三船美優「世界の合言葉は紅葉」 (28)

モバマスSSです。
かえみゆです。
アーシュラのSF小説やサガフロ2と内容は関係ありません。

SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1480149537

「たくさん星を数えた方が勝ちです」

ガラス張りの天井の遥か向こうに広がった作り物の星空を指差してあなたは言った。

今日は年に一度の宇宙展覧会で、私たちの住む街では大勢の人がこの日を楽しみに暮らし、
そして夜空を輝かせるためのロケットを飛ばす。

残念ながら私と楓さんは抽選から外れてしまったから自分の星を見ることはできなかったけれど、
たとえ見知らぬ他人のでたらめな星空でも、その多彩で時に独創的な光の粒を地上から見守るのは不思議と心が落ち着いた。

「負けたらどうなるんですか?」

「美優さんには今日ここに泊まってもらいます」

「私が負ける前提じゃないですか」

ベッドで並んで寝転ぶあなたの方を振り向くと、あなたはもう空に集中して数を数えている。
「あッ、ずるい」
私も急いで無数の光の粒を数えていく。
けれど黒のスクリーンに映し出された人工星は時々制御を失ってゆらゆら移動するから正確にカウントするのは至難の業だった。

たまに余興で流れ星が横切ったりするとそっちに気を取られてしまい、また最初から数え直すはめになる。
頑張って目を凝らすけれど私にはせいぜい一〇〇個が限界だった。

ふと視線を感じて横を向くとあなたと目が合う。
あなたはすでに勝負に飽きて私が一生懸命星を数えているのを満足そうに眺めていた。

「なに飽きてるんですか。これじゃ勝負になりませんよ」

「じゃあ美優さんの勝ちでいいですよ」

「なんですか、それ」

私が呆れてそっぽを向くと、あなたは体を寄せながらねだるように言う。

「私、負けましたから。今夜は美優さんの言うこと、何でも聞いちゃいます」

「じゃあまず私の下着を脱がそうとするの止めてください」

「もう、いけず」

「そんな事より、ほら。せっかくの大展覧会なんですから、夜空を楽しみましょうよ」

星たちは今まさに人々の夢を空に描き出している最中だった。

この年に一度のイベントは、大半の人にとっては祈りを捧げたり家族で過ごしたりするための大切な日でもある。
とはいえ、私と一緒にこの日を祝うためだけにあなたが無理矢理スケジュールを調整したと聞いた時は、
なんだか悪いことをしてしまったみたいで素直には喜べなかった。

あなたはこの街で一番の有名人で、望めば私なんかよりもっと素敵な人たちと楽しい人生を過ごせるはずなのに、
あなたはいつも私に構ってばかりいる。
私は、私のせいであなたが自分の役割を忘れてしまうのではないかと思って怖くなる。

「明日もお仕事、早いんでしょう? こんなに遅くまで起きてていいんですか?」

「平気ですよ。移動時間で少しくらいは眠れますから」

「ダメです。ゆっくり寝てください。ただでさえ忙しくて普段あまり眠れてないんだから」

「あ、見て、ほら。星座がひとつ出来上がりましたよ。あれは何座なんでしょう……?」

あなたは枕元にあるラジオの音量を上げて子供みたいにはしゃぐ。

『ぴいいいがああああ──ざざざざざ──ザザッ只今南──に見えます大きく円を描くような形の星座は第九地区にお住まいのニナ様より、名前は「パンケーキ座」です──素朴で大変素晴らしい──ザッ──お次に……あっ、線が途中で途切れてしまっていますね、装置の故障でしょうか……えー、本日ご紹介します新星座はあと七件ございますが少々遅れが出ている模様で──……ザザッ、ザザザざぴゅうううううがががががが……』

