モバP「白菊ほたると一輪の笑顔」 (27)

 二重に絡まる電流が走った。

 エジソンとテスラが脳裏に浮かび、直流か交流かなんて不毛な言い争いを始める。間違いなく、俺は混乱している。

 一目惚れだった。初めての経験だった。

 白菊ほたるは物憂げな表情を浮かべ、不安そうな視線を俺の胸元に泳がせている。

 これはいけない。こんなに可愛い子なのに、まだまだ子供なのに。

 笑ってほしいと思った。そして、幸せになってほしいとも。

 だから俺は、ほとんど向こう見ずに声を発していた。

「結婚してください! 幸せにします!」

「えっ、……あのっ」

 直後、小会議室に乾いた音が響く。丸めた書類を右手に握るちひろさんは、天才的な突っ込み技術を持っている。

「できるか馬鹿」

 こうして俺のプロポーズは失敗した。十三歳の女の子とは結婚できないのだから当然だ。

 それでも、ほたるちゃんの小さく零した笑みを見られれば、悪い気はしない。

 俺はほたるちゃんを幸せにしたいと思った。



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期待期待
ほたるちゃん大好き

 顔合わせから数日後、俺とほたるちゃんは都内のスタジオを訪れていた。

 アイドル雑誌に載せる写真を撮りにきたのだ。プロダクションが持つ枠のひとつで、毎月新人や売り出し中の子にあてがわれている。

 撮影後は軽めのインタビュー。新人には仕事に慣れてもらうための簡単な仕事と言える。

「緊張してる?」

「はい、こんなにしっかりしたスタジオでの撮影は初めてで……」

 きょろきょろと周囲を見渡すほたるちゃん。この仕草だけなら年相応で可愛らしいのだが。

 彼女の視線には確認の意味合いが強く思える。危険を避けるための確認かもしれない。

 俺が思う以上に苦労してきているのだろう。

「そっか。でも慣れてもらうよ。これからはずっとこんな感じだからね」

 ほたるちゃんは小さく頷いた。不安そうに見える。できれば笑ってほしいよななんて考えた俺は、絶賛片想い中である。

 顔合わせのとき、ほたるちゃんは自分を指して不幸体質だと言った。

 人を巻き込み不幸にして迷惑をかけてきたのだと、彼女は申し訳なさそうに言葉を紡いだ。

 俺は首を傾げた。どこに因果関係があるのか理解できなかったから。

 白菊ほたるの移籍が決まったのは二週間前。彼女の所属していたプロダクションの倒産が発表された直後である。

 彼女の経歴は実績よりも、移籍の多さに目を引かれる。どれも在籍期間が短いのだ。一般的には敬遠されがちな経歴だが、誰も彼女を責められない。

 アイドル白菊ほたるの在籍したプロダクションは、すべて移籍後一年以内に倒産している。小さなプロダクションの倒産は珍しくない。

 しかし、三度も倒産に立ち合うとなれば話は変わる。

 彼女に暗い噂がつきまとう所以だった。災厄や不幸を呼ぶなんて揶揄は、世間話程度にだが、俺の耳にも届いている。

 まあ、ほぼ間違いなく、前プロダクションの関係者が流布したのだろう。嫌がらせか、あるいは本気なのかは判断に困るところだが。

 経営能力のなさを責任転嫁するプロダクションだ。遅かれ早かれの違いはあっても、きっと結末は変わらない。

 ある意味で、ほたるちゃんは不幸だった。経営の傾いたプロダクションに、救世主として向かい入れられたのだと推測できる。

 その傾きはとうに転覆を待つしかない状況だったとも。

 つまるところ、白菊ほたるのせいで倒産したのではなく、倒産するプロダクションが彼女を欲したのだ。

 今回の移籍が証明している。このプロダクションはわけもなく、行き場のないアイドルを引き取るほど優しくない。

 最大手には最大手たる理由があり、実績と審美眼がある。

 ほたるちゃんは認められた。

 それが答えだろう。

 カメラマンと軽く打ち合わせをして、さあいざ撮影を始めようとした段階になって問題は発生した。

 どうやら機材トラブルが起きたらしい。幸い、少し時間をかければ解決できるそうなので、大人しく待つことにしよう。

 スタジオの端にあるパイプ椅子に、俺とほたるちゃんは腰を下ろした。

 ほたるちゃんの表情は暗い。俺はなんだかなぁと心で呟いた。

「あの……ごめんなさい。私の不幸のせいで」

 ぽつりぽつりと溢れでた言葉は自罰的すぎる。こんな些細なことにさえ責任を負おうなんて、とても十三歳の思考ではない。

 俺はなんでもないように笑う。実際、なんでもないことなのだ。

「よくあることなんだよ。べつにほたるちゃんのせいじゃあない」

「でも、私はいつもこうなんです。カメラは止まるし照明は消えて、音響はハウリングを起こすんです」

「それはなかなかのスタッフ泣かせだな」

 おどける。ほたるちゃんの言う不幸は、この業界にいれば必ず起こる。もちろん対策はするし改善もするけれど、避けられない。

 ある種の命題だろう。

 完全性は人の手によって生み出せるのか。

 自分の不完全さを自覚して嘆息する。十三歳に恋する男が完全であるはずはなかった。

「ほたるちゃんはさ、幸不幸ってなんだと思う」

「えっ、幸せと不幸ですか?」

「うん。あっ、そんなに難しく考えなくていいよ。暇つぶしだと思って」

 ええと……。困ったみたいに言葉を詰まらせるほたるちゃん。出会ってから数日、困った顔ばかり見ている気がする。

 あまり待っても威圧的になってしまうので、俺はね、と微笑む。ほたるちゃんは真剣な面持ちで耳を傾けてくれた。

「解釈の問題だと思ってる。自分に都合のいい状態を幸福、悪い状態を不幸だと。……俺は、こうしてほたるちゃんと話せて嬉しいんだよね。だから今、幸せだよ。この幸せだけは不幸だとは呼んでほしくないな」

