【モバマスSS・速水奏】《Home》 (16)
速水奏は薄暗い部屋の中でテレビを見ていた。
気づけば夕暮れだった。
久しぶりの休日は勉強と読書で過ごした。勉強と読書で1日が終わった。
奏は立ち上がってカーテンを閉めた。
ベッドに腰掛け、テレビを付けた。
彼女はバラエティ番組を避けた。
いまは同僚のアイドルの姿を見たくなかった。
何よりテレビに映る自分を見たくなかった。
例え実際には出演していないとしても、見てしまう可能性はある。
だから彼女は有線チャンネルに合わせた。
ドキュメンタリーを中心に放映しているものだった。
ちょうどカンボジアの水上都市の特集がやっていた。
奏はそれを見た。
カンボジア・トンレサップ湖の水上都市には100万人規模の人間が生活していると言われている。
水上都市には学校もある。商店もある。
寺院と同じ役割を担う船もある。
速水奏はふと小学生の頃、50m走のことを思い出した。
同じ場で、同じ条件で、同じ歳の子供たちが同時に走る。
そこでは「足の早さ」の優劣が明白になる。
足の早い子は褒められる。そして羨望の眼差しを向けられる。
足の遅い子は褒められない。何も向けられない。
奏は足が早くも、遅くもなかった。
「あっちの地域だと…50m走はやらなそうね…」
奏は呟いた。
特集では、湖に飛び込む子たちや、船を漕ぐ子供たちが繰り返し映像で流れた。
だが、走り回る子はいなかった。
そもそも、走るための「地上」が、船か、水上のハウスしかないのだ。
そして船もハウスも走るのに適した場所ではない。
子供たちは生まれた時から地上を駆け回ることはない。
代わりに、湖の中に飛び込み、泳ぐ。
泳ぎは相当上達するに違いないと彼女は思った。
そして泳ぎが上手い子は一目置かれるのだろうと思った。
だが、足の早い子は評価されず、埋もれるはずだ。
その才能を見出されることは決してない。
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「キミは最高だね。素晴らしかったよ」
先々週のテレビ番組の撮影後、速水奏はディレクターの男に賞賛された。
歌番組でのことだった。
速水奏は微笑んで礼を言った。
プロデューサーが迎えに来て、「みんなが喜んでいた」とまた褒めてくれた。
奏は嬉しかった。
充実感があった。
「ねぇ。再来週のオフ。休みは取れないかしら?」
帰りの車内で、彼女はプロデューサーに聞いた。
プロデューサーは少し考えてから、申し訳なさそうな表情を浮かべた。
「その日は仕事だな。すまない」
「しばらく休みは合わないの?」
「夏の間は、難しいな」
「そう」
奏は微笑んだ。
それから運転しているプロデューサーの耳たぶをつまみ、抗議の意味で軽く引っ張った。
プロデューサーは「おっ」と驚いた声をあげた。
一瞬、奏の方を見た。
すぐに運転に集中し始めた。
運転しながら口を開いた。
「どうしたんだ?」
「不満をぶつけてるの」
「ずいぶん優しい不満のぶつけ方だな」
「甘噛みくらいすればよかったかしら」
「事故を起こしてもいいなら、どうぞ」
奏は薄く笑った。
引っ張っていた耳たぶを離した。
プロデューサーが「すまないな」と謝ってきた。
彼女は「謝ることはないわよ」と返した。
「私たちのために頑張ってくれているんでしょう」
「あなたが頑張っているから、私たちはあなたを信頼してるし、頑張れるのよ」
奏は本心を言った。
プロデューサーは「そうか」と頭をかいて、照れた。
家に送り届けられると、奏はシャワーを浴び、着替えた。
それからベッドに仰向けで寝転んだ。
少し疲れたなと思った。
ふとテレビを付けると自分の姿が映った。
とても輝いて見えた。
ふと鏡を見ると自分の姿が映った。
とてもつまらなそうに見えた。
奏は微笑んでみようとした。
だが、駄目だった。
無理することはないと思った。
その日は1日中、レッスンだった。
