ライラ「大好きな背中」 (46)

デレマスのライラのSSです

(注)
話と描写の都合上、まだ名前のない人物(ライラのメイドさん)にオリジナルで名前を付けています。

SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1574170806

 夢を見ていました。

 小さい頃の思い出。
 お家の庭でメイドさん達に遊んでもらったあの頃の景色。
 広い芝生の両脇に背の高い木がずらりと並んで、その傍の花壇にはきれいなお花が沢山。
 プールもあって海も近いけれど、いつも行くのはこっちの方。
 私がお外で遊びたいと言ったら、みんながついてきてくれるお家のお庭。
 やることはもちろんライラさんのお気に入り。日本で言うところのかくれんぼ。

 メイドさんが歌い始めて
 その隙にライラさんはネズミになって
 見つからないようこっそりひっそり
 茂みの中へ身を隠す

 もうひとりのメイドさんがネコになって
 歌う主人に頭を垂れる
 主人へネズミを捧げようと
 その目を光らせあっちへこっちへ

 でも、ここならきっと見つからない。
 隠れるのは得意なのですよ。
 
 ネコがこっちへやって来ます。

 ドキドキしながら息を潜めて
 風が吹いて葉っぱが擦れて
 その音に隠して深呼吸



 ……うん、行ってくれた
 きっと今日もライラさんの勝ちなのです。
 

 最後まで生き残ったライラさんは
 ご褒美にネコの背中に跨って
 ゆらり揺れる夕暮れを見て
 いつもより高く遠くまで見えて





 この背中から見える景色が、優しく揺れるこの背中が、ずっとずっと大好きで……

「お~い、ライラ、事務所着いたぞ」


 目を覚ますと、ここは車の中でした。
 お仕事が終わってプロデューサー殿に迎えに来てもらって、車に揺られている間になんだか眠くなってしまったのでした。


「ありがとうございますです、プロデューサー殿」


 助手席のドアを開けると、むわっとした空気がライラさんに襲いかかります。



 今は夏真っ盛り。
 今年の夏は特にすごいと天気予報のお姉さんも言っていたでございます。
 ライラさんの故郷も十分暑かったですが、日本もなかなか暑くてたいへんでございますね。

 クーラーの効いた車内に戻りたい衝動を抑えて玄関へ向かいます。
 ライラさんが働かせてもらっている場所。プロダクションの事務所でございます。

 きっと事務所だって涼しいはず。ライラさんはいそいそと扉を開いたのでした。
 それにクーラーだけが涼しさではありません。


 実は今日のために事務所の冷蔵庫にアイスを入れてあるのでございますよ。

 難しいお顔をしたカナデさんと廊下ですれ違いつつお部屋に入ると、床にぺたんと座り込んだシキさんを見かけました。

 ソファーがあるのにどうしたのかなと思いつつ、そのお顔を覗き込みます。
 シキさんがこんなに疲れたかのようなお顔をするのを初めて見たので、ライラさんは心配になったのでございますよ。
 この暑さのせいでございますか?


 学校は夏休みに入りましたですが、こうしてお仕事は続きます。
 ライラさんとしては、お仕事いっぱいだとお給料もいっぱいで、家賃も払えてごはんもいっぱい。
 大好きなアイスもこうして食べられるです。
 ちょっとした自分へのご褒美。
 ライラさんは幸せ者ですね。

 でも、今年の夏はすごく暑いみたいです。
 故郷でも何回かすごく暑い時がありましたが、それを思い出すのですよ。
 
 事務所のみんなもなんだか疲れてるみたいで
 先週はアキハさんが食欲が無くなったと言ってお昼のおかずを分けてくださいましたが
 アイドルは体が資本だからいろんなものを食べて栄養はしっかり取らないといけません。

 と、ミクさんが言ってましたです。

 そんなことがありまして、座り込むシキさんを見ていて当時のアキハさんを思い出したのでした。
 
 シキさんの着ている白衣がアキハさんを思い出させたのかもしれませんが
 きっとこの暑さで疲れているけれど食欲がわかなくて困っているのではないかと思ったのです。

 こういう時はアイスが良いでございます。
 疲れていてもアイスを食べると幸せになるのでございます。
 
 今持っているのはライラさんへのご褒美用ではありますが……

 ライラさんとシキさんは同じ白衣仲間です。
 ここは差し上げましょう

 ……一口だけ。




 一旦冷蔵庫の方へ行って、「ライラさん」とマジックで書かれた袋から取り出したアイスをシキさんに差し出しました。

「シキさん、どうしたのでございますか?アイス一口食べるですか?」


 するとシキさんの癖っ毛の一本がピョコンと撥ねて、お顔をこちらに近づけてきます。


「ん~クンカクンカ……いい匂い……くれるの?いただきまーす!」



 パクリとシキさんが齧りつきます。思ったよりも元気そうで何よりです。
 大きく齧ったアイスを頬張り味わうお顔はとても幸せそうで、やっぱりアイスは偉大です


 ……もう半分しか残ってませんですが、ライラさんは気にしないのでございます。




「おや?誰かと思ったらライラちゃんか、疲れたあとのアイスとは気が利くね~ありがとう!」


「どういたしましてですよ~」






 やっぱり相手が嬉しそうにしてくれると、ライラさんも嬉しくなりますね。

 やはり夏にはアイスです。

「ところでシキさんも暑くて疲れてしまったのでございますか?」

「いや~実はそうじゃなくってさ~」


 シキさんが髪の毛をぽりぽりと掻くと、ここではないどこかへと目を泳がせます。


「せっかくお節介してあげたのに怒られちゃったんだよね~志希ちゃんは不服であるー!」

「そうでございましたか……ライラさんも同じようなことがあったですよ」

「そうなの?」



 プロデューサー殿からアイドルにスカウトされるよりも前
 コンビニでアルバイトをしていた時のことでした。

 小さな子がお菓子をどうしてもと欲しがったのであげてしまったら
 店長にものすごく怒られてクビになってしまったことがあったのです。



 そのことをお話しすると志希さんは少し苦笑いをして首を傾げつつも


 「まぁそんな感じかなー」


 と言ってくださいました。






 優しい人なのでございますね。

「そうだライラちゃん、お礼に良いものあげるよ!手を出してー」


 そう言うとシキさんはポケットから小瓶を取り出すとライラさんの掌に白い粉をちょこんと乗せました。


「あたしの自身作なんだ、この夏ピッタリの成分配合でライラちゃんも気に入っちゃうと思うんだよね~!」


 手のひらに乗った一掴の粉。
 シキさんが言うには「元気の塊」なんだそうです。

 小麦粉のような見た目ですが、焼かずにこのまま舐めるみたいでございます?



