水木聖來「…クサッ」 (48)
以前書いたSS
凛「クサッ」
凛「クサッ」 - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/news4ssnip/kako/1375/13759/1375905120.html)
の続きと言うか、別視点でのお話です。
内容としては季節外れ甚だしいものとなっています。
前回の内容とは180度違った方向に進行していきます。
今回も一人称視点での進行となっています。
書き溜めの投下ですが、ちょっと長めになってしまったので時間が掛かってしまうかもしれません。
gdgdな部分も結構ありますが、よろしければお付き合いください。
SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1387038995
うだるような暑さの続く夏の日。
いつものように仕事を終え、事務所に戻った私は、pさん達のいるであろう事務室の扉を開ける。
聖來「ただいまー…ってあれ、今凛ちゃん1人?」
事務室の中に立っていたのは、アイドルとしての先輩であり、同じ事務所のアイドル仲間でもある凛ちゃんだった。
渋谷凛。
この事務所の立ち上げ当初から所属しているアイドルであり、数多くのファンから高い人気を誇る、我が事務所きってのアイドルだ。
彼女はまさにクールの代名詞と呼ぶに相応しく、ステージでの彼女の姿は、私も憧れてしまうほどだった。
そんな彼女が立ち尽くす事務室の中。
見てみれば、pさんも、事務員のちひろさんの姿も見当たらない。
凛「おかえりなさい、聖來さん。はい、今はプロデューサーもちひろさんも出ていて…」
事務室の様子をキョロキョロと見渡しているあたり、おそらく彼女もこの部屋には入ったばかりなのだろう。
2人ともいないことを知っているあたり、pさんと入れ違いにでもなってしまったのだろうか。
と、そんなことを考えていた折、不意に強烈な嫌悪感がアタシを襲う。
それと同時に私は、咄嗟に鼻をつまんでいた。
聖來「って、何この臭い…鼻が曲がる…!」
臭い。猛烈に臭い。
原因を探し、部屋を見回す。
そしてアタシの目に留まった黒いもの…それは、ソファの近くに脱ぎ捨てられていた靴下だった。
これほどの臭いともなると、アイドルの誰かの物だとは考えにくく、しかもこの部屋に脱ぎ捨ててあるということから
誰のものかは容易に想像がついた。
おそらくは、暑さに参ったpさんが放置して行ってしまったのだろう。
女の子をプロデュースする、という立場にありながら、まったく困ったものだ。
聖來「もー、pさんったら…こんなところに脱ぎっぱなしじゃ皆嫌がっちゃうぞーっと」
嫌々ながらも鼻をつまんだまま靴下に近づき、ゆっくりと手を伸ばす。
さすがに臭いの大元となっているであろうつま先側を持つのは気が引けたので、膝側を摘み上げようとした。
した、のだが。
何故か靴下は私の指に摘まれる事はなく――凛ちゃんの手の中に、しっかりと握り締められていた。
あまりに唐突過ぎる出来事に、アタシは呆気に取られてしまう。
が、なんとか意識を戻し、浮かんだ疑問をそのまま彼女に投げかける。
聖來「な、何?どうしたの凛ちゃん?」
ストレートすぎる疑問。
それ以外に何を、どう聞いたらいいのか、なんてまるで分からなかった。
何せ、異臭を発する靴下、しかも自分のものではない靴下を、年頃の女の子がその手に握り締めているのだ。
私にはその状況がよく分からず…それは、当の本人である凛ちゃんでさえ、よくわかっていないようだった。
凛「あ…こ、これは、その…」
口から出た言葉は拙く、視線は宙を泳ぐ。
おそらくは、それが精一杯の言葉だったのだろう。
アタシ自身、自分と彼女をどうしていいかわからなくなってしまうが、ここは事の発端である靴下を片付けてしまうのがベストだと思えた。
その為に、アタシは。
聖來「え、っと…凛ちゃん、悪いけどソレ、片付けておいてくれるかな?アタシだと扱いに困っちゃいそうだし」
凛ちゃん自身の口から次の言葉を待ち続けるのは酷な事だと思い、そう切り出す。
それに、未だ彼女の手の中にあるそれを私がどうこうするのもおかしな話だ。
