水木聖來「ドッグウォーカー」(789)




―プロローグ―



 とある日の昼下がり、俺は茨城の郊外型のペットショップを訪れていた。

「まさか地元に帰っていたとはな……」

 店の外から中の様子を伺う。そこには他の従業員と談笑しながら犬にブラシを
かけている1人の小柄な女がいた。3年前に別れた時よりもいくらか落ち着いた
雰囲気になっていたが、あどけなさの残る顔立ちは昔と変わらなかった。

 俺は彼女に気付かれぬよう電柱の陰に隠れてしばらく彼女を見ていた。彼女は
水木聖來という。年齢は23歳になっただろうか。今から4年前、当時大学生に
なったばかりの彼女をアイドルのプロデューサーだった俺はスカウトし、彼女の
担当Pとして一緒に仕事をしていた。





 聖來は運動神経が良く活発で、ダンスは光るものを持っていた。聞けば昔から
公園や駅前で仲間達と集まってストリートダンスを踊っていたという。ダンスに
関しては教える事がないとトレーナーに太鼓判を押され、歌が上達すれば事務所
始まって以来最速の記録でトップアイドルになれると言われていた。

 だが物事はそううまく運ばなかった。ある日聖來は大学のダンスサークルの
誘いを受ける。さっぱりした姉御肌で面倒見の良い彼女は、部員不足で解散の
危機にあったサークルの友人の頼みを断りきれなかった。

 俺はアイドル活動を優先することを条件に、聖來のサークル活動を許可した。
スケジュールを多少は調整してやたが、学業とアイドル活動とサークルを全て
こなすのはかなりハードだったと思う。しかし聖來はその小さな体のどこから
沸いてくるのかと疑問に思うほどの無尽蔵の体力で、笑顔でこなしていた。




 聖來は大学生活もアイドル活動も順調で、プロデューサーの俺も安心して彼女を
見ていた。だが20歳になったばかりのある日、彼女はダンスサークルで出場した
コンテストでチームメイトとステージから落ちて膝に大けがを負い、医師に歩ける
ようにはなっても二度と踊れなくなるかもしれないと宣告された。

 その後聖來は治療とリハビリの為に茨城の実家に帰った。俺は何度も彼女の家を
訪れたが、聖來は一度も会ってくれなかった。ダンスが大好きだった彼女にとって
相当ショックだったようで、彼女の両親にも面会を拒まれた。

 聖來は大学を辞め、事務所にも辞表を出していたがしばらく俺が預かっていた。
ダンスが踊れなくても聖來には輝く魅力があったし、事務所のアイドル達からも
慕われていたので、彼女を辞めさせないでくれと大勢のアイドル達に言われた。
もちろん俺も聖來の復帰を信じて、会えなくても彼女に連絡は入れていた。




 しかし事故から半年後、聖來は落ち着いた環境で療養する為に引っ越すと彼女の
両親が挨拶に来た。引っ越し先は教えてもらえず、聖來は二度と茨城に戻ることは
ないかもしれないと言われた。怪我をする前の頃を思い出すと辛くなるから、全て
忘れて新しい環境でやり直したいと本人が言ったそうだ。

 引っ越す前に、聖來から一度だけメールが来た。内容はアイドルとして自分を
プロデュースしてくれた事についての感謝と、事務所をやめた事についての謝罪
だった。明るく楽しかった聖來が打ったメールとは思えないほど堅い形式ばった
文章で、もう俺の知る彼女はいなくなったんだなと感じた。

 俺は聖來にメールを打ち、文末に『いつでも戻って来い』とつけて送信した。
彼女が事務所に戻って来る事は二度とないとわかっていたが、それでも聖來と
こんな形で別れたくはなかった―――――





「もう3年になるか……」



 聖來をプロデュースしていた頃を思い出して、俺はぼんやりしていた。遠目で
見た限りだと、とりあえず日常生活に支障がない程度には足は回復したようだ。
そう思うと、足下からじんわりと温かい気持ちが沸きあがってきた。






「……ん?どうして足下から温かくなってくるんだ?」



 普通は心の奥から沸きあがってくるんじゃないのか?俺は自分の足下をふと見た。



 ―――――そこには大きなゴールデンレトリバーが片足を高く上げて、俺の靴に
      盛大に小便をかけていた



「どわっ!? 」

 俺は慌てて電柱の陰から飛び出す。目の前の犬は首輪をしていないが野良犬という
わけでもなさそうで、つやつやした長い毛並をしていた。

「すみませ~ん!」

 声のする方に目をやると、ペットショップの名前が入ったベージュ色のエプロンを
した聖來が慌ててこっちに走ってきた。聖來は慣れた手つきで素早く犬にハーネスを
装着し、俺に向かって勢いよく頭を下げた。

「本当にすみません!少し目を離したスキにゲージから脱走しちゃって!靴と服は
 お店で責任を持って綺麗にさせてもらいますから!臭いが気になるようでしたら
 クリーニングでも弁償でも何でもします!」

 必死で俺にぺこぺこと頭を下げる聖來を見て、こいつもちゃんと社会人をやって
いるんだなと感心した。俺は聖來の隣で悪びれる様子もなくあくびをしている犬の
頭を軽く撫でてやる。犬のくせに余計なことしやがって。




「ひっかけたのが俺で良かったな聖來、弁償は勘弁してやるよ」

 いきなり自分の名前を呼ばれて、聖來は驚いた様子でずっと下げていた頭を上げた。
そして俺の顔をしっかりと見て、もう一度驚いた。

「Pさん……?なんで……?」

「とりあえず靴と靴下を洗いたいから、店に入れてくれないか?」

 3年ぶりに再会したというのに何とも格好悪いな。後ろ足で耳を掻いている犬の
頭をもう一撫でしてから、俺は聖來を連れて店に入った―――――





***



「本当にごめんね……」

「いいって。電柱の隣に立ってた俺も悪いんだし」

 店の奥のスタッフルームで、俺は靴と靴下が乾くまで聖來と話していた。聖來は
このペットショップでアルバイトをしているそうで、近くにアパートを借りて1人
暮らしをしているらしい。

「仕事はいいのか?」

「うん。今の時間はヒマだし、店長ひとりでも大丈夫だから。アタシもPさんが
 許してくれるまでしっかり謝っとけって言われてるし」

 聖來は苦笑いした。ちなみに例のゴールデンレトリバーは反省を促す為に、店の
ショーケースに閉じ込められている。子犬の頃に買い手がつかず、すっかり大きく
なったヤツは狭いショーケースに入れられるのが大嫌いらしい。





「あんまりいじめてやるなよ。俺は怒ってないからさ」

「ダメ。しっかり躾けないとあの子このままだとファーム送りになっちゃうし」

 ファームとは繁殖施設のことらしい。つまり種馬みたいなものか。

「お前が買ってやればいいじゃないか。アパートが無理なら実家で買えないのか?」

「無理だよ、お父さんとお母さんにはいっぱい迷惑かけちゃったし……」

 そう言って聖來は黙ってしまった。ミスったな、昔の話はしないように気を付けて
いたのに。俺が他の話題を探していると、聖來の方から話しかけてきた。





「ところでPさんはどうしてここに来たの?たまたま仕事で?」



 聖來は努めて自然に振舞って俺に言った。ここで「お前に会いに来たんだ」と
言えばこいつはどんな顔をするだろうか。「もう一度アイドルをしないか?」と
誘えばどう答えるだろうか……?





「小松伊吹はお前の知り合いか?」

 だが今日俺がここに来たのは、彼女のことを聖來に聞く為だった。聖來は俺の
口から出た意外な人物の名前に目を丸くして驚いた。

「どうしてわかったの? Pさんとは別の事務所でしょ……?」

 やっぱりそうだったか。ふとスタッフルームに飾ってある従業員の写真が何枚か
貼ってあるコルクボードに目をやると、聖來と伊吹が他の従業員達と笑顔で並んで
写っている写真があった。これで確定だな。




「3年前に事務所を変わってな。今俺は伊吹のいる346プロで働いてるんだよ。
 伊吹のダンスのクセがお前に似てて、おまけにお前と同じ茨城県出身だから
 もしかしてと思ってな」

「じゃあPさんが今、伊吹のプロデュースをしてるの……?」

「いや、俺は担当じゃない。というか俺は事務所を変わってからスカウトマンに
 転向したから、アイドルのプロデュースはやってないんだよ」

 聖來の件で俺は当時の事務所に責任を問われ、事務所を去る事になった。そんな
俺を拾ってくれたのが今の事務所だった。アイドルのプロデュースはもう二度とは
しないつもりだったので最初は断ったが、346の社長は諦めずに何度も俺を誘い、
根負けしてスカウトマンとして入社することになった。




「アタシのせいで……」

「過ぎた話はやめよう。俺は今の事務所での仕事も楽しんでいるし、お前が責任を
 感じる事は何もない。それより今は伊吹の方が大事だ」

 聖來が落ち込んでしまう前にやや強引に話題を変えて、俺は話を続けた。




「実は担当プロデューサーが伊吹に手を焼いていてな。このままだと彼女は事務所を
 クビにされてしまうかもしれないから、何とかしてやりたいんだが」

「あの子…… 事務所に入ってしばらくは大人しくプロデューサーの言うことを
 聞きなさいって言っといたのに……」

 聖來はため息をついた。やっぱりあの子はお前が仕込んだのか。伊吹は事務所に
直接応募して面接で採用された子なので俺はノータッチだったのだが、先週彼女と
面会した時にかなり無理して自分を抑えているように思えた。伊吹の担当Pはまだ
若くて経験が浅かったから見抜けなかったのかな。




「伊吹が働いていたバイト先にアイドルに詳しい先輩がいて、その先輩の紹介で
 ウチに来たって聞いたから訪ねてみたんだよ。伊吹からその先輩の話を聞いて
 何となくお前じゃないかと思っていたが、本当にお前だったとはな」

「あはは、さすがだねPさん……」

 聖來は気まずそうにしながらも、どことなく嬉しそうな顔をしていた。俺の思い違い
かもしれないが、伊吹から自分に辿り着いたのが嬉しかったのだろうか―――――





―――



「伊吹から聞いてると思うけど、あの子もストリート出身で昔のアタシみたいに
 公園とか駅前で踊ってたの。だからアイドルの養成所とか事務所出身の子達に
 すっごく対抗心持っててさ」

 ストリートあがりにありがちなパターンだな。聖來はそうでもなかったけど、
伊吹は対抗心どころか敵意を持ってると言っても過言ではないレベルだ。

「あの子運動神経抜群でどんなダンスも踊れちゃうんだけど、見栄っ張りな所が
 あるからいいトコ見せようとして、オーディションでヘッドスピンとかやって
 危険行為とみなされて落とされまくってたんだって。だから自分よりレベルの
 低い養成所の子が受かるのが納得出来ないってよく愚痴ってたよ」

 だがオーディションに受からないとアイドルになれない。自分のダンスに絶対の
自信を持っていた伊吹は、バイトをしながらダンサーになる夢を叶える為に休みの
日はオーディションや面接を受けに上京していたそうだ。たまたまバイト先が同じ
だった聖來は、そんな伊吹に力を貸してやったらしい。





「手を貸すって言っても、アタシはそれほど大したことしてないけどね。面接で
 ウケのいいダンスを教えて、細かい部分をちょっと矯正しただけだよ。あの子
 ブレイクダンス出身だから、どうしても動きが大きくなるんだよね」

 そして晴れて伊吹はウチに合格したのだが、ウチはアイドルの事務所なので
ダンスレベルは低いとまでは言わないがそれほど高くはない。最初からそれは
わかっていたはずだが、そんなレベルの低いダンスばかりをさせられて伊吹は
すっかりやる気をなくしてしまった。

「まず事務所に入るのが大事だから、周りに認められるまで自分がしたいダンスは
 我慢しろって何度も言っといたのに。まだ1ヶ月しか経ってないじゃん!」

 ぷんぷん怒る聖來を見て、俺は昔を思い出した。聖來はダンスがトレーナーと
同じくらい上手だったので、時々ダンス指導役になっていた事があった。聖來の
親しみやすい人柄もあって、多くの子達が彼女を慕っていた。




「伊吹のことはわかった。しかしお前、よくあんなはねっかえりを手なづけたな。
 担当Pよりお前の方が伊吹を上手にプロデュース出来るかもしれないぞ」

「アタシにそんな才能はないよ。伊吹はちょっとひねくれたところがあるけど、
 ちゃんと向き合えば良い子だってわかるから担当Pさんに言ってあげて」

 アドバイスしたところでアイツに伊吹を扱えるかなあ。例えは適切ではないが
養成所あがりのアイドルが血統書付きの犬だったら、ストリートあがりは雑種の
野良犬だ。養成所あがりは素直で扱いやすいが挫折に弱く、ストリートあがりは
扱いにくいが逆境に強い。それをプロデュースで調整するのだ。




「それじゃ靴もだいたい乾いたし、そろそろ東京に戻るよ。仕事の邪魔をして
 悪かったな」

 俺は乾いた靴下と靴を履いて、カバンを持って立ち上がった。聖來は何かを
言おうとしながら、かける言葉を探しているようだった。

「伊吹のこと、よろしくね……」

 店を出る前に聖來がようやく俺に言ったのは、自分ではなく伊吹のことだった。
ひょっとすると「またアイドルになりたい」って言わないかと期待したんだが。




「名刺を渡しておくよ」

 俺は背広から名刺入れを取り出して、一枚聖來に渡した。もう二度と会えないと
思っていた聖來とこうして再会出来たんだし、また昔のような関係に戻れなくても
このつながりだけは大事にしたかった。

「電話で話を通せばレッスンの見学は自由だから、暇な時はいつでも来ればいい。
 名刺の裏に俺の携帯の番号が書いてあるから、伊吹のレッスンが見たかったら
 まず俺に電話してくれ。都合がつけば俺が案内するよ」

「ありがと……」

 聖來はそう言って名刺を受け取った。名刺をまじまじと見る聖來が何を思って
いるのかは分からないが、その瞳はあの頃と同じようにとても澄んでいた。





「じゃあな聖來、仕事頑張れよ」



「うん、Pさんも気をつけて帰ってね」



 こうして俺は元担当アイドルと3年ぶりに再会して別れた。聖來の顔を見ると、
またアイドルのプロデュースがやりたくなってきた。しばらくは伊吹の担当Pの
サポートとして、伊吹のプロデュースに携わることになっているが―――――





つづく





~聖來サイド~



「お疲れ様でしたー」



 ペットショップのバイトを終わらせて、店長にあいさつをして店を出た。スマホを
取り出して時間を確認すると夜の7時前。本当はもう少し早く帰れたのに、わんこが
脱走したせいでバリケードの強化や報告書を書かされて1時間もサービス残業をする
羽目になってしまった。

「今日カテキョなくて良かった~。もしあったらよっちゃんに怒られちゃう」

 店裏に停めている自転車に乗って走り出す。アタシはペットショップと家庭教師の
バイトをしていて、よっちゃんは勉強を教えている女の子のことだ。





「よっちゃん美人だし、Pさんが見たらスカウトされちゃうかも」

 交差点前で信号につかまり足を止める。目の前を流れる車を見ながら、アタシは
Pさんのことを思い出していた。確かこの道路は東京につながっているはずだから、
Pさんもここを通って来たのかな。

 もしPさんが帰る前に「アタシも連れて行って」って言ったら、Pさんはどんな
顔をしたかな。「もう一度アイドルやりたいです」って頭下げたら、Pさんは許して
くれたかな……?





「……なんて、今更だよね。アタシのせいでPさんプロデューサー辞めたんだし」



 Pさんはアタシは悪くないって言ってくれたけど、きっと怒ってるに違いない。
Pさんがプロデューサーの仕事が大好きだったのはよく知ってるから。





「今はプロデュースやってないって言ってたけど、Pさんがいるなら伊吹もきっと
 大丈夫だよね?Pさんならうまくやってくれるよね……」

 信号が青に変わったので、ゆっくり自転車を漕ぎ出す。3年ぶりに会ったPさんは
ちょっと老けたように見えた。Pさんの目にはアタシはどう映ったんだろ?アタシは
昔から童顔で、今でもたまに女子高生に間違われるけど。



 だけど見た目の変化以上に、アタシはPさんと距離を感じた。もし3年前のあの時、
メールじゃなくてちゃんとPさんに会って話をして別れていたら、目の前のPさんを
あんなに遠く感じなかったかな―――――





水木聖來(23)
http://i.imgur.com/U9r7kZr.jpg





つづく





―1章―



「アンタ、プロデューサーだったの?スカウトじゃなかったっけ?」

「昔はプロデューサーだったんだよ。チーフPから聞いたんじゃないのか?」

「聞いたけど、なんか信じられないんだよね」

 どうでも良さそうに話す伊吹。ここは事務所の会議室で、現在俺は伊吹と今後の
活動やアイドルとしての方向性を話し合ってるところだ。





「まあ俺はサポート役だったはずが、担当Pがお前の担当を外されたから実質的に
 プロデューサーになるけどな。スカウトでもPでも好きに呼べ」

「どっちでもいいよ。どうせアタシクビになるんだし」

 伊吹は不機嫌な様子を隠そうともせずに、ふてぶてしくそっぽを向く。やれやれ、
クビにするなら俺もお前の面倒なんて見ないよ。

 俺が茨城で聖來に遭っている間に、東京の事務所では伊吹が担当Pと喧嘩していた。
又聞きなので詳しい状況はわからないが、かなり激しい応酬になったらしくて伊吹は
3日間の謹慎処分をくらっていた。そして謹慎が明けたのが今日である。




 事態を重く見たスタッフ上層部は伊吹のクビを考えたが、プロデューサートップの
チーフPが伊吹のプロデュースを俺に一任してはどうかと提案したらしい。元々俺は
伊吹の担当Pのサポートをするように社長に言われていたし、伊吹と関係がこじれた
担当Pは外さざるを得ないが、俺はその限りではないだろうと。

「担当P泣いてたぞ。意見をぶつけるのは結構だがほどほどにしとけよ」

「ふんっ、今まで養成所あがりのイイコしか担当してなかったんじゃないの?」

 まあそうだろうな。346プロはアイドルの数が多いから、プロデューサーは養成所
あがりだけをずっと担当する事になってもおかしくない。伊吹の担当Pは若手ながら
優秀だったが、ストリートあがりを扱うのは慣れてなかったのか。




「で、アンタはアタシをどうしたいワケ?もうこうなっちゃったからイイコぶるのは
やめるけど、アタシ自分の意見曲げるつもりないからね?」

 伊吹は一歩も引かないと言いたげな様子で睨みつけてくる。本当に気の強い子だな。
だが3年ぶりにプロデュースをするから俺もカンが鈍ってるし、細かい所にまで気が
回らないかもしれないからこれくらい芯の強い子の方がいいかもな。

「とりあえず今から体力テストを受けてもらう。着替えてレッスン場に来い」

「え~!また持久走とか腕立てやるの~!」

 本気で嫌がる伊吹。そんなの1ヶ月前にお前がウチに来た時に受けたデータが
残ってるし、それを見れば一目でわかる。




「いや、それとは別の体力テストだ。このテストに合格すれば、お前のやりたい
 ダンスを検討してやらんこともない」

「ホント!? 」

 さっきまでのふてぶてしい態度から一転、伊吹は目を輝かせて食いついてきた。
扱いにくいのか単純なのかわからない子だ。

「ただしテストに合格したらの話だ。俺のテストは厳しいぞ?」

「上等!そっちの方が燃えるし♪」

 伊吹は犬みたいに目を爛々と輝かせて、犬歯を見せてにいっと笑う。何となく
聖來に似ている気がして、少しだけプロデュースが楽しみになった。





***



「はぁ…… はぁ……」

「おーいどうしたー?まだ半分残ってるぞー」

「アンタ…… アタマおかしいんじゃないの……?」

「これくらいこなしてくれないと、プロデューサーとしてアイドルに危険なダンスを
 踊らせるわけにはいかないなあ」

「ちっくしょう……」

 さて、場所が変わってここはレッスン場。現在伊吹は逆立ちでレッスン場の端を
歩いている。2週目まではわりと楽々と歩いていたが、3週目に入って腕が限界に
近づいてきたようで苦悶の表情を浮かべていた。





「頑張ってください!あと5メートルですよ!」

 伊吹の近くで必死に応援してるのは、たまたまレッスンの打ち合わせで来ていた
ルーキートレーナーの青木慶だ。最近トレーナーになったばかりの新人で、年齢は
伊吹と同じ19歳だったかな。同じスタッフ同士、俺は慶ちゃんと呼んでいる。

「慶ちゃん、麗さんに頼んでいた資料もらえそうか?」

「はいっ!大丈夫ですっ!麗お姉ちゃんもスカウトさんがまたプロデューサーに
 復帰するって聞いて嬉しそうでしたよ」

 慶ちゃんは姉達によく似た笑顔で笑う。彼女には姉が3人いて、麗さんは一番上の
姉でマスタートレーナー、その次がベテラントレーナーの聖さんだ。その下にももう
1人明さんという姉がいるらしいが、何故か俺は会った事がない。慶ちゃんの話では
一応トレーナー業はしているらしいが……




「プロデューサー時代のスカウトさんはすっごくやり手で、たった1人で346プロと
 互角に戦ってたってお姉ちゃん達から聞いてますから、私もスカウトさんの仕事を
 しっかり勉強させてもらいます!」

「買い被りすぎだよ。俺はたまたま担当アイドルに恵まれていただけだ。戦うのは
 いつだってアイドルだからな」

 昔はライバルとして争っていた346プロでプロデューサーをすることになるとは、
世の中どうなるかわからないな。ちなみに俺を伊吹の担当Pに推薦したチーフPは
何度もLIVEバトルで衝突した強敵だった。そんなあいつが今はプロデューサーを
束ねるチーフPで、俺の上司だから微妙に面白くない。




「アンタ達……人前で……いちゃついてんじゃないわよ……」

「い、いちゃ!? もう!何言ってるんですか伊吹さん!」

 明ちゃんは伊吹の足をバシーンと叩く。既に両腕が限界を超えていた伊吹は、
バランスを崩してぐらりとふらついた。

「うわっ!? っとと……」

「おっと危ない」

 俺は素早く伊吹の後ろに回り込み、後ろに倒れ込んだ伊吹を抱きかかえるような
形で支える。直に触って改めてわかったが、伊吹はしなやかな筋肉質でムダのない
バランスの良い肉付きをしている。まさにダンスをするにはもってこいの体だ。




「あわわ、ご、ごめんなさい!」

「いや大丈夫だ、伊吹もケガはないか?」

「あ…うん……。ありがと……」

 伊吹は俺の腕の中で真っ赤になって黙り込んでしまった。どうしたのかと思って
ふと倒れた場所を見ると、ゴールまであと1メートルだった。邪魔が入ったといえ
クリア出来なくて悔しいらしい。ここは担当Pとしてフォローだな。




「心配しなくてもテストは合格だぞ。よく頑張ったよ」

 伊吹に笑顔で言ってやったが、伊吹は今度は明らかに不機嫌な顔をしてそっぽを
向いてしまった。そして俺を突き放すようにさっさと立ち上がる。

「そんなんじゃないし…… ニブ……」

 あれ?俺何か気に障るような事を言ったか?ふと慶ちゃんを見ると、慶ちゃんも
ため息をついていた。どうやら俺は対応を間違えたらしい。ブランクがあるといえ
女心は相変わらず難しいものだな―――――





―――



「さて、テストも合格したわけだし今後のお前の活動だが」

「約束だよね?ちゃんと守ってもらうからね」

 慶ちゃんに全身マッサージをしてもらいながら伊吹が口をとがらせる。流石に
逆立ちでレッスン場を3周させたのは伊吹も堪えたみたいで、テストの前よりも
ぐったりしていた。

「逆立ちしても体を支えられる腹筋・背筋・腕力などの基本的な筋肉に加え、体幹の
 バランス及び筋持久力も完璧だ。お前がヘッドスピンしようが逆立ちしようが俺も
 安心して見ていられる」

「ふ、ふーん、一応ちゃんとテストやってたんだ……」

 少し照れくさそうに伊吹が言う。当然だろう、何の考えもなしに逆立ち歩きを
させていたら、まるで俺がいじめているみたいじゃないか。





「それでお前をブレイク中心のアイドルとして売り出すとして、次はお前のダンスを
 ステージの上でどう演出するかという話になる。アイドルは公園や駅前じゃなくて
 ステージの上でパフォーマンスをするからな」

「ふむふむ」

 伊吹は真剣な顔をして話を聞く。その隣には慶ちゃんも同じ顔をして頷いている。
慶ちゃんはそれくらい知ってるだろ?




「ストリートとアイドルのステージは全く異なる。そもそもストリートはステージ
 すらなくて、観客も地に座り込んでダンサーのすぐ間近で見る事もある。対して
 アイドルのステージは一段高い位置で観客席とはっきりと分かれていて、一定の
 距離があるのが一般的だ」

「そうだよね。アイドルのステージってお客さんから遠くて、ダンスの迫力とか
 魅力がイマイチ伝わらないんだよね」

 伊吹もそれはわかっているらしい。それに逆立ちして地面でぐるぐる回られても
顔がよく見えないし、『技』を見せるブレイクダンスと『顔』を見せるアイドルの
パフォーマンスは相性がよくないのだ。




「衣装もかなり限定されてきますね。激しいダンスにも耐えられるようにあまり
 装飾は出来ないし、スカートも履けないからステージ映えしないし……」

 慶ちゃんも一緒に考える。そのうえ動きやすさや耐久性も必要になってくる。
ストリートみたいにジャージやツナギで踊るなら問題ないが、LIVEでそんな
色気のないカッコで出てきたらブーイングものだ。

「俺はアイドルのプロデューサーだから、ダンスの技だけじゃなくビジュアルも
 重視する。お前は身長も高いし、スタイルは他のアイドルよりむしろ恵まれて
 いるんだからそれを活かさないのはありえんな」

「は、はぁ!? 何言い出すのよいきなり!セクハラよ!」

 伊吹は真っ赤になって自分の腕で胸元を隠し、俺から一歩距離をとった。お前
何か勘違いしてないか?俺はプロデューサーとして言ったんだぞ?

「はいはい、どうせ私は貧相な体ですよ」

 慶ちゃんまで機嫌を悪くする。何故だ?




「ということで、お前をブレイクダンスメインで売り出すのは難しい。お前1人で
 一定以上の集客を見込めるなら専用のステージ構成を考えてもいいが、お前はまだ
 無名の新人だ。当面はユニットが中心で、複数のアイドルとアイドルのステージで
 パフォーマンスをすることになる」

「じゃあ結局アタシやりたいダンス出来ないじゃん!ウソつき!」

 伊吹が激高する。まあ落ち着け、普通に考えればそうだが何事にも例外はある。
普通に考えれば最低2年はかかるが、やり方によってはもっと早くお前の希望で
お前の好きなダンスを踊れるようになるぞ。




「お前のダンスの技術は文句ないレベルなんだから、後はステージの上で自分を
 どう魅せるかの演出が問題だ。346プロはストリート出身のお前がアイドルの
 パフォーマンスをしっかりと理解出来て踊れるかという点に注目している」

「……つまり、アタシがアイドルのパフォーマンスや演出をばっちりと理解して
 いればいいの?その為にアタシにアイドルのダンスを踊れって?」

「そういう事になるな。そこで来週の土曜日にLIVE前の最終調整で野外ステージを
 借りてリハをするユニットがあるが、特別に時間をもらってお前に踊ってもらう。
 チーフPが担当するユニットのリハだから、チーフPも見てるぞ」

「え?そのユニットってもしかして……」

 慶ちゃんが驚いた顔で俺を見た。




「『レッドバラード』だよ。アイドルのリーダーの礼子さんもいるし、チーフPと
 礼子さんに認めてもらえたら問題ないだろ」

 レッドバラードは346プロ最高ランクに位置するユニットである。ユニット単体で
海外公演も行っていて、チーフPが手塩にかけて育てた自慢のユニットだ。

「ふーん、じゃあアタシはで礼子さんと勝負して勝てばいいんだね?」

 伊吹が目をぎらつかせる。アホか、向こうは最終調整の大事なリハで来てるから
これ以上邪魔出来るか。時間を作ってもらうのだって大変だったんだぞ。




「お前がそのステージで踊る目的は、こんな味気ないレッスン場じゃなくて実際の
 ステージで本物の音響やライトの演出を使う事だ。そしてチーフPを納得させる
 最高のパフォーマンスをしてみろ」

「そうだよね、周りに認められるまでは自分がしたいダンスはガマンしなさいって
 聖來さんも言ってたしね……」

 伊吹はぶつぶつと自分に言い聞かせるようにつぶやく。一応聖來に言われた事は
憶えていたみたいだな。




「そのセイラさんとかいう先輩も呼んだらどうだ?お前もテンション上がるだろ」

「いいの!? ホントに呼んじゃうよ?」

 ああ呼べ呼べ、俺が言ってもあいつは遠慮するだろうが、お前に言われたら聖來も
いくらか来やすくなると思うしな。

「やったー!それじゃメールしよっと♪ お疲れ様でしたー!」

 伊吹はぴょんぴょんと飛び跳ねながら、元気にレッスン場を出て行った。あいつ
どんだけ聖來のことが好きなんだよ。まるで聖來の犬みたいだな。




「あの、スカウトさん……」

 俺の隣で慶ちゃんがおずおずと声をかけてきた。ん?どうしたの?

「その、野外ステージで伊吹ちゃんが踊ったとして、チーフPさんや礼子さん達が
 認めてくれる可能性は……」

「ないな」

 あっさりと言い切った俺に、慶ちゃんは驚いた顔をした。そりゃそうだろ、伊吹は
アイドルのパフォーマンスを舐めすぎている。今回の作戦は伊吹にそれをわからせて
やるのが真の目的だ。




「ストリートやレッスン場にはないライトや音響がどれほど恐ろしいか、アイツに
 思い知らせてやるよ。そこで伊吹が折れたら、どれだけダンスが踊れてもプロの
 ステージにあいつを立たせることは出来ないな」

「ス、スカウトさんってプロデュースはドSなんですね……」

 慶ちゃんがやや怯えながら言う。担当するアイドルに合わせているだけだよ。
俺が前にいた事務所は346プロより小さくて、養成所出身の優秀な子は大手に
とられていたから、一癖も二癖もあるストリートあがりばかり担当していた。





「心配しなくてもちゃんとフォローはするさ。3年ぶりに担当するアイドルだし、
 俺も伊吹をトップアイドルにしてやりたいしな」



 昔はこういうフォローは聖來も一緒にしてくれたんだがな。おかげでアイドル達は
立ち直るのは早かったが、俺より聖來に懐いていた。聖來は人の心を掴むのが上手で
扱いにくい子達も聖來の言う事はよく聞くので、俺も助けられていた。





「聖來、来るかなあ……」

「あれ?お知り合いなんですか?」

「あ、いや、知らないな」

「?」

 首をかしげた慶ちゃんに慌ててごまかす。346プロに不信感を持っている伊吹に
邪推されない為にも、俺が昔聖來を担当していた事は内緒にしてくれと346プロに
頼んでいる。チーフPにも念の為にもう一度口止めしておくか―――――




つづく





~聖來パート~



「来週の土曜日かあ…… シフト変わってもらえば何とかなるかな」

 アパートで晩ご飯の準備をしていると、伊吹からメールが来た。野外ステージで
ダンスを披露?でもLIVEじゃない?何これ?

「Pさん、何かやったのかな……」

 普通のレッスンなら事務所のレッスン場を使えばいいのに、わざわざそんな所で
やるなんておかしいでしょ。伊吹はすっごく嬉しそうに「絶対見に来てね!」って
メールで言ってるけど、何かイヤな予感がするなあ。





「聖來さん、鍋そっちに運んでいいか?」

「あ、うんいいよ!カセットコンロもセットしたからカモンカモン♪」

「はいよ」

 熱々の鍋を慎重に持ってキッチンから出てきたのは夏樹。近所のボロアパートに
1人で住んでる女の子だ。たまにご飯を一緒に食べたり、お風呂を貸してあげたり
している。夏樹はバイクとかギターとかお金のかかる趣味が多くて万年金欠状態に
なってるし、アタシも1人だと寂しいからこうして可愛がってる。




「いただきまーす♪」

「いただきます」

 2人で鍋を囲んで一緒に食べる。はふはふ、ん~!おいしい~!

「また腕上げたんじゃないの夏樹?もうアタシが教える事はないね」

「聖來さんにガッチリ仕込まれたからな。それに自分のメシだけだったらテキトーに
 なっちまうけど、誰かに食ってもらうって考えたら手は抜けねえよ」

 夏樹は照れくさそうに笑いながら白菜をつまむ。モヒカンヘアーにピアスをした
エキセントリックな外見をしてるけど、中身はさっぱりした姉御肌のナイスガイだ。
いや、ナイスガールだっけ?夏樹はどっちかと言えば男前なんだけど。




「夏樹、あんた伊吹のこと知ってたっけ?」

「スケボーが上手い伊吹さん?ああ、高校の先輩だからよく知ってるぜ」

 夏樹の中では伊吹=スケボーらしい。あの子ちょっとした距離だったらスケボー
使ってたし、高校にスケボーで行って怒られたって言ってたっけ?

「そうそう、その伊吹。今あの子東京でアイドルの卵やってるんだけどさ、来週の
 土曜日会いに行かない?ダンスレッスン見せてくれるらしいよ」

「へえ、面白そうだな。アタシはアイドルのことはあんまりよくわからないけど、
 せっかくだし見に行ってみようかな」

 夏樹はギターとバイクが大好きなバリバリのロッカーだけど、音楽に関しては
わりと柔軟でアイドルの曲とかも普通に聴く。自分のこだわりはしっかり持って
いるけど、こういう器が大きいところもナイスガイ♪




「あんたもよっちゃんほどじゃないけど美人だし、あっちに行ったらアイドルに
 スカウトされちゃうかもね」

「アタシがか?ロックなアイドルってのも面白そうだけど、アタシ可愛い格好とか
 キメ顔とか出来ないぜ?頭もこんなだし」

「モヒカンのアイドルがいてもいいじゃない。斬新で目立つし、売れるかもよ?」

「そういう目立ち方はしたくねえなあ。ギター1本で勝負するのがロックだろ」

 夏樹のロック談義を聞きながらしばらく鍋をつつく。するとインターホンが鳴った。




「アタシが出るよ」

「いいよいいよ、アンタはそこで食べてなさい」

 立とうとした夏樹を座らせて、アタシは玄関に向かう。こんな時間に誰だろ?

「はいはーい……え?」

 ドアを開けると、そこには意外な子が立っていた。




「よっちゃん?どしたの?」

「こんばんは… 夜分にすみません…」

 大きなカバンを持って、申し訳なさそうに小さな声で言ったのは『よっちゃん』こと
古澤頼子ちゃん。アタシが家庭教師をしている女の子だった―――――




―――


「アンタが聖來さんが言ってるよっちゃん?アタシ、夏樹。よろしくな」

「ふ、古澤頼子です…よっちゃんです…」

 よっちゃんの分も食器を用意して、3人で鍋を囲む。よっちゃんは見た目不良の
夏樹を怖がっているみたいだった。夏樹はよっちゃんとは真逆のタイプの子だし、
内気で大人しいよっちゃんにはハードルが高い相手かな?





「自己紹介はそれくらいにしてよっちゃんも食べよ!大丈夫、夏樹はこんなアタマ
 してるけどゼンゼン怖くないから♪」

「まあそういうことだから慣れてくれ。それにアタシ聖來さんよりは怖くないぞ」

「なにおう!夏樹のくせに生意気だぞ!」

 よっちゃんにお箸と器を渡して3人で鍋を囲む。よっちゃんはお箸を持ったまま
じっと下を向いて黙っている。手に持っていた大きなカバンを見るにおそらく……




「今日ウチに泊まる?小さい部屋だけどさ」

 アタシが笑いかけると、よっちゃんは顔を上げた。そして泣きそうな顔になって、
ぐっとこらえてぽつぽつ話し始めた。

「お母さんと…ケンカしたんです…。お母さんが…家庭教師を変えるって…。私…
 聖來さんじゃないと…嫌で……」

 よっちゃんは泣くのを我慢してたけど、そこまで言ってぽろぽろ涙をこぼした。
アタシはよっちゃんの近くに座って、そっと優しく抱きしめた。





「大丈夫だよよっちゃん。アタシがよっちゃんの家庭教師をやめることになっても、
 よっちゃんの前からいなくなったりしないからね?」



 声を抑えて泣くよっちゃんの背中をぽんぽんする。何でよっちゃんのお母さんは
そんなこと言ったんだろ?アタシお母さんともうまくやってたと思うけど。





「……アタシ、帰った方がいいか?」

 アタシが心当たりを探していると、夏樹が居心地悪そうにしていた。

「夏樹のくせに変な気回してるんじゃないわよ。アンタも自分のスタイルを貫くなら、
 よっちゃんに遠慮しないで堂々としてなさい」

 アタシがビシっと指を差して言うと、夏樹はふっと笑った。

「聖來さんってホントにイイ女だよな。男だったらホレてたぜ」

 夏樹が爽やかな笑顔で言った。それアタシのセリフだけど?それにあんただって、
こんな美女が泣いてたらほっとかないでしょ―――――?




小松伊吹(19)
http://i.imgur.com/DqZyLoY.jpg

青木慶(ルーキートレーナー)(19)
http://i.imgur.com/mxl6KQ5.jpg

木村夏樹(18)
http://i.imgur.com/YszBhLA.jpg

古澤頼子(17)
http://i.imgur.com/fFHcz5c.jpg





つづく





***



「お前……体のラインが出る服を着て来いって言っただろ?」

「だってそんな服元々持ってないし。これでもマシなの選んだんだけど」

 いよいよ野外ステージでのリハ当日。仕事の都合で伊吹に同行出来ず、昼2時に
現地集合にしたのだがまさかB-BOYみたいな格好で来るとは思わなかった。

「心配しなくてもこれでもバッチリ踊れるから!スソ踏んでこけるようなマヌケじゃ
 ないしね♪」

 余裕の表情で笑う伊吹。今から着替えに帰らせる時間はもちろん、近くの服屋に
買いに行く時間もない。今日はこのままやるしかないな。





「やむをえん。それじゃステージの説明するから付いて来い」

「はーい♪」

 伊吹はこちらの悩みも知らず気楽な返事をする。時々あたりを見回して誰かを
探しているようだ。聖來にメールを送ると見に行くと返ってきたらしいが、まだ
姿は見えない。俺も気にはなるが、今は伊吹に集中しよう。





―――



「よう敏腕プロデューサー!伊吹もおはよう!」

「うげ……」

 ステージ上で待ち構えていたのはチーフPだった。伊吹は嫌そうな顔をする。
もちろん俺も嫌だが、ここはぐっとこらえて挨拶だ。

「おはようございますチーフ。本日はお時間を戴きありがとうございました」

「敬語なんてやめろよ。お前にそんな態度取られても気持ち悪いぞ」

 俺もお前に敬語なんて使いたくないが、部下なんだから仕方ないだろ。





「レッドバラードのメンバーはまだ来られてないのですか?伊吹にもちゃんと挨拶を
 させておきたいのですが」

「アタシも?」

 きょとんとする伊吹。当たり前だろ、誰の為に今日ここに来たと思ってるんだ。
レッドバラードはLIVE前の最終調整で来てるんだから、本当は少しの時間でも
リハにあてたいくらいなんだぞ。

「まあRBのメンバーはもう慣れたものだから控室でくつろいでるよ。それよりも
 あいつらより先にお前と伊吹に紹介したい子がいるんだ」

 チーフPはそう言うと、ステージの端でライトを見上げて角度をチェックしていた
女に声をかけた。女はすらっとした長身に細く長い足をしていて、長い髪と細い目が
印象的な抜群の美女だった。




「紹介するよ。先月ウチの事務所に加入した小室千奈美だ。養成所を出たばかりで
 実戦の経験がまだ浅いから、今日は伊吹と模擬LIVEバトルをやってもらおうと
 思って連れて来た。伊吹もそっちの方が燃えるだろ?」

「な!? 」

 平然と言ったチーフPに俺は驚愕した。模擬LIVEバトルなんて聞いてないぞ!?
俺にも伊吹のプロデュース計画があるのに、そういう話は事前に連絡しろよ!

「チーフ、少しお話があります」

 俺とチーフPは伊吹と千奈美から少し離れた所に移動する。




「どういうつもりだおいコラ。あの小室千奈美、ただの養成所あがりじゃないだろ。
 あの子は養成所の中でも特別クラスにいるようなエリートのはずだ」

「お、よくわかったな。千奈美は実戦経験こそ少ないが、日本全国に支部を置く大手
 養成所で3年間AAAランクから落ちた事のないスーパーレッスン生だ。ダンスも
 歌もそこらのアイドルよりずっと上手いぞ」

 敬語もかなぐり捨ててチーフPを睨みつける。だがチーフPは飄々と笑うだけで
全くこちらを気にも留めない。俺はため息をついて言葉を続けた。




「お前も大体予想してると思うが、俺が今日ここに伊吹を連れてきたのは伊吹を
 アイドルのステージに立たせて、ストリートにはない演出の怖さを体験させて
 考えを改めさせるためだ。なのに模擬戦なんてやらせてこてんぱんに負けたら
 必要以上にダメージを負って、その後のフォローも難しくなるだろ」

「おいおい、お前戦う前から伊吹が負けると思ってるのか?自分の担当アイドル
 なんだから少しは信じてやれよ」

「そういう話じゃなくてだな……!! 」

 俺は声を荒げようとしたが、チーフPに鋭く睨まれて止まった。さっきまでは
ヘラヘラと笑っていたのに、真剣な顔になって俺の目をまっすぐ見た。




「お前のやり方はぬるいんだよ。まさかとは思うが、俺はまだ臨時プロデューサーで
 本職はスカウトマンだとか思ってないだろうな?」

「ぐ……」

 図星を言い当てられて俺は言葉に詰まった。チーフPはお構いなしに続ける。

「ウチは大所帯だが気の抜けたプロデューサーはいらないぞ。1人1人のアイドルに
 しっかり向き合って、アイドルが最高のパフォーマンスが出来る様に全力を尽くす
 のがプロデューサーだろ。346プロの大事なアイドルの伊吹を、お前のリハビリに
 付き合わせるヒマなんてないんだよ」

 チーフPの言ってることは正論で何も言い返せなかった。もちろん手を抜いていた
つもりはないが、俺は所詮スカウトマンで、伊吹も改心して真面目にアイドル活動に
取り組むようになれば俺の手を離れると思っていたから、考えが甘くなっていた。




「ヘコませるなら徹底的にヘコませてやれ。そしてお前は自分の持てる力の全てを
 使って全力でフォローしろ。それに千奈美と戦わせることは伊吹にも良い経験に
 なるはずだ。だから頼んだぞ、敏腕プロデューサー」

 チーフPはそう言ってから再び飄々とした笑顔になり、俺の肩を軽く叩いて一足
先にステージを降りて行った。敏腕プロデューサーってのは嫌味かと思っていたが、
生温いプロデュースをするなという言葉の裏返しだったらしい。

「あいつは俺以上のドS野郎だな……」

 ため息をついて伊吹の所に戻ると、案の定というか予想通りというか、伊吹と
千奈美が激しく睨み合っていた。模擬戦が始まる前から一触即発ムードだ。




「養成所あがりの甘ちゃんがアタシとダンスで勝負するって?ギブアップするなら
 今のうちだよ」

「ストリートで遊び半分で踊っていたあなたが私に勝てるとでも思ってるの?私を
 温室育ちだと思ったら大間違いよ」

 両者は激しい火花を飛び散らせている。千奈美は伊吹とは全く別のタイプで、
アイドルとしてプロポーションを保つために余分な筋肉すらそぎ落としている。
クールな見た目も相まってまるでサイボーグのようだ。




「伊吹にぶつけるにしてももうちょっと優しい相手にしてくれよ…… 下手したら
 立ち直れずにアイドルを辞めちまうだろうが……」

 大手の養成所は自前のステージを持っている所もある。千奈美はアイドルの
演出を知り尽くしているだろう。伊吹のダンスが千奈美よりも負けているとは
思わないが、この差は勝敗を決めるのに十分すぎるほどだ。

「奇跡でも起きない限り、伊吹の勝ち目はゼロだな……」



 そう思った時、ふと聖來の顔が頭をよぎった。奇跡、か―――――





つづく





~聖來パート~



「両親以外の人と東京に来るのは初めてです…」

「そうなの?アタシ頼子ちゃんくらいの頃はよく渋谷とかに遊びに来てたけど」

 アタシはよっちゃんを連れて茨城から東京にやって来た。よっちゃんが家出をして
ウチに来た日、アタシはよっちゃんの家に連絡をしてその日は家に泊めて、次の日の
夜によっちゃんのお父さんとお母さんに会いに行った。





「すみません…、うちの両親が聖來さんに失礼な態度をとってしまって…」

「いいよいいよ、ちゃんと話したらわかってもらえたしさ」

 アタシが家庭教師を外されそうになったのは、お母さんがたまたま駅前でアタシが
夏樹と話しているのを見たからだった。よっちゃんそっくりで大人しいお嬢様育ちの
お母さんは、どう見ても不良にしか見えない夏樹と一緒にいるアタシを見て、自分の
娘が非行に走ってしまうのではないかと心配したらしい。




 アタシはよっちゃんのお母さんに昔芸能界でアイドルをしていた事を打ち明け、
夏樹もミュージシャンを目指しているから派手な見た目をしていると説明した。
だからアタシ達は不良じゃありません!芸能界じゃ珍しくないです!という論調
で説得しようとしたけど、お母さんはなかなか納得してくれなかった。

 だけどアタシには秘策があった。お母さんの説得をしてから1時間が過ぎた頃、
夏樹がよっちゃんの家にやって来た。



―――――モヒカンを下ろしてピアスも外して、きっちり学生服を着た格好で





 前にも言ったけど、夏樹は自分のこだわりやスタイルはしっかり持ってるけど
それ以外も受け入れる器の大きい女の子だ。よっちゃんが途切れ途切れに言った
お母さんとの喧嘩の話から夏樹が原因じゃないかと推測したアタシは、夏樹にも
協力してもらうことにしたのだ。

「夏樹さんって、とても優しい目をしてるんですね…。髪を上げていた時は怖くて…、
 よく顔を見られませんでしたが、可愛らしい顔立ちをされているというか…」

「あはは、あの子気にしてるから言っちゃダメよ。だからあんないかついアタマして
 カッコつけてるんだから」

 礼儀正しく誤解を招いてしまった事を謝罪する夏樹にお母さんは何も言えなくなり、
今までずっと黙っていたよっちゃんのお父さんの趣味がオーディオと知ると、あとは
ずっと夏樹のターンだった。お父さんとレコードの話で意気投合して、お母さんにも
どうにかわかってもらえた。夏樹のコミュ力恐るべし……




 結局アタシは引き続きよっちゃんの家庭教師をする事になり、夏樹もよっちゃんの
友達になってあげて下さいと頼まれていた。そして今日はよっちゃんと夏樹を連れて、
東京に伊吹のステージを見に来たのだ。

「夏樹はバイクだから現地集合って言っといたけど遅いなあ。渋滞につかまって
 ないといいけど」

 アタシとよっちゃんが野外ステージの前で待ってると、大型バイクに乗った夏樹が
やって来た。女の子なのによくこんなに大きなの乗り回してるわね。




「悪い遅れた、よっちゃんも待たせちまってごめんな」

「い、いえ…、私達も今来たところですから…」

 夏樹は革ジャングラサンにハードなブーツで足下までガッチリ固めて、背中には
ギターを抱えていた。せっかく夏樹に慣れかけていたよっちゃんがまた怖がってる。
あんた今日は演奏しに来たんじゃないのよ?

「まぁ、一応ってことでな。それじゃパーキングにバイク停めて来るぜ」

 夏樹はそう言ってさっさと走って行った。あのコ何であんなに気合入ってるの?
あんな姿よっちゃんのお母さんには見せられないわね。





―――



「お、やってるやってる」

「伊吹さん今日はスケボー乗ってないんだな」

 入口にいたスタッフさんにPさんからもらった名刺を見せて、アタシ達は会場に
入った。ステージ上では伊吹がPさんに何か説明を受けているようだった。

「こっちに気付いてないね。伊吹のジャマしちゃ悪いしこっそり応援しよっか」

 アタシは夏樹とよっちゃんを連れて、客席の隅へ移動する。アイドルをしてた時に
この野外ステージに何度か来た事があるけど、適度に風よけがあって見やすい場所が
あるのよね。アタシはそこに2人を案内しようとしたけど、残念ながら先客がいた。





「あちゃ~、とられてたかあ…… って、げげっ!? 」

「おや?懐かしい顔だな」

 遠目に見るとわからなかったけど、近くで見てその先客がアイドル時代の知り合い
だったのに気付いて驚いた。昔は敵同士としてよくLIVEで戦った相手だ。




「な、なんであんたがここにいるのよ!? 」

「なんでと言われても、私は346プロの所属だし今日はここでリハをするのだが。
 君こそどうしているんだい?」

 キザったらしく短い髪をかきあげて立ちあがたのは東郷あい。いつも宝塚の男役の
ような格好をしていて、キザったらしくサックスとか吹いちゃったりして、異性より
同性のファンが多いタイプのキザったらしいアイドルだ。




「ふっ、君の周りには相変わらず色々な子がるね」

 アタシの後ろの夏樹とよっちゃんを見て、あいは愉快そうに笑った。よっちゃんは
あいにウィンクされて顔を赤くしている。ちょっかいかけないでよ!

「いやすまない、美しいお嬢さんには相応の挨拶をしないとね。もちろんロックな君も
 可愛らしいと思っているよ」

「どーも」

 よっちゃんとは対照的に、夏樹はあいの言葉を軽く受け流していた。するとあいの
後ろにいた女の人が席を立った。その人はあいと同じくらい短めのショートヘアーで、
大きな黒縁メガネをかけた美人さんだった。




「あい、この子達は知り合いなの?」

「知ってるのは一番前にいる水木聖來君だけだよ。今ステージ上にいるスカウト君の
 元アイドルで、昔LIVEで対戦した事がある。可愛い顔に似合わず強いぞ」

「そうなの?見た所高校生に見えるけど、あなたが戦っていたのは中学生の時?」

「アタシこれでも23よ!」

 失礼な発言をするメガネ女に向かって怒る。あいどころか、後ろのよっちゃんと
夏樹も声を押し殺して笑っていた。ひどいっ!




