」

おや?

どうしたことだろう。

めまいがする。


ばしゃんっ

少女「お、お兄さん?」

青年「ぶくぶくぶく……」

少女「何のぼせているの……まったく」


少女「そんな調子でよく頼ってくれなんて言えるわね」

少女「でも……くす、ありがと」



――

青年「……ん」

少女「あ、目が覚めましたか? フューリさん」

青年「君は……ティノア」

少女「はい、にこー」


目を覚ました時、僕はティノアに膝枕をしてもらっていた。

ひどく頭がくらくらする。

起き上がり、自分の体を見てみると


全裸だった。


青年「う、うわわっ!!」

少女「あ、すみません。服を着せてあげようと思ったのですが、フューリさんの服に、手が届かなくて」

確かに、僕の服は上の棚にしまってあり、ティノアではとるのに苦労するだろう。

だからって、これはマズイ。

青年「こ、こんなところ、誰かに見られでもしたら」



ガチャ

姫「あー、やっと終わった。さーってお風呂おふ……ろ……」

青年「あ」

少女「ルナさん、お疲れ様です。にこー」

姫「き、き、き」

少女「き?」

姫「キャァァァァアアアアアアアッ!!!」

青年「る、ルナ! 違う、これは違うんだ!」

姫「ど、どうでもいいですけど前を隠してください! 前を!」

青年「わぁっ! ご、ごめんっ!」

少女「……? どうしたのでしょうか、お二人とも」


そんなこんなで、誤解を解き、何事かと集まってきた人たちへの事情説明に夜の大半を費やす結果となった。

……この日は、普通に仕事をしている時よりも疲れる一日となってしまった。


――


青年「……あぁ、疲れた」

ようやく執務室に戻ってこれたのは、数時間後の話だった。

もう深夜だ、寝たほうがいいのだが、あれだけ遊んだのだから仕事を片付けない訳にはいかない。


青年「さて、報告書を仕上げておくか」

ペンにインクをつけ、書き始める。

闇夜を照らすのは心もとないランプの明かりのみ。

その火に、今日一日の出来事が映し出されていくようだった。


青年「……疲れたけど、楽しかったな」

窓から、薄く雲がかった三日月を眺める。


青年「こんな日が、いつでも、いつまでも」

青年「……続けば、どんなにいいんだろう」


おそらくそれは、決して適わない願い。

だけど今日だけは、戦いのことを忘れていたかった。

こんな僕を、軟弱ものと呼びますか? ……父さん。


――


聖騎士「……以上のことから、宝玉と呼ばれるものは膨大な魔力を封じ込めたものであると考えられ」

聖騎士「膨大すぎる魔力は人々の精神に悪影響を及ぼす」

聖騎士「それだけに留まらず、体の構造を組み換え、狂人的な能力を開花させることができると推測される」

聖騎士「この反作用によって自我が崩壊、混濁化してしまったものの成れの果てが魔物と呼ばれる存在である」


聖騎士「また、この宝玉に作用されず、自然発生した魔物についてだが」

聖騎士「彼らは絶命時における魔力の暴走によって生まれ変わってしまったのではないか、これは憶測にすぎないが――」


秘書「将軍、遠征部隊が先ほど帰還した模様です」

聖騎士「……いずれにせよ、これからも継続して調査が必要である」

聖騎士「ふ、ふふふっ」

秘書「どうしたのですか、将軍」

聖騎士「いや、フューリ君もなかなか面白いことを書くと思ってね」

秘書「はぁ、そんなことより、提出が遅れたのが問題だと思いますが」

聖騎士「なに、それは些細なことだ、木を見て森を見れないと婚期を逃すことになる。君は考えを改めたほうがいい」


秘書「…………」

秘書「そうですね、結婚は大事ですね」

秘書「というわけで今日から長期休暇を頂ます。書類仕事も、すべて将軍が一人で行ってくださ」

聖騎士「む、それは困るな」

秘書「それでは失礼いたします」

聖騎士「ま、待ってくれ。私が悪かった、考え直してくれないか」

秘書「嫌です」


聖騎士「……さすがにからかい過ぎたな。若さゆえの過ちという奴か」


聖騎士「悪かった。そうだ、今度パフェを奢ろう、いい店を知っているんだ」

秘書「お断りします」

聖騎士「ならばそうだな、お見合いをセッティングしよう、これでどうだ」

秘書「お・こ・と・わ・り・し・ま・す!!!!」


呑気な喧噪が遠のいていく。

皆、何も知らない。

遠く、はるか遠く、南方より立ち込める暗雲の存在を。







外伝――ささやかな日常。の話 完

お わ り
やっと次に進めるぞーッ!!



――

世界に、絶望と崩壊が渦巻く。


少女「……あ、あ」


巨体の体が沈むと同時に、少女は咄嗟に走り出していた。

天を焦がし、山を揺らす

災厄とも呼べるそれに、埋もれるように横たわる彼の元へ。


少女「いや……いや」

まるで眠っているようだった。

もう悔いなど残っていないという、安らかな表情。

それは救いではなく


絶望を知らしめる証でしかなかった――。




――


ちゅん、ちゅん

朝がきた……


少女「……ん」

少女「何か、いやな夢を見た気がする」


青年「あ、起きた?」

少女「…………」

青年「そんな目をしないでくれ、うなされていたみたいだから、タオルを濡らしてきたんだ」

青年「すごい汗だよ?」

濡れタオルを手にした青年から、少女は黙ってタオルを受け取った。

少女「今一番見たくない顔を見たから」

青年「はは、ひどいな」


少女「……どんな夢だったか、聞かないの?」

青年「ん、そうだね。話して君が辛くないのなら、少し聞きたいかな」


少女「あなたが死ぬ夢」

青年「す、すごく不吉な夢だね……」

青年「それでどうやって死んだんだい?」

少女「さぁ。そこまでは覚えてないの」

青年「そうなのか……でも、ふふ」

少女「何笑ってるの? 自分が死ぬ夢をみてもらえて、うれしいの?」

青年「いや、それって僕が死ぬ夢を見てうなされてたってことだよね」

青年「うなされるほど辛い夢だったってことになるよね?」

少女「だから?」


青年「上手く言えないんだけど、それだけ大切に思ってくれてるんだなぁ、って」

少女「……はぁ?」

少女「お兄さん、正気? わたしがお兄さんを大切に思ってる? そんなわけないでしょ」

青年「うっ」

少女「わたしにとってお兄さんは目的をはたすための手段の一つなの」

少女「第一、あの夢はわたしじゃなく、あの子がみたものだから」


少女「勘違いしないで」

青年「…………」

無慈悲な言葉の暴力によって、青年は思わず膝をつく。

少し浮かれた分もあって、その落差は激しかったようだ。

少女「はぁ、寝起きなのに喋りつかれた」

少女「ところで、何か用だったの?」


青年「…………」

少女「ちょっと、いい加減にして」

少女「用がないなら出て行ってくれる? 夢でも現実でもお兄さんに邪魔されて、わたし、眠いの」


青年「少しは打ち解けられた気がしたけど、なかなかに厳しいね、君は」

少女「わたしの裸見たからって調子に乗らないで」

青年「み、見てないよ! 人聞きが悪いな……」

少女「どうかしら、その慌てようは怪しいと思うの」

青年「見てない! 断じて!」

少女「くす、信じてあげる。でも」

少女「あなたの裸を見られたことはなんとも思わないの? あの子にあんなものをみせ――」

青年「わーわー!!」

青年「あれは不可抗力というか、僕が望んでああなったわけじゃ」


少女「むぐむぐ」

青年「と、とにかく! 僕は、騎士王から召集を受けて君を呼びにきたんだ」

少女「……んむ?」

青年「もうしばらくしたら玉座の間に集まってくれって言われたんだよ」

青年「特殊遊撃隊全員だ」

少女「ぷあっ、乱暴ね、お兄さん」

青年「ご、ごめん。でもそれは君が……」

少女「別にいいけど。それで、どうしてわたしまでいかなくちゃいけないの?」

少女「戦争ごっこなんて、わたしのいないところでやってくれない?」

青年「……君も、仲間だからね」

少女「ふぅん……」



青年「別に君に協力してもらいたいとか言うんじゃない。ただ、一応は知っておいてほしいんだ」

青年「僕の……僕たちの現状と、やるべきことを」

少女「……あ、そ。まぁ、いいけど」

少女「それで? 召集ってことは何か話があるんでしょ? 内容は?」

青年「それは僕にも知らされていない。きっと重要なことだと思う」

少女「そう」

青年「来て……くれるかな?」

少女「いい、って言ってるでしょ。すぐ行くの?」

青年「あぁ、もうみんな集まっている頃だろう。そろそろ行こうか」


――


青年「皆、おはよう」

魔導士「あっ、おはようございますっ!!」

天騎「おはようございます」

歩兵「……おっはー」

少女「おはようございます、にこー」


騎士「おっせーぞ」


少しイラついたように声をかける騎士は、騎士王がまだ現れていないにも関わらず、ヘルムを脱いでいた。

素顔を見ることは珍しいわけじゃないが、人前では滅多に脱がないため、少し新鮮だと青年は思った。

青年「レオルード様はまだ来ていないんだね」

騎士「あぁ、ちょっと早かったかもな」


弓兵「だーから言ってんだ、少しくれぇ寝坊したって構わねーってよ」

弓兵「騎士王様みてーな上流階級様にゃ木端下っ端の木偶人形に配慮なんかねーって」

賢者「その通りだ、ラルがうるさいから渋々ついてきてやったがな」

賢者「俺たち兵士がいなければ、どんなに威張りくさって用が無意味なのだ」

賢者「一度それを貴族共に知らしめてやらねばなるまい」

弓兵「お、いいこと言うじゃねーか。もっと丁重に扱ってもらわねーとな」

賢者「うむ。まずは娯楽施設の充実からだな、宿舎にも風俗サービスを導入し、酒場を立て、酒は飲み放題」

弓兵「いいねー。でもやっぱカジノはかかせねーだろ」

賢者「だな、あとは……」


騎士「俺が連れてこなきゃぜってーこなかったぜあいつら」

騎士「つーかおっさんとクォート、やけに仲良くなってねえか?」


少女「なかよくなれて、よかったですね。にこー」

天騎「ま、まぁ、仲良くなるのはいいことだがな……」

魔導士「いい……ことなんですかね?」

歩兵「……似た者同士で、ますます手が付けられなくなる」

騎士「っはー……単体でも厄介だってのに、勘弁してほしいぜ」


青年「マグナ……クォート」

賢者と弓兵が熱く語る中、一人沈黙を決めていた青年がようやく口を開いた。

弓兵「なん……ひっ」

賢者「ふぁっ?!」


青年「少し、おふざけがすぎるんじゃないかな?」

弓兵「い、いやだなー隊長殿、他愛無い雑談じゃないですか」


賢者「そ、そうですぞ。すぐにカッカするのはよくありませんな」

弓兵「隊長殿もお堅いことばっか言ってないで、女と酒の味くらい覚えたほうがいいっすよ」

賢者「若いうちからガチガチだとお世継ぎが心配になりますな。それでは一生どうて――」


ビキッ

青年の額に青筋が走る。

弓兵「ば、馬鹿。本当のことでも言っていいことと悪いことが……」

賢者「も、申し訳ありません! これはついうっかり口が……」


青年「……もういい」

弓兵「ほっ……」

賢者「ほっ……」

青年「後で執務室へ来い。今日という今日は許さん」

青年「二人とも、覚悟しておけよ」



賢者「ひ、ひぃ……」

弓兵「ひぇぇ……」


聖騎士「はっはっは、元気そうで何よりだ、諸君」

青年「ユリウス将軍!」

突然現れた聖騎士に、弓兵と賢者を除く全員が敬礼した。

青年「みっともないところをお見せしました……」

聖騎士「いや、構わんよ。上手くまとめてくれているようで安心したくらいだ」

青年「い、いえ、そんなことは……」

聖騎士「謙遜しなくていい、マグナの相手をするのは疲れるだろう」

賢者「なーにを偉そうに言っとるのだ。俺に勝ったことがないくせに」

聖騎士「確かに三百戦二敗二百九十八引き分けだが、それこそ君が偉ぶれるほどかな?」

賢者「二勝だろうが勝ちは勝ちだろう。それともここでもう一勝差を広げてやろうか?」


青年「マグナ」

賢者「む、むぅ」

聖騎士「はっはっはっ、さすがのマグナもフューリ君には頭が上がらないか」

賢者「やかましい」


聖騎士「さて、前置きはこのくらいにしておこう」

聖騎士「レオルード様」

王「……うむ」

青年「陛下……いらしていたのですか」

王「待たせてしまったな。すまぬ」

魔導士「いい、いえ、滅相もございませんっ」

天騎「えええ、エミリー、おおお、落ち着け、かか、肩の力を、ぬぬくんだ」

弓兵「お前が一番落ち着けっての」



青年「それで、お話とは一体……?」

王「そのことだが」

王「まずはとある人物を紹介するところから始めねばならん」

王「入れ」


「はー、やれやれ、こんなところまで呼び出されるとは、年寄の扱いが荒いですねー」

騎士「なっ?! ま、マズイ!!」

扉が開き、そのとある人物とやらの声が聞こえた瞬間、騎士は突然ヘルムをかぶった。

「あ、あの……私なんかが入ってもいいのでしょうか……?」

賢者「げっ!!」


王「久しいな、アンヴィル」

教官「ご無沙汰ですねー、レオルード」


青年「アンヴィルさん?」

教官「おや、フューリ君。……ふむ、そうか、なるほど」

青年「あの、何か?」

教官「いいえ、何でもありません。お元気そうで何よりです」

青年「アンヴィルさんも、お元気そうで。村の復興は進んでいますか?」

教官「おかげさまで大分進みましたよ。あとは私がいなくても大丈夫でしょう」


踊り子「お、お久しぶりです」

少女「あ、お姉さん。お久しぶりです、にこー」

踊り子「ティノアちゃん、元気だった?」

少女「はい」

少女「騎士のお兄さんも元気ですよ」

踊り子「……そ、そう」



こちらはこちらで、再開を喜んでいる少女と踊り子だったが

少女の何気ない一言を受け、踊り子はちらりと騎士を見やる。

騎士『……っ』

二人の間でぎこちない雰囲気が漂った。


青年「シェリーさんまで、一体どうしたのですか?」

教官の視界からなるべく隠れようとする賢者の服を引っ張り、引き寄せながら青年は問う。


弓兵「そうだぜ、皆目見当がつかねーな。また魔物退治でもしてくれってことか?」


王「……そんなことではない」

人が増え、賑わいが増した空間に、王の一言が響き渡る。

喧噪は消え、厳粛な雰囲気が漂った。



王「諸君らには彼女と協力してあるものを持ってきてもらいたい」

青年「あるもの……とは?」


王「…………」

王の表情が一層険しくなる。

そして


王「カンムリ山山頂にある聖域を知っているな?」

賢者「……ふむ?」

魔導士「せ、聖域……? ま、まさかっ」


王「数多の英雄が手にし、世界を滅亡から救ったとされる聖遺物。その一つを」



王「聖剣を、神器を解放して欲しい」

王が頭を……下げた。

そのことが何を意味するのか、神器を解放することがどういうことなのか

……暗雲は、立ち込めたままだった。

つ づ く

随分間があいてしもたな、すまんやで




騎士『っはー……参ったぜ』

青年「うん、まさか僕たちに聖剣の回収任務が与えられるなんてね」

騎士『あんた、わかってて言ってんだろ……?』

青年「ははは……そんなに嫌かい? シェリーさんに会うのが」

騎士『うっ……だってよ、こないだはいい感じだったのに今日話してみたら……』


――

騎士『お、おう、元気だったか?』

踊り子「……えぇ、貴方も元気そうで、何よりです」

騎士『な、なんだよ、よそよそしいな』

踊り子「私はただの踊り子ですから、騎士様とお話しているとあらぬ噂が立つのでは?」

踊り子「それで困るのは貴方ですよ」

騎士『何言ってんだよ、俺とシェリーは幼馴染だろ? それで誰が困るってんだよ』

踊り子「……っ、む、昔の話です。それは」

踊り子「で、では、私は少し用があるので、これで失礼します」

騎士『あ、おい、シェリー! ……行っちまった』


――

騎士『ってな感じでさぁ』

青年「……ん、なんだか元通りって感じだね」

騎士『元通り? あんた、元を知って……』

青年「あぁいやいや! シェリーさんと話した時、ラルとはぎこちないみたいに言ってたからさ」

騎士『ふぅん……? そういやそっか、そうなのか?』

青年「ま、細かいことは気にしないほうがいいよ。結構前の話だから記憶も曖昧なのさ」

騎士『確かにそうかもな、あんたぶっ倒れちまったし』

青年「ははは……面目ない」

騎士『あんときのあんたにゃビビったぜ。あの体でよくやったよ』

青年「……あれは、君と隻眼のオーガ……いや、彼らがいなければできないことだった」


騎士『あぁ……』

青年「ごめん、いやなことを思い出させたかな」

騎士『いや、気にしないでくれ。あいつらのおかげで助かったんだ、くよくよしてちゃあいつらに失礼だぜ』

青年「そうか……そうだね」


騎士『……なぁ、フューリ』

青年「うん?」

騎士『聖剣って奴がありゃ、戦争を終わらせられんのかな』

青年「どうだろうね。今回は世界を滅ぼす邪竜や魔物、邪教徒と戦う訳じゃない」

青年「生まれも育ちも似た種族……人間と戦うんだ。そう簡単な話じゃないと僕は思う」

騎士『だよな……そうだよな。でもさ』


青年「…………」

騎士『俺、もし戦争が終わったら……』

騎士『宝玉って奴、全部ぶっ壊すわ。あんなもん、あっちゃいけねえ』

騎士『……まだまだ曖昧で、先の見えねえ話だけど。オッサンなら馬鹿にしそうだけど、あんたは笑うか?』

青年「いや、僕はこの短い間で宝玉に関わった者たちの末路を見てきた」

青年「笑うものか。むしろ、僕にも手伝わせてほしいくらいさ」

騎士『……そっか、せんきゅな』


教官「おやおや、こんなところにいたのですか」

騎士『ッ?!』

青年「うわ、あ、アンヴィルさん……どうしたのですか」

教官「うわ、だなんて、傷つきますねー」


青年「す、すみません。驚いてしまって」

教官「ふふ、構いませんよ。ところで出発の予定ですが……」

教官「明日の朝には山頂を目指すそうですよー」

青年「明日の朝ですか……」

教官「すみませんねー、急かしてしまって。文句はあの雑種王に言ってください」

青年「ざ……アンヴィルさん、一国の王に対して……」

教官「いいんですよ。レオルードもそう呼ばれているのは知っていますから」

教官「その程度でとやかく言っていては、王なんて器、勤まらないでしょう?」

青年「確かにそうですが……」

騎士『…………』

教官「まぁ、話はそれだけです」


青年「わざわざ、ありがとうございます」

教官「貴方に対してはね?」

騎士『っ……!』

青年「え、アンヴィルさん?」

教官「こいつ、借りていきますよー? いいですか? いいですねー」

青年「あ、ちょ」

騎士『うわ! な、なにす……は、離せ!!』

教官「いいからさっさと来なさい」

騎士『ふゅ、フューリ! なんとかして……ぎゃぁぁぁあああっ!!』


青年「あぁ……ばれたのかな。ラル、すまない、僕には何もできそうにないよ」


――


騎士『いってぇ!! なんなんだよ!!』

教官「黙りなさい」

騎士『あ、おい、ヘルムを脱がすな!』


教官「…………ラル君」

騎士「………………」


教官「久しぶりですね」

騎士「……お、おう」

騎士(なんだろ、親父とまともに話すのって、すっげー久しぶり)

教官「元気でしたか?」

騎士「まぁ、それなりには」


教官「本当に、貴方という子は……どれだけ親に心配をかけさせたら気が済むのか」

教官「いっつも鼻水垂らしてぴーぴー泣いてた子が、騎士団なんかに入って――」

騎士「や、やめろよ。この歳になって説教なんか聞きたくねえって」


ぎゅっ

騎士「っ!」

教官「……無事でよかった」

騎士「お、親父……」

騎士(……こんなに、小さかったっけな。親父って)