ダンスレッスンが終わると、速水奏は事務所のソファに深く座った。
レッスンの倦怠感を感じていた。
だが、それは心地よい倦怠感だった。
「奏ちゃーん。お疲れ様~♪」
レッスンの終わりを待ってくれていたらしく、一ノ瀬志希がソファに飛び込んできた。
志希は奏に抱きついた。そしてスンスンと匂いを嗅いできた。
「ダンスレッスンしたばかりだから汗くさいわよ?」
「問題なし! ん~♪ 奏ちゃんの香りだねぇ~♪」
「そうなの?」
「匂いは指紋と同じ! ブレることはないものなんだよね~♪」
志希は嬉しそうに言った。
「人間と同じだよ。変わる部分はあるけど、変わらない部分もある♪ あたしが好きなのは、変わらない部分なのさ~♪」
しばらく志希は一方的に話をした。
奏は時々突っ込みを入れながら、話を聞いた。楽しい時間だった。
「じゃ、またね~♪」
志希は何か楽しそうなことを思いついたらしく、急に話を切ると事務所を出ていった。
奏は志希の後ろ姿を見送った。
またプロデューサーのところに行くんだろうなと思った。
志希にとってプロデューサーは「実家」なのか、「仮宿」なのか、どちらなのだろうか。
奏は少し考えたが、すぐにやめた。
人の気持ちを分析することが良い悪いという話ではない。
ただ、奏自身が考えたくないことだった。
仙台で行われた公演は成功を収めた。
奏は公演の成功に誇らしさを感じた。
公演後、張り詰めていた緊張が切れ、腰が抜けそうになった。
だが、周りのアイドルたちに悟られたくなかったので堪えた。
椅子に座り、脚を隠すようにしてタオルケットをかけ、震えが止まるのを待った。
塩見周子が近づいてきて、「お疲れ様~」と飲み物を渡してくれた。
ついでに膝のあたりを軽くチョップされた。
思わず、笑みがこぼれた。
「…何でも見透かしているみたいね」
「はて、何のことかいな?♪」
周子は近くの椅子を引っ張ってきた。
公演の余韻に身を任せ、2人はいつになく饒舌になった。
いつになく奏は笑った。
いつになく周子は歯を見せた。
話はとめどなく、溢れた。
帰りのバスの中で奏は眠った。
事務所の前で「また明後日」と他のアイドルたちに手を振った。
1日休んだ後は、またアイドルとしての生活だ。
同じことの繰り返してはない。
毎日が違っている。
少なくとも日々の出来事には満たされている。
それは間違いない。
だが、2日後の朝、奏は起き上がることができなかった。
「今日は休むわ」
奏は力のない声で連絡した。
鏡に映っている自分を見て、全身の力が抜けるような感覚を抱いた。
ダンスの後に感じる倦怠感とは違っていた。
奏は仕事を休むことにした。
プロデューサーに話をした際、喧嘩になった。
喧嘩と言っても言い合いではない。
奏が感情的になり、一方的に暴言を吐いただけだ。
「しばらく休みたいのーーーもちろん。いま入れている仕事が全部終わったらね」
プロデューサーは奏の休業を引き止めなかった。
代わりに理由を聞いた。
それだけだった。
「わかった。でも、理由を聞かせてもらえないか?」
適当なことを言ってごまかすつもりだった。
心配はかけたくなかった。
だが、奏は心に針が突き刺さるような痛みを感じた。
もうダメだった。
同時に怒りを感じた。
自分への怒りだ。
「どうでもいいでしょう!! 私は…!!!」
涙が溢れた。
思わずその場にうずくまってしまった。
奏は泣き止むまでプロデューサーに背中をさすられていた。
「ごめんなさい…ごめんなさい…」
奏は謝った。
プロデューサーに家まで送るよと言われたが、断った。
1人で帰るつもりだったが、後ろから城ヶ崎美嘉が付いてきた。
「何か用? 子供じゃないんだし、1人でも帰れるわよ」
奏は冷たい言い方をした。
だが、美嘉は表情ひとつ変えなかった。
「知ってる。でも、あたし心配してる」
奏は何も言い返さなかった。
真剣な時の美嘉は決して動じない。