「あらそうなの?私とあいと同じ歳じゃない」

「え……?」

「自己紹介が遅れたわね。相川千夏よ、よろしく」

 千夏はそう言ってフレンドリーに握手をしてきた。もっと年上だと思ってたわ……




「さて、礼子さんにも聖來が来たと連絡しないとな。あの人は突然アイドルを辞めた
 君のことを他事務所なのにとても心配していたから、きっと喜ぶぞ」

「え!? 礼子さんも来てるの!? 」

 礼子さんというのは高橋礼子という346プロのベテランのアイドルで、アタシと
Pさんを何度も負かした相手だ。正直苦手だけど、礼子さん本人はとっても優しい
人で事務所の違うアタシも昔はよくしてもらった。




「ごめんあい、礼子さんには会いたくない……」

「そうかい。なら呼ぶのはよそう。だが礼子さんもすぐ近くにいるから、出会うのは
 時間の問題だと思うぞ」

 ジャケットから取り出したスマホを再びポケットにしまって、あいは肩をすくめた。
わかってる。でもちょっとでいいから心の準備させて。





「お、伊吹さんこっちに気付いたみたいだぜ」



 夏樹の言葉でステージを見ると、伊吹がステージの中心でこっちに手を振っていた。
さっきまで一緒にいたPさんはステージの端にいる。元気いっぱいの伊吹とは反対に
Pさんは心配そうな顔をしていた。どうしたのかなPさん―――――?





小室千奈美(19)
http://i.imgur.com/P1TEl20.jpg

東郷あい(23)
http://i.imgur.com/bjaNg7T.jpg

相川千夏(23)
http://i.imgur.com/6zezmkj.jpg





つづく





***



 出だしは順調だった。さすがダンスに絶対の自信を持ってるだけあって、伊吹は
初めてアイドルのステージで踊るとは思えないほど堂々としていて、俺が直す所は
ないくらいの仕上がりだった。

(♪~♪♪……?)

 しかしダンスが中盤に差し掛かった所で、伊吹が異変に気付く。自分でも気付かない
うちに、体が前に出過ぎていたのだ。ステージの上には初めて踊る伊吹の為にテープで
ラインを引いてある。『これ以上前に出るとライトが当たらなくなるぞ』という意味で
俺が引いたラインで、伊吹は足が半歩ほど出ていた。





(♪♪♪~……??)

 伊吹はすぐさま修正して、半歩後ろに下がってダンスを続ける。すると今度は体が
思うように動かなくなったようで、ステージの中央で足踏みしてしまった。それでも
伊吹は何とか踊ろうと必死にダンスを続けるが、次第にリズムがずれ、表情は焦りと
疲労で歪み、終盤には息切れを起こしていた。

「はぁ…… はぁ……」

 パフォーマンスが終わった時には伊吹は滝のような汗をかき、正体不明の疲労感に
襲われたショックで軽くパニックになっていた。俺はとりあえずタオルと水を渡して
伊吹を落ち着かせる。




「何で……?どうして……?」

「言ったはずだぞ。『音に押されるな』と『光に縛られるな』とな」

 これが演出の怖さだ。ステージ後ろに設置してある巨大スピーカーはアイドルの
背中を押し、アイドルを照らす照明はダンスを制限する。一度そのどちらかを意識
しまうと『演出に踊らされてしまう』状態になるのだ。




「アイドルのパフォーマンスは演出で決まると言っても過言ではない。アイドルの
 ダンスがストリートに比べて簡単でシンプルなのは、それだけステージに動きを
 制限されるからだ。アイドルの魅力を引き出す為とはいえ、この過剰ともいえる
 演出の中で自分らしく踊るのは容易ではないぞ」

「どうしてそれを教えてくれなかったのよ!? あんなヘロヘロのダンスじゃアイツに
 勝つなんて……」

 伊吹が猛然と俺に詰め寄ってくる。俺は小さくため息をついて、伊吹に諭すように
ゆっくりと言ってやった。




「お前、俺が3日前に渡した冊子を見たか?振付けの解説書」

 俺の言葉に伊吹ははっとした顔をする。解説書の存在は憶えていたようだが、
内容の重大性には気付いていなかったみたいだな。せっかく慶ちゃんに頼んで、
マスタートレーナーの麗さんに作ってもらったのに。

「あの解説書には演出のかわし方が書いてあったんだよ。どんなにダンスに自信が
 あっても、口で言ったところであの音と光にすぐには対応出来ないだろ?それは
 実際に体験したお前が一番よくわかっているはずだ」

 伊吹は俯いて黙ってしまった。ステージの上では千奈美がスタンバイしている。
丁度いい、千奈美のダンスを見せながら説明してやろう。





―――



 勝負の公平なものにする為に、チーフPは千奈美に伊吹と同じ曲で同じ振付けで
踊るように指示してある。千奈美の出だしは伊吹より大人しくコンパクトに纏めて
いたが、そう思わせないテクニックがふんだんに盛り込まれていた。

「千奈美は体のラインが出る服を着てるから一つ一つの動作がはっきり目視出来て、
 お前よりアピール性が高い。あいつはそのうえ長い手足をさらに長く見せようと
 指先からつま先まで使って踊っている。お前はダンスのキレを重視していたから
 そこまで気が回らなかっただろう」

「……」

 伊吹が着ているだぶついた服では手足の動きがわかりにくい。単純な振り付けで
あればあるほど、アイドルは体を全て使ってアピールしなければならないのである。
その点千奈美が選んだボディコン風の服は今回のダンスに最適だ。





 千奈美のダンスが中盤に差し掛かる。伊吹が立ち位置を見失い、ペースが崩れた
場面だ。だが千奈美は変わらずに自分のペースでダンスを続ける。むしろダンスの
クオリティを上げてきているので俺も驚いた。

「どうしてあいつは平気で踊れるの……?」

「ペース配分とピークの見極めがしっかり出来ているからだ。序盤はセーブして、
 中盤にいくにつれて徐々に集中力を高め、クライマックスで最高のアピールが
 出来る様に持って行く。限られた体力と集中力をいかにバランス良く使うかは
 クオリティコントロールの基本だろ?」

「く、くお?」

 要するに、パフォーマンスの質を落とさずに踊り続ける為の作戦みたいなものだ。
千奈美だってお前と同じ音を受けて背中を押されているし、お前と同じ光を受けて
照明を意識している。だがそこでぐっと集中して踏ん張り、演出に負けないように
抵抗しながらその素振りを見せないように振る舞っているのだ。




「お前に渡した振付けの解説書にも、細かくペース配分するように指示されていた
 はずだぞ。ここは5割くらいの力で、ここは7割くらいとお前のレッスンを見て
 麗さんは最後まで踊りきれるように作ってくれたのに、お前はその指示に従って
 踊ってなかったんじゃないのか?」

「だからPも慶もあんなにしつこく言ってたんだ……」

 伊吹は後悔したようにつぶやく。もちろん最初から最後まで全力で踊れればそれに
越した事はないが、パフォーマンスにはメリハリも大事だ。全体を見て流れに任せて
踊る場面とメリハリをつける場面を見極め、決めるところは確実に決めるのがプロだ。
その為にはパフォーマーのフィジカル以上にメンタルが重要になってくる。





「アイドルはどんなステージでも最高のパフォーマンスを発揮しなければならない。
 今日のステージのように演出が障害になるステージも珍しくないし、アイドルの
 ステージもストリートに負けないくらい過酷なんだぞ」



 俺がそう締めくくると伊吹はがっくりとうなだれた。そこにステージを終えた
千奈美がチーフPと共にやって来る。千奈美は伊吹を冷めた目で見下ろした。





「期待外れだったわ」

 伊吹は千奈美を睨むが、睨むだけで何も言えなかった。千奈美は構わず続ける。

「温室は外より恵まれた環境かもしれないけど、常に監視されているのよ。綺麗に
 咲かないと判断されたバラは、たとえバラでも間引かれて捨てられてしまうの。
 私が踊っていたのはそういう場所よ」

 養成所はストリートみたいに好きなダンスを踊れるわけではなく、決められた
ダンスを完璧に踊る事を求められる。ランクが高くなればなるほどレッスン生が
脱落する中で、トップレベルを維持し続けた千奈美の努力は想像を絶するものだ。




「脱落して養成所を辞めた子達はストリートに転向して、私達の陰口を言うように
 なったわ。私も教科書通りのつまらないダンスしか出来ないロボットとか馬鹿に
 されたけど、そのつまらないダンスも踊れないあなたは何なの?って言い返すと
 逃げて行ったわ。ストリートって負け犬の集まりよね」

「おいおい、それはさすがに言い過ぎだぞ千奈美。ストリート出身の子達の中にも
 トップアイドルになった子はいるんだ」

 チーフPが千奈美をたしなめるが、千奈美は全く聞く耳を持ってない。千奈美は
伊吹とは逆で、ストリートあがりに敵意を持っているらしい。厳しい養成所の中で
鍛えてきた千奈美には、伊吹が遊びでダンスをしているように見えるのだろう。

「私も養成所が絶対正しいとは思ってないけど、ストリートの中では凄いって噂の
 あなたがこの程度だと、やっぱり私はあなたを認められないわ。それとも担当の
 プロデューサーが悪いのかしら?」




 千奈美は鋭い目で俺を見た。はいはい俺も悪かったよ。容赦ないなこの子……

「それじゃ私は帰るから。勝負はノーカンでいいわよ。こんな勝利に何の価値も
 ないし、逆に私の腕が落ちてしまうわ」

 長い髪をさっとかき上げ、千奈美はさっさとステージを降りて行った。伊吹は
そんな千奈美の背中を悔しそうに睨んでいる。きっとはらわたが煮えくり返って
いるに違いない。だが今日は伊吹の、いや俺達の完敗だった。





「ちょーっと待ってくれないかな、お姉さん♪」



「誰よあなた?」



 だがステージ下を少し歩いた所で、千奈美は何者かによって道を塞がれてしまった。
俺も千奈美の視線の先に目をやると、そこには聖來が立っていた。そういえばさっき
客席に2人ほど友達を連れて見ていたな。





「伊吹の負けは認めるけど、ストリートを全員負け犬にされるのはストリート出身と
 しては悲しいんだよね。だからアタシにも躍らせてくれないかな?」

「なっ!? 」

 笑顔であっけらかんと言う聖來に俺は驚いた。どういうつもりだ……?




「……つまりリベンジってこと?あなたは私に勝つ自信があるの?」

「別に伊吹のカタキを取ろうとかってつもりはないよ。だけど後悔はさせないから♪
 ストリートのカッコ良さと面白さと、それから……」

 聖來はちらっと伊吹を見て、にやりと鋭い犬歯を見せて笑った。





「しぶとさとたくましさを見せてあげるよ」



 千奈美は聖來の迫力におされて少し後ずさる。俺はまるで3年前の聖來が戻って
きたような錯覚に陥り、この状況を黙って見てる事しか出来なかった―――――





つづく





***



 いや待て。冷静に考えるとおかしくないか?

「聖來ちゃんじゃないか!久しぶりだな!」

「げっ、346のP…… そっか、346プロってことはあんたもいるのよね……」

 現在俺の目の前では、笑顔で近づいて来たチーフPに聖來が嫌そうな顔をしている。
お前チーフPと礼子さん苦手だったもんな…… じゃなくて!





「え?どういうこと聖來さん?チーフPと知り合いなの?」

「あなた346プロだったの?今は所属してないわよね?」

 伊吹と千奈美が口々に言う。すると聖來が答える前にチーフPが笑いながら言った。

「聖來ちゃんはウチとは別事務所のアイドルで、そこにいるスカウトが聖來ちゃんを
 プロデュースをしていたんだ。昔はよくお互いLIVEでバトルしたよな?」

 ちょ!? こっちにふるな!! じゃなくてバラすな!!

「ウソ!? あんたチーフになったの!? 礼子さんがいなかったらアタシに勝てなかった
 ダメプロデューサーだったのに!? 」

 聖來も黙ってろ!! というか今そいつは俺の上司なんだから滅多なことを言うな!!




「はっはっは!変わらないな聖來ちゃんは!いいだろう!それじゃステージ貸して
 あげるから思いきり踊ればいいよ!」

 チーフPはすんなりOKした。いやいや待て待て!ちょっと待て!

「聖來、お前どうして……」

 ステージに上がろうとした聖來を俺は引き留める。聖來は少し気まずそうな顔を
してから、俺に向き直って苦笑いをした。




「ごめんPさん、アタシ今すっごくワガママだよね。勝手にアイドル辞めたくせに
 またPさんの前にのこのこ出て来て、もうアイドルじゃないのに踊らせろなんて
 どの口で言ってるんだって怒ってるよね……」

 そこまで言って聖來は少し黙ったが、勇気を振り絞るようにして続けた。

「だけどアタシ、どうしても諦められなかったの。全部忘れて引っ越しして人生を
 やり直そうって思ったけどダメで、結局またここに戻って来ちゃったの。本当は
 もう一度アイドルをやりたいけどそれはムリだってアタシもよく分かってるから、
 せめて今だけはあの頃みたいに一曲だけでも……」

「待て待て、俺が今言いたいのはそうじゃなくてだな」

 俺は聖來の話を遮って、根本的な疑問をぶつけた。




「お前、踊れるのか?ケガをした膝は大丈夫なのか?」

 俺がそう言うと、聖來はきょとんとした。

「ヒザ?アタシがケガしたのは右肘と右肩だけど?3年前はギブスでがっちがちに
 固めて三角巾で吊ってたけど、今はほら、この通り」

 聖來は右腕をぶんぶん振り回して元気なのをアピールする。一体どういう事だ?
お前は膝に大怪我をして、一生ダンスが出来なくなったんじゃないのか?





「もしかしてPさん、今までずっと勘違いしてたの?あの時ステージから落ちて、
ヒザをケガしたのはアタシじゃなくて……」



「あら、本当に聖來がいるわ。久しぶりね」



 俺達が話をしていると、レッドバラードのリーダーの高橋礼子がやって来た。
礼子さんはちらっと俺を見た後、再び視線を聖來に向けてふっと笑った。





「大体の話はあいから聞いたわ。お互いに積もる話もあるだろうけど、私達も
 今日ここでリハーサルをしないといけないのよ。だからステージを使うなら
 早くしてくれないかしら?」

 礼子さんに言われて、聖來は挨拶もそこそこにステージに飛び乗った。そして
引き留めようとする俺に向かって真剣な目で一言、

「詳しくは後で話すから、今は信じて」

 とだけ言った―――――




高橋礼子(31)
http://i.imgur.com/4Q6REB1.jpg





つづく


今日は休みます。続きは早ければ明日に。




***



 伊吹達と同じBGMを使って聖來のパフォーマンスが始まる。聖來は序盤から
腕を鞭のように鋭く振り回し、大胆に踏み込んだステップでダンスを組み立てる。
伊吹と同じ振付けのキレとパワフルさにウェイトを置いたダンスだ。

「ストリートを意識してるな。養成所はあんな無茶なペースでやらないだろ」

「私はこのステージの演出を考えて最適なダンスを踊っただけよ。演出の制約と
 ペース配分を考えなければあれくらい踊れるわ」
 
 千奈美は当然のように言った。養成所のプライドもあるだろうが、この子も
かなりの負けず嫌いだな。





「だけど彼女のダンスは何ていうか、こう……」

 だがストリート嫌いの千奈美でも、聖來のダンスは惹きつけられるものがある
らしい。聖來は小柄でダンスアピールは不利なアイドルだったが、そのハンデを
ものともせず腕自慢のダンサー達と渡り合っていたからな。

「聖來さん、すごい……」

 伊吹も聖來のダンスから目が離せないようだ。そういえば伊吹は聖來が踊れる
ことを知らなかったのだろうか?

「聖來さんのダンスを見たことは一回もなかったよ。踊れるってのは知ってたけど、
 いつもアタシが踊ってるのを楽しそうに見てたから……」

 伊吹は聖來がここまで踊れると知らなかったそうだ。自分がアイドルだったのも
隠していたらしいし、ストリートでも全く踊ってなかったのか?




 しかし今ステージの上で踊る聖來は、3年もブランクがあるように見えなかった。
振付けは伊吹と千奈美が踊ったのを真似すれば何とかなるとしても、聖來はそれに
アレンジを加えて完全に自分のものにしている。先に踊った伊吹と千奈美に引けを
取らないくらい、聖來のダンスも仕上がっていた。

「あい、今の聖來ちゃんになら勝てるか?」

 聖來のパフォーマンスを見ながら、チーフPがあいに話しかけた。あいは前髪を
さっとかきあげて、余裕の表情で笑ってみせた。




「愚問だな。聖來君が3年間どこで何をしていたか知らないが、私はアイドルとして
 第一線で活動を続けていたんだ。彼女のダンスは相変わらず動物的な趣があって
 面白いが3年前とさほど変わってないし、今の私の敵ではないよ」

「そうだな。腕は落ちてないようだが、ダンサーとしてそれほど成長もしてないな。
 俺もどこかで武者修行でもしていたのかと期待していたんだが」

 伊吹と千奈美とは違い、こちらはなかなか辛口だ。俺は聖來が3年前と変わらず
踊っているだけで嬉しいが、聖來に一目置いていたライバル達はやや不満のようだ。
聖來には強く在り続けて欲しいと思うのだろうか。




「おい元プロデューサー、お前本当に聖來ちゃんと連絡取ってなかったのか?」

「取ってませんよ。仮に取っていたとしても教えませんけど」

「お、また昔の調子っぽくなってきたな」

 チーフPはニヤニヤ笑う。うるせえ、今はお前の相手をしてるヒマはないんだよ。
いよいよステージは中盤に差し掛かる。音の演出に背中を押され、伊吹がペースを
崩したパートだ。聖來はここをどう切り抜けるだろうか。

「あんた達何か忘れてない?聖來の真骨頂はこれじゃないでしょ」

 その時今まで黙っていた礼子さんがチーフP達に言った。そして俺に向かって
『そうよね?』と笑いかける。





「あの子が他のアイドルと違うのはストリートで鍛えたアドリブのセンスが抜群に
 良いのと、動物的な直感でそれを躊躇なく自分のダンスに入れる判断力じゃない。
 だからあの子とのLIVE対決は最後まで気が抜けなかったわ」



 聖來は音の演出に背中を押されて、『おっとと!? 』と驚いたような表情で前に
つんのめった。伊吹が小さく悲鳴を上げたが、聖來はそんな伊吹にニヤリと笑い
かけると人差し指を立てて『ち・ち・ち♪』とジェスチャーしてみせた。





「え……?」

「ちょ、ちょっと聖來さん!? 」

 そして聖來は音に背中を押された勢いのまま、全く迷いなく前進してきた。驚く
千奈美と伊吹を気にせずに1歩、2歩、3歩とリズミカルにステップを踏みながら
ステージ端で立ち止まり、軽く半身に構えたと思えば、



 スパァン!



 空気を切り裂くような鋭くキレのある側転で後退し、一瞬で元の場所に戻った。
聖來にとってこれくらいの演出は大した問題ではない。伊吹のようにステージに
縛られず、千奈美のように我慢もせず、笑顔のままであっさりクリアした。





「ヒュウ♪ やるねえ聖來さん」

 聖來が連れて来たモヒカン頭の女の子が面白そうに笑う。彼女の隣にいた眼鏡を
かけた女の子は聖來のパフォーマンスに驚いて、目を見開いたまま固まっていた。
伊吹と千奈美もその子と同じような顔をしていた。

「ほら見なさい、だから聖來のステージは最後まで油断出来ないのよ。ダンスでは
 勝てても、あの子のしぶとさに勝てるかしら?」

礼子さんに言われて、チーフPとあいは苦笑いをしていた。側転で音の演出を
切り裂いた聖來は、そこからアイドルでもストリートのパフォーマンスでもない
変幻自在のステップで俺達を魅了した。あの足の動き、どこかで見たような気が
するんだが聖來は何を参考にしたんだ?




「まるで犬とじゃれ合ってるみたいね」

 その時聖來を見ながら、ぽつりと千夏が言った。ああそれだ、聖來のステップは
まるで足にまとわりついた犬を適度にあしらいつつ懐かせているようだった。

「そういえばあいつ、ペットショップでバイトしてたな……」

 ストリートは枠にとらわれない自由さが武器だが、まさか犬と遊んでいる中で
あのステップを思いついたのか?昔から犬か猫かと言われれば犬っぽいヤツだが、
ますます犬っぽくなったなと思った―――――




つづく





***



「よっと」

 圧巻のパフォーマンスを終えて、聖來はステージからひょいと飛び降りる。そして
伊吹の方に向かって歩き、軽く笑いかけた。

「ストリートダンサーがアドリブ忘れてどうすんのよ。LIVEバトルは何が起こるか
分からないんだから、これくらいの小技は使えるようになっときなさい」

 聖來は伊吹の額を軽く人差し指で弾いてから千奈美の方を見た。千奈美は一瞬体を
びくりと強張らせて、緊張した様子だった。





「楽しんでもらえた?」

 聖來は軽い調子で千奈美に言った。千奈美が小さな声で「ええ……」と言うと、
聖來は「よかった♪」と顔いっぱいで笑ってみせた。

「アイドルはエンターティナーなんだから、みんなに楽しんでもらわないとね♪」

 聖來の言葉に千奈美は唇をきゅっと噛んだ。千奈美のパフォーマンスが聖來に
負けていたわけではないが、千奈美はまだ形式的でダンスの完成度を高める事に
気を取られすぎていた。その点は自由自在なダンスで俺達観客にも目を向けつつ、
ステージを盛り上げた聖來に及ばなかった。



「あなた、只者ではなさそうね…… 何者なの?」

「アタシ?そんなエラそうな人間じゃないけど、強いて言うなら……」

 聖來は素早い動きで一緒に来た眼鏡の子の隣に並ぶと、戸惑うその子の腕に
ぎゅっとしがみついた。

「よっちゃんの家庭教師かな。センセイのアタシもたまには息抜きしないとね♪」

 聖來は千奈美にそう言って、一緒に来たもう1人のモヒカンの子に声をかけた。




「アタシとよっちゃんは勉強があるから帰るけど、夏樹はどうする?せっかく
 ギター持って来たんだからPさんに聴いてもらったら?」

 どうやら聖來はこのまま帰るつもりらしい。なるほど、このままよっちゃんの
勉強を言い訳にしてこの場から脱出し、保険として1人でも大丈夫そうな夏樹を
残して俺の追跡をかわすつもりか。

「それはズルいんじゃねえか聖來さん?アタシとよっちゃんダシにしてここから
 逃げようったってそうはいかないぜ」

「あ!こら!」

 だが夏樹は聖來に非協力的だった。彼女は俺をちらりと見てウィンクした。




「よっちゃん、聖來さんはこっちの兄ちゃんと話があるみたいだからアタシ達は
 先に帰ろうぜ。家まで送ってやるよ」

「いえ…駅までで大丈夫です。1人で帰れますから……」

 よっちゃんはするりと聖來の腕をほどき、夏樹の方へ歩いた。呆然とする聖來に
向かって、彼女は振り返ってぺこりと頭を下げた。

「先程ステージの上で踊られていた聖來さんは、とても楽しそうでした…。今まで
 見たことのない明るい表情で…、私の知る聖來さんは…本当の聖來さんではなく、
 偽りの姿だったのではないかと…少しだけ…悲しくなりました」

 よっちゃんは猫背気味だった背を張って、聖來を眼鏡の奥から鋭い目で非難する
ように言った。さっきまではおどおどしていたのに急に雰囲気が変わって、俺達も
驚いた。美人なのはわかっていたが、この子よく通る声をしているな……




「聖來さんにも事情がおありでしょうし、私は深く立ち入るつもりはありません。
 もちろん聖來さんを…嫌いなったわけではありませんが…すみません、うまく
 言葉に出来ないので、今日はここで失礼します……」

 よっちゃんは聖來にもう一度頭をさげた後、俺達伊吹と千奈美やチーフP達にも
丁寧に頭を下げてやや足早に会場を出て行った。

「よっちゃんはアタシと違って繊細な子だからな。いつもと違う聖來さんを見て、
 色々パニクってるんだと思うぜ」

 夏樹はギターを担ぎ直して、革ジャンの懐からグラサンを取り出す。この子は
見た目もバッチリ決まってるが、仕草も完璧に決まってるな。




「まぁ、よっちゃんはアタシがちゃんとフォローしとくよ。だから聖來さんは
 心配しないでこっちでメシでも食ってから帰って来な」

「ゴメン、お願い夏樹……」

「これくらいお安い御用さ。そんじゃ伊吹さんも頑張れよ」

 夏樹は伊吹にも軽く手を振って、よっちゃんを追いかけて行った。聖來はひとり
取り残されて、観念したように俺に向き合った。




「聖來……」

「……ヒザをケガしたのはね、アタシとステージから落ちたサークルの子なの。
 アタシが…その子を一緒に巻き込んで落ちちゃってね……、その子を二度と
 ダンスが出来ないようにしちゃったの……」

 俺の言葉を遮るようにしながら、聖來は小さな声でぽつりぽつりと話し始めた。
その顔はとても辛そうだった。

「その子はチームを日本一にするのが夢だっていつも言ってたの…… なのに夢を
 見せるアイドルのアタシがその子の夢を壊しちゃってさ…… だからアタシには
 もう…アイドルになる資格がないの……」

 伊吹も初耳だったみたいで、驚いた顔をして聞いていた。それでお前は大学も
アイドルも全部辞めて俺の前から姿を消したのか……




「今日は特別。伊吹の応援もしたかったし、アタシも久しぶりにステージに来たから
 ガマン出来なくなっちゃった。でもアタシのアイドルはこれでおしまい」

 聖來は伊吹の腕をぐいっと引っぱって、自分の隣に立たせた。

「後はこの子に任せるよ。伊吹を身代わりにするわけじゃないけど、アタシみたいに
 可愛がってあげて。この子ちょっとおバカちゃんだけど、ちゃんとレッスンつけて
 あげたらアタシより踊れるアイドルになるから」

 聖來はにこっと笑ってから、すっと真面目な顔になって俺に頭を下げた。





「どうか伊吹のことをよろしくお願いします。この子をトップアイドルにして、
 アタシが叶えられなかった夢を叶えて下さい!」



 聖來はチーフPと礼子さんにも頭を下げた。聖來はここでアイドルへの未練を
完全に絶つつもりだ。さっきステージで踊っていた時はまだアイドルに復帰する
気があるのかと思ったが、これで終わりにするつもりだったのか。





「自分の夢をその子に押し付けるんじゃないわよ。他人の夢なんて誰にも背負える
 ものじゃないし、余計な足かせにしかならないわ」

 礼子さんは聖來の頼みをばっさりと切り捨てた。聖來はびくっと肩を震わせる。
それは確かにそうだが、もう少しオブラートに頼みますよ……

「聖來ちゃんが心配しなくても、伊吹は346プロが責任を持ってプロデュースを
 するさ。トップアイドルになれるかどうかは伊吹次第だがな」

 チーフPが素早くフォローする。さすが長年組んでるベテランコンビだけあって
息がばっちり合ってるな。




「お前はお前、伊吹は伊吹だ。仮に伊吹がトップアイドルになったとしてもそれで
 お前の夢が叶うわけじゃないし、伊吹もお前の為にアイドルになるわけじゃない。
 アイドルがそんなに甘くないのはお前も知ってるだろ?」

「そうだね……ゴメン、アタシ伊吹にも悪いこと言っちゃった……」

 俺達の言葉に聖來は後悔したように言った。お前が後輩や年下の子の面倒見が
良いのはよく知ってるが、話の筋が通ってないからちぐはぐな感じになるんだよ。
頭の良いお前ならわかってるだろ?




「難しい話はよくわからないけど、聖來さんが頑張れって言うならアタシやるよ。
 聖來さんが踊れないって言うなら、代わりにアタシがいくらでも踊ってあげる。
 アタシにとって聖來さんはそれくらい大事な人だから」

 少しの沈黙の後、伊吹が口を開いた。驚く聖來に伊吹は笑いかける。

「だけど聖來さんは本当に踊れないの?アタシに任せちゃってもいいの?」

 伊吹の大きな目にじっと見つめられて、聖來は耐えられずに目を逸らした。
すると目線の先にいた千奈美と目が合う。




「よっちゃんの家庭教師さん、だったかしら?名前なんてどうでもいいけど、私が
 あなたの事を聞いたのは『あなたを倒す』と決めたからよ。元アイドルだろうが
 家庭教師だろうが、私に屈辱を味あわせた以上覚悟しなさい」

千奈美が鋭い目で聖來を睨む。本当に負けず嫌いの子だな……

「それはアンタの逆恨みじゃないの?心配しなくてもアタシが聖來さんの代わりに
 相手になってあげるから、聖來さんにストーカーしないでよ?」

「あなたには負ける気がしないわ。あなたに彼女の代わりが務まると思えないし、
 大人しくレッスンに励んでなさい」

「なにをー!今日はちょっと調子が悪かったけど、アタシがいつも通り踊れたら
 アンタなんて軽くひねっちゃうんだから!」

 伊吹と千奈美がケンカを始めて、チーフPとあいが仲裁に入る。どうやら俺を
含めて、誰一人聖來を逃がすつもりはないようだ。




「もう一度言うが、お前はお前だ。お前がアイドルとして叶えたい夢があるなら
 俺がプロデューサーとして力になってやるから、自分の力で夢を叶えろ」

「Pさん……もうプロデューサーじゃないんでしょ?」

 お前がアイドルに戻るなら俺もプロデューサーに復帰するさ。お前が諦めた夢は
担当Pだった俺の夢でもあったんだから、俺にも協力させてくれよ。

「アタシは……でも……」

 聖來は悩んでいた。一番の問題はその膝をケガしたサークルの子だな。事情が事情
だけに話せばわかってもらえると思うのは見通しが甘いが、許してもらえる可能性は
ゼロではないと思ってる。その為なら俺も何度だって頭を下げてやるさ。




「おーいそこのお二人さん、良い雰囲気のところ悪いがそろそろRBのリハをさせて
 もらってもいいか?こっちもいい加減に始めないとマズいんでな」

 チーフPに言われて、俺達は観客席の脇へとそそくさと退散する。聖來はRBが
ステージの上でスタンバイをしているのをじっと見ていた。かつてライバルだった
あいや礼子さんを見て、聖來は何を思うのだろうか……

「よかったぁ~!間に合ったぁ~!」

 するとその時、息を切らして慶ちゃんが走って来た。慶ちゃんは今日のリハを
見に来たいと言ってたが、346プロのレッスンが重なって難しいと愚痴っていた。
行けたら見に行きますと言ってたが、どうやら来られたらしい。




「え~!伊吹さんのステージは終わっちゃったんですか!見たかったです~!」

「慶ちゃん、RBのリハがもうすぐ始まるから静かにな?」

「あ、すみません。わたしったらつい……」

 慶ちゃんは声をひそめて謝る。麗さんや聖さんと同じ顔してるのに、この子は
まだそそっかしいというか、トレーナーの自覚が足りないな。

「あれ?この子誰ですか?千奈美さんには昨日会いましたけど、新人さんかな?」

 聖來に気付いた慶ちゃんは、まじまじと興味深そうに聖來を見る。この感じから
察するに、どうやら慶ちゃんは聖來を高校生とでも勘違いしているようだ。本当は
慶ちゃんよりも4つほど年上なんだが。




「慶ちゃん、その子はこの前言ってた伊吹の先輩のだな……」

 俺は慶ちゃんに聖來を紹介しようとした。だが聖來を見ると、聖來は信じられない
ものを見たような顔をして固まっていた。

「め……い……?」

「え?」

 聖來は虚ろな目で、ふらふらと慶ちゃんの方に歩く。めい?何の事だ?




「うそ……?めいがいる……?どうして……?」

「な、ななな、なんでしょうか……?」

 聖來は事情がわからずに混乱する慶ちゃんの前に立つと、その場でぼろぼろと
大粒の涙をこぼした。突然の出来事に俺も伊吹達も驚く。

「よかったよう……めいがあるいてる……はしってる……よかったよう……」

 俺は聖來が泣いた所を見たことがなかった。3年前に一緒に仕事をしていた時も、
聖來はいつも元気な笑顔で周りを明るくする子だった。その聖來が人目も憚らずに
大泣きをしている光景は俺にとってかなり衝撃的だった。



「あの……、もしかしてお姉ちゃんと間違えてませんか?」

 慶ちゃんはおそるおそる聖來に言った。聖來はきょとんとした顔で泣きやむ。
お姉ちゃん?そういえば俺が会った事のない慶ちゃんの3番目のお姉さんって
確か名前は……

「え……?おねえちゃん……?」

「やっぱりそうですね。明お姉ちゃんとわたしは姉妹の中でも特にそっくりだから
よく間違えられるんですよ。わたしは妹の慶です」

 にっこり笑った慶ちゃんに聖來は放心状態だった。ええと、これまでの話を
整理する為にいくつか質問させてもらおう。




「慶ちゃん、ちょっと聞きたいんだが……」

「はい?なんですかスカウトさん?」

「慶ちゃんのお姉さんの明さんは、その、大学でダンスをやってたのか?」

「ええと、やってた……のかな?すみません、ちょっとよくわかりません」

 わからない?自分のお姉さんのことなのにわからないのか?




「だ、だって明お姉ちゃんは家出して東京の大学に行っちゃったんですから、
 大学で何をしてたのかまったく聞いてないんですよ!3年くらい前に突然
 車椅子に乗って帰ってきて、それから明お姉ちゃんは毎日必死にリハビリ
 してたから聞く暇もなかったし……」

 慶ちゃんは指をもじもじさせながら弁明をする。車椅子に乗って帰って来たと
いうことは、足を怪我したのか?ということは聖來と一緒にステージから落ちた
ダンスサークルの子はやはり……

「慶ちゃん、俺達を明お姉さんに会わせてくれないか?日程はお姉さんの都合が
 良い日でいいから」

 聖來がびくりと肩を震わせた。明さんに会ってどうなるかはまだわからないが、
一度直接会って話をする必要があるな。3年前に止まっていた俺と聖來の時間が
ゆっくりと動き出した―――――




つづく





***



 明さんのアポが取れたのはそれから1週間後だった。彼女が指定してきた場所は
かつて聖來が通っていた大学近くのカフェで、現在俺と聖來はそのカフェで彼女が
来るのを待っている。

「ごめんねPさん、付き合ってもらって……」

「明さんに会いたいと言ったのは俺だ。お前が謝る必要はない」

「それは……そうだけど……」

 過去を悔やんでも仕方がない、俺達は今出来る精一杯の謝罪をするだけだ。





「Pさん、今こんなこと言うべきじゃないのはわかってるけどさ……」

 聖來は言葉を選び迷いながら、おそるおそる言った。

「この件が無事に解決しても、アイドルに復帰するかは考えさせて欲しいんだけど……」

「それは構わない」

 即答した俺に聖來は驚いた。当然だろう?確かに俺はお前にアイドルに戻って
欲しいと思っているが、それとこれとは別の話だ。




「俺のことなんて気にしないで、お前は自分のことを考えろ。この先どうするのか、
 どうしたいのかを決めるのはお前だからな。俺はお前が過去に苦しまず、未来に
 向かって歩き出せるように手助けするだけだ」

「どうしてそこまでしてくれるの……?Pさんには何のメリットもないのに……」

「損得の話じゃない。これは俺が3年前にやり残した事だ。担当アイドルが
 起こしてしまった事故なら、プロデューサーとしてお前のスケジュールを
 管理していた俺にも責任があるからな」

 もっともらしく言ったがアイドルとしての活動中ならともかく、プライベートの
サークルで起きた事故ならその限りではない。今の俺は完全に私情で動いているし、
余計なリスクを背負って最悪346プロをクビになるかもしれない。

 だが聖來の為になるならそれでも構わない。聖來にはそんな意識はないだろうが、
俺は聖來に返しきれないほどの恩がある。たとえアイドルに復帰してくれなくても、
聖來が幸せになれるならそれでいい。




「そろそろ待ち合わせの時間だな」

 俺はスーツの襟を正して気を引き締める。聖來は少し震えていた。

「大丈夫だ」

「あ……」

 俺は机の下で堅く握っていた聖來の拳をゆっくりとほぐしてやる。

「今のお前はひとりじゃない。俺が隣についている」

「うん……」

 聖來がこの小さな手のひらでまた夢をつかめるように、俺は最善を尽くそう。




「いらっしゃいませ~」

 店員の声で新規客が来たのに気付き、俺達は入口に顔を向けて席を立つ。開いた
ドアから最初に入って来たのは慶ちゃんで、次に麗さん、聖さんと続き、



 最後に明さんと思われる女性が入って来た―――――






―――



「水木さんは明お姉ちゃん以外とは初対面ですね。私の隣が長女の青木麗で、
 麗姉さんの隣が次女の青木聖、そして三女が明お姉ちゃんで、私は四女の
 青木慶です。改めてよろしくお願いしますね」

 慶ちゃんが自分の姉達を紹介する。聖來は麗さんと聖さんにあいさつをしてから、
明さんをちらりと見た。明さんは店に入ってからずっと視線を机に落としたままで、
俺達と目を合わせようとしなかった。

「明、失礼だぞ」

「すみません……」

 聖さんに注意されて、明さんはゆっくりと視線を俺に向けた。そういえば俺は
明さんと会うのは今日が初めてだったな。ずっと前から会った事がある気がして
いたのは、明さんによく似た麗さん達と顔を合わせているからだろうか。





「はじめまして。私は346プロでスカウトマンをしているPと申します。以前は
 別のプロダクションで、水木の担当Pをしていました」

 俺は明さんに自己紹介をした後、聖來に目配せをした。聖來も神妙な顔で頷く。

「本日は3年前に水木が明さんに怪我を負わせてしまった事について、遅くなり
 ましたが水木と謝罪に参りました。今更謝りに来てどういうつもりだとお怒り
 だと思いますが、誠に申し訳ございませんでした」

「申し訳ありませんでした」

 俺と聖來は明さんに深く頭を下げた。まずはしっかり謝っておかないとな。




「頭をあげてください…… 聖來も……」

 明さんは小さな声で言った。俺達がおそるおそる頭を上げると、明さんはとても
申し訳なさそうな、心苦しそうな顔をして俺達を見ていた。

「その件はもう結構です…… 謝罪は受けていますから……」

「え……?それはどういう事でしょうか?」

 俺は明さんに聞き返したが、明さんはまた視線を机に落として黙ってしまった。
謝罪を受けた?一体誰からだ?




「埒が明かないな。私が青木家の代表として話そう」

 一向に話さない明さんに業を煮やしたのか、黙っていた麗さんが口を開いた。

「この件は3年前に既に片付いている。私達の両親はP殿が以前在籍していた
 事務所の社長から謝罪を受け、明は膝の手術の直後だったので私が代わりに
 立ち会った」

「それは……存じませんでした」

 社長は事故のことを調べて親御さんに謝罪していたらしい。俺はそんな事を
何も聞かされてなかったが、あの社長は誰にも言わずに独断で動く事があった。
そして俺が聞かされてなかったという事はおそらく……




「残念ながら和解には至らなかったがな。社長の発言に両親は激怒し、もう少しで
 大喧嘩になる所だった。私もこの業界で働いているから噂は聞いていたが、奴は
 噂以上の無礼者だったな」

「誠に申し訳ございませんでした……」

 苛立ったように話す麗さんに俺は深く頭を下げた。俺が当時いた事務所の社長は
とにかく傲慢で、誰に対しても上から目線だったのでよくトラブルを起こしていた。
そして社長はそのトラブルを俺達スタッフに隠していたので、何も知らない俺達は
出先で突然先方に怒られる事も珍しくなかった。




「まあ潰れた事務所の話などどうでもいいし、既にあの事務所を辞めているP殿に
 謝罪されても無意味だ。後は謝罪の場にいなかった事故の当人同士が話し合えば
 いいし、私もP殿とは良い関係のままで仕事をしたいからな」

 麗さんはいつもの威圧感のある笑顔を俺に見せてくれた。そう言ってもらえると
ありがたいです。俺は償いとして346プロを辞める覚悟もしていましたから。

「P殿が罪悪感を覚える必要などない。そしてそれは君も同じだぞ水木聖來君」

「え……?」

 急に麗さんに名前を呼ばれて、聖來は驚いた様子で顔を上げた。




「君は明を守ろうとしてステージから落ちたのだろう?もし君がいなかったら明は
 命を落としていたかもしれないし、私達家族はむしろ君に感謝しているぞ」

 麗さんは優しい顔で聖來に言った。守ろうとした?どういう事だ?俺もあれから
3年前の事故を調べたが、聖來と明さんが怪我をしたという事だけで事故の詳しい
状況まではわからなかった。聖來は自分が悪いとしか言わないし、怪我の程度から
明さんの方が重傷だったので聖來の言う事を信じていたのだが……

「で、でもアタシは明にケガをさせて、明は二度とダンスが出来なくなって……」

「ほう?明は二度とダンスが出来ないのか?」

 麗さんは明さんをくいっとあごで差した。明さんは小さく頷いて、静かに席を
立ってそのまま店を出て行った。




「明……?」

 明さんは店を出て、外の駐車場で立ち止まった。ちょうど俺達が座っている
座席の窓の前で、明さんは俺達の方を見て背筋をぴんと張った。

「やれ」

 麗さんの声は外の明さんには聞こえていないが、明さんは麗さんの口の動きを見て
何を指示されたのか理解したらしい。彼女は小さく頷いてから、



 激しいダンスのステップを踏み出した





「なっ!? 」

「えっ!? 」

 俺と聖來は明さんに釘付けになる。明さんのステップは二度と歩けなくなるかも
しれないと言われた大怪我をした人間の動きではなく、むしろ激しく地面を踏んで
膝を悪くするのではないかと心配になるくらい力強いものだった。

「私達トレーナーはアイドルのレッスンが主な仕事だが、怪我の治療やリハビリと
 いった専門的なケアを学ぶ事も必須項目でな」

 驚いている俺達の顔がおかしいのか、麗さんはとても上機嫌だった。





「とは言っても、あそこまで治すのは容易ではなかったが。退院してから一日も
 休まず丸2年、一流のスポーツ選手でも根を上げる地獄のリハビリメニューを
 課してやったのだが、あいつは毎日歯を食いしばってこなしていたよ」



 一通りダンスを終えて、明さんは店内にいる俺達に向かってぺこりと頭を下げた。
周囲には近くの大学に通う学生達がギャラリーを作っていて、そのギャラリー達に
拍手されて明さんは恥ずかしそうに俯いて足早に戻って来た。





「P殿は私がマスタートレーナーだということを失念していないか?」

「い、いえ、そういうわけでは……」

 麗さんの威圧感のある笑顔に気圧されつつ、俺は慌てて答える。麗さんが業界でも
有数の凄腕トレーナーなのは知っていたが、これほどとは……

「私も全知全能というわけではないが、伊達にマスターレベルは名乗ってないさ。
 では話を戻そうか水木聖來君」

 明さんが席に戻って来たタイミングで、再び麗さんは聖來に話しかけた。





「明は二度とダンスが出来ないのか?」



 聖來は言葉が出ないようで、口をぱくぱくさせていた。明さんはそんな聖來を
複雑な表情で、静かに見ていた―――――





青木麗(マスタートレーナー)(28)
http://i.imgur.com/x2NWt8t.jpg

青木聖(ベテラントレーナー)(26)
http://i.imgur.com/MX1Yfn0.jpg

青木明(トレーナー)(23)
http://i.imgur.com/vJNRGvY.jpg





つづく





***



「では青木家として伝える事は伝えたし、私は帰るぞ」

 麗さんは聖さんに「後は任せたぞ」と言って席を立った。

「慶、お前も帰るぞ」

「え!? わたしも!? 」

 残って話を聞きたいという顔をしている慶ちゃんを、有無を言わさずに立たせる。
そして麗さんは最後に明さんに声をかけた。





「後は自分で話せるな?聖は見届け役だぞ」

「はい。今日はありがとうございました」

「うむ。ではP殿、水木君、失礼する」

 麗さんは俺と聖來に一礼した。俺達も頭を下げた。




「わ、わたしも明お姉ちゃんと聖來さんの話を聞きたいんだけど……」

「家で聞けばいい。明も教えてくれるさ」

 麗さんは慶ちゃんをずるずると引きずりながら店を出て行った。そんな麗さんを
見ながら、聖さんがやれやれと苦笑した。

「うまく逃げたな。姉さんにも困ったものだ」

 聖さんは独り言のようにつぶやいて、明さんが話し出すのを待っていた。聖來も
緊張した顔で明さんを黙って見ていた。




「全ては、私と麗姉さんの間にある確執が始まりでした……」

 少しの沈黙の後、明さんはぽつぽつと話し始めた。

「聖來、私はあなたに謝らないといけないの」

「え……?」

 明さんは聖來の顔をまっすぐに見て、覚悟を決めたようにはっきりと言った。





「ごめんなさい聖來。私はあなたを利用して、麗姉さんに復讐しようとしたのよ」



 明さんは聖來に頭を下げる。2人の間に緊張が走った。俺は2人の会話を黙って
見守る事しか出来なかった―――――






―――



「り、利用……?それに復讐ってどういうこと……?」

「今から説明するわ。私達が初めて会った時の事を憶えてる?」

「え?えっと、確かたまたま学食が混んでいた時に、相席になったんだっけ?」

「あれは偶然じゃなかったの。私はあなたがアイドルだったことも、あなたが所属
 している事務所もあなたから聞く前から調べていたから知っていたわ。あなたの
 ことを調べ上げたうえで、私はあなたに近づいたのよ」

 明さんはどこか遠い目をして淡々と話した。





「どうしてそんな……」

「麗姉さんがトレーナーとして育てあげた346プロのアイドル達を、LIVEバトルで
 倒していたあなたと仲良くなれば、麗姉さんは事務所の中で立場を失くしてクビに
 なるんじゃないかと思ってね」

 明さんは黒い笑みを浮かべた。聖來を利用してまで実の姉にそこまでするなんて、
どれほど深い恨みがあるのだろうか……

「あなたの近くにいられる理由が欲しかっただけで、本当はサークルもどうでも
 良かったの。あなたがすごくダンスが上手だったから、私もあなたに合わせる
 為につい熱が入っちゃったけど」

「……」

 聖來は明さんの話を黙って聞いていた。友人の裏の顔を知って戸惑っているのか、
それとも利用された事を怒ってるのか……




「あなたは馬鹿よ聖來。事故の時だって、ステージから足を踏み外して落ちた私を
 助けようとして一緒に落ちて、自分までしなくてもよかったケガをしたんだから。
 それなのに責任を感じて大学もアイドルも辞めるなんて……」

「で、でもそれは、アタシが助けられなかったから……」

「もうやめてよ!私が全部悪かったのよ!」

 明さんは聖來の言葉を遮るように叫んだ。そして俺に説明をする。




「あの時、私と聖來はステージでアクロバティックなパフォーマンスを行いました。
 聖來はステージの端でうまく立ち止まりましたが、私は踏切りの位置を間違えて
 しまって頭から真っ逆さまに落ちました」

 そのまま落ちれば頭や首の骨を折る致命傷を負い、一命を取り留めたとしても
後遺症が残っていた可能性が高い。とっさの受け身が間に合わず地面に激突する
直前だった明さんに、聖來が飛びついたそうだ。

「聖來は私の頭を抱き抱えながら地面にぶつかって、右肩と右肘を骨折しました。
 この子は自分が私にケガをさせたと言ってましたけど、これが真実です」
 
 俺は聖來をじろりと見た。聖來は気まずそうに目を背ける。




「お願いしますPさん!聖來は何も悪くないし、私に利用されていただけなんです!
 私の怪我も完治していますから、どうか聖來をまたアイドルにしてあげて下さい!
 その為に私に出来る事があれば何でもします!」

「ちょ、ちょっと明!? 」

 明さんは俺に勢いよく頭を下げた。聖來は慌てて明さんを止める。




「利用したとかよくわからないけど、勝手に自分だけ悪者になろうとしないでよ!
 あんたのヒザはアタシの全体重が乗って砕けたんじゃない!」

「頭や首に比べれば膝だけで済んで良かったわよ。それにさっき見てもらったから
 わかると思うけど、今はケガの前より調子がいいくらいよ」

「で、でもリハビリだってすっごく辛かったんでしょ?アタシのせいで苦労して、
 2年もずっとリハビリ漬けだったって聞いたし……」

「あなたの辛さに比べればどうってことないわよ。あなたは私のせいで大好きな
 アイドルを辞めて、恋人のPさんと離れ離れになったんだし……」

「はぁ!? な、何言い出すのよ急に!! 勘違いもいいところだわ!! 」

「え?でもサークルでいつも楽しそうにPさんの話を……」

「わ―――――!! わ―――――!! 違うから!! アイドルが楽しかっただけだから!!
 Pさんもヘンな勘違いしないでよ!! 」

 聖來は真っ赤な顔をして全力で否定した。わかってるから落ち着け。




「明さん。明さんは先程聖來のことを調べていたと仰ってましたが、ならば聖來の
 担当Pだった私が業界でどう呼ばれていたかご存知ですか?」

「はい、Pさんのことも調べましたから。でもあれは悪口だったのでは……」

「いえ、悪口ではありませんよ。プロデューサーのくせにプロデュースが下手で、
 お前に出来るのはせいぜい犬の世話くらいだと仲間内でからかわれていたので
 私は『ドッグウォーカー』と呼ばれていたんです」

 聖來を担当してからはLIVEバトルで勝てるようになったので無能扱いされなく
なったが、ドッグウォーカーという呼び名だけは残った。LIVEバトルで負かした
相手が皮肉を込めて呼んでいたのかもしれない。




「私は半端者のプロデューサーでしたから、アイドルと適切な距離感を作る事が
 出来なかったんですよ。ですから聖來も犬みたいに俺にくっついていましたし、
 明さんも俺達の関係を誤解されてしまったんですね」

「そうそう!そうだから!だからそんな関係とか全然なくて、はぁ……」

 聖來は尻すぼみになって、やがてため息をついてがっくり小さな肩を落とした。
何を落ち込んでいるのか知らないが、誤解が解けて良かったな。




「ドッグウォーカーか。しかしその名とは裏腹にキミと聖來君はとても強かった。
 姉さんと私も当時はずいぶん苦しめられたよ」

 聖さんが懐かしそうに笑う。そういえば明さんは麗さんに復讐する為に聖來に
近づいたと言っていたが、仕事に影響はなかったのだろうか。

「私達が明に346プロのLIVEバトルの情報を横流ししているのではないかと
 疑いをかけられたが、姉さんは「くだらん」と一蹴していたよ。私達が信用
 出来ないなら契約を解消してくれても構わないが、346プロに新たな脅威が
 増えるぞと脅したら疑いをかけた連中は全員黙ったな」

 それは怖いな。大手の346プロ相手でも麗さんは一歩も引かなかったそうだ。
さすが女だてらに業界で戦っているだけのことはある。




「ところで私はいつまでこの茶番を見届けていればいいんだ?正直飽きてきたが、
 ドッグウォーカー殿はどう思う?」

「そうですね。俺も当人達に任せるつもりでしたが、お互いに相手を庇い合って
 自分が悪者になろうとするから解決しそうにありませんね」

 俺と聖さんは2人をじろりと睨んだ。聖來と明さんはびくりと緊張する。




「明、お前がリハビリを頑張ったのは聖來君に十字架を背負わせたくなかった
 からだろう?自分が足を引きずったままだったら聖來君は二度と輝くことが
 出来ないからと言って、大嫌いだった麗姉さんに土下座してまでリハビリに
 協力してもらったじゃないか」

「聖來、そろそろ自分を許してやったらどうだ?お前も十分苦しんだだろう。
 過去に起こってしまった事故は消せないが、明さんが事故に立ち向かって
 乗り越えようとしているなら、お前もそうするべきじゃないのか?」

俺達の言葉を聞いて、聖來と明さんは涙ぐんでいた―――――




つづく





***



「アタシさ」

「なんだ?」

「今まで明に会うのすごく怖かったの……」

「明さんもお前に会うのは怖かったと思うぞ」

 明さんとの話し合いを終えて、俺は聖來を茨城のアパートまで送っていた。
聖來は1人で帰ると言ったが、俺が強引に車の助手席に乗せた。





「だけど会ってみたら、思ったよりあっさり解決しちゃった」

「だったら良かったじゃないか」

 俺と聖さんが介入した後は、話し合いはスムーズに進んで2人は無事に和解を
したのだが、聖來はまだ実感が沸かないらしくどこか放心していた。




「アタシこの3年何やってたんだろ……?」

「それは俺も興味があるな。お前は何をしてたんだ?」

「わんこと遊んでた」

「……は?」

 聖來は犬の訓練所でドッグトレーナーとして働き、預かった犬にしつけをしたり
飼い主に飼い方のアドバイスをしていたそうだ。訓練所では飼い主からも犬からも
一番人気のトレーナーだったとか。

「お前そんなに犬が好きだったのか?聞いた事なかったが」

「ケガの治療で通院してた時にセラピードッグに会ってさ。アタシその時わんこに
 すっごく元気づけられて、それからわんこにべったりだったの」

 聖來は新天地で優秀なドッグトレーナーとして周囲に認められる存在になったが、
思うところがあって去年辞めて茨城に戻ってきたそうだ。




「ドッグトレーナーの仕事は楽しかったけど、アタシは結局わんこに逃げたんじゃ
 ないかって思ってね。そう考えたらまた途中で逃げ出しちゃいそうな気がして、
 続ける自信がなくなっちゃって……」
 
 聖來はそう言って苦笑いをした。だが地元に戻ってみたものの、具体的な考えは
何もなくてバイトを転々としていたという。

「明はリハビリとか頑張ってたのに、アタシは逃げてばっかりだったよ。Pさんに
 会わなかったら、アタシはこの先もずっとそうしてたと思う」

 明さんの3年間と自分を3年間を比較して、聖來は落ち込んでいる様子だった。
俺から見れば2人にそれほど大差はないと思うが。




「俺だって方針が合わずケンカ別れしたままのアイドルだっているし、前事務所の
 社長とは気まずいままだ。誰もが過去に立ち向かえるわけじゃないぞ」

 ろくでもない社長だったが、一応俺をこの業界に導いてくれた恩人でもあった。
一番のライバル事務所だった346プロで働く事は、前社長への裏切り以外の何物
でもない。向こうは既にこの業界から退いてるし、俺もクビにされた手前義理を
立てる必要はないが、今も心の中でずっと引っかかっている。

「お前にも明さんと同じくらい時間が必要だったんだよ。明さんが2年かけて
 お姉さん達に助けられて膝のケガを治したように、お前も犬達に助けられて
 立ち直ったんだ。それでいいんじゃないか?」

「そうかな。確かにわんこ達には助けられたけど……」

 車は夜のハイウェイを走る。ちらりと聖來を横目で見ると、膝に置いた手の指を
もじもじとさせていた。




「ところでお前、明さんに利用されていた事はもういいのか?お前はそのことに
ついては何も言わなかったから気になっていたんだが」

「それは明とお姉さんの問題で、アタシがどうこう言う事じゃないでしょ。それに
 アタシは明が本心であんな事を言ったとは思ってないし」

 明さんと麗さんの確執は、明さんが高校生の頃に麗さんに手作りのドリンクの
試飲を頼まれ、それを飲んで病院に運ばれたのがきっかけだった。それだけなら
笑い話で済んだが、病院に運ばれたのが明さんの高校の修学旅行前日で、彼女は
修学旅行に行けなかったというのだから笑えない。




「そりゃ明だってお姉さんを恨むよ。アタシだったら絶対に許さないもん」

「麗さんの特製ドリンクはマズイと噂だからなあ。さすがに入院するレベルの
 ものはアイドル達に飲ませていないが、マスターレベルのトレーナーなのに
 どうして美味しく出来ないのか不思議だ」

 それ以来明さんは麗さんと絶交していたそうだが、ヒザのリハビリがきっかけで
少しづつ2人の関係が修復されつつあるらしい。聖さんが言うにはまだぎこちない
ところもあるが、2人がまた話をするようになって家族は一安心だとか。

「それに明はサークルなんてどうでも良かったって言ってたけど、メンバーの中で
 一番練習してたのは明だったもん。一緒に踊ってる時はすごく楽しそうだったし、
 アタシはあの時の明の笑顔を信じるよ」

 聖來は屈託のない笑顔で笑った。どうやら元気が出て来たようだ。




「お前がそれでいいならいいよ。じゃあ後は……」

 俺はそこで一区切りした。聖來は「?」と小さく首をかしげる。

「お前はこれからどうするんだ?」

 どこかサービスエリアにでも入ってゆっくり聞きたかったが、この流れで聞く方が
いいと思った。面と向かって聞くと聖來は本心を言わないかもしれないし。




「またPさんにプロデュースしてもらって、アイドルやりたい」

 聖來はほぼ即答ではっきりと言った。その言葉に迷いはなかった。

「だが俺達がいた事務所はとっくの昔に潰れたぞ。俺がプロデュースするとなると、
 お前が嫌いだった346プロでアイドルをすることになるが」

「いいよ。またPさんとアイドルやれるならどこでも」

 再び間髪入れずに返事が返ってくる。俺としてはとても嬉しい言葉だが、今まで
ずっと悩んでいたのにそんなに簡単に決めていいのか?



