神谷奈緒「芳乃様に叱られるから」 (224)
世の中には二種類の人間がいる。
幽霊の存在を信じる者と信じない者だ。
あたしはどちらかと言えば信じない方だったけど、だからってお化けとか怖い話が平気なわけじゃない。
むしろ苦手なんだよな。
まあ、あたしくらいの歳の女子ならそれが普通だと思う。
霊感があるとか、オカルト話が大好きな友達とかに比べれば、あたしなんかは世間じゃなんの取り柄もない、一般的な普通の女の子だ。
そう、ごく普通の女子高生。
「……でしてー」
だから、今、あたしはベッドの中で必死に目をつぶって耳を塞いでる。
こんなオカルトありえないからな。あたしは信じないぞ。夢なんだこれは、そうに決まってる。
見えない聞こえない見えない聞こえない……
「そなたは一体なにをしてるのですー」
……それにしても変な夢だよな。
耳を塞いでるのに、頭の中にはっきり声が聞こえてくるなんて。
よくできた夢だなあ。でもそろそろ目を覚まさないと父さんに怒られる。
起きなきゃ……うん。
よし!起きた!
「やっと目を覚ましたのでしてー」
奈緒「おわあああああっ!?!?」
夢じゃなかった。
そこには相変わらずちんちくりんの子供があたしの目覚めを待っていた。
あたしの部屋で、ベッドの横で、朝日に照らされて……うっすらと透けて見える子供の姿が。
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奈緒「お、おまっ?! だだだ誰だっ?! っていうか何だお前っ!?」
「わたくしを覚えていないのでしてー?」
あたしは馬鹿みたいに口をぱくぱくさせてベッドの上で固まっていた。
何度目をこすって瞬きしても半透明の子供はずっとそこに居てこっちを見ていた。
なんだこれ。
なんだこれ。
とにかく夢じゃないらしいという事は分かる。
さっき飛び起きた勢いで壁に思いっきり頭を打ったからな。
じんじん痛む頭を抑えてあたしは必死に考えた。
っていうか考えるまでもなかった。
こいつはつまり、その、ゆ、幽霊って奴で……あたしは今まさにその幽霊に襲われてて……
「幽霊ではないのでしてー」
奈緒「いやいやいやいや」
思わず突っ込んでしまった。
どっからどー見ても幽霊だろ!
いや、そりゃまあ足はあるし浮いてるわけでもないけど、少なくとも透けて見える人間なんてあたしは知らないぞ。
だいたい人間だとしたらなおさら不気味だよ!
人んちに勝手に上がりこんで寝起きにいきなり傍にいたらそれはもう凶悪犯罪と言っていいだろ。
……あれ? それならまだ幽霊の方がマシか。
「だから幽霊ではありませぬー」
奈緒「じゃあ妖怪……いやオバケ……? っていうか人の心を読むなっ」
なんでこう律儀に突っ込んでしまうのか自分でも分からない。
あたしの頭もとうとうおかしくなっちゃったのかな。
「おーい、朝っぱらから騒がしいぞー?」
一階から父さんの声が聞こえてあたしは内心すごくホッとした。
それこそ涙が出そうなくらいに。
体を縛り付けていた恐怖がふっと一瞬だけ解けて、それからドアが壊れるんじゃないかって勢いで部屋を飛び出した。
もしかしたら後ろについてきてるかもなんて思うと振り向く事もできず、転げ落ちるように階段を降りて行った。
奈緒「と、と、と、父さん! 出た! 出たんだよ!」
「なに!?」
父さんはキッチンで朝ごはんを作っている最中だった。
握ったおたまとエプロンが致命的に似合ってない。
「どこに出た!?」
奈緒「あ、あたしの部屋! とにかくヤバイんだって!」
それ以上何かを言う前に父さんは雄たけびを上げながら二階へ駆け上って行った。
と、その変なテンションを見送った後、あたしは急に冷静になった。
あのバカ親父、話を最後まで聞けっての!
何が出たかも聞かないでどうするつもりなんだか。
それと、キッチンを離れるならせめてコンロの火は消してほしい。
母さんが出て行ってからもう随分経つのに、このへっぽこ中年は相変わらずへっぽこのままだ。
あたしは呆れながら父さんの後に続いて自分の部屋に戻った。
父さんはあろうことかあたしの部屋の布団やら机の引き出しやらをガサゴソとひっくり返していた。
奈緒「ちょ、父さん! 何してるんだよ!」
あたしが怒ると、この人はなぜかびっくりしたみたいに目をぱちくりさせた。
びっくりしたのはこっちだと言いたい。
いくら緊急事態とはいえ断りもなしに年頃の娘の部屋を漁る父親があるか。
「ゴキブリが出たんじゃないのか?」
奈緒「そんな事ひとっことも言ってないだろ!」
「じゃあ何が出たんだ?」
あたしは「ゆうれ……」とまで言いかけて、やめた。
言えば言うだけ父さんは一人で盛り上がるだろうし、それにすっかり頭が冷えた今では馬鹿馬鹿しくて正直に言う気になれなかった。
結局、あたしは「なんでもない」と適当にごまかして父さんを部屋から追い出した。
父さんは最初は不満そうな顔をしていたけど、すぐに気を取り直して朝ごはんの支度に戻っていった。
奈緒「はあ……」
ひどい朝だ。
ただでさえ真夏のけだるい暑さだっていうのに。
あたしはベッドの布団を畳んでため息をついた。
それに、昨日行ったキャンプの疲れがまだ取れてない。
キャンプ……そうだ、昨日は父さんと一緒に山に遊びに行ったんだった。
夏休みだからって無理やり連れて行かされて……
奈緒「ああっ!!」
思い出した……あの幽霊!!
ぞくりと背筋に寒気が走った。
「やっと思い出してくれたのですねー」
奈緒「うおおおっ!?」
また出た。
やっぱり見間違いなんかじゃなかった。
いつからそこに居たのか、あたしの部屋の真ん中でぼうっと突っ立ってこっちを見てる。
奈緒「お前……確かあの山で……」
私が言うと、そいつはこくりとうなずいた。
ホラー映画ならここでまた悲鳴を上げる所だろうけど、不思議と恐怖の感情はわいてこなかった。
自分でも驚くくらい冷静だ。
まあ大声出して騒いだ所でそっちの方が面倒臭い事になるのはさっき分かったからな。
それによく見てみたら悪い事をする奴って感じでもなさそうだし。
古めかしい和服。
ぽけっとした表情。
ちんちくりんな背丈。
後ろで結んだ長い髪の毛。
うん、やっぱりそうだ。
あたしは昨日、この幽霊と会っている。……
……昨日、あたしと父さんは隣町にある大きな山へキャンプに行った。
なんでまた急にアウトドアなんて行く事になったかというと、それは父さんにしか分からない。
思うに、完全に気まぐれだったんだろう。
あたしは元々そういうの趣味じゃなかったし、初めのうちは行くつもりなんてなかった。
でも父さんがあまりにも張り切ってるのを見たら断れなかった。
父親らしい事をしようと努力して空回りするのはいつものことだった。
とはいえ空回りしがちな性格というとあたしも人の事は言えない。
まあそんな話はいいとして、あたしたちが向かったのは美城山っていうそれなりに立派な山だった。
一応キャンプ場はあったけど全然手入れされてなくて、明らかに使われてない雰囲気がぷんぷんした。
どちらかというと登山向けみたいな……まあ父さんの事だから何も考えてなかったんだろうけど。
そんなわけで、とりあえずバーベキュー的なのをしようという事になった。
で、事件が起きたのはそれからだった。
あたしがテントから離れた小川で水を汲んでいた時、急に誰かに突き飛ばされるみたいに転んだ。
足を滑らせたとかじゃなく、見えない何かにぶつかった感じ。
幸い怪我はなかったけど全身ずぶ濡れになって気分は最悪だった。
そしてふと顔を上げると川縁に小さな女の子が立ってるのが見えた。
最初は恥ずかしい所を見られたと思って焦ったんだけど、なんだか様子がおかしいことに気づいた。
キャンプ場にはあたしと父さんしか居ないはずだし、登山者にしては服装が奇妙だった。
小さい子供だったから、もしかしたら迷子かもしれないと思って声をかけたんだ。
それからあたしはもう一度川の中にすっ転ぶ羽目になった。
その子がいきなり姿を消したから。
スーッって突然、煙みたいに、音もなく。
ビビって尻餅ついちゃったってわけ。
あたしはずぶ濡れで叫びながらテントに戻った。
半泣きで父さんに「幽霊がいた」と訴えたけど真昼間から出るわけないだろうと笑われた。
確かに夏の一番明るい時間にお化けなんて理屈に合わない。お化けに理屈が通るのかはさておき。
でも美城山はそういうのが出てもおかしくない場所だった。
背の高い木々が色んな所に薄暗い影を作ってて昼間でもかなり不気味だったから。
あたしはその時は心底帰りたくて仕方なかったけど、濡れた服を乾かしてる間に「気のせいだったかも」なんて思うようになってた。
そう思うと幼稚な自分をちょっと恥ずかしかった。
しばらく経ってお腹も空いてくると、バーベキューで肉を焼いてるうちに幽霊よりもご飯のことで頭がいっぱいになった。
それで家に帰る頃にはもうすっかり忘れてたんだ。
忘れてたのに。
奈緒「もしかして憑いて来たって事か……?」
あたしは頭を抱えてうずくまった。
いざこうやって正体不明の存在を目の当たりにすると、どんなに信じられない事でも信じてしまう他ない。
すると今度は最悪の事態を想定してしまう。
このまま幽霊に呪い殺されるか、取り憑かれて死ぬか。
「そのような事はしませんゆえー。安心されたしー」
奈緒「だから勝手に人の心を読むなって……」
「そなたにも申し訳ない事をしたと思っているのでしてー」
奈緒「……どういうことだ?」
「不可抗力といいますかー……これにはふかーい事情がありましてー」
恐怖心は無くなったとはいえ、何の目的があって取り憑いたのか知らないままではいられない。
あたしは腹をくくってこの幽霊の話を聞くことにした。
「先ほどから言うようにー、わたくしは幽霊ではないのでしてー」
奈緒「幽霊じゃなかったらなんなんだよ?」
「わたくしは依立良之神と申しましてー。美城霊山に祀られし神の一柱なのですー」
ヨリタテ……なんだって?
それに今、神って言った?
「ヨリタテノヨシノカミ、でしてー」
よりたてのよしのかみ。噛みそう。
……じゃなくて!
この女の子が、神様だって?
「山の者達からは芳乃様と呼ばれておりますゆえー。そなたも信仰してみてはいかがー」
あたしはいつの間にか正座していた。
得体の知れない物に変わりはないけど、なぜか正座してきちんと向き合わなくちゃいけない気がした。
っていうか本当に神様なのか? こいつが?
……世の中には二種類の人間がいる。
神様を信じる者と、信じない者だ。
あたしは……あたしはどっちだっけ?
とりあえずここまで
言い忘れてましたが、このSSは独自設定・捏造設定があります
○ ○ ○
「どうしたんだ奈緒。元気ないな」
奈緒「まあ、色々あってさ……」
父娘二人のなんでもない朝ごはんの風景。
……のはずが、神様まで同席してるのはどういうことなんだ。
別に緊張してるとかじゃないけど、すごく気が散る。
最初、食卓についてゆっくり心を落ち着けようとした矢先、芳乃が壁からヌッと現れた時は口に入れてた味噌汁を思いっきり噴き出した。
朝ごはん食べ終わるまで部屋でおとなしくしててくれって言ったのに。
けど芳乃が壁やら家具やらをすり抜けて縦横無尽に歩き回っても父さんは一向にそっちに注意を向けようとしなかった。
どうやら父さんには芳乃の姿は見えないらしい。
実際、今まさに目の前で手を振ってるのにちっとも気づいてないみたいだからな。
「俺の顔に何かついてるか?」
奈緒「えっ? いや、別に、なんでも」
「いくら俺がカッコイイからって見惚れてもらっちゃ困るなあ」
奈緒「うるさい。黙れ。バカ」
「それにさっきから味噌汁噴いたり独り言呟いたりやたらキョロキョロしたり……お前ちょっとヘンなんじゃないか?」
奈緒「父さんにだけは言われたくない」
なんてったってご近所でも変人と評判の父さんだからな。
昔は劇団で看板俳優なんぞをやってたくらいのルックスで友達に言わせればイケメンらしいんだけど、そうじゃなかったらもう色々と終わってるよ。
ファッションは意味不明だし食い物の好き嫌いは激しいしオタクだし。
精神年齢が小学生のまま大人になったって感じ。
母さんに出て行かれてから少しは自分が非常識な人間だって自覚したみたいだけど、あたしに言わせればまだまだ。
今だってほら、仕事行く前に身だしなみくらい確認しとけっての。
奈緒「ネクタイ忘れてる。あと髭は剃って、寝癖も直して……って靴下はちゃんと両方揃えて履けっていつも言ってるだろ!」
どこまで世話を焼かせる気なんだか。
あたしはあんたのママか。
未だに慣れてないらしいネクタイを締めてやって玄関から見送った後、
奈緒「財布ーっ! 財布忘れてるー!!」
ギリギリ気付いて追いかけた。
いつもこんな感じ。
呆れるしかない。
神様……あのダメ親父をなんとかしてやってください。
なんて願ってみても、芳乃は興味深そうに父さんの後姿を眺めているだけだった。
芳乃「変わった人間なのでしてー」
父さんが問題なく仕事に出かけるのを見届けてからやっとあたしは芳乃とゆっくり話をすることができた。
奈緒「――呪い!? ちょっと待て、それはシャレになってないぞ!」
芳乃「呪いと言っても悪意ある呪術などではありませぬー」
こうも本格的な霊的体験をした後に「呪い」なんて言葉を聞かされたらそれだけで心臓が縮み上がりそうだ。
小心者のあたしじゃなくても誰だって焦る。
とりあえず落ち着いて話を聞いてみると、要するにこういう事らしい。
あのキャンプ場で芳乃はたまたまあたしが川に居るのを目撃した。
その時ちょうど川の上流から熊が来たので、芳乃があたしを助けるために岩陰に突き飛ばした。
そこまでは単なる人助けだったのだが、なんの手違いか突き飛ばした弾みで強力な縁結びの呪いがかかってしまったらしい。
奈緒「そうだったのか。まあ熊に襲われるよりはよっぽどマシだったかもな……」
本当ならここで「ありがとう」の一言でも言えればよかった。
けどあたしはこんな性格だから中々素直な言葉が出てこない。
奈緒「それで、縁結びの呪い……って具体的にどういう事なんだ?」
芳乃「切っても切れない関係になってしまったということでしょうー」
奈緒「あたしと、芳乃が?」
芳乃「左様ー」
あたしは椅子に寄りかかって深呼吸した。
目を閉じて、それからゆっくり開ける。
奈緒「……その呪いはどうやったら解けるんだ?」
芳乃「それはわたくしにも分かりませぬー」
まあそんな所だと思ったよ。
……いよいよ本気でやばいんじゃないか? これ。
芳乃「ただしこういう類の呪いにはいくつか型がありましてー。解き方もだいたい決まっているのですー」
奈緒「おおっ! それを早く言えよな!」
芳乃「まず一番手っ取り早いのはどちらか一方が死ぬ事でしてー」
おい。
いきなり物騒な話になったぞ。
芳乃「この場合わたくしは神ですからー。死ぬとしたらそなたになりますがー」
奈緒「ちょちょちょ、ちょっと待て! それはいくらなんでも理不尽すぎるだろ!」
芳乃「わたくしも推奨しかねますー」
芳乃が話の分かる神様で助かった。
あやうく殺されかけるところだったぞ。
奈緒「ほ、他にはどんな方法が……」
芳乃「恋仲であれば別の縁を結びー、仕事の縁でしたら出世を望むなどすればー、呪いの力は弱まりますー。その弱った所を断ち切ればよいのですがー……」
奈緒「なるほど」
芳乃「あいにく人間と神霊の縁となるとー、そのような前例は聞いた事もありませぬゆえー、わたくしも具体的な解決策が分からないのですー」
うーん……言われてみれば確かに意味の分からない繋がりだよなあ。
神様なんてせいぜい神頼みくらいでしか関わりないし。
あ、でも。
奈緒「いま神霊って言ったよな? 霊ならお祓いとかすればいいんじゃないか?」
芳乃「それは……無理な相談でしてー」
奈緒「なんでだよ!?」
芳乃「祓いとは元々個人の魂の穢れを払うものでしてー、あまり意味はないかとー」
奈緒「で、でも方法はあるかもしれないんだろ? 芳乃が知らないだけで」
芳乃「おそらくはー……」
芳乃は考え込むように腕を組んでいる。
しかしこの神様、感情というか表情が全然動かないから何を考えてるのかさっぱり分からない。
それにさっきからあたしの机とか本棚の方をチラチラ見てるし。
真剣に考えてんのか?
芳乃「……ひとつお聞きしますがー、そなたは神をどのようにお考えでー?」
奈緒「へっ? そりゃまあ……神様って言うからには崇め称えて信仰するものなんじゃないの?」
芳乃「ふーむ。それも間違いではないのですがー、神を祀るというのは崇拝のためだけでなくー、御利益を賜ったり時には災いを鎮めるための儀式でもあるのですー」
奈緒「あー、うん」
芳乃「つまり人と神の良縁とはー、信仰に対して御利益を授ける関係に他ならないのでしてー」
奈緒「あ! 分かった! 信仰の心を完全に無くせば縁が切れるんだな?」
芳乃「そうではありませぬー」
がくっ。
違うのかよ!
芳乃「結論から言いますとー、そなたが抱えている悩みをわたくしが解決すればー、この呪いも次第に弱まっていくものかとー」
奈緒「悩み……?」
芳乃「左様ー。不慮の事故とはいえー、縁結びの呪いがかかってしまったという事はそなたに何か解決したい悩みがあるという事なのではー」
お悩み相談承りますって事?
なんかすげー胡散臭いんだけど……
芳乃「胡散臭くはありませぬー。わたくしの得意とする所では主に失せ物探しがありましてー、もちろんそれ以外の願掛けや祈祷も場合によっては聞き入れますー」
奈緒「ふーん……失せ物探し、かぁ」
あれ?
これってさ、よくよく考えてみるとつまりこういう事だよな。
……神様があたしに御利益を授けてくれるって事?
芳乃「でしてー」
マジか。
え、嘘だろ?
それって超ラッキーじゃん。
芳乃「らっきーでしてー」
奈緒「う~ん、まだちょっと信じられないんだけど……試しにひとついいか?」
芳乃「なんでしょうー」
奈緒「一週間くらい前にCD失くしたんだよ。探してるんだけど見つからなくてさ……どこにあるか分かる?」
芳乃「しーでぃーとはどういう物なのでしょうー?」
あ、そこからか。
確かに山に祀られてた神様がCDなんて知ってるわけないよな。
奈緒「えーっと……こう、薄くて丸い銀色のやつで、真ん中に穴が空いてるんだ」
芳乃「それでしたらあそこにー」
えっ、と思って指差した方向を見ると机の上に置きっぱなしになってた『New Generation』のシングルCDがあった。
奈緒「ああ、うん。こんな感じの奴」
芳乃「これではないのでしてー?」
奈緒「似てるけど別の奴を失くしたんだ。なんて言ったらいいかな……片面はピンク色で『Cute jewelries』って書いてあるんだけど」
芳乃「きゅーとじゅえ……?」
奈緒「キュートジュエリーズ」
あたしはわざわざ英語のつづりを紙に書いてみせた。
芳乃「なるほどー、それでしたらこの部屋には無いようでしてー」
奈緒「え?」
芳乃「下の階から気配を感じますー」
奈緒「えっ今の情報だけで分かるの?」
芳乃「なんとなくー」
あたしは半信半疑で一階に降りた。
芳乃が「こっちでしてー」と手招きする方に行くと、そこは父さんしか使わない物置部屋だった。
こんな所にあるわけないだろ……と思いながらとりあえず芳乃の言う通りの場所を漁ってみると、
奈緒「う、嘘だろ……ホントにあった……!!」
書類の束の中に放り込まれてたのをばっちり探し当ててしまった。
信じられない。
でも偶然にしては出来すぎてる。
自分で言うのもなんだけど、この家って結構広いんだぞ。
もし目星をつけるとしても普通はあたしがよく行くような部屋を探すだろ。居間とかさ。
あたしは確信した。
この神様はホンモノだ。
芳乃「ようやく分かっていただけましたかー」
奈緒「ああ……その、なんだ……あ、ありがとうございます……」
芳乃「感謝の気持ちは大事なのですよー。それがすなわち信仰の心となりますゆえー」
表情はあいかわらず読めないけど妙に得意気だ。
まあすごい事に変わりはないもんな。
それにしても神の御利益か……なんか急にわくわくしてきた。
こんな幸運があたしの元に舞い降りてくるなんて。
芳乃、いや芳乃様。
最初は疑ったり幽霊扱いしたりしてゴメン。
芳乃「わたくしは大変寛大な神でしてー。あまり気にしておりませぬー」
奈緒「あのー、芳乃。ついでにもう少し探し物手伝って欲しいんだけど……」
芳乃「お安い御用でー」
それからあたしは思い出せる限りの失くし物を探していった。
大抵はハサミだとか消しゴムだとか無くても大して困らないような物だったんだけど、一巻だけ抜けた漫画を見つけた時はかなり助かった。
ただ自分たちの近くに無いものは芳乃でも当たりをつける事はできないみたいだった。
例えば昔失くした熊のぬいぐるみなんかは見つからなかった。たぶん捨てられたんだろう。
そういうのは諦めるしかなかった。
もう探す物も無くなってあたしたちは部屋に戻ってきた。
動き回ったせいで少し汗をかいた。
夏の暑さ特有の、ベタっとしたいやな汗だ。
あたしはこういう暑さが苦手だった。こう……蒸れるんだよな。色々と。
でもウチにはクーラーなんて無いから窓を開けて風を入れるしかない。
まあ家の周りは庭木とか植物が多いし、田舎でアスファルトも少ないから窓を開けるだけでも結構涼しい。
ついでに扇風機もつけておこう。
奈緒「ところでさ。芳乃は失せ物探し以外にも何かできるのか?」
芳乃はくるくる回る扇風機の羽をじーっと見つめていた。
芳乃「……何が出来るかはやってみないと分かりませぬがー、他には人捜し、魔除け、縁結びなどがありますー」
使えるんだか使えないんだか微妙な特技だな……。
でも縁結びなら例えば好きな人と、こ、恋人同士になれたりするのか……?
芳乃「そなたは恋慕う殿方がいるのでー?」
奈緒「は!? い、い、居るわけないし! 何言ってんだ!」
芳乃「なぜ怒るのでしてー」
くそー、勝手に人の心を読むなっての!
……まあいいや。
とりあえず今後は落し物しても大して心配せずに済みそうだし……ってそう考えると本当地味な御利益だな。
こうなってくると他にも色々出来ることはあるような気がするんだけどなあ。
物には触れないみたいだけど、こうやって会話することはできるわけだし。
奈緒「……芳乃? なにしてるんだ?」
目を離したスキに芳乃はさっきのCDを興味深そうに調べていた。
芳乃「このしーでぃーとやらは何に使う物なのでしょうー?」
奈緒「これは音楽を聴くためのものだよ」
芳乃「音楽……つまり楽器ということでー?」
奈緒「いや楽器じゃなくて、これが音楽を流すんだよ」
と言ってもCDは一度パソコンに取り込めば後はほとんど使わないんだけどな。
だからさっき芳乃に探してもらった時も、別に見つからなくてもいいかなーくらいに思ってたんだ。
……ってまた芳乃に考えを読まれる、まずいまずい。
芳乃「ふむー……この円盤がー……音曲を奏でるとー……??」
読心されないかビビってたけど、どうやら芳乃はすっかりCDに気を取られてるみたいだった。
そっか、山で暮らしてきた神様にとってはこういう電子機器とか機械って初めて見る物なんだな。
奈緒「聴いてみる?」
芳乃は子供みたいにこくりと頷いた。
パソコンとかスマホから音楽を流してもよかったけど、せっかくだから父さんが使ってたCDラジカセを持ってきた。
『Cute jewelries! 003』をセットして、曲目は『明日また会えるよね』。
カチッ
~~♪
芳乃「おお~……でしてー……!」
あたしはその時はじめて芳乃に表情の変化を見た。
目をまんまるにして驚いてる。
笑っちゃうくらい新鮮な反応だ。
それになんでだろ、芳乃を見てるとこっちまで嬉しくなってしまう。
奈緒「良い曲だろ」
芳乃「珍妙な歌でしてー」
ずっこけそうになった。
珍妙て、それ褒めてるのか?
芳乃「……よく分からなかったのでー、もう一度聴かせてほしいのですがー」
奈緒「好きなだけ聴けばいいよ、もう」
リピートボタンを押してあとは放置しとこう。
芳乃がラジカセの前にちょこんと正座して聞き入ってるのを横目に、あたしはベッドにどさりと倒れ込んだ。
時計を見る。ちょうどお昼前だ。
もうこんなに時間経ってたのか。
そんなにお腹空いてないけど、お昼ご飯どうしようかな。
そういえば今日って元々何する予定だっけ……ああ、そうだ。
図書館に行って夏休みの宿題やるつもりだったんだ。
ついでに加蓮のとこにも寄るって……
奈緒「あっ!!」
芳乃「……びっくりしたのでしてー」
そうだ、今度お見舞いに行く時に持っていくって約束した奴!
あれ学校に置きっぱなしにしてるんだった!
あたしの馬鹿~ッ
……はぁ。
とりあえず学校に行ってみるしかないか。
教室に鍵とか掛かってなければいいけど。
奈緒「なあ、芳乃」
芳乃「……~♪」
聞いてないし。
っていうか珍妙だとか言いながらなんだかんだ気に入ってるじゃん。
鼻歌まで歌っちゃって。
奈緒「おーい芳乃ー?」
芳乃「……はっ。今わたくしを呼びましたかー」
奈緒「さっきから呼んでるよ。あのさ、あたしこれから出かける用事があるんだけど」
芳乃「左様ですかー。それならばわたくしも行かねばなりますまいー」
奈緒「え? いやいや、芳乃には留守番してて欲しいっていう話で……」
芳乃「それは無理なのでしてー」
奈緒「な、なんで??」
芳乃「なぜかは分かりませぬがー、そなたから遠くへ離れすぎるとー、まるで見えない糸がぴんと張るようにー、わたくしを引き止めるのですー」
そういう事か。
まあ縁結びの呪いっていうくらいだもんな。
見えない糸の一つや二つあっても不思議じゃない。
理解不能ではあるけど。
奈緒「ちなみにそれってどれくらいの距離なんだ?」
芳乃「おおよそ十間ほどでしてー」
十間……って何メートルだよ。
さっぱり分からない。
芳乃「ここからー、あそこまでといった所でしょうかー」
芳乃が窓の外を指差して言った。
見てみると、この家から隣の家くらいまでしかない。
つまり20メートルもない。
奈緒「うーん……」
考えてみれば、芳乃を外に連れて行って何か問題があるかっていうとあんまり気にするほどの事でもない気がする。
むしろ御利益のある神様をわざわざ遠ざける方が損なんじゃないか?
奈緒「よし。じゃあ行くか、一緒に」
芳乃「イヤなのでしてー」
奈緒「へっ??」
聞き間違いかな。
思いもよらない言葉が返ってきたぞ。
今、「嫌だ」って言ったのか?
芳乃「それより奈緒ー、こっちのしーでぃーは違う音曲が奏でられるのでー?」
芳乃は机の上に置いてあった『New Generation』のCDを指して言った。
ていうか自己紹介した覚えなんて無いのに、いつの間にあたしの名前知ったんだ。
あ、さっき父さんに名前呼ばれてたからその時か。
……じゃなくて!
奈緒「芳乃、音楽はもういいだろ? あたしは出かけなきゃいけないんだ」
芳乃「今度はこっちを聴いてみたいのですがー」
あれ、会話になってない。
おかしいな。
奈緒「わがまま言わないでくれよ。芳乃が行かないって言ってもあたしは勝手に行くぞ」
芳乃「しーでぃー! もっと聴きたいのでしてー!」ジタバタ
子供かっ!?
……子供か!?
2回もツッコんでしまった。
奈緒「えぇ~……ちょ、芳乃……えー……」
芳乃「むー」
……こりゃもう完全に駄々をこねる子供の目だ。
今までの威厳ある態度はどこ行ったんだ。
あたしはここにきて再び自問することになった。
本当にこれが神様なのか?
座敷わらしの間違いなんじゃないか?
芳乃はひざを抱えて床に座り込み、テコでもその場から動かないつもりらしい。
神様でも意地を張るんだな。
あたしはそんな事を考えながら、まあ一曲くらいならいいかと思って芳乃のわがままを許してやる事にした。
CDをセットして再生すると芳乃はそれまで駄々をこねてたのをぴたっと止めてラジカセの前に正座した。
神妙な顔つきで耳を傾けてる。
ほんと、何考えてるんだか全く読めない。
奈緒「それ聴き終わったら今度こそ出発するからな」
芳乃「奈緒ー、この歌はなんと言っているのでー?」
ダメだこの神様。人の話を聞かない。
またうるさく言われるのも面倒だし、しばらく付き合ってやるしかないか。
奈緒「歌詞カードに書いてあるよ。って言っても芳乃は日本語はともかく英語は読めないだろ」
芳乃の目の前に開いてやると、さっそくそれを目で追いながら曲を口ずさみ始めた。
英語の部分は流れてくる音を真似してるだけのでたらめな発音だったけど、音程はそれなりに取れてる。
奈緒「芳乃は音楽が好きなのか?」
芳乃「わたくしが人だった頃ー、一族代表の巫女として数々の神楽を舞い謡っておりましたゆえー、歌曲にもおのずと関心が芽生えるというものー」
奈緒「人だった頃……? 芳乃って神様の前は人間だったの?」
芳乃「左様ー」
なんでもないように言ってるけど、衝撃の事実じゃないか、それ。
人間が神様になれるわけ?