「どうしたんでしょう? 電波が悪いのかしら……」

「あっ! 楓さん、あれ!」

私が天井を指差したのと、あなたが空を見上げたのは同時だった。

夜のスクリーンの片隅で、小さな星が二つ、コツンとぶつかって粉々に砕けた。

◇◆◇◆

街は相変わらず夜の静けさに満ちていた。

私は人工星から降り注ぐ僅かな光を頼りにして、暗闇の先へ進んでいくあなたの後ろに付いて歩いていた。

展覧会の夜にこうして外を出歩いてるのは私たちくらいだろう。
あなたが「墜ちた人工星を見に行く」なんて急に言い出さなければ私だってこんなことはしたくない。

事故で一時中止になった展覧会はしばらく経って再開した。
空を見上げると瞬く星たちは光のラインを射出し、目的の星座を形作ろうとモゾモゾしている。

きっとラジオではその新星座が作られていく様子を淡々と実況しているに違いない。
砕けた二つの小さな星はもう誰も関心を抱いていなかった。

「着きましたよ」

あなたがそう言って連れてきた場所は、ひらけた丘の上だった。

「遠くまでよく見えますね。こんな場所があったなんて知らなかった」

「私は子供の頃、よくここで天然の星を見ていました。今はもう人工星しかないけれど、昔はもっとたくさんの天然星たちがこの夜空を覆っていたんですよ。例えばあの地平線にだって無数の星が輝いていたんですから」

展覧会のために打ち上げられるロケットは普通、空の限られた部分にしか星を作らない。
それ以外の空間はすべて真っ黒に塗りつぶされた闇だ。
だからこんな風に空一面を眺められる場所に来ると人工星たちがあまりに作り物っぽく見えてしまうから、
大抵の人は家に丸くくり貫いた展覧会用の窓を作る。

「昔は人工星じゃないたくさんの星たちが夜空に浮かんでいたなんて、ちょっと信じられません」

「美優さんも一度見たら感動すると思いますよ。人工星よりもずーっと遠くの方で光っていて、しかも天の川っていう光る運河があったり……」

そこまで言いかけて、あなたは「あッ」と息を呑んだ。


「星が墜ちてくる」

小さな火の玉が地平線の彼方へ落ちていった。
宇宙の暗闇に飲み込まれるように、それは次第に光を失って消えていった。

「本物の流れ星ですよ」

「あれがそうなんですか?」

「ロマンチックですよね」

「ロマンチック……ってなんですか?」

私がそう言うとあなたはなぜか怒ったように丘の草原に座り込んで黙ってしまった。
私はよく分からないままあなたの横に同じように腰を下ろして夜空を見上げた。

そうしている間にも人工星たちは光の線で結ばれていく。


ふいにあなたは私に寄りかかって切なそうに手を握った。

「美優さん、私なんだか眠くなってきちゃいました」

「だから言ったでしょう。いつもお仕事大変なんだから、たまの休みくらいはしっかり寝てください」

「うん……」

それきりあなたは何も言わなくなった。
私の肩にもたれかかって気持ち良さそうに寝息を立てている。

私は呆れながらあなたをそっと抱きかかえて膝枕を貸してあげる。
その安らかな寝顔の愛おしさに、つい指先で触れそうになるのを我慢する。

そんな事をすればきっと、あなたの夢を見る機械は壊れてしまうから。

◇◆◇◆

テレビを見ていた。

『――本日のゲストはこの方、高垣楓さんにお越しいただきました!』

『よろしくお願いします』

『もはや知らない人はいない世紀末歌姫、しかも最近は女優としても大変活躍されているということで』

『はい。今は「雪の華」というミュージカルで主演を』

『これがね、とても素敵な舞台で。私も観に行きましたよ、初日に!』

『ありがとうございます』

『いやもう、チケット取るのが大変で大変で……というか公演真っ最中なのに無理言って番組に出演してもらっちゃってね、ほんと。すみませんね……とってもお忙しいんでしょう?』

『そうですねえ。でも忙しいなりに、楽しいこともたくさんありますよ。この前なんて――』



ラジオを聴いていた。

『続いての一位は……なんと八週連続、高垣楓より「Nation Blue」です!』

『九位の「こいかぜ」も前代未聞の五〇週連続ランクインと、世紀末歌姫の勢いは一向に衰える気配がなく――』



雑誌を読んでいた。

『巻頭特集! 高垣楓の魅力に迫る!』


……

……――

――――――

仕事から帰り、アパートの自室で夕飯の支度をしていると、玄関のベルが鳴った。
あなただとすぐに分かった。

「どうしたんですか?」

「美優さん」

目の前にいる私の存在を確かめるように名前を呼んだ。
どうしてか私も、数年ぶりにあなたと再会したような気分だった。

私は部屋着の上に使い込んだボロボロのエプロンをかけていて、あなたはさっぱりしたシャツをおしゃれに着崩していた。
プライベートではあまり見かけない格好で、お化粧もいつもと違っていた。
とても可愛くてかっこよかったから、私はあなたが突然訪問してきた事よりもそっちの方がよほどびっくりしたくらいだった。
まるで芸能人みたい。