凛ちゃんは一瞬迷ったような表情を覗かせるが、その表情は一瞬で隠れてしまった。
凛「…わかりました。とりあえずプロデューサーのロッカーにでも入れておきます」
少しばかり嫌そうな顔を浮かべ、溜め息交じりの言葉。
けれども先程の表情から、その言葉にはどこか嘘が隠れているのではと勘繰ってしまう。
聖來「ありがとー!これはpさんが帰ったらちゃんと言っておかないといけないね」
しかしあの凛ちゃんのことだ。
やましいことなどあるわけはないと、アタシは素直に心からの感謝を露にする。
手を振り、事務室を後にする凛ちゃんを見送ると、私は鼻をつまんでいた手を離した。
聖來「…クサッ。頑固な臭いだなぁー…」
異臭の原因が無くなったばかりとはいえ、未だ薄まることなく部屋に充満したままの臭い。
改めてその臭いを嗅ぎ、アタシはがっくりと肩を落とした。
帰宅したアタシを出迎えたのは、私の大好きな家族であるわんこだった。
聖來「よしよーし、ちゃんといい子にしてた?」
わんこを抱きかかえ頭を撫でてやると、嬉しそうにぱたぱたと尻尾を振る。
ついアタシも嬉しくなってしまい、家の中へとわんこを抱きかかえて入っていく。
そろそろお風呂に入れなければならない時期であったし、丁度いいとも思ったのだ。
聖來「わんこには久々のお風呂だし、今までいっぱいかいた汗の頑固な臭いもしっかり落とさないとね!」
応えるように吠えたわんこと一緒に家へ上がる中、アタシは先程の自分の言葉を思い返していた。
今日の事務所での一件と共に。
どっちエンドのだろ
お風呂から上がったアタシは、ベッドの上に寝転んでいた。
ベッドの下では、わんこがボールとじゃれている。
私は寝転んだまま雑誌に目を通し、ページをめくっていくが、内容など頭に1割も入ってこない。
ただただページをめくっていくという、作業と化している。
原因は明確だ。
今日の、事務所での凛ちゃんの行動。
アタシが摘もうとした靴下を、何故彼女は咄嗟に掴んだのか。
何故、彼女は直に握り締めるなどということが出来、そして最後まで離そうとしなかったのか。
…そう言えばいつだったか、pさんが“靴下が無くなった”って騒いでたっけ。
だが、その靴下は3日ほどの後に、丁寧に洗濯までされて戻ってきていたと聞いた。
何回かそんなことが続いたある日から、ぱったりとそんなことは無くなったとも。
もし、仮に。
仮にその犯人が凛ちゃんであったとして、だ。
彼女にいったい、なんの得があるというのだろうか。
pさんが履き古した靴下。
今日の事務所で、思わず鼻を摘みたくなるような臭いのする物。
凛ちゃんがそれを手にしたとしても、彼女の得になることなど、アタシには到底思いつかない。
それに。
彼女、“渋谷凛”というアイドルに、アタシは少なからず憧れを抱いている。
アタシより8歳も年下で。
学業と仕事とを両立して。
今をときめく人気アイドルで。
ステージに立つアイドル・渋谷凛の姿は、いつトップアイドルになってもおかしくないほど、いつも輝いて見えている。
そんな彼女がpさんの靴下などをどうこうしている姿など、想像してみても、とても似つかわしいものでは無かった。
いくらなんでも考え過ぎだ、と自分で思い、かぶりを振る。
そもそも、pさんの靴下を盗んだとして、それでいったい何をするというのだろう。
臭いを嗅ぐ?
いくらなんでもありえないだろう。
ちらりとわんこを見やると、未だボールに夢中になっているようだ。
…犬だったら、一体どういう反応をするのだろう。
そんな考えが頭をよぎり、アタシは体を起こしてベッドに腰掛ける。
聖來「…ねぇ。わんこはどう思う?」
そう言って、わんこの鼻の近くに足を伸ばす。
わんこはアタシの足に気付き、ボールで遊ぶのをやめて臭いを何度か嗅ぐと、短く1回だけ“わん”と吠えた。
喜んでいるのか、怒っているのか、嫌がっているのか。
はたまたまったく別の表現なのか。
アタシには、その時のわんこの気持ちはまったくわからなかった。
そもそも、お風呂に入ったばかりで石鹸の臭いのする足を嗅がせてみても、あの臭いの反応とは違うと決まっているのだ。
それでもやはり、わんこも嫌がるに違いない。
刺激臭から顔を背けるのは、危険なものから身を守るという、一種の防衛本能でもあるのだから。