奏は羨ましいと思った。
家の中に入る前、美嘉は「またね」とだけ言った。
奏は振り返ることができなかった。
「また」になるのかがわからなかったからだ。
奏には自由な時間ができた。
時々、事務所のアイドルたちと会うこともあった。
不思議と宮本フレデリカにはよく会った。
夜の海でばったり会った時は心臓が飛び出るかと思った。
「やっほう♪ 奏ちゃん♪」
フレデリカは相変わらずの笑顔だった。
「ふ、フレデリカ…私。誰にもここに来ることを伝えていなかったはずだけど…」
「わぉ♪ じゃあ、運命だね!! ラブの始まり♪」
「申し訳ないけどお断りよ」
「えぇ~、つれない~♪」
フレデリカの毒気のない態度に、奏は自然に笑顔になれた。
海辺を共に散歩し、しばらくして別れた。
「ばいばーい♪ またね~♪」
フレデリカも「また」と言ってくれた。
奏は微笑んで手を振った。
泣きたい気持ちになったが、どうにかして堪えた。
古澤頼子から美術館のチケットが送られてきたのは仕事を休んでからひと月ほど経ってからのことだった。
ゴーギャン展のチケットだった。
奏は休日に美術館へ向かった。
見たいものがあるわけではなかった。
頼子の好意を無駄にしたくない、という義務感を感じているわけでもなかった。
美術館に来たのはほんの気まぐれにすぎない。
元々、静かな場所は嫌いではなかった。
ゴーギャン展の目玉は一枚の絵画だった。
ゴーギャンが晩年に残した作品だ。
『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』
奏はその絵に目が奪われた。
ゴーギャンはこの絵を描く前に娘を亡くしている。
ゴーギャンはこの絵を描き上げて間もなく亡くなっている。
彼は何を考えていたのだろうと奏は考えた。
我々はどこからきたのか。我々は何者か。我々はどこへいくのか。
私はどこからきたのか。私は何者か。私はどこへいくのか。
私はどこにいるのか。
奏は頭痛を覚えた。
「…私は何者か、ね」
奏はアイドルとして仕事をしていた時のことを思い出した。
奏は充実していた。
仲間にも恵まれていた。
仕事の結果も出ていた。
アイドルとして成功していた。
才能を発揮できる場があった。
奏は50m走を早く走ることはできないが、人を魅了することができた。
幸運だった。
だが、疲れた。
なぜ私は疲れたのか。
奏はゆっくりと気持ちの整理をしようと思った。
理由はすぐにわかった。
奏は寂しかった。
前に志希がプロデューサーのことを「実家」と考えているのか「仮宿」と考えているのか、を推測しようとしたことがあった。
だが、奏はしなかった。
なぜか。
なんということはない。
あの疑問は奏自身に当てはまるものだったからだ。
志希ではなく奏自身の悩みだった。
プロデューサーのことを心から信頼していられるのか。
信頼して、いつか別れる日がきた時、自分はどうなってしまうのか。
それが不安だった。
根の部分で不信感と怯えがあった。
奏は気づいてしまった。
だが、気づいたところで簡単に割り切ることはできない。
「だったら信頼すればいい」
そうはならない。
奏は乾いた笑みを浮かべた。
ベッドに寝転び、目を閉じた。
電話が鳴ったのは、そんな時だった。
カフェにはLiPPSのメンバーが全員集まっていた。
「やっほー♪」
「よっ、おひさー」
「今日は女子会だからね★」
「薬もあるよ?」
「はいはい。今日は没収★」
「え~…」
みんなは明るかった。
奏は自分がここにいていいのかと不安を感じた。
気を遣わせてはいないかと思った。
だが、そんな心配は無用とばかりに無遠慮に、みんなは絡んできた。
「ところで奏ちゃんは…夜の海に1人で一体ナニをしようとしてたのかね? ん?」
「アレでしょ♪ アレー…♪」
「ちょっ! 昼間から何の話をしてるの!? ストップ!」
「なになに?♪ 美嘉ちゃんは何を考えてるの~♪」