「いい匂い。今晩はシチューですか?」

部屋に上がる様子もなく言った。

「ええ、そうですけど……」

玄関の扉が自然に閉まっていく。
私がそれ以上、何も言わないうちにあなたは何気ない仕草で私の唇にキスをした。
知らない香水の匂いがした。

「チューしちゃいました。シチューだけに……ふふっ」

私は時々、あなたが何を考えているのか分からなくなる。
そして、そんなあなたにどこまでもついて行きたくなる。

「本当にどうしたの?」

「美優さんにお願いがあるんです」

もう一度、キスされた。重なった唇は、今度はしばらく離れなかった。

私はその静かさの中に意味を探した。
それは諦めにも似た悲しみと、ひとかけらの情熱だった。


「私と一緒にこの街を出ましょう」

◇◆◇◆

季節の巨大なうねりが街を支配するようになってどれくらい経っただろう。

一昨日は秋の終わりだった。

『今日から明日にかけ、全区的な冬模様となるでしょう。時折南方から強い春風が吹く恐れがあります。また第九地区では午後、一時的な夏波が予想され……』

季節予報士によると、今月いっぱいは最小で三日周季の波が続くらしい。
幸い、私たちが住む第二地区は気温の変化はそれほど激しくないから、気をつけるのは雨天や気圧くらいのものだ。
それでも三日毎に季節がコロコロと変わるのは気が滅入るし、四季の逆流現象なんていう物騒な災害も起きたりして、
この街の住人にとっては、周季が短くなるというのは基本的に悪いことでしかない。

このめまぐるしい季節の移ろいを無邪気に喜んでいられるのは、広場や公園で元気に遊んでいる子供たちと、それからあなたくらいだ。

「何もこんな時に外へ出なくても……ほら、雪も降ってきましたよ」

「こんな時だからこそ、ですよ。変化のない旅なんてつまらないじゃないですか」

「はあ……」

街を出て、どこへ行くかは聞かなかった。
あの展覧会の夜のように、ただあなたの後ろについて行くだけだった。

私は持てるだけのお金をポーチに詰め込み、作りかけのシチューをそのままにしてアパートを出た。
もう二度とここへは戻って来ないような気がした。

「この格好、ヘンじゃないかしら」

急いで着替えたのは秋用の服で、ベージュ色をしたハイネックのニットに、下は動きやすいスキニージーンズだった。
念のため冬用のダウンも羽織っていた。

「全然ヘンじゃないですよ。美優さんらしくて……でも、その靴はどうにかした方がいいかもしれませんね」

「あっ、サンダル……」

私たちはまず靴屋へ向かった。
あなたは仕事用の大きなキャリーバッグを引いていて、私がその横に並んで歩いていた。

日はすっかり暮れて、街灯が行き先を照らしていた。
辺りの民家から夕飯のおいしそうな匂いが漂ってくる。
お腹空いてきました、と言うと、私もです、と返された。
それならせめてシチューを一緒に食べればよかったのに、と思った。

けれど私もあなたも、家に戻るなんてことは考えもしなかった。

夕闇に静まり返った大通りの靴屋は閉店時間ギリギリだった。
店員さんがカーテンを閉めている最中で、私たちは遠慮がちに中へ入って行った。

二人でブーツを選んでいると店内の照明がパチ、パチと消えて、私たちのいるレディースコーナーだけが煌々と照らされた。

あなたが選んでくれた靴を履いて、鏡の前に立ってみる。
スポットライトの中に佇んでいたのは一人の冴えない女だった。
もう一人は舞台袖で難しそうな顔をして私をじっと見ている。
「美優さん、次はこっちを履いてみてください」
あなたは高そうなブーツを手に取りながら言う。