教官「一通も便りを出さずに、墓参りにも来ずに」

教官「こっちの手紙を一切受けずに……」

めぎめぎっ


教官「私の気苦労を少しは知ってもらいたいですねー」

騎士「い、いっててててて!! お、親父、砕ける!」

教官「……はぁ」

騎士「しぬかと思った……」

教官「貴方には今更何を言っても聞かないでしょうから、説教をするつもりはありません」

教官「ですが、彼……フューリ君と行動を共にするということは、一体どういうことかわかっていますね?」

騎士「……おう」

教官「なら、もう何も言うことはありません」

教官「この国の命運は、貴方たちにかかっていると言っても過言ではない」

教官「立派に、成し遂げてください。それが今の私の、願いです」

騎士「あぁ……親父」

教官「……?」


騎士「ありがとう、それと……今までごめん。迷惑かけた」

教官「そういうことは子供ができてから言ってください」

騎士「こ、子供だぁ?! んなのまだ早いっつの!」

教官「やれやれ……この調子では孫の顔を見れるのはいつになるやら」

教官「村で選りすぐりの女の子や、知り合いに頼んで城下町の……」

騎士「余計なお世話だっつの! け、けけ結婚なんて考えてもねえよ!!」

教官「…………はぁ、これはますますシェリーに」

騎士「あん? シェリーがなんだって?」

教官「いえいえ、何でもありませんよー。さて」

教官「私はシェリーを案内しに来ただけですから、そろそろ村に戻ります」


騎士「え? もう帰るのか」

教官「当り前でしょう、あの村を長い間放っておくわけにはいきませんから」

騎士「……そっか」

教官「えぇ、貴方たちが帰ってくる、大切な場所ですからね」

騎士「親父……」

教官「なんて言えば私の株も少しは上がるでしょう?」

騎士「少しでも感動した俺の気持ちを返せよ」

教官「ふふ……では、その完全装備で登山なんて最高にきついでしょうけど、頑張ってくださいね」

教官「私は葡萄酒でも飲みながら待っていますから、今年はいい葡萄が取れたんですよー」

騎士「相変わらず性格ひねくれてんな……」

教官「また今度、時間ができたときに奢りますよ。ではでは」



騎士「あ、おい、親父」

教官「なんですかね?」

騎士「……いつから俺だって気づいてたんだ?」

教官「もちろん、最初から。といいたいところですが」

教官「気づいたのはシェリーに言われてからです、残念なことにね」

騎士「シェリーの奴……」

教官「……子はいつの間にか大きくなる。嬉しいやら、悲しいやら」

騎士「え?」

教官「本当、立派になりました」

教官「貴方たちの活躍、期待していますよー」



騎士「……はは」

騎士「認めて、もらえたのかな。親父に」


けど、何だろう。

この気持ちは。


騎士「……凄く嬉しいはずなのに」

騎士「ずっと望んでたことなのに」


騎士「……すっげぇ、虚しい」



――


青年「と、言うわけだ」

弓兵「へいへい、りょーかい」

天騎「おい、クォート。もっとやる気を出さないか」

魔導士「あわわわ……ほ、ほんとにぼくたちが聖剣を持ってくるんだ……」

魔導士「なな、ナディさん、が、がんばりましょうねっ!」

歩兵「……うん、がんばる」

少女「がんばりましょー、おー」

賢者「まったく、面倒な仕事を押し付けおって」

騎士「まーそういうなよ、名誉な仕事じゃねえか」

賢者「名誉で腹が膨れるか阿呆め」

騎士「んだとッ?!」



青年「はいはい、そこまで」

青年「ていう具合なんだけど、シェリーさん。何か質問はあるかい?」

踊り子「え、わ、私ですか?」

青年「どうやら聖剣を解放するには君の力が必要不可欠らしいしね。辛い道のりになると思うから、なんでも聞いておいて」


弓兵「……ほほぉ、前から思ってたけどいい体してるもんなぁ……俺の聖剣も飛び起きそうだぜ」

天騎「は、破廉恥な奴め。だがしかし……くっ」

歩兵「……む、胸は戦うとき、邪魔になるだけだから」

魔導士「はわわ……」

賢者「乳にはあまり興味はないな、女の魅力というのは腰回りにこそ……」

少女「???」

騎士「な、なに好き勝手言ってんだあんたら!」



踊り子「あわ、あわわわ……」

踊り子「えええと、その、お、お菓子は一人いくらまでですか?!」

青年「あはは……と、とりあえず落ち着いて。お菓子は食べられる分だけだよ」

踊り子「そそ、そうなんですか!! だったら、えと、あの」

騎士「おいシェリー、落ち着けって。知らねえ奴らじゃねえだろ?」

踊り子「ら、らるぅ……そんなこと言ったってぇ」

騎士「すまん、こいつ極度の上がり症で。視線が集中すっとまともに立つこともできねえんだ」

青年「えっ?! お、踊り子なのにかい?」

騎士「……小さいころから踊りはやってたが、舞台に立つといつもこんなんだったよ」

踊り子「だ、だめだめで……すみませぇん……」

青年「まぁいつか慣れるだろう、そんなに気負わないでくれ」


踊り子「は、はぃぃ」

騎士「はぁ……とにかく、長旅で疲れたろ。部屋に戻って休んでこい」

踊り子「……うん。あ」

騎士「何だ?」

踊り子「場所……わかりません」

騎士「おいおい、さっき通って来た道戻ればいいだけだろ!!」

踊り子「だってさっきは案内してもらったもの! それにこんな広いとこ初めてだし、仕方ないでしょっ!」

騎士「一回で覚えろよ! 子供じゃねえんだしよぉ!」

踊り子「何ですって!!」


青年「ま、まぁまぁ、二人とも。落ち着いて」

弓兵「仲いいのは分かるけどよー、んなとこで痴話喧嘩してんじゃねー」


騎士「何が痴話喧嘩だ!」
踊り子「何が痴話喧嘩よ!」


弓兵「おお……こわ」

魔導士「火に油を注がないでくださいよぉ……」

天騎「そっとしておくのが一番だな」

歩兵「……さわらぬ神になんとやら」


少女「二人とも、喧嘩はめっ、ですよ」

騎士「……う」

踊り子「ご、ごめんなさい」

賢者「ふー……ごちゃごちゃ言わずに、ラル、お前が案内してやればいいだろう」

騎士「は、はぁ?」

賢者「男なら器を大きくもたんか。なんなら一緒にのんびりしてこい」

賢者「どうせ明日には出発なのだ。いい気分転換になるだろう」

騎士「どうして俺が!」


青年「ああ、それがいい。マグナもたまにはいいことを言う」

賢者「……一言余計ですなぁ」

踊り子「わ、私一人でも大丈夫です!」


ガチャッ……バタン


少女「お姉さん、出て行ってしまいました」

天騎「……追わなくていいのか? ラル」

騎士「いやだってよ」

青年「……ラル、シェリーさんのことも考えてあげないか」

青年「今まで普通に暮らしていた人が、突然こんなことに巻き込まれて不安なんだよ」

青年「慣れない環境の中で、唯一頼れる人は君だけ。だけど素直に頼ることができなくって悩んでるんだ」


青年「ああ、それがいい。マグナもたまにはいいことを言う」

賢者「……一言余計ですなぁ」

踊り子「わ、私一人でも大丈夫です!」


ガチャッ……バタン


少女「お姉さん、出て行ってしまいました」

天騎「……追わなくていいのか? ラル」

騎士「いやだってよ」

青年「……ラル、シェリーさんのことも考えてあげないか」

青年「今まで普通に暮らしていた人が、突然こんなことに巻き込まれて不安なんだよ」

青年「慣れない環境の中で、唯一頼れる人は君だけ。だけど素直に頼ることができなくって悩んでるんだ」


騎士「…………」

青年「だから、ね?」

騎士「……っはー、言われなくてもわかってんだけどなぁ」

騎士「ちょっと行ってくるわ」

少女「頑張ってくださいね」

青年「うん」


弓兵「青春してんなー」

天騎「冷やかすんじゃないぞ。当人たちの問題だからな」

弓兵「んなこと言って、ちょっと妬いてんじゃないのー?」

天騎「だ、誰が! 誰に!」

弓兵「さー、どーでしょーねー」

天騎「まったく、お前という奴は……」


賢者「ふむぅ……若々しすぎて鳥肌が立ってきましたぞ」

青年「やっぱり君は黙っていたほうがいいな」

つ づ く

>>385はミスや
最近リアみつるやから時間とれんですまんやで(白目)


騎士「おいシェリー!」

踊り子「…………」

騎士「シェリー! 待てっつの!」

踊り子「……なんでしょう」

騎士「はぁ、道、わかんねえんだろ?」

踊り子「わかります、周りの人に聞きますから」

騎士「……悪かったって。俺が案内するから、な?」

踊り子「へ? あ、ありが……じゃなくて、だ、大丈夫です」

騎士「あーもう! いいから行くぞ!」

踊り子「きゃっ! ちょ、ちょっと!」

騎士「黙ってついてこい」

踊り子「は、離して! ……もう!」

騎士「ったく、昔っから強情な奴だよな……」



踊り子「っ!! ……そうよ、私は昔っからこうなの」

踊り子「だから、貴方に迷惑かけるでしょ? もう放っておいて」

騎士「はぁ?」

踊り子「昔の貴方はいつも私について来てくれた」

騎士「ん、んな小さい頃の話なんてどうでもいいだろ!」

踊り子「でも今は違うでしょ? ……随分、変わったよね」

騎士「そりゃ、な。色々あったし」

踊り子「……そ」


その言葉を最後に、会話は打ち止めとなった。

黙って歩く騎士の後ろを、踊り子は距離を開けて歩を進める。


そしてしばらくの後、騎士が不意に立ち止まった。

騎士「ほら、ここまでくりゃわかんだろ。ここまっすぐ行って突き当りを右にいきゃわかる」

踊り子「……ありがとうございます」

騎士「じゃあな、明日、出発の一時間前くらいに迎えに来るわ」

踊り子「…………」

騎士「シェリーにゃしんどい道のりになるから、今のうちにゆっくりしとけ」

踊り子「あ、あの」

騎士「何だ?」

踊り子「す……少し、私の部屋、来ませんか?」

騎士「……へ?」



――

騎士(何故こうなった)

騎士(シェリーは今、ベッドに腰かけ、何も言わずにうつむいている)

騎士(俺はといえば、どうすればいいかわからずにソファに腰を下ろしたままの状態で硬直している)


踊り子(なんで私、ラルを呼んだんだろ……)

踊り子(さっきから一言も話してないし……けど仕方ないでしょ)

踊り子(こう、改まって話すってなると、何言ったらいいかわからないし……)


騎士(とにかく……)

踊り子(とにかく……)


騎士(気まずい!)
踊り子(気まずい!)


騎士(ここは男として俺から話をすべきなのか?)

騎士(でもあっちから誘ってきた訳であって、何か話たいことがあるってことだよな?)

騎士(だったらこっちから切り出すのもあれだし……ううん)



踊り子(どうしてなの……? 目の前にいるのは小さい頃一緒だったラルのはずなのに)

踊り子(前はどたばたしてたから、ちゃんとゆっくり話したいって思ってたのに)

踊り子(うぅ……)


騎士(ずっともじもじしてて、向こうから切り出す気配はないな……)

騎士(つか、本当にあのシェリーか? キャラ変わりすぎてんだろ)

騎士(しゃあねえ、ここは俺から)