っていうかいつの時代の話なんだ。
謎すぎる。
芳乃「こう見えてもわたくしはー、村一番の舞手として名を馳せておりましたのでー」
奈緒「へぇ~……」
本当かよ。
なんか嘘っぽい。
芳乃「疑っているのですかー」
奈緒「あ、いや違うんだって、これはその」
芳乃「ならば実演してみせましょうぞー。天女が如き絶美の芸、至高と謳われたわたくしの舞をー、とくとご覧あれー」
芳乃はそう言うなりすくっと立ち上がった。
え? 今ここで踊るの?
あたしが呆然を眺めていると、芳乃はバックで流れてる『Evo!Revo!Generation!』に合わせておもむろに構えを取った。
ごくり。
思わず緊張してしまう。
芳乃「~♪」
次の瞬間、あたしは形容しがたい光景を目の当たりにした。
あえて言葉にするならこんな感じ。
よちよち くるっ ふわふわ すりすり ぴたっ
以下略。
芳乃「~♪」
奈緒「…………」
奈緒「……何してんの?」
芳乃「これぞ古来より美城山に伝わる神降の儀のー、その窮極の舞でしてー」
そう言いながらくるくる回って、静かに飛んだり跳ねたりしてる。
無表情で、しかも恐ろしいくらいのスローテンポで。
奈緒「……ぶっ……くく……あっはははは!!」
もう限界だった。
すまん、芳乃。
これを見て笑わない奴がいたら尊敬する。
ただでさえ柔軟体操みたいなヘンテコな踊りなのに、糞真面目な顔でよりにもよってアップテンポな曲でやるから余計おかしくなってる。
なんだよその体の角度は。
前衛芸術にもほどがあるぞ。
奈緒「あはっ、はひっ、い、ちょっとタンマ! 笑いすぎて、は、腹が……あっははっ けほっ あははは!!」
芳乃「なぜ笑うのでしてー」
奈緒「だってもうおかしくて……く、くく……ひ~……」
涙まで出てきた。
だって卑怯だもん、こんなの笑うに決まってるじゃん。
奈緒「はぁ はぁ ……芳乃?」
ひいひい言いながら涙をぬぐって芳乃を見た。
気が付いたら踊るのを止めてあたしをじーっと睨んでいる。
あれ?
もしかして怒ってらっしゃる?
芳乃「…………」
芳乃は拗ねたようにぷいっと顔をそむけた。
奈緒「わ、悪かったよ。別に笑いたくて笑ったわけじゃ……ププッ」
ダメだ。
思い出すとまた笑ってしまう。
違うんだ、聞いてくれ芳乃。
確かにお前の踊りはすごいのかもしれない。
けど『Evo!Revo!Generation!』でそれをやるのは流石に無理がある。
まだソーラン節の方が合うと思うぞ。
芳乃「……わたくしの崇高な舞はー、所詮この時代の人間には理解できないものゆえー、別に気にしてなどおりませぬー」
嘘だ。
絶対怒ってる。
芳乃「泰平の世は東国、慈悲の御神ここに在りと名を知らしめたほどでー、然るわたくしを怒らせたら大したものですー」
そんな口を尖らせてほっぺた膨らませて言っても説得力がない。
子供か。
芳乃「ただしー、あんまり不敬を働くようだと祟ることも辞さないゆえー、ゆめゆめ用心されたしー」
奈緒「た、祟り!? ……って具体的に何をされるんだ?」
芳乃「それはもうげにおぞましき災いの数々でしてー」
祟りと聞いて内心ちょっとビビったけど、どうも心から怖がる気になれない。
別に芳乃の神的能力を疑ってるわけじゃないんだが……
奈緒「その災いってのは、例えばどんな?」
芳乃「道を歩けば犬に吼えられ馬糞を踏み抜きー、目には埃が入って痒みが止まらずー、日に一度は物を失くしー、友人には影で悪口を囁かれますー」
うっ。
地味だけど結構イヤだ。
奈緒「……悪かった。ごめん、謝るよ。だから許してください芳乃様。人間風情が調子に乗りました。芳乃様の踊りはサイコーです」
芳乃「……そこまで言うのでしたらー、許してあげない事もなくー……」
奈緒「さすが芳乃様、心が広い! よっ、天下の踊り子!」
芳乃「…………」
あ、やりすぎた。
……それからまた芳乃の機嫌を直すのに一苦労だった。
最初、持ってるCDを一通り見せてやっても不貞腐れて興味を持たなかったのには困った。
けど他に何か手はないかと思ってノートパソコンを開いた途端、芳乃が目をきらきらさせて画面を覗き込んだのにはあたしも予想外だった。
この神様はどうやらかなり好奇心旺盛らしい。
スマホも見せてやるといちいち「おー」とか「ほー」とか言って驚いていた。
面白いヤツ。
奈緒「なあ、そろそろ出かけたいんだけど……」
時計はもう昼時をとっくに過ぎていた。
別に急いでるわけじゃないんだけど、あたしも好い加減お腹が空いてきた頃だったし、用事は早めに済ませておきたかった。
芳乃がまた駄々をこねる前に先手を打っておく。
奈緒「外はもっと面白いもんがいっぱいあるぞ」
芳乃「そうですかー……よろしいでしょうー」
あっさり頷いた。
神様は気まぐれっていうけど、まさにそんな感じだ。
さて、そんなわけであたしはやっと家を脱出することができた。
まあ別に芳乃を放っといて一人で出かけても良かったんだろうけど、祟られたくないしな。
外は日差しが強烈だった。
草木のむわっとするにおいが庭中に立ち込めてる。
セミの鳴き声が叩きつけるみたいに響いてる。
ああ、夏だなあって思う。
最近毎日そんな事を思ってる気がする。
そして自転車のカゴに鞄を置いて漕ぎ出そうとした時だった。
芳乃「これに乗って行くのでしてー?」
奈緒「ん? そうだけど……」
そういや芳乃はどうやって連れて行けばいいんだ。
幽霊みたいなもんだし、ふわふわ浮いて付いてくるのかな。
いや、それはさすがに絵面が不気味だしなんか嫌だ。
どうしよう、と考えてると芳乃は自転車の前輪をよじ登ってカゴにすっぽり入ってしまった。
奈緒「ちょ、おい! あたしの鞄を尻に敷くな!」
芳乃「大丈夫ー、鞄が押しつぶされる心配はないのでしてー」
そりゃそうだろうけどさ……
奈緒「……まあいっか。振り落とされるなよ」
芳乃をカゴに乗せたままあたしは出発した。
すぐ前に芳乃の後頭部が見える。
視界は遮られてないから危険は無いけど、なんだか不思議な気分だ。
そういえば昔見た映画で似たようなシーンがあったっけ。
あれは確か宇宙人を乗せて自転車ごと空を飛ぶんだよな。
神秘的でロマンチックだけど、もしも今芳乃にそんな事されたらと思うとさすがに怖い。
だって高い所苦手だし。
あたしと芳乃を乗せた自転車はそんな宇宙的神秘なんてまるで知らないみたいにのんびりと下り坂を駆けていった。
小休憩
○ ○ ○
辺り一面田んぼだらけのあぜ道を走っていく。
これぞ田舎!って感じの風景だ。
それにしてもあっついな……
芳乃「~♪」
芳乃はやたら上機嫌に鼻歌を歌ってる。
この焼けるような日差しを浴びても平然としてるんだから羨ましい。
神様だから暑さとか感じないんだろうな。
まったく、呑気なもんだよ。
あたしなんてちょっと自転車漕ぐだけで汗ダラダラだっていうのに。
アスファルトの道路は熱射で陽炎がゆらめいていた。
じっとり纏わりついてくる空気を振り払うみたいに自転車を走らせる。
子供たちが庭で水鉄砲をかけ合って遊んでいるのが見えた。
草刈をしてる業者の人たちの傍を通り過ぎるとむせ返るような濃い草の匂いがした。
そんな感じで途中色々な人とすれ違ったけれど誰もあたしの方に注意を向けようとしなかった。
まあ分かってた事だけど、やっぱり芳乃はあたし以外の人には見えないらしい。
改めてそれを確認できて少しホッとした。
フツーに考えてこのクソ暑い日に和服姿の子供をカゴに乗せて走るなんて不審者以外の何者でもないからな。
奈緒「よっ……と。芳乃、少し待っててくれるか? すぐ戻るから」
芳乃「ここはどこでしてー?」
奈緒「コンビニだよ、コンビニ。昼飯買ってくるから大人しくしててくれよ」
あたしは芳乃をカゴに置きっぱなしにして店に入った。
冷房の効いた空気が吹き抜けて一気に汗が冷えていく。
「はぁ~……」
ひんやりしてめちゃくちゃ気持ちいい。
夏ってこういう時のために存在してるんじゃないかとさえ思う。
とりあえず適当におにぎりと飲み物買えばいいかな。
ついでにアイスも買っちゃおう。
そんな事を考えながら店内をうろついていた時だった。
芳乃「奈緒ー」
奈緒「うわっ!! ちょ、芳乃!?」
陳列棚からいきなり芳乃がすり抜けてきてあたしは思わず大声を出してしまった。
周りの客が一斉にこっちを振り向いた。
は、恥ずかしい……
奈緒(おい! おとなしくしてろって言っただろ!)
芳乃「わたくしを置いて行かないで欲しいのでー」
奈緒(だからって壁やら地面を通り抜けていきなり出てくるなよ……びっくりするだろ)
あたしは他の客に見られないように店の隅っこに移動した。
そこで身をかがめてコソコソと話をする。
……これはこれで怪しい人みたいだな。
芳乃「それはともかく奈緒ー、鞄を忘れているのでー」
芳乃が指差したのはコンビニの前に停めたあたしの自転車だ。
奈緒(すぐ戻るんだから別にいいよ)
芳乃「よくないのでしてー。もし悪漢に盗まれでもしたらどうするのですー」
奈緒「へ?」
芳乃「家に鼠国に盗人、奈緒には用心というものが欠けているように思われー」
急に説教し始めたぞこの神様。
そりゃあ確かに不用心だったかもしれないけど、別に盗まれて困るような物は入ってないし……
いや、でも筆箱はともかく夏休みの宿題をパクられるのは困るな。
あたしも泥棒もどっちも得しない。
奈緒(わーった、分かったって芳乃。そうガミガミ言うなよ)
芳乃は言いたいだけ言い終わると「ふう」と溜め息みたいな声を出した。
なんかムカつくな。
けどまあ芳乃の言う事にも一理ある。
めんどくさいけど神様の言う通りにしよう。
あたしは一度店を出て自分の鞄が盗まれていない事を確認し、それを手に店に戻った。
芳乃「ねーねー奈緒ー、これは一体なんなのでしてー?」
芳乃がはしゃいでいた。
こンの神様は……少し目を離すと途端にこれだ。
あたしは芳乃が興味津々で投げかける質問に適当に付き合って手早く買い物を済ませた。
芳乃も芳乃で、とりあえず構ってさえやれば空返事で相手しようがあんまり気にしてないみたいだった。
少し芳乃の扱いに慣れてきたような気がする。
店から出ると外は昼過ぎの一番暑い時間になっていた。
日陰に寄って買ったおにぎりを取り出す。
行儀は悪いけどさっさと食べちゃおう。
芳乃「この時代にも握り飯があるのでしてー」
あたしがコンビニおにぎりの摩訶不思議な包装をくるくる剥がすのをじーっと見つめて芳乃が言った。
奈緒「食ってみるか?」
あたしは冗談のつもりで芳乃の目の前におにぎりを差し出した。
ははは、ちょっと意地悪だったかな……
ぱくっ
芳乃「ふむー、中々美味でしてー」もぐもぐ
奈緒「えっ」
奈緒「ええええええええ!!?」
は? え、は?
何勝手に食べてんの。
いや違う、そうじゃない。
あたしは芳乃に齧られたおにぎりを見た。
半分くらい無くなってる。
奈緒「お、お前……食べっ……触っ……!?」
霊体じゃなかったのかよ!
心の中でつっこむと芳乃があたしのおにぎりをごくんと飲み込んで答えた。
芳乃「お供え物は食べるのが礼儀でしてー」
奈緒「これはお供え物じゃねえよ!?」
芳乃「そうでしたかー、しかしこれまた珍妙な味でしてー」ぱくっ
奈緒「うおおおおい!? ちょっ、あたしの分!」
芳乃「うむー。悪くはありませぬー」もぐもぐ
可愛い顔して食っとる場合かーッ
……結局、あたしのお昼ご飯はアイスだけになった。
芳乃「申し訳ないのでしてー」
ほんとに申し訳ないと思ってんのかコイツ。
あたしはアイスをうらめしく舐めながら芳乃に説明を要求した。
ていうか最初から説明しとけっての。びびるだろうが。
今まであたしが芳乃に対してそこまで脅威を感じてなかったのは物理的な害を及ぼさなかったからだ。
それがいきなり人のもん食うとか冗談じゃない。
まあ最初に冗談を言ったのはあたしなんだけどさ。
炎天下でじっと芳乃の説明を聞くのはあたしの気力が持たなそうだったから自転車に乗って移動しながら話をすることにした。
芳乃の声は直接頭に聞こえてくるから風の音にまぎれたりしない。便利だ。
奈緒「……ふーん。要するに『神様に捧げたもの』は触ったり食べたりできるって事か」
芳乃「ざっくり言えばそういう事になりましてー。例外もありますがー」
奈緒「例外って、たとえば?」
芳乃「昨日そなたを助けた時などがそうでしてー」
昨日ってあたしが川で突き飛ばされた時か。
確かに、言われるまで気づかなかったけどあの時芳乃はあたしに触れてたって事だもんな。
芳乃「霊峰美城山の清純な気脈においてはー、わたくしのような神霊でもー、人の子に語りかけ手を差し伸べることを許されるのでー」
霊峰美城山。
なんかかっこいい。
○ ○ ○
自転車を走らせること約30分。
やっと学校の門の前まで来た。
そんなに大きい高校でもないんだけど、あたしが入学する直前くらいに老朽化対策か何かでリフォームしたから見た目は結構立派だ。
グラウンドから野球部の掛け声が聞こえた。
この暑い中よくやるよ、本当に。
あたしは呆れ半分尊敬半分で人気のない学校に入って行った。
冷房がかかってるわけでもないのに空気がひんやりしていて気持ちがいい。
休みの日の学校ってなんかワクワクする。
あたしの後ろには当然のように芳乃が付いて来ていた。
こうして見ると小学生が迷い込んだみたいだ。
ぺたぺたと歩いて(実際には音なんてしないけど)あたしに付いてくる姿は小動物みたいでちょっとかわいい。
芳乃「ほー、これが学校でしてー……なんと巨大なー」
奈緒「芳乃は学校を知ってるのか?」
芳乃「見るのは初めてでしてー。古くは西の氏族からー、大学や学問所、寺子屋といった話は知り合いから聞き及んでおりましたゆえー」
奈緒「ふーん……?」
芳乃「しかしこれほど立派なものだとはー。そなたを見くびっておりましたー」
奈緒「あたしを? なんでまた急に……」
芳乃「その若さにして学問の道を志すのみならずー、高天原は大神殿もかくやと思しき壮麗堅牢なる学舎ー、さぞ血の滲むような勉学の修行に励んでいるのでしょうー。素晴らしい事ですー」
……なんか勘違いしてないか。
そりゃ受験は結構頑張ったけどさ。
別に学問の道とか修行とか考えて勉強してるわけじゃないんだけど。
奈緒「芳乃は知らないだろうけど、今の時代あたしくらいの歳の奴はみんな学校に行ってるんだよ。そんな大げさなもんじゃない」
芳乃「ほえー」
ほえーってなんだ、ほえーって。
教室に向かうまでの間、芳乃に学校がどういう所なのか説明してやった。
今は夏休みだから人が居ないけど普段は大勢の生徒でごった返してるんだぞって教えてやったらこれも驚いたみたいだった。
この世にそんなに人間がたくさん居るとは想像もしなかったって顔だ。
芳乃「休みというならー、奈緒は何の用事があってここへー?」
奈緒「ちょっと忘れ物してさ。まあすぐ終わる用事だよ」
教室には鍵がかかってなかった。
あたしはホッと安心して教室に入り目的の物を探した。
といっても自分のロッカーに仕舞ったまま持って帰るのを忘れてただけなんだけど。
奈緒「あった! 良かった~」
芳乃「これはー……?」
奈緒「ん? ああ、写真だよ。今年の文化祭で撮った写真」
写真がどんなものか見れば分かると思ったけど一応説明した。
芳乃「色んな人間が写ってるのでー」
奈緒「記録係が張り切ってくれたからな」
ちょっと恥ずかしい写真もあるけどまあいっか。
あたしはこういう学校行事にそこまで熱心な方じゃなかったけど、結局みんなに上手く乗せられてテンション上がっちゃうんだよな。
写真に写るクラスメイトはみんな楽しそうだった。
正直、加蓮にこんな楽しそうな写真を見せるのは少し気が引けた。
でもアイツが見たいって言うんだから仕方ない。
そしてあたしが写真の束を鞄に詰めて教室を出ようとした時、
芳乃「待つのでしてー」
唐突に呼び止められた。
芳乃が教室の真ん中にじっと佇んで窓の外を指差している。
あたしは釣られてその先を見た。
窓の外は中庭だ。
その中庭を挟んだ向かいには図書館があるだけ。
奈緒「な、なんだよ。何もないぞ」
芳乃「良くない気配がするのでー」
あたしはぞくっと背筋に寒気を感じてその場に固まってしまった。
……おいおい、怖いこと言うなよ。
お前が言うと本当シャレになってないから。
奈緒「は、はは……芳乃、冗談が上手いな……」
芳乃「…………」
何か言えよ! 怖いだろ!
芳乃「……去ったようでしてー。一体なんだったのでしょうー」
奈緒「こっちが聞きたいわ!」
芳乃はまだ何かを考えるように窓の外を見ていた。
こんな表情をする芳乃は初めてだ。
いや、表情自体はいつもと変わらないんだけど妙に目つきが鋭いっていうか……
何かを警戒しているみたいだった。
あたしは恐る恐る窓辺に近寄って中庭を見渡した。
何も変わった所はない。
いつもと同じ風景だ。
奈緒「……もしかして悪霊とか、そういう奴?」
芳乃「分かりませぬがー、少なくとも吉兆といった類のものではないようでしてー」
昨日までのあたしだったら真昼間に「あそこに何かいる」なんて言われても鼻で笑って信じなかっただろう。
でも今は事情が違う。
なんせ神様直々のお言葉だからな。
そんな風にすっかり怖気づいてしまったあたしを見て芳乃は言った。
芳乃「心配せずともよいかとー。厄神であればともかくー、あの気配はおそらく強い意志をもたない精霊や低級霊だと思われー」
気休めになってない。
どっちにしろ正体不明の存在がこの学校を闊歩してたって事に変わりないわけだろ。
それにほら、学校って怪談話に事欠かない場所だし。
ていうか本当にいるんだな、そういうの……
奈緒「……だーっ、もう! 怖い話は終わり! 行くぞ!」
聞かなかった事にしたい。
これからどんな顔して学校に通えばいいんだ。
「世の中には知らない方がいい事もある」なんて言葉がふっと脳裏に浮かんだ。
今ならその意味が身に染みてよく分かる。
あたしは早足で学校を出た。
芳乃が遅れてテクテクと歩いてくる。
外は相変わらずの灼熱地獄だったけど、あたしはさっきの出来事で暑さなんか吹っ飛んでしまっていた。
辺りをうろついている幽霊だとか悪霊だとかを想像しながら黙々と自転車を漕ぎ出した。
もし何かあったら芳乃になんとかしてもらおう。
そうだ、あたしには神様がついてる。
おばけなんてな~いさ、おばけなんてう~そさ……
芳乃「先ほどから奈緒の様子がヘンなのでしてー」
奈緒「……芳乃。あたしの身に何か起きたときは、頼んだぞ」
芳乃は自転車のカゴによじ登って、不思議そうにあたしの方を振り向いた。
そのとぼけたような顔を見ると不安になる。
全く頼りになる気がしない。
しかも、だ。
これから行く先はまさにそういうのが出そうな場所。
つまり病院だ。
正直もう帰りたかった。
けど加蓮には行くって言っちゃったし、それに現時点では幽霊と遭遇するって決まったわけでもない。
そもそも芳乃もはっきりと姿を見たわけじゃないんだ。
たとえ幽霊が出ても見えなければ大した事ないかも……
芳乃「わたくしの姿が見えている以上ー、他の霊魂も同じように見えるはずでしてー」
奈緒「そーゆーのは言わなくていいんだって! ますます怖くなるだろ!」
芳乃「特に強い怨念を持った霊魂やー、そなたに直接興味を示すような霊魂ならばー、よりくっきりと見えるでしょうー」
この神様はあたしを苛めてるのか?
それともからかってるのか。
芳乃はあたしをびびらせるだけびびらせると自転車のカゴに揺られながら呑気に歌を歌い始めた。
はぁ……覚悟するしかないか。
今は心配しても仕方ない。
出たら出たでその時は芳乃がなんとかしてくれる事を期待しよう。
そうしてあたしは元来た道を走って行った。
○ ○ ○
結論から言うとあたしは幽霊と一度も遭遇することなく無事に加蓮に会えた。
病院に到着してからというもの、あたしはひっきりなしに芳乃にお伺いを立ててビクビクしながら進んでいたから傍から見れば変質者だったかもしれない。
実際、ここの看護師さんたちとは結構な顔なじみだったから「何してるの奈緒ちゃん」なんて笑われたりした。
加蓮「あ、来た来た」
加蓮は病室のベッドで本を読んでいた。
奈緒「……よう」
加蓮「どうしたの奈緒。顔真っ赤だよ」
奈緒「な、なんでもない」
芳乃に振り回されて恥ずかしい思いをするのは今日で何回目だろうか。
そろそろあたしも慣れてもいい頃なのに、自分の不器用さが嫌になる。
つーか自己嫌悪する前に、おい。そこのちんちくりんの神様。
病院では大人しくしていなさい。
加蓮「何してんの? 座りなよ」
奈緒「え? あ、ああ」
いかんいかん。
惑わされるな、あたし。
芳乃はとりあえず放っておこう。
奈緒「持ってきてやったぞ。ほら」
あたしが鞄から写真を取り出して渡すと加蓮は「ありがと」とだけ言って無感情にパラパラと眺めだした。
加蓮だけがいない文化祭の、みんなの楽しそうな笑顔を。
加蓮「…………」
感想とかなんとか言えよ。
そんな寂しそうな雰囲気出されたらあたしが悪い事したみたいじゃんか。
写真寄こせって言ったのは加蓮の方なのに。
あたしは人に気を使うのがあまり得意じゃない。
だからこういう時にどうすればいいか分からなくなる。
文化祭の思い出を話して聞かせればいいのか?
それとも同情してやればいいのか?
分からないけど、そのどっちも間違ってるような気がした。
加蓮の黙ったままの横顔をあたしはどうしてやる事もできなかった。
加蓮「……プッ。なにこれ、変な顔」
一枚の写真を見て加蓮がふいに笑った。
やっと表情が柔らかくなったのを見てあたしは少しホッとした。
その写真はクラスで演劇をやった時の奴で……
奈緒「あっ、それはダメ! 見るなっ」
加蓮「なんでよー、奈緒の迫真の演技かっこいいじゃん」
奈緒「お前さっき変な顔って言ってたろ!」
加蓮「ほら奈緒、病院では静かにしなきゃ」
写真を取り上げようとやっきになるあたしを巧みにかわして悪戯そうに笑う。
くそう。
やっぱり持ってくるんじゃなかった。
加蓮「まあ演劇の動画はもう見たんだけどね」
奈緒「は!?」
加蓮「なにその反応は。私が見たらいけないの?」
奈緒「いや、そういうわけじゃないけど……」
聞くと、担任の先生に連絡したら動画データを貰えたんだと。
ならついでに写真もデータで送ってもらえば良かっただろ。
あたしがそう言うと、
加蓮「え、イヤだよ。だって奈緒の恥ずかしがるところ見れないじゃん」
奈緒「おま、あたしを直接バカにするために写真を持って来させたわけ?」
加蓮「それもあるかな」
おい。
加蓮「うそうそ。普通に写真を手元に置いておきたかっただけ。これなら壁に飾っていつでも見られるでしょ?」
奈緒「それはそれで恥ずかしいんだけど……」
加蓮「そんな事ないって。この写真の奈緒なんてすごい可愛いじゃん、私好きだけどな」
ニヤニヤしながら言うんじゃない。
こいつ絶対あたしの反応見て楽しんでるだろ。
……まあ別にいいんだけどさ。
加蓮が元気になってくれるなら。
北条加蓮は昔から病気がちな女の子だった。
そのくせ気が強くて可愛げのない性格だったから友達も少なかった。
あたしも最初は「イヤなヤツ!」なんて思ってたけど、家が近所だったせいかよく声をかけられて、気づいたら頻繁に遊ぶようになってた。
しばらくそうやって付き合っているうちにあたしは加蓮を誤解してた事が分かった。
加蓮はイヤな奴なんかじゃなかった。
ただ他の子より少し大人びているだけだったんだ。
どこか達観していて冷めたような態度は同年代の子たちには敵意だと勘違いされやすかった。
病弱であまり外に出たがらないっていうのも印象として良くなかったのかもしれない。
確かにちょっと意地悪だったり強情な所もあったけど、あたしが転んで膝をすりむけば手を差し伸べてくれたし、親と喧嘩して家出した時もなぐさめてくれたりした。
加蓮は優しいんだなって言うと恥ずかしがってバシバシ叩かれたりした。
けどあたしはそういうのがなんだか楽しかった。
いつの間にかあたしたちは仲良くなっていた。
世間一般ではこういうのを幼馴染って呼ぶんだろうな。
そんな感じであたしは加蓮の友達第一号になり、第二号は今のところ(あたしの知る限りでは)現れていない。
加蓮はなぜか友達を欲しがらなかったから。
だから、病院までこうやってお見舞いに行くのは今も昔もあたしだけだった。
加蓮「ねえねえ、せっかくだし一緒に動画見ようよ」
奈緒「むりむりむりむり、絶対見ない!」
加蓮「えー」
奈緒「だいたい見て何が楽しいんだよ。素人のお遊戯会だぞ、あんなの」
加蓮「それがいいんじゃない」
奈緒「保護者かよ」
加蓮「保護者だよ? 奈緒の」
奈緒「よく言うよ。どっちかって言うとあたしが加蓮の保護者だろ」
加蓮「ふふっ、そうかもね」
それからあたしたちは色々な話をした。
夏休み何するのとか、宿題やばいとか、そんな事。
ちなみに芳乃はその間なにをしてたかっていうと、意外にもじっと大人しくしていた。
あたしに話しかけてくる様子もなくボーッとしてる。
珍しい事もあるもんだ。
ふと気になって加蓮に質問してみた。
奈緒「……なあ、加蓮って神様を信じてる?」
加蓮「は? いきなりどうしたの」
奈緒「いやなんとなく」
加蓮「神様かあ。う~ん、そうだなぁ……たとえ本当に神様が存在するとしても、私は信じないかな」
奈緒「どういう意味?」
加蓮「信じたら裏切られるかもしれないでしょ」
奈緒「あたしが言ったのは信仰心じゃなくて存在を信じるかどうかの話なんだけど……」
加蓮「同じことだよ」
なんだか色々と含みのある言い方だった。
まあ加蓮の性格からしてそう答えるのは当然だと思った。
非現実的な事にはまったく興味を示さないんだ、こいつは。
だからアニメとか勧めても全然見ようとしない。
ドラマは見るみたいだけど。
ていうか芳乃はこれ聞いてどう思うんだろう。
気を悪くしてないかな。
あたしは心配になってちらっと芳乃の方を見やった。
芳乃「……zzZ」スピー
寝てるし!