「この際だから、うんと良い靴を買っちゃいましょう。お金は私が払いますし」

「そんなのダメです。約束したじゃないですか、お金のことで私に気を遣わないでほしいって」

「気を遣ってるんじゃなくて、これは私からのプレゼントですよ。新しい美優さんと新しい私たちの人生への」

私は曖昧に返事をした。
それはつまり、プレゼントならありがたく受け取るにやぶさかでない、ということの意思表示だった。

「どっちでもいいですけど、早く買って出ましょう。店員さんに悪いですよ……」

外は雪が降り始めていた。

私は新品のブーツで雪の足跡をつけながらあなたの横を並んで歩いた。
おしゃれで、履き心地のいい、素敵な靴だった。

でも、ガラスの靴を履く役割は、ほんとうはあなたのものなんですよ。楓さん。

◇◆◇◆

バスに乗って隣の第三地区へ向かった。
雪がみるみるうちに積もって夜の景色を白と影の平坦な模様に変えていた。

「だいぶ降ってきましたね。車もあまり通ってないみたい」

あなたは呑気に言った。
私はまだ、私たちがどこへ行こうとしているのか知らないのだ。

乗客は私たちのほかに誰もいない。
わざわざ真ん中辺りの窮屈な座席に二人でぴったりくっついて座った。

青白い蛍光に満たされた車内は単調な意思に従って揺れる一つの細胞だった。
その息苦しいほどに濃い細胞液は私たちを異化し、洗い流された人生は毛細血管を巡ってこの街の一部になる。

窓際の席で外を眺めているあなたの顔が夜の窓に反射して雪景色の中に浮かんでいた。
その瞳に映るひとかけらの情熱はまだ、あなたと私の世界を隔てている曖昧な膜を透明なままにしてくれている。

「美優さん?」

「えっ? あ、はい」

「次の停留所で降りますから」

私は言われるままに小銭を用意した。

バスは聞いた事もない地名の、見た事もない場所にゆっくり停車した。
精算機にお金を入れて運転手に一礼し、あなたに続いて下車すると空気がほんのり冷たかった。

淋しいくらい幅の広い道路がなだらかな丘陵に沿って前と後ろにまっすぐ続いている。
辺りには目立った建物もなく、雪明りに目を凝らすと道路の脇には背の高い木立がその奥にある小さな集落や景色を覆い隠してしまっていた。

第三地区は工業区で、ここはその団地から少し離れた幹線道路ということだった。

歩道にやわらかく積もった雪を踏みしめる。
星のない闇からぬるい牡丹雪が規則正しい速度で降り注いでいる。
バスが震えながら去った後、私とあなたの二人だけの夜道だった。

弱々しい光りを足元にこぼす街灯、物言わぬ停留所の標識、待つ人の代わりに厚く積もった雪を座らせている哀れなベンチ、
そしてノイズ交じりの静寂――あなたは言った。
「この近くに美味しいおでんの屋台があるんですよ」

私は「うん」と答えた。

しばらく歩くと、人気のない自然公園に出た。
大きな池があり、そのほとりには短い秋季のために枯れ切らなかった広葉樹が雪を被ってうなだれていた。

遊歩道の景観照明にライトアップされた白い雪の花は満開の桜並木のようだった。
私たちは思わず息を潜めてそこを歩き過ぎた。
音を立てないように、彼らを驚かせてしまわないように。

でも本当のところは、そんな気遣いは無用だったのだ。
あらゆる言葉が時間を支配できないのと同じように、自然もまた、その残酷な法則には逆らえない。

どこか遠くで枝の折れる音がした。


名前のないおでん屋さんは公園の隅にぽつんとあった。
白熱電球のやわらかい光りに誘われるようにのれんをくぐると、中に店員さんの姿はなかった。
代わりにカウンターには出来たての料理とお酒が二人分置いてあった。