騎士「な、なぁ」

踊り子「っ?! ひゃ、ひゃい!!」

騎士「何大声出してんだよ……こっちがびっくりするだろ」

踊り子「ご、ごめんなさい」

騎士「……はぁ、んで何か用があったんじゃねえのか?」


踊り子「よ、用? そう、ですね……」

踊り子「……あれ? 何でしたっけ?」

騎士「……おいおい」

踊り子「ごめんなさい……」

騎士「いいよ、疲れてんだろ。つか、その敬語やめろよ」

騎士「他人じゃねえんだしさ」

踊り子「そ、そうですね」

騎士「シェリー?」

踊り子「あぅ……気を付けます」

騎士「まぁ、無理しなくてもいいけどさ……」

騎士「なんか、変わったような、変わってないような。変な感じだよな」


踊り子「そう……かしら」

騎士「強がりで、意地っ張りで、活発。でもほんとは人前じゃ踊れないくらい恥ずかしがり屋」

踊り子「うっ……」

騎士「けどいざって時の度胸はほんとにすげぇ、俺はいっつもシェリーに助けられてたよな」

踊り子「ラルは…………」

踊り子「泣き虫で弱虫で臆病。いつも村の子供たちに苛められて、でもやり返す勇気がなくって」

騎士「うぐっ!」

踊り子「その理由が誰かを傷つけるのが嫌だって言う、誰よりも心優しかった子だったわね」

騎士「う、うるせえよ」


踊り子「ねぇ」

踊り子「そんな貴方が、どうして騎士団なんかに入ったの?」


騎士「……いいだろ、別に。俺は強くなりたかっただけだ」

踊り子「その理由って、私が殺されたと思ったから……なのかしら?」

騎士「か、関係ねえだろ。弱虫だった俺を、どうにかしたかったんだ」

踊り子「……そう」

踊り子「だったらいいわ。ごめんなさい、引き止めてしまって」

騎士「いや、別にいいけどよ……」

騎士「何かおかしいぞ? シェリー、無理してないか?」

踊り子「何を……無理するのよ」

騎士「ぜってーおかしい。前なら、俺にだけは思ったことちゃんと言ってくれたよな」

騎士「……昔みたいには、もう戻れねえのか?」

踊り子「そうよ」

踊り子「もう戻れないわ。貴方も私も、環境も、何もかも変わってしまったわ」


騎士「……そっか」


騎士「でも、ま、あんたの力が必要みたいなんだ」

騎士「どうか、俺たちに協力して欲しい」

踊り子「ええ……もちろん」

騎士「俺と関わるのが嫌ってんなら、今回の任務、俺は降りるぜ」

踊り子「大丈夫、です」

踊り子「極力、気にしないようにしますから。騎士王様の勅命ですもの、断ったら貴方の立場が危うくなります」

騎士「それこそ、気にしなくていいさ。どうせあんたにゃ関係ない」

踊り子「……関係あります」

踊り子「私の我儘で誰かを不幸にしたくありませんから」

騎士「そういうんなら。じゃ、明日、頼むぜ」

踊り子「はい」

騎士「ゆっくり休んでくれ」


少々乱暴に扉が開かれ、騎士は振り返ることもなく部屋を出ていく。

一人、ぽつんと取り残された踊り子は、思わず目頭が熱くなるのを感じた。



――


青年「やぁ、みんな。おはよう」

翌日、早朝。

特殊遊撃隊各員、足すことの二名、総勢九名は

遅れることなく広場へと集合を終えた。

青年はそれぞれの顔を見渡す。

大半は引き締まった面立ちで青年を見返していたが、賢者と弓兵は心なしかぐったりしている。


天騎「……あの二人が元気がないと、こう、逆に落ち着かないな」

魔導士「隊長に夜中まで説教されていたらしいですしね……」

少女「フューリさんも遅くまでおきていたのに、元気そうです」

歩兵「……そんなに」

騎士『これで懲りてくれりゃいいんだけどな……無理だろーけど』

踊り子「案外……厳しい人なのね」



青年「さて、これから僕たちはカンムリ山山頂、聖剣が保管されてある聖域へ向かう」

青年「昔は巡礼用の道が整備されていたが、状況はあまりよくなく、魔物も発生しているらしい」

青年「だが、経験を積んだ君たちには乗り越えられるだろうと信じている」

青年「しかし、周知の通り、今回はシェリーさんが同行することになっている。各員、十分に手助けをしてあげて欲しい」

天騎「承知しました」

弓兵「あー……ねっみぃ。セライナ、お前の天馬で連れてってくれよ」

賢者「そうだそうだ、年長者はいたわるものだぞ」


青年「……君たち、まだ懲りてないようだね?」

賢者「ハッハッハ! 老いたとはいえまだまだ若いもんには負けませんぞー!」

弓兵「最近楽な仕事ばっかだったからな! いい準備運動になるぜ!」


少女「すごい変わりようですね」

騎士『マジであいつだけは怒らせないようにしとこ……でもまぁ、ほんとは天馬に乗れりゃよかったんだがな』


天騎「標高が高いからな、残念ながら不可能だ。シェリーさんも私が運べればよかったのだが……」

魔導士「カンムリ山中腹からは、強い乱気流が吹き始めるので、空を飛ぶのは危険なんですよっ」

歩兵「……歩兵の基本は徒歩、贅沢言わない」

弓兵「いいってことよ! こう見えて昔はよく山に出かけたもんだ!」

賢者「一週間飲まず食わずで樹海を彷徨った時に比べれば、軽いものだ」

騎士『……逆に不安だぜ』

騎士『ま、一応、途中まで馬を連れていくが、山頂付近は足場が悪くて馬は無理だそうだ』

騎士『そこからはあんたにも歩いてもらうが、大丈夫か?』

踊り子「問題ありません。すみません、ご迷惑をおかけして」

騎士『……気にすんな』


少女「お姉さんとラルさん、なんだか昨日より仲が悪そうですね」

青年「……い、色々あったんだろう。色々」

賢者「いやぁ面白くなりそうですなぁ! はっはっはっ!」

青年「本当、君って奴は……」


青年「とにかく、順調にいけば日が暮れる前にはつくはずだ」

青年「聖域にさえ辿り着けば危険は避けられる、十分に気を引き締めていこう」




――

こうして、青年たちはカンムリ山山頂に向けて、長く険しい道のりを歩み始めた。

王宮背後の固く閉ざされた門を抜けると、まるで困難へと導くように鬱蒼と木々が生い茂る。

森の奥へ、奥へと進んでいくと、ようやく山脈の岩肌が見え始め、巡礼者用の道が現れた。

随分古いものなのか、石畳の階段があるが風化、浸食され、気を抜けば踏み外してしまいそうなほど脆い。

だがまだ勾配は小さく、騎士の馬は階段を外れ坂道を通った。


騎士『おっと、少し揺れたな。大丈夫か?』

踊り子「平気です。ご迷惑をおかけします」


青年「あの二人、さっきからずっとあの調子だね」

少女「ぎくしゃく? してますね」

賢者「若い男女の間にはよくあることです。いちいち気にしていてはこっちの身が持ちませんぞ」

青年「……でもね、古い知人なのだから仲直りしてもらいたいじゃないか」

弓兵「なんだなんだ? 恋バナか? この恋愛マスター、クォート様に任せとけよ」

青年「君とマグナにだけは任せたくないな」

弓兵「ひでーなー」

賢者「なぜ俺まで!?」


少女「師匠なのに、だめなのですか?」

青年「よく考えてみてくれ、マグナが割いってうまくいった試しがあるかい?」

少女「……ない、ですね」

賢者「ティ、ティノアまで……すねちゃいますぞ?」

青年「はいはい、いいから行くよ」

賢者「ぐ、ぐぬぬ……いいでしょう、俺が上手いことやってみせましょう!」

青年「あ、こら」


先を行く騎士と踊り子、そのあとを賢者が駆け寄り

賢者「おおっとー!! 躓いてしまったぞぉー!!」

踊り子を乗せた馬の尻に向かって小石を蹴り飛ばした。

馬「ヒヒィーンッ!!」

踊り子「きゃっ!?」

馬が嘶きをあげ、前足を振り上げる。

その反動で思わず踊り子は振り落とされるも……



騎士『ばッ!! あぶねッ!』

傍らを歩いていた騎士が何とか受け止めた。

騎士『なにやってんだオッサン!!』

賢者「いやぁ、すまんすまん。歳をとると足元が覚束なくて困るのだ」

賢者「それよりラル、前を見ろ前を」

騎士『ハァ?! ……って、うぉっ!』


賢者が忠告するや否や、矢のように放たれた蜘蛛糸が、騎士と踊り子に向かって放たれる。

騎士は咄嗟にそれを盾で弾き、突如現れた敵に向き直った。

青年「化け蜘蛛……! こんなとこにまで!」

青年は抜刀し、騎士の援護へと向かう……ところを

賢者「まぁ、見ておいてください」

青年「何を言っているんだ!」

賢者「ここでラルがシェリーを助ければ、少しは距離が縮まるというものです」

賢者「無粋な真似はせず見守ってみましょう」

少女「なるほど、さすが師匠です」


賢者「ふふん、だろう?」

青年「無理やりだな……だが、ラルを信じてみるか」

弓兵「なんだ、ほっといていいのか? じゃー適当に頼むわ」


騎士『数は……二、三体。岩場に隠れてやがったか』

騎士『立てるか?』

踊り子「だ、大丈夫……です」

蜘蛛「キシャーッ!!」

ふらつく踊り子を何とか立たせ、剣を構える。

そこに飛びかかる化け蜘蛛、それを騎士は盾で受け止め、地面へと叩き付けた。

苦しみに喘ぐ化け蜘蛛に追い打ち、頭部を思い切り足で踏み抜くと共に跳躍。

着地の瞬間を残り二体の蜘蛛が蜘蛛糸で狙い撃つ、対し前転回避。

一気に距離を詰めると、起き上がりざまに剣を薙ぐ、一撃は蜘蛛の腹を両断する。

そして最後の化け蜘蛛に剣を投擲、狙いは正しく複眼を貫き……血しぶきが飛び散った。


踊り子「……すごい」

騎士『ッ! シェリー!』

踊り子「えっ?」

騎士『まだいたのか……! くそッ!』

気づいた時には隠れていた化け蜘蛛が一匹、踊り子の背後に回り込み

その固く鋭い脚を振り上げているところだった。

間に合わない、騎士は考えるより先に飛び出したが……

容赦ない一撃は踊り子の柔肌を貫き、内包物をまき散らす。

かと思われた。


弓兵「……ま、手助けくらいはしても構わんのだろ?」


しかしその一撃は弓兵の放った一本の矢によって阻まれ、怯んだ蜘蛛との間に騎士が割って入った。

騎士『オォォオッ!!』

蜘蛛の脚を引っ掴み、そして……思い切り千切り取る。

そのまま、針よりも鋭利なその脚を、蜘蛛の胴体に突き刺したのだ。

出血、失血、痙攣、絶命。そこまでを見届けて騎士はようやく一息ついた。


騎士『助かったぜ、クォート』


化け蜘蛛の返り血を振り払いながら、騎士は礼を述べた。

弓兵「いいってことよ、貸し一つな」

騎士『あんたにだけは貸し作りたくねえが……しゃーなしだな』

騎士『……シェリー、怪我、ないか?』

踊り子「あ、ありません……あの」

騎士『あん?』

踊り子「すみません。ありがと……ございます」

目も合わせずに謝罪と感謝をし、騎士から離れていった。


騎士『…………』

騎士は騎士で、何も言えずに後頭部に手を当てる。


青年「……駄目だったじゃないか」

賢者「うむぅ……いい線行くと思ったのですがな」

少女「ぜんとたなん? ですね」

青年「はぁ、もう君には任せられないな」

青年「危うくシェリーさんに怪我をさせてしまうところだった」

賢者「そ、そんな!」


青年「まったく……長い道のりになりそうだ」


つ づ く
唐突な更新、さらだば



騎士『ふぅ、ここらはあらかた片付いたぜ』

青年「だね。よし、前進しよう」

天騎「しかし……普段私たちが住んでいる所の目と鼻の先に、こんなにも魔物が住んでいるとはな」

歩兵「……大量」

魔導士「街全体を包んでいる結界といっても、カンムリ山は巨大すぎて覆いきれないんですよっ」

魔導士「ですが結界のおかげで魔物たちは街に入ってくることはできないので、問題はないんですが……」

弓兵「けどよー、もし結界とやらがぶっ壊れちまったらって思うと、おちおち昼寝もしてらんねーよな」

天騎「お前はまた……しかし、その通りだな。いつ帝国の攻撃を受けて結界が崩壊するかわからない」

天騎「そうなったら対処しきれるかどうか……」

賢者「もしものことなど考えとる場合か。そうならんためにも俺たちがこの糞怠い任務を受けてるのだろう」

騎士『……言い方はあれだが、オッサンの言う通りだぜ。今は俺たちがやれることをやろう』

天騎「そうだな……すまない」


青年「……ふふ」

少女「どうしたのですか? フューリさん、ちょっとうれしそうです」

青年「いや、最初はどうなることかと思っていた部隊だけど、うまく補いあっているなと思ってね」

少女「……?」

青年「皆が仲良くなって、よかったねってことだよ」

少女「はい、みなさん仲良しですよ? にこー」

少女「お姉さんもそう思いますよね」

踊り子「えっ?! あ、ええ、そうね……」

少女「?」

少女「やっぱり、お姉さん、元気なさそうです」

踊り子「そう……かしら?」

少女「はい……」


踊り子「ふふ、慣れない旅で少し疲れちゃったのかな? でも大丈夫よ」

少女「そうなのですか? 辛くなったら言ってくださいね?」

踊り子「心配してくれてありがと。でもティノアちゃんは疲れてない?」

少女「わたしは大丈夫ですよ?」

踊り子「そうなの、凄いわね」

少女「はい、きたえてますから」

踊り子「頼もしいわ」

少女「えへへ」

青年「ティノアも、シェリーさんも、疲れたら遠慮なく言ってくれ」

踊り子「はい」

少女「わかりました」



騎士『おい! フューリ! ちょっとこっち来てくれ』


主な戦闘を騎士たちに任せ、後方監視に回っていた青年のところへ

突然騎士が戻ってきてそういった。

切迫しているというわけではなく、声音からして困惑しているようだった。

青年「どうしたんだい」

騎士『とにかくこっちへ来てくれ』

言われるがままついていく、すると……


青年「……これは」

青年たちの前方に、薄紫色の霧があたり一面に立ち込めているのが見えた。

少女「どうしたのですか?」

踊り子「なにこれ……」


騎士『さっきまではなんともなかったのに、突然霧がかかってきて』

騎士『こんな自然現象あるのか?』

青年「知らないな……エミリー、わかるかい?」

魔導士「エミリアですっ! えと……ぼくにもわかりません」

魔導士「ですが、これは瘴気……と呼ばれるものに似ている気がします」

青年「瘴気……?」

魔導士「はい。極稀に、魔物が多く発生する地帯で見られることがあるそうなんです」

魔導士「それに……凄く嫌な感じがしますぅー……」

賢者「確かに、こいつは瘴気だな」

青年「マグナ、知っているのか」


賢者「随分昔に、一度だけ見たことがあります」

青年「……それで、何か害があるものなのかい?」

賢者「特にはなかったと記憶しとりますが、まぁ視界が悪くなるくらいでしょう」

青年「そうか……」

騎士『どうする? 念のため迂回ルートを探すか?』

天騎「それだが、ラル。少しあたりを見てきたが霧の無い道を探すのは難しそうだぞ」

弓兵「あっちは足場が悪いし、向こうのほうも霧が出てきてやがるぜ」

弓兵「俺なら霧があっても道がしっかりしたところを通るね」

歩兵「……妥当」


青年「だね……よし」

青年「このまま霧の中に入ろう、落馬の危険が大きくなるし、シェリーさんもここからは徒歩で進んでもらうよ」

踊り子「はい、わかりました」


騎士『……よしよし、すまねえが今回はここまでだ。ちょっと待っててくれよな』

騎士は手頃な岩に手綱をひっかけ、食物と水を器に乗せて置く。

馬は不服そうに嘶くが、騎士が頭をなでると瞳を閉じて落ち着いた。

騎士『オッサン、頼むわ』

賢者「はぁ……まったく今回だけだぞ」

とぼやきながら賢者は適当な石を拾っては置き、を繰り返す。

少女「何をしているのですか?」

賢者「うむ……簡易的な結界だ、よし」

いつの間にかそれは、馬の周りを囲むほどの円となり

賢者「えー、なんだったか」

賢者「ごほん、彼のものに~……忘れた。まぁいい、ノリでぶわーっと」

おもむろに手を掲げると、陣を構成する小石が淡い光を放ちだす。



魔導士「て、適当な詠唱ですね、ほんとに」

騎士『これでほんとに効果あんのか?』

賢者「失礼な奴だな、疑うのなら試してみろ」

騎士『試してみろったって……いっでぇ!!!』

騎士『なんだこれ! めっちゃいてえんだけど!!』

賢者「ふはは、神の奇跡を疑った天罰だ馬鹿め」

青年「しょうもないことをしている場合か。気をつけろ、こっちにも霧が……」

騎士『……? どうした、急にだまって』

青年「セライナ? クォート? ナディ! どこへ行ったんだ?」

賢者「そういえば姿が見えませんな」

魔導士「あ、あれ……? さっきまでそこにいたのに」

騎士『っ……! おい! 嬢ちゃんとシェリーは?!』


青年「い、いない……」

騎士『ちょっと探してくる、まだ遠くにはいないはずだ!』

青年「待て! ラル! これ以上バラバラになるより……!」

魔導士「もう姿が見えなくなっちゃいました……」

青年「くっ……」

魔導士「……あれ? マグナさんは」

青年「マグナ?! どこへ行ったんだ! 返事をしてくれ!」

青年「くそっ!」

あたりを見回してみるも、霧の性でもう何も見えない。

そこでふと気づく。

先ほどまでいた場所と、まったく違う場所に来ていることに。

馬の姿すら見えない。

魔導士の姿も。


青年「皆どこへ行ってしまったんだ……いや」

青年「僕がどこかへ飛ばされてしまった……のか?」

つ づ く
言い訳はしません、何でもしますから許してください


……

騎士『おおい!! シェリー! 嬢ちゃん!!』

騎士『セラ! ナディ! クォート! 返事してくれーっ!!』


騎士『はぁ……はぁ、駄目だ。どこにもいねえ……って』

そこで気づく、ミイラ取りがミイラになってしまったことを。

騎士『あれ……、そんなに離れたわけじゃねえのに、フューリたちがいねえ……』

どこを見渡しても霧、霧、霧。

完全に孤立してしまったようだった。

騎士『はぐれちまったみてえだ、参ったな』

騎士『しっかし……何なんだこの霧はよぉ』

騎士『ほんとに無害なんだろうな……』

騎士『どう思う? ランディ』




心細さから己の体に住む、もう一人の住人に声をかけてみる。

が、わからんと言わんばかりに両手を広げて見せるだけだった。

騎士『だよなぁ……ともかく、皆は頂上目指すはずだから、俺も迎えば誰かしらに出会うだろう』

騎士『シェリー、無事だといいが……。ま、あの嬢ちゃんが一緒なんだ、大丈夫……大丈夫だ』

自分に言い聞かせるも、不安を拭い去ることはできない。

そんな時だった。

頭より先に、体が異変に気づき、咄嗟に身構えたのだ。


「…………」


騎士『ッ!? 誰だッ!!』

深い霧の向こうに薄らと見える影。

それは……小さい、恐らくは十歳前半程度の、子供のものだった。


騎士『子供……? いや、こんなところにいるはずが……まさか嬢ちゃんか?』

騎士『おい! 嬢ちゃん!! 無事だったのか?! シェリーはどうした!』

慌てて駆け寄る。

近づくにつれ、影は濃くなり

全貌が明らかとなる。


が、しかし


騎士『なん……だこれ』

そこにいた……いや、あったのは

口をだらしなく開け、ただ茫然と、立ち尽くす少年らしきものの死体だった。

厳密に言えば




尻から喉までを、地面に突き立てられた槍が貫通し、その上で火を放たれた惨死体、だ。


騎士『ひでぇ……なんでこんなこと……ッ?!』

思わず目を覆いたくなる光景に、顔をそむけてしまう。

しかしそれだけではなかった。

いつの間にか周囲を取り囲んでいたのだ、少年の死体と同様に立ちつくす、かつて人であったものが。

それは墓標というべきだろう、最早人の形である理由がない。

だとすればなんともお粗末な墓であろうか。

地に還ることも許さぬ。天を見上げ、永遠に神に許しを請い続けろといわんばかりの有様だった。


「……ぅ、く」


そんな地獄の中で、かすかに聞こえるうめき声。

すすり泣きにも聞こえる。



騎士は理解の追いつかぬ頭を振り、残された希望を探す。

するとどうだろう、これまた大量の墓に囲まれ、俯く一人の子供がいるではないか。

騎士『おい……おい!』

「……ぃ、ひ、ぅ」

騎士『何があったんだ! これは一体……!』

子供の肩を掴み、振り向かせる。

そしてあまりの惨状に、言葉を失った。


「だず……げ、で」

伸ばされる腕、小さな腕。

指は高熱に焼かれ、広げることができず。

赤黒く変色し、焼けただれた皮膚とこびり付いた服とが引きつり、ぞっとするような音を響かせた。



「き、の、お……に、さ」

騎士『や、やめ……』

焼けた喉からひりだされる、嗚咽のような声に後ずさる。

煤に汚れ、半分以上を焼け野原にされた頭が、ぎちりと動いた。

瞼を失っている性か、とろけた眼球が零れ落ちる。


もう耐えられなかった。


騎士『くるなッ!!』

少女らしきものの手を、払いのける、払いのけてしまった。

ボロボロの腕は衝撃で砕け

その体もまた、土粘土のように綻び、崩れ落ちていった。

気づけば、周りの死体もすべて消え去っている。


騎士『なんだよ……なんなんだよコレはッ!!』

無我夢中で駆けた。

山の傾斜だけを頼りに上へ、上へと駆けていく。

なりふり構っていられなかった。

騎士『はぁ……くそっ』

騎士『どう考えても現実じゃねえな、こりゃ』

騎士『霧の性って訳か……?』


騎士の予想は、恐らく当たっていた。

体の、ふわふわとした感覚、現実味のない空間。

全てが幻術なのだとすれば、納得がいく。

納得したところで問題は解決しないが、霧を抜ければ幻術を脱することはできるだろう。

それがわかっただけでも気休めにはなる。



騎士『……となりゃあ、上を目指して何とか聖域に……ッうぐ!』

そう思い直し、前方へと目を向けた瞬間だった。

突然、ひどい鈍痛が頭に響き、思わず顔をしかめる。

するとどうだろう、再び周囲を見回した時に広がっていたものは


騎士『ここは……俺の』

騎士が生まれ、育ち、そして一度捨てた……故郷の光景が広がっていた。

穏やかで、健やかで、誰もが笑顔を咲かせていたあの頃の村だ。


「やぁい! 弱虫!」

「蛇なんかで泣き出しやがって! それでも男かよ!」

「ビビりのくせに探検に引っ付いて来やがって、邪魔なんだよ!」

そんな中に、声を荒げる数人の少年集団がいた。

めそめそしている一人の男の子に、数人の少年が苛立ちを隠そうともせず怒鳴りつける。


「だってぇ……」

「だってじゃねーんだよ!」

「あー、こいつが来るとつまねーんだよなー」

「アンヴィルさんの息子だから仲良くしてやれって父ちゃんたちは言うけどさ、いい迷惑だよな」


騎士『……昔の、俺』

今より短いが、癖のある赤茶色の髪。

周りの誰よりも背が低く、体つきもほっそりとしている。


「アンヴィルさんの息子だからって調子に乗ってんじゃねーの?」

「と、父さんは、関係ないだろ……!」

「うおっ! 怒った怒った!」

「泣き虫ラングが怒ったぞー!」

「さぁどうすんだよ? かかってくるのか?」


「う……うぅ」

「やっぱり意気地なしだ!」

「これだから――」


「こら!! あなたたち!!!」


「うわっ! 鬼のシェリーだ!」

「大人数で寄ってたかって! あなたたちこそ、それでも男なの?!」

「うるせえな! こいつが悪いんだ!」

「そうだ! 度胸もない癖に一緒に来ようとするから!」

「いいじゃないの、ラルだって皆と一緒に遊びたいんでしょ!」


「俺たちは遊びたくねーんだっつーの!」

「あーもうウゼーよ、いつもんとこいこーぜ」


騎士『…………』

先ほどまで男の子を取り囲んでいた少年たちは、駆け足で去っていく。

残された男の子は、女の子を見ようともせず、ただただ下を向いていた。

「あなたもちょっとは言い返したらどうなの……、そんなだからのけ者にされるんでしょ?」

「喧嘩は……したくない」

「あなたねぇ……」

「誰かが辛いのは、ぼくも辛いから……母さんの事考えると、そう思うんだ」

「……はぁ、そうね」

「じゃあもっと強くなろ? 誰かが辛くなくっても、あなたが辛かったら意味ないんだから」

「うん……わかった」

女の子が手を差しだす、そこではじめて男の子は顔をあげた。

握りしめたその手は、今はもう、繋がれることはない。



騎士『……シェリー』


掌を見つめる。

大きくなった己の手、革製の手袋の下は、きっと数多の血で穢れている。

そう思った矢先だ。べっとりと、汗とこびり付いた血が浮かび上がる。

そして指の隙間から見えるのは、大量の死骸。


騎士『俺が今まで、殺した奴らだ』

なんの感情もなくつぶやいた。

邪教徒の残党、賊、帝国軍兵士、魔物。

それだけではない。

騎士『俺が救えなかった……』

数多の命。



何度己の無力を呪い、何度眠れぬ夜を過ごしたろう。

だが彼が守ることのできなかった、もっとも大切なものは


騎士『ディラン……』


時にぶつかり合い、時に励ましあい

最後の日まで共に戦った戦友。


男から見ても精悍な顔つきで、人当たりもよく、頭の切れる奴だった。

奴は今、串刺しにされても尚、両の脚で大地を踏みしめていた。

忘れようとも決して忘れることのできなかった、友の亡骸に、思わず手を伸ばす。

すると


その足元に


ごとっ



見間違えるはずのない

騎士自身の首が

死体の山から転がり落ちてきた。


生気のない土気色の顔、砂埃と血にまみれた赤茶色の長髪。

焦点の合わない瞳は、白く濁り、宙へ向いていた。

騎士『う、あ……』

そう、彼が守りきることのできなかったものは

彼自身の命だった。


騎士『うぁぁぁぁああああああッ!! あぁぁああああああッッ!!!』

刻み付けられる、己の死。

再確認してしまったあの絶望を。

希望を紡いだはずの物語は、自ら終わらせてしまっていたのだ。




頭では理解していた、一度は諦めた命なのだ。

死を覚悟しての行動だった。

だがそれは、再び得てしまったまがい物の命によって

確実に彼を蝕む恐怖へと変わってしまった。

知っているが故の恐怖、正しい生をまっとうできるものには知りようのないそれが

何よりも恐ろしいものとなったのだ。


「なぜ、おまえはいきている」

「うらめしい」

「おれもいきたかった」


死体の山が蠢き

ぐちゃり、にちゃりと音を立てる。


騎士『やめてくれ……』


いくつもの死者の腕が、騎士を引き込もうと伸ばされる。

逃げられない。

氷のように張り付いた足が言うことを聞かない。

所詮幻想だ、切り捨ててしまえばいい。

しかしできない。

もう一度彼らを殺すことは、今の騎士にはできなかった。


ぽたりと、胸元を何かが流れていく。

それは己の首元から滴り落ちる、大量の血液だった。


騎士『そうか……俺も』



騎士『そっち側なんだよな』

つ づ く

何でもするとは言っていない
てか酉つけ忘れてた



首元、胸部を伝って落ちる。

赤黒く粘ついた血液。

止まることを知らないその冷たい奔流は

死者の塊へ向かって伸ばされる腕から滴り落ち

ぽたぽたと地面に染みを作る。


もう引き返せない、戻ることはできない。

何故ならあの時より、騎士の存在はすでに人という生物ではなく

死を拒絶し続けるただの肉塊に過ぎないのだから。


死者は手を差し伸ばし

力なくそれを見つめ続ける騎士の頬に手をあて

数多の腕が愛しく抱きすくめるように


彼を包み込んだ。



――


……どこだ、ここは?

そうか、俺は死んだんだったな

確か小さな女の子を逃がして……それで

あの子、生き延びれたかなぁ

逃げきれてたら、いいけど

え? お前はいいのかって?

そりゃ、俺だって死にたくなかったさ

けどよ、戦場に来てる時点でそれなりの覚悟ってもんはあったんだ

あんただってそうだろ?

それに俺は自分の命より多くの命を奪っちまった

だからこうなるのも運命だったんだろうよ


諦めるのかって?

諦めるも何も、死んじまったらもうお終いだろ?


どう思ったって生き返りはしねえんだ、受け入れるっきゃねえよ。


何? あんたは生きたいって?

無理だって

望め?

望んだところで

……ああ、もううるせえな

俺だって死にたくねえよ

もう一度生きてみてえよ

後悔ばっかしてきたんだ、やりたいことだってまだあるんだ

あいつの墓だって作ってやれなかった

ずっと目を背けてたから

だからさ、許されるんなら……

今度はちゃんと向き合って……


――

血と泥の海で目が覚めた。

体はある、だがどこかにぽっかりと穴が開いた気分だった。

すぐには立ち上がれなかった。

茫然と、ただ茫然と

己の今置かれている状況を理解しようともせず

廃墟同然となった砦の、一角で座り込んでいた。


あぁ……俺、生きてたんだなぁ


空っぽな声が響く。


先ほどのまでの、怒声と罵声が行き交っていた世界はどこにもなく

あたりは限りなく静まりかえっていた。

誰もいないのだから当り前か。


だがどうだろう。

この場にいるのが己一人でないと感じている。


数多の亡霊が、こちらへ戻ってこいと手招きしているのか。

ふとそう思った瞬間、壁が、天井が、床が

血のような染みに染まっていく。

そして徐々に現れる、赤黒く濡れた手。

先ほどまで望んでいた生はどこへやら、あたりは一面、死、だらけだ。


……いいや、さっきのは単なる記憶。

これは記憶とは違う、今の俺の心を映してるんだ。

だったら、怖がるもんか。

俺もあんたらも、大して変わらねえさ。


怯えるでもなく、抗うでもなく

騎士は諦め、再びゆっくりと瞳を閉じた。



……

…………

…………めて……れ!

やめてくれ!!


騎士(うるせえな……静かに寝かせてくれよ)


僕は………………!

誰も殺したくなかった!


騎士(誰だよ……甘えたこと言ってんじゃねえ)

騎士(俺だって、好きで殺してる訳じゃねえよ)


静かな闇の中で、ひたすらに、がむしゃらに叫び続ける誰か。

耳障りなのもあったが、そのふざけた言葉が一番癇に障った。



騎士(けどよ、そんな綺麗ごと言ってて何になるんだ?)