けれども、いつまでもそんなことを考えていても仕方が無い。
自問自答を繰り返したところで、いつまで経っても答えなど出る筈は無いのだ。
聖來「…よっし!そろそろ寝よっか!」
ベッドの下のわんこを抱きかかえて電気を消すと、アタシは一緒にタオルケットの中へと包まった。
考えはまとまらず、もやもやした気持ちは残っていたが、寝てしまえば関係のないことだ。
明日からもまた、忙しないアイドルの1日が始まる。
そうなってしまえば、こんな他愛の無いことなど考える暇も無いと、そう自分に言い聞かせて目を閉じた。
外は太陽の照りつける真夏日。
こんな暑い日でも、冷房の効いた室内でのダンスレッスンは関係なく行われる。
アタシは丁度レッスンを終え、スポーツドリンクを飲みながらシャワールームへと向かっていた。
しかし、水溜りが出来るのでは、というほどの汗を流した体は、際限なく水分を欲している。
用意してきた分を飲み終えてしまったアタシは、未だ渇いたままの喉を潤す為、自販機で新しいものを購入した。
ダンスは得意であると自負してはいるが、アイドルの道は険しいもので、レッスンだけでも毎回これでもかというほどの水分を失っている。
今日だって、着ているスウェットはすでに汗だくで、絞れば夥しい量の汗が流れ出てくるに違いない。
ベタベタになったスウェットを早く脱ぎたくなって、アタシはふと思い出した。
――臭い。
そう、臭いだ。
今のアタシの臭いは、あの時の――pさんの靴下と、似たような状況にあるのではないだろうか。
もしそうならば、と思った瞬間、私の耳には悪魔の囁きが聞こえていた。
――――嗅いでもいいんだよ――――
そう。
この汗まみれのスウェットはアタシのもので。
アタシの臭いで。
アタシが自分自身の臭いを嗅ぐだけならば、誰にも何の迷惑をかけることもない。
それならば、と思い、アタシはシャワーを浴びる前に、その臭いを嗅いでみることを決心した。
どうやらアタシの心には、それを自制する天使が都合よく舞い降りてくることなど無かったようだ。
更衣室でスウェットを脱いだアタシは、逸る気持ちを抑えられずに、自らの汗でずぶ濡れになったスウェットに顔を押し当てた。
押し当てた、のだが。
やはりというかなんというか、そこに在るのはただただ“汗の臭い”だけでしかない。
当然といえば当然なのだが、その当たり前の事象に、アタシは肩透かされた気分になった。
聖來「…それもそう、だよね」
そもそも、汗の臭いなどはアイドルになる以前、ただただダンスが好きで体を動かしていた当時から知っているものだ。
それが今更嗅いでみたところで、何か新しい発見があるわけでも無い。
長椅子に腰掛けて俯く。
俯いた視線の先にあるのは、足。
そして、自らの足に履いているダンスシューズ。
レッスンの時に汗をかき、足の臭いを内包しているもの。
はっとして急ぎダンスシューズを脱ぎ、鼻に押し当てて内の臭いを嗅ぐ。
傍から見ればみっともない行為ではあったが、今のアタシにはそんなことを考えている余裕は無かった。
臭いと言うのは不思議なもので、嫌な筈のものでも、時たま心地よい気分へと誘う時がある。
今のアタシの気分は、まさにそんなものだった。
確かに嫌な臭いであり、アタシ自身、今は顔を顰めているのがわかる。
それなのに、何故か何度も嗅ぎたくなってしまう。
癖になってしまうような感覚。
足の臭いなど、基本、自分のものであろうと嗅ぐのすら嫌悪する存在だとアタシは思う。
ましてや、洗うなどの手入れをしているとは言え、何度も使用してその臭いより更にひどくなった靴の臭いだ。
靴の中の臭いなどというのは、酷くなれば離れていても漂ってきてしまう。
だからこそ、靴の中の臭いを間近で嗅ぐ、などと言うことは今まで有り得なかったのだが。
それなのに、今のアタシは、この“匂い”に酔いしれてしまうような感覚に陥っていた。
何故、こんなもので。
何故、こんな気分になってしまうのか。
暑さでおかしくなってしまったのだろう、とアタシは思う。
わんこが今のアタシを見たら、威嚇するように吠え続けたりするのだろうか。
それでもいい。
たとえそうであったとしても、今のアタシには、この感覚を味わえれば十分だった。
…もし、これよりももっと強烈な匂いを嗅いだら?