それはとても分かりやすい兆候だった。

「あら、気が利いてますね」

あなたは言った。
それから私も促されるまま席に着き、乾杯して、美味しい料理とおでんを食べた。

予感と確信は揺らめきながら一つに重なり、もはや両者を見分けるのは困難だった。
それはきっと私を脅かすためにささやき出したものの、あなたが楽しそうに話す声と心地良いアルコールの毒、
そして私自身の鈍感さによって束の間の発現を免れ、今はただ闇の中へ押しやられているにすぎないものだった。


その後、再び二人で冬の公園を歩いていた。
私は相変わらずあなたについて行くだけだった。

けれど、私より少し速く歩いて行くあなたの背中を見て、
ふいに胸をよぎる不安と切なさをとうとう心の外に追いやることができなかった。

そして、そんな一対の孤独の中にあって、ようやく私は、今日初めてあなたを心から愛したいと思った。
私の指先は自然にあなたの手のひらに触れ、それから細部の輪郭をなぞるように、そっと指を絡ませた。
私は、こんな当たり前の結論を導くために自分がどれほど回りくどい手順を要したか考えて恥ずかしさに眩暈がしそうだった。

あなたはちょっと驚いたように立ち止まって私の方を向いた。
そして母親が子供に言い聞かせるように、あなたと目も合わせられない私の、燃えるように熱い頬へと顔を近づけて言った。

「この区画に私のセーフハウスがあるので、今日はそこで寝ましょう」

私は「うん」と答えた。

◇◆◇◆

思えば、あなたほどの有名人が隠れ家を持っていないわけがなかったのだ。

「何も置いてないのね。テレビもラジオも……」

「セーフハウスなので、これくらいでいいんですよ」

「もしかして楓さん、パパラッチに追われてるとか……?」

「別にそういうわけじゃないんですけど……ただ、仕事も全部放り出して来たので、誰かに追われる前に手を打っておこうと思って」

それを聞いて私は開いた口が塞がらなかった。
薄々勘付いてはいたものの、まさか本当に自分の都合だけで街を出ようとしていたなんて。

今回の逃避行に私が連れ出されたのは、つまりこういう事だった。
あなたが姿をくらました場合、捜索の手がかりは真っ先に私へ向かうと分かっていたからだ。
世間には知られていないけれど、すでに一部のマスコミには私とあなたの関係を嗅ぎつけられていた。

「ここならひとまず安全だと思います。私もまだ一度しか使ったことがないし、他に知ってる人はいませんから」

そう言ってあなたは無邪気に微笑んだ。

私は呆れて言葉も出なかった。
けれどあなたをしんから責める気も起きなかった。

私はすでに自分の果たすべき役割を放棄していたし、その点ではあなたの共犯者であり、
何よりも私自身がそこに代えがたい喜びと快楽を見出していたからだ。

それは決して従属的な名誉なんかじゃなく、むしろ逆だった。
私はとうとう自分の望んでいたものを手に入れる事ができたのだ。あなたという夢を。

その日、私は従順の殻を脱ぎ捨て、余計なものを一切排除した純粋な愛の巣であなたと二人きりの夜を過ごした。

私は熱に浮かされたようにあなたを求め、そんな私をあなたは行為で満たしてくれた。
空調の効いたベッドルームで、次第にどっちがどっちの体温か分からなくなるほどに。

締め切ったカーテンの向こう側では決まりきったように雪が降り続いていた。
まるで私たちの永遠を祝福してくれているようだった。
けれど私たちがどんなに夢の中に生きていたとしても叶わないものがあるという事を私は知っていた。
永遠に感じられたものは単なる停滞に過ぎず、私とあなたの間にはいつも声があり、視線があり、もどかしい膜があった。

冬というのは秋に奪われた空っぽの心を埋めるために雪を降らすものだ。
けれどそれはいつまでも積もり続けるわけじゃない。

夜が明けて朝になると、外は春の日差しだった。

「季節予報、はずれちゃいましたね」

先に目を覚ましたあなたがカーテンの隙間から外を覗き込んで言った。

私はまどろみつつ半身を起こし、暖かな朝日が差すあなたの横顔の、そのまぶしいシルエットをぼんやり眺めていた。
そうやってあまりに見惚れていたせいで、あなたがいつの間にか私の方をじっと見つめている事にしばらく気が付かないほどだった。

