綾乃「街中の遊園地」 (29)




私以外に誰もいない、がらんとした生徒会室。

「はあ…」

その中で私は1つ、溜息を溢した。

今日は散々だった。
英語の小テストはいつもより点数が低かった。
体育のリレーでバトンを受け取り損ね、チームのメンバーに迷惑をかけた。
掃除中に教室の棚の上を雑巾で拭いていたら、足元のゴミ箱を蹴り飛ばした。
オマケに生徒会の仕事でも書類を取り違えてしまっていたことで、先生に注意された。



そして生徒会のみんなが帰った今、黙々と今日やる仕事を片付けていたのだった。



(ゆるゆりSS、京綾さく)





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早く片付けよう…。
そう思えば思うほど、頭と手を動かすスピードは鈍った。
5時くらいには終わるだろうと踏んでいたけれど、なかなか進まないまま時間は過ぎていった。
結局仕事を全部片付けたのは、想定していたより30分もあとだった。



帰り支度をしながら、窓の外に目を向ける私。
会話の1つもせずに済ます仕事は、何ともつまらないものだった。
グラウンドからは運動部の意気揚々とした声がこだまする。

「はあ…」

何となく物悲しくなった私はまた1つ、溜息を溢した。






そんな少し重い気分の私に、玄関で声をかけてくれる人がいた。

「綾乃ー!」

「と、歳納京子…!?どうして…」

「待ってたよ!」

「それって…どういうこと…!?」

どうして私の好きな人が、この時間にこんなところにいるんだろうか。
いつもは茶道部室にいるハズなのに。

何も事情を知らない私に、彼女は話し続ける。

「綾乃と一緒に、行きたいところがあるんだ」

「へ…!!?」

扉の向こうに見える木々が、そよ風に煽られて急にざわつき始める。

「さ、行こ!」

「ちょ、ちょっと…!!!」

歳納京子はそれだけ言うと、私の手を引いて走り出した。










玄関を出る。

校門をくぐる。

川沿いの土手を駆ける。

橋を渡る。



右へ曲がり、左へ曲がったり、ずっと直進したり。
いったいどこに行くのよ、と私は聞く。






線路の横道を進む。

車通りの多い道を超える。

商店街へと入る。

人混みを掻き分けて行く。



遊園地だよ、と彼女は答えた。
はあ、と私はその答えに腑抜けた声を上げる。
そしてまた右へ曲がったり、左へ曲がったり。






人混みを抜けて脇道を行く。

こんなところ、来たこともない。

路地裏を奥へ奥へと進む。

角を曲がる度に橙色の太陽光は減っていった。



こんなところに遊園地なんてあるワケない…。
私がそう思った頃、歳納京子はようやく足を止めた。
周囲には光がほとんどない。
目の慣れだけで、何とかすぐ側に建物らしき壁があると分かるくらいだ。






この先ちょっとだけ何も見えない道が続くからね、と声がした。
背中を一筋の冷や汗が伝った私は、無意識に彼女の手を少しだけ強く握り直す。
それとは裏腹に、心の中では何かを期待しているような気もした。

そして引かれるまま、その暗闇へと足を踏み入れた。






それからどんな道をどう歩いたかは、全く分からない。
もっともそれまでの道のりも、よく覚えてはいないけど。
しかし気がつくと、向こうのほうに光が見えてきていた。
私は一歩一歩、しっかりと足を踏みしめる。
全身の感覚をフルに使って歩き、出口に辿り着いた。










開けた視界に飛び込んできたのは、街のど真ん中にある数多くのアトラクション。
それは例えば、人を乗せて回転できる大量のカップだった。
無機質な素材でできていながらも生き生きと等速円運動をする、訓練された馬たちだった。
ビル群の間を抜けて入り乱れる、新幹線の線路がそのまま浮かび上がってたようなレールだった。
東京タワーくらいはあろうかという高さの塔を上下する、シートベルト付きの椅子だった。
妖怪の爪痕を思わせる彩色が施された、ドームのような建物だった。
極めつけは、中に閉じ込めた人を空高くまで運ぶゴンドラのついた、巨大な骨組みの円盤だった。

太陽のものかどうかも怪しいくらい強い光とともに目に入ってきた光景。
それはひどく妙ちきりんながらも、遊園地そのものだ。



「どう?」

不思議な有様に心を奪われていた私に、歳納京子がまた話しかけてきた。

「『どう』って…言われても…」

「スゴいでしょ」

「ええ…。確かにスゴいわね…」






「あっ、先輩方もやっと来たんですね!」

聞き覚えのある声がして振り返ると、そこには大室さんまでいた。

「えっ!?大室さんまで…どうしてこんなところに…」

「私もたまに来るんですよ、ここ」

「こんなところに…?」

「はい!」

いったいこの2人は何者なんだろうか。
ただでさえ普段から読めない行動が多いというのに。
こんな珍妙な場所を前から知っているだなんて。
私はますますワケが分からなくなっていた。