考えただけでも身震いする。
もしこの匂いよりも、もっとアタシの気分を昂揚させるものがあるのならば。
その存在を頭の片隅に思い浮かべながら、アタシは長椅子からゆっくりと立ち上がり、覚束無い足取りでシャワーを浴びに向かった。
今日は久々のオフで、アタシはわんこの散歩をしながら、太陽の陽射しを一身に浴びていた。
どうやら夏の最高気温を更新しているようで、今年一番の猛暑日になるだろう、と天気予報で言っていた。
そんな日であろうとも、わんこの散歩は欠かせない。
何よりわんこと一日中一緒に過ごせるのだ。
アタシにはそれが嬉しくて仕方が無かった。
聖來「ねぇ、次はどこにいこっか?」
屈みながらわんこに問う。
わんこからは“わんっ”と嬉しそうな声。
こんな暑い日でも、きっとわんこも嬉しいのだろう。
道すがら見かけた、散歩中であろうよそ様のわんこ達は暑さに参っているようだったのに。
そんなわんこの様子を見て、アタシは一層嬉しくなる。
今日はわんこの行きたいところ、どこへでも行っちゃおう。
近くに見えた公園に入ると、わんこは草場の近くに落ちていたボールを見つけ、そちらへ走り出した。
遊びたくなったのだろうと、アタシはそのボールを受け取り首輪からリードを外すと、わんことアイコンタクトを取る。
聖來「そーれっ!」
ボールを投げると、わんこは一目散に駆け出した。
ボールは一度も地面に落ちることなく、見事にわんこが口でキャッチした。
尻尾を振ってわんこがアタシの元に戻ってくる。
その仕草がたまらなく愛おしく、アタシはわんこを撫でてやる。
聖來「よしよし、偉い偉い!」
わんこと一緒に遊び、わんこと一緒に過ごす。
この何気ない瞬間が幸せだと、アタシには思えた。
公園での遊びも一段落つき、アタシとわんこは再び照り返す歩道を歩いていた。
この道を真っ直ぐ歩き、暫くすると、事務所が見えてくるはずだ。
もしpさんがいなければ、という邪な考えが頭をよぎり、アタシは事務所に寄っていくことを決意した。
聖來「こんにちはー。pさんいるー?」
事務室の扉を開け、顔を覗かせる。
見ると、傍らに麦茶を置きながらパソコンのキーボードを叩いているpさんの姿が見えた。
P「いるぞー。…って、聖來か。どうした?今日はオフだろうに」
振り向いたpさんは意外そうな表情を見せた。
確かに、オフの日に事務所に来ることなどほぼ無いので、当然といえば当然なのだが。
聖來「今日はわんこと一緒だよ。散歩がてら寄ってみようかなーって」
抱きかかえたわんこを見せながら、事務室の中に入る。
pさんがいたことでアタシの邪な考えは崩れ去ったが、その姿が見られたのは素直に嬉しい。
pさんはアタシをアイドルの世界に引き入れ、アタシをここまで育ててくれた。
そして、これからも。
だからアタシは、pさんの為にも、アイドルとしてもっと頑張らなければならないのだ。
P「おー。わんこを見るのは久々だなー。元気してるかー?」
pさんは手を伸ばし、わんこの頭を撫でる。
わんこは怯えることなくそれに甘んじ、尻尾をぱたぱた振っている。
わんこも相当pさんのことが気に入っているようだし、それを見て思わず微笑んでしまう。
P「はは、やっぱりかわいいなー。俺も犬飼おうかなぁ…。でも世話も大変そうだしなぁ…」
わんこを撫でながら、pさんはしみじみとした表情で目を閉じる。
独り暮らしで帰っても誰もいない為、pさんも寂しいのだろう。
とはいえ、pさんは朝早くから夜遅くまで働いている為、中々難しいのが現実ではあるのだろうが。
聖來「うちのわんこでよければいつでも撫でさせてあげるよ?」
P「お、まじか?じゃあ何日か貸してくれ!」
聖來「えー、貸すのはダメ。わんこはアタシの大事な家族なんだから!」
そう言ってわんこを引っ込め、悪戯っぽく舌を出す。
けちー、とpさんがぶーたれるが、わんこを貸すだなんてとんでもない。
P「うーん…あ、そうだ。丁度よかった」
と、pさんが何かを思い出したように口を開く。
P「実は、昨日俺の靴下が無くなってて…もしかしたら事務所内に忘れてっただけかもしれないし、ちょっと臭いで探せないか?ってなー」
冗談めいた言い方で、あの異臭を内包しているであろう靴を履いた足を向けながらpさんが言う。
たとえ冗談であったとしても、何ということを言い出すのだ、この人は。
アタシの大事な家族に、どんな臭いを嗅がせようというのだろうか。
…まぁ、アタシもあわよくばその匂いを嗅いでみよう、と思っていたのだが…。
なんなら今ここで、その靴から足を出して、あの匂いを漂わせてくれてもいい。
けれどそんな内心を窺われる訳にもいかないので、アタシは眉を顰めた。