 結局のところ、幸福と不幸は人間の脳内にしか存在しない。事実は事実でしかなく、現象は現象でしかないから。

 価値を創造するのも、意味を付与するのも人間の脳なのだ。もちろん、異論は認める。

 しかし、頬を赤らめ、うぅと唸るほたるちゃんを目の当たりにしている俺はやっぱり幸せであり、こればかりは否定させる気はない。

「あ、ありがとうございます……?」

 困ったように語尾を上げるほたるちゃん。次はどうにか笑顔にしてみせると心に誓った。

 雑誌の撮影から二カ月、穏やかな日々が続いた。

 大きな失敗もなく、ほたるちゃんは着実に仕事をこなした。自信のなさは相変わらずだけど、それでも彼女が首を傾げるぐらいには順調と言えた。

 俺とほたるちゃんの仲も、多少は近づけたように思う。

「ここなら……プロデューサーさんとなら大丈夫かも……」

 なんてプロデューサー冥利につきる言葉を聞いたときには、できもしないブレイクダンスを披露。

 思いっきり後頭部をぶつけて悶える無様な姿を晒し、彼女を呆れさせた。でも、なんだかんだ手を差し伸べてくれる程度には打ち解けている。

「頑張れる場所をくれてありがとうございます……見捨てないでください」

「わざわざ幸福を手放そうなんて考えるほど、俺は酔狂じゃないよ」

「いきなりプロポーズする人は、酔狂じゃないんですか?」

「馬鹿を言え。あれは本気だ」

 真顔で応えるとやっぱり呆れられた。頬を染めて「……知りません」そっぽを向くほたるちゃんはめちゃくちゃ可愛かった。

 ある日、ほたるちゃんは両手ですずらんの鉢を抱えてきた。事務所を出てすぐの花屋で買ってきたらしい。

 控えめにだけど、自己主張する彼女は珍しい。嬉しくなる。

「この部屋、緑が少ないと思います。……ダメですか?」

「おお、いいんじゃないか。ちょっと待って、育て方調べるから」

 調べた結果、暑くなりすぎず、適度に陽の光を浴びせればいい手のかからない植物だと判明。窓際のほどほどに明るいポジションを確保した。

「花は四月頃に咲くらしいよ。もしかしたら誕生日と重なるかもね」

「誕生日ですか……来年はここで誕生日を迎えられるといいんですが」

「迎えようよ。お祝いするからさ。すずらんも一緒に育てて花を咲かせよう」

「……はい」

 嬉しそうに頷いてくれたほたるちゃん。すずらんの水やりが日課に加わった。時々、ちひろさんも手伝ってくれている。

 だから、油断したんだと思う。

 さらに一ヶ月が経った今日、ほたるちゃんは小日向美穂とともに、双葉杏と諸星きらりのステージでバックダンサーを務めた。

 しかし、完璧ではなかった。細かなミスがいくつかあった。ただ、許与範囲と言える。気にするなとは言えないけれど、気にし過ぎるほどでもない。

 それでも当人にとってはミスに変わりない。控え室に戻ると、ほたるちゃんは涙を浮かべて謝った。

「ごめんなさい……ごめんなさい」

 美穂ちゃんは焦ったように駆け寄る。

「だ、大丈夫だよ! ほら、すぐに修正できてたし、次はミスしないように頑張ろうよ」