道理でおとなしいと思った。
加蓮「そういう奈緒は信じてるわけ? 神様」
奈緒「へっ? あ、ああ……今は一応信じてる。事になってる。一応」
加蓮「なにそれぇ、変なの。もしかしてヤバイ宗教に入ったりしてないよね?」
奈緒「んなワケないだろ」
実際のところは今まさに未知の宗教体験をしてる真っ最中なんだけどな。
まあ加蓮に説明したところで思いっきりバカにされるかめちゃくちゃ心配されるかのどっちかしかない。
あたしの横で神様が鼻ちょうちん膨らませながらうつらうつらしてるなんて言っても信じてくれないだろうし。
夕方になり、病院が少し慌ただしくなってきたのを感じてあたしは帰る支度をした。
加蓮「もう帰るの?」
奈緒「宿題やんなきゃいけないし」
加蓮はつまんなそうに口を尖らせた。
仕方ないだろ、病院に長居するわけにもいかないんだから。
そんな不満な顔をされても困る。
あたしと一緒にいる時の加蓮は結構子供っぽい所を見せたりする。
見た目によらず素直なんだよな。
ただ元の性格が少しとげとげしいだけで。
奈緒「寂しいんだろ」
あたしはからかうつもりでそう言った。
けど加蓮はベッドの上にぼうっと視線を落としたまま静かに、
加蓮「……うん」
と答えただけだった。
あたしは何も言えなかった。
加蓮はたまにこうやって弱音を吐くことがある。
まるであたしに背後からしがみ付いてくるみたいに。
加蓮「……なーんてね」
そして次の瞬間には自分の言葉を嘘にしようとする。
馬鹿真面目に受け止めるあたしをからかってごまかそうとする。
でもあたしにはちゃんと分かってるんだ。
どっちが加蓮の本音かなんてこと。
奈緒「……大丈夫だって! もうすぐ退院できるんだろ? そしたらまたどっか遊びに行こう」
加蓮「えー、暑いからヤダ」
奈緒「わがまま言うな」
加蓮は笑いながら「じゃあね」と言ってベッドからあたしを見送った。
病室から出ると夕暮れの西日が廊下を真っ赤に照らしていた。
芳乃が慌てるように扉をすり抜けて付いてきた。
「帰るぞ」
「でしてー」
なんでだろう。
今は芳乃がそばに居てくれるのがちょっとだけ嬉しかった。
○ ○ ○
長い一日がようやく終わろうとしていた。
夜、夕飯を食べてお風呂に入ってやっと自分の部屋でゆっくりできるようになると思い出したように疲労が体に響いてきた。
少し勉強しようと思ったけどやめたやめた。
疲れたし暑いしやる気が出ない。
芳乃「しゃきっとするのでしてー」
奈緒「んなこと言ったってさあ……」
誰のせいでこんな疲れたと思ってるんだ。
振り回されるこっちの身にもなってくれ。
結局、この日芳乃が大人しくしてたのは病院の中だけだった。
何かあるたびにひょいひょい動いて話しかけてくるから宿題をしようにも全然捗らない。
そのくせ妙に小言が多いというか、若干上から目線なのが腹立つ。
これが神様でなかったら引っぱたいてるところだ。
まああたしももう慣れたもんで、今は適当に聞き流してるんだけどな。
自分の適応力を褒めてやりたいよ。
奈緒「そういや芳乃、ほんとにあの病院には何も居なかったのか?」
芳乃「わたくしの感じる限りではー」
奈緒「加蓮に悪い霊が取り憑いてたりとか、無かったんだな?」
芳乃「何度も言うようにー、あの娘は生来の体質で体が弱いのであってー、霊魂に取り憑かれているわけではありませぬー」
あたしが病院を出てから芳乃に幾度と質問した事だ。
もし加蓮の病弱な体の原因が霊的な存在によるものだったら人間にはどうすることもできない。
とは言っても芳乃が否定してる以上、あたしの考えすぎだって事は分かっていた。
神様が大丈夫って言ってるんだから大丈夫なんだろう。
たぶん。
でも実はこの"たぶん"って奴が厄介で、あたしは芳乃の態度から妙な違和感を抱かずにはいられなかった。
嘘を言ってるようには見えないんだけど、何か隠し事をしてるような感じ……う~ん、上手く説明できない。
根拠なんか全然なくて、ただ直感でそう思ってるだけなんだけど……。
芳乃「気のせいでしてー」
思い過ごしかなぁ。
まあいっか。
ちょっと早いけど今日はもう寝よう。
奈緒「……あたしが寝てる間に体を乗っ取ったりしないよな?」
芳乃「したくてもできませぬゆえー」
芳乃は床にぺたんと座ったまま何をするでもなくあたしの方をぼーっと見ていた。
部屋の電気を消すと暗くなった部屋に芳乃の姿がうっすらと浮かび上がって一瞬びっくりした。
窓から差す月明かりに当てられているだけだったんだけど、暗がりの中でそういう光景を見てしまうと本当に幽霊みたいでちょっと怖い。
そしていざベッドに横になって眠ろうとしても案の定なかなか寝付けなかった。
だって真横に幽霊みたいなやつが鎮座してるんだぞ?
落ち着かないったらありゃしない。
こうやって静かになると芳乃という存在の異常さを改めて実感してしまう。
……これ、いつまで続くんだろう。
まさかとは思うけどあたしが死ぬまでずっとくっついてきたりしないよな?
今日一日で慣れたとは言え、これが毎日続くようだとさすがに困る。
夏休み明けたら学校だってあるし。
一応、芳乃は縁結びの呪いを解けばいいって言ってたな。
確かあたしの悩みを芳乃が解決すれば縁が切れるとも。
でもぶっちゃけ大した悩みなんて無いんだよな……あったとしても進路とか勉強とかその程度だし。
どうせならあたしじゃなくて父さんに取り憑いて真人間に矯正してやって欲しいくらいだ。
奈緒「…………」
あれ、普通ならこの辺で芳乃があたしの心を読んで何か言ってくると思ったのに。
もしかして寝てるのかな。
そもそも神様に睡眠って必要なんだろうか。
病院では目を閉じて静かにしてたけど。
芳乃? ……返事しないって事はやっぱり眠ってるのかな。
外で鳥が寂しそうに鳴いている。
少し涼しい風が網戸から吹いてくる。
あたしはだんだん心地良いまどろみの中に沈んで行って……
…………――――。
――いつの間にかあたしは眠っていた。
変な夢を見た。
巨大な猫に追いかけられる夢。
あたしは必死になって逃げるんだけど他の仲間たちはどんどん食べられてしまう。
そんなあたしもとうとう壁に追い詰められて、助けてくれって叫ぶけど猫は知らん顔で鋭い爪を振りかざした。
その時、空から一羽のうさぎが舞い降りてきた。
そして円盤みたいな道具をかざすと巨大猫は悲鳴を上げて退散し、あたしは命拾いをした。
でも仲間はみんな死んでしまった。
たった一人残されたあたしは悲しくなった。
そしたら天のうさぎが魔法を使ってあたしに一人の友達を与えてくれた。
それは加蓮だった。
あたしと加蓮は四角い箱みたいな森に連れて行かれて、そこで二人っきりで暮らし続けた。
気が付くと芳乃も一緒に居た。
するとある日突然、芳乃が加蓮をさらってどこかへ行ってしまった。
あたしはそれを追いかけようとするけれど上手く足が動かなかった。
どうにか頑張って加蓮と芳乃をつかまえようと手を伸ばす。
その時、空からうさぎが現れて円盤をラジカセにセットした。
流れてくる音楽に合わせて芳乃が踊り始める。
それを見たあたしは急に怖くなって、
そんな夢。
芳乃「そなたー、朝でしてー」
奈緒「ん…………」
昨日と同じように芳乃に起こされた。
けど昨日と違ってもう驚いたりすることはない。
ベッドから降りて伸びをする。
珍しくすっきりした目覚めだった。
ぼんやりする目をこすりながら時計を見る。
6時。
空は朝日の名残でまだ白く、夏の涼しい空気が気持ちよかった。
あたしはパジャマのまま一階に下りた。
いつもなら二度寝する所なんだけど今朝のあたしは不思議と気分が高揚してた。
ポストに投函されていた新聞を回収して朝ごはんの準備を始める。
せっかく早起きしたんだし、簡単なサラダでも作ろうかな。
トーストに味噌汁は合わないからコンソメスープにしよう。
冷蔵庫の中を見る。うん、ベーコンもあるし目玉焼きもいけるな。
我ながら完璧な朝食だ。
それで適当な時間になったら父さんを起こしに行こう。
鼻歌でも歌いたい気分だった。
なんだか良い一日になりそうな気がする。
――思い返してみれば、この時のあたしの奇妙な満足感は、芳乃という未知との遭遇を果たし、それに慣れた事でひと夏の経験を終えた気になっていただけだったのだ。
あたしの本当の摩訶不思議アドベンチャーはまだ終わってなかった。
夏の最初の日、神様との出会いはその出発点に過ぎなかったのだ。
あたしと芳乃の二日目の夏は、ある新聞記事の見出しから始まる。
芳乃「……奈緒ー」
エプロンを着ようとしていたあたしは芳乃の声のする方を振り向いた。
テーブルの上に無造作に置かれた地方紙の一面をじっと見つめている。
何気なく覗き込んでみると、その一面の片隅にこんな記事が書かれてあった。
<美城神社で出火、本殿が半焼>
8月○日午後10時ごろ、市内××町美城山のふもとにある美城神社で火災が発生したと通報があった。火はおよそ2時間で消し止められ、木造平屋建ての本殿が半焼した。この火災によるけが人はいなかった。美城山は関東有数の山岳信仰として崇められ、千川富士の名でも親しまれてきた。近年では登山客が増え、この夏ではそれに伴う遭難、水難事故も多発しており――
今日はここまで
また明日
芳乃はどうして自転車に乗れるのでして?
>>60
その辺の理屈はあまり深く考えてません
なんとなく乗るフリをしてるだけという感じで……
もう少ししたら再開します
○ ○ ○
奈緒「はあ、はあ……芳乃、ちょっと待てってば……ふぅ」
芳乃「若いのに体力がないのでしてー」
奈緒「お前と違ってこっちは生身の体なの! 小一時間も山道を歩けば誰だって疲れるに決まってるだろ……」
あたしは誰も居ない道の木陰にどかっと腰を下ろして「きゅーけー!」と叫んだ。
道の先で芳乃が呆れたように振り返ってあたしの方を見ていた。
芳乃「さっきも休憩したのでー」
小言を言ってくる芳乃は放っておいて、あたしは家から持ってきた水筒を開けて冷水を喉に流し込んだ。
こんなに長く歩くハメになるとは思ってなかった。
山のふもとだって聞いて楽観視してたのを後悔する。
横で芳乃がもどかしそうにあたしが歩き出すのを待っていた。
今朝、新聞記事を読んだ芳乃がいきなり美城山に行くと言い出したのが事の始まりだった。
態度はあくまで落ち着いていたけど、珍しく不安そうな表情をしていたからあたしも「行かない」とは言えなかった。
まああたしとしても芳乃の故郷が少し心配だったし、それに美城山に戻ることでこの縁結びの呪いもどうにかできるかもしれないって期待もあった。
ぶっちゃけ今日は他にする事もなかったし(夏休みの宿題は置いといて)、朝食を食べて父さんを早めに会社に送り出してから急いで準備したんだ。
その時はまさかこんな登山じみた事をするとは想像してなかった。
スマホで調べると電車で二駅、そこから出てるバスに乗ればすぐだって言うから何の疑問も抱かず家を出発したんだけど、これもあたしの計算違いだった。
なんで最寄りの停留所から歩いて山をひとつ超えなきゃいけないんだ。
最寄りってなんだ。
そもそも誰だ、こんな場所に神社を建てた奴は。
芳乃「あの社が建てられたのはだいたい500年ほど前でしてー、それより以前は小さな社がひとつだけだったのを道明寺の者が本殿など新しく建立したのですー」
奈緒「へえ~」
芳乃「今や参拝客の足も遠のき氏子も離れ祭事は長らく行われていないと聞き及んでおりますゆえー、氏神の一柱としてわたくしも内々憂慮する日々でしてー」
奈緒「ふ~ん」
芳乃「そもそも美城神社は平安は藤原の時代ー、流罪にあった権門勢家のとある一子藤原肇がここ東国千川地方で再興するために建立したもののひとつでー……――」
奈緒「そうなのかー」
あたしは芳乃の歴史解説をBGMにしてぼーっと森の景色を眺めていた。
今日は昨日ほど湿度が高くないから不快指数的にはまだマシだけど、それでも暑いことに変わりはない。
ここまで来たら中途半端に座り込んで休憩するよりさっさと目的地に着いた方が楽かもしれない。
あたしは自分にそう言い聞かせて重たい腰を持ち上げた。
そして歩き出そうとしたその時だった。
いつの間にか行く手のすぐ先に見知らぬ人が二人、立っていた。
まるで幽霊みたいに存在感がなくてすぐには気付かなかった。
あたしは最初、参拝客か登山客かなと思った。
でもよく見てみると片方は子供みたいに小さくて、ぼろぼろの布を身にまとっていた。
もう片方は普通の服を着ている。スラっとした銀髪の若い人。
たぶんどっちも女の子だと思う。
それに……何だろ、気のせいかな。
あの二人、こっちを指差したまま驚いたみたいに口をあんぐりさせてる。
あたしの後ろに何かいるのか?
恐る恐る振り返ってみるけど、芳乃が相変わらず美城にまつわる歴史をぐだぐだ解説している以外には何もない、ただの山道だ。
まさか二人とも芳乃の姿が見えてるわけでもないだろうし……なんて不審に思ってると、ふいに芳乃が黙った。
そして、
芳乃「乃々ー! 周子ー! 奇遇でしてー」
2人に向かって手を振った。
奈緒「えっ? 芳乃の知り合い?」
……ん? ちょっと待てよ。芳乃が声をかけたって事はこの2人とは顔見知りで、それはつまり芳乃の姿が見えるって事で……
なんて事を考える隙もなく次の瞬間、
乃々「芳乃様ぁぁぁ!」
ちっこい方が叫びながら芳乃に抱きついてきた。
あたしは思わず「うおっ」と後ずさりする。
乃々「『奇遇でしてー』じゃないんですけど! すっごく心配したんですからぁ……!」
芳乃「止むに止まれぬ事情があったのでしてー」
奈緒「??!!??」
わけがわからない。
まず、この子はなんで芳乃が見えてるんだ?
っていうか芳乃に抱きつくって、え?
芳乃「どうやらひどく心配をかけさせてしまったようでー」
周子「ほんとだよ。しかも帰ってきたと思ったら……とんだサプライズもあったもんで」
あたしよりちょっと年上っぽい銀髪の子はそう言いながらまるで死人を見るみたいな目であたしを凝視していた。
な、なんか怖いんだけど……。
奈緒「……芳乃。この人たち、誰? 説明してくんない?」
乃々「説明してほしいのは、こ、こっちなんですけど……!」
芳乃に抱きついたままの子が恐る恐るあたしの方を振り向きながら言った。
乃々「な、なんで……死んだはずの人間がここにいるんですか……!?」
――あたしはここに来てようやく悟ることになる。
あの日、どうしてあたしと芳乃が縁結びの呪いなんてものにかかってしまったのか。
神様たちの世界に足を踏み入れるという事がどういう意味なのか。
世の中には知らない方が良いこともある。
けど、こればっかりは知らないで済む問題じゃないみたいだ。……
……今、あたしは正体不明の霊的存在約2名および半霊的存在約1名と一緒になって山道を登っている。
自分でも何を言ってるんだか分からないけど、事実なんだから仕方ない。
情報を整理しよう。
まず、ちっこい女の子。
名前は森久保乃々といって、神様ではなく森の精霊だと自称していた。
あたしにとっては神様だろうが精霊だろうが知ったこっちゃないんだけど、乃々は妙にそこに拘っているみたいだった。
曰く、乃々たち精霊は山の神である芳乃の加護の元で暮らしているから、少なくとも神様と同列に扱われる事は芳乃に対する不敬にあたるんだとか何とか。
そして少し困った事に、乃々はどうやら人間を嫌っているらしかった。
「芳乃様が穢れてしまうんですけど……」って言いながら常に芳乃を守るようにあたしと距離を取って歩いてる。
なんでか知らないけど、めっちゃ傷つく。
それから、さっきから妙に楽しそうにあたしをジロジロ眺めてる銀髪の女の子。
飄々とした態度で「周子でいーよ」って言いながらあたしに握手を求めてきたのにはびっくりした。
ほとんど流されるみたいに「よ、よろしく」って握手を返した後に気付いた。
触ることができたのだ。
つまり、この周子という人は人間だった。
てっきり乃々と同じ精霊か何かだと思ってたあたしは拍子抜けして、それから少し安心した。
あたし以外にも神様の姿が見える人間がいるんだなって。
そんな感じですっかり警戒心を解いたあたしは、周子に質問してみたんだ。
奈緒「周子も芳乃の姿が見えるんだよな?」
周子「ん? そりゃまあ見えるけど」
当たり前でしょ? みたいな顔で返事された。
いやいや、フツーの人は神様とか幽霊の姿は見えないから……と心の中で突っ込む。
すると、
周子「何か勘違いしてるみたいだから一応言っておくけど、あたしも芳乃と同じなんだよね。あんたが言う所の神様ってやつ」
奈緒「……へ?」
周子「しかも芳乃よりずっと偉い」
奈緒「……マジ?」
周子「マジマジ、大マジ」
あたしの顔が途端に引きつるのを見て周子はケラケラ笑っていた。
周子「ま、気負わんでええよ。これも何かの縁ってことでサ、仲良くやっていこうよ」
あまりにあっけらかんとしてるからその言葉をどこまで信じたらいいか分からなかった。
あたしをからかうために嘘を言ってるようにも思えた。
でもそうやって笑っている周子の目は全然笑ってなかった。
凍るような感覚が背筋をぞくりと走った。
周子はこの茹だるような暑さの中でも汗ひとつかいてなかった。
そんな得体の知れない奴らと一緒に歩き続けること十数分。
あたしたちはようやく目的地に着いた。
奈緒「これがその美城神社?」
鳥居をくぐり、汗をぬぐいながら境内を見渡す。
[KEEP OUT]のテープにぐるぐる巻きにされた無残な姿の建物がそこにあった。
焼けずに残った部分を見る限り、結構立派な神社だったみたいだ。
真っ黒に焦げた跡がちょっと痛々しい。
ここまで焼け落ちたらもう取り壊すしかないよなあ。
芳乃「……………………」
芳乃はさっきからずっと黙ったままだ。
やっぱりショックなんだろうか。
ちゃんと話を聞いてなかったけど、たぶんこの神社で芳乃が祀られてたんだろうし。
周子「そーいや神主さんはどこ行ったの?」
乃々「か、仮遷宮でしばらく山を降りているみたいなんですけど……」
芳乃「歌鈴殿はー……?」
乃々「歌鈴さんもたぶん一緒かと……」
芳乃「そうですかー……」
周子「まあ気の毒だったね。でも元々オンボロだったんだし、建て替えるには丁度良かったんじゃないの」
乃々「そ、その言い方はあんまりなんですけど……」
周子「拠り所なんて在っても無くてもおんなじだって。気にするほどの事じゃないよ」
乃々「うぐぐ……そ、そもそも周子様がしっかりしていれば災厄だって未然に防げたはずなんですけど……」
周子「えー、だって芳乃んが山を離れるのが悪いんじゃーん」ブーブー
乃々「芳乃様は悪くないんですけど!」
芳乃「まーまー2人と落ち着くのでしてー」
なんだなんだ。
あたしを置いてけぼりにするな。
急に乃々と周子がわけのわからない喧嘩をし始めた。
「だいたい周子様はいつも……」だとか「そんなん言われても」とか。
芳乃がなだめようとするけどあんな調子だから全然効果がない。
そして完全に部外者のまま真夏の太陽の下で一人取り残されるあたし。
なんなんだよもう。
神様だかなんだか知らないけど、いい加減うんざりだ。
奈緒「ちょっと待てお前ら。……ちょ、待てったら! あ~ッもう! 三人ともそこに直れ!」
思わず怒鳴ってしまうと、三人は目を丸くして驚いたようにあたしを見つめた。
奈緒「……お、オホン。喧嘩をするのは良くないぞ」
何を説教かまそうとしてるんだ、あたしは。
そうじゃなくて。
奈緒「それより、説明してくれ。あんたたちは一体何者なんだ? 他にも神様がたくさんいるのか? なんだってさっき物珍しそうにあたしを指差してたんだ? 死んだはずの人間ってどういうことだ?」
さっきから気になってしょうがなかった質問を一息にまくしたてた。
すると乃々と周子が一斉に芳乃の方を見た。
芳乃は急にみんなの視線を受けてびっくりしたみたいにキョロキョロしていた。
乃々「芳乃様、私もその、説明が欲しいんですけど……」
周子「はーい、シューコちゃんも気になる事がありまーす」
どうやら全ての鍵は芳乃にあるらしい。
あたしと乃々と周子の三人は答えを求めて芳乃に詰め寄った。
芳乃「うむー……やはり言わなければなりませぬかー」
そのもったいぶった言い方は明らかに何か隠し事をしていたという風だった。
なんだよ、やっぱりあたしに秘密にしてた事があるんじゃないか。
これ以上あたしの心を凹ませないでくれ。
芳乃「奈緒、わたくしは決してそういうつもりではなくー……言おうかどうかずっと迷っていたのでー……」
奈緒「……まあいいよ、気にしてないから。とにかく教えてくれよ、でなきゃあたしも判断しようがない」
芳乃「ふーむ……それでしたらお話ししましょうー」
芳乃が改まったようにあたしに向き直って口を開いた。
芳乃「神谷奈緒、そなたは我々たぬき一族の最後の生き残りで、つまりわたくしの子孫にあたる子なのですー」
……?
今、なんて言った?
あたしが、誰の子孫だって?
あたしたちは拝殿の日陰になってる場所に座り込んで芳乃の話を聞いた。
それから芳乃は立て続けに衝撃の事実を口にした。
のんびり口調のままだと分かりにくいから、かいつまんで要約するとつまりこうだ。
芳乃がかつて人間だった頃(今からだいたい千年前)、この山にはたぬき族ときつね族が住んでいて縄張り争いをしていた。
それぞれの村には百年祭という伝統的な豊穣の祭祀があり、そこでは巫女を生贄に捧げるしきたりがあった。
たぬき族は依立良之神(よりたてのよしのかみ)を、きつね族は塩美宇狐之姫神(しおみうこのひめ)をそれぞれ祀っていて、要するに生贄に捧げられた巫女は体を神様に乗っ取られるってわけだ。
厳密には違うけどこういうのを神降ろしって呼ぶらしい。
芳乃は一族生粋の血筋である依田家の六女として生まれて、まあ本人が言ってた通り村一番の踊り手として幼い頃から神楽を舞っていたんだと。
そして百年祭が執り行われる事になった時、その生贄に当時十二歳だった芳乃が選ばれた。
よくある話で、芳乃が生贄になると決まっても家族は誰も悲しんだりせず、むしろ名誉な事だと喜んだ(って乃々が横から付け加えた)
あたしは全然納得できなかったけど話の腰を折るわけにはいかないからとりあえず黙っておいた。
そんなわけで、神降ろしに成功した芳乃の肉体は朽ち、正真正銘の神霊になった。
同じ時期に周子も神降ろしの儀をやって、たぬき族ときつね族は晴れて新しい神様を迎えることができた。
それでやる事が種族間の抗争っていうんだから呆れる。まあそれはいいや。
問題はここからで、芳乃と周子が神体に選ばれてから数年経ったある日、事件が起きた。
近隣大国の侵略によって美城山のたぬき族ときつね族が皆殺しにされたのだ。
奈緒「み、皆殺し?」
一気に血生臭い話になってあたしは眩暈がした。
周子「そそ。伝承では神の怒りに触れた山の民が一夜にして全員神隠しにあったって事になってるけどね」
この地域では『永夜伝説』と呼ばれている言い伝えらしい。
死人に口なしというか、一方的に虐殺した大国側が都合よく作り上げた嘘の歴史だ。
周子「この話、詳しく聞きたい?」
奈緒「いや、いい。もう既に気分が悪い」
本筋に戻ろう。
村の人は女子供関係なく全員殺されたんだけど、たぬき族でたった一人、生きて逃げ延びた人がいた。
それが芳乃のひとつ上の姉である"菜穂子"という人の息子で、つまり芳乃から見て甥にあたる人だ。
ま、長くなったけどつまりそういう事。
あたしはその唯一生き残った依田家の直系の子孫だと言うのだ。
奈緒「……話はなんとなく分かったけどさ。でもなんであたしがその子孫だってなるわけ? 証拠も何もないのに」
芳乃「瓜二つなのでしてー」
奈緒「へっ?」
芳乃「奈緒の姿を一目見た時からわたくしは確信しておりましたー。そなたは姉の菜穂子の生き写しなのですー」
奈緒「そ、それが根拠なの?」
芳乃が深々とうなずいて答えた。
奈緒「ただ似てるからって、それはいくらなんでも強引なんじゃ……」
周子「いや。その説はあたしも支持する。だってキミ……奈緒って言ったっけ? もう本当になお姉の顔そのまんまなんだもん」
乃々「私も最初びっくりしたんですけど……本当に菜穂子様が生き返って姿を現したのかと……」
菜穂子さんねぇ……知らない人とそっくりだと言われてもピンと来ないんだよなあ。
しかも千年以上昔の人だろ?
似てるって言われても反応に困る。
周子「でもさ、性格は全然なお姉と違うよね」
芳乃「姉上と違って奈緒はガサツなのでしてー」
乃々「下品な所は似ても似つかないんですけど……」
奈緒「お、お前ら言いたい放題言いやがって……!」
人を小馬鹿にするのも大概にしとけっての。
……まあ千年近く生きてる神様に腹を立ててもしゃーないか。
芳乃とか周子を見てると思う。
やっぱり神様って言うだけあって不思議な貫禄があるんだよな。
なんつーか、押しても引いても全く手ごたえを感じないというか、例えるなら寝る前に宇宙の広さを想像して自分がいかにちっぽけな存在か悟るみたいな。
芳乃「根拠は他にもありましてー。そなたの父上を見てますます確信しましたー。あれは間違いなくたぬき族の末裔なのでしてー」
奈緒「どういうこと?」
芳乃「たぬき族の男は生来の豪傑でしてー、中でも名を馳せる者は大抵とびきりの変人というのが我々の村での常だったのですー」
奈緒「へ、変人……」
芳乃「そして極めつけはあの太い眉毛でしてー。たぬき族の濃い血を受け継いだものの特徴なのですー」
確かに芳乃の言う通り、父さんは男らしい太い眉をしている。
かくいうあたしもその遺伝子を受け継いでいて、眉だけじゃなく全体的に毛が濃いんだ。
女子としては恨めしい事この上ない。
芳乃「姉上も似たような濃い眉の持ち主でしたがー、奈緒とは違って慈母観音が如き柔らかな眼差しの才女でしてー、村中の者から慕われておりましたゆえー」
奈緒「はいはい、どーせあたしは目つきが悪いですよ」
その辺はわりと自覚してるのでムカつくというよりはむしろ虚しい。
しかしどうも話を聞いてると菜穂子さんに関する話題がこの三人の共通項みたいな印象を受ける。
周子「なお姉にはあたしもお世話になったからね~」
奈緒「……あれ? そういえば周子は元々きつね族なんだよな?」
周子「うん」
奈緒「てことはたぬき族と喧嘩してたんじゃないの? なんでその菜穂子さんって人と仲が良いわけ?」
周子「う~ん……簡単に言うとロミオとジュリエットみたいな感じ」
乃々「そんなろまんちっくな関係じゃなかったと思うんですけど……」
曰く、きつね族とたぬき族の因縁は周子たちの先々々々々代くらいからずっと続いていて、その状態があまりに長引いたから周子の代ではほとんど慣習化した抗争の形を取っていたに過ぎないんだと。
そうは言っても違う種族の者同士が密会なんかしたら大問題になるからって周子と菜穂子さんは夜中にこっそり逢引きしてたらしい。
乃々「周子様が一方的に菜穂子様にちょっかいをかけていただけなんですけど」
周子「えー、そんな事ないと思うんやけどなあ」
芳乃「姉上は争いを好まず平和を愛する大変立派な方だったのでー、その時から狐狸の因縁を解消できはしないかと一人辛労を尽くしていたのですー」
奈緒「つまり周子と菜穂子さんはふたつの種族の架け橋になろうとしたって事か」
周子「あたしはそんな事カケラも考えてなかったけどね~」
そこは嘘でも「そうだ」って言っとけよ! イイハナシになるかと思ったのに。
でもそう考えると尚更切ないよな。
せっかく菜穂子さんが頑張って間を取り持とうとしたのに最終的にみんなと一緒に殺されちゃったわけだし。
芳乃「姉上が死んだのは例の永夜伝説とは関係ありませぬー」
奈緒「え? そうなの?」
乃々「それより前に、こ、殺されたんです……きつね族の連中に」
奈緒「……は?」
周子「…………」
その話の顛末は周子が語ってくれた。
これがまた気の滅入る話っていうか、悲劇的すぎてあたしまでちょっと泣きそうになるくらいだった。
当時、菜穂子さんは危険を冒してまで自分に会いに来てくれる周子に申し訳ないという思いから、今度は自分が周子の元へ行くと言い出したそうだ。
周子「なお姉もおしとやかに見えて案外好奇心旺盛な所があったし、興味本位って理由もあったんだろうね」
ある意味では冒険心からそういう行為に及んだのかもしれない。
そして結果、きつね村に侵入した事がバレて菜穂子さんは拘束された。
周子が菜穂子さんのためにあらかじめ用意していた進入経路は全部きつね族の大人たちに見破られていたらしい。
夜な夜な周子がたぬき村に出かけている事もとっくにバレていて、要するに周子は知らずに泳がされてたってわけ。
狡猾で疑り深く残忍なきつね族は菜穂子さんを敵だと認めると容赦しなかった。
そして周子が異議を唱える暇もなく、彼女は死刑に処されたのだ。
ここまで聞いたあたしは胸糞悪くて思いっきり悪態をつきたい気分だった。
ところが芳乃がそれを制して「大昔の話でしてー」なんて言う。
あたしはやりきれない気持ちでいっぱいだった。
話を戻そう。
この処刑がきっかけで冷戦状態だった狐狸戦争は熾烈化した。
皮肉なことに、菜穂子さんは村でも一番慕われてる人だったから尚更反発が強かったんだろう。
そして百年祭で神楽を舞う第一候補だった菜穂子さんの代わりに幼い芳乃が選ばれた。
周子はきつね族の裏切り者として巫女に仕立て上げられ、豊穣の生贄になった。
芳乃と周子が神霊になってからもふたつの種族のどうしようもない争いは続いた。
それに終止符を打ったのが例の永夜伝説で、愚かな山の民は大国によって滅ぼされたってお話。
周子「めでたしめでたし」
奈緒「ちっともめでたくなんかないだろ!」
あたしはつい大声を出してしまった。
なんだよそれ。
こんな悲しい話があってたまるか。
だいたい、なんで周子は平気そうにしゃべっていられるんだ?