「事故の話し合いが済んだばかりでお願いするのはどうかなって思ったから、また
 別の日にするつもりだったけど、決心が鈍っちゃいそうだから今言うね」

 聖來は大きく深呼吸してから、こちらに向き直った。

「アタシをもう一度アイドルにして下さい。よろしくお願いします」

 聖來は深々と頭を下げた。やはりこんな大事な話を運転中にするんじゃなかった。
俺は右手でハンドルを握ったまま、空いた左手をぽんと聖來の頭の上に置いた。




「今度はそう簡単には逃がさないぞ。首に縄をつけてでもお前をプロデュースして
 やるから覚悟しろよ」

 お前や明さんと同じくらい俺も3年前の事を後悔しているんだ。お前がもう一度
アイドルをやりたいと言うなら、俺はいくらでも付き合ってやるさ。

「え?Pさんアタシにそういうことしたいの?アタシわんこは好きだけど、自分が
 わんこになるのはちょっと……」

「ものの例えだ!本当にそんなことするか!」

 引き気味の聖來の誤解を解きつつも、俺は聖來とまた仕事が出来るのが嬉しくて
車を飛ばし過ぎないようにメーターをいつも以上に確認した―――――




第一章おわり

第二章に続く


今日から2章です。不定期更新ですが読んで戴けると嬉しいです。
全4章の予定ですが、事情が変わって5章になるかもしれません。



・・・2人くらいは見てくれているのかな?






―2章―



「ねえP」

「何だ?」

「聖來さんってどんなアイドルだったの?」

 明さん達と会った次の日、俺は伊吹と今後の活動についてミーティングをした。
聖來も俺が担当アイドルとしてプロデュースすることになったので、聖來の話も
ミーティングの議題にあがった。





「どんなって言われても、あのままだぞ?見た目もほとんど変わってないし」

「そういう事じゃなくて、どんな活動をしてたのか知りたいんだけど。あれから
 聖來さんにも聞いたけど、昔の話だからって教えてくれないの」

 ちなみに聖來は来週事務所に来る予定だ。茨城でアイドルになる為の身辺整理を
大急ぎで行っている所で、俺もこちらで聖來を受け入れる準備をしている。聖來の
アイドル復帰と同時に俺もプロデューサーに復帰するから色々と忙しい。




「今とは色々事情が違うからなあ。聖來がアイドルをしていた頃はLIVEバトルの
 黄金期で、LIVEバトルが強いアイドル=人気アイドルだったし」

 もちろん撮影や役者の仕事もあったが、当時はLIVEバトルに大きくウェイトが
置かれていた。LIVEバトルで勝てないアイドルは一流アイドルとして認められない
時代だったので、プロデューサーもアイドルも今よりピリピリしていたな。

「面白そうじゃん。アタシもそんな時代にアイドルやりたかったなあ」

「話を聞けば面白いと感じるかもしれんが、そんなにいいものじゃなかったぞ。
 LIVEバトルで勝てないだけで才能あるアイドルがどんどん辞めていったし、
 俺達もプロデュースする側として辛かったよ」

 現在もLIVEバトルは行われているが、LIVEバトルだけがアイドルの実力を表す
指標ではなくなった。それでも名を挙げるにはLIVEバトルで勝つのが近道なので、
今もフリーや無名のアイドル達が夢を見て挑戦している。




「あいさんに聞いたけど、聖來さんってLIVEバトルすっごく強かったんでしょ?
 確か『渋谷四天王』の1人だったとか」

「渋谷のLIVEハウスは全国の猛者が集まる激戦区だったから、聖來も毎回勝てた
 わけじゃないけどな。まあ勝率は悪くなかったから、いつの間にか四天王なんて
 呼ばれるようになっていたが」

 ちなみにあいも四天王だったりする。礼子さんはその頃は殿堂入りをしていたので
LIVEバトルを卒業していたが346プロの負けが続くと守護神として出場し、聖來や
他の強者達を蹴散らしていた。




「聖來さんとあいさん以外の四天王は今もアイドルやってるの?」

「いや、わからん。聖來がアイドルを辞めた後はぱったり名前を聞かなくなったな。
 LIVEバトルどころかアイドル活動もしていないと思うぞ」

 調べれば分かるかもしれないが、1人は事務所に所属していないフリーだったし、
もう1人も特殊な出自のアイドルだから足取りをたどるのは困難だろう。

「どんな人達だったんだろ。会ってみたいなあ」

 本当に懐かしい話だよ。だが俺達は1からやり直すつもりでプロデューサーと
アイドルに復帰したわけだし、いつまでも過去の栄光にしがみつくつもりはない。
前の事務所では毎日LIVEバトルに追われて、それ以外は何も出来なかったので
346プロでは聖來にもっと色々な事をさせてやりたい。





「アタシのプロデュースもちゃんとしてくれるんでしょうね?」



 伊吹が口を尖らせて不満げに言う。安心しろ、犬の世話しか出来ないと言われた
俺でも、2人くらいのプロデュースなら大丈夫だ。





「お、いたいた。探したぞ」

 ミーティングを終わらせて俺達が席を立った時、チーフPが会議室に入って来た。
お前が俺を探している時って、大体厄介事を押し付けようとしている時だよな。

「何かご用でしょうか?お話があるのでしたら手短にお願いします」

「丁寧なのか失礼なのか分からんな。俺とお前の仲だし普通に話せよ」

 チーフPは伊吹にも軽くウィンクする。伊吹は俺の後ろに隠れてあっかんべーと
返した。346プロの中で一番偉いPなんだから失礼なことをするな。




「プロデューサーに本格復帰する前に、お前にスカウトして欲しい子がいるんだよ。
 スカウトマン最後の仕事だと思って引き受けてくれ」

 チーフPが手を合わせて頼み込んでくる。どうせ断っても聞いてくれないんだろ?
来週から聖來が来て忙しくなるし、北海道や沖縄の子じゃなければいいのだが。

「まずその子の基本情報を教えてくれませんか?私も今後はスカウトだけに時間を
 割けるわけではないので、スケジュールを調整しないといけません」

「そんな事しなくても、聖來ちゃんと協力すれば簡単にスカウト出来ると思うぞ」

 チーフPはあっけらかんと言った。どういう事だ?




「ほら、この前RBのリハの時に聖來ちゃんと一緒に来てた子達がいただろ?眼鏡を
 かけた大人しそうな子とモヒカンでギターを背負ってた子。あの子達だよ」

 ああ、そういえばいたな。あの日は色々ありすぎてすっかり忘れていたが、2人共
なかなかの美人だった気がする。眼鏡の子がよっちゃんで、モヒカン頭の子が夏樹と
いう名前だったはずだ。

「2人は正反対のキャラクターだが、どちらも大きな可能性を感じる逸材だったぞ。
 俺に言われなくてもスカウトして来るくらいの気概を見せろよ」

 気軽に言ってくれるが、夏樹はともかくよっちゃんはガードが堅そうだ。聖來も
家庭教師をやめることをどう伝えようか頭を悩ませていたし、聖來の手を借りても
よっちゃんのスカウトは難航しそうだな―――――




つづく





~聖來パート~



 明との話し合いを終えてから、アタシは東京でアイドルになる準備に追われた。
ペットショップの仕事の引き継ぎも追えて、今日は最後の勤務日だ。

「みんな元気でね。良いご主人様と出会うんだよ」

 アタシはショーケースのわんこ達とさよならをする。チワワやトイプードルや
最近は室内で飼える小型犬ブームで、どのペットショップもこの子達がメインに
なっている。大きいわんこも可愛いんだけどな。





「お前とうとうファーム送りだってね。アタシがここ辞めるまでにどうにかして
 ご主人様を見つけてあげたかったんだけど」

 アタシはショーケースの一番端っこの、一番目立たない場所に追いやられた
ゴールデンレトリバーに話しかけた。ペットショップですっかり成犬になって、
このまま置いていても売れないと判断されちゃった。

「このままケースに入れてても仕方ないし、外に出してみようかな。ひょっと
 したらご主人様にめぐり逢えるかもしれないし」

 店内にはお客さんがわんこに触れる柵を張ったスペースがあって、土日の
お客さんが多い日はわんこ達をそこに移動させたりしている。頭を撫でたり
抱っこしたりしてもらった方がわんこの魅力も伝わるからね。




「大人しくしなさいよ。あんただったら柵飛び越えられるだろうけど、ガマンして
 いいコにしててね」

 ポケットからショーケースのカギを出してわんこを外に出してあげると、わんこは
大きくのびをしてから金がかったベージュの体をぶるぶる震わせた。ブラッシングも
してあげようかな。

「さてと、それじゃ行こうか……あれ?」

 わんこにハーネスをつけようとしたら、わんこはアタシの手をさっとかわして
自分から柵で囲ったふれあいスペースにすたすた歩いていった。そして柵を軽々
飛び越えて、その中で丸まって眠ってしまった。




「あんた……」

 ゴールデンレトリバーは賢いわんこだ。この子はアタシの行動を先読みして、
さっさと自分で柵の中に入った。この行動はまるでアタシが面倒をみなくても
自分だけでやっていけるという意志の表れに見えた。

「そう、あんたはわかってるんだね……」

 店を辞めるアタシが心配しないように、わんこなりに気を遣っているらしい。
それとも素っ気ないのは拗ねてるの?ペットショップのわんこに感情移入すると
サヨナラが辛くなるからご法度なんだけど、この子はずっと店でアタシが世話を
してたからこんな最後はちょっと寂しいな。

「ブラッシングくらいはさせてよ。あんたも嫌いじゃないでしょ?」

 わんこはちらっとアタシを見ると、好きにしろと言いたげな表情をして背中を
こっちに向けた。いつもだったら目をらんらんと輝かせて尻尾振って喜ぶのに。




「あの、すみません」

「はい!いらっしゃいませ!」

 アタシがブラシを取りに行こうとすると、ふと後ろから声をかけられた。いつもの
営業スマイルで元気に振り返って、アタシはそのままの顔で一瞬固まった。




「お仕事中にすみません……」

 そこにいたのは制服姿の大人びた女の子だった。申し訳なさそうに謝りつつも、
眼鏡の奥の澄んだ瞳に強い意志を持ったその子はアタシがとってもよく知ってる
子で、アタシが今一番会うのが気まずい子だ。

「お話があるのですが…、少しでいいのでお時間を戴けないでしょうか……?
 5分もかかりませんので……」

 よっちゃんこと古澤頼子ちゃんは控えめな態度と小さい声で、けれど一歩も
引き下がらないと言いたげな雰囲気でアタシの前に立っていた―――――




つづく





―――



 アタシはよっちゃんを店内に置いてあるテーブルに連れて行った。そこは主に
ペットの飼育を考えているお客さんの商談スペースだ。

「あの、ペットを飼いに来たわけでは……」

「うん、わかってるわかってる。でも仕事とは関係ないお喋りをしてたら店長に
 怒られちゃうから、よっちゃんはわんこの見学に来たってことにして」

 そうすればいくらでもお話が出来るからね。わんこは柵の間からよっちゃんを
興味深そうに見ていて、よっちゃんは少し気まずそうにしていた。

「ごめんなさい…、あなたの飼い主にはなれないの……」

 よっちゃんはわんこに謝る。ホントにまじめなんだから。





「よっちゃんとペットショップで会うのは初めてだね。いつもはよっちゃんの
 部屋にお邪魔してるから何か不思議なカンジ」

「私もです。聖來さんの家にお邪魔した時も、聖來さんと東京に行った時も、
 現実ではないような気がしました……」

 あの日、野外ステージでよっちゃんが先に帰ってからよっちゃんはアタシから
少しだけ距離を取るようになった。一応が間を取り持ってくれたけど、前よりも
よそよそしくなった感じ?




「夏樹さんから聞きましたが、アイドルに復帰されるそうですね」

 よっちゃんは眼鏡の奥から鋭い瞳で聞いてきた。よっちゃんは優しい子だけど
甘くはない。ここでごまかしたり言い訳しても無意味だし、覚悟決めてはっきり
言っちゃおう。

「うん、するよ。来週東京に引っ越す予定」

 ちなみに夏樹には2日前にウチのアパートに晩ご飯を食べに来た時に言った。
夏樹は驚いた様子もなく『そうなると思ったよ』と軽い調子で笑った。あの日
野外ステージで踊った時から、夏樹はアタシがアイドルに復帰すると思ってた
みたい。そしてそれはよっちゃんも同じで……




「隠すつもりはなかったんだけど、明日の家庭教師の時に言おうと思ってさ。
 急に決まってバタバタしてたから言うのが遅くなってごめんね」

 よっちゃんにどう説明しようか悩んでいたのに、夏樹にちゃんと口止めを
しとけばよかったよ。あのコたまにお節介なんだよね。

「私の家庭教師は、どうなるのでしょうか?」

「今学期中は続けるよ。東京と茨城だから通えない距離じゃないし、週に2日
 3時間くらいなら全然問題ないから」
 
 Pさんにも了承はもらっている。どうやらPさんはよっちゃんをアイドルに
スカウトしようとしてるみたいで、スカウトに協力しろとは言われてないけど
よっちゃんとの関係は出来るだけ維持してくれとお願いされた。こっちの気も
知らないで難しい事言ってくれるよ。




「今年1年間アタシが担当するはずだったのに、途中で辞めちゃってごめんね。
 だけど期末まではちゃんとやるから、それまでよろしくお願いします」

 アタシはよっちゃんに頭を下げた。だけどさっきも言ったけど、よっちゃんは
甘くない。大人しくて気弱な子に見えるけど、自分の意見をしっかり持っていて
相手にはっきり言える子だ。

「無理をしなくてもいいんですよ」

 顔を上げるとよっちゃんは優しい顔で微笑んでいた。正直こうなるだろうって
予想してたけど、いざ目の当たりにするとやっぱりキツいな……




「私のことは気にしないで、聖來さんは自分の事を優先して下さい。アイドルの
 お仕事はよくわかりませんが、私も応援していますから」

 よっちゃんは相手を思いやる事の出来る優しい子だ。そして相手の事を考えて
自分に厳しく出来る子だ。だからよっちゃんは甘くない。

「私も聖來さんに負けないように、自分の足で歩こうと思います。いつまでも、
 聖來さんの、お世話になるわけにはいけませんから……」

 言葉に詰まり目を潤ませながら、よっちゃんは笑顔のままでアタシに言った。
初めて会った頃はろくに目を合わせてくれなくて、ぼそぼそと小さな声で話す
子だったのになあ……




「強くなったねよっちゃん。ううん、よっちゃんは元々強かったよね」

「私は強くありません…… ただ、聖來さんの重荷になりたくないだけです。
 今まで私の家庭教師をしてくれて、本当にありがとうございました」

 今度はよっちゃんが頭を下げた。本当はよっちゃんが来た時から、アタシに
さよならを言いに来たんだってわかってた。だってよっちゃんの目が柵の中の
わんこの目と一緒だったんだもん。

「どうしてよっちゃんもわんこもそんなに強いのかな。アタシが心残りなく
 東京に行けるように気を遣ってくれるのはありがたいんだけど、アタシは
 そんなに強くなれないよ」

 アタシはため息をついてよっちゃんの肩をぽんと叩いた。そしてよっちゃんが
顔を上げたタイミングで、よっちゃんに横から抱きついた。




「え?ちょ、ちょっと、聖來さん……?」

 よっちゃんは驚いた様子で、でもがっちり抱きついたアタシを振り払おうと
しないでおろおろしていた。抱きついて改めて思ったけれど、よっちゃんって
柔らかくていい匂いがするんだよね。

「よっちゃんも夏樹も勘違いしてるけど、アタシそんなに強くないんだよ?
 1人になるのはキライだし、寂しがりだし甘えんぼだし、わんことケンカ
 しても落ち込んじゃうくらい弱いんだから」

 アタシだってよっちゃんとさよならするのは辛いのに、さよならも言わせて
くれないなんてひどいよ。というかみんなあっさりしすぎじゃないの?夏樹も
よっちゃんも高校生のわりには大人びてるけど、ちょっとくらいは引き留めて
くれてもいいよね?




「で、でも東京でアイドルをするなら、どのみち今のままでは……」

「それはそうだけど!そうだけどすっごくイヤなの!アタシだけ寂しがってる
 みたいでこんなさよならイヤなの!」

「そう言われても……」

 わんこが柵の中でため息をついていた。他人事…じゃなくて他犬事みたいな
顔してるけど、あんたとだってこのままにするつもりないからね?




「……決めた。アタシよっちゃん東京に連れて行って一緒にアイドルする」

「ええっ!? 」

 アタシの言葉によっちゃんは驚いた。Pさんがスカウトしようとしてるって
事は、プロの目から見ても見込みアリって事でしょ。

「大丈夫!よっちゃんならアイドルになれるよ!それによっちゃんの志望大学は
 東京にあるんだし、早いうちに東京の生活に慣れた方がいいって♪」

 アイドルは大学に通いながらでも出来るし、アタシだってそうしてたもん。
それに大手の346プロだったら勉強のサポートも万全だよ。




「私はアイドルなんて柄では…… それに聖來さんのように踊れませんし……」

「大丈夫大丈夫!今は踊れなくてもトップアイドルになれる時代だから!それに
 よっちゃんキレイなドレスとか大好きでしょ?アイドルになったら好きなだけ
 着られるし、自分で衣装のデザインも出来るよ!」

「み、見るのは好きですが、自分で着るのは……」

 あたふたと混乱しているよっちゃんを、アタシは逃がさないようにしっかりと
抱きしめたままアイドルの勧誘を続けた―――――




つづく





***



 そして約束の日になり、聖來が346プロダクションにやってきた。

「すっごいね346プロって!事務所の中に何でもあるじゃん!」

 デスクに案内するまでの間、聖來は目を輝かせてあちらこちらを覗いていた。
少し目を離すとどこかに行ってしまいそうで、俺と伊吹は何度も聖來が後ろを
ついてきてるか確認しなければならなかった。





「後でいくらでも案内してやるから、犬みたいに走り回るな」

「わんこならちゃんとここにちゃんといるよ?ね♪」

「ワン!」

 聖來がにっこり笑って足下を指さすと、ゴールデンレトリバーが返事をした。
東京に来る前に勤めていたペットショップから買ったそうで、聖來はこの犬を
日本一のタレント犬にすると意気込んでいる。そういう今後の活動に関係する
大事な事は一言相談をして欲しかったな。

「まあこのコがいた方がPさんも色々やりやすくなるでしょ?」

「それはそうだが、犬の力を頼るのもなあ……」
 
 事務所内を堂々と闊歩する犬はとても目立ち、俺達は注目の的になっていた。
しかし目立っていたのは犬だけじゃなかった。ある意味犬よりももっと目立つ
存在が俺達の中にいた。




「お、あの子バイオリン持ってる。あとで声かけてみようかな」

「アイドル事務所と聞いていましたので騒々しいと思っていましたが、思って
 いたよりも静かです……」

 ご自慢の金髪リーゼントをビシっと固めて大きなギターを背負った木村夏樹と、
育ちの良さそうなお嬢様ルックに身を包んだ古澤頼子も聖來の後ろを歩いている。
2人は事務所見学という名目で、俺と聖來が招待した。

「茨城って濃いんだな」

「そんな言い方しないでよ。まるで茨城県民が変人みたいじゃない」

 伊吹が俺の隣で小さくため息をついた。こうして犬バカとゴールデンレトリバーと
ロックンローラーと清楚なお嬢様という奇妙な一行を引き連れて、俺と伊吹は周囲の
視線から逃げるように足早に自室を目指した。





―――



「ここがPさんの部屋?広いんだね」

「俺の部屋というか、スカウトマンに割り当てられた部屋だな。346のスカウトは
 俺だけだったし、プロデューサーに復帰した後も使わせてもらってるんだ」

「分厚いファイルが沢山…。まるで資料室みたい」

「お、なかなか鋭いな古澤さん。この部屋は資料室も兼用している。スカウトは
 情報が命だからいつでも必要なデータを得られるようにな」

 俺は聖來達3人をソファに座らせる。伊吹は給湯室にお茶を準備しに行った。
ちなみに聖來の犬はテーブルの下で伏せていた。





「さてと、では改めてようこそ346プロへ。聖來はもう既に入社が決まっているが、
 木村さんと古澤さんは今日は思う存分事務所を見学して行ってくれ」

「ああ、よろしくなPさん」

「よ、よろしくお願いします」

 木村夏樹は右手の人差し指と中指を額に当て、古澤頼子は緊張した様子で深々と
頭を下げた。何から何までが対照的な2人で、おそらく聖來が引き合わさなければ
お互い親しくなる事はなかっただろう。




「こーら夏樹、あいさつくらいはちゃんとしなさいよ。そっちのコはしっかり
 やってるでしょ」

 お盆に湯呑みを5つ載せて、伊吹が夏樹を軽く叱りながらやってきた。伊吹と
夏樹は同じ高校の先輩と後輩だったらしい。

「すっかり丸くなっちまったな伊吹さん。高校の時は校内でスケボー乗り回して
 先生と鬼ごっこしてたのに」

「あ、あんたに言われたくないわよ!ていうか高校の時の話はしないでよ!」

 にやりと笑う夏樹にわたわたと慌てる伊吹。どうやら伊吹には夏樹しか知らない
触れて欲しくない過去があるらしい。後で聞いてみよう。




「頼子ちゃんだっけ?夏樹にイジメられてない?大丈夫?」

「ひでえ言い草だな。アタシだってちょっとは変わったんだぜ。な、聖來さん?」

「そうだよ伊吹。伊吹が知ってるやんちゃな夏樹はもうとっくにいなくなったよ。
 それによっちゃんとも仲良しだしね。ね、よっちゃん?」

「は、はい、夏樹さんにはとてもお世話になっています……」

 4人でわいわい盛り上がる。見れば見るほど奇妙な軍団だ。だがとりあえず仲は
悪くなさそうなので、今後夏樹と頼子の2人がアイドルになった時の事を考えると
俺もプロデュースがしやすくなるなと一安心した。




「こほん、では今日の予定を話してもいいか?」

 俺は軽く咳払いをして場を仕切り直した。4人の視線が俺に集まる。

「今日は聖來と見学者2人のオリエンティーリングをする予定だ。だが事前に話を
 聞いた所によると、木村さんと古澤さんの興味がある事や見たい施設が全く違う
 から、二班に分かれて行動する事にした」

 俺は手元のファイルからプリントを2種類取り出し、4人に配った。




「班分けは伊吹と木村さん、聖來と古澤さんとする。木村さんはギターや楽器に
 興味があるようだから演奏ブースや機材や設備を中心に見て回り、古澤さんは
 美術や芸術方面の活動が見たいようだからそちらを見て回る。俺は木村さんと
 伊吹に同行する。いいか?」

「ちょっとPさん、アタシ346プロ来たの今日が初めてだからよっちゃんの
 案内なんて出来ないよ?」

 聖來が手を挙げる。安心しろ、ちゃんと案内役は頼んである。

「失礼しまーす!」

 その時、ちょうど良いタイミングで部屋のドアが開いた。いくら同じスタッフ
とはいえちゃんとノックはして欲しいな。




「オリエンテーションの案内役で来ました、トレーナーの青木慶です!よろしく
 お願いします!」

「ちっちゃい明だー!」

「きゃ!? ちょ、ちょっと聖來さん!わたしは妹の慶ですって!」

 元気よく入って来た慶ちゃんに聖來は飛びついた。聖來曰く、慶ちゃんは大学
時代の明さんに瓜二つで、聖來の記憶の明さんは慶ちゃんらしい。

「ちっちゃい明はイヤ?じゃあ若い明で略してワカメちゃん♪」

「変なあだ名つけないでください!あだ名だったらルキちゃんでお願いします!」

 慶ちゃんは新人のトレーナーなので、アイドル達からは『ルキトレさん』とか
『ルキちゃん』と呼ばれているらしい。気に入っていたんだな。




「……へえ、慶が若い私だったら、私は何なのかしら?」

 ふと慶ちゃんの後ろから低い声がして、聖來の顔が青ざめた。そしてドアから
慶ちゃんより少し落ち着いた感じの明さんが入って来た。

「え、えっと……、老けた明?」

「『老けた』って何よ!あなたも私と同じ23歳でしょうがー!」

「ぐえ、ギブギブ明!許してー!」

 明さんはそう言って、慶ちゃんから聖來を引きはがして締め上げた。どうやら
2人はすっかり仲直りしたようだな。




「聖來は放っておいて、トレーナーの青木慶さんとお姉さんの明さんが事務所を
 案内してくれるから、聞きたい事は遠慮せずに何でも聞いてくれよ?」

「お姉さんととてもよく似ていらっしゃいますね……」

「あはは、よく言われます。もう2人そっくりな姉がいるんですよ?」

 頼子はおずおずと慶ちゃんと挨拶を交わした。さて、それじゃ案内役の2人も
来たしそろそろ出発しようか。俺が号令をかけて全員がソファを立った時、再び
ドアがノックされた。

「誰か資料を取りに来たのかな?どうぞー」

 俺が声をかけると、意外な人物が2人入って来た。




「今から聖來がオリエンティーリングをするって聞いたんだけど、私達も一緒に
 行っていいかしら?」

 ウェーブのかかった長い黒髪をなびかせて、貫禄のある笑顔で言ったのは
高橋礼子。346プロの頂点に立つ日本トップクラスのアイドルだ。

「チーフPの指示でね。スカウト君と聖來君が困らないように便宜を図って
 やれと頼まれたんだ。案内役なら私達以上の適任はいるまい」

 そう言ってニヒルに笑うのは東郷あい。346プロで高橋礼子に次ぐNo.2の
アイドルで、3年前に聖來がアイドルだった頃はライバルだった。




「そう警戒しなくてもいいさ。チーフPも私達も聖來君を歓迎しているんだ。
 『私達は』だがな」

 俺と聖來の思考を読み取ったのか、あいが両手を上げて笑った。チーフPの
考えはおおよそ察しがついているが、まさかオリエンティーリング礼子さんを
寄越してくるとは思わなかった。詳しい話は後でチーフPに直接聞くとして、
今はとにかく見学の2人に集中しよう―――――




つづく


乙乙

オリエンテーションではあるまいか

>>279

×オリエンティーリング
○オリエンテーション

オリエンティーリングは大自然を駆け回る壮大な競技でしたw
ご指摘ありがとうございます





***



「へえ、ビンテージのアコギから最新のエレキまで結構揃ってるんだな」

「大半は撮影の小道具として使用するくらいで、演奏に使用されるのは稀だよ。
 だが手入れは専門の業者に毎月頼んでいるからいつでも弾けるぞ」

「こんなに良いのが揃ってるのにもったいねえな。贅沢な使い方が出来るのは
 アイドル事務所ならではってやつか」

「まったくだ。私も趣味でサックスを吹いているから、ここに眠っている楽器を
 見ていると何とも言えない気持ちになる。音楽に携わる者としてはアイドルの
 皆にはもっと楽器に興味を持ってほしいのだがね」

 夏樹とあいは楽器室に並べられたギターやドラムセットを前に盛り上がっている。
俺と伊吹は少し離れた場所でその様子を眺めていた。





「あいつ大したコミュニケーション能力だな。あいは元々フランクなヤツだが、
 まるでずっと前からの知り合いみたいに話せるとは」

「夏樹は中学の時からあちこちの盛り場うろついて場数踏んでるからね。それに
 地元じゃ札付きのワルだったから度胸もあるんだよ」

「そうなのか?見た目はともかく人柄は素直に見えるが」

「アタシが校内をスケボーで走ってた時、あのコは校庭をバイクで走り回って
 いたんだよ。それだけでもコイツはヤバいって思うでしょ」

 スクールウォーズかよ。昔の夏樹はもっと近寄りがたいオーラを放っていて、
目が合うと相手が男だろうが突っかかってくる危険人物だったそうだ。そんな
夏樹がアイドル事務所の見学に来たのが信じられないと伊吹は言った。




「おいおい伊吹さん、昔話はカンベンしてくれよ。アタシだって知られたくない
 過去のひとつやふたつくらいあるんだぜ?」

 俺達の会話が聞こえていたのか、夏樹は背中のギターを下ろして照れくさそうに
笑った。そしてケースのジッパーを開けて古いギターを取り出す。

「始まりはコイツだったんだ。中1の時にテレビでたまたまアメリカのロッカーの
 LIVEを見て、アタシもあんな風になりたいって思った。それで貯めた小遣いや
 お年玉を全部下ろして、中古で売ってたコイツを買って夢中で練習したよ」

 使い込まれたギターは傷だらけで所々ニスも剥がれていたが、大事に手入れを
されているようで鈍く輝いていた。




「でもそんなこといつの間にか忘れちまってさ。ロックをワルと勘違いして
 グレちまって、親に愛想尽かされて家から追い出されて、ボロアパートで
 1人暮らし始めた時に聖來さんに出会ったんだ」

 聖來はたまたま夏樹のアパートの近くに引っ越してきたらしい。聖來は夏樹が
1人暮らしだと知ると、一緒に晩ご飯を食べようと誘ったそうだ。

「それから聖來さんの世話になるようになって、料理とか洗濯とか色々教えて
 もらって、ダラダラ生きてたアタシの生活がマシになったんだ。それでふと、
 ずっと忘れてたコイツを思い出したんだよ」

 どうしてギターを思い出したのか分からないし、また昔みたいに弾いてみようと
思ったのかも分からないが、気が付いた時には相棒のギターを手にしていたそうだ。
そして夏樹は再びギター漬けの生活に戻った。




「まあ改心とか更正したってわけじゃないけどな。聖來さんはアタシに説教とか
 しなかったし、アタシも自分のどこが変わったのか全然わからないし。だけど
 コイツをまた手にしてからは昔みたいにテキトーは出来なくなったよ」

 夏樹は近くにあった椅子に腰をかけて、ギターを膝に載せた。どうやらここで
一曲披露してくれるらしい。

「君は変わったんじゃなくて、昔の自分を思い出したのではないのかい?」

 軽く弦を弾いて音を確認する夏樹に、あいが言った。




「今の君に至るまで紆余曲折があったみたいだが、君の本質はずっと変わらなかった。
 ロッカーとしてギターを格好良く弾きたいという君の想いが、君のキャラクターを
 しっかりと支えて安定しているように見えるよ」

「そうなのかな。じゃあ何で聖來さんを見て思い出したんだろ?」

「それはだな」

 俺は夏樹に教えてやった。アイツの澄んだ目を見ればわかるだろ?




「アイツがいつまでもガキっぽいからだ。犬みたいに好奇心旺盛で自由奔放で
 落ち着きがないから、そんな聖來と一緒にいるうちに木村さんも昔の自分を
 思い出したんじゃないか?」
 
「ぶっ!? 」

 俺の隣で伊吹が噴き出した。あいも愉快そうにくっくっと笑う。

「なるほどな。確かに聖來の外見は3年前と全く同じだし、私も昔を思い出した。
 流石は聖來の元担当Pだけあってよくわかってるな」

 それが良いのか悪いのかわからんが、聖來には人を惹きつける不思議な力がある。
アイドルとしては大きな武器ではあるが、あまり子供っぽいのは大人の女性として
どうだろうかとプロデュースする側として悩んでいる。




「ははっ、やっぱすげえな聖來さんは。アタシなんかよりずっとロックだぜ」

 夏樹は面白そうに笑って、それから陽気な歌を一曲弾いてくれた。てっきり
ロックを演奏するのかと思ったが素朴なカントリーソングで、自分を見た目で
浅く値踏みするなという彼女の挑戦のように受け取れた。まだ18かそこらの
くせに、骨の髄までロックなヤツだな―――――




つづく





***



 こうして多少のイレギュラーはあったが、オリエンテーションは無事終了した。

「つ、疲れた……」

 聖來と一緒に頼子を駅まで送って事務所に戻ると(夏樹はバイクで帰った)、
聖來はソファーに倒れ込んだ。頼子の前では元気に振舞っていたが、礼子さんを
相手にして気疲れしていたらしい。

「大丈夫聖來?水飲む?」

「お願い。ついでにわんこの分も入れてあげて」

 明さんが聖來を介抱する。部屋の隅で丸まっていた犬も聖來の元に寄って来た。





「お前ほんとに礼子さん苦手だな。少しは慣れておけよ?」

「わかってるけど不意打ちは焦るって。あー緊張した……」

「聖來さんって礼子さんと知り合いだったんでしょ?どうして緊張するの?」

「知り合いだからよ。あの人にLIVEバトルで何度こてんぱんにされたか……」

 伊吹の質問に聖來は力なく答えた。あいとはほぼ互角だったが、礼子さんには
結局1度も勝てなかったよな。礼子さんは昔から何故か聖來を気に入っていたが、
聖來はすっかりトラウマになっていた。




「さて、それじゃ疲れているところ悪いが今日のオリエンテーションの総括と反省、
 それから明日以降のスケジュール確認をするぞ」

 俺は部屋にいるメンバーを見回した。聖來と伊吹、それからオリエンテーションの
案内役をしてくれた明さんと慶ちゃんがソファーに座る。聖來の犬も俺の顔をじっと
見ているが、お前は寝ていてもいいぞ?





―――



「そっちのオリエンテーションはなかなか大変だったそうだな」

 犬を触りにアイドル達が集まって来たり、聖來を見ようと346のスタッフが
集まって来たり、礼子さんが進路を変えたりして案内役の慶ちゃんと明さんは
右往左往したそうだ。本当にご苦労様でした……

「あはは、ですが古澤さんにはご満足戴けたと思いますよ。関係者じゃないと
 入れないような施設の見学も出来ましたし」

 明さんが苦笑いする。礼子さんは事務所内ならどこでも顔パスで入れるので、
頼子は普通の見学者より得したらしい。そのお陰かアイドルになるかどうかは
もう少し考えさせて下さいと言われたものの、なかなか好感触だった。





「それから衣装室を見学した時に、礼子さんが古澤さんのことを『良いセンスを
 してる』って褒めてましたよ。礼子さんが来週参加するパーティーのドレスを
 古澤さんに見繕ってもらってました」

「本当ですか?礼子さんが他人の意見を聞くことなんて滅多にないのに……」

 トップアイドルの礼子さんは衣装にも自分のこだわりがあって、いくら一流の
ブランドやデザイナーが手掛けたドレスでも気に入らなかったら絶対に着ないと
チーフPが愚痴っていた。私用のパーティードレスとはいえ、頼子の審美眼は
礼子さんが認めるレベルなのか。




「仕事の衣装を私用のパーティーに着ていいの?それってセコくない?」

 聖來が文句を言う。礼子さんが出席するようなパーティーは業界のお偉いさんの
集まりだから仕事と変わらないぞ。礼子さんレベルのアイドルにはプライベート
なんてほぼ無いからな。

「うわ、そんな生活アタシには無理。わんこと遊べないと死んじゃう」

 まあ礼子さんは346プロだけじゃなく日本のアイドル業界を引っ張ってきた
人だから、トップアイドルという肩書き以外にも色々と特別なんだよ。




「少し話が逸れたが、古澤さんの方も上手くいって良かったよ。聖來はちゃんと
 自分の見たい所は見て回れたのか?」

「うーん、半分くらいかな?アタシが3年前にアイドルやってた頃とはずいぶん
 状況が変わってるみたいだし、もうちょっと見て回りたいかも」

 3年のブランクを前向きにとらえてくれて良かったよ。聖來もわかっていたと
思うが、現実を目の当たりにしてネガティブになることも珍しくないからな。

「でもたった3年でしょ?10年とかだったら追い着くのは大変だと思うけど、
 3年だったら楽勝じゃないの?聖來さんあんなに踊れるんだし」

 伊吹が首を傾げる。確かに聖來のダンスは今でも十分過ぎるくらい通用する
レベルだが、俺達が言ってるのは感覚的なものなんだ。




「この3年間でアイドル業界は『革命』と言われるくらいに大きく変わったんです。
 アイドル達は多方面に活躍の場を広げ、現在は木村さんのようにギターの演奏が
 出来たり、古澤さんのように美術や芸術に造詣が深かったりと歌やダンス以外の
 要素も以前より重要視されるようになりました」

 明さんが説明する。LIVEバトルで勝ったアイドルしか生き残れない弱肉強食の
時代に疲弊した業界は、貴重な才能や魅力を持ったアイドル達を守り育てる方向に
シフトチェンジし、その結果様々なタイプのアイドルが生まれた。

「現在はLIVEバトルの他にも、舞台やモデル活動などアイドルが活動する場は
 沢山ある。むしろ歌やダンスでアイドルを直接争わせるのを避けている傾向も
 あるから、その流れを理解しないと足下を掬われるぞ」

 活動の場が広がった分、トップアイドルの定義はより複雑になった。以前は
LIVEバトルのステージからしかトップアイドルは生まれなかったが、現在は
どこから生まれるのか、誰がライバルになるのかもわからない。




「ホントに変わりましたよね。トレーナーもアイドルの皆さんに教える事が増えて
 大変だって麗お姉ちゃんが言ってました。急激な業界の変化についていけなくて
 廃業したトレーナーさんもいるみたいですし……」

「それは俺達プロデューサーも同じだよ。アイドルも革命後は結果的に増えたが、
 革命によって業界を去ったアイドルも少なくない。LIVEバトルが全てだった
 アイドルもいたからな」

 あいと聖來以外の四天王が業界を去ったのも、今の流れに適応出来なかった
からかもしれない。聖來もLIVEバトル一辺倒だったので慣れるのは大変だと
思うが、俺もプロデューサーとしてしっかりサポートするつもりだ。

「アタシは大丈夫だよ。Pさんを信じてるから♪」

 聖來はあっけらかんと笑った。そう言ってくれると俺も嬉しいよ。




「でもPってプロデュースヘタなんでしょ?アタシと聖來さんと、この先夏樹と
 頼子ちゃんもプロデュースするかもしれないけど出来るの?」

「そうだな、もしあの2人が入ったら伊吹は俺の担当から外すか」

「なんでよ!? Pが自分でヘタだって言ったじゃん!」

 伊吹が怒る。うるせえ、自分で言うのと他人に言われるのとは違うだろうが。
そもそも俺が担当Pにならなかったらお前はクビになっていたんだぞ?

「うわ!恩着せがましい!聖來さん、ホントにこんなPで大丈夫なの?」

「アタシはPさんにしかプロデュースしてもらったことがないから上手いのか
 下手なのかわからないけど、Pさんがドッグウォーカーって言われてたのは
 外でレッスンしてたからじゃないの?」

 そんなこともあったな。あの頃はレッスン場を借りられなくて、近くの公園や
駅前の広場でよくレッスンをしていた。ストリートの頃と変わらないって文句を
言いながらも、気楽でいいって聖來は楽しそうに踊っていたが。




「アイドルのレッスン環境を準備するのもプロデューサーの仕事だから、それが
 出来なかった俺はやっぱり下手だったんだろうな。アイドルを育成する為には
 トレーナーさんや大勢のスタッフさんのサポートが必要だから、いかに多くの
 人達の協力を得られるかもプロデューサーの実力の内なんだ」

「Pと聖來さんがいた事務所って貧乏だったの?346プロよりは小さかったって
 聞いたけど、レッスン場も借りれなかったなんて……」

 まあ俺達にも色々と事情があったんだよ。話せば長くなるからその辺りの事は
気が向いたら話してやる。気が向いたらな。

「心配しなくても私達はしっかりサポートしますよ。麗姉さんも聖來と2人だけで
 346プロと自分の手を焼かせたプロデュースをこの目で見たいと言ってましたし、
 私達姉妹はPさんをドッグウォーカーだとは思っていません」
 
 明さんが笑顔で言った。マスタートレーナーの麗さんが俺から学ぶことなんて
ないよ。チーフPも変な期待をしているがプレッシャーかけないでくれ。




「オリエンテーションの総括はこれくらいでいいか。次は今後のスケジュールに
 ついてのミーティングをするが、こっちは長くなるからその前に5分休憩な。
 今のうちにトイレ行っとけよ」

 はーいと返事が返って来て、聖來と伊吹は仲良く部屋を出て行った。明さんと
慶ちゃんはスケジュール表のチェックをしている。ここからはレッスンの予定も
相談しないといけないので、トレーナーの2人がメインの進行役だ。

「ふう…… ん?」

 一息つくとふと視線を感じたのでそちらに目をやると、犬が俺の方を見ていた。
そういえばお前をどうするのかも考えないといけなかったな。




「聖來のプロデュースはするが、お前のプロデュースは少し考えさせてくれ。俺は
 ドッグウォーカーと呼ばれていたが犬の世話をしたことはない」

 そこは元ドッグトレーナーの聖來の方が詳しいだろう。となると俺が聖來を
プロデュースして、聖來が犬をプロデュースすることになるのか?礼子さんの
件もあるし、それも込みでチーフPに相談するか―――――




つづく





***



「古澤頼子なかなか良いらしいな。俺にプロデュースさせろよ」

「断る」

「おま、チーフに向かって……」

「そもそも彼女はまだアイドルになってませんよ」

 その夜、俺はチーフPと2人でバーで飲んでいた。今日の報告なら事務所でも
出来たが、飲みに付き合えと言われたので渋々出て来たというわけだ。





「礼子とあいを貸してやっただろ?お前が聖來ちゃんを心配してると思ったから
 わざわざ気を利かせてやったのに」

「俺も三女と四女とはいえトレーナー姉妹をつけてましたよ」

 俺と聖來はかつて346プロの敵として、LIVEバトルで346プロを苦しめた
過去がある。その為3年過ぎた現在でも346のプロデューサーやスタッフ達の
中には俺達を敵視している連中もいる。

「俺も346プロに来たばかりの頃は露骨に無視されたり、小さな嫌がらせを
 されました。なので敵に回すとレッスンやが困難になるトレーナー姉妹に
 聖來のガードを頼んでましたが、まさか犬を連れて来るとは……」

 聖來が犬と一緒にオリエンテーションを回ったのは、ペットアイドルの
優しいイメージで346プロに溶け込もうと考えた結果だった。そうすれば
自分を嫌っている人達の見る目も少しは変わるだろうと。




「少しは信用してくれよ。お前達にとって346プロはかつての敵地だから警戒
 する気持ちも分かるが、俺も社長も基本ウェルカムだぞ。過去のことを根に
 持って恨んでるヤツもいるが、聖來ちゃんはしっかり守ってやるから」

 チーフPが俺の肩をぽんと叩いた。礼子さんが聖來のオリエンテーションに
ついてきたのは『聖來には自分がついてるぞ』と睨みをきかせる為だ。

「まあ礼子に聞いた話だと、聖來ちゃんはオリエンテーションを頼子ちゃんより
 楽しんでいたらしいから大丈夫そうだな。俺も聖來ちゃんに過保護すぎだって
 礼子に怒られたよ」

 チーフPが苦笑いする。あいつにとっては346プロの目に入るもの全部が
新鮮に映っただろう。礼子さんが来なかったら心から楽しめたと思うが。




「しかしまあ、まさかお前と聖來ちゃんと一緒に仕事することになるとはな。
 3年前は考えもしなかったよ」

「それは俺も同じですよ。346プロは最大のライバルだったのに、聖來と揃って
 世話になるなんて夢にも思いませんでした」

 だがその反面、346プロに憧れもあった。部下の意見を聞かずに気分次第で
好き勝手するワンマン社長に、ロクなレッスン環境もなかったウチの事務所と
違って潤沢な資金と設備を持ち、何よりもアイドルを大事にしていた346プロ
だったら聖來にも苦労をかけなかっただろう。

「聖來は俺みたいな凡人プロデューサーと、あんなひどい事務所で終わっていい
 アイドルじゃなかったんだ…… たとえ嫌いだった346に来てでも、アイツを
 真っ当な環境で育てられるのは嬉しい……」

 俺はグラスの中の酒を一気に飲み干した。酔うと嫌な事を忘れると聞いたが、
俺は逆に思い出す。昔を思い出して愚痴っぽくなるから普段は飲まないんだが、
今日くらいはいいだろう。




「お前の事務所は先走り過ぎたんだ。あの社長は先見性だけはあったからな」

「あん?あのボケ社長が何だって?」

「何でもねえよ。いちいち絡んでくるな鬱陶しい」

 チーフPはしっしっと犬を追い払うように手を振る。お前が誘ったんだろ?
俺も明日は朝から忙しいんだからもう帰るぞ。

「怒るなよ、まあ座れって」

 怒ってないが、でもあんまりだらだら飲むわけにもいかないんだよ。早ければ
明日にでも夏樹は契約書を持ってくるって言ってるし、頼子にも好感触のうちに
アプローチをかけないといけない。それに伊吹と聖來のレッスンに加えて聖來の
犬もどうするか考えないと……




「何でも1人でやろうとするな。俺達もいるんだから全部仕事を抱え込まないで
 こっちにも回せ。とりあえず木村夏樹の契約と犬の世話くらいはちひろさんに
 頼めばいいだろ?」

 ……確かにそういう類の仕事はスカウトマン時代はちひろさんに回していたな。
プロデューサーに復帰した途端に忘れてしまうとは。




「もう一度言うが、少しは俺達346を信用しろよ。自分のアイドルは自分で守る
 なんて考えていたら昔と同じだろうが。お前も自分を凡人プロデューサーとか
 言って腐ってないで成長しろ」

「今更成長するか。俺はお前と違って凡人なんだよ」

「そんなことはないさ。お前は一癖も二癖もあるストリート出身の子達の扱いが
 俺が知るプロデューサーの中では一番上手いぞ」

「そういうヤツばかり相手にしてたからだよ。逆に普通の女の子をプロデュース
 したことがないから、俺は未だに自分の腕がよくわからん」

 伊吹くらいのはねっ返りなら可愛いくらいだ。夏樹くらいはみ出してようやく
腕が鳴るという感じか。まあ夏樹は見た目より扱いやすいみたいだが。




「そうか。それならやっぱりお前には頼子ちゃんのプロデュースは荷が重いな。
 チーフPとしてあの子は俺が担当しないと……」

「だから頼子は渡さんって言っただろ」

 あの子は俺がスカウトする前に聖來が連れてきた子だ。礼子さんも気に入って
いるみたいだが、聖來の為にも俺もそう簡単に諦められない。

「まあいい、この話は頼子ちゃんがアイドルになった時に改めてしようか。だが
 伊吹も聖來ちゃんも夏樹も346プロのアイドルであって、お前だけのアイドル
 じゃないことだけは覚えておけよ」

「わかってますよ。俺も遠慮なく頼らせてもらいます」

 俺がそう言うとチーフPは笑ってグラスを空にした。さて、そろそろ帰るか。




「あ、そうだ。もうひとつお前に言うことがあった」

 懐から財布を出しながら、チーフPは何かを思い出したように言った。

「お前、最近渋谷のLIVEハウスに行ったか?」

「いえ、行ってません。ここ半年くらいは都内でスカウトもしませんでしたし。
 ですが情報だけは一応耳に入れてますよ」

「変な外国人の女がLIVEバトルで勝ちまくってる話は聞いてるか?」

「ああ、そうらしいですね。まあ渋谷は相変わらず入れ替わりが激しいそうですし
 そのうちいなくなるでしょう。その女がどうかしましたか?」

「いや、俺が言いたいのはその女に負けた子の話なんだがな」

 チーフPは会計を済ませて俺に向き合った。




「先週だったか、ネコミミにネコのしっぽを着けた女の子がその外国人に勝負を
 挑んだらしいんだよ。残念ながらボロ負けしたそうだが、その女の子の応援に
 これまた妙な女が来ていたらしいんだ」

 変な外国人の女にネコミミの女の子にそのうえまた妙な女とは、一体渋谷は
どうなってしまったんだ?

