綾乃「さよならも言わずに」(196)

―――ピピピ…。

静まり返った部屋に、目覚ましの音が鳴り響いた。

もぞもぞと布団から手だけを伸ばし、時計の位置を探り当て、スイッチを押してアラームを止める。

「んん…」

布団の温もりが恋しい。

全身でその温もりを感じようと、身を丸める。

けれど、いつまでもこうしているわけにはいかない。

まだぼんやりする頭を振りながら起き上がると、部屋の冷たい空気が私を包み込んだ。

「うぅ…寒い…」

思わず身体を抱えて身震い一つ。

時間は七時。

いつもと変わらない、一日の始まり。

七森中学校への登校ルートにある公園の前。

親友、池田千歳との待ち合わせ場所。

いつからだっただろう。

二人で待ち合わせて一緒に登校するようになったのは。

千歳との付き合いは七森中の入学式の日からだ。

一人ぽつんと席に座り、緊張で凝り固まっていた人見知りの私。

そんな私に優しく、柔らかく話しかけてくれた千歳。

彼女の笑顔に文字通り緊張をほぐされて。

あまりの嬉しさに、どんな話をしたのかよく覚えていないけれど。

千歳はそれ以来、ずっと私を陰で支え続けてくれている。

常に笑顔で、誰にでも優しく振舞う千歳。

そんな千歳の人柄のおかげか、私が彼女に心を開くのにそう時間はかからなかった。

―――家の方角も一緒やし、明日から一緒に学校行かへん?