pさんに怪訝そうな表情を向けていると、わんこがもぞもぞと動き、スルリとアタシの腕の中から抜け出した。
そして小走りで向かうのはpさんの足もと。
聖來「ちょっ、わんこ!?どしたの!?」
驚くアタシを他所に、わんこはpさんの靴と、靴から上に伸びた脚の部分を嗅ぎだした。
pさんもこれには驚いたようで、自分で向けた足を少しばかり引っ込める。
それも意に介さず、わんこはその足に寄ってまた臭いを嗅ぐ。
P「…これって…探してくれる、ってことか?」
聖來「わ、わかんないよ!いくらわんこでも、そんなこと…」
アタシは訳が分からず、しゃがみ込んでわんこを抱きかかえようとした。
だが、アタシがわんこを捕まえる寸前、わんこはそこから駆け出し、事務室の扉の前で吠え始めた。
P「…もしかして、開けろってことなのか?」
聖來「た…多分…」
わんこの様子に一抹の不安を覚えながらも、アタシとpさんは扉を開けてやる。
扉が開いた瞬間にわんこは廊下へ飛び出し、奥へと駆けていってしまった。
アタシとpさんも廊下に出て、わんこの後姿を追いかけ、走り出す。
わんこがどこに向かっているのかはわからないが…今はただ、後を追うしか出来なかった。
わんこを追って辿り着いたのは、アタシ達アイドルには入る機会の少ない会議室。
わんこはその扉の横で、まるでアタシ達を待っていたかのように、お座りをして尻尾を小さく振っている。
P「…この中に、あるのか…?」
pさんの表情は不安に包まれている。
それもそうだろう。
無くなった自分の靴下が、と言うよりも、自分の足の臭いが、何故こんなところにあるのか。
いくらpさんでも会議室に置き忘れるなんてことはしないだろうし、第一、無くなってしまった昨日は、会議室を使ってなどいないはずだ。
それが今ここにある、ということは、誰かが持ち込んだのだということは明白だ。
pさんの考えていることは多分、一体誰が、という疑問。
当然だ。
アタシにだって、そんなことをする人物など見当も―――
不意に、彼女の姿が脳裏に浮かんだ。
渋谷凛。
アタシが今、事務所にいる理由の発端。
彼女ならば、有り得るのではないだろうか。
あの日、pさんの靴下を握った彼女ならば。
今ならば、納得が出来るかもしれない。
彼女が何故、pさんの靴下を握ったのか。
何故、あの匂いの中、平然としていられたのか。
どうしてもっと早く気付かなかったのだろう。
いや。
気付いていながらも、否定しようとしていたのだ。
あの凛ちゃんが、そんなことをするはずがない、と。
アタシの憧れで。
今にもトップアイドルの座を掴んでしまえそうで。
そんな彼女が、あんな醜悪な匂いで昂揚してしまうような人間だなんて、と、必死に否定しようとしていただけなのだ。
そして。
アタシと、pさんを不安な気持ちにさせる要因は、もう1つあった。
もし、靴下を持ち出した人間が判明したとして…一体、どんな反応をしたらいいのか。
怒る?
叱る?
呆れる?
うなだれる?
立ち尽くす?
もしかしたら、それよりももっとひどい―――
そんな思案をする矢先。
pさんの方から、ごくり、と生唾を飲む音が聞こえた。
意を決した、ということなのだろう。
pさんが、ゆっくりと扉のノブに手をかける。
P「…開けるぞ」
一筋の汗がpさんの頬を伝う。
その汗が伝うより更に遅く、pさんの手が、静かにノブを動かす。
既に中には誰もいないかもしれない。
むしろいてほしくない。
そんなアタシを現実に引き戻すが如く、待ちくたびれたと言うように突如わんこが大きく吠え、遂に扉が開け放たれた。
そして、アタシの些細な願いも虚しく…明かりの無い部屋の中に、僅かに蠢く“モノ”が見えた。
会議室には窓が付いておらず、昼間であっても明かりが無ければ暗いままだ。
pさんは、蠢く“モノ”の正体を確かめる為、恐る恐ると言うように、部屋の電気を点ける。
アタシは電気が点灯するより前に、彼女であってほしくないと願うように…自身の気持ちを落ち着かせるように、慌ててわんこを抱きかかえて目を瞑った。
ゆっくりと、目を開ける。
現実を、直視するために。
部屋の中にいた人物。
それは…渋谷凛。
最悪、だった。
想定していた中でも最悪のケース。
会議室の中には、靴下を持ち込んだ犯人がいた。
そして、その人物が、よりにもよって―――アタシの想像していた通りだったと言うこと。
更に悪いことに、彼女は靴下の片方を首に巻き、片方を口に咥えながら、鼻に押し当てていると言う、なんとも容姿不相応な行為に及んでいた。
ちらりと横目でpさんを見やると、ただただ唖然、としている様子が窺えた。
落ち着け。
落ち着け、アタシ。