聞いてると菜穂子さんが殺されたのはほとんど周子のせいみたいなもんじゃないか。
芳乃「周子は悪くないのでしてー」
思いがけない所からフォローが入った。
いつの間にか興奮して立ち上がっていたあたしの足元を静かに見つめながら芳乃は言った。
芳乃「きつね族もたぬき族も血の気の多い種族でしてー、加えて因縁浅からぬ歴史とあればー、姉上の行動もやや軽率だったと思わなくもありませぬー」
奈緒「なっ……自分の姉さんが殺されたんだろ!? なんで怒らないんだよ!?」
芳乃「大昔のことでしてー。それに今さら周子を責めたところで何になりましょうぞー」
そりゃ芳乃にしてみればそうかもしれないけどさ……ご先祖様にまつわる話なら少なからずあたしにも関係あるわけだし。
あたしは腹に据えかねてなんでもいいから罵りたい気持ちだった。
けど芳乃の優しく諭すような眼差しを受けるともう何も言えなかった。
芳乃「わたくしと周子の仲でしたら心配ありませぬー。我々もとうの昔に怨恨確執といったしがらみは捨て置きましたゆえー」
周子「そそ、芳乃んとはもうすっかり仲直りしたもんね♪」
そう言って周子は横に座っている芳乃を軽く持ち上げて自分の膝上にちょこんと置いた。
ちっちゃい子供を可愛がる女子高生みたいな感じで。
ひょいと抱えられた芳乃は「ふぇ~」とか変な声を上げて為すがままにされている。
その光景が妙に微笑ましくて、いきり立っていたあたしの心も少しずつ緩んでいった。
乃々が「あまり芳乃様をいじめてほしくないんですけど……」と言うと、周子が「じゃあ乃々ちゃんをいじめちゃお」なんて言って襲おうとしたから、乃々は「ぴゃああああ!」とか叫びながら走って逃げてしまった。
そんな感じで神様と精霊の追いかけっこが始まり、あたしと芳乃は日陰に腰掛けながらそれを眺めていた。
なんていうか、周子って神様というわりにやたら自由奔放なんだな。
パッと見ではあたしとなんら変わりない普通の女子高生としか思えないのに、あれで神様か……。
芳乃「さきほどはああ言いましたがー、周子も未だに少し困ったところがあるのでー」
奈緒「ふーん……?」
芳乃「もう何百年と神無月の出雲集会を欠席しているのでー、稲荷神様にはほとほと呆れられているのですー」
奈緒「出雲集会?」
アレか、確か10月、神無月に日本中の八百万の神々が出雲に集まるっていう奴。
芳乃「そなたからも出席するよう忠告してやって欲しいのですがー」
奈緒「なんであたしが!?」
芳乃「菜穂子に似ているそなたに言われればー、周子も改心するかもしれませぬゆえー」
奈緒「どーゆー理屈だよ……」
芳乃「それから乃々に悪戯を仕掛けるのもほどほどにしてやって欲しいのでー、ある時などおふざけでやった除霊で乃々が消えかかった事がありましてー」
奈緒「そういうのは本人に言えよ」
芳乃「言っても聞かないのでー」
奈緒「……ほんとにお前ら仲良いのか?」
芳乃「…………おそらくー」
そんな会話をしていると追いかけっこに飽きた周子が戻ってきた。
乃々はどこかに隠れたまま出てこない。
完全に放置プレイだ。
周子「出雲集会? あんなん面倒臭くてやってらんないよ。交通費だってバカにならないんだし」
奈緒「神様も電車とかに乗って行くのか?」
周子「まあ数は少ないけどそういう奴も居るね。芳乃はその辺コネがあるから楽チンだよねー」
なんと芳乃は毎年龍神様に乗せてもらって出雲まで行っているらしい。
まんが日本昔話のオープニングかよ。
しかも似合ってるからずるい。
芳乃「しかし今年はどうなるやらー……奈緒と一緒に行くわけにもいかないのでー」
そうか、10月までに芳乃と繋がってるこの呪いを解かないと芳乃としても困ることになるんだな。
あたしだってわざわざ神様の集会になんざ行きたくない。
周子「縁結びの呪いだっけ? フーン……」
奈緒「周子、どうにかできないか?」
あたしが思いついて尋ねてみても、周子は興味なさそうに「さあ?」って言うだけだった。
揃いも揃って頼りにならん神様たちだ。
芳乃「周子はいまだに人里で暮らしているのでしてー?」
周子「んー、そだね。やっぱり下界は飽きないから」
芳乃「嘆かわしい事ですー。まがりなりにも美城山二大神の一方を担う者というのにー。そなたはもう少し土着神としての自覚を持つべきでしてー」
周子「言うて芳乃も初めて山を降りて楽しかったでしょ?」
芳乃「確かに中々興味深くはありましたがー、それとこれとは話が別でしてー」
周子「芳乃も相変わらずお堅いなあ。肩肘張らずにラクにいこうよ」
芳乃「そもそもわたくしがここを離れたら誰が山を守るのでー」
芳乃が次第に説教臭くなっていくのを周子がのらりくらりとかわしていく。
でも実際、こんな何もない山の中に何百年もいたら飽きると思う。
そういう意味では周子の言ってる事の方が感覚的に理解できる。
まあ事情を知らないあたしが口を挟める話じゃないから黙ってるけど。
あたしは二人の世間話を聞きながら段々空腹を感じはじめていた。
時計を見るとまだ10時を少し過ぎたくらい。
今日はやたら時間の進みが遅い気がする。
奈緒「……なあ、もうそろそろ帰らないか?」
声をかけると芳乃はキョトンと首をかしげた。
どこへ帰るのか一瞬理解できないみたいな顔をして、それからすぐ思い出したように立ち上がった。
周子「あ、もう行っちゃうの?」
芳乃「奈緒はこれから勉強しなければなりませぬゆえー」
いや、別にそんなつもりで言ったわけじゃないんだが。
いつからお前はあたしの教育係になったんだ。
周子は「へえ、偉いね」なんて感心してるんだが馬鹿にしてるんだか分からない言い方をした。
周子「ま、あたしも用事あるし一緒に降りるよ」
芳乃「乃々ー? どこに居るのか存じませぬがー、我々はもう帰りますゆえー、あとはよろしく頼んだのでー」
……返事がない。
本当にどこかへ逃げて行ってしまったみたいだ。
周子「ちょっち弄りすぎたかな」
まったく反省してない様子の周子に芳乃が呆れたような溜め息をついた。
ちょうど空に雲がかかり涼しくなったのを機にあたしたちは山を降りた。
不思議なのは、鳥居をくぐって出た瞬間、今まで静かだったセミたちが一斉に鳴き出した事だった。
というよりむしろセミたちの鳴き声に今初めて気付いたような感じ。
それから遅れて草土のむっとするような臭いと、地面を踏みしめる足裏の確かな感触。
夢から醒めたみたいに現実が急速に認識され始める。
そして思い出したように汗がドッと噴き出てきた。
ああ、そっか。
鳥居は神の世界と人間界とを隔てる結界の門だって聞いたことがある。
あたしはやっと気が付いた。
これが神隠しって奴なんだ。
○ ○ ○
怒涛の一日だった。
山を降りて最初の出来事。
あたしたちは少し早い昼飯を食べにいくことにした。
周子の提案で駅前のラーメン屋に入ったんだけど、何を思ったのか芳乃が「わたくしも食べるのでー」とか言い出した。
たぶん仲間外れにされたくなかったんだろう(って周子が言ってた)
あるいは同じ神様として対抗意識があったのかもしれない。
もちろんあたしは「どうやって食べるつもりだよ」なんて半笑いでつっこもうとした。
けど次の瞬間、店員さんが三人分の水を持ってきて芳乃にオーダーを尋ねた時はさすがに目を疑った。
芳乃「この……とんこつらーめんちゃーしゅー特盛り? とやらをいただけますでしょうかー」
店員は三人分の注文を取ると平然と厨房へ戻って行った。
驚きのあまり固まってしまったあたしの分は周子が適当に注文してくれた。
少ししてやっと我に返ったあたしは恐る恐る芳乃の体に触れてみた。
ぺたぺた。
むにむに。
芳乃「くすぐったいのでー」
さ、触れる。
人間みたいだ。
芳乃「本来であればー、神体は気安く顕現してはならないのですがー、奈緒のお供え物とあればやむを得ませぬー」
奈緒「誰もお供えするなんて言ってないけど!?」
要するにあたしに奢れって言ってるわけ?
芳乃は顔を逸らしてごまかすように鼻歌をうたった。
コイツ、あくまですっとぼけるつもりか。
周子「あたしも今お金ないからよろしくー♪」
奈緒「……いい加減にしないと本気で怒るぞ」
とか言いながら結局ぜんぶあたしが支払うハメになった。
もう最悪だよ。
色々気になりすぎてラーメンも全然味わえなかったし。
一応、周子が後で芳乃の分も返してくれるって言ったけどさ。
神様の金の出所を考えるとそれはそれで怖いものがある。
店を出てから芳乃はさすがに元の半透明な霊体に戻ったみたいだった。
まあ普通に考えて実体は無い方が色々便利だし、電車賃とか考えるとあたしにとっても都合がいい。
あたしは念のため確かめてみようと手を伸ばしたけど、ふと思い直して引っ込めた。
そして昼過ぎ、駅で周子と分かれて電車に乗り込んだあたしは思いがけない人物と出会うことになる。
座席に座って電車の心地良い振動にまどろみかけていると芳乃がぽつりと呟いた。
芳乃「良くない気配を感じるのでー」
あたしはその一言で冷水を浴びせられたみたいに目が覚めた。
またかよ!
しかも電車の中で!?
奈緒「……昨日と同じ感じ? それとも本物のユーレイとか?」
芳乃「はっきりとは分かりませぬがー……」
あたしは挙動不審に思われるのも構わず辺りをキョロキョロと見渡した。
その時視界に飛び込んできたのが、隣の車両との連結部、その窓からこちらをじっと覗いてる一人の女子学生だった。
奈緒「げっ」
思わず眉をひそめて小さく悲鳴を上げてしまう。
ちらりと見ただけで分かる、冷たく刺すような目線。
あたしの通う高校ではちょっとした有名人。
よりにもよってこんな時に乗り合わせるなんて……
幽霊とはまた違った意味で関わりたくない、その少女の名前は、小早川紗枝といった。
彼女はあたしと目が合った事に気付いて慌てて影に隠れた。
芳乃「どうかしたのでしてー?」
奈緒「いや……なんでもない」
あたしはよっぽど席を離れて逃げようか迷ったけど、どうせ後10分足らずで駅に到着するし、とりあえず今はこのままやり過ごす事にした。
事情を知らない人からすれば何をそこまで怖がるのか疑問に思うだろう。
しかもあたしの場合、一方的に彼女を知ってるだけで面識もないし、具体的に彼女に悪さをされたわけでもない。
簡単に説明しておくと、小早川紗枝はあたしの通う播南高校(ばんなむこうこう)の一年生で、学校の影の支配者なのだ。
入学して二ヶ月も経たないうちに裏番長の座に上り詰めたという恐るべき少女、それが紗枝だった。
実際にどういう手段で支配しているのかは知らないけど、彼女にまつわる良くない噂は挙げていけばキリがない。
例えば春の入学式、絡んできた数人の上級生を指先ひとつで全員病院送りにしてやったとか。
授業で紗枝に難しい設問を当ててきた数学教師がしばらく謎の謹慎処分を受けたとか。
夜な夜な不良どもの集会を開き、組織的に生徒からみかじめ料を徴収してるだとか。
返り血を浴びているのを目撃されたり、終いには眼力だけで人を失神させ、逆らう奴は自分の思い通りになるよう洗脳してしまう等々……そんなウワサ。
まあ噂を知らなければフツーの大人しくて可愛らしい女の子にしか見えないんだけどさ。
でも火のない所に煙は立たないって言うだろ?
そんなわけであたしは出来る事なら関わらず平穏に暮らしていきたいって思ってたんだ。
触らぬ神に祟りなし、とも言うし。
それなのに。
なんでその泣く子も黙る裏番長がさっきからあたしを監視するみたいに覗き見てるんだ。
あたしが何か彼女の癇に障るような事でもしてしまったんだろうか?
でもここ数日の出来事を振り返っても全然心当たりがない。
ちょっと自分でもビビりすぎてるんじゃないかと思う。
一応、二年生であるあたしの方が上級生なのに。
けど芳乃がさっきからずっと「気配がー」とか言ってるし、気にしないようにしても物凄い視線を感じるんだよ。
これで緊張するなっていう方が無理だ。
あたしはふとこんな考えを閃かせた。
もしかしたら紗枝にも芳乃の姿が見えているのかもしれない。
つまり彼女も周子みたいに人間のフリをした神様なのかもしれないっていう想像。
そう考えると学校で超人的なほどに恐れられているというのも納得できる。
……はあ。
何もかも、あたしの考えすぎだっていうならそれに越した事はないんだけどな。
駅に着くとあたしは早足で電車を降りた。
芳乃が後ろからテクテクと付いて来る。
振り返っても紗枝が追ってくるような気配はなかったからホッと安心して改札を抜けた。
なんていうか、我ながらバカバカしい妄想だったと思う。
朝から色々衝撃的な出来事があったからちょっと神経質になってたのかもな。
あたしは「フフッ」なんて自嘲的な笑みを浮かべて、それから解放されたような気分になって深呼吸した。
紗枝「あの」
奈緒「ブフォッ!? こばやかゴホッ さnゲホッ」
紗枝「だ、大丈夫どすか?」
いきなり目の前に現れたから驚いて咳き込んでしまった。
駅の出口付近で待ち構えていたらしい。
あたしより先に降りていたとは。
奈緒「はぁ、はぁ……あ、だ、大丈夫……」
紗枝「……うちのこと、知ってはるんどすか?」
紗枝はキョトンと首をかしげて尋ねた。
あたしは目を泳がせて言葉に詰まりながら「う、うん」と頷いた。
紗枝「いきなりお声かけしてすんまへん。用事っちゅうほどのもんでもあらへんのやけんど、その、あんさんにどうしてもお聞きしとう事があって……」
何やら言いにくそうに手をモジモジさせて逡巡している。
あたしはいつでも逃げられるように警戒しながら彼女の次の言葉を待った。
紗枝「……あんさん、あの人とはどういう関係でいはりますの?」
奈緒「…………はい?」
なぜか流れで駅前の喫茶店に入ることになった。
小早川紗枝との思いがけない邂逅にテンパったあたしは、すぐ近くに『月見亭』という看板を見つけてつい逃げるように誘ってしまったのだ。
立ち話もなんだから、みたいな感じで。
そして今、あたしは自分で袋小路にハマってしまった事を後悔しながら運ばれてきたお冷を飲んでいた。
可愛らしいウェイトレスさんがキャピキャピした声でオーダーを聞く。
「ご注文はお決まりになりましたか?」
「うちはこーひーを……あんさんはどないします?」
「あ、あたしは水だけでいいや……」
緊張と居心地の悪さであたしの顔が引きつる一方、紗枝はやたら落ち着いていた。
あたしの中で噂ばかり先行していた小早川紗枝という人物像は、こうやって間近で見るとそのほとんどが偏見の類でしかなかった事がよく分かる。
この子、めちゃくちゃ小柄で華奢なんだよな。
育ちが良いのか、同じ女子高生とは思えないくらい物腰柔らかで上品だし。
芳乃「奈緒にもこの娘ほどの品があればー、女子としての魅力に不自由しないでしょうにー」
奈緒「やかましいわ」
紗枝「何や言いはりました?」
奈緒「あっ、えっと、な、なんでもない。あはは……」
そうは言っても人を見かけで判断するのは危ない。
虫一匹殺せそうにない清楚系お嬢様みたいな振る舞いをしているけど、学校で裏番長と恐れられているのは事実なわけで。
ただ少し安心したのは、紗枝は芳乃を認識してるわけではないという事だった。
声も聞こえてないみたいだし。
裏番長非人間説はとりあえず無いみたいでホッとした。
芳乃「…………」
さっきから芳乃が紗枝の顔をじっと見つめてるのが気になるけど、それはまあいいや。
しばらく気まずい沈黙が続いて、それから紗枝が思い出したように自己紹介した。
あたしも促されるまま名乗った。
紗枝「……まぁ、同い高校の先輩でいらはったとは、ほんにとんだ失礼を……」
奈緒「あ、いや、それは別にいいんだけどさ……それでさっきの質問だけど、あの人って?」
紗枝「あの人いうたらあの人おす。スラッと背が高うて、真っ白な肌に艶やかな銀髪、聡明な目つきが素敵な……」
奈緒「えっ、もしかして周子のこと?」
紗枝「周子はん言う名前なんどすか? はあ……」
うっとり、なんて言葉がぴったりな表情をしている。
奈緒「もしかして周子が何かヘンな事した? それとも祟られたとか……?」
紗枝「祟られ……? そないなことあらしまへん。ただ以前ちょっとお世話になりましたさかい、そん時のお礼せな思てずーっと探しとおて……ああ、お世話になった言うても大したことあらへんえ、うちがドジ踏んで困うとる所を助けてもろたいうだけなんやけど、そん時は名前伺う暇もなく気がついたら幻みたいに消えはりなさって……それ以来手がかりもよう掴まれへんし、探す言うても半ば諦めかけてたんどす。そしたら今日たまたま駅で見かけたさかいうちもうびっくりしてもうて、よっぽどお声かけようか迷うたんやけど何やお連れはんおるし、ほんなら思てあんさんが別れた直後に追っかけたんやけどまた忽然と姿消えはりますやろ? まぁ狐に化かされたんやろかと不思議で不思議で……ほんで用事も何もほって急いであんさんの後を付けて来たんどす。えらい迷惑や思われるかもしいひんけど、この機会を逃したら次はもう二度と会えへんような気ぃして……ほんまに堪忍しとくれやす」
奈緒「お、おう」
よく分からないけど圧倒されてしまった。
方言のせいで半分くらい内容が頭に入ってこなかったけど要するに周子に助けてもらったからお礼をしたいって事?
……それ、本当に周子か? 人違いじゃないのか?
その後も詳しく話を聞いてみるとどうやらあたしの知ってる周子の事で間違いないみたいだった。
若干、いやかなり美化されてるような気がしないでもなかったけど、大まかな外見的特徴は一致していた。
奈緒「えーっと、実はあたしも周子とは今日初めて会ったばかりでさ。まあ知り合いの知り合いみたいな感じで……だから連絡先とかも聞いてないんだよ。ごめんな」
紗枝「……そやったんどすか……」
紗枝は見るからにがっかりしていた。
なんだか悪い事をしてしまった気分だ。
でも嘘はついてない。
どこでどうやって暮らしてるのかも分からない神様なんだ、連絡先どころか次に会える保証すら無い。
一期一会だと思ってあきらめてくれ。
奈緒「そ、それじゃあたしはこの辺で……」
紗枝「待っておくれやす」
ぴしゃりと姿勢を正してあたしを引き留める。
紗枝「ほんならせめて先輩のその知り合いいう方を紹介していただけまへんか」
奈緒「えっ?」
しまった。
完全に墓穴った。
奈緒「えーっと、その、なんだ。あ、そうそう! 知らない人には連絡先を教えないでくれってそいつに言われてたんだ、うん」
紗枝「神谷先輩の方から事情を説明していただくいう事は……?」
奈緒「え!? う、う~ん……あっ、そういえば二人とも携帯とかスマホ持ってなかったっけな~……」
あたしは馬鹿か。
なんでこう嘘がバレるような事言うんだ。
案の定めっちゃ怪しまれてるし。
紗枝「……やっぱり今日いきなりいうんは難しいでっしゃろか。ほんなら……」
紗枝はポケットからペンを取り出すと喫茶店のペーパーナプキンに自分の携帯番号とアドレスを書いてあたしに寄越した。
紗枝「周子はんの事、何か分かりはったらうちまで連絡しておくれやす。すこい頼みや思われるかもしいひんけど……」
あたしがその紙を受け取ると、紗枝はもう用事が済んだと言いたげにレシートを取って席を立った。
とりあえず話はこれで終わりみたいだった。
あたしはホッとして溜め息をついた。
渡された番号とアドレスをぼんやり眺めながら思う。
紗枝には悪いけど、ぶっちゃけ協力する気なんてさらさら無い。
ただでさえ今は芳乃という厄介者を抱えてるのに、それよりもっと面倒臭そうな事態にわざわざ首をつっこむほどあたしは命知らずじゃない。
そんな事を考えていると、紗枝が思い出したように振り返って言った。
紗枝「ほな、明日までに一報、よろしゅうお願いします。もし明日中に連絡がなかったら……そやねぇ、どないしまひょか」
その無言の圧力にあたしは黙って頷くしかなかった。
紗枝はそれを見ると満足したように「おおきに」と頭を下げて店を出て行った。
そして彼女を見送ったあたしは喫茶店で一人、頭を抱える。
どうしてこうなった。
今日が厄日でなくて何だって言うんだ。
今朝のウキウキ気分が懐かしい思い出みたいに蘇る。
芳乃「何をそんなに落ち込んでいるのでー」
奈緒「はあ……」
あたしは冷房の効いた店内のひんやりしたテーブルに突っ伏しながら憂鬱を噛み締めた。
店の隅ではウサミミを付けた店員さんがヒマそうにあくびを噛み殺していた。……
<19:36>
【トーク:北条加蓮】
奈緒<なあ
奈緒<小早川紗枝っているだろ? うちの高校の
加蓮<知ってるよー
奈緒<今日たまたま会って話したんだけど
奈緒<大変な事になった
加蓮<え何それ詳しく+(0゚・∀・) +
奈緒<女の子を探してくれって依頼された
奈緒<お礼をしたいからって
加蓮<意味わかんない
奈緒<明日までに情報がないと殺される
奈緒<どうしよ
加蓮<がんばって
加蓮<骨は拾ってあげる
奈緒<あたしが死ぬのはいいのかよ
加蓮<ビビりすぎでしょ(o-∀-o)
奈緒<さては紗枝の恐ろしさを知らないな
加蓮<あの子べつに悪い子じゃないし
奈緒<知ってんの?
加蓮<知ってるって言ったじゃん
奈緒<話したことあるの?
加蓮<ないけど
奈緒<ないのかよ
加蓮<まあなんとかなるんじゃない?
奈緒<簡単に言うよな
奈緒<とりあえず明日そっち行けないかも
加蓮<(´・ω・`)ショボン
奈緒<ごめん
奈緒<今日はもう疲れた
奈緒<おやすみ
加蓮<おやすみ
……あたしは充電したスマホを放り投げてベッドに倒れこんだ。
体力的にはそこまで消耗してないけど精神的な疲労感がやばい。
頭の中を色んな情報がぐるぐる回ってて脳みそがうまく処理してくれない。
午前中は山を登って美城神社に行った。
芳乃とあたしの遠い遠い過去の繋がり。
たぬき族ときつね族の因縁、美城山の伝説。
周子と芳乃、そしてあたしにそっくりだったという菜穂子さん。
冗談みたいな話ばかりで、もしや盛大なドッキリに騙されてるんじゃないかって今でも思う。
でも心の底では不思議なくらい納得している自分がいたりして、それが妙に怖くもあって。
芳乃がフツーに実体化してラーメン食べ始めたのも仰天した。
あの時は軽く流されたけど、それって本気出したら何でもできるって事じゃん。
それこそ悪事だって何だって……まあ芳乃はその辺わきまえてるみたいだから一応安心はしてるけどさ。
その点周子はまだ未知数だからちょっと怖い。
周子といえば問題なのは紗枝の調査依頼だ。
実を言うと喫茶店で紗枝に脅迫まがいの相談を受けた時とは状況が少し変わっている。
後になって教えてくれたんだけど、芳乃が今日電車で感じた「良くない気配」という奴。
あれの正体がまさに紗枝本人の事だったのだ。
ただ、別に悪霊に取り憑かれているというわけではないらしい。
紗枝の一方的に肥大した感情が生霊になって彼女の周囲をうろついてるんだとか。
芳乃「正確なところは分かりかねますがー、あの種類の霊魂には心当たりがあるのでー」
奈緒「やっぱり呪われてたりするのか?」
芳乃「……ある意味ではそうとも言えますー。あの娘の魂は恋に焦がれているのでしてー」
奈緒「へ? 鯉?」
芳乃「その鯉ではなくー、恋愛、恋慕の意味の恋でしてー」
奈緒「……誰に恋してるって?」
芳乃「あの口ぶりから言っておそらく周子でしょうー」
それを聞いた時あたしはひっくり返りそうになった。
なんかもう色々と状況がおかしな方向に転がって行ってわけがわからない。
なんで人間が神様に恋するんだ。
しかも女の子同士だぞ。
芳乃「嫉妬や執着心の中にわずかに混じる憧れと好意の色……恋色といっても様々でしてー。断定はできませぬがー」
芳乃が言うには、紗枝の生霊の根源は『嫉妬』なのだという。
つまり周子と仲良くしていたあたしを見て、何かこう、燃え上がるものがあったんだろう。
あの妙に凄みのある目つきはそれが理由だったってわけ。
……なんつー傍迷惑な話だ。
結局、お礼をしたいというのは建前で、紗枝は単に周子に会いたがってるだけなのだ。
そして紗枝はあたしがその取り持ち役をする事を望んでいる。
有り体に言って恋のキューピッドになれってわけだ。
なんであたしがそんな事しなくちゃいけないんだって思ったけど、相手があの紗枝だから下手に逆らうこともできない。
……そう思いつつ、実際は少しワクワクしてきたってのも正直な所だ。
学校中で恐れられてる少女が惚れた相手は人智を超えた神様で。
人の恋路を応援するなんてあたしの柄じゃないけど、上手くいけば二人に貸しを作ることだって出来る。
いや、別に恩着せがましくしたいってわけじゃなくてさ。
なんか面白そうじゃん?