 人差し指の先にちょこんと付けて、舐めてみようとした、その時でした。

 瞬く間の一瞬

 認識すら追いつかない早業




 ライラさんは慣れっこですが他のみんなはきっと何が起こったかわからず戸惑うことでしょう。


 いつの間にか開いている窓

 ライラさんを守るように立つ後ろ姿

 そして、お顔を見なくてもわかる程のオーガのような表情


 見知った姿のメイドさんが目の前に現れました。


 ライラさんの目の前に突然現れた彼女は、物心ついた時からずっと一緒に暮らしてきた人でした。

 
 ライラさんよりずっと背が高いけど、肌は同じ小麦色。
 きれいな髪は後ろで結んで、すらりとしたうなじと手足。
 緑色のエプロンと、袖まくりした白いシャツ。

 ライラさんについて来てくれた、大事な大事なメイドさん。







 彼女の名前はサラ

 日本へもライラさんと一緒に来てくれた、我が家自慢のメイドさんでございます。


 サラは口元に運ぼうとしたライラさんの手を優しく抑えつつ、シキさんの方を睨みつけています。


 ライラさんが一人で何かしている時、サラはこうして突然現れることがあるのでございます。

 
 薄暗くなった公園で知らないおじさんに「楽しいところに行こう」と手を引かれた時も
 路地裏でお兄さん達何人かに一緒に遊ぼうと誘われた時も
 いつもこうやって突然現れてはそれらのお話は無かったことになってしまうのです。

 あのおじさんやお兄さん達はそれ以来一度もお会いしていません。



 
 お元気なのでございましょうか?

「貴様、ライラ様に何をするつもりだった?怪しげなそれは何だ!」

「ノンノン、危ないオクスリとかじゃないって!ほんのちょ~っと元気になれるかもしれないからここは試しに……」

「そうか、祈りの時間は済ませたな?」

「ちょっとちょっと、スト~ップ!ほんとに違うから!とりあえずお手手のそれしまってよ、ね?」

「ほう……」




 シキさんがなだめていますが、サラのピリピリした雰囲気は全く収まりません。

 それどころか少し増した気がしますです。




 サラが普段から隠し持っているそれ
 今、とても上手く掌に隠しているそれ

 アヤメ殿が小道具に使う物とは比べ物にならないほどに鋭く研がれたそれを
 一呼吸ほどの沈黙の後、隠す手間は不要だと言わんばかりに、投げる前の形に切り替えました。

 ライラさんがお布団に入った後にサラがこっそりお手入れしている鍵型ナイフの刃が、指の間からその身を覗かせます。

 お二人がものすごく険悪になっているのは今のライラさんからでもわかります。

 話している中身はほとんどわからないけど
 サラがここまでするからには、きっと良くないことが起こる気がするのでございます。


 そう、お二人が話しているのは日本語でも英語でもなく、ライラさんの母国語のアラビア語でもありません。






 サラの本当の母国語、ペルシャ語でした。






 ライラさんとしても、小さい頃にほんの少しサラから聞いたことがあるだけで、話せるわけじゃないのですよ。









『サラ、やめて!志希さんは悪い人じゃないよ!』


 急いで止めないといけないと思い、つい母国語で話してしまいました。

 本当はサラとの約束があったのです。

 出身国ができるだけ悟られないように
 早く日本語になれるようにと

 日本に来た当初に結んだサラとの約束で日本ではできる限り日本語で生活するということになっていましたが
 今はそんな事を言っている場合ではありません。


「そうだそうだー!ライラちゃんもっと言ってあげて!」


 シキさんがぶーぶーと唇を尖らせながらライラさんに今度はアラビア語で助けを求めています。

 そうです、ちゃんと説明をすればサラだってわかってくれるはずです。

 サラは相変わらずシキさんへの警戒は緩めていませんが
 同時にこちらにも意識を向けてくれましたです。

 話すなら今がチャンスでございます。


『志希さんは私があげたアイスのお返しにこれをくれたの。

 よくわからないけど、これを食べれば暑い夏でも元気になれるって言ってたよ?