アタシは、自分でもどうにも出来ない心の渦巻きをなんとか必死で抑え込み、至って平静を装って、声を発する。
聖來「なんか、うちのわんこの様子がおかしいからついてきたら…凛ちゃん?」
そして、会議室の外まで漂ってくるのは、匂い。
今しがた、凛ちゃんが鼻の先で堪能しているであろう甘美的なモノ。
だが、pさんが横にいるこの場ではマズイ。
なんとか、この場を切り抜けなければならない。
そんな利己的な考えを含んだアタシに出来ることは、ただ“鼻を摘む”と言うことだけだった。
聖來「凛ちゃん、ソレ…何、してるの?」
彼女――凛ちゃんは、呆気にとられたような表情を浮かべ…口に咥えた靴下を落とし、小さな声をこぼした。
凛「…え?」
彼女にとっては、想定外な出来事。
そして、おそらく一番見たくなかったであろう反応。
けれど、アタシにはそうすること以外出来なかった。
こんな姿の凛ちゃんを見てしまっては、救う手立ては無い。
何しろ…pさんが、動かない。
というよりは、動けないのだ。
それに何より、この瞬間に、ハッキリと分かってしまった。
――彼女は、アタシのライバルである、と――
長い長い、沈黙。
時間にしてみればそう長くは経っていないのだろうけれど…アタシには、その時間がとても長く感じられた。
凛ちゃんは恐らく、ショックで頭の中が真っ白になってしまっているのだろう。
そしてそれは、pさんも同じ事で。
アタシは、彼女がどうして、こんな行為に及んだのかずっと考えていた。
凛ちゃんはアイドルとして、今や成功を収めていると言っても過言ではなく、彼女自身もアイドルとしての生活を楽しんでいるように思えた。
ライブでの彼女はとても活き活きしていて、キラキラしていて。
アタシまでキラキラ出来そうなほど、とても素敵な姿をしていた。
もちろん、人間誰しも不満を抱えることもあるだろう。
不満が爆発すれば、誰だって予想外の行動を取ってしまうこともある。
けれども彼女が事務所に対してそれを思っていたのかは分からないし、もし不満があれど、彼女がそれをこんな形で表すはずが無い。
思い当たることと言えば、彼女の、pさんへの想い。
スカウトされたばかりの頃の彼女は、pさんにもツンとしていたそうだが、今の彼女にはそんな素振りは微塵もない。
むしろ、pさんに対して好意すら抱いているように見える。
自分をこの世界に導いてくれた恩人。
ならば、慕うのは当然とも言える。
けれども、彼女のpさんとの接し方は、とてもそうは見えなくて。
いつからだろうか。
彼女は…pさんに、恋をしている。
そう思えたのだ。
今回のことも、恐らくは行き場の無くなったpさんへの想いから及んでしまったことなのだろう、と思う。
そう考えるとアタシは、彼女に嫉妬し、同情すると共に…共感し、羨ましくなった。
そんなアタシの考えを打ち切るように。
pさんが、重い空気のまま口を開いた。
P「…凛。昨日、俺の靴下が無くなってたんだ」
それを聞いた瞬間、強張る凛ちゃんの表情。
その表情は、死刑宣告を言い渡されるであろう犯罪者のように見える。
P「たまたま聖來がわんこを連れて来て…臭いで探してもらうかーって冗談で言ったんだが…」
そう。
そして、辿り着いてしまった。
アタシ自身、辿り着きたくなかった。
聖來「私は断ったんだけど、わんこがいきなりpさんの足の臭いを嗅ぎ始めて、すごい勢いでここに来たから…何事かと思ったんだけど…」
凛ちゃんは肩を強張らせ、瞬き一つせずその場に固まっている。
まるで次の言葉を拒むように。
そして、pさんの口から発せられる言葉は。
P「まさか、人の物を盗んだ挙句に…こんなことをしてたなんてな…」
世間から見ればごく一般的な、けれど彼女にとっては、聞きたくないであろう言葉。
P「凛。正直言って、俺にはお前についていく自信が無い。いや…無くなった、というべきか…」
彼女は身じろぎ一つせず、ただただその場で言葉を聞くだけ。
P「…今すぐにじゃないけど、お前には新しいプロデューサーについてもらうことになると思う…。本当に、残念だけど…」
彼女の顔からは既に血の気が失せていて、その顔色は真っ青になっていた。
P「凛…それじゃあ…」
そこまで言って、pさんは事務室のほうへと向き直り、おもむろに歩き出す。
その歩き方もぎこちなく、pさんも未だショックが大きいようだった。
アタシは会議室の中の凛ちゃんに声を掛けようと口を開いたが――口を噤み、踵を返した。
今の彼女の姿は、とても見ていられたものではなかった。
生気の抜け落ち、人形のようになってしまった痛々しい姿。
更に言えば、アタシはpさんの前だからと、さも一般人のような反応を見せたのだ。
彼女に対する、裏切りでしかない。