こうなったら意地でも周子を見つけだして紗枝のとこに突き出してやろうって気がしてくる。
それに周子にはラーメン代を返してもらわなきゃいけないし。
ま、どっちにしろ問題になるのは行方知らずの周子にどうやって連絡を取るのかって部分で……う~ん、どうすればいいだろ。
そろそろ本格的な眠気が襲ってきそうな夜、ベッドに寝転びながらそんな事をつらつらと考えていると芳乃が口を開いた。
芳乃「周子を探すというのであればー、わたくしも手伝えるかもしれないのでしてー」
奈緒「むしろ手伝ってくれなくちゃ困るんだけど」
あたし一人じゃ手に負えないのは最初から分かりきってたからな。
芳乃「確かに周子は気まぐれでしてー、山に居るならともかくー、人里のいつどこに出没するか予測するのは難しいと思われますー」
奈緒「じゃあどうするんだよ……」
芳乃「人捜しや失せ物捜しの悩みであればわたくしが力になれるはずでしてー」
奈緒「……なるほど……!」
言われて思い出した。
そういや芳乃にそんな特技あったな。
奈緒「そっか……それなら思ってたよりなんとかなるかも……ふわぁ……」
あ。なんか安心したら急に眠くなってきた。
まだお風呂入ってないのに……ああ、もういいや。
今はもう何も考えられない。
明日の事は明日の自分に任せよう……
汗でベタつくのも構わずあたしはそのまま枕に意識を沈めて行った。
そしてまぶたの裏に灯る明かりがふっと消えると、体から少しずつ力が抜けて……――
「――……さぞ疲れた事でしょうー。わたくしも今日ばかりは煩く言いませぬゆえー……」
――誰かの声がする。
懐かしい声だ。
「そなたを見ていると思い出してしまいますー……わたくしがまだ人の子だった頃、姉の菜穂子にたくさん甘えて一緒に遊んだ日々の事をー……」
「とうの昔に忘れたと思っていましたのにー、悲しみも後悔も、今更になって蘇ってくる……わたくしもまだまだ未熟でしてー」
「奈緒……そなたに菜穂子の面影を見ているわたくしの未練こそが、きっとこの呪いの本当の原因なのでしょうー」
「あるいは、お互い生まれた時から運命付けられていたものー……即ち血縁の呪いという事やもしれませぬー」
――何か優しいものが頬に触れた気がした。
包まれるようなあたたかさを感じた。
「……そなたに一方的に委ねているわたくしの愛念、郷愁、悔恨……しかし今のわたくしにそんな執心を抱く資格がありましょうかー……?」
「そなたは菜穂子とは違うとー……そんな分かりきった事も素直に認められずにいる自分を、わたくし自身どう受け止めればいいのか分からない……」
「こんな愚かなわたくしを、どうか許してほしいのでー……」
ああ、そうだ。
この温もり。
「……夏の夜になほ偲ぶれば面影の忘れがたきはよすがの名月……」
「さあ、今はゆっくり眠ってくださいましー……」
懐かしい母さんの匂い。
昔、まだあたしが小さい子供だった頃。
あたしを寝かしつけてくれた時の母さんの声。
夢を見た。
小さい頃の夢
母さんの夢。
生まれる前の記憶。
兎と猫、そして加蓮の夢。
――…………。
少し席外します
○ ○ ○
芳乃の協力もあって周子探しは思ったより遥かに手間がかからずに済んだ。
曇りがちな空に爽やかな風、昨日までとは打って変わって涼しくて過ごしやすい日だった。
前みたいに自転車の前カゴに芳乃を乗っけて隣町までひとっ走りする。
人捜しの特技といっても具体的にどの場所に居るとか遠隔透視ができるわけではないらしい。
曰く、ほとんど勘に近いんだとか。
だからあたしは神様の言う通りの方角へ従うままに自転車を走らせるしかなかった。
あっちの角を曲がりこっちの路地に入り公園を突き抜けてまたまっすぐ進み……
べつに芳乃の神業を疑ってるわけじゃないけど、こんなデタラメな探し方で周子を見つけられるとは到底思えなかった。
そして町の中心地から少し離れた大通りを走っている時、急にあたしを呼び止めてこう言った。
芳乃「この建物の中にいるようでしてー」
奈緒「え、ここ?」
ほとんど断言するように指差したのは寂れたゲームセンターだった。
確かに自由人で遊び人っぽい周子にはぴったりの場所に思えたけど、それにしたって見つけるの早くないか。
もっとこう、痕跡を辿ったり聞き込みしたりするのかと思ってた。
でも芳乃ははっきりと「ここにいる」って言ったし、とりあえず確かめてみない事にはなんとも言えない。
あたしは自転車を駐輪場に停めて半信半疑でゲーセンに入って行った。
店内は外観のボロさに比べて意外なほど綺麗で広かった。
大勢の学生らしき人たちが友達と一緒にゲームに熱狂している。
芳乃「ずいぶんと騒がしい場所でしてー」
奈緒「そういう所だからな」
芳乃「あの人間は何をしているのでー?」
奈緒「あれは格ゲー」
芳乃「かくげー」
奈緒「キャラクターを操作して戦わせるんだよ」
芳乃「きゃらくたー」
ダメだこの神様。
知らない言葉を使うと思考停止反復ロボットになる。
律儀に説明してやるあたしもあたしだけど。
芳乃の言った通り、店の奥まったところに周子はいた。
なんだかよく分からないパズルゲームを一人つまらなそうに遊んでいた。
すごい、本当に一発で見つけるなんて。
あたしは改めて芳乃のすごさを実感した。
芳乃「周子ー」
周子「あっ! あ~も~ミスったわー。いきなり声かけんといて……って芳乃! こんな所で何しとん?」
奈緒「それはこっちのセリフだ」
周子「あ、昨日の人間!」
まさか種族名で呼ばれるとは思わなかった。
名前くらい覚えとけっての。
周子「ヤだな~ちゃんと覚えてるって。え~っと……ナオミ?」
奈緒「なお、だ!」
周子「そやったっけ、あはは……それにしても珍しいね、二人してどしたん?」
奈緒「大事な用がある。それで探してたんだ」
ゲーセンの喧騒の中だったから詳しい事は言わなかったけど、大まかに「周子に会いたがってる人がいる」と説明した。
周子は興味なさそうに「フーン」なんて空返事して筐体に100円玉を入れた。
奈緒「とりあえずここから出て話をしよう」
周子「これクリアしたらね」
周子はそう言って再びゲームで遊び始めた。
あたしは特に急いでなかったから何も言わず、周子のプレイを後ろで眺めて待っていた。
芳乃「周子は何をしているのでしてー?」
奈緒「さあ? たぶんパズルゲームだと思うけど」
芳乃「ぱずるげーむ」
これは説明が難しかったから諦めた。
まあ遊んでるって事は理解したみたいだ。
――周子はそのあと格ゲーに乱入してボコボコにされ、麻雀ゲームで大勝し、クレーンゲームのお菓子袋詰め一つに1200円つぎ込み、太鼓の達人を満喫した。
いくらあたしが急いでないからって遊びすぎだ。
まあ実を言うとあたしも一緒にゲームしたんだけど。
だってせっかくゲーセンに来たんなら遊ばないともったいないだろ?
奈緒「あ! これ昔すごいハマった奴! 懐かしい~……なあ、次これやろうぜ」
芳乃「……奈緒ー、目的を忘れているのでしてー」
奈緒「……あッ」
遊びすぎたのはあたしの方だった。…………
奈緒「周子っていつもこういう所で遊んでるの?」
周子「まあね」
奈緒「お金はどうしてるんだよ」
周子「そこはほら、あたし神様だから。神社のお賽銭箱からこ~っそりと……」
奈緒「おまっ、それ犯罪だろ!」
周子「うそうそ、お金はちゃんと働いて稼いでるよ」
奈緒「……本当かぁ?」
周子「ほんまやって」
あたしたちは周子が1200円かけて取ったお菓子を食べながら落ち着ける場所を求めて外を歩いていた。
ちょうどゲーセンの近くに運動場があったから日陰になってるベンチへ寄って一緒に座った。
太陽が少しずつ雲間から出て気温が上がってきていた。
じんわり滲んできた汗を手で仰ぐ。
一方、周子は相変わらず涼しそうな顔をしてどこからか持ってきた瓶ラムネを美味しそうに飲んでいた。
周子「そういや忘れてた。ほい、昨日のラーメン代」
奈緒「え? あ、ああ……ありがと」
ジャラジャラと小銭を渡されたあたしは一瞬ポカンとしてしまった。
周子の事だから借りた金なんて忘れてるだろうと思ってたからびっくりだ。
周子「で? あたしに会いたいって奴がいるんだって?」
あたしは細かい小銭を財布に仕舞いながら「そうそう、その事なんだけど……」と話を続けた。
生霊とか裏番長とか余計な情報は避けて簡単に説明する。
周子「小早川紗枝……? さあ、知らんなぁ」
奈緒「長い黒髪の女の子ですごく物腰柔らかな感じの……ああいう方言なんて言うんだっけ?」
芳乃「京ことば、でしてー」
奈緒「それそれ、その京言葉が特徴の子なんだけど」
周子「あ。もしかしてあの時の子かなぁ」
周子曰く、一ヶ月ほど前、ナンパか何かに絡まれてる女子高生を見つけて助け舟を出したんだそうだ。
一応お礼は言われたけど、その時ふとかっこつけたくなって名前も告げずに去ったらしい。
なんだそれ。
周子「えらいこなれた京言葉使う子やなぁって印象に残ってるわ」
あれ、でもなんかおかしいぞ。
ナンパに絡まれたところを助けた……って、別に紗枝にはそんな助けなんて必要ないんじゃないのか。
なんせ紗枝は播南高校の不良どもを一人で壊滅させたくらいの腕っぷしだ。
何か手を出せない理由でもあったのかな。
それともめちゃくちゃ強い不良にナンパされてたとか。
あたしはなんとなく気になって周子に聞いてみた。
奈緒「なあ、紗枝を助けた時ってどういう状況だったんだ?」
周子「そやねぇ……ガラの悪い男三人くらいに囲まれてたから、こう、待ち合わせしてた友達のフリして間に入って行ったわけ。こんな風に」
奈緒「うわっ!?」
いきなり手を掴まれてぐっと引っ張られた。
気付くとあたしのすぐ目の前に周子の綺麗に整った顔があった。
肩を抱かれ、お互いの息遣いが聞こえそうなくらい近づいて……
周子「ば、バカっ! い、いきなり何すんだよっ!」
周子「……みたいな感じでさ、『お待たせ~、さっ行こか』って颯爽と連れ出してやったの。どうよ、痺れるくらいかっこいいっしょ?」
それ実演する必要なかっただろ!
ちょっとドキドキした……いや別にそういう意味じゃなくてだな、つまり驚いたって事で……。
芳乃「周子が人間一人のためにそこまでするとはー……もしや天変地異の前触れではー」
周子「芳乃んひどい! あたしだってたまには人助けくらいするよ~」
奈緒「助けた後はどうしたんだ?」
周子「あんま覚えてへんなぁ。バイバイってすぐに別れたと思う。それにあの時は確か近くにこずえ様もいたみたいやったし……」
奈緒「こずえ様……?」
周子「あ~、なんでもない。こっちの話」
すると横から芳乃が間に割り込んできてよく分からない会話をし始めた。
「こずえ様がお目覚めになられたのでー?」「そうみたいやね」「ほたる様と茄子様は何とー…?」「あたしは何も聞いてないよ」「そうですかー」
とか色々。
あたしが口を挟むような話じゃなさそうだ。
しばらく黙ってよう。
さて、大まかに事情を説明した後で改めて「紗枝に会ってやって欲しい」と頼んでみると周子は「ええよー」とあっさり引き受けてくれた。
周子「最近すごいヒマでさ~、たまには人間と遊んでみるのもいいかな~って」
奈緒「さては妙なこと考えてないだろうな」
周子「妙なことって?」
奈緒「……た、例えば体を乗っ取ったり変な呪いかけたり……そういうやつ」
周子「やるなって言うならやらないけど」
奈緒「やっても良いって言ったらやるのかよ」
周子「うん」
奈緒「絶ッッ対ダメだからな!」
あたしが焦るのを見て周子がケラケラ笑う。
マジなのか冗談なのか判断できない。
芳乃「わたくしが山を降りたからにはー、周子が悪戯しないようしっかり見張っておきますゆえー、安心されたしー」
奈緒「任せたぞ芳乃。変な事したらとっちめてやれ」
周子「おおこわ」
……その後、さっそくあたしは紗枝にメールを送った。
昨日の今日でいきなり目当ての人に会えると知ったらさぞ驚くだろうなって思ったけど、返ってきた文面は意外にそっけなかった。
文章だと標準語だから尚更そう感じるのかもしれない。
『周子さんの都合さえ良ければ明後日以降にお会いしたいと伝えてください』
奈緒「だってさ」
周子は面倒臭そうに「じゃあその明後日でいいよー」って言いながら瓶ラムネの最後の一滴を飲み干していた。
メールで紗枝にその旨を伝える。
奈緒「っていうか何であたしが二人の中継役になってるんだ。周子ケータイとか持ってないの?」
周子「残念ながら今は持ってないよん」
結局あたしが二人の面倒を見てやらなくちゃいけないのか。
とことん損な役回りだ。
それからあたしは二人の都合に合わせて集合場所と時間も決めてあげた。
明後日11時に駅前。
奈緒「いいか周子。ちゃんと時間通りに来るんだぞ」
周子「おっけーおっけー」
……大丈夫かなぁ。
これでもし気が変わってサボったりされたらシメられるのはあたしなんだぞ。
別れ際、あたしがもう一度念を押しておこうと振り返ると周子はもう居なかった。
代わりにカランと音が鳴った。
空になった瓶ラムネがあたしの足元にポツンと置かれていた。
奈緒「……自分で捨てて行けよな……」
あたしは呆れながら瓶を拾って運動場のゴミ箱に放り投げた。
○ ○ ○
はっきり言って、あたしは恋をしたことがない。
生まれてから今まで気になる男の人なんて一人も現れなかった。
恋愛っていうのはドラマや映画の中の出来事であたしには縁の無いものだと思っていた。
でも、だからって興味がないわけじゃない。
少女漫画を読めば初心なヒロインを心の中で応援することもあるし、ハードボイルドな大人向けの恋愛映画を見てかっこいい俳優に憧れることだってある。
ただそういう女の子っぽいキラキラした感じは自分には合わないような気がして、友達が恋バナなんかしてても妙に小恥ずかしくて興味ないフリをしてしまう。
いつか自分にも好きな人が出来たりするのかなって思いながら、けど誰かを好きになるのがどういう感覚なのか想像できなくて、フィクションの世界や雑誌の中にある他人の言葉でしか恋愛を知らないのだ。
つまりあたしはまだ恋に憧れるだけの子供だった。
そんなの恥ずかしくて絶対に人には言えないけどな。
紗枝「……ボーッとして、どないしました?」
奈緒「へっ? ああ、なんでもない。ちょっと考え事……」
紗枝「もう、うちは真面目な話しとるんえ。神谷先輩も真剣に聞いておくれやす」
奈緒「いやいやいや……一緒にデートプラン考えてくれなんて、あたしがそんなのアドバイスできるわけないだろ」
紗枝「先輩しか頼れる人がいないんどす。それと、でーとやなくてあくまで最低限のお礼としておもてなしできひんやろかいう相談で……」
……今、あたしは再びあの喫茶店『月見亭』で紗枝と顔を突き合わせて座っている。
周子と紗枝のデートの約束を取り付けた翌日、仕事を終えた気になって一安心していた所へいきなり紗枝から「話がある」って呼び出された時は何か重大なヘマをやらかしたかと冷や冷やしてたんだけど、実際はこの通り。
憧れの人に会うことばかり考えていて、そこから先を想像もしていなかった紗枝は急にどうしたらいいか分からなくなり、慌ててあたしに助言を求めにきたってわけ。
乙女か。
奈緒「昼前に落ち合うんだから一緒にランチでも食べに行けばいいんじゃないのか」
紗枝「らんち言いましてもどんなお店に行ったらええんやろか……それに食事が終わってすぐお別れいうのも何や申し訳ない気がして……」
奈緒「どっか遊びに行きたいって事?」
紗枝「遊び……まぁ周子はんさえ良ければ御一緒したいなぁ思いますけど、うちから誘うんは勝手がよう分かりまへんし、そもそもそないな事して変に思われへんやろか……」
そう言って紗枝は思いつめたように溜め息をもらした。
いくら勘の鈍いあたしでもさすがに分かる。
どっからどう見ても、ただの恋する乙女の表情だ。
芳乃「相談に乗ってあげるべきでしてー。情けは人の為ならずー、即ち巡り巡りては己が為ー」
奈緒(そりゃあたしだって役に立てるならそうしたいけどさ……)
あたしは正直に言ってやった。
紗枝は相談する相手を間違えている。
大学受験の悩みを小学生に相談するのと同じくらい馬鹿げてるぞって。
それでも紗枝は「そこをなんとか」って言って聞かなかった。
そして、あの泣く子も黙ると噂されている紗枝がここまで必死そうにしているのを見て、あたしもとうとう奇妙な違和感に気付き始めた。
奈緒「他の友達に話を聞いてもらうわけにはいかないのか?」
紗枝「友達は、その……うち、ほとんどおらへんし……」
奈緒「いやなんていうかその、ほら。取り巻きとか舎弟とかさ」
紗枝「取り巻き……? 舎弟……?」
あたしの一言で紗枝が急に不安そうな顔になり、そして悟ったように肩をがっくりと落として言った。
紗枝「あの、何や勘違いしはってるみたいやし一応断っときますけど、うちが裏番長だか表参道だか言う話はデタラメもええとこの、根も葉もない噂どすえ」
奈緒「……はい?」
紗枝「学校の皆と違うて先輩はうちにそこまで遠慮せんで物言わはるさかい、てっきり噂も知らんもんかとばかり……」
紗枝は呆れたように事の顛末を語り始めた。
まず、紗枝が裏番長などと呼ばれるようになった理由には同じクラスの輿水幸子という生徒が関わっていると言う。
その名前はあたしも聞いたことがあった。
奈緒「輿水って、あの理事長の娘の?」
紗枝「そうどす。幸子はん自身はとっても素直でええ子なんやけど、いわゆる腰巾着連中がタチ悪うてなぁ」
要するに取り巻きが幸子を過剰に持ち上げたせいで本人も調子に乗ってしまい、結果的に『理事長の娘』は入学後数日足らずで有名人になってしまったのだ。
他の生徒にしてみれば気安く話しかけるどころか近づく事もためらわれるくらいで、次第に幸子の周りにはゴマを摺る奴らしか残らなくなっていった。
そんな、ある意味では腫れ物扱いだった幸子に対し、唯一物怖じせず意見を言える人物がいた。
それが紗枝だった。
紗枝「いつやったか、うちが幸子はんにきつう言って叱った事があったんどす。たまたま二人きりになって、まぁあの子も悪気はなかったんやろうけど随分偉そうな態度やったさかい同い歳にそれは筋違いやろて反発したら幸子はんえろうびっくりしたみたいでなぁ。以来なんでか懐かれるようなってしもて……」
過剰に承認されて生きてきた幸子にとって遠慮なく物を言ってくる友達というのは一種の憧れだったのだろう。
元々幸子は親の威光を笠に着るような性格ではなく、ただ少し盲目的な自信家というだけだった。
だから紗枝がちょっと毒を吐いたくらいでは大してへこたれず、むしろ喜んでいたらしい。
またちょうどその頃、幸子の名前を威に借りた取り巻き連中が他の生徒をいびるのが問題になっていた。
それも幸子の知らないところでだ。
そこで問題の話を耳にした紗枝がそのことを幸子に報告すると取り巻きの暴走はぴったりと止んだ。
こうした経緯があって紗枝は学校内で唯一幸子と対等に話ができる人物として周囲に認識され、そして実質的な関白になってしまったというわけ。
奈緒「な、なるほど……つまり幸子が表の番長で、その幸子をコントロールできる紗枝が裏番長……」
紗枝「ほんまにあほらしい思いますけど、うちも幸子はんもそないなつもりは一切ありまへんのに、噂ばかり勝手に一人歩きしてもうて……おかげでうち、幸子はん以外にまともに話のできる友達がおらんくてなぁ」
奈緒「そっか……そうだったんだな。なんか、色々ごめん」
紗枝「分かってくれはったらええんどす」
紗枝はそう言って優しく笑った。
あたしもバカだったな。
こんな可愛く笑える子を極悪人みたいに思って避けてたなんて。
だいたい一人の女子高生が不良を一網打尽にするなんて常識的に考えて不可能に決まってる。
漫画とかアニメの見すぎかなあ。
紗枝「ほな誤解も解けたところで、改めてうちのお願い聞いてもらえますやろか?」
奈緒「あ、ああ。そういう事なら……協力、するよ」
紗枝「ほんまに? やったぁ!」
紗枝の話を聞いてすっかり気を楽にしたあたしは、半ば同情する気持ちもあって引き受けることにした。
事実、デートする相手を考えたら相談に乗ってあげられるのはあたし(というか芳乃)しかいないのだ。
さっきは他人の恋路にレールを敷いてやる自信が無くて断る理由を探してたけど、今はもう応援したいと思う気持ちの方が勝っていた。
芳乃がなぜか満足したように頷いて言った。
芳乃「この縁を精一杯大切にしてやる事がー、すなわち次の縁に繋がっていく事になるのでしてー」
……それからあたしは紗枝と一緒に明日の計画を練った。
芳乃が教えてくれる周子の性格とか好きな食べ物をヒントに近くの店を調べたり。
会話するにしてもどんな話題を振ればいいのか考えたり。
服は何を着ていけばいいのとか、誘うならどんな場所へ遊びに行けばいいのか、その時の会話の予行練習とか。
そうやって話していく内に分かったのは、紗枝もあたしに負けず劣らず恋愛事に疎い人間だという事だった。
下手するとあたしより知識がない。
根が真面目で普段は勉強とか習い事ばかりやってきたような子だからこういう俗っぽい話題に触れる機会がなかったんだろう。
だからこそ初めて心の中に芽生えたその気持ちをどう解釈したらいいか分からず戸惑っている。
しかも相手が女の子となれば尚更だ。
ふと紗枝が気の毒に思えた。
相手がただの同年代の女の子というのならまだ救いはあったかもしれない。
けど周子は人間ですらないのだ。
他に誰も客のいない『月見亭』の隅っこのテーブルに座って、あたしはこの何も知らない少女の背中を一生懸命押してやりながら、せめてこれが恋でなくただの憧れで済んでくれればいいのにと願った。
周子の正体を知ったら、紗枝は何て思うだろう。
それは失恋ってことになるんだろうか。
人が傷つくところは見たくない。
ウサミミをつけた店員さんがにっこりとあたしに笑いかけた。
○ ○ ○
当日、あたしと芳乃は待ち合わせ場所に先回りして紗枝の様子をこっそり覗き見ていた。
紗枝が時間よりだいぶ早めに来てそわそわしている。
清涼感のあるシンプルなワンピースに白い肌、少し地味目なポーチを手にして建物の影に佇んでいる姿は、洒落っ気こそ無いけど可憐さという点では十分すぎるくらい魅力的だ、と思う。
奈緒「……あのさ、疑問なんだけど」
芳乃「何でしょうー」
奈緒「芳乃って縁結びの神様だろ? なら紗枝と周子もちゃちゃっとくっつけたりできないの?」
芳乃「何事も順序というものがありましてー。一流の料理人といえど下準備無しに調理はできませぬー。布石は打っておくに越した事はないのでしてー」
奈緒「そういうもんかなぁ……それにしても周子のやつ遅くないか」
芳乃「まだ時間になっていないのでしてー」
奈緒「そうだけど、もうそろそろ来てもいい頃だろ」
芳乃「周子は必ず来ますゆえー、安心するのでしてー」
やけに自信満々だな。
さすが千年以上も付き合いがあると違う。
でも炎天下で女の子を待たすのはどうかと思うぞ。
ハンカチで汗を拭きながら健気に待つ紗枝が不憫でしょうがない。
そして結局、周子が姿を現したのは集合時間を10分も過ぎた後だった。
呑気に歩いて来て辺りをキョロキョロと見渡している。
あたしはひとまず安心して、それから物陰に隠れながら二人の動向を固唾を呑んで見守った。
紗枝が周子に気付いた。
遠くからでも分かるくらい緊張してる。
一歩、踏み出す。
周子が振り向いた。
声をかけたんだろう。
周子が涼しげな顔をして手を振った。
人もまばらな駅前、紗枝の待つ日陰の中へ入っていく。
紗枝になにか話しかけているみたいだった。
ここからだと二人の表情がよく見えない。
奈緒「もう少し近くに寄ろう」
芳乃「見つかってしまうのではー」
奈緒「見つかったらその時だ」
周子が無事に来たことを確認した今、ぶっちゃけあたしの役目はもう終わっていたはずだった。
けどここまできたら最後まで見届けたくなるのが人間ってもんだ。
野次馬根性と言われればそれまでだけどな。
あたしはコソコソと反対側に回って二人の仕草が見える所まで近づいた。
周子にバレるとまずいから芳乃にも気配を消してもらう。
影の中に立つ二人は、そこでじっと沈黙していた。
紗枝はまともに正面も見れずうつむいたままモジモジしている。
一方周子は様子がおかしい事に気付いたのか、黙ったままの紗枝の顔を覗き込もうとしていた。
紗枝が驚いたように口を開く。
何かしゃべってるみたいだったけど蝉の声がうるさくて聞き取れない。
そして再び沈黙。
奈緒「……大丈夫かアレ……あんなんじゃデートどころの話じゃないぞ」
芳乃「まーまー、奈緒が焦る必要はないのでしてー」
奈緒「あ、あたしは別に焦ってなんか……!」
芳乃「しーっ」
しばらく二人の間に気まずい空気が流れていた。
紗枝は汗を拭うのも忘れ、微妙に距離の離れた相手に向かって何か言おうとまごついてばかりだった。
そして周子といえば、最初の軽そうな表情に少しずつ困惑の色が見え始めていた。
そりゃそうだろう。
特に深く考えず言われるまま来てみたら相手は会話もおぼつかず目の前で立ち尽くすだけ。
自分に用があると聞いて来たのに何を求められてるのかすら分からないんだからな。
紗枝が緊張するのは想定の範囲内だったけど、まさか周子もここまで頼りにならないとは思っていなかった。
見てるこっちがもどかしいわ。
芳乃「あるいは周子も、あの娘の恋煩いの霊魂を感じ取ったのかもしれませぬー」
奈緒「……それでビビってんのか、あのへたれ神様は」
さすがにこのままじゃマズい。
作戦変更だ。
奈緒「芳乃。周子に一発蹴りを入れてやってくれ」
芳乃「引き受けましたー」
芳乃はそう言ってテクテクと歩いて行った。
もはやほとんど後ずさりの体勢を取っている周子に背後から近づく。
そしておもむろに着物の裾をまくると、周子のケツにわりと強めの蹴りを入れた。
あいつ、マジにやりやがった。
周子がつんのめって二歩ほど前に出る。
そして紗枝とぶつかりそうなくらいの距離まで急接近する。
二人の目と目が合う。
息が止まる瞬間、それから周子が背後を振り向く。芳乃はもういない。
訳が分からず混乱している周子を目の前に、ようやく紗枝が口を開いた。
突発的な接近が功を奏してか紗枝の心に僅かに勇気が生まれたみたいだった。
今度はしっかり話せてる。
芳乃が平然とした顔で戻ってきた。
奈緒「あのな、蹴りを入れるってのは物の例えで……まさか本当にやるとは思わなかったぞ」
芳乃「時には強引な手も必要なのでしてー」
まあ結果オーライなら何でもいんだけどさ。
しばらくして二人は建物の影から並んで出てきた。
おそらく予定通りランチに誘ったんだろう。
あたしは心の中でガッツポーズを取った。
二人は駅前通りの洋食店に入っていった。
あたしと紗枝が相談して決めた店だ。
高校生が入るにはちょっとお洒落な場所なんだけど、ランチメニューは意外とリーズナブルで若いカップルも多い。
我ながら無難な選択だと思う。
中の様子が気になるけどさすがにあたしまで一緒に店に入るわけにはいかないし、どこか別の所で手早く昼食を済ませて戻って来よう。
あたしはふと『月見亭』に寄ろうと思い立った。
ここ数日で二回も利用したから馴染みもあるし、内装とか雰囲気も実は結構気に入ってるんだよな。
何よりあそこは客が全然居なくて静かなのが良い。
奈緒「あれ?」
引き返して、あたしは何かがおかしい事に気が付いた。
店がどこにも見当たらない。
あたしの記憶が確かなら喫茶店の隣りに美容室があって、反対側の隣りには不動産屋があったはず。
けど今、ここには美容室と不動産屋が並んで建っているだけ。
間にあったはずの『月見亭』が両隣に押しつぶされてしまったみたいに綺麗さっぱり無くなっている。
しばらくその辺をウロウロして探したけど結局『月見亭』は見つからなかった。
何か勘違いしてたのかな。
隣町の駅だっけ?