「そうだよー! 失敗はきらりんだってするんだよぉ? 今日だってもっとうまく歌えたんじゃないかなぁーって。だから、気にしないで! 少しずつ前に進めばいいんだよ?」

 きらりちゃんは前屈みに視線を合わせて、優しく語りかけた。

 ふたりの優しい言葉は前向きで、そして正論だ。今日の失敗は次の成功に繋げればいい。幸いにも、取り返しのつく失敗なのだから。

 だけど、ほたるちゃんにとって「次」は不確実なもので、「今」は脆くいつ崩れ落ちても不思議ではないのだろう。

 杏ちゃんはテーブルに突っ伏しながら気だるげに言う。

「気にするなって言われても無理だよねー。こればっかりは気持ちの問題だからさ。でも、ほたるちゃんが落ち込んでると逆に気になるんだよね。だから、杏たちのために気にしないでよ」

 遠回しな慰めは、ほたるちゃんに理由を与える。自罰的な少女には、ふりをするのにも理由が必要なのだ。

 俺はほたるちゃんの傍に歩み寄り、言葉を引き継ぐ。彼女は申し訳なさそうに俯いた。

「気にするなとは言わない。でも、みんなの優しさは素直に受け入れてほしい。否定するのは失礼だよ」

 弱々しくはいと返事をするほたるちゃん。彼女は涙を拭い、三人に向かってお辞儀した。俺も続けてお辞儀する。

 三人はいいよと応えてくれる。本当に優しい女の子たちだ。

 それから帰り道、喫茶店に寄った。せめて、もう少し明るい気持ちで帰ってほしかったのだ。

 カウンターでコーヒーとココアを受け取って席に着く。俯くほたるちゃんの前にココアを置いてから、俺は口を開いた。

「練習ではできていたよね。なんでミスしたと思う?」

「……緊張して、頭のなかが真っ白になったんです」

「そっか。じゃあ、ほたるちゃんはもっと自信をつけないといけないな。自信のなさや後ろ向きな気持ちが足を引っ張ってるんだよ」

 胸を張れ、前を向け、堂々としろ。ほたるちゃんには難しい言葉。でも、このままでは負の連鎖だ。

「不安に思うのは仕方ない。けど、ステージにおいて一番駄目なのは中途半端なことだよ。不安を滲ませれば、客席からは丸見えなんだ。誰だってミスはする。重要なのはミスさえ楽しませること。そのためには堂々としていないとね」

 やりきってしまえばパフォーマンスとして受け入れられる。

 もちろん、ミスはないほうがいいけれど、起きてしまったのなら仕方がない。利用して楽しませたらいいのだ。

「一緒に確認して反省しよう。今すぐどうにかは難しいと思う。だから、一緒に慣れていこう。不幸があったならふたりで乗り越えよう。大丈夫、ほたるちゃんを見捨てはしない。俺も、プロダクションもね」

 ほとんどプロポーズだった。まあ、形は違うけど似たようなものだ。

 俺はほたるちゃんに伝えなければならない。ここなら安心だと、明日は普通にやってくるし、今日は崩れないと。

 そのためのプロポーズなのだ。

 顔を上げたほたるちゃんは、まじまじと俺を見つめる。

「これからも……一緒にいてくれますか?」

「ほたるちゃんが離れない限りは」

「……一緒にいてください。私、頑張ります。プロデューサーさんを幸せにできるように、みんなに幸せを届けられるように。……あの、できたらいいなぁって。……頑張ります」