 志希さんは普段からオクスリいっぱい作れるすごい人なの。

 だからきっと悪気があるわけじゃないと思うの!』

 直後、シキさんのお顔がなぜだか汗でいっぱいになりましたです。

 変でございますね。
 開きっぱなしの窓の外が暑いからでございましょうか。

 でもきっとこれでサラも落ち着いてくれるはずですよ。
 サラは本当はとても優しいのでございますから。




 それよりもドアの向こうの皆さんの方が気になります。

 先ほど大きな音で空いた窓とライラさん達の話し声に釣られて
 事務所の皆さんがぞろぞろと集まってきましたです。

 突然だったことと
 ここにいる3人以外誰もわからないだろう言葉と
 何より彼女が事務所に来るのは初めてだろうということと。

 その全部が合わさって皆さんは少しびっくりしていることでございましょう。



「なるほど……よくわかりました。ライラ様、向こうで見ている方達を入らせないようにドアを閉めてきていただけますか?」

『ちょっとサラ、何する気?』

「じっくりと『話し合い』をするだけです、ご安心くださいませ」



 サラはそう言うとナイフをしまってくれました。

 よかった、やっぱりサラは優しいです。
 話し合いは大事。プロデューサー殿もそう言っているでございますから。


 こうした話し合いはサラは得意なのでございます。

 ライラさんも公園で知らない人とよくおしゃべりをしますが
 ただ楽しくておしゃべりしているだけ。

 サラは相手からいろいろなことを教えてもらうのがとても得意なのですよ。


 そろりそろりと後ずさりをしようとしているシキさんでしたが
 サラの視線に気がついてピタリと止まりましたです。

 シキさんはよく打ち合わせからいなくなってしまうという話を聞きますが
 今は少し我慢してくださるみたいですね。

そんな時でした。


「ちょっとちょっと、サラさんじゃないですか、落ち着いてください!」


 季節のことなどお構いなしの年中見慣れた黒スーツ。
 ドアの向こうの人集りをかき分けてプロデューサー殿が現れたのでした。













 プロデューサー殿が来てからは平和的に話が進んで志希さんの誤解も解けて、とりあえずその場は治まりました。サラはシキさんがライラさんに毒か何かを渡そうとしているのではないかと疑っていたみたいで、シキさんや周りの皆さんにごめんなさいしてこの騒動は終わったのでございます。

 いつも通りの帰り道。

 太陽が沈み始めても、ライラさんの額を滴る汗が止む気配はありません。
 お天気お姉さんの言っていたとおり、夜までずっと暑いままだそうです。

 そのせいなのでございましょうか
 隣を歩くサラはというと、なんだかいつもより険しい顔つきに見えたのでした。



「ライラ様、本日はその……」

「いいのですよ。ちゃんと誤解も解けましたですし」

「いえ、実はそのことなのですが……」



 ビルの影にさしかかる。
 すれ違う自転車は遥か後ろへ遠ざかっていく。
 言葉途切れて一呼吸。歩みを止めて、こちらを向く。



「ライラ様、私の出自について同僚の方々にお話したことはございますか?」

「出自……?いいえ、ないでございますよ?」



 そう、メイドさんがいるということは何人かにはお話していました。
 でも、サラの出自のことだなんて、ただの一度も、どなたにもお話したことはありませんでした。
 それどころか、面識があるのはプロデューサー殿だけのはずなのでございます。

 なるほど、きっとサラもそれが気がかりなのでしょう。
 話せる言語の数なんて問題ではないのです。





 なぜ“真っ先にその言語を選択した”のか。





 
 お日様が沈む

 カラスが飛び立つ

 夜が、近づいている





「……とにかく、貰い物とはいえ、見知らぬ物は安易に口にしないように。いいですね?」



 サラはライラさんのことをとても気にかけてくれる優しくて真面目な人なのですが
 たまに今日のように恐い顔をすることがあるのでございます。


 親が子を叱る時のよくある恐い顔とは違うのです。
 外敵をライラさんから追い払わんとする警戒心がそうさせる冷たい目。




 サラはあくまでもライラさんのためにこうしてくれていると
 頭ではわかっているつもりではあるのですが、ライラさんとしては、このことはあまり素直に喜べないのでございます。





 サラは笑うととってもきれいで世話焼きさんで優しくて……

 だから本当はサラにはずっと笑っていてほしくって、あまり恐い顔はしてほしくないのでございますよ。

―翌日―

 ダンスレッスンが終わってミレイさんとストレッチをしている時でした。


「なぁライラ、昨日のアレって何だったんだ?」

「アレ……でございますか?」

「そうそう、あのメイド……さん?ライラの知り合いなのか?」


 ライラさんの正面にぺたりと座りながらこちらをのぞき込むその表情は
 心なしかワクワクしているようで
 いつもの眼帯を外しているせいもあって、いっそうキラキラしているようでした。


「サラといいます。ライラさんと一緒に日本へ来てくれたですよ。」

「そうなのか。へぇー、サラさんっていうのか!爪みたいなの構えるときもキリッとしてかっこよかったぞ!」


 当時、ミレイさんは扉から少し離れた所から見ていたようで
 本人の目の良さでサラのことは見えていたけれど
 さすがに持っていたのが本物の鉤爪だとは気付かなかったようです。





 少し、ホッとしたでございますよ。

でも本当は少し不満だったのです。



 早業やら立ち姿やらは普段から見慣れていましたが
 あんなにも張り詰めた顔のサラは久しぶりで、いつもはもっと穏やかなのです。

 あの暗器だって、一般人の前でそうそう出すものではないのですよ。


 だから本当は
 せっかく知ってもらうなら
 サラの優しいところやきれいなところを見てほしいと思うのでございます。


 でもそれはそれとして
 今のミレイさんが嬉しそうに感想を語っている表情もまた
 ライラさんとしては好きなのも本当で……

 ちょっぴり複雑な気持ちでございます。


 淑女たる者、外向きの顔の一つくらい身につけなさいとパパからも言われてきましたが
 今のライラさんはきっとまだ子供なのでしょう。

 サラの話をきっかけに爪の魅力を再確認中のミレイさんをお邪魔するのも申し訳ないので
 前屈をするふりをして、顔を下に向けたのでした。





「おっと、話が逸れたな。結局、志希さんがまた何かやらかしたのか?」

「いえ、あれは特に危ないものではなかったのですよ。ただ……」

◇ ◆ ◇



 ストレッチも一通り終えて談話室へミレイさんと一緒に戻り
 シキさんへの誤解も解けた頃
 ニナさんがトコトコとこちらへやって来ました。

 今日はネズミさんの着ぐるみで、お尻の先でくるりと一回転したしっぽがぴょこぴょこと揺れています。
 以前にも見たことはありましたが、半袖タイプも持っていたのでございますね。