……まあいいや。
時間もないしコンビニでおにぎりでも買って食べよう。
念のため芳乃の分もな。
午後になって空に少し厚い雲がかかってきた。
おかげでだいぶ気温が下がり、尾行しているあたしにとってはかなり助かる。
しばらく待っていると二人が店から出てきた。
紗枝の様子を見ると特に問題はなかったみたいだ。
芳乃曰く、周子は結構グルメな所があるって話だったから少し心配してたけど杞憂だったな。
呑気な神様は満足したようにお腹さすってるし。
もしここで紗枝が勇気を出して声をかけていれば次はこのまま近くの公園まで散歩することになってる。
二人は店の前で何やら会話して、果たして公園の方へ歩き始めた。
紗枝はまだ少し緊張してるみたいだったけど足取りには余裕がある。
周子の表情も明るいし、このまま行けば順調に事が運びそうで安心した。
そうして時々笑い合ったりしながら楽しそうに歩いている二人の跡をつけていると、急に、大気の震える音が遠くの空から聞こえてきた。
雷鳴だ。
紗枝たちも気付いて空を見上げている。
湿った温い風が町を覆う。
そして屋根のある場所を探し始めた頃にはもうポツポツと地面に染みが落ちてきて、あっという間に土砂降りの雨になった。
奈緒「……本格的に降られたな」
あたしは近くの建物の庇の下に逃げ込んだ。
にわか雨だからすぐに止むと思うけど、おかげで二人の姿を見失ってしまった。
ちゃんと雨宿りできたかな。
芳乃「また追いかけてみるのでしてー?」
奈緒「う~ん……どうしようか」
あの雰囲気を見るに、もうあたしが監視する必要もなさそうだった。
それにこれ以上首をつっこむのも野暮な気がするし。
奈緒「何かあったら紗枝から連絡来るだろうし、今日はもう引き上げよう」
叩きつける雨で灰色になった町並みに、少しずつ明るい日差しが蘇ってきた。
雲が風に流されていく。
降るのが一瞬なら止むのも一瞬だ。
再び太陽の下にさらされた町は途端に生き生きと輝き始めたように見えた。
そして、まだ強く吹いてくる風に乗って名残惜しそうに小雨がパラパラと降り注ぐ。
芳乃「狐の嫁入り、でしてー」
――周子と紗枝がその後どうなったか、その真相は藪の中……って訳にもいかないか。
あたしが知ってるのはその日の夜、紗枝から送られてきた感謝のメールと、そこからやりとりした内容が全てだ。
結果だけ聞けば今回のデートは大成功と言ってよかった。
なんと紗枝は次に会う約束まで取り付けたらしい。
しかも夏祭りに誘ったっていうんだから成果としては完璧だろう。
それは素直に喜んでいい。
けど問題は別にあった。
話によると、紗枝はあの後、周子に連れられて美城山へ行ったらしい。
あたしはイヤな予感がして『山なんか行って何したの?』って聞いたんだ。
そしたら『釣りをしました』なんて返ってきて思わずメールの文面を二度見してしまった。
雨上がりはよく釣れるから……って渓流釣りに誘われたんだと。
いやいやいや。
おかしいだろ。
周子のやつ、マジで何考えてんだ。
芳乃「周子は山ではよく魚を釣って食べていたのでしてー」
そういう問題じゃなくてだな……はぁ。
もはや何から突っ込んでいいのか分からない。
ただまあ、メールを読む限り紗枝も一応は楽しめてたっぽいのが救いかな。
あたしだったらドン引きしてるかも。
その後も二人は一緒に色んな場所へ行ったという。
これも実際は周子に連れまわされたと言った方が正しい。
ゲーセンとかダーツとかボウリングとかカラオケとか、紗枝なら普段滅多に行かないような場所ばかりだ。
よくまあ一日でそんだけ遊んだなって感心するよ。
そして紗枝は、これだけ周子に振り回されてもやっぱり『楽しかった』とメールに書いて寄越すのだった。
『少し変わったお人でしたけれど、想像通り周子さんはとても素敵な方でした。
神谷先輩には大変お世話になりました。
今度機会があればお礼させてください。
ほんまに、ありがとうございました。』
最後の最後で素が出るあたり、よっぽど嬉しかったんだろうな。
スマホの画面を見ながらあたしも思わず顔がにやついてしまう。
奈緒「結局、芳乃の縁結びの御利益が出る幕はなかったな」
芳乃「でしてー」
女の子と狐神様の奇妙な恋縁は、先行きはどうあれひとまず一歩目を踏み出した。
後は二人を見守ってやるくらいしかあたしにできる事はない。
ま、なにはともあれ一段落ってとこかな。
幸せと充実感をおすそ分けしてもらって、あたしは気持ちよく眠りについた。……
○ ○ ○
八月の終わりが近づいていた。
あたしは今、図書館にこもって必死に夏休みの宿題を進めている。
芳乃「普段からコツコツと進めておけば苦労せず済んだものをー」
奈緒「お前なぁ~……っ! 誰のせいだと思ってるんだよ……!」
泣き言を言っても時間は待ってくれない。
とにかく多忙を極めたあたしの夏休みは、最後に宿題という最大の試練を残して過ぎ去ろうとしていた。
この数週間、思い返すだけでもウンザリするくらい色々な出来事があった。
あの紗枝と周子の初デートも大概だったけど、それ以上にしんどかったのはお盆時の町内一斉除霊ミッションだ。
想像してもらえば分かると思う。
お盆参りでそこらじゅうのお墓に迎え火が灯るのと同時にその先祖霊たちが次々にあの世からやってくるんだぞ。
帰省ラッシュなんて目じゃない幽霊の大渋滞だ。
初めて見た時はマジに腰を抜かしそうになった。生まれてきた事を後悔するレベルで。
けど人間、慣れとは恐ろしいもので、芳乃が平気で幽霊たちと会話をしているのを見ていたら少しずつ恐怖心も薄らいでいった。
先祖霊も守護霊もこっちがきちんと敬っていれば何もしてこないし、話してみれば良いヤツだったり面白いヤツだったり様々だった。
あたしと芳乃が除霊したのはそういうタイプの霊じゃない。
無縁仏とか、雑なお参りのせいで沸いてきた怨霊とか、お盆にかこつけてついでにあの世からやってきた動物霊なんかが対象だった。
除霊自体は芳乃のスーパー神様パワーで一瞬で終わる。
けど時期が時期だけにやたら数が多くて、あたしはお盆の間中ずっと町中を駆けずり回っていたってわけ。
ちなみにあたしはここ数年、自分の家の墓参りに行ってない。
父さんの実家にはそもそも一度も行ったことがないし、母さんが出て行ってからはそっちの実家とも疎遠だ。
その事を芳乃に話したらめちゃくちゃ説教されたっけ。
「ご先祖様の霊魂を疎かにするなど言語道断でしてー」とか。
それをご先祖様直々に言われたんじゃ正論もいいとこなんだけど、ついカチンときて「あたしにはどうする事もできないんだから仕方ないだろ!」って反発したらちょっとした喧嘩になったり。
ま、その後一緒に新しいCDを買いに行って仲直りしたんだけどな。
お盆の除霊の功績は思いがけず反響が大きくて、それ以降町中の精霊や神霊から妙な頼みごとをされるようになった。
人間や動物が悪さをしてくるからなんとかして欲しいとか、どこそこの自縛霊を成仏させてやってくれとか。
なんだかんだ芳乃は強力な神霊だから頼りになるんだろう。
けど巻き添えをくらうあたしの身にもなってほしい。
おかげさまで加蓮に会うたびに「また日に焼けた?」なんて笑われてさ。
それ以外だと、紗枝から恋愛相談をもちかけられる事もしょっちゅうだった。
まあ恋愛相談と言いつつ半分くらい惚気話だったような気がしないでもない。
二人で夏祭りに行った時の写真とか見せられたり、周子が手料理を美味しく食べてくれたとか報告されてもコメントに困る。
周子が携帯電話持ってないから二人で一緒に買いに行ったなんて話もあった。
紗枝も紗枝でメールとか使い慣れてないから「絵文字いうんはどう打ったらええんどすか?」とか聞かれたり。
そして、どうも話を聞いた感じだと周子のヤツ、自分が神様だって事を隠そうともしてないみたいで、紗枝も段々違和感に気付き始めていた。
「時々ふっと消えはったかと思うといつの間にかうちの背後におったり、道端で猫と喋ってはる思たらすぐ何でも言うこと聞くようなったり……」
あたしと芳乃が別の日に周子を探し出して問い詰めると、こんな事を言い出す始末だ。
周子「あの子なにしても面白がってくれるからあたしも楽しくなっちゃってさ」
芳乃「からかいも度が過ぎてはいずれ娘に悪影響を及ぼす事になりましょうー」
周子「いや~それがさ。正直あの子どう扱ったらいいもんか……遊び相手としちゃ十分だし楽しいんだけど、そもそも人間に好かれるってのが妙にムズ痒くて……」
そう言いながら周子の表情はまんざらでもなさそうだった。
紗枝が邪険に思われてないか心配だったけど、どういうつもりにしろ周子が楽しんでくれてるなら少しは安心できる。
芳乃「人間らしく振る舞っていればいいのでしてー」
周子「え、芳乃んがそれ言っちゃう? 普段は神様らしくしろって口すっぱくしてゆーてたやん」
芳乃「それとこれとは話が別でしてー」
周子「……芳乃、なんか性格変わった?」
芳乃「とにかくー、あまり反省がないようでしたらー、ほたる様に来てもらう事も辞さないゆえー」
周子「はいはい、分かりましたー」
この辺の力関係はどうやら芳乃の方が一枚上手らしかった。
あとは……そうだな、芳乃の知り合いに会いに行った事も何度かあった。
一番強烈だったのは遊佐神社に住んでる神様に会った時かな。
数百年ぶりに顕現したって霊たちの間で話題になってたらしくて、それに芳乃の古い仲でもあるっていうから挨拶に行ったんだ。
こずえ様と呼ばれているその神様は、芳乃と同じように小さな子供の姿をしていた。
こずえ「ふわぁ……よしのー……きてくれたのー。……あなたー……にんげん……? だぁれぇ……?」
芳乃「お久しぶりでしてー。こっちは神谷奈緒と申しましてー、縁あってわたくしと行動を共にしているのでございますー」
奈緒「あ、ど、どうも……」
こずえ「……おいしそうー……よしのとおなじにおいー……なにこれぇ……?」
芳乃があたしとの関係を説明している間、こずえ様は今にも眠りそうな虚ろな視線をずっとあたしに向けていた。
あたしはなぜか悪寒が止まらなかった。
芳乃「奈緒ー、申し訳ありませんがー、しばらくあちらで時間を潰しててほしいのでー」
奈緒「へ? あ、ああ」
その時あたしは、芳乃が単にこずえ様と二人で話したくてあたしを退けたんだと思っていた。
でも実際はそうじゃなくて、芳乃は守ってくれていたのだ。
芳乃「……ではこずえ様ー、わたくしどもはそろそろおいとましますー」
ずえ「もういっちゃうのー……? こずえ…さみしいー…」
芳乃「いずれまた伺いますゆえー」
こずえ「うん……まってるー……ふわぁ……」
芳乃がぺこりとお辞儀して踵を返すとこずえ様もふっと幻のように姿を消した。
可愛い顔して何を考えてるのか分からないという点では芳乃と良い勝負だ。
のんびり度で言えばあっちの方が数倍間延びしてる感じだったけど。
奈緒「見てるこっちが眠くなる所だったよ……ふわぁ」
芳乃「言い忘れておりましたがー、こずえ様に謁見する場合ー、その後の行い次第では最悪祟られることもありますゆえー」
奈緒「は?」
芳乃「念のためお参りをしー、今夜は子の刻を過ぎてから床に就いた方が良いでしょうー」
この遊佐神社に祀られているのは夢御魂神(ゆめみこたま)といって、夢と眠りを司る神だと芳乃は説明してくれた。
ただ性質的には祟り神に近く、祀られているというより封印されているといった方が正しい。
基本的には強力な守護神として信仰されてるんだけど、扱い方を間違えると魂を吸い取られてしまうという。
芳乃「我々も命がけでしてー」
……みたいな感じで、肝の縮むような思いをした日もあった。
加蓮が退院してからは一緒に遊ぶことも増えて、そういう意味でも忙しい日々だった。
一緒に映画見に行ったり買い物したりゲームして遊んだり……加蓮がねだるから海まで遊びに行ったこともある。
病み上がりで無茶するなって注意したんだけどアイツは意地っ張りだから言うことなんて聞かないし。
それに加蓮の奴、あたしが一人で夏を満喫してるもんだと思って妙に対抗心を燃やしてくるんだよな。
あたしは神様のゴタゴタに巻き込まれただけで遊んでたわけじゃないのに、加蓮は何がなんでもあたしより夏休みを楽しんでやろうって躍起になってるみたいだった。
おかげで芳乃以上に加蓮にも振り回される毎日だったよ。
今にして思えば、入院中にさっさと宿題を終わらせてた加連にあたしの宿題も手伝ってもらえばよかった。
もう遅いけどさ。
芳乃「奈緒ー、手が止まっているのでー」
奈緒「分かってるよ……」
現代文と古典漢文、あと日本史の宿題は芳乃に手伝ってもらって何とか終わらせた。
芳乃はこう見えて結構頭がいい。
というか、かなり頭がいい。
今あたしは数学の問題集に手をつけてるんだけど、難問に苦戦してると芳乃が横からアドバイスしてきて、それが悉く正解だったりするから驚きだ。
「なんで分かんの?」って聞いたら「今までの解き方を見ていればなんとなく分かるのでー」って。
天才か。
けどさすがに英語と物理化学は芳乃でもどうしようもなかった。
そこはあたしが自力で頑張るしかない。
そんな調子で昼は図書館の机にへばりつき、夜は自宅の机にへばりつき、始業式の前日になってようやく全ての宿題を終わらせる事ができた。
終わった瞬間は安堵より疲労感の方が大きかった。
目の下にクマを作りながら精も根も尽き果ててぐったりしていると、芳乃が頭を撫でてくれた。
芳乃「依立良之神おみ御手による労いの御利益でしてー」ポンポン
奈緒「……ありがと」
あたしはなんとなく、お姉ちゃんがいたらこんな風なのかなって思った。
見た目はあたしより子供なのに、変な感じ。
結局、芳乃の縁結びの呪いは解けずにあっという間に夏が終わってしまった。
気付けばもう秋の入り口だ。
――明日から二学期。
学校が始まる。
○ ○ ○
始まる前は不安だらけだった芳乃との学校生活も、慣れてしまえば何てことなかった。
この夏休みであたしも芳乃もすっかりお互いの世界に馴染んでしまったんだろう。
よっぽど妙な事が起こらない限り芳乃も大人しく授業を聞いてるし(まあ最初はちょっとした質問攻めにあったりしたけど)、あたしも人前で芳乃に話しかけたりするような真似はしなくなった。
他の生徒に混じって芳乃がふわふわ移動したり急に壁をすり抜けてくるのは当たり前の風景で、もう驚くような事はなくなった。
予想外のメリットもあった。
授業で分からない事があれば芳乃に教えてもらえるのだ。
古典漢文なら無敵と言ってもいいほどで、先生に指されてもすぐに答えられるようになったのはかなり有り難かった。
あとは地味だけど失せ物捜しと人捜しも役に立ったり。
ほら、先生に用があるのに職員室に居ない時とかあるだろ?
そういう時は芳乃に聞けば一発だ。
友達が荷物をどこかに置き忘れたりすれば芳乃がすぐに見つけてくれたりして、次第にあたしは周りから頼られるようになった。
こんな時くらいしか頼られないってのもよく考えたら悲しいけど。
クラスで弄られキャラとして定着してるせいだろう。あたしは認めないけどな!
対するデメリットといえば、時々あたしが粗相すると芳乃がやかましく説教してくる事くらいかな。
行儀が悪いとか、目上に対する礼儀がどうとか、授業をちゃんと聞けとか。
まるっきり教育係みたいな物言いでたまにイラッとしたりするけど、無視すると余計うるさいから仕方なく言うことを聞く。
でも正直言って、芳乃がずっと傍にいるというのは悪い気がしなかった。
基本的に無口だし(しゃべり出すと長い時もあるけど)話しかければ相談に乗ってくれるし、意外に気を遣ってくれたりもする。
話し相手にも困らないから、少なくとも退屈はしなかった。
加蓮「なんかさ、ここんとこの奈緒って楽しそうだよね」
奈緒「そうかぁ?」
加蓮「クラスの子たちとも仲良くしてるみたいだし。前までの陰キャはどうしたの」
奈緒「陰キャじゃねーし。別に今までだって皆と仲良くしてたわ」
加蓮「奈緒のくせに」
奈緒「お前なあ、そういう事ばっか言ってるから友達少ないんだぞ」
加蓮「ふーんだ」
退院して戻ってきても加連は相変わらずクラスで孤立していた。
休み時間はいつも音楽を聴きながら漫画を読んでいて態度もあまり良くないから半分不良みたいな扱いだ。
あたし以外のクラスメイトとは話そうともしない。
今のあたしの悩みの種は芳乃じゃなくて加蓮の方にあった。
なんか夏休みが明けてから前にも増して他人を拒絶し始めたような気がする。
ほんと、困ったヤツだよ。
他に変わった事といえば、ある人物に顔を覚えられた。
幸子「あ! 奈緒さーん!」
奈緒「げっ、幸子」
幸子「なんですかそのイヤそうな顔は。相変わらず失礼な人ですね!」
奈緒「いや、なんかつい……あたしに何か用か?」
幸子「特にないですけど?」
奈緒「じゃあ何で話しかけてきたんだ……」
幸子「フフーン! 友達が友達に挨拶するのに理由が必要ですか? じゃあボクは忙しいのでこれで!」
会うと大体いつもこんな感じ。
いつの間にか友達認定されていて、事ある毎に声をかけてきては大した会話もせず勝手に満足して去っていく。
曰く、「紗枝さんの友達なら必然ボクの友達ですから! 光栄に思ってくれてもいいんですよ」という事らしい。
意味が分からん。
けど紗枝の言う通り、悪いヤツじゃないというのはすぐに理解できた。
ただ少し自信過剰なだけで悪意なんかこれっぽっちもないのは話してみれば分かるし、こういうタイプにありがちな他人を見下すような態度もない。
とにかく自分を愛していて、例え根拠がなくても自信に満ち溢れているって感じ。
そういう点ではうちの父さんとそっくりだし、だからこそ純真無垢なんだとも言える。
幸子が周囲から敬遠されてるのは本人のキャラというよりもやはり親の立場が大きいせいだろう。
一度、彼女がいわゆる取り巻きを数人従えてる光景を見たことがあった。
その時の幸子のつまらなそうな表情といったら、檻に閉じ込められて何年も過ごしてきた動物みたいな目をしていた。
そして遠くにあたしの姿を見止めると途端に元気になって、あたしがちょっとからかうと妙に嬉しそうに反発したりした。
要するに幸子は対等な関係の友人に飢えていたのだ。
だからあたしや紗枝みたいに遠慮なく構ってくれる相手がいると、例えいじられてもそれがむしろ幸子にとっては嬉しい事なのだった。
ま、その構って欲しさに会う度に「ボクに何か一言ないんですか?」「ホラ、言っていいんですよ」「……言ってくれないんですか?」って聞かれて面倒臭いと思う事も多いんだけどな。
ちなみにそういう時は「今日も幸子はカワイイな」って言ってやると「フフーン、当然です! やはり奈緒さんもボクが世界一カワイイって認めるんですね」という会話になる。
冗談なのかマジなのか。たぶんマジだろう。
学校では紗枝と話すこともあった。
今はもう普通の友達として仲が良いから周子の話題でなくとも世間話やら幸子の話やらで盛り上がったりした。
例の裏番長の噂は相変わらずみたいだったけど、紗枝はもう前ほどそのことで悩んでいないらしい。
きっと周子と上手くいってるんだろう。
あるいはあたしという話し相手が増えたのも理由の一つかもしれない。
紗枝は変わることができたのだ。
もうあたしが背中を押してやる必要もなく、紗枝は自分の力で前に進もうとしていた。
そしておそらく幸子や周子も同じように変わっていくんだろう。
みんな新しい出会いをきっかけにして違う自分に目覚めていく。
じゃあ、あたし自身はどんな風に変わったんだろう?
芳乃と初めて会ったあの日から、あたしの世界はまるで風船が膨らむみたいにどんどん広がっていった。
わけがわからないまま流されて、気が付いたら友達が増えて知らない世界を知るようになった。
それに怖がりも克服できたし勉強も生活態度もちょっとずつ向上してきたかなって……そういう意味では変わったかもしれない。
でも、それであたしが何か一歩を踏み出せたかって言うと、なんだか違う気がする。
あたしはきっと素直になれないだけなんだ。
紗枝が好きな人に一生懸命になっているのを見て羨ましいと思った。
芳乃と色んな所へ行って不思議な体験をして、そんな毎日が本当は楽しかったんだ。
自分の気持ちがバレてしまうのが怖くて本心をごまかし続けている、この性格はちっとも変わってない。
気付けばあたしは、芳乃ならきっと自分の本心を理解してくれるって考えるようになっていた。
思っていても口に出せない事でも、この神様なら全部分かってくれるんじゃないかって。
あたしは芳乃に甘えていたんだ。
まるで母さんに甘えて守られている子供みたいに。
あたしは芳乃が広げてくれる世界に乗っかっているだけで、自らの成長を望もうともしないただの子供だった。
だから、この風船もいつかは割れてしまう、そんな当たり前の事にも気付けなかったんだ。……
○ ○ ○
芳乃「奈緒ー、そろそろ始まってしまうのでしてー」
奈緒「あっ! もうそんな時間?」
ある日曜日の朝。
ご飯の準備をしていたあたしは慌てて居間のテレビをつける。
よかった、まだ始まったばかりだ。
芳乃「お父上は呼ばなくてもいいのでしてー?」
奈緒「あー……父さんは録画した奴観るからいいよ」
芳乃「以前も同じことを言って喧嘩したばかりではー」
奈緒「いや、だって親と一緒に子供向け番組観るなんて恥ずかしいし」
だいたいリアルタイム視聴に拘るならさっさと起きて来いって話だ。
そりゃ昔は父さんと一緒にニチアサを観れるのを喜んでいた時期もあった。
でもさすがに高校生になって親と一緒ってのは……いや、高校生にもなって子供向け番組を見るのが恥ずかしいってのは置いといて。
奈緒「このオープニング曲がさ~、意外と歌詞とかかっこいいんだよなぁ」
芳乃「ほー」
奈緒「やっぱベテランのアクターはキレが違うっていうか」
芳乃「でしてー」
奈緒「……っあ~! ここで次回にまたぐのか……なるほど」
芳乃はあたしの感想にウンウンと頷きながらテレビに見入っている。
そしてエンディング、画面の向こうでヒーローたちがダンスを踊り始めると、芳乃は待ってましたとばかりに一緒に踊り出した。
見た目相応な無邪気さが微笑ましい。
こんな風に芳乃とは結構前から一緒にアニメや特撮を見ていて、ぶっちゃけ話し相手として物凄く重宝している。
今までまともにオタク話ができる友達がいなかったからな。
それでつい嬉しくなってペラペラしゃべっちゃったりしても芳乃は嫌な顔ひとつせず真剣に聞いてくれる。
ある意味、理想的なオタク友達だ。
芳乃「ふむー……困っている人を見れば助けたいと願う娘の信条ー、大変立派でしてー」
芳乃が言ってるのは今見ている女児向けアニメの事だ。
ある日偶然出会った妖精を助けたことがきっかけで魔法少女になった女の子の話。
街のみんなを、大切な家族や友達を守るために悪の組織と戦い、時に悩みながら仲間と支えあって成長していく王道ストーリーだ。
芳乃「人の悩みを怪物に変えてしまうとはー、げに恐ろしき敵の妖術でしてー」
奈緒「バトルで勝ってハイ解決、じゃなくて、その悩みに主人公がちゃんと向き合ってあげるのがこう、グッとくるんだよなぁ」
芳乃「それが結果としてー、主人公が自分自身と向き合うきっかけになるとー、そういう事なのですねー」
奈緒「よ、芳乃……分かってるじゃん!」
これだよこれ。
こーゆー会話がしたかったんだよなぁ。
実は父さんもこのアニメが大好きでよく熱心に語ったりするんだけど、結局「このキャラがかわいい!」しか言わないから面白くない。
奈緒「キャラクターが可愛いのは当然、なんてったって女児向けアニメの代表だからな。けどこの作品には本当はもっと深いテーマがあって……」
芳乃「ほーほー」
あたしのこのオタク趣味を知ってるのは芳乃以外だと父さんと加蓮しかいない。
加蓮はたまに話を聞いてくれるけど基本的にあまり興味を示さないし、父さんはアニメの事になると人の話を聞かないから論外。
かと言って他の友達にオタク趣味を打ち明けるほどの勇気はあたしには無かったから、今までずっと寂しいと思いつつ一人で楽しんでた。
だから芳乃が趣味を分かってくれたのはすごく嬉しかったし、そのせいで最近は前にも増してアニメ趣味にのめり込んだりした。
芳乃「~♪」
奈緒「もうすっかりエンディングのダンスも覚えちゃったな。結構難しいのに」
芳乃「奈緒も共にいかがでしょうー♪」
奈緒「あ、あたしはいいよ……それで芳乃、今日はちょっと出かけたい所があるんだけど」
芳乃「でしてー?」
奈緒「昨日見た深夜アニメあるだろ? あれのブルーレイ発売記念イベントが今日やるんだよ」
その場所というのが、ここから電車で二十分くらいで行ける街だった。
アニメのモデルになった舞台という理由でこんな地方の小さな都市で開催されることになったという。
田舎民にとってはまさに願ってもない話だ。
正直ブルーレイを買うつもりはないんだけど、まあ見物に行くくらいなら許されるだろう。
声優も来るっていうしさ。
ついでにアニメショップで欲しかったグッズを買って帰ろうかな。
……そんなわけで昼過ぎ、あたしは芳乃を連れて大型ショッピングモールまでやってきた。
奈緒「うわ、めちゃくちゃ混んでるな」
広場の特設ステージを囲むように人だかりが出来ている。
むせ返るほどオタクしかいない……かと思いきや意外とカップルなんかもチラホラ居たりして。
家族連れも見かけたけど、ここまでくるとイベント参加者なのか野次馬なのか区別がつかない。
まあ休日の田舎だからな。
遊ぶ時はだいたいみんなここに集まるんだ。
そんなファンたちの熱気に圧倒されながら、あたしは人だかりでほとんど見えない特設ステージを遠くからポケーっと眺めていた。
声優の顔をちょっと見れたら良いなー、くらいに思いながら。
そしてイベントが始まった直後、あたしは予想外の人物をステージ上に発見して思わず「えっ!?」なんて声を出してしまった。
「はーいっ、みなさーん! 今日はアニメ『無尽合体チヒロ~ドリームステアウェイ~』のイベントにお越しいただいてありがとうございまーす!」
ウサミミをつけた司会進行のお姉さんが明るい声で参加者に呼びかけた。
あの顔、あの声、あのウサミミ……遠くからでもすぐに分かった。
最後に会ったのは随分前だけど特徴的だからよく覚えてる。
芳乃「月見亭の店員でしてー」
奈緒「だよな……何してんだろ、あんな所で」
そりゃ仕事してるんだろって自分に突っ込んでしまった。
あたしがびっくりしている間にもウサミミさんは手馴れたように司会を続け、ゲストの声優が登場してからもトークや進行を華麗にこなしていた。
奈緒「あの人、こんな仕事もやってたのか……声優と関われるなんて羨ましいなぁ」
すっかり感心しながら眺めているうちにイベントは終盤に差し掛かり、プレゼント抽選会が始まった。
あたしは商品を買ってないから抽選会なんて見ててもしょうがない。
周りがぞろぞろと解散し出したからあたしも移動しようと踵を返した。
その時だった。
「それでは最後に、特別参加賞でーすっ! えーっと、お名前はぁ……神谷奈緒! 神谷奈緒さーん! おめでとうございまぁーす!」
奈緒「は、はいッ!?」
大音量で名前を呼ばれて反射的に思いっきり返事をしてしまった。
他の客が一斉にあたしの方を見る。
驚きと恥ずかしさで心臓が破裂しそうだった。
あたしは最初聞き間違いか何かと思った。
あるいは同姓同名の人がたまたまクジを引いたのかと。
そうやって混乱している間にも抽選会の席ではずっとあたしの名前を叫んでいて、どうしようもないからとりあえず呼ばれるままに行った。
「神谷さん! おめでとうございますっ!」
奈緒「あの、あたし対象商品買ってないんですけど……」
「いーんですよぅ、特別参加賞なんですから! はい、どうぞ!」
奈緒「……えっと、よく分かんないけど、どうも……っていうか月見亭の店員さんですよね?」
「あーっ、気付いてくれたんですね! ナナって言います、キャハッ☆」
ナナさんっていうのか。
しかしテンション高いな。
ナナ「特別参加賞は映像特典DVDなので、帰ったら是非、お友達と一緒に見てくださいね♪」
奈緒「あ、ありがとうございます」
ナナ「そうそう、幼馴染の子と一緒に見るのが良いですよっ。是非そうしてください!」
奈緒「はぁ……?」
ナナ「もちろんよしのちゃんも一緒に……」
奈緒「へっ?」
ナナ「あーっと、な、なななんでもないっ、なんでもないですっ! とにかく今日中にDVD見てくださいね、ナナとの約束ですよっ。ブイッ」
すごい勢いでまくし立てた後「じゃあナナは後片付けしなくちゃいけないので!」と慌てたように裏方へ行ってしまった。
あたしは特典DVDを手にしたままその場にポツンと取り残された。
イベントが終わって客はみんな散り散りになっていた。
奈緒「なんだったんだ一体……」
芳乃「わたくしの名前を呼ばれたような気がするのでー」
奈緒「……まさかとは思うけど、ナナさんも芳乃の姿が見えてたりするのかな」
芳乃「ふむー……そのような気配はー、感じられませんでしたがー……」
あたしは釈然としないまま手に持っている『ドリームステアウェイ』のパッケージを眺めた。
……まあせっかくだし加蓮も誘って見てみるか。
喫茶店の店員がイベントの司会やってたって話をするだけでもネタになるし。
<15:20>
【トーク:北条加蓮】
奈緒<今日暇?
加蓮<うん
加蓮<暇~
奈緒<一緒にDVD見ない?
加蓮<いいよ
奈緒<じゃあ今から加蓮の家行くわ
加蓮<あ待って
奈緒<?