そんなアタシが、どんな顔をして彼女に声を掛けられるというのだろうか。
彼女への後ろめたい気持ちを抱えたまま事務室へと戻ると、椅子に腰掛け、頭を抱えているpさんの姿があった。
アタシはそんなpさんを見かねて、声を掛ける。
聖來「…pさん。本当に良かったの?」
返事は無い。
当然だ。
pさんにも、これで良いのかどうかなんて、分かりはしないのだろう。
でも、それでは困るのだ。
だって、だってpさんは…。
聖來「シャキっとしてよ、もう!そんなことでプロデューサー続けられると思ってるの!?」
思い切り背中を叩く。
それでもほとんど動かせないあたりは流石に大人の男と言うところだ。
ほんの少しの間、pさんの横に立っていると、ギロリと睨み付けられる。
その目つきに少し気圧されるが、私も負けじと睨み返す。
P「…聖來。1人にしておいてくれ」
聖來「そういう訳にもいかないよ。本当に良かったのって、アタシは聞いてるんだよ?」
わかっている。
そんなことを聞いたって、どうにもならないってことくらい。
だけど、このままじゃいけないのだ。
P「…そんなこと、分からないさ。俺だって…」
pさんはデスクに突っ伏す。
そして前触れも無く、行き場の無い感情を爆発させた。
P「あいつと…凛と一緒なら、てっぺんまで行けると思った!凛ならトップアイドルになれると、トップアイドルにしてやれると、
本気でそう思ってた!」
P「凛をトップに立たせるのは俺だって、凛がトップになった時、隣にいるのは俺だって、ずっとそう思ってた!だけど…!」
P「仕方ないだろ!?あんなことするなんて…!普通じゃない!あんなの…」
P「…変態じゃないか…!俺には、あんなことをするなんて信じられない…!」
P「今の時期、プロデューサーが変わるのがどれだけ痛手かも分かってる…でも、俺には着いていけない…!」
P「無理…なんだよ…。凛が…あんな、変態だったなんて…」
ズキン、と心が痛む。
その言葉は、どこまでも残酷で。
そして、どこまでもアタシを苛立たせた。
だから、アタシは。
聖來「…言いたいことはそれだけ?」
そう、言ってやった。
P「…なに?」
聖來「要するに、靴下の匂いを嗅いでたら変態なわけ?だったら…」
アタシはpさんの体をこちらに向けさせて。
聖來「アタシも変態だね」
その足の靴を脱がせた。
P「お、おい…聖來?」
困惑するpさんの顔は見ず、pさんの足に顔を近づける。
近づける毎に匂いは強くなり、アタシの鼓動は高鳴っていった。
そして、pさんの靴下に包まれた足に鼻をくっつけ、大きく匂いを嗅ぐと…アタシの体に、電流が流れた。
聖來「ん、っくぅ…ぅ…!」
言葉では言い表せない、衝撃。
それでも言葉にするなら…“ビビッときた”。
そう。pさんと初めて会った時と同じ、いや、それ以上の大きな衝撃が、アタシの体を駆け巡った。
すぅー、はぁー、すぅー、はぁー、と呼吸を繰り返し、鼻腔いっぱいに匂いを通らせる。
その度に来る快感に、何度も体が撥ねそうになるが、必死でそれを抑え付ける。
聖來「ふあぁ…っぁあぁ…」
今、pさんはどんな表情でアタシを見ているのだろう。
何を思って、アタシの姿を見つめているのだろう。
どんな表情だろうと構わない。
どんな心情だろうと構わない。
自分でも、体が熱くなり、顔が高潮しているのが分かる。
今この瞬間、一時の快楽に溺れられるのなら、どう見られたって構わない。
だって、今アタシは、この“カラダ”でpさんを感じているのだから。
聖來「pさんっ…あ、ふぁぁあ…っ!」
今になって初めて、どうして凛ちゃんがこの“匂い”に心奪われてしまったのか、痛いほどわかる。
これは紛れも無く、“pさん”なのだということ。
その事実を、アタシは、今になって思い知った。
ひとしきりアタシが匂いを堪能し終わった後――否、pさんの考えを改めさせる為にアタシが体を張った後、pさんはそれでもまだ、
怪訝そうな表情を浮かべていた。
P「なんだよ…なんなんだよ、一体…聖來まで、なんだってんだよ…ッ!」
pさんは歯を食いしばり、納得がいかない様子で硬く拳を握っている。
聖來「…pさん。うちの事務所って、色んなアイドルがいるよね」
不意に切り出した話題に、pさんは頭にクエスチョンマークを浮かべたようにアタシを見る。
聖來「みんな個性的で、みんな違った特技とかを持ってて。凛ちゃんのあれも、同じようなものだとアタシは思ってる」
聖來「たまたまアタシと凛ちゃんが同じようなものを持ってたってだけだけど…凛ちゃんはあれで、pさんを感じたかったんだと思うよ?」
聖來「pさんと一緒にいる。pさんと一緒だからこそ、歩いていける。それは凛ちゃんだって、pさんと同じ思いなはず」