「その女は大きなテンガロンハットを被って、いかにもカウガールという出で立ち
 だったらしい」

 コスプレですか?それはLIVEハウスの中ではさぞかし目立ったでしょうね。
いや、カウガールの格好ならまだ大人しい方か?




「しかし目立っていたのはその格好じゃないんだ。その女、ピンクゴールドの
 長い髪をしていたらしいぞ」

「ピンクゴールド!? 」

 ピンクゴールドとは、その名の通り桃色がかった金色である。そしてそんな
ド派手な色の髪を振りかざしてLIVEバトルを戦う女がかつて渋谷にいた。




「まさか、浜川愛結奈……?」

「もう少し調べる必要はあるが、可能性は高いな。数年間音沙汰がなかったのに
 なぜ急に渋谷に現われたのかわからないが、アイツも復帰するかもな」

 チーフPは楽しそうに笑った。話題の女は浜川愛結奈。地元は大阪で、週末に
ふらっと東京に遊びに来て、そのついでに渋谷でLIVEバトルをしてまた大阪に
帰るような自由気ままなフリーのアイドルだった。

 しかしその実力は本物で、恵まれた美貌とスタイルから繰り出されるド派手な
パフォーマンスは他を圧倒し、あいと聖來も苦戦させられた。



 そして彼女もまた、渋谷四天王と呼ばれた1人だった―――――





つづく





***



「そういえば聞いてなかったが、その犬の名前は何だ?」

「ん?名前なんてないよ」

「……は?」

 翌日、俺は聖來と事務所の部屋で2人でいた。聖來は犬にブラシをかけながら
何でもないように答える。





「ほら、このコずっとペットショップにいたでしょ?ペットショップのわんこは
 名前とかつけちゃいけなくて、アタシも名前つけないでずっと世話してたから
 もうこのまんまでいいかって思って」

 犬が「ワン!」と返事をする。それじゃ俺はその犬を何て呼べばいいんだ?

「うーん、わんことか?」

「そのまんまだな。じゃあワン公でいいか」

「ワンッ!!ワンワンワンワンワンッ!!ワンッ!!」

「ちょっと、どうしたのよわんこ?」

 犬がキレた。俺に呼ばれるのは嫌なのかよ。




「まあいい、それじゃレッスンに行くぞ」

「はーい♪」

「ワンッ!!」

 お前は返事しなくていい。今からレッスンだからついて来るなよ?





―――



「ふりかえらずまえをむいてーそしてたくさんのえがおをあげよー♪」

 今日の聖來の午前中の予定はボイスレッスンだ。聖さんの指導の下、早速1曲
歌ってもらっているのだが……

「お前、相変わらず歌は平凡だな」

「ちょ、ちょっとは上達してないかな?ほら、昔よりは落ち着いたというか、
 大人の女の色っぽい声になってるというか……」

 なってねえよ。音痴ではないが、あれだけ踊れるから落差がなあ。





「よくこの程度の歌唱力でLIVEバトルを勝ち抜いていたな」

 レッスンを担当していた聖さんが呆れたように言った。俺も3年前はいかに
聖來に歌わせずにLIVEバトルで勝たせるか考えるのに苦労しましたよ。

「あの頃の聖來はダンスレッスンばかりさせていて、ボイスレッスンはたまに
 カラオケに連れて行くくらいでしたからね」

「雨の日はカラオケに行って、採点見ながら歌いまくってたよね」

 聖來が懐かしそうに言った。ダンスレッスンは公園でしてボイスレッスンは
カラオケでして、まんまストリートのやり方だったな。




「ダンスは我流で何とかなっても、歌は発声方法や音感など素人が鍛えるのは
 限界があるので専門の指導をつけてやりたかったんです。しばらくはボイス
 レッスンを中心に鍛えようと考えているのでよろしくお願いします」

「明からも聞いてるよ。歌唱力もダンスと比べても遜色ないレベルまで一気に
 引き上げてやるから安心しろ」

「や、優しくしてね?ダメだったらペットアイドルになるから……」

 聖來が顔をひきつらせる。さてと、ひとまずは聖來は聖さんに預けておいて、
一度部屋に戻るかな。




「ん?」

 その時ふと俺がレッスン室の入口に目をやると、何かがさっと動いたような
気がした。一瞬金色っぽいのが見えたが、まさか犬がついてきたのか?

「おい、ちゃんと部屋で大人しく待ってろって言っただろ」

 俺はレッスン室のドアを開けた。しかしそこにいたのは犬ではなかった。

「あ……」

「ん?聖?ここで何してるんだ?」

 部屋の外にいたのは346プロのアイドルの望月聖だった。金色がかった長髪が
聖來の犬っぽく見えたが、お前だったのか。




「ご、ごめんなさい、その、のぞくつもりは……なかったんです……」

 俺に怒られたと思ったのか、聖は小さくなってしまった。

「どうした聖?お前のレッスンは午後からだぞ」

 聖さんが声をかける。どうやら聖はレッスンの時間を間違えたらしい。

「わあ、可愛い子♪ あなたも346プロのアイドルなの?」

 聖來も興味津津の様子で出て来た。お前聖を知らないのか?

「え?この子有名人なの?」

 聖來がきょとんと首を傾げる。聖は346プロの中では有名人だぞ。




「聖は346プロで1・2を争う美声の持ち主だぞ。その透き通るような歌声は
 『天使の歌声』と呼ばれていて、クリスマスソングを歌わせたら礼子さんでも
 敵わないほどだ」

「へえ!すごいんだね!」

 聖は恥ずかしそうに顔を赤くして俯く。ただ歌声は天性のものがあるが、声量と
スタミナは歳相応に足りてないのでまだ鍛えないといけないがな。最近はどこかの
歌姫を見習って、腹筋をせっせと頑張っていると聖の担当Pから聞いた。




「Pさんは、ここにいると思いましたが……私が間違えていたんですね……
 お邪魔しました……」

 聖はぺこりと頭を下げると、小さな肩を落として帰って行った。レッスンを
楽しみにしていたのはわかるが、そんなに落ち込まんでも。

「ねえPさん、アタシ聖ちゃんと一緒にレッスンやりたいんだけどいいかな?」

 するとその時、聖來が俺に向かって言った。聖も立ち止まって振り向く。




「聖ちゃんもどう?一緒にレッスンしようよ!」

 聖來が無邪気な笑顔で聖を誘う。聖は突然誘われて戸惑っていた。

「ふむ、それもいいかもしれん。どうだ聖、午後のレッスンの前に軽く慣らす
つもりでウォーミングアップしていかないか?」

 聖さんもうんうんと頷いた。聖來はいくらでも歌わせていいですが、繊細な
聖にあまり無茶をさせないで下さいよ。




「事務所で担当Pが来るのを待っているだけなら、ここにいても構わないぞ。
 聖來の残念なボイスレッスンでいいなら見ていくか?」

「ちょっとPさん!アタシそんなに音痴じゃないでしょ!」

 聖來がキャンキャンと吠える。冗談だから騒ぐな。

「あ、アタシ水木聖來ね。よろしく♪」

「も、望月……聖です……」

 一気に距離を詰めてくる聖來にびっくりしながらも、聖は聖來に手を引かれて
レッスン室に入って行った。聖に無茶をさせたら後で担当Pに怒られそうだから、
俺がしっかり監督しないとな―――――




望月聖(13)
http://i.imgur.com/wL7bm0b.jpg





つづく





***



「聖ちゃーん!わんこそっち行くよー!」

「わわ、ど、どうしよう……」

「だーいじょうぶ!噛まないからつかまえてみて!」

 午前のボイスレッスンを終えて、昼食を挟んで午後の昼下がり。聖來は犬と
聖と事務所内の広場で遊んでいた。聖は午後はボイスレッスンのはずだったが、
聖の担当Pに急用が入ったので俺が預かっている。





「聖にケガさせるなよー。その子はお前と違って普通の女の子だからなー」

「アタシだって普通よ!」

「やった…、つかまえた……!」

「ワン!」

 俺は広場に併設してあるカフェで2人を見ていた。聖來と聖は10歳くらい
歳が離れていたと思うが、とてもそんな風には見えない。

『聖が笑顔で歌っているのを久しぶりに見ましたよ』

 さっきまで一緒にいた聖の担当Pの言葉を思い出す。午前中のレッスンの時、
俺が連絡を入れるとヤツはすっ飛んできた。そして聖來とレッスンをしている
聖を見て、驚いた顔をしてこう言ったのだ。




『聖は初めて出会った時、ジャングルジムの上で楽しそうに歌っていたんです。
 聖の歌声にも惹かれましたが、あの笑顔を見てスカウトしようと決めたはず
 なのにすっかり忘れてましたよ』

 聖の担当Pは、たまたま長野に営業に行った時に聖に出会いスカウトしてきた。
聖の天性の歌声に最初はプロデューサーとして喜んだが、次第にプレッシャーを
感じるようになっていたそうだ。

『天使の歌声は僕が扱える代物ではありませんでした。僕はあの歌声を守る事に
 固執してしまい、聖にはしつこいくらいに喉を守れと言い聞かせて、あの子は
 いつの間にか歌う時以外ほとんど喋らなくなってしまったんです……』

 聖は担当Pの言いつけを守って異常に喉に気を遣うようになり、人混みを
避ける為にあまり外に出歩かなくなり、レッスンも1人でやるようになって
歌を歌うだけの人形になってしまった。




『聖來さんと一緒に歌っている聖の歌声は、天使には程遠い普通の女の子の
 歌声でしたが、天使のような笑顔をしていました。僕が本当に守らないと
 いけないのはあの笑顔だと気付きましたよ』

 天使の歌声は持ち主の聖自身にとってもまだまだ手に余る代物だ。歌う本人が
不幸になるなら天使の歌声なんて捨てればいい…… と言いたいが、捨てるのは
惜しい歌声なので聖の成長に合わせてゆっくり身につければいい。

「ん?電話か?」

 胸ポケットの中のスマートフォンが震えたので取り出す。ディスプレイには
チーフPと表示されていた。




「はいPです」

『おう俺だ。今どこで何してる?』

「広場の横のカフェでコーヒーを飲んでます。聖來が聖と犬と遊んでいるので、
 監督をしているんですよ」

『聖もそこにいるのか?無茶なことさせてないだろうな?』

「聖來の犬を全力疾走で追いかけていますが、13歳の女の子なら普通でしょう。
 意外と足速いですよあの子」

『はっはっは!そうか!そうだよな!中学生なら犬と遊ぶくらい普通だよな!』

 チーフPは電話の向こうで大笑いした。それでご用件は何ですか?




『さっき聖の担当Pが俺の所に来たよ。聖のプロデュースを見直したいから、
 来月以降の聖の予定を全部白紙にしてくださいって土下座して頼み込んで
 きやがった。既に決まっていた仕事もあるのに参ったぜ』

「それはご愁傷様ですね。まあ、せいぜい頑張って下さい」

『他人事だと思いやがって。お前ヤツに余計なこと吹き込んでないだろうな?』

「俺は何も言ってませんよ。ヤツが聖を守る為にそう判断したんです。それに
 担当アイドルを守るのはプロデューサーとして当然でしょう」

『だからアイドルはプロデューサーのものじゃなくて、事務所のものだって
 言っただろうが。あれほど言ったのにまだわからないのか?』

 チーフPがため息をつく。わかってますよ。でも自分以上に担当アイドルの
ことをわかってる人間はいないし、アイドルも自分のことを信じてついてきて
くれるなら守らないわけにはいかないでしょう。




「最初は『事務所をクビになってでも聖を絶対守ります!』なんて鼻息荒くして
 いましたから、あれでもなだめたんですよ。聖が天使の歌声で歌わなくなると
 事務所としては大損害になるけど聖なら必ず取り戻せるから、お前はそれまで
 聖のそばにいてあの子を守ってやれって説得しました」

『お前、それは俺がチーフとしてヤツに言うセリフじゃねえか。おいしい所を
 横取りしやがって俺は悪者扱いか?』

 お前が悪者になるかどうかは今からの仕事ぶりによるだろ。聖が抜けた分の
スケジュール調整と関係各所への謝罪しっかり頑張れよ。




『ったく、だがちょっとホっとした。ヤツも聖も自分をギリギリまで追い込んで
 潰れそうになっていたから、お前のお陰で助かったよ。才能がありすぎるのも
 厄介なものだな』

「本来なら適当なところで程々に潰れて泣きべそかきながら立ち直るものですが、
 過保護に守り過ぎて後戻り出来なくなったみたいですね。聖ほど才能ある子は
 そういないと思いますが、戦わせないのも問題ですね」

 才能を持ったアイドルを戦わせて強くするか、過保護なまでにその才能を守り
育てていくか。どっちがアイドルにとって本当に良いのだろう。

『甘やかすだけじゃアイドルが育たないことくらい誰だってわかっているさ。
 もちろん育てられているアイドル達自身もな』

 それもそうか。担当Pも聖も自分に厳しすぎてしてああなったんだ。聖來に
影響されて2人は考えを変えたようだが、良い方向に変わったと思いたい。




『聖のスケジュールは担当Pとこっちで調整しとくから、お前は聖と遊んでて
 やってくれ。今日はもう聖はフリーだから、担当Pの代わりに帰りは寮まで
 しっかりと送り届けるんだぞ』

「わかりました。聖はしっかりこちらで面倒をみますので安心しろと担当Pに
 お伝えください。それでは失礼します」

『あ、そうそう、お前に言い忘れていたことがあった』

 通話を切ろうとするとチーフPが引き留めた。何か嫌な予感がする……




『346プロは聖のノドに1億円の保険をかけてるから、くれぐれも注意しろよ。
 手洗いとうがい忘れずにな』

 最後にそう言ってチーフPは電話を切った。突然衝撃の事実を聞かされて、
俺は一瞬意識が飛んだ。そりゃ聖と担当Pのプレッシャーになるわ!

「ついでにのど飴と、イソジンも買っておこうかな……」

 本っ当に、担当アイドルに才能がありすぎるのも厄介なものだな―――――




つづく





***



「聖ちゃん可愛かったね!また一緒に遊びたいな♪ 」

「俺としては聖から歌のノウハウを吸収して欲しかったんだが」

 聖を女子寮に送った後、俺と聖來は近くのファミレスで晩飯を食べていた。

「もちろんボイスレッスンもしっかりやるよ。聖ちゃんとユニットが組める
 レベルになるのが目標だからね!」

「無理だな。それなら聖にダンスを頑張ってもらった方がまだ現実的だ」

「担当アイドルがやる気になってるんだから応援してよ!」

 聖來が頬を膨らませて怒る。それもそうか、悪かったよ。





「改めて聞くが、お前本当に歌をメインに鍛えるつもりか?今からでもダンスを
 中心にしたメニューに切り替えてもいいんだぞ?」

「それだと昔と一緒じゃん。せっかく復帰したんだから、3年前とは違うことに
 チャレンジしていかないとね!」

 俺と明さんで何度も確認したが、聖來は『歌が上手くなりたい』という意志を
変えなかった。もちろんダンスレッスンやビジュアルレッスン等も受けさせるが、
聖來のレッスンメニューは半数がボイスレッスンで占められている。




「無理なんてしてないよ。確かに歌はあんまり得意じゃないけど、だからこそ
 ちゃんと歌えるようになりたいの。アタシも成長してるんだよ?」

 聖來が笑顔で言った。3年という時間は人を変えるのには十分過ぎる長さだ。
見た目はほとんど変わってないがこいつも色々考えているんだな。

「LIVEハウスには行かないのか?LIVEバトルに出場するのは事務所に申請して
 許可が必要になるが、観戦は自由だぞ」

 聖來は346プロに来てからはLIVEバトルに興味を示さない。昔話としてなら
話はするが、行きたいとは言わなかった。




「うーん、正直気にはなってるけど、今は346プロの環境に早く慣れたいかな。
 LIVEハウスに行ったら昔のアタシに戻っちゃって、ボイスレッスンなんて
 しなくていっかとか思っちゃうかもしれないし」

 ふむ、聖來は新しい自分のアイドル像を掴むのに一所懸命になっているのか。
俺はLIVEバトルのステージ上で力強く踊る聖來が好きだったから、あの姿が
しばらく見られないのは少し残念だな。

「ん?Pさんもしかしてガッカリしてる?アタシがLIVEバトルでカッコよく
 戦って勝つトコ見たい?」

 表情に出ていたのか、聖來がニヤニヤしながら密着してくる。さっきまでは
コイツなりに変わろうとしているのかと感心していたが、こういうガキっぽい
ところは全然変わってない。




「馬鹿言え、昔ほどLIVEバトルは注目されなくなったがレベルが落ちている
 わけじゃないぞ。いくら元四天王とはいえ、ブランクのあるお前が出た所で
 返り討ちに遭うのがオチだよ」

「あはは、確かにアタシ1人じゃすぐに負けちゃうかもね。でもPさんが側に
 いてくれるなら、アタシはそう簡単には負けないよ」

 聖來は少しだけ真面目なトーンになって俺の顔を見た。座っていても俺の方が
背が高いので、聖來は俺を見上げる形になる。





「アタシはPさんのわんこでしょ?わんこはご主人様にえらいえらいって褒めて
 もらったらいくらでも頑張れるんだよ」



 当時は俺がドッグウォーカーと呼ばれていたので、聖來は犬と呼ばれていた。
聖來がストリート出身で、形式に囚われない野性的なダンスを踊っていたのも
犬のように見えたのだろう。





「あの時は犬扱いされるのイヤだったけど、今は悪くないって思うよ。それに
 犬と人間の関係ってアイドルとプロデューサーに似てると思わない?」

「犬とアイドルを一緒にするな。お前はアイドルだからな?」

「わんこもアイドルも似たようなものだよ♪ わんわん♪ 」

 聖來は犬の真似をしながら俺の膝に飛び乗った。おい、悪ふざけが過ぎるぞ。




「どう?わんこに見えてきた?わんわん♪」

 見えるか。さっさと降りてくれ。こんなバカップルみたいな所を事務所の奴や
知り合いにでも見られたら……

「こ、こほん…」

 その時、後ろで遠慮がちな咳払いが聞こえたので俺達は振り返った。そこには
サラダバーのサラダを載せた皿を持った明さんが立っていた。




「め、明?どうしてここに……」

「やっぱりあなた達って、恋人同士だったんじゃないの……?」

「ち、違うから!これはたまたまじゃれてただから!」

「しかも動物プレイって、マニアックというかアブノーマルというか…… 」

「わんこは好きだけどそんな趣味ないから!だからそんな目で見ないで!」

 それから聖來は見て見ぬふりして立ち去ろうとする明さんの腕を掴んで、必死に
誤解を解いていた。俺は半ば諦めつつ、仲直りしたばかりの2人がまた離れ離れに
ならないことを祈るばかりだった。





―――



「すみません、何だかお邪魔してしまったみたいで」

「気にしないで下さい。俺達はデートでもいちゃついてたわけでもなくて、ただ
 普通にミーティングをしていただけですから」

「そうそう!そうだから!昔もよくファミレスで奢ってもらってたし!」

 テーブルを挟んで俺の前には明さんが座っている。明さんは1人で来たらしく、
それなら一緒に食べようと聖來が誘って俺達のテーブルに来た。

「秘密は守りますよ。私は姉妹の中で一番口が堅いんです」

「だ、だからそんなんじゃないって……」

 明さんの隣に座っている聖來が真っ赤な顔で否定する。そんな聖來を明さんは
からかっていた。大学でも2人はこんな感じだったのだろうか。





「聖姉さんから聞きましたが、今日のボイスレッスンは聖ちゃんも一緒だった
 そうですね。レッスンそっちのけで聖ちゃんと歌っていたとか」

「ちゃ、ちゃんと発声練習もやったよ!ちょっとだけだけど……」

 明さんにじろりと睨まれて、聖來は慌てて弁解した。聖來のレッスンが疎かに
なったのは担当Pの俺の責任でもあります。申し訳ありません。

「それを言うなら、聖來にレッスンをつけていた聖姉さんにも責任がありますよ。
 聖來にしっかりレッスンをつけてあげて下さいって頼んだのに、初日からこの
 調子だと先がおもいやられますね」

 明さんは小さくため息をついた。そういえば聖さんも聖來と聖がレッスンを
お構いなしに歌っているのを注意しなかったな。何故だろう?




「おそらく聖姉さんはPさんと聖來を観察していたんだと思います。Pさんが
 聖來にどんな指示を出すかとか、聖來がそれを聞いてどう動くか分析をして、
 自分のレッスンに取り入れようとしているのでしょう」
 
 そういえば以前に聖さんは『ドッグウォーカーのプロデュースを見たい』と
言ってたが、あれはリップサービスではなく本気だったのか。

「分析って言われても、普通にやってただけだよね?」

 聖來が不思議そうに首を傾げる。むしろ普通以下のレッスンしかさせてないぞ。
あれをレッスンと呼ぶのは恥ずかしいレベルだ。




「Pさんは自分を過小評価しすぎです。満足いく環境やトレーナーがいなくても
 Pさんは聖來を346プロ相手に互角の勝負をするアイドルに育てたんですよ?
 ですからもっと自信を持ってください」

 明さんが笑顔で言った。それこそ過大評価だと思いますが。それに聖さんには
悪いですが、俺もせっかくプロデューサーに復帰したんだし1から勉強し直して
正しいアイドルのプロデュースをやりたいんですけどね。

「私個人としてはあまりおすすめしませんね。アイドルに個性が求められる以上は
 これからのプロデュースも画一的なものではいけません。Pさんが聖來を育てた
 『D.W式プロデュース』は上層部も注目しているみたいですよ」

「D.W式?ああ、ドッグウォーカー式って意味ね」

 聖來が手をぽんと叩いて納得する。俺の知らない所でスケールのでかい話に
なってきたぞ。育成計画も何もなくて、ただLIVEバトルに勝たせる為だけに
がむしゃらに鍛えていただけなのにあんなのが評価されるのか?




「Pさんのプロデュースが他のプロデューサーさんと違う点は、アイドルと
 信頼関係を築くのがとても早い点です。D.W式の強さの秘訣はそこでは
 ないかと姉さん達は考えているみたいですよ」

「それは聖來は元々前の事務所で俺が担当していたからで、ゼロから信頼関係を
 作ったわけではないのですが……」

「私が言ってるのは聖來じゃなくて伊吹さんのことですよ」

 伊吹?俺は普通にプロデュースしているつもりですが、何か変でしたか?




「担当になったばかりのその日に、伊吹さんを逆立ちでレッスン場周りを3周も
 歩かせたそうですね。慶がびっくりしてましたよ」

「え?Pさん伊吹にそんなことさせたの?」

 ああ、あれか。あれは別に信頼関係とか関係なく、体力テストの一環として
やらせただけなんだが。

「いくら体力テストでもそんな無茶な指示に普通は従いませんよ。特にあの時の
 伊吹さんは事務所をクビになるかどうかの瀬戸際で自暴自棄になってましたし、
 Pさんの手腕は簡単に真似できるものではありません」
 
 あの手のストリート出身は昔沢山相手にしましたから、伊吹に信頼されていた
わけではないと思いますが扱いなら慣れているんですよ。




「それに最近伊吹さん可愛くなったって噂になってますよ。Pさんが担当になって
 良い笑顔をするようになりましたし、ダンスをさせるだけではもったいないって
 モデルの仕事も検討しているそうじゃないですか」

「伊吹は恵まれた身長とプロポーションをしていますから、モデルでも活躍させて
 やりたいと考えていました。歌唱力も悪くないし、うまく育ててやればマルチに
 活躍できるアイドルになりますよ」

 最近は馬鹿にしていたアイドルのダンスやパフォーマンスにも真剣に取り組んで
いるし、346プロでの伊吹の評価も上がってきた。クビ寸前からの大逆転だ。




「伊吹の担当がPさんで良かったよ。アタシも嬉しいな♪」

 聖來が笑顔で言った。喜ぶのは早いぞ。お前と同じで、伊吹のプロデュースも
まだ始まったばかりだからな。




「あなたもちゃんとやらないと伊吹さんに追い抜かれるわよ?プロポーションは
 伊吹さんの方が上だし、歌唱力も負けてるし、ダンスはまだあなたが勝ってる
 みたいだけどすぐに追い抜かれてもおかしくないわ」

「まっさか!まだまだ伊吹には負けないよ!ね!Pさん!」

「…………」

「Pさん?」

「……サラダバー行ってくる」

「ちょ、ちょっと待ってPさん!アタシ実は結構ヤバいの!? 」

 席を立とうとした俺の腕を聖來が掴んだ。すまん、正直何とも言えない。
明さんの言った通りダンスはまだお前の方が上だが、活躍できるシーンは
現時点では伊吹の方が多いかもしれん。




「アタシもマルチーズみたいなアイドルにしてよー!伊吹は応援してるけど
 同じアイドルとして負けたくないよー!」

 マルチーズみたいなアイドルってどんなアイドルだよ。俺は犬の知識は
さっぱりだから、どうしてもなりたいなら他をあたってくれ―――――




つづく





***



 オリエンテーションから2週間が過ぎた。



「よ、Pさん。今日からよろしくな」

「よろしくお願いします…」

 俺の前で夏樹と頼子がそれぞれあいさつをする。俺はこの2週間、この2人と
家族と交渉を続け、ついにアイドルとして迎え入れる事が出来た。





「ああ、よろしくな。頼子は実家から通いになるから大変だと思うが、こちらでも
 出来る限りのサポートはするから遠慮なく言ってくれ」

 夏樹は1人暮らししていたアパートを引き払いアイドル達の住む寮に入る事に
なったが、頼子は茨城の実家電車で通う事になった。これは頼子の両親が出した
条件で、高校生の間はこれでいこうと頼子とも話し合って決めた。

「無理を言ってすみません…。そのぶん精一杯頑張ります」

 申し訳なさそうに頭を下げる頼子に気にしないように声をかける。首都圏内なら
実家から通ってる子は珍しくないし、何も問題はない。それにアイドルになっても
学生の間は勉強もしっかりしないとな。

「アタシ学校辞めてもいいんだけどな。もう就職決まったようなもんだし」

 夏樹がぽりぽりと頬をかく。もう一年もないんだから頑張って卒業しとけよ。
アイドル以前に社会人になった後で苦労する羽目になるぞ。




「ただいまー。あ、夏樹とよっちゃんじゃん。今日からだっけ?」

 俺達が話をしているとレッスンから伊吹が帰ってきた。可愛い後輩達の面倒を
しっかり見てやってくれよ。

「そういう役割は聖來さんに…… あれ?聖來さんどこ行ったの?」

 伊吹が部屋を見回す。2人が事務所に来る少し前に、犬の散歩ついでに買い物に
行ってくるって飛び出して行ったよ。もうすぐ帰ってくると思うが。




「たっだいまー!」

 するとその時、元気よく聖來と犬が帰って来た。聖來は笑顔で手に持っていた
紙袋を俺達に見せつけるように高く上げた。

「ケーキ買って来たよ!みんなで食べよ♪」

 何を買いに行ってたのかと思えばそれだったのか。いつも以上にテンションの高い
聖來に振り回されて疲れたのか、犬は早々に部屋の隅でごろんと横になった。お前も
気楽に見えて結構苦労してるんだな。





―――



「さて、それでは全員揃ったところで俺から話がある」

 今日はお茶会をする為に集まってもらったわけじゃないからな。俺は全員の顔を
見渡して、タイミングを見計らって切り出した。

「もうわかっていると思うが、ここにいる4人が俺の担当するアイドルだ。みんな
 仲良くしてくれよ」

「何だかP、まるで学校のセンセイみたいだね」

 伊吹がおかしそうに笑う。俺も自分でそう思ったよ。





「お前達はたまたま同郷の知り合い同士で集まったから俺も心配はしてないがな。
 だがアイドルとして目指す方向性はそれぞれ違うから、無理して合わせようと
 しなくてもいいぞ。そこはマイペース厳守だ」

 夏樹と頼子に向かって言った。聖來や伊吹のレベルに合わせてダンスすれば、
普通のアイドルでも根を上げてしまうからな。

「夏樹はロックアイドルという路線で、ギターの演奏をメインに置いてバンドや
 他のアイドルとのセッションを考えている。もちろん歌やダンスのレッスンも
 するからやることは多いぞ」

「ロックなら自信あるけど、アイドルはよくわかんねえからPさんに任せるぜ。
 ただしココだけは譲れねえって思ったら遠慮なく言わせてもらうからな」

 夏樹は挑戦的な笑みを浮かべた。ああ、俺もガンガン意見をぶつけてくれた方が
やりやすいよ。お前は引き出しが多そうだから俺も楽しみだ。




「頼子はオーソッドクスにダンス・歌・ビジュアルレッスンをバランスよく行って
 当面はアイドルのベースを固める予定だ。だが上の連中がモデルをやらせたいと
言ってるから、ビジュアルレッスンにウェイトが置かれるかもしれん」

「私がモデル…ですか?」

 頼子は意外そうな顔をした。お前は猫背気味だが背は高いし、同年代の子よりも
大人びているから俺も申し分ないとは思うが……

「……その『上の連中』って、チーフPと礼子さん?」

 俺の微妙な物言いに聖來が反応する。よくわかったな。




「あの2人は頼子を気に入っているから、自分達の陣営に引き入れたいらしいぞ。
 どこまで本気かわからんが頼子に注目してるみたいだ」

「よっちゃん絶対あっちに行ったらダメだからね!」

 聖來は必死で頼子の両肩を掴んで訴える。俺もそう易々と頼子を渡さないよ。

「だがチーフPはその気になればいつでも頼子のプロデュースに介入出来る立場に
 あるから、完全にガードすることは出来ないだろうな。向こうも頼子に見合った
 仕事を持ってくるだろうし、そこは頼子の為になるかよく考えたうえで、うまく
 付き合っていくつもりだ」

「そんなぁ……」

 聖來が子犬のように目をうるうるさせて頼子を見る。頼子はそんな聖來を見て
くすりと小さく笑った。




「心配しなくても、私はどこにも行ったりしませんよ」

「よっちゃん……!」

 犬のようにがばっと抱きついた聖來の頭を、頼子はよしよしと優しく撫でた。
こうして見るとどっちが年上かわからないな。

「聖來さんって、よっちゃんには結構ベッタリ甘えるのね」

 伊吹が呆れたように笑う。聖來は自分が無理言って頼子を東京に連れてきたと
思っているから気にしてるんだろ。ああ見えて結構小心者なんだよ。




「よし、それじゃそろそろ撮影クルーさんが到着する時間だから俺達も行くか。
 夏樹と頼子のアイドル初仕事だ」

 今日は2人の宣材写真を撮る為に事務所に来てもらったのだ。夏樹も頼子も
写真映えしそうな子なので俺も楽しみだ。





***



「遅くなってしまって悪かったな。親御さんは大丈夫か?」

「はい。途中で電話を入れましたし、話せばわかってくれると思います」

 宣材写真の撮影を終えて、俺は頼子を駅まで送っていた。頼子の腕には今日の
宣材写真(自分用の焼き増し)が大事そうに抱えられている。

「あの野郎、まさか宣材写真にまで介入して来るとは思わなかったよ」

 事務所内のスタジオに行くと、そこには笑顔のチーフPが大きな衣装ラックを
背にして待ち構えていた。そのせいでただの宣材の撮影がちょっとしたモデルの
仕事のようになってしまったのだ。





「私は沢山の衣装が着られて楽しかったですけど…。 それに私だけではなくて、
 夏樹さんも楽しそうでしたので良かったです…」

「向こうが無理言ってこっちの仕事に横槍を入れて来たんだから、こっちも多少の
 要求はしてもいいだろう。しかし本当にスタジオにバイクを入れるとはな」

 夏樹のことも考えろと言ったら、それならバイクを持って来るかとチーフPが
言い出して、夏樹のバイクは機材搬入用のエレベーターに載せられてあっという
間にスタジオまで運ばれてきた。チーフPの権限恐ろしや……




「普通の宣材とバイクに乗った宣材とギターを構えた宣材撮って、さすがの夏樹も
 後半は疲れていたな。頼子は大丈夫だったか?」

「緊張はしましたけど…、良い経験になりました。美術館に展示されている絵画の
 気持ちがわかった気がします…」

「ほう、絵画の気持ちとは面白い事を言う」

「わ、私何か、おかしなことを言ったでしょうか……?」

 頼子が不安そうな顔をして慌てた。いつも大人びているが、たまに歳相応の
可愛らしい振舞いを見せてくれるらしい。




「いや、頼子の美的感覚は美術館の展示物が基準になっているのかと思ってな」

「基準にしているわけではありませんが…、意識はしました。美術展や博物展に
 行くのが好きなので、そこで見た物を記憶しているのだと思います…」

 頼子が自分を冷静に分析する。礼子さんは頼子を『美の本質が見えている』と
評していたが、美術展や博物展で鍛えた審美眼が頼子の持つ魅力なのだろう。

「広告会社やブランドが作った即物的な美ではなくて、時代を超えて評価される
 芸術の美を自分のものに出来たら一風変わったアイドルになりそうだな」

「ですが…、古臭いと思われたりしないでしょうか…?アイドルの人達は流行の
 最先端でお仕事をされているのに、私のような人間は場違いなのでは……」

 頼子は自信なさげにうつむいた。それは少し違うな。




「頼子。アイドルやモデルは流行の最先端で仕事をしてるんじゃない。彼女達は
 美を作り出すから常に流行の最先端にいるんだ」

俺がそう言うと、頼子ははっとしたような顔をした。

「お前も今日から創作側の人間だ。流行や美術品を真似るのではなく、お前が
 『アイドル古澤頼子』という表現者であり美術品なんだ。だからお前も自分の
 信じる美を貫き通して、誰にも負けない芸術を作り上げろ」

「は、はいっ!」

 頼子は背筋を伸ばして、よく通る声で返事をした。うん、いい返事だ。




「あ、あの、Pさん……!」

「ん?何だ?」

 俺が振り返ると、頼子は胸の写真を抱え直してその場で立ち止まった。

「私…、ずっと、ずっと昔から華やかな世界に憧れてました。聖來さんが私を
 この世界に連れて来てくれて…、少し不安もありましたけど、勇気を出して
 アイドルになって良かったです…!」

 頼子は一旦区切って呼吸を整えた。口数がそれほど多くないこの子がこんなに
沢山話すのを見るのは初めてだな。




「未熟者ですが…、これからよろしくお願いします。Pさんとなら、私はどんな
 絵画にも負けない自分を表現出来そうです…!」

 そう言って頼子は、撮影でも見せなかった最高の笑顔を見せた。頼子の年齢の
わりには大人びた雰囲気と、歳相応の可愛さが磨き抜かれた美の感性で合わさり、
バックの夕陽によって神々しさも感じた。今この瞬間をカメラに収めたら、俺は
ピューリッツァー賞を受賞出来るだろう。

 こうして俺は半分魂を抜かれた状態で、頼子を駅の改札まで見送った。今は
まだ女子高生だが、大人の女に成長するとどうなるか末恐ろしいな……




「さてと…… いつまで隠れてるつもりだ、聖來」

 俺は背後の看板の後ろからちらちら見ていた聖來に声をかけた。聖來はガタっと
足下の何かに躓いてこけそうになりながら、バツが悪そうに出て来た。

「い、いつから気付いてたの……?」

「事務所を出て5分ほど歩いた時かな。俺も業界人の端くれだから、周囲の目には
 敏感なんだよ」

 聖來は宣材写真の撮影までは付き合っていたが、その後用事があると言って先に
帰ってしまった。しかしどうやらそれは嘘だったようで、俺と頼子を尾行する為に
事務所の近くに隠れていたらしい。




「いやー、よっちゃんが本心ではどう思ってるのか気になっちゃってさ。アタシの
 前だと本音を言わないんじゃないかと思って……」

 聖來は指をもじもじさせながら弁明する。もう少し信頼してやれよ。

「あの子は他人に流されて大事な事を決めてしまうような愚かな子じゃないだろ。
 お前が誘ったとはいえ、自分でよく考えて、自分で判断したうえでアイドルに
 なると決めて346プロにやって来たんだ」

 それこそ美に向き合う時のように、物事の本質を見誤ったりする子じゃない。
頼子は自分を美術館の作品のように客観視出来るし、冷静に分析が出来るから
アイドルとしての成長も早いだろう。




「お前が頼子を連れてきた理由がわかったよ。チーフP達が気に入るほどの
 逸材だし、将来はとんでもない大物になるかもな」

「そうでしょそうでしょ!よっちゃんはスゴいんだから!」

 聖來が得意気に胸を張る。さぁ、それじゃお前も納得したみたいだし帰るぞ。




「ところでPさん、一瞬よっちゃんに見とれてたよね?」

「…………何の事だ?」

「とぼけてもムダだよ。アタシ見てたんだから」

 いつの間にか俺の右腕にがっちりロックして、聖來がジト目で見てくる。




「あのままだったらPさんが送り狼になってたかも……」

「なるか!」

 ちょっとぐらっと来たけどな。職業柄美人を見慣れている俺でも頼子の笑顔は
破壊力がありすぎてヤバかった。

「まあよっちゃん美人だし仕方ないね。今回は許してあげる」

 何でお前に許してもらわないといけないんだよ。俺は無実だ。




「夏樹とよっちゃんもアイドルになって、これから楽しみだね♪」

「ああそうだな。お前も2人に追い越されないように頑張れよ」

「まかせて!」

 聖來が人懐っこい笑顔で笑う。聖來が隣で笑っていてくれると俺も元気が出る。
頼子の笑顔も良いが、こっちはこっちで最高の笑顔だな。




 3年前にアイドルを辞めた聖來は、こうして再び新しい事務所で復帰して、新しい
仲間とスタートを切った。その昔LIVEバトルで四天王と呼ばれた聖來だが、過去を
捨てて新しい時代に合わせて生まれ変わろうとしていた。

 しかしその一方で、過去に縛られて新しい時代を受け入れられない人間もいた。
元渋谷四天王の聖來がアイドルに復帰して2週間。業界の隅々にまでその情報が
行き届いて、街のLIVEハウスやストリート界隈でも広がり始めた頃、



 過去に縛られたままの『彼女達』もまた動き出した―――――





第二章おわり


第三章につづく



今日から三章です。言わなくても伝わっていると思いますが難航しておりますw
この章は起承転結の転の部分ですね。作者の頭の中も転々としていますが読んで
戴けると幸いです。それではどうぞ





―3章―



「ただいまー♪」

「おはようございます」

「おう、おはよう」

 聖來と伊吹に夏樹と頼子が加わって4人体制に慣れてきた頃、デスクに座って
スケジュールを確認していると聖來が犬の散歩から帰ってきた。散歩のついでに
頼子を駅まで迎えに行っていたようだ。





「頼子も一緒か。ちょうどいい、お前にお客さんだ」

「私に…ですか?」

 不思議そうな顔をする頼子に、先ほどまでソファに座って待っていた1人の
アイドルが笑顔で近づいてきた。

「量販店の中級グレードですがなかなか似合っていますね。これは将来有望な
 メガネアイドルになる素質を持っていますよ!」

「あれ?あなたは確か…… 春菜ちゃんだっけ?」

「はい!上条春菜です!以後お見知りおきを」

 頼子に会いに来たのは346プロのアイドルの上条春菜だ。聖來とは面識がある
みたいだが、頼子とは初対面らしい。




「メガネの素敵な新人さんが入ったと聞きまして、是非親睦を深めたいと思って
 参上しました。同じメガネアイドルとして頑張りましょう!」

「は、はい…、よろしくお願いします……」

 メガネを輝かせながらぐいぐい迫ってくる春菜にやや気圧されながら、頼子は
おずおずと自己紹介をした。お前は相変わらずメガネが絡むと強引だな




「春菜、水を差すようで悪いが頼子はコンタクトも使っているぞ。撮影の時は
 メガネを外すし、俺もその方向でプロデュースをするつもりはない」

「ええーっ!? こんなに美人なのにメガネをかけないのはもったいないですよ!
 頼子ちゃんみたいな子にこそメガネをかけて活動して欲しいのに!」

 春菜は俺に抗議する。春菜は俺がスカウトマンを始めて最初の頃にスカウトした
アイドルで、かれこれ3年近くアイドルをしているベテランである。だがメガネに
対する愛が強く仕事を選り好みするので、実力はあるが芽が出ない厄介者だ。




「スカウトさんはプロデューサーじゃなくてスカウトに専念した方がいいんじゃ
 ないですか?頼子ちゃんからメガネを取り上げるなんて、メガネが曇っている
 としか思えません!」

「メガネメガネとやかましい。誰もが好きでかけてるわけじゃないだろうが」

 メガネへの情熱を少しでもアイドルに向けていたら、こいつは今頃もっと売れて
いただろうに。346プロも諦めているのか、春菜には担当Pもつけず単発の仕事を
やらせている状況だ。ちなみにこれは余談だが、俺は346プロではスカウトマンで
定着しているので、聖來達以外は俺のことをまだスカウトさんと呼ぶ。




「あっはっは!結構ズバズバ言うね春菜ちゃん!それじゃアタシがよっちゃんの
 代わりにメガネアイドルでデビューしようか?」

「いえ、お気持ちはありがたいですが聖來さんはメガネが似合わない人なので」

「そ、そうなんだ……」

 春菜にばっさり断られて聖來は落ち込む。ズバズバ言う子だってお前もわかって
いただろう?春菜はメガネのことになると相手が誰でも遠慮しないからな。




「あの…、それで私に何か用があったのではないですか……?」

「そうそうそうでした!ちょっとお時間戴いてもいいですか?」

 春菜は旅行用の大きなスーツケースを引っ張ってくる。中を開けると小型の薄い
アタッシュケースが10個入っていた。

「もしかして、これ全部……」

「はい!メガネです!メガネの素晴らしさを知ってもらう為に私のコレクションを
 かけてもらうのが最近のマイブームなんです!」

 アタッシュケースの中にはメガネがまるで標本のように整然と並べられていた。
1つのケースに10個前後入っているので、合計100個近くあるのか?




「あの、私はそれほどメガネにこだわりがあるわけでは……」

「頼子ちゃんは美術展巡りが趣味だそうですね。こういうメガネはどうですか?」

「わあ、素敵……」

 先程まで遠慮がちだった頼子が食いつく。春菜が開いたケースの中にはレトロな
デザインの、日用品と言うより美術品のようなメガネが並んでいた。頼子の趣味を
事前に調べていたとは、本気でメガネアイドルに勧誘するつもりだな。

「私のとっておきのコレクションです。かけてみてもいいですよ♪」

 沢山のメガネをテーブルに広げて、春菜と頼子は楽しそうに話す。本当は頼子に
スケジュール確認とミーティングがあったのだが、後でもいいか。




「春菜ちゃんほんとにメガネが好きなんだね。どうして346プロは春菜ちゃんの
 希望を聞いてあげないの?」

「まったく聞いてないわけじゃないさ。だがメガネがズレるから激しいダンスは
 踊りたくないとか、メガネが汚れるから雨の日や暑い日は仕事したくないって
 言うようなヤツをプロとして安定して使えないだろ」

「そんなにワガママなのあの子?とてもそんな風には見えないんだけど」

 悪いヤツではないんだがメガネが絡むとダメなんだよ。お前の犬好きと一緒だ。




「アタシそこまでひどくないと思うけど。でも春菜ちゃんちょっと可哀想だね」

 聖來は犬の頭を撫でながらぽつりと言った。まあ俺も346プロはもう少し融通を
聞かせてもいいと思うけどな。プロデュースが下手な俺が言っても説得力はないが、
下手なりに色々と試してわかったこともある。春菜もプロデュースのやり方次第で
もっと活躍出来るだろうに―――――





―――



「わわ!? メガネ舐めちゃダメですよ!聖來さん何とかしてください!」

「あ、こらわんこ!それは食べ物じゃないよ!」

「ワン!」

 聖來は慌ててメガネに興味津津な犬を引き離す。その犬の頭のサイズだったら
メガネかけられるんじゃないか?





「いいねそれ!ねえ春菜ちゃん、わんこに似合いそうなメガネない?」

「ありませんよ!ワンちゃんには犬用ゴーグルがペットショップで売ってますから
 そっちを買ってください!」

「ああ、そう言えばお店にあったような気がする」

 聖來と春菜のアホなやりとりを見ているとドアがノックされた。また来客か?