「みなさんおはよーごぜーます!何のお話でやがりますか?」


 ニナさんは昨日は事務所に来ていなかったようで
 ミレイさんと一緒に昨日のことを含めこれまでの話をしましたですよ。

 実はニナさんには、ライラさんにメイドさんがいることはお話したことがあるのでございます。
 勿論、サラの名前や出自のことなどは話したことはないのですが
 普段お家でいっぱい助けてくれることはよく話していました。

 そのおかげか、短いあらすじでもすんなりわかってくれたみたいです。


 しばらくそうしてお話をしていると


「そうだ、思い出したですよ!ライラおねーさん、久しぶりにアレがやりてーでごぜーます!」


 ニナさんからの鶴の一声。

 お互いちょうど空き時間なのでやってみるのもいいかもですね。
 ミレイさんも一緒にやってくれるようでございます。

 この前ニナさんに教えた遊び
 日本で言うところのかくれんぼ。

 ライラさんの故郷でやっていたようにアレンジは加わっていますが
 おおざっぱにはほぼ同じ。ライラさんの小さいときの思い出なのです。



 遊びのタイトルは、ええっと……

◇ ◆ ◇



 ストレッチも一通り終えて談話室へミレイさんと一緒に戻り
 シキさんへの誤解も解けた頃
 ニナさんがトコトコとこちらへやって来ました。

 今日はネズミさんの着ぐるみで、お尻の先でくるりと一回転したしっぽがぴょこぴょこと揺れています。
 以前にも見たことはありましたが、半袖タイプも持っていたのでございますね。


「みなさんおはよーごぜーます!何のお話でやがりますか?」


 ニナさんは昨日は事務所に来ていなかったようで
 ミレイさんと一緒に昨日のことを含めこれまでの話をしましたですよ。

 実はニナさんには、ライラさんにメイドさんがいることはお話したことがあるのでございます。
 勿論、サラの名前や出自のことなどは話したことはないのですが
 普段お家でいっぱい助けてくれることはよく話していました。

 そのおかげか、短いあらすじでもすんなりわかってくれたみたいです。


 しばらくそうしてお話をしていると


「そうだ、思い出したですよ!ライラおねーさん、久しぶりにアレがやりてーでごぜーます!」


 ニナさんからの鶴の一声。

 お互いちょうど空き時間なのでやってみるのもいいかもですね。
 ミレイさんも一緒にやってくれるようでございます。

 この前ニナさんに教えた遊び
 日本で言うところのかくれんぼ。

 ライラさんの故郷でやっていたようにアレンジは加わっていますが
 おおざっぱにはほぼ同じ。ライラさんの小さいときの思い出なのです。



 遊びのタイトルは、ええっと……



 じゃんけんポンの掛け声と、思い思いのグーチョキパー。
 何回目かの掛け声で、それぞれ役割が決まります。


 日本のかくれんぼと違ってこの遊びでは、役割の種類は3つ
 マスターとネコとネズミでございます。


 マスターがカウントダウンする隙にネズミは散り散りかくれんぼ。

 カウントダウンの間にマスターに目隠しされたネコは
 その後ネズミ達をマスターのところに届けるのが役目です。

 カウントダウン後に目隠しを外し
 マスターがネズミの名前を呼んだら
 それぞれネズミ達は口笛でお返事して
 それをヒントにネコはネズミを探します。

 制限時間までに見つけきれなかったら
 ネコはネズミをおんぶしながらマスターの元へ届けなければなりません。

 これが意外と重たいのですよ。




 小さい時にサラに教えてもらったこの遊び。

 サラもまた故郷で親戚のおじさんに教えてもらったらしいのですよ。


 本当はカウントダウンではなく
 マスターが歌う専用の歌が終わるまでの間に隠れるのですが
 難しいのでカウントダウンということにしたのでございます。

 簡単に説明を済ませたら
 ネコ役のライラさんをマスターのニナさんが目隠しします。
 小さい時はいつもネズミ役ばかりしていたので、なんだか新鮮です。



 真っ暗な世界にニナさんの声とミレイさんの足音。


 10……

 9……

 パタパタパタ……7を過ぎたら、もう何も。

 隠れるネズミに思いを馳せる。

 あの時のサラも、きっとそう。


 5……

 4……
 
 隠れるのなら、きっと段ボール箱の陰。

 周囲の景色を思い出す。

 あの日のサラも、きっとそう。


 2……

 1……






「うぎゃあああああああ!」



 突然、ミレイさんの悲鳴があがりました。

 直後にゴツンという音と、痛みを堪えるような呻き声。



「うわ!?どうしやがったです?」

「行ってみましょう」



 口笛のお返事を聞くまでもなく場所はわかったのでそちらへ向かいます。





 ソファーの下へ頭だけ隠している状態でうずくまっているミレイさんを見つけました。

「痛たたたた……なんでこんなとこで寝てんだよ、ビックリしただろ!」



 涙目でソファーの下を睨みつけながらミレイさんが文句を言っていますです。
 ソファーの下へ隠れようとしたところに何か見つけたのでございましょうか?