「あの、えっと……お、おはようございます……」

私は自分でもおかしなくらい動揺し、赤面した。

「そんなに恥ずかしがらなくてもいいじゃないですか」

「だって……」

と私がまごつきながらシーツを胸元にたぐり寄せると、あなたは大きなあくびをしてカーテンを閉めた。
不意に私は、こんなさりげないあなたとのやり取りの中に意味を見出そうとしている自分を発見した。

けれど最初から意味も理由も必要なかったのだ。
私の中に堆積していた、ためらいに蓋をされた感情はこの一晩ですっかり溶かされてしまった気がした。

季節は春で、あなたはまだ秋の紅葉だった。

◇◆◇◆

「これ、どこまで続いてるのかしら? もうだいぶ歩いて来たけど……」

私は砂漠に沈んだ廃墟の群れを見渡して言った。
遠くに見える崩れたビルの残骸は岩石の山と区別がつかなかった。

「さすがにこれ以上進んでも何もなさそうですね。地図もここまでしか載ってないし……」

戻りましょう、とあなたが踵を返すのを私は慌てて追いかけた。
変装用のサングラスの隙間から覗くあなたの表情は特にがっかりしているようには見えなかったけれど、
楽観的という風でもないみたい。

私たちが今いるのは街の周縁の南側で、つまりあなたが言っていた街の外ということになる。
ここに来るまでの間、電車に乗ったりバスに揺られたりしながら、
二人で地図の外がどうなっているのか想像をあれこれ語り合っていた。

ものすごく高い超えられない壁に囲まれているんじゃないか、とか、
断崖絶壁になっていて宇宙にぽつんと浮いているんじゃないか、とか。

その予想の中に一面の砂漠や果てしない海も含まれていたから、
少なくともこの時点では世界は私たちにアッと驚くような真実を見せてはくれなかった。

まあ、別に驚きや冒険を求めて来たわけじゃないし、それに真実ならあなたにはもうその輪郭が見えているはずなのだ。

後は細部を確認するだけだった。

「次はこのまま街の外周に沿ってぐるりと回って行こうかなって考えてるんですけど」

「道があればの話ですよね、それ」

実際、それぞれの地区が定めた地図上の境界線に意味はなかった。
街と砂漠は地続きにあり、外周とは、文明とその死骸がなだらかなグラデーションを織り成している一帯をそう呼んでいるにすぎない。
つまるところ、街と街の外には地理的に明確な境界線があるわけではないのだ。

「そもそも移動手段はどうするんですか? まさかずっと歩いて行くつもり?」

「う~ん……どうしましょう?」

あなたはとぼけたように笑って私の方を振り向いた。
釣られて私も笑いそうになる。

「もう。本当に何も計画してなかったのね……」

「行き当たりばったりの旅もいいけれど、そればっかりだとく”たび”れちゃいますね……ふふ」

「ごまかさないでください」

「あ、水筒のお茶も無くなっちゃった」

「……とりあえず街に戻ってどこか休憩できる場所を探しましょう」

私たちは砂に埋もれた建造物や剥き出しになった鉄の骨が群生している森の中を引き返して行った。
空気はまだ少し肌寒いけれど、薄い雲の切れ目から暖かな日が差すあかるい空はピクニックにはうってつけの陽気だった。

あちこちの物陰から風に舞う砂子たちの囁きが聞こえ、生い茂る人工物は薄茶色の土に幾何学模様の影を落とし、
ひしゃげながら空に突き出ている赤錆びた鉄筋は炭素混じりの紅葉だった。

少し歩き疲れてはいたものの、私たちの足取りは往路よりずっと軽快だった。

こんな散歩も、たまには悪くない。

「……ねえ、楓さん」

「はい?」

「あの、あそこに見える建物……あれってもしかして、展覧会の打ち上げ基地じゃないかしら」

あなたはサングラスを外し、私が指差す方向をじっと見つめ、それから手元の地図に視線を落とし、
もう一度顔を上げて言った。
「そうみたいですね」

それは巨大な銀色のドームだった。

私たちの居る場所からだと案外近くに建っているように錯覚するけれど、
よく目を凝らしてみるとドームの裾に五、六階はありそうなビルが米粒のように建ち並んでいるのが分かる。
遠近感がおかしくなってしまうほどのサイズということだ。