「賑やかっスね。外まで聞こえてますよ」

「荒木先生か。珍しいな」

「その呼び方はやめて欲しいッス。偉大な先輩に畏れ多いッスから」

 中に入って来たのは346プロのアイドル荒木比奈だった。こいつも春菜と同じで
なかなか厄介なアイドルだ。

「比奈さんじゃないですか!事務所に来るなんて珍しいですね!」

「げ、春菜ちゃん…… きょ、今日は出直しまス……」

「逃がしませんよ!私達とメガネ女子会をしましょう!」

「ぎゃ―――っ!! 」

 春菜は引き返そうとする比奈を素早く捕まえて、そのままずるずる引っ張った。
観念した比奈は隣に座っている頼子とあいさつを交わす。




「Pさん誰このコ?アタシ会った事ないけど」

「比奈は滅多に事務所に来ないからな。346プロのレアキャラだ」

「人をポケモンみたいに言わないで欲しいんスけど」

比奈は少しずれたメガネをかけ直して、聖來を見た。

「渋谷四天王の水木聖來さんッスね。荒木比奈ッス。よろしく」

「元がつくけどね。アタシの自己紹介はいらないみたいだね」

 聖來は比奈の言葉を軽く受け流して笑う。まあ聖來は昔から四天王の肩書きには
あまりこだわってなかったからな。




「それでどうしたんだ?聖來に用があって来たのか?」

「いや、聖來さんにってわけじゃないッスけど、スカウトさんの所に面白い人達が
 いるって聞いたから見に来たッス。最近ちょっとスランプ気味なんで、ついでに
 何かアイデアがもらえたらと思いまして」

 比奈は春菜のコレクションの中から片眼鏡を手に取り、頼子の顔と何度か交互に
見た後、自分のバッグからスケッチブックとペンを取り出した。

「元渋谷の四天王にブレイクダンスを踊るアイドル、それにモヒカン頭のロックな
 アイドルと色々と想像が掻き立てられるッスね。頼子ちゃんもいい感じッス」

 比奈は流れるようにスケッチブックにペンを走らせ、完成した絵を頼子に渡した。
そこには片眼鏡をかけて、シルクハットを被った頼子が描かれていた。




「それでどうしたんだ?聖來に用があって来たのか?」

「いや、聖來さんにってわけじゃないッスけど、スカウトさんの所に面白い人達が
 いるって聞いたから見に来たッス。最近ちょっとスランプ気味なんで、ついでに
 何かアイデアがもらえたらと思いまして」

 比奈は春菜のコレクションの中から片眼鏡を手に取り、頼子の顔と何度か交互に
見た後、自分のバッグからスケッチブックとペンを取り出した。

「渋谷の四天王にブレイクダンスを踊るアイドル、それにモヒカン頭のロックな
 アイドルと色々想像が掻き立てられるッスね。頼子ちゃんもいい感じッス」

 比奈は流れるようにスケッチブックにペンを走らせ、完成した絵を頼子に渡した。
そこには片眼鏡をかけて、シルクハットを被った頼子が描かれていた。




「怪盗ヨリコちゃんッス。ビビっとインスピレーションが下りて来たので似顔絵に
 してみましたけど、どうッスか?」

「すごい…、私なんかがモデルで申し訳ないです……」

「頼子ちゃんはこういうメガネも似合いますね。さっそくかけてみましょう!」

「へえ、上手だね。比奈ちゃんは似顔絵が得意なの?」

「趣味でマンガとか描いてますから。お近づきのしるしにどうぞ」

 頼子のリアクションを見て比奈は満足そうに笑った。比奈は346プロがステージの
衣装のアイデアを一般から募集した時に、賞金狙いで衣装イラストを描いて応募して
それが縁でスカウトされた経緯がある。




「趣味も結構だが、お前最近アイドルの仕事してるのか?運動不足解消にジム感覚で
 レッスンを受けてるんじゃないかって言われてるぞ」

「アイドルの活動かと言われればちょっと微妙ですけど、イラストとかアニメ雑誌の
 レビューの仕事とかしてるッスよ。夏冬の祭典にも毎年参加させてもらってますし、
 アタシにはこういう仕事が合ってるッス」

 比奈がにへらと笑った。今はアイドルの活動も多様化して、ステージで歌って踊る
だけではなくなった。本人が満足しているなら俺がとやかく言う事はないが、素材が
良いだけにステージに立たせないのはもったいないなあ。




「そう言えばお前、さっき聖來を渋谷の四天王って言っていたが興味があるのか?
 お前がアイドルの話をするなんて珍しいな」

「アタシも一応アイドルっスよ。それにオタクは四天王とかゴレンジャーとか、
 そういう設定が大好きなんス」

「アタシってゴレンジャーと同じなの?」

 ツボに入ったようで、頼子が声を押し殺して笑った。




「しかし四天王って呼ばれてた割には、聖來さんってあんまりオーラないっスね。
 近くで見てもインスピレーションが全然沸かないッス」

「ひどくない!? アタシだって頑張ってたんだよ!! 」

 頼子と一緒に春菜も笑いをこらえる。四天王だった当時も、聖來は他の3人と
比べて見た目は普通だって言われてたよ。

「あいさんはすっごくカッコいいッスもんね。昔はタキシードを着てステージに
 立ってたって聞きましたけど、アタシも見たかったッス」

 ああ、そう言えばそんなこともしていたなアイツ。男装姿があまりにもサマに
なっていて、『黒服東郷』なんて呼ばれて女のファンが沢山ついていた。




「それから浜川愛結奈さんッスか?ピンクゴールドの髪色をしたダイナマイトな
 ボディで、ハリウッド女優みたいなオーラが出てたらしいッスね」

 確かに浜川愛結奈は日本人離れしたプロポーションの持ち主だったな。あいや
礼子さんもそうだが、基本的にLIVEバトルが強いアイドルは背が高くスタイル
抜群で、ステージに立っているだけで威圧感があった。

「どうせアタシは地味でチビだもん……」

 聖來が犬を抱きしめて部屋の隅でいじける。そんな規格外の連中と互角に戦って
いたんだから胸を張っていいと思うぞ。




「愛結奈さんってそんなに凄い人だったんですか?昔LIVEバトルに出ていた事は
 あるって聞きましたけど、面白い大阪のお姉さんだと思ってました」

 するとその時、春菜が意外そうに言った。お前浜川愛結奈に会った事があるのか?

「会った事も何も、先週の日曜に原宿の猫カフェで一緒にお昼ご飯を食べましたよ。
 私と愛結奈さんは同じ前川みくちゃんのファンですから」

「え!? 愛結奈今東京にいるの!? 」

 聖來が驚く。ツッコミ所が多すぎるから少し整理をさせてくれ。確か前川みくは
最近東京のLIVEハウスをうろついているフリーの猫キャラアイドルだな?




「はい!私はメガネと同じくらい猫も大好きですから、猫アイドルのみくちゃんを
 応援してるんです。みくちゃんと愛結奈さんの3ショットもありますよ♪」

 春菜は3人で撮影した写メを見せてくれた。チーフPに愛結奈の話を聞いてから
俺も調べていたが、まさか春菜とつながりがあったとは……

「みくちゃんって子はそんなに凄いの?目立ちたがり屋で、自分が一番じゃないと
 気が済まないあの愛結奈が他人の応援をするなんて信じられないんだけど……」

 写メを見ながら聖來が春菜に聞く。俺も愛結奈はそんなイメージだったのだが、
あいつに一体どんな心境の変化があったんだ―――――?




上条春菜(18)
http://i.imgur.com/NVmd131.jpg

荒木比奈(20)
http://i.imgur.com/djKAy1M.jpg





つづく





***



~聖來サイド~



「うう~ん、気が進まないなあ……」

 春菜ちゃんから愛結奈の話を聞いた次の日、アタシはチーフPの部屋の前にいた。
この人なら何か知ってるんじゃないかと思ったから。

「Pさんも知らないって言ってたし、春菜ちゃんにアポ取り付けてもらったらすぐ
 会えるかもしれないけど、いきなり会うのはちょっと怖いし……」

 もしかしたらPさんは愛結奈のことを何か知っていたのかもしれない。だけど
アタシが新しいアイドルになれるように気を遣ってくれたのかな?愛結奈と顔を
合わせたらそのままLIVEバトルになってもおかしくないもんね。





「でもチーフPに教えてもらうのもイヤだなあ。この前の夏樹とよっちゃんの宣材
 撮影の時だってアタシ散々悪態ついたし、何となく気まずいかも……」

 仕事じゃなくてプライベートの話だし、借りを作るみたいで後々怖い気もする。
アタシだけじゃなくてPさんやよっちゃん達にも影響あるかもしれないし……

「……やっぱりやめとこ。原宿に行けば会えるかな」

 明るくて陽気な愛結奈のことだし、久しぶりに会っても楽しく話が出来るだろう。
春菜ちゃんから聞いた話によると、前川みくちゃんのファンになったこと以外昔と
そんなに変わってないみたいだし、きっと大丈夫だよね?




「おや?どうしたんだいこんな所で」

「あら、久しぶりね」

「げっ!? 」

 アタシが帰ろうとすると、部屋のドアが開いてあいと千夏が出て来た。

「私に会いに来てくれたのかい?今から千夏君と一緒にカフェにでも行こうかと
 思っていたんだが、良かったら君もどうだい?」

 あいが笑顔で話しかけてくる。あんたには用はないわよ。アタシはチーフPに
話を聞きに来ただけだから。




「チーフPなら礼子さんと役員会議に出ているわよ。戻って来るのは夕方過ぎに
 なると思うけど」

 千夏があいの隣から教えてくれた。なんだ、どっちみち会えなかったのか。

「君がチーフPに会いに来るなんて珍しいね。何の話だったんだい?」

「あんたには関係ないわよ。むしろあんたは知らない方がいいわ」

 あいと愛結奈はあまり仲が良くなかったからね。アタシはLIVEバトル終わりに
たまに愛結奈とご飯を食べに行ったりしたけど。




「なるほど、愛結奈のことか」

「な!? どうしてわかったの!? 」

 まるでアタシの心の中を見透かしたように、あいがニヤリと笑った。もしかして
アタシ無意識に口に出してた!?

「お昼前に春菜ちゃんが来たのよ。私前にあの子に新しいメガネを注文してたから、
 それを届けに来てくれたついでに昨日のことを話してくれたの」

 千夏がメガネをかけ直す。言われてみればこの前会った時は黒縁の大きなメガネ
だったのに、今日は赤いフレームの軽そうなメガネに変わってる。春菜ちゃんって
メガネ屋か業者さんなの?




「私も愛結奈のことは気になっていたんだ。あちらこちらで目撃情報があるから
 そのうち会えると思うがね」

「その口ぶりだとあんたもまだ愛結奈に会ってないみたいね。だったらアタシが
 聞きたいことはないわ」

「だが私はチーフPの担当アイドルだ。君よりは愛結奈に詳しいと思うぞ」

 あいの言葉に帰ろうとした足を止めた。確かにあいはアタシと違って東京で
アイドルを続けていたし、アタシよりずっと詳しいかも……




「それに君と一度ゆっくり話をしたかったんだよ。どうだい?カフェテラスで
 温かいコーヒーでも飲みながら語り合おうじゃないか」

「それじゃ私は外させてもらうわ。聖來もまた今度ね」

 千夏はそう言って1人でどこかへ行ってしまった。ちょ、ちょっといいの?
あとで気まずくなったりしない?

「大丈夫さ、彼女は私の良き理解者だからね。では行こうか」

 あいは千夏を気にせずさっさと歩いて行った。 今更断るのも気が引けるし、
どうしてこうなっちゃったの―――――?





―――



「くっくっ、なるほど、愛結奈が前川みくを応援しているのが信じられないのか」

「別にそれだけが聞きたい事じゃないけどね。だけど春菜ちゃんに聞いた話だと、
 何だか行動が愛結奈らしくないというか、違和感があるのよ」

 愛結奈は元々サバサバした子だったから、アイドルはすっぱり辞めて新しい道を
選んでいてもおかしくない。だけどどうもまだアイドルには関心があるみたいだし、
他人の応援をするくらいなら自分がステージに立つのがアタシの知ってる愛結奈だ。
それがアイドルだったらなおさらだと思うんだけど。





「仕方ないさ、みく君はとてもキュートだからね。私も名刺を持っているぞ」

 あいは自分の財布から前川みくの名刺を取り出して見せてくれた。猫の足あとが
点々とプリントされたなかなか可愛いデザインだ。

「まさかあんたもファンってことはないわよね?」

「そこまで入れ込んではいないが応援はしているよ。フリーにも関わらず、彼女の
 パフォーマンスはスマートで完成度が高い。見ていて楽しいぞ」

 猫キャラなんておバカなイメージのアイドルやっているけど、前川みくは原宿の
LIVEハウスでチャンピオンになったこともあるとか。




「原宿ってランクでは中級くらいだったわよね?なかなかやるじゃない」

「それは3年前の話で、原宿のレベルも上がっているぞ。それに最近はヘレンが
 強すぎて、実力者でも他のLIVEハウスに流れているからな」

「ヘレン?誰それ?」

「おや?ヘレンを知らないのかい?長い間渋谷のLIVEハウスでチャンピオンに
 君臨し続けているフリーの外国人アイドルだよ」

へえ、今はそんなことになっているんだ。全然知らなかった。




「チーフPから聞いていたが、君は全くLIVEバトルをする気がないらしいな。
 LIVEハウスにも行ってないのかい?」

「行ってない。別にLIVEバトルが怖くなったとか嫌になったわけじゃないけど、
 なんか気が進まないの。Pさんが行くぞって言ったら行くけど」

「らしくないな。君ならまた喜んでLIVEバトルに参加すると思っていたが」

 あいはコーヒーを飲む。あんたも3年前からLIVEバトルに参加してないって
聞いてるわよ。もう出場する気はないの?




「今はレッドバラードの活動が忙しいし、LIVEバトル用にプログラムを組んで
 レッスンをする余裕がないな。たまに観戦するくらいで満足だよ」

「そんなの即興で踊ればいいじゃない。あんたの実力だったら出来るでしょ」

「私はステージに立つからには、観客に最高のパフォーマンスを見せたいんだ」

「相変わらずここはあんたと合わないわね。LIVEバトルはアイドルも観客も
 生のスリルと臨場感を楽しむステージで、コンサートじゃないのに」

 あいはとことん理論派だ。3年前にLIVEバトルで戦っていた時も、毎回毎回
スキのない完璧なパフォーマンスを披露していた。アタシ以上にストリート色が
強くて自由な愛結奈は、あいを「つまらないアイドル」と嫌っていた。




「そういう愛結奈は時々アドリブに頼りすぎて、パフォーマンスが崩壊していた
 じゃないか。波に乗っている時は手がつけられなかったが、負ける時は勝った
時と同じか、それ以上に派手に負けていたぞ」

「それはアタシも同じだったけどね。Pさんが舵取りしてくれたから愛結奈ほど
 崩れはしなかったけど、調子に乗って自爆しちゃう事はあったよ」

 PさんはアタシをストリートのアイドルからLIVEバトルで勝てるアイドルに
変えてくれた。Pさんがいなかったらあいや愛結奈と戦えなかっただろう。




「ふふ、懐かしい話だ。私がとことん理論派で愛結奈が徹底的なアドリブ主義で、
 君はその中間だったな。今だから言えるが、ステージで自由自在なスタイルで
 踊る君が私は羨ましかったよ」

「自由に踊っていたのは愛結奈でしょ?アタシはPさんと組んでたし」

「いや、愛結奈は私とは逆に既存のスタイルを嫌うあまり自縄自縛に陥っていた。
 あの頃一番自由に踊っていた彼女が、実は一番縛られていのかもしれない」

 あいはカップをそっとソーサーの上に置いて、遠い目をした。

「君は愛結奈が変わったのが信じられないと言ったが、私はそうなってもおかしく
 ないと思う。きっと彼女も『私と同じ』で、疲れたんだろう―――――」




つづく





***



「イ!ヤ!」

「ワガママ言うな。これはお前にとってチャンスなんだぞ?」

「イヤなのはイヤよ!どうしてアタシが、その、ビ、ビ、ビキニで撮影しなくちゃ
 いけないのよ!」

 伊吹が顔を真っ赤にして怒る。ち、最近は大人しく言う事を聞くようになったと
思っていたのに、まだ反抗する気力が残っていたか。





「いいじゃねえか伊吹さん。せっかくそんなにエロい体してるんだから、
 アピらないのはもったいないぜ?」

「エロいとか言うな!アンタは黙ってて!」

 夏樹がニヤニヤしながら伊吹をからかう。今のお前の伊吹のイジり方、まんま
男子高校生のメンタルだな。

「いいなあ伊吹さん…… 同じ歳なのにどうしてわたしは……」

 慶ちゃんが聖來の犬を撫でながらいじける。まだ成長の余地はあると思うぞ。




「しかし伊吹、真面目な話この仕事をパスするのは惜しいぞ。今のお前は小さい
 仕事だが途切れることなく入って来てるし、現場や事務所の評判もとても良い。
 担当Pの俺としてはここで勝負に出たいんだが」

「勝負するならダンスで勝負させてよ!アタシはダンスがしたいんだから!」

 バックダンサーなら何度かさせているだろうが。伊吹はダンスだけでなく、歌も
モデルも器用にこなすので幅広く仕事の依頼が入って来る。今回はモデルの仕事が
先に来ただけで、近いうちにダンスの仕事も来るだろう。




「ああ、こうしてる間に千奈美にどんどん差をつけられちゃう…… あのコ来週に
 横浜のLIVEバトルに出るって聞いたよ?アタシも出たいー!」

「気持ちはわからんでもないが、今は業界で信頼を作り上げる事の方が優先だ。
 LIVEバトルでいくら実績を出しても信頼には結びつかないからな」

 LIVEバトルはLIVEハウスが単独で主催しているイベントという位置づけに
なっており、アイドルの仕事とは別である。これはLIVEハウスが誰にでも広く
解放されていて、大手や有名事務所だけでなく、無名やフリーのアイドル達でも
LIVEバトルに参加出来るように独立性を保つ為の措置である。




「しかし妙だな。3年前の革命で特に業界や事務所とLIVEハウスのつながりは
 厳しく制限されているから、LIVEバトルに出ても仕事のメリットはないのに
 どうして千奈美は出ようと思ったんだ?」

 担当ではないが、千奈美の性格なら無駄な回り道を嫌って、ストイックに最短の
ルートでトップアイドルを目指すはずだ。LIVEバトルなど目もくれず業界の仕事
だけに集中すると思っていたのだが。

「きっと聖來さんの影響だと思います。お姉ちゃんが千奈美さんの担当Pさんに
 聞いたそうなんですけど、千奈美さんは聖來さんをすごく意識してるらしくて
 今回のLIVEバトルも無理してスケジュールを空けたそうですよ」

 慶ちゃんが教えてくれた。そういえば野外ステージで出会った時、千奈美は
聖來を倒すと宣言していたな。聖來は忘れてるだろうが、千奈美はプライドを
傷つけられてずっと根に持っていたのか。




「アタシだって、同じダンスが得意なアイドルとして聖來さんを意識してるよ。
 だから千奈美の気持ちはわかるし、自分のキャリアとかメリットに関係なく
 聖來さんが戦ってたLIVEバトルに出たいんだよ……」

 伊吹がつぶやいた。モテモテだなあいつ。渦中の本人はダンスそっちのけで
聖や頼子と歌やビジュアルのレッスンをして犬と遊んでいるんだが。

「ワン!」

 呼ばれたと思ったのか、部屋の隅で丸まっている犬が返事をした。聖來は今朝
事務所にやって来て、俺に犬を預けてどこかへ行ってしまった。行先は不明だが、
何をしているのか大体想像はついている。




「アタシもマジの聖來さんのダンスを見てみたいけど、LIVEバトルに出る気は
 ないのか?」

 夏樹が面白そうに言う。あいつも色々考えているみたいだから、今はしばらく
好きにさせておくつもりだ。チーフPにも伝えてある。

「Pって聖來さんには甘いよね。アタシには厳しいのに」

 伊吹がじとっとした目で見る。そうか?平等に接してるつもりだが。

「いや、聖來さんには甘いな」

「そうですね、聖來さんだけ態度が違いますね」

 夏樹と慶ちゃんもうんうんと頷く。そんなに違うか?




「よっちゃんに甘くなるのはまだわかるけど、聖來さんあんなにのんびりしてて
 大丈夫なの?四天王って呼ばれてたスゴい人とは思えないんだけど」

 比奈も似たようなことを言ってたな。一応聖來のことも考えていないわけでは
ないが、こいつらには俺が甘やかしてるように見えていたのか。プロデュースに
平等はありえないが、贔屓しているように感じさせるのは良くないな。

「まあ、アタシは別に気にしないけどな。アタシは伊吹さんと違って聖來さんに
 嫉妬してるワケじゃないし、今のままでも文句ないぜ」

「は、はぁ!? アタシも嫉妬なんてしてないわよ!! 」

 夏樹の言葉を伊吹が全力で否定する。今は聖來がサボっている分、伊吹に
プロデュースのウエイトを置いているから、ほったらかしの聖來ではなくて
伊吹が嫉妬される側だと思うんだが。

「そういう話じゃないんですよ。まったくPさんは……」

 慶ちゃんがため息をつく。何か俺間違ってるか?




「失礼します。少しよろしいでしょうか?」

 俺達の会話が一段落ついたタイミングを見計らったように、ドアをノックして
ちひろさんが入って来た。どうしたんですか?

「プロデューサーさんにお客さんが来ているんですけど、こちらにお連れしても
 よろしいでしょうか?」

「俺に客ですか?今日は誰にも会う予定はありませんが」

「はい。アポなしみたいです。ですが自分が来たとプロデューサーさんに伝えて
 もらえれば、必ず会ってくれるって自信満々に言ってるそうですよ」

 ちひろさんが笑顔で答える。ずいぶん自意識過剰な奴だな。




「ちなみにその客の名前は聞いていますか?」

 俺はちひろさんに確認する。ちひろさんは「もちろんです♪」と手に持っていた
バインダーを開いてその客の名前を口にした。

「浜川愛結奈さん、という女性の方だそうですよ」

「な!? 」

「浜川愛結奈って、あの四天王の!? 」

「うそ!? どうして346プロに!? 」

 伊吹と慶ちゃんも驚く。夏樹だけがわかってないようで首を傾げていた。




「誰だその人?ビッグなのか?」

 ああ、ある意味大物だよ。しかし346プロが嫌いなアイツがわざわざ346プロに
乗り込んで来るとは、一体どういう風の吹き回しだ―――――?





***



「ハァ~イ、お・ひ・さ♪」

 ピンクゴールドの長髪をなびかせて、浜川愛結奈が部屋に入って来た。服装は
ストライプの入ったスーツできっちり固めているように見えるが、裏が真っ赤な
生地でやはり派手だった。

「目立つように渋谷や原宿のLIVEハウスをうろついていたのに、アンタも聖來も
 会いに来てくれないからワタシから来てあげたわよ。感謝してよね」

 愛結奈はソファーにどかっと座って、長い足を投げ出す。相変わらずだな。





「あわわ、本物の浜川愛結奈だ……」

「すごい胸おっきい…… アメリカ人みたい……」

 伊吹と慶ちゃんは、突然の愛結奈の登場にビビって部屋の隅に直立していた。
夏樹だけがいつもの調子で話しかける。

「なかなか面白い姉さんだな。ロック魂を感じるぜ」

「アンタもその髪型イケてるじゃない。M78星雲から来たの?」

「そういう姉さんの頭も地球ではあまり見ないな。もしかして未来人か?」

「あ、わかった?ワタシの地元には新世界があるのよ♪」

 夏樹、愛結奈の冗談に付き合わなくていいぞ。




「あ、聖來じゃん。ちょっと見ない間にますます犬っぽくなったわね☆」

「ワン!」

 愛結奈は足下に寄って来た犬を可愛がる。犬を真面目に聖來扱いする愛結奈に
伊吹と慶ちゃんは思わず吹きだした。本人が聞いたら怒るぞ。

「聖來なら外出中だ。そんなに遠くに行ってないと思うから呼び戻すか?」

「もう、アンタは相変わらずノリが悪いわね。今日はこの後大阪に帰らないと
 いけないから、聖來に会うのはまた今度にするわ」

 愛結奈はスーツのポケットから名刺入れを取り出して、一枚俺に差し出した。
名刺には愛結奈の名前と『LIVEイベントアドバイザー』と書かれている。




「ワタシの今の肩書。これでも関西ではそこそこ有名なのよ?」

「ずいぶん大雑把な肩書だな。何の仕事をしてるんだ?」

「わかりやすく言えばLIVEハウスの仕掛け人ってところかしら?LIVEバトルや
 ステージをどうやって盛り上げるか、昔の経験を活かしてスタッフやアイドルに
 アドバイスしているのよ♪」

 東京に比べて大阪や西日本のLIVEバトルはまだレベルが低い。だから愛結奈は
地元を捨て東京でLIVEバトルをしていたのだが、現在は裏方の人間として地元の
LIVEバトルのレベルアップに尽力しているらしい。




「お前にそんなに地元愛があったとは知らなかったな。それで俺に何の用だ?」

「察しが悪いわね。それとも気付いていないフリをしてるのかしら?」

「お前の方こそわかっているのか?今の時代はアイドル事務所とLIVEハウスの
 仕事のやりとりは厳しく制限されているんだぞ?」

「大丈夫よ。関西はそのへんまだユルいから、ワタシの方で上手くやるわ♪」
 
 愛結奈はじっと俺を見据えたまま、口元だけニヤリと笑った。昔LIVEバトルで
よく見た相手を威嚇する笑顔だ。




「聖來をワタシに貸してくれないかしら?」

 愛結奈は両手を大きく広げて、部屋をぐるりと見回した。

「もちろん聖來だけなんてケチなことは言わないわ。そこのワンちゃんも入れて
 みんな大阪に招待するわよ―――――」




浜川愛結奈(22)
http://i.imgur.com/3yYJzFa.jpg





つづく





***



「遅いな、お前の飼い主」

 愛結奈も伊吹達も帰り、部屋には俺と犬だけが残っていた。犬は俺を一瞥すると
小さくため息をついて背を向ける。アイドルにはすぐに懐くのに、どうして俺には
いつまでたっても素っ気ないんだ?

「悪いがやっぱりお前のプロデュースは出来そうにないな。聖來がどこまで本気か
 わからんが、タレント犬の道は諦めてくれ」

「ガブッ」

「いってえ!? 」

 犬はこっちを向いたかと思えばいきなり足に噛みついてきやがった。この野郎!





「ただいまー…… って、何やってるの?」

 犬と取っ組み合いのケンカをしていると聖來が帰って来た。ちょうど良かった、
このバカ犬を何とかしろ!

「わんこはとっても賢いコだよ?おいでわんこ♪」

 犬は尻尾を振って聖來に歩み寄る。犬のくせに猫被るんじゃねえ。





「遅くなってごめんねPさん、あいと喋ってたらすっかり遅くなってさ」

「あいと一緒だったのか?てっきり愛結奈を探しに原宿や渋谷をうろついていると
 思っていたんだが」

「最初はそのつもりだったんだけど、色々あってね。それにあいも言ってたけど、
 東京にいるならそのうち会えると思うからそれまで待つよ」

 聖來は犬を撫でながら言った。そのうちというか今日ここに来たんだが。やはり
連絡してやれば良かったな。





「ねえPさん、これから時間ある?」

荷物をまとめて帰り支度をしていると、聖來がふいに聞いてきた。

「大丈夫だが、何か相談か?」

「ううん、ウチに来ないかなと思って。ごはん作ってあげるよ♪」

「お前なあ。たとえ相手がプロデューサーの俺でも、女が気軽に部屋に大人の男を
 入れるものじゃないぞ」

 プロデューサーとアイドルという関係上、仕事で一緒にいる時間は多いがきちんと
線引きはしないといけない。これはこの業界の鉄則であり、このルールを破るような
奴はプロデューサーもアイドルもトップにはなれないんだぞ。





「え?アタシ昔よくPさんのアパートに入ってたよね?今更だと思うけど」

 何という事だ、ルールを先に破っていたのは俺の方だったか。一応言い訳をすると
俺は前の事務所の社長と関係が悪かったので、社長に仕事を邪魔されない為に自分の
アパートでミーティング等をしていた事があった。

「ふふん、手を出せるなら出してもいいよ。その時はわんこに守ってもらうから♪」

「ガルルルルル……!! 」

 信用されてるのか舐められているのか。とりあえず敵意むき出しで俺に臨戦態勢を
とっているそのアホ犬を何とかしてくれ―――――






***



「どう?おいしい?」

「ああ、悪くないな。誰かの手料理を食べるのは久しぶりだ」

「ふふ、よかった♪」

 結局聖來に押し切られる形で、俺は聖來のマンションで夕飯をご馳走になった。
聖來が作った料理は鶏のささみや蒸し野菜が中心で、薄味だがヘルシーだ。





「ところで聖來、ひとつ聞きたいんだが」

「ん?なに?」

「俺達と同じ料理を犬も食べてるように見えるんだが、気のせいか?」

「わんこのごはんは調味料使ってないよ?犬に人間の味付けは濃いからね」

「フガフガ…」

 やはり犬兼用メニューか。道理で体に良さそうだと思ったよ。





「アタシが料理に目覚めたのは、訓練所でわんこ達のごはんを作ってからだからね。
 それまでは食べるものにこだわってなかったんだけど、栄養とか添加物とか気に
 するようになって、おかげですっかり上達したよ♪」

 料理は美味いが、話を聞くと複雑な気分になるのは俺の心が狭いからだろうか?
聖來にとっては犬も人間も大した差ないらしい。

「あ、わんこ食べ終わった?おくち拭いてあげる」

 ティッシュで丁寧に犬の口を拭く聖來を見ていると、本当に犬が好きなんだなと
思った。犬の写真やグッズ等があちこちに飾られているし、ここで聖來は犬漬けの
生活を送っているようだ。





「どしたのPさん?Pさんもおくち拭いてあげようか?」

「やかましい。犬と一緒にするな」

 冗談めかして笑う聖來に怒りつつ、ペットアイドルの路線も真面目に考えないと
いけないかなとぼんやり考えた。






―――



「え!? 愛結奈346プロに来たの!? 」

「嵐のように来て、好き勝手言って去って行ったよ」

 食後にお茶を飲みながら今日の話をする。聖來は会いたかったな、と残念そうに
つぶやいた。

「でも元気そうで良かったよ。心配して損しちゃった」

「イベントアドバイザーだか何だか知らんが、楽しそうにやってるみたいだったぞ。
 LIVEバトルに来るならいつでも歓迎するだとさ」

 愛結奈は自分が手がけたLIVEハウスを聖來に自慢してやりたいと、自信満々に
言っていた。あまりにも得意気に話すから伊吹と夏樹はすっかり興味津津だ。





「じゃ、大阪行こっか。ダンスは2週間くらいあれば仕上げられるかな」

「おいおい、新しい自分探しはどうしたんだよ」

「それはそれ、これはこれだよ。愛結奈がわざわざ誘ってくれてたんだし断るのは
 悪いでしょ」

「そういう安請け合いをするものじゃない。愛結奈は愛結奈で自分の仕事でお前を
 利用しようとしてるだけだし、気を遣う必要はないぞ」

 LIVEバトルは業界の興行と別扱いなので仕事ではないし、大阪に遠征してまで
出場するメリットはない。アイドルにかかる負担も大きいし、後のケアも考えると
担当Pとしては考えものだ。





「大阪行っちゃダメなの?」

「『愛結奈に誘われたから』という理由では担当Pとして許可出来んな。346プロは
 アイドルの管理体制が厳しいし、事情を説明する時に困る」

 今の聖來はボイスレッスンに集中したいということで、仕事をしなくても事務所に
見逃してもらっている。聖來の分まで伊吹に頑張ってもらっているので問題はないが、
そんな聖來が大阪までLIVEバトルに行くとなると良い顔をされないだろう。





「めんどくさいなあ。適当に理由つくって何とかならない?」

「出来なくはないが、お前を少し甘やかしてるんじゃないかと注意されてしまってな。
 だから俺も今日はお前に厳しくしようと思う」

「アタシちゃんとボイスレッスンやってるのに!」

「別に大阪に行くなとは言ってない。どうしても行きたいなら、俺が行ってもいいと
 納得する理由を言ってみろ」

 聖來に意地悪したいわけじゃないが、346プロは業界でも名門のプロダクションで
所属しているアイドルにも相応の自覚と規律が求められる。良い機会だから聖來にも
346プロのルールを教えておこう。





「すっかり346プロに染まっちゃって。昔は『打倒346プロ!デカいだけの事務所に
 負けてたまるか!』って言ってたのに」

「うぐ……、む、昔のことは忘れろ。それにお前にも346プロのやり方に従えって
 言ったはずだ。前の事務所はその辺いい加減だったんだからな?」

「わかってまーすよーだ。アタシだって一応社会人やってたんだから、適当な理由で
 休めないことくらい理解してるもん」

 そういえば犬の訓練所で働いていたと言ってたな。ドッグトレーナーという職業は
一般的なOLとは異なるのでイメージし辛いが、こいつも俺が知らないだけで社会の
厳しさを経験していたんだろうな……





「愛結奈にどうしても会いたいから!じゃダメ?」

 前言撤回。どうやらお前のいた社会は人間社会じゃなくて犬社会らしいな。犬なら
それで納得するかもしれんが、人間の俺には通用しないぞ。

「会うだけなら東京でも会えるだろ。春菜に連絡してもらうなりして、あいつが
 東京に来ている時にオフを合わせればいい」

 LIVEバトルだって東京でも出来る。元四天王のお前が出場するとなると騒ぎに
なるかもしれんが、それなら近場の埼玉や千葉、神奈川のLIVEハウスに行っても
いい。どうしても大阪に行かないといけない理由があるのか?





「アタシね、愛結奈がこの3年間何をしていたのか知りたいの。その為には大阪の
 LIVEハウスに行って、あの子が手がけたステージで実際に踊ってみるのが一番
 じゃないかなと思って」

 愛結奈の話って大げさだからさ、と聖來は笑った。話を聞くよりも、実際に足を
運んで確かめる。ストリート出身らしい発想だな。





「今日ね、あいとお互いこの3年間何をしてたのか話してたの。あいも色々と大変
 だったみたいだね」

「あいつが自らそんな苦労話をするとはな。それともお前だから話したのかな」

「なんかずっと愚痴ってたよ。8割くらいあいの話聞いてた気がする」

 聖來は苦笑いした。それはご愁傷様だったな。敵同士だったとはいえ、同じ時に
同じ舞台で戦っていた聖來をあいは同志のように感じているのだろう。




「業界の大改革でLIVEバトルが事実上アイドルの仕事ではなくなって、あいつは
 新しい自分の道を探したんだ。だが実力はあってもLIVEバトルのように熱心に
 なれなかったり、全く畑違いの仕事に戸惑ったりして、あいは自分が思うような
 活動が出来なくて悩んでいたよ」

 LIVEバトルに心を囚われていたアイドルほど、改革後に馴染めず業界を去った。
あいも一時はもうアイドル業界に自分のやりたい事はないと見切りをつけ、辞表を
チーフPに提出しようとしたくらいだ。

「その後礼子さんを中心にレッドバラードが結成されて、あいは自分の居場所を
 見つけたんだ。レッドバラードは最初から海外進出を視野に入れて結成された
 ユニットだから、刺激を求めていたあいに合っていたんだろう」

 LIVEバトルがなくなったのなら、自分をより厳しい環境に置いて切磋琢磨する。
ストイックなあいらしい考えだ。こうして紆余曲折はあったものの、あいは無事に
レッドバラードの一員として海外で成功を収め、自分の道を見つけることが出来た。
余談だが、チーフPがチーフに昇進したのはその時だ。クソッ





「あはは、いじけないいじけない♪ Pさんもスカウトマンになって、あっちこっち
 忙しそうに飛び回ってたって聞いたよ」

 俺はスカウトした子を346のプロデューサー達に任せるだけだから気楽だったよ。
改革を乗り越えようと必死だったあいやチーフPに比べれば全然苦労していないさ。
礼子さんみたいに悠然と構えていた人もいたし、人それぞれだな。

「アタシ3年間アイドルから離れていたから浦島太郎状態でさ。改革とか革命とか
 言われてもピンと来てなかったんだけど、あいと話をしてようやく実感したんだ。
 それでアタシももっと頑張らなくちゃ!って思ったの」

 かつてのライバルだったあいに刺激されて、聖來の心境に変化が生まれたようだ。
だが現役のあいならともかく、アイドルを辞めた愛結奈に会ってどうする?





「進む道は違っちゃったけれど、愛結奈に会う事はアタシのこれからにプラスに
 なると思うの。LIVEイベント関係で仕事してるってことは完全にアイドルと
 縁切ってるわけじゃなさそうだし、外から見た意見も参考になるでしょ?」
 
 事務所や業界に縛られず、かと言ってLIVEバトルやストリートに固執している
わけでもない。聖來は昔も今も変わらず、犬のように自由気ままに自分だけの道を
歩くのだろう。リードを握ってないとどこかに行ってしまいそうだ。

「わかったよ。大阪に行けるようにスケジュールを調整しておく」

「ホント!? やったぁ!! 」

 聖來が犬を抱きしめて喜ぶ。まあ最初から大阪に行くつもりではあったんだがな。
伊吹や夏樹は行く気になっているし、頼子にも勉強させてやりたい。





「ただし自分の方向性は見失うなよ?愛結奈は業界の外の人間で、お前は中の人間
 だからな。愛結奈に誘われてそのまま東京に帰らないとか言わないでくれよ」

「ん?ん?んんん~?もしかしてPさん愛結奈にヤキモチ妬いてるの?」

 妙な言い方するな。ただお前と愛結奈はLIVEハウスの外では仲が良かったし、
愛結奈も今日会って話した感じでは、聖來を欲しがってるみたいだったから一応
念を押してるんだよ。

「大丈夫だよPさん、アタシの居場所はココだから♪」

 聖來はそう言って、俺の隣にぴったりとくっついて座った。





「アタシは事務所も場所もどこでもいいけど、プロデューサーはPさんじゃないと
 イヤだよ?だからちゃんとアタシの面倒見てよね♪」

 聖來は犬のように大きな澄んだ目を向けて笑う。そんな勘違いしそうなセリフを
恥ずかしげもなく言うとは、信用されているのか舐められているのか。





「出場するからには手は抜かないぞ。東京よりもイージーなステージだと思うが、
 場所に関係なく最高のパフォーマンスをしてこそプロだからな」

「もっちろん!愛結奈も見てるし本気でやるから!」

 渋谷四天王水木聖來、大阪で復活か。仕事ではないもののアイドル復帰後初めての
ステージだし、俺も久々に腕が鳴る。愛結奈に利用されるのは癪だが、俺達の実力を
大阪でも存分に見せつけてやろう―――――





つづく






***



「みんなで行ったら修学旅行みたいだね!なんだかワクワクするよ!」

「大阪までどれくらいかかるんだっけ?ギター置くスペースあるかな」

「ふわ… あ、す、すみません、昨日よく眠れなくて……」

「ちゃんと切符持ってるかー?中で確認されるからすぐ出せるようにしとけよ」

 愛結奈の招待を受けてから2週間後、俺達は朝から東京駅に集合し新大阪行きの
新幹線を待っていた。茨城組のアイドル4人と1泊2日の小旅行だ。





「……」

「伊吹?おーい、聞いてるかー?」

「ふぇ!? な、なに?何か言った?」

「いや、切符確認しとけって言ったんだが。無くすなよ?」

「だ、大丈夫よ!子供じゃないんだからもう!」

 伊吹はぎくしゃくしながら答える。まだ大阪に着いてないのに緊張しすぎだぞ。

「だ、だって、Pがあんなこと言うから……」

 少し考えればわかりそうなものだが。今回大阪のLIVEバトルに出場するのは
聖來と伊吹で、スケジュールの合間を縫ってLIVEバトルのレッスンをさせたが、
実は俺は聖來に内緒で伊吹に『あるオーダー』を出している。





「ふたりで何コソコソ話してるの?怪しいなあ」

 伊吹の様子を不審に思ったのか、聖來が俺達の会話に入ってくる。伊吹は言葉に
詰まり、俺に目で助けを求めて来た。やれやれ。

「大阪に着いたら何を食べようかって相談していただけだ。伊吹は座布団サイズの
 お好み焼きが食べたいらしい」

「ちょ!? 何いい加減なこと言ってるのよ!アタシそんなこと……!」

 伊吹は慌てて反論しようとしたが、かと言って本当のことも言えずに黙ってしまう。
LIVEバトルになればわかる事だし、別に隠さなくてもいいと思うけどな。





「まあそれは冗談だが、伊吹は初めてのLIVEバトルだから少し緊張してるんだよ。
 ナーバスになってるからそっとしといてやってくれ」

「ふーん、そうなんだ?アタシも最初は緊張したからわかるけど。LIVEバトルで
 聞きたい事があったらアタシとPさんに何でも聞いてよ?」

「う、うん、ありがと聖來さん……」

 まだ少し疑っているみたいだが、聖來はひとまず退いた。伊吹も胸を撫で下ろす。

「冗談なのか?伊吹さん高校の時は毎日5・6本くらいやきそばパン食ってたから
 それくらい余裕だろ」

「そ、そんなに食べてないわよ!ていうか高校の時の話はするな!」

 しかしほっとしたのもつかの間、伊吹は夏樹に恥ずかしい過去をバラされて顔を
真っ赤にした。大阪に着くまで高校時代の伊吹の話を聞くのも面白そうだな。






―――



 東京を出発してから3時間弱、正午過ぎに俺達は大阪に到着した。

「へえ~、ここが大阪かあ。初めて来たけどもっと賑やかな所だと思ってたよ」

「それはもう少し街中だな。駅はどこでもこんなものさ」

 大阪に初めて来たらしい伊吹は興味深そうに周囲を見回している。さっきまでの
緊張もほぐれたみたいだ。





「大阪に来るのは久しぶりです……」

「あれ?よっちゃん来た事あるの?」

「はい。去年大阪の美術展に両親と来ました。どうしても見たい品があったので……」

「よ、よっちゃんの家ってすごいんだね。みんな頭良さそう……」

 伊吹がやや引き気味に言う。豊臣家の宝でも展示されていたのか?





「アタシも去年の夏にバイクで来たな。金がなかったからネカフェに泊って、街を
 テキトーにぶらついてすぐ帰ったけど」

「な、夏樹も来た事あるの!? 聖來さんは!? 」

「ドッグトレーナーの研修で来た事あるよ。街じゃなくて山の中だったけど」

「俺もスカウトで何度か大阪に来たことあるぞ」

「Pには聞いてないから!ヤバい、アタシだけ田舎者……」

 よくわからない落ち込み方をする伊吹。感情がコロコロ変わって忙しい奴だな。
ちなみに聖來の犬は東京で留守番だ。明さんと慶ちゃんが面倒を見ているらしく、
聖來は新幹線の中で何度かLINEで犬の様子を聞いていた。





「で、これからどうするんだPさん?LIVEバトルまでまだ時間あるよな?」

 夏樹がギターを肩に担いで聞いてくる。愛結奈がLIVEハウススタッフを迎えに
寄越してくれてるそうだから、駅前のロータリーで待機だ。

「このままLIVEハウスに直行するの?」

「そうだな。一度LIVEハウスに荷物を預けてからスケジュールを聞いて、その後
 昼飯を食べに行くか。基本的に向こうの予定に合わせるしかないからな」

「ずいぶんいい加減なんだね。本番前に振付けの確認しときたいんだけど」

 伊吹がじとっとした目で非難する。LIVEバトルは昔からこんなもんだ。適度に
肩の力を抜いて、どんな事態にも柔軟に対応出来るように構えとけ。





「ええと、駅を出た所のロータリーだからここで待っていればいいはずだが……」

 ホームの階段を下りて周囲を見回す。すると俺達の反対側のよく見える場所に
『歓迎!!346プロ御一行様!!』と大きな文字が描いている段ボールを持って
立っている女の子がいた。

「もしかして、あの子?」

「な、なんか恥ずかしいんだけど……」

「で、ですが知らないふりをするわけにも……」

「ははは、なかなかゴキゲンなお出迎えだな。おーい!こっちだー!」

 戸惑う聖來達をよそに、夏樹は大きな声でその子に手を振る。すると段ボールを
持った女の子は笑顔でこっちに走って来た。





「ちわっす!! 大阪にようこそ!! LIVEハウススタッフの仙崎恵磨っす!! 愛結奈さんに
 頼まれたんで、皆さんをLIVEハウスまでお連れしまっす!! 」

 恵磨と名乗った女の子は、大きな声で元気に挨拶した。ベリーショートの金髪と
耳に沢山ついたピアスやアクセサリーが目を引き、服装もなかなかファンキーだ。
いかにも愛結奈の知り合いって感じだな。

「はじめまして346プロのPです。本日はよろしくお願いします仙崎さん」

「恵磨でいいっすよ。アタシ堅苦しいの苦手なんで、そっちもラクにしてくれると
 嬉しいっす。今日はお互い最高のステージにしましょう!! 」

 恵磨はそう言って聖來達と笑顔で握手した。聖來、伊吹、頼子と挨拶を交わして、
最後に夏樹と握手した時にふと背中のギターに気付いた。





「アンタ、ギターやるの?」

「これはギターだけどベースもイケるぜ。恵磨も楽器やってるのか?」

「アタシはボーカルさ。今日のLIVEバトル、オープニングでアタシが歌うことに
なってるんだけど、一緒に演る?」

「マジかよ!? いいよなPさん?」

「駄目だって言っても聞かない顔をしているぞ。恵磨に迷惑がかからないように
打ち合わせはしっかりするんだぞ?」

「やったぜ!よろしくな恵磨!」

 夏樹はガッツポーズをして恵磨とハイタッチした。突然誘われて即OKするのは
するのは流石だな。お前と恵磨が同じバンドのメンバーに見えてきたよ。





「そんじゃ車回して来ますんで待ってて下さい。ダッシュで取ってきます!! 」

 恵磨はそう言って、ロータリーから離れた駐車場に走って行った。声がでかくて
やたらテンションが高いが、さっぱりしていて良い子だな。

「ねえPさん、恵磨の車ってもしかしてあれかな……?」

 聖來が指さした先には、バンドのステッカーやスポンサー企業と思われるロゴを
ベタベタ貼っているド派手なワゴン車があった。いや、あれはないだろう……





「あ…… 乗った……」

 すると頼子が絶望の混ざった悲痛な声をあげた。視線の先には恵磨がワゴン車に
意気揚々と乗り込み、大きなエンジン音を響かせてこちらに向かって来る。

「愛結奈の嫌がらせかな。あの車に乗るのは勇気がいるんだけど……」

「考え過ぎだ。あいつの厚意だから素直に受け取っとけ」

 とは聖來に言ったものの、俺も何かの罰ゲームかと思ったのは秘密だ。道中変な
輩に絡まれないことを祈りつつ、俺達はワゴン車に乗り込んだ―――――





仙崎恵磨(21)
http://i.imgur.com/VdcdeKb.jpg





つづく





***



「えっ!? マジッ!? じゃあ今戻るのはヤバいかなあ……」

 俺達を載せて出発する前に、恵磨はLIVEハウスに連絡を入れた。しかし会話の
雰囲気を察するに何やらトラブルが起きたようだ。

「じゃ、先に346プロさんとゴハン食べてくるわ。そっちもファイトだよっ!! 」

 恵磨は電話を切って、申し訳なさそうな顔をして俺達に向き直った。





「すんません、ちょっと今LIVEハウス修羅場ってるみたいなんで、先にゴハン
 行ってもいいっすか?その間は荷物を車に置くことになりますけど……」

「昼飯食べる間くらいなら大丈夫だろ。みんなもそれでいいよな?」

 俺が確認をとると聖來達も賛成した。財布と貴重品はしっかり持ってろよ。

「こっちの都合でホントすんません!! おっし!! そんじゃ出発しまっす!! 」

 両手を合わせて謝った後、恵磨は両頬をぱんぱんっと二度叩いて車を発車させた。
メインの大通りに出て、俺達を乗せた車は大阪の街を走る。





「ねえ恵磨ちゃん、ちょっと聞いていい?」

 後部座席の聖來が恵磨に話しかける。恵磨は交差点を曲がりながら「なに?」と
慣れた様子で返事をした。

「愛結奈は今どこで何してるの?」

 そういえばあいつ、いつ頃LIVEハウスに来るとはハッキリと言ってなかったな。
昨日電話をしたのが最後で、今日は朝からずっとつながらない状態だ。





「朝はLIVEハウスにいたんだけどね。愛結奈さんっていつもビューッ!! って来て
 ビューッ!! といなくなるから、わっかんないや」

 恵磨は困ったように笑った。346プロにもアポ無しで来たが、こっちでもそんな
調子で仕事してるのかあいつは。

「あの人はフリーダムだからね。実は今ハウスが修羅場ってんのも、愛結奈さんが
 ほぼ完成してたステージのセッティングを変えてって言ったみたいでさ」

「もしかして、アタシ達のせいかな……?」

 聖來が申し訳なさそうに言った。カッコつけで見栄っ張りな愛結奈のことだから、
俺達に自慢しようとしてスタッフさん達に無茶をさせてるのかもしれない。





「あーいや、愛結奈さんが無茶言うのは珍しくないから気にしないで。アタシ達も
 よくわかってるし、そういう所も含めてみんなあの人が好きだからさ♪」

 たまにしんどいけどね、と言いながらも恵磨は楽しそうだった。愛結奈は昔から
わがままで態度がでかくて遠慮を知らない女だったが、指示する人間も多かった。
派手で豪快な愛結奈の生き様は見ていて気持ちが良いからな。

「今のLIVEハウスがあるのは愛結奈さんのおかげだから。東京に負けないくらい
 すっごいLIVEハウスにするぞ!! って言って、ホントにそうしちゃったんだから
 スゴいよ。アタシバカだからうまく言えないけど、ホントスゴいっ!! 」

 それはLIVEハウスに行くのが楽しみになってきた。愛結奈の話は大げさだから
話半分に聞いていたが、恵磨がそこまで言うなら信じてみるか。愛結奈の3年間が
詰まったLIVEハウス、さてどんなものが飛び出すのやら―――――






***



「これが大阪のLIVEハウスか……」

「な、なんかすっごく大きいね……」

 軽く昼食を済ませた後、とうとう俺達はLIVEハウスにやってきた。大阪のLIVE
ハウスは俺達が見慣れた東京のLIVEハウスより1.5倍くらい横にも縦にも大きくて、
要塞のような異様な外観をしていた。





「3年前に改築したからね。ハリウッドで使われるようなライトとかスピーカーとか
 VFX?プロジェクターだっけ?なんかよくわかんないけどいろんなマシンを山ほど
 詰め込んだから頑丈に作ったんだって」

 恵磨が説明する。一体どんだけ金がかかってるんだこのハウスは?VFXってことは
合成映像や3DCGも使えるのか。

「そんだけステージの調整が大変なんだけどね。アタシは下っ端のペーペーだけど、
 他のスタッフ達は関西中から集めたプロ中のプロだよっ!! 」

 夏樹がヒュウ♪ と口笛を吹く。俺はこいつらをとんでもない場所に連れて来て
しまったかもしれない。LIVEハウスは程々にボロい方が遠慮せずに使えて実力を
発揮出来るのに、完全に読みを誤ってしまった。





「……」

「い、伊吹さん、大丈夫ですか?すごい汗ですけど……」

「だ、だだだだだいじょうぶだよ!び、びびってないし!」

 そしてそんなLIVEハウスを前にガチガチに緊張している伊吹。頼子が心配する
レベルだから相当ヤバそうだな。

「外だけ見てビビっても仕方ない。とりあえず入るか」

 恵磨に案内されて、俺達はLIVEハウスに足を踏み入れた―――――






―――



「あれ?中は結構普通だね?」

 聖來が拍子抜けした声で言った。外観よりも室内は狭く、サイズは渋谷や原宿の
LIVEハウスとそれほど変わらなかった。

「バンドやアイドルが使いやすいステージに作ってあるからね!! 外はいかついけど、
 中はそのへんのハウスとそんなに違わないよ!! 」

「つまりそれだけ機材にスペースが取られてるってことか。天井見てみろよ」

 観客スペースの真上に超巨大なプロジェクターが吊るされていて、その周囲にも
見慣れない形をしたマシンや照明が無数に設置されている。地震が起きたら落ちて
来ないだろうなあれ……





「控え室や更衣室は全部まとめて2階にあるから、そこまで案内するよ。まだ他の
 LIVEバトルの出場者は来てないみたいだから、ゆっくりしといて」

 ステージ上で忙しそうに準備をしているスタッフさん達にあいさつをしながら、
俺達はその横を通り過ぎて2階へ上る。するとそこには広々とした綺麗な空間が
広がっていて、いくつも部屋が並んでいた。

「奥から衣装室、更衣室、レッスン室、控室だよ。通路挟んで向こう側にトイレで、
 その他はコンピューターの制御室や資料室とかだから入らないでね」

 俺はひとまず聖來達に更衣室に荷物を置いて来るように指示して、その後控室に
集合と伝えた。さてと、俺もぼちぼち旅行気分から切り替えるか―――――





つづく





***



「まとまった時間が取れるうちにミーティングしておくぞ」

 LIVEバトル本番3時間前、俺は聖來、伊吹、夏樹、頼子を控室に集めた。本番に
向けて各自の行動確認だ。

「まずは夏樹。お前はオープニングに参加するからすぐに準備に取りかかってくれ。
 衣装、メイク、演奏方法などは全てお前に任せるから恵磨とよく相談して決めろ。
 ただし俺は担当Pの目でしっかり見てるから真剣にやれよ」

「アウェーじゃふざけられねえよ。まぁ、ビシっと決めるから楽しみにしとけ」

 夏樹は余裕の表情でウィンクする。恵磨は現在スタッフ達に夏樹が参加する事を
説明していて、恵磨が戻り次第準備開始だ。





「次に聖來と伊吹。お前達はLIVEバトル参加者だ。1時間後にステージで5分間の
 リハをしてくれるそうだから、それまで体をほぐして準備しておけ。音源データの
 受け渡しや説明は俺が済ませておくから、細かい調整はリハでしてくれ」

「リハの時間くれるんだ。親切だね」

 聖來が驚いた顔で言った。渋谷は基本ぶっつけ本番だからな。さっき恵磨も言って
いたが、大阪のLIVEハウスは少々特殊だから細かい調整に時間が要るらしい。

「LIVEバトルで一番大事なのは、観客の心を掴むパフォーマンスをすることだ。
 いくら歌が上手かろうがダンスが凄かろうが、観客の心と離れてしまえば熱が
 冷めてしまって格下相手に負ける事もある。会場の熱気は常に意識しろ」

 俺は伊吹の目を見て言った。LIVEバトル経験者の聖來やLIVEハウスで演奏の
経験がある夏樹はよくわかってるだろうが、伊吹は今日が初めてだ。ダンスの腕は
申し分ないが、独りよがりになってしまうとLIVEは盛り下がってしまう。





「今日までLIVEバトル対策のレッスンをしたが、それに頼りきりにならず観客の
 状況に合わせて対応するように。もう一度言うが、観客の心を掴んだ者がLIVE
 バトルを制する。それを頭に入れて本番までしっかり準備しておけよ」

「もう、耳にタコが出来るくらい聞いたよ。ねえ伊吹?」

「……」

「伊吹?」

「……あ、うん!そうだね!もうちょっと良いアドバイスしてよP!」

 伊吹は聖來の声ではっと我に返る。大丈夫かなこいつ……





「ああそうだ、さっき恵磨に言われたんだが、パフォーマンスにVFXを使いたいなら
 早めに言って欲しいらしい。ステージにCGを出したりエフェクトを付けたり出来る
 そうだが、よくわからないものに手を出すのはあまりオススメしないな」

 大阪LIVEハウスの最大の特徴は、客席の上に吊るされているハリウッド顔負けの
プロジェクターによるVFX演出だそうだ。これを使ってファンタジーなステージを
作り上げてパフォーマンスするアイドルもいるそうだが、初見で対応出来るものでは
なさそうなので従来通り音響と照明だけで十分だと思う。

「そうだね。レーザーとか出されたら気が散りそうだし、アタシはいいよ」

 伊吹はすぐに断った。初めてのLIVEバトルだし確実に行こう。

「アタシはちょっと興味あるかな。わんこのCGとかあったら面白そう♪」

 一方聖來は興味津津だった。LIVEバトルは仕事じゃないが遊びでもないんだぞ?
いくらお前でも3年ぶりだし、気を抜くと負けてもおかしくないからな?