 すると
 ミレイさんが睨みつける先からピンク色の大きなウサギの耳がニョキニョキと出てきました。

 これはライラさんにも見覚えがありますです。彼女といえばこのぬいぐるみです。



「んもー、いきなり大声出してどうしたのさー。せっかくサボ……じゃなくて休憩してたってのに」



 眠そうに眼をこすりながらアンズさんが這い出てきました。



「普通こんなとこで人が寝てるだなんて思わないだろ!」

「だからこそいいんじゃんか、見つからないし。美玲ちゃんこそなんでわざわざこんなとこ入ろうとしたのさ?」

「いや、隠れようかと思って」

「え?美玲ちゃんもトレーナーさんから逃げてるの?」

「違うし!ってか“も”ってなんだよ⁉ウチはニナと遊んであげてるだけだぞ」

「遊び?かくれんぼか何か?」

「杏おねーさんもやりやがりますか?」

「え……ここで?」



 アンズさんが困惑しているようなので、3人で遊ぼうとしていたこととこれまでの経緯をライラさんが説明しました。

 杏さんは相変わらずウサギに寝そべりながら
 ふーんとかへーとか相槌を打っていましたが
 説明が終わると少しだけ間を置いて


「ねぇライラ、その遊びって誰から教わったの?」

「我が家のメイドさんからですよー」

「その人って昨日の?」

「そうでございますが……」



 ライラさんが質問に答えると、アンズさんはまた少しの間ぼーっと天井を見つめました。



「なんだ、アンズも昨日あそこにいたのか、気付かなかったぞ」

「うん……まあねー」



 かっこうだけは物凄くだらけていても
 この時だけはお口も閉じて
 目もよく見るとどこか真剣で
 アンズさんが何か考え事をするときのお顔でした。



「あー……そういうことか、あいかわらずだな志希は」



 そう言うとアンズさんはまたソファーの下へずるずると戻ってしましました。



「っておい、また寝るのか!?」

「だってまだ眠たいし。できたら邪魔しないでほしいなーって」

「えー、杏おねーさん一緒にはやらないでごぜーますか?」

「うーん……正直言って、ここでそれやるの向いてないと思うよ?

 ここってそんなに広くないし、口笛とかすぐ響いて居場所バレバレだし、隠れる場所も少ないし」

「あー、言われてみればそうだな。実はウチも隠れる場所に困ってソファーの下覗いたところあるし」

「それなら……また別の機会にいたしましょう、ちょうどいいチャンスもあるのでございますよ」




 そう、実は今週にいいチャンスがあるのですよ。

 この3人とコズエさんとサナさんでキャンプ体験の収録があるのでございます。
 そのときにいたしましょう。


 
 ライラさんとしてもとても楽しみなのですよー。


―数日後―






 キャンプの収録も無事に終了し、テントやら機材やらの片づけが始まりましたです。

 みんなで火をおこしたり星空を眺めたりと
 普段のお仕事ではできない体験がいっぱいで
 みんな楽しそうな笑顔でいっぱい。

 もちろんライラさんもすっごく楽しかったのですよー。

 スタッフさん達へのご挨拶もきちんと済ませて、焚火の跡の片づけが終わった頃
 スタッフさん達やプロデューサーはまだ少し時間がかかるということで、ライラさん達に自由時間をくれたのでした。



「だったら最後にみんなで遊びてーですよ!遊んでてもいいですか、プロデューサー!」



 ニナさんはまだまだ元気いっぱいで遊び足りないようでして
 プロデューサーもそれを察してか
 あまり遠くへは行かずみんなと一緒に遊ぶことという忠告だけを残し
 離れにあるログハウスのウッドデッキの所へディレクターさん達とお仕事の話をしに行ってしまいましたです。



「よし!今度は屋外だしアンズはいないな、隠れたい放題だぞ!ウチはどっちかっていうと狩人側がいいけど!」



 ミレイさんもやる気十分です。しかしライラさんも負けてはいられないのでございます。

 早速役割をそれぞれ決めて、ライラさんは得意のネズミ役。

 サナさんがミレイさんを目隠ししている間に低木の茂みに隠れました。

 その後、名前を呼ばれたので口笛でピーっとお返事したら、ここから先は気が抜けません。


 ライラさんは小さい頃から隠れるのがとても得意で
 メイドのみんなからも一目置かれていたのですよ。えっへん。

 ちょうど死角になる隠れ場所を見つけて、こうやって小さくなって……




「見つけたぞライラ、まずは一人目だな!」


















 ……あれ?

 意外にも早く見つかってしましましたです。

 手を引かれながらサナさんの所へ。



 それからミレイさんは他の人も難なく見つけていきました。
 きっとこういうのが得意なのでございましょう。
 目もとても良いようですし。


 気を取り直してもう一回。

 じゃんけんの結果またネズミ役です。

 次はもっと気を付けて隠れることにしますです。





「やったー!ライラおねーさん見つけたですよー!」
















 ……あれ?

 ニナさんにまで見つかってしまいましたですよ。

 少しうっかりしていたようです。次はもっと真剣に隠れなければです。


 またまたみんなでじゃんけんぽん。
 今度はニナさんがマスターでサナさんが猫でございます。

 なかなか見つかりにくい場所
 それでいて、返事の口笛がきちんと届く範囲の中で。

 あんまり遠くへは行ってはいけないのですよ。

 ニナさんがサナさんの目隠しをしながらカウントダウン。
 
 いつまでも悩んではいられません。どこにしよう……


 ふと、ある場所が目に留まりました。


 ここです、ここならバッチリなのですよ。



 それは、野外で使う機材を運ぶトラックの荷台でした。

 ニナさん達の近くに停まっています。

 荷台はコンテナではなくカーテンで囲われていて
 ちょうど後ろの部分のカーテンが開いていました。

 そこまで機材もぎゅうぎゅうではなく
 ライラさんも隠れられそうな場所も余っています。

 本当ならば勝手に乗ってはいけないのでしょうけれど、今は緊急なのですよ。

 人が見ている気配もありません。今がチャンスでございます。







 ……なんとかよじ登れました。


 荷台の中はテントの骨組みやパイプ椅子がごちゃごちゃと重ねられていました。
 
 スタッフさん達が使っていたものですね。

 少し薄暗いですが、カーテンは半開きなので少しは光が差し込みます。
 端に寄れば外からも簡単には見つからないでしょう。


 ライラさんは少し本気を出してしまったようでございます。
 サナさんには頑張ってライラさんをおんぶしていただきます。ふふふ。


 ニナさんのカウントダウンが終わりました。
 
 ミレイさんを呼ぶ声、小さく聞こえる口笛、そして……



「ライラおねーさーん!」



 ニナさんからの呼び声です。
 さぁ、あとは口笛を吹くだけ。


 ほんの少し、カーテンの縁に顔を近づけて。

 ちゃんと聞こえるように、でも見つからないように。

 唇を尖らせて、今、口笛の音が響い

 
 バタン!