聖來「…ただまぁ、今回は匂いに行きついたってだけだと思う。なんだか犬みたいだけどね」
ハナコちゃん飼ってるし似てきてるのかも?と付け加え、クスリと笑ってみせる。
聖來「…だからね、pさん。あれは凛ちゃんなりに、pさんを想っての行動だと思うの。ちょっと行き過ぎかも知れないけどね」
聖來「もし凛ちゃんがpさんと同じ想いを持ってて、一緒にトップアイドルになりたいって思ってたら…」
聖來「pさんは、何が何でも絶対に、凛ちゃんと離れちゃいけないと思うんだ」
P「…聖來…」
最初はうなだれて聞いていたpさんも、最後にはアタシをしっかりと見据えて、その瞳には光が戻っているみたいだった。
そう簡単に割り切ることは出来ないかもしれない。
だけど、pさんと凛ちゃんの目指す先が同じであるなら、一緒に歩んでいくべきなのだ。
P「…わかったよ、聖來。…俺が受け入れられるかはわからない…けど」
椅子から立ち上がるpさん。
その足元は、まだ地に付いていないようで。
けれども、その瞳は何かを決意した様に見えて。
P「…凛をトップアイドルにしてやりたい。…その気持ちだけは、変わらないよ」
そう言って、事務室を後にした。
独り、残された後。
pさんと凛ちゃんがこれからどうなるかは、私の関与するところではない。
ここから先は、2人の問題なのだ。
…まぁ、結果は目に見えているようなものだけれど。
聖來「あーあ、傷付くなぁ。凛ちゃんばっかり見てもらえて」
聖來「…アタシじゃあ、トップアイドルは目指せない、ってことなの…?」
独りごちて俯く。
急に視界がぼやける。
気付けば、目には涙が浮かんできていた。
仕方が無いことだ。
凛ちゃんは、この事務所の立ち上げ当初から所属していて、pさんとの付き合いも長い。
そこにアタシがしゃしゃり出てきたところで、2人の仲に割って入ることなど出来はしない。
――pさんだって、凛ちゃんへの想いは本物の癖に。
聖來「…しかも、アタシの気持ちにまで気付かないなんて」
本当に、鈍感な人なんだから。
ふと見れば、わんこがアタシの足に擦り寄ってきている。
慰めているつもりだろうか、静かにアタシの顔を見上げている。
聖來「…うん。そうだね」
涙を拭い、わんこを膝の上に乗せる。
聖來「アタシだって、pさんと一緒に…トップアイドル、目指してみせるんだから…!」
そうだ。
凛ちゃんがトップアイドルになったとして。
その次に、アタシがトップアイドルになればいいだけの話だ。
今はまだ、2人の絆には敵わないかもしれない。
だけど、アタシだって、pさんへの想いなら負けていないのだ。
凛ちゃんがpさんにどんな想いを抱いていようと、それに負けるようでは、トップアイドルなんて夢のまた夢だ。
この気持ちは、アタシがもっと上へ昇って、pさんに“一緒にトップに行こう”と思わせるまで、心にしまっておこう。
たとえpさんと凛ちゃんの間に、割って入るような隙間が無かったとしても。
アタシはアタシだけの魅力で、pさんの目を釘付けにしてみせる。
アタシにはダンスがある。
誰にも負けない自信のあるモノを、アタシだって持ってるんだから。
いつかは、pさんとアタシが、アタシとわんこのような関係になれるように。
今はただ、そんなことだけを考えながら上を目指していこう。
聖來「それじゃあ」
立ち上がり、事務室を後にする。
聖來「帰ろっか!わんこ!」
――わん!
はい、ここまでです。
読んでくださった方、お付き合いいただき有難う御座いました。
以下裏話。
前作の2日後ぐらいに8割方書き上げた後ダレる
→一昨日書き上げる
→眠気とめんどくささにより勢いと「書き上げる」と言う気持ちで無理やり終わらせた為、結構gdgdしてます。
今更書き直すのもめんどかったんでちょっと訂正したりしただけで投稿させていただきました。
>>7
前回のハッピー(?)エンドだと既にPと凛の隙間に聖來さんの入り込む余地が無かったのでこういう形と相成りました。
そちらを期待していた方には申し訳ありません。
とはいえ、前回のバッドが実はグッドエンドにつながって、聖來さんはバッドにしかならない…と言うのも申し訳ないかも。
これでも作者がモバマスで一番好きなのは聖來さんです(真顔)
ハッピー(?)エンドからルートで、Pが他のアイドル達の衣装もしっかり持ってて聖來さんにもチャンスが!
っていうエンドも考えていましたが、今回はこの形のままのほうがいいと思って締めさせていただきました。
それでは、ありがとうございました。
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