「大丈夫、アタシも遊びにきたんじゃないし本気でいくよ」

 聖來はニヤリと笑った。どこまでわかってるんだか。

「ミーティングはこんなところかな。ここから先は特に俺から指示はしないから、
 お前達が各自考えてやれ。わざわざ大阪まで来たんだから、後いのないように
 思いっきり楽しめよ」

「「「「 はいっ!! 」」」」

 よし、良い返事だ。それじゃ解散!





「ん?Pさん、よっちゃんはどうするの?」

「頼子は俺のサポートだ。LIVEバトル本番はちゃんと観客席で見せてやるよ」

「そうなんだ。頑張ってねよっちゃん!」

「は、はい。聖來さん達も頑張ってください…」

 サポートも重要な仕事だ。それに俺の後ろをついてくるだけでなく、頼子にも
伊吹と同じくひとつオーダーを出している。





「お待たせ夏樹!それじゃ準備しよっか!」

 ミーティングが終わったタイミングで、恵磨が控室のドアを開けて入って来た。
よし、それじゃ夏樹行って来い。

「ああその前に、みんなに会いたいって人が来てるんだ」

 恵磨は俺達にストップをかけた後、ドアの向こう側にいる人物に声をかけた。
ドアの向こうからトレードマークのピンクゴールドに輝く長い髪をなびかせて、
その人物がゆっくりと控室に入って来る。





「あんた全然変わってないわね。昔から中学生くらいに見えてたけど」

「3年ぶりに会って最初に言う言葉がそれ?あんたも相変わらず派手ね」

 目をすっぽりと覆うほどの大きなサングラスを外して、愛結奈は愉快そうに笑う。
ヒョウ柄のスーツを着た愛結奈に聖來は呆れた声で返した。

「アナタ達もよく来てくれたわね。ウチのLIVEハウスは日本一だから、今日は
 仕事とかアイドルとか忘れて思いっきり楽しみなさい!」

 愛結奈は聖來の隣にいた伊吹と夏樹に笑いかけて自信満々に言い放った。そして
ふと頼子に気付いて、笑顔で手を差し出した。





「浜川愛結奈よ。よろしくね☆」

「ふ、古澤頼子です…… よ、よろしく…お願いします……」

 頼子は愛結奈と握手をする。そういえば頼子は愛結奈と初対面だったな。愛結奈の
インパクトが強すぎて頼子はやや萎縮しているようだ。

「ちょっと、あんたが派手すぎてよっちゃんが怖がってるじゃない」

「大阪ではこれが正装よ。アナタも着てみる?」

「い、いえ、お気持ちだけで十分です……」

 愛結奈は「冗談よ」と笑った。昔の愛結奈なら自分とタイプが真逆の頼子は眼中に
入ってなかったと思うが、そんな頼子にも気を遣うあたりこいつも変わったな。





「調子はどう?LIVEバトルは3年ぶりって聞いてるけど」

「ご心配なく。ちゃんと準備してきたから最高のステージを見せてあげる」

 聖來と愛結奈の間に火花が散る。今回のLIVEバトルは、実質愛結奈からの挑戦だ。
愛結奈が満足するステージを見せないと聖來の負けになる。

「アタシは元ストリートだからどこでも踊れるよ。むしろアウェーの方が燃えるし」

 聖來は犬のような大きな目をらんらんと輝かせ、ぎらりと牙を見せて笑った。そんな
聖來に愛結奈は余裕の笑みで返し、2人の様子を伊吹は静かに見ていた―――――






***



 聖來達4人は控室を出て、それぞれ準備に取り掛かる。俺は今からあいさつ回りだ。
音響チーフと照明チーフと、それからおそらく世話にならないがVFXのチーフにも
あいさつして名刺を渡しておくか。

「ねえ、聞きたい事があるんだけど」

「何だ?」

 愛結奈は控室のソファにどかっと座り、ミネラルウォーターを飲みながら言った。





「伊吹だっけ?あの子もLIVEバトルに出るのよね?」

「ああ、そうだが。伊吹がどうかしたのか?」

「大丈夫なのあの子?ずいぶん緊張してるように見えたけど」

 ほう、なかなか鋭いな。こいつになら『例のオーダー』を話してもいいか。





「実は伊吹には『このLIVEバトルで聖來に勝て』ってオーダーを出しているんだ。
 その為に聖來には内緒で『聖來対策プログラム』を受けさせてある」

「あらあら、それは大変ね。あの子聖來の後輩じゃないの?」

「聖來が伊吹にダンスを教えたわけではないが、同じストリート出身として伊吹は
 聖來を尊敬しているな。同じLIVEバトルに出場する以上は聖來とも戦わないと
 いけないのはわかってたはずだが、伊吹には覚悟がなかったんだ」

 俺が何も言わなくても、伊吹はこのLIVEバトルを全力で戦っていただろう。
だが『聖來になら負けても仕方ない』と心のどこかで思っていたに違いない。





「伊吹も俺の大事な担当アイドルだ。聖來と俺は以前LIVEバトルでコンビを組んで
 いたが、かと言って聖來に遠慮する必要など全くない。だから全力で倒しに行けと
 発破をかけたんだが、逆に緊張してしまってな」

 伊吹は大雑把に見えて、意外と繊細な性格をしているらしい。元々ポテンシャルは
高いし本番に強いタイプなので大丈夫だとは思うが、一応気にはかけている。

「はぁ、アンタも聖來と一緒で昔と全っ然変わってないのね」

 愛結奈は大きなため息をついた。何の話だ?





「伊吹が緊張してるのはそれだけが理由じゃないわよ。アンタに言ってもわからない
 でしょうけどね」

「聖來と対決することで関係が悪くなるのを心配してるのか?聖來はそんな性格じゃ
 ないし、何も問題はないと思うが……」

「どうしてアンタみたいなニブいオトコがプロデューサーなんて出来るのかしらね。
 何も言わずにいる聖來も大概だけど!」

 愛結奈は空の紙コップをぐしゃっと潰して、ゴミ箱に放り込んだ。何となく機嫌が
悪くなったような気がするが、何を怒ってるんだ?





「すみません…、お待たせしました……」

 会話が一区切りついたところで、スーツに着替えた頼子が入ってきた。愛結奈は
不思議そうな顔をして頼子をまじまじと見る。

「どうしてこの子スーツなんて着てるの?就活でもするみたいに見えるけど」

「頼子はモデルに重点を置いて育てているアイドルでな。今回はトレーニングの
 一環として、スーツに慣れさせる為に着替えさせたんだ」

 モデルはただ服を着てカメラの前に立つだけではない。服に着せられている状態に
ならない為に、服を着こなしている様子までイメージ出来なければならない。今回は
俺のサポートになりきり、スーツを上手に着こなしてみろとオーダーを出した。





「アンタバカじゃないの?LIVEハウスでスーツ姿なんて興醒めもいいところでしょ。
 そんな場違いなカッコさせられて頼子がかわいそうよ」

「場違いなら場に合わせられるように振る舞えばいいだけだ。モデルに必要なのは
 どんな場所でどんな衣装を着ていようが平然と溶け込める心の強さだろう。俺は
 頼子をただの着せ替え人形にしたくはないんでな」

 もちろん頼子も了承済みだ。と言うのも、現在346プロで頼子に新人としては
大きなモデルの仕事依頼が入っており、考えさせて欲しいと返事保留にしてある。
俺は無理に受けなくてもいいと言ったが、頼子はやりたいと言った。

『聖來さん達に比べれば私は力不足です… だから少しでも追いつきたいんです』

 聖來も言っていたが、頼子は儚い見た目に似合わず強い。ならば俺も妥協しない。
LIVEバトルには出ないが頼子も戦っているのだ。





「アナタも変なプロデューサーに引っかかったわね」

「そんなことは……」

 おい、言いかけてやめるな。そこはちゃんと否定してくれよ。

「イヤリング、ネックレス、ブローチくらいならつけてもいいわよね?」

 愛結奈は唐突にそう言って、誰かに電話をかけた。





「今からメイク室に来てくれる?アナタに力を貸して欲しいのよ。え?もういる?
 それならよかったわ、今からそっちに行くから」

 電話を切って、愛結奈はもう一度頼子を見た。

「プロデューサーに逆らう強さも必要よ?言いなりになっちゃダメだからね」

 あまり頼子に悪いことを吹き込まないで欲しいんだが。戸惑う頼子の手を引いて、
愛結奈は控室を出てメイク室に向かった―――――





つづく






―――



「おうPさん、どうだこのカッコ?」

 俺達は衣装室の前で夏樹と出会った。赤いシャツにシルバーの鋲を打った黒い
レザージャケットを羽織り、髪も赤いメッシュを入れている。完全にロッカーの
スタイルだな。

「へへ、イケてるでしょ!! アタシもここまでキマるとは思わなかったよ!! このまま
 大阪に残って一緒にバンドやらない?」

 夏樹の隣で似たような格好をした恵磨が笑う。耳のピアスが増えていた。

「馬鹿言え、夏樹は俺の大事なアイドルだ。誰が大阪に渡すか」

「らしいぜ?悪いな恵磨、Pさんはアタシにホレてるんだ」

 夏樹はいつもの調子で軽口を叩く。何故か頼子が顔を赤くして俯いてしまった。
初めてのLIVEハウスでいきなり演奏するのに、お前は本当に動じないな。





「ロッカーにホームもアウェーもねえんだよ。生温い場所に留まって戦うことを
 やめたら、そいつはもうロッカーじゃねえ」

 夏樹はギター一本で、地元のバーやLIVEハウスに乗り込んでいた叩き上げの
ロッカーだったらしい。聖來や伊吹とは少しタイプが違うが、夏樹も筋金入りの
ストリートだな。

「まあ、口で言うよりも実際に演奏を聴いてもらった方が早いな。聖來さんには
 悪いけど、今日はアタシのギターで夢中にさせてやるよ♪」

「ヒューッ!! カッケー夏樹っ!! アタシ達が今日の主役もらっちゃうかもねっ!! 」

 イエーイ!とハイタッチをして、恵磨と夏樹は意気揚々とリハーサルに向かった。
ふむ、俺が恵磨を346プロにスカウトするってもアリだな。





「いつまで外で油売ってるのよ?さっさと入りなさい」

 一足先に衣装室に入った愛結奈が顔を出す。頼子は慌てて中に入った。

「あんたは入らないの?」

「入ってもいいのか?誰か他の出場者の子がいないだろうな?」

「だーいじょうぶよ、今はメイクさんしかいないわ。それにアクセ選びも10分も
 かからないし、あんたは女心をもっと勉強するべきよ」

 小馬鹿にしたように笑う愛結奈にムカっとくる。上等じゃねえか、だったら俺も
遠慮なく入って、頼子のアクセサリー選びに口を出させてもらうぜ。





「「 きゃああああああっっっ!! !! !! ノゾキよおおおおおお―――――っっっ!! !! !!」」

「どわっ!? 俺、いやボク、私はその、す、す、すみませええええええんっっっ!! !! !! 」

 衣装室に足を踏み入れた瞬間、中から女の大絶叫が響いた。完全に油断していた
俺は慌ててバックステップで外に出て、足を滑らせて転倒し、そのまま廊下の壁に
激突して止まった。ドアの前では愛結奈が腹を抱えて爆笑している。





「あ、愛結奈てめえ!誰もいないって言ったじゃねえか!」

「あーはっはっはっは!誰もいないとは言ってないわよ!ワタシは中にメイクさんが
 いるってちゃんと言ったわよ!ねえ頼子?」

「は、はい…… た、確かに、ふふ、い、言いました…… くくっ」

 ……頼子、お前もしかしてとは思うが、俺を見て笑っているのか?

「わ、笑って…ません、ふっ、ふふ……」

 こっちを向け頼子。今なら怒らないであげるからから正直に言いなさい。





「あんたが勘違いしてドジっただけでしょ?頼子はなーんにも悪くないわよ」

 頼子を自分の胸に抱き寄せて、愛結奈は悪い笑みを浮かべる。ぐ、悔しいが何も
言い返せない。頼子も愛結奈に慣れてきたのか、嫌がる風でもなくくっついていた。
このまま愛結奈に影響されて、頼子の美的センスが狂わなければいいのだが。

「もう、やりすぎよ愛結奈ちゃん。いくら知り合いでも親しき仲にも礼儀ありって
 言葉があるんだからね?」

「協力した私達が言っても説得力ありませんけどね。たんこぶ出来てませんか?」

 愛結奈の後ろから、先ほど声を上げたと思われるメイクさんが2人顔を覗かせた。
両方とも目鼻立ちの整った抜群の美女で、片方はアナウンサーのような才色兼備な
印象で、もう片方はモデルのような神秘的な雰囲気が漂っていた。





「……って川島瑞樹と高垣楓じゃねえか!? なんでこんな所にいるんだ!? 」

 顔をよく確認して驚いた。両方とも有名な本職のアナウンサーとトップモデルだ。
川島瑞樹とは初対面だが、高垣楓は以前346プロのアイドル達と合同で撮影をした
ことがあるので、事務所内のスタジオで見かけた。

「川島瑞樹?ああ、あの『関西のリーサルウェポン』って呼ばれてる人気実力共に
 最強の女子アナね。よく似てるって言われるわ」

「高垣楓?人違いじゃないですか?岩ガキみたいで美味しそうな名前の人ですね」

 2人とも涼しい顔をしてすっとぼける。いや、ごまかせてませんから。何よりも
そのとぼけ方があなた達が本人であることの証明になってますよ。





「この子にアクセを選んで欲しいのよ。こんな就活ルックじゃ味気ないでしょ?」

「あら、なかなか賢そうな子ね。ねえあなた、アナウンサーに興味はない?」

「いえ瑞樹さん、この子モデル顔ですよ。私と一緒にパリを目指しましょう」

「え?え…?」

 戸惑う頼子を構わずに、3人は奥に連れて行く。愛結奈は2人とずいぶん親しそう
だが、3人は一体どういう関係なんだ―――――?





川島瑞樹(28)
http://i.imgur.com/i8ZabKn.jpg

高垣楓(25)
http://i.imgur.com/8zuNycJ.jpg






つづく




>>517

×「アウェーじゃふざけられねえよ。まぁ、ビシっと決めるから楽しみにしとけ」

〇「アタシはいつでも真剣勝負だぜ?まぁ、ビシっと決めるから楽しみにしとけ」






***



~聖來サイド~



「へえ、笑美ちゃんはラップやるんだ?」

「せやで。『関西弁高速しゃべくりラップ』がウチの武器や。その代わりダンスは
 からっきしやけどな!」

 リハを終わらせてレッスンルームで休憩していると、LIVEバトルの参加者が
ちらほらとやってきた。その中の難波笑美ちゃんという子が声をかけてきたので
色々話を聞いている。





「でも歌はほーさんに負けるな。ほーさんの歌唱力めっちゃヤバいで」

「私は声楽を習っていたから。でもステージパフォーマンスは笑美ちゃんの方が
 いつも盛り上がっているじゃない」

 ほーさんと呼ばれた子は西川保奈美ちゃん。宝塚歌劇団のファンで、一時は
宝塚音楽学校を目指していたとか。結局身長が伸びなくて断念したそうだけど、
その歌唱力はプロ並みらしい。





「2人とも強そうだね。アタシも燃えてきたよ!ねえ伊吹?」

「ここで腕を振って、ここでターンして……」

 伊吹はアタシから離れた場所で、ぶつぶつ呟きながらダンスの確認をしている。
しばらくそっとしといた方がいいかな。





「あの姉さんめっちゃ強そうやな。聖來さんウチらと喋ってて大丈夫なん?」

「アタシは詰め込み過ぎるとダメになっちゃうタイプだから。今は笑美ちゃんと
 保奈美ちゃんから情報を集めてイメトレしてるの♪」

「うわ!ヤバいでほーさん!ウチら聖來さんに利用されとったわ!」

「今更?私は最初からそのつもりで話してると思ってたんだけど」

「さすが愛結奈さんが東京から招待して来ただけのことはあるな。可愛いカオして
 油断もスキもあらへんで」

 その『可愛い』って『子供っぽい』って意味じゃないよね?アタシ笑美ちゃんと
保奈美ちゃんよりだいぶ年上だよ?





「でも今日は厳しいバトルになりそうやで。大阪のエースが2人共揃とるからな」

「みくちゃんとあやめちゃんが同じ日に参加するのは久しぶりね。今日のLIVE
 バトルは荒れそうだわ」

「みくちゃん?それって前川みくちゃんのこと?」

「ああ、そういえばみくちゃんは最近東京のLIVEバトルに行ってるらしいわね。
 聖來さん会った事あるの?」

「いや、噂を聞いただけだけど、なかなかスゴい子らしいね」

 あの辛口のあいが褒めるくらいだし、どんなパフォーマンスをするのか楽しみだ。
あやめちゃんって子もみくちゃんと同じくらい凄い子なの?





「ニン、江戸からの刺客の方とお見受け致しますが、相違ございませんか?」

「うわっ!? な、なに!? 」

 急に背後から誰かに耳元で囁かれて、アタシは思わず飛び退いた。振り返ると
そこには髪をかんざしでまとめた女の子が笑顔で立っていた。

「その子があやめや。聖來さん耐性ないねんから驚かせたりいなや」

「相変わらず神出鬼没ね。いつ来たのか全然気づかなかったわ」

「ふふ、わたくし忍の者でありますゆえ。お初にお目にかかります、伊賀の里から
 参りました浜口あやめと申します。先ほどの無礼どうぞご容赦を」

 制服のあやめちゃんは、姿勢を正してアタシに一礼した。あなたがみくちゃんと
並ぶ大阪LIVEハウスのエースなの?





「いえいえ、わたくしは未だ修行中の身なので、エースなどととても名乗れません。
 ですが刺客の方が参られたとなれば、全力を以てお相手させて頂きます」

 あやめちゃんは古風な言葉で話しながら、挑戦的な笑みを浮かべた。なるほどね、
確かにこの子は強そうだね。忍者キャラはよくわからないけど。

「それではわたくし準備がありますので、これにて失礼します。ニン!」

 あやめちゃんはあいさつを済ませると、素早い身のこなしで出口の方に向かった。
するとあやめちゃんと入れ違いに、メガネをかけたショートボブの子が入ってくる。
2人がすれ違う瞬間、レッスンルームの空気が一瞬張りつめた。





「……、……」

 あやめちゃんがショートボブの子に何かを囁いたようで、その子は驚いた顔で
アタシ達の方を見る。そしてかけていたメガネを外し、カバンからネコ耳付きの
カチューシャを取り出して頭に装着した。

「にゃーはっはっはっは!わざわざ東京からやられに来るとはご苦労なことにゃ!
 愛結奈チャンが呼んだ刺客だかライバルだか知らないけど、みくのホームでは
 好き勝手させないからね!」

 びしっと指さして、前川みくちゃんはアタシに宣戦布告した。大阪はキャラの
濃い子が多いなあ。





「みく、それかませ犬のセリフやで。いや、みくやからかませ猫か?」

「そういえばみくちゃん、東京のLIVEバトルは全く歯が立たなかったって噂で
 聞いたけど、コンディションは大丈夫なの?」

「ぎにゃー!せっかく忘れかけてたのにイヤなこと思い出させないでよ!それに
 渋谷以外ではそこそこ戦えたんだからね!」

 みくちゃんは顔を真っ赤にして怒った。そういえば原宿で優勝したんだよね?





「みくはウチが育てたからな!立派になってお姉ちゃん嬉しいわ」

「笑美チャンに育てられた憶えはないにゃ!」

「あら?みくちゃんこの前笑美ちゃんにラップを教えてもらってなかったかしら?
 私も声楽の発声法を教えてあげたと思うけど?」

「ほ、保奈美チャン!そういうのは内緒に…… カッコ悪いでしょ……」

 みくちゃんは小声でごにょごにょとつぶやく。何となくこの子がLIVEバトルで
強い理由がわかった気がする。自分が強くなる為なら、相手がたとえライバルでも
素直に頭を下げられる子はなかなかいないもんね。





「ふふ、アタシみくちゃんみたいな子キライじゃないよ。今日はよろしくね♪」

「て、敵に好きとか言われても嬉しくないにゃ!それにあなた何となく犬っぽいし、
 猫アイドルのみくは苦手にゃ!」

「へえ、わかるんだ?みくちゃんが言った通りアタシわんこ大好きだよ♪」

「みくの猫好きは設定やん。ほんまはウーパールーパーが好きなんやろ?」

「みくはホントにネコちゃんが好きなの!ウーパールーパーって何なの!? 」

 笑美ちゃんやみくちゃんを見ながら、愛結奈はこういう雰囲気のLIVEハウスが
作りたかったのかなと思った。明るくて楽しくて、だけど闘争心もあってみんなで
刺激しあって上を目指す。東京のLIVEハウスに1人で殴り込みをかけていた昔の
愛結奈からは考えられないけど。





「……」

「ん?」

 ふと横から視線を感じたので振り向くと、伊吹がこっちを見ていた。手を振ると
さっと目を逸らしてレッスンルームを出て行っちゃった。

「ヘンな所でマジメなんだからもう……」

 多分Pさんに何か言われたんだと思うけど、だったらPさんに任せておいた方が
いいのかな?みくちゃんとあやめちゃんの実力はよくわからないけど、多分今日の
LIVEバトルで一番強敵になりそうなのは伊吹だし―――――





難波笑美(17)
http://i.imgur.com/NQeOSIU.jpg

西川保奈美(16)
http://i.imgur.com/vDJXcxN.jpg

浜口あやめ(15)
http://i.imgur.com/BCxXZL9.jpg

前川みく(15)
http://i.imgur.com/Xigng1Q.jpg






つづく





***



「おや?おそろいですね」

「え…?あの、何が……?」

「ほくろですよ。目元の泣きぼくろ」

「あ、ああ、これですか……」

「ということは、私達は姉妹ですね」

「ええ…っ!? 」

「ふふ、お姉ちゃんと呼んでくれてもいいんですよ?」

 高垣さんのペースに乗せられて、頼子は戸惑っている。そんな頼子をお構いなしに
彼女は頼子のネックレスを選んでいた。ちなみにアクセサリー類は高垣さんの私物で、
時々持って来てLIVEバトル出場者の子達に貸してあげているそうだ。





「ねえプロデューサー君、私もアイドルになれるかしら?まだまだ若い子には負けて
 ないと思うんだけど、どう?どう?」

 そして俺は川島さんに絡まれている。返答に困るので話題を変えよう。

「と、ところで、お二人は愛結奈とはどういう知り合いなんですか?LIVEバトルの
 出場者やスタッフだけしか入れない場所にいるということは、かなり親しい関係の
 ように思われますが……」

「愛結奈ちゃんは私達の妹みたいなものよ。そうよね?」

「え、ええそうね、大阪にいる時はよく一緒に飲みに行ってるわ」

 ……ん?何か2人の間に温度差があるような気がする。もう少し聞いてみるか。





「ほう、東京では何でも自分1人で完璧に出来るかのように振舞っているお前に、
 姉のように慕う人達がいたとは驚きだな」

「そうなの?もう、愛結奈ちゃんはすぐに見栄張ってカッコつけたがるんだから。
 私達のこともプロデューサー君に言ってなかったのかしら?」

「い、言う必要ないでしょ!こいつは部外者なんだから!」

「部外者?確かにそうだが、ということは川島さんと高垣さんは関係者なのか?」

「そ、それは、ええと…… ど、どうでもいいでしょ!」

 どうも愛結奈の様子がおかしい。何か聞かれるとまずいことでもあるのか?





「もしかして愛結奈ちゃん、プロデューサー君に『大阪のLIVEハウスはワタシの
 おかげで立派になったのよ!』みたいなこと言ったの?」

 川島さんに声真似付きで指摘されて、愛結奈はびくっと肩を震わせた。高垣さんも
横目で俺達の様子を見ている。

「違うのですか?LIVEイベントアドバイザーとして、LIVEハウスを立て直したと
 得意気に話していましたが」

「ふぅん、そうなの。どう思う楓ちゃん?」

「いいんじゃないですか。愛結奈ちゃんが先頭に立っていたんですし」

「わ、ワタシは別に全部1人でやったって言ったわけじゃ……」

 あたふたと弁明する愛結奈。ウソがバレた時の子供みたいだ。





「つまり愛結奈だけではなくて、川島さんと高垣さんもLIVEハウスの立て直しに
 関わったということですか?」

「ええ、がっつりとね。愛結奈ちゃんを放っておけなくてね」

「手のかかる妹ですよ。髪もピンク色だし、お姉ちゃん達は心配です」

「か、髪の色は関係ないでしょ!」

 どうやら愛結奈はこの2人に頭が上がらないようだ。渋谷で聖來やあいと並んで
四天王と呼ばれる強さを誇った愛結奈も、ここでは形無しだな―――――






―――



「一応言っておくけど、愛結奈ちゃんは何もしなかったわけじゃないのよ?大阪に
 日本一のLIVEハウスを作るから協力しろって、関西の芸能界やマスコミ各社に
 強引に迫ってあちこちでトラブルを起こしていたわ」

 何をやってたんだよお前は。らしいといえばらしいが。

「特にウチの局によく来てたから、入口前で愛結奈ちゃんが警備員とモメてるのを
 見てたんだけど、どんなに断られても諦めずに来るから一度じっくり話を聞いて
 みようと思って局の近くの喫茶店で取材したの。そしたらたまたま仕事で大阪に
 来ていた楓ちゃんとばったり会ってね」

 川島さんと高垣さんは以前から知り合いで、一緒に飲みに行くほど仲が良かった
らしい。高垣さんも愛結奈の噂は聞いていたようで、川島さんの取材に同席させて
もらったそうだ。





「それで取材したんだけど、いざ聞いてみると具体的な計画や予算の見積もりは
 なーんにもなかったのよ。日本一のLIVEハウスを作りたい!って構想だけで、
 明確なビジョンすらなくてずっこけたわ!」

「そういう面倒なのは、後からみんなで考えればいいと思ってたから……」

 仮にお前の言う通りに、先に人を集めて後から考えたところで空中分解するのは
目に見えているだろ。世の中ナメすぎだ。





「でもまあ20そこそこの女の子が頑張ってるし、応援したい気持ちはあったの。
 それでどうすれば愛結奈ちゃんの夢が実現できるのか、私と楓ちゃんの人脈を
 フルに使って専門家の先生に会ったり、スポンサーになってくれそうな企業や
 人を探したわ。自分の仕事もあるから専念出来たわけじゃないけどね」

 さすが女子アナは顔が広いな。高垣さんもモデルの仕事で海外に行った時に、
海外の劇場やLIVEハウスを回って写真を撮ったり、パンフレットをもらって
持ち帰ったりしたらしい。こうして愛結奈の夢は少しづつ形になってきた。

「でも私達がいくら計画を練って協力者を集めたところで、決定打に欠けたの。
 日本一のLIVEハウスを作りたいと思わせるような強いインパクトがなくて、
 計画は頓挫しかけたわ」

 恵磨の話ではこのLIVEハウスは改築されたものであり、元のLIVEハウスが
あったらしい。それなのにわざわざ作る必要があるのか?ハコよりも演者の質を
上げるべきではないのかと聞かれると、返答に困ったそうだ。





「前のLIVEハウスはボロくて薄暗くて、たまにアマチュアのバンドや無名の歌手が
 ミニコンサートをする程度だったわ。そんなLIVEハウスじゃアイドルは来ないし、
 LIVEバトルなんて絶対無理だったから改築は必要だったのよ」

 愛結奈の言う『日本一のLIVEハウス』とは、つまり『日本一のアイドルのLIVE
バトルが出来るLIVEハウス』だった。その為にはまずアイドル達が来たいと思える
ような建物にする必要があり、質を上げるのは二の次にしていた。

「それで出来たのが、この要塞みたいないかついLIVEハウスか。お前の言ってる
 理想のLIVEハウスと矛盾している気がするんだが」

「ワタシももっと入りやすい外観のLIVEハウスにしたかったわよ。でも背に腹は
 代えられなくて、改築する為にはこうするしかなかったの……」

 愛結奈がため息をつく。どういうことだ?





「プロデューサー君、観客席の上の大きなプロジェクターは見た?」

 唐突に川島さんに聞かれた。ええ、見ましたよ。とても立派な装置ですね。

「実はこのLIVEハウスは、LIVEハウスではなくてVFXプロジェクターの実験
施設として建てられたの。この建物で行われるステージやLIVEバトルはVFX
テストも兼ねているのよ」

 川島さんの説明によると、ドイツ支社に勤める記者がドイツで開発された最新の
VFXプロジェクターの試験用施設を日本に建設しようとする噂があると聞きつけて、
これは使えるのではないかと川島さんに教えてくれたそうだ。





「本当に奇跡的なタイミングだったわ。開発チームの中にたまたま日本人がいて、
 その人の希望で日本で運用することになったから、私達が交渉して大阪に誘致
 したのよ。あれがなかったら今のLIVEハウスは存在しなかったわね」

「VFXのおまけになるのは気に入らなかったけど、改築費用はプロジェクターの
 開発元がほとんど持ってくれたし、計画も一気に動きだしたわ。後はアイドルを
 呼び込む宣伝活動や、LIVEバトルのノウハウを出場者の子達に教えたりして、
 みんなで時間をかけてステージを育てたの」

 今の大阪LIVEハウスは、愛結奈と川島さんと高垣さんの3人が中心となって
作ったんだな。お前の無茶に付き合ってくれる人がいて良かったじゃないか。

「ワタシ達の腕にかかれば楽勝よ♪ もっと讃え崇めなさい」

 すっかり調子づく愛結奈。まあ、最初に花火を打ち上げたのはこいつだからな。
川島さんと高垣さんもまるで妹を見るかのような優しい目をしていた。





「でもLIVEバトルのレベルは東京に比べてまだまだ低いわね。みくやあやめは
 向こうでも通用すると思うけど、全体的なレベルの底上げが今の課題だわ」

「前川みくのことか?お前が東京で連れて歩いていたという話を聞いたが」

「ええ、そうよ。あの子はウチのエースだから、力試しに東京のLIVEハウスで
 戦わせてみたのよ。渋谷で戦えるレベルにはまだ育ってないけど、予想以上に
 善戦してくれたわ」

 すっかりイベントアドバイザーの目線になっているな。それで大阪のアイドル達を
更に強くする為に聖來を呼んだのか。





「そういうこと♪ 今日は期待してるからガッカリさせないでよ☆」

「LIVEバトルを戦っていたライバル同士だったのに、俺達を使うようになったとは
 ずいぶん偉くなったな。言っておくが今回は特別だぞ?」

「あら、ワタシとしては毎週でも来て欲しいくらいだけど」

 バカ言うな、仕事でもないのに毎週大阪まで来られるかよ。こっちにもこっちの
都合があるんだから、聖來をアテにされたら困るぞ。





「ふふふ、違いますよプロデューサーさん。愛結奈ちゃんは聖來ちゃんのことが
 大好きだから、毎週でも会いたいんですよ」

「なっ!? いきなり何言い出すのよ楓さん!? 」

 頼子の耳にイヤリングをつけながら、高垣さんが飄々と言った。不意打ちを
くらった愛結奈はあたふたする。





「だって愛結奈ちゃん、今日はいつもよりテンションが高いし楽しそうですよ?
 ひとりだんじり状態ですよね瑞樹さん?」

「言われてみればそうね。いつもテンション高いけど、ここ一週間くらい前から
 妙に落ち着きがなくて道頓堀にダイブしそうな勢いだったわ」

「しないわよ!球団が優勝してもやらないわよ!」

 やらないのか?お前は野球だろうがサッカーだろうが、盛り上がれるなら何でも
便乗して楽しむタイプだと思っていたが。





「安心しろ、愛結奈」

「はぁ!? 何がよ!! 言っとくけどワタシは別に聖來のことなんて……」

「聖來もお前に会うのが楽しみだったみたいで、ここ数日ずっとそわそわしてたぞ。
 伊吹や頼子達の手前クールぶっていたが、尻尾があれば全力で振っていたよ」

「~~~っ!! 」

 愛結奈は顔を真っ赤にして何か言おうとしたが、手をばたばたさせるだけだった。
そもそも聖來が大阪に来たのはお前に会う為だぞ?





「ちょ、ちょっとステージの様子見てくる!」

 追いつめられた愛結奈は一時撤退を選択したようで、足早に衣装室を出て行った。
あいつをいじれるのは日本でこの2人だけだろうな。

「ごめんなさいね、あの子も素直じゃないから」

「わかってますよ。愛結奈も3年ぶりの再会で距離を測りかねているのでしょう。
 2人はライバルであり、親友でもある複雑な関係でしたから」

 あいと愛結奈は仲が悪かったが、聖來は両方とうまく付き合っていた。あいも
聖來がアイドルに復帰して嬉しそうだし、敵味方関係なく慕われる聖來の魅力は
ダンス以上のあいつの武器なのかもしれないな―――――





つづく






***



「おかしい、俺のイメージでは『敏腕プロデューサーと新人アシスタント』になる
 はずだったのに、『新人有力モデルと専属マネージャー』みたいな構図になって
 しまった……」

「あの…、すみません……」

 首を傾げる俺の前で、頼子が顔を赤くして小さくなる。頼子の両耳と首元には、
深い蒼色の小さなサファイアが輝いていた。

「頼子ちゃんの瞳の色に合わせてみました。ビジネスシーンを想定しているので
 主張しすぎない、小さな一粒サファイアにしましたがどうでしょう?」
 
 高垣さんがニコニコしながら聞いてくる。これがトップモデルのセンスか……
本職のメイクではなくても、一流の環境に身を置くことで才能は磨かれるらしい。
頼子はアクセサリーだけではなく、うっすらとメイクも施されていた。





「素材が良いのはわかっていましたが、ここまで化けるとは思いませんでしたよ。
 俺も頼子のプロデューサーとして一層身が引き締まります」

「ふふ、ちゃんと面倒見てあげないと私がモデルに引き抜いちゃいますよ?」

「あら?私もアナウンサーにスカウトしようと思ってるんだけど。頼子ちゃんを
 アナウンサーにして、代わりに私がアイドルになるわ」

 冗談だとは思うが、2人とも頼子をすっかり気に入ってるようだ。礼子さんも
好意的に見ていたし、頼子は大物に好かれる体質なのだろうか。





「では、そろそろ俺達は仕事に戻ります。ありがとうございました」

 LIVEバトルまで2時間を切り、そろそろこの部屋に出場者の子達が入ってくる。
川島さんと高垣さんは、本番前まで彼女達のメイクのお手伝いをするそうだ。

「ええ、それじゃ会場で会いましょう。頼子ちゃんも頑張ってね」

「いってらっしゃいよっちゃん。ふぁいとー♪おー♪」

 川島さんと高垣さんに見送られて、俺達は衣装室を出た。あー、緊張した……
2人が気さくな人で助かったが、失礼がないように振る舞えただろうか。





「あの…、高垣さんとは事務所でもお会いしたことがあるんですか……?」

「ああ。と言っても俺が遠目に見ただけだから向こうは気づいてないと思うがな。
 あんな砕けた感じだが、あの人は本当に凄いモデルなんだぞ?」

 少なくとも、俺みたいな平のプロデューサーが気軽に話せるレベルではない。
事務所に来た時もチーフPが終始対応していたし、忙しい礼子さんがわざわざ
時間を作って会いに来るレベルだからな。

「俺について来てアシスタントの真似事をするよりも、高垣さんの側にいた方が
 ためになるかもな。今からでも引き返すか?」

「いえ、Pさんについていきます」

 頼子はほぼ迷わずに即答した。





「夏樹さんも仰ってましたが、戦うことをやめてしまえば人は鈍ってしまいます。
 今の私に必要なのは、モデルの知識よりもプロとしての度胸ですから」

 お、おう、なかなかロックなことを言うな。聖來や伊吹や夏樹達と一緒にいる
うちに、頼子もストリートの気質になってしまったのかもしれない。

「じゃあ次は夏樹みたいなモヒカンに挑戦してみるか。『お嬢様モヒカン』斬新な
 画になりそうだ」

「ええ…っ!? そ、そこまで戦うのはまだ……」

 頼子があたふたと慌てる。冗談だよ。挑戦する意志を持つ事は大切だが、自分を
無理に追い込むようなことはするなよ?






―――



 ステージ付近と客席を回って、音響のチーフさんと照明のチーフさんに挨拶する。
ステージ上でアイドル達がリハを行っているので、邪魔にならないように注意して
長くならないように切り上げた。

「愛結奈と恵磨が先に話を通してくれたおかげで、スムーズに済んで良かったな。
 向こうも好意的に見てくれているし、聖來達も大丈夫だろう」

 LIVEハウスの人間に嫌われると、パフォーマンスに悪影響が出る危険がある。
聖來達は一般の出場者と同じ扱いなので、そこまで俺が気を回さなくていいかも
しれないが、アウェーで出場するからには念には念をである。

「聖來さんと伊吹さん、いませんね」

「もうリハを終わらせたみたいだな。レッスンルームにもいなかったし、2人共
 どこに消えたんだか」

 ちなみにVFXのチーフさんにも挨拶をしようと思ったが、音響と照明の両方の
チーフさんに止められた。VFXの調整は神経の使う作業のようで、2時間前でも
邪魔されるのは嫌がるらしい。仕方ないのでLIVEバトル終了後にするか。





「兄さんらもしかして346プロの人?」

 俺と頼子が客席側でリハの様子を見ていると、リハを終えた子が話しかけてきた。
初対面でも気さくに話しかけてくるのは県民性だろうか。

「ああそうだ。聖來か伊吹に聞いたのか?」

「聖來さんに聞いたで。べっぴんさん連れて歩いとる男の人やって聞いとったから
 そうちゃうかな~?と思たけど、あたりやったな 」

 女の子は難波笑美と名乗った。頼子と同じ歳くらいかな?





「そんで、そこのべっぴんの姉さんはLIVEバトル出えへんの?せっかく東京から
 来はったんやし、見とるだけなんは勿体ないで」

「有り難い申し出ですが、私にも仕事がありますから」

 頼子はやんわりと断る。いつの間にか俺のアシスタントになりきっているようで、
いつもの三点リーダが消失していた。意外と役にハマるタイプなのか。

「ところで聖來と伊吹を探しているんだが、どこにいるかわからないか?愛結奈も
 見かけないし、これからどうしようかと考えているんだが」

「聖來さんやったらリハの前までレッスンルームで一緒やったけど、伊吹さんが
 レッスンルームを出てから追いかけるみたいに出て行きはったで」

 笑美はそう言って、リハを終えたばかりの子に声をかけた。





「なあほーさん、聖來さんと伊吹さんどこ行きはったかわかる?」

「聖來さんは外に出て行くのを見たけど、伊吹さんは知らないわね」

 ほーさんと呼ばれた子は俺達の前で丁寧に頭を下げて、西川保奈美と名乗った。
雰囲気から察するに聖來と同じくらいの年齢だろうか。

「聖來さんは明るくて素敵な人ですね。今日のLIVEバトルが楽しみです」

「元気なのがあいつの取り得だからな。伊吹はどんな様子だったかわかるか?」

「むっちゃ真剣に鏡の前でダンスしてはったで。いかにもプロって感じやったな」

 ずいぶん緊張してるみたいだな。いい加減な気持ちで出場するよりはマシだが、
あまり堅くなりすぎても力を発揮できないぞ。





 2人に礼を言って別れる。ここがLIVEハウスじゃなかったらスカウトしたい
くらい魅力のある子達だった。愛結奈も良いアイドルを揃えたな。

「LIVEハウスでは、スカウトをしてはいけないのですか?」

「東京では禁止されている。LIVEハウスの独立性を保つ為の自主的な取り組みで
 守ってない事務所もあるが、業界を牽引する大手346プロは率先して守らないと
 他の事務所に示しがつかない。スカウトをするならLIVEバトルが終わってから
 ハウスの外で名刺を渡して、後日改めてという流れになるな」

 それに守らないとうるさく言ってくる『連中』もいるわけで…… ここは大阪だし、
ヤツらのことは考えなくてもいいか―――――






***



「よう、仕上げは順調か?」

「あ、Pさん。もしかしてアタシを探してたの?」

 LIVEハウスの外に出ると、駐車場に聖來がいた。3年ぶりのLIVEバトルだと
いうのにずいぶんリラックスしてるな。

「伊吹も探しているんだが、どこにいるか知らないか?」

「あそこだよ。あの車の後ろ」

 聖來が指を指した先では、伊吹が駐車場の車止めに座って休憩していた。





「Pさん伊吹に何か吹き込んだでしょ。あの子ずっと様子がヘンなんだけど」

 聖來がじとっとした目で俺を見る。さて、何の事だ?

「よっちゃん何か聞いてる?あれ?どしたのそのカッコ?」

「こ、これは…、その、お仕事のためで……」

 先程まで役に入り込んでいた頼子だったが、聖來の前では素に戻って照れてしまう。
ちょうどいいタイミングだから、頼子も休憩させてやろう。





「聖來、頼子を預かってもらってもいいか?俺は伊吹と話してくるよ」

「いいよ。じゃLIVEハウスに戻ってるから、伊吹のこと頼んだよ」

「聖來さんは、準備しなくてもいいんですか……?」

「アタシは大丈夫だよ。東京でいっぱいしてきたし、まだ本番まで時間もあるから
 気にしなくていいよ♪」

 聖來が頼子を連れて行くのを見送って、俺は伊吹の方へ向かった。LIVEバトル
本番まで間もなく1時間を切ろうとしていた―――――






***



「探したぞ」

「あ、P」

 近くで声をかけて、ようやく伊吹は俺の存在に気づいた。大丈夫か?