 思いがけない音、ドアが閉まる音。
 僅かに揺れた荷台に驚いて、一瞬体が固まって、そして



 キキキキキキキキキキ!ブロロロロロロロン!



 年季の入った金切音と、煤が香る轟音と。

 荷台が小刻みに揺れていて、止まった思考が揺り起こされて。



 やっと理解が追いつきました。
 そう、ライラさんの乗っているこのトラックが動き出そうとしているのです。




 このままではいけません。
 すぐに降りないと、でも。

 そんなライラさんの事情など全くお構いなしとばかりに、トラックは急発進しました。


 大きく視界が傾いて
 掴もうとした手からカーテンがすり抜けて。

 積み重なっていたパイプ椅子と同じく、ライラさんもバランスを崩して。






 大きな音がしました。



 バタンバタン、ガシャンガシャン。




 ライラさんが転んだことなど覆い隠すほどに大きな音。



 でも、運転手さんは気付いてもいないのでございましょうか

 何事もないかのようにトラックはどんどん走ります。

 大変なことになってしまいましたです。
 このトラックはどこへ向かっているのでございましょうか?

 そしてもう一つ、こちらの方がより大変かもしれません。

 転ぶと同時に、嫌な音がしたのです。微かではあっても、ライラさんにだけはとても大きく聞こえた音。


「痛っ……」


 右足首が腫れ上がっていました。
 転び方が良くなかったみたいです。

 ダンスレッスンを始めたばかりの頃に足をひねった経験がありますが
 今回のこれはちょっと酷そうでございます。

 荷台の僅かな震えでさえ、腫れ上がった足首にズキズキと響きます。

 ただ、動かしたくはないですけど、状態を確かめなければいけませんです。

 転んだままの姿勢で投げ出された足首を、腿を抱えるようにして手繰り寄せました。
 患部を見つめながら恐る恐る手を添えて、ゆっくりと動かしてみます。

 ズキン!と痛みが走りましたが、それでもなんとか足首は動きます。

 骨が折れてないことを祈りつつ、まずは周囲を確認します。

 これ以上怪我をしないように
 崩れかけの荷物から少しでも離れるように
 荷台の端の隙間に身を寄せました。







 開きっぱなしのカーテンの隙向こうで、建物の屋根や街路樹がびゅんびゅん飛んでいきます。
 


 もうキャンプ場からすっかり離れてしまったのでございますね。
 今、ライラさんはどこにいてどこに向かっているのでしょうか?

 痛む足もそうですが、このままでは帰れなくなってしまうのではとそれが心配なのですよ。

 なんとかして運転手さんにお話ししなくてはいけません……でもどうやって?


 ここから運転手さんへ呼びかけてみるのは……
 ライラさんはあまり大きな声は得意ではないのですよ。

 運転席に一番近いところへ行って叩いてみるのも……
 今のこの足ではできそうにありませんです。
 できたとしても、これだけ荷物が盛大に崩れて一向にスピードを緩めないのですからきっと気にもとめてくれないでしょう。






 やはりどこかに停まった時に降りて説明するしかなさそうです。
 でも、いつになるのでしょうか……

 と、その時、ちょうどトラックがだんだんゆっくりになって、今度はバックをしています。



 チャンスでございますよ。




 トラックはすぐ止まり、運転席から人が降りる音が聞こえました。


「あのー!運転手さーん!」


 必死になって声を出しましたが、誰かが反応してくれた気配はありません。

 やはり荷台の中で小さくなっている今は声が外から聞き取りづらいのでございましょう。

 やはり荷台からすぐに降りなくては。
 このまま気付かれなかったらもっと遠くへ運ばれてしまいそうですよ。


 はいはいをするように荷台の後ろへ近づいて
 恐る恐る顔を出して外を見渡しました。

 見覚えのない景色。
 周りは道路と荒れ地ばっかり。
 それでもとにかくまずは降りなくてはいけません。

 でも
 乗り込むときにはなんて事のなかったこの高さが
 降りる今となっては物凄く高く感じられました。

 荷台の縁に寄りかかって、体を少しずつ、少しずつ……




 何度目かの激痛の後、やっと地面にたどり着きました。
 
 荷台から降りるというたったこれだけの動作のはずなのに
 レッスン後のように息が上がって、随分と時間もかかってしまったです。

 でもこれできっと直接運転手さんとお話ができます。

 ですが、


 ガチャッ


 扉が開く音がしました。

 嫌な予感がするのですよ。


 足を引きずりながら慌てて車体の右側に回りましたが、すでに運転手さんの半身は見えなくなっていて



「あの、運転手さ―」



 バタン!


 ドアが閉まって



 キキキキキ、ブロロロロロロロン!