そんな風に誘ってくれたのを覚えている。

入学してから一ヶ月経っていたかどうか…。

「綾乃ちゃ~ん」

そんなことを考えていると、手をパタパタと振りながら笑顔で走り寄って来る親友の姿。

ぽけぽけしている印象があるせいか、なんだか危なっかしい。

「走ると危ないわよー?」

私の忠告を聞かず、そのまま私の元まで走ってくる千歳。

「はぁ…ふぅ…」

息を整え、笑顔で。

「えへへ、おはよう綾乃ちゃん」

「おはよう千歳」

挨拶を交わし、学校へ向かって歩き出す。

「早く綾乃ちゃんに会いたかったから、つい走ってもうた~」

突然恥ずかしいことを言い出した。

「は、走らなくても逃げないから…」

「うちの気持ちの問題やねん」

「見てるこっちはハラハラするわよ…」

口ではそう言ったが、内心嬉しかった。

千歳も私の事を親友だと思ってくれているんだと感じられたから。

そんな照れを隠すように、何気ない一言を投げかける。

「今日も寒いわね…」

私は寒いのが苦手だ。

冬場は学校指定のソックスを履かず、ストッキングを着用している。

それが許可されていなかったら、恐らく違う学校に行っていただろう。

「そやねー。風邪引かないように気ぃつけんとなー」

千歳の言葉で、今朝のニュースで今年の風邪特集をやっていたことを思い出す。

「今年の風邪は厄介みたいね…」

…毎年厄介だと聞いている気もするけど。

「風邪引いたら歳納さんにも会えへんもんなー」

そう言いながら、くすくすと笑う千歳。

「と、歳納京子は関係ないでしょ!」

歳納京子。

その名前を聞くたびに顔が熱くなり、胸がどきどきする。

「うふふ」

にこにこ笑う千歳。

私の気持ちはバレバレだ。

千歳は、私の恋も陰ながら支えてくれているのだから。

歳納京子は私のライバルだ。

彼女はテストの総合点数でいつも学年一位。

対する私はいつも学年二位。

それが普通に勉強した結果でのことなら良い。

しかし彼女は授業をマジメに受けていない。

それどころか、毎度毎度一夜漬けなのだ。

普段から勉強をしている人間からすれば、許せることではないだろう。

おまけに彼女は、ごらく部という何をしているかもよくわからない部を立ち上げ、部室を一つ無断占拠しているのだ。

生徒会副会長を務めるこの私が、見過ごすわけにはいかない。

…というのが、私と歳納京子の関係の全てのはずだった。

彼女のことで頭を悩ませているうちに、どうやら恋に落ちてしまったらしく。

それを認めたくないあまり、彼女にはいつもそっけない態度をとってしまう。

素直になろう、仲良くしようと思ってはいるのだが、なかなかうまくいかない。

見かねた千歳が色々と助けてくれるようになった、というわけだ。

「歳納京子ー!!」

「お邪魔します~」

いつものように生徒会の仕事を終わらせた後、いつものようにごらく部の部室に乱入する。

一人では恥ずかしいので千歳も一緒だ。

もちろんそういう風に頼んだわけではないが。

「おー、綾乃に千歳じゃん」

ごらく部のメンバーは座卓を囲むように座り、UNOをしていた。

カードゲームをする部活動なんて聞いたことがない。

これは別の日に改めて追求する必要がありそうだ。

…口実が欲しいわけではない。決して。

「どしたの?何か用?」

きょとんとする歳納京子。

「身に覚えがないの?歳納京子!」

歳納京子のそばまで歩み寄り、上から睨みつける。

「今度はプリント?それとも宿題?」

歳納京子の忘れ物は日常茶飯事だ。

船見さんも呆れ顔で私達の用件を聞いてくる。

「宿題よ!」

歳納京子を睨みつけたまま質問に答える。

「お前…、昨日の放課後宿題見せてくれって泣きついてきたよな…」

「そうだっけ?」

「忘れんなよ…」

「いやー、身に覚えがありすぎて…」

自分でやらなければ宿題の意味がない。

本当に、どうしてこの子を好きになってしまったんだろう。

「仕方ないですねー、京子先輩は」

これまた呆れ顔の吉川さん。

後輩にまで呆れられているなんて、悲しくならないのだろうか。

「それで、宿題は終わってるの?京子ちゃん」

手札を山のように抱え、涙目だった赤座さんが、脱線しかけた話題を元に戻してくれる。

いつも一歩引いた視点で物事を見ているからこそできること。

是非生徒会に欲しい人材だ。

「えーっと、これだっけ?」

「…うん、それだね」

カバンからノートを取り出し、船見さんに確認する。

一応終わらせてはいたようだ。

「じゃあ、持ってけドロボー!」

「なんで偉そうなのよ、歳納京子…」

ともあれこれで目的は達した。

「次からはちゃんと出しなさいよね!」

一応釘を刺しておく。

「それじゃあ行きましょ、千歳」

「……」

返事がない。

振り返ると、千歳は考え事をしているようだった。

「…千歳?」

「綾乃ちゃん」

千歳が、ゆっくりとこちらを向く。

「な、なに?」

こんな神妙な顔をした千歳は初めて見る。

一体どうしたというのだろう。

「今日はもう生徒会の仕事もないし、ゆっくりしていったらどうやろ?」

「へ?」

突然の提案。

「おー、二人とも遊んでいく?」

「UNOなら綾乃ちゃんもできるやろ?」

た、確かにできるけど…。

もしかして、ここに来てからずっと私と歳納京子のことを考えていたのだろうか。

「歳納さんと仲良うなるチャンスやで!」

こっそり耳打ち。

歳納京子と…仲良くUNO…。

「そ…そこまでいうなら、遊んでいってあげてもいいけど…」

「なら決まりやね!」

「歳納さんと遊べて良かったなぁ綾乃ちゃん」

帰り道。

結局暗くなるまで遊び続けてしまった。

歳納京子との勝負事となると、つい躍起になってしまう。

―――また遊ぼうね、綾乃!