「待たせちゃったし、先にさくっちゃんが綾乃と遊んできていいよ」

「ほんとですか!?わーい!」

「え、ええっと…」

「先輩!最初はどのアトラクションで遊びます?」

「うーん、メリーゴーランドかしら…」

「じゃあ、行きましょう!」

私は堪り兼ねて、大室さんの手を引き止める。

「ねえ、1つ聞きたいことがあるんだけど…!」

しかし歳納京子がそれを制して言った。

「綾乃。そういう話も大切だけど、まずは遊園地を楽しもうよ」










結局言われるがまま、まずメリーゴーランドに向かった。
心地のいい音楽に合わせて、馬たちは踊っていた。
そのうちの2頭に、私たちはそれぞれ跨がる。





馬が走り出してしばらく経ち、大室さんに問いかける。
奇妙な環境にアトラクションが点在する景色を楽しむ余裕も、その頃にはようやく戻っていた。

「あの、大室さん…。あなたたちは前からここを知ってるみたいだったけど、ここっていったいどういう場所なの?」

「『どういう場所』…。そういうの、考えたこともなくて。えへへ」

「初めてここに来たのも、たまたまじゃないんでしょう?でなきゃこんなところ、見つかるハズがないもの…」

「どうだったかなー…。実は、あんまり覚えてないんですよ」

「どういうこと…?」

「それが、道を歩いてたらいつの間にか紛れ込んでたんです」






「えっ…。それってつまり、たまたまってことじゃ…」

「でも歳納先輩は『たまたまなんてありえない』って。『ここに辿り着いたのは、私たちだから』って」

「ここにはあなたたち以外の人はいないの…?」

「そうみたいです」

「私以外の人を連れてきたことはないの…?」

「ないですよ。私も歳納先輩も」

聞きたいことは山ほどあるが、言い尽くせた気がしない。
隣の後輩は何も訝しがることなく、馬の動きに合わせて身体を揺らしていた。






とっても楽しそうね…と声をかけようとした、そのときだった。

がたん。

「え、えっ!?」

鈍い音がしたかと思うと、馬が台座から外れた。

「あっ、来た来た!来ましたよ、これがこのメリーゴーランドの一番スゴいところなんです!」

「馬が…歩いてる…!?何これ…!!?」

それまで回転していた台座が次第に減速していき、ついに止まった。
そしてその代わりに1体1体の馬が台座の上を走り始めた。






困惑しっぱなしの私を余所に、彼女は話し続ける。

「先輩、やっと笑ってくれましたね!」

「えっ、私今笑ってるの?」

「はい!今日はずっと浮かない顔だったけど、少しだけ安心しました!」

「そう、だったのね…」

浮かない表情をしていたなんてはっきり言われてしまって、少しショックを受けた。
でも少しずつ、自分が笑顔になっていることを自覚できた気がした。

「次はどのアトラクションに行きますか?」

「えっ!?えーっと…、ローラーコースターで――きゃっ…!?」

その言葉が終わるか終わらないかのうちに、馬は私たちを連れて台座の外へと走り出した。










「おっ。来たね、2人とも」

歩みを止めた馬から降りるとすぐ、歳納京子が話しかけてきた。

「あなたいつの間に…」

「メリーゴーランドのときから近くにいたよ?」

「えっ、そうだったかしら…」

「うん。乗ってはなかったけど、そばで見てた。――さてと綾乃、次は私と一緒に乗ろうぜ!」

「…ええ」

「さくっちゃんも、ありがとね!楽しかった?」

「はい!」

二言三言やりとりを交わし、ローラーコースターに乗り込む私たち。
彼女は何も考えず、私の隣に座る。
そして、汽車を模した乗り物が動き出した。






そういえばいつもなら、この人が私のそばに来るだけでどきどきしていたっけ。
なのに今日はそのどきどきより、私を待ってくれていた理由の不可解さに気が向いていたかもしれない。
そんなことを考えて初めて、私自身がいつもとどれだけ違う状態にあったかに気づいた。



「ねえ、歳納京子」

「何?綾乃」

「今日は、誘ってくれてありがとう」

「おう、気にするでない」

「あのとき、どうして玄関で待ってたの?」

「だって綾乃、今日ずっと変な雰囲気だったから」






「変って…」

「よく分からないけど、いつもの綾乃らしくなかったよ」

「そうだったかしら…」

「それに部室で結衣とその話してたらさ、千歳とさくっちゃん、ひまっちゃんが部室に来て同じような話するんだもん」

「……」

「みんな綾乃のこと心配してたから、言い出しっぺだったさくっちゃんと私が代表してここまで綾乃を連れてきたってワケ」

やんわり否定してみようという気もしたが、どうしてもできなかった。
心の持ちようがいつもと違っていたのは、確かに私が一番よく分かっていたことだった。
その上何より周りのみんなも同じことを感じていたとなれば、調子は狂ってないだなんて言えないのも不思議ではない。