 トラックはそのまま走り去り、見知らぬこの地に取り残されてしまいました。
 



 目の前に広がる殺風景な山道。

 先ほどから一台も車が通らない形だけの存在の道路と
 その取り巻きの荒れ地を眺めながら
 自販機にもたれかかるように座って途方に暮れています。

 切り開かれた山の斜面よりはこちらの方が気持ちが休まるかと思ったのですが
 これはこれで寂しさが増して辛いのですよ。


 こんな山道にぽつんとこうして自販機が一台。
 運転手さんはこれが目的でここに休憩がてら一度停まったのでしょう。

 ライラさんはここで足を休めつつ独り反省会です。
 かれこれもう数時間経っている気がします。


 荷台から降りるのに時間をかけすぎてしまったのがいけなかったのでしょうか。
 いいえ、そもそもライラさんがトラックの荷台になんか隠れなければ……

 ただの遊びだったはずなのに、無茶な隠れ方をしてこんなことになってしまったですよ。

 隠れるのは得意だった、と自分ではそう思っていたのでございます。
 でも、いつの間にかこんなにへたっぴになってしまいました。

 現状としては、意図せず探すのが難しいところへ来てしまいましたが。



 16歳にもなって
 大人になったからと家ではいろいろあって
 それで故郷から飛び出してしばらく経って
 アイドルになって働いて。

 それでいてなお
 こんな子供のような失敗をしてしまうのが、今更ですが恥ずかしくなってきたのでございます。




 そんなことを考えながら誰か来ないものかと待ちぼうけですが、全く人の気配がありません。


 日は大分傾いていますが、それでも暑さは厳しくて
 ここが偶然日陰でなければライラさんはとっくに干上がってしまったかもしれません。


 でも、それもそろそろ限界でございます。


 日陰とは言ってもやはり暑くて汗をかいてしまします。

 喉がもうカラカラで遠くを誰かが通りかかってもうまく声を出せないかもしれませんです。

 せっかくの自販機がここにはありますが
 お金やらケータイやらも全てバッグに入っていたので、ここには無いのでございますよ。


 近くに蛇口でもあればいいのですが……周りを見渡してみました。





 本当に見渡す限り何も見えなくて
 お家でもあれば訪ねようかと思いましたが建物の類が一切見当たりません。
 人は住んでない場所なのでしょうか。

 僅かながらの風に草木が揺れて
 細やかなその音が一層静けさを際立たせます。

 一応道路はあるのですから車の一つでも通ってほしいのでございます。


 そんなことを期待して耳を澄ませていたのですが、全く車の音はしません。

 でも
 






 ……あれ?もしかして

 小さな音ですが、川のような音に気が付きました。


 道路を挟んで反対側からのようです。




 一瞬、ためらう気持ちはありました。


 誰かがここを通った時に川の方にいたら見つけてもらいにくいかもと思ったのですよ。

 
 でも、ライラさんの喉がもう限界です。
 それになんだか眩暈もします。

 このままだと本当に干からびてしまいます。







 いまだに痛む足首に鞭を打って、ゆっくりゆっくり川に向かって歩き始めました。


 荷台から降りる時と同じくらいの痛みを伴ってやっと川にたどり着きました。


 道路の端から川まで少し高さはありましたが
 なんとか滑って降りれそうな斜面になっている部分を偶然見つけて
 ズボンを泥だらけにして今に至ります。


 街を流れる用水路とは違って見た目にも水はきれいで
 痛む足や疲労感はあっても、自然と足は川の方へと向かっていきました。


 しゃがみ込んで
 
 両手を伸ばして
 
 お水を掬って

 一口目


 川の水がこんなに美味しく感じるとは思ってもみませんでした。


 それもそのはず、これだけ喉が渇いていればそうなのでしょう。















 でも、二口目以降はやっぱり違和感があって

 あれだけ欲しかった水がなんだか不安に思えてきて



「うっ……!」



 強烈な吐き気。


 意識としては水が欲しいはずなのに、体の方が水を嫌がっているようでした。


 潤したはずの喉がチリチリと焼けるように痛んで

 吐き気がやっと収まっても眩暈は相変わらず収まらなくて。









 もう、一歩も動ける気がしませんでした。

 傾くどころか日は沈みかけて、辺りはだんだん暗くなってきました。


 川に足を入れて患部を冷やしているせいか
 暑さだけは感じずに済むようになりましたが
 やっぱり眩暈は無くならなくて
 全身の疲労感は増すばかり。


 このまま夜になってしまうのでしょうか。


 座っているのも辛くなって
 後ろに倒れるように空を仰いで
 みんなのことに思いを馳せました。


 きっと一緒に遊んでいたみんなは
 急にライラさんがいなくなって心配してくださっていることでしょう。

 プロデューサーもきっと、いつかのように大慌てになって……



 そして、サラはなんて言うのかな。




 いつもずっと一緒だった、大切なメイドさん。


 困ったときは必ず助けてくれて

 何でもだいたいできるけど

 苦手なことが無いわけじゃなくて。

 小さい頃に一緒に遊んでくれていた頃は

 ネズミ役で隠れるライラさんをサラは最後まで見つけきれなくて

 いっつもサラの背中に乗って

 そこから見える普段より高い目線の景色が楽しくって。


 この前、事務所への帰りに車の中で見た夢もその時のことだったのでございます。



 でもライラさんが大きくなるにつれて
 家の方針もありますがサラも厳しくなることが稀にあって

 そして

 ライラさんに対して向けたものではなくても
 凄まじい敵意を飛ばす姿を見ることもあって
 それがなんだか恐くって。


 ライラさんのあまりに子供っぽい失敗のせいで皆さんに迷惑をかけて
 怪我もして、心配をかけて。


 きっとサラはすごく怒るだろうな。


 でも、それはやっぱりライラさんのためにそうしているのはわかっているのです。

 本当はすごく優しい人だって
 そんな姿も知っているからこそ、最近は複雑な気持ちなのでございます。




 小さいときのような関係では、もういられないのでしょう。





ピー……












 口笛を、吹いてみました。



 小さい頃

 木の陰に隠れた時のように。













 見つからないようにと思って吹いた当時よりもずっと弱々しい音しか出ないけど


 吹いた理由はその真逆。

















「サラ……どこにいるの……?」

 

 風が吹く

 
 