面と向かってそう言ってやりたかった。

だが肝心のそいつの姿が見えない。

億劫だが、重い腰をあげ、少し歩くことにした。

上下も左右もわからない、今足をつけているところさえ不安定。

そんな深淵を歩き続ける。


誰も命を落とす必要なんてなかった!


騎士(仕方ねえだろ、戦争だったんだ)


誰も悲しい思いをせずによかった!


騎士(そんな世の中だったらどれだけよかっただろうな)



僕にもっと力があれば……!


騎士(んなこと……)

騎士「みんな望んでたことだ!!」


思わず声を荒げてしまう。

すると闇が少し晴れ、奴の姿が明らかになる。


騎士(……あいつは、フューリ)

そう、死者の手を前に、苦しみ、もがく青年の姿だった。

騎士(帝国の……皇位第一継承者。乱心した現皇帝の一人息子)

騎士(あいつらの、あいつの親父の性で……!)

友好関係を結んでいた騎士王国と帝国。

にも関わらず、平穏は、突如行われた帝国からの侵略で途絶えた。

無慈悲な宣戦布告、突然の出来事に形だけの関所や、国境の砦は一瞬で落とされた。

多くの仲間が命を落とし、多くの民が焼き払われ

そしてまた、騎士が命を落とすことになった元凶が




怨霊を前に懺悔し、悔やんでいる。


騎士は身が震えるほどの怒りを覚えた。

誰のせいだと思ってやがる、何被害者面してやがる。

切り刻んでやりたいという衝動に、思わず剣に手が伸びそうになったが、抑えた。

放っておこう、俺が手を下さなくとも、いずれ死者に食われる。

何せあいつは俺と違い、生きているのだから。

そうとなれば最後くらい見届けてやろう。

恐怖に頭を狂わせ、泣いて許しを請い、絶望に顔を歪ませるさまを見届けてやろう。


青年「……あの時、父上の異変に気づいていれば」

青年「あの時、僕が父上を殺してでも止めていれば」

青年「護衛の兵は父の手先に殺されることはなかった」

青年「花を摘んできてくれた女の子は血に染まることはなかった」

青年「僕をかくまってくれた乳母は変わらず暖かい笑みを浮かべていたろうし」

青年「異議を申し立てた元老院たちも皆殺しにされることはなかった」



戦争で多くの兵が駆り出され、妻と子供たちが泣きながら皆を見送った。

兵は罪なき騎士王国の民と、騎士たちを殺し、殺され、土に還っていく。

誰も戦う理由など見いだせなかっただろう、命を賭して戦う理由なんてなかったのだから。

地は荒れ、畑はやせ細り、魔物が蔓延る。

その先に一体何が待ち受けているのか、誰も答えてはくれない。

こんな争いが無ければ

互いを思い合い、命を授け合った聖職者はいなかった。

貧困で心が荒んだ、純粋な少年は死ななかった。

疑心暗鬼で、一番大切なものを見失う領主はいなかった。

命を弄ばれ、生を冒涜された者たちはいなかった。

野心を抱くものに家族を奪われ、残された全てを捨てる者はいなかった。


戦争が人の悪意を広げ、悲しみをまき散らし、すべてを蝕んでいった。



青年「……わかっているよ。僕一人の力で、どうにかなっていたと思うなんて、おこがましいってことくらい」

青年「でも、それじゃ誰に責任があるんだい? 僕が、父上が死ねば責任はとれるのかい?」

青年「君たちがそう望むのならそうしよう、父を殺し、僕も死のう。僕の魂など永遠に業火で焼かれるがいい」

青年「それで君たちの残した家族が、愛する人々が救われるなら」


青年「……だろう、確かに君たちは救えなかった」

青年「その咎も全て背負わせてほしい」

青年「背負ったうえで、僕は今を生きる人を守りたいんだ。君たちが守りたかったものを守りたいんだ」


青年「大層な話だって思うよ、僕にはまだ力もない」

青年「けどね、僕には仲間が、友達がいる。こんな僕を信頼してくれている人たちだ」

青年「その人のためにも、今を苦しみ生きている人のためにも……」

青年「ごめんね。僕はそろそろ行かなくっちゃ」



騎士は、唖然としていた。

自分は知らなかった、青年が何を背負ってここまで来ていたのかが。

そして惨めだった、仕方ないんだと逃げてきた自分とは違い

彼は全てに向き合おうとしていた、それにどれだけの勇気がいるのか。

口先だけじゃないはずだ、ここは心の世界なのだから。

人の心の闇を具現化し、本質を見出し、そして飲み込んでしまう世界なのだから。


自分は飲まれてしまった、彼は這い出してしまった。

彼の体は光に包まれ、導かれていく。

一方、己の体は闇に落ちたままだ、誰も手を差し伸べてくれない。

更に落ちていく、全身に暗い重力が伸し掛かる。

後ろへ、下へ引っ張っていくのは赤黒い手。

抗えない、所詮自分は肉塊なのだから。



だが、それはどうだろう


肉塊であろうと、意志があれば


騎士(落ちる、どこまでも)


騎士(暗い、寒いな)


騎士(俺はこっち側なのに、どうしてこんなにも……)


――ォォオオオオオオ!!

騎士(だれかの叫び? どこから)


生きる意志があれば

それは"生物"と呼んでもいいのかもしれない。


オオオオオオオオ!!

叫びはほかの誰のものではなかった。

騎士の、己の肉体から発せられるものだった。



騎士(ラン、ディ……?)

すぐ真下から聞こえる、死を乗り越えた者の雄叫び。


騎士「そうだ、俺はまだ死んじゃいない!」

騎士「何のために地獄の底から這いあがってきたと思ってやがる!」

騎士「そいつは、あんたらに飲まれるためなんかじゃ、絶対ねえ!!」


ズバァッ!

彼は迷わず、ためらわず

抗うように剣を振りぬく。


すると蠢く死者の腕は霧散し、後には何も残らなかった。

彼の叫びはもう聞こえない、訪れた静寂に騎士は脱力感を感じた。

その場にへたり込み、気づけば乾いた笑いが自然と溢れでていた。



騎士「ハ、ハハハッ」

騎士「何……ビビってたんだよ、俺」

騎士「まだ死んでやる訳にはいかねえさ……残してきたもんが、ちっと多すぎる」


……ル

ラル……


ラングウェルッ!!


光が差し込む。

赤黒じゃない、生きた者の手が差し伸ばされる。

誰も差し伸ばしていなかったのではない、騎士が見ようとしていなかったのだ。

ただ単純に、それだけの理由だったのかもしれない。

つ づ く

よくわからんだろう?
俺も何が書きたいのかよくわからんのだ

そろそろやばい気がする
一応生存報告と続ける気はあるとのご報告をば


――

光が満ち溢れていく。

これは何を意味しているのか、恐らくは解放だ。

己を蝕んでいたものを乗り越え、先に見つけた光だ。

だが、喜んでいいのだろうか?