「調子は悪くないよ。体も動けてるし」

伊吹はすくっと立ち上がって、軽く屈伸運動をした。それは何よりだ。

「聖來には勝てそうか?」

「勝てる」

 伊吹は即答した。しかし少し間を置いて「……と、思う」と呟いた。





「調子は悪くないんだ。ダンスも完璧にこなせる自信があるし、優勝も狙ってるよ。
 だけど聖來さんのことを考えると、よくわからなくなるの……」

 伊吹は諦め気味に笑った。なるほど、それは困ったな。

「正直に言って、アタシはあの人が渋谷四天王って言われてたくらい強い人には
 見えない。あいさんや愛結奈さんみたいな人だったらわかるけど、あの2人と
 聖來さんが互角に戦ってたって言われてもピンと来ないんだよね」

 比奈も聖來を『オーラがない』と評していたな。聖來の凄さはLIVEバトルで
実際に戦っている様子を見ないとわかりにくいのだ。





「聖來さんがヘボいとは思ってないよ?でも聖來さんの実力がよくわからなくて
 アタシが勝つ姿が想像出来ないから、このままでいいのかなって迷っちゃうの。
 だからいくら準備してもキリがなくてさ……」

「意外と真面目に考えてたんだな。お前だったらもっとポジティブに開き直って、
 恵磨みたいにノリと勢いで乗り越えると思っていたが」

「Pの中でアタシはどういうイメージなのさ」

 伊吹はこつん、と俺の肩を拳で小突く。悪かったよ。





「お前に教えた聖來対策だがな、実はあれのベースは愛結奈なんだよ」

「愛結奈さんの?」

 伊吹が驚いた顔をする。そうだぞ、聖來がLIVEバトルで苦戦していた愛結奈の
ダンスを俺なりに分析して、お前に合うようにアレンジして作ったんだ。

「お前と愛結奈のキャラクターとパワフルなダンススタイルがよく似ていたから
 出来た対策プログラムだ。聖來の弱点は担当Pだった俺が知り尽くしてるから、
 プログラム通りにパフォーマンスが出来ればお前が聖來に負ける事はない」

 ただしそれはあくまで理論上の話で、絶対勝てると言い切れないがな。





「聖來の怖い所は瞬時にダンススタイルを変えてアドリブを突っ込む迷いの無さと、
 そのアドリブでパフォーマンスの質を更に高められる天性の才能だ。だから深く
 考えれば考えるほど、今のお前みたいに泥沼状態になる」

「それは聞いたけど、じゃあ聖來さん対策って結局やった意味あったの?」

「何をしてくるかわからないから、わかってる弱点は徹底的に突くんだよ。だから
 聖來が苦手にしていた愛結奈のスタイルをお前に伝授したんだ」

 あいのスタイルも取り入れれば聖來に勝てる確率はもっと上がるかもしれないが、
あいは伝統のスタイルを精密コンピューターのような正確さで踊るアイドルなので
自由なストリート気質の伊吹に合わなくてやめた。伊吹のダンサーとしての能力は
非常に高いが、何でも取り入れられるものでもない。





「元々持っているダンサーとしての能力に加えて愛結奈のダンススタイルと、俺が
 考えた聖來対策を習得したお前は理論上最強の聖來キラーだ。現状出来ることは
 全部やったしお前も全部吸収したから、聖來も苦戦するだろう」

「何かズルしてるみたいで、聖來さんに悪い気がするなあ……」

「勝つ為に対策を練るのは常識だ。お前と聖來のダンサーとしての力はほぼ互角で、
 聖來のアドリブは怖いがあいつも3年ブランクがあるし、LIVEバトル初心者の
 お前と差し引きゼロでどっちが勝ってもおかしくない。後は時の運だな」

「時の運かあ…… アタシ昔からあんまり運良くないんだよね」

 伊吹は困ったように笑った。ならば精一杯観客を引き寄せるしかないな。





「LIVEバトルの勝敗を決めるのは、アイドルの実力じゃなくて観客の心を掴む
 パフォーマンスだ。それも楽しめてこそLIVEバトルだから、お前もリアルの
 スリルとライブ感を楽しんでこい」

「最初はそのつもりだったのに、Pのせいで苦しむハメになったじゃんか」

 伊吹が口を尖らせて文句を言う。そんな軽口が叩けるならもう大丈夫だな。





「ねえ、なんかさ、2人でこんな風に話すのって久しぶりだよね」

 伊吹は少し間を置いて、じっと俺の目を見て言った。言われてみればそうだな。
最初は俺とお前の2人だったけど、聖來と夏樹と頼子が来てからはいつも誰かが
一緒にいるからな。

「今もにぎやかで楽しいけど、前も前で良かったなって最近思う事があるんだ」

「俺みたいなおっさんと一日中顔を突き合わせて、お前はうんざりしてるんじゃ
 ないかと思っていたんだが」

「そんなことないよ、Pはクビ寸前だったアタシを助けてくれたから」

 俺はほんの少しアドバイスしただけだ。後はお前が元々持っていた実力だよ。





「ねえP、もしこのLIVEバトルでアタシが聖來さんに勝ったらさ……」

 伊吹は何かを決意したように真剣な顔をする。しかしその決意は一瞬で霧散した
ようで、真剣だった顔は真っ赤になってぶんぶんと首を横に振った。

「や、やっぱりナシ!じゃ、アタシメイクしてくるから!」

 何かを言いかけたまま、伊吹は俺の前から走り去って行った。よくわからないが、
とりあえずこれで一安心かな―――――





つづく





***



 いよいよ開演10分前に迫った。観客席は立ち見客で満員になり、LIVEバトルの
開始を今か今かと待ちわびている。俺は頼子と関係者席で様子を見ていた。

「まずは夏樹のオープニングからだな。楽しみか?」

「こういう場所に来るのは、初めてなので…、ドキドキしています……」

 さっきまで業界人になりきっていた頼子だが、ステージの開演が近づくにつれて
次第に落ち着きを失っていく。緊張するのも無理はないか。





「あれは、何でしょう……?」

 すると頼子が何かに気づいたように、ステージを指さす。それと同時に観客が
にわかに騒がしくなってきた。

「どれどれ…… って、何だあれは?」

 俺は自分の目を疑った。ステージ上に鮮やかな色の巨大な魚が浮いていたのだ。
離れた位置からでもはっきり視認できる大きさなので、体長50センチくらいは
あるだろうか。マンボウのようなフォルムをしていて、ステージの上をゆっくり
2匹連なって泳いでいた。





「ディスカスっていう熱帯魚らしいわよ。VFXチーフのお気に入りですって」

 いつの間にか俺達の近くに来ていた愛結奈が説明してくれた。開演前に観客を
楽しませる為のサービスと、VFXの最終テストを兼ねた3DCGだそうだ。

「他にも蝶とか鳥とか、たまにプテラノドンを飛ばしたりしてるわ。初めて見た
 VFX演出の感想はどうかしら?」

「凄いです…… まるで本物みたい……」

 頼子は感動のあまり言葉が続かないようだ。かくいう俺も驚いているが。

「まだまだこんなもんじゃないわよウチのLIVEバトルは。もっとド派手なのが
 いっぱいあるから、今日は思いっきり楽しみなさい☆」

 大阪ではこんな最先端テクノロジーをLIVEバトルに使うのか。伊吹と聖來は
果たして大丈夫だろうかと、一瞬不安が頭をよぎった―――――






―――



『うおっしゃ――――――――――っっっ!! !! !! いくぜお前ら!! ガンガンガンガン
 盛り上げてくからぶっ倒れんなよ――――――――――っっっ!! !! !! 』


 恵磨の大音声がLIVEハウス全体に響き、いよいよLIVEバトルがスタートする。
オープニングは恵磨がバックバンドを率いて洋楽のロックを3曲披露し、ステージ
全体を一気に盛り上げる手はずになっている。

「夏樹もまったく違和感がないな。今日急遽参加したようには見えないぞ」

 恵磨と夏樹以外のバンドメンバーは全員男で、二の腕に刺青が入っているような
いかつい見た目の連中ばかりだ。そんな連中の中でマイクを握って絶叫する恵磨と
モヒカン頭をぶん回してエレキギターを激しくかき鳴らす夏樹は、男の俺が見ても
普通に格好良かった。





「お、やってるやってる。絶好調だね夏樹♪」

「恵磨もすごいね。声は普通に会話してても大きかったけど」

「聖來?伊吹まで。お前達こんな所にいていいのか?」

 ステージの様子を見ながら聖來と伊吹がやって来た。伊吹は衣装に着替えて既に
準備万全だが、聖來はメイクだけでまだTシャツとジャージ姿だった。





「夏樹のステージが見たかったからスタッフさんにお願いしたの。アタシと伊吹の
 出番は後ろの方みたいだし、終わるまでここにいていいんだって」

「あんたホントに変わらないわね。3年前のLIVEバトルの時も、自分の出番の
 ギリギリまで観客に混じって観戦してたし」

 愛結奈が呆れたように言った。聖來は「まあね♪」と飄々と答え、「ステージの
前で見てくる!」と言って観客の中に飛び込んで行った。

「聖來さん一応LIVEバトルに出るんだよね?さっきから全然緊張もしてないし、
 普通に観戦しに来ただけみたいに見えるんだけど……」

 伊吹も愛結奈と同じく呆れていた。お前がそう思う気持ちもわかるが、あれが
聖來のLIVEバトル前の準備なんだよ。





「聖來はああやって観客の中に紛れて観戦する事で、観客のテンションの動きを
 体に直接覚え込ませてるんだ。そして自分のステージに活かす事で、あいつは
 観客の心を掴むパフォーマンスが出来るんだよ」

 聖來はかつてストリートで、不特定多数の通行人を観客に見立てて踊っていた。
聖來の話によると通行人の足を止めるダンスを踊る為には、まず周囲の雰囲気を
掴んで風景に溶け込み、そこから徐々に自分らしさを出すのが良いそうだ。

「だから聖來さん、さっきレッスンルームで他の出場者の子達と話していたんだ。
 LIVEハウスの雰囲気や様子を調べていたんだね」

 伊吹が納得したように言った。その隣で愛結奈が俺を睨む。





「どうして伊吹は知らないのよ。伊吹もあんたのアイドルなんでしょ?」

「伊吹に聖來と同じやり方をさせたら、本番前に頭がパンクする。それに観客の
 中に混ざって応援させたら、体力を使い果たしてしまうだろうしな」

 聖來のLIVEバトル前の準備はかなり独特なものだ。観客と全力で応援しても
疲れないスタミナと、ステージを冷静に分析・状況を判断できる頭を持っている
聖來だからこそ可能な方法と言えよう。

「それに聖來の準備法もリスクは高い。いくらあの中に混ざったところで観客の
 テンションを完全に読み切れるわけじゃないし、観客に合わせすぎると自分の
 パフォーマンスに悪影響が出るから加減が難しいんだよ」

 ステージ上では恵磨と夏樹のパフォーマンスが白熱している。聖來は最前列で
声をあげて腕を振り回しながら全力応援していた。大丈夫かあいつ?





「まあ、言われてみれば確かにあんなアホなことしてるのは聖來だけだったわね。
 伊吹は本番に備えて体力を温存しておきなさい」

「うん、そうする。ありがと愛結奈さん」

 笑顔で礼を言った伊吹に、愛結奈は少し驚いた顔をした。

「さっきまで緊張でガッチガチに見えたけど、ずいぶん余裕が出てきたみたいね。
 聖來に勝つ秘策でも思いついたの?」

「そんなのないよ。でも秘密兵器はあるかな」

 伊吹はそう言って、俺の顔を見て不敵に笑った。





「P、本番で『あれ』使うよ。いいよね?」

「好きにしろ。だがくれぐれもケガには注意するんだぞ?」

「わかってるよ。アタシも聖來さんと本気で戦う決心がついたから」

 ステージの上を炎の龍が悠々と泳ぐ。VFXの3DCGらしく、それを見た観客の
ボルテージは最高潮だ。だが俺には伊吹が龍より燃えているように見えた。

「なに?何準備してるの?教えてよ」

 愛結奈が興味深そうに聞いてくる。それは本番までのお楽しみだ。さぁ、雑談は
これくらいにして、俺達も夏樹を応援してやろう―――――






―――



「サイコーだったぜ!こんなにアツいステージは初めてだ!」

 オープニングを終えた夏樹が俺達のところにやってくる。まだステージの興奮が
収まらないようで、肩にかけたタオルで汗をぬぐいながら熱弁していた。

「恵磨のボーカルもスカ――――ンって突き抜ける感じで、一緒に演奏して気持ち
 良かったよ!あんな声出せるヤツアタシの地元にはいなかったな!東京にもそう
 いないんじゃねえか?」

「最初の頃はただの声がでかい音響スタッフだったんだけどね。LIVEバトルの
 出場者がドタキャンして空きが出来た時に、穴埋めで急遽ステージに立って
 もらったらサマになったからワタシが鍛えたのよ」

 恵磨を褒められて愛結奈が満足そうに答えた。お前が鍛えたのか?お前は確か歌も
ダンスも専門的なレッスンを受けた経験はなくて我流だったはずだが、他人に教える
事なんて出来たのか?





「そ、そんなに大したことはしてないわよ。ワタシは自分が知ってることを少し
 アドバイスをしただけで、後は恵磨が勝手に上達したんだから。わ、ワタシは
 LIVEハウスを盛り上げるためにやったんだからね!」

 愛結奈は照れながら早口で言った。こいつも素直じゃないな。

「へえ、てことは愛結奈さんも恵磨と同じくらい歌が上手いのか?」

「ふん、当然よ。昔腰痛を抱えたままLIVEバトルに出た時の話だけどね……」

 愛結奈はそこで区切って客席を見る。すると観客の間をすり抜けるようにして
聖來がやって来た。





「ワタシは歌だけで聖來に勝ったことがあるんだからね!」

「マジか!? すげえなっ!! 」

「うぇ!? な、なによいきなり、何の話?」

 突然話をふられて、聖來は目を丸くして驚いた。ああ、そういえばそんなことも
あったっけな。愛結奈がステージ上に椅子を持ち込んで座って歌っただけで聖來は
負けたから、あの時は俺も聖來も悔しくてたまらなかった。

「愛結奈さんって歌も上手いの?」

 伊吹が聞いてきた。ああ、むしろダンスより歌の方が上手い。





「愛結奈が四天王まで上り詰めたのは、歌唱力が抜群に高かったからだ。あいつは
 ダンスもビジュアルも高いが、特に歌が突出しているんだよ」

 全てにおいて大胆で派手でパワフルな超弩級アイドル。それが浜川愛結奈だった。
俺達もあいとチーフPも愛結奈には散々苦しめられたよ。

「そんなすごい人だったんだ。もうアイドルやらないのかな……」

 夏樹と一緒になって聖來をからかう愛結奈を見ながら、伊吹がぽつりと言った。
どうなんだろうな。今はアドバイザーの仕事が楽しいみたいだが、愛結奈もまだ
引退するにはもったいないよな―――――






―――



「ふぅ、ちょっと休憩しよ。久々だけどやっぱLIVEハウスは楽しいね!」

 頼子の隣にちょこんと座って聖來は一息ついた。スーツ姿の頼子とTシャツ姿の
聖來が並ぶと、どっちが年上なのか本格的にわからなくなるな。

「すごかったね!炎のドラゴンがぶわーって飛んで、映画を見てるみたいだったよ!
 大阪はやることが派手だね!」

 聖來はすっかりVFXに夢中のようだ。水を差すようで悪いが、お前達は今から
あのVFXを使った大阪のアイドル達と戦わないといけないんだぞ?





「でもVFXとリアルがかけ離れすぎてるっていうか、VFXの演出がすごければ
 すごいほどアイドルがしょぼく見えちゃうんじゃないの?」

 伊吹が冷静に突っ込んだ。聖來も「だよね?」とあまり脅威ととらえていない
ようだ。俺が危惧していたより2人は動じていないな。

「夏樹さんと恵磨さんの邪魔にならないように、龍もステージから距離をとって
 漂っていましたね…。確かに初見のインパクトは大きいですが、慣れてくると
 脳は別々のものとして認識するので、評価には影響しなのでは……?」

 そして頼子は2人よりもっと冷静にステージを分析していた。なるほど、確かに
一理ある。あまりVFX演出を絡めると龍が出た時にビクってなった夏樹みたいに、
パフォーマンスにマイナスになる危険性もあるな。





「バ、バレてたのかよ!? うわあ、ハズい……」

 いつもクールな夏樹が顔を赤くして手でおおう。しっかり見てるって言っただろ。
歳相応の18歳の女の子みたいで可愛かったぞ。

「恵磨もバンドのメンバーもサプライズとか言って何も教えてくれなかったんだよ!
 いきなり燃えてる龍がこっち向かってきたら誰だってビビるだろうが!」

「はいはい怖かったね~夏樹ちゃん。よしよし♪」

 いつもからかわれてる伊吹がここぞとばかりにやり返す。そのくらいにしてやれ。
俺が夏樹と同じ状況だったらギター放り投げて逃げるわ。





「甘いわよあんた達、VFXの威力はこんなものじゃないからね」

 すると俺達の会話を聞いていた愛結奈が反論した。

「確かにVFXをアイドルのパフォーマンスに組み込むことは難しいけど、やり方
 次第でどうにでも出来るし、龍を出したりするだけじゃないわよ」

 ステージではいよいよ最初のアイドルのパフォーマンスが始まろうとしていた。
あの子は確か、西川保奈美だったかな?





「ああ、保奈美は結構VFXをうまく使える子だからよく見ておきなさい。VFXが
 ただの技術頼りの演出じゃないってことがよくわかるわよ」

 ステージで一礼して、保奈美のパフォーマンスが始まる。小柄な彼女に似合わず
恵磨に負けないくらい芯の強いエネルギッシュな歌声で、一気に観客を惹きつけた。
ダンスは軽く振付けをする程度で、完全に歌にウェイトを置いているようだ。

「すごいなあの子。あれは専門的な訓練を受けた歌い方だが、何かやってたのか?」

「宝塚目指してたらしいよ。あれでまだ16歳なんだからすごいよね」

「16歳!? あの子16歳だったのか!? てっきりお前や愛結奈と同じくらいだと……」

「あんたそれでもプロデューサー?確かに保奈美は高校生に見えないけど」

 俺だって間違える事もある。大人っぽい見た目もさることながら、歌唱力も完全に
高校生のレベルを超えている。普段からボイスレッスンを受けているアイドル達でも
あそこまで歌える子はなかなかいないぞ。





「だがLIVEバトルで戦うには少し上品すぎるというか、優等生らしさが前面に出て
 しまっているな。本人もよくわかっているみたいで選曲や振付けを工夫しているが、
 宝塚のステージとはわけが違うぞ」

 恵磨と夏樹の荒々しいステージの後なのもあって、ギャップが激しい。保奈美の
歌唱力は高いが、毛色の違うパフォーマンスに観客もやや戸惑っていた。

「その差を埋めるのがVFXよ。そろそろ始まるから見てなさい」

 愛結奈に言われてステージを見ていると、保奈美に向かって爽やかな風が吹いた
ように緑の葉や草が舞い上がり、歌声に合わせてひらひらとステージに降り注いだ。
ステージ背景に新緑の草原が映し出され、まるで俺達まで大自然の中にいるような
錯覚に陥ってしまう。





「驚くのはまだ早いわよ。ここからクライマックスだから」

 やがて背景の草原は金色に色づき、新緑の季節から秋に変わったのが表現される。
舞い降りた緑の葉や草は光り輝く鳥になって、ステージから観客席側に飛び立った。
保奈美とVFXが作り出すの幻想的な光景に、俺達は心を奪われた。

「LIVEバトルに合わせてアイドルがパフォーマンスを変える必要なんてないわ。
 自分らしさを貫き通してそのレベルが高かったら、どんなパフォーマンスでも
 受け入れられるのよ。VFXはその手助けをするツールに過ぎないわ」

 ステージが終わると保奈美に割れんばかりの拍手が沸き起こる。どんな場所でも
自分らしさを決して曲げなかった愛結奈の信念が感じられた。





「まああんた達の言う通り、中にはVFXに振り回されてグダグダになっちゃったり
 実力が足りなくて空回っちゃったりしてる子もいるけどね。VFXのチーフも多少
 調整はしてるけど、なかなかステージに馴染ませるのは大変みたいよ」

 現状ではまだ課題は多いものの、アイドルのパフォーマンスとVFXが融合すれば
誰も見たことがない時代を一歩も二歩も先に進んだステージになるだろう。

「時代を一歩も二歩も先に進んだステージ、か……」

 ふと、前事務所の社長の顔が頭をよぎった。よくそんなことを言ってたっけな。





「VFXを一番上手く使える子って誰なの?」

 聖來が愛結奈に聞いた。保奈美もなかなかだったが、更に上がいるらしい。

「みくかあやめのどっちかだけど、みくはVFXを最低限しか使おうとしないから
 あやめね。あやめのステージは見てて楽しいわよ」

「あやめちゃんって忍者の子?あんまりVFXに縁がなさそうに見えたけど……」

「まさか。あの子がココで何て呼ばれてるか知らないの?」

 愛結奈はちっちと指を振るジェスチャーをして、まるで自分の娘を紹介するかの
ように得意気に言った。





「『科学忍者』よ。一応言っとくけどガッ〇ャマンじゃないからね?」

 科学忍者か。忍術のパフォーマンスをVFX演出で行うのだろうと予想されるが、
果たしてどんなステージになるのだろうか―――――





つづく





***



「え?小松?誰よそれ?そんなコ知らないわよ?」

 LIVEバトル観戦中に、愛結奈に電話が入った。大きな声で何度も聞き返すので
近くにいた俺達にもよく聞こえて、伊吹が反応した。

「ごめん愛結奈さん、それ多分アタシ。そろそろステージ裏に戻ってきてくれって
 言ってるんでしょ?」

「ああ、あんた小松って苗字だったの?そうそう、すぐに戻ってくれってさ」

「夏樹のステージだけ見て戻るつもりだったけど、すっかり忘れてたよ」

 伊吹はうーんと背伸びをして、二度三度腰をひねって体をほぐした。





「じゃ、行ってくるから。みんな応援してね♪」

 伊吹は俺達にウインクして、そして聖來に改めて向き直った。

「聖來さん、悪いけどこのLIVEバトル勝たせてもらうよ」

「宣戦布告?いいねバトルっぽくて!アタシも負けないよ!」

 聖來と伊吹が笑い合う。しかし笑顔の下では激しい火花が飛び散っていた。




「Pもしっかり見ててよ。アタシの実力を見せてあげるから」

 伊吹の体からオーラが出ているように見える。こいつは腹が決まると本当に強い。
仮にこれがLIVEバトルではなくダンスの仕事なら、成功は間違いないだろう。

「ああ、行ってこい。お前のダンスで大阪の度肝を抜いてやれ」

 伊吹を見送ってから、俺は再びステージに目を向ける。ダンスの得意なアイドルが
軽快なステップを踏んでいるが、伊吹の敵ではないな。浜口あやめと前川みくが少し
気になるが、果たして今の伊吹に敵うレベルなのだろうか。




「伊吹の前にあやめのステージをセッティングしたわ。前半戦一番の対決ね♪」

 俺の考えを読んだのか、愛結奈が隣で言った。聖來も耳を傾ける。

「伊吹もあんた達もウチの子達が全然眼中に入ってないみたいだけど、ナメてたら
 痛い目に遭うわよ?特にダンスだけで戦おうとしてる伊吹みたいなコはね」

 愛結奈がニヤリと笑う。その笑顔に頼子が不安な顔をして落ち着きを失った。




「大丈夫だよ。伊吹は負けないから」

 すると聖來が頼子の背中をぽんと軽く叩いて落ち着かせた。

「伊吹はやるって決めたらやるコなの。ちょっとバカだけど、あのコのまっすぐに
 突き進む力は、そんなの気にならないくらい強くて純粋だから。だよね?」

 聖來は俺の方を見て笑った。そうだな、それが伊吹の魅力だ。素直じゃないから
エンジンをかけるのはコツが要るが、走り出したアイツは簡単に止まらない。




「でも聖來さんも伊吹さんと勝負するんだよな?大丈夫なのか?」

 夏樹の質問に聖來は苦笑いして、頭をぽりぽりかいた。伊吹の強さを知っている
からこそ、伊吹の怖さも知っている聖來は天井を見上げて

「どーしよっかなぁ……」

 と、つぶやくように言った。おいおい、伊吹が吹っ切れたと思ったら次はお前が
メランコリックな状態になってるのか―――――?





―――



 伊吹がステージ裏に戻ったのをきっかけに聖來も観客に混じって応援を再開し、
愛結奈もスタッフから連絡を受けてどこかに行ってしまった。俺の隣には頼子と
夏樹の2人が残っている。

「なあ、Pさんはさ、聖來さんと伊吹さんどっちが勝つと思ってるんだ?」

 夏樹が気軽に聞いてきたが、難しい質問だな。さてどう答えたものか。

「普通に考えれば伊吹だろうな。伊吹は聖來よりダンス歴は浅いが、それを補って
 余りあるほどのセンスがある。それに伊吹はアイドルになる前も、なってからも
 ダンスに打ち込んでいるから聖來とはレッスンの密度が違うしな」

 伊吹は毎日どれだけ仕事やレッスンで忙しくても、ダンスの自主練は欠かさない。
仕事でアイドルとしてのダンスを踊った後に、更にダンサーとして自分のダンスを
練習するという徹底ぶりだ。





「ふーん、てことはこの勝負、伊吹さんの方が有利なのか」

 夏樹が冷静に言った。そうだな、業界の人間なら全員伊吹が勝つと思うだろう。
だが俺と聖來は、昔から『そういう状況』で戦ってきたんだよ。

「聖來がLIVEバトルで有利だったことなんて一度もなかったよ。あいつは身長も
 低いしアピールも弱いし、普通にバトルしたらまず勝てない。だから俺と聖來は
 格上の相手を倒す方法をいつも考えたさ」

 聖來はLIVEハウスという限定的な空間をフル活用して戦うアイドルだ。観客の
テンションを瞬時に把握し、最適なアドリブをダンスに迷いなく放り込み、格上の
相手に互角に戦う姿はまさにLIVEバトルの異端児だった。




「それと今回、俺は聖來のLIVEバトル対策レッスンを明さんに任せていたから
 あいつのパフォーマンスを全ては把握していないんだよ。俺を驚かせるような
 ステージにしたいそうで、本番まで秘密らしくてな」

「え……?Pさんもわからないんですか……?」

 頼子が驚いたように言った。担当Pなのにひどい話だよな。

「聖來も聖來なりにLIVEバトルに対する想いがあるらしい。ただ3年前と同じ
 パフォーマンスをするだけだとつまらないから、新しい自分をこのステージで
 表現するって言ってたぞ」

 昔の勘を取り戻すだけでも大変だろうに、そこから更に新しい自分のスタイルを
生み出すなど無謀にも程がある。俺も最初は反対したが、聖來がどうしてもやると
言って聞かなかったので、いくつか条件をつけて許可した。




「聖來のパフォーマンスは3分30秒で、そのうちの前半2分は俺も把握している。
 しかし後半1分30秒は全くノータッチだから、勝負のポイントはそこになるな。
 俺が把握しているパフォーマンスだけなら伊吹が勝つが、聖來のアドリブ次第で
 この勝負どう転ぶかわからん」

「ヒュウ♪ Pさんまで楽しませようとするなんて、聖來さんもニクいマネするな」

 夏樹が冷やかすように口笛を吹く。お前もギターで俺を楽しませてくれたぞ?

「ソレとコレとは全然違うだろ。アタシのはただの自己満足だけど、聖來さんのは
 完全にPさんの為だけのプレゼントじゃねえか」

 そこまで思い上がってねえよ。どうしてみんな俺と聖來の関係をそういう方向に
持って行きたがるんだ?




「おいおいPさん、アタシだって一応オンナだし、アンタ達が仕事以上の関係って
 ことくらい気付いてるっての。よっちゃんもわかってるよな?」

 夏樹に話を振られて、頼子は顔を赤らめて目を逸らしたものの否定はしなかった。
やれやれ、本当にこの年頃の女の子はそういう話が好きだな。

「ご期待に応えられなくて悪いが、俺と聖來は昔も今もアイドルとプロデューサー
 以上でも以下でもないぞ。少しばかり付き合いが長くてお互い悪い感情は持って
 いないからそう見えるかもしれないが、あくまで仕事の範囲内だ」

「そうかなあ~?」

「とてもそんな風には……」

 お前ら今日はやけに気が合うな。仲が良いのは良い事だ。




「まぁ、アタシは同じ高校の後輩だし、伊吹さんを応援しよっかな。よっちゃんは
 どうする?」

「え、わ、私は、どちらも応援しますけど…、夏樹さんが伊吹さんを応援するなら
 聖來さんを応援します…」

「じゃあ負けた方がジュースオゴりな♪」

「ええ……っ!? 」

 こらこら、悪い遊びを頼子にさせるな。頼子も断っていいんだぞ?




「あら、P君達だけ?愛結奈ちゃんはいないのね」

「よっちゃん背中が丸まってますよ。スーツがスーッと伸びるように立ちましょう」

 ふと後ろから声をかけられたので振り返ると、川島さんと高垣さんが立っていた。
お疲れ様ですお二人とも。メイクの仕事は終わったんですか?

「ええ、ギリギリね。衣装室のモニターでもステージ観戦は出来るけど、やっぱり
 生で見るのとは迫力が違うしね」

「あやめちゃんのステージはこっちで見たいです。にんにん♪」

 高垣さんが胸の前で忍者のポーズをとる。ステージの上では8番目のアイドルが
パフォーマンスをしているところで、浜口あやめが9番、伊吹が10番目で前半の
LIVEバトルは終了になるそうだ。




「科学忍者ってのは、そんなにスゴいのか?」

 夏樹が川島さんに聞くと、川島さんは満面の笑顔で答えてくれた。

「自分の常識が変わるわよ。あの子も伊達に忍者を名乗ってないからね」

 アナウンサーという職業上、情報通で物知りな川島さんにここまで言わせるとは
浜口あやめのパフォーマンスは期待出来そうだな。

「あやめちゃんとみくちゃんはファンがいっぱいいるんですよ。見てください」

 高垣さんがステージを指さすと、8番目のアイドルのステージが終わったところ
だった。すると観客がにわかに騒がしくなり、雰囲気が一変する。




「あれは…… 横断幕か?小さな応援旗やうちわなら他のアイドル達の時も見たが、
 あんな大きなものはなかったな」

「ファンクラブの人達ね。みくちゃんにもあるわよ」

 観客達は畳よりも少し大きいくらいの横断幕を広げ、あやめコールを始める。
突然変わった観客の雰囲気に驚いて、聖來が尻尾を巻いて逃げてきた。

「な、何なの急に?さっきまでみんなで楽しく応援してたのに、いきなりコワい
 空気に変わったんだけど……」

 聖來はたまたま浜口あやめのファンクラブの近くにいたようだ。災難だったな。



「もう大丈夫ですよ~。よしよし♪」


「あれ?お姉さん誰?スタッフさん?」

 高垣さんに頭を撫でられて、聖來はきょとんとしている。お前まだこの2人に
会ってなかったのか。いつもみたいにトイレでメイクしてたのか?

「あなたが愛結奈ちゃんが言ってた水木聖來ちゃんね。初めまして、川島瑞樹よ。
 苗字にシンパシーを感じるわ♪」

「川島瑞樹?どこかで聞いたような…… あ、み、水木聖來です!」

「高垣楓です。せーらちゃんって、可愛い名前ですね♪」

「そこ伸ばさないで欲しいんだけど…… よろしくお願いします」

 突然の2人の来訪にやや戸惑いつつ、聖來は挨拶を交わした。夏樹は既に顔を
合わせていたようで、川島さんと楽しそうに話している。伊吹と愛結奈が抜けて
川島さんと高垣さんが加わって、このメンバーで観戦になりそうだ。




「さてと、大阪LIVEハウスの二大アイドルの実力……」

「たっぷり見せてもらおうかな!」

 俺の独り言に聖來がかぶせてきてニコっと笑った。子供みたいな真似をするな。
夏樹と頼子が生温かい目で見てるし、また誤解されるだろうが―――――




つづく





***



『臨!兵!闘!者!皆!陣!列!在!前!』

 無人のステージに九字を叫ぶ声が響くと、観客達の大歓声が生まれた。いよいよ
現代に生きる忍者、浜口あやめのステージが始まる。

『浜口あやめ、見参!』

「なっ!? 」

 誰もいなかったはずのステージに、まるでテレポートしたかのように浜口あやめが
突然現れた。あれはVFXのホログラム映像なのか!?





「いや、本物だよあれ!リアルっぽいもん!」

 聖來が興奮気味に話す。紺色の忍装束に身を包んだあやめは、素早くてキレのある
バク転をしてみせて、着地と同時に両手にクナイを持って構えた。それが合図らしく、
和風テイストのBGMが流れる。

「あやめちゃんのステージが面白いのはね、VFXと忍術パフォーマンスの境目が
 わからなくなっちゃうところなのよ。あの子はVFXを自分の忍術に使う為に、
 毎日の忍者修行を欠かしてないのよ」

 ステージ上のあやめはピカピカに磨き上げたクナイを手の平でクルクル回したり、
時代劇の殺陣のように敵を攻撃するような素振りをしたりと、緩急をつけた独特の
ダンスで観客を魅了する。なるほど、確かに身体能力も高そうだ。




『ニン!』

 あやめが胸の前で忍者のポーズを取り、その場でくるりとターンをする。すると
さっきまで着ていた忍装束が、一瞬で露出の高い華やかな衣装に変わった。あれは
VFXではなくて早着替えの応用か?

『ニン!』

 しかし俺が分析する時間を与えないかのように、あやめは続けて両方の手を真横に
まっすぐ伸ばすと両側にあやめの分身が出現し、あやめはその分身達とぴったり息の
合ったダンスを再開した。目まぐるしく変わるステージに俺達は目が離せない。




「はは!こりゃすげえ!まるで本物の忍者みたいだ!」

 夏樹も驚きを隠しきれず、もはや笑い声しか出て来ない。頼子もあやめの忍術に
すっかり惑わされているようで、眼鏡を何度かかけ直していた。

「あとは歌が歌えれば完璧らしいです。そっちは鍛錬が足りないって言ってました」

 高垣さんが教えてくれる。おい聖來、あやめはお前と同じ音痴仲間らしいぞ。

「アタシ音痴じゃないもん!もう!ジャマしないでよ!」

 冗談で言ったのにマジで怒られた。聖來は真剣な目であやめを見ている。




『ニン!』

 真ん中のあやめがバックステップでステージの後ろに下がると、そのまますっと
消えてしまった。てっきり真ん中が本物だと思い込んでいた観客達から驚きの声が
あがる。すると両端のVFXあやめが中心で合体し、再び本物のあやめが登場した。
いや、もはや俺には本物なのかVFXなのかわからない。

「VFXの本領発揮だな。自分の思いのままに使いこなしているあやめも見事だが、
 あやめのパフォーマンスにシンクロさせているVFXスタッフも見事だ。確かに
 自分の常識が変わりそうだよ」

「忍者ってスゴいね!あんなこと出来るんだ!」

 聖來は新しいオモチャを目の前にした犬みたいに、爛々と目を輝かせてステージを
食い入るように見ていた。確かに見てるぶんには楽しいが、あの忍者と戦うとなると
背筋が寒くなる。伊吹は大丈夫だろうか?




『これにて御免!』

 最後にもう一度忍者のポーズを取り、あやめは勢いよく真上に飛びあがってそのまま
ステージ上から姿を消した。人間があんなに高く飛べるはずないからVFXだと思うが、
忍者なら可能なのか?もう考えるのも面倒だ、今は素直に拍手しよう。

「あら、瑞樹さん達も来てたの?」

 あやめのステージが終わると愛結奈が戻って来た。どこに行ってたんだ?



「ちょっと恵磨と一緒に照明さんのフォローに入ってたのよ。あやめのステージは
 演出をフルで使うし、万が一に備えてね」

「へえ、あんたそんなことも出来るんだ。ちゃんと裏方やってるじゃん」

 聖來が感心したように言った。愛結奈は得意気に胸を張る。




「それでどうだった?ウチのあやめも大したものでしょ」

「アイドルのステージというよりイリュージョンに近かったが、忍者という視点で
 考えればアリかもな。なかなか楽しませてもらったよ」

「あやめは映画村や忍者屋敷でショーをやってた子なんだけど、アイドルにしたら
 面白そうだと思って瑞樹さんが連れて来たの。取材したこともあるのよね?」

「ええ、あやめちゃんは関西では小さい頃から有名な天才忍者少女よ。くノ一役で
 時代劇に出るのが夢みたいだけど、その才能をこっちでも使ってくれないかなと
 思って声をかけたら大当たりだったわ」

 なるほど、川島さんが勧誘したのか。女子アナとしての実力もさることながら、
人を見る目も確かなようだ。




「伊吹さん大丈夫かなあ。あんなステージ見せられてビビってないといいけど」

 夏樹が無人のステージに目を向ける。脇では伊吹がスタンバイしてるはずだ。

「大丈夫みたい。むしろあやめちゃんを見てますます燃えてるよ」

「あれ?伊吹さんと電話でもしたのか聖來さん?」

「ううん、してないよ。でも伊吹のパワーを感じるんだ」

 戦う者の直感だろうか。愛結奈も聖來と同じものを感じ取ったらしく、口元に
笑みを浮かべて、伊吹がいるであろうステージ脇の一点をじっと見ていた。




「ここからでもむき出しの闘争本能をビリビリ感じるわ。さすが聖來に勝とうと
 してるだけのことはあるじゃない」

「天才肌のあやめには卓越したパフォーマンスの技術とセンスがあったが、泥臭い
 闘争心が足りなかったな。あやめは素直で優しい子みたいだし、LIVEバトルが
 アイドル達のケンカだという自覚が足りないんじゃないか?」

「それがあの子の唯一の弱点なのよね。聖來と戦ってそれに気付けば今よりもっと
 上を目指せると思ってたけど、これは思わぬ伏兵がいたみたいね」

 聖來もニヤリと笑った。あやめが天空から相手を見下ろすステージだとすれば、
伊吹は地上から相手を引きずり下ろすステージだ。目の前の相手が誰であろうと
戦うファイターになった今の伊吹に、怖いものは何もなかった―――――




つづく





***



「お、ようやくお出ましだな。あれ?何か伊吹さんデカくなってないか?」

「ヒールブーツに履きかえたからだ。伊吹は元々165センチと背が高い方だが、
 今は170近くあるんじゃないか」

 ステージに登場した伊吹は上下が分かれたヘソ出しの衣装で、上は丈の短い
蛍光オレンジのジャケットを羽織り、下は同じ色のホットパンツで、足周りは
エナメル質の黒いブーツでまとめた。今日の為に作った特製衣装だ。





「さっきは上にジャージ羽織ってたからわからなかったけど、下はあんなエロい
 カッコだったのか。あれはPさんの趣味か?」

「バカ言え、あれは伊吹の持つ魅力を最大限アピールする為に計算された衣裳で、
 LIVEバトルで勝つ為の立派な作戦のひとつだぞ。伊吹のダンスで鍛えられた
 ボディは十分武器になるから担当Pとして使わない手はない」

 しかしあいつ本当に良い体をしてるな。程良く引き締まっているのに出る所は
出ていてメリハリがあり、グラマーで健康的な魅力に溢れている。伊吹に抵抗が
なければ、グラビアの仕事はいくらでも持って来れるのだが。





「あらあら、さっそくピンチね。どうするの聖來?」

 愛結奈がニヤニヤしながら伊吹と聖來の体を見比べる。聖來は愛結奈の言葉を
スルーして、

「ふんっ」

「いてっ!? 何するんだよいきなり!? 」

 俺の靴を思いきり踏んづけた。何を怒ってるんだよ?

「わざとじゃないし」

 聖來がぷいっとそっぽを向く。うそつけ、明らかに狙って踏んだだろ。





「ふふ、あなた達面白いわね。見ていて飽きないわ」

 そんな俺達の様子を見て、川島さんは可笑しそうに笑った。楽しんで戴けるのは
光栄ですが、伊吹のパフォーマンスの方がもっと面白いですよ。

「見かけ倒しで終わらないでよ?ワタシも期待してるんだからね」

「まあ見てろ。あいつの一番の武器はダンスだから」

 俺と愛結奈の会話は聞こえているはずだが、聖來は入って来ようとしなかった。
その大きく澄んだ瞳は、ステージ上の伊吹をじっと見つめている―――――





―――



 ズン… ズン… ズン… ズン… と、重く強いサウンドがステージに響く。伊吹は
音に合わせて足で軽くリズムを取り、徐々に足から膝、膝から腰、腰から腹部へと
かけ上がっていくように体を動かして、そして胸まで来た所で、

 ズドンッ!! という爆発音のようなサウンドと共に伊吹のダンスも一気に弾けた。
ここから伊吹のパフォーマンスがスタートする。

「あれは…… ポッピングかしら?」

 川島さんが聞いてくる。詳しいですね。伊吹が踊っているダンスはストリートの
ジャンルで、ポッピン(poppin’)と呼ばれるスタイルだ。音に合わせて体の筋肉を
リズミカルに弾く(ポップする)のが大きな特徴で、体の筋肉を上手く扱えないと
踊れないのでダンスの中でも難易度は高い。





「よくあんな風に器用に動かせるわね。どうやってるのか聞いてみたいわ」

 ステージ上の伊吹は音に合わせて、腕や胸を正確に弾いている。伊吹の専門は
ブレイクダンスだが、ポッピンを踊った経験もあるらしくレッスンをしてやると
すぐに自分のものにした。

「でもあんまり動かねえんだな。さっきの忍者とか他のダンスやってた子達は
 もっとステージを広く使ってステップを踏んだり走り回ったりしていたのに、
 伊吹さん最初に立ってた位置からほとんど変わってないじゃん。体の筋肉を
 すげえ使ってるのはわかるけど、ちょっと地味じゃね?」

 夏樹が心配そうに言う。夏樹はきっと伊吹が派手に飛んだり、逆立ちをして
ステージを転がり回ったりすると思っていたのだろう。確かにダンス対決なら
それもアリかもしれんが、LIVEバトルではデメリットの方が大きいんだよ。





「LIVEバトルでアピールするのはダンステクニックじゃなくて、アイドルの
 魅力なんだよ。だから派手に踊ればいいというものではないし、動き回ると
 観客の視線が分散するからむしろ逆効果の場合もあるんだぞ?」

 ルックスやボディといった明確なアピールポイントは大事にしないといけない。
あまり激しいダンスをして表情がブレたり、ボディラインを崩すような振付けは
アピールを減少させるのでバランスを取るのは難しいのだ。

「それにポッピンが地味なんて全然そんなことないぞ。日本一のLIVEバトルの
 激戦区の渋谷で、ポッピンでトップを獲ったアイドルもいたしな」

 俺は愛結奈に目を向ける。愛結奈はふん、と鼻で笑った。

「ワタシはもっとスゴかったでしょ?ワタシのマネさせてるのかもしれないけど、
 あの程度じゃ聖來には勝てないわよ」

 誰があれで終わりだと言った?今は大阪では初ステージだから挨拶の代わりに
観客にサービスをしているところで、本格的に攻撃に移るのはこれからだ。





「おや?体の重心が変わりましたね」

 黙って見ていた高垣さんがぽつりと言った。姿勢ではなく重心を見抜くとは、
これもトップクラスのモデルがなせる業だろうか。

「姿勢が良いとダンスも上手に踊れますよ。よっちゃんもびょーん♪」

「え…?え?い、いたいです……」

 高垣さんに手を掴まれて、頼子は万歳の姿勢で体を上に引っ張られてしまう。
うーん、さっきの発言はたまたまそれっぽいことを言っただけなのだろうか?
こんなに変人…おっと、不思議な人だとは思わなかった。





「始まる」

 俺達を気にも留めず、伊吹のパフォーマンスを真剣な目で見ていた聖來が呟いた。
ステージに流れる曲調がややペースアップし、体全体の筋肉をバランス良く弾いて
踊っていた伊吹のダンスが次第に上半身に集約していく。

「『プログラム』発動だ。今から伊吹から1秒も目を離すなよ。いや、そんな事を
 言わなくてもあいつから目を離せなくなると思うけどな」

 プログラムとはもちろん『聖來対策プログラム』のことだ。聖來本人が目の前に
いるので明言はしないが、聖來も薄々気付いているだろう。伊吹の本当の意味での
LIVEバトルが始まった―――――





つづく





***



 ステージの伊吹が右腕を体の前に差し出し、親指を下に向けて突き立て、聖來を
見て首の前で横に引いた。挑発的なパフォーマンスに会場は大盛り上がりだ。

「あいつ、アイドルとして品のない事はするなって言ったのに……」

「いいじゃない、ワタシも昔はLIVEバトルでよくやったわ♪」

 苦々しく言う俺に、愛結奈は懐かしそうに笑った。そういえばそうだったっけな。
愛結奈をベースにしたプログラムだから、性格まで愛結奈に似たのだろうか。

「面白くなってきたわね。あのコどこまで出来るのかしら……」

 愛結奈も次第に言葉が少なくなり、伊吹のパフォーマンスに注目する。熱狂する
観客とは対照的に、聖來と同じように静かに見ていた。





「下から上へ、上からさらに上へ…… ですか?」

 いつの間にか俺の隣に来ていた高垣さんが聞いてくる。言ってる事は抽象的だが、
伊吹のダンスを的確に言い当てているから恐ろしい。

「簡単に言えばそうです。伊吹は体全体の筋肉を下から上に弾き、更に上に行けば
 行くほど強く大きくして、ダンスのアピールを上に集めています」

 これが『聖來対策プログラム』の正体だ。愛結奈が3年前のLIVEハウスでよく
踊っていたスタイルで、聖來はこのダンスに散々苦戦した。




「わかったわ。伊吹ちゃんは空中戦をやっているのね。自分より背の低い相手には
 届かない高さでアピールするから効果的だわ」

 川島さんが納得したように言った。さすが関西No.1と名高い女子アナ、多少は
ダンスの知識もあるようだが優れた洞察力をしている。

「『観客が見やすく、わかりやすいアピールをする』結局これに尽きるわけです。
 観客が一番よく見るのはアイドルの顔で、アピールは顔の周りを中心に展開
 するのが最も効果的なんですよ」

 つまり胸~腹付近の筋肉を大きく弾いてアピールすることで、伊吹は観客の視線を
集めている。更にヒールブーツで身長を上げ、両腕の振付けも胸より下に降ろさない。
こうして伊吹のパフォーマンスはステージ上空を支配するのだ。




「すっげ…… 伊吹さんがいつもより何倍も大きく見えるぜ……」

 夏樹が口を開けたまま固まっている。それだけ上空のアピールが効果的って事だ。
俺の期待以上のパフォーマンスを見せているのは伊吹のダンスセンスによるものも
大きいが、観客達には強烈なインパクトを与えているだろう。本家本元の愛結奈は
更にド派手なピンクゴールドの髪を振りかざしていたから強烈だった。

「聖來が物理的に届かない高さのアピールだったから、この高さを覆して勝つのは
 本当に苦労したよ。あいも長身だし、それだけで聖來には不利だったな」

 体格差はそれだけアピール力に差が出るのだ。たとえダンスの実力が同程度でも、
大人が踊るのと子供が踊るのとでは迫力が違う。更に愛結奈は聖來より大きな胸を
これ見よがしに激しく弾き、セクシーアピールも数段上回っていた。聖來も決して
小さいわけではないのだが…… とにかく、体格差は残酷なのだ。




「…………」

 ふと悪寒を感じたので視線を下げると、聖來が不機嫌そうな顔で俺を見ていた。
そう怒るなよ、俺はお前だけじゃなくて伊吹の担当Pでもあるんだから、伊吹が
ベストを尽くせるようにプロデュースするのは当然だろ?

「別に怒ってないし。でも何かヤな感じ」

 聖來はそう言って、再び伊吹に視線を戻した。まあ聖來対策プログラムだから、
伊吹のパフォーマンスは聖來の弱点を徹底攻撃しているようなものだしな。




「ワタシほどじゃないけどなかなかやるじゃない。だけどモノマネさせるだけじゃ
 伊吹に先はないわよ。それはプロデューサーとしてどうなの?」

 愛結奈がじろりと見る。それももちろん考えているさ。俺は伊吹を猿真似で満足
するような、意識の低いアイドルに育てるつもりはないからな。

「もうすぐフィニッシュだな。そろそろ『アレ』を出すはずだ」

 腕を振り上げ、胸を大きく弾いて踊っていた伊吹がジャケットの内ポケットから
小さな布のようなものを取り出す。それは指抜きのグローブだった。伊吹はそれを
ダンスを続けながら左手にはめる。

「片方だけ?何をするつもりなのかしら?」

 川島さんが首をかしげる。夏樹や頼子も不思議そうに見ていた。




「よく見とけよ。『入り』は一瞬だからな」

 ステージがクライマックスに向かって最高潮に盛り上がっていく中で、伊吹の
ダンスは激しさを増し、そしていよいよフィニッシュというところで、



 伊吹は前方に倒れ込むようにステージに手を着き、そして足を天井に向かって
まっすぐに高く上げて逆立ちの体勢になった。





「え……っ!? 」

「んなっ!? 」

「ウソッ!? 」

「あら、逆立ちも綺麗♪」

 上から頼子、夏樹、川島さん、高垣さんである。どよめく観客が見ている前で
伊吹はそのまま右腕を上げて左腕一本で体を支え、そして、



 クルクルクルクルクルッ!!



 まるでフィギュアスケートの選手のように高速回転した。





「1990……」

 聖來がぼそっと呟いた。知っていたのか。伊吹が見せたのはブレイクダンスでも
難易度の高い『1990(ナインティーナイン)』と呼ばれる大技だ。リズムを乱さず、
ボディラインを崩さず、アピールが弱まらない技を厳選した結果、ラスト5秒間に
1990を繰り出す事にしたのだ。

「まったく、とんでもないヤツだよお前は」

 回転が終了すると、伊吹は足を下ろして元の体勢に戻り、最後にポーズを決めて
フィニッシュした。突然の1990に最初は呆気にとられていた観客だったが、我に
返るとLIVEハウスが割れんばかりの大歓声と拍手が響いた。




「すっげ―――――っ!! 何だあれ!? 最後の何だ!? とにかくすげ―――――っ!! 」

 いつもクールにカッコつけてる夏樹だが、まるで恵磨のように大興奮していた。
地鳴りのように響く大歓声は伊吹本人も予想していなかったようで、照れながら
観客側に手を振りつつステージ裏へと消えた。お疲れさん。

「どうだった?伊吹のステージは」

 俺は聖來の肩をぽん、と叩いた。俺が言うのもあれだが、ほぼパーフェクトな
ステージだったと思っている。お前の感想も聞かせてくれ。

「思ったよりスゴかった。アタシちょっとヤバいかも」

 聖來は苦笑いして、頬をぽりぽりかいた。相手にとって不足無しだろ?




「伊吹の衣装とかダンスとか色々文句言いたいけど、今はさ、」

 俺の目をまっすぐ見て、聖來はふっと笑った。

「伊吹の担当がPさんで良かったよ。あのコの面倒見てくれてありがと♪」

 それは良かったよ。ついでに足をどけてくれないか―――――?