 最後にありがとうございますと付け足したほたるちゃんは、少しだけ前を向けたように見えた。

「あの……笑顔の練習、付き合ってもらえませんか?」

 ライブの一件からしばらくして、ほたるちゃんはレッスンの休憩中に、唐突にそう言った。

「小さい頃から、いつも困った顔してるって言われて……」

 俺が応える前にそう付け足して困った表情を浮かべるほたるちゃん。断る理由なんてあるはずもなく、俺はいいよと頷いた。

 笑顔の練習は三日に一度の頻度で行われた。なかなかどうして、意識して笑顔を作るのは難しい。

「どうですか?」

「いや、それは駄目だと思う」

 初めは歪な笑顔だった。悪意的にさえ見える。

「なにか、楽しかった記憶を思い出すとか」

「楽しかった、思い出……?」

 愕然とした表情を浮かべられて、俺は戸惑う。これからはもっと楽しませていかなくてはと心に強く決めた。

「じゃ、じゃあ、面白いこととか」

 うーん、と首を傾げて見せたが、なにか思いついたらしい。あっそれなら、と俺の顔を見つめた。

「最初のプロポーズ、ちひろさんに頭を叩かれてたのは面白かったです」

「面白くないよ!?」

「……面白かったです、ふふ」

 と、小さく、だけど自然に。とても、可愛らしく微笑んだ。

「ストップ! それだよそれ!」

「えっ? あのっ、それ?」

 静止虚しく、ほたるちゃんの微笑みは困り顏に戻されていく。この表情は形状記憶なのではなかろうか。

「ああぁぁ……今笑えてたよ。うん、可愛かった」

「……すみません」

「いや、謝らなくていいよ」

「あの、笑顔じゃないと、可愛くないですか?」

 手を胸元で組み不安そうな表情で上目遣い。卑怯だ、その表情は卑怯だ。

「いや、えっと、そんなことはなくてね。普段から可愛いけど、笑顔も可愛いくてね。あ、もちろんどっちがいいとかじゃなくて……」

「冗談です」

「…………」

 ほたるちゃんはけろりと言ってのける。演技派だった。俺はスーツの内ポケットからスマートフォンを取り出して、動画機能を呼び出しカメラをほたるちゃんへ向ける。

「はい笑ってー? 動画に残そう、ほら、笑って。今の演技力があればいけるはず!」

 ぐぐいっとカメラを寄せると彼女は焦りだす。あわあわとあたりを見渡して逃げ場を探しているようだった。

「逃げられないよー? さあさあ笑うんだ」

 ぐへへ、と邪悪な笑みを浮かべながらほたるちゃんを壁際に追い込む。と、俺は肩を叩かれた。

「ロリコンは死刑」

 振り返ると、満面の笑みをたたえたちひろさんが立っていた。ほたるちゃんの不幸恐るべし。

 めっためたにされる俺を見て、ほたるちゃんは再び小さく笑った。

 こういう馬鹿騒ぎも悪くないのかもしれない。

 茹だるような暑さに気が滅入る。

 周囲は人、人、人。喧騒と雑踏に嫌気がさしながら、俺はほたるちゃんの手を引いて歩く。

 出店の鉄板と人の多さのせいか、会場までの道程は気温以上に暑く感じた。

 今日は東京湾花火大会の中継の仕事が入っている。中継と言っても基本的にはいくつかの会場の紹介と多少のリアクションがメインだ。あとは花火を映すので終わるまで鑑賞しながら待機する。