 草が揺れる



 誰かが傍に立った音


 ほかの誰も馴染みのない


 ライラさんだけが知っている



 急いで助けに来てくれた時のあの気配




















「サラ……?」

「……はい」

「どうして……」

「さあ帰りましょう、お車も用意してあります」


 それからサラに軽々と背中におぶられて
 いつの間にか川から上がって
 そのままおぶられながら夕焼けの道を行きました。




「サラ……どうしてわかったのですか?」

「口笛を吹きましたでしょう?」

「それだけ……?」

「残りは秘密です」




 そう答えるサラの声は、とても穏やかで優しくて

 まるで今がいつもと変わらないかの様でした。




「だってサラ、そんなことだけで見つけるなんて」



 サラが顔だけ少しこちらに向けて、柔らかく微笑んだ表情が見えて



「いつだって、どこにいらしたって、必ず私が見つけて差し上げます」



 夕日に照らされたそれは、どこまでも綺麗で



「私はライラ様のメイドですから」








 ……あぁ、そうか、そうだったのでございますね。

 小さい頃に何度もおぶってもらったのも

 今日のライラさんがすぐにみんなに見つかってしまったのも

 なんだ、簡単なことだったのでございますね。






「……サラ」

「はい」

『ありがとう。私、やっぱりこの場所が好きよ』

「……ライラ様?」

『今くらい母国語でいいでしょ?日本語使うのけっこう大変なんだから』

『……えぇ、そうですね』







 そう、何も変わってなどいなかったのでした。
 ゆらり揺れる夕暮れも、いつもより高く遠くまで見えるこの景色も。
 きっとこれからも、ずっと














――エピローグ――











 あの日久しぶりにサラにおんぶされたその後
 近くまでプロデューサーが車で迎えに来てくれていて
 ライラさんの状態を見て病院へ行きました。


 右足首の方は骨は折れてなかったみたいで助かりましたが
 お医者様曰く、別の症状の方が重症だったようです。


 そう、ライラさんは熱中症になってしまっていたのでした。


 難しいことはよくわかりませんでしたが
 汗をたくさんかいた後に喉が渇いたからといって水だけを飲むのはよろしくないそうです。

 そんなこんなでライラさんのポッケには常に塩飴を入れるようにしたのですよ。



 その後事務所のみんなとスタッフさん達含めてごめんなさいをして回って
 トラックの運転手さんには逆に謝られてしまいまして、数分間お互い謝り合っていたのでした。












 しばらく経って足も治った頃、いつものように事務所に行くと志希さんがいました。


 ソファーでごろごろお昼寝中のようでございましたが、起こしてしまったかもしれません。

「クンカクンカ……ライラちゃんの匂いだ~おはよー」

「はい、シキさんおはようございますです」



 ムクリと起き上がったシキさんが目をこすりつつ、のそのそとこちらへやってきました。



「クンカクンカ……うん、もう体調は戻ったみたいだね。それにしても災難だったねー」

「はい、ご心配おかけしましたですよ」

「気にしない気にしなーい!志希ちゃんだってごく稀~に失踪するし?」



 頻度の表現にほんの少し違和感はありましたが気にしないことにしましたですよ。同じ白衣の仲でございますから。

 でも、気になることはやっぱりあるので、いい機会だから訊いてみることにしました。



「シキさん、ひとつ気になることがあるのでございます」

「ん~?どーしたの?」

『何でサラの出自が分かったんですか?』

「おっと?」



 シキさんならこの言葉でも大丈夫だと前回わかりましたので、あえてこっちです。



『別に~出自まで分かったわけじゃないよ?』



 シキさんは再びソファーに戻って座りました。



『まー、それなりに迷惑かけちゃったし?教えてあげよっか』


 
 ぐっと背伸びをしながら足を投げ出して一通り伸びをした後



『ライラちゃんがみんなとやってたあの遊び、あれってさ』



 思いがけない単語が飛び出しました。




『ガエムムシャクでしょ?』*

 日本に来て以来、一度も言っても聞いてもいなかったはずのその名。


『……どうして』

『昔の研究室の同僚から聞いたことあってね。その人の顔はもう思い出せないんだけど』

『でも、それだけじゃ……』

『まぁ、そう思うよね』


 そう言うとシキさんは傍らのコーヒーを一気に飲み干すと
 再びソファーに深く座り直しました。





『元々イランの遊びだってのはその人で知ったの。んで、サラさん……だっけ?の事情は憶測。

 メイドを一人連れてきたんでしょ?
 ライラちゃんを守る仕事だから責任重大……
 でも本当のトップは派遣できない。

 だって元々ライラちゃんのお家でそれぞれ仕事だってあるだろうからね。

 でも英語圏じゃなくて目的地は日本。
 それなら日本語が達者、もしくは外国語の習得を任せられる人物を選ばなくちゃいけない。

 ビジネス上のお父様の関係者ならともかく一人のメイドでそれは珍しい。

 てことは外国人労働者かその血縁者て筋が可能性が浮上する……

 もちろん単に言語の教養が高い人かもしれないよ?
 でもそんな中、ライラちゃんがやってた遊び、しかもそれはメイドさんから教わったって話も聞いた……


 てなわけで、もしかしたらイラン人もしくはペルシャ語に明るい人なのかなーってね。

 別に当たってなくても構わなかった。
 あたしからは出そうにもない言語が出て一瞬でも隙ができてくれれば逃げやすくなるかなーって、その程度だよ。』





『そういうことだったんですね……』

『あーあ、ガラにもなくいっぱい説明しちゃった。志希ちゃんエネルギー切れ~ライラちゃんアイスない~?』

『ありますけど一口ですよ?前みたいな齧り方はダメですからね?』

「にゃはは~努力するー」

















 まったく……世界は広いのでございますね。

おわり

本当はライラさんの誕生日や総選挙中に間に合わせようとか考えてたらこんな日に・・・
ライラPさん許してください

依頼出してきます。


*
出典:世界の子どもの遊び 文化のちがいがよくわかる! (楽しい調べ学習シリーズ)
   寒川恒夫 PHP研究所 ISBN-10: 4569784739

おつでした!
ライラさんのメイドは色々と妄想がはかどる存在ですね
どうしてもロベルタ的なのを想像してしまいますが

しかし志希の差し出した塩は、なんというかタイムリーなネタにw

乙、最高だった
ライラさんの柔らかい文体の地の文好き
ライラさんとメイドさんは作者によってそれぞれ関係性が出て好きだからもっと書く人増えて、勿論この関係性も最高
あと志希ちゃんの書き方が上手いと思いました

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