「べ、別に変なこととかじゃないからっ!」
奏は悩んでいるのが馬鹿馬鹿しく感じた。
少なくともその時間だけは、とても気持ちが楽になれた。
以前と同じように輪に加わることができた。
電話の誘いは本当にそれだけだった。
ただ、みんなで集まって時間を過ごす。
なんて無駄な時間なのだろうと奏は思った。
どうしてこう嬉しいのだろうと奏は思った。
「私は何者か」
帰り道、奏はポツリと口に出した。
しばらく、同じことばかりを考えていた。
だが、気持ちは違っていた。
奏はプロデューサーに頭を下げた。
それからLiPPSのメンバー1人1人にも頭を下げた。
休業中、心配してくれたアイドルたちに頭を下げた。
奏はもう一度、アイドルとして仕事がしたいと言った。
みんなは歓迎してくれた。
「どうして仕事を休もうと思ったのか、よかったら聞かせてくれないか?」
帰り道、プロデューサーの車の中で奏聞かれた。
「送って行くよ」と言われた時、今度は断らなかった。素直に頷いた。
奏は微笑んで答えた。
「不安だったのよ。どんなに頑張っても、頑張っても、みんなに認められても…いつかみんな離れていくんじゃないかって」
「それで全部放り出したくなったの。自分の元からみんなが離れる前に、自分から離れてしまえば楽になると思ったから」
「…でも、余計に苦しいだけだった」
奏はペットボトルの水を一口飲んだ。それから続けた。
「…休業中、たくさんの人に声をかけてもらったわ。本当にたくさんの人に、ね」
「事務所のみんなだけじゃなくて、ファンの人や、学校の友達…」
「私はーーー私には受け入れてくれる人がいる」
「それがわかったから戻ってこれたのよ」
奏は淡々と言った。
プロデューサーは黙って聞いていた。
「これで話はおしまい。『辞めた理由』と『復帰しようと思えた理由』ね」
奏が言い終えると、プロデューサーは少し笑った。
「休業中、俺の電話に出てくれなかったな」
「あら、嫌味?」
「嫌味。心配だったし、悲しかったからなーーー美嘉たちから話を聞いたけど、他のアイドルとはたまに会ってるって聞いたし」
「そう。ごめんなさいね」
「いいよ」
しばらく2人は無言だった。
奏の家の前に車を停めると、奏は助手席から降りた。
プロデューサーは「また明日」と手を挙げた。
奏も手を挙げた。
前と同じように、自然に微笑むことができた。
親愛と余裕が混じった、笑みだ。
「…言わないでおこうと思ったけど、言うわね」
「うん?」
「さっきの話。なんで電話に出なかったのか、って」
プロデューサーは頷いた。
奏は言った。
「…私が1番怖かったのはあなたに見捨てられることだった。電話に出ても失望させるだけだと思った」
「『まだ戻れないのか』『頑張れないのか』『体調はどうか』」
「…そんなことを聞かれたら、私、絶対に自分のことを責めていたもの」
「『どうして立ち上がれないんだ』ってね」
奏は泣いた。
プロデューサーは前と同じように泣き止むまでそばにいてくれた。
「怖かった…駄目だった…だから…」
無理して最後まで言おうとすると、プロデューサーは「大丈夫だ」と止めた。
奏は嗚咽した。
だが、胸は温かかった。
「ありがとう…」
かすれた声でそう言った。
もう不安はなかった。
自分の帰るべき場所はなくならない。
プロデューサーだけじゃない。
仲間みんなが自分のHomeだと、奏は思った。
以上です。
お読みいただきありがとうございました。
LiPPSのイベントまた実施されませんかね…
以下は過去作品になります。
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乙
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テス
テス
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