 花火大会らしく、ほたるちゃんは紺地に鈴蘭柄の浴衣を着ている。とても似合っていた。

 中継まで時間がかなりあるので、打ち合わせとリハーサル後、自由時間が設けられた。気分転換も兼ねて少し歩いてみることにしたが、人の多さに早くも後悔に苛まれる。

「人多いね、大丈夫?」

「は、はい、大丈夫です。……あの、手、離さないでくださいね」

 紅潮しているのは暑さか照れか。俺には判断できなかった。きっと、俺も同じように染めていることだろう。

 中継が始まる直前、トラブルが発生した。スタッフ曰く、カメラの電源をいれると五分前後で切れてしまうらしい。それも、三台のカメラすべて。

 急遽、別な現場から中継を開始し、こちらを後に回すことに決定した。幸い、テレビ局は近いので、終盤には交換が間に合うだろうとのことだった。

 突然の待ちぼうけ。俺とほたるちゃんはフェンスに近づく。目の前は暗い海。その先には街が煌々と輝いていた。

「向こう側、キラキラしてますね」

「うん、綺麗だね」

「少し前は周りを不幸にしてしまいそうで行けなかったんですけど、今なら行ける気がします。撮影が終わったら、一緒に歩いてもらえますか?」

「喜んで」

 しばらくして、花火が上がる。青、赤、緑、そして黄金色に近い光の色。炎色反応によって色づけられた花火は、破裂音と火薬独特の香りを伴って夏を彩った。

「撮影が遅れたのは不幸ですけど、こうやってプロデューサーさんと花火を見られたのは良かったと思います。私も、そんなふうに考えられるようになりました」

 一歩近づいてきたほたるちゃんは花火にかき消されないために、声を大きく言った。

 わざわざ俺に伝えてくれるようとする彼女に、見惚れてしまう。

 ひと際大きい花火が上がって、視線を正面に戻した。俺は花火を見上げながら言う。

「また、来年も一緒に見よう」

「約束ですよ」

 そう言う声音は明るくて。顔を横に向けると、ほたるちゃんは笑っていた。ちょっとだけ不器用な笑顔に、俺は惚れ直したのだった。

 プロダクション主催の合同ライブに、白菊ほたるの出演が決まったのは半年前、きらりちゃんと杏ちゃんのバックダンサーを務めた直後だった。

 夏頃までは現実味がなかったのだと思う。ライブまで残り一ヶ月と迫って、ほたるちゃんは不調に陥った。

 それまではできていたのに、歌えば音を外し、踊ればどこかしらでミスをする。端的に言えばスランプだ。

 こういうときはなにをしても上手くいかない。失敗は失敗を呼ぶ。でも、なにもしないわけにはいかないジレンマ。

 空回って絡まって、身動きが取れなくなる。

 誰にでも一度は訪れる経験だろう。あるいはずっとつきあい続けることになる。

 年をとれば上手いつきあい方を見つけられる。直感的に失敗の前兆に気づき、回避するなり対策するなり、経験則から手を打てる。

 しかし、ほたるちゃんはまだ十三歳だ。失敗の経験は多いのかもしれないけれど、成功経験が圧倒的に少ない。

 失敗の連鎖から抜け出す術と、その先にある成功をイメージできない以上、スランプからの脱出は難しいと思う。

 もちろん、急に抜け出したりもするけれど。

 ここで上手く抜け出せればいい経験になるはずだ。

「すみません……思うようにいかなくて。いえ、上手くいったことなんてほとんどありませんでした」

 ほたるちゃんは自虐をするぐらいには前向きにはなった。いや、前向きかどうかは異論があるだろうけど、塞ぎ込まなくなっただけ進歩と言える。

 遠い目をしているのは、うん、きっと未来を見ているのだと信じたい。

 俺にできることは少ない。こればかりは他人がなんと言おうと、最終的には本人の問題だから。

 だとすればなにができるのか。

「今日は散歩に行こうか」

「えっ、レッスンはいいんですか?」

「うん、ちょっと休もう。変な癖がついても困るだろう」

「……わかりました。プロデューサーさんについていきます」

 気分転換に出かける。時間的にも遠くに行く余裕はないので、プロダクションの周辺を歩くことにした。

 外に出ると肌寒い風が吹いた。街路樹の葉が揺れて落ちてくる。空は高く、雲が薄っすらかかっていた。

 改めて散歩をすると普段は気づかないお店や風景があった。小さな花屋やコーヒー豆の専門店、アクセサリーショップに酒屋。小さな公園の樹木は黄色く染まり、服屋には冬物が並び始めている。