結局は、問題を先延ばしにしただけなのだから。

しかし……と頭を振る、後ろを向いているだけでは先に進めない。

気を持ち直し、今、己がやるべきことを見据える。

するとどうだ、眩いばかりの光が溢れる空間で、一際目立つものを見つけた。

一点だけ、たった一点だけの

黒い染みのようなものだった。

ふと気になった。


一歩、また一歩とその方向へ向かう。

段々と、黒い点の全貌が明らかとなっていく。


青年「……君は?」

少女「…………」

それは、膝を抱え、下を向く少女の姿だった。

青年「ティノア……! 大丈夫かい?」

少女「………………」

声をかけるも、返事はない。

青年は肩を掴み、軽く揺さぶってみる。

すると

少女「……っ!! い、いや、やめて、こないで」


火がついたように暴れだし、青年を振りほどこうとしたのだ。

青年「ティノア! 僕だ、フューリだ。わからないのか?」

少女「し、知らない! そんな人……!」

青年「…………っ」

そうだ、前にもこんなことがあった。

遠征に無理やりついてきて、魔物の襲撃を受けた、あの時と同じだった。

彼女はその時も、隠れるように、逃れるように、膝を抱えていた。

少女「みんなは……どこへ行ったの?!」

少女「パパは? ママは?」

青年「落ちいてくれ」

少女「返して……みんなを返して!」


青年「皆を奪ったのは僕じゃない、頼むから、落ち着いてくれ」

なんとも情けない言葉だろうか。

彼女の瞳が声が

敵意を隠そうともせずに、青年を責め立てる。

まるで人殺しだと言わんばかりに

初めて少女から向けられた、負の感情に、戸惑ってしまう。


少女「お願い……お願いだから」

少女「もう、一人は嫌なの……」

青年「……っ!」

その時だった。

少女の瞳から、灰色の液体のようなものが流れ落ちる。

それは止まることを知らない。


頬を伝い、首筋を通り、足元へ染みだしていく。

気付いた時には一面中に広がり、あたりはモノクロに包まれていた。


「かくれんぼしよっ! わたし鬼!」

「え……また?」

「いやなの? ずっとお人形さんで遊んでちゃ、つまんないよ!」

「わたしは……楽しいよ?」

「もー……じゃあ一回だけ、お願い! ね?」

「……一回、だけね」

「やった! じゃあ隠れて隠れてー」

「でも、今日はお外でちゃだめってパパが」

「あ……そだった。うーん、つまらないけど、おうちの中でしましょ」


「それじゃすぐ見つかっちゃうよ……」

「文句言わないの。ほら数えるからね、いーち、にーぃ」

「も、もう? えーと、うーんと」

「さーん、しーい」

色あせた世界だった。

記憶の世界なのだろう、これが彼女の過去で

彼女が抱えている……絶望なのだ。

青年は、慌てて隠れ場を探そうとしている少女の後を追ってみる。


青年『この子が……ティノア、かな』

青年『となると、鬼のほうがもう一人の……』

青年『瓜二つだな……双子なのか?』


初めて見る、もう一人の少女に、疑問をもった。

そんなことを考えていると、少女はとある部屋の中へと入っていく。

慌てて見に行くと、奥にある衣装棚の扉が閉まるのが見えた。

どうやら決まったらしい、小さいが、少女一人を隠すには十分だろう。

そして……


少女が身を隠してからどれだけ経ったろう。

一向に彼女が探しにくる気配はない。

青年『……嫌な予感がするな』

ただつっ立っていた青年は、様子を見ようと部屋を出る。

色々と探してみようと思ったが、あの部屋以外の扉は開かない。

記憶の中だからだ、彼女たちの記憶の中でしか行動はできないのだろう。


しばらく歩いた、なかなかに出口が見当たらない。

と思った矢先、すぐ傍らを少女が駆けていく。


「ど、どうして……? なんで……!」

青年『……っ!!』

突然のことに驚き、彼女の足跡を見て言葉を失う。

血だ、モノクロの世界でもはっきりと分かった。

それは床板にくっきりと跡を残し、滲んでいく。

じっとしてはいられなかった、青年も駆ける。


青年『一体、何が……』



「や、やめてくれ! どうか、見逃し……ぎゃあぁっ!!」

響き渡る短い悲鳴。

玄関先からだった、青年がたどり着いた時には男性の背中から

血濡れた剣先が顔を覗かせていた。

それが首を引っ込めたかと思うと、男性の体はそのまま崩れ落ちた。


「い、いや、パパ、パパぁっ!!」

「異教徒は皆殺しだ、女子供関係なく」

「に……げ……」

青年『逃げろ! 早く!』

見過ごすわけにはいかなかった、青年は考えるより先に剣を抜き

侵入者へ振りかぶった。



青年『すり抜け……た』

当り前なのだ、記憶を見ているだけの青年に、何ができるはずもない。

傍観者としての立場しか、与えられていないのだから。

青年『くっ、そ……!』

青年『早く、逃げるんだ! 立て!』

「いや……いやぁ……」

「お前も……死ね」

「あ……ぐぅ」

「ぱ、パパっ?!」

「くっ! 邪魔をするな、この死にぞこないめ!」

「にげ、るんだ……」

「……っ!」


絶命したかと思われた男性が、侵入者の足首を掴む。

最後の力を振り絞ってだ。

それを見て、ようやく時間を取り戻した彼女は、拳を強く握りしめて走り去る。

青年『…………』

青年も、それに続いた。

動悸が激しくなる、不気味なほど静かな空間に、己の心音だけが響く。

「はやく、逃げなきゃ……!」

「どうせあの子のことだから、あそこに」

迷わず少女の隠れた部屋へと向かう。

そして扉を開け、衣装棚に手をかけようとした。

「手間をかけさせやがって」


「っ!?」

「ほうら、どこへ逃げたんだ? 悪い子は、もうおねんねの時間だぞ」

ざりざりと、剣先が床を引っ掻く。

侵入者は、もうすぐそこまで来ていた。

青年『やめろ……! 彼女たちには手を出すな!』

必死になって叫ぶも、触れられない。

戦うことも、盾になることもできない。

どうしようもない歯がゆさに、頭がおかしくなりそうだ。


「……な、なに? どうしたの」

「静かにしてて……大丈夫だから」

「みぃつけた」


「…………」

「さぁて、おねんねしましょうね」

「だれ……? 何があったの?」

「……大丈夫」

青年『この……っ!!』

無駄だと知りながら、剣を捨て侵入者に後ろから掴みかかる。

が、もちろんすり抜け

青年の目の前には、まっすぐにこちらを見つめる、少女の姿があった。

力強い眼差しだった。

青年は何も言えなくなる。

青年『あぁ……ぁぁ……!!』


「おトイレにはいったかな? 歯は磨いた?」

「あの世で懺悔する準備はいいかなぁぁ!?」


少女は一瞬だけ、一瞬だけ振り向いた。

隙間から覗いているだろう、少女に向かって。

こう呟いたのだ。

「何があっても、わたしが守るからね」

「一人じゃないから」


青年『やめてくれぇぇえええええッ!!』


ずっ


青年の腹から伸びる、赤錆びた剣。

間違いなく、それは少女の左胸へと吸い込まれていた。


――

戻ってきた。

先ほどの場所だ。

青年「はぁっ……はぁっ……!!」

少女「…………」

青年「ティノア……ティノアッ!」

少女「ん……お兄さん?」

青年「そうだ、僕だよ」

青年「目が覚めたんだね……」

少女「……寝てたの、わたし」

青年「…………っ」


寝ぼけたように、目をこする少女に

思わず青年は抱き着く。

少女「ちょっ……なに、突然」

青年「……すまない」

少女「謝るのなら、抱き着かないで」

青年「君を……君たちを守ってあげられなかった」

少女「……っ! 見たの?」

青年「…………」

少女「………………へ」

怒られるのは覚悟していた。

彼女にとって、一番見られたくないものだったろうから。

だが、彼女の口から出た言葉は




少女「へ、へ、変態っ!!」


青年「……え?」

意外なものだった。

少女「あぁ、もう、なんてこと」

青年「な、なにが」

少女「あなた、自分が何をしたかわかってるの?」

少女「変態よ。信じられない」

青年「勝手に見たことは謝るよ! けど、どうして僕が変態に」

少女「当り前じゃない、自分が死ぬところを見られるなんて……」

少女「恥ずかしいでしょ、普通。もう、最低ね」


青年「…………」

ある意味で絶句した。

青年には分かりようもない感覚に戸惑う。

少女「どこまで見たの?」

青年「き、君が刺されたところ……までだけど」

少女「はぁ……せめてもの救いね」

少女「最後まで見られてたら……わたし、あなたを殺すしかなかった」

青年「そ、そんなにかい?」

少女「そんなに、なの」

顔を赤くして少女はそっぽを向く。

少女「まぁ……今回は許してあげる」


青年「あ、ありがとう?」

少女「そんなことより、とりあえず離れて」

青年「す、すまない!」

抱き着いた後、両肩においていた手を慌てて離した。

先ほどのこともあり、ますます気まずい空気が流れる。

少女「…………」

青年「…………」

しばらくそうしていたが、ふと青年の脳裏に、少女の最後の様子がよぎった。

何か言わなければならない、しかしどうすればいいかわからない。

そして真っ先に口から出た言葉、それは



青年「あの……責任、とるから」

少女「……へっ?」

素っ頓狂な声だと思った。

無理はない、青年自身も何を言ってるのかわからなかったから。

青年「君はもう、一人じゃないから。僕がいる」

青年「だから……」

少女「あ、あなた、何を言ってるのかわかってるの?」

青年「僕が君を、君たちを守る。だから……ずっと一緒だ」

少女「ずっと……」

青年「あぁ、ずっとだ」

少女「あ、う……」


思いのたけを、ありのまま伝える。

何もできない自分が嫌だったから、彼女が傷つく姿をもう見たくなかったから。

……守りたいと思った。

少女は目を泳がせ、更に赤面する。そして


少女「ふ、不束者ですが……じゃ、じゃなくて!」

少女「当り前、でしょ。わたしの目的を果たすまでは、嫌でも一緒にいてもらうから」

青年「ふふ、そうだったね」

少女「……ふん」

青年「じゃあ、行こうか」

手を差しだす。

少女「そう、ね」

手を握る。

彼女の手には、まだ触れられる。

もう二度と、あんな思いをするのは、嫌だった。

済 ま ぬ 。
おまたへ、続くよ


――

騎士『……シェ、リー?』

踊り子「い、生き……てた?」


目が覚めた途端、目の前には

今にも泣き出しそうな踊り子の顔があった。

騎士『ハハ、何泣いてんだよ……』

踊り子「な、泣いてなんかいませんっ!!」

騎士『はいはい……っと、いてて』

踊り子「大丈夫……? どこにも怪我ない?」

騎士『……おう、大丈夫だ。頭痛がするくらいだな』

踊り子「大丈夫じゃないじゃない! どこか打ったんじゃないの?」


騎士『へ、平気だっての。今は俺のことより……』

騎士『ここ、どこなんだ?』

踊り子「……わからないわ」


辺りをぐるりと見回してみる。

どこかの建築物の中らしいが、どこにも扉が見当たらないのだ。

完全な密室らしい、しかし何故か妙に明るい。

目だった物は壁に所せましと描かれた壁画のみ。

騎士『なるほどな……』

踊り子「私は貴方より先に目が覚めて、気づいたらここにいたの」

踊り子「ほかには誰もいないみたい」

騎士『そうなのか……部屋の中は調べてみたか?』


踊り子「し、調べられる訳ないでしょ! ラルが起きる気配がしなかったもの!」

踊り子「私……もしかしたら本当に死んじゃったかとお、思って……」

騎士『わ、悪かったよ。心配してくれてありがとな』

踊り子「……べ、別に、心配してたわけじゃ」

騎士『そう言うことにしておくさ、じゃあ、とりあえず色々調べてみっか』

踊り子「む……そう、ね」

とにかく、ここから出る手段を探さなければならない。

騎士と踊り子は、手分けして部屋中を探索してみることにした。


騎士『……とは言っても、変わったところは壁画くらいか』

騎士『なあ、シェリー。何か見つかったか?』

踊り子「…………」


騎士『シェリー?』

名前を呼ぶも、返事がない。

何を見ているのかと思い、視線の先を追ってみると……

そこには、一角を埋め尽くすほどの黒い、翼をもった何かが描かれていた。

はっきり言って、不気味だった。

顔らしい部分には、燃えるような紅が六つある。

騎士『シェリー? そいつがどうしたんだ?』

ぽん、と踊り子の肩を叩いてみた。

踊り子「……っ?!」

踊り子「あ……ラル」

騎士『あ、じゃねーぞ。さっきから呼んでたろ』


踊り子「そう、なの? ごめんなさい、気づかなかったわ」

騎士『いいさ別に、んで、そいつがどうかしたのか? すげー顔で見てたけどよ』

踊り子「えっ!? そう? やだ」

踊り子「じゃなくて、コレの事よね」

騎士『おう』

踊り子「この壁画、昔見たことあるの」

騎士『これをか? どこで』

踊り子「分からないわ……でも、私たちの村にいた時よ」

騎士『村にこんな絵……あったか? 俺は知らねえな』

踊り子「ラルも覚えてないのね……じゃあ、記憶違いかしら?」

騎士『まーでも、こんな不気味な絵見たら、忘れる気しねーけどな』

踊り子「そうよね。どこで見たのかしら」


「それは恐らく、邪竜を描いたものだろう」


騎士『っ?!』

踊り子「だ、誰!?」

賢者「そう驚くな、俺だ」

騎士『お、おっさん! 驚かすなよ」

踊り子「マグナさんでしたか……けど、どうやってここに?」

賢者「知らん。気付けばここにいた、そしてお前らがいたのだ」

騎士『んだよ、助けに来たんじゃねえのか』

賢者「やかましい、人を頼るな、己で何とかしろ」

踊り子「ま、まぁまぁ、落ち着いてください、ラルも」

騎士『気にすんな、いつものことだ。話戻すが、邪竜ってーと邪教徒が崇拝してる、あの?』


賢者「そうだ。神と同等の力を持ち、世界を終わりに至らしめるという厄介な奴だ」

踊り子「でも、御伽噺なんじゃ……」

賢者「わからんぞ、案外おるかもしれん」

騎士『仮にいるとして、あんでんなところにそいつの絵が?』

賢者「お前……曲がりなりにもこの国出身だろう、英雄伝くらい聞いたことないのか?」

踊り子「神から授けられた五つの神器は、人が邪竜に抗うためのもの、でしたね」

騎士『そうなのか』

賢者「そこらのガキでも知っとるぞ、言い伝えでは、だがな」

賢者「実際のところは知らんが、神器の一つ、聖剣が収められているこの場なら、あったとしても何ら不思議ではないだろう」

賢者「そもそも聖剣も庶民の間では御伽噺の一つだったのだ、全てを疑っていてはキリがないぞ」

騎士『……ふーむ、だな』

踊り子「ええ…………」


騎士『何だ、まだ気になるのか?』

踊り子「どうしてかしら、凄く嫌な気分になるの」

賢者「こんなものを見て心安らぐ奴がいれば、相当なひねくれ者だ」

騎士『ハハ、あんたに言われちゃそいつはお終いだな』

賢者「ほう、どうやらそのボロ鉄をひん曲げられたいと見えるな」

騎士『……あ? やんのかテメェ』

踊り子「ちょ、ちょっと……二人とも」


「はぁ、まったくどうしようもないな、君たちは」


賢者「ん……この声は」

騎士『……フューリ?』

青年「その喧嘩っ早い性格、もう少しどうにかならないのかい? 何度も始末書を書かされる身にもなってくれ」

踊り子「フューリさん! ご無事で……」


少女「わたしも、いますよー……」

踊り子「ティノアちゃんも!」


賢者に続き、またも突然現れたようだった。

あきれ顔で笑う青年と、彼に背負われている少女が三人の視線の先にあった。

だが、騎士は喜ぶ反面、少し複雑な気持ちになるのを感じ、思わずそっぽを向く。

賢者「ご無事でしたか、陛下!」

青年「陛下はやめろ……」

騎士『おう、無事で何よりだな』

少女「せかいが……ぐわんぐわんしますー……」

騎士『嬢ちゃんは……大丈夫じゃなさそうだな』


青年「途中で疲れたみたいでね。背負って歩いていると、一際明るい光が見えてここについたんだ」

賢者「ふむ……結局進展は無し、ですな」


そういうと、賢者は青年に近づき、耳打ちをした。

賢者「もう一人のほうはどうしたので?」

青年「……あ、あぁ、いろいろあってね、今は寝てるよ」

賢者「そうですか」

騎士『……? 何話してんだ?』

賢者「何、先にここにいた副隊長殿が役に立たんで困っているとな」

騎士『俺だってさっき目が覚めたばっかだっつーの!』

青年「ほら、二人とも、今度は…………」


青年「この前ほど優しくないよ」


賢者「それは……ご勘弁を」

騎士『う、す、すまん」

踊り子「……フューリさんが来てくれて助かります」

青年「はは……慣れるまでには時間がかかるからね」

少女「ちかちかー……ぱちぱちー……」

青年「……しかし、不思議なことばかりだな」

賢者「俺はコケにされている気分で、腹が立ちますぞ」

少女「うふふ……ししょーが、じゅうはちにーん」

騎士『おいおい嬢ちゃん、早く悪夢から覚めろよ』

賢者「何が悪夢だ、天国だろうが」

青年「はいはい」

踊り子「本当に大丈夫かしら……」



ひとまず、何人かは無事だったと言うことで不安感は薄れるものの

まだ安心するには早い、ほかの部隊員が見つかっていないのだから。

加え、自分たちが今どこにいるのかさえも分からないのだ、物語は進展していないと見ていい。


青年「ここにいればほかの皆が来る可能性もある、だが……何もせずに待っていられる訳もないな」

青年「もし、彼らの身に何かがあれば……」

賢者「考え過ぎでしょう。とはいえ、ここから出ないことには、どうしようもありませんな」

踊り子「でも……どうすればいいんでしょう?」

騎士『いっそのこと、壁をぶち壊してみるか?」

各々が、思い思いに口走る。

その時、青年の背でぐったりしている少女が、何かを感じ取った。



少女「……こえ」

青年「ん? どうしたんだい、ティノア」

少女「こえ、します。くるしそうな、だれかの」

騎士『……何か聞こえるか?』

賢者「いいや」

踊り子「私も……っ?! う、あ」

騎士『シェリー! どうした!』

踊り子「あ、頭が……急に」

青年「……僕も、微かだが何かを感じる」

賢者「……例の力で?」

青年「いや……わからない」


――世界が

滅ぶ――

終わりの時が


青年「何を、言っているんだ……?」


「……導かれしものたちよ、こちらへ来るがいい」

背後から人の声。

全員が一斉に振り向くと、赤い外套を羽織り、フードを深くかぶった人物がいた。

声音からするに男性だ。

騎士『だ、誰だ!』



賢者「……貴様が管理者か?」

「来るのだ、案内しよう」

赤の男は踵を返し、壁に向かって歩いていく。

するとどうしたことか、壁にぶつかる寸前、霧のように歪み

赤の男が飲み込まれていったのだ。


踊り子「……とりあえず、行ってみましょう」

青年「うん……それしか無いようだね」

各々は一瞬ためらうも、次々と壁へと手を伸ばし、赤の男に続いた。

視界が一瞬歪む、だが次の瞬間には

厳かな雰囲気に包まれた、祭壇のような場所へとたどり着いていた。


青年「ここは……」

少女「フューリさん……もう大丈夫です、下ろしてください」

青年「あ、あぁ」

少女「……へんな、感じがします」


「よくここまで来た」


中途半端だけど つ づ く



人の気配。

影からぬっとあらわれたその人物は

立派な顎鬚を生やした、齢七十ほどの老人であった。

古ぼけながらも、神聖さを感じられる白装束に身を包んでいる。

だが、はっきりとした口調の割にその瞳は白く濁り、どこか不気味さを感じさせた。

老人「時間がない、鍵は誰だ」

賢者「鍵だと? 一体何のことだ」

老人「……時間がないのだ、世界が滅ぼされようとしている」

騎士『おいおい! いきなりんなこと言われてもわかんねえよ、事情を説明してくれ』

踊り子「そ、そうですよ。それにほかの皆さんは一体どうなったんですか?」

赤服「私から説明しよう」


どこからか再び現れた赤の男が、戸惑う青年たちを置いて話始める。

赤服「まずは……そうだな。先ほどの霧は、所謂試練だ」

赤服「聖域に入る資格を持ったものかどうかを調べるための」

青年「……見極められていたということか」

賢者「なるほど、ここにいるのはそのクソッタレな試練をパスした者という訳か」

騎士『ってなると……ほかの奴らは』

赤服「話が早い。試練を乗り越えられないものは、永久にその闇に取り込まれる」

青年「何だと……?」

赤服「肉体はそこにある。抜け殻だがな」


赤服が部屋の奥を見やり、指をならす。

するとどういう原理か一斉に燭台の炎が燃え盛り、あたりを明るく照らし出した。


泡のような球体の中で漂う、力なく、まさに抜け殻となった

弓兵、魔道士、歩兵、天騎の姿をもだ。

青年「……ッ!」

青年は同じく火が付いたように彼らの元へ走りよる、がしかし

薄い膜のように見える泡は、弾力を持って青年の腕を押し返すだけで、割れる気配がない。


青年「くそッ!」

赤服「無駄だ」

騎士『フューリ、落ち着け」

賢者「……話を続けろ」

赤服「己自身が試練を乗り越えない限り、出ることは不可能だ」

赤服「……君たちの一部の者は運よく助けられたようだが」

騎士『…………』



青年「その試練とやらを今すぐ止めることはできないのかい」

赤服「それはできない。我々の役目が終わらぬ限り」

踊り子「役目というのは……聖剣を守るってことですよね」

赤服「そうなる」

踊り子「だとすれば聖剣を私たちが手に入れたら、その役目は終わる……」

賢者「……ふむ、ならば話は早い。すぐに聖剣を渡してもらおう」

青年「僕たちは騎士王の命で聖剣を取りに来た、案内してくれないか」

赤服「元よりそのつもりだ」

赤服「聖剣を手にするに値するかどうかは、別としてだが」


ようやく本題だと言わんばかりに歩を進める赤服。

少女「ですが」

しかし、それを少女が引き止めた。

少女「世界が滅ぼされようとしている、とは、どういうことなのですか?」

少女「わたし……よくわかりません」


赤服は振り向きもせず答える。

赤服「歩きながら、話そう」


騎士『……なーんかきなくせえな』

青年「あぁ……」

聞こえているはずだろうが、赤服は気に留める気配がない。

あの老人といい、彼といい、神聖なはずのこの場にとって不気味に見える。


青年「滅ぼそうとするもの……か、それは帝国のことなのか?」

少し控え気味に、青年は頭をよぎったことをそのまま赤服に問うた。

騎士『っ……』

赤服「ある意味では違う、ある意味ではそうだ」

賢者「……話にならんな」

赤服「私たちにとって、帝国の存在自体はどうでもよいものだ」

赤服「所詮は人の心によって決まるもの。その存在は心の在り様に影響するが」

少女「……お話、難しいですー」


踊り子「えと、帝国と騎士王国が戦争している。戦争が人の心をゆがませ、世界を滅ぼそうとする」

踊り子「だってそうですよね? 結局は人が生きようとするか、どうかですもの」

踊り子「絶望してその気をなくすなら、なんとなくわかる気がします……」

青年たちは驚いて踊り子を一斉に見やる。

すると彼女は焦ったように顔を赤らめた。


踊り子「あ、あの、すみません、変なこと言いました?」

青年「いや、素直に感心した。僕は戦争の被害で滅びるのかと想像していたんだ」

賢者「妙に納得できる気がするが、現実味がないな……だがしかし、ううむ」

少女「それなら、わかる気がします」

騎士『で、どうなんだ? シェリーの言ってることは当たってんのか?』

赤服「当たるに遠からずと言ったところか」

賢者「要領を得んな。貴様らは一体何がしたいのだ」


赤服「我々は守護者だ。聖剣を来るべき時まで守護し、正しきものに渡す、それが使命だ」

青年「使命さえ果たせればそれでいいのか? 世界はどうなっても構わないと?」

青年「少なくとも、あのご老人はそうではなさそうだが」

赤服「そうは言っていない。君たちに正しい使命があるように、私もまた使命を果たすべきだ」

赤服「加えて、我々には外界をしる術がない。あの方が危惧していらっしゃるのは予兆に過ぎないのだ」

踊り子「予兆……ですか? と言うことは、以前にも同じことがあったと言うことですよね」

赤服「その通りだ」

騎士『前にも……って、聖戦のことか?』

赤服「あぁ」

青年「……確かに、大陸を揺るがすほどの戦争だった。だがしかし、それだけではなかったのか?」

賢者「…………」

少女「???」


踊り子「では、以前にもあった滅びの予兆というのは……」

赤服「先ほどの話だが、あれは過程に過ぎない。本質はそこではない」


赤服「宝玉と呼ばれるもの、あれの持つ力のせいなのだ」

青年「宝……玉」

ここに来て青年はすべてが繋がった。

いや、予感はしていたことだったが、それらが確信に結び付いたのだ。

青年「ネーベルという……あの呪術師が求めていたのも、それが目的だというのか……」

賢者「それは、否定できませんな」

踊り子「……ネーベル? 呪術師?」

騎士『ま、それはおいおい話すさ。俺も詳しくは分かっちゃいねえが』

青年「とにかく、僕たちは聖剣を手にし、騎士王と共に……ネーベル、いや、帝国に立ち向かわなくてはならない」

青年「そういうことかな?」


赤服「それが使命なのだろう」

赤服「ならば、果たしてもらわねばな」


一向はたどり着いた。

魔力が溢れ、大粒の雪ほどに膨れ上がった粒子が宙を舞うこの空間に。

魔道の才が無いものにでも、しっかりと目視できるほどだ。

そんな中に、しん、と冷たく鈍い光を放つ、圧倒的存在感を放つそれが鎮座していた。

聖剣……かの、大昔の英雄によって振るわれた神器。

御伽噺に過ぎなかった伝説は、今こうして青年たちの前にあった。


青年「……これが」

少女「わぁ、きれいですね」

踊り子「でも、何故かしら」

騎士『どうしたんだ?』


踊り子「これが、本当に聖剣……なのかしら」

騎士『何言ってんだ? 俺でもわかるぞ……すげえ迫力? ってのかな、とにかく凄そうってのが』

賢者「馬鹿は喋るな馬鹿は、恥ずかしいだけだぞ」

騎士『んだとッ?!』

青年「君たちね……」


せっかくの緊張感が台無しになる。

溜息一つつきながら、青年は踊り子の言葉に疑問を投げかけた。

青年「シェリーさんは、何か感じるのかい?」

踊り子「感じるというより……大切な何かが、感じられないんです」

青年「……ふむ」


赤服「その娘の、言う通りだ」

いつの間にか一向から離れ、一本の剣を携えた赤服が聖剣に歩み寄る。

騎士『何を――』

そう騎士が言い終える前に、赤服はあろうことか、聖剣の刀身目がけて剣を振りぬいたのだ。

思わず青年は目をつぶってしまった。聖剣が折れることはないだろうが、何というか、咄嗟にだった。

しかしそれは杞憂に終わる。

いつまでたっても、何の音もしなかったからだ。


騎士『……え』

まず最初に、騎士が驚きの声をあげた。

それもそのはず。

聖剣と赤服の剣は、しっかりと競り合っているはず。


だが、"何も起こっていない"のだった。



剣が折れることも、火花を散らすことも。

青年「何故……」

赤服「この通り、今の聖剣は"何もできない"」

そういって、赤服は剣を鞘に納める。

赤服「故に鍵が必要なのだ」

少女「その鍵とは、一体誰なのですか?」

赤服「……ふむ」

赤服はおもむろに少女をじっと見つめだした。

つま先から頭の先まで、何かを探すように。

赤服「君ではないようだ」

少女「あぅ……」

よくわかっていないだろうに、あからさまに落ち込む少女。

青年「僕たちの中に、その鍵とやらがいるということか」


騎士『まじかよ。そんな大層な役割、俺には果たせそうにないぜ?』

賢者「安心しろ、お前でないことは確かだ」

騎士『いちいちうっせえよ』

青年「……ならそれは、アンヴィルさんや、騎士王がシェリーさんを呼んだことと関係があるのだろう」

青年「君が必要なのだと言っていたからね」

踊り子「わ、私ですか? そんな重要なことだとは……聞いてなかったんですが」