加蓮<あたしがそっち行くよ
加蓮<あんたの父さんに用事あるし
奈緒<別にいいけど
加蓮<じゃ後で(≧ω≦)ゞ
○ ○ ○
加蓮「やっほ」
奈緒「うわっ、びっくりした。いつの間に来てたんだ、挨拶くらいしろよな」
加蓮「玄関で声かけても返事しないんだもん。何してたの?」
奈緒「いやちょっと部屋の片付けを……っておい! ちょ、馬鹿、何勝手に……!」
加蓮「あ~、奈緒ったらまた変なフィギュア買ってる~」
奈緒「べ、別にいいだろ! なんか安かったし、割と出来も良かったから……」
加蓮「ていうか奈緒の部屋、物増えたね。こんなにアニメグッズ持ってたっけ」
奈緒「最近また色々ハマっちゃってさ……それよりウチの父さんに何の用事だったの?」
加蓮「アタシのお母さんがさ、神谷さんのお宅にはお世話になったからお礼の品でも持って行けって」
奈緒「相変わらず義理堅いなあ」
加蓮「まぁね。で、また何か喧嘩でもしたわけ?」
奈緒「何が?」
加蓮「さっきまでアンタのお父さんと話してたんだけど、なんか奈緒の事色々言ってたから」
奈緒「あぁ……それはまあ、こっちの話」
今朝起こしてやらなかった事、まだ根に持ってるのか。
本当しょーもない大人だな。
加蓮「お父さんの事、ちょっとは大事にしてあげたら? 良い人なんだしさ」
奈緒「お前がそれ言うか。いつも両親の事で愚痴ってるくせに」
加蓮「あーあ、アタシも奈緒のお父さんみたいな人が親に欲しかったなー」
奈緒「馬鹿言うなよ、苦労してるんだぞこっちも」
加蓮は少し疲れたようにあたしのベッドにごろんと転がった。
疲れやすい体質は変わってないんだな。
しばらく休憩するようにあたしの枕に顔を埋めて深呼吸していた。
……加蓮がウチの父さんの何を見てそんなに評価してるのか分からないけど、あたしからすれば加蓮の両親の方がよっぽど羨ましい。
すごく常識的で礼儀正しいし、料理も上手だし、お金持ちだし。
それにウチの父さんと違って特撮ヒーローの変身ベルトを巻いてドヤ顔でポーズ決めたりしないし、奇妙なガラクタ集めに精を出したりもしないからな。
けど加蓮に言わせれば「過保護で過干渉だしいちいち煩くてもうサイアク」らしい。
確かに加蓮の両親は一人娘の体を過剰に気遣ってる気がしないでもない。
入院するたびによく愚痴を聞かされた。「体はもう平気なのにまだ入院してろって。イヤんなっちゃう」
そんな過保護気味な加蓮の両親なんだけど、なぜかあたしの家に対してだけ妙にオープンなんだよな。
加蓮を連れて海に行った時も「よろしくお願いします」って言われただけだし、何をそんなに信頼されているのか謎だ。
ま、そんな感じで北条家と神谷家は昔からよろしくやってきたってわけ。
奈緒「そうそう、聞いてくれよ。今日S市のショッピングモールに行ってきたんだけどさ……」
あたしは偶然遭遇したウサミミお姉さんについて話し、そして運よく特別参加賞に当選した事を説明した。
加蓮「へ~、そういう事もあるんだね。でもせっかくだけどアタシ、そのアニメ知らないよ」
奈緒「なんか幼馴染と一緒に見てね~って言われたから……」
加蓮「な、なんで幼馴染指定……? まあ別に一緒に見るくらいならいいけど」
奈緒「飲み物でも持ってくる?」
加蓮「アタシはいいよ」
奈緒「そう? じゃさっそく見るか」
あたしはパソコンに『ドリームステアウェイ』の特典DVDをセットして再生ボタンを押した。…………
――――
――
『――……アー、アー、マイクのテスト中ー……え゛っ、もう始まってる!? す、すみませんっ、あわわ……』
『お、オホン。えー、「無尽合体チヒロ~ドリームステアウェイ~」の特典映像をご覧のみなさん、始めまして! レポーターを務めさせていただく矢口美羽です! よろしくお願いします!』
『さて皆さん、いきなりですが私が今居る場所がどこか分かりますか~? ……そうです! なんと私、アニメの舞台になったS市に来ているんです~! わ~すご~い!』
『そして今日はですね、この「ドリームステアウェイ」の物語のモデルにもなった千川地方の有名な伝承について、私美羽が極秘の潜入取材をしちゃいます!』
『さっそく目的地までレッツゴー♪』
『……あっ、見えてきましたよ! 美城山記念館です! ……むむっ、警備員がいますね。そう簡単には潜入させて貰えないみたいで……え? アポ取ってある? でも極秘って……そういう意味じゃない? え~っ、せっかく気合入れてきたのに~……ま、まあ気を取り直して行ってみましょう! お邪魔しま~す……どうもどうも……あっはじめまして~……よろしくお願いしま~す……』
『はい、ちょっとグダグダになっちゃいましたけど、こちら! 美城山にまつわる伝承「永夜伝説」にお詳しいという道明寺歌鈴さんですーよろしくお願いしますー』
『よ、よよよろしくおねがいしましゅっ』
『なんでも歌鈴さんは神社で巫女をやってるとか』
『はひぃ』
『歌鈴さんは無尽合体チヒロのアニメはご覧になられているんですかぁ?』
『あの、ご、ごめんなさい。私あんまりそういうの詳しくなくて……で、でででも美城神社とそれにまつわる神話についてならお、お話しできると思いますぅ……』
『なるほど~! それじゃまずアニメの内容について、ここで軽く解説入れておきますね♪』
説明しよう!
アニメ「無尽合体チヒロ~ドリームステアウェイ~」は無尽合体シリーズ三作目として制作されたTVアニメである。
ある日、主人公ナオミの住む町に突如現れた謎の巨大飛行物体。
その正体は外宇宙からの侵略者だった!
侵略者は夢の世界を通じて人類を支配しようと企み、人々を眠りの恐怖へと陥れる。
そんな未知の侵略に怯えて暮らしていたある夜、ナオミの家の裏山に爆発のような轟音と閃光が響く。
親友のカレンと一緒に様子を見に行くと、そこには不時着した宇宙船の残骸が燃えていた!
そこで二人は月人と名乗る瀕死の生命体と邂逅する。
「私の代わりにチヒロに乗って……地球を守って!」
二人は月のテクノロジーによって開発されたバイオロイド型夢想兵器「チヒロ」を操縦し、夢世界へとダイヴする。
そして外宇宙幾何学生命体、通称「ドリームチェイサー」との死闘の末、見事これを破壊することに成功。
こうしてナオミとカレンの二人は地球と月の未来をかけた壮大な闘いへと巻き込まれていくのだった……。
『へえ~、なんだか面白そうなお話ですね』
『そうなんですよ~! 只今絶賛放送中なので見てください~』
『えぇっと、それで、そのアニメと美城山の神話にどういう関係が……?』
『実はですね。主人公たちがチヒロに乗って夢の世界に行っている間、地上はずっと夜のまま時間が止まっているという設定なんです。これのモデルになっているのが、かの「永夜伝説」だとお聞きしたので』
『ああ、なるほどぉ』
『永夜伝説っていうのは具体的にどういうお話なんですか?』
『えーっと、そうですね……一般的に言い伝えられてるのは、山の神様に不義を働いた種族へ天罰が下り、一夜にして山の生き物全てが神隠しにあったという話です。その舞台が美城山だと言われているんですが』
『ふむふむ』
『ただ本来の言い伝えは少し違っていて、美城山の神隠しはあくまで大元の異変の副次的な災厄に過ぎないというのが正しい解釈なんです。そして、その大元の異変というのが名前通り「永遠の夜」が地上を覆ったというお話で……』
『永遠の夜?』
『はい。え~っと、かいつまんで説明すると……』
千年前、十五夜の満月の日から突如それは始まり、数日に渡って太陽の昇らない日が続きました。
明けない夜に絶望した人々は神の怒りを恐れ、地上は混乱の渦に巻き込まれたのです。
美城山の神隠しはこの永夜の狂気を代表する災厄として有名になったというわけなんです。
『なんだかすごい壮大なお話ですね~!』
『この伝承は古の高天原神話、天照大神の岩戸隠れと似ていますが、実はこの「永夜伝説」にも太陽の神様が関わっているんです』
『あっ、もしかしてここに展示されている絵巻物がそれなんですか?』
『はい。天之多嘉富士主神命(あめのたかふじぬしのみこと)という天津神で、私たちは茄子様と呼んでいます。またこの絵で対になっている方の神様も重要で……』
『確かに、よく見たら二人いる!』
『こちらが常闇之穂足神(とこやみのほたるのかみ)という神様で、私たちはほたる様と呼んでいます。永夜の異変はこの二人の神様によって鎮められたというのが本来の言い伝えでして……』
『おお~、なるほど! 聞いてみるとアニメの内容とリンクしてる部分が結構ありますね~。……ちなみに、この絵巻を見ると中央に桜の木のようなものがありますけど、これは何でしょう?』
『美城山の守護神である依立良之神(よりたてのよしのかみ)が茄子様とほたる様を高天原から呼ぶために火を灯したと言われる墨染桜です。これは実物がありまして、美城山の奥地に行けば見ることができます』
『墨染桜と言えばアニメ第一話でナオミとカレンが月人と出会った場所ですね~。しかも実物があるとは! これはまた一話を見返したくなっちゃいますね! ということでブルーレイ第一巻、好評発売中で~す! ……えへへ、上手く宣伝できたかな』
『あ、あのっ、良かったら美城神社もぜひ、ああ遊びに来てください。よろしくお願いしまふっ』
『聖地巡礼で賑わうのが今から楽しみですね! ということで道明寺歌鈴さん、今日はどうもありがとうございました~』
『あ、ありがとうございましたっ』
『…………さて、潜入レポいかがだったでしょうか。かな~り重要な情報を聞くことができましたね! もうすぐアニメも終盤を迎え、ファンの皆さんの考察も白熱しそうな予感です!』
『果たしてナオミとカレンは侵略者の魔の手から地球を守り抜くことができるのか!? 夢想兵器チヒロに隠された真の力とは!? ナオミとカレンの出生にまつわる謎、そして明かされる月人の本当の目的……!』
『今後もますますアニメ「無尽合体チヒロ」から目が離せませんね! 以上、……ザッ……矢…美羽……ザザ……でし……ザザザザ―――…………』
『……………………………!?』
『……………………………………………………?』
『…………………』
『…………………………っ!』
『……………………………………………』
『……ザザザザピュ――――……待って…………待ってくださーい! まだ特典映像は終わりじゃないんですぅ! ごめんなさい間違えちゃいました! 先輩すみません~』
『慌てなくても大丈夫ですよっ美羽ちゃん! あとはこのウサミン星のスーパーアイドル、ナナにお任せあれ! キャハッ☆』
『……さ、これを見てるあなた! これからと~っても大事な話をしますから、よく聞いてくださいね♪』
『まず、三人とも今日が何の日か知ってますか?』
『……ピンポーン、芳乃ちゃん正解! 今日はあの永夜の日からちょうど千年、十五夜の満月が空に昇る日なんですっ』
『ナナはずーっとこの時が来るのを待っていました。地上に追放されたあの日から、故郷の星を想わない夜はありませんでした……』
『それから、芳乃ちゃんと周子ちゃん、その二人の末裔である奈緒ちゃんと加蓮ちゃんにも、きちんと謝らなくちゃいけないって思ってました。今日、やっとそれが叶いそうです』
『千年前の事件は、全部ナナのせいなんです。ナナのせいでたぬき族ときつね族の皆さんをあんな酷い目に合わせてしまいました。本当にごめんなさい』
『そしてこれから起こる事も先に謝っておきます。ごめんなさい』
『ナナは今日、月に帰ります』
『この星を二度目の時間対称渦が通過します』
『今度はきっと上手くいきます。こずえちゃんにも協力してもらいました』
『そして、ナナが旅立ってしまう前に、みんなにどうしても伝えなくちゃいけない事があるんです』
『奈緒ちゃんと芳乃ちゃんにお願いがあります』
『今夜、美城山の墨染桜の場所へ来てほしいんです。できれば加蓮ちゃんも一緒に』
『……今は信じてもらえなくても、夜になればきっと分かります』
『そんなに怖い顔しなくても大丈夫ですよ、奈緒ちゃん。悪いようにはなりませんから』
『――ザザ…ッ……ザ…先輩…………時間……で……! ザザ……――』
『あっ、時間が来ちゃったみたいです。それじゃあ奈緒ちゃん、芳乃ちゃん、それから加蓮ちゃん、ナナのハートウェーブはちゃんと受信できましたか? 念のためもう一度、ウサミンビーム! ピリピリーン☆』
\ボンッ/
『ああ゛っ! 機材がザザッ……どどどどうしましょうザザザザ大変…………ピュ――――――――』
『――――キャハッ☆』
ブチッ
――――――
――――
――
少し休憩
○ ○ ○
夜、10時くらいだった。
あの特典DVDを見た加蓮は「気味が悪い」と言ってまともに取り合わず帰ってしまった。
あたしは嫌な夢を見た後みたいに心がざわざわして落ち着かなかった。
それで、部屋の窓の外をじっと眺めていたんだ。
薄い雲の裂け目から、綺麗すぎる満月が地上を覗きこんでいた。
今までに見たどんな光りよりも妖しく、神秘的だった。
気付けばあたしは空に浮かぶ巨大な満月の瞳に心を奪われていた。
あたしのちっぽけな意思や理性はたった一つの感動に支配され、そして月の引力に逆らえないままどこまでも空に昇って行こうとしていた。
「奈緒」
呼ばれてようやくあたしは我に返った。
そして同時に、目の前に芳乃の透き通るような肌、その実体を見た。
奈緒「芳乃、お前……?」
芳乃「ナナの言っていた事は本当だったようでしてー」
衣擦れの音がして、芳乃はスッと窓の外を指差した。
見たこともない赤い霧が町を覆っていた。
芳乃「千年前と同じ……永夜の始まりでしてー」
あたしは窓の外の異常な光景にしばらく放心して、それから慌てて一階に降りた。
奈緒「父さん! 外が大変な事になってる! なあ、父さ……!」
一瞬、叫びそうになった。
父さんが居間でうつぶせに倒れていたから。
けどよく見てみると、大きないびきをかいて寝ているだけだった。
パニックになりかけたあたしはその間抜けな声を聞いて安堵した。
芳乃が階段を降りてくる音が聞こえた。
もう半透明の霊体なんかじゃない。
原因は分からないけど、芳乃が意図せず実体化している事は明らかだった。
芳乃「月の狂気が増しておりますー」
随分落ち着いた様子で芳乃は言った。
奈緒「時計が止まってる……スマホも付かない。なんなんだ一体……」
あたしはふと加蓮のことが心配になって外に出ようとした。
芳乃が腕を掴んで引き止めた。
芳乃「お気をつけてー、外はおそらく妖怪や幽霊たちで溢れていますー」
あたしは制止する芳乃の腕を逆に引き寄せてひょいと抱っこした。
そのまま赤い霧の立ち込める外へ飛び出す。
奈緒「どっちにしろナナさんが言ってた事が正しいなら、あたしたちは美城山に行かなくちゃいけないんだ。きっと加蓮も巻き込まれてる。それに幽霊だの妖怪だのは芳乃様が何とかしてくれるしな。だろ?」
どう考えても普通じゃないこの状況の中でもあたしは不思議と恐怖を感じていなかった。
最初は半信半疑だったけど、あのナナさんからのメッセージを受け取った時にすでに覚悟はできていたんだ。
それにこれまでだって十分普通じゃない生活を送ってきたわけだし、今更ビビってられるかっての。
芳乃「でしたらー、もう少し丁重に扱ってほしいのでー」
芳乃をカゴにすっぽり収めてあたしは自転車を漕ぎ出した。……
――
―――
――――
奈緒「……加蓮。……加蓮ってば。ちゃんとしがみついてないと落ちるぞ……って痛たたたた! そこまで抱きつけとは言ってないっ」
加蓮「…………馬鹿」
奈緒「まだ泣いてんのか? へへっ、加蓮も結構ビビりなんだな」
加蓮「ビビるに決まってるでしょ! わけわかんないDVD見せられたと思ったら皆眠ったまま起きないし、電話は通じないし、変な赤い霧は出るし!」
奈緒「うおっと、と! 暴れるなって、二人乗りとか慣れてないんだから!」
前カゴに芳乃も乗ってるから実質三人乗りだけどな。
不気味なくらい静かな田舎の道を自転車の頼りないライトが照らしていく。
民家は朽ち果てた廃墟のようにひっそりと霧の中に埋もれている。
辺りは人間どころか虫たちの気配さえ無い。
まるで世界にあたしたちだけが取り残されたみたいだ。
この世の終わりがあるとしたら、きっとこんな感じなんだろうな。
最初、加蓮の家の呼び鈴を鳴らしても反応がなくて、大声で加蓮の名前を呼んだんだ。
そしたら勢いよく玄関の扉が開いて半泣きの加蓮が「奈緒!」って叫びながら抱きついてきた。
止まった時間、目を覚まさない両親、そして外の異常な風景を目の当たりにして、恐ろしさのあまり身動きが取れなくなっていたらしい。
よっぽど怖かったのか、涙目になってあたしの名前を連呼する表情にはいつものような余裕が一切無かった。
そして、これから美城山に向かうと説明すると急にヒステリックになってあたしを引きとめようとした。
「どこにも行かないで、ずっとアタシと一緒に居て!」って、駄々をこねる子供みたいにしがみついていた
ここまで取り乱す加蓮を見たのは初めてだった。
結局、あたしはそこで加蓮をあやすのにしばらく時間を使った。
具合が悪くならないように気を遣いながら優しく背中をポンポンしてあげたり、頭を撫でてやったり、甘えるようにあたしの胸に顔を埋めるのをするがままにさせていた。
そういえば子供の頃もよくこんな風に加蓮の体を休ませてあげてたっけ。
非常事態にも関わらずあたしはのんびり昔の事を思い出していた。
落ち着いて冷静になるのを待ってから、あたしはこれまでの話とこれからの話をした。
信じてくれたかどうかは分からないけど、芳乃の事や他の神様たちについても説明した。
そして一緒に美城山へ行こうと説得すると、不安そうな顔をして逡巡した後に「うん」と頷いてくれた。
そんな流れで今に至るってわけ。
加蓮「……奈緒さ、ちょっと胸おっきくなった?」
奈緒「は、はあっ!? いきなり何言い出すんだ! っていうかどこ触ってんだ変態!」
加蓮「ちょ、あぶなっ! 前見て前!」
……いつもの調子に戻ったと思ったらこれだ。
でもこれくらい元気な加蓮の方が安心するよ。
美城山のいつもの山道入り口にはすでに人が居た。
いや、正確には人じゃないか。
芳乃「周子ー」
周子「おっ、来たね。……知らん人もおるみたいやけど」
奈緒「なんで周子がここに?」
周子「なんでって、そりゃ……」
ほたる「私が呼んだんです」
奈緒「わ!? びっくりした!」
芳乃「ほたる様までいらっしゃったとはー」
ほたる「お久しぶりです、芳乃さん」
芳乃「お久しぶりでございますー、前年の出雲集会以来でしょうかー」
ほたる「すみません、なにぶん忙しくて……」
芳乃「いえいえー、こちらこそ長きに渡って守護神を代役していただいて感謝しておりますゆえー」
加蓮「……ね、ねえ奈緒。この人たちも全員、その……アレなの?」
アレとか言うな。
一応、神様なんだから。
奈緒「全員人間じゃないよ。一人は初めて見るけど……」
ほたる「お二人が神谷奈緒さんと、北条加蓮さんですね」
奈緒「は、はい」
ほたる「話は伺っています。私について来てください」
ほたる様はまるで遠足にでも行くみたいに山道を登りはじめた。
周子と芳乃が「懐かしい光景やねえ」「長く顕現していると疲れるのでー」なんてのんびり会話をしながら後に付いて行く。
緊張感の欠片もない。
あたしと加蓮は顔を見合わせて、釈然としないままとりあえず一緒に先へ進むことにした。
周子「茄子様は一緒じゃないのん?」
ほたる「茄子姉様なら先に墨染桜の方へ行ってます。それより四人とも、道中は無事でしたか?」
芳乃「それが不思議なことにー、妖怪や悪霊どころか低級霊の気配すらなかったのでー」
奈緒「そういや芳乃が脅かすわりに全然そういうのと出会わなかったな」
てっきり芳乃があらかじめ悪い霊を追い払ってたんだと思ってた。
しかしどうやら事情は違うらしい。
ほたる「あぁ、それなら良かった。こずえちゃんがしっかりやってくれたんですね」
芳乃「こずえ様がー……?」
あたしと加蓮が会話に置いてけぼりにされていたのを察して、ほたる様がわざわざ説明してくれた。
ほたる「奈緒さんと加蓮さんは、誕生日を食べる猫の話を知っていますか?」
奈緒「誕生日を食べる猫の話?」
いきなり何の話だ?
加蓮「あ、それ知ってる。その猫に誕生日を食べられると誕生日を忘れちゃうって奴」
ほたる「そして誕生日を失くした人は、他の誰かに誕生日を貰わなければ死んでしまうという……」
奈緒「なんだそりゃ?」
加蓮「そういう都市伝説があるってだけ。昔話だったかな? とにかく、今その話をして何か関係あるわけ?」
加蓮がやけにつっかかるように言った。
ほたる様は山道をゆっくり登りながら淡々と説明を続けた。
ほたる「誕生日を食べる猫は実在していました。その昔、人間がまだ自然の理の中で暮らしていた頃、地上は宵猫と昼猫という二つの種族に支配されていました。二つの種族は数千年にわたって戦争を続けていました。そして人類が文明を築き自然の理を克服するようになると、戦争で数を減らしていた猫たちは地上から姿を消していきました。
ほたる「しかし猫たちは決して地上の支配を人類に明け渡したわけではなかったのです。昼猫は人類と共存していくことで実質的な支配者を目指し、宵猫は人類を破滅させることで支配者に返り咲こうと目論んでいました。宵猫たちは夜な夜な人間を襲い、その魂を奪うことで種を存続させてきました。誕生日を食べる猫の正体というのは、まさに宵猫の事だったのです。
ほたる「そして千年前の今日、月の狂気に当てられた人間や霊を操り暴徒へと導いたのも、この宵猫たちでした」
ほたる「本来であれば、夜と月を司る神である私がその暴走を止めなくてはいけませんでした」
ほたる「しかし宵猫たちは私の言うことに耳を貸そうとしませんでした。彼らは本能に従うままに美城山へ侵攻し、たぬき族ときつね族の魂を次々に奪っていきました。私は茄子姉様と力を合わせて宵猫たちの暴走を鎮めました。
ほたる「……話を戻します」
ほたる「今夜、再び永夜がやってくるとナナさんから聞いた時、最も危惧したのは宵猫たちによる凶行の再来でした」
ほたる「そこで私たちはこずえちゃんの力を借り、この地方一帯の生き物と霊魂全てを眠りにつかせる作戦に出たのです」
ほたる「ここにいる皆さんは唯一その影響を受けません。その辺りはこずえちゃんが上手くやってくれたようで何よりでした」
ほたる「私が今話せる事はこれで全部です。……さあ、着きました」
見晴らしのいい丘のような場所へ出た。
巨大な桜の木が、季節外れの満開の花を咲かせて光り輝いていた。
その木の下、ひらひら舞う桜花の雨の中にウサミミ姿の少女と着物を纏った美女が立っているのが見えた。
ちょうど何かを話し終えたようにあたしたちの方へ注意を向ける。
茄子「ほたるちゃん、お疲れ様」
ほたる「茄子姉様、お話はもう済んだんですか?」
茄子「はい♪ そっちもどうやら問題なかったみたいですね」
美羽「ナナせんぱーい、こっちも準備オッケーです! いつでも起動できますよ!」
反対側の茂みから見覚えのある少女がひょっこり顔を出した。
その腕にはこずえ様が抱かれている。
こずえ「ふわぁ……こずえ……なにしてたんだっけー……? ……おもいだしたー……みんなねむっちゃえー……ねむれー」
美羽「あぁっ、ダメですよこずえ様! この人たちは眠らせちゃダメですってば」
こずえ「そうなのー……? じゃあ……ねむるなー……」
美羽は慌ててこずえ様と一緒にどこかへ行ってしまった。
ナナさんが心配そうにその後姿を見ていた。
周子「なんか……賑やかやね」
引きつったような笑みを浮かべながら周子が言った。
加蓮があたしの手を握って不安そうに見つめてくる。
実を言うとあたしも少し怖かった。
ここは明らかに人間の来るべき場所じゃない。
一歩間違えればあたしも加蓮も永遠に元の世界に戻れなくなるんじゃないかって、そんな予感が脳裏を掠める。
例えるなら、そう。
ここはあの世への入り口みたいだった。
茄子「ナナちゃん、後はもう大丈夫ですか?」
ナナ「はいっ、十分です! ありがとうございました!」
ナナさんがウサミミをぴょこぴょこさせながら一礼すると、茄子様はほたる様と一緒に脇に退いた。
風もなく揺れる墨染桜が月明かりを浴びて妖しい光りを放っている。
気付くと地面が赤く波打っていた。
霧が、山のふもとから押し寄せ集まってきている。
ナナ「…………さて、改めまして自己紹介しちゃいますねっ」
世界の終わり、その果てにあるような光景を背にしてナナさんは言った。
ナナ「ある時は月見亭のメイドさん、またある時はアニメイベントのスタッフさん。しかしてその実体は……なんと宇宙の果てからやってきたウサミン星人だったのです! キャハッ☆」
奈緒「…………」
加蓮「…………」
周子「…………」
芳乃「でしてー」
ナナ「……えーっと、冗談とかじゃないんです。ほ、本当なんですよ!? 信じてくださいっ」
奈緒「あ、いや、疑ってるんじゃなくて、テンションについていけてないっていうか……」
周子「はいはーい。改めましてって言われてもシューコちゃん初対面なんですけどー」
加蓮「自己紹介なのに名前も名乗ってないし」
芳乃「でしてー」
ナナ「うぐっ! さ、最近の若い子は容赦ないんですね……」
軽く咳払いしてから、
ナナ「名前は、地球言語に訳すと対有機生命体コンタクト用ウサミンロイドAB77型っていいます。でも長いのでナナでいいですよっ☆」
奈緒「なんかどっかで聞いたことある名前だな……」
加蓮「そのウサミン星人があたしたちに何の用? そもそも神様だの何だのって、あたしには全然関係ない事でしょ。なんで連れて来られたわけ?」
ナナ「加蓮ちゃん。あなたには直接関係なくても、奈緒ちゃんに関係があるって言われたら、どうしますか?」
加蓮「……どういう意味?」
ナナ「先に結論だけ言っちゃいますね。加蓮ちゃんは、今から千年前に宵猫に滅ぼされたきつね族の最後の生き残りで、唯一の子孫なんです。つまり加蓮ちゃんと奈緒ちゃんは、遥か昔から脈々と受け継がれてきたきつね族とたぬき族の深い因縁によって結ばれた運命共同体、いわゆるソウルメイトなんです。
ナナ「だから、奈緒ちゃんに関係する事は加蓮ちゃんにも関係があるんです。ナナは月に帰る前にこれだけは教えておきたかった。それを今から説明しますねっ」
ナナ「二人が出会った事は偶然かもしれません。でも加蓮ちゃんが奈緒ちゃんを特別に想い、奈緒ちゃんがそれを受け入れる事ができたのは運命なんです。例えるならお互い近づくほど引力が加速していく磁石のように、二人はこれまであまりにも密接に寄り添って生きてきたせいで、もはや自力では離れられないほどに惹かれ合っている。
ナナ「そして、その運命の先にあるのは必然的な不幸です」
ナナ「当たり前ですよね。だって元は憎しみ合っていた二つの種族の末裔なんですから」
ナナ「二人はきっと近い将来、お互いを滅ぼし合う事になります。二人の遺伝子に組み込まれた太古の記憶は、その過程がどうあれ結果的に運命の相手を滅ぼすようプログラムされているんです。そこには自覚なんてありません。これは約束された未来なんです。
ナナ「加蓮ちゃんの病気がちな体は確かに生来のものです。けど、加蓮ちゃんの魂にこびりついている破滅的願望は、奈緒ちゃんという相反する血族に呼応して育った一種の遺伝的呪い、あるいは民族的な集合無意識なんです。
ナナ「そして奈緒ちゃんはすでに加蓮ちゃんの呪縛に囚われている。加蓮ちゃんは自身の破滅を望み、そこに奈緒ちゃんを引きずり込もうとしているんです。今はただ嫉妬心や独占欲が心の奥深くにある偏愛を覆い隠しているに過ぎません。そう、二人がまだ子供でいる内は……
ナナ「根拠? ……ええ、周子ちゃんがそう思うのも無理はありません。きつね族は千年前に絶滅したはずだと」
ナナ「…………」
ナナ「……そうですね。確かにいきなりこんな話をされても混乱しちゃいますよね。みなさんには到底受け入れられる事じゃないかもしれませんが、でも真実なんです」
ナナ「分かりました。もう一度、きちんと最初からお話しましょう」
「ナナが、この星を作ったわけを。」
「元々ナナはM780銀河※※※系ウサミン星で生産された恒星間連絡担当ウサミンロイドでした」
「地球公転換算で今からおよそ40万年前、ナナはウサミン星から遥か2000万光年離れた島宇宙へメッセージを届ける使命を得てウサミン星を発ちました」
「ナナたちウサミンロイドの宇宙航行技術は基本的に恒星から放たれる光子をあるパターン化された電気光学的ポリマーの配列上に露光させ、そこで検知した時空連続体の再収縮可能な帯域を計算し、宇宙のはずれに非ユークリッド幾何的な自己相似時空を作ることでらせん状に折りたたまれた隣接ゆがみの中を脈動する、いわば引き伸ばされた時間と空間の相に離散的に同時に存在する波動現象として宇宙の内部を移動する手段を取っていました。
「そして10万年ほど前、時間等曲率重力螺旋渦の航路計算にミスがあり、宇宙船がこの銀河に流れ着いてしまったんです」
「ナナはここであらゆる惑星に着陸を――それはつまり脈動する重力螺旋と惑星の重力との単一交点へ実体化するという意味ですけど――試みて、そして最終的に不時着したのが太陽系第三惑星である地球の、その衛星である月でした。
「その当時、地球上ではまだ人類は十分な文明を築いているとは言えず、代わりに月人が高度な知的文明を有していました。だからナナは地上ではなく月面に宇宙船ごと不時着したんです。
「不時着の衝撃で宇宙船は故障してしまいました。ナナはただのウサミンロイドですから、修理をするのにも限界があります。そこでナナは故郷のウサミン星へSOSメッセージを発信し、その返信を待っている間、ナナは月人に協力してもらいながら修理に必要な材料を集めていました。
「しかしウサミン星から返ってきたメッセージによると、いくつかのパーツは月面ではなく地球上でしか調達できない事が判明したんです」
「月人は確かに知的文明を築いていましたが資源的に宇宙航行技術が発達する見込みはなく、ナナの壊れた宇宙船では地上へすら満足に飛び立つこともできません。つまり、ウサミン星から支援物資が送られてくるまでナナは30万年ほど月で待たなくちゃいけなくなったんです。
「そこでナナは、宇宙船に積まれていた時間等曲率重力螺旋制御装置を改造し、擬似的な再収縮帯域を地球及び月の公転軌道上に割り出して、断続的に地上へメッセージを送り続けることにしました。そのメッセージこそが、地上に文明を栄えさせ、月まで資源を運んでくるレベルまで人類を進化させるためのオラクル、託宣でした。
「それら託宣は成功したものもあれば失敗したものもありました。最初は猫族に対してメッセージを送っていたんですけど上手くいかなくて、代わりに人類がナナのメッセージを受け取ってくれるようになりました。そして一部では神託を受けた人間が神の子と崇められ宗教を生み出し、また一部では歴史的大発見や発明の閃きを与えるきっかけにもなりました。
「一応、ナナは自分が波動現象化している間は一定の範囲の時間に同時に存在するわけですから、ある程度の単時点的な未来なら観測することができました。そうして歴史改変を積み重ね、ようやく人類が月へ到達する未来が見えるようになった時、それは起こってしまったんです。
「ナナが作った重力螺旋の擬似時間等曲率渦が、太陽の黒点周期に影響を受けて想定外のアトラクタを形成し一時的にコントロール不能になったんです。この事故はナナの不連続な時間観測の隙間で発生したので予測もできず対処も遅れました。
「その結果、地球時間にしておよそ一週間、地球と月を結ぶ直線上に時間対称の並行渦が重なり、時空が閉じられてしまいました」
「……これが、千年前に突如発生した『終わらない夜』の真相です」
「この事件そのものは世界規模で起きた事です。それじゃあなぜ千川地方だけ伝承が残されているのかって疑問に思いますよね?」
「答えは、この地方が美城山を中心に物理的実在世界と量子的実在世界の境界面になっているからなんです。これには色々と理由があって一口には説明しにくいんですが、地理的条件と特殊解釈条件がちょうどある漸近的集合環に収まって静的構造を形成しているのが原因なんじゃないかってナナは考えてます。
「まあ要するに、この千川地方は人間と神様の世界が行き来しやすい環境にあるって事です」
「元々、物理的実在世界と量子的実在世界はよほど特殊な条件下でなければお互いを観測するだけで精一杯なんですけど、どうやらナナが太陽系に漂流したときの隣接ゆがみが、ランダマイズされたスリットを――つまりカオス論的に振る舞うグリッチノイズを――拡散させてしまったみたいで、そのせいで局所的な重ね合わせの確率分布に偏りが生じて他方の現象が他方に干渉しやすくなってしまったみたいなんです。
「だから、この世界では人間や動物といった個体・集団現象が魂や意識として量子的実在世界に影響を与え、また影響を受けた量子的存在は幽霊や神様、悪魔や天使という形になって物理的実在世界に干渉するようになったんです。
「…………話があっちこっち行って分かりにくいですかね? でも、重要な事なんです」
「それでえーっと、何の話でしたっけ。……ああ、そうそう! 永夜異変のその後ですね」
「ナナは、時空閉鎖現象を引き起こし地上を混乱に陥れたとして月人から非難され、処罰を受けることになりました」
「それが地上への追放でした」
「ちょうど時空閉鎖が解放される頃、ナナは不完全な装置で時間非対称系重力螺旋渦に乗せられ、ここ美城山の墨染桜のある丘へ実体化しました」
「ナナがここへ降り立った時にはもう、たぬき族もきつね族も全滅していました。そこでナナは自分が犯した過ちをやっと理解したんです。初めて後悔と悲しみを知りました」
「そして、そんなナナにも償いのチャンスが与えられました。偶然、きつね族の生き残っていた子を発見したんです。ナナは夜が明けてからその子を連れて山を降り、以降何年にも渡って見守り続けました」
「その血の繋がりの果てに、今ここに加蓮ちゃんがいるというわけなんです」
「…………あ、いえ、別に隠してたとかいうわけじゃないんですよ? ただ周子ちゃんはとっくに知ってるものかと思ってたので……」
「…………今更そんな事を言われて怒る気持ちも分かります。本当にごめんなさい」
「ナナの話を信じるかどうかは、奈緒ちゃんと加蓮ちゃん次第です。でもさっき言ったようにナナは未来を観測することができます。二人がお互いに傷つけ合う未来をナナはすでに知っている。そしてナナが二人にしてあげられる事はただ一つ……」
「この事実を二人に打ち明ける事だったんです」
「ナナはこれまで何度も未来を改変するためのメッセージを地上に送り続けていました。その度に観測した未来が意図しない方向へ変わる事もしばしばでした。中にはほんの些細なきっかけで人類が滅びる未来が見える事もありました。カオス理論で言うところのバタフライ効果をシミュレートするには、人類はあまりに多様すぎました。
「でも、だからこそナナは二人の意志に賭けてみたいと思ったんです。二人に真実を告げた今、ここから先はもうナナが観測した未来じゃありません。二人が自分たちの意志で選んで、決めていく未来なんです」
「もしかしたら、それでも結末は変わらないかもしれない。あるいはもっと悪い方向へ収束してしまうかもしれない……けれどナナは、そんな可能性も全て二人の手に委ねたい」
「ナナは信じたいんです」
「加蓮ちゃんと奈緒ちゃんなら、きっと運命を克服できる」
「そして、たとえこの先どんな未来が待ち受けていたとしても、必ずそこに二人の幸せを見つけることができるって」
「そう信じ続ける事が、ナナの犯した過ちの最後の償いであり、希望でもあるんです」
「………………」
「……えへへ、ちょっとかっこつけすぎちゃいましたかね」
「最後まで無責任なことばかり言ってごめんなさい。ナナはもう月へ帰らなくちゃいけません」
「あとはこずえちゃんが集めてくれた夢の世界を入り口にして重力渦を遡って行くだけです」
「……あっ、ひとつ言い忘れてた事がありました」
「もう芳乃ちゃんは分かってるみたいですね」
「…………はい。その通りです。ナナは月へ戻ったら今度こそ宇宙船を修理し、本来の目的である2000万光年先の島宇宙を目指して再び旅立ちます」
「もう修理に必要な材料は用意してあります。数日後に打ち上げる予定になっている月面探査機に搭載しておくよう、宇宙航空局に手配は済んでいますから」
「だから、それまでが期限です」
「……期限というのはつまり、ナナが再び宇宙船を飛ばし、この銀河から離れていくって事で……太陽系を覆っている隣接ゆがみの残留物も一緒に離れていくという意味です」
「…………はい」
「そうです」
「そういう事になります」
「……ごめんなさい。奈緒ちゃんを悲しませるつもりなんてないんです。周子ちゃんと、周子ちゃんのガールフレンドにも、酷い仕打ちをしてしまう事になるかもしれない」
「でも一度汚してしまった宇宙は綺麗にしなくちゃいけません」
「元に戻るだけなんです。何もかも、ナナが月に不時着する前の世界に……」
「…………」
「……時間が来たみたいです」
「皆さん。これまでの10万年間、大変ご迷惑をおかけしました。そしてこの千年間、大変お世話になりました」
「何をしても上手くいかずに謝ってばかりだったポンコツウサミンロイドを、どうか許してください」
「…………さようなら」
その時、山のふもとから突風が吹いてきた。
濃い赤い霧が竜巻のように集まって、次第に墨染桜とナナさんを包んでいく。
そして月まで昇って行って、
――消えてしまった。
――
――――
――…………
.