「この辺ってあんまり歩いたことなかったんだよね。駅から会社までの往復ばかりでさ」

「私は何度か。そのときに見つけたのがあのすずらんです」

「ああ、すずらん。元気に育ってるよね」

「みなさんがこまめに世話をしてくれてますから。きっと私だけではダメでしたね」

 最近では渋谷さんと相葉さん、五十嵐さんも加わり、丁寧に世話をされている。事務所にきたときよりもずっと、すずらんは元気に育っていた。

「俺もダメだったろうなぁ。水やり忘れそうだし」

 他愛ない会話をして歩く。のんびりとした時間は安らぐ。ほたるちゃんも少しは、気を楽にしていればいいけれど。

 帰り道、アクセサリーショップに寄った。

 こじんまりとした個人店で、俺より少し年上と思われる女性がひとりカウンターに座っていた。話によるとここにあるアクセサリーは彼女と友人の手作りらしい。

 ほたるちゃんは店内奥の一角にある、厄除け・開運コーナーに目を輝かせた。

「お守り……その、お揃い、とかどうでしょう……? あ、厄除けは大事かなって」

 頬を赤らめて言った。可愛らしいと思う反面、動機が切実すぎて複雑な気持ちになる。

「いいよ、どれがいい?」

「プロデューサーさんに選んで欲しいです」

 おっと、そうきたか。センスを試されている気がする。とは言え、正解なんてわからないのだから、深く考えるのはやめよう。

 手に取ったのは赤色のお守り。ふたつ購入して、ひとつを手渡した。

「えっ、あの、払います」

「受け取ってよ。ほら、たまには俺も幸せを返したいしさ」

 きょとんと首を傾げるほたるちゃん。どうやら言葉の意味を理解していないらしい。

「ほたるちゃんがどう思ってるのかは知らないけれど、俺はほたるちゃんと一緒にいれて幸せなんだ。だから、恩返し」

 幸不幸は解釈による。俺はどんな出来事も、ほたるちゃんといれば幸福に思える。

 ほたるちゃんは困ったように笑う。

「このお守り、肌身離さず大切に持ち歩くことにします……きっと、どんなお守りよりも効果があると思いますから。……ありがとうございます」

 それから数日後、お守りの効果もあってか、ほたるちゃんはスランプを脱した。トレーナーさんが絶賛するほど、急激に良くなった。

 当然、ステージは成功。

 ステージ袖に帰ってきたほたるちゃんは、呆然とステージを眺めたまま佇んだ。

「夢みたいですね。お客さん、みんな笑ってました。起きたら、なにもないなんてこと、ありませんよね」

 俺は無言でほたるちゃんの頬をつまむ。驚いたのか、肩を跳ねさせていた。

「いひゃいです」

「なら、夢じゃないね。大丈夫、本当に良かったよ。きらきらしてた」

 頬から手を放す。ほたるちゃんは感慨深げに頬をさすった。

「諦めないでよかったって、心からそう思ってます。はい……」

 ほたるちゃんの口元は緩んでいた。本当に嬉しそうで、俺は安堵する。ライブが終わり彼女が着替えている間、俺は不思議と涙が溢れて、抑えきれなかった。

 ほたるちゃんが移籍してきてから一年近くが経った。

 桜が心地よい風に舞い、あらゆる出来事を祝福して見える。出会いと別れの季節。ほたるちゃんにはさらなる幸せと出会い、これまでの不幸と別れられるよう願うばかりである。

 今日は雑誌の特集であるブライダルセレクションの撮影だ。

 撮影用のウエディングチャペルにて、純白のウエディングドレスを着たほたるちゃんは心なしか浮かれているように見えた。美しさに俺は言葉を失う。

 撮影まで少し時間があった。祭壇まで並んで歩く。結婚する雰囲気を味わえるかと思ったが、やはり年齢が離れすぎていた。悲しい。

「ウエディングドレスは夢に見た憧れの衣装です……私、アイドルで良かったって改めて感じました……。これを着たら今よりもっと幸せになれるかな……。ポーズは……こうでしょうか?」