賢者「それもそうですな。教官は知っているにも関わらず、すべてを語らぬ方ですから」

騎士『そいつは……全面的に肯定させてもらうぜ……』

騎士『しかしそうなると、シェリーが鍵ってことか』

少女「お姉さんが鍵なのですか……? すごいです」

踊り子「ちょ、ちょっと待って。まだ決まったわけじゃないし……第一、私にそんな力があるとも」


赤服「……いや、どうやら君のようだ」

赤服「君の体から……いや、血だな。微かにその断片が見て取れる」

踊り子「えぇっ!?」


青年「そうか……だがしかし、一体何のための鍵なんだ? 生贄……とは言わないだろうな」

騎士『生贄……っ?! じょ、冗談じゃねえぞ!』

騎士『んな簡単に殺させてたまるか!』

踊り子「ラ、ラル……」

賢者「黙っとれと言うに……そうと決まったわけではあるまい」


赤服は激昂する騎士に対し、短く嘆息。

それから話を続ける。

赤服「生贄などという野蛮な方法ではない。人のために存在する神器を邪なものと一緒にするな」

赤服「必要なのは祈りだ。それが聖剣を目覚めさせる鍵となる」

騎士『……んだよ、なら最初っから言えっての。心配して損したぜ』

少女「勘違いしたのはラルさんですよ?」

騎士『うぐっ……』


踊り子「祈り……ですか?」

赤服「そうだ」

戸惑いながらも、踊り子の目にはしっかりとした意志が宿っている。

それもまた、彼女の使命なのならば、やれることはやってみようという気が伝わってくる。

踊り子は恐る恐る聖剣に近づき、片膝をついて指を顔の前で組んだ。

踊り子「…………」

しかし何も起こらない。

赤服「……何をやっているのだ?」

踊り子「えっ? あの、その……祈ってるんですが」

再び赤服は嘆息。

赤服「本当になにも知らないのだな……」

青年「すまない。僕たちはただ、彼女を連れて聖剣を受け取って来いという命を受けただけに過ぎないんだ」


賢者「つべこべ言わずにどうすればいいか教えろ」

赤服「困った奴らが来たものだ……」

心底あきれたと言わんばかりに額に手を当てる赤服。


赤服「踊れ」

踊り子「……へ?」

赤服「踊り方すら分からぬのなら、君たちに資格はない。帰れ」

騎士『お、おいおい、そりゃないんじゃねえか?』

赤服「知らん。私に踊りを見せろと言うのか? 冗談ではない」

青年「……シェリーさんは、踊り子なのだったね?」

踊り子「え、えぇ、一応は……」

少女「でも、わたしは一度も見たことありませんよ?」

踊り子「……一度も見せてないもの」

賢者「何だ、踊れるには踊れるのだろう? それとも心当たりがないのか」

踊り子「いえ、あるには……あります」

そこで踊り子は、なぜか騎士のほうをちらと見やる。


騎士『…………?』


踊り子「ラル……貴方のお母さんが教えてくれた、私の母の踊り……」

騎士『お袋が……?』

踊り子「もし、私の血筋に、私が選ばれた理由があるのなら。きっとそれがそう」

青年「かもしれないな……なら、頼めるかい」

踊り子「ええ、そのつもりです……ですが」

賢者「何だ、まだあるのか?」

騎士『っ……!』

暫く硬直していた騎士が、はっとしたように顔をあげる。

騎士『シェリーまさか、まだ……』

少女「……?」



騎士『まだ人前で踊れないのか……?』

踊り子「え、えぇ……」


赤服はいよいよ、こめかみを抑え苦悶の表情を浮かべた。

青年たちは唖然とし、開いた口を戻そうと必死だ。

賢者「やれやれだな……」

青年「ええと……君は踊り子、だよね?」

踊り子「はい……ですから、一応と」

騎士『はぁ、忘れてた。極度の上がり症なんだよ、こいつ』

踊り子「こ、こいつって何よ」

騎士『そういうとこは昔から変わってねえのな。俺には見せてくれてたじゃねえか、そのノリでやっちまえよ』

踊り子「無理! 無理よ! あんなひらひらした服であんな踊り踊れないわ!」

青年「ま、まぁ、露出が高いのならわかるけれど、今のその服なら大丈夫だろう?」


賢者「色気のない踊りなど踊りではないがな」

青年「君は黙ってなさい」

踊り子「でも……」

青年「どうか、頼む。君の力が必要なんだ」

踊り子「う、うぅ……わかり、ました」


赤服「……話はまとまったか?」

赤服「ならさっさと初めてくれ。……世界の命運がかかっているというのに、なんとも呑気なものだ」


踊り子「ただし!」

踊り子「絶対、絶対見ないでくださいね! 絶対ですよ!」


少女「お姉さんの踊り、楽しみです。にこー」

踊り子「ティノアちゃん……わかってないでしょ……」

つ づ く
思えば随分遠くにやってきたもんだなぁ…
最初は少女が人を殺しながら冒険するハートフルストーリーだったのに…


辺りを覆う、いや、この空間すべてを覆い隠す、しんとした空気。

その厳かな雰囲気の中で、踊り子による"祈り"が行われようとしていた。

しかしその風景は異様なもので、祭壇の前に立つ踊り子以外は

祈りに背を向け、明後日の方向を向いているのだ。


踊り子「で、では……始めます」

少女「どうしても見てはいけないのですか?」

青年「まぁ、彼女にちゃんと踊ってもらうには仕方のないことだからね」

騎士『下手に緊張されて、駄目でしたーってなったら……あの男も今度は黙っちゃいないだろうしな』

賢者「何でもいいから早くしてくれ」


踊り子「…………」

すぅ、と息を深く吸い込む。

踊り子の背筋はピンと張り、呼吸によって胸部がわずかに上下する。

……と言っても、彼女以外にその様は分からないのだが。

そして、彼女のつま先が半歩ほど前に差し出され

硬い床と合わさり、小気味よい音を響かせた。


青年「……始まったようだね」

騎士『あぁ、うまく行ってくれるといいが』

踊り子の緊張がこちらにまで伝わってくる。

賢者は変わらず、大きな欠伸をかましているが。

そんな中でも踊りは続いていた。


踊り子は両の手を大きく広げ、しなやかに伸びた指先が舞い散る光の粒をそっと掬う。

緩やかな流れの中で、揺られる一輪の花のような。

穏やかさが、突如として激流に変わる。

大胆に四肢を広げし、小刻みなステップの中に大きなリズムを打つ。

何かの音楽ではないかと錯覚させられる踊りだ。

祈りではなく、激励。

音だけで力が湧いてきそうな感覚を青年は覚える。

それに反応したのは青年だけではなさそうだ。


賢者「……ほぅ」

騎士『俺、知らなかったぜ、こんな踊り』

青年「君でも知らなかったのかい」


騎士『あぁ、誰かの前で踊るのは初めてじゃないか?』

青年「そうなのか、それはとても貴重だね。直接見れないのが残念だが」


少女「…………っ」

そんなことを小声で話していると、突然、少女が立ち上がった。

青年「ティノア? どうしたんだい」

少女「わたし、知っています……」

青年「この踊りを?」

少女「いえ、この……歌を」

青年「歌……? この踊りを、歌と」

少女はおもむろに振り返る。

青年が静止する間もなく。


そして……


「~~♪~~~♪」

踊り子「……っ?!」


少女の、透き通った歌声が

踊り子の踊りに合わせて響き渡る。

青年「これは……」

赤服「……ほう?」

思いもしなかった行動に青年は戸惑い

片隅で壁にもたれかかっていた赤服は顔をわずかにあげた。


歌は空へ届き、踊りは大地に染みわたる。

二つが合わさり、完全なものとなった祈りは、人の心を癒していく。

踊り子と少女、どちらも欠けていたものが、思わぬ形でピタリと嵌ったのだ。


それらに呼応するように、台座に納められた聖剣が

その白銀の刀身が淡い光を放ち始める。

青年は、異様な引力に惹かれるのを感じた。

気づかぬうちに青年も立ち上がり、一歩、また一歩と聖剣へ導かれていく。

踊り子はもう人目を気にしていない、集中しきっているようだった。

少女も始めは戸惑うような歌声だったが、今はもう堂々としている。



騎士『お、おい、フューリ? あんたまで』

賢者「邪魔をするな。黙って見とれ」

長いような、短いような、変な感覚だった。

はっ、としたときには青年の両手は聖剣の柄を握りしめており

一際大きい光が辺りを包んだかと思うと


それが高々と掲げられていた。

眩い太陽に似た光を携えた、白銀の刀身。

手元を彩る燃えるような赤を、金糸と銀糸が縁取っている。

それはまさしく烈火のごとき存在だった。


青年「抜けた……?」

騎士『すげえな……そいつが聖剣』

賢者「先ほどまでの腑抜け面とは違いますな。流石と言ったところか」

踊り子「はぁ……っ、はぁ……」

少女「お姉さん、凄かったです」

踊り子「あ、ありがと……でも、ティノアちゃんも凄かったわ。どこであの歌を?」

少女「昔、大切な人から教わりました」

踊り子「そうなの……」


いつの間にか祈りは終わっており、青年の傍らで四人が思い思いに話していた。

剣に見とれていたわけではないが、一瞬、青年は自分が自分でないような感覚に陥っていたのだ。



赤服「よくぞ手にした」

感動に似た心地を味わっていた一行だったが、手をたたきながらこちらへ向かってくる赤服に気づき

青年は開口一番問いかけた。


青年「これで、ほかの皆は」

赤服「慌てるな。直に開放されるだろう」

安堵の溜息。

青年は右手に携えた聖剣を目の前で構え、刀身をじっくりと眺めてみる。

赤服「それが……聖剣、デュランダルだ」

青年「デュランダル……」

神器に名づけられた、真名を呟く。

切っ先は左右対称ではなく、立ち上る業火のように湾曲していた。


赤服「そのままでは無骨だろう。これに収めておけ」

どこから取り出したのか、赤服は赤と白銀で装飾された鞘を差し出し、続ける。

赤服「使わぬ時は必ず収めておくことだ」

赤服「……そして、決して力に溺れぬことだ。強い光は君までも影にしてしまうだろう」

青年「それは……どういう?」

聖剣を鞘へ滑らせながら、聞き直す。

その時だった。


――ゴゴゴッ

地響き、山全体が震えているようだった。

大きな振動が収まった後も、小さな余震が続く。

騎士『な、何だッ?!』

少女「ぐわんぐわんしますー」


踊り子「聖剣を……抜いたから?」

青年「馬鹿な! そんなこと」

賢者「そんなものではない。これは……」

赤服「早すぎるな」

青年「何か、知っているのかい」


老人「おぉ……おぉぉ! 来る、来てしまう」

老人「終わりだ……終わりだ」

杖をつき、よろめきながらも老人が祭壇へと現れる。

その口から吐かれるのは嘆きの言葉。

思わず青年たちは戸惑ってしまう。



青年「事情を説明してくれ、何が来るんだ!」

赤服「外へ出ればわかる。迎えが来たのだよ、悪いほうでな」

赤服は奥の道を指さし、老人の体を支えた。

賢者「こやつらは所詮管理者、聞いたところで何も変わりません」

賢者「行きましょう。俺たちでどうにかするしかありませんからな」

騎士『……だな、鬼が出るか蛇が出るか』

踊り子「あ、あんまり脅さないでよ」

少女「…………」

青年「分かった。シェリーさん、ティノア、二人はほかの皆のところへ向かってくれ」


踊り子「え? でも」

騎士『あんたらは自分の役目を果たしただろ? ここからは俺らの使命って奴だぜ』

賢者「変に恰好つけるな間抜け」

騎士『るせえ! いいから行くぞ!』


真っ先に騎士は走り出し、その後をやれやれと言った感じに賢者が追う。

青年「ティノア、皆を頼む」

少女「はい。お気をつけて、にこー」


少女の笑みを受け、青年もまた二人の後を追うのだった。

つ づ く ぜ!

――


騎士『あーくそ、あのオッサン……いつかぶん殴ってやる』

賢者に煽られ、真っ先に飛び出してきた騎士は

外への通路をひた走っていた。


騎士『って二人とも付いて来てねえし……』

一人ぼやきながら進んでいると、ようやく出口が見える。

騎士『……? 何もいねえぞ』

見えるのは山。

山頂に山があるというのもおかしな話だが。

考えもなく、見晴らしがいいという理由だけで山に駆け上ってみる。

何も見えない、暗雲が暗く空を覆っているだけだ。


騎士『ただの地震じゃねえのか? あのジジイ、びびらせやがって』

賢者「ラル」

騎士『あ? やっと来たのか、見ての通り何もいねえよ』

賢者「やはりもう倒してしまったという訳ではなさそうだな……。馬鹿もここまで来ると呆れる」

騎士『何言ってんだ?』

青年「ラル、早く下がれ! 下だ!」

騎士『下って……うぉっ?!』

視界が再び揺れる、地震か、否

揺れているのは騎士と、その足元に広がる山だけだ。

慌てて飛びのき、身構える。

直後、目の前には空を覆い隠すほどの両翼を広げた


青年「これは……?」

騎士『飛竜……にしちゃデカすぎんぞ!!』

黒い竜がそこにいた。

竜騎士が乗る、四、六メートルサイズの飛竜とは尺が違う。

以前会いまみえた、大鬼をはるかに上回る。まさに伝説と呼ばれるような存在だった。

しかしどこか様子が違う。猛々しい翼はところどこ破れ朽ち

身を守る強固な鎧である鱗は、剥がれ落ち、肉がおぞましい音を立てながら腐り落ちているのだ。

賢者「さしずめ、ドラゴンゾンビという奴か……悪趣味だな」

青年「くっ……不味いな、これは」


冷や汗が青年の額を伝う。

賢者もいつもとは違う面持だ、それだけ屍竜の力が強大だということだろう。



騎士『相手がなんだろうと関係ねえ! とりあえずぶっ倒さねえとな!』

剣と盾を構え、血気盛んに挑む騎士。

とにかく様子見だ、巨大だが腐りかけた屍、どれほどの力を持っているかは計り知れない。

巨木のような屍竜の脚を蹴り、上空へ

空中で半身を翻しながらの右上から左下へ抜ける一閃が、屍竜の腹部を裂く……はずだったのだが。

騎士『……ッ!?』

その皮膚にはかすり傷一つ、付いていなかった。

驚愕する間もなく、騎士は再び屍竜を蹴り飛ばすと、距離を開けて後退した。

騎士『確実に入ったはず……だが、なんだありゃあ』

騎士『妙な感触がしやがる、気持ち悪いな』

青年「……ラル! 来るぞ!」

騎士『はッ……!』


騎士の一撃で眠りから覚め、屍竜の瞳が開かれる。

六つある、紅玉のような瞳。

青年たちはその瞳に射抜かれたように、立ちすくむ。

一瞬脳裏をかすめたのは、恐怖ではない、絶望に近い何かだった。

屍竜の口が、溶けた肉の糸を引きながら開け放たれる。

そこから見えるのは真っ暗闇。


賢者「ちィ! 避け切れんか!」

賢者が言葉を吐き捨てると

硬直する青年たちの足元からつむじ風が湧き上がる。

それが、同時に放出された紫炎の吐息を一寸先で食い止めた。

青年「う……ぐぅ!」


囂々と周囲を焼き付くし……いや、浸食し溶かしていく獄炎は

青年たちを残し、瞬く間に辺り一面を焼野原へと変貌させてしまった。


青年「なんという……」

賢者「ただの死にぞこないとは違いますな」

騎士『……おい、おっさん、フューリ』


騎士は嫌な予感がしていた。

それは間違いではないだろうと、どこかで確信のあるものだった。

騎士『あれはもしかすっと……さっきの』

青年「奇遇だね、僕も思った」


紅い六つの瞳、空を覆い隠す漆黒の翼。



「そう、お察しの通り」

賢者「…………」

何処からから現れたもう一つの影。

赤服「それが、邪竜……だったものです」

青年「何故ここに……?」

騎士『おいおい! んな冷静なってる場合じゃねえだろ!』

赤服「ふふ、まだ分からないのですか?」


賢者「貴様、いつからそこにいた?」

賢者が一歩前に出、苦々しげな表情を赤服へと向ける。

赤服はそれを意に介さず、じゃれるように頭を低く下げた屍竜の鼻先を撫ぜた。

赤服「最初からいましたよ。貴方たちが来る前からね……ふふふ」

賢者「…………」


赤服「何故この俺が気付けなかった、とでも言いたそうですね」

赤服「無理もありません。自我を保つ最低限の力を残し、この男の深層に潜んでいたのですから」

賢者「姑息な真似をする」


青年「……! これは、一体」

騎士『テメェ、何モンだ』

赤服「そういえば、お二人とは初対面ですかね? いえ、殿下とは一度お会いしたことがありますが……」

赤服「覚えていらっしゃらないので?」

青年「もし、貴方が貴方でないのだとしたら、記憶にないな」

赤服「そうでしょう、そうでしょう。仕方ありませんね」

賢者「くだらん挨拶などいらん、何をしにきた」


賢者「……ネーベル!」


彼の呼んだ名は、畏怖を象徴するもの。

青年と騎士は初めて

騎士王国で起きた、諸悪の権化である男と対峙したのだった。


赤服「せっかく旧友に会いに来たというのに、冷たいですねマグナ」

賢者「黙れ、虫唾が走る」

騎士『こいつが、ネーベル?』

赤服「さん、をつけなさい。年上には礼を尽くすものでしょう」

青年「貴様か……!! 貴様のせいで、一体どれほどの人間が……!」

赤服「それは濡れ衣ですよ、殺し合ったのは人間同士です」


赤服「私は何も、悪くない」


青年「どの口がッ!」


堪え切れず、青年は鞘走る。

聖剣は使わなかった、実戦でどれほど有用なのかはまだ分からないし

青年に使う資格があるのかも分からなかったからだ。


赤服「"跪け"」

青年「……ッ!?」

がくんっ

と、青年は響き渡る女の子の声の前に、跪いた。

体が言うことを聞かない、制御機能を根っこから掻っ攫われた気分だ。

賢者「陛下!」

騎士『フューリ!』

赤服「ふふ、どうですかこの力は」

賢者「……ネーベル、貴様」


赤服「マグナ、貴方にやられた痛み、決して忘れはしません」

赤服「ここで殿下を粉みじんにしてあげてもいい、今の私には一瞬でそれを為す力がある」

青年「う……く、くそ」

賢者「……ぶっ殺す」

騎士『おっさん、落ち着け。……あれを見るに、はったりじゃねえんだろ』

騎士『どうやら敵さんは、まだ俺たちと戦おうって気はないらしい、違うか?』

赤服「おや、おやおや」

赤服「一番頭が弱そうだと思っていましたが、いやはやどうして……話が通じそうなのは貴方だけなようです」

騎士『……馬鹿にしてんのか?』

赤服「おっと、失言でしたね。失礼失礼」

賢者「……何が、目的だ」

賢者「何が目的で、こんなくだらん、戦争ごっこをしとるのだ」


赤服「目的? マグナ、貴方ならとっくにわかっているはずですよ。共に同じ志を持った貴方なら」

賢者「あれは……! もう……いや、第一関連性がない」

赤服「終わってなどいません。もはや、貴方には関係のないことですが」

赤服「私はついに、唯一の道を見つけた、それだけのことですよ」

賢者「……執念深いお前らしいな、反吐がでる」

賢者「これ以上話しても無駄だ。とにかく、陛下を解放しろ、今は殺す気がないのだろう?」

赤服「ふふ、いえいえ、私の手を下すまででもない、といった意味ですよ」

騎士『そのご立派なアンデッドで始末しようってか?』

赤服「えぇ、とても美しいでしょう? 私のお気に入りの一つです」

赤服「さて……いつまでも下を向かせていては可哀想だ」


ぱちん、と赤服は指を鳴らす。

すると青年の硬直は一気に解かれ、思わず膝をついた。



賢者「陛下!」

青年「だ、大丈夫だ。問題ない」

赤服「ふふ……気丈な人だ、あの皇帝の息子なだけはありますね」

青年「父を知っているのか……!」

赤服「よおく知っていますとも」

青年「まさか、貴様が……!」

赤服「どうでしょうね? ……しかし、のんびりとお話を楽しんでいる場合ですか?」

青年「質問に、答えろ!」

赤服「ハハハッ! まだ事態が飲み込めていないようだ。麓では大参事だというのに」

賢者「やかましい奴だな……とっとと要件を言え」

赤服「失礼、貴方たちが協力してくれたおかげで、少し饒舌になっているようです」

騎士『話が読めないが……俺たちが協力だぁ?』


赤服「えぇ、聖剣を台座から引き抜いてくれたおかげで、この首都を覆う結界を突破できたのですよ」

賢者「……何を言っている? 結界は結界石を媒体にして張り巡らされている」

賢者「聖剣を収めていた聖域は、また別物。神器その物を媒体として張られていたものだろう」

赤服「マグナ……貴方という人は本当に、興味が無いことへの知識が浅いですね、昔からですが」

赤服「結晶石とは聖遺物、謎の多い古代の産物です。更には内包する魔力量もまがい物とは大違いだ」

赤服「それを腐り果てた現人類ごときに制御しきれるとでも?」

青年「まさか……これが、同じ聖遺物である聖剣が、全ての結晶石を管理していた……?」

赤服「その通りです、よくできました。それ自体が媒体となり、制御することも可能である聖剣がね」

青年「主な管理をしていた聖剣が抜かれ、陣だけでは制御しきれなくなった結界に綻びができ……」

騎士『……ッ! ってことは、今』

賢者「城下には魔物の群れ、といったところか」

青年「このことを……騎士王は知っていたのか?」

賢者「知らんでしょうな。正式な血統ではないのですから」


赤服「という訳です……おっと」

その時、主が語り終えるのを待っていた屍竜が不服そうに、ぐるると喉を鳴らした。

決して甘えている訳ではないだろう。


赤服「長話をしすぎてしまったようですね、この子も痺れを切らしています」

赤服「では、もう二度と会うこともないでしょうが……御機嫌よう」


赤服の足元に紫の光を放つ魔法陣が現れ

それがベールのように奴を取り囲むと、次の瞬間には姿が消えていた。

青年「待て……ッ! まだ聞きたいことが」

騎士『フューリ! なんかよくわからんが、今はそれどころじゃねえだろ!』

騎士『街や城の皆だけじゃねえ! 俺たちだってやべえんだ、分かれよ!』

青年「す、すまない……」

賢者「とにかく、話は後だ」

騎士『……あぁ、素直に通してくれそうにもねえしな』


屍竜が雄叫びをあげる。

青年たちは、刻々と迫りくる死に抗うべく

刃を抜くのだった。

お ま た へ
二日に一回のペースから一週間に一回のペース、そして一か月に一回のペースへ・・・
かんにんなぁ・・・


巨体が風を切って動く音がする。

その見てくれからは到底思いつきもしないほどの速度。


騎士『来るぞ! フューリ、すまねえが指示を頼む!』

青年「分かった! ラルは距離を保ちつつ注意をひいてくれ!」

騎士『任せろ……っ!』

歪な形に変形した屍竜の剛爪が騎士を捉える。

意外なほど俊敏な攻撃だが、見えない訳ではない。

騎士は簡単に見切り、受け流すように盾で弾いた。

いくら逸らしたところで常人にできることではない

魔物を体を持っていたことに騎士は皮肉ながらも感謝した。


騎士『ちッ……角度が悪かったか、腕が痺れやがる』

青年「マグナ、君はラルをサポートしつつ、一度魔法を叩き込んでくれ!」

賢者「任してください、ラル、もたもたするなよ!」

騎士『わかってらぁ! 頼むぜ、おっさん』

賢者「陛下は如何なさるのです」

魔道書を開きながら賢者は問う。

青年「僕は……」

引き抜かれた聖剣の刀身を見て、青年は一瞬躊躇った。

しかし次の瞬間には柄を固く握りしめ、目の前の敵を真っ直ぐ捉える。

青年「これを、使ってみる」


騎士『大丈夫なのかよ』

青年「分からない、だが……出せる手を温存していられるほどの敵ではない」

屍竜が大きく息を吸い込む、先ほどの紫炎の吐息だ。

尻ごみしている場合ではない、この場にいる全員がそう悟っていた。


賢者「それなら話は早い、俺も現状で出せる全力をお見せしましょう」

青年「はは、頼もしいが……壊すのは奴だけにしてくれよ」

騎士『……っ』

騎士は思わず唾を飲んだ、今まで賢者の全力を見たことがなかったからだ。

体術、剣術、魔術……騎士の知る限りでは最高峰の力を持つ者。

鍛錬では常に手を抜いてくれていたろう、しかし未だ、騎士は彼から一本も取ったことがない。

騎士(あのユリウス将軍と肩を並べる男……そんな奴と組んでたんだよな)

賢者「ラル! よそ見をするな。貴様への援護は最小限にする」

賢者「この程度の相手で生き残れんのなら、貴様はもう"要らん"」

騎士『んだと……ッ!!』


賢者「足掻いてみろ」


賢者はぽん、と騎士の肩を叩き、詠唱に移るべく彼との距離を開けた。

すると、騎士の左手に携えられた騎士団の盾が、ばちりと弾けるのを感じた。

見れば盾に、紫雷が纏っているではないか。

騎士『……これで凌げってことか』

考える暇はもうなかった。

敵の紫炎は目前に迫っていた。



騎士『うぉぉぉおおおおッ!!』

咄嗟に盾を前に突き出す。

壮絶な轟音が響き渡り、視界を閃光が塗りつぶしていく。

青年「今までの敵とは桁違いだ……っ、ここまで離れていても吹き飛ばされそうになる」

紫炎の吐息が止み、屍竜が喉を鳴らす。

満足げなものとは違う、単に不服なのだ。

騎士『――はぁッ!』

必殺の一撃を、二度も耐え凌がれたことが

確実に敵を死至らしめる紫炎を、貧弱な人間の武器で切り払いながら甲冑の男が現れたことが


騎士『生きた心地がしねえな……』


青年「ラル! 無事か!」

騎士『おうよ、こっちは任せな』

賢者「……ふっ」


騎士『おら、これで終いか? でけえ体の無駄遣いしてんじゃねえぞ』

かん、かん

と騎士は盾を剣の柄で叩きながら挑発し、両腕を広げて見せた。

それは案外効果的で

屍竜が再び剛爪を大地に突き立てるほどには、効いたようだ。

対し、騎士は宙で半身を翻しつつ難なく避ける。

そして――


騎士『刃が立たねえなら仕方ねえ』

騎士『こいつで、どうだ……ッ!』

空中で高く右足を上げる。

繰り出されるのは、踵落とし。

その一撃は銀の軌跡を描きながら屍竜の腕に吸い込まれる。

瞬間、悲痛な叫びが轟く、怒り憎しみ増量の特別版だ。

叩き込まれた重撃は屍竜の腕を砕き、肉片を飛び散らせた。


青年「やるな……さて」

青年「ラルが危険な役を受けてくれたんだ、僕も覚悟を決めなければな」


敵が怯んだ隙に、長くしなやかな尾に取り付く。

踏みしめた尾から、死体を足蹴にしたような感触が伝わってくる

が、気にしている場合ではない、青年は上を、上を目指す。

屍竜の腰付近まで一気に駆け上がり

その背中へと短剣を投擲した。

青年「背の皮膚は堅い……が、刃は立つようだな」

青年「足場が安定していい……ッ!」

突き刺さった短剣を蹴り飛ばし、上へ

そしてまた直剣を背に突き立て

青年「く、ぉおおおおッ!」

腕の力で強引に一回転、直剣を力強く両足で踏み抜き、手を精いっぱい伸ばす。


青年「届け……!」

願いは天に通じた、青年の手は屍竜の翼の根本をしっかりと掴んでいた。

ここまでくればあと少し。


青年「首を切り落としてしまえば、アンデッドと言えど」

最後の跳躍をし、聖剣が鞘走る。

狙いはもう定まった。

道筋は重力に任せ、全身の筋肉と神経を研ぎ澄ませ

標的をただ、斬り伏せる――――。


――――が、

青年「……駄目、なのか」



白銀の刀身は鈍い光を放ち

屍竜の首に添えられていた。

一寸たりともその肉を引き裂いていないし、剥がれかけた竜鱗に傷一つ付いていない。

……不干渉、すなわち、聖剣の本来の力を出せていないということ。


青年「僕では、駄目なのか……!!」

ようやく手にした力は青年を選ばず、無力さを与えた。

何も変わらない、青年は今もまだ、何もできないただの子供に過ぎなかった。


悲観する青年の足元を、何かが蠢く。

その何かは、突如として肉を、皮を突き破り

また、青年の体をも貫いた。



青年「……ぉ、あ、がはっ」

吐血。

騎士『フューリィィ!!!』

賢者「陛下ッ!!」

屍竜の皮下から現れたのは、数多の剣、数多の槍、数多の矢。

かつて邪竜であった"それ"に浴びせられた、殺意の塊であった。

そんな負を体内に溜め込んでいた屍竜は、それをそのまま人類へと突きつけたのだ。


青年を貫いた無数の刃は引き抜かれ、彼の体を宙に放り投げる。

その無防備な餌を、屍竜の獰猛な瞳が捉え


騎士『おいおっさん! まだかよ!」

賢者「黙っとれ! あと……少しだッ!」


捕食した。

暗い洞穴の中へ、青年が取り込まれていく。

賢者「オォォォオォオオオッッ!!!」

騎士『くそったれェェ!!』


怒り猛る、一人は仲間を

一人は仕えるべき君主を失ってだ。

だが、後の一人は?