別れ際の歳納京子の笑顔を思い出す。

「…よ、良かったなんて思ってないんだからね!?」

また素直じゃない台詞が口を突いて出る。

せっかく千歳がチャンスを作ってくれたのに、今日もそっけない態度ばかりとってしまった。

「…それより、どうして今日はいきなり遊んでいこうだなんて…」

「いきなりやないで?綾乃ちゃんと歳納さんがもっと仲良うなれたらなーって」

千歳はいつだって私の事を考えてくれている。

それなのに私はいつまでたっても素直になれないで…。

「わ、私は別に仲良くなりたいなんて…!」

でもこればかりは仕方ない。

初恋だからなのか、それとも自分の気持ちを認められないからなのか…。

「綾乃ちゃん」

優しい声で。

「素直にならな、歳納さん振り向いてくれへんで?」

千歳の声はトゲトゲした私の心をふわっと包み込む。

「わ、わかってるけど…」

「ふふ、乙女やね~」

柔らかな千歳の笑顔。

「も…もう、からかわないでよっ」

「ごめんごめん」

「お詫びに精一杯サポートするで!」

「う、うん…」

千歳の応援を無駄になんて出来ない。

頑張れ私!

ファイトファイトファイファイビーチよ!

「千歳ったら遅いわね…」

帰りのホームルームのあと。

一人、千歳を待つ。

―――先生に手伝い頼まれてもうたから、少し待っててくれる?

それなら私も、と言ったのだがどうしても待っててほしいと言われて。

仕方なく誰もいない教室で、一人寂しく席に座っている。

なんとなく、入学式の日のことを思い出した。

あのときもこうやって一人で座ってたっけ…。

今でこそ、休み時間になれば千歳や歳納京子が話しかけてくれる。

あの日千歳が話しかけてくれなかったら…。

あまり考えたくはなかった。

「……」

さすがに遅すぎる。

生徒会活動の時間まであとわずかだ。

「…お手洗い行っておこうかしら」

「あ…」

教室へ戻ろうとしたとき。

廊下の向こう、見覚えのある後姿。

「千歳ー!」

その背中に声をかける。

「……!」

声に気付き、こちらに振り向いた千歳は、何故か私の顔を見るなり逃げ出した。

「あ、ちょっと千歳!」

廊下を走るわけにも行かず、千歳が私から逃げたというショックもあり、呆然と立ち尽くす。

「行っちゃった…」

私が何かしただろうか…。

そういえば、私も先生の手伝いに行こうとしたら拒否されたんだ。

まさか、いつまでたっても煮え切らない態度の私に愛想を尽かして…?

目頭が熱くなる。

胸の中が、もやもやした黒い何かで覆われていく。

「綾乃ちゃん?」

ありえない方向から千歳の声がした。

「え…?千歳…?」

振り返ると、千歳。

階段を下りて私の背後に回り込んだ…?