 ブーケを手に持っていくつかポーズを決めるほたるちゃんは、無邪気であり、そして幸せそうだった。

 結婚しよう。

 そんな言葉が思わず飛び出るほどに綺麗だった。

「今、私の幸せはプロデューサーさんと一緒にお仕事を続けられることですから……。結婚は……もっとアイドルとして輝いてからですね」

 親の気持ちとはこういう感じなのだろうか。ほたるちゃんの言葉に涙腺が緩んでしまう。

 ほたるちゃんは涙ぐむ俺に歩み寄り、手を差し出してきた。

「手をひいて……もらえますか……?」

 彼女の手をとって、一歩二歩。祭壇正面に向き、並んで立つ。

「少し笑えるようになってきたんです。……幸せを感じられるようになって」

「うん、最近はよく笑えてるよ」

「プロデューサーさんのお陰です。いつでも私のことを見てくれて、諦めないでいてくれて……一緒にいてくれて。私は、プロデューサーさんの笑顔に幸せをもらったんです」

 ほたるちゃんはこちらを向く。その瞳に暗さはない。明るく、輝いて見えた。

「幸せになりたいと思いました。そして、プロデューサーさんやファンのみんなに、幸せを届けたいとも」

 希望と願望の入り混じる言葉。

「私も……幸せになれますか……?」

「なれるよ。もしなれなければ、俺がどうにかする」

 ほたるちゃんを幸せにしたいと思った。これからもずっと、幸せであってほしいと、心の底から強く願う。

 不幸は俺が引き取る。だから、どうかほたるちゃんだけは幸せにしてほしい。もし、神と呼ばれる存在があるのなら。この願いを聞き入れてほしい。

「幸せに……してください……」

「必ず幸せにするよ」

 誓いの言葉は一年前より、ずっと現実味を帯びていた。

 事務所に戻る。

 ある意味、今日のメインイベントはこれからだ。ほたるちゃんと小会議室を訪れる。彼女は首を傾げたが、素直についてきてくれた。

 ノックするとドアの先から「どうぞー」と声がした。俺はスマホを取り出し連絡するふりをして、ほたるちゃんに先に入るよう促す。ドアを開くとクラッカーが鳴り響いた。

「ほたるちゃん、お誕生日おめでとー!!」

 驚いたのか、ほたるちゃんは言葉を失ったままこちらを振り返った。どうやら混乱しているらしい。

「おめでとう。ほら、中に入ろう」

 小会議室には時間の都合のついた十人ほどのアイドルと、ちひろさんが集まってくれた。くっつけた長机の上にはホールケーキと料理が並んでいる。ホワイトボードには「ほたるちゃんお誕生日おめでとう」とカラフルに書かれ、壁にはささやかな飾り付けが施されていた。

 小会議室に誕生日パーティー会場ができあがった。ほたるちゃんは涙を浮かべながら言う。

「あの……私、こうして誕生日を祝ってもらったことなくて……ありがとうございます」

 そんな言葉でパーティーは始まった。みんながプレゼントを渡して、料理を食べながら騒いで、気がつけば、ほたるちゃんは自然に笑顔になっていた。

「そういえばほたる、プロデューサーからはなにをもらったの?」

 しばらくして、少し落ち着いてきたあたりで渋谷さんはそう訊ねた。ほたるちゃんにみんなの視線が集まり、急に静かになる。

 ほたるちゃんは頬を朱に染める。そして、恥ずかしそうにはにかんだ。

「結婚の約束、してくれました」

 爆弾だった。いや、たしかに似たようなものだけど。ちひろさんが隣にやってくる。

「ロリコンは?」

「……死刑」

「よくできました」

 ぼこぼこにされる俺。そんな光景にみんな笑った。こんな日々がいつまでも続けばいい、続けないといけないな、そんなふうに考えた。

 ちなみにプレゼントはチャペルで渡した。幸運の訪れるというブレスレット。喜んでくれた。

 パーティーが終わったあと、アイドルたちを先に帰して、俺とちひろさんで後片付け。ちひろさんはほたるちゃんの笑顔がよほど嬉しかったらしい。珍しく俺を褒めてくれた。

 仕事が残っていたのでデスクに戻る。と、そこにはほたるちゃんが立っていた。

「帰ってなかったんだ」

「はい、お礼が言いたくて。ありがとうございました」

「楽しんでもらえたならよかったよ」

 気恥ずかしくなって、窓の外へ視線を向ける。だから、視界の片隅に捉えた光景に、視線を向け直した。

 俺は窓際まで歩き、置いてあったスズランの鉢を手にとってほたるちゃんの傍に戻る。彼女はその鉢を見て驚いた。

「重なったね。一輪だけど、咲いてよかった」

「……私は今、幸せです。本当に!」

 スズランには一輪の花が咲いていた。そして、ほたるちゃんにも綺麗な笑顔が咲いた。

終わりです。
依頼してきます。

乙、面白かった
デレステほたるちゃんssrはよ

ほたるぅー!俺だー!

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