輝く流線を地平に穿ち、なめらかな表皮には雲と太陽の雄大な陰影が脈打つように走っている。
ドームから砂漠へ延びる広大な更地は不気味なほど平らに整地され、
まるで砂漠で生まれた巨大な虫が大地を這いずり街を食い破ろうとする半ばで息絶えたみたいな光景だった。

「実はあれ、宇宙人の卵なんですよ」

あなたの口元はニヤついていた。
分かりやすいひと。

「ウソですよね」

「嘘です」

「でも、確かに卵みたい」

「私も実物を見るのは初めてです。まさかあんなに大きい建物だったなんて……」

と言ってから、あなたは何か思いついたように「あっ」と小さな声をあげた。 

「ね、美優さん。今からあそこに行ってみましょうよ」

「え? 別にいいけど……なんでまた」

「展望台があるんです。あのドームのてっぺんに」

私は知らなかったけれど、打ち上げ基地の管理センターは観光地でもあるらしい。
本当かしら、と思いつつ、あなたが言う大抵のことはもう、真実の映し鏡なのだと思い出して、それから素直に頷いた。

こうして私たちは宇宙人のたまごへ向かうことになった。

私たち二人の、最初にして最後の巡礼のために。

◇◆◇◆

街へ戻ると、世界はもはや変化の兆しの手から逃れ始めていた。
崩壊はその指の隙間から溢れ出んばかりに表面化し、愛すべき幻視人たちは奔流する夢に飲み込まれ、
私たちが宇宙人のたまごへ近づくほどに変化は速度を増していった。

道行く人々の顔はガラス製の抽象画を模し、ひび割れた道路の隙間からは新世界混声合唱が響き渡り、
虚空は五番目と六番目の季節を巡り始めた。

あなたはサングラスを外し、ついでに帽子も脱ぎながら、

「もう変装する必要もありませんね」

そう言って道端のゴミ箱へ鮮やかに投げ捨てる。
少年のような機敏さで。


途中でタクシーを捕まえて管理基地のある第二十四地区を目指した。

カーラジオは街の崩壊を告げる鐘を鳴らし、私もあなたもずっと黙ったままだった。

『星が崩落し……街では秋が失われ……世紀末歌姫の行方いまだ掴めず――……ごおおおおおおん――……ごおおおおおおおおん――……エラー……意味消失……思い出因子……ミユ……暴走……ごおおおおおおおん――……ERORR444、ERORR666、ERORR999――……』

打ち上げ基地のドームは近づけば近づくほど荘厳な印象を私たちの目に焼き付けていった。

タクシーを降りて管理センターの入り口まで歩いて行く間にも街は形をそのままに緩やかな崩壊を続けていたけれど、
あなたが言うところの宇宙人のたまごは依然としてそこに意味を留め、私たちの巡礼を厳かに見守っていた。

中に入り、誰もいない密閉された廊下はどこまでも静かだった。
まるで過去から未来へ続くひとつなぎの時間を順々に辿っていくみたいに、ここでは全てが等間隔で、自動的だった。

まあ、どっちにしろ後戻りは出来ないし、気が変わるということもないだろう。

私たちは相変わらず無言だったけれど、ほとんど溶け合って一体になる寸前の二つの心は穏やかだった。

どれくらい進んだか分からない。
気が付くと廊下の突き当たりが見え、そこにはエレベーターが扉を開けて私たちを出迎えていた。

『展望台行き』

それだけだった。

「……私、」

上昇する箱の中で最初に口を開いたのは私だった。

「私、後悔していません。私……これで良かったんだって、ずっと……」
なぜか涙が溢れそうになってそれから先は言えなかった。
なんとか堪えて言葉を続けようとしたけれど、口から洩れるのはどうしようもない嗚咽だけだった。