…そんなわけがない。

「じゃあ、今のは千鶴さん…?」

千歳の双子の妹の千鶴さん。

特に仲が良いというわけではないが、それ故嫌われるような覚えもない。

「千鶴がどしたん?」

不思議そうに私の顔を見つめる千歳。

そこでようやく自分が半泣きだったことを思い出した。

「…あ、う…」

慌てて千歳から顔を逸らし、軽く目元を拭う。

千歳に嫌われたわけではなかった。

少しだけ、安心する。

でも…。

「今、向こうに千歳がいると思って声かけたんだけど…」

「こっち見るなり走って行っちゃって…」

また、涙が溢れそうになる。

「……」

千歳は何か考え込んで。

「何か用事でもあったんちゃうかな?」

「そ、そうなのかしら…」

「うちと千鶴は双子やで?うちが大好きな綾乃ちゃんのこと、嫌うわけあらへんよ~」

なんとなく、説得力があった。

千歳がそう言うのなら、きっとそうなのだろう。

「…ほな、生徒会室行こ?」

柔らかく笑い、私の手を引く千歳。

この出来事は、私の心に一点の黒い染みを作った。

数日後。

生徒会の仕事が一通り片付いたころ。

「もうすぐクリスマスだし、カップルごっこやろうぜ!」

歳納京子の突然の乱入。

その手にはピンク色の大きい箱。

彼女の後ろには船見さんと吉川さん。

…更にその後ろに赤座さん。

恐らく無理矢理引っ張られて来たのだろう。

歳納京子はたびたび思い付きで行動し、周りの人を振り回す。

「あ、あなたはまた突然そんなこと言って…」

「ええやん。クリスマスは予定ないやろ?」

しかし、不思議とそれを楽しんでいる人が多い。

千歳もその一人のようだ。

私だって迷惑に思っているというわけではないのだけれど。

ただ、突然だと心の準備が…。

「で、でも…」

デートなんて一度もしたことがない。

ヘタレな私が戸惑っていると…。

「私達は構いませんわ」

古谷さんが、大室さんの意見も聞かずに一緒に参加することを表明した。

「勝手に決めるなよー!」

大室さんが食ってかかる。

この二人は顔を合わせる度に喧嘩をしているのだけれど、何故かいつも一緒に居る。

仲が良いのか悪いのかさっぱりわからない。

「あら、じゃあ櫻子は予定があるとでも?」

「いや、予定はないけど…」

「ならいいではありませんか。それとも、一人寂しくクリスマスを過ごしたいのかしら?」

「ぐぬぬ…。おっぱいめ…」

「む、胸の話は関係ないでしょう!?」

言い争いが始まった。

完全に二人の世界に入ってしまったようだ。

「仲良いねぇ」

「そうだねぇ…」

そんな二人を微笑ましそうに見つめる赤座さんと、呆れた顔で見つめる吉川さん。

「綾乃ちゃん綾乃ちゃん」

そこへ恒例の千歳の耳打ち。

「歳納さんとデートするチャンスやで!」

と、歳納京子とデート…。

確かに、クリスマスに好きな人とデートをしたいという憧れはある。

「うぅ…、し…仕方ないわね…」

「やったぁー!さすが綾乃っ」

心底嬉しそうだ。

人の気持ちも知らないで…。

「はい、じゃあクジ引いてねー」

そう言いながら手に持っていたピンク色の箱をテーブルの上に置く歳納京子。

「番号が同じ人同士がカップルでーす」

順番に並び、一枚クジを引く。

「皆引いたかな?」

全員が引き終わったことを確認する歳納京子。

私は一体誰とペアになったのだろう。

「それじゃあ、いちにのさんで開くんだよー?」

「いち、にの…」

胸が、高鳴る。

「さん!」

「…どうしたらいいのかしら」

「さぁ…?」

私のデートの相手は船見さんだった。

ちなみに歳納京子は千歳とペアになっている。

―――歳納さんの意中の人、聞き出してくるから!

張り切って街へ繰り出していったけど、大丈夫かしら…。

色々と良くしてくれるのは嬉しいが、時々的外れなこともする。

一緒にいると、なんとなく目が離せない。

―――綾乃ちゃんは船見さんの好きな人、聞きだしておいてな~!