○ ○ ○
すっかり秋も深まってきた。
ここのところ毎日のように寒くなっていく。
さびしい風が乾いた音を立ててあたしの足元を吹き抜ける。
そんな心地良いくらいに切ない季節の空気を味わいながら、芳乃と二人で学校からの帰り道を歩いていた。
それであたしが昨日録画したアニメの続きをぼんやり考えたりしていると、芳乃が「期末てすとの勉強が先でしてー」なんて身も蓋もない事を言ってくる。
あたしは少しムッとして「分かってるよ」って返事をする。
奈緒「でも休憩時間にちょっとだけなら、さ。いいだろ?」
芳乃「……ちょっとだけでしてー」
「もうすぐ冬かなあ」って話しかけると「でしてー」って返ってくる。
会話になってないような会話だけど、なんだか安心する。
ふと思いついてアニメの話題を振ってみると涼しい顔をして持論を語り始めたりした。
そしてアニメの話が次第に江戸時代の人形浄瑠璃の話になり、平安時代の和歌と能にまで遡るのもお約束だ。
いつもだったら軽く聞き流して適当なところで話題を変えるんだけど、かと言って今はあたしから話すような事も特にない。
ま、たまには芳乃の長話にも付き合ってやろうかな。
案外、退屈しない。
奈緒「ただいま」
芳乃「ただいまでしてー」
「おう、二人ともおかえり」
奈緒「あれ? 珍しいな、あたしより先に帰ってるなんて」
「今日は早く上がったんだよ」
父さんは嬉しそうにニカッと笑って言った。
「もうすぐ夕飯できるぞ。ああ、それと芳乃ちゃんに面白いお土産もあるんだ、後で見せてあげるよ」
芳乃「ほー、それはそれはー……ありがたき心遣い、感謝いたしますー」
奈緒「もしかしてまたお金使ったんじゃないだろうな?」
あたしがギロリと睨みつけると父さんは分かりやすく目を泳がせて台所へ逃げて行った。
ったく、うちが貧乏だって事分かってんのかな。
元々子供に甘い親だったけど、芳乃に対する可愛がりはそれ以上だ。
父さんに芳乃の正体を明かしたのは先週の話だったかな。
というのも芳乃はここ最近、自分の霊体を上手くコントロールできなくなっていた。
そして霊体より実体でいる方が楽だと気付いてからは、なるべく家の中だけでも実体化させておいてやりたいと思ったんだ。
最初、父さんに芳乃を紹介した時は近所の小学生が遊びに来たくらいにしか思っていなかったらしい。
それはそれで話がややこしくなるから、あたしは思い切って神様とかたぬき族の事について全部しゃべったんだ。
父さんはあたしの話をあっさり信じた。
それどころか一人で大盛り上がりしてた。
オカルト話とか非現実的な話とか大好物だからな、この人は。
そんなわけで芳乃は神谷家に居候する形になり、父さんはまるで家族が増えたみたいに喜んでいた。
細かい部分を全然気にしない父さんの性格はこういう時に都合が良い。
夕飯を食べ終わってから父さんは芳乃にある物をプレゼントした。
芳乃「これはー……?」
「この前出張に言った時にな、良い骨董屋を見つけて寄ったんだよ。そしたらこれ、芳乃ちゃんにぴったりなんじゃないかって……」
それは大きな法螺貝だった。
値段を聞いたら思っていたのより桁が二つくらい大きかった。
とりあえず今後三ヶ月の家事当番は全部父さんがやるという約束をして許すことにした。
身内に甘いという点ではあたしも人のこと言えない。
「せっかくだし芳乃ちゃん、ちょっと吹いてみよう、な?」
全然反省してないな、こいつ。
あたしが一発ゲンコツでも入れてやろうかと構えた時、芳乃が「すぅー……」と胸を膨らませているのが見えた。
芳乃「ぶおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお」
奈緒「音でかっ!?」
あたしは慌てて芳乃から法螺貝を取り上げた。
夜中に近所迷惑だっつーの!
一方、父さんは爆笑してた。……
奈緒「…………なあ、芳乃」
芳乃「駄目でしてー」
奈緒「まだ何も言ってないんだけど……」
芳乃「今日中に英語の試験範囲を終わらせなければ間に合わないのでー」
奈緒「うぐっ……でもさ、ぶっちゃけアニメの続きが気になって勉強に集中できないんだよ。30分だけ! いいだろ?」
芳乃「ふむー。まあ時には休憩も必要かもしれませぬー」
奈緒「! なら……」
芳乃「ではー、この問題まで進んだら休憩しましょうー」
芳乃の飴と鞭にまんまと操られてあたしは通常の1.5倍のスピードで問題集を解いていった。
そして、あともう少しで休憩できるって所まで進んだ時、背後でゴトンと何かが床に落ちる音がした。
振り向くと、さっきまで芳乃が手で弄っていた法螺貝が床に転がっていた。
芳乃「…………」
芳乃は少し驚いたように自分の手のひらを見つめていた。
そして、あたしと目が合った。
芳乃はフッと力が抜けたように微笑んだ。
その慈しみに溢れた表情が、少しずつ部屋の景色と同化していく。
期限が来たんだ。
芳乃「ナナがとうとう月を発ったのですねー」
奈緒「芳、乃……」
芳乃「覚悟はしておりましたがー、如何せん唐突なのでしてー」
奈緒「………………」
芳乃「……何をそんなに悲しい顔をしているのでー」
奈緒「べ、別に悲しい顔なんて……し、してないっ」
芳乃「わたくしが消えた後もー、きちんと最後まで試験範囲を終わらせるのですよー」
奈緒「この馬鹿っ! 最後に言うことがそれかよ!?」
芳乃「しかしわたくしが居ないと奈緒はいつもー……」
奈緒「あのなあ! こんな時まで説教しなくていいんだよっ! あたしが今どんな……気持ちで……っ!」
芳乃「…………奈緒ー、どうか泣かないでー、明るく笑ってほしいのでしてー」
奈緒「……泣いてなんか……っ……ない……! む、むしろやっと呪いが解けてう、嬉しい、くらいだっつーの……!」
芳乃「相変わらずー、素直ではないのでしてー」
芳乃の姿はもうほとんど消えかかって、声もだんだん小さくなっていた。
けど、涙でぼんやり霞んでいる中でも、芳乃が優しい笑顔をずっとあたしに向けている事だけは分かった。
芳乃「奈緒には色々と苦労をかけさせてしまいましたー。こう見えてわたくしも反省しているのでしてー」
奈緒「…………」
芳乃「遠い血縁にあるからといってー、そなたにはたくさんの無理難題を押し付けてしまいましたー」
奈緒「…………」
芳乃「いらぬお節介と分かっていながらもー、つい余計な口を挟んでしまう事も多々ありましたー。立派な人間になってほしいとー、わたくしの勝手な願いのためにー……」
奈緒「…………」
芳乃「……申し訳ないと思っているのでしてー」
奈緒「そんな、こと……ないよ」
芳乃「……たった数ヶ月の短いあいだでしたがー、騒がしくも楽しい日々でしたー。まるで家族のようにー……奈緒と出会えて良かったとー、心から思いますー」
奈緒「ッ…………」
芳乃「泣かないでー……これは別れではありませぬー。ナナも言っていたようにー、わたくしという存在が消えてしまうわけではなくー、ただ歪んでいたものが元に戻るだけなのでしてー」
奈緒「うん……っ」
芳乃「例えお互いの姿が見えなくなってもー、わたくしはいつでもそなたの傍におりますゆえー……これまでと同じようにー、これから先もずっとー……」
奈緒「……っあたしも……! あたしも、芳乃と出会えて、良かった……」
芳乃「…………」
奈緒「……最初はわけわかんない事ばかりで、なんであたしがこんな目にって思ったよ……でもさ」
芳乃「…………」
奈緒「わけわかんない事だらけでも、楽しかった。芳乃のおかげで色んな人と会えたし、知らなかった事もたくさん知った。父さんの事も、加蓮の事も……」
芳乃「…………」
奈緒「あたし、頑張るよ。芳乃がいなくても立派な人間になってみせる。そしてもっと自分に正直に生きてみるよ。もう自分の気持ちをごまかしたりしない、だから……」
芳乃「…………」
奈緒「芳乃。ありがとう」
それを聞いた芳乃は、最後に、
「……やっと、素直になれましたねー」
嬉しそうに微笑んだ。
「――……おーい、勉強頑張ってるかー? コーヒー入れてきてやったぞ……ん? 奈緒一人か? 芳乃ちゃんは?」
奈緒「芳乃は……芳乃は、行っちゃったよ」
父さんは首をかしげて、
「どうしたんだ奈緒、目が真っ赤だぞ」
奈緒「な、なんでもないっ」
「……? ヘンな奴だな。まあいいや、後でお菓子も持ってきてやるから、それまで芳乃ちゃんにしっかり勉強見てもらえよ」
奈緒「…………うん」
あたしは曖昧に返事をした。
そして不意に、とある決心が頭をもたげる。
二人分のコーヒーを机に置いて部屋を出て行こうとする父さんを呼び止めて、
奈緒「父さん、話があるんだ。今度の休みにさ……」
――――――
――――
――
○ ○ ○
加蓮「……へぇ、奈緒のお母さんにねえ。それで、上手くいきそうなの?」
奈緒「う~ん、どうだろ。電話越しに聞いた限りだと、会うだけなら、って感じだった」
加蓮「うわ、厳しそう」
奈緒「よっぽどあたしが電話代わってやろうかと思ったけどさ、父さんも意地になっちゃって」
加蓮「そっかぁ……あたしさ、奈緒のお母さんって、あんまり覚えてないんだよね」
奈緒「別居するようになったのも随分昔だからな」
加蓮「……奈緒の両親がそうなったのって、あたしのせいもあるのかな」
奈緒「は? 何言ってんの、加蓮は関係ないよ」
加蓮「関係なくないと思うけどな。だってナナさん言ってたじゃん、あたしたちは運命共同体だって。それにご先祖様の因縁が原因なら家族だって無関係じゃ……」
奈緒「あのな。例えそうだったとしても、そんな昔のこと今になって考えたり後悔したりする必要ないだろ。それこそ運命って奴の思う壺だ」
加蓮「ふふっ、何ちょっとかっこよく言ってんの」
奈緒「真面目な話だよ」
あたしと加蓮は学校の帰り道を一緒に歩いていた。
風が冷たい日だった。
あたしがコートのポケットに手を突っ込んでいるとそこへ加蓮の手がするすると入ってきて、冷たい指がそっと絡まった。
「奈緒の手、あったかい」って嬉しそうに言う。
あたしはわざと目を逸らしながら「加蓮の手が冷たいだけだろ」って言う。
いつの間にか加蓮はあたしに肩をぴったり寄せて歩いている。
そしてしばらくお互いに何もしゃべらないまま、二人だけの冬の道を歩いていた。
加蓮「そういえばお父さんには芳乃様が消えたこと話したの?」
奈緒「うん。すごくショック受けてた」
加蓮「やっぱり奈緒のお父さんって良い人だと思う。笑っちゃうくらい」
相変わらず加蓮はうちの父さんの話になると喜ぶ。
いい笑いのタネだよ。
奈緒「父さんはどうでもいいんだけど、紗枝の方がな……」
加蓮「まだ引きずってるの?」
奈緒「たぶん。最初泣き付かれた時よりはマシになったけど……」
あれは芳乃が消えた次の日の話だ。
学校で紗枝に大泣きされた。
しかも休み時間の廊下、他の生徒も大勢いるような場所でだ。
まるであたしが泣かせたみたいな構図になっててめちゃくちゃ焦った。
やっぱり覚悟してても辛いものってあるよな。
周子は一応自分の正体について紗枝に打ち明けていたらしいけど、紗枝がどこまでそれを本気にしていたかは分からなかった。
だから周子がいつか消えてしまうって話を聞いてもきっと半信半疑だったんだろう。
……いや、むしろ信じたくないって気持ちの方が大きかったはず。
周子は消える直前、紗枝に電話をかけた。
いつもの軽い調子で別れの挨拶をした後、紗枝が何かの冗談だと思っているうちに通話は切れた。
紗枝は手の込んだ悪戯だと思いつつもあたしの元へ相談しに来た。
それでも薄々勘付いてはいたんだろう。
信じたくないという淡い希望にすがって、今にも倒れそうなくらい顔を真っ青にしてあたしを見つめてくる紗枝に本当のことを言うのはつらかった。
そして周子がもう二度と戻ってこないと知った紗枝は人目も憚らずわんわん泣いて、あたしが慌てて慰めてやったってわけ。
奈緒「あの後もちょくちょく紗枝の家に行ったりして様子見てるんだけどさ、あんまり元気ないみたいなんだよな……」
加蓮「奈緒は優しいんだね」
奈緒「い、いきなりなんだよ」
加蓮「お節介焼きっていうかさ。まあ昔からそういう所あるよね」
奈緒「……紗枝の事はあたしも少し責任感じてるんだよ。それだけ」
加蓮「あたし、奈緒のそういうとこ好きだよ」
そうやって意味ありげな視線を投げかけて告白する加蓮の、白い肌にうっすら赤く火照った表情があまりに綺麗だったから、あたしはつい見惚れて言葉に詰まってしまった。
そしたら加蓮が「顔真っ赤」ってクスクス笑い出した。
あたしは我に返って、照れ隠しに加蓮と繋いでる手をぎゅっと握ってやった。
すると加蓮も強く握り返してきたりして、コートのポケットの中でもぞもぞと意味不明な攻防が始まった。
ホント、子供っぽいというか何というか。
芳乃がいたら呆れられてる所だろうな。
そんなポケットの中の戦争は、加蓮の「あっ」という一声でぴたりと止まった。
加蓮「見て、猫がいる。かわいい~」
道の先に茶トラ模様の猫がぴょんと飛び出してきた。
あたしたちの方を振り向いて少し固まったかと思うと、そのまま知らない家の塀の中へすぐに逃げて行ってしまった。
加蓮が「あ~あ、逃げられちゃった」とさして残念でもなさそうに呟く。
それから少し間を置いて、唐突に話を切り出した。
加蓮「ねえ奈緒。誕生日を食べる猫の話、覚えてる?」
奈緒「覚えてるよ」
加蓮「どんな話か知ってる?」
奈緒「さあ、詳しくは聞いたことないけど……」
すると加蓮は急に真面目な顔つきになって道端に立ち止まった。
ポケットの中で絡まっていた指がほどける。
加蓮「あの都市伝説はね、本当はそんな怖い話じゃないんだ。昔々あるところに二人の女の子がいて……」
……二人の女の子はとても仲良しで、どんな時でも一緒でした。
そうしているうちに、お互い友情を超えて次第に愛し合うようになりました。
ところが片方の女の子は秘密にしている事がありました。
なんとその子の正体は「誕生日を食べる猫」だったのです。
永遠の命を生きる猫は、愛する人が自分を置き去りにして歳を取っていくのが怖くなりました。
やがてそのことに耐えられなくなった猫は、ある日こっそりと女の子の誕生日を食べてしまいました。
誕生日を失うという事は、生まれてこなかったという事と同じです。
つまり、誕生日を食べられた女の子は生きながらにして死ぬゾンビとなってしまったのです。
猫は絶望しました。
愛する人を傷つけてしまった罪悪感に苦しみ、償いきれない罪を犯したことを悔やみました。
そして苦しみ抜いた猫はある日、女の子ゾンビにこう言いました。
「私はあなたの誕生日を食べてしまいました。私にはもうあなたを愛する資格はありません。どうかこのまま、私を殺してください」
猫ははらはらと涙を流しながら自分の死を望みました。……
加蓮「……この後、猫はどうなったと思う?」
奈緒「…………」
加蓮「女の子ゾンビはね、猫の正体を知っても責めたり怒ったりしなかった。それどころか一緒に歳を取らなくなった事を喜んだの」
――こうして誕生日を食べる猫と女の子ゾンビは幸せな一生を過ごしましたとさ。
加蓮「……ねえ、奈緒」
加蓮は遠くの景色をぼうっと眺めながら、独り言のようにぽつりと呟いた。
加蓮「あたしが奈緒を不幸にしても、奈緒はあたしを許してくれる?」
奈緒「……許すよ。当たり前だろ」
それはあたしの本心だった。
加蓮は力が抜けたように笑いながら、
加蓮「ほんと、あたしたちってバカだよね」
冬空の下、から風の吹く帰り道を歩いて行った。
二人を結ぶ手のひらの優しい温度に、心を溶かされそうになりながら。
あの日、ナナさんに真実を告げられたのがきっかけだったんだと思う。
あたしたちは変わった。
良い意味でも、悪い意味でも。
加蓮はもう前みたいに誰とも関わらず孤立するような事はしなくなった。
クラスメイトとはまだ少し隔たりがあるけど、それでも一方的に不貞腐れた態度を取ったりすることもないし、表情もずっと明るくなった。
幸子や紗枝とも仲良くなった。
まあ言ってしまえば加蓮も今までずっとぼっちだったわけで、そういう意味では同じ孤独感を味わっていた幸子や紗枝と仲良くなっていくのも自然な流れだったんだと思う。
特に幸子がお気に入りみたいで、学校で会うと楽しそうにしゃべったりしていた。
曰く「弄りがいがあるよね、ああいう子って」らしい。
元から怖い物なしって感じだった加蓮からしてみれば、たとえ相手が理事長の一人娘だろうと関係ないんだろう。
おかげであたしの周りも随分賑やかになった。
加蓮もやっと自分の世界を広げ始めたんだって思うと、あたしも嬉しかった。
きっとナナさんが言っていた「不幸な運命」を克服したんだと、そう思って。
でも、なぜかあたしは心から喜べない自分がいることにも気が付いた。
加蓮があたし以外の誰かと楽しそうにしゃべっているのを見て胸が苦しくなったりした。
芳乃はその感情こそが「嫉妬」だとあたしに教えてくれた。
そして、加蓮がこれまでずっとその嫉妬に苦しんでいたことも。
その時初めてあたしはナナさんの言っていた事の意味が分かったんだ。
お互いを求めずにはいられない宿命が、次第にお互いを傷つけあうことになるって……。
あたしは自分の中に芽生え始めた嫉妬や羨望、劣等感が少しずつ表面化していくのを感じた。
その得体の知れない体験はあたしにとって恐怖だった。
加蓮の幸せと引き換えにあたしが不幸になっていくような気がして恐ろしかった。
そして皮肉なことに、そんなあたしの行き場のない不安を救ってくれたのもまた加蓮だった。
かつてあたしが加蓮の救いになっていたように、今度は加蓮があたしを助けてくれる番だった。
まるで憑き物が落ちたみたいに明るく振る舞うようになった加蓮は、その積極的な気持ちをあたしにも向けるようになった。
それもほとんど剥き出しと言ってもいいほどに。
何かあるとすぐ抱きついてくるし、手が空いてれば恋人繋ぎしようとするし、その……き、キスしようとしてくるのも、一度や二度じゃなかった。
要するに加蓮は「運命」という言葉を盾に開き直ってしまったのだ。
いつだったか、愛の告白……ってほど大げさなものでもないけど、まあそれに近いような事を言われた。
あたしも流石に困惑したけど、別にイヤな気持ちはしなかった。
むしろあたしが抱いていた歪な感情がスッと削ぎ落とされたような気さえした。
別に恋人同士になるとか付き合うとかって話じゃない。
ただお互いに心から大事に想ってる大切な人なんだって、それを確認しただけだ。
それだけで十分だった。
ある意味、あたしたちはもう取り返しのつかない所まで運命に飲み込まれていたのかもしれない。
でもお互い自分に素直になった事で変わった未来もあるはずだと、今は信じるしかなかった。
――なあ、芳乃。
あたしたち、上手くやれてるかな。
芳乃がいないと、たまにどうしたらいいか分からなくなる時があるよ。
自分の気持ちに正直になるって、やっぱりあたしには難しくてさ。
加蓮のこと、父さんと母さんのこと、紗枝、周子、それから芳乃のことも……
考えれば考えるほど自分の心が分からなくなって、答えが見つからない。
人と人の縁って複雑でさ。
時間が経つにつれ変わっていく事もあるし、単純だと思っていた事が実はそうじゃなかったりする。
迷路みたいに曲がりくねっていて、積み木みたいに形を変えていくこの世界で、あたしはいつも自分を見失いそうになる。
そんな時、あたしの本当の気持ちを掬い取って教えてくれた小さな神様をいまさら恋しく思い出したりして、胸がちくちく痛むんだ。
……でも、あたしはちゃんと覚えてるよ。
あたしの傍にはずっと芳乃がいてくれてるんだって。
だからもう、悲しまないって決めたんだ。……
加蓮と並んで歩く帰り道、あたしはふと立ち止まって後ろを振り返った。
誰もいない。
加蓮「どうかした?」
奈緒「……いや、気のせい。なんでもないよ」
加蓮が不思議そうにあたしの顔を覗き込んだ。
加蓮「ね、今度さ。紗枝ちゃん誘ってどっか遊びに行こっか。良い気分転換になるかもよ」
奈緒「そうだなぁ、それもいいかも」
加蓮「じゃあ決まりっ♪」
そう言って加蓮は「どこ行く?」「何して遊ぼっか?」って楽しそうにはしゃいでいた。
気を遣わせちゃったかな。
奈緒「加蓮」
加蓮「ん? なに?」
奈緒「ありがとな」
すると加蓮は一瞬ぽかんとして、
加蓮「…………ププッ」
奈緒「なっ!? 何笑ってんだよ!」
加蓮「だって奈緒、真面目くさって急に何を言い出すかと思ったら……」
奈緒「べ、別にいいだろ感謝するくらい」
加蓮「ふふっ、奈緒もなんか変わったね。そんな風に素直に言えるようになったなんて」
奈緒「あたしも不器用なりに頑張ってるんだよ。ほっとけ」
あたしは恥ずかしくなってつい早足になる。
加蓮がクスクス笑いながら、嬉しそうにあたしの後に付いて来る。
すぐに照れてごまかしてしまう、この性格を克服するにはまだちょっと時間がかかりそうだ。
ま、そうは言っても、せめて今くらいは挫けずに前を向いて歩いて行こう。
芳乃様に、叱られるからな。
完
ここまで読んでくださった方はありがとうございました
元ネタ・モチーフはご指摘にあった通りです
それ以外だと、特に菜々さんのSFパートはとある有名な海外SF小説から筋書きをそのまんま持ってきたりしています
ただタイトルを言えばそれだけでネタバレになってしまうレベルなのでここでは紹介を控えますが……
また、「誕生日を食べる猫の話」について、これは他SS作者の同名タイトルからストーリーを拝借しました(了承は得ています)
別ジャンル(けいおん)のSSなので大変恐縮なのですが、感謝の意を込めてここに紹介したいと思います
唯「誕生日をたべる猫の話とか!」
http://pipsicoke.seesaa.net/article/420265984.html
>>1の過去作あったら、よろしければ教えてください。
>>190
数ヶ月前にはこんなSSも書いてました
楓「命短しススメよ乙女」
楓「命短しススメよ乙女」 - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1464633207/)
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