「にしても今日は、メリーゴーランドからここまでの距離が短くてよかった」

「えっ?」

「この遊園地、来るたびにアトラクションの配置が変わるんだよねー。乗りたいと思ったやつに限って今日は遠い、なーんてことがよくある話でさ」

「やっぱりこの遊園地、変だわ…」

「この間なんか、ジェットコースターに乗ろうと思ったら乗り場が出入口と正反対にあったんだよ?めんどくさくてしょうがなかったなー…ははは」

「本当に不思議な場所なのね…」

「うん。でも、楽しいよ。いつも見たことない配置になるんだ。しかもまだ乗ったことないアトラクションが出ることまであるから、全然飽きなくて」

来る度に中身が変わるだなんて、聞いたことがない。
そんな遊園地、楽しいものなんだろうか。

「歳納京子は、そういう遊園地のほうが好きなの…?」

「うぇ?」

「そうやってコロコロ様変わりするほうが…」

「別に、普通の遊園地も好きだよ。ただ、この遊園地みたいに私が自力で気づいたものには、思い入れがあるっていうか」

「思い入れ…」

私には、よく分からない思い入れだ。
でも彼女にそういう目ざとさがあることを考えれば、何となく頷ける気はした。






「歳納京子――」

「綾乃――」

「あっ…ごめんなさい。いいわよ、お先にどうぞ」

「ああ。そろそろローラーコースターが止まるから、次の目的地を聞こうかなって」

「…観覧車に、乗りたいわ」

「そっか、分かった。次の駅から歩けばすぐだよ」



ローラーコースターはその間、ずっと変わらないスピードで走り続けていた。










聞けばそのローラーコースターはアトラクションであると同時に、遊園地内を移動する手段でもあるらしい。
なんでもコースまでがいつも変わる中で、位置が動かないその駅はある程度場所を把握するものにもなっているそうだ。

そんな話を聞かせてもらいながら駅を降りた私たちを、大室さんが迎えてくれた。

「先輩!次は何に乗るんですか?」

「綾乃が観覧車に乗りたいってさ。3人で乗ろっか」

「わーい!」

「ふふっ」

「おっ、綾乃がまた笑顔になった」



3人でいることで、心が晴れやかになっていく気がしていた。

観覧車は私たちを乗せて、出発した。





「ところで綾乃、さっき何か言おうとしてたけどあれは何だったの?」

「その…。歳納京子は、どうやってこの遊園地に来たのかしらと思って」

「あ!それ、私も気になります!」

「大室さんからも少し聞いたけど、2人だからここに来れたっていうのはいったいどういうことなのかしら…」

「んー…。私にもよく分かんないんだ、実は」

「そうなの…?」

「ただ、私とさくっちゃんに似通ったところがあるって言われるし、それは間違いなく関係してるんじゃないかな」

「私と歳納先輩の、似てるところ…」

「寧ろ、だからよく分からないんだと思う」

「そうね…そう言われると何となく私もそう思えてくる気がする」

「ふーん、そういうものなんですかー」






ゴンドラが登っていくに連れて、遊園地が一望できるようになってきた。

誰も乗っていないコーヒーカップは、今も回り続けている。
誰も乗っていない回転ブランコは、今も回り続けている。
誰も乗っていないメリーゴーランドは、今も回り続けている。
誰も乗っていないジェットコースターは、今も走り続けている。
誰も乗っていないフリーフォールは、今も上下している。

こんな広大な遊園地を3人だけで使っているなんて、やっぱり変な気分だ。



「あっ、綾乃!さくっちゃん!そろそろてっぺんだよ!」






私は更に遠くのほうへ目線を向けた。
いつもの目線で見ているこの街からは、とても想像できない光景だった。
遊園地の向こうには、雑多なビル。
毎日通る通学路。
ここに来る途中の道だった商店街。
小さい頃に行ったことがある自然公園。
この街の様々なものの全てが見渡せる範囲にあった。
けれどそれでいて、私の感覚はまるで異世界へ迷い込んでしまったようだった。



「わああ…素敵ね…」

「綺麗…!私、先輩方と一緒にこんな景色を見れてよかったです!」

「そうだね。私も、今日は3人で来れて楽しかった!」

「ええ、とっても楽しかったわ…!」










その日から私はまた、少しだけ視野が広くなった気がした。
道端に咲く花に目を向けるようになった。
街路樹の花や葉っぱの変化によく気がつくようになった。
自分の身の近くにいる虫をすぐに見つけるようになってしまって、驚く日も増えた。
田圃道から聞こえる鳴き声の変化にも明るくなった。
土手を歩けば、風当たりがいつだって違うというのも知ることができた。
電柱に止まる小鳥の姿やその囀りに魅かれるようになった。
カラフルに舗装された地面の模様にある法則を理解した。



そうやって毎日を楽しむことができるようになり始めた。




そして、また商店街へとお出かけしていた、そんなある日。



「あっ…これは…!?」

私は、自分の力で見つけたのだった。







あの謎の遊園地への入り口を。



終わり

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