船見さんは歳納京子と仲が良い。

もしかしたら、という可能性もある…ということらしい。

「せっかくだし、どこか行こうか?」

「え?…そ、そうね」

ヘタレな私に聞きだせるだろうか。

「とりあえず、ご飯でも食べる?」

緊張して、朝ご飯が喉を通らなかったことを思い出した。

「ええ、それでいいわ」

「綾乃ってお洒落だよね」

ご飯を食べ終わった後のこと。

ショッピングモールをあてもなくさまよっていると、船見さんに突然褒められた。

「そ、そうかしら…」

勿論悪い気はしない。

人の目を気にしてしまうので、服装には一応気を遣っているのだ。

「服とか可愛いし、バッグだって…」

歳納京子とデートできなかったのは残念だが、だからと言って手は抜かない。

お気に入りの服とお気に入りのバッグで今日のデートに望んだのだ。

「どんなお店で買ってるの?」

「い、行ってみる?」

「うん、興味ある」

意外な一面。

「ふふ、船見さんも可愛い服に興味あるのね…」

「一応私も女だから…」

「あ、いえそういう意味じゃなくて…」

気を悪くさせてしまっただろうか。

「船見さんってクールな印象があるから、可愛い服にはあんまり興味ないのかと思って…」

「そんなこと…」

言いかけて。

「…でも、落ち着いた服のほうが好きかなぁ」

よく見ると、一見クールにまとめた服装の中に、ワンポイントで可愛らしさがあったりする。

こういった一面を見ると、親近感が沸いてくる。

…そういえば、私の地名ギャグに笑ってくれるのも船見さんだけ。

もっともっと仲良くなれるかもしれない。

「じゃあ、船見さんがよく行くお店も覗いてみましょうか」

「そうだね」

「そろそろ皆帰ってくるかな」

「……」

色々とお店を見てまわった後、待ち合わせ場所で。

もうすぐ二人きりの時間も終わる。

千歳の作戦を実行しなければ。

…でも。

「綾乃?」

「あ、あの…、船見さんって…」

「うん?」

なんとなく、聞き辛い。

船見さんとの距離を、より近く感じるようになったからだろうか。

「…船見さんは、今日デートしたかった人とか、いないの?」

遠回しな言い方。

あんまり変わらないような気もしたけれど、直接聞くよりは…。

「……」

私の目を見つめる船見さん。

「そういう綾乃こそ、デートしたかった人がいるんじゃない?」

言われた瞬間、歳納京子の顔が頭をよぎる。

「だっ、誰が歳納京子とデートなんて…!」

「ふふ…」

しまった、自爆した…。

船見さんは楽しげな表情で笑う。

「う、うぅ…」

凄く恥ずかしい。

おまけに作戦は失敗だ。

こんな状態でもう一度聞くなんて、できっこない。

「……」

「私も…」

ぽつり、と。

「私も、京子が良かったかな…」

「え…?」

今、確かに聞こえた。

「なんてね」

冗談でも言ったかのように、にこりと笑う。

「あ、皆帰ってきたよ」

「……」

やっぱり、船見さんも歳納京子のことが…。

二人の付き合いは長い。

私に入り込む余地はあるのだろうか。

「綾乃ちゃん、ごめんなぁ~」

無事にシャッフルデートが終わって。

いつものように、千歳と並んで歩く。

「代わってあげられれば良かったんやけど…」

「それじゃあクジの意味がないじゃない」

「でも、歳納さんのこと色々聞いてきたで!」

胸がどきっとする。

「歳納…京子のこと…」

船見さんと同じように、もしかしたら歳納京子も…。

私の不安をよそに、千歳は嬉しそうに話す。

「歳納さん、特定の好きな人はおらんみたいやね」

「え…?」

「これはチャンスやで、綾乃ちゃん!」

「う、うん…」

「焦らず、落ち着いてアピールしていこうな~」

なんだか複雑な気持ちだ。

それはきっと、船見さんの気持ちを聞いてしまったから。

長い、片思い。

船見さんは、歳納京子のことをずっと傍で支え続けていたのだろう。

一途に、ずっと。

「…で、できるかしら…」

「大丈夫やって!綾乃ちゃんが素直になれば、歳納さんもイチコロやで!」

「……」

なぜか、歳納京子と船見さんの関係を、私と千歳に置き換えてしまった。

「いやー、まさか綾乃から初詣のお誘いがあるなんて」

「た、たまたま暇だったから誘ってあげたのよ!」

年が明けて。

千歳の助言で歳納京子を初詣に誘う。

私だけ振袖なので、なんだかチグハグだけれど。

「振袖似合ってるよ!」

顔が熱くなる。

ツンツンしそうになる心を必死で抑えながら。

「…あ、ありがと…」

お礼を言えた。

顔はそむけてしまったが。

「えへへっ」

歳納京子の笑顔。

(か、可愛い…)

私らしからぬ、素直な意見だ。

「よーし、行こう綾乃っ」

「あ…」

歳納京子に引っ張られ、神社の境内を進む。

(今年は、もっと素直になろう…)