つづく





***



 伊吹のステージが終了し、LIVEバトルは15分間の休憩に入る。観客の会話に
耳を傾けると、伊吹の話でもちきりだった。

「予想以上の反響だな。大阪の子達には可哀想なことをしたか?」

「ウチの子達を見くびるんじゃないわよ。これくらいでヘコむほどヤワだったら
 最初からステージに立たせてないわ」

 愛結奈は俺の懸念を鼻で笑い飛ばす。愛結奈の言葉を裏付けるように、伊吹を
迎えに行ったはずの夏樹が1人で戻ってきた。





「いや~、すげえな伊吹さん。ありゃ当分帰って来れそうにないぜ」

 ステージ裏では伊吹はすっかりスター扱いされているそうだ。他の出場者にも
伊吹は大きな刺激になったようで、質問攻めにされているらしい。

「それでこそあんた達を東京から呼んだ甲斐があるものよ。ステージが終わった
 ばかりなのに悪いけど、しばらくウチの子達の先生になってもらうわ」

「構わないさ。伊吹も悪い気はしないだろうしな」

 休憩が終われば解放されるだろうし、それでも戻って来なかったら助けに行って
やるか。あまり放っておくと怒りそうだ。





「大阪の子達って明るくていいね。ライバル同士でもステージの外では仲が良くて、
 LIVEバトルを楽しんでる雰囲気があるよ」

 聖來が面白そうに言った。俺は聖來ほど他の出場者を詳しく知っているわけでは
ないが、確かに雰囲気は悪くない。渋谷はもっと殺伐としているからな。

「みんなまだ勝敗よりステージを楽しんでいるからよ。ワタシもあの子達にいつも
 『勝負の勝ち負けよりもLIVEバトルを楽しみなさい』って言ってるし、まずは
 アイドルが楽しめないと盛り上がらないしね」

 ごもっともだな。出場者達が実力を発揮出来る環境じゃないと、LIVEバトルは
盛り上がらない。今は日本一の激戦区になっている渋谷のLIVEハウスも、最初は
そうやってアイドルの育成に専念していたと聞いた事がある。





「だけどいつまでも楽しんでいるだけじゃ本格的なLIVEバトルにならないから、
 そろそろ次のステップに移ろうと思ってあんた達に来てもらったのよ。ウチの
 子達には伊吹は良いスパイスになったわ♪」

 俺達はコショウか。だが満足してくれたのなら俺達も東京から来た甲斐があるよ。
伊吹があれだけ良い仕事をしてくれたし、聖來の出番はもう必要ないかな。

「ちょ、ちょっと!? アタシもLIVEバトル出るからね!? 」

 聖來が慌てて口を挟む。冗談だよ、伊吹もお前と戦うのを楽しみにしているしな。

「あら、ウチにもまだみくがいるわよ?みくも聖來と戦うのを楽しみにしてるから
 ちゃんと可愛がってあげてね♪」

 そういえば前川みくもいたな。後半戦はみくと聖來の対決になるのか。





「あんたすっかりあの子達の保護者代わりね。アタシは渋谷で大暴れしていた頃の
 あんたしか知らないから、今のあんたにビックリしてるんだけど」

「ワタシも自分がこんなになるとは思わなかったわ。だけどゼロからアイドルを
 集めて、LIVEバトルで育てるのも楽しいわよ。競走馬のオーナーってこんな
 気持ちなのかしらね☆」

 馬は知らないが、俺も担当しているアイドル達が成長するのを見るのは好きだぞ。
しかしまさかこんな話を愛結奈とするとは、3年前は想像出来なかった。

「それに自分がアイドルを育てる側に回ってみて、色々とわかったこともあるわね。
 例えばあんたのプロデュースが異常だったこととか、こっち側に立ってみないと
 気付かなかったわ」

 愛結奈は俺に指を差した。異常とはひどい言われようだな。まだヘタクソって
言われた方がマシだ。





「ワタシは別にあんたのプロデュースがヘタだったとは思ってないわよ?伊吹の
 ステージを見て確信したけど、あんたは『ワク』を作らないのね」

「ワク?どういう意味?」

 聖來が愛結奈に聞き返す。『枠』か。なかなか面白い表現をするな。

「んー、どう説明すればいいのかしらね?アイドルはこういうものって決まりと
 いうか、パターンみたいなもの?」

「フレームって言いたいんでしょ?わかるわ」

 俺達の会話を後ろで聞いていた川島さんが入って来た。





「どんな仕事にも効率よくこなす為に、マニュアルやテンプレートが存在するわ。
 それらを総合して自分の中に『フレーム』を作って、そのフレームをなぞって
 仕事をすればいつでもベストの能力を発揮出来るのよ」

 女子アナらしい解説だな。フレームワークという言葉が一時期ビジネスシーンで
もてはやされていたが、基本的に昔からある考えだ。そしてそれはアイドル業界も
例外ではなく、プロデューサーもアイドルと一緒にフレームを作っている。

「アイドルとプロデューサーの間には、一緒に仕事をする為のフレームが必要です。
 フレームがないとアイドルはプロデューサーの指示を理解出来ないし、逆に俺達
 プロデューサーもアイドルに指示を与えられません。フレームが両者に共通する
 アイドルの基準になり、また両者をつなぐ絆になりますから」

 346プロのような大手のしっかりした事務所なら、アイドルを担当させる前に
まずは研修でプロデューサー達にフレームの作り方を教えるらしいが、俺がいた
事務所は研修すらなかった。なので聖來を担当するまではプロデュースに何度も
失敗して多くのアイドルを失い、俺はフレームに頼ることをやめた。





「だけどフレームは仕事の基礎だし、教わらないなんて事はありえないと思うけど。
 プロデューサー君はどうやって聖來ちゃんをプロデュースしたの?」

「お恥ずかしい話ですが、俺がしていたことはほぼ我流で、プロデュースと呼べる
 立派なものではありませんでした。決していい加減な気持ちでしていたわけでは
 ありませんが、聖來のポテンシャル頼りだった部分が大きいです」

 聖來は公園で踊っていた所をスカウトして、ほぼそのままの状態でLIVEバトルの
ステージに上げたので、俺は聖來に最低限しか手を加えなかった。自分の腕に自信が
なかったのもあるが、聖來もその方が実力を発揮出来ると思ったからだ。

「ワタシこのフレームって考えが大嫌いなの。こんなのがあるから似たり寄ったりの
 つまらないパフォーマンスになるし、だからフレームのない聖來のステージは好き
 だったわ。だけどフレームの大事さも育てる側に立ってみてわかったの」

 フレームは基礎だからな。1人で活動するにしろプロデューサーをつけるにしろ、
フレームは自分の中に作らないといけない。フレームに縛られるとワンパターンの
パフォーマンスになるが、フレームがないと基礎がないのと同じだ。愛結奈くらい
アイドルの素質に恵まれていればフレームは必要ないが、そんな人間はごく稀だ。





「ストリート出身の子達は元々カッチリしたフレームはないけど、でも自分なりの
 フレームを持ってパフォーマンスをしているわ。だけどあんたはそのフレームを
 壊して、かといってアイドル用のフレームに嵌めるわけでもなくて、それなのに
 聖來と伊吹を強くしているから異常なプロデュースって言ったのよ」

 人を異常者みたいに言うな。だが俺のプロデュースがまともじゃないのは事実だ。
前に青木姉妹の次女の聖さんが似た事を言っていたな。聖來はフレームがないから
LIVEバトル対策を立てにくく、俺達コンビは厄介な相手だったそうだ。

『P殿のプロデュースは、拾った野良犬をそのまま1本のリードにつないで操って
 いるような印象だった。アイドルをフレームで囲わず、たった1本の縄を巧みに
 操作してプロデュースをする。まるで犬を散歩させているような自由度の高さが
 私達346プロには脅威だったな』


 そして聖さんは俺のプロデュースをD.W式プロデュースと名付けた―――――





つづく






***



『ほう、噂には聞いていたがVFXはそんなに凄いのか』

「知っていたんですか。それならば浜川愛結奈が川島瑞樹と高垣楓と手を組んで、
 大阪のLIVEハウス大改造に関わっていた事もわかっていたのでは?」

『いや、それは知らなかった。しかしぞろぞろと大物が出て来たな』

 電話口の向こうでチーフPが笑う。現在俺はLIVEハウスの外で、チーフPに
LIVEバトルの様子を報告していた。今回の大阪出張は関西のアイドル達の偵察も
兼ねていて、俺はその実態を調べるように言われている。





「関西のレベルは関東に比べるとまだ低いですが、VFXを使ったパフォーマンスは
 興味深かったです。俺も今日初めて見ましたが、時代の先を行くようなステージが
 作れると思うのでぜひ東京にも導入したいですね」

『東京にはVFXをアイドルのステージに合わせて操作出来る技術者がいないんだよ。
 いくらプロジェクターを準備しても、動かせないと意味がないからな』

 VFXのチーフは貴重な人材らしい。簡単なリハーサルのみのLIVEバトルで
アドリブも珍しくないアイドルのパフォーマンスに、ほぼ即興の速さでVFXを
合わせるのは並大抵の腕ではないそうだ。




『ああそうだ、話は変わるが、お前浜口あやめをスカウトしてないだろうな?』

「してませんよ。ステージを見ただけで本人とは直接会っていませんし、大阪でも
 スカウトのルールは守ってますから」

『ならいい。浜口あやめは既に大手の映画配給会社に所属しているから、下手に手を
 出したら俺も怒られる。くれぐれも注意してくれよ』

 そういえば関西では昔から有名だと川島さんが言ってたな。本人は時代劇の忍者に
なりたいそうだし、LIVEバトルには出てもアイドルになるつもりはないだろう。

『それから川島瑞樹にも気をつけろ。関東のテレビ局は川島瑞樹にビビってるから、
 仲が良いと思われるとテレビの仕事がやりにくくなる。テレビ局側の事情なんて
 知ったこっちゃないが、一応気をつけてくれ』
 
 そうだろうな。美人で頭が良くて話も面白くて、欠点らしい欠点が見当たらない。
おまけに愛結奈の話では歌も抜群に上手いそうだし、関東のテレビ局だけではなく
俺達アイドル業界の人間にとっても脅威になるだろう。




「大阪にいると、何だかずいぶん東京が息苦しく感じますよ。こっちは面白い事を
 どんどんと試してみようというエネルギーに満ち溢れてますが、東京は業界内の
 決まり事が多くて慎重にならざるを得ませんから」

『それは仕方ない事だ。業界が発展していくとどうしてもしがらみも増えていくし、
 誰もがやりたいように好き勝手動けば、あっという間に無法地帯になってしまう。
 そうならない為のルールはどうしても必要だ』

 今の大阪はゼロの状態からLIVEバトルの環境を作り、アイドルを育て、徐々に
形になってきた段階だから一番楽しいだろう。愛結奈が夢中になるのもわかる。




『俺も本音を言えば、チーフなんて面倒な立場を捨ててLIVEバトルをやりたいよ。
 今からでも大阪に行って聖來ちゃんのステージを見たいくらいだ』

 チーフPがため息をついた。そんな事を言うとは意外だな。お前はもうとっくに
LIVEバトルを捨てて、新しい世界に目を向けていると思っていたが。

『そんなに簡単に切り替えられるか。俺もお前と同じで、LIVEバトルをメインに
 アイドルをプロデュースしていた頃の方が長いんだぞ?チーフPになった今でも
 あの熱気と興奮はなかなか忘れられないよ』

 俺もLIVEハウスにいて楽しいが、昔よりも冷静な気持ちで臨んでいる。俺は
プロデューサーとして再スタートする時に、過去に区切りをつけていた。それは
聖來も同じで、昔のようにLIVEバトルに出ているが、あいつも過去ではなくて
未来を見据えているだろう。




「周囲に合わせるわけではありませんが、時代の大きな流れには逆らえませんよ。
 今はLIVEバトルがメインではありませんし、今回が特別なだけで俺も東京に
 戻ったら気持ちを切り替えてまた通常のプロデュースをします」

『う~ん、プロデューサーとしては優等生の回答だが、俺がお前と聖來ちゃんに
 求めているのはそういうのじゃないんだよなあ……』

 チーフPが歯切れ悪く言う。何だそりゃ?




『まあこの話はまた今度にする。それよりそっちはまだ聖來ちゃんのステージが
 終わってないんだろ?側についてなくていいのか?』

「大丈夫ですよ。調子は良さそうですし、精神的にも余裕がありましたから」

『さすが最強コンビだな。3年ブランクがあっても楽勝か?』

「どうでしょうね。聖來は俺に隠し事をしていますし、伊吹が俺の予想よりも上を
 行くパフォーマンスをしましたからわかりません。それに原宿でチャンピオンに
 なった前川みくもいますしね」

 あやめもダンスでは伊吹に負けていたものの、VFXを駆使したパフォーマンスで
観客の反応は伊吹に引けを取っていない。そしてそのあやめに肩を並べる前川みく、
伊吹とダンスの実力がほぼ互角の聖來と、勝敗は紙一重の差で決まるだろう。



 しかしこの紙一重の差を超えられるから、聖來は四天王だったのだ―――――






~聖來パート~



 Pさんが346プロに連絡を入れるって外に出て行ったので、アタシも慶ちゃんに
わんこの様子を聞く為に、静かな2階の通路に移動して電話をかけた。


「わんこ大人しくしてるかな。一応明にも慶ちゃんにも懐いてるから、大丈夫だと
 思うけど……」

 電話をかけて3コールで返事があった。あれ?だけど声がちょっと違う?





『もしもし聖來?今電話して大丈夫なの?』

「あれ?もしかして明?これ慶ちゃんの電話だよね?」

『犬は私達でちゃんと面倒みてるから、LIVEバトルに集中しなさい!』

 電話越しに明に怒られた。後ろで慶ちゃんの声も聞こえる。別に気を抜いてる
わけじゃないんだけど。

「まだ本番まで時間があるし、わんこの様子を聞いてから準備しようと思ってさ。
 こっちは何も問題ないから心配しないで♪」

『はぁ…… 油断していると負けちゃうわよ?あなたのLIVEバトル対策は私も
 協力したんだから、しっかりしてよね』

 今になって思うけど、昔アタシのプロデューサーは2人いた。1人はPさんで、
もう1人は明。大学のダンスサークルではみんなで振付けやフォーメーションを
考えていたけど、明の振付けはいつも綺麗で理に適っていた。そんな明と一緒に
踊る事で、アタシのダンスも磨きがかかったんだよ?




「そういう言葉は勝ってから聞かせて。負けたら承知しないからね」

 な、何で明がそんなに気合入ってるの?ちょっと怖いんだけど……

「そうそう、あなたに伝えないといけないことがあったの。前川みくちゃんの事
 なんだけど……」

「みくちゃん?あの子がどうしたの?」

 明の口から意外な子の名前が出て来る。そういえばLIVEバトルの対策として、
出場者をチェックしておくって言ってたね。別にそこまでしなくてもいいよって
言ったのに、調べてくれたんだ。




『調べて良かったわよ。あの子がとんでもない子だってわかったから』

 明が真剣な声で言う。あいも褒めてたし、普通の子じゃないとは思ってたけど
何がとんでもないの?

『それがね、あの子は千奈美さんと同じ大手養成所出身で、しかも千奈美さんと
 同じAAAランクのスーパーエリートよ。2人は名古屋支部と大阪支部だから
 面識はなかったみたいだけど、千奈美さんも名前は知ってたわ』

「…………へ?」

『みくちゃんがすごいのはそれだけじゃないわ。あの子は13歳で養成所に入って、
 たった2年でAAAランクまで上り詰めた最速レコードを持っているんですって。
 千奈美さんは4年かかったみたいだから、その異常さがわかるでしょ?」

「…………なんでそんなスゴい子がフリーでふらついてるの?」

 普通はそういう子はストレートで大手アイドル事務所に入るのがセオリーだ。
千奈美ちゃんもそうやって346プロに来たんだし、選びたい放題のはずなのに
どうしてわざわざフリーの道なんて選んだのかな……




「養成所にいても、自分のなりたいアイドルになれないって気付いたからにゃ」

 その時、急に後ろから声がした。振り返るとそこにはみくちゃんが立っていて、
スマホを構えたまま固まっているアタシをじぃっと見ていた。

「ご、ごめん明!そろそろ切るね!わんこよろしく!」

『え?ちょ、ちょっと聖來、まだ話は……』

 電話を強引に切ってみくちゃんと向き合う。みくちゃんはふっと視線を外して、
アタシの横を足音も立てずに通り過ぎた。




「水木聖來チャン……だったかにゃ?」

 すれ違いざまに、みくちゃんは振り返らずに言った。

「みくは負けないよ」

 甘い声をしてるけど真剣なトーンのみくちゃんに、一瞬昔のあいを思い出して
ゾクっとした。なるほどね、ひねくれ者のあいが気に入るわけだ。




「みーくちゃん♪」

「なに?」

 みくちゃんが怪訝な顔をして振り返る。アタシは笑顔で宣戦布告した。

「渋谷で泣かされた子はいっぱいいるから、恥ずかしがらなくてもいいよ♪」

 みくちゃんの全身の毛がざわっと逆立つ。心配しなくてもアタシはみくちゃんを
ヘレンみたいにいじめるつもりはないよ?




「聖來チャンは面白いね。LIVEバトルが楽しみにゃ」

 アタシの挑発にみくちゃんは一瞬怒ったけど、すぐに冷静になって笑顔を返した。
この子メンタルも相当強いみたい。頭のネコ耳と尻尾をぴょこぴょこと可愛らしく
動かして、みくちゃんは悠々と1階に降りて行った―――――




つづく





***



「ここにいたのか」

「あれ?Pさんどしたの?」

 LIVEハウスの2階に上がると聖來が1人で屈伸していた。手に電話を持って
いるから、犬の様子を慶ちゃんか明さんに聞いていたのだろうか。

「中に戻ったらお前がいなかったから探してたんだよ。もう準備するのか?」

「うん、ちょっと早いけどぼちぼち体温めとこうと思ってさ。あ、そうだPさん、
 アタシの電話預かっといて」

 聖來は電話を差し出した。俺が代わりに出ても文句言うなよ?





「そういえばさっき階段で前川みくとすれ違ったが、話でもしていたのか?」

「うん、ちょっとね♪ 」

 聖來がにやりと笑う。ケンカふっかけたりしてないだろうな?

「ふっかけられたのはこっちだよ。アタシもやり返したけど。Pさん知ってた?
 みくちゃんって千奈美ちゃんと同じ養成所にいたんだって」

「明さんに聞いたのか?俺もさっきチーフPから聞いたよ」

 フリーのアイドルはプロフィールを追うのが難しいうえに、前川みくは大阪が
ホームなので情報も少なくて、346プロも調査が遅くなってしまった。千奈美に
聞けばすぐわかったが、2人につながりがあるとは思わなかったしな。




「千奈美に言わせればAAAランクで居続ける事が難しいのであって、肩書自体に
 価値はないそうだ。だがそれは実際にAAAランクになった千奈美だから言える
 言葉で、前川みくの実力は疑いようがない」

 前川みくはAAAランクになってすぐ養成所を辞め、フリーでアイドル活動を
始めたらしい。養成所のレッスンが辛くなって辞めたわけではなさそうなので、
自分の理想のアイドル像と養成所に大きなギャップがあったのだろう。

「みくちゃんもそう言ってたよ。今時珍しいくらい気合の入った子だね」

 聖來が感心したように言った。そうだな、自分の理想を求めて常に上を目指し、
茨の道でも迷わずに突き進む姿はまるで……




「まるであいそっくり、って言いたいんでしょ?」

「よくわかったな。2人とも徹底的に自分を追い込むストイックな職人タイプだ。
 大手養成所のAAAランク程度では、前川みくは満足出来なかったらしい」

 そして目指した理想像があの猫キャラアイドルか。別に悪いとは言わないが、
ああいうジャンルはイロモノ扱いされるので一般アイドルよりも評価が落ちる。
その評価をはねのけて結果を出しているから大したものだが。




「ちょっとPさ~ん?伊吹の肩を持つのはまだわかるけどさあ、みくちゃんと
 アタシだったらアタシを応援してよ~?」

 聖來が頬を膨らませる。8つも年下の子相手に大人げないこと言うな。

「お前こそ3年ぶりのLIVEバトルなんだから、少しは俺を頼れ。担当Pなのに
 必要とされないのは傷つくぞ」

「え?そうだったの?」

 聖來はきょとんとした顔をする。まったく、今回は伊吹のLIVEバトル対策に
付いてほぼ明さんに任せていたが、お前が気にならなかったわけじゃないぞ?




「そんな風に思ってくれてたんだ…… ふふ、ちょっと嬉しいな♪ 」

 さっきの不機嫌な表情から一転、聖來は上機嫌になった。担当アイドルの事が
気にかけるのは、プロデューサーとして当然だろ。

「俺に内緒でどんなパフォーマンスをするつもりなのか知らんが、大丈夫なのか?
 大トリで大失敗して大スベりしたら、二度と大阪の地を踏めなくなるぞ」

「ちょ、ちょっと怖いこと言わないでよ、アタシだってLIVEバトル久しぶりだし、
 不安がないわけじゃないんだから……」

 聖來の顔が引きつる。おいおい、本当に何をするつもりだ?




「ヒ・ミ・ツ♪ だけどそう言ってくれるなら、前半のチェックをPさんにお願い
 しよっかな。伊吹にPさんの隣を渡すわけにはいかないもんね♪ 」

「伊吹はお前みたいにくっついて来ないよ。というかお前が近過ぎるんだよ」

 聖來の距離はとにかく近い。今もほとんど体がくっつきそうなくらいの距離で
俺と話をしているし、他人には異様に見えるだろう。

「いや、物理的な距離じゃなくて、ポジション的というか……」

「何の話だ?物理とポジションの違いがよくわからんが」

「あーもう!集中出来なくなる!さっさとダンスのチェックして!」

 強引に話を打ち切って、聖來はダンスの準備を始めた。そうだな、本番前だし
今はLIVEバトルに集中しよう―――――





***



『ちょっとあんたらノリ悪いで~?こんなにか弱い美少女が重たいマイク担いで
 歌っとんねんから、もっと応援してーやー!』

 1階に降りるとLIVEバトル後半戦の真っ最中だった。ステージでは難波笑美が
マイクスタンドをプレスリーのように脇に抱え、ラップの合間に観客を煽っている。
笑美のマイクパフォーマンスに観客も大盛り上がりだ。





「お帰りPさん。遅かったな」

「ああ、聖來のダンスチェックをしていたんだ」

「ヒュウ♪ アツいね」

 夏樹がニヤニヤしながら冷やかしてくる。だから違うっての。今の難波笑美の
ステージは何番目だ?

「後半の6番目です。私も緊張してきました……」

 夏樹の隣にいた頼子が教えてくれた。ありがとう。前川みくが9番目、聖來が
ラストの10番目だったな。

「伊吹はいないのか?姿が見当たらないが……」

「ああ、伊吹さんならあそこにいるぜ」

 夏樹が親指でくいっと指した先では、伊吹が川島さんと高垣さんと一緒にいた。
しかしよく見ると何やら様子が変だ。




「お願いします師匠!わたくしを弟子にしてください!」

「だーかーらー!そういう事はアタシじゃなくてPに言ってよ!」

 伊吹の足下を見ると、あやめが地面に手をついて必死に何かを頼み込んでいる。
おいおい、これは一体どういう状況だ?

「あ!Pやっと来た!この子何とかしてよ~!」

 俺に気付いた伊吹がこちらに駆け寄ってくる。あやめもついてきた。




「346プロのプロデューサー殿でございますか?お初にお目にかかります!わたくし
 伊吹師匠の弟子の浜口あやめと申します!以後お見知りおきを!」

「お、おう、伊吹の弟子になったのか……」

「なってないから!アタシも認めてないし!」

 伊吹とあやめの話を要約すると、伊吹のパフォーマンスに感銘を受けたあやめが
弟子入りを志願したそうだ。だがお前も伊吹に負けないくらい良かったぞ?

「いえ、わたくしには絶対的に足りないものがあります…… そして師匠はそれを
 持っておられましたので、ぜひその奥義を伝授して戴きたく!」

「だからさ、それはアンタも大きくなったら、その、身につくから……」

 伊吹が顔を赤くして、ごにょごにょと言葉を濁す。何を照れてるんだ?




「ぜひわたくしにも、師匠のセクシーな色香の秘訣を教えてください!」

「大声で言うなバカ!そんなの知らないわよ!」

 勢いよく頭を下げるあやめを伊吹が叱りつける。後ろで夏樹が爆笑して咳込み、
頼子が背中をさすっていた。




「良かったじゃないか伊吹、プログラムの成果があったな」

「素直に喜べないんだけど!アタシそういうキャラじゃないし!」

「え?エロかっこいい路線を目指してるんじゃないの?あれだけ胸をばるんばるん
 させておいて、否定するのは無理があると思うわよ」

 川島さんが意外そうな顔で聞く。あなたも遠慮なく聞きますね。




「カッコいいのは目指してるけど、え、ェロいのは目指してないから!アタシの
 売りはダンスだからね!」

「わかりますかあやめちゃん。セクシーには奥ゆかしさも必要です。ステージの
 上ではイケイケのお姉さんで、ステージを降りれば可愛い恥ずかしがり屋さん。
 このギャップがこまっちゃんのセクシーさの秘訣ですよ」

「なるほど、奥ゆかしさですね!」
 
「そこ!デタラメ教えない!狙ってやってるわけじゃないから!」

 あやめによからぬことを吹き込む高垣さんに、伊吹がツッコむ。それくらいで
勘弁してやって下さい。




「だがお前もそこまで恥ずかしがらなくていいだろ?アイドルがセクシーなのは
 悪いことじゃないし、むしろ必要不可欠な要素だぞ?」

「そりゃ女らしくないって言われるよりいいけど、でもそういうの売りにしたく
 ないっていうか、そんな女だって思われたくないし……」

 それは思考が短絡的過ぎるな。男だって筋トレとかして鍛えた体を自慢するし、
いやらしい意味だけじゃなく、セクシーなのは純粋に魅力的でカッコいいんだよ。
お前にもそのカッコよさがあったから、反響があんなに大きかったんだぞ。

「じゃ、じゃあさ、Pはアタシのステージ見て、その、どう思った……?」

 伊吹が指をもじもじさせながら、上目遣いでおそるおそる聞いた。そういえば
まだステージの感想を言ってなかったな。遅くなってすまなかった。




「いえ、伊吹ちゃんはアイドルとしてじゃなくて、P君が伊吹ちゃんを1人の
 女の子としてどう思ったのか聞いてるんでしょ」

「プロデューサーさんの男子力が問われてますね。返答次第ではよっちゃんを
 東京に帰すわけにはいかなくなります」

 川島さんと高垣さんが真顔で詰め寄ってくる。な、何ですか急に……

「そうだな。そろそろハッキリさせた方がいいんじゃねえかPさん?」

「わ、私は、東京に帰れないと困るのですが……」

 いつの間にか夏樹と頼子も集まって来て、伊吹とあやめも合わせて12個の瞳が
俺に注目する。よくわからんが妙なプレッシャーを感じる……




「ステージの感想と伊吹の人物評がごっちゃになっていて、何と答えればいいのか
わからんが、俺はお前を最高の女だと思ったぞ?」

「んなななななあああああぁぁぁっっっ!? !? !? 」

「「「「「キャー!」」」」」

 真っ赤になってよくわからない言葉を発する伊吹と、黄色い声を上げる周りの
女性陣。2人ほど年齢が高い気がするが、スルーするのが正解だろう。




「正直今回のパフォーマンスはあのド派手な愛結奈がベースになっていたから、
 恥ずかしがり屋のお前には荷が重いかもしれないと思ったが、お前はそれを
 完全に自分のものにした。ラストの1990も上手く組み込んだしな」

 初のLIVEバトルで、おまけに自分の前は大阪2トップのあやめだったのに
伊吹は臆することなく堂々とやりきった。本番に強い伊吹なら出来ると思って
いたが、そんな俺の予想すらも軽々と超えた最高のステージだった。

「プロデューサーはアイドルを自分の完全な管理下に置いて、想定外の行動を
 されるのを嫌うヤツも多いが、俺は逆に嬉しくなる。好き勝手にされるのは
 困るが、全部自分の思い通りに動くのもつまらないからな」

 プロデュース通りに動いている内は半人前、プロデューサーすら魅了してこそ
一人前のアイドルというのが俺の持論だ。自分が育てたアイドルに魅了された時、
俺はそのアイドルのプロデューサーで本当に良かったと思う。




「お前はやる時はやる女だとは思っていたが、あそこまで完璧にやりきるとは
 いい意味で裏切られたよ。担当Pとして俺はお前に惚れ直したし、これから
 お前がどんな姿を見せてくれるのか楽しみで…… どうした伊吹?」

 つい熱く語ってしまったが、ふと気が付けば伊吹が両手で顔を隠していた。

「もしかしてお前…… 泣いてるのか?」

「な、泣いてないし…!ちょっと目にゴミが、入っただけだし!」

 伊吹はぐしぐしと袖で顔をこすりながら、途切れ途切れに言葉を続けた。




「でも…ちょっと嬉しかった。Pがちゃんとアタシのことも見ててくれて……
 アタシ、元々愛結奈さんに誘われてなかったし、Pと、聖來さんのジャマに
 なってるんじゃないかって、ずっと思ってたから……」

 何をバカな事を言ってるんだよ。聖來も愛結奈もそんなヤツじゃないことは
わかってるだろ?それに何度も言うが、お前も俺の大事な担当アイドルだから
邪魔者扱いなんてするわけないし、俺にも聖來にも遠慮するな。

「ありがとP…… あの時アイドル辞めないで、ホントに良かった……!」

「ぐす、よかったですね師匠……」

「だから、師匠言うな……」

 あやめを小突きながらも、伊吹はとても良い笑顔をしていた。俺の方こそ、
プロデュースをさせてくれて礼が言いたいよ。




「まぁ、78点ってところね。最高の女って言い切ったのがポイント高いわ♪」

「プロデューサーさんならよっちゃんを任せられます。残念ですが、私は潔く
 身を引きましょう……」

「ほ……」

 川島さんと高垣さんにも合格をもらえたらしい。頼子も無事に東京に連れて
帰る事が出来て一安心だ。

「何か良い感じで終わりそうだけど、聖來さんの出番まだだよな?」

 夏樹が小声で聞いてくる。まあそうだが、今はそっとしておこう―――――




つづく





***



 LIVEバトルも終盤だ。8番目のステージが終わり、残るステージはいよいよ
前川みくと聖來だけになった。長いようであっという間だったな。

「おったおった、こっちに来たらあかんやろあやめ」

「え、笑美殿!? これには深い事情が……」

 俺達の所に、ステージを終えた難波笑美がやって来る。後ろには西川保奈美も
ついてきていた。





「小松さんは特別だけど、私達はLIVEバトルの結果が出るまでステージの裏で
 待機する決まりでしょ?そうしないと投票工作を疑われるわよ」

「そ、そのような事は断じてしておりません!わたくしは常に忍として恥じない
 行動を心がけております!」

「ウチのステージの時に小松さんに土下座しとったやん。あれ結構恥ずかしいと
 思うけど、忍者的にはアリなん?」

「はうっ!? 」

 ステージから俺達のいる場所は結構離れているのに、パフォーマンスをしながら
見ていたのか。普通は近くにいる観客は見えても遠くまで目を配る余裕はないのに、
この子はなかなか強心臓だな。




「兄さんウチのステージどうやった?東京でもイケそう?」

「ラップはまあまあ上手かったが、合間合間のマイクパフォーマンスが多すぎて
 判断出来ないな。もう少し歌かダンスに専念してくれ」

「あいたたた、なかなかキビしいなあ。こうなったらほーさんと漫才やろかな」

「私は嫌なんだけど。漫才ならみくちゃんとやってよ」

 難波笑美はケラケラと笑う。まあ、トークだけであれだけ観客を沸かせられるのは
大したものだ。その才能はアイドルじゃなくても役に立つよ。




「あら、あんた達も来てたの?」

 俺達が話していると愛結奈がやって来た。休憩時間からどこかに行ったきり姿を
見なかったが、また恵磨達スタッフの手伝いをしていたのだろうか。

「すんません愛結奈さん、あやめを連れ戻しに来ただけなんで堪忍してくださいな。
 ほら、行くであやめ」

「ああぁ~、師匠ぉ~……」

「だから師匠って言うな。アタシもステージ裏に戻った方がいいのかな」

「いいえ、今日は特別にここで観戦していいわよ」

 愛結奈は笑顔で言った。




「さっき他の子達にも言ったから、スタッフゾーンのあっちこっちにいるでしょ?
 観客ゾーンに入ったらペナルティだけど、ここで見るなら問題ないわ」

 俺達がいるのは、観客から少し離れたスタッフ達が行き交う壁際のスペースだ。
確かに見渡せばアイドルと思われる子達がちらほら立っていた。

「今日のみくは良い感じに仕上がってるから、こっちで見ないと勿体無いわよ」

「あら、今日は『強い方』のみくちゃんなのかしら?」

 川島さんが愛結奈に聞く。何ですかその強い方ってのは?




「みくちゃんのステージはバラつきがあるの。実力はあるのに自分のスタイルを
 探していつも迷っているから、バッチリ決まるか派手にスベるか両極端なのよ。
 1位になったかと思えば10位まで落ちることもザラだからね」

「そいつはなかなかロックだな。アタシそういうのキライじゃないぜ」

 夏樹が面白そうに言った。そういえばあいも男装路線を始めたばかりの頃は
一時的に弱くなっていたな。長期的な目標を見据えて、失敗を恐れずに自分を
磨き続けるとはどれだけストイックな子なんだ。




「最近は大きくスベる事も少なくなりましたけどね。みくちゃんの目指してる
 ネコちゃんアイドルは、だいぶ形になってきたみたいですよ」

 高垣さんが教えてくれた。前川みくのようなアイドルは、転んでもただでは
起きない。敗北から多くを学び、着実に力をつけて強くなっていくのだ。

「渋谷チャンピオンのヘレンにボロ負けしたのが相当効いたのよね。全く歯が
 立たなかったから、大阪に帰ってからその悔しさをバネにしてがむしゃらに
 レッスンしてたわ」
 
 勝っても慢心せずに努力を続け、負けるとその悔しさをバネに更に強くなる。
言葉にするのは簡単だが、実践するのは難しい。それが出来ている前川みくが
弱いわけがない―――――





***



 ステージがライトに照らされ、観客からコールが上がる。するとステージの
床から、まるで木が生えるようにVFXの巨大キャットタワーが出現した。

『みんなおまたせー!みくも会いたかったよー♪ 』

 BGMのスタートと共に、前川みくがマイク片手に登場する。頭にネコミミ
腰にしっぽを装着して、衣装は柔らかそうな生地だが、腹部と太ももを大胆に
見せた可愛らしくもセクシーな格好だった。

『それじゃはじめるにゃー!ネコちゃん達カモーン☆』

 みくがマイクを持ってない右手を招き猫のようにくいっと動かすと、ステージに
VFXのネコが大量に現われる。沢山のネコ達に囲まれて、彼女のパフォーマンスが
歌と共にスタートした。






『~♪ ~♪♪』



「路線はイロモノなのに、パフォーマンスは驚くほど正統派だな。歌とダンスと
 アピールのバランスが高いレベルで合わさっている」

 伊達にAAAランクまで上り詰めてないか。甘い歌声にネコを模した振り付け、
そして可愛さの中に少しセクシーさを表現したアピール。それぞれバランス良く
計算されたアイドルのお手本のようなパフォーマンスだ。




「すごい……」

 頼子が俺の後ろで小さく呟いた。みくのステージがどうかしたのか?

「私の見方は、Pさんや皆さんとは少し違うかもしれませんが……」

 みくに釘付けになったまま、頼子は言葉を続けた。

「彼女さっきから…全くポーズがブレません……。どれだけ動いても、美術館の
 彫像のような美しさを保っています……」

「そこに気が付くとは、流石よっちゃんです」

 高垣さんが頼子の背中を後ろからまっすぐ伸ばしながら言った。

「みくちゃんは単純な仕草ひとつでも手を抜きません。動きを全体でとらえると
 見えにくいですが、わかる人にはわかるんですよ」

 言われてみれば確かに、ひとつひとつの動きを丁寧に行っているように見える。
流しても問題ない箇所でも細かく気を配っているのか。




「なあ、アタシの見間違いかもしれなけどさ……」

 夏樹が目をこすりながら、ステージ上のみくを穴が空くほど見つめる。

「アイツのネコミミとしっぽ、動いてねえか?」

 夏樹に言われて気付いた。ネコミミはみくが笑顔を作るとぴょこぴょこ動いて、
しっぽもダンスに合わせてくねくね動いている。まるで本当に神経がつながって
いるようで、あまりの自然な動きに俺も目を疑った。




「何だあの動きは…… 一体どうなってるんだ……?」

「みくの右手をよーく見なさい。ネコの手の形で軽く握ってるけど、指が微妙に
 動いているでしょ?」

 愛結奈に言われて注目すると、右手を握ったり緩めたりしているように見える。
そして指の動きと連動して、ネコミミとしっぽが動いていた。

「あの子は手の中に小さいリモコンを持っているの。ダンスをしながら操作して、
 耳と尻尾を電動で動かせるオーダーメイド品よ」

 リモコン操作のギミックだったのか。どれだけ手が込んでいるんだ。




「あんたそれでも本職のプロデューサーなの?頼子や夏樹の方がよっぽどみくを
 ちゃんと見てるじゃない」

 愛結奈が小馬鹿にしたようにからかってくる。うるせえ、まさかフリーの子が
序盤からそこまで作り込んだパフォーマンスをすると思わなかったんだよ。

「アタシも全然気づかなかった…… 可愛い歌とダンスだなって思ったくらいで、
 ガツンとくるようなインパクトもないし……」

 伊吹も俺と同じ見方をしていたようだ。みくのパフォーマンスはパワフルさや
スピード感とは真逆だから、伊吹にはピンと来ないんだな。




「……ん?まさか、これが前川みくの狙いか!? 」

 はっと気づいた俺を見て、川島さんがにやりと笑った。

「みくちゃんが表現したいのは、ネコちゃんの持つ愛らしさとしなやかさだそうよ。
 ネコのようにやわらかく人の心に入り込んで、いつの間にか夢中にさせてしまう。
 そんなアイドルを目指しているんですって」

 VFXのネコ達は、キャットタワーに登ったりステージに寝転がったり好き勝手に
行動している。みくの柔らかいパフォーマンスは、そんなネコ達さえも包み込んで
自分のステージに溶け込ませていた。





「今日は本当に調子が良さそうね。ここから一気にくるわよ」



 愛結奈の言葉に合わせるように、みくの目がきらりと光った。ネコは柔軟な体と
高い運動能力だけでなく、鋭い牙と爪を持つ。音を立てずしなやかに、愛くるしい
顔をしながら、みくは観客の心に爪を突立てた―――――





つづく





***



 声量のある歌唱力・キレのあるダンス・メリハリのあるポーズ等々…… 時代の
流行によって多少は変わるが、アイドルのパフォーマンスは大体これらの要素が
重視される。しかし前川みくはこれに疑問を抱いた。

『みくはネコちゃんみたいなキュートで可愛いアイドルになりたいにゃ。だけど
 今のアイドルはカタくてコワくて、全然可愛くないにゃ』

 力強い歌声は相手を威嚇し、キレのあるダンスは攻撃的、ポーズにメリハリを
つけるとパフォーマンスの流れに落差が出来る。養成所の方針も同じだったので、
彼女はフリーとなって自分だけのアイドル像を追いかけた。






『アイドルは可愛くないといけないにゃ。カッコいいアイドルもダメじゃないけど、
 可愛いくても強くなれるってみくが証明するにゃ!』


 甘く柔らかく、しなやかに愛くるしく、イロモノでは終わらない本物の猫よりも
猫のようなアイドルが、こうして大阪で誕生した―――――






***



『♪♪~♪ ♪♪~♪♪♪…… 』



 体の力が抜けるような甘い歌、柔らかくしなやかなダンス、猫の仕草を真似た
メリハリのないキュートなアピール。前川みくのパフォーマンスは全てが異質で、
現在活躍するアイドル達とは大きくかけ離れている。だがそれなのにステージは
大盛り上がりで、観客は熱いエールを送り続けていた。

「よくここまで猫アイドルを練り上げたな……」

 俺はもはや言葉が出ない。みくのステージを初めて見た伊吹や夏樹や頼子達も、
ただただそのパフォーマンスに引き込まれていた。





「すげえなアイツ…… あんなに甘ったるいステージなのに、アタシよりもずっと
 ロックやってるぜ……」

 夏樹のようにハードな路線よりも、みくのようにキュートな路線でステージを
盛り上げるのは難しい。世の中のキュートなアイドルというのは、声は甘くても
ダンスをややハードにしたりして、要所要所でメリハリをつける。そうしないと
締まりのないフワフワしたステージになってしまうからだ。

「みくちゃんはとっても凝り性でね。『ネコちゃんアイドルは全部可愛くないと
 ダメにゃ!』とか言って、可愛く出来るところは徹底的に研究しているのよ。
 ヘタすればぶりっこやイタいって思われるようなアピールも、みくちゃんが
 やったら自然に見えちゃうから不思議よね」

 川島さんの話では、みくがスベる時はその『イタい』や『ぶりっこ』のラインを
超えてしまう時だそうだ。普通にパフォーマンスをした方が楽なのに、彼女は常に
『可愛い』と『ぶりっこ』のギリギリを攻め続けている。この姿勢が夏樹がみくを
自分よりもロックだと評した所以だ。




「普通のジャズダンスがあんな風に変わっちゃうなんて…… どれだけ練習したら
 あそこまでソフトなダンスになるの……?」

 最初はみくの凄さがわからなかった伊吹も、ステージが佳境に入ると理解する。
AAAランクの確かな技術を持っているだけあって、みくはあやめや伊吹のように
力強いインパクトがなくても観客のテンションを最高潮まで引き上げた。

「力強いパフォーマンスは観客を大きく引きこむ反面、逆にその強さがストレスを
 与えてしまう。LIVEバトルも終盤になると、観客に無意識に蓄積された疲れが
 出て来るからアイドルのパワーを受け止めきれなくなってくる。そういう場面で
 前川みくのパフォーマンスは絶大な効果を発揮するな」

 俺がそう言うと、愛結奈はにやりと笑った。LIVEバトルを観戦して応援し続けて、
疲れが出てきた観客達の心にみくはするりと入り込む。甘く柔らかくLIVEハウスを
包み込み、観客達の残ったアドレナリンを最後の一滴まで絞り尽くすのだ。





『みんな応援ありがとー!大好きにゃー♪』



 最後に笑顔で手を大きく振って、みくはステージを終えた。巷に溢れている
ネコミミを頭に乗せただけのイロモノアイドルとは格が違う。猫アイドルでは
俺の知る限りNo.1、普通のアイドルとして見ても、歌もダンスもアピールも
高いレベルでこなせる万能タイプだった。





「みくはもう大阪卒業やなあ……」

「そうね。あの子をLIVEハウスで見られるのは今日が最後かもね……」

「みく殿は東京でアイドルをやりたいと、常日頃から仰ってますしね……」

 笑美と保奈美とあやめがしみじみと言う。愛結奈もそう感じているから、今日は
特別に笑美達にスタッフゾーンでの観戦を許可したのだろう。VFXの猫達を従えて、
みくは勝利を確信した顔で堂々とステージを後にした―――――




つづく





***



「…………」

 みくのステージ終了後、伊吹は無人のステージを見つめたまま立ち尽くしていた。
こいつは面白いくらい良いリアクションを取ってくれるよ。

「どうした伊吹?前川みくにビビったか?」

「うん、スゴかった……」

 俺の予想では『はぁ!? ビビってないわよ!! 』って怒り気味の返事が返ってくると
思っていたが、みくのステージに想像以上の衝撃を受けたようだ。





「アイドルを『怖い』と思ったのは初めてだよ。ダンスならアタシも負けてないと
 思うけど、ステージ全体の完成度はあの子の方が上だった……!」

 拳をぎゅっと握りしめて、伊吹は悔しそうに歯噛みする。まだ負けが決まった
わけじゃないんだから早合点するな。

「いくら技術があっても、それがLIVEバトルの勝利に結びつくかは別の話だ。
 アイドルやダンスの専門知識を持っている俺達は前川みくのレベルの高さが
 わかるが、勝敗を決める観客達もわかっているとは限らないからな」

 複雑なパフォーマンスよりも、単純なパフォーマンスの方が観客に伝わりやすい。
前川みくは猫アイドルとしてのステージにこだわりすぎて、最初から観客を選んだ
マニアックなパフォーマンスをしている。本人もそれを自覚したうえで行っている
だろうが、観客の共感を得られないのはマイナスになるのだ。




「LIVEバトルで勝つのは歌が上手いアイドルでもダンスが上手いアイドルでもない。
 会場の空気を読んで、観客の心を掴んだアイドルが勝つ。その視点で見ればお前と
 前川みく、ついでに浜口あやめのステージにそれほど大きな差はないぞ」

 伊吹の頭をぽんぽんと撫でてやる。だからそう落ち込むな。相手の実力を認めて、
今後の自分の参考にするのは悪い事じゃないけどな。

「……アタシ、もっと頑張るよ。ダンスだけじゃなくて歌とかモデルの仕事とかも。
 ちょ、ちょっとくらいなら水着の仕事だって……」

「お、それじゃ来月は水着グラビア10本行っとくか!モデルに集中するんだったら
 20本でも30本でも行けるぞ!」

「『ちょっとくらい』って言ってるでしょ!! ダンスも歌もやるんだからね!! 」

 ようやく伊吹の調子が戻ってきた。ダンス一辺倒だった伊吹の考えを変えてくれた
前川みくには俺も感謝しないとな。




「みんなどうしてこっちにいるの?裏に戻ったら誰もいなくてビックリしたにゃ」

 ステージを終わらせた前川みくがやってくる。初めて間近で本人を見たが、素の
表情は知的で真面目な優等生のような印象だった。

「愛結奈チャン、ネコちゃん勝手に増やしたでしょ?」

 みくがじとっとした目で愛結奈を睨む。愛結奈は涼しい顔で返事をした。

「『ちょっとくらいなら増やしてもいいよ』ってあんたOKしたじゃない」

「30匹は増やし過ぎでしょ!みくは10匹の予定だったのに、3倍に増えてたから
 ビックリしてマイク落としそうになったにゃ!」

 まるで猫のように髪を逆立ててみくが怒る。VFXの猫がステージに出現した時に、
みくが真顔になったように見えたのは気のせいじゃなかったのか。




「だってあんたわざわざ東京まで連れて行ってLIVEバトルをさせてあげたのに、
 失敗を怖がって冒険しないんだもん。もっと派手にやらなきゃダメよ?」

「だからってVFXで派手にされても困るにゃ!今日は調子良かったからなんとか
 なったけど、次はちゃんと確認してよね!」

 にゃーにゃー怒るみくをはいはいと生返事であしらう愛結奈。いつもの事らしく
周りも生温かい目で見守っていた。




「あ、そうだみく。コイツが346プロのプロデューサーよ。あんたも一応あいさつ
 くらいしときなさい」

 愛結奈はみくに俺を紹介する。しかしみくは俺の顔を一度ちらっと見ただけで、
ぷいっとそっぽを向いた。

「どうせみくを渋谷で泣かされた負け猫だって思ってるんでしょ。そんなヒトに
 あいさつしたくないにゃ」

「別に思ってないが?それに渋谷で泣かされた子はいっぱいいるから、そんなに
 恥ずかしがらなくてもいいぞ」

「フシャ―――――ッ!! その言い方聖來チャンとまったく同じでムカつくにゃ!! 」

 フォローしたつもりだったが逆にキレられた。あいつそんな事言ったのか。




「それに346プロは春菜チャンを飼い殺しにしてるヒドい事務所にゃ!みくも同じ
 アイドルとして春菜チャンの扱いに怒ってるよ!」

 ああ、そういえば春菜とは仲が良かったんだよな。春菜がメガネアイドルとして
満足に活躍出来ない不満を、友達のみくに愚痴っていてもおかしくないか。

「春菜のことはすまないと思ってる。あいつをスカウトしたのは俺だし、春菜が
 思うように活動出来ていないのは俺にも責任があるからな。だから俺が春菜を
 必ず何とかするから、君は安心してくれ」

「え…?あ、はい……」

 俺の返事が予想外だったのか、みくは目を丸くして驚いた。これからも春菜の
友達でいてやってくれ。あいつは誰彼構わず平気でメガネを押し付けてくるのに、
意外と心を開いて話せる友達が少ないからな。




「ふ、ふんだ!口だけだったらいくらでも言えるにゃ!みくをスカウトしたいなら
 ちゃんと行動で示してからにしてよね!」

 みくはそう言って、笑美や保奈美達のいる所に行った。生意気なところがあるが、
優しくて友達想いの良い子だな。

「ったく、猫キャラのくせにこういう時にネコかぶらないでどうすんのよ」

 愛結奈がやれやれとため息をついた。別にスカウトするつもりはなかったんだが、
お前はみくを346プロに入れようと考えているのか?

「まさか。ワタシ346プロ嫌いだし、みくが東京で活動したいって言ってるから
 所属事務所を探してるだけで、ヘンな事務所じゃなかったらどこでもいいわよ。
 だけどあの子を任せられるプロデューサーはなかなかいないからね」

 あの生意気な猫娘をプロデュースするのは骨が折れそうだな。アイドルの基礎や
実力はあるようだが、猫キャラオンリーとなると仕事の幅も狭まるし、しなくても
いい苦労を背負い込む事になるだろう。




「あんたなら余裕でしょ?昔も今もクセの強そうな子ばかりプロデュースしてるし、
 みくは根は真面目だからその辺のアイドルよりよっぽど扱いやすいわよ」

「簡単に言ってくれるな。アイドルをプロデュースするのと仕事を獲ってくるのは
 別問題だし、俺が元敵地の346プロでどれだけ苦労しているか……」

「そんなのワタシの知ったこっちゃないわ。まぁ、考えといてね~♪」

 愛結奈はそう言って、スマホを取り出してどこかに電話をかけながら歩き去った。
こっちの都合はお構いなしで好き放題言いやがって、それに付き合ってる俺も相当
バカかお人好しだな。




「昔も今も、か」

 愛結奈には俺がそう見えているのか。異常なプロデュース、クセの強い子専門、
本意でないとはいえ、当たらずとも遠からずかもしれないな。だが俺はともかく、
担当アイドルまでそんな評価をされるわけにはいかないんだよ―――――




つづく





~聖來サイド~



「聖來さーん、そろそろだけど準備出来てる?」

「いつでも出れるよ♪」

 みくちゃんのステージが終わって、いよいよアタシの番が回って来た。靴ひもを
もう一度しっかり結んで、様子を見に来た恵磨に返事をする。

「うひゃ~、聖來さん余裕だね~!」

「アタシも緊張してるって。だけど緊張も楽しんでこそLIVEバトルだから♪ 」

 懐かしいなこのカンジ。ドキドキとワクワクの中間くらいの気持ちを胸いっぱい
溜めて、それをステージで全部出しきったらサイコーに気持ち良いんだ。





「ところで恵磨、さっきお願いした事どうなった?」

「いや~、それがまだ何も。ムリならムリで連絡くると思うんだけど……」

 恵磨が手を合わせてごめん!って謝る。いいよいいよ、ムリならムリでそのまま
ステージやるから。

「思いつきで振り回されるワタシの身になってよ。あんたの出番に間に合わせるの
 大変だったんだからね」

「愛結奈さん!お疲れっす!」

 アタシ達が話していると愛結奈がやって来た。不機嫌そうに鼻をふんっと鳴らして
手に持っていたスマホをアピールする。




「今連絡あったわよ。『細かい調整はしてないからそっちで合わせてくれ』だってさ。
 VFX使うならもっと早く言えってチーフ怒ってたわよ」

「みくちゃんの猫は増やせたのに、アタシは出来ないなんて言わないよね?」

「あーあ、あんたにマズい所見られたわ……」

 愛結奈がやれやれとため息をつく。お願い聞いてくれてありがと♪




「恵磨、聖來にはワタシがつくからあんたは照明のフォローに回って。最後まで
 気を抜くんじゃないわよ」

「リョーカイっす!そんじゃ頑張ってね聖來さん!」

 笑顔で手を振ってステージ袖から出て行く恵磨を見送って、愛結奈と2人になる。
そういえば大阪に来てまだ愛結奈とゆっくり話してなかったっけ?




「……あんた、そのカッコでステージに立つの?」

「え?ダメかな?一応Pさんにも相談して決めたんだけど……」

「いや、別にダメじゃないけどさ。あんた今いくつだっけ?」

「ちょっと!? それアタシのカッコがコドモっぽいって言いたいの!? 」

 そりゃ伊吹やみくちゃん達に比べれば露出は少ないけど、肌を見せる衣装だけが
セクシーって限らないでしょ!




「見せるモノがないと苦労するわね。まぁ、ないならないなりに頑張りなさい」

「アタシ小さくないもん!それに女の魅力は胸だけじゃないんだから!」

 とは言ったものの、ちょっとうらやましかったりもする。まあ胸とか身長以前に、
アタシは童顔だからオトナに見られないんだけど……

「あんたが昔と変わってなくて安心したわ。3年前に大ケガしてアイドル辞めたって
 聞いた時は、ワタシも結構ショックだったのよ?」

 少し真面目なトーンになって愛結奈が話す。あー…… それはゴメン。あんたにも
心配かけちゃったね。




「まあワタシのことはどうでもいいけど、もう飼い主を悲しませるんじゃないわよ?
 あんたがいないとあいつは何も出来ないんだから」

「そんな事はないと思うけど、もう二度と勝手にいなくなったりしないよ。それに
 アタシもPさんがいないとアイドルになれないんだし」

 だからこのポジションは誰にも渡さない。プロデューサーとアイドルの距離よりも
ちょっとだけ近い、飼い主と犬の距離。ドッグウォーカーは人間と犬がいないと成立
しない言葉だもんね。




「飼い主と犬、ね。都合の良い言葉ねそれ」

「ん?どういうこと?」

「ステージ準備OKみたいよ。さあ、行ってきなさい!」

 愛結奈にバシーン!と音がなるくらい背中を強く叩かれる。いったぁ!? この衣装
見た目より生地薄いんだよ!?





「後で覚えてなさいよ!あんたの背中にもモミジつけてやるんだからー!」



 背中がヒリヒリするのを気合いで我慢して、アタシはBGMが始まるのと同時に
ステージに飛び出した―――――





つづく


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