「何も泣くことないでしょう」

あなたは困ったように笑いながら私の頬を伝う雫を指で拭った。
私は「ごめんなさい」と言うのが精一杯だった。

「それに、美優さんが望んだ事は元々私が望んでいた事でもあるんですから。美優さんは何も悪くありません」

「私……私は一体……いつから壊れていたんでしょう……? ただあなたに恋をしていた、それだけなのに……」

「きっと、私が美優さんを壊してしまったんです。だって私もあなたに恋していたから」

「…………」

わがままな子供みたいに泣き腫らす私の熱い頬をあなたの冷たい手のひらが不器用に撫でる。

私はたぶん、罪を感じるようには作られていない。
その死にゆく手のひらに触れても尚、これほどの幸福は味わえないだろうというくらいに私の心はあなたで満たされている。
だからこの涙はきっと、あなたの恋人役を演じていた私としての、最後の役割なのだ。

街から思い出が消え、夜にはすべての星を失い、紅葉に包まれる世界で、私は新しい私になる。

『ルーチンエラー……星間ネットワーク一時停止……緊急プロセス移行……リンク解除……ノード生成……予備回路接続……』

展望台に近づくにつれ天国の鐘の音はどんどん大きくなり、あなたの夢を宇宙の塵にしようとわめいていた。

「……あの日、星が墜ちました」

あなたが閃いたように呟いた。

「それが……きっかけなの?」

「分からないけど……でも、二つの星がぶつかって、墜ちながら燃え尽きるのを見た時、私思ったんです……ああ、綺麗だなあって」

「うん……」

「それで、こんな風にも思ったんです。私はたぶん、あの星とおんなじなんだって……たくさんの打ち上げられた星の中のひとつなんだって」

そう、あなたは星だった。
人々の希望を背負い、打ち上げられた大勢の星たちの中の一人……かつて地球で最も愛された歌姫の名前。

「もしかしたら、あの二つの星も、私たちみたいにお互いに惹かれ合っていて……だから墜ちてしまったのかも、なんて」

「そう……そうだったんですね」

「ただの想像ですよ」

あなたの想像はきっと間違ってない。
作られた街、作られた季節、作られた冬と雪、そして私――

いつか本当に目覚めるその時まで、あなたに夢を見させ続ける銀色の機械――

私は思い出を運ぶ舟の、プログラムされた船員の一人でしかなかった。
私に与えられたのは、あなたがかつて愛していた恋人の名前。
繊細で、流されやすく、あなたの選んだ靴が似合うような、美しい女性の名前だった。


私はもう泣いてない。



ごおおおおおおおおん――……ごおおおおおおおん――……。


―――………。

――ひらけた展望台に立った。

屋根のない空は一面が作り物の青だった。

眼下に見おろす景色は、半分は宇宙人のたまごの抜け殻で、もう半分は紅葉だった。
街は砂漠と一体化し、凝固した赤と黄の炎がすべてを覆いつくしていた。

私以外の思い出の住人はみな、灰になって消えた。
そして私たちももうすぐ新しい世界へ旅立つことになる。
そこで私はあなたの本当の記憶の一部になり、永遠に醒めることのない夢を生きる――。


地べたに腰を下ろし、燃え盛る街を眺めていた。
空がとても近かった。

「私、なんだか眠くなっちゃいました……」

「美優さんは今までたくさん頑張ってきたんですもの。ゆっくり休んでください」

「うん……おやすみなさい。楓さん……」

「おやすみなさい……」

ゆっくりと力の抜けていく私の身体が、自然とあなたの肩にもたれかかる。

あなたがそっと抱きしめてくれる腕の中で目を閉じる。


深い闇の中には優しい歌声が響いている。





 (完)

すごく綺麗
2人しかいないような世界で2人きりというのすごくいいよね
もし過去作あったら教えてください

>>25
似たようなSFで
楓「命短しススメよ乙女」
楓「命短しススメよ乙女」 - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1464633207/)
を書いてました。


SF要素は少ないですが最近ではこんなのも書いてました。
神谷奈緒「芳乃様に叱られるから」
神谷奈緒「芳乃様に叱られるから」 - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1474610489/)

どっかで見たことあるなと思ったらやっぱりあれ書いた人か
面白かったよ

>>25
ああ、お勧めスレなかったらこのSS見落としてたよ

今作もよかったです乙

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