賢者が巻き起こす強烈な暴風の中、電光が奔った。

目にも捉えられぬ稲妻だ。

その軌跡には光の粒子が舞い散っている。

光は屍竜へと真っ直ぐに伸び、閉じられる暗闇の淵を

紡ぎとめた。


青年「……僕は、どう、なった?」

少女「まだ生きています、まだここにいます」

青年「ティノア……?!」

屍竜の口、闇の淵で

少女は光を遮断する、最後の扉をこじ開けていた。

淀んだ色の牙を包丁で受け止めているその体に

想像を絶する力が、粉々にしてやろうと重圧をかけている。

彼女のか細い体はゆっくりと押しつぶされ、潰れたトマトのようになるだろう。

あまりの圧力に、皮膚が裂け始めていた。


青年「ティノア……無茶を、するな」

少女「無茶では、ありません」


少女「わたしにできることなら、なんでもします」

青年「馬鹿を言うな……君だけでも生きるんだ」

青年「僕には、何もできない。君を守ってあげることすら」

いつも守られてばかりの自分が情けなかった。

自分は誰かがいなければすぐ倒れてしまう張りぼてなのだと

だから、自分はいなくてもいいんじゃないかと、心のどこかでいつも思っていた。

偉そうな理想を語っているのは、本当は無力な自分を隠すためなんだ。


少女「それでも、それでもです」


少女「わたしの前から、いなくならないで」

青年「……っ」


あの記憶が、あの時に見た少女の記憶が青年の脳裏を過った。

微かに漏れる光の隙間を塗りつぶした、あの鮮血が。

何度も嘆いた自分の無力さを、もう二度と味わいたくないともがいていたあの自分と

同じ苦痛を少女にも与えようとしていたのだ。


青年「だから、だからって」

青年「君が僕の前からいなくなっては、意味がないじゃないか」

少女「……死にません」

少女「もう、死のうだなんて思いません」

青年「…………」

少女「わたしもここにいます」

その間にも、少女の体は泥沼に嵌ったように、押しつぶされていく。

関節が悲鳴を上げ、腕はがたがたと震え、至るところから血が噴き出していく。



青年「もう、嫌なんだ」

少女「フューリさん」

青年「目の前で誰かに死なれるのは……」

青年「無力な自分を呪いながら、見殺しにするのは……」

少女「何もできない訳では、ありません」

少女「二人で、一緒に生きることくらい、簡単です。にこー」

青年「…………あぁ」


ゆっくりと、聖剣を握りしめる手に力を込める。


少女「わたし、思ったのです」

青年「……?」


少女「フューリさんと一緒にいると、胸が暖かくなって」

少女「目の前が良く見えるようになって」

少女「フューリさんが一緒じゃないと、不安になって」

少女「何も見えなくなるのです」



少女「だから、わたし」

青年「うん」



少女「……あ、あの、やっぱり後でも、いい、ですか?」

青年「……うん、いいよ。いつでも」

つ づ く
最後まで書こうと思ったけど
まだ長引きそうなので一旦終了



騎士『この野郎……ッ! おっさん、俺を上まで飛ばしてくれ!』

賢者「馬鹿を言うな! 今ここで術式を解除しては、諸共ぶっ飛ばしてしまうぞ!」

騎士『たぶん、さっきのは嬢ちゃんだ……このままじゃ二人とも!』

賢者「分かっておる! 分かっておるが……!」

そう、ようやく準備ができたのだ。

邪竜に対抗するための準備が。

しかし遅かった、集められた膨大な魔力を行き場なく手放してしまえば暴発する恐れがある。

そうなれば賢者自身、無事では済まない。


騎士『じゃ、じゃあ、準備はできてるんだろ? 早く、あいつを!』

賢者「それが出来ればとっくにやっている! 陛下とティノアごと消し炭にしていいのならな!!」


騎士『くそ……一体どうすりゃ……ッ?!』

賢者「魔力を最大限に圧縮して、奴の胴体だけを……どうした? ラル」

騎士『なんだ、この感覚』

突如、寒気を感じる騎士。

だがそれは嫌な予感ではないと直感が告げていた。

ならば、頭であれこれ考えるより、体を動かせばいい。

騎士『……おっさん、いつでもぶっ放せるようにしといてくれ!』

賢者「おい! ……遂に気でも狂ったか?」

それは勘違いだとすぐに分かる。

屍竜が突然、苦しみもがきだしたのだ。


賢者「これは……陛下?」


騎士『フューリ! やっちまえ!』

閃光が迸る。

それは屍竜の下顎を容易く切り裂き、噴き出す黒い邪悪を浄化していく。

そして光は収まり、二つの影が落下してくるのが見えた。

騎士は全速力で走り……

二人を寸でのところで受け止めた。


騎士『無事か!』

少女「わたしは……でも、フューリさんが」

青年「ごほっ、ぼ、僕なら、大丈夫だ」

騎士『強がってる場合かよ!』

屍竜は苦痛にもがき苦しみ、声にならない声をあげている。

殺意が空間を通してひしひしと伝わる、が騎士はそれをも上回るものを感じて身震いした。





賢者「――裂刃、其は全てを引き裂き根絶やす英雄の剣」


騎士『やっべえ! 逃げるぞ!』

騎士はその正体に気づき、手負いの青年と少女を両脇に抱えて走り出す。

賢者の本気だ、それに加え青年を傷つけた屍竜への怒り、あの男に対しての鬱憤を全てこの一撃に込めている。

巻き添えを食らえば一たまりもあるまい。


賢者「邪悪を屠り、我が手に勝利を」



賢者「――天剣"エクスカリバー"」




巻き上げられた砂塵で視界不良になるほどの強風。

周囲には無数の、竜巻のようなものが生まれ、賢者の元へと吸い寄せられている。

少しでも触れれば粉みじんだ、それだけの力が今、解放されようとしていた。

そして賢者が高く両腕を掲げると、激しい火花のようなものがバチバチと音を立て

縦一文字に振りぬかれたその腕の先から

――強大な真空の刃が放たれた。


凄まじい轟音、放たれた刃は山を削り、草木を抉り、屍竜を

一刀両断した。


突き抜けていった刃は天に上り、暗雲を切り裂く

屍竜の断末魔と共に、雲の隙間から光が差し込むのを騎士は感じた。

そして、終わったのだ、とも。



騎士『えげつねえな……』

少女「すごい、です」

視界が晴れ、屍竜であったものが糸の切れた人形のように地に伏せる。

青年「よ、かった」

安堵したのもつかの間、青年は力を出し切ったのか

膝をついてしまう、それを少女が心配そうに支えた。

騎士『早くおっさんに手当して貰おうぜ』

賢者の姿を探す、しかし騎士が見つけた彼は

胸を抑えながら蹲っているという有様だった。


騎士『お、おい、おっさんまで……』

賢者「俺は、心配ない。早く陛下をお連れしろ」

騎士『わかった……けどよ、あんた大丈夫か? あんだけの大技、やっぱ負担も』

賢者「軽い酸欠のようなものだ……すぐ収まる」

問題がないとは思えない、だがしかし、今は賢者を頼る他ない。

騎士は青年に肩を貸し、負荷をかけないようゆっくりと歩く……。


その背後で、何かが蠢く音がした。



青年「――ッ!」

ドンッ


騎士は、少女は、賢者は、その一瞬を、果てしない時間をかけて味わっていた。

青年は誰よりも早く気づき、手負いの体で

騎士と少女を突き飛ばしたのだ。

騎士たちの揺らめく視線の先には、腹部から巨大な槍を生やした青年の姿が映っている。

息絶えたと思われた屍竜は生きていた、いや……まだ動いていた。

寸断された尾から伸びる一本の槍が

死してなお消えない憎悪を携えた、紅い瞳が

確実に青年を捉えていたのだ。


少女「あ、あ……」

騎士『馬鹿野郎……ッ!!』

賢者「…………」

青年「無事、かい?」

少女「フューリ、さん」

騎士『畜生がぁぁぁあああああッ!!』

青年の体から槍が引き抜かれる

支えを失った体は前のめりに倒れ、受け止めた少女を赤く染めた。

騎士は怒りに吠え、崩れた身体を修復しようとしている屍竜に飛びかかる。


青年「はは……また、迷惑かけ、ちゃったね」

消え入りそうな声で青年は少女に語り掛ける。

少女「喋らないで、ください……血、血が」


青年「だい、じょうぶさ……僕は、死なないから」

少女「フューリさん、わかりました、わかりましたから」

青年「君は、言ったじゃないか」

少女「お願い、もう」

青年「……二人で生きるって」

青年「だか、ら、やく……そく」

少女「いや、いや……」

頭の中も赤く染まっていく。

脳みそが、きゅっと絞まるような感覚、それが最大限に達したとき

何かが弾けるのだ。

超えてはいけない何かが。


理性が崩壊する、そう感じた時

白く細い指が少女の手に重ねられた。


踊り子「遅くなってごめんなさい」

そう一言だけ呟いて、彼女の指先から淡い光が溢れだした。

暖かな光は、漏れ出す赤を徐々にだが確実にせき止めていく。

少女「おねえ、さ……」

瞳から大粒の涙を零す少女を見て、踊り子は微笑む。

踊り子「誰も死なせないわ。もう、見てるだけじゃいられないもの」


弓兵「チッ、いやな予感がしたと思ったら。こういうことかよ」

魔道士「うわわ……どどど、ドラゴン?! こ、こんなの無理です! 勝てませんよ!」

弓兵「おいエミリア……ブルってんじゃねえぞ。どういう状況か分かってんのかぁ?」

魔道士「……っ、隊長さん、マグナさん! で、でもあの二人がやられるような……」

弓兵「でも?」

魔道士「……そんな相手に、ぼくなんかがどうこう出来る訳」

弓兵「お前が弱かろうがビビりだろうが関係ねー。お前ができることをやれ」

魔道士「え、あ……」


弓兵の言葉に、魔道士は狼狽える。

彼はそれを気にもせず、研ぎ澄まされた一撃を放った。

それは屍竜の頭部に直撃し、腐った血を吐き出させる……が。

弓兵「……こりゃ、手こずるわな」

苦々しげに屍竜を睨み付ける弓兵、彼の眼は、敵の傷が徐々にではあるが塞がっていくのを捉えていた。

同時に、並大抵の攻撃では倒すことはできないとも予感した。


「それもそのはずじゃ、屍と化そうとも奴は邪竜」

弓兵は背後に近づく、しわがれた声にはっとした。

振り向けば、先ほどの老人がしっかりとした歩みでこちらに向かっているではないか。

弓兵「爺さん、正気に戻ったのか」

老人「うむ……我々のせいで迷惑をかけたようじゃな」

天騎「貴方は……」


老人「どうやら、我が一族に取り付いた邪悪なる者に薬を盛られていたようでな、正気を失っておった」

歩兵「……邪悪な?」

弓兵「俺様達はずっと寝てたもんで、状況がはっきりしねーが……説明してもらう時間はなさそうだ」

そこで弓兵は邪竜に向き直り、鋭い視線で奴を見据えた。

弓兵「どうすりゃあの化けもんを潰せる?」

老人「……ふむ、残念ながらそれは無理じゃ。お主にもわかっておろう」

弓兵「チッ……」

老人「邪竜、いや、ナーガと呼ばれた彼奴には、生半可な武器と力では太刀打ちできまい」

歩兵「……じゃあ、どうすれば?」

老人「神器を集めよ。そして使いこなせ、さすれば彼奴を屠ることができようぞ」

天騎「神器……? ならば、聖剣が」

老人「あれでは駄目だ。光を失っておる」

天騎「例え聖剣に今、力がなくとも、それを待っていられる時間などないんだ!」

天騎「ここで私たちが奴を取り逃がせば、きっと街は……国は!」


弓兵「……落ち着けよ、セライナ。俺様の予想じゃ、もう手遅れだ」

天騎「貴様ッ……! 仮にも騎士王国の騎士、それが……」

老人「クォート、といったか。彼の言う通りじゃ、城下は今頃火の海といったところか」

天騎「そん、な……では、私たちはなんのために」

歩兵「……セライナ。気持ちは分かる、けどしっかりして」

歩兵「……このままでは皆死ぬ、分かって」

賢者「ナディの、言う通りだ……」

天騎を諭す歩兵の元に、魔道士に支えられながら今にも倒れそうな賢者がやってくる。

賢者「誠に遺憾ながら……奴を倒すには俺たちでは力不足なの、だ」

賢者「……だから、頼む。皆を連れて、せめて……逃げ、ろ」

最後の言葉と言わんばかりに、賢者の体から力が抜ける。

華奢な魔道士では、その躯体を支えきれるはずもない

二人は崩れ落ちるように膝をついた。


魔道士「マ、マグナさん?!」

天騎「っ……!?」

弓兵「おいおい……マジかよ」

老人「ふむ、随分と無茶なことをしたようじゃ」

歩兵「……助ける、方法は?」

老人「あるにはある、じゃが」

魔道士「恐らく、ですが……」

魔道士「強大な魔術を使った反動で、急性的な魔力失調になってるんだと思います」

天騎「……それで?」

魔道士「失調に陥れば、残った魔力を制御するための力も失われ、どんどん体外へ放出されてしまう」

魔道士「少しでも多くの魔力を、供給するしかありません……」

弓兵「なら、奇跡による治癒も魔力供給だ、シェリーちゃんに頼んで」


魔道士「それは、だめです。今治療を止めればフューリさんは助からないでしょう」

魔道士「加えて、マグナさんの魔力は相当なものです。下手をすれば今度はシェリーさんが魔力失調に」

弓兵「じゃあどうす……もしかして、お前」

魔道士「ぼくが、やります」

天騎「エミリア、魔道に疎い私でも、君は魔力量が決して多くはないということを知っている」

天騎「……先ほど聞いた話だと、今度は君が」

魔道士「例え倒れても、ぼくができることをやります。ですよね、クォートさん」

弓兵「……なら、言うことねーな」

天騎「分かった。任せよう、私たちは隊長とマグナさんたちを死守する。いいな?」

弓兵「ったりめーだ。だが、死ぬなよ」

天騎「あぁ」

槍を携えて走り出す天騎。その足は青年たちの元へと向かっていた。


歩兵「……やっぱり、男の子。無理しないで」

魔道士「あ、は、はい!」


老人「……よろしい、主らの気持ちは伝わった」

弓兵「おうよ、こんなとこで死んでやれねーんでな」

老人「本来、我々は監視者じゃ。故に手を出すことは禁じられておる」

老人「じゃが……一族を操り、我らに仇なすのであれば、黙ってはおけまい」

弓兵「その、一族っつーのがわかんねーんだが。爺さんたちは一体なにもんなんだ?」


老人「すぐに分かろう」

そういって老人は、懐から淡い光を携えた宝石を取り出した。

それを見た瞬間、弓兵の顔つきが変わる。

弓兵「おい、そいつは……宝玉じゃねーのか」

老人「安心せい、本質はまったく別なるものじゃ」

宝石は老人に呼応するように光り輝き

眩いほどの閃光を発したかと思うと

そこには銀の鱗に覆われた、竜が顕在していた。

弓兵「竜人……、マジもんかよ」

茫然と見上げる弓兵に構わず、銀竜は咆哮する。

人知を超えた戦いが始まろうとしていたのだった。


――

騎士『テメェ……! よくも!』

騎士『やりやがったなァ!!』

孤軍奮闘、騎士は隊を半壊させられても尚

たった一人で天災に等しい敵と対峙していた。

彼の戦意が喪失することはなく、怒りによってそれは増したといえよう。

敵の強大過ぎる攻撃を躱し、受け止め

敵の強固過ぎる防御を裂き、砕いていく。

だが健闘むなしく

騎士『チィッ!』

奴の体は、一部一部が蠢く蟲のように集まり、また元の形を成していく。

騎士の力ではその尋常ならざる再生力を上回ることができない。

一方で奴の至る箇所から放たれる、数々の凶器は

騎士の体を無残にも痛めつけていく。

戦いが長引けば彼の敗北は決まっているも同然だった。


騎士『くそったれが……!』

だが彼は諦めない、怒りに諦めという言葉を忘却させられてしまったようだ。

剣はとっくにへし折れ、それでもと拳を酷使し続けた結果、篭手は歪に変形してしまっている。

ならば、と

騎士『ォォォオオオッ!!』

騎士は雄叫びをあげ、邪竜の再生しかけた皮膚下に見える武器を鷲掴み

強引に引き抜いた。

手にしたのは錆びついた一本の槍、錆を落とせば随分と立派なものなのだろう。

だが錆は酷く、本来の力の半分も引き出すことはできまい。

それでも構うものかと、騎士は槍を構え

渾身の突きを放った。

騎士『……っ、なんだ、これ』



妙な感触を味わう、錆びついているのにも関わらず、その矛先は邪竜の肉を容易く引き裂いたのだ。

まるで皮膚が、肉が、その槍を避けているかのように軽い感触。

騎士『そうか……こいつの体内にあったってことは、以前こいつに一撃食らわせたってことだ』

騎士『なら、普通の槍じゃないって訳だな! これなら、いけるッ!』

決断は早かった、不確定な部分も多かったが、騎士は己の直感を信じた。

彼は重い鎧を纏ながらも、軽やかな足取りで駆け

槍を棒高跳びの要領で地面に突き刺し、飛び上がった。

狙うは眉間、うまく行けば倒すまではいかずとも、行動不能にはできる。

空中で槍を目いっぱいに引き絞り狙いを定める。

のを、邪竜は知っていたかのように待ち構えていた。

大きく開け放たれたその咥内から、くすぶる紫炎が垣間見える。

騎士『……ッ?!』

もう遅い、だが怯みはしなかった。

互いの必殺が、同時に放たれる――



その前に、騎士の眼前を銀の竜が遮った。


金の瞳と目があったきがした、突如現れた銀竜は

邪竜に頭突きを食らわせ、巨体を易々と地面に叩き付ける。


騎士『な、なんだこいつは、敵……って訳じゃなさそうだが』

空振りに終わった一撃の感触を手に残しながら、両の脚で大地を踏みしめる。

とそこへ、弓兵が慌てて駆け寄った。

弓兵「おい! 下がるぞ!」

騎士『クォート、意識が戻ったのか……』

弓兵「そいつは後だぜ、こいつは俺たちの手にゃ負えねえ、あのじいさんに任しときな」

騎士『よくわからねえが……わかった』

人知を超えた戦いに、巻き込まれないよう急いで距離をとる騎士たち。


大地を伝わる振動と、崩壊の轟音からその凄まじさが伺える。

騎士『……で、あいつは一体?』

弓兵「俺様もびっくらこいたがよ、あれは聖域にいた爺さんなんだ」

騎士『人が、竜に? 御伽噺じゃねえんだぞ』

弓兵「竜も御伽噺だろーが……今更何かあっても、もう俺ぁ驚かねーぞ」

騎士『本当らしいな、信じらんねえが……ともかく』

騎士『フューリはどうなった』

弓兵「……はん、さっきまであんな化けもん一人で相手にしてたくせに、もう人の心配かよ」

弓兵「容体はよくねー……さっさと行ってやれ、シェリーちゃんも一緒だぜ」

騎士『シェリーもだぁ!? わかった、サンキュ!』


弓兵「……お熱いこって、さーて」

弓兵「力の差はよくて五分、悪くて……爺さんのほうが動き悪いな」

弓兵は思考する、毒を盛られていたらしい老人と

屍ではあるが、再生を続けている邪竜。

弓兵「あのまま行けば……チッ、考えたくもねーな」

指を咥えてみているだけは、彼の性分ではないが

下手な攻撃は邪魔になるだけだ。


もうとっくに、彼らの踏み入る余地はなくなっているのだから。

つ づ く
次できっとたぶんおわり

みすったこれだっけ

――

魔道士「……人間への魔力供給なんて初めてだけど、やるしかない、よね」