帰り道。
歳納京子と並んで歩く。
緊張で、喉がカラカラだ。

「綾乃は何お願いしたの?」

「な、ナイショよ!」

歳納京子ともっと仲良くなれますように…だなんて、さすがに恥ずかしくて言えなかった。

「えー、ケチー」

口を尖らせ、ほっぺたを膨らませる歳納京子。

「そういうあなたは何をお願いしたのよ?」

「これからも、皆で楽しいことがいっぱいできますように!…かな」

彼女らしいお願いだ。

「えへへ」

「…ふふ」

しかし、これだけは言っておかなければならない。

「でも、突発イベントは勘弁勘弁カンボジアなんだからね!」

「それは約束できませんな!」

何故か胸を張る。

今年も頭を悩ませることになりそうな予感がした。

『うふふ、うまくいったみたいやね~』

家に着いてすぐ、千歳にお礼の電話をする。

「う、うん…」

「その、ありがとう…」

「千歳のおかげよ…」

大きな一歩とは言えない。

でも、少しずつ積み重ねていくことが大事なのだろう。

後悔しないように、素直になろう。

そう思えた一日だった。

『ウチは何もしてへんよ~』

『でもこれで…』

何か、ぽつりと言った…気がした。

「え?何か言った?」

聞き返してみる、が…。

『…ううん、何も』

いつもの調子の千歳。

それでもどこか、何かが違う。

『それじゃあ、おやすみ。綾乃ちゃん』

けれど、なんでもないと言う千歳に追求することも出来ず。

「え、ええ…。おやすみ千歳」

私は、電話を切った。

「遅いわね、千歳…」

新学期。

いつもの公園。

しかしそこに、千歳の姿はなかった。

今日は少し家を出るのが遅かった。

千歳が待っていてもおかしくないのに。

あいにくの曇りで、いつもより寒い。

じっと動かずに待っているのは少し辛かった。

「もう、新学期初日から遅刻しちゃうじゃない…」

まさか、何かあったのだろうか。

「……」

電話で様子がおかしかったことも、気になっていたのだ。

「学校に行けばわかるわよね…」

このままでは遅刻してしまう。

今からなら、走れば何とか間に合うだろう。

「千歳…」

一人で、学校へ向かって走り出す。

「あら…?」

昇降口。

下駄箱を開けると、手紙が一通。

…何故か、くしゃくしゃだ。

「誰からかしら…?」

何も書いてない。

果たし状…?

いやいや、この時代になんで…。

「ま、まさか歳納京子からの…!!」

…ありえない。

「と、遅刻しちゃう…」

まわりに他の生徒の影はない。

(手紙は放課後までお預けね…)

(なんとか間に合ったわ…)

カバンを机に引っ掛けると、教室を見渡し千歳を探す。

が、見当たらない。

…じわり、と嫌な汗が浮かんだ。

「はーい、席ついてー」

先生が教室に入ってくる。

…私の顔を、見たような気がした。

「…えー、始業式の前に、突然の話ですが…」

心臓が、跳ね上がる。

「池田千歳さんが…」

…いやだ。

「家庭の事情で…」

…そんなの、嘘だ。

「あ、綾乃…」

歳納京子の、声。

「……何?」

「知ってたの…?」

「……」

「綾乃?」

「知らなかったわよ…何も…」

「…ごめん」

「どうしてあなたが謝るの?」

トゲのある言い方をしてしまう。

つい先日、素直になろうと誓ったはずなのに。

「……」

「…ごめんなさい」

「少し頭冷やしてくるわ」

「あ、綾乃…」

屋上。

立ち入り禁止で普段は鍵がかかっているが、鍵を管理しているのは生徒会だ。

こういうのを、職権濫用というのだろう。

でも今はそんなこと、どうでもよかった。

空を見上げる。

どんよりと曇った空は、まるで私の心を映す鏡のよう。

「どうして何も言ってくれなかったのよ…」

私の前から逃げた千鶴さん。

様子が少しおかしかった千歳。

…やっぱり、嫌われたのかな。

「……」

雨が、降ってきた。

「千歳…」

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