歩兵に頼み、安置へ賢者を運んだあと

魔道士は魔力増強の簡易な魔法陣を地面に描いていた。

本来ならば事前にいくつかの準備が必要なのだが、この緊急事態では万全の用意を期待できない。

魔道士「よし……これで」

一刻を争うのだ。

魔道士「マグナさん、少し失礼します」

気を失っている賢者に、形だけだが断りをいれ服をずらす。

少しでも魔力の通りをよくするためだ。


魔道士「……っ?! こ……れ」



魔道士「本だけでしかみたことないけど……もしかして、刻印?」

賢者の腹部を中心に、四肢へ伸びていく夥しいほどの呪詛。

魔道士「酷い……こんなに、進行して。いったい誰が」

あまりの惨状に、固まってしまう魔道士。

だが両頬を叩いて気を取り直すと腕を賢者に掲げ集中し始める。

刻印の進行具合からして、常時とてつもない激痛が襲っていたのは確かだ。

それを平然と取り繕っていた賢者の体力と精神力に驚かされるが

魔道士「それにしたてってこの容体じゃ……耐えられるわけないですよ」

魔道士「はやく、しないと」

魔力の供給、ただでさえ魔力を他人に移すのは至難の業といえる。

放出はしたものの、それをすんなりと受け入れてくれるかと言えばそうではない。

魔道士「……うぅ、やっぱり、難しい」


魔道士「けど、ぼくがここでやめるわけには……!」

ただひたすら、少ない魔力を無理やりに送り込む。

わずかではあるが、賢者の顔に生気が宿るのを見て、魔道士は途切れそうな精神を辛うじて保つ。

一筋の光明が見えた

それと同時に、暗い影がさす。


歩兵「……エミリアっ」

魔道士「え、ナディさ――っ!?」

魔道士の背後に忍び寄った影、それは手にした直剣で

歩兵の脇腹を掠め取った。

歩兵「……いっ」

魔道士「ナ、ナディさん!」


歩兵「……気にしないで、続けて」

歩兵は怪我を顧ず、槍を構える。

魔道士「そんな、ぼくも今」

歩兵「……だめ」

魔道士「でも、怪我をっ……」

歩兵「…………」

歩兵は何も言わない。

そしてこれが答えだと言わんばかりに

人間をぐちゃぐちゃに歪ませたような影へと立ち向かった。

魔道士(……そうだ、ぼくは非力だ)

魔道士(だから今は……できることをしなくっちゃ)


賢者「…………」



――

対峙する二対の巨竜、その様はまさに神々の戦いと言えよう。

もはや人には手の施しようがない、いや

まっとうな人間であれば関与することさえ拒むだろう。

突如現れた銀竜に、邪竜は警戒するように唸る。

対して銀竜は、時間が惜しいとばかりに先手を打った。

口元から燻る紅蓮の炎が

爆発的に燃え上がり、邪竜に向けて放たれる。

灼熱の炎は岩を溶かし、大気を焦がし、邪竜を消し炭にする。

はずだったのだが、邪竜は真っ向から火炎に突っ込み、肉が焼けただれるのも構わず

銀竜に強烈な体当たりをぶちかました。

生易しいものではない、如何に強固な砦であろうとも一瞬のうちに崩れ去るほどの質量だ。

銀竜は対処できずに直撃する。痛々しい悲鳴が響き渡った。

だがやられてばかりではない、銀竜は邪竜の巨体をそのまま鷲掴み

地面に叩き付ける。


そんな一進一退の攻防の後方で、人々の戦いが続いていた。


騎士『おいッ! 無事か?!』

踊り子「私たちは……でも」

懸命に奇跡を使い続ける踊り子、額には汗が滲んでいる。

今にも泣き出しそうな少女は少しでも出血を抑えるべく、青年の至る所に包帯を巻いていた。

状況を見るにあまり芳しくない様子。

騎士は人知れず歯噛みをした。

騎士『……そうか』

天騎「ラル、お前こそ無事だったか」

騎士『ああ、俺はな』

ぼろぼろになった鎧を一瞥して、天騎は少し表情を曇らせた。

天騎「とにかく移動はさせたが、あの規模の戦闘だ。いつ被害がこちらへ及ぶか分からない」

騎士『あぁ……だからこそ、俺たちが全力で守ってみせる』

天騎「……そうだな」


騎士は周りに気を配りつつ、青年の様子を見ようと傍らに膝をつく。

それに気づき、少女が不安そうな顔で騎士を見上げた。

少女「ラルさん……フューリさんが」

騎士『…………っ』

それは初めてみる表情で、騎士は思わず言葉に詰まる。

少女「いっしょに、いっしょにクレープ食べにいくって、約束しました……っ」

少女「ふたりで生きようって……やく、そく」

騎士は何も言えない、気の利いた言葉も出てこない。

いつも少女の無表情を映す騎士の瞳は、年相応の多感な女の子が映っていた。

叩けば簡単に壊れてしまいそうな、普通の女の子だ。

騎士は黙ってその肩に手を置いた。

踊り子「ごめんなさい、私がもっとうまくできたら……」

騎士『……シェリーが謝るこたないさ』

騎士『それに、俺は信じてるぜ。シェリーなら、きっと出来るとかじゃないが』


騎士『……絶対、諦めないでくれるって』

踊り子「ラル……」

騎士『だから嬢ちゃんも信じてくれ、大丈夫だって。フューリと、シェリーのことをさ』

ようやく絞り出した言葉は騎士なりに、考え抜いて選んだ言葉だった。

それは騎士自身にも投げかけた言葉で

唯一の希望を見出すためだった。


だが現実は、そう上手くいくものでもない。

騎士は体が勝手に動くのを感じ

彼が何を伝えようとしたのかを一瞬遅れで理解した。

踊り子「ラル……?」

騎士の右手は青年の胸に、耳は青年の口元へ近づけられていた。

騎士『……っ』

さーっと血の気が引いていく。

動いていないのだ。


騎士『呼吸が……心臓も、止まってる!!』

少女「え……」

踊り子「そん、な」

騎士『おい、フューリ! しっかりしろッ!』

意識などある訳がない、それでも声をかけずにはいられなかった。

踊り子「ラ、ラル、落ち着いて!」

騎士『でも、このままじゃあ』


悪いことは立て続けに起こるものだ。

希望を塗りつぶすかのように、暗い影が再び迫っていた。

天騎「……ラルッ!」

騎士『今度は一体なん――』

異形の影。

人間を溶かして固めたような風貌のそれらが、騎士たちを取り囲むように現れたのだ。


騎士『こいつらは……』

天騎「ついに魔物にまで侵入されたか……!」

騎士『違う、こいつらからは邪竜と同じ臭いがする……』

天騎「奴の分身とでもいうのかッ!」

槍を構え、影の尖兵たちに突き出す。

が、効果はない。

邪竜の分身であり、同じ性質を持つ奴らには通常の武器が通用しない。

天騎「効かない……ッ?!」

騎士『くそッ、こんな時に限ってぇ!』

青年のことが気がかりではあるが、奴らを捨て置くことはできない。

騎士は邪竜より奪い取った槍を振り回す。

その矛先は影の尖兵を貫き、蒸発させた。

騎士『……ッ! やっぱり、いけるのか! こいつなら』


確かな手ごたえ、この槍が一体何なのかを考えている暇はない。

青年たちを守るためには、手段を選んではいられない。

騎士『テメェら、とっとと失せ、やがれぇ!!』



踊り子「なん、で。血は止まってるはずなのに……」

激闘が始まったころ、踊り子は奇跡を使う手を休めずに考えた。

そうしていられるのも騎士への信頼があってのことだった。

だが、奇跡が扱えるとはいえ、本格的な医療行為など行ったことがない。

要は場馴れしていないのだ。

踊り子「そうよ……とにかく、呼吸をさせなくちゃ」

踊り子「でも……」


少女「……はぁ、見てられない」

踊り子「……っ」

踊り子ははっとして、顔をあげた。

そこにいたのは少し不機嫌そうに眉をひそめた少女だった。

先ほどまでの少女はいない。

踊り子「あなた」

少女「できること、あるんでしょ? 何をすればいいの」

少女「……せっかくここまできたの、簡単に死なせないから」


踊り子「……そう、ね。じゃああなたにも、手伝って貰おうかしら」

踊り子「息を、吹き込むの、直接。口から口へ」

意を決したように少女を見つめる踊り子。

少女「……く、口から? わたしの?」

その口からでた思いがけない言葉に、少女は顔を赤くする。

踊り子「鼻から空気がでないようにつまんで、唇を覆うようにその、こう、ね? き、キスして、ふーって」

少女「ききき、キス……? そ、そんなこと」

追い打ちとでも言わんばかりに踊り子は続け

遂には少女を朱に染め上げた。

踊り子「……フューリさんの命がかかってるのよ」

少女「う……」

抗議の視線を少女は送るが、それを言われてしまえば言い返すことはできない。


踊り子「大丈夫、立派な医療行為よ。あなたが息を吹き込むと同時に、私が奇跡を使って心臓の動きを助ける」

踊り子「そうすれば」

少女「わ、わかったわ。やれば、いいんでしょう」

踊り子「お願い……いきます」

少女「…………、んむっ」

少女は一瞬ためらったのち、青年の鼻をつまみ、口づけをする。

その唇は初めての感触に震えていたが

大きく息を吹き込むと、青年の胸がわずかに膨らんだ。

踊り子「……動いて」

そこですかさず、踊り子が魔力を送り込む。

祈るような気持ちだった。上手くいくかどうかわからないのだから仕方ないだろう。

それを何度も続ける、最初はぎこちなかったが、何度目かから安定し始める。

少女「んー……っ」

しかし、依然として少女の頬は朱に染まったままだった。


恥を忍んでの行為、その行為は

青年「…………」

踊り子「っ! 今、手が」

報われた。

少女「……っ」

踊り子の言葉に思わず唇を離す。

唾液で艶やかに濡れた唇を拭き取ろうともせず、少女は青年の手に指を絡めた。

僅かだがぴくりと青年の指が動く、そして少女の頬にか細い息が吹きかかるのを感じた。

少女「息……してる」

踊り子「やった、やったわティノアちゃん!」

踊り子「あと少し……!」

脈拍が戻ったとはいえ、正常でないことは確かだ。

これまでで勘を掴んだ踊り子は、苦も無く再び魔力を送り始める。

血流を安定させる、その手助けを魔力の流れによって行っているのだ。



踊り子「頑張って……フューリさん」

少女「…………」

ぎゅっと、ただ青年の手を握りしめる少女。

彼女としては珍しい、深刻な表情していたろうが、それには本人ですら気づかない。


青年「……っ、げほ」

突然、寝ていた青年が咳き込む。

慌てて踊り子は様子を伺うが……

踊り子「……呼吸も落ち着いた、脈も正常」

踊り子「……っ、はぁ。助かった、のね」

安堵の溜息、それは青年が一命を取りとめたことを物語った。

少女「本当……世話のかかる人」

踊り子「でも、まだ安心できないわ。できる限りのことをしましょう」



騎士『シェリー! フューリは』

踊り子「安心して! 生きてる、生きてるわ!」

騎士『……っ! よく、やってくれた』

天騎「だが、この状況ッ!」


天騎は吉報に少しだけ表情を緩めるも、影の尖兵を槍で押し返しながら叫んだ。

天騎「このままではいずれ、皆まとめてお陀仏だぞ!」

騎士『一体一体なら、なんとかなるが……こうもまとめて来られるとな……ッ!?』

万全の状態ならば、難なくいなせる攻撃だった。

しかし、邪竜との戦いで気づかぬうちに極限まで消耗していたのだろう。

貫いた尖兵の影から、鋸状の剣が騎士に襲い掛かり

その肩口を引き裂いた。


騎士『うっ……がぁ!』


踊り子「ラ、ラルッ!」

天騎「くっ……一旦下がれ!」

騎士『だ、大丈夫だ。問題ねえよこんくらい』

天騎「馬鹿を言うな! そんな傷で、まともに戦えるわけがないだろう!」

騎士「……すまねえ』

傷を抑え、後退する騎士。

だが唯一の対抗手段である騎士を失えば

天騎だけで抑えることなどできない。

なんとか押し返してはいたが、徐々にその包囲網は彼らを蝕んでいった。


踊り子「痛く……ない?」

騎士『あぁ、シェリーのおかげで大分マシになった』

踊り子「……嘘ばっかり」

踊り子「……? ラル、首にも怪我、してるんじゃない?」

騎士『ッ!? い、いや、なんともない!』


踊り子「そ、そう……?」

少女「気にしてる場合じゃないでしょ? 傷が治っても、このままじゃ意味がないの」

騎士『そりゃ、ごもっともで……』

毒か、何かだろうか、傷口から指先にかけて痺れるような感覚がする。

騎士はそれを気取られないよう、槍を抱えて立ち上がった。



騎士『……っ』

踊り子「だ、大丈夫?!」

力なく、その場で膝から崩れ落ちる。

いつの間にか、下半身の感覚がなくなっているのだ。

生まれたての小鹿のように痙攣する己の両足をみて、思わず騎士は拳で叩きつけた。

騎士『くっ……そぉ、なんで、動かねえんだ』

踊り子「やめて! そんなことしても……!」

騎士『けど、俺がやらなきゃ……皆、皆が!!』


「……まったく、情けない奴だ」

騎士『え……』

突如、大気が凍てつき

地面を突き破って生まれた氷の刃が、影の尖兵たちを串刺しにしていく。

こんなことができるのは、騎士の知る限りで一人しかいない。

ざり、と砂利をを踏みしめて現れたそいつは。

いつもと変わらぬ表情を浮かべて、堂々とした足取りでこちらへ向かっている。


騎士『おっ……さん』

賢者「手間をかけさせたな、しかし、俺は逃げろといったはずだがな……」

天騎「……仲間を置いて、逃げられるわけがないでしょう」

天騎「エミリアは、成功させたんですね」

賢者「あぁ、まさかこいつに救われようとはな」


賢者は、両肩に魔道士と歩兵を抱え、踊り子たちの元へ下ろした。

二人は気絶しているようだった、しかし、服の損傷具合に比べ目立った外傷はない。

賢者によるものだろう。


騎士『けど、もう動いていいのかよ』

賢者「お前に比べれば、幾分かマシだろうよ」

騎士『よく、いうぜ……』

賢者「とにかく、ご苦労だった。あの一撃で決められなかった俺にも非はある」

賢者「あとは……任せろ」

そう言って彼は目を瞑ると

周囲に暖かな光を放つ円が出現した。

賢者「効果はあまり、期待するなよ」

回復の奇跡だった。淡い光は粒子となって、騎士たちに吸い込まれていく。

その場にいる全員が体が楽になるのを感じた。

賢者を除いて。



天騎「……助かります」

踊り子「すごい……あれだけ疲れてたのに、嘘みたい」

少女「……でも、一体あれをどうするつもりなの」

そう、最大の問題はまだ解決されていない。

未だに銀竜と邪竜は、一進一退の攻防を続けている。

到底人にどうこうできるとは思えない。


賢者「少々、癪だが……ここは撤退させてもらう」

騎士『撤退ったって、逃げ場なんて』

賢者「逃げ場がないなら、作ればいいだろう……」

騎士『はぁ……?』


賢者「まだ、諦めていない奴もいるようだしな」


その時、少し離れた位置から

車輪が大地を掻く音が聞こえた。


弓兵「よお! おまっとさん!」

天騎「クォート……? 今まで、一体どこに!」

全員が音の鳴るほうへ視線を向ける。

そこには

弓兵「なんかねーかなーって探してたんだよ、おかげでいいもん見つけちまったぜ」

移動式の巨大なバリスタを駆る弓兵の姿が。

全長三メートルはある、弩からはこれまた桁違いの矢が備え付けられていた。


騎士『んなもんが……』

賢者「クォート、時間を稼げればそれでいい」

弓兵「おいおい、こんな上等の得物を見つけといて、時間稼ぎだけたぁもの足りねーだろ?」

弓兵「文字通り、一矢報いてやるさ」


弓兵は照準の微調整を行い、引き金を引き絞る。

ぎりぎりまで張りつめられた弦は、一瞬にして解き放たれ

高速の矢を射出した。



凄まじい速度のそれは、邪竜の皮膚を穿ち

頭の上部を消し飛ばした。

あまりの衝撃に邪竜は天を見上げ、硬直する。

しかし

奴の頭が煙に包まれたかと思うと、そこには変わらず紅い瞳が怪しく輝いていた。


弓兵「……ひゅー、やっぱだめみてーだな。ここまでくりゃ俺様もお手上げだ」

騎士『散々恰好つけといて、諦めんのはええんだよ……』

弓兵「なーに、こうなりゃ最低限の仕事させてもらうだけだぜ」

すぐさま次の矢を装填し始める。

邪竜の怒りの矛先が弓兵に向けられるも、銀竜がそれを許さない。

首元に食らいつき、邪竜が咆哮をあげる。


その張りつめた糸がいつ切れるかわからない状況で

賢者は一人、詠唱を始めた。



賢者「……其は全てを裁き、穿つ天上の剣」

声音が、いつもと違った。

いつもはもっと、自分の力を試してやると言わんばかりの

ある種の愉悦が含まれた詠唱だったのだが。

賢者「力を持って天空を制し、纏いし炎熱は大地を死へ誘う」


嫌な予感がする。

それを感じ取ったのは、騎士だけではなく

魔道士「……はっ、マグナ、さん?!」

天騎「エミリア、目が覚めたのか!」

魔道士「あ……あぁぁ、だ、だめですっ! マグナさん!」

歩兵「……なに、なにがあったの」

天騎「どうした、エミリア、落ち着い――」

魔道士「今は、最低限にも満たない魔力しか、残されていないんですよっ?!」

魔道士「そんなことしたら、マグナさん、あなたがっ!」


騎士『――ッ!!』

気付けば、騎士は賢者の腕を掴んでいた。

賢者「…………」

騎士『……あんた、何しようとしてんだ』

賢者「其によって世界は終結し、世界は新たなる命を生み落とす」

騎士『おいッ! 聞いてんのかよッ!!』


賢者は、詠唱を止めず、ちらりと騎士を見やった。

その瞳は。

これ以上にない、優しさに溢れていた。

初めて見せる表情に、騎士は何も言えないでいた。

ゆっくりと、手を離してしまう。もう自分にはどうしようもないとわかってしまったから。

彼の決意を、思いを、止めることは――できない。


最後に、彼の口が告げる。

――しばらくの間、皆を、陛下を頼んだぞ。

騎士『――っ』

魔道士「だめですっ!! 今度は本当に、しんじゃ――」

賢者「全ては新しい時代のため、降り注げ星屑ッ! "メティオ"」


その時、空が赤く染まった。

闇夜に輝いていた無数の星が、熱を纏って降り注ぐ。



弓兵「おっと……なんだかよくわからんがやべーっ!」

弓兵も最後っ屁と言わんばかりに引き金を引き

一目散に騎士たちの元へ駆け込んだ。


魔道士「あぁ……あぁぁ……」

間もなく、星は周囲を破壊しつくすだろう。

魔力の放出と共に白く、冷たくなっていく賢者をみて騎士は漠然と思った。


遠くでは戦いの末、力を出し切ってしまった銀竜が

己の全てをかけて邪竜を抑え込んでいる。


少女「……馬鹿な人、でも」

少女「わたしも、人のこと言えない、か」


その日、夜空に輝く一つの星が、消え去った。








託されたものたち。



o wa ri
おまたせしやした
つぎは忘れ去られていた(俺の中で)男くんのお話になるとおもいます
お付き